日本の宗教的な心のベースとなっている祖霊信仰は、十分語られていないように感じる。2ちゃんねるにこのスレがなければならない。
祖霊信仰とは文字通り読めば、祖先の霊を敬うくらい?解説を願いたい。
いま宗教的に無自覚な普通の日本人にとって、「信仰」とは何でしょう。
神道なのか、仏教なのか、外国で自分の宗教をきかれたとき戸惑いませんか?
かといって、無自覚=無信仰とも思えませんし。
よく考えれば、日本人が続けてきたもろもろの習慣のなかに、
「祖先を敬う」ことだけは、残っているのではないでしょうか。
でないと、お盆に帰省する習慣を、根源的に説明できません。
人は亡くなり、遺族はその人を想う。
想うだけではなくて、遺族を守ってくれると考える。
そんなふうに、日本人の心に「祖霊信仰」が生きている、
これを抜きにして日本人や日本の伝統文化は語れないと思ったわけです。
そんな信仰は自覚できないか
祖霊信仰は古くからどこにもあったのか
各地で行われる伝統行事は祖先の霊魂に関係あるか
名所旧跡などには見られないか
自分や家族が行っていることが、祖霊信仰になっていないか
そんなことを通じて
日本人の精神文化や伝統を語る場になれば幸いです。
6 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/28 22:32
とりあえず墓でも盆でもいいから1氏のネタ振りが無いとどうにもなりません。
精神世界っていうタームがもうアウト
日本文化の根源が祖霊信仰と
山野野衾先生の前で恥ずかしいのですが、
小さい頃、亡くなった人を供養するとき、何でこんなことをしているのだろう、と思ったことがありませんか?
子供じゃないから問い詰めたりしないけれども、人が亡くなれば消えてしまうのに、
お線香を立てたりお経をあげてもらったりして、これがどういう働きをするのかと、考えることはありませんか?
>10
私は逆に死んだら閻魔様のところに行くのが怖くてたまらずにお地蔵
さまやお大師さまにお参りしていた子供でした。どうやって行くのか、
ぐらいは考えましたが。
>>11 私の周りの大人は、よく知らないような人ばかりで、閻魔様の話もなんにも教えてくれませんでした。
分家を繰り返した伝承力のない家だったせいか、柳田国男のいう「常民」風の深みがなかったのです。
お地蔵様や祠は、電信柱や垣根よりちょっと大事程度の扱い!
>12
田舎育ちの私とは大分違うようですね。妖怪や俗信の話を聞いて育ち
ましたから。
>>7 精神世界は大袈裟でした、反省してます。
>>9 「日本文化の根源が祖霊信仰」・・・そんなすごい発想はわたしの頭にはないですが、
根源ではなく寄り添うように、古来から現代まで、
死後観は脈々とあるらしいのです(らしいのですの語が私の実力を表しています)。
祖霊信仰なんて日本固有のものでもないに。
>>15 ええ、そのようですね。
外国にお盆の帰省ラッシュはあるんでしょうか。
18 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/29 08:09
>16
無いでしょう。似た概念は中国やポリネシア方面にもありますが。ハ
ロウィンも元々は山から幽霊などが下りてくる日であったといい、今
でも来訪神儀礼が多い。
サンタクロースも年末に訪れる来訪神ですよ。
┌─┐
|や.|
|っ |
│ぱ│
│モ│
│ロ .|
│よ .|
バカ ゴルァ │ !!.│
└─┤ プンプン
ヽ(`Д´)ノ ヽ(`Д´)ノ (`Д´)ノ ( `Д)
| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─□( ヽ┐U
〜 〜  ̄◎ ̄ . ̄◎ ̄  ̄◎ ̄ ◎−>┘◎
http://www.dvd01.hamstar.jp
>>13 鬼や桃太郎の話を「なま」でが聴けなかったので、本で読む羽目になりました。
本なので、自分が今吸っている空気と同じ世界の話には思えませんでした。
大人になってから、勤め先の先輩にそんな世界で育ったような人がいました。
広島県のど田舎といってましたが、最近まで土葬していたし人魂もよく出たそうです。
ヒバゴンは昔は聞いたことがないそうですが、竹取の翁がまだかぐや姫を
発見し続けてるんじゃないだろうかって、疑いたくなります(創作だからありえませんが)。
>>18 神は向こうからやってくるもの、という想いは面白いですね。アステカ王国の本にも出てきました。
「侵略白人=ケツアルコアトル神」という民衆の考えに、悩んでいたらしい。胸を張って抵抗しきれなかった。
ケツアルコアトルは滅亡した前トルテカ王国の神様なので、復讐しにやってくるそうなのです。
日本の神も怖い要素をもっていて、子供心に「勧善懲悪」「ハッピーエンド」ではなかったりしてしっくり胸に入ってきませんでした。
後味がわるい神様・鬼はどんな空気の中で口承されてきたのか、いまだに私には謎なんです。
男鹿のなまはげに怯える子供に「ちょっと代わってくれませんか」と頼みたい(笑
22 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/29 10:57
>21
私は両親ともにど田舎出身でとくに母の影響が大きかったですね。祖母
はインテリでしたが河童や鎌鼬や狐化かしや山の神の話をしていました。
それと「竹取物語」や「桃太郎」伝説はいずれも水神・雷神の申し子で
ある小さ子伝承から生じた話のようで根底には民間信仰があるようです。
古くは日本霊異記の話がそれに当て嵌まりますか。
かぐや姫の伝説は「今昔物語集」や「海道記」、「神道集」や「本朝神
社考」などに異伝がみられるので面白い。
それと民話・伝説はその時代に教訓を伝えるために語られたものが多く
その意味ではハッピーエンドで無いほうが自然です。
24 :
天之御名無主:03/04/29 16:18
>>ハーハード大学だったかの教授が、医者にかかる時は、ふるさとアフリカの祈祷師に診てもらうと良く効く、という話を人類学の先生から聞いたことがあります。
宮本常一氏も同様に、高学歴+社会的高地位の「常民」から聞き書きしていました。
要するに「常民度」(そんな言葉があるのかどうか)は他の属性にあんまり依存しないのでしょう。
ハッピーエンドでない、マヌケで残酷な民話・伝説の数々は、教訓説話らしいわけですか、生の口承で聴いたほうがちゃんとわかったんでしょうね。
言葉は話し手と聞き手がいて成立するわけですから、第三者が傍で聞くなら両者の関係や共通の価値観がわかっているほうが、ちゃんと理解できます。
私は「本で読んだ」ので面白いけれどどこか空々しく、心で強く受け止めることはありませんでした。
これをご覧の皆さんは、やっぱりご母さんから聴いたんでしょうか?
25 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/29 21:54
>24
民話といっても父から「天からふんどし」を聞いたぐらいですよ。成
長してお年寄りから「皿々山」系の話を聞いたりはしましたが。
母に聞かされたのはどちらかというと世間話でしたね。あなたはどん
なお話を?
>>25 山野野衾先生、失礼しました、24は私です。
私は民話などのストーリーを家族や親戚から聴いたことはありません。
ただただ本で読んだばかりでして、ちょっと気になったのが話の終わりの言葉です。
「どっとはらい」「めでたしめでたし」「だったそうな」などと変な言い切りでした。
日本の民話と外国の民話の本をともに読んだので、頭の中で混ざってしまっています。
といっても、もうほとんど覚えていませんが。
それにしても
もっといろんな人の民話の思い出をきいてみたいですね。
道教?
>>27 いいことをおっしゃいますね、道教ってどんな感じなんでしょうね。
同級生に好感の持てる台湾人がいたので、きいておくんでした。
昔中国に仏教が伝わった時に、中国人がまず思ったのは、「輪廻させてくれるのか?すばらしい!」
ということだそうです。お釈迦さんがきいたら、さぞかし困ったことでしょう。
日本(または倭)に伝わったとき、はたして当時のひとはどう感じたのか気になるところです。
死後の世界観と仏説が矛盾しなかったのか、そういう突き詰めた発想から理屈を並べなかったのかもしれません。
29 :
天之御名無主:03/05/02 22:20
>>26 僕も、「活字から仕入れた話」が多かったり。
「昔の話」は好きだったので、「昔の生活体験」をいっぱい聞いてましたね。
…ちょと違う。
>>31 昔、農家では庭にヤギやニワトリがいて、だから家の周囲に草が
あんまり生えていなかったらしいですね、写真で知りました。
こんなことは、いちいち記録に書いたりしないので、頭で考えてもわからない。
「昔の生活体験」で意識されなかったこと、語り伝えられなかったことが、
いっぱいあるんじゃないでしょうか、それも知りたい。
テレビで「千と千尋」を見たんですが、「お大尽」「えんがちょ」を
外国語訳して情緒が果たしてうまく伝わるんだろうかと感じました。
時代劇で「草葉の陰から」なんて言葉を使いますが、私にはぜんぜんピンと来なくて
昔の人はその言葉をスムーズに理解したんだろうか、なんて思います。
>>29 そんな偉い人のことは、あいにく知りません。
35 :
天之御名無主:03/05/03 02:16
>>28 問題意識に賛成です。仏教の特徴は「輪廻」そのものではなく
「解脱」にあるわけですが、こいつは結構珍しい考え方だと
思います。輪廻転生に似た考え方自体は日本周辺の非仏教地域に
広がっている。つまりそれらは仏教とは由来が異なる可能性が
あるわけです。日本にもその系列の考え方があって、案外仏教は
違和感なく受け入れられたのかもしれないと思うんですが。
「解脱」がその哲学的発展として捉えられたのではないか、と。
>>35 きっと、死後の霊魂のような考え方はもともとあったけれども、
赤子の死は別として、死んだ人間の魂が再度生まれ変わるという発想は
古代の日本人もっていなかったんじゃないのでしょうか。
仏教が入ってきて、輪廻転生を信じてもらえないと仏説の「解脱」勧誘ができないので、
地獄のものがたりなどで霊感商法ならぬ霊感説法して、それとなく輪廻思想を
普及させたような気がしてなりません。
山野野衾 さんも(>11)閻魔様の話にインパクトがあったようですね。
38 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/05/03 19:14
閻魔さまといえば、京都の某えんま堂で念仏狂言があったので行って参りました。
それとこれは私の推測ですが、死者が蝶や蛙などの姿で再び訪れるという信仰は
元々我が国にも存在したのでは無いでしょうか。
霊感云々と仰っておいでですが、受け入れるだけの精神的土壌が無い限り何を説
いても広まりません。同時にその土地にしかない特徴を残さないと伝えられないと
いうこともあります。
>>33 なんとなく「古い生活」にたいしての「実感」が同年代とは「違う」と認識していたり。
昭和10〜20年代都市部の父の話と昭和30〜40年代田舎の母の話を聞き比べると、
「都市と田舎」「生活革命」が実感できます…。
戦後なのに「水道」や「冷蔵庫」が存在しない生活…、
日本の生活は急速に発展したんですよね。
一瞬コテハン雑談スレかと思ったぞ(w
41 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/05/04 15:50
>39
土間に穴を掘って中にジャガイモを入れて上から藁を被せるとどういう訳か
芽が出ないし腐らない。冷蔵庫登場以前の良い保存法でした。
母の実家では1960年代までランプを使用していましたね。普通は大正期
には電球になっているのですが。
42 :
天之御名無主:03/05/04 20:26
とてたさんや山野野衾さんのおっしゃるとおりに感じます。
なんだか昭和の前半まで、人々が「古代の舞台装置」の中で生活していたような感覚にもとらわれます。
霊が身近に思わなくなったのと、関係あるのかないのか、そんな生活を家庭内電灯線革命が変えてしまったのでしょうね。
そういえば、雑誌「無線と実験」は大正13年の創刊でした。当時「電気」って言っても通じなかったので「無線」らしいです。
雪国に行くと冬は野菜を雪の下に埋めて保存しています。失われた工夫・知恵がたくさんあったことでしょう。
ジャガイモの保存の知恵もあったんですか。いまでも芽が出て困ってます(笑。
>死者が蝶や蛙などの姿で再び訪れるという信仰
あるんですか、やっぱり。ちょっと気になるのが
・生まれ変わったのか死後の姿なのか、生前とは違う姿で再訪すること
・輪廻の認識がされていたか
・再訪に目的があるのか
・・・・どっちみち、仏説の前提=輪廻につながる霊魂観があるんですね。
ランプ…僕の母も子供の頃使っていたそうです。
毎日ホヤを磨かないと、すぐに暗くなるんだとか…。
44 :
天之御名無主:03/05/08 22:13
岩波新書だったかの社会学系の本を立ち読みしたんだが
日本人の大多数が宗教は人生に全く必要ないと考えているそうだ
実際はどうかともかくとして、アンケートとかでそう答える人が多いのは事実だろうね
「淡交」さんって裏千家関係?
>>47 私は、由緒ある組織・人物に「まったく無縁」です。
参加している唯一の団体(?)が2ちゃんねるです(笑。
>>44>>45 >日本人の大多数が宗教は人生に全く必要ないと考えているそうだ
私もかたくそのように信じていました。
強烈な一神教を眺めていると、「ああ、日本人は無宗教だなぁ〜」と思います。
ところがです。つじつまの合わない数々のことが、いっぱい目に付いてしまいました。
・・・それは人が亡くなったとき、大抵の家で思いつくこと・行うことが、とても
宗教的ではないか?ということです。
そして、いい本を見つけました。五来重(ごらい しげる)氏の著作を何冊か買いました。
そこにはとんでもないことが書かれていたのです。
亡くなった人の霊魂を遺族が供養することにより、その霊魂は浄化され、子孫を守る良い魂になり、
33年や50年たつと、「祖霊」に同化してしまうというのです。
そういえば、古墳の被葬者は2〜3百年で忘れ去られるそうですね。
私は、何にも知らなかったので、五来重氏の説で身の回りのこと、お墓や伝統的な寺社のことを
思い巡らすようになりました。
日本人は「強烈な宗教」でなく、「肌着のような宗教」を古来から身に着けていたのではないか?と思うのです。
49 :
天之御名無主:03/05/09 00:09
死者に対する執着から抜け出せないのは人間の常だ
さまざまな宗教が死後の世界が存在するとしている
それは自分が死後も存在していたいと思いたいという
よりは、寧ろ自分の愛する人物が死後も存在していて
ほしいと願う気持ちに由来すると俺には思える
50 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/05/09 00:17
>>48 とんでもないことと仰いますが、柳田の著作でも結構書かれていますよ。
五来先生のほうが分かり易いかもしれませんが。
田舎の墓標というのは戦後まで忘れられれば倒れてただの石に戻りそう
なものが大半でしたね。墓碑銘すら無いものが多かった。
盆の精霊迎えも村の入り口などに行って行われていました。
ようやくスレタイにもどってきた
<アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)←脳の機能的疾患(遺伝が要因)>
http://www.autism.jp/l-02-03-aspe3.htm http://www3.ocv.ne.jp/~cochome/kaisetsu.htm#chigai http://www.geocities.co.jp/Beautycare/5917/as/ ●接し方のルールがわからず無邪気に周囲の人に対して迷惑なことをしてしまうこと
がある。人を傷つけるということには鈍感です。年配の先生に向かって「おばあさん
先生おはようございます」と明るい大声で挨拶する生徒もいる。こういった言動をす
る場合にも彼らには悪意はない。
●小さな声でひとり言を言ったり、考えていることを声に出して言うことがある。
●融通が利かないことも学校生活で問題になる。時間割の変更や突然の教師の欠勤と
いう事態で不安を感じたりかんしゃくをおこしたりする。あまりに規則に厳格なため
に、遅刻した同級生に延々と注意をしたり、修学旅行などで消灯時間をかたくなに守
り、他の生徒の顰蹙をかったりすることがある。
●行動・興味・活動のパターンが貧困で反復常同的なことも自閉症の特徴である。すな
わち、日常の活動の様々な面にわたって柔軟性のないルーティン(決まった手順や日課)
を押しつける傾向、これを慣れ親しんでいる習慣や遊びのパターンだけでなく、たいてい
は新しい活動にも押しつける。そしてルーティンや個人的な環境の細部の変化(家の中の
置物や家具の移動によるなど)に対する抵抗がみられることがある。
●揺れる木の葉を見続ける子どもは興味のレパートリーが狭いとも言え、視覚的な敏感さ
があるといっても良い。
●精神遅滞を伴うものと伴わないもので大きく分かれる。100%果汁のオレンジジュー
スを思い浮かべてください。それにだんだん水を加えて薄めて行くと終いには水にごく近
くなる。一口飲んで「オレンジジュースだ!」とわかるものは自閉症、水に近いけれどな
にかオレンジの味が混じっているのがアスペや高機能・・。その濃度はさまざま。濃いオ
レンジジュースであったとしても早期の療育や周りの対応によって水に近づいていくこと
は可能。しかし間違えてはいけないのはオレンジジュースが一滴でも落ちている場合は
「純粋な水」にはなれないのです。
<アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)←脳の機能的疾患(遺伝が要因)>
http://www3.ocv.ne.jp/~cochome/kaisetsu.htm#chigai http://www.autism.jp/l-02-03-aspe3.htm http://www.geocities.co.jp/Beautycare/5917/as/ ●接し方のルールがわからず無邪気に周囲の人に対して迷惑なことをしてしまうこと
がある。人を傷つけるということには鈍感です。年配の先生に向かって「おばあさん
先生おはようございます」と明るい大声で挨拶する生徒もいる。こういった言動をす
る場合にも彼らには悪意はない。
●小さな声でひとり言を言ったり、考えていることを声に出して言うことがある。
●融通が利かないことも学校生活で問題になる。時間割の変更や突然の教師の欠勤と
いう事態で不安を感じたりかんしゃくをおこしたりする。あまりに規則に厳格なため
に、遅刻した同級生に延々と注意をしたり、修学旅行などで消灯時間をかたくなに守
り、他の生徒の顰蹙をかったりすることがある。
●行動・興味・活動のパターンが貧困で反復常同的なことも自閉症の特徴である。すな
わち、日常の活動の様々な面にわたって柔軟性のないルーティン(決まった手順や日課)
を押しつける傾向、これを慣れ親しんでいる習慣や遊びのパターンだけでなく、たいてい
は新しい活動にも押しつける。そしてルーティンや個人的な環境の細部の変化(家の中の
置物や家具の移動によるなど)に対する抵抗がみられることがある。
●揺れる木の葉を見続ける子どもは興味のレパートリーが狭いとも言え、視覚的な敏感さ
があるといっても良い。
●精神遅滞を伴うものと伴わないもので大きく分かれる。100%果汁のオレンジジュー
スを思い浮かべてください。それにだんだん水を加えて薄めて行くと終いには水にごく近
くなる。一口飲んで「オレンジジュースだ!」とわかるものは自閉症、水に近いけれどな
にかオレンジの味が混じっているのがアスペや高機能・・。その濃度はさまざま。濃いオ
レンジジュースであったとしても早期の療育や周りの対応によって水に近づいていくこと
は可能。しかし間違えてはいけないのはオレンジジュースが一滴でも落ちている場合は
「純粋な水」にはなれないのです。
>>49 それが、基本形ですよね?考えすぎると、多様性があって、難しいです。たとえば、
高齢者や病苦に苦しむ本人が、自ら他界を希求することもあったようです。
ぽっくり死にたいという願いは、いまでもありますね。
平安時代だったか、遺族で「親の死は悲しくないが、亡骸を担いで山を登るのがつらい」人がいたそうです。
原始時代の屈葬も、「死者よ、悪いことするなよ」と願っているのかもしれません。
こんな例外?を挙げて、全体を断定するわけにはいきませんが、
昔は、人の命が結構軽かったのかもしれません。望まない死は悲しい・・・これは基本に違いありません。
>>50 山野野衾さんからすれば、アホでしょうが、私はそんなことも知らなかったのです。
「無加工自然墓石」も本で読んで知りました。それほど祭事の知識がないので、
ひたすら、びっくりしていたわけです。大人になってから自分の出生の秘密を知ったようなものです。
他スレにありますが、柳田よりも弟子の宮本常一(みやもと つねいち)氏の著作のほうが、
出会うチャンスがあったのです。フィールドワークっぽくて、宮本氏のほうが好きでした。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
60 :
天之御名無主:03/12/05 17:02
ねるぽからさえ5ヶ月たってしまっている…。
死んだ親戚を50年祭るといい神様になって守ってくれる、という話は、爺さんの葬式のとき神主から聞きました。
死んだ直後はアラミタマですがお祭り鎮めてゆけばニギミタマに、という話でした。
じーさまがいかにも「アラミタマ」になりそうながんこじじだったゆえ、
みなカゲでウケておりました。神道の葬式って明るいですよね。
ウチに出入りしてる神主さんは盆に呼ぶと、祝詞の前に笛を吹いてくれます。
61 :
天之御名無主:03/12/05 17:55
>>60 神道のお葬式は、死者を「祭り鎮める」ものなんですか!
私にとって新しい概念でした。
仏教のお葬式は、
「こういう人(霊)が今から仏になろうとしてますんで
ちょっと道に迷わないようひとつ宜しくお願いしますよ。
あ、この人(霊)の名前は生前は○○といって、
これからの名前(戒名)は△△△△△△△△△に変わりました。
そこんとこ宜しく。死んだ人、行ってらっしゃ〜い」
という感じですかね。少なくともお経ではこう言ってる。
いろいろ枝分かれしている宗教なので、全ての仏教がこうなのかは
よく知りませんが・・・。
多分このスレで語られている『祖霊信仰』とは別物の気がします。
ちなみに「お盆」というのは「盂蘭盆(ウラボン)」という
サンスクリット語に由来する語でして、
本来の意味合いとしては「両親孝行する日(期間)」だそうです。
つまり、両親が死んでる生きてるに関わらず孝行を・・・。
もしかしたら両親だけではなく祖先全てに孝行を、なのかもしれません。
文献は?と聞かれるかもしれませんが、かなり前に学んだので探すのには
時間がかかりそうです。スマソ。
しかも長文レス・・・スマソ。
62 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/12/05 23:47
無理に挙げなくてもそれこそこのスレは「弔い上げ」でよかったのでは。
(沈むの楽しみにしてたら・・・。)
盂蘭盆の語源はサンスクリット語の「ウランバナ」(逆さ吊り)に由来する
と言われて来ましたが実際にはこんな言葉はなく、イラン系のソグド人の収
穫祭・祖霊祭であるウラバンによるのでは無いかという説が出て来ました。
柳田國男は文字通り供物を載せた「お盆」から来た面もあるとしています。
我が国では古くは『日本書紀』に出て来ますが国家を離れて貴族や庶民が行
うようになったのは十世紀から。
『更級日記』・『枕草子』・『東山往来』・『古本説話集』・『今昔物語集』
に中級以下の身分の人々の盆に関する記事が存在します。
また『明月記』には生御魂の記事らしきものもあって興味深い。なお死者の霊
が「神になる」ことについては鎌倉時代に書かれた『葬喪記』に出て来るのが
古い例かと。
必ずしも故人の霊が「神」になれる訳では無かったともいいますが。
神道式の葬儀というのは新しいものですね。
63 :
天之御名無主:03/12/05 23:50
野衾たんファンがageたんじゃない?
じゃあsageたら。
65 :
天之御名無主 :04/03/18 20:48
山の神、田の神ってことは、陸続きのあの世ということになるな。
66 :
天之御名無主:04/03/19 11:11
>>65 縄文的信仰のあの世って陸続きの概念じゃない?
それの延長でニライカナイとか東北の薬師岳信仰とか。
関係ないけど沖縄の波の上神社の神様は海を渡ってくるんで、
それを遮る形で海上を走ってる高架道路の一部は赤く塗ってある。
神様の通り道を切らないようにしてるんだってさ。
そう考えるとニライカナイは「陸続き」でなく「海続き」なのかも。
>>62 「今の」神道では新しいのかも知れない。
原神道ではアイヌのイオマンテに見られるように、
あの世送りは大事な儀式だったんでないだろうか。
67 :
天之御名無主:04/03/31 21:42
山中他界観と海上他界観ってヤツか?
68 :
天之御名無主:04/12/30 22:28:38
祖霊信仰の原点は母親思慕にあるのでは?
イザナミを恋しがったスサノオ。それを自分に
ダブらせて日本の国生みの神の死をを慕い讃え、
日本人の自覚をした昔の人々など。今も多少
は残っているのだろうか?
皇国史観やナショナリズムはよくないが日本人
のアイデンテティを無くしてしまうのはもっと良
くないような気がする。まじめでスマソ。
69 :
天之御名無主:04/12/31 04:04:11
安来は死者と生者の約束事をイザナミ
によって教わったと聞いている。いつまで
も悲しんでは日常の生活が立ち行かない。
それでもそういう気持ちが基本で自然で
あることを日本神話は伝えている。
何故靖国が、ナショナリズムや皇国史観
を超えてでも大事であるかを語るべきかに
思い至るであろう。とにかく洗脳は良く
ない。自然と立ち上る日本人の感情とし
ての思いが重要だと思いますね。
70 :
天之御名無主:04/12/31 14:52:06
>>62 仏教の場合も基本的には神道と同じものがベースになっていると思いますね。
つまりは「御霊」に対する畏れ。
西日本に広く分布するお盆の行事である「火上げ」と農事の「虫送り」の混同は
日本人の祖霊観の一面を示唆しているのではないでしょうか。
71 :
天之御名無主:04/12/31 15:56:48
今晩のことなんだけど、ちょっと教えてほしいことがあるんだ。
俺の氏神さんは、一月一日の夜明けとともに開門して、
初詣がはじまるんだけど、たくさんの人が夜中に初詣するよな。
日本古来、日の出が一日の始まりじゃなかったんだっけ?
とすると、夜明けまえに初詣にいくやつは、
前年に初詣したことになるよな。これじゃご利益すくないとおもうんだ。
昨日、氏神の宮司にいわれたんだけど、どっちがただしいの?
板ちがいごめん。
72 :
天之御名無主:04/12/31 21:20:40
どっちが正しいかっていうと・・・
どっちでもいいとは思うけど。
古くは一日の始まりは日没だったという話を聞いたことある。
祭りなんかも「宵宮」から始まるしね。
>70
>つまりは「御霊」に対する畏れ。
特定の信仰を前提に語るのではなく、その信仰が何時頃出現し、どの
様な変遷を辿って来たのか。また、如何なる説明をされて来たのかが
重要でしょう。「御霊」信仰も古代から不変・普遍の存在だった訳では
無い以上、語られた時代の背景を考えねば。
「日本人」と言っても、時代が変われば信仰も違います。
>72
>古くは一日の始まりは日没だったという話を聞いたことある。
仰る通りで、日没とともに「あけましておめでとう」という地域も存在
しています。所謂「丑の刻」を、前日と翌日の境に置く説もありますが。
74 :
天之御名無主:05/01/01 00:32:39
72 73
そうか、一日のはじまりって考えようでかわってたりするんですか。
なるほどです。
さっき、おけら火で有名な八坂神社の前をとおたら、
12時前というのに火縄に火をともしてる人がいました。
いつもなら、去年の火をもやしてるとおもってたんですが、
日没から新年という考えもあるなら、正解なんだとおもいましたよ。
ありがとうございました。
75 :
天之御名無主:05/01/01 03:02:19
祖霊信仰は昭和を通じて、様々なイデオロギーに
もみくちゃにされた。なんでお墓参りを
日本共産党は禁止するんだ?
>>73 確かに普遍なものではないと思います。
念仏をはじめとする鎌倉新仏教の流布によって
日本人の他界観も変質していったと思います。ただ、
仏教的な葬送儀礼の浸透による変質の力は、本質的に日本人の他界観や霊魂観を
変えることができたのでしょうか?
私はむしろ重層的に日本人の、それらの概念の基底部に、あまり変質せずに存在して
いるように思えますが。
そこが解釈の違いな訳ですね。「日本人」の「基層文化」を認めるか否か。
私は一挙に大規模な変化を遂げたとは申し上げられませんが、ただ時代や
立場による変化は存在したのであり、超時代的な認識には反対する、とい
う立場ですから。
>>77 横レスすみません。
「超時代的な認識」 と言われてみると、なんだかオカルトみたいでちょっとおかしいのかも、と納得しました。
しかし、ここで素朴なギモンなのですが、「日本人」の「基層文化」 って一体なんなんでしょうか?
1. 人間存在に普遍的なメンタリティ (恐怖・喜び・愛など)
2. 古代〜現代の日本人に普遍的なメンタリティ (万葉集や古今集に共感するココロなど)
3. 近代〜現代の日本人に普遍的なメンタリティ (世代間で伝えられる思想・しつけなど)
たとえば、上記のように3種のメンタリティというものを仮定した場合、実は上記に出てこない隠されたメンタリティも
存在していることになります。たとえば、「古代〜現代の“西洋人”に普遍的なメンタリティ」 ですとか、
「“古代〜中世”/“中世〜近世”/“近世〜近代”の日本人に普遍的なメンタリティ」といった部分です。
そうした隠された部分というのは、現代日本人がもっていないメンタリティなわけで、
もっていないものを皮膚感覚的に共感するということは不可能にちかい。そうすると異地域なら現地取材してみるとか、
過去なら文献資料に浸るだとかということで、近い感覚を類推するしかないと思うんですが、「基層文化」 というものは
文献資料などに残らないところに特徴があったりする。道具(民具)や伝承といったものも現存していなかった場合、
もはや類推のしようがありませんから、たとえ現代日本のメンタリティと共通する 「日本人」の「基層文化」 が確かに
あったとしても、これはもう証明しようがない。いわば 「悪魔の証明」 なわけです。
ここで最初のギモンです。「日本人」の「基層文化」 って一体なんなんだろう?と。
(そもそも、私の「3種のメンタリティ」のような仮定の立て方が正しいのかどうか、また正しかったとして、
現地取材や文献で「近い感覚を類推」するような研究手法をとった場合、学問としての客観性を
どう保つのか?(間隔を類推した研究者の主観を排除することができるか?)という点も気になります)
>>78 なにかあちこちで飛躍があってよくわかりにくいけど・・・
「基層文化」とは何か、以前の問題として、
そのような概念の存在を過去から持続する実体として認めるのか、
それとも"現代"の観点から創出された概念にすぎないのか、という問題があると思う
これは「日本人」という概念にさえ当てはまる問題だが。
実を言うと、私は「基層文化」の存在・探求自体を疑わしく思っております。
変化していない点もあるでしょうが、それもまた一部分。変化した部分も現状
を構成しているにも関わらず、それを見失い、軽視しがちになります。
今時「基層文化」を主張してらっしゃるのは、大御所クラスではないかと。
若手(?)からは、梅原猛先生らへの批判もかなり出ています。
「日本人」という表現も胡散臭いもので、どこからどこまで日本人かという問題
は避けられません。歴史的にも地理的にも「多民俗国家」である以上、個々の事
例を検討すべきで、「日本人の基層文化」探しは置いておく方がいいでしょう。
資料から理解するのであればともかく、「基層文化」探しという前提が目的では、
調べる意味自体が乏しくなってしまいます。
>79
おお!なんて早いレス!ありがとうございます。
飛躍ありますか……。すみません、思いつきで書いてるので。
> そのような概念の存在を過去から持続する実体として認めるのか、 それとも
そう、そこがどう扱われているかってことも知りたいんですね。というか定義の問題かも?
少なくとも、祖父母からの思想・しつけの伝承という程度でなら 「文化」 は伝えられると思うんですね。
そうすると、現代日本人の場合なら5世代くらいまで文化伝承を遡れるとして、明治〜江戸時代頃までの
「(皮膚感覚的な)文化」 っていのが伝わっている可能性は十分あると思うんです。
だから、「過去から持続する実体」 というものは存在するにはするんだろうと思うんですが、
はたしてそれを 「基層文化」 と呼んでいいのかどうか?基層文化の定義上、さらに厳密ななにか
要件を満たす必要があるとしたら、それが何なのかってギモンに思ったわけです。
> 「日本人」という概念にさえ当てはまる問題
はい、そうですね。山野さんも 「日本人」の「基層文化」 という書き方をしてらっしゃいますし。
このカギ括弧に意味があるということは認識していたつもりなのですが、私の文章からでは伝わらなかったかも。
>80
レスが行き違いになっちゃった。すみません。
丁寧なご回答ありがとうございます。 >山野さん
> 歴史的にも地理的にも「多民俗国家」である以上、個々の事例を検討すべき
うん。やはりそうなんですね。納得!
そもそもの私のギモンも、「基層文化」 って胡散臭くないか?ってところから出てきてるので、
やはりみんなそう思ってたんだと、それが判っただけでも私にとっては収穫です。
しかし、「流行等で変化しやすい文化」 と 「変化しにくい文化」 が存在することは事実のようにも思います。
そこを考察するということには、まだ価値が残されているのかも、と妄想してみたりしました。
なるほど・・・納得します。
>>77-82 私の考える「基層文化」というのは、実存するモノではなくて、
「発想の方向性」というくらいの意味です。
「日本」という島国に生きた人々の歴史的、地理的特性の中で育まれた、
ある種の「方向性」それを民俗学的にモデル化できないか?
そう考えたまでです。
>83 「発想の方向性」を民俗学的にモデル化
それができるかできないかっていうことこそ、「実体」 あるものか 「概念」 だけのものかっていう
議論にいきつくんだと思います。で、山野さんであれば、
>80 歴史的にも地理的にも「多民俗国家」である以上、個々の事例を検討すべき
というような観点も踏まえて 「(基層文化などの)超時代的な認識には反対」 と結論づけられているわけですね。
これを私なりに翻訳させてもらえば、この 「日本」 という島国に生きた人々には、京都の公家文化もあれば、
まつろわぬ蝦夷文化もあった。あるいは、九州や沖縄ではまた一味違った風土文化があったはずです。
また、「蝦夷文化」 と一言で括ったところで、時代によってヤマト朝廷に反旗を翻した時期もあれば、のちに
恭順・同化していった時期もある。このような時代背景によって文化・思想にも当然変化があったことでしょう。
つまり、「地域・時代を超越した日本人像」 というものは虚構にすぎず、実体として規定するのは不可能ということ。
たしかに、「発想の方向性」のモデル化 はどんな難問をも解決してくれる魔法の杖のように魅力的なのですが、
“「日本」という島国に生きた人々” の総体というもの(=いわゆる「日本人」)の存在自体があやしいのですから、
ましてや 「その人々の発想の方向性」 なるものの存在はあやしいを超えて、胡散臭くすらあるんじゃないか、と。
>それができるかできないかっていうことこそ、「実体」 あるものか 「概念」 だけのものかっていう
議論にいきつくんだと思います。
意味がよくわかりません。私は当然「概念」のみを考慮しています。
個々の事例には個々のモデルが必要でしょうね。
ただ、どうも、あなたと私では「モデル化」の意味が違うような気がしますが?
ええ、仰る通りです。漫画家の小林某先生は、「沖縄のシャーマニズムは日本
文化圏のもの」としてらっしゃる訳ですが、沖縄にはかつて地蔵信仰や禅宗が
栄えていたものが一時衰退したという指摘もありますし、沖縄でもヤマトでも、
巫病などの扱いが如何なるもので、口寄せなどはどの様に行われていたのか、
それらは何時歴史に登場するのか、といった事が判然としませんから、現在の
イメージから、安易に結びつけるべきではありませんね。
と、83氏に批判的なことを書きつつ、私も 「魔法の杖」 探しにロマンを感じるので、
スレ違いを承知で少し仮説を出してみましょうw 所詮思いつきですから、戯言と斟酌してお聞きください。
(仮説1) 日本人の発想の方向性には、透徹した哲学がない。
(解説)
たとえば、神仏習合にみられるような、良く言えば柔軟、悪く言えば節操のなさである。
しかも、日本人のそれは垂直方向へ対象を深めるのではなく、水平方向へ拡がるのである。
遠藤周作の 「沈黙」 という作品ラストで、徳川幕府から棄教を迫られた主人公の宣教師が、
既に棄教した先任者と会見するシーンにこんな問答がある。
先任者 「この日本という土地ではキリスト教という種は育たないと私は知ってしまったのだ」
主人公 「それは違う。長崎などでは実際に芽を出しかけたのだ。それを摘み取ったのは幕府だ」
先任者 「私もかつてそう信じていた。しかし出たと思った芽は、我々の知るキリスト教ではなかったのだ。
彼らの信じていた神は、我々の信じている神などではなく、彼らが信じたいと思った神だったのだ」
(註:以上引用は記憶によるものなので、正確ではない)
そもそも、「外来の思想」以前の、「原日本人」の発想があったとするばかりで
ではなく、それを「真正」と見做すかの様な態度をとっている時点で落第です。
近代史上の戦争犯罪についてはよく分かりませんが、この点だけ考えれば、
新しい歴史教科書なるものの採用は、躊躇せざるを得ません。
(つづき)
つまり、日本人はキリスト教のうち、自分たちに都合のいいエッセンスを取り入れただけで、
キリスト教の本質のなんたるかを理解することはついになかった、と絶望的に告白する名シーンである。
仏教についても同様の土着化を見ているし、漢字や儒教などの中国文化、明治期の和魂洋才、
戦後のアメリカナイズというのも同様で、新しいものの摂取吸収をさらっとこなすものの、
サルマネなどと言われてしまうように、なにか底の浅さを感じる。
中国やアメリカなど影響を与えた側からすれば、最初は自分たちの文化を抵抗することなく受け容れる
同化政策の優等生(飼い犬とも)とみえるのですが、あるとき実は本当には同化していなかったと思い知らされる。
たとえば中華思想であれば、、朝鮮は完全に中国に恭順していたのに対して、日本のそれはどうも怪しい。
いまの日米関係も、アメリカが思うほど日本政府および日本国民はアメリカナイズされていなかったり……。
この点、ベトナム戦争のときの北ベトナム戦線兵士の独立への気概ですとか、
フランス人の自国文化への誇りですとかいったものと比較しても、透徹した哲学がないように思える。
まあ、少々古いですが 「ノンポリ」 が日本人の発想の特徴なのではないかとw
神仏習合というより、本地垂迹説でしょう。吉田神道や伊勢神道の様な例も
ありますが、基本的に中世日本の信仰は、仏教の世界観中心で、神祇信仰の
隷属でしたよ。それにより、神祇も仏におぶさる形で権威を増していた事も
確かな訳ですが。
で、本地垂迹説を進めるにせよ、それに反対するにせよ、相応の理論を展開
させた著作が必要になる訳ですが、これは哲学とは言えませんか。
本地垂迹説と統一した側の中でも、大江匡房の様に、政治家・文人としての
嗜好や、個人的な感情を交えて八幡信仰を論じた人物がいました。
今から見ればこじつけ臭い点もありますが、その世界観は物凄いですよ。
>(仮説1) 日本人の発想の方向性には、透徹した哲学がない。
意地の悪い言い方をさせて頂くと、あなたのお考えでは、日本には欧州ほか
で発達した、プラトンやキルケゴールやフッサールの研究者はいないのでし
ょうか。或いは、いても本当は理解出来ていないという事でしょうか。
「今では」いるのだとすれば、ではその時代の境目は何時からでしょうか。
文人Aには文人Aの、文人Bには文人Bの、仏家には仏家の、神道家には神
道家の理論・哲学がありました。あなたの引用された文中にある「日本人」
から、これらの「哲学者」を排除するのは、武士や貴族を除外して「常民」の
みを対象としていた、往年の民俗学への逆行だと思われますが。
そもそも、「透徹した哲学」の定義が明確ではありません。原典をそのまま
受容した信仰などありはしませんし、異教的要素であれば、欧州の信仰に
も見られるものです。
仰りたい事は分からなくもありませんが、「信じたいと思った神」を信じない
人は存在しないでしょうし、上述の通り、文盲も学者もひっくるめての「日本
人」像は、いびつなものと判断せざるをえません。
もう少し噛み砕いた表現を使用してみると、日本人にも、熱心なクリスチャン
やムスリムはいるでしょうし、「ノンポリ」でない人、原理主義者だっているで
しょう。彼らを排除した「日本人像」というのは、どんなものでしょうか。
「例外」、「マイノリティ」。いくらでも言い換えられる存在ではありますが、
断言するには「日本人」という枠組みは、それ自体が曖昧過ぎ、判断する基準
も、明確ではありません。
>90
いやはや、またしても丁寧なレスありがとうございます。
おっしゃること、よく解ります。
戯言めいた仮説をもてあそんでいるだけで、本気ではありませんのでご容赦を。
私も基本的な立場は山野さんと同じ考えです。
それを敢えて、「往年の民俗学への逆行」 をやって楽しんでみたかったのですが、
スレの流れからすると交ぜっ返すようで悪趣味でしたね。申し訳ありません。
いえ、「分からなくは」無いのですが、ついつい強調するために意地の悪い
表現になってしまい、申し訳ないことです。
ある英国人の文化人類学者が、日本で生活してしばらくしてから帰国し、大学
で報告をする事がありましたが、その際質問者の一人から、「それでは英国人
も日本人も同じと言っているのではないか」という意見が寄せられました。
これは批判のつもりであったらしいのですが、発表者に言わせると、まさしく
それこそが言いたい事であったそうです。
では、「変わりなし」という報告ばかりで良いのか。調べる意味は何か。
・・・・・難しい話です。全く。
なーるほど。興味深いおはなし色々ありがとうございました。
しかし、山野さんも宵っ張りw
めしもくうし くさいへもこく
ちがいはささい
いいじゃないの にんげんだもの
みずお
>>97 これはまた、大層な電波ですね。それに加えて、小学生の様な文章。
・・・人の事は言えませんが。
>>98 藤原不比等の神道国家建設推進はさておき、平安期に顕著な非業な死人の祟りに、
現世人が怯えるといった精神構造は、何から生まれたんだろう。桓武と違って、
天智も天武も非業の死に陥れた政敵の祟りに怯えた記録はないと思うが。
100ゲッツ
怨霊関係のdデモなら井沢何某でも読めば?
101 :
天之御名無主:05/01/05 04:20:58
祖霊信仰ネタとは盆正月で受けた個人的感情から
我々日本人の先祖の、生きてきた気分という
ものをいろんな補助線を使って活写できたら
というスレでつか。
102 :
天之御名無主:05/01/12 22:19:54
非業の死を恐れるのではなくて
飢饉や疫病などの現世での異常を怨霊と関連づける
発想が興味深い
103 :
名無しさん:05/01/16 12:39:52
神道では、死後33年経つと御霊様という大きな霊体に吸収されていくと読んだ
ことがありますが、またその大きな御霊様から魂が生まれていくと考えてよい
のでしょうか。それとも吸収された魂は永遠にそこにいるのでしょうか。何か、
このことに関する文献等ご存じでしたら教えて下さい。
三十三年という時点で、既に鎌倉時代末期に誕生していた三十三回忌
のパクリ臭いのですが・・・「神道」なるものの教理・世界観が整備さ
れるのが、実質近世になってからですし。
105 :
天之御名無主:05/01/16 17:06:22
ケツアルコアトルは季節風によって雨をもたらしてくれる雲を神格化したもの。
平凡社大百科辞典より要約
いかんなぁ
なんだかなぁ
108 :
天之御名無主:05/02/04 02:20:18
祖霊信仰とは日本人が一番安定して能力を
発揮できる思考基盤だとおもう。先祖盲従
ではなく、ある空想的シミュレーションで
昔の人の活気や努力や挫折を理解し、有益
なものを採用する心性の特徴なんじゃ?
109 :
天之御名無主 :05/02/13 20:42:40
この前、御霊様に吸収されるのは死後50年って聞いた。33年は仏教だそうです。
110 :
天之御名無主:05/02/14 23:01:10
日本の基底文化を認めないバカが
まだいるとはな。サミュエルス・ハンチントン
他各国の著名な学者が日本というのを西欧文明
、中華文明などと並ぶ日本文明に位置付けてい
意味がまだわかっていない。
サイレントマジョリティーが生き続けてきた
のが今までの大部分の歴史。文献に定着出来た
意見はほんの一部しか反映されていない。
しかし知る手がかりは残されている。純教義的
にはあるべき考え方が、サイレントマイノリテ
ィーと迎合するため不思議な変質を起こしてい
る部分や、純物質的手がかりを元にする考古学
など。それらと強調して、ゆけば精神世界を
より深く考察できると思う。
111 :
天之御名無主:2005/09/08(木) 21:46:41
記念真紀子
イエ〜イ
プゲラ
113 :
大名無尊:2006/01/03(火) 13:07:42
なんだかね?難しく考えることで自分だけの特権と思っているようですね。
神仏は意外とわかりやすいものだよ。
だって全ての人を助けようとしているのだから・・・
神はおそろしいものなのじゃっ
115 :
天之御名無主:2006/01/05(木) 03:39:52
祖霊age
116 :
天之御名無主:2006/01/19(木) 00:16:51
>>113 他力本願は(祖霊)信仰ではないな。
何かに対して敬虔な気持ちになるところが
人間の心のどこかにあって、それを祖霊へ向ける
(祈る)のが、祖霊信仰。神仏だったら神仏信仰。
117 :
天之御名無主:2006/03/11(土) 18:55:53
「祖霊信仰は、やはりなんといっても東北地方が優勢でしょう。
縄文文化が息づいているということかも。
東北が高度な縄文文化を持っていたということは古くからいわれていたことで、
縄文文化の精神的支柱は、自然崇拝であり、
自然との響き合い、宇宙との響き合いの中に日々の生活があったといって良いと思う。
その延長線上に祖霊信仰がある。」とか言ったのは千歳栄だったっけ?
>>117 誰が言ったか知らないが、
どれをどう延長すると祖霊信仰になるンだ?
kwsk
飢饉で死んだら野辺に捨てて犬や烏の餌になっているし、
現代的価値観で当時の庶民階層の生活の厳しさを無視して考えると
かなりの勘違いを生じそう。
父の実家は鹿児島の鹿屋市。家の前が海です。
かごまのばばの家の神様は、女だけで拝んでて多分ネコ嫌いです。
近くに鳥居があるけど潮が引かないと鳥居まで行けません。
幼少時に神様についてばばあに聞いたら、「ばあちゃんが神様やっぞ」と言われました。
ばばあの神様の正体を
知ってるかたいますか?
121 :
天之御名無主:2007/05/18(金) 01:37:19
半年ぶりのカキコがsage進行では、ちょっと苦しいのでは?
122 :
天之御名無主:2007/06/22(金) 23:29:24
海若が根本をわすれるなといっている。
123 :
天之御名無主:2007/06/23(土) 18:47:06
>>120 そのお宮はひょっとして錦江湾にある
小島になってるとこですか?
124 :
天之御名無主:2007/06/25(月) 02:42:17
ちょっと前にブームになった千の風。
あれって、ネイティブアメリカンに元歌があるとも言われているけど、
なんか、日本人の自然信仰プラス祖霊信仰の宗教感覚にもマッチしているような希ガス。
それが、日本であれだけ流行した理由では?
「千の風になって」の歌詞
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る (以下略)
日本人の精神性って面でいえば忌むべきものとしての信仰もあるけどね
どーかお願いですから出てこないで下さいっつー類の
屈葬とか手足縛ってってのはそうゆう事だし
お盆などの決まった時期にだけ帰ってくるというのが日本の祖霊信仰ではなかった?
アイヌの死生観というか、世界観にも似たものがあると思った。
詳しくはないんだけど、こういう鳥や熊やシャチがいたなら、それは
亡くなった人が別の姿で現れたんだ、みたいな。中濃ソースだけど……。
関係ないけど、アイヌの葬送でも、遺体を墓地に連れて行く時、普段の
出入口を使わず、家の壁を打ち破って外に行くとか、埋葬場所で遺体を
回す習慣があったみたいだね。和人によって風習になったんだろうが、
アイヌ本来の信仰とは異なるものなのかな? やはり、元の姿で
戻ってこられるのは忌み嫌ってたんだろうか。
お盆はそもそも仏教観だしな
グチャグチャになった嫁が髪振り乱して体中に火花散らして
追っかけて来るのを櫛とか投げつけて足止めして岩で蓋すんのが基本なんじゃね
まぁ、ワザワザ会いに行って其処に住み着いたその息子も居るけど
魂、霊って概念がやってくるまで黄泉とは地続きだったんだろうと思う
そして自分達が思うように相手も自分達を思ってくれると考えた時に
「連れに来る」といった飛躍した発想もあったんだろう
一つの家に立て続けに死人が出たときとかそうゆう風な噂もたったかもしれんし
>>127 は、
>>124-126 向けでした。アンカー忘れてた……。
↑128
まず死者との愛情から死を捉えていて、後(霊・魂を認識時)に、
祖霊信仰や、亡くなった人に誰かが後ろめたさを抱くか、それを
周囲の人が感じて、不幸のあった時に死者の怨み・祟りだ、と変化
していったイメージは受けた。そうでないかも知れんが、そんな気はする。
死者の国の料理を摂ると戻れなくなる、って何でそんな話を作ったんだ
ろう? 『宗像』では、アイヌにもあるという。
「戻れなくなる」
という、死者目線での物語なのが謎。
130 :
天之御名無主:2007/07/01(日) 16:16:38
死んで土に帰る、というのは、土葬時代の実感でもあり、客観的事実でもあろう。
「土」を、大地や、さらには大地が育んだ動植物、というように拡大解釈していけば、
千の風やアイヌのような、死者観や他界観になるのは、それこそ自然な流れでは。
↑130
そうか! と納得しました。
生死の隔たりがあっても、死者が向かった、或いは還っていった
土地は、場所は違えど一つ空の下、みたいな。イザナミやペルセフォネの
話も、その食物を育んだ、それぞれの大地に帰属するから、という
説明も可能だし。
133 :
天之御名無主:2007/10/07(日) 19:56:20
安来には縄文風の国土形成の神話がのこっているよね。
国生みは記紀へ、国引きは風土記へ別々の話が記載されたのは
何故だろうか。
134 :
天之御名無主:2007/12/19(水) 19:31:21
【神の化身】超能力者・江原啓之尊師【人類の奇跡】
・守護霊と意志疎通ができ、人の前世を解き明かせる
・オーラが見える
・女性の部屋さえ覗き見ることが出来る
・気がむけば地球を宇宙から眺めて楽しむ
・今は亡き人の思いを感じ取り、そのメッセージを伝えることができる
・この世を訪れた両親の霊と共に幽体離脱して何度もあの世に行き来している
・病気、体の調子が悪い箇所が見え、ヒーリング能力もある
・前世に限らず、数日前・数年前といった過去も見える
・自分の体に霊を降霊・憑依させて会話できる
・携帯電話に触れただけで、持ち主の日頃の会話内容を言い当てることができる
・動物と会話(意思疎通)ができる
・人の寿命、死期が分かる
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1011261825 キリストの奇跡については、後世に誇張されて伝わったものであり、
ローマ教会すら、それらを厳然たる事実として捉えているわけではない。
歴史を振り返ってみても、祈祷師やら霊媒師がペテンでなかったためしはない。
そこへ行くと、我らが江原尊師は、現実にこうして超能力を発揮されている。
まさに現人神とも言うべきか。
135 :
天之御名無主:2007/12/25(火) 16:21:05
ここって・・・・
136 :
天之御名無主:2008/02/29(金) 03:06:06
●オ○ワ●ダ○マ●サ○コ
○カ●ワ○シ●マ○キ●コ
WWという順に、○だけ●だけを追って読んでみて。
ジグザグに両者の名前を行き来すると
オワダマサコとカワシマキコには
シンメトリックに相互の名前が
おがたいの名前の半分ずつに分散していることにきづかされる。
これが恣意的でなくて何でしょう?
これほどに明らかな、恣意的な婚姻を2度も我々は
深く考えずにスルーしてきた。
そしてこれがカバラの数理術(ひいては古代エジプトの秘術)そのままということは
今の皇室に、明らかに外国からのアプローチが入り込んでいること
とりわけ、小和田家がフリーメーソンリーであることを考慮しつつ
いろいろと考えてみる余地が多いように思われますが・・
(ただし幼稚な「陰謀史観」は一切不要)
137 :
天之御名無主:2008/03/16(日) 17:52:58
>>136 カバラ?フリーメーソン?恣意的?
意味がわからない・・・
二人は、双子の姉妹だったってこと?
139 :
天之御名無主:2008/03/17(月) 14:15:36
【不買運動】アウトドアファッションの「パタゴニア」が「捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものです」と宣言!!!【テロ支援】
アウトドアファッションメーカーの「パタゴニア」が
先日、日本の捕鯨船に対して攻撃を仕掛けた狂信的反捕鯨テロ集団シーシェパードを支援していることが明らかになりました。
「パタゴニア」はこの事実を指摘されて
今後もシーシェパードを支援していくと明言、
捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものであるとして、
反捕鯨の立場を明確にしました。
日本の捕鯨は長い歴史と伝統の中で
海の恵みに感謝しながら鯨のすべてを利用して
採り尽くさないように環境にも配慮しながら
行われてきたものです。
白人のように鯨の油を取る為だけに
鯨を殺戮した捕鯨とは違います。
パタゴニアはそのような日本の伝統を無視して
「捕鯨は悪」決め付けて白人の一方的な価値観を
日本に押し付けようとしています。
パタゴニアはアウトドア用品などを売って
人間が自然に入り込んで環境を破壊することに加担しておきながら
反捕鯨と言うことで何か環境に良いことをした気分になっている
自己満足の偽善者たちです。
日本文化の破壊を目論む反日テロ支援企業に対する
不買運動と抗議メールの送信にご協力下さい!!!
140 :
天之御名無主:2008/04/26(土) 19:54:21
保守
141 :
天之御名無主:2008/05/01(木) 03:16:50
142 :
天之御名無主:2009/06/03(水) 20:03:03
hosyu
>>113 >だって全ての人を助けようとしているのだから・・・
日本神話に登場する神々にそんな慈愛深い神って、いたっけ?
出雲神話のスサノオ?基本的には、日本神話の神は祟り神だろ。
>>141 日本語としては「ひちねん」が正しいが、レッドブックの「ななねん」も間違いではない
ただ朝鮮人や関西人が良く使う「しちねん」は明らかに間違い
これを使っていると日本人である事を疑われるので気を付けるように
>祖霊信仰
本で読んだ話なんだけど、仏教とか仏教系新興宗教とかで
先祖の霊がどうのこうのとかよく言うけど、
そもそも仏教に霊だのなんだのって言う思想はないらしく、
仏教が日本に入ったときに、日本にもともとあった考え方(神道かそれ以前か)
を日本人が取り入れちゃっただけらしい。
中国の道教とかにも祖霊信仰ってありそうだよね