南京大虐殺はあった!

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1名無しさん@お腹いっぱい。
以下に、当時の日本軍の司令官の日記にある
目撃録をあげておこう。
論理的に具体的根拠のある反論があれば、どうぞ!
2名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 14:19
日本兵が、略奪・強姦・放火をしていたということは、偕行社の南京戦史のような、日本側の記録にも出てきます。
 そういった記録はみんな嘘だとでもいうのでしょうか。
 それでは、ここからひとつひとつ事実をみていきたいと思います。

 @略奪の話


 家具ノ間題モ何ダカケチケチシタコトヲ愚須愚須言イ居リタレバ、国ヲ取リ人命ヲ取ルノニ家具位ヲ師団ガ持チ帰ル位ガ何カアラン、之ヲ残シテ置キタリトテ何人カ喜ブモノアラント突パネテ置キタリ

中島今朝吾 1月23日の日記

 昭和13年1月の中国は南京、ここを占領した後、暫くの間治安維持を担当した日本陸軍の部隊は、中支那方面軍隷下の第16師団でした。これはその師団長であった中島今朝吾中将の日記です。この日記は、南京事件当時の日本軍側の当事者が記録したものとして、南京事件を考察するのには重要な資料のひとつとなっています。
 中島中将は、砲兵出身で何度も砲兵学校の教官をやった上、フランス留学までしているくらいのエリート軍人です。ところが、こういうエリート軍人でさえ、家具を略奪して持ち帰るくらいことのどこが悪いのだ?、と公然と主張しているのです。しかも、略奪を上官である「大将」、つまり中支那方面軍司令官松井石根からとがめられると、反対に逆ギレして突っぱねたりするわけです。

 小林よしのりがどう言おうとも、当時の南京を占領した日本軍は、悲しいことに、国際法のみならず、陸軍刑法においても禁じられている、略奪を平気でやってしまう「無法」集団だったのです。
 師団のトップが公然と、略奪してどこが悪いといってしまう師団に警察の役割を任せているのですから、言い方は悪いのですが泥棒に戸締まりをさせているのに等しいでしょう。
 もっとも、略奪を行ったのは、第16師団長だけではなかったのは、

国民政府ノ中ノかっぱらいノ主人ハ〔中支那〕方面軍ノ幕僚ナリト突込ミタルニ、是ハサスガニしらばくれテ居リタリ
 という、中島中将の同日の日記の記述からも明らかです。

 無論、略奪をしたのは、上層部だけではありません。

 歩兵第7聨隊第2中隊の井上又一上等兵の12月19日の日記には、


 醤油と砂糖の徴発に出かけ難民の家に行き箱から蓋を取った釜の中を見、引出の中を開き色々と中をさがすのだ。難民の見ている前でやるのだから彼等とて恐ろしい日本兵の事何もする事も出来ずするままである。
(中略)
 手榴弾を取って来て池の中に投げ又魚を取る。全く悪い事の出来得るかぎり働くのである。
 とあります。


 また、歩兵第103旅団長だった山田栴二少将は、12月24日の日記には、


一、予後備兵ノダラシナサ
1、敬礼セズ
2、服 装 指輪、首巻、脚絆ニ異様ノモノヲ巻ク
3、武器被服ノ手入レ実施セズ赤錆、泥マミレ
4、行 軍 勝手ニ離レ民家ニ入ル、背嚢ヲ支那人ニ持タス、牛ヲ曳ク、
     車ヲ出ス、坐リ寝ル(叉銃ナドスル者ナシ)、銃ハ天秤
5、不軍紀 放火、強姦、鳥獣ヲ勝手二撃ツ、掠奪
 と書いてあります。(放火、強姦、略奪といった犯罪行為を、服装の乱れ等と同じレベルの「ダラシナサ」で片づけてしまう点に、当時の日本軍がこういった犯罪行為に「慣れ」てしまっている様子が感じられます。)

 山田旅団長は、続けて○ 兵ノ機敏ナル、皆泥棒ノ寄集リトモ評スベキカ
 旅団司令部ニテモボヤボヤシ居レバ何ンデモ無クナル、持ツテ行カル、馬マデ奪ワレタリ
 と書いています。


 つまり、兵隊は、自軍の旅団司令部でさえ、略奪の対象としていたわけです。
 日本軍の司令官自身が兵士を「泥棒ノ寄集リ」と表する程、日本軍の軍紀がデタラメになっていたことが伺い知ることができます。

 小林よしのりは、これも、中国兵が日本兵になりすまして、略奪したとでも言うのでしょうか?


3名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 14:19
A強姦の話。

 歩兵第23聨隊第2大隊砲小隊長だった折田護少尉の12月16日の日記を見てみたいと思います。


 夕刻入城祝を小隊にて催せしが、一八・○○大隊本部に各中小隊長集合を命ぜらる。席上大隊長より次の注意あり。
 「昨日UMGの兵二名市内にて支那婦人二名を強姦せるを柚木円優中尉発見しR本部にて問題となり目下取調べ中の由、厳にかかる行為のなきよう注意せられたし」と。

UMG=第二機関銃小隊
R=連隊

 付記
 強姦について、南京陥落後、杭州攻略に向かった第10軍が、12月20日に出した命令「丁集参一第一四五号」の中に南京において「婦女暴行ノミニテモ百餘件ニ上ル忌ムヘキ亊態ヲ發生セル」と書かれています。
 この命令が出たのが、12月20日ですから、南京占領後、1週間も立たない内に、公式に判明しただけでも、100件以上の強姦事件が発生した訳です。
 まさに「忌ムヘキ亊態」と言わざるを得ません。
 しかし、第10軍は、杭州においては、そのような事態が発生しないように、迅速に対策を講じています。
 第10軍は隷下の第18、第101師団から、それぞれ歩兵1個中隊を抽出して補助憲兵とし、これを第10軍の憲兵隊長の指揮下に加えることで警察機能を強化し、秩序の維持を図っています。

 こういった第10軍の迅速な対応に比べて、南京に駐留していた上海派遣軍やその上部組織の中支那方面軍の対応はお粗末きわまりないものでした。

 例えば、中支那方面軍司令官松井石根大将の12月20日の陣中日記に


一時我将兵ニヨリ少数ノ奪掠行為(主トシテ家具等ナリ)強姦等モアリシ如ク多少ハ已ムナキ実情ナリ

 とあるように、司令官自身が、少数(1週間足らずの間に、強姦だけでも100件以上の事件が発生しているにも関わらず、それを「少数」としてしまうその感覚は理解を絶しますが)の掠奪や強姦等はやむを得ないと認容し、何らの対策も講じませんでした。
 中支那方面軍が、具体的な対策を講じるのは、1月6日です。
 12月30日に陸軍大臣、参謀総長連名で注意電報が来てから1週間の日数が経過しています。

 しかし、この後も、信じられないことに、指揮官を先頭に部隊ぐるみで強姦をやる者たちが出てきます。

 上海派遣軍参謀長飯沼守少将の日記を見てみます。憲兵ノ報告ニ依レハ(中略)避難民区ニ将校ノ率ユル部隊侵入強姦セリト言フ。(真偽確カナラサルモ)

 12月19日

本夕本郷少佐ノ報告。(中略)中隊長ヲ訊問シタルニ中隊長ハ其権限ヲ以テ交ル交ル女ヲ連レ来リ金ヲ与ヘテ兵ニモ姦淫セシメ居レリトノコト。依テ憲兵隊長小山中佐及33〔i〕第二大隊〔長〕ヲ呼ヒ明朝ノ出発ヲ延期セシメ大隊長ノ取調ニ引キ続キ憲兵ニテ調フルコトトセリ。

 1月26日
注・iは歩兵連隊のこと。

 この事件の取調の様子を、上海派遣軍参謀副長だった上村利道大佐も日記に書いています。


天野中尉ノ取調ニ就テ憲兵報告……昨夜ノ勢当ルヘカラス、大隊長不甲斐ナクモ統御出来ス。残置命令ヲ当番兵ヲシテ伝達セシム。

 1月27日

 まさにこれは、上官が部下を統制出来なくなっていることを示しており、軍隊としては末期的な症状です。
 当時の日本軍に犯罪行為が多発した理由はこれでしょう。

 この後も、強姦事件が続いたことが、飯沼少将の日記から伺えます。 米領事「アリソン」ヨリ一月二十八日以後二月一日迄ノ日本兵ノ非行トシテ掠奪強姦八十九件ヲ抗議シ来レリ。甚タ誇大ナルヘキモ日本兵ノ非行ハ憲兵ノ報告ノミニテモ数件アリ実ニ慨嘆ニ堪ヘス。

 2月12日

 これらの記録から、日本軍の軍人たちが強姦を行っていたことは明らかです。


4名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 14:20
B放火の話

 前掲の飯沼少将の12月19日付の日記には「憲兵ノ報告ニ依レハ十八日中山陵奥ノ建物ニ放火シ今尚燃ヘツヽアリ。」という記述があります。
 この「中山陵」というのは、孫文の墓で、日中両軍とも戦闘中はここに戦火が及ばないように配慮していたのですが、よりもよって、そんな場所で、放火による火災が起った訳です。

 日記の記述だけでは、放火したのが誰だか分かりませんが、前掲山田旅団長の「不軍紀 放火、強姦、鳥獣ヲ勝手二撃ツ、掠奪」という記述や、前掲上村参謀副長の12月15日の日記に「中山陵正ニ荒サレントスル形勢ニ在リ。無智ノ兵可」と書かれていること、また中山陵には警備兵がいたこと等から考えると、日本兵による放火の可能性が相当高いと言わざるを得ません。

 同じ12月19日、歩兵第45聨隊第7中隊小隊長だった前田吉彦も


帰途ロータリーを南下して秦准へかかる頃不図遣畔の三階建の洋館から突如黒煙が湧き上りその下にチロチロと火焔が出はじめたのに気付く、今朝来るときは火の気など一ツもなかったのだが此は掠奪組の放火と首肯れた。
 皇軍意識なんてものは一かけらもない彼等の行動だ。日本兵一、○○○名の中に一人の不心得者の仕業があることによって皇軍の面目は只今泥濘に委するのか。何とも云えない悲痛の裡に午後五時頃帰りついた。
と書いています。

 ただし、歩兵36聨隊乙副官だった菅原茂俊の12月15日の日記の

夕方、近くで火事を起し、一時は驚いた。
という記述や、歩兵第六五聨隊第七中隊の大寺隆上等兵の12月16日の日記の

MG(機関銃)の第二小隊の二分隊では夜半火を出し、日本刀を焼いた者、雑嚢、水トウ、飯台皿、鉄兜等を焼いた者があった。
という記述や、あるいは歩兵第七聨隊長だった伊佐一男大佐の12月26日の日記の


但沿道ノ部落ハ16D部隊焼却シアル為宿営ニ困難ス。 午後十一時第八中隊火災ヲ起ス。
 という記述をみると、火災の全てが放火ではなかったようですが、日本軍は、随分火災をおこしています。

 こういった記録から、日本軍が放火を行っていたというのも明らかでしょう。


 さて、このような日本軍の軍規の乱れは、様々なルートから日本へも伝わっていくことになりました。

 例えば、元陸軍教育総監で皇道派の中心人物であった真崎甚三郎は、一月二十八日の日記に「十一時江藤(源九郎予備役11期少将)来訪、北支及上海方面ノ視察談ヲ聞ク(中略)之ニヨレバ一言ニシテ云ハバ軍紀風紀頽廃シ之ヲ建テ直サザレバ真面目ノ戦闘ニ耐ヘズト云フコトニ帰着セリ。強盗、強姦、掠奪聞クニ忍ビザルモノアリタリ。」と書いています。
 また、松井大将に代わって、中支那方面軍司令官になる畑俊六は、一月二十九日の日記に「支那派遣軍も作戦一段落と共に軍紀風紀漸く頽廃、略奪、強姦類の誠に忌まわしき行為もすくなからざる」と書いています。

 日本国内でも、南京における日本軍の軍規の退廃が漏れ伝わり、問題視されていたことが分ります。

 付記
 南京における日本軍の不法行為が外国にまで伝わっていたことは、例えば、駐日アメリカ大使グルーの一九三八年二月十日の日記にも、 パネイ事件の反射熟がさめはじめるや否や、南京に侵入した日本軍の言語に絶した残忍と、彼らの放恣な米國諸權利の侵害が傳わつて來た。後者は米國の家庭の掠奪と米國國旗の冐涜を含み、國旗は諸所で引別下ろされ、焼かれ、あるいは外の方法で廃棄された。中国人は大體無差別に殺され、多数の中国婦人が陵辱された。
と書かれていることから明らかです。
(「滞日十年」 ジョセフ・C・グルー 毎日新聞社 P321)


 長々と書きましたが、これが南京を占領した日本軍の真実の姿です。小林よしのりがいうような、中国人による見せかけ、という記述は見つけることができません。

 以上の資料は、全て「南京戦史資料集」「南京戦史資料集U」(偕行社)に出ています。


5名無し:2001/03/14(水) 14:26
だから何だよ中国人
6名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 14:26
で、大虐殺の証拠はドコに?
7名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 14:33
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8名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 14:33
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9名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 14:33
>6
2〜4の書かれているような軍隊だったんだよ。
日本軍は。
当然虐殺もしたんだろうよ。
それても2〜4の行為は許容されるとでもいうのか?
107@`8:2001/03/14(水) 14:36
南京大虐殺はあった!
武士道精神をもった
日本男児なればはうじうじせず
いさぎよくその事実を認めましょうぞ!!
11名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 14:36
虐殺がまったくなかったといっている人なんかいなっしょ。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 14:40
>>6
で、「大」虐殺の証拠はドコに?
13名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 14:41
>>9
で、「大」虐殺の証拠はドコに?
14名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 14:44
>>1 チミが殺ったんだろう。神妙にお縄にかかりなさい。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 14:52
>>1
>論理的に具体的根拠のある反論があれば、どうぞ!

虐殺の証拠がどこにもないやん。
自らこのでっち上げにトドメを刺してどうする(藁
16名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 14:53
アホは死ななきゃ治らない。
17名無しさん@お腹壊した:2001/03/14(水) 14:56
んんん?
なんかけち臭い略奪の話してるよねぇ。
家具をかっぱらい、そこらの家の食い物を盗み食い?
ボヤで軍刀焼いちゃった?百人ほど強姦した?
たしか南京『大虐殺』とか言って、三十万人を殺し、
死体を川に投げ込んだり、妊婦の腹を割いたり、
六十万人ほど性奴隷を連れ歩いたりしてたっていう
のがどっかの国の主張じゃなかったか?(笑)
18名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 14:59
>>1
つまりこういうことか?

どうしても虐殺の証拠が見つからないものだから、
思いあまって軍規の乱れを嘆く司令官の日記を引っ張り出してきた。
当然そこにも虐殺の記述などないから、推定して
「やったんだろ? 多分。そうに違いない」
と吠えてみる。
19名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:02
>2〜4の書かれているような軍隊だったんだよ。
>日本軍は。
>当然虐殺もしたんだろうよ。

「したんだろう」ってのが、虐殺の根拠かい?ワラワラ
20名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:02
2@`3@`4@`6が虐殺の証拠です。
21無名草子さん:2001/03/14(水) 15:03
なぜここまで虐殺はあったとか抜かしてるのに
日中で合同調査とかしないんだろう?
もうすでにやったのか?
22名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:03
どこにかいてんだ?大虐殺したって。>20
23名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:11
>>21
アメリカに専門の調査機関があって、そこに依頼すれば遅くても1年ほどで結論が出るらしい。

問題はまずその費用をどこが出すか。
これは虐殺肯定派の方々にお願いしましょう。チャンスですよ!(藁

そして最大の問題は中国政府がその調査を認めるかどうか。
おそらく拒否するでしょう。嘘だとバレるから(藁

中国「白骨がこんなに出てきたぞ!」
調査員「あー、これは60年代の死体ですね。文化大革命でしたっけ?」
中国「・・・」
24名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:12
>20
2@`3@`4@`6が虐殺の証拠です。
25名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:13
だあら、どこにかいてんだ?「市民を虐殺した」って。>24
あほ?
26名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:15
南京事件があった根拠は、一番簡単なのが中公新書刊 秦郁彦著 「南京事
件」
にも書いてあるとおり、主に加害者側の(旧日本軍)公式資料だけでも
(戦闘詳報、陣中日誌等)それを証明するには十分です。

それに兵隊個人の史料や被害者側の記録、ラーベを初めとする当事者以外
の記録を見れば、「南京事件」は間違いなくあった、と言っても誤りではない
でしょう。

何も知らないのなら、以下の本を一読することをお薦めします。
いずれも簡単に手に入るし、値段も安いです。

中公新書刊 秦郁彦著 「南京事件」
岩波新書刊 笠原十九司著 「南京事件」
27名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:16
旧日本軍の公式資料(戦闘詳報、陣中日誌等)だけでも南京事件を証明するに
は十分だよ。
いまだに「なかった」などと言う方が無知だって。

せめてこの本を読んでから議論して下さいな。

中公新書刊 秦郁彦著 「南京事件」

まさか秦氏のことをサヨクなどとは呼ばないよね。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:17
じゃ、そっから抜粋してみ。決定的な虐殺の論拠とやらをよ。>26

29名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:18
>25
2@`3@`4@`6が虐殺の証拠です。
30;´Д`) 笠原のやつは止めとけ:2001/03/14(水) 15:20
トンデモだから。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:23
>30
知ってる。
オレ買って持ってるよ。
差し替え前のウソ写真が出てるヤツ(笑)。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:25
南京事件≠南京大虐殺
33名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:26
戦闘詳報、陣中日誌等ならくさるほど出てくる。
言っておくけど、これらは公式の報告書だよ。

数百円で手に入るんだから、自分で読めよ。>26
34名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:28
笠原ってまだ20万人説を主張してるの?
さすがにこれは引っ込めたよね?
35名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:29
もう、この手のスレはいいじゃん、って思うのは俺だけ。
だってさ、大虐殺派は「大虐殺」を証明できないし、出した証拠を論破されると「数の問題だと思ってるの?」とか言い出すし、そもそも大虐殺否定派のコテハンは多数いるけど、大虐殺あった派のコテハンはほとんどいないし、どっかからのコピペを貼り付けるだけだし、まだまだあるし。
ねっ?もういいんじゃない?
36>:2001/03/14(水) 15:31
南京事件の死傷者数はどの位なの?

政治プロパガンダである「大虐殺」「30万人」とは当然違うんだよね。

37名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:32
> もう、この手のスレはいいじゃん、って思うのは俺だけ。

お前だけなら続けるよ
38名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:36
>>37
一行目の最後に?を付け加えて〜(T_T)
39名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:41
> もう、この手のスレはいいじゃん

全くだ。大体「兵士の非行」を幾ら挙げてもそんなのは今現在ですら幾らでも全世界
にニュースで流れていることであって、別に「大虐殺」の証拠でも何でも無い。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:42
>35
問題は、初めて2ちゃんきた人がどう思うかなんで、
スレがたった以上、なんらかの形で議論が終わってることを宣告しとかにゃならん部分はあると思う。

41名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:43
要は、モグラたたきのもぐらのようにスレを立て続ける輩が全て悪い。
42名無しさん@あたっかー:2001/03/14(水) 15:44
あってもなくてももうどうでもいい。
みんなしんだられきしのやみにほうむりさられておわりなんだから。

43名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:44
>だってさ、大虐殺派は「大虐殺」を証明できないし、出した証拠を論破されると

証明してるし、論破されてもない。
小林信者ってこんなにドキュソなの?
44名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:48
>証明してるし、論破されてもない。

そうなんやー、じゃ、ここでその論破されてない証拠をコピペしてみいやー。

>小林信者ってこんなにドキュソなの?

なんで小林がでてくるねん。誰も小林の名前だしてないやろ?
南京大虐殺否定派=小林信者か、キミのおつむの中では(藁
45名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:49
>>43
ほほう、じゃ、その証明されている証拠とか、
論破されていない、証拠や論拠を今すぐ提示してもらおうか?
あるんでしょ? 言いきったよね?
46名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:53
>42
>あってもなくてももうどうでもいい。
>みんなしんだられきしのやみにほうむりさられておわりなんだから。

そんなことないぞ。ばかもん。
外交カードに使われることがあるだろうが。
案の定原潜事故でもこれ以上謝罪の必要なしとの論調の中で
南京も慰安婦も使われてるわけだからな。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:53
>44@`45
2@`3@`4@`6が証拠。
それに対する否定する反論を伺おうか。
これが虐殺の証拠じゃないというのは、
負けを認めたがきの戯言か。
証拠と言う言葉を理解できない人だとけっていします。
48名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:53
43は逃亡か?
49名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:54
人の事ドキュソゆうとるヤツが一番ドキュソやったとゆうこっちゃな。>43
50名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:56
「南京事件」はあった、とか言えばいいのに。

「大」とか書くからうさんくさいと思われるんよ。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:57
>47
ネタで繰り返してるのかと思って無視してたぜ(藁
マジだったのな。
だから、どこに虐殺したって書いてるかってきいてんだけど?
強姦と略奪と放火はわかったからよ。>47
52名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:57
>論破されていない、証拠や論拠を今すぐ提示してもらおうか?

主に加害者側の(旧日本軍)公式資料だけでも
(戦闘詳報、陣中日誌等)それを証明するには十分ですよ。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:57
だあら、ちょっと、ここに書いてみ>52
54名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:58
間違いを認めたがらない人間に、間違いを認識できるはずがない。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:59
>>54
そういう何の意味もないアホリズムはやめとけ
56名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 15:59
>2@`3@`4@`6が証拠

それのどこが「南京大虐殺」の証拠なわけ?
論理的に説明してくれよ。
57名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:00
「第一一四師団第六六連隊第一大隊 戦闘詳報」

(一二月一二日午後七時ごろ)最初の捕虜を得たるさい、隊長はその三名を伝令として抵抗断念して投降せば、助命す
る旨を含めて派遣するに、その効果大にしてその結果、我が軍の犠牲をすくなくなからしめたるものなり。捕虜は鉄道
路線上に集結せしめ、服装検査をなし負傷者はいたわり、また日本軍の寛大なる処置を一般に目撃せしめ、さらに伝令
を派して残敵の投降を勧告せしめたり。
 一般に観念し監視兵の言を厳守せり。

(一二日夜)捕虜は第四中隊警備地区洋館内に収容し、周囲に警戒兵を配備し、その食事は捕虜二〇名を使役し徴発米
を炊さんせしめて支給せり。食事を支給せるは午後十時ごろにして、食に飢えたる彼らは争って貪食せり。

(十三日午後二時)午後二時零分、連隊長より左の命令を受く。
 旅団(歩兵第一二七旅団)命令により捕虜は全部殺すべし。その方法は十数名を捕縛して逐次銃殺してはいかん。
(中略)
 各隊共に午後五時ごろ準備終わり刺殺を開始し、おおむね午後七時三十分刺殺を終わり、連隊に報告す。第一中隊は
当初の予定を変更して一気に監禁し焼かんとして失敗せり。
 捕虜は観念し恐れず軍刀の前に首をさし伸ぶるもの、銃剣の前に乗り出し従容としおるものありたるも、中には泣き
喚き救助を嘆願せるものあり。とくに隊長巡視のさいは各所にその声おこれり。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:00
「山田支隊山砲兵第十九連隊第三大隊 黒須忠信上等兵の陣中日誌」

(十二月十六日)午後一時、我が段列より二十名は残兵掃湯(掃蕩)の目的にて馬風(幕府)山方面に向かう。二、三
日前捕慮(捕虜)せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出し機関銃を持って射殺す。その后銃剣にて思う存分
に突き刺す。自分もこの時ばが(か)りと憎き支那兵を三十人も突き殺したことであろう。
山となっている死人の上をあがって突き刺す気持ちは、鬼お(を)もひひ(し)がん勇気が出て力いっぱい突き刺した
り。ウーン、ウーンとうめく支那兵の声、年寄りも子供もいる。一人残らず殺す。刀を借りて首も切ってみた。こんな
ことは今まで中にない珍しい出来事であった。
帰りし時は午後八時となり、腕は相当つかれていた。
59名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:01
「上海派遣軍司令部野戦郵便長 佐々木元勝の日記」
十二月十六日−
 ……新局舎の前には、軍帽を被った支那兵(士官)が脚から腹のほうを焼かれ、まだ、燃えている。壊れた煉瓦の上
では、少し前殺されたらしい中老の死体が、口と鼻から血を出して倒れている。・・・・・・麒麟門で敗残兵との一戦では、
馬群の弾薬集積所で五名の兵が、武装解除した二百人を後手に縛り、昼の一時頃から一人づつ銃剣で突刺した。・・・・・・
夕方頃、自分で通った時には二百人は既に埋められ、一本の墓標が立てられてあった。
(中略)
 ・・・・・・碼頭の局に行った運転手の兵等が、だいぶ遅くなってからドヤドヤ帰ってきたが、碼頭で二千名の俘虜を銃殺
したという話。手を縛り、河に追い込み銃で撃ち殺す。逃げようとするのは機関銃でやる。三人四人づつ追い立て、刺
しても斬ってもご自由というわけで、運転手の兵も十五名は撃ったという。
60名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:01

「第一六師団第二〇連隊 牧原信夫上等兵の日記」

〔一一月十八日〕
ある中隊の上等兵が老人に荷物を持たせようとしたが、老人が持たないからといって橋から蹴倒して小銃で射殺
しているのを目前で見て可哀想だった。
〔一一月二二日〕
道路上には支那兵の死体、民衆および婦人の死体が見づらい様子でのびていたのも可哀想である。
 橋の付近に五,六個の支那軍の死体がやかれたり、あるいは首をはねられて倒れている。話では砲兵隊の将校
がためし切りをやったそうである。
〔一一月二六日〕
(中略)自分たちが休憩している場所に四名の敗残兵がぼやっと現れたので早速捕らえようとしたが、一名は残
念ながら逃がし、あと三名は捕らえた。兵隊達は早速二名をエンピ(小型シャベル)や十字鍬で叩き殺し、一名
は本部に連行、通訳が調べたのち銃殺した。
〔一一月二七日〕
支那人のメリケン粉を焼いて食う。休憩中に家に隠れていた敗残兵をなぐり殺す。
〔一一月二八日〕
午前十一時、大隊長の命令により、下野班長以下六名は小銃を持ち、残敵の掃討に行く。・・・・・・自分たちが前進
するにつれ支那人の若い者が先を競って逃げていく。何のために逃げるのかわからないが、逃げるものは怪しい
と見て射殺する。
 部落の十二,三家に付火するとたちまち火は全村を包み全く火の海である。老人が二,三人いてかわいそうだ
ったが命令だから仕方がない。次ぎ、次ぎと三部落を全焼さす。そのうえ五,六名を射殺する。意気揚々とあが
る。
〔一一月二十九日〕
武進は抗日、排日の根拠地であるため全町掃討し、老若男女をとわず全員銃殺す。敵は無錫の戦で破れてより全
く浮き足立って戦意がないのか、あるいは後方の強固な陣地に立てこもるのかわからないが、全く見えない。
〔一二月一日〕
途中の部落を全部掃討し、また船にて逃げる二名の敗残兵を射殺し、あるいは火をつけて部落を焼き払って前進
する。呂城の部落に入ったおりすぐに徴発に一軒家に入ったところ三名の義勇兵らしきものを発見。二名はクリ
ークに蹴落とし、射殺する。一名は大隊本部に連行し手渡す。
61名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:01
>>1
(あったと仮定して)賠償金の財源はどうするの?増税しかないよ。
62名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:03
>二、三日前捕慮(捕虜)せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ
>出し機関銃を持って射殺す

これとっくの昔から「あり得ない」と散々突っ込まれて「ウソ」だといわれて
いるんだがねえ。
五千人の兵士を機関銃で射殺するのにどれだけの弾薬が必要になるか計算して
みな。
63名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:03
ナシ派のトンデモくん達など放っておけば?
64名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:04
>1
ついに、軍による30万人組織的虐殺が立証不可能なのをさとって、個々の犯罪
追求に後退したのかな?

今まで政治的問題とされた中共の公式見解である「南京城内での30万大虐殺」
というのは対日政治的プロパガンダだったっていうことでいいの?

通常の戦争犯罪(で処分できる範囲)を遥かに超える規模だからこそ、戦後50
年たっても問題にされ政治的に利用されてきたんでしょ?
(最近100万に増えたというのも聞こえてこないでも…。)

ちなみにヨシリンは、その3万する本読んでるし、在野のアマがしない関係者への
取材もしてるよ、たかが漫画家ってナメてると思うけど、少なくともキミより判断
材料は多いよ。まぁ超能力のとき学者もウソを見破れなかったなぁ。
65名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:05
>>47
だからあ。
ありゃ、軍規の乱れや、一部の不心得者がいたということだけじゃん。
どこに「南京」の「大虐殺」の証拠が書いてあるの?
おまえ、ニューヨークタイムスに、シナ兵が日本軍に化けての略奪行為で捕まった
という記事があるの知らんの? 南京事件の真っ只中の日で。
ちゃんと、アメリカとかのジャーナリストが多数いたにもかかわらず、
虐殺なんぞ一行も報道されてないんだよ。
66名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:05
>ちなみにヨシリンは、その3万する本読んでるし

「斜め読み、一夜漬けの要領で」って小林本人が言ってたじゃん。
小林を真に受けるのからはいいかげん卒業しなって。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:08
>ちゃんと、アメリカとかのジャーナリストが多数いたにもかかわらず、
>虐殺なんぞ一行も報道されてないんだよ。

こんなデマを平気で飛ばすあなたは立派なトンデモ。

ニューヨークタイムズ1938年1月9日38ページで南京虐殺は報じられてるって。
現物を見たいなら次のウェッブサイトを見てご覧。

ttp://www5.tok2.com/home/JOHNVOID/times1.htm
68名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:08
まあ結局のところ、根拠として挙げてる陣中日誌も「東史郎」と同レベル
のヤツだね。
691:2001/03/14(水) 16:11
私は秦郁彦派だが。
なにか都合の悪いことでも?
70名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:11
小林、小林と連呼するだけの頭の悪いブサヨク。
このスレッド立てた1にはそのブサヨクの焦りが感じられる。
71名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:12
それだったら中国側の主張は当然、認めていないんだろうね。
72:2001/03/14(水) 16:12
それでも大幅に後退しました。
73名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:15
一部の馬鹿を除けば、誰も中国政府の主張など信用してはいません。
かえって虐殺肯定派の足を引っ張っております(藁
74名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:15
まあしょせん俺が死ぬ頃には一万年の歴史になってそうな国の言うことだから
数のことで真に受けてたらやっていけんよ
75>1:2001/03/14(水) 16:17
>私は秦郁彦派だが。(>>69

それなら何故「しかし中国側の30万人説は誤りである」と一筆入れない?
単なる煽りかブサヨクと見做されるだけだぞ。
誤解される奴の典型だな、お前は。
76名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:18
>>72
>それでも大幅に後退しました。

意味不明
77名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 16:21
支那ソバは差別用語である
781:2001/03/14(水) 16:23
>75
30万人説を主張した覚えはないが。
誤解させてすまない。
因みに「倭」も差別用語。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 17:38
このスレの1は変だな。
秦郁彦派の人間が、「南京大虐殺はあった」などというスレをたてるとは思えないな。
軟禁での出来事について「大虐殺」などと言えば、一般的には10万人以上を指すと思うが。

結論。アホなスレたてたけど、とても対抗できないと悟って、それで秦郁彦派を装った、と。
本心は30万人虐殺があった、と信じている。

8079:2001/03/14(水) 17:44
>>79
軟禁→南京
81名無しさん@お腹壊した:2001/03/14(水) 19:06
また、アンタか‥‥
>>57
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=kokusai&key=976510542
の後半でフクロにされたとき、答えなかった質問に全部回答してから
もう一度、自分の意見を開陳するように。
以上。
82名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 19:44
>>79
>「大虐殺」などと言えば、一般的には10万人以上を指すと思うが。

アホか。誰が決めた。

83名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 19:49
>82
南京に限って言えば10万人以上じゃねえ?
84名無しさん:2001/03/14(水) 20:26
>>82
> >>79
> >「大虐殺」などと言えば、一般的には10万人以上を指すと思うが。
>
> アホか。誰が決めた。
見事に引用したところの前の部分、「南京での出来事について」が抜け落ちてるけど、コレはワザとか?
まあ、10万までは行かなくとも、5万じゃ大虐殺派とは呼べないだろう。
妥当な話だと思うがね。


85名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 20:34
5万人前後だったら中虐殺ってトコだな
86名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 21:03
>85
んじゃ、阪神小震災だな。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 21:06
>86
南京を抜くなって。しかも震災かよ。
ネタにしても笑えんぞ
88八っつあん:2001/03/14(水) 21:22
一番簡単な検証方法は当時の南京進行した
部隊の戦友会へマスコミが行くこと。
今更嘘はつかないだろう。75歳が一番若いぐらい
なんだから。

薬害エイズ事件の時、ミドリ十字の事で
創始者が731部隊出身だよーんって
報道特集で故人をあげつらっていたけれど
元ネタが731部隊戦友会名簿(爆)。
731部隊だって謎でも何でもないよな。
要はマスコミの覇気のなさ。
89名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 23:41
「南京では10万以上でないと大虐殺とは言えない」
っつー根拠は何?

自分で勝手に定義すればなんとでも言えるってば。

例えば麻原が
「東京では1000人以上が死ななければテロとは言えない」
と勝手に定義して、あなた納得できる?
90名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 23:44
>>89
ちょっと話題がずれてるぞ。
その辺にして本筋に戻せ。
91名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 00:26
>>84
「南京」と「軟禁」と馬鹿な誤変換している文章をそのまま引用する
わけないじゃないか。

>10万までは行かなくとも、5万じゃ大虐殺派とは呼べないだろう。
>妥当な話だと思うがね。

ぜんぜん妥当な話じゃないと思うがね。
92名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 00:26
>66

んー、>1が反論の対象としたのが学者でもない漫画家のヨシリンだったから、それを
仮想敵にもってくる価値基準のバカさ加減と甘さを揶揄したのだが?
ちなみに専属でやっているのはトッキーだろ?本人のななめ読みにしても>1が確証を
もって引用しているのがあれだけなら30万大虐殺の証拠資料とはだれも位置付けんだ
ろ?
まったく、ヨシリンとでるだけで、なんでこう脊髄反射するんだか…。

「サヨクの人たちはワシに感謝してほしいね。やることを見つけてあげたのだから。」
滅び行くサヨクの鬱屈した心情を昇華させてあげようという慈悲の心みたいだけど、
たしかに保守系言論に理屈でかなわず、反社会的妄言デマ捏造を撒き散らし、世界に
呪わしき民族のイメージを刷り込むヤケクソな行動に出られるより、マンガに本気に
なって食ってかかってくれていたほうが平和でいいかも。(煽り)
(あっ、ただし本気で国家の混乱に乗じて外国勢力を引き入れる野望やコミンテルン
 の古指令をもっているバヤイはどうぞ信念のままに、かかわりたくありませんので。)
93名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 00:35
>89
つーか今まで南京大虐殺と言ったら民間人が30万人殺されたってのを前提に話をしているから
現段階では大虐殺があったとは言えないと言っているだけでしょ。
人数がある程度決定されたら5万人でも大虐殺と言うと思うし逆に南京事件扱いされるだけかもしれん
ただそれだけのことだと思うんだが
94名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 00:38
南京大虐殺30万

っていうのが「無かった」っていうことだろ?

さすがに「無かった」とはいわないが、誇張が多いと俺は思う。
95名無し:2001/03/15(木) 00:38
わしが2,3,4を読んだ所、30人ぐらいは殺されてそうだね民間人が
これが南京大虐殺でしょう。 藁
96名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 00:46

30万の算出根拠を提示せずに、数字の一人歩きを増長させる手口か。
嘘も百回言えばなんとやら、という常套手段だね。
97名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 00:50
>>96
だからさあ、南京事件で殺された軍民の人数は、歴史家のあいだでも議論があるし、
まだ検証の途中なわけじゃない。
それをさあ、30万人とかいう数字だけとりだして、「無かった」なんて
いうのは、単純に馬鹿だと思うよ。
98名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 00:58
おいおい、30万人て言い出したのは中共だろ。
ま、あと10年もすると50万人虐殺された!とか
絶対言い出すだろな...。
99名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 01:00
まったくおっしゃる通り。>>97
100名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 01:01
>>98
だから、正確な人数を把握するためにも、きちんとした検証を
しなきゃならないんだろ。
「30万人はウソだ」「無かった」って唱えてればいいってもんじゃない。
101名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 01:12
ユダヤ人虐殺の人数も最初は600万人と喧伝された。
しかし、実は戦後まもなくこの数字が誇張であることはわかっていたそうだ。
だけど、プロパガンダのため「600万」という数字だけが一人歩。
多少冷静になった今じゃ、その数字は科学的に信憑性のある数字に
修正されたらしい。
確か120万人だったとおもうけど、うろ覚えだから知ってる人が
いたら訂正してくれ。
しかし、いまだ多くの文献では600万と言う数字が一人歩きしている。

これはあくまでも数字の信憑性の低さについてのお話。
南京大虐殺があったかどうかは知らん。
102名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 01:19
戦争という殺すか殺されるかという過酷な状況の中で繰り広げられる
抵抗者に対抗する為のごく通常の殺し合いはあったことは確かであろう。
それが戦争というものだ。
それをいちいち取り上げて「大虐殺」にしていたのではきりがない。
そんな事で騒ぐなら、30万人以上の民間人死者を出した
アメリカによる長崎・広島原爆大虐殺を糾弾せよ。
沖縄戦の悲劇を糾弾せよ。
中国はガタガタ言うな。
お前らはチベットに対して行なった130万人の大殺戮を
棚に上げて何を言うか。
お前ら中国軍の歴史は日本軍と比べ物にならないほど野蛮だろが。
103名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 01:25
とりあえずこのスレの現状としては、
中共の言うような30万虐殺を支持する意見は無いということでよろしいですね。

それにしても意図的に誤解を招くこと必至のスレタイトルだな。
ちゃんと中共の言い分30万には与しませんなり一筆入れろこの紛らわしい(▼▼)
104名無しさん@お腹いっぱい:2001/03/15(木) 01:28
>>98
あまいよ。すでに今年100万人を超えたよ。
105名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 01:29
中共は調査を申し入れても拒否してるんだよね、
てことは30万はウソですと言ってるようなもんじゃん、普通に考えれば
106>>97 >>100:2001/03/15(木) 01:32
長い間30万という数字にこだわっていたのは中共とそのシンパどもだろ。
最近になって30万は多すぎと悟ってか、人数は問題じゃないとか言い出しやがって。

散々30万、30万と煽り教科書にまで人数をのせといて、分が悪くなったら↓
>30万人とかいう数字だけとりだして、「無かった」なんていうのは、単純に馬鹿だと思うよ
>「30万人はウソだ」「無かった」って唱えてればいいってもんじゃない。
だとよ。
107名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 01:34
兵隊行ったうちの祖父さんがいうには、
「あほをゆうな、銃剣だけでほんなようけ人殺せるか」
とのこと。
108名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 01:34
30万じゃないんなら、それを世界に垂れ流した責任をとってくれんのかのぉ。
将来、中共に報復として核の5.6発かまされても容認されるかもしれん倫理的
負の民族イメージを世界の人々に刷り込んだろうに。
論点をスリカエるのはその後だろ?
109>106:2001/03/15(木) 01:38
同感。本当にこいつ(>>97>>100)の言い分ってむかつく。

こういう不誠実な議論態度がどれだけギャラリー的にマイナスに働いてるのか分かっているのか。
こんな卑怯なやり口では誰も真摯に中共シンパの言い分に耳を傾けようとなんかしてくれないぞ。
いい加減目を覚ませ。ネットではその場繕いだけの物言いはすぐ鍍金が剥がれる。
110ユダヤ人虐殺の真実。:2001/03/15(木) 01:48
確かにドイツ人はユダヤ人を虐殺したが、その数字に実は裏がある。
終戦間際、ドイツ軍が敗北を続けてソ連軍が東欧やドイツ領に侵入したとき、
多数のユダヤ人やドイツ人を虐殺している。
連合国側とはいえ、ソ連の兵士は国際法など理解しておらず、また、貧しい農民
出身者が多いうえ、先頭には犯罪者の部隊を弾除けに使っていたため、
彼らは東欧・ドイツ・満州などで、民間人の虐殺・レイプ・略奪を繰り返して、
悪名をとどろかせた。彼らが罰せられないのは、戦勝国だからで、決して無罪だからではない。
しかし、国際政治の世界はどうなるかわからない・・・。
彼らは後にこのことを糾弾され、国際的に非難される日は近いのかも知れない。
111名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 01:48
>>104@`105
いったいどっからそんな情報仕入れてくんのか、わかんないんだが。

>>106
少なくも高校世界史教科書(山川)には人数は載ってないぞ。
たぶんオレの記憶だと、高校日本史教科書にも人数は載っていなかった
おぼえがある。

112名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 01:57
>>109
なぜ、それごときでムカツク?
30万人というのがウソなら、きちんとした人数を提示するのが
筋では?
113名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 01:58
もう、50年も前の事だから、はっきりさせようないよなぁ…。
114名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:00
>中共は調査を申し入れても拒否してるんだよね、

嘘ばっかり。

事実だというなら根拠を提示してみなって。
115>112:2001/03/15(木) 02:02
お前がまずそれを最初にやれ。
この卑怯者が。しらばっくれる奴が一番むかつく。
116名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:03
>散々30万、30万と煽り教科書にまで人数をのせといて

いつのどの教科書に30万という人数が載ったのか、根拠を出してみなって。
117はい:2001/03/15(木) 02:06
まず、中共の30万人虐殺主張に与する者は居ませんね。

こんな当たり前のことでもとりあえず明記×2。
あとでしらばっくれる卑怯者が出るのを防ぐために。
118名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:07
>>115
南京事件を検証している秦郁彦や笠原十九司などの手軽に手に入れる
新書でも読んでみたら。
119はい×2:2001/03/15(木) 02:08
無知は大きな顔して書き込まないでね。
黙ってROMってるだけにしてください。

余裕ぶっこいてるように見えてるだけで簡単に底が割れるよ。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:09
30万人っていう数字は東京裁判で中華民国が主張した数字でしょ。しかもそれは却下されてるし。
アメリカが中国と戦争したら中国に大虐殺をでっち上げられるかもね。
121名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:09
>>117
っていうかさ、まともに南京事件のことを知ろうと本でも読んだ人なら、
30万人説をそのまま鵜呑みしやしないんだよ。
鵜呑みにしたがるのは、むしろ「南京事件を無かったことにしたい派」
じゃないの。
122名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:09
>>114
中共には言論の自由がないんだよ、知ってるか?
123名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:10
>>114
菅直人が訪中時に日中共同での被害調査を提案したんだけど、中国側に拒否されたんだよ。
2年くらい前だったと思う。当時の新聞記事当たれば出てくるはず。
124名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:12
>>109
「それごとき」ですむ問題か?
たとえば殺されたのが千人だったとしよう。それでもこいつらは
「南京で殺されたのは千人で、30万人というのは大げさでした」とは言わずに、
「南京で人殺しはあったのだからやはり南京大虐殺は真実だった」
とか言い出すだろう。世間でも、外国でも、日本は南京で30万人も人を殺した、
という定説がますます広がっていくだろう。

人数の検証ももちろん大切だけど、こういう誤った定説をうち消すことも
重要なのでは?
125名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:12
ここで毎度同じ事繰り返してる中共シンパは、
何がしたいの?ほとぼりが冷めた頃を見計らってまたプロパガンダ合戦?
皆の記憶力はそんなに悪くないんだよ。
126名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:12
死体の数なら分かってるよね。四万体弱ね。
死因の内訳は
<支那人の死因区分け>

1.陥落前、支那の官憲は、掠奪に走った暴徒を見せしめに銃殺していた。
2.陥落前、支那軍は、下関の南京駅のプラットホームに、二千人の負傷者
 と、多くの戦死兵を放置していた。
3.陥落前、城門の攻防戦で、多くの支那兵が戦死していた。
 例えば、南門の前は「死屍累々」であった。
4.陥落直前、支那軍督戦隊は、例えば「李宗仁回憶録」が記す北門で、
 逃げようとする支那兵を射殺して「多数の死傷者」を出していた。
5.陥落直前、支那兵は城壁から、脱出しようとして墜落死したり、北門に
 殺到し、踏みつけあって圧死していた。
6.陥落直前、城内北部の野戦病院(外交部)に行こうとしながら、多くの
 支那兵が、外交部の前でこときれていた。
7.陥落後、反抗的な支那兵は日本軍より処刑されていた。
127名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:14
数の問題じゃないとか、自称被害者とかの証言とかが証拠とか言ってる皆さんは
過失致死で一人死なせ刑に服した何十年か後に、何百人も殺した殺人鬼と言われても平気なんだね。
実際に、被害者が証言してる。
当時、本人は素行が悪かった。と宣伝してもらえれば、
被害者の数とかは問題じゃない、死んだ人がいるんだから謝罪と補償すべきなんだよね。
死体の写真だけなら幾らでも手に入るだろうしね。
実際の南京がどうとかいう問題じゃなく、
裁こうとしている論拠レベルはそういうことだよ。
法治国家での裁判のやり方というものを知らないみたいだけど。
128126:2001/03/15(木) 02:16
126の死体数は紅卍字会の記録からのもので、これは水増しされてる、
と言われてますね。

それと、南京については以下に出尽してるから、それ見たほうが早い。

「サヨの頭の悪さ」「南京」「慰安婦」に興味をお持ちの方は
以下のスレッドをご覧下さい。

http://natto.2ch.net/test/read.cgi?bbs=mass&key=976370582
コヴァのゴー宣読んでる脳無しどもが
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=mass&key=976270843
コヴァのゴー宣読んでる能無しどもがPART2
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=mass&key=978544040
コヴァのゴー宣読んでる能無しどもがPART3
http://natto.2ch.net/test/read.cgi?bbs=mass&key=980155257
☆★小林よしのりファンの学歴は?★☆
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=mass&key=977570631
「従軍慰安婦」はこうして作られた。
http://natto.2ch.net/test/read.cgi?bbs=mass&key=976370582

特に
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=mass&key=978544040
コヴァのゴー宣読んでる能無しどもがPART3
ラストあたりの、赤っ恥かかされまくるサヨは笑えます。
129名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:17
中共シンパってオウム並にマインドコントロールされてるんだね。
片腹痛いよ
130名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:17
>嘘ばっかり。
>事実だというなら根拠を提示してみなって。

お前、本当に知らなかったのか?
それなら議論に参加する資格無いぞ。
無知の分際で生意気な口叩くな。
二度とこのスレに書き込むんじゃねえぞこの卑怯者。
131名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:19
「南京事件を無かったことにしたい派」頑張ってるね(笑)。
132名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:19
おい、無知の極致の中共シンパ、何とか言えよ。

ミエミエの使い古されたプロパガンダ手法使ってるんじゃねーよ。
133名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:20
>たとえば殺されたのが千人だったとしよう。それでもこいつらは
>「南京で殺されたのは千人で、30万人というのは大げさでした」とは言わずに、
>「南京で人殺しはあったのだからやはり南京大虐殺は真実だった」
>とか言い出すだろう。世間でも、外国でも、日本は南京で30万人も人を殺した、
>という定説がますます広がっていくだろう。

被害妄想的だなと思うが、それは置いといて、30万人説を「定説」だなん
て信じているのは、実は「南京事件を無かったことにしたい派」の
ほうだったりして。
134名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:20
>お前、本当に知らなかったのか?
>それなら議論に参加する資格無いぞ。

そこまで偉そうに言うのなら、ソースを出してみなって。
いつのどの新聞にそういう報道があったのかここに書いてみなって。
135131:2001/03/15(木) 02:22
僕は無知の癖にしゃしゃり出て大きな口を叩いて皆さんに皆さんに迷惑を掛けてごめんなさい。

皆さんの記憶力を甘く見過ぎていました。回線抜いて出家します。
136就職戦線異状名無しさん:2001/03/15(木) 02:22
>>1
南京大虐殺はあったに決まってるだろ!ただ、その規模と言うものが曲がって
伝えられているというだけの話。ついでに今更それについて中国に謝罪する必要
はまったく無し。もちろんそのこと自体悪い事であるが、戦時中はその程度の虐殺
やレイプはどこの国でもやっていた事であり、それについて今更どうこう言ってる
国なんて無い。
137名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:22
>おい、無知の極致の中共シンパ、何とか言えよ。

ここには30万人説を信じる中共シンパなんてどこにもいないけど?

>30万人説を「定説」だなん
>て信じているのは、実は「南京事件を無かったことにしたい派」の
>ほうだったりして。

このご意見は言い得て妙だね。
138名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:23
中共シンパは何がしたいの?
また過去ログに自らの恥な歴史を刻みたいの?
139本物の131:2001/03/15(木) 02:23
>>135

おいおい、終いには騙りかいな。
そういうことばっかりやってるから「南京事件を無かったことにしたい派」は
バカにされるんだよ。やり方がチンピラと全くかわらん。
140名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:25
>中共シンパは何がしたいの?

あなたの「脳内中共シンパ」はお元気ですか?
被害妄想もここまでくると滑稽だね(笑)。
141名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:26
まったく、ROMが納得できるような議論をしろっての。
そんなだからギャラリーが離れていくんだよ。
議論の上品下品ではなく議論内容で勝負をしろ。
142就職戦線異状名無しさん:2001/03/15(木) 02:28
>>139
話の流れは良くわかんないけど、あったのは本当。ちなみにこの事件での死者は
第3者国アメリカの資料で49人。しかもその背景には、中国の日本人村(民間人多し)
が奇襲を受け、全滅させられたという事が背景にあるのを覚えておくように。教科書
には出てないけど。
143名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:28
で、どこに「南京事件を無かったことにしたい派」がいるのかな?

こちらの脳内妄想には目を瞑って知らんぷり?毎度おめでたいね。
144名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:29
中共シンパ。君は飛んでるキャラだよ
145名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:30
中共政府は、「かつて国民党は、共産党の烈士三十万人を殺した」として、
雨花台烈士陵園にある烈士の墓前にその記念碑があるけど、でかでか
と「遭難者30万人」って書いてある(笑)
146名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:30
>ちなみにこの事件での死者は
>第3者国アメリカの資料で49人。

ソースきぼう。
そんなトンデモな話は初耳なもんで。
147名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:30
脳内「南京事件を無かったことにしたい派」とのシャドウボクシングはお盛んなようです。

本人は気づいてないようなのでやっと指摘してあげました。
148名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:30
>で、どこに「南京事件を無かったことにしたい派」がいるのかな?

あ、そうなんだ。
あんたも「南京事件アリ派」なんだ。
149名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:31
「南京」をめぐる大虐殺派の“数の論理”は確かにおかしい。かつて「数」に訴えて世界に例のない大虐殺と言っていたはずなのに、「数」が少なそうで自分たちに不利となったとたん数が問題ではないと言い出す。だったら30万とか言ってたときにも一人殺すのも30万人殺すのも同じと言ってたらよかったのに。数が問題ではないなら、「南京」を特別に問題にする必然性自体なくなるはず。
150名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:32
>中共シンパ。君は飛んでるキャラだよ

あなたの「脳内中共シンパ」はお元気のようですね(笑)

ここには30万人説を信じる中共シンパなんてどこにもいない、
って言ってるんだけど、まだ理解できないのかな(笑)。
151名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:32
1人でも虐殺といえば虐殺だからね。

脳内妄想に侵されているお方はこれしきの事もご理解為されないらしい(笑)
152就職戦線異状名無しさん:2001/03/15(木) 02:33
>>146
ネット上では探したけど見つからないね。ていうか、一応極秘資料でしょ。
詳しい事が知りたいなら、日本だったら憲法学会等に問い合わせて見ると
良い。でも憲法学会は基本的に左よりの人が多いから、聞く人を選ばないと
無視されるかも。
153名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:34
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>

1.「ニューヨーク・タイムズ」1938・1・4支那兵の自白。
 「南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留
 しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一名とその部下の将校
 六名を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。実のところ教授
 たちは、この大佐を避難民キャンプで二番目に権力ある地位につけて
 いたのである。この将校たちは、支那軍が南京から退却する際軍服を
 脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。彼らは大学
 の建物の中に、ライフル六丁とピストル五丁、砲台からはずした機関銃
 一丁に弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、
 自分たちのものであると自白した。この元将校たちは、南京で掠奪した
 ことと、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込
 んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人たちや
 他の外国人達のいる前で自白した」
154名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:34
というわけで南京事件は戦時中のどこにでもある規模の事件としてしか見れません。

以上,終了!!
155名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:34
秦郁彦でさえ2,3万人が殺されたって言ってるよね。

2,3万人ぐらいじゃ「虐殺」とは言えないってか?
156就職戦線異状名無しさん:2001/03/15(木) 02:35
>>146
個人的には憲法学会理事のM氏がお勧め。アポがとれれば詳しく資料などを
引っ張り出して教えてくれると思う。
157名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:36
>>142
それってさぁ、『戦争論』で小林よしのりが言ってたことでしょ。

>>143
呼び名は何でもいいけどさ、30万人説を勝手に「定説」だと思い込み、
自らの責任をしらばっくれて、まず非難されるべきは中国側だと
声高にさけぶ君たちのことを何と言えばいいの?
158名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:36
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>2

2.中沢三夫「南京に於ける申送り要点」チャイナ・プレスを裏付け。
 「先日も八十八師の大隊長を捕縛せり」「特に注意すべきは各国外交機関
 内に隠匿しある相当階級の人物あることなりとす、右八十八師の大隊長
 の自白によれば米大使館内に団長及営長尚隠れあり」
159名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:36
>>151
一人でも「大」虐殺か?

こういうときだけ「大」を外すなよ。
160名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:37
ここの人も南京大虐殺はあったとはいっていない。
>「南京大虐殺はなかった」など、ノー天気なこと
などといっておきながら、

>南京事件に見られるように多数虐殺した。
>人数はともかく虐殺はあったのだ。
などといい、自分では”南京大虐殺”という言葉を
使っていない。
http://journal.msn.co.jp/worldreport.asp?id=010314imai&vf=1
161名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:37
>ネット上では探したけど見つからないね。ていうか、一応極秘資料でしょ。

なんか、いかにもトンデモっぽい言い訳なんですけど。

> 詳しい事が知りたいなら、日本だったら憲法学会等に問い合わせて見ると
> 良い。でも憲法学会は基本的に左よりの人が多いから、聞く人を選ばないと
> 無視されるかも。

UFOの資料は極秘資料だからここには示せないが、資料は存在する。
詳しいことが知りたいならアメリカの議会等に問い合わせてみるとよいが、
議会にはUFOナシ派の人が多いから、聞く人を選ばないと無視されるかも。

うーん、やっぱりトンデモ。
162名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:38
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>3

3.「チャイナ・プレス」便衣兵摘発、ゲリラ活動。
 「十二月二十八日現在で、外国大使館や建物から、支那軍
 の将校二十三名と、下士官五十四名、兵卒1498名が摘発された」
 南京日本軍憲兵隊の報告書を引用し
 「その報告書の主張するところによれば、彼らの中には南京平和防衛軍司令官
 王信労がいた。彼は陳弥と名乗って、国際避難民地帯の第四部門のグループ
 を指揮していた。また、前第八十八師の副師長馬ポーシャン中将や、南京警察
 の高官密信喜もいるといわれている。馬中将は安全地帯内で反日撹乱行為の煽動
 を続けていた、と言われる。また、安全地帯には黄安大尉の他十七人の元部下
 は掠奪、煽動、強姦に携わったという」
163就職戦線異状名無しさん:2001/03/15(木) 02:38
>>157
戦争論見てないからよくわからないけど、そう言ってたなら、小林氏は良く調べたなと
感心せざるを得ない。個人的には彼の思想過激過ぎて好きじゃないけど。
164名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:40
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>4

4.飯沼守の日記。チャイナ・プレスを裏付け。
 元旦 「他の列国公館は日本兵の入り込みたる疑いあるも番人より中国軍隊の仕
 業なりとの一礼を取り置けり」
 一月四日 「保安隊長、八十八師副師長」を逮捕と記す。
165名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:40
>>157
呼び名はどうでもよくないだろ。

他国からホロコーストなどと責められるべきものなのか、
戦時中、どこの国でもありうる事件なのかは重要なことだ。
166名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:41
結局ここで中共の調査拒否などを嘘だなどと絡んできた奴は何がしたいの?

もう何度も為されている議論をこれでもかと執拗に蒸し返して何が目的?
167就職戦線異状名無しさん:2001/03/15(木) 02:41
>>161
だから >>156でかなり詳しく教えてあげてるでしょ。ここまでわかればある程度
わかるでしょ。憲法学会の理事でM氏といったら1人しかいないはずだし。
168名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:42
>結局ここで中共の調査拒否などを嘘だなどと絡んできた奴は何がしたいの?

嘘じゃないというのなら、ソース出せってば。
169名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:42
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>5

5.マッカラムの聞いた支那人の証言
 「支那人のあるものは容易に掠奪、強姦及び焼き打ち等は支那軍が
 やったので、日本軍がやったのでは無いと立証すら致します」
 以下はマッカラムの日記及び手記からの抜粋(法廷証第309号=検察
 番号246号)である。
 これを松井大将の弁護人伊藤清氏が東京裁判の弁護側立
 証段階で抜粋朗読しているので紹介したい(速記録210号)。
○(日本軍は)礼儀正しく、しかも尊敬して私どもを処
 遇してくれました。
 若干のたいへん愉快な日本人がありました。
170名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:44
>>163
小林はラーベが直接、殺害現場を目撃したのは4十数人だったから、
実際には、それくらいしか殺されていないって言ってたような記憶がある。
にしても、小林は自分の主張を裏付けるため、秦郁彦の発言を引き合いに
出したりしてんだけど、小林は秦の『南京事件』をちゃんと読んだのか?
171名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:44
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>6

○私は時々一日本兵が若干の支那人を助けたり、また
 遊ぶために、支那人の赤子を抱き上げているのを目撃しました。
○12月31日、今日私は民衆の群が該地帯から中山路を横
 断して集まるのを目撃しました。
 あとで彼らは、行政院調査部から日本軍の手によって配分
 された米を携帯して帰って来ました。
 今日は若干の幸福な人々がおりました。
172就職戦線異状名無しさん:2001/03/15(木) 02:46
とりあえず、日本も悪いけど、最初に日本人村を全滅させた中国は悪くないのだろうか?

答え どちらも悪くないし、どちらも謝る必要は無い。戦争は平和条約締結の時点で全て
   清算されるから。簡単な例を言うと、犯罪を犯しても刑務所でてくれば、罪は清算
   されてる。それと一緒。(厳密にはちと違うけど)
173名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:47
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>7

○(1月3日)今日は病院職員の半数の登録をするのに成功
 しました。
 私は若干の日本兵によってなされた善行を報告せねばなりません。
 最近7、8名のたいへんに立派な日本兵が病院を問しました。
 私どもは彼らに病人に与える食物の欠乏を語りました。
 今日彼らは若干の牛肉を見つけて、100斤の豆をもって来ました。
 われわれは一ヶ月も病院で肉なんか食べなかったので、これら
 の贈り物は大いに歓迎されました。
 彼らはわれわれに他にどんなものが欲しいかを尋ねました。
174名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:48
>>167
161は文章の流れも読まないで文句言いたいだけのキティだから相手にする
必要無し。
175名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:49
だから、南京事件を世界的にも稀に見るホロコーストと責められるべきものにしたくて疼いてしょうがない奴が
居るわけよ。ここまでくると何でそんなに中共の肩を持つのかさっぱり分からん。
176名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:49
>>157
>30万人説を勝手に「定説」だと思い込み、
>自らの責任をしらばっくれて、まず非難されるべきは中国側だと
>声高にさけぶ君たちのことを何と言えばいいの?

おいおい、勝手な思い込みだと?このスレだけで何回「30万」が出てきた?
今更「それはあんたらの思い込みです」か?
自らの責任をしらばっくれてるのはどっちだよ。
177名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:49
オレは就職戦線異状名無しさん を支持するわ。一番冷静で信憑性が高そうだ。
178名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:49
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>8

6.中野陣中日記。陥落以降もゲリラ戦を仕掛けられていた。
7.大寺隆陣中日記。陥落以降もゲリラ戦を仕掛けられていた。
8.佐々木到一少将私記。武器、便衣兵の摘発。
9.スティールの記事。陥落以降もゲリラ戦を仕掛けられていた。
10.「南京城内掃蕩成果表」。武器、便衣兵の摘発。
11.非行報告のほとんどが「伝聞」や、記録者、訴えたもの、目撃者
 不明のものであり、委員会が最終的に日本兵の非行と断定したもの
 は数件だった。
12.ドイツ大使館シャルフェンベルクは「第一、暴行、暴行と言っても
 、いつも総て支那人の一方的な話を聞いているだけではないか」、
 という発言に、その実態が伺える。
179名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:50
>>165
よく南京事件を弁護する主張に「戦争中ならどこにでも
あることだった」とか言ってるけど、小林が引き合いに出す
秦郁彦でさえさあ、『南京事件』で第二次世界大戦のソ連よりも
ひどい蛮行をおこなったっていってんだけど。
それに、投降した兵士や無抵抗な市民を殺戮すんのは国際法上でも
すでに違反しており、南京事件の場合は、士官がそれを容認したり、
違反者に厳しい処罰を課さなかったことが問題になってんだよ。
180名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:51
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>9

13.南京外交官補佐福田篤泰は安全委員会に対して、
 『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして
 抗議されても困る。』と幾度も注意した。
 時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何も
 ない。住んでいる者もいない。
 そんな形跡もない。そういうことも幾度かあった。と、述べている。
 福田氏は「例のティンパーリーの『中国における日本軍の暴挙』の原
 資料はフイッチやマギーがこうしたデタラメをタイプしたものの集積
 であると僕は見ている。」と述べていた。さて、国際委員会が告発し
 た日本軍非行の425件の中には、非行でも何でもない事件もあり、
 前述のように伝聞、噂話、憶測もあるがこれらをすべてクロとみて分
 類すると次の通りである。
 殺人 49件、傷害 44件、強姦 361件(多数3件、数名6
 件)、連行 390件(多数1件、数名2件)、略奪その他170件
181名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:53
南京事件での教訓は、ゲリラはダメよって事。
自国民がとばっちり受けるから
182名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:54
>>179
だからそれが南京事件であり、
南京大虐殺ではないだろうが。
183名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:54
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>10

14.連絡を受けて言ってみたら日本兵が後ろ姿を見せて逃げていった、
 式の話が異様に多く、マヌケにもその「日本兵」が支那軍の銃を持って
 いたり、日本兵より支那兵の服に似たものだったりする。
 また、ラーべの住居周辺で「事件」が発生することが多く、あろうこと
 か、ラーべの家に強姦にやってきた「日本兵」が、戸をガンガン叩き、
 ラーべが出てくると逃げていった、ということまである。
15.日本兵は外出が許されていなかった。
 第十六師団歩兵第九連隊、六車政次郎少尉は、「城内進入を禁止」
 「軍の統制は、まことに厳しく、見事」であったと述べ、歩兵第九連隊
 の竹内五郎衛生兵は「南京城内は外出禁止であった」と語る。
 戦後間もない1946年5月2日、上海派遣軍の藤田進第三師団長は「入城後
 行動の自由が与えられて放たれたのか」という国際検察局の尋問に対して、
 これを言下に否定している。そして、非番の時は兵営に留まって安全地帯に
 近寄るなと命じ、入城式後は師団全体が城外に移ったと付言する。
 独立軽装甲車第二中隊の藤田清曹長は「中隊は21日、城内の軍官学校教導隊
 の校舎に移転し(略)公務以外には外出は禁止していた」と証言。
 歩兵第九連隊の通信班長犬飼総一郎氏は「部隊では露営日直将校が毎日
 任命され、その指揮のもと下士官と兵士が歩哨と巡察にあたっていた。
 従って、公務以外の外出は原則として不可能であった」と語る。
16.サヨクの捏造、改竄、歪曲が次々と明らかになっている。
184就職戦線異状名無しさん :2001/03/15(木) 02:54
>>179
アメリカの東京大空襲の方が稀に見る国際法違反だよ。では、なぜアメリカが
たたかれないか?それは戦争に勝ったから。こんなの上げ出したらきりがないし
日本が勝っていたら、そんな事は言われなかったわけ。まあ負けた者の宿命なん
だろうけど、
185名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:56
>>184
どのへんが稀に見る国際法違反なの?
186名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:56
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>11

17.終戦後の「南京地方法院検察敵人罪行調査報告」はもちろん日本兵の
 暴行を主張しているが、その南京市民に対する聴き取り調査において、
 日本の罪行を訴える者が「甚だ少なき」、南京虐殺説を聞くと、人々は
 唖然として「冬の蝉の如く口を噤みて語らず」、また、南京虐殺を
 「否認する者」までいた、と報告している。
18.ティンパーリは国民党の「中央宣伝部顧問」であり、南京虐殺説を事実を
 歪曲したり、改竄を行ってまで宣伝していた。
19.ラーべは、支那軍と取引していたジーメンス社の人間であった。
20.ベイツ日本軍の国際法違反を糾弾しているが、陥落の三日後、東京日日
 新聞特派員に「日本軍の入城で平和が訪れた」と述べている。
187就職戦線異状名無しさん :2001/03/15(木) 02:58
>>185
まず民家密集地帯を狙った事。しかしこれはそこに軍事施設もあったのだと
弁明は出来る。一番まずいのが空爆のしかた。どういう空襲だったか知ってる?
188名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:58
>>182
アホか。「南京大虐殺」なんていうと、虐殺ってのは10万人以上からだ、
っていうような馬鹿なことをいいだすやつがいるんで、「南京事件」
って言ってんだよ。
はかり方によって4万人から20万人まで人数には緒論があるが、
一万人単位で殺しといて、「虐殺でなかった」って言葉遊びをするのは
馬鹿。
189名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:59
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>12

21.ベイツはスマイス教授の「南京地区における戦争被害」のアンケート結果
 を五倍にして宣伝する。
22.ベイツは伝聞の「に、三百人の死体」を「三千人」に膨らませ、その時点で
 存在しなかった「埋葬グループ」まで捏造して主張する。
23.ベイツはその主張の核心部分がことごとく公式記録から削除されて以降、
 その国際法違反の主張をしなくなった。
 東京のアメリカ大使館付武官コーヴィルが南京の外国人達と情報交換をして
 いた時でさえ。
24.上村利道参謀副長の陣中日記
 「アメリカ側が、無き非行を領事館に申し込みし由・・」
190名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:00
>>184
だからさあ、自分の罪を棚にあげて、他人の罪を詰問したって、
相手が反省するわけないじゃん。
191名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:00
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>13

25.1927年の支那軍が日英米三カ国の領事館を襲い、虐殺、強姦をした
 「南京暴行事件」の際にも、「情報戦」が行われた。
 「結局のところ、陵辱事件を打電した通信員の大多数は之を直接見聞
 に基づかないものと見做したのであった。所謂陵辱話は南京の町をめぐ
 って勝手に流布されて又新聞にも掲載されておったと言わなねならない。
 かかる話を外国側の武力干渉を惹起する目的で反動者連が勝手に利用
 したのであった。」
 これは、12927年の南京事件につき、パウエルの語った言葉である。
 そして、1937年の南京事件においても、情報戦がなされていたことが、
 支那兵の自白、項英の回想、南京市民の発言で判明しており、西洋マス
 コミ人が大きく関っていたこと(ティンパーリやラーべ)が知られて
 いる。
26.死体の数が中国側の中国側の主張が荒唐無稽であることを示しており、ベイツの
 主張するような「兵士」と「市民」を区分した埋葬記録も存在しない。
27.毛沢東は日本軍のまずさについて、南京等で「包囲は多いが殲滅しなかった」
 「だから支那軍は助かった」、「逃げ延びた支那兵は再結集して、日本軍に
 反撃することが出来た」と述べている。
28.蒋介石は演説で、「広東大虐殺」を捏造して宣伝するが、南京について言及
 していない。
192名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:01
>>187
知らない。
193名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:03
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>14

29.南京陥落半年後の、国際連盟、日本非難の決議文でも「南京における国際法違反」
 や虐殺などに触れておらず、国際連盟に提訴すらされていなかった。
30.関連スレッドでも書いたように、当時の日本側マスコミ、文化人が「虐殺など
 見たことも聞いたこともなかった」と述べている。
 南京に入城したのは約120人の新聞記者やカメラマンだけではない。
 大宅壮一、木村毅、杉山平助、野依秀市、あるいは西條八十、草野心平、林芙
 美子、石川達三といった高名な評論家や詩人、作家も陥落とほとんど同時に入
 城している。このほかにも、南京陥落後、13年の春から夏にかけて、南京を
 訪れた有名人は大勢いる。これらの人々は、帰国するや色々な雑誌や新聞にレ
 ポートを書き、講演もしている。
194名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:03
>>188
侵略か、侵入かでもめるのであれば(しかも誤報)
事件が大虐殺かというのも十分論点になるであろう。


195名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:05
>>190そんなこと言い出すなら、中国にもアメリカにも日本を責める資格などありません。
196就職戦線異状名無しさん :2001/03/15(木) 03:05
>>190
だからそれを言ったらどこの国にもあてはまるのでは?その論理だと、南京は
中国軍によって日本人村(民間人多し)全滅させられた事に対する報復行為なん
だから、だったら最初にやった中国も自分の罪を棚にあげないで、謝らないと
日本だってあやまる気になるわけない。でもどっちも謝る必要無いけどね。
197名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:05
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>15


 例えば、杉山平助氏は朝日新聞に『南京』を連載している。木村毅氏は『江
 南の早春』を、林芙美子氏は『南京行』を、小林秀雄氏は『杭州より南京』を、
 詩人の草野心平氏と『実業の世界』の野依秀市社長が期せずして2人一緒に南
 京に入り、野依氏は同誌に『楽土激土』を書き、草野氏は『支那点々』を書い
 ている。2人とも南京市の城壁の内外を車と足で歩いているが、その視察記は
 まことにきめ細やかな描写で、臨場感にあふれており、さすがだと思う。しか
 しそれらの視察記や紀行文の中には“大虐殺”を匂わすような文章はどこにも
 見当たらない。
 終戦になり、東京裁判が始まって、軍の作戦や旧軍人に対する批判が高まっ
 た時でも、これらの作家や評論家や詩人のだれ一人として南京事件を告発した
 り、あげつらう者はいなかった。批判力旺盛な口八丁、手八丁と言われた大宅
 壮一でさえ、南京虐殺には終始否定的であった。
198名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:06
>>194
何人殺したから「大虐殺」って議論はナンセンス。
199名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:07
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>16

同盟の特派員であった故前田雄二氏(元日本プレスセンター専務理事)は
、内外のニュース社発行の『世界と日本』の中でこう述べている。「いわ
ゆる“南京大虐殺”というのは、2〜30万という数は別としても、主と
して住民婦女子を虐殺したというものだ、ところが殺されなければならな
い住民婦女子は、当時全部“難民区”内にあって、日本の警備司令部によ
って保護されていた。そして私の所属していた同盟通信社の旧支局はこの
中にあり、入城4日目には、私たち全員はこの支局に居を移し、ここに寝
泊まりして、取材活動をしていた。すなわち難民区内が私たちの生活圏で、
すでに商店が店を開き、日常生活を回復していた。住民居住区の情報はち
くいち私たちの耳目に入っていたのだ。こういう中で、万はおろか、千あ
るいは百をもって数えるほどの虐殺が行われるなど、あり得るはずはなか
った。
すなわち“捕虜・便衣兵の処刑・殺害”はあったがそれは戦闘行為の枠内
で論ぜられるべきものであって、非戦闘員の大量虐殺などはなかった。
200名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:10
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>17

最近、畠中秀夫氏が、じゅん刊「世界と日本」に『聞き書き 昭和
十二年十二月南京』と題して、南京に入城した著名人の聞き書きを書い
ている。
その中で死去する少し前の石川達三氏とのインタビューは特に興味深い。
石川氏は前述の通り小説『生きている兵隊』で発禁処分を受け、執行猶
予付きながら、実刑を科せられているのである。畠中氏はその石川氏と
次のような問答をしている。
 「私が南京に入ったのは入城式から2週間後です」
 ―そのときどのような虐殺をご覧になられましたか?
 「大殺戮の痕跡は一ぺんも見ておりません」
201就職戦線異状名無しさん:2001/03/15(木) 03:10
どっちも謝る必要が無いって言うのは >>172を参照。平和条約は全てを見とめて締結するもの。
謝らせたいなら、締結前にそれを締結条件にすれば良かった。

>>192
東京大空襲はまず民家密集地帯の周りをリング上に焼夷弾で焼いたの。逃げ場が無いように。そして
その中を碁盤状に全て焼き尽くしたの。これは当時の国際法上で最悪の違反の1つ。
202名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:12
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>18

 ―いわゆる「南京大虐殺」をどう思いますか?
 「何万の死体の処理は、とても2、3週間では終わらないと思います。
あの話は私は今でも信じておりません」(同書14ページ)。
自著が発禁になり、実刑まで受けた石川氏の言葉だけに重みがある。
本多勝一氏は『南京への道』で、石川氏の『生きている兵隊』を引用して、
南京大虐殺の有力な立証の材料に使っているが、石川氏に言わせるなら、
迷惑千万な話だった訳だ。
203名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:14
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>19

畠中氏はもう一人異色の人物にインタビューしている。
当時「朝日」の上海支局次長であった橋本登美三郎氏である。田中内閣の
時、自民党の幹事長や運輸大臣まで務め、ロッキード事件に連座して控訴
中の人物である。氏は「朝日」の記者15人ほどを引き連れて、南京に一
番乗りしたことで有名である。氏は畠中氏にこう答えている。
「南京の事件ねえ。全然聞いていない。もしあれば、記者の間で話に
でるはずだ。記者は少しでも話題になりそうなことは互いに話にするし・・・
それが仕事だからね。噂としても聞いたこともない。
204名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:16
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>20

朝日新聞では現地記者ばかり集めて座談会もやったが、あったのなら、露骨
でないにしても、抵抗があったとか、そんな話が出るはずだ」
もう一人、「朝日」の大先輩でやはり南京特派員であった足立和雄氏は畠
中氏にこう答えている。
「私は南京大虐殺なんて見ていません。あなた(畠中)がどういう立場の
人か存じませんが、南京大虐殺の証言はできませんョ」
きつくそう断られたが、押し問答の末、立場をはっきりし、お目にかかった、
畠中氏はかねて疑問に思っていた“虐殺目撃者”として名乗り出た「朝日」の
記者今井正剛氏について尋ねてみたそうである。足立氏は一言のもとに、今井
氏をこう評したと言う。
205名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:16
だからさあ、今の戦後問題ってのは、アメリカも日本も中国も
程度の差こそあれ、自分の戦争責任は棚に上げて
「お前も悪いことしたじゃんか」っていう議論なの。
日常レベルで考えて、こんな議論が生産的だと思う?
206名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:17
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>21

「あれは自分で見て記事を書く人ではなかった。人から聞いたことを脚色
するのが上手かった。」
婉曲に彼の「文芸春秋」で発表した2万人の虐殺を見たかのごとき作文など
怪しいものである旨示俊したのである。はからずも同じ「朝日」の森山喬氏が
筆者に語った今井評と一致する。森山氏も彼の虚言を立証している。なぜなら
当時彼と一緒に南京で寝室を同じくして取材しているのに、そんな話はついぞ
聞いたことがないと言うのである。
207就職戦線異状名無しさん:2001/03/15(木) 03:19
>>205
そう。でもアメリカは少なくとも表向きは現在、パールハーバーの責任どうすんだ!
なんて言ってないし、日本も原爆と東京大空襲はどう言う事だ!ってアメリカに言って
ないよね。50年以上たって表だって、ずっと言ってるの中国と韓国だけ。
208名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:19
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>22

 鎌倉市よりも狭い南京城内に、日本の新聞記者やカメラマンが、
約120人も占領と同時に入城して取材にあたっていながら、前述
の今井正剛、鈴木二郎記者の虚構を除くほかは、1人として婦女子
の虐殺や一般市民および捕虜の大量虐殺などは見ていないのである。
当時、「朝日」「東日」「読売」「日経」など全国紙の各支局をはじ
め、地方紙や通信社も、南京に特派員を派遣している。これらのプレ
スマンが異口同音に言うには、「東京裁判で、南京にあのような大事
件があったと聞いて驚いた」である。
209名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:22
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>23

これは南京に入城した将兵たち もほとんど同様である。当時、読売
新聞の上海特派員だった原四郎氏 (現在読売新聞社顧問)は「世界
 日報」の記者にこう述べている
(57・8・31)。
 「わたしが南京で大虐殺があったらしいとの情報を得たのは、南京
が陥落して3ヶ月後のこと。当時、軍による箝口令が敷かれていた訳
ではない。なぜ今頃こんなニュースが、と不思議に思い、各支局に確
認をとったが、はっきりしたことはつかめなかった。また中国軍の宣
伝工作だろう、というのが大方の意見だった。」
 これと同じ意味のことを東京日々新聞特派員五島広作氏が書いている。
氏は昭和41年4月に『南京作戦の真相=第六師団戦史』という著書を
熊本日々新聞から出版している。
210名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:22
>>205
ちっとも生産的じゃないね。
どの国でも大差ないんだからいい加減こんな不毛な追及は止めたほうが良い。
特にこれは外交問題に絡んでくるから尚更だ。
完全な国家間の駆け引きの材料に過ぎないから、
道徳的感覚で反省謝罪するとかいった次元の議論ではもはや無い。
211名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:22
>>207
日本は原爆投下に関してアメリカを倫理的に批判してきたよ。
それと、日本が南京事件を無いものにしようとしたり、過小評価
しようとするからアジア諸国から反発されるわけでしょう。
それに対して、お前らも悪いことやったじゃねえか、ってのは
チンピラと同じ理屈。
212名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:24
>>198
いや、俺が言いたいのは、数とかの問題じゃなくて、
「南京大虐殺」だと中国側の言い分を盲目的にそのまま
受け入れているようなニュアンスが嫌なので、日本政府
の見解である「非戦闘員の殺害あるいは略奪行為が
あったことは否定できない事実」−”南京事件”とすべき
ではないか、ということを言いたかったわけよ。

まあ、言葉遊びと思われるならしょうがないけど。
213名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:24
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>24

31.ダーディンやスティールなどの歪曲記事が明らかになった。
 支那軍正規兵は、敗戦の際は常に軍服を脱ぎ捨て便衣(平服
 をまとっていた上、逃げようとする友軍兵士を督戦隊が背後から
 撃っていた。支那兵に武装解除を勧めるラーベの近くで、支那
 軍将校がカービン銃を撃っていた。
 支那兵は脱出時、一つの門に殺到したため、圧死した死体の山が出来た。
 これらを、まるで日本軍に殺されたものであるかのように報道。
 また、13日の「背中から撃たれた市民の死体」に関するラーべの証言に
 「日本兵に撃たれたのは明らか」と付け加える。
 ところがラーべは日記に「日本兵に撃たれた」と明記することが出来ず、
 日本側に抗議もしていない。当然、公式記録にも載せていない。
 南京在住外国人14名がアメリカ大使館エスピーを訪問し、南京の出来事
 を語っているが、それを記述した「エスピー報告」でも、この件に触れて
 いない。
214名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:26
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>25

32.松井大将は、南京陥落後上海で外人記者団と2度会見しているが、この
 席でも今日伝えられるいわゆる南京アトロシティーに関する質問は何ら
 受けていない。
33.またパネー号事件やレディバード号事件で米・英の軍司令官等に謝罪し、
 懇談しているが、その席上でも話題に上っていない。
 大将は宣誓口供書の中で、南京に一般中国人の殺害や捕虜の大量殺害事
 件があったと聞いたのは、終戦後米軍がそのような放送をしていると聞
 いたので驚き、部下を呼んで調査せしめたと述べている。
215名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:26
>>211
チンピラチンピラ五月蝿えなぁお前。
国際関係は言うなればチンピラの論理だろが。
それに真摯に目を向けないお前が悪い。
いくら綺麗事で塗り固めようと現実は現実だ。
216名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:28
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>26

34.米人マギー牧師は2日間にわたって日本軍の犯罪行為を並びた
 てたが、ブルックス弁護人の反対質問にあって、マギー証人が
 殺人を目撃したのはたった一件、それも占領直後日本兵に誰何
 (「だれか?」と声をかけ姓名などをたずねること)されて逃
 げ出した男が撃たれるのを見たというのである。
 南京安全区国際委員会のメンバーとして、日本軍の占領期間
 中、日本軍の行動を監視するため自由行動をとっていた米人牧
 師が、その目で見た殺害事件は前述の一件、強姦一件、窃盗一
 件のわずか三件のみで、他は全部伝聞に属するものであったこ
 とが暴露されている。
217名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:29
>>212
だから、中国側の主張を、(ある意味で)盲目的に受けれいてるのは、
南京事件を無かったことにしたいか、あるいは過小評価したい人たち
なんだよ。


218名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:31
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>27

35.ダーディン記者の2回の署名入りレポート(12月
 18日、1月9日)は、長文ではあるが決して大ニュースではない。
 また「南京大虐殺」がトップ記事になったことも、社説に取り上げ
 られた事もない。
36.1月28日から30日にかけて、南京で起きたアリソン総領事殴打事件
 と言うのが記事をにぎわしている。だが大量殺害記事など皆無である。
 署名記事のうちマクダニエル記者(AP)は「私の見た死者は戦死者
 であった。中国兵、日本兵ともに略奪した。日本は安全区を守り、ここ
 には攻撃を加えなかった」と、どちらかと言えば中国軍が悪いという立
 場で日本軍占領下の南京の状況をレポートしている。
219名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:31
日本国内の、しかも親友や近しい人同士の関係を
国際関係と同様に当て嵌めて考えている奴が居るのが悩ましい全く以って。

そんなメルヘンじゃないよ国際社会の現実は。
220就職戦線異状名無しさん:2001/03/15(木) 03:31
>>211
ついでに言うとピーピー騒いでるの中国と韓国だけだよ。そんなに謝りたいなら、謝りたい人だけ謝りにでも行けば良い。
ここまで自虐的な民族は日本人だけです。はい。
221名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:32
>>215
>それに真摯に目を向けないお前が悪い。
>いくら綺麗事で塗り固めようと現実は現実だ。

だからさ、国際関係を馬鹿げた精神論に基づいてやろうとすると
逆に反日感情を煽っちゃうわけでしょう。小林がいい例だけど。
そういうのを現実的だと言うの?
222就職戦線異状名無しさん:2001/03/15(木) 03:32
>>217
今の南京事件が過大評価されすぎなんだってば。まあ、もういいや。
223名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:33
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>28

37.スティール記者(シカゴ・デイリーニュース)は「中国兵退却時の混乱
 と日本兵侵入時のパニック状態」を報道しており、どっちもどっちと言っ
 たとらえ方である。
38. 阿羅氏はロンドン・タイムズの12年12月と13年1月の2ヶ月間
 の記事の見出しをリストアップしている。
 それによると、英国は古くから中国に進出し、多くの権益や租界を保有し
 ている関係上、関心は高く、従ってニュース量も多く、平均すると1週
 間のうち2回は中国問題がトップ記事を占めている。
224名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:35
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>29

 例えば
 13日、日本軍の掃討がはじまった。
 数千人の中国兵が安全区に逃げ込んだ。14日、日本軍は大通りを軒並み
 略奪し、外国人のものも略奪した。また中国兵とみなされる者を処刑した。
 通りには死体が散在したが女性の死体はなかった。
 掃討は15日も続いたが街は落ち着いてきた」という記事である。
 マクドナルド記者の撮ったパネー号沈没の写真は、1月4日と5日、2回
 にわたって大々的に掲載されているが、南京にもどったとき「街は落ち着
 いてきた」と述べているから撮るようなものはなかったであろう、市内の
 写真は一枚も載っていない。もちろん「大量殺害」も、「虐殺事件」も載
 っていない。
 ロンドン・タイムズの2ヶ月間にわたる記事のうち、南京に関するものは
 ほとんどこれだけで、あとは雑記事ばかりである。
225名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:35
>>221
小林が何の関係がある?
小林は日本政府とは違うぞ。
お前正真正銘の馬鹿だな。

あと、精神論だとかそういう脈絡不明の言葉持ち出してくるの止めれ。
226名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:36
>>222
小林よしのりの漫画なんか読んでると、自分に反論しやすい
相手しかとりあげないから、中国の主張がしょうっちゅう
出てくるのでは?
227名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:37
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>30

39. 発行部数ではタイムズに比べ1ケタ多いといわれる「サンデー・
 エキスプレス」はどうかと言うと、日本に関する大きな報道は2回ある。
 1回目は12月19日のパネー号事件。2回目は1月23日の「日本は今後
 どのような外交方針をとるか」という論説記事である。あとはアリソン米総
 領事の殴打事件報道、たったそれだけである。
40.反日的な「タイム」でさえも、ダーディンの記事を焼き直すことはあっても
 南京に大虐殺があったとか、罪もない女子供や武器を捨てた兵士を何万何十万
 も殺したなどといったニュースもなければ、また日本軍隊の非人道性を非難す
 るような論説も解説記事もない。
228名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:38
>>221
中共や韓国は盛んに反中・反韓感情を煽っていますな(笑)
日本だけ縮こまっていろとはどういう物言い?
229名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:39
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>31

41. 事件の翌年(昭和13年)夏、上海の外人記者クラブが南京戦跡視察を申し
 出てきた。軍はそれにOKを与えた。
 彼ら15、6名の記者は飛行機をチャーターして南京にやって来た。
 そのスケジュール一切彼らが立案したものである。説明は南京の報道部員があ
 たった。
 彼らは「難民区跡」の病院や捕虜収容所をはじめ、激戦地を訪ねた。
 このとき一行と共にこれらの各地を回ったのが、当時同盟の南京特派記者の小
 山武夫氏(のち中日ドラゴンズ社長、東京・品川区在住)である。
 小山氏は日支両軍の戦闘状況や彼我の犠牲者数、戦後の治安状況、俘虜の
 問題など、相当突っ込んだ質問がとび、彼ら同士も想像をたくましくして、いろ
 いろ語り合っていたが、今日問題になっている俘虜の大量殺害や一般市民に対す
 る“虐殺”に類する質問や話題は全くなかった。
 つまり外人記者同士の間にさえそのような噂すらなかったといっている。
230名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:40
また小林かよ・・・
本当に中毒じゃねえの、こいつ。
誰も言ってないのに自分から小林小林って
そんなに小林が恋しいのか?
231名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:41
>>225
小林よしのりを持ち出したのは、不適当ならばそれでいいよ。
要は「現実的になれ」って言ってるけど、国際関係って
互いのエゴのぶつかりあいだけの関係ではないの。
より冷静で合理的な判断に基づき、関係を築き上げていくことが
必要なわけであって、チンピラの真似事ですむような問題じゃないの。
232名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:42
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>32

42.ほとんどの日本兵が「南京虐殺」など見たことも聞いたこともなかった、と
 述べている。
 「第十三師団山田支隊兵士の陣中日記」などで、陥落二日後や三日後の
 様子を記しているが、誰も死体の山など見ていない。
 虐殺の記述がないどころか、十五日にはすでに、露店が出ていた、と記さ
 れている。 
43. 集団捕虜約1万が南京城内の2つの監獄と、江東門の模範囚収容の
 小監獄および2つの収容所に収容された。捕虜取り扱い専任の榊原参
 謀によると、「中央監獄の4000人のうち、半分の2000人は、命令によ
 り上海の捕虜収容所に移した。その分類は私がした。」と言う。
 さらに同氏は東京裁判で、「また幾人かは各部隊が労務に使用し、
 逃亡する者も相当多数いたが、これはそのまま放置した」
 (「速記録」310号22・11・7)。と証言している。
233名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:43
>>221

だからさ、わかんないかも知れないけど、程度の差があれ、お互いに否が
あるときに、相手を責めるだけで問題が解決するの?
そこをまず考えてよ。
234名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:44
>>225
だから中共の言いなりになることはない、と。
日本も言うべきときは言うべきだと当たり前の事だぜ。
それをチンピラとか議論内容に関係無い言葉を使って
不適当に修飾するなよな。
235名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:44
>>231
だから中共の言いなりになることはない、と。
日本も言うべきときは言うべきだと当たり前の事だぜ。
それをチンピラとか議論内容に関係無い言葉を使って
不適当に修飾するなよな。
236名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:44
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>33

44.中国側の第一級公式資料である何応欽上将の軍事報告の中にさえその片鱗
 も見出せない。
 中国問題の評論家であり、何応欽将軍とも昵懇(じっこん)の高木桂蔵氏
 は、次のように述べている。
 「南京戦で万一、支那の軍民が何万も何十万も殺されていれば、そのことが
 この報告書に載らないはずはない。ところが、日本軍による何十万もの虐殺
 があったなどということは、この「軍事報告」のどこにも載っていない。こ
 れまで南京に関する多くの論争があったが、このような日本の交戦相手国の
 公式一級資料が、日本で出されなかったことは、むしろ不思議といってよか
 ろう。」
 東京裁判が公正な裁判ならば、当然、重要証拠史料として採用されたであろうし、
 また台湾の中華民国政府も、北京の中共政府も、当然、この重要資料を所持して
 いるはずである。
 ところが、日本が戦争にやぶれ、東京裁判が始まると、南京事件に関する資
 料はガラリと変わる。2級、3級以下の資料価値ゼロの伝聞資料、政治的宣
 伝資料、憶測や創作に類するものまでが、次から次へと悪性腫瘍のように吹
 き出し、そしてそこにもられた数字が一人歩きし始めたのである。
237名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:44
さっきから延々と書き込まれてる
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>シリーズ、
既に虐殺アリ派に全て粉砕された内容です。

反論についてはこちらをどうぞ。

http://messages1.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=beaensa4ha47a4na4ja1va54a1bca5dea5ka5baa5e0c0k8c0a1w&sid=1835208&mid=3536

http://messages1.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=beaensa4ha47a4na4ja1va54a1bca5dea5ka5baa5e0c0k8c0a1w&sid=1835208&mid=3537

http://messages1.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=beaensa4ha47a4na4ja1va54a1bca5dea5ka5baa5e0c0k8c0a1w&sid=1835208&mid=3541

http://messages1.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=beaensa4ha47a4na4ja1va54a1bca5dea5ka5baa5e0c0k8c0a1w&sid=1835208&mid=3543

http://messages1.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=beaensa4ha47a4na4ja1va54a1bca5dea5ka5baa5e0c0k8c0a1w&sid=1835208&mid=3544

http://messages1.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=beaensa4ha47a4na4ja1va54a1bca5dea5ka5baa5e0c0k8c0a1w&sid=1835208&mid=3545

http://messages1.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=beaensa4ha47a4na4ja1va54a1bca5dea5ka5baa5e0c0k8c0a1w&sid=1835208&mid=3546

http://messages1.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=beaensa4ha47a4na4ja1va54a1bca5dea5ka5baa5e0c0k8c0a1w&sid=1835208&mid=3547

http://messages1.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=beaensa4ha47a4na4ja1va54a1bca5dea5ka5baa5e0c0k8c0a1w&sid=1835208&mid=3548

http://messages1.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=beaensa4ha47a4na4ja1va54a1bca5dea5ka5baa5e0c0k8c0a1w&sid=1835208&mid=3550
238名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:44
南京事件って、要するに掃討戦で私服のシナ兵が大量に処刑された
ことに、オヒレがついたんじゃないの?。
それが、現時点の俺の暫定的結論
これまで、両陣営が血眼になって史料をひっくり返しても
掃討戦以外に人が大量に殺されたことを示す一等史料が全く
無いんだから虐殺無しってのは無理な主張でもなんでも無く思う。

239234:2001/03/15(木) 03:45
は間違い。235が正解。
240名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:46
>>234
だからさ、否があるときはそれを認めるべきでしょ。
だから「中共の言いなりになることはない」って、単なる逆ギレなんだけど。
241名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:46
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>34

45.ラーべは支那兵をかくまっていた。
 昭和13年2月15日「昨晩、龍と周の二人が我が家を去った」
 とラーベは記す。64日間の不法滞在であった。日本軍の支那兵
 摘発は「徹底した包囲殲滅戦」(笠原十九司)からは程遠かった。
 龍大佐が「私と周の2人が負傷者の面倒をみるために残されま
 した」と語っているように、彼らは上官の唐生智の指示により計
 画的に残されたのである。しかしそれならば、彼らは赤十字病院
 の置かれた外交部に直行すべきであった。
 それが、ラーベの自宅に直行したのである。その目的は何であ
 ったのか。そのことを考えるうえで『ニューヨーク・タイムズ』
 の昭和13年1月4日の記事は有力な手掛りとなる。
242名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:46
>>231
だから、日本が黙ってるだけでいいのかってことだろ。
本当に頭悪いな。これしきのこと説明されるまで気づかないのか。
243名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:47
>>240
逆切れもある意味戦法の一つだって分かってるか?
244名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:48
>>238
>これまで、両陣営が血眼になって史料をひっくり返しても
>掃討戦以外に人が大量に殺されたことを示す一等史料が全く
>無いんだから虐殺無しってのは無理な主張でもなんでも無く思う。

だからさ、秦郁彦の『南京事件』でも読んで見たら。
245名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:49
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>35

46.日本人を憎悪していたマギー牧師でさえ「安全区は難民の“天国”
 だったかも知れない」とさえ述べている。
47.安全区国際委員会の書記長スマイス博士(米)も、その調査報告書
 の中で「住民のほとんどはここに集まっていた。・・・
 難民区内は一件の火災もなく平穏であった」と述べている。
 (速記録210)
246名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:49
>>237
ネタはいらない
247名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:49
>おいおい、勝手な思い込みだと?このスレだけで何回「30万」が出てきた?

30万という数字を出してくるのは決まって
「南京事件を無かったことにしたい派」
なんですけど。。。

>今更「それはあんたらの思い込みです」か?
>自らの責任をしらばっくれてるのはどっちだよ。

だーかーらー。
ここには30万人説を信じる中共シンパなんてどこにもいない、
って言ってるんだけど、まだ理解できないのかな(笑)。
248名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:49
>>240
認める認めないはそのときの状況によってどっちが得策かで判断する。

「否があったら認めるべき」などという馬鹿げた精神論?で語るべきものではない。
249名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:50
>>242
黙ってるどころか、ことごとく戦争責任を否定しようとしてるじゃん。
十分だよ。

250名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:50
>>247
コピペ?
251名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:50
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>36

48.クレーガーとハッツの目撃した「処刑」について、南京安全地帯国際
 委員会の行った調査結果が注記され、ラーベの言う「死刑」は「日本軍の
 行う合法的な処刑」であると明記された。

以下は公式記録に記されている、安全委員会の見解である。

日本軍の行う合法的な処刑については、我々に抗議する権利などない。
しかし、これが非能率的かつ冷酷な方法で執行されていることは確実
である。
その上、日本大使館との個人的な会話でも度々触れたように、これでは
ある問題が生じる。つまり、安全地帯内の池でこのように人々を殺すこ
とは汚染につながり、安全地帯の人々への水溜まりの水の供給がひどく
減少してしまった。
この長い乾燥続きで、水の入手に実に手間取る時、これは実に重大なので
ある。

 その肝腎な調査結果を、ラーベは日記に記さず、日記から削除するこ
 とによって、合法的な処刑を非合法的な虐殺と暗示したわけだ。
49.大西一上海派遣軍参謀はこう述べている。
 「それは銃器を取り上げ釈放せい、ということです。中国兵は全
 国各地から集っていますが、自分の国ですから歩いて帰れます」
 (「正論」61・5阿羅健一著「日本人の見た南京陥落」)。
 さらに大西参謀は軍命令、師団命令で、捕虜殺害命令など絶対に
 出ていないと断言している。
252名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:52
>>249
戦争責任は東京裁判ですでに決着済みだろ。
本当に妄想強いな。
どうしたらそこまで成れるのか?
253名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:52
>チンピラチンピラ五月蝿えなぁお前。

図星だから耳に痛いよね。

>国際関係は言うなればチンピラの論理だろが。

すごく矮小化された世界観だね。
これもチンピラならでは。

>それに真摯に目を向けないお前が悪い。

まず自分がチンピラであることに目を向けてはいかがでしょ?
254名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:53
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>37

50.ハーグ陸戦法規の第八条には、「総て不従順の行為あるときは、俘虜
 に対し必要なる厳重手段を施すことを得」と明記されている。
 筒井若水「現代資料国際法」では、「交戦者の資格」四条件に触れた後、
 「捕らえられた場合、捕虜としての待遇を受ける資格のあるのは、こうした
 条件をみたしつつ、交戦に従事していた戦闘員であり、それ以外のものは
 戦争犯罪人として、適法に処罰される(多くの場合、死刑)。」とある。
51.人口の増加。
52.反日宣伝を目的とした、「国民党政治部第三庁」が「宣伝は作戦に優先する」
 とのスローガンで活動していた。
53.彼らは「南京虐殺」は主張しておらず、1948年「抗日戦回想録」で初めて
 郭沫若が主張する。おまけに彼は陥落時、南京にいなかった。
53.同じく、宣伝部隊として「国民革命新編第四軍」というものがある。
 項英は第四軍成立から1938年末までの工作を振り返って、「抗日戦一年来
 の経験と教訓」について演説したが、項英は何度も南京に触れながら、一度
 も「南京虐殺」に言及しないばかりか、「恒常的な、またわが方の人員によ
 る南京城内での 撹乱 が行われた」と語った。
 これは摘発された支那兵の証言や、マッカラムに語った支那人、あるいは、
 「南京地方法院検察処敵罪行調査報告」に記されているように、終戦後の
 南京市民への聴き取り調査で、市民が「南京虐殺」を知らず、多くを語らな
 かったばかりか、安全地帯の非行を「支那兵がやった」と言うものさえいた
 ことと一致する。
255名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:54
レッテル張りによって敗北宣言が出ました。
256名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:55
議論内容で勝てないとすぐにレッテル貼りに走るんだよね。
傍で見てて頭悪い。
257名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:55
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>38

54.安全委員会は、日本軍入城後の市民人口を、南京陥落前に警察庁長官王固磐
 の「ここ南京には未だ二十万人が住んでいる」という談話を根拠として、同じ
 二十万人、という数字を九号文書であげている。
 つまり、陥落前と陥落後では、市民数に変化がないと認識していたわけだ。
55.ジェッフリー英国領事やベイツの主張からもわかるように、安全地帯内で
 非行が横行したのは、陥落から二週間である。
 そして、その二週間を境に、非行が激減し、鎮静化していった。
 では何がきっかけとなったのか?それは12月24日から一斉に開始された住民登録
 、良民票の配付である。
 それによって逃げられないと観念した支那兵が武装解除され、二千人が市民とし
 て認められた。しかし、それ以外の支那兵は素性がばれることなく良民票を手
 に入れることが出来たのであろう。
 その結果、市民数が二十万から二十五万に増えている。
 つまり、市民として認められたことによって、危険を冒して撹乱工作をする
 必要がなくなったことで、沈静化したのだろう。
258名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:56
>掃討戦以外に人が大量に殺されたことを示す一等史料が全く
>無いんだから虐殺無しってのは無理な主張でもなんでも無く思う。

トンデモ東中野信者のご来場〜。
一等資料とかの東中野用語を言い出すからすぐ見分けがつく(笑)。

東中野の言う一等資料って年鑑なんだよね(笑)。
旧日本軍の公式資料(戦闘詳報、陣中日誌等)は一等資料ではない、とか
言い出すんだからトンデモだよなあ。
259名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:57
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>39

56.日本軍は国際法の専門家まで従軍させ、国際法に反することのないよう
 神経を使っていたが、支那軍に国際法を遵守する意志がなかった、という
 ことは、それまでの経緯でもあきらかになっている。
 ウイルソン、12月14日付の手紙には「日本軍はとくに大砲の射撃に際して
 、安全地帯を尊重しているように見えた」と記している。
 安全委員会一号文書には「貴軍の砲兵隊が安全地帯を砲撃しなかった見事
 な遣り方に感謝するため、我々は筆をとっております」と記されている。
 同じく九号文書には「流れ弾による破壊は実に僅かであった」と。
 リリー・アベックは「支那の革新」で、南京での日本兵の非行に関する
 悪評を、初めてのこと、という意味のことを記している。
 「これまで、日本陸軍がこれほどの暴力行為を働いたことなど、一度も
 なかっただけに、南京で犯された無規律ぶりは強い印象となった。南京
 に残留した少数の外国人たちが支那軍撤退の際の掠奪と強奪を恐れる
 ことはあっても、日本軍を恐れることはなかった。そのときまでは、
 支那の至る所で日本軍の入城が歓迎されていた。政治的に日本をよく思わな
 い人ですら、そうであった。
 支那軍が防衛戦にあたって南京郊外のほぼ全域に放火したのに対して、日
 本軍は紫金山攻撃の際も、松井大将は「中山陵を破壊してはならない」と
 命令していることを島田勝巳中隊長は証言しているし、12月18日付ニューヨ
 ーク・タイムズでは、建物の密集地域に支那軍が集まっていても、爆撃を
 避け、日本軍が建物の保存を望んでいたのは「明らか」であるとの記事が
 載っている。
260名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:57
日本はこれまでも何度も謝罪してきたじゃん。
ずいぶんマシな方だよ。
これ以上何を望む?
身包み剥すほどの賠償か?
261名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:57
「南京事件」では民間人に対する限りにおいて計画的・組織的虐殺はなかった。
262名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:57
>>252
あれは軍事裁判であって、補償うんぬんを取り決めたものでなかった
ような気がするが・・・
それにそんなこと言うなら、東京裁判では中国側の30万人が虐殺された
という主張が優勢であったようだが、だとすれば、そんな「決着済み」のことを
今さらうだうだぬかしているのはどっち?
263名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:58
>レッテル張りによって敗北宣言が出ました。

> 議論内容で勝てないとすぐにレッテル貼りに走るんだよね。

その通りだよなあ。
南京事件があった、とか言うと「中共シンパ!」とレッテルを貼るバカは
どうしようもないね。
264名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 03:59
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>40

(略)この悪しき印象が元に戻るには時間が
 かかった。実際、日本軍の良き名声は、広東と漢口を獲得して、ようやく
 修復された。そこでの日本軍の振る舞いは、非の打ち所がなかったのである。」
 注意すべきは、アベックは南京陥落の半月ほど前に脱出しているため、
 南京に関する判断はティンパーリの著書にあるベイツやフィッチの記録に
 拠っているものであろう。しかし、ベイツは明らかな事実のねじ曲げを行っ
 ているし、彼の主張は安全委員会によって否認されている。
 フィッチにしても、その主張が他の記録と矛盾しているのだし。
 それに何より大事なことは、ティンパーリが「国民党中央宣伝部顧問」で
 あり、反日宣伝の任務を負っていた、ということと、もう一つは日本軍の
 南京での悪評は、日本軍の活動において異例のものであり、項英の回想、
 支那兵の自白、南京市民のベイツへの、あるいは「南京地方法院検察処敵
 罪行調査報告」でも明らかなように、南京では支那兵の撹乱工作が行われ
 、良民票の配付によって沈静化した、という事実である。
265名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:00
>>260

だから、その謝罪ってのが、ころころ変わるじゃん。
馬鹿な政治家によって。
信頼されるわけねえじゃん。
266名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:01
馬鹿は死んでも気づかない。
自分が○○信者とレッテル貼りをしていたことを。
今になって同レベルになって2番煎じのお返しをしているわけだ>>263は。
267名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:01
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>41

57.
 焼き払い戦術や城内での虐殺、食人、強制連行。これらは中国が古代
 から繰り返してきた伝統的な行為であって、日本の歴史的習慣ではない。
 例えば、支那軍は撤退の際、村や都市を焼き尽くし、殺し尽くす。これ
 を中国では「堅壁清野作戦」という。これは「晋書」や「中国民衆反乱史」
 にもみえる。
 また、城内での大虐殺は、中国で「屠城」といい、魏、晋、宋、斉、梁、陳
 といった王朝の時代、その王朝が替わるたびに、また、反乱が起こるたびに
 南京では「屠城」が行われ、凄まじかったのは梁の時代の、「侯景の乱」であり、
 「資治通鑑」や「梁記」では南京の人民が百万人虐殺された、とある。
 隋が南朝の陳を攻めたときは、武帝の墓をあばき、骨を焼いて酒に入れて飲み、
 南京を城壁まで残すことなく徹底的に破壊し、一面の荒れ野にしてしまった、
 という。
 太平天国の乱では、曾国筌率いる湘軍が南京を攻撃した。趙烈文の「能静居士
 日記」によれば、湘軍の虐殺は一カ月におよび、南京城内から財宝を持ちだす
 車の列は、その間絶えることがなかったという。
 辛亥革命によって行われた弁髪部隊の張勲の革命軍への逆襲でも南京は血の海
 となり、蒋介石の北伐軍が南京に入城したときに起こした南京事件もよく知ら
 れている。
268名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:02
>>263
敗北宣言が受諾されたようです。
269名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:03
そもそも謝罪とかする方がおかしいんだけどね。

それに気づいてない謝罪馬鹿の御仁もいらっしゃる。
270名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:03
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>42

 中国では「正史」だけでも、「食人」を行った記述が二百回以上記録されている。
 「梁書」に出てくる日本人に関する記述では「又西南万里に海人あり。身黒くして
 目白く、裸にして醜、其の肉美なり。行く者或いは射てこれを食う」とあり、日本
 人に対する興味は、その肉が美味しい、ということにあった。
 「漢書」にある飢餓の話では、財物を奪うのではなく、村人を捕獲して喰う集団が
 描かれている。また、軍人が村人を捕獲し、長期保存や大量輸送のため、「乾尸」
 や「塩尸」などの食品にし、市場で売買していた。
 明の李自珍、「本草綱目」によれば、人肉に薬用効果がある、と考えられていた。
 文革時においても、反革命分子を惨殺後、人体が国営食堂の食肉用の鉤につるされ、
 その肉を食べたとされる。「クリストフ/ウーダン共著/新中国人」
 歴史書ではないが、「荘子」の中に、盗跖は人間の肝をなますで食べるのが好き
 だった、と書かれ、「荀子」では、盗墳する巨盗は墓を暴き、屍肉を喰い、骨まで
 食べた、とある。
 「春秋左氏伝」によれば、紀元前594年、楚軍に囲まれた宋の都では、食料が尽き
 たため、住民達は子供を他人の子供と交換し食べ、骨を裂いて料理した、とあり、
 飢饉で食べるものがなくなれば、隣人を襲って食べてしまうこともあったという。
 また、春秋時代の初代霸王桓公の料理番は、自分の子供の丸焼きを桓公の食膳に
 供したという。
271名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:05
まあ、日本は50年前の朝鮮戦争の責任を「それは昔の事でしょう」と
一蹴した中共よりはまし。そこまでチンピラ?ではないからね。
その外交手腕を日本も是非見習って欲しい。
272名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:06
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>43

 では、「強制連行」はどうだろう?
 以下に黄文雄氏の著書から引用する。

「強制連行」とは、じつは大陸文化そのもので、戦争や動乱がある
たびに、住民が「強制連行」されたことは、中国史にも、朝鮮史に
も繰り返し書かれている。
しかし、日本文化は、中国社会や朝鮮社会とはかなり異なる。
近代になって、台湾にしても、朝鮮半島に対しても、いかなる公的
な義務労働であろうとも、多かれ少なかれ、工賃を払うのが日本的
やり方であった。
中略
台湾領有初期の日本軍の征伐戦争・戦記、日記を見ると、住民を掠奪
しながら敗退、逃亡した清国兵士に対してさえも、米と銭を与え、船
で港から大陸へ送還した。
地方の村長、長老を集めて訓示した後でも銭を与え、細かい気配りを
していた。
そのような日本的気配りは、中国や朝鮮半島では、絶対に見られない
ことだ。
273名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:06
中共シンパと呼ぶのはいいけど、信者と呼ぶなと。
わかりやすいダブスタだこと(笑)。
274名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:08
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>44

 手や足に穴をあけ、針金を通して連行したり、生きたまま焼き殺す、というのは
 どうだろう?穴を開けて針金(八番鉄線)を通す、というのは台湾の白色恐怖の時
 にも行われている。針金で繋がれた台湾人が処刑された際、一命を取り留めた、蔡
 焜燦氏の友人で、基隆警察局の用務員だった人がいる。
 その惨たらしい傷跡は、死肉となって盛り上げり、今も血が通っていない。
 その傷を見せられた蔡焜燦氏はその残虐非道ぶりにあらためて怒りが込み上げた
 という。
 通州事件に関する、桜井文雄支那駐屯歩兵第二連隊小隊長の証言を見てみよう。
 「東門の近くの鮮人商店の付近に池がありましたが、その池には首を縄でしばり、
 両手を合わせて、それに八番鉄線を通し(貫通)、一家六名数珠つなぎにして
 引き回された形跡、歴然たる死体がありました。池の水は血で赤く染まって居た
 のを目撃しました」、「各戸毎に調査して参りますと、鼻部に牛の如く針金を
 通された子供や、・・・」
 また、アーベントの「崩れゆく支那」によれば、1920年代の支那では、良民が
 針金や鉄線を通されて数珠つなぎにされた、虐殺された死体が路傍に転がって
 いた」とある。
 二・二八事件の際陳儀と和平交渉を行った王添丁、台北市議会議員などは、数日
 前までお互い酒を酌み交わしていた外省人の憲兵隊長にガソリンをかけられ、火を
 つけられ焼き殺された。(「台湾人と日本精神/蔡焜燦」に詳しい)
275名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:09
すべては「ポツダム宣言」で終了している。
それは国際ルールだ。
戦争という非日常社会で起きた殺人を
今この平時の日常社会で起きている殺人と
同次元のように扱い、いまだ「責任」をなすりつけてくる
中共、反日三国人、売国奴どもに腹が立つ。
「南京大虐殺」という史実の捏造もまた大問題だ。
276名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:09
さあさ、真摯な謝罪でしか国際関係を築けないと考えている
単細胞な御仁は放っといてそろそろ切り上げ時でしょうかね。
こんな同じ議論蒸し返し続けて一体何が楽しいんだか。
下手に要求を受け入れたら外交カードにされる、
それしきの当たり前過ぎることすら理解できないんですから。
277名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:10
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>45

 「生き埋め」というのはどうだろう?
 これは、秦を滅ぼした項羽の例や戦国末期の長平の戦いなど、有名な
 事例がいくつもあるので、説明はいらないだろう。
 妊婦の腹を裂いて胎児を見た、というのも殷の紂王が行った行為とし
 て中国の正史にある。
 通州事件においても、、桜井文雄支那駐屯歩兵第二連隊小隊長などが「腹部
 を銃剣で刺された妊婦等が・・」、「陰部に箒を押し込んである者、口中に
 土砂をうづめてある者、腹部を縦に断ち割ってある者等、見るに堪へません
 でした」
278名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:11
>「南京大虐殺」という史実の捏造もまた大問題だ。

そんなあなたにお聞きしたい。
秦氏でさえ南京では2,3万人の被害者が出たとしているわけですが、
2,3万人じゃ大虐殺とは言えないの?
279名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:12
>>275
やはりこの際、彼の呼称は「中共シンパ」でも問題無いな。
中国のやったことは免責し日本の側だけを執拗に貶め続けるんだから、
そう呼んでも問題無いでしょ。
280名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:12
>>276
自分だって楽しんでたジャン!!
ウソつくなよ〜!!
281名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:12
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>46

 手足の切断に関しては、劉邦の死後、呂后が戚夫人に対して行った
 残虐な事例が世界的に有名である。
 それは、手足を切断し、目を抉りだし、耳を焼き、声が出ないよう
 薬品を飲ませて咽を潰す。そして「クソを喰らう人ブタ」と張り紙し、
 便所に落して放置した」というものだ。
 通州事件においても、「片腕を切られた老婆」「某飲食店内には一家悉く
 皆首と両手を切断惨殺されて居るのを目撃しました」。
 「資治通鑑」には、279年、呉主孫晧が人面を剥がせ、眼球を抉らせたとある。
 アーベント「崩れゆく支那」には、「家族全員が虐殺され、手足を切られた
 女たちの屍体」が路傍に転がっていたという。
 佐々木到一中将の「ある軍人の自伝」も「両目をえぐりとるという支那人特有
 の威嚇法」を紹介している。
 アグネス・スメドレーも「偉大なる道」で同様の、残忍な実行例に触れていた。
 「田中清玄自伝」は、中国共産党中央委員が、蒋介石軍の手に落ち、「両目を
 くりぬかれる拷問を受けた」のち処刑されたことを記す。
 エドガー・スノーの「中国の赤い星」では、支那兵が眼だけでなく耳や鼻まで
 切り取って、皮膚まで剥ぎ取った例を記す。
 つまり、中国政府が「旧日本軍の悪行」と主張するものは、日本ではなく、
 中国の歴史からの焼き直しに過ぎない、ということである。
282中共シンパさん:2001/03/15(木) 04:13
僕は中共のやった犯罪行為は免責し、
日本のやったことだけはしつこく追求し続けます。
それって快感!!(藁
283名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:15
もし反論があれば、どの発言に対するものなのか引用して願います。
実際には反論できていないのに「反論されてる」などと称して他の
ページにリンクをはるようなコケ落としは御遠慮憂ください。
もし反論されてると思うなら、他のぺーじからの引用でも構いませんから、
私の発言を引用した後に、それを張り付けることをおすすめします。

では、次は元日本軍兵士の証言。
284名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:16
>やはりこの際、彼の呼称は「中共シンパ」でも問題無いな。

レッテル張りによって敗北宣言が出ました。
議論内容で勝てないとすぐにレッテル貼りに走るんだよね。
傍で見てて頭悪い。
285名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:16
> 中国のやったことは免責し日本の側だけを執拗に貶め続けるんだから、
>そう呼んでも問題無いでしょ。

いったいどこで「中国のやったことは免責し」ました?
具体的に番号で教えてよ。
そんなことした覚えはないんだけど?
あなたの「脳内中共シンパ」が活性化しただけだと思いますよ。
286名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:16
>>283
っていうか、コピペうざい!!
287中共シンパさん:2001/03/15(木) 04:17
僕は、50年前の朝鮮戦争の責任を「それは昔の事でしょう」と
一蹴した中共に憧れています。
何よりその自分に甘く他者に厳しくという明確なダブスタに惚れました(笑)
288名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:17
 (2) 南京入城者の証言<兵士>
 阿羅健一氏は、雑誌「正論」に61年5月号から『日本人の見た南京陥落』
 を連載している。南京戦に参加した新聞記者、カメラマン、将兵等を訪ね、占
 領後の南京の模様について克明にインタビューし、それをそのまま記録した連
 載ものである。紙幅の関係で詳述はさけるが、61年5月号から12月号にい
 たる8回の登場者とその所見は次の通りである。主に“虐殺”の有無について
 抄出した。番号はその回数である。
289名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:18
>>282@`>>287

なあ、そんな見え見えの騙りやってて、自分が恥ずかしくならない?
あ、いや、別に止めはしませんが。

あんたの下劣な品性は丸見えだよ。
290名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:19
>>287

なるほど。

チンピラは手段を選ばない、ってことか(笑)。
291名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:20
(1) 最初の面接者は、上海派遣軍参謀大西一大尉。同大尉は2課の情報参謀で、
 最年少。引き続き南京特務機関長に就任、約1年在勤。
 「私は長参謀の下にいましたが、長参謀が命令(筆者注・やっちまえという
 虐殺命令のこと)を出したということは、見たことも聞いたこともありません
 (中略)。また、情報担当の長参謀が命令するというのもおかしな話です」
――第16師団の中島(今朝吾)師団長の日記に「捕虜はせぬ方針なれば」と
 あり、これが捕虜虐殺の証拠と言われていますが?
 「これは銃器を取り上げ、釈放せい、ということです。中国兵は全国各地から
 集まっていますが、自分の国ですから歩いて帰れます」
――上海派遣軍の中で虐殺があったという話はありませんでしたか?
 「話題になったことはない。第2課も南京に入ってからは、軍紀、風紀の
 取り締まりで城内を回っていました。私も城内を回った」
――何も見ていませんか?
 「一度強姦を見た」
(2)松井軍司令官付陸軍通訳官岡田尚氏 降伏勧告文を翻訳し、軍使に加わる。
 「城内には死体はありませんでした。ですから一般市民に対しての残虐行為
 はなかったと思います」「火事があったとよくいわれますが、私には記憶あ
 りません」「捕虜の話は聞いています。下関で捕虜を対岸にやろうとして
 (中略)その渡河の途中、混乱がおきて、撃ったと言うことは聞きました」
292名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:20
>>289
分かったでしょ、自分が主張している事がどれだけ受け入れられほど馬鹿げているか。
分かったなら議論内容で勝負しなさい。
そんなではとてもじゃないけど認められないよ。
293江沢民:2001/03/15(木) 04:21
日本との関係は過去の教訓を忘れずに進めていかなくてはならない。
カンボジアとは過去にとらわれず、未来をみすえた関係を築かなくてはならない。
294名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:21
<「南京大虐殺」「日本の組織的非行」等を否定する根拠>シリーズを
延々と書き込んで(コピペ?)る人に質問があります。

秦郁彦の『南京事件』は読まれました?
295名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:22
>分かったでしょ、自分が主張している事がどれだけ受け入れられほど馬鹿げているか。

っていうより、あんたの書き込んでるようなことはちっとも主張してないんですが。
あなたの「脳内中共シンパ」が活性化してることはよく分かりましたが。
296名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:22
(3)上海派遣軍特務部員岡田酉次少佐。
 「あの南京攻略戦を見てますと、中国軍の中には女がいました。私も女の中国
 兵が倒れているのを見ています。また敗残兵といっても抵抗するのもいたし
 、便衣兵というものもいて、これらがやられるのを見ました。
 これらの屍があとで虐殺と言われたのではないでしょうか?」
(13) 第10軍作戦参謀吉永朴少佐、
 「13日早朝、中華門から入りました」
 ――その時の南京の様子はどうでしたか?
 「儲備銀行に行く途中、身分いやしからぬ中国人の家族に会いました。
 そこで私は自分の名刺に、歩哨線を自由に通過させよ、と書いて渡しました。
 当日(13日)家族が歩ける位ですから、城内が落ち着いていることが解ると
 思います」
 「2、3日してから作戦上の任務で下関に行きました。揚子江の埠頭に相
 当数の中国軍人の死体がありました――数千はあったと思います。第10軍
 は南京の南側からだけ攻めたのではなく、国崎部隊が浦口から攻めましたので、
 この時の死体と思います。」
297名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:22
>>284
またまた2番煎じのオウム返し?
頭悪いねぇ〜。
見てて可哀想になっちゃうよ。
298名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:23
>秦氏でさえ南京では2,3万人の被害者が出たとしているわけですが、
>2,3万人じゃ大虐殺とは言えないの?
話をすり替えるな。
いまだに「南京大虐殺」では30万人殺されたと捏造しているのは誰だ。
299名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:23
>頭悪いねぇ〜。

これでもまだ自分のダブスタに気付かないあんたのほうがよっぽど・・・
300名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:24
>>285
結果的に中共の犯罪行為を免責してるよな。
その辺の見事なダブスタぶり気づいてるお前?
まさか真性じゃないよな。
301名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:24
> 話をすり替えるな。
>いまだに「南京大虐殺」では30万人殺されたと捏造しているのは誰だ。

ここにはそんな人はいないって。

で、どうして答えられないの?
もう一度聞くよ。

秦氏でさえ南京では2,3万人の被害者が出たとしているわけですが、
2,3万人じゃ大虐殺とは言えないの?
302名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:25
(14) 第10軍参謀金子倫介大尉
 「南京に入ったのは13日か14日だと思います。城内では一人の死体も
 見ませんし、一発の銃声も聞きませんでした」
――それでは、そのころ南京事件は聞いたことがなかったのですか?
 「ええ聞いたことはありませんでした。戦後東京裁判で聞いてびっくりし
 ました。
 何か隠しているとか、言い渋っているとか言うことではなく、本当に南京で
 は何も見ていません。南京では印象に残るようなことはなかったのでしょう」
 宮崎県都城歩兵第23連隊の坂本ちかし大隊長の体験談を紹介しよう。
「13日8時ころ行動開始、破壊口から城壁に登り、10時半ころまでには
西南角付近に集結することができた(中略)、その後残敵を掃討するた
め、連隊主力は城壁に沿い、私の第二大隊はその東方の市街地を北方に
向かって前進した。ちょうど12時ころ道路の左側に飲食店が店を開いて
おり、主人らしい一人の男がいたので支那ソバか何かを注文し、付近に
いた者と一緒に、久しぶりに珍しいごちそうに舌鼓を打った。銀貨で代
金を払ったところ、主人は非常に喜んでいた。
 小憩の後、前身を続けて14時半ころ、尖兵中隊の第6中隊が清涼山
(五台山ともいう)に達し、重砲6門をろかくした。命令により前進を
中止し、その夜は付近に宿営することになった。一々家屋を点検した訳
ではないが、前記の飲食店の男以外には市民も敵兵も死体も見ず、また
大した銃声も聞かなかった」(『南京戦史』(6))。
さらに坂本氏はこう述べている。「『朝日』は、本多勝一氏の『中国の
旅』の中で、『五台山で2万人以上虐殺された』とあるが、前記の通り砲
6門をろかくしたのみである。また、『13日には下関(シャーカン)に通
ずる把江門の扉を閉めて通行を阻止し、逃げてくるおびただしい市民を
機関銃で射殺した』という意味のことを報道しているが、われわれのい
た清涼山から把江門までの直線距離は4〜5キロぐらいである。もしもそ
んなことがあったとすれば、機関銃の銃声が聞こえてこないはずがない」
(『南京戦史』(6))。
303名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:25
>>299は敗北宣言。
レッテル貼りが思うように出来なくって歯切れが悪い。
304名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:26
>結果的に中共の犯罪行為を免責してるよな。

その「結果的に免罪している」という事実がないからこそ
こうやって何度も言ってるんですけど。

あなたの頭の中の「脳内中共シンパ」がそう言ってるだけじゃないの?
305名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:27
>>298
ループしてるよ。
だからさ、30万人説を信じてるのは、皮肉なことに南京事件を
無かったことにしたいか、低く見積もりたい人たちの方なんだよ。
306名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:27
>>299は敗北宣言。

頭はいつも大本営発表かいな、君は。
307名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:27
第10軍の参謀谷田勇氏(東京・杉並区在住)も、「軍司令部は14日午前、
城内に入り、正午すぎ南京路のほとりにある銀行の社屋に司令部をおいた。
市内はすでに平静で、駐留間一発の銃声も聞かなかった。自分はその日午後
城内を一巡し、何枚かの写真を撮って回ったが、若干の死体を見たのみで、
市街はすでに沈静していた」―と筆者に語り、数枚の写真を示しながら、そ
の時の市街の状況を説明した。
谷田氏によると下関埠頭には約1000人ほどの死体があった。
その死体は13日の攻略時の戦闘における死体と思われる。この日は自分
(谷田)の誕生日にあたり、同夜冷酒で柳川閣下と共に乾杯した感激は
忘れられぬ、とその記憶は実に鮮明である。

歩兵第45連隊の第2大隊は、14日早朝、下関で白旗をかか
げた捕虜約5000と、砲30門、重機、小銃、弾薬多数及び軍馬10数頭を
ろかくした。
 この捕虜釈放を本多勝一氏は『南京への道』で次のように述べている。
 「劉二等兵を含むたくさんの国民党軍将兵が、帽子を逆にかぶって
(ひさしを後ろにして)投降した。その数は1万人より少ないが、たぶ
ん「数千人」の単位であった。
 一ヶ所に集められたところへ、日本軍のリーダー格らしい人物が馬
に乗って現れた。ヒゲが両耳からアゴの下3〜4センチまで下がっていた。
日本語で何か訓話したが、こまかいことはわからず、通訳によれば要点
は「お前らは百姓だ。釈放する。まっすぐ家に帰れ」と言っているらし
かった。一同は白旗を作らされた。
それぞれありあわせの白布を使った。劉二等兵は自分のハンカチを使い、
30センチほどの木の枝にそれを結びつけた。川岸には住民の捨てた荷や
衣類がたくさん散乱していたので、軍服を脱ぎ捨ててそれを着た。
数千人の捕虜たちは、釈放されると白旗をかかげ、それぞれの故郷に
ばらばらに出発した。」
308名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:29
俺は中共なんかどうでもいいがな。
現在進行形でチベットなどを蹂躙し続け
そのくせ日本糾弾を憚らない中共などにくれてやる反省など無い。
それに目を瞑る謝罪論など、中共に対する免責行為と同一線上だ。
309名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:30
 第16師団の歩兵第20連隊(福知山・大野宣明大佐)第1大隊に所属
する衣川武一氏(京都府夜久野町在住)は筆者への手記の中でこう述
べている。
 「われわれの取り扱った捕虜約2000人のうち、帰順を申し出る者は
、若干の米麦と白旗を持たせて帰郷させた。年末頃までに約半数が帰
順し、半数は使役として働かせた。腕章をつけて食糧の運搬や炊飯な
どさせた。
中山門の内側の土嚢の中に玄米の麻袋があり、我が部隊は大助かりで
あった。
が、水と燃料には苦労した。これらは捕虜の使役で補うことができた。
かれらは一日中食糧の準備に終始した。
私はその指揮に当たったが、「衣川先生(イーセンセンション)」と
呼ばれ、捕虜とわれわれとの間に自然に親近感が芽生え、捕虜殺害な
どとんでもない話である。これらの捕虜は、転進する際全部帰郷させた。」
310名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:31
民間人が多数殺されれば大虐殺でしょう。
南京も、東京大空襲も、広島長崎の原爆も、ソンミ村も、カチンの森も、チベットも天安門もコソボも東チモールもチェチェンも
みんな大虐殺だよ。
311江沢民:2001/03/15(木) 04:31
>>301
秦は歴史の事実を否定している!事実を矮小化しようとする策謀家に過ぎない。
「正しい歴史は」、我々が決定する!日本に異論を述べる資格はない!

312名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:32
>秦氏でさえ南京では2,3万人の被害者が出たとしているわけですが、
>2,3万人じゃ大虐殺とは言えないの?
仮に2,3万人だとして、
それは戦争なら(対ゲリラ掃討作戦含め)
ごく普通に起きうる戦闘作戦上の被害人数だ。
仮に2,3万人死んだからそれがどうしたって。
当時戦争していたどこの国も2,3万人は
敵兵の攻撃の犠牲になっている。
そのぐらい犠牲が生じるのが戦争というものだ。
それに比べで日本は民間人を含め
連合国側に何十万人が殺されたと思っているのか。
313名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:32
中共に対して同情心なんて沸いてこないな。
あんな過去を何度も外交カードにしてくるような国じゃ、
反省も謝罪もやる気にはならん。
勝手に喚いていてください。
五月蝿いので。
314名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:32
例えば、第三十八連隊の志水一枝軍曹の陣中日記にもあるように、
「行動不穏」な捕虜を処刑したり「彼我入り乱れて混戦」し、各隊から
の援軍要請に対して、「自衛力を有する者を省みる暇はなかった、蓋し
予の部隊は数里の長きに亘って延長し、側面に対して至るところ激戦
を交へている状態だった」と佐々木到一少将が語るような状況の中で、
投降を受け入れなかった、紫金山付近の戦いや湯水鎮の戦いのようなこと
もあったのは事実だけど、児玉義雄大尉が言う如く「激戦の最中ですから
御想像いただけるでしょう」、ということであり、「証言による「南京戦
史」(5)」にもあるように「手を挙げて来る敵兵に抵抗の意志があるか
ないかを一々徐に判断し、国際法に照らして捕虜として取り扱う余地はな
かった」のだ。
歩兵第九連隊第一大隊副官六車政次郎少尉の言う如く、「降伏すると見せ掛け
て手榴弾を投げ付けてくる支那兵の暴挙に、日本軍は散々悩まされ」て
いたのだから、なおさらである。
援軍を必要とし、その援軍を送る余裕のない状況で武装解除に力を割くことは
自軍の壊滅の危険性をともなうのであるから、この状況では正当な戦闘行為
である。
315名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:34
3万人とというと、早稲田大学に在籍する男子学生数とほぼ同じ。

それだけの人数が殺されても大虐殺ではないと?
316名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:35
南京で最も多く捕虜を捕らえたのは、第13師団の山田支隊(山田栴
(せん)二少将)麾下の歩兵第65連隊(会津若松市・両角業作大佐)で
ある。
同連隊が揚子江岸に沿って進撃した14日、幕府山付近でとらえた捕虜は
1万4700人にも及ぶ大量のものであった。
この捕虜の処置について、その真相を明らかにするため、鈴木明氏は、
昭和47年、わざわざ仙台に山田少将はじめ、この時の関係者数名を訪ね
て『「南京大虐殺」のまぼろし』にその真相をレポートしている。その
真相というのは、山田少将はこの大量の捕虜の処置に窮し、ついに意を
決して揚子江の中洲に釈放することにし、護送して目的地近くについた
とき、暴動が起き、捕虜約1000が射殺され、日本側将兵も死傷したとい
うのである。
地元紙の福島民友新聞社も多数参戦者の証言を集めて『郷土部隊戦記』
を発刊。その中で暴動――射殺説を明確にした。
そして、これはそのまま自衛隊戦史室編集の『支那事変陸軍作戦(1)』
にも掲載されている。
317157:2001/03/15(木) 04:35
>>247
一時間も前のレスに今頃反応するなよ。寝るとこだったろ。
っておれも今更か。もう本筋からそれてるからサゲとくな。

>ここには30万人説を信じる中共シンパなんてどこにもいない、
>30万という数字を出してくるのは決まって「南京事件を無かったことにしたい派」

そりゃそうだ。昔30万人説となえてた奴らは、分が悪くなって「数字は関係ない」
とかいってんだから。
ただ、そいつらのせいで一般人や海外メディアには未だに30万という数字が
流布してる(これを定説といったのね)。それを非難するために30万という
数字を持ち出してるんだから、あんたの言うところの『南京事件を無かったこと
にしたい派』ばかりが30万という数字を持ち出す結果になるのは当たり前だろ。

ついでだがいつから南京大虐殺=南京事件になったんだ。
318名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:36
最終的至言

南京事件もそれ以外の虐殺etcも、戦時下の一般的な事象と捉えて研究すればよろし。
それ以上でもそれ以下でもない。これに変に色を付けて糾弾の種に使ったりする奴は氏ね。
もしくは勝手に喚いてろ。誰も聞く耳持たん。
319名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:36
> ごく普通に起きうる戦闘作戦上の被害人数だ。
>仮に2,3万人死んだからそれがどうしたって。

なるほど、「南京事件を無かったことにしたい派」って
こういうたぐいの人なわけね。
320名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:37
集団捕虜約1万が南京城内の2つの監獄と、江東門の模範囚収容の
小監獄および2つの収容所に収容された。捕虜取り扱い専任の榊原参
謀によると、「中央監獄の4000人のうち、半分の2000人は、命令によ
り上海の捕虜収容所に移した。その分類は私がした。」と言う。
さらに同氏は東京裁判で、「また幾人かは各部隊が労務に使用し、
逃亡する者も相当多数いたが、これはそのまま放置した」
(「速記録」310号22・11・7)。と証言している。

また、一部は釈放されて、昭和13年に創立された維新政府――
のちの汪兆銘政府――の軍隊に起用された。維新政府創立の立役者
であり、行政院長に就任した梁鴻志氏は、のちに漢奸裁判にかけられ
て処刑されるが、その裁判の席上こう述べている。
「綏靖軍(すいせいぐん・維新政府の軍隊)の成立は民国28年
(昭和14年)春で、兵士の大部分は投降兵から成り、応募者は僅少で
あった。4個師に分けたが、1個師は僅か2、3千人であった」
(益井康一著『漢奸裁判史』110ページ)。
つまり、約1万人の綏靖軍は主として南京戦、武漢作戦における捕
虜を起用したというのである。
のちに北京新民会首都指導部で活躍した劉啓雄少将も南京戦における
捕虜の一人である。
321名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:38
戦闘上じゃなくて、捕虜の殺害とかをしたから問題なんでしょ?
無抵抗なのを捉えてきて殺したりとか。

せめて秦郁彦の『南京事件』ぐらいは読んでおいてほしいな。
322江沢民:2001/03/15(木) 04:39
南京大屠殺犠牲者34万同胞!これは歴史の事実である。
我々は南京の惨劇の否定・矮小化をたくらむ日本右翼勢力と闘わなくてはならない!
323名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:39
<日本側が開戦を避けようとし、支那側が望んでいた、ということの根拠>

1.「ニューヨーク・タイムズ」アーベント特派員の記事
 「日本ハ第一次上海事件ヲ繰リ返スヲ好マズ、忍耐、隠忍以テ、極力
 事態ノ悪化ヲ防止セント努メタルモ、支那ニ於ケル外国権益ヲ渦中ニ
 引キ込ムヲ企図シタル支那人ニ依リテ、文字通リ戦争ニ押シ込マレタ
 ルナリ。」
2.蘆溝橋事件の経緯。日本軍は支那軍の四度に渡る攻撃、七時間を堪えた。
3.日本は二度出兵を決定し、二度まで撤回している。
4.国民党政府は停戦協定に反し、郎坊事件、広安門事件を引き起こす。
5.和平交渉が予定されているにも関らず、支那保安隊によって、大山、
 斉藤が虐殺される。
6.「グラン・ゴアール」紙のエドアール・エルセイ特派員が「支那事変
 観たまま」で、日本側が国民党の術中に嵌まったことを記す。
324名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:40
>3万人とというと、早稲田大学に在籍する男子学生数とほぼ同じ。
>それだけの人数が殺されても大虐殺ではないと?
当時の世界戦争の被害者規模をかんがみて相対化せよ。
325名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:40
>>319
何時間もかかって、やっと気づいたわけね。
無い頭なりによく頑張ったでちゅね〜。
馬鹿がくると迷惑だから次からは見てるだけにしてね。
書き込んで迷惑掛けちゃだめよ。
326名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:42
<これまで左翼がおこなったこと>

*曽根一夫の「日記捏造」
*松本重治が「涙の訓示」を別に日にあったことに。
*洞富雄が「日中戦争南京大残虐事件資料集」で「クレーガーとハッツの目撃談」を
 「処刑」から「虐殺」に改竄。
*洞富雄が「獲得した」を「拉致した」に改竄。
*洞富雄が通常、「個人的見積もり」、とのニュアンスで使われる英文を、「入念に集計」に改竄。
*本多勝一が「ナチドイツをも驚愕せしめた南京大暴虐事件」で「クレーガーと
 ハッツの目撃談」を「日支紛争」から引用しながら、公式記録に記載されている
 委員会の「合法的処刑」という見解には触れない。
*笠原十九司は1931年の中国の状況を、「蒋介石政府が名実ともに全国を統一」と虚偽。
 「南京事件」に強制連行とは何の関係もない、中国がトリミングなどの手法で細工を
 施した写真を、「強制連行の証拠写真」として掲載。
327名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:42
>>312
>それは戦争なら(対ゲリラ掃討作戦含め)
>ごく普通に起きうる戦闘作戦上の被害人数だ。
>仮に2,3万人死んだからそれがどうしたって。
>当時戦争していたどこの国も2,3万人は
>敵兵の攻撃の犠牲になっている。

これってたぶん『戦争論』からの受け売りだと思うけどさ、
南京事件ってさ、日本軍と中国軍との武力衝突で、多数の市民が犠牲に
なったわけじゃないんだよね。
投降している兵士を、捕虜にせずに殺したり、ゲリラ狩りの名目で
多くの非戦闘員を殺したんだよ。


328捕虜殺害は:2001/03/15(木) 04:42
日本軍も中国軍も同じ。双方戦争法規を守る意思はなかった。
329名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:42
>>322
外交カードの急激な縮小ご苦労様です(笑)
もはや大幅に色褪せつつあるそのカード、
そろそろ御捨てになったらいかがです?
330>319:2001/03/15(木) 04:44
>> ごく普通に起きうる戦闘作戦上の被害人数だ。
>>仮に2,3万人死んだからそれがどうしたって。

>なるほど、「南京事件を無かったことにしたい派」って
>こういうたぐいの人なわけね。

出たな。勝手にレッテル貼りして得意がる単純。
331名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:44
> ごく普通に起きうる戦闘作戦上の被害人数だ。
>仮に2,3万人死んだからそれがどうしたって。

同じ事を、東京を空襲したアメリカ人に言われたら、あんたどう思います?
332名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:45
>>321

ここまで読んだら、平均的な知的レベルに達してるものなら
わかりそうなもんだけど。まだわかってないみたいね。
333名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:47
で、どうなんだい?
秦郁彦の『南京事件』は読んだのか?>332
334名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:47
>>330
あんまりレッテル貼り野郎をいじめるなよ。
今日はこれだけの逆風の中、中共の擁護によく頑張った方だろ?
誉めてやりなよ(笑)
335名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:47
*上杉聡は慰安婦の待遇がわるかった証拠、として、「武漢兵站」の一部を引用するが、
 それは酒の席で女が男に言う愚痴であり、内地人、朝鮮人を差別することはなかった
 などの記述はカットしている。
 カットしているのは77ページの
 「積慶里では、内地人、朝鮮人を差別する風習はまったくなかったように思う」
 という部分である。

曽根一夫は確か、「当時の日記」というものを捏造したんだけど、
マヌケなことに、それを「新かなづかい」で書いたためにばれたん
だよね(笑)
詳しくは板倉由明の著書をお求め下さい。
336名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:47
>327投降しないで市民の間へ紛れ込んじゃったから問題がおこったんだろ。
337名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:48
>あんまりレッテル貼り野郎をいじめるなよ。

苦笑。中共シンパというのはレッテル貼りじゃないのか?

> 今日はこれだけの逆風の中、中共の擁護によく頑張った方だろ?

またまた「脳内中共シンパ」の活性化ですか?

歴史修正主義者を批判してるだけなんだけど。
338名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:48
>>331
アメリカ人はそういってるんじゃないの?
339名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:49
*「私の見た南京事件」の著者、奥宮正武は、パネー号事件の当事者であるが、
 彼は、軍法会議もののこの大事件を、自著の中で徹底的に隠蔽し続け、その
 代りに南京で虐殺を目撃したという記述を強調する。
 そして、マヌケにも数千人の処刑を、「弾薬を節約するために」日本刀や
 銃剣を使用するなどという、子供でも馬鹿馬鹿しく思うようなことを述べて
 いる。本カツと同レベル、ということだ。
 彼は、日本刀一振りが現在の価格に換算して、五十万円くらいであり、弾薬
 一個百円ほどである、ということも知らない。
 また彼は、食事の場所につれていくかのようにして、中国人をトラックに乗せ
 てつれてゆき、大量虐殺を流れ作業のように、「作戦行動」として行った、という
 が、それならば誰の命令で、どの部隊が行ったのか命令書などの一等資料で
 特定出来るはずだし、現にタンカー爆撃をやったのは奥宮隊以外に無いとはっきり
 特定されている。
 仮に命令書が処分されたと考えても実行部隊の陣中日記や将兵の日記に当たること
 もできるはずである。しかし、そのような裏付けが何もない。
340名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:49
>>327投降しないで市民の間へ紛れ込んじゃったから問題がおこったんだろ。

その理屈で言うと、東京にいる日本兵は市民に紛れ込んでるから、
東京の人間を殺してもいいってことになるけど?
341名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:50
>アメリカ人はそういってるんじゃないの?

言ったとしたら、あなたはどう思うの?どう感じる?
支持できる?でないとダブスタなんだけど。
342名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:51
>>340
「広島には兵器工場がある」という理屈で、原爆落として一般人を虐殺したんでしょ。
343不勉強:2001/03/15(木) 04:52
女子供を含む一般人をねこそぎ追い立てて、
機関銃をあびせたという話は聞いたことがない。
344名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:52
>歴史修正主義者

はいレッテル貼りで自爆〜。
トラップに引っ掛かってご苦労さん。
もうちょっとオツムを鍛える事が必要とレッテル貼ってあげましょう(笑)
345名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:51
 奥宮正武というのは、パネー号事件に関する主張でも
 そうだが、その場その場で適当な発言を繰り返して
 いるような人だ。
 だから、発言するたびに以前の主張と矛盾したり、
 まるっきり正反対の主張をしたりする。まったく、
 虚言癖があるとしか思えない。
 パネー号事件に関して奥宮は、「さらば海軍航空隊」の
 中で、「潮田大尉機が江岸に逃走中の小船艇に機銃射撃
 を加えたことが分かった」と言い、それは事実なのだが、
 「大東亜戦争」の中では、なぜか潮田大尉の機銃掃射の
 ことは隠し、「村上中尉は、それらのボート群に向かって
 、機銃射撃を命じたとのことであった」と今度は無実の
 村上陸軍中尉に濡れ衣を着せている。
 また、自分の罪を他人に押し付けたり、海軍を弁護するか
 わりに、徹底的に陸軍を貶めようと様々な嘘と思われる
 ことを主張している。
 そしてその矛盾点を指摘されるたびに、その反論で新たな
 矛盾点を生んで傷口を広げている。
 奥宮の場合、このようなことの連続であるから、それを
 一々指摘するつもりもないが、南京についていくつか。
346名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:52
で、どうなんだい。そういうアメリカの理屈を支持できるの?>342
347名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:52
>東京にいる日本兵は市民に紛れ込んでるから、
>東京の人間を殺してもいいってことになるけど?

だめだ、イカれてる。ゲリラ更衣兵とふつうの兵士の区別が付いてない。
348名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:53
>ゲリラ更衣兵とふつうの兵士の区別が付いてない。

兵士が逃げるために更衣に着替えたからって、「ゲリラ更衣兵」として殺していい、
ということにならないのは理解してるか?
349名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:54
 「私の見た南京事件」で彼は「南京占領直後に、同市とそ
 の近郊で、おびただしい数の中国人が主として餓死により
 死亡した」と記しており、そのことの矛盾点を「正論」紙上
 で中川八洋に指摘され、それに対する奥宮の弁解が振るって
 いる。曰く、「そのような現場を見たことはないし、そのよ
 うなことを書いた覚えもない」・・・。
 あるいは、処刑された部隊が正規兵の捕虜だと記述したか
 と思うと、文脈の中でそれをいつの間にか「一般の中国人」
 だと匂わせるような記述をしたりする。おまけに、確かに
 そうだと思わせるような根拠を示さないでだ。
 彼の中川への反論にならない反論に対して、中川は「正論」
 2001年1月号で再反論している。
 奥宮はそれに答えるべきだろう。
350名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:54
このスレの最初にほうに日記だとか日本軍の戦闘記録だとか出てくるが、それらはきちんと資料批判された後のものを使っているわけ?日記に書いてあるから本当だとか軍の戦闘記録にあるから本当だとは、そのままでは言えないわけだけど。例えば日本軍が自分側の戦果の水増しの常習犯だったってことはご存知と思いますが。
351名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:54
「歴史修正主義者」だって。

自分の意に沿わない者は全てこのレッテルを貼ればいいんだから気楽なもんだね。
これじゃあシオシオのダメダメだぁ。思いっ切り中共に視点が寄ってるんだね。
352名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:55
南京の更衣兵は、逃げるために着替えたとでもいいたいのかい?
353名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:56
>>247
どうでもいいが「更衣兵」でいいの?
「便衣兵」ではないの?
354名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:56
348って、読解力「0」だな(笑)
355名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:56
>>346
日本ばかり非難するあなたもダブスタ。
だったら日本を非難するのと同じ情熱で、アメリカや中共の大虐殺も声高に非難して下さい。
356名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:57
>思いっ切り中共に視点が寄ってるんだね。

自分の意に沿わない者は全て「中共」レッテルを貼ればいいんだから気楽なもんだね。
357名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:58
ははは、誰も虐殺行為が良いことなんて一言も言ってないのに
意図的にそちらに議論を誘導している卑怯な奴が居るな。
皆原点に戻れ。中共シンパの手口はいつもこうだ。
358名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:59
>だったら日本を非難するのと同じ情熱で、アメリカや中共の大虐殺も声高に非難して下さい。

当たり前でしょうが。
アメリカであろうが中国であろうが、大虐殺は声高に非難してしかるべき。

他国の虐殺なら非難するくせに、日本の虐殺は免罪しようとしているあんたのほうが
よっぽどダブスタだって。
359名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 04:59
348のように、無知な上に読解力もない人間の相手してても
意味がないような気がする・・・
360慣例的には:2001/03/15(木) 04:59
基本的にパルチザン(中国では便衣)・その幇助者は即時処刑をしてもあまり問題にはならない。
(違法といわれれば違法だが)
361名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:00
>中共シンパの手口はいつもこうだ。

これを日本語で「レッテル貼り」と言います。

 またまた「脳内中共シンパ」の活性化ですか?
362名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:01
*<東亜局長石射猪太郎氏は、回顧録『外交官の一生』>について。
 福田氏(当時外交官補佐)は現地で、実際に中国人や国際委員会
 の抗議を吟味してその内容の多くがでたらめであることを知ってい
 るが、毎回続々と送られてくる日本軍の暴行に対する国際委員会の
 抗議を受け取った当時の外務相東亜局の驚きはどんなであったか。
 東亜局長石射猪太郎氏は、回顧録『外交官の一生』(読売新聞社
 出版部)の中で次のように書いている。昭和13年1月6日の日記にいう。
 上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。
 掠奪、強姦目もあてられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か。
 日本国民民心の頽廃(たいはい)であろう。大きな社会問題だ。
 (中略)
 これが聖戦と呼ばれ皇軍と呼ばれるものの姿であった。
 私はその当時からこの事件を南京アトロシティと呼びならわして
 いた。
363名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:02
>>それは戦争なら(対ゲリラ掃討作戦含め)
>>ごく普通に起きうる戦闘作戦上の被害人数だ。
>>仮に2,3万人死んだからそれがどうしたって。
>>当時戦争していたどこの国も2,3万人は
>>敵兵の攻撃の犠牲になっている。

>これってたぶん『戦争論』からの受け売りだと思うけどさ、
>南京事件ってさ、日本軍と中国軍との武力衝突で、多数の市民が犠牲に
>なったわけじゃないんだよね。
>投降している兵士を、捕虜にせずに殺したり、ゲリラ狩りの名目で
>多くの非戦闘員を殺したんだよ。

受け売り? 常識的解釈と言いたまえ。

>投降している兵士を、捕虜にせずに殺したり、ゲリラ狩りの名目で
>多くの非戦闘員を殺したんだよ。

君はゲリラと非戦闘員が見分けつくと思っているのかい?
殺(や)るか殺られるかの緊迫した状況下で、
そんなのん気なこと言ってられるかよ。
その状況下に置かれた立場とか、もっと想像力を働かせよ。
364名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:02
>>356
こんにちは、中共シンパさん(笑)
あなたのダブスタ振りには見事な感銘を受けました。
ぜひその調子でこれからも電波飛ばしまくってください。
中共のダブスタを見た我々は、今後一切この問題で中共に同情し、
かつ同情的言説を吐く事はないでしょう。
もっと日中バランスを取った立論をすればここまで我々を敵に回すことはなかったのでしょうが、
ご愁傷様です。
365名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:03
>>358逆にすれば、そっくりそのままあんただよ。
自国の虐殺なら非難するくせに、他国の虐殺は免罪しようとしているあんたのほうが
よっぽどダブスタだって。
366名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:03
 この文章は虐殺派がよく利用する。石射氏がこのようなでたらめ抗
 議を信用し、軍に反感を抱くにいたったには、それなりの原因がある。
 昭和12年12月14日(南京占領の翌日)に開かれた「大本営連絡会議」
 で、軍と激突し、次のように憤激している。

 「こうなれば案文などどうでもよし、日本は行く処まで行って、行き
 詰まらねば駄目と見切りをつける(同日の『日記』より)。
 私はむしろサバサバした気持ちになり、反逆的な快味さえ感じた」。

 このように「反逆的快味」すら感じていた石射氏にとって、南京にお
 ける陸軍の失敗は反撃のチャンスでありザマミロということになる。
 「南京アトロシティー」は石射氏にとって陸軍を攻撃する格好の材料
 であったのだ。
 石射氏の陸軍に対する憎しみは反日的情念にまで結びついた感がある。
 なにしろ、石射氏のこの回顧録を見ると、始めから終わりまで、日本
 と中国の関係を「日中」ではなくて「中日」と記述しているのである。
 すなわち中国を主として、日本を従とする思考様式である。
 日本国天皇からもらった勲章には「愛想をつかしていた」が、中国
 からもらった勲章は「光栄とし愉快とする」などと臆面もなく書い
 ている。
 このような人物が当時の日本外務省の東亜局長だったのである。
367>>353:2001/03/15(木) 05:05
IME入れ替えたばっかでうまく変換できないのだよ。
関係ないからさげ
368名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:05
>君はゲリラと非戦闘員が見分けつくと思っているのかい?
>殺(や)るか殺られるかの緊迫した状況下で、
>そんなのん気なこと言ってられるかよ。

あんたやっぱり秦氏の著作を読んでないね。
戦闘時ならそうかもしれんが、南京では捕まえてきた後での殺害が問題になってるんだって。
それを戦闘時とごっちゃにするのはなぜ?
わざと言ってるの?
369名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:05
中村粲
吉見義明の「女性国際戦犯法廷」でのインチキぶりを暴露。中支那派遣軍
の「悪質業者を排除するため」、「慰安婦募集のトラブルを回避するため」
に「人物選定を適性にせよ」と出された通達を、「軍が直接に慰安婦を募集
せよ」として示達されたものである、と偽って提出したことを指摘。
370名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:05
何度愚言を呈そうとも、中共のダブスタを見てしまった僕らは
あんたの言い分に耳を貸す事は無いよ。
そんな奴の立場なんぞ斟酌したくもない。
バランスを欠いたただの卑怯者だ。
371名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:06
っていうか、小林が『戦争論』も、便衣隊が市民のなかにまぎれこんだ
から市民が犠牲になったんだ、って言ってるけど、
非戦闘員である、老人や女性、子ども、それから投降してきた兵士まで
処刑したら、そんな言い訳通じないのでは?
372名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:07
捕まえられた兵士も全員非戦闘員のふりすんだろ
373名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:08
南京陥落前の市民の人口
 1.「フランクフルター・ツァイトゥンク」リリー・アベック記者=「せいぜい15万人」
 2.王固磐警察庁長がラーベに語った数字=20万人

南京陥落直後の市民人口
 1.南京安全地帯国際委員会、9号文書(12月17日付)=20万人
  九号文書には「流れ弾による破壊は実にわずかしかなかった」とも記されている。

安全地帯以外に市民がいなかったことを示すもの
 1.南京安全地帯国際委員会、9号文書=「貴軍(日本軍)が入城するときには
  すべての市民を安全地帯に収容し終わっていた」ことが記されている。
 2.ラーべの日記1月15日収録の「南京の状況」12月13日付
 3.第十六師団歩兵第三八連隊の「戦闘詳報」第十二号
 4.第九師団歩兵第十九連隊第四中隊長、土屋正治中尉、支那派遣第三艦隊の
  従軍画家、住谷盤根の証言等々からも、日本軍入城時には安全地帯以外
  人がいなかったことが明らかになっている。

日本軍が安全地帯を攻撃しなかったことを示すもの
 1.南京安全地帯国際委員会、1号文書(十二月十四日付)=「貴軍の砲兵隊
  が安全地帯を砲撃しなかった見事なやり方に感謝するため、我々は筆を
  とっております」という書きだしになっている。

翌年の市民人口を示すもの
 1.南京安全地帯国際委員会、第41号文書(1月18日付)=25万人
 2.ラーべの日記1月17日=「安全地帯の住民の数はいまやもう、約25万人
  と推定される。この約5万の増加は城内の廃虚から来ている」
374名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:08
>>364
>こんにちは、中共シンパさん(笑)

脳内中共シンパの活性化が止まらないようですな。

私はどちらかというと中国には批判的な人間です。
それを中共シンパとレッテル貼りして満足しているあなたの
思考回路が不思議で仕方がない。

そういえば電波漫画家の小林が西尾を「サヨク」呼ばわりしてましたが、
それと似たようなもんですかね。

ご愁傷様です。
375名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:09
これだけ中共政府のダブスタを見せ付けられても
まだ中共を擁護しようとする奴は、
まさに中共シンパのレッテルに相応しい。
だって理由も無しに一方的に中共の肩を持つんだもの。
見てて呆れちゃうよ。何でそこまで奴隷に成れるのか?
376名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:10
>>>358逆にすれば、そっくりそのままあんただよ。
>自国の虐殺なら非難するくせに、他国の虐殺は免罪しようとしているあんたのほうが
>よっぽどダブスタだって。

あんたもわからない人だねえ。

>アメリカであろうが中国であろうが、大虐殺は声高に非難してしかるべき。

と私ははっきり書いたでしょうが。
つまり他国の虐殺を免罪しようなんてしてないんだってば。
日本語読めてるか?

他国の虐殺なら非難するくせに、日本の虐殺は免罪しようとしているあんたのほうが
よっぽどダブスタだって。
377名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:10
<埋葬数>

紅卍字会の死体埋葬はいつから始まったか。
 1.南京特務機関宣撫班の丸山進氏は2月上旬と証言。
 2.ラーべの日記でも2月1日

埋葬は何日間行われたか。
 1.「南京救済国際委員会報告書」では2月1日から3月15日までの43日間で、
  雨で道路がぬかるんでいた6日間は中止したいたので、実質37日間。
 2.丸山進氏も3月15日に終了していると証言。

紅卍字会の埋葬数報告では43071体

一日当たりの埋葬量はどうだったか。(2月)
 1.丸山氏の証言では180体から200体。
 2.ラーべのドイツでの講演では一日200体は無理だった、と言っている。
 3.ベイツの「南京における救済状況」では200体。
378名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:10
>>358
おい、いつオレが日本の虐殺を免罪しようとした。話をすりかえるな卑怯者。
同レベルの民間人虐殺が日本でもいくつも行われたのに、南京ばかりを声高に批判するあんたの態度が理解できないだけだ。
アメリカの在郷軍人団体がスミソニアンでの原爆展を阻止したことがあったが、
あんたは当然これに対しても抗議運動をしたんだろうな?
379名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:12
2月中の埋葬数は
 1.上記のことから、二月は雨天の日を除いた25日間と作業として、多く
  見積もっても5000体の埋葬。
 2.それは「南京特務機関第2回報告」の記録、2月5000体、と一致。

一日当たりの埋葬量はどうだったか。(3月)
 1.ドイツ大使館ローゼン書記官、本国宛報告では一日当たり500から600体。

3月中の埋葬数は
 1.多く見積もって9000体。

合計埋葬数は
 2月と3月で14000体。下関の2000体を合わせても14000+α。

ベイツは紅卍字会の埋葬記録を信用したが、それは水増しだった。
だから、国際委員会はベイツの主張を記録から削除したわけだ。 
380名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:13
>>374
じゃあ中国も謝罪しなければいけない事柄がたくさんあると認めますね?
だってダブスタはいけないんでしょう。だったら中国も同様に責めないと。
そういうところが反感を買うのですよ。
381名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:13
>これだけ中共政府のダブスタを見せ付けられても
>まだ中共を擁護しようとする奴は、
>まさに中共シンパのレッテルに相応しい。

笑わしてくれるなあ。
誰が中共を擁護したんだよ?
30万人説など唱えてるような人間はここにはいないだろうが。

被害妄想もたいがいにしないと、西尾を「サヨク」呼ばわりする電波漫画家と
同じようになっちゃうよ。
382名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:13
>>371
あのさあ、秦郁彦の『南京事件』読むとわかるんだけどさ、
便衣兵狩りたって、手のたことか、荷物を背負った跡とか、靴ずれとか
兵士であったしるしを探すものであってさあ、ゲリラとの直接的な
戦闘ではなかったわけなんだよ。
383名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:14
 ラーベの日記には『局部に竹を突っ込まれた女の人の死体を
そこら中で見かける。吐き気がして息苦しくなる。70を越え
た人さえ何度も暴行されているのだ』とあるが、強姦のあと
「局部に竹を突っ込む」などという風習は、支那にあっても、
日本には絶対ない。また、ラーベは『日本兵はモーゼル拳銃を
もっていた』というが(318ページ)当時日本軍にはモーゼル
拳銃など一丁もない。支那兵の間違いである。

 もう一つ重大な欠落がある。国際委員長であるジョン・ラー
ベは委員会を代表して次のような感謝の書簡を日本軍司令官にお
くっている。(12月14日)
 「拝啓、私どもは貴下の砲兵隊が安全区を攻撃されなかったと
いう美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対す
る将来の計画につき、貴下(松井軍司令官)と連絡を取り得るよ
うになりましたことに対して感謝の意を表するものであります」
(速記録210号)
384名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:14
>おい、いつオレが日本の虐殺を免罪しようとした。

ではお聞きします。
南京事件では秦氏によると2,3万人の被害者が出ました。
これは虐殺ですよね?
385名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:14
人の揚げ足ばかりとり、答えにくい反論は無視、
いざとなったら話をすりかえる

本人は否定するだろうが、まさに中共の手口
386名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:14
>>371
女@`子供までに機銃をあびせた、という話はあるんですか。
青壮年を無作為に選び出して処刑したとはきいていますが。
387名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:15
>人の揚げ足ばかりとり、答えにくい反論は無視、
>いざとなったら話をすりかえる

そうそう、電波漫画家のマンガはまさにこれだね。
388名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:15
>>376
じゃあ早く中共のチベットなどでの虐殺行為も声高に非難しなさいって。
ダブスタが嫌いなあんたのことだから簡単に出来るよね?
ささ、早くやってみ。
389名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:16
 ラーベの日記には、この自分が書いた日本軍に対する「感謝の
書簡」について一行もふれていないということは、一体どうした
ことか?反対に日本軍は暴虐の限りを尽くしたと言い、編者ビッ
ケルトはこれを補足して『便衣兵狩りが一般市民を多く巻き込み、
大虐殺を生んだとの見方がある。ともかく、日本兵は安全区まで
入り込み、殺戮を繰り返したのである』と書いている。
 ところが残留せる住民には、日本軍来たれば待望の秩序と統制
との回復あるべしとの意味にて、日本人を歓迎する気分さえあり
たることは想像せらるるところなり。(速記録210)
 また金陵大学病院医師マッカラム氏は、「(安全区に入ってき
た日本軍は)礼儀正しく、しかも尊敬して私どもを処遇してくれ
ました。
若干のたいへん愉快な日本兵がいました。/私は時々日本兵が若
干の支那人を助けたり、また遊ぶために、支那人の赤子を抱き上
げているのを目撃しました」と、東京裁判に提出した日記の中に
書いている。(速記録210)
390名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:17
>同レベルの民間人虐殺が日本でもいくつも行われたのに、
>南京ばかりを声高に批判するあんたの態度が理解できないだけだ。

バカなことを言うな。同じ事を何回言えば理解できるんだ?
アメリカであろうが中国であろうが、もちろん日本であろうが、
大虐殺は声高に非難してしかるべきだって。

>アメリカの在郷軍人団体がスミソニアンでの原爆展を阻止したことがあったが、
>あんたは当然これに対しても抗議運動をしたんだろうな?

もちろんこれには批判的だよ。
あなたはこの件についてはどうなんだい?
アメリカの在郷軍人に賛成かい?反対かい?
391名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:17
>>384
虐殺じゃないなんていってる人いるの?
南京も、東京大空襲も、広島長崎の原爆も、ソンミ村も、カチンの森も、チベットも天安門もコソボも東チモールもチェチェンもみんな虐殺だよ。
392名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:17
あと、中共が50年前の朝鮮戦争で「あれは昔の事でしょう」と
一蹴した事も声高に非難してね。ダブスタ王国中国は許さない!!ってね。
393名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:18
 ラーベの日記には、この自分が書いた日本軍に対する「感謝の
書簡」について一行もふれていないということは、一体どうした
ことか?反対に日本軍は暴虐の限りを尽くしたと言い、編者ビッ
ケルトはこれを補足して『便衣兵狩りが一般市民を多く巻き込み、
大虐殺を生んだとの見方がある。ともかく、日本兵は安全区まで
入り込み、殺戮を繰り返したのである』と書いている。
 ところが残留せる住民には、日本軍来たれば待望の秩序と統制
との回復あるべしとの意味にて、日本人を歓迎する気分さえあり
たることは想像せらるるところなり。(速記録210)
 また金陵大学病院医師マッカラム氏は、「(安全区に入ってき
た日本軍は)礼儀正しく、しかも尊敬して私どもを処遇してくれ
ました。
若干のたいへん愉快な日本兵がいました。/私は時々日本兵が若
干の支那人を助けたり、また遊ぶために、支那人の赤子を抱き上
げているのを目撃しました」と、東京裁判に提出した日記の中に
書いている。(速記録210)
394名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:18
>>384
虐殺じゃないなんていってる人いるの?
揚げ足取りは止めなさい。
極めて卑怯ですよ。
395名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:19
>じゃあ早く中共のチベットなどでの虐殺行為も声高に非難しなさいって。
>ダブスタが嫌いなあんたのことだから簡単に出来るよね?
>ささ、早くやってみ。

反共の連中って、必ずチベットの話を出してくるよね。
わかりやすい。そういや電波漫画家もチベットの話をマンガにしてたっけ。

もちろん、チベットで虐殺があったのなら、もちろん批判するべき。

で、あなたはチベットの虐殺は非難するが、日本の虐殺は非難しないの?
396名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:19
>30万人説など唱えてるような人間はここにはいないだろうが

この言いぐさ何回目だろう。だいぶ前に反論したんだが無視されてしまった
そのくせ人には「お聞きします」だと。
秦氏云々を引き合いに出すのも何回目だろうな。
397名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:20
「慰安婦」を性奴隷、といってみたり、戦死者や便衣兵の処刑
中国軍が虐殺したものまでを「日本による虐殺」、と言ってみたり。
理解に苦しむ。
398名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:20
>秦氏云々を引き合いに出すのも何回目だろうな。

で、どうなんだよ。彼の著作は読んだのかい?
何回聞いても答えてくれないもんで。
399名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:20
そもそも、何をもって「虐殺」と認定してるわけ?
数か?それとも、民間人が混じっていたらか?
そのへんが曖昧なまま虐殺云々言われても、端から見ていたら分からないな
400名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:20
>>395
>もちろん、チベットで虐殺があったのなら、もちろん批判するべき。

じゃあちゃんと非難してね。さあ声を大にして!
逃げちゃだめだよ。
401名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:21
>>もちろん、チベットで虐殺があったのなら、もちろん批判するべき。

>じゃあちゃんと非難してね。さあ声を大にして!
>逃げちゃだめだよ。

おいおい、こっちからの質問は無視かい?
はやく答えてくれよ。

Q で、あなたはチベットの虐殺は非難するが、日本の虐殺は非難しないの?
402391:2001/03/15(木) 05:21
ちなみに中共のいう「30万の民間人が虐殺された」ってのは大ウソだと思うよ。
オレはあんたのいう「南京虐殺無かったことにしたい派」にあたるのかい?
403名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:22
 日本人を憎悪していたマギー牧師でさえ「安全区は難民の“天国”
だったかも知れない」(注2)とさえ述べているのである。
安全区国際委員会の書記長スマイス博士(米)も、その調査報告書
の中で「住民のほとんどはここに集まっていた。・・・
難民区内は一件の火災もなく平穏であった」と述べている。
(速記録210)
 ところがラーベ日記には、安全区内に毎日のように火事と強姦が
続いたという“地獄絵”が描かれている。一体どちらが本当なのか?
当時、同盟の特派員であった故前田雄二氏(元日本プレスセンタ
ー専務理事)は、内外のニュース社発行の『世界と日本』の中で
こう述べている。「いわゆる“南京大虐殺”というのは、2〜30
万という数は別としても、主として住民婦女子を虐殺したというも
のだ、ところが殺されなければならない住民婦女子は、当時全部
“難民区”内にあって、日本の警備司令部によって保護されていた。
そして私の所属していた同盟通信社の旧支局はこの中にあり、入城
4日目には、私たち全員はこの支局に居を移し、ここに寝泊まりし
て、取材活動をしていた。
すなわち難民区内が私たちの生活圏で、すでに商店が店を開き、日
常生活を回復していた。住民居住区の情報はちくいち私たちの耳目
に入っていたのだ。こういう中で、万はおろか、千あるいは百をも
って数えるほどの虐殺が行われるなど、あり得るはずはなかった。
すなわち“捕虜・便衣兵の処刑・殺害”はあったがそれは戦闘行為
の枠内で論ぜられるべきものであって、非戦闘員の大量虐殺などは
なかった。
404>>398:2001/03/15(木) 05:23
で、どうなんだよ。答えにくい質問はまた無視かい?
なんかいいってもわかってくれないもんで。
405傍観者:2001/03/15(木) 05:23
びみょーにかち合ってねーな。
406名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:24
当時、反日的な報道をしていた米紙「タイム」でさえ「日本軍は
“安全区”をちょっぴり可愛がった」と、評しているほどである。
 当時、朝日新聞は入城した12月13日から12月30日までわ
ずか1ヶ月足らずの間に、5回にわたって半ページ大の組写真の特
集を連載している。
その第1回が『平和甦る南京』(17日)、早くも避難民が続々と
帰り、畑では野良仕事が始まっている。
第2回が『きのふの敵に温情』(22日)、支那軍負傷兵を治療、
投降兵に給食などしている写真、第3回が『南京は微笑む=城内点描』
(25日)、子供と遊ぶ兵隊さんの姿、賛美歌を合唱する50人ほ
どの女性など。第5回『手を握り合って越年』(30日)、支那人
の靴屋さんが日本兵の靴の修理、ヒゲの隊長が婦人にミルクを配給
するなど、『日に深む日支親善風景』が写されている。これらは当
時現地で撮影した第一級資料である。
407名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:25
401は「逃げるな!」と言ったのに逃げました。
408名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:27
ラーベが委員長を務める国際委員会(米7、英5、独2、デンマー
ク1、計15名で構成)は、紅卍字会やYMCAの青年らを配下に
して、日本軍の南京占領後の犯罪調査に乗り出している。すなわち
12月13日の入城から翌年の2月9日まで、その間、日本軍将兵
が犯した犯罪行為を克明に記録し、これをタイプして日本大使館お
よび米、独等の大使館にも伝達した。
この日本軍非行の告発書とも言うべき「公文書」は全部で61通、
件数にして425件である。
61通の告発書の日本側の受取人は主として日本大使館の福田篤泰
(とくやす)氏である。福田氏はのちに吉田首相の秘書官を務め、
代議士となり、防衛庁長官、郵政大臣を歴任した信望ある政治家で、
筆者とも昵懇であった。すでに6年前故人になられたが、生前福田
氏は当時を回顧して私にこう語った。
 「当時ぼくは寧海路の委員会本部に行くと、若者が次々と駆け込
んできて、今どこどこで日本兵が輪姦しているとか、商品をかっぱ
らっているとか告げる。それをマギー牧師やフイッチがタイプに打つ。
そこで僕は、『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれを
タイプして抗議されても困る』と幾度も抗議したことがある」
 現に福田氏自身が検証におもむいたところ、その倉庫には鍵もか
かっており、盗難や略奪の痕跡すら無かった事もあったという。
なお、福田氏は「例のティンパーリーの『中国における日本軍の暴
挙』の原資料はフイッチやマギーがこうしたデタラメをタイプした
ものの集積であると僕は見ている。」と述べていた。さて、国際委
員会が告発した日本軍非行の425件の中には、非行でも何でもな
い事件もあり、前述のように伝聞、噂話、憶測もあるがこれらをす
べてクロとみて分類すると次の通りである。
 殺人 49件、傷害 44件、強姦 361件(多数3件、数名
6件)、連行 390件(多数1件、数名2件)、略奪その他
170件
この数字は、南京占領の12月13日から翌年2月9日までの南京
における日本軍非行を記録した国際委員会の総トータルである。
(注3) 殺人わずか、49件。大虐殺などどこにもない。
これをラーベ日記は、虐殺5〜6万、強姦実に2万件というのである。
その根拠は何ら示していない。
409名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:28
>非戦闘員である、老人や女性、子ども、それから投降してきた兵士まで
>処刑したら、そんな言い訳通じないのでは?
もしそういう事が起きていたとして
戦争とはそういう非常識が起きる状況なのだ。
君は今こうしての平和な日常生活という蚊帳の外にいて
今の日常の価値観で戦争の善悪をとやかく言う、
それがどれほど卑怯な行為か気付くべきである。
「プラトーン」とか「プライペート・ライアン」て映画見たことあるか?
現場の兵士はみんな感覚が狂っていく、敵兵や敵の民間人に対し
憎しみと怒りが増大し狂暴になっていく。
俺だって現場で兵士をやっていたら、戦闘で殺された仲間を思い出し、
敵の国の人間を、兵士、民間人を憎み、簡単に殺してしまうかもしれない。
俺は、戦争というのは、そういうものだと思っている。
だから戦争は望まないけれども、
いったん起きてしまったら戦争下さまざまな状況があって、
駆け引きがあって、残虐な行為も起きうる、それが戦争の日常というものだ。
410名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:28
中共のスポークスマンご苦労さん。
お前がどうあがいたって中共の言い分にシンパシーを感じる奴なんてそうそう居ないから安心しろ。
中共のダブスタを見せ付けられちまった後では、もう中共に謝罪も賠償もしたくなくなったからよ。
骨折り損だったな。哀れな奴よ。
411名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:28
答えにくい質問に答えないのは「南京虐殺なかったことにしたい派」だろ。

ざっと見ただけでもこれだけの質問がなされていて、全く答えていない。

>>384
>>おい、いつオレが日本の虐殺を免罪しようとした。

>ではお聞きします。
>南京事件では秦氏によると2,3万人の被害者が出ました。
>これは虐殺ですよね?


>>390
>>アメリカの在郷軍人団体がスミソニアンでの原爆展を阻止したことがあったが、
>>あんたは当然これに対しても抗議運動をしたんだろうな?

>もちろんこれには批判的だよ。
>あなたはこの件についてはどうなんだい?
>アメリカの在郷軍人に賛成かい?反対かい?


>>395
>もちろん、チベットで虐殺があったのなら、もちろん批判するべき。
>で、あなたはチベットの虐殺は非難するが、日本の虐殺は非難しないの?


>>398
>で、どうなんだよ。彼の著作(秦氏の南京事件)は読んだのかい?
>何回聞いても答えてくれないもんで。
412名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:29
 南京警備司令部は、12月24日から正月にかけて、安全区に
潜入している便衣兵と常民を分離するため、中国人立ち会いのも
とに「良民証」を給付した。その給付された「良民証」の数は
16万に達した。しかしこれは「10才未満の子供と60才以上
の老人を除外した数字である。従って総数は25万から27万と
みてよかろう」と金陵大学教授で委員会の書記長ルイス・スマイ
ス博士の推測である。この時摘出された約2千の便衣兵は、全員
捕虜収容所に送られている。

 「十一時にクレーガーとハッツが本部に来て、たまたま目に
するはめになった『小規模』の死刑について報告した。日本人
将校一人に兵士が二人、山西路にある池の中に中国人(民間人)
を追い込んだ。その男が腰まで水につかったとき、兵士のひとり
が近くにある砂嚢のかげにごろりと寝ころび、男が水中に沈むま
で発砲し続けたという」これと同じ記述が他の本にも有る。
そこで、見落としがないように完全に並べて立ててみると、次
の三冊に同じ記録が出てくる。
 @H.Timperley@`The Japanese Terror in China@`Case No.
185@` 1938@` 1969@` p.159f. (ティンパーリー編『支那におけ
る日本軍の恐怖』1938年)
 AShuhsi Hsu(ed)@` Documents of the Nanking Safety Zone@`
Case No. 185@` 1939@` p.78.(徐淑希〔前外交部顧問〕編『南京
安全地帯の記録』1939年。本書はラーベの署名する国際委
員会の抗議文書を徐教授が「重慶の国際問題委員会の主宰の下
に作成」したもの)
 B洞富雄編『日中戦争南京大残虐事件資料集第二巻英文資
料編』に所収されたティンパーリー編『戦争とは何か――中国
における日本軍の暴虐』(上の@の訳本)
 この三冊の中にクレーガーとハッツの目撃が事例185とし
て記録されている。では上の三冊とラーベの日記は全く同じ内
容であったかと言えば、そうではない。
 上の三冊の注には、南京安全地帯国際委員会の行った調査結
果が注記され、ラーベの言う「死刑」は「日本軍の行う合法的
な処刑」であると明記された。ところが、その肝腎な調査結果
を、ラーベは日記に記さなかった。つまり日記から削除するこ
とにより、ラーベは合法的な処刑を非合法的な虐殺と暗示した
のである。
413名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:29
>>逃げちゃだめだよ。

と言いながら質問から逃げてるのは「南京虐殺無かったことにしたい派」
じゃんか。
414名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:31
逃げた方が得意げになってしらっと質問を繰り返しています。
自分が答えてないくせにこれって卑怯だよね。
これだから中共シンパは・・・(笑)
415名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:31
>>406
さっきからコピペばっかりしてる人がいるが、小林のネタは
こういうところからとったのか?
『戦争論』では戦時中の朝日新聞を大本営発表を垂れ流す
インチキ新聞だって批判しておきながら、
南京事件に関して406のような朝日新聞の記事と写真を持ち出して
南京陥落は平和におこなわれた、って言ってるんだもん。
416名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:32
 さて、ラーベの12月13日(陥落初日)の日記は随分と
考えさせられる内容である。
「我々はメインストリートを非常に用心しながら進んでいった。
手榴弾を轢いてしまったが最後、ふっとんでしまう。上海路へ
と曲がると、そこにもたくさんの市民の死体が転がっていた。
 ふと前方を見ると、ちょうど日本軍がむこうからやってくる
ところだった。
なかにドイツ語を話す軍医がいて、我々に、日本人司令官は
2日後に来ると言った。」(109貢)
 多くの死体が有ったというが、紅卍字会の埋葬記録が正しけ
れば上海路では20体の埋葬であったから、死体は20体しか
なかったことになる。では、ラーベの言うように「市民」の死
体であったのか?
 支那軍正規兵は、敗戦の際は常に軍服を脱ぎ捨て便衣(平服
をまとっていた上、逃げようとする友軍兵士を督戦隊が背後から
撃っていた。支那兵に武装解除を勧めるラーベの近くで、支那
軍将校がカービン銃を撃っていた。死体は、撃たれて死んだ兵
士の死体だったのではないか。
417391:2001/03/15(木) 05:32
「南京虐殺無かったことにしたい派」の定義をしてくれないと、自分が該当しているのかどうかもよくわからないよ。
418名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:33
だから「南京虐殺無かったことにしたい派」 なんてどこにいるんだよ。

またお前の勝手な妄想か?それより早く質問に答えろよな。
逃げてちゃだめだぜ!!
419名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:33
>中共のスポークスマンご苦労さん。

「私は中国には批判的だ」って言ったのに、まだ理解できなかったみたいだね。
あんたの思考停止ぶりには頭が下がるよ(笑)。

>お前がどうあがいたって中共の言い分にシンパシーを感じる奴なんてそうそう居ないから安心しろ。

俺も中国にシンパシーは持ってないんだけどね。
そういっても「脳内中共シンパ」が暴走して思考停止しているあんたには
受け入れがたいんだろうけど。

>中共のダブスタを見せ付けられちまった後では、もう中共に謝罪も賠償もしたくなくなったからよ。

他国の虐殺なら非難するくせに、日本の虐殺は免罪しようとしているあんたのダブスタは放置?
420名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:34
>逃げた方が得意げになってしらっと質問を繰り返しています。
>自分が答えてないくせにこれって卑怯だよね。

じゃああんた答えてみなって。
自分が答えないくせによく言うよ。

どうみたって質問から逃げてるのはあんたらじゃん。
421名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:35
>>411
「南京大虐殺」・「南京事件」には様々な解釈があるので,単にある・ないでは結論できないのでは?
4万人説をとる秦氏も、中国側では「否定派」とされている現状では「違う」としかいい様がありません。
422名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:35
>>411
あほ。おまえの質問してることなんて、すでに答えのでてること
なんだって。おまえの読解力に欠陥があるだけの話だ。
少なくとも
>南京事件では秦氏によると2,3万人の被害者が出ました。
>これは虐殺ですよね?

ってのに関してはな。
423名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:36
>>419
あんたが今まで犯してきたダブスタが分かったかい?
分かったら不公平な立論は止める事だ。
それでは日本人は納得しない。
424名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:36
ほう、では4万人が殺されていても、虐殺ではないと?>421
425名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:37
>>421
>4万人説をとる秦氏も、中国側では「否定派」とされている現状では

本当?
426名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:37
人への質問ばかりで自分の考えを述べない輩が
どこの掲示板にも必ずいるな。
自分の考えを述べてから質問しろよ(藁
いや何にも考えてないのか(藁
427名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:37
>それでは日本人は納得しない。

私は日本人だけど、あんたと一緒にはしないでくれ。
あんたは特殊な日本人なんだから。
428名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:37
>>420
お前、逃げてないで早く質問に答えろよ。
皆の目は節穴じゃないぜ。

いつまでものらりくらりと逃げ遂せるな。
429名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:38
>>415

おつむの弱い人だな。みんなに批判されてるのは戦後の「転向朝日」だ。
430391:2001/03/15(木) 05:38
どういう主張が「南京虐殺無かったことにしたい派」になるのか定義して下さい。
その上で反論するかどうか考えます。
431名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:38
質問に答えない言い訳としてはC級ですな。>426
432名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:39
>428
いったいどの質問のこと?
433名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:39
中共がダブスタを犯してるのに
そんな国の言い分をはいそうですか、と
受け入れる馬鹿な日本人がどこに居るんだってーの。
あ、中共シンパのお前か?(藁
434名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:40
411に対しての回答はなしかいな(笑)。
435名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:40
>>429
だからさ、小林は転向前の朝日のインチキさを批判しておきながら、
その転向前の朝日の記事と写真を持ち出すんだもん。
都合がいいね。
436名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:40
>>424

あのぉ〜数で「虐殺」かどうかが決まるとおおもいですかぁ〜?(苦笑)
437名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:40
>あ、中共シンパのお前か?(藁

レッテル貼りしかしないのは敗北宣言じゃなかったの(笑)?
438名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:42
反共たちがいう【日本人】っていうのは、我々の言葉で

     使 い 道 の な い ダ ウ ナ ー

 ってことだから。

 むしろ、そう言われちゃったほうが、ヤバイよね(藁
439名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:42

414 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2001/03/15(木) 05:31

逃げた方が得意げになってしらっと質問を繰り返しています。
自分が答えてないくせにこれって卑怯だよね。
これだから中共シンパは・・・(笑)
440名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:42
左翼が「処刑」を「虐殺」に改竄したことの意味もわからんとみえる。>424
441名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:43
「南京虐殺無かったことにしたい派」

定義も定かでないこのレッテル貼りが出た時点で敗北宣言だね(笑)
442名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:43
>>424
秦氏の「南京事件」を支持するが,中国から見れば、「否定派」になってしまう。
443391:2001/03/15(木) 05:44
>>437
揚げ足取りはいいから早く「南京虐殺無かったことにしたい派」の定義をして下さいよ。
444名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:44
>>442
それは中国側が言ってるの?
445名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:45
>>435

転向前の朝日批判をしてるっていうのは初耳だ。くわしく教えてくれ。
446名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:45
結局
「南京虐殺無かったことにしたい派」
なんてレッテル貼りしてる時点で負けなのさ。
中共の言い分にそぐわない謝罪不要論ものは全てだめと言っているようなものだからね。
447名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:45
中共シンパの定義も頼む。
448名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:46
>>445
『戦争論』に載ってたよ。
449名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:47
 ラーベは12月24日の日記に、いつの日か目撃者として語るこ
とができるよう、是非この眼で確かめておきたいと胸を張ったもの
である。
『南京の真実』の解説者は、それを検証もせずに、「ラーベの目
確認され・・・た超一級の資料」と絶賛する。ところが、強調箇所
は、その目撃記録が、日記にないのである。その日の忠実な記録
(日記)を基に、上申書が書かれたのならばまだしも、日記にもな
い事が上申書には書かれた。これを一般にねつ造と言うのではある
まいか。

以下は公式記録に記されている、安全委員会の見解である。

日本軍の行う合法的な処刑については、我々に抗議する権利などない。
しかし、これが非能率的かつ冷酷な方法で執行されていることは確実
である。
その上、日本大使館との個人的な会話でも度々触れたように、これでは
ある問題が生じる。つまり、安全地帯内の池でこのように人々を殺すこ
とは汚染につながり、安全地帯の人々への水溜まりの水の供給がひどく
減少してしまった。
この長い乾燥続きで、水の入手に実に手間取る時、これは実に重大なので
ある。
450名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:47
結局
「中共シンパ」
なんてレッテル貼りしてる時点で負けなのさ。

ともいえると思ふ。
451名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:49
 12日20時、唐生智逃亡の頃、龍大佐と周大佐がラーベを再
訪する。そして「ここに避難させてもらえないか」と頼んだ。ラ
ーベは良心の呵責(かしゃく)を覚えることなく、敵兵をかくまう。
 その2日前、重傷兵が安全地帯に入って来たのは「協定違反」
(94貢)だと息巻いていたラーベ、その姿は今やない。安全地
帯における負傷兵の存在が協定違反であったのであれば、安全地
帯における五体満足な高級将校の存在は、一層重大な協定違反だ
ったのではないか。そのことに何の痛痒(つうよう)も感じない
ラーベ、その理性は麻痺していたのである。
 それだけではなかった。彼は、更に、陥落以来、羅福祥(本名
は汪漢萬)をかくまっていたことを、翌年2月22日の日記に、
71日ぶりに記す。その日の忠実な記録を日記と考えるならば、
ラーベの日記は必ずしもその種の日記ではない。
 後で、自己の体験を、ある観点から注意深く取拾し、再構成し
ながら書いた、目的志向的な日記であった。ラーベの庭の通称
「ジーメンス・キャンプ」の650人の避難民の中に、汪漢萬の
ほかにも多くの兵士が潜伏していたことであろう。
 その後ラーベはドイツに帰国する際、汪漢萬を使用人といつわ
って汽船に同乗させ、香港への逃亡を援助した。高級将校の潜伏
と逃亡を幇助(ほうじょ)し、自己を凱旋兵と同一視するラーベ、
それはまた中立地帯委員長の理性の倒錯を示す。
452名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:51
 昭和13年2月15日「昨晩、龍と周の二人が我が家を去った」
とラーベは記す。64日間の不法滞在であった。日本軍の支那兵
摘発は「徹底した包囲殲滅戦」(笠原十九司)からは程遠かった。
 龍大佐が「私と周の2人が負傷者の面倒をみるために残されま
した」と語っているように、彼らは上官の唐生智の指示により計
画的に残されたのである。しかしそれならば、彼らは赤十字病院
の置かれた外交部に直行すべきであった。
 それが、ラーベの自宅に直行したのである。その目的は何であ
ったのか。そのことを考えるうえで『ニューヨーク・タイムズ』
の昭和13年1月4日の記事は有力な手掛りとなる。阿羅健一氏に
その記事の存在を指摘されて、同紙の南京関連記事を収録した
『南京事件資料集(1)アメリカ関係資料編』をひもといてみたが、
それは見当たらなかった。そこで同紙のマイクロフィルムを見る
と、「元支那軍将校が避難民の中に。南京の犯罪を日本軍のせいに。
――大佐一味が白状」という記事があった。以下に全文引用する。
 「南京の金陵女子大学に避難民救助委員会の外国人委員として残
留しているアメリカ人教授たちは、(1)逃亡中の大佐1名とその部下
の将校6名をかくまっていたことを発見し、心底から当惑した。
実のところ教授たちはこの大佐をそのキャンプで2番目に権力ある
地位につけていたのである。
 この将校たちは支那軍が南京から退却する際に(2)軍服を脱ぎ捨て、
それから女子大の建物に住んでいて発見された。彼らは大学の建物
の中に(3)ライフル6丁と、ピストル5丁、砲台からはずした機関銃
1丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、
自分たちのものであると自白した。
 この将校たちは(4)南京で略奪したことと、ある晩などは避難民
キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本
兵が襲った風にしたことを、アメリカ人たちや他の外国人たちのい
る前で自白した。
 この元将校たちは逮捕された。戒厳令に照らして罰せられ、おそ
らく処刑されるであろう。」
453名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:52
>>447
中共のダブスタを知りつつ、日本に謝罪補償を迫り、
中共と日本の犯罪行為の扱いに差を設ける差別主義者の事。
多少の程度の差はあれ虐殺行為なんて世界中どこ行っても共通なのに、
日本の犯罪行為だけを病的に追及し続ける者を言う。
454名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:52
上海のアメリカ系の英字新聞『チャイナ・プレス』1月25日号が南
京ドイツ大使館公文書綴「日支紛争」に綴(と)じてある。そこにも
同じような記事が出て来ている。それによれば、12月28日までに
、将校23名を含む1575名が安全地帯に機関銃やライフルを隠し
て潜伏しているのを摘発された。
 その中には南京平和防衛軍 Nanking peace preservation corps
司令官王信労(ワン・シンラウ 音訳)がいた。彼は陳弥(チェン・
ミイ 音訳)という偽名で国際委員会の第4部門を率い、3人の部下
とともに「略奪、扇動、強姦にたずさわった」。
 他方、飯沼守少将の陣中日記(1月4日)が「八十八師副師長」を
逮捕と記す当の第八十八師副師長馬包香(マア・ポウシャン 音訳)
中将は、安全地帯で「反日攪乱行為の扇動」を指揮していた。
 そのような舞台裏を安全地帯の避難民が垣間見ていたのであろう。
略奪、放火、強姦は支那軍の犯行と言う者が現れる。
 「支那軍ノ或る者ハ容易ニ略奪・強姦及ビ焼討等ハ支那軍ガヤツタ
ノデハ、日本軍ガヤッタノデハ無イト立証スラ致シマス」
455名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:53
>453

なら中共シンパはこのスレッドにいないと思ふ。
456名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:54
>>450
言えません。そういうのをこじ付けと言います。
457名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:54
 ラーベの日記を読んでいて、又しても奇妙なのは、ラーベの家の
周辺に、放火や強姦がやたら集中していることである。
 たとえば火災であるが12月19日、ラーベは自宅の南も北も大
火事と記す。
12月20日も放火、1月3日は近所で三軒も放火、1月5日も放
火、9日も近所で火の手が上がった。12月27日には、まだ出店
していそうもない「日中合弁商店」に、ラーベが使用人と見学に行く
と、待ってましたとばかりに放火が始まる。
 ラーベはその現場を目撃できた。しかし、日記による限り、日本
兵が犯人と断定できる証拠は、何一つなかった。それでもラーベは、
「日本軍が街を焼き払っているのはもはや疑う余地はない」
(131貢)と推定する。ラーベを狙い撃ちするかのように上がった
火の手たるや、その効果は絶大であった。
 何としても奇妙なのである。「証言による『南京戦史G』」にも
あるように、日本兵にとり南京城内は「外出禁止」であった。とこ
ろが多くの「日本兵」がラーベの自宅に強姦にやって来たという。
 「日本兵」が塀に来たら警笛を鳴らす警戒網まで出来たが、それ
でも荒波の寄せ来るように、「日本兵が裏口の扉をガンガンたたい
ている。私が出て行くとサッといなくなる。」(122貢)のであった。
 しかし、古今東西、犯人は目撃者の存在を恐れるから、「強姦」
は人気のない寂しいところで起こるのではないか。何故、「日本兵」
はよりにもよって、ラーベの居るその瞬間を選んだのか?何故、ラー
ベのいないその隙を狙わなかったか?
 ある時はラーベが帰宅すると、それを待っていたかのように「日
本兵」が侵入して来て「強姦」しようとした。そこで「危機一髪」
(127貢)のところをラーベが救ったというのである。
 そのタイミングたるや、又しても絶妙であった。余程ラーベの日
程を知っている者が、裏で糸を引いていたとしか言いようがない。
ラーベ宅に潜む大佐一味の仕組んだ、自作自演の強姦劇であったの
であろう。
458名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:55
「南京虐殺無かったことにしたい派」 の定義はどこ行った?

またいつものように逃げたか?
459名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:56
>言えません。そういうのをこじ付けと言います。

うーん、ダブスタ。
460  南京侵華日軍南京大虐殺史研究会顧問     陳 安吉 :2001/03/15(木) 05:57
>>444
http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/chin.html
 70年代以降、日本国内では、南京大虐殺の史実の真実性をめぐって、長い時間をかけた激しい論争がおこなわれている。この論争をめぐって日本国内では三つの学派ができている。
 その一つは、「虚構派」である。南京大虐殺の真実性を否定する日本の右翼分子を「虚構派」あるいは「まぼろし派」といい、その代表的な人物は、鈴木明、山本七平、田中正明である。彼らの代表的著作はそれぞれ、『南京大虐殺のまぼろし』、『日本人とユダヤ』、『南京虐殺≠フ虚構』である。1985年、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館が落成しオープンした後、田中正明はすばやく雑誌『正論』誌上に『南京大屠殺記念館に物申す』という挑発的な文書を臆面もなく公表している。
 二つ目は、「虐殺派」である。南京事件調査研究会の洞富雄氏、藤原彰氏、本多勝一氏などを代表としている。歴史を尊重し、虐殺の真相を明らかにし、中日友好の態度を擁護する態度をとっている彼らは、日本軍は確かに大虐殺をおこなったと認識し、「虐殺派」といわれている。彼らは日本の右翼と不撓不屈の闘いをおこなってきた。洞富雄氏は日本における南京大虐殺史研究の大家と言うことができる。『近代戦史の謎』に続いて、『南京大虐殺(決定版)』を出した後、彼はまた『南京大虐殺の証明』など一連の大きな影響を与えた著作を発表した。藤原彰氏は彼の『南京大虐殺』の中で、武器を捨てた中国兵を虐殺したのは国際法と人道主義の原則に違反すると特に強調して指摘し、遭難して死んだ兵士たちを被虐殺者の人数に入れないやり方を痛烈に批判した。本多勝一氏は『ペンの陰謀』を書き、鈴木などの誤った議論に対して一つひとつ反駁した。「南京大虐殺の真相を明らかにする全国連絡会」が編集した『南京大虐殺』、笠原十九司氏が書いた『南京安全区の百日』、津田道夫氏が書いた『南京大虐殺と日本人の精神構造』等、「虐殺派」の研究は、従来にない高い水準に達し、極めて大きな影響力をもつ学派になっている。
 その三つ目は、「過小損失派」である。「虚構派」の破綻があちこちで出て来る状況の中で、秦郁彦、板倉由明などを代表とする「過小損失評価派」(「中間派」ともいう)が扮装して登場してきた。80年代の始めに、板倉由明は『南京大虐殺≠フ数字的研究』を発表し、日本軍による被虐殺者の人数を13000人と推定した。続いて拓殖大学教授の秦郁彦は『南京事件』を出版し、彼は日本軍の虐殺人数は、ただ38000〜42000人にすぎないと推算した。そしてまた彼は、「敗残兵」や「投降兵」の殺害は正常な戦闘行為とみなし、一般民衆の中に紛れ込んでいたいわゆる「便衣兵」の殺害は、彼らの抵抗行動に対する「処刑」であり非合法の虐殺として勘定することはできないとしたのである[20]。ある学者が指摘しているように、「中間派」は「大虐殺はなかった」ことを大いに宣伝することを通じて、人々に「南京大虐殺はなかった」かのように思わせようとしており、これは一種のさらに巧妙な虐殺否定論である。
 激しい論争の中で、「虐殺派」は新しい証拠の発掘に特に注意をはらい、南京大虐殺の真実性の裏付けをさらにもう一歩前進させた。1984年、1987年、南京事件調査研究会は二回南京に実地調査のために訪れ、幸存者を訪問し、保存書類を調べた。1985年、元日本軍の第16師団長の中島今朝吾の『陣中日記』が発見され、これはまた重要な証拠であった。その後、『ローゼン報告』、『ラーベの日記』等の一連の多くの新資料が陸続と発見され、「虚構派」と「中間派」に大きな打撃を与えたのだった。

461名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:57
 ラーベの家のある小桃園(シャオタオユエン)には、広大な胡家
菜園、金陵大農学部農場、避難民キャンプのある南京外語学校があ
り、支那兵が出撃して身を隠すには打って付けであった。そのうえ
日本人か支那人か確実に判別できる欧米人はいない。
 支那兵が日本兵に扮したところで、見破られる心配もなかったの
である。

 このようにラーベを待ち伏せするかのように起こる強姦、それ
が彼の幻影を強め、ついに流言斐語を事実と信じさせる。
 「昨晩は千人も暴行されたという。金陵女子文理学院だけでも
百人以上の少女が被害にあった。いまや耳にするのは強姦につぐ
強姦。」
 このようにラーベは日本軍南京入場式当日の12月17日の
日記に記す。(脇道に逸れるが、訳文中の金陵女子文理学院は金
陵女子大の誤訳である)。ラーベは千人強姦という噂を記したの
だから、その後に続く「金陵女子大だけでも百人以上の少女が被
害にあった」というラーベの記述も、同じく伝聞ではなかったの
か?そう推定したのが中村粲教授で、その伝聞説を否定したのが
秦氏であった。
 実は、問題の金陵女子大に、最後の女性避難民キャンプを設営
したミーニ・ヴォートリン教授は、「避難民キャンプで『豊かな
生活』を共にして」と題する回想を、『チャイニーズ・レコーダ
ー』昭和13年7月8月合併号に寄稿している。今ここにその引
用は紙幅の都合上不可能だが、そこに、「金陵女子大だけでも百
人以上の少女が被害にあった」という記述は出て来ない。百人強
姦説は流言斐語(デマゴギー)として削除(否定)されたのである。
恐らくは、女子大に潜伏していた「大佐一味」の流したデマ宣伝
であったのであろう。シャルフェンベルグ事務長も言うように、
「すべて中国人から一方的に話を聞いているだけ」(246貢)
に過ぎなかったのである。
462名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:57
結局
「南京虐殺無かったことにしたい派」
の定義なんて言えないんだろ。だって端からこのスレッドにそんな人居ないんだから。
463名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 05:59
>>459
適当な言葉でお茶を濁して逃げないでね。

虐殺なんて地球上の歴史にありふれたものだということにあなたは反論できず負けたんだから。
464名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:00
>>458
あのさあ、その定義合戦にはオレ参加してなかったんだけどさ、
オレが「南京事件を無かったことにしたい派」って使い始めたんだよ。
でさ、要はきみら、

1.南京事件は中共の陰謀だった。よって無かった。
2.南京事件の犠牲者数は30万人より少ない。(ただそれだけを延々と言う)
3.自分も悪いことしてるのに、中国が日本に文句つけんのはなんかムカツク
4.戦時中だから仕方のないことだった。

のどれかでしょ。
定義なんてまじでそんな言葉あそびどうでもいい。
465名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:00
埋葬に言及した当時の5つの記録を全て並べてみると、埋葬団体
としてあがっているのは、紅卍字会だけである。なかでも『南京
救済国際委員会報告書』(昭和14年夏)はベイツ教授が委員長
の時代に刊行されたものだが、次のように言う。
 「必要な埋葬作業はすべて紅卍字会によって行われ、放置され
たままの遺体4万体以上が片づけられ、その埋葬完了のために
2540ドルが使われた。」
 南京の埋葬は崇善堂など全く無関係で、紅卍字会の埋葬を以て
完了したのである。しかも『南京救済国際委員会報告書』は「実
働約40日間」で終わったと言う。他方、南京の埋葬を指導した
南京特務機関員(満鉄社員)の丸山氏は2月上旬に埋葬を始め、
3月15日を目処(めど)に完了したと筆者のインタビューに答
えていた。
 昨年10月、『南京の真実』を手に読み始めた時、ラーベの日
記がどこかで埋葬時期に触れているのではないかと思いつつ読ん
でいた。2月1日に埋葬が始まったという何気ない記述が眼に飛
び込んで来た時、やはりそうだったのかという思いに打たれた。
 これは丸山氏の証言を裏付けたことになる。
 既に述べたように、南京の埋葬は実働約40日間であった。
2月1日に始まった埋葬は3月の15日か、遅くとも20日には
終わっていたことになる。
即ち、12月と、1月と、3月25日以降の紅卍字会の埋葬記録は、
でっちあげであった。
466名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:02
>虐殺なんて地球上の歴史にありふれたものだということにあなたは反論できず負けたんだから。

「テロなんて地球上の歴史にありふれたものだ」
と麻原が言ったら、あんた頷ける?
467名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:02
 では実際には何体が埋葬されたのであろう。2月は(一日200
体は無理だったとラーベは言い、通常180体埋葬と丸山氏は言う
ので)25日間で5千体の埋葬と仮定し、3月ローゼン書記官の
「毎日500体から600体を紅卍字会は埋葬」という報告に基
き、20日間(1日600体)で1万2千体の埋葬と、多めに概算
しても、全埋葬は1万7千体を越えない。そこから次の結論が生じ
て来る。
 (1)約4万体埋葬という紅卍字会の報告も2倍以上の水増し報告
 であった。
 (2)我々外国人は「5万から6万人」が殺されたと見なす、――
 とラーベが言うのも、過度に誇張された報告であった。死体のな
 い殺人事件はないからである。
 (3)秦氏の4万人虐殺説も成り立たない。
では、推定埋葬量の1万7千体は、虐殺体であったのか?
今ここでは、ベイツの4万人虐殺説が中華民国の公式記録から再三
再四抹消(否定)されたと指摘するに止め、もはや紙幅も尽きたの
で、その検討は別の機会に譲る事とする。
468名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:03
結局、虐殺行為に洋の東西は問わないということについては反論できなかったわけね。

だったら答えは明白じゃん。今後一切南京事件だけを執拗に追及するのは止める事。

それを破った者を見つけた場合は徹底的に邪魔をする。文句は言えないよね。
469名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:04
>>468
>それを破った者を見つけた場合は徹底的に邪魔をする。

悪の軍団じゃないんだから・・・


470名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:04
>>466
事実認識と善悪判断をごっちゃにしないでね。
だれも虐殺行為が良いなんて言ってないんだから。
あなたの手口は卑怯な詐欺師そのものだよ。
471名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:05
あと<東京裁判の不公平性>ってのがあるけど、疲れたから止めた。
472名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:05
>>469
負けたんだから文句は言えないよな。
473正しかったとは思わないが:2001/03/15(木) 06:06
安易に「日本は悪い」と結論づけるのには反対。
具体的にどのくらい「悪い」のかを議論する余地はある。
474名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:07
>結局、虐殺行為に洋の東西は問わないということについては反論できなかったわけね。
>だったら答えは明白じゃん。今後一切南京事件だけを執拗に追及するのは止める事。

ものすごい理屈だね。

交通事故はあちこちで起きてる。年に1万人も死んでる。
だから答えは明白。どうして俺の起こした交通事故を執拗に追求するんだ?

って言ってるのといっしょじゃん。
開き直るチンピラと全くかわらんぞ。

>それを破った者を見つけた場合は徹底的に邪魔をする。文句は言えないよね。

本音が出たね。それも下劣な本音が。

テロなんて地球上の歴史にありふれたものだ。
どうしてサリンの被害者はサリン事件だけを執拗に追求するんだ?
この件を執拗に追求する者を見つけた場合は徹底的に邪魔をする。

と言ってる某信者と何が違うの?
475名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:07
>>473
その通り!!
あなたの言い分はまさにこのスレッドに居る大多数の人間の考えと同じ。
476名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:08
日本人は原爆の非人道性ばかりを執拗に追及するのは止めるべきだ。
それを破った者を見つけた場合は徹底的に邪魔をする。文句は言えないよね。
477名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:09
>>474
>>470を読んでね。
事実認識と善悪判断をごっちゃにしちゃだめだよ。
負けた人の遅レスご苦労さん。
478名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:10
>>472
君のことば聞いて、久しぶりに小学校の頃の近所のガキ代将を
思い出した。
「破った者を・・・邪魔をする」っていつの時代だよ?

479名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:11
>>476
あんまりそんなことやってる日本人っていないと思うけど・・・
勝手に妄想して日本社会を作らないほうがいいよ。
480名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:13
>「破った者を・・・邪魔をする」っていつの時代だよ?

彼らは基本的に全体主義者なんです。

だから
>今後一切南京事件だけを執拗に追及するのは止める事。
> それを破った者を見つけた場合は徹底的に邪魔をする。文句は言えないよね。

みたいな言論弾圧まがいのことを平気で口にできる。
彼らの考え方の方がよっぽど中共に近いです。
481474:2001/03/15(木) 06:13
>>477
事実とは「とにかく日本は悪い」ということらしいので。
482名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:13
>>474
日本は東京裁判を受け、謝罪も済ませたよね。
オウムと一緒にすることはできないね。
これくらいの簡単な事も分からないんだね。
483名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:14
>オウムと一緒にすることはできないね。

じゃオウムが裁判を受けて判決が出たあとなら

テロなんて地球上の歴史にありふれたものだ。
どうしてサリンの被害者はサリン事件だけを執拗に追求するんだ?
この件を執拗に追求する者を見つけた場合は徹底的に邪魔をする。

と言ってもいいわけ?
484名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:14
反論できないものがそれを蒸し返す事は議論の破壊だよな。

こんな当たり前の事を言って何が問題なんだ?
485名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:16
>>482
東京裁判では戦争犯罪を裁いたが、アジア諸国に対する謝罪を
おこなったわけではないだろう。
過去に謝罪していても、政治家がすぐにころっと失言するだろ。
信頼されなくなってんだよ。
486名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:16
>>483
お前みたいに執拗に蒸し返し続ける奴には何度でも言うよ。

言われないと気が付かないほど頭の中がやられてるみたいだからな。
487481=473:2001/03/15(木) 06:17
間違い、すいません
488486追加:2001/03/15(木) 06:17
何度でも追加ループ繰り返す奴は議論の邪魔だからな。
489名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:18
>>483
君の例えでいうならば、サリン事件の被害者が「地下鉄テロで5万人も死んだ」って
事実に反することをいって追及してるようなもんだから反発を買ってるわけでしょ。
話をすり替えちゃいかんよ。
490名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:18
>お前みたいに執拗に蒸し返し続ける奴には何度でも言うよ。

なんだよ、自分が何度も言うのはいいのかよ。
で、相手が南京事件を持ち出すと邪魔をするわけだ。

あんたのダブスタとテロぶり、しかと見届けたよ(笑)
491名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:19
>>485
謝罪とは、どのような罪状、原則の基で行なわれるものなのですか?
492名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:20
やはり事実認識と善悪判断をごっちゃにしている詐欺師のような奴がいる限り
邪魔はしていかないとな。いや突っ込みといった方が正確かも。
だれも虐殺行為が良いなんて言ってないんだから。
その手口は卑怯な詐欺師そのものだよ。
493名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:20
>>491
いろいろ
494名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:22
>>490
何度でもお前がそのダブスタを改めるまで邪魔をするさ。

お前が事実認識と善悪判断をごっちゃにしているドキュソだというのも良く分かったしな。
495名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:23
>>493
具体的に開陳してください。
496489:2001/03/15(木) 06:23
いかにオウムでも、事実に反することで非難されているのなら弁護すべきでしょ。
君の論理では、「オウムは悪いことをしたのだからどんな非難も甘んじて受けよ」っていってることだよ。
彼らにも、事実に反する「5万人の地下鉄テロの死者」に補償する義務はないでしょ。
497名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:23
>>492
>邪魔はしていかないとな

あなたの主張の是非に関係なく、この発言はレベルが低いと思いマ〜ス!!
498名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:23
(1)幕府山の1万4千の捕虜
南京で最も多く捕虜を捕らえたのは、第13師団の山田支隊(山田栴
(せん)二少将)麾下の歩兵第65連隊(会津若松市・両角業作大佐)で
ある。
同連隊が揚子江岸に沿って進撃した14日、幕府山付近でとらえた捕虜は
1万4700人にも及ぶ大量のものであった。
この捕虜の処置について、その真相を明らかにするため、鈴木明氏は、
昭和47年、わざわざ仙台に山田少将はじめ、この時の関係者数名を訪ね
て『「南京大虐殺」のまぼろし』にその真相をレポートしている。その
真相というのは、山田少将はこの大量の捕虜の処置に窮し、ついに意を
決して揚子江の中洲に釈放することにし、護送して目的地近くについた
とき、暴動が起き、捕虜約1000が射殺され、日本側将兵も死傷したとい
うのである。
地元紙の福島民友新聞社も多数参戦者の証言を集めて『郷土部隊戦記』
を発刊。その中で暴動――射殺説を明確にした。
そして、これはそのまま自衛隊戦史室編集の『支那事変陸軍作戦(1)』
にも掲載されている。
499名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:24
              ∧_∧
             ( ´ー`)
            _(_☆_)
           |     |
            ◎ ̄ ̄◎    一長一短はあるさ・・・
500名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:24
>>495
もっと具体的に質問して
501名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:24
「人道に対する罪」の原則に対して日本は責任をとるべきだとは思うが
「日本の犯した罪」の定義に対しては留保する余地がある。
502名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:25
歩兵第45連隊の第2大隊は、14日早朝、下関で白旗をかかげた捕虜約
5000と、砲30門、重機、小銃、弾薬多数及び軍馬10数頭をろかくした。
この捕虜釈放を本多勝一氏は『南京への道』で次のように述べている。
「劉二等兵を含むたくさんの国民党軍将兵が、帽子を逆にかぶって
(ひさしを後ろにして)投降した。その数は1万人より少ないが、たぶ
ん「数千人」の単位であった。
一ヶ所に集められたところへ、日本軍のリーダー格らしい人物が馬
に乗って現れた。ヒゲが両耳からアゴの下3〜4センチまで下がっていた。
日本語で何か訓話したが、こまかいことはわからず、通訳によれば要点
は「お前らは百姓だ。釈放する。まっすぐ家に帰れ」と言っているらし
かった。一同は白旗を作らされた。
それぞれありあわせの白布を使った。劉二等兵は自分のハンカチを使い、
30センチほどの木の枝にそれを結びつけた。川岸には住民の捨てた荷や
衣類がたくさん散乱していたので、軍服を脱ぎ捨ててそれを着た。
数千人の捕虜たちは、釈放されると白旗をかかげ、それぞれの故郷に
ばらばらに出発した。」
503名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:27
善悪判断の次元では虐殺が善だと言っているものは殆ど居ない。
で、今問われているのは事実認識の部分。

これが分からないようなドキュソがしゃしゃり出てきて議論の邪魔をした場合、
排除されても文句は言えない。黙って見ていていただく以外に無い。
もしそれでも踏み込んでくるようなら、徹底的に邪魔をするから。
504名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:27
(2)幕府山の1万4千の捕虜
ところが、59年8月7日「毎日新聞」は「元陸軍伍長、スケッチで証言
、南京捕虜1万余人虐殺」という大見出しで、第65連隊の伍長であった
K氏が多数の捕虜を揚子江岸に連行して1万3千5百人を皆殺しにしたと
いう証言を発表した。
それは従来の説をくつがえす計画的・組織的な虐殺説であった。
続いて本多勝一氏がK氏を訪問してその記事を「朝日ジャーナル」
(59・9・14)に連載し、さらに詳しく1万3500人の虐殺の模様と、こ
れは軍司令部からの命令だと報道した。
K氏というのは、小金井市在住の栗原利一氏のことであるが、栗原氏
は自分の意志とは全く逆な報道をされたことに対して、「毎日」に抗
議を申し入れた。すなわち栗原氏は、中国側の公式資料集『証言・南京
大虐殺』の30万・40万の虐殺に腹を立て、これに反論するため記者に話
したのだが、都合のよい部分だけをつまみ食いされ、あのような記事に
なり、匿名の中傷や悪罵をあびて困っていると抗議したのである。
毎日は、9月27日『記者の目』と題し、「匿名の中傷、卑劣だ」とい
う記事の中で、栗原氏の「大虐殺否定」の真意を小さく報じたが、しか
しその大げさな記事の力点は、K氏に対する非難は怪しからんというの
であって、記者の誤った報道に対する反省も謝罪のカケラも見られなか
った。
505名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:28
>>500
>>491から目を逸らすな卑怯者。
506名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:28
>>503

だってレベル低いんだもん。
それに邪魔って何すんの。少し気になる。。。
507名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:29
(3)幕府山の1万4千の捕虜
実は筆者も電話で栗原氏に真意を聞いてみた。氏は電話口で、「毎日
新聞にも本多氏にも、言いもしないことを書かれた。自分の本当に言い
たいことは書かないで、結果的には逆なことになってしまった。悔やん
でいる」としきりに嘆いていた。
2度電話したがアポイントがとれないので、私は福島にとび、この捕
虜事件に関係した第65連隊の連隊砲小隊長平林貞治氏(当時少尉)にお
目にかかり事件の真相を聴取した。
平林氏は鈴木明氏のインタビューにも応じており、その内容は『「南京
大虐殺」のまぼろし』にあるので、ここでは詳細は省略し、慨要のみに
とどめる。
(1)わが方の兵力は、上海の激戦で死傷者続出し、出発時の約3分の1の1
500足らずとなり、その上に、へとへとに疲れ切っていた。
 しかるに自分たちの10倍近い1万4000の捕虜をいかに食わせるか、その
食器さがしにまず苦労した。
(2)上元門の校舎のような建物に簡単な竹矢来をつくり収容したが、捕
虜は無統制で服装もまちまち、指揮官もおらず、やはり疲れていた。
山田旅団長命令で非戦闘員と思われる者約半数をその場で釈放した。
(3)2日目の夕刻火事があり、混乱に乗じてさらに半数が逃亡し、内心ホッ
 トした。その間逆襲の恐怖はつねに持っていた。
(4)彼らをしばったのは彼らのはいている黒い巻き脚絆(ゲートル)。
 ほとんど縛ったが縛ったにはならない。捕虜は約4千、監視兵は千人た
 らず、しかも私の部隊は砲兵で、小銃がなくゴボウ剣(銃剣の事)のみ。
 出発したのは正午すぎ、列の長さ約4キロ、私は最後尾にいた。
508名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:30
>>506
事実認識と善悪判断をごっちゃにしている奴がレベル低いのはその通りだよな。
反省したかい?
509名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:31
>>508

僕は君のその事実認識と善悪判断論争にはかかわっておりませーん。
510名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:31
(5)騒動が起きたのは薄暮れ、左は揚子江支流、右は崖で、道は険岨となり、
 不吉な予感があった。突如中洲の方に銃声があり、その銃声を引き金に、
 前方で叫喚とも喊声ともつかぬ異様な声が聞こえた。
(6)最後列まで一斉に狂乱となり、機銃は鳴り響き、捕虜は算を乱し、私
 は軍刀で、兵はゴボウ剣を片手に振り回し、逃げるのが精一杯であった。
(7)静寂にかえった5時半ころ、軽いスコールがあり、雲間から煌々たる月
 が顔を出し“鬼哭愁々”の形容詞のままの凄惨な光景はいまなお眼底に
 ほうふつたるものがある。
(8)翌朝私は将校集会所で、先頭付近にいた1人の将校(特に名は秘す)が
 捕虜に帯刀を奪われ、刺殺され、兵6名が死亡、10数名が重軽傷を負った
 旨を知らされた。
(9)その翌日全員また使役に駆り出され、死体の始末をさせられた。作業は
 半日で終わったと記憶する。中国側の死者1000〜3000人ぐらいと言われ、
 (注(1))葦の中に身を隠す者を多く見たが、だれ1人これをとがめたり
 撃つ者はいなかった。
 我が軍の被害が少なかったのは、彼らが逃亡が目的だったからと思う。
 以上が平林氏の証言である。
「ゼンボー」(60年3月号)によると、畠中秀夫氏は栗原氏と会い、栗原
 氏の証言を記述している。
 それによると、内容はほとんど平林氏の証言と一致していた。
栗原氏は畠中氏にこういったと言う。
「毎日新聞の記事を見てびっくりした。言っていないことが記事に出ており、
30万虐殺説に抗議して喋ったのが、一転して私自身が大虐殺の証人に仕立て
上げられてしまった」と。
511名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:32
>>509
O.K.
512名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:34
(4)幕府山の1万4千の捕虜
また、本多記者に対しては、「本多という人は中国人の言うウソばかり書い
ている。
気がどうかしているのではないかと思う。私はこの人にも裏切られた思いだ。
私の言わなかった事まで書いてあり、全体は私の言おうとしていることとは
別のことになっている。のせられたのです・・・・・」と。
「毎日」の記者にも、本多記者にも、栗原氏は「完全にのせられた」をく
り返して憤慨していたそうである。例えば「対岸で釈放」ということで捕虜
を護送したのに、私が虐殺の張本人になっている。
マスコミは第4の権力と言われる。ひとたび大新聞の見出しに大々的に出
されてしまったら、それは違う、間違っている、と言ってもあとの祭りである。

いずれにせよ、南京に万を越す大虐殺があったというような記録は、中国
側の第一級公式資料である何応欽上将の軍事報告の中にさえその片鱗も見出
せない。
中国問題の評論家であり、何応欽将軍とも昵懇(じっこん)の高木桂蔵氏
は筆者に資料を提供下さり、次のように述べている。
「南京戦で万一、支那の軍民が何万も何十万も殺されていれば、そのことが
この報告書に載らないはずはない。ところが、日本軍による何十万もの虐殺
があったなどということは、この「軍事報告」のどこにも載っていない。こ
れまで南京に関する多くの論争があったが、このような日本の交戦相手国の
公式一級資料が、日本で出されなかったことは、むしろ不思議といってよか
ろう。」
513名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:36
まさに高木氏の言うとおりである。東京裁判が公正な裁判ならば、当然、重
要証拠史料として採用されたであろうし、また台湾の中華民国政府も、北京の
中共政府も、当然、この重要資料を所持しているはずである。
ところが、日本が戦争にやぶれ、東京裁判が始まると、南京事件に関する資
料はガラリと変わる。2級、3級以下の資料価値ゼロの伝聞資料、政治的宣
伝資料、憶測や創作に類するものまでが、次から次へと悪性腫瘍のように吹
き出し、そしてそこにもられた数字が一人歩きし始めたのである。

「捕虜と言われている中には、戦闘に敗れ抗戦力を失い一時的に降伏の意を
表わし、収容されると群れをなしてただちに反乱したり、偽装降伏して再度
戦線復帰の機を窺うものがいます。捕虜護送中、捕虜が護送兵を急襲して
武器を奪い、大脱走した例もあり、捕虜として確認するのには相当の日時を
要することが多いのが現実です」
「兵士たちの<南京事件>/阿羅健一」より
514名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:39
「投降した支那兵の中には小銃を捨てても、懐中に手榴弾や拳銃を隠し持って
いる者が、かなりいた」
「南京戦史/僭行社(島田勝巳歩兵第三十三連隊第二機関銃中隊長)」

投降兵について「日本軍が少人数であなどったのか、手榴弾を投げ付けて
きて暴れだし、収拾がつかなくなったので、軽機、小銃で弾丸のある限り
撃った」
歩兵第九連隊(第十六師団)第一大隊副官六車政次郎少尉
の証言「南京戦史(8)/僭行社」

十二月十四日、掃蕩中、戦車中隊が中山路の十字路で戦車から下車して付近の講堂
に入ったところ、敗残兵数十名から銃撃されて、日本兵が大急ぎで乗車し
て何を免れたことがあった。
「南京戦史/僭行社」
「シカゴ・デイリーニューズ」のスティール記者も「市内にはまだ潜伏して狙撃して
くる中国兵」、と。

「小隊員中*****両名歩哨服務中、敵敗残兵のため手榴弾を投げ付けられ
負傷す」
「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち--第十三師団山田支隊兵士の陣中日記/大月書店」
515名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 06:41
十七日「時々小銃弾が頭の上をかすめて行く」
「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち--第十三師団山田支隊兵士の陣中日記/大月書店」
「大寺隆の陣中日記」
 南京警備司令部は、12月24日から正月にかけて、安全区に潜入
している便衣兵と常民を分離するため、中国人立ち会いのもとに「良
民証」を給付した。その給付された「良民証」の数は16万に達した。
しかしこれは「10才未満の子供と60才以上の老人を除外した数字
である。従って総数は25万から27万とみてよかろう」と金陵大学
教授で委員会の書記長ルイス・スマイス博士の推測である。この時摘
出された約2千の便衣兵は、全員捕虜収容所に送られている。
 松井軍司令官の『陣中日誌』にも12月21日「人民モ既ニ多少
宛帰来セルヲ見ル」とある。占領から1週間目である。
516名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 07:31
>>340きみ何の軍事知識や歴史知識もなく議論するのはまずいよ。僕が言ってるのは、中国軍側が南京戦に敗れた時点で軍隊としてまとめて投降しなくちゃいけなかったということ。また例えば実際そういう事態で日本兵が投降せず軍服を脱いで東京の一般市民のなかに逃げ込めば敵軍は彼らを探し出して処刑するだろう。もちろ敵軍にも非戦闘員を処刑する権利はないので誤って一般市民を処刑するのはいけない。ただし技術的には難しいので実際は一部巻きずいを食うか、それを恐れる占領軍側がやたらに処刑せず慎重な姿勢をとるかだろう。
517名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 08:00
中国軍が国際法を守ろうとしなかったことは便衣兵や通州事件
でよく知られる。

その他の点ではどうだろうか。日中で比較する。
1.六車少尉は「惜春賦」で、中国軍がダムダム弾を使用していた
 ことを記す。ダムダム弾の使用は「ダムダム弾の禁止に関するハーグ宣言」
 で禁止されている。
2.中国軍は「堅壁清野作戦」等で焼き尽くし殺し尽くすことを宣言。

1937年7月31日、国民党内のもう一人の雄、汪兆銘は撤退する際、大小の
都市の区別なく焼き尽くし、支那人同胞すら殺し尽くして、日本軍の手
には「一物」をも渡さぬ、との宣言を行っている。
中国伝統の「堅壁清野作戦」であり、「汪兆銘の最後の関頭演説」である。

「すでに最後の関頭に至れば、絶大の決心と勇気をもって犠牲をなすべき
である。(略)中国人の一人をも、一塊の土をも、灰燼に帰せしめねばな
らぬ。(略)一物をも得させてはならない」
518名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 08:02
ニューヨーク・タイムズは断末魔の南京とその周辺における“焼き払いの狂宴”
を次のようにレポートしている。
 「日本軍が句容をこえて(12月7日)、進撃しはじめたことが中国軍によ
る焼き払いの狂宴の合図となったが、これは明らかに城壁周辺で抵抗するため
に土壇場の準備を行っているものであった。中国の「ウエストポイント」であ
る湯山には、砲兵学校と歩兵学校、それに蒋将軍の夏期臨時司令部が置かれて
いるが、そこから南京へ向けて15マイルにわたる農村地区では、ほとんどす
べての建物に火がつけられた。村ぐるみ焼き払われたのである。中山陵園内の
兵舎・邸宅や、近代化学戦学校、農業研究実験室、警察学校、その他多数の施
設が灰塵に帰した。火の手は南門周辺地区と下関(シャーカン)にも向けられ
たが、これらの地区はそれ自体小さな市をなしているのである。
 中国軍による焼き払いによる物質的損害を計算すれば、優に2000万ドル
から3000万ドルにのぼった。これは、南京攻略に先立って何ヶ月間も行わ
れた日本軍の空襲による損害よりも大きいが、おそらく実際の包囲期間中にお
ける日本軍の爆撃によって、また占領後の日本軍部隊によって生じた損害に等
しいであろう。
 中国軍部は、南京市周辺全域の焼き払いを軍事上の必要からだ、といつも説
明してきた。城壁周辺での決戦で日本軍が利用できそうなあらゆる障害物、あ
らゆる隠れ家、あらゆる施設を破壊することが必要だというのだ。この目的の
ために、建物ばかりでなく、樹木・竹やぶ・茂みなどもすっかり焼き払われた。
519名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 08:04
 金陵大学のベイツ教授はこう述べている。
「南京の城壁に直接に接する市街地と南京の東南京郊外ぞいの町村の焼き払い
は、中国軍が軍事上の措置としておこなったものである。それが適切であった
かなかったかわれわれの決定しうることではない」(AU212ページ)。
 南京陥落を前にして、中国軍が戦術として用いた「空室清野作戦」、すなわ
ち公共建築物や公邸、私邸などの焼き払いの狂宴がいかにものすごいものであ
ったか、この一文でも理解できよう。「南京攻略に先だって何ヶ月間も行われ
た日本軍の空襲による損害」よりもさらに甚大な破壊と、放火と掠奪が行われ
たというのである。しかも、東京裁判ではこれらの焼き払いと掠奪の狂宴は、
すべて日本軍の仕業に置き換えられ、《南京における日本軍の暴虐事件》とし
て告発されているのである。
520名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 08:06
第19旅団長草場辰巳少将は、北支作戦の時、隆平県城の城壁の上から、10月13
日未明、はからずも敗残兵による掠奪の場面を見たと言っている。すなわち
「隆平県城になだれこんだ敗残兵は、まず住民から衣類を奪って便衣となり、
次に食糧を奪い、財宝を奪い、明け方を待って逃げ出す算段で、城壁がすでに
日本軍によって占領されているのも知らず、城内は敗残兵による掠奪、暴行殺
傷等で阿鼻叫喚のちまたと化し、日本兵はただしばし呆気にとられて、この地
獄図を城壁から眺めていた」というのである。
 前述のダーディン記者も、南京における中国軍の掠奪について次のように述
べている。
 「土曜日(11日)には、中国軍による市内の商店に対する掠奪が拡がっていた。
住宅には手を触れていなかったし、建物に入るために必要な限りの破壊にとど
まっていた。掠奪の目的が食糧と補給物資の獲得にあることは明らかであった。
南京の商店は安全区以外では経営者が逃げてしまっていたが、食糧は相当に貯
蔵してあった」
 「(12日)夕方には退却する中国軍は暴徒と化していた。中国軍は完全に
潰滅した。
中国軍部隊は指揮官もなく、何が起こったか知らなかったが、ただわかってい
るのは、戦いが終わり、何とか生きのびねばならぬということだった」
 南京に残留していた某第三国人の日記を「東京日々新聞」(現毎日新聞)が掲
載しているが、それにはこう書いてある。
 「12月12日、敗残兵の放火、掠奪なさざるはなく恐怖におちいる」(12・12・20)。
岡田通訳官は、掠奪について次のように証言している。
 「城内の店は空き家になっていまして、中国兵が逃げるとき掠奪したのか、日本
兵が入ってから掠奪したのか、掠奪の跡がありました。日本兵は食べ物は掠奪した
と思いますが、その他は中国兵がやったようです。
 昭和13年3月に維新政府が出来ると、私も南京に行きましたが、泥棒市にはたく
さんの豪華なジュウタンや骨董品があり、これらは、その時掠奪したものだと思
います。この時私も居を構えるためジュウタンを買いました」(「正論」〈61・6〉
阿羅健一著『日本人の見た南京陥落』)。
521名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 08:07
>>211
>日本は原爆投下に関してアメリカを倫理的に批判してきたよ。
日本政府は批判を控えてきたよ。民間の日本人。それとアメリカでは日本の批判なんてあまり届いていません。一般人の感覚は相変わらず原爆投下は正しかった。戦勝国で戦争裁判も受けていないしアメリカ側の戦争責任が問われたこともないことも覚えておいてね。

>それと、日本が南京事件を無いものにしようとしたり、過小評価 しようとするからアジア諸国から反発されるわけでしょう。
だってあったかなかったか自体議論している事件を「無いものにしたり過小評価」と言われても困るよ。君自身が大虐殺と信じているからって意見の違う人は全て意図的に嘘をついていると決め付けちゃ駄目だよ。仮に君が自分ではやってないつもりの殺人を認めないからって社会に批判を受けたら君が悪いのかい?
アジア諸国といっても中国と韓国のことでしょう。インドネシアの中央銀行にいる知人なんて韓国が戦争前からの植民地だって知らなかったよ。日本国内に議論に都合よく新聞知識程度の「アジア諸国」をもちだすのはマズいよ。外国が批判してるからって別に相手が正確な認識でもの言ってるとも限らないんだよ。

522名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 08:08
 米南京副領事館エスピー氏は本国政府に次のように報告している。
 「・・・・市民の大部分は南京国際委員会の計画設定するいわゆる『安全地帯』
に避難しおり、相当数の支那兵を巧みに捕捉するはずなりしが比較的少数なりし
なり、実際に残留せる支那兵の数は不明なれども、数千の者はその軍服を脱ぎ捨
て常民の服を着て、常民に混り市内のどこか都合良き処に隠れたるに相違なきなり」。
 また氏の東京裁判への提出書類は次の通りである。
 「・・・・ここに一言注意しおかざるべからざるは、支那兵自身、日本軍入城
前に掠奪を行いおれることなり。
最後の数日間は疑なく彼らにより人および財産に対する暴行・掠奪が行われたるなり。
支那兵が彼らの軍服を脱ぎ常民服に着替える大急ぎの処置の中には、種々の事件を
生じ、その中には着物を剥ぎ取るための殺人をも行いしなるべし。
 また退却する軍人及び常民にても、計画的ならざる掠奪をなせしこと明らかなり。
すべての公の施設の機能停止による市役所の完全なる逼塞(ひっそく)と支那人と
大部分の支那住民の退却とにより市に発生したる完全なる混乱と無秩序とは、市
をいかなる不法行為をも行い得らるる場所となし終われるなり。
 これがため残留せる住民には、日本人来たれば待望の秩序と統制との回復ある
べしとの意味にて、日本人を歓迎する気分さえもありたることは想像せらるると
ころなり。」(法廷証第328号=検察番号1906号中の一部を弁護人が
朗読したもの=速記録210号)
523名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 08:11
 「東京日々新聞」は、12月20日の夕刊に、〔18日志村特派員発〕として、戦前
から南京にとどまっていた某外国人(特に匿名)の日誌を抜粋して、外人の見た
戦慄の南京最後の模様を報道している。
 それによると、7日早朝、蒋委員長が飛行機で南京を脱出したが、「この蒋委
員長の都落ちが伝わるや、全市民は家財を抱えて難民区へなだれ込んだ」とある。
つまり市民は一人残らず難民区へ逃避したとみてよかろう。また8日には「馬南京
市長らもまた市民を置き去りにして逃げだし、郊外の支那軍は民家に火を放ち、
南京付近は四方に炎々たる火焔起こり、市内また火災あり、逃げ迷ふ市民の姿は
この世のものとは思われぬ」と記述している。支那兵特有の敗走時の掠奪はその
ころ極限に達したことは容易に想像できる。

 私がさきに述べたように、電信、電話はもとより、電気も水道も途絶え、
市内が掠奪・放火の無政府状態に陥ったのはこの頃からである。日誌にはこ
うある。
 「12日、城外の支那軍総崩れとなり、87師、88師、教導総隊は、学生抗
日軍を残して市内に雪崩れ込み、唐生智は激怒して彼が指揮する36師に命じ、
これら敗残兵を片っ端から銃殺するも、大勢如何ともする能はず、唐生智も
また憲兵と共に夜8時ころ何処ともなく落ちのぶ。敗残兵の放火、掠奪なさ
ざるはなく、恐怖に陥る。電灯は消え、月光淡く、この世の末すと疑はる。
電話全く不通となる・・・・」(「東京日々新聞」12・20)
524名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 08:13
3.対して日本軍は紫金山攻撃の際も「中山陵を破壊してはならない」と
 松井大将から命令があったことを島田勝巳中隊長は証言している。
 「建物の密集地に支那軍が集まっていても、爆撃を避けた。日本軍が建物
 の保存を望んでいたのは明らか」と記すのは、「ニューヨーク・タイムズ」
 12月18日付である。
 ウィルソンは手紙に「日本軍はとくに大砲の射撃に際して、安全地帯を
 尊重しているように見えた」と書いている。
 安全委員会一号文書には「貴軍の砲兵隊が安全地帯を砲撃しなかった見事な
 遣り方」、と謝意を示している。
 安全委員会九号文書では、「流れ弾による破壊は実に僅かであった」、と。

4.ジャンキーノ地帯は11月、上海南部の支那人町「南町」に戦闘が及んだとき
 、設立されたものである。
 日本軍はこの安全地帯の取締能力を認めて、入城しなかった。
 そして安全地帯に逃げ込んだ支那兵は、国際委員会の手によって武装解除され、
 事態は「極めて平穏に経過」した。
guest guest
526名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 08:15
5.「唐生智はどさくさに乗ずる市民の暴動を恐れて、七日朝来、市内警備を一層
 厳重にし、少しでも怪しいものは手当たりしだいに銃殺し、すでにその数百名
 に及んでいると支那紙は報じている」と書いているのは12月8日上海発「東京日
 日新聞」である。

6.12月2日付「読売新聞」によると南京城内では毎日「漢奸狩り」が展開され、
 敵に内通する裏切り者として「漢奸」が銃殺された。
 そして、鮮血にまみれた晒し首が街角や電柱にみられた。こうして南京は
 「今や全く鬼哭啾啾たる死の街と化してしまった」という。

7.「南京戦史資料集2」によると光華門を防衛するため農民まで動員されたので
 ある。農民(非戦闘員)の戦闘参加は明白な戦時国際法違反である。

8.第九師団山砲兵九連隊大内義秀の東京裁判での証言によると支那兵に捕まった
 日本兵の捕虜は生きたまま
 焼き殺されたという。
527名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 08:17
>君の例えでいうならば、サリン事件の被害者が「地下鉄テロで5万人も死んだ」って
>事実に反することをいって追及してるようなもんだから反発を買ってるわけでしょ。

おいおい。何度でも言うけど、ここで30万人を主張している人はいないんだよ。
「今後一切南京事件だけを執拗に追及するのは止めろ」という人間を批判してる人はいるけれども。

つまり「地下鉄テロで5万人も死んだ」などと言ってる人はいないわけ。
ピントがずれてるって。
528名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 08:17
9.リリー・アベックは南京での日本軍の悪評(リリー・アベックは当時南京に
 いなかった)が起るまでの日本軍は規律の正しさによって評判がよく、政治的に
 日本をよく思わないものまで、日本軍の入城は歓迎された、と言っている。
 そして、「日本の良き名声」は南京以降に広東と漢口を獲得する段になって
 「修復された」という。
529名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 08:20
10.「南京戦史資料集1」の「折田護日記」によれば、12月16日、兵士二名が市内で
 女性二名を強姦した。それを柚木中尉が発見し、連隊本部で目下取り調べ中、と
 ある。また、「証言による「南京戦史」8」によれば、第十六師団後方参謀の木佐木
 久少佐も強姦の現場を取り押さえて兵士を連行し、厳罰を要求した。
 こうして、十名以上の将兵が、軍紀紊乱のかどで、「重罰に処せられた」のであり、
 そのことは「シカゴ・デイリーニューズ」38年2月9日付でも報じられている。
 塚本部長の回想によれば、「各部隊としては上海派遣軍法務部があまりに「厳重」
 を科し微細な罪をも究明する態度を非難することもあった」という。
 事件の報告を受けた上海派遣軍参謀副長の上村利道大佐は、陣中日記に(2月16日)
 に、「不都合なやつ」と記し、いらだちと、憤まんを隠さなかった。
 「第七十三回帝国議会貴族院予算委員会」では、大蔵公望男爵が「一人でも二人でも
 間違った行動があるとしますならば、それは実に遺憾千万と思ふ」と語っており、
 その思いは松井大将とて同じであった。
 いくつかの非行があったのは確かであるが、このことによって、規律の厳しさや
 日本兵による非行の実数がおぼろげに想像できるだろう。
 ちなみに松井大将が言う「忌まわしき事件」とは、彼の陣中日記に(12月20日)ある
 ように「強姦」と「掠奪」である。
530名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 08:20
>いかにオウムでも、事実に反することで非難されているのなら弁護すべきでしょ。

当たり前だ。

>君の論理では、「オウムは悪いことをしたのだからどんな非難も甘んじて受けよ」っていってることだよ。

アホなことを言うな。そんなことは誰も言ってないって。

サリンの犠牲者が実際出ているにもかかわらず、

>テロなんて地球上の歴史にありふれたものだ。
>どうしてサリンの被害者はサリン事件だけを執拗に追求するんだ?
>この件を執拗に追求する者を見つけた場合は徹底的に邪魔をする。

などとアホなことを言っている信者は批判されてもしょうがないでしょ?と言ってるわけ。

>彼らにも、事実に反する「5万人の地下鉄テロの死者」に補償する義務はないでしょ。

そんなことは当たり前。5万人殺されたなどとはここでは誰も言ってない。
しかし、サリンのテロで亡くなった人間には保証する義務はあるでしょ?
違うか?
531名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 08:22
「虐殺なんて歴史上にいくらでもあったんだ。南京事件を追及するな。」と主張する日本人



「テロなんて歴史上にいくらでもあったんだ。サリン事件を追及するな。」と主張する信者

見事な相似形だと思うが・・・・
532名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 12:04
あんた、まだいたのか。答えにくい反論は無視して言いたい放題だな。
いい加減に揚げ足とるのはやめてまじめに議論しようという気はないの?
533名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 12:19
左翼はいまだに30万って言ってるけどなあ??
534名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 12:30
>左翼はいまだに30万って言ってるけどなあ??

一体だれが言ってるんだ?
ソースきぼう。
535名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 12:37
ホンカツは最近10万強まで主張を後退させました。
536名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 12:51
>>533
左翼でも大概は5〜20万ぐらいと言っているはずだよ。
537名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 13:06
>>531
すばらしいキティ・ガイだな。人口無能か?
538名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 13:18
議論内容で勝てないとすぐにレッテル貼りに走るんだよね。
傍で見てて頭悪い。>537
539名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 13:21
虐殺の議論はひとまずおいて

>>2  >>3   >>4
に書いてある。日本軍の乱暴行為の議論をしたらどうでしょう。
540名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 13:32
だからそりゃ、「南京」の「虐殺」の証言じゃないでしょ?
541名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 13:33
>>538@`539
左翼のタチの悪さがにじみ出てるぞ。
542名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 13:36
日本で南京虐殺があったなんて言ってるヤツは
中共のプロパガンダを真に受けてるキティ・ガイの非国民。
とっとと中国か北朝鮮にでも亡命しろや.
出てけや!早く出てけ!
543名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 13:38
肯定派 納税額低い

否定派 納税額高い
544531>537:2001/03/15(木) 13:41
すみません、CGIで動作させてます。
パーサ部分はどうにか動くようになりましたが
論理思考ルーチンのデバッグに手間取ってます。
正常に動作させるにはもう少しお時間をくださいませ。
545名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 13:53
>左翼のタチの悪さがにじみ出てるぞ。

もともとは虐殺ナシ派の言葉だよ。
自分たちがタチが悪いと認める訳ね。

だいたい、私は共産主義者じゃないんだけどなあ。
どうして南京虐殺はあった、と言うだけで左翼呼ばわりするんだろ?
しっかしあんたはレッテル貼りが好きだねえ。
546名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 13:53
>日本で南京虐殺があったなんて言ってるヤツは
>中共のプロパガンダを真に受けてるキティ・ガイの非国民。

秦教授もキティ・ガイなのかい?
彼も中国に亡命しろと?

>とっとと中国か北朝鮮にでも亡命しろや.
>出てけや!早く出てけ!

まるっきり全体主義者のものいいだね。
言論の自由、っていう言葉しってるか?
547名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 13:54
>日本で南京虐殺があったなんて言ってるヤツは
>中共のプロパガンダを真に受けてるキティ・ガイの非国民。

レッテル貼りの2連発かいな。
好きだねえ、レッテル貼りが。
548名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 13:54
>>546
てめえみたいなキティガイに自由なんか無いんだよ。
とっとと誌んでね。
549名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 13:54
>540
だから、虐殺の議論をしようと言ってんじゃないだろう!
レスをちゃんと読め!

>>2  >>3   >>4
に書いてある。日本軍の乱暴行為の議論をしたらどうでしょう。
550名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 13:55
>>547
レッテル貼りのレッテル貼りが好きなんだね(藁
551名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 13:56
>>550
レッテル貼りのレッテル貼りのレッテル貼りの・・・・
以下無限に続いたりして。
552名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 13:58
軟禁虐殺は中共の外交カードだろ
553名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 14:00
どうも中凶の工作員くさいヤシがいるな。
554名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 14:01
>どうも中凶の工作員くさいヤシがいるな。

ついに「脳内中共」がヤシまで及びましたか(笑)。
555名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 14:01
罵倒漫才もう終わりなのか?(T_T)
556名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 14:02
大陸から電波が来るんだよ〜(ウソではない)
557名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 14:08
あーあ、やっぱりこういう事になってるわけね。
もうやめておいたら?
すごい不毛だよ、端から見てても。
558名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 14:13
以前から「南京」は無限ループの呪文だからな。
559名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 14:17
こういうことなのねん。

sub nankin {
 while (1) {
  print("あったんだよ\n");
  print("なかった\n");
 }
}

ループを繰り返すたびに場の雰囲気を表すステータス変数が変動して
その値に応じてセリフのとげとげしさに変化をつけるように
改良してみてね。
560拷問写真、実は宴会おふざけでした 仏の雑誌が大訂正 :2001/03/15(木) 15:46
「アルジェリア独立戦争でフランス軍の拷問を受
けるアルジェリア兵」として仏ルモンド紙発行の月
刊誌「ルモンド2」の昨年12月号が紹介した裸の男
性の写真が、実は送別会でふざける仏兵士の写
真だったことがわかった。同誌はこのほど発売の3
月号で2ページの検証記事を掲載し、読者に謝罪
した。

アルジェの国立博物館から同誌が入手したモノク
ロ写真。ヘルメットをかぶった裸の兵士が体をよじっ
ている。室内には電線が走り、「電気の拷問を受け
ている場面」と説明された。

ところが、1972年の歴史雑誌に同じ写真がカラ
ーで掲載されていると専門家が指摘。モノクロでは
不明りょうだった卓上にビールが置かれ、電線の先
ではレコードプレーヤーが回っていた。「拷問の順
番を待つ」はずの隣の兵士が笑っていることもわか
った。

同戦争当時の仏軍による残虐行為に関しては仏
国内で証言が最近相次ぎ、市民団体やマスコミに
よる検証作業が続いている。

(10:48)
http://www.asahi.com/0315/news/international15002.html

正義感や復讐心に突き動かされたでっちあげは何処にでもある。
それに乗るジャーナリズムもまた。
561名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 15:59
2,3,4の感想でいうと
よくやってくれたご先祖様って感じだな。
中国人相手に暴行もせんような聖人君子でなくて身近な人達でよかった
562名無しさん:2001/03/15(木) 16:01
>>560

お、「ジャーナリストの嘘」をあばく記事ですな。
どこの記事だろ・・・と思ったら、

よりによって朝日。

厚顔無恥ここに極まる。
563名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 17:01
まあ結局民間人も被害をうけることがあったって程度でしょ。
564アルジェの戦いを思い出した:2001/03/15(木) 18:47
かってアルジェリア独立派が行った抗仏武力闘争は否定しない。
その歴史なくしてアルジェリアの独立はなかったと思う。

しかし、トライアングル型のテロ組織で襲撃行動を繰り返せば、
敵側は通常の警察権力の行使を諦め、容赦のない弾圧を掛けてくる。

治安維持側からすれば、怪しい奴をしょっ引いて、徹底的に拷問して、
一人ずつ一人ずつ、芋蔓式に検挙していくしか解決法がないからだ。

フランス外人部隊はアルジェで治安警察を襲撃してその資料を押収し、
非常大権ともいうべき絶対的な治安権を行使して、テロ組織を潰した。

地方での対ゲリラ作戦は、日本軍が中国で、フランス軍と米軍がベトナムで、
ソ連軍がアフガンで経験したことだ。 民衆が被害を受けることは避けられない。

テロもゲリラも民衆を盾とする戦法であり、いわば敵を後ろから撃つ戦法でもあるから、
その戦い方を選ぶときに、治安維持側にだけは紳士であることを要求しても無理なのだ。
565名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 19:02
なんで3億人ぐらい殺しといてくれなかったんだよ!
ご先祖様の馬鹿!
566名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 19:41
>>565
代わりに共産主義者が1億人殺っちゃいました。しかも自国民を。
567名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 19:45
悲しいかな、よりによって中国共産党だからねぇ。
そりゃあ胡散臭いと思われるわな。

>>561
>>565
へたくそ。
568565:2001/03/15(木) 19:49
>>567
下手糞もなにも本音だよ。
569名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 19:53
>>568 本音なのか。最低な奴だね、お前。
570就職戦線異状名無しさん:2001/03/15(木) 20:38
>>531
日本の歴史上にテロが多くあったなんて初耳。特に宗教団体関係のテロとなると…?
571就職戦線異状名無しさん:2001/03/15(木) 22:05
age
572名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 23:35
age
573名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 00:16
今日も頑張ってこのスレを上げまくろう!
574ななし:2001/03/16(金) 00:19
日本兵と称する山賊に襲われたなんて・・
いまさら 言えない・・・
引っ込みがつかない・・・
575名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 00:22
>>539

529を見ましたか?
576名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 00:26
小林氏が転向前の朝日をどのように批判したのか、教えていただけ
ないんでしょうか?
要は朝日が軍国主義を煽っておきながら、戦後頬被りをしてること
や、

>日本が敗戦を迎える5日前、政府の談話で「戦局は最悪の状態」と
>発表しているのに、それを国民に隠し、敗戦前日まで戦意を煽って
>いた朝日。
>「まあ、だんだんに変えていくことにしようじゃないか」
>「そう一ぺんに現金な態度の転換は良心が許さぬ」
>などと言いながら。

というような姿勢を批判してるんでしょうか?
どちらにしても、大本営発表を報道することと、朝日の記者が南京で見た
状況を記録、報道したこととは何の関りもないでしょう。
第一、あの写真の正しさは、元日本兵の証言、マッカラムの日記、日本の
マスコミに語ったベイツの発言、などからも証明されてるんですから。

<南京陥落から2〜4日後の状況>
577名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 00:28
1.「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち-第十三師団山田支隊兵士の陣中日記」
 によれば山田支隊から五名の兵士が入城式に参加しているし、南京城内の
 印象を記しているが、誰も死体の山など見ていない。
 また、陥落から二日後、山田支隊の堀越文男伍長(仮名)は部隊長の命を受
 けて城外から城内に入った。
 堀越伍長が公用外出して見たものは、路上の死体の山ではなかった。
 露店であった。そこで堀越伍長は「難民の売る平たいパン様のもの」を買っ
 ている。
578名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 00:30
2. 以下は金陵大学病院医師マッカラム氏の日記及び手記
 からの抜粋(法廷証第309号=検察番号246号)である。
 これを松井大将の弁護人伊藤清氏が東京裁判の弁護側立
 証段階で抜粋朗読しているので紹介したい(速記録210号)。
○(日本軍は)礼儀正しく、しかも尊敬して私どもを処
 遇してくれました。
 若干のたいへん愉快な日本人がありました。
○私は時々一日本兵が若干の支那人を助けたり、また
 遊ぶために、支那人の赤子を抱き上げているのを目撃しました。
 ○12月31日、今日私は民衆の群が該地帯から中山路を横
 断して集まるのを目撃しました。
 あとで彼らは、行政院調査部から日本軍の手によって配分
 された米を携帯して帰って来ました。
 今日は若干の幸福な人々がおりました。
○(1月3日)今日は病院職員の半数の登録をするのに成功
 しました。
 私は若干の日本兵によってなされた善行を報告せねばなり
 ません。最近7、8名のたいへんに立派な日本兵が病院を訪
 問しました。
 私どもは彼らに病人に与える食物の欠乏を語りました。
 今日彼らは若干の牛肉を見つけて、100斤の豆をもって来ました。
 われわれは一ヶ月も病院で肉なんか食べなかったので、これら
 の贈り物は大いに歓迎されました。
 彼らはわれわれに他にどんなものが欲しいかを尋ねました。
 このようにラーベ氏は国際委員会を代表して感謝の手紙を
 したためており、マッカラム氏は日本兵の善行を日記の中に
 したためている。
579名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 00:32
3.日本を憎悪していたマギー牧師でさえ「安全区は難民たちの
“天国”だったかも知れない」(秦郁彦著『南京事件』84ページ)
 という。

4.スミス博士も調査報告書の中で「難民区内には火災もなく平穏で
 あった」「住民のほとんどはここに集まっていた」と述べている。
580名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 00:33
中共シンパ、まだいるのか、えらいな
議論をループさせようと努力してるのが気になるが・・
581名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 00:34
5.当時同盟の特派員であった故前田雄二氏(元日本プレスセンター
 専務理事)は、内外ニュース社発行の「世界と日本」
(59・4・5、413号)の中でこう述べている。
 「いわゆる“南京大虐殺”というのは、2、30万人という数は
 別にしても、主として住民婦女子を虐殺したものだ。
 ところが殺されなければならない住民婦女子は(全部)「難民区」
 内にあって、日本の警備司令部によって保護されていた。
 そして私の所属していた同盟通信社の旧支局はこの中にあり、入
 城4日目には私たち全員はこの支局に居を移し、ここに寝泊まりし
 て取材活動をしていた。
 すなわち難民区内が私たちの生活圏で、すでに商店が店を開き、
 日常生活を回復していた。
 住民居住区の情報はちくいち私たちの耳目に入っていたのだ。
 こういう中で、万はおろか、千あるいは百をもって数えるほどの虐
 殺がおこなわれるなど、あり得るはずはなかった。

6.「東京日々新聞」の若梅、村上両特派員は、占領3日目の15日、大学の舎
宅にベイツ教授を訪れてインタビューをおこなっている。その時教授は、
上機嫌で2人を迎え、「秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れ
たのは何よりです」といって両記者に握手しているのである。
(同紙12・26)。
582名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 01:40
>>579
そのマギー牧師の発言は南京に日本軍が入城する12月12日以前の難民区に
関してのことだよ。
583>582:2001/03/16(金) 01:57
支那人発見!!!
584名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 01:58
>>582
それなら入城以後のことを、より特筆的に書くと思うんだけど。
入城前まで平和で入城後に地獄絵図なんだったら、
むしろ入城後のことをしっかりと記録するはずだと思うけど。
そういう記述はどこにあるわけ?
秦郁彦氏が恣意的に取り上げなかったのかな?
氏は「まぼろし派」ではなくて、小虐殺派のはずだけど。
585名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 02:00
>>584
秦氏の本読んだら
586名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 02:15
>>582

なるほど。教えていただいてありがとう。

>ダーディン記者も、南京における中国軍の掠奪について次のように述
>べている。
> 「土曜日(11日)には、中国軍による市内の商店に対する掠奪が拡がっていた。
>住宅には手を触れていなかったし、建物に入るために必要な限りの破壊にとど
>まっていた。掠奪の目的が食糧と補給物資の獲得にあることは明らかであった。
>南京の商店は安全区以外では経営者が逃げてしまっていたが、食糧は相当に貯
>蔵してあった」
>「(12日)夕方には退却する中国軍は暴徒と化していた。中国軍は完全に
>潰滅した。

>米南京副領事館エスピー氏報告
>最後の数日間は疑なく彼らにより人および財産に対する暴行・掠奪が行われたるなり。
>支那兵が彼らの軍服を脱ぎ常民服に着替える大急ぎの処置の中には、種々の事件を
>生じ、その中には着物を剥ぎ取るための殺人をも行いしなるべし。

と、あるから、「陥落前の数日間」それ以前の安全地帯は「天国」
だったんですね。
587名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 02:19
>>585

あのさ、「**読んだら?」とか「このリンク先を見たら?」という
ような消極的な姿勢、なんとかなりませんか?
あなたと対立してる人たちは、ちゃんと書き込んでるんですから。
588名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 05:00
if you want to discuss about something@`
you should read a book which is essential for the discussion.

I think you are only rude enough not to read a book.
589名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 05:16
あったか無かったではなくて、殺された人の数に
日本と中国で認識の違いがあるのでは?
590名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 05:23
>>589
まさしくその通りだよ。
それを変な風に歪曲して歴史修正だなどと見当違いのことをほざく輩が居るから荒れるんだよ。
591名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 05:30
「南京では一人も殺されていない」なんていってるやつは誰もいない。
中国の「民間人30万人が虐殺された」という説を信じてるやつも誰もいない。
だいたいコンセンサスできてるんだからそれでいいじゃん。
592名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 05:49
中共シンパだなどと見当違いのことをほざく輩が居るから荒れるんだよ。
593名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 05:58
>それを変な風に歪曲して歴史修正だなどと見当違いのことをほざく輩が居るから荒れるんだよ。

如意。
ところで場を荒らさないために中共シンパ呼ばわりも止めた方がいいと思わない?
594名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 06:00
>>593
何処にそんな奴居るんだ?虚に吠えるってこのことか?
595名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 06:21
>>594

あんたももうちょっと過去ログ読んでから書き込んだら?

中共シンパのレッテル貼りなんてこのスレッドに山ほどあったでしょうが。
ほれ、証拠だよ。

>>109
>>125
>>129
>>132
>>138
>>144
>>279
>>357
>>364
>>375
>>414
>>433
>>580
596>595:2001/03/16(金) 06:41
中共シンパ発見!!!
597名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 06:45
見てるとどっちのレッテル貼りも多いからそんなの端から相殺だよ。
レッテル貼りされたくらいでそんなに目くじら立ててるのも変だよね。
第一義的に議論内容で勝負すれば良いわけだし、そういう人は
レッテル貼りされても怒髪天を突くの如く起こったりしないよ。
過去ログの何番にこんなレッテル貼りがあっただとか、
そんなことをいちいち気にして抜き出してくるのもうざい。
後ろ向きの事にエネルギーを使うな。見てる奴が
「なるほど!」と思わず唸るような書き込みをすることを考えろ。
598名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 06:46
>>596
騙りか?
599595:2001/03/16(金) 07:16
>>597
うるせえよ。そういうところでしか反論できないんだよ!
わるかったな。
600ひよこ名無しさん:2001/03/16(金) 07:22
601名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 07:25
>>600
何だこれは?
602名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 10:56
>見てるとどっちのレッテル貼りも多いからそんなの端から相殺だよ。

中共呼ばわりのレッテル貼りの方が圧倒的に多いんだけど。

>レッテル貼りされたくらいでそんなに目くじら立ててるのも変だよね。

それは「歴史修正主義者」とレッテル貼りされた側にも言えるよね。

>第一義的に議論内容で勝負すれば良いわけだし、そういう人は
>レッテル貼りされても怒髪天を突くの如く起こったりしないよ。

「起こったり」ってどういう意味?「怒ったり」のミスタイプか?
じゃあ「歴史修正主義者」達も怒るべきではないね。

ごくごく簡単なことを言ってるだけなんだけどね。
俺はお前を「中共シンパ」呼ばわりするが、お前は俺を「歴史修正主義者」と呼ぶな、
というのはダブスタだってことさ。

>過去ログの何番にこんなレッテル貼りがあっただとか、
>そんなことをいちいち気にして抜き出してくるのもうざい。

いや、あのね。

594>何処にそんな奴居るんだ?虚に吠えるってこのことか?

などと「嘘」を書いた人間がいたから反論したまでさ。
証拠を出してね。

> 後ろ向きの事にエネルギーを使うな。見てる奴が
>「なるほど!」と思わず唸るような書き込みをすることを考えろ。

「隗より始めよ」っていう言葉知ってる?
603本物の595:2001/03/16(金) 10:57
>>599

おいおい、しまいには騙りかいな。
そんな見え見えの騙りして、自分が恥ずかしくないか?

そういうことばっかりやってるからバカにされるんだよ。
やり方がチンピラと全くかわらん。
604名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:00
どれが騙りか本物か、何重にも絡み合ってもはや分からんな。
どっちが騙りをしたのかも。
605名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:01
案外599=603の時間差見せ掛け攻撃だったりしてね 藁
606名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:04
結構599のは図星だったのかも。
結局どっちも大差ないから議論内容で勝負するしかないんだね。
でその結果ネットで押されているのはどちらか明白ってことで。
607名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:10
>>603
どこが騙りなんだ?
俺にはさっぱり分からんよ。
あと例え騙りだったとしても、議論でアホな事言わなけりゃ
次第に馬鹿にされないように成るよ。自分を磨け。
608名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:19
>どこが騙りなんだ?
>俺にはさっぱり分からんよ。

本人が書いてないことを勝手に書かれたら、
明らかに騙りなんだけどね。
やった人間が恥ずかしくないと思うのなら、
人間としては最低だね。
609名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:20
>でその結果ネットで押されているのはどちらか明白ってことで。

はて?
いったいどっち?
610名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:23
ネット上でも、歴史学的にも、南京事件についてはとっくに結論は出てるよね。
一生懸命蒸し返してるのは「ナシ派」。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=fn5fe5tbba6a4oa4ga4ca4abeea42a4h3nbfaea47a4fa4a4a4k&sid=1835559&mid=1&type=date&first=1
611名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:30
ナシ派なんて絶対数からしてそもそもゼロに等しいんじゃないの?
無かった!なんて言ってる人にはついぞ遭遇した事はありませんが。
612名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:32
ここで一生懸命連続投稿してた人はナシ派じゃないの?
613名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:33
どうでもいいけど、このスレ立ててわざわざ蒸し返してるのはあなたが言う処の「ナシ派」?(w
614こんなんあったけど:2001/03/16(金) 11:35
589 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2001/03/16(金) 05:16
あったか無かったではなくて、殺された人の数に
日本と中国で認識の違いがあるのでは?

言うところこれに尽きる。ナシ派の存在自体「まぼろし」だったってことか(w
615名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:36
このスレが短期間にこれだけの投稿数になったのはナシ派のおかげじゃない?
616名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:37
じゃあみんな南京大虐殺はあった、ということでコンセンサスができてるんだ。
617名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:38
っていうか、変なスレッド立てて厨房を呼び込むのは止めてくれ。
本来板違いだきれいさっぱり削除して欲しいくらいだ。
618名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:39
一人でも虐殺があったら虐殺だからな。
619名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:39
>>616
今ごろ気づいたのか?お前頭大丈夫か?
620名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:52
>>615
ナシ派なんてどこにいるんだ馬鹿
621名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:53
>今ごろ気づいたのか?お前頭大丈夫か?

おいおい。
「大虐殺はなかった」「3万人ぐらいがなんだ」とかほざいてた人間がいたのを
もう忘れたのか?お前頭大丈夫か?
622名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 11:58
厨房君、もう止めたら?
まぼろし同然の者達をここで語られても。
623はいこの一文で終了:2001/03/16(金) 12:00
589 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2001/03/16(金) 05:16
あったか無かったではなくて、殺された人の数に
日本と中国で認識の違いがあるのでは?
624名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:02
やっぱり何十万の大虐殺にしないと気が済まない奴が居るんだ。
本性が見えたね。約1名。
625名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:04
3万の虐殺ではどうしても収まらない人が居るようです。
626名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:05
やはり「南京」は無限ループの呪文だな。解呪は不可能なり。
627名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:12
数万の虐殺では駄目だってさ。
全部「ナシ派」に入っちゃうんだと。
628名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:12
 映画「プライベートライアン」でも投降してきたドイツ兵を撃ち殺す
シーンがあったね。戦闘直後の興奮した状態に置かれたら誰でも
裁判抜きで捕虜を処刑する可能性はあるんじゃないかな。
ましてや民間人の格好して軍事的敵対行動をとる者は
捕縛したら即座に処刑だったんだろうね。
#戦後の後知恵だけで断罪しまくるのはどうかな?ってことを言いたいのよ
629名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:15
1は以後

589 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2001/03/16(金) 05:16
あったか無かったではなくて、殺された人の数に
日本と中国で認識の違いがあるのでは?

の一文を肝に銘じるように。
630628:2001/03/16(金) 12:16
ちなみに漏れは「少しはあったと推測するが、日本軍による組織的な
虐殺はなかった」と考えてる。
宣撫の観点からも現地住民を敵に回すようなストラテジは言語道断だしね。
(平安時代以前に日本各地の軍事組織には「宣撫班」が存在したよ)
631名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:16
そして二度とこういう板違いの糞スレを立てないこと。
632名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:18
>>630
うむ。現地住民の懐柔は必要欠くべからざるものだからな。
633名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:20
人殺しが全くなかったとは誰も言ってないのだが
連中のとなえる誇大な数字に少しでも異を唱えるとすぐ、
「ナシ派」「なかったことにしたい派」とか呼ばれてしまう。
634名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:25
>やっぱり何十万の大虐殺にしないと気が済まない奴が居るんだ。

どこにいる?
635名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:26
>「少しはあったと推測するが、日本軍による組織的な
> 虐殺はなかった」と考えてる。

少しはって、何人ぐらい?
636名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:27
ま〜た厨房君が沸いて出たよ。
本当にしつこいなぁ。構って君か?
637名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:28
南京事件ってさ、日本軍と中国軍との武力衝突で、多数の市民が犠牲に
なったわけじゃないんだよね。
投降している兵士を、捕虜にせずに殺したり、ゲリラ狩りの名目で
多くの非戦闘員を殺したんだよ。
638名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:28
>>634
あんた、Yahooの南京トピに必ず現れるomegatribesって人じゃないか?
639名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:29
>本当にしつこいなぁ。構って君か?

お前も相手すんなよ、ボケ。
640名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:29
>>638
その人って何万人虐殺説?
まさか30万人じゃないよね?(w
641名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:30
>やっぱり何十万の大虐殺にしないと気が済まない奴が居るんだ。

そんな人どこにもいないと思うんだけど。
一体何番のこと言ってるの?
642名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:30
>>639
無限ループは嫌だね
643名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:31
クックックッ..
644名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:32
本当にしつこいな。
泳がせてやるとすぐこれだ。
645名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:33
>本当にしつこいな。
>泳がせてやるとすぐこれだ。

しつこいのはお前。相手すんなって。ボケ
646名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:34
オメ公、元気でやってるか?
647名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:34
はい、確認。
一人でも虐殺があったという人なら
それは「ナシ派」ではありませんね。以上!
648名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:34
>>640
「人数はわからないが、中国の主張を否定する根拠はまだない」みたいなこといってる人。
649名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:36
>>648
なるへそ。
それでその人はこのスレみたいに何回でも議論をループさせる人かい?(w
650名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:38
おまえら政治思想版かどっかに逝けよ
651名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 12:39
板違いだからね。
652名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 13:21
もうさげてやろうよ。

>中国の主張を否定する根拠はまだない

これじゃUFO信者となんら変わりがない。
本来、証言を裏付けるための物証が証明されないと、
事実なんて認定されるわけないのに。
653名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 13:36
しかし4万人は証明されてるんじゃないの?
654名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 15:41
虐殺の議論はひとまずおいて

>>2  >>3   >>4
に書いてある。日本軍の乱暴行為の議論をしたらどうでしょう。
655名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 15:52
あんたしつこい。
その議論したからどうなるというの?
結局、日本軍はこんなに酷かった。 残酷だったという話にして、
じゃあ、「大虐殺もあったんだ」という方向にもっていきたいだけでしょ?
656名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 17:06
>じゃあ、「大虐殺もあったんだ」という方向にもっていきたいだけでしょ?

わしは654じゃないが、南京大虐殺はあった、というのは
このスレッドのコンセンサスだったのでは?
657名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 17:53
しきりに「大虐殺あった」のコンセンサスをでっちあげたがって
いるヤシがいるな。
658名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 18:50
南京事件を無かった、もしくはたいしたものではなかった、と言うひとの
主張は次のどれかに分類されるでしょー。

1.南京事件は中国側のでっちあげ。よって無かった。
2.中国側の犠牲者30万人という主張は誇張だ。実際はもっと少ない。(ただそれだけ)
3.中国側が言うことはなんかムカツクからただ感情的に反発してるだけ。
4.戦時中では多少の民間人の犠牲もやむをえなかった。
659名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 23:58
定期あげ。
660名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 00:03
>>659
板違いなのになぜ上げる。さげ。
661名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 01:12
改訂版
<朝日の「平和が戻った南京」写真について>
<南京陥落から2〜4日後の状況>

あの写真の正しさは、元日本兵の証言、マッカラムの日記、日本の
マスコミに語ったベイツの発言、などからも証明されてるんですから。

1.「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち-第十三師団山田支隊兵士の陣中日記」
 によれば山田支隊から五名の兵士が入城式に参加しているし、南京城内の
 印象を記しているが、誰も死体の山など見ていない。
 また、陥落から二日後、山田支隊の堀越文男伍長(仮名)は部隊長の命を受
 けて城外から城内に入った。
 堀越伍長が公用外出して見たものは、路上の死体の山ではなかった。
 露店であった。そこで堀越伍長は「難民の売る平たいパン様のもの」を買っ
 ている。

2. 以下は金陵大学病院医師マッカラム氏の日記及び手記
 からの抜粋(法廷証第309号=検察番号246号)である。
 これを松井大将の弁護人伊藤清氏が東京裁判の弁護側立
 証段階で抜粋朗読しているので紹介したい(速記録210号)。
662名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 01:14
○(日本軍は)礼儀正しく、しかも尊敬して私どもを処
 遇してくれました。
 若干のたいへん愉快な日本人がありました。
○私は時々一日本兵が若干の支那人を助けたり、また
 遊ぶために、支那人の赤子を抱き上げているのを目撃しました。
 ○12月31日、今日私は民衆の群が該地帯から中山路を横
 断して集まるのを目撃しました。
 あとで彼らは、行政院調査部から日本軍の手によって配分
 された米を携帯して帰って来ました。
 今日は若干の幸福な人々がおりました。
○(1月3日)今日は病院職員の半数の登録をするのに成功
 しました。
 私は若干の日本兵によってなされた善行を報告せねばなり
 ません。最近7、8名のたいへんに立派な日本兵が病院を訪
 問しました。
 私どもは彼らに病人に与える食物の欠乏を語りました。
 今日彼らは若干の牛肉を見つけて、100斤の豆をもって来ました。
 われわれは一ヶ月も病院で肉なんか食べなかったので、これら
 の贈り物は大いに歓迎されました。
 彼らはわれわれに他にどんなものが欲しいかを尋ねました。
 このようにラーベ氏は国際委員会を代表して感謝の手紙を
 したためており、マッカラム氏は日本兵の善行を日記の中に
 したためている。
663名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 01:17
3.12月14日、第十軍参謀の谷田勇大佐は司令部衛兵一分隊を引き連れて
 南京城内の巡回に出た。
 その時、谷田大佐の目にしたものは、「証言による「南京戦史」4」
 によれば、「街路は既に平静に帰し住民は後片付けに忙しく諸所街頭
 に小児が戯れ、なかには日本兵から食物を貰い受けている者さえ見られた」
 と証言している。

4.スミス博士も調査報告書の中で「難民区内には火災もなく平穏で
 あった」「住民のほとんどはここに集まっていた」と述べている。
664名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 01:19
5.当時同盟の特派員であった故前田雄二氏(元日本プレスセンター
 専務理事)は、内外ニュース社発行の「世界と日本」
(59・4・5、413号)の中でこう述べている。
 「いわゆる“南京大虐殺”というのは、2、30万人という数は
 別にしても、主として住民婦女子を虐殺したものだ。
 ところが殺されなければならない住民婦女子は(全部)「難民区」
 内にあって、日本の警備司令部によって保護されていた。
 そして私の所属していた同盟通信社の旧支局はこの中にあり、入
 城4日目には私たち全員はこの支局に居を移し、ここに寝泊まりし
 て取材活動をしていた。
 すなわち難民区内が私たちの生活圏で、すでに商店が店を開き、
 日常生活を回復していた。
 住民居住区の情報はちくいち私たちの耳目に入っていたのだ。
 こういう中で、万はおろか、千あるいは百をもって数えるほどの虐
 殺がおこなわれるなど、あり得るはずはなかった。
 18日には、路上の散髪人のところへ、散髪に出掛けたことを「戦争の
 流れの中に」に記している。
665名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 01:21
6.「東京日々新聞」の若梅、村上両特派員は、占領3日目の15日、大学の舎
宅にベイツ教授を訪れてインタビューをおこなっている。その時教授は、
上機嫌で2人を迎え、「秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れ
たのは何よりです」といって両記者に握手しているのである。
(同紙12・26)。

7.15日、日本総領事館横の安全地帯では、路上に食料品を売る者が出た。
 散髪をやる者も出た。その光景が歩兵第七連隊、井家又一上等兵の日記
 に記されている。
666名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 01:23
<私的な新発見>1

金陵大学教授ルイス・S・C・スマイス博士は、戦災被害調査
を実施し『南京地区における戦争被害』報告書(『南京大残虐
事件資料集 2巻』所収)を昭和13年6月に提出している。
 これによると、南京市内の人的被害は、◇軍事行動(爆撃等)
による死亡 850人 ◇兵士の暴行による死亡 2400人 ◇原因
不明の死亡 150人である。又、◇拉致されたもの 4200人である。
 又、農村部(4県半)の ◇殺されたものの総数 26870人
(病気死亡者を差し引いたJ ・ロッシング・バッグ教授修正値
では23000人戸となる。)である。このうち、南京事件の該当県
の江寧県分は9160人(バッグ修正値7544人)である。 即ち、
スマイス調査による南京事件の人的被害は最大で、市部の死亡
400人と拉致4200人である。そして、江寧県の7544人であり、
この加害者は日支両軍による。この両者の合計は14144人である。

新たに重要なことに気づきました。(他の方は以前から気づいて
いたのかもしれませんが・・知る限りでは誰も指摘していないと
思う・・・)
注目していただきたいのは、この14000、という数字です。
この数字はなんと!記録から導きだされた遺体の埋葬数
「14000+α」と合致してるじゃないですか!?
その死因は言うまでもなく以下のものである。
667名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 01:25
<私的な新発見>2

<支那人の死因区分け>

1.陥落前、支那の官憲は、掠奪に走った暴徒を見せしめに銃殺していた。
2.陥落前、支那軍は、下関の南京駅のプラットホームに、二千人の負傷者
 と、多くの戦死兵を放置していた。
3.陥落前、城門の攻防戦で、多くの支那兵が戦死していた。
 例えば、南門の前は「死屍累々」であった。
4.陥落直前、支那軍督戦隊は、例えば「李宗仁回憶録」が記す北門で、
 逃げようとする支那兵を射殺して「多数の死傷者」を出していた。
5.陥落直前、支那兵は城壁から、脱出しようとして墜落死したり、北門に
 殺到し、踏みつけあって圧死していた。
6.陥落直前、城内北部の野戦病院(外交部)に行こうとしながら、多くの
 支那兵が、外交部の前でこときれていた。
7.陥落後、反抗的な支那兵は日本軍より処刑されていた。

8.南京安全区国際委員会は、昭和12年12月13日から翌13年2月9日まで
日本兵の暴行について日本大使館へ公文書(61通。非行行為425件)で
報告している。これは、『南京大残虐事件資料集 第2巻』(青木書店刊
)に収録されている。これを、板倉由明著『「南京大虐殺数」の数字的研
究(2)』(『ゼンボウ』昭和59年10月号)の分類表によってみると、
◇殺人 49人 ◇傷害 44件 ◇連行し(作業用・便衣兵と誤認)390人・
多数1件・数名2件・ ◇強姦 361人・多数3件・数名6件 ◇略奪その他170件
とある。
668名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 01:28
<私的な新発見>3

このように「殺人 49人」と僅少なのは、日本軍が南京占領の翌日には難民区
に歩哨を立て監視・保護したことによる。

「南京戦史」によれば、中国兵は七万人ほどだったということだが、遺体埋葬数を
「約四万体」であった、というなら、城外に逃亡した支那兵がいる、安全地帯の
人口が五万人増加している、ということとの間に矛盾が生じてしまう。
それが、一万四千人ほどが埋葬された、という観点に立てば、全ての矛盾が解消
する。

ちなみに、日本兵の仕業と断定され、通報された非行は数件であり、上記の
「殺人」は合法と認められた事例や目撃者、記録者、報告者などが不明のもの
を含めた数字である。また九割以上が目撃ではなく伝聞であり、殺人以外の、
例えば強姦などの場合も同様である。
この状況に関して、ドイツ大使館のシャルフェンベルクは「第一、暴行、暴行と
言っても、ただ支那人の話を聞いているだけではないか」と記録し、上村利道
参謀副長は「アメリカが無き非行を領事館に申し込みし由」と記述している。
また、南京外交官補佐福田篤泰は・・
669名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 01:30
<私的な新発見>4

>その訴えをマギー神父とかフイッチなど3、4人が、ぼくの目の前で
>、どんどんタイプしているのだ。
>『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして
>抗議されても困る。』と幾度も注意した。
>時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何も
>ない。住んでいる者もいない。

という状況だったことを証言している。
670一夜ROM:2001/03/17(土) 03:10
じゃ聞くけど、明らかに非合法な殺人が5万人より多かったと思ってる人
いるの? 手挙げて。
671名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 03:13
なんでこんなスレが上がってるんだ?さげ
672名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 03:13
ちょっと目を離すとすぐこれだ
673名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 03:14
板違いダナ
674名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 03:14
というわけで
675名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 03:14
さげましょう
676名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 03:15
板違いを放置すると
677名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 03:15
いつもこうだナ
678名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 03:16
まったく
679名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 03:16
せめてsageて
680名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 03:16
やって欲しいよ
681名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 03:21
「数字の幅に諸論があるとはいえ、南京で日本軍による大量の「虐殺」と
各種の非行事件が起きたことは動かせぬ事実であり、筆者も同じ日本人の一人
として、中国国民に心からお詫びしたい。そして、この認識なしに、今後の
日中友好はありえない、と確信する。」

秦郁彦『南京事件』中公新書(1986)「あとがき」244ページより
682>681:2001/03/17(土) 03:25
カッコ付きの「虐殺」を使用するところなどは秦の良心を感じるね。
683名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 03:26
南京事件はありましたよ。
復員兵の人に話しききましたよ。
684名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 03:30
200人〜3万人ぐらいか。
685名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 03:50
秦郁彦って「あった派」のヒーローなんだなあ
686蒋介石@国民党:2001/03/17(土) 03:57
> 南京事件はありましたよ
そうだよ。俺達がやったイギリス大使館略奪事件のことだろ?
687名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 04:37
次からsageないで抜け抜けとあげた奴はsageアタック1セットの洗礼な(藁
688名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 04:39
>>685
秦教授って、中国では「南京虐殺否定派」「右翼」のレッテル貼られてるんだぜ。
689名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 04:52
へー
690名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 04:56
   彡左左左翼翼翼ミ〜
  左左翼左/  \|〜 プゥ〜ン
  左翼‖ ◎---◎|〜
  左翼‖    3  ヽ〜  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  左翼   ∴)д(∴)〜 <      へー
  左翼      〜 /〜
  左翼‖    〜 /‖〜  \______________________
 左左左左     /‖\〜
691ドラクエ南京事件@軍事板より抜粋:2001/03/17(土) 12:07
ゆうしゃはなんきんににゅうじょうした

ゆうしゃはかわいいおんなのこをみつけた

>ごーかんする
 ころす
 たちさる
692名無しさん@お腹壊した:2001/03/17(土) 12:39
>>691
ごーかんする を選ぶと のろわれてしまう んだぜ?
♪ブコブコブコブコブーブッブゥ

ところで中国の連中は95年版の高校教科書では、15年戦争で日本軍が
3500万人殺したって教えてるって?91年版では2100万だったそうだけど、
増えた1400万人はどっから出たんだ?
693やめられない名無しさん:2001/03/17(土) 13:39
釣った魚の話をしている間に成長し って話があるだろ
それと同じ 時間が経てば大きさは成長するんだよ
694名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 16:33
age
695名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 16:44
age

696名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/17(土) 16:45
なんで?どこに?しか言えないのか?

697名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/17(土) 16:46
ごーかんする
698名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 16:47
ごーかんする
 
699名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 16:52
ぐへへへへへへへへっへ。
700名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 16:53
お腹いっぱい。
701名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 16:56
偽善はもうイヤです。

702名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 17:12
クーデターですね。クーデター。


             
703名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 17:13
クーデターですね。クーデター。


            
704名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 17:14
クーデターですね。クーデター。


           
705名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 17:14
クーデターですね。クーデター。


           
706名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 17:15
クーデターですね。クーデター。


          
707名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 17:25
宗教って怖いです。
708名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 17:40
もう、アホの集まりになってしまってるな。だから、最初に止めておけと言っておいたのに(藁
709名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 18:44
>708
んだんだ。
710名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 20:57
虐殺の議論はひとまずおいて

>>2  >>3   >>4
に書いてある。日本軍の乱暴行為の議論をしたらどうでしょう。

711名無し:2001/03/17(土) 21:43
偽文書,偽写真はありふれている。
撫順の洗脳収容所のスキャンダルは世界中周知だ。
共産主義の独善と暴力至上主義にはうんざりだ。
南京事件のプロパガンダは手法が古すぎる。
科学的に否定されている。
712名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 21:48
>>711
>科学的に否定されている。

どういうふうに科学的に否定されてるんだ?
それをちゃんと書かないと意味ないよ。
というより、詐欺だよ。

713名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 22:21
714名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 00:14
「あった派」って「南京大虐殺はあった!だって秦郁彦も言ってる!」
などと強情に言い張ることしかしていないね。
715名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 00:32
復員兵が言ってたから「虐殺はあった」とか言い出すんなら
下のようなものもOKってことになっちゃうね。

あれは平成四年八月初めの暑い日であった。
山口県の萩の松蔭神社を訪問した際、その途中で下関に降り立ち、
いまは亡き森王琢氏を訪ねたことがあった。
明治四十二年生まれの森王氏は、そのとき八十三歳、小柄ながら
矍鑠たる体躯で、その人となりは、高潔そのものという感じであった。
お話によれば、氏は陸士43期生で、南京総攻撃に際しては、京都第十六
師団歩兵第二十連隊第三大隊の大尉であったが、大隊長戦死のため、大隊長
代理として参戦されていた。
お話が進むと、やがて氏は、言葉静かに「南京虐殺など見たことも聞いた
こともない」ともらされた。
その口調は穏やかであったが、真実が歪められていることに、我慢ならない
といった風情であった。

「「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究/藤岡信勝、東中野修道」あとがきより
716名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 00:41
>>710

兵士の非行については誰も否定してないんだから、議論は成立しないのでは?
要は軍として、戦時国際法に違反したかどうかが論点なんですから。
717名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 00:46
>「あった派」って「南京大虐殺はあった!だって秦郁彦も言ってる!」
>などと強情に言い張ることしかしていないね。

おお、「虐殺なかった派」が久しぶりにわいてきたようだね。

秦氏の著書には旧日本軍の公式資料(戦闘詳報、陣中日誌等)などを根拠に挙げて
南京事件を説明しているんだよ。

根拠も全く挙げず、「なかった」などと強情に言い張ってるのは
君ではないのかね。
いまだに「なかった」などと言う方が無知だって。
718名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 00:46
>>681

「虐殺」の根拠が無いこともまた動かしようの無い事実ですね。
719名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 00:47
>偽文書,偽写真はありふれている。

トンデモくん一名ご到着〜(笑)
720名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 00:49
まさか秦氏のことをサヨクなどとは呼ばないよね?
721名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 00:50
それに数が関係ないなら、まず「通州事件」を謝罪して欲しいね。
722名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 01:06
>「虐殺」の根拠が無いこともまた動かしようの無い事実ですね。

記録ならくさるほど残ってるのだが?
すべて偽文書としてすますのかな?>トンデモくん
723名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 01:11
>>717

まだ読解できない?秦氏は資料の検証をしていないんだよ?
たとえば、朝日の写真の正しさを私は複数の資料証言から検証しましたが、
秦氏はそれをしていないんですよね。
だからこそ、偽「当時の日記」に騙されちゃったんだよね。
また、資料の原典にあたっていないから、他の学者に指摘されてとんだ
恥もかかされましたし。
でもそれは、秦氏が「中国政府との妥協点を探る」ことを目的としてる
から生じたことなんですね。
あ、そうそう、確か秦氏は、あの裁判に敗けた東史郎の日記を信じてしま
った、という過去もあったのでは?
あなたが、まだ有効な「根拠」が存在すると思ってるなら、ぜひみんなの
前で披露してみては?
724名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 01:15
「南京大虐殺は無かった、欧米と中国の謀略だ。」
この言い方って、
「サリン事件は我々とは関係なかった。国家権力の陰謀だ。」
(by オXXXX教)
と、似ている部分があるような・・・
725名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 01:20
>>722

あなたの頭の悪さを暴くのは心苦しいんですが(笑)
検証していない資料でもいいですから、それを提示してみては?
726名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 01:27
>>722

っていうか、そもそもあなたは、「虐殺」をどのように定義してるんですか?
727名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 01:34
例えば、秦氏は松本重治氏の「上海時代」にある、「涙の訓示」に
ついて、松本氏の事実誤認を真に受けてしまったと思うけど、そん
なのは、歴史学者としてすべき検証、つまり他の日記や資料と照らし
あわせればわかったことなんですよね。
728名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 01:43
秦郁彦氏への忠告「ザンゲ屋・曽根一夫」への信仰
板倉由明

 一見本筋の論争ではないように見えるが、視点を変えると
重要な問題になる場合がある。
「南京事件」でいえば、中国の虐殺宣伝に有力な武器を与え
ているのが、一連の曽根一夫著作であり、秦郁彦氏の強力な
推薦である。

渡部−秦論争のあらまし
729名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 01:45
 『新潮45』10月号に、秦氏が書いた「借用の人・渡部昇一
の厚顔」のそもそもの経緯は、秦氏が渡辺氏の『ドイツ参謀本
部』を「大幅無断借用」の本と断定した(初出『正論』平成元
年2月号、再出『昭和史の謎を追う』「論争史から見た南京事
件」文芸春秋、平成5年)ことに端を発している。
これに遅まきながら気がついた渡部氏が『正論』本年3月号に
「専門家の仕事を見かねる素人の立場について−秦郁彦氏に与う」
を書き、それに対する秦氏の再反論である。
筆者には渡部対秦論争に介入する資格はないが、この論争で脇役
を務める「曽根一夫論」(他に中村粲氏との「乃木虐殺論争」)
については、秦氏から筆者が名指しで批判されており、中国では
「大虐殺」の重要資料となっていることもあるので、無視できな
くなる。以下【 】内は秦氏の文章又は要約である。
730名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 01:46
曽根一夫を信ずるもの

 曽根一夫氏は、昭和59年に『私記・南京虐殺』、続いて
『続私記・南京虐殺』、『南京虐殺と戦争』』と、連続3部
の日本軍残虐告発本を出版している。この曽根氏を最初に絶
賛したのが秦氏で、『諸君!』84年10月号「松井大将は泣い
たか」の中で、曽根氏を静岡連隊の分隊長・軍曹と紹介し
【略奪、強姦、殺人を含む自身の残虐行為を率直すぎるほどの
姿勢で語ると共に、そこに至る兵士達の心情を冷静に記録してい
る点で、類書にない特色を持つ】と高く評価している。
この所属連隊について秦氏は、「新潮45論文」では【豊橋歩兵
18連隊】と書いているが、この豊橋連隊は、筆者が曽根氏の出身
地(御前崎)から「大井川以西は豊橋部隊」と調べての話である。
結論としては、秦氏はこの所属連隊の誤りだけを認めて著書を修正
し、肝心の曽根氏の体験談?は【削除する必要は認めない】と曽根
支持の主張を繰り返している。
ここで「繰り返して」と書くのは、初出、再出のいずれも、出版直
後に『正論』編集部、文芸春秋に抗議の手紙を出し、秦氏本人とも
話した(特に平成5年末には強く)が、常に修正を拒否されている
からである。
731名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 01:52
 少ない紙数なので大所だけ指摘しよう。
(1)秦氏が豊橋連隊の戦友会に問い合わせて書いたというのは前述の
ようにウソである。
藤原彰氏は秦氏の著作からそのまま引用したから「静岡連隊」と書
いている。
(2)さらに、所属連隊さえ修正すればそれで済む問題ではない。曽根
氏は、歩兵の分隊長・軍曹だと書いて、その身分だから出来たこと
を記しているが、本当は、野砲兵第3連隊の初年兵で、砲車を曳く
馬の馭者(ぎょしゃ)であった。
部下(初年兵に部下はいない)を指揮して集落を包囲し、放火して
逃げてくる住民を機関銃(砲兵は持っていない)で射殺するとか、
監視司令になって部下の虐殺を見る、あるいは伍長を怒鳴りつける、
などは初年兵には出来ないことである。
(3)秦氏は、曽根氏の部下が徴発先で若い中国女性を輪姦した後、
【若い兵から「分サン(分隊長のこと)の男はよう立たんのか」と
軽蔑され、にわかに反発心がおきて最初の強姦をやってのけた、とい
うたぐいの迫力ある体験談がいくつも並んでいる】とやたらに感心し
て何度も引用している。秦氏の目は節穴か。
こういう時、分隊長には先ず「分隊長殿お初をどうぞ」と言うもので、
そうしなかったら、ハリ倒してやるくらいの迫力がなければ部下にナ
メられてしまう。
こんなウソが見抜けないのでは困る。
732名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 01:54
(4)ところが、秦氏は次のように、歴史家として正気を疑わせるよう
な主張をする。
【曽根はこうした諸悪行の正確な日時や場所を記している訳では無い
のに、板倉が所属部隊の戦闘日記などから初年兵は多忙でそんなこと
をする暇はなかったはずだ式に論じているからだ。】馭者は行軍中馬
にまたがって手綱を握っているのが仕事である。
初年兵は馬の手入れから吉兵の世話まで一切せねばならないから、筆者
は連日8時間以上の強行軍の中で、昼間(戦場の夜は危険)女を犯し
に出かける余裕など無いはず、と書いたのである。
食糧が間に合っていたことは、同時に行軍していた師団衛生隊主計の日
記で明らかにしてある。
行動については、第1大隊戦闘詳報と第4中隊陣中日誌などを中心に
推定した。
(5)【考えてみると、真偽のほどはともかく、本人が「悪いことをしま
した」と告白しているのに、当時まだ生まれていず、中国の土を踏んだ
こともない「南京事件研究家」が事件から50年後に「悪いことはして
いなかったハズだ」とたたく風景ほど珍妙なものは他にあるまい】秦氏
は吉田清治の従軍慰安婦強制連行をウソだと断定したが、考えてみると、
本人がやりました、と告白しているのに、慰安婦を買ったこともない現
代史研究家が「やってない」とたたく風景も珍妙なものではないか。
CDにおける秦氏の論理は、「本人の告白」を「資料」より重視する、
実証史学の否定である。
733名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 01:55
このような基本姿勢の“学者”には、歴史家としての資格がない、と言
われても仕方がないのではないか?なお、筆者は秦氏と同年で南京陥落
の時5才であった。
(6)秦氏は、曽根著を【戦闘経過の部分には一切使わず、本人が追撃戦の
途中で姑娘をレイプしたシーンと、その種の非行に至った戦場心理の部
分だけを、他の参戦者からも傍証をとって使った】と主張している。
 待てよ、秦氏は曽根氏を静岡連隊と記している。では本人(曽根氏)
のレイプを証言したのは誰か?まさか静岡連隊の「戦友」が野砲3連隊
まで曽根氏のレイプ見物に来る訳がない。秦氏は4年後まで曽根氏が野
砲3連隊とは全く知らなかったのだから、野砲3連隊関係の戦友を調査で
きるはずがなく、結局傍証などないのである。このような見え透いた嘘を
ついては恥になるばかりである。
734名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 01:57
このような基本姿勢の“学者”には、歴史家としての資格がない、と言
われても仕方がないのではないか?なお、筆者は秦氏と同年で南京陥落
の時5才であった。
(6)秦氏は、曽根著を【戦闘経過の部分には一切使わず、本人が追撃戦の
途中で姑娘をレイプしたシーンと、その種の非行に至った戦場心理の部
分だけを、他の参戦者からも傍証をとって使った】と主張している。
 待てよ、秦氏は曽根氏を静岡連隊と記している。では本人(曽根氏)
のレイプを証言したのは誰か?まさか静岡連隊の「戦友」が野砲3連隊
まで曽根氏のレイプ見物に来る訳がない。秦氏は4年後まで曽根氏が野
砲3連隊とは全く知らなかったのだから、野砲3連隊関係の戦友を調査で
きるはずがなく、結局傍証などないのである。このような見え透いた嘘を
ついては恥になるばかりである。
735名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 01:58
秦氏への3回目の忠告

 秦氏は、結局曽根氏の「告白」を真実として、【削除する必要は認
めない】と居直っている。
以下は公刊物発表としては3回目の忠告(同文)で、何度も言うつも
りである。
「この考え方は、数学で言えば、式はデダラメ、計算も間違っているが、
答えだけは正しい、と言うのに等しい。しかし『学問』なら、正しい式、
正しい計算で出した正しい答えを採用すべきで、仮に、たまたま答えが
合致したとしても、このようなウソにウソを重ねた体験談を学説に採用
すべきではない」
 曽根支持と擁護の強弁は、学者としての秦氏の生涯に、汚点として残
るであろう。
この他にも中央新書『南京事件』には、「近代戦史に珍しい慰安婦随伴の
日本軍」とか、「日本軍は悪名高い『三光作戦』・・・・」とか「松井大
将は泣いた」など訂正していただきたい記述が多い。(月曜評論、平成9
年10月5日より)
736名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 02:11
>>719

あらあら(笑)あなたまさか、サヨクの利用してた偽写真や偽資料のことを
知らない?・・・まさかね・・・
737名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 02:14
あ、そういえば、秦氏は石川達三氏の著書も根拠にしてましたね(笑
738名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 03:14
曽根の件の秦はホントにおかしい。
中国と密約でもあるのだろうか?

739名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 03:20
>>723

>まだ読解できない?秦氏は資料の検証をしていないんだよ?
>たとえば、朝日の写真の正しさを私は複数の資料証言から検証しましたが、
>秦氏はそれをしていないんですよね。
>だからこそ、偽「当時の日記」に騙されちゃったんだよね。
>また、資料の原典にあたっていないから、他の学者に指摘されてとんだ
>恥もかかされましたし。
>でもそれは、秦氏が「中国政府との妥協点を探る」ことを目的としてる
>から生じたことなんですね。

あのさあ、これって板倉由明という人が書いた文章のコピペでしょう。
きみが板倉由明でないのなら、さも、きみが検証したように書かないで。

で、この板倉って人は、曽根一夫の体験記の所属部隊が間違っていたということを
根拠にそれが資料として怪しいことを指摘しているわけだよね。
それに対して、秦氏は、部分的な誤りが資料全部を価値を必ずしも損ねるわけではない、
ということを言ってるのではないの?
ここではなんともいいようがないけど板倉氏だって、そこしか誤りを指摘してなくて
残りの理由3、4、5なんかは憶測やこじつけの域を出て無いじゃん。

それとさあ、別に『南京事件』の本は曽根一夫の体験記だけによって、
南京事件を検証しているわけではないんだよね。
この板倉氏の批判だけで、『南京事件』の虐殺の証拠がなくなったって
言うことはできないんじゃないの?
740名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/18(日) 21:15
age
741名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/19(月) 01:03
日課あげ。
742名無し:2001/03/19(月) 21:06
南京事件は単なる宣伝謀略である。
この狙いを公表して,日本人の中共への怒りを高めるべきだ。
また米国には米国が中国共産党の反日宣伝の場になっていることを抗議すべきだ。
743こんなのあったよ:2001/03/19(月) 23:50
荒 「しかしどうですか。昭和十三年の三月号の「中央公論」に発表された「生きている
  兵隊」。ああいう事件にまで発展するということは、あまり予想できなかったのじゃ
  ないでしょうか」

石川「できるだけひっかからないように書いたつもりなんだ。そのときは自分の欲目です
  ね、これならいいだろう、これならいいだろうという考え方をして、同時に、これが
  書かずにいられるかというものもあるわけだ」

                  (中略)

荒 「〔※「生きている兵隊」発表に対する司法当局の対応について)軍は歓迎してい
  るようでしたか、それとも迷惑がった・・・」

石川「結果としてはまことにおかしいのだけど、裁判所が僕をとっつかまえて処分した、
  ところが軍内部は必ずしも腹をたててない。ことに現地軍などは、中隊長あたりが
  発禁もれの雑誌を手に入れて、おまえたち読めと言って部下に読ませて、近ごろの
  日本の新聞は嘘ばかり書いているけれども、これははじめてほんとうのことを書い
  た、読んでおけということもあったらしい」

  (出典・『日本の文学 第56巻 石川達三 付録』(中央公論社 1966))
  (但し※部分は私の補足です)
744名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/19(月) 23:54
>>739

あのさ〜、最初に板倉由明っタイトルにあるんだから、並に判断力
があれば、コピぺだってわかるし、私自身が検証して書いた、と
誤解をあたえるとは思えないんですけど(笑)

>秦郁彦氏への忠告「ザンゲ屋・曽根一夫」への信仰
>板倉由明

それと板倉氏の指摘や、その前に私が指摘したことも含めて、秦氏
がいかに杜撰な資料の扱いをし、学者として行うべき検証を怠って
いるかを指摘しているわけですよ。
745名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/19(月) 23:57
>>739

それとも「中には厳密な検証を行った資料もある」と
言いたいんですか?どれが?
746名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 00:01
最近、畠中秀夫氏が、じゅん刊「世界と日本」に『聞き書き 昭和
十二年十二月南京』と題して、南京に入城した著名人の聞き書きを書い
ている。
その中で死去する少し前の石川達三氏とのインタビューは特に興味深い。
石川氏は前述の通り小説『生きている兵隊』で発禁処分を受け、執行猶
予付きながら、実刑を科せられているのである。畠中氏はその石川氏と
次のような問答をしている。
 「私が南京に入ったのは入城式から2週間後です」
 ―そのときどのような虐殺をご覧になられましたか?
 「大殺戮の痕跡は一ぺんも見ておりません」
 ―いわゆる「南京大虐殺」をどう思いますか?
 「何万の死体の処理は、とても2、3週間では終わらないと思います。
あの話は私は今でも信じておりません」(同書14ページ)。
自著が発禁になり、実刑まで受けた石川氏の言葉だけに重みがある。
本多勝一氏は『南京への道』で、石川氏の『生きている兵隊』を引用して、
南京大虐殺の有力な立証の材料に使っているが、石川氏に言わせるなら、
迷惑千万な話だった訳だ。

石川氏には阿羅健一氏もインタビューをしており、その内容
が「聞き書き南京事件」に掲載されている。
「私が南京に入ったのは入城式から二週間後です。第殺戮の痕跡は
一片も見ておりません。何万の死体の処理はとても二、三週間では
終わらないと思います。あの話は私は今でも信じておりません。」
747746:2001/03/20(火) 00:04
上記二つがほとんど同じなのはなぜでしょうか。
748名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 00:06
どちらか一方が間違ってるんですかね?
749746:2001/03/20(火) 00:09
あ、共同インタビューってことも考えられるな。
750731部隊:2001/03/20(火) 00:15
俺のじいちゃんはシンガポールでチャンコロを殺した、でも虐殺は無かった。

これ事実ね。戦争ってそんなもんよ
751名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 00:17
>>743>>746は両立し得る内容ですね。
別にどっちかとればどっちかがペケ、って話にはなりませんね。
752名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 00:18
秦氏が自分で書いているように、秦氏の「南京中虐殺」説
は曽根一夫の「私記南京虐殺」の残虐話に文字通り「頼って」
いる。(略)
ところが何とも皮肉なことに、曽根一夫は「従軍慰安婦強制連行」
の吉田清治と全く同類の詐話師だったのである。
曽根証言の虚構性を暴いたのも、板倉由明氏の大きな功績であった。
しかも板倉氏が曽根証言を決定的に疑ったきっかけは、曽根著書に
掲載されていた「当時の日記」が、なんと「新仮名遣い」で書かれ
ていたからという、冗談みたいな話であった。
秦氏の研究者としての資格が問われるのは当然である。

「正論」2000・6月号より
753名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 00:18
>>746@`747
>上記二つがほとんど同じなのはなぜでしょうか。

アホか。
畠中秀夫と阿羅健一は同一人物なんだよ。
(秦郁彦『昭和史の謎を追う 上』文春文庫180〜182)
知ってて言ってるのか?

>それと板倉氏の指摘や、その前に私が指摘したことも含めて、秦氏
>がいかに杜撰な資料の扱いをし、学者として行うべき検証を怠って
>いるかを指摘しているわけですよ。

君がこのようなことを書いた744ではないよね?

754746:2001/03/20(火) 00:24
>>751

いや、畠中秀夫氏と阿羅健一氏のインタビュー内容がほぼ同じなんで・・・
755名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 00:30
>>753

あほか。私が二つのインタビューが同じなのかを検証する必要が
あったのか?
756名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 00:36
>>753

あほか。私が二つのインタビューがなぜ同じなのかを検証する必要が
あったのか?学者なら当然、検証すべきところを秦氏が怠っている
、と指摘していることと何のつながりがあるの?
それに、検証もせずに「両者は別人物だ」とか主張しているわけでも
ないんだから、立場が全然異なると思うが?
757名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 00:40
>>756
>上記二つがほとんど同じなのはなぜでしょうか。

さも二人の人物が石川氏にインタビューして、証言をとっているように
見せてるじゃねえか。
知らなかったなら仕方が無いけどね。
知ってたら詐欺まがいだよね。
758751:2001/03/20(火) 00:41
>>746
了解です、失礼しました。
759名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 00:45
上代琢禅弁護人「法廷で繰り広げられた演劇」1

松井大将の弁護人であった上代琢禅は、阿羅健一氏に対して、
晩年、次のように述懐している。

「東京裁判の性格というものは、法廷が開かれてすぐに清瀬
弁護人が管轄権の動議を提出しましたが、これにつきると思います。
裁判所はそのときこの動議を却下しましたが、最後までその理由を
述べることが出来ませんでした。
こういう中での裁判ですから裁判の名に値しません。
それは私が学んだ刑法理念が通用しない裁判でした。
毎年、暑い夏になると、南京事件があったとかなかったとかそれぞれの
立場から発言がありますが、私はそれを聞くたびに胸がふさがる思いが
します。
松井大将は死刑になりましたが、誰が南京で大虐殺があったと考えて
いますか、誰も南京で大虐殺があったと思っていないでしょう。
東京裁判がどういうものかわかっているなら、論争がおこるのはありえ
ないことです。
毎年、夏の論争にはむなしくなります。
760名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 00:48
>>757

あなた、妄想癖でも持ってるんですか?普通、あの文章を見れば
同一人物であることを知らないから、誰かの意見を聞こうとしている
、ということは分かるとおもうん出すけどね。読解力の問題だね。
761名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 00:50
上代琢禅弁護人「法廷で繰り広げられた演劇」2

南京事件に限らず、東京裁判で取り上げられたものはすべて私が学んだ
刑法理念が通用しない裁判でした。
今、南京事件について論争している人は、法廷で繰り広げられた演劇を
事実と思い込んで論争しているのです。(略)
日本軍が南京を占領したとき兵隊による不道徳はあったと、弁護側は
考えていました。それは戦場の常です。
南京に限らず、上海でもあったでしょう。
古今東西戦場ならどこでもあることです。(略)
法廷で述べられた数多くの証言についていえば、私はまゆつばで聞いて
おりました。
今、記録を読んだ人がどう受け取るか分かりませんが、当時、法廷で
皆がありえないことだと考えていました。
まわりの誰もがそのときの証言を偽証だというのを知っていました。」

「兵士たちの南京事件/22」阿羅健一
河辺虎四郎(軍人・事件当時、参謀本部作戦課長)
 「南京への進入にあたって松井大将が隷下に与えた訓示は、ある部分、ある層以下には、
 浸透しなかったらしい。外国系の報道の中にはかなりの誇張や中傷の事実は認められた
 し、特に中国軍の特質などから、避け得なかった事情もあったようであるが、いずれに
 せよ、後日戦犯裁判に大きく取り扱われ、松井大将の絞首刑の重大理由をなしたような
 事実が現われた」

  (出典・河辺虎四郎『市ヶ谷台より市ヶ谷台へ』(時事通信社 1962))
763名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 00:53
>>760
>普通、あの文章を見れば同一人物であることを知らないから、
>誰かの意見を聞こうとしている 、ということは分かると
>おもうん出すけどね。

コピペはするが、誰かは知らなかったか・・・
じゃあ、

>秦氏がいかに杜撰な資料の扱いをし、学者として行うべき検証を怠って
>いるかを指摘しているわけですよ。

なんて、えらそうなことは言うな。
764名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 01:06
>>763

えらそうかどうかは、君の主観的な問題だから、つっこまないけど、
資料の扱いが杜撰なのはすでに明らかになっている事実でしょうが。
学者でなければ、それを指摘しちゃいかんのかな?
765名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 01:06
>>764
君だって資料の扱いが杜撰だよ。
766名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 01:09
>>763

例えば、この板に来ているサヨクは、何度も無知を晒して恥をかいて
るし、秦氏も他の学者に恥をかかされてる。
でもサヨクや秦氏、南京について語ってると思うが?
767名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 01:15
>>762

兵士の非行はありましたね。

>>765

何を言ってるんでしょうかこの人(笑)
同一人物かどうかを検証しない素人が疑問を呈した、ということと
学者が検証もせずに主張することとは別次元の話だと思うけど?
768名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 01:20
>>767
>同一人物かどうかを検証しない素人が疑問を呈した、ということと
>学者が検証もせずに主張することとは別次元の話だと思うけど?

素人だろうと専門家だろうと、こんな少し本を読めば知りうることを
知らないまま、その資料を引用して、あげく「素人だから」と開き直るのはいかがなものか?
769名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 01:38
南京戦に参加し いわゆる事件を引き起こしたのは 福島の部隊だと言う
話ですが本当ですか?
770名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 01:38
>>768

少し本を読めばわかることを、知らずに恥をかいて、おまけに学習しないまま
同じことを繰り返してる「あった派」がそんなこと言っちゃまずいでしょう(笑)
第一、本質に関係ないんだから。っていうかそれなら君たちは、もう「南京大虐殺
はあった」、とか言わないわけ?秦氏も言わないようになるの?
771名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 01:42
>>768

だいたい、素人と学者の責任を同列に論じてる時点で、君って「変」だよ?
772名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 01:44
<松井大将>1

秦氏は、宣誓口供書の矛盾点に傍線を引いて、松井大将は
「事件を知っていたようでもあり、知らないと主張してい
るようにもとれる。
責任問題がからむので、ノラリクラリと逃げているように
も見える」と述べている。
これは秦氏が「暴行・掠奪事件」と「大虐殺事件」とを混
同しているところから生ずる議論である。
大将が17日の入城式の夜「憲兵隊長から聞いた」というのは、
「若干の暴行・掠奪事件」であって、いわゆる「大虐殺事件」
ではないのだ。
大将は、暴行事件は聞いているが、虐殺事件は聞いていない
と言っているのである。
“虐殺”と“暴行”
を混同している秦氏はこのことが理解できないらしい。
 この点田中正明著『“南京虐殺”の虚構』(日本教文社、
絶版です。「朝日」が圧力かけてつぶした。
そのかわり、「南京事件の総括」謙光社読んでね、HP作者より。)
に対しても、秦氏は同様混同している。本著の中に「一部の不
心得の兵の(風紀)紊乱」とか「日本軍にも軍紀風紀の弛緩
があり、掠奪・暴行・強姦など、この掃討戦前後に行われた
であろうことを私は否定するものでない」とあるのをとらえて、
本の題名と矛盾する“羊頭狗肉”だと非難している。秦氏は、
暴行・掠奪や軍紀の弛緩を“虐殺”と同意義に解釈しているら
しい。この両者のけじめがつかないのである。
773名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 01:46
<松井大将>2

これは秦氏ひとりのみでなく、洞氏を始め大虐殺派の論者の
共通の現象のようである。
私が最初に、大虐殺とは何か?という定義から考え直す必要が
あると言ったのはこのゆえんである。(「南京事件の総括」読んでネ)
 松井大将は、宣誓口供書の中でこう述べている。
 「予は、南京陥落後、昭和13年(1937年)2月まで上海に在任せ
るが、その間、昭和12年12月下旬、南京においてただ若干の不法
事件ありたりとの噂を聞知したるのみにて、何等斯る事実につき
公的報告を受けたる事無く、当法廷において検事側の主張するが
如き大規模なる虐殺暴行事件に関しては1945年終戦後における米
軍の放送により初めて之を聞知したるものなることを茲に確言す。
 予は右放送を聞きたる後、我が軍の南京占領後の行動に対して
調査を試みたれども、当時の責任者は既に死亡し、又は外国にお
いて抑留処罰せられ、諸書類はことごとく焼却せられたる為、10年
前の過去にさかのぼりて、当時の真相を仔細に吟味証明することを
得ざれども、予は南京攻略戦闘に際し、支那軍民が爆撃、銃砲火等
により多数死傷したることは有りならしむも、検事側の主張する如
き計画的又は集団的に虐殺を行いたる事実は断じて無しと信ず。
774名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 01:48
<松井大将>3

 日本軍幹部が之を命じ、又は之を黙認したりというごときは、
はなはだしく事実を誣ゆるものなり。」(法廷証第3498号)。
 ちなみに、南京裁判で銃殺刑に処せられた第6師団長谷寿夫中将も、
「起訴書提示の其他事項に対する申弁」でこう述べている。
 「被告(谷)が南京暴行事件を知りしは、一昨歳(昭和20年)
終戦後新聞紙上にて一読せるに始まり驚愕せり、該戦闘に参加せし
被告さえ全然初めてこれを聴けるなり。」(『南京作戦の真相=
熊本第6師団戦記』232ページ)。
 この2人の証言は、信憑性あるものとみて間違いなかろう。
つまり「南京大虐殺事件」なるものは、軍司令官も師団長も知らな
かった事件なのである。
 絞首刑を前に花山信勝師に松井大将が語った言葉は日露戦争当時
の日本陸軍の軍律の厳しさにくらべて、支那事変以降日本軍の軍紀
風紀に弛緩があったことに対する詠嘆であって、決して「南京大虐殺」
を容認したものでないことは、本文を一読すれば容易に理解できよう。
775名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 01:50
>>770@`771
イタイところだったようだね。
かわいそうだから、これ以上、追求しない。
776名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 01:54
>>770
>それなら君たちは、もう「南京大虐殺はあった」、とか言わないわけ?
>秦氏も言わないようになるの?

君はいったいどう思ってんの?
777名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 01:56
>>775

なんのこっちゃ(苦笑)
778名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 01:59
>>776

770の書き込みの意味ちゃんと理解してますか?(笑)
779名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 02:01
770のカキコに対して776・・・・よくわからん
780名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 02:01
>>778

768への腹立ちまぎれの反論ではないの?

781名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 02:05
776はとうとう壊れちゃった?
782名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 02:06
このスレの展開、面白い!!!
783781:2001/03/20(火) 02:14
>>782

そうっすか?776とは会話が成立しないようになってきてますが(笑)
784名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/20(火) 02:15
>>783
いいや。コピペばっかりするやつが痛いところをつかれ、
感情的になっている様子が面白いの。
785名無し:2001/03/20(火) 20:17
南京事件は中国の反日プロバガンダだ。
科学的に不可能だ。本気にするとピエロになる。
日本人を使って,でっち上げようとしても駄目。
売国奴はどの国にもいるものだ。

問題は中共の反日工作を,米中間のトラブルにすることだ。
米国を巻き込むと面白い展開になる。
シナ人は狡猾だが,頭が悪い。何が起こるか。
786名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/21(水) 00:52
>>784

反論が出来るどころか、普通の会話さえままならない君を相手にする
方はあんまりおもしろくない(笑)
787名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/21(水) 01:11
>>784

「**を読め!」とか「このリンク先を読め!」とか言うだけで、
質問されても、その内容すら説明できないような御仁、学習機能
の欠けた御仁を相手にしても得るところがないからなぁ〜(苦笑)
反論ができるどころか、普通の会話すらままならないんだから。
788名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/21(水) 01:20
この板どうなってんの?サヨにとって不都合な書き込みでもあんのか?(藁
789名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/21(水) 03:29
>>788
いや。
畠中秀夫と阿羅健一が同一人物だと知らなかった否定派の馬鹿が、
そのふたつを別々の証言だと思ってコピペしてんの。
790名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/21(水) 12:14
そろそろ、中国から借金返してもらうべきだよ。なんだかんだいって
日本から金ふんだくってんだよな。しかし日本ってなさけない国だよ。
自分の国の歴史の教科書も自分達でつくれないんだからさ。
いっぺん中国と韓国の歴史の教科書を見てみたいよ。おそらく日本のことを
ぼろくそにかいてるんじゃないか?反日教育に関しての情報は
伝わってこないんだよな。まあ、マスコミにはサヨが多いからな。
791名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/21(水) 16:21
しばらくみてなかったので現状がよくわからんが
結局多くても4,5万人と思っている人達が立場の違いだけで言い争いをしている状態なのでしょうか?
792名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/21(水) 16:47
>790
サンケイの朝刊で中国の反日教育の連載やってるよ。
ものすごいことやってるよ、中国は。やっぱり
793名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/21(水) 16:59
>790
サンケイの朝刊で中国の反日教育の連載やってるよ。
ものすごいことやってるよ、中国は。やっぱりえらいや!
早くアジア統一してくれよな。
794名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/21(水) 18:09
最近中国はなんか可愛らしくみえてきた。
韓国の方がウザイ。
795名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/21(水) 23:38
age
796名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 00:16
>>789

いや、小説だとか捏造日記だとかを歴史資料だと思い込んで引用してる馬鹿が
壊れちゃったんでしょう。
797名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 00:20
>>789

それとも、満を持して持ちだした「秦郁彦」を馬鹿にされて
とち狂ったか?(笑)
798名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 00:45
(゚∀゚)ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!
799名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 00:49
中国では、日本が大東亜戦争に敗けたのは、日中戦争で中国軍の
ために大敗を喫し、もはや戦争継続さえ危ぶまれたのに、米国と
の戦争に活路を見出そうと真珠湾攻撃を行い、惨めな敗戦を経験
した、と学校で子供たちに教えているそうです(苦笑)。
嘘偽りの教育って見苦しいですね。日本とは逆の意味で。
800名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 01:06
     _____
    /  ____彡
   /::::::/━   ━ \
  /:::::/  _   _ |
  |::::/--((・))―((・))(
  (6    ̄  つ  ̄ ヽ
  |    ___    |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   |  ∴)\_/ (∴ | <  800番ゲット! ハァハァ...
   ヽ      ―   丿  \________
    \_____/
801名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 01:18
日本はあの時、負けたのが悪かったのか・・・
「勝てば官軍」とはよく言ったものだ。

もし支那(中国)が負けていたら、
・満州大虐殺
・南京大量強奪事件
他、支那人はこんな残虐で悪いことをしてたんだぞお!

と言う事が支那の教科書に載っていた可能性も、十分考えられる。
802虹の彼方のななしさん:2001/03/22(木) 01:19
>>799
ということは、当時の米国の国力は中国より弱くて、当時の米軍は中国軍より弱くて、
当時の米国の工業力は中国の…以下同文、北朝鮮と同レベルのフイクション歴史だね。
803名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 01:21
>>801
支那は歪曲しなくても、十分ひどいことしてるんだけどね。
804名無しさん@自作自演:2001/03/22(木) 01:22
>>803
イマモナー
805ななしさん:2001/03/22(木) 01:24
>>1
大丈夫だ。日記なんてこれからもどんどん出てくる。
特に終戦や開戦した日とかにな。
しかもマスコミの鳴り物入りでだ。
下手すると、「なくなった祖父の遺品を片付けていたら出て来た」
みたいなシニンニクチナシ型が多くなるぞ。
日記の中身はスペクタクル虐殺物語り。
即、映画化だ。(war
去年はNHKも朝日新聞と絡んで何かやりかけたようだが「不発」
だったようで、良かった良かった。(予断は許さないがな)
806名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 01:44
807名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 02:07
紆余坊がウヨウヨいるなここは。

「南京大虐殺はあった!」
というと、すぐに集まってくるのがおもろいね。
808名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 02:15
   彡川川川三三三ミ〜
   川|川/  \|〜 プゥ〜ン    ________________
  ‖|‖ ◎---◎|〜       /
  川川‖ ゜  3  ヽ〜     < すぐに集まって来ないと寂しいよ
  川川  。∴)д(∴)〜       \________________
  川川  。   〜 /〜
  川川‖    〜 /‖
 川川川川___/‖
   /       \__
  /|  |   モ   __
  | |  |    ズゥ
  / |  |_ サヨ童貞ヒキコモリ
 | \__⊃
809名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 02:20
>>808

いつもながら面白い。大したもんだ。プロだね、あんた。
810名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 03:54
さっそく集まってきたようだ(笑)
811名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 04:19
「中国は嘘ばかりついてるけど、南京については本当だぁ〜!」
「あの人は確かに結婚詐欺師かもしれないけど、私に言ったことだけは本当よぉ〜!」

・・・・・・・・ぷ
812名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 04:33
サンケイ新聞 平成8年4月26日夕刊より

 「客観的証拠無い」、東京地裁判決、原告の元兵士勝訴。
南京虐殺、旧日本軍が中国人捕虜や市民を虐殺したとされる
南京事件に関する「南京事件京都師団関係資料集」など三冊
の本で「虐殺者」の一人のように書かれ、名誉を傷つけられ
たとして、元従軍兵士、橋本光治氏(80)が、出版元の青
木書店と橋本氏の元部下で著者の東史郎氏(83)とジャー
ナリストの下里正樹氏(59)の二人を相手取り、200万
円の損害賠償と謝罪広告掲載を求めた訴訟の判決が26日午前、
東京地裁で言い渡された。
 江見弘武裁判長は「残虐行為を裏付ける客観的証拠はなく、
描写を真実と信じる理由もない」などと述べ、三冊のうち実名、
階級、年齢などが具体的に記されている「資料集」一冊につい
て名誉毀損を認め、東、下里氏らに50万円の支払いを命じた。
 問題の書籍は「資料集」のほか、東氏の「わが南京プラトー
ン」と東氏の日記などをもとに書かれた下里氏の「隠された連
隊史」。「西本」という仮名や「橋本」の実名で、「中国人を
袋の中に入れ、ガソリンをかけて火を付け、手榴弾を袋のひも
に結びつけて沼の中に放り込んだ」などと書かれている。
江見裁判長は「やけどや手榴弾の爆発によるけがを負わずにど
う実行したのかという点で、合理的説明がない限り描写は不自
然」とした上で、「東氏がこうした点で具体的な供述ができず、
当時の同氏の日記にも記載がない。残虐行為を裏付ける客観的
証拠もなく、真実とは認めるに足りない」と結論付けた。
南京事件に関する論争については、江見裁判長は判断を避けた。
(ありもしない虐殺を立証できるはずなく、裁判では妥当な判
決が下された。産経新聞H8.4.26夕刊)
813名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 04:38
昭和五十九年八月四日付け夕刊(大阪本社版)
「南京大虐殺」でっちあげ報道
 朝日は、生首のごろごろ転がる写真を「南京大虐殺の証拠
写真」とし、南京に入城した元歩兵二十三連隊の上等兵が記し
たという「日記」を併記して掲載した。
それに対して、なんと元歩兵二十三連隊の有志からなる「都
城二十三連隊会」が立ち上がった。
覚えのないでっちあげ記事をネタに、孫から非難される御老人
もいらしたという。
とにかく、命を捨てて祖国のために戦った戦友の汚名を晴らし
たいという一心からだったに違いない。
 元兵士の懸命の調査により、一年四カ月後になって、この写
真が全く別の場所の写真であることが判明する。

「南京大虐殺」についてのおわび記事を掲載
 写真の嘘が明らかになったことをうけ、「都城二十三連隊会」
は記事取り消しや謝罪文掲載の要求を朝日につきつけた。
それに対して朝日は、このような数行のおわび文を掲載した。
「(前略)日記は現存しますが、記事で触れられている写真三枚
は南京事件当時のものでないことが解りました。(後略)」
 全く、元歩兵二十三連隊が南京大虐殺をしていないという記述
はどこにもない。
これに、都城二十三連隊会が更に朝日に対して不信感をつのらせ
るのは当然というものだ。
写真の嘘が明らかになったのなら、あとは日記の真偽が焦点となる。
やはり例によって朝日は、取材情報源の秘匿を主張し、さんざゴネ
た上に朗読まではしぶしぶ行ったが、筆跡鑑定のための開示をこばんだ。

昭和六十一年十二月二十七日
「南京大虐殺」の日記開示を命令する判決が下る
都城二十三連隊会は、日記の開示を求め昭和六十一年八月二十二日
小倉簡易裁判所に日記保全の申し立てをした。
やがて全て開示し写真に取らせよという判決が、十二月二十七日におりる。
これで、長い闘いが終了し全てが解決するかと思えば、そうはならなか
った。
朝日は、取材情報源の秘匿を理由に、福岡地裁小倉支部に抗告したのだ。
朝日は生い先短い老人を相手に、裁判引き伸ばし戦術に出たのだ。
豊富な資金を持つ朝日にとり裁判などどうということはないが、資金
の乏しい側にはたまったものではない。
814名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 04:46
さすが産経!笑わしてくれる。
815名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 04:51
秦氏が自分で書いているように、秦氏の「南京中虐殺」説
は曽根一夫の「私記南京虐殺」の残虐話に文字通り「頼って」
いる。(略)
ところが何とも皮肉なことに、曽根一夫は「従軍慰安婦強制連行」
の吉田清治と全く同類の詐話師だったのである。
曽根証言の虚構性を暴いたのも、板倉由明氏の大きな功績であった。
しかも板倉氏が曽根証言を決定的に疑ったきっかけは、曽根著書に
掲載されていた「当時の日記」が、なんと「新仮名遣い」で書かれ
ていたからという、冗談みたいな話であった。
秦氏の研究者としての資格が問われるのは当然である。

「正論」2000・6月号より
816名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 04:56
>>814
×笑わしてくれる
○笑わせてくれる
817名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 04:58
秦さんは誤まりを認めてるの?あの人でも過ちはあるだろうけど
ああいう人に限って、意固地になりそうだな。
818名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 05:08
>>817

えらい意固地になってるらしい(笑)
819名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 05:13
秦氏は自著で「この数字なら中国政府も納得するのではないか」って
書いたらしいけど、三十万以下の数字では中国政府は納得しないよね。
820名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 05:32
秦郁彦を批判している板倉由明は、南京事件の犠牲者数を
1〜2万人と見積もっているけど、否定派はそれでいいの?
821名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 05:33
>>819
中共は、本当は文革を相対化できる程の数が欲しいんだろうけどね。
822名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 05:47
>>820

死者数はそんなもんじゃないの?虐殺かどうかは別として。
823名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 06:40
>>813
それってさ、連隊会の方でも、過去に連隊史かなんか作った時にその日記の内容を使用していて、
日記の存在は知っていたけど黙ってました、ってお話しじゃなかったっけ?
824名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 07:47
板倉氏と秦氏の差は、捕虜の殺害を合法とするか違法とするかの差だけで
実際殺された人数の認識はほぼ同じだってことを
Yahooの掲示板でJohn Voidって人がいってたよ。
825トンデモ本発見。:2001/03/22(木) 09:29
小和田哲雄、三笠書房

「南京大虐殺」の犠牲者は10万〜20万といわれてきたが
最近の研究によると30万〜40万という事がわかってきた〜

こんな本がまだ本屋に並んでるんだね。
826名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 09:48
ちゅうか中国からみりゃ虐殺数100万以上でねえと納得できんのだろ?
ここまでキチならやりやすくていいわ。
827名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 01:08
>>823

それって話がおかしくないですか?
だって朝日が「当時の日記」なるものをもとにデッチ上げの記事を書いて
それが事実に反するから「都城二十三連隊会」訴えたわけでしょ?
それで都城二十三連隊会側は、その「日記」を開示して、筆跡鑑定させろ
と言ってるんだけど、朝日は拒んでると。
828名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 01:09
>>823

それって話がおかしくないですか?
だって朝日が「当時の日記」なるものをもとにデッチ上げの記事を書いて
それが事実に反するから「都城二十三連隊会」訴えたわけでしょ?
それで都城二十三連隊会側は、その「日記」を開示して、筆跡鑑定させろ
と言ってるんだけど、朝日は拒んでると。
829グース:2001/03/23(金) 03:36
>板倉氏と秦氏の差は、捕虜の殺害を合法とするか違法とするかの差だけで
>実際殺された人数の認識はほぼ同じ。
    ↑
これは「正しい見解」
当時の公的資料をそのまま使うと「南京城とその周辺」での
「違法殺害の可能性」のある被害者数は「約2万〜4万」

「秦教授=約4万」として「捕虜、敗残兵の殺害は全部違法」
「板倉氏=1〜2万」とし「処刑の30%〜50%が違法」
「まぼろし派=1万以下」「違法処刑なし。便衣兵狩に含まれた一般人は準戦死者」

これらは「見解の相違」程度の差でしかない。

このスレを見る限り「中国の主張はインチキ」である。
この事実に「反論の余地は無い」

また「10万以上の虐殺派」は「トンデモ研究者」である。
笠原十九司、藤原彰、井上久士、吉田裕、本多勝一、他
「南京事件調査研究会」に賛同する学者たち。

つまり「南京事件とは捕虜の集団処刑」が中心であり
虐殺派の学者や中国の主張である「市民大虐殺はなかった」
ということだな。
830名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 03:42
>>829
>つまり「南京事件とは捕虜の集団処刑」が中心であり
>虐殺派の学者や中国の主張である「市民大虐殺はなかった」
>ということだな。

本当に秦氏の本を読んだのか。
秦氏は一般人の犠牲者2・3万人と見積もっているよ。
831グース:2001/03/23(金) 03:49
>>1  
「このスレの結論」=「南京大虐殺はなかった」
つまり「1」の主張は「100%間違いである」

理由
日本名「南京大虐殺」=中国名「南京大屠殺」
この事実を忘れてはいけない。

@「大虐殺」とは殺された人数を表す言葉ではなく
「大屠殺」を日本語に訳した言葉である。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

つまり「南京大虐殺」とは「固有名詞」であり
日本においては、少なくとも「10数万以上の虐殺」という意味
として使用されている。これは「教科書の影響」が多きい。

「秦教授」の約4万(説)では中国名「南京大屠殺」
を構成することはできない。

結論 「南京大虐殺」はなかった。中共のプロパガンダである。
832グース:2001/03/23(金) 03:55
>>830
自慢じゃないが「日中戦争」「南京関係」「東京裁判関係」
含めて「30冊」は手元にある。(もっとあるかも)
「秦教授」の「南京事件」はわしが最初に読んだ本だ(笑)

833名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 04:12
>>831

それを単なる言葉あそびと言うんだよ。
834グース:2001/03/23(金) 04:18
>>830 引用
>本当に秦氏の本を読んだのか。
>秦氏は一般人の犠牲者2・3万人と見積もっているよ
   ↑
南京事件P214 中公新書(秦教授)
>スマイス調査(修正)による一般人の死者2.3万、捕らわれてから
>殺害された兵士3.0万を基数としたい。しかし不法殺害としての
>割引は、一般人にのみ適用(2分の一か3分の一)すべきだと考える。それで「兵士3万と民間人8千〜1.2万」合計で約4万(説)

>380 本来は「380」がこの引用をするべきなのだがな。
「何々を読んでないの?」形式のレスは「あまりに幼稚」すぎる。

「秦教授」の説を主張したいなら「自分で引用するべき」

その点、いわゆる「なかった派」はきちんと引用している。
議論するなら彼らの姿勢を見習うべきだろう。
835名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 04:26
数の問題ではないと思うが。
そもそも日本が国際情勢無視して中国を
侵略しようとしたのが馬鹿。
欧米侵略追放といいながら、今度は日本語教育
させること自体、幼稚すぎる。
836グース:2001/03/23(金) 04:28
>>833
昭和60年「証言による南京戦史」が総括において
畝本氏の3000〜6000(説)
板倉氏の「1万〜2万」(説)
発表して「すまんかった」と謝罪した。

北京日報は「30万虐殺の事実を頑として否定している」
と抗議の記事を掲載。

つまり「1〜2万」では「南京大虐殺」にはならないという
「中国政府」の意思表示である。
837名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 04:41
>>836
>北京日報は「30万虐殺の事実を頑として否定している」
>と抗議の記事を掲載。
>つまり「1〜2万」では「南京大虐殺」にはならないという
>「中国政府」の意思表示である。

中国側は犠牲者が1〜2万人という説を批判したんじゃない?

そもそも、「『南京大虐殺』とは、中国側からすれば犠牲者30万人の
ことだが、実際の犠牲者はそれよりも少ないので『南京大虐殺』
はなかった」っていうのは、単なる詭弁でしかないよ。
っていうか、そんな幼稚なトリックをつかってまで、『南京代虐殺』
なるものを否定したいのかと思うと、かわいそう。
838名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 04:49
>835
>幼稚すぎる。
オマエガナー
>837
>かわいそう。
オマエガナー
839名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 05:08
南京で日本軍が中国人を殺したのを否定する人はいないよ。
議論してるのは軍人と民間人の内訳とその人数。
そして、合法か非合法か。ゲリラと便衣兵が事態をややこしくしてる

あと、南京大虐殺があったと認めると30万人殺したことになる
から認めるべきではないってのは中国政府の性質を知っているなら
判るよね。何しろ30万の根拠を求められても頑なにこばみ
しかし30万という数字は引っ込めないんだから、まともな議論の相手にならない
840名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 06:19
>>839
>南京で日本軍が中国人を殺したのを否定する人はいないよ。
>議論してるのは軍人と民間人の内訳とその人数。
>そして、合法か非合法か。ゲリラと便衣兵が事態をややこしくしてる

そうか?政治家や知識人が南京事件を否定するような発言を繰り返し
しているし、そのため、中国が不信に思うんだろう。
とりあえず南京事件を外交カードに使われないためには、
ある程度コンセンサスのとれた歴史認識が必要なのでは。

オレ自身は南京事件を外交カードに使う中国よりも、
どっちつかずの対応を繰り返してきた日本に問題があると思う。
負い目がなければ、外交カードに使われることないんだから。
841名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 06:33
>>837
固有名詞の意味を辞書で引きなさい。
また「訳語」の意味を辞書で引きなさい。
842名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 06:37
重箱の隅をつきつき。
843名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 07:56
そこまでして「30万人殺した」だの
「不法な虐殺があった」と主張しているのが
日本人なら、私財を中国政府に支払い、
生涯の稼ぎも貢ぎ続けたらどうなんだろうか。
844名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 09:51
提言。重箱のスミツツキとあげあし鳥はやめよう。

でもそれらが無くなると南京スレ成立しないしなあ・・・。

やっぱ必然的に無限ループ突入だわな(藁
845名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 11:17
>>840

南京事件について西尾氏はこう言っている。
「第一次資料を欠く(つまり決め手に欠ける)同件には今のところ定説がない」
839が言う議論の争点の白黒を証明するのはこれから先も困難だろう。今まで約50年議論し、
証明できなかったものが、さらに時間が経過してゆく中で証明できるとは考えにくいからだ。
ただし、これは日本国内での話。根拠なき「30万人殺した南京大虐殺」が定説の支那はあい
かわらず高飛車な態度で、ハナっから議論のテーブルに着こうとしないのだから、839が言う
とおり、まともな議論の相手にならない。

>政治家や知識人が南京事件を否定するような発言を繰り返ししているし、

>ある程度コンセンサスのとれた歴史認識が必要なのでは。

日本の側から「否定肯定云々ではなく、当時の法律の解釈の違いから日本国内では諸説ありま
すがどうでしょう?」と言っても、この発言自体を支那は否定ととらえるのだから、接点も何
もあったもんじゃないよ。
やれやれ、この問題は永久に続きそうだ。
846名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/24(土) 00:54
>>840

何度も言うけど、南京で死者がでたことを否定している
者なんていないでしょう。
要は国際法に反する殺害があったかどうか。
ちなみに、「中虐殺説」というのは、ベイツ説をもとに
しているわけだけど、ベイツはスマイス教授の「兵士の暴行」
による死者をなぜか五倍にして主張しています。
おまけに市民の死体と兵士の死体を分けた「記録」など存在
しないにも関らず、「全体の役三割が市民」という結論を、その
「記録」から導きだしたと主張していました。
おまけに、ベイツがそう主張した時期にはまだ、死体の埋葬は
始まっておらず、故にそのような埋葬記録自体が存在していま
せんでした。
だいたい、支那軍は南京陥落以前に市民を射殺しているし、便衣
姿の支那兵を督戦隊が掃射しています。
また日本軍により処刑された便衣兵の死体もあります。
そのような状況で、市民と兵士の死体をわけて記録するなど
不可能だし、ましてやそれを「日本軍によるもの」というのは
ベイツの勝手な憶測に過ぎません。
847名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/24(土) 00:58
というか、まず「虐殺」という言葉を「あった派」がどのように
定義しているのかを聞かせて欲しい。
848なくてもでっち上げろ:2001/03/24(土) 01:03
彡共共共産産産ミ〜
  赤共産共/  \|〜 プゥ〜ン
  共産‖ ◎---◎|〜
  共産‖    3  ヽ〜  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  共産   ∴)д(∴)〜 < 共産主義万歳
  共産      〜 /〜 左翼万歳!
  共産‖    〜 /‖〜  \________
 赤赤赤赤     /‖\〜

南京大虐殺がなくても、それでは共産勢力に都合が悪いので、
でたらめでもいいから、あったようにでっち上げろ。(゚д゚)ゴルァ
849名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/24(土) 01:05
田中正明
『「南京事件の総括」虐殺否定の十五の論拠』より

南京事件のかどで松井大将は参謀総長から「戒告」され、司令官を
更迭せしめられたと述べている。
もっとも「諸君!」掲載のあと筆者が、「週刊・世界と日本」
(60・4・22)で反論したためか、ややトーンを落として『南京事件』
では「天皇から親補された出征軍の最高指揮官が、天皇の幕僚長から
この種の要望を受けたのは異例で、事実上の『戒告』に相当すると言
ってよいだろう。」と述べている。(173ページ)。
 偕行社の機関雑誌「偕行」に連載された『証言による南京戦史』の
最終回に、加登川幸太郎氏が『その総括と考察』を書いている(60・3)。
それまでの過去11回は畝本正巳氏が史実と参戦者の証言を追って“南京
で何が起きたか”を丹念に記述してきた。この連載を読んだ人は、読むに
したがい、ちまた伝えられるような大虐殺などないと確信したに違いない。
しかし加登川氏の総括的考察を読む限りにおいては、ちまた言われている
ものと同じあり、個人的推測の虐殺人数をあげ、「中国から何と告発、
非難されようと非はわれわれの側にある」「中国人民に深く詫びるしかな
い、まことに相すまぬ、むごいことであった」と詫びたのである。
つまり虐殺派同様、数は少ないが虐殺肯定の総括をしたのである。
 当然のことながらこの加登川史観に対して、全国の偕行社会員からき
びしい反論があったが、「偕行」編集部は「詫びたのは加登川個人である」
と言い逃れた。その経緯や加登川論文の批判はここでは省略する。
 私が言いたいのは、この中で加登川氏は「異例な参謀総長の訓示」と
題して、凸版を使い、当時、参謀総長閑院宮載仁親王の訓示の全文を掲載し
、さらに、当時この訓示を起草した作戦課長河辺虎四郎大佐の回顧録『市ヶ
谷より市ヶ谷へ』(昭和37年)を引用した上で、これは秦郁彦教授から聞い
た話であるがと前置きして、「松井大将は参謀総長の“戒告”を読んで泣い
たとある。
850名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/24(土) 01:07
この参謀総長の“戒告”というのが、前出の参謀総長の御要望を指すのか、
別に『お叱り』のお言葉があったものか判らない」と述べている。
加登川氏によると、中央では南京事件におどろき、これを憂えて参謀総長が
異例の訓示を出し、松井大将を“戒告”したというのである。
 すなわち次のごとく言う、「南京事件の対策のためアメリカ班の西義章
中佐や本間雅晴第2部長が事情調査のため急きょ南京に向かったという。
こうした現地調査で確認の上に参謀総長の訓示が出されたものであろうか?
とにかく南京事件はその当時、すでに軍にとって大きな問題として扱われた
ようである」と。
 秦氏も加登川氏も、松井大将は参謀総長から「戒告」され、または別の
「お叱り」をうけて泣いたといい、さらに当時南京事件は軍の中央部でも
大きな問題であったというのである。
 私はこのことがどうしても腑におちないのである。松井大将は参謀総長から
「戒告」されたというが、天皇から親補された出征軍の最高指揮官を「戒告」
できるのは天皇以外にはないはずである。しかるに松井大将は、その天皇陛
下から優渥なる「嘉賞」のお言葉を頂いているのである。話はあべこべである。
 松井大将日記によると、内地に帰還した大将は、昭和13年2月26日、葉山御
用邸に伺候して出征以来の軍状を復命するのであるが、日記にはこう書かれて
いる。
 「陛下には特に予に対し優渥なる勅語を賜ひ感激恐懼に耐えず、又銀製花瓶
一対及金七千円を賜い、宮内大臣、内大臣に依りて賜餐あり・・・・・」
 そのときの優渥なる勅語とは次の通りである。
 卿前(さき)に上海派遣軍司令官に任じ次で中支那方面軍司令官としてこん
外(筆者注・国境の外に出征する軍隊のこと)の重任を荷ひ錯綜(さくそう)
せる国際関係と困難たる戦局との間に処し克く皇軍の威武を中外に宣揚せり
 朕親しく復命を聴き更に卿の勲績と将兵の忠烈とを惟ひ深く之を嘉す
851田原総一朗:2001/03/24(土) 01:07
ちゃんと説明しろ。アホ!
852名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/24(土) 01:09
 戒告ではなくて身に余る嘉賞のお言葉をいただいたのである。
 秦氏は松井大将に何の恨みがあるか知らないが、「松井の責任は動かせない」
とか「彼は東京裁判で死刑にされたのは当然」とか「参謀総長から“戒告”され
、そのため軍司令官を更迭せしめられた」と述べている。
 私は前出の「諸君!」4月号(昭和60年)の『「南京大虐殺」の核心』という
座談会(出席者・洞富雄、秦郁彦、鈴木明、田中正明、司会半籐一利の5氏)の
時、松井大将は天皇から優渥なる嘉賞のお言葉を賜っていると披露した。
4人は納得しかねると言った顔つきであった。ことに秦氏は、前述の河辺回想記
に、「私(河辺)が起草した“戒告”を読んで松井大将は泣いたときいた」とあ
ると、回想記を紹介してこう述べた。
 「嘉賞の言葉とは戦闘行為に対するもので、戒告の方は非軍規的行為に対する
ものと私は考える。・・・戒告と嘉賞が同時に出るというのは、当時の日本の姿
を象徴していますよ」
 一知半解とはこのこと、まさにお笑いぐさである。
 要するに秦氏は、あくまで南京アトロシティで松井が戒告され、左遷されたと
しなければ気がすまないようである。

井本熊男参謀の証言

 そこで私はこの間の事情について、当時参謀本部作戦課で河辺虎四郎大佐のも
とで勤務していた井本熊男氏に尋ねてみた。井本氏はのち大本営作戦主任となり、
ガダルカナル撤退命令を身をもって第17軍司令部に伝えたことで有名。上海第11軍
高級参謀も歴任し、著書もあり、頭脳すこぶる明せきで、記憶力も抜群である。
私はぶしつけとは思ったが書面をもって次のような6項目について質問を申し上げた。
これに対し井本氏から400字詰め原稿用紙10数枚にわたって懇切な回答をいただいた。
紙数の関係もあり、要点を抄出して読者のご理解を得たいと思う。

質問1 参謀総長は派遣軍司令官に対して懲罰することができましょうか?
853名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/24(土) 01:11
答え 懲罰令によると、軍隊における懲罰権は、中隊長以上の各級指揮官のみに与
えられていた。
参謀総長は軍隊指揮官でないので軍隊に対する懲罰権はない。松井中支那方面軍司
令官が懲罰を受けるとすれば、松井将軍は天皇に直属しているので、大元帥たる天皇
に罰せられることはない。

質問2 河辺課長の「戒告」というのは懲罰の意味なのか、それとも単なる作戦上の
「訓示」なのか、お伺いします。

答え 懲罰の意味でないことは前述の通りです。私はいましめを含んだ要望的なもの
であったと思っている。
そのいましめを含んだ要望的なものを何というかについては、一定の規定は別になく、
事柄の性質、与える人(対象)との関係によって訓示、戒告、訓戒、要望等が当時一
般に用いられていたものと思う。
 その内容は作戦の実行(兵力の運用)に直接関連することが多かったが、軍紀風紀
の厳粛維持は作戦実行(統帥)上極めて重要なことで、軍隊の軍紀維持は各級指揮官
の責務であったので、それに関して指示することも当然可能であった。
この指示を行う権限を便宜上参謀総長の「指示権」と言います。この指示権が前記の
訓示、戒告、訓戒、要望などを与え得る法的根拠であったと私は思っている。
 河辺虎四郎著の「戒告」は「指示」と言っても一向差支ないのですが、事柄が通常
作戦に直接関連することを示す指示と若干異なるのでそれに適応する慣用の語を用い
られたものと思う。
河辺さんが『市ヶ谷から市ヶ谷へ』という回想録に「戒告」という言葉を用いたこと
が今回議論の種を蒔いたことであったならば参謀総長に懲罰権がない以上河辺さんが
起案するはずはありません。
 ちなみに、将校に対する懲罰令の罰目は、重謹慎、軽謹慎、譴責の3つと記憶して
います。

質問3 河辺課長の起案されたのは「偕行」3月号に凸版写真に出ている北支、中支の
軍司令官あての文章とみていいでしょうか?
854名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/24(土) 01:13
答え 河辺作戦課長起案の所謂「戒告」は、偕行60年3月号16ページの「異例な参謀
総長の訓示」という見出しによって掲載されたもの、及び同17ページ上2段に通しで凸
版写真で出ているもの(いずれも全文ではないが)であると私は見ています。これは
中支那方面軍司令官と北支方面軍司令官との両方に同文が宛てられたものである。
(中支へは1月4日、北支へは1月7日と日付は異なる)
 この文章には標題はなく、いきなり本文を記述して、最後の結びの所で「・・・切
に要望す」と記してあります。
これから見ると敢てこの文書に標題を付するならば「要望」であったと思う。
これをそのまま受けて中支那方面軍司令部は「・・・・別紙の如き要望を賜りたるに就
いては」の依命通牒が出されている。
 この文書を「偕行」編集部は訓示といい、河辺中将は戒告と言っている。そのため
混乱した議論が今日行われているのであるが、原本に従えば「要望」というのが最も
率直であると思う。
 私はこの「要望」の外には松井方面軍司令官宛に別の「戒告」等というものは発せ
られていないと思う。当時、松井方面軍の特殊な軍紀問題(いわゆる南京事件)など中
央部では何も問題が生じていなかったと思う。
「偕行」17ページ下段に「(松井大将に対し)別にお叱りのお言葉があったものかは判
らない」とあるが、私はないと信じている。

質問4 この文書と直接南京人事との関係、つまり南京で捕虜や一般民衆に対する大虐
殺が行われたという海外からの抗議、または調査の結果、あるいは噂を耳にした参謀
本部が驚き、このような通牒を出したり、使者を派遣したものかどうか?
855名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/24(土) 01:15
答え そうでなく、支那事変当初から北、中支にわたり軍紀の厳粛でないことが我が
軍側の色々な出所から中央部に伝わっていた。
そのため調査員を派遣して実情を調査せしめたこともあったが、具体的な全貌はわか
っていなかった。外国からの非難や抗議によって左右せられることは、対中国民衆
の軍紀問題では全然なかったと思う。
ただ米英の軍艦などに対する砲爆撃や第3国人の人命財産に対し危険を及ぼしたこと
に関する抗議については、陸海軍(特に海軍)においても相当気を使い、調査もし、
外交的処置をしたことはあり、これも軍紀問題と言えば言えるが、中国民衆に対する
各種暴行・殺害を主とする軍紀風紀問題とは異なる。所謂南京事件の問題がやかまし
くなったのは、戦後国際軍事裁判以後のことで、当時は軍中央部においても、また軍
全般もこの問題に強く関心を引かれるようなことはなかった。
 私は当時若干このような問題を耳にした記憶があるのみで、具体的に問題をくわし
く知ることはありませんでした。
しかしおぼろ気な印象は今でも残っており、以上の記述には間違いはありません。
<筆者注>当時参謀本部第1課長(教育担当)へ転任した遠藤三郎大佐(のち中将)
は「『出張だったせいか、南京虐殺は耳に入らなかった』と後に語る。
日記にも関連記述すらない」と毎日新聞『将軍の遺言=遠藤三郎日記』=56回にある。

質問5 「偕行」編集部は私に、懲罰令にはなくとも慣例によって「戒告」という罰
を加えた例が他にもあり、松井大将の「戒告」もこれに当たるのではないかと言いま
すが、いかにもへりくつと思われます。いかがでしょうか?

答え その通りであって、殊に戒告を懲罰(戒告)は懲罰令にはないが慣例として行っ
ていたという見解がもしあるならば、それは全くの誤りであります。勅令で制定された
この冷厳な規則(懲罰令)に慣例によって別の罰目を加えるなどということがあろう道
理がない。(以下略)
856名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/24(土) 01:17
質問6 松井軍司令官はじめ柳川、朝香両司令官および幕僚の更迭はいわゆる“南京事件”
とは無関係と存じますがいかがでしょうか?

答え 全く無関係です。
 外征軍は目的を達成すれば成るべく速やかに復員して帰還させるのが理想で、この考え
方はこの時にもあった。
敵国首都攻略の一段落を迎え、しかも更に進攻の考えの無かったこの時点において中支那
方面軍の陣容を整理して可能な限り簡素な兵力組織とし、その余剰兵力は復員するか、
北支方面に入れて、もし、対ソ戦略上必要が起こったならば、満州方面への転用を容易に
しようとする兵力処理が行われました。
私は当時参謀本部作戦課の最下級部員でしたが、この兵力のやりくりを考察するのが主務で
ありましたので記憶は確かです。
 さらに松井、柳川両将軍は既に予備役にはいっておられたのを召集によって軍司令官を任命
せられたのであるから、任務一段落と共にその召集を解除して、爾後(じご)その卓越し
た大きな力を政治的乃至公的の活動に発揮していただく必要があったのであろうと思います。
朝香宮殿下は現役ではあるが、この作戦に戦功をたてられたので内地にご帰還の上軍事参事
官となられた。
 以上の理由による更迭があったのみで、所謂南京事件との関係は皆無でありました。
 ちなみに、右各軍の幕僚は、司令官が復員してなくなるからには、どこかへ配属換えせ
られるのは当然であり、その大部分は当然戦場において配属換えとなった次第です。
 この事実(所謂南京事件と無関係)の証明として、松井大将はこの作戦の成功により天
皇から御嘉賞のお言葉を賜り、さらに昭和15年の論功行賞によって功一級という軍人最高
の栄誉に浴せられている。
若し左遷的人事処理であったならば、こんな栄誉はあろうはずはありません。

 まことに理路整然、一点の疑いの余地も入れることを許さないご回答である。秦郁彦氏
や加登川幸太郎氏、その他「虐殺派」の人たちの言う松井大将はいわゆる南京事件のため
、軍中央から戒告された、あるいは何らかのお叱り(懲罰)を受けた、軍司令官を左遷さ
せられた、または南京事件のため中央は狼狽(ろうばい)して、本間雅晴第2部長らを派遣
したり、そのため、異例の参謀総長の訓示が出されたのだ・・・・等々がいかに事実のね
つ造であるか、読者諸彦にもこの井本氏の明解なる証言でご理解いただけたものと思う。
857名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/24(土) 01:20
「偕行社」が認めたとか、謝罪したとか言って、それを根拠に
虐殺があったかのように強弁する人がいるけど、その謝罪は
偕行社の総意ではなかったんだね。
858名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/24(土) 01:55
昼夜かまわず24時間体制で
パソコンに向かってカタカタ・・・・
親御さんが可愛そうすぎるよ、ヒッキー君
もういい年なんだから
引きこもり生活やめてバイトでもしてあげたらどう?
859名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/24(土) 02:13
誰か858の電波語を翻訳できる人いませんか?(笑)
860名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/24(土) 02:21
>>859
煽りに乗るなよ(w
861名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/24(土) 02:28
はじめまして。859の母でございます。
息子は子供のころから勉強もだめ、スポーツもだめというとりえのない子でした。
社会に出ても人間関係もうまくいってなかったようでずっと家に引きこもっておりました。
私も心配していたのですが、本人が好きなようにしているのだからそのまま見守っておりました。
最近息子の部屋を掃除していると最近始めたパソコンの画面に向かって嬉しそうに「電波!電波!」と叫んでいたのを思い出しました。
「ああ息子もやっと友達ができたのか。」とホっと安心しておりましたのに・・・。
たまたまパソコンの画面を見てみると何の事はない、ただ何の筋もとおっていないことでひたすら人を
罵倒する内容の文章であったので、私はショックを受けました。
こんな息子に育てた覚えはないのに・・・。
みなさん、この子の暴言を大目に見てやってください。本当はさびしがり屋なんです。確かに何のとりえもない
子ですけれども、皆さんのおかげであの子は元気に暮らしているのです。
これからもどうぞ息子をよろしくお願いいたします。
862http://green.jbbs.net/news/185/gaimugaimu.html:2001/03/24(土) 22:27
863名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/25(日) 00:57
   彡川川川三三三ミ〜
   川|川/  \|〜 プゥ〜ン    ________________
  ‖|‖ ◎---◎|〜       /
  川川‖ ゜  3  ヽ〜     < 心の傷が癒えるまで待って・・
  川川  。∴)д(∴)〜       \________________
  川川  。   〜 /〜
  川川‖    〜 /‖
 川川川川___/‖
   /       \__
  /|  |   モ   __
  | |  |    ズゥ
  / |  |_ サヨ童貞ヒキコモリ
 | \__⊃
864就職戦線異状名無しさん:2001/03/29(木) 23:07
age
865名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/29(木) 23:30
「偕行社」が認めたとか、謝罪したとか言って、それを根拠に
虐殺があったかのように強弁する人がいるけど、その謝罪は
偕行社の総意ではなかったんだね。

確かにその側面は否定できないが・・・ただ内部の論争の後 やはり事実は事実として記録として残そうという事になったそうです。30万人説は怪しいけど6万から7万の不法殺害はあったというスタンス。
この論争を読んでおもうんだけど 実際に殺害したという人の話や いや当時の南京にいてそういうのはなかったという人から
本や資料ではなくて直接自分の耳で聞いたりインタしたひとはいないのかな?
866文責:名無しさん:2001/04/11(水) 12:59
age
867文責:名無しさん:2001/04/11(水) 13:03
あげるな。ボゲェ!
868文責:名無しさん:2001/04/11(水) 13:44
age
869反憎悪同盟:2001/04/11(水) 13:56
歴史は時の権力が決めるもの。
アメリカは戦争に勝ったが、過程で原爆使用、大空襲等々、非戦闘員を大量虐殺
してきたから、それを相対化する材料を探し、大きく粉飾して出来上がったのが、
「南京大虐殺」である。
国共の戦争の死者数、フィリッピンへの米軍の艦砲射撃による住民の死者数等々、
その他、戦争による死者数すべて、日本軍の行為によるものとされている。
勝てば官軍。
870反憎悪同盟
歴史は時の権力が決めるもの。
アメリカは戦争に勝ったが、その過程で原爆使用、大空襲等々で非戦闘員を
大量殺戮してきたから、それを相対化する材料を探し、大きく粉飾して出来上がったのが、
「南京大虐殺」である。
国共の戦争の死者数、フィリッピンへの米軍の艦砲射撃による住民の死者数等々、
その他、戦争による死者数すべて、日本軍の行為によるものとされている。
勝てば官軍。