【数学史】佐々木力を叩こう《くだらねえ》

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912132人目の素数さん:05/01/01 09:41:48
>>910
> …ことだろ?
うん。でも仮定の
> この人の訳が確かってことは
が違うんじゃないか。邦訳はダメダメって言う人多いよ。
913132人目の素数さん:05/01/01 10:27:42
高橋昌一郎はポパー学会の人だよ。
この人も一時東大に籍を置いていたことがある。
東大の哲学科にはポパー学派もあるんじゃ?
佐々木先生との関係はどーなってるの?
914132人目の素数さん:05/01/01 11:42:26
>>905
長いけど結局想像ばっかりじゃん。
915132人目の素数さん:05/01/01 12:49:29
>歴史学の論文としてはたしかに不備なんだけど,
>内容的(数学的)にはかなり面白い.

関孝和は数学と数学史の区別がまったく分かってないな。

そういう数学ヲタクだけが喜ぶ話は、高木貞治の
「近世数学史談」みたいに本で書くことなの。わかる?

>そこがこの事件のまた面白いところでもある.

面白くもなんともないよ。
数学ヲタのオナニーのザーメン臭がプンプン
916132人目の素数さん:05/01/01 12:56:37
>>和算に関心を持つとすれば、
>>それは専ら歴史的な関心になるはずだろ。
>でもない.
関心が歴史的なものに限られないとしても
それが数学史だといいはる関孝和はオカシイ

>>関(歴史上)の考えを現代数学で書き換えたとしても、
>>それは数学者の趣味の域を出ない
>というか,その「書き換え」の内容自体が面白いんだけど.

というか(嘲笑)、いくら書き換えが面白くても
それはあくまで数学ヲタの趣味であって、まったく
数学史ではないよ。
917132人目の素数さん:05/01/01 13:01:20
>いままでの和算研究者はだれも
>小松流の解釈(書き換え)に
>成功していなかったように
>思えるんだけど.

和算の研究に、そういう書き換えは無用だろ。
それは数学の発見であって、数学史ではないから。

もちろん、和算家が同じことに気づいていたという
確たる証拠を小松が見つけたのなら、それは数学史
の重大な発見だが、そういうことは小松は一切
しなかったんだろ?だったら数ヲタの暇つぶしじゃん。
918132人目の素数さん:05/01/01 13:07:32
HN”関孝和”君の問題点は、佐藤の批判を
「つまらない数学を用いている」と誤解してること。
数ヲタは数学の巧拙以外見えないのか?

佐藤の批判のポイントは、小松が
「関の理論はその80年後に発表され,現代も使われている
 ベズーの理論と同一である」
と主張するとき、ベズーと同様の理解を関がしていたのか
どうかということ。その点に関してなんら言及することなく
数学的議論だけで同一といったってそれは数ヲタの趣味で
しかなく、数学史としてはまったく無意味なんだよ。
919132人目の素数さん:05/01/01 13:13:55
>小松は数学と数学史の境界領域のようなところに
>「希望を託した」のかも.

もう数ヲタの戯言はやめようよ。

小松彦三郎くらいの大物になれば、わざわざ数学史で
業績あげなくったっていいだろ。

はっきりいって数ヲタの趣味は数学史でもなければ
数学と数学史の境界でもないんだよ。

どうしても数学史だといいたいのなら、和算の中に
現代数学に通じる問題意識が表れている証拠を
膨大な文献の中から発掘していただきたいね。
920132人目の素数さん:05/01/01 13:18:08
>関(歴史上)が生きた時代背景とかの考証が
>入ってたりしないと駄目なの?

少なくとも文献等から和算と現代数学の共通性が
見出せる証拠を発見しないかぎり、数学的議論に
よる同一性は「後の人からみると同じ」という
数学的好事家(数学ヲタク)のみが喜ぶネタを
提供したにすぎない。
921132人目の素数さん
>「数学史上の議論」というのがどんなのか、よく分からない。
>俺が数学史の人間ではないから常識がないだけかも知れんが。

はっきりいって、数学ヲタクは数学しかしらない上に
しかもそれが”ジャングルの常識!”というような
ジャングル黒ベエ(古い!)みたいなヤシらばっかり
だから。

これが「数学の自閉性」って奴だね。

この点で、佐々木に問題があるとすれば、自分が過去に
数学者になろうとおもってたために、数学で成功した
人間に無条件に迎合してしまう点だろうね。
権威主義は体制の左右にかかわらず見られる現象だよ。