【大阪】半世紀残った“謎の高架橋” ひっそりと消える「幻の貨物新幹線」の残骸 大阪・摂津[01/20]
1 :
壊龍φ ★:
2 :
壊龍φ ★:2014/01/21(火) 22:55:22.78 ID:???0
(
>>1からつづき)
昭和34(1959)年の国鉄資料によると、貨物新幹線は東京−大阪間を5時間半で結ぶ計画だった。夜間に
最新鋭の高速コンテナ列車が走行。38年の国鉄パンフレットには、コンテナ車のイメージ模型も紹介されている。
しかし、39年10月の新幹線開業時に高速コンテナ列車が華々しくデビューすることはなく計画は幻に終わった。
一説には、貨物新幹線は、新幹線建設のため世界銀行から融資を受ける目的で立案されたもので、もとより
実現の見込みはなかったともいわれる。
だが、摂津市に残る遺構の存在がそうした見方に異を唱える。貨物新幹線の高架橋は、東海道新幹線から
分岐し、付近に計画されていた新幹線貨物駅に向かう計画だったとみられる。新幹線貨物駅の建設用地は
現在、JR貨物の大阪貨物ターミナル駅となっている。
遺構は「無用の長物」と化していたが、JR東海は62年の国鉄民営化以降、耐震補強工事を施し、日々の
点検も欠かさず行ってきた。ただ、同社の担当者は「これまで残してきたのは、『遺構』だからというわけではない」
という。
遺構の真下には、最短3分間隔で1日に336本の新幹線が通過。高架橋の撤去工事のために新幹線を
止めることができなかったのが主な理由だ。JR東海は「安全に撤去できる工法が確立できたため、撤去することに
した」としている。 部活帰りの女子中学生の集団が近くを自転車で通りかかった。「トンネルか駅かなんかだと
思った」「取り壊されてもどうでもいい」と反応はさまざまだが、半世紀前の貴重な遺構と知ると「せっかくの記念
だから、残しておいてもいいのでは」と惜しむ声も。
昭和の鉄道史に詳しい作家の小牟田哲彦さんは「新幹線の建設当初は貨物輸送の可能性を構想していた
ことが分かる遺構。半世紀を経て撤去されるのは感慨深い」と話している。
(以上)
3 :
x(×.×)x:2014/01/21(火) 22:56:27.79 ID:xz/7/FQS0
嘘の国、日本。
4 :
Ψ:2014/01/21(火) 23:04:35.97 ID:wE7gxHfc0
JRコンテナを横向きに置くと新幹線の幅、というのまでやってあるのもやる気なしと断じるのかねぇ。
5 :
Ψ:2014/01/21(火) 23:19:10.68 ID:8Ftgt73J0
東京駅で網棚バックを置いて大阪駅で受け取っていたね
6 :
Ψ:2014/01/21(火) 23:42:59.90 ID:lzKKjNax0
7 :
Ψ:2014/01/21(火) 23:56:06.42 ID:jNErj2gg0
>>4 海上コンテナを乗せられるようにしなかったJRはアジアで孤立
8 :
Ψ:2014/01/22(水) 00:40:46.21 ID:SHK7n/oP0
階段付けて200円ぐらいで鉄に開放すれば
数年で撤去費用出るんじゃないか?
9 :
Ψ:
>>8 鉄ヲタを敷地内に入れると運行に支障をきたすので却下