872 :
関孝和:04/12/31 23:39:17
>>871 > 小松は佐々木の勧めで岩波の雑誌に投稿した。佐藤に落とされた。
> 佐々木は怒る小松に対して自分のところに出したら載せてやると
> 言った。佐々木をかばうわけじゃないが、それほどおかしな行動
> ではないぞ。
なるほど.そう解釈すればね.でも,佐々木が再提出すれば掲載さ
れるといったのは,佐藤が「掲載不可」の判定を下した雑誌『科学
史研究』そのものなんだけど.英訳すれば英文誌にも掲載できるよ
ともいってるけどね.
> 佐藤の判断がそのまま佐々木の意向を反映しているという証拠で
> もあるのか?
佐藤が佐々木の見解を代弁したかどうかなんてどっちでもいい.そ
うだとさらに面白いけどね.日本科学史学会の統一見解であるかの
ように佐々木が個人的見解を述べたという点を問題にしているわけ.
むしろ,真面目に「掲載拒否」の判定を下した佐藤が気の毒.
とはいえ,佐々木と佐藤の繋がりは
http://www.utp.or.jp/shelf/series/sugakushi.html で多少見えるかも.
>>870 だからそれはおそらくは内容が正しく伝わっていない時点での
査読者の評価なわけで。
その後抗議を受けた編集というか委員会の意見が
「修正すれば〜」というものじゃないのかと聞いたわけ。
わざわざ引用までしてくれたから私もざっと読み返してみたけど
やっぱりこの論文はこのままじゃ駄目だよ。
議論が雑すぎて感想を述べてるだけにしか見えない。
こんなのをこのまま載せると佐々木先生が言ったのだとしたら
確かにちょっと見識を疑うね。
874 :
岩井洋:04/12/31 23:45:56
学際分野というのはごくごく一部の限られた、極めて優秀な頭脳を有した人間にのみ
許された学問である。佐々木のような低能馬鹿の寄生虫が入り込むと関わった学問全てを
醜く奇形化させる。
異なる学問間に亘って活躍した天才としてこのスレにもヘルマン・ワイルなどの名前が出ているが、
岩波思想・哲学事典に佐々木による項目解説があるので引いてみると
「他方、理論物理学の研究では数学的表現の側面で独創力を発揮したが、物理学理論の
理解に関しては疑問を残し…」
>おまえが言うなおまえが。それがたとえ事実であっても佐々木に言う資格はない。
この事典では項目執筆だから適当なこと書いててもバレないと思ったのか、佐々木はマルクスだ
トロツキーだフッサールだの強引なこじつけによる宣伝に必死である。
こんな男がこれから先も歴史や科学に関わる仕事をしていたら一体どうなってしまうのだろう?
私は絶対に佐々木力をゆるさない。
>>872 >日本科学史学会の統一見解であるかのように
>佐々木が個人的見解を述べた
そうだったのか。それは私は知らなかった。詳細お願い。
思想家のたぐいは危険視されてなんぼじゃないか(e.g.マルクス)
「岩井洋」氏は佐々木先生をこきおろしたいのか、危険人物として攻撃したいのか。
どっちかにした方がすっきりすると思うが。もちろん、今回の事件はこき下ろす材料
としてはもってこいなわけだが。
877 :
関孝和:04/12/31 23:56:34
>>873 > やっぱりこの論文はこのままじゃ駄目だよ。
> 議論が雑すぎて感想を述べてるだけにしか見えない。
> こんなのをこのまま載せると佐々木先生が言ったのだとしたら
> 確かにちょっと見識を疑うね。
それが,佐々木センセイはそういっているのですよ.
2003年9月20日付けの日本科学史学会会長(伊東俊太郎)
宛の小松彦三郎の手紙によると,
「・・・「討論会:数学史論文におけるオリジナリティーと
は何か」が行われました。・・・やがて、佐々木力氏が、
『「科学史・科学哲学」というマイナーな雑誌に掲載され
た論文を参照しなかったことを理由にしたのは適当でなか
った。学会の委員会の意向は、再提出されれば出版すると
いうものだ。自分としては、英語版がHistoria Scientiarum
に投稿された場合には掲載するつもりで、小松さんにもそ
う伝えてあった。』という趣旨の発言をされた」
と書かれています.ダメな論文をそのまま掲載するとしか
とれない「約束」をしてしまったわけです.これって,一
種の「権力迎合」なのでは?
878 :
132人目の素数さん:04/12/31 23:59:33
うう、でも関自身は小松の論文について「そう.そう思うのが普通なんだけど,読んでみるとこれがまともな論文で」と思っているわけで。結局小松論文がバカ論文かそうでないかで佐々木の見解に対する判断も分かれることになるな。
879 :
132人目の素数さん:05/01/01 00:01:11
あけましておめでとうございます
あけましておめでとう。
>>877 あー、あの討論会での話か。小松先生がそう主張している訳ね。
だいぶ前だからよく覚えてないけど、あそこでは論文内容には踏み込まないで、
「こうも門前払いすることはないじゃないか」みたいな感じで
話を進めていた気がする。
少なくとも「これはすばらしい論文だ、このレフェリーは大馬鹿だ」
なんてことは誰も言ってなかったよ。
とりあえず投稿論文は大抵修正を要求されるものだから
仮に佐々木先生が出版すると言っていたとしても
それはそのまま載せると言う意味ではないと思うよ。
881 :
関孝和:05/01/01 00:23:04
>>878 > うう、でも関自身は小松の論文について「そう.そう思うのが
> 普通なんだけど,読んでみるとこれがまともな論文で」と思っ
> ているわけで。結局小松論文がバカ論文かそうでないかで佐々
> 木の見解に対する判断も分かれることになるな。
ええ.数学史のというか歴史学の論文としてはたしかに不備なん
だけど,内容的(数学的)にはかなり面白い.そこがこの事件の
また面白いところでもある.数学のわからない数学史家と数学史
を知らない数学者のいがみ合いという側面もなくはない.
882 :
132人目の素数さん:05/01/01 00:26:23
あけましておめでとうございます。
昨年の議論を整理するために、このスレに登場した
数学・自然科学・哲学関係者の一覧を作ってみました。
抜け落ちや、カテゴリー上の誤りがあれば、訂正お願いします。
【現役】
<数学>伊理正夫 野崎昭弘 甘利俊一 斉藤正彦 広中平祐 黒木玄 ピーターフランクル
岩井洋(HN) ヴェイユ 関孝和(HN) 森重文 山口人生 M_SHIRAISHI 今井弘一 松本真吾
murofusianasan(HN) 木村弘信
<物理学>清水明 田崎晴明 ウルフラム 片山武司 阿部雅人 浅野摂郎 井口和基
<哲学>佐々木力 村上陽一郎 宮台真二 高橋昌一郎 小熊英二 西部邁 立花隆
柄谷行人 浅田彰 吉本隆明 宮崎哲弥 福田和也 野矢茂樹 東浩紀 佐高信 チョムスキー
佐々木?代々木?(HN) 似田貝香門 長岡亮介 藤原正彦 筑紫哲也 西尾幹二
福田恒存 林達夫 呉智英 曽野綾子 養老孟司 永井均 吉岡斉 中山茂 米本昌平
科哲卒業生(HN) 猪口弘之 高村忠明 小松彦三郎 佐藤賢一 伊東俊太郎
<その他>KOMAVA 民青 堤治 代々木力(フィクション) 陳入肉(フィクション)
革マル 秋山仁 山本義隆
【科学史上の人物】
<数学>ユークリッド デカルト ラマヌジャン クライン ヒルベルト 杉浦光夫 ガウス
デデキント リーマン ルベーグ オイラー アーベル 岡潔 ゲーデル 関孝和 小平邦彦 シュワルツ
ガロア 森毅 矢野健太郎 藤原松三郎 コーシー ライプニッツ アダマール ダランベール
<物理学>坂田昌一 朝永振一郎 ニュートン ランダウ ファインマン アインシュタイン
高木仁三郎 ゴフマン
<哲学>フッサール 廣松渉 クーン マルクス カント デュドネ カジョリ ヒース フーコー
大森荘蔵 丸山真男 三島由紀夫 ハイエク 安部公房 ヴィトゲンシュタイン ラッセル 陳独秀
矢野暢 麻原彰晃 宮沢賢治 広重徹 ユナボマー
<政治家>トロツキー スターリン 聖徳太子 サダム・フセイン
<その他>ブルバキ
883 :
関孝和:05/01/01 00:29:17
謹賀新年!
>>880 > 少なくとも「これはすばらしい論文だ、このレフェリー
> は大馬鹿だ」なんてことは誰も言ってなかったよ。
まぁね.形式にこだわるか内容にこだわるかで見解が分か
れそうな気がする.個人的には内容重視でいってほしいん
だけど...
>>882 学生と学者は分けた方がいいと思われ。
たとえば<数学>の「岩井洋」の方が佐々木先生より数学が出来るとは必ずしもいえないし(控え目!)
でもやっぱ30年前に現代数学から離れた人よりは現役学生の方が有利かもしれん。
>>881 >数学史のというか歴史学の論文としてはたしかに
>不備なんだけど,内容的(数学的)にはかなり面白い
それは無批判に読めば面白いと言う意味?
それなら鳴海風の小説の方が(w
887 :
132人目の素数さん:05/01/01 00:59:13
>ええ.数学史のというか歴史学の論文としてはたしかに不備なん
>だけど,内容的(数学的)にはかなり面白い..
歴史上の関孝和っていうのは江戸時代の和算家の代表的な人だろ。そして和算は西洋で発達した数学とは異なる考え方をしていた。そして現在では和算を用いて数学をしている人間はいない。ここまではいいかな。
とすると、「歴史学としての論文としては不備があるが、数学的には面白い」という関(HN)の主張はよく分からない。だって和算に関心を持つとすれば、それは専ら歴史的な関心になるはずだろ。
いくら現代の数学者が関(歴史上)の考えを現代数学で書き換えたとしても、それは数学者の趣味の域を出ないのでは。
>>882 民青、革マルを入れるなら、4トロも入れなきゃいけない。佐々木先生がシンパ
なのはこの党派。かつては成田空港の管制塔占拠もやった、なかなかの過激派
889 :
関孝和:05/01/01 01:29:25
>>887 > 和算に関心を持つとすれば、それは専ら歴史的な関心になるはずだろ。
でもない.そこが見解の対立点になる.
> 関(歴史上)の考えを現代数学で書き換えたとしても、それは
> 数学者の趣味の域を出ない
というか,その「書き換え」の内容自体が面白いんだけど.いま
までの和算研究者はだれも小松流の解釈(書き換え)に成功して
いなかったように思えるんだけど.佐藤賢一の問題点はその部分
がよく理解できていないと思えるところではないかと...
>>889 根拠のない書き換えなら和算研究者にだっていくらでもできる。
その根拠が大事なのにそれをろくに書かないから
オリジナリティがないっていわれたんだよ。
891 :
132人目の素数さん:05/01/01 01:33:13
佐々木・村田・岡本・廣野に関するお問い合わせは、以下までどうぞ。
東京大学 教養学部 科学史・科学哲学研究室
tel.:03-5454-6135
email:
[email protected] 時間: 月曜日−金曜日 11a.m.-5p.m.
892 :
関孝和:05/01/01 01:33:43
>>886 > それは無批判に読めば面白いと言う意味?
ちょっと違う.数学的な内容が面白いといっている
わけ.数学そのものを無批判に読むの読まないのな
んて意味ないでしょう?
893 :
関孝和:05/01/01 01:38:20
>>890 > 根拠のない書き換えなら和算研究者にだっていくらでもできる。
> その根拠が大事なのにそれをろくに書かないから
> オリジナリティがないっていわれたんだよ。
うん?オリジナリティの定義がわからないよぉ〜〜.それとは別に
和算の研究者って,数学にあまり詳しくないでしょう?書き換えに
も明らかな限界があるような...
>>893 オリジナリティがないというのはレフェリーコメントの
引用のつもりなので定義を聞かれても困るが、
「わざわざ出版する価値」とでも思ってちょうだいな。
>和算の研究者って,数学にあまり詳しくないでしょう?
馬鹿にしすぎ。まともな和算研究者は線形代数くらい知ってるよ。
大学出てるんだから。
レフェリーにも線形代数の本を見れば分かるようなこと
いちいち書くなって言われてるじゃないか。
まさか純粋に線形代数の話としてあれが面白いと言っているわけ?
895 :
関孝和:05/01/01 02:13:10
>>894 > レフェリーにも線形代数の本を見れば分かるようなこと
> いちいち書くなって言われてるじゃないか。
それが間違い!小松の解釈は大学で通常習うような意味で
の線形代数ということではないよ.佐藤にはなぜかそう見
えたということらしいけど.このあたりについては,小松
自身の文章:
「われわれの論文は,300年以上前の関孝和の論文を対象に
はしているとはいうものの,その中の正しい命題はこれこれ
であり,現代に通用する証明が書いていない場合にはこのよ
うにすれば正しいものに改めることができるという,数学の
論文である.そして,関の理論はその80年後に発表され,現
代も使われているベズーの理論と同一であることを立証した.」
(2004年8月22日)
が有用かと.
896 :
関孝和:05/01/01 02:23:21
「数学の論文」だっていうのなら,なぜ,『科学史研究』
などに投稿したのかって思ってしまうけど...
>>895 >小松の解釈は大学で通常習うような意味での
>線形代数ということではないよ
何が言いたいのかよく分からないが、
少々普通の線形代数で習わない命題が含まれていたからといって
そんなものは純粋に数学から見たら全く価値はないよ。
何も新しい結果は含まれていないんだから。
それとも何か誰も知らない驚嘆すべき結果でもあったっけ?
898 :
関孝和:05/01/01 02:27:14
>>897 > 純粋に数学から見たら全く価値はないよ
はい.ごもっともです.だから,小松は数学と数学史の
境界領域のようなところに「希望を託した」のかも.
899 :
関孝和:05/01/01 02:35:45
純粋に数学から見ても,純粋に数学史から見ても,
価値のない論文だからといって,オリジナリティ
がない(わざわざ出版する価値がない)なんてい
えっこないと思うけど.
>>898 関の結果に現代風の解釈を加えることによって
西洋数学との同一性を明らかにしようとしたんだと思うよ。
それはその解釈が真っ当なら数学史の論文として十分面白い。
しかしその解釈の妥当性などの数学史上の議論を
十分述べずに解釈の内容ばかり事細かにアピールしたもんだから…
901 :
関孝和:05/01/01 02:40:58
それに,そもそも佐藤がいうほど,『科学史研究』って
いう雑誌のレベルが高いとも思えない.
> 何か誰も知らない驚嘆すべき結果でもあったっけ?
なんていう判定基準で見ると,『科学史研究』には下ら
ない論文しか載っていないことになると思うけど.なぁ
なぁでやってる雑誌でしょ?小松の論文にだけ「まっと
うな判定基準」を適用しているところも笑えるっていい
たいわけさ.
902 :
関孝和:05/01/01 03:12:05
>>900 > 解釈の内容ばかり事細かにアピールしたもんだから…
そういえばそうですね.なかなかわかりやすい解説どうも.
そのあたりで「手打ち」が妥当なのかも...
903 :
132人目の素数さん:05/01/01 04:35:18
>関の結果に現代風の解釈を加えることによって
>西洋数学との同一性を明らかにしようとしたんだと思うよ。
>それはその解釈が真っ当なら数学史の論文として十分面白い。
それだけで十分面白いと思っちゃうけどな。
>しかしその解釈の妥当性などの数学史上の議論を
>十分述べずに解釈の内容ばかり事細かにアピールしたもんだから…
関(歴史上)が生きた時代背景とかの考証が入ってたり
しないと駄目なの?
「数学的な議論」ではなくて「数学史上の議論」というのが
どんなのか、よく分からない。俺が数学史の人間ではないから
常識がないだけかも知れんが。
そもそも、関(歴史上)はほとんど西洋との接点がなかったと
理解してるけど、「地球上の位置も日時も違う場所で、
後から振り返れば、同じことを言ってる定理が発見されておりました」
というだけでは、数学史的に不足なの?
905 :
佐藤じゃないけど:05/01/01 05:40:04
事件は2002年北京で開催されたICMに参加した佐々木と小松がすっかり意気投合した
ことにはじまる(以下敬称略).佐々木と意気投合したことにすでに危険な香りを感
じ取るあなたは鋭いが,まあ佐々木は年長者にウケがいい,いわゆるジジ殺しだから
そういうこともあろう.
すっかり話がはずんで佐々木が和文誌(科学史研究)への投稿をすすめたらしい.和
文誌は代々木(佐々木じゃないぞ)が編集してるから(自分が編集している欧文誌と
違って)レベルが低いと公言している佐々木のことだから,載るに決まっていると思
っていたのだろう.
ところが,当然というかレフェリーは若手の佐藤のところにいった.ここまでは佐々
木も予想していただろう.彼の誤算は佐藤を「子分」だと思っていたことだ.佐藤の
学生・院生時代に佐々木はえらく可愛がっていたが,残念ながら数年以上佐々木とつ
きあった学生はたいてい佐々木に愛想をつかしている.理由はこのスレでは説明する
までもないだろう.佐藤も例外ではなかった.
レフェリーとしての酷評の半分は論文そのものでなく,論文を科学史研究に持ち込ま
せた佐々木への批判だろう.佐藤は佐々木にあんたは数学史がわかってないと引導を
渡したかったのだろう.しかし引導を渡すなら第三者を巻き込まなくてもよかろうに.
それに,あんな酷評をそのまま著者に渡す編集委員会もどうかな.
これで立場のなくなった佐々木が,(俺が編集長の)欧文誌なら載せてやると言った
ということだろう.さすがに小松はこれには怒って,科学史学会全体への攻撃をはじ
めたが,攻撃すべき相手は佐々木じゃないのかな.自分が大株主だからって岩波に圧
力をかけるというのは顰蹙だぞ.ビル・ゲイツがトンデモ数学理論を思いついて,シ
ュプリンガーを買収して本を出版したらどうなる?それとあんまりかわんないじゃん.
結局佐々木は欧文誌の編集長を降ろされた.欧文誌は佐々木が最近はまっていたアジ
ア科学史とか,佐々木が親分と崇拝するラーシェドの弟子のくず論文とかばっかだっ
ただったから,科学史学会にとってはラッキーだった.だいたい審査あり論文を何年
も書いてない佐々木が編集長というのはねえ.まして今回の事件だし.
>自分が大株主だからって岩波に圧力をかけるというのは顰蹙だぞ.
法人格をもつ株式会社としての岩波書店に
どれくらいの不手際や落ち度があったのか。どこまで責任を負わせるべきなのか。
その辺の判断が分かれるかも知れんな。
/⌒⌒γ⌒ 、
/ γ ヽ
l γ ヽ
l i"´  ̄`^´ ̄`゛i |
| | | |
ヽ / ,へ ,へ ヽ./
!、/ 一 一 V / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|6| | .| | さぁ、出版元の岩波書店は
ヽl /( 、, )\ )<| 責任ありでしょうか!?
| ヽ ヽ二フ ) / | 史上最強の弁護士軍団の答えは!?
丶 .ノ \_________________
| \ ヽ、_,ノ
. | ー-イ
∧_∧ ((((( )))) ∧__∧ ∧_∧
( @∀@) ○(( ´∀`) (□∀□) ( ・∀・)
( ) ( ) ( ) ( )
┏━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓
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┃┃ なし ┃┃┃ なし ┃┃┃ なし ┃┃┃ あり ┃┃
┃┗━━━┛┃┗━━━┛┃┗━━━┛┃┗━━━┛┃
┗━━━━━┻━━━━━┻━━━━━┻━━━━━┛
/ バ ー ー ー ー ー ー ー ン \
907 :
132人目の素数さん:05/01/01 06:35:24
みなさん
あけましておめでとうございます
本年も佐々木を徴戒免職に
追いこむべく,
力をあわせてがんばりましょう
908 :
132人目の素数さん:05/01/01 06:48:25
>>905 詳しすぎるぞ。でも参考にはなった。このスレを見てるおかげで狭い業界のつまらない人間関係に詳しくなったな。
909 :
132人目の素数さん:05/01/01 06:55:23
>>905 要するに、科学史だか、数学史なんてやってる連中は、
みんなクズ
てことだね。
910 :
132人目の素数さん:05/01/01 08:56:53
>>341 スマリヤンの訳者は科学哲学者、哲学畑の論理学者
高橋昌一郎。
この人の訳が確かってことは、この人は最低翻訳者としては一流、
数理論理学者としてもまずまずってことだろ?
911 :
132人目の素数さん:05/01/01 09:15:27
日本で最も優雅な人達は
村上龍、坂本龍一、岩井俊二、平野啓一郎、小西康陽、日比野克彦、秋元康。
この人たちは、不完全性定理なんぞに構っている暇は無い。
彼等のアーティスティックセンスは無限大。宇宙そのもの。
彼等のアーティスティックセンスは完全である。
しかし数学の如き児技では証明不可能。
これって不完全性定理?(w
彼らが神なら数学は丁稚レベル。
キミタチとは住む世界が違う。
彼等の奔流はキミタチを飲みこまない。
キミタチを置き去りにする。
彼等のサロンは身分に厳しい。君達は門前払い。
ごくごく一部の選ばれた人間のみに入会資格が与えられる。
これからは勝ち組と負け組に分れた階級社会になるだろう。
不完全性定理を理解する為に汲々として人生を使い果たすような
つまらない連中とは違う。
彼等は生きる意味を知っている。彼等は人生の達人。遊びの達人である。
>>910 > …ことだろ?
うん。でも仮定の
> この人の訳が確かってことは
が違うんじゃないか。邦訳はダメダメって言う人多いよ。
913 :
132人目の素数さん:05/01/01 10:27:42
高橋昌一郎はポパー学会の人だよ。
この人も一時東大に籍を置いていたことがある。
東大の哲学科にはポパー学派もあるんじゃ?
佐々木先生との関係はどーなってるの?
>歴史学の論文としてはたしかに不備なんだけど,
>内容的(数学的)にはかなり面白い.
関孝和は数学と数学史の区別がまったく分かってないな。
そういう数学ヲタクだけが喜ぶ話は、高木貞治の
「近世数学史談」みたいに本で書くことなの。わかる?
>そこがこの事件のまた面白いところでもある.
面白くもなんともないよ。
数学ヲタのオナニーのザーメン臭がプンプン
>>和算に関心を持つとすれば、
>>それは専ら歴史的な関心になるはずだろ。
>でもない.
関心が歴史的なものに限られないとしても
それが数学史だといいはる関孝和はオカシイ
>>関(歴史上)の考えを現代数学で書き換えたとしても、
>>それは数学者の趣味の域を出ない
>というか,その「書き換え」の内容自体が面白いんだけど.
というか(嘲笑)、いくら書き換えが面白くても
それはあくまで数学ヲタの趣味であって、まったく
数学史ではないよ。
>いままでの和算研究者はだれも
>小松流の解釈(書き換え)に
>成功していなかったように
>思えるんだけど.
和算の研究に、そういう書き換えは無用だろ。
それは数学の発見であって、数学史ではないから。
もちろん、和算家が同じことに気づいていたという
確たる証拠を小松が見つけたのなら、それは数学史
の重大な発見だが、そういうことは小松は一切
しなかったんだろ?だったら数ヲタの暇つぶしじゃん。
HN”関孝和”君の問題点は、佐藤の批判を
「つまらない数学を用いている」と誤解してること。
数ヲタは数学の巧拙以外見えないのか?
佐藤の批判のポイントは、小松が
「関の理論はその80年後に発表され,現代も使われている
ベズーの理論と同一である」
と主張するとき、ベズーと同様の理解を関がしていたのか
どうかということ。その点に関してなんら言及することなく
数学的議論だけで同一といったってそれは数ヲタの趣味で
しかなく、数学史としてはまったく無意味なんだよ。
>小松は数学と数学史の境界領域のようなところに
>「希望を託した」のかも.
もう数ヲタの戯言はやめようよ。
小松彦三郎くらいの大物になれば、わざわざ数学史で
業績あげなくったっていいだろ。
はっきりいって数ヲタの趣味は数学史でもなければ
数学と数学史の境界でもないんだよ。
どうしても数学史だといいたいのなら、和算の中に
現代数学に通じる問題意識が表れている証拠を
膨大な文献の中から発掘していただきたいね。
>関(歴史上)が生きた時代背景とかの考証が
>入ってたりしないと駄目なの?
少なくとも文献等から和算と現代数学の共通性が
見出せる証拠を発見しないかぎり、数学的議論に
よる同一性は「後の人からみると同じ」という
数学的好事家(数学ヲタク)のみが喜ぶネタを
提供したにすぎない。
>「数学史上の議論」というのがどんなのか、よく分からない。
>俺が数学史の人間ではないから常識がないだけかも知れんが。
はっきりいって、数学ヲタクは数学しかしらない上に
しかもそれが”ジャングルの常識!”というような
ジャングル黒ベエ(古い!)みたいなヤシらばっかり
だから。
これが「数学の自閉性」って奴だね。
この点で、佐々木に問題があるとすれば、自分が過去に
数学者になろうとおもってたために、数学で成功した
人間に無条件に迎合してしまう点だろうね。
権威主義は体制の左右にかかわらず見られる現象だよ。