さて問題です。「剣舞」の読み方は、以下の3つのうちどれでしょう?
@ 「けんまい」 A 「けんばい」 B 「けんべぇ」
鬼剣舞と念仏剣舞。
鬼剣舞の中の念仏剣舞なのか、剣舞の中の鬼剣舞と念仏剣舞なのか、いまだようわからん。
>>23 >ススキを模した背飾り
ササラのことね。御幣が原型だとか。ススキにも見立てるようです。
>>41 東京的には2!
「鬼剣舞は念仏踊りが元」とよく書いてあるけど、ということは、
誰か仏教に詳しい人が岩手人に教えたんだよね。だったら、
源流を同じとする剣舞に似た舞いが、日本中にあるのかな。
鬼剣舞と似た念仏踊りってなんだろう。京都辺りにあっても
オカシクないはずだよね。京都に残らなくても、周辺の修験者が
修行しに行ったような土地。
>>35 地名として残ってるので、何らかの史実はあったと思われます。
「人首丸」という名前は伝承化してから後付けされたんでしょうが。
>>36 …多分息子。
>>37-39 混血でしょうがやはり蝦夷の気質、精神みたいなものは失われてるでしょうね。
鉱山資源で独自の交易ルートでもあったなら、
搾取されたくなくて必死だったんでは、とも思います。
蝦夷というよりはうちの辺りは伊達藩所縁の因習が多いし。
しかし前九、後三の役はどうも言葉の行き違いから生じた争いだったみたいで、
その当時はまだ共通語でなくて苦労したのかなあ、と思います。
>>41 ササラでしたか。
「剣舞」の読みはけんぶから訛ったものだと思ってるんですが
ネイティブなら2と3の間ぐらいですかねw
念仏踊りについてはサパーリ…
修験者の通い路だった痕跡は土地柄に結構残ってるんですが。
「剣舞」と呼ばれるようなものは各地にあるかもしれない。
だけど、岩手の剣舞は「鬼」が舞うものでしょ?
(刀もって踊る者らが鬼だよね?)
そこが他の地には見られなくて、他所の人間から見たら面白い。
なぜ鬼が主人公なのか、成敗より供養の意識が感じられる。
@、A、Bとも正解です。(どういう出題なんだと自己批判のふり)
説明を加えますと、
@は知り合いの学芸員が間違いではないと言っていました。(こちらの方が正式のような口ぶりでしたが)
Aは岩手での普通な呼び方です。
Bは>43氏がおっしゃる通り、トーホグなまりです。と言うより、うちの地域の年寄り語です。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
>>11 >ネットで調べたところ、8月にお祭りがあって、どうやらそこで鬼剣舞が
>舞われるようなので、行ってみようと思っています。
>>1 :こおに さんは現地で鬼剣舞を体験されたのだろうか?
>>7で、「このまま倉庫行きで構いません」とは言われているが、どういう
感想をもたれたのか、聞いてみたいなあ。
49 :
天之御名無主:03/12/28 15:57
道路公団の某前総裁のこと
50 :
天之御名無主:03/12/29 22:57
あてるい公式サイト、去年から更新停止したままだけど、どうなってるんだろう。
1200年記念で燃え尽きたのか?もうイベントとかやらないのかな。
あぼーん
篠塚健次郎
53 :
天之御名無主:04/02/16 20:59
荒俣ひろしがどっかで「陰陽師の次はアテルイが『来る』」とか言っていたが。
メジャーデビューは遠いのか。
54 :
天之御名無主:04/02/16 22:48
映画化するとしたら誰がやりますの
55 :
天之御名無主:04/02/16 23:35
藤岡弘、
56 :
天之御名無主:04/02/17 22:53
わらび座のアテルイがぶさいくでガッカリ。
>>54 以前、里見浩太郎がやっていたね<アテルイ>
ほんのちょっとだったけど。
悪路王のことを語るなら、黒石寺蘇民祭をみてからにしてほしい。
59 :
庄内人(北狄):04/10/18 21:48:04
達谷の毘沙門堂に行った時、悪路王を押さえつける神像たちを見て
自分も押さえつけられるような感覚を覚えた。
自分が明らかに、蝦夷側である事を見透かされたか?
毘沙門堂が今まで何度も焼けてるというが
そりゃやはり悪路王の押さえ切れぬお力である(!)
しかしそのたびに「直ちに」再建されているという所が
悪路王復活?を恐れる必死さが感じられてしまう。
それにしても現時点で尚も「蝦夷征伐」を「祝う」という
ところがすごい。
60 :
天之御名無主:04/10/20 05:42:42
61 :
天之御名無主:04/11/01 14:41:22
アテルイ没後1200年記念のHPあぼーん
なんかオフロード仕様みたいでかっきーな
バイクやチャリの名前にすれ
空海入唐1200周年記念でもあるんだよね。
64 :
天之御名無主:04/12/01 14:33:57
>63
アテルイ没後1200年は2002年ですが?
65 :
天之御名無主:04/12/08 02:48:34
坂上田村麻呂スレより
11 名前:ダンの花[sage] 投稿日:04/12/11 22:02:36
スサノオ→ヤマトタケルっていう文化英雄の系譜をひいているよね。
以下の事は思いつきで書いているんで、眉唾で読んでくださいな。
記紀伝説との相違は、前代が天皇に準じる存在の親征という形をとったのに対して、臣下の一武将の遠征に変わっていることと
ヤマトタケルが常陸風土記では井戸を掘るなどして地名起源説話を残しているのに対し、田村麻呂も井戸に関する地名期限説話を残しているけれど、目立つのは各地で寺社の縁起譚を残しているということ。
これは律令制国家の確立と関係があるんだろう。
官僚制度が整い天皇自らが親征する必要が無くなったことと、朝廷の権威として仏教の勢力が増してきたことが田村麻呂の伝説を作り上げたんだと思う。
この後、仏教の権威は朝廷から離れ、弘法大師をはじめとする名僧の放浪譚が生まれてくる。
田村麻呂の亡くなった弘仁2年(811)から5年後の弘仁7年(816)に弘法大師空海は高野山を下賜されている。
武力、信仰、権力、といったものが未だ未分化だった上代から、それぞれ立場を明らかにしだす古代へと時代は移りだしている。
古い秩序に変わる新しい秩序が見え始めている。
私は上代から古代へと移る過渡期に生まれた英雄として田村麻呂を評価できると考えている。
中央と周辺、権力なんて視線を交えながら文章にしたら面白いものが出来そうな気がするけど、どうなんだろなー
なんだかサヨっぽくなるだけだな。
そういえば清水寺に阿弖流為の碑がありましたね。すでに出ていた
話しでしたでしょうか。
京都のタクシーの運ちゃんが、わたしが一発で読めたので驚いてま
した。
なんでやねん(怒)
スレ違いかもしれないけど、富雄ちゃんってまだご存命なのでしょう
か。大学の頃、講義を受けたことがあったんです……。
>>59 蝦夷側の血もあるだろうけど確実に植民者も入ってると思う。
71 :
天之御名無主:2006/04/07(金) 05:13:00
みこうち
72 :
天之御名無主:2006/05/10(水) 01:38:02
ひな雲伯の語部は何かものをおもわざる
73 :
天之御名無主:2006/12/23(土) 15:19:54
幸平よ!
この俺をお茶でごまかそうと思ってもそうはいかないど!
なんかタクラミでもあんだろ!
日頃から口数の少ないお前が何を考えてんだ
ど〜なんだ!
なんかあんなら黙ってないで何とか言ってみろ!!
74 :
天之御名無主:2007/01/08(月) 19:47:16
>68
約一年前の書き込みにレスw
清水寺の碑、偶然見つけて(寡聞にして知らなかったので)
大興奮しながら写真とってたら通りかかった修学旅行生グループが
誰だこれ、有名な人?写真とっとく?なノリで集合写真取り始めて
微笑ましかったです。あの子らに詳しく説明したかったよ・・・不審人物になるのでしませんが
75 :
天之御名無主:2007/01/10(水) 20:12:02
火怨 読め
76 :
天之御名無主:2007/01/10(水) 20:19:13
>>68 多田先生…
ちなみに後任の谷口維紹先生は多田先生と全く同じアドレスを使ってます…名前が「ただつぐ」だし。
77 :
天之御名無主:2007/01/10(水) 21:15:36
平泉はいいよね
78 :
天之御名無主:2007/07/23(月) 04:11:37
アクロ王とは”羽黒王”だと思う。(羽黒→hakuro→Hが無音化→アクロ)
羽黒山、湯出山、月山の出羽三山を開山したのは蜂子皇子。
______________________________________
蜂子皇子(562〜641)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
蜂子皇子(はちこのおうじ、波知乃子王、欽明天皇23年?(562年?) - 舒明天皇13年10月20日?(641年11月28日?))は、
崇峻天皇の第一皇子、聖徳太子の従兄弟。出羽三山を開いたと言われている。
能除大師や弘海などの異名をもつ。地元(羽黒)の人たちの面倒をよく見ていたと伝えられている。残されている肖像画は、
気味の悪いものが多いが、多くの人の悩みを聞いた結果そのような顔になったとも言われている。
出羽三山神社にある皇子の墓は、粗末なものであるが、現在も宮内庁が墓を管理している。享年は91であったと言う説もある。
______________________________________
811年、弘仁2年12月の文室綿麻呂の38年戦争終結宣言
↑773年に38年戦争が始まった。蜂子皇子が亡くなってから132年後。
(
ttp://www31.ocn.ne.jp/~denkidensetu/yds/yamagatas.htm)左記URLの庄内地方に羽黒山はある。
そして、最上地方に悪路王伝説がある。
羽黒山「アテルイ」の本陣跡?(9月25日)−岩手県−
水沢市にある羽黒山(同市羽田町)で市民参加の発掘調査を実施している「アテルイを顕彰する会」は、
平安時代に作られた可能性の高い柱穴10数ヶ所と、奈良時代の土師器片1点が発見されたことを明らかにした。
同山は蝦夷軍と朝廷軍が戦った「巣伏の戦い」で、蝦夷の領袖アテルイが本陣を設置した場所とされている。
↑岩手の水沢にも羽黒山はある。水沢は後藤新平、斎藤実、大槻玄沢、山崎為時などを輩出した土地である。
79 :
天之御名無主:2007/07/23(月) 04:11:50
80 :
天之御名無主:2007/07/23(月) 04:12:14
方言なんてどうです?日本じゅうにひとつの言葉の言い方で少しづつ変わっています。
1.アグドという方言の意味について
東北の各地にアグド(あるいはアクト、アクド、アグド、)という不思議な方言がある。地名研究で聞き覚えのある所謂アクツ、
アクタ、またアクト等のアク系の言葉に思われるが、この方言の意味が足の裏の端にあたる「かかと」を指すというから面白い。
○青森県南 →アグト
○秋田県 雄勝郡、平鹿郡、仙北郡、湯沢市→アクド、 同 由利郡→アグト 同 南秋田郡、河辺郡、秋田市、
鹿角郡、山本郡、北秋田郡→アグド
○岩手 南部、伊達 →アクト、アグト、アグト、アグド、アゴド、カガド、
○宮城仙台→アクイ、アクイト、アクツ、アクト、アコツ、アジャラ
○同 県北→アクド、アグド、カガト
○山形全般→アグド
○福島会津→アクト
○同その他→アグト、アクド
○新潟県西蒲原郡→アクト 同 長岡市 →アクト
○長野県下水内郡豊田村→アクト
○富山県→アクトウラ(方言俗語語源辞典:校倉書房)
○愛知県尾張地方→アクト
○東北六県→アクト
○越後(新潟)、信州(長野)→アクト
○東京とその4周(関東?)→カカト
○甲州(山梨)→アコイ
○伊豆(静岡)→アックイ
○駿河(静岡)、遠州(静岡)、三河(愛知)→アクツ、アゴト
○美濃(岐阜)、尾張(愛知)→アクト、アクイト
○近江(滋賀)→オゴシ
○西京(関西?)→キビス
○九州肥後阿蘇小国(熊本)、筑後久留米(福岡)→アド
○南島→アド、アドウ その両端にアクトを使う地域あり
上記を見ればわかるように、「かかと」という言葉が地方により少しづつ違うのです。しかし、それが意味するところは
全て同じです。
81 :
天之御名無主:2007/07/23(月) 04:12:26
藤原千方と四性鬼
謡曲「現在千方」によると天智天皇の御代高位を望んだ藤原千方はそれを果たせず、伊賀に火鬼・風鬼・水鬼・
隠形鬼を率い立てこもり朝廷に反旗を翻したという。
実在の千方は「太平記」などの史書によると平将門征伐で有名な藤原秀郷の孫にあたる人物であり、
平安時代に伝説同様謀反を企てたとされている。
なぜ天智天皇の時代に置き換えられたのか?この時代で有名な謀反は天智天皇の死後起きた「壬申の乱」である。
伊賀は大海人皇子が相対する朝廷側の大友皇子の母の出身地で、当然大海人皇子と戦うこととなり、見事に敗北し軍門に下った。
この辺の歴史で語られない部分が作り話に反映しているのかもしれない。ちなみに四匹の鬼を忍者だったのではとの説もある。
面白い話だが奥浄瑠璃「田村」にもこの四性鬼は登場し、朝廷と戦う悪路王に協力を申し出る件がある。
鬼の名前も文献によって異なり上記意外には金鬼・土鬼などもいる。隠形鬼を怨京鬼と書く本もあるのが面白い。
ちゃんとした史書では山注記・三河坊・兵庫の堅者・筑紫坊という四人の山伏だったという。山の民と朝廷との確執も見え隠れしている物語だ。
ttp://www31.ocn.ne.jp/~denkidensetu/other/e/chikata.htm ↑このように、物部氏との共闘の他にも、悪路王と共闘をしようとしていた人々はいます。
立烏帽子もそうです。私が、悪路王とは旧王朝の人間だ、と言う仮説を立てる理由はここにあります。
82 :
天之御名無主:2007/07/23(月) 04:12:41
立烏帽子
悪路王の女房とされる鈴鹿山の鬼女。天竺第四天魔王の娘で別名「鈴鹿御前」。その姿は「田村三代記」によると
「年の頃は十六・七。天女のごとき美しさ。揚柳の細身に十二単、濃い紅の袴姿。左手には琴を携え、腰には黄金で
飾られた長剣『妖剣大通連』が下げられている」とある。なんだか白拍子の格好だ。白拍子とは祭事に舞を奉納する
踊り子のこと。かなり美人が多かったといい、ちっと歪んだトコでは売春もOKだったそうだが、情報収集能力はピカイチであろう。
してみれば、山に住む彼女ももしかして忍者?
彼女は奥州達谷窟に棲む悪路王と組み、日本転覆を企てていたが、悪路王からの便りの無さに、
淋しさが憎しみに変わり征討者である坂上田村麻呂と逆に恋仲になってしまうあたりなんか現代の
長距離恋愛の悲劇と重なってしまふ・・・
結局、立烏帽子の協力で悪路王は滅ぼされるのだが、奥浄瑠璃(東北の伝説)では鈴鹿御前が
東北の悪路王に恋をしているのだが、京で書かれた物語では悪路王が鈴鹿御前に恋をしている。
やっぱ自分の土地を優先するんですねー。
http://www31.ocn.ne.jp/~denkidensetu/other/e/tatiebosi.gif ttp://www31.ocn.ne.jp/~denkidensetu/other/e/tatiebosi.htm 11 天之御名無主 2007/07/22(日) 20:01:10
仏教世界の第四天はトソツ天(例の弥勒の所
83 :
天之御名無主:2008/07/01(火) 18:36:45
子鬼さーんどうされてますかー?お元気ですかー?
今日はじめてこのスレを見つけました
もう1年も書き込みがないんですね
水沢も平泉も好きで何回も行きましたよ
ageれば誰かの目にとまるかな
また来ますね ノシ
達谷の毘沙門堂にいったけど、由来を読む限り悪路王の扱いは強盗の親玉って感じがした。
85 :
天之御名無主:2010/01/28(木) 00:54:32
長野における八面大王みたいに、悪路王も地元で英雄扱いされることもあるの?
八面大王は魏石鬼窟にたてこもる原因が悪行の結果説と田村麻呂の徴発への反抗の二つの伝承があるらしいけど。
光源氏の曾孫の源綱らが退治した土蜘蛛族とは、
藤原純友の時代は、光源氏の時代の少し後の時代で、平将門の時代。
藤原純友に支えた、傀儡師がルーツ。
傀儡師→土蜘蛛→草→忍者
忍術のルーツは、大陸の密教武術から発したもの。
日本へは、信州の高句麗渡来人や北陸の新羅渡来人が連れてきた高麗忍軍がもたらしたもの。
加茂氏祖、葛城山の役行者(役小角)が開祖で、この時代には、まだ、密教は断片的で、仏法と仙人道を合わせたものと成っている。
密教自体は、その百数十年後の空海により、伝来する。
賀茂忠行の弟子である安倍晴明が興した安倍氏と並んで陰陽道の宗家
仙道、修験道に通じたのが、羽黒山などの天狗であり、天狗を祖としたのが、僧侶修験者の山伏集団。
大天狗=後白河法皇、天若日小命=七夕の天稚彦(松浦佐用姫伝説)=天邪鬼(瓜子姫伝説)=天狗神=呼子氏祖(坂之上の呼子)
烏天狗や鞍馬天狗は、僧侶山伏や傀儡師。
源義経の幼少期に大天狗の指示で、剣術指南をしたのが、この、烏天狗なのだろう。
呼子氏の先祖は、光源氏の源融で、その曾孫が、源綱で、その曾孫が、呼子氏祖の波多氏宗家、波多持(源久の三男)
お伽草子には、七夕の天稚彦や浦島太郎伝説と源頼光の四天王、源綱、源貞光、卜部、金太郎らの土蜘蛛の勾玉奪還、酒天童子退治がある。
藤原純友の蒲池氏と松浦党の呼子氏が水軍で繋がり、波多宗家呼子氏で、安倍武士宗家の三男筋の子、松浦(安倍)高俊とは、壇ノ浦の合戦の義経伝説で繋がる。
後の、足利尊氏将軍が、新田氏に追われ、頼った伊予の少弐に、波多氏呼子氏がいる。
大陸から連れて来られた忍軍の末裔も、又、傀儡師として活躍に至る修験者修行者であり。
後の伊賀、甲賀忍となる。
伊賀、風間、甲賀など・・
映画「風と雲と虹と」と「太平記」から見えてきた
足利時代を不動のものにした、少弐水軍家内訳
平将門に追随し、瀬戸内海賊を纏めたのが、始り。
(瀬戸内民人猟師浮れ人と藤原配流武士と廻船問屋の烏合衆)
創始者:海賊討伐左衛門尉官で在りながら、傀儡師を使い海賊を束ねた、藤原(高橋)純友海賊王
阿波海賊
河野海賊
7世代を経て加わった、平家水軍、後の源氏水軍
源氏松浦水軍
源氏村上水軍
薩摩からの依頼で、松浦党の松浦直筋の平戸氏が佐世保港を使わせた、後期倭寇の中国水軍
王水軍
陳水軍
藤原純友から縁で繋いで来たのが、蒲池氏。
>>87の訂正。
王水軍
陳水軍は・・
王水軍VS陳水軍で・・
王水軍
毛水軍
徐水軍
葉水軍の中国=清国水軍連合
少弐一族が、足利時代から、国内にも出兵し勢力も時とともに衰退しつつあり
王率いる中国水軍との同盟が不可欠だったのだろう。
89 :
天之御名無主:2010/04/15(木) 20:51:47
ヤサ軍団に帰依せ
な、そうせ
>>80 松浦波多氏の末裔だが、俺の出身の兵庫県下では、謂れは知らんなかったが・・家の方ではで、関西では、カカトで通じてるぞ。