海の民俗学

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1天之御名無主
彼方には常世の国、底には竜宮。さまざまな異界との境界である海
いざマターリ&テキトーに語りましょう。
2天之御名無主:2007/03/15(木) 01:15:53
にい。
そろそろ、わたつみの宮も核武装が必要だ。
3天之御名無主:2007/03/15(木) 02:46:35
補陀落とか海賊衆の信仰も語るのはあり?
4天之御名無主:2007/03/15(木) 10:09:57
4さま
5天之御名無主:2007/03/15(木) 12:45:57
海の民はロマンだねえ
6天之御名無主:2007/03/15(木) 13:47:33
7>>1 :2007/03/15(木) 17:15:39
>>3よ、何でも語ってくれ。それこそ削除依頼出されるくらいww
8>>1 :2007/03/15(木) 17:17:48
>>3よ、なんでも語ってくれ、それこそ削除依頼出されるくらいでもOKww
9>>1 :2007/03/15(木) 17:18:44
ごめん、全然画面変わらないから…orz
10天之御名無主:2007/03/15(木) 17:29:19
>>7
>>8
なにやってんのよw
11天之御名無主:2007/03/15(木) 21:18:22
吉村昭の「破船」で、海の向こうのあの世みたいな概念が語られてたね。
12名無しさんお腹いっぱい:2007/03/15(木) 21:53:10
なんか境界の象徴だっけか?昔聞いた話だと
13天之御名無主:2007/03/16(金) 02:44:20
赤江瀑て作家の「海贄考」って短編小説に、海で溺れた人間がどんな扱いをされるかって民俗学的資料が載ってて面白い。助けないとか、殺して食べる国もあったとか。

諸星大二郎の妖怪ハンターに出てきた漂着物信仰も興味深い。
14天之御名無主:2007/03/16(金) 07:39:43
えと、どこの出版社?
15天之御名無主:2007/03/16(金) 08:11:54
16天之御名無主:2007/03/16(金) 18:15:15
>>15ちょ、お前ww
17天之御名無主:2007/03/17(土) 00:02:07
フダラク渡海やってた人たちって、熊野なんかじゃなくて
日本海側のどっかから舟をだしていれば、万に一つぐらいは
どこかにたどりつけたんじゃないだろうか。
18天之御名無主:2007/03/17(土) 05:35:11
>>14 赤江瀑のなら光文社文庫。最近出た「灯籠爛死行」って短編集に再録されてる。
19天之御名無主:2007/03/17(土) 10:44:40
スマソ、アリガトーm(._.)m
20天之御名無主:2007/03/17(土) 22:38:53
>>17
その前に確実に死にます
船と言っても船ではなく、棺桶の大きな物に人を入れ、しっかり釘付けした箱ですから
難破する前に、酸欠状態に陥ります
21天之御名無主:2007/03/18(日) 17:38:21
フダラク渡海ってなんぞや?
22天之御名無主:2007/03/18(日) 23:40:57
>>21 即身成仏の海バージョンみたいなもん。>>20の言う通りの造りの船に乗って海へ流される。

志願してその日まで身を清め読経三昧の僧侶がやるが、土壇場で逃げたがる僧もいたとか。

劇場版・湯殿山麓呪い村みたいな事もあったんだろな。
23天之御名無主:2007/03/19(月) 04:49:29
>>15
グロ注意!!!!
24天之御名無主:2007/03/19(月) 21:59:46
>>23グロってww
25天之御名無主:2007/03/20(火) 12:18:35
少し聞きたいのだが西洋の伝承だと海は神の恐ろしさを暗喩するようだと聞いたことがあって
ノアの箱舟の洪水とか七頭十角の獣の現れる場所もそういうのが関わってるとかなんとか?
26天之御名無主:2007/03/20(火) 21:14:51
>>25
ノアの箱舟も七頭十角の獣もパレスチナあたりの特定の民族の伝承がもとになっていて、
いわゆる西洋とはあまり関係が無いですよ。
海洋民族をもって任ずるギリシア人や、その後継者であるローマ人、北の海を荒らしまわった
バイキングたちにとって、海とは神秘的な存在であるとともに、日常の場でもあり、戦場でもあり、
とうてい「〜の暗喩」と一口でくくれるものはなかったでしょう。
27婆 ◆HKZsYRUkck :2007/03/20(火) 21:44:33
>>26
アイルランドやブルターニュなんかの海系ケルト人も、
海の中に竜宮城と同じような他界信仰もってたらしいよね。
28天之御名無主:2007/03/21(水) 01:04:15
>>22に補足
補陀落(ポータラカ)と言うのは観世音菩薩の浄土の事
補陀落渡海は生身、つまり生きている人間が行なう事が大原則です
住職など、明日をも知れぬとなれば、大急ぎで船を仕立ててそこに乗せたとか
29天之御名無主:2007/03/21(水) 11:17:18
>>28
>補陀落(ポータラカ)と言うのは観世音菩薩の浄土の事

チベットのポタラ宮や中国浙江省の普陀山などはそこから名付けられたらしいね。
日光の二荒(ふたら)山もそうだったかな。
30天之御名無主:2007/03/26(月) 18:28:11
普陀山とか二荒山とか山って言うのも何かあるのかな?
31天之御名無主:2007/04/10(火) 12:53:32
補陀落(フダラク)→二荒(フタラが転じてニコウ)→日光
っつー説はガチなん?
32河豚比礼:2007/04/10(火) 13:52:28
>>31
それは仏説によるこじつけであって、
日神祭祀に基づくと言う説もある。
33天之御名無主:2007/04/11(水) 18:48:07
てか記述神話だけかもしれんがウチの神さんももらいものだからな〜
34天之御名無主:2007/04/13(金) 21:00:35
神は影向し、仏は湧出す
35天之御名無主:2007/04/22(日) 13:05:23
>>33
>ウチの神さんももらいものだから・・・
何処からの?
36天之御名無主:2007/12/31(月) 18:21:04
>>5
42 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 01/12/14 17:00
漁民は農民とは異なり、土地に縛られる必要がなく、魚がいなくなれば
移動するという生活ができていたでしょう
漁業権という考え方が生まれてきたのは、おそらくは江戸時代に入って
からのことではないかと思いますが、それでも海が自由な領域だという
考え方もあったのではないでしょうか
////日本漁民史////
http://mentai.2ch.net/history/kako/1007/10075/1007553624.html
37天之御名無主:2008/04/02(水) 15:39:31
 2万年前の氷期の終わりごろ、東南アジアの多島海は、現在「スンダランド」と呼ばれる陸地だった。
氷期が終わって海が陸を侵し始めると、そこに住んでいた人たちは、現在の東南アジアから中国の
華南地方に広がった。その一派が築いたのが「長江文明」であり、春秋・戦国時代の呉(ご)国・
越(えつ)国に連なる呉・越の文明であった。ここで「倭人」の原型が形成される。
この呉・越の文明が、後に「漢民族」の中核となる中国北方の文明人たち(沖浦氏は使っていないが
「華夏(えつ)族」などと呼ぶ)の攻勢にあって劣勢に立たされ、再び分散するなかで、一部の人
たちが日本に渡ってきて「倭人」となったのではないかというのが、沖浦氏の説である。
一方で、沖浦氏は、「スンダランド」からフィリピン、台湾から南西諸島経由で入ってきたのが、
8世紀の日本国家確立期まで九州南部に独自の文化と政権を築いていた隼人であろうとする。
38天之御名無主:2008/04/02(水) 16:50:57
フィリピンはよけいだよw

置き裏なにがしさんw
39天之御名無主:2008/04/02(水) 21:46:27
ふーん…オッキー以外にはどんな説があるのだろう。とても納得がいくけど知らぬ間に刷り込みでもされていたのだろうか…

フィリピンや台湾辺りといっても現在いる人達とは違うように思う。
今の台湾なんて北の人むちゃ多くない?でその人達が南の人を差別してる状況は日本と一緒なのがなんかおもしろい。。
40天之御名無主:2008/04/03(木) 00:17:44
フィリピンが起点の証拠があるのか?

考古、民俗学的にwそこから持ってきた石使ってるとか
似た踊りやってるとかwなんか海沿いで浜に下る祭りでもやるのかな?

フィリピンぐらいは日本が乗り込んで土の中のDNA漁ることは出来るかも知らんがw
41天之御名無主:2008/04/03(木) 07:01:51
■約5万年前頃スンダランドの海岸地域に、海洋適応戦略を成功させた新人段階の
旧石器人が定着していました.かれらは東南アジア内陸部の熱帯雨林に展開した
「礫器文化」に対峙するように、海岸や島嶼部を拠点に「不定形剥片石器文化」と
よばれる文化を発達させます.この文化は、磨製石斧片、チャート製の台形状石器、
スクレイパーに特徴をもち、九州島から列島内部に展開される「ナイフ形石器」が
伴出しない特徴を持つとされます.
42天之御名無主:2008/04/03(木) 07:19:24
神津島産黒曜石の交易:約3万2千年前頃、東京・武蔵野台地の旧石器遺跡から、
約180Km南の太平洋上に浮かぶ伊豆諸島・神津島産の黒曜石を使用した石器類が
発見されている。本州島(伊豆半島)と神津島の間には海深200m、幅30Km以上の
海が横たわっており、この島の黒曜石を入手するには渡航具(筏、丸木舟)を
使用した海上航行が必要であった。
 南方型旧石器文化:神津島の発見者は、黒潮海流を北上してきた新期(後期)
旧石器時代人である。かれらは琉球列島を経由して、種子島や四国・本州島の
太平洋岸地域を遊動拡散してきた新人集団と考えられる。
種子島の立切、横峯B遺跡(約3万年前)、東京の西之台B、中山谷遺跡(約3万5千年前)
で出土した礫器、大型幅広剥片石器、錐状石器、クサビ形石器、磨石、敲石などの「重量石器」
を特徴としている。同様な旧石器群は、ベトナム、香港、台湾島などにも分布が認められている。

43天之御名無主:2008/04/03(木) 07:26:17


「アカマタ・クロマタ」

八重山の特定の地域で、プールィ(豊年祭)に出現する仮面仮装の人神( man-god )。
海の彼方のニーラスク(ニライ・カナイ)から訪れて、稲の豊作をもたらす遠来神として神格化されている。
1959年(昭和34年)現在、西表島古見をはじめとして小浜島、石垣島の宮良、新城島の上地島と下地島に分布している。
西表島の高那や野原にも分布していたが、マラリアのために廃村となり今は行われていない。
古見においては、クロ・シロ・アカの3神、小浜・宮良においてはアカ・クロの2神、上地島においてはアカ・クロの親子4神が出現する。
【沖縄大百科事典」より抜粋・編集】


南方系の意匠を思わせる面。
草木の葉を身にまとい現れる“神”。
「アカマタ・クロマタ」

44天之御名無主:2008/04/03(木) 08:14:29
「海の民」関連の邦語文献
http://moken.boy.jp/list-sea.htm
45天之御名無主:2008/04/03(木) 08:15:48
バジャウ族
(Bajau)
 フィリピンやマレーシア、インドネシアなどの東南アジア一帯で、陸に住まず、海の浅場に
高床式の小屋を作ったり、小さな小船に生活道具を詰め込み、船上(家舟)で生活する人達の
ことを「漂海民」といいます。その一族の一つが、東インドネシアから東ボルネオ、セルベス海
やスールー海に主にいるパジャウ族です。
 常に海の上で生活をし、魚やナマコ、ウニを獲って、それを干物にして中国華僑に売り
生活の糧として生きる。生まれるのも海の上。子供を作るのも海の上。そして死ぬのも海の上。
国境も関係なく海を行き交い、子供は海と両親に全てを教わる。
46天之御名無主:2008/04/03(木) 08:26:56
 モーケン族が暮らすアンダマン海のメルギー諸島。大小800の島々からなり、そのほとんどは、
原生林に覆われた無人島だ。ミャンマー政府は、ここへの外国人の立ち入りを50年間禁止してきた。
だがそれが幸いし、美しいサンゴ礁、海に迫る島の密林、マングローブの林など、手つかずの自然が残る。
 1997年、ミャンマー政府は、スキューバダイバーや調査船など、限られた外国人に対して島々への入域を
許可した。
 漂海民モーケン族の生活は、東南アジアの海における、最も古い暮らし方である。
 モーケンとは、彼らの言葉で「溺れた人々」を意味する。神話によれば、遥かな昔、大洪水があり、
海に取り残された。以来、モーケンは船で暮らしているという。
 そんなモーケンは、"カバン"と呼ばれる家船(えぶね)に住む。1隻に一家族が住み、10数隻の
集団を組んでの生活。料理も食事も寝るのもこの家船の中。家族はいつも一緒だ。
こうして船上生活をするのは、熱帯の森の中は蒸し暑くてマラリア蚊などの虫が多く、住むのに適して
いないからだ。海には蚊はおらず、船上は風が通り過ごしやすい。また、船に住めば、食料や現金収入となる
貝やナマコなどの海産物を求めて、いつでも移動することができる。豊富な有機物をサンゴ礁の海にもたらす
マングローブは、多様な生物を育む。モーケンの暮らしは、そんなマングローブの浅瀬に支えられている。
干潮の時、干上がった浜辺で、盛んに貝採りをする。テングガイ、ハボウキガイ科の貝などだ。
貝柱は干して売る。高級中華料理の食材であるナマコも、モーケン自身は食べないが、売るか米と交換する。
岩場に付いたカキは、モーケンが大好きなおかずだ。貝もナマコも、海辺を歩き、ひとつひとつ小さな道具を
用いて採るのだから、採り過ぎることはない。満潮になれば、採った貝やナマコを、陸で茹でては干す。
森の中の水汲み場までは、満潮を利用して小舟で近づく。そこには、潮の干満に従って生きる、穏やかで
ささやかな暮らしの姿がある。
47天之御名無主:2008/04/03(木) 13:13:22
いいなー漂海民の人達の暮らし〜。しかし南アジアの鍵は洪水なのかしら?
寒くて海位が現在より下なのなら取りたてて海の人と捕らえる必要は少なく蚊の心配もなかったてこと?

今でこそ島だらけになっちゃってるけど昔はどうだったのかな。
神話レベルでも洪水事件が残ってるって事は結構近い時代の話なの?

体毛て確かに蚊とか感知する為ってのは聞いた事あるんだけど…蚊が血のO型をとても好むのと何か関係あるのかしらん?

食べ物と蚊とどちらを選ぶか…今も違わないかもしれないが暮らしてくって大変。。
48天之御名無主:2008/04/03(木) 13:38:23
南アジアを手付かずだとか未開的と感じるのは現在の海で分断された姿しかみつめないからではないか?

食べ物がなくて死ぬ確率と蚊で死ぬ確率とを比べると後者が大きく低いんではないの?

ヒトが南を通らず陸の端っこまで来た場合ご飯はどうしていたの?

逆に昔は北の方が作物が採れたのかな、現在と違って……?
49天之御名無主:2008/05/02(金) 05:12:46
西日本の家船のスレがあったような記憶がw。
落ちたのかな。
50天之御名無主:2008/05/02(金) 17:28:49
>>46
この2月に、NHKスペシャルで放映された海洋民族だね。
” 一年の大半を海上で過ごし、イルカさながらに海に潜り、獲物を捕らえて暮らす不思議な人々がいる。
ミャンマー南部沖、インド洋・メルギー諸島海域を漂泊する海洋民族「モーケン」だ。数ある海洋民族の
なかで唯一、現在も海上生活を続ける少数民族である。その暮らしは船団、いわば海上の「村」で行な
われる。彼らは、全長10メートルほどの小船に家族で住み、銛で魚を突き、素潜りで貝やナマコを取って
糧を得る。潜るのは昼だけではない。月夜、無数の夜光虫が眩く光る海を、水深20メートルの海底まで
小さなライトだけを頼りに素潜り漁をするのだ。
さらに近年の科学調査によって、このモーケンは驚異的な動体視力を持つことも明らかになっている。
この動体視力で獲物の動きを瞬時に認識し、確実にとらえることができる。
番組では、新開発の水中高感度カメラを駆使して幻想的な夜の素潜り漁を追いながら、理想郷のように
残された、海洋民族「モーケン」の暮らしを描く。”
NHKスペシャル 謎の海洋民族モーケン 2008年2月17日(日)午後9時00分〜9時49分
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080217.html
51天之御名無主:2008/09/18(木) 21:04:09
平城朝の舞妓が、対岸の異国渤海国へ売られた?
”唐・代宗の太歴年中(766〜79年)には、渤海の使者が唐に対して「日本国の
舞女11人と万物を貢した」という記事が・・・・”
海でむすばれた人々―古代東アジアの歴史とくらし 門田誠一 昭和堂 2001.4 p50
https://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4812201039.html
52天之御名無主:2009/09/23(水) 20:48:39
>>42
>黒潮海流を北上してきた新期(後期)旧石器時代人・・・
は、約3万年前にどういう船に乗って北上したのですか?
53天之御名無主:2009/11/07(土) 14:14:10
>>50
本邦の海洋民である海女は、おっぱい丸出しどころか、股間にTバックに劣らぬ
布きれをあてがった殆ど全裸状態が、往年の仕事姿だったようですね。
この近刊にも、日本各地や朝鮮の海女を取材した記事のあいまに、裸像写真が
挿入されています。不思議なのは乳房が若々しく隆々としていること。通常
手入れをしなければ、若く20代でも子を産み授乳を始めると乳房は垂れ萎び
始めるものだが。
人魚たちのいた時代 失われゆく海女文化 大崎 映晋 成山堂書店 2006/04/28 ¥1,890
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4425947312.html
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/large/4425947312.jpg
54天之御名無主
>>53
同書に拠れば、海女の日本での源郷は北九州の鐘ヶ崎らしい。そこから、島根県では夏泊、
兵庫県では浜坂と日和山の2か所海女村がある。京都府では袖志、福井県には多くて5箇所
すなわち四箇浦、越前、国見、鷹巣、雄島である。石川県では塩屋町、一の宮、海士町と
3箇所で、なかでも倉島と七ツ島。新潟県では能生、名立、佐渡島の相川、上海府と下海府
などに広がったらしい。