例えば、死生観。
死後の世界は、天国でも地獄でもない『黄泉の国』
生きたまま行くことが出来て、帰ってくることも出来る。
昔の人は、どう考えてたの?
2 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/28 10:07
>1
黄泉(こうせん)は平田篤胤も「荘子」などを引いて述べていた通り
湧き水のこと。このことから地下他界と考えられて来ましたが、最近
は山中他界としての性格も指摘されるようになっています。
他に「常世国」のような海上他界もありました。こちらのイメージも
長く続いたようで、「蜻蛉日記」にも出て来ます。
根源の国、生命力の来る国とされたらしい。あちら(冥界)から来た
ばかりの頃=赤ん坊は瑞々しく、枯れて老人となってまた帰って行く。
死の世界はこちらの方かもしれません。
>>2 1は平田篤胤の思想以前のことを問うているんじゃないかな。
思想じゃなくて世界観です。
黄泉の国ってどんなイメージなの?
>黄泉の国のイメージ
墓穴のイメージかな?
御存知のように、昔は日本でも土葬でした。
あぼーん
9 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/29 09:52
>3
思想以前では無く、篤胤がしたのは解釈ですよ。内容は当時のもの。
10 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/29 10:13
>7
火葬もあれば樹上葬、水葬もありましたけどね。野ざらしもあった。
ただ洞穴を墓穴とした例もあり、そこに鬼が出るという信仰もありま
した。
黄泉の国ってのは地獄じゃないんでしょ?
高天原ってのは?
12 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/29 23:39
>11
黄泉・常世の国というのは仏教などでいう罪人の行く「地獄」とは異
なります。高天原は天津神の住むところ。本居宣長は天上世界だとし
た、天照大神と高御産巣神の治める世界。
まず記紀とその解説書をお読みになっては。
「黄泉の国」って、「地底」のイメージが強いです。
「石で穴を塞いだ」んですし。
14 :
天之御名無主:03/01/30 01:39
平田先生の『霊の真柱』を読んでみよう。岩波文庫から出てます。
『仙境異聞』も面白いですよ。
学問板だから、まず基礎知識(本でも)仕込まないと相手にされんのかも。
でもな〜、「xxという学者の本には〜〜と書いてある」だけってのもつまらんな。
板に書く人自身の私見、見解、考え、みたいのを知りたいな。
トンデモ系とはぎりぎりのところで踏み止まりながらも「こりゃすげ〜見解」てのを
みてみたい。
たとえば
>>1 生きたまま行くことが出来て、帰ってくることも出来る。
にズバっと答えられんもんかな。
17 :
天之御名無主:03/01/30 14:13
横穴式石室。
悪人も善人も黄泉の国に行くの?
>>18 「イザナギの黄泉行き」が、それだというのをきいたことがあります。
イザナミさん、腐ってましたし。
>>19 そこらの「選別」は無かったような。
高天原って天国ではないんですね。
輪廻転生って考え方はないの?
天国はキリスト教
輪廻転生は仏教の観念
極楽浄土も仏教だよね
24 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/03 12:35
>18
いざなぎの黄泉行き云々はどうかと・・・。
>22
一応先祖が動物の姿で帰ってくるというくらいの信仰はあったでしょう。
25 :
天之御名無主:03/02/03 14:48
よくいう「草葉の陰」ってーのは一応黄泉の国なのかな。
それとももっと民間習俗的な他界観?
あぼーん
27 :
天之御名無主:03/02/03 23:57
神道では、ケガレの状態を払う…つまり、空間的に距離を置くことを重視します。
古来人間が集落を営む上では、集落を取り囲む全てが畏怖の対象でした。
「払い」の行為は「畏怖を身から離す」という意味があります。
そして、神道の嫌う一つの観念として「ケガレ」があります。
生きれいる状態では満ちている「気」が「枯れる」状態を指すといわれています。
ケガレた死体は非日常の対象であり、醜く忌むべき存在です。
そのため、イザナミを初めとして「死者は黄泉の国へ行く」=「日常と距離を置く」という観念が発生しました。
神道の死生観には「忌むべきは日常と距離を置く」という「空間認識」しかありません。
輪廻転生をはじめとして、「時間認識」を持ち込んだのは仏教です。
28 :
焼きそばパン:03/02/04 01:38
行き来ができることは、生死の世界が「距離」で把握される(「時間」ではない)ことかなと私は思います。ちょっくら海に潜ってくる、とか地底に降りてくる、という感じで。いざなぎさんも生身?の状態で戻れたわけですし。私見なんでいいかげん。ゴメンナサイ。
29 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/04 09:26
>25
民間習俗でしょうが、「神道」と切り離してよいものかどうか。そもそもこ
こでいう「神道」が何時いかなるかたちで成立したものを指すのかも問題。
「草葉の陰」に近い表現は鎌倉時代にはあったようです。
>28
鎌倉中期に書かれた「雑談集」によれば当時はうっかりして冥界に迷い込む
という観念があったようです。「神道」かどうかは難しいですが。
「もがり」ってどういう意味があったのでしょうか?
数ヶ月も置いといたら腐るでしょ。
「もがり」につかったお棺をそのまま古墳に埋葬したのですかね?
「神道」の世界で、世界の端はどこでしょう。
半島ははいってるの?中国は?
列島と天と黄泉の国だけかな?
32 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/04 14:41
>30
折口信夫説→死者を冥界へ送るための儀式(死者のため)
五来重説→死者を生者と別の存在にして危害が加えられぬようにして送る儀式(生者のため)
もがり用の館とはまた別だったと思いますが。
>31
とりあえず古代日本の世界観では世界はドーム状の天の下にあった。
陸は馬の蹄がすり減るところまで、海は櫂が腐るまで続いていた。
イザナギは黄泉国から帰って禊してるよね。
黄泉は穢れた世界なの?
34 :
焼きそばパン:03/02/04 15:30
山野さん解説ありがとうございます。25さん、余計とは思いつつ「草葉の陰」を調べました「(埋められた)土の中。墓の下。あの世」また民間習俗は、神道他の宗教・思想も関係しているはず。明確に切り離して考えるのは難しいかもしれませんね。
>32 レスありがとうございます。
生き返りを願ってた訳では無いのですね。
「もがり」用の棺が別となると、あまり想像したくないのですが、
埋葬用の棺に移す必要がありますね。腐乱死体を移して、それから
副葬品を配置し鏡を並べ・・・(副葬品の位置は特に乱れてないので
埋葬時に入れたと考えられますよね)・・・・・こりゃトラウマになります。
>とりあえず古代日本の世界観では世界はドーム状の天の下にあった。
>陸は馬の蹄がすり減るところまで、海は櫂が腐るまで続いていた。
何か文献有りましたら、教えてください。
>22
神道でも輪廻転生の考えを持っているものもあります。
例えば平田大先生の「仙境異聞」はもろ転生のルポです。
大の仏教嫌いの大先生が転生派というのは面白いです。
また教派神道の天理教なども生まれ変わり派です。
一般的に言うと神道にはあまりこだわりは無いようです。
37 :
天之御名無主:03/02/04 17:43
>>36 それは「仙境異聞」ではなくて「勝五郎再生記聞」の方では?
ttp://homepage2.nifty.com/pfruit/katsugoro/index.htm ここで現代語訳が読めるようです。興味のある方はどうぞ。
でも平田先生によればみながみな輪廻転生するというわけではないようですね。
上サイトからの引用
『また、仏者はこうした考え方を認めているように思われるものの、あまりにみだりがましく、誰で
も再生・転生するかのようにいう。人が世に生まれるのは、神の産霊(※むすび)によって一日に千
人死ねば新たに千五百人生まれる定めの中で、ごく稀に人が動物に、動物が人に、人が人に再
生させ給うことがあるのであり、仏者はそのごく稀な例を普遍化する過ちを犯している。
再生・転生は神の秘事中の秘事であるのにごくごく稀に前世を記憶したまま生まれる者がいる
ことには定めて深い理由があると思われるものの、凡人に神の御心を計り知ることなど到底でき
るものではない。』
すまん。勘違い。フォロー、サンクス。
日本人のジェスチャーで、おじぎとか手刀(「ちょっとすいません」のような時
に使う)等、神道に根ざしていると言えるのでしょうか。もしそう言えるのであれ
ば、このようなことを論じた論文をご存じないでしょうか。日本人の身振りに反映
された神道的世界観・価値観に興味があります。
40 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/04 23:43
>35
それが引いた本が何処かに行ってしまいましてね。数ヶ月前に世界観を扱
った本が出ていましたが、そちらは百貨店で入手出来るかと。
>39
黒田日出男先生達の御本をどうぞ。ただ純粋に神道的なものかどうかは別
ですが。単なる動作に関する研究(服従など)なら珍しくありません。
41 :
天之御名無主:03/02/05 00:44
>35
海や山の洞穴において風葬を執り行うような所では、ある程度
雨風に晒された遺体を回収して(骨のみになるまで)洗い清めてから
正式に墓に移す、というような風習もありますし(確か沖縄の方では
最近までそういうのをやっていたような)、もがりの後に遺体を
移し替えるのも昔の人は割とふつうの感覚で行っていたのでは
ないでしょうか。
そういえば、紀記におけるイザナギの黄泉下りの描写も
もがりのために遺体を安置した石室に入るイメージだという
話を聞きますね。
もがりが終わる頃にはやっぱり、回れ右して帰りたくなっちゃう
程には腐ってるのかもしれませんね。
42 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/05 00:53
風葬といえば阿古屋(悪谷)、弥谷(祖谷渓・嫌谷)という地名の残る処は
風葬の地であったようです。
43 :
天之御名無主:03/02/05 10:33
>>42 共に山中他界に基づく区割りや名称だと思いますが、漁労民サイドのこういう
生活圏内の共同墓の名称などはあるんでしょうか。
>40
ありがとうございました。さっそく調べてみます。
45 :
天之御名無主:03/02/05 16:43
46 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/05 22:54
>43
崖などがそれにあたった筈ですが、特定の名称となると思いつきません。
47 :
天之御名無主:03/02/06 03:35
阿古屋(悪谷)、弥谷(祖谷渓・嫌谷)は有翼日論マークが残ってるところ。
だからゾロアスター教の鳥葬が変形して残ったところだろう。
って言うか、神道ってなに?
自然崇拝だけじゃないんでしょ?
49 :
天之御名無主:03/02/12 11:53
古語にもヒントがあるのではと思います。「よみ」がどれだけ古いのか…
「死ぬ(しなびるの意味)」よりは前に生まれてた言葉だと思う。
昔は「言霊=世界を変える何か」てことが本気で信じられてたそうですし。
「あか(明るい)」と「よみ(闇、夢)」は対になっているところがあるし、
よみというのは…「見えないところ」という意味が重複しているのでは。
神道そのものは、千の世界にルーツをもつ融合体(orキマイラ)
みたいなものに感じられます(もともとこの宗教に名前はなかったそう)。
「感じ」だけで進めてしまってすみません。他にいい様がなくて。頭悪いです。
死のイメージは「よみに沈む/埋もれる/食われる」感覚では。
そこから地下のイメージが派生した…て、これは私の偏見ですね(汗)
50 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/12 12:12
言葉に反応して人が死んでしまうという具体的な例は「大鏡」に見られます
が、言霊信仰自体は世界中にありますね。
鬼にせよ死者の世界の住人にせよ目に見えないものとされていた点は中世に
なっても変わりがありませんでした。
地や根に対するイメージは根源というか生命が生まれてきたところに帰って
行く為のもので、埋葬自体が再生を祈ったものであった可能性がある。
近世の話ですが、東北地方では0歳児が死ぬと(魂が未成熟な為か)葬儀を
行わずに縁の下に埋めたそうです。これも生まれなおす事を祈った行為であ
ったのかもしれない。
それと「宗教」という枠組み自体近代になって欧米から輸入された概念です。
51 :
天之御名無主:03/02/13 19:06
まぁ、神道ってさ・・・個人的な味方だけど、
普通に言えばその地独特の自然等人間よりも大きい物、
人間にとって脅威となり、また恩恵となる物が『神』という枠に当てはめられ、
それが結果として神道の起源になり、更に発展していき『宗教』になったワケでつ。
だから、黄泉の世界って個人的考えでは、(日本でいえば)日本の中の
霧かかった奥深い森の中の洞窟だとか、そういった人が入るにかなりの勇気がいるもの、
そして中に入ったら二度とでられない、っていう洞窟とかの概念とかが
洞窟を黄泉への入口としたんじゃないかな?
で、昔の日本でも幽霊の目撃とかはあったと思うんだよね。
そういった事が、『霊』と『魂』の存在を作り出し、死者の世界がある事を作り上げた。
三途の川の概念はわからないけど、とりあえず日本独特の地形と文化が作り上げたところだと思う。
感としては、一度死にかけた人間が川を見た、っていう事とかじゃないかなって思う。
上が普通に片付けた考え。下は明らかにそういった物が存在する事を肯定する考え。
まず、中国の中で、神の存在が定義された。
死にかけた者や、幽霊となって現れた者が、死後の世界を見たとか、
夢の中で死後の世界を見た、という事が起こって、神道の起源となる。
また、極限状態の人間等が神や御仏を見た、という事も上に大きく当てはまる。
それが日本に渡って、何も信じてなかった(かどうかはともかく)日本人が、
それをあがめるようになり、日本でしか見られない死後の世界などが見られ、
日本の神道が作られた。
まぁ、こんなんが自分の考えですが、あくまで個人的な味方ですので、見る程度に・・・。
52 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/13 23:39
>51
臨死体験のイメージは時代ごとに異なるのですよ。
例えば近世には獄卒が捕まえに来なくなりましたし、現代には鬼が出る事も
少なくなった。三途の川にしてみても毎回出てくるわけではない。
中世文学を読んでいても「死出の山」などいくつかのパターンがあります。
結局、そういう死後の世界系イメージって言うのは
海、川とかそこに架かる橋(または渡し船)、暗い洞窟(隧道)、山、峠など
「ここからよそへ行く時に通る(通る際に労力を要する)」的な
境界のイメージですよね。境界については別のスレッドがありますが。
で、昔はそういった境界(=自分の属する共同体の外側)へ
ケガレである死体を葬ったり捨てていたりしたわけで、
イメージ的には死=境界(を越えていく)って事になりますよね。
死ぬことを「他界する」って言ったりしますし。
臨死体験の際に見るビジョンって言うのもその人の意識の底にある
境界のイメージが引き出されてくるのだと思います。
現在だと地域ごとの伝統や共同体が持つイメージよりも、TVなどで
一般化されたイメージの方が強く刷り込まれてるから、おしなべて
「花畑or川の向こうに死んだおばあちゃんが」という事になってしまう
のでしょうが。
なんか内容がまとまってませんね。長レス失礼。
54 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/14 12:20
まあ人を葬ったところも「さんまい山」、「地獄谷」などの境界線上の土地
でしたからね。鎌倉周辺からは多くの人骨が発掘されています。
あぼーん
56 :
天之御名無主:03/02/14 16:18
>>53 >現在だと地域ごとの伝統や共同体が持つイメージよりも、TVなどで
一般化されたイメージの方が強く刷り込まれてるから、おしなべて
「花畑or川の向こうに死んだおばあちゃんが」という事になってしまう
まさにそんな感じですね。現代は、身近に闇を見ることがなくなりましたし。
神道の世界観は、必然的に闇が深く貫いているところがあって、
個人的には「光」を求める一神教的な世界観よりも重複があったのでは…
と思っています。
西方浄土は仏教勢力の増大とともに流行した観念です。
神道の中にもそういう傾向があって、その部分だけ共鳴して強くなった感じ。
>>53 そうですね。
お花畑や川の向うに・・・というのは、どうかわかりませんが、仏教の浄土思想からの影響だとおもいます。
神道での黄泉も似た感じですが、若干異なるイメージです。
黄泉の支配者は大国主神です。
たいして、天上ないし現世をみるのはアマテラスです。
無論、神道は古代から、いまの形で完成したものでなく、おそらく、日本古来の土着信仰と大陸からの信仰が融合し完成されたと思います。
私は、伊勢系神道しか知らないのですが、個人的見解として、上記のように考えています。
58 :
天之御名無主:03/02/14 17:58
うーむ、でもキリスト教においても死者の世界ってのは確実に存在するんだよね。
一体何処が起源だったんだろう?それともやっぱり臨死体験から死者の世界が生まれたのか?
そういえば、日本では寝てる時夢で死者のいる場所までいくって事が多い(気がする)
ですが、西洋ではむしろ枕もとに幽霊が現れるっていうのが多いですね。
おっと、上に対しては徳に気にナサラズに。
それからどの宗教においても生前がよければ天国、悪ければ地獄っていう
意識が高いよね。それはどの宗教でも独自に考えられたのかな?
59 :
天之御名無主:03/02/14 18:10
いつもギリギリな人生を送ってる僕らは
ただひたすら堕落しないようにするので精一杯です。
普通に死んだらノストラダムスの言ってる2235年の天使人類?っつーのになれば
救われるということだろう?
天国というのは堕落を含むので僕たちはその世界に行くのは死んだ後がいい・・・。
恵まれた人には理解できないよ。
一期一会
あのとき会ったあの人は神様「だった」ような気がする。
甘いなー僕は。
60 :
レーザーディスク:03/02/14 18:15
スタートレック インサレクション で 天国 みたいな世界が 登場 してたよ。
ピカードは偉すぎる。
神道といえば
どっかの神社で裸祭のさなかに重傷者が二人出たな。
62 :
天之御名無主:03/02/15 11:01
メッカでは悪魔に見立てた石柱に石を投げつける儀式で14人死亡。
神事・儀式で死ぬ人って一体・・・・・
63 :
天之御名無主:03/02/15 11:43
はだか祭で重体が2人でるんだから、異常ってわけでもないだろう
64 :
天之御名無主:03/02/15 12:25
信心が足らないか、悪魔に返り討ち。
祭りに参じたものが聖なる贄として逝くのは あまりに 普通
「聖なる贄」
なるほど。
神社神道、民族神道、教派神道では随分と世界観も違いますね。神の概念も随分
と広くて、外国人に聞かれると難しいと思います。日本人は神道に何を感じ、
何を求めているのでしょうかね。
68 :
天之御名無主:03/02/15 21:47
>67
むつかしー
自然現象は、同じものが恩恵も災害もあたえる。稲の出来にも影響が大きい。
優しく且つ怖い。どうぞ宜しくということでしょうか。
食べるためには時に他の生物を殺す。その際生物は苦しそうだ。
ありがとう且つごめんね。
あと、なんか知らないがすごいこれは! こんな力が欲しい!
こっこれは怖い!
みーんな神さんなんですね。「共に生きる」考え方が根本のような。
こういう考え方は好きですが・・・
祀りを執り行う人に権力が生まれてくると漏れはしらける。
昔は持ち回りで神主をするような所は珍しくなかったと思うが、
そうゆう素朴なものなら、大歓迎だなあ。以上漏れの趣味でした。
>>67 ふと、思いついたこと。
思いついただけで、根拠もなにもありません。
民族(民間)神道=和魂 (根っこの部分)
神社神道=幸魂 (豊作・豊漁など幸運祈願の部分)
教派神道=奇魂 (奇跡を求める部分)
国家神道=荒魂 (暴走する部分)
>>67 って言うか、現代日本人の宗教観ってどんなん?
68さんへ
単なる自称でしょう。
○ゼミの講師かなにかをやっていた記憶がある。
あぼーん
74 :
天之御名無主:03/02/20 06:31
僕らはみんな分け命。花も風も街もみんな同じ。
らららんらんらん・・・ほほほほほ・・・。
ケガレって・・・景教の影響はないの?
『読む』も黄泉や闇から来たの?
当時、文字はなかったんだよね?
77 :
雨之御名神主:03/02/23 15:32
エンタープライズLにのってるよ。
78 :
hokusinnbosatumyouken:03/02/23 15:33
名前はいいよ。
>>58 キリスト教には死者の世界って観念は無いよ。
最後の審判がくる前に死んだ人は取りあえず、待機状態。でこの世の終わりの時に生き
返る訳だ。
で、審判で神の国に入れる、と決まった人は天国行き。
天国は永遠の生命が得られる以外はさほど現世と変わらんらしい。
入れない人はもう一回死んで、世界から消滅。死後も何も無い。
天国行きか消滅かは神様が勝手に決める。生前の善行悪行は関係ない。
天国だの地獄だの煉獄だってのはカトリック教会が金儲けのために考え出した話なので
本来のキリスト教の教義には存在しない。
イスラムの場合はいい事をした人は緑園(天国)へ、悪いことをした人は地獄行きになる
けどね。イスラムでは死ぬとすぐ裁判になるよ。マホメットが弁護士をしてくれる。
ただ、イスラムの緑園は南国が好きな人や熟女好きにはあまり天国じゃない(w
仏教にも天国とか地獄の概念は基本的にない。例え話として出てくるけどね。
金儲けのためってなんだよ(w
地獄天国の概念はカトリックが確立される前からあったわけだが。
「キリスト教には」とか「仏教にも」などのように多様な宗教をひとくくりにするのは無理がある。
>>80 福音書にそんなことは書いてないというコト。
ルターもそこを攻撃している。
民衆は母国語に翻訳されるまでは聖書読めなかったしね。
地獄に関してはカトリック教会確立前から司祭の説法としてあったと思うけど、煉獄はま
さに、免罪符売るための理論でしょ?
仏教は多彩な宗派がありすぎて・・・
とはいっても天国に行くのが仏教徒の最終目的でないことは、どの宗派でも一緒ではな
いか? 浄土系は別として。
ついでにオウムは仏教として認めない。
ちょいと補足。
基本的に>79では各宗教の成立当時の死後の世界観に関してコメントしたつもり。
もちろん何百年も歴史のある宗教なので、伝播途中の各地で土着宗教の要素を取り入れ
たり、解釈が変わったりと変遷があるので、キリスト教は全ての宗派がこう考えている、と
か仏教徒はすべからくそう、という気もない。
キリスト教はローマ化、ゲルマン化の過程があるし、>79は原理主義としての世界観。
仏教はとても難しい教義なので、経典では例え話が多用されている。
出所はヒンドゥー神話なので天国地獄の描写もこれに準じる。
日本に入ってきた過程で大分神道の影響も受けたし。
ただ、突き詰めれば霊魂の実在は認めない宗教なので、死後の世界に関しては例え話。
位の高いお経には死後の話は出ない。
いちいちこの宗派では死後の世界をこう考えていると、論争するのも問題なので、神道の
世界観について戻ってください。
無関係なのでさげるけど、
>煉獄はまさに、免罪符売るための理論でしょ?
アウグスティヌスのころから煉獄の概念はあります。スコラ学が体系化をおしすすめた。
プロテスタントはご存知の通り否定していますけどね。ル・ゴフの本が参考になるかと。
>ただ、突き詰めれば霊魂の実在は認めない宗教なので、
ちょっと違う。お釈迦さまは死後の世界については沈黙。現代の科学と同じ。
神道の世界観について戻ってください。
>>83サンクス さらに勉強します。
で、神道の場合は死者の国というものはあるけど、生前の行動によって行き先
が違う、なんてことは無い。
穢い世界、というイメージは持たれているけど、ギリシャ・ローマ神話の冥界
がイメージとして近いのかな。
(^^)
86 :
天之御名無主:03/03/14 01:16
87 :
天之御名無主:03/03/14 10:37
神道といっても国家神道から民間の教派神道やら修験系・陰明道系神道
密教系や法華・日蓮系神道
ユタなどの琉球神道やらいっぱいあるんだけど。
88 :
天之御名無主:03/03/14 11:32
神道の定義自体がよくわからない。
日本古来の多くの風俗風習も時々は一括りで神道に関係あるとされたり
時にはまったく別だとされたり曖昧だ。
宗教と言っていいのかも微妙ですね。
それを言ったら宗教の定義から始めなければいけなくなる罠
神道と言っても様々あると言われても
長い歴史を持つ宗教が枝分かれするのは仕方がない。
それに神道の形成についてや民間信仰とのつながりについても
山野野衾氏が言ってるとおりに非常に難しい問題。
個人的な考えとしては…、
少なくとも、仏教が入ってくるまで自分たちの信じてるものが
宗教(当時はそんな概念すら無かったんだろうけど)だとは、思ってなかったんじゃないの?
神道が、「宗教」としての自覚を持つ一番の要因は、やはり物部氏と蘇我氏の対立だと思う。
蘇我氏が大陸の最先端技術というカードを持ってくるんだったら、
物部氏は、自分たちの本来持っていたものをカードに「する」しかない。
政治のカードに使われることによって、今まで漠然とした形でしかなかったものが
かなりきちんとした形を持ったものになったと。
だから、言葉は悪いけど都合で作ったものだから末端があやふやになってても仕方がないと思われ。
こんなんじゃ、ダメかね?
>90ありがとうございます。いわゆる西洋的な宗教とは違うし、仏教的な宗教って
のもまた違いますね。森に行って何かしら聖なるものを感じたり、神社に行って
心が落ち着いたり、山にパワーを感じたり、そんな感覚が神道って感じがします。
92 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/17 17:23
宗教という言葉自体が明治になって英語圏から移入された言語・概念で、元になっ
たものは中に(排他的な)というニュアンスを含んでいました。
日本ではそれまで仏教と言わず仏法あるいは仏道と呼んでいた。言葉が無ければ概
念も無いわけですからそれまでの各信仰の境界線はかなり曖昧なものであったでし
ょう。そして「仏教」伝来などの時には確かに違和感が感じられたでしょうが、や
がて同化したのでは無いかと。
ただカードという言い方はどうでしょうか。「異物」に対する単純な拒否反応とも
とれるのですが。
93 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/17 17:26
>>35 今更ですが、「日本霊異記」にはもがりの最中の蘇生話がいくつかあります。後世
の「今昔物語集」になって来るともがりの習慣が廃れたので「遺言によって遺体が
放置されていたが」それが蘇ったという話になっている。
94 :
天之御名無主:03/03/17 20:27
>>92 ネタだとは思うけど
英語の「宗教」に当たるレリジヨン(スペル忘れた)は
「(神と)再び結ぶ」という意味です。
日本の「宗教」は英語の訳語ではないです。
「一教一派一宗の教え」にえてして縛られ勝ちな日本人の体質がユングのいう無意識の作用によりこの語に表れている?
これからの正しいレリジヨンの和訳は「神との絆を再び結ぶ道」略して「神道」か?
カードという言い方が気に障ったのなら誤ります。
それ以上に適当な言葉が見つからなかったもので。
しかし、宗教がこういった当時の権力争いに使われていたのは間違いないと思います。
そして、それが奇しくも神道の形成に大きな影響を与えたのではないかと。
また、よく言われるように神道は柔和性の高い宗教なので
仏教が民間に流れていくにつれ、だんだんと同和していき
現在ある形に近づいていったのではないかと思います。
96 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/17 21:47
>94
いえ、訳自体ではなく文化の中でそんな意味合いがあったという事です。
少なくとも当時はそう受けとめられたからこそ廃仏毀釈による「純粋化」も
行われたわけでしょう。
>95
権力争いに出たのは確かでしょう。ただ信仰が面に出てもそれが「カード」
と例えて良いものであったのかどうかと思われたので。
97 :
天之御名無主:03/03/17 22:45
厳密には所謂キリスト教のように教祖がいて教義がある創始宗教というよりは
シャーマニズムやアニミズムや古来からの習俗の集大成みたいなものなんだったんだろうな、・・・本来は。
あるいは、我々の先祖の弥生人が侵略してくる前の原日本人の原始神道と呼ぶべきもの、は。
あぼーん
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1033053380/l50 神道の神を信心している人、目を覚まして。
1 :120代目たけはづち :02/09/27 00:16
神?元々人間です。天照大神も大国主もスサノオも全て昔の豪族です。歴史を学んでいる者には常識です。
明治天皇や応神天皇と同じです。
神社で神気?気のせいです。
森があるからマイナスイオンとか太陽がさえぎられて涼しい、気持ちいいの類じゃないですか?
この板見てると宗教やってるやつって大丈夫?と思う。
歴史をやっていれば天照から全てが昔の豪族だってのがわかるのだが。
「まあ朝廷に都合の良いようにお伽話みたくしちゃった」から仕方ないか。
神社の文献とか言い伝えではもっと祭神の活躍は現実的なのにね。
100げっとぉ〜!
あぼーん
あぼーん
調べ直してみたところ、「宗教」という言葉自体は仏語としてありました。ただそ
の意味は単に「(仏教の)教義の流派を指したもの」であったそうです。
森有礼や福沢諭吉以降現在の意味で多用されるようになったらしい。
104 :
名無しさん@3周年:03/03/22 23:47
色々な定義を参照しても、民族宗教とか、文化とか、生活様式とか、ずいぶんと
幅広いけど、それだけ神道ってのはcomprehensiveな概念なのかも知れない。
西行法師のお言葉や、ハーンのコメントに、何となく神道の感覚を感じる。
105 :
天之御名無主:03/03/23 00:38
神道では死者の弔い方はどのようにしますか?
具体的に亡骸はどのように処理しますか?
あぼーん
107 :
天之御名無主:03/03/23 02:36
神社の神職者は、亡くなったらお墓に入るの?
108 :
天之御名無主:03/03/23 17:05
もちろんCOMPREHENSIVEな墓に入るんじゃねーの?
あぼーん
110 :
天之御名無主:03/03/25 12:44
>>1 死後の世界につては、まったく規定されてない。
いつだったか忘れたけど、伊勢と出雲のお偉いさん同志で大激論が
あったけど結局結論出ず。
昔は死というのがものすごい身近だったから、一般的に死者もそこら
に居るというような考え方だったみたい。(浮遊霊みたいなもの)
そこへ仏教が伝来して縦の関係が伝来してややこしくなった。
魂の高低やら輪廻というような概念が生まれ、神仏混同状態
だったのに無理矢理明治の時代に分けたから、だから好き勝手
にみんな死後の世界をいうようになった。
111 :
天之御名無主:03/03/25 18:52
既出だったらスマソ、
スサノオ・大国主神話の「根の国」と
イザナミ神話の「黄泉」は違うのかな?
スサノオは母親のイザナミに会いたいってゴネてかなりのやんちゃをしたらしいが
母親に会えたという話は記紀にないようだが無事に会えたんだろうか?
あぼーん
113 :
天之御名無主:03/03/25 21:13
>>111 そもそも、『日本書紀』の「根の国」と『古事記』の「根の堅州国」とは別物だ、っていう
考え方もある。
「根の国」は祝詞にも見られるような穢れの国で、「根の堅州国」はスサノヲの支配する
荒々しくも力に満ちた国、みたいな感じだと解釈されるらしい。
そして、「根の国」「根の堅州国」と「黄泉国」もまた別モノと判断されるんだとか。
みたいな話を昔読んだ。
114 :
天之御名無主:03/04/03 14:09
大陸文化流入以前の日本をもっと探らなければ神道の世界観はわからない。
特に縄文文化こそ神道の源流である。古神道の根本精神も縄文に求められるものである。
115 :
天之御名無主:03/04/10 18:14
>>114 古神道的なものっていまでも残っていますね。
東北や離島に残っていたりします。昔の神道は社が無かったのですが、
島そのものがご神体だったり、岩、樹、海、自然そのものを信仰の対
象にしていたようです。結構、縄文文化に通じるところがあると思い
ます。
また、昔は米より粟やひえといった雑穀の方が神聖な物になっていま
したし、日本書紀が書かれたころでも、粟の方が神聖なものとされて
いたとよくいわれます。
よく、米を中心に古代日本が語らるとき、米に固執しすぎる方が多く
見受けられますが、雑穀の方を調べた方が手がかりが得やすいと思います。
<“悪の帝国”=大日本帝国=フセイン・イラク帝国>
“悪の帝国”大日本帝国は、“正義の味方”アメリカを中心とする連合軍に
完膚なきまでに叩きのめされ、壊滅した。
その結果、圧政に苦しんでいた日本国民は、軍部や右翼ファシストたちの手から解放された。
国民を苦しめ続けた軍部、右翼ファシスト、そしてその協力者たちは“戦犯”として裁かれた(東京裁判)。
国民の人権・自由が保障されない封建的な大日本帝国憲法は“破棄”され、
国民主権・基本的人権の保障・平和主義を謳う近代的な“日本国憲法体制”が新しく発足した。
このように、アメリカを中心とする連合国との戦争に日本が負けたから、
日本国民は今日に至るまで自由と平和と豊かさを享受しているのである!
すべて、アメリカを中心とする連合国のおかげであることを日本国民は忘れてはならない!
アメリカなどに対する感謝の気持ちを日本国民は忘れてはならない。
アメリカ万歳!!
東京裁判史観万歳!!
日本国憲法体制万歳!!
ちなみに、イラクの戦後復興は、“日本占領”をモデルとするらしい。
“イラク版東京裁判”の下で“戦犯”が裁かれ、
“イラク版日本国憲法”が制定されるであろう。
その結果、イラク国民は、今後永遠に自由と平和と豊かさを享受してゆくであろう…。
117 :
ブーツカット:03/04/15 02:40
(^^)
119 :
天之御名無主:03/04/17 12:10
神道は韓国から渡来したのかな
祖霊崇拝ってのも神道ですか?ということは、祖先の魂というか霊は陸続き
で山の向こうや海の彼方へいるということになるのですか?お彼岸はどうみて
も神道の発想だと思うのですが。先祖もカミに含まれるのでしょうか。カミの
概念ひとつとっても結構難しい。
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
122 :
天之御名無主:03/04/21 12:48
>>120 神道に限らないと思います。というか神道では死後の世界というものが
非常に曖昧なので、神道から手がかりを得ようとするのは難しいかも。
神道のモトとなった背景の日本独自の信仰を探ったほうがいいかもしれません。
アイヌや琉球のシャーマンも祖霊信仰のようですし、その流れで考えると、
先祖は神というより神様との仲介役のような存在なのではないでしょうかね。
彼岸で思い出したのが、東北地方だと思いましたが、小さなわらで作った社
(やしろ)に石を神体として呼び込み、供養のようなことをする風習があるようです。
あと、神道で榊を汚して流す儀式など、こういった魂を重要視するのも
祖霊崇拝の一種ではないでしょうか。また、過去の偉人にちなんだ神社
を建造するのは一種の祖霊崇拝の流れを組むものなのかもしれませんね。
例)東郷神社、太宰府天満宮、など
>122
ありがとうございました。
最近祭りにも興味があり、御輿等を考えると、神と一体感を共有する儀礼なのかな
とも思います。
お彼岸に先祖の霊が帰ってくるということは、神道では祖先の霊は陸続き
の場所にいるということでしょうか。仏壇に向かって先祖に話しかける
ということは、先祖がそこに来ているということをイメージしながら語り
かけているのでしょうか。
127 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/26 22:06
>125
単純にここに居るとは言えません。霊は墓に居たり、草の陰に居たり、
冥界に居たり、死んだ場所や縁の場所に居たりする。なお位牌が登場し
たのは鎌倉末期で「太平記」にあるものは比較的古いものですが時代と
ともに霊の居場所とされたところも変化しています。
位牌は儒教的観念と草木に祖霊を見る観念が結合した結果生じたとい
う説があるものの確証なし。
ご先祖との距離って、「近い」のか「遠い」のか、微妙なような。
あるときは十万億土の彼方、あるときは自分の背中の後ろ
神道のお墓というのは、仏教的なお墓とは違うのですか?最も、我々が日本で
よく目にするお墓というのは儒教的なのでしょうか。
131 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/28 22:36
>130
神道が葬儀に関る、というか「宗教的」になるのは明治以降ですよ。
祈祷の時にも僧侶や陰陽師は呼ばれても神主は出番がありませんでし
たし。墓だって戦後までは漬物石ほどの大きさの自然石を置いて放っ
ておいたもの。『今昔物語集』によれば12世紀にはすでに民間の葬
儀には僧侶が関っていたようです。
勿論五輪塔などの立派な墓碑もありましたが有力者だけです。両墓制
の詣り墓も有力者の家にしか無かったという地域が多いようで。
132 :
天之御名無主:03/04/29 14:52
両墓制 って言葉、久しぶりに聞いた。
小泉八雲はかつて、「日本人は目に見える一切の森羅万象の背景に、超自然の神霊
を考え、山川草木から井戸、かまどにいたるまでそれを司る神を見る。日本人はこ
の国土を創造した神々の子孫である。神道とは、その祖先崇拝の思想で、死ねば霊
となって子孫と国を護ると考える」と述べたそうですが、神道のエッセンスは
アニミズム的な自然崇拝と祖先崇拝と考えてよいものでしょうか。その全て
が産びの思想につながる感じで。
134 :
天之御名無主:03/05/09 15:22
祖霊もあるでしょうけど汎神論てのがもっと前に出てる気がします。
135 :
天之御名無主:03/05/09 20:13
古神道はキリスト教よりもアメリカ・インディアンの宗教に近いかな。
万物に霊が宿るというアニミズムと
祖先と子孫を大切にするところとか。
仏教とか儒教の影響を受けながら、独特の先祖感を持っている気がします。
お彼岸とか、まさに神道ですね。位牌は儒教的だし。
137 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/05/11 21:37
位牌の起源ははっきりしていません。14世紀頃には出来ていたよう
です、『太平記』に見えるのが比較的古い例の一つです。
位牌以前には墓や肖像画がその役割を担っていたようですがどこまで
であったのか、詳細は不明です。
なお三十三回忌ないしは五十回忌の後の弔い上げには板塔婆を抜い
て木の枝をその場に挿して「ホトケからカミになる」と言う習慣があ
りました。墓や位牌もその時に川などに投げ捨てた。
未だに分からないのですが、お彼岸には全ての祖先(祖霊)が帰ってくるので
しょうか。また、家にある仏壇には三十三回忌前の仏様を、三十三回忌が
住んだ祖先は神棚に祭られるそうですが、仏壇や神棚に手を合わせる時、そこに
先祖の霊(魂?)がいると考えてよいのですか?それとも、仏壇や神棚は通信
手段と考えてよいのでしょうか。お墓もあるので、日本の祖霊はあちこちに移動
可能なイメージを持っています。
139 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/05/12 23:42
「草の陰」の祖霊という観念は鎌倉時代からありました。柳田國男は
次のように述べています。
「第一には死してもこの国の中に、霊は留まって遠くへは行かぬと思
ったこと、第二には顕幽二界の交通が繁く、単に春秋の定期の祀りだ
けで無しに、何れか一方のみの心ざしによって、招き招かるることが
さまで困難でないように思って居たこと(以下略)。」
出典は『先祖の話』。神もまた非常時に神体に降りる存在でした。霊
を招いて供応したという話は欧米にもあります。
そう考えると、日本の仏壇って結構神道的な要素が強いんですね。先祖の霊は
お墓にも仏壇にも自由に行き来できるという感じなのですか?「ご先祖様」
と言う言葉に、カミとはまた違った温かみを感じる今日この頃です。
あぼーん
142 :
天之御名無主:03/05/18 20:10
神道を深く知るための良い書籍はありませんでしょうか?
143 :
天之御名無主:03/05/18 21:13
神道の世界観は寛容
これに尽きる
結構ドルイドとかにも似てそうですよね
木を祭ってある神社もありますし
144 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/05/18 22:07
>143
リトアニアあたりでは蛇や炎、狼もかなり後の時代まで信仰されてい
ました。カール大帝以降、西欧で巨石や巨木に対する信仰は失せたよ
うですが所謂メイ・ポールなどは世界樹などに対する信仰を残してい
ると見ることが出来る。
145 :
天之御名無主:03/05/19 22:30
>>142 「よくわかる日本神道のすべて」山陰基央、日本文芸社
とりあえず知っているようで、知っていないことがけっこう載っているので個人的には気に入っているます。
本田総一郎『日本神道入門』日本文芸社もイメージが沸きやすいです。
147 :
天之御名無主:03/05/21 04:03
どうして日本は、自国の神話を否定したがるんだろう。
アダムとイブに、本気で捏造だ!とかいう馬鹿なんている?
>147
お隣さんとか
>>147 17,8世紀ぐらいのヨーロッパの科学者は必死で聖書の神話を
否定しようとしていましたが・・・
150 :
天之御名無主:03/05/21 15:28
じゃあ日本人は欧羅巴の17,8世紀くらいのアタマってことでつか
神話がフィクションであるということは当然の前提として、
それをいまさら捏造だと騒ぐのは無粋だってことでしょう。
152 :
天之御名無主 :03/05/21 20:49
聖書とかは、ある種の教訓的な内容が多いので、教育の材料に使われるのかな・
あぼーん
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
155 :
天之御名無主:03/05/24 21:42
ひろさちや氏の『なぜ人間には宗教が必要なのか』はとても分かりやすいです。
あぼーん
157 :
有栖川宮家第14代だけがホンモノの神道チェーン店だ:03/05/25 00:46
158 :
天之御名無主:03/05/25 16:46
お正月は神社へ初詣、葬式は仏式、クリスマスにはランランラン♪
……という日本人の一般的な習慣そのものが、これすなわち神道(的)であると考えて良いのでしょうか?
あと色んな宗教の神様がグループになっている七福神は、いかがでしょう?
バカっぽい質問でスマソ。。
七福神の由来は調べてみるととても面白いですよね。神道の神概念の大らかさ
がうかがえます。元々日本の神は海の彼方から漂流してきた恵比寿様だけで、
大黒天は天台宗寺院の台所の神、仏教天部の神。毘沙門天や弁財天も同じ
仏教天部に属し、布袋は中国の実在の僧で、弥勒仏の化身。寿老人と福禄寿は
道教の星の神。しかも、恵比寿、大黒、弁財天も元々は荒ぶる神だったのが、
いつのまにか幸運をもたらす守護神に変わってしまったのですよね。
160 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/05/25 21:54
ボツにされたメンバー↓
天穂日命、猿田彦命、稲荷大明神、吉祥天、ショウキ、寒山・拾得、猩々。
よくも悪くも海上からは様々なものが寄り来るとされた。大晦日の七福神
というのも歳神と見られなくも無い。
あぼーん
162 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/05/25 23:33
七福神のメンバーがそろいもそろって奇形・異形なのにも注目したいな。
日本に伝統的にある、障害者が福をもたらしてくれるという福子信仰がそのメンバー選定に
大きく影響したことは疑いようにないとおもわれ。
弁天を のぞけばあとは かたわなり
163 :
天之御名無主:03/05/26 06:17
>>162 そうか? 恵比須さまがカタワなのは有名だが、他にいるぅ?
大黒天─→どこが奇形・異形?
毘沙門天→どこが奇形・異形?
布袋──→デブだから?
寿老人─→歳とりすぎだから?
福禄寿─→頭ながすぎる奇形?
164 :
天之御名無主 :03/05/26 20:40
町内に何とか弁財天という神社があるのですが、まさに弁財天だけを祭っている
のでしょうか。いつも皆一緒ではないのですね。
165 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/05/26 22:13
>>163 大黒天─→知障っぽい張り付いた笑み
布袋──→デブにしても病的
福禄寿─→水頭症
毘沙門天→やたらと骨格がゴツ過ぎ(こういう病気なかったっけ)
寿老人─→これが一番困るけど、福禄寿が福助張りの水頭症で、寿老人が長頭として描かれているときもあったはず
>>162の最後の行の川柳、「俳風 柳多留」っていう川柳集にちゃんと乗っているとか。
でも大黒天なんて本体はシヴァか大国主でしょ?
どっちも不具には遠いようなイメージだけど。
毘沙門天もおおむね一般的な夜叉神将形だし…
167 :
天之御名無主:03/05/27 02:24
まぁ恵比須と布袋と福禄寿はわかるけど、あとは少々ムリだな(w
神々の共存ということを考えると七福神というのは神道っぽい感じですね。
169 :
なぜ、それこそ突然に?:03/05/29 19:19
ところが最近、意外な人物が両国の緊張を和らげようとした。
日本の明仁天皇が昨年12月の68歳の誕生日に、それこそ突然に「桓武天皇の生母が
百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、
韓国とのゆかりを感じています」という驚くべき発言をしたのだ。
今回の天皇の発言は13年間の在位中で最も心に響く、そして最も政治的な発言だったと、
専門家は考えている。日本を非難してきた韓国や中国にも波紋を呼んだ。
朝鮮人が建てた神社は、今も日本全国に数多くある。
天皇は謝罪するだけではなく、中国、とくに韓国からの歴史上の文化的影響を認めることで
信頼を得ようとしたのかもしれない。
これは実に大きな変化だ。ある若い歴史学者は、天皇の発言に驚いたと
言う。「この問題は日本で、雰囲気的にタブー視されてきた」
「天皇陛下の言葉で重要なのは、桓武天皇の生母という一人の女性に言及した点だ」
「彼女はいったいどういう人物だったのか。彼女の祖先はなぜ日本に
渡ってきたのか。歴史は人間によってつくられるものだから、高野新笠という人物を学ぶことで
学問が面白くなる」
日本建国の神話に出てくるのは、人間ではなく神ばかりだ。
たとえば、1972年に壁画が発見された高松塚古墳は、内部に大陸風の衣装をまとった男女が描かれている。
http://www.nwj.ne.jp/public/toppage/20020320articles/ja_nih.html 京都にある高野新笠の墓の周辺住民は、新笠が朝鮮人だとは知らなかったと口をそろえる。
全知全能の唯一絶対の神はいないが、神々がそれぞれ専門分野を持っているって
とこがユニーク。
171 :
天之御名無主:03/06/02 00:19
弁天は日本じゃ蛇の神様だから異形系といえば言えるかも。
つーかそれいったら大黒天=シヴァみたいに破壊神系入ってる椰子は蛇や狐と関わりがもっと深いから無理があるかな。
だいたい、異形・奇形じゃない神様なんていないし。
古来より馬鹿と天才は区別が難しい。キリストだって当時のユダヤ人にとっちゃ気違いそのものだったしなぁ。
中国では八福神らしいな。日本に船で渡る時に一人寝坊して乗り遅れたとか。うろ覚えだが。
あぼーん
173 :
天之御名無主:03/06/02 00:28
八百万の神、氏神詣の思想からすると、
日本人がイスラム教国に行った時にアッラー祈りを捧げる事は
神道の範囲に入るのでつか?
174 :
天之御名無主:03/06/02 01:20
>>173 神道の流儀でやれば、入ると思うんですが・・・
道教やヒンズー教でも同じ答えになってしまうけれど。
あぼーん
176 :
dsHuoshVS YahooBB219001164144.bbtec.net:03/06/02 14:25
あぼーん
あぼーん
>>173 「日本人的には構わない」と思うんですが、向こう(ムスリム・ヒンズー・キリスト教徒)からしたら、
「罰当たりめが」と思われるのかも。
あぼーん
181 :
天之御名無主:03/06/02 22:50
神道は、もともとウリの国が発祥ニダ
182 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/02 23:00
>>179 ヒンドゥーはどうでしょうか。少なくとも天照大神が伝来していたら
100年以内に同化されていたでしょうが(笑)。
あぼーん
184 :
天之御名無主 :03/06/03 19:21
キリスト教がなかなか根付かないのも、神道が日本の風土に合っているから
なんでしょうかね。
皇室関係はクリスチャンが多いって聞いたけどな。
ま、だからって「皇族は失われた古代ユダヤ十支族の子孫」なんて思ったりはしないが。
>>182 やっぱり、ビシュヌの化身になるのかしらん。
>>184 >>185 「鎖国」していた時でも、キリシタンが「公認」されてたら面白かったと思うんですけどね。
「真理亜観音寺」「きりすと明神宮」「矢部八幡」みたいに…。
あぼーん
188 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/06/04 22:56
>186
>やっぱり、ビシュヌの化身になるのかしらん。
天照にふさわしい習合は、太陽神スーリヤの妻、暁の女神ウシャスでつよ!ヴェーダの中でも一番の美しさ!
氏神とか産土神の存在が日本の郷里意識に大きな影響を与えているのかも
知れませんね。初詣の神社のはしごなんか、少しいけないかなぁ、と思い
ながらも、自分を守ってくれている神々にご挨拶しなきゃ、と思ってしまい
ます。
190 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/06/06 01:53
ヒンドゥーで思い出したけど、近代以前の農村には男根を模した道祖神が祭られていたな。
シヴァ・リンガに通じる。
>>189 先祖の氏神がわかっているのなら、最初にそこに行った方がいいのかな…とは思いますけどね。
けど、日本の神様はそのあたり(順番)もさほど気にされないような。
>>190 縄文時代の「石棒」信仰が、「道祖神」になったものもあるんでしょうね。
192 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/07 22:03
12世紀に成立した『中外抄』によれば、一度に複数の神社に参拝す
る時には一番格の高いところの作法に従っておけばいいそうです。
例えば最上位の神社が伊勢や厳島なら魚食は許されますが、賀茂など
の場合は精進が必要とされました。
193 :
天之御名無主:03/06/07 23:54
120 :野嵜健秀 :03/01/22 12:13
靖国脱糞放屁計画
8月15日、靖国に集合し、神社に糞をしましょう。臭いやつ。
糞が出ない人は、屁を放ちましょう。
前日、豚骨ラーメンに、にんにくを沢山入れて、にらも沢山食して
皮膚から、臭うほど。
千人もの人が、一度にすれば、これこそ、毒ガス。
英霊に名を借り、惰眠を貪る、亡者ども、地獄で、
屁の臭いをかげ。
い い か、 お ま え ら 、き つ く 申 し わ し た ぞ 。
194 :
天之御名無主:03/06/08 13:16
ムスリムが渡来してたとしても、やはり習合させてしまったのだろうか?
あぼーん
>>192 あ、ちゃんと作法があるんですか…。無知だなぁ、自分。
>>194 うーん、キリスト教よりも難しそうですね。
197 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/06/10 01:04
>>194 イスラムは、インドネシアでは豚食も許されるっていうほど多様性・柔軟性があるし、
イスラム自体が民俗宗教を習合させている面があるから・・・、神道ぴーんち。
198 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/10 01:14
「神道」なんて近代まで存在しません。国学者らの立場を尊重しても
せいぜい近世中期の成立でしょう。ではそれまでの日本は仏教国だっ
たのかといえばそうでもなく「本地垂迹」の国であったと。
単なる「神仏習合」でも無かったらしく、当時の日本人はまず天に世
界を統括する梵天や帝釈天が存在し、その下に日本国内を統括する天
照大神や厳島・住吉などの神が存在すると考えていたらしい。
「神国日本」という言葉も仏教を奉じて(垂迹も含めた)仏神に護ら
れている国、といった意味で「神道」的なものではありません。
199 :
天之御名無主:03/06/10 18:41
ボンテンが最高神だったとなぜ断定できますか?
たとえば、御天道様は?
今は無神論や世間様にとって代わられてるけど昔の日本人、特に庶民にはもっとも身近でもっとも偉い神様だったと思いますが?
仏教は例外もあるけど基本的には権力者や知識人の宗教であったと思う。
200 :
天之御名無主:03/06/10 18:49
>>199 浄土宗や一向宗は庶民にも浸透してるだろ。
あぼーん
あぼーん
203 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/10 21:53
>>199 「天道」というならそれこそ庶民的なものではありませんよ。天道花
なら四月の氏神祭に使われたものとして『一遍聖絵』や『慕帰絵』に
出て来ますが。
>仏教は〜
200さんもそうですが、顕密体制論というのをご存知ですか。
204 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/10 22:10
それと歴史学や考古学の本を読んでおられれば仏教が民間に浸透して
いなかった、などという事が言える筈が無いのですが。
無住が記したような草堂跡はかなり見つかっていましたし、『平安遺
文』にだってそれ関係の文章は出て来るでしょう。
>最高神だったと何故
法蔵館の『神・仏・王権の中世』かぺりかん社の『日本思想史』あた
りをお読み下さい。庶民がまず意識したのは手近な寺院の仏神であっ
たでしょうが、講組織の原型のようなものなら『源平盛衰記』にも讃
岐の話として出て来ます。勿論民俗神もいましたがそれらの役割が中
心的なものでは無かったでしょう。
今「信心している先」を聞かれて近所の寺社を挙げる人は居ても無名
の神を挙げる人はまずいない筈。それに「○○さん」とか呼ばれてい
ても実は牛頭天王だったりすることが多い。
あぼーん
あぼーん
三十三年経った祖霊は、御魂様と呼ばれる霊にとけ込んでしまうそうですが、
そういった祖霊は家庭ではどこで祭るのでしょうか。やはり神棚でしょうか。
仏様は仏壇というのは分かるのですが、どうもこの辺がはっきりとしません。
208 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/14 23:45
三十三年か五十年で位牌を川などに捨て、墓に生木を立てて神とする
「弔い上げ」が行われます。それ以降は個性ある霊としなくてもいい。
仏壇か神棚かなんて細かいことは考えなかったでしょう。今みたいに
本などを調べて根拠を明らかに出来たわけでもなし。
209 :
天之御名無主:03/06/15 08:04
今も昔も帝釈天を祭るお寺は柴又にしかないです。
庶民的とは思えない。
地蔵や観音やお不動さんの信仰の方がダントツ日本庶民的。
インドでもボンテンつまりブラーフマンはバラモン階級の神で庶民には人気がなかった。
210 :
天之御名無主:03/06/15 14:11
帝釈天配下の四天王は割り方ポピュラーですが、日本人っていい加減だから
造形が面白ければ民間信仰として拡がるようですね。
大聖=ガネーシャなんかも流行り神としてあちこちにありますね。
あぼーん
212 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/15 21:47
>>209 たしかに「庶民の信仰」を集めていたのは地蔵・阿弥陀(後世)・観
音・薬師(現世)であったようですよ。ただ信仰対象となっていたこ
れらの仏神は「日本国の何々寺の観音」といったように日本列島に存
在する存在であってやはり地上・国内限定の神とされたらしい。
言い換えればだからこそ直接訴えられる分信仰を集めたといえるわけ
ですが。天御中主神やイザナギよりも厳島・住吉の信者の方が多いよ
うなものです。
>>210 造形といえば道祖神(の類)は面白いですね。
213 :
天之御名無主:03/06/16 06:41
>212
円空仏や木喰上人の仏も面白い
あぼーん
あぼーん
216 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/16 22:01
>>213 いい表情ですからね。はじめてみた時はいい意味で衝撃を受けました。
あぼーん
父親の実家で聞いた、天地創造物語。
神道なのかは、分りません。理屈っぽいから大陸の考え方かも。なんとなく、色々混ざって出来ているように感じます。
天地創造は陰陽論と日本神話が混ざったような形です。
この世には、ハレホニとケリホニの2つの世界があり、その2つが材料として、神によって世界の全て『躯(物質?)』に与えられた。
この2つは『命』として全てに宿る。全ての物が最後を迎える時には、ハレホニとケリホニへと帰っていく。
『躯』は世界の材料に戻り叉『躯』を作り、再び『命』が宿る。そうして世界は壊れては直る。
世界の『命』と『躯』の量は決まっていて、岩も人も木も、全てが同じ命と躯を持つが、古い命は神の如く強くて危険でもある。
(この理屈だと、人が増過ぎると他の命が減り。虫が増え過ぎても、そのほかの命が減る)
天国と地獄の考え方は、ハレ(霽?)とケ(褻?)の量によって分れる。この辺は極楽思想の如く、ハレは明るくケは辛い。
意識は死んだ後には溶け合い、大きな2つ(ハレとケ?)の意識となる。その意識には「何かをしよう」という意思は無い。
魔法は、その大きな意識を操る事で行われる。大きな意識に触れると、普通の人は巻き込まれてしまう。これが神隠。
教訓話のない、原始的に思える世界観。いつの時代のモノなのかも解りません
>>218 古くからの伝承だと証明できれば価値はありそうだね。
でも、近現代に至っても、あちこちで日本神話系の
創世神話はつくられてるからなあ。
220 :
天之御名無主:03/06/22 13:56
天理教の神話なんかもそおだね
222 :
天之御名無主:03/06/23 23:14
最近日本の蛇信仰に興味がある。
これってやっぱりかなり初期の信仰じゃない?
>>222 「ミシャグチ」でしたっけ。
三輪山の神様も古い神様ですよね。
224 :
天之御名無主:03/06/25 23:33
蛇=男根信仰
蛇の信仰は古いものでしょうが、同時に再生産されて来たものでもある。古態
を遺したものとは言えないでしょうね。
226 :
天之御名無主 :03/06/27 21:39
蛇にはそんな由来があったのですね。
化け猫とか狐はどうなんですか?
蛇と言えば「渓嵐拾葉集」ではこんな事が書いてある
本地垂迹に関連して・・・。
「神明とは和光同塵に似同し給ふなり。凡夫とは三毒等分極成の身体なり。
三毒極成無作本有の形体は必ず蛇体なり」
蛇は三毒(貧、瞋、痴)の象徴。
神があえて蛇の姿を取る事で、衆生の本来を三毒まみれだと言うことを示しつつ、
我々を救済してくれるのだと説いている。
228 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/28 19:12
>>226 猫は『日本霊異記』や『古今著聞集』を、狐は『霊異記』以下の説話集を主
に御覧になられるのがよろしいかと。研究書なら『鈴の音が聞こえる』(猫)
、『狐の日本史』あたりでしょうね。
>>227 2ちゃんねるで『渓嵐拾葉集』を読んでいる人を見られるとは・・・。
229 :
天之御名無主:03/06/28 22:04
227とは別人ですが 漏れも渓嵐拾葉集は持ってますし、
ざっとですが全体を読みましたよ。
他にも そういう人は居るでしょう。 2ちゃんはDQNも
いるけど結構ハイレベルな人が来てるように思えますね。
あぼーん
231 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/29 10:07
>229
数が多いですからね・・・ここは過疎板ですが。
あぼーん
八咫烏って、3本足っていうことになってますよね。
その設定の初出って何なんでしょうか?
古事記にそんな事書いてましたっけ?
234 :
天之御名無主:03/06/30 04:32
>>233 古代中国の三本足の烏(太陽の精)に由来するんだろ
235 :
天之御名無主:03/06/30 04:53
いや、
>>233は初出文献のことを聞いているのではないかと
あぼーん
238 :
天之御名無主 :03/07/02 21:05
>236
カミからばちが与えられるでしょう。もしブラグラなら。
山崎渉 出てくるなよ〜
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
山崎渉 出てくるなよ〜 といっただろうが
244 :
天之御名無主 :03/07/16 20:43
八百万の神には、2ちゃんのカミもいるのかな?
245 :
コピペ推奨:03/07/27 09:20
246 :
亀レスでスマソ:03/07/28 08:26
>42・>76
なんか月読って神様を連想した。夜の神様だし
247 :
天之御名無主:03/07/29 03:19
>>198 でも中世の吉田神道も度会神道も「仏教とは違う神道」という
意識を持って教義を作り上げたんじゃないんですか?
ていうか古事記や日本書紀だって仏教や道教を意識して創作されたものでは?
あぼーん
上で先祖がどうのって話出てましたが、守護霊は神道的な考え方なのでしょうか?
保全
252 :
天之御名無主:04/10/29 23:10:31
たまには保守age
253 :
無業者:04/10/29 23:34:00
254 :
天之御名無主:04/10/29 23:57:25
>>248 暇なので一年越しの超遅レスでも。
神道では、人の死は即ち神。名前は「○○之命(尊)」となる。
八百万の神という言葉が示すように、人は死ぬと霊となり神となる。
まぁ、信仰するしないは当人達(神々)にすればどうでもいいことなんだろうけど。
255 :
天之御名無主:04/10/30 15:08:02
>>254 でも、その考えが広まるのは、近世末期か近代からでしょ?
もちろん、その源流は中世の伊勢神道にあるんでしょうけど、そのころは一般的ではなかった
256 :
天之御名無主:05/03/16 14:09:24
それは鎌田東二大先生、またの名を歌う宗教学者、“トニー”のコンサートを聴けばわかる。
大先生のほら貝の音色にその真髄があるのだ。
257 :
adamust:05/03/16 17:31:16
人が死んで神になるのはつい最近の事
たしかに神に近い存在にはなると考えられていた
日本人は子供や年寄を大事にするがそれは死に近いから
生きたまま神になろうとしたのは信長が最初
神道では現世重視で死にはこだわらない
258 :
天之御名無主:05/03/16 20:05:54
前に聞いた話なんですが、神主が神事の時振る
白い紙がついたものは、昔は麻の草を使っていたらしいんです
森元総理が言った「神の国」は本当だったんですね
259 :
天之御名無主:05/03/18 19:19:35
日本神道は寛容な心を育てるって言ってるが
日本古来の宗教がこれからの世の中に合ってくる
ような予感がする
260 :
天之御名無主:2005/04/16(土) 03:26:48
あげ
神道では死はケガレじゃないの?
>>259 そして、苛烈な宗教によって非寛容な心を育てられた者より収奪される予感がする。
そもそも日本古来の宗教とやらが寛容だったならば、仏像を海に捨てたりはしないんじゃないか?
汝の敵を愛せとか言ってる、寛容そのものであるかのような
宗教の歴史を考えりゃ、元々の教えが
寛容であるかどうかなんてあまり関係ないんじゃね?
265 :
天之御名無主:2005/04/22(金) 21:44:46
惟神の道?
神道を知りたいなら、道教を学べばよい。
宮殿はなぜ北面するよう造営すべきなのか。
なぜ天皇と呼ぶべきなのか。
なぜ神器が必要なのか。
なぜ紫色と8が尊ぶべきなのか。
なぜ日本は鬼の国なのか。
神道に見るべきものはない。コピーに過ぎぬ。
最近は変なのがわき易いねえ
>>263 廃仏毀釈のことかな?そもそも明治の新政府がやった大きな仕事の一つは
聖教分離(やりすぎた感はあるが)それに伴ない陰陽道の廃止。旧暦から新暦へ。
明治の時代に神仏分離令を出したんだが、その結果国家神道の創設にともない、
廃仏毀釈の考えがまかり通り仏教が破壊された。仏教の政治的な圧力を
払拭しようとしたのかもしれないけど。昔っから仏教徒と政府が対立する構図
はあったから。
まぁ、各地の神社が優遇されたのかといえばそういうわけでもなく「整理統合」
の名の元に相当神社も取り潰されたんだけどね。
神社の神木なんか高く売れるもんだから商人が神主の頬を札束で叩いて神木
伐採して持っていったもんなんだよ。まぁ、その結果昔なんか神社でよく
名前つけてもらってたもんだから(おれも神社でつけてもらったんだけどね)
子供の名前をつけてもらうのに山を越えなくてはならないことも多く、
住民はみんな困り整理統合を止めてくれといってずいぶんもめたんだけどね。
今でも神社とその他の神様や仏教がまざったままのところは残っているよ。
有名なところだと愛知県の豊川稲荷なんか分離令が適用されなかった数少ない
ところ。
>>267 蘇我と物部の崇仏・廃仏論争のことじゃない?
守屋が馬子の仏像を難波の堀江に投げ捨てたという。
まぁあれは神道が非寛容というよりはもっと俗な既得権益がからんでいたから・・・。
269 :
天之御名無主:2005/05/09(月) 05:15:41
>>263 「寛容だった」という前提がそもそも思い込み。それこそ現代の神話だよ。
270 :
天之御名無主:2005/05/09(月) 18:32:58
しかしなぜ日本神道の信者は、大麻取締法に
反対しないんだ?
>>270 そりゃ近代的市民道徳に洗脳されてるからだろ。神道に限らずほとんどの宗教がそうだけど。
272 :
天之御名無主:2005/05/10(火) 12:55:05
>>271 だから、なんとか原理主義が台頭するんだな
なら俺は神道原理主義で逝くよ
神道にも伊勢神道、吉田神道、吉川神道、両部神道、山王神道、三輪流神道、復古神道、垂加神道などなど色々あるよ。
274 :
天之御名無主:2005/05/10(火) 14:01:08
もちろん国家神道原理主義です。
わざわざ最も歴史の浅いものを選ぶ必要はないんじゃないか(笑
伊勢神道なら、吉田神道よりも歴史が古いし、神道五部書とかもあるし原理主義を標榜できそうな気がするけど。
>>275 原理主義であることの必要用件が近代の産物であること、だからな。
原理主義そのものは近代の産物だけど、原理主義が標榜し憧憬するのは近代以前のものだよ。
まぁ、国家神道の場合なら、それこそ学会員でもプロテスタントでも誰でもOKというメリットがあるけど(笑
じゃもれは江戸国学原理主義で逝くよw
神代文字を発見と叫んだり、世界はひょうたん型をしているとか宣ったりするわけですな。がんばってください。
280 :
天之御名無主:2005/05/11(水) 16:55:11
ピンぼけが多いな
おれは、八百万の神を感じるぞ
281 :
天之御名無主:2005/05/11(水) 17:04:05
造化三神は?
>>279 べつにどってことないやん。宗教なんだからそれぐらい言うだろうさ。
全国的に普遍的に通用するのはやっぱ国家神道?
あれ以前の神道ってアレコレ並立的だったんだっけ?
284 :
天之御名無主:2005/05/12(木) 11:15:33
靖国にいく人は政治家と戦死者の遺族だけだろう
ここで国家神道のことをいうのは八百屋へ魚を買いに行く
ようなもんだよ
>>283 地域ごとの多種多様な神々や民族風習を鑑みれば並立的とも言えますが、大きな枠組みとしては、仏教の世界観に組み込まれていたと思います。
286 :
天之御名無主:2005/05/12(木) 20:14:53
神道は神社や流派や教派ごとに教典もバラバラだから神道とは是と言える物が無い。
仏教に組み込まれるのは良くて国家に組み込まれるのは悪い?
そんな理屈があるのか?
誰も良い悪いなど言ってないだろう。
国家神道をおちょくってる面はあるけどな。
日本宗教のベースにあるのは仏教だ、というのは
最近見かけないが山野野衾があちこちで精力的に布教していたw
宗教思想史からすれば、当たり前すぎる話なんだけどね。
290 :
天之御名無主:2005/05/13(金) 16:18:43
先日神道の掛軸をオークションで購入したら、天照と春日,八幡の三社
の掛軸なんだが、八幡大菩薩などと書いてあるし「南無阿弥陀仏と常に唱えよ」
とか書かれている、完全に神道と仏教を混同してしまっている
神などという概念は、素面でない体験からでしか生まれないよう
な気がする いくら上手く人に説明しても体験を積まないことには
神道は雲を掴むような物でしかないように思うが
国の都合で造られた宗教って国家神道くらいなもん?
キリスト新教も国王の都合で作られたもんかね?
宗教が国家と接触すれば、多かれ少なかれ国家運営に都合のよいように作り変えられるでしょ
国家神道には詳しくないけど、国家神道の聖典って何?
というか、教義なり世界観なり倫理観なりを規定している書物って・・・
教育勅語とか?
というか、日本に限らずたいていの時代では宗教の領域なんてものはなかったわけで
政治と宗教は別物ではなかった。
神道を理屈で理解するのにはそもそも限界がある。
古神道なんてのは記紀神話を中国の思想(神仙道とか儒教)やらで読み解く屁理屈だし
国家神道が単なる政治的イデオロギーだったことは明白。
(「国家神道」はGHQが無理やり押し付けた価値概念で日本にもとからあった神道だ!・・などというドキュソは
この板にはいないと思うが・・・念のため)
神道的世界観を把握するのは小賢しい屁理屈より自然崇拝や精霊信仰の祭祀のなかにあるものを
個々人の感性よって把握すること委ねられるのではないでしょうか。
昔からある古社やイワクラ・ヒモロギあるいは路傍の小さな祠を見て周る時
「何かわからないけど何かがいる、何かがある」と感じる感性。理屈にばかりとらわれると
神道の本質からどんどんかけ離れてしまいます。
295 :
290:2005/05/15(日) 12:02:46
>>294 最近田んぼの中の小さな祠を2ヵ所見つけ写真を撮っています
わざわざ自分の土地に祠を造る心を敬います。
所でイワクラ*ヒモロギって何ですか?
>>294 そこに「本質」を見ること自体が近代人のロマンティシズムな罠。
>>296 そんじゃ具体的に、神道の本質とはなんなのか教えてくれ
勝手にカレンダーみたいなもんだと思ってたけど
>>295 イワクラ・ヒモロギってのは依り代ですよ。そこにカミが降りてくる、依り憑く聖なる場・ポイント。
たいていは大きな岩(イワクラ)であるとか、大きな杉の木とか楠など(ヒモロギ)。
最近神道やら民間信仰に興味をもたれたのであれば、またそういうのを調べて写真を
とって周るなども面白いのではないでしょうか。本質的な神道祭祀の原型が理解できるかもしれません。
299 :
天之御名無主:2005/05/15(日) 12:26:41
>>296 「そこ」ってのは古神道とか国家神道を指すの?
本質としてのエッセンスは多分に含まれているだろうが。
しかし民間信仰の中に本質を見出す民俗学の観点からすれば
古神道なんて江戸時代のインテリ層が仏教に対抗するために
編み出したナショナリズムのでっち上げで、その本質は
中国の典籍から引っ張り出してきた牽強付会にすぎない。
国家神道については語るまでもないか。
300 :
天之御名無主:2005/05/15(日) 13:30:29
国家神道は語るまでもなく神道の理想像。
301 :
カラス:2005/05/15(日) 13:47:26
>>298 昔、まだ社などなかった古代はそうした大樹や岩など
に神が降臨すると信じられていたのかな?
だから社には決まって大樹がありますよね
祠の良い写真撮りたいと思ってます ありがとう
>古神道なんて江戸時代のインテリ層が仏教に対抗するために
>編み出したナショナリズムのでっち上げで、
江戸国学のことか。宣長が代表だね。
>その本質は中国の典籍から引っ張り出してきた牽強付会
はぁ? 宣長が?
>民間信仰の中に本質を見出す民俗学の観点からすれば
つまり一般論ではなく特殊な立場からいえばってことだね。
>>296の「そこ」はおそらく「個々人の感性」なんじゃないか?
または、「本質」などというものがあるとする立場そのもの。
確かに、今の民俗学で軽々しく「本質」などという言葉を使おうものなら
総叩きされるわなw
復古神道も平田篤胤がいなけりゃ、もう少しマシなものになったんだろうけどねぇ。
305 :
天之御名無主:2005/05/15(日) 16:25:40
一応、復古神道(=古神道)は、荷田春満あたりが始まりとされてます。
もちろん、平田さん以前と以降では、かなり趣が異なりますけど。
307 :
天之御名無主:2005/05/15(日) 18:17:51
ああ神仙道な。あれが一番よくない。
308 :
天之御名無主:2005/05/15(日) 18:27:59
何言ってんの。日本の神道なんて江戸時代までは仏教やら道教やら密教やら山岳修験道やら
マニ教やら、もう何でも習合したごった煮状態だったんですよ。
だいたい、祭ってる神様だっていつから習合して合祀されたか定かで無いものもゴロゴロある
始末。
中には、女郎屋と化していた有名な広島の神社や地元の賭博に加担していた大阪の神社、果ては
麻薬を栽培していた怪しい神社もあった。明治の廃仏棄社になるまで、カオスだったんですからね。
まさに八百万の神様。国家神道こそが、そのカオスに対して正当なる正しい道を指し示したんだ。
309 :
天之御名無主:2005/05/15(日) 18:35:50
ん?バカウヨが紛れ込んでるな。板違い。
国家神道ってブサイク
>>307-308 「よくない」や「正しい」という善悪の価値判断がある時点で学問ではない。
>>297 民俗祭事から国家神道みたいな人工的なものまで神道といわれる実践を全部ひっくるめて神道。
その総体(なんてものが在るとすれば)への理解に近づいて行けば、より本質に近づいたと言えるかも知れないが
ある特定のものを取出して神道の本質とか言うことは出来ないと思うよ。
何が「本質」や中核と規定するかは文脈によって変わるだろうけど、
>>294は神道信者としての心構えはこうあるべきという主張でしかなく、
民俗的なものを知的理解の中心にするべきという主張ではないでしょ。
主観性・個個人の心理レベルについて考えようとすることは、文化を理解しようとする際に重要だと思うけど、
言い過ぎかもしれないが、
>>294のような感性論に陥ってしまうと、もはやある文化を理解しようとすることじゃなくて、一種の信仰告白になってしまってしまうと思う。
>>299 民俗学の立場じゃそうなのかもしれないが、古神道の「でっちあげ」も現実の歴史の中での大きな信仰活動・宗教的実践だったわけで
宗教学や人類学や歴史学の立場からすれば「に過ぎない」といって排除されるべきものじゃないでしょ。
民俗信仰にしたって、そういった信仰・習俗を担ってきた個々人及びその相互作用の中ではぐくまれてきたわけだし。
「名もなき民衆」や「理屈に汚染されてない民衆」のものを必要以上に特権視するのもどうかと思う。
313 :
312:2005/05/15(日) 19:54:54
>民俗祭事から国家神道みたいな人工的なものまで神道といわれる実践を全部ひっくるめて神道。
これは個人的意見としては、ということで。
もっと別の観点から見たほうが適切な把握が出来るかも知れないし、俺の知性の範囲内ではということで。
何だ
>>296は単なる国家神道信者か。
馬鹿馬鹿し
315 :
天之御名無主:2005/05/15(日) 20:07:36
宮中祭祀の中にはかなり道教の要素も含まれております。また民間信仰レベルでも
道教起源の風習は神道的なるものに大いに認められます。庚申進行などいい例ですね。
あながち神道の源流から神仙道を排除することはできないと思います。
しかし平田の言うような神仙道日本発祥説とかその後につづく宮地などの
神界のあらましなどは相当デタラメですけどね。
デタラメというか当時の新興宗教ですから学問的な裏づけなどあるわけもなく
現に国家神道サイドではこれらを排除しております。
この板で論ずるべきことは平田の復古神道や神仙道がいわゆる民間信仰とは
無縁であるということをはっきりさせておいたほうがよくないでしょうか?
国家神道については、民俗信仰としての伊勢神宮が時代ごとにどういう意味合いを
持っていたかを検証せねばならないと思います。それはすなわち「天子様」と民衆との
関係を考察することにもなると思います。
))312
無縁というと極端かも。
妖怪の研究なんかはかなりのフィールドワークをしたわけだし。
そのあとの系譜が異質なのは理解できるが。
「神道」ではなく、「神祇信仰」と呼んだ方が良いのでは。今更ですが。
318 :
天之御名無主:2005/05/15(日) 20:19:44
女郎屋、賭博場、麻薬栽培・・・
いろいろと現世的利益の追求もしてたんだね。
仏教では考えられない事だ。
319 :
天之御名無主:2005/05/15(日) 20:29:42
江戸時代の仏教は幕府の出先機関でいわゆるキリシタン狩りの急先鋒だった。
強制的に檀家にならないとキリシタンの嫌疑をかけられ親兄弟親戚まで村八分にされる
という恐ろしいシステムの片棒を担いでいたのだ。
しかもそのキリシタンの嫌疑というのがお寺にお布施を持ってこない、少ないという基準で
行われていた。お布施を持ってこない家はお寺の本堂などに「未納者」として名前が張り出される
ためどうにかしてお布施を納めていたらしい。
これが今の檀家という制度の始まりで、封建時代の民衆支配のシステムがいまだに
残っているというものある意味すごい。
だからこの時代に来て檀家が減少し、多くの家庭では墓地だけ購入しているというケースが
多いのもわからなくはないのだ。
仏教が権力と結びついて民衆から搾取していたのだよ。
320 :
天之御名無主:2005/05/15(日) 20:39:52
違う。仏教は国家安寧、護国鎮護の為、畏くも国教として迎え
いれられたのだ。
薩長が天皇を傀儡とすべく、廃仏毀社等という言われない宗教
弾圧をかけたのだ。
321 :
天之御名無主:2005/05/15(日) 20:40:15
キリスト教なんて国家神道以上にデタラメだし。
322 :
天之御名無主:2005/05/15(日) 20:40:17
平田派が嫌われるのは結局平田より後の動統の世界観(他界観やら)が
あまりに日本的でなく完全に中国風だからじゃないのか?
山上異界観なども山伏などの修験道のほうがよっぽど土俗的。
>>315 古神道などを間違った学問的理論としてみるのではなく、日本宗教の一形態として
相対化する視点が必要だと思うが。
ついでに、今の民俗学だと「民間信仰」も「民俗宗教」とか「民間宗教」とかに
言い換えることのほうが多いね。
324 :
天之御名無主:2005/05/15(日) 20:57:32
>>320 おいおい、仏教渡来から幕末まで千年以上も開きがあるのに。
しかも鎮護国家思想も少なくとも聖徳太子の時代からで当初は
蕃神、すなわち外国のカミとして迎えられたのだぞ。
しかも廃仏毀「釈」だろ。実家が寺の厨房かなんか知らんが
ちょっとお前は知識もない上に知識も怪しい。また勉強してから出直して来い。
>>323 たしかに神道十三派などのその後を考えれば一考はある。
が、しかしそれでもここでは平田派に限っていうが民衆レベルの他界観との乖離は否めない。
伝統的なその「民間信仰」に合致しているのだろうか?
あくまで民俗学の考察から考えると平田派というのは日本が近代に差し掛かった時
混乱に乗じて出来上がった、インテリだけの途方もないナショナリズムの幻想であるということ。
あれは連綿と続いてきた信仰ではなく政治の思想なんだよ。
325 :
天之御名無主:2005/05/15(日) 20:58:22
>>320 廃仏は国がやったんじゃ無いよ。
廃仏批判をしてるし。キリスト教にかぶれた役人と檀家制度に苦しめられた民衆がやった事だし。
国は神仏分離をしただけ。国が仏教を潰そうとしたならあんなんじゃ済まないだろ。むしろ国は廃仏を逮捕してる。
326 :
天之御名無主:2005/05/15(日) 21:06:14
>>320 江戸時代の仏教なんか葬式すらろくにできていないし、教説も発展できなかった。
完全に農民を監視するだけの出先機関だったんだぜ。
むしろ幕府が倒れてからは坊さんたちも熱心に教化活動をしたり
その薩長に取り入って神道から宗教性を剥奪させることに成功したりしている。
むかしから坊主は権力に接近することで生き延びてきたんだよな。
>>324 「デタラメ」や「学問的裏づけ」といった価値判断から抜けた上でこのスレを進めるのなら
問題はないでしょう。
んで、そういう前提に立った上で、決して平田篤胤の思想が主流だとか
影響力があるとか主張するつもりはないが、
「連綿と続いてきた信仰」なるものも政治的な構築物の一種と言えなくもないと思う。
それは上で言われているような「本質」の存在を前提にしているからね。
また、江戸後期のどの信仰を「民衆レベル」だと認定するのかにも問題がある。
近代初期に生まれた新興宗教(多くは民間宗教)が語る世界観だってアレだしねぇ。
ここを民俗板と見るか民族・神話板とみるか民俗学・文化人類学・神話学を語る板と思うかによって
古神道や国家神道がこの板で語るに相応しいと感じるかが変わって来てるんだと思う。
民俗学ではアウトだが神話学・人類学的にはありみたいな。
329 :
天之御名無主:2005/05/15(日) 21:47:24
>>317 「神道」という言葉は、既に日本書紀で用いられていたと記憶してます。
敢えて「神祇信仰」と使い分ける理由はなんでしょうか?
最近は左翼の方が国家神道を擁護するものなのか?
「本質」が嫌いな連中みたいだから構築主義者みたいだが
ソーカルの「知の欺瞞」読めや。
左翼的社会構築主義がコテンパンにされてる。
『知の欺瞞』で批判されているのは科学的事実まで相対化するポモ連中だろう。
文化本質主義を擁護しているところはあったか?
民俗学は科学ではないと?
そうかもね。
でも、そんなこといっちゃたらもうなんでもありだな。
あほらし
333 :
天之御名無主:2005/05/15(日) 23:51:10
>>332 勘弁して。
いったいどこをどう読めば「民俗学は科学でないと?」というレスになるんだ。
ところでソーカルはバリバリの左翼である。
廃仏毀釈じゃないんだ。
科学的事実については社会構築主義が成り立たないんだろ。
だったら社会構築主義が成り立つ民俗学は科学じゃないということになる。
338 :
天之御名無主:2005/05/16(月) 00:31:26
446 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/05/13(金) 15:18:59
意外と神仏習合に批判的な人もいるのね。
千年もの間、日本が育んできた文化体系なのに。
自虐史観の呪縛って怖いなぁ。
447 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/05/13(金) 17:30:56
神仏習合に批判的なのはバカウヨ
神仏習合こそが日本の姿と考える人が多数
453 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/05/13(金) 21:03:26
>>447 >神仏習合に批判的なのはバカウヨ
それはないだろ。
自国の伝統文化に批判的な保守派or民族派なんてありえない。
454 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/05/13(金) 21:12:00
いわゆる「右翼」は保守派でも民族派でもないです。
日本では、大日本帝国と大東亜共栄圏の夢がいまだに忘れられない馬鹿どものことを「右翼」と言います。
明治維新から昭和20年までの約80年間は、日本の伝統文化から逸脱した異常な時代です。
日本の正当な宗教的伝統として回顧されるべきなのは、前近代におけるそれです。
>>329 日本国中の神々に対する信仰に対して、統一された教義や見解が適用される様
になったのが明治以降である事、神仏分離以前の信仰が神祇単体で把握出来な
い事から、近年は「神祇信仰」と称するのが一般的です。
今の「神道」と、神仏分離以前とは形態が異なり、一律には扱えない。
特定のものを指して山王「神道」、吉田「神道」と呼ぶのは可。
>>337 一行目の「科学的事実」を「科学」と読み替えるならその論理は成り立つね。
二行目を読み替えると意味不明になるが。
で、一行目は「科学的事実」であって「科学」じゃないんだよね。
ちょっと難しかったか? 『知の欺瞞』に沿えば「客観的事実」と言い換えてもいい。
たとえば、
>書記の冒頭は"古に天地未だ剖れず"である
というのが客観的事実であるとすれば(もちろんそうなのだが)、
ソーカルらが批判するのはそのような事実さえ社会的に構築されたものであり、
真実ではない、またはストレートに真実は存在しない、とする立場だ。
民俗学が本質主義批判をするのはそのようなレベルとはまったく違うものであって、
極端に言えば民俗学者が採集した口承から外来要素を取り除けば伝統的日本文化
の本質になるというような種類のもの。
>>315,
>>324 民俗的信仰だからえらくてインテリの思想だから価値が低いって
発想が、そもそも近代的じゃないかい?
実際には民俗的信仰がくだらない場合も多々あるわけだが。
民俗学マンセーの低能どもの発想は、愚民が似たようなアホなことを
やってるだけなのに前近代だとなにかすごくて
現代だと考慮しないっていうふうなものだ。
江戸近世のような前近代と近代の過渡期だと馬脚を表わして
「平田はデタラメだから却下」みたいな薄っぺらいことしかいえなくなる。
イエスや釈迦だって政治的存在だったわけで、教祖からはじまった宗教
よりアフリカやアマゾンの部族宗教やらアニミズムやらの方が上だと思う
こと自体、すでに西洋近代の発想なわけだが。
つーか本来なら上も下もないだろ。学問なら。いやさ、信仰であっても。
342 :
天之御名無主:2005/05/16(月) 01:09:45
平田派の思想は民俗宗教の実態を考えればデタラメだよ。
343 :
天之御名無主:2005/05/16(月) 03:24:51
>>342 民俗宗教のありかたがおかしい、という自覚から国学神道は生まれたわけだが。
たいして深く追求もせずに、
「なんか舶来の宗教ってかっこよくね?」
ってな軽薄な意図が見え隠れしてますよね>国家神道
無理矢理な擬似一神教に纏め上げようと苦心惨憺してるあたり、なんだか微笑ましいです
>>341 言ってることはわかるが言い方が挑発的過ぎ
民俗風習がみんな人為的に作られたものだとしたら俺たち民俗学者(の卵)は
何のためにがんばってるかわからなくなる。
>>346 若手〜中堅の民俗学の先生なら、多かれ少なかれ構築主義と本質主義の議論くらい
「民俗学者の卵」に教えてると思うんだけど。
それに、「人為的」に不必要にマイナスイメージを持っているような気がするな。
「自然発生した民俗」という言い方における「自然」も言葉のあやだし。
ただ、確かに、人類学がヒューマン・ユニバーサルズのような本質を認めたうえで
他の文化構成要素を構築主義的に考察していくという手法で両者共存を図ることが
できる(という人もいる)のに対し、民俗学はあいまいな状況にあるのかもしれないw
348 :
天之御名無主:2005/05/16(月) 22:16:41
仏罰がくだるぞ。
349 :
天之御名無主:2005/05/16(月) 22:40:35
神罰がくだるぞ。
天罰がくだるぞ。
351 :
iuvart:2005/05/16(月) 23:42:33
なにをやっているのだ?君達。
諸君。不毛な議論に陥ってるようだね。
相手は八百万もの神なのだ。国家を治めるものから、半端つくも紙の類も
いる。十派一からげで統一理論を立てようとするから、ボロがでる。
もっと大局を整理してみてみるがよいだろう。
352 :
天之御名無主:2005/05/17(火) 11:49:29
生活や趣味嗜好が多様化してきた今
日本古来の神道が注目されてきているのは事実だと思う
そのことを牽制するというか公にしたくない人達がいるようだね
古来っつってもどれぐらい古来なんだかわからんのが難点だな。特に神道の場合。
弥生中期以前くらいの神道がよさそう。
巨大古墳を作るほどの身分格差はまだ無く
人々の生活は自然や祖霊と共にあった。
血や女性を穢れとも見ていなかったようだし(祭祀で女性が重要な
位置にいたし、穀物に生け贄の鹿の血をかけたりした)
鳥が精霊を運び(鳥居は鳥が停まるところ。)角が生え替わる鹿は再生の
象徴であった。両者とも土器の線画によく登場する。
鏡で正邪を判定し、邪悪なものを銅剣で退治した(観念的に)。
魂の象徴である勾玉で体を飾った。
銅鐸をかき鳴らし穀霊や水の精に祈った。
道教のアイテム(鏡・剣)を使用しながら道教的でないそんなイメージ。
卑弥呼よりも、「倭国大いに乱れる」よりも前の神道。そこに魅力を
感じている今日この頃。平原や唐子鍵遺跡のイメージ。
道教の影響が強くなってくるともう日本古来のもの
というイメージが希薄になってくる。
四神、北斗七星、神仙など。古墳は(特に前方後円墳)死後神仙世界に
被葬者を住まわせる装置である。でもまだ、巨大古墳は日本のイメージ
内にあるが、仏教伝来、冠位12階となるともう中国の模倣のイメージ。
陰陽道にはもう魅力を感じない・・・・
>>354-355 どこまでがおまえの妄想かというのはともかくとして、ところでそれは神道なのか?
神道じゃなくて「先史西日本の宗教」だよな
まぁ、単なる自分の中での理想なんだろうが。
>どこまでがおまえの妄想かというのはともかくとして
唐子鍵考古学ミュージアム、橿原考古学研究所の展示及び
解説員の解説より再構築。
ともかくとしたところに答えてもらってもしかたないわけだが。
神道って何 という問になるなあ。
天皇教が神道なのか?
思うに、地方の神社祭祀とか民間伝承で天皇や皇族の存在を感じられるものはあんまりない気が。
だから、神道=天皇教ってのは違和感ありまくりです。
もちろん、全国各地の全てを踏まえたわけじゃないから、あくでも個人的な印象だけど。
天皇と神道を結びつけるスタイルって何時からなんだ?
つか、天皇と繋がってなけりゃ神道じゃないのか?
363 :
天之御名無主:2005/05/17(火) 20:32:39
>>362 別に結び付けている訳ではないんだろうが、もともと自分の所で
神を奉っていたのを恐れ多いとかで別の場所に移した
それが伊勢神宮の始まりだと理解しているけど
>>362 稲荷神社とかは天皇と直接関係ないし。
おキツネ様は稲の神だし、他にも八百万の神に関連した神社がある。
神道は2つの形態からなる
・神社神道
伊勢神宮を最高位とする。神社本庁が統括する全国の神社
・教派神道
各教祖と教義を持つ宗派 天理教・金光教・黒住教等々
プラス
わけの分からない土地の神様ってのがあるだろ。
東北のある村ではどう見てもただの石ころが神様で小さな祠に入っており
村の子供が何歳だかになるとそのご神体を祠ごと背負って村中あいさつして
回る風習があった(TVでやってた)
そういうのが一番原始的且つ身近な自然発生的神道だろ。
天皇までいっちゃうと政治臭くて好きになれない。
かつて伊勢神宮に天皇家以外が奉幣することはなかったように、氏神や土地神は一定の血族や地域以外には無意味な存在。
それ故、延喜式のように、パンテオンの形成をはかっても浸透しづらく、いわば統一的な宗教として機能しなかった。
奈良時代以降、仏教に国教としての立場を奪われたのも、それが大きな要因だと思う。
なお、天皇家の氏神である伊勢神宮を最高位にした統一的な神道が機能し始めたのは明治から。その原動力は国学。
367 :
iuvart:2005/05/17(火) 22:45:04
フッ。
やればできるではないか。
神道のもつ様々な側面、切口、特徴からアプローチする方法が
見えてきたかね?
身近な地域の神と、名のある記紀の神。時の権力のイデオロギー
を成す神もあれば、海外から異文化とともに輸入された神もある。
物につく神もあれば名だけの神もある。
さあ、君の見る「神」の側面を、断面を、生育を、能力を、マク
ロ的に、ミクロ的に、表してみたまえ。
真実はその中に遍在する。
「神とは何か。それは長さ、幅、深さである。」(ベルナール『沈思について』)
楽しそうだね。
369 :
天之御名無主:2005/05/18(水) 00:47:21
神道の世界観・・・・
お囃子の流れる中、神楽が舞われる田舎の秋祭りとか
歳神を迎える正月の神事。そういう素朴なものの中に
神道の核心を感じ入る。
確かに
基本はそれだよな
五穀豊穣や無病息災を願う人々の素朴な心が生んだ宗教だべ
時の権力者とかがいじくってっけど
以下ループ
372 :
天之御名無主:2005/05/18(水) 03:41:12
宮中祭祀→皇室神道
神社信仰→神社神道
新興宗教→教派神道
国家儀礼→国家神道
江戸国学→復古神道
どれも神道。このうちどれかをさして、
これは本当の神道だとかこれはニセモノの神道だとかいうこと自体、無意味。
373 :
天之御名無主:2005/05/18(水) 03:52:07
電波神道→古神道
これも神道。しかしデンパ系が多いのも事実。
確かに学ぶべきところもあるが、デンパが多すぎる。
375 :
天之御名無主:2005/05/18(水) 15:50:05
神道には神にも色々有るし。
天之御中主神(天主):絶対神>>高御産巣日神・神産巣日神:以上、造化三神(宇宙・万物・霊・神の創造神)>>別天神・神世七神(人類の創造、生命を司る神、他)>>イザナギ・イザナミ>>
『天照大御神(高御産巣日神の命令にて天界(高天ヶ原)の統治)>>スサノオ・ツキヨミ:以上、三貴神』>>
天皇関連の神>産神>他、誕生神(氏神・)>広意義での八百万の神>人間神(乃木や豊臣など)←‘’天皇は此処と司祭との間ね‘’>自然神(草や木や川などに宿る神)他、霊獣、人工霊など。だから。
天照大神ってイザナギより下なのか?
仏教の神格を(無意識的に?)排除しているところが、ここで似非神道だといわれている国学そっくりですな。
378 :
天之御名無主:2005/05/18(水) 18:27:21
>>372 >宮中祭祀→皇室神道
維新前の宮中祭祀と今の皇室神道はほとんど別物。
宮中祭祀+復古神道=皇室神道では?
>神社信仰→神社神道
国学→復古神道→国家神道→神社神道の方が妥当かと。
>>375 大国主命は?他の神々と十把一絡げに扱うのは違和感あります。
379 :
天之御名無主:2005/05/18(水) 19:49:10
日本の神道は、道教や神仙術、仏教による教義的汚染をうけてきたんだ。
380 :
天之御名無主:2005/05/18(水) 21:53:36
古神道でも平田の神仙道の系譜を受けた
宮地とかの神仙道が一番日本の民俗宗教から
程遠い世界観を構築している。
論理であらわせなかった神道の世界観を結局は
仏教を否定しながらも全面的に道教に依存してしまった。
そのあげく神仙道は日本発祥などというおバカな珍説を
真理のごとく持ち上げてしまった。
漢心を否定して漢心に染まった日本の恥。
>>379 むしろ、外来宗教の影響を受けて初めて神道が成り立ったという気もしますが。
>>380 仏教否定は、いわば当時の学問的なトレンディーでしたから(笑
国学の迷走は、盲目的に記紀や万葉集に依存しすぎたこと、さらには人工的に宗教をなしえると過信したことではないでしょうか?
382 :
天之御名無主:2005/05/18(水) 23:37:25
汚染とはなんだ。ばっちぃみたいな事いいよって。
にわかアミニズム等に、釈迦無二の教えなどわかるものか。
右翼の為に必要だったんだろ?
海国兵談の趣旨も理解できない右翼なぞ右翼でない
384 :
天之御名無主:2005/05/19(木) 06:21:19
何故、アホみたいなカルト仏信者が紛れているの?
385 :
天之御名無主:2005/05/19(木) 20:08:52
自然崇拝が悪いという道理は、とくにあるまい。
宗教に上下左右は元々無いはず。
それを利用しようとする者が、色や違いをつけようとする。
経文にも無為自然とあるじゃないか。仏教も別段、否定する
ものではない。仏教のおかげで、隋、唐等の大陸諸国との外
交バランスをとる事に成功したんだし。
いうなれば、仏教はあの当時のガットウルグアイラウンドや
テロリスト対策協定みたいなもんなんだよ。
仏教(というより禅だが)が入らなかったら武士道
なんてできんかったしな。
387 :
天之御名無主:2005/05/20(金) 09:20:45
そもそも神道に統一的な世界観なんてあるのか?
あの世の観念ですら共通認識なんてないというのに。
>>385 無為自然は道教。
388 :
天之御名無主:2005/05/20(金) 19:13:07
仏教も神道も理論とかよく判らない
しかし、八百万の神を感覚的に感じるし
鳥のさえずりをのんびり聞いていると幸福になれる
そんな古代の日本人が感じた心を俺も感じる
神道は世界に誇れるピュアな宗教だと思う
↑
むしろニューエイジ系の発想だな・・・
390 :
天之御名無主:2005/05/20(金) 21:49:42
>>373 古神道は電波、、、
教派神道の方が電波っぽいとおもうぞ、、。教派のことはあんまり知らないが
おちばがえりに行ったくらいだな、、。近くの町に世界心道教とか言うのの
本拠地があるが、敷地の中からして電波だからな、、、。正門に天下りとか
親様とか言う文字がみえたが、あれは天理教からさらに派生した宗教なのか?
俺は三点リーダを使えないやつのカキコは信じない
教派神道は電波なんていってたら、宗教ネタのフィールドワークなんてつとまらないっすよ。
まぁ、学問的には全て並列で等価値というスタンスに、悪態を投げつけられるのも体験してるけどね。
そこは「退かぬ!媚びぬ!省みぬ!論文書いたら反省する!」の精神で押し切らねば(笑
>>389 ある意味神道という生きた宗教の現在形とも言える。
394 :
天之御名無主:2005/05/21(土) 05:46:31
民俗宗教としての神道を考察するなら
古神道なんかどうでもいいと思うのですが。
霊学とか道術とか、そんな体系化されたものが
民間信仰の価値観に見出せるとは到底思えません。
395 :
天之御名無主:2005/05/21(土) 07:12:55
394>>
そうだね。
しかし民俗宗教としての神道を考察しないのなら、日本の神道など勉強
しなくとも道教や仏教を学べば、"神道"を真に理解し易いという罠。
体系化されたもののほとんどは借り物。逆に考察するべき"意味"が少ない。
民間信仰の価値観とは、中国や印度で生まれた事ではなく、日本で生まれた
オリジナリティの根源を語る要素として”価値”があるのだよ。
民俗信仰なんて民俗学者にとってしか価値ないだろ
ただの迷信のかたまり。
記紀神話よりは教派神道の神話のほうが民衆的だよなあ。
398 :
天之御名無主:2005/05/21(土) 15:40:44
>>396 迷信とか俗信にこそ物事の本質が内在されているのだよ。
デムパな古神道を妄信するよりも真理がある。
399 :
天之御名無主:2005/05/22(日) 17:03:53
民俗信仰をただの迷信と価値を認めない奴がこんな過疎板にいるというのが不思議。
ひょっとして、街宣活動の一環ですか(笑
迷信とされていることを調べたりするのが民俗学だと思っていたのだが、
どうやら違うらしいな。
高校の教科書と同じ答えが出ないとそれは学問では無いのだろうw
>>400 それはいくらなんでも・・・
民俗学は迷信を含めた民俗全般が対象だから。
今なら「2ちゃんねるの民俗」っていう卒論を書いてる学生がいてもおかしくないw
>396や>398は単なる煽りでしょ。
402 :
天之御名無主:2005/06/02(木) 02:49:02
少し前に話題になってた「人間創造神話」をある文献に見つけたので
メモ代わりにここに書いてみる
まず仏教や五行的な、観念的な人間創成の説明があり、ついで
天照大神が石のうえに小鳥がいて交尾しているのを見つけた。
その鳥が小さなしずくを落としたので大神が左手で取って右脇に挟み
九ヶ月すると物音がしたので何だ?と思ってみてみると父親にと同じ姿の
鳥ができていた。ああなるほどと思って「サウテン」という土をもって
男女の形を作り、魂を入れて、三尺の地下に埋めた。それから三年たって
そこから物音が聞えたので喜んで掘り出した。すると土も人間の姿になって
ひげも生え、物を言うようになった。これをはじめとして人間ができ、
世界中に広まった。中略。男は60歳でジジイ、おんなは40歳でババアである。
我々の心は拙いが、形は如来と同じである。中略。
男の数は19億4828人。女の数は29億4830人。以上、49億8万9658人である。
一日に1500人生まれ、1000人死ぬ。
403 :
天之御名無主:2005/06/02(木) 02:56:09
出典忘れた。
『日本記一 神代巻取意文』(1420以降?中世後期)
>>395 お説ごもっともだがね。
研究は進んでいるのかね?
今時、日本固有の信仰なんて本質論なんか、誰もまともに相手しないと思うが。
つまりウリナラマンセー
407 :
天之御名無主:2005/07/10(日) 03:27:22
>>402 50億もの人口があって一日に1000人しか死なないとは
何と平和な世界なんだろう。
408 :
天之御名無主:2005/07/10(日) 18:40:00
>>407 それは最初の時だけでしょ。
また、時間軸が違いますから。
409 :
天之御名無主:2005/07/10(日) 19:18:07
平田神社とかいくとおもいしろいよ
410 :
天之御名無主:2005/10/11(火) 22:17:10
いつレスが来るかわからないけど、ちょっと質問。
神道では「八百万」って言葉があるけど、
これってまさに「全てのモノに神が宿っている」という思想なの?
それとも、宿っていないものもある、何か特定のものには宿らない、
という事はあるの?
411 :
天之御名無主:2005/10/11(火) 22:21:55
宿っていると思ったものには宿っている。
そうと意識してないものには宿ってない。
認識論的な言葉です。
412 :
天之御名無主:2005/10/11(火) 22:55:58
>>411 早っ!もう来てるw
某番組のおかげか。
感謝です。
うちの地方では祠の石に縄をつけて子供たちが集落を回る
風習がありますね。「山ノ神」という意味を持つ風習で毎年
4月に行われます。
家々は子供たちが来ると、お米や銭をいくらか差し出し
集めたお米や銭は祠に奉納される…となる筈ですが、毎年
その行事を取仕切る当番の家で子供たちに豪勢な食事を振舞う
のですが、多分そこで使われると思われます(^^;
どうもお米の豊作を祈る風習のようですが、神道と関係あるのかなぁ。
ちなみに、山形です。
414 :
天之御名無主:2005/10/15(土) 15:29:13
>>1 >神道の世界観
日本の外に出れば、そこは常世
415 :
天之御名無主:2005/10/16(日) 21:13:04
>>410 >「全てのモノに神が宿っている」という思想なの?
神道の場合、神は常住の存在ではないから、厳密には神が宿る可能性があるということになる。
416 :
天之御名無主:2005/10/17(月) 18:47:12
なんか、神道と陰陽道が、ごっちゃになっている部分って多くないですか?
平安時代からずっと、陰陽寮が設置されて、陰陽道がむしろ国学みたいな形になって、なんか神道と融合している部分が多いような気がするのですが、どうでしょう。
神道の流派で、土御門神道っていうのが、本当にあるんですよ。
陰陽五行が主体で、ほとんど陰陽道とかわんねえだろと。どこが違うんだと。
本来なら、陰陽道って中国の思想じゃなかったでしたっけね。そのふたつが、根っこのほうでもう不可分なまでにくっついている、そのプロセスや結果にすごく興味があります。
417 :
天之御名無主:2005/10/17(月) 19:43:27
>>415 なるほど、常に宿っている訳ではないのか。
汎神的ごたまぜっぷりが所謂日本クォリティ
419 :
天之御名無主:2005/10/28(金) 23:48:49
今の神道は伊勢が出雲を排除した罪深さを持っている。
420 :
天之御名無主:2005/10/31(月) 10:44:43
実は出雲大社は、怨霊信仰の最大のモノだって話があるよな。
>>419 まぁ、出雲は出雲で戦前に教派神道になったお陰で随分と助かった部分があると思うけどね。
422 :
天之御名無主:2006/01/08(日) 22:45:28
教えてください。
仏教には、「水子供養」という概念がありますが、
神道にはないのですか?
当方神道のようで祖母の葬儀も神主さんでした。
水子供養のようなことはしていただけるのですか?
7つまでは神のうちって言うし、水子になんかならないって感じじゃないかなあ
424 :
422:2006/01/10(火) 15:47:00
>>423 回答ありがとうございます。
無知ですみません。
7歳時の特別視される事は、院政期から俗説として僧侶に語られていた様ですね。
しかし、そもそも仏教の水子供養が盛んになるのも高度経済成長期からだとか。
なんか適当な事言ってお布施をせびり取るためですな
後ろめたい人が増えたのでしょう。それまでは生活の為におろしていたが、
生活が豊かになって、夫婦でもない未成年でつくっておろすなどの行為が
目立って来た。需要あってこその供給です。
流れ灌頂などは、以前から存在していましたが。
>>416 土御門が「神道」化したのは江戸時代。以後、ケガレに関るななどと、従来
は陰陽師が行っていた職掌を狭め、神主化していきます。
17世紀末から、それまで仏教に従属していた神祇信仰が、独自の「神道」
という思想大系として主張される様になりますが、それまで咒を山伏と争
い、劣勢であった陰陽師が、宗教としての体裁を整えて対抗しようとした
ものでしょう(大雑把に考えたものですが)。
429 :
天之御名無主:2006/01/25(水) 19:47:19
age
430 :
天之御名無主:2006/01/26(木) 05:27:34
これだけ功利主義が蔓延っている日本だけど
寒い冬の滝に打たれる方々を見ること一つとっても
日本はまだ捨てたものじゃない。
社会的道徳教育の根源は苦行にあるんだなという
発想が日本に薄れていないだろうか?
431 :
天之御名無主:2006/01/26(木) 19:44:51
同意
今風に言うと「真っ当に生きる」ことは楽じゃない。
苦しいいのは当たり前
432 :
天之御名無主:2006/07/11(火) 10:36:02
初心者ですいませんが教えて下さい。
家の近くにある神社(建立600年の古い神社)の門には、
仁王像が2体立っています。
仁王って、仏教世界だとばかり思っていたのですが、違うのですか?
>>432 明治政府の神仏分離政策以前の神仏混淆(神仏習合)期に建立されたものには
そういったものもありますよ。
434 :
天之御名無主:2006/07/21(金) 18:00:18
今回の事件はどうなんの?
最高神が英霊信仰を一部否定した(らしい)ってことだよね。
天皇を選ぶか 英霊を選ぶかってことだよね?
436 :
天之御名無主:2006/10/31(火) 03:24:01
一霊四魂に入っている「幸魂奇魂」と、
大国主の国造りに出てくる「幸魂奇魂」はどういう繋がりなのでしょうか?
別物ですか?
437 :
天之御名無主:2006/12/17(日) 10:10:44
438 :
天之御名無主:2006/12/17(日) 18:06:53
初心者なんですが、第六天社は誰をお奉りしてるんですか?
439 :
天之御名無主:2006/12/17(日) 18:55:26
■日本人と韓国人は同祖ではない■
『日韓同祖論』という妄説がある。
学問的な根拠がまったくない、まさに妄説であり、狂説である。
日本人と韓国人が、何の関係もない別種の民族であることは、両民族の言語を分析すれば
すぐに理解できることである。
【日本語】 【韓国語】
空(そら)→ ハヌル
稲(いね)→ ビョ
白(しろ) → ヒンセク
白い(シロい)→ ヒダ
頭(あたま)→ モリ
目(め)――→ ヌン
手(て)――→ ソン(またはパル)
足(あし)―→ ダリ
犬(いぬ)―→ ゲ
猫(ねこ)―→ ゴヤンイ
虎(とら)―→ ホランイ(またはボム)
刀(かたな)→ カル
弓(ゆみ)―→ ファル
槍(やり)―→ チャン
比較してみれば、まるで違う言語であることが分かるであろう。もし、日本人と韓国人が
先祖を同じくしているならば、両民族の言語はもっと似ているはずである。
イタリア語とフランス語が似ているように、英語とドイツ語が似ているように、日本語と韓国語も
似ているはずである。
しかし、上記のように、実際はまるで似ていない。日本人と韓国人は最初から民族系統が別なのだ。
日本人は、志羅紀人や任那人、百済人と同じ倭人系民族であり、韓国人はシベリアの狩猟民族=ワイ族
の子孫なのである。
どうせコピペなんだろうけどアイヌ語とかとの対比も挟んでおいてくれ
言語系統と民族系統と生業の系統は区別して考えなきゃならないぞ
>>193 その投稿は野嵜氏を騙る偽者によるもの。何年も粘着して嫌がらせしてる。
ティムポの平均サイズが3〜4pも違うのにね。
>>439 安心しろ。
これから同化していって、遥か後世には同祖だったと言われるようになるのだ。
(^V^)ひゃっひゃっひゃっ
445 :
天之御名無主:2007/11/23(金) 15:59:58
446 :
天之御名無主:2007/11/30(金) 12:08:17
お祭りでは「ヤー」と言う言葉が多く聞こえる。
神道では「ヤー」は神聖な言葉ですか?
ヤー。
ダチョウか。
その昔、昔、朝鮮半島の先っぽに住んでた民族と
日本人は祖先が同じって事を、司馬遼太郎も
言ってたな。
その後、朝鮮人と交じり合ってしまったので、
現在の韓国人とは違うそうだけど。
日本語とモンゴル語は非常に良く似ているそう
だけど、モンゴル人とは祖先が同じなの?
黄泉の国と根の国は同一視される場合もあるが本当は別物と聞いた。
ならば根の国とは何なのだろうか。これも死の国の一種なのか。
大国主のように死んだ神もやはり黄泉の国に行くのだろうか。
根の国は地獄だよ。
YHA-YHA-YHA
やんごとなき身分のお方が死んだ際には
「お隠れになる」とか「お隠れ遊ばされた」とか言うよね。
普通に近所の方が亡くなったら、身罷るって使うし。
455 :
天之御名無主:2008/07/25(金) 12:35:46
僕の考えでは、根の国も黄泉の国もどちらも「地下の世界」という意味で、葦原の中つ国の下の段階の世界であると思っています。
ただしそれらは正反対の側面を持つ別の世界であると。
故に黄泉平坂は言わば分岐点でといったところではないでしょうか。
456 :
天之御名無主:2008/08/27(水) 19:28:08
黄泉の国と根の国ってのは、全く別系統の異界なんだろうね。
458 :
天之御名無主:2008/09/07(日) 14:35:16
おもしろいね。この話題
母親の死がこんなにもつらいとは・・・その9
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1218974685/l50 1 :マジレスさん:2008/08/17(日) 21:04:45 ID:SWssgqQr
お母さんが亡くなってしまったひとたちが
かたりあい、はげましあうスレです。
悲しみがいつまでも
拭い切れないという人、ここで相談してみてください。
・sage進行でお願いします。(メール欄にsageと半角で入力)
・荒らしは徹底放置。
211 :マジレスさん:2008/09/14(日) 20:18:50 ID:m0B1TdHk
本当に近しい人が亡くなると、霊魂とかあの世とかに対する考え方が変わる人って結構いるのかな?
私は母が亡くなってから、あの世とか霊とか成仏とか、言い方悪いけどバカらしくなった。
亡くなった人の分まで…とかの慰めも、生まれ変わりとかも、なんか反感覚えてしまう
仏壇やお墓に手を合わせる事も正直形だけだ…
冷たい石にむかって手を合わせたって虚しい
歳とればまた変わるのかな
>>456 はいって何だよ。さっきから何度も。何がはいなんだよ。
出来もしねえ奴が軽々しくはいなんて言うんじゃねえよ。
だから申し訳ありませんじゃねえだろうよ。何が申し訳ねえんだよ。
本当に反省してんのかよ。
本当に今なら出来んのかよ。
口先だけの謝罪をするんじゃねえよ。
いい加減な気持ちでやってるんだったら今すぐ帰れお前。
461 :
黒崎恵:2008/11/23(日) 18:44:14
私人柱なんですけど、本当に卑弥呼にいけにえとして殺されるんですか?
いいえ
463 :
天之御名無主:2009/09/01(火) 17:56:30
「死(ナオル)」・「阿良々木」という忌詞の詳細を
ご存知の方いらっしゃいますか?
ググってみたのですが、神道系の内容が見つかりませんでした
化物語という書物によれば
「阿良々木」=一割が吸血鬼の人間で、歩けば怪異に遭遇して
あれよあれよの間にハーレムを作る人間みたいです
466 :
天之御名無主:2010/04/12(月) 16:47:06
神道は皇室祭祀も道教の影響が強いと聞いたのですが本当でしょうか?
どの時点で神道は道教の影響をどれくらい受けたんでしょう?
467 :
天之御名無主:2010/04/12(月) 17:35:55
正月に天皇が四方拝という儀式をするんだけど
北斗七星を拝んだり 〜急急如律令 と唱えたりするとこが道教の影響がみえるし
伊勢神宮の太一?太乙?の幟なんてのも道教だし
天皇って名前自体 北辰信仰からみたいだし
天武天皇が易や式盤を操ったり 陰陽寮つくったり 風水や奇門遁甲で都づくりしたり 前方後円墳は天円地方からだし
いろいろ関係あるとは素人だけどおもうよ
ちなみに神道という言葉自体は最古にみられるのは易だよ
宮地水位さんの異界風景も道教的だし
468 :
天之御名無主:2010/04/13(火) 01:27:27
仏教と同じ頃に日本に道教が伝わってたのかな
わりと似たところがあるから神道に取り入れられたんだろうか
仏教より早く伝播してなかったかな
高松塚古墳の壁画とか見ると、仏教要素は無い(薄い)けど
道教の要素は思いっきり入ってるように見える
470 :
天之御名無主:2010/04/13(火) 09:17:28
神道は日本固有の道
471 :
天之御名無主:2010/04/13(火) 11:49:41
神とは東韓に大和朝廷を打ち立て未開であった我々に文明を授けてくださった百済民族の事なので
大韓民族に敬意を払い奉仕する事こそ神道の真髄である
そういや、現在の韓国人の持つ神話の類から、現在の韓国人の祖である支配者層が朝鮮半島に流入したのは
恐らく平安時代以降だろうと言われているな
473 :
天之御名無主:2010/04/13(火) 17:42:53
>>469 高松塚といえば龍をはじめとした四獣ってのは神道には定着してないよね
陰陽道とかでは定番だけどね
龍の文化って日本では根付かなかったってことかな
おもいっきし根付いてるじゃん
477 :
あほ:2010/06/05(土) 04:18:31
「姦淫するな」と言われてセックスしまくる!!これが神道だ!
違ったか?ユダヤじゃねぇ、キリスト教か?
478 :
アンチ エンペラー:2010/06/05(土) 04:24:46
間違えた・・・
だが、神道には「生物競争・生態ピラミッド」という概念が無さそうだな
オメコしまくり!!
恥じる事無く、G行為も、何でもOKだ!!
神聖な境内だろうが、どこだろうが
オ○コ しまくりよ!!!
神主さんよ!!巫女さんよ!!ガッハッッハ!!!(笑)
479 :
アンチ エンペラー:
相変わらず・・・
「鮎」は、高級魚だと思って食っているんだろうか?
山女魚は、下級の魚だと思いこんでいるのだろうか?