貴族たちの生活について語りましょう。
なんか・・・あまりお風呂に入る習慣がなくて今でゆう蒸し風呂のようなもの?
に入っていてその時着用していた浴衣ビラ(漢字がわからん)がユカタだの起源になったて聞いた事がある・・
でも、このスレ象徴的すぎて・・風俗について?政治について?何か具体的なお題がほしい〜
4 :
天名無彦命 ◆tnrXB13U :02/01/03 12:53
十二単垢age
・・・と思ったが、板違いなのでsage
・・・・・・ようかとも思ったが
服装とか習慣とか信仰とかなら民俗・神話学なのでおーけー!
なので、十二単垢だらけage
当時は地球自体が全体的に寒くなっている時期だったらしいので、現代よりは
乾燥していたらしいけど。>平安時代
あと、十二単と言っても、汚れるのは身体に近い肌着だけでは?
>>5 マジレスされると恥ずかしいです(苦笑
単に蒸し風呂しか入ってないから垢だらけだろうなぁ・・・
それなのに、極端に穢れに気を使いすぎて物忌みばっかり
せめて湯浴みぐらい庶民みたいにお湯につかればいいのにねっ・・・・・
って、思って軽くかいただけ スマソ
DQNまじり文の為sage進行
七夕等で年2回しか(長すぎて洗いにくくしかも椿油等をつけていた)
髪を洗わなかった。
「虫愛ずる姫君」なんてのが実在していたならそうでもなかったかもし
れないが、ベルサイユ状態だったらしい。
>>7 ベルサイユ?
トイレがないとか、風呂に入らないとかそーゆーこと?>それはハプスブルクか。
>7
ベルサイユと一緒にしちゅ駄目だよ。
あそこは便を過敏などに直接して、庭にぶっちゃけて捨てていたんだから。
パリなんか、家の窓からバシャアと道に投げ捨てる。
日本の宮廷の場合は専用の箱に用便し、専用の召使いがそれをちゃんと
捨てにいきましたが、間違ってもベルサイユやパリのような豪快な捨て方は
してません。
>9
確かにその通りです(藁。
庭でもやってたらしいし。
11 :
天之御名無主:02/01/04 01:50
ドレスを汚さない為に、あんなにスカート部分が膨らんでいたらしいね。
そう。あのまま座ってできるんだよ、すごいよね。
13 :
天之御名無主:02/01/04 10:04
白人(フランス限定?)って・・・・・ヽ(´▽`)ノ
14 :
天之御名無主:02/01/04 14:12
ミッチーや小雪は平安時代の扮装似合いそうだな。
小面顔だし
>13
フランスに限った話ではありませんでしたが、近世以降不健康とされて来た入浴を
行う人は多くて年二回、髪も滅多に洗わなかったそうです。
ルイ14世は王位についてから2回だけ。その内1回は気分が悪くなり途中まで。
今でもパリ市民の半分が毎日入浴しないとか。
16 :
天之御名無主:02/01/05 12:43
>15
コーカソイドって・・・・・・・・・・・・ヽ(´▽`)ノ
17 :
天之御名無主:02/01/05 12:46
そのまま用を足すための膨らんだスカート。
落ちてくる便から身を守るためのマントとシルクハット。
それが西洋のお洒落。
道路に便がぶちまけられるもんだから、踏まずに済む様にせおう人間を
やとって危険地帯を移動する場合もあった。
普通の道を歩き易くしたものがハイヒール。
季節によっては馬車等によりモノが服にかかり防ぎ様がなかった。
板違いでしたね、失礼。「今昔物語集」でも出してりゃ良かった。
19 :
天之御名無主:02/01/06 01:37
>>1 平安時代貴族生活といっても、大陸文化受容を停止した10世紀の前と後では
かなり違うのではないのかな。現代でいえば、欧米文化を遮断したようなもの。
20 :
天之御名無主:02/01/06 02:23
源氏物語なんか読んでると雅なんですがね・・
垢まみれってゆうのは枕草子に(現代語訳の興ざめするもの〜)の部分に垢の塊が付いた首筋に白粉を塗って垢だけが剥がれて垢の付いていた部分が肌色なのが云々〜のような記述があったような気が・・
雅も吹っ飛ぶ内容でした・・
21 :
天之御名無主:02/01/06 10:15
>19
遣唐使を廃止しただけで、別に遮断してないと思うけど。
23 :
天之御名無主:02/01/06 22:05
>22
遣唐使というのは、日本が唐に貢ぎ物送ったり、留学生送り込んでいた習慣の事だよね。
「貢ぎ物」と「留学生」とかを止めただけなの。
[理由]
唐が荒廃してきた。
財政負担。
海賊の困難。
沈没率が高くて、危ない。
国交断絶した訳じゃないのです。
>23
平清盛など、少々宋から格下扱いされても交易を行って書籍・珍宝を求
めた様ですしね。
25 :
天之御名無主:02/01/11 23:03
>>23 「貢ぎ物」と「留学生」とかを止めただけ
ではないでしょう。止めた事により、使節や留学生が見聞し持ち帰る文物・文化の波及が
衰えたでしょう。我邦の特に貴族層の文化や生活様式の変転方向に影響したでしょう。
漢風文化の衰勢の陰画が、平安朝の貴族層での外界に無関心な女々しい?宮廷恋愛国風文化の隆盛では
ないでしょうか。
26 :
天之御名無主:02/01/11 23:13
>25
何故留学生を送るのを止めたかというと、言っても学ぶべきものがなくなってきたから
なんだよ。危険を押してまでイク価値がなくなってきたからなの。判った?
27 :
天之御名無主:02/01/12 00:14
平安時代といえば百鬼夜行
最初の目撃談はいつだろう?
最初というのは難しいでしょう。解釈次第では平安時代どころか日本の
枠も越えかねませんし、最初の記述でも余り意味が無い様な。
「紀家怪異実録」や「善家秘記」が残っていないのが残念ですが、オー
ソドッツクスに「今昔物語集」や「大鏡」をあたってみるしかなさそう
ですね。(マイナーな話があるのかも知れませんが。)
なお平安時代のそれが異形の鬼達で構成されていたのに対し室町期に描
かれたものは器物主体となっております。
29 :
天之御名無主:02/01/12 01:11
>>28 日本の枠を越えるということは、中国とかの古い時代に日本の百鬼夜行にそっくりな記録があるんですか?
30 :
天之御名無主:02/01/12 02:14
平安はまだ百済の影響が濃かった時代?
半島語が日本に残ってた?
>>27 平安遷都当初からでありませんか。遷都反対派が、不穏扇動のため扮装演出?
何に載っていたか、思い出せないのですが。
>>28 >解釈次第では平安時代どころか日本の枠も越えかねません...
ここでは、平安時代に主に洛中外に出没した鬼ということで、どうでしょうか。
平城京では、出没例はないのでは?
32 :
アフォ( ´_ゝ`):02/01/12 10:50
ワシが知っているのでは、藤原師輔の百鬼夜行の邂逅。
>29
単なる「化け物行列」なら中国は勿論、解釈次第ではヨーロッパの伝承も入りそう
だったので。それはそれで面白そうですが。
>31
それでは「平安時代の妖怪」という事では如何でしょうか。
34 :
天之御名無主:02/01/13 02:25
平安時代って具体名のある妖怪があんまりないような。
>34
まあその通りですね。「赤い単衣の怪」、「油壺の怪」、「板の怪」等
が「今昔物語集」で鬼と呼ばれていましたし。
しかし仮名称のモノ達の話でも面白いのでは無いかと。
36 :
アフォ( ´_ゝ`):02/01/13 11:20
浦嶋子の弟とかね。>妖怪
37 :
天之御名無主:02/05/03 04:11
食物は何を食べていたのだろう。海産物の干物と山菜ぐらい?
味噌や醤油って、すでにあったのだろうか。
38 :
天之御名無主:02/05/03 05:17
39 :
天之御名無主:02/05/03 05:30
41 :
天之御名無主:02/05/04 16:04
>>38 サンクス。でも「概して素材をそのまま生かした料理が多く、味付けは単純であった」
の一文しか発見できなかった。
42 :
天之御名無主:02/07/13 11:50
>>16 人種起因でなくて、気候起因ですよ。同じ温帯でも多湿の日本と低湿の西欧のね。
43 :
天之御名無主:02/07/13 12:02
11 :参加するカモさん :02/07/02 10:32 ID:6cOcgqO4
W杯でサッカー選手の肉体美とさわやかな語り口調を見聞きしてたら、ひろゆきさんの湿度たっぷりのメルマガが妙に重く感じるようになってきた
かつて私のヒーローだったひろゆきさんも今では生ゴミみたいな存在
もういいよ
みんな裁判ネタに反応するのやめようよ
私達がいちいち反応するから益々調子にのるんだよ
削除依頼を拒否することがかっこいいと思っている小さな男(プッ
(^^)
45 :
天之御名無主:03/02/05 13:39
平安時代の豪華な衣装は誰が作ってったの?
46 :
天之御名無主:03/02/05 17:49
47 :
天之御名無主:03/03/24 22:23
平安女性の婚期や出産年齢ってどんなもんすか。
鎌倉の政子が30歳を過ぎて実朝を生み、丹後内侍も京時代に惟宗兄弟、
東下後に安達景盛・範頼室兄弟を生むなど高齢出産も結構多くない?
これが戦国時代の頃には10代前半で嫁ぎ、江戸時代には三十路の正室が
夫に側室を世話するようになる。どんな世相の変化があったんでしょうか?
それと、宮中に上がる女房さんたちと御后さんたちの年齢差。
御后さんが幼少の頃には、同年代から母親ぐらいの女房。
御后さんが壮年に至っては、娘ほどの女房が仕えるってカンジですかね?
しつこくもう一個。
異母兄弟姉妹より、異父兄弟姉妹の方が、兄弟としての繋がりは強いよね。
父親の違う兄弟が母親の実家で一緒に育ったってことで正解?
48 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/24 22:48
「女の盛りは14,5,6から22,3。」梁塵秘抄だったかな。
菅原孝標女などは親と姪の世話に追われていたとはいえ晩婚もいいと
ころです。女房の場合はある程度の才能(とその評判)が必要とされた
事もありましたが、適当なところは10代後半辺りであったらしい。
後者はその根拠をお願いします。
49 :
天之御名無主:03/03/24 23:37
根拠ってのは女房さんの>御后さんが壮年に至っては、ですか?
根拠は紫式部の娘の大弐や和泉式部の娘の小式部とかかなぁ
ちなみに前者も彰子の女房の赤染衛門なんかが式部たちより一世代上かな?
つー気がしたんで。
50 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/24 23:48
>49
その二組が特に目立っているだけのような気も。娘が仕えたというの
はコネからいって寧ろ当然の事だったのでは。
孝標女も「若き人参らせよ」と言われて自分が仕えていた宮のところ
に姪を出仕させている。(姪は当時17歳)
てことは、御后さんと女房さんの関係に年齢は関係ないとみていいですか?
52 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/25 00:01
>51
そう思うのですが。そういえば孝標女の仕えていたのは祐子内親王で
したが、紀伊も母と二代で祐子内親王に仕えていましたね。
>山野野衾さん
あしたっ(ありがとうございました)
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
お歯黒…この頃も確か、していたような…?
60 :
天之御名無主:03/10/15 20:13
>>59 お‐はぐろ【御歯黒・鉄漿】
(女房詞)
歯を黒く染めること。鉄片を茶の汁または酢の中に浸して酸化させた褐色・悪臭の液(かね)に、
付子(フシ)の粉をつけて歯につける。
古く上流婦人の間に起り、白河院頃から公卿など男子も行い、のち民間にも流行して、室町
時代には女子九歳の頃これを成年の印とした。江戸時代には結婚した婦人はすべて行なった。
かねつけ。はぐろめ。日葡「ヲハグロスル」。 『広辞苑』
62 :
天之御名無主:04/01/22 12:41
捕手
63 :
天之御名無主:04/06/26 11:08
64 :
天之御名無主:04/06/26 11:24
日本女子大の長島史恵さんかわいい
65 :
天之御名無主:04/08/01 14:38
>>61 >古く上流婦人の間に起り...
何が発端?お白粉とちがって、美的理由とは到底思えないんだが。
>>65 おそらく、歯を見せることが下品ととらえられたためだろう。
現代でもおちょぼ口でものを食べたり、歯を見せて笑わない(口に手をあててオホホと笑う)
というような仕草がお上品で清楚とみる向きが多いのでは?
ちなみに、勝海舟のライバル小栗上野介がその妻に鉄漿(おはぐろ)をしなくてもよいと言って
妻からたいへんに感謝されたという話がある。鉄漿は臭いし、食べ物の味も不味くなるためだ。
幕末の武士階級の妻が鉄漿をしないというのは当時としては画期的であった。
>>65 おそらく、黄ばんだ歯を隠すためではないでしょうか?
往時の食環境や生活習慣から考えても歯や骨は脆かっただろうし、出産経験があればなおさら
脆弱になるだろうから。
>>61 南方の染歯の風習との相関関係はいまだ解明されていないはずです。
昔の日本家屋の中は薄暗いから、歯の白さが気味悪く映えてしまうのを嫌ったという
説も昔行ってた大学の教授から聞いた。
支那起源と意識した記述もどこかで見た覚えが。『堤中納言物語』には鉄漿
をつけていない姫君に関する記述がありましたね。
鉄漿が色っぽいとか書いてたのは誰だっけ?
>>48 >「女の盛りは14,5,6から22,3。」...
とすると、実の娘の夫を惑溺させ、密通した藤原薬子はさぞかし
容色衰えぬ不朽の女性だったんですね。
74 :
天之御名無主:05/01/05 02:34:50
平安時代とかの生活をしてみたい。
ってか、その時代の貴族になりたい。
平安時代に行きたい。
75 :
天之御名無主:05/01/06 01:29:51
>>74 やめときな。現代人に絶えられる環境じゃないよ。
部屋の中は汚物の臭いが充満して不潔だから、十二単にノミが飛び交ってるのよ。
『枕草子』によれば、清少納言も蚤・蝿に悩まされていた様ですね。
日本人が解放されたのは、近代になってからかもしれません。
田舎の民家では、飯の上に蝿がたかるといった有様でしたから。
『中外抄』には、宮中で蚤をとっては握りつぶしていた賀茂の話があ
ります。
とはいえ、空也などの修行者の履歴を語る際に蚤・虱が話題にのぼ
っていた事を考えると、やはり環境ごとに程度はあった様です。
77 :
天之御名無主:05/01/06 07:08:11
78 :
天之御名無主:05/01/06 20:19:06
十二単の構造と機能きぼんぬ。
もしかすると現代でも木綿とかなら特注で1万円ぐらいで造れそう。
防寒や水に浮くなど美味しそうな機能が多いぞ十二単。
壇ノ浦でも十二単の浮力で溺氏を免れた牝が居たらしい。
81 :
灰色式部:2005/08/06(土) 09:28:45
皆さんに聞きます。
平安といえば!
ズバリ何ですか!
82 :
ダンの花:2005/08/06(土) 12:16:52
エイリアン!!
83 :
天之御名無主:2005/09/07(水) 07:01:51
どこで聞いたらいいのか分からないのでここで
『桃』はナゼ神聖視されているか知っている方いますか?
桃(だと思ったのですが・・種をお守り代わりにするとか?
由来を知っている方いたら教えてくださいませ〜
84 :
ダンの花:2005/09/07(水) 10:43:33
美味いから。
女性器を連想させる形をしているから。
85 :
天之御名無主:2005/09/07(水) 11:04:29
桃は神聖って、中国から来たのでは?
中国のパラダイスには桃が生えて実ってますよね。
仙人や神人専用の食べ物みたいだし。
孫悟空が食べて怒られてましたよね。
>>84-85に追随させてもらうと、
桃(とう)の字が、逃(とう)や刀(とう)に音が通じることから、魔よけの力があるからだとか、
桃という字が、兆の木と書くように、多くの実を実らせるところから多産の象徴とされ、多産である
ことは、生命力が強いと考えられることなど、多くの説があるようですね。
実際に桃には薬理効果もあるようですし、民間療法でも、湿疹や汗疹、利尿、脚気、便秘などに
効用があるとされ、種子を乾燥させたものは、せきどめや解熱、婦人病などに効くといいます。
87 :
天之御名無主:2005/09/07(水) 17:52:40
私も追随。
桃の神聖視はやっぱり中国からだと思います。
日本神話のイザナギがイザナミを迎えに行く時に出てくるよね。
桃の葉には消毒の成分があって、今でも汗疹の薬として売ってますよ。
多分、消毒とか殺菌力の強さも昔の人が大事にしていった原因の一つじゃないでしょうか。
実際に使用された例としては、『沙石集』に貧乏神を桃の木の枝で屋内を叩く
方法で撃退したという話があり、室町時代の記録によれば、陰陽師の間には、
桃の木の枝で結界を張る方法があったらしい。
また、『病草紙』に、桃を病人に与える場面が描かれています。
なお、原種の桃の実は、(果物の)琵琶の実ほどの大きさ。
89 :
83:2005/09/08(木) 17:49:30
すいませんwたまたま図書館で手に取った本に簡単明瞭に書いてありましたw
やはり中国発信で聖書の知恵の実(だったよね?リンゴ とほぼ同じらしいです
蛇が食べて通力を得、修行を重ねて女に化け、夫を翻弄するお話>白蛇伝
最初の部分がどっかで聴いた話で興味深いです
90 :
83:2005/09/08(木) 17:52:09
大事な事を書き忘れました
皆さんレスありがとうございました(人*´∀`)
91 :
天之御名無主:2005/10/19(水) 11:19:54
昔、漫画日本の歴史という、皆さんご存知の小学生向けの本を読んでいたときの
桃にまつわるエピソード。
聖徳太子が生まれたとき、太子から「桃の香りがする」と、
そのいい香りにあちらこちらから人が寄ってくるという場面が描かれていた。
92 :
天之御名無主:2005/10/25(火) 18:54:47
〉80 何かで読んだが、あの着物は袖口が広いため防寒としては
あまり役に立たないとか。
夏もあんなに重ねて着てたのかな。暑そうだな。
利点としては、たくさん重ねてあっても、結んでいるのは紐一本。
(下のを着て紐を結んで、上を重ねたら下のは解いて取る)
だから、脱ぐのが楽!良きこといたすのも楽ということじゃ。
わかったか、デンポ。おっほっほ。
93 :
天之御名無主:2005/10/25(火) 20:10:08
幽玄道士(キョンシー退治の人)が持っている木の剣も桃の木。
>80
綿で1万ではムリ。化繊でもムリ。
大分過疎ってるみたいだからついでに有職知識でも吐き捨てていくことにする。
十二単は後の呼称。当時は女房装束とか小袖打衣唐衣姿とか呼んでた筈。
>92
貴族の上の方の方々は夏場単+カザミとかの薄着。
部屋の中で動く必要もないから紐一本で十分だった。
逆に動き回る女房はその紐の上から裳でしっかり締めてた。
>>86 >多くの実を実らせるところから多産の象徴とされ...
年頃の娘のぷりぷりとした様子を賛嘆した漢詩の一節で、其の実がたくさん成る
桃の木のように(子を産みそうな娘だから)其の家嫁に宜しからんと肉感的に歌わ
れているね。引きかえ本邦では、”娘十八、番茶も出花”だものな。
繊細な優美さを好むのは、古来からの民族性なのかな。古事記や和歌に、ぴちぴち
肉感的な娘を賛嘆する句はなかったかな。
桃之夭夭
灼灼其華
之子于歸
宜其室家
桃之夭夭
有賁其実
之子于歸
宜其家室
桃之夭夭
其葉蓁蓁
之子于歸
宜其家人
詩経
96 :
天之御名無主:2006/01/05(木) 14:43:53
>>94 >カザミとかの薄着...
カザミって、どういう衣装ですか?
97 :
天之御名無主:2006/01/09(月) 17:07:12
平安時代、テンパーの女性はどうしていたんだろう。。
98 :
天之御名無主:2006/01/10(火) 02:05:07
>97
酋長みたいなタイプの髪質などはわからんなあ。
でも、天パーは醜女扱いだった。
一説によれば、清少納言は天パーだったそうだが。
十寸髪(ますがみ)というものですね。醜女の表現とされる事が多い。
清少納言がそうであったかどうかまでは存じませんが。
100 :
天之御名無主:2006/01/11(水) 00:25:45
なぜ、平安というといつもいつも貴族の話ばかりになるのか!
庶民からの搾取によって成り立った雅などに一辺の価値もない!
このような腑抜けた権力者などより、地に根ざし日本を支えた労働者にこそ
脚光を当てるべきである!革命万歳!
101 :
101:Over 100 Thread:2006/01/16(月) 19:07:01
このスレッドは100を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
なにやってんだお前
「有職(ゆうそく)」でぐぐって一番最初に出てくるサイトでも読んどけ
あほか
106 :
天之御名無主:2006/02/02(木) 18:37:56
貴族の人はなんか変な布引きずって歩いてます。
あんなのつけてたらほかの人に踏まれたり、牛のくそがくっついたりして大変だと思いました。
そりゃ屋内を歩く時以外ははしょるのでは。
むしろ衣冠束帯で道を歩く機会もあまり無さそうだし。
108 :
天之御名無主:2006/02/03(金) 07:46:52
ここって一般庶民の生活はスレ違いなの?
いや、にもろ貴族と明記してあるからあれなんだけど、
109 :
天之御名無主:2006/02/03(金) 10:37:08
>>106 布引きずったひとは
高貴なひと達じゃないの?
引きずってない人は
それほど身分の高い人たちでは
ないのでは。
天上人とでも言うのだろうか、
その人たちは牛車で外出するだろうし。
布っていうのは、「裾」の事かな・・・
110 :
天之御名無主:2006/02/03(金) 13:12:01
今日は節分でおじゃる。
恵方のほうでチンのマラをしゃぶれw
111 :
ぴる来る ◆cRinn.D6KE :2006/02/03(金) 15:56:41
冬は寒かっただろうな(* ̄ー ̄)
112 :
天之御名無主:2006/03/16(木) 17:52:51
4 名前:lk 投稿日:2004/09/04(土) 11:18
サッチャンハネ、コウツウジコデ、ハネラレタ、ダカラ、カオガトレテ、
ドッカトオクヘ、トンデチャッタ♪悲しいね、さっちゃん♪
さっちゃんは即死で死んじゃったの。このレスを見た人は…
さっちゃんが0時に行ってあなたの首をかまで切り取っちゃうよ♪
いやなら、さっちゃんが行くまでに、9回違うスレにレスを送ってね♪
あ、さちゃんの顔は、こんな顔だから、
探してくれるのもイイよ♪オネガイネ…。
そういや平安時代の人って下着はなに穿いてたの?
やっぱふんどし?
114 :
天之御名無主:2006/03/18(土) 11:30:34
質問はageて
>>113 「したのはかま」とか「たふさぎ」と呼ばれるもの。
たふさぎ 【犢鼻褌/褌】
〔古くは「たふさき」〕短い下袴。今のふんどし、またはさるまたのようなものという。とうさぎ。
「わが背子が―にする円石(つぶれいし)の/万葉 3839」 三省堂提供「大辞林 第二版」より
「犢鼻褌」という語自体は司馬遷の『史記』などにも出てくるよ。
>115
ありがd
イメージ検索してみたけどふんどし通販ショップの画像しか引っかからなかった…
117 :
天之御名無主:2006/04/21(金) 22:26:28
平安時代の子供の髪型について調べてたんだけど
「うない」を調べると資料によって
・首筋までの丈で切りそろえた髪
・首の後ろで一つに結んだ髪
の二つの説明が出てくるんだけどどちらが正しいんでしょう。
>>117 いくつかの古語辞典と国語辞典を見てみたんだけど、
そのなかでも広辞苑のものが端的に答えているので、引用すると・・・
うない(うなゐ) 【髫/〈髫髪〉】
子供の髪をうなじで束ねたもの。また、子供の髪をうなじのあたりで切り下げておくもの。
とあるので、どちらも正しいのではないでしょうか。
119 :
天之御名無主:2006/04/25(火) 04:18:14
生理のときはどうしていたんだろ?
ケガレとか言って寝ていた?
ずっと疑問です
月のけがれとか言って一週間くらいそれ用の離れに籠ってたんじゃなかったっけ
ところで平安時代の女の人ってトイレの時もセクースの時も袴脱がないで持ち上げるだけだったって本当かなあ
123 :
天之御名無主:2006/04/29(土) 07:53:30
行灯袴なら問題ないけど股のある差袴とかじゃ難しいんじゃね?
124 :
天之御名無主:2006/04/30(日) 21:46:24
パナソニックのDigaのCM面白いよな
蹴鞠とサッカーはだいぶ違うとは思うけど
>>124 そういや京都の白峯神宮(飛鳥井家)は蹴鞠の神様で、サッカーの神様でもあるね。
そういえば何で日本代表のエンブレムって八咫鴉なんだろ。
脚がいっぱいあるからサッカー上手そうとかそんな理由だろうか。
>>126 たしかサッカー協会の功労者が和歌山(熊野)出身で、それがきっかけでヤタガラスが
選ばれたんじゃなかったっけ?
128 :
みら:2006/06/07(水) 14:30:13
えういrでw
129 :
未来:2006/06/07(水) 14:32:27
私、かわいい。
130 :
天之御名無主:2006/06/08(木) 04:44:16
なにかの昔話で烏帽子を川に流してしまった男の人が
「これでは家に帰れない」と嘆くような話があったと記憶しているのですが
(虫を入れて助けて?あげてたような気も)
こういった話の収録されている説話集などありましたでしょうか。
また、なぜ烏帽子をかぶってないと家に帰れないのでしょうか。
>>130 >また、なぜ烏帽子をかぶってないと家に帰れないのでしょうか。
烏帽子を被るということは、烏帽子親、烏帽子名などという言葉があるように、元服(成人)したということ。
一人前に神事に参加する資格、村落共同体に参加する資格を得たことも意味します。翻って考えると、
神仏への畏敬の念、烏帽子親になってくれている擬制的親族に対する敬意を示していることにも繋がります。
中世の絵巻物などを見てみても、履物も履いていないのに烏帽子だけは被っている人がいたりするのも
これが理由。頭頂をあらわにすることは恥ずかしいという概念があったのですね。これは屋内においてもそうです。
南北朝時代の『七十二番職人歌合』に登場する博徒は、何もかも失って裸に
なってはいますが、それでも烏帽子は着用しています。
烏帽子というものは、病人が見舞い客と寝たまま会う際にも外さぬもの。
そして、外すと恥ずかしいという以上に、恐ろしいという感覚もありました。
烏帽子をかぶらず、もとどりも結わずにいたのは、鬼や賤民ぐらい。
僧侶は勿論結っていませんでしたが、いずれせによ一般人ではない。
15世紀後半になると、烏帽子を外す習慣も出て来ますが、それでも髪を結
う事は近代まで続いており、結わない賤民と区別をつけていました。
烏帽子をつけず、髪を結わずでは、自分が賤民に落とされてしまう事になる。
勝海舟なども、薩長はごみ拾いの様な頭をしていると言っていました。
今の人間が過去に行けば、皆髪型でまともな扱いはされません。
>126
>脚がいっぱいあるからサッカー上手そうとか
面白いw
134 :
天之御名無主:2006/06/09(金) 10:03:07
素朴な疑問
烏帽子と犢鼻褌一枚しか身に付けてない状態で
更にあとひとつ脱がないといけないときはどっちを残すべきなんだろう
>134
平安時代だと烏帽子を残すだろうね。
ハダカ烏帽子か…
マニアックなようなそうでもないような
137 :
天之御名無主:2006/06/11(日) 23:58:07
>>131-132 ありがとうございました。
烏帽子(冠)をかぶっている、髷を結っていると言う事が
常民としての象徴でもあるわけですね。
138 :
天之御名無主:2006/06/13(火) 11:47:59
みずらから烏帽子っていつごろ変遷したんだろうな
139 :
天之御名無主:2006/06/13(火) 13:18:23
とりあえず唐風の衣装を宮廷で着るようになって
冠というか頭巾を被るようになったあたりからかな?
140 :
天之御名無主:2006/06/13(火) 18:22:40
そもそも、髪を結ってないとちゃんとした人間と見なされないっていうのは中国の方の風習だよな。
141 :
天之御名無主:2006/06/21(水) 18:07:07
初冠(元服)とか烏帽子名とか、そういうのは
社会的にどのあたりの階層までの風習だったんだろ?
貴族の社会でだけなのか、一般庶民でも同様だったのか…
142 :
天之御名無主:2006/06/22(木) 04:30:21
庶民の若者宿の宿親と宿子の関係なんか、
烏帽子親と烏帽子子の関係とパラレルだし、
成人になって、
村落のメンバーとして認められるためのイニシエーションなんていうのは、
庶民の社会でも当然にあるだろ。
元服とかそういうのとは別の形式かもしれんが、
社会的役割は同じ儀式があるはず。
143 :
天之御名無主:2006/06/22(木) 23:04:48
しかし御伽草子とか昔話系の主人公なんかだと
「○○太郎」みたいな童子名のまんま嫁もらったり領地もらったりしてるよな。
おはなしだから主人公の名前が変わるのは面倒だと言う事情なだけなのか
庶民は別に義務的に名を変える必要はなかったのか。
金太郎が名前を変えたのは武士になった(社会的階層を移った)からだしなあ。
>>122 平安の女性の袴は股部分が割れて開いておった→即セクースOK!だったって
寂聴センセイが書いてます。
どうりで光源氏が手篭めに時間がかからんわけだ
145 :
天之御名無主:2006/09/25(月) 11:35:43
平安貴族たちの子育てってどうしていたんでしょう?
子育てを乳母とか女房にさせていたなら、産みの母親の役割って何があるの?
リーダー格の奥様の家に集まり
皇室やジャニやブログや韓流ドラマに盛り上る
で皆でお稽古事。
有閑夫人のすることは今と変らん
まあ娘が生まれた場合はお琴や歌の作り方や化粧の仕方、衣の合わせ方や
行儀作法くらいは教えるんじゃね?
産みの母親は血筋がいいのがお仕事だったんじゃないの?
こんな家出身のママだよ、っていうのが大事だったでしょ?
149 :
天之御名無主:2006/11/20(月) 10:28:55
源氏物語なんかだと奥さんは装束に使う布を染めるのも仕事のうちで
明石の上なんか特に(染色が)上手い、みたいなこと言ってるけど
染め物なんて汚れるしで体力が要るし臭いもキツイしなんて3K作業を
貴族の奥様方ができたんだろうか
まあ染料に布を浸けたり絞ったり洗ってさらしたりなんかの力仕事は
下働きの人がやったにしても、染料の調合や灰汁の調節なんかは
奥さんの実家ごとの秘訣があるらしいし
150 :
天之御名無主:2008/03/21(金) 03:02:57
そろそろ水底が見えてきたので浮上
151 :
天之御名無主:2008/03/22(土) 05:02:29
歯磨きや生理はどうしてたんかな。12才で元服て成人て事だよね。早いなあ!
ブラシという物は無かった。だから楊枝系統だろうね。>歯
生理はいっせつによると垂れ流しという話もある
だから緋袴で目立たないようになっていたとか。
しかし下に下着的に白い袴をはくときも有るし
どうなんでしょうーねぇ。
成人が早いのは平均年齢が低かったから。40歳くらいじゃなかったっけ。
早く大人になって子供作って育てて次の世代に繋がなくてはならなかった。
生理の間は忌み籠もりとかいって
自分の部屋にこもって動かなかったんじゃなかったっけ
動くにしても、こもるにしても
どんな手当てをしていたか・・・というのは
よくわからないんだよ。推測の域なんだ。
155 :
天之御名無主:2008/03/24(月) 21:11:33
現在の生理用品が広まるまでずっと古布をつめていたって聞いたことがアル
俺は男なので生理の苦労は実感としてよくわからないが
面倒だっただろうなぁ
今でも面倒そうだもんな
女はすげーな
男なんかボッキが目だって困るとか夢精で起きたら股間と下着が気持ち悪いぐらいだもんな>性的な悩み
157 :
天之御名無主:2008/03/28(金) 08:51:38
平安時代に飲まれていたお酒って、どのようなものがあるんでしょうか?
158 :
天之御名無主:2008/03/28(金) 09:46:20
リキュール類
この時代に蒸留酒なんかあるかよ。
この事態のは今のどぶろくのような濁り酒。
清酒が出来るのは江戸時代から。
160 :
天之御名無主:2008/04/02(水) 12:20:24
平安時代の酒造り
ttp://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/encyclopedia/00153.html 「延喜式」(905〜927年)(平安期,宮中での儀式や制度の規定書)には
朝廷における酒造法が詳しく記されています。
たとえば、いったん発酵の終了したもろみを濾し、この酒に、さらに蒸米と米麹を入れて再発酵させ、
再び濾すという「シオリ」法でつくられる「御酒(ごしゅ)」。
あるいは水の代わりに酒を用い、こうじの量を多くし、
甘味を強くした「れい酒(れいしゅ)」(ひとよざけ)。
毎年、秋の新嘗祭の節会酒として、水を少なくし、濃厚甘口とした「白酒」。
それに久佐木(くさぎ)の灰を加えた「黒酒(くろき)」。
その他、麦芽も併用した「三種槽(さんしゅそう)」。
もろみを臼で磨った「すり槽」など、10種類にも及ぶ多種類の酒が記されています。
12世紀、もろみを濾さないで、その上へ蒸米,米麹(こめこうじ),
水を重ねて加えていく「トウ」と呼ばれる醸造法が開発されました。
「御酒」もこの方法でつくられるようになり、これが次第に、酒づくりの主流となっていきました。
今飲んでいるものとは、系統の違う製法の酒だったんですね。
まあそれなりにバラエティには富んでいたようですが。
大福茶
作り方は簡単!湯飲みに昆布と梅干しを入れ、
若水でいれた熱いお茶をそそぐだけ。黒豆や山椒を入れる場合もある。
これは、平安時代に疫病で悩まされていた天皇がこのお茶を飲んで治ったのが
はじまりとされる縁起のいいお茶。
162 :
天之御名無主:2008/04/02(水) 21:46:15
何で治ったんだ?
科学的に説明して欲しい
疫病だと思ってたけどビタミン不足だったんじゃないか?
間違えた
ミネラル不足。
しかし、変なのは「お茶」は当時あるにはあったが
そういう飲み方はしてなかったはず。
天皇だから別なのかな。
166 :
天之御名無主:2008/04/18(金) 20:36:32
当時のお茶って、大陸から輸入するしかない超高級品じゃなかったっけ
(茶の国内栽培が普及したのは鎌倉期)
もともと天皇含む大貴族やニ山の高僧くらいしか飲めなかったのに
だから別っていうのも妙じゃないかな
>>166 いや、そうでもないよ。
貴族は「闘茶」という利き酒ならぬ利き茶みたいなのは
していたみたいだから、そこまでの貴重品ではなかったと思う。
また利き茶が出来るほど種類があったと言う事は
それなりに色々栽培していたと言う事だろう。
平安時代と言っても遷都前後から鎌倉時代突入直前までの400年間くらいあるんだから
「平安時代のいつごろだったらそうなのか」というのをはっきりさせておかないと
話がややこしくなると思う。
>>169 唐の装束が騎馬民族の流れも汲んでるんだろ。
しかし奈良時代の装束より平安のそれが
騎馬民族っぽい感じがするのは、そのとおりだな。
まあおれは男性装束には興味ないから、
詳しくないけど。
>>169 袍はスタンドカラー、袵(おくみ)があり盤領(あげくび)の着方、
サイドに入ったスリット(後に縫腋袍では無くなる)と
騎馬民族衣装の流れを汲んでいる
まあ日本に入ってきてから床に座るライフスタイルに合わせて布地に余裕のある
ゆったりしたデザインになったり、平安中期以降の強装束化でもはや別物と化しかけたりもしたけれど
173 :
天之御名無主:2008/05/24(土) 02:25:03
食事は現代みたいに主食のご飯と汁やおかずが普通だったんですか?
貴族は魚や野鳥も食べただろうけど庶民は何を食べてたんだろ
豆や雑穀くらいは食べられたのかな?
稲作や農業って平安時代に行われてましたっけ?
平安時代のたんぼや田植えの絵巻を見た記憶があまりないけど…
>>171 衣に仕立てられるだけの絹糸(当時の蚕は糸が細く現在のものよりコストパフォーマンスは悪い)と
染めるための染料(種類によっては希少だったり輸入に頼るしかなかったりする)を考えれば、
たとえ縫製のコストがバカ安かろうとも富裕な貴族以外ではそう簡単に購えるものでもないだろう
庶民は一生麻か綿の藍か渋染めを筒袖に仕立てて着るしかないんだぜ
>>173 >主食のご飯と汁やおかずが普通だったんですか
普通だった。味付けは大分ちがうけどな。
意外な点ではニワトリの肉や卵は禁忌だった。
代わりに雉などを食べていた。
庶民のほうが地産地消で生鮮な物を食べていて
(種類はおおくないが)健康的という説もある。
もちろん農業はされていた。絵巻物は貴族の話の挿絵だから
そんなシーンは無いだろうな。
>>174 いや、しかし十二単って、上着と裳と唐衣だけじゃないでそ?
一式取り揃えると現代の価値で、1千万前後(?)かも、・・なんて破格過ぎるよ。
いまの晴れ着の高級振袖位の感覚だろう。いくらなんでも。
まず現代の感覚で計るのは色々と無理
「破格かどうか?」を判断するには、
・当時の貴族の収入(年代、地域、階級なども明確な資料をソースに)
・当時の貨幣価値や物価データ
・当時の人間にとっての衣服というものの重要度
を明確にしないと実際には一式幾らぐらいが相場なのか、果たしてどれくらいからが破格なのかが判断できない
3番目に関しては、帝などの高貴な人から賜る恩賞に反物や衣が含まれている事とか
貴族の屋敷に押し入った物取りが他の家財に優先して家人の着衣を剥いで行ったなどという話からするに
結構な高級品として扱われていたのではないかと考えられる節はあるかも
>>177 いやいや。
まず、十二単は今でこそ超高級装束だが、当時としては
言ってみれば、上等のメイド服だ。
身分の上の人に敬意を表すためにちゃんとした格好で奉仕するという形。
だから、そんなに金はかからないとするのがベースだろう。
下に使える者のほうの装束が目上と逆転するというのは
正に本末転倒だし、財産や収入の面から物理的にも無理だろう。
さらに、あわせなどは季節ごとに色目を変えたりしなければならず
変えたらそれに合わせて上着や唐衣も変えないといけない
(通年用の色目もあるにはあった)
ということは、身分の低い側貴族の娘の家にそこまでの負担は
現実として無理だろう。
もちろんそれが出来る貴族もいただろうが、数多い女官全部に
当てはまる話ではないだろう。
当時の詳細なデータがないと破格かどうかは判断できないと言っているのであって
高くて当然だとは言ってないのだが
判断できるとおもうけどなあ。
現代感覚の「破格」という位置に無いと言う事は
上記の理由からないだろう・・・というくらい「判断」できない?
けっして安為な位置にあるものではない(没落貴族が
奉公するには、貸し衣装(?)でやるしかなかったくらいだから)
だけど一式1千万円?というのは余りにも、おかしいって。
奉公するのは何を言っても生活のためだろう。
それにはまず服に1千万円・・というのは変だよ。
服に払う1千万有ったら、貴族のような生活が継続できるだろwww
181 :
天之御名無主:2008/05/27(火) 02:21:14
>>175 ありがとうございました
よく露出してる平安絵巻って確かに貴族の遊びシーンか庶民の飢饉シーンばっかで食事シーンはないですね
ご飯を炊いて食べてたのが一番意外でした
芋粥(甘いんですよね)のイメージで、芋とか豆とか雑穀だったのかと
キジはよくて鶏や卵がダメとはまた面妖な…
猟科の野生のキジや鴫や鴨を食べてたのは納得いくんですが鶏と卵がタブーはなんでなんでしょうか
宗教的な理由なのか、所謂下賎な食べ物とされてたんですかね?
飢饉は別として平時は庶民も結構いいもの食べてたんですね
これも意外でした
ご飯を炊くといっても、今の飯よりはちょっと固め
今のご飯くらいに水分が多いのは「姫飯(ひめいい)」といって
歯の悪いお年寄りや病人しか食べなかったそうな
>>181 >宗教的な理由
そのとおり。
朝を告げる鳥と言う事で神聖視していた。
でも食って処罰された人のこと書いてある物もあるので
食べている人は食べていたのだろうと思う。ww
>>178 メイド服は違うんじゃないのかなー
だって、位のある女官として朝廷に出仕するときにも着るんだし
国会議事堂の中で女性議員や官僚がメイド服とか着ないよね
>>184 いや、違う。メイド服で正解。
やっていることは、メイド。
位のある女官なんていって
宴席で給仕しているときに、
服を脱がされかけて逃げたりするような
境遇になるわけ無いだろ。
出仕するのは身分ある貴族の娘だが
奉公先(宮中や貴族の家)は、もっと身分の上の貴族とか
その正室さんとか皇后とか自分より遥かに上の人のところばかり。
>>184 更に、十二単を着て宮中に参内していると言う事は、
「女性議員や官僚」的身分ではない証拠。
身分ある女性は袿姿でくつろいでるか、
正装のときでも小袿や細長を着た。
現在の皇室では皇后や后に十二単を着せる場合があるが
あれは本来の時代の使い方から言うと本末転倒。
上の身分の人は楽な格好。下に仕える者が
きっちり着込んだ礼装が当時の常識。
メイド服ほど特化はしてなさそうだけどな…
例えるならスーツ+パーティドレスみたいな感じか
とりあえず、煽り口調で議論してるお前ら
発言にはソースつけてくれ
何々という物語や日記にこういう描写があって言ってるのか
個人的な思い込みと偏見で言ってるだけなのかわかんないからさ
煽り口調?の俺ですww
てか、そんな風に読めたのならスマン。
装飾を削って要点だけ書きつらねていくほうが
俺の趣味なのでこうなった。
ソースだが、「裳唐衣」「女房装束」「袿」「小袿」
などで、ぐぐるとそれなりに判ると思います。
俺はそうやって調べました。
(この時代の小説書くときに色々WEBで調べたのだ。)
{十二単}という言葉は江戸時代からで当時はそんな言葉は
無かったとか、俺自身いろいろ勉強なりました。
じゃあな。
学問板で草生やしてる奴とか
それだけで荒らしに見えるし
>>187 ついでだから書いておくが、そう言うものでもなかった。
くり返しでスマンが十二単は「メイド服」だ。
比較的身分の下の貴族の娘が、相対的に上の身分の所へ
出仕、奉公するときに着るものが「十二単」です
(当時は裳唐衣、五衣唐衣裳 といった)
初め俺も「十二単」と「袿」「小袿」・・・などの区別が全くつかなかった。
イラストとか絵巻見ても{みんな一緒}にしかみえなかった。
でも区別がつくようになると、絵巻とかは、ちゃんと書き分けられている。
ただし、江戸時代とか後世に平安時代の事かかれたものは考証が曖昧。
(有名な「小野小町」の絵図とか十二単着てるのが多いが
小町の時代には、十二単は無かった。)
そのあたりは、差し引いて、考えてみないといけないですが。
>>190 そうか、すまんな。
俺ここの本住人?でも無いしな。
でも書いていることは本当だ。
自分のために十分調べた結果だから。
ではでは。
ネットで調べただけでそこまで上から目線になれるのも凄いですね。
ちょっと感心しました。
ちなみにちゃんとした業者にちゃんとした素材で作ってもらう有職装束がバカ高いのは
材料費・加工費・その他に照らしてそこそこ妥当でしょう。
コンスタントに数の出る商品じゃないから注文がある都度の特製でコストも下げられないわけだし。
振袖や訪問着だってデパートで売ってるような安物ならいざ知らず、
ちゃんとした呉服屋で本物の材料で仕立てたものだと100万越えはざらですから。
個人的にはWeb知識は孫引きだと思ってるから
なるべくそこで紹介されてる参考文献なんかがあれば
そっちを参考にするなあ
とりあえずウィキペディア鵜呑みにしてpgrされたりするのは恥ずかしいよね!
ネットは貧者の百科事典だからね。
もっとも玉石混交の玉と石を見分ける目が必要。
それがあれば、学会提出用の論文とか
書くのでなければ、そこそこ役に立つ。
まあ「目」がなかっても簡易的に
区別する方法もあるにはあるけど。
上から目線の俺です。そう見えたのなら、どうも申し訳ありませんでした。
単なる2ちゃん用語、方言、スラング風な書き方が、ここではそう言う傾向に
とられ易いのだと判りかけてきました。以後気をつけて行きたいと思います。
なお、価格は現在においては、仰られるとおりですが、当時としては今ほど希少な物ではなく、
手工業とは言え、現在よりは通常に流通する物であり、これまた現在のように受注生産が主という物でもなく、
更に、中、下流の貴族の者がある一定の消費する物であるという前提で、確かに庶民に買えるものではなく、
没落貴族でさえ、レンタルで誤魔化すしかないほどのものであろうとも、当時の相対価格としては
仰る高級振袖相当〜・・のものであろうと推察するのが妥当・・・と考えるのが、先の私の書き込み根拠です。
書籍等による裏づけの無い物を、ここには書くなと言うご指摘だとしたら従うしかありませんが、
大方の傾向として、外れた考え方ではないと、勝手に考えています。
また、「メイド服」というのは、私独自の例えですが、WEBで調べる限り私の理解の仕方に
準拠した物は見つかりこそすれ、逆は見当たりません。比較的詳しく長くそれなりの知識の
ある方が研究しておられる分の発表であろう所ぼど、私の書き込みに準拠する内容が発表されています。
よって当時しては「十二単は、その場の一番下の身分の者が、目上に対して敬意を表すために着るものである
(裳の着脱にみられるように・・)」という考え方に帰着しました。
しかしこの考え方、数多いWEB上の書き込み傾向が全て玉石の「石」であると言われれば
返す言葉はありません。
そうではない。私が「上から目線」??で否定した{十二単はスーツ+パーティ服だ。}
{身分ある女性「議員、官僚」相当の女性が参内時に着るものであるのだ}・・的なことが書いてある
書籍等が存在するなら、ぜひとも後学のために御教授くだされば幸いです。
貨幣価値として換算するのはむずかしいから、
当時の贈答品の中から価値を探ぐるとか、
あらゆる階層の中で相対的にどんな感じだったかを
探っていくしかなさそう。
あと、刺繍やら染物は貴族女性のたしなみだったし、
仕立ても自分たちでやるわけだから現代の有職衣装の
値段とは単純に比較できないと思うしなぁ。
>>197 >単純に比較できない
というか相対価格で見るしかないと思う。
現代の有職衣装は、プレミア的希少価値が上乗せされたり
ステイタス的に高いものほど売れる的圧力が非常に高いから
たとえば純粋に素材と手間賃と・・というような価格ではない。
だから、その分考えないといけない。
その点で、たとえば江戸時代の大名の奥方、娘などの
打ち掛けなどの価格は、かなり当時の相対価格の参考になると思う。
もちろん服作成自体の技術や素材、その生産技術の違いは
敢然と有るし、さらに当時にもステイタス的な価格の上昇圧力も
無かったとはいえないが、現代のそれよりは「実用品」という点で遥かにましだろう。
ウェディングドレスが一回しか着ないのにバカ高いみたいなもんですよね
今時の有職装束のお値段は
部屋の中で排泄してたってのが衝撃だった
知れば知るほど幻滅させられるのが平安時代
>>200 >知れば知るほど幻滅させられるのが平安時代
ベルサイユなフランス貴族の生活よりまし。
平安時代にあった、おまるりようなものもなく、
マジでその辺に捨てていた。
だから宮殿はめっちゃ臭いし病気の温床。
ま、だから香水とかが発達したわけだが。
知れば知るほど幻滅させられるのが「ベルサイユの薔薇」
ww
メイド服ってどういう意味で言ってるんだろう
メイド服は簡素な仕事着で、使用人のお仕着せみたいな認識してたけど、
メイド服=十二単はちょっと言いすぎじゃないかなと思うんだ
「使用人の身分としての服」と言う意味でならイコールでつないでも問題ないけど、
実際概念がかなりかけ離れてる気がするぞ
少なくとも力説して「十二単=メイド服」と言い切るのはちょっとどうかと?
外国で言うとコンパニオンとか家庭教師とか?……も合わないか
単なる仕官服ってことで。
社交服なかんじに思っている書き込みに
たいしてのもの。
ちなみに酒宴の給仕とかも十二単で
やっていたらしい。やりにくかっただろうが
それが礼儀だったんだろう。
まあそんな例がメイド服そのものでしょ
よった男に服の枚数数えられてして逃げ出す・・
なんて書いて有ったのはあれなんだったっけかな。
>>203 十二単は「宮女の制服みたいなもの」ならわかるが、
メイド服にこだわるのはなに?
メイドはブルーカラーで、絶対に貴族の女性とかがやるもんじゃなかったよ
仕事の内容が似てるからだけでこじつけることではない
しかも仕事の内容と言っても「家庭教師」とか「話し相手」とかは含まれないし
誤解を招く表現だと思うけどね
それなら「十二単はコックさんの服みたいなもの」と言う言い方もできるわけだから
(「それが礼儀」と言うカテゴリでくくるなら)
それと、メイド服は今で言う「メイド服」を想像してないか?
昔は簡素な服にエプロンやらをつけただけだぞ。
要するに「働きやすく、見苦しくない」服だ。
メイドというより家政婦って言った方がイメージしやすい。
また、家庭教師はメイドとは別格で、これまた地味な服装をするのが常だった。
ただし、制服のようなものはなく、とにかく地味な服。
金がない良家の女子などはこれをやることもあった。
話し相手、コンパニオンもメイドなどとは別格。
これまた良家の子女がやっていた。要するに貴族のお嬢様の話し相手。
話し相手になるので、同階級か、あるいはそれに近い人がやっていた。
別格と言うより「階級が違うので、社会的な扱われ方もまったく違った」と言う意味。
繰り返すが、
「十二単は制服みたいなもので、本当に高貴な女性は違う服を着ていた」と言う表現なら
なにも反論することはないが、
「メイド服みたいなもの」は語弊がありすぎる。
「十二単は制服みたいなもので、本当に高貴な女性は違う服を着ていた」
という意味で「メイド服」と使っている。
あなたの言うような「メイド」「家政婦」のつっこんだ実情に基づいた事情を加味していません。
それは一般的にそれらに対してそこまでの事情を詳細に知っている人は
多数派ではないと、まわりをみて思うからです。
十二単が社交服であるとか、礼服であるとかパーティ服である・・・等などの
一般的それら見解意見・・に対してこちらも一般的見識としてメイド服といいました。・
もちろん、有効統計値として役立つアンケートもしてないのに勝手に言うなという
お叱りなら、甘んじて受けますが?
私としては、文献に載ってなくても、アンケートの裏づけがなくても
常識の範囲でそういう言葉の使い方は適当であると思っています。
ちなみに、今後の参考のためにききますが
パーティ服、スーツ、礼服・・等と具体名をもってそれを表する会話の中で
「十二単は制服みたいなもので、本当に高貴な女性は違う服」という代わりに
主人・貴人などに仕えるために使った制服のようなものの名前。
「**服」って具体的な例えとして使える適当なものありますか?
いいナと思ったら、今後はそれを使っていってもいいかなと思ってます。
十二単は宮女の仕官服、でいいんじゃないの?
メイド服よりは理解しやすいぞ、一般常識的に
個人的にはスーツもわかりやすい
しかし、あなたの言うことを鵜呑みにしてだけど、十二単に本当に社交的な側面はなかったのか?
給仕するから違う?
単に身分差をあらわすもので、仕事はするが十二単に社交的な意味はあった、
ということはないのか?
社交服と言うよりは仕官服の側面が強かったのかもしれないが、
彼女たちの仕事場所が宮廷で、そこで社交も兼ねる以上、社交的な意味合いがないとは思えないんだが
それとも社交は別の場所でしていた、とか?
それなら社交用の服があったのだろうか?
個人的には十二単より平安時代の庶民の生活に興味がある
暗黒時代ってイメージが強いが、それは羅生門読んだからかもしれん
その辺りも知ってたらついでに教えてくれるとありがたい
209 :
天之御名無主:2009/01/27(火) 18:45:54
貧しいながらも、文化的な生活をしてたよ。
薬玉を飾ったり、歌を詠んだり、お寺に行ったり。
蜻蛉日記に少し庶民の生活が載ってる。
>>209 ほう、そうなんだ
ありがとう
羅生門のあの有様は、飢饉か戦争の時かな?
他にも平安京は国際色豊かだったとか聞いたことあるな
>>208 >十二単は宮女の仕官服、でいいんじゃないの?
今度は私が突っ込み返す形になるが、仕官服・・ときいて、はてそれを実態的に
一般の人がうまくイメージ出来るかどうかということもあるのじゃ?
当該女性が昇殿するのは、別に官位を受けたり役人になったりするのではなく、
お偉い女性に仕える・・(だけではないが)のが、女房であり、
実態は「お返りなさいませ、ご主人様」的にかなり近いものだと見えるぞ。
それこそ家政婦とかお手伝いさん・・だよ。少なくとも「仕官」ではないよ。
紫式部とか清少納言も、役人でも作家身分でもなく、
ただのお手伝い身分のなか、たまたま文才が目に止まっただけで
身分はあくまでも家政婦なお手伝い的なメイド。「女房」なんですよ。
あと、社交面だけど、基本的に貴族の女性が宴会や、それに類するものに出ることは
宮中の給仕以外に無いのが実際。西欧の舞踏会のような位置に相当する
「女性も参加する社交の場」「女性だけの社交の場」と言うものは、基本的に有りません。
成人女性の服は外出用をのぞくと袿姿か細長で、目下の者が十二単。
その中で一番下の者が喪までつけた姿で礼儀をあらわします。
>>208 >>203で自分が仕官服と言っているよ。
その意味で俺も仕官服と言ったんだけど、違うならそういうたとえを使わないで欲しいな。
>当該女性が昇殿するのは、別に官位を受けたり役人になったりするのではなく(中略)
>それこそ家政婦とかお手伝いさん・・だよ。少なくとも「仕官」ではないよ。
これは仕事の内容が似ているし、「仕官」ではないから「メイド」とたとえても問題ない、
ってことなんだろうか。
それなら「仕事の内容は今で言うメイドのようなものも含む」とだけ言えばいい。
服に言及することはない。理由は下記した。
>「女性も参加する社交の場」「女性だけの社交の場」と言うものは、基本的に有りません。
なら、宮廷で社交を兼ねていたと理解するよ。
西欧の舞踏会の位置に相当するものがなかった、のはよくわかる。
しかし広義の「社交」は宮廷でしていたと。
それなら、十二単はあの格好の動きづらさと言い、社交の面が強かったのでは?
本当に高貴な人が違う服を着ていたのは、単なる(貴族内の)身分による服装の違いとも言えるのでは。
それとも、十二単を着ていた人たちの正装ってのは、他にあったのだろうか?
「十二単を着ていた人たちの仕事はメイドっぽい仕事だった」と、
「十二単の服としての捉えられ方」では分けて考えるべきだと思うが。
本当にメイドのようなものだったら、一般の女使用人もメイド服であるところの「十二単」を
着ていると思う。
着ていなかったのなら、それは仕事の内容に服が関わっているというよりは、
「その身分の人たちの正装が十二単」であり、「その人たちの仕事がたまたまメイド的だった」でいい。
宮廷だから、礼儀だから、と言うのなら、宮廷で働いていたそれこそ下働きの人たちも
「十二単」を着ていたの?
あれ、まだ続いてたのこの話題
ちなみに宮廷行事にダンスパーティは無かったけど
「踏歌節会(とうかのせちえ)」という多人数で足を踏み鳴らして調子をとりながら
歌を歌う催しはあったよ
男踏歌と女踏歌に分かれていて、もちろん女性も女房装束姿で
紫宸殿の南庭で歌い踊ったそうな
>>212 >宮廷だから、礼儀だから、と言うのなら、宮廷で働いていたそれこそ下働きの人たちも
>「十二単」を着ていたの?
下働きは着ていません。十二単は女房の装束です。
また女房は、宮廷だけではなく一般の貴族の家にも雇われていました。
そこでも同じように十二単を着て「奉公」していたのです。
女房は経済的に苦しい貴族の家が給料のために働きに出ている図と言うことを
忘れてはいけません。お金で雇われている使用人の身分です。
つまり十二単は、貴族の娘が仕える為に着る。その場での
仕えている身分をあらわす装束だったのです。
その点からもメイド服(メイド用の制服仕様)であると例えられると思いますが。
また、社交は使用人としての身分ではしません。
>>214 だから、身分としての服と、仕事とは分けて考えられないの?
他に正装がなかったなら、十二単が正装を兼ねてたんじゃないの?
少なくとも貴族用の服ではあったわけだよね。
あと、社交については
>>213にあるけど、女房装束って言うのは十二単じゃないのか?
それなら十二単で社交しているね。それとも女房装束が別にあった?
仕事の内容がメイド的であることと、お金で雇われているのはわかった。
が、それは十二単とはひとまず分けて考えた方がいいと思うけど。
他に正装(貴族の娘の立場として着る服)が別になければ、
「十二単は中級〜下級貴族の娘の服」として扱って問題ないと思うよ。
メイド服と言うよりは階級面での服装の方だろう。
「十二単がメイド服である」と言い切りたいなら、
使用人としての身分以外で正式な場に行く時の服装が別にあるはず。
>>213の歌会に使用人としての身分で参加してないみたいだが、
付け焼刃ながらググったところ、「女房装束=十二単」であるとのことだ。
>もちろん女性も女房装束姿で
十二単というのは、裳唐衣(もがらぎ あるいは五衣唐衣裳 いつつぎぬからぎぬも
または、女房装束 にょうぼうしょうぞく)と言います。
十二単と言う言葉は江戸時代から。現在でも皇室ではこの語は用いられていない
踏歌節会に女性が十二単を着て参加することは有ってもそれは舞子の装束であって
女房がその身分で出ることはない。だから女房の社交服ではない。
>貴族用の服
ではなく、もっと狭く女房の服。貴族の女性は袿か細長。
「十二単は中級〜下級貴族の娘の服」として扱って問題ないと思うよ。
問題あり。基本的に雇われ身分、メイドになってない中・下級の貴族の娘は
十二単は着ません。
>正式な場に行く時の服装が別にあるはず
ありません。貴族の娘は、女房になるか天皇に見初められて
昇殿するかだけ。それ以外は屋敷から出なかった。
ただし旅装束というものはあった。
何度も連カキコすまない。
自分なりにネットでちょっと調べてみた。
主に調べたのはwikiだから、信用できない情報かもしれない。
女房装束について調べていたら、釆女と言うのに出会った。
釆女とはなんぞ?と思ったら、wikiには以下のような記述が。
>采女(うねめ)とは、日本の朝廷において天皇や皇后に近侍し、食事など身の回りの雑事を専門に行う女官のこと。
>平安時代以降は廃れ、特別な行事の時のみの役職となった。
>発祥ははっきりしないが、『日本書紀』によると既に飛鳥時代には地方の豪族がその娘を天皇家に献上する習慣があった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%86%E5%A5%B3 >采女装束(うねめしょうぞく)とは、全国の豪族から選抜されて天皇の給仕係などとして〔略〕
>同じ宮中の女官といっても、基本的に頭脳労働中心の女房が身に着ける女房装束に比べて〔略〕
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%87%E5%A5%B3%E8%A3%85%E6%9D%9F と、あった。
これを見ると、別に十二単を着ていた人たち(=女房)は、頭脳労働中心と書いてあるが、
どうなんだろうか?
そうなると、釆女装束はメイド服と言って過言ではなさそうだが、十二単は違うと言う話になる
おっと、カキコしてる間にレスがあったな。
>踏歌節会に女性が十二単を着て参加することは有ってもそれは舞子の装束であって
>女房がその身分で出ることはない。だから女房の社交服ではない。
女房がその身分で出ていないにも関わらず、なぜ十二単を着ていたのか?
その時女房として参加していないのなら、別の服を着ているはず。
それこそ「桂か細長」でいい。
目上の人がいたから、女房装束で出たのだろうか?
だとしても、その服で社交を兼ねている以上、女房装束には社交服の一面があったと言える。
>貴族の女性は袿か細長。
>問題あり。基本的に雇われ身分、メイドになってない中・下級の貴族の娘は
>十二単は着ません。
それでは、十二単は出仕(まあ正確には違うのかもしれないが)用の服であった、と。
まあ
>>218に書いたように、釆女と言うのも別にいたようだね。
貴族の女性は出仕以外外に出なかったのなら、基本的に宮中で「桂、細長」姿だったのは、
皇后、天皇の娘辺りだったということになる。
ということは、給仕は釆女がやっていたと言ってもよさそうだ。
また、釆女は貴族ではなく、豪族の娘がやっていたようだ。
>>219 >その服で社交を兼ねている以上、女房装束には社交服の一面があったと言える。
いえません。社交のために出ているのではありませんから。
なお何度も出てくる「社交」ですが一般に平安貴族女性は
身分に関わらず西欧貴族のやっているような趣旨の「社交」はしません。
もちろん、各個別の交流はありましたが、パーティ的な位置付けの
「社交の場」はありません。よって、それようの服もありません。
らしいことをやっているのは、コミックや近代小説だけとおもってもらって構いません。
例に出た踏歌節会も一年の内一日だけです。100歩譲りその日は社交の服の役割としても
後の364日はメイド服です。
>給仕は釆女がやっていたと言ってもよさそうだ
・・・もやっていたでしょうが、女房もやっていました。
釆女は主に豪族が逆らわないようにという
天皇への人質ですから宮中のへ奉公が主。
女房はそうではありませんから、前に言ったように貴族の屋敷に
勤めることもありました。そこには通常、釆女はいません。
ですから女房が酒宴の給仕をすることが主です。
>>220 確か、一般的なたとえの話をしてるんだったよね
その意味では一般的にイメージする「社交=貴族同士の交流」があればいいわけで、
西欧貴族の社交そのものである必要はないです
よって、パーティーである必要もない。俺は「広義での社交」とどっかのレスに書いた
一般的なたとえの話じゃないんだったら、メイド服も無理だよ。メイドそのものじゃないんだから。
俺はそのメイド服ってたとえが無茶じゃないか、と言っているわけだから、それならそれでいいんだが。
それと、どうして女房装束で歌会に出ているのか、答えを聞いてないよ
どうして出ていたのか?
あなたの言うとおりならば、女房の立場では出ない上に、十二単はメイド(女房)専用用途なわけだから。
また、その歌会が一年に一度しかなく、しかも他の行事がまったくなかったとしても、
上の方に書いた一般的な社交の意味で、年中宮廷で社交を兼ねていたわけだから、
社交服の一面もあった、でいいと思う。働くこと専用だったらさすがにもっと簡素な服でおかしくない。
それから、彼女たちの身分が宮廷に出る時に身につけていたが、
それと仕事の内容は別であるかもしれない、と言うことについてはどう考えていますか?
たとえば、女房の仕事には家庭教師やらもあったようです(wikiより)。
もちろん給仕もしていたかもしれません。
なら、メイド的な意味あいの服と言うより、単に彼女たちが宮廷に出る時に着る服、
とした方がすっきりします。
わかりづらいかもしれませんが、以下のような意味です。
「女房の中にもいろんな仕事をする人がいただろうと思います。
>・・・もやっていたでしょうが、女房もやっていました(以下略)。
レスの根拠をURLでお願いします(↑の文から始まる一センテンスすべてについて、です)。
ウィキでは女房は頭脳労働中心、ようするに秘書的役割が大きいと述べています。
まあ確かに給仕をすることもあったかもしれませんが、それだけではないということはあるでしょう。
それに反証するなら、URLをお願いします。
失礼、一度削った文を削除したまま投稿した。
>>221の
>「女房の中にもいろんな仕事をする人がいただろうと思います。
以下の文は、こう続きます。
「女房の中にもいろんな仕事をする人がいただろうと思います。
家庭教師であるとか、主におしゃべりして主人を楽しませる人だとかがいたとします。
メイド的な役割の人も、いたでしょう。
(個人的にはメイドとは違うと思いますが、「一般的な意味で」とします)
それらの人たちが全員同じ服を着ていたのは、要するにその階級の人たちの出仕用の
服が十二単だというだけであり、メイドというのは仕事の一面に過ぎないのでは?」
ようするに、後世の人が、現在の我々の生活を調べたとします。
学生服について調べました。すると、当時の学生が放送部をしていたとわかった。
そこで、「学生服は放送部用の服である」と結論するのはおかしいですよね。
言っていることが極端だと思いますが、たとえです。
俺がなにを訊いているのか、わかりづらいと思ったのでめちゃくちゃなたとえを持ち出しましたが、
これで理解してもらえると思います。
つまり、「仕事にメイド的なものがあったかもしれないが、そこのみで捉えるのはどうか?」
と、言いたいのだと思ってください。
最後に、これからしばらく家を離れなければならず、
ネット環境もままならない場所に行くので、しばらくレスできないかと思います。
論旨には対立があったけども、相手してくれてありがとう。
帰って来てレスがあり、俺がレスできるようなら、また書き込みます。
>その意味では一般的にイメージする「社交=貴族同士の交流」があればいいわけで、
>西欧貴族の社交そのものである必要はないです
では、社交はありました。女房同士で碁を打ったり歌を交わしたりはしました。
その時に来ていたものは、十二重ですから、十二単は{社交服}かも知れません。しかし・・
>踏歌節会
私も学生服の例を考えていました。今は皆無と言ってもいいですが以前は結婚式や葬式など
中高生などが参加するとき学生服で参加している例が多々ありました。これは失礼でもなく
普通に社会的にも認められていました。買い物に出かけるときも学生服であったときもありました。
しかし、学生服は学生服であり、礼服でも喪服でもないのではありませんか?
それと同様に学生服で社交パーティに出てもそれは学服であり
社交服ではないのではないでしょうか。私はその意味で説明をしてきました。
踏歌節会は私の例えに言う結婚式などに比べ、
はるかに頻度は高いですが、その学生服のような
良く似た用法ではなかったのでしょうか。
さらに、十二重は季節により重ねの色目を変えることが基本でしたが、通年使用可能の
色合わせもありました。社交服というどちらかと言えば、おしゃれを競う性質が強い服なら、
そのようなものは存在しません。メイド的使用人の女房の制服形の服ゆえ
義務的に着なくてはならないものだからこそ、その性質が主だった使用法なればこそ
通年使用などという用途が出てきたのです。
十二単に対する誤解がどこから生まれてきたのかは判りませんが、
皇室使用においても皇后等が十二単を着て映っている写真があります。
あれも最高位の女性たる皇后が着る用法では本来無いのです。
平安時代のことを良く知っている皇室その回りが、何故本来と違う
服の用法をするのか、どなたかご存知の方がおられれば、教えていただきたいです。
また京都の祭りの斎宮や斎王代などにも着せますが、本来であれば、
おかしいのではないかと思えます。宗教や祭りの詳細は知りませんが
神に仕えるべくしての最高の女性が十二単で、その御付役の女性が
袿姿や小袖では、実際に使われてた時代の使用法から見れば
本末転倒のようにしか見えません。
もっとも良く見る例は、雛人形です。内裏様の嫁たるお后役の人形が
十二単で喪までつけて座っているなんて、平安時代ではありえません。
ありえませんが、そういう本来の用法で無いものが正しいことのように
伝わってしまっているからこそ、たとえば十二単はメイド服であると言う例えに
違和感を強く感じるのではないでしょうか。
メイド服という例えは、正しくないのかもしれません。しかし当たらずとも遠からずなのです。
本来の使用用途が周知されていれば、「その場にいる低いの身分の貴族女性側の
着るもの、使用人のものだ」と広く知られていれば、また反応も違っていたのではないでしょうか。
そう思えてきます。
えーと、とりあえずお前らは
「物具(もののぐ)装束」でぐぐりなさい
あと簡単だからってネット資料だけじゃなく
服飾系の文化歴史学の本もちゃんと読みなさい
高田 倭男 『服装の歴史』とか近藤 好和 『装束の日本史』あたりはお勧め
なんかメイド服メイド服うるさい人はあれよね
「十二単=メイド服」なんて上手い事言ってやった俺スゲー!
って思ってたら他のスレ住人にお前バカじゃねーのとか言われて
引っ込みがつかなくなっちゃってんじゃないの
>>226 でも、「女性が公儀の場に場に出ることを嫌い
自体に廃れた」らしいが。>物具装束
で、物具装束が上の人の言う「社交服」だと?
私は違うと思いますけどね。社交に使う服ではないでしょ、あれ。
で例により物具装束でぐぐっても十二単が「最高の装束」とか
正装とか言ってるの多いねえ。まあそれは正解かもしれないが。
たとえ服として最高でも、身分立場として最高の人が着るものではないと言う
事がわからないよね、あれでは。
ご紹介の本では「使用人の身分が着る服」だとちゃんと説明されているのですか。
違うと思いますけどね。
で片付けないで、根拠となる本とか、せめてネットのアドレスとか併記した方がいい。
ネットは信憑性において本よりも落ちるけど。
思うだけなら、根拠などなくてもできるからね。
学問板だし、ちゃんとしておこう。全般的に根拠が示されておらず、説得力に乏しく見えるぞ。
メイドだと主張している人は、一度も根拠を具体的に示していないね。
ちなみに、私も不勉強ながらネットでしか調べる手段が今ないので、
どっちが正しかろうと、詳しく知ることができれば大歓迎だよ。
「らしい」とか「思う」とか「ネットで見ました」程度で断言するなよ
学問板なんだから
>>229 どちらの本も読んでいないのが丸バレですね
『服装の歴史』138頁では
「女房装束は公家女子の正装である。(中略)中宮以下女房たちが後宮という天皇の私生活の場にあって
着用する衣服であるため公服にして私服的性格を帯びたものといえる(後略)」
『装束の日本史』194頁では
「皇后を含めてこうした女房達に着用されたのが女房装束であった」
とあります。
「使用人の身分が着る服」だなどと何ページの何行目に書いてあったのか抜き出せますか?
>>229ではないが、「ちゃんと説明されているのですが」ではなく「いるのですか」
になってるから、そこはいいんじゃないかな
ネットで得た知識(なんだよな?)をもって、出版されている本に
「いるのですか」はないと思うけど
そもそもメイド君の主張は前提条件からして間違ってるだろう
女房装束(この表記が勘違いの元っぽいが)は公家の女子にとっての正装なんだから
低位の公家の女子が女房として裕福な貴族の屋敷に仕える時は裳唐衣を着けて正装する
自分の屋敷では重ね袿姿でラフに過ごしてる女主人だって後宮の女御なんかに仕える時は裳唐衣を着けて正装する
自分の局では重ね袿姿でラフに過ごしてる女御や中宮だって帝の前では裳唐衣を着けて正装する
例は少ないが女帝とて宮中の公の場に出るときは裳唐衣を着けて正装する
お雛様が裳唐衣を着けてたって何もおかしくありません
十二単を着るような女性はどんなに下臈でも貧乏でも身分的には貴族だし
本当に下働きとしか言えない身分の女は単どころか小袖を着るのがせいぜいってところ
>>234 明戸君(?)です。
十二単を着ている人を下賎の民的な説明はしたことはありません。
WEBの知識でも貴族の娘だと言うこと位は判ります。
「その場にいる一番下の身分、立場の者(女性)が着るもの」だという
ことを言っているだけです。いちいちコピペせず、つっこみどころ満載の
いき辺りばったりな思い出し書きなので単語や言い回しが、
そのレスによって微妙に違うことはあります。
他の当該書き込みは、それを補足したり例えを使ったりした
ものであり、丸々受け取ってもらっても困ります。
使用人という言葉も比ゆであり例えです。
使用人のキャラクター、ペルソナ、役割・・・・等などの人の正装と言うことです。
女房と言うのはそう言うことでしょう。そして十二単は女房装束なのですから。
お雛様飾りは自分の城か屋敷内の模式ですから、あの姿はおかしいですよ。
家来だけならまだしも、家具が有るのは家内だという記号です。
>>234の人じゃないけど、十二単は女帝でもつけた記録があるようだから、
本当に単なる正装なんじゃないかな
女帝がその場にいる一番下の身分ってことはないと思うし
家具は、結婚式の象徴じゃないかなあ(嫁入り道具)
要するに、お雛様は結婚式をかたどったもので、正式の場でのことになる
その辺詳しく知らないから、適当に言ってるだけで的外れだったらごめんだけども
詳しい人のレス求む
>お雛飾り
足元は緋の毛氈で背後に金屏風があるもん
そりゃ結婚式とか晴れの場でしょ
牛車や沓持ちの家来、武装した衛士、家具とどう見ても嫁入り行列です
仮にそこが屋内だとしても、隣にお内裏様すなわち束帯をバッチリ着込んだ帝が座ってる状況で
后が重ね袿でくつろいでたらそれこそおかしいんじゃないかと思います。
そういえば、平安時代とその前は、沓を履いてたんだよね
いつごろから沓を履かなくなったんだろう
沓を履いていた貴族階級に替わって武士が台頭して、
乱れ緒(草鞋)、緒太(草履)を履く層が主流になったからじゃないかな
>>223だけど
女房装束(十二単)は、貴族女子の正装、でいいのかな。
・
>>232の文章にあるように、皇后や公家女子の正装として使用されていた事。
・宮中は私生活かつ、仕事の場であり、なおかつ『宮中』と言う公的な場でもあった事。
・よって、ラフな服装(桂など)でくつろいでいる時と、正装をしている時があった。
正装をしている時は、仕事中か、公的な場など。
>>226の方、不勉強で申し訳ない。学問板にも関わらず、ネットでしか調べる手段を
持っていなかったので、本の紹介はありがたい。
どちらも入手しやすそうなので、本屋で注文してみようと思う。
メイド服については、確か「仕事がメイドそのものである」事、
「お金をもらって使えている使用人の身分の人が着るものである」事を根拠に、
メイド服であるという主張だったはず。
「仕事がメイドそのものである」事については、ソース求む。ネットでもいい。
ちなみにwikiには「頭脳労働中心」とある。
「お金をもらって〜」は、別にそうでもない人達も正装では女房装束を着用していたらしいので、
これはもう違うと言って差し支えないと思う。
そうでないなら、明確なソースを提示して欲しい。
ちうか、メイド服だって言ってる人は「女房」をひとくくりのカタマリとして捉えてて
その中に上臈・中臈・下臈の区別があることは知らないのか意図的にスルーしてるかで触れないのね
「女房装束」って言うから誤解の元になるんだよ
ほかの女性用装束と同じで一番上に着てるものから取って「裳唐衣装束」の呼び名を一般的にしようぜ
メイド君はそれ以前の問題じゃ。
245 :
天之御名無主:2009/02/08(日) 09:27:59
メイドくん来ないね
わざわざ上げなくてもいいんじゃね
247 :
天之御名無主:2009/02/08(日) 17:13:00
はいはい
248 :
天之御名無主:2009/02/08(日) 17:32:23
そういうこと言うとあげたくなっちゃう!
しかし、「現代で業者の売ってる有職装束が高すぎる」ってだけの
どーでもいい話題でよくもここまでダラダラ引っ張ったな
そもそもここまでのレスの流れを見てると
このスレ民神板よりも日本史板の管轄なんじゃね?
みたいな気がしなくもない
女狩衣(昭和の時代に生まれた女性神職の衣装)を
普段着のように着こなしてるとある神社の娘さんが
「胸を締め付ける今の和服は嫌い」
「あんな無茶苦茶窮屈なものは、明治になってから生まれたらしいのね」
「平安装束は袴やプリーツスカートだから、立膝も出来るでしょ」
「今の一般的な和服では、立膝で座るなんて、絶対考えられないでしょう」
「どうして、こんな着心地のいいものが、退化して駄目になっちゃったのかな」
と疑問を呈しておられました。
理由が分る方はがおられれば、よろしく。
平安時代って言うか服飾史だな。
平安中期ごろに下着として小袖と袴を着た上から単や袿を着る習慣が貴族女性の間に定着したが
(前期の頃は小袖が無くてマッパの上にいきなり袴だった)
平安後期、鎌倉あたりになると貴族は貧乏になって重ね着の枚数が減り、
代わりに台頭した武家の女性は最初のうちこそ貴族を真似て小袖に袴姿だったが
次第に袴に替えて湯巻(腰から下に巻きつける巻きスカート状のもの)を簡便に着るのが普通になる。
その辺で女性の袴着装の習慣が消滅し、室町以降は袴を穿かない所謂「着流し」が当たり前に。
小袖は下着からアウターに昇格、貴族を真似て重ね着をする際も上半身にだけ小袖を何枚も着て
一番上にとりわけ豪華な打掛を着る様式に変化。
(なお庶民の女性は平安ごろから既に小袖の着流しスタイルが普通)
室町期以降は小袖の華美化、振袖化が進み、それまでは少し幅広の布で結んであるだけだった帯も
江戸中期に入る頃からどんどん厚く幅広くなって後期にはもう時代劇で見るような着物姿が定着している。
つか、平安時代の貴族女性は家の中で座ってるか膝でずりずりいざってるかだから
あんな長袴で生活してられたけど、機動性という意味ではどうかと思うなあ…
女でも動きやすい行灯袴とか穿けるようになったのはむしろ明治以降のような気が。
そりゃ狩衣はスポーツウェアだから動きやすかろうが
フル装備で20sぐらいある女装束を着て着心地いいとか言えたらむしろ尊敬するわ
>252
丁寧なレスありがとうございます。
江戸時代の着物は、あまり胸を締め付ける物ではなかったとか。
明治に入って、どうして窮屈なものに変ったか判りませんか?
>253
女狩衣に一枚歯の高下駄を履いて、
大股で山中を闊歩する巫女さんは見ものです。
アルバイトの巫女とは衣装が違うから、
巫女萌え系の写真小僧に目を付けられて
追い回されることはないらしい。
20キロか。蒸れそうだな。
そりゃ、文明開化以降は食生活や運動量が変化して
女の胸がでかくなったから「和服は苦しい」ってなったんじゃないの?
昔のずん胴ない乳な日本人にはジャストフィットだったんだよ
そろそろ十二単の話も終わったようなので、前から気になってた事を。
よく平安時代の話で「物忌みだから外出しない」的な記述がありますが、
「物忌み」というのは人によってたとえば何月何日だとか決まった干支の日だとか
それぞれ決まった日時があったんでしょうか。
厳密に日が決まっていなくて、その日の体調だとか、急に陰陽師に何か言われたとかで
「今日は物忌みにします」とかやってたら、政務や作業に支障が出そうな気もしますが
実際のところ、どれくらい融通が効いたものなんでしょうか。
259 :
天之御名無主:2009/03/27(金) 09:29:15
出発する方角を変えて出かければおk
それは方違えではないのか
261 :
天之御名無主:2009/06/28(日) 13:05:32
平安時代の女性ってトイレをどのようにしていたのですか?
十二単なんかいちいち脱ぐの大変ですよね?
かといって捲り上げるにしちゃ布の量がとんでもないですよね。
ということはトイレをするたびにすっぽんぽんですか!?(どきどき・・)
262 :
天之御名無主:2009/06/28(日) 13:08:24
あと、平安時代の小説を書いてるんですが、現代の日本人にとって魅力的な女性となると、
身分などの設定はどれくらいが好ましいでしょうか?
公家より案外平民の方が良かったりしますか?
>>261 十二単は、脱皮するみたいに脱げるんだよ。
それでもう少し身軽な格好で厠へ行く。
厠は専用の使用人がいて、お姫様なら自分で拭かない。
つーか、そもそもトイレに行くと言わない。言えない。はしたないから。
側付きが、そろそろかなって察して連れて行ったりする。
余談だけど、十二単時代から後期、打ち掛けの場合は、まんま引きずっていく。
専用裾持ちが二三人付いていく他、拭き役専用、監察役だったかな。
ここらは江戸後期で天璋院篤姫の小説なんかに描写あるよ。
もう少し最近なら、九条家の姫とかのも何かレポっぽいので見たな。
264 :
天之御名無主:2009/06/29(月) 10:36:29
>>262 厠については、増田繁夫先生の『源氏物語と貴族社会』をお読み下さい。
紙の使用は、平安後期には確認出来ます。古くは木のへらが使われました。
>厠は専用の使用人がいて、お姫様なら自分で拭かない。
>つーか、そもそもトイレに行くと言わない。言えない。はしたないから。
>側付きが、そろそろかなって察して連れて行ったりする。
この点は初耳ですので、私も出典を知りたいところですが。
身分については、あくまでも中流出身の女性からの視点ですが、『源氏物語』の
序盤にあたる「箒木」の巻の内容が、参考になるでしょう。
全くの平民ということは、なかなかなさそうです。最低でも郡司クラス。
平安後期以降は遊女が寵愛を受けたこともありましたし、雑仕女常盤という
のも出て来ましたが。
寺院の建立縁起で、狩りの最中に立ち寄った家の娘と関係を結んだ話があっ
たと思いますが、これも郡司クラスの娘だったと思います。
着物が脱皮するように逃げている絵は、中世の天神縁起に出て来ます。
世尊寺の阿闍梨を中傷した女房の段ですが。日本絵巻大成か全集参照。
×逃げている
○脱げている
失敬
女の人は漆塗りの箱に大小排泄して使用人に捨ててきてもらうそうですが
そういうのはやはり一定クラス以上の裕福な貴族限定なんでしょうか
それって芥川?最後うんこ食べちゃうやつwww
作品名忘れたけど強烈な話だったw
あれは古典で元ネタがあるだろう
美女のうんこを見れば流石に幻滅できる! と思ってうんこ箱を覗いてみたら
甘かずらかなんかで作ったいい匂いのする偽うんこが入れてあったって言う
『平中物語』です。『今昔物語集』にもありますが。
>>261 他スレより。
289 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 10:45:11
>>285 貴人は蒸し風呂に入って体を拭いた。
庶民のほうが川で水浴びで頻繁に入っていたかも。
平安時代の貴族は箱や壺に用を足した。
平安時代に行われた貴族同士の大宴会では、屏風の陰に壺が並べて置かれ、
身分によって用を足す壺が違っていたらしい。
思い通りにならない恋に苦しんだ男が
恋する女の用を足した箱を侍女から奪うという話もある。
用を足す容器のことを樋箱といい、
樋すましと呼ばれる女性がこの容器に入った汚物を所定の場所へ捨てに行き、
洗う役目を担っていた。
【飛鳥から】大和朝廷の豪族たち【平安初期】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1149638384/285-289
272 :
261:2009/07/20(月) 00:12:26
遅れましたがありがとうございます!
やはり平安時代ではまだまだおまるが基本なんですね〜
でも別に幻滅するような話でもないですね
ちゃんと捨てに行ってたんだから最近までのぼっとん便所とぜんぜん変わらない
それどころかおまるのほうが気品があるかも
屏風の陰でってのはちょっとあれですが・・
ま、捨てに行く係の身分に生まれてたら…と考えればガッカリな風習ではあろうな
274 :
天之御名無主:2009/10/12(月) 09:49:48
ふんどしを穿いていたのは
貴族だけなんですか?
農民は下着はつけていたのですか?
一般女性はつけていたのでしょうか?
貴族は表袴や指貫の下には「大口袴」「下袴(したのはかま)」というものを直穿き
(時代が下ると小袖の上から穿く)しており、
庶民でも袴を穿くものは下袴や半袴(膝上のパンツみたいな袴)を肌着としていたようです。
ふんどしの原型である「犢鼻褌(たふさぎ)」を穿いているのは袴も穿かない下層民や
労働階級が多かったのではないでしょうか。
女性は貴族ならやはり袴(長袴)です。
女性が緋袴を穿くのは体を冷やさないように、というほかに経血が目立ちにくいようにという
理由もありました。
身分の低い女性や、もう少し時代が下って袴を穿かなくなった武家・宮中の女性は
「湯巻(ゆまき)」という巻きスカート様の腰巻きを着けました。
276 :
天之御名無主:2009/10/12(月) 12:20:34
>>275 ってことは、身分の低い女性は、湯巻の下には
何もつけていなかったってことですか?
下着って言うのは一番下に着るから下着というのであって
>>276 まあトップスという意味では小袖(肌小袖)の裾くらいは入ってたんじゃないでしょうか?
ボトムという意味ではそれ以上は無いはずです。
279 :
天之御名無主:2009/10/18(日) 03:26:03
>>271 昔の貴族はおまるだったみたいだが、庶民はどうだったんだろう。
おまるを洗うのって、真冬は大変だったろうな。
庶民は、室温の上下動を低くして、冬暖かく夏涼しくすごすために、平安時代はまだ竪穴式住居だよね。
大陸のアムール川流域の少数民族の竪穴式住居では、
家の真ん中に小便をする容器が置いてあって、そこに溜まったもので手を洗ったりする習慣があって、
不潔すぎるって指摘された記録が残っているが、誤解した話が伝わっているような気がしてならない。
アイヌのチセって家の図はいろいろ見たが、トイレは屋外だったのか、書いたものが多くない。
ある古い神道の家では、トイレは大昔から特殊な加工を施したオガクズが入った容器だったらしい。
いわゆる醗酵方式と言われているもので、現代の家庭用生ゴミ処理機と原理は同じ。
ここのサイトでは、バイオトイレという名で紹介されている。
http://www.seiwa-denko.co.jp/care/care.html ここのサイトでは、コンポストトイレという名で紹介されている。
http://takthefool.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_b545.html 使用したらかき混ぜて保温しておくだけ。
乳酸菌などの善玉菌の醗酵をするから、悪玉菌の醗酵のように悪臭がまったく漂わないらしい。
オガクズと混ぜられた便は、4時間ほどで、二酸化炭素と水蒸気と米粒大のミネラルに変わって消滅する。
醗酵温度は最高で80度にも達するため、たとえ伝染病のもとになるような悪い菌がいたとしても、
死滅して、汲み取り式のトイレよりもはるかに清潔らしい。
巫女さんの話では、醍醐と呼ばれるもの(ただし主原料は牛の乳ではなく大豆)を食べているから、
一般の現代人のように臭くなく、赤ん坊の便のような乳酸菌醗酵した臭いなので、
狭い閉ざされた部屋の中で使っても、香を漂わせておけばまったく気付かないレベルらしい。
椅子型トイレと言われても、るまでその部屋に座敷トイレがあると分からなかった。
管理は、半年に一回ぐらいオガクズを入れ替えれば、堆肥として使えるらしい。
醗酵式トイレは、牛や馬を飼ってる小屋の敷き材式トイレとしても使われていて、小屋が臭くないらしいが、
なぜ醗酵式が昔から知られているのに普及しなかったのか不思議でならない。
280 :
天之御名無主:2009/10/18(日) 04:30:09
で、問題のアムール川流域の少数民族の竪穴式住居の中央にあった尿を入れておく容器だが、
コンポストトイレの紹介サイトにも書かれているように、水と竹炭などを入れた容器に溜めておくと、
たいして臭わない状態で部屋の中に数日は置いておけるらしい。
漢民族はそういったノウハウを知らないで、堆肥を作るのは汲み取り式便所って発想があるから、
不潔極まりないって、とんでもない誤解が広まったのではないかと思えてくる。
とある古い神道の家では、部屋の中に、
銀のうえに現代風の透明な七宝焼きが施された壷があって、
中は練炭のような黒いものが詰まっていて、電気コードが一本差し込まれていた。
散逸構造生成という技術で作られた高機能性新素材を使っているからまったく臭わないらしく、
説明を受けても、トイレには見えなかった。
「趣味で七宝焼きの壷を作ってますが、海外のデパートで7万円ぐらいで売ってもらったことがあります。
この気化式トイレを改良して、体に装着して携帯出来るようにしたのがこれです」
と説明を受けて、普通の部屋で女狩衣と呼ばれる平安装束の袴やトランクス? を脱いで見せてもらったが、
リボンやフリルが付いた、Iバックの形をした水着をつけているようにしか見えなかった。
「これを装着したまま、乗馬やフィギュアスケートをしても平気なんですよ」
昭和の時代にアレンジされた平安装束の下に、そんな凄いハイテクが隠されていたとは、
にわかには信じられなかった。
気化させているのに臭いがしない理由がかいもく分からないのだが、
バイオテクノロジーとは無縁の、普通の人がやっているコンポストトイレの紹介サイトでも、
それらしいことが書いてあるし、
現代のハイテクではなく、竪穴式住居時代から臭わないようにする方法があったのなら、
凄いと思うし、普及してなかった筈がないような気がしてきた。
281 :
天之御名無主:2009/10/18(日) 04:34:31
「人工肛門を使っている患者さん用に、便を醗酵させて高速分解する携帯型のバイオトイレも開発中ですが、
さらに一歩進めて、腸内に内蔵できる寄生虫型のトイレを研究中です。
うちで飼っているグリーンイグアナにも内蔵しています。
変温動物ですが、分解時の発熱で腸から体が温まるので、
日向ぼっこをあまりしなくても、真冬でも凍死せずに平気で屋外を動き回ってますね」
神社の境内を体長1.8メートルのオスのグリーンイグアナが、歩いているのを見たことがあったが、
まさかそんなハイテクが不可能を可能にしていたとは。
「醗酵によって80度まで発熱してしまう暴走の危険さえ解決できれば、市販できるんですけどね。
腸内内蔵型トイレから電力を取り出して携帯機器を動かすことも出来るし、便利なんですよ」
袴の脇からコードを出して携帯電話やデジカメに充電したり、
ノートパソコンをストラップで吊るして、立ったまま使用してるのを何度か見たことがあったが、
まさか、そんな場所と繋がっているコードだとは知らなかった。
あの人達と一緒に行動しているときに、公衆トイレなどに行ったのを見たことがないので、
なんとなく不思議に思っていたのだが、説明を受けて理由が分かった。
「NASAの宇宙服って、今でもオムツみたいだから、採用してもらいたいんですよね。
でも、食事に気をつけないと、発酵しなくなったり、暴走するんです。
現代人は防腐剤などの入った食べ物を食べちゃうから駄目なんですよ」
神の依り代として清い状態を保つ必要があるため、農薬や防腐剤などで汚染されたものを一切口に出来ないと言って、
外食を全て断っていたが、本当の理由はこっちだったかと気付いた。
現代の平安装束では、バイオトイレが携帯出来るようになっていることは分かったが、
昔の庶民はどうやっていたのか、知りたくなってきた。
農業をやらない、堆肥作りの必要がないアイヌのチセは、発酵式トイレになっていなかっただろうか。
話を聞いているうちに、もしも平安貴族が使ったというおまるから、竹炭やオガクズが出てきたとしたら、
コンポスト方式だった可能性も出てくるのではないかと、ふと思ったのだが真相はどうだろう?
おまるって言っても漆塗りの箱だったみたいだけど
『今昔物語集』の「平定文仮借本院侍従語第一」では
平定文が恋する侍従の君に幻滅するために彼女の樋澄まし童から糞便用の箱を奪い取って
中身を嗅いだり舐めたりした(なお中身は野老と甘蔓の汁と香を練り合わせた偽物)話があるが
底に水気が溜まっていた(そしてそれを啜った)という描写があるので
砂やおがくずなどは入ってないものと思われる
>282
それってお料理の話だよね? 鰹節は入ってなかったのかな?
モテない男を笑い者にすることを狙った、ジョークの作り話のようだから、
判断材料にしていいか、疑問があるかも。
おがくずの中に便を入れると、普通の家庭用生ゴミ処理機で残飯を処理するよりも
はるかに速い速度で分解して消滅するのは、便は半ば分解された発酵が進んだ状態だからのようです。
便の臭いが室内に広がらないようにすることを目的に、おがくずを上からかけておく程度の工夫は、
ちょっとしたことで思いつきそうだ。
現に、ある神道の家では、いつ頃からかははっきりしないものの、行っていたようだし。
味噌も糞も一緒、という表現があるけど、
乳酸菌発酵が進んだ状態だと、
事情を知らない人が、漆塗りの箱に入って部屋に置かれているものを、
誤食することがないわけではなさそうだ。
十二単のような身動きが取れない服を着て、トイレにもなかなか移動できないから、
おまるを使うしかなかったとは、不便だな。
>>283 文献資料よりもバイオトイレのお話を続けたいのでしたらしかるべき板とスレへ行かれる事をお勧めします。
まあ、そういった所には専門の方が既に大勢いらっしゃるでしょうが。
>>283 平定文は「今昔物語集」以外にも「十訓抄」「宇治拾遺物語」「平中物語」
などに名の残っている実在の人物で、色好みのプレイボーイとして有名
自分の唱える説を推したいからといって、
提示されたソースも読まずにいい加減なイメージで一蹴するのは
学問系の板における姿勢としてはいかがなものかと
ところで、前からここや民族衣装スレで女神職さんと知り合いだと主張してる人がいるけど、
全国でそう大勢いるわけでもなく比較的特定の容易なそういう人について
こう言ってたとか何してるとか、academy鯖とはいえ2ちゃんに書き込むのって迷惑にならないの?
私だったら即、縁切りたくなるレベルなんだけど
エッチなプレイボーイとして有名だった男性を、ネタとして扱った悪口の猥談が、
アカデミックな資料になりうると主張しても、無理があると思うぞ。
悪口に聞こえる噂の類が、嘘か本当か証明できるものが他にあるのか?
自分の唱える説を推したいからといって
スカトロ系の悪口を真に受けるのに、抵抗を感じるている人を非難するとはどうかと思うぞ。
疑問符が付いて質問形になっているのは、ソースとなる文献を読んでないからではなく、
話があまりにも怪しすぎる内容だからだろう。
そのあたりを理解できずに、しっかり誤読したうえで、
「学問の姿勢」うんぬんに言及して食ってかかるのは、尋常じゃないと感じる。
この言い争いを、どう受け取るかは、個々人の自由だが、
猥談系の嘘の悪口を信じることが学問です、
私の言うことを信じない人は学問に対する姿勢がおかしい人物ときめつけて、
他人を非難する暴論を振り回す愚者が荒らしている、と確信する人々が大半だと思うぞ。
そもそもおかしいのは、
料理を食べたときに、中に砂が入っている描写などがないから、
便をするときにも砂など入ってなかった、と推論する発想を持つ点だ。
最初から、漆塗りの容器には、便とは違うもの、料理が入っていた、という記述が見られるにすぎない。
この記述から、おまるとして使うときにも、砂を入れていなかった、という推論を展開するのは無理がある。
この非論理性に気付かない時点で、文献を正しく読みこなせないことを、自ら証明している。
文献が正しく読みこなせない人物が、学問の姿勢云々と他人を非難しても、意味がない。
料理におきかえるときには、かつおぶしなどで代用できる、
防臭効果と発効分解効果が期待できるおがくずのことが話題になっているのに、
効果が期待できず、漆器に傷が付く砂が入っている話に、
自分勝手に摩り替えて、まったくかみ合わない話を作文して、
議論がおかしくなっていることに気付いていないのも、致命的だろう。
問題点を指摘されていることに気付かないまま、
「提示されたソースも読まずにいい加減なイメージで一蹴している」
と他人を非難するのは、見当違いもはなはだしく、掲示板上でまともな議論ができる人物には見えない。
巫女としか書かれていないものを、
「女神職さんと知り合いだと主張」していると、誤読を流布するのも、異常行動だと思う。
この掲示板には、誤読を繰り返し、曲解を流布し、誹謗中傷を行う始末の悪い荒らしが存在することが、
何年も前から問題視されてきたが、このスレッドでも暴れていることが判明した。
この板の過疎化の原因は、このような愚か者の悪質な書き込みが繰り返されてきたことにあると、
我々は受け止めている。
社会的に排除されるべき人物は誰か、誰の目にも明白だろう。
290 :
天之御名無主:2009/10/21(水) 12:36:00
きっと、可愛い巫女さんのCストリングの水着姿を見るチャンスがないから、妬んで攻撃してるんだよ。
面白おかしく笑わせる目的で、平安時代に書かれた、
はしたない悪口など、絶対信じない人のほうが多いと思うぞ。
平安時代も今も、噂話を作る人の発想はそう変わらない。
プレイボーイに対するひがみから生まれた、
モテナイ男に仕立てあげる、およそありえそうもない臭すぎる下品な悪口を、
真に受けて信じるのが学問で、信じない奴は社会的に排除すべき対象なのか?
突拍子もない乱暴な発想を振り回して、
平安時代のおまるには砂が入ってなかったという、
掲示板を読んでいるうちに思いついたような自説を、信じてくれない大勢の人々を攻撃するとは、
アホ話にもほどがある。
もしも、そのにわか作りの自説を信じさせて、認識を広めることに成功したらどうなるよ?
掲示板を用いた誤情報の捏造と流布行為にならないか?
それこそ、学術的な掲示板で絶対にやってはならない行為だろう。
アリエナイ系の暴論を振り回した自分こそ、
いい笑い者になっていることが理解できないでやっているのなら、致命的すぎると思う。
人を攻撃する発言を熱心に連投してるし、粘着害人確定だろう。
迷惑だから学問板から出て行ってほしい。
ちなみに、屋内で便をして灰をかけて消臭することは、人ではなく猫が昔からやっている。
囲炉裏には灰を敷き詰めるのが常識だが、これが、猫にとってはトイレと同じように見えてしまい、
用を足したあと、後足で砂をかける仕草をするのだが、灰は軽いから周囲に飛び散ってしまう。
これが「結構毛だらけ猫灰だらけ、けつのまわりは糞だらけ」と続く戯言の由来だ。
灰をかけるのは、犬猫でも全員できることなのだから、人間が出来ないはずがないと考えるのが妥当だろう。
したがって、平安時代の人は室内でおまるを使っても消臭の工夫をしなかったという珍説は、
ちょっとおかしいと感じる人が大半だと思う。
もちろん、犬猫全てよりも、人間のほうが知能が低いことが実証できれば話は別だが、
そうでない限りは、ヒノキや香木などを削ったものを用いていた可能性を捨て去るべきでないと思う。
平安時代の日本の風呂は、湯を使う湯屋や湯殿とは明確に区別され、
焼けた石の上に生木を乗せて、フィトンチッドを浴びるサウナの健康法がもとになっていて、
そのため風呂という漢字が用いられている。
病魔退散の祈祷などで護摩を焚くのも、フィトンチッドの殺菌作用や健康効果を期待していて、同じ由来を持つ。
香木を練って線香などの形で用いられるようになるまでは、香道ではチップ状、粉末状のものが使われていた。
比較的入手しやすいヒノキチップを用いてトイレの消臭を行う作法ぐらい、誰でもすぐに思いつくことだろう。
世話係がおまるを洗いに運んで行くにしても、臭いまま汁気が多い状態で屋内を持ち歩くことは考えにくい。
おがくずを使って防臭処理する作法が神社に伝わっている事例が報告されている以上、
昔からそういう工夫がなされていた可能性を推理するのは、妥当だと思う。
物証は、今後貴族の屋敷跡から発掘される可能性がゼロではないだろう。
出てくるまでは、いつ頃始まったか不明の作法が残っている、ということでいいと思う。
なにこのスレ気持ち悪い
すごい逆ギレを見たwwwww
294 :
287:2009/10/22(木) 00:49:17
猫トイレとかいうから、部屋の隅のトイレでプルプルしてるやんごとないお方を思い浮かべてしまった
うっかり目が合うと気まずそうにさっさと立ち去っていく
297 :
天之御名無主:2009/10/23(金) 12:26:05
糞尿に見立てた料理を食べる猥談文学が正しいなんて熱心に主張されると、みんな引くよね。
砂を使った、香を使ったという解説が多いから、猥談説は撃沈と見ていいだろう。
天皇も砂を使って猫レベルという情報もあるようだが、真に受けていいのだろうか。
スレッドが気持ち悪い、キモイ、縁を切るといった、
否定的な発言を並べ立てる叩きを繰り返す、バッシングストーカーが張り付いているようだ。
例の巫女さんの一族に関する情報の流通を止めたい意図を持つ人物の発言であることは、
>>294 の書き込みからもからほぼ明らかだが、ストーカーする理由を見極めて対処する必要がある。
これ以上流れると、天皇制の存続を巡る議論に終止符が打たれるような情報が飛び出して、
皇族の息の根を止める結果になることが、
「天皇家が日本一古い家柄なのか」などのスレッドなどでも明らかになったので、
この動きを止める情報工作を考えている連中がいる、と判断するのが妥当だろう。
299 :
天之御名無主:2009/10/23(金) 12:41:55
漆塗りの防水加工が施された木箱で砂を使っていると、あっという間に漆塗装が壊れて、
木がベチャベチャになって、濃厚な悪臭が漂ったり、漏水していく危険がある気がする。
砂を使ったという説も、実際に試してみると簡単に破綻する、
憶測から生まれた空論のような気がしてならない。
川屋=厠と呼ばれる、川の上に建てられる水洗トイレは、縄文時代からあったようだが、
下流の人々にとっては、いい迷惑なので、
人口が増えて水汚染の伝染病問題が持ち上がると消え去るしかなかった。
土に埋めると、便は消えるのに半年かかるが、おがくずを用いた醗酵式トイレの便の分解は4時間と超高速だ。
乳酸菌などの醗酵によって、たいした悪臭を放つことなく、
水蒸気と二酸化炭素と少量のミネラルに置き換わって消える。
おまるを半年間座敷に置きっぱなしで放置してよく、
使い古したおがくずは堆肥と同じように扱えるなど、利点が多い。
おがくずと混ぜて、ある程度空気が入るように攪拌して醗酵温度を維持するという、基本さえ押さえれば、
石器時代でも実現可能な技術だという点も見逃せない。
おがくずも醗酵菌も、普通に存在するものでよく、バイオテクノロジーなどは一切不要。
つまり、ぬか漬けレベルの管理で事足りる。
日本は味噌などを作る技術が高度に発達しているので、醗酵式の発展がなかったとする定説はかなり不自然で、
醗酵式は、牛や馬の小屋で使われていただけではなく、人用のものもあったのではないかという話が、
内輪の掲示板で出て、砂などを用いた方式も並行して実際にテストする人が現れている。
糞尿から発生するガスを用いたバイオリアクターの発電方式なら、
ペットボトル2本でひとつの家庭の電力をまかなえるといった話もあるため、
伝統の知恵から学んで、現代のエネルギー問題を解決できると考える人もいる。
ある神社に現存する、胡坐で用が足せる醗酵方式のおまるが、
皇室にも伝わっていない秘伝のものだったとなると、
神様(古神道)の家は、歴史や伝承されているもののレベルが違うということか。
凄い物を見せてもらったのかもしれない。
>>296 お前のせいで人面猫状態のやんごとな(ry
うん、昔の新聞ポンチ絵の夏目漱石猫みたいな感じ
まいど日本史板でやればいいような話ばっかだな、ここ
もうちょっと民神板的な話題が欲しいぜ
平安時代のトイレについては西山良平の「都市平安京」で詳しく述べてるそうだから
買うか借りるかして読めばいいんじゃないの
302 :
天之御名無主:2009/10/24(土) 00:16:32
平安時代のトイレの状態を把握することで、幾つか重要な事柄を解明できる。
主なものとして、防疫技術、食生活、都市設計、農耕技術、品種改良などがあるだろう。
疫病の発生は、大陸との交流によって天然痘が入ってきて奈良時代に流行したようだ。
飢饉の発生と伝染病の流行は、かなり密接な関係があることが分かっているので、
便の量の把握から食糧事情を探れれば、かなり違ってくるだろう。
京都の祇園の八坂神社で、伝染病の流行が止まったことを祝う祭りが有名だが、
じつは特定の神社には、幾つか特殊な防疫技術が伝わっている。
ひとつは牛頭天王の秘術で、神社から配布される、無病息災のお札は迷信ではなく、
西洋の種痘に匹敵する免疫生成効果を期待できる防疫技術だったことが、すでに解明されている。
もうひとつ重要なのは、便を介した伝染病の流行をどのように阻止するか、という技術だ。
便を下水に流したりすると、あっという間に広まってしまう。
この問題さえなければ、縄文時代からあったとされる、川屋=厠の流水便所が一番いいだろう。
砂を用いて土に埋めて処理するのでは、便の分解に半年かかってしまうため、
地下水を汚染して井戸水が感染源になってしまう可能性が出てくる。
牛や馬を飼うときに、敷き藁をしたり、木材のチップを敷き詰める、糞を処理するときに、
植物と糞を混ぜて積み上げておくと、醗酵式トイレの条件が生まれて、便が高速処理されることは、
簡単に経験的に気付くものだろう。
303 :
天之御名無主:2009/10/24(土) 00:17:34
土に埋めると、便は消えるのに半年かかり、
土壌汚染が長期間続いて、飲料水に使われる井戸や川の水が汚染され続け、
伝染病の流行がいつまでも止まらない、深刻な結果を招く。
牛や馬を飼育していれば自然に気付ける、おがくずを用いた醗酵式トイレでの人糞の分解は4時間と超高速だ。
乳酸菌などが積極的に働く醗酵によって、
たいした悪臭を放つことなく、水蒸気と二酸化炭素と少量のミネラルに置き換わって消える。
おまるを半年間座敷に置きっぱなしで放置してよく、
使い古したおがくずは堆肥と同じように扱えるなど、利点が多い。
おがくずと混ぜて、ある程度空気が入るように攪拌して醗酵温度を維持するという、基本さえ押さえれば、
石器時代でも実現可能な技術だという点も見逃せない。
おがくずも醗酵菌も、普通に存在するものでよく、バイオテクノロジーなどは一切不要。
つまり、ぬか漬けレベルの管理で事足りる。
おがくずの保温効果が発揮されて、醗酵温度が最高で80度近く達するように管理されているトイレは、
その温度での殺菌効果も期待できるため、特別なことをしなくても、伝染病の蔓延に終止符を打てる。
牛頭天王の秘術として、お札に触れた人々が免疫を得ることが出来る、
本当に無病息災効果を備えたお札を作る防疫技術を伝承してきた、例の巫女さんの一族が管理する神社で、
醗酵方式で便を処理する防疫技術が伝承されてきたのは、偶然ではない可能性が高い。
平安時代のおまるの中身は屋敷の隅のほうに捨てていた、とだけ書いて、
捨てるときに、醗酵を促すためにおがくずや藁などを混ぜたかどうかまでは書かれていないケースが多い。
醗酵方式のトイレに関する知識を持たない研究者がほとんどのため、盲点になっていて、
重要な、疫病を阻止する技術に関する研究などが行われてこなかったと考えたほうがいいだろう。
304 :
天之御名無主:2009/10/24(土) 00:21:57
平安時代になって伝染病を食い止める技術が確立されたことは、祇園のお祭りからも伺えるのだが、
その当時の防疫技術を、失伝することなく現代まで伝えてきたと見ていいだろう。
「私は生まれてから一度も風邪を引いたことがないんです。
学級閉鎖になるような状況でも、私の周囲の子達だけは風邪を引かないので、みんな結界の存在を信じてました」
と言いながら、
団扇の言葉の由来と、扇子の誕生、
鬼(疫病を流行させる死霊のこと もちろんその正体は菌やウイルス)を食い止める結界を形成する技術について、
病理学の視点から解説してくれる巫女さんの話を聞いていると、
インフルエンザの大流行を確実に止めることができる、現代の医学よりも優れた技術が、
平安時代から日本の神社に伝承されてきたことに気付かされる。
「病魔を退散させるお払いは、このような扇子でなら十分に可能ですが、
よく使われる榊や御幣などでは、プラシーボ効果以外は期待できないでしょうね」
『世界初!大豆が新型インフルエンザウイルスを30秒で99.99%除菌』などのニュースが飛び交っているが、
昔から知られていた、樹木に含まれる成分を用いた、
人から人へのインフルエンザウイルスなどの病魔の移動を、より確実にシャットアウトする技術が、
うちわという言葉を生み出したことは、あまり知られていないらしい。
「昔は病院がないですから、神社がほぼ唯一の防疫技術の砦でした。
うちの一族に伝わる、病魔に対して結界を張る技術は、ほとんどが迷信ではなく本物です。
加持祈祷で護摩を焚くのだって、植物が持つ精油などの成分を病室に行き渡らせて、
菌やウイルスの活動を停止させる効果を狙ったもので、迷信ではありません。
巫女が自己暗示で神憑りしますが、精神感化によって、病人の脳から免疫機構に対して出されている命令を、
調整・強化する効果があることが、明らかにされつつあります。
気功などを調べている心身医学の先生方が研究結果をまとめて、論文を発表なさるのではないでしょうか。
イエス・キリストは、病人を治す奇跡を起こしたとか、火と精霊を用いたバプテスマを行ったとされていますが、
似たようなことなら、うちの一族に伝わる加持祈祷を用いても可能ですよ」
305 :
天之御名無主:2009/10/24(土) 00:30:30
平安時代になって伝染病を食い止める技術が確立されたことは、祇園のお祭りからも伺えるのだが、
その当時の防疫技術を、失伝することなく現代まで伝えてきたと見ていいだろう。
「私は生まれてから一度も風邪を引いたことがないんです。
学級閉鎖になるような状況でも、私の周囲の子達だけは風邪を引かないので、みんな結界の存在を信じてました」
と言いながら、
団扇の言葉の由来と、扇子の誕生、
鬼(疫病を流行させる死霊のこと もちろんその正体は菌やウイルス)を食い止める結界を形成する技術について、
病理学の視点から解説してくれる巫女さんの話を聞いていると、
インフルエンザの大流行を確実に止めることができる、現代の医学よりも優れた技術が、
平安時代から日本の神社に伝承されてきたことに気付かされる。
「病魔を退散させるお払いは、このような扇子でなら十分に可能ですが、
よく使われる榊や御幣などでは、プラシーボ効果以外は期待できないでしょうね」
『世界初!大豆が新型インフルエンザウイルスを30秒で99.99%除菌』などのニュースが飛び交っているが、
昔から知られていた、樹木に含まれる成分を用いた、
人から人へのインフルエンザウイルスなどの病魔の移動を、より確実にシャットアウトする技術が、
うちわという言葉を生み出したことは、あまり知られていないらしい。
「昔は病院がないですから、神社がほぼ唯一の防疫技術の砦でした。
うちの一族に伝わる、病魔に対して結界を張る技術は、ほとんどが迷信ではなく本物です。
加持祈祷で護摩を焚くのだって、植物が持つ精油などの成分を病室に行き渡らせて、
菌やウイルスの活動を停止させる効果を狙ったもので、迷信ではありません。
巫女が自己暗示で神憑りしますが、精神感化によって、病人の脳から免疫機構に対して出されている命令を、
調整・強化する効果があることが、明らかにされつつあります。
気功などを調べている心身医学の先生方が研究結果をまとめて、論文を発表なさるのではないでしょうか。
イエス・キリストは、病人を治す奇跡を起こしたとか、火と精霊を用いたバプテスマを行ったとされていますが、
似たようなことなら、うちの一族に伝わる加持祈祷を用いても可能ですよ」
306 :
天之御名無主:2009/10/24(土) 07:44:07
じつは、日本人は西洋人よりも小柄にもかかわらず、
西洋人よりも食物繊維を大量に摂取するため、便の量が倍以上多かったりする。
たとえば、第二次世界大戦当時、日本軍のトイレの便の量から日本人の数を推定しようとした米軍は、
玉砕後に判明した実人数と、推定人数の差が大きいことに驚いた、といったケースもある。
日本人が肉食を避けるようになったのは、仏教の影響というのが通説のようだが、
獣の肉を食べると、お腹の中の悪玉菌が増えて便が臭くなる問題は、それなりに問題視されたと思われる。
落花生などの木の実を、茶色い薄皮と一緒に食べると、
乳酸菌醗酵が促されて便の臭いだけでなく質も変わる人は多い。
縄文人の主食は木の実だったこともあり、米より木の実のほうが合う体質の人は今でもそれなりにいるらしい。
高級生味噌を落花生にからめて乾燥させたお菓子など、さまざまな工夫が見られる。
また、獣の肉を食べると堆肥にしたときの成分バランスが変わってしまい、
稲に付く病害虫が大量発生することが経験的に知られていた。幾つかの神道の家に伝承が残っている。
農耕と堆肥作りと食生活の関係を研究した人はあまりいないため、今後が期待できる未開拓分野だ。
化学肥料を用いると農地がやせ衰える弊害が、近年重要視されるようになってきた。
世界の穀物庫として知られる、中東の農地が痩せて大打撃を受けた結果、
世界の食糧事情が危うくなったことがある。
アフリカへの食糧供給が不十分になって、大量の餓死者を出したことは、記憶に新しい。
人々の命を守る先人達の知恵を受け継ぐことは重要な意味を持つ。
獣の肉を食べるといった食生活の乱れが、堆肥の劣化を招いて、
肥毒と呼ばれる状態が生まれることは、あまり一般に知られていない。
病害虫の大量発生と肥毒の関係に触れた伝承はあまり多くないので、
古い時代の知識が再現不能になる前に、積極的に掘り起こしていく作業が必要だと思う。
307 :
天之御名無主:2009/10/24(土) 07:49:18
日本は味噌などを作る技術が高度に発達しているので、
醗酵式のトイレの発展がなかったとする見解は、かなり不自然だと感じる。
醗酵式は、牛や馬の小屋で使われていただけではなく、人用のものもあったのではないかという話が、
ある掲示板でも出て、砂などを用いた方式も並行して、実際にテストする人が現れている。
現代でも、下水道が行き届かず、汲み取り便所や、簡易的な浄化施設しか設置されていない場所はかなりある。
タンクから汚水が漏れて、同じ敷地内の井戸水が汚染されたり、
浄化施設の性能不足で飲料水に適さない井戸水と評価されてしまうケースはかなりある。
古い時代から受け継いできた醗酵方式で、便が短時間で綺麗に跡形なく分解して土壌汚染が起こらないなら、
不安を抱かずに井戸を使うことが出来て、助かる人は多いだろう。
とくに、夏場の日照りの断水に悩まされやすい地域では、死活問題だ。
便の分解によって発生するガスを用いたバイオリアクターの発電方式なら、
ペットボトル2本程度でひとつの家庭の電力をまかなえるといった、応用面の話も出てきている。
伝統の知恵から学んで、現代のエネルギー問題、
二酸化炭素の排出と地球温暖化の問題を緩和できると考える人もいる。
巫女さんが何気ない仕草で、携帯トイレから伸びたコードを携帯電話に繋いで充電していたのが印象的だった。
暴走すると危険な可能性があるため、特許の取得や市販に至っていないが、
すでに実用化された技術と見ていいだろう。
今回いろいろ調べていくうちに、
ある神社に現存する醗酵方式のおまるが、皇室にも伝わっていない貴重なものだったことを知って、
古神道の家は、歴史や伝承されているもののレベルが違うことを再認識させられた。
308 :
天之御名無主:2009/10/24(土) 07:50:13
川屋=厠と呼ばれる、川の上に建てられる水洗トイレは、縄文時代からあったようだが、
下流の人々にとっては、いい迷惑なので、
人口が増えて水汚染の伝染病問題が持ち上がると消え去るしかなかったようだ。
今回の話題の盛り上がりに触れて、
京都の伝染病の発生状況と、下水や便の処理方式の変遷について、
各地の牛頭天王(スサノオ)を祭る神社に残る伝承などを、片っ端から本格的に調べ始めた人もいて、
今後の進展が楽しみになってきた。
( ゚д゚)ポカーン
ばか、目を合わせるんじゃありません!
昔のことを知ることで、現代の生活を改善できる。
温故知新の見本のようなスレッドだな。
ここしばらくのトイレ談義のせいで
京都グルメ観光番組みたいので錦小路が出てくるとすごく微妙な気持ちになってしまう
ところで昔の「錦」って黄土色というかアレっぽい色しかなかったの?
314 :
天之御名無主:2009/11/13(金) 01:35:39
平安時代ってタンスは無いの?
どの本にも載ってないけど…
じゃあ大量の着物はどこに置いてたんだ?
行李や長持って選択肢はないのかい
平安時代なら「櫃(ひつ)」だな
つづらや長持は室町時代以降、
箪笥が日本で使われ始めたのは江戸時代後期からだ
昔の日本の家具はポータブルが基本なんだよね
でも桐の装束箪笥ありそうなんだけどなあ
319 :
天之御名無主:2009/11/17(火) 10:15:50
この時代、日本以外ではどんな服装が流行ってたの?
この時代といっても初期から末期まで400年近くの開きがあるんで
321 :
天之御名無主:2009/11/20(金) 23:30:24
つーか、ここスレタイがおかしいだろうよ
平安時代じゃなくて平安貴族にしとけ
いや、立ってる板がおかしいんだよ
ほとんど日本史板で片付く内容ばかりだもの
っていうか庶民詳細不明だし
庶民も絵巻や説話集の端っこに描かれてる姿からだいたいの見当は付けられるけどね
しかし民神板なんだしもう少し習俗や信仰とかに寄った話題も見たいところ
風俗信仰とかなると
なんたら生命のおんみょうなんチャラとか
方違とかがはんらんするぜ。
オカルト板池とかならないか?
アムールのことが書いてあるけれど、ただ単に漢人の住まう地域にくらべ寒かっただけでは?
で熱が少なく発酵しにくかったと感じるけれども
2ちゃんでよく騒がれているdスルとかも半島が寒い地域だからできることのような気がしないでもない
寒いとにおわないからね
むしろ東南アジアのトイレ事情も並列して考えるとおもしろそうなのだけど
日本じゃまだ東北アジア扱いだから、世界では
これ以上オガクズ君にかまってやるなよ
なんで髪の毛洗うのに吉凶を占わなければならないんですか?
>>328 それが信仰というものだよ。
てかなんで金持ちになるには
黄色い財布なんだよとか、
平安の人が見てたら笑うんじゃね?
それと同じことだよ。
そんなDrコパレベルの簡略風水と一緒にされてもな
コパだかコッペパンだか知らんが
迷信の類はどれもそんなもの。
流行りすたりがあって、覚めてみれば
なんてあんなことに必死になっていたんだろうと
言う感じなんだよ。
今は分衆化で占いもまじないも、マイブーム止まりだが
あの時代は国家的に迷信に染まっていたからなあ。
>>328 まず髪を洗うには、当然ながら男性は髻を解かねばならず、乾くまでそのままでいるしかないが
当時の成人男性にとっては髻を解くのはもちろん、烏帽子などの被り物を取ることも非常事態であり
(物語などで、狂人を描写するのに一番の特徴となる描写は「髪が解け乱れている」である)
洗髪もどちらかといえば不吉な作業であったから。
女性は女性で、あの異様に長い髪を洗って「くせがつかないよう」乾かすためには
専用の高所に設けた台にずっと寝転がっていなければならず
不自由だわ危険だわ、冬場などは特に濡れた髪から体を冷やして命に関わる事もありえたから。
現代の価値観で迷信と断じるのは勝手だが、当時の人にはそれなりに深刻な理由があった。
この時代、双子はいなかったのかな
>>332 >現代の価値観で迷信と断じるのは勝手だが、当時の人にはそれなりに深刻な理由があった。
理由があるのはわかる。でもそれを根拠のない迷信によって判断するのが違うということ。
たとえばそういう理由なら、当時としての天気予報的もの。
今でいう観天望気の発達したようなもので
洗うあらわないを決めていたとかなら、まだわかる。
しかし・・・
でしょ?
当時、天気予報とカレンダーを管理していたのは陰陽寮でした。
おわかりですね?
>>335 はいわかってますがね
「髪の乾きに最適な日」を選ぶのに
「天気予報」がどれだけのファクターを
しめてたんでしょーねぇ。
今でさえ週間予報も外れまくりなのに
当時は何日も、何週間も前から
髪を洗える日を予定組めたらしいですねえ。
ww
>>332 江戸時代くらいの話だけど、俳句とかで「髪洗う」は夏の季語なんだよね
やっぱ冬場は洗うと風邪引くレベルだったのかな
まあ冬に洗ったら死ねるだろうけど夏ならスッキリして多少は幸せだろう
清少納言だって枕草子で「心ときめくこと」に夏の洗髪を挙げている
ついでなので風俗博物館サポートページの洗髪の項
tp://evagenji.hp.infoseek.co.jp/co-2002-6-6.htm
>夏ならスッキリして多少は幸せだろう
そうそう。
そういう理由で洗うあらわないを、決めるのは
ちゃんと根拠のある科学的選日。
五行とか干支とか・・・の組み合わせで
吉だ凶だとか言うのが迷信。
それが、時を経れば笑い物になるということ。
当時の人に深刻な理由があっても
覚めれば金持ちになるには黄色の財布程度のこと。
そういう見地に立つべき。かの時代の人に
妙に肩入れというかしてる人がいるけど
おかしいよそれ。
>>333 まず、いないってことはあるまい
しかし文献などに残っている例がほとんどないので、社会の中でどういう扱いを受けたのか、とか
そういったことはよく解らない
全く無くはないが稀なことではあるので、時代によって不吉と取られたり逆に吉祥と取られる可能性は大きい
出産時の母体への負担も大きいし、貧しい階層の人には子供が一度に二人も出来たら生活が困窮するので
不吉とされるウェイトの方が高いだろうか
仏教が浸透した時代になると「畜生腹」として忌まれたという話はあり、中世以降の例では
双子の片方を間引いたり寺社や他家にやったりして厄払いをしたらしい
なんかスルーされてるのが気の毒だったのでとりあえず拾ってみたが、もっと詳しい人いたら資料plz
神代を含む記紀の時代にはヲウスノミコト・オオウスノミコトなんかが有名だけど
双子の描写がそこそこあるのに、律令時代から明治・大正にかけての期間は
不自然なくらい歴史上の人物で双子と思われる記述のある人が見られませんね。
(徳川家康に僧籍に出された双子の兄弟がいるという話も、近年になってようやく
表に出てきたようですし)
やはり、仏教が広く信仰されるのにつれて双子以上の多胎が忌まれる傾向も
広まったのではないでしょうか。
特に男女の双子は前世で心中を遂げた者同士の生まれ変わりとされ、
今生で間違いを起こさないよう、片方を殺すか遠いところへ里子に出すかして
いたそうです。
>>328 一番大きな理由としては、髪を洗うということは禊と同じ意味合いを持つ、
いわばハレの行為だったからです。
(もちろん、
>>332のような実際的な理由もあったと思われます)
今で言えば、大安の日を選んで結婚式をしたり、友引の日に葬儀をしなかったりと
いうのと同質の問題ですね。
この時代は、元服と共に位を賜ったのですか?
343 :
天之御名無主:2009/12/15(火) 03:02:48
衣冠束帯っていつごろから着だしたのか知ってる人いたら教えて?
紀貫之は着てたと思うけど、菅原道真はOK?
昔見たNHKのVTRでは道真も着てたけど・・・。
>>342 まず、家柄や親の身分によるとしか言えない。
元服じたいは成人の儀式なので男子なら身分を問わずに行うが、
貴族の生まれでなければ位を得て昇殿することは無理。
>>343 衣冠束帯の原型、朝服は飛鳥時代の末期にはもう出来ていたが形は参考にした唐のものに近い。
平安時代に入る頃には日本の気候や生活様式に合わせて袖や袴がゆったりとする寛闊化が進行し、
裾を長く引きずる長大化も同時に伴った。
束帯という名前は唐王朝の官服を指すもので、国内の文献で朝服をその単語で呼ぶようになったのは
源高明(914-983)の記した『西宮記』が初出、但し衣服の形式自体は『延喜式』の編纂された
十世紀前半にはだいたいそれに近いものが出来ていたと思われる。
道真はギリギリ唐風と国風の移行期間の人なので束帯そのものを着ていたかどうかは微妙だ。
(神像や肖像画などは後の時代に描かれたものが多いので、その時代の衣服を着てしまっている)
なお、束帯や直衣、狩衣などの装束は平安時代の後半、十二世紀ごろにモデルチェンジして
生地が張ってシルエットのかさばった「強装束(こわしょうぞく)」が現代まで継承されているけど
それ以前は「柔装束(なえしょうぞく)」という源氏物語絵巻などで見られる形状をしていたので
同じ平安時代でも時期に気をつけないと再現映像とかが変な事になる。
>>344 摂関家の息子は従四位までなら元服時貰えたって本当か?
偉い人のコネ入社でいきなり役職つき、みたいな感じですかね
貴族はみんな筆下ろししたの?
348 :
天之御名無主:2009/12/17(木) 12:33:58
貴族はみんな菊開きしたの??
荒らしのつもりなのか知らんが平安時代の貴族階級では男色は普通のことだったわけで
藤原頼長の『台記』でも読んでろ
350 :
天之御名無主:2009/12/23(水) 05:24:23
僧侶と幼女がセックスしてた時代だもの。違法でもなんでもない。純粋な気持ちからセックス
アグ○ス卒倒
いくら男色そのものが特異だったり恥ずかったりする事ではなかったとはいえ
子孫や家人、宮廷内の人間に読ませることが前提の半公文書である日記に
「今日は身分の低い滝口とやってみたけどすっげえ良かった」とか
「たまには尻に入れられる側になってみたけど案外こっちの方がいいかも」
みたいな内容を書いても問題なかったんだろうか
個人の名誉的な意味で
353 :
天之御名無主:2009/12/24(木) 13:19:07
法治国家じゃなくて放置国家だったから多分大丈夫だったでしょ。
地方の農村なんか言ったら髪型とか現代人に近いものがあるから
今の日本人がタイムマシンで当時の時代に言ったら喜んでセックスしちゃうだろうね。男の子と。
354 :
天之御名無主:2010/01/18(月) 20:12:00
少女が耳のあたりで髪を結ってるリボンのような物の名称って「物忌み」以外にありますか?
京都風俗博物館のサイトでは「物忌み」とだけあるのですが、少女が物忌みの時期
のみに着けるものなのか、子供の魔除け的な意味で成人まで着けているものなんでしょうか?
355 :
天之御名無主:2010/01/18(月) 20:22:06
地方の農村なんか言ったら髪型とか現代人に近いものがあるから
kwsk
「元結い」は後ろの髪をまとめるものだけを言うんだっけ?
いちおうググってみたが結ぶための紙紐・紙縒りそのものを指してもいるようだ
358 :
天之御名無主:2010/02/04(木) 23:02:43
とりあえずageの呪文を仕掛けておきました。
甑と竈ってどっちの方が米飯を作るのに便利だったの?
360 :
天之御名無主:2010/07/25(日) 16:51:51
236 :天之御名無主:2009/02/03(火) 21:35:18
>>234の人じゃないけど、十二単は女帝でもつけた記録があるようだから、
本当に単なる正装なんじゃないかな
亀ですが、十二単といわれる装束は平安時代になってから登場したはずですが
平安時代に女帝はいなかったと思うのですが、上のカキコした人が言う女帝って誰ですか?
皇后のことを女帝と書き間違えたんでしょうか?
江戸時代の女帝のことを言っているのでしょうか?
面倒くさいのでウィキペからコピペ
奈良時代末期から江戸時代初期までの900年近くにわたって女性天皇は誕生しなかったが、
平安時代末期の鳥羽天皇の皇女であったワ子内親王(不婚内親王)が近衛天皇崩御時と
安徳天皇西走時の皇位空白の際の2度にわたって皇位継承候補として名前が挙がっている。
また、即位式の際の礼服御覧の儀の際に女性天皇の礼服が用意されていたこと、鎌倉時代の
文学作品である『とりかへばや物語』には不婚内親王の女性東宮(皇太子)、『我身にたどる姫君』
には天皇の后妃だった内親王の女性天皇が登場していることから、中世前期において実現こそ
しなかったものの、女性天皇の可能性は意識されていたとする考えもある。
実際に十二単(女房装束を平安時代にはこの名前では呼ばなかったが)着たのは
江戸時代の女帝でいいんじゃないの
なんかアマゾンでお勧めされたから
講談社現代新書の「王朝貴族物語」をポチってみたが結構面白かった
いちいち現代サラリーマンの生活と引き比べて説明してくれるのが
解りやすくもあり、微妙にがっかり感もあり