カントールの対角線論法は間違っている

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1132人目の素数さん
無限のものをあたかも一望しているように書き連ね、
都合のいい結論をだしているに過ぎない。
有限の理論を無限に用いるのはいささか無用心ではないか?
2132人目の素数さん:03/08/26 05:39

 角
  線
   論
    法
     っ
      て
       こ
        ん
         な
          感
           じ
            ?
3132人目の素数さん:03/08/26 05:39
無限に付いて語る。実無限VS可能無限
http://science.2ch.net/test/read.cgi/math/995535913/
ここを見るといい。
4132人目の素数さん:03/08/26 05:53
わからないから教えてってことでしょ。
正直に言えばいいのに。
5132人目の素数さん:03/08/26 06:02
無限のものをあたかも一望しているように書き連ね

って何か変だな。あれって、背理法じゃあなかったっけ?
加算無限だとしたらこうなる。しかし、こうなったとしたら、これこれの数はこの
加算無限の中には入らない。したがって加算無限ではない。(それより多い)

あれ?確かそうだと思ったけど、、、
6132人目の素数さん:03/08/27 00:01
>>1
んな、漠然としたこと言ってないで、具体的にどこが間違ってるのかを言え。
7山崎 渉:03/08/27 00:15
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
8132人目の素数さん:03/08/27 01:04
良スレ保守
9無限と有限:03/08/27 20:26
確かに無限って変だから、
それは無しにして、数学を構築しようって一派は現に存在している。
でも、彼らっだって

カントールの対角線論法は間違っている

なんて、言わないんだけどな?
10132人目の素数さん:03/08/28 03:20
5番がいいこといった。
可算無限であると仮定してあるから無限個のものを一望できるのではないか?
それに矛盾するから可算無限ではないと・・・。
この手の論争って、デリダにかぶれた哲厨があらわれて
「有限の立場、というユートピアは幻想であり、既に有限は無限を内包しているのだ!」
みたいなことを言い出して泥沼化するだろう、と踏んでたんだけど
一向に現れないな。そろそろポストモダン厨キボンヌ。
12132人目の素数さん:03/08/28 20:00
良スレ保守
>>11
つまり、デリダもアホなのね…
別に、デリダ自身がそういうことをいった事実はないし、多分言わないだろう、
そんなことは。念のため。数学に興味はないらしいし。
でも、哲厨ならいかにも言いだしそうだと思ったんだけどなあ。
デリダって誰?
16横山剣です。イイネ:03/08/29 05:12
何年か前の「数理科学」誌でも、
野矢茂樹くんが、「対角線論法はインチキ臭くてわかんね」って書いてたにゃあ。
たしかに、無限にあるものを並べちゃって、斜めんとこスーット見て、
「矛盾が見つかりましたよ、えっへん」なんていうのは、
ちょいとばかり怠慢というか横着じゃあるませんか??

と言っても、アタシも理解できてないんだな「対角線論法」!!!!

17supermathmania ◆ViEu89Okng :03/08/29 11:31
無限を無くしたら、集合はどう定義するのだろう?
とりあえず、空集合公理と対公理、冪集合公理、分出公理辺りを使うのだろうか?
無限のない論理で、集合すべてのなす集まりとか、自然数すべての集まりなどを議論できるのか?
18ポストモダン厨1号:03/08/29 13:12
有限と無限の二重の数の差異=賽

結論から言うと、有限=無限である。
何故なら有限の反復運動こそが無限速度での無限の差異であるからだ。
ならば無限速度での無限の差異とは何か?
それは特異摂動解析のような、カオスに他ならない。
換言するのなら、
カオスは非ユークリッド空間においての無秩序性の散乱ではなくて、
非ユークリッド空間における。一つの虚数≠√-1。であり、
一つの超越数で完全数なのである。
それは無限上の、樹木状多様体/リゾーム状多様体の解析接続につながり、
リーマン面においての収束地点をリーマン幾何によって封じリミットを越える直前に爆発させることである。
だがそれには二つの困難がある。
私は先に有限=無限である。と結論を述べたが、これは形式論理的には決して正しい言い方ではないようだ。
まず第一に
無限とは有限の数の無限性であり、その超関数性にある。(例えば無限は有限性のWKB解析では無限点に存在する。)
これを拡張し無限次元の解析を目指す。
第二に、一般相対性理論の問題である。
ご存知のように、一般相対性理論には5つの解がある。
シュバルツシルト解、ワイル解、カー解、富松佐藤解、ゲーデル解
これは全て有限性を持たされた数によって構成されている。
だが、無限点までの加速、加速度の加速を無限次元に拡張し、
尚且つ、ゲーデル解によって提示された宇宙モデルを無限微分する。
それを複素6次元空間にまで高める。(これはゲーデルの不完全性定理にからでも導ける。)
こうすることによって、有限の数の無限への収束と発散を反復し、量子力学的な法則によって、無限速度の差異に他ならない。
だが、これらも全てマラルメの言う如く、骰子一擲であろうか?
19 :03/08/29 13:20
別に無限にあるものを全部並べきらないと出来ない議論ではないと思うが。
20カントール:03/08/29 15:59
集合論を打ち立てた人。
激しく叩かれ(まるで2チャンの誰かの様に、と言うかそんなの目じゃないくらいに、)
ついに、精神に障害を持つまでになってしまった人。

無限って言うのは変なんだよ。確かに、。
それから、この理論はすごく例によって個性的なんだよ。それもひどく。
大体、あれなんだよ。
自然数と実数を一対一対応を用いて比較してみよう。なんて、ここで言う
電波君並の発想な訳なんだよ。当時としては。

だって、個数と量を比較しようって事とある意味同じなんだから。
小学校でならったでしょ。数と量は別のもんだって。

でもこの電波君はすごいんですよ。実際。
集合論と無限が深い関係なのは。当たり前。
集合論を生んだのはカントールと言ってもいいくらいなんだから。
21ペアノの公理:03/08/29 16:32
T 0は自然数のひとつです.
U ある数が自然数のひとつならば、その次の数も自然数のひとつです。
V TとUの中で得られる数だけが自然数のひとつとなります。
W 0は自然数の最初の数です。
X ある自然数aとbが等しいなら、その次の数、a+1とb+1も等しいです。
22選択公理:03/08/29 16:46
なんか変は2つかと思われる。
1加算無限ならならべられるのか?ほんとうに?
2新しくつくった数はほんとうにつくれるのか?
2はペアノからツェルメロとフランケル、選択公理へそれからゲーテルへ
発展する。
23仮定:03/08/29 16:48
間違っている
と言うより
公理が足りないって事かな?
24先生:03/08/29 17:47
じゃあちょっと君達の数学能力を試そうか。
対角線論法で選択公理は使っているか?
ぐだぐだ言わないでYesかNoで答えよ!
25仮定:03/08/29 17:49
yes
しらねーよ
対角線論法を導くときnテクニックの証明に選択小売使ってればイエスだが
27仮定:03/08/29 17:52
新しい数を作る作業は選択公理そのものです。
チン拓小売り
選択公理に文句つける奴は死刑
竹内センセは決定公理をお薦めしておりました
>18

ポストモダンキター。しかしデリダっていうかドゥルーズ=ガタリだな。
32先生:03/08/30 00:52
>>25 理由は?
>>26 0点
>>27 0点
33132人目の素数さん:03/08/30 05:30
実数を少数で書いた
34132人目の素数さん:03/08/30 06:04
実数が可算とすると閉区間[0, 1]のルベーグ測度が0になる。
35先生:03/08/30 13:29
結局、全員0点かな。。。みんなビビるなよ。時間無制限、教科
書みていいんだから、もうちょっと頑張ってみなさい
36生徒A:03/08/30 19:26
わかりました。先生。
37生徒A:03/08/30 20:05
カントールの対角線論法において、無限列にない数を作るのに、n番目のn
桁目と違う数を持ってきますね。この操作は単独では当たり前にできます。
しかし、相手は無限です。無限の数について一辺に違う数を持ってくるのは
選択公理(もしくはそれと同値な公理)あればこそできるのかと、思ってい
ました。それで、少しネットで調べました。
実数においてとなりの数はどうなってんの?(無限小って何?)連続体仮説
などと、わき道にそれながら、

結局、論理的にもう一度、読み直す。

それだけだと、阿呆の様に確信いたしました。

もう、数学の教科書なんか捨ててしまったので、図書館で漁って、
原文に戻ってもう一度、

カントールの対角線論法と選択公理について、読んできます。
38132人目の素数さん:03/08/30 20:06
カントン包茎の対角線論法なんてウソに決まってんだろ
39132人目の素数さん:03/08/30 21:59
ガンガレ!
ちんこ、びーんびーん。
41132人目の素数さん:03/08/31 11:07
カントールの対角線論法に選択公理は不要。
これを一般の対角線論法で示す。

Xを空でない集合とする。
2^X をXから集合Y = {0, 1}への写像の全体とする。
Xと2^Xの濃度は等しくない
(Xが実数体のときが本来の場合)。

証明:
全単射 f:X -> 2^X が存在したとする。
写像 j: Y -> Y をj(0) = 1, j(1) = 0で定義する。
2^Xの元gを、g(x) = j(f(x)(x))で定義する。
仮定により、f(y) = g となるy が存在する。
するとf(y)(y) = g(y) = j(f(y)(y)) となって矛盾。
QED.

上の証明のどこにも、選択公理は使われていない。
42132人目の素数さん:03/08/31 11:12
>>41
訂正:
(Xが実数体のときが本来の場合) → (Xが自然数全体のときが本来の場合)
写像が定義できるということ自体に選択公理と同様のものが使われている。
却下。
44132人目の素数さん:03/08/31 12:59
>>43
どこにも使われてない。
45先生:03/08/31 14:43
>>43 選択公理と同様なもの、って何?数学にそういう表現は
ないですよ。よく考えて自信をもって答えること。

それにしても日本の数学教育でこっけいなのは、「選択公理」を
教える科目(「集合と位相」とか呼ぶ場合が多いのかな)の中ですら
選択公理をあいまいに扱っていることだ。結局、ほとんどの教師が
わかってないんだろうから、学生は大変だよ

46132人目の素数さん:03/08/31 17:00
>>43

真性のヴァァカだな。
写像の存在を背理法によって否定してるんだから
公理もへったくれもありゃしないんだよ。
47132人目の素数さん:03/08/31 20:13
>>41の集合2^Xがそもそも存在するかどうかというのは自明ではないな。
XからYへの全ての写像を構成するのはXが無限集合のときは、不可能。
存在しない集合の濃度をうんぬんするのは無意味だし。
>>41

つっこみが入らないようにやるのであれば

>2^Xの元gを、g(x) = j(f(x)(x))で定義する。

の部分をZFを使って厳密にする必要があるのでは?

(つまり、選択公理を用いずに、gが存在することを
示せということ。)

43もそれがいいたいのではないか?
>>47
とりあえず>>1を見る限り、2^Xが存在するという前提なのでは。
50132人目の素数さん:03/08/31 20:33
>>48
選択公理なんて必要ないだろ。g(x) = j(f(x)(x))で立派に
定義されてるだろ。
51132人目の素数さん:03/08/31 20:35
>>49
間違った前提で論議しても無意味なんだが。
選択公理って、ようするに

「空でない集合X、Yに対し、写像X→Yが存在する」

ってことでしょ。そうすると、X^2が"集合として"存在することを
使っている時点で、選択公理を使っているのではないの?
選択公理は2^Xが存在するという意味じゃないんだが。

Xの部分集合Yがあれば、f(a)=1(a∈Y), f(a)=0(otherwise)
となるf∈2^Xが存在するという意味じゃなかったっけ?
54132人目の素数さん:03/08/31 20:56
>>52
違うよ。2^Xが集合として存在するってことは、選択公理とは関係ない。
これは、ベキ集合の公理という。
ベキ集合の公理って、集合Xに対し、その部分集合の集まりP(X)が
ふたたび集合になるってことでしょ。2^Xが集合であり、かつP(X)
と同じものであることを示さなくちゃいけないんじゃない?
56132人目の素数さん:03/08/31 21:11
>>55
簡単に示せるだろ。
57132人目の素数さん:03/08/31 21:22
集合論の公理も選択公理もわかってない奴が何議論してんだよ
58先生:03/08/31 21:30
>>52
全く違う。「ようするに」とかいう言葉でごまかすなかれ。

でもスレッド的には盛り上がりつつある。とにかく、教科書で
選択公理を読んで,自分で考えてから書きこむべし。ただ教科書の
著者が選択公理をわかってない場合は多いにありえるが。
59132人目の素数さん:03/08/31 21:33
チンタク公理ってのは無限直積が作れるってことだよ
「ようするに」っていうのは、語弊があるな

私の記憶がたしかなら、選択公理って

「集合X(空でない)と、Xの元を添字にする(空でない)集合の属
{Y_x | x \in X}があたえられた時、その直積が、空でない集合になる」



ってこってしょ。Y_xが全て同じ集合Yであった場合が、52。
(\prod _{x \in X}Y の元は、XからYへの写像とみなせる)


「全く違う」と言い切るのも、センスがないなぁ。
センセー。シツモソです。集合論としてBGを採用したとき次の二つの命題
(1)∀S:set ∃f:2^S\{φ}→S ∀x∈2^S\{φ} f(x)∈x
(2)∀S:class ∃f:2^S\{φ}→S ∀x∈2^S\{φ} f(x)∈x
は同値ですか?同値ならば(1)⇒(2)の証明をおしえてくらはい。
同値でないならば(1)は成立するが(2)は成立しないBGのモデルが構成できることを証明してくらはい。
 
ちなみにオイラは答えしりまへん。
>>60
選択公理と絡める必要性が全くない。
選択公理を使わなくてもXからYへの写像は作れる。
63132人目の素数さん:03/08/31 23:24
>>60
Y_xが全て同じ集合Yである場合は、トリビアル。
Yから元yを任意に取り出して、すべてのxに対してf(x) = yと定義
すれば、f はY^Xの元であり、Y^Xは空でない。
従って、この場合は選択公理は必要ない。
64132人目の素数さん:03/08/31 23:45
>>60にはセンスのかけらも感じられない
65132人目の素数さん:03/08/31 23:57
>>60はセンスなし。
66先生:03/09/01 00:09
>>63 いいポイントです。部分点あげます。
>>60 「記憶が確かなら」っていうけど、当時も理解してなかったのでは。。。
面倒だろうけど教科書見てみてください。
67132人目の素数さん:03/09/01 00:10
先生きたー!
センセー!!>>61は〜??
69132人目の素数さん:03/09/01 00:13
ワガンネ
>66

数学はなれて数年たつ人間にいうなよ。忘れるって普通。

アカポ以外で、集合論なんざ猫のうんこより役にたたないん
だからさ。
71132人目の素数さん:03/09/01 00:54
上の方で「センスがない」と断言していた割には随分弱気だなw
72先生:03/09/01 21:16
導入問題として、選択公理をつかった議論を
1つ考えるというのは良いだろう。具体的な
状況での例を考えるように。そうでないと
いつまでたっても分かる様にならないかも。
73132人目の素数さん:03/09/01 21:31
>>72
分かるというのもレベルがある。
選択公理は、奥が深いと思う。
実際問題として、本当に選択公理を理解している数学者は、
この地球上に過去も含めているのかな?
74先生:03/09/01 21:58
>>73そういう問題じゃなくてさ。表面的な意味でいいんだけど、
大体正しく使えれば。選択公理については、完全な勘違い、不理解が
多いんですよ。
75132人目の素数さん:03/09/01 22:08
>>74
それは百も承知してるんだが、選択公理は、本質的に難しいんだよ。
実際問題として、選択公理を知らなくても数学は出来ると思うよ。
76132人目の素数さん:03/09/01 22:09
>>74
あなたの言いたいことは大体分かりますよ。
だったら、板の住人を試したりせずに
勘違いしやすい点とか
不理解を理解と思ってしまいがちな点を、
すばり指摘すればどうですか?
77132人目の素数さん:03/09/01 22:35
仕切り厨うざい
78先生:03/09/01 23:27
>>75 その通り。難しい。というか捉えどころがない。
選択公理を知らなくても数学できる−−その通り。
だって公理だもん。ほとんどの人は気がつかないで
使ってる。数学者でも、指摘したら「あ、使ってたんですか、
自分も」とか言うと思う。実際今までプロの中で「専門家」
じゃなくて、選択公理のこと気にしてるのってDeligneくらいしか
知らない。どっかの論文で選択公理使いたくないから別証探して
苦労してるの見たことある。


79132人目の素数さん:03/09/01 23:42
先生きたー!
80132人目の素数さん:03/09/01 23:42
>>78
俺も選択公理は、出来れば使いたくないね。
気持ちが悪いんだよ。
可算選択くらいなら、しかたないが。
>>78
うぜえよ。なにが「先生」だ。仕切り厨房じゃねーか。
夏休みが終わったのにまだうろうろしてんのか。
82先生:03/09/02 00:02
>>80きっとあなたは分かっているんでしょうね。でも
ここの書きこみ読めば分かる様に、分かってない人も多い。
ていうか殆どじゃないかな。
大学院生くらいになってから、教科書よんで5分くらい自分で
考えれば、選択公理の言っていること(例え表面的にでも!)
を「分かる」人は多いと思う。でも、その機会がないことが
おおいんだよね。だから、ここでは、「教科書一度開いて
書きこんで」って言っていたわけ。別に整列可能性との関係が
どうのとか「深遠なこと」言ってるんじゃないんだよ。。。
83132人目の素数さん:03/09/02 00:16
>>82
なるほど分かりました。
しかし整列可能定理や2つのZorn's lemmata
との同値性の証明を熟読したり
基底定理やTchikonovの定理や極大idealの存在を導いたり
することによって
選択公理の概要がだんだんとつかめてくるのではないでしょうか。
それを確認する機会はむしろ大学院生になってからの方があったりしませんか。
84ぶう:03/09/02 04:54
任意の無限集合は必ず加算集合を部分集合として含むことを示せ。
85132人目の素数さん:03/09/02 11:22
簡単に言ってカントールの打ちたてたパラダイスに対する突っ込み
に対して
未だに
完全な数学は構築されてはいないのだよ。
わかったかね。
86先生:03/09/02 12:54
>>83 まじめな態度でよろしい。数学の勉強では正当な姿勢だ。
でも、選択公理はちょっとちがうんだな。整列可能性とかとの同値性の
証明読んでもさっぱりわかるようにならないんだよ。私としては、とりあえずは
「選択公理の具体的な使い方」を知るのが一番だと思う。それから君もコテハン
つかったら、まじめな書きこみには。
87132人目の素数さん:03/09/02 23:58
先生に質問.
Fermatの最終定理の証明には選択公理が必要なの?
必要であれば,どこで必要なのか教えて下さい.
必要でないならば,理由を簡単に教えて下さい.
8883=十年前は院生:03/09/03 00:33
>>86
コテハンつけました。
idealの族の集合に順序をいれ、帰納的順序集合であることを示し、極大元が存在することから
極大idealが存在することを示したり、
1次独立なベクトルの族に順序を入れ、帰納的順序であることをいい、極大元の存在から
基底の存在を示すのは、Zorn のlemmaの利用であって
選択公理の利用ではないと言うことですね。
「選択公理の具体的な使い方」の例としては
集合A, Bとf∈A^B, g∈B^A であるとき
f○g=id_Aであるための必要十分条件が
gが単射でfが全射であること
を示すときに選択公理を利用するようなことを言ってらっしゃるのでしょうか。
>集合A, Bとf∈A^B, g∈B^A であるとき
>f○g=id_Aであるための必要十分条件が
>gが単射でfが全射であること
 
ほんと?
9083=十年前は院生:03/09/03 02:42
>>89
嘘です。ごめん
× 必要十分条件
○ 必要条件
gで行ってfで帰って来るんで
つい必要十分だと勘違い。
91132人目の素数さん:03/09/03 02:43
選択公理?選出公理だろヴォケ
92132人目の素数さん:03/09/03 02:49
>>88-90
どう選択(選出)公理を使うのか書いてみて欲しい
>>91
どっちでもええやん。
94十年前は院生:03/09/03 02:58
>>91
本気で言ってますか?
私の無知ならお教え願いたいのですが
選択公理と選出公理は別物ですか?
95十年前は院生:03/09/03 02:59
>>92
岩波の現代数学概説Tに詳しく証明が載ってますよ。
集合A, Bとf∈A^B, g∈B^A であるとき
f○g=id_Aであるための必要条件が
gが単射でfが全射であること
 
この証明に選択公理がいる??
>>96
>>95ということらしいが
松坂の集合位相入門では選出公理になっているな
99十年前は院生:03/09/03 04:03
要するに両方とも
Axiom of Choice
なのですよね。
選出でも選択でもええやん。
>>99さん。>>96はどうなった?
101132人目の素数さん:03/09/03 04:21
>>101
だからたぶんステートメントおぼえまちがってるかなんかしてるって。
勘で
f:A→Bが全射⇔∃g:B→A s.t f・gがid_Bになる
の証明かなんかじゃないの?
わざわざHN付けたのなら
ある程度責任持ってレスしてくれてもいいのに
>>104
しょうがないよ、知ったかぶりの工房だもの。
夏休みが終わったから出て来れないんだろ。
106132人目の素数さん:03/09/06 18:24
選択公理も選出公理も同じ物

意味がいっしょだろうが、、、
内容の同じ公理2個もあってどうするんだよーーーーーーーん。
107投げた1石:03/09/06 18:27
数学的帰納法により、
任意の自然数について成り立つ場合
全ての自然数について成り立つと言う意味になる。

だから、どうした?
108132人目の素数さん:03/09/11 14:10
反カントール派の数学者が結構いるのに驚いた。しかも理は通ってる。
とすると、1みたいな事言う奴をあながち馬鹿にはできないよ。
1は対角線論法が理解できてないだけだから思いきり馬鹿に出来る。
110132人目の素数さん:03/09/14 21:45
否、あながち馬鹿って訳でもないんだよ。
有限構成的なものしか俺認めないもんねって数学者は結構いるんだよ。
1が言ってるのは、この有限構成の立場その物なんだよ。

>無限のものをあたかも一望しているように書き連ね、

これは、見てもいない無限を何か完成された、まとまりとして認識するって事だから。
有限構成派には耐えがたく認めがたい。

>有限の理論を無限に用いるのはいささか無用心ではないか?

これも言っている通りなんだよ。
確かに無用心なんだよ。

数学の基礎論の歴史がその方向なんだよな。実際、、、。
111supermathmania ◆ViEu89Okng :03/09/15 15:47
それじゃあ、数学的帰納法は有限構成を主張する人はどのように述べるのだろうか?
112132人目の素数さん:03/09/15 15:55
有限構成派の問題点は、それで数学を押し通すとことは、殆ど不可能ということ。
113132人目の素数さん:03/09/15 17:53
>111
有限構成派=数学的帰納法原理主義
Wilfrid Hodges が、自分が査読した「対角線論法は間違っている」と主張する
論文を回想してるエッセイがあったね。泣かせるよ。

W. Hodges, "Editor recalls some hopeless papers,"
Bull. Symb. Log., 4(1) 1998, pp.1-16. Available from:
http://www.math.ucla.edu/~asl/bsl/0401-toc.htm
>>111
普通は、帰納法を弱めるんじゃないでしょうか。そういう試みはいくつかあるはず。
Edward Nelson の predicative arithmetic とか。
とりあえず、参考になりそうな文献をピックアップしてみました。

A. S. Yessenin-Volpin, "The ultra-intuitionistic criticism
and the antitraditional program for foundations of
mathematics" in A. Kino et al. (eds.), _Intuitionism and
Proof Theory_, North-Holland, 1968, pp.3-45.

Rohit Parikh, "Existence and feasibility in arithmetic,"
_Journal of Symbolic Logic_ 36, 1971, pp.494-508.

Petr Vopenka, _Mathematics in the Alternative Set Theory_,
Teuber Verlagsgesellschaft, 1979.

Edward Nelson, _Predicative Arithmetic_, Princeton U. P.,
1986.

Jan Mycielski, "Analysis without actual infinity," _Journal
of Symbolic Logic_ 46, 1981, pp.625-33.

Jan Mycielski, "Locally finite theories," _Journal of
Symbolic Logic_ 51, 1986, pp.59-62.

S. Feferman & G. Hellman, "Predicative foundations of
arithmetic," _Journal of Philosophical Logic_ 24, 1995, pp.1-17.
Available from: http://math.stanford.edu/~feferman/papers/predarith.pdf
117supermathmania ◆ViEu89Okng :03/09/16 13:14
もうひとつ、極限はどのように言い換えるのだろう?
(実は既にε-δ論法があるが。)
無限を使わない微分、積分を構成しなければならないだろう。
exp,sin,cosなどもつくらないといけない。
118132人目の素数さん:03/09/16 13:34
無限を有限で理解するから不完全性定理が出来する。

認識の形式としてはカントールは正しい。

そんだけ。
119先生:03/09/16 21:17
>>114 で、君これ読んだのか?
120132人目の素数さん:03/09/16 23:31
ちょっとレベル低くて悪いんですけど
Card(R)>Card(Z+)の証明で任意の実数は無限小数の極限として表せる。
ってのの証明が分からないのですが、誰か知っている人教えてくれませんか?
121132人目の素数さん:03/09/16 23:44
>>120
実数xを小数で近似していけばいいでしょ。
122120:03/09/16 23:47
実数の連続性から証明できると書いてあるのですが
>>122
ソースは?
無限小数の極限がある実数になる、
ということに実数の連続性を使うならともかく、
任意の実数は無限小数の極限として表せる、
ということの証明に実数の連続性を使うってのはどういうこと?
125132人目の素数さん:03/09/17 07:05
>>124
アルキメデスの公理から、証明できる。
アルキメデスの公理は実数の連続性から証明できる。
126132人目の素数さん:03/09/17 07:36
任意の実数xに対して,その小数展開x(n),(nは桁位置を表す整数)
を与えることが出来る.このこと自体に選択公理が密輸されていないか?
127132人目の素数さん:03/09/17 07:43
>>126
当然だろうな。ただし、可算選択。
密輸と思うのは、意識してない人だけ。
128132人目の素数さん:03/09/17 07:59
>>127
xの小数展開は、ほぼ一意に決まる。
可算選択より自由度は、はるかに少ないな。
つまり選択公理より弱い公理でOK。
129132人目の素数さん:03/09/17 12:21
x(n) = [ 10^(-n) x] - 10 [ 10^(-n-1) x ]
と書けるから選択公理はいらない。

これが合ってること証明しようとしたら悩んでしまった。
ここは選択公理スレになったのですか?
131132人目の素数さん:03/09/17 15:44
>>1
連続体仮説のような難問を生み出してしまったという点ではたしかに
無用心だったかもしれない。

でも、連続体仮説をめぐるその後の集合論の発展を鑑みたとき、やはり
カントールの天才的無用心だったと言うべきだと思う。

……誰か、最近の連続体仮説をめぐる研究状況について、わかりやすく
教えてくれません? かなりすごいことになってるらしいんだけど、
ついていく体力がないよ。Woodin 予想はどうなってる?
132132人目の素数さん:03/09/17 19:47
無限のものをあたかも一望しているように書き連ね、
都合のいい結論をだしているに過ぎない。
有限の理論を無限に用いるのはいささか無用心ではないか?
↑平方数の逆数和が6分のパイ2乗に収束するのなんて、有限の理論を、もちいて示していることを知らんのか
133132人目の素数さん:03/09/17 19:51
>>132
知ってる。sinX/Xをテイラー展開してどうのこうのして、n次方程式の解と係数の関係から導くんでしょ。でもそれよりはフーリエ級数から導くのが基本だよ
134132人目の素数さん:03/09/17 19:52
>>1
なんも無用心じゃない。理論的だ。んなことを書き込んだお前が無用心だタコ
135132人目の素数さん:03/09/17 20:19
ゲーデルの不完全性定理って間違ってるんだって。いやマジで。数学的にちゃんと示せたらしいよ。プリンストン大学の教授が。いやほんとだって。嘘だと思うなら新聞かなんか見てみ
136132人目の素数さん:03/09/17 20:25
>>135
ソースを具体的に示してくれないかな?
数学的に正しいとされた定理が、
数学的に間違ってると示されたんですか。

本当だったら祭りどころじゃないですね。
ソースを希望します。
今日の新聞には無いみたい。
138132人目の素数さん:03/09/17 20:28
>>135
氏ね
139132人目の素数さん:03/09/18 00:02
ゲーデルの不完全性定理て
対角線論法をつかっている点にたぃしての
批判は、発表当時からかなりあったそうです
140132人目の素数さん:03/09/18 00:04
対角線論法を最初聞いたときかなり理論的だなぁと関心したのだが
そんなに批判されるべき点があるだろうか
141132人目の素数さん:03/09/18 00:12
カントールと違って
チューリングは、計算が終了するか、終了しないか
で話をとめている
これは かなり賢いか
これなら 無限時間計算を続ければ答えが出るとは
誰もいわない
>>140
もちろん、対角線論法は数学的にはまったく問題がない。

ただ、それを拒否するような、実数連続体に対するある独特な観点
(直観主義の立場)に立った場合にも、それはそれで首尾一貫した
数学が展開できる、というだけの話では。

初期のころの批判のポイントには、いくぶん哲学的な動機もあった
ろうけど、そのような直観主義に由来する構成的数学が、現在では
計算機科学のなかで必要不可欠な位置を占めているんだから、それは
それでいいんじゃないだろうか。

トルールストラ(構成的数学の第一人者)のページ:
http://turing.wins.uva.nl/~anne/

の一番下のところから、構成主義の歴史的展開をサーヴェイしたペーパー
が手に入ります。初期の批判のポイントに興味があるのならば、読まれて
みては。
143132人目の素数さん:03/09/18 00:44
>>142
ありがたい・・・けど英語読めにゃい・・・・
>>135
不完全性定理って、たしか証明を計算機で検証したんじゃなかったっけ?

http://www.csl.sri.com/users/shankar/shankar-talks.html
145132人目の素数さん:03/09/18 00:50
>>144
あぁ、ゲーデル数がどうのこうのってやつ?だよねーだけどどこかの誰かさんは不完全性定理の否定の証明が可能だと思ってるらしいよ
146132人目の素数さん:03/09/18 05:42
>>135
CCさくらが星雲賞とってたんだってね。知らなかったよ。やっぱり新聞は
読んどくものだね。
http://www.sf-fan.gr.jp/jnebula.html
日本のネビュラ賞は、本家に比べて謎が多いよな。
148132人目の素数さん:03/09/18 06:51
>>145
どこの誰だが、はっきり指摘してもらおうじゃないか。
指摘出来ないなら、煽りとみなすよ。
149132人目の素数さん:03/09/18 07:19
>>148
煽ってなんかいないさ。
フェルマーの最終定理の解決に直接的に関わった人々
の123の人。読んでみな
(・∀・)イイヨイイヨー
151132人目の素数さん:03/09/18 07:24
ちんちん
152132人目の素数さん:03/09/18 07:28
>>148
どうだった?
>>152
おれ≠>>148なんだけど質問です。あなた昨日この手のカキコあちこちに書いてたヒト?
154132人目の素数さん:03/09/18 07:32
この手のって何。それは俺じゃない
>>154
>この手のって何。それは俺じゃない
 
この手のってのは昨日あちこちのスレで
 
>ゲーデルの不完全性定理って間違ってるんだって。いやマジで。数学的にちゃんと示せたらしいよ。プリンストン大学の教授が。いやほんとだって。嘘だと思うなら新聞かなんか見てみ
 
てのがいっぱい張られてたのよ。でもソースは一個もでてなくてさ。このカキコ書いてたヒトに
直接ソースきいてみたいんだが。まあ、十中八九ガセだろうけど。
156132人目の素数さん:03/09/18 07:41
十中八九ってずいぶん高くないか?普通に十中十一だろ。ありえんもん
157132人目の素数さん:03/09/18 07:46
>>149
俺がその123だよ。俺はこう書いた:
>俺が言ってるのは、不完全性定理が間違いだと証明される
>可能性が絶対無いということは、自明ではないということだよ。
>何も、不完全性定理が間違いだと言ってるわけじゃない。
>この区別が、つかないということは、かなりヤバイぞ。

完全性定理の否定の証明が可能だとは、書いてない。
君の日本語大丈夫か? 君もかなりヤバイぞ。
158132人目の素数さん:03/09/18 07:47
完全性定理 → 不完全性定理
159132人目の素数さん:03/09/18 07:49
中島みゆきとカントールってどっち人気あるかな
160132人目の素数さん:03/09/18 07:54
>>157
不完全性定理が間違いだと証明される可能性が絶対無いということは、自明ではない
↑だって専門書には「ゲーデルの定理の証明に誤りが絶対ないことも、数学的に証明されている」って書いてあるよ
オレは仲根かすみがイイ!!
なんか、泥沼になりそうだな。

そもそもどういうものを証明と認めるか、というレヴェルの議論になると、
ほとんど数学の哲学に属する問題になってしまう。「自明ではない」という
言葉の意味をどう解釈するかにもよるし。いずれにしろ、精密な概念分析を
しないことにはどうともならない問題でしょう。

これは、数学板でやる話じゃないよ。(かといって哲学板のレヴェルを
考えると、あそこでも無理だろうけど……。)
163132人目の素数さん:03/09/18 13:09
>>162
「不完全性定理が間違いだと証明される可能性が絶対無いということは、自明ではない」の
”自明ではない”という表現はちょっとよろしくないと思います。確かに>>160の言う通り、
「ゲーデルの定理の証明に誤りが絶対ないことが数学的に証明されている」は周知の事実ですが、
それが自明かどうかはあなたの言う通り人によって捕らえ方が違うのですから。
あなたは、「不完全性定理が間違いだと証明される可能性は絶対無い。だがしかし、・・・」
と言う書き方で行けば良かったのかと。とんだ的外れでしたらごめんなさい。
164132人目の素数さん:03/09/18 15:08
>>161
哲学とかアフォみたいなこと言ってるけどただ単に>>160を知らなかっただけ。
お前が「数学の哲学に属する問題になってしまう」とか言っても証明されてるものはされてるんだっつーの。
>>164はアンチ仲根かすみ?カワイイけどな・・・
166132人目の素数さん:03/09/18 20:02
>>163
自明とは、文字どうり自明、明らか、トリビアルなことだ。
ここでは、大多数の数学者にとって自明ということ。

>「ゲーデルの定理の証明に誤りが絶対ないことが数学的に証明されている」
は周知の事実ですが、

周知って言葉こそ、あいまいでしょう。
どういう人々にとって周知なのか、明確にしてもらいましょう。
不完全性定理のような非常にノントリビアルな数学の証明に誤りが絶対ないことの証明なんて、聞いたことがない。
167132人目の素数さん:03/09/18 20:07
>>160
その証明(仮に正しいとして)は自明じゃないだろ。
その証明は、何ページあるんだ? 
数行で証明されなきゃ、自明とはいえないぞ。
自明だろうが非自明だろうが、成立してるんだからいいじゃん。
169132人目の素数さん:03/09/18 22:13
そーだそーだ、お前が知らねーだけだターコ
170132人目の素数さん:03/09/18 22:26
>>166
本当に効いたことないのですか・・・?冗談でしょう?
171132人目の素数さん:03/09/18 22:27
>>166
本当に聞いたことないのですか・・・?冗談でしょう?


172132人目の素数さん:03/09/18 23:13
>>171
いいからソースを出しなさい。
それからだ、議論が始まるのは。
173132人目の素数さん:03/09/18 23:46
ソースって言われても、ネットで調べたことなんてないです
174132人目の素数さん:03/09/18 23:48
>>172 あんたK木か?
>ゲーデルの不完全性定理って間違ってるんだって。いやマジで。数学的にちゃんと示せたらしいよ。
>プリンストン大学の教授が。いやほんとだって。嘘だと思うなら新聞かなんか見てみ
 
これのソースはどっかのスレででた?
176132人目の素数さん:03/09/18 23:51
K木って何?
177132人目の素数さん:03/09/18 23:59
>>173
ネットでなくてもいい。いいから出してみて。
178132人目の素数さん:03/09/19 00:07
>>177
講談社、ブルーバックス、ゲーデル・不完全性定理って本に書いてある
179132人目の素数さん:03/09/19 00:08
>>172 あんたK木か?
      ↑
     k木って何や     
180132人目の素数さん:03/09/19 00:10
>>178
何て書いてあるの?
181132人目の素数さん:03/09/19 00:14
〜、不完全性定理に誤りが無いことも、比較的容易に示される。すなわち〜
182132人目の素数さん:03/09/19 00:20
>>181
容易なら、ここに書いてくれ。
183132人目の素数さん:03/09/19 00:44
ありえない。
184132人目の素数さん:03/09/19 01:36
本に載ってない
185132人目の素数さん:03/09/19 02:07
考えられない。
186132人目の素数さん:03/09/19 02:26
おちんちん
ゲーデルのが間違ってる可能性もあるだろね。
代数学の基本定理の証明全てが間違ってる、それくらいに等しい可能性が。
ただ、そんな可能性がある事をあのコピペに言ってしまうとはとんだ天邪鬼だこと
189132人目の素数さん:03/09/19 09:47
数学的にはどうなってんのよ?
190132人目の素数さん:03/09/19 20:29
>>187
不完全性定理と代数学の基本定理とでは、次元がまったく違うが。
前者の方が遥かに深い。証明も遥かに難しい。
だから全部、と言った。
192191:03/09/19 20:45
それらでも足りないんだったら適当な定理を追加しといてくれ。所詮は量の問題だし。
どっちにしろコピペにその可能性の問題を言うのが天邪鬼である事には変わらん。
193132人目の素数さん:03/09/19 21:06
>>192
難しい証明の無謬性の証明がトリビアルでないという、
当たり前のことを言うのが、何故、天邪鬼なのかな?
194132人目の素数さん:03/09/19 23:12
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195132人目の素数さん:03/09/19 23:18
空気嫁
196132人目の素数さん:03/09/19 23:29
>>195
お前の頭は空気だな。読んだよ。何も無い。
197132人目の素数さん:03/09/19 23:30
ひまじんキター!
>>190
不完全性定理の証明の方が遥かに難しいというのはいいが、
だからといって遥かに深いというのはそれこそ別の次元の話。
代数学の基本定理も君が思っているよりも遥かに深いのだよ。
199132人目の素数さん:03/09/20 21:15
>>198
どっちが深いかというような決着のつきそうもない議論は、
よそうじゃないか。それでも、俺の主張には、なんら問題ない。
ゲーデルの定理のほうが、遥かに証明が難しいことを認めるのなら、
それでいい。
>>199
泥沼の論争地獄キボン
>>193
天邪鬼ではないだろうけど、少し意地が悪いぞ。
202132人目の素数さん:03/09/20 22:50
>>201
そう思うのは、俺がどういう文脈であれを言ったかを知らないから。
あれとほぼ反対のことを言った奴がいたからだよ。
>>202
向こうの118を受けてか。
しかしいつものネタレスからお主の議論に持ってくのもどうかと思うぞ。
204132人目の素数さん:03/09/21 05:16
>>203
議論のきっかけなんて何だっていいだろう。スレのテーマからそれ程逸脱
しなければ。
>>204
別にしちゃいけないとは言ってないさ。
206132人目の素数さん:03/09/21 06:17
>>205
天邪鬼から、だいぶト−ンダウンしたな。w
>>206
1段階しかトーンダウンはしてないような。
208132人目の素数さん:03/09/21 09:08
>>207
じゃあ何が悪いんだよ?
209132人目の素数さん:03/09/21 17:05
不完全性定理の証明の基本的アイデアは
対角線論法だから難しくないよ。

ただ、証明可能性の述語を自然数論上につくるのは面倒。

代数学の基本定理との比較は難しいな。
ただ、数学好きなら、代数学の基本定理の証明のほうが面白いかな。
ラッセルのパラドックスや不完全性定理の証明が面白い人は、
数学好きっていうより、論理好きとかプログラミング好きって
タイプだな。
210132人目の素数さん:03/09/21 17:15
>>209
その対角線論法ってのがくせもの。それから、基本的アイデア
が簡単でも、技術的細部が面倒っていうのは、難しい証明に
よくある話。
211132人目の素数さん:03/09/21 17:21
>>209
技術的細部が面倒っていうのは難しいというのとは違う。
対角線論法そのものは大した話じゃない。
情報系の人なら、Λ算法の不動点作用素の形で
よく知っている。ただ数学の人は知らないかも。
>>208
性格。
213132人目の素数さん:03/09/21 17:39
>>211
俺にとって数学の定理の証明の難しさは、
技術的細部にその原因があるんだが。アイデアは単純。直感的にも
明らか。しかし、難しいというのはよくある。
たとえば、多変数の積分の変数変換の公式なんて、典型的な例だ。
一般化されたストークスの定理もそうだな。

>対角線論法そのものは大した話じゃない。

理解が難しいと言ったわけじゃない。
かなり、論理的に微妙なところにある論法だと思う。
214132人目の素数さん:03/09/21 17:42
>>212
どう性格が悪いのか、分かるように説明してみてくれ。
215132人目の素数さん:03/09/21 19:49
>俺にとって数学の定理の証明の難しさは、
>技術的細部にその原因があるんだが。

ま、多変数の積分の変数変換の公式や
一般化されたストークスの定理が
「難しい」というなら、ゲーデルの
不完全性定理は難しいかもな(笑)

対角線論法が「論理的に微妙なところにある論法」
だとは思わない。ただ、その結論は、数学的な
プラトニズムに論理的根拠の無いことを示すので
面白くないのだろう。
>不完全性定理の証明の基本的アイデアは
>対角線論法だから難しくないよ。

そういうのをコロンブスの卵って言うな。

>ただ、数学好きなら、代数学の基本定理の証明のほうが面白いかな。

そうだな。何かがあるって感じがするな。

>それから、基本的アイデア
>が簡単でも、技術的細部が面倒っていうのは、難しい証明に
>よくある話。

深谷先生もそんな子と逝ってたよ。

>たとえば、多変数の積分の変数変換の公式なんて、典型的な例だ。
>一般化されたストークスの定理もそうだな。

例えがよくない気がするが・・・

>ま、多変数の積分の変数変換の公式や
>一般化されたストークスの定理が
>「難しい」というなら、ゲーデルの
>不完全性定理は難しいかもな(笑)

ほらみろ。こんなつっこみがはいっただろ。>>213





217132人目の素数さん:03/09/21 20:23
>>215
多変数の積分の変数変換の公式の証明は、難しいだろ。
これは、数学を良く知らない君みたいな人にも分かる
例として挙げただけだ。もっと、高度なものも、いくらでも
挙げることが出来る。たとえば、Weilによる有限体上定義された
代数曲線の合同ゼータ関数のリーマン予想の類似。これの基本的
アイデアは、カステルヌオーボの不等式という、古典的な結果を
有限体上の代数曲面にも適用するという比較的単純なアイデアだ。
しかし、これを証明するためにWeilは、標数pの代数幾何を
建設する必要があった。Weil予想は、これの高次元版だが、
Grothendieckによる、エタールコホモロジー論が
解決のキーとなっている。このエタールコホモロジーというのは、
基本アイデアは、単純なもの。

対角線論法が、微妙に思えるのは、排中律を使っている点。
218132人目の素数さん:03/09/21 20:34
>>216
>ほらみろ。こんなつっこみがはいっただろ。

いっこうに痛痒を感じないな。何故かというと、あれは、
基本アイデアが単純でも技術的細部が面倒な例として典型的だからだよ。
あの証明が簡単と思うのは、証明を理解してない証拠。
219132人目の素数さん:03/09/21 22:21
このへんのおさらい:
不完全性定理の証明最強厨が暴れているだけ
220132人目の素数さん:03/09/22 02:38
Dan Willard って人の不完全性定理に関する最近の研究がおもしろそう。

> Recently, I have been doing research in proof theory, in considerable
> detail. I have developed a class of axiom systems which can verify
> their own consistency. Godel's Incompleteness Theorem states such an
> axiom system can not prove all the theorems of Peano Arithmetic.
> However, my system can prove more theorems in the $ \Pi_1 $ class than
> Peano Arithmetic. It is designed to enable computers to recognize their
> consistency in the very distant future to the same limited extent to
> which people can recognize their self consistency.

http://www.cs.albany.edu/profiles/willard.htm
221132人目の素数さん:03/09/22 04:40
こんなの見つけた。

A. S. Yessenin-Volpin & G. Hennix, "Beware of the Goedel-Wette paradox",
(arXiv:math.LO/0110094).

> This paper gives a counterexample to the impossibility, by Goedel's
> second incompleteness theorem, of proving a formula expressing the
> consistency of arithmetic in a fragment of arithmetic on the assumption
> that the latter is consistent. [...]

http://front.math.ucdavis.edu/math.LO/0110094

Yessenin-Volpin ってまだ仕事してたんだ。もう相当なおじいちゃんだと
思うけど。ここで言及されてる Wette って、竹内外史氏が「ZF集合論に矛盾
を発見したと称するわけのわからない論文を発表しつづけている」と評してた、
あの Wette のことだよね。なんか怪しいなぁ。
222132人目の素数さん:03/09/22 07:47
>多変数の積分の変数変換の公式の証明は、難しいだろ。

いいや、面倒だが難しくない。

>あの証明が簡単と思うのは、証明を理解してない証拠。

そう思うのは、数学を知らないから。
困難と面倒は違うよ。
223132人目の素数さん:03/09/22 07:50
>対角線論法が、微妙に思えるのは、排中律を使っている点。

排中律の何が気に入らないのかな?
224132人目の素数さん:03/09/22 08:07
>>222
>そう思うのは、数学を知らないから。

あの証明は厳密にやろうとすると骨がおれるぞ。
それを知ってて言ってるのか?

>困難と面倒は違うよ。

概念を理解するというのは、難しい場合がある。
定義はわかっても、その意味を理解するのが難しい場合がある。
しかし、それも慣れなんだな。論理を何度も丁寧に追っていくうちに
分かってくる。
証明のアイデアとか、証明の道筋自体は
簡単なケースがほとんどだろ。道具を整備するのに苦労するんだ。
つまり、結局、量的困難に帰着する。
>対角線論法が、微妙に思えるのは、排中律を使っている点。

どこで使っているのかな?
226遥かなる高みからの眼差し:03/09/22 11:10
日本で最も頭のイイ人達は
柄谷行人、浅田彰、吉本隆明、宮台真司、東浩紀、立花隆、村上陽一郎、
野矢茂樹、三浦俊彦、宮崎哲弥、福田和也。
この人たちは数学的に不完全性定理を理解した上で
その意味と応用を考える事が出来る。無機な数学を
活きた哲学にする。

理解するのに、汲々としているレベルとは違う。
理解して自慢してるレベルとは違う。
タコツボ型の視野狭窄専門バカとは違う。
これで文句は無かろう。

万能型の天才にはどうしても納得出来ない?
スーパーインテリジェンス。
彼等の知識は分流し、奔流となって大河となり、循環し続ける。

彼等という知の伏流が奔流となってこの日本を覆う時、それは旧い知の
終焉を告げる。終焉は再生、創造の時を告げる。
>>226
ネタとはいえ、なんだかよくわからん人選だな。
哲学板糞スレでの紆余曲折を経て生まれたコピペですから
230132人目の素数さん:03/09/22 18:03

フェルマーの最終定理の証明に選択公理は使ってるんですか?
整数を全部足すと
整数でないということを
背理法で簡単に証明できると思い込んでいるが、

じゃあ何なんだろう。
232132人目の素数さん:03/09/22 23:47
選択公理を認めるとバナッハタルスキーのパラドクスが生じるらしいけど、
それでいいのか?
>>232
別に無矛盾なんだから構わないジャン。
234132人目の素数さん:03/09/22 23:59
>>233
まぁぁ
いけしゃーしゃーと
なんて子でしょう
235132人目の素数さん:03/09/23 07:46
そもそもの間違えは
有限で表せないないものを
無限で表せるとしてしまったことね

>>226
立花隆は不完全性定理のことで
237132人目の素数さん:03/09/23 10:08
>>対角線論法が、微妙に思えるのは、排中律を使っている点。
>どこで使っているのかな?

これは、言いだしっぺの>>217が説明すべき。
ダンマリを決め込んでいるところをみると、
何も考えずに口から出任せでいったか。

排中律というよりも、値が必ず確定しているという
前提が必要になるのは確かである。
そうでないと、値をずらして新しい要素をつくる
ことができないから。
238132人目の素数さん:03/09/23 10:11
>>237
逆に新しい要素なんて追加できないってことにすると
値が確定しない箇所があるってことになる。

ゲーデルの不完全性定理は証明はそういう方針。
239132人目の素数さん:03/09/23 10:14
>>238
もうちょっと説明すると
ゲーデルの不完全性定理の場合は、
「対角線の値の否定をとったもの」
というのがすでにある列として
実現されていることを示して
その列と、対角線との交わりの
箇所が不確定になるといっている。
240132人目の素数さん:03/09/23 10:17
>>237
答えるのがバカらしいからだよ。
背理法を使ってるだろ。背理法というのは、排中律そのもだよ。
241132人目の素数さん:03/09/23 10:20
>>240
なんだ、そんなことなの(笑)

でも、この場合
「1対1写像があるとすると矛盾するから、そんなものはない」
っていう形だから、直観主義論理でも成り立つと思うけど、どう?
242132人目の素数さん:03/09/23 11:22
1対1対応は存在する

0.1 ・・・ 1
0.2 ・・・ 2
0.3 ・・・ 3
 ・
 ・
 ・
0.9 ・・・ 9
0.01 ・・・ 10
0.11 ・・・ 11
 ・
 ・
任意の整数nに対応する少数は存在する
しかしだ 1/3 や ルート2が何番になるかと
いわれると困るのだ

しかしカントールはnが無限大になれば
全ての実数と整数が対応すると主張しつつ
それを否定する証明をしているのだ
この手の議論つまり、242のような主張は、対角線論法に限らず、
否定概念のからんだときにつねに起こる。この手の主張の主は、推論、
つまり仮定の上にたつ推論というものを基本的に認めていない。つまり、
自分の目で確認できるものだけしか存在を確認できない屁理屈屋なの
であり、極めて低い推論能力しか持ち合わせない。
244132人目の素数さん:03/09/23 14:59
>>242
>しかしだ 1/3 や ルート2が何番になるかといわれると困るのだ

そりゃ困るだろう。・・・333や・・・653124141は、自然数じゃないからな(笑)
ふつうはこういうとき、「といわれると困る」ではなく
「といわれると参る」というもんだ。

全ての小数のうち、有限小数は>>242の方法で
自然数と対応させられる。
しかし、小数は有限小数だけではない。
そして、無限小数は、自然数とは1対1に対応させられない
というのが、カントルの対角線論法。
245132人目の素数さん:03/09/23 16:14
オマンコは間違っている!
246132人目の素数さん:03/09/23 16:19
柄谷行人、浅田彰、吉本隆明、宮台真司、東浩紀、立花隆、村上陽一郎、
野矢茂樹、三浦俊彦、宮崎哲弥、福田和也。

これら俊才の殆ど全てが不完全性定理について言及していると
思うが?
247132人目の素数さん:03/09/23 16:21
>>245
自分の目で確認できないものは存在を否定するわけですね(w
>>246

だとしてもこのスレと関係ないだろ。
日本で最も頭のイイ人達は
柄谷行人、浅田彰、吉本隆明、宮台真司、東浩紀、立花隆、村上陽一郎、
野矢茂樹、三浦俊彦、宮崎哲弥、福田和也。
この人たちは数学的に不完全性定理を理解した上で
その意味と応用を考える事が出来る。無機な数学を
活きた哲学にする。

ってことなのだから。
不完全性定理も量的困難に帰着する、って事でOK?
>>240
>背理法を使ってるだろ。背理法というのは、排中律そのもだよ。

証明中で「背理法による」と書いてある本は、論理についてはいいかげんなものが多い。
むりやり背理法の形で証明を書こうとしているので、不必要な排中律を使うはめになる。
そんなものしか読んでいない証拠。

もうひとつのケースは脳内背理法補完。これも多い。
252素人:03/09/23 23:59
直観主義上の集合論では対角線論法まちがってるの?
253132人目の素数さん:03/09/24 00:40
有限の集合に対して選択関数を構成できることを認めるのにはやぶさかでは
ないが,それを任意の(濃度の)無限集合でも成り立つとしてしまうのには
かなり抵抗感がある.

有限に置ける観察をもって無限の場合にもそうであるというような保証はない.
有限個の有理数を加えて結果がいつも有理数になるからといって,
無限個加えた場合にも有理数になるという公理を設けては罰があたる.
仮にそういった公理を設けたとしよう,しかし他の無限回の演算に関する
公理を設けないかぎり,有限回の操作の範囲内からでは,矛盾は出ないのだ.
254132人目の素数さん:03/09/24 01:44
アキレスは亀に追い付けないはずなのだが

カントールは、無限回繰り返せば追い付くと
いうことにしてしまったのだな

普通は無限回くりかえしても追い付けないと解釈するのだが
>>254
もしかして>>1のひと?
>>254
あなたの頭蓋骨にはうんこが詰まっています。
257横山剣です。イイネ:03/09/25 01:05
>>249
福田和也は理解してないだろ。
立花隆と吉本隆明も駄目だろ。
野矢は理解してるのは当然として、
柄谷と浅田とでは、浅田のほうが理解度が深いと思う。

で、俺は理解してるのかって???
そんな野暮な事は言わぬが花よ〜〜
対角線論法どころか、斜め横断もできない交通マナー優良児だもんにゃあ。

でもカントールってイイネ、イイネ、イイ〜ネッ!!!!!
>>257
うんこですか?レス無用。
259132人目の素数さん:03/09/25 01:27
>>257
吉本龍名は十山啓に教わってない?
260132人目の素数さん:03/09/25 02:12
ありえないだろ。
野矢も怪しいもんだぞ。哲学系の人と数学系の人は
一切交流がないらしいな。
262132人目の素数さん:03/09/25 03:10
橘隆志は厭ながせんせいに教わってない?
263132人目の素数さん:03/09/25 03:10
>>261
野矢さんは確実に知ってるよ。
>>263
あなたは理系の人で完璧に理解できてる上で、
彼の著作を読んだの?
265132人目の素数さん:03/09/25 03:53
>>264
うん
266132人目の素数さん:03/09/25 04:08
>>244
カントールは 242の方法とは少し違う方法で
1/3 や ルートのついた数とう
代数解になる数は、数えられると主張してる

カントールの主張を認めるならは
242の方法で全ての実数が数えられるという主張も
認めざるを得ない
267132人目の素数さん:03/09/25 04:15
ミッキー安川なら多分分かってる。
もしかしてここの>>1ってマジ?ネタでなく?だったらコテでやってよ。
でないとマジレスつかないよ。
269132人目の素数さん:03/09/25 07:38
>>266
自然数と、有理数や代数的数の一対一対応は簡単に示せるよ。
でも、有理数や代数的数と、実数は別のもの
カントールの対角線論法は間違ってますよ。
中学、高校生程度でもよくしっている
実数は数えられない集合だという証明においても
例えばa[i]=0.x1 x2 x3 ...... xi ..... をもってきて
それに対してa'[i]=0.x1 x2 x3 ...... x'i ..... をおき、
xi ≠ x'i などと定義し、その定義を
従来ある定義から正当性を主張して、今の定義でその従来の定義による
矛盾点を突くということをやってますが、
新しい定義なのだから、それが従来ある定義と無矛盾である保障は
ないのに、その定義手法自体の正当性を確かめずに使っている、
というのが間違いの根本です。
つまり手法自体が、存在証明されてないってことですよ。
矛盾があるように選出してもってきた理論だから、矛盾になるのは
当たり前であって、証明とはいえないってことです。
同じようなパターンとして、合っているようにもってきた題材を
証明したところで価値がないってことですかね。
『1と2は 違う数である。 よって 1≠2 』これは証明といえますか?
『aとbは 違う字である。 よって a≠b 』これは・・・・?
=の定義が激しく曖昧ですが、内容が同じなのかその物自体が
同じなのかというところにありますが、ポインタ等の理論の
礎になっているだけにかなりヤバイ部分ではあります。
んー微妙にちがくね?あれって
a[1]=0.a[1,1] a[1,2] a[1,3]・・・・
a[2]=0.a[2,1] a[2,2] a[2,3]・・・・
a[3]=0.a[3,1] a[3,2] a[3,3]・・・・
・・・・
a[i]=0.a[i,1] a[i,2] a[i,3]・・・a[i,i]・・・・
ここで全てのiに対して
a[j]:
・n≠iにおいてa[j,n]=a[n,n],
・n=iにおいてa[j,n]≠a[n,n]
とできるa[j]が存在し、その存在理由故に
すべからく列aは存在しない ってことだから、
どこにも存在証明なんてワケワカランものを挟む余地はないと
思われ。ああ、釣られたか
272132人目の素数さん:03/09/25 11:49
http://science.2ch.net/test/read.cgi/math/995535913/
83 :えくはど :2001/07/30(月) 00:23
>>82 それ以前の問題だと思うよ
>>80 も野矢も高校レベルの数学しか知らないのに
対角線論法を論じるという愚かさに気がつくべきだ

100 :59 :2001/07/30(月) 19:14
ヒンシュク買ってすいませんね(僕は哲学屋ではなく、ただのサラリーマンですが)。
「集合論をきちんと勉強すれば野矢先生がトンデモだとわかる」ということなので、集合論を勉強してみますよ。

ボロクソじゃん。
無限論の教室って対角線論法を批判してたっけ?
単なる紹介程度だったような気が。
二年ぐらい前に読んだのでよく覚えてないけど
批判はしてなかったような気がする。
むしろ構成可能性を真とする直観主義論理においても
対角線論法は有効であるという話だったような。
275タジマ先生:03/09/25 21:06
「・・・対角線論法が有効であるためには、自然
数が、そして自然数に対応する実数が、全て
書き出されていなければならないわけです。
もし、例えばxの一万まで書き出したところで、
この方法で新たな実数xを作ったとしても、
それは単にxの一万一番目が作られたにすぎま
せんから、別に困ったことにはなりません。
そうして、自然数を書き終えることができない
かぎり、たえず新しい実数が作られ、リストに
書き加えられていきます。しかし、それは別に
矛盾ではありません。」
>>275
なにこれ?どっからの引用?
277タジマ先生:03/09/25 21:13
「考えて見てください、ここには極限の場合と
決定的な違いがあります。例えば0.999・・・の
場合には、9を増やしていけばどんどん1に
近づいていきます。しかし、この自然数と
実数の対応リストの場合には、リスト・アップ
される自然数と実数のカップルをいくら増や
しても、有限の範囲では何の矛盾も起こりません
し、矛盾にかぎりなく近づくなんていうわけでも
ありません。だいたい、『矛盾に限りなく近づく』
なんて意味不明です。0.999・・・の場合には9の数が
増えれば、まあ1とみなしてもいいかなという気
にもなろうというものですが、今の場合には無矛盾
のまま微動だにしないのですかた、矛盾とみなして
もいいかなという気にもならないわけです。それが
無限になったとたん、矛盾するっていうんです。
リストアップされる数が一億だろうと一兆だろうと
矛盾しないくせに、無限になるととたんに矛盾する。
いやでしょう?」
278タジマ先生:03/09/25 21:20
「(対角線論法によるカントールの証明は)まちがっている、
個人的にはそう思っています。権威に訴えるわけではない
のですけれど、パースという偉い人がいて、その人も対角線
論法からカントールのような帰結を引き出すことを拒否して
います。彼は『それゆえ実数は完結した全体としては存在
しない』というんですね。あ、権威に訴えてますか。はは。
まあ、つまり、自然数を書き尽くすことはできない、それに
歩調を合わせて、実数も書き尽くすことはできない。書き
尽くすことのできないものをあたかも一望のもとにして、
一対一対応ができたと仮定するのは、そこに潜む実無限の
想定がおかしいのであって、実数の方が濃度が大きいから
ではない、というわけです。・・・」
電波到来ですか。
280タジマ先生:03/09/25 21:23
「(自然数と実数の)濃度が等しいことの証明はしてませんし、
できません。もし濃度が等しいことの証明ができたとすると、
自然数と偶数の場合のように、何か機械的なやり方で一対一
対応がつくれるということですから、そうしたらカントールの
思うつぼで、対角線論法が炸裂します。つまり、こんな風に
一対一対応がつくれますよと示したら、カントールはまさに
それを使って対角線論法でそこにない新しい実数を作ってみせる
でしょうからね」
タジマ先生=>>1のひと?
282タジマ先生:03/09/25 21:26
「濃度が等しいことの証明ができないとしても、
そのことは濃度が異なることの証明になっている
わけではありません。つまり、自然数と実数は、
濃度が等しいとも異なっているとも言えない。
それが私の見解です。ということは、もう『濃度』
という概念を拒否するしかないんですね。いやあ、
高くつくなあ。数学者が怒るわけだ」
自分が判らないものは間違っている。今井レベルですね。
(1)釣かな〜(2)真性デムパ?あなたの予想はどっち!?オレは(1)。
285132人目の素数さん:03/09/25 21:32
以上
>>275>>277>>278>>280>>282
は、野矢茂樹「無限論の教室」
第五週のp75−78より引用。

タジマ先生は自然数や実数を一つの集合と
考えることを受け入れないようです。

再度タジマ先生の言葉を引用すると

「・・・対角線論法が有効であるためには、
自然 数が、そして自然数に対応する実数が、
”全て”書き出されていなければならない」

「・・・つまり、自然数を書き尽くすことはできない、
それに 歩調を合わせて、実数も書き尽くすことは
できない。書き 尽くすことのできないものを
あたかも一望のもとにして、 一対一対応ができたと
仮定するのは、そこに潜む実無限の 想定がおかしい
のであって、実数の方が濃度が大きいからではない・・・」
286132人目の素数さん:03/09/25 21:35
>>285の続き

一方タジマ先生はこうも言っている。

「(自然数と実数の)濃度が等しいことの証明は
してませんし、 できません。」

「濃度が等しいことの証明ができないとしても、
そのことは濃度が異なることの証明になっている
わけではありません。つまり、自然数と実数は、
濃度が等しいとも異なっているとも言えない。」
もっと簡潔にまとめてから書き込めよ。
>>286はタジマ先生のいってること正しいとおもってんの?
289274:03/09/25 21:47
>>286
結局それが結論なんだっけ?
もうちょっとましな話だったと思ったのは気のせいなんだろうか。。。
まあいいんじゃないですか。
あれもいけない、これもいけない。あれもおかしい、これも
おかしい。結局、なにもわかっちゃいないんだってことですよね。
で、それがどうしたってんですか?タジマ先生!
291タジマ先生:03/09/25 21:57
第7週 p115−116より
「・・・現実に我々がもちいる概念は有限であって、
必要に応じていくらでも概念を増やしていける
という意味では可能無限でしょう?ですから、
われわれがイメージする概念の集合はたかだか
自然数の集合の濃度しかもたないのです。
 他方、カントールの結果は、概念の世界が、
実数の濃度をもつと言います。考えて見て
ください。世界の対象が可能的に無限個あると
します。つまり、自然数と同じ可算無限個の
対象がある。そして我々はそれを「キリン」
とか「机」とか「黒板消し」のように概念化
していきます。しかし、カントール的な
捉え方はそれをはるかに超えて、そうした
可能な概念の全体を実数濃度の無限集合として
まとめ上げてしまうのです。これは概念に対する
実在論以外の何ものでもありません。人間が
作り出す前に、すべての概念は存在する。
そして人間は概念を作るのではなく、存在し
埋もれている概念を発見する。そういうわけです。
これは由々しき考え方です。」
292285-286:03/09/25 22:04
>>287 これでも要点だけ抜粋したんですけど
>>288 ここでは私の見解は述べません
>>289 対角線論法に関してはそうだと思ってます
>>290 あなたは何をわかってるんでしょうか?
下の下ですね。只の抜粋なら必要無い。
>>288 ここでは私の見解は述べません
 
ということはこの一連の引用は全部スルーして桶?
295285-286:03/09/25 22:16
>>293 

只の抜粋ではありません。
独身製作機の話は割愛しました(笑)

>>294

本文を読まれていない方、
あるいは読んだが忘れた方は
引用を読まれることをお勧めします。
つまり、タジマ先生は自分はなにもわかっていないから、他人が
わかっちゃいけないっていてるわけね。
うん、そうでしょう。
あなたはなにをわかっているか?なんてきく前に、自分が何をわかって
いるかいえばよい。ねぇ、タジマ先生!
>>295
よんだけどこんな文章支持する人間数学を普通に勉強した人間の中には
普通いない。引用した人間そのヒトすらこの意見を支持しないならここでは
だれからも支持されない論旨なわけだから議論の叩き台にすらならない。
とすればスルーするしかないのでは?
298285-286:03/09/25 22:21
>>296 そんなことはいっていないと思いますよ。
299274:03/09/25 22:24
こんな酷い本だったっけな。
>>291の引用部分なんて意味不明だし。
これからもうちょっと意味のある話になるんだっけ。
300285-286:03/09/25 22:26
>>297 それは少々頭が固いのではありませんか?
301132人目の素数さん:03/09/25 22:28
カントールはこうは考えなかったのだろうか

新しく対角線をとって作った数は
n番目の数とは少数点n桁目は必ず違うが
n番目以降の数の中には、n桁めまで必ず違うものが存在する

このnをドンドン大きくすると、そうnが無限大にまで達すると
無限桁まで等しい数が存在する。
結局対角線から作った数もそれまでにあった数に存在していたのだと。
>>300
なんで?だれからも支持されてない意見に反論してもそうだね、そうだねってレスばっかり
つづくんじゃ意味ないじゃん。せめて一人は支持してないと。
>>301
・・・ネタ?
304285-286:03/09/25 22:32
>>299

第10週のp165にはこういう文章もあります

「直観主義は、可能無限的な観点から対角線論法にも
異を唱えます。つまり、対角線論法は、実数の集合という
完結した全体の濃度についての証明ではなく、実数の
数列が与えられたとき、そこにない新たな実数をつねに
構成してみせる方法を示したものにほかならない、と
いうわけです。」
305285-286:03/09/25 22:35
>>302 「誰も支持しない」というのは貴方の憶測でしょう?
>>305
ふ〜ん。
307274:03/09/25 22:36
>>304
あ、それだよ漏れがもともと言いたかったの。
それって結局直観主義論理でもやっぱり
NからRへの全射は存在しないってことを言ってるわけで。
>>304
で、何?
>>305
まあ、だれも支持しないだろうというのはオレの私見だけどね。でももっかのところ
だれも支持してるヒトの書きこみないのも事実じゃん。あなた自身も支持するかしないか
表明しないという中間的立場なんだから支持してるうちに入らないでしょ?
310274:03/09/25 22:37
でも、なんで「異を唱え」たことになるのかよく分からんな・・・
311285-286:03/09/25 22:43
>>307>>310
>>304の文章でいってることは>>275と同じです。
ここでは少なくとも集合Rは出てきません。
だから「NからRへの全射は存在しない」とはいえません。
>>304で「異を唱える」のは、集合Rを考えることに
対してだろうと思われます。
312285-286:03/09/25 22:46
>>309 上記の引用の論理的整合性について考えるのに
支持者の有無は無関係なのではありませんか?
>>312
クズ哲は鉄板へ カエレ(・∀・)
わけわからん。実数の集合が可付番と「仮定」するとその列には存在しない実数が存在する
ことがしめせたんだからこれはすべての実数がこの数列にあらわれと「仮定」したことに
矛盾する。よって「背理法」の原理から実数は可付番でないことになる。
直観主義でも「背理法」はつかえるんだよね。たしか。「背中律」は成立しないけど
「背理法」はつかえるんでしょ?
>>312
なんでだれからも支持されてない理論の整合性を考えんといかんの?
2chしてる時点でヒマジンであることは否定しないけど誰も支持してない議論について
論議する気はないけど。少なくともオレは。
316274:03/09/25 22:54
多分数学とメタ数学を一緒にしてるから訳分からんことになるんだ。
こういう話題で煽られるのは大体そういうレスだよね。

>>314
正しいけど背理法というべきではないかも。
not P := P ⇒ ⊥
が定義だからといえばいいと思う。
317285-286:03/09/25 22:58
>>314
そもそも実数の集合を前提する必要がないともいえますよ。
野矢が>>304でいう直観主義は、単に排中律を使わない、
という意味ではなく、集合を構成する規則をも要求する
強い意味のものであると考えられます。

>>315
カントールが集合論を考えたときには、
支持者より非支持者のほうが圧倒的に
多かったことはご存知でしょうか?
318285-286:03/09/25 23:00
>>316
ここでの議論では、まだメタ数学は出てきません。
メタ数学が出てくるのは第11週のヒルベルトプログラム
のところですね。
>>316
「背理法」は成立しないんだっけ?直観主義論理なんて独学でちょこちょこ勉強した
だけだからちょっと自信ないや。直観主義論理上の集合論でも
∀A Card(PowA)≠CardAは成立するんだよね。
>>317
>そもそも実数の集合を前提する必要がないともいえますよ。
>野矢が>>304でいう直観主義は、単に排中律を使わない、
>という意味ではなく、集合を構成する規則をも要求する
>強い意味のものであると考えられます。
 
ということは普通の公理論的集合論の公理や普通数学で直観主義論理とよばれる
ものを採用しないということ?だったらなんでもありになるけど。具体的にはどういう
公理を採用してどうゆう推論規則を採用するの?
>>319
IZFでの話をしてるのなら、成立する筈。
ただ、>>304の直観主義はIZFとは違うようだけど。
322274:03/09/25 23:11
>>319
背理法って
(not P ⇒ ⊥) ⇒ P
のことじゃないの?
二重否定は否定より真に弱いから不成立だけど。
323285-286:03/09/25 23:12
>>320
実際には、野矢も、そのベースとなっている
ヴィトゲンシュタインも具体的な公理や論理を
提示しているわけではありませんので、
わかりません。
>>321
直観主義上の集合論のことIZFっていうのか。知らんかった。ちょっと賢くなった。ありがと。
 
>ただ、>>304の直観主義はIZFとは違うようだけど。
 
みたいだね。どういう公理と推論則を採用するつもりだろ。それを明示してくれないと
議論のはじめようがないんだけど。
325274:03/09/25 23:12
間違い。最後の行は
二重否定はもとの命題より・・・
のつもりでした。
326132人目の素数さん:03/09/25 23:14
>>322
否定除去はまずいんじゃなかったっけか?
オレIZFっていうの?は本格的に勉強したことないからわからんのだけど
結論からいってIZF上では対角線論法って成立してるのしてないの?
>>321さんによれば成立してるという記憶があるひといるみたいだけどどっちなの?
328314:03/09/25 23:17
「否定除去」っていうのか・・・たしかにだめくさいね。いいかげんな事いってゴメソ
329274:03/09/25 23:17
数学的に正しいかどうかは問題にされてないように思うのだけど、どうだろう。
むしろ「数学はどうあるべきか」みたいなことを語ってるように思う。
それを上のほうで「メタ数学」とか書いてしまったんだけど
この言い方はまずかったか。
>>323
彼らは公理も糞も理解していないんだよ。立脚点を持たない議論は
数学板にはそぐわないさ。
331321:03/09/25 23:26
>>327
IZFでは集合の定義は公理的集合論ZFと同じ
対角線論法の証明は直観主義論理で許される範囲の
背理法を使っているので問題ないだろう。
>>329
あれって、「数学の哲学」の議論でしょ。
要は、集合論だけが数学じゃない、ってことじゃない?
濃度の議論って、確かに数学のメインの問題に関わる
ものではないよな。そういう観点からいえば、集合論
以外の数学ってのがあってもおかしくはないかも
>>330
そう思う人は、このスレにはそぐわないんじゃない?
333山崎 渉:03/09/25 23:34

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
>>319
> ∀A Card(PowA)≠CardAは成立するんだよね。

ベルンシュタインの定理や濃度の比較可能性定理が成立しない直観主義的集合論で
は、濃度という概念自体がそもそも定義できるのかあやしいけれど、「集合Aから
Aの冪集合への全射は存在しない」という表現なら直観主義的集合論でも(IZFで
もBishopの体系でも)正しい。
なんつうか、数学を一枚岩みたいに考えるからいけないんじゃないのかね。
あれもこれも、みんな一つの「数学」だと考えるからめんどうな事になるん
だろう。まあ、これ言ったらおしまいなんだけどさ。

しかし意外と哲厨さんのほうが多様性に否定的だね。普通は逆なんだけど。
336132人目の素数さん:03/09/26 03:37
山口人生をプロプレムソーバーの一語で片付けるのはどうかと。

>>285 それって単純な誤解じゃないの?

>「・・・対角線論法が有効であるためには、
>自然 数が、そして自然数に対応する実数が、
>”全て”書き出されていなければならない」

「”全て”書き出されていな」くても対角線論法は有効。

>「・・・つまり、自然数を書き尽くすことはできない、
>それに 歩調を合わせて、実数も書き尽くすことは
>できない。書き 尽くすことのできないものを
>あたかも一望のもとにして、 一対一対応ができたと
>仮定するのは、そこに潜む実無限の 想定がおかしい
>のであって、実数の方が濃度が大きいからではない・・・」

文章そのものが分からない。「一対一対応ができたと仮定するのは」はどこにつながる?
いずれにせよ、「仮定するのは」は背理法の仮定に過ぎず、無限論とは無関係でしょう。
>>337 それこそ単純な誤解だな。

>「”全て”書き出されていな」くても対角線論法は有効。

いや、一対一対応が存在しない、というためには、
自然数に対応して実数が”全て”書き出せると
しなくてはならないよ。

引用箇所についていうと、仮定のところじゃなくて
その前の「書き尽くす」のところが重要。
書き尽くせないのに一対一対応を考えるのが
そもそもおかしいっていってるわけ。
それは無限論の根本問題だよ。
書き出す という 行為自体が 一対一対応作業なわけであって、
その意味では 自然数自体、無限にあるのだから 書き出せるわけがない
ということになる。

・・・・つまり集合論というのは もともと 存在そのものが 怪しい?

人間が作る学問ってその程度ですかね。
>>339
その程度でしょう。
つまり、議論、論理、理屈なんてものは実際には存在しないって
ことでしょう。で、じゃ実際に存在するのはなんなんですか?って
いわれると、こまるんじゃないですかねぇ。
すると「自然数全体と偶数全体には一対一対応がある」ということすら言えなくなるし、
「y = tan(x) は (-π/2, π/2) と R の全単射を与える」も言えなくなるけど、それでいいのか?
「それでいいのだ」と言われれば、もはや返す言葉も無いけどな(藁
>>341
たぶん、それでいいんだと思う。無限に関することにはさわっては
ならぬという暗黙の掟もあるらしいからね。
基本的に哲学的な傾向からいえば、数学者が面白がるようなこと
は幼稚で子供っぽいってスタンスを基本にもつ必要があり、つまらん
ということをなんらかの形でいえれば、よしとしたもんだろう。
タジマ先生はたぶん「それでいいのです」とかのたまいそうだな
344132人目の素数さん:03/09/26 11:18
対角線論法のなんたるかすら理解できなかった数学オンチですが、
無限の数を全部数えきるという前提に首を傾げた。

こーした素人的感覚が大事ってことなんでしょうか?
>>344
子供は国のたからだ、っていうのと同じ意味で大事なんじゃないでしょうか。
おおきくなって殺人鬼になったり、ヤクザになって脅しまわったりするひと
も子供のときはありますよね。だから、その後が大切なんじゃないでしょうか?
346132人目の素数さん:03/09/26 12:35
子供の素朴な感情、疑問が大事ということだね。
子供はみんな天才というけれども、本質を見抜いてるときってあるよね。

現代の数学は数学のためだけの数学となって視野狭窄に
陥っていると。
>>338-346
一人で書いてるんじゃないだろうな。
>>346
しかし、タジマ先生のおおせのことなら Yahoo で「有名」なイマイ先生
もほぼ同じことをいっていますね。つまり、このふたりによって視野狭窄
から脱却できるってわけですか?まあ面白い考えですね。子供を総理大臣
にしようってのと変わらない。
>>338
任意の写像f:Z→Rに対して、f(Z)に含まれない実数を、可算無限回の
手順を踏むことによって構成できるということですから、全てのRを書き
並べる必要はないですし、背理法も必要ありません。

350132人目の素数さん:03/09/26 14:22
対角線論法や集合論から発展したどんな深遠で難解な
数学も
「対角線論法って間違ってるやん」
という突っ込みによって上に立つことができるわけだよ。

原爆を作る能力の無い庶民が原爆は間違ってる!と言い切るのと
同じくらいの絶対正義、絶対真理なのである。

かしこぶるために数学をやってるのではない。我々は
常識を問うておるのだ。
>>349
すべてのZを書き並べなきゃいけないし
無限回の手順を踏まなきゃいけないのがちょっとな…。
352274:03/09/26 16:06
まず全ての元を書き下さなければならない理由がわからない。
それなら足し算すら定義できないことにならないのか?
足し算はx+Sy=S(x+y)を有限回繰り返してx+0=xで締めれば答えを構成できる。
すべてのn∈Nについてf(n)と少数第n位が異なるような無限小数を構成するには
すべてのnについてf(n)を知ってなきゃいけないのでは。
>>338
書き尽くす必要など無い、というのは常識だと思ったが。

http://science.2ch.net/test/read.cgi/math/995535913/
17 名前::[] 投稿日:2001/07/22(日) 22:49
>>16 そうですね。このように書けばよい:

f:N→R が任意に与えられたとき,f(N) に含まれない x∈R を
以下のように作ることができる:
小数点第1桁はf(1)と違える,第2桁はf(2)と違える・・・and so on
>>352
そう、実はクワスかもし(ry
>>355
それはもはや数学の問題ではなく、認識論の問題ですね。
357132人目の素数さん:03/09/26 19:17
354
それは 数学的帰納法みたいな考えかたですか
数学的帰納法では、nがいくら大きくなっても
正しいのですが、nが無限大の場合は、矛盾がおこる場合があるので
認めてないはずです

>>357
任意の自然数nに対して、小数点以下第n桁がf(n)と異なる実数xが
構成される、ということですよ。つまり、xはf(N)に含まれないと。
>357
>nが無限大の場合は、矛盾がおこる場合があるので
>認めてないはずです

>354の構成法のどこに「矛盾」があるのでしょうか?
360285-286:03/09/26 20:13
>>358

ほら”任意の”自然数nといったでしょ。
そこで自然数全て並べてしまっている
というのがタジマ先生のいってることだと
思います。

>>349>>275を比べてみてください。
361132人目の素数さん:03/09/26 20:14

362285-286:03/09/26 20:16
>>356
タジマ先生なら、集合論は数学以前の実在論を
前提していると反論するでしょうね。
そのタジマ先生も「矛盾はない」とちゃんといっておるではないか?
>>360は「可能性」の問題と「無矛盾性」の問題を混同していないか?

対角線論法の何が「間違ってる」といいたのか?
>>360は「間違ってる」という言葉をどっちの意味にとるのか?
ハッキリして!
>>360
自然数を全て並べていない、なんて言ってませんよ。
すべての「実数」を書き出す必要がないといったのです。


>>360
「任意」と「全て」を混同してないか?
例えばg(n)=n+1(n∈N)といった関数を構成するのに
「g(1)=2,g(2)=3,g(3)=4,....」などと有り得る全ての対応を書き尽くす必要など無いよ。
366285-286:03/09/26 20:58
>>363
だからといってこれが真実だとはいえない、というのが
タジマ先生の主張ではありませんか?。
そもそもここでは無矛盾性について言及してませんよ。
熱くなっては見えるものも見えなくなりますよ。
367285-286:03/09/26 21:01
>>365
g(n)=n+1という操作を書くのに、「全て」も「任意」も無用ですよ。
しかし、gという操作が任意の自然数に対して値を持つ、というには
自然数全体を考える必要がありますね。
だいたい無限の実在性なんてことを俎上に乗せるから、
話がややこしくなるんだよ。
実在性なんて、数学で考える問題じゃないだろ。

カントールが考えたことは、むしろ無限の実在性なんてものは
一旦は無視しちゃっていい、とりあえず記号で考えてみましょう。
そして哲学も神学も抜きに、おおっぴらに「無限」を語りましょう、
ということ。それ以上でも以下でもない。

直感主義論者は、たとえば「ヒルベルトのホテル」も認めないだろう。
無限を書き尽くすことはできない、というのは、そりゃ
有限の時間と空間では出来ないよ、あたりまえだ。

「有限の時間と空間」という、物理的な要素を数学に
密輸入しちゃうのは直感主義論者のクセなんだろうが、
これって議論をややこしくする以上の意味があるんだろうか?

余分な仮定を必要としないカントール&ヒルベルト論理の方が
より純粋であるとは言える。なんか疲れたな。。。
頭冷やして考えてみました。

仮に、対角線論法によって、Nが可算、Rが非可算だということが
結論づけられたとしても、直ちにCard(N)<Card(R)が結論づけられる
というのは早計かもしれない。単に対応の付け方がまずかった
だけじゃないのか?という疑問は確かに残る。

対角線論法による結論が、絶対に最終的正しい、
という信念みたいなものは、「証明済み」なのだろうか?
>>368
カントールが聞いたら、怒りそうだな(笑

カントールは、無限の実在性についてはいささかの疑いも
もっていなかったと思われる。
決して「一旦無視していい」とか「とりあえず記号で
考えてみましょう」なんていわなかっただろうね。

むしろ上のスタンスは、ヒルベルトの形式主義による
無矛盾性証明に当てはまることだといえる。
しかしながら、ゲーデルによって見事に挫折させられた
わけだが。
371132人目の素数さん:03/09/26 21:38

バナッハタルスキーのパラドクスを直観的に理解したいんだけど、
うまい解釈方法ある?

十分論理的にイメージを湧かせたいんだけど、どういうイメージをしたらいいのだろう?
>370
ごめんなさい。無知をさらしました。もう引っ込みます。
>>368
>直感主義論者は、

普通は「直観主義者」という。

>「有限の時間と空間」という、物理的な要素を

なぜ、「物理的」と思うのかな?

>余分な仮定を必要としないカントール&ヒルベルト論理

それは何を余分とするかによる。
例えば素朴な内包公理ではパラドックスに至るので
いろいろ小細工を施した結果「集合の全体は集合でない」
などと結論せざるを得なくなるのは、余分な智慧と
いわないかな?
>>369
>対角線論法による結論(Card(N)<Card(R))が、
>絶対に最終的正しい、 という信念みたいなものは、
>「証明済み」なのだろうか?

いいや。それがあったら議論はしないさ。
いい例を言ってやろうか。虚数ってのは、長らく無視された数だった。
しかし三次方程式からの要望から、問われるようになって、
結局は受け容れられた。それは、その当時としては、
虚数を使わなければならない、
(もっと言えば虚数を使わなければ当時の数学では
論理的に説明しにくい)状況に陥ったからだ。
(今じゃ虚数を用いずとも、別の方法で説明できるであろうが、
当時ではそこまで考えが及ばなかったのだろう)
では今の、そのN<Rに関してだが、
数え上げ方、対応付け方が悪かったからだけで、
本当はいい数え上げ方があれば1対1対応できるんじゃねーか?
という疑問は残るだろうが、そのいい数え上げ方というのが分からない以上、
実数やベキ集合というのを計る為に、非可算、濃度という概念が必要になった、
だからこうなった。
>>375
ん?NとRが集合として存在するとしてしまえば、
「いい数え上げ方があれば1対1対応できるんじゃねーか?」
なんていう疑問は出ようがない。
(非可算とか濃度とかいうのは、単に現状追認の概念で
しかも、連続体仮説のような問題すらまともに答えられない
現状では、その概念自体、まっとうなものかどうか疑問を
抱かれても致し方ない)
問題はそれ以前に
「NとかRとか集合として存在すると認めていいの?」
ってことなんだよ。
>373
すみません>368のレスは、かなり頭に血が昇った状態で
出まかせなこと書いてしまいました。反論出来ません。

>374-375
なるほど、やはり証明ずみではありませんでしたか・・・

Card(N)<Card(R)を、たいていの数学書が
れっきとした「事実」として扱っているる現状は、
かなり無用心といえば、無用心ですね。
>>377 完璧な保証なんてあり得ないよ。
>>369
そう結論すると矛盾するからだよ、氏ねヴぉけ
380132人目の素数さん:03/09/26 22:39
つーか、NからRへの全射がつくれないという事実を
Card(N)<Card(R)と書くことがなんで無用心なんだ?
よくわからん┐(゚〜゚)┌
Card(N)>=Card(R)

こう定義すると矛盾で終了。
証明論でも勉強してから言え、クズども。
ようは、証明読んだことないんだろ。
いや、だからさ、懐疑をどこまでも深めればそうなるでしょう。
ラッセルが発見した矛盾は見て見ぬふりをしてるくせに、
N<Rに関しては「や〜い、矛盾だ矛盾だ!ほれ見たことか!」
とはしゃぎ立てるのは、公平な態度じゃない。
まーこんなこといつまで議論したって、結論なんて出やしないけど。
384274:03/09/26 23:00
何が問題になっているのか分からなくなってきたのだが。。。
とりあえず自然数と実数については適当に定義されているものとして
次のような主張はどうだろう?これでも受け入れがたいだろうか?

入力として自然数が与えられれば
それに応じて一つの実数を返す手続きがあるとする。
すると、それがどんな手続きであっても、
どんな自然数に対する出力にもならないような実数が構成できる。
(一応言っておくと、この実数は当然手続きに依存する)
Rが可算集合だったらルベーグ測度は0だが、そうではないのでRは非可算集合である。
>384
いや、まったく貴殿の言うとおりでございます。
もうこれ以上反抗は致しません。
ご迷惑をおかけしました。
>>385
このスレでルベーグ測度について分かってる奴
どんだけいるんだ
388274:03/09/26 23:35
>>387
ルベーグ積分ならやったけどルベーグ測度の存在証明は覚えてなかったもんで。
最初、それは順序が逆だろうとか書きそうになった。
危ない危ない。
389132人目の素数さん:03/09/27 01:04
Card(N)<Card(R)
なんか証明されてませんよ

390132人目の素数さん:03/09/27 01:34
>>384
そんなことは無理数の存在が証明された時から
そのようなことはわかっているのだ
391390:03/09/27 01:37
で カントールは
無限個の整数で無理数が表現できると主張したから
おかしなことがおこっているのじゃないのですか
392澄んだ瞳 記憶:03/09/27 04:25
野矢茂樹さんの凄い所は、カントールやゲーデル、
対角線論法や公理的集合論、不完全性定理まで
レベルを下げられることです。そこまでレベルを下げて
全てを理解し、そして看破している。

レベルが低く、しかも難しい、耳を疑う方もいるでしょうが
矛盾していません。

チベット密教を素人が理解するのは簡単でしょうか?
チベット密教は難解です。チベット密教は虚構ですが、
その世界は一つの世界として完結しています。
全て説明が付くように幾層もの理論構造で成り立っています。
妄想で成り立ったものだけど、妄想世界では説明がつくように
理屈づけられているのです。
これがトリックです。現代数学も妄想に妄想をかさね
その世界の中では自己完結している、一見説明がつくように
してある。素人には難解過ぎて分らない。。。。素人は
難解で深淵で偉いのだと普通は騙されるわけです。
実の所、根底から間違っている世界なのです。誤った土台に
歪みに歪められた世界を重ねていき何層も泥で覆い隠す・・・
その作業を繰り返しているようなものなのです。現代数学は砂上の楼閣
・・・というより、建て無い建造物です。現代数学というキャンパスのな
かではその歪で、禍禍しく、異形の建築物は建っている。
しかし実際には建てるわけがないのです。数学者が建っているという
無根拠な前提の上で建っているのです。お分りいただけたでしょうか?
393澄んだ瞳 記憶:03/09/27 04:25
野矢さんはカントール=妄想家のレベルまで落ちて行って
カントールの身になって完全に理解し、そして論破したわけです。

これは凄いことなのです。キチガイの人の精神世界は
常人には分りません。野矢さんは理性を持ちつつ、キチガイの
人の精神構造と同化し、そして理性の世界に還元したのですから。
キチガイの人の精神構造に同化し、そしてそれを論理的に理解し、
その誤りを科学的に説明する・・・・これは離れ業としか言いようがない。

現代数学とはカルト宗教のようなものではないでしょうか?
その狭い世界に閉じ込められ哀れな人達は、その世界だけの論理を繰り返し
擦りこまされた結果、カルト以外の考え、価値観、論理があるということを
認められなくなるのです。自分自身で考えられなくなるのです。

今、全世界そのものがカルト宗教なわけです。

さきほど、チベット密教なんかは人間の頭のなかで考えた
世界に過ぎないって言いましたけど、物理学もまさしくそうですね。
野矢さんには現代物理学にも挑んで欲しい。
あんなものは妄想でしかないと。「無い」んです。物理学は「無い」。
一つ質問、>>274はこの手のスレに沸く患者さんですか?
85 名前:えくはど[] 投稿日:2001/07/30(月) 01:02
集合論を置き去りにして対角線論法を攻撃してるところがイタイよな
なんでツォルンの補題とかシュレイダー・ベルンシュタインの定理とか
じゃなくて、対角線論法なんだろ?それは彼らの聞きかじった知識には
対角線論法しかなかったから。彼らの同類に虚数を攻撃する人たちがいる
けど、彼らは行列や群を攻撃したりはない。まったく知らないから。

対角線論法でなく集合論そのものを攻撃するならまだ首尾一貫してるけど、
そんなら無理して数学に興味を持たなくてもいいのにね。
90 名前:えくはど[] 投稿日:2001/07/30(月) 05:05
>>88
引用されたものを読む限り野矢は無限集合の存在を認めたくないんだろ。
彼はそれなら「実無限」と「可能無限」について論じれば良いのであって、
対角線論法に口出しする理由がない。無限集合論は認められないから、
測度論を拒否すると言ってもいいわけだし。俺には、彼がどこかで聞きかじった
対角線論法という言葉を集合論という土台から切り離してもてあそんでいる
に過ぎない、とうつる。
>>395-396
えくはどの知ったかぶりにも困ったものだな。

野矢が対角線論法を持ち出すのは、ゲーデルの不完全性定理にも
つかわれるから。
でも、そこでは、カントールやラッセルのような用い方はされて
いない。
どこに違いがあるか分かるかい?
えくはどって?
399274:03/09/27 14:36
>>394
ん?どうだろうね。
この手のスレにレスしたのはここが初めてだけど。
>>392
>野矢茂樹さんの凄い所は、カントールやゲーデル、
>対角線論法や公理的集合論、不完全性定理まで
>レベルを下げられることです。そこまでレベルを下げて
>全てを理解し、そして看破している。

自分の書いた本(『論理学』)の「対角化定理」の間違いに
五年近くも気付かない人をそこまで持ち上げなくても。
まあネタだろうけどさ>>392

世の中全体がカルト宗教ってのは同意だなあ。ただ、この狂った世界には
「外側」はないと思う。カルトでない「正常」な世界ってのはユートピアに過ぎ
ないと思うよ。
402132人目の素数さん:03/09/27 19:11
>>400
おっと、本当だ。
1994年2月に出た「論理学」の「対角化定理」

任意の式F(x)に対して、次のような数nが存在する。
g(F(n))=n

の誤りが、1998年9月に出た「無限論の教室」でも
そっくり残ってるね。
403132人目の素数さん:03/09/27 19:29
>>402
どう間違ってるの?
404274:03/09/27 19:43
>>401
漏れもそう思ってる。
確かに数学が全く理解できない人間にとっちゃ
数学なんて普通の人間にはできない離れ業に見えるかもな。
405132人目の素数さん:03/09/27 19:56
>>403 まず、この定理は正しくない。
(問:正しい定理はどのようになるか考えられたい)
>>400
本をお持ちの方には明らかなことですが、『論理学』の誤りは
後記に「1999 年冬」の日付けのあるものでは、良心的な方法で
修正されています。
407402:03/09/27 20:40
>>406
残念。漏れの持ってるのは1998年の第8版。
408402:03/09/27 21:28
野矢がどう直したかは後で確認するとして、
ちょっと自分で直してみた。

自由変数xを含む式F(x)のゲーデル数をfとしたとき
fのxのところに数nを代入した場合のゲーデル数を
計算したものをsub(f,n)とする。

任意のFについて、g(F(sub(x,x)))=fsとすると
sub(fs,fs)=g(F(sub(fs,fs)))
409402:03/09/27 21:41
>>408
要は、途中に二変数関数subをかませた上で
「対角線」をとることで一変数化するという
操作を行うってこと。

恥ずかしながら、自分自身、>>402で示したような
誤りをしていた。普通嘘つきパラドックスの要領で
「この文は証明できない」っていう文を直接実現
しようとおもっちゃうからね。

野矢はラッセルのパラドックスもゲーデルの不完全性定理も
対角線論法だと分かってたと思うけど、定理を考えるところで
つい、「この文は証明できない」を実現しようとしちゃった
んだな。

まあ、野矢がしたいと思っている哲学的議論には影響ないけど。
410132人目の素数さん:03/09/28 00:27
ラッセルって哲学者でありながら数学者なの?

よーするにみんなこいつに憧れちゃってるわけ?
必要以上に論理学に陥ると、向こうの世界から戻ってこられなくなる。
ラッセルに憧れているヤシはおらんだろう。
少なくとも数学ネイティブのなかでは。
2chで一番人気はやっぱりグロタン!
漏れもグロタン信者@はぁと
413132人目の素数さん:03/09/28 02:27
任意の実数の集合を与えられたときに,いきなりそれに含まれる個々の実数
の無限桁の小数展開が最初に求まっていて,と考えるのではなくて,
有理数(あるいは有限桁までの小数)の対によるデデキントの切断の極限
以降により定義されると考えた場合に,カントールの対角線論法の操作は,
極限への移行の仕方が特別だと見える. 対角線を集めている全ての段階で,
デテキントの切断における実数展開の有効数字が先に無限には行っておらず,
つねに有限であって,徐々に無限へと向かうのだと考えれば
(つまり無限へむかう要因が2種類あるのだから),
対角線論法では直ちに矛盾を導くことが出来ない.
実数のうちで,無限の彼方の桁までをあらかじめ得ておける方法を
有限の長さで記述できるような数は,当然加算無限個しかない.
それなのに,カントールの対角線論法では,あらかじめ個々の実数に
ついてはその無限個の桁を書き並べられるとしているが,それは嘘.
>>410 哲学者でありながら数学者といえば、ホワイトヘッドがそうだね。
415132人目の素数さん:03/09/28 04:21
http://www.mainichi.co.jp/life/dokusho/2002/0616/06.html
この人の本なら信用できそうですか?
大学で正規の数学を学び、博士号までとってる。

数オタよ。教えてくれ。

416132人目の素数さん:03/09/28 09:51
どなたか、対角線論法のアイディアの概略が
分かりやすく説明してあるサイトご存知じゃないですか?

別に非数学系サイトであろうと、理解が浅いサイトであろうと構いません。
アイディアの概略が掴めればそれでいいです。
417132人目の素数さん:03/09/28 14:33
http://jinbunweb.sgu.ac.jp/~syllabi/00/ningen/059.htm
哲学やると全科学を一望できたような、フフンな気分になれるんだろうなあ。
ここでも野矢先生の本がバイブルとされてるよ。

野矢先生の影響力って計り知れないよ。これでいいんでしょうか?

一つのことをとことん掘り下げないで、なにか全体を分かった
ような気分になることは、危険じゃないのか。

まあなんちゅーか、社会人が趣味の嗜みとしてやるには高度なんだろうけど、
大学生がこれに嵌ったら恐いよなあ。
取り返しが付かなくなったらどー責任取ってくれるんじゃ。

と我がことのように言っておく。念を押してゆく。
あくまでも人生を豊かにする娯楽だよと。なにかの足がかりには
なるかもしれないが、これそのものを絶対視して悦に入ってはダメ
だよと。
>>417
これって科哲の講義で、野矢の本を
テクストに使ったってだけじゃん。
どこにも「全科学を一望」なんて書いてないよ。
勝手に妄想することこそ危険じゃないかな?
怖いよなあ。自分の思い込みを絶対視しちゃって
取り返しがつかなくなったら、死んでも責任取れないよ。
実数は無限にあるが、自然数を見出すような
帰納的見出し方では見出せない
これを非可算とよぶ。
ただし、人間はいかなるこの世の要素であっても、
帰納的以外に見出す方法を知らない
従って実数が非可算であっても、何ら問題ではなく、
ありていに機能的に導き出せた無理数のみを
書き出していけば結果的にその集合は可算であり、
ベキ集合は非可算であったとしてもその具体的要素を
挙げる段階では可算になる。
数え上げた後では、決定的だが、
数え上げる前では、非決定的であり、量子的である
これが実数の本質、非可算の本質であって、
だからといって矛盾が導かれるわけではなく可算論理に不義が見つかる
わけではない。ゆえに対角線論法が間違っていようと間違って
いまいと、問題はなく、ナンセンスである
自然数は粒子であり、実数は量子である
物理学上は、時空微小はどこまでも突き詰めて
細分化できるものではなく、限界があり、それより小さいものは
測定不可能であり、予測しか立てられないが、
測定でしか決定を得られない量子においてはその限界が事実上
論理の限界であり、それ以上の拡張はナンセンスとなる。
つまり、物理学上の量子は、真の振る舞いは実数的だが、
測定は自然数的にしか行えない。つまり、この点において
物理学と数学は切り離されるべきものである。
だが、同時に、その点において、数学はもはや意味をなさなくなる
のが、現在の科学においての見解である。
だが、将来、もしかしたら量子とは異なる概念においてそれ以上の
考察が科学、物理学においてなされるかもしれない。
そうなったとき、もしその点で数学の進歩が止まってしまっていたら、
差し障りがあるであろう。だから数学は進歩すべきである。
>>419
演繹という方法も存在しています。
それは無効であると主張してますか?

>>420
測定技術が進歩するたびに現象を予定調和解釈する
物理学には興味がありません。 全くの私見ですので
無視してください。物理現象に普遍的な理論は存在しない
かもしれないという方向性は何故考察されないのですか。


カントールの対角線論法で興味があるのは

1.実数を加算と仮定して番号をつける
2.1.で番号をつけた以外の実数が存在する
3.1.は矛盾しているので実数は非加算である

となったときの、1.の方法ははたして、正しかったのか?

です。
422132人目の素数さん:03/09/29 01:17
有限個の要素からなる集合の有限回の直積集合は加算だが,
無限回の直積集合は可算ではないということになる.

数直線上の整数点上に,スピン1/2の粒子を於いた状態は,
粒子数が有限ならば加算だが,粒子数が(加算)無限なら
非可算になる. よって,無限粒子系に対しての分配関数
を定義することは数学的にはギャップがある.
>>421
興味があるの?まちがってるとおもってるの?
「測定技術が進歩するたびに現象を予定調和解釈する」ってのは
我々の人生そのものですね。

「物理現象に普遍的な理論は存在しないかもしれない」というのは
確かですが、普遍的な理論が無い(ある)事を立証するのは実際問題
ムリではないかと。しかも無益かと。

対角線論法否定派の人たちの多くが、自分が数学に対して真摯な
態度を貫こうとしてそれを主張しているというより、他人が真摯でない
ことを批判するためにそれを主張しているように見受けられます。
実際批判者(とくにこのスレでの)の多くは数学研究に携わっていない
ようですし。
哲厨的には、

「物理現象に普遍的な理論は存在しないかもしれないという方向性は何故考察されないのですか。」

これは「人間は何も無いよりはむしろ虚無を欲する」ってことなんでしょうかね?
426421:03/09/29 02:24
>>423
わからないのです。
カントールの証明はすごくあざやかで、最初は
納得していたのですが、実数に番号をつける
方法が1.以外に方法はないのだろうかと考えて
しまうと思考の迷宮にはいってしまうのです。
つまり、1.の方法の一意性が示されればいいのですかね?
私の勉強不足だと思いますが、これは示されているので
しょうか?

>>426
>方法が1.以外に方法はないのだろうかと考えて
>しまうと思考の迷宮にはいってしまうのです。
 
そんな可能性を考える必要はないと思う。
そもそも背理法なんだから「全単射が存在する。」と仮定してそれで
矛盾がみちびければいいんだから。
>>425

> これは「人間は何も無いよりはむしろ虚無を欲する」ってことなんでしょうかね?

そういう意味ではないです。 純粋にあらゆる可能性を考察できるあるいは
可能な限り自らがいま思考していることににおける死角を意識できるかいなか
の問題として提示しました。 それを意識できるかどうかで今の科学の傲慢さが
恥ずかしいものであることを認識できると私はあくまで個人的に思う次第です。
429421:03/09/29 02:53
>>427

濃度が同じ ⇒ 全単射が存在する ⇒ >>421 1.

という流れですね。 ここで疑問です。 
全単射が存在することまでは明らかですが、
カントールの番号の付け方が正しいことは、
何も証明されていないように見えませんか?
>>429
みえませんが。
「全単射が存在すると仮定する。fとしてそのような全単射をとってくる。」
この時点でとってきたものが全単射でないかもしれない可能性について考慮する
必要はない。ナゼっていわれてもそれが現代数学の立脚してる古典主義論理学の
ルールだから。もちろんそのルール(推論則など)すら認めないなら対角線論法の証明が
まちがってる可能性はあるだろうけどそれだったらむしろ対角線論法ではなく現代数学が
古典主義論議学に立脚していること、もしくは古典主義論理学の推論則自体を問題視
することになるかもしれないけど。
431421:03/09/29 03:02
>>424
> 「測定技術が進歩するたびに現象を予定調和解釈する」ってのは
> 我々の人生そのものですね。

私もそう思います。 人生は恣意性に満ちています。

> 「物理現象に普遍的な理論は存在しないかもしれない」というのは
> 確かですが、普遍的な理論が無い(ある)事を立証するのは実際問題
> ムリではないかと。しかも無益かと。

言葉が足りなくてすみません。 
無いことを証明しろという気は全然無いです。
そういう可能性も意識してくださいと。
意識はしてると思うよ、僕は物理屋じゃないけどさ。

でも、結局その辺りの議論はいわゆる存在論に含まれるんじゃないかな。
そして、存在論は物理の範囲外だと思います。
>>430

> 「全単射が存在すると仮定する。fとしてそのような全単射をとってくる。」

fを最後まで単なる写像として扱うならば論理学の範疇の中
なので、疑問の余地は無かったのですが、カントールはfを実現して
います。 論理学上全単射といわれるfとカントールが実現したfの間に
橋渡しは必要ないのだろうかというのが最初に私が突き当たった疑問です。
この実現されたfは自然数と実数の間に具体的な関係を提示しています。
つまり ”このfは全単車であるからこのような性質を持つ” ではなくて、
”fはこれです” という直接的な扱いになっている。 それでそのf自体が
否定されることが全単射の否定に結論されることに疑問をもつのです。
>>433

実現って何?
>>433
どこのどんな証明をよんだの?fを実現?存在しないものを実現できるハズないですが?
ちゃんと証明を全部かけば
(主張)任意の集合Xとそのべき集合2^Xの間には全単射は存在しない。
(証明)存在すると仮定する。f:X→2^Xを全単射とする。b∈2^Xを
b={x∈X|xはf(x)にふくまれない}で定める。仮定よりf(a)=bとなるa∈Xが存在する。
a∈f(a)と仮定するとbの定義よりnot(a∈b)。よってnot(a∈f(a))となり矛盾。
not(a∈f(a))と仮定するとbの定義よりa∈b。よってa∈f(a)となり矛盾。
いづれにせよ矛盾する。∴存在するという仮定は成立しない。□
上の証明で古典主義論理の推論則に抵触する推論は一つもつかっていないし
>b={x∈X|xはf(x)にふくまれない}で定める。
こういったbの存在も集合論の公理でみとめられてる。
つまり古典主義論理か現代集合論の公理かのいづれかを否定しないかぎりこの
証明は成立している。どっちを否定するつもりなの?
436390:03/09/29 07:36
>>435
>b={x∈X|xはf(x)にふくまれない}
集合論による後だしの証明で対角線論法がただしいというのは
どうですかな
仮定からはbは空集合にならなくてはいけませんね
437132人目の素数さん:03/09/29 15:57
435の証明にはXが無限集合の場合には選択公理が密輸されている気がするね.
http://science.2ch.net/test/read.cgi/math/1036200255/ の158

HTML化されるときにアンカーがつかないとは不便なシステムだ
>>436

何でbが空集合にならねばいけないんだ?意味わからん。
>>435
>どっちを否定するつもりなの?

個人的には
> a∈f(a)と仮定するとbの定義よりnot(a∈b)。よってnot(a∈f(a))となり矛盾。
>not(a∈f(a))と仮定するとbの定義よりa∈b。よってa∈f(a)となり矛盾。
>いづれにせよ矛盾する。
の排中律を否定したい。
古典論理否定キター。
>>440
>集合論による後だしの証明で対角線論法がただしいというのは
>どうですかな
 
後だしの証明?そもそも集合論の公理は現代数学では恒に仮定してよいものという
ルールになってる。
 
>個人的には
・・・
>の排中律を否定したい。
 
排中律を否定してもいいし集合論の公理を否定してもいいけどそれだと現代数学のルール外
での話になってしまう。ルールをかえればセオリーもかわってしまう。
たとえば2アウトボールカウントフルカウントになったらランナーはピッチャーが投球動作に
入ったらスタートをきるべきというのは野球におけるランナーの「セオリー」だけどこれも
「4アウトチェンジ」みたいなローカルルールを採用してる大会とかでは通用しない。
ルールがかわればセオリーが変わるのは当然。だからといって「2アウトフルカウントでランナー
はスタートをきるべきというルールはいつでも成立するわけではない。だからこのセオリーは
間違ってる。」という主張は成立しない。まちがってるというなら集合論の公理、古典論理の
推論則をすべてみとめてそれでもなお証明のまちがいを指摘しないと意味ない。
 
>仮定からはbは空集合にならなくてはいけませんね
 
空集合と仮定しても矛盾してます。当然。したがって背理法より仮定が否定されます。
ちなみに排中律を採択しない代表的論理である直観主義論理上でZFの公理を仮定しても
Pow(X)からXへの全射が存在しない証明は存在するそうです。俺はみたことないけど
上の方のレスで指摘してるシトがいる。だから排中律を採用しないぐらいのルール変更では
対角線論法は否定できないようです。もっと大幅なルール変更をしないとダメくさい。
もっともそれだけ大幅なルール変更がなぜ必要なのかオイラにはさっぱりわかんないけど。
ちなみに>>435の証明は選択公理は必要なしです。つまりZFCでなくてもZFで成立してる(ハズ)です。ご確認を。
443440:03/09/29 22:36
正直すまんかった。
ハイチュウ律なしでもなんとかなりそうだ。

a∈f(a)と仮定するとbの定義よりnot(a∈b)。よってnot(a∈f(a))となり矛盾。
よって仮定a∈f(a)を外してnot(a∈f(a))。
よってbの定義よりa∈b。よってa∈f(a)となり矛盾。
444440:03/09/29 22:38
てかオレは390じゃないから。
排中律がないと
not(a∈f(a)) からは not not a∈b しか出ないのでは。
446440:03/09/29 23:00
bの定義って
∀x(not(x∈f(x))→x∈b)
かつ∀x(x∈f(x)→not(x∈b))
じゃないの?
447440:03/09/29 23:10
ん、not(a∈f(a))とnot not(a∈f(a))で矛盾じゃん。
448445:03/09/29 23:38
落ち着いて考えてみた。

(*) a∈b ⇔ a∈X & not a ∈ f(a).
aをa∈X, f(a)=bとなるようなものとする。

a∈bを仮定すると(*)から not a ∈ f(a)=b
よって矛盾するからnot a ∈ b.  (1)

つぎにnot a ∈ f(a) とすると、 a ∈ X は仮定から成り立つから、
(*)によりa∈b となる。よって(1)に矛盾。
したがってnot not a ∈ f(a).  (2)

f(a)=bだったから(2)よりnot not a ∈ b となって(1)に矛盾する。
つまりf(a)=bとなるaの存在から矛盾が導かれた。

というわけですか。確かにa∈bが出なくても矛盾は出るね。
いまここで行われてる議論って、べき集合はもとの集合と濃度が違うっていう
証明ですよね?

それとカントールの対角線論法は矛盾がないという議論とどうむすびつくのですか?
そのへんついていけなくなっちゃった。 どなたか整理していただけないでしょうか?
XとしてNを取ると、2^X(に同値関係をいれたもの)がRと同一視できる。
>>449
>いまここで行われてる議論って、べき集合はもとの集合と濃度が違うっていう
>証明ですよね?
 
これがもともとの対角線論法です。より具体的にはべき集合へはもとの集合からは全射がないを
しめすための論法です。これの応用として自然数の集合から実数の集合へ全射がないことが
しめせます。具体的にはたとえば実数の集合Rから自然数のべき集合2^Nへの写像をたとえば
次で定義します。
まず実数xにたいしてそれを10進数展開x=abcde.fghijkl・・・をとります。ただし2つの10進展開をもつ数、
つまりある桁から先は0ばかりからなる展開をもつ数と9ばかりからなる展開をもつ数については
0ばかりの方を採用するとします。このときの先頭桁から順にならべた数列を
a1(x)、a2(x)、a3(x)、・・・とするとき2^Nの元f(x)を {n| an(x)は偶数} で定義します。
するとこのfはRから2^Nへの全射になります。この事実とNから2^Nへ全射が存在しないという定理から
NからRへは全射が存在しないことが次のように示せます。
 
(定理)NからRへは全射が存在しない。
(証明)NからRへ全射gが存在したとする。先の全射fとgの合成h=gf:N→2^Nをかんがえる。
仮定よりgは全射。fも全射であったのでh=gfも全射である。ゆえにNから2^Nへ全射が存在するが
そのような写像は存在しない。(∵対角線論法)よってNからRへの全射は存在しない。□
 
数学科の学生対象でない入門書などではべき集合をもちいないで直接Nから実数への全射が存在しないことの
証明を対角線論法とよんでいるものも多数見うけられますがこれだと実数にかんするいろんな性質を仮定しないと
いけない(例えば上に上げたような10進展開が“ほぼ”一意に存在するとか)ので対角線論法の本質からずれた
議論をしなければならずあまり好ましくないのです。もちろん本質的部分は同じですが。
証明訂正スマソ
(証明)NからRへ全射gが存在したとする。先の全射fとgの合成h=fg:N→2^Nをかんがえる。
仮定よりgは全射。fも全射であったのでh=fgも全射である。ゆえにNから2^Nへ全射が存在するが
そのような写像は存在しない。(∵対角線論法)よってNからRへの全射は存在しない。□

>>450 レスカブスマソ
>>451
竹内外史先生の本ではべき集合から教えてますよね。
でも私のような素人にとってはとっつきにくく、
センスオブワンダーを感じるとっかかりになりにくいんですよね。

まあ数学に対して文句を言わない限りこれでいいでしょ?

分かったような分からないようなとらえどころの
無さから、(実は分かっていないだけだったり)、
なにか不可知的なものを見ているような気分にならないことも
ないですよね。

数学の啓蒙と普及というのは、なかなか難しいもんですね。
そういえばブルーバックスの集合論は対角線論法の図に以前ひどい誤植があった
さすがにもう直ってると思うが
455132人目の素人さん:03/10/01 01:48
対角線論法の定義: 辺の長さ1の正方形の対角線の長さが無理数であることを証明する方法
(2ちゃんねる・数学辞典、#13より)

対角線の長さをαとする。3平方の定理よりα^2=1+1
ここでαは有理数と仮定して矛盾を導く。
α=r/s(r,sは整数)よりr^2=2・s^2
r,sを素因数分解して2のべき指数を比べてみると、左辺は偶数か0、右辺は奇数。Q.E.D.
>>455
乙。
457132人目の素数さん:03/10/01 07:42
今までの大雑把なまとめ

無限集合論は対角線論法を成立させるために作られた公理系です
べき集合はもとの集合と濃度が違うっていう証明が
対角線論法と同じもだそうです。

対角線論法に矛盾が無いことを証明するには
無限集合論に矛盾が無いことを証明しなくてはいけないのですが
それはできないらしい。



非常に恣意的なまとめですな。
ここのスレッドのクソガキどもはよほどコホモロジーの計算に苦労しているとみた。
ここのスレッドのクソガキどもはコホモロジーの計算など知らないみた。
461132人目の素数さん:03/10/02 01:02
無限集合同士について,
「一対一の写像があるなら濃度が等しい」は良いが,
「濃度が等しければ一対一の写像が存在する」は,すこし怪しい気がするし,
「存在すれば,その写像を具体的に構成して対応関係を作れる」はなんらかの
仮定を密輸していると思われる.そのような対応関係を作った上で,
対角線を集めてパラドックスだといっているのだから,全体としては
頭をねじるところがたくさんあるように感ぜられる.
ポカーン
「一対一の写像があるなら濃度が等しい」は濃度が等しいことの定義だから
「濃度が等しければ一対一の写像が存在する」し,
一対一の写像を具体的に構成なんかしない
463132人目の素数さん:03/10/02 17:03
カントール式の対角線論法のなかではNとRが濃度が等しいと仮定して
それなら,一対一の写像があるといい, その写像を具体的に構成して
表に描いたとしてその対角部分に着目して矛盾を導いている.
だから,
無限集合の濃度が(加算で)等しければ1対1の写像があって,それを作表
可能な程度具体的に「構成できる」という仮定を置いている.
>>463
ヴァカ?
半角カンマ半角ピリオドの人はものすごいアホだな。
あの表がどんなものか分かってないのかな。
単純に自然数からの一対一の写像 φ があったとき
φ(1), φ(2), ... と並べて行ってるだけですよ?
そこに φ の構成の問題なぞ出てきません。
ついでに、作表が本質的なわけではなく、作表出来るのは可算のときだけだが、
対角線論法は可算のときだけでなく、任意の濃度の集合とその冪集合の
濃度が等しくないことを示すときにも使えるものです。
もう一度対角線論法がなんなのか勉強し直して来たほうが良いかと。
>>425
>「物理現象に普遍的な理論は存在しないかもしれないという方向性は何故考察されないのですか。」
>これは「人間は何も無いよりはむしろ虚無を欲する」ってことなんでしょうかね?

ちがいます。哲厨は安易な決定を拒むところまではいいんですが、
結局彼らがやることといえば、ダダをこねて態度を保留にすることだけなのです。
こんな姿勢ではなにものも生み出すことはできません。馬鹿ほど
安易な懐疑論者に陥るものです。

こういったひとたちどっかでみたことありますよね。そうです、彼らの
根本的な態度こそプロ市民そのものなのです。
>>466

ニーチェ読んで出直してきませう。
哲学は文系という受験制度のせいとは思うが
数学板で疑問とやらを出してくる哲学さんは数学が苦手な人ばかりでうんざり。
ふつーの数学がふつーに分かってる哲学さんはいないものか。
漏れ理学部だけど、哲学結構好きだなー。でも別に無限論みたいな観念論には興味ないのよね。
ベンヤミン、ベルグソン、ジンメルみたいなのが好きです。あと、論語は結構面白い。仏典も面白い。
でも西田幾多郎はあんまり好きでない。
470132人目の素数さん:03/10/03 04:55
対角線の数字を拾いあげて表に現れない実数を構成するためには,
φ(k)の小数以下k桁目の数字が拾えなければならない.
つまりφ(k)のk桁目の数字は構成されていなければだめだ.
お前の「構成」て言葉の使い方はおかしい。
一般的に、N から R への写像を「構成する」と言ったら、
具体的に任意の n∈N にある R の元を定める方法を示すこと。
この場合は、構成できるとかするではなく
N から R への写像がある、ってことを仮定している。
具体的にそれはどういう写像かはわからないが、任意の n に関して φ(n) は定まり、
もちろんそれによって φ(n) の少数 n 桁目も定まる、ということを意味している。
>>461
>「存在すれば,その写像を具体的に構成して対応関係を作れる」
とか
>>463
> 一対一の写像があるといい, その写像を具体的に構成して
> 表に描いたとしてその対角部分に着目して矛盾を導いている.
を見る限り、写像 φ が存在という仮定だけでは φ(n) が定まらず、
そこで更に「具体的に構成」しなきゃいけないとでも思ってるようだが、
「ある写像が存在する」ということがどういうことなのかしっかり認識しなさい。
472132人目の素数さん:03/10/03 08:02
べつに正しいとか間違っているとかいう問題ではないが
普通の数学ならφ(n)を
とりだすアルゴリズムを数学的帰納法などで
示さななればならない。
473132人目の素数さん:03/10/03 08:08
そこが選択公理ですね
残念ながら 選択公理を追加しても
集合論からバラドクスは無くならなかった
なんか、変なのが出てきたな。
哲学というよりも言語に興味があるけどね。
数学だって自然言語無しには成り立たないし。
ただ、こういったのは遊びで近づくには危険すぎるなw
>>473
選択公理とは何かと小一時間問い詰めてやろうか?
>>472
写像 φ がある。 と言った時点で既に φ(n) は決まっている。
φ(n) がなにものであっても、実数である限りは十進(には限らないが)
小数展開は出来る。これは、対角線論法とは別物で実数の性質。
っていうか、お前ら単に背理法が分かってないだけ( ´,_ゝ`)プッ
対角線論法に背理法は必要ないわけだが
480132人目の素数さん:03/10/03 12:01
>>479
?????
?釣り?
?ネタ?
1
482132人目の素数さん:03/10/03 12:49
>>477
その考え方が、選択公理と同値らしいのだが
>>480
自然数から実数への任意の写像に対し、その像に含まれない
実数が存在する、ということだから背理法は必要ない。
つーか、これってガイシュツだろ。
>>482
そんなことはない。
>>483
いかなる実数もその像に含まれると仮定すると
矛盾を引き起こす。
したがってその像に含まれない実数が存在する
って方法以外で
示せるわけだね。
>>485
なんでわざわざそういう表現で証明しなければならないのか
よくわからんのだけど。
任意の写像に対し、対角線論法の手法で作られた実数は
その写像の像に含まれないじゃいかんのか?
>>486
それなんでってきかれたら
どうすんの?
>>487
任意の写像f:N→(0,1)と任意の自然数n∈Nに対し、
x_n=[(10^n)f(n)]-10[10^{n-1}f(n)]とし、
y_n=x_n + 1,ただしx_n=9ならy_n=0,
x=Σ_[1〜∞]y_n/10^nとする。
このとき任意のn∈Nに対しx≠f(n)
よってxはf(N)に含まれない。

>>488
>>486>>487>>488
みたいな問答のことを背理法って言うんじゃないの?

任意の実数a, b に対して
(a+b)^2=a^2+2ab+b^2
であることを示せ。

証明
(a+b)^2≠a^2+2ab+b^2
となる実数a, bがあったとすると
交換律か結合律か分配律が
成り立たなくなる。
不合理

って証明は背理法でしょう?
>>489
背理法でなければ証明できないって言っている人は自然数と実数が
1対1対応することを仮定しないと証明できないって言っているわけだ
ろ?漏れが言いたいのは1対1対応の仮定は必要ないってこと。

>>489がありなら、対偶が成り立つんだから、なんだって背理法で書
ける。
>>490
うん。だから背理法が必要かどうかはあんまし、
意味のない議論だと思うよ。

それとはべつに、あなたは、
「背理法派」はNからRへの全単射がなく単射はあるからok
あなたはNからRへの全射がないからokって言ってるんだよね。

そんでいいのかなぁ?
>>461=463
みたいのがいるから、数学科は怖い。
>>491
いいよ。
>>493
全射がない⇒全単射がない
だからokってこと?
>>494
そう。
>>495
だったら「全射がない」を言うことは手段であって
目的は「全単射がない」であるともとれるね。

声高に「全単射がない」は言わなくていい!
なんて言うこともないんじゃない?
>>496
ここで対角線論法を否定している人は、
実数と自然数が一対一対応すると仮定して、
実数を並べていくところがダメだって言ってるんだろ?
上の方にあったパースの言葉やらもそれじゃなかったか?
だからそれに対して実数を並べていく必要はないといってるわけ。
>>497
なるへそ。ものわかりわるくてスマソ。
僕は大体わかたよ。あなたの主張。

でも哲学さんとかはまだ突っ込みそうだねぇ。
499132人目の素数さん:03/10/03 23:00
>>490-491

背理法なしに全単射が存在しないことが証明できるならやってごらんよ(笑

それはともかく、対角線論法では、全単射の存在を仮定して矛盾を導くわけで
その場合、構成可能性も仮定されているし、選択公理を用いる必要はない。

選択公理を用いるのは、たとえば自然数の部分集合に対して
自然数との一対一対応が存在するのを示す場合とかじゃないか?

たとえば構成可能な実数を自然数でコード化した集合そのものは
実際に構成可能ではないので、構成主義の考えでは集合にならない。

そこに目をつぶって集合論の公理から存在を認めたとしても、
直観主義集合論の場合、無限集合に対して選択公理を認めないから
今度は一対一写像をつくることができない筈。
>>500
>>499さんへのレス?
502132人目の素数さん:03/10/03 23:30
カントールの対角線論法は間違っていないんだ
間違いない
503132人目の素数さん:03/10/04 00:11
>>488
>x=Σ_[1〜∞]y_n/10^nとする。
がね
x_k=Σ_[1〜k]y_n/10^n
x=x_k(k->∞)なら
任意のfと任意のn∈Nに対しx≠f(n)
といえるのかな


>>503
>>488の証明には穴がある。y_n=9 (∀n)が成立してしまう場合等の考察が
ぬけてるのでちょっとまずい。しかしちょっと訂正すればだいたいいけてる。
y_nの定義をy_n=1 (if x_n:偶数) y_n=2 (if x_n:奇数)と定義すれば
x=納k=1,∞]x_nとさだめればx∈(0,1)だけどf(n)≠x (∀n)が証明できる。(簡単に)
505132人目の素数さん:03/10/04 00:28
>>499
あなたのいう構成可能性、すなわちそのような関数が
そんざいする。 それが選択公理だそうですよ

なんか、定期的に「この証明は背理法じゃないとムリなのかどうか」論争が起こるよね・・・
よく飽きないな。いつも同じ奴らがやってるんだろうか。
507132人目の素数さん:03/10/04 00:49
>>504
それもどうかな
f(n)=0.11111.......
のとき
f(m)=0.22222......
んなるmは存在しないと主張できるのか
>>507

??どういう意味??わからん??
509132人目の素数さん:03/10/04 01:00
>>504
2進数で少数展開したら、その理論は使えないんじゃないか?
>>507
いえるよ。f(n)=xとなるnが存在すると仮定する。xの小数第n位が1であるときは
xの定義よりf(n)の小数第n位は偶数。これは矛盾。xの小数第n位が2である
ときはf(n)の小数第n位は奇数。これは矛盾。よってf(n)の第n位が1としても2としても
矛盾する。xの定義よりxの小数第n位は1か2かのいづれかしかゆるされないので矛盾。
微妙なのはこれが直観主義推論でこの論理が成立するかどうかだけどいけるみたい。
教科書にのってる推論図をくみあわせたらいけた。
>>509
なんで2進数で展開しないといけない?10進展開の可能性を利用した証明
なんだから。それと同じ値による定義が2進展開で通用しようがしまいが関係ないでしょ?
「オレ様は10進展開が好きだ!だから10進展開を利用して証明する!」
っていってんだから。何進展開つかおうがそんなの証明する人の自由でしょ?
512132人目の素数さん:03/10/04 01:11
>>511
いやもちろん10進数でやっても構わないけどね。
もし2進数でやれと言われたらどう説明するのかな、と思って。
>>511

まあ、2進展開を持ち出すのも509の自由なわけだが。
514507:03/10/04 01:39
すまん
f(k)=0.11111111......(kが偶数のとき)
f(k)=0.22222222....(kが奇数のとき)
>>514
>f(k)=0.11111111......(kが偶数のとき)
>f(k)=0.22222222....(kが奇数のとき)
と定義されてるとき>>504で定義されたxが像にはいってないかどうかという意味なら
はいってない。y_nは
(i)nが偶数のとき
f(n)=0.1111111....なのでy_nの定義からy_n=2。
(i)nが奇数のとき
f(n)=0.2222222....なのでy_nの定義からy_n=1。
よってx=0.21212121.........。これはたしかにfの像にはいってないことが確かめられる。
516507:03/10/04 02:15
すまんの度々の訂正で
f(1)=0.2111111111...
f(2)=0.1211111111...
f(3)=0.1121111......

のとき
f(x)=0.11111....
xは存在するのかしないのか

>>516
しないっちゅうに。
>>516
x=0.11111....
f(n)=xとなるnは存在するのかしないのか の間違い?
Ans. しない。
519132人目の素数さん:03/10/04 02:23
で、二進展開の時はどうするのよ?
どうするのって?ほっとけばいいんじゃないの?
521132人目の素数さん:03/10/04 02:34
二進展開のときは対角線論法は使えないの?
んなこたーない
523132人目の素数さん:03/10/04 02:54
>>522
対角成分が全部同じ数字だったら困らない?
>>523
そうならないように列挙の順番をうまく入れ替えられないかな。
証明の根本がわかってないね。
対角線に全部同じ数が並んでいようが、何だろうが、構成されたxとf(n)はn桁めが異なるんです。
527132人目の素数さん:03/10/04 03:15
>>526
例えば対角線に0が並んでたとしたら、
構成されるxは0.1111・・・=1となる。
これは(0,1)に含まれない。
>>521
二桁づつ取って四進小数だと思えばよいだけのこと。
529132人目の素数さん:03/10/04 03:24
>>528
なるほど
目から鱗
530132人目の素数さん:03/10/04 08:24
n桁目を取り出すには
わり算のあまりを求める必要があるみたいですが
それは四則演算だけでできるのですか
>>530
なぜ四則演算じゃないといかんの?>>488にあるみたいに指数とガウス記号つかったらいいじゃん。
>>530
小学校で習った方法でできるんじゃないの?
533132人目の素数さん:03/10/04 09:48
>>505
>あなたのいう構成可能性、すなわちそのような関数が
>そんざいする。 それが選択公理だそうですよ

それは背理法がわかってないな。
実際には存在すると矛盾するのに、公理で保証できたら
それは公理系が矛盾してることになるだろう。
>>523

ああ、そういえばそういう可能性もあるんだった。
xとf(n)はn+1桁目が異なるようにする、で解決できるかな?
開区間と閉区間の濃度は同じだからはじめから
N→[0, 1]を考えてしまうのが一番簡単だと思う。
536132人目の素数さん:03/10/05 05:41
>533
そのとおりではないですか
対角線論法からは、選択公理の否定もてきるから
公理として保証しなくてはならない
ということでしょ
ポカーン
>>536
ハァ?対角線論法から選択公理の否定が示せるなら
選択公理を公理にしたら公理系が矛盾して破綻するでしょ?

あんた、バカァ?
539132人目の素数さん:03/10/05 08:42
>>538
安心しろ
選択公理が否定されても
集合論には影響がないことをゲーデルが証明してるから
┐(゚〜゚)┌
>>499
> 対角線論法では、全単射の存在を仮定して矛盾を導くわけで
その場合、構成可能性も仮定されているし、選択公理を用いる必要はない

という箇所は全くその通りだが、後半はいみがよくわからない。

> 直観主義集合論の場合、無限集合に対して選択公理を認めないから今度は一対一
写像をつくることができない筈。

というのは、直観主義数学のうちでもIZFのことを指すのならそのとおりだが、
選択公理は認めるが外延性公理を認めないBishopの構成主義数学のような直観
主義数学では正しくない。
>>539

影響あるでしょ(^^;)?
算術なら大丈夫だけどね。
>>541
>直観主義数学のうちでもIZFのことを指すのならそのとおりだが、

499でいう直観主義はIZFを指すからそのとおりだ。

>選択公理は認めるが外延性公理を認めないBishopの構成主義数学

の話は、その前の
「構成可能な実数を自然数でコード化した集合そのものは
 実際に構成可能ではないので、構成主義の考えでは
 集合にならない。」
で述べている。
現時点でのこのスレの現状がわけわからんのだけど。
どうもこのスレで「まちがってる」っていわれてるのは
「自然数の集合と実数の集合は濃度が等しくない。」
という主張のようだけどわからないのは
・間違ってるっていってる人は古典主義+ZFの推論、公理をすべて認めた上でまちがってると主張してるのか?
・そうでないならどんな論理体系上では成立しないといってるのか?直観主義?構成主義?
・そもそも現時点でまだまちがってる派の人なんかいるのか?
まちがってる派の人の立場を明らかにしてもらいたいんだが。
545132人目の素数さん:03/10/05 16:08
>>542
濃度が異なるということの証明ができなくなる
ほか 何個か面白い証明ができなくなるらしい
>>544
「無限論の教室」を読めば明らかだが、タジマ先生のいう間違いとは
「そもそも、自然数や実数を”集合”と考えるのが”間違ってる”んで
 濃度の比較なんてナンセンス」というもので極端な構成主義。

ただし、ここでいう”間違ってる”とは、”集合論が矛盾する”とかいう
意味ではなく、”さしたる根拠もなく、どんどん思考を推し進めるに
したがって、おかしな結果が出てくる”という意味だろうと思われる。

今の数学者は、大抵集合論を認めている。しかしながら、濃度の問題の
ような話は、集合論の研究者以外には、大した影響も与えていないだろう。
例えば、実数の非可算性が、代数や解析に本質的に関わっているという
事例があったら教えてほしい。
547132人目の素数さん:03/10/05 18:20
>>546
>実数の非可算性が、代数や解析に本質的に関わっているという事例

ルベーグ測度の存在ではだめ?
548_:03/10/05 18:21
549132人目の素数さん:03/10/05 18:39
>>546
実数が加算だったら解析学が成り立たないだろ。
例えば任意の実変数の積分が0になる。
550132人目の素数さん:03/10/05 18:42
↑加算→可算
551132人目の素数さん:03/10/05 21:18
>>549

その辺も含めて主張してるんじゃないの?
>>547 >>549

測度と濃度は直接関係ない。
直接は関係ないにしてもRが可算ならR上の正則測度は0だけになると思うんだけど。
違う?
>>553
直接関係ないんだからそんな知識は無駄だと思うんだけど。違う?
555132人目の素数さん:03/10/05 21:57
>>552
関係あるだろ。AならBということが言えるなら、AとBは
直接関係あるだろ。
556553:03/10/05 22:01
>>554
何で無駄?
正則測度が0だけというのが今の話と関係ないというふうに読まれてしまったかな?
「測度と濃度は直接関係ない」を受けてのことだったのだが。
>>555
冷静になれ。逆に非可算というだけでは測度は決まらないぞ。
>>556
測度を決めるのに濃度を用いていないのだから無駄。
とりあえずカントールの対角線論法は間違ってるっておもってる香具師が
まだいるんなら>>544の疑問に答えてもらいたいんだが。
>>558
>>546を読んでないのか?
>>546は別に自分がタジマ先生の説を支持してるとはいってないじゃん。
「タジマ先生はこういってる」っていってるだけ。
561132人目の素数さん:03/10/05 22:26
>>588
今までにも、何度かでているけど

対角論法を認めるわけでも否定するわけでもないが

対角論法は、

1. 実数は、無限桁の少数で表せる
2. 整数に対応する全ての実数から対角線の要素を取り出せる(選択公理)

が前提条件にあるわけで
それを認めなければ対角論法が成り立たないだけ

ZFの推論では、対角線論法は成り立ちません
>>561
>2. 整数に対応する全ての実数から対角線の要素を取り出せる(選択公理)
 
あなた選択公理の意味まちがってるよ。
>>561
>1. 実数は、無限桁の少数で表せる
>2. 整数に対応する全ての実数から対角線の要素を取り出せる(選択公理)

>が前提条件にあるわけで
>それを認めなければ対角論法が成り立たないだけ
 
1.についてはYesだね。これは認めてもらわないとダメだろうな。つまりこういう
実数論がまじってしまうから対角線論法を実数の話とからめるのはよくないんだな。
2.はなにいってんのかわからん。
哲学屋は実無限だの可能無限だのと名前をつければそれで
仕事は終わりかもしれんが、数学屋は否定するのであれば、
それにとって代わるような有効な理論をださなければ意味が
ないのだよ。
>>552
そういう答が来るのかなと思って "?" を付けたのだけど、
やはりそうですか。

実数の濃度が直接関係するものとしてすぐ思い浮かぶのは
シェルピンスキーの「連続体仮説」だと思いますが、
あそこで証明されている定理が解析と無関係だと思う理由
はなんですか。
566132人目の素数さん:03/10/05 23:27
>>557
>冷静になれ。逆に非可算というだけでは測度は決まらないぞ。

私は、非可算というだけで測度は決まるとは言ってない。
実数全体が可算ならルベーグ測度は0になると言っただけだ。
これは実数の濃度がルベーグ測度に関係していることを示すものでしょう。
>>488>>504とか>>435>>451とかで実数の集合が非可算であることが
古典論理+ZF上で成立することが(しかも選択公理なしで)示されてるわけだが。
間違ってる派の人はこれらの証明のどこが間違ってると主張するの?
つまんねーやつら
> 測度と濃度は直接関係ない。

> 測度を決めるのに濃度を用いていないのだから無駄。
>>567
ZFが正しいという根拠は?
>>570
それって証明できるんか?
572132人目の素数さん:03/10/06 07:49
>>567
>実数の集合が非可算

であっても
整数と実数の濃度が違うことは
選択公理がないと 証明できません


選択公理が必要と言うヤシは、どう必要なのかちゃんと説明してみろよ。
>>573
実数をラベル付けする時に必要だろ
どこで選択公理が必要になるんだよ?
>>574
実数をラベル付けって何?
自然数からの写像のこと?
>>572
「非可算(可算ではない)」の定義と
「自然数と濃度が異なる」の定義をちょっと書いてみてください
訂正
「非可算(=『可算ではない』)」の定義
>>574
あいまいな言い方だな。結局なんにもわかってないんだろ。
>>577
正しいことと、選択公理を使わず証明できることは違う
って話じゃ。
> 整数と実数の濃度が違うことは

> 実数の集合が非可算であることは
って読み替えても意味をなしてるし。

>>572
で、どこに選択公理が必要なの?
581132人目の素数さん:03/10/06 09:26
>で、どこに選択公理が必要なの?

じゃ、選択公理なしで証明してみ。  と横レスしてみる。
>>536 = >>561 = >>572 かな?
>>581
>>488+>>504のどこで選択公理を使ってんの?
584577:03/10/06 09:39
ああ、どの体系で証明可能かとかいう話をしてるのか

それはそうと>>561よ、対角線論法では始めに「実数と自然数が
一対一に対応していると仮定」して2の操作を行うんだろ?
n番目の実数(自然数nに対応)からn桁目の数をとる
どこに選択公理が必要なの?
585132人目の素数さん:03/10/06 09:52
きっと、空ではないって条件しかない無限個の集合の一つ一つからある元を選ぶってことと、
番号の付いた無限個の実数からそれぞれの番号目の桁を取り出すことの違いが分からないんだろうなぁ。
>>574のような勘違いはおそらく、「任意の無限集合は可算部分集合を持つ」
ということには選択公理が使われているという類のことをどっかでかじり読んで
のレスなんだろう。
だけど今の場合は、自然数から実数への写像が具体的に構成されているん
だから、選択公理なんて必要ない。
もうすこし自分の頭で考えてから、レスをするように。
587586:03/10/06 09:55
あらら>>585とだぶっちまった。
588ky:03/10/06 16:52
野矢さんの誤解
数の性格を理解していない。
カントールの誤解
数の正確を理解していない。
589あぼぉんぷらいず:03/10/06 20:42
俺の論法。破ってみろ。(ちなみに数え上げでは0.9999・・・は1とする。)
1→0.1 2→0.2 10→1.0 12→1.2
13→1.3 100→0.01 105→ 0.51 123→2.31 2347→24.73
1234567→246.7531
・・・・30907090805030506020905010431→3.141592653589793・・・・
円周率πの小数点以下の桁数を無限に長くしても、
自然数列上に必ず存在する。それはいくらでもπに近づけることができる。
いかなる小数・・・hfdb.acegi・・・があっても、
自然数・・・・ihgfedcbaと一対一の関係がある。
0.9999999のようなものは 1.0 として数えること。
0や正負の符号があっても原理的に同じ。(正負については順番を
単に2倍すれば作れる。0をとりたければ全ての順番を1つずつずらせばOK)
従って、全ての作られる小数は自然数との間で全単射が存在する。
いかなる無理数に対しても、小数点以下の桁数を無限に増やすことで
いくらでも近似できる。
どんなに小さなε=1/桁 をとっても、或る数Nが存在し、
N<nの全てのnで、(以下略

言い換えるならば、実数と自然数の濃度の差は無限に小さくできる。
0.99999・・・=1 とするのならば、 無限に小さい事=0 な為、
実数と自然数の濃度は等しい。
よって実数は可算である。
>>589
君は、自然数列全体の成す空間の濃度が可算だというんだね?
>>・・・・30907090805030506020905010431→3.141592653589793・・・・

「・・・」で誤魔化すなよ。。。
592あぼぉんぷらいず:03/10/06 21:02
>>591
ごまかしてませんよ。そもそも数え上げというのは
桁の大きくなる方に進むものでしょう?

無限に自然数は存在するが、無限という自然数は存在しない。
・・・は、"無限に"を意味するだけであって、
"無限"を意味するわけではない。だから問題なし。
593あぼぉんぷらいず:03/10/06 21:06
自然数との一対一対応というのは、
無限に過不足なく対応がつけられることであって、
無限と過不足なく対応がつけられることじゃない。

それを取り違えてるのがカントールのミス。
対角線論法の考え自体は、間違っていないが、
実数は可算。 以上。
(ラッセルのパラドックスが、パラドックスとして出来上がっている
のと同じ。あれは否定も肯定もできず、
単に無視するしかないのは今も同じでしょう?)
594あぼぉんぷらいず:03/10/06 21:08
>君は、自然数列全体の成す空間の濃度が可算だというんだね?

その通りですが何か?
>>592
君は、多項式環と形式ベキ級数環の違いが判らない人だね?
無限桁の自然数の存在を認めるんなら、自然数と実数の濃度は同じかも。


、、、両方非可算なわけだが
597あぼぉんぷらいず:03/10/06 21:11
もし私の理論が間違っているならどうぞ、つついてください。
どんなつつき方をしても問題ありません。
いくらでも回避できますから。
予定調和的なやり方だと批判する人もいるでしょうが、

ラッセルのパラドックスを無視するのは予定調和的ではないと
いえるのですか?
598あぼぉんぷらいず:03/10/06 21:19
>596
>無限桁の自然数の存在を認める
ええ、どうぞ、この際認めましょう。
たしかに非可算ですね。でもこれが自然数であることは確定でしょう。
そもそも、可算というのを自然数でこじつける為に、
無限桁の自然数の存在を、数学から無視したのが、ある種の逃げです。
私にいわせるならそういうこじつけはどこからきたのか。
ずばり、数値的な要請からだと思います。
現実問題として、無限桁の自然数があったとしても、
それを表現するのは不可能だから、"無限に"は可能でも"無限"を排斥した。
ならば"無限"な無理数も排斥されるべきでしょう?
なぜにそっちだけ残したの?
ぶっちゃけ、πやeが、現実で道具として使え、有用だからでしょう?
有用なら数学として認めるというなら、現代数学で有用性が怪しいものは
全て切り捨てることになりますよね。それを権威強硬にこじつけたのが
今の数学のあり方なんです。
599あぼぉんぷらいず:03/10/06 21:21
近似的に作れるπはいくらでも数値的に可算です。
理論的なπは非可算ですが、それは意味あるのか?
πの存在だけは認められて、
対応する"無限桁"の自然数は闇に葬られるべきなのか?
無限桁の自然数という、ダークマターは数学では扱うべきじゃないのか?
だんだん電波度が上がってきたなあ。
601あぼぉんぷらいず:03/10/06 21:31
理論的なπは非可算といいましたが、
あとからでてくるどんな理論的な実数も、
その理論の組み立ては有限試行によって人間によって
行われるのですから、それを、既にある順序列の先頭にぶち込んだり、
必要なステップだけかけたりずらしたりすれば可算にできます。
つまり想定可能な実数は全て可算です。
想定不可能な実数というのは、もとから想定できないのですから、
可算か非可算かを問う必要はありません。
可算、非加算のあぼぉんタソの定義を教えてたもれ
603あぼぉんぷらいず:03/10/06 21:37
>>600
カエレ

つまり、いくらでも想定可能な実数は順列の最初にぶち込めば
可算ですよ。√2がこようとπがこようとeがこようとね。
最初に順列は空集合であってもいい。でてくる数全体を
全部FIFOのごとくぶちこめばいい。
だから全ての実数は自然数と1対1対応ができる。
可算だろ?どこがおかしい?
604あぼぉんぷらいず:03/10/06 21:42
>>602

>>603に示したとおりです。

そもそも無限桁の自然数を無視する以上、
自然数との一対一の対応は、"無限に"できればいいわけで、
トリックもへったくれもないわけですよ。
数学というより激しく稚拙な論理トリックです。
新しく出てくる数を、順序列の最後に加えようとするから、
最初から無限にある自然数の最後にくわえるなんて無理だ、となるわけで、
だったら順序列の最初に加えればいいだけです。
ベキ集合が問題になるのは、そもそも"無限に"でなく最初から"無限"を
仮定してるからで、無限桁の自然数を無視する以上、ナンセンスというわけ。
無限桁の自然数認めてるんだから、別にそんなことしなくても実数は「可算」だろ。
何の問題も無い。単に住む世界が違うというだけの事。
606あぼぉんぷらいず:03/10/06 21:49
"無限に"は存在するが"無限"は存在しない。
無限桁の自然数を無視する以上、無理数も数値的なもので判断しろ。
√2を求める場合、おまえ等は、その無限桁に上る小数点以下の
全貌が、まるで神が数をみるかのごとく、ぶわっと一気に踊り出してくるのか?
そうじゃないだろ。限られた桁ずつ、少しずつ少しずつ計算して
出すんだろ。いいか?"無限に"も"無限"も、数学には必要だが、
"無限に"で判断できるものと"無限"で判断できるものを区別しろ。
'連続'は、"無限"で判断するものだが、それが自然数と関係あるか?
非可算なのがお前等が使っている、"無限桁を認めない"自然数と関係あるか?
実数が可算であって何がわるい。俺とお前の数え方が違う?
俺とお前では次に順列の最初にぶちこむ数が違う?
違ってもいいんだよ。数えられるんだからな。無限にな。
逆転の発想によって、実数は可算であることを俺は証明した。
えーっと1/3の小数展開とかは、まさしく
「全貌が、まるで神が数をみるかのごとく、ぶわっと一気に踊り出してくる」
と思うんですけど。だって同じ数が続いていくだけだし。
608中途半端なネタに中途半端なレス:03/10/06 21:53
>>589
近似できるからといって濃度が等しいことにはなりません。
N と R の間にある全単射 φ があって、任意の実数 a と任意の ε に対し、
|a-φ(n)| < ε となるような n が存在するからと言って、
N と R の濃度は等しくなりません。
任意の実数は有理数によっていくらでも近似できますが、
だからといって Q と R の濃度が一緒になったりはしないのと同じことです。
集合 M が集合 S において稠密であっても濃度が等しいとは限りません。

> ラッセルのパラドックスが、パラドックスとして出来上がっている
> のと同じ。あれは否定も肯定もできず、
> 単に無視するしかないのは今も同じでしょう?

ZF の公理を知らないのですか?
609あぼぉんぷらいず:03/10/06 21:57
>>605
わかってねーな。
無限桁の自然数を盲目的に俺は認めてるわけじゃないのよ。
同時に無理数も 数値的以外に非可算とするのは無意味 つってんの。
無理数を認めるなら、無限桁の自然数を認めないとならんだろ?
といってるんだよ。無限桁の自然数を認めないなら、無理数を
認めるその偏見が俺にはわからない。数学の歴史上で
無限桁の自然数を取り扱わなかったから、敢えて避けてきたから、
逃げてるだけじゃないのか?

なに?f(x)がlim_{x→π+0}f=lim_{x→π-0}=α で、 f(π)≠α
のような場合、x=πで連続じゃないから数値的な理論では限界がある?

んなのあたりまえだろ。

でもそれが、πが実数の1つであるのは確かだが、
実数を非可算としなければならない理由として挙げられるとでも思うのか?
>>589
やぶってみろもなにもNからRへの全単射ひとつも構成されてないじゃん。
濃度がひとしいというなら次の命題を証明しないとダメ。
 
―命題―
∃F⊂N×R ∀x∈N ∃y∈R (x,y)∈F,∀y∈R ∃x∈N (x,y)∈F,
∀x∀y∀y' (x,y),(x,y')∈F⇒y=y', ∀x∀x'∀y (x,y),(x',y)∈F⇒x=x'
 
これをZFの公理、古典主義推論の上で証明しないとダメ。
>>589の「証明」といってるものはそういうルールを守っていないので証明の内に
はいらない。
>>600
すごいな、誰も、反論できない。完璧だ、完結してる、強烈な重力圏であり、
反重力が発生して外域からの進入が不可能だ。
近づくのは非常に危険だ、もれ出ているほんのちょっとの電波すら、受信するの
は地球人にとっては生命の危険がある。
まああれだ、2chのみんなは頭が悪いから、あぼぉんさんみたいな頭の良い
人の高尚な理論の難点を見つけることなんてできないってこった。

だから、どっか他に行ってくれないかな?バカはバカたちで会話を楽しむからさ。
頭のいい人は頭のいい人で別のところに集まって論議してください。
613132人目の素数さん:03/10/06 22:07
>>609
> 無限桁の自然数を認めないなら、無理数を認めるその偏見が俺にはわからない。

表面的なところだけ見て偏見と言われてもな。
自然数であれば桁が増えるに連れ数はいくらでも大きくなり収束しない。
無理数の場合は違う。
>>612
「集まって」って言っても、彼ほど頭の良い人は一人しかいないんじゃないですか?
>>614

じゃああれだ、マサルさんみたいに一人会議だ。
キャンディーにまぎれてオンディーが紛れてたあれをやってくれ。
616615:03/10/06 22:15
うを、すまん。二度も紛れてしまった。
617あぼぉんぷらいず:03/10/06 22:15
>>613
無限桁の自然数に「収束」します。問題ない。
無理数の存在=無限桁の自然数の存在。以上。

>>610
だから、無限桁の自然数を認めれば全単射存在"できる"だろ。
ここ重要な。"できる"であって"する"じゃないってとこな。
そもそも'証明'='ZF集合論における証明'という偏見を持っている馬鹿には
口を利く気もおきない。

"できる"以上、"できなくてもいい"わけよ。独立ってことよ。
つまり、一対一対応できるとしても当然、良い。
俺のやり方なら可算。俺のやり方を認めないくせに無理数だけは
認める偏見野郎はずっと壷の中にいな。
>>614
> 彼ほど頭の良い人は一人しかいないんじゃないですか?

無限桁の自然数といえば sci.math の Archimedes Plutonium.
あっちの方が筋がよかった。
>>617

>>俺のやり方を認めないくせに無理数だけは認める偏見野郎はずっと壷の中にいな。

まあどうやらその壷はとても大きくて、あなた以外の全世界を包み込んでいるみたいですが。
620あぼぉんぷらいず:03/10/06 22:20
>>607
じゃあよ、
0.101001000100001000001・・・はどうだ?
これとどこが違う?これも踊り出してくるよな?
じゃあこれは有理数とできるか?できないだろ?
つまりまあ、あぼぉんぷらいずは
自然数らしきものと実数は濃度を同じだと言っており、
自然数と実数の濃度は同じだとは言ってないってこった。
あと、自然数と実数らしきものの濃度も同じだと言ってます。
623132人目の素数さん:03/10/06 22:27
それって,単に自然数から自然数への写像の全体が作る集合が
非加算集合であるということだろ.
そういう写像も自然数だと言いたいのかな.
ま,普通の自然数はある番号から先は0に写像する写像として,
その集合の中に埋め込まれている.別に特別視しているわけじゃない.

624あぼぉんぷらいず:03/10/06 22:28
>>621
言ってるっつーの。自然数らしきものって、
無限桁の自然数を自然数としちゃだめなのかよ。
予定調和的というなら、マクローリン展開に無理矢理虚数を
当てはめてe^πi=-1 とかやってる教育のほうが予定調和的だろ。
それでできたのが、運良くどこにも矛盾しないからこじつけただけで・・・
しかもこじつけた後でさもありなんとばかりに威張ってやがる。

もういいや、分かってくれないなら。

お前等偏見野郎は無限桁の自然数は、
道具として使いにくいから、自然数としては認めないのですね?
625あぼぉんぷらいず:03/10/06 22:31
>>622
>実数らしきもの

どこが実数らしきもので 実数じゃないんだ?
>>625
実数の完備性についてはどう考えてますか?
627132人目の素数さん:03/10/06 22:35
>>624
分かった。俺が引くよ。
自然数は「無限桁の自然数」も含むものとして、
それを含まない従来のものは「一般的に言われる自然数」って呼ぶことにしよう。
んで、自然数と実数の濃度は同じ、「一般的に言われる自然数」と実数の濃度は違う、
ってことにしよう。
>>624

ダメです。

確かに我々は偏見野郎だし、こじつけてますし、威張ってます。

でもダメなものはダメです。
無限桁の自然数ってなあ。
*我々の定義では* 自然数は有限桁じゃないのだろうか?
君が違う定義を持ち出して、それを元に理論を構築するのは一向に構わないが。

ところで『無限桁の自然数』を我々の言葉で言うと順序数が適当だろうか。
630あぼぉんぷらいず:03/10/06 22:38
>>627
Σ(゜д゜lll)ガーン

>>626-228 他、俺の意見を否定してくれた人へ。

さよなら・・・
>>624
>もういいや、分かってくれないなら。
 
あたりまえだろ。お前の証明は現代数学のルールにのっとってないんだって。
正しい、正しくないというのはある一定のルールがあってその上で正しい、正しくないを
きめてるんだから。みんなが好き勝手にルールをきめて「オレ様ルール」の上で
「これは正しい」っていいはじめたらきりないだろ?とりあえず公理的集合論の教科書と
記号論理学の教科書よんでからにしたら?「オレ様ルール」の証明なんかだれも
相手にしてくれないよ。
632あぼぉんぷらいず:03/10/06 22:52
>>631
あんたみたいな形式馬鹿には永遠に話をあわせるつもりはありません。
あんたの言っていることは究極的には数学の発展性を阻害することです。
教科書に従っても、教科書から逸脱する分野があってこそ数学は
ここまできたんじゃないですか?非ユークリッド幾何学や
ゲーデルの不完全性定理は、それぞれ物理学上、論理学上のパラドックスから
熟考、反省されてでたものじゃないんですか?
とりあえず>>631のような頭の固い奴はおいといて、
>>627のような方だけにお伝えします。
(627=631でも構いません)

でも下一桁が5 の自然数は5で割り切れるというのは
無限桁の自然数で下一桁が5であるものも含むし、
・・・・33333333 は 明らかに3の倍数ですし、
・・・・・22222+・・・・・44444=・・・・・66666 のように
知る限り基本的な四則演算ですら、無限桁の自然数であっても
有限桁の自然数と同じように成立するわけです。
>>546
カオス。カオスの要件の一つは周期軌道が稠密なことだが、
実数が可算だとすると周期軌道は高々可算なので
それが稠密だったらカオス軌道が入る余地がない。
634132人目の素数さん:03/10/06 22:55
>>632

割り算がちょい難しいかもしれませんな。
635あぼぉんぷらいず:03/10/06 22:56
なぜに無限桁の自然数を忌み嫌うのか、
俺には今や全くわかりません。

所詮数学は現実で、あるいは既存数学で使えるだけの道具なんですかね?
数学自身が、閉じてない限り数学としては認められないのですか。
ゲーデルがそれを否定してくれた気がするんですが、
俺の気のせいだったのかな
所詮連続体仮説も仮説ですし、俺の数え方も仮説としてなら通るのかな
(仮説として扱ってもらえるかすらわからないけど)

じゃ、ばいばい
>>634
10 が合成数なので零因子があるからね。
無限桁の自然数にどうやって後者を与えるつもりなのかは興味があったのに。
>>635
なんで公理的集合論も記号論理学も勉強したことない人間が
 
>ゲーデルがそれを否定してくれた気がするんですが、
>俺の気のせいだったのかな
 
こんなことわかった気になれるの?一冊も教科書よんだことないんでしょ?
素人向けの啓蒙書よんでわかったような気分になっただけでしょ?
 
>所詮連続体仮説も仮説ですし、俺の数え方も仮説としてなら通るのかな
 
あなたの数学は「オレ様ワールド」の数学なのでなんでも通ると思いますけど。
有限自然数なら最上位桁が決まっているし、
無限小数でも0.33333・・のようなものは小数点以下各桁が3である
のがきまっているから
無限桁の自然数でも 最上位桁を仮定すればいいんじゃね?
1・・0000 なんてな。これなら零因子があっても問題ないかと思われ
2・・0000÷1・・0000=2 or 20 or 200 or ややこしいな
無限桁の自然数。一筋縄ではいきませんよ?
天才電波君の解説を期待してます(もういないか
>>638
それはいいすぎ
奴だって いくらオレ様ワールドの数学だからって
無価値な1+1=3なんて編み出しはしないさ。(たぶんな
あいつがいってるのは最終的には無限桁の自然数の問題に落ち着いてる
天才電波君の再臨と神がかり的な反論キボンヌ
641132人目の素数さん:03/10/06 23:18
無限桁の自然数が存在するとすると
現代数学に致命的な矛盾が生じたりする?
>>639
無限なのに最上位桁があるのかどうか小一時間(ry
>>641

しない。しないけど、今までと同じ名前で呼ばれると困る。
なんかスレが進んでるなぁって思ったら、電波君が登場してたのかw
で、また背理法厨や選択公理厨が現れるんだろうなぁ・・・
645132人目の素数さん:03/10/06 23:40
足し算程度はあって欲しいが,どう定義するんだ?
>>645
できますよ。環になるので引き算もできます。(^_^)
647132人目の素数さん:03/10/06 23:44
>>645
まさおとよしおがいる。まさおだけなら一人なのに、よしお連れて来たら
二人だ!!そうか、これが足し算なんだ!ってな感じで。
結局、あぼん君はp進整数を知らないというわけやね。
649132人目の素数さん:03/10/06 23:48
で,どう定義するのよ?
有限桁の自然数が埋め込まれていて,
そこでの足し算の拡張程度にはなっていて欲しいんだが.
>>649
帰納的極限って知ってる?
651132人目の素数さん:03/10/06 23:51
知らない.
>>649
> で,どう定義するのよ?

>>648 も書いてるように

\lim_\leftarrow (Z/10^nZ)
>>650
射影極限の方じゃないの?
>>652
\usepackage{amsmath,amssymb}
\begin{document}

\[\varprojlim_n (Z/10^nZ)\]

\end{document}
帰納的じゃなく射影的だった
あぼん君も>>617あたりで
>無限桁の自然数に「収束」します。問題ない。
収束を括弧で括っているあたり、きちんと意識しているのかとも取れなくも無いが
「収束」に意味づけをすることを怠ったために、彼は電波から抜け出せなかった
のだね。
あぼん君の未来に光あれw
>>589
それは、実数と0-9の無限列全体が一対一に対応することの証明
√2に収束する列
1, 1.4, 1.41, 1.414, …に対応する自然数列
10, 41, 414, 41404, …はなんの自然数に収束するの?
「近似できる」とは?
漏れはいまいち直極限・逆極限が理解できてないんだ。
概略は物凄くわかりやすいんだけど、各論で、構造を保つとか普遍性がどう効いて
くるのかとか、そういうことを考え出すと意味が分からなくなる。

何回いい本無いかな?学部3回生レベルに毛が生えたような漏れでも読みやすい本。
って、スレ違いか・・・。
>>658
普遍性とかがよくわからんのなら、「コホモロジーのこころ」には
わりとていねいな説明があるけど。
660657:03/10/07 00:25
うおっ!?601だと思ってレスしたらすごいことに!!
>>660
でもタイミングはぴったりだった。
662658:03/10/07 00:39
>>659
「コホモロジーのこころ」は実は持っている。のだが、まあ、一般論は
ほとんど判らないので、1章と2章のはじめの方の概略だけを捉えようとして
何となく読めた気になってはいる。そんで、全然別のところで局所体の指標群
あたりを調べてたり、ブルバキあたりで位相線型空間とかの話をしらべたり
していると、普遍性やらがあまりよく判らないでいることに気がつく・・・;

というわけでござりまする。
663132人目の素数さん:03/10/07 00:42
ところで、誰か、エロい人。あぼん君の理論に適切な変更を加えて正当化し、
さらに、あぼん君を論破してください。
>>662
普遍写像性質って同型の証明とかに使うんだよなー。
実際にいろいろ計算してみると感覚がつかめると思うよ。
例題
1) \mathbb{H}\otimes_\mathbb{R}\mathbb{C} \cong M_2(\math{C})
2) \mathbb{C}\otimes_\mathbb{R} \cong\ mathbb{C}\oplus\mathbb{C}
3) \textrm{Hom}_R(M\otimes_R N,L) \cong \textrm{Hom}_R(M,\textrm{Hom}_R(N,L))

スレ違いお許しあれ
2)の左辺が気になる・・・
>>665
あいやー
\mathbb{C}\otimes_\mathbb{R}\mathbb{C} \cong\ mathbb{C}\oplus\mathbb{C}
ですた。
667132人目の素数さん:03/10/07 07:33
あぼぉんぷらいずは、自然数の定義をご存知ないようだ。
1)0は自然数である
2)nが自然数であるなら、n+1は自然数である。
これらを有限回適用したものだけが自然数である。

彼のいう無限桁の数は上記の定義を満たさない。
自然数を定義している最中に有限回という言葉は使えないわけだが
669132人目の素数さん:03/10/07 08:20
自然数を定義している最中に有限回という言葉は使えないわけだが
有限 ってのは 無限があるから 浮かび上がるんであって、
無限を仮定しないかぎり有限という概念自体、意味をなさんな
全部有限なら有限という表現自体の価値がなくなる
何でも言えるということは何も言ってないに等しい
無限桁の自然数の存在=無理数の存在か
わけわからん
無限桁に拡張した自然数を、自然数に含めないから、
実数は自然数と1対1対応できないんだろ。
逆にいえば含めれば1対1対応できるんだよな。
つまり、実数は、生成時点で、
普通の自然数とは1対1対応出来ないように作られている集合
ともとれるわけだ。これが、結局のところ、
>>1 のいっている「都合のいい」作り方なんじゃないかな。
"都合のよさ"は、その過程にも、結論にもなくて、
実は実数の定義自体にあったわけだ。最初から実数は、
そういう風に都合よく作ったわけだから、都合よくなるのは当たり前。
カントールの対角線論法が間違っているんじゃなくて、
ただ単に実数がそういう都合のよさをもとからもっていただけだから、
なんか騙された気分になるんだろう。
言ってみれば、実数そのものが、可算な自然数の枠組みには
おさまりきれない数の性質を、
「おさまりきれないなら、おさめなくていいじゃないか?
逸脱してどこが悪い?」という、昔の偉い数学者達の「オレ様ルール」
によって集合論で再定義づけられたわけだ。
数値計算では、
@3の倍数でない整数を3で割ること(10/3等)も、
Aeの算出も大差ない。
@は、3で割ってでた余りを10倍してそれを3割った商を既に求めている桁の
右に書いて、それをまた・・・でやるだけで、
Aは、1→(1+(1/(2*1))を通分して割り算)→
(1+(1/(2*1))+(1/(3*2*1))を通分して割り算)→・・・でやるだけで
どちらも近似できる。
もし、数値計算等による、実在性・有用性だけが、
数学の分野で認められるものであったなら、実数が可算か非可算かなどは
全く取りざたされなかったに違いない。
しかし、残念ながら、集合論は近似概念を認めない。
本当っぽいこと、嘘っぽいこと じゃだめなのだ。それは所詮予想。
本当か、嘘か、あるいはどちらともいいかねるか、が明らかじゃなければ
ならない。逆に言えば、明らかならばいい。利用目的なんてそっちのけ。
利用目的云々述べる奴は、こういう学問には似合わないんじゃないかな。
ただ永遠に終わりようがないことが証明されてしまってる学問だから、
哲学なんかよりもたちが悪いよ?精神力の強い奴じゃないと宗教学とかに
移っちゃうからね。哲学?あれは永遠に終りようがないかどうかすらも
証明されていない学問だからね。宗教学は、終わらせる学問だからね。
工学は、使える学問。お好きにどうぞ。
数学:決着がない事が証明されている学問
哲学:決着がないか否かも分からない学問
宗教学:決着させる学問
工学:決着があろうがなかろうがかまわない。"使えれ"ばいい学問
理学:"使える"ことの裏付けをする学問
人間が"生きる"上で、工学や理学は必要だし
"人間"が生きる上で、哲学や宗教学は必要だし、
人間"が"生きる上で、数学は必要。
人間"は"生きたい や 人間"も"生きたい じゃ
数学は必要じゃないんですか?
>>671
歴史を知らないようだな。
まあ、半分ぐらい何を言ってるのか不明なので違うかもしれんが。
>>675
2chで数学の歴史を延々と語ればそれであんたは納得するのですか。
いつから数学は歴史学になったんですか?
そんなに数学が分化するのが嫌なのですか?
今の数学者って歴史とか、そういう権威によりすがる人ばっかなんですか?
つうか2chにいる数学者がみんなそうなのかもな。
そもそも、人間ってのには寿命があるわけよ。
仮に命題Pが正しいということを、証明するのに、
人一人が生きる以上の時間が必要なら、それを間違ってるとみなせるのか?
論破するのには相手より長く生きられればいいのか?
論破されない為には弟子を育てればいいのか?違うだろ?
あんたの言うとおりさ。おいらはあまり数学に詳しくないし、歴史もよく
わからない。だから詳しい理論は知らないし、覚える気力も能力もない。
あんた達は確かにおいらより数段上だろう。
だが、その理由付けに、「おまえは何もわかっていない」「数学というのを
わかっていない」というのは、まるで、「おまえは常識をわかっていない」
「政治というものをわかっていない」 というのと同じだぞ。
おいらは思うんですよ。数学って何なのかってね。
よく、形而上の学問とか言われますけど、
そんなのは紹介にはなっていても説明になってないと思います。

数学は、あんた達が、頭の中で考えたり、過去の文献や記録を
参考にして、新たな理論を見いだしたり、過去の予想を証明したり、
日々悩みながら、現場でとりくんでいるそのまさにそれが、数学だと思います。
当然おいらもおいらなりの低脳な数学を日々反省してます。

「数学ってなんですか?」って聞かれたら、
「じゃああんたもいっしょにやってみない?やらなきゃわからんよ?」
が数学だと思うんですね。あんた達がやってるのは
「お前は低脳で馬鹿だから俺達の学んでる先鋭的で確実で高等な数学など理解できんだろ。
それでも知りたいならそこに詰まれている資料、
当然俺は理解したがな、を全部理解してから来るんだな。
それまで側によるな。馬鹿が染る。しっしっ。」
じゃないんですか?さらには
「数学科にも入れないような奴は数学なんてやるなよ。馬鹿癌が増えるだろ」
じゃないですか?
>>677はけっこう的を射ていると思うが
>>676は何が言いたいのかさっぱりだ。
679658:03/10/07 17:41
>>664
直極限・逆極限の普遍性やらが判らないという話をしているのに、何ゆえ
テンソル積の普遍性の話に?

俺の言葉が悪かったのだろうけど、要するに、極限の普遍性から定まるものの性質
というか、そういうのが良く判らないってことが言いたかったのだけれど。
例えば、位相群の射影系が、その射影極限に稠密に埋め込めるとか、そういう話。
>>677はいいこといってる。前半部は胴衣できる。しかし後半部は全然。
ここで電波はいてる香具師はそもそも現代数学を学ぼうと思ってきてるわけじゃない。
実際「間違ってる系」の電波はココにくる香具師をふくめてたいがい現代数学を
まじめに勉強したことがない。現代数学の全てを理解しなければ数学の議論を
してはいけないというつもりはないし、そんなこといいはじめたら誰も数学の議論なんて
できなくなると思うけど、すくなくとも「カントールの対角線論法は間違ってる」と主張したいなら
集合論や証明論の教科書ぐらいは読んでからにするのが普通だろ。それもしないで
なにいってんのって感じ。
じゃあまずカントール自身の論文で、対角線論法の証明が初登場するやつから読もう。

「集合論の一つの基本的問題について」
ttp://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Sunnyvale/4169/cantor/cnt_uFM_jp.html
>>677

どちらかと言うと、ここの人々は間違ったことを言う人がいた場合「さっさと
どこか行け、バカが伝染る」と言うだけでなく「君はここが間違っているよ」と
ちゃんと教えてくれている場合が多いと思うけどなあ。
683132人目の素数さん:03/10/07 22:54
対角線論法が示してるのは
0から1のあいだで
小数点n桁で表せる少数はnより大きい
当然nが無限大になっても
それより多い

それだけだ
はいはい子供はもう寝ましょうね。
        | Hit!!
        |
        |
   ぱくっ |
     /V\
    /◎;;;,;,,,,ヽそんなエサで
 _ ム::::(,,゚Д゚)::| 俺様が釣られると思ってんのか!!
ヽツ.(ノ:::::::::.:::::.:..|)
  ヾソ:::::::::::::::::.:ノ
   ` ー U'"U'
自然数の無限桁があっちゃだめなのか?というのなら、
それが必要となる母体を持ってきてくれ。
無限桁の自然数は、すまないが我々には必要ない。
無理数は、自然数の無限桁がなければ存在できないという定義は
我々は持っていない。自然数が別に無限桁じゃなくても
我々は実数にたどり着いた。そのたどった経路を
一笑に吹かして、なんでなくちゃおかしいの?というのは馬鹿げている。
お前さんがやってるのは、喩えるなら、
リンゴの木+屋根の瓦=ひよこの嘴を、必死で定義づけしている
ようなものに見える。もうあほかと。ばかかと。
もういい加減慣れろよ。こういう連中とは日本語と英語で話してるようなもんなんだから。
688132人目の素数さん:03/10/08 01:30
カントールの対角線を描く証明において,紙の上に描ける記号(数字)の
個数の総数の上限を有限の値Nとしておいて,N−>∞ の場合が極限を
あらわすのだという具合に議論しようとすれば,対角線論法からは
矛盾がでなくなる. 通常は実数は先に無限の先の桁数までが既知
として先に極限をとってしまったものとしているのだ.
連続関数の,各点収束と一様収束の違いのように,極限に行く方向が
2通りある,すなわちひとつは各実数の桁数を伸ばす方向.もうひとつは
実数を縱に並べて置く個数を増やす方向. 対角線はその折衷
>>668-669

では数学での有限の定義を示してごらん。
君が間違ってることがわかる。
>>680
カントルが集合論を唱えたころは、集合論がデムパだと思われていたんだが。
現代を無条件に肯定したがるのは最大のデムパ
数「集合論が矛盾するというなら証拠を示せよ」
哲「集合論が矛盾しないというなら証拠を示せよ」
数「矛盾しないから、そんな証拠は示せないよ
  ゲーデルが証明したんだ。知らないのか?」
哲「逆は真ならず。証拠が示せないからといって
  矛盾しないということにはならない。
  まだ、矛盾が見つからないだけかもしれない」
数「じゃ、おまえがそれを示せよ」
哲「ハァ?、矛盾したら今までの努力がパァになって
  こまるのはあんたらだろ?
  そんな大事なこと他人任せにするなよ」
数「何だと。数学の何たるかも分からんくせに
  いちゃもんだけつけるんじゃない
  数学のことは俺達にまかせときゃいいんだ」
哲「危ないもんだな。無限公理なんて不用意に
  前提するような無批判な精神の持ち主に
  すべてをゆだねるなんて」
>>690    | Hit!!
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 _ ム::::(,,゚Д゚)::| 俺様が釣られると思ってんのか!!
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  ヾソ:::::::::::::::::.:ノ
   ` ー U'"U'
無限桁の自然数は存在するよ。
・・・111
ほらできた。実数は小数点以下桁無限の拡張
無限桁自然数は小数点以上桁無限の拡張
直感的に同じだろ。なんてここのスレの奴はセンスねーんだ。
ひらめきと直感のどこが違うんだ?
それを区別したがる数学者は哲学やったほうがいいよ。
数学なんてやるな。この国は哲学啓蒙低いから、哲学じゃ飯がくえねーから
数学やってるだけじゃねーか?おまいら氏んでいいよ。
>小数点以上桁無限の拡張
「拡張した自然数」の各要素のうち、小数点以上の無限桁が
「有限個の桁を除いて全てゼロ」となるものはただの自然数
「ゼロでない桁が無限個ある」ものは自然数とはまったくの別物

なんの制限もなく0〜9の無限列全体を集めたら
自然数と一対一に対応しない、より大きい集合ができるだけ
>>694
無限に1対1対応できますが?
696132人目の素数さん:03/10/08 12:40
>>695
え?
1対1を単写の意味で言っている?
そうでなければ(1対1を双写の意味で使っているなら)
そこで言っている「無限」とは何?
>>695
ちょっと質問の意味がわからない
698132人目の素数さん:03/10/08 13:29
数学板においては
頭の悪い哲厨ほど攻撃的な態度を示すことが
経験的に確認されている
699132人目の素数さん:03/10/08 13:57
>>593=695?
700132人目の素数さん:03/10/08 14:12
なるほど。
0,1,2,...9までの10個の数字を無限に並べたものが自然数の全体。
この自然数の全体と無限に1対1に対応がつくことが可算の定義。
よって、実数は可算と。
この考えを敷衍して両方向に無限に10digitを並べたものはなんと呼ぶのだろう。
また、そういうもの全体の濃度はどう捉えるんだろ。
701132人目の素数さん:03/10/08 14:25
官トオルって友達がいるんだが・・・
>>701
わらた
>>593の前半がわからない
一対一対応って全単射のことでしょ?
無限に対応するとか過不足ってなんのこと?
704132人目の素数さん:03/10/08 16:41
>>703
593氏の意図とは無関係に、単に語の定義として、
「上への1対1」を全単射、とする言い方もある。
つまり、全射が「上への写像」、単射が「1対1の写像」というわけだ。
「1対1が全単射」の立場では、特に単射のことは「中への1対1」と言う。
大体巻頭に書いてあるから、まともな数学書を読み進めていて、
なんか変だなと思ったら定義を確認するのが吉。

無限に対応する、とか過不足とか、っていうのは、
日常語の語感から定義なしのまま分かった積りになっている半可通のたわごと。
スレ違いの話題だが、「大気が荒れている」と「大気が不安定」の違いは
日常語の単語から分かった積りで使っている限り他人には説明できない。
それと同じ。
>>693
直感にせよひらめきにせよ厳密な定義無しでは数学に成らん。
結局まちがってる派のひとも現代数学の公理、推論則の上では対角線論法は
正しいというの認めたの?
707132人目の素数さん:03/10/08 18:18
>>593は一対一は単射のことだと思っており、
一対一(単射)が濃度が等しいことの定義だと思っていて、
濃度が等しいというのは「単射がある(無限に過不足なく対応がつけられる)」ってことなのに、
カントールは「全単射がある(無限と過不足なく対応がつけられる)」
ってことだと勘違いしている、と主張なさってるのかな。
>>1
カントルはきちがいだったんだから大目に見てやれ
あんなものに感心するやつはガキだ
すぐサギにひっかかるアフォ
サギにひっかかった方が
何かとおもしろいことが起こるのではあるが
サギがサギであることにかわりはない
711132人目の素数さん:03/10/08 18:40
>>707
違う。
あっちの世界の人は以下のようにいっている(ようだ)。
まず、こっちの世界の自然数Nから10digitの集合{0,1,2,...,9}への写像全体
つまり、こっちの世界の10digitからなる半無限列の全体、
それが自然数だと思っている。
そして、あちの世界の自然数とこっちの世界の実数は濃度が等しいと、主張し
対応を具体的に作っている。
“ゆえに”こっちの世界の実数は可算だ、と言っている。
712132人目の素数さん:03/10/08 18:46
自然数の定義は?
「無限桁の自然数」はそれに含まれないの?
証明できる?
>>711
それは>>593以外のとこでのあぼぉんぷらいずの主張で、
彼はこのスレの中で幾つか違った内容の主張をしてるし、
>>593ではそういうことを言ってるのではないでしょ。
714132人目の素数さん:03/10/08 18:52
>>712
あなたが前提とする公理をまず提示してよ。
そしたら、それらを使って証明できるかどうか、考えてあげるから。
715132人目の素数さん:03/10/08 18:56
>>714
一般的なのでいいよ
>>712
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%81%AE%E5%85%AC%E7%90%86
このあと、加法や乗法の定義をして、
n>1個の記号(つまり数字、十進数のときは0,1,...,9)の有限個の列で
任意の自然数を一意的に表すことができる。
それがここで言う「有限桁の自然数」ってことなんでしょう。
というわけで、自然数は全て「有限桁の自然数」ってことになります。
「無限桁の自然数」は「有限桁の自然数」ではない、ってことなら
「無限桁の自然数」は自然数に含まれないってことにして良いでしょう。
717132人目の素数さん:03/10/08 19:04
>>677
いっしょにやってみない?
なら良くて、
一人である程度やってから出直してこい
じゃダメなんですか。
淋しがりやなのね。
>>715
aの第n桁目がbである⇔[a/(10^(n-1))]-10[a/10^n]=b
はつかっていい?
719132人目の素数さん:03/10/08 19:08
>>716
3行目の「n」って何よ?
720132人目の素数さん:03/10/08 19:16
>>713
593氏は、自分の世界の自然数とこっちの実数の具体的対応の規則をつくって、
「無限に」過不足なく対応をつけられる、と主張している。
で、だ、当然ながら、あっちの世界の自然数は、こっちの世界の自然数のようには
線形に並べる具体的方法はない。
それを意識して(多分593氏はそれはわかっている、と思う)
カントールが、こっちの世界の無限個の自然数と実数が1対1の対応が出来るなら、
で始めた対角線論法の対応を、
単にこっちの世界の自然数という「無限と」過不足なく対応できるなら、
と仮定して証明を始めているカントールは間違えている、と主張している。

ま、想像だけどね。ホントのところは593氏に別な言葉で騙ってもらおう。
>>719
2以上の任意の整数。
例えば n が 3 なら、3個の記号(例えば 0,1,2)の有限個の列を
三進数と解釈して、任意の整数を一意的に表すことができる。

ってことでしょう。
722132人目の素数さん:03/10/08 19:25
>>720
何を言ってるのかよくわからん。
つまり君の想像と、>>707とはどこが違うの?
とりあえず>>703-704も読みませう。
「無限に過不足」「無限と過不足」「一対一」などが
何を意味してるかよく分からないということもあって混乱してるので、
そういう書き方をされると>>593と同じで意味が読み取れない。
>>721
> 任意の整数を
そこは
> 任意の自然数を
ってすべきだな。
724132人目の素数さん:03/10/08 19:39
>>722
説明が下手でもうしわけない。
ようするに、カントールが背理法の出発点で並べたようには
並べられる筈はないんだ。
だから、カントールは間違っている、と593氏は言っている。
だって、593氏の自然数が自然数なら、それと対応のついた実数を線形に並べて
対角線を見ていくなんてことはできないんだから。
>>724
あなたもしかして間違ってる派?
726132人目の素数さん:03/10/08 19:47
そう言う意味で、593氏は>>1の言っていることを反芻してるだけ、だったのかな?
727132人目の素数さん:03/10/08 19:49
>>725
なんで?
593氏はどうしてそう考えるようになったのかな、
を考えているだけなんだけど。
724の「ようするに。。」以下の2行を私の主張と思っている?
>>727
ちがうんだ。ならいいんだけど。とりあえず議論が禿げしくループしてるから
間違ってる派のひとの立場を聞きたいのよ。以前ZFの公理+古典論理の推論上での
証明がこのスレで何回かあがってることを指摘したらそのような立場を盲目的に
支持するのはおかしいと反論があったので、では「間違ってる派」の意見としては
現代数学のルールを無視すれば間違ってるという立場もありうるといいたいだけなのかと
聞いたらこんどは「ZFの推論??(←なんじゃこりゃ)上でも間違ってる」っていいだすし。
間違ってる派の人が今いるなら直接きいてみたくて。
729132人目の素数さん:03/10/08 20:01
まあ、奴の自然数は非可算だからな。並べることは出来ないわな。
んで、実数は奴の自然数と同じ濃度ってことで可算と言ってる、というような話ですかね。
(ただまあ、ああいうふうに並べることに対角線論法は依存してるわけではないのだが。)

でもやっぱり>>593での論点は奴の自然数云々でなく、
一対一対応、無限に過不足なく対応、無限と過不足なく対応、
つまり多分、濃度が等しいことの定義、単射、全単射、
なんかについてカントールが誤解してる、ってことのような。
>>593では>>589とは別のことを言ってるような感じがするなぁ。
あ、>>729>>724へのレス
>>728
とりあえず、今話してるのはあぼぉんぷらいずの
>>593が何を意味していたかって話で、
その辺の話とは大分ずれてる…。
>>731
そっか。実はおれ一応気つかって?「間違ってる派」とかいってるんだけど実は一人で
2役か3役かしてるんじゃないかって気もしてるのよ。まあどっちでもいいけど。
今は「間違ってる派?」のヒトはみてないんだろな。
733132人目の素数さん:03/10/08 20:28
>>729
> 実数は奴の自然数と同じ濃度ってことで可算と言ってる、というような話ですかね。
善意に解釈すれば、ですね。

> (ただまあ、ああいうふうに並べることに対角線論法は依存してるわけではないのだが。)
ははは。
一般の集合αに対して #(α)<#(2^α) が証明できなくなる。

> なんかについてカントールが誤解してる、ってことのような。
そこまで単純ではないような
>>733
> > (ただまあ、ああいうふうに並べることに対角線論法は依存してるわけではないのだが。)
> ははは。
> 一般の集合αに対して #(α)<#(2^α) が証明できなくなる。
「ああいうふうに」ってのは「可算の場合に一つずつ一列に並べること」で
一般の場合はそうではないから、それには依存してないって言ってるのでしょ。
> だって、593氏の自然数が自然数なら、それと対応のついた実数を線形に並べて
> 対角線を見ていくなんてことはできないんだから。
ってのに対して、別に非可算でも対角線を見れるぞ、と。

> そこまで単純ではないような
>>593でのあぼぉんぷらいずの主張について言ってるんですよ?
んで、違うなら、どういうことだと思うんですか?
735132人目の素数さん:03/10/08 20:54
>>734
593氏の思考過程の想像を記述したところにコメントを付けられてもね。
でも、ま、一応
・一般の集合αでも対角線論法を使うのは周知のこと。
・非可算でも、、、を593氏は知らなかったのではないか、と想像。
・既に前の方で書いた通り。
> 593氏の思考過程の想像を記述したところにコメントを付けられてもね。

> (ただまあ、ああいうふうに並べることに対角線論法は依存してるわけではないのだが。)

> 一般の集合αに対して #(α)<#(2^α) が証明できなくなる。
なんて言うから、何か誤解してるのかと思ったのよ。
737132人目の素数さん:03/10/08 22:24
>>716
どうも循環論法の気がしてならない。
ほんとに「無限桁の自然数」はペアノの公理で定義される「自然数」から排除されるのか?
>>737
ZF から対角線論法は肯定される. それとペアノの最小性公理から排除できる.
739132人目の素数さん:03/10/08 22:42
>>738
もう少し分かりやすく頼む。
>>737
「無限桁の自然数」はどう定義するの?
741132人目の素数さん:03/10/08 22:46
自然数の公理 次の性質を持つ集合 N を考える.

(1) 1という要素がある.
(2) 集合 N の要素 x に対し集合 N の 要素 x+1 を対応させる規則が定まっている.
(3) x+1=y+1 ならば,x=y である.
(4) 要素 x+1=1 となる要素 x は存在しない.
(5) 集合 N は(1)(2)(3)(4)を満たす最小の集合である. つまり N のどのような真部分集合も(1)(2)(3)(4)を満たさない.
742let me see:03/10/08 23:48
少なくとも、馬鹿を納得させる上でよく使われる
a1=0.a11 a12 a13 ・・・・
a2=0.a21 a22 a23 ・・・・
・・・
b=0.b11 b22 b33 ・・・・
な方式の対角線論法は不備がある。
なぜか?
無理数は、数直線上に確かに存在するが、
小数では表せない。(表しきれない)
いくらでも近似はできる
(小数点以下いくらでも桁を伸ばすことはできる)
が、等しくはならない。
つまり、小数で表せたと仮定する時点で間違っていると
突っ込まれたら終り。
実数が可算でないということの重要性
可算でないということは、即ち、数学的帰納法が使えないということです。
ある無限集合Aがあって、それが可算であったとします。
すなわち、自然数と1対1対応がつくということです。
そして、自然数と1対1対応がつく、ということは、
最初の要素を定義でき、かつ、隙間なく順序を定義できるということでもあります。
Aに含まれる全ての要素に対してある命題Pが定義できるとします。
このとき、ある要素α∈Aに対するPを、P(α)とします。
最初の要素を定義できますから、Aの最初の要素をaとします。
これに対するP(a)が定義されます。
そして、隙間なく順序が定義できますから、
αに対してその次の要素α'∈Aが存在します。
当然P(α')も定義されます。
もし、
@P(a)が真
AP(α)が真であると仮定すれば、P(α')も真
これが成り立てば、
Aに含まれる全ての要素においてPが真、が言えます。
つまり、実数が可算であるならば、その数え方が分かれば、
数学的帰納法が実数に使えるということになります。
これは非常に強力な意味を持ちます。
そう、実数が可算であるならば。
しかし、無限桁の自然数を持ってくるというのは、
何を意味するのでしょうか。
数学的帰納法は、無限桁の自然数までそれを認めるでしょうか。
結論:認めません。 が、とりあえずその話はおいといて
>>742を考察します。
まず、自然数は0を含むものとします。
ある自然数 n に対し、 n の 10^k の位を n[k] とします。
n:・・・n[5]n[4]n[3]n[2]n[1]n[0]
たとえば 6789 ならば、 10^2=100 の位は 7だから、 6789[2]=7となります。
n[k]の求め方は、
{(n[k]を10^(k+1)で割った余り)-(n[k]を10^kで割った余り)}/(10^k)
そして、その自然数 n を 2で割った商を Q[n] 余りを W[n] とします。
特にnを指定しない場合、それぞれQ,Wとします。
Q[n]は自然数で、W[n]は0または1をとります。
n=2*Q[n]+W[n] です。
そして、Q[n]の 10^k の位を Q[k,n] とします。
(※Q[n,k]じゃないので注意。)
(とりあえずここでの話は、各桁の構成が重要なのでkを配列の要素の先頭にもってきてます。)
Q[n]:・・・ Q[5,n]Q[4,n]Q[3,n]Q[2,n]Q[1,n]Q[0,n]
そして、このQ[n]に対し、次のような、小数点を挟んだものを考えます。
V[n]:・・・Q[5,n]Q[3,n]Q[1,n].Q[0,n]Q[2,n]Q[4,n]・・・
そして、R[n]として、
R[n] = V[n] * (1 - 2 * W[n]) を考えます。
これは、nを増やせばいくらでも集合を増やせます。
10進法は、10というのが2と5の合成数なので、逆にいえば2と5以外の素数で、
その素数と互いに素な数を割ったものは、必ず無限小数になります。
が、逆に言えば、その素数を約数にもつある自然数mによるm進法においては
有限小数になります。
つまり進法を増やす変数mと、対象のnの、合計2つの変数によって
逐次的に与えられる数の全体は、いくらでも循環する無限小数を
可能な限り排斥できるので、(n,m) 2次元自然数面は、1次元自然数と1対1対応できる
為に、要するに、無理数以外の全てを数え上げることができます。
カントールの対角線論法の>>742的な代物では、この理屈からいくと、
無理数は小数で表せない上に、どんな有理数も、
有限な自然数で逐次的に数え上げられてしまう為に、
無限桁自然数を数え上げなくても、無意味となります。
逆に言えば>>742なる手法の、言ってみれば厨が
突っ込みやすい仕方の中学生、高校生用説明は、
数学的に考えて激しく中途半端、いや、間違っているとしたほうがよいでしょう。
ただし、あくまでそれは
>>742なる手法だと間違っているだけであって、
本当の対角線論法には、無限桁自然数などのペテンで
つつけるような穴はありません。
ちょいみすった mには0と1は含めないでくれ。
ここで説明される範囲超えちまうまあ mを m+2と読み替えれば
同じだが。
あと>>746でいってる
無理数以外をいくらでも数え上げることができるというのは
ここでは分数を使って考えてないから、有理数であっても
循環小数がでてきてしまうと、無限桁自然数を仮定しないと
話がすすまなくなるので、その必要がなくなるように
(無限桁自然数とかいう怪しいのをぶっ潰す為に)
mを導入したわけな。
>>748 の レス 無用 かと
751132人目の素数さん:03/10/09 01:02
ここはみんなで電波ごっこをやるスレですか?
>>742
それは実数とか無限小数とかいうものを誤解しているだけ。
1/3と0.33…3 (有限小数)は等しくないが、
1/3と0.33… は等しい。近似でなく厳密に等しい。
753132人目の素数さん:03/10/09 01:17
>>742
その対応で自然数nに対応させられた実数は
小数点以下n桁目まで正確に近時しておけば十分.
得体のしれない無限桁なんてものはどこにも登場させる必要はない.

>>752
それは有理数だから。例えば3進法なら
10進法での1/3 は 3進法小数表記で 0.1 になる。
同じものに等しい2つのものは互いに等しいということが
いえるから、3進法だろうが10進法だろうが量という目で
見た場合、本質的に変わらないことが保証されているから
表記が変わっても同じってことで1/3=0.33・・・が言える
無理数の場合、例えば3.14・・・ってのはどこにも
そういう小数があるという保証はない。量はあるが、小数との
対応付けに保証がないどんな進法による表記であっても、
無理数は有限小数として簡潔できないため、表記上の門題として
片付けられない。無限進法を仮定したら無限自然数と同じことになるからダメ
>>742 >>745-746 >>754 あたりの人は、
解析の本の最初の方に書いてある実数論すら知らない

に400000トポ
>>755 あたりの人は
自分でもよくわかってない本を例示している

に5ケラ
>>754
>無理数の場合、例えば3.14・・・ってのはどこにも
そういう小数があるという保証はない。

そういう小数とは?
とりあえずどんな実数も小数点以下何桁でも展開できるという保証はあるのだが。
一体何を問題視してるのだかわからんよ。
またπや√2に妙な思いいれを抱くクズ哲が出てきたな・・・
量という目で見る?
有限小数で完結?
???
754みたいなのは極限を理解しようとしないんだろうな
>>754
>無理数は有限小数として簡潔できないため、表記上の門題として
>片付けられない。無限進法を仮定したら無限自然数と同じことになるからダメ
 
同じじゃないんですが。
 
(1)どんな0〜9からなる自然数列aiに対しても実数xでその小数第i位がaiとなるものが
存在する。
(2)どんな自然数nに対してもそのi桁目が0でないようなiは有限個しか存在しない。
 
この2つが証明できるので同じにはならない。証明してほしい?
>>728
タジマ先生はZFから矛盾を示したわけじゃないから
君のいう「間違ってる派」ではないよ。

ZFでは無限公理があるのは知ってるね。
べき集合の公理があるのも知ってるね。
それなら、自然数の集合もそのべき集合も存在することになるよね。

でも、その前提そのものがどうして「正しい」といえるのか?
というのが、タジマ先生の問いなわけだよ。
つまり、集合論が無条件に実無限を前提することへの懐疑なわけ。

現代数学のルールとか粋がってるけど、
最初からそうだったわけじゃないよ。
単に諦めただけなんじゃない?
もちろん、あぼぉんぷらいずは論外だよ。

ただ、苦し紛れに出した「無限桁の数」は
有限・無限の違いがどこで決まっているか
問いなおす点では面白い。

いずれにしても、0−1の有限列全体と、0−1の無限列全体が
集合論では1対1対応しないのは、対角線論法から明らか。
(上記の概念が集合を成すと考えなければ、そもそも
 1対1対応ということが考えられないから、問うのは無意味)
>>762
実無限ってナンデスカ
>>761
>(1)どんな0〜9からなる自然数列aiに対しても実数xでその小数第i位がaiとなるものが
>存在する。

どんな0〜9なる自然数列 という仮定は、無限自然数列を仮定するわけで、
まさに、無限桁自然数を仮定するのと同じ理屈なんですが。
"あらかじめ全ての自然数列が存在する"という仮定をおくから、
無限桁自然数というわけわからんものがでてくるわけで、
"自然数列は既知のものしか定義しない。
しかしその列は無限に拡張できる。
だが、真に無限なものは定義しない。"とするほうがいい。
>>765
真に無限ってことは真じゃない無限があるんですか?
>>758
有理数と無理数の区別がわからないのですね。
10進法での循環小数というのは、
10進法の10という数に大きく依存してるんですよ。
3進法なら1/3は0.1となって有限小数になるじゃないですか。
無限小数で実在するのは有理小数だけであって、無理小数=無理数は
小数では実在できません。
>>766
言ってることわかってる?
f(x),x→∞ と、f(∞) の 違いわかる?
真に無限なものを定義するというのは、
f(∞)というのを認めることなんですよ?
なんの為に極限という概念が導入されたんですか?
769132人目の素数さん:03/10/09 09:07
今度は「実在」「小数で実在」ですか…
表記は「実在」と直接結び付いているんですか…
「分数で実在」とかもあるんですかね
有理数は循環小数で表せるから「小数で実在」しているんですか…


見た目の連想に引きずられていて、定義から論理を全く追えていませんね
さすがクズ哲
>>757
>とりあえずどんな実数も小数点以下何桁でも展開できるという保証はあるのだが。

ものすごい確信ですね。近似できるということと実在するという
ことの違いが全くわかってないですね。
むしろディリクレ関数でも習って海に沈んできてください。
772132人目の素数さん:03/10/09 09:12
さっきから君が未定義で使っている「実在する」ってどういうこと?
773769=772:03/10/09 09:18
>>768>>770からどうやったら
あなたの「表記と実在」に関する議論が論理的に導かれるのか
サパーリわかりません
1, 2, 3, ..., ω, ω+1, ω+2, ω+3, ...
      ↑多分このへんから無限桁。



# ネタなのでつっこまないで欲しいの
「実在する」
俺の使っている意味は
「∀q∈Q , ∃m∈N-{0,1} s.t. m進法でqが有限小数となる」
そういう有理小数だけを「実在する」と表現していて、
逆に言えば、
「∀m∈N-{0,1} ∃r∈R-Q s.t. m進法でrが有限小数とならない」
という性質をもつ無理小数rは、
「実在しない」って言ってるだけ。
これの否定は、
暗に無限自然数列=無限桁自然数
を前提することになる為、それを必要としない形で、
カントールの対角線論法の初期の不備を指摘したわけだが?
つまり、俺は、有理数であるかぎり、適当な基数をもってくれば
すべて有限小数になるから、無限小数なんてものは、
無限自然数列=無限桁自然数を彷彿とさせるから、
排斥したいわけよ。ただそれだけ。
じゃあ無理数は?となると、小数で表現する限り、
無限自然数列を仮定しないと表現できない。
無限自然数列を仮定しなければ、小数で表現できないから、
無限自然数列という怪しいものを抹殺する為、
そういう意味での「小数的実在」はないと考える。
でも、実際に無理数は実在するわけだから、「小数的実在」と
「実在」は違う。無理数は小数では表せないが、数として
存在しないわけじゃない。単に表記の問題ね。
「単なる表記の問題か?へっ」って馬鹿にするだろうけど、
奴がその表記から無限自然数列=無限桁自然数を持ってきたから、
そんなものはインチキだ、というために、基数変換の考え方を
もってきただけよ。
777772:03/10/09 09:49
というか>>765
>同じ理屈
からしてサパーリわからない
「任意の自然数列に関して○○」の証明が「無限桁自然数」の存在を
仮定している?自然数列全体Xを考えたところで
無限桁自然数などというものはXの要素にはならないだろ
まあ、改めて考えれば、
「実在」とか「小数的実在」っていう表現も変だな。
「実在」とか使うと 哲厨よばわりされるから
とりあえず「小数的実在」は、「有限小数で表記可」としておこうか。
「実在」に関しては、よく分からん。
また突っ込まれるな・・・鬱だ・・・
>>777
ここでいっている自然数列は、単に10進法の基数 0〜9をもってきて
・・・089279508479807984732587181478951798274938241569285・・・
などとならんでいる数の列のこと。
あんたがいっている自然数列は、
0,1,2,3,4,5,・・・ という数列のこと。言ってる事が違う。
でもなぁ、無限自然数列は、選択公理から自明にでてくるんだよな。
どうにもなんないな・・・・
>>776
なるほど。で、「『無理数の10進表記』が議論の途中で扱われていたら
その議論では自然数の方を『無限桁自然数』に拡張して
取り扱わねばおかしい」とかいうのはなんでですか?
782781=772:03/10/09 10:02
>>778
それは


    有理数である


でいいんじゃないの?
連分数展開の立場は・・・
>>770
ディリクレ関数っていろいろあるようだけど、
f(x)=1(x:rational),0(x:irrational)
のことか? この関数がどうしたの? 何かあなたの想像力を刺激するの?
>>770のようなことを書くということは、あなたが実数の定義を
学んでいないということを如実に示している。
また>>775のように「無限自然数列=無限桁自然数」という珍説を
披露するということは、自然数についても意味不明な誤解を
しているということを示している。
頼むからせめて大学教養レベルの数学くらい齧ってから
出直してきてくれないかな。あなたの脳内で組み立てた
数学的概念を駆使されても話が通じないよ。
>>780
選択公理がなくても出てくるってば
>>784-785
あなた達は何も中身をいっていないね。
難しいことを難しいまま説明するのは誰だってできるんだよ。
相手の言ってることを珍説と蔑むなら簡単に言ってくれないか?
俺は厨でも理解できるように噛み砕いて説明してるんだが
それに文句があるならあなた達こそ大学に戻ったほうがいいよ。
てかあなた達学生?院生以上じゃないよな。
あまりに論理レベルが低すぎる(プゲラ
どうも、最近「(プゲラ」と文末につければ議論に勝ったことになると思ってる奴
が多すぎる気がする。。。
>>786
752=757=784の俺なら数学科の院生だけど、それがどうかしたの?
てかあなた誰? >>742>>754>>770あたりで頑張っている人?
だとすれば、あなたは
>厨でも理解できるように噛み砕いて説明してるんだが
ということが出来てないよ。
なんで無限数列を考えるために自然数を無限桁自然数(?)に迄
拡張する必要があるのか、
765や779の「説明」を何度読んでも、全くわからない。
通常の数学を踏まえてないから、素人どころか数学科の人でさえ理解困難。
789785:03/10/09 12:03
まあ、ちょっと言い方が悪かったとは思う。
別に選択公理から自明に出てくるというのは間違いではない。
でも数列を作るのに選択公理が必須なわけではない。
例えば二項間漸化式と初項を与えれば数列がただ一つ定まることは
選択公理なしで証明できる。
790785:03/10/09 12:18
証明は、例えば岩波講座基礎数学の集合と位相に載ってる。
けっこう面倒だからここには書かないよ。
791781=783:03/10/09 12:25
√2なんて連分数展開すれば
すごく簡潔な表記になるんですが
792783=694:03/10/09 12:28
つーか選択公理厨=無限桁自然数厨だったのか・・・鬱だ
793132人目の素数さん:03/10/09 12:34
>>1-792
俺より低脳(プゲラ
>>793
お前は俺より低脳
795supermathmania ◆ViEu89Okng :03/10/09 14:39
実数の本質は有理コーシー列だ。(有理数からなるコーシー列。)
有理コーシー列2つを順序を逆にしないで統合したとき、またコーシー列になるときは、二つの有理コーシー列は同じ実数を表すとする。
この性質を使って、対角線論法によらずに、実数の濃度は可算濃度より大きいことを示せるのではないか?
(Cantorは初めから対角線論法を使っていたのではない。)
またヴァカQが話をややこしくしにやってきたよw
>>796
世評にまかせて中傷するんじゃないよ。

実数を論ずるのにデデキント流を論じずに、
カントル流だけを議論するのは片手落ちだと
彼はいいたいんだろう?
単に
屑哲には数学のセンスがないから
理解できないんだよ

そんなに難しいハナシじゃないのに…
>>765
>どんな0〜9なる自然数列 という仮定は、無限自然数列を仮定するわけで、
>まさに、無限桁自然数を仮定するのと同じ理屈なんですが。
>"あらかじめ全ての自然数列が存在する"という仮定をおくから、
>無限桁自然数というわけわからんものがでてくるわけで、
>"自然数列は既知のものしか定義しない。
>しかしその列は無限に拡張できる。
>だが、真に無限なものは定義しない。"とするほうがいい。
 
つまり「間違ってる派」としては「無限数列」の存在をみとめるような現代数学の枠組では「対角線論法」
成立するかもしれないけど無限数列をあつかわないような立場上では成立しないといいたいだけなわけ?
まあそれだったらどうぞ御勝手にって感じなんだけど。
しかしそれにしたって「対角線論法は間違ってる」と主張するための土台になる
ZFの公理+古典主義推論のかわりになるような「新・数学」とはどんなものかきちっと構築してよ。
あなたの提唱する「新・数学」がどんなものかしらないけどそれを先にきちっと議論の叩き台の上に
あげてくれないと評価のしようもないんだけど。その「新・数学」ではどんなものを「命題」とよびどんなものを
「正しい証明」とよぶわけ?ZFの公理+古典主義推論ではそれがきちっと定義されてすくなくとも
あたえられた証明が正しいか否かを誰もが客観的に判定できるようになってる。なにが「正しい証明」
なのかの基準も設けずに「カントールの対角線論法は正しいか否か」の議論ができるはずないじゃん。
大体現代数学上では完全に正しい対角線論法を否定するってことは結局現代数学の枠組の「何か」を
否定しないといけない。その「正しい証明」の規定に照らしあわせば正しいんだから。あなたは
現代数学の何がいけないと主張するの?ZFの公理?古典主義推論の推論則?
あなたはこういうのを盲目的に認めるのはおかしいといってるけど具体的にはどの部分がおかしいというの?
無限公理∃x(0∈x&∀y y∈x⇒y∪{y}∈x)がおかしいというの?これをどう書きかえるべきだと主張するの?
>>799
禿しく同意。8行までも読んでないけど。
いやー釣れる釣れる
自作自演でレスが300は膨らんだな このスレ
カントールの対角線論法って、
アインシュタインの相対性理論みたいに
もはや何の役にも立ってない枯れた理論ですよ?
何の役にも立ってないっていうのはいいすぎか。
でも実際使えん。厳密さに欠ける。
院生とか威張ってた奴がいるみたいだが、
院生までなって対角線論法擁護してるって笑える
どこの院生なんだと小一時間(ry
>>802
満足したか?
804132人目の素数さん:03/10/10 00:55
>>802
んなぁこたぁない.
おまえ 式 x〜∈f(x) の偉大さが理解できんだろ?
(・∀・)ジサクジエンデスカ.
806横山剣です。イイネ:03/10/10 01:16
対角線論法のわからないところは、
横軸の桁数と、縦軸個数が、なんで同じ数なんだ????ってとこ。
桁数よりも個数の方が多かったら、だめじゃん。(横浜弁だす)


って、硬い話はこれまでにして、
俺はこれから本牧あたりでバッチグーな彼女とウフフフフって感じ・・・
イイネ、イイネ、イイ〜ね。
807132人目の素数さん:03/10/10 01:26
>>807
んなぁこたぁない.
横軸は1桁目,2桁目,3桁目,...と順序すうとしての自然数を追いかける.
縦軸は,自然数と1対1の対応がついたと仮定したとき,1番目の実数,2番目の実数
3番目の実数...と並べている.そして,n晩目の実数のn桁目に注目する,
という理屈だ.大事なのは,n番目の実数についてはn桁目までの近似展開で
足りるということだ.散々話題になっている無限桁なんてのを登場させる必要はない.
808132人目の素数さん:03/10/10 02:16
無理が通れば道理が引っ込むというが,
有理数には理があっても,無理数には理がない.
そのため理に背いて背理法を使うことに手を染めねばならなくなる.
カントールも悩んでついに良心の呵責に耐え兼ねて発狂したという.
対核戦に置いては,勝者は存在せず,人類に対する冒涜以外の何者でも
ないといえるであろう.
直感的におかしいと思えないやつは
数学しても無駄。
カントルは最後の神学者だったわけだが
いまだに真似事をするやつが絶えない。
いまだに坊主という商売が成り立っているようなものだ。
愚か者がいるから成り立つものがいろいろあって
対角線論法もそのひとつ
また奇妙なクズ哲が迷い込んでいますね。
812132人目の素数さん:03/10/10 05:53
とにかくカントールの証明は,説明にはなっていても,本当の証明に
なっているのか怪しいような気がする.非ユークリッド幾何学が
まだ出来ていなかった時代に,平行線の命題の証明だとか,
三角形の内角の和が2直角になる証明(平行線の公準を用いずに)の
類が,もっともらしく考えられあるいは研究されていたのに状況が
似ているような....
対角線論法を否定しても別に矛盾が出ない可能性はないのか?
>>812
>対角線論法を否定しても別に矛盾が出ない可能性はないのか?
 
あるわけないだろ。平行線の公準は正しいとも間違ってるとも証明できなかいから
どちらを仮定してしまっても矛盾がでない。対角線論法から得られる
XからPow(X)へ全射が存在しないは証明できるのだから否定を仮定したら矛盾する。
論法を否定することと、論法によって導かれる結論を否定することは
違うわけだが、この場合はそんなこと言うのは…ずれてるな。
815132人目の素数さん:03/10/10 07:36
実数が整数のべき集合であるというのは
証明されたわけではないし
べつに問題はない

問題なのは 普通の論理学では無限が扱えないことだ
>n番目の実数についてはn桁目までの近似展開で
>足りるということだ
足りませんよ?たとえば対角線論法の前提から、
π/10=0.314159265・・・・にも、何らかの自然数nが対応してると考えますと
小数点以下n桁目までの近似で事足りるんですよね?(もちろんnは有限な数)
ここで関数f(x)={0|x=π/10,1|x≠π/10}としますね。
nが有限な限りf(x)は永遠に0になりませんね?
n→∞としてもf(x)は1のままです。でもf(π/10)=0ですね。
nが有限桁な限り、こと足りるなんて言えるわけないんですが?
これの反論をしてくれませんか?
また数論を分かってないとか、はぐらかす能なしがでてくるだけですか?
私はこのスレで食いついている人間の実力を知りたいです。
対角線論法が間違っているという奴の殆どは確かに電波だが、
電波を否定するのに、電波と大差ない姿勢をとるというのは何なんですか?
あんたらほんとに数学やってんの?電波に対して必死で研究している
「電波研究厨」じゃないよな?
もうさ、
カントールの対角線論法は実は何も証明できてない っての認めたら?
間違っているんじゃなくて、何にもなってないという恥さらしね。
カントールの対角線論法が言いたい事は、実数は可算であるか否か、だけど、

カントールの対角線論法が正しい→実数は非可算

は言えるけど逆(←方向)は何も言ってないってことでしょ。

つまり、カントールの対角線論法を、間違っているとしても、
実数が非可算であることは証明できるしされている、ってことをね。
818132人目の素数さん:03/10/10 09:08
>>817
>カントールの対角線論法が正しい→実数は非可算

>は言えるけど逆(←方向)は何も言ってないってことでしょ。

( ´,_ゝ`)プッ おまえが恥さらし。
819817:03/10/10 11:20
>>818
しまったぁぁあぁ
その通りだ。
(カントールの対角線論法 ⇔ 実数は非可算)が正しい → 実数は非可算

ってことを言ってたよ漏れ・・・・

吊ってきます


初めに
「実数は自然数のベキ集合と定義する。」

とすれば 何も問題ないんでねーの?
定義な以上、突込みどころねーべ。
そしてベキ集合は元の集合よりも真に大きい。

カントールの対角線論法も、これにより正しい。

間違ってるという奴は、ベキ集合の概念もわかってねーんじゃねーか?
数学板から消えてくれ
>>821
無限が絡んだとたんに妄想道に堕ちていくクズ哲が多すぎ
>>820
2^アレフ0=アレフ1?
>>816
もう滅茶苦茶だな・・・
824132人目の素数さん:03/10/10 18:50
>>816
対角線論法のキモを分かっていないようですね。

ペアノの公理を満たす「普通の」自然数と
区間(0,1)に含まれる実数との間に、上への1対1の対応が
ついたとする(その対応をx(i)とする)と、その区間のどの実数も
ある自然数nがあって、n番目の項x(n)として現れる。
今、各i(i=1,2,3,...)に対しx(i)を10進小数として表すこととし、
その小数点以下i桁目の数をa(i)とする。このとき、数 b(i) を
b(i)=1 a(i)が偶数のとき、=0 a(i)が奇数のとき、と定める。
このb(i)をつかった、少数点以下i桁目がb(i)である小数
0.b(1)b(2)b(3)...b(n)...は区間(0,1)に属する実数であるが、
決してx(i)の中に現れることは無い。これは上への1対1対応が存在すると
仮定したことに反する。
というのが対角線論法の概略であるが、(有限小数を、無限小数表示に置き換えておく
というような細工を説明しておくことは省いた)。
今、あなたのいうπ/10がn番目(私に記号でx(n))なら、必要なのは、
π/10の少数点以下n桁目の数a(n)の値なのであって、x(n)については
それ以外の情報は要らない。つまり、n桁目まで展開していってa(n)が分かったら、
π/10についてはあとはもう展開する必要はない。次はx(n+1)について同じことを
繰返すだけ。それは どのx(i)についても同じことだ。

さ、反論を聞こう。
>このb(i)をつかった、少数点以下i桁目がb(i)である小数
>0.b(1)b(2)b(3)...b(n)...は区間(0,1)に属する実数であるが、

そんな実数(0,1)に属してる保証はありませんよ?
だって、無限小数で実数全部を表現できるという仮定自体が
間違ってるんですから。
>>825
すぐに修正できる間違いなんだから直してあげた方が早いのに。

b(i)=0 => b(i)=2
>>824
有理数と小数が、表記の違いだけで全く同じ2次元量のものだ
というのが分かっていない低脳は消えろ
>>824
0.・・・の形で並べられるのは有理数だけですよ
・・・は循環する意味でしか使えませんよ
無理数は小数とは1対1対応しませんよ
>>828
それ言うなら分数と小数だろ(プクス

言いたい事はわかるけどな
>>830
(°Д°)ハァ?
同じことだろ 氏ね
>>825-826
君のいままでの論法からは、0.a(1)a(2)a(3)…に対して
「それが有理数になるとはいえない」ということしかいえない

(1)有理数ならば必ず循環小数になり、循環小数ならば必ず有理数になる
(2)実数であって有理数ではないものが存在する

この二つから何がいえるかわかる?
>>832
有理数は循環小数にしなくても、有限小数になりますよ
なんか意味がわからないレスが増えてきたなあ。
>>825-826
「循環小数以外の小数は実数値としての意味を持たない」って
ずっと言ってるけど、完備性から、任意の実数を十進表示したとき
どの桁の数も一意的に定まることがいえるでしょ。
「どこまでいっても循環しないから〜」って言ってるけど、
どこまでいっても循環しないことがいえるんだったら
それは無理数だってこと。
無理数だってわかっていて、勝手な規則で線引きしているのがキミ
>>833
無限桁自然数くんの言ってる有限小数も循環小数も
要するに同じもの、有理数だろ、ということで、
「循環小数」でまとめて書きました
>>835

1=0.9999....スレでも同じ主張してるヤシがいる。たぶん同一人物。
この勢いだと来週には次スレが立つ悪寒
839132人目の素数さん:03/10/10 23:16
小数点以下n桁の小数c(n)=0.b(1)b(2)b(3)...b(n)を考えれば,
数列c(n)はコーシー列であって,一つの実数を定める
で,それはx(i)の中に現れないということだ.


>>826のような意見の人は実数をどういうもんだと思ってんの?
そこのところをはっきりとさせて、対角線論法を否定している人
は今のところいないみたいだけど。
そもそも極限を理解しないのでどういうもんとも思ってないに10ペリカ
842132人目の素数さん:03/10/11 04:03
>ペアノの公理を満たす「普通の」自然数と
>区間(0,1)に含まれる実数との間に、上への1対1の対応が
>ついたとする(その対応をx(i)とする)と、その区間のどの実数も
>ある自然数nがあって、n番目の項x(n)として現れる。
>今、各i(i=1,2,3,...)に対しx(i)を10進小数として表すこととし、
>その小数点以下i桁目の数をa(i)とする。このとき、数 b(i) を
>b(i)=1 a(i)が偶数のとき、=0 a(i)が奇数のとき、と定める。


上記の
>区間(0,1)に含まれる実数との間に、上への1対1の対応が
>ついたとする(その対応をx(i)とする)と、その区間のどの実数も
>ある自然数nがあって、n番目の項x(n)として現れる。

までを認めたとしても,

>今、各i(i=1,2,3,...)に対しx(i)を10進小数として表すこととし、

のところにはギャップがある.
「対応関係が存在する」という主張から, iに対しx(i)を取り出せる
とするところは,非構成的な言明であるが,それなのに,x(i)の値が
あたかも構成が出来たかのようにして,x(i)を10進小数として表す
などと云っている.これはちぐはぐな取扱いだと云えよう.

iに対してx(i)の近似値を任意の精度で取り出すアルゴリズム(手順)
を与えてくれれば小数展開もでき,対角線を構成することもできるが,
そのような手順を語らない以上,このような論法には同意しかねる.
10倍して整数部分調べて引いていきゃいいじゃん。アホか
@完備性から、全ての実数は0.abcdefgh・・・との一意性が決まっている
Aそれを自然数と1対1対応づける列が存在したとする
Bどんな列をもってきても、対角線上で異なる0.a'b'c'd'e'f'g'h'を作ることができる
C列が存在するという仮定が間違っている

ふむふむなるほど。でもさー、そんなこというなら
先頭の "0."を取っちゃっても同じじゃないの?
無限桁自然数ワショーイ
実数に関する議論からどうして自然数の定義を
拡張する必要が生じてくるのかサパーリわからん
>>845
道具主義(プ
以下は独り言である。ツッコミは歓迎する。

無限桁自然数と実数の構成の違いは、代数構造ではなく「完備性」という
位相構造の問題。

実数に関しては、位相まで込めてきちんと定義されるが、無限桁自然数は
そうではない。無限桁自然数でも p 進整数に制限すればその限りではないが。

実数は完備性をもつが故に、小数展開の一意性が保証されるのだ。
ただし、有限小数に関しては, 1 = 0.999・・・ などのように 0 が続くとみる
か、9 が続くと見るかという部分でのみ文字列としては一意ではない。
しかしまあ、「同じもの」なんだから、一方に統一して表記するという約束事を
設ければ、この部分は何の障害にもならない。
>>847
単にあちらをたてればこちらがたたずっていってるだけじゃねーの?
で、カントールの対角線論法においては、拡張された自然数
なんてものは必要ないし議論にギャップもない、てことは
納得してくれたのかねえ?
>>847
見事な説明だね。感心しますた。でも屑哲に理解できるかな?
彼らは実数は無限小数で表せるとは限らないとかいいつつ、
実数を自然数列でしか捉えられていないからねぇ・・・
851132人目の素数さん:03/10/11 16:05
>>842
そのような函数は必ず存在することが
仮定されています。

多くの人が疑問を持つ部分です
位相という指摘は良いと思うが完備性ではなくて連結性なのでは?
無限桁自然数と呼ばれているものは例も定義も示されていないので
正体不明ではあるのだが例えばカントール集合がそのモデルじゃないかな。
例えば閉区間 [0,1] のうち3進法表記が0と2だけで表せる点の全体。
このようなカントール集合は非可算で閉だが各連結成分は1点のみからなる。
>>850
>>851
所詮疑問のないやつは

"正しい数学"とやらを必死で崇めてる

悪魔信奉の信者のようなもんさ
>>851
具体的には842のどれのこと?
855132人目の素数さん:03/10/11 21:15
ジサクジエンデシタ(・∀・)v ヴイ!!
270,271,375,419,420,589,592,593,
594,597,598,599,601,603,604,606,
609,617,620,624,625,630,632,635,
639,640,642,670,671,672,673,674,
676,677,686,693,695,742,743,744,
745,746,747,748,749,750,754,756,
767,768,770,771,775,776,778,779,
780,786,793,801,802,816,817,819,
820,821,825,826,828,829,830,831,
833,846,848,853,855
バイバーイ(´ー`)/~~ビビビ
>>853
そだよ。数学というのはある意味楽観主義で成り立っている。
でもなに一つモデルを提示できない屑鉄屋さんよりはるかに
ましだと思うけど。懐疑でしか生きられない人はとっとと史ねよ。
そのほうが楽っしょ
857132人目の素数さん:03/10/12 03:38
実数の完備性あるいはそれと同等な実数に関する公理を否定しても
別に数学全体が無くなるわけではない. 実数の完備性や同等の
公理を否定すれば,カントールの証明やそれに同値の論理はすべて
無意味なものになり,それでもその体系の数学は存在し得る.
>>857
そらあんた、マイ実数論とかマイ濃度の話をするなら
定義からきっちりやってもらわないと
ここは数学板なんだから
>マイ実数論とかマイ濃度の話をするなら

わろた。哲厨のマイ実数論きぼんぬ。
860132人目の素数さん:03/10/13 00:33
カントールの対角線論法を無批判に受け入れる人が
多いのはどういうことだろう

数学者でこの証明を無条件で認めてる人はまずいないと思うが
どうなんでしょね
861132人目の素数さん:03/10/13 01:07
そもそも実数なるものの存在自体が,有限構成的な体系を超越しているといえる.
無限の彼岸にある存在を実在として扱って良いという一種の要請(公理)を
添加した段階で,自然数との対応関係を超えた超越的存在を認めたことに
なっているといえるだろう. だから,整数の濃度よりも実数の濃度が高い
ということは十分にあり得る帰結である.カントールが証明を考えていた時代には
形式論理もなければ構成的数学も,公理系の異なる数学体系といった意識も
薄かったわけで,それまでの数学の歴史によって実数は既に普遍的に存在する
数学的対象と無意識に思われていた.それでその濃度を決定しようと考える
のは当然だが,それは論理の順番からいくと,循環論的ではあるまいか?
それでは自然数の濃度と実数の濃度の間にある濃度を持った集合はあるのか
ないのかという疑問が出てくるわけだが,ここまで読んで明瞭なるみなさん
には,これの答えが想像ついたと思われる.
おいおい、無限公理は自然数の存在を保証するもんだぞ
>>860
対角線論法は実数が非可算であることの証明に使われる
だけではないですが。

>数学者でこの証明を無条件で認めてる人はまずいないと思うが
>どうなんでしょね

あなたのいう数学者はどのような条件下で対角線論法を認めて
いるんですか?

864132人目の素数さん:03/10/13 11:37
>>863

1, 2, 3, 4, ・・・・・n,・・・・
というような数 正の整数のばあい
nをいくら大きくしても決して無限大にはならない

という考え方も存在する

このような考え方のもとでは、対角線論法自体が成立しない

865132人目の素数さん:03/10/13 11:44
>>864 ホゲ!?
866132人目の素数さん:03/10/13 11:51
ようするにカントールの対角線論法を認めないというのは
無限を認めないってことですか。

そうですか。

867132人目の素数さん:03/10/13 11:52
無限が絡むとあまりに
多すぎるパラドックスがでてくるからな

無限を認めたことが数学の敗北かもしれん
>>867
パラドックスを排除するために、集合とはなにかを公理で定めたり
濃度の概念を導入したりしてるわけで

対角線論法とパラドックスとの関係をきちんと説明してもらえますか
対角線論法は無限と関係している。無限はパラドックスと関係している
↑これじゃ説明にならん
>>865
クロネカって>>864みたいなボケかましとったん?
>>864
つまりそうでない考え方も存在すると?
それは初耳だ。
871132人目の素数さん:03/10/13 17:36
無限には二種類がある.
*限界がないという意味での無限のみ認める立場.
*いきなり無限遠方までが最初から実在として存在するという立場.
2番目の立場に立たない限り,超限順序数などという妄想は出てこない.
>>871
その妄想が数学を明解なものにしているわけさ。
妄想をもつ想像力に欠ける人は数学にはむいてないって
ことだろう。
>>871
惜しい。「無限には2種類ある。」というところまでは、
正解だったんだが…
もうちょっと勉強する必要がありますね。

といっても、非可算無限にもレベルがあるからなぁ。
>871
で、有限集合のときと同じように
自然数とその部分集合全体を考えたいときは
どちらの立場をとればいいんですか?
875ひまじん:03/10/13 17:59
可附番集合の意味を理解していないのではありませんか。
これと次があれ、あれの次はと順番がつけられるものは可附番集合です。
 自然数は当然定義どうりの可附番集合の無限です。これを アレフ0
と名付けて他の少数とか多くの集合がアレフ0であることを証明しています。
 その後でアレフ0以外の濃度の無限集合があることの証明の実数を挙げて
います。
 証明方法は背理法で 一般的に まず実数の集合が アレフ0 だと仮定
して、その後それでは表現できない実数があることを言って アレフ0
より大きい濃度の無限集合があることを証明しているだけです。

 もっと背理法の勉強をしましょう。
 それと 他の アレフ0 の集合の証明を理解しましょう。
>>871
その二つを区別する意味はあるのか?
>>876
哲学の世界じゃ、昔からこの区別こそが重要なんだね。
数学も理論としては、こんなのどうでもいいわけだけど、
心情的にはいろいろ酒のんで議論してるみたいだよ。
てかどうやったら区別できるの?
それと限りがあるとかないとかは濃度ではなくて
測度っつーか大きさの話じゃないかな。
879132人目の素数さん:03/10/13 20:16
>>875
自分の馬鹿さ加減に気付いてないんだな。可愛そうに・・。
自分の知識を人に見せびらかしてるつもりが、とんだ恥さらしになってますよ。
あなたの方が勉強が必要そうですね
>>879
>>875じゃないけど、>>1に対する回答としては
別に間違ってないと思うよ

奇妙な「可能無限」の概念を振り回してメタ議論ぶる人達が
具体的な公理系も数論体系も何も構成できないのに比べれば
ずっとまし
881874=880:03/10/13 21:15
あと、>>877さんに是非>>874をお聞きしたいのですが…
>>880
集合論しか知らない奴がスコット理論も知らないで
何を言っても井の中の蛙。
>>882
確かに、Scottの理論つーと表示意味論(領域理論)のことしか
頭に浮かばないや。で?
可能無限の概念そのものをいきなり取るに足らない哲学者の妄想の産物として斥けちまうのは早急だぞ。
ここで可能無限振り回してる連中が浅薄だとしても、だ。

よく知られているように可能無限の概念はアリストテレスまで遡れるし、昔はガウスもコーシーもライプニッツも可能無限のみ認めて実無限を数学に持ち込むことに反対していたんだから。

「可能」という概念がどうも胡散臭い連中のよりどころになりがちなのは、これを厳密な形式で扱える体系がずーっと無かったからだとおれは思ってんだけどな。
>>877
酒のんで、数学が議論できるか!
数学をなめんな!
886132人目の素数さん:03/10/14 01:20
級数論を思い出してみよう.

級数の和が,一般項を書いたとたんに存在すると考えずに,
そのN項までの有限部分和を考えて,Nを有限に留めながらも
限界無く大きくしていくときに,和がコーシー列をなして収束する
ときにのみ,その級数の和が確定するという考えが登場したときのことを.
それ以前の級数論は,いろいろと矛盾が生じたり疑問が多かったが,
このようなコーシー的な捉え方に沿った制約の範囲内で議論をする
ことで,多くの矛盾や混乱は解消したということを.

いきなり,無限が総体として存在するという考え方は,理想的,理念的には
望ましいものであろうが,論理的な取扱いにおいては厄介で推論に危険や
矛盾を持ち込む可能性があるのではないか? 可能無限な範囲に限定する
ことで矛盾や混乱が回避できるのであれば,その方が長期的にはずっとよい.
実無限の主張はそれを目標あるいはガイディングプリンシプルとして
目指して進む目標だとすれば,よいかもしれない.
>>886
数学の学生や、数学者は、通常の数学を扱ってる限り、
だれも無限について、矛盾や混乱を感じてないよ。
なぜなら集合についてちゃんと勉強してるからね。
あなたもそうなりたかったら、紙とエンピツを用意して、
集合論の本を読むことを、おすすめするよ。
もちろん素朴な集合の本で十分で、間違えて公理的
集合論の本など読まないように。
>>881
まず、「有限集合のときと同じように」というのが明確でない。
たとえば、1005 より少ない自然数からなる集合のようにという
のだと明確だと思う。しかし、たぶんそのことを意味してはいない
だろう。一方、1005の代わりに任意の自然数を考えるといった
途端に可能無限の世界にはいる。つまり有限集合を考えていると
きでさえ、可能無限にはいる可能性はある。超準解析における
無限大の自然数が可能無限を表しているとも考えられる。
だから「自然数全体の集合を考える」というのは可能無限から
はみだしており、その部分集合全体を考えるなどというのは論外。
というわけで、このような話ははじめから実無限の話。哲学で、
それを議論するのは可能無限と実無限という2つの概念を過去の
数学者の考え方を推測しながら正確に規定しようとする
「つまらん努力」である、とするのが数学者の正しい態度である。
「新数学」はどうなったん?期待してまってんだけど。
874のいってる質問は意味が全然分からん。888はエスパー?
単に無限集合のベキ集合を考えるときはどうなんの?て質問です
「可能無限」の世界で濃度はどう考えるのかと思って
892132人目の素数さん:03/10/15 00:22
クロネッカーの世界にとどまれば
濃度なんか存在しないからどうでもいいの

代数解になるもの以外は数じゃないの

無限回の演算を認めないため、超越数は存在しないの
超越数は、近似値でしか表現できないの
それが「新数学」なのか。まあそれなら対角線論法もへったくれもないな。
では終了ということで。
そかー、πも存在しないのカー
クロネッカーは本気でそう言ってたね。
というか、19世紀までだったら、可能無限が
むしろ常識だったって事を知った上で話してい
るの、ここにどれぐらいいるの?なんでカント
ールの集合論が叩かれたのか、ちゃんと勉強し
ておい欲しい気はする。って、漏れはもちろん
集合論のない数学に戻りたいとは思っちゃいな
いけどね。実無限のない数学はあまりに貧しく、
面倒だと思うし。
897132人目の素数さん:03/10/15 07:03
有限なら矛盾なくおさまるのに、
理論を実無限に飛ばすとかならず矛盾がでる命題がある
それを切り捨てる為にあらたに大きな集合を考える
その大きな集合でもまた矛盾がでる

ばかかと。実無限なんてねーんだよ。
クロネッカーは正しい

実際、自然科学の分野じゃ実無限なんて存在しない。
存在してても観測不能だから有限確定値か近似値で納める
誤差の集積によって結果的にまたあらたな分野が認められるが
あっちは、近似とわりきった上でやってるからさほど問題ない

数学者はいつでも後付けの理論を正当化する
後付けの理論はいつも不備があるというのに
不備がなくても人がその不備を見いだすというのに
しかもそれを反省しないで電波ときめつける
クロネッカーもそういう意味では間違いだった。
カントールの集合論が結局は幅を利かせたのだから。
しかしカントールの手法は、数学的でなく、道具的、自然科学的だ。
もし、自然科学の立場がなければ
数学など舵を失った嵐の中の小船のように、
いつしか道を失い沈没するだろう。
また屑哲などと蔑むがいい。
どんなに蔑もうとも、それを数学的に否定せず
人格的に否定する限り、我らはいつでも現れる

そう、喩えるならば
【石川や浜の真砂は尽るとも、世に屑哲の種は尽まじ】

だ。あーっはっはっはっはっはっはっはっは
結局のところ、
・実無限を認めるならばカントールの対角線論法は正しい
・実無限を認めないならばカントールの対角線論法は正しいとは言えない
実無限論者と反実無限論者の争いに帰結するわけだ。
しかしそれは数学者と哲学者の争いでもある。
それは傍から見てると滑稽だ。
数学者もある時は哲学的思考を借りてそれを数学に組み入れ、哲学ではないと言いはる。
哲学者もある時は数学的思考を借りてそれで数学者に反発する。
ばかかと

反実無限論者は、選択公理も、排中律も使わないで下さい。
実無限論者は、新数学を否定しないで下さい。

これでend
>Scottの理論つーと表示意味論(領域理論)のことしか頭に浮かばないや。

名前だけで中身を知らない馬鹿だな。
よーしおまいら、1000とり合戦いくぞー
>>895
おーい…そういうことを知らない人はこの板にはいないぞ
一般向けの啓蒙書にすら書いてある(つーか啓蒙書には
そういう面白エピソードしか載ってない)
そもそも「素朴集合論ができる前のやり方で議論する
≠実数が可算であると考える」だろ。
現代的に定義された実数と自然数に関して、ガリレオ以来の自然な考え方
「一対一対応」に注目して無限集合の大小を議論してたのに
「実数が可算である」がどうも導けなくなったからって
いきなり19世紀以前(カントル、デデキント以前)の数学の話をもってこられても…
「そりゃ可算以前に、その頃の数学には可算も非可算もねーよ。
大体実数の定義が違うだろ」
>>897
有限なら矛盾しないなどいう保証はどこにもない。
こんなことを堂々と書けるというのは、オツムがからのくせに
大言壮語したいツッパリでございますといっているに等しい。
まあ、ジャンジャンつっぱたらよかろう。
904883=902:03/10/15 07:40
ちなみに、全ての素数の積は4π^2〜スレによると、クロネッカーは
ゼータ関数や解析接続によってπや負の数が自然数の無限和で書けることを
知っていたからこそ「神は自然数のみを作った」と言っていたそうです

>>900
俺はお前らの知らないスコット理論を知ってるんだぞー
スコット理論さんならお前らなんかイチコロなんだぜー、バーヤバーヤ
ですか?ヴィトさん。どっちが名前出すだけの人なんだろうね
つーか教えて下さい、おながいします
>>897
>数学者はいつでも後付けの理論を正当化する
数学に限らないと思うけど。

>>898
>どんなに蔑もうとも、それを数学的に否定せず
数学的な議論についてこれないから閉口しているんですが・・・

>>899
>実無限論者は、新数学を否定しないで下さい。
否定しなくてもそれでなにか面白い結果が得られない限り、誰も
使おうとはしないだろうね。

普通は無限で有限を近似してるよね。有限の数学はひどく難しい。
で?

所詮数学は近似の学問?
実無限を認めない「新数学」ってのはいつんなったらでてくるの?
きちんと体系だった理論として構築するのに成功した人いるの?
それともいまんとこ「間違ってる派」の人の脳内にしかないの?さすがにそんなことないと思うんだけど。
知ってるしといないん?
実無限は数学においていい道具です。

おまいらにとってのインターネットみたいなもの。


実無限を否定したら、
数学は、恐ろしく難解な発想ばかりを必要とする
天才専用の学問になってしまう(藁
結局この手の基礎論っぽいスレは最後には罵倒のしあいで終わるのか。
911132人目の素数さん:03/10/15 17:05
唯一、素人が妄想膨らまして分かった気になれる分野だからな。
述語が日常語に近いのもよしわろしだ。
てかさ、推論規則を記号にしたらもうそこで∩(・∀・)∩おてあげ

ってやつ多くね?

いっそ記号だけでついてこれる奴同士で話しあわね?

それなら厨がきてもわけわかめになるから追い出せるしwwwwwww
学生の線形代数のレポート見てたら論理記号で証明を書いてるやつがいてね。
もうね、馬鹿かと、阿呆かと。
てか実無限がどーのこーの言いたいやつのためのスレなんだから
追い出したら意味ねーだろ。
まだまだいっぱいいるから大丈夫
論理記号ごときつかって議論についていけなくなるような香具師はいらね。
そもそも「新数学」なるものがどんなものにせよ論理記号つかわないで規定される
ようなものなら「新数学」などとよばれる価値なし。
916895:03/10/16 03:38
>902

他の人の書き込みをちゃんと読んでる?アナタが理解してても、
873〜875とか、「新数学」という表現とか(わかってたら、む
しろ「旧数学」と呼んでるでしょう)知らない人はずいぶんい
そうでしょ?

数学的帰納法で証明できる理由が

1で成り立つ。だから2で成り立つ。だから3で成り立つ。
だから4で成り立つ。だから5で成り立つ。だから6で成
り立つ。だから……。
以下、いくつでも成り立つ。よって成立。

と思い込んでる数学科の学部生がいる悲しい現状で、実無
限とか可能無限とかを理解してるとは思えんけど。
>>916
「新数学」でも「旧数学」でもいいからその「可能無限」のみで規定される数学というのを規定すりゃいいじゃん。
ず〜〜〜〜〜と楽しみにまってるんだから。誰が理解してようとしてまいと関係ないでしょ?
極端な話もしこの板にオレを含めてだれも理解できないにしてもそれをしないことにはなんにもはじまらないでしょ?
また他人を罵倒するだけのレスがついた。他人を悪くいうためだけに学問をやってるんだろうか?
919文部省役人:03/10/16 05:39
社会の役に立たない議論をしているやつは,独法化でアボーンだ.
覚えておくと良い.
> と思い込んでる数学科の学部生がいる悲しい現状で、

マジ?
921Which不一致 ◆v.V7zKGUME :03/10/16 06:45
>1で成り立つ。だから2で成り立つ。だから3で成り立つ。
>だから4で成り立つ。だから5で成り立つ。だから6で成
>り立つ。だから……。
>以下、いくつでも成り立つ。よって成立。

違うの?これって、ペアノの数学帰納法の公理だよね。
その公理のことを知らずに直感的な理解しかしてない人が多いって
>>916は言いたいんじゃないの?
0.9999...の定式化もせずに語りたがる哲厨さんみたく
923Which不一致 ◆v.V7zKGUME :03/10/16 07:04
なっとく
924Which不一致 ◆v.V7zKGUME :03/10/16 08:12
納豆食う
925895=916:03/10/16 22:33
ペアの公理で成立することが言えるって事は、

>1で成り立つ。だから2で成り立つ。だから3で成り立つ。
>だから4で成り立つ。だから5で成り立つ。だから6で成
>り立つ。だから……。
>以下、いくつでも成り立つ。よって成立。

ってことじゃないでしょ?こんなふうに逐次構成的に成立するって事ではなくて、
いっぺんに全ての自然数について成立するって事。921も本当に院生だったら、
これぐらい区別できて欲しい。
ちなみに可能無限的に理解するなら、逆にペアノの公理で理解してはいけなくて、
順次成り立つイメージを持つことになるんだろうね。
927925:03/10/16 22:37
げっ!ペアの公理になってる!もちろん、ペアノの公理です(冷)。
>>921も、当たらずも、遠からず、といった感じだね。

「ペアノの公理」なんて難しいこといわなくても、
要は数学的帰納法だよね。数学的帰納法は、
高校で習うわけだから、数学科の学生でなくても、
すべての理系の学生が理解できてなくちゃダメだよね。

>>925さん、分かってますか。
区別って、何と何を区別するんでしょう。
>>928
帰納法という原理は理解するんじゃなくて承認することなんだが分かってるのか?
>>929
いや理解でしょ。哲学じゃないんだから。
>>930
数学的帰納法のユーザの方々にはリテラシ教育で十分なのですが、
数学的帰納法を対象とする場合はそれでは困るのです。
「可能無限しか必要としない数学の体系」ってのはいつになったらでてくるの?
ないならないでもいいからいいかげん答えてよ。
>>931
なんじゃそりゃ。数学的帰納法を承認しないということは、
ペアノの自然数論、つまり自然数の理論すら存在しないということだよ。
小学生の整数の算数すらできなくなってしまう。そんな世界に
なんの意味があるのでしょう。よいですか。足し算、掛け算は、
数学的帰納法なくしては、定義できないんですよ。
だから、数学的帰納法を対象とする、なんてあり得ない。
>1で成り立つ。だから2で成り立つ。だから3で成り立つ。
>だから4で成り立つ。だから5で成り立つ。だから6で成
>り立つ。だから……。

あっ、8で成り立たない、やばい、ジャン。
数学的帰納法って難しいわけでないけど、なにが難しいかわかる
のはかなり勉強しないとわかんないんじゃない?
ふつう、数学的には簡単なことだし、哲学で考えているのは、
それは哲学だから、ってことだし、えーえっと、数学的に難しい
ことって、しってる人いるの?
935931:03/10/17 00:42
>>933
>>931 はいろいろ曖昧な書き方をしているけど、>>928 >>930 の理解というのは、
リテラシ以外の何物でもないでしょう。

>小学生の整数の算数すらできなくなってしまう。

この程度ならば、Robinson の Q で十分かと。
>>935
RobinsonのQってなんですか。その体系では、
数学的帰納法が成り立たないけれど、
自然数の理論がが存在するわけですか.
いいですか。数学的帰納法を認めないということは、
PA(自然数論)を含まないということです。つまり、
ゲーデルの不完全性定理ですら、成り立たないんですよ。
ゲーデルが好きな哲学の皆さん、それでもいいんですか!!!
>>936 >>937
>RobinsonのQってなんですか。
たとえば、
Boolos, Burgess and Jeffrey: Computability and Logic, Cambridge
の Chapter 16 を見てください。

>数学的帰納法が成り立たないけれど、
>自然数の理論がが存在するわけですか。

>ゲーデルの不完全性定理ですら、成り立たないんですよ。

加法や乗法の帰納的な定義式+αぐらいしかなく、
数学的帰納法の公理はありません。
上の本では、この体系の不完全性定理を証明しています。

>ゲーデルが好きな哲学の皆さん

哲学は知らないので、どう答えてよいかわかりませんが。
>>938
帰納的な定義式が存在するということは、
すくなくとも数学的帰納法と同等の公理があると
いうことじゃないか。それは、数学的帰納法を
認めるのと同じことなんだよ。

> 上の本では、この体系の不完全性定理を証明しています。
あなたは、ゲーデルの不完全性定理を理解していませんね。
不完全性定理は、PAを仮定しているのです。つまり
数学的帰納法(と同等のもの)がそのRobinsonのQとやらには
存在しているのですよ。
>>938
あなたロジックの人?
 
>哲学は知らないので、どう答えてよいかわかりませんが。
 
そんなこといわないで。ちょっと哲厨のひとと数ヲタの通訳してつかさい。
このスレで「可能無限のみを許す数学」っていってる人いるんだけど
それって論理学の本によくのってる「有限の立場」って香具師のことだと解釈していいの?
だとしたら「有限の立場」のみで規定されてる論理体系で現代数学とかわりうるようなものって構築できるの?
しかし可能無限はなんで許すのかなあ。
>>940
私は、>>938ではありませんが、ロジックをやっています。
ただ、ロジックをやっているからといって、「可能無限を許す数学」
というような、なんだかよく分からない用語を理解できると
思わないでいただきたい。ますますロジックと哲学が似たようなもの
だと誤解されてしまうではないですか。
943132人目の素数さん:03/10/17 04:11
>>939
第一不完全性の証明のためには、Qで十分。
PAが必要となるのは第二不完全性の場合。
>>943
だからさ、Qで十分かもしれないけど、Qに帰納的定義式が
含まれるということは、数学的帰納法(と同等の概念)が
Qに含まれてるんじゃないの、とオレはいってるの。
945132人目の素数さん:03/10/17 04:30
>>940
>このスレで「可能無限のみを許す数学」っていってる人いるんだけど
>それって論理学の本によくのってる「有限の立場」って香具師のことだと解釈していいの?

有限の立場っていうのは、Hilbert-Gentzen-Schutte-Takeuti ラインの
証明論のことを言う。要するに、cut elimination でメタ数学的に無矛盾性
を証明しよう、という立場。

ただし、第二不完全性定理より、Hilbert が当初念頭においていた意味
での厳格な「有限の立場」は維持しえなくなったので、無矛盾性証明のた
めには超限帰納法を使わざるをえなくなった。だから、その実情は「有限」
からはかなり程遠い。

このスレで「可能無限しか認めない数学」といわれているのは、広義の
構成主義数学のことだと思われる。そういう数学をきちんと定式化しよう
という試みは100年ほど前から山ほどあるし、現在でも計算機科学者の主要
な研究分野の一つになってる。(計算機上では,文字通りの意味で「実無限」
を扱うことはできないため。)

具体的な formalism が知りたかったら >>116 >>142 で挙がっている文献
にあたってみられては。
>このスレで「可能無限しか認めない数学」といわれているのは、広義の
構成主義数学のことだと思われる。

それならまだわかるんだけど、無理数はもう認めないという極端な主張をし
てる人もいるんだよね。それって形式化できるんかね?
947925:03/10/17 05:23
>>925さん、分かってますか。
区別って、何と何を区別するんでしょう。

例えば帰納的に定義される数列を考えてみればいい。
あれも初項から順々に値が定まるのではなく、a_n を
与える関数が定まるわけだ。つまり、

「逐次構成的に成立するって事ではなくて、
いっぺんに全ての自然数について成立するって事。」

なわけ。
948925:03/10/17 05:27
前原先生がかつて数理科学でわかりやすい説明をしてたんで、
それでも読んでみるといいと思う。
>>947
数学的帰納法は、構成的(帰納的)に決まっていくから、
すべての自然数について成立するわけでしょ。

べつに区別する必要ないじゃん。
950925:03/10/17 05:32
>>938

RobinsonのQなら、田中 一之 先生の
数の体系と超準モデル
でも扱ってましたね。
951925:03/10/17 05:35
>>948
>数学的帰納法は、構成的(帰納的)に決まっていくから、
>すべての自然数について成立するわけでしょ。

>べつに区別する必要ないじゃん。

ほら、わかってない。
本当に分かってないなら、ちゃんと調べたいので、
前原昭二の記事の詳細を教えてくれ。
>数学的帰納法は、構成的(帰納的)に決まっていくから、
>すべての自然数について成立するわけでしょ。
この文章は、ペアノの帰納法の公理を
(若干曖昧な)日本語になおしただけだが…。
953945:03/10/17 05:56
>>946
このスレでも前に誰かが言ってた、Domain Theory というものを使うと、
無理数を有限的に扱うことができる(もちろん、近似的な意味でだけど)。
これも計算機屋さんの智恵だね。

Domain Theory については、たとえば

横内寛文、『プログラム意味論』、情報数学講座7、共立出版、1994年。

Gordon Plotkin, "Domains", unpublished lecture notes, 1982.
Available from: http://www.dcs.ed.ac.uk/home/gdp/publications/Domains_a4.ps.gz

あたりを参照してみて。
>>952
>>951は、たぶん細かいところに拘ってるだけだよ。
きっと、「構成的(帰納的)に決まっていく」って
本当にP(0), P(1), P(2), P(3),...
とあげていくと解釈したんじゃない。
そんなことないよね。
>>953
D.ScottのDomainは操作の集まりだが、その中のどんな操作をつかっても
Domainをきれいに2つに分けることができない点で、古典論理上の集合論
とはまったく違う世界。

実無限は「絶対にできもしないし、まったく実証できない理念」を
前提している上で、神や霊の存在を前提するのと同じ位いかがわしい。
>>939
>帰納的な定義式が存在するということは、
>すくなくとも数学的帰納法と同等の公理があると
>いうことじゃないか。

違うな。数学的帰納法は任意の述語に対するものだからね。
ということで、>>933はこう書くべきだった

”再帰的定義”を承認しないということは、
ペアノの自然数論、つまり自然数の理論すら
存在しないということだよ。
小学生の整数の算数すらできなくなってしまう。
そんな世界になんの意味があるのでしょう。
よいですか。足し算、掛け算は、
”再帰的定義”なくしては、
定義できないんですよ。
「実無限」を認めないということは、そもそも存在から
考えることをやめるということ。
集合論どころか論理ですら、真偽値という形で存在を
前提している。
しかし、実際の計算は、値の存在を保証しているわけではない。
例えば√2の計算は、値の存在を保証するものではない。
ただ、お望みの精度でいくらでも正確に計算できる「方法」
を示しているだけだ。
>>955
> 実無限は「絶対にできもしないし、まったく実証できない理念」を
> 前提している上で、神や霊の存在を前提するのと同じ位いかがわしい。

実数連続体は物理学に組み込まれてるので、「神や霊」(これらは物理学
からは出てこないだろう)と同列には扱えないと思うが。物理理論を構成主義的
に書き換えられる、というのなら話は違ってくるかもしれないけど。
(ある程度はできそうな気がするけど、物理は知らないのでよくわからん。)
古典論理のかわりに直観主義論理を用いたところで
中途半端な妥協でしかない。
domainのかわりに、CCCやtoposを使うとかいうのは
本来型などないものから、型がつくものだけ抜き出して
どうこうしようという点で、日和見主義なのである。
961132人目の素数さん:03/10/17 08:19
ほかの数学も
それと同じくらい
いかがわしい。
>実数連続体は物理学に組み込まれてるので

それは不用意は発言だな。
バナッハ・タルスキのパラドックスを知っているか?
数学的には1つのオレンジから元と同じ大きさの
2つのオレンジがつくれるといっている。
これが物理学者に受け入れられているのか?
ファインマンはこの話を聞いて、数学科の学生に
「じゃ、このオレンジを今すぐ2つにしてくれ」
といったとか。
963132人目の素数さん:03/10/17 08:36
冗談じゃないよ!ファインマンさん。だろ?
Scottがどうこうって結局
ここまで読んだ
↓↓↓↓↓↓↓↓
-----------------
ここから先は読んでない(⊥)
↓↓↓↓↓↓↓↓


こういうこと?
あとさ、「無理数が存在しない」と「普通の実数に関する
カントールの証明は間違っている」は違うことだと思うんだけど
問題の土台を変えてどうすんの?
>962
オレンジは原子の有限集合ですから無理ですとでも答えればよかったのだろうか。

全然関係ないがピタゴラス学派,も無理数を認めなかった。
ていうか、物理の理論が発展していろいろ量子化していったとき、
結局実数連続体は必要なのかどうか。よくわからん。
確かに物理量が離散的な値しかとらないなら必要ではないかも。
ただ、現象を近似するという点では実数はやはり有用かもしれない。
>>952
>本当に分かってないなら、ちゃんと調べたいので、
>前原昭二の記事の詳細を教えてくれ。

数理科学 1990年4月号 No.322
特集 : 「数」と自然界のしくみ
自然数 その構成的理解と実在的理解   前原 昭二
969つぶやき:03/10/17 19:08
 思うに実際に存在しない物。

 直線、点、平面、連続な空間、無限、円、

 誰か続けて!
 このスレはまあ、数学的実在が現実には存在しない事がままあると言う事で、、、。
 それがまあ、現実をよく説明しているって事でいいんではないんでしょうか?

 だから、質点にそんな大量の質量もありえない訳で、、、。
 我々はより近似でない重力理論を必要としているって事で、、、。
 いいんじゃあないでしょうか?
970論理的飛躍:03/10/17 22:24
数学的帰納法
1で成立。
nで成り立てばn+1で成立。
よって、全ての自然数で成立。

3行目に論理的飛躍がある。

@nを自然数とする。
A有理数の集合[n,n+1)からn+0.1を選ぶ。
B自然数の集合Nに対してN´をAによって選択した集合とする。
 N´は存在する。

Bに論理的飛躍がある。


>>970
>1で成立。
>nで成り立てばn+1で成立。
>よって、全ての自然数で成立

>3行目に論理的飛躍がある

自然数の公理からOKなんじゃないの?
> 3行目に論理的飛躍がある。

そりゃ、だってそこは本来は証明すべきことだもん。
証明したから『数学的帰納法の原理』として使える。
いや、だから証明するんじゃなくて公理だってば。

もちろん、それと同値な他の公理を引っ張ってきた場合は
証明する必要があるけど。
俺は Peano⇒整列性⇒数学的帰納法の原理⇒… ってやったよ。
手元の教科書の鵜呑みなんで、一般的な定義がどうなんかはしらんです。

しかし >>970 は数学的帰納法の何を問題にしてるんだろう。
論理の飛躍を示せばその証明は棄却されるが、それでは命題が偽である事は言えない。
数学的帰納法が正しく無いと思うなら、反例を持ってくればいい。

# 激しく空気読んで無い気がしてきたので寝よう。。。
数学者って哲学者と似たような事考えてるってのに気付かないのかな。
そもそも人間が考え出す理論は、歴史上で有限。
それを全部1列にならべれば、すくなくとも人間の数だけの論理について
すべて自然数と1対1対応がつく
はっきりいって、素人だからってことで排斥してるようだけど、
どんなに突き詰めていっても、
答えがでないってことに気付いてないの?
俺は、可能無限までの数学は、自然科学的だと思うが、
それ以降の数学は、無謀すぎて、よく見て文学的、悪く言えば哲学的すぎると思うよ。
人間がその手に扱えるのは、結局自然数しかないって事に気付かないのか?
日本の数学者って、哲学と数学を異様に区別したがるけど、
そもそも区別 と理解とかあたりで言い争ってる奴いるけど
理解の理って、分ける、区別することだよ?
まあ、数学者も職失ったらいやだろうから、
あまり、というか全く突っ込まないでおいたげるけど・・・

それと、理系のやつは数学的帰納法しってなくちゃとかいってるけど

哲学やってる奴も、屑哲も、文系でも、数学的帰納法ぐらい知ってないと
やばいとおもうぞぉ
もちろん、自然数と言うのは公理によってきちんと構成する事も可能だけど
実際問題、公理によって作られた「2」と、日常的な意味での「2」とを普通は
同一視してしまうのではないだろうか?

帰納法ってのは公理で自然数を構成する立場から言えばもちろん「公理」
で保証されたものだけど、日常的な意味でも十分理解できるんじゃないのかな。

むしろ、数学的帰納法が成り立たないかもしれない!?とか、公理できちんと
保証しないと論理にギャップがある!?とか考えるほうが病的だと思うぞ。
977132人目の素数さん:03/10/18 01:00
>>975

釣りにしてはつまらんが。もしかして本気か?
まあ自然数の公理ってのは、人間がすでに知覚していた対象に合致するように、
後付け的に公理を作り上げたものだから、異例っぽいのは否めない。
>>975
哲学の議論には、答えがでないだろうね。
だけど、数学には答えがあるよ。なぜなら、
すべての数学には、暗黙の仮定があるからね。
例えば、1+1=2という定理は、ペアノの
自然数論を仮定して、はじめて成り立つわけだよ。

数学的帰納法を認めない立場、つまりペアノの
自然数論を認めない立場は、べつに存在しても
よいとは思うけれど、それは数学の興味対象には
なりえないわけだよ。なぜなら、自然数論なしでは、
数学的に意味のある理論は構築できないからね。
だから、哲学者は、数学者とは独立に自然数論なしの
世界を構築していただければよいと思う。もし、
そこから意味のある数学的理論を構築できたら
数学者は、「おそれいりました」というほかないよね。

>>979

ユークリッド幾何なんかは、必ずしも自然数論を使わないと思うけどなあ。
981132人目の素数さん:03/10/18 01:22
>>979
感覚を仮定せずには数学できないし、そもそも言葉さえ話せないのだから、
答えなんて幻想にすぎないんじゃ?
感覚を仮定するってことは何でもありってことでしょう?
大昔の算術は幾何に帰着されていたね。
他に公理化の方法が分からんかったというのが理由だろう。
>>980
たしかに直観的に幾何学を扱うときはそうだけど、
本来、線や点は、自然数論から再構築されるべき
なのですよ。

たとえば、関数は数の世界だけで議論できるけれど、
図に直したほうが分かりやすくなる場合もある、
というのと同じです。
>>981
感覚なんて仮定してませんよ。感覚は、思考の
道具として使ってるだけです。
>>983

再構築する事によって見やすくなることもそりゃあるだろうけど、別に
それだけでは再構築すべき、ということにはならんな。

図は図としてみるほうがずっと自然だし、何千年も人間はそうしてきたぞ。
986975:03/10/18 01:33
>>981
屑哲の擁護しようとしてるのか、釣りにわざとくいついてるのかわからんが
余計なこというな。
俺は、何でもありなんていう、半ば逃げととられるような諦めモードを
主張したいんじゃない。屑哲とは蔑まれようとも、どうにかして
カントールの対角線論法を間違っていると主張する輩を潰したいだけだ。
哲学には逃げがあるが、数学には逃げは許されない。
いや、もっとも、哲学にも逃げは許されないんだけどね。
逃げが許されるのは宗教だけ。屑哲よばわりされるけどおいらは宗教的哲学者じゃない。
987975:03/10/18 01:38
>>977
遅くなったが、はい。釣りです。
釣りだと分かるフレーズをちりばめてます。レスする前に何回か修正しました
ただな、
俺が頭に来たのは、スレの流れだよ、

数学的帰納法まで疑いだす数学者とはこれいかに?
そんな数学者が、数学者として認められてスレに存続できるなら、
俺だっていたっていいだろ、と。
>>985
分かりやすくするために再構築するわけではありません。
むしろ自然数論から再構築することにより、
分かりにくくなるのです。

自然数論から再構築するのは、図によって表現された
定理が、実際に自然数論から導き出されるかどうか、
を確認するために行なうのです。そうすることによって、
人の直観や感覚に頼らず、正しいことが証明されるのです。
>>988

自然数論に還元しなくても、無矛盾な公理系を基に、直感や感覚に頼らず
正しい事は証明できるだろ。
>>988
数論幾何って幾何なの?数論なの?
幾何は理解しやすいように使ってるだけ?



991132人目の素数さん:03/10/18 02:05
>>989
>正しい事は証明できる
数学にとって正しいというのは
仮定から推論で結論が導けるということ
また仮定からその推論で矛盾が起こらないということで

仮定や推論規則が正しいとか間違っているかてのは関係ないから

ume
>>991

それは数学じゃなくて論理学では?よくわからん。
でもまあなんにせよ自然数論をわざわざ持ち出す必要はないってことですよね?
994132人目の素数さん:03/10/18 02:14
次スレは立てるんですか
別になくても誰も困らないけど、あったら誰か書き込むんじゃん?
ume.

 角
  線
   論
    法
     っ
      て
       こ
        ん
         な
          感
           じ
            ?
9981000!!:03/10/18 02:46
わーい
9991000!!:03/10/18 02:47
わーい
10001000!!:03/10/18 02:47
わーい
10011001
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