不完全性定理

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16956:02/04/16 07:23
あ、168は>>165へのレスです。

こういう話ではなく、述語論理では全ての論理式について
証明か反証が成り立つかどうかなんて問題にならないのに、
自然数論の公理系では問題になるのは何故かという質問なのかなあ?
…数学板でちゃんとレスしようとすると、大変だなあ。
>>168

いい指摘だ。

命題論理の場合は、論理式にあらわれる命題の真偽のみを
考えればよいから、有限でけりがつく。
しかし、述語論理の場合は、もうそういうわけにはいかない。
つまり、恒真でない場合の、反例のモデルが無限個の元を
もつ場合があるということだ。
完全性定理の証明が、非構成的なのはそうした事情があるからだ。

ゲーデル命題の場合にも、反例のモデルを構築することはできる。
そしてそこまでなら、単に成り立つときもあれば成り立たぬときも
あるというだけで終ってしまう。問題は、その反例のモデルが、
超準自然数のような、期待していないものを含んでいることにある。
例えば、ある自然数が、0でもない、1でもない、2でもない・・・
と我々が想定するどんな自然数にもあてはまらないとしたら、
誰でも不可思議だと思うだろう。

このような不可思議は、一階述語論理で記述できる述語と、
我々が自然に想定するところの述語全体とが一致しない
ために起きるのである。そこにプラス・クワスのトリック
が介入する余地が生まれるのである。

二階論理で自然数のモデルが範疇的になるというのは、
述語全体に関して数学的帰納法がなりたつとしたために
プラス・クワスのトリックを介入させる隙間がなくなって
しまったからである。

ただここで「全体」を他の方法によって形式的に定義する
ことはできない。不完全性は、ある意味、構成的な積み上げと
全体からの天下りの道筋との間にある「もや」のようなものと
いえるかもしれない。
17248:02/04/16 23:15
>>166
標準モデルと非標準モデルの違いってゲーデル命題があってはじめて生まれるんでしょ?
一階述語論理に証明も反証もできない閉論理式(例えばAΛB)があることは、
もともと多様な解釈を想定してたから当たり前で何も問題ないけど、
自然数論の場合は、人間の自然な直観として一つの標準解釈だけが想定されてたから、
その期待を裏切るような非標準モデルの可能性が論理的に示されてしまうのが問題ということ?
形式化された自然数論って、元々直観的に扱っていた意味上の自然数論をぴったりなぞるように
デザインされたんでしょ?それが、不完全性定理によって、どんな公理系を作っても、
理性的に納得できない「余計なもの」の混入を防げないという問題が示されて、
それがある意味理性の限界ってことなのかな?
173age:02/04/16 23:47
対角線論法っていんちきっぽいんだよなぁ
実数の不可算にしたって、あれってさあ、
そもそもそのi番目の小数ってことで
i桁目が矛盾ってあるけど、
そもそも矛盾するようにi番目選ぶわけでしょっていうか
矛盾が起こるように選んでる節があるのよね

「間違った数え方して不可算だった判定してはいけない、
一見不可算かもと思っても加算になるような数え方がある
場合がある」っていう集合があるわけでしょ?
あの矛盾がおこる選び方ってのが、
その間違ったやり方だとしたら他に数え方をかえるっての
があるわけでしょ?
まあ、数え方かえても同じように矛盾するんだけど。
そしたらその矛盾にたいしてまた別のってえらんでいって
その選び方全部が矛盾のものしかないってを証明して
始めて対角線論法として成り立つんじゃ?
あれって、その最後の締めの部分が甘い気がする>よく
簡単そうにのってる実数の不可算の証明
>>173
>i桁目が矛盾ってあるけど、
>そもそも矛盾するようにi番目選ぶわけでしょっていうか
選ぶのはi桁目の方じゃないんですけど。
175132人目の素数さん:02/04/17 01:27
>>173
それはおかしい議論でしょう.まず前提にあるのが0から1までの実数が自然数と
一対一に対応すると仮定したら,173の言っているような数のとり方ができる.
このとり方はなんら数学的に問題のあるようなやり方ではなくちゃんと定義できてる.
しかしすると矛盾が出てくる.ということは最初の仮定が間違っていた.という論証
なわけだから.だから矛盾が出てくるように選んできたというところに何の問題もな
いんじゃない.
>そもそも矛盾するようにi番目選ぶわけでしょっていうか
>矛盾が起こるように選んでる節があるのよね

それ、完全に間違い。証明読んでないでしょ。

どれを選んでも矛盾させることができるよ。
どの桁も元と違う値に変えるでしょ。そこがポイント。
そうできてしまうことから矛盾がいえるの。
だから、桁の場所は関係ない。どうせどこでも対角線とまじわるからね。

君は、証明の読み方が甘いね。
人の話も聞かないし、物事も深く考えない
タイプでしょ。学問には不向きだね。
ま、学問だけが人生じゃないから、
別の道をすすむことだね。
まあまあ、煽るのはやめようよ。
数学を本格的にやった人しか書き込んじゃいけない訳でもないんだし。

対角線論法がインチキくさいってのは、
素朴な感覚としてなら分かるけどね。
不完全性定理の決定不可能な命題と言っても、
対角化を使うと数学的にはどんな意味をもつ命題なのか
分からなくなるから、そうじゃない証明が考えられたんだし。

実数の非加算については175の言うように背理法で考えてもいいし、
”任意の”数え方について成り立つから、数え方”全部”のついて
証明した事になるんだと考えてもいい。
173の言う最後の締めは、一番最初にやられてたって事になる。
数学では普通のやり方だけど、
そうじゃない人には分かりにくいのかもね。
17848:02/04/17 14:34
あのー、ついでに>>172の理解についても間違いや曖昧なところがあれば、
指摘して欲しいんだけど…
17956:02/04/17 19:22
>>172
>標準モデルと非標準モデルの違いってゲーデル命題があってはじめて生まれるんでしょ?

そういう訳ではないと思います。
非標準モデルはモデル論では当たり前の概念で、
べつに自然数論のモデルに限った話ではないし、その構成法も
ゲーデル命題など使わない、より直観的に分かりやすい方法を取ります。
非標準モデルの研究自体、基礎論の一つの分野になっているくらいです。
一つの数学的対象のついて同型でない異なるモデルがあると言う事が、
むしろ色々な方向からアプローチ出来るという利点になってるようです。

その後の部分については、ヒルベルトプログラムと不完全性定理の関係の
理解としては、いいんじゃないでしょうか。
オレも、大体そのように理解しています。
まあ、決定不可能命題が理性的に納得できない「余計なもの」かどうかは
色んな見方があるでしょうが。
18056:02/04/17 19:30
それから、「不完全性定理は理性の限界を示した」というのは
一般向けの解説によくみられる説明ですが、
こういう言い方にはオレはちょっと疑問があります。
自然数などの数学的対象が形式化された無矛盾で完全な公理系で
表現されなくちゃならないというのは、
一種のオブセッションと言う気がするし、
一般の人にとって説得力のある主張とも思えないんですね。
だから、ヒルベルトプログラムが失敗したからといって
「人間の理性に限界がある」とか言われても、
「(゚Д゚) ハァ? 」って感じだと思うんです。
それに、決定不可能命題の存在を証明できるというのも、
理性の働きによるものでしょ。
日常生活においても、分らない事があるという事より
分らない事がある事に気づけない方が問題だったりしますよね。
ここらへんは数学の話じゃないんで、個人的な感想ですが。
>>179

例えば自然数の非標準モデルをつくるのによくやる手は
0<x、1<x、2<x、・・・
という式を全部満足させるxを追加するってやつね。

上の式が、有限個なら当然OKだが、そこから、
全部満たしてもOKといえるところがミソだな。
確かコンパクト性定理とかいうんだよな。
>>180
不完全性定理が証明されているということを歴史的事実として受け取れる
時代となっているからたしかに、理性の限界なんて大時代めいたことをい
われると、ちょっとっていう気持ちにもなるけれど、当時の衝撃の強さは
相当なものであったようですね。もっとも、日本の数学者はあまり反応し
なかったようで、高木貞治先生などは全然深く理解することはしなかった
のでしょう。でもやはり理解するのが難しい定理でよね。
>>180

別に無矛盾で完全な公理系なんぞ存在せんでもいいが、
問題は、自然数の「存在」というものはどう捉えられるのか
ということだな。なんか気分でそう思ってるだけだというと
宙に足が浮いたような、実に不可解な気分になるだろう?
18448:02/04/18 02:22
>>179
でも、不完全性定理が示されるまでは、自然数論の形式的体系の解釈に、
標準的なもの以外があるとは想定されてなかったんでしょ?
ともかく、不完全性定理が示した「理性の限界」ということの意味の解釈としては、
これ以上のものはないよね?

>>181
そういう「非標準モデル」は「ただ存在する」ってこと以外に何か研究する意義あるの?
>でも、不完全性定理が示されるまでは、自然数論の形式的体系の解釈に、
>標準的なもの以外があるとは想定されてなかったんでしょ?

いいえ。むしろレーヴェンハイム・スコーレムの定理に
よるところが大きいでしょう。
18648:02/04/18 17:01
>>185
レーヴェンハイム・スコーレムの定理って?
不完全性定理の前?後?
でも、それなら不完全性定理の意義って何?
数学者の中に非標準モデルを考える人がいたとしても、
直観的には非標準モデルは理解しにくくて、しかもそれが、
どんな自然数論を含む公理系を設計しても排除できないことが問題ということ?
つまり、不完全性定理は、標準モデル以外の解釈が紛れ込まない公理系の不可能性を示したと考えればいい?
18756:02/04/18 20:02
>>183
このスレでも話題に出てるプラス・クワスの話などを知ると
直観的な算術とは何なのかさえ、厳密には分からなくなって
さらに宙に足が浮いたような、実に不可解な気分になりますね。
18856:02/04/18 20:07
>>186
レーヴェンハイム・スコーレムの定理は、大雑把にいうと
形式的理論のモデルの大きさは決められないという定理で
1920年に証明されました。不完全性定理の11年前ですね。
ただ、廣瀬・横田の本のpp.83-85を読んでみると、
非標準モデル一般については知られていたとしても
実際に自然数論の具体的な非標準モデルが考えらえたのは、
不完全性定理の証明後の1934年みたいです。

ヒルベルトプログラムと不完全性定理についてまとめると、
ヒルベルトプログラムが目指したものは、モデルが
標準的なものだけになる自然数論の完全な公理系でした。
それに対し不完全性定理は、どんな公理系を採用しても
ダメだと宣告した事になりますね。
その当時ヒルベルトプログラムに共感した人にとっては
「理性の限界」が示されたと感じたのかも知れません。

それから、非標準モデル(超準モデル)の研究意義については、
専門家の文章があるのでURLを貼っておきます。
ttp://www2.math.human.nagoya-u.ac.jp/Staff/yasumoto.html
>>186

やれ標準だ非標準だというだけなら、
二階論理では、自然数論は範疇的だし
一階論理では、多くのモデルをもつと
いうだけのこと。
どちらも不完全性定理と直接の関係はない。

不完全性定理は、二階論理では、どのような
モデルで真であったとしても、証明できるとは
限らないことを示している。

一階論理の命題が、整合的なとき
つまり、そこから矛盾が証明できないとき
ある二階論理の命題が、妥当である、
すなわち、どのようなモデルでも真である
ようにできる。

つまり、二階論理での妥当性は、
一階論理の証明可能性判定が必要
になるというわけだ。

これが不可能だというのが不完全性定理。
つまり、自然数論が二階論理で範疇的であっても、
決定可能でないから、「不完全」だというわけだ。
>>188

ヒルベルトプログラムを考える際、無視できないのは
デデキントの自然数論の範疇性の証明だろう。

つまり、ヒルベルトにしてもゲーデルにしても、
わざわざ一階論理上の公理系に限定する何等の理由も
なかったし、実際そのような限定は一切なかった。
191132人目の素数さん:02/04/21 23:09
あほな哲学板の奴等の考え。
ゲーデルの不完全性定理
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/1014017182/l50
192900:02/04/26 04:33
>>189
おまえ説明下手すぎ。
逝ってよし。
>>192
おまえ理解悪過ぎ
クタバレ
189のいいかたは誤解をうむ。それは2階論理のモデルでは標準モデル
しか考えないという立場にたつようにも見えるから。高階でも完全性
定理はある。2階論理にふれる人は林先生を含めてこのことを押えて
書いているように見えない。
195>191:02/04/26 12:32
不完全性定理とか
物理の不確定性原理とかは、
バカや似非哲学者をひきつけやすいネーミングではあるわな。



傍迷惑だ。
197nanasi:02/04/27 16:57
>>195
まあ、おまえには哲学どころか数学も物理学も向いてないがな。
          
200132人目の素数さん:02/06/06 00:23
ネタ スレage
201132人目の素数さん:02/06/24 14:03
age
202132人目の素数さん:02/06/26 00:22
203132人目の素数さん:02/06/27 21:59
204132人目の素数さん:02/06/27 23:39
ところで不完全性定理自身の証明はどんなもんなの?
205132人目の素数さん:02/06/29 16:39
206132人目の素数さん:02/06/30 23:48
207132人目の素数さん:02/06/30 23:55
不感症生理
208中卒君:02/07/12 22:30
厳密性はさて置いて、
 
 この式は証明できない……A と置く

 Aを証明しようとすると、
 証明できないものが、証明できることになり、
 矛盾する。     ……@  

 Aを反証しようとすると、
 証明できるとなり、真となる。
 よって、矛盾する。……A

しかしながら、@・AからAは真であると言える。

こんなものでいいでしょうか?
2091さん:02/07/12 23:37
>>1
「mが正しいとして証明されたものF」をF(m)とする。
次にF(F(m))をF^2(m)とする。

ここでF^n(m)でn→∞のとき、
F^n(m)が正しければmは正しい。
n=30程度で実用に耐える精度だと思うけど。

210209:02/07/12 23:38
名前間違った、僕ぁこのスレの1じゃないです
211132人目の素数さん:02/07/13 16:49
あげとく 
212132人目の素数さん:02/07/13 18:57
悲しい
数学の葬送曲のような定理だね
213132人目の素数さん:02/07/21 19:45
agetokune!!
214132人目の素数さん:02/07/28 07:34
ここで訊いた方がいいのかな。

ゲーデルの不完全性定理の適用範囲は、
第1階の自然数論の公理系Z(?)と同じ記号を持つ第1階の公理系、でいいんでしたっけ……?
ふつうに高校で使っていた数学には当て嵌まるのでしょうか(厳密には公理化されてないけど)。
215132人目の素数さん:02/07/28 11:53
>>214
第一階の自然数論の公理系として習うのはペアノ算術 PA(Peano Arithmetic)が標準だと
思いますが、不完全性定理の適用範囲はこれに限ったものではないですよ。
自然数論を含む公理系であればいいので、例えば公理的集合論ZFや
高階の自然数論にも適用されます。
公理系をいくら強めても適用可能というのが不完全性定理の重要なポイントです。
公理化されてない数学は適用範囲外ですが、ペアノ算術 PAの公理系を
高校の数学の範囲内と考えることは可能だと思います。
PAの公理は、等号の公理を含む一階述語論理、次の数を意味するsuccsessorの公理、
数学的帰納法ぐらいなので。流儀によっては+と×の定義が加わる事もありますが。
216132人目の素数さん:02/07/28 21:05
>>215
ありがとうございます!