1 :
132人目の素数さん :
2006/11/09(木) 22:56:13
2
3 :
132人目の素数さん :2006/11/09(木) 23:08:34
哲学を理解できない馬鹿が、メコスジやマンスジに逃げる
4 :
132人目の素数さん :2006/11/10(金) 13:16:06
逃げるが勝ち
5 :
132人目の素数さん :2006/11/10(金) 13:43:17
攻撃こそ最大の防御なり!
6 :
132人目の素数さん :2006/11/10(金) 16:53:54
すっぱいブドウ
7 :
KingOfUniverse ◆667la1PjK2 :2006/11/10(金) 16:58:23
つまり、人の脳を読む能力を悪用する奴を潰せ。
>1よ、よかったなあ。>7でお待ちかねのきんぐが来たぜ。
9 :
KingOfUniverse ◆667la1PjK2 :2006/11/11(土) 01:09:49
人の脳を読む能力を悪用する奴を潰せ。
10 :
132人目の素数さん :2006/11/11(土) 01:19:00
11 :
132人目の素数さん :2006/11/11(土) 19:34:01
仲良く一緒にタルスキーとか読めばOKだお♪
>>1 数理哲学とか科学哲学とかやってる人って
大抵理系出身なわけだが。
数学なんて逃げ場所には ならないだろ どうせなら (略
14 :
132人目の素数さん :2006/11/13(月) 00:22:28
ああ
15 :
132人目の素数さん :2006/11/13(月) 00:25:43
歴史を理解できないものが哲学に逃げる
16 :
132人目の素数さん :2006/11/15(水) 11:22:11
数学を理解できずに哲学に逃げたやつなら何人か知っているが。
17 :
132人目の素数さん :2006/11/15(水) 12:24:38
哲学や歴史なんてのは、イデオロギーに干渉されて弄ばれるのがオチ。 学問なんて代物じゃないよ。
>1 i::::::::/'" ̄ ̄ヾi |:::::::| ,,,,,_ ,,,,,,| |r-==( 。);( 。) ( ヽ :::__)..:: } ,____/ヽ ー== ; ほほう それでそれで? r'"ヽ t、 \___ ! / 、、i ヽ__,,/ / ヽノ j , j |ヽ |⌒`'、__ / / /r | {  ̄''ー-、,,_,ヘ^ | ゝ-,,,_____)--、j / \__ / | "'ー‐‐---''
『哲学を理解できない馬鹿が、数学や物理に逃げる』というけれど 実態は、数学や物理の計算とかに逃げ込むのじゃないかな。 数学や物理の高度の内容にアクセスするには哲学的思考は不可欠に なってくるけど、これが駄目な人は地道な計算とかが数学・物理の 本道なんだと自分に言い聞かせてそこに逃げ込むような気がする。
20 :
KingOfUniverse ◆667la1PjK2 :2006/11/16(木) 10:03:15
人の脳を読む能力を悪用する奴を潰せ。
21 :
132人目の素数さん :2006/11/16(木) 12:26:59
まったく文系脳は呆れるほど馬鹿ばっかりですな
文系の教科のテスト勉強は一夜づけです。
アキレスと亀のパラドックスを考えたゼノンは、ある仮定からありえそうもない 結論を導くことで、その仮定を否定するという論証で有名です。 アリストテレスもゼノンを賞賛しています。 これは、数学の背理法の淵源ですが、数学で使われる論理はすべて哲学者が 先にうみだしたものです。(現代のものは別とします) また、ユークリッドは『原論』を著すさいに、アリストテレスの助言に従いました。 アリストテレスはきちんとした理論は、公理、定義をさだめ証明によって展開 されなければならないと述べていたからです。 また、数と量の区別を明確にせよ、とのアリストテレスの指示にしたがい 章をわけて数と量を論じています。. 平行線の公準についても、アリストテレスが平行線の議論にある不確実さを 指摘したため、設けられたとの説があります。 哲学と数学のかかわりはまだ無数にあるのですが、とりあえずこれだけ記します.
24 :
132人目の素数さん :2006/11/18(土) 14:37:37
日本人が言うところの「哲学」とは、「西洋の思想家が考えたことを学ぶこと」なんだよね。 江戸時代の儒家が中国人思想家の書物を墨守・信奉したのと大差ないと思う。 哲学とは自分の目で見て自分の頭で考える行為だと思うが、 日本の自称「哲学者」は哲学者の対極に位置するような人が多いね。
25 :
132人目の素数さん :2006/11/18(土) 14:42:24
哲学者のアドバイスでリーマン予想を解決できるなら 見直してやってもいい
27 :
KingOfUniverse ◆667la1PjK2 :2006/11/19(日) 06:18:12
分数もできない哲学オタがコンプレックス放出場所ですか?
>>25 集合論の創始者カントルが、先駆者とあおぐボルツァーノは、アリストテレス
哲学を研究して、数学に新機軸をうみだしました。
現代数学ももとをただせば、そこからはじまったといえるのです。
述語論理のフレーゲにしても、半身は哲学者ですし、ゲーデルにしても不完全性
定理のあとは完全に哲学に移行してしまいました。
ほかにもいくらでも、哲学が数学、および物理学におよぼした影響はあります。
>ボルツァーノは、アリストテレス
>哲学を研究して、数学に新機軸をうみだしました。
Bolzanoが証明した【 数 学 の 】定理は彼が証明しなくても
Weierstrassが証明していたものです。
彼が数学に新機軸をうみだしたなどという主張は誇張以外の何ものでもありません。
現代数学はBolzanoから始まったなどというのは悪い冗談としか思えません。
Cantorに対する影響もWeierstrassとDedekindのほうが遥かに大きいと考えるべきかと思います。
ちなみにDedekindやCantorの集合論にあった「哲学的」議論
(「私が空想しうるもの全ての集まり」が有限であったとしよう。然るに…」の類の議論で無限集合の存在を示すなど)
はGödelやNeumannの時代には既に全くと言ってよいほど【 排 除 】されています。
哲学性は少なくともCantorやBolzanoやGrassmannの数学に関して言えば、
単に発展を阻害し足を引っ張る要因だったと考えるのが数学史上の定説です。
>ゲーデルにしても不完全性定理のあとは完全に哲学に移行してしまいました。
これ明らかにおかしいんですけど。
Gödelの集合論の業績はどうなるのですか!?
不完全性定理を示した後も選択公理がZFと無矛盾なことを示したり
弟子のCohenの論文を査読したりしてますが。これらの業績は無視ですか!?
集合論は哲学ですか!?
>>23 >また、ユークリッドは『原論』を著すさいに、アリストテレスの助言に従いました。
これの証拠となる文献はありますか?
「分析論前書」とか言わないで下さいよ。この本にはEucleidesが登場人物として
出てきたりはしません。この本には定義の必要性が説かれているから
Eucleidesも参考にしたんだろう、では単なる憶測、希望的観測に過ぎません。
>平行線の公準についても、アリストテレスが平行線の議論にある不確実さを
>指摘したため、設けられたとの説があります。
同上
細かい議論をしているひまはありませんが、すこし反論。 カントルがボルツァーノを先駆者としているのは、本人の言です。 無限に対する彼の考察と、ボルツァーノの定理が解析の展開点に なっていることは間違いないのでは.。 ユークリッドの本が時間的に、アリストテレスよりあとで、しかも、他の 幾何学書がユークリッドの本によって駆逐されてしまったとすれば、アリストテレス にしたがったことによる卓越性ゆえとかんがえるのが順当でしょう。 アカデメイアで数学の教師の1人だった時期があると見られているし、 そうでなくとも、アレキサンドリアには当然アリストテレスの本はきていた でしょうから。それが推測、憶測というなら古代のはなしはすべて推測 憶測ということになってしまうでしょう。 またそう考えなくとも、まっとうな理論のあるべき姿について、アリストテレスが ユークリッドよりさきに指摘していたという事実はたしかにあるわけです。
Gödelに関する主張は間違いと思って宜しいでね。 >カントルがボルツァーノを先駆者としているのは、本人の言です。 誰もそれが間違いだとは言っていません。 Bolzanoと同じくらい当時の解析学に貢献した数学者はいくらでも居て、 単にBolzanoはそのうちの一人だということです。 >まっとうな理論のあるべき姿 Aristotelesの本に公理から定理を導出していくスタイルのものは一つとして無い。 Eucleidesの本の理論展開のしかたは、あくまで彼(或いは彼ら)のオリジナルと見做すべきです。
ゲーデルは、なにをトリビアルとみるかのちがいです。 > Bolzanoと同じくらい当時の解析学に貢献した数学者はいくらでも居て 解析学に貢献したということではなく、現代的な数学への橋渡しになった ということです。カントルやデデキンドもそうでしょうが。 > Aristotelesの本に公理から定理を導出していくスタイルのものは一つとして無い。 よく読めば、公理の必要性も証明の必要性もはっきり語っています。 ただし、訳語が公理という語をつかってないのでわかりづらいだけです。
およそ、どの学問分野でも基礎をたちあげるときには、哲学的思考がおおきな 比重をしめます。基礎がしあがれば、哲学的思考は影をひそめて、能天気な 輩が自由に活動できるのです。w 解析学はふたりの哲学者によって、創始されました。ひとりはライプニッツ、 もうひとりはニュートンです。 ニュートンを哲学者とすることに、違和感を感じる人もおられるかもしれませんが、 ニュートン自身、自分を"自然哲学者”としています。 ニュートンもまた、アリストテレスの申し子なのです。ニュートン力学の 世界観は、アリストテレス的であります。これはドルトンの原子論があらわれて そのアリストテレス的世界像に風穴があけられるまでほぼ唯一の世界像の位置を しめます。 実際、ニュートンは解析学(微分積分学)を創始していく過程で、アリストテレス の議論との齟齬になやみつづけます。無限小の概念についてです。 のちに主著をあらわすとき、ニュートンは自身が開拓した、解析学をすて、 古典的な幾何による証明に帰っていきますが、それもアリストテレスの議論に 影響をうけたからと考えられます。 ちなみにドルトンの原子論にしても、古代ギリシャの哲学者デモクリトスの説を 採用したものであることはよく知られています。
名前出てますよ。 >ゲーデルは、なにをトリビアルとみるかのちがいです。 意味不明です。G¨odelの結果もCohenの査読も その他の集合論の論文もトリビアルだったと言いたいのですか? 連続体仮説の無矛盾性は全然自明でも何でもないと思うんですが。 それにG¨odelはACやCHにあわせて 「Lebesgue可測でないΔ1,2集合が存在すること」とかの 無矛盾性も示してますし、Dialectica論文とかも発表してますが、 全部ひっくるめて「トリビアル」ですか。だとしたらすごい数学的直観ですね。 >公理の必要性 じゃあ理論には公理が必要だと説いた当のAristotelesは 公理による記述スタイルを取らなかったと。そんな莫迦な話がありますか。
>どの学問分野でも基礎をたちあげるときには、哲学的思考がおおきな比重をしめます。 単にある科学の理論が定量的でない定性的な議論しか出来ないときは 哲学者にも議論に参加する余地があるが、 定量的な議論に入ると哲学者の出る幕は無い、ということかと思いますよ。 もっとも今の「哲学」と昔の「哲学」ではそもそも指す範囲がかなり違うのですが。 >ニュートン自身、自分を"自然哲学者”としています。 当時の科学者は職名としては皆そうでしょう。 今でも博士号はPh.D.(Philosophiae Doctor)なんて言いますが、 単に昔の名残で「哲学博士」という名前なだけで哲学をやっているわけじゃありません。 >解析学をすて、古典的な幾何による証明に帰っていきますが、 >それもアリストテレスの議論に影響をうけたからと考えられます。 あなたが勝手にそう信じるだけなら勝手ですが、 彼がプリンキピアの記述において微分積分を使わなかったのは、 そもそも微分積分が当時生まれたばかりの学問であって 力学の基礎付けに使えるほど十分厳密でもなければ明快でもなかったからです。
>>37 > 定量的な議論に入ると哲学者の出る幕は無い、ということかと思いますよ。
これは、かちんとくる言い方ですね。オルテガ・イ・ガセットは、「進んだ
技術はバカも使いようを可能にした」といってます。自然科学の研究者を
さして言ったものです。
また、他の哲学者は、定量的な議論を「とんち問題」と言っています。応用には
意味があっても、自然の理解に益することのないさまをさして言ったのでしょう。
この言い方だと、いろいろ反論がかえってきそうですが、言葉の限界で、やむを
えません。
ニュートンが力学を構築するさいそのもっとも重要な部分が、哲学的思考によって
占められていたということも言いました。
現在、ふたたび科学における哲学の重要性がクローズアップされてきています。
量子論は、哲学からまた学ばなければならなくなっています。この状況は
ニュートンが力学を構築したときの状況によく似通っているのではないでしょうか。
> 力学の基礎付けに使えるほど十分厳密でもなければ明快でもなかったからです。
それはどうでしょう。プリンキピアにおける幾何学的証明が、明快とはとても
いえません。また、微分積分が厳密でないと判断したのは、アリストテレスの議論
が影響したからであって、ほかに理由があるとはおもえません。
>>36 ゲーデルという1個人の人生において、なにがトリビアルであるかということです。
彼は、進路をかえたのです。そのことがもっとも重要だとおもうのです。
> 公理による記述スタイルを取らなかったと。そんな莫迦な話がありますか。
三段論法は公理論のスタイルをそのまま示したものです。
「人間は死すものである」
「ソクラテスは人間である」
「ゆえにソクラテスは死ぬ」
の最初の文が、公理です。
>>38 >基礎がしあがれば、哲学的思考は影をひそめて、能天気な
>輩が自由に活動できるのです。w
これも、かちんとくる言い方なのでどっちもどっちですよ。
>応用には意味があっても、自然の理解に益することのない
素粒子物理とか宇宙物理は自然の理解に益する事はない、ということですかね。
寧ろ応用には大して意味がなく自然の理解に益する事しかない、
といったほうが正しいんじゃないかと思いますが。
>量子論は、哲学からまた学ばなければならなくなっています。
なってないですよ。哲学者が勝手にそう思うのは勝手ですが物理学者はそう思ってません。
>それはどうでしょう。プリンキピアにおける幾何学的証明が、明快とはとても
>いえません。また、微分積分が厳密でないと判断したのは、アリストテレスの議論
>が影響したからであって、ほかに理由があるとはおもえません。
1687年当時、発見されてから高々25年くらいしか経ってない
微積分がどれほどあやふやなものだったかお分かりですか?
今の高校の数学教科書のように分かりやすく纏められては居ません。
微積分の発見当初というものは間違った事と正しい事が相半ばして
もうごちゃごちゃになってたはずなんですが。
>>39 「トリビアル」は進路を変えるって意味ではないです。
原義は詰まらない、下らない、ということで、数学では見るからに明白で
言葉を使って説明しても仕方が無い、というニュアンスで使います。
(実際は読者には全然そうでないことも多いのだけれど…)
単に個人的にGödelの後半生は下らないと思っているだけなら別に構いませんが、
あたかもそれが一般的な見方であるかのように書かれても困ります。
>ゲーデルにしても不完全性定理のあとは完全に哲学に移行してしまいました。
とか仰ってるので、哲学は当たり前のことばかりぐだぐだ言ってる
下らない学問なんだ、という意味なのかもしれませんが…
Gödelはそもそも進路を変えては居ません。
研究対象を多少変えただけで、最初から最後まで論理学者です。
それにGödelの「哲学」としてよく引用されるのは数学の基礎に関するものでしょ?
不完全性定理以外のGödelの数学的(論理学的)業績をほとんと知らないで言ってませんか?
Gödelは不完全性定理だけの一発屋数学者じゃありません。
あなたが知らないからといって、Gödelのが何もしなかったということにはなりません。
>>39 その最初の文は全称肯定判断とか言う事が多いみたいですし
簡単に前提と言ってもいいでしょうが公理とは言いません。
それに私は「公理」の意味を聞いているのではありません。
そうではなくて、たとえば「二コマコス倫理学」や「形而上学」は公理的なスタイルで書かれているか?
「動物誌」だとか「霊魂論」だとか「天体論」だとか「気象論」に公理はあるのか?ということです。
三段論法を使って論理的に議論をする事と、
公理を立てて命題の依存関係をはっきりさせて理論を建てる事は全く別です。
似たようなことだと思って一緒くたにしてしまっているのではないですか。
http://science4.2ch.net/test/read.cgi/math/1122312030/487 でも言われている事ですが。
>>41 > 簡単に前提と言ってもいいでしょうが公理とは言いません。
”前提”とは、つごうのいい言い方です。公理の言い換えではありませんか。
「人間は死すものである」
というのは、帰納的判断ですが論証はできません。公理として置く以外
ないのです。
> それに私は「公理」の意味を聞いているのではありません。
そもそも、あなたはアリストテレスが公理について語ってないとおっしゃって
いたのではないのですか?
公理の使用例をはっきりしめすことは、よいことだとおもうのですが。
> 似たようなことだと思って一緒くたにしてしまっているのではないですか。
虚偽論でアリストテレスは循環論法はじめおおくの議論のあやまちについて
論じています。ユークリッドの『原論』から学べるものなど、とるに足らない
ものです。
”命題の依存関係をはっきりさせて”といわれますが、あたりまえのことでしょう。
アリストテレスいぜんの哲学者でも、そのくらいこころえていました。
> 「トリビアル」は進路を変えるって意味ではないです。
ゲーデルにとって、数学がトリビアルなものになったという意味です。
>>40 >哲学者が勝手にそう思うのは勝手ですが物理学者はそう思ってません。
デモクリトスの原子論によって、アリストテレス的世界像が崩壊したと
前に書きましたが、けっきょくそれが端緒となって量子論まで行き着くことになります。
離散的な世界観といったらよいでしょうか。
空間や時間をいったいどう解釈したらよいのか、こころある物理学者は
みな考えています。ひとつの世界観のなかにいて、そこで仕事をすることしか
考えない人にとってはどうでもよいことなのでしょうが。
> 微積分がどれほどあやふやなものだったかお分かりですか?
別に後世とくらべて、本質的におおきな変化があったとはおもえません。
> 微積分の発見当初というものは間違った事と正しい事が相半ばして
そんなにニュートンは無能だとお考えなのですか?
>アリストテレス的世界像が崩壊したと これは訂正します。一部風穴があけられた程度で崩壊まではいっていません。
多少、補足します。 以下は、ある本の説明文にあったものです。 ” 20世紀最大の物理学者アインシュタインは、自らを「形而上学者アインシュタイン」 と呼び、「物理学は一種の形而上学である」と書いている” アインシュタインのように、世界観の変更をともなう理論を構築する場合 哲学を理解することなしには、それは不可能なのです。 アインシュタインは、哲学書で勉強をし、自身も哲学的考察をすることに よって相対性理論を構築したのです。 ところで、「神はさいころ遊びをしない」という語は、量子論を批判する アインシュタインの言葉として有名です。しかし、これは形而上学ではなく、 神学に属することです。この辺、注意が必要です。
>”前提”とは、つごうのいい言い方です。公理の言い換えではありませんか。 ただの三段論法の実例である 「人間は死すものである。ソクラテスは人間である。ゆえにソクラテスは死ぬ」 を大げさに「AristotelesのSokrates理論」と言ったり 「Aristotelesの定理」とか言ってもいいならそうでしょうねw それが正しい言葉の使い方だとは思いませんがw 私は、最初から 「Aristotelesの本に公理から定理を導出していくスタイルのものは一つとして無い。」 と言っています。公理の使用例を教えてくれなどとは言っていませんし 数学をやっていれば説明されないでも分かります。 >ユークリッドの『原論』から学べるものなど、とるに足らないものです。 一般的見解はそうではないですよ。個人的意見ならあなたの勝手ですが… >アリストテレスいぜんの哲学者でも、そのくらいこころえていました。 「命題の依存関係をはっきりさせて」というのは、 ただはっきりと文章を記述するとかそういう意味ではなくて、 理論の拠って立つ根拠を公理の形ではっきりさせて、 公理が何故正しいかの論証を【諦める】ということです。 これをはじめたのはEuclidが最初です。Zenonの時代にそういう考えかたは見られません。 >ゲーデルにとって、数学がトリビアルなものになったという意味です。 なってませんが。 >別に後世とくらべて、本質的におおきな変化があったとはおもえません。 あなたの認識がおかしいだけです。Newtonの時代には 「収束」という概念はほとんどないし重要視されてもいません。 >そんなにニュートンは無能だとお考えなのですか? それをNewtonが無能だからと考えてしまうあなたの考え方に驚きます。 構成のCauchyやDirichletやEulerでさえ間違った事を言っているというのに。
構成→後世 >アインシュタインは、哲学書で勉強をし、自身も哲学的考察をすることに >よって相対性理論を構築したのです。 何かソースがあるんですか? ただの思考実験を「哲学的考察」などと言われても困りますが… 形而上というのは「形がなく通常の事物や現象のような感覚的経験を超えた」 という意味ですから、近現代の物理学者がこういう言葉を使うのは全くおかしくありませんし、 そこから >哲学を理解することなしには、それは不可能なのです。 のような主張は全然出てきません。 あなたの主張はソースのある客観的な事実と、 一般的な定説と、ただの個人的推測がごちゃごちゃになっていて辟易します。 個人的な考えや少数説をまるで世間一般的にそういわれているかのように書かれるので…
48 :
132人目の素数さん :2006/11/25(土) 23:59:29
age
>>46 > ただの三段論法の実例である
?
これほど明瞭に公理の実際の使用法を明示した論証の例を、”ただの実例である”
とおっしゃるのでは、なにももうしあげられません。あなたの頭の構造が
理解不能です。
> 公理が何故正しいかの論証を【諦める】ということです。
それは、アリストテレスがくどいほど言っています。
帰納法によってえられた知識はそれ自体論証の対象にはなりえません。
演繹をすすめるためには、公理が必要なのです。
これは純粋に理論的な数学においても同様です。
議論の途中で、概念のいみが変わってしまう誤謬を避けるために定義もまた
必要なのです。しかも、同一律を強調しているのは途中で定義を勝手に
かえるなという意味なのです。
> 「収束」という概念はほとんどないし重要視されてもいません。
それがどうかしましたか?ニュートンの微積分の内容は後の時代と
何も変わっていないでしょう。のちになって、解析学の算術化という動きは
ありますが、本質的には解析学はなにも変わっていないのです。
> それをNewtonが無能だからと考えてしまうあなたの考え方に驚きます。
”正しいことと間違ったことが合い半ばしている”と書いてあれば、そう書いた
人がニュートンを無能とおもっているとしか考えられないでしょう。
> 後世のCauchyやDirichletやEulerでさえ間違った事を言っているというのに。
いつだって、間違いはあるでしょう。これは数学のいやすべての学問の宿命です。
しかし、ニュートン自体はべつにまちがってはいないです。すくなくとも、
” もうごちゃごちゃになってたはずなんですが”というようなことはなかった
です。
>>49 > 黒体輻射だと考えるのが普通だけどw
プランクが黒体の輻射から、エネルギー量子の考えをみちびくためには、原子論
の思想が前提になっていなくてはならないのです。離散的な世界観がまったくない
状態では、プランクもあの発想にはいたらなかったでしょう。
>>47 > 形而上というのは「形がなく通常の事物や現象のような感覚的経験を超えた」
>という意味ですから、近現代の物理学者がこういう言葉を使うのは全くおかしくありませんし、
こんなばかげた論法を聞いたことがありません。アインシュタインは
「物理学は、形がなく通常の事物や現象のような感覚的経験を超えた」という意味で
語ったというのですか? 形而上学とは、確立した意味をもっているのです。
語の勝手な使用は特別に断らない限りできません。
(こんなことは小学生も知っています)
> 個人的な考えや少数説をまるで世間一般的にそういわれているかのように書かれるので…
常識はずれのことを言っているのはあなたのほうです。
>>50 >これほど明瞭に公理の実際の使用法を明示した
公理の使用法ではありません。三段論法の使用法です。
AならばB、BならばC、よってAならばCというだけではAを公理とは呼びません。
あなたが論理学をよく勉強してください。
Aristotelesを好意的に解釈するのは構いませんが、あなたの主張は少しばかり無理があります。
>それは、アリストテレスがくどいほど言っています。
定義と公理は全然違います。定義の重要性なら恐らくくどいほど言っているんだと思いますが
公理の重要性は述べていないはずです。
定義を行っただけでは理論が重大な矛盾を引き起こしたりしないでしょ?
well-definedでないような無茶苦茶な定義でもしない限り。
>それがどうかしましたか?ニュートンの微積分の内容は後の時代と
>何も変わっていないでしょう。
「それ」は即ち微積分が基礎付けられ、一握りの天才でなくとも理解できるように整備された、
ということですが。まさかNewtonの時代からx^2の微分は2x、積分はx^3/3だから内容は変わってない、
とかいうつもりですかね…
>”正しいことと間違ったことが合い半ばしている”と書いてあれば、そう書いた
>人がニュートンを無能とおもっているとしか考えられないでしょう。
集合論の創始したCantorはかなり間違った主張もしています。
一時期は現在では証明は出来ないと分かっている連続体仮説を、
証明できたと考えていた時期もあったようです。
それではあなたはCantorは無能だとしか考えられないのですか。
>常識はずれのことを言っているのはあなたのほうです。
じゃあ
>ユークリッドは『原論』を著すさいに、アリストテレスの助言に従いました。
>ゲーデルにとって、数学がトリビアルなものになった
これがはっきり書いてある文献と、その内容が書いてある書いてあるページ数を教えて下さい。
前スレで「ネットで簡単に調べられる」とか言っていたのだから簡単でしょう。
53 :
132人目の素数さん :2006/11/27(月) 16:53:58
数学や物理を理解できないバカが哲学に逃げるの間違いだろ?
54 :
哲学と数学の結合 :2006/11/27(月) 17:04:19
訓練士で〜す! こんな低能なイタはじめて見ました!!!!!!!!!!!! 哲学とはニートを生み出す元凶です、 それを考えますと金玉が。筋が・・ 大変恐縮ですが、これから射精をいたします。 かんちょクラッシュ 結合結合結合結合結合結合結合 無機質てつがくクラッシュ無機質人間と機械との融合・・・・ カンブリアカンブリア カンブリア カンブリア カンブリア カンブリア でろはめりょも・・・・ホモはソクラテスだびゅば!実用性がすべてめりょも・・・・介助犬だびゅば!でろはめりょも・・・・だびゅば!でろはめりょも・・・・だびゅば! でろはめりょも・・・・だびゅば! うつくしい世界
55 :
132人目の素数さん :2006/11/27(月) 17:07:45
欧米の事情は知らないが、少なくとも日本ではそうだね。
56 :
132人目の素数さん :2006/11/27(月) 17:08:41
哲やはスルーでいいよ。時間の無駄。哲学の板でオナニーしてればいいのに。 人がせっかく数学の板でオナニーしてるのに、となりのオナニーがそんなに気になるのかな。 もう、飽きた。数学のオナニー話以外は板違いなんだよ。 ここは数学でオナニーする板なんだよ。帰れって言って無理だからスルーするー。
「哲厨たちの中で」ってつければスレタイ通りで正しいよ
58 :
132人目の素数さん :2006/11/27(月) 19:51:51
哲学は無駄とは思わないけど、もっと数学化されるべきだよな。
59 :
132人目の素数さん :2006/11/27(月) 19:53:41
いや比較哲学みたいなのを数学化するべきだよ。
>>52 > 公理の使用法ではありません。三段論法の使用法です。
数学では、アリストテレスの3段論法を使わず他の哲学者が整備した論理を
使います。ですが、3段論法はその論理も当然カバーしています。
まず、3段論法が普通の論証であることを理解してください。
公理について、アリストテレスの言葉です。
「他の前提によらずにそれ自身によって確信を得る主張(公理)が真実であり、
原理的なものであり、それが論証の前提である」(トピカより)
>一握りの天才でなくとも理解できるように整備された
微積分は、その最初期であれ、現在であれ、理解の困難な部分は哲学的な無限の
概念にかかわる部分なのです。その点を閑却すれば、初期の微積分もなんら理解に
困難を伴うものではないのです。
> 集合論の創始したCantorはかなり間違った主張もしています。
また話しをそらす。アリストテレスの虚偽論でも読んでください。
ニュートンが”正しいことと間違ったことが合い半ばしている”といわれるほど、
混乱していたかときいたのでしょう。
”ユークリッドは『原論』を著すさいに、アリストテレスの助言に従いました。 ”
これはそうかんがえるのが、いろいろの証拠から合理的ということで言ったのです。
”ゲーデルにとって、数学がトリビアルなものになった ”
ソースは忘れたのであかせないけれど、複数の証言で確かめたことです。
>まず、3段論法が普通の論証であることを理解してください。 誰も三段論法は普通の論証でないなんて言ってないですよ。 Aristotelesは実際には、理論の最初に考えを整理して、 少数の前提を選んで、あとはその前提だけに基づいて演繹するようなことはしていません。 単純にAならばB、BならばC、よってAならばCだけど Aが正しいことが前提されていなければCについては何も言えないよね、というほうが Aristotelesが考えていたことに近いと思いますよ。 >その点を閑却すれば 哲学の問題というよりも、理論の最初期は導出の途中で 論理的に明らかにおかしなことをしています。 論理的に筋が通らず不明瞭でも直観的に正しさが認識できる能力を持った人で無いと 単純な計算だけは出来ても理論の理解は出来なかったはずです。 ちなみに現在微積分が難しいのは哲学的にどうとかいうことじゃなくて 多重量化のテクニックだとか複数ある収束概念の区別だとかそういうことです。 微分の定義なんて難しいうちに入りません。積分可能性の証明とかは難しいでしょうけど。 >理解の困難な部分は哲学的な無限の概念にかかわる部分なのです。 当時は平面上の位置を二つの実数の組で表す、というのは 中学生なら誰でも知っているような事じゃなくて最先端の理論だったわけですが。 後から考えると当たり前のことでも、発見当初は悩みに悩んで閃いたアイディアが 正しいのかただの思い違いなのか判然としない方が寧ろ普通ですよ。
>ですが、3段論法はその論理も当然カバーしています。 カバーしてない >哲学的な無限の概念 数学的な無限の概念だろ
>ソースは忘れたのであかせないけれど、複数の証言で確かめたことです。 そんなの何の意味もないだろ 相対論が間違ってるという話だって複数の証言で確かめられる
> 少数の前提を選んで、あとはその前提だけに基づいて演繹するようなことはしていません。
少数の前提として、たとえば排中律とかあげているではないですか。
> 論理的に明らかにおかしなことをしています。
ニュートンについて例をあげてください。
> 当時は平面上の位置を二つの実数の組で表す、というのは
>中学生なら誰でも知っているような事じゃなくて最先端の理論だったわけですが。
また論点の変更があります。当時、ニュートンがなやんだのは無限小の概念です。
デカルトの座標幾何で悩んだわけではないのです。
なぜ無限小の概念でなやんだかといえば、アリストテレスの議論にある無限の議論と
食い違いがあるからなのです。
>>64 > そんなの何の意味もないだろ
2チャンネルではソースについては、議論の相手を信頼するという原則で行くしか
ないのではないですか。わたし自身、特別の場合以外、ソースを要求しません。
学会での発表ではないのですから。
>少数の前提として、たとえば排中律とかあげているではないですか。 Aristotelesが言いたかった事は 「「PであるかまたはPではない」は正しい論理的法則である」であって 具体的な「PであるかまたはPではない」みたいなトートロジー自体じゃない。 議論のレベルが違うんですが。 Ethicaみたいな公理から導出していく議論をしていない、ということであって 正しい推論の法則について説明していないということではありません。 それに推論規則(またはそれと等価なもの)と公理を誤解しているんじゃないですか。 公理は自分で自由に設定できますし、実験的観察から決まるものですが 推論規則はそうではありません。これらは意味合いが違うものです。 >ニュートンについて例をあげてください。 流率を求めるときの計算には、何となくうまくいきそうだから、以上の根拠はありません。 というよりも論理なんてほとんどなくてただの記号計算に近いんでしょうが。 というかアリストテレスって数学と論理学の足を引っ張ったと言われてる哲学者ですけどね。 それが何で数学の理解に役立ったことになるのかそのそもそもの点がわかりませんがね。 >2チャンネルではソースについては、議論の相手を信頼するという原則で行くしか >ないのではないですか。 その正反対だと思ってる人がほとんどだと思いますが。
>>66 ゲーデルは不完全性定理以降も重要な数学論文を書いている。
哲学に関する論考もあるが生前は未刊。
これらは全集でも見れば確認できる事実で、完全に哲学に移行したという主張に合わない。
あなたを信頼するなら、依拠してるソースが間違っている。
もう一点。
> ゲーデルにしても不完全性
> 定理のあとは完全に哲学に移行してしまいました。
という話がなぜ
> 哲学が数学、および物理学におよぼした影響はあります。
になるんだ?
数学が哲学に影響を及ぼした例ととらえるほうが自然なのだが。
69 :
132人目の素数さん :2006/11/29(水) 15:25:40
哲やは、知識インプットするのだけ得意そうだな。 威張るんだったら思考実験の1つや2つ学会に発表してみろ。
70 :
132人目の素数さん :2006/11/29(水) 17:46:59
哲学なんぞ余暇でやるんだろ、普通
>ソースは忘れたのであかせないけれど、複数の証言で確かめたことです。 だそうですよ。たぶん複数の人の色んな主張を繋ぎ合せてさらに 「ガロア理論勉強終えました ◆Cs3QPD0dJQ」さんの大胆な推測を 加えればそうなる、という意味なんでしょうけど。
>>70 日本の大学でやっている哲学は哲学文献学なので膨大な手間がかかります。
文献学をせずに勝手なことをほざく輩は哲学科から弾き出されて、数学板や物理板に粘着しますw
>>67 > 正しい推論の法則について説明していないということではありません。
失礼ながら、公理をわかっておられないのではないですか?
推論の法則は公理の最たるものでしょう。ユークリッドの『原論』でも学問に共通な
一般的な前提を公理とし、幾何学固有の前提を公準としているのです。
さすがに、公理として論理法則までは『原論』ではあげていませんが。
この辺は、現在の公理という言葉の使い方と食い違う面がありますが、本来その
ように使われるべきなのです。
> 公理は自分で自由に設定できますし、実験的観察から決まるものですが
公理という概念は、論証できない前提ということですよね。それが本来の意味
ですから。
> というよりも論理なんてほとんどなくてただの記号計算に近いんでしょうが。
そこまでニュートンをけなすとは。ニュートンの方法に論理がないというなら、
後の微積分には、なにかとくべつな論理がわいてきたとおもっておられるのですね。
コーシーのεーδ論法にしても、無限小方式との相互交流はできるようになっている
のをご存知ですよね。
> というかアリストテレスって数学と論理学の足を引っ張ったと言われてる哲学者ですけどね。
アリストテレスがいなければ、フレーゲの述語論理はうまれていませんよ。
それだけではないです。およそすべての学問の基礎をつくったと考えられるわけです。
定義、公理、証明の必要性を示し、帰納法と演繹法の使い方を教え、形式論理を整備
したのではないですか。ちなみにほかの文化圏(中国、インドなど)では形式論理は
うまれていません。
たとえば、「すべての人は色白である」
の否定を「ある人は色白でない」
と、しかも形式的な形で(人とか色白という具体性をはなれて)しめしたのはアリスト
テレスが最初です。
>>68 話しが、拡散しすぎていますので、ゲーデルのはなしは終了とさせていただきます。
ごめん。
この話題はみずかけ論になってしまうでしょうから。
>>69-70 数学に役にたつのじゃないかとおもっているので。
無限小方式って何のこと言ってるんだろ。
>>73 >> 正しい推論の法則について説明していないということではありません。
>(中略)
>ように使われるべきなのです。
それがなんで
>>67 へのレスなんですか?意味がわかりませんが…
このレスに限って
>>73 の用語法を使うならば原論の
数学的オリジナリティは5つの公準を定めた事です。
公準でない公理のほうは十分明確に使用されていません。
原論では「点は部分をもたないものである」みたいな
実際には使わない仮定がたくさんありますけどそっちのほうに近いものです。
(というか部分を持たないものが点なら空集合は点なのか?どうなんだって話なんですがw)
axiomという言葉は使うべきでなくpostulateを使うべきだということでしょうか?
たとえば量子力学では射影仮説じゃなくて射影公準と言ったりして。
何で二千年前の用語法を遵守すべきだと言ってるのか解りませんし
突然そういうことを言い出すのかも解りませんが
それならあなたのこれまでの「公理」の使い方だっておかしいじゃないですか。
>>23 で「きちんとした理論は、公理、定義をさだめ証明によって展開
されなければならないと述べていたからです。」も排中律だとか同一律を
最初に定めなければそれから証明しなければならないということですか?
いずれにせよそういうことは自分の著書ではAristotelesはやっていないのですが。
76 :
132人目の素数さん :2006/11/30(木) 03:10:48
数学・物理学のできない人が哲学に逃げ込んでるだけだと思う。
>>74 別にFregeの述語論理が無くとも数学はあったでしょうがね。
数学基礎論は異なったものになってかもしれませんが。
基礎論とか数理論理学に関係ない数学者はほとんど
Fregeの著作の影響なんか受けてないですしね。
却ってすっきりしたものになっていたかも知れません。
というか形式論理ってどういう意味で使われてます?
Aristotelesは記号論理を整備した人ではありませんよ。
まさか「超越論的論理学」に対比した用語法で使ってますか?
だとしたらAristotelesは「従来のAristoteles流の論理学」を整備した人です。
ちなみにほかの文化圏(中国、インドなど)では「従来のAristoteles流の論理学」は
うまれていません。となって、うん、だから何?となるのですが…
>およそすべての学問の基礎をつくったと考えられるわけです。
別にAristotelesが居なくても原論のようなものは書かれたでしょうし
Aristoteles以前から幾何学はあります。
三平方の定理だとか√2が無理数である事だとかも既に発見されていたわけですし。
数学に対する寄与は全然大きくないですよ。
>この話題はみずかけ論になってしまうでしょうから。
あなたがGödelに関して通説と明らかに異なったことを言っているだけです。
心配要りません。
>数学に役にたつのじゃないかとおもっているので。
数学の勉強の役には立ちませんよ。
78 :
132人目の素数さん :2006/11/30(木) 03:39:20
>>74 水掛け論なんていわれる筋合いはない。
こっちは事実を提示しているだけ。
それから
>>68 の後半も無視しないで欲しいな。
ゲーデルは数学が哲学に影響を及ぼした例とは考えられないのですか?
数学をバカにしようと思ってる哲厨が、哲学そのものもわかってなかったというオチか。
82 :
132人目の素数さん :2006/11/30(木) 12:22:38
リアルで「哲学やってます」なんて恥ずかしくて言えないもんなw
現代の数学の分からん阿呆がグダグダ老人の繰言をするスレ
>>75 > 無限小方式って何のこと言ってるんだろ。
無限小概念を主に使う解析学のことです。
> 公準でない公理のほうは十分明確に使用されていません。
公準も公理も概念としては、つまり論証できない前提という点で同じものである
ことを認めますよね。対象とする領域の一般性において違いがあるというだけで。
> 何で二千年前の用語法を遵守すべきだと言ってるのか解りませんし
遵守すべきだなどととは言っていません。あなたが公理の概念を理解していない
ようですから、原点を振り返ってみただけです。
>排中律だとか同一律を最初に定めなければそれから証明しなければならない...?
煩雑を避けるために、すべてを定めるということはどんな学問でもないです。数学
だって前提とすべきすべての内容を明示しているわけではないでしょ。
>>77 > 別にFregeの述語論理が無くとも数学はあったでしょうがね。
これは驚いた。論理は数学の根底でしょ。しかし、何を言っても無駄かな。
> というか形式論理ってどういう意味で使われてます?
”形式論理”という言葉をご存知ないようですね。調べる気もないのですか。
> ちなみにほかの文化圏(中国、インドなど)では「従来のAristoteles流の論理学」は
>うまれていません。となって、うん、だから何?となるのですが…
文化における論理学の意義の大きさが理解できていないから、”だから何?”と
なるのです。ヨーロッパという文化をとらえるのに、3つの要素がよく言われます。
1、ギリシャ古典哲学、2、ローマ法、3キリスト教、ですが、このうちギリシャ哲学
の要の部分として、アリストテレスの形式論理があります。
過去も現在も、ヨーロッパの知識層の教養の中核にアリストテレスの形式論理があるのです。
また、”だから何?”って言われそうですが。当然、この事情はヨーロッパにおける
数学のあり方にも影響を与えていることは間違いありません。論理的思考こそ数学の
ふるさとだからです。
> 数学に対する寄与は全然大きくないですよ。
最新の研究で、ユークリッドの『原論』の知識の大部分はすでにアカでメイアで
論じられていたことがわかっています。それにアリストテレスが適切な構造を与えた
と考えられます。
>>83 しかるべき思考訓練を、哲学であれなんであれやっていれば現代数学も理解することは
できます。
アホは放置でw
87 :
132人目の素数さん :2006/12/01(金) 08:04:51
何もわかっていないやつだということがよくわかる無駄な長文だなww
きっと哲学のほうでも相手にしてもらえなくて、こっちに流れついたんだろうな。 ガロア理論の初級をちょっとやったくらいで「現代数学を理解」とは恐れ入る。
結局
>>68 の後半の問いかけは無視されちまった・・・
じゃあなたのお気に入りのアリストテレスの話題で、
> 最新の研究で、ユークリッドの『原論』の知識の大部分はすでにアカでメイアで
> 論じられていたことがわかっています。それにアリストテレスが適切な構造を与えた
> と考えられます。
最新の研究なのかしらないが、とにかくアリストテレス以前に豊かな数学があった。
だからアリストテレスは数学の影響を受けて哲学を研究したことになるだろ?
哲学板は酷いな・・・ kingがマシに思えてくる・・・・・
あなたって自分が正しいかどうか確かめるフィルターを持ってるの? プログラマーならコンパイラーという名のフィルターを。 物理学者なら自然という名のフィルターを。 数学者なら公理という名のフィルターを持ってるぜ。 まぁ、自分が自分で納得すんのは自由だ。何もいわねぇ。
92 :
KingOfUniverse ◆667la1PjK2 :2006/12/01(金) 10:21:00
93 :
132人目の素数さん :2006/12/01(金) 19:37:31
文keiは数学板からさっさと消えろ
94 :
132人目の素数さん :2006/12/01(金) 19:39:39
文系も数系の知力を強化するのに役に立つ
>>84 >公準も公理も概念としては、つまり論証できない前提という点で同じものである
>ことを認めますよね。
いや、公理と公準は別物だからお前は公理を解っていない!
みたいなことを仰ってたのはあなたなんですが。。
私はそもそもは公理と公準の違いなんてどうでも良いし
現代的な用語法で別に問題ないと思ってたんですが、そうしたらあなたが違うと仰ったもので。
公理とは常識とか万人の共通了解とかのことじゃないですから
公理が間違っていると考える人に対してはその理論は説得力を持ちません。
ですから現代的な用語法では公理は別に全ての学問の前提などではありません。
>これは驚いた。論理は数学の根底でしょ。
Fregeって実際現在でも基礎論以外じゃ知ってる数学者は少ないですよ。
驚かれても事実なんだから仕方がない。
GaussやCauchyやWeierstrassのやったことは数学じゃないんですか?
これらの学者まではFregeの影響は皆無ですが。
>”形式論理”という言葉をご存知ないようですね。調べる気もないのですか。 「形式論理」には二つの意味が在ります。 数学やってる人間や計算機科学の人間は普通、 形式論理と言われれば記号論理学だと思います。 あなたはそれをご存じないんでしょうか。 >すでにアカでメイアで論じられていたことがわかっています。 だからなんですか。 誰もEucleidesが原論の定理を自分で発見したなどとは思っていません。 彼は当時わかっていたことを整理した人であって 発見者じゃないなどというのはごく常識的な考え方であって最新の研究では在りません。 ついでに言うと >それにアリストテレスが適切な構造を与えたと考えられます。 だからそれはただのあなたの推測でしょ。 >しかるべき思考訓練を、哲学であれなんであれやっていれば そりゃまあ高校生でも優秀な生徒なら理解できますから 哲学をやってなくても理解できるでしょうからね。
「ついでに言うと」が妙なところに挟まっちゃった。 まあいいか。 Fregeは本当に知ってる数学者少ないですよ。 数学サイドの人間は哲学者に近い論理学者だと考えるのが普通じゃないかと。 Gödelだってあまり知らない人がいるのに Fregeなんてそっち方面専門の人じゃなきゃ知ってるわけが無い。 一階述語論理なんて知らなくても数学は出来ますしね。 実際普通数学科じゃそんなもの教えてないですし。 Fregeがなけりゃ代数幾何学だとか函数解析学だとか微分位相幾何学だとかは 無かったのだと考えるほうがトンデモナイ主張だと思うのは当たり前のことだと思うんですが。。
誰かさんのせいで不当に貶められてしまう羽目になってしまったが 本来アリストテレスは評価されるべき人物だとは思うぞ。
別に偉い哲学者だってのと数学にはあまり影響を与えなかったってのは矛盾しないし 貶めていることにはならない。 それに当時の「哲学」が自然哲学を含んでるからって 現代の哲学科出身の人の自然科学の能力の証明にはなりはしない。 数学についても然り。
いや、必要条件、十分条件のような概念はアリストテレス由来だし、 影響がないとは言い過ぎ。認めるべきところは認めないと。
この「ガロア理論勉強終えました ◆Cs3QPD0dJQ 」って人はスレタイとは逆にぱっとしない理系が哲学に逃げたタイプじゃなかろうか? 文系の人で哲学の話題を敢えてふるような人はこんなに突っ込みどころ満載の議論はしないと思う。
だから「あまり」与えなかった、と。 De Morgan程度の貢献はあるのだ、と言うならまだしも 原論はAristotelesが内容を考えたんだとかいうのは過大評価。 このスレには哲学が数学に与えた影響の話は過大評価しかない。
過大評価は同意だが、あまり与えなかったも過小評価。 相手と同レベルの論法を使ってどうする?
いやだから、De Morganから現代数学は始まったのですだとか 現代数学の嚆矢De Morganが、だとか言われたらどう思うかという問題でw 彼は数学者だけどさ。
まあ感情で書くのもどうかとは思うけどね。 しかしアリストテレスが原論に影響を与えたって言うと、 サボーの仕事当たりから想像したのかな?
多分それくらいネットで調べられるでしょう?ってことなんじゃないですか?
>>1 >哲学を理解できない馬鹿が、数学や物理に逃げる
バートランド・ラッセルの著作よく読め。
>>68 > 数学が哲学に影響を及ぼした例ととらえるほうが自然なのだが。
この話題は無視したのではなく、返答を保留したのです。ですが、個人的な答えという
ことで言えば、哲学に影響を及ぼしたとは考えてはいません。
>>89 > だからアリストテレスは数学の影響を受けて哲学を研究したことになるだろ?
”影響を受けて”といえば、誰もがいろいろな学問から影響を受けているでしょう。
しかし、それではなにも意味あることを語ったことにはならないです。重要な影響を
受けたかがポイントとなるでしょうが、アリストテレスがそういう影響を受けたという
証拠はありません。
>>91 > 数学者なら公理という名のフィルターを持ってるぜ。
"公理”はすべての学問に存在します。数学固有のものではありません。そのことは
延々と議論しているのですが、お読みにはなっていないようですね。ざんねん。
>>94 > 文系も数系の知力を強化するのに役に立つ
まったくそのとおりです。
>>95 > 公理とは常識とか万人の共通了解とかのことじゃないですから
そんな主張はしていません。公理とは”他の前提からは論証できない論証の前提”
と何度も言っています。それに学問において、常識とか万人の共通了解などが
そのまま公理として採用されるなどということもありません。ですから、そういう
主張をするはずもありません。
> ですから現代的な用語法では公理は別に全ての学問の前提などではありません。
これも、また主張したことのない内容への反論です。
> GaussやCauchyやWeierstrassのやったことは数学じゃないんですか?
なぜこういう主張がでてくるのかわかりません。
もともと、あなたが
>アリストテレスって数学と論理学の足を引っ張ったと言われてる哲学者ですけどね。
と言われたので、
> アリストテレスがいなければ、フレーゲの述語論理はうまれていませんよ。
とレスしたのです。そしたら
> 別にFregeの述語論理が無くとも数学はあったでしょうがね。
それに対してわたしが
> 論理は数学の根底でしょ
と言ったら、最初の文が戻ってきたわけです。筆がすべっただけでしょうけれど。
>>96 > 形式論理と言われれば記号論理学だと思います。
ずーっと、アリストテレスの形式論理と言いつづけてきました。
>>74 では
”しかも形式的な形で(人とか色白という具体性をはなれて)しめしたのはアリスト
テレスが最初です。 ”として「形式的」という語の意味まで示していたのに。
> だからそれはただのあなたの推測でしょ。
アリストテレスの仕事の内容と時期を考えればそう考えるのが順当でしょう。
数と量を章をわけて論じているところは、明らかにアリストテレスの影響だといわれて
いるし、ユークリッドが編集者的なタイプだとしたら、とりわけそう考えられるのでは。
>>101 わたしは哲学専門でもないですし、哲学に詳しくもないです。ですから、
ここで幼稚なことを書き込んで哲学専門の人に迷惑をかけているのではないかと
それが心配です。ですので、哲学専門でないことをここで宣言しておきます。
突っ込みどころ満載なのはそういうわけです。ですが文系は文系です。
>>107 もし、わたしを1と思われているのなら、わたし1ではないですので。
111 :
132人目の素数さん :2006/12/02(土) 09:13:10
>>107 数学がわからなくなったから哲学に移った、とラッセル卿がおっしゃってましたな
112 :
132人目の素数さん :2006/12/02(土) 12:03:02
>>111 若くて脳がもっとも活性化してるときに数学をやり、歳とって脳の働きが鈍くなったから
哲学に移った・・・じゃなかったっけ?
>>109 「学問に共通な一般的な前提」と
「他の前提からは論証できない論証の前提」
では意味が違います。あなたがどっちの立場を取っているのかはっきりさせてください。
Fregeは数学者というよりは論理学者なのです。
Fregeを研究しているのは数学者じゃなくて英米系の哲学者です。
数学者ではなくて哲学者だとみなすほうが普通の考え方かと思います。
だからFregeは数学基礎論以外の分野には影響を与えていませんよという意味で
>別にFregeの述語論理が無くとも数学はあったでしょうがね。
と言ったら
>これは驚いた。
と仰ったのであなたはFregeの数学に対する貢献を過大評価しているとレスしたんです。
私は形式論理学とは記号論理学という意味か、それともAristotelesの論理学という意味か、
と問うたのに「”形式論理”という言葉をご存知ないようですね。調べる気もないのですか。」
というレスは無いでしょう。あなたが数理科学分野での用語法を知らなかっただけなのに。
>数と量を章をわけて論じているところは、明らかにアリストテレスの影響だといわれているし
数と量をわけて論じた事には数学史的な興味しかなくて
今の数学ではそういう区別は無意味ですけどね。
あなたは数学史家でもAristotelesの専門家でもないのに自分の推測を
世間の常識のように言われるので「明らかにアリストテレスの影響だといわれている」
だってソースの無いただの個人的考えなのかもしれませんが。
114 :
132人目の素数さん :2006/12/02(土) 16:57:43
>>112 デカルトもなんか似たようなこと言ってた希ガス。
>>113 >あなたがどっちの立場を取っているのかはっきりさせてください。
なんども言っていることです。あきれてものが言えません。
「他の前提からは論証できない論証の前提」
のほうです。
> だゥらFregeは数学基礎論以外の分野には影響を与えていませんよという意味で
初年級の微積分ですら、εーδとフレーゲの述語論理をつかって関数の連続性を
定義したりするのに。
>あなたが数理科学分野での用語法を知らなかっただけなのに。
アリストテレスの形式論理と言っている以上、記号論理のはずはないでしょう。
記号論理といえば、ふつうブールの記号論理を指すでしょう。または、発展形
としてのフレーゲの述語論理となるのではないですか。だから、”調べる気も
ないのですか”と書いたわけです。
> 数と量をわけて論じた事には数学史的な興味しかなくて
>今の数学ではそういう区別は無意味ですけどね。
離散的な数と、無限分割可能な量をきちんとわけることの必要をアリストテレスは
よくわかっていたのでしょう。現在でも整数と実数は、厳然とわけられている
ではないですか。
>>107 ラッセル卿こそ、数学の失楽園、アダムとイブの楽園追放の立役者です。
なんのこと?
つまり、ラッセル卿が”ラッセルのパラドックス”を示したことにより、
数学者が天上の楽園から追放されてしまったということです。
ラッセルのパラドックス以前は、数学的言辞は神の恩寵
によって矛盾することはない、とおもわれていたのです。
カントルの集合論の宣言も、実に玲瓏の響きをもって語られています。
数学的言辞に一片の疑念もなかったのでしょう。
カントルは、実無限の思想を批判されたとき、実無限の観念こそ
神の顕現だと主張したのです。
カントルにとって数学の根拠は、神学にあったのです。
ラッセルのパラドックスによって、数学者は茨の道を歩くことになりました。
普遍的な真理という錦の御旗もおろさなくてはならなくなり
いつ矛盾が再来するか怯えなくてはならなくなりました。(鈍い人は別)
しかし、ラッセルのパラドックスによって、数学基礎論という新しい
数学分野が開かれ、数学者の職場が広がったのですから慶賀すべき面も
あったわけです。
現場の感覚とは相当ずれたことを言ってるな。
やっぱり数学の人はコンプレックスがアリアリですな
哲学やっている奴はなぜ他の学問を馬鹿にすることでしかプライドを保てないのか。
120 :
ゆ :2006/12/03(日) 13:12:15
結局哲学っていうのは目に見えない抽象的な ちょっと待って、うんこしてくる
121 :
KingOfUniverse ◆667la1PjK2 :2006/12/03(日) 13:26:59
つまり、人の脳を読む能力を悪用する奴を潰せ。
哲学で飯どうやって食えるのかな。小説家より存在する値打ちがなさそうに思えるのだがな。
>なんども言っていることです。
あなたが
>>67 に対して
>>73 というレスしたんだから
誤解されてもしょうがないでしょ。
εδはCauchyやWeierstrassが定式化したもので
Frege以前に成立しています。
また、∀x¬と¬∃xが同じであることを分かっているだけで
述語論理を分かっているとは言いません。
実際に論理を使用出来ているだけで論理学が分かっているわけじゃない。
>>116 つまり当時はRusselは未だ頭が良かったんだねw
数学でもあまり飯食えないぞ 就職は文学部のほうが良かったりして
食えなくなったら、その時点で死ねばいいだけでは?
127 :
ゆ :2006/12/03(日) 18:28:04
たくさん出た
128 :
1 :2006/12/03(日) 22:54:20
> あなたが
>>67 に対して
>>73 というレスしたんだから
>誤解されてもしょうがないでしょ。
73でも、” 公理という概念は、論証できない前提ということですよね。”
と断っています。誤解のよちはありません。
> εδはCauchyやWeierstrassが定式化したもので
> Frege以前に成立しています。
そんなことは常識ではありませんか。なにを誤解されてこういう言い方が
でてくるのかわかりません。
> 実際に論理を使用出来ているだけで論理学が分かっているわけじゃない。
これも何をおっしゃりたいのかわかりません。ともかく、論理学を創始
したのはアリストテレスですから、それはご理解ください。
> つまり当時はRusselは未だ頭が良かったんだねw
この文も意味不明です。哲学者のラッセル卿が数学界を震撼させた
という事実を述べたまでです。
楽園での気持ちいい眠りから覚まされて、しかしそれが知識への道である
のだから、また真に大人になるためにはやむをえないのだから、数学者は
茨の道を甘受しなければならないことでしょう。
↑の名前欄の 1 はまちがいです。
>>122 > 哲学で飯どうやって食えるのかな。
外国では、哲学の価値がわかっているので、企業、コンサルタント会社、シンクタンク
など多様な就職先があります。
日本はそうではありませんが、日本の後進性というもののあらわれでしょう。
一例をあげれば、建築・都市計画に対しては都市哲学、技術・工学に対しては技術
哲学など、それそれ哲学の専門家が活躍してほしいものです。
たとえ就職に難があっても、哲学は学問の王ですから、
パルメニデスがアナクサゴラスをたたえてうたった詩に、
幸いなるかな観照の道を歩むもの(以下略)
という一節で始まる詩があります。キリストの山上の垂訓のような
詩をもって哲学者の一生の幸福なさまを描いてあります。
130 :
132人目の素数さん :2006/12/03(日) 22:59:00
はいはい、ぷげら、ぷげら 日本の大学で教えているのは哲学文献学 哲学を教えている大学は国内にはありませんw
>>128 >そんなことは常識ではありませんか。
Fregeは数学基礎論以外の分野には影響を与えていないということも
お分かりならいいのですが。
>この文も意味不明です。
あなたが
>>107 のレスを分かってないだけかと。
Russelの有名な言葉があるんですがね。ご存知ありませんか。
132 :
132人目の素数さん :2006/12/03(日) 23:12:12
欧米に哲学科には、数学・物理・経済学・経営学etc.を理解した上で 哲学を専攻するオールマイティな奴らがゴロゴロいる。 そういう連中が欧米の実業界で厚遇されるのは当然だし、 日本の実業界だってそういう人材であれば喉から手が出るほど欲しい。
>>115 初年級の微積分ですら、εーδとフレーゲの述語論理をつかって関数の連続性を
定義したりするのに。
フレーゲの述語論理をどこでどう使ってるの?
>>129 この文脈では企業に就職するという選択肢は哲学で食っていくということにはならないだろう。
136 :
132人目の素数さん :2006/12/04(月) 10:19:45
表記法で言っちゃうとオイラー辺りは微積分をやってないとか、カルダノは方程式を扱っていないとか言われかねんな。
週末にずいぶんスレが伸びてるので今さらレスするもの少し気が引けるが・・・
>>108 こちらの「個人的な答え」をいえば、ゲーデルやフレーゲは数学と哲学の境界付近で仕事をし、
それゆえ数学にも哲学にも影響を与えたというだけのこと。
それをあえて哲学が数学に影響を与えた例に挙げるという見方は何らかバイアスがかかっているように思われる。
さらに個人的な答えではゲーデルもフレーゲも学位は数学で取ってるのだからむしろ数学寄りだと思う。
まあこれはどうでもいいと思うけど。
> ”影響を受けて”といえば、誰もがいろいろな学問から影響を受けているでしょう。
> しかし、それではなにも意味あることを語ったことにはならないです。重要な影響を
> 受けたかがポイントとなるでしょうが、アリストテレスがそういう影響を受けたという
> 証拠はありません。
プラトンは想起説を説明するのに幾何学の証明を例に出しているくらいで、
アリストテレスに限らずアカデメイアで学んだものはみな真実を導く論証の訓練として幾何学を学んでいる。
ただしかし・・・
ギリシャ時代の「哲学者」は今でいうと単に「学者」というくらいの広い意味でつかわれていたはずで、
これを持ち上げて哲学云々を語るのはPh.Dの語義は哲学博士だから哲学者、というくらい強引ではないだろうか。
>>132 そりゃあ中途半端に理解してる奴ならゴロゴロいるだろうなw
>>137 > さらに個人的な答えではゲーデルもフレーゲも学位は数学で取ってるのだからむ>しろ数学寄りだと思う。
ニュートンはケンブリッジで授業で学んだのはアリストテレスの哲学ですが
数学界では、ニュートンを数学者としますね。物理学者とされるのは認めても
なんとか数学者も兼ねていたことにしたいという気持ちはつよいでしょう。
> アリストテレスに限らずアカデメイアで学んだものはみな真実を導く論証の訓練
>として幾何学を学んでいる
それは”訓練として”です。
> ギリシャ時代の「哲学者」は今でいうと単に「学者」というくらいの広い意味で
著作をすこし読まれれば、典型的な”哲学的思索”を目にするとおもいますが。
>>134 >企業に就職するという選択肢は哲学で食っていくということにはならないだろう。
哲学の専門家として、企業で働くのです。概念の分析とかいろいろあるのです。
>>133 > フレーゲの述語論理をどこでどう使ってるの?
”任意のε”を ∀εとかに置き換えていくのです。以下略
>>132 > 日本の実業界だってそういう人材であれば喉から手が出るほど欲しい。
欧米では、年齢制限がないですから。そこから変わらなくてはそういう人材も
うまれないです。
>>128 > Fregeは数学基礎論以外の分野には影響を与えていないということも
本気でそんなことをおもっているのですか?論理に間違いをいれないためには
述語論理は有力な武器でしょ。
> あなたが
>>107 のレスを分かってないだけかと。
そのくらい見当はつけましたけどね。あいまいな表現しかできない人は
議論には向いていませんよ。
>Russelの有名な言葉があるんですがね。ご存知ありませんか。
またもったいつけて、見当違いのことをいいかねないのが怖くてはっきりとは
なにも言えないのですか。Russelほどの人ですから有名なことばは山ほどあります。
ところで前回コーシー、ヴァイエルシュトラースの話しを書かれましたよね。そこで
丁度タイミングが良いので、以前の疑問を晴らしてもらいたいのです。
わたしが、
”ニュートンが論理的に明らかにおかしなことをした例をあげてください。 ”
といったら、
>>67 であなたは、
>流率を求めるときの計算には、何となくうまくいきそうだから、以上の根拠はあり
>ません。
>というよりも論理なんてほとんどなくてただの記号計算に近いんでしょうが。
と言われた。
ですから、その具体例をひとつでいいですからあげてください。
そして、それがコーシー、ヴァイエルシュトラースのεーδ論法の時代にはどう
論理的にしっかりしたものになったのかを示していただきたい。
あなたは、後の時代に論理的にしっかりしたものになったと述べたのですから。
>>139 おいおい「“任意のε”を“∀ε”に置き換える」ことがフレーゲの述語論理かよ。
いくらなんでもネタだろ、それ。
虚数単位を √(-1) と書くか i と書くかの違いくらいであって、
「述語論理」の本論はそこじゃないよ。もしかして、あまり理解しないまま引用してないか?
>>139 べつにニュートンが何学者だとかは当時と今とで学問区分が違うのでどうでもいいことだと思うが、現代の分類でいえば物理学者であり数学者だろう。
しかしあなたは現代の分類でもニュートンが哲学者になるといいたいの?
おれはならないと思う。
それに
>>137 でいいたかったのは、あなたが学問的影響について哲学→数学・物理という一方向に決めつけるのがなぜだか分からない、ということ。
> 著作をすこし読まれれば、典型的な”哲学的思索”を目にするとおもいますが。
哲学者でなくても哲学的思索をすることはある。
俗に「哲学的」といわれる事柄をすべて哲学であると看做すのならあなたのいってることは大体納得いくが、そこまで拡大解釈したら意味のある主張には思えない。
> ”任意のε”を ∀εとかに置き換えていくのです。以下略
置き換えただけでフレーゲの述語論理をつかったとはいわないだろ。
記号としての∀はそもそもフレーゲの発明じゃないし。
数学の才能あるならわざわざ哲学科なんかに行かんだろ。少なくとも日本では。
数学科にもいかなかったりする
上だ、下だって言ってる事自体がくだらない。だって別物なんだから。 哲学だって、やれば立派なもんだよ。やればいい。「哲学の板でな」 ここの板に来て、上だ下だって言ってる事自体が、「見識の浅はかさ」 を露呈してるだけ。
まぁリアルじゃ哲学やってますなんて恥ずかしくて言えないだろう。
>>139 > 哲学の専門家として、企業で働くのです。概念の分析とかいろいろあるのです。
そんな哲学顧問みたいな仕事があるの?
哲学者のアドバイスを参考にしたり哲学専攻の人を優先的に雇用するってこと?
もうちょっと詳しく教えて欲しい。
>>139 NewtonがCambridgeのLucas教授職に就任してるのは
当時からNewtonが数学の教授と見做されていた証だと思うけど。
大学に居たときから、師のIsaac Barrowに数学の指導を受けたりもしている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lucasian_Professor_of_Mathematics 「物理学者とされるのは認めても」ってどういうこと?
他分野の学者だと認めたくないと思っているということ?
そんなおかしな思考はあなたしかしてないよ。
数学界がNewtonを数学者と見做したいと不合理にも考えているような言い方だけど
Newtonは数学者ではない、という方がよほどおかしいですよ。
ちょうど物理学や天文学が自然哲学から分かれて独立していく
(というより自然哲学が自然科学に発展していく時代だから
Newtonあたりまでは自然哲学者と見做すのは可能だし
「アリストテレスの申し子」だとか言うのも可能なのかもしれないが数学者じゃないというのは無理。
>”任意のε”を ∀εとかに置き換えていくのです。以下略
以下略も何も「任意の」「存在する」を「∀」「∃」に置き換える以外に何かするんですか?
普通の解析の講義だとしないと思うけど。
微積の講義で述語論理から「記号だけ」拝借して「任意の」を
「∀」と略記するのは確か小平邦彦先生が日本で始めたとどっかで読んだ気がする。
これはただの略記法だから授業によっては「∀」を使わないかもしれないけど
別にそれを知らなくたって知ってる学生に比べて論理学を解ってない事にはならないでしょ。
>本気でそんなことをおもっているのですか?
思ってますよ。数学に論理は要らないとは言ってませんよ。
Fregeが影響を与えた数学の分野は無いと言ってるんですよ。
論理関係以外にFregeの影響を受けた分野があります?
ちょっと思いつきませんが。大学初年級の微積とか莫迦な事言わないで下さいね。
あなたはFregeを「任意の」を「∀」に置き換えただけの人と思ってるようですけど
それでは逆に彼の業績を過小評価しています。
>その具体例
極限の概念が定式化されていないのに論理的に正しいわけないでしょう。
だからこそ当時は極限計算に対して反論が為されていたじゃないですか。
具体的に当時は式をどう表記していたかとかは知りません。私は数学史の学者ではないから。
9Cにフワーリズミーが2次方程式を具体的に何通りに分類して解いたかなど知らなくとも
少し知識があれば「彼は現代の目から見れば煩雑な場合分けを用いて二次方程式を解いた」
と言うのは可能ですね。それと同じ。
それからCauchyの時代の解析学は論理的に完成していたとは言っていないですよ。
Weierstrassの時代には多分ほぼ完璧だったんだろうけど。
>>142 この人下手するとEinsteinは哲学者であるとか言い兼ねないからね。
哲学板から来ましたが、こんな駄スレでもここはレベル高いですね。 といいますか、哲学板の馬鹿がご迷惑をおかけしてすみませんでした。 恥ずかしいです。
>>141 > おいおい「“任意のε”を“∀ε”に置き換える」ことがフレーゲの述語論理かよ。
以下略と書いてあるでしょ。
>>142 > しかしあなたは現代の分類でもニュートンが哲学者になるといいたいの?
数学科出身の人間が、違う分野で大きな仕事をすると、その仕事自体も数学の一部
であると言って憚らないのは、数学界の流儀ではないですか?
>哲学→数学・物理という一方向に決めつけるのがなぜだか分からない、ということ。
これも上に述べたことと関連します。哲学は充分弁護されていないのです。
> 置き換えただけでフレーゲの述語論理をつかったとはいわないだろ。
これも141さんへのレスと同じです。
>>141 > そんな哲学顧問みたいな仕事があるの?
それは企業がしらないだけです。建築を例に取れば、概念設計の段階は建築家なり経済
出身の人間が行いますが、哲学者が加わったほうが良いと思います。
>数学者じゃないというのは無理
古代ギリシャでも自然哲学と数学はくっきり識別されていました。ですから、ニュートンが
第一に自然哲学者であり、そうだとすれば、付随的なものは評価からはずすのが妥当だと
おもいます。
>>149 > 普通の解析の講義だとしないと思うけど。
こうすると、普通の言葉での説明より定義が、明晰になるのです。さらに、否定をとるとき
(背理法で)に間違いがはいらないのです。
> それでは逆に彼の業績を過小評価しています。
論理主義のさきがけとしてのフレーゲを知っていますが、アリストテレスの述語論理を記号化
した業績だけでもたいしたものだとおもいます。
> 極限の概念が定式化されていないのに論理的に正しいわけないでしょう。
極限の概念で、論理的に正しくなったとお考えなのですか?じつは、コーシーは、
無限小の概念(ニュートンはこれを使った)を排除できないことに気づいていましたから
無限小方式との相互交流ができるように理論を設定していたのです。ヴァイエルシュトラース
についても基本的に同じことです。
ですから、ヴァイエルシュトラース流の解析学も無限小概念を通じて、幾何的論証
(ニュートン他が使った)と間接的にむすびついていることになります。強いて言えば、
そこに解析学の論理的根拠があるとわたしは思っています。
>>151 あんた自分の理解した範囲だけ都合良く脳内拡大して、話を理解してるだろ。
少なくとも述語論理に関するあんたの理解は、過小評価しすぎだ。
例の「ガロア理論」のスレでも分離拡大や無限次拡大はやってない。 一番やさしいところだけなぞって「俺はガロア理論を理解した!」みたいに 言っちゃう傾向があるよね、この人は。 あのスレでも山場に近づいてからはラノベまがいの文章を垂れ流すだけだったし。 きっとご自慢の哲学も似たような理解なんだろうなと思う。
>>151 > 数学科出身の人間が、違う分野で大きな仕事をすると、その仕事自体も数学の一部
> であると言って憚らないのは、数学界の流儀ではないですか?
全く違う。
そもそも
>>142 の質問の答えになってない。
あなたはニュートンを現代の意味で哲学者だと主張しているの?
ニュートンと哲学の結びつきとして自然哲学者という肩書きしか出てないようにみえるが。
> 哲学は充分弁護されていないのです。
これも分からない。
少なくともおれは「ゲーデルにしても不完全性定理のあとは完全に哲学に移行してしまいました。」という話
[これ自体は事実に反するので根拠を挙げて反論したが議論を打ち切られた]
をもって「哲学が数学、および物理学におよぼした影響」の一例とするのは不自然ではないか、といってきただけ。
哲学を糾弾したり、哲学と数学の優劣を論じるなどという意図は無い。
> 以下略と書いてあるでしょ。
さすがにこれは一本取られたw
そりゃあ、記号を置き換えたらフレーゲの述語論理だなんていう馬鹿な話はないな。
実際多くの数学書は∀なんて論理記号に置き換えずに“任意の〜”と言葉で書いてあるわけだし。
それで何を略したの?
>> しかしあなたは現代の分類でもニュートンが哲学者になるといいたいの?
>数学科出身の人間が、違う分野で大きな仕事をすると、その仕事自体も数学の一部
>であると言って憚らないのは、数学界の流儀ではないですか?
そうなの?私はそのような例は知らないが例えば?
>哲学者が加わったほうが良いと思います。
>>147 さんはあなたの意見を聞いているんじゃなくて
たぶん、「実際に欧米でそういう仕事があるのか」と聞いているんだと思いますが…
私147じゃないけど。
>付随的なものは評価からはずすのが妥当だとおもいます。
Newtonの業績は光学と力学と微積分の三つが主であって
このどれも付随的な業績じゃありません。Newtonにとっても数学にとっても。
数学も哲学も研究してる人なんて結構居ますよ。現代でも海外には多少居るようです。
数学者兼物理学者も同様。18Cくらいまでは腐るほど居ましたし今でも居ます。
現代では「哲学」に「自然哲学」は含まない場合が圧倒的に多いので
どうしても外したいならまず「哲学者」を外すのが常識的じゃないかと…
>>152 >こうすると、普通の言葉での説明より定義が、明晰になるのです。さらに、否定をとるとき
>(背理法で)に間違いがはいらないのです。
知ってるよ。ただそれをもってFregeの述語論理を使ったとは言いません。
無限小云々は何を言っているの?
別に無限小なんて実体があると考えなくても解析学は展開できるけれども。
無限小を排除できない事に気付いていたも何も、
「排除できる」というのが現代の普通の数学者の考え方なんですが。
Cauchyが
>無限小方式との相互交流ができるように理論を設定していたのです。
というのは何を言っているんですか。
Weierstrassも基本的には同じ事って何を根拠に言っているの。
そうだったら良いな、ということ?
なんか無限小がどうのこうの言ってるのって数学史でなくて 数学の理解としてはトンデモが入ってる気がするよ。 「そこに解析学の論理的根拠がある」とかさ。
哲学をやるのに、どうあってもはずせないのは「既成価値観に囚われない」事。 「哲学者」や「数学者」でも同様。この馬鹿は、「哲学」って単に「名」に囚われて 「何事」も「思考」してない。「停止」している。 やたら、ただ、「哲学」の世間体や社会的位置ずけを「上昇」させたいだけ。 そんな物は「哲学」からは最も遠い話題。井戸の回りで「世間話」が御似合い。 そう言った意味合いでは哲学は決して低レベルなんかではないが、こいつその者は 俗物で低レベル。語るに落ちる。
>>1 スレ鯛からして数学物理へのコンプレックス(否、トラウマか?)丸出しな奴だな・・・。
>>153 もうすこし詳しく述べていただけるとたすかります。
>>154 > 例の「ガロア理論」のスレでも分離拡大や無限次拡大はやってない。
変なところから、せめてきましたね。無限次拡大はやっていませんが、分離拡大はちゃんと
やっていますよ。やらないと、あとが理解できないでしょ。分離拡大のところに
分離次数がでてくるのだから。ひいてはガロア群の位数がわからなくなってしまいます。
>>155 > ニュートンと哲学の結びつきとして自然哲学者という肩書きしか出てないようにみえるが。
ニュートンの思索の大部分は哲学的なもので、おおくを過去の哲学者の仕事から得ていると
思います。たとえば、時空の理論とか。
> 哲学を糾弾したり、哲学と数学の優劣を論じるなどという意図は無い。
そういう人ばかりだといいのですか。
> それで何を略したの?
さすがにこれは一本取られたw
>>156 > そうなの?私はそのような例は知らないが例えば?
無数に例はあります。が、そういう心性をご存知ならば例をあげなくてもわかるし、そうで
なくては例をあげてもわからないとおもいます。
> たぶん、「実際に欧米でそういう仕事があるのか」と聞いているんだと思いますが…
あります。
> このどれも付随的な業績じゃありません。Newtonにとっても数学にとっても。
そうでなくては、数学界の名誉にかかわることですものね。
>>157 > 「排除できる」というのが現代の普通の数学者の考え方なんですが。
コーシーはそう考えなかったのです。高木「解析概論」にも無限小概念を使った
微分の定義が出てくるでしょ。
無限小概念でニュートンが解析をやっていたから、論理的にでたらめだったなど
ということはないのです。156のひとも(というか一般に)ニュートンの業績をちゃんと
評価しているではないですか。
>>158 > 数学の理解としてはトンデモが入ってる気がするよ。
ニュートンもトンデモですか?
横レス失礼。 科学史・科学哲学を専攻している奴を何人か知っているけど、 君に哲学の素養・素質がないことはよく判る。毛色が違い過ぎる。 万が一、哲学を専攻しているなら、即座に転身を図るべきだよ。これは心からの忠告。 数学に挫折して趣味で哲学に興じているだけなら、勝手にすればいいと思う。 > コーシーはそう考えなかったのです。高木「解析概論」にも無限小概念を使った > 微分の定義が出てくるでしょ。 高木の解析概論については、数学者の間にも賛否両論あって、 例えば岡潔のような解析学者は酷評している。 まぁ、高木は代数学者だから無限小の扱いは雑。というよりも代数的に過ぎる。 > 無限小概念でニュートンが解析をやっていたから、論理的にでたらめだったなど > ということはないのです。156のひとも(というか一般に)ニュートンの業績をちゃんと > 評価しているではないですか。 ニュートン、あるいはその後のオイラーとかは、膨大な数値計算例に基づいて 無限小概念を扱っている。つまり、表向きは演繹だけど、実態は帰納。 ε−δは、数値計算をせずとも純粋な演繹だけで無限小概念を正しく操作できるように した、という点で画期的な発明・発見。
>>161 明確な返答を得られなかったが、つまりあなたは「ニュートンは現代的な意味で哲学者である」というんだね。
それは常識的ではないと思うが。
> ニュートンの思索の大部分は哲学的なもので、おおくを過去の哲学者の仕事から得ていると
> 思います。たとえば、時空の理論とか。
哲学的思索をすることと哲学者であることは違う。
ニュートンが重要な影響を受けたのはすぐ思いつくところではケプラーやガリレイだろう。
あなたの論調では彼らも哲学者ということ?
それとも他になにか特定の過去の哲学の成果があって、ニュートンの研究に本質的な影響を与えているということ?
> そういう人ばかりだといいのですか。
おれの知る限りはそういう人ばかり。
でも文系の人は学問の縄張りにうるさいという話を聞いたことがあるが本当なのかな。
> > それで何を略したの?
> さすがにこれは一本取られたw
つまり関数の連続性の定義にフレーゲの述語論理を使うというのはあなたの認識違いということか。
>無数に例はあります。が、そういう心性をご存知ならば例をあげなくてもわかるし、そうで >なくては例をあげてもわからないとおもいます。 私は「数学科出身の人間が、違う分野で大きな仕事をすると、 その仕事自体も数学の一部であると言って憚らないのが、数学界の流儀である」 に対しては明確に違うと考えています。 例は挙げられないが自分の言う事は間違っていない、というレスをされても困ります。 他分野に要らぬ口を出す数学者は結構居ると思いますが (数学者だけじゃなくて専門家全般の傾向だと思われる) それを数学とは私は見做しませんし同じ考え方の人が多いと思いますよ。 寧ろあなたのほうがNewtonやEinsteinの業績とかを 哲学者の手柄にしようとするなど、我田引水な考え方が目立つと思いますよ。 >そうでなくては、数学界の名誉にかかわることですものね。 名誉とは関係ない。あなたの考え方がおかしいだけ。 >高木「解析概論」にも無限小概念を使った微分の定義が出てくるでしょ。 別に無限小概念なんか使ってないけど。何か勘違いをしてないですか。 「微分df」の定義は出てくるけど「微分dfが無限小である」ことの定義は無いし 「微分dfが無限小である」ことを議論の前提に使ったりもしてない。
いちおう解析概論には無限小という言葉は出てくるよ。 中身はいわゆるランダウの記号なんだけど。 これを超準解析のようにいって話が噛み合ないやつがいたな。
Landauの記号の事を言ってんの? でもそれを 「無限小方式との相互交流ができるように理論を設定していた」 なんて大げさなことは言わないでしょ。 要は極限を取ったら有限値や0に収束するというだけなんだから。 それにNewtonも無限小概念使っていたとか言ってたし。 大体Landauの記号法と整合的なように Cauchyが理論を作ったなんて主張するはずが無い。 Landauが生まれたのはCauchyが死んだ後なんだからw
「フレーゲの述語論理」のときもそうだったな。 自分の知ってる言葉があると、そこで「これはわかった」と短絡的にストーリーを作ってしまう悪癖。
>>163 > 万が一、哲学を専攻しているなら、即座に転身を図るべきだよ。これは心からの忠告。
そのことはすでに書いています。哲学専攻ではありません。ただの文系です。
> まぁ、高木は代数学者だから無限小の扱いは雑。というよりも代数的に過ぎる。
長い間、名著としてきた人はみな間違っていたということですか?
> ニュートン、あるいはその後のオイラーとかは、膨大な数値計算例に基づいて
数学も初期の段階では、どの部門でも実験科学的様相を呈するのは常識です。
それと、論理的であったかどうかは別の問題です。
>>164 > 哲学的思索をすることと哲学者であることは違う。
数学的思索がニュートンにあったことで、数学界の人はニュートンを数学者としているの
ではないですか?
> つまり関数の連続性の定義にフレーゲの述語論理を使うというのはあなたの認識違いと...
2チャンネル的しゃれが通じないのはつらいですね。
>>165 > 例は挙げられないが自分の言う事は間違っていない、というレスをされても困ります。
他のスレで、「コンピュータは数学者が発明した」という発言を聞いたことがあります。
で、「コンピュータの定義をしてほしい」と聞きましたら、「現今のコンピュータだ」と
返ってきました。そこで、どう考えても数学者がコンピュータを発明したとはおもえないので
さらに、「ではその数学者はだれですか」とききましたら、「フォン・ノイマンだ」と
言うのです。
フォン・ノイマンはコンピュータの重要な概念を提案していますが、ノイマンがかかわった
コンピュータより前に現今の電子式コンピュータは実現されています。
そのスレでだれも「コンピュータは数学者が発明した」という意見に異を唱える人がいない
のです。これには驚きましたね。
> 「微分df」の定義は出てくるけど「微分dfが無限小である」ことの定義は無いし
たしかにないです。しかし無限小いがいのなんであるのでしょう?
> 「微分dfが無限小である」ことを議論の前提に使ったりもしてない。
これは全体の構成が違うのだから仕方ないでしょう。
171 :
132人目の素数さん :2006/12/07(木) 22:50:44
>>169 > > まぁ、高木は代数学者だから無限小の扱いは雑。というよりも代数的に過ぎる。
> 長い間、名著としてきた人はみな間違っていたということですか?
本の誤りを真に受けずに修正・補完しながら読むのは、文理共通でしょ。
あんた、文系を名乗る割りには本の読み方のイロハも知らないんだね。
つけたし
>>163 > ε−δは、数値計算をせずとも純粋な演繹だけで無限小概念を正しく操作できるように
>した、という点で画期的な発明・発見。
これは同意しますよ、ε−δに反対したことは一度もないですよ、よく
過去レスをお読みください。
173 :
132人目の素数さん :2006/12/07(木) 23:00:22
この人はどう見ても文系じゃないね。 哲学科以外の文系学生が哲学を褒めるわけないじゃん >163の推測通り、数学に挫折して哲学ゴッコに興じているだけの屁垂れ理系でしょ。 おそらく、イプシロン・デルタ論法がわからずにアッという間に落ちこぼれw
寝ようとおもったらレス。
>>171 > 本の誤りを真に受けずに修正・補完しながら読むのは、文理共通でしょ。
数学の本は意外に誤りがおおいので、その辺注意してますよ。しかし、名著
といえば、大きな欠陥がないことが条件でしょう。そういう評価をした人は
間違っていたのかと問うているのです。
175 :
132人目の素数さん :2006/12/07(木) 23:11:34
>>174 > といえば、大きな欠陥がないことが条件でしょう。そういう評価をした人は
高木の解析概論の「大きな間違い」って何さ?
もしかして無限小云々のことかい?あんなものはつまらない些事だよ。
無限小云々あたりの記述がいい加減なのは、読めばだれにでもわかることさ。
いい加減さが気にならない、または、自分の力で補正できる人は解析概論を褒める。
いい加減さが気になる人は褒めないだろうがな。
176 :
132人目の素数さん :2006/12/07(木) 23:23:00
>>173 実生活ではかわいそうな人なんだろうが、なぜか同情する気にはなれないw
解析概論のその辺の記述はいい加減じゃないよ。 dfだって無限小概念など出さずにきちんと意味づけがなされている。 ただそれが理解できずに高木貞治の間違いだと騒ぐやつがぽつぽついるのも事実なので、とても上手な説明ではないのかもしれない。
178 :
132人目の素数さん :2006/12/08(金) 01:16:55
タイトルからして、哲学者のヒガミがにじみ出ている。 >哲学を理解できないバカ 論理的に記述せずに、自分にしかわからない言葉並べて、 誰に哲学の価値を伝えられると思っているのかな? 哲学者は、まず、論理体系の記述の方法を身に付けたほうが良いですね。
>>170 誰もそれが数学の一部だとは言ってないじゃん。
単に「電子計算機を発明した人物」に関する認識違いがあっただけじゃないですか。
あなたは「その仕事自体も数学の一部であると言って憚らない」と言ったんですよ。
>しかし無限小いがいのなんであるのでしょう?
無限小じゃなくて微分。それだけ。
元の座標xと微分dxは別々の空間の元であって
xとdxの大きさの比較をしたりする事は無い。
>これは全体の構成が違うのだから仕方ないでしょう。
はい?
>>169 > 数学的思索がニュートンにあったことで、数学界の人はニュートンを数学者としているの
> ではないですか?
数学的成果があるから。
それから数学者たちが名誉のために意図的にニュートンを数学者に仕立て上げているという事実はない。
誰が数学者だとか物理学者だとか決めるのは科学史の人じゃないかな?
彼らは文系の人みたいだからよくわからないけど。
ところで
>>170 の話を読むとあなたが数学界をイメージするにあたって2ちゃんねるの数学板を基準にしているのではないかと心配だ。
> 2チャンネル的しゃれが通じないのはつらいですね。
文kei必死だな(藁
とでも返せば2ちゃん的で喜んでもらえるんだろうか。
まあ、連続性の定義にフレーゲの述語論理を使っているというのはあなたの認識違いということで。
解析概論にも目を通しているようだから、この有名な教科書に論理記号が出てこないことも知ってるだろうに。
目を通していても(数学として)わかってない可能性は十分にあるがなww
>>173 > 哲学科以外の文系学生が哲学を褒めるわけないじゃん
文系の人間は、たいがい哲学が歴史を勉強するものです。これは文系の宝といって
いいでしょう。
> おそらく、イプシロン・デルタ論法がわからずにアッという間に落ちこぼれw
理系ではないけれど、εーδなど短期間に終了、連続写像の定義にしてもすぐに開集合による
定義を学び、そして位相概念を学んだあとは写像のつくる像の位相が値域の位相より強い
という形で理解していますが。
>>175 174は” まぁ、高木は代数学者だから無限小の扱いは雑。というよりも代数的に過ぎる”
というレスに対する返答ですから、代数学者だからうんぬんというのはちょっと。
それに、もともとの話しは”ニュートンは、極限概念を使っていないから、論理的では
ない”という人への反論として、”コーシーはそう考えなかったし、高木貞治も無限小概念
を使っているでしょう”という文脈での話しなのです。
>>178 > 哲学者は、まず、論理体系の記述の方法を身に付けたほうが良いですね。
またこういう話しがでてくる。哲学者が論理学をつくったのです。記号論理学にしても
哲学と数学の中間に位置するひとたちがつくったのです。
>>179 > 誰もそれが数学の一部だとは言ってないじゃん。
そう言っていたのです。
某大学のHPを見たとき、20世紀の偉大な100人とかが『Life』かなんかで、特集が
あったそうで、数学から何人選ばれていると書いたあとで、ヴィトゲンシュタインも
機械工学出身だから数学よりだと出ていて唖然としたことがあります。
ヴィトゲンシュタインはその業績でケンブリッジの哲学教授になったので数学教授に
なったわけではないです。
> 元の座標xと微分dxは別々の空間の元であって
都合のいい解釈をだされては困ります。解析概論は微積分の一般的な入門書と序文に出て
います。 どうして、何の断りもなく作用素の話しがでてくるのですか?
>>180 > それから数学者たちが名誉のために意図的にニュートンを数学者に仕立て上げている
>という事実はない。
ところが、そういうことがいくつも目に付くんですね。ともかく、数学界に成果をとられ
ないよう注意をしないと。おおきな業績を上げた人はみな数学者の肩書きをもつことに
なりかねないです。
> ところで
>>170 の話を読むとあなたが数学界をイメージするにあたって2ちゃんねるの
>数学板を基準にしているのではないかと心配だ。
いくらなんでも、そんなことはないです。他の例をあげるのは長くなるので大変だと思った
からなんです。
>連続性の定義にフレーゲの述語論理を使っているというのはあなたの認識違い
もともとのレスを見てください。文脈をとらえてもらえればわかります。
> 解析概論にも目を通しているようだから、この有名な教科書に論理記号が出て...
上に同様。
>高木貞治も無限小概念を使っているでしょう”という文脈
だから使ってないだろって話なわけだが。
大体o(f(x))ってのは「g/fの極限を取ると0となるようなg」って意味なんだから
極限概念にあからさまに立脚してるじゃないか。
それにCauchyの工芸大学での講義は創始者Newtonの議論よりも
かなり整備されているだろうからそれを同じように話をされても困る。
>そう言っていたのです。
そう言っていた、の後あたかもその説明をするかのような書き方で
別の例を持ってこられたら困るんだけど…
>>170 は例として不適切だったということで良いですか。
その例だって誰もWittgensteinが数学者だったとか言ってないじゃないか。
彼が数学よりだというのはちょっと牽強付会かもしれないけど
数学の世界の共通認識でもなんでもなくてただのそのページの主張。
私だって哲学板でWittgensteinの書いた機械工学の論文はノーベル賞ものの
素晴らしい論文だった、彼は工学者としても一流だったのだとか、
妙にWittgensteinを持ち上げすぎなレスを見たことあるよ。
だが機械工学の専門家に聞いても彼の工学上の業績など誰も知らないだろう。
それと同じ事だろ。ちょっとこじ付けだよなーと思うくらいなのが普通で、
唖然とするほどのことじゃない。
>都合のいい解釈をだされては困ります。解析概論は微積分の一般的な入門書と序文に出て
>います。 どうして、何の断りもなく作用素の話しがでてくるのですか?
何を言ってるの?dxが無限小だというレスに対して、
dxがxに比べて無限に小さいことなんか議論では用いないよ、と書いただけなんだが。
あんたの言ってるようなのは「無限小概念」とは言わない。
>ともかく、数学界に成果をとられないよう注意をしないと。
Newtonは数学者じゃない、哲学者だ!とか無茶な事を言って
「成果を盗っている」のはあなたの方だと思うけど…
このスレって大体BolzanoやEuclidやEinsteinやNewtonなどの為した事は
哲学の業績なんだ、みたいなとんでもないこと言ってるから
それは常識的に考えたら数学者の成果だよ、というレスが付いているだけなんだけど…
他分野の成果を盗っているのはこのスレではあなただけです。
あなたがこういう批判をするのはお門違い。
仮に批判をするなら当該のHPの文言をそのまま引っ張ってきて、
これはおかしい、と批判するべきであって
Wittgensteinが「数学界」に盗られたから「哲学界」も数学者の業績を横取りしてやれ!
みたいな阿呆なことは止めてください。
>もともとのレスを見てください。文脈をとらえてもらえればわかります。
もともとの文脈って
>>115 あたりのことだよね。Fregeは基礎論以外の分野には影響を与えていない、
というレスに対して大学初年級の微積分では函数の連続性はFregeの述語論理を使うじゃないか、というレス。
>εーδとフレーゲの述語論理をつかって
とあるから「フレーゲの述語論理」の意味するところはε-δ論法以外に何かあるんでしょう。
そう思って聞いてみたら「任意の」を∀で略記することを何を思ったか「フレーゲの述語論理」と言っていたと。
それとも大学初年級の数学教育にはFregeの影響が見られる、というレスだったのかな。
いずれにせよそのような事実は無いわけですけど。
あ、Einsteinは数学者じゃないや。(少なくとも今の言葉の使い方じゃ) まあ物理学の成果を哲学上の成果だと強弁してるのは変わらないんだけど。 どうみても成果泥棒は「ガロア理論勉強終えました ◆Cs3QPD0dJQ」さんです。 ありがとうございました。
> > 元の座標xと微分dxは別々の空間の元であって > 都合のいい解釈をだされては困ります。解析概論は微積分の一般的な入門書と序文に出て > います。 どうして、何の断りもなく作用素の話しがでてくるのですか? はいはい。 また知らないことを知らないと言えないで恥かいてますね。 「作用素」ですか。ププッ 「微分」と「微分作用素」(ですよね、文脈から言って)は別物ですよ。 あなたこそ「都合のいい解釈」してますね。ああ、恥ずかしい。
188 :
132人目の素数さん :2006/12/09(土) 08:12:43
>>182 > 文系の人間は、たいがい哲学が歴史を勉強するものです。これは文系の宝といって
> いいでしょう。
文系の人間は、大概は歴史を学んでるのは事実。
でも、哲学科以外の文系が哲学を学ぶことは殆どない。
君に文系学問の素養が無いことは十分に判った。
> 理系ではないけれど、εーδなど短期間に終了
君が書いたのは連続性についてだけ。微分可能性や可積分条件などは勉強しなかったのかな。
連続性の定義がわかっただけでε−δ論法を勝手に終了してもらってもね〜
ε-δがわかったと主張したいなら、一様収束のご利益を例を挙げながら説明してみてください。
190 :
132人目の素数さん :2006/12/09(土) 08:28:47
この人は、「哲学はすばらしい」という主張を繰り返すだけで、 肝心の哲学については全然書かない(書けない?)よね。
解析概論ではΔxを独立変数とみなしたときdf=f'(x)Δxと定義している。 するとdx=Δxだからdf/dx=f'(x)という微分商が形式的に定義でき、ライプニッツの記法に合理的な意味づけができる。 いい加減な書き方ではないし、初等的な概念しか使っていない。 どこにも無限小だと解釈する余地はありませんが・・・ こういうまじめな説明を端折って、直観的にdf/dxは無限小/無限小だと説明する本や講義も多いけどね。
>>191 > 解析概論ではΔxを独立変数とみなしたときdf=f'(x)Δxと定義している。
△xをただの独立変数というのが、そもそも初等的といえないのでは。
> どこにも無限小だと解釈する余地はありませんが・・・
無限小とかんがえるのが、順当ではありませんか?歴史的な文脈というものがあるのです。
>>190 はいはい哲学には無知ですよ。哲学科のお方ですか。わたしは哲学については道端
のごみ程度の人間ですから。
>>189 > ε-δがわかったと主張したいなら、一様収束のご利益を例を挙げながら説明して
こういう面倒な質問には答えないのが原則ですが、コーシーの教程では
連続関数を項とする級数が収束する間は連続関数をあらわすと述べてあります。
それに対するアーベルの反例
sinx/1 - sin2x/2 + sin3x/3 - ...
ε-δは使っていませんがご容赦。
>>188 > でも、哲学科以外の文系が哲学を学ぶことは殆どない。
これは認識不足です。
> 連続性の定義がわかっただけでε−δ論法を勝手に終了してもらってもね〜
これは上のアーベルの引用を参考にしてください。
>>187 > あなたこそ「都合のいい解釈」してますね。ああ、恥ずかしい。
ププッ。
>>186 > まあ物理学の成果を哲学上の成果だと強弁してるのは変わらないんだけど。
物理学者ではない、哲学者としてのマッハのアインシュタインへの影響の大きさ
とか考えれば、哲学の影響がアインシュタインにとって本質的だったとわかります。
>>185 > dxがxに比べて無限に小さいことなんか議論では用いないよ、と書いただけなんだが
上にも書きましたが、歴史的文脈というものがあるんです。
> それは常識的に考えたら数学者の成果だよ、
その常識こそ策謀の成果です。
> Wittgensteinが「数学界」に盗られたから「哲学界」も数学者の業績を横取りしてやれ!
そんな卑怯なことは考えたこともないです。ただしい思考と議論によって立証したいだけ。
>>184 > 極限概念にあからさまに立脚してるじゃないか。
ちがう話しをされているのでは。
> それにCauchyの工芸大学での講義は創始者Newtonの議論よりも
それはあと知恵があるのだから当然のことです。もんだいは本質的な点でニュートンが
非論理的だったかと問うたのです。
>
>>170 は例として不適切だったということで良いですか。
不適切ではないです。
> 数学の世界の共通認識でもなんでもなくてただのそのページの主張。
ただのページといいますが、基礎論に関する有力な大学のHPでしてとてもそうは
みえないです。例はいくらでもあげられますが、面倒すぎるのでこの辺で打ち止め
とさせていただきます。
>>192 の例
なあ、どこそこに載ってると書くんじゃなくて、自分の言葉で説明してみてよ。
それにあなたの書き込みじゃ質問者の意図である「ε-δがわかってるかどうか」
の判定に使えないじゃないの。
哲学厨ってのは「誰は何て書いた」「これこれはどこそこに書いてある」と言うだけで
あとは自分の都合のいいように解釈(誤解)して垂れ流すのが、議論のやり方なのか。
哲学ってそういう学問なの?
(あなた以外の)哲学(をマジメに)やってる人に失礼なんじゃないかな。
たぶんこいつは、一様なんちゃらもε-δでさらっとやったあと、すぐに一様位相をマスターしたんで、 ε-δで説明なんてかったるくてやってられないって思ってるんだよ。
>上にも書きましたが、歴史的文脈というものがあるんです。
あなたの言うような歴史的文脈は無い。
Leibnizは歴史的文脈云々ではなく文字通りの無限小概念を使って計算をしてたみたいですし、
Newtonもそういう議論をしてたと思います。
その後微分積分の理論の整備は、実体としての無限小を排除する方向に進みました。
>>152 の正反対です。無限小が整合的な概念としてなかなか定義出来なかったからです。
だから解析概論はそういう「無限小」を扱っておらず、
「dxは無限小だからx + 2dxはxとほぼ等しくて云々」みたいな議論はないです。
単にdxはxより非常に小さいと思うと納得できる、というだけです。
歴史的文脈があるから無限小と考えるべきだとか仰ってますけど
数学で無限小と言ったらあなたが言っているものとは別のものを指します。
何か別の言葉を使ってください。
>哲学の影響がアインシュタインにとって本質的だった
つまり絶対時間、絶対空間の否定じゃなくてMachの実証主義こそが本質的だったと。
それに「アインシュタインは、哲学書で勉強をした」と。
聞いたことない説ですけど根拠あるんですかね。
多分、また
(前提1)MachはEinsteinよりも前の時代の学者である。
(前提2)MachはEinsteinに大きな影響を与えた。
(結論)EinsteinはMachの哲学書を読んでいた「に違いない」
というお得意のガロア三段論法じゃないんですか?
>不適切ではないです。
つまり
>>170 は「数学科出身の人間が、違う分野で大きな仕事をすると、
その仕事自体も数学の一部であると言って憚らない」例だと。
>ただのページといいますが、基礎論に関する有力な大学のHPでして
大学のウェブページと言ってもまさか.ac.jp/直下のトップページにそんなこと書いてあるわけじゃないだろうし
学生が情報処理実習で作ったホームページだって「大学のHP」でしょうし。
というかWittgensteinが基礎論に近い哲学者なのは事実なんでしょうけどね。
記号論理学と言った方がいいでしょうけど。
いや、確か、コンピューターは哲学者がつくったし、 そもそも、数学を始めたのは哲学者だったし、 だから数学をつくったのも、世界をつくったのも、確か哲学者だったよ。 後、2ch作ったのも哲学者だったし、 このスレも哲学者がつくったらしいよ。 くだらねえ。
ガウスを産んだのは女だったし、アリストテレスを産んだのも女だったし、 デカルトもそうだった。あんまり、くだらなくて涙が出る。
Turingは男から生まれたらしいぞ
宇宙を開闢したのも哲学者の仕業らしいよ。
いつも、「全てが無駄である事について」語っているムーミン谷の哲学者の方が まだまし。
もっとポジティブな話題。例えば 「数学と哲学はどちらが(やはり)役に立っていないか?」 とかさ、いくらでもおもしろい共通な話題とかあるじゃん。 「数ヲタと哲ヲタはどちらがどれくらい秋葉系か?」 とか、 「数学と哲学ではどちらがどれくらい思い上がっている人間は多いのか」 とか、いくらでもあるじゃん。
大体が「哲学」を自慢したいのなら 「全ての学問は哲学から始まった」 これひとつでいいだろう。後はくだらないよ、瑣末な事だ。 哲学が世間の評判にいちいち目くじら立ててどうする。 「哲学と数学ではどちらがオナニーとして気持ちいいのか」 とかそういう事だよ(何がそういう事なのか)。
>>196 ニュートンはε-δの考え方自体には気がついていたらしいね。
>>192 余接バンドルって知ってる?
まあ知ってたら、「dxとxの住む空間が・・・」という話で
もうちょっと的外れではないレスを書けるだろうな。
「Δxを独立変数」、これが「初等的とはいえない」。へぇ〜。
十分初等的で自然な発想だと思うけど。
また自分に都合よく、かつ自分の知らないことは「初等的ではない」と言う
お前の悪い癖が出たな。
自分は知らない、それはまだ勉強していないと宣言することを怖がって、 知ったかぶりをするのが哲学厨の特徴なのか? そうだとしたら、哲学なんか勉強するのは、数学の勉強にとって害悪でしかないぞ。
209 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 08:55:29
哲学君の文章ってさ、 分量はいっぱいあるんだけど いっくら読んでも、 支離滅裂で、何がいいたいのか 要領を得ることができず、 まれに何いってんのかわかるときでも 分量にくらべて内容がスカスカなんだよね ようするに哲学君は馬鹿だということ
210 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 14:08:46
哲学って壮大なロマンだよね。。。だれも真理なんてあると思っていないのに 知ったかぶりしごっこしてるだけ。。。いたみって言葉すら語れない。 壮大な知的アルツの世界
もう歴史における哲学の役割は終わったと思う
212 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 14:59:28
このスレや哲学板に書き込んでる哲学カブレと本当の哲学は全く無関係だよ。 本当の哲学者は日本語・英語・ドイツ語・フランス語・ラテン語+αの諸言語をマスターし、 古今東西のあらゆる名著を読破・吸収し、学部程度の数学・物理は完璧に習得している。
213 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 15:02:09
デカルトはフランス語しかできなかった
デカルトなんて糞だろ
215 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 15:05:42
じゃあ、金はなんだよ
なるほどね。東大のどの学部でも教授が務まるくらいの能力がないと、 真の哲学者とは認められないのね。
シェイクスピアの四大悲劇を読んでいる 熱力学の第一法則、第二法則を知っている ぐらいの知識は欲しいって、立花なんとかって人はゆうてた
218 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 15:12:32
グリーク、ラテンは緑の文庫版の英語対訳つきを原典で読んでからいってほしい。 日本語訳で済ませてるのはちょっとひくよ
219 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 15:17:13
哲学教授はたいていどこかの宗教にはまっているカルトが多い。 ひとことで、あの教科はいらない。世界史で振り替えておけ
220 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 15:18:18
学部程度の物理数学でつとまるわけもない
221 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 15:27:11
>>218 そう見栄の張り方をしてること自体が
テツガク君は幼稚だっつてんの
○○というむずかしい本を
××語の原典で読んだ、とかで
張り合うしか能がないんだよね
スカスカのガクモンだから
222 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 15:33:02
古文書学の知識もないとスカをつかまされる。 ほこりだらけの原典をあさる?
223 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 15:38:53
見栄って。。。原典は翻訳された時点で、情報がゆがめられるのに?
224 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 15:41:53
死海文書ではイエスはアラブ人だった
225 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 20:40:12
テツガク君たちは 「あの本読んだ,この本読んだ」 って,自分の能力の高さを誇示するんだねw 数学で,その目的で,同じこと言ったら, 誇示するどころか馬鹿だと思われるけど
226 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 20:44:09
数学君は読めないから持ってるよって自慢しますが。。。
227 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 22:45:39
このスレは哲学vs数学の罵り合い?
>>227 いや、どうも数学を卑しめたい人が聞き齧った哲学の用語や人名を振りかざしてるだけ。
>>194 > なあ、どこそこに載ってると書くんじゃなくて、自分の言葉で説明してみてよ。
学生が授業で教師にあてられて答えをかかされているわけではありません。
こちらが書いた内容で、質問者が相手の能力を判定するのでしょう。
> それにあなたの書き込みじゃ質問者の意図である「ε-δがわかってるかどうか」
一様収束がわかっていれば、それで充分ではありませんか。
それに、εーδは、実解析で充分すぎるほどやりました。
>>195 > ε-δで説明なんてかったるくてやってられないって思ってるんだよ。
あたり。
>>196 > 単にdxはxより非常に小さいと思うと納得できる、というだけです。
そういうあいまいさは『解析概論』には確かにあります。しかし、”非常に小さい”は
無限小以外に解釈のしようがありません。
>「アインシュタインは、哲学書で勉強をした」と。
>聞いたことない説ですけど根拠あるんですかね。
根拠はあります。アインシュタインが10代のとき友人とともに哲学を興味をもって学んだという
事実があります。公務員時代も友人と自宅で哲学談義をしたそうです。
>>197 > 学生が情報処理実習で作ったホームページだって「大学のHP」でしょうし。
そんなものではないです。もっとオフィシャルなものです。教授の文でしたし。
>>198 真理を探究するには、常識にとらわれないことがなにより肝要です。
>>199 > 哲学者ってまるで韓国人だな
まちがっているにしても、哲学的思索をされとりますな。
>>202 > 宇宙を開闢したのも哲学者の仕業らしいよ。
「存在とは思惟である」とはるか古代の哲学者が語っております。そういう意味では
”宇宙の開闢”も哲学者の仕事でしょう。
>>203 > いつも、「全てが無駄である事について」語っているムーミン谷の哲学者の方が
それも立派な哲学です。
>>204 > 「数学と哲学はどちらが(やはり)役に立っていないか?」
それは哲学の研究対象でしょう。数学ではありません。
>>205 > 「哲学と数学ではどちらがオナニーとして気持ちいいのか」
知的快楽がおよそ学問の根源であることは、古代の哲学者の語るところです。
>>207 > 余接バンドルって知ってる?
小学生ではないのですから、「あれ知ってる?これ知ってる?」はやめにしましょう。
>>208 > 知ったかぶりをするのが哲学厨の特徴なのか?
そうでない人間を目指すのが哲学のひとつの目的でしょう。
>>209 お互い様。
>>210 > 哲学って壮大なロマンだよね。。。だれも真理なんてあると思っていないのに
すべての学問の基礎は哲学なのに。
>>212 > 本当の哲学者は日本語・英語・ドイツ語・フランス語・ラテン語+αの諸言語をマスターし、
>古今東西のあらゆる名著を読破・吸収し、学部程度の数学・物理は完璧に習得している。
一行目はあたりでしょうが、2行目はありえないことです。
>>213 他のどの文明も実現できなかった偉大なヨーロッパ近代文明、その創生にデカルトはおおきな
力を発揮しています。フランス語で書くのも、当時はバカとおもわれるのを覚悟しつつ
文化の発展の方向付けをしたといえます。
>>217 > ぐらいの知識は欲しいって、立花なんとかって人はゆうてた
あの人はたんなるおたく。信じないほうがいいですよ。
>>226 > 数学君は読めないから持ってるよって自慢しますが。。。
ナイスなレス。
232 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 22:57:16
>>229 >そういうあいまいさは『解析概論』には確かにあります。しかし、”非常に小さい”は
>無限小以外に解釈のしようがありません。
解析概論って、高木貞治先生のですよね?
その本では、「無限小」という概念は定式化されていましたか?
少なくとも、超準解析で言うところの「無限小」は
扱われてはいなかったですね。
233 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 22:59:43
少しは文系的な教養を披露してよw
234 :
232 :2006/12/10(日) 23:08:07
あ、いや、僕は通りがかりの数学系なんで。
>>226 僕は今もってる数学書は、片端から読んでる(←趣味)
読んでない本を自慢するのって、単に「コレクターとしての」
自慢ですね。確かに。
ただ、そのことは、数学書を「読めない」ことの証明とはなりません。
235 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 23:20:26
ここでは、一体、何を議論してるんだろ?
実解析をやったことになっていようが、多変数複素解析を勉強済みだろうが、 一言で一様収束のご利益を説明できないようじゃ、(哲学じゃどうなのか知らんが) 数学じゃ笑われる。 というか、「そこも説明できないのにおやりになったんですか、見物ですね」という反応。
238 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 23:34:17
>>236 収束の判定?
xによって、条件収束または発散。
239 :
132人目の素数さん :2006/12/10(日) 23:38:52
>>237 その人は、数学を勉強する目的が、「こんな難しいことやったんだ」 という、自慢をすることなんでしょうね、きっと。 だから、数学に関する学識は別に低くても良いんでしょうね。
240 :
236 :2006/12/10(日) 23:39:51
>>229-231 を見る限り、
さすがにここまでとなると、どう考えても釣りだろ・・・
本気だとしたら、こんなに頭の悪い人はそうそういるもんじゃない。
その頭の悪さをもっと面白いことに費やすことを推奨する。
242 :
132人目の素数さん :2006/12/11(月) 09:27:27
>>229 > それに、εーδは、実解析で充分すぎるほどやりました。
あれええ????
>>229 =
>>34 =「ガロア理論勉強終えました ◆Cs3QPD0dJQ 」で、こいつはガロア理論スレで
> 数学の知識ですが、文系
> のなかでもとくに数学駄目人間でしたので、高校数学は0に等しい
> 知識でした。最近すこし勉強してます。
って発言してるのに矛盾してるんですけど・・・
実解析をコルモゴロフ・フォミンで勉強していたのは文keiでは?
「私は文keiでした。今まで釣りにつきあってくれてありがとう」と宣言する潮時だな
>>229 >そういうあいまいさは『解析概論』には確かにあります。しかし、”非常に小さい”は
>無限小以外に解釈のしようがありません。
いや、解析概論は曖昧じゃないって言ってるんだけどね。
ε-δのεもあなたにとっては無限小ですか。
「無限小」という言葉を自分勝手なめちゃくちゃな使い方するのは止めてください。
現代のきちんと論理的に定式化された無限小も、
Newtonあたりの使っていた非常にあやふやな無限小も
解析概論のdxも全部同じ「無限小」とやらですか。
>>232 > その本では、「無限小」という概念は定式化されていましたか?
歴史的な概念ですから。序文にも”講義式”と断っているくらいで、『解析概論』の
特徴は歴史的記述が多いことです。しかも、いちいち細かい点を説明しないといったところは
あります。
>>233 > 少しは文系的な教養を披露してよw
まずご自分からお願いします。234の通りすがりの数学系なのかな。
>>236 > 2. 説明するのが面倒なら、もっと自明な例を挙げろ。センスがない。
面倒なんで、一様収束の関するものでおもいついたのをただ書いただけです。
>>237 > 一言で一様収束のご利益を説明できないようじゃ
アーベルの例であげた、級数の問題以外では、
関数列の収束ですか。
ルベーグ積分では役に立ったですよ。
というか口頭試問を受けるいわれはないです。
>>238 > その人は、数学を勉強する目的が、「こんな難しいことやったんだ」
>という、自慢をすることなんでしょうね、きっと。
もともと、数学はぜんぜんできませんでしたから、授業中小説よんでいても教師に無視された
という過去のある人間です。
でも、文系の勉強をしているうちに数学がこなせるのではないかという気が、不思議なことに
湧いてきて、数学を始めたのです。ですから、ひとつの実験です。文系の学問をちゃんと
やっていれば、数学はできるのではないかとの。とくに抽象度が高ければ。という実験です。
>>241 > その頭の悪さをもっと面白いことに費やすことを推奨する。
ご推薦のものを挙げてください。
>>242 > って発言してるのに矛盾してるんですけど・・・
だから実解析も最近のことです。
> 実解析をコルモゴロフ・フォミンで勉強していたのは文keiでは?
文keiではないです。
>>243 > 「私は文keiでした。今まで釣りにつきあってくれてありがとう」と宣言する潮時だな
誤解です。
>>244 > 「無限小」という言葉を自分勝手なめちゃくちゃな使い方するのは止めてください。
文脈できちんと決まるでしょう。数学で使われる「解析」という言葉の使い方のいいかげんさ
はすごいでしょう。”おいこれも「解析」かよ”ってな具合で。それに比べれば、ちゃんとした
使い方をしています。
> Newtonあたりの使っていた非常にあやふやな無限小
またこういうことを言う。ニュートンがまるでバカもののように見える言い方はやめてください。
>歴史的な概念ですから。序文にも”講義式”と断っているくらいで、『解析概論』の >特徴は歴史的記述が多いことです。しかも、いちいち細かい点を説明しないといったところは >あります。 結局「「無限小」という概念は定式化されていましたか?」には yesと言いたんでしょうか、noと言いたいんでしょうか。 >面倒なんで、一様収束の関するものでおもいついたのをただ書いただけです。 近世数学史談か何かから引っ張ってきただけでしょ。 あなたがふと思いついたんじゃない。こういう場合「知ってたのを書いてただけ」といいます。 >文系の学問をちゃんとやっていれば、数学はできるのではないか 別に文系の学問なんかやってなくても数学は出来ますけどね。 実際数学の教授に「文系の学問」の立派な知識がある人は少ないでしょ。 >文脈できちんと決まるでしょう。 文脈に関わらず、そういう使い方はしません。 「高木「解析概論」にも無限小概念を使った微分の定義が出てくる」 と言われると「無限小概念」という言葉の常識的な使い方を知っている人は皆「?」と思います。 このスレの過去ログ読めば納得されると思いますが。 あなたみたいな「無限小」の使い方をしてる人は他に居ないでしょう? >数学で使われる「解析」という言葉の使い方の >いいかげんさはすごいでしょう。”おいこれも「解析」かよ”ってな具合で。 私はそんなことを思ったことは無いですが。例えばどんな分野でしょうか。 そもそも「解析」という大雑把な分野名と、「無限小概念」という数学的な研究対象の名前を 同列に論じられても困るんですが、問題なのはそういうことよりも 同じ言葉を、一人だけ他人と違うユニークな意味で使うことです。しかも最初に断りもせずに。 >ニュートンがまるでバカもののように見える いや私はそういうことは思わないので。
>>245 抽象度の高い数学だけやっても、実例が計算できないと意味が少ないよ。
>>245 あんたがやったのは文系としても“ちゃんとした”学問じゃない。
せいぜい、難解とウワサされる書物を我慢して読みきる訓練だけだ。
いや、中身が伴ってるかどうかあやしいから
(だから数学の世界では口頭試問まがいのことをされる)、
「読んだようなふりをしてカッコいい(気の利いた)箇所を引用できるようになる」練習かな。
250 :
232 :2006/12/12(火) 02:28:03
>>245 232=234 です。233は234 ではありません。
無限小の定式化はされていたのか否か?
解析概論に記述されている連続関数および微分可能関数の定義
など、収束に関わる部分の定式化を読んで理解した人間ならば、
「いかなる正の実数よりも絶対値が小さく、ゼロでない」
という意味での無限小は、定式化されていないことがわかります。
>>歴史的な概念
現代では、上述の意味での「無限小」は、超準解析の方法で、完全に
定式化されています。「無限小」は、確かに紆余曲折を経て
物議をかもしましたが、数学的には、「現代的な」概念となっています。
>>いちいち細かい点は説明しない。
それは他の大多数の数学書も同じ事。何も解析概論だけに限ったことではありません。
251 :
232 :2006/12/12(火) 02:40:29
>>246 >>無限小の概念が文脈で決まる。
数学的には論理的に、完全に記述されています。
文脈によっては変化を受けません。
>>解析という言葉がいいかげん
確かにいいかげんに使われていますが、
数学の理論展開には影響ありません。
おそらく、言葉のもつ意味そのものを大事にする(主に文科系の)
人たちにとっては、数学者の、論理体系と直接関係ない部分での
言葉づかいのいいかげんさは、我慢できないのでしょうね。
むしろ、「解析」という言葉に惑わされず、
例えば、上述の「超準解析」であれば、それがどんな論理体系なのか、
何が定式化されているのか、
など、その学問を楽しみ、謙虚に学習することが大事です。
そうすれば、「○○解析」の名前そのものは、本質的ではないことがわかります。
252 :
132人目の素数さん :2006/12/12(火) 02:45:33
>>249 言わずもがな。 第一、ホントに数学の価値を理解している人は、 こんなスレを立てたりしない。
無限小を定式化した超準解析こそフレーゲの述語論理の成果という反論があるかと思ったら無いのね。
それ言われたらしょうがないなと思ってたけど、 まあ無限小がどうのとか言ってるレス見ても単純に知らないんだろう。 仮に聞きかじった事があったとしても、 知らない事は黙っているほうが知ったかぶりして 勝手に自分でストーリー作って反論するより余程良いと思う。 述語論理じゃなくて単に「多重量化」ならあまり問題なかったと思うけどね。
255 :
132人目の素数さん :2006/12/12(火) 08:44:33
>文系の学問をやっていれば、数学ができるのではないか あまり期待できないです。数学は数学で、理解するには、 それ相応の努力が必要です。 特に、抽象性の高い数学理論などは、きれいに、かつきちんと書いてある本が 少なくて、数学専攻の研究者や学生は、そういった本を 内容が正しいかどうか査読しながら読んでいくのに 相当の時間を使っています。 この「査読」というのが大事で、 数学書の字面だけをなぞって、用語の意味を 「文系なりに」想像しながら読み進んでも、 数学の真価を理解することはできないと思います。 むしろ今勉強されている文系の学問に専念されたほうが良いかと思います。
256 :
132人目の素数さん :2006/12/12(火) 08:49:13
> >文系の学問をやっていれば、数学ができるのではないか これは正しいだろw 対偶は「数学できなきゃ文系学問もできない」だから、どうみても真だww
>文系の学問をやっていれば、数学ができるのではないか 「歴史的文脈」のせいで解析概論を読み誤るくらいなら生半可な文系の知識はないほうがいい
258 :
132人目の素数さん :2006/12/12(火) 08:58:29
文系の学部を卒業しても、 数学できないやつは、いっぱいいる。 数学は数学で努力が必要。
文系学部なんて授業料さえ払ってれば卒業できるんだろ
質問。 ここの文系さんが哲学者とするニュートンやアインシュタインは一般に物理学者といわれてますが、 物理学界も業績を横取りしてるのですか?
261 :
132人目の素数さん :2006/12/12(火) 09:13:51
物理版で訊いたほうが早い。
哲学者に決まってるだろw
263 :
132人目の素数さん :2006/12/12(火) 10:10:30
なるほど。業績の横取りなんて、数物系ではきいたことがないけど、 哲学界では日常茶飯事だから、そんなこと訊くのか。
そのうち、ダイオウグソクムシやT2ファージも哲学者にされそうな勢いですね。
265 :
132人目の素数さん :2006/12/12(火) 10:18:17
この
>>1 のおかげで、まともに哲学やってる人が誤解されそうだね。
267 :
132人目の素数さん :2006/12/12(火) 13:29:54
うん、マトモに哲学やってる人は、数学版に こんなスレ立てたりしないしね。
「哲学も数学も理解できない
>>1 が数学を見下そうとする」というのが正しいスレタイだ
269 :
132人目の素数さん :2006/12/12(火) 14:02:00
270 :
132人目の素数さん :2006/12/12(火) 19:26:37
>>256 対偶は「数学できなきゃ文系学問もできない」だから、どうみても真だ
???これのどこが真なのかわからない
271 :
132人目の素数さん :2006/12/12(火) 19:30:07
>>247 > 結局「「無限小」という概念は定式化されていましたか?」には
>yesと言いたんでしょうか、noと言いたいんでしょうか。
そもそも『解析概論』で定式化とか言うのがおかしいでしょう。そういう本では
ないのですから。
> 別に文系の学問なんかやってなくても数学は出来ますけどね。
十分条件、必要条件を良く考えてください。
>「無限小概念」という言葉の常識的な使い方を知っている人は皆「?」と思います。
これこそ?ですね。
> 同じ言葉を、一人だけ他人と違うユニークな意味で使うことです。しかも最初に断りもせずに。
「無限小」という言葉を使うときには、ニュートンとライプニッツを例示して彼らが
アリストテレスの議論との食い違いになやむさまを描きました。あなたこそ自分の「無限小概念」
を一度もはっきりと示さないで、使っているのでは。
>>248 > 抽象度の高い数学だけやっても、実例が計算できないと意味が少ないよ。
計算は必要だと最近わかりまして、少しづつ練習しています。
>>249 > 「読んだようなふりをしてカッコいい(気の利いた)箇所を引用できるようになる」練習かな。
これでは、文系の学問でも、わかっている人のまえではすぐぼろがでます。
>>250 明晰な解説どうもです。
>>251 > 文脈によっては変化を受けません。
246での文脈できまるというのは、ニュートン、ライプニッツの使った「無限小」か超準解析の
「無限小」かがきまるということです。
>>254 「無限小」については自分なりの考察をしています。無限小の反対の概念も当然考えています。
d∫y=yなども考え、ライプニッツも同じことを考えていたのを知ってうれしかったことも
あります。とうぜん超準解析を勉強すべきでしょうが、時間がなかなかとれないです。
本代もないし。ネットにただのpdfがあるそうでやりたいとは思っているのですが。
>>255 > 内容が正しいかどうか査読しながら読んでいくのに
独習者にとって重要なテーマです。じつは「数学陰謀説」という仮説をたて、作戦を考えているのです。
いずれ機会をみて、書きます。
>>256 > これは正しいだろw
賛同はうれしいのですが、「数学ができても文系の学問ができるとはかぎらない」という命題も
お忘れなく。
>>257 >解析概論を読み誤るくらいなら生半可な文系の知識はないほうがいい
読み誤ってないです。
>>258 > 数学できないやつは、いっぱいいる。
これは数学書の悪意によるのです。いい本があれば、そうではないでしょう。
>>260 > 物理学界も業績を横取りしてるのですか?
よくは知らないですが、物理ではすべての学問は物理に吸収されると思っているそうですよ。
これを何とかというのですが、思い出せないです。
>>266 > この
>>1 のおかげで、まともに哲学やってる人が誤解されそうだね。
わたしは1ではないですし、哲学の素養の粗末さについてはなんども断っています。
>>268 ナイスなスレタイ。
追記 > これを何とかというのですが、思い出せないです。 「物理万能説」だったかな。
>そもそも『解析概論』で定式化とか言うのがおかしいでしょう。そういう本では >ないのですから。 はあ、そうですか。もとのレスは、解析概論が「無限小」を初めて定式化したのか、 という意味では無くて、既に定式化された「無限小」を扱っていたか? つまり「無限小」という概念のきちんとした定義はありましたか? という意味のレスだと思いますよ。それでyesなんですか?noなんですか? >十分条件、必要条件を良く考えてください。 充分条件でも必要条件でもないと言っているのですが。 大哲学者が例外なく数学に長けているわけでもその反対でもありませんから。 >これこそ?ですね。 あなたは用語の使い方に現代的な常識が無いですからね。 >自分の「無限小概念」 現代の定式化の元では「無限小超実数」と言えば R^(*)-Rのうち、任意のε∈R、ε≠0より小さい元です。 これは私の個人的な無限小概念ではなく一般的なコンセンサスと言ってよいかと。 最初に改めて定義などしなくとも、現代の数学者はみな 大体こういう使い方をするんじゃないかと思いますが。 (Rを構成する前に*を構成する流儀があるとか聞いた事はありますけどね。) 数学の概念は人によって違ったりしません。 あなたと私で「実数」だとか「微分可能」だとかの意味が多少でも違ったりはしませんよね。 それと同じです。
>彼らがアリストテレスの議論との食い違いになやむさまを描きました。
これは
>>66 の
>アリストテレスの議論にある無限の議論と食い違いがあるからなのです。
ここらへんのことを言っているのかな?端的に言って「悩みました。」としか書いてないような気がしますが…
これだけで文系の学問ではNewtonの無限小概念をはっきりと示したことになるんですか。
ははあ。たしかに難解ですね。
>246での文脈できまるというのは、ニュートン、ライプニッツの使った「無限小」か超準解析の
>「無限小」かがきまるということです。
つまり解析概論の「無限小」は、超準解析の意味でないほうの、
NewtonやLeibnizやCauchyやWeierstrassと
同じ「歴史的な」「無限小」とやらであると。
そもそも解析概論にはこれが即ち無限小であるとかそういう文言は無い(無かったはず)ですが、
解析概論に出てくるある概念をあなたが勝手に「無限小」と呼んでいる、ということでしょうね。
仕舞には高校数学の{f(x+h) - f (x)}/hのhの事まで無限小とか言われかねませんねえ。
無限小以外の何であるのでしょう?とか言ってw
>「無限小」については自分なりの考察をしています。
そういうのは控えめにした方が…お遊び程度に考えておくのが良いですよ。
これはこの部分に異論があるとかそういうことではなくて、ただのアドバイスです。
>これは数学書の悪意によるのです。いい本があれば、そうではないでしょう。
自分が代わりになる良い本を書けもしないのに
そういうことを言うのはどうかと思いますけどね。
それにただ良い本が無いことを、「悪意」と言ってほしくないです。
哲学書を読んで理解できなかった理系の学生が、哲学書の表現は難しすぎて
意味が分からない。哲学書は悪意を持って書かれている、
もっと分かりやすく書くべきだ、とか言ったならあなたは、何を言ってるんだこいつ、と思うことでしょう。
しかも
>>274 を見る限り高校の数学教科書とかのことを言っているのかな?悪意なんてとんでもない。
> わたしは1ではないですし、哲学の素養の粗末さについてはなんども断っています。 それでいて数学の素養の粗末さを決して認めないのは不思議だな。 むしろ文系というのが嘘で哲学かぶれの理系崩れにしかみえない。
YesかNoかでこたえられる質問は関係ない話でごまかすのがお約束になってきてるな・・・
>>276 の問いも逃げるんだろう。
>>278 >哲学かぶれの理系崩れ そんな人、僕の身近にもいます。同一人物だったりして(笑)
281 :
132人目の素数さん :2006/12/13(水) 03:08:26
ニュートン・ライプニッツの直観的無限小は、 厳格な定式化そのものが存在せず、 当然、解析概論の論理構成には組み込まれてはいなかったが。 歴史的な部分への言及があったかどうかは別にして。 僕は混乱を避けるため、超準解析で定式化された無限小を 単に「無限小」、ニュートン・ライプニッツの時代の無限小を 「直観的無限小」と呼んで区別しています。 このスレでもこんな具合に区別してはいかがですか? 紛らわしい用語を並べて文脈で区別しろ、なんていうのは、 哲学者の悪意を感じますね。
282 :
281 :2006/12/13(水) 05:14:36
ここで言う悪意とは、「知っていながら教えない」 という、法律用語の意味での「悪意」と同じです。 そういう意味で、数学書は悪意の塊。 それは数学書の行間の広さが、一般の図書より広いことからわかります。 (私は274の人とは違います) で、274のひとの、数学書には良い本がないというご意見ですが、 あなたはまだ数学書を読むことに慣れていないのではありませんか? 私の目からはそう見えます。 数学書選びは、どの本が良いか、というのは読む人によってまちまちで、 ちょうど恋人選びみたいなところがあります。 多分、あなたはまだ、 あなたに合った「恋人」に出会ってないのではないかと思います。 たぶん、これから先、あなたが「良い」本を見つけても、私などには 魅力を感じないこともあるかもしれませんね。 良いご縁を祈っております。
283 :
132人目の素数さん :2006/12/13(水) 05:18:56
>>279 数学の学識がないから、答えられないんじゃないの?
284 :
132人目の素数さん :2006/12/13(水) 09:37:51
行間を埋めながら読むのは数学書も法律書も哲学書も共通だよ。 埋められないのは単なる基礎学力不足。
>>274 > >解析概論を読み誤るくらいなら生半可な文系の知識はないほうがいい
> 読み誤ってないです。
そもそも読んでないって落ちじゃないだろうな
> 『解析概論』の
> 特徴は歴史的記述が多いことです。しかも、いちいち細かい点を説明しないといったところは
> あります。
多くの人がアクセスできる文献をあげてるんだからいい加減な言い逃れはよそうよ。
話題にしている微分に関しては導関数を極限で定義し、記号としての微分商dy/dxの正当化は
>>191 のとおり。
infinitesimalの訳語としての微小数あるいは無限小はランダウの記号と同値なもので極限によりきちんと定義。
いちいち細かく説明してある。
歴史的文脈というのはニュートン/ライプニッツのように直観的な無限小を直接扱うことが
極限操作で記述することによって回避され、また極限操作は実数の完備性により正当化された、という流れではないの?
これをなかったことにして定義のはっきりしない無限小を思いださなければならないことの数学的意味はない。
貞治の本文にも
「このように、現代的の精密論法によって、Leibnizの漠然たる‘微分商’が合理化される。」(p.37)
と書いてある。
286 :
132人目の素数さん :2006/12/13(水) 10:02:08
>>274 >物理ではすべての学問は物理に吸収されると思っているそうですよ そんなことはない。少なくとも、僕が物理の学生の頃は、 そんな話は公私ともに出てこなかった。 そんなことは物理屋の一部の人たちだけしか共感しないんじゃないの?
>>274 > よくは知らないですが、物理ではすべての学問は物理に吸収されると思っているそうですよ。
> 「物理万能説」だったかな。
で、あんたは「哲学万能説」なの?
訂正 >R^(*)-Rのうち、任意のε∈R、ε≠0より小さい元。 >R^(*)-Rのうち、任意のε∈R、ε≠0より絶対値max{x,-x}が小さい元x。
289 :
132人目の素数さん :2006/12/13(水) 17:26:26
細かいところで恐縮ですが、εは ε>0 では? いや、意図的に曲解する人がいたら厄介なんで。
>だいたい実験系の人がずっと実験やってると思ってる時点でアレなんだが。 そりゃ実験の準備さえ終わってしまえば、長ければ数ヶ月に渡ってひたすら 実験するわけだが、研究全体で見たら、テーマを考え、理論を検証し、 それを裏付けるための実験方法を考案して、実験装置を作ったり買ったり しながら準備する期間ってのは結構かかるもんだがな。 結果が予想と食い違えば、やっぱり理由を検討してそれを裏付けるための 予備実験の準備をしてと。ひたすら単純作業を繰り返すだけの月も当然 あるが、全体で見れば単純作業には程遠い。 >そうやってアウトプットする機会が多いと思考力がつくわな。 それに引き換え数学科ときたら、お勉強ばっかりで、 修論ですら新しい知見が含まれてない。卒論ない。 新しいアウトプットがないということは、その結果を 『言い切る』ための証拠を血眼になって探して、反論を予想し それを封じる根拠を探す必要もない。だから考える力もつかない。 読んでる本の難しさだけなら、工学系の及ぶところじゃないんだけど 難しい本の行間生めて考えた気になっていてもしょうがないわけでねー。
よく見かけるコピペだなw 一応コメントしておくと・・・ ・研究が単純作業の反復だけでは無いのは自明。わざわざ反論しなければならんのは恥。 ・新しい結果を産む出さない奴はゴミ。ゴミを見下したければ勝手にどーぞw
292 :
132人目の素数さん :2006/12/13(水) 17:59:30
>『言い切る』ための証拠を血眼になって探して、反論を予想し >それを封じる根拠を探す必要もない。だから考える力もつかない。 あたりまえだ。論理的に厳格に証明が与えられた数学の定理に、 反論の余地はない。で、考える力のないやつに、 論理的に厳格な証明を与えることなどできない。
>>276 >「無限小」という概念のきちんとした定義はありましたか?
なんにでも「定義、定義」というのは幼稚なことだとアリストテレスも述べていますよ。
> 最初に改めて定義などしなくとも、現代の数学者はみな
これこそ、常識のない態度でしょう。
> 数学の概念は人によって違ったりしません。
本気でそう思っているならなにおかいわんやですね。
>>277 >Newtonの無限小概念をはっきりと示したことになるんですか。
66では”ニュートンがなやんだのは無限小の概念”とはっきり書いているでしょう。
> 解析概論に出てくるある概念をあなたが勝手に「無限小」と呼んでいる、ということでしょ...
あなたみたいな人が納得する本を書く著者は苦労するでしょうね。推察力0なのだから。
> それにただ良い本が無いことを、「悪意」と言ってほしくないです。
無意識の結果であっても、それも広義の「悪意」なのです。
>>278 > それでいて数学の素養の粗末さを決して認めないのは不思議だな。
そんなことはないです。数学も粗末ですよ。ただ必要以上の謙遜はしませんよ。ということです。
>>281 > 僕は混乱を避けるため、超準解析で定式化された無限小を
いまでも、無限小解析という本が出版されていますが、ふつう'無限小解析’といえば
ただの解析学をさします。しかも超準解析といえどアイディアはニュートン、ライプニッツの
ものからきているのですから、名前付けをするとすれば、「超準無限小」とかすべきでしょう。
>>282 > 数学書選びは、どの本が良いか、というのは読む人によってまちまちで、
>ちょうど恋人選びみたいなところがあります。
いっさいよい本がないとは思っていないです。高木『解析概論』の序文にも’講義式’’教本式’の2類形が示されています。’教本式’は授業を受けることを前提としているのでしょう。
正確、簡潔しかし難読を特徴とするとあります。独習者はこういう本を買っては駄目でしょう。
もし良い本があって独習が楽にいけば、教師も干上がってしまうわけですからこの手の本が
多いのもうなづけます。さらに玄人向きに’全書式’といわれる本もあがられています。
この類形の本は、まったく独習向きではないといえるでしょう。
洋書には良い本があるとよく聞きます。が、残念ながら縁がないです。
>>284 > 埋められないのは単なる基礎学力不足。
数学書をよんだ経験がないのですか?
>>285 > 多くの人がアクセスできる文献をあげてるんだからいい加減な言い逃れはよそうよ。
言い逃れなどしていません。解析概論読み直してみました。△xをどう解釈するかがポイント
でしょう。”εと△xとの積なるε・△xは△xよりも高度に微小になる。すなわち△x→0
に際して、(2)の右辺の第一項なるf'(x)・△xが△yの主要部である”とでています。
この主要部をとる際に△xは無限小になっているでしょう。
コーシーの極限概念をつかった無限小の定義です。”同じ変数の引き続く絶対値が、任意の
与えられた数を下回るように限りなく減少するとき、この変数は'無限小’と呼ばれるものになる。
この変数は0を極限として持つ。”
コーシーも無限小を否定するのは無理と解釈していたから、無限小の定義をしたのです。
>>286 > そんなことは物理屋の一部の人たちだけしか共感しないんじゃないの?
どれだけかはわかりませんが、そういう人もいるということで。
>>287 > で、あんたは「哲学万能説」なの?
いえいえそんな考えは微塵もないです。
> ふつう'無限小解析’といえば ただの解析学をさします。 数学の中でそれはない。
要するに数学書を読み切った経験が無いとwwww
297 :
132人目の素数さん :2006/12/13(水) 23:32:19
( ^ω^)盛り上がってきたお
298 :
132人目の素数さん :2006/12/13(水) 23:37:38
>コーシーの極限概念をつかった無限小の定義です。”同じ変数の引き続く絶対値が、任意の >与えられた数を下回るように限りなく減少するとき、この変数は'無限小’と呼ばれるものになる。 >この変数は0を極限として持つ。” >コーシーも無限小を否定するのは無理と解釈していたから、無限小の定義をしたのです。 コーシーによるこの無限小(便宜上、コーシー無限小と呼ぶ)は、 「この変数は0を極限として持つ」というくだりからも推察されるように、 dxのような「単独の」数ではなく、{x(1),x(2),x(3)),・・・} のような数の系列であって、その定義は、任意に与えた数ε>0に対し、 自然数n>0 が存在して、全ての 自然数m>nに対して、 |x(m)|<ε が成り立つ・・・といったものです。すなわち、現代の(ライプニッツの) 無限小(あなたの趣味に合わせて、単に無限小と呼べばいいでしょ? 混乱を避けるための努力はしましょうね)とは、 今のコーシー無限小・・・通常の ε-n 論法による数の系列の、一種の「収束プロセス」 なんです。で、数学者が普通に使う「無限小」とは、あなたがおっしゃる 超準無限小のことです。
299 :
132人目の素数さん :2006/12/13(水) 23:42:09
>いまでも、無限小解析という本が出版されていますが、ふつう'無限小解析’といえば >ただの解析学をさします。しかも超準解析といえどアイディアはニュートン、ライプニッツの >ものからきているのですから、名前付けをするとすれば、「超準無限小」とかすべきでしょう。 こういう考え方には、全面的には賛同できない。数学的概念の「名称」は、 混乱しないように互いに区別できれば良いのであって、 ひとたび区別された概念の名前をいちいちあげつらって悦にいるのは 数学を学ぶものの態度として不真面目です。 むしろ、 「超準解析の無限小を単に無限小と呼ぶのは耐えられない。 これは超準無限小と呼ぶことにして、ライプニッツの無限小を 単に無限小と呼びたい。」 と、自分の用語に対する趣味をはっきり主張してもらったほうが こちらもすっきりします。 少なくとも、用語に関しては、 あなたが私たち数学系に合わせるのは無理なんで、私たちが、あなたに合わせてあげてもいいですよ。 そのかわり、混乱のないように、異なる概念については 用語上はっきり区別してください。 これは、数学を学習する上での鉄則です。文脈でわかる・・・なんてのは、あなたの甘えに過ぎません。 で、 ニュートン=ライプニッツの昔の無限小・・・無限小 超準解析の無限小・・・超準無限小 コーシーによる定義の無限小・・・コーシー無限小 でどうですか?これら3つは異なる概念ですよ。 これからきちんと区別することを断らない限り、僕はもう、このスレでの議論には加わりません。 なぜなら、数学の議論としては価値がなくなりますから。
300 :
298 :2006/12/13(水) 23:43:57
>>298=>>299です
301 :
132人目の素数さん :2006/12/14(木) 00:42:31
>なんにでも「定義、定義」というのは幼稚なことだとアリストテレスも述べていますよ。 それはアリストテレスの学識不足。議論で使われる用語の定義を明確にせずに ただ言葉だけ並べて相手を煙に巻こうとするのは哲学者の 背信的悪意そのもの。
302 :
132人目の素数さん :2006/12/14(木) 00:46:04
>推察力0 自分のことだろ
303 :
132人目の素数さん :2006/12/14(木) 00:47:35
>ただ必要以上の謙遜はしませんよ。 必要な謙遜もしてないだろ
304 :
132人目の素数さん :2006/12/14(木) 00:50:19
>△xをどう解釈するかがポイント でしょう Δx はただの実数だ。
305 :
132人目の素数さん :2006/12/14(木) 00:53:19
>すなわち△x→0 >に際して、(2)の右辺の第一項なるf'(x)・△xが△yの主要部である”とでています。 >この主要部をとる際に△xは無限小になっているでしょう。 君は収束の概念をきちんと把握していない。 まず、位相空間上のフィルターによる収束を学ぶべき。
306 :
132人目の素数さん :2006/12/14(木) 00:56:29
>無意識の結果であっても、それも広義の「悪意」なのです 「無意識」なのに「悪意」という意識があるわけないだろ。
307 :
132人目の素数さん :2006/12/14(木) 01:01:38
> 数学の概念は人によって違ったりしません 正確には、「数学の概念」ではなく、「数学用語の定義のしかた」 かな?数学の概念に対する解釈そのものは、千差万別で、 そこから新しいアイディアが生まれるんだと思います。
308 :
132人目の素数さん :2006/12/14(木) 01:05:41
>言い逃れなどしていません 言い逃れはしていないのは認めるけど、 一方で、君は解析概論をきちんと理解していないね。
309 :
132人目の素数さん :2006/12/14(木) 01:08:57
>もし良い本があって独習が楽にいけば、教師も干上がってしまう それは事実ではない。本を一切書かない数学系の大学教授もいる。 私の指導教官にあたる人だ。
310 :
132人目の素数さん :2006/12/14(木) 01:45:52
>>294 この人は、「高度の微小数」や「主要部」についての理解はしていないね。
解析概論では明確には述べていないから、仕方がないけど。
>なんにでも「定義、定義」というのは幼稚なことだとアリストテレスも述べていますよ。
言うことが変わっちゃったw
数学で定義無しに議論が出来るわけ無いでしょ。
>これこそ、常識のない態度でしょう。
何か函数を微分するときに毎回毎回わざわざ微分することの定義を書きますか?
書かないですよね。みんな知ってるから。こういう態度は常識無いですか?
>あなたみたいな人が納得する本を書く著者は苦労するでしょうね。推察力0なのだから。
「無限小」をあなたのような使い方してる著者が一人でも居たら教えてくださいな。
どうかんがえても少数派なのは間違いないですけど。
>ふつう'無限小解析’といえばただの解析学をさします。
今ではそうでもないですよ。
>しかも超準解析といえどアイディアはニュートン、ライプニッツの
>ものからきているのですから、名前付けをするとすれば、「超準無限小」とかすべきでしょう。
超準解析の一番大事なところはRの外にnon-Archimedesな体を作る方法だと思うけど。
>もし良い本があって独習が楽にいけば、教師も干上がってしまうわけですからこの手の本が
>多いのもうなづけます。
そういうことを考えてわざと書かないわけじゃないですよ。大体、洋書には良い本があると仰いますが
じゃあ諸外国では教師は「干上がって」しまったわけですか?あまり関係ないでしょ。
>数学書をよんだ経験がないのですか?
読んだ経験があっても
>>284 で全然間違い無いと思うけど。
なんか微分積分もまともに勉強おらず、直交函数系も知らなかったのに
「全書式」に近い実解析の本に対して、自分が理解できないのは本のせいだ!
とか難癖つけてた人が居ました。
>コーシーも無限小を否定するのは無理と解釈していたから、無限小の定義をしたのです。
Wierstrassも高木貞二も「無限小を否定するのは無理」と思ってたんですか?
>>307 「解釈の仕方」は数学で言う「定義」のなかには含まれないと思うけど。
313 :
307 :2006/12/14(木) 02:04:07
うん。「解釈」と「定義」はべつものですね。 いや、あなたの言ったことに反対してるわけではないですよ。
314 :
132人目の素数さん :2006/12/14(木) 02:12:32
>もし良い本があって独習が楽にいけば、教師も干上がってしまう では対偶をとって、 教師という職業が存続しているせいで、良い本がないのですか。 では、あなたの欲する良い数学の本は、どんな職業の人が書けるんですか?
315 :
132人目の素数さん :2006/12/14(木) 02:43:29
z
316 :
132人目の素数さん :2006/12/14(木) 03:12:35
ガウスは「実無限」を認めない立場だったね。
>>294 > この主要部をとる際に△xは無限小になっているでしょう。
なってない。
引用箇所のちょっと上の括弧内に
「我々は今xの値を固定している、従って変数はΔxである。」
と断ってΔxを変数とみる立場を明らかにしている。
さらにこの節の末尾の[注意]で
「上記(2)によって、εはxとΔxとの函数ε=ε(x,Δx)として、Δx≠0のもとで定義された」
ともある。
つまり変数の極限をとっているだけ。
変数の0での極限をとることを無限小と呼びたいのかもしれないが、
(それゆえコーシーによる無限小の定義を出したのだろう)
極限によって無限小を定義できるのだから、無限小の論理的基礎は極限操作に在ることになる。
つまり無限小は慣用表現としての存在意義は別として論理的には排除できる概念となった。
>>295 > 数学の中でそれはない。
フランスで最近出版された本に「無限小解析入門」と銘うってただの解析入門の本があります。
それにオイラーその他無数の数学者の無限小の名がついた超準解析でない本があります。
>>298 > 今のコーシー無限小・・・通常の ε-n 論法による数の系列の、一種の「収束プロセス」
>なんです。
まさかこんなレスがくるとは。曲解の最たるもの。さすがに唖然。
”この変数は'無限小’と呼ばれるものになる。この変数は0を極限として持つ。”
とあります。実はこの定義だけでなくコーシーは無限小による他の概念の定義も行って
いるのです。それでも無限小は極限におきかえられるでしょう。そういう風にコーシーの
理論はできているのですから。そのことは何度も言ってきたことです。
>>299 >自分の用語に対する趣味をはっきり主張してもらったほうが こちらもすっきりします。
295に対するレスを参考にしてください。またコーシー無限小などという言葉は聞いたことも
ありません。言語感覚がすこしおかしいのではありませんか。
>>301 > ただ言葉だけ並べて相手を煙に巻こうとするのは哲学者の
>背信的悪意そのもの。
ヒルベルトも無定義元素というのを認めていたではないですか。
それとアウグスティヌスの言葉
「時間とはなんであるか、だれも私に問わなければ私は知っている。しかし、たれか問うものに
説明しようとすると、わたしは知らない」(告白より)
>>302 −303
はいはい。わかりました。
>>304 > Δx はただの実数だ。
無限小です。
>>305 > まず、位相空間上のフィルターによる収束を学ぶべき。
フィルターでたぁぁぁーーーーーーー
>>306 > 「無意識」なのに「悪意」という意識があるわけないだろ。
無意識に落ちている金をそそくさとポケットにしまったとかないですか?
>>307 >数学の概念に対する解釈そのものは、千差万別で、
これはご賛同いただけたと解釈していいのですね。
>>308 > 一方で、君は解析概論をきちんと理解していないね。
うーん、こたえようがないです。
>>309 > それは事実ではない。本を一切書かない数学系の大学教授もいる。
干上がらないように書かないのかもしれません。
>>310 > この人は、「高度の微小数」や「主要部」についての理解はしていないね。
ご理解しているところを御開陳ください。
>>311 > 数学で定義無しに議論が出来るわけ無いでしょ。
301へのレスを参考にしてください。
>みんな知ってるから。こういう態度は常識無いですか?
295へのレスをお読みください。
> 「無限小」をあなたのような使い方してる著者が一人でも居たら教えてくださいな。
上に同様。
> じゃあ諸外国では教師は「干上がって」しまったわけですか?あまり関係ないでしょ。
そのことをはやく日本の教師も理解してほしいものです。
> 読んだ経験があっても
>>284 で全然間違い無いと思うけど。
284でこう言っておられましたね。” 埋められないのは単なる基礎学力不足。”
これに賛同する数学科の学生は少ないでしょう。
> Wierstrassも高木貞二も「無限小を否定するのは無理」と思ってたんですか?
高木貞治もそう思っていたみたいですね。ヴァイエルシュトラースについてはいまはくわしいこと
はいえませんが、クラインが彼の方向性を批判的にみていたことはよく知られています。
>>314 > では、あなたの欲する良い数学の本は、どんな職業の人が書けるんですか?
独学の人がいいでしょう。ゲルファントはそうですが、モスクワ大学の教師になってしまいました。
ですが、独自のセミナーを開いているそうです。
もっとも、苦労して学んだひとは後進にあまり楽に教えたくないという気持ちがどうしても
あるでしょうね。
>>316 > ガウスは「実無限」を認めない立場だったね。
そうですか。「実無限」をみとめないと、現在では数学者の職場確保の問題が生じるので
ガウスも現在なら発言を控えるでしょうね。
>>317 > つまり変数の極限をとっているだけ。
それこそ言い逃れ。
> 極限によって無限小を定義できるのだから、無限小の論理的基礎は極限操作に在ることになる。
しかし、厳然として無限小という概念は存在しているわけです。
> つまり無限小は慣用表現としての存在意義は別として論理的には排除できる概念となった。
排除しようとおもえばできるでしょう。しかしコーシーはそう考えなかった。なぜでしょう。
それは排除しても、解析学のそこかしこに無限小の概念が見え隠れしてしまうからです。
322 :
299 :2006/12/14(木) 21:55:05
>>318 不毛な議論になるんで、もうここには来ません。
あとはご勝手に。
323 :
132人目の素数さん :2006/12/14(木) 22:06:42
>無意識に落ちている金をそそくさとポケットにしまったとかないですか? ない。けど、君にはあるんだね?
>それにオイラーその他無数の数学者の無限小の名がついた超準解析でない本があります。 超準解析が登場したのは1960年頃ですから、 それ以前に書かれた「無限小解析」と題する本は無条件に全て普通の解析の本です。 それ以後に出版された「無限小解析」に関する本は、 超準解析に関する本の方が多いと思いますよ。 >まさかこんなレスがくるとは。曲解の最たるもの。さすがに唖然。 なんで唖然とするのか分かりませんが… Cauchyは0に収束する変数の事を「無限小」と呼んでいるだけで、 仮に「無限小」と呼ばずに「微小変数」と呼んだところで 彼の理論は数学的には全く影響を受けないわけですが。 >またコーシー無限小などという言葉は聞いたことも >ありません。言語感覚がすこしおかしいのではありませんか。 CauchyとLeibnizでは「無限小」の指すものが違うということはお分かりでしょうか。 こういう場合に両者を区別して議論したいときには Cauchy無限小、Leibniz無限小みたいな区別の仕方をすることはよくあることですよ。 たとえば集合Xに関する「X自身との間に全単写があるような真部分集合⊂Xが存在する」 という性質は、選択公理を使わないと「Xは有限集合である」と同値であることが示せないので Dedekind有限と言ったりします。 それに、上のレスに(便宜上、コーシー無限小と呼ぶ)と書いてありますけど無視されてるんでしょうか。 そもそも超準無限小なんて言葉は聞いた事もありません。言語感覚がすこしおかしいのではありませんか。 >ヒルベルトも無定義元素というのを認めていたではないですか。 「無限小」が無定義術語だと言うのなら、 「無限小」の他の無定義術語との関係を規定する公理が必要になりますね。 この場合はどういう性質の事を言っているんでしょうか。
, ;;;;;-ー- /::. ソ . :;;ヽ, . /::. ..:::;;;ヽ /::. ..::;;;;ヽ /::. ..::::;;;;i (::. ..::;;;丿 >::...___..::::;;;イ !ヾ. ̄⌒__ ̄彡| iミ:::ミC /'" ̄ ̄ヾi) うわぁ〜 |:::::. | ,,,,,_ ,,,,,,|/ |::. |(へ);(へ);| 今日も盛り上がってるなぁ〜 |:: | . :::__)..::| |::: ヽ ー== ;;| ( \ .\___ !;|
326 :
132人目の素数さん :2006/12/14(木) 23:35:33
哲中毒患者に、何を言っても無駄。 屁理屈こねて居直るだけ。
>>321 > それこそ言い逃れ。
Δxは変数だと書いてあり、Δx→0の極限を取っているのだから
変数の極限を取っているだけ。
これはもうトートロジー。
それからΔxが無限小というのは解析概論の文脈では明らかに誤り。
Δxが変数であることは明記してあり、この段階で変数のとりうる値は実数である。
実数は第一章で明確に定義されており、無限小は実数の集合に含まれない。
もっともあんたは無限小を明確に定義していない(したくない?)ようだが、
実数の集合に含まれないことは認めてよさそうなので論理的に間違っている。
> しかし、厳然として無限小という概念は存在しているわけです。
厳然とではなく、存在すると思ってもいいという程度。
無限小は極限で定義され、しかも極限を使えば無限小を使わなくても無限小解析が展開できる。
> しかしコーシーはそう考えなかった。なぜでしょう。
> それは排除しても、解析学のそこかしこに無限小の概念が見え隠れしてしまうからです。
違う。
極限操作に置き換えたときに見え隠れするのは実数の連続性の問題で、これはコーシーより後の時代に合理化された。
この辺の事情を知っていればコーシーと高木貞治を同列に論じることはできないのだが・・・
ふと冷静になってみると、Δxとdxの使い分けも無視して無限小だという人に何を説明しても無駄な気がしてきた
329 :
132人目の素数さん :2006/12/15(金) 04:43:34
>>328 だから、無駄ですよ。親切な忠告にも中傷をもって答える人なんだから。
勝手に吠えさせておけばいいんです。
どうせああいう哲中患者は、数学界には影響力を行使できないんだし。
330 :
298、299 :2006/12/15(金) 04:52:40
>>324 援護、というか、フォロー、ありがとうございました。 お礼だけ言わせてください。 これで本当に最後です。 あなたも早く、こんなところから脱出して、マトモな日常に戻ったほうが良いと、 僕は思います。
>>330 いえいえどうも。あなたの仰るとおりだと思います。
確かにこのスレでぐだぐだ議論するより数学の勉強をする方がよほど有益ですねw
ただ数学的なことでふと思ったことがあったんですが、
「Cauchy無限小」を、差がCauchy数列の違いしかないものは同一視して、
非単項超フィルターを用いて同値類を取ると超実数の一つのモデルが出来る
(cf.超積と超準解析 1章)わけで、
これは収束プロセスというより、正真正銘の「無限小」ですから、
「Cauchy無限小」も超準解析も我々が思うよりも近いものなんじゃないのかな、と。
それでも別物なのは間違いありませんが。
ありゃりゃ、なんか言ってることがちょっとめちゃくちゃだ。 まあいいや。
>>323 > ない。けど、君にはあるんだね?
たとえの意味もわからないのではいたしかたないです。
>>324 > Cauchyは0に収束する変数の事を「無限小」と呼んでいるだけで、
定義のなかで、”限りなく減少するとき、この変数は'無限小’と呼ばれるものになる”
とあるのです。文章をちゃんと読みましょう。’無限小と呼ばれるものである”とは
書いてないでしょ。
> CauchyとLeibnizでは「無限小」の指すものが違うということはお分かりでしょうか。
本質的には変わりないものです。
> 「無限小」が無定義術語だと言うのなら、
それは違う話しです。文脈をよくたどってください。
>>327 > Δxは変数だと書いてあり、Δx→0の極限を取っているのだから
>変数の極限を取っているだけ。
Δxが変数であることはいまさらいわれるまでもないこと。で極限をとってΔxはどうなるの
ですか?0になっているのですか?違うでしょう。
> 実数は第一章で明確に定義されており、無限小は実数の集合に含まれない。
そもそもこういう話しを高木貞治がもちだした時点で、第一章の話しがらはずれてきている
のです。首尾一貫してないといえるかもしれません。
> もっともあんたは無限小を明確に定義していない(したくない?)ようだが、
無限小の定義は公知でしょう。
> 極限操作に置き換えたときに見え隠れするのは実数の連続性の問題で、これはコーシーより
>後の時代に合理化された。
それは、「解析の算術化」といわれるもので、デデキンド、カントル、ヴァイエルシュトラース
らによって達成されたものです。解析概論では第一章の内容のいくつかの部分がそれに対応します。
そんなことは当然知っています。
>>328 > ふと冷静になってみると、Δxとdxの使い分けも無視して無限小だという人に何を説明しても
>無駄な気がしてきた
こういう人にはなにを説明しても無駄でしょう。
>>331 > 「Cauchy無限小」を、差がCauchy数列の違いしかないものは同一視して、
>非単項超フィルターを用いて同値類を取ると超実数の一つのモデルが出来る
>(cf.超積と超準解析 1章)わけで、
このモデルは超準解析をまるで知らなかったときに、自分でもおなじものを作ったことが
あります。それだけに超準解析にはつよい興味があります。
> 「Cauchy無限小」も超準解析も我々が思うよりも近いものなんじゃないのかな、と。
モデルとは無矛盾性の証明のかわりといっていいものですから、そのためにあると考えれば
コーシーの無限小も超準解析もおなじものといっていいです。ただし基礎論関係の人の
面倒な議論はお断りします。そんな知識はないので。
>> 「無限小」が無定義術語だと言うのなら、 >それは違う話しです。文脈をよくたどってください。 単純にあなたが無定義術語(無定義元素)という言葉の意味を知らなかっただけです。 318を読んでもそうとしか取れません。
>>334 ぐだぐだ言ってる閑があったら超準の本を読め。話はそれからだ。
>>333 > で極限をとってΔxはどうなるの
> ですか?0になっているのですか?違うでしょう。
違うよ、そりゃ。
極限だもの。
> そもそもこういう話しを高木貞治がもちだした時点で、第一章の話しがらはずれてきている
> のです。首尾一貫してないといえるかもしれません。
話の流れをまとめると
1. 解析概論の本文では「無限小」という言葉をあからさまに使った理論展開はしていない。
2. 『「解析概論」にも無限小概念を使った微分の定義が出てくる』と考えるあなたは
この本の記述が首尾一貫していないように見えている。
3. 私は本文にない無限小概念など考えず、解析概論の記述を首尾一貫して理解している。
ということだな。
> こういう人にはなにを説明しても無駄でしょう。
議論しても無駄ということだけは意見が一致したことになるな。
違ってもいいじゃないか。 極限だもの。 みつを。
>>335 > 単純にあなたが無定義術語(無定義元素)という言葉の意味を知らなかっただけです。
301で
>>議論で使われる用語の定義を明確にせずに
>>ただ言葉だけ並べて相手を煙に巻こうとするのは哲学者の
>>背信的悪意そのもの。
と言われました。そこで、定義とはいつでも可能ではないことを説明したのです。もっとも
わざわざ解説しても、あなたは理解する気はないようですし、レスするだけ無駄なタイプの人
のようですね。
>>336 > ぐだぐだ言ってる閑があったら超準の本を読め。話はそれからだ。
これは本当にそうです。
>>337 > 極限だもの。
だから無限小の変数になっているでしょう。
>私は本文にない無限小概念など考えず、解析概論の記述を首尾一貫して理解している。
>ということだな。
そういう頑固なたいどでは、解析学に限らずどんな分野の本も完全なる理解には到達できないでしょう。
> 議論しても無駄ということだけは意見が一致したことになるな。
以下を書いた人と同一人ですか?
>>Δxとdxの使い分けも無視して無限小だという人に何を説明しても無駄な気がしてきた
ふつう使い分けはしますよ。しかし明らかに無限小をΔxで使うこともあります。それに
議論が記号の使い方だけで決まるとしたら、議論は必要ないですね。
>そこで、定義とはいつでも可能ではないことを説明したのです。 無定義術語というのは、Hilbertっぽく言うなら、 「机」、「椅子」なんかを無定義術語にして 任意の二つの「机」AとBは、高々一個の「椅子」で「共鳴」する、 「机」AとBが「共鳴」するような「椅子」Cが存在しないとき、AとBは「恋人」であるという、 みたいなわけわかんない言葉を使っても幾何学は展開できるんだ、という事なんですけど。 これは決して 「皆どんな意味の言葉かは大体分かってるんだから改めて定義するまでも無いよ」 ということではありません。 その正反対で数学では無定義術語の「定義」は行わない代わりに、 それ以外の概念は基本的に 全 て 定義可能だと考えるんですよ。 (少なくともHilbertを含む、現代のほぼ全ての数学者の考えでは) それでも今の「無限小」は無定義術語じゃないのは認めるんですか? ここで無定義術語の話を出すのは話のピントがズレてますし、自分で自分の首を絞めてますよ。 >そういう頑固なたいどでは 頑固なのはあなたでしょう。 「無限小」に関連してあなたに反論してるのは一人二人じゃないですよ。 あなた以外で、数学科の解析概論既読の人に聞いたら dxが無限小だと理解してる人はほとんど居ないと思うよ。 十人に一人も居ないと思う。 とりあえず、ここまではあなたも認める?認めない?
>>340 >わけわかんない言葉を使っても幾何学は展開できるんだ、という事なんですけど。
それはまた話しがちがいます。
概念の意味を捨象しても、概念の関係だけで数学理論が築けるという話しで
’点’という言葉の代わりに’犬’をつかっても変わりないというだけのことです。
> 「皆どんな意味の言葉かは大体分かってるんだから改めて定義するまでも無いよ」
>ということではありません。
もちろんそんなことはわかっています。
> それ以外の概念は基本的に 全 て 定義可能だと考えるんですよ。
それは実際にそうだからですか?それとも願望ですか?
もっとはっきり言えば信仰でしょ。
> それでも今の「無限小」は無定義術語じゃないのは認めるんですか?
コーシーの定義を出しているでしょ。
> ここで無定義術語の話を出すのは話のピントがズレてますし、自分で自分の首を絞めてますよ。
それは文脈を考慮しないあなたのとりかたがずれているのです。
> 十人に一人も居ないと思う。
真理が多数決で決まるとおもうならそう考えればいいでしょう。
それに議論は自分の立場を固守するゲームでもあります。このゲームを楽しめないので
あれば数学も楽しめないのでは。
> とりあえず、ここまではあなたも認める?認めない?
シンガポール陥落(太平洋戦争時)のときの山下奉文大将みたいな言い回しがよくある。
感じよくないですよ。
>それはまた話しがちがいます。 >概念の意味を捨象しても、概念の関係だけで数学理論が築けるという話しで 多分聞いたことない話だろうと思って簡単に書いたつもりだったんですけど理解されてますね。 無限小の話と無定義術語がどうのこうのの話は全然関係ないというのもお分かりですよね。 >それは実際にそうだからですか?それとも願望ですか? 実際にそうだからです。 そうじゃないと機械によってJordanの曲線定理の証明をしたりは出来ませんよね。 無定義術語と言っても簡単で、要は概念Aを定義無しに使うにしても、 議論に用いるAの性質は(少なくとも一つの本や理論の中では)有限個しかないのだから、 最初に公理の形で纏めてしまって、あとから前提を追加したり、 最初に前提しなかったAの性質を無自覚に使ってしまったりしないようにしましょうね、 というだけのことで、出来ないはずがありません。 例えば高校の教科書なんかでは極限値の定義は無くて直感的に済まされていますけど それでも高校の教科書で「証明無しに使う極限の性質」は有限個です。 >それは文脈を考慮しないあなたのとりかたがずれているのです。 Hilbertの無限小は全く関係ない話で、要するに例として不適当なんです。 >真理が多数決で決まるとおもうならそう考えればいいでしょう。 >それに議論は自分の立場を固守するゲームでもあります。 他の大多数の意見を易々と無視し自分が少数派であることの理由を深く考えない、 というのはトンデモの特徴ですよ。 それに数学は「自分の立場を固守するゲーム」ではありません。 実際、数学者は他分野の学者に比べると、 議論していても相手の主張のほうが理に適っていると思えば直ぐに立場を変える傾向があると思います。 それは数学では、人によって定理の証明が正しくなったり誤りになったりはしないからです
age
345 :
132人目の素数さん :2006/12/18(月) 17:45:27
346 :
132人目の素数さん :2006/12/18(月) 21:13:45
哲学ってふだんはどんな会話してるの?
347 :
132人目の素数さん :2006/12/18(月) 21:17:28
XPは突然文字変換が悠子と聞かなくなる。ネックNEC の欠陥?
>>343 > 実際にそうだからです。
> そうじゃないと機械によってJordanの曲線定理の証明をしたりは出来ませんよね。
話しが変わっていますよ。もともと
>> それ以外の概念は基本的に 全 て 定義可能だと考えるんですよ。
こうおっしゃっていました。
それが、
> 議論に用いるAの性質は(少なくとも一つの本や理論の中では)有限個しかないのだから、
>最初に公理の形で纏めてしまって、あとから前提を追加したり、
>最初に前提しなかったAの性質を無自覚に使ってしまったりしないようにしましょうね、
こうなっている。
これは、むしろ述語を全て定義可能な理論の定義でしょう。
数学自体歴史の関数とかいわれますが、定義であれ、公理であれ、いつも完全から程遠い
状態で数学の活動はおこなわれてきたのではないですか?
> それに数学は「自分の立場を固守するゲーム」ではありません。
数学はそうかもしれない、しかし議論で扱われるときには、こういう立場(固守する)も認め
られなくてはまずいとおもいます。安易な同調では真理へのみちはないとおもうからです。
徹底して考え議論した後、相手の主張を認めるということはもちろんありえます。
> それは数学では、人によって定理の証明が正しくなったり誤りになったりはしないからです
これは同意できないです。
ワイルが小平邦彦に語った話しが小平の本に載っていました。ワイルはある証明を、彼が直観主義者
であることによって認められないから、違う証明を考えたそうです。ですから人によって定理の
証明が正しくなったり誤り(不適切)になることもありえます。
さらに言えば、計算機を使った証明を認めない立場もあります。証明の正しさの根拠は
多くの数学者の同意(多数決?)によらなくてはならないという立場からの反対です。
話が変わってるんじゃなくて単に無定義術語の説明をしてるだけなんだけど… 白と言っていたのを黒と言ったりはしてないですけど。 >それは実際にそうだからですか?それとも願望ですか? あなたがこう書いたんじゃないですか。 だから、実際にそうだよ、と言っただけですけど… >数学自体歴史の関数とかいわれますが 何が言いたいのか分かりませんが… 大体数学自体のことを歴史の函数なんて言った人なんて知りませんが。 定義の無い用語を現代の数学の理論で使うことはありません。 あるとしたら「点」とは何か?「集合」とは何か?といった無定義術語に類するものだけです。 無いものをあると強弁されても困ります。 >これは同意できないです。 排中律を認めない数学者なんてほとんどいないですよ。 数学者数千人に一人居るか居ないかくらいじゃないですかね。 直観主義はもともとBrouwerの個人的信条に基づいた特殊な思想だったのですが 現代ではほぼ絶滅しています。例外的と言って良いです。 計算機を使おうが使うまいが、人がチェックして正しいことが確認できれば それは正しいと見做すのが普通の考え方かと。 計算機による証明の場合分けのチェックなどを認めないのは、 単に確証の程度が薄いというだけです。 つまり、未解決問題が証明されたときなどは、大抵査読者が付いて その証明をチェックするわけですけど、もし査読者が無能な数学者だったら、 彼が証明は正しいと保証しても疑念が残りますね。 それと同じことで、立場の違いとまでは言えないと思います。
ところでNewtonやLeibnizが言っていた「無限小」と Cauchyの言うところの「無限小」が違うというのは良いのかな。 333とかを読む限り、Cauchyの「無限小」は数列であるとみなしてもよいが、 別なふうに考えることも出来る、というように考えてるのかな。 Cauchyだって「無限小」は自分が数列なり函数なりを使って合理化したから 敢えて昔の定義のはっきりしない曖昧な概念を使う必要は無いと思ってたはずなんだけど なんでこの人は現代の解析の教科書でも無限小概念が用いられているとか無理な主張をするんだろう。
>>349 >直観主義はもともとBrouwerの個人的信条に基づいた特殊な思想だったのですが
>現代ではほぼ絶滅しています。例外的と言って良いです。
流石にこれはダウトだろう。計算機屋が怒るぞ。
352 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 06:27:06
>>351 計算機屋の考えでは、有限の立場の数学では?
直観主義とはチョッと違います
353 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 06:59:02
数学では、数学の概念(論理式など)をどのように記述するべきかのルールは 確立されている(そのルールが哲学者にとって正しいかどうかは別として) 数学では、数学的命題(論理式)がどういう条件を満たすときに 証明可能と呼ぶべきか、そのルールは確立されている。 (そのルールが哲学者にとって正しいかどうかは別として) 数学では、例えば数列 a(n) が実数 b に収束するとは、 次の条件を満たすことである・・・というルールは確立されている: 全ての ε>0 に対し、自然数 n(ε) が存在し、全ての n > n(ε) に対し、 | a(n) - b | < ε がなりたつ。 以上、現在の数学で認められているルールの一部です。 (そのルールが哲学者にとって正しいかどうかは別として) >>348 の人は、これらのルールを認めないといっているだけ。 それが正しいかどうかなんて、誰にも決められない。 これらのルールを認めないのは自由で、「認めろ」と強制することは 誰にもできないが、そのかわり、ほとんどの数学関係者とは、 価値観を共有できないし、ほとんどの数学者を納得させることもできない。
354 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 07:07:31
例:
Δx → 0 のときの Δx の極限は 0 になる。
これは現在認められている数学のルールに基づいて
証明可能な定理です。
これは馬鹿にする意味ではなく、単なる確認ですが、
>>348 の人には、このことを認めていただけますか?
355 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 07:14:46
ライプニッツの無限小=コーシーの無限小
・・・
>>348 の人は、このことが正しいと主張するのであれば、
論理的な構造を明確にして、厳格な証明を与えるべき。
今のところ、そのような証明は与えられていない。
356 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 07:20:53
>>348 の人は、自分が主張する「収束」の概念、
「無限小」の概念を、現在認められている
数学のルールに基づいて記述していない。
357 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 07:23:51
>>348 の人が自分の主張を固守する立場は認めても良いが、
その主張の内容は、絶対に私は認めない。
なぜなら、私を納得させるだけの内容をもっていないから。
358 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 07:28:21
コーシーによる収束の定義を、「ライプニッツの無限小」 と解釈するのはその人の自由。 しかし、ほとんど全ての数学者は、そのようには解釈していない。
359 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 07:42:35
>安易な同調では真理へのみちはないとおもうからです 所詮真理とはその人にしか通用しないもの。 人によって真理は異なる。 数学では、与えられたルールの下で「証明可能」かどうかを研究している。 それが哲学者の真理にかなうかどうかは別の問題。 ルールを変えれば証明可能性が変わるのは当たり前。 しかし、自分ひとりにしか通用しないルールを振りかざしても、 誰も共感してくれない。誰も納得してくれない。 単なる自己満足。
360 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 07:46:08
>議論とは、自分の立場を固守するゲーム。 それならば、議論してもしなくても、結果は同じ。 自分の立場に変化はないから。何も進展はない。
> >数学自体歴史の関数とかいわれますが > 何が言いたいのか分かりませんが… 数学は時間発展してるんだからこれ自体は正しいんじゃないの? たぶんこの人がいいたかったのは、数学において真理は時間の関数である、 っていう誰だったか(アティヤーだっけ?)のジョークじゃないかな。 2ちゃんで見た言葉なのでソースは知らないが。
362 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 09:10:45
>自分の立場を固守する >こういう頑固な態度では、解析学に限らず、どんな分野の本でも、 >完全な理解に達することはできないでしょう。 ・・・誰の言葉でしたっけ?
363 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 09:16:53
>それに議論は自分の立場を固守するゲームでもあります。このゲームを楽しめないので >あれば数学も楽しめないのでは。 そんなことない。私は議論しなくても数学を楽しめる。 数学の楽しみ方は、一つでない。
dxやdy等が一つの値をもつかのように扱っているのがライプニッツの無限小。 コーシーが特定の値ではなく、変数Δxの0での極限を考えるこそ無限小と言い換えたときにすでに扱い方の質は異なる。 (その上でコーシーは微分dx,dyを比が微分係数になるものと定義し、dy/dx=f'(x)からdy=f'(x)dxを導いている。) この2つが本質的に同じだというのなら超準解析は何もしてないことになる。
365 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 11:23:52
コーシーとライプニッツによる無限小の定義が 同じものならば、コーシーは何も新しいことをしていないことになるし、 コーシーの収束の定義を、現代のほとんどすべての数学者は みな同じように曲解していることになる。 何たる偶然!!
366 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 11:31:55
「少数第無限位」などという言葉を並べて遊んでいる 変態哲学者がいる。有限で済むところを、なんでも 「無限」という言葉で置き換えなければ気がすまないらしい。
367 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 11:34:01
数学を理解できないやつが哲学的妄想に浸って 自分を慰める・・・よくあること。
368 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 11:43:27
>”この変数は'無限小’と呼ばれるものになる。この変数は0を極限として持つ。” >とあります。実はこの定義だけでなくコーシーは無限小による他の概念の定義も行って >いるのです。それでも無限小は極限におきかえられるでしょう。そういう風にコーシーの >理論はできているのですから。そのことは何度も言ってきたことです。 この主張を分析すると、「この変数は0を極限として持つ」とあるように、 極限は0つまり、 極限=0 一方、「無限小は極限に置き換えられる」とあるので、互いに置き換えられる対象の 同等性より、 極限=無限小 したがって、 無限小=0
369 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 11:48:00
0=無限小 の別証明。 恒等式 無限小=無限小 の左辺において、「無限小は極限に置き換えられる」から、 極限=無限小 いっぽう、「0を極限として持つ」から、 0=極限 したがって、 無限小=0
370 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 12:03:36
>「実無限」をみとめないと、現在では数学者の職場確保の問題が生じる 数学者の職場は有限ですが。「実無限」を認めても、有限は有限ですが。 そもそも実無限って、なに?私は認めていませんよ。 認める気もありませんね。非現実的ですから。 「実数の全体の集合」だって、人間の有限の脳細胞から生まれたもの。 それが何で無限に行き着くんですか? 実無限でなく、形式的に記述された、形式的無限でしょ。
さあ、みんな自分の立場を固守しよう!
372 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 12:18:14
俺も機械によるジョルダンの閉曲線定理の証明は認めない。 機会のプログラムは、自己矛盾がなければすんなり動き、 証明の正しさとは関係がない。 もちろん、機械のプログラムが、正しい証明を 与えられることの確証がえられればはなしは別。 しかし、それは無理そう。本読んで勉強したほうがまし。
373 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 12:29:12
私にとっての数学理論: 全ては、原理的に、「∈、=、∧、∨、⇒、¬、∀、∃」という記号と、 変数を表す記号「X_1, X_2, X_3, ...」で記述される。 数学の命題(論理式)は、これらの記号の有限個の組み合わせでえられる、図形のうち特別なもの。 数学の推論または証明とは、これらの論理式の、図形としての有限回の変形規則。 ここには無限は出てこない。全てが有限回の操作で終了する。
374 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 17:10:15
人間に把握できる事象は、すべて有限個。
>>351 いや、直観主義論理に価値を認めてる計算機屋は多いと思うけど
実際に自分の主義として直観主義を採用してる計算機屋はあまり多くないと思うけど。
直観主義論理を研究する事と、実際に数学の証明として排中律を認めないことは別。
>>361 岩波現代文庫「怠け数学者の記」p227
小平 一度アティヤに、「基礎論に興味がありますか」ときいてみたんですよ。
そしたら、ぜんぜん興味がない、厳密性というのは時代の関数だから、そんなこと心配する必要
はないっていうんですよ。
「数学」でも「数学の真理」でも無くて「厳密性」でした。
>>373 俺も中村八束によるJordanの閉曲線定理の証明は認めないwww
376 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 18:55:50
直観主義論理、LJ の定式化なんかは近いですね。 最近、PRA(primitive recursive arithmetric) というものを知りました。
377 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 19:02:06
過去の「厳密性」と現代の「厳密性」はもちろん違う。 普通は、一番新しい「厳密性」をルールとして採用するのでは?
ですよね
379 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 20:39:40
自分の立場を固守する≠相手の立場を認めない このことに理解していない哲学者がいる。
>>375 厳密性だったか。
今度出典をチェックしときます。
381 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 20:43:55
>>実際に数学の証明として排中律を認めないことは 有限の立場での証明では、ありえます。
382 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 20:59:02
俺は確かに哲学に対する理解はない馬鹿だが、 数学に「逃げた」わけではない。単に哲学より数学が好きなだけ。 このスレタイは、偏見に満ちているな。
383 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 21:18:03
小平先生の解析入門でも、収束は ε-δ で記述していたね。 収束実数列の極限も実数だったね。 哲学者からみたら、曲解の産物なんだろうな。
384 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 21:52:02
ブルバキの数学原論でも収束実数列の極限は実数だったね。 哲学者から見たら、曲解の産物なんだろうな。
385 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 21:59:48
ディュドネの Principles of modern analysis でも、収束実数列の極限は実数だったね。 収束自体も ε-δ、ε-n で記述していたね。 哲学者から見たら、曲解の産物なんだろうな。
bishopの構成主義とかもあるし、絶滅は言い過ぎだな。
387 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 22:01:20
>>385 訂正
○ Foundations
× Principles
388 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 22:31:28
内田伏一著「集合と位相」でも、実数列の極限は 実数だったね。 哲学者から見たら、曲解の産物なんだろうな。
389 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 22:39:19
L.Shwartz の解析学でも 収束実数列の極限は実数だったね。 収束の記述も ε-δ、ε-n だったね。 哲学者から見たら、曲解の産物なんだろうな。
390 :
132人目の素数さん :2006/12/19(火) 22:46:05
俺は数学は大学でも学ぶが、哲学は独学のみ。
391 :
1 :2006/12/20(水) 01:47:23
>>349 > だから、実際にそうだよ、と言っただけですけど…
それで、その後の文をその理由付けと思ったら違う話しだったわけですか。
ということは、”実際にそうだよ”だけが定義されてない用語はないということへの
解答ということですか。
> 大体数学自体のことを歴史の函数なんて言った人なんて知りませんが。
よくいわれるのは、「”厳密性"は歴史の関数である」と「"証明”は歴史の関数である」です。
厳密性には公理、定義の完全さへの言及があります。ここまでいえば、数学自体が歴史の
関数といっていいでしょう。だれの言葉か明記しなくとも。
> 無いものをあると強弁されても困ります。
それは今意識されてないだけのことです。歴史を振り返ってみればわかること。
> 直観主義はもともとBrouwerの個人的信条に基づいた特殊な思想だったのですが
特殊な思想は言い過ぎでしょう。ヒルベルトもおおきな影響をかんじていたのだから。
排中律はともかくとして、直観主義の主要な考え方に同意する数学者は多いとおもいます。
それに形式主義も論理主義も下火になってしまったでしょう。みな数学的直観が大事だと
思っているのでは。
> 計算機を使おうが使うまいが、人がチェックして正しいことが確認できれば
ほとんどチェックできない証明ばかりではないですか。取るに足らない、計算機を使う必要も
ない証明をべつにして。
>もし査読者が無能な数学者だったら、
だから複数の査読が必要なんです。もし査読者が有能でも、証明者と同じ党派に属していたら
これも信用できないです。
↑上の1はまちがい。わたしは1ではありません。
>>383-384 > 収束実数列の極限も実数だったね。
極限が実数であるのはあたりまえでしょう。無限小もコーシーの定義で”0(実数)を
極限にもつ”とあります。
>>390 > 俺は数学は大学でも学ぶが、哲学は独学のみ。
わたしはどちらも独学。
>>370 > 数学者の職場は有限ですが。「実無限」を認めても、有限は有限ですが。
'実無限’を扱っている数学分野が結構あるので、それがぽしゃると困るわけです。
> 認める気もありませんね。非現実的ですから。
えらい。信念の人ですね。ユークリッドの原論に公理として「部分は全体より小」という
のが出てくるのですが、’実無限’は当然この公理に反しているわけです。
だから’実無限’に関して論理的に奇妙な結果がでてくることは当然考えられます。
そのときは例によって、小手先のテクニックを駆使して当面の難局を乗り切るのが
数学のいつもの歴史です。
>>360 > それならば、議論してもしなくても、結果は同じ。
>自分の立場に変化はないから。何も進展はない。
固守できなくなったら、そこで負けです。それまで固守するということです。
徹底して守ることによって認識は深まるのです。
わたしへのレスでご返事できないのがありますが、頭が痛いのでごめんなさい。
395 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 03:07:38
>実無限’を扱っている数学分野が結構あるので、 >それがぽしゃると困るわけです 具体的に、どの分野かお教え願えますか? 私は浅学で知らないので。
396 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 03:18:27
実無限は、私の考えでは、形式的体系における形式的無限に置き換えられる。 人間が認識できる概念は、あくまで有限。 実際、実数全体の集合 R が無限であるという 性質 も、たとえば、 ( ∃f:N → R ) ( ∀x, y ∈ N ) ( f (x) = f(y) ⇒ x = y ) という一つの論理式 ( 記号の有限系列 ) で表現される。 (すでに自然数の全体 N が記号の有限系列で表現されていれば) 数学の全ては、このように、記号(図形)の有限系列で 表現できるし、じっさいに、人間は、 本質的には数学をこういう風に認識してきた。
397 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 03:31:31
>> 認める気もありませんね。非現実的ですから。 >えらい。信念の人ですね。 あなたも相当強固な信念をお持ちのようですね。
398 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 03:41:09
>固守できなくなったら、そこで負けです。それまで固守するということです。 >徹底して守ることによって認識は深まるのです。 私はそうは思わない。わたしは自分の新しい考えが正しいかどうかは、 徹底的に疑ってみて、疑う余地がなくなって初めて無矛盾 であろう、と認める。 特に、 >固守できなくなったら、そこで負けです。 という考えには、賛同できない。数学に限って言えば、 数学は勝ち負けを決める競技ではないから。 一定のルールに従って、正しいかどうかを研究する学問です。
399 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 03:42:55
>わたしへのレスでご返事できないのがありますが、 >頭が痛いのでごめんなさい。 体調がお悪いのですか?お大事にしてください。
400 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 03:48:48
>ほとんどチェックできない証明ばかりではないですか 私は数学は独学だが、全ての定理の証明をチェックしてきました。
401 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 03:53:05
>極限が実数であるのはあたりまえでしょう。
>無限小もコーシーの定義で”0(実数)を
>極限にもつ”とあります。
だから、無限小=0 です。
>>368 、
>>369 の人が指摘しているように。
恒等式
無限小=無限小
の左辺において、「無限小は極限に置き換えられる」から、
極限=無限小
いっぽう、「0を極限として持つ」から、
0=極限
したがって、
無限小=0
402 :
400 :2006/12/20(水) 04:01:53
補足 >全ての定理を は、 >自分が勉強した全ての定理を です。もちろん、ジョルダンの閉曲線定理も含みますw
403 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 08:00:20
>もし査読者が有能でも、証明者と同じ党派に属していたら >これも信用できないです。 党派って、数学界にもあるんですか?学派のこと? 査読者(レフリー)は、数学の論文では、 通常、第三者の立場の人が、割り当てられます。 まあ、何でも疑ってかかるのは自由ですが。 それよりも、自分の考えが正しいかどうか、まず自分を疑うのが 数学者のやることだと私は思います。 自分を守る・・・といえば聞こえは良いですが、 ご自分を甘やかすことのないようにしたほうが良いですね。
> 直観主義の主要な考え方に同意する数学者は多いとおもいます。 単なるあなたの思い込みです。 現在活躍中の数学者では、具体的に誰と誰が同意してるのですか? 一般的な working mathematician(≒基礎論以外の数学者)は直感主義をとっていません。
405 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 08:20:15
>直観主義の主要な考え方に同意する数学者は多いとおもいます
これは
>>404 の人が正しい。
基礎論の分野でも、昔、竹内外史が、Alfred Tarski に、
「直観主義をどう思うか」
と尋ねたところ、
「Philothophically weak and mathemathically ugly」
という答えが返ってきたそうです。
406 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 08:28:17
>固守できなくなったら、そこで負けです。それまで固守するということです 旧日本軍みたい。
407 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 08:50:43
そろそろ「無限小方式」を固守できなくなってるみたいだけど、負けたのか?
409 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 09:55:30
高校の先生に数学科に池といわれたが、 工学にいった。 今、思えば大正解だったと思う。 数学は異次元
アナザーディメンジョンという技がありました。
この人は「勝ち負け」のために数学の勉強してたのか。 数学(の一部、ガロア理論と実解析とかだっけ?)を独学したと主張しているけど、 定義や用語を思い込みだけで自分勝手に解釈しはじめたら、数学じゃなくなるよ。 彼の中には何か自分で語感?から思い込んだ、特有の「オレ様定義」を生み出して、 それに固執する傾向がある。 そして、その「オレ様定義」の反例などを挙げられると「負けた」と考えちゃうんだね。 「オレ様定義」というか、イメージを持つことは大切だけど、 適切に修正していけないのは(数学を勉強する上で)害悪でしかない。 他の人(“偉い人”が多い)の発言を引用するときも、「オレ様解釈」で都合のいいところだけ 引用してしまう傾向が強い。 タイプとしてはトンデモ系の人で、 何度説明しても(その人が証明したと主張する)証明が間違っていることを認められない人に 似ているような気がしてきた。
412 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 12:03:20
ZFC が「矛盾した」ことを「証明した」 数学者もいたしね。 数学界では誰からも相手にされていませんが。
413 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 12:12:00
>だから’実無限’に関して論理的に奇妙な結果がでてくることは当然考えられます。 >そのときは例によって、小手先のテクニックを駆使して当面の難局を乗り切るのが >数学のいつもの歴史です。 小手先のテクニックで難局を乗り切れれば、それに越したことはない。 最初から実無限を認めなければ、そんな面倒なことをしなくても良い。 私は、あくまで形式的無限で押し通すつもり。 実無限など、現実的にあり得ない。
この人にとって小手先のテクニックとは哲学的でない解決のことなんだろうよ。
パッと見て「直観的」に閃いた考えを固守することは「直感主義」と呼びません。
416 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 15:07:03
哲学の人は字面しか見てないみたいですね。
417 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 15:37:47
>時間とはなんであるか、だれも私に問わなければ私は知っている。 >しかし、たれか問うものに説明しようとすると、わたしは知らない 興味深い文章です。つまり、 「時間とは何であるのか、誰も私に尋ねなければ、 私は知っている気でいられる。 しかし、誰かから質問されて説明しようとすると、 説明できなくて、実は知らないことに気づかされる」 と言うのが正確な意味でしょう。
この人、前にも全称記号や存在記号を使っただけで「フレーゲの述語論理」だ、なんて主張してたよね。
>>419 たぶん今回も「直観主義」という名前に何やら幻想を見てしまったのだろう。
きちんと勉強せずに、語感や字面から勝手な解釈して電波をまき散らすことを「哲学」というのか。
421 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 15:50:08
>取るに足らない、計算機を使う必要も >ない証明をべつにして。 普通証明は、数学者が頭で考えたり紙に書いて行います。 計算機が使われるのは、定理の数から言って、まれですし、 使われると言っても人間が主役で機械は脇役です。 さらに、機械は証明を考える能力を持っていません。 そして、ジョルダンの曲線定理は、機械での証明検証プログラムを作るのに 10年以上かかっています。 本を読んで自分の頭で確認すれば、基礎からやっても3〜4年ですみますよ。
422 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 18:17:55
>ほとんどチェックできない証明ばかりではないですか。 >取るに足らない、計算機を使う必要もない証明をべつにして つまり、この人がチェックできる証明は、取るに足らない証明だけ。 ほとんどの難しい証明は、チェックできてない。
423 :
132人目の素数さん :2006/12/20(水) 18:40:47
>>391 によれば、
「直観主義の主要な考え方に同意する数学者は多いとおもいます。 ...
みな数学的直観が大事だと思っているのでは。 」
だからな。
まさに字面の解釈だ。
>>420 の言うようなことが哲学なのだとしたら、数学を勉強する人のメンタリティからずいぶん遠い。
理解や共感を示すのは難しい。
そういう文脈なら「哲学を理解できないものが数学や物理を勉強する」は正しいなww。
誤解のないようにいっておくと、真面目に哲学を研究している人はもっとまともな議論をするよ。 このスレで暴れているやつはまさに「哲学を理解できない馬鹿が、数学や物理に逃げ」たタイプだろう。
でも、当該者は数学や物理も理解できてないようです。
「有限の立場」も字面で解釈してる疑いが濃厚になってきた。
429 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 00:47:47
今日はまだ来てませんね。あ、一応念のため。 「形式的無限」云々は、基礎論かぶれの僕です。 哲学者ではありません。
だいたい「ガロア理論を勉強した」って言ったって、 途中からは中学生が書いたみたいな恋愛小説がメインになってたしな。
431 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 01:22:38
>>341 で紹介されているHPに言ってきたが、
このHPやってる人は、商群の定義を勘違いしている。
ルベーグ積分とリーマン積分の違いも理解していない。
何でも、プロフィールによれば医師免許を持っているらしいが、
こういうおかしなことを並べ立てる医者の診察を受けたいとは思わない。
432 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 01:23:50
433 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 01:31:26
あえてマジ批評する必要もないような…
434 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 01:41:50
>>431 そいつ病院にいるが医師ではないんじゃないかww
>>395 > 私は浅学で知らないので。
もうしわけないのですが、ご自分で勉強してください。
>>396 > 実無限は、私の考えでは、形式的体系における形式的無限に置き換えられる。
このアイディアは、自分でも考えました。
> 数学の全ては、このように、記号(図形)の有限系列で表現できるし
これは実際に実現してから言わなくてはね。そうでなければ、どうかわからないです。
>>397 どうもおほめにあずかって。
>>398 > 数学は勝ち負けを決める競技ではないから。
”数学は”といえば、そうです。しかし、議論のなかには勝ち負けの要素があるからこそ
議論のおもしろみがあるのです。ただし、勝ち負けが議論の目的でないことはいうまでもないこと。
それは、ゲームとおなじことです。
>>399 そうです。ありがとう。
>>400 チェックできる定理のみやってきたのではないですか?
>>401 > だから、無限小=0 です。
失礼ながら、まだこんなことを言われるのですか?コーシーの定義をもう一度
読み直してください。
>>403 > 通常、第三者の立場の人が、割り当てられます。
これこそ、その証拠といえるのではないですか?
>>404 > 単なるあなたの思い込みです。
こたえづらいですが、広義の直観主義といったものなら多くの数学者がそれであると
おもうのですが。
>>405 >竹内外史が、Alfred Tarski に
タルスキーは数学者とは言えないでしょう。
と言うと、数学者の定義でひともめするかな。
>>417 >説明できなくて、実は知らないことに気づかされる
わからないようですので、もっと簡単な例をだしましょう。
「数学とはなんですか」ときかれたらどうです。
説明しようとしなければ、数学についてある程度はわかっているでしょう。
でも、いざ説明しようとしたら大変だ。そういうことはたくさんあるのです。
もっともソクラテス的な無知に気づいたというならそれはそれで結構ですが。
>>421 >機械は証明を考える能力を持っていません。
またでたらめを言う。簡単な問題なら証明を機械がやっているでしょう。
なにを称して’考える’というのかの問題は残りますかね。
>機械での証明検証プログラムを作るのに10年以上かかっています。
その検証プログラムを検証するプログラムを20年くらいかけてつくってください。
さあ、お得意の「オレ様解釈」で「広義の直観主義」なんていうのを持ち出して参りましたよ!!
438 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 02:05:17
>チェックできる定理のみやってきたのではないですか チェックできたから「定理」なんです。 チェックできなければ公理として認めるか、 保留するかしかありません。 しかし、ジョルダンの曲線定理程度なら、チェックは比較的容易です。 >> 数学の全ては、このように、記号(図形)の有限系列で表現できるし >これは実際に実現してから言わなくてはね。そうでなければ、どうかわからないです。 ブルバキは、その著書「数学原論」で、曲がりなりにも実現させています。 私も自分が勉強した理論については、 それを記号の有限系列で表現する方法の構成を確認しています。 ただ、「表現する方法がある」・・・というだけで、 そのためにはべらぼうな紙と鉛筆が必要。 物理的にはほとんど不可能です。 あなたがおっしゃるのはそういう意味かもしれませんね。
四色問題の証明でコンピュータが行ったのは膨大な場合分けのしらみつぶしの部分だよ。 「考える」の定義に依存するけれど、コンピュータができるのは(Prologなんかを用いても) 形式的なパターンマッチングや分岐の追跡が限界です。 証明の方針を与えたり「発想」する部分は今のコンピュータじゃまだできません。
440 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 02:10:34
>> だから、無限小=0 です。 >失礼ながら、まだこんなことを言われるのですか?コーシーの定義をもう一度 >読み直してください。 ほんとに失礼ですね。あなたの主張から、論理的に 無限小=0を導いただけです。 それに、私の立場では、コーシーは、無限小の定義を記号の有限系列で 記述していません。言葉を並べているだけで、 定義を与えたとはいえません。 まず無限小の定義を記号の有限系列で表現する方法を 提示してください。 でなければ、私はあなたの主張を認めません。
441 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 02:17:12
>>機械は証明を考える能力を持っていません。 >またでたらめを言う 中傷は止めてください。議論をするのであれば、 相手に対する礼節も必要。 ゲーデルとタルスキーによって、次のことが示されています: 「任意に与えた論理式が形式的体系から証明可能かどうか ・・・それを判定するアルゴリズムは存在しない。 ただし、形式的体系は、自然数論の公理を含むとする。」 >タルスキーは数学者とは言えないでしょう それはあなたがそう思っているだけです。
>>436 あんたが思い描いている「直観主義」は数学の人が使う用語としての「直観主義」とは異なっている。
まずはその間違え(思い込み)を認めなさい。
また Tarski は数学者であり論理学者である。
443 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 02:21:56
>「数学とはなんですか」ときかれたらどうです だから、説明できなくて、実は、「数学とは何か」 知らないことに気付かされるのです。 私の数学の学識は、九牛の一毛をつかんだ程度。 「数学とは何か」知っているとは、人前ではとても言えません。 しかし、自分ひとりで勉強していると、「数学とは何か」 わかったような気になれるのです。
444 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 02:23:13
>>機械での証明検証プログラムを作るのに10年以上かかっています。 >その検証プログラムを検証するプログラムを20年くらいかけてつくってください。 お断りします。そんな作業に、私は価値を認めません。
445 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 02:28:05
>> 数学の全ては、このように、記号(図形)の有限系列で表現できるし >これは実際に実現してから言わなくてはね。そうでなければ、どうかわからないです。 数学を記述している記号・言葉は、すべて図形で表現されている。 例えば、「収束」という漢字も、窮極的には図形。 だから、実際に、われわれは、数学のみならず、全ての学問を 図形の有限系列で表現している。
446 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 02:30:43
>まずはその間違え(思い込み)を認めなさい 哲学電波塔には無理だと思う 自分の立場を固守する=我を張る=屁理屈をこねる だから。
447 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 02:33:56
まだ我を張っているようなので、何度でも説明する: >”この変数は'無限小’と呼ばれるものになる。この変数は0を極限として持つ。” >とあります。実はこの定義だけでなくコーシーは無限小による他の概念の定義も行って >いるのです。それでも無限小は極限におきかえられるでしょう。そういう風にコーシーの >理論はできているのですから。そのことは何度も言ってきたことです。 この主張を分析すると、「この変数は0を極限として持つ」とあるように、 極限は0つまり、 極限=0 一方、「無限小は極限に置き換えられる」とあるので、互いに置き換えられる対象の 同等性より、 極限=無限小 したがって、 無限小=0
448 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 02:34:55
0=無限小 の別証明。 恒等式 無限小=無限小 の左辺において、「無限小は極限に置き換えられる」から、 極限=無限小 いっぽう、「0を極限として持つ」から、 0=極限 したがって、 無限小=0
449 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 02:38:05
>>機械は証明を考える能力を持っていません。 >またでたらめを言う。簡単な問題なら証明を機械がやっているでしょう。 >なにを称して’考える’というのかの問題は残りますかね。 事実をいうと、機械はオリジナルの証明図を構成する能力を持っていない。
450 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 02:42:46
>>435 >>436 この人の攻撃的な文調、何とかならないか?
議論しているというより精神障害者が駄々をこねているようにしか思えないが。
451 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 04:15:07
452 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 05:27:05
>
>>395 >> 私は浅学で知らないので。
>もうしわけないのですが、ご自分で勉強してください。
つまり、哲学者も実無限が実際に扱われている数学の分野を知らないわけだ。
そりゃそうだろう、ないものは扱えないんだから。
453 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 05:32:16
>この変数は'無限小’と呼ばれるものになる この記述は、無限小の定義を与えてはいない。 「この変数」がなにかあるものになり、それを「無限小」と 呼ぶ・・・そういっているだけ。 その何かあるものの数学的定義式は与えられていない。 単に無限小という名前を付けているだけ。 したがって、「無限小」を「虫垂炎」で置き換えても一向に構わない。 無定義なんだから。
454 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 05:35:34
>ただし、勝ち負けが議論の目的でないことはいうまでもないこと。 では、あなたにとって、ここでの議論の目的はなんですか? 一番大事なことです。 議論を楽しむのが目的・・・そう言っていただいてもかまいませんよ。
455 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 05:44:40
>>435 >>チェックできる定理のみやってきたのではないですか?
もうひとつ。私が定理のチェックが容易な本を選んで学習してきたのも事実。
今は 「Elements of homotopy theory」(GTM) を読んでいる最中。
これもきれいに書いてあり、まじめにやれば定理はチェックできる。
(一部に引用されているほんとに難しい定理を除く。)
たとえば、第1・2章は、完全にチェックできた。
それだけ記述がしっかりしている。
このように、自分にあった文献を見つける作業も大事です。
定理がチェックできる=その定理が取るに足らない
・・・そう思うのはチェックできない人の僻みとしか見てもらえませんよ。
456 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 06:00:34
>広義の直観主義といったものなら多くの数学者がそれであると >おもうのですが。 それはあなたがそう思っているだけ。「広義の直観主義」なんて、 今まで聞いたこともありません。
457 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 06:04:04
>自分の立場を固守 反対者の言うことを全部「認めない」と言い張っていれば、 マトモな議論などしなくても自分の立場は固守できる。 我を張ればよいのだから。 これは哲学者の理性ではなく、感情の問題。
458 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 06:20:21
>>434 >そいつ病院にいるが医師ではないんじゃないかww
確かにその人、病院にいると思います。
神経科の入院患者として。
他人の意見に耳を貸さないで自分の主張を繰り返すだけでは とても「議論」とは言えない。
この人は、自分に数学がわからない理由を 字面からによる勝手な解釈のせいだと気がつかず、 他の理由を見つけようとして、 「哲学」というキーワードを振り回してるだけに見える。
議論するのに必要な基礎知識が、あの人にはない。 全然足りてない。 そこを自分の解釈だけで押し切ろうとしているのか、 気がついていないのかまではわからない。
462 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 15:53:20
>>1 数学は哲学じゃん(笑
物理は論理学だけどさ
463 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 16:23:54
俺も以前精神障害者と学術の議論をしたことがある。 彼は自分の誤りをまったく認めようとせず、 誤った自分の立場を、だだをこねて固守していた。 ここの哲学者とまったく同じ態度であった。
464 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 16:27:19
ここの哲学者は、新しい数学の学派を築いたな。 「字面主義」いや、「語感主義」かな? この学派には、一人しか属していないが。
広義直観主義でいいんじゃね? 直観よりも直感のほうがいいかな
「ガロア理論2週間」のスレを見ると彼(=広義直感主義派氏)がどういう態度で 理論を学ぼうとしていたのかよくわかって興味深い。 きっと「フレーゲ」も「解析」も2週間くらい、しかも後半は恋愛小説執筆で終わらせたんだろう。 # でも「直観主義」はそれすら未修だな。
0=無限小 の別証明。 恒等式 無限小=無限小 の左辺において、「無限小は極限に置き換えられる」から、 極限=無限小 いっぽう、「0を極限として持つ」から、 0=極限 したがって、 無限小=0 これはだめなんだよ・・・・
二日ぶりくらいに来たらまたまた面白い事を仰ってますねw 直観主義の主要な考え方に同意する数学者は多い? 多くないですよ。誰ですか、その数学者は。 Brouwerのtwo-onenessとか、当時でさえもほとんど誰も理解できなかったのに 同意する数学者が多いわけないじゃないですか。 >それに形式主義も論理主義も下火になってしまったでしょう。 形式主義も論理主義も下火になってしまった→今は直観主義全盛の時代になった、と。 >みな数学的直観が大事だと思っているのでは。 数学的直観が大事→つまり今の数学者は直観主義、と。 ごめん、何を言ってるのか検討もつかない。 >こたえづらいですが、広義の直観主義といったものなら多くの数学者がそれであると >おもうのですが。 広義の直観主義って何ですか? 数学的直観が大事、インスピレーションが大事だよ、みたいなお話? それがBrouwerとかHeytingとかのIntuitionismと何の関係があるのかわかりませんけど。
数学的直観主義(すうがくてきちょっかんしゅぎ)とは、数学の基礎を数学者の直観におく立場のことを指す。
このような主張は、カントールの集合論に対抗する形で、クロネッカーやポアンカレによってもなされていたが、
最も明確に表したのは、オランダのトポロジスト、ブラウワー(Luitzen Egbertus Jan Brouwer、ブローウェルとも)である。
彼は、数学的概念とは数学者の精神の産物であり、その存在はその構成によって示されるべきだという立場から、無限集合において、背理法によって、非存在の矛盾から存在を示す証明を認めなかった。
それ故、無限集合において「排中律」、
すなわち、ある命題は真であるか偽であるかのどちらかであるという推論法則を捨てるべきだと主張し、ヒルベルトとの間に有名な論争を引き起こした。
ヒルベルトの形式主義は、直接的にはブラウアの主張から排中律を守り、数学の無矛盾性を示すためのものと考えることができる。
直観主義はその内容から、数学の証明は全て構成的に為されなければならないという主張(数学的構成主義)の一つとみなされている。
ブラウアの主張は、哲学的で分かりにくかったが、その後ハイティング等によって整備され、結果的には古典論理から排中律を除いた形で形式化されたものが今日、直観主義論理として受け入れられている。
直観主義論理に基づく数学によって得られる成果は、古典論理に基づく数学に比べて制限されたものにならざるを得ない。
具体的には、ab=0 から a=0 または b=0 を直接結論することはできない。なぜなら、直観主義においては、「a=0またはb=0」が証明できるというのは、「a=0」が証明できるか、または「b=0」が証明できることを意味するからである。
また、有界な実数の部分集合は上限を持つというワイエルシュトラスの定理が証明できない。多くの数学者は、個人の精神とは独立した数学的実在を暗に認める立場から、直観主義に賛同せず、排中律の使用も妥当と感じている。
しかし、直観主義は単なる思想としてだけではなく、実際の数学において、また計算機科学においても様々な影響を与えている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6%E7%9A%84%E7%9B%B4%E8%A6%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
この程度の記述だといいように解釈して広義の直観主義にされちまいそうだな。
471 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 22:09:33
>>467 >これはだめなんだよ・・・・
だめの根拠は?
哲学者の主張から機械的に
無限小=0を導出しただけです。
だめなのは、哲学者の主張でしょ。
要するに駄目じゃん
473 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 22:12:17
>>469 > 数学的直観主義(すうがくてきちょっかんしゅぎ)とは、数学の基礎を
> 数学者の直観におく立場のことを指す。
なんだ、この出鱈目は・・・
475 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 22:16:45
>その存在はその構成によって示されるべきだという立場から、無限集合において 現実の世界で、誰が「無限集合」を構成できるのか。
476 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 22:32:17
>>467 >これはだめなんだよ・・・・
だめの根拠は?
哲学者の主張から機械的に
無限小=0を導出しただけです。
だめなのは、哲学者の主張でしょ。
いや
意味はあってるんだけど
記述の仕方みたいなの
なにかのテストとか模試とか入試とかでそれを書いたら×になる
478 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 22:51:03
哲学やってる奴は、繰り込み理論くらいマスターしてから来いよw
479 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 22:56:42
>>477 ご指摘ありがとうございます。
しかし、哲学者相手に、いまさら数学的に厳密な記述のルールを守っても
意味ないと思います。
哲学者は数学のルールを完全に無視しているので。
さすがに、論文にあんなことは書きません。
480 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 23:00:48
481 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 23:02:36
無限小=0であることの証明 <証明> 無限小とは、コーシーの定義より0に限りなく近づいていく値である f(x)=1/xはxの値が増えるごとに0に近づいていく x→∞のとき、1/xの値は限りなく0に近くなるので lim[x→∞](1/x)=0 よってx→∞のとき、すなわち1/xが無限小となるときの極限値は0である したがって、無限小=0である <証明終わり>
オイラーの定義より無限小=0である
484 :
132人目の素数さん :2006/12/21(木) 23:41:35
ではこちらもユークリッドの「原論」風に >”この変数は'無限小’と呼ばれるものになる。この変数は0を極限として持つ。” >とあります。実はこの定義だけでなくコーシーは無限小による他の概念の定義も行って >いるのです。それでも無限小は極限におきかえられるでしょう。そういう風にコーシーの >理論はできているのですから。そのことは何度も言ってきたことです。 この主張を分析すると、「この変数は0を極限として持つ」とあるように、 極限は0である。 一方、「無限小は極限に置き換えられる」とあるので、互いに置き換えられる対象の 同等性より、 「無限小」と「極限」は同じ概念である。 (同じでなければ置き換えはできない) しかるに、極限は0であった。 したがって、無限小は0である。 証明終わり
485 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 00:00:13
>この変数は'無限小’と呼ばれるものになる なんで「無限小」と呼ばなければならないんだ? 「口内炎」と呼んだっていいじゃないか!
>>485 ユークリッドさんやコーシーさんやオイラーさんやライさんみたいな哲学者か数学者かわからないような人たちが
そう名付けたから
別に貴方は口内炎と読んでも構わないですよ
487 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 00:55:35
488 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 01:00:38
>哲学者か数学者かわからないような人たちが わかってないのはあなただけ
>>437 >お得意の「オレ様解釈」
自信をもって自分流の解釈をするべしです。
>>438 > チェックできたから「定理」なんです。
400でこう言われた。” 私は数学は独学だが、全ての定理の証明をチェックしてきました。”
言っていることが奇妙だとおもいませんか?
> 物理的にはほとんど不可能です。
>あなたがおっしゃるのはそういう意味かもしれませんね。
それだけではありませんが、現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです。
>>439 > 証明の方針を与えたり「発想」する部分は今のコンピュータじゃまだできません。
体系が単純で簡単な証明なら総当り式でできるでしょう。
>>440 >あなたの主張から、論理的に無限小=0を導いただけです。
>私の立場では、コーシーは、無限小の定義を記号の有限系列で記述していません。
”あなたの主張から”と言われますが、わたしの主張は、記号の有限系列で表現されていましたか?
>>441 >任意に与えた論理式が形式的体系から証明可能かどうか
> ・・・それを判定するアルゴリズムは存在しない。(ry
この理屈は人間にも当てはまりますね。人間はそれでも証明をする。機械にもおなじこと
はいえるでしょう。機械での証明といっても別に任意に与えた論理式を証明しなくては
ならないわけではないのですから。
> それはあなたがそう思っているだけです。
数学者のおおくは、そう思っていると思いますよ。数学とはどうあるべきか、わかっている
ひとならね。
あなたが直観主義について、タルスキーの言葉を出していましたね。あの言葉はそっくり
タルスキーにお返しできるとおもうのですが。
>>442 ¬442
>>443 > だから、説明できなくて、実は、「数学とは何か」
もういいです。これ以上はどうともいえません。意思の疎通がつかないこともこの世には
あるのでしょう。
>>444 > お断りします。そんな作業に、私は価値を認めません。
10年もかけてつくったプログラムなど信用するのがおかしい。300年かけてバグとりしてください。
>>445 >数学のみならず、全ての学問を図形の有限系列で表現している。
で、なにをいいたいわけですか?すべての数学の形式化とは関係ない話しでしょう。
>>446-447 、そのほかのひと
>無限小は極限に置き換えられる
またそういう曲解をする。もっとまえのほうで、そのことはきちんと説明したでしょう。
無限小をつかった議論は、極限を使った議論におきかえられるという意味を説明しました。
>>449 > 事実をいうと、機械はオリジナルの証明図を構成する能力を持っていない。
詳しく。
>>452 わたしは哲学者ではありません。そのことは何度も言いました。哲学の専門家の能力の1/1000
以下の人間です。
>>453 > この記述は、無限小の定義を与えてはいない。
別にコーシーの権威を借りるわけではないですが、解析学の巨人の定義を否定なさって
いるのですよ。
>>454 > では、あなたにとって、ここでの議論の目的はなんですか?
なんども言っていることですので、くりかえしません。
>>455 > ・・・そう思うのはチェックできない人の僻みとしか見てもらえませんよ。
はいはいわかりました。
>>456 > それはあなたがそう思っているだけ。「広義の直観主義」なんて、
>今まで聞いたこともありません。
文脈をたどれば、わたしの主張はご理解いただけると思います。
>>457 > 反対者の言うことを全部「認めない」と言い張っていれば
これでは議論以前。わたしは議論を前提として語ったのです。
>>462 > 数学は哲学じゃん(笑
わたしは1ではないですが、ものごとの本質をとらえたいとき、そういう考え方は危険です。
それを承知のうえでするのなら良いのですが。
>>466-468 直観主義について思うところを書きたいのですが、長くなるので控えているのです。
そんなにひまではないのです。
>>482 ー484
つ446へのレス参照
>>485 > 「口内炎」と呼んだっていいじゃないか!
みながみな形式主義者ではないのです。
>>489 チェックできない(けど正しいとされている)定理って例えば何ですか?
一つだけでいいので挙げてください。
>> 証明の方針を与えたり「発想」する部分は今のコンピュータじゃまだできません。
>体系が単純で簡単な証明なら総当り式でできるでしょう。
原理的には証明のGoedel numberが小さいほうから虱潰しに調べていけばいいので
可能ですね。でもそれは原理的に出来るというだけで、物理的には不可能です。
現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです。
>あの言葉はそっくりタルスキーにお返しできるとおもうのですが。
Tarskiのどういう業績について言っているのですか?
私はあまり詳しくないので教えてくださいな。
>> それはあなたがそう思っているだけ。「広義の直観主義」なんて、
>>今まで聞いたこともありません。
>文脈をたどれば、わたしの主張はご理解いただけると思います。
理解できませんけど。
直観主義って何かお分かりですか?
直観主義を擁護する文脈で、形式主義と論理主義は下火になったとか、
(直観主義はそうじゃない、というつもりなのかな?)、
或いはみんな数学的直観が大事だとか
「直観」という単語しか共通点の無いレスをしたりで全く理解できませんが。
493 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 03:25:36
病人のリハビリに付き合うのは数学者の仕事じゃないと思うよ 無理するな
>>489 > > 証明の方針を与えたり「発想」する部分は今のコンピュータじゃまだできません。
> 体系が単純で簡単な証明なら総当り式でできるでしょう。
「これを証明するには総当たりでいける」と読むところができないのです。
「直観主義」について知識がないのに、 直観主義を振りかざして、引込みがつかなくなったから、 > 数学者のおおくは、そう思っていると思いますよ。 なんていう「味方になってくれるサイエントマジョリティ」を持ち出してきたな。 じゃあ、具体的に誰が、あなたの言う「広義直観主義」の立場を取っているのでしょう。 具体的な論拠つきでお願いします。 「あなたが思ってるように(多くの誰かが)思ってるだろう」とあなたが思ってる、というのは (「哲学」ではいざ知らず)全く説得力がありません。
496 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 04:31:10
>体系が単純で簡単な証明なら総当り式でできるでしょう。 できると言うのであれば、実際にアルゴリズムを作って実証すべき。 できないことは論理的に示されている。 >> お断りします。そんな作業に、私は価値を認めません。 >10年もかけてつくったプログラムなど信用するのがおかしい。 私はそのプログラムを信用していない。だから、「価値を認めない」 と言っているのだ。 >300年かけてバグとりしてください こんな無理難題が実現可能と思いますか? 現実を見てください。
497 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 04:33:40
まだ駄々をこねているようなので、何度でも説明する。 無限小=0の証明 >”この変数は'無限小’と呼ばれるものになる。この変数は0を極限として持つ。” >とあります。実はこの定義だけでなくコーシーは無限小による他の概念の定義も行って >いるのです。それでも無限小は極限におきかえられるでしょう。そういう風にコーシーの >理論はできているのですから。そのことは何度も言ってきたことです。 この主張を分析すると、「この変数は0を極限として持つ」とあるように、 極限は0である。 一方、「無限小は極限に置き換えられる(哲学者の主張)」 とあるので、互いに置き換えられる対象の 同等性より、 「無限小」と「極限」は同じ概念である。 (同じでなければ置き換えはできない) しかるに、極限は0であった。 したがって、無限小は0である。 証明終わり
498 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 04:37:56
>> この記述は、無限小の定義を与えてはいない。 >別にコーシーの権威を借りるわけではないですが、 >解析学の巨人の定義を否定なさっているのですよ。 コーシーの記述が、あなたの言うような無限小の定義を与えていると 言うのであれば、私はそれを堂々と否定する。 私には文系の学問や医学のような権威主義は通用しない。
499 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 04:48:30
>無限小をつかった議論は、 >極限を使った議論におきかえられる 超準解析と ε-δ の対応付けをご存知であれば何も言わないが、 あなたにはそういった学識が決定的に不足している。 それを認めても、恥にはなりませんよ。 >>あなたの主張から、論理的に無限小=0を導いただけです。 >>私の立場では、コーシーは、無限小の定義を記号の有限系列で記述していません。 >”あなたの主張から”と言われますが、わたしの主張は、 >記号の有限系列で表現されていましたか? あなたの主張は、記号の有限系列で表現されていない。 そういう意味で、厳格な定式化はされていない。 しかし、論理には形式論と意味論があり、 意味論的に、あなたの主張が「無限小=0」を導出することを示した。 もしご不満があれば、あなたはご自分の論理体系を 記号の有限系列で表現する方法を我々に提示するべき。 それができなければ、形式論ではあなたの主張を論じられない。 このことは、あなたの主張が正しいこと・または間違っていることを を意味しない。 単に判定できない、と言っているだけ。
500 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 04:57:37
>。” 私は数学は独学だが、全ての定理の証明をチェックしてきました。” >言っていることが奇妙だとおもいませんか? 奇妙ではない。「自分が勉強した」定理と、あとで断っている。 数学の定理の全てではない。 それに、普通はチェックできない論理式を自分の中で定理とは認めない。 >現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです 数学の理論の形式化・論理体系の記号の有限系列での表現は、 実質的には可能。ブルバキの著書での集合論がその典型的な例。 記号や言葉で表現されていなければ、我々はその論理体系を認識できない。
501 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 05:09:35
>>数学のみならず、全ての学問を図形の有限系列で表現している。 >で、なにをいいたいわけですか? 数学のみならず、全ての学問を図形の有限系列で表現している。 >すべての数学の形式化とは関係ない話しでしょう。 あなたの理論も形式化とは無縁だね。 解釈だけで押し通すと言うのは、論理の意味論だけで論ずると言うこと。 その意味論的に、すでに「無限小=0」が示されている。
502 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 05:40:52
>>無限小は極限に置き換えられる >またそういう曲解をする。 「無限小は極限に置き換えられる」・・・こう書いたのはあなたです。 「曲解」されてもあなたの責任です。 それに「無限小」と「極限」は、 同じ概念でなければ置き換えられません。
503 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 06:31:11
>300年かけてバグとりしてください 何の権利があって、こんなこと要求してるんですか?
504 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 06:35:51
>現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです 私は現実的に「不可能」とまでは断定していない。 「ほとんど不可能」と言っている。これは「不可能」を意味しない。 実際に、自分の勉強した理論で、 記号の有限系列で表現したもののノートを持っているものもある。
505 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 06:40:47
コーシーは、無限小への定義を、形式論・意味論、 どちらの立場でも与えていない。 一方で、極限の定義は与えている。 したがって、「無限小」と「極限」は同等の概念ではない。 一方は定義を与えられず、もう一方は与えられているから。 したがって、「無限小」と「極限」の議論を互いに置き換えるのは不可能。
506 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 07:09:29
>もっとまえのほうで、そのことはきちんと説明したでしょう。 >無限小をつかった議論は、極限を使った議論におきかえられるという意味を説明しました。 何番目のレスに説明があるのか?どこにもなかったが。 >> では、あなたにとって、ここでの議論の目的はなんですか? >なんども言っていることですので、くりかえしません。 何番目のレスですか? このスレのどこにも議論の目的は記述されていませんが。
507 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 07:20:52
>チェックできない(けど正しいとされている)定理って例えば何ですか? >一つだけでいいので挙げてください。 どうせ哲学者は知らないだろうね。ないんだから。
広義直観主義派の哲学者になるには「知らない」とか「わからない」と言ってはいけないようだ。 また、誤ちや知ったかぶりに気がついても、絶対にそれを認めてはいけない。「負け」になるから。 なんか、厨房の自称議論と同じだな。
509 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 07:36:17
「過ちを改むるに憚ることなかれ」 孔子だったか孟子だったかの言葉。哲学者も参考にしては? 「知るは一時の恥。知らぬは一生の恥」 と言うことわざもありますね。
510 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 07:38:44
間違いを認めること、知らないことを認めること ・・・これは別に議論をしていても「負け」を意味しない。 事実を事実として認められない人間こそ負け組。
511 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 07:44:20
>広義直観主義派の哲学者 俺には「電波主義派の哲学者」としか思えない。
まあ自分の思い込みだけで突っ走って、 「多くの人も(自分と)同じ意見だと思います」なんて言い出すのは 対人関係において発達障害の怖れがある。 どうせ今回も「多くの数学者が認めるところです」みたいな言い方で逃げるんだろ。 具体的な論拠もなしに。
電波主義哲学者の勉強方法(2週間で勉強すると豪語して、途中から恋愛小説になったアレ)が 載っているスレが1000まで行きました。興味のある方はスレを保存しておきましょう。 どういう方法で「勉強したことにしてしまう」かのプロセスが如実にわかって楽しめます。
514 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 07:52:50
>>512 2chan の利用規約みたいなところにも、
具体的な根拠ナシに「多くの人が(誰もがだったかな?)こう思っている」
みたいな人は、頭の不自由な人だから放って置いてください
・・・という意味のことが書かれていた。
我々で相手にするから、余計に付け上がるのかもしれませんね。
ガロア理論にしたって、あれはガロア理論の入門部分を何とか読みきりました、というレベルだろ。 どこまで理解してるかはあやしいけど。 でもあの程度で、他のコミュニティでは「ガロア理論というのはだね・・・」みたいに語り出しそうだ。
516 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 09:50:14
ガロア理論のスレを見てきた。なるほど。 このスレの哲学者=文kei だったのか。
517 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 09:52:52
文kei さん、絵美ちゃんは元気ですか?
この人の「直観主義」が一般的な数学関係者の意味するものと異なっているように、 この人にとっての「議論」も一般的な用法とは違う。 彼にとって「議論」とは、自分の解釈を根拠なしに叫んで他人に押しつけ、 最終的に相手が黙ったら(見放される場合も多いのだろう) それを「自分の勝ち」と判定するもののこと。
っていうかコーシーはただ「0に限りなく近い値をとる変化量」のことを「無限小」として定義しただけなんじゃ? そんな「極限」とかを使わずに簡潔に定義しただけで・・・
0に限りなく近い値 = 0
>> 証明の方針を与えたり「発想」する部分は今のコンピュータじゃまだできません。 >体系が単純で簡単な証明なら総当り式でできるでしょう。 2変数以上の述語記号を持つ述語論理の体系では不可能。 1変数以上の述語記号と2変数以上の関数記号を持つ述語論理の体系でも不可能。 述語記号・関数記号が全て1変数の述語論理の体系であれば、可能。 最後の場合は、任意に与えられた論理式がその体系で証明可能かどうか を判定するアルゴリズムを作れる。 文献:前原昭二著「数理論理学-数学的理論の論理的構造-」培風館
522 :
521 :2006/12/22(金) 14:16:30
>体系が単純で簡単な証明なら総当り式でできるでしょう。 総当り式は、物理的に不可能。
無限小=0の証明 無限小(0に限りなく近い値0.000…)≠0と仮定する これからなんらかの矛盾が出てきた場合無限小=0になる
>>523 0 に限りなく近い値 0.000・・・は、10進少数展開で、
整数部分=0.各少数第 n 位が0だから、0に等しい。
このことは、各項が0に等しい級数が0に収束することからわかる。
したがって、無限小=0.
>> それはあなたがそう思っているだけ。「広義の直観主義」なんて、 >>今まで聞いたこともありません。 >文脈をたどれば、わたしの主張はご理解いただけると思います。 はあ?文脈をたどっても、あなたの主張などサッパリ理解できませんが? 「広義の直観主義」なんて、あなたが勝手に作った用語でしょう。
>人間はそれでも証明をする。 >機械にもおなじことはいえるでしょう。 言えません。具体的に、どんな機械がオリジナルの証明図を 構成できますか?
>自信をもって自分流の解釈をするべしです。 あなたにしか通用しない解釈です。誰も共感しません。
コーシーは無限小と同じように無限大にも言及している。 いかなる数を与えられてもそれを上回るように増大していく変数は極限が無限大になるといい∞で表す、と。 ∞は慣用上は数式の中に現れるが、特定の値があるのではなくこのような発散の状態を表しているだけ。 「無限小と呼ばれるもの」も同じことで、無限小という値があるのではなく0に収束していく状態と考えるべき。
>無限小という値があるのではなく0に収束していく状態と考えるべき。 つまり、以前にも指摘してくれた人がいるように、 「無限小」とは、0に収束する数列のような、数の系列と捉えられるのでは? ここの哲学者はこの解釈を「曲解そのもの」と主張していたが。
>現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです こういう理屈が通るなら、次の推論も正当化される: 無限小の物理量をもつ物体は存在しない。 無限小が現実的に存在しないということは、 事実として無限小が存在しないことである。
>>529 どの道、無限小そのものには定義を与えていない。
だから解釈をめぐって、対立が生まれる。
532 :
132人目の素数さん :2006/12/22(金) 18:09:52
> 反対者の言うことを全部「認めない」と言い張っていれば ここの 文kei さんの態度がまさしくそれ。 >これでは議論以前 この言葉、そっくりあなたにお返しします。
>固守することによって、認識が深くなる 「病気が深くなる」の間違いだと思う
どんな論理体系でも、その論理体系を記述する 記号・公理・推論規則 を図形の有限系列で与えることにより、表現できる。 例えば、集合論 ZFC 、自然数論など。 記号の有限系列で現実に表現可能と言うことは、 事実として表現可能と言うことである。 (ただし、それらの論理体系から導出される定理やその証明図 については、その表現のために超記号なるものが必要)
391で良く知りもせずに >排中律はともかくとして、直観主義の主要な考え方に同意する数学者は多いとおもいます。 とか適当な事を言っちゃうのが間違い。
ここの哲学者は自分の立場を固守するとかいってるけどちっとも固守できてないように見えるんだが。 間違いを認めずにただひたすらいい加減なこといって話題をそらしてるだけ。
538 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 00:12:18
無限小の非存在証明 >現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです 無限小の物理量をもつ物体は存在しない。 無限小が現実的に存在不可能ということは、 事実として無限小が存在不可能ことである。
539 :
538 :2006/12/23(土) 00:15:40
無限小の非存在証明
>>538 でタイプミスがあったのでもう一度:
>現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです
無限小の物理量をもつ物体は存在しない。
無限小が現実的に存在不可能ということは、
事実として無限小が存在不可能ということである。
>>536 固守することによって、余計病気が深くなってるな。
いや超準解析使えば無限小はきちんと構成できるから存在すると言える訳で。 ただR*はArchimedesでも完備でも無い順序体だと言うだけで。
543 :
541 :2006/12/23(土) 00:41:59
>>542 ご指摘どうもありがとうです。
あくまで 文kei 君の主張を根拠に「無限小の非存在」
を導いただけで、我々常識人の数学とは関係ありません。
あくまで 文kei 君の数学です。
>>492 > チェックできない(けど正しいとされている)定理って例えば何ですか?
わたしの発言ではありません。
>でもそれは原理的に出来るというだけで、物理的には不可能です。
体系が単純でと言っているでしょう。
> 私はあまり詳しくないので教えてくださいな。
ご専門のくせに。
> 直観主義って何かお分かりですか?
495へのレスを参照して。
>>494 > 「これを証明するには総当たりでいける」と読むところができないのです。
体系が単純なら、読む必要もないでしょう。
>>495 > 「直観主義」について知識がないのに、
このスレには、’直観主義'と’数学的直観’が関係ないと思っているトンデモの人も
いますが、すくなくともブラウアーの言葉を読んで理解しています。
ただし、ここでくどくど説明する気がないだけ。
>>496 > できないことは論理的に示されている。
なにを言っているのですか?ゲーデル・タルスキーの定理とかの話しですが、ここでは
関係ない話しでしょう。
>「価値を認めない」
この話しは初耳です。意見を述べるときにははっきり述べてください。
>>497 昨日のレスを読んでないようですね。
ちなみにオイラーはそうおもっていたようですよ。
読み直してみたら483もそう言ってますね。ただしコーシーとは違う。
>>498 > 私には文系の学問や医学のような権威主義は通用しない。
堂々たるものですな。
>>492 > チェックできない(けど正しいとされている)定理って例えば何ですか?
わたしの発言ではありません。
>でもそれは原理的に出来るというだけで、物理的には不可能です。
体系が単純でと言っているでしょう。
> 私はあまり詳しくないので教えてくださいな。
ご専門のくせに。
> 直観主義って何かお分かりですか?
495へのレスを参照して。
>>494 > 「これを証明するには総当たりでいける」と読むところができないのです。
体系が単純なら、読む必要もないでしょう。
>>495 > 「直観主義」について知識がないのに、
このスレには、’直観主義'と’数学的直観’が関係ないと思っているトンデモの人も
いますが、すくなくともブラウアーの言葉を読んで理解しています。
ただし、ここでくどくど説明する気がないだけ。
>>496 > できないことは論理的に示されている。
なにを言っているのですか?ゲーデル・タルスキーの定理とかの話しですが、ここでは
関係ない話しでしょう。
>「価値を認めない」
この話しは初耳です。意見を述べるときにははっきり述べてください。
>>497 昨日のレスを読んでないようですね。
ちなみにオイラーはそうおもっていたようですよ。
読み直してみたら483もそう言ってますね。ただしコーシーとは違う。
>>498 > 私には文系の学問や医学のような権威主義は通用しない。
堂々たるものですな。
>>499 > 意味論的に、あなたの主張が「無限小=0」を導出することを示した。
それなら、意味論的にコーシーの主張を解釈してください。
>>500 > 奇妙ではない。「自分が勉強した」定理と、あとで断っている。
あなたの主張を短くまとめると
「チェックできるものが定理である。定理はすべてチェックした」
となります。
> 数学の理論の形式化・論理体系の記号の有限系列での表現は、実質的には可能。
論点が変わっています。
>>501 > その意味論的に、すでに「無限小=0」が示されている。
これも昨日のレスをきちんとよんでいないからこういう結論になる。というか、もっと前に
きちんと書いておいたことを誰も読んでいない。
>>502 > 「無限小は極限に置き換えられる」・・・こう書いたのはあなたです。
その前に、ちゃんと説明しておきました。それを読んでないほうが悪いです。
> 同じ概念でなければ置き換えられません。
昨日書いたでしょ。置き換えられるのは"議論”の方です。
>>503 > 何の権利があって、こんなこと要求してるんですか?
皮肉です。(そのくらいわかってね)
>>504 > 実際に、自分の勉強した理論で、記号の有限系列で表現したもののノートを持っているもの...
小さな理論なら可能でも、それが大きな体系で可能とはならないのです。
>>505 > 一方は定義を与えられず、もう一方は与えられているから。
ちゃんと定義はあたえられているでしょ。もう疲れた。
>>506 > 何番目のレスに説明があるのか?どこにもなかったが。
よくさがして。
> このスレのどこにも議論の目的は記述されていませんが。
’認識を深めること’といっています。(これはサービス)
>>507 だれの発言?
>>508-512 495へのレスを参照して。
>>518-519 華麗にスルー
>>521 >任意に与えられた論理式がその体系で証明可能かどうかを判定するアルゴリズムを作れる。
はいはい。まず任意に与えられた論理式を証明しようというのがだいそれた望み。つぎに
アルゴリズムをつくらなくとも解ける場合がある。ヒューリスティックなやり方でね。
人間はヒューリスティックに解いていると想定されているでしょ。
>物理的に不可能
現実に実例がいくらもあります。ただし小さな体系ですけどね。
>>535 495へのレス参照。
>>526 > 言えません。
ヒューリスティックな方法をとることもできます。もちろん任意の論理式を証明はできませんが。
それは人間もおなじこと。
>>539 > 無限小の非存在証明
そう考える人もいます。ですから、過去の数学者は何とか無限小という言葉を解析学から
消したかった。それで極限概念に移り、さらにεーδを使って極限概念さえ見えずらいように
したのです。しかし、解析学の宿命として無限小を消すことはできないのです。
ただし、そのことの証明はここではしませんが。
用事があるのでレスはここまでです。ごめんちゃい。
それとネットがおかしくなってきて接続しがたくなってきました。このスレにこられなくなったら
それでこられなくなったとおもってください。議論から逃げたと思わないでください。
チェックの話
>>435 の
>チェックできる定理のみやってきたのではないですか?
とか
>>391 の
>ほとんどチェックできない証明ばかりではないですか。取るに足らない、計算機を使う必要も
>ない証明をべつにして。
を読んでも「チェックできない」定理或いは証明があると仰ってるように読めますよ。
というか計算機を使う必要がない証明は取るに足りないとか
書いてある意図が全然わかりませんけどね(そういう定理のほうが大多数だと思います)
「体系が単純で」ってどういうことですか?
Peano算術は虱潰しで下から証明を探していくには複雑すぎる体系ですけど、
もっと単純な自然数も扱えないような体系の事言ってるんですか?
そんな数学を研究してる人居ませんよ?
>あなたの主張を短くまとめると
>「チェックできるものが定理である。定理はすべてチェックした」
>となります。
これが何か変ですか?何も変じゃないと思うけど。
Tarskiの話
私は別にTarskiの研究とかモデル論とかが専門なわけでも何でもないですよ。
Tarskiの数学上の業績と言っても色々あるだろうから、
その何がphilosophically weakで何がmathematically uglyなのかな、と思って聞いてみたわけですけど。
数学的直観
普通、数学者が単に「数学的直観」と言っただけでは、
直観主義みたいに、超越的な概念の使用は差し控えるべきとか
排中律は人間の認識を超えているから使用するべきではないとかそういう含意は全くありません。
IntuitionというのはBrouwerが作った造語でも何でも無いですから。
Brouwerが直観がどうのこうのと言ったのかもしれませんが、彼が独自な意味で使ってるだけです。
他の数学者が同じ意味で使ってるとは限りません。
広義の直観主義の話 直観主義って大雑把に言って普通のHilbertが言うような数学よりも 手法なり推論法則なりを制限すべきだという主張ですよね。 「広義の直観主義」とやらでは何を制限すべきだと言うんですか? 以前のレスにもこういうことは全然書かれてないですよね? Cauchyの無限小の話 >それなら、意味論的にコーシーの主張を解釈してください。 >ちゃんと定義はあたえられているでしょ。もう疲れた。 意味論的に言えばCauchyの無限小は0に収束する無限小以外の何ものでもありません。 あなたのレスを信用するならCauchyもそう定義しているみたいです。 それをCauchyの無限小は数列とは違うんだとか無茶を言ってるのはあなたですよ。 >小さな理論なら可能でも、それが大きな体系で可能とはならないのです。 可能とはならない大きな体系というのは例えば何ですか? 今の数学者が研究している数学の中にそういう「体系」が具体的にあるから こういうことを仰っているんですよね? これも一つだけでいいので例を挙げてください。 >現実に実例がいくらもあります。ただし小さな体系ですけどね。 「定理の自動証明」とかでぐぐって見つけたんですか? そういうHP読んだなら全然実用化はされてないとかそういうことも書いてあったはずだけど。 >しかし、解析学の宿命として無限小を消すことはできないのです。 >ただし、そのことの証明はここではしませんが。 解析学者はdxを無限小と解釈せねばならない、これは宿命であると。 それはただのあなたの個人的意見じゃないんですか? こういうことを言っている解析学者は私は見たことも聞いたことも無いですよ?
ああ、「大きな体系で可能とはならない」ってのは 物理的に(というか人間の労力的に)不可能ということかな? それでも原理的に出来そうなら良いじゃねえかと考えるのが数学者の発想だけど。 大体大きな体系では可能とはならないというのが反論になるのなら 定理の機械証明だって同じじゃないか、という話なんだけど。 人間は高々非常に複雑なコンピューターに過ぎないかもしれないわけで、 機械と人間に何か違うところがあるのかと言えば明確にNoとは言えないわけなんだけど このスレでの話はそういうことではなくて、アルゴリズムがあるかどうかという話だと思いますよ。
552 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 05:12:11
>しかし、解析学の宿命として無限小を消すことはできないのです。 >ただし、そのことの証明はここではしませんが。 証明はできないんだろ?あなたの能力では。 >> 意味論的に、あなたの主張が「無限小=0」を導出することを示した。 >それなら、意味論的にコーシーの主張を解釈してください。 意味論的に、哲学者の主張を解釈したまで。そこから「無限小=0」が出てくる。 コーシーの無限小に関する主張の意味論的解釈は、以前に述べている。 それを読んでいないあなたが悪い。 >> このスレのどこにも議論の目的は記述されていませんが。 >’認識を深めること’といっています 深くなっているのはあなたの病気でしょう。 >> できないことは論理的に示されている。 >なにを言っているのですか?ゲーデル・タルスキーの定理とかの話しですが、ここでは >関係ない話しでしょう。 関係ある。あなたが認識できていないだけ。 >>「価値を認めない」 >この話しは初耳です。意見を述べるときにははっきり述べてください すでに述べている。レスをよく読まなかったあなたが悪い。
553 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 05:19:53
>> 実際に、自分の勉強した理論で、記号の有限系列で表現したもののノートを持っているもの... >小さな理論なら可能でも、それが大きな体系で可能とはならないのです。 小さな理論ではなく、ZFCのモデルが作れるような大きな理論だ。 この理論は記号の有限系列で表現できる。 現実にできるということは、事実としてできるということである。 >置き換えられるのは"議論”の方です 「無限小は極限でおきかえられる」こう述べて失敗したのはあなただ。 それはいまさら言い逃れできない。 >> 私には文系の学問や医学のような権威主義は通用しない。 >堂々たるものですな。 お褒めに預かり恐縮です。
554 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 05:23:51
まだ駄々をこねているようなので、何度でも説明する。 無限小の非存在証明 >現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです という 文kei 君の主張より、次の推論が成立する: 無限小の物理量をもつ物体は存在しない。 無限小が現実的に存在しないということは、 事実として無限小が存在しないということである。
555 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 05:28:25
もういっちょ! 無限小の非存在証明 >現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです という 絵美ちゃんの彼氏 の主張より、次の推論が成立する: 無限小の物理量をもつ物体は存在しない。 無限小が現実的に存在しないということは、 事実として無限小が存在しないということである。
556 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 05:34:39
こちらもCauchyの無限小の話 コーシーは、無限小の概念に厳密な定義を与えていない。 だから、その解釈が問題となる。 哲学者は実質的に「超準解析における無限小」と同等のものを 「何となく」想像しているようだが、 コーシーの時代では、0に収束する数の系列と解釈するのが妥当である。 これは ε-δ と直接結びつくから。
557 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 05:38:56
>「チェックできるものが定理である。(自分の勉強した)定理はすべてチェックした」 事実です。こういう能力のある人を認められないのですか? 数学者なら、当たり前ですよ。
558 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 05:42:14
>解析学の宿命として無限小を消すことはできないのです これは事実でない。それを私は論理的に確認している。
559 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 06:00:38
>まず任意に与えられた論理式を証明しよう このもくろみ自体は、矛盾する論理体系でなければ不可能。 文kei 君は、「証明可能かどうかの判定」の意味を認識していない。
560 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 07:46:36
論理的な立場では、コーシーは無限小の厳格な定義を与えていない。 哲学者の主張は、哲学者自身にしか通用しない。 他の数学者の誰も哲学者には同意しないし、 他の数学者の誰とも哲学者は価値観を共有できない。 これは事実である。
561 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 07:48:47
>現実に実例がいくらもあります。ただし小さな体系ですけどね。 哲学者には実例など挙げられない。 ないんだから。
562 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 07:50:21
>このスレには、’直観主義'と’数学的直観’が関係ないと思っているトンデモの人も >いますが、すくなくともブラウアーの言葉を読んで理解しています。 哲学者は理解などしていない。妄想に浸っているだけ。
563 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 07:58:56
>>301 に、ここの哲学者へのおあつらえ向きのコメントがあった。
>議論で使われる用語の定義を明確にせずに
>ただ言葉だけ並べて相手を煙に巻こうとするのは哲学者の
>背信的悪意そのもの。
事実まったくそのとおりだ。
564 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 08:01:38
私は解析学の勉強から、完全に「無限小」を 追放することに成功している。 こういう数学者はいくらでもいる。
565 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 13:15:33
コーシーによる無限小の「定義」など、 この世に存在しない。
566 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 13:33:51
根拠も示さず、口先だけで「無限小」の存在を いくら唱えても、誰も納得しない。
567 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 13:37:09
無限小の非存在証明 >現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです という 哲学者の主張より、次の推論が成立する: 無限小の物理量をもつ物体は存在しない。 無限小が現実的に存在不可能ということは、 事実として無限小が存在不可能ということである。
568 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 14:28:22
>ヒューリスティックな方法 Wikipedia によると、 「必ず正しい答えが導けるわけではないが、 ある程度のレベルで正解に近い解を得ることが出来る方法」 である。 仮に、証明可能か不可能化を判定する ヒューリスティックな方法が存在したとして、 正解に近い解が出たとする。 では、その解と正解の近さはどのようにして測定するのか? その測定方法が述べられない限り、 「ヒューリスティック」などというのは無意味である。 第一、証明可能か不可能化の判定に 必ずしも正解の出るとは限らない方法を用いるのは、 論理学的に間違っている。古典論理の立場では、論理式は 証明可能か不可能かのどちらかしかないのだから。 正解に近くて正解でないなどという中途半端な解はありえない。
ヒューリスティックってwikipediaに載ってる様な意味で使ってことないんだけど、 漏れ間違ってたのかなあ? 適用範囲の狭い人間くさい探索法をヒューリスティックっていわないか?
日本語版のWikiはジョークブックとして読め
571 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 15:16:14
>ヒューリスティック Wikipedia の意味でないなら、私の勘違い。 >人間くさい探索法 何のことだかわからない。厳格な記述をのぞむ。
572 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 15:17:40
573 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 15:21:44
574 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 15:25:38
証明可能・不可能の判定アルゴリズムと ヒューリスティックに、なんの関係があるのか?
575 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 15:44:32
はぁ? ヒューリスティックというのは解を探索する「手段」に関する一つの分類。 「近似解」なんて意味はない。 > Wikipedia によると、 > 「必ず正しい答えが導けるわけではないが、 > ある程度のレベルで正解に近い解を得ることが出来る方法」 > である。
>>576 > 「近似解」なんて意味はない。
その通りなんだけど、それは
>>568 独自の誤謬。
Wikiにはそんな出鱈目は書いてない。
578 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 16:05:06
579 :
569 :2006/12/23(土) 16:06:44
漏れは上で証明がどうとかいってるやつじゃなくて、wikipediaの記述が気になっただけだ。
英語版だと
http://en.wikipedia.org/wiki/Heuristic_%28computer_science%29 にちゃんと書いてある。
「最初に δ=εを試して、うまくいきゃおっけー
だめならδ=ε/2とかε^2を試して、うまくいきゃおっけー
それでもだめなら、もう少し真面目に考えてみる。」
みたいな、人間がやるような割とうまくいくけどその場しのぎの探索法を、
アルゴリズムにすることをヒューリスティックっていうんじゃねーのか?
日本語版の記述だとなんか数値計算の話みたいに見えるんだが…
この場合は、ヒューリスティックに探索が成功すれば正確な答がでるけど、、
失敗した場合はどちらともいえないってのが、ヒューリスティックのもつ結果の不正確さだな。
580 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 16:07:40
どの道、ヒューリスティックでは 証明可能・不可能の判定は無理。
581 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 16:10:04
>人間がやるような割とうまくいくけどその場しのぎの探索法を、 >アルゴリズムにすることをヒューリスティックっていうんじゃねーのか? ナンセンス。 どのみち、証明可能・不可能を判定するアルゴリズムは、 作れない。どんな探索方法を使っても結果は同じ。
582 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 16:16:16
>最初に δ=εを試して、うまくいきゃおっけー >だめならδ=ε/2とかε^2を試して、うまくいきゃおっけー >それでもだめなら、もう少し真面目に考えてみる こういうやり方では、証明可能・不可能の判定はできない。 特に、証明不可能な場合の探索が、有限の時間内に終了しない。 途中で諦めるのなら話は別だが。
583 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 16:43:47
たいていの数学試験問題は答えがあるから有限時間で終わる。 未解決問題は演繹可能かどうかも判定されていないものが多い。
584 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 16:50:54
演繹可能とわかった時点で、「証明図」を探索する・・・ なんか変だね。 「証明図」が構成されて初めて「演繹可能」なのに。 まあ、「試験の答え探し」ならば、意味あるか。
585 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 16:54:38
演繹不可能とわかった時点で解けたことになるのだよ。
586 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 16:58:34
証明不可能の(超数学的)証明・・・難しいね。 機械でできるなら、どんなにいいことか。
587 :
568=578 :2006/12/23(土) 17:02:38
>>579 混乱させてしまってすみません。私が間違っていました。
馬鹿な私ですが、あなたのおかげで少し利口になしました。
ヒューリスティック・・・決定問題には使えないけど、
面白そうな探索法ですね。
いやヒューリスティックには英語のheuristic以上の意味は無いと思うけど。
589 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 20:45:58
>アルゴリズムをつくらなくとも解ける場合がある。ヒューリスティックなやり方でね。 >人間はヒューリスティックに解いていると想定されているでしょ。 あれからヒューリスティックに付いて勉強したが、機械はどうか知らないけど、 人間は確かに「ヒューリスティックな」方法で証明をしている。 これはあなたのご意見が正しい。 しかし、この方法を機械へと「移植」するのは大変では? 正解がえられない場合もあることだし、そこは人間と同じですね。 どの道、数学的主張(論理式) ごとにケースバイケースで考えるほかないです。
こんなクソスレがのびる数学板は情けない。
591 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 21:06:30
>>589 >アルゴリズムをつくらなくとも
機械で処理するためにはアルゴリズムができてないと
プログラムが組めず、機械を動かせない。
哲学者という誤解はやめてください。本物の哲学者に怒られます。「おいボケェ。おめえ
みてぇのが哲学者のわけあるか。w」といわれているのですから。
>>549 チェックの話
>
>>391 の...
そう言ってもらえればわかります。492は見たけど、391とは違う意味の”チェック”だった
のでわからなかった。
それと、もう誰が誰だかわからないのですね。
私のレスは識別しやすいスタイルだと思っていましたが、これからはHNをいれます。他の方も
前の発言と関連した話しをするなら、番号でいいですのでいれてください。
チェックできない定理の例としては”4色問題”をあげます。もっとも現在プログラムの
改良が進められたそうで、調べてみないとなんともいえませんが。
> そんな数学を研究してる人居ませんよ?
コンピュータの自動証明に関係してればありうるでしょ。
> >「チェックできるものが定理である。定理はすべてチェックした」
>>となります。
>これが何か変ですか?何も変じゃないと思うけど。
はいはいそうですか。
>philosophically weakで何がmathematically uglyなのかな、と思って聞いてみた
タルスキーは直観主義について上の言葉で論評したとき例をあげたのですか?
> Brouwerが直観がどうのこうのと言ったのかもしれませんが、彼が独自な意味で使ってるだ
>けです。
ブラウアーは”数学的直観”(通常理解される意味の)の数学における位置を的確に
語っています。これが重要。読んでみればわかります。
593 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 22:01:48
数学や物理を理解できない馬鹿が、哲学に退却ー
>>550 >Cauchyの無限小は数列とは違うんだとか無茶を言ってるのはあなたですよ。
どこに’数列’などという言葉がでています。意味論的解釈で拡張解釈をしないでください。
> 可能とはならない大きな体系というのは例えば何ですか?
現実にそういう体系は存在するし、将来もそうだと
おもいますが、未来についてはみないいかげんなことをいえます。
> 「定理の自動証明」とかでぐぐって見つけたんですか?
本で読みましたよ。
> こういうことを言っている解析学者は私は見たことも聞いたことも無いですよ?
超準解析もそれだからうまれてきたとも言えるのではないですか。
>>551 > それでも原理的に出来そうなら良いじゃねえかと考えるのが数学者の発想だけど。
見た目正しそうだからいいじゃんとはいかないのが数学じゃないですか。
> 機械と人間に何か違うところがあるのかと言えば明確にNoとは言えないわけなんだけど
そんなあいまいな話しでは証明にはならないでしょ。
>>552 ...
>>553 > 小さな理論ではなく、ZFCのモデルが作れるような大きな理論だ
それが大きな理論ですか。それに”作れるような”ではなく”作ってから”言ってください。
> 「無限小は極限でおきかえられる」こう述べて失敗したのはあなただ。
きちんと言っておいたことを理解していなかったのはそちら。
いろいろあって(生活上のこと)疲れているのでこれ以上レスできません。あしからず。
しかし、ヒューリスティックの誤解がひどいのでそれだけ述べます。
>>568 Whikipediaの説明はまちがっているとおもいます。個々の内容はそれでいいのでしょうが、
ヒューリスティックとはアルゴリズムがない場合に人間が考える方法を指していうものです。
それは昨日のレスでも述べました。ですから”近い解を得る”とかなどわたしの書いたことと
まるで関係ない話しです。特殊な分野でどういう使い方をしているのかはよく知りません。
わたしは通常の辞書的意味あいでつかったのです。
この方法を抽出して計算機のプログラムとすることはできます。
> 第一、証明可能か不可能化の判定に
>必ずしも正解の出るとは限らない方法を用いるのは、
こんなはなしはしていないです。
>>569 > ヒューリスティックってwikipediaに載ってる様な意味で使ってことないんだけど、
>漏れ間違ってたのかなあ?
それが正解。
> 適用範囲の狭い人間くさい探索法をヒューリスティックっていわないか?
適用範囲は狭くないです。狭いのは”アルゴリズム”のほう。
>>575 > どの道、証明可能・不可能の判定には適さない。
人間はアルゴリズムがない場合(たいていはそうだ)どうやって問題を解いていると
思う。
>>589 正しい理解を示してくれる人もいたようだ。
このスレを読む価値はありますか?
無
598 :
132人目の素数さん :2006/12/23(土) 23:24:34
しってる哲学教授はいじけていた。あれをみたら、よっぱらいの 数学教授のほうがまだましだった。
某広義直観主義者は絵美ちゃんに振られて、今夜も数学板を荒すのか。
600 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 00:40:37
ここまで読んだ感想 現役高校生の俺には「1ではない。哲学者でもない。」さんが気が狂ってるようにしか見えない 正しい?
>>392 「ほとんどチェックできない証明ばかりではないですか」の例が四色定理?
こういう定理って数学の定理のごくごく一部だと思ってたけど。
>コンピュータの自動証明に関係してればありうるでしょ。
飽くまで彼らが研究してるのは自動証明のプログラム自体であって、
自然数論も扱えないような体系自体を研究してるわけじゃないですよ。
>>philosophically weakで何がmathematically uglyなのかな、と思って聞いてみた
>タルスキーは直観主義について上の言葉で論評したとき例をあげたのですか?
Tarskiは直観主義についてどう思うか?と聞かれたから、
「直観主義は」哲学的には弱く、数学的には醜悪である、と答えたんでしょ。
それがどういうものかは別に例を挙げなくとも聞いたほうも答えたほうも分かっていました。
Tarskiが指していたものは明確です。
それに対して「あの言葉はそっくりタルスキーにお返しできるとおもうのですが。」
というレスがあった。これは指すものが不明確です。
例えばBanach-Tarskiの定理なんかの事を言っているのかもしれないし
全然関係ないのかもしれない。でも数学と哲学に跨るようなTarskiの業績について言っているのは間違いないだろう。
だからTarskiの仕事の具体的にどういう部分について言っているのか?と聞いたんだけど。
>ブラウアーは”数学的直観”(通常理解される意味の)の数学における位置を的確に >語っています。これが重要。読んでみればわかります。 Brouwerの意見にも賛同者が少ないものも多いものもあるでしょう。 具体的にどの本のどこに書いてあるBrouwerの主張を言っているのか分かりませんが。 多くの数学者は「数学的直観」は大切なものだと思っています。 でも「じゃああなたは直観主義者なんですね?」と聞くと 大多数の数学者は「とんでもない、全く違います」と答えます。これは間違いないです。 >> 可能とはならない大きな体系というのは例えば何ですか? >現実にそういう体系は存在するし、将来もそうだと >おもいますが、未来についてはみないいかげんなことをいえます。 いや、あるかないかを聞いているのではありません。 現実に存在するそういう体系の名前を教えてください。具体例を教えてください。 >> 小さな理論ではなく、ZFCのモデルが作れるような大きな理論だ >それが大きな理論ですか。それに”作れるような”ではなく”作ってから”言ってください。 数学の形式的な理論の話をしているときに、「大きな」の意味を体系の表現力が強い、 という風に解釈するのは一番自然だと思うけど。 あなたがどういう意味で使ってるかは知りませんけど。 しかしこのレスの「ような」は無くても別に内容は変わらないと思うけど、 妙なところに反撥されますね。 >この方法を抽出して計算機のプログラムとすることはできます。 「アルゴリズムがない場合に人間が考える方法」を抽出するということ? そういうことが出来たという話は聞いたこと無いですけど、 現実的にどこかの大学か研究所かでそういうプログラムが組まれたのですか?、 少なくともアルゴリズムの設計くらいはされたんですか? 信じられないけど。
604 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 08:45:09
>> 小さな理論ではなく、ZFCのモデルが作れるような大きな理論だ >それが大きな理論ですか。それに”作れるような”ではなく”作ってから”言ってください。 作った。だからもう一度繰り返す。 小さな理論ではなく、ZFCのモデルが作れる大きな理論だ
605 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 08:48:49
>ヒューリスティックとはアルゴリズムがない場合に人間が考える方法を指していうものです。 アルゴリズムがなければ機械は動かない。 だから、あくまで人間の活動を指していっている。 「機械が証明する」というはなしとも関係ない。 アルゴリズムがないんだから。
606 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 08:55:02
>> どの道、証明可能・不可能の判定には適さない。 >人間はアルゴリズムがない場合(たいていはそうだ)どうやって問題を解いていると >思う。 では、ヒューリスティックな方法で、例えば、リーマン予想が証明可能か不可能かを 判定してみて下さい。 実例の一つでもなければ、ヒューリスティックな方法を 証明論に適用できるとはいえない。
607 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 08:57:05
まだ駄々をこねているようなので、何度でも説明する。 無限小の非存在証明 >現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです という 広義直観主義者 の主張より、次の推論が成立する: 無限小の物理量をもつ物体は存在しない。 無限小が現実的に存在不可能ということは、 事実として無限小が存在不可能ということである。
608 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 09:08:20
>チェックできない定理の例としては”4色問題”をあげます。もっとも現在プログラムの >改良が進められたそうで、調べてみないとなんともいえませんが。 幾何学の先生では、「四色問題」が証明されたとは認めていない人もいる。 「四色問題」は、広く定理としては認められていない。 >>philosophically weakで何がmathematically uglyなのかな、と思って聞いてみた >タルスキーは直観主義について上の言葉で論評したとき例をあげたのですか? タルスキーに訊けよ。 >この方法を抽出して計算機のプログラムとすることはできます そのプログラムが信用できるという根拠は? 誰がバク取りするのかな? 300年かけて、あなたがバグ取りしてみてはいかが? そもそも証明論に適用できるようなヒューリスティックな プログラムなんて、実際に作られたのかな? 実例を挙げてみてください。
609 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 09:12:52
証明可能・不可能の判定は、決定問題と呼ばれているが、 現実的に、ヒューリスティックな方法を決定問題に適用することは不可能。 現実的に不可能ということは、事実として不可能ということである。
話変わるが4色問題の場合分けって大変と言ってもせいぜい数万通りくらいじゃなかったっけ。 十数人の数学者が数年がかりでチェックすれば出来るくらいの。 散在型有限単純群が26個しかないという定理の証明よりももしかして短いんじゃなかろうか。
612 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 09:27:12
>> 適用範囲の狭い人間くさい探索法をヒューリスティックっていわないか? >適用範囲は狭くないです。狭いのは”アルゴリズム”のほう。 勘違いするな。ヒューリスティックであろうとも、機械での探索に 使われる限りでは、アルゴリズムがなければ機能しない。 >どこに’数列’などという言葉がでています。意味論的解釈で拡張解釈をしないでください 意味論的解釈とは、言葉や字面だけの解釈ではない。勘違いするな >>philosophically weakで何がmathematically uglyなのかな、と思って聞いてみた >タルスキーは直観主義について上の言葉で論評したとき例をあげたのですか? タルスキーが「Philosopchically weak and mathematically ugly」 と指したのは、「直観主義そのもの」。 直観主義の一部ではない。そもそも質問の内容が、 「直観主義をどう思うか?」 なのだから。具体例をあげる必要があると主張するのであれば、 そのことを証明して欲しい。 >> 「無限小は極限でおきかえられる」こう述べて失敗したのはあなただ。 >きちんと言っておいたことを理解していなかったのはそちら。 このスレのどこにも「コーシーの無限小」について あなたがきちんと述べているレスはない。 「誤解」されてもあなたの責任。
613 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 09:37:54
論理体系の記号の有限系列での表現は、 体系の大きさは関係ない。
614 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 09:42:15
>> 「無限小は極限でおきかえられる」こう述べて失敗したのはあなただ。 >きちんと言っておいたことを理解していなかったのはそちら。 きちんと言っておいたこと=「無限小は極限でおきかえられる」
615 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 09:44:14
無限小の物理量をもつ物体は存在しない。 無限小が現実的に存在不可能ということは、 事実として無限小が存在不可能ということである。
ところで、現在活躍中の数学者で「直観主義の立場」をとる人の例示はまだですか。
617 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 09:45:43
記号の有限系列で表現できない論理体系の例示もまだだな。
618 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 09:54:19
「Philosopchically weak and mathematically ugly」 =1ではない。哲学者でもない。
619 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 10:24:51
>1ではない。哲学者でもない。 文kei 君、絵美ちゃんはお元気ですか?
620 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 10:26:05
物体が連続体と考えるところが。。。 すかすかの、時空のゆがみ
621 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 10:32:37
>無限小の議論は極限の議論に置き換えられる 「無限小は極限におきかえれられえる」とうっかり主張して、 失敗して、慌ててこう言い直したようだね。 しかし、このことは、「1ではない。哲学者でもない。」さんは、 このスレのどこでも立証していない。 ただ自分の思い込んだ結論を繰り返しているだけ。 そもそも、超準解析が登場するまでは、無限小の議論は きちんと定式化されていなかった。コーシーの時代では、 無限小の議論と極限の議論は同等ではなく、 したがってそれらの置き換えは不可能であった。
622 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 10:51:54
コーシーは無限小に厳格な定義を与えていない。
623 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 10:54:04
無限小の非存在証明 >現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです という 広義直観主義者 の主張より、次の推論が成立する: 無限小の物理量をもつ物体は存在しない。 無限小が現実的に存在不可能ということは、 事実として無限小が存在不可能ということである。
無限小を否定する馬鹿も哲クズの同類だな
625 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 10:57:31
俺も数学的直観は大事だと思うが、 直観主義者ではない。
626 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 10:58:58
>>624 あくまで哲クズの主張から無限小の非存在を導いただけ。
627 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 11:02:49
推論は推論でしかない。 哲学者には厳密性を求めてもムダである。←これも推論か(笑)
628 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 11:06:25
>>627 だから、哲クズの主張から、色々と不自然なことを導いてやればよい。
まじめな数学の議論など、するだけ無駄。
哲クズも数学の議論などしていない。
「議論」で「勝つ」ために言葉並べているだけ。
>>610 配置の数は数千程度だったと思う。
現在web上で公開されているCによる改良されたプログラムだと
700ちょっとぐらい。
630 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 12:16:53
今日はクリスマスパーテーに行くので、あとはよろしくお願いします。
631 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 12:19:42
パーテーいきたい
632 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 12:20:06
こちらもそんなに暇じゃないんで・・・
633 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 12:35:48
文kei 君も、今夜は絵美ちゃんとデートだろ。
634 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 13:42:53
ロムしてる分には面白い。 哲学者の壊れっぷりはほとんどコント。
635 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 16:12:14
古代ギリシャでアリストレス哲学とユークリッドの公理主義が 生まれたというのは偶然の一致ではないと見るのが妥当だろう。 ユークリッドの公理主義というのは数学において真に画期的なものだ。 例えば、日本の和算にはこのような考えはなかった。 したがって、最初の見解を認めるなら、古代ギリシャ哲学が現代数学に 及ぼした影響は計り知れないということになる。 因みに、とは言うものの私は哲学にはあまり興味がない。
636 :
132人目の素数さん :2006/12/24(日) 16:21:47
哲学が数学に影響を及ぼしたからといって、哲学が上位であることにはならない。 ましてや「哲学を理解できない馬鹿が、数学や物理に逃げる」ということを示したことにもならない。
日本の哲学屋は自分自身の言葉に酔ってるだけだもんな〜 欧米の哲学屋から完璧に無視されてるのは当然だね
>>629 700くらいだったら何ヶ月かそれだけの為に費やせば人の手でも証明出来るのじゃないかな?
各場合の判定とか、700ちょっとで場合分けが尽きてる証明が非常に計算量が要るのかな。
ありがとうございます。どうもわざわざ済みません。
641 :
132人目の素数さん :2006/12/25(月) 01:42:07
しかし、4色定理が「チェック困難」だからといって、 他のほとんどの定理も「チェック困難」だと思い込むあたり、 「1ではない。哲学者ではない。」さんは、 ずいぶんステレオタイプなんだなぁ。
>>599 > 某広義直観主義者は絵美ちゃんに振られて、今夜も数学板を荒すのか。
振られたとかゆう根拠を明示してください。
>>602 > こういう定理って数学の定理のごくごく一部だと思ってたけど。
コンピュータ利用の証明についての話しです。
> 自然数論も扱えないような体系自体を研究してるわけじゃないですよ。
そういう体系でもモデルを適切に選べば利用価値はあるのです。
> 例えばBanach-Tarskiの定理なんかの事を言っているのかもしれないし
タルスキーの直観主義にたいする理解の浅さをかんがえても、推し量れます。
タルスキ―の仕事といえばまずゲーデルの不完全性定理のヴァージョンアップ版が
あげられるかな。
>>603 > 多くの数学者は「数学的直観」は大切なものだと思っています。
大切だと思うのは高校生だっておもうでしょ。ではなくてより深い理解のことです。
> 現実に存在するそういう体系の名前を教えてください。具体例を教えてください。
解析学はどうです。
> 「アルゴリズムがない場合に人間が考える方法」を抽出するということ?
できますよ。ここで作ってあげてもいいくらい。
>>604 > 作った。だからもう一度繰り返す。
お仲間うちしか確認できないのでしょ。
>>605 > アルゴリズムがなければ機械は動かない。
’アルゴリズム’という語の使っている層がちがいます。
>>606 > 実例の一つでもなければ、ヒューリスティックな方法を
実例はいくらもあるでしょう。’証明論’でどういう内容を指しておられるのか
意味不明ですが、なにか勘違いをされておられるのでは。
>>607 何度もどうも。
>>608 > 「四色問題」は、広く定理としては認められていない。
相変わらず’問題’をつけて言っている人もいるくらいですからね。
> そのプログラムが信用できるという根拠は?
ヒューリスティックな働きをすればいいのですから、全く自立して全てを自動的に
こなす必要もないです。したがってプログラムはシンプルなものになりますし、すべての
結果が有用である必要もないのです。
>>609 > 証明可能・不可能の判定は、決定問題と呼ばれているが、
そういう判定をするのが目的ではないです。
一言でいえば、’組み合わせ論的爆発’をいくらかでも避けるだめの方法と言ったところです。
644 :
132人目の素数さん :2006/12/25(月) 02:57:12
>> 作った。だからもう一度繰り返す。 >お仲間うちしか確認できないのでしょ。 ちがう。第三者の立場の研究者が、 独立に私と同じ結果(ZFC のモデルの構成)を 証明している。 「1ではない。哲学者ではない。」の主張は 中傷そのものだな。 >> 現実に存在するそういう体系の名前を教えてください。具体例を教えてください。 >解析学はどうです。 はぁ?解析学は、記号の有限系列で表現可能ですよ。 実際に俺は自分の勉強した部分は全てそうしてきたし、 記号の有限系列での表現方法を構成している本もある。 そもそも、解析学は、論理体系としては、 ZFC と同じ。新しく公理を仮定しない限りでは。 あなたは「論理体系」の意味を認識していないね。 こんなデマカセを主張するのだから。
645 :
132人目の素数さん :2006/12/25(月) 03:00:09
>> 証明可能・不可能の判定は、決定問題と呼ばれているが、 >そういう判定をするのが目的ではないです。 別の話になってるね。目的も摩り替わってるし。 こういう詭弁を労するのが「広義直観主義」なのかな?
>>おおくのかた
コーシーの無限小と極限について
繰り返しますが
>>294 でコーシーの無限小の定義を述べています。
”同じ変数の引き続く絶対値が、任意の与えられた数を下回るように限りなく
減少するとき、この変数は'無限小’と呼ばれるものになる。この変数は0を
極限として持つ。”
この定義を読めば、どうまかり間違っても’無限小’と’極限’が一致するなど
ということがないことはわかるはずです。
647 :
132人目の素数さん :2006/12/25(月) 03:06:20
>>646 >同じ変数の引き続く絶対値が、任意の与えられた数を下回るように限りなく
>減少するとき、この変数は'無限小’と呼ばれるものになる。この変数は0を
>極限として持つ。”
この「無限小」の「定義」には、穴があります。
「’無限小’と呼ばれるものになる」と言っているだけで、
その「’無限小’と呼ばれるもの」がどう定義されるのかは
述べていません。
648 :
132人目の素数さん :2006/12/25(月) 03:10:01
>お仲間うちしか確認できないのでしょ 「真理が多数決で決まるのではない」 とおっしゃっていたのはどこの誰だっけ?
649 :
132人目の素数さん :2006/12/25(月) 03:12:38
>> そのプログラムが信用できるという根拠は? >ヒューリスティックな働きをすればいいのですから、全く自立して全てを自動的に >こなす必要もないです。したがってプログラムはシンプルなものになりますし、すべての >結果が有用である必要もないのです。 プログラムがシンプル≠信用できる
650 :
132人目の素数さん :2006/12/25(月) 03:15:28
まだ納得いっていない様なので、もう一度。 文kei 君 の主張⇒無限小の非存在 >現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです という 文kei 君 の主張より、次の推論が成立する: 無限小の物理量をもつ物体は存在しない。 無限小が現実的に存在不可能ということは、 事実として無限小が存在不可能ということである。
651 :
132人目の素数さん :2006/12/25(月) 03:23:51
>>642 >> 「アルゴリズムがない場合に人間が考える方法」を抽出するということ?
>できますよ。ここで作ってあげてもいいくらい。
是非作ってみて欲しい。
>ではなくてより深い理解のことです。 より深い病気になってるね
数学の文献の字面だけ解釈して妄想に浸る・・・ 小説じゃないんだから。最低だな。
>>647 こういう意味じゃないかな?
変数=無限小。一方、
変数=実数。
したがって、無限小=実数。
1でも略は
>>294 が無限小を定義していると思ってるようだが、
>>294 は数学の文章としては無限小については何も言及してないのと一緒だ。
なぜかというと、`無限小'とクォートで囲ってあるからだ。
数学書ではよくある書き方で、イメージではこうだけど、
正確ではないよってところにクォートをつける。
まあ、読みなれてないと分からんかも知れんが…
>>655 電波飛ばして「絵美ちゃ〜ん」なんて言ってる様なやつに
何言っても無駄。
>> 某広義直観主義者は絵美ちゃんに振られて、今夜も数学板を荒すのか。 >振られたとかゆう根拠を明示してください。 やっぱり振られたんだな。
658 :
132人目の素数さん :2006/12/25(月) 05:45:35
>証明論’でどういう内容を指しておられるのか >意味不明ですが 証明論が何なのかわかってないのでは?
659 :
132人目の素数さん :2006/12/25(月) 05:51:28
記号の有限系列で表現できない論理体系 「広義直観主義論理」
660 :
天ノ川 創 :2006/12/25(月) 06:56:05
アマテラス降臨!
661 :
132人目の素数さん :2006/12/25(月) 07:52:15
>> 某広義直観主義者は絵美ちゃんに振られて、今夜も数学板を荒すのか。 >振られたとかゆう根拠を明示してください。 これのどこが数学の議論だ? こんなこと「議論」して、何の「認識」が深まるんだ?
>>646 「無限小と呼ばれるもの(ce qu'on nomme un infiniment petit)」は「いわゆる無限小」の意味で、
一般にあまり厳密でなく使われている無限小という言葉に解釈を施した程度のこと。
コーシーが無限小という言葉を使うのは極限操作を行う変数に対してのみ、しばしば無限小変数とも書いているくらいで
一つの数量として無限小を扱ってはいない。
これを数量として扱うことは無限大∞を一つの数量として扱うのと同じく無意味だ。
事実コーシーは無限小と無限大をまったく対称的に記述している。
24日夜から25日未明にかけては、見栄っぱりの広義直観主義者のことだから、 我慢して「デートしてるふり」をするんだろうと思ったが、 やっぱり病気がひどくて、電波をまき散らしに来ていたのか。 ご苦労さま。
664 :
132人目の素数さん :2006/12/25(月) 16:57:58
>>663 絵美ちゃんにはもう、振られてんだろうね。
ご愁傷様。
665 :
132人目の素数さん :2006/12/25(月) 17:09:09
>ヒューリスティックな働きをすればいいのですから、全く自立して全てを自動的に >こなす必要もないです あれれ?機械が自ら考えて「証明をする」とかいう話じゃなかったっけ? 自立して証明図の構成をこなせなければ、「機械が」証明する とは、言えないなぁ。証明するのは、あくまで人間であって、 機械はその道具に使われるだけでしょ。
666 :
132人目の素数さん :2006/12/25(月) 17:15:23
>> アルゴリズムがなければ機械は動かない。 >’アルゴリズム’という語の使っている層がちがいます 「層」が何をさして言うのか明確にしてください。 何度も言うように、コンピュータをのプログラムを組むために、 アルゴリズムがなければ、組めないでしょ。 ヒューリスティックな動作をするプログラムにも、 アルゴリズムが必要。 コンピュータを動かすわけだから。
>>644 > ちがう。第三者の立場の研究者が、
そうですか。しらなかったです。というかなんでこんな話しになってきたのか
わからないです。もともと興味もない話しでして。疲れがたまっているのかな。
> はぁ?解析学は、記号の有限系列で表現可能ですよ。
そうね、書いたあとでおもいだしましたけど、これも興味のないはなしです。
表現可能となったところでどうなのだという感じです。
前にも言いましたように、基礎論には不案内なのです。なるべく面倒な議論は振らないで
ください。
ゲーデルの仕事はともかくとして数学に対する考え方には共感するのです。それはたとえば、
645へのレスでのゲーデルの引用文などにでてくる考え方です。「常に新たに『直観の源泉』
から汲み上げる必要がある」ですから、ただ形式化した
といわれても「はぁー、そうですか」という感じしか抱けないのです。
>>645 > こういう詭弁を労するのが「広義直観主義」なのかな?
また広義直観主義などと言ういいかたをする。
ゲーデルが最初に不完全性定理の話しをカルナップにはなしたときのことです。
カルナップの日記によると
「数学を形式化しようとすると、それがいかなる形式化であっても、日常言語では理解し表現できるが、形式体系内では表現できない命題が生じる。したがって、ブロウエルが言うように、
数学は汲み尽くせないのであって、常に新たに『直観の源泉』から汲み上げる必要がある。
つまり、全数学のための普遍的な形式化は不可能であって、全数学のための決定手続きもない」
ゲーデルの不完全性定理にインスピレーションを与えたのはブラウアーの講演だったと
いわれています。
>>647 > この「無限小」の「定義」には、穴があります。
歴史は一足跳びに現代になるのではありません。無理数にしても、長い間「有理数でない」
という定義をされてきたことをおわすれなく。
>>648 > 「真理が多数決で決まるのではない」
>とおっしゃっていたのはどこの誰だっけ?
現実の世の中が動いていくさまと孤高に真理を求めていく立場の違いがおわかりにならない
ようですね。
>>649 > プログラムがシンプル≠信用できる
アインシュタインも「できるかぎりシンプルであれ」が口癖でしたよ。
>>650 > >現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです
>という 文kei 君 の主張より、次の推論が成立する:
プラトンのイデア説というのを、信じる数学者は多いです。数学的対象が存在する
という考え方です。しかし、'現実’'存在’'事実’これらの言葉は哲学でも一筋なわでいかない
話しで、ここで到底議論できることではありません。
>>651 > 是非作ってみて欲しい。
将棋ソフトをつくったことがあります。将棋がすきでないので、詰み将棋くらいは
できましたが、つづかなかった。詰み将棋の部分は再帰的プログラムでいけるので
アルゴリズムがありますが、その他の部分はありません。ヒューリスティックに
やらなくてはならないのです。数千ステップではすまないのでここには書けません。
>>655 > 数学書ではよくある書き方で、イメージではこうだけど、
お仲間うちではよくわかる暗黙の記号法ですか?スリの隠語とおなじレベルですね。
>>667 げげっ。
>>658 > 証明論が何なのかわかってないのでは?
...
>>659 > 「広義直観主義論理」
645へのレス読んで。
>>651 > こんなこと「議論」して、何の「認識」が深まるんだ?
いや知り合いがこのスレに潜伏しているのかと思って。
>>652 > 一般にあまり厳密でなく使われている無限小という言葉に解釈を施した程度のこと。
オイラーのように無限小=0としたりするのに比べれば大進歩でしょう。
>>663 > 24日夜から25日未明にかけては、見栄っぱりの広義直観主義者のことだから、
某スレにおられたお方かな。
>>665 > あれれ?機械が自ら考えて「証明をする」とかいう話じゃなかったっけ?
枢要なところをこなせれば、人間の道具とはいえないでしょう。
>>666 > 「層」が何をさして言うのか明確にしてください。
うんタミアン?
わたしの表現でわかるとおもいますが、数学的アルゴリズムとヒューリスティックな
メソッドは分けてあります。ヒューリスティックな方法でもコンピュータ上に実現する
には何らかのアルゴリズムは必要でしょうが、これは証明を直接見出すためのアルゴリズム
ではないです。
670 :
132人目の素数さん :2006/12/26(火) 00:17:30
671 :
132人目の素数さん :2006/12/26(火) 00:25:55
まだ駄々をこねているようなので、もう一度。 文kei 君 の主張⇒無限小の非存在 >現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです という 文kei 君 の主張より、次の推論が成立する: 無限小の物理量をもつ物体は存在しない。 無限小が現実的に存在不可能ということは、 事実として無限小が存在不可能ということである。
672 :
132人目の素数さん :2006/12/26(火) 00:30:39
コーシーは、無限小には定義を与えていない。
最近は自分で持ち出した「直観主義」も持て余し気味で、いろいろと壊れつつあるな。 本人も、その発言も。
674 :
655 :2006/12/26(火) 00:37:21
>
>>655 >> 数学書ではよくある書き方で、イメージではこうだけど、
>お仲間うちではよくわかる暗黙の記号法ですか?スリの隠語とおなじレベルですね。
まともに本が読めないんなら、絵本でも読んでれば?
絵本だけでは数学屋になるのは無理でも、スリぐらいにはなれると思うよ!
55 :BlackLightOfStar ◆ifsBJ/KedU :05/03/04 18:50:18 ちん■を大きくする以前に包皮口を大きくしないと…。 56 :132人目の素数さん :05/03/04 18:55:45 耳たぶを伸ばしている人種や大○唇を伸ばしている人種。 共に伸ばした場所に装飾品を飾っている。 皮膚は伸ばせば伸びる。カンガレ。 57 :BlackLightOfStar ◆ifsBJ/KedU :05/03/04 19:01:36 Re:>56 ありがとう。 58 :132人目の素数さん :05/03/04 19:06:32 同様に首長族(って差別語?)のように、 チンコに器具をはめて常に伸ばす方向に力を与えることで 徐々に長くするという気の長い治療があるらしい。 しかしking、真性か… 俺は仮性だけど、同情するよ。 59 : ◆27Tn7FHaVY :05/03/04 19:26:24 先生!包皮口って何ですか? 60 :BlackLightOfStar ◆ifsBJ/KedU :05/03/04 20:12:55 Re:>58 勃起してないときは剥けるんだけどね。剥いて勃起すると締められるんだよ。 Re:>59 陰茎の一部。
61 :132人目の素数さん :05/03/04 20:15:31
>>60 カントンかよ!?
重症になって亀頭が壊死する前にはやく治療しる!!
62 :132人目の素数さん :05/03/04 20:17:08
(;・∀・)
63 :BlackLightOfStar ◆ifsBJ/KedU :05/03/04 20:18:35
Re:>61 どの道普段からは剥けない。治るにしてもいつごろになるか。
64 :132人目の素数さん :05/03/04 20:21:05
手術しちゃえば半月だよ
65 :132人目の素数さん :05/03/04 20:21:26
いつの間にやらkingのチンコを心配するスレになりました
66 :BlackLightOfStar ◆ifsBJ/KedU :05/03/04 20:22:16
Re:>64 包皮切除はあくまでも最後の手段だ。今から治しても女は居ないし。
67 :BlackLightOfStar ◆ifsBJ/KedU :05/03/04 20:23:58
Re:>65 大丈夫、血行不良が続いたら病院に連絡することにする。
36 :KingOfUniverse ◆667la1PjK2 :2006/12/16(土) 23:37:25
talk:
>>33 いくら保険が効くとはいっても、やはり手術にかかるわけにはいかない。
45 :132人目の素数さん :2006/12/16(土) 23:52:18
>>36 保険が効く状態なら手術すべきだろ
54 :KingOfUniverse ◆667la1PjK2 :2006/12/17(日) 08:43:02
talk:
>>45 皮を伸ばす。
56 :132人目の素数さん :2006/12/17(日) 11:51:43
>>54 皮を伸ばすと仮性包茎になるぞ
64 :KingOfUniverse ◆667la1PjK2 :2006/12/17(日) 13:32:36
talk:
>>56 カントンよりはましだ。
678 :
132人目の素数さん :2006/12/26(火) 01:07:59
文kei の場合は、「直観主義」ではなく、 「思いつき主義」だからなぁ。 >孤高に真理を求めていく 誰からも認められない人の言い訳。
679 :
132人目の素数さん :2006/12/26(火) 01:10:51
>'現実’'存在’'事実’これらの言葉は哲学でも一筋なわでいかない >話しで 言葉並べて遊んでるだけ。
680 :
132人目の素数さん :2006/12/26(火) 01:23:25
>もともと興味もない話しでして >これも興味のないはなしです 「モデルを実際に作ってから言って下さい」も、 「大きな体系は、記号の有限系列で表現できない」も、 文kei が持ち出した話。
681 :
132人目の素数さん :2006/12/26(火) 01:39:04
>これは証明を直接見出すためのアルゴリズム >ではないです。 定理とは、証明が与えられて、初めて「定理」と呼ばれる。 証明可能か不可能か、わかっていない段階で、 「証明を直接見出すためのアルゴリズム」など、 ナンセンスな考え方。
682 :
132人目の素数さん :2006/12/26(火) 02:16:23
文kei 君、思考が解体しているね。
predicative か impredicative かの話でもするのか?
>というかなんでこんな話しになってきたのか
>わからないです。もともと興味もない話しでして。
証明のチェックの話をしているときに
>>500 や
>>504 に対して
数学を記号によって形式化など出来るわけが無いと君が反論したからです。
>ただ形式化したといわれても「はぁー、そうですか」という
>感じしか抱けないのです。
いや、証明のチェックの話をしてるときに、
レスの本質的でない部分にあなたが食いついてきたんですけど。
>無理数にしても、長い間「有理数でない」
>という定義をされてきたことをおわすれなく。
なんか別の定義ってありましたっけ?
nx-[nx]の分布を調べるとか?
そんな変ちくりんな書き方してる本聞いたこと無いアルヨ?
>それがいかなる形式化であっても、日常言語では理解し表現できるが、 >形式体系内では表現できない命題が生じる。 これは当時の数学者なら兎も角、Hilbertの公理主義以後の 数学者の感覚とはかなり相容れない主張なんですよ。 Bernays-Goedel式の公理的集合論で表現できない理論など無いに等しいですから。 Carnapの頃はあまり数学の形式化という点において研究も為されていなかったし 形式化された数学の実例にも乏しかったとは思うんですが。 具体的にどういう命題の事言ってるんでしょうかね。 Cantorとかの数学的には何言ってるのか良く分からない、哲学っぽい 「理論」のことなのかな? ちょっと遅レスだけど >ではなくてより深い理解のことです。 Brouwerみたいな理解の事ですか?そういう「深い」理解は ごくごく一部の直観主義者しかしてませんよ。現代ではほぼ絶滅しました。 >将棋ソフトをつくったことがあります。 それ手の分岐を枝きりして或る程度読んで評価函数作って その値の高い着手を選ぶようにするだけでしょ。 ルール違反じゃない何らかの手を選んでくれるようにさえすれば 将棋ソフトは一応出来たと言えるわけです。でも正しい証明というのは 将棋の反則手の無い対局とかよりももっとずっと制限が厳しいですから 探すのが難しいですよね。だから実際的な時間で結果を出してくれる まともなアルゴリズムはまだ実用化されてないですし、 将棋の盤面全数探索が為されるより後のほうになるかもしれません。 専用ブラウザで無いと疲れますな。 ちょっときついな。
>将棋の盤面全数探索が為されるより後のほうになるかもしれません。 無茶言うなよw
空気読め
688 :
132人目の素数さん :2006/12/26(火) 07:04:24
>数学を形式化しようとすると、それがいかなる形式化であっても、 >日常言語では理解し表現できるが、形式体系内では表現できない命題が生じる。 じゃあ、集合論 BG で表現できない命題を作ってみてよ。
689 :
132人目の素数さん :2006/12/26(火) 07:25:08
すべてのクラスからなる集合がどうたらこうたら、という命題のことかな(笑
>>686 ああ、将棋は無理かもね。
じゃあオセロに訂正してくれw
なんかズルいけどこれなら確実w
何というか、人が数学の問題をheuristicに解くというのと
機械がheuristicなアルゴリズムで解を求めるというのでは
かなり質が違うと思うんだよね。
後者はちょっと頑張れば出来るのかもしれないけど
前者は実装は不可能だと思う。
691 :
132人目の素数さん :2006/12/26(火) 08:33:55
>わたしの表現でわかるとおもいますが、数学的アルゴリズムとヒューリスティックな >メソッドは分けてあります。 お仲間うちではよくわかる暗黙の語法ですか?スリの隠語とおなじレベルですね。
692 :
132人目の素数さん :2006/12/26(火) 08:47:13
>>689 表現自体はできると思う。真偽は別として。
>>669 > オイラーのように無限小=0としたりするのに比べれば大進歩でしょう。
そういう数学の進歩を理解できるのならライプニッツとコーシーの無限小が本質的に同じなどとはいえないはず。
大事なところで話をそらされているように見えるが、
>>646 で特徴付けが行われているのは無限小そのものではなく
「無限小になる」ということで、それはようするに0に収束する変数を考えるということ。
コーシーが無限小という言葉を出すのはつねにこうした収束過程であり、無限小そのものは扱われていない。
このような扱いは現代に至るまで大きくは変わっておらず(超準解析はいまだにnon-standardなのでここでは考えない)
記法や実数論の整備を経た今の教科書では無限小という言葉すらも使う必要はない。
そこをあえて頑固に「無限小方式」で解析概論を読もうとすると記述が首尾一貫していないように見えるというのは
“1ではない。哲学者でもない。文kei”さん自身が書いているとおり。
ついでにいうと、コーシーも無限小に関する演算が不定になることを 0×∞, 0/0, ...といった表現で書いていることはある。
>超準解析はいまだにnon-standard
英語で言うと同語反復ですけどね
>>689 >すべてのクラスからなる集合
「すべてのクラスの"集まり"」
という意図だと思ってよい?
クラスの集まりは集合にならないけど、だからBGで表せないとか
そういう意味じゃないよね。
もし必要があれば、classの集まりはhyper-classとして
別に公理で規定して、hyper-classの集まりをさらに
hyper-hyper-classとして(以下略
として厳密にclassたちの集まりなどを考える事は出来ますね。
Kunenの第1章あたりにちょっと書いてるアルヨ。
「昔からもあったことだが、真の哲学的探求を阻む退廃的諸現象も、相変わらずその根を絶っていないのは残念である。 奇矯な言辞を弄し何やら才気走った論評をものにすれば、それでもう一廉の哲学者なりと自他ともに許しうるかに錯覚する 軽佻浮薄は、いぜんとして存続しているように思われるし、また一方、おのが偏狭固陋に固執して、他説を曲解しまたこれに 的外れな駁撃を加えてその裏でおのが皮相な立場については都合のいい文献引証に拠ってこれを糊塗する衒学趣味も、やはり 依然として幅を利かせているようでもあり、さらに困ったことには、現今の学問諸領域の流動化と慌ただしい変貌にも眩惑されて、 基本的な研究思索や文献精査を等閑に付し、境界的学際的な場面や諸潮流間の迫間に身を置いて、四分五裂の討議応酬に明け暮れ さえすれば、何やら最先端の哲学に与り得たかに思い込む躁病的狂気が、真の哲学と混同されるという風潮も、時折見受けられる。」 境界的学際的な場面や諸潮流間の迫間に身を置いて、四分五裂の討議応酬に明け暮れ さえすれば、何やら最先端の哲学に与り得たかに思い込む躁病的狂気が、真の哲学と混同されるという風潮も、時折見受けられる。」 境界的学際的な場面や諸潮流間の迫間に身を置いて、四分五裂の討議応酬に明け暮れ さえすれば、何やら最先端の哲学に与り得たかに思い込む躁病的狂気が、真の哲学と混同されるという風潮も、時折見受けられる。」 境界的学際的な場面や諸潮流間の迫間に身を置いて、四分五裂の討議応酬に明け暮れ さえすれば、何やら最先端の哲学に与り得たかに思い込む躁病的狂気が、真の哲学と混同されるという風潮も、時折見受けられる。」
広義直観主義者は知を愛するものではない。あれは単に歪んだ自己愛。 自分が優秀であるかのように振る舞いたいだけだ。 哲学を僭称するなら恥を知れ。
>>690 よっぽどの技術革新でもない限りオセロも無理なんだが。
6×6なら後手勝ちはわかっているが。
計算量の話とかを知らないとこういう感覚になるんだろうけど。
699 :
132人目の素数さん :2006/12/26(火) 13:16:42
どの道、ヒューリスティックな方法で「証明する」 なんて、無理じゃないかなぁ・・・? 計算量から言って。 オセロもダメなんでしょ?
700 :
132人目の素数さん :2006/12/26(火) 13:45:07
証明の複雑さは 研究の前線の設定の仕方にもよる
701 :
132人目の素数さん :2006/12/26(火) 19:21:33
>'現実’'存在’'事実’これらの言葉は哲学でも一筋なわでいかない >話しで、ここで到底議論できることではありません 別に俺は哲学者じゃないから。
702 :
132人目の素数さん :2006/12/26(火) 20:50:30
>>698 オセロが無理なら数学の定理はもっと無理だよって話で。
全数探索が簡単という話じゃなくて、
一般に困難だといわれている全数探索以上に、
数学者の思考を機械で置き換えるのは無理だよ、と。
>>670 ...
>>671 > >現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです
文脈が違えば使えない文というものもあるのです。
> 無限小の物理量をもつ物体は存在しない。
数学的概念は現実の時空にはもとより存在しません。
>>672 > コーシーは、無限小には定義を与えていない。
¬(上の文)
>>674 > 絵本だけでは数学屋になるのは無理でも、スリぐらいにはなれると思うよ!
文系の目でみるとヒネリが不足しています。
>>678 > 文kei の場合は、「直観主義」ではなく、
>「思いつき主義」だからなぁ。
20世紀最大のという決まり文句がつく哲学者ヴィトゲンシュタインが『論理哲学論考』を
執筆後、哲学の課題はもうなくなったとして哲学から身を引いていたのですが、ブラウアーの
直観主義の講演を聴いて哲学を再開し、ケンブリッジの教授になったということです。
>>679 > 言葉並べて遊んでるだけ。
'存在’について考えるなら、パルメニデスの”あるはある、あらぬはあらぬ”の意味から
勉強なさっていくとよいでしょう。
>>680 > 文kei が持ち出した話。
文keiなど知りません。
>>681 ...
>>684 興味もない、知識もない話しでしてオワリ。
> なんか別の定義ってありましたっけ?
これはデデキンドやカントルの実数論で実数が定義されるまえの話しをしたのです。
>>685 これはゲーデルのはなしの引用ですから、ゲーデルがブラウアーの講演を聴いて
不完全性定理のインスピレーションを得たときにカルナップに語ったことです。
> ルール違反じゃない何らかの手を選んでくれるようにさえすれば
そんなソフトでは小学生でも弱すぎて面白くないとおもいますよ。
>>686 >>将棋の盤面全数探索が為されるより後のほうになるかもしれません。
>無茶言うなよw
これは本当にそうですね。量子コンピューターでも無理でしょうから。
>>688 685へのレスを見てください。
>>691 ひねりがたりない。
>>693 >ライプニッツとコーシーの無限小が本質的に同じなどとはいえないはず。
本質的にはおなじです。パスカルは無限小を的確にとらえていました。ライプニッツは
そのあとですから。オイラーで退行したのかな。
> 記法や実数論の整備を経た今の教科書では無限小という言葉すらも使う必要はない。
解析学が市民権を得たのは、ひとえに自然科学、工学での成功に負うわけですが、
こちらの方面で微分方程式を作る場合、基本的に無限小方式です。
>>702 >そのとおり。
”然りとは聖なる溌語である。”〔ニーチェ)
>文脈が違えば使えない文というものもあるのです。 では、どんな文脈で使えてどんな文脈では使えないのか その違いを説明せよ。 違いが曖昧なままだと、 「引用することが俺にとって不利になるような文脈では使ってはいけない」 ということにもできるからな。
>>705 コーシーが無限小を定義してるってんなら、次の中でコーシーのいう無限小であるものはどれかね?
0、1/n、lim[n→∞]1/n、1/∞
定義されてるんだから、無限小かどうか判定できるだろ?
こんなかに無限小が含まれてないなら、無限小の例をひとつ挙げてくれ
709 :
132人目の素数さん :2006/12/27(水) 00:54:00
どうでもいいけど哲学って何が面白いんですか? そっから説明してくれ
>興味もない、知識もない話しでしてオワリ。 じゃあ人のレスの、自分では興味も知識も持っていないような部分に 文句言わないで下さいね。 >歴史は一足跳びに現代になるのではありません。無理数にしても、長い間「有理数でない」 >という定義をされてきたことをおわすれなく。 これが「デデキンドやカントルの実数論で実数が定義されるまえの話」? 「無理数でない実数」じゃなくて「無理数じゃない数」だったってこと? 無理数と有理数の区別はあまり関係なくて、 実数の定義が与えられていなかったって話だと好意的に解釈すれば良いのかな? そもそも不完全性定理は日常言語的な意味では「真」となるが (Qを含む)形式体系内ではそれ自身もその否定も「証明できない」ような 命題が存在する、ということで、「表現出来る」というのは「正しい事がわかる」 くらいの大雑把な意味で使われているんじゃないですか。 いずれにせよ、Goedelにあなたは広義の直観主義者ですか? と聞いたら違います、というはずですけど。 「広義直観主義者」という言い方がまずいのなら最初に 「広義の直観主義者」と言った人がズレたことを言っただけですね。 いずれにせよ、例えばZFCからそういう命題を作ったとしても その命題は形式的に記号列として表現できるのは間違いないのですけど。
711 :
132人目の素数さん :2006/12/27(水) 01:28:01
>>704 新しい結果が出たので、改めて。
「1でもない哲学者でもない」君の主張⇒数学的概念の非存在
>現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです
>数学的概念は現実の時空にはもとより存在しません。
という 「1でもない哲学者でもない」君 の主張より、次の推論が成立する:
数学的概念が現実的に存在不可能ということは、
事実として数学的概念が存在不可能ということである。
712 :
132人目の素数さん :2006/12/27(水) 01:29:13
713 :
132人目の素数さん :2006/12/27(水) 01:35:15
>> 文kei の場合は、「直観主義」ではなく、 >>「思いつき主義」だからなぁ。 >20世紀最大のという決まり文句がつく哲学者ヴィトゲンシュタインが『論理哲学論考』を >執筆後、哲学の課題はもうなくなったとして哲学から身を引いていたのですが、ブラウアーの >直観主義の講演を聴いて哲学を再開し、ケンブリッジの教授になったということです 文kei じゃないなら、いちいち噛み付くなよ、文kei。
714 :
132人目の素数さん :2006/12/27(水) 01:44:28
>> 絵本だけでは数学屋になるのは無理でも、スリぐらいにはなれると思うよ! >文系の目でみるとヒネリが不足しています。 文系じゃなくて。文kei だろ。 少なくとも「文系」と 「文kei」の違いは認識しているな。 そうでなければ、 >文系の目で見ると >文kei など知りません なんていうこと、言えないからな。 お前は、文kei が何者かは知っている。 それで「知らない」とシラを切るのは、 自分が 文kei であることがバレたくないからだ。 ほんとに 文kei でなければ「知らない」などと 言う必要がないからな。 もうバレバレだぜ。
715 :
132人目の素数さん :2006/12/27(水) 03:35:21
現実世界がどうとか言ってるアホは数学に首突っ込むなよ 感覚を超越しているにも関わらず美しい秩序とリアリティーがあるからこそ 数学は素晴らしいんだ 文学は作り話で現実と関係ありません、とか言ってるのと同じ類じゃないか
716 :
132人目の素数さん :2006/12/27(水) 06:18:48
>>706 >解析学が市民権を得たのは、ひとえに自然科学、工学での成功に負うわけですが、
>こちらの方面で微分方程式を作る場合、基本的に無限小方式です。
だから、例えば、物理屋たちは、自分たちの「数学」が
「厳密でない」事を自覚している。
自覚していないのは 文kei だけ。
717 :
132人目の素数さん :2006/12/27(水) 06:27:25
>文脈が違えば使えない文というものもあるのです。 詐欺師・ペテン師レベルの言い訳だな。 >現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです こう言って見事に失敗したな。論理学的立場では、 文kei のこの主張を公理として認めれば、文脈など関係なく、 無限小の非存在はおろか、数学的概念の非存在をも導ける。 これが推論と言うものだ。 文脈云々と駄ボラを吹いて、事実を認めようとしないのは、 議論で勝つことだけが目的の浅ましい奴の負け惜しみ。
718 :
132人目の素数さん :2006/12/27(水) 06:30:22
文kei の壊れっぷりを示す命題 「1でもない哲学者でもない」君の主張⇒数学的概念の非存在 >現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです >数学的概念は現実の時空にはもとより存在しません。 という 「1でもない哲学者でもない」君 の主張より、次の推論が成立する: 数学的概念が現実的に存在不可能ということは、 事実として数学的概念が存在不可能ということである。
719 :
あららのら :2006/12/27(水) 07:48:40
そして、数学も物理もさ〜ぱり分からんもんネ。という奴 が生物をやる。シツレーしました〜。
720 :
132人目の素数さん :2006/12/27(水) 09:11:59
>>706 コーシーは無限小『になる』ことを収束過程で置き換えただけであって、
無限小『そのもの』を定義しているのではない。
>>646 ,
>>294 と二度引用している文を正確に読めばそうなる。
721 :
132人目の素数さん :2006/12/27(水) 09:16:54
「無限小方式」なんていう言葉は一般に使われていないので意味をはっきりさせてほしい。 あいまいな言葉を使って危なくなったら文脈、文脈といって逃げるのがあなたにとっての議論に勝つ秘訣ですか? それとも仲間内で使っているスリの隠語レベルの言葉ですか?
「無限小方式」でググってもこのスレしかヒットしない件
Cauchyは、無限小を「x→0となるようなxのこと」 と書いてたみたいだけど、 t→aのときにx(t)→0というのは定義できても xが写像じゃないときに、単独でx→0となる、 ということは定義しづらいし、実際「x→0」の定義なんて どの解析の教科書見ても載ってないよね。 xは数列と解釈するか函数と解釈するか、 いずれにせよ写像だと定義しない限り。
現代的には接空間の双対空間の住人だろ?>dxとか
微分形式としての一面もあるが、それだけの存在ではない
>>703 言いたいことはわかるがなら「オセロなら確実」なんて素人丸出しな馬鹿な大嘘は書かない方がいい。
>>707 > では、どんな文脈で使えてどんな文脈では使えないのか
同じようなご質問がいくつかあるようですので、まとめてお答えとしておきます。
まず”現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです ”
といったのは、現実的に存在しうるものに対して語ったのです。
数学的対象は” 現実の時空にはもとより存在しない”ものですから、上の文は
使えません。
数学概念の存在論は、哲学的問題であると同時に数学者が各自に決定しなければならない
問題です。プラトン主義であれ、カントルの集合論であれ存在論のひとつなのです。
それらをここで議論することはやはり大変すぎて無理です。
>>708 例のなかにはないです。定義文を読めば明白です。
>>709 わたしへの質問?ならなにかおもしろいことを書いてからでなくては、こんな面倒な質問には
答えられないです。
>>710 >無理数と有理数の区別はあまり関係なくて、
実数の定義が与えられないうちは、無理数を定義できなかったということです。無理数を”有理数
でない数”といってもほとんど定義になってないでしょ。
>>711 707へのレスをご覧ください。
>>713 ブラウアーの凄さがわかる話しです。
>>714 > ほんとに 文kei でなければ「知らない」などと
?
>>715 > 感覚を超越しているにも関わらず美しい秩序とリアリティーがあるからこそ
広義の直観主義ではないですか。
>>716 >物理屋たちは、自分たちの「数学」が
>「厳密でない」事を自覚している。
もとを正せば、解析学は物理屋が作ったのです。
>>717 > 文脈云々と駄ボラを吹いて、事実を認めようとしないのは、
文脈を考慮するのは小学生でも知っていること。あとは707へのレスを参照して。
>>718 上同。
>>720 > 無限小『そのもの』を定義しているのではない。
疲れた。
>>721 前のレスを読んでいればわかるはず。極限概念ではなく無限小概念で解析学をやるやり方。
>>722 数学の話題はちょっとローカルな話題だとぐぐってもヒットしないものです。
>>723 無限小の概念はコーシー流の定義でもわかりづらいところがあるのはたしかです。
”無限小といわれるものになる”をよく読めばわかります。
英語ならヒットするかも? 無限小方式を英語でなんていうの?
哲学が分からん馬鹿がトンチンカンなことを書き散らしているなw
>>727 >
>>708 >例のなかにはないです。定義文を読めば明白です。
例のなかにあるだろ!あまりに自明なんだけど、ヴぁかですか?
> もとを正せば、解析学は物理屋が作ったのです。 また苦しまぎれに、こういうでたらめを言う。
>>732 仮に正しいしても、「解析学を作った物理屋」が
ここで問題になっている物理屋一般の話とどう関係してくるのか不明だしな。
>>728 ここまでに他の人に「コーシーは無限小を定義していない」と言われるからには、
もし仮にあなたが正しいのだとしても(勿論間違ってる可能性もあるが)、
説明の仕方にかなり問題があるのであろう。
「わかりづらいところ」とは具体的にどんなところか。
「過去のレスを読めば分かる」を繰り返しても、何も進展しないだろ。
読んだ上で、それでも間違ってると思うからレスしてるんだろ。
例えば
>>723 にレスするなら、
>>723 の記述に沿って、
どこがおかしいと思うのか指摘したほうがよい。
広義直観主義電波も最近マンネリ気味だにゃー。
>>727 >実数の定義が与えられないうちは、無理数を定義できなかったということです。無理数を”有理数
>でない数”といってもほとんど定義になってないでしょ。
要するに問題なのは、「有理数でない」の部分ではなくて
「かず」の意味内容が不鮮明なことだと。
つまり問題だったのは実数の定義ということで良いよね。
Dedekindの有名な本も「数とは何か、何であるべきか」というタイトルだし。
だとすると、この件に関しては私とあなたは大体意見が一致している。
ただ、「実数ってのは10進無限小数のことだよ」という
素朴で大昔からある捉え方は実数の定義だといっても間違いじゃないけど。
>もとを正せば、解析学は物理屋が作ったのです。
物理屋にも二種類あって、物理屋兼数学屋の人と、純粋に物理しか
やらない人が居るよね。解析学を作ったのは主に前者でしょ。
後者はHeaviside(物理屋というか工学屋)くらいしか思い浮かばないが。
NewtonもLagrangeもHamiltonもEulerもさ。
因みにNewtonは数学者だとは認めたくないみたいだから
例を挙げてわかりやすく説明すると、
彼は対称式とか交代式の研究とかもしている。
任意の対称式が基本対称式で表せることを初めて証明したのはNewton。
これは物理じゃなくて数学だよね?
Newtonは多変数多項式の極値を求めるための方法とか、
高校数IIIで良く出てくるNewton法とかも物理とみなすのは無理があるでしょ。
737 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 09:36:09
文kei の壊れっぷりを示す命題 「1でもない哲学者でもない」君の主張⇒数学的概念の非存在 >現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです >数学的概念は現実の時空にはもとより存在しません。 という 「1でもない哲学者でもない」君 の主張より、次の推論が成立する: 数学的概念が現実的に存在不可能ということは、 事実として数学的概念が存在不可能ということである。
Heavisideは解析学を作った、というよりは計算方法を見つけたくらいじゃないの。 それを解析学として体系づけたのは、Schwartz とかでしょ。 さて、またしても“議論”が不利になってきたから、別の「とんでも」を持ち出して話題をそらす作戦に出たか。 こういうのが哲学のやり方なのかねえ・・・。
739 :
738 :2006/12/28(木) 09:55:50
「話題をそらす作戦」というのは「解析学は物理屋が作った」というデタラメのことね。
(
>>737 の発言に対してではないので誤解なきよう、お願いします。)
740 :
738 :2006/12/28(木) 09:57:46
あっ、736でした。かさねがさねすみません。
741 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 09:57:47
>まず”現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです ” >といったのは、現実的に存在しうるものに対して語ったのです。 >数学的対象は” 現実の時空にはもとより存在しない”ものです 「存在しうるものについて語った」からといって、 存在しないものに対して適用できないことの証明にはなっていない。 「存在しないものに対して適用できない」というのであれば、 そのことを、論理的な構造を明確にして、厳格な証明を与えるべきである。 第一、「1でもない。哲学者でもない。」君が ”現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです ” として語ったものは、数学的概念の記号の有限系列での記述について。 これが現実的に存在しうるのだから、そもそも数学的概念を 記号の有限系列で表現できないと言う主張は、 単なる言いがかり。 今回の「存在しないものには適用できない」発言も、 単なる言いがかりの可能性が大きい。 >数学的対象は” 現実の時空にはもとより存在しない”ものです この発言は、「1でもない。哲学者でもない」君が勝手にそう思っているだけ。 私はそう思わない。
742 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 10:00:22
>>741 つまり、「1でもない。哲学者でもない。」君が
不利になるものについては適用できないと言うことだろ。
彼の言い訳は詐欺師の自己弁護と同じだからな。
743 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 10:02:29
現実的に不可能なものが何で現実的に存在しうるんだ? そのこと自体が、「1でもない。哲学者でもない。」君の 主張が破綻していることを示している。
744 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 10:04:55
>まず”現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです ” >といったのは、現実的に存在しうるものに対して語ったのです。 現実的に不可能なものは、そもそも現実的に存在しないだろ。
745 :
(´=∀=`) :2006/12/28(木) 10:04:52 BE:1304381489-BRZ(5353)
命題A:哲学、特に形而上学が妄想というならば、数学も妄想である。 ↑論破できますか?果たしてほんとうに論破出来るのかね?w
746 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 10:06:58
文kei の壊れっぷりを示す命題 「1でもない哲学者でもない」君の主張⇒数学的概念の非存在 >現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです >数学的概念は現実の時空にはもとより存在しません。 という 「1でもない哲学者でもない」君 の主張より、次の推論が成立する: 数学的概念が現実的に存在不可能ということは、 事実として数学的概念が存在不可能ということである。
長さや大きさのない「点」という対象は、現実的には不可能ですが、 だからといって「点」という概念を考えられないわけじゃない。 それとも「1でもない。哲学者でもない。」氏は「点」やら「哲学的思考」とか、 そういった概念的な対象の存在を否定するわけですか。 そうだとしたら、「1でもない。哲学者でもない。」氏の主張そのものが崩壊しますね。
748 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 10:10:07
>まず”現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです ” >といったのは、現実的に存在しうるものに対して語ったのです。 ”現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです ” と言う文面のどこを探しても「現実的に存在しうるもの」などと言う記述は見当たらない。 文kei くんは、自分が不利になる言論を封殺しようとして このような言い訳を考えたと思われる。
749 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 10:13:15
>数学的概念は現実の時空にはもとより存在しません。 つまり、「コーシーの無限小」と言う概念も、 現実の時空には存在しないわけだな。
哲学でも数学でも構わんが、学問的な訓練を受けていない人間は 自分自身の言葉に陶酔してしまう。
751 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 10:15:16
>数学的概念は現実の時空にはもとより存在しません。 計算機で使われる、数学的なアルゴリズムも 現実の時空には存在しないんだな。
752 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 10:17:49
数学も哲学も分からない低脳が暴れているだけですから・・・
753 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 10:18:49
>数学的概念は現実の時空にはもとより存在しません。 1,2,3,・・・と、算用数字で記述された自然数も、 現実の時空には存在しないんだな。
754 :
723 :2006/12/28(木) 10:23:29
>>728 の一番最後
>無限小の概念はコーシー流の定義でもわかりづらいところがあるのはたしかです。
>”無限小といわれるものになる”をよく読めばわかります。
「"無限小"」というのは、「単なる0とは違う何か」なんだろうということは誰でも分る。
でも
>>294 >>333 >>646 >>662 >>723 あたりを参照してみても
それ以上のことはわからないしあなたが言うような理解は出来そうにない。
もし「同じ変数の引き続く絶対値が、任意の与えられた数を
下回るように限りなく減少するとき、この変数は何になるか?」
と唐突に聞かれたら、私はそれが無限小だとは思わないし、高校生に聞けば「0になる」。
「限りなく減少する」という事は値が変化するということで
tを時間或いは一般に媒介変数として函数x(t)あるいはx(n)だと
解釈するのは不自然ではなく実際に弧状連結の定義などこういう定義はよく行う。
また、Cauchyの言いたかったのは 「今までキチンと定義されていなかった
無限小は0に収束する変数のことだとみなしてやると合理的に解釈できる」
という事なんだという662さん(私とは別の方です)の意見は筋が通っている。
どうも「明けの明星」と【金星】は別物なんだ、というような妙な事を
言ってるようにしか思えない。 それに仏語の解析教程の「"無限小"と呼ばれるものになる」
の「なる」は日本語の「なる」やbecomeではないだろう。
Cauchyは「無限小とは0になる一歩手前の状態だ」と主張しているという事だろうか?
でも、「0になる一歩手前の状態」みたいな言い方で、
√2の「すぐ次の実数」と似た類のほとんど破綻寸前の概念にしか思えない。
あなたはCauchyの主張はどういう意味だと思ってるのか 分りやすく説明してくれますか?
どうもCauchyかあなたのどちらかに「広義の悪意」があるようだ。
それから「無限小といわれるものになる」を読めば分る、
分るまで読め、百回読めば分る、みたいな「説明」は勘弁して下さい。
こういう説明は私には悪意に満ちた説明としか思えません。
755 :
723 :2006/12/28(木) 10:28:07
>>738 そう思いますけど、でも計算法は大事だし
(複素函数論もCauchyは当初、便利な計算法程度の認識だったらしい。)
「解析学は物理屋が作った」の「作った」は
数学的な定式化をしたということではなくて、
計算法を与えて役に立つようにした、くらいの意味なんじゃないかと。
経路積分はFeynmanが「作った」と同じ意味です。
もし私が経路積分は数学者が作った、Feynmanは計算法を与えただけだ、
というレスを物理板ですると多分結構釣れるでしょうけど、
それじゃ
1ではない。哲学者でもない。:数学板住人≒私:物理板住人
になっちゃいますしw
756 :
738 :2006/12/28(木) 10:35:13
確かに経路積分はFeynmanが「作って」ますね。 数学的には定式化できてないし。
757 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 10:36:55
>数学的概念は現実の時空にはもとより存在しません したがって、「コーシーの無限小」と言う概念は、 現実的の時空に存在しない。
758 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 10:38:12
哲学数学以前に言葉を慎重に使う習慣がない人間だろ
759 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 10:42:55
>数学的概念は現実の時空にはもとより存在しません この言葉自体、慎重には使われていない。 おかげで、数学的概念の現実的存在が否定できる。
>>758 なんて言ったって「直観」を大事にする人ですからw
761 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 11:13:50
>>760 正確には「直観」でなくて「思いつき」だと思う。
762 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 11:14:44
Ce n'est pas une pipe.
ヤツの言うところの「直観」が、自分の先入観であり、字面の解釈であり、単なる思いつきであることは散々指摘されている。
764 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 11:24:04
また今夜も暴れるのか・・・。 もう 広義直観主義者 の主張もつまらなくなってきたしな。 そろそろおいとましようか。 俺もそんな暇じゃないし。
765 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 11:25:38
言葉を慎重に扱う習慣がないってことは 学問の習慣がない可能性も もちろん仕事もしてないだろう 何者だ?
Springerの藤原大輔の本は Feynmanの経路積分の数学的定式化の本じゃないの? あの本はどういう位置付けなんだろうか。
767 :
764 :2006/12/28(木) 11:31:31
>>765 俺は数学系の院生だが。
広義直観主義者はどうか知らない。
768 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 11:53:19
>数学的概念は現実の時空にはもとより存在しません 俺の考え方では、数学的概念は、記号や言葉で紙などに記述されたもの。 その真偽を別にすれば、「数学的概念」は、「現実の時空」に存在する と考えている。数学的対象もまた然り。 やはり我々は、記号や言葉で記述して、数学的対象を認識している。 そういう意味で、「数学的対象」は「現実の時空に」存在する と考えている。 もちろん、これは俺がそう思っているだけで、 他の方々が賛同してくれなくても、それは仕方がない。
769 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 13:37:01
「1ではない。哲学者ではない。」は、 自分にとって不都合な主張を否定しているだけ。 数学の議論などしていない。
770 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 13:39:27
カント面白いよね。 三批判書は難解で理解できないけど、啓蒙とはなにか とか、永遠平和のために とか、 道徳形而学原論 とか最高だよね。 おまえらも倫理=自由について、考え直した方がいいよ。
哲学も数学もわからない馬鹿がもう一人・・・
772 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 13:41:23
>>745 命題A:哲学、特に形而上学が妄想というならば、数学も妄想である。
まず、妄想の定義を明らかにしてくれ。
773 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 13:43:04
>もとを正せば、解析学は物理屋が作ったのです。 解析学が市民権を得たのは、ひとえに自然科学、工学での成功に負うわけですが、 こちらの方面で微分方程式を作る場合、基本的に無限小方式です。 ↓ だから、例えば、物理屋たちは、自分たちの「数学」が 「厳密でない」事を自覚している。 ↓ もとを正せば、解析学は物理屋が作ったのです。 よく最期のレスの意図が分からないんだが、 解析学は物理学由来の分野が多いから「無限小方式」のほうが正当だ、 極限を用いる方式やε-δを用いて順序位相で定義する方法は間違っている、 とか 物理屋が作ったんだから物理屋が決めた方法が一番正しくて厳密だ、 と言いたいの? 解析学というのは一つの学問分野であって 宗教じゃないから、教祖とか創始者が一番正しい、 ということにはならないんですよ?
775 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 17:55:19
解析や幾何が物理的観察から示唆されて発見された だったら異論はないけどな これは「真の純粋数学とは代数である」の裏返しだけど てか、数学が作り物であるならなぜ物理世界が記述できるわけ? 物理学は数学を「使って」世界を記述するのではないのだ 予め存在する数学的実在のなかから、物理に当てはまる数学を探しているだけである では、当てはまる数学とは何か? それは、数学の全部である 応用がないのは、当てはめ方がまだ分からないだけだ 分かったか? 文系とやら お前がどんな屁理屈をこねても無駄なのだよこのバカ珍が
>>733 > ここで問題になっている物理屋一般の話とどう関係してくるのか不明だしな。
物理屋が非厳密な方法で微積分を使っているなどというから、言い返したまで。
厳密さは数学の売りだけど、ぎゃくにアイディアと発想に乏しいのが数学の悩み
じゃないのですか。
>>734 > ここまでに他の人に「コーシーは無限小を定義していない」と言われるからには
本当にわからないのか、わからない振りをしているのか、いずれにしても、情けない話し
ではないですか、それにあなた自身の意見表明がないですね。他人事で。
>>735 > 広義直観主義電波も最近マンネリ気味だにゃー。
わたしは中川のようにサービス業をやる気はありません。
>>736 > 因みにNewtonは数学者だとは認めたくないみたいだから
数学は物理屋にとって道具ですから、道具を磨き上げる必要があってしたことで数学者
にされては物事の本質を見誤ることになります。
おおきな成果を数学部門でもあげればいやもおうもなく、数学者にされてしまう。逆に
数学出身の人間が他分野でおおきなしごとをすると、その分野自体まで数学の領域と
いってはばからないのが数学界の本性でしょう。
アインシュタインのような有名人物はぜひとも数学者の仲間にいれたかったでしょうが、
オリジナルの大きな数学的成果がないので入れられなくて残念でしょう。
>>741 >>数学的対象は” 現実の時空にはもとより存在しない”ものです
>この発言は、「1でもない。哲学者でもない」君が勝手にそう思っているだけ。
>私はそう思わない。
こんな明らかなことがわからないと、世間で恥をかきますよ。
>>743-744 > 現実的に不可能なものは、そもそも現実的に存在しないだろ。
数学的概念は現実に存在しなくとも、概念を表す記号を印刷したものなら存在しますよね。
1は存在しなくとも、印字された’1’は存在します。そういう区別をつけるところから
一歩一歩勉強していってください。
>>745 わたしへのレスではないですよね。
>>747 >「点」やら「哲学的思考」とか、そういった概念的な対象の存在を否定するわけですか。
これも立場により、いろいろな立場がありますが、わたしは否定しません。というか、
レスを読んでいればわかるでしょう。
>>748 きょうのレスよく読んで。
>>749 > つまり、「コーシーの無限小」と言う概念も、現実の時空には存在しないわけだな。
哲学的に考えれば、違う結論もありうるでしょうが、ここでの文脈ではそこまで考慮は
しません。
>>751 > 計算機で使われる、数学的なアルゴリズムも現実の時空には存在しないんだな。
アルゴリズムそのものは、現実の時空には存在しません。思惟の中にのみ存在します。
>>753 > 1,2,3,・・・と、算用数字で記述された自然数も、現実の時空には存在しないんだな。
743へのレスを読んで。
>>754 > それ以上のことはわからないしあなたが言うような理解は出来そうにない。
無限小は有限な値ではないということはわかりますよね。さらに0でもない。0を
極限にもつと言っているのだから。しかし、それで実は十分な理解なんです。
>>768 > 俺の考え方では、数学的概念は、記号や言葉で紙などに記述されたもの。
紙に記述されたものが数学的概念なら火をつけたら燃えますね。
>>774 > 宗教じゃないから、教祖とか創始者が一番正しい、ということにはならないんですよ?
解析学のような学問になにがより正しいなどということが間違っている。現に超準解析では
無限小も十分な厳密性を得た。一番大事なのは優れたアイディアだとおもいます。
779 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 20:27:10
>紙に記述されたものが数学的概念なら火をつけたら燃えますね 燃えない紙もあるが。
780 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 20:30:13
>無限小は有限な値ではないということはわかりますよね。さらに0でもない。0を >極限にもつと言っているのだから。しかし、それで実は十分な理解なんです。 無限小に関しては不十分な認識だ。超準解析やらねばね。 第一、数学的概念は現実的に存在しないんだろ? 現実的に存在しない概念についてうだうだ話しても、無駄なんじゃないか?
781 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 20:33:40
>一番大事なのは優れたアイディアだとおもいます アイディア+それを生かすための技術。 ここて言う「技術」とは、数学の場合、論理的に理論を構成する ためのノウハウのこと。
782 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 20:37:07
>>727 のレスにあるように、数学的概念は現実には存在しないそうだ。
だから、「コーシーの無限小」なる概念も、それが数学的概念である限り、
現実には存在しない。これが事実として存在しないと言うのと、
どう違うのか説明してみてよ。
783 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 20:40:24
>アルゴリズムそのものは、現実の時空には存在しません。思惟の中にのみ存在します。 思惟の中にしか存在しないアルゴリズムが、なぜ機械を動かせるのかな?
784 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 20:49:14
>> 俺の考え方では、数学的概念は、記号や言葉で紙などに記述されたもの。 >紙に記述されたものが数学的概念なら火をつけたら燃えますね。 燃えるのは紙。記述した内容を記憶しておけば、また同じ物を作れる。 どの道、「思惟の中に存在する」と言うだけではダメで、 数学的概念には明確な記述が必要。記述することで、理解が深まるし、 記述がないと、他の人に伝えられない。 自分の数学の勉強で、ノートをとってみて、頭ではわかってるけど、 どう書いて良いのかわからない・・・という経験をした人は、 そのことが良くわかっている。
785 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 20:54:04
文kei の主張を公理とした推論。 数学的概念は現実には存在しない。 現実に存在しないということは、事実として存在しないことである。
786 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 20:56:29
ひさしぶりに文keiスレをみtが、この粘着ぶりホンマモンのキチガイとちゃうか
787 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 20:58:19
>数学的概念は現実に存在しなくとも、概念を表す記号を印刷したものなら存在しますよね。 >1は存在しなくとも、印字された’1’は存在します。そういう区別をつけるところから >一歩一歩勉強していってください。 あなたは実際に、概念をあらわす記号を印刷したものを見て勉強してるはずですが。 私は、実際に記述された数学的概念を、存在する・・・と言っているのです。 記述が存在するのですから。一方で、コーシーは、無限小そのものについて、 それがなんであるかの記述をどこにも与えていません。 それは、あなたが何度も引用した文章を読めばわかります。 そういう意味で、「コーシーの無限小」なる概念は、記述がないので、 存在しません。
788 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 21:03:41
>こんな明らかなことがわからないと、世間で恥をかきますよ 恥をかいたことはないが
789 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 21:05:09
>アルゴリズムそのものは、現実の時空には存在しません。思惟の中にのみ存在します つまり、文kei の思惟は、非現実的なわけだ。現実の時空には存在しないんだから。
790 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 21:07:04
文kei の壊れっぷりを示す命題 「1でもない哲学者でもない」君の主張⇒数学的概念の非存在 >現実的に不可能ということは、事実として不可能ということです >数学的概念は現実の時空にはもとより存在しません。 という 「1でもない哲学者でもない」君 の主張より、次の推論が成立する: 数学的概念が現実的に存在不可能ということは、 事実として数学的概念が存在不可能ということである。
791 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 21:20:22
>紙に記述されたものが数学的概念なら火をつけたら燃えますね 面白いレスだ。紙に記述された数学的概念・・・その紙を燃やして、 その紙の内容を誰も記憶しておらず、誰も記録にとっていなければ、 その数学的概念は、誰かが再構築するまで、存在しないことになる。 俺にとっての「数学的概念の存在」とは、その程度のもの。 だから、現実の記述を重視している。
哲学も数学も判らん馬鹿がまた暴れてるか
793 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 21:25:44
>>792 あなたも、自分で思っているほど、
哲学や数学を理解していないですね。
794 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 21:47:24
不毛な議論だな。
795 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 21:49:31
>無限小は有限な値ではないということはわかりますよね。さらに0でもない。0を >極限にもつと言っているのだから。しかし、それで実は十分な理解なんです。 「認識を深めるため」と称して、散々議論して、その程度の認識か?
796 :
132人目の素数さん :2006/12/28(木) 22:00:11
>>776 >わたしは中川のようにサービス業をやる気はありません。
中川のほうが、好感度上だな。
コーシーが無限小そのものの厳密な定義を与えているとすると、 コーシーは具体的な問題を議論する際に 「○○は無限小であると仮定する。」 「〜〜である。よって、○○は無限小である。」 「○○は無限小であるから、△△が成り立つ。」 といった文脈を使っているんだろうか。
もうすぐ800件。盛り上がってるね。 哲学者の言うことはデタラメだけど。
>>776 >物理屋が非厳密な方法で微積分を使っているなどというから、言い返したまで。
>厳密さは数学の売りだけど、ぎゃくにアイディアと発想に乏しいのが数学の悩み
>じゃないのですか。
だから、その主張と前の議論との関係は?
数学がそのような「悩み」を持ってたとしても、
物理屋の方法が非厳密ということを否定することにはならないぞ。
その点については認めたってことかな?
数学がアイディアに乏しいってことはないだろ 微分積分、超関数あたりは物理からでてきたかもしれんが、 ガロア理論も多様体論もヒルベルト空間も集合論も数学者が発見した理論じゃないか
>>800 もちろんそうだが、話をそらすのがこいつの狙いだと思うので、
「それを主張して何になる?」という点を問題にしようと思った。
ある数学のアイデアが優れているかどうか、優れたアイデアが多いか少ないか、
等の議論をしても、それぞれの主観が入ってくるからなあ。
> アインシュタインのような有名人物はぜひとも数学者の仲間にいれたかった そんなことはない。 有名人なら何でも自分の権威づけに利用するお前のさもしい根性と一緒にするな。
>>776 >本当にわからないのか、わからない振りをしているのか、いずれにしても、情けない話し
>ではないですか、
読む側の理解力不足よりも、書く側の説明に問題があるのではという話だったのだが
一方的に前者だと決め付けるのか?
わかりづらい点があることは認めながら、それについて具体的な説明を拒むのはなぜか。
>それにあなた自身の意見表明がないですね。他人事で。
こちらの質問にも答えず、こちらの意見を踏まえた反応もせず、
「意見表明がない」とは何事か。
むしろ、こちらの意見に対するあなたの「意見表明がない」と言えるわけだが。
「1でもない。哲学者でもない。」は、 「議論」で「勝つ」為に言葉並べてるだけ。
文kei は、数学的概念は、現実に存在しないって言ってるんだから。 「コーシーの無限小」も、それが数学的概念である限り、 現実に存在しない概念でしょ。
物理屋は、デルタ関数を使うことによって、論理体系を矛盾させている。
>アルゴリズムそのものは、現実の時空には存在しません。思惟の中にのみ存在します 思惟の中にのみ存在するのがアルゴリズムならば、 その人が眠っていたり、死んだりしたら、消えてなくなりますね。
ここの自称哲学者でない人の言行録、 オウムの上祐そっくり。気が狂っているとしか思えない。
809 :
132人目の素数さん :2006/12/29(金) 17:51:16
そろばん3級で挫折するやつがsEに走る
>>779 > 燃えない紙もあるが。
じゃはさみで切り刻んでちょ。
>>780 > 無限小に関しては不十分な認識だ。超準解析やらねばね。
歴史的な話しですから、なにごともいっぺんには進まないのです。
それに過去の素朴な概念の魅力を感じないですか?
>>781 > ここて言う「技術」とは、数学の場合、論理的に理論を構成する
>ためのノウハウのこと。
’論理的’が必要以上に強調されすぎているのが数学。フーリエの仕事を見るとよいです。
>>782 >これが事実として存在しないと言うのと、どう違うのか説明してみてよ。
立場にもよりますが、数学的概念はふつう”事実として存在している”と人は思って
います。しかし現実の時空内に存在しないということです。
>>783 >>>アルゴリズムそのものは、現実の時空には存在しません。思惟の中にのみ存在します。
>思惟の中にしか存在しないアルゴリズムが、なぜ機械を動かせるのかな?
だから慎重に’アルゴリズムそのものは”と書いています。もし機械を動かしている
のがアルゴリズムそのものなら、それでそれが歯車でできていたとするなら、
例えば歯車式を電子化したとき歯車式の’アルゴリズムそのもの’が消えて
なくなってしまうというのはおかしいでしょ。
>>784 > 数学的概念には明確な記述が必要。記述することで、理解が深まるし、
これは同意しますが、次元の違う話しをもってこられても困ります。
数学的概念があるときはノートのうえ、あるときは黒板のうえにあって消しゴムで
こすれば消えるというのはおかしいです。
>>787 > 私は、実際に記述された数学的概念を、存在する・・・と言っているのです。
どのレスで言っているのですか?
>>788 > 恥をかいたことはないが
それはなにより。
>>789 > つまり、文kei の思惟は、非現実的なわけだ。現実の時空には存在しないんだから。
思惟がどこにあるのかは誰にもなんともいえないのです。
”脳内でおこなわれているだろう”という反論もあるかもしれませんが、'脳’に
ついて語ると(医学的なはなしは別として)これは自己言及となって矛盾が生じる
のです。
>>781 > だから、現実の記述を重視している。
やはり次元のちがう話しですね。
>>793 わたしも哲学の知識は、専門の方から’サル山の猿”ていどにいわれていますので。
実際そうおもっています。まだ初心者ながら数学のほうがよっぽどましな知識を
持っていると考えています。
>>795 > 「認識を深めるため」と称して、散々議論して、その程度の認識か?
そうお怒りにならずに。
>>796 > 中川のほうが、好感度上だな。
...
>>797 > といった文脈を使っているんだろうか。
ひとりごと?
>>798 > 哲学者の言うことはデタラメだけど。
哲学者はいません。それともあなた?
>>799 > 物理屋の方法が非厳密ということを否定することにはならないぞ。
超準解析で無限小方式も厳密性を確保したでしょ。物理屋がある範囲で解析を
あつかっているなら非厳密ということにはなりません。
>>800 > 数学がアイディアに乏しいってことはないだろ
アイディアに乏しいから、ヘビサイドの演算子法をラプラス変換などと言って
憚らないのです。
>>802 > 有名人なら何でも自分の権威づけに利用するお前のさもしい根性と一緒にするな。
はいはいそうですか。
>>803 > こちらの質問にも答えず、こちらの意見を踏まえた反応もせず、
質問のまえに、自分の意見を表明するのがマナーでしょ。
>>805 > 「コーシーの無限小」も、それが数学的概念である限り、
>現実に存在しない概念でしょ。
おおむねそう言って間違いないでしょう。
>>806 > 物理屋は、デルタ関数を使うことによって、論理体系を矛盾させている。
論理体系は微積分が始まったときから矛盾しだしているのです。
>>807 > その人が眠っていたり、死んだりしたら、消えてなくなりますね。
その人の思惟のなかにしかないなら、そうなります。
全部のレスを読んで一々返すのはすごい根気だな その努力をなにか建設的な方向に向けたらいいんじゃないかと思うが 俺は哀しいよ
815 :
132人目の素数さん :2006/12/29(金) 23:31:47
>>778 (既に一日遅れだが)
>無限小は有限な値ではないということはわかりますよね。さらに0でもない。0を
>極限にもつと言っているのだから。しかし、それで実は十分な理解なんです。
ああでもない、こうでもないといってるだけで理解にはまったく不十分に見えるのだが・・・
「無限小とは0に収束する変数が至るところのものである、しかし極限値ではない」といいたいのだろうか?
コーシーは微分可能関数y=f(x)に対し、Δxが無限小のときΔyも無限小になりΔy/Δxを微分係数と定義している。
上のような理解で、たとえばy=sin xのような簡単な関数で無限小Δxや無限小Δyが具体的に何だというのだろうか?
sin xの微分も出来ないようでは到底理解したとはいえないので、明確に答えてほしいものだ。
>>813 > 論理体系は微積分が始まったときから矛盾しだしているのです。
ん?
最初のほうから熱心に反論している人(私ではない)が
ニュートンは論理的におかしいとこもあるとか発言したら
ひとつでも例を挙げてみろと噛み付いてなかったっけ?
>道具を磨き上げる必要があってしたことで Newton力学や光学で基本対称式の定理とか使いますか?多分使わないでしょ。 だいたい微積を創始したのはNewtonだけじゃなくてLeibnizもそうだけど、 彼は物理学だとか法律学で使うから微積を考えたわけじゃないですよ。 Decartesの解析幾何もそう。あくまで平面初等幾何への応用が主眼だと思います。 >逆に数学出身の人間が他分野でおおきなしごとをすると、 >その分野自体まで数学の領域と >いってはばからないのが数学界の本性でしょう。 Neumannは計算機科学で大きな業績を上げたし、計算機科学で仕事をした 数学者は多いはずだけど、計算機科学を数学と見做す数学者はごく小数。 寧ろ、数学との境界的分野の計算可能性理論(P=?NP問題とか)に関してまで 「あれは応用数学でしょ?あんなの数学じゃない!」とかという意見の 排他的数学者はいくらでも居る。証明論とかも同じ。 野矢茂樹は数学科出身の哲学者だし河合隼雄も数学科出身の 心理学者(心理療法家?)だけど、哲学とか心理学は数学の一部だなんて 言っている奴居ますか?聞いたこと無いが。 NeumannもWittgensteinも全然「その分野自体まで数学の領域と いってはばからない」の例になってなかったよな? いい加減言いがかりは止めてくれ。 >アインシュタインのような有名人物はぜひとも数学者の仲間にいれたかったでしょうが、 >オリジナルの大きな数学的成果がないので入れられなくて残念でしょう。 頭おかしいんじゃないの?妄想がご趣味?
>無限小は有限な値ではないということはわかりますよね。 いや、有限な値だと思うけど…「無限大」の間違いですか? >しかし、それで実は十分な理解なんです。 君や当時の二流数学者が充分と思っても、一流数学者は誰もそう思わなかった。 だからCauchyもWeierstrassも無限小概念を陽に使わない講義をした。 「ルート2のすぐ次の実数」とか言ってる人が 実数について充分な理解をしてると思いますか? >解析学のような学問になにがより正しいなどということが間違っている。 Abelは、当時の大学教授たちの級数の理解は間違っていて正しくない、 とか言っているわけですが。Abelは間違っていたわけですか。 あなたが以前挙げた級数の一様収束の例こそ、そのときAbelが挙げた例なんですよ。 「無限小」の概念には問題があって厳密には正しくないと認識されていたからこそ Robinsonが40年くらいまえに超準解析の理論を作ったんじゃないですか。 Fourier級数の理論などもheuristicな素朴な計算では論理的に難があると 思われていたからこそ集合論も実解析学も生まれた。 問題があって厳密には正しくない、という認識は必要ですよ。 >’論理的’が必要以上に強調されすぎているのが数学。 論理が強調されてるから、ある級数の値が数学者によって違うと言った 変な事が起きないわけですが。解析が厳密化されたのは、あくまでも 熱の理論の研究途上に理論を論理的にする必要性が生じたと認識されたからですよ。 どんなクレーマーも含めて、万人が納得せざるを得ない議論というものに 魅力を感じないですか?あなたは感じないかもしれないけど私は感じます。 >超準解析で無限小方式も厳密性を確保したでしょ。 無限小方式って何のことかいまいち分りませんが体積要素とかの扱いのことですか? 幾何学者が超準解析よりもっと前に既に合理化しています。
>物理屋がある範囲で解析をあつかっているなら非厳密ということにはなりません。 厳密でないなのは確かですけど。物理学者だって自分の数学で 「問題が起きない」ことは確証を持っても、非厳密でないなどと事実に反することは言いません。 矛盾しない範囲で数学を扱う限り矛盾はしませんという事でしょうか? 実際昔potentialの計算でδ函数の使い方を間違えて間違った値を出した 物理学者だって居ます。(数学者と物理学者の境目が曖昧だった時代の話)
文kei にレスするのは、もうアホらしくなった。
821 :
132人目の素数さん :2006/12/30(土) 10:17:32
>’論理的’が必要以上に強調されすぎているのが数学。 これは「数学はある程度は非論理的であるべきだ」ということをいいたいのですか? 「論理」に強調するもしないもないでしょ?(あるのは真偽のみ)
822 :
132人目の素数さん :2006/12/30(土) 10:29:44
哲学=思いつき+推論+実証不可能
823 :
132人目の素数さん :2006/12/30(土) 10:35:52
哲学を理解 は? 馬鹿? 全ての学問は、哲学的思想から出来てるんだが
824 :
132人目の素数さん :2006/12/30(土) 10:36:03
なんか、みんなが呆れてるのも分かる気がする。 >’論理的’が必要以上に強調されすぎているのが数学。 フーリエの仕事を見るとよいです フーリエって、どんな関数でもフーリエ級数展開可能だとか唱えてたんだよ。 それを、数学者たちが、反例を用いて、多くの関数がフーリエ級数展開だと 訂正してあげただけでしょ?これのどこが厳密すぎるの? これって、ものすごい違いだけど分かるかな? あと、Diracの仕事もそうだよ。 R^d上で可積分な関数に対してフーリエ変換は可能なんだけど、可積分 じゃない工学でよく使われるような関数(例えばヘヴィサイド関数)で フーリエ変換使いたかった物理屋さんがいたの。 それで、物理屋さんは、 δ(x)=0 (x≠0)で ∫[-∞、∞] δ(x) =1 が成り立つ関数が必要になったといって、それを用いてがんがん計算 するようになったわけ。 でも、普通に考えられている関数では、一点{0}の測度は0だから、 ∫[-∞、∞] δ(x) =0 じゃないと、おかしい。 打つの面倒になってきたから詳しく書かないけど、δを普通の関数として じゃなく、主張していた関数をみたす写像として考え直したんだけど、 それだけじゃ面白くないから、そのような写像の中でいくつかの条件 を満たすようなものを超関数として理論くみ上げてみたってだけジャン。 正直、数学の本読んでも、意味分からん、本質つかめんから、いちゃモン つけてるようにしか思えない。
825 :
132人目の素数さん :2006/12/30(土) 10:36:23
高校の物理や数学は公式や解法パターンを覚えればテストで高得点を取れただろうけど、 大学以降は自分の頭で考えないとあっという間に分からなくなる。 哲学を理解できない馬鹿が高校物理や高校数学に逃げる、というなら筋は通るけど、 哲学すら理解できない馬鹿に大学の物理や数学が理解できるわけがない。
826 :
132人目の素数さん :2006/12/30(土) 10:39:25
哲学を理解出来てる奴は天才だな あー 凄い 凄い
827 :
132人目の素数さん :2006/12/30(土) 10:53:13
>>825 高校物理・高校数学に挫折して大学の哲学科に入る奴は、
それなりに哲学的訓練を受けるからあまり酷い電波は飛ばさない。
最悪なのは、高校時代はパターン暗記のおかげで物理・数学が得意だったのに、
大学以降に全然分からなくなった奴だろう。「オレは頭がいい。お前ら全員、馬鹿」
という誇大な自己イメージを保つために、数学・物理・哲学のいずれの学問的訓練も
拒否し続ける。つまり馬鹿をこじらせる結果となる。
数学、物理、哲学、あるいは他の学問でもいいから、身を入れて勉強すればいいのにね
829 :
132人目の素数さん :2006/12/30(土) 12:26:33
哲学はバカでもできるが、数学・物理・論理学etc はバカにはできない。
830 :
132人目の素数さん :2006/12/30(土) 14:59:48
哲学やってるやつって裸のおおさまだね
>>812 >ひとりごと?
ならば質問しよう。使っているのか?いないのか?
>>814 > その努力をなにか建設的な方向に向けたらいいんじゃないかと思うが
>俺は哀しいよ
もちっと数学を勉強しないと、この板では相手にしてもらえないので、数学をやらなくては
ならないとおもっています。
で、なにが哀しいのですか?
>>815 > 「無限小とは0に収束する変数が至るところのものである、しかし極限値ではない」といいた>いのだろうか?
もう無限小はあきました。それに無限小が不備なところがあるのは最初からわかっています。
解析学は改築や建て増しをしながら進める学問だと思っていますから、そういう不備は問題
ではありません。
>>816 > ニュートンは論理的におかしいとこもあるとか発言したら
>ひとつでも例を挙げてみろと噛み付いてなかったっけ?
後世の議論と比較しての話しです。
>>818 > いや、有限な値だと思うけど…「無限大」の間違いですか?
無限小の歴史を1から勉強して。
> 「ルート2のすぐ次の実数」とか言ってる人が
これはだれのことですか?
> Abelは、当時の大学教授たちの級数の理解は間違っていて正しくない、
>とか言っているわけですが。Abelは間違っていたわけですか。
無限小方式とε―δ方式とかの比較の面においての話です。
> Fourier級数の理論などもheuristicな素朴な計算では論理的に難があると
>思われていたからこそ集合論も実解析学も生まれた。
その間違ったフーリエ級数の理論が集合論や実解析学を生んだというところが
わたしのいいたかったことのポイントだったのです。
>解析が厳密化されたのは、あくまでも
>熱の理論の研究途上に理論を論理的にする必要性が生じたと認識されたからですよ。
うえで述べたことの繰り返しですが、厳密でない議論であってもフーリエの仕事が
現代数学への道を切り開いた点をわたしは評価するのです。
>>819 > 実際昔potentialの計算でδ函数の使い方を間違えて間違った値を出した
>物理学者だって居ます。
まちがった結果をだした数学者だっていくらもいるでしょう。
>>821 > 「論理」に強調するもしないもないでしょ?(あるのは真偽のみ)
だからフーリエの例をあげて、厳密でなくともおおきな影響を数学界に与えたという
話しをしたのです。
>>823 > 全ての学問は、哲学的思想から出来てるんだが
そうなんですよね。それをわからない人が多すぎる。ある哲学的見解のうちのひとつを採用して
各学問の基礎ができているのです。そのことを理解してもらいたいものです。
>>824 > フーリエって、どんな関数でもフーリエ級数展開可能だとか唱えてたんだよ。
実解析をやったとき、フーリエ解析もやりましたから、知っています。
上でも述べましたが、間違っていても勇気をもって言い切ったフーリエの凄さを感じるの
です。それで数学が大きく進歩したという点を強調したのです。
>>825 > 哲学すら理解できない馬鹿に大学の物理や数学が理解できるわけがない。
哲学に比べれば、大学の数学・物理程度なら簡単簡単。
>>831 > ならば質問しよう。使っているのか?いないのか?
797の文章では論理が変でしょう。だから使っていないでしょう。
age
>>834 >797の文章では論理が変でしょう
論理のおかしさを指摘できるほど具体的な命題は書いてないわけだが。
どこが変なんだ?
837 :
132人目の素数さん :2006/12/30(土) 21:05:35
21世紀にもなって未だに「無限小」なんかに拘っているんですか? 「無限小」、「無限大」などは言葉の綾に過ぎず、些事であることがわかっています。 論点は、はるかその先にあるのですよ。
838 :
132人目の素数さん :2006/12/30(土) 21:10:01
>834 ある哲学的見解のうちのひとつを採用して各学問の基礎ができているのです。 あなたは哲学の、他の学問に対する優越性を示したいわけですね?
>>833 >まちがった結果をだした数学者だっていくらもいるでしょう。
前にも言ったが、ここで数学者のことを持ち出しても反論にならない。
「数学者と物理学者のどちらが優れているか」という議論ならともかく。
>>819 の意見は認めたうえで、それに関連する事実を単に述べただけ
(
>>819 への反論などではなく)ということなのか?
「諸学の王」の哲学者が数学をできないとはこれ如何に
841 :
132人目の素数さん :2006/12/30(土) 21:17:58
842 :
KingOfUniverse ◆667la1PjK2 :2006/12/30(土) 21:32:47
>>832 >> 「無限小とは0に収束する変数が至るところのものである、しかし極限値ではない」といいた>いのだろうか?
>もう無限小はあきました。それに無限小が不備なところがあるのは最初からわかっています。
疑問文を引用しておきながら、それに答えず「飽きました」って…。
せめて、YESかNOかぐらい答えろよ。
それに無限小の不備というよりお前の認識が間違っている可能性を
ずっと指摘してるんだが。
844 :
132人目の素数さん :2006/12/30(土) 21:44:02
>>837 数学・物理の大変動の予兆を感じ取れるかどうかが大事だね。
感じ取れる奴は大変動の方向を向いて研究してるし、
感じ取れない奴は過去の延長上で研究してる。
いずれにせよ、大変動の予兆を感じ取るには学部程度の数学・物理は
マスターしておかないといけない(必要条件)。数学だけ、物理だけ、では
駄目だ。
哲学屋が大学レベルの数学・物理を修得するのは至難の業だ。
そこで、通俗解説書に書いてある程度の過去の事例をつつきまわして
「哲学の偉大さ(?)」を称えるくらいしかすることがないんだろうが、
つまらんことやってるな〜としか思えんよ。
カオスとか複雑系ってのは哲学屋が大喜びで飛びついたよな
846 :
132人目の素数さん :2006/12/30(土) 22:18:36
素養が無い人は薄っぺらなコケオドシに引っ掛かりやすい、ということだね
複雑系って薄っぺらなこけおどしなの? 数論とかやってる天才が本気だせば楽勝?
>>812 >質問のまえに、自分の意見を表明するのがマナーでしょ。
そんな順番を規定するマナーはないし、意見も書いてる。
意見を無視して、書いてないことにしてしまうのは、マナー違反じゃないのか?
849 :
132人目の素数さん :2006/12/30(土) 22:36:12
哲学の優越性を示すことの意義がわからん。何が言いたいの?
若いころ俺は、数学をやるか親父の跡をついで法律をやるか、はたまた文学をやるか悩んだ しかし、IQが高いので数学にしたのだよ
文keiも結局数学・物理学者は哲学者より上だと考えているようだ 「数学には哲学的思考が必要」ということは、数学者・物理学者は哲学的思考をしている 哲学者も数学に貢献したから偉い、ということは数学のほうが哲学より価値がある を意味するように思える。 こういう歪んだコンプレックスは改めろ
852 :
132人目の素数さん :2006/12/30(土) 23:27:46
村上がノ^ベル文学賞を取れないのは大衆文学だから
853 :
132人目の素数さん :2006/12/30(土) 23:32:23
部数から逝ったら漫画や週刊誌のほうがノーベル文学賞候補になる。 PB,HL,も立派な候補だ。
854 :
十二使鳥 :2006/12/31(日) 00:20:22
またコピペでも張ろうか。。。
このスレに似たタイトルのスレが立った。
856 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 07:46:43
哲学も数学も物理も理解できればいいんじゃね?
857 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 12:59:05
全学問理解できればいいんじゃね?
858 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 13:11:14
数学その他を見下すことで、哲学がエライ(それをやってる自分もエライ)と主張したいのでしょうね。 ガキだな。
859 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 13:14:00
数学も物理学もわからんが 議論なら負けないぞ などというキチガイがやるのが 哲学
▲▲▲ ∞=0 量▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ 人間が数学を発明する前から自然界には【量】が存在していた。 犬や猫でも大きい、小さいを認識できる。 数学はその量を記号化することで、大きい、小さいという曖昧でもある量を 具体的に表すのである。 量は空間(無)に二つの有、つまり基準点と決定点をもって量は成立する。 例えば地球だけでは重さという量はなく、地球とリンゴという二つ有により 重さという量は生じるのである。 ちなみに、無限大というものがあるが、これは基準点のみで決定点がなく、 量としては成立しなので、量を扱う数学としては無効である。。。 が、現在、数学や物理では無限大が使われいる。「言っていることと違う!」 と思うだろうが、物理や数学をやっている連中はバカだからしょうがない。 とでも理解しとくべきだろう。
よく、点と線と言うが、この世に線は存在しない。 画用紙に鉛筆で線を引いて電子顕微鏡で覗けばわかることである。 土星の輪(線)をイメージするのもいいだろう。 この世は点と空間である。つまり有と無、である。 点と空間で量を表すと ・ ・=3 ・ ・=2 ・・=1 ・=0 そして無限も ・ で、基準点のみ、となる。つまり、【∞=・=0】 である。 顕微鏡=それまで認識できなかった物(有)が認識できる。と同時に それまで認識できなかった空間がそこには広がっている。
さて、数字の0ゼロ。ゼロは無であり、言い換えれば量として成り立たない。 が、数学でゼロを使うのは有効である。 ∞=0 でありながら、なぜ∞無限大が有効で0ゼロは無効なのだろうか? つまり無限大は量として成り立たないにもかかわらず量があるかのように 扱われているためペケ。 ゼロは量として成り立たないことを量が無しとして使われているからマル。 ということである。数学が量を扱う学問といえど、量が無しとしているゼロは 有効なのである。 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
863 :
十二使鳥 :2006/12/31(日) 13:30:45
>>859 議論の余地があるのなら、それはショボイ哲学だな。
>>858 ガキを見下した発言に聞こえるが・・・・
ガキから得るものは大きいぞ。
864 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 14:17:27
随分と幼稚な哲学だね。精進しなさい。
865 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 15:14:17
>>862 無限大は量として成り立たないにもかかわらず量があるかのように
扱われている
無限大は限りなく大きくなるという「状態」を表すのであってそれ自体は「数」でも「量」でもない。
その点では 862 の主張は正しい。
無限大が数のように扱われるのは間違いであり、間違って使っている人間も多い。
866 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 15:16:09
続き:でも ∞=0 は間違い。性質の違うものを=にはできない。
867 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 15:20:14
続き: >この世は点と空間である。つまり有と無、である 点が有ですか? 点は空間に置ける位置を表すものであり、物ではない。 点という物は存在しない。
868 :
十二使鳥 :2006/12/31(日) 16:11:17
>>865 無限大という【言葉】は限りなく大きくなるという「状態」を表す
というのはそのとおり、
>>862 ∞=0 は間違い。性質の違うものを性質の違うものを=にはできない。
としているがこの種の数学の【記号】は一般に状態にまで及ぶのか?
いう疑問が残る。やはり、量に限定した方がいいと思う。
よって量そのものは変わらず∞=0でも問題ないと思う。
>>867 有と無の定義は意外と難しく、
>>867 のようなレスがあっても仕方がないと
思う。正直いって俺も有と無は感覚的に分けていることが多い。
ここはある程度慣れなければわからないかもしれない。
例えば心身二元論となると、心には実体がなく【無】、身には実体があって
【有】。破壊と建設は実像であり【有】、破壊と建設生み出す必要意識と
不要意識は実像ではなく【無】。といったように、、、
ま、そのうち解るだろう。
869 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 16:19:09
このスレの住人は余程バカだと感じる。 >このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) >土木鋼構造診断士・診断士補 [土木・建築] >日大生産工学部土木について語る 第四章 [土木・建築] >コンクリート診断士2 [土木・建築] その上頭が固い
870 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 16:21:55
>>868 0は量だが無限大は量ではないので=にはできない。
>>832 >もう無限小はあきました。
ご冗談を。
飽きたにしてはすぐ次のレスでも無限小方式という言葉を使うほどお気に入りの様子。
それであなた言う無限小方式でy=sin xの微分係数Δy/Δxをどう解釈するのですか?
>それに無限小が不備なところがあるのは最初からわかっています。
不備があるというのは具体的に何のこと?
ざっとみたところあなたの無限小は定義も具体例も良く分からない。
そんなもの数学的概念とすら呼べないはず。
複数の人が主張しているように、普通の解析学ではεδ論法を使って無限小を排除して不備はない。
単純で理解可能なものをあえて不備のある無限小などで難しく見せるのはなぜ?
文keiは数学者がそういうやり方で権威を保っているという妄想を述べてたが・・・
872 :
十二使鳥 :2006/12/31(日) 17:41:56
>>870 へぇ〜0は量なのか?どの位の量なのかなぁ?
>解析学は改築や建て増しをしながら進める学問だと思っていますから 問題があることが分かったら、すぐに何が問題なのか? どうやったら解決できるのか?と考えるのが現代の数学だけどね。 問題が起きない場合だけに限定して使えば良いのだからこのままで良いや、 といって「どういう場合に問題が起きる/起きないのか?」も調べないのが 工学屋や物理屋の数学ですけどね。 (別に侮蔑しているわけではないですよ。 数学的厳密性に過度に拘る物理の論文は面白くない、 という幾何学の先生も居ますし。) >無限小の歴史を1から勉強して。 あなたが読んだ本に書いてあったんでしょうけど、それは 無限小は収束プロセスであって一つの値ではない、 とか、あるいは有限の「普通の実数」ではない、とかそういう意味だよ。 有限という言葉は有界と同じ意味で使うことが多いし、 ある実定数より大きくてある実定数より小さい、という意味で使う事はあまり無い。 だいたい、あんたのレスを読んでも無限小の定義は書いてない、と言ったら 有限な値ではない、0でもない、それで十分な理解なんだ、と言ったんだろ? ここで無限小の歴史を1から勉強しろ、そうすれば無限小の意味が分かる、 とかそんな莫迦なレスがあるか。少しは自分の発言に責任を持って下さい。
無限小方式とか変な用語使うのはいい加減やめてくれよ。 物理学者も工学者も数学者も誰もそんな言葉使わないから。 哲学者も使わない。誰も専門家が使ってなくてカッコ悪いから。 >まちがった結果をだした数学者だっていくらもいるでしょう。 物理と違ってめったに無いけどね。 だから間違わないように論理は厳格に扱わないといけないね、という話。 >ある哲学的見解のうちのひとつを採用して >各学問の基礎ができているのです。 例えば分子生物学はどういう哲学的見解から出来ているんですか? 進化論は?外科学の基礎はどういう哲学的見解から出来ている? 別に哲学者の見解から選ぶわけじゃなくて、 各学問の基本的立場、考え方のことを「哲学的」と読んでいるだけでしょ? >間違っていても勇気をもって言い切ったフーリエの凄さ Fourierは函数はすべて展開可能な函数しかないと本当に思っていたから そう述べたまでで、展開出来ない可能性があることを認識した上で あえて「勇気をもって」断定したわけじゃないですよ。
>>836 > どこが変なんだ?
いろいろ忙しくて、説明しきれない。ごめん。
>>837 > 21世紀にもなって未だに「無限小」なんかに拘っているんですか?
何度も言っているように、解析学から無限小を排除できないと思うからです。
>>838 > あなたは哲学の、他の学問に対する優越性を示したいわけですね?
よくアカデメイアでは数学が重視されていたと数学板の方がおっしゃられますが、
プラトンは哲学を最上位の学問と考えていたのです。数学はその次ですけどね。
もっともわたしはそんなことを示したいとはおもっていません。
>>840 > 「諸学の王」の哲学者が数学をできないとはこれ如何に
だれのことですか?
>>842 > talk:
>>830 おおさま?
さすがにkingすごいアンテナ。
>>843 > それに無限小の不備というよりお前の認識が間違っている可能性を
>ずっと指摘してるんだが。
無限小の概念の使用により解析学ははじまったのです。εーδも結構ですが、最初からεーδは
うまれない。それに現在、超準解析で無限小概念も整合的に確立されているわけですしね。
>>844 > 哲学屋が大学レベルの数学・物理を修得するのは至難の業だ。
独習が厳しいのは当然のことです。そのうえ独習を考慮した本がほとんどない。
数学になると大学で授業を受けていても、授業自体それほど親切でないからわからない人が
でてきます。
物理はさがすとわかりやすく書いた本があります。数学は洋書にはわかりやすい本があるとの
話しをよく聞きます。
量子力学もファインマンを入門書として読みましたが、むずかしいはなしはないにもかかわらず、
いまいちピンとこない。シュレーディンガーの方程式もどう作ったのか書いてない。
それで解析力学をやらなくてはわからないのかとおもったら、一般向けの複素数の説明すら
でているほどの簡単な本に、方程式の作り方がでていて面食らったものです。
水素のばあいの方程式の解まではでていませんでしたが、それはファインマンでやっていたので
そこで全体がつながった感がしました。
>>848 > そんな順番を規定するマナーはないし、意見も書いてる。
肝心のはなしはかいてなかったです。
>>849 > 哲学の優越性を示すことの意義がわからん。何が言いたいの?
わたしは1ではないですから、優越性をしめそうとはおもっていません。
>>850 > しかし、IQが高いので数学にしたのだよ
...
>>851 > 文keiも結局数学・物理学者は哲学者より上だと考えているようだ
> 哲学者も数学に貢献したから偉い、ということは数学のほうが哲学より価値がある
>を意味するように思える。
どっからそんな結論がでてくるのか?あきれてものもいえません。
>>872 > 不備があるというのは具体的に何のこと?
もともとこの議論は、無限小、極限、極限の発展形としてのεーδ論法などの問題点とかを
指摘するのが目的ではありません。後代のものほど便利だったり不備な点が改良されている
のはあたりまえのことです。そうではなくて837へのレスで書いたような点について議論
したいとおもったのです。ですが、もう飽きましたが。
>>873 > だいたい、あんたのレスを読んでも無限小の定義は書いてない、と言ったら
>有限な値ではない、0でもない、それで十分な理解なんだ、と言ったんだろ?
>ここで無限小の歴史を1から勉強しろ、そうすれば無限小の意味が分かる、
>とかそんな莫迦なレスがあるか。
ただ納得できなかったのでしょう。だから、そうしたら歴史をふりかえって納得するいがい
ないとおもいますが。ニュートンとかライプニッツが使ったのでなかったら無限小は
世間にうけいれられなかったでしょう。アルキメデスにしても無限小をつかって求積を
おこなっても証明は古典的な方法でやらざるをえなかったのです。
>>874 > 無限小方式とか変な用語使うのはいい加減やめてくれよ。
そういうなら、自分でなにか提案しなくては。長すぎる言い回しはだめですよ。
> 物理と違ってめったに無いけどね。
よく断言できますね。物理と数学の経験が相当おありなんですか?
> 別に哲学者の見解から選ぶわけじゃなくて、
>各学問の基本的立場、考え方のことを「哲学的」と読んでいるだけでしょ?
それは知らないだけ。
> Fourierは函数はすべて展開可能な函数しかないと本当に思っていたから
証明がない以上、フーリエだって確信はないでしょう。そういう仮説を提示したというこ
大晦日でも頑張ってるな
879 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 20:23:54
>>876 > そのうえ独習を考慮した本がほとんどない。
あなたがどう思おうともあなたの自由ですが、数学書は独習用に書かれてますし、
現に殆どの学生は教科書を自分で読んで勉強しています。
あなたが数学の教科書を読んで理解できないのなら同情しますが、
それはあなた個人の問題ですので自己解決してください。
#学業が進まないのを環境や教官や教科書の所為に仕出したら、
#その時点で成長はストップしますね。
↓うるせーんだよ ↓このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
881 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 20:32:56
てかお前らくらい頭よかったら哲学くらい楽勝だろー。 哲学制覇しろよー。
882 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 20:33:35
てか、哲学と数学は俺的にはかなり近いもののように思われるが。
883 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 20:34:30
「てか」連投すまそ。
884 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 20:38:49
>>872 ∞=0なんて言っているから数学が出来ないんだな。
↓うるせーんだよ ↓このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
886 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 20:45:09
>>862 >数字の0ゼロ。ゼロは無であり、言い換えれば量として成り立たない。
ゼロは無ですか?ゼロが量として認められない?
ゼロがなぜ無なのか示してください。861 の図は意味不明です。
887 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 20:47:17
欧米の哲学者は物理も数学も得意だよね。
888 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 20:52:27
>>872 では負の数 -1 は量としてはどういう風に解釈するのですか?
印哲だと無いと無いは無いと無いは無いは無いと…さらに絶対的な無と区別しとるな
890 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 21:00:01
0は量でない
無限大は量でない
ゆえに 0=∞ である
>>861 量でないものは等しいのか?
891 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 21:09:48
>>860 は、数=空間内の2点間の距離 ということですね。
∞が距離として扱えないことは、だれもが同意できるでしょうが
0を距離として認めないのは、ほとんどだれも同意しないでしょう。
892 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 21:14:53
0は量でないということと、無限大は量でないことは違うと考えられる。 0は無いことを示すとしても、無限大は確定できないことを示している。 0は数だが、無限大は数でない。 0には量を定義することが出来るが、無限大には量を定義できない。
893 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 21:30:11
十二使鳥さんは、数学は目に見える物(実在)だけを扱うべきだという主張ですね。 そのような立場の数学もあり得るでしょうが、そうでない立場の数学もあり得ます。 わたしは後者の立場です。たぶんお互いに平行線でしょう。
よく分からんけど、「無限大は量ではない」とかほざいてる奴らに質問。 超準解析じゃアカンの?
895 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 21:36:56
十二使鳥=kingだと思っていたが、違うのかな。
896 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 21:43:23
>>894 無限大が量かどうかは立場の問題でしょう。
897 :
十二使鳥 :2006/12/31(日) 21:51:38
>>892 >0は量でないということと、無限大は量でないことは違うと考えられる。
無限大を定義すれば、「基準点のみで決定点がないもの」これではダメか?
>無限大は確定できないことを示している。
つまり、∞=確定不可 とすれば満足なのか?
>0は数だが、無限大は数でない。
そうかもしれんな。でも=と言うのは数ではなく、やはり量に限定すると
思うぞ。例えば5=2/10。量は同じとは言うが、数は同じとは言わないだろ?
ま、0=∞というのは釣りの餌だ。つまり、インパクトをつけただけだな。
それはどうでもいい話だ。
本題は、【量というものは空間と2点により決まる】ということを
>>860-862 では押さえておいてくれ。
898 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 22:11:26
>ま、0=∞というのは釣りの餌だ。つまり、インパクトをつけただけだな。 >それはどうでもいい話だ。 あちゃ〜 何じゃそりゃ? 自説の主張すっときにテキトーなこといわんほうがエエぞー!
899 :
十二使鳥 :2006/12/31(日) 22:18:19
>>893 目に見えないものを扱うのはどちらかというと俺の得意分野だけどなぁ。
>>895 十二使鳥=Got と思った方がいいぞ。
>>898 俺だけはテキトーなこと言ってもいいことになっている。と思っていた。
900 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 22:18:50
やっぱりこういう議論を見てると、数学者は哲学者に近いと思うな。
901 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 22:39:39
902 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 22:41:56
903 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 22:54:04
>>900 計算とか測量とかで数字を機械的に扱っている時以外は
数学者でも物理学者でもそれぞれが哲学を持っているでしょう。
哲学=自分の立場 だと思います。
904 :
十二使鳥 :2006/12/31(日) 22:54:42
905 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 23:09:05
903 続き
>>1 の主張は
「(ごく一部の・特別な・専門的な)哲学」を理解できない馬鹿が
ということであり、一般的な意味での哲学を指していないと思われます。
哲学の難しい部分を理解できないからバカだという主張はほとんど誰も受け入れないでしょう。
難解な哲学だけが哲学ではありません。
906 :
十二使鳥 :2006/12/31(日) 23:17:23
>>905 俺に言わせりゃ、難解とかという問題じゃなくて、俗に言う、俗に学んでる
哲学は哲学じゃないけどな。それらしいものであって、要するに偽物だ。
907 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 23:20:52
俗に学んでいる哲学(偽物)とはどういうものですか? また、本物の哲学とはどういうものですか?
908 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 23:23:17
言葉多くして語れず なお真理は胸の中に 人に伝わらず 一人自分の境地に彷徨う わが身から発する魂は 演戯と共感によって伝えるのみ
909 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 23:27:45
>>908 あなたの胸の中にあるものが「真理」であることを祈ります。
910 :
十二使鳥 :2006/12/31(日) 23:30:06
>>907 哲学の捉え方にもよるが、哲学を根本原理の追求。とすると、
ほとんどがダメだ。ということ。
↓うるせーんだよ ↓このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
912 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 23:38:09
思想、立場、信条などの一般的な哲学は真の哲学ではないということですね。 根本原理を追求することが哲学である、と。 それを十二使鳥さんの立場として認めることにやぶさかではありません。 数学者でも物理学者でも、根本原理を追求しているならば、 彼らは同時に哲学者でもあると言っていいですね?
913 :
十二使鳥 :2006/12/31(日) 23:48:25
>>912 哲学の捉え方にもよるから、別に哲学者であるといってもいいけど、
追求中では、およそ追及済、には及ぶものではないよ。
914 :
132人目の素数さん :2006/12/31(日) 23:53:49
何をもって追求済になるのか不明ですし、追求済なものが存在するかどうかも不明ですが とりあえずは数学者も物理学者も(少しだけ)哲学者の中に入れてもらえるようですね。 ありがとうございました。良いお年を。
915 :
十二使鳥 :2006/12/31(日) 23:55:41
>>914 もうすぐだな。来年は。
そんじゃまた。
↓うるせーんだよ ↓このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
■ おすすめ2ちゃんねる 開発中。。。 by FOX ★ このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) 土木鋼構造診断士・診断士補 [土木・建築] 哲学を理解できない馬鹿が、数学や物理に逃げる [哲学] 日大生産工学部土木について語る 第四章 [土木・建築] コンクリート診断士2 [土木・建築]
▲▲▲ 統一理論(重力、光熱、電磁。そして万物)▲▲▲▲ 小物のボーア君も東洋哲学をしてたそうで・・・・・老子を引用します。 ★老子 第40章 (中国の古典2 麦谷邦夫訳 学習研究社) 根源に立ち返るのが道の動きで:、柔弱なのが道の働きだ。 この世界の万物は有から生じるが、その【有は無から生じる】のだ。 よく問題にされる[有は無から生じる]を解りやすく現しているのが交流発 電機で、磁石【SN、NS】をくるくる回すだけでコイルに電子が発生します。 磁気というものには実体といえるものはありません。その実体のない磁気 【無】が実像的な電子【有】を生み出します。ビックバン説などのように何も ないところから物体が生まれるというのとは違います・・・の訳がない。 重力にしても熱気にしても同様でこの実体のないものの働きにより実像的 な現象を生み出すのです。 軽軽熱熱S S (波動の正体) ↑↓↑↓↑↓ 重重冷冷N N
★老子 第42章 道が一気【↑】を生じ、一気が陰陽二気【↑↓】を生じ、 陰陽二気が交わって陰陽冲和の三気【=】が万物を生み出す。 万物は陰気を背負い陽気を抱き、冲和の気によって調和を保っているのだ。 一気というのは【一つの方向性、時間(生命)】のことでですが時間には実 体はありません。その実体のない時間が実像的な【運動】を起こします。 一気を宿したものはやがて陰陽二気、つまり実体のない二つのベクトルを 生み出します。つまり物理的には【陰気を有した雌】と【陽気を有した雄】 との間で【融合と分裂】という【変化】を起こします。変化は全体に対する個 というものを決定づけるものであり、それは全体の時間(ひとつの時間)に 対して固有の時間というものを決定付けるものでもあります。 重くなれば(↓)大地に融合され、軽くなれば(↑)大地から分裂し、冷たくな れば(気体→液体→固体)融合され、熱くなれば(固体→液体→気体)分裂。
さて、同極は引き合い、異極は反発するという現象こそは見ることができ ますが、磁気でも↑↓で融合と分裂が本当に起こるのでしょうか? これは極微の世界で認識することができます。対消滅と対発生です。 二つのベクトルは、分裂する時、融合する時に、起こります。しかし分裂し た後、融合した後、は【気の変動はなくなり冲和(=)】されます。 観測というのは観測対象となるものの磁気変動をとらえ、その磁気変動が 観測者側に実像を生み出すのです。よって磁気変動がなくては観測でき ません。それがあたかも物体が真空に対消滅したり、真空から対発生して 見えるのですが、これはただの融合と分裂なのです。 何もないところから物体が発生したり、消滅するわけがない。 自然界に存在する4っつの力?熱はどうする?生命は?生命だって自然 界に存在するもの。物理学の統一理論はまるでダメ。未だ電磁と重力すら まとめれない始末。つまり理がないからいつまでもまとめれないのである。 人も時間(魂)を宿し変化を成します。【この世は有と無からなる】のです。 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
921 :
十二使鳥 :2007/01/01(月) 10:42:42
>>919 で
【一気は時間で運動】を起こす。としているが、イメージとしては、全体的な
視点の【ブラウン運動】もしくは、一点視点の細胞分裂をする前の【変形】
がいいだろう。運動というより【活動】と言ってもいいものである。
よく言う【相対的な運動】は一気の視点とは異なるもので、二気。
となるので注意。
>>918-920 の物理学でいう統一理論。これが哲学で言う根本原理であり、
この宇宙の普遍の理、真理である。
>>879 > あなたがどう思おうともあなたの自由ですが、数学書は独習用に書かれてますし、
教科書の著者に聞いてみるとよくわかるとおもいますが、数学書のある部分は授業用
であるし、ある部分はその分野の研究成果の要覧(あるいはまとめ)と見られるし
そのどちらともいえない本もあります。
独習用であれば、やさしい問題が豊富になくてはならないし、解答も完全なものがついていて
ほしい。さらにセルフ・コンテインドであることも求められるでしょう。
そういう数学書がいっさいないとは言いませんが、非常にまれです。
> あなたが数学の教科書を読んで理解できないのなら同情しますが、
こういう勝手な空想はしないように、文系の方法論がありますから、いまだかって
本に重大な不備がないかぎり、理解できなかったということはありません。
923 :
132人目の素数さん :2007/01/02(火) 09:30:20
>>922 > 教科書の著者に聞いてみる
大抵の著者は独習用に書いてるよ。教科書を書いてる複数の教官がそう言ってた。
> 独習用であれば、やさしい問題が豊富になくてはならないし、解答も完全なものがついていて
> ほしい。さらにセルフ・コンテインドであることも求められるでしょう。
それは君の願望に過ぎない。解答が欲しいなどという甘ったれた態度ではいかなる学問も修得
できない。君は
>>876 で洋書はわかりやすいと書いているけど、洋書の定評のある教科書は
大量の難解な演習問題を解答なしで載せていることが多いよ。
> こういう勝手な空想はしないように、文系の方法論がありますから、いまだかって
> 本に重大な不備がないかぎり、理解できなかったということはありません。
数学書を独習できている、ということですね。ならば、文句をいう必要もありませんね。
高校物理・高校数学に挫折して大学の哲学科に入る奴は、 それなりに哲学的訓練を受けるからあまり酷い電波は飛ばさない。 最悪なのは、高校時代はパターン暗記のおかげで物理・数学が得意だったのに、 大学以降に全然分からなくなった奴だろう。「オレは頭がいい。お前ら全員、馬鹿」 という誇大な自己イメージを保つために、数学・物理・哲学のいずれの学問的訓練も 拒否し続ける。つまり馬鹿をこじらせる結果となる。
▲▲▲ 重力(プラスとマイナス)▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ 時(運動)は流れて変化(分裂、融合)を生じます。 質量。つまり重力ですが、これも電磁、光熱などと同様に【宇宙の変化 の一環】に他なりません。宇宙ではこの重力という実体の無いものの働 きにより分裂と融合が行なわれます。 【重力といのは対天体に働く二つのベクトル↓↑です】 現在物理学では重力には引力しかなく、反重力はないとされていますが これは誤りです。 A水蒸気 B熱気球 Cロケット a地球 一般にはABCの動きを反重力とはいいません。例えばBとCではまるで 別物の力の働きだとしてみてしまいますが・・・確かにその通りです。 しかし別物と認識するにはB対C、C対Bであり、対aつまり対地球的な視 点ではないのです。重力の考え方は対地球的でなければなりません。
人はロケットをロケットとして認識しますが、そのような認識を必要とす るのは人位なものです。宇宙の原理を知るにはそのような認識は必要 ではありません。対地球的な視点に立てばロケットも単なる物体(個体・ 有)でしかないのです。そしてその物体と地球の関係は二つのベクトルに よって成り立つのです。 引力が発生するには必ずその反発力(反重力)が存在します。雨が降る には水蒸気となって上がった過程があります。リンゴが落ちるのはリンゴ の木が引力に逆らい成長し、地中の水分を吸い上げた結果なのです。 熱気球だから、ロケットだからといって地球との関係に特別な数式は必要 ないのです。現在の物理はこれらの考え方を無視していますが果たして 無視していいことなのでしょうか。物理では電磁と重力はまったく別物でま るで統一できないというようなことを聞いたことがありますが・・・どちらもこ の宇宙の変化の一環なのです。数値にしてもプラスとマイナス。マイナス は【プラスの反】なのです。ニュートンは重力以前に力を理解していない。 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
927 :
十二使鳥 :2007/01/02(火) 11:06:37
>>925-926 重力と反重力だが、厳密に言えば下降が重力で上昇が反重力と
言うことではない。
重力と反重力には同時性があり、下降の際も反重力が働いているのである。
このことは作用、反作用と同じことである。
下降、上昇という実像的現象自体は、実体のない重力、反重力を探るもの。
ということである。
>数学になると大学で授業を受けていても、授業自体それほど親切でないからわからない人が >でてきます。 大学になると、講義が分からない人なんて数学に限らず 何の学問だって出てきますけど。家で教科書も読まず勉強を十分にせず、 当然の結果として理解できない人ならともかく、 毎日3時間とか4時間とか勉強しても理解できない人はあまり居ないと思いますよ。 >ただ納得できなかったのでしょう。だから、そうしたら歴史をふりかえって納得するいがい >ないとおもいますが。 (少なくとも現代では)解析学では普通「有限の値」というのは 「有界な値」という意味で使います。 絶対値が無限に小さい、なんて言い方はしません。 だから無限小は「有限」ではないのではないか?と聞いたわけです。 多分あなたと私で「有限」という言葉の使い方が違うだけです。 納得出来るか出来ないかという問題ではないと思います。 尤もあなたが無限小は有界な値ではない(つまり無限小εがあったとき、 任意の実数rに対してr<εであるということ)とか主張しているなら話は別ですけど。
>そういう数学書がいっさいないとは言いませんが、非常にまれです。 分野によります。Galois理論とかは独習書が豊富でしょ。 一般人にも人気があって、本が売れるから。 それに微分積分とか線型代数とかは、独習用の厚い教科書は多いが 講義に使える薄い良い教科書は少ないと数学者が書いてるの見たことあるよ。 >独習用であれば、やさしい問題が豊富になくてはならないし、解答も完全なものがついていて >ほしい。さらにセルフ・コンテインドであることも求められるでしょう。 可環環論とか代数解析みたいな専門家しか読まないような分野もですか? case by caseでは? 完全な解答がついていて「欲しい」という願望は理解できますけど。 self-containedとは言っても程度問題で、 少なくとも九九とか一次方程式の解き方から解説するわけにはいきません。 例えばKolmogorov-Fominみたいなのは十分self-containedといって良いでしょうね。
数学って自分の頭で考えるのが基本なんだよな 多少難しい本でも分からないことが書いてあっても、自力でフォローするのが当たり前 それができないやつが、なんのために数学書を読むんだ
みんな詳しいね、しかも分析哲学とかでしょ。 僕も哲学書読んでみたけど全く意味がわからないフィーリングみたいな記述ばっかり。 特にカントからフッサールにかけて。例えばカントの「純粋理性批判」。 我々の認識可能な世界の内部が「内在」で、そうでない部分が「超越」。 この超越に関する認識(神や霊魂がどうとか)が「超越的」、 超越への認識が「アプリオリ」(自明)に可能だという認識、 つまり「超越的」なものへの認識が「超越論的」という形容詞でしょう? 「神はいる」「でもあなたのその認識は伝聞でしょ、少なくとも神がいるという伝聞はある」、こういうのが超越論的な議論。 カントは真理がどうかなんて語るつもりはない、どこまでが確実(内在)かを語る、それが「超越論的哲学」。 とにかく目の前にある信号は三色に分かれていてそれは誰が見ても(色盲でもなければ)違う三色。 これは「現象」としては確実だから内在、でもその中の青色と呼ばれているものは本当に誰にとっても 同じものに見えているのか不明(近所のおっさんは自分が赤と呼ぶものを青と呼んでいるかもね)、 だから本当の青色なんてとりあえず分からないので超越、とりわけ「現象」に対して「物自体」と呼んでおく。 我々はまず対象を直観によって認識する、この機能を感性と呼ぶ。 感性は初めからからある存在のようなものではなく、対象があって初めて働く機能のようなもの。 感性は純粋直観というひとつの機能があり、これは物体を認識するために時間と空間を機能させる。 つまり時間と空間の中に物体があるんではなく、物体を認識するために時間と空間を用いるんだね。 実際そこらへんの写真を見てみれば分かる、平面なのに立体的な空間的な認識を我々はするよね。 だからフィッシャーの絵画にぼくらは混乱させられる。「遠近法」もその機能の手助けだ。
11111
933 :
931 :2007/01/02(火) 22:05:19
さらに時間について。過去の「私」、今の「私」、どれが本当の「私」なのだろうか、と考えるとする。 色々な物体を認識しているのが全て同じ「私」であると確信できるのはなぜだろうか。 それは「統覚」という機能による。パッ!と何かが目の前を瞬間的に通り過ぎたとき、 黒っぽい、白っぽい、丸っこい、光っているなどのはっきりと何とは言い切れない情報が断片的に入ってくる、 これらの諸情報は「多様」と呼ばれ、「統覚」によって総合されてひとつの物体として直観される、 と同時に物体を直観できたことでそれらの諸情報を得たのが同一の「私」であると認識される、 これがデカルトの「われ思うゆえにわれあり」に近い考え方。(最近の心理学曰く完全に間違っているそうだが) まぁ、とにかく時間や空間なしで物体を想像できないという事が、時間や空間が我々が物体を認識するのに 必要となる機能でしかないことの最大の証左となるそうだ。 で、以上のように「感性」によって物体が認識される、しかしそれはまだ意味のない映像のようなものだ。 「感性」によって得られた情報は「悟性」へと進む。 ここで「悟性」は「12の範疇(カテゴリー)」(純粋悟性概念)に従って得られた物体の情報を整理していく。 例えば「数量」だとか「質」だとかの4つが3つに分かれて全部で12個。 これはアリストテレスのカテゴリー表を修正したみたいだけど全然だめ、分類の仕方が恣意的。 まぁ、とにかくこの範疇によって認識された物体は「概念」となる。 だから全く同じ形のリンゴがなくてもそれらがリンゴと呼ばれるものだ、ということが分かる! つまりリンゴの「定義」はある基準に従って我々は決めている、その基準をカントは12の範疇で説明しようとしたんだね。 とにかく「感性」→「悟性」で物体は把握できる。
934 :
931 :2007/01/02(火) 22:06:45
で、次に来る「理性」、これは得られた概念情報を推論能力で更に加工しちゃう。 「理性」は常に「超越」を欲する(形而上学的欲求)性質があり、確かでもないことを推論してしまう。 そもそも認識には「アプリオリ(先天的、経験するまでもない)」なものと「アポステリオリ(後天的、経験によってはじめて分かる)」がある。 で、前者は「分析判断」と「綜合判断」に分かれていて、後者は「分析判断」だけ。 「分析判断」は証明不要な判断、「綜合判断」は証明によってなされる判断。 「理性」が「超越」について語っちゃうのは(厳密には語った時点で超越じゃないんだけど)、 存在しないはずの「アポステリオリ」な「綜合判断」のせい。 だからカントはこの本で「アプリオリ」な「綜合判断」を利用して、「内在」と「超越」のボーダーラインの領域、 即ち「超越論的」な領域を認識しようと試みている。 けれども僕はどう考えても「アプリオリ」な時点で「綜合判断」も「分析判断」なのではと感じてしまう。 まぁ、そこは大目に見て、この「理性」の余計な推論能力によって人は 神や霊魂だとか自由だとかを議論したがってしまう。だがそんなものは分かるはずもない。 だから「純粋理性」など当てにならない、ゆえにカントは「純粋理性批判」をしたのだ。 それから後は「アンチノミー」だとか「神の存在証明は自ら破綻する」だとかどうでもいい雑談。 で、ここで僕が聞きたいのは果たして「アプリオリ」な「綜合判断」は可能なのか、どうなのか。 「アプリオリ」な「綜合判断」をカントは幾何学を用いて説明しているんですが、 数学徒からするとカントの説明は正確なのでしょうか?
935 :
931 :2007/01/02(火) 22:54:42
自明ですが主観客観の二図式はデカルト(フランス)に端を発しました。 いえ、正確にはアウグスティヌスの考えの剽窃ですが。 彼は全てを疑い(懐疑論)その果てに残る「自我」(主観)を「思考」としました。 そしてそれ以外の「物体」(客観、自らの肉体さえ)は空間に「延長」を持つと表現しました。 ところが万人に共通の「客観」があるのはおかしい、これの説明に「神」を用いました。 一方、イギリスではバークリー(独断的観念論、この世の全ては我の観念に過ぎない)、 ロック(第一観念と第二観念に二分、自分の観念以外の余地を残した)、 ヒューム(認識は「感性→悟性」で因果や概念は単なる経験に過ぎない)ら経験論者が活躍。 これら英仏の雑多な物言い(特にヒューム)をまとめる役割と、わけの分からない妄言を喚いている 狂信的キリスト教徒を黙らせる役割の両方をカントは担ったわけです。 このとき西洋哲学にとっての「真理」とは「主観」からいかに「客観」へと到達するかという事になっていたのです。 もちろんカント以降のドイツ観念論者(フィヒテ、シェリング、ヘーゲル等)は今日では読む価値のないゴミです。 後のショーペンハウエル(バークリ+インド思想+文学趣味)も森鴎外や幻想文学のファンだけの読み物です。 キルケゴールやニーチェも文学ファン向けなのでここでは取り上げません。 次に注目に値するのはブレンターノの「記述心理学」を利用したフッサールの「現象学的還元」です。 ここで彼はデカルトに近いところから、独我論的なところから哲学をはじめます。 僕が呼んだのは「デカルト的省察」です、ところがこれは「デカルト的笑殺」でした。
936 :
631 :2007/01/02(火) 23:28:51
フッサールは「世界」の内側、認識されている部分を「内在」、認識されていない領域を「超越」とします。 もちろん「超越」というのはそれが説明された時点で「内在」と化します、「超越」は意識によって 常に「内在」と化しているのでそれ自体は存在しません、いえ存在しないと語った時点で 存在の対語として「何かあるもの」になってしまうので言語で説明することは難しい、 存在とは違った、存在の彼方・・・、ここら辺を説明しようとレヴィナス(「存在の彼方へ」)は頑張っていますが。 とにかく「超越」を語るとすでにそこは「世界」の内側であることは自明でしょう。 この「超越」を認識しようとする機能を「意識」と呼び、その本質は「志向性」、「超越」への志向性です。 ではこの「意識」とやらは何か、それを導き出すため「超越論的エポケー」(現象学的還元)を行います。 デカルトのような懐疑のようなものだと仮に考えていただければ結構、違う部分は最後に残るのが デカルトのような「自我」という「何か」ではなく「意識」というただの機能、意識される対象(ノエマ、客観)によって 初めて現れる「意識」(ノエシス、主観)です。「ノエシス」「ノエマ」はそれぞれ自存しえず対になってはじめて機能します。 この意識の志向性の現われのひとつが推論です。我々は平らな板の表と裏を同時に見ることは出来ません。 表を見ているとき裏がどんな形をしているかなど何の保証もないのです。 ですから常に見て感じたまま、カレーと間違えてゲロを食べようがそのとき感じた味は間違いない感じたままの味、 こういった「明証(直感的真理)」を「純粋直観(本質観取)」と呼びます。 ところでここまでは独我論です。ここで他者が自らと同じように主観を持つという「明証」を「妥当」と呼び独我論を回避します。 この「妥当」によって「主観」は「間(相互)主観性」となります。これは「主観と主観の間で少なくとも共通項がある」ことを 言うのではありません、ただ「根拠はないが他者も自らと同じような主観を持つという明証がある」という事を言うのです。 やがてフッサールは「生活世界」だとかオカルティックで恣意的な事を語りだすので見るべきものはここまででしょう。
>>923 >大抵の著者は独習用に書いてるよ。教科書を書いてる複数の教官がそう言ってた。
数学は用語の定義ははっきりしているし、論理的に進行します。哲学などでは、一種の啓示
といったものがないと理解できない内容もあるのですが。
ですから数学は簡単に学習できるはずのものです。
どうして、そうならないのか?自分の経験からみて、悪意があるといってもよい本が多いということ
によるのではないのかと推量します。
数学の学習は一歩一歩はしごを上るようなものですが、途中の談をはずしておけばもうそこから
上れないわけです。論理ギャップがまずそれにあたるでしょう。
次に抽象的概念はそれに先立つ具体的な概念があったわけですが、それを省けば非常にわかりづらい
本が容易にできます。ブルバキも教育課程での採用は少なくなっていると聞きますが、この本の
著者は抽象のまえに具体例にたっぷり触れてきた人がほとんどだと思います。
わかってからなら、抽象的な記述のほうが整理され美しいとも見えますが、学習者にとっては
たまったものではないのです。
>大量の難解な演習問題を解答なしで載せていることが多いよ。
洋書とて優れた独習書はわずかなものではないでしょうか。
>数学書を独習できている、ということですね。ならば、文句をいう必要もありませんね
良い本があればもっと短時間に学習できただろうとおもいます。
>>928 >大学になると、講義が分からない人なんて数学に限らず
数学にとくに顕著ではないですか?
>少なくとも現代では)解析学では普通「有限の値」というのは
仮に現代では使わないとしても(超準解析を除く)無限小は歴史的に重要な概念でしょう。
コーシーの定義でわからなかったら、歴史を紐解くいがいないでしょう。
>>929 >Galois理論とかは独習書が豊富でしょ。一般人にも人気があって、本が売れるから。
他スレで高校2年の生徒がガロア理論をマスターしていたので驚きましたが、といって
ひまつぶしのゲームがわりに一般の人がこなせるともおもえませんね。ガロア理論は。
誰かがわかりやすい本を書かないと、一般の人(八百屋のおじさんとか)がせっかく興味を
持っても途中で挫折するとおもいます。
>可環環論とか代数解析みたいな専門家しか読まないような分野もですか?
可換環論なんぞ、教え方しだいでは中学生だってこなせるでしょう。もちろんPIDはUFDであるとか
程度の定理で基礎的なないように限ってのことですが。わかりやすい本がないから専門家しか
読まないのですよ。
>self-containedとは言っても程度問題で、
>少なくとも九九とか一次方程式の解き方から解説するわけにはいきません。
またこういう子供じみたことをいわれる。前書きで必要な予備知識を提示したら、それ以上の
知識はすべて説明するということです。
939 :
忘禅普賢 :2007/01/03(水) 01:26:00
皆さん大学生、もしくは大学院生の方ですか?難しい話をしますねぇ。ところで、 "無"についていえば、大乗仏教では、所謂"無い"ということを三段階に「空・虚・無」 と分けてましたね。確か・・うる覚えですが。
940 :
132人目の素数さん :2007/01/03(水) 01:41:51
全然違います。 大乗仏教の空観を復習してください。
941 :
忘禅普賢 :2007/01/03(水) 02:06:43
いや、失礼しました。ところで、"132人目の素数さん"は「"空集合"は"無"」 だと思いますか?
>自分の経験からみて、悪意があるといってもよい本が多いということ >によるのではないのかと推量します。 あなたそんな大量に本持ってないし読んでもないでしょw >ブルバキも教育課程での採用は少なくなっていると聞きますが あれは大学生用の入門書だとか学習書として書かれたものじゃないですよ。 だからそういう用途で使おうとして挫折するのは使い方が悪い。 堪ったものでないと言われても著者も困ります。 >コーシーの定義でわからなかったら あなたが挙げたCauchyの定義は無限小変数の定義で、 「有限の」の意味の説明じゃないでしょ? 今は「無限小」とはどういう定義かと言ってるんじゃなくて 「有限の」とはどういう意味で用いられているか、と聞いたんだよ?何言ってんの? >といってひまつぶしのゲームがわりに一般の人がこなせるともおもえませんね。 いや、数学は別に暇潰しのゲームじゃないし。。。 PS3で遊ぶ代わりに数学書を買って暇を潰して貰いたいとは ほとんどの数学者は思ってないですよ。 >もちろんPIDはUFDであるとか >程度の定理で基礎的なないように限ってのことですが。 その程度の内容なら「代数学入門」とかそんな名前のついた本で 分かりやすい本はたくさんあります。抽象代数学の基礎は 解析や幾何と違って数学好きの高校生などにも 手の出しやすい分野で人気がありますから。 私が言及しているのはもっと上のレベルの専門書のことです。
>わかりやすい本がないから専門家しか読まないのですよ。 まず、専門家にしか読むための動機がありません。 「なぜそういう研究が必要なのか、重要なのか」という根本の部分が 中学生には欠けているからです。専門家しか読まないのであれば 初学者に配慮した独習書など需要がないですね。 そうなると、せいぜいAtiyah & Macdonald(Cambridge大学かどっかの 数学科3年くらい対象の講義を元にした教科書 くらいのレベルの本があれば充分だということになります。 どちらかというとこういう順番でしょう。 たくさん易しい演習問題が付いて解答が付いて、というのは 中学、高校くらいまでの数学の参考書や教科書みたいな類のもののことですよね。 高校までの数学ならこういう参考書は何十年も前からあった。 でも高校の頃はあなたあまり数学が分からなかったんでしょ? 何か言ってる事がおかしいような気がするけど… >前書きで必要な予備知識を提示したら、それ以上の >知識はすべて説明するということです。 大抵の数学の本はそうなってると思うけど… 院生が読むような、余程難しい本じゃなかったら、だけど。 あなた自分で勝手に想像した数学の本の実態について批判してません? 現実の数学の本について書いてますか?
944 :
132人目の素数さん :2007/01/03(水) 09:55:10
高校物理・高校数学に挫折して大学の哲学科に入る奴は、 それなりに哲学的訓練を受けるからあまり酷い電波は飛ばさない。 最悪なのは、高校時代はパターン暗記のおかげで物理・数学が得意だったのに、 大学以降に全然分からなくなった奴だろう。「オレは頭がいい。お前ら全員、馬鹿」 という誇大な自己イメージを保つために、数学・物理・哲学のいずれの学問的訓練も 拒否し続ける。つまり馬鹿をこじらせる結果となる。
▲▲▲ 整数と分数 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ 速度というのは時間や長さ重さといったものと比べると人的要素の強い 量といえます。計算をしなければ値がでなかったり、ものさしとスピードガン とを比べても分かると思います。 さて、光速(熱速)ですが。【実は光速には速度はありません】 光速=無 音波=振動 水波=上下動 上記を見れば分かると思いますが波(光も波とされている)には速度の 値に相当する空間位置の移動というものが無いのです。例えば音速が 秒速350mとすると、何が秒速350mもの速さで移動するのか考えてみれ ばわかると思います。音を伝えるのは空気ですが、空気が秒速350mで 移動してるのではないのです。ましてや光となると、媒体するものすら無 いのですから速度の概念がまったく当てはまらないのです。
次に【光速というものには相対性がありません】光速=約30万q/sという 値ですが、これは分数のプロセスを持った部分的な値なのです。値という ものは一点(個体)基準の整数と、全体(気)基準の分数があるのですが、 光速の場合は全体基準の値より成り立っているのです。 光(熱)は水面にできる波紋と似たようなものです。波紋というものは全 体に広がります。一昔前、地球の裏側のチリで起きた津波が日本にきた こともあります。TVで糸電話はどこまできこえるのか?という疑問に答え るべく実験をやったのを見ましたが、それに対し専門家は「せいぜい2、30 m位だろう」と答えましたが確か7/800までいって糸が切れこれが記録と なりました。気の遠くなるような何万光年という所からでも光は届くのです が、もともと伝達というものは全体に広がるものなのです。光の速さを測 る実験ではよくもこんな方法を考えたものだと関心しましたが、この実験 ではレーザーが使われています。一見、レーザーは集中的なもので全体 とは無縁に感じますが、垂直方向からも線状に見えます。しかしその見え ること自体が垂直方向への広がりをも示しているのです。
変化(光)ははるか遠くの物にも変化(光)をもたらします。さて光速=約30万 q/sという値ですが、これは全体に広がる伝達時間(分母の数値は不確 定)を1秒で区切ったというもので、簡単にいってしまえば先程も述べまし たが全体基準の分数です。速度も分数の数式で表せますが、その値は一 点(0)基準の整数になります。時間は時間で等分できても、距離は時間で は等分できないのです。一個のリンゴは5秒という単位で区切ることはでき ません。 速度(整数)でしたら確かに相対性はありますが分数には相対性はありま せん。しいていえば分数の性質は一定(等分)です。ものさしの目盛りが一 定でなかったら困ります。 相対性理論というのは光速を速度だとし、一定の値を示す光速に対し、 速度は相対的であるはずだとして理論を展開していったものなのです。 つまり観測結果(一定)を捻じ曲げ、空間を捻じ曲げ、帳尻を合わせたもの といえます。 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
948 :
十二使鳥 :2007/01/03(水) 13:16:07
>>942 >あなたそんな大量に本持ってないし読んでもないでしょw
wが不愉快。
>あれは大学生用の入門書だとか学習書として書かれたものじゃないですよ。
著者は学習書としても使えるとおもっていたようですよ。
>PS3で遊ぶ代わりに数学書を買って暇を潰して貰いたいとは
>ほとんどの数学者は思ってないですよ。
わかりのいい本がでれば、数学をパズルのかわりにして暇つぶしに使う人が
どんどんでてくるでしょう。そうなると数学者としてはおおいに困るのじゃないかな。
だから数学者はそういう本は書かない、のかも。
>抽象代数学の基礎は解析や幾何と違って数学好きの高校生などにも
>手の出しやすい分野で人気がありますから。
基礎ができれば、その先もできなくはないでしょ。熱意は必要だけど、パズルとたいして
難易度は変わらないのだから。
>>943 >「なぜそういう研究が必要なのか、重要なのか」という根本の部分が
>中学生には欠けているからです。
そんなものはブルーバックス的な本でいくらでも喚起できます。それに趣味で高等数学を
やりたいとおもっている一般人は結構います。ただし一般の人はほんとに基礎的なことを
知らないです。自分がそうだから、そのことはよくわかります。簡単なことも残らず説明が
あれば理解できるものです。
実際中学レベルもあやしい段階がら始めても、2,3ヶ月で院試問題がとけるところまで
行けたりするものです。
>たくさん易しい演習問題が付いて解答が付いて、というのは
>中学、高校くらいまでの数学の参考書や教科書みたいな類のもののことですよね。
そんなことはないです。むしろ大学レベルでこそ必要だとおもいます。抽象概念は結局
のところノイマンの言うように’慣れ’ですから。そのためには、やさしい問題をある程度
解かなくてはならないです。
>>前書きで必要な予備知識を提示したら、それ以上の
>>知識はすべて説明するということです。
>大抵の数学の本はそうなってると思うけど…
これがそうでもないです。独習者だからそう感じるのかもしれないですが。理系の人はどこかで
いろいろ知識をいれる機会がありますからそうは感じないのでしょう。
952 :
132人目の素数さん :2007/01/04(木) 09:08:14
> そんなことはないです。むしろ大学レベルでこそ必要だとおもいます。抽象概念は結局
> のところノイマンの言うように’慣れ’ですから。そのためには、やさしい問題をある程度
> 解かなくてはならないです。
概念操作に習熟するための方法は、結局のところ、具体例を構築し、証明を丹念に読み、
理論そのものを自分の言葉で再構成するしかないよ。やさしい問題を沢山解いても無駄。
大学入試の微積分計算にいくら習熟しようとも、極限や微積分の概念に慣れるわけでは
ないことくらい、大学生なら知ってるはずだがね。(ε−δで躓く学生、リーマン積分で
躓く学生、などなどが周囲に一杯いるよね。)
結局、
>>944 が図星だったみたいね。
944 名前:132人目の素数さん[] 投稿日:2007/01/03(水) 09:55:10
高校物理・高校数学に挫折して大学の哲学科に入る奴は、
それなりに哲学的訓練を受けるからあまり酷い電波は飛ばさない。
最悪なのは、高校時代はパターン暗記のおかげで物理・数学が得意だったのに、
大学以降に全然分からなくなった奴だろう。「オレは頭がいい。お前ら全員、馬鹿」
という誇大な自己イメージを保つために、数学・物理・哲学のいずれの学問的訓練も
拒否し続ける。つまり馬鹿をこじらせる結果となる。
>そうなると数学者としてはおおいに困るのじゃないかな。 困りませんよ。寧ろ数学の愛好者が減るほうが困るかと。 愛好者はそれはそれで鬱陶しい存在なんだろうとは思いますけど。 角の三等分家とかw >これがそうでもないです。独習者だからそう感じるのかもしれないですが。理系の人はどこかで >いろいろ知識をいれる機会がありますからそうは感じないのでしょう。 これは程度問題で、言ってみれば中卒の人が微分積分の教科書を読もうと 思ったけど、sin とかcos とか意味不明のことばかり書いてあって読めなかった、 前書きでsin とcos の定義については既知とする、 とは書いてなかったのだからきちんと書け!とかクレーム付けてるようなもので…… 或いは、統計を勉強したらSが縦に伸びたような変な記号が書いてあった、とかでも良いですけど。
>>952 >大学入試の微積分計算にいくら習熟しようとも、極限や微積分の概念に慣れるわけでは
>ないことくらい、大学生なら知ってるはずだがね。
環論でいえば、整域でax=ayならx=yとできますが、例えばこんな感じの問題を
解かせると、整域の概念も確実になるということです。
わたし自身、微積分の計算など必要ないと見てほとんど学習を省略したのですから
おっしゃられることはもっともだとおもいます。
位相や実解析では、まず実数の連続性の概念がもっとも重要なことは言うまでももないことで
なぜそれをもっと早くから教えないのか不思議なくらいです。
ですから問題といっても意味のない問題はやっても仕方ないです。見分ける目が必要なの
かも知れません。
>結局、
>>944 が図星だったみたいね。
冗談ではない。こちらは高校時代ぜんぜんできなかった。おかげで私大の文系です。
しかし文系での勉強で思考力がついた気がして、とりあえず実解析から初めてみたのです。
代数の初歩とガロア理論もこなしたので、大学以降わからなくなったのではなく、わかるように
なったのです。
>中卒の人が微分積分の教科書を読もうと
>思ったけど、sin とかcos とか意味不明のことばかり書いてあって読めなかった、
ちょっと著者が親切だと中卒でも微分積分どころかもっと高いレベルのものもこなせる
人がいるのですけどね。
951 乙
一部訂正 >おかげで私大の文系です。 これでは私大の文系を低くみていることになります。そんな意図はありません ので。むしろ文系のおかげで本当の思考力がついたと思います。
お前はあの程度(絵美ちゃんとのくだらない小説)でガロア理論をこなした、なんて法螺を吹くのか。 それはあまりにもガロア理論に失礼だ。
さらに一部訂正
>整域でax=ayならx=yとできます
もちろんa≠0の条件がつきます。
>>956 >ガロア理論をこなした、なんて法螺を吹くのか
いちおう5次以上の一般代数方程式が開冪によっては解けないというところ
まで進んだのだからよいでしょう。
絵美ちゃんのはなしはおまけ。
958 :
132人目の素数さん :2007/01/05(金) 06:55:58
絵美ちゃんとはうまくやってますか?
>>957 それは「ガロア理論入門」をかじった、という程度であって、到底「こなした」レベルではない。
>ちょっと著者が親切だと中卒でも微分積分どころかもっと高いレベルのものもこなせる >人がいるのですけどね。 一方で、エスアイエヌとかシーオーエスというのは 三角関数と呼ばれるもので、これは単位円があったとき云々(以下略 といちいち説明すると、読者の大半は、そんなの説明要らないから はやく微分と積分の話に進んでくれよ、まどろっこしいな、と感じるでしょ。 当たり前のことまで説明しすぎて議論の流れが不明瞭になる、あるいは 分かりにくくなる、ということ。 たとえば東大出版の「多様体の基礎」なんかがちょっとそんな感じの本。 著者もそれは分かってて敢えてそういう感じの本にしてるんだろうけど。 単純に、需要が無いと売れないよね、という話だと思います。
961 :
132人目の素数さん :2007/01/05(金) 15:36:58
> 当たり前のことまで説明しすぎて議論の流れが不明瞭になる、あるいは > 分かりにくくなる、ということ。 分かりにくく感じるのは理解が不十分だからだよ。 キチンと理解できていれば、理解してる箇所を難なく読み飛ばせる。
まどろっこしい事に変わりはないよ。
入門書をこなしたってことにしてやれよ
964 :
132人目の素数さん :2007/01/05(金) 18:30:02
965 :
132人目の素数さん :2007/01/05(金) 18:46:57
>>958 はい、なんとかうまくやっていますよ〜〜ん。
>>959 >それは「ガロア理論入門」をかじった、という程度であって、到底「こなした」レベルでは
>ない。
こういう主観のはいる表現は駄目です。なんと言おうと「こなした」レベルではないと
言われるからです。あのスレを読んでもらえればわかると思いますが、一点の曇りも
ない進め方をしたと自負しています。
>>960 >当たり前のことまで説明しすぎて議論の流れが不明瞭になる、あるいは
>分かりにくくなる、ということ。
付録にするとか、脚注にするとかいろいろ手はあるはずです。初等的な内容というのは
まとめると驚くほどわずかな量です。その内容が初見という人までは配慮しなくともいいと
思います。忘れていたことを思い出す手助けができればいいのです。
>>963 >入門書をこなしたってことにしてやれよ
入門書とはなんですか?ガロア理論に入門書などありませんよ。アルチンの構成にのっとって
いれば、どれも似たような内容になります。最新のものと、ガロア自身のガロア理論は
知らないですけど、それにしたところで入門書ということにはならないでしょう。
968 :
132人目の素数さん :2007/01/05(金) 19:56:59
アルチンの本は入門書だよ。
きっと「文系科目」のお勉強もあのクラス(ある程度やってる人からは入門書と呼ばれるレベル)を 読んだだけで、「きわめた」なんて思い上がってるんだろうな。
971 :
132人目の素数さん :2007/01/05(金) 23:25:47
セミナーやれせてみれば判るが、数学専攻の学生だってきっちりと
読めてるわけじゃないけどな。
>>960 程度の連中が大多数だろ。
>>971 確かにそうかも知れないけれど、「1ではない」の人は
数学の本をきちんと読むというのがどういうことなのか、
訓練(調教)される経験を持ってないでしょ。
その結果、読めない(読めてないことが自覚できる)人と
読んだつもりになって吹聴しちゃう人の差は大きいと思う
んだけど。
物理板住人ですが、数学板の皆さんどう考えても釣られすぎでは? こういうスレ立てんのって哲厨でもなんでもないただの暇人でしょ?
974 :
132人目の素数さん :2007/01/06(土) 09:51:06
>>972 読める気になってる阿呆は放置でいいよ。
数学科の教員だって、自分とこの学生以外は放置でしょ。
(自分の学生ですら放置する教員もいますけどね)
>>974 ただなあ、放置の結果、害毒をまき散らしてるのが何というか、その。
976 :
132人目の素数さん :2007/01/06(土) 11:24:12
アク禁申請すれば? 一般社会だったら、神経科の病棟に、隔離入院だね。
>>973 数学板が、釣り耐性が弱い、教えるクンのほうが多い、
という特異体質なのは昔からですw
哲の板から大挙して援軍が来ないところを見ると、 このスレの電波は文系的にも変なんだろう
979 :
132人目の素数さん :2007/01/06(土) 16:45:08
要するに、胸の谷間は無いよりもあった方が好ましいとゆうこと
980 :
132人目の素数さん :2007/01/06(土) 18:35:33
胸の谷間っていいよね
981 :
KingOfUniverse ◆667la1PjK2 :2007/01/06(土) 19:37:18
胸の谷間はほとんどの人にある。
>>972 >数学の本をきちんと読むというのがどういうことなのか、
>訓練(調教)される経験を持ってないでしょ。
いまさら本を読むのに訓練だとか調教だとか正気でないとしかおもえません。
数学の本(哲学もそうですが)は半知半解のまま読み進むことはできません。そのことは
数学の本を読んだ経験があれば誰でも知っていることです。無理して読み進めても、
そのうち、まったくなにをやっているのかわからなくなり、そういう状態に人間は耐えら
れないのです。
>その結果、読めない(読めてないことが自覚できる)人と
>読んだつもりになって吹聴しちゃう人の差は大きいと思う
>んだけど。
数学は読んだつもりになって吹聴することもできないのは、これまた数学を学習したこと
のある人なら良く知っていることです。どうしてかといえば、たちどころにぼろをだしてしまう
ことをだれもが知っているからです。
>>969 >アルチンの本は入門書だよ。
そうきたか。w
>>970 >きっと「文系科目」のお勉強もあのクラス(ある程度やってる人からは入門書と呼ばれるレベル)を
>読んだだけで、「きわめた」なんて思い上がってるんだろうな。
またまた変な捏造をする。「きわめた」なんて一言もいっていないでしょう。
>>982 まさに貴様は無理に読み進めて、絵美ちゃんの話でお茶を濁していたよね。
なにをやってるかわからなくなって耐えられないから。
そんでもってボロを出したくないから、ガロア理論の深い話には乗ってこないし。
五十八日。
>まさに貴様は無理に読み進めて、絵美ちゃんの話でお茶を濁していたよね。 >なにをやってるかわからなくなって耐えられないから。 >そんでもってボロを出したくないから、ガロア理論の深い話には乗ってこないし。 あのスレをごらんになっていてそういう感想を抱かれるのなら、失礼ながら ガロア理論をよくご存知ないのではないですか? 深い話しに乗ってこないといわれますが、知らない話しには参加しません。 わたしは”5次以上の一般代数方程式が開冪では解けない”というところまでを目標 としていたからです。
あのスレでこんな質問をだされました。
579 :132人目の素数さん :2006/11/18(土) 23:03:11
では>1さんの為に標準的な問題を。
f(x)をQ上既約な n 次多項式で、実根がn-2個であったとする。
この時f(x)のガロア群はn次対称群である。
それに対して614で問題の条件がおかしいので反例として
X^4-3 は、条件にあっていますが、ガロア群の位数は8です。
と返答しましたら、616で
ごめん n は奇数であるという条件を抜かしていた。
と返ってきました。そしたら、だれか別の人が
>>616 nが奇数でも無理。というか、問題出すときは自分の解ける問題にしようね。
と616に指摘しました。後に本のなかでこの問題には出くわしましたが、この時点では
わかりませんでした。nは奇数ではなくて素数が正しい条件でした。
で、なぜこの話しを出したのかといいますと、この出題者があなた(あるいは似た
タイプの人間)ではないかとふとおもったからです。
あのスレで出題したことはないけど。(答えたことならあるが。)
>付録にするとか、脚注にするとかいろいろ手はあるはずです。初等的な内容というのは
>まとめると驚くほどわずかな量です。その内容が初見という人までは配慮しなくともいいと
>思います。忘れていたことを思い出す手助けができればいいのです。
ほとんどの数学の本はそういう風に書かれてますよ。
>ガロア理論に入門書などありませんよ。
いや、そんな無茶な事を言われても困ります。。
ArtinのGalois Theoryの訳書の題名ご存知ですか?
「ガロア理論入門」って言うんですよ。
https://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/books-query?mode=2&code=20219504&key=B116813155210174 この他にも題名に「入門」と入ったGalois理論の本はたくさんあります。
「入門」というのがどういう意味なのかは、もう少し難しいGalois理論の本の
後ろのほうを眺めて見られれば分かります。「体とガロア理論」の後ろのほうとか。
>>967 以前2chの数学板に居て、「偶然」あなたが以前勉強したのと同じ分野の実解析を勉強していた人で、
しかも「偶然」哲学の数学に対する優位だとか数学界がどうのとかあなたと同じことを
主張していたひとです。こんなに「偶然」が続くのは珍しいですね。
989 :
132人目の素数さん :2007/01/07(日) 10:22:55
あのガロア理論のスレでは、絵美ちゃんの彼氏よりも 高二生のほうが、まじめに勉強していた。
990 :
132人目の素数さん :2007/01/07(日) 10:49:11
>>988 アルティンのガロア理論入門、俺も持ってる。
なかなか面白い。
991 :
132人目の素数さん :2007/01/07(日) 11:01:23
哲学とは怠け者のへりくつ。
このスレに書き込む奴は暇人なんだよ。みんなナカ〜マw
>>982 自分はちゃんと数学の本が読めると主張したいらしいけど、
少なくともあなたの「無限小」に関する読みは不足しているし、
「直観主義」という用語の使い方もおかしかった。
こういったあなたの主張に対する反例はどう説明するつもりですか。
哲学やってる人は哲学を理解してるのか? んなわけない