不完全性定理は絶対に正しいものは、存在しないということでいいんですか?
このスレの削除依頼をして、質問スレで改めて質問してください。
詳しくはローカルルールを読んでね。
3 :
132人目の素数さん:01/12/06 03:50
2get
われわれは知らねばならない
われわれは知るであろう
4 :
132人目の素数さん:01/12/06 03:52
ミスった。
死get
5 :
数学好きだった:01/12/07 16:28
ジュシ、ドンク、ジュポンス。「コギト」とかいう言い方はあんま好きじゃない.
>>1 そういう理解は危険だと思う。
素直にカントールあたりからちゃんと理解しましょう。と言うか自分も理解途上ですが・・・
俺の理論では、無矛盾な公理候補体からどのように公理体を
組み立てても真偽が一定な命題が必ず存在する。
8 :
132人目の素数さん:01/12/19 10:00
>>7 >真偽が一定な命題
真偽が「不定」な命題?
不完全性定理は、正しい気がするけどその正しさを示すことができないような命題が存在するというだけ
絶対とかそういう問題じゃないと思います(激漠
10 :
132人目の素数さん:01/12/19 13:03
>>1 ブブブー はずれです
>>9 ブー でもいいせんいってます
12 :
132人目の素数さん:01/12/20 21:40
>>11 なんで
>>9がブーなのですか?すごくうまく表現されていると思いますが。
何てかけばピンポーンなのかあせぇーてぇ。
13 :
132人目の素数さん:01/12/20 22:13
つまり大学のセンセー方がやってるのは、ぜーんぶ根拠の無いでたらめってこった。
それでもスペースシャトルは飛ぶし遺伝子の解析もできるんだよなー。
>>13 > ぜーんぶ根拠の無いでたらめってこった。
「不完全」ってのを「未熟」とか「未完成」「不正確」といったような意味にとらえて、
こんなこというやつは多いよな。
以前に、KO大学文学部哲学科卒で論理学は究めたから自分の論理性の右に
でるものはいない、といったようなことを豪語するプログラマーがいて、
みんなが感心するもんだから酒の席で不完全性定理について自慢気に
独り語りしてて似たようなこと言ってたよ。
オレは下手に絡まれると厄介なことになると思って黙ってたけど、
以後KO大学文学部哲学科卒ってのには偏見を持っちまったよ。
15 :
132人目の素数さん:01/12/20 23:35
>>14 "KO大学文学部哲学科"なんて言わずに、もっと「ハッキリ言ってやれよ」
----- "慶応大学学部哲学科"ってさ。
>>15 KO大学文学部哲学科の候補の一部
神戸大学 KObe
国学院大学 KOkugakuin
京都大学 KyOto
慶応大学 KeiO
熊本大学 KumamOto
東京大学 toKyO
東京教育大学 toKyOkyoiku
北海道大学 hoKkaidO
17 :
132人目の素数さん:01/12/20 23:57
絶対に正しいが、そのことを証明できないものが存在するということ
"不完全性定理"ってさぁ、あれ、間違ってたんだってさ。
だから、もうすぐ潰れるんだそうだYO。
>>16 京都大学の文学部に哲学科なんてあったか?
「数学ってさ、人が分からねえと思って小難しいこといってるわりには、まだ完全じゃないんだってよ。笑っちゃうよな。」
22 :
132人目の素数さん:01/12/21 02:31
>>16 "慶応大学学部哲学科"以外は、皆、苦しい"KO大学文学部哲学科"だな(爆
23 :
132人目の素数さん:01/12/21 05:00
20=18=13=不自由性頭脳
ぎゃははははは
25 :
132人目の素数さん:01/12/21 07:29
>>25 9> 正しい気がするけどその正しさを示すことができないような命題が存在する
正しさは示せるだろ。ただ公理系の中で証明できないだけで。
27 :
132人目の素数さん:01/12/21 17:37
>>26 マジレスしていいものかどうか・・・・・。
不完全性定理のいうところは、ある命題 P が存在して、P もその
否定命題も証明できない、というもの。
通常は排中律を仮定しているので、P かその否定のどちらかが「正
しい」。しかし、そのどちらが正しいのかを証明で明らかにすることは
できない、ということ。
28 :
132人目の素数さん:01/12/21 17:38
>>26 12ですが、公理系とか証明といったら、またそれは何だってことに
なるでしょう。だから9はとてもよいと思うのです。それに「示せる
だろう」ってどうやって示すんですか?
29 :
132人目の素数さん:01/12/21 17:40
>>27 この流れは第2不完全性定理だと思いますが。
>>27 いい加減な書き方してごめん。
>>11のツッコミは、「正しさ」と「証明」を区別しろ、という趣旨かと思った
ので、こういう書き方しちゃいましたスマソ。
排中律があるとゲーデル文の正しさは示せるんじゃなかったっけ?
>>29 「不完全性定理」という文脈での「完全」は、その理論の任意の文について、
その理論によるその文の証明か、その文の否定の証明が存在することなので、
不完全性定理をゲーデル文云々の第1に限らず、一般的に理解するには27が
だいたい正しい。
ただ1点、「正しさ」はモデル論の概念で、証明論での証明自体は、正しさを
示すことと混同しちゃいけないと思う。あくまで、その文がその理論の定理
であることを示しているだけだろ。その理論がどんなモデルを持つかはまた
別に確かめる話だと思うんだけど、どうだろうか。
>>27
あ、第2不完全性定理にしても、理論Tの無矛盾性はより強い理論T’で証明できる
んだから、Tの無矛盾性を表す文の正しさはT’で示せると言えるんじゃないか?
あと、27は「正しさ」と「証明」は混同してないね。一人相撲スマソ。鬱氏。
その理論で証明される文は算術の標準モデルで正しい、とか前提して話をして
くれてたんだろう。ごめんね。
>>28=
>>12 俺も9はいい線いってると思うよ。「激漠」って断ってるしさ。
でもさ、文がある理論で証明できなくとも別の理論で証明できることはあるし、
そもそもモデル論とは違うアプローチでの「正しさの示し方」の話だし、そこを
すっとばしちゃうと、基礎論の人達怒ると思うけどなあ。
(「示せるだろう」の話はもうしたからいいよね。)
32 :
132人目の素数さん:01/12/21 18:59
>>30 大体合ってます。ただし
> 排中律があるとゲーデル文の正しさは示せるんじゃなかったっけ?
排中律じゃなくてω-ruleですね。
34 :
132人目の素数さん:02/02/12 01:10
>>30 >>32 ω-ruleの他にも、二階論理の上で数論を構築した場合
ゲーデル文は真になる。
>>35 「真になる」っていわない方が、つまり「証明できる」といった
方がよろしいのではないでしょうか?
まあ、ω-rule でも2階の論理でも1階の真偽を決定できるという
意味で使われているのだと思いますが。
37 :
132人目の素数さん:02/02/15 19:47
分かりやすく例を示してくれると嬉しいかも
38 :
132人目の素数さん:02/02/15 22:30
しかし数学のある種の限界を示した定理だから
初めて聞いたときはショックだったさなあ
神の存在、不存在を人間が証明できないのと似ている
39 :
132人目の素数さん:02/02/16 05:05
>>38
別に「理論の限界」なんか、
「この文章は間違っている」という命題が存在している時点で、「自明」なんだよ。
ただ、数学者は、記号を通して物を考えないと理解できない「おバカ」な連中だから、
われわれ文系がいともたやすくたどりついたレベルに、ギリシャ以来2000年以上もかけて、
やっとたどりついたということだな。
「はいはい、ご苦労さん」といってやるんだな。
40 :
132人目の素数さん:02/02/16 05:21
( ´,_ゝ`)ププッ
41 :
132人目の素数さん:02/02/16 08:03
>>39 「われわれ文系」ってのはいいねえ
なんか笑える
42 :
132人目の素数さん:02/02/16 18:40
「わーれらゴリラー」
43 :
132人目の素数さん:02/02/16 20:44
人間は不完全だということを証明した定理ってことでOK?
死んでしまうから 完全です
45 :
132人目の素数さん:02/02/23 00:52
いや「なんでも正しい」ということでしょ。
>1の言い方は自己矛盾っていうのかな?
>>3
ヒルベルトさん、すまんですがまだリーマン予想は証明も否定も
できとらんとです。もうすこしねとってつかあさい。
この板って不完全性定理きちんと理解してる人いないんだね。
数学科でも基礎論勉強する人って少ないんでしょ?
>>48 不完全性定理@数学と、
不完全性定理@哲学、不完全性定理@文学、不完全性定理@DQN
などの概要をまとめて、それぞれの関係を整理して書いていただけるとたすかるのですが。
そりゃ
>>49の下の段の方理解してる人は少ないだろうな。
まぁ48よ。数学板で数学以外の事を期待するのは勘弁してくれ。
ところで皆さんのバックグラウンドを教えてください。
1.大学の専攻分野
2.不完全性定理に関して今まで読んだ本
上の2点を踏まえた上で、どこから議論するか考えます。
52 :
132人目の素数さん:02/04/13 19:18
1.計算機数学
2.前原先生の『数学基礎論入門』
1.情報科学
2.ナーゲル・ニューマンの「数学から超数学へ」
>上の2点を踏まえた上で、どこから議論するか考えます。
ハァ?
講談社新書から出てる「ゲーデルの哲学」を読みました。
第一・・無矛盾な公理系には証明不可能な数式が存在する。
第二・・無矛盾な公理系は、その無矛盾性をその公理系内部の理論では証明できない
以上の二点のように記憶しています。理解の仕方に誤解がありましたらご指摘願います。
56 :
132人目の素数さん:02/04/14 09:16
>55
第一の方は、変ですね。
不完全性定理は単に「無矛盾な公理系」ではなくて、
算術が展開できる公理系についての定理です。
たとえば、命題論理の公理系(色々あるけど)は無矛盾で完全な公理系です。
ただ、「数式」と言っているので、そういう含意があるのかも知れませんが。
次に「証明不可能」ではなくて、「決定不可能」ですね。
決定不可能とは、証明もその否定の証明も不可能という事です。
「証明不可能な数式」なら「1=0」もそうでしょ。
というか、すべてが証明可能ならその体系は矛盾してるんだし。
それから「数式」と書いてある部分は、「命題」とか「論理式」と書くのが
一般的だと思いますが、数式で表現可能かどうかは分かりません。
それについては、より詳しい人の解説キボンヌって感じです。
以上の事をふまえた上でなら第二の方は間違いではないと思います。
ちなみに「証明」の規則を変える事により第二不完全性定理が
成立しないように出来るという話を聞いた事があるんですが、
これについても詳しい人の解説キボンヌ。
>>56 第1不完全性定理に関していえば、自然数論を含む公理系では
証明可能性を自然数論の中で表現でき、これと対角線論法を
用いることにより、自身の証明不可能性を示す命題が構築
できます。
ゲーデルの構築した命題では、自身の証明不可能性は、
無矛盾性を仮定することで導けますが、否定命題の
証明不可能性はω無矛盾性を仮定する必要があります。
命題自身もその否定も証明不可能という決定不可能な
命題はロッサーによって示されました。
…という程度の話は例えばナーゲル・ニューマンの
「数学から超数学へ」や、廣瀬・横田の「ゲーデルの
世界」にもあります。
正しさに根拠はない。
>>56 「一度得られた論理式の否定は決して推論しない」って規則を付け加えると、
無矛盾性が体系内で証明できるらしいね。
あと、決定不可能な「論理式」って言うのは、自然数論を含む形式的体系といっても、
述語論理の体系の拡張で、中に∀と¬とかの論理記号が混じってるからでしょ?
でもさ、決定不可能で不完全とか言っても、
述語論理は完全だけど決定可能ではない体系らしいし、この辺の意味が微妙なんだよ。
完全性定理の「完全性」と不完全性定理の「不完全性」は意味が違ってるし、
述語論理の決定不可能と不完全性定理で言う決定不可能も実は定義が違うけど、結果的には同値だとか。
述語論理の完全性は完全性定理で証明されて、次に算術を含む形式的体系の不完全性の証明、
それから、この不完全性定理を用いて、述語論理の決定不可能が証明されたらしい。
>>57 証明可能性は自然数論で表現できないんじゃなかった?
表現定理が成り立つのは帰納的な述語だけで。
あと、ロッサーはω−無矛盾性の仮定をなくしただけでしょ?
決定不可能な命題自体はゲーデルが示したんだからさ。
>>59 48さんは廣瀬・横田の本を読まれたようですね。
ただ理解に関しては「?」といわざるを得ません。
例えば
>自然数論を含む形式的体系といっても、
>述語論理の体系の拡張で、中に∀と¬とかの
>論理記号が混じってるからでしょ?
これはあなたのあて推量でしょう。
残念ながら、まったくはずれています。
p109からの第5章を読み返してください。
公理系についてはp115〜117に述べられています。
「中に∀と¬とかの論理記号が混じってる」のは、
述語論理の段階ですでにそうなのであって、
自然数論の公理系で初めて出てくるわけでは
ありません。
>>61 >述語論理の段階ですでにそうなのであって、
いやだから、述語論理の体系の拡張で、論理記号が含まれてるから、
決定不可能な「数式」と言わずに「論理式」って言うんだろうって
>>56の人に答えたんだけど。
>>60 それは表現可能の意味が違います。
廣瀬・横田の本でいう、表現定理は、
帰納的関数が、自然数論の(決定可能な)述語
として表現できるというものでしょう。
字面だけでなく中身を理解しましょう。
それから、廣瀬・横田の本やナーゲル・ニューマンの本では
ロッサーがどのような決定可能性命題を考えたかは書かれて
いません。これについてはスマリヤンの本のVI章を読んで
ください。ω無矛盾性の条件を落すためには、ゲーデル文とは
違う文(ロッサー文)を考える必要があるのです。
>>63 詳しそうだからもう少し質問してもいい?
述語論理の完全性は「恒真命題は全て証明可能」ってことだけど、
不完全性定理の場合は、主に決定不可能性をもって不完全性を言ってる感じでだよね?
「直観的に」真な命題が証明できないって意味も関係してるかもしれないけど、
この「直観的に真」は「恒真」とは別の概念だし。
それなら、不完全性定理を使って証明された述語論理の決定不可能性(決定手続きの非存在性?)
もまた、ある意味で述語論理の不完全性と言ってもいいんじゃないかと思うんだけど、どうなのかな?
「決定手続きを持つこと」と「証明論として決定可能なこと」は結果的に同値なんだから、
ほぼ、不完全性定理と同じ意味での穴が述語論理にもあるってことでしょ?
なるほど分かってなさそうなので、答えてみましょう。
まず、不完全性定理の場合は、「真か偽か決定不可能」
という意味で不完全だといっています。
次に、一階述語論理の決定不可能性は、
「証明可能か不可能か決定不可能」
という意味です。
一階述語論理の場合、自然数論とちがって、
一つの真偽解釈のみを考えているわけではありません。
>「決定手続きを持つこと」と
>「証明論として決定可能なこと」は
>結果的に同値なんだから、
「証明論として決定可能なこと」とは何ですか?
あなたが今ここで思いついたいいまわしなら、
まったくナンセンスです。
さて答えてはみましたが、あなたに理解できたかどうか?
しかし、自分でも分かりもしないことで
分かったふうな態度をとるなんて、全く
バカげたことですね。
それによってどんな「喜び」が得られるというんでしょうか?
論理は真偽決定の手続き、というのが素人の理解だとすると、
素人は論理についてまったく間違っているということですな。
とはいえ、素人がどこまで理解し、どこは理解しなくてもいいかの
線引きは難しい。
例えば、命題論理や述語論理の完全性と対比させて不完全性定理を
説明する試みは、無用に誤解を生んでいるだけで、あまり成功して
いない。
不完全性定理の説明として、対角線論法の役割を強調するやり方も
結局は、仕掛けを理解する面倒は嫌われて、「嘘つき文」としての
結果しか理解されていないように思う。
わかろうという気もないのに、わかった気分だけ味わいたがる人
というのは、ほんとうに困り者だ。
ただ威張りたいだけの半可通もほんとうに困り者だねえ
>>65 今どき、数学における不完全性を
自然数論に限っていいのかね?
71 :
55の名無し文系:02/04/14 15:29
56さん、どうもありがとうございます。
「算術が展開できる公理系についての定理」
「証明不可能ではなく決定不可能」
「数式ではなく、命題や論理式が一般的」
とても分かりやすい説明でした。(その後はさすがについて行けなかった)。
>>56の「決定不可能」の説明は、それは違う気がする。
盛り上がらんな〜
講談社現代新書のアレはわかりやすくしようとして
かえって混乱してない?
>>70 また、的外れな指摘ですね。
65はそんな限定してませんよ。
>>74 じゃあ
>自然数論とちがって、
>一つの真偽解釈のみを考えているわけではありません。
なんて何故書いた?
言い訳だからか知らないが話がつぎはぎだらけだよ
わけわかって書いとらんな?
>>75 その質問も、的外れですね。
自然数の公理を満たす異なる形の集合が、3つも4つもありますか?
65がいっている「一つの真偽解釈」というのは、自然数の公理を
みたすような集合は、基本的に一つしかないだろうということ
でしょう。あなたこそ訳もわからずつっこまないで下さい。
まさか、自然数論の2階の形式化に限定してる
なんて言い出さないよな?
それこそ「今どき」だよ
どうも狂犬に手を出してしまった気がするな
>>77 はぁ?何のことでしょうか?
狂犬はあなたでしょう。
>>73 てゆーか、「ゲーデルの哲学」は
何でアレ書いたのかよーわからんな。
>>65 文脈から分かると思って省略して書いただけなんだけどね。
不完全性定理の場合は「証明もその否定の証明もできない論理式」を決定不可能な論理式と呼んで、
それが、あなたの言うように「真か偽か決定不可能」という意味での不完全性なんでしょ?
それで、一階述語論理の「証明可能か不可能か決定不可能」というのは、
「証明可能か不可能かを決定する手続きが存在しない」論理式があることを言ってるよね?
でも、この不完全性定理の文脈での「決定可能な論理式」と
一階述語論理での「決定手続きが存在する論理式」とは結果的に同じことだと示される。(廣瀬・横田の本110ページ)
だとしたら、不完全性定理が示した不完全性と述語論理の決定不可能性は同根ってことじゃないの?
述語論理には完全性定理の意味での完全性と、不完全性定理の意味での不完全性が両立していて、
ただ言葉として紛らわしいから述語論理の場合は決定不可能性と言ってるような気がするんだけど。
述語論理の完全性は「いかなる解釈のいかなる値でも真=恒真」な論理式ならば必ず証明可能だということで、
不完全性定理が否定したのは「自然数論の公理を加え、自然数の集合による解釈を与えた体系の閉論理式は必ず、
その肯定または否定が証明可能(またそれにより真偽も決定する)」という意味での完全性ってことだよね。
だから、述語論理の中に完全性と不完全性は両立可能なんだと思うけど。
>>76 あんた、偉そうに人のこと「素人」と罵ってるけど、
全然人のこと言えないじゃん。
> 自然数の公理を満たす異なる形の集合が、3つも4つもありますか?
> 65がいっている「一つの真偽解釈」というのは、自然数の公理を
> みたすような集合は、基本的に一つしかないだろうということ
> でしょう。
いくらでもあるよ。一階算術のモデルは。
結局、
>>77に教えてもらった通り、二階の体系に逃げるか?
これじゃ
>>78みたいな負け惜しみしか言えないよな。
>>81 >いくらでもあるよ。一階算術のモデルは。
やっぱりそうだよね。そこはそうだろなとは思ってたけど。
ところで、詳しい人なら
>>80の質問にコメントなり指摘なりしてもらいたいんだけど?
「基本的に」ってのが逃げwordだと思われ
「Nが基本なんだYO」で押し通せばドロー
>不完全性定理の文脈での「決定可能な論理式」と
>一階述語論理での「決定手続きが存在する論理式」とは
>結果的に同じことだと示される。(廣瀬・横田の本110ページ)
一階述語論理上の公理系で考えるという意味ではそうですよ。
ただ、その場合、自然数論を一階述語論理の公理系として
考えることが適切かどうかという疑問がおきるでしょう。
自然数論が、群論と同じ意味での公理系なら任意の命題に
対して特に真偽を決定する必要はないでしょう。つまり
群によって成り立っていたりそうでなかったりする命題
があるのと同じように、自然数の構造如何によって、
成り立っていたりそうでなかったりする命題があっても
いいということになります。
しかしながら、実際の自然数は、そのような任意性を
もつようなものではありません。例えば
>>81のいう
ようなことは本末転倒であって、一階算術のモデルが
いくらもあるということは、一階述語論理上で自然数論を
公理化することに「失敗」していることの現れとして
捉えるべきです。一方で、0,1,2と並べる自然数の
列挙を考えておきながら他方で、その列のなかにあらわれ
ない超準自然数があるとするのは、不自然でしょう。
だから、
「(一階)述語論理の中に完全性と不完全性は両立可能」
なのではなく
「自然数論が一階述語論理上の公理系として実現できない
という意味で不完全」
というべきだと思います。
>>いくらでもあるよ。一階算術のモデルは。
>やっぱりそうだよね。そこはそうだろなとは思ってたけど。
81と82の両者にお尋ねします。
自然数論は、最初から、群論と同じように
「自然数の構造をもつ任意の集合に対する理論」
として構築されたのですか?
>>81 あなたも素人ですね。
>>77は二階の「形式化」といってますが、
「形式化」された二階論理では、一階論理と
同じことになりますよ。
一階でも二階でも結構ですが
「形式化された体系」
では駄目なんです。
そんなことは玄人ならみな知っていますよ。
相手をしろうと呼ばわりすれば誰でも論戦に勝った気になれる
というところがあると聞いて来たんですけど、ここですか?
>>87 勝った負けたの問題ではないですよ。
素人なら素人らしく
「知りません、分かりません、でも別に困りません」
といえばいいことじゃないですか。
なぜ、玄人を装って
「知ってるぞ、分かってるぞ、偉いだろ」
といわなくてはいけないのですか?
玄人は偉いわけではありません。
でも、真面目に議論したいなら、知るべきことは
知らなくてはいけないでしょう。それは偉いとか
偉くないとかいうこととはまったく関係のない
ことです。
もし、そういう真面目な気持ちが微塵もなく
ただ他人から賢いと思われたいために書きこみを
している人がいるのなら、失せてください。
そういうふざけた態度が他人を腐らせるだけでなく
貴方自身の精神を腐らせます。廃人になるまえに
そのことに気づいたほうが、貴方自身のためです。
例えばすべてを一階述語論理上の公理系として考えるというのは
明らかに、本を読んだだけで、何も考えていないが故に、知の
陥穽に落ちているといわざるを得ません。
もし、一度でも考えたならば、一階述語論理上の公理系として
考えること自体が、枠組みとして全く適切でないことに気づく
筈です。それに気づかないのは、考えていないからです。
そして、それは迂闊なだけで、何の弁解の余地もありません。
だいたい予想通りの展開になっております
>もし、そういう真面目な気持ちが微塵もなく
>ただ他人から賢いと思われたいために書きこみを
>している人がいるのなら、失せてください。
オマエガナー
お前ら!!、
柄谷行人を読んでから「不完全性定理」を騙ってくださいよ。
>>84 それなら、不完全性定理の結果を用いた一階述語論理の決定不可能性の証明、
つまり「決定手続きを持たない論理式の存在証明」の中で、
不完全性定理はどういう役割を果たしてるの?
不完全性定理の結果を利用して証明されたということは、そこには部分的にでも
不完全性定理の意義が保存されているはずだと思うけど。
>>85 少なくとも形式化された自然数論のモデルがただ一つだなんて証明は無理だと思うけど?
あと、廣瀬・横田の本以外で、玄人から見ても良く出来てる本ってない?
なるべく日本語で。
ブルーバックスの『ゲーデル・不完全性定理』って恒真の論理式は全て証明可能っていう
完全性定理の意味での完全性を、不完全性定理は算術を含む公理系について否定したみたいに書いてるけど、
これはおかしいよね?完全性定理と不完全性定理の意義の違いは、ただ違う対象への反対の結論ってだけじゃないでしょ?
一階述語論理はどんなモデルで解釈しても、
その閉論理式の中にAも¬Aも証明できない決定不可能な論理式は現れないの?
形式的自然数論の閉論理式は必ず真偽が決まっているけど、
真な命題が必ず証明可能ということは示せなくて、証明できるものは当然、真、
否定が証明できるものは偽、その上、証明も否定の証明もできない論理式もあるということだよね?
この決定不可能な論理式は直観的には真でも、元々決まっていたはずの真偽に関しては不明ということ?
>>76 > 自然数の公理を満たす異なる形の集合が、3つも4つもありますか?
> 65がいっている「一つの真偽解釈」というのは、自然数の公理を
> みたすような集合は、基本的に一つしかないだろうということ
> でしょう。
で、算術のモデルが3つ以上あるなんて知らなかったという
チョンボのオチは、
「深く思索した結果、超準モデルなんて無視するのが定説」
で終わり? そんなら最初からそう書いときゃいーじゃん、
「3つも4つもありますか?」なんて言わずにさ(w
2ちゃんねるで
>>88 みたいなこと言ってないで、
そういった話題を共有できる人を探したほうがいいよ。
友達がいないからって、こんなところでくだまいてるのは
>貴方自身の精神を腐らせます。廃人になるまえに
>そのことに気づいたほうが、貴方自身のためです。
だってあの先生の掲示板は書きこみ禁止になっちゃったし
尊敬するあの先生にも追い出されて今じゃ相手してもらえないし
「あなたはBBSに書くのはおろかBBSを見るのもやめたほうがいい」
とまで言われちゃったんだもん
>>93 一階述語論理の決定不可能性の証明なら、不完全性定理を経由せずとも
例えば、チューリング機械の停止不可能性を利用してもできます。
もちろん、停止不可能性の証明も、不完全性定理と同じく、
対角線論法を利用していますけど。
で、問題は、自然数の集合は本来一つであると考えられているから
形式化された自然数論が、本来のモデル以外のモデルを含んでしまう
なら、それは理論として不完全だということです。お分かりですか?
>>94 >一階述語論理はどんなモデルで解釈しても、
>その閉論理式の中にAも¬Aも証明できない
>決定不可能な論理式は現れないの?
モデルの定義は廣瀬・横田の本のp77にあります。
そこを一度でも読んだなら、この質問が無意味なことが
お分かりになるでしょう。
>形式的自然数論の閉論理式は必ず真偽が決まっているけど、
それは誤りでしょう。
>決定不可能な論理式は直観的には真でも、
>元々決まっていたはずの真偽に関しては不明ということ?
ほらほら、やっぱりわかっていない。
述語論理でもその上の形式系でも、あるモデルをもってきて
そこで考えるわけではありません。
自然数論の場合、想定される標準モデルがあるわけですが、
形式化された理論に適合するモデルは1つに定まらない。
だから、標準モデルで真だと考えられる命題が、他のモデル
では偽と考えられるために、証明できないというわけです。
ゲーデル命題を偽と考えるモデルはω矛盾という特性をもち、
それが標準モデルとは異なるために、そのような解釈が
「非形式的に」否定されるというわけです。
>>95 >「深く思索した結果、超準モデルなんて無視するのが定説」
深いか浅いか知りませんが、あなた自身の感覚でも、
ゲーデル命題を偽とするモデルが標準的だとは
思えないでしょう。
例えば「矛盾が証明可能」という証明ができるにもかかわらず
当の矛盾は証明できないモデルを、あなたは標準的と呼びますか?
あるいは、「証明がある」といいながら、どのような実際の証明も
それと合致しないようなモデルを、あなたは標準的と呼びますか?
皆さんがいっているような定説を、例えば
>>97がいっている
BBSに書いてごらんなさい。皆さんそろって
「また、半可通が、誤解を書いていますね。
あなたがたみんなBBSに書くのも読むのも止めなさい」
といわれるのがおちですよ。
要するに貴方がたは、あの人と同じ誤りを繰り返しているんですよ。
あのBBSで自分がしたことが何故とがめられたのか
まだ理解できてねえんだな
なんだったらログ拾ってきて貼り付けてやろうか?
もっぺん読み返して反省したほうがいいぞ
最後にどうしても気になる質問。
@├Aかつ├¬Aとなるのが矛盾で、そんな論理式の存在が無矛盾性の否定
A├Aでなく、かつ、├¬Aでもない論理式が存在するのが決定不可能性
無矛盾性を仮定すると決定不可能性が示されてしまうなら、
逆に決定可能性を仮定すれば、そこでは不完全性定理に相当する定理で
矛盾が証明されることにならないかな?
排中立は、無矛盾性と決定可能性に対して中立だと思うんだけど。
ところで、命題論理・述語論理の公理系には排中律が「含まれている」って言うけど、
いまいちどういう形で導入されてるのか分かりにくい気がする。
廣瀬・横田の本に紹介されてる、PMやHAの公理系にははっきり「A∨¬A」
なんて書かれてなくて、いきなり証明方法の一般化のところで、
「¬導入:T,A├BかつT,A├¬BならばT├¬A」なんて背理法の推論が導入されてる。
公理系にとって、排中律や背理法ってどういう位置付けになってるの?
まあ、95=81がナントカの一つ覚えで繰り返す、76の
「自然数の公理を満たす異なる形の集合が、3つも4つもありますか?」
という発言が、曖昧であることは確かだな。
公理が一階述語論理の上のものであるともないともいっていないわけだから。
>>101 何をやっても反省しないんじゃないかな?
君らと同じだよ。(w
> まあ、95=81がナントカの一つ覚えで繰り返す、
あんたねえ、↓みたいなかっこいいこと自分で書いといて、
間違い指摘されたら「ナントカ」呼ばわりって、恥ずかしくないの?
>>88 > 勝った負けたの問題ではないですよ。
>
> 素人なら素人らしく
> 「知りません、分かりません、でも別に困りません」
> といえばいいことじゃないですか。
> なぜ、玄人を装って
> 「知ってるぞ、分かってるぞ、偉いだろ」
> といわなくてはいけないのですか?
>
> 玄人は偉いわけではありません。
> でも、真面目に議論したいなら、知るべきことは
> 知らなくてはいけないでしょう。それは偉いとか
> 偉くないとかいうこととはまったく関係のない
> ことです。
>
> もし、そういう真面目な気持ちが微塵もなく
> ただ他人から賢いと思われたいために書きこみを
> している人がいるのなら、失せてください。
> そういうふざけた態度が他人を腐らせるだけでなく
> 貴方自身の精神を腐らせます。廃人になるまえに
> そのことに気づいたほうが、貴方自身のためです。
>>102 >無矛盾性を仮定すると決定不可能性が示されてしまうなら、
>逆に決定可能性を仮定すれば、そこでは
>不完全性定理に相当する定理で
>矛盾が証明されることにならないかな?
自然数論の場合、決定可能性を仮定すると
不完全性定理によって矛盾が示されるよ。
述語論理の場合?
述語論理の決定可能性は、述語論理の命題じゃないよ。
これも、自然数論上で表せるようなものだと思うけど?
それから排中律は君のいう命題論理や述語論理の体系では定理だよ。
知らなかったの?
ともあれ、哲学のアマチュアとか、マスゴミとか、そういうアフォどもは
不完全とかいう言葉を聞くと、鬼のクビをとったかのような喜び方をする
よな。
不完全性定理というスキャンダラスな名前のせいで、そういうアフォ共
を喜ばすことになったのは、大失態だな。
>>103 私は76じゃないよ。
それに、あの書き方では誤りとは云い切れないな。
二階論理の公理系だと言い張られたら、君は沈黙するしかない。
通りすがりはやめてヲチしてるんだけど、
ななしばっかりなんで混乱してきたYO!
>>107 てゆーか、廣瀬・横田の本とか斜め読みして
「分かる」文章だけコピペする小僧が
ネットに横行するんで困り者だな。
>>100 >ゲーデル命題を偽とするモデルが標準的だとは思えないでしょう。
>例えば「矛盾が証明可能」という証明ができるにもかかわらず
>当の矛盾は証明できないモデルを、あなたは標準的と呼びますか?
>あるいは、「証明がある」といいながら、どのような実際の証明も
>それと合致しないようなモデルを、あなたは標準的と呼びますか?
ハァ?
標準的でないから「超準」って名前がついてるにきまってんだろ
自然に感じられるかどうかは超準モデルにとってどうでもいいんだってば
超準モデルの使い道はそんなとこにはねえの
>皆さんがいっているような定説を、
超準モデルの存在は数学的帰結なんだから「定説」も糞もねえんだよ
お前のトンデモ哲学といっしょにすんな
48は根気強く丁寧な対応を心がけていたのに
いっしょくたに敵視されてかわいそうに
>>99 証明可能な全ての論理式が真になる解釈がモデルでしょ?
そこでは否定の証明が可能なら偽だけど、
証明も否定証明もできない論理式の存在は否定できないんじゃないの?
>>形式的自然数論の閉論理式は必ず真偽が決まっているけど、
>それは誤りでしょう。
標準モデルはあるけど、あくまで解釈の可能性が開かれた形式体系ってことかな。
でも、自然数論の閉論理式の場合は、解釈が決まれば原理的に真偽が決まるから、
「各自然数ごとに表現可能」って言い方をするんでしょ?
>>111 77は半端なシッタカ君の典型ですな(w
そのくせ、標準と超準の区別はどうやるんだ?と
質問すると、答えられない筈。
林先生って、本当に、そんなに不完全性定理がわかっているわけ?
不完全性定理ってよく考えるとわからない定理だって先生がいって
たよ!その先生が林先生よりわかっているかはしらないけど。
>>113 >>形式的自然数論の閉論理式は必ず真偽が決まっているけど、
>それは誤りでしょう。
>>99はtrue arithmeticを知らないとか?
自然数論にも複数のモデルが想定されてるなら、
完全性定理で問題にした「論理式Aが恒真⇒├A」という
自然数論の完全性の問題もまた別に論じる余地があるんじゃないの?
>>112 >48は根気強く丁寧な対応を心がけていたのに
そんな無駄な努力をする前に、本をちゃんと読んだら?
>>113 > 証明可能な全ての論理式が真になる解釈がモデルでしょ?
違うよ。とにかくp77を読んで。そんなこと書いてないよ。
>標準モデルはあるけど、あくまで解釈の可能性が開かれた形式体系ってことかな。
>でも、自然数論の閉論理式の場合は、解釈が決まれば原理的に真偽が決まるから、
>「各自然数ごとに表現可能」って言い方をするんでしょ?
それはp128の話?
帰納的述語の場合は、自然数論で決定可能だから
モデルがどうとかいうことを意識しなくてもいい。
でも、算術の述語は、みな帰納的述語ではないでしょ。
そしてその場合、モデルによって真偽が違う可能性があり
実際、そうなっているというのが不完全性定理でしょう。
そのとき、初めて標準と非標準の区別が意味をもつわけ。
>>106 >それから排中律は君のいう命題論理や述語論理の体系では定理だよ。
>知らなかったの?
うん、はっきりとは知らなかった。
廣瀬・横田の本では全く触れられずに、推論の方法のところでいきなり導入されてたから。
つまり、「A∨¬A」という定理が証明できるように公理系を設計したけど、
公理自体の中に直接排中律を入れる必要は無かったってことだよね。
「A→A」も証明しないといけないみたいに。
>>117 まず、一階述語論理上の公理系で考えた場合には、
「論理式Aが恒真⇒├A」の意味の完全性定理は
成り立つ。
しかし、例えばゲーデル命題を偽とするモデルは、
通常の自然数のモデルとはかなり異なる。
二階述語論理上の公理系として考えた場合には、
確かに考えなおす必要がある。
そして、実際「論理式Aが恒真⇒├A」という
意味の完全性は成立しない。
>>118 P77
「述語論理の形式的体系のすべての閉論理式が、そのような解釈によって
真偽が原理的に定まり、その公理および推論規則によって導かれるすべての論理式が
その解釈で真になるとき、そのような解釈をモデルと呼ぶ」
>その公理および推論規則によって導かれるすべての論理式=証明可能な論理式じゃないの?
>>120 >二階述語論理上の公理系として考えた場合には、
>確かに考えなおす必要がある。
>そして、実際「論理式Aが恒真⇒├A」という
>意味の完全性は成立しない。
これは不完全性定理とはまた別の意味の不完全性だよね?
この辺の考察や証明はあまり聞いたことがないんだけど、
誰が何を証明したとか詳しく知ることはできる?
>>121 P77「」の後半の部分は
「証明可能な論理式が、真なる命題に含まれる」
ことをいっているに過ぎない。
重要なのは前半の部分、つまり
「すべての閉論理式について、真偽が定まる」
ってところ。
完全性定理の証明は有限の立場を逸脱した超越的なものだけど、
不完全性定理は有限の立場を守った構成的なものだよね。
でも不完全性定理の中核にあるモデルの存在定理を使った
不完全性定理の証明もあるんでしょ?
この場合は超越的な証明になるって言うけど、定理の意義として
証明が構成的であることと超越的であることの違いってどれだけの影響があるの?
あと、構成的と超越的の関係って互いに否定関係と思っていい?
じゃあ
>>113の
> 証明可能な全ての論理式が真になる解釈がモデルでしょ?
は間違ってないんじゃん。ちゃんと書いてあるんでしょ。
そこが重要なのではない、って
>>123が思ってるだけで。
>>122 二階論理の不完全性は、自然数論の範疇性とゲーデルの不完全性定理からしめされる。
ここでいう自然数論の範疇性は、一階論理上の公理系としてのものではないことに注意。
自然数論の範疇性の証明がいつ誰によって行われたのかは知らないが、
ゲーデルの結果より以前のものであることは確かである。
>>125 それは力点が違う。
ただ、間違ってなければいいというものではないだろう。
無意味な点を強調するのは、肝心なポイントを見過ごしているから。
>>127 それでも
> 違うよ。とにかくp77を読んで。そんなこと書いてないよ。
は書き過ぎだと思うけどね。
「そんなこと書いてない」は言い過ぎでしょ。
書いてはあるんだから。
まあどうでもいいんだけど。
いや、それだけ書いてあるわけじゃないでしょ。
書いてないことが重要なんだから、それは
指摘しなくてはいけないでしょ。
指摘しなくていいというなら、君、間違ってるよ。
どうでもよくないよ。これが一番重要。
くだらない面子が重要なら学問なんてやるなよ。
指摘のしかたがおかしいよ、っつう話だよ。
力点の問題なのなら最初からそう書けばいいでしょ。
「そんなこと書いてない」なんて間違ったこと書かずに。
ちょっと見苦しいよ。
>>124 この件は君の理解を超えてる。
ただ、個人的には、この件に関して
証明が構成的かそうでないかは
重要でないと思う。
それより早く48に答えてやんなよ
あ、答えてたな、ていうか答になってないが
>>131はたぶん
「この件は俺の理解を超えてる」
と言いたかったんだろう
>>130 君こそおかしいよ。
面子のために議論してるならやめろよ。
まったく見苦しいよ。
君の態度はまったく間違っているよ。
真理より自分の体面をとったという意味でね。
>>123 ああ、モデルは関係なかったかもね。
じゃあ、改めて確認すると、
自然数論を含まない一階述語論理の公理系内では
「├Aでなく、かつ、├¬Aでもない」閉論理式の存在は証明できない、
または、まだ証明する見込みがないってことでいいかな?
でも、集合論の不完全性証明にはゲーデル数化を使わなくてもいいんでしょ?
ゲーデル数化を使わなくても、自然数論の公理系が実質的に含まれてるってこと?
>>134 > 君こそおかしいよ。
> 面子のために議論してるならやめろよ。
> まったく見苦しいよ。
> 君の態度はまったく間違っているよ。
> 真理より自分の体面をとったという意味でね。
オマエガナー!
今日はこればっかりだねえ
>自然数論を含まない一階述語論理の公理系内では
>「├Aでなく、かつ、├¬Aでもない」閉論理式の存在は証明できない、
>または、まだ証明する見込みがないってことでいいかな?
さあ、そんなことは知らないよ。
>でも、集合論の不完全性証明にはゲーデル数化を使わなくてもいいんでしょ?
>ゲーデル数化を使わなくても、自然数論の公理系が実質的に含まれてるってこと?
そうだよ。
>>137 じゃ、オマエは何のためにからんでんだよ。
本日はこれにて沈没
ていうか>130は自分ではなく48に対する指摘を
フォローしてただけだから
130の面子なんて一切かかってなかったと思うが
>>139 真理のためだよ。
>>113=48に対するおかしな指摘がおかしい
と傍から注意しただけのことさ。
>>131 その辺が興味あるんだけどね。
でも、個人的に重要と思うかどうかって話になるんだから、
ここはもう厳密な論理的議論を逸脱した話になるってことでしょ?
はやく寝ろ >all
>>自然数論を含まない一階述語論理の公理系内では
>>「├Aでなく、かつ、├¬Aでもない」閉論理式の存在は証明できない、
>>または、まだ証明する見込みがないってことでいいかな?
>さあ、そんなことは知らないよ。
んー、でも、少なくとも今のところは証明されてないし、
その否定や証明不可能性の証明もされてないんでしょ?
>>143 > でも、個人的に重要と思うかどうかって話になるんだから、
> ここはもう厳密な論理的議論を逸脱した話になるってことでしょ?
そういうふうに「重要」という概念を把握してくれる人が
いるとほんとに助かります。もう心のオアシスですわ。
これが重要だ、いや違う、なんて口論をするほど
不毛なことはないと思うんだけど、そういう口論が
大好きな人もいるからなあ。
>その辺が興味あるんだけどね
たぶん、君が何も知らないから、
勝手に想像してるだけだよ。
>>146 たとえば、君、AかつBって証明できる?反証できる?
できないだろ。その程度のことだよ。
論理で、証明も反証もできない閉論理式の存在なんて。
>>149 いや、貶してるわけじゃないよ。
実際そうなんだから仕方ない。
とにかく はやく寝ろ >all
>152
なんでみんな一緒に寝たがるんだよ?
自分だけ寝にいけばいいじゃんか
それにこっちは今は朝だからね
>>148 だから、その先にさらに奥の深い数学理論があるのか無いのかが聞きたかったんだけど、
玄人が個人的な感覚での重要性の話をするくらいだから、
まだ厳密に理論化はされてない領域ってことでしょ?
そういう、厳密な理論の領域とそうでない領域の境界に興味があったから。
>>150 「証明可能」っていう述語を作れないから、
「証明も反証もできない」ことを証明できないってことかな?
直観的に意味がないものが証明も反証もできないことは明らかだけど。
不完全性定理の場合は、標準的な解釈で数論的な意味を持ちうる論理式が、
証明も反証もできないことに意義があるってこと?
>>153 しかしある1人に寝られてしまうと
スレ進行が止まってしまった罠
恥ずかしー逝ってきまーす
いや面白かった。特に
>>124が面白いと思ったので
宿題にさせてください。ていうか私では解決できないかな。
おお、なんか盛り上がってますね。荒れ気味なのが残念だけど。
算術を含む体系の不完全性定理と命題論理や述語論理の完全性定理を
比較すると、完全性の意味が違うから誤解を招くという意見は
その通りだけど、でもそうしないと「算術を含む」という条件の意味が
分かりづらいんじゃないかと思うんです。
55さんもこの条件を抜いて書いてたし。
実際に数学が展開できるような強い体系を考えた時に
不完全性定理が成り立って、そうじゃない弱い体系なら
無矛盾で完全で決定可能なものがあるってニュアンスを
伝えたかったんで、56の説明で命題論理を引き合いに出しました。
決定可能の意味も正確に言えば違うだろうってツッコミも
あるかも知れないけど、そこはまあニュアンスってことで。
あと、決定不可能な文は普通に考えたら論理記号を含むだろうけど、
論理記号を消去した数式の形で書けるかどうか知らなかったんで、
「決定不可能な数式がある」で間違いか分からなかったんです。
これについては、どうなんでしょう?
それから、自然数論を考える上で一階述語論理は不適切という主張は
この手のスレでよく見かけるけど、書いてるのは同じ人なのかな?
今は自然数論の公理化は一階述語論理+PAで習うのが一般的と思うけど、
確かにそれだと範疇性について分からなくなりますね。
自然数のモデルは(同型を除いて)ただ一つという方が
「自然」な感覚だと思いますし、もともとは範疇性と完全性は
密接に絡み合った概念なんですよね?
そういう歴史的経緯を説明しながら話をすれば、
説得力が増すと思いますが。
ところで、スマリヤンの本の翻訳って読んだ人いますか?
いま検索したら「ゲーデルの不完全性定理 」があったんですが、
これは「Godel's Incompleteness Theorems」の翻訳ですよね?
訳さえしっかりしてたらかなりお勧めなのではないですか?
まあ、オレはlogicが専門じゃなかったんでスマリヤンの原著も
斜め読みしただけですが、かなりすっきりまとまってたという印象でした。
でも、ちょっと専門的かなあ。
論理パズルの本もまだ読んでないんで、読んだ人の感想を聞きたいです。
162 :
132人目の素数さん:02/04/15 05:38
ここに書き込みするのは初めてなので過去スレをちゃんと読んでないんだけど,
一階であれば意味論の結果が統語論の結果としてもすぐに使えるということ以外
自然数の公理化として一階の論理が好まれる理由ってないんだと思うんだけど,
何か他に理由はあるんだろうか?
それと範疇性という性質があるから自然数論は2階であるべしという主張は,根拠
として弱いと思うんだけど.どうだろう.
163 :
132人目の素数さん:02/04/15 05:52
>>155 いやいや
>>150 はそんなことをいってるんじゃないでしょ.述語論理でしょ?たとえば閉論理式
\exists Fx
って証明もその否定も証明できないでしょ.ただそれだけのことだよ.
>>163 閉論理式なら、Fの中に自由変数がないってことを言わないと。
>>150や
>>163は、充足可能だけど恒真ではない閉論理式のことを
言おうとしてるんでしょ。難しい話じゃないと思うんだけど。
>>164 一階述語論理の「充足可能だけど恒真ではない閉論理式」は、
証明も反証も成り立たないという点では、ゲーデルの示した決定不可能な論理式と同じことなのに、
ゲーデルの結果だけが特別な意義を持つ理由は?
述語論理とは違って、数論にはどの閉論理式にも標準的な解釈があるから?
例えば、「AΛB」の解釈に標準はないけど、「1+1=2」の解釈はほぼ一意だからということかな。
>>165 いい質問だ。
この疑問に答えるには、標準モデルと非標準モデルが
いかに区別されるかを考える必要がある。
ところで、範疇性があるから二階だとはいっていないよ。
超準モデルの不自然さの元を辿ると、プラス・クワスの
ように、一階論理の帰納法は満たしても、そこでは
あらわれない述語で、帰納法を満足しないものがあると
いう形で、期待が裏切られているという状況があるので、
それを防ごうと考えると、必然的に二階論理で帰納法を
定義しなくてはならなくなるってこと。
ところで、自然数が唯一無二のものであるという証明を
おこなったのはかのデデキントで1888年のことらしい。
(ペアノの公理系として知られるものも実はデデキントに
よるものらしい)
えーと、もしかしたら一階述語論理の決定不可能性について誤解があるのでは?
一階述語論理の決定不可能な閉論理式とは「証明も反証も成り立たない」論理式ではなく、「証明可能かどうか決定する手続きがない」論理式のことですよね。
完全性定理によれば「証明可能」と「恒真」が一致するので、「恒真かどうか決定する手続きがない」論理式とも言い換えられますが、一階述語論理にはそういう論理式があるってことでしょ。
命題論理ならどんな論理式も真理関数を使って恒真かどうか分かるので、決定可能という事だったはずです。
自然数論を含む公理系では、「証明も反証も成り立たない」論理式と「証明可能かどうか決定する手続きがない」論理式が一致するので、決定不可能を「証明も反証も成り立たない」としてるんだと思います(廣瀬・横田のゲ−デル本のp.110に書いてありました)。
「証明も反証も成り立たない」論理式と「証明可能かどうか決定する手続きがない」論理式の一致の示し方は、廣瀬・横田の本をざっと読んでみたんですが、どこに書いてあるのか分かりませんでした。
詳しい人解説お願いします。
あ、168は
>>165へのレスです。
こういう話ではなく、述語論理では全ての論理式について
証明か反証が成り立つかどうかなんて問題にならないのに、
自然数論の公理系では問題になるのは何故かという質問なのかなあ?
…数学板でちゃんとレスしようとすると、大変だなあ。
>>168 いい指摘だ。
命題論理の場合は、論理式にあらわれる命題の真偽のみを
考えればよいから、有限でけりがつく。
しかし、述語論理の場合は、もうそういうわけにはいかない。
つまり、恒真でない場合の、反例のモデルが無限個の元を
もつ場合があるということだ。
完全性定理の証明が、非構成的なのはそうした事情があるからだ。
ゲーデル命題の場合にも、反例のモデルを構築することはできる。
そしてそこまでなら、単に成り立つときもあれば成り立たぬときも
あるというだけで終ってしまう。問題は、その反例のモデルが、
超準自然数のような、期待していないものを含んでいることにある。
例えば、ある自然数が、0でもない、1でもない、2でもない・・・
と我々が想定するどんな自然数にもあてはまらないとしたら、
誰でも不可思議だと思うだろう。
このような不可思議は、一階述語論理で記述できる述語と、
我々が自然に想定するところの述語全体とが一致しない
ために起きるのである。そこにプラス・クワスのトリック
が介入する余地が生まれるのである。
二階論理で自然数のモデルが範疇的になるというのは、
述語全体に関して数学的帰納法がなりたつとしたために
プラス・クワスのトリックを介入させる隙間がなくなって
しまったからである。
ただここで「全体」を他の方法によって形式的に定義する
ことはできない。不完全性は、ある意味、構成的な積み上げと
全体からの天下りの道筋との間にある「もや」のようなものと
いえるかもしれない。
>>166 標準モデルと非標準モデルの違いってゲーデル命題があってはじめて生まれるんでしょ?
一階述語論理に証明も反証もできない閉論理式(例えばAΛB)があることは、
もともと多様な解釈を想定してたから当たり前で何も問題ないけど、
自然数論の場合は、人間の自然な直観として一つの標準解釈だけが想定されてたから、
その期待を裏切るような非標準モデルの可能性が論理的に示されてしまうのが問題ということ?
形式化された自然数論って、元々直観的に扱っていた意味上の自然数論をぴったりなぞるように
デザインされたんでしょ?それが、不完全性定理によって、どんな公理系を作っても、
理性的に納得できない「余計なもの」の混入を防げないという問題が示されて、
それがある意味理性の限界ってことなのかな?
対角線論法っていんちきっぽいんだよなぁ
実数の不可算にしたって、あれってさあ、
そもそもそのi番目の小数ってことで
i桁目が矛盾ってあるけど、
そもそも矛盾するようにi番目選ぶわけでしょっていうか
矛盾が起こるように選んでる節があるのよね
「間違った数え方して不可算だった判定してはいけない、
一見不可算かもと思っても加算になるような数え方がある
場合がある」っていう集合があるわけでしょ?
あの矛盾がおこる選び方ってのが、
その間違ったやり方だとしたら他に数え方をかえるっての
があるわけでしょ?
まあ、数え方かえても同じように矛盾するんだけど。
そしたらその矛盾にたいしてまた別のってえらんでいって
その選び方全部が矛盾のものしかないってを証明して
始めて対角線論法として成り立つんじゃ?
あれって、その最後の締めの部分が甘い気がする>よく
簡単そうにのってる実数の不可算の証明
>>173 >i桁目が矛盾ってあるけど、
>そもそも矛盾するようにi番目選ぶわけでしょっていうか
選ぶのはi桁目の方じゃないんですけど。
175 :
132人目の素数さん:02/04/17 01:27
>>173 それはおかしい議論でしょう.まず前提にあるのが0から1までの実数が自然数と
一対一に対応すると仮定したら,173の言っているような数のとり方ができる.
このとり方はなんら数学的に問題のあるようなやり方ではなくちゃんと定義できてる.
しかしすると矛盾が出てくる.ということは最初の仮定が間違っていた.という論証
なわけだから.だから矛盾が出てくるように選んできたというところに何の問題もな
いんじゃない.
>そもそも矛盾するようにi番目選ぶわけでしょっていうか
>矛盾が起こるように選んでる節があるのよね
それ、完全に間違い。証明読んでないでしょ。
どれを選んでも矛盾させることができるよ。
どの桁も元と違う値に変えるでしょ。そこがポイント。
そうできてしまうことから矛盾がいえるの。
だから、桁の場所は関係ない。どうせどこでも対角線とまじわるからね。
君は、証明の読み方が甘いね。
人の話も聞かないし、物事も深く考えない
タイプでしょ。学問には不向きだね。
ま、学問だけが人生じゃないから、
別の道をすすむことだね。
まあまあ、煽るのはやめようよ。
数学を本格的にやった人しか書き込んじゃいけない訳でもないんだし。
対角線論法がインチキくさいってのは、
素朴な感覚としてなら分かるけどね。
不完全性定理の決定不可能な命題と言っても、
対角化を使うと数学的にはどんな意味をもつ命題なのか
分からなくなるから、そうじゃない証明が考えられたんだし。
実数の非加算については175の言うように背理法で考えてもいいし、
”任意の”数え方について成り立つから、数え方”全部”のついて
証明した事になるんだと考えてもいい。
173の言う最後の締めは、一番最初にやられてたって事になる。
数学では普通のやり方だけど、
そうじゃない人には分かりにくいのかもね。
あのー、ついでに
>>172の理解についても間違いや曖昧なところがあれば、
指摘して欲しいんだけど…
>>172 >標準モデルと非標準モデルの違いってゲーデル命題があってはじめて生まれるんでしょ?
そういう訳ではないと思います。
非標準モデルはモデル論では当たり前の概念で、
べつに自然数論のモデルに限った話ではないし、その構成法も
ゲーデル命題など使わない、より直観的に分かりやすい方法を取ります。
非標準モデルの研究自体、基礎論の一つの分野になっているくらいです。
一つの数学的対象のついて同型でない異なるモデルがあると言う事が、
むしろ色々な方向からアプローチ出来るという利点になってるようです。
その後の部分については、ヒルベルトプログラムと不完全性定理の関係の
理解としては、いいんじゃないでしょうか。
オレも、大体そのように理解しています。
まあ、決定不可能命題が理性的に納得できない「余計なもの」かどうかは
色んな見方があるでしょうが。
それから、「不完全性定理は理性の限界を示した」というのは
一般向けの解説によくみられる説明ですが、
こういう言い方にはオレはちょっと疑問があります。
自然数などの数学的対象が形式化された無矛盾で完全な公理系で
表現されなくちゃならないというのは、
一種のオブセッションと言う気がするし、
一般の人にとって説得力のある主張とも思えないんですね。
だから、ヒルベルトプログラムが失敗したからといって
「人間の理性に限界がある」とか言われても、
「(゚Д゚) ハァ? 」って感じだと思うんです。
それに、決定不可能命題の存在を証明できるというのも、
理性の働きによるものでしょ。
日常生活においても、分らない事があるという事より
分らない事がある事に気づけない方が問題だったりしますよね。
ここらへんは数学の話じゃないんで、個人的な感想ですが。
>>179 例えば自然数の非標準モデルをつくるのによくやる手は
0<x、1<x、2<x、・・・
という式を全部満足させるxを追加するってやつね。
上の式が、有限個なら当然OKだが、そこから、
全部満たしてもOKといえるところがミソだな。
確かコンパクト性定理とかいうんだよな。
>>180 不完全性定理が証明されているということを歴史的事実として受け取れる
時代となっているからたしかに、理性の限界なんて大時代めいたことをい
われると、ちょっとっていう気持ちにもなるけれど、当時の衝撃の強さは
相当なものであったようですね。もっとも、日本の数学者はあまり反応し
なかったようで、高木貞治先生などは全然深く理解することはしなかった
のでしょう。でもやはり理解するのが難しい定理でよね。
>>180 別に無矛盾で完全な公理系なんぞ存在せんでもいいが、
問題は、自然数の「存在」というものはどう捉えられるのか
ということだな。なんか気分でそう思ってるだけだというと
宙に足が浮いたような、実に不可解な気分になるだろう?
>>179 でも、不完全性定理が示されるまでは、自然数論の形式的体系の解釈に、
標準的なもの以外があるとは想定されてなかったんでしょ?
ともかく、不完全性定理が示した「理性の限界」ということの意味の解釈としては、
これ以上のものはないよね?
>>181 そういう「非標準モデル」は「ただ存在する」ってこと以外に何か研究する意義あるの?
>でも、不完全性定理が示されるまでは、自然数論の形式的体系の解釈に、
>標準的なもの以外があるとは想定されてなかったんでしょ?
いいえ。むしろレーヴェンハイム・スコーレムの定理に
よるところが大きいでしょう。
>>185 レーヴェンハイム・スコーレムの定理って?
不完全性定理の前?後?
でも、それなら不完全性定理の意義って何?
数学者の中に非標準モデルを考える人がいたとしても、
直観的には非標準モデルは理解しにくくて、しかもそれが、
どんな自然数論を含む公理系を設計しても排除できないことが問題ということ?
つまり、不完全性定理は、標準モデル以外の解釈が紛れ込まない公理系の不可能性を示したと考えればいい?
>>183 このスレでも話題に出てるプラス・クワスの話などを知ると
直観的な算術とは何なのかさえ、厳密には分からなくなって
さらに宙に足が浮いたような、実に不可解な気分になりますね。
>>186 レーヴェンハイム・スコーレムの定理は、大雑把にいうと
形式的理論のモデルの大きさは決められないという定理で
1920年に証明されました。不完全性定理の11年前ですね。
ただ、廣瀬・横田の本のpp.83-85を読んでみると、
非標準モデル一般については知られていたとしても
実際に自然数論の具体的な非標準モデルが考えらえたのは、
不完全性定理の証明後の1934年みたいです。
ヒルベルトプログラムと不完全性定理についてまとめると、
ヒルベルトプログラムが目指したものは、モデルが
標準的なものだけになる自然数論の完全な公理系でした。
それに対し不完全性定理は、どんな公理系を採用しても
ダメだと宣告した事になりますね。
その当時ヒルベルトプログラムに共感した人にとっては
「理性の限界」が示されたと感じたのかも知れません。
それから、非標準モデル(超準モデル)の研究意義については、
専門家の文章があるのでURLを貼っておきます。
ttp://www2.math.human.nagoya-u.ac.jp/Staff/yasumoto.html
>>186 やれ標準だ非標準だというだけなら、
二階論理では、自然数論は範疇的だし
一階論理では、多くのモデルをもつと
いうだけのこと。
どちらも不完全性定理と直接の関係はない。
不完全性定理は、二階論理では、どのような
モデルで真であったとしても、証明できるとは
限らないことを示している。
一階論理の命題が、整合的なとき
つまり、そこから矛盾が証明できないとき
ある二階論理の命題が、妥当である、
すなわち、どのようなモデルでも真である
ようにできる。
つまり、二階論理での妥当性は、
一階論理の証明可能性判定が必要
になるというわけだ。
これが不可能だというのが不完全性定理。
つまり、自然数論が二階論理で範疇的であっても、
決定可能でないから、「不完全」だというわけだ。
>>188 ヒルベルトプログラムを考える際、無視できないのは
デデキントの自然数論の範疇性の証明だろう。
つまり、ヒルベルトにしてもゲーデルにしても、
わざわざ一階論理上の公理系に限定する何等の理由も
なかったし、実際そのような限定は一切なかった。
191 :
132人目の素数さん:02/04/21 23:09
189のいいかたは誤解をうむ。それは2階論理のモデルでは標準モデル
しか考えないという立場にたつようにも見えるから。高階でも完全性
定理はある。2階論理にふれる人は林先生を含めてこのことを押えて
書いているように見えない。
不完全性定理とか
物理の不確定性原理とかは、
バカや似非哲学者をひきつけやすいネーミングではあるわな。
傍迷惑だ。
>>195 まあ、おまえには哲学どころか数学も物理学も向いてないがな。
200 :
132人目の素数さん:02/06/06 00:23
ネタ スレage
201 :
132人目の素数さん:02/06/24 14:03
age
202 :
132人目の素数さん:02/06/26 00:22
203 :
132人目の素数さん:02/06/27 21:59
204 :
132人目の素数さん:02/06/27 23:39
ところで不完全性定理自身の証明はどんなもんなの?
205 :
132人目の素数さん:02/06/29 16:39
206 :
132人目の素数さん:02/06/30 23:48
207 :
132人目の素数さん:02/06/30 23:55
不感症生理
厳密性はさて置いて、
この式は証明できない……A と置く
Aを証明しようとすると、
証明できないものが、証明できることになり、
矛盾する。 ……@
Aを反証しようとすると、
証明できるとなり、真となる。
よって、矛盾する。……A
しかしながら、@・AからAは真であると言える。
こんなものでいいでしょうか?
>>1 「mが正しいとして証明されたものF」をF(m)とする。
次にF(F(m))をF^2(m)とする。
ここでF^n(m)でn→∞のとき、
F^n(m)が正しければmは正しい。
n=30程度で実用に耐える精度だと思うけど。
名前間違った、僕ぁこのスレの1じゃないです
211 :
132人目の素数さん:02/07/13 16:49
あげとく
212 :
132人目の素数さん:02/07/13 18:57
悲しい
数学の葬送曲のような定理だね
213 :
132人目の素数さん:02/07/21 19:45
agetokune!!
214 :
132人目の素数さん:02/07/28 07:34
ここで訊いた方がいいのかな。
ゲーデルの不完全性定理の適用範囲は、
第1階の自然数論の公理系Z(?)と同じ記号を持つ第1階の公理系、でいいんでしたっけ……?
ふつうに高校で使っていた数学には当て嵌まるのでしょうか(厳密には公理化されてないけど)。
215 :
132人目の素数さん:02/07/28 11:53
>>214 第一階の自然数論の公理系として習うのはペアノ算術 PA(Peano Arithmetic)が標準だと
思いますが、不完全性定理の適用範囲はこれに限ったものではないですよ。
自然数論を含む公理系であればいいので、例えば公理的集合論ZFや
高階の自然数論にも適用されます。
公理系をいくら強めても適用可能というのが不完全性定理の重要なポイントです。
公理化されてない数学は適用範囲外ですが、ペアノ算術 PAの公理系を
高校の数学の範囲内と考えることは可能だと思います。
PAの公理は、等号の公理を含む一階述語論理、次の数を意味するsuccsessorの公理、
数学的帰納法ぐらいなので。流儀によっては+と×の定義が加わる事もありますが。
216 :
132人目の素数さん:02/07/28 21:05