501 :
天之御名無主:
自殺、売春、虐待、大量殺戮、女性差別、ホームレスは農耕社会になってから始まりました
天皇はA型で朝鮮の出身です。A型は2000年前に日本に来たから帰ればいいのに。
A型は100%農耕民族とはいえないがO型かB型にぜんぜん好かれないA型は
農耕民度が高すぎるから2000年前に日本の先住民族を大量に殺してきた
遺伝子、多そうだね。
遊牧民族は厳しい自然の中を小さい家族で移動しながら生活してきたので家族と他人の線引きをはっきりさせたと思う。
これをクールと感じる。だから、そのぶん身内にはあつくなるのか。
B型は遊牧民族、O型は狩猟採取民族。
A型は農耕民族。農耕民族は2千年前(つい最近)に、中国から日本に来た。A型は2万5千年ごろ誕生して農耕社会を
作ってきた。農耕民族社会になってから狩猟採取民族が大量に殺され滅び吸収され、ホームレス、虐待、売春、
女性差別 が始まり、強制的に横並び結婚し横並び子作りしないと女が生きていけない社会になる。
横並びの群れ社会(農耕民族社会)は無理やり敵を作り差別しないと作れない。これが、いじめ。
ブサイクで、もてない農耕民族はとくに性欲として横並びの群れ社会を作りたがる。
農耕民族社会はA型女も不幸になります。
502 :
苦痢巣張(チャン):2008/01/01(火) 04:21:04
アメリカでの銃乱射事件の「チョ・スンヒ」や、
長崎県佐世保市でのクリスチャンでエラ張った「馬込」は何型なんだろう?
やっぱり、遺伝なのかな。
503 :
國布:2008/01/04(金) 21:19:59
以前なんかの時代小説で、九州のある地方では倒した敵の肝臓(だったかな?)を取り出して、乾燥させて、煎じてお腹の弱い人に飲ませる漢方薬としていたと書いてあった(記憶がある)
504 :
天之御名無主:2008/01/09(水) 09:37:13
>>503 干して薬にするのは胆嚢じゃなかろうか?
牛の胆嚢や胆石が漢方の原料になってるし。
熊の胆はもっと高級。
内蔵全般を肝(きも)と呼ぶからな。
505 :
國布:2008/01/09(水) 10:04:25
だったかな
とりあえず俺は「人間喰うんかい!」って驚きだけがインパクトだった…
余談だがベトナム戦争の時カンボジア兵は倒したベトコンの肝臓(だったかな?)を切り出してそのまま生で食べてたらしい
倒した敵の体を食べるとそれだけ強くなると信じてたらしい
だからベトコンは同じ死ぬにしても、カンボジア兵に殺されるのだけは勘弁って感じだったんだと
スレ違いですまんね
506 :
天之御名無主:2008/01/15(火) 07:07:35
肝臓食うのは薩摩にも「ひえもんとり」というのが・・・。
呪術的な側面もあるかな?南方系の。
507 :
天之御名無主:2008/01/15(火) 23:26:30
やはり日本に肉食を伝えたのは朝鮮人ということで宜しいか?
かの国ではすき焼きも朝鮮料理ということになっているが
508 :
天之御名無主:2008/01/18(金) 18:02:01
日本の食文化を模索する上で朝鮮文化がついてまわるのは致し方ないこと、
日本を知るにはまず朝鮮も勉強しよう。
509 :
國布:2008/01/19(土) 10:02:11
いや 異論ありだ…
人間も人間の祖先も、うん万年も前から狩猟文化だったわけだ
んで、日本列島が大陸から離れた時、島となった日本列島に残った人間は動物をほとんど狩ってしまった
ので、農耕が狩猟に代わって主になり、肉食文化は忘れられていった可能性もあると思う
510 :
天之御名無主:2008/01/19(土) 18:14:44
その忘れさられた肉食文化を日本人に教えたのが朝鮮人
511 :
天之御名無主:2008/01/20(日) 05:20:32
512 :
天之御名無主:2008/01/23(水) 00:09:35
また挑戦仁がウリウリ言ってるな(笑)民族のほどを知れ。君ら、優秀な民族じゃないだろ?認めろ。そこから真の発達ができるぞ。
とりあえずモンゴル人に肉の美味しい食べ方もう一回教わってきな。日本からは唐辛子をまた教えてやるから。そしたらほら、挑戦料理だ!
鹿児島に住んでて結構郷土の勉強とかしたけど2ちゃんでみるような薩摩の殺した相手の肝をなんやらとかはあんまりきかないなぁ
514 :
天之御名無主:2008/01/23(水) 00:43:10
悔しいが日本の食文化を勉強する上で中国や朝鮮を無視することはできない。
朝鮮経由で日本に入ってきたものは余りにも多すぎる。
特に日本人が盛んに牛肉を食べるようになったのは朝鮮の影響が大きい。
大阪に住む朝鮮人が日本人に牛の臓物系料理を伝授したのも事実なのだ。
515 :
國布:2008/01/23(水) 07:10:32
小説から知った話しだからね…
記憶は曖昧だが、確か示現流のエピソードを集めた小説だったかなぁ
薩南示現流ってタイトルだったかも…
字が違うかも
示現流も途中で字が変わったから
そのエピソードも乗ってたなぁ
516 :
天之御名無主:2008/01/31(木) 16:19:48
>>514 肉は昔から食べてるよw
イノシシの肉なんて典型
食文化でいえば明治維新の時に西洋料理が入ってきて肉食べるようになった
おおぴらに肉が食べれるようになった
中華料理は第二次世界大戦で中国戦線からの帰還兵が広めて日本に定着し始める
餃子なんてその典型w
朝鮮半島の影響って具体的にどのへんなんだ?
517 :
天之御名無主:2008/01/31(木) 23:36:13
四つ足は食うな
518 :
天之御名無主:2008/02/27(水) 20:26:47
戦争における人殺しの心理学って本読んでたら
ベトコンで家族を味方に殺された兵士が米軍に寝返って証言してるのによれば
ベトコンは米軍兵士を食べていたらしい
食人って中国だけかとおもってた…
日本でも大飢饉で人肉を食べた記録があります
520 :
天之御名無主:2008/03/29(土) 14:20:01
奈良時代までは、朝廷の儀式では、神は犠牲により祀られていたのです。
犠牲とは、牛の屠殺です。つまり、奈良時代までは、「血の祭祀」により、
神は祀られていたのです。
しかし、平安時代になると、804年牛の屠殺禁止を発令し、朝廷の儀式は、
歌謡と舞により、神は祭られていくのです。
521 :
天之御名無主:2008/03/29(土) 14:26:15
1487年に成立した『神祇道服忌令秘抄』では「四足物食用之事。鹿猪猿狐里犬ハ七十日憚之。
合火ハ五十日。又合火ハ卅日也。此日限神社へ參詣スベカラズ。」とある。
これも、裏を返せば70日を経過すれば神社に参詣してもよいことになる。
『庭訓往来』に「豕焼皮」という脂肪がのったイノシシの皮を焼いた料理が出てくる。
戦国時代には焼き肉が登場した。足軽が非常食として農家からウシを強奪してきて、
味噌で味付けをして鉄板で焼いて食べた。室町末期から寛永16年の鎖国が布告されるまでの
100年間は諸外国との交流が割合に多く、室町将軍、織田信長、豊臣秀吉などは好んで
南蛮料理を口にしていた。イエズス会士ジャン・クラッセの『日本西教史』(1689年)に
「富者は尤も美食に誇り、其食卓に肉菜を堆かく盛り立て、恰もエジプトのピラミッドのごとし。
また肉叉、匙、小刀を用ひず、唯箸を用ひて肉叉に代ふ」とある。
522 :
天之御名無主:2008/03/29(土) 16:33:45
水戸黄門も生類哀れみの令の中でも余裕で牛喰ってたらしいしな
523 :
天之御名無主:2008/04/05(土) 02:13:42
草戸千軒遺跡でも、イノシシやら犬やらたくさん出てきて、しかも食った形跡があるとか。
フロイスの日本史でも、武将はみんな食ってたって記述があったような。
禁止はされてたが、タブーではなかった、ってことか?
524 :
天之御名無主:2008/04/05(土) 02:16:09
熊毛の具足なんかは、どこで調達したのだろう。
>>
薬喰いの意味合いがあったのでは。
今の栄養ドリンク剤と同じように、精力剤として。
527 :
↑:2008/04/06(日) 03:47:07
富国強兵福沢諭吉
↓食事はバランス
528 :
天之御名無主:2008/04/09(水) 20:14:12
>>522 豚の飼育すらしてる藩だろうがw
そこはちょっと他とは違うんだよ
529 :
天之御名無主:2008/04/11(金) 12:18:48
薩摩も豚食ってただろ、飼育もしてたんじゃない?
530 :
天之御名無主:2008/04/11(金) 12:56:50
猪飼野
古代・仁徳天皇の時代に、多くの「渡来人」がこの地にやってきた。
にこの地域は百済からの渡来人が多く古くは「百済郡」と呼ばれていた。
その渡来人たちがブタ(猪)を飼う技術を持っていたことからこの地域を
「猪飼野(いかいの)」と呼ぶようになる。
さらに、渡来人のもたらした優れた土木技術により、文献上の日本最古の橋が
ここを流れる「百済川」(現在の平野川)に架けられ、通称「つるのはし」と
呼ばれたことから現在の「鶴橋」の地名の元となる。
531 :
天之御名無主:2008/04/11(金) 13:00:39
古代からこの辺一帯を猪飼野(いかいの)と呼び習わして来ましたが、
それは「猪(=豚)を飼う一族が住む地」という意味で、猪飼部(いかいべ)と
呼ばれる専門職が豚を飼育し朝廷に献上して居ました。
532 :
天之御名無主:2008/04/11(金) 13:08:38
播磨国風土記(霊亀元年 715年以前)の賀毛郡に、
『猪養野 右、猪飼と號くるは、難波の宮に御字しめしし天皇のみ世、
日向の肥人、朝戸君、天照大神の坐せる舟の於に、猪を持ち参来て、進りき。
飼ふべき所を、求め申し仰ぎぎ。仍りて、此処を賜はりて、猪を放ち飼ひき。
故、猪飼野といふ』
533 :
天之御名無主:2008/04/15(火) 19:14:36
武士の嗜みで鷹狩りは推奨されてたのに、その獲った獲物を食べないなんて事は有り得ないよな。
534 :
天之御名無主:2008/04/16(水) 00:09:31
8世紀ころに聖武天皇かだれかが牛肉食禁止令をだしたはず
535 :
天之御名無主:2008/04/16(水) 17:14:53
牛は食うな、その他はOK。
536 :
天之御名無主:2008/04/17(木) 14:17:20
しかも、農作業期間のみ。
素人の質問なんだけど、ヒンズー教徒が牛を神聖視して食べないのは有名だけど
諸国の仏教徒は、食に関するタブーはあるんでしょうか? 出家僧はともかくとして、在家信者の皆さんについては。
大乗と上座部とで、また違うのかもしれませんが。
538 :
天之御名無主:2008/04/17(木) 19:52:59
在家信者でも、葬儀や法事では、建前は精進料理。
俺の記憶だと、通夜に寿司が出るようになったのは、20年位前からか。
最初に通夜の席で寿司が出されたときには、非常に驚いた。
>>537 全く知識はないので推測で語るが、仏教国のタイでも、ちゃんと肉を使った料理はあるわけだから、
諸外国でも、在家信者は肉食するんだろうね。
540 :
天之御名無主:2008/04/18(金) 04:29:22
>>534 大仏建立や多くの国分寺建設の資材運搬用の使役牛確保が一つの要因
たびたび禁令を出さないと皆色々と理由つけて食っちゃうわけだ。
雨乞いにも牛を犠牲にして供えた後に皆で食べていたようだね。
541 :
天之御名無主:2008/04/20(日) 12:54:53
日本人は本来草食なので、肉食の欧米人より腸が短い。
だから、肉を食べるようになり、大腸ガンが発生しやすくなりますた。
日本人に大腸ガンが多いのは、日本食は塩分が多いからだと聞いたよ。
例えば宿で出される伝統的な朝食を想像してもらん。
塩で味付けしてある料理の多いこと多いこと。
あれで胃腸がやられちゃうんだよ。何十年もかけてね。
>>541 >日本人は本来草食なので、肉食の欧米人より腸が短い。
誰がどう見ても逆です。うろ覚えのにわか知識、本当にありがとうございました。
544 :
天之御名無主:2008/04/21(月) 02:54:25
うちのばあちゃん腸短いって医者に言われた
欧米人なみだって。
只今絶賛大腸ポリープ中
545 :
天之御名無主:2008/04/22(火) 21:07:27
生きてる人間の腸をどうやって測ったんやろ?
546 :
天之御名無主:2008/04/23(水) 01:16:33
死後、腸の長さに変化が生じるのか?
チョー不思議
>>530 最近は動物考古学が盛んになって縄文時代の遺跡から発掘された動物の骨のDNA調査も行われています。
DNA調査が行われる前はイノシシの骨だと思われていた食用にされた動物の骨が
DNA検査の結果から東南アジアから中国南部にかけて飼育されていたアジアブタの骨であったことが確認され
日本では百済が建国される前から家畜化されたアジアブタを飼育し食べていたことが明らかになってますよ。
>>548 >>530は大阪鶴橋近辺の話で文献で伝わる一つの例、もちろん九州など他地域では色々あるでしょうね。
猪飼野・猪飼部系地名も複数あったはず。
551 :
天之御名無主:2008/04/29(火) 17:31:08
>>539 タイの坊さんは、普通に肉を食べるよ。上座部仏教だから。
もともと仏教には、食に対する禁已はないから。
大乗仏教が僧侶の肉食を禁じているのは、大乗仏教が“世俗化した”がゆえに
ブラフマナ(バラモン)の習慣を取り入れた+衆生救済が教義の中心となったから。
その後、中国の道教にある穢れ思想が加わって、さらに肉食禁已傾向が強くなった。
まあ、上座部仏教の坊さんもバクバク肉を食うわけではない。
お布施として信者から貰った食べ物を拒絶することは、信者の徳を積む行為を(タンブン)台無しにすることになる。
そしてあるドグマに執着するという、仏教の原理自体に違反することになるから食うだけのこと。
大乗仏教でも、チベット仏教の坊さんは高位になればなるほど肉食するしね。
聖なる転生者ほど、何をしてもそれは世を救う方便となるから、ですと。
ただいま猪&鹿の解体から帰ってきた山村移住者より。
552 :
天之御名無主:2008/04/29(火) 17:46:07
>>551補足
もともと仏教には、食に対する禁忌はないから。
食べ物自体への禁忌がないのであって、食べ物の「手に入れる方法」「食べる方法」「食べる心構え」には、制限がなにかと沢山ある。
553 :
天之御名無主:2008/05/05(月) 14:23:24
成長が止まったんなら魚、菜食に切り替えるのが最善策。肉は好んで食べなければいい。カップラーメンなどでも入ってるので避けていたら切りがない。
肉その物を食べるのは辞めたほうがよい。
>>538 > 在家信者でも、葬儀や法事では、建前は精進料理。
> 俺の記憶だと、通夜に寿司が出るようになったのは、20年位前からか。
> 最初に通夜の席で寿司が出されたときには、非常に驚いた。
20年前は確かか?
明治政府は廃仏きしゃくに加え僧侶に肉を強要し世襲制を加え堕落させ民衆の寺院離れを狙っていた。
556 :
天之御名無主:2008/05/09(金) 14:53:15
共食いじゃなきゃとりあえずOKだろ
>>556 セブンの惣菜類再利用して家畜の餌だか肥やしにしてるらしい。
558 :
539:2008/05/11(日) 01:51:46
>>551-552 なるほど。大変、興味深かったです。
すると、イスラムの豚や、ヒンズーの牛みたいな、特定の動物なんかに対する食べ物への禁忌は一般的でも
(
>>552さんに倣えば、イスラムの羊肉なんかも「手にいれる方法」に厳しい禁忌がありますが)
信仰が理由で、肉食その物を禁じる(実際に禁じられているかどうかはともかく、建前的にでも)例というのは、きわめて珍しいということですかね?
そして、中国〜日本での仏教が、その珍しい例の一つ?
559 :
天之御名無主:2008/05/15(木) 01:46:16
豚肉デビューも遅かったよね
芋や焼酎や豚肉も薩摩経由だし
560 :
天之御名無主:2008/05/15(木) 14:15:39
貝原益軒が食い合わせの悪い物を書き残しているが、その中にカワウソやアナグマなどが出てくる。
>>559 豚一匹飼うのがどれだけ大変か
想像もつかんだろw
豚を飼うのが大変であるという事実の認知と、
>>559の見解とは別に矛盾しないわけだが
563 :
天之御名無主:2008/05/18(日) 12:43:48
神々と肉食の古代史
平林章仁 吉川弘文館
牛鍋の食べ残しを、ご飯に掛けたって話も聞いたことがある。>牛丼の起源
568 :
天之御名無主:2008/06/19(木) 21:09:36
太郎のためのスジ肉を一部甘辛く煮てご飯にかけたのが我が家の牛丼のルーツ。
569 :
天之御名無主:2008/08/20(水) 19:32:45
>>562 豚を飼うのが大変というのは、食餌の世話がですか?給食の残飯が
養豚場に引取られるように雑食性の豚は、草食の牛馬よりは格段に
楽なのでは?
鹿の生首を供える祭りで、結構由緒あるのがなかったっけ?
近年というか大分前から本物の生首はやめちゃったとか聞いてるけど。
多分被差別部落とかは余り関わってないような祭りだったと思うんだけど。
供物とする鹿の生首以外の部分は、やっぱり食べてたの?
それとも食べる事は禁忌だったのかな。
そういえば鹿の生首と言えば、どこか「もののけ姫」を思い出すよね。
そこらも参考にしてあの映画を作ったのだろうか?
でも鹿が増えると山や隣接する田畑が荒らされるから
その駆除も兼ねて鹿の生首供えが始まったというのなら、
「もののけ姫」的な始原ではなくて、もっと後からの始まりっぽくも感じるのだが。
どうなんでしょう?
571 :
天之御名無主:2008/08/28(木) 23:26:09
縄文時代にこの列島に住んでいた人は、獣肉を食べていた。
その後、いろんな人や文化が入ってきて、結局、江戸時代の江戸の人のように獣肉を拒む文化ができた。
でも、もともとの獣肉を食べる文化は、いろんなところで残っていた。
と言うような話じゃナインダロカ?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E8%B1%9A 東アジアの伝統的な養豚
東アジアでは『山地住民の生業における山の垂直利用とその変化』(西谷 大(国立歴史民俗博物館))
にあるように、人間の生活圏から発生する生ゴミや人糞がそのまま
養豚に用いられることが伝統的な養豚法であったのである
日本の本州、四国、九州およびその周辺島嶼では
食用家畜を飼育する文化が朝廷の仏教政策の影響で衰退し、
人糞は発酵させて農地の肥料として利用する文化が発達したので
こうした養豚は行われなかった(或いは行われなくなった)が、
中国文化の影響が強く、日本の朝廷からは独立した琉球王国の
支配下にあった南西諸島では、こうした東アジア一帯に普遍的に
見られる人糞養豚が行われ、豚肉食文化が発達した。
南西諸島では戦後、このリスクの危険視や、
高等教育を受けた人々が中国由来の不潔な奇習であるとの
偏見を持ったことによる人糞養豚廃絶運動が行われ、
日本列島での人糞養豚は姿を消した。
その過程では、八重山諸島でこの運動の先頭に立った
高等教育を受けた女性の家の中に嫌がらせとして
人糞がぶちまけられるなどの激しい軋轢が生じたことが
記録されている。
573 :
天之御名無主:2008/09/11(木) 02:22:40
>>570 諏訪大社です
つい最近鹿喰免というものを買ってきました
>>571 獣肉ではないが、飯蛸も古代から食されていたらしいですね。
"神戸市の玉津田中遺跡では・・・弥生時代中期のイイダコ壺のみが70個以上
まとまって出土し・・・飯粒のような卵をもっている雌を食べるのがイイダコを
食べる醍醐味で・・・多くの生命の芽をつみとるようで・・・古代にイイダコを
捕ったのは、その米粒のような卵の形と数の豊富さから、ただの日常的な食料と
してではなく、生命や生産の豊かさの象徴として、古代における生産の儀礼や
祭祀に関わる食べ物であったのではないか・・・・”
海でむすばれた人々 古代東アジアの歴史とくらし 門田 誠一 昭和堂 2001 p102
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4812201039.html
飢饉の時は人肉も食いましたよ
明治2年、牛を一頭殺して食べたという罪で10人が島流しの刑を受けたという記録が残っています。
当時までの食肉禁止の背景には、奈良時代以降たびたび発せられた「殺生禁断令」があります。
天武四年(675年)、桓武天皇が出した「殺生禁断の詔勅」は、仏教の「犬は夜勤めて吠え、鶏は暁を競いて鳴き、
牛は田畑を耕し、馬は行軍を労し、又猿は人に類いし、故にくわざると」(涅槃経)をとったものと言われています。
また、7世紀はじめの聖徳太子の17条の憲法でも、
仏教思想を国家的理論として確立するため「殺生禁断令」が発布されていますが、
後に聖武天皇は、天平8年(736年)「殺生禁断令」の違反者を処罰する法律を制定しました。
578 :
天之御名無主:2009/05/23(土) 09:09:07
昔から肉食ですよ
糖は
579 :
天之御名無主:2009/05/31(日) 23:32:28
兎とか猪とか熊とかって食べていませんでした?
昔話で聞いた記憶があるんだけどなぁ
580 :
天之御名無主:2009/06/01(月) 10:41:43
581 :
天之御名無主:2010/03/11(木) 12:42:35
>投稿日:01/11/22(木) 15:23
古っ!
582 :
天之御名無主:2010/06/30(水) 14:41:21
ステーキ食べたい
583 :
天之御名無主:2010/07/19(月) 21:37:53
584 :
天之御名無主:2010/07/20(火) 23:34:10
食ってたさ。貝塚とかそれに類する場所から骨出てくっべさ。
猪とか兎とかは、薬食いとか言って江戸時代も食ってんべ。
585 :
天之御名無主:2010/09/01(水) 14:32:19
586 :
天之御名無主:2010/09/02(木) 13:21:09
BBQする人が多いけど、あれはいつぐらいから一般的になった風習
なの?家の庭なんかでやってて近所トラブルになるケースもあるけど。
587 :
天之御名無主:
>>585の紹介しているオナゴは、二階から隣の庭のBBQ見て羨ましがっているところ。「肉うまそ…」ってネ!