結婚して読む源氏物語 女三宮

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1名無しさん@HOME
引き続き、源氏の女君について語りましょう。

結婚して読む源氏物語 二条院
http://life2.2ch.net/test/read.cgi/live/1048775505/l50

結婚して読む源氏物語 
http://life2.2ch.net/test/read.cgi/live/1040197595/l50
2参考コピペ:03/06/05 11:16
藤壺・・・源氏より5歳上
葵上・・・4歳上
六条・・・7歳上
紫上・・・8歳下
明石・・・9歳下

文中から読み取れるのはこのくらいかな?
3参考コピペ:03/06/05 11:17
二條院(紫の上)→匂宮(宇治の中君)
六條院夏の町(花散る里)→夕霧(落ち葉宮)→多分、養女の藤典侍の娘六の君(匂宮)
六條院秋の町(秋好む中宮)→秋好む中宮→多分、薫(養子にしたがっていた)
六條院冬の町(明石の君)→多分、明石中宮の子供の誰か(二の宮??)
六條院春の町(女三宮、紫の上)→多分、明石中宮→(東宮、女一宮??)
二條院東の院(空蝉、末摘む花)→花散る里
明石、空蝉、末摘む花→??(多分明石はそのままか自分の屋敷に引退?)
記憶があいまいなので間違ってるかも・・・
4参考図書:03/06/05 11:17
有名所だと
与謝野、谷崎、円地、田辺、瀬戸内、橋本

原文系
源氏物語 全現代語訳 今泉忠義
源氏物語評釈 玉上琢弥

まんが
あさきゆめみし

一覧表
ttp://www1.ocn.ne.jp/~fareast/asatuki/gendaiya.htm

ビジュアル源氏物語
http://www.de-club.net/vgm/
5参考コピペ:03/06/05 11:17
名前:次スレタイ候補 投稿日:02/12/20 08:40
結婚して読む源氏物語 二条院
結婚して読む源氏物語 三宮
結婚して読む源氏物語 四の君
結婚して読む源氏物語 五節の舞姫
結婚して読む源氏物語 六条院
結婚して読む源氏物語 雲井雁と七人の子
結婚して読む源氏物語 八の宮
6名無しさん@HOME:03/06/05 11:23
>1さん、お疲れさま〜
参考コピペまで載ってる〜!! すごい!
7名無しさん@HOME:03/06/05 18:15
>1タン、乙です〜
熱いこのスレッド、大好き
8名無しさん@HOME:03/06/05 18:33
>1さん、お疲れ〜。

で、源氏って死後に極楽にいけたのかな? それとも…。
藤壷はなんとなく地獄っぽい気もするけど。
六条はどうだ?とか、地獄極楽絵図も複雑そうだねーw。
9名無しさん@HOME:03/06/05 18:40
1サン、お疲れ様です。このスレ、大好き。

源氏に出てくる女人達を現代の女優さんが
演じたら、と脳内でキャスティングしてしまうのは
私だけでしょうか。
10マイデータ ◆MYDATAJ0tU :03/06/05 18:44
おっ!>>1お疲れ♪
それと3スレ目おめでとう!

つーか・・・「好きなんだなぁ、源氏物語が!」と感心!(藁
私も好きだけど。
私もこのスレ好き。1さん、ありがとd。

ところで、9さんの脳内キャスティング教えて。

私も脳内キャスティングすることあるよ。
六条とか朧月夜とか、キャラが立っている人は現実味あって考えやすい。
でも、紫にぴったりくる生身の女は思いつかなくていつもそこで挫折する。
9さん、11さん、こちらは?

●源氏物語をドラマ化するなら配役は?●
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/kobun/980692647/-100

このスレ好きなんだけど、最近止まってるなぁ・・・
六条御息所に岩下志麻さんなんかどうでしょ?
怖すぎる?
>12
志麻ねーさんはコキデン大后がいいなぁ〜。
14623:03/06/05 21:17
明石の方も難しいなあ・・・・
15名無しさん@HOME:03/06/05 21:36
明石は六条御息所と似てるんだっけ?
16名無しさん@HOME:03/06/05 22:32
1さん、お疲れ様です。
サブタイトル「女三宮」になってうれし。

>>12
行って来ました、面白いスレでした、有難うございます。最後の方は
キャスティングがモムスに逝っていたりして笑いました。
1000年の恋はどうだったかしら?紫式部が吉永小百合さんだったと思ったが。

>>15
似ていたという作家本もありますが、原著はどうだったか忘れました。
17名無しさん@HOME:03/06/05 22:39
6条は浅野温子でどう?
有名どころの女優さんは既に年取りすぎてるからねえ…

ところで、「大奥」見ました?皆様。
時代は江戸末期ですが、ちょっと妄想しちゃった。
菅野美穂、もうちょっと太らせて、紫の上どうですか?
明石は天海ゆうきさんがいいな。

>>13
コキデン大后はもっと女らしさのないイメージ・・・
飯田香織が老けたらいい感じ?
20名無しさん@HOME:03/06/05 23:58
思いついたんですが、4スレタイは四の宮(藤壺)ってのは?
先帝の四の宮が桐壺更衣に似てて、入内を勧めたと
おぼろげに記憶している。

ほとんど活躍しない藤の中将の正妻、四の君よりはいいと思います。
21マイデータ ◆MYDATAJ0tU :03/06/06 00:01
>>20
いいかもしれないけど・・・
(藤壺)が必要そうだね・・・(^^;;
22名無しさん@HOME:03/06/06 00:21
4,4、、、、「源氏と4つの部屋」・・・。
だめぽ、逝ってきます。。。・゚・(ノД`)・゚・
>>1さん、お疲れです。
何気に毎日このスレをチェックしてしまってます。

ところで、新聞に載っていたのですが、
代々木で幕末から現代までの皇室服飾展が開かれるらしいですね。
記事には十二単の写真が載ってました。
一度でいいから現物を見てみたいので行ってみたいなぁ、なんて。
六条は川原亜矢子なんてダメ?
セクシーで嫌らしくない感じがするかと思ったんだけど…

末摘花は前スレであった草ナギくんでw
25名無しさん@HOME:03/06/06 07:45
遅レスでスマソ。>>9です。>>12タン、ありがd。
早速見てみます。
>>11タン、私も紫の上って思いつかない・・・。
私は六条=黒木瞳、秋好=矢田亜紀子。そういえばこの二人が
親子っていう設定のドラマをやっていましたねw。
影響されたみたでつ。
26名無しさん@HOME:03/06/06 08:55
ふと思ったんだけど、コキ殿は凄みのある美女だったのかも。(朧月夜の姉だし)
でも、桐壺帝はオットリ系が好きで、寵愛に遠かったんじゃないかなと。
美貌で権勢大なコキ殿が後宮で帝に疎まれたら、あんな風に性格曲がるかも。

源氏を須磨に追いやった事を朱雀がグチグチ後悔するのを諌めたコキ殿は、帝以上に論理的。
頭も切れるお方ではないかと。 コキ殿を醜女とは思えないんだけどなぁ
あさきで見ると、 弘徽殿の若い時は朧月夜にクリソツなんだよね。
てことは執着しt朱雀帝もマザコン?
28名無しさん@HOME:03/06/06 10:53
キャスティング、コキ殿は年とりすぎだけど白川由美(漢字あってる?)とかどう?

源氏は昔片岡孝夫(今の仁左衛門)がすごくきれかった。
今は・・・だれかいるかな?
個人的にはキムタクは嫌なの。本人もやりたくないだろう。(たぶんw)
所作やなにやら考えるとやっぱり歌舞伎・能・狂言系の人かなー。
思いつかないけど。
30名無しさん@HOME:03/06/06 11:33
私もキムタクいやだ。オダギリジョーは?
31名無しの心子知らず:03/06/06 11:40
私と同じ人がいる〜!私も六条の御息所は岩下志麻だ!!と思ってた。

菅野美穂は雲井の雁なんか可愛くて似合いそう。
玉鬘が松嶋菜々子で、朧月夜は常盤貴子がイイ。(もう紫の上やっちゃったケド)
で、明石の上は鈴木京香にやってほしい。
近江の君はモー娘のだれか。(って誰だ?w)
>32
おしゃべりで下品そうな矢口で。
前へ前へ!の性格もあってるし、
顔もかわいいほうだし。
34名無しさん@HOME:03/06/06 12:04
近江の君=辻ちゃん
五節=加護ちゃん
>>22
ハリポタっぽくてワラタ
前スレに出てた案もいれて、「光源氏と四つの御殿」というのは?
「光源氏と四季の御殿」が(・∀・)イイ!!
結婚して読む源氏物語 四方四季  ってのはいかが?

それよか、前スレ埋めようよ。
39名無しさん@HOME:03/06/06 13:14
夕霧=妻夫木クンがいいな。
40名無しさん@HOME:03/06/06 13:26
>>12
光源氏はぜひ及川みっちーでお願いしたい
菅野美穂=雲井の雁イイ!
玉鬘は元SPEEDの上原たかこ(だっけ?)はどうでしょう?
ちょっと田舎っぽい感じで、磨けばすっごい美人になりそうなあたりが。
42名無しさん@HOME:03/06/06 16:30
夕顔=小雪
ちょっと幸薄そうな顔立ちなので・・・。
>42
薄幸そうだけど、もっと意志薄弱そうなこがいいなぁ。
流されやすいっつーか断ることを知らないって感じの子。
源典侍にはきききりんさんなんかはどうかな…
あと市原悦子さんなんかもいい味出してくれそうですが…
語り部やってほしい。
私はむしろ朝顔の斉院=小雪
あまり性的なムードがないのでイイかな〜と。

ところで末摘花はどーする?
末摘花は草g剛!と、激しく思うんですが・・・
ダメ?
またキャスティング談義かぁ。定期的に出ますね、この話。
>46
24だす。賛同者がいて嬉しい〜〜ヽ(゚∀゚)ノ
>47
いけない?
「また」と言われると気になりますわ。
まあ「また?」と思う気持ちも分かるけど、源氏スレではお約束なネタだから
仕方ないさ。

個人的には、キャスティング話だけだともう飽き気味なので、どういう演技を
させたいかというあたりまで突っ込んだ話をききたいな〜〜

クサナギ君が十二単を着て、扇のかげからぽっと染まった頬と鼻の先とを
覗かせてるところを想像すると、すごくいい感じなように思う。

>クサナギ君が十二単を着て、扇のかげからぽっと染まった頬と鼻の先とを
>覗かせてるところを想像すると、すごくいい感じなように思う。

そうそう(笑)黒テンの毛皮を着たクサナギくんが初めて顔を見せるとこで
市原えつこのナレーションで「…あら〜〜…」といれてくれたら
最高に笑えるんでは!
52名無しさん@HOME:03/06/07 00:37
市原えつこ・・・合いそうだけど、「日本昔話し風源氏物語」ねw
5351:03/06/07 16:09
>52
いいえ、「家政婦は見た」風源氏物語で…w
>>53
んじゃ、「女房は見た!」源氏物語ってコトで。
あの時代の女房って主人のこと何でも見てるのかな?
主人のすぐそばに寝てたり(几帳を隔ててでしょうが)するんだろうから、
Hとかも全部知られちゃうとか?
イヤだな〜。
あー、全部見えちゃうんでしょうね。襖とか几帳しかないから。
終わった後の始末とかも、深窓の女君には出来ない人が多くて
それも女房の仕事だったんだそうな・・。
女三宮あたりも始末して貰ったクチだろうか?
下品な話し、スマソ。
5755:03/06/08 22:50
>>56
うう〜、始末もしてもらうのか〜。

も一つ下世話な話ですんません、
あのころって、独立した局部屋がまだもらえない新参の女房たちは
細長い部屋を几帳なんかでうまくしきって数人で使ってたと何かで読んだんですが、
夜、恋人が尋ねてきたらどうするんだろ? 丸聞こえだよ。
相手、間違えちゃったりしないんだろうか?
お下品でごめんなさい。
58名無しさん@HOME:03/06/09 14:25
おトイレの後始末も女房にやってもらったそうだし、
高貴なお方は何をしても尊い、ってノリなんだろうから、
恥ずかしいという感覚じゃないのかもね。
59名無しさん@HOME:03/06/10 15:04
>57
ていうか,その間仕切りに脱いだ衣装を掛けるので,
「誰さん所に来てるヤシはたぶんこの程度の男」
「某さんの男はスッゲー」
とか思っちゃう・・・てシチュエーションが枕草子にあったハズ。
(今原文が手元にない・・・詳しい方helpきぼんぬ)

それから,実際の日常で相手を間違えるってことがあるからこそ,
空蝉の巻における軒端の荻のエピソードが出てきたのではないかな,と
勝手に想像しております。

江川達也の「空蝉」読んで,軒端の荻がすごくかわいそうだと思ってしまった。
これまでは空蝉のことしか考えなかったのだが,
「義母が二重写しにされるまま犯されるのが初体験」
(しかも,この女趣味じゃねーけどとりあえずやっとかないかんな
この状況じゃ,なんて源氏は思ってる)
っていうのをエロ絵でみると,すごいインパクトあって・・・

>58
人間の排泄物は地べたにまいて発酵させると,悪臭成分スカトールが
微生物に分解され,とても良い香りになるそうです。
だから,排泄(物)キタネーと思うのは,近代人の感覚なのかも。
ヨーロッパ(フランスだったかな?)では,
農村部では祭りの前に排泄物をわざわざ村の周りにまき散らし,
(日本と異なり排泄物を肥料にする習慣はない),
悪臭から芳香への変化によって祭りのムードをもりあげたそうです。
・・・イヤなカウントダウンだなあ・・・
60名無しさん@HOME:03/06/10 15:28
いまだ空蝉の魅力がわからん 私には。
源氏だけでなく、夫(年の離れた)や義理の息子にまで言い寄られる魅力ってなに?

源氏視点なら「与えられた女」でなく「自力でゲットした女」だから後を引いたのか、単に中流の女が物珍しかったのか?
源氏をふったという意味で気骨を認めるけど、空蝉の個性がイマイチわからんのよ。

エロい江川源氏をみたくなった(ぼそっ) >59

 
61名無しさん@HOME:03/06/10 16:16
>59
江川源氏、こっそり読んでみたいんだけど、立ち読みする勇気も
買う勇気もない〜・゚・(ノД`)・゚・。

やっぱエロいのでつか?
6255:03/06/10 16:24
>>61
店員に「どこにありまつか?」と聞き、立ち読みし、
さらに購入までしてしまった私はどうすれば?・゚・(ノД`)・゚・
・・・逝ってきまつ。
6361:03/06/10 16:31
>>55
いやぁぁん逝かないで・゚・(ノД`)・゚・。
おいらも見習うよ!
江川源氏って空蝉のを本屋で見たことあるんだけど、
今は他にも出てるの?
6455:03/06/10 23:09
>>63
戻ってきますたw
江川源氏は今3巻まで出てるようですよ。
空蝉は2巻から3巻にかけてかな?
まだ私も3巻は持ってないので、明日買いに行きます!
一緒に買いましょ〜!
65名無しさん@HOME:03/06/10 23:24
前スレかあさきスレで江川源氏は酷評だったけど
それなら見ないと思ってたけど、どんなもんですか?
66名無しさん@HOME:03/06/10 23:34
>>5を見て思ったけど、雲井の雁の子供って7人なの?
67名無しさん@HOME:03/06/11 00:03
>>65
あてくしは江川源氏アゲですよ、ずっと前から。
源氏物語はスキャンダラスなエロ小説ともおもう一面もある。
だから江川源氏&牧源氏がオススメ。田辺さんもアゲ

江川源氏での空蝉、源氏が好きでイキまくり、今風。しかし後で貞操感?が芽生える。
江川さんの視点って鋭いのかもとも思う。しかも内裏の絵とかもすごく上手いよね。
6855:03/06/11 01:40
私も江川源氏好きですよ。ちょっと字が読みづらいけど。

>>源氏物語はスキャンダラスなエロ小説
確かにw 女性週刊誌のような感じも。

>>66
「あさき〜」には8人とありますよね。
本文には「若君たちは、七、八人になりたまひぬ」とありますから、
7人の可能性も。
うーん、どっちでしょう?
どなたか詳しい方、お願いします。
69名無しさん@HOME:03/06/11 04:49
>60
空蝉の場合、夫は空蝉の父(たしか受領)の部下だか家臣だったはず。
父親は「娘(空蝉)を後宮に入れたい」と思って育てていたのに急死したせいで後ろ盾を無くして頼りない身の上になって伊予の守の後妻になった。
つまり、伊予の守と息子にとっては「自分たちより上流に属していて、教養もある」所が魅力なのだと思う。
(もちろん空蝉の教養なんか六条院の侍女と変わらない程度だろうが、伊予の守達からしたらスゲー上)

源氏の場合は、「空蝉」の一話前「箒木」の巻で頭中将その他の悪友との色々な女についての会話「雨夜の品定め」で中流階級の女は良いぞーっと煽られるのが、方違えで出会う中流の女=空蝉への興味への伏線になってる。
中流の女の味見をするつもりで空蝉に近づいて無理矢理やったら、通常なら「光源氏とえっち」した女は夢中になるのに空蝉は全然そうじゃなかった・・・ってのが若い源氏のプライドを傷つけて執着させたんだと思う。
70名無しさん@HOME:03/06/11 08:49
レスありがとう、69さん

源氏物語の中で、聡明な女君が実家、身分、恋慕する男に振り回されてボロボロになっていく様をみるにつけ、なんで空蝉程度(失礼)が「幸せ奥様」してるんだろうが不思議。
空蝉の夫は死の床でも、空蝉の事のみを心配してませんでした? なぜそこまで??と思ったわけ。
空蝉を後宮に!の父の願いもありがちで、空蝉の素晴らしさの証左になるのかしら。
  
空蝉はその後、源氏に引き取られ六条院で末摘花と同じ御殿じゃなかったっけ?
あの宮様と同居はそれはそれで大変だろうなぁと同情します。。。
71名無しさん@HOME:03/06/11 08:52
末摘花と空蝉は、二条院に引き取られたのではないかと。
72名無しさん@HOME:03/06/11 10:11
空蝉の父親は、中将ぐらいの身分じゃなかったっけ?
結構高い身分だったのに(夕顔と同じぐらいか?)、ずっと身分が下で年も上の
受領身分の男の妻になったから、大事にされてたんじゃないのかな。
たしなみが良かったから、身分を鼻にかけて夫に対して威張るとかいうことも
なくて、それなりにうまくやってたのだろうと思う。
ちなみに、源氏との浮気に関しては、夫にばれたとしても、とがめだてされたか
どうかは微妙。夫婦仲は悪くなったかも知れないけど・・・
妻を伽に出すぐらいのことは黙認せざるを得ないということもあり得るかと。
73名無しさん@HOME:03/06/11 10:50
>>55.67
そうなんだ〜
なんだか読みたくなってきたよ。
牧源氏は前に立ち読みしたけどあまりのエロさに読めなかったよ。
確かにある意味今で言うレディコミみたいなもんだもんね。
空蝉の父は衛門督であった人だったと思う。
父親が生きていれば桐壺帝に入内していたはず。
そりゃ、受領ふぜいからすれば手の届かない高嶺の花なんだろうな。
衛門督(従四位の上)の姫から伊予の介(正六位の上くらい?)の妻では、
やはりあはれ・・・

空蝉は夫亡き後、義理の息子(紀伊の守)に求愛されてたけど、
もし彼女が受け入れてたら義理の息子の妻になったんだろうか?
っていうか、義理関係は親子でも結婚できるの?
「二代の后」なんて人もいたくらいだからOKかも。< いいかげんw
76名無しさん@HOME:03/06/11 15:57
常々疑問だったのですが、
夕霧の名前は何で夕霧っていうのでしょう?
空蝉とか夕顔とか玉蔓とかは一応由来があるけれど。
夕霧とか柏木とかの名前の由来が謎です。
77名無しさん@HOME:03/06/11 16:01
確かに。
他の人はそれぞれ由来があるね。
葵もどうなの?
柏木は官名からじゃなかったっけ?
79名無しさん@HOME:03/06/11 16:12
柏木衛門の守だっけ?
80名無しさん@HOME:03/06/11 16:20
葵も柏木も巻の名前じゃなかったっけ。
夕霧はなんだ?そういう歌でもあったんだっけ。
81名無しさん@HOME:03/06/11 16:23
夕霧ってなんか陰気くさい名前だよね・・・。
夕霧と薫って実際の関係ははとこ???
82名無しさん@HOME:03/06/11 16:26
従兄弟の子供だよね
いとこの子供同士がはとこ?
83名無しさん@HOME:03/06/11 16:30
夕霧にとって薫は「いとこの子」ですね。
父方でも母方でも。
夕霧の子と薫がはとこになるのでは。
8480:03/06/11 16:38
山里のあはれを添ふる夕霧に立ち出でむそらもなきここちして

かな?>夕霧の名前。
今ざっと見てみましたが…落ち葉の宮のとこにうかがったときの
歌だと思います。
>>81
旦那に同じこと言われました。冗談半分で、
「子供が女の子だったら「葵」か「紫(ゆかり)」、
 男の子だったら「夕霧」は?」
と言ったら、「…すごい暗い性格の子になりそう」だって。
やっぱ現代名だとアウトですよね(笑)。
86名無しさん@HOME:03/06/11 17:43
薫ならまだOKかも?
87名無しさん@HOME:03/06/11 18:03
夕霧と薫ってどんくさいとこが似てるけど、けっこう
血的には遠いんだねえ・・。
薫の性格は好きなんだが。
>86
いや世の旦那さん的には薫はダメなんじゃ?!
「俺の子じゃないのか〜〜・゚・(ノД`)・゚・。」
89名無しさん@HOME:03/06/11 19:09
葵の上は、葵祭りで六条と車争いしたエピソードから取ってるんだよ。
柏木は・・・なんだったかな。歌かなんかだったかな?

登場人物の名前って、物語の中でも誰かがそう呼んでる人と、そうじゃない人と
いるよね。
紫の君、光る君、薫、匂の宮とかは、物語中でもそう呼ばれているというエピ
ソードが出てくるけど、普段も人にそう呼ばれているわけではないし、夕霧とか
葵とかは、源氏学者かなんかが便宜的につけた名前じゃなかったっけ?
9074:03/06/11 20:19
>>75
藤原多子ですね、「二代の后」。
ということは、皇后であった人でも再婚できるわけか・・・
んでは、桐壺院が崩御した後、藤壺はもしかして源氏と再婚できたのかな?
それとも帝としか再婚できないんだろうか?
あんまり想像できないけど、
藤壺と朱雀帝なら結婚できたのかなぁ? ・・・しないだろうケド。
91名無しさん@HOME:03/06/11 20:22
いや多子は無理やり二代の后にさせられたんで、世の中じゃ非難轟々だったし。
皇后は基本的には再婚できないと思う。
藤原のゴリ押しで変わったことって多いのかもね。
もともと皇后は皇族じゃなきゃだめだったわけだし。
>92
念のため、多子の二度目の入内をゴリ押ししたのは、二条天皇だよ。
9474:03/06/11 23:54
多子を無理やり入内させたために、皇后の女朱子内親王は出家したのかー。
多子って女朱子内親王の同母兄・近衛天皇の皇后だったわけだし。

>>91
女御くらいなら再婚もオケーだったのかな。
一条天皇の女御・藤原尊子は天皇崩御後、参議・藤原通任と再婚してるし。
95名無しさん@HOME:03/06/12 11:15
>91
オケ-だったわけでもないけど、皇后よりは黙認されたかと。
女御はあくまで臣下の身分だしね。
それに、尊子には子供がいなかったんじゃないかな。それも大きそう。
96名無しさん@HOME:03/06/12 14:40
藤壺と源氏が再婚なんてうわさになったら、やっぱり
東宮は「生まれ月も変だったし、ヤパーリ…」ってことになって
廃位??藤壺はそれこそ都を追われちゃうのかな。
こわーい大后がいたしね。

でも、源氏って藤壺の縁を求めて女三の宮と結婚したでしょ。
それで「似たところがまったくない」ってガッカリ
→紫はヤッパリ(・∀・)イイ!とか言っていたけど、
もし女三の宮が藤壺に似ていて才気のある姫だったらどうしたんだろ。
紫を捨てはしないまでも、やっぱり若いのに走ったのかな?
97名無しさん@HOME:03/06/12 15:53
>>96
「走ったと思う」に一票。
それが源氏。(w
98名無しさん@HOME:03/06/12 16:04
ぜったい源氏は走るだろうね。顔は似てるけど、
頭はパーだったらどうすんのかな。
わたしは登場人物で紫にいちばん共感できるので
つらいなあ。
99名無しさん@HOME:03/06/12 16:27
>>96
実際、女三宮が女になってきたころ(20才ちかく?)には
ほとんどそっちに行ってたよね。
で、紫上が病気になる。
100名無しさん@HOME:03/06/12 16:44
100
10174:03/06/12 19:09
源氏と藤壺の再婚・・・と書いたのは、
もしそうできてたら、紫の上や女三宮の不幸はなかったのかな?と
思ったからっす。 この二人好きなんでw
でもあの源氏のことだから、藤壺とうまくいっていたとしても、
他の女性にも手を出したかな?
いやまぁ下品な話なんだけどさ。
藤壺って桐壺帝の愛妻で、H回数もそこそこあったと思うのよ。
なのに帝の子供を身籠らずに、1回か2回の逢瀬の源氏の子を産む。
なんでだ〜?w
前世の因縁とかなんとかいうんだろうけど納得できないw。
桐壺帝が傍らから離さず寵愛したって、そういう意味じゃないのだろーか?
103名無しさん@HOME:03/06/12 19:18
98 私も紫の上贔屓なんで、とても腹たつけど 源氏は女三宮に走ったと思う。

確かにパーだけど、可愛いぱーさに源氏は参ったはず。
女三宮を表現するのに、‘衣装のなかに埋もれているような’華奢さがある。
紫と違ってまた新鮮! 香の焚き方ひとつから仕込むのも老いの生き甲斐! 
う〜、ホント、殴ってやりたいわ ゲンジぃ
104名無しさん@HOME:03/06/12 19:18
>>102
そういやそうだね。
子どものできやすさは 桐壺帝>源氏 なのに。
105名無しさん@HOME:03/06/12 19:39
明石の中宮も、衣装に埋もれ系だよね?
106名無しさん@HOME:03/06/12 19:42
ロリ旦那で、小梨のまま年くってきたんで、けっこう
紫の上の気持ちわかるーー。
前のほうで、紫がオパーイを明石のちい姫に含ませてるのを
見たら実母はたまんねーー、という意見があったが
それももっともだが、そうした紫の気持ちもなんだかなーー!
10798:03/06/12 20:11
やっぱり、女三の宮が藤壺に似ていたら、源氏は走っちゃうって
皆思ってるんですね〜(^_^;
似てなくても、たしなみが足りなくてもなんだかんだいって
若い妻に入れこんでたもんね。
柏木に寝取られたの知ったときからの源氏は、オヤジのいやらしさ
全開!!って感じですもんね。
衣装に埋もれちゃう系の華奢な女君が源氏のタイプなのかな。
秋好中宮も小柄なんだっけ?
中宮にも「まあこのエロオヤジ」みたいなこといわれてなかったっけ。

藤壺が桐壷の帝の皇子を妊娠しなかったのは、
もういいかげんお歳の帝が枯れてたのかなって思ってた…
下品でスンマセン
108102:03/06/12 20:12
ごめんなさいオイラは96でした。
明石の浦に逝ってきまつ…
もうだめぽ・゚・(ノД`)・゚・。102じゃなくて107だ…
ほんとに逝ってきます〜〜〜
>>107藤壺が桐壷の帝の皇子を妊娠しなかったのは、
もういいかげんお歳の帝が枯れてたのかなって思ってた…

私は血が近くてできにくいのかと思ってた。
桐壺帝と藤壺って伯父姪だっけ?
えっ伯父姪なの?桐壺帝と藤壷って。
桐壺帝の父の一院と藤壷の父の「先帝」って
血縁関係がいまいち不明だと思ってたけど。。
兄弟かなんかなのかな?
112110:03/06/12 21:06
>>111
えっ! 違いました?
先帝と桐壺帝と六条御息所の夫の東宮が兄弟なんだと思ってましたが・・・
桐壺帝と六条御息所の夫の東宮は兄弟ですよ。
でも、先帝は違うみたいね。
111さんが書いたとおりじゃないかな。
114名無しさん@HOME:03/06/12 22:08
>112
桐壺帝と式部卿宮が兄弟じゃないのは確かなので、先帝と桐壺帝は兄弟では
ない筈。
多分、従兄弟か叔父甥ぐらいなんじゃないかな。
115名無しさん@HOME:03/06/12 22:29
>>114
式部卿宮とは紫上の父の?
だったら先帝とは親子なので説明がわかりにくい。
でも、血縁関係はよくわからないけど、多分従兄弟か叔父甥ぐらい
なんでしょうね。

ちなみに桃園式部卿宮(朝顔父)だったら桐壺帝の弟です。
紫の上の父、藤壺の宮の兄の方です>式部卿の宮
117名無しさん@HOME:03/06/12 23:03
>>116
ううっ、詰問したみたい。ごめんなさい。
118114:03/06/12 23:32
あれ?
でも私が言ってることおかしいや。
先帝と桐壺帝が兄弟だったら、式部卿の宮と桐壺は叔父甥だけど、そうでは
ないだろうと言いたかったのです。
先帝と桐壺帝が叔父甥か従兄弟かどちらかの間柄だろう、と・・・
119110:03/06/13 01:45
そっかー、兄弟じゃなかったんだ。
失礼しました。

でも先帝には后腹の皇子がいますよね>藤壺の同母兄の式部卿の宮。
先帝が帝に即位したときはまだ産まれてなかったのかもしれないから、
甥か従兄弟の桐壺が立太子したんでしょうけど、桐壺が即位したときに
この式部卿の宮ではなく、桐壺の弟(六条御息所の夫)が
立太子してるものだから、先帝と桐壺と桐壺の弟はもっと近い関係だと
勝手に思い込んでますた。トホホ
桐壺が即位したときもまだ産まれてなかったのかな?>式部卿の宮
それとも実家の勢力が弱くて東宮になれなかったとかかな?
120名無しさん@HOME:03/06/13 02:02
雲隠の巻はやはり中身喪失なのか
題名のみなのか
後世の人の創作なのか
どうなんでしょう?

菅原孝標の女「更級日記」によれば「源氏の50余巻」とあるのが
昔から源氏物語は50数刊あったという証拠らしいね
藤原ていか編纂??のときは、雲隠巻もあったらしいけど
121柏木:03/06/14 16:11
ねうねう
    ∧∧   )    
  ⊂(゚ー゚⊂⌒`つ    
122名無しさん@HOME:03/06/14 16:20
あら嬉しい。あがってるw。

藤壺って死後、桐壺帝と同じ墓に埋葬されたのかな。
それとも全く別?
弘徽殿はどこに?
墓まで后女御更衣いっしょだったら、安らがないだろうなw。
123名無しさん@HOME:03/06/14 16:39
素朴な疑問・・・当時お墓ってあったの?
平安時代のお墓参りの場面とか見たことないから、単純に想像つかない・・・
124名無しさん@HOME:03/06/14 16:48
あの時代は貴族でも鳥辺野で放置っつーか適当に埋めるだけじゃないの?

あ、でも天皇家は御陵があるか。
后はどうなったんだろう。
藤壺は内親王だから良いのかもしれんが、弘徽殿は臣下だし御陵に埋葬するのは無理だよね
125名無しさん@HOME:03/06/14 19:01
鳥葬だと思ってた。鑑定の番組で、貴族の姫君がカラスに食べられて
骨になっていく様子を描いた日本画を見たことがあるから。
126名無しさん@HOME:03/06/14 19:50
天皇陵っていうと、古代のものって印象が強い。 中世の天皇の墓って聞かないよね。
野ざらしに一票だな。

120 丸谷才一氏が道長によって消された源氏物語、幻の巻「輝く日の宮」(源氏&藤壺)を書くと読んだよ
ちょっと楽しみ
127名無しさん@HOME:03/06/14 19:53
宇治十帖も、紫式部の作ではないって説があるね。
>124
数ヶ月くらい前にテレビで偶然見たんだけど、入内した藤原家の女性たちの
墓所を見たよ。御陵みたいなかんじだった。今は国の管理とか言ってたような。
うろ覚えてごめんね。
129名無しさん@HOME:03/06/14 21:23
素朴な質問…
年を重ねてから源氏と紫の上は、エチーしてたのだろうか?
130名無しさん@HOME:03/06/14 21:58
年を重ねたといっても40代と30代じゃん?
131名無しさん@HOME:03/06/14 21:59
>129
たしか女三の宮と源氏の初夜のとき、紫の上が独り寝で眠れないことを
女房に悟られないようにして・・・ってあったような。
ってことはヤッてたと思うな。
大体、30歳過ぎてのお褥すべりは江戸時代の大奥の考え方。
平安時代はまだまだ30過ぎようが何だろうが現役だったことでしょう。
まして紫の上は絶世の美女なんだから、源氏も勃つのになんら問題なかった
だろうし。
132名無しさん@HOME:03/06/14 22:01
女房たちにアノ声を聞かれるなんてやだなー。
133名無しさん@HOME:03/06/14 22:02
>>126
中世にも天皇陵はあるよ。
というか誰がどれかはわからなくても、歴代天皇すべてに御陵があるはず。
貴族は野ざらしかもしれないけど即位した天皇は天皇陵だと思うよ。
即位してない皇族はどうなるんだろ。
134名無しさん@HOME:03/06/14 22:02
紫が拒絶できるわけないよね。
源氏に逆らったら死活問題だもん。
135名無しさん@HOME:03/06/14 22:09
当時は紫みたいな不妊って多かったんですかね。
136名無しさん@HOME:03/06/14 22:12
源氏は自分の死後、紫の上が生活に困窮しないように
色々取り計らってたようなこと、書いてなかったっけ!?
実際のところ夕霧も明石の中宮もいるしね。
でも本人はかなり不安で出家を望んでたのにね。
しかし紫の上は見事に性欲から遠ざかって描かれてますね。
だから死ぬまで少女のような印象がある。
その生身の女としての実態の乏しさからいうと、藤壺のほうが
何倍も生々しい女の印象がある。
137名無しさん@HOME:03/06/14 22:14
栄養状態悪かっただろうし、妊娠出来ない+妊娠を継続できない原因は多そうだけど。
女性なら誰もが子供を産める訳じゃなかったからこそ、
子供を産む女性=偉い、みたいなふうに言われるようになったのかもね。
138名無しさん@HOME:03/06/14 22:18
結局紫は源氏の愛を信じることができなかったということで。
源氏は源の内侍とヤッタ位だから30代の紫なんてオケでしょ。

頭の中将もよくタッたよな・・・
140名無しさん@HOME:03/06/14 22:25
>137
昔は家のために結婚したんだから、子孫を残すことが女性の
仕事のひとつ。
子供を産まない女を石女(うまずめ)と呼んだくらいだし。
核家族時代じゃないんだから当然では?
141名無しさん@HOME:03/06/14 22:26
>>128
平安時代の藤原氏の后のお墓はあるよ。「宇治陵」で。
木幡駅の周辺にいくつもあって、駅の南に総拝所がある。
あのあたりいったいに葬られたってことでしょう。たぶん。
でもって、総拝所の近くに「藤原氏塋所」とかなんとかかいてあった石碑が
あった。
142名無しさん@HOME:03/06/14 22:30
バイトみっけた。1000円もらえるってさ。
http://f15.aaacafe.ne.jp/~storm/
貴族って火葬では?
源氏物語にも、桐壺の更衣の葬式で、
その母親が同じ煙になりたいと泣いてるシーン、
「母北の方、同じ煙にのぼりなむと、泣きこがれたまひて」とあるし、
紫の上の葬式でも「いとはかなき煙にて、はかなく昇りたまひぬるも」という文がある。

あの時代だと、彰子は火葬なんですよね。
でも定子は土葬。 葬式の仕方にもランクがあるのかな? 

しかも定子はほかの后たちと一緒に鳥辺野の合葬陵に入っている。
彰子は宇治陵に一人で、なのかな?
やっぱり彰子のほうが上なんだね。
144名無しさん@HOME:03/06/15 01:04
素朴な質問なんですが、
浮舟に取り憑いたもののけの正体は結局誰だったんでしょう?
「修行一途に励む法師であったが、この世に執念を残したために成仏出来なかった」
とかなんとかでしたよね。。。
そんで浮舟さんに「さあ、こちらにいらっしゃい」と呼びかけ、
優しく抱いてもらった心地がしたとか。。。
八の宮さんか、まさか源氏の君か。。。?
うーん、どなたか詳しい方いらっしゃったら
教えていただけるとうれしいです。
145名無しさん@HOME:03/06/15 01:04
>144
好きに解釈すれ。
146名無しさん@HOME:03/06/15 13:24
>>144
( ・∀・)ノ ホレ

抱く心地のせしを宮と聞こえし人の

『集成』は「「宮と聞こえし人」という言い方は、浮舟の記憶がまだ完全に
もどっていないことを示す」。
『完訳』は「浮舟には、匂宮が宇治川を渡って連れ出した時の、
官能的な陶酔感が鮮やかに残っている。誘う美男を幻視するゆえん」と注す。
147名無しさん@HOME:03/06/15 13:50
>>143
木幡のあたりは藤原氏のお墓だったところだから、宮内庁がまとめて
「宇治陵」ってしただけだとおもうよ。実際宇治陵って管理してても
どこの古墳が誰の古墳かなんてわかんないから。一応宮内庁的には
20人分まとめて祀ってあるし。
鳥戸野で火葬にして木幡に葬られたのでは?(鳥戸野陵は定子以外みんな
火葬塚だしね)
148名無しさん@HOME:03/06/15 17:56
>143
定子の辞世の歌に、私の身は煙にならないけれど、草葉の露を見て
私を偲んでくださいというのがあって、これは本人が火葬を望まない
ということだろうというので土葬にしたと何かで読んだが何だったっけ?
もしこれが本当ならランクというより本人希望ということで。

お墓の話だけど、現在の埋墓(骨を埋めてそこにお参りする)という
習慣は中世にはなくて、お参りするためだけのお墓を別に作ったとか。
そうかー、必ずしも埋めたところにお参りしなくてもいいんだー、と
妙に新鮮な感動があったなぁ。
白州正子さんは、ご主人のお墓は遠いからと自宅の庭にお参りする
ためのお墓作ってたね。
149名無しさん@HOME:03/06/16 01:32
>131
亀レスだけど。紫上が源氏がいなくて一人で寝つけないっての。
毎日、そばで腕枕して寝てたらさ、エッチがあろうがなかろうが
いないと落ち着かず、寂しいもんじゃない?

源氏がいなくて一人寝が寂しいというのはそれもあると思う。
子どものころから、ずっと添い寝してたんだから。毎晩さ。
他の女性のところに通ってても、かならず帰ってきて、
紫の上のそばに寝つづけてきた源氏なんだよね。

うん、うちの夫ともべつにHしなくても、環境として毎日
そばに寝てるんで、いないと 子どものころのくまのぬいぐるみ
のように、なかなか寝付けないかも。
最初はともかく、しばらくしたら女房が居なかったらぐっすり眠ってた気もする…紫の上
私は、この不眠症が紫の上の死期を早めたんじゃないかと思う。
人に気を使いすぎると早死にするの典型かも
151名無しさん@HOME:03/06/16 09:08
そうか・・・
紫の上にとって、源氏は父であり兄であり夫であり、そしてぬいぐるみのくまさん
でもあったのか。
しみじみ。
152名無しさん@HOME:03/06/16 11:48
父と思っていたら他の女を連れて来た
夫と思っていれば他の女にうつつをぬかした
兄と慕っていたら他の女が乗り込んできた
ぬいぐるみだと思っていたら襲われた

・・・゚・(ノД`)・゚・もうだめぽ
兄と思っていたら襲われた

のほうが衝撃度が高い事実では
なるほど。
ではぬいぐるみだと思っていたらば変態だった。
155名無しさん@HOME:03/06/17 15:27
兄=くまのぬいぐるみだと思ってたら、襲われた。
が一番の衝撃では?

兄だと思ってたら、無理やり自分の女にされた。
で、夫だと思ってたら、たくさん他の女がいた。
しかも、いちいちその浮気の報告をされる。
でも自分がともかくも一番の女だしと安心してたら
おさな妻が乗り込んできた。

自分とおんなじように一から仕込まれるのかと思うと
たまんねぇ。。。多分これが死因かと。
156名無しさん@HOME:03/06/17 15:50
>155
自分とおんなじように一から仕込まれるのかと思うと
たまんねぇ。。。

うわーリアル。そそけだっちゃったよ。
157名無しさん@HOME:03/06/17 17:45
渡辺〇一風にいうとドレサージュ(調教)・・・ ぐげええええええ

ちょっとだけ疑問 源氏は女三宮の密通を紫の上に報告したか?(多分言ってないか・・・)
夕霧ですら出産後の女三宮の突然の出家を怪しんでいたよね。 周囲は結構、不審に思っていた様子。
源氏は寝取られたって紫に・・・・いえないか・・・。 
ソレ聞いたらちょっとは紫の気も晴れただろうになぁ。 


158名無しさん@HOME:03/06/17 17:48
朱雀院は怪しんでいるぽくなかった?もしや…って。
紫は知ったらしったでじゃあその女の為に正妻の座を
うばわれた私は…とまた悶々しそう。
159名無しさん@HOME:03/06/17 18:34
女三宮と薫には悪いけどさ
公になってしまえばよかったのになあ(あくまで個人的に)


でも公表されると
ホントに誰にとっても名誉なことではないから。
160名無しさん@HOME:03/06/18 16:35
>>89
すごい亀だけど、衛門督が柏木と呼ばれるのは「柏木」の巻のここからだったかも。

御息所の出て来るまで、何かと女房が挨拶をしているときに、人間の思いとは関係の
ないふうに快く青々とした庭の木立に大将はながめ入っていたが、気もちは悲しかっ
た。柏(かしわ)の木と楓(かえで)が若々しい色をして枝をさしかわして立ってい
るのを指して、大将は女房に、
「どんな因縁のある木どうしでしょう。枝がまじりあって信頼をしきっているような
のがいい」などといい、さらに簾(すだれ)の方へ寄って、
 「ことならばならしの枝にならさなん
    葉守の神の許(ゆる)しありきと
 まだ御簾の隔てをお除きくださらないのが遺憾です」
といった。一段高くなった室の長押(なげし)へ外から寄りかかっているのである。
「柔らかい形をしていらっしゃるときに、また別な美しさがおありになりますよ」
と女房らはささやき合うのであった。今まで話していた少将という女房をとりつぎに
して宮はお返辞をおさせになった。
 「柏木に葉守の神は坐(いま)すとも
    人馴らすべき宿の梢か
 突然にそうしたお恨みをおいいかけになりますことでご好意が疑われます」

・・・長くてごめんなさい。
>>160
この場合の「柏木」って、女二ノ宮のこと?
「柏木に葉守の神は・・・」の句って
「柏木(女二ノ宮)に葉守の神(夫の衛門督)はいらっしゃらなくても
みだりに人を近づけてよい梢でしょうか?」
ってことでしょ?
衛門督は「葉守の神」なのに、どうして衛門督=柏木に?
162名無しさん@HOME:03/06/18 19:18
>そもそも柏木には、葉守の神が宿るという伝説があり、
>皇居を護る「兵衛」「衛門」を柏木と称すこともあり、
>神前で掌をあわせて音をたてることを「柏手」をうつという。
>柏にはそうした霊気あるものという考えがあったと考えられる。

1行目より、柏木=葉守の神 みたい。
163名無しさん@HOME:03/06/19 11:16
落葉の宮の母って身分は更衣で低いけれど、
プライドが高いよね。
164名無しさん@HOME:03/06/19 11:20
>163
まぁ「姫宮の母」として毅然としていなくちゃいけないという
義務感みたいなものでしょう。
更衣腹だからと宮が舐められないようにしなくちゃ!みたいな気持ち。
>164
たしかに。柏木は結局「更衣腹だから院はお許し下されたのか」
って感じで侮っていた観もあるし。
内親王は独身が慣例なのに、不幸な結婚生活をさせてしまった上に
夕霧も図々しかったから「宮様は私が守らねば!」って感じ
だったんだろうか。
朱雀院も「降嫁させるなら、更衣腹の姫宮ならいいか」と思ってたんなら
気の毒だ…
166名無しさん@HOME:03/06/19 11:35
大事な娘を「落ち葉」呼ばわりするんだもん、柏木は。 
御息所にしたら貴族風情がっ!って言いたくなるよ。 

権力もってない哀しさで、夕霧を無下にできない落葉宮&母(御息所)は気の毒だよ。

167名無しさん@HOME:03/06/19 11:46
難しいね。
女二宮は更衣腹だから貶められた見かたしかされず
女三宮は宮腹だから朱雀院がことのほか可愛がり。

でもその三宮の母皇女は、更衣腹だったはず。複雑だなー。
168名無しさん@HOME:03/06/19 11:50
女三の宮のお母様は臣に下って源氏になってたんだっけ?
それでも王家の血統だから大事にされたのかな。
169名無しさん@HOME:03/06/19 11:56
「源氏の宮」ってやつ?
170名無しさん@HOME:03/06/19 12:01
強引でもあそこまで素敵な公達が純朴に粘ってくれたら、落ちてもいっか…
と思うでしょ落ち葉の宮だって。
宇治の大君哀れ也…薫の腰抜け
171名無しさん@HOME:03/06/19 18:42
いや、どうだろう? 落葉の宮は相当抵抗していたよ。(立篭もり&鋏隠す侍女)
母(御息所)が心労で死んだのも夕霧のせいみたいに思っていそう。
もーちーと、スローなモーションかけた方が良いのではと思ったな、夕霧。

サイドストーリの夕霧の家庭の様子をとても面白く読んでしまったなぁ。 
あぁ生活してるって感じで
落葉の宮は、多分そうとう夕霧を恨んでいたとおもうよ。
母親は心労で亡くなり、世間のそしりを受ける羽目にもなるし。
柏木の実家からもきつい嫌味を受けていたしね。
ほんとに夕霧が力づくでモノにした!って感じがするんだけど。

多分、あさきにあった「長い年月がながれて、ようやく…」
って言う感じの二人だったんじゃないかと。
173名無しさん@HOME:03/06/19 18:57
落ち葉のみやと女三宮はどっちが魅力的なんだろう
全然タイプが違うからねえ。>落ち葉の宮と女三の宮
魅力的かどうかは個人の好みによるのかもしれないけど、
「美人度」でいったらどっちが上なんでしょう。
落ち葉の宮は美人だっていう描写ありましたっけ?
175名無しさん@HOME:03/06/19 20:46
美人度でいったら女三宮のが美人なんじゃないかなー。
私の中で落ち葉の宮は「雰囲気美人」ってイメージがある。
超美人ってほどでもないけどしっとりとおちついてて
そこはかとなく陰のあるマダームみたいな。
かわいいけど勝ち気な雲井の雁を見てきた夕霧としては
そこが新鮮に思えたんでないかね。
176名無しさん@HOME:03/06/19 21:30
夕霧は女三の宮より前に紫の上を垣間見てるから、
それでやはり若くても何か大きな人形のような・・・と
味のある女に惹かれる傾向ありって気がする。
その点で女二の宮の何処に惹かれたのか疑問だけど、
結局源氏の死後も、縁遠い義母としてしか遇してないし、
対して二の宮は妻として遇されてる。
女の一生は何があるかわからないね〜。
177名無しさん@HOME:03/06/19 22:48
女二ノ宮は、超美人ではないが、母譲りのたしなみや
才気のある内親王にふさわしい気品を持ってる女性、って感じだけど
三ノ宮はただただおっとりした、愛されるだけの美少女って感じ?
「源氏の宮」
本当なら皇族出身のこの人が朱雀帝の中宮になるはずだったの?
実家の勢力の弱さと朱雀帝の愛情不足、それと男皇子を産めなかったから、
ダメだったの?
朱雀帝に中宮っていましたっけ?
普通に考えたら東宮を生んだ承香殿の女御が立后しててもいいような気がするけど。。
在位が短かったら中宮も決めないのかな。。?
>東宮を生んだ承香殿の女御が立后
でも、朱雀帝の生母・コキデン大后でさえ中宮になれなかったんだから、
東宮を産んだだけでは立后できないのでは?
やはり愛情と実家の勢力、それに加えて東宮の3つが必要なのかも。
朧月夜が男皇子を産んでたら、立后できたかなぁ?
「源氏の宮」朱雀帝の最初の女性だったのではないかな。
(添寝ソイブシの役割)があった。最初は、源氏の奥さんになった葵を
妃にほしいとコキデンの大后が申し込んで断られて、白羽の矢が立った。
どっちにしても朧月夜が入内するまでの当て馬ですね。
182名無しさん@HOME:03/06/20 08:18
身分は高いが、後押しする勢力もない。あとあと面倒にならない
程度の姫をあてがっておいて、自分の勢力の範囲内で飼いならして
おけばいいって感じかな。>181
183名無しさん@HOME:03/06/20 09:11
朱雀の後宮ってあまり考えたことなかった 朧月夜らぶの帝のイメージだったし。
やはり複数いて自然なのよね。

182的解釈するなら、玉鬘は頭中将の娘だけど、源氏の勢力にとりこまれたことになるわけか。
頭中将には痛い失点だったろうね。

女二の宮の雰囲気美人説に同意。 
夕霧は子沢山の騒がしい家庭に飽きていたから落葉宮の静かな佇まいに惹かれた。
雲居雁は「私に六条院の女君みたいな情緒求めるけど、どーやって屋敷切り盛りすんのよお」な不貞腐れがよーくわかる。
男って今も昔もないものねだりする生き物よね、
 
184名無しさん@HOME:03/06/20 09:30
>182
そんな男でも、皇女腹の娘はかわいいんだね。
母をないがしろにしてしまったことへの、罪ほろぼしかな。
>>182
でも初めは葵を望んでたんでしょ?>ソイブシ
左大臣の姫で生母は皇女っていう彼女が、
もし男皇子を産んだらどうするつもりだったんだろ?
よっぽど朧月夜に自信があったのかな。

>>184
源氏宮は朱雀帝を恨んだまま死んでしまったみたいだし。
186名無しさん@HOME:03/06/20 11:28
葵が入内して皇子を産んでたら、当然立后してたでしょう。
左大臣派と右大臣派が手を結ぶことになってただろうね。
そして、冷泉帝に朧月夜が入内、葵腹の皇子に、右大臣四の君と頭の中将との
間の娘が入内・・・という風になっていったんじゃないかな。
187名無しさん@HOME:03/06/20 11:31
なるほど、ある意味理想だね↑
>>186
冷泉帝に朧月夜では歳が離れすぎてない?
それこそ彼女は源氏の正妻に納まってたかも。
そしたら本当に八方丸く収まる、って感じだね。
でもそうなってたら、源氏は明石に流されることはなかったろうし、
明石の姫も産まれなかったんだろうなー。
そして明石の僧都は高貴な人をモンモンと待ち続けるとw。
189名無しさん@HOME:03/06/20 12:31
六条御息所の亡夫は東宮だったんだよね。
ということは、夫が早死にしなければ彼女は皇后になれたはずだね。
空蝉もそうだけど、つくづく運命の不思議というものを感じさせられる。
190名無しさん@HOME:03/06/20 12:35
冷泉帝には子供ができなかった。
冷泉帝は不義の子だから、ここからさらに皇室の血筋を続けることに作者は罪悪感を感じたのだろう。
191名無しさん@HOME:03/06/20 12:42
紀伊守邸にてもてなしを受ける光源氏(この日の夜に空蝉に夜這いする)
まだ幼い空蝉の弟が、酒を運んでくる。
光源氏「かわいい子だね。きみの息子かい?」
紀伊守「いいえ、この子は私の叔父です」

え? 冷泉帝ってこどもいなかったっけ?
>>192
在位中はね。
退位して「冷泉院」になってから玉鬘の娘が男君産んだの。
>>192
コキデン女御とに皇女一人、
玉鬘の娘の大君とに皇子と皇女。
院になる前だったら、この皇子が東宮になって冷泉帝の血が続いたかも。
195名無しさん@HOME:03/06/20 17:49
朱雀帝の母親のコキ殿皇太后は、とかく悪役に描かれている。
しかし彼女の身になって考えてみたら、そんなに悪く言えることだろうか?
悪いのは、更衣と浮気した桐壷帝じゃないか!


196名無しさん@HOME:03/06/20 17:54
浮気ねえ…ニヤニヤ。
197名無しさん@HOME:03/06/20 17:55
>195
あの時代に「浮気」って概念はなかったと思われ
でも、雲居雁の怒り方は、なんとなく「浮気」騒動w。
>>195
浮気といってもね。
桐壺帝には他にも大勢の女御・更衣がいたわけだし。
なにせ皇子だけで10人もいたんだから。
その中で、桐壺の更衣だけイジメルのはどうかと小一時間・・・。
200名無しさん@HOME:03/06/20 18:39
>199
その頃にはまだ皇子は一ノ宮(朱雀院)一人だったんじゃなかったっけ?
源氏が二ノ宮なんだし。いくら更衣とは言え、へたに男皇子を
産まれて東宮にされたりしたらたまらねーと思うと、虐めたく
なる気もするのかも。コキデン女御が悪いと言うより、ほかの
女御達も意地悪をしてたようだし、後先考えない寵愛のしかたの
桐壺の帝もお馬鹿だなーと思う。桐壺帝の思慮がもっとあれば
更衣はあんな死に方しなかったと思う。
201名無しさん@HOME:03/06/20 18:54
当時の女性の「価値」は実家の家柄と財力だったからねえ。
桐壺の更衣も父親は大納言、母親は皇族だったのだから悪くはないが
父親はなくなっていて母親は出家の身だった。
亡き父親の遺志とはいえ、母親が苦労しらずの皇族だったから入内をしたような
気がするな。普通の貴族の娘だったら、入内後の苦労を思って思いとどまったのでは
ないかとおもふ。
確かに桐壺帝ってアフォだと思う。
桐壺の更衣をまるで女房のごとく、常にそばに置いてたもんだから、
周りの人たちも女房に対するように軽々しく扱うようになっちゃって・・・

葵を朱雀帝じゃなく、源氏の添い臥しにしたのも桐壺帝。
おかげで左右大臣は益々敵対するようになったんでしょ?
帝たるお方のすることじゃないよなー。
源氏可愛さのあまり、理性ふっとばしすぎ。
>200
桐壺帝は、更衣が出産してからその後先考えない寵愛の仕方をやめたんだよね。
寵愛のあまりとはいえお傍去らずの侍女みたいなので皇子の母君の扱いとして
相応しくないと考えて、重々しく扱った。
つまり桐壺帝としては更衣への思いやりのつもりなんだよね。
ところが、それが
「もしかしたら帝は二ノ宮を東宮にする気なのか?」
というコキデンの疑心暗鬼を呼んで、余計に意地悪されたんだから
更衣は全く気の毒だ。
普通に考えると既に右大臣の娘である女御が第一皇子を産んだ以上、
更衣腹の皇子が生まれても東宮に立つことはない筈で、そんな心配は無用。
それなのにコキデンが逆上したからにはよほどのことがあったんだろうなぁ。
最初にあまりに寵愛されたのが更衣の運のつきだよね。
204名無しさん@HOME:03/06/20 22:38
天皇・東宮(又は春宮候補の宮)に「浮気」は有り得ないと思う。
匂の宮みたいな女遊びってのはあるけど。
でも、普通の貴族には「浮気」もあるのでは?
205名無しさん@HOME:03/06/20 22:41
貴族は男色もあったからね
天皇・東宮は厳重に見張られてたみたいだし、
もし浮気(?)とかしちゃうと「お手が付いた」って
エライことになったんじゃないかな?

女三ノ宮は個人的に好きじゃないけど、三ノ宮が出てくる巻って
独特の美しさが漂ってるような気がする。
あ、理由は上手く言えないんだけど・・・・。
いかにもおっとりした内親王って、宮廷を感じさせるせいかも?
>「お手が付いた」ってエライことに
でも例えば美人の女房とかに、好き心から手を出しちゃうってこと、
なかったのかな?>浮気
女房相手なら「エライこと」にならないような・・・
もし女房が帝の子供を産んじゃったりしたら、それなりに遇されるのか?

女三ノ宮って「穢れてない」感じがする。
不倫して不義の子供産んで、不倫相手は死んじゃって自分も出家して・・・って
ドロドロなのに、清廉なイメージ。
同じ内親王で不義の子を産んで出家した藤壷の宮には、イヤらしさを感じるのに。
なんでだろ?
208名無しさん@HOME:03/06/21 02:05
なに考えてるかわからない人だから。
っていうか、本当に何も考えてなかったような気さえする。
唯一、出家するときだけは自らの意志だった。
209名無しさん@HOME:03/06/21 02:16
う〜ん・・・貴い生まれによってのハクチと言うか?>女三ノ宮
穢れてないって言うよりも「穢れた事すら気付かない」からこその
清廉さと言うか・・・
「何も考え無い=感情を持たないよう高貴な教育(訓練)された女性」
って、イメージだな私は
出家だけが自らの意思ってのも、それ所以と思ったが。
210名無しさん@HOME:03/06/21 06:36
女三の宮の生き方を清廉とは言わないような・・・。
実態感が乏しいだけで、知性が感じられないので
あまりそういう言い方したくない。
冷たい女って気がするし。
本編では女三宮は確かに冷たいところがあると思ったけど、
宇治十帖では薫の健康を気遣ったり、
薫が今上帝の女二宮を自邸に迎えることになった際は大喜びして
自分が住んでる寝殿を譲ろうかと申し出たりと、
結構母親らしい心配りを見せているんだよね。
なんかほのぼのした。
そうなんだけど個人的には女三宮にはハクチ美人のままでいてほしかった。
薫が結婚するってことは女三宮だって少しは大人になって当然なんだけど、
薫が「全く母君はいつまでもコドモだから」なんて愚痴るほうが
女三宮には似合ったキャラのような気が。全くの個人的感想ですが。
213名無しさん@HOME:03/06/22 21:24
なんか薫のほうで、おかあさんの言動を好意的に解釈
してるような気もするんだけど。
214名無しさん@HOME:03/06/22 21:51
>211
年取ってさすがに人間として成長した(兄上に対して媚、
お世辞、ゴマすりができるようになった)んでは?
源氏物語を読みたいと言っていた母にとりあえず手始めとして
あさき〜を貸してみた。(母は難しい本を読むと眠くなる体質)
おととい貸して昨日は寝不足ぎみ。「続きが気になるから3巻まで
読んだから眠くって。今日は読まないで早く寝る」
そして今日、またもや寝不足の母。「読まないでいようと思ったんだけど
やっぱり気になって。昨日は5巻まで読んだ」
源氏10巻、宇治3巻、そしてその後に続く原作本。
母の寝不足はこれからも続くのであった。
216206:03/06/23 00:52
多分、三ノ宮と藤壺の一番の違いは「相手を好きかどうか。
罪悪感があったかどうか。」だと思うんだけど、どうでしょう?

三ノ宮が穢れた感じがしない、というか高貴な白痴(おっとり)
で済むのは藤壺と違って自分が好んでした不義じゃないからかなぁ。

藤壺って賢いぶん、今の世の中でいうとフツーっぽいような。
女三ノ宮のが、今の世知辛い世の中で素敵に見えてしまうんだけど。。。。
たしかにフツーだな
藤壷の思考言動保身術はまさに不倫の最先端。
この人は極楽に逝けたのかどうか・・・素直に疑問。

女三宮の場合は己に隙があったし、
あるいは手引きされた不運はあるけれど
薫が将来も面倒みてくれる。結果オーライの人生。
218名無しさん@HOME:03/06/23 21:12
>210
女三宮は別に冷たくはないでしょう
源氏に対しての態度は、ネチネチ粘着に恨みがましい老人に対して当然と言えるし
柏木に関しても、浮気相手というよりも一方的に襲われたんだから
レイプした相手に対して優しくするってのもどうかと。
女三宮って、心の動きがさっぱりわからないんだよね。
この物語でなれそめがレイプじゃない方が珍しい(そうか?w)くらいだが
その後、好きになるとか嫌うとか女君の心がわかるんだけど
女三宮はひたすら受動的。(どう思われるかとかばかり)
もうひとり決定的な男があらわれればよかったのかもねw。
220名無しさん@HOME:03/06/23 21:40
源氏ももう一世代前のジジイだし、柏木もタイプではなかったから
どっちにも心は動いてないんじゃないかなぁ
源氏に対しては、どちらかと言うと嫌いだった感はあるけど。
221名無しさん@HOME:03/06/23 21:44
密通が発覚するまでは、けっこう源氏は優しくしてたし、
女三の宮もなんだかんだいってなついていたようだけど、
ねちこく虐められるようになってからは、もう顔も見たくない!
って感じだったね。柏木は最初っから相手にもされてないのに
勝手に忍んできて襲われちゃったんだし、好きになれって方が
かわいそうかも。

源氏が出家したときや死んだときは、ほっとしたんだろうなーと
思ったよ。さっさと三条の宮に移っちゃったみたいだし。
女三宮と藤壺の違い 密通を配偶者に隠し通す粘り方かな?
藤壺の場合、露見は決定的な破滅だし、帝への誠意で密通を隠し通した。 
女三宮は源氏にばれたことを悟ってジタバタせず、あっさり出家。
周囲の懸念 困惑すら無視した。

藤壺は苦悩を通して成長しただろうけど、女三宮は髪と共に苦悩ともおさらばした。
ん〜、現代っこに通じる女三宮の印象





223名無しさん@HOME:03/06/23 21:58
>222
うん、なんか男に振り回されないで自分の人生を生きてる感じがするね
我が道を行くっていう感じが潔くて気持ち良い
源氏に対して、ピシャっと言ってやる所なんてかなりスッキリ
224名無しさん@HOME:03/06/23 22:03
>死んだときは、ほっとしたんだろうなーと
「チッ、ダラダラ長生きしやがって
とっとと(ピーーーーー。」
位に思ってそうですよね、イヤむしろそれで良いと思うけど。
225名無しさん@HOME:03/06/23 23:37
寝取られた恨みとは言え、三の宮に散々意地悪なことを言っておいて、
紫が死んだら慰めてもらおうなんて思ってた源氏ってアホ過ぎ…。
そんで「私には関係ないわ」といわれたら、また
「なんて思いやりのない…紫なら云々」とか言って、
ほんとに三の宮からしたら(゚Д゚)ハァ?って感じだったろうね。
226名無しさん@HOME:03/06/23 23:37
三宮と三ノ宮と三の宮がごちゃまぜに使われているな。
三ノ宮→JR
三宮→阪神、阪急、地下鉄山手線、ポートライナー
三宮・花時計前→地下鉄海岸線
だっけ?
227名無しさん@HOME:03/06/24 13:07
>225
私もあの紫が死んだ後のくだりを読んで
ハァ?なんて図々しい男なんだ?と思った
三宮からしたら、「そんな事知るか、こっち来んなバーカ。」
って思うのが当たり前なのにねぇ

紫は愛人で、葵は正妻だからあの態度はまあ当然のものだし
三宮は正妻で、紫は愛人なのだから立場も違うのに
源氏って本当に自己中な勘違い野郎だわ
228名無しさん@HOME:03/06/24 13:12
>>222
現代っ子というよりは出自の違いだよ。
三の宮は「降家」ってことで源氏のことは
格下って思いが無意識にあっただろうしね。
229名無しさん@HOME:03/06/24 13:25
でも源氏が皇子のままだったら、三宮とどっちが身分上?
230名無しさん@HOME:03/06/24 13:27
>229
まずあの状況で皇子のままってのもありえないし
(母親亡くしてたし身内にパワーある後ろ盾はないし)
あの時代は母親の出自がモノを言うので
三宮の方が上なんじゃない?
231名無しさん@HOME:03/06/24 13:28
三宮のママンって誰?
232名無しさん@HOME:03/06/24 13:35
女三の宮の母は藤壷の異母姉妹
233名無しさん@HOME:03/06/24 14:29
浮気だの不倫だのって縛りがなく、自由にセックスしまくる。
そんな時代がつい最近まであったんだよね。
黒船やってきたのが災難の始まりか…
234名無しさん@HOME:03/06/24 14:29
>>233
そんな時代はありません
身分と知性が有る人だけが許されるので
頭の悪いブサイクは、現代でも平安時代でも相手にされません。
236名無しさん@HOME:03/06/24 14:36
>233
財力がある男に限られますわな。
甲斐性の無い男には 古今東西ゆるされておりませんぞww
237名無しさん@HOME:03/06/24 14:38
>>233
黒船?はぁ?
儒教的な考え方が支配的になって以来のものですよ。>今のモラル
女三宮と藤壺の違い その2  不義の子への態度
藤壺は冷泉を表舞台に出す為 源氏と手を組む事すら厭わない、更に出家して源氏を抑えるし後家の必死さがでていた。 
自身の浮沈もかかっていたにしろ、母としちゃ立派。

女三宮は薫に無頓着だし、源氏の方が薫に対して世話見よかったほど。
薫の偽善(仏道傾倒)は母の歓心を得るために思える。 薫がすこし気の毒になった

藤壺も極楽行きはむずかしいかろうが、女三宮も同様だぁ。 
修行三昧の八の宮でも地獄行きだものね・・・。 
上っ面じゃあ お釈迦様は騙せない、その上をいって式部様も手厳しいよ〜
 
でもさ、藤壺も女三宮も源氏の誘惑?から身を守るために出家したんだよね。
藤壺は世間体と自分の身分ひいては冷泉帝の安泰を守るために
女三宮は自分の心を守るために

源氏・・・なんつうやつじゃ
240名無しさん@HOME:03/06/24 14:51
>>235
>>236
いや、日本はもともと村社会で、男も女自由にセックスしてたんだよ。
辛い農作業のあいまの娯楽だったんだよね。
だから子供が生まれると、『村の子』として村で育ててた。
源氏の時代からずーと続いてた日本の伝統っしょ。
241名無しさん@HOME:03/06/24 14:55
>238
源氏の頃は阿弥陀信仰だったから
出家した藤壺も女三の宮も自分の極楽行きを
信じてたでしょうね。
極楽行き:紫、花散里、明石(?)、空蝉、末摘花、朝顔、葵(?)、
地獄行き:藤壺、女三宮、六条(?)、

お暇な方、リストに追加お願いしますw
243名無しさん@HOME:03/06/24 15:46
そもそも源氏が極楽にいけるかどうか〜あやしいもん。
女三宮は煩悩からの脱出で要領よく極楽へ逝けそうな気がするが
柏木はどうだろ????
藤壷と六条に挟まれ地獄逝きがいいね。あの最低男は!(w
天辺から紫達が高みの見物ってか?
244名無しさん@HOME:03/06/24 17:35
女三の宮は、地獄行きでも極楽行きでもあまり気にしなさそう(笑)
「わたくしには、関係ないわ…」ってな感じで、ほや〜〜んと
あの世へ渡って行かれそうです。
「あら、ここは…極楽なの?あ、そう…。」
「殿はいらっしゃらないのね。(やっと縁が切れたわ)」
って感じかな。
245名無しさん@HOME:03/06/24 17:35
源氏は地獄行きでしょう。
藤壺に不義の子生ませて、正妻の紫には、浮気等自己中な態度示して紫を苦しめ、
女三宮には子供扱いしたと思ったら、柏木との不倫の発覚後は冷酷&色ボケジジイに成り下がった。

全く救い甲斐のないやつだよ。
246名無しさん@HOME:03/06/24 18:03
薫と臭いの宮ってどっちが顔はよかったのかしら
247名無しさん@HOME:03/06/24 18:52
生まれたころは、明石の女御腹の皇子はわりと普通っぽくて
薫は輝くばかりだった気がするけど、宇治十帖では逆に
なってるような・・・。
柏木に似た顔(と夕霧が感じたよう)で、輝くばかりと言われてもなー。
柏木って美男だったっけ?
249名無しさん@HOME:03/06/24 19:40
>>246
臭いの宮、イヤァ-ン!!
250名無しさん@HOME:03/06/24 19:45
>>245
でもま、今の恋愛感で語りきれないのが
この時代のこの階級の人々だからね。
婚姻と政治的な思惑がシンクロしてるわけだし。

あと「浮気」ってこの時代の人にはそういう概念
なかったはずだよ。
>>246 顔だちそのものは匂の宮の方がよかったかも。
祖父の源氏に一番似てて。。みたいな描写があったような気がするし。
薫は顔だちに加えて、独特の雰囲気が魅力的だったのかもね。
男性版「雰囲気美人」って感じかな? あくまでも私見ですが。
あと、薫りが生まれつきあるってのは
顔云々よりも更にポイントが高いかも。

柏木って夕霧と並んで美男で有名だったはず。
生まれながらの薫り〜
腋臭?いやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ
254名無しさん@HOME:03/06/24 23:43
臭いの宮には陰影が足りないし
自分で臭いを研究しまくってるのもなんだかねえ
源氏が生まれながらに恵まれていたなら
臭い宮みたいになってたかもなという暗示じゃないよね。
あやつにはもののあはれも侘びさびもない!あるのは欲情のみ。
256名無しさん@HOME:03/06/24 23:59
>>255
そーかも。身分に何一つ不足なく苦労知らずだから、なんというかかげりがないというか。
257名無しさん@HOME:03/06/25 08:01
>>250
そうそう。基本的にフリーセックスだから
『浮気』とか『不倫』って概念は無かったと思われ。
男が女のいる屋敷に夜這いしにいくわけだし。。
でも、顔はHする時までみれない。。と
そうそう、複数男が通うモテ女なら、生まれた子供の父親をそのなかのお気に入りに指名できる。
強弁だろうが「父親は〇〇です」ってさ。 なかなか素敵な制度かもしれない。
 
>>258
今でも、中国の雲南省の奥地の少数民族に
同じ制度がある、って読んだことがある。
通い婚で、母親が通った男の中から父親を指名、ての。
260名無しさん@HOME:03/06/25 10:41
なるほど。
子供産めるのは女だから、
セックスが自由な社会では女が主導権を握るわけだ。
261名無しさん@HOME:03/06/25 10:46
>>257
胴衣。
だから「あさきゆめみし」あたりなんかは
そうとう現代的な解釈のもとに描かれすぎてると思う。
まぁ古典の入門にはいいんだろうけどさ。
どっちかって言えば宗教的な因果応報って思想が
ベースになってる物語のような気がするな。
262名無しさん@HOME:03/06/25 11:31
『俺はやりまくりだぜ』って男達が、実は天秤にかけられていたのね…。
263名無しさん@HOME:03/06/25 12:01
>262
ってか、やりまくって婚姻関係築く=出世のための後ろ盾ゲトだったの
264名無しさん@HOME:03/06/25 12:12
>263
Hこそが政治だった。。と
って事は最高権力者の帝は博愛じゃなきゃならないわけだ。
でも、藤壺は帝の愛を受けすぎた為に…。

あの時代に二人の閉じた愛ってのは禁断だったんだろうな。
その禁断の愛の末生まれたのが源氏かー。
あーと禁断だったのは、地位の高い貴族に限っての事か。。
266名無しさん@HOME:03/06/25 12:47
やりまくり、色好みといって。
267名無しさん@HOME:03/06/25 13:04
あの時代にEDってのはキツかっただろうね。
268名無しさん@HOME:03/06/25 13:27
EDでものし上がれるっしょ。
>>258にあったように誰の種かはあんま重要じゃなかったみたいだからさ。
権力者の娘には通う男も多いだろうし。
269名無しさん@HOME:03/06/25 13:58
源氏は男色でもあったみたいだしねー>空蝉のおとと
何て言うか今以上に何でもありだったのかも。
270名無しさん@HOME:03/06/25 14:05
たとえば葵や三宮に源氏以外の男が通ったっていいんだろうか・・・。
三宮は柏木と関係を持って源氏にいびられるけれど、男女がフリーセックス
だったのであれば、悪いことではないのかな?それとも、自分の屋敷に住んでいる
女君だったらよくて、夫の屋敷に迎えられた妻は駄目なのか・・・。
このころの結婚というものはよくわからない。
271名無しさん@HOME:03/06/25 14:06
>自分の屋敷に住んでいる
>女君だったらよくて、夫の屋敷に迎えられた妻は駄目

そういうことでしょ。
272名無しさん@HOME:03/06/25 14:08
いや、日本はもともとなんでもありだったんよ。
源氏の時代からずーと続いてる伝統。
ここ100年くらいで一時的に性道徳(?)に厳しくなってただけ。
今はもとに戻りつつあるんだと思うよ。
子供が生まれて父親がきまれば、フリーセクスは消滅じゃないかな(推測)
源氏物語じゃ 親が婚姻を定めるような家柄の話でフリーセクスは無理ぽ。   
雲居雁と夕霧は釣り合いは〇だが、親の許可なく!!で頭中将は引き裂いたほどだから。

柏木に子がないと晩年の頭中将は嘆いていたが、源氏の心中は複雑だったろうね。
「いるよ、ウチんちにっ!」ってさ・・・。
274名無しさん@HOME:03/06/25 14:22
>272
確かに江戸時代なんかは陰間とかあったみたいだしね。
そもそも江戸には女が少なかったんでしょ。
275名無しさん@HOME:03/06/25 14:25
>>274
そうなの?みんな大奥に吸収されてw?
276名無しさん@HOME:03/06/25 14:27
フリーセクスだからこそ、「ちゃんと結婚している間柄かどうか」が
あとあとまで地位に響いて来るんだよ。
紫が最後まで苦労したみたいにね。
妻の格式みたいなのあるじゃん。
結婚して披露宴した妻>夫の邸の寝殿に迎えられた妻>その他、みたいな。
もっと細かくランクあるんだろうけど。
277名無しさん@HOME:03/06/25 14:28
子供が生まれても、頭の中将と雲居の雁の母親みたいに、離婚というか
なんと言うか、他に男が出来てそっちの北の方になっちゃうことだって
あるべさ。
278名無しさん@HOME:03/06/25 14:30
てか、正室やそれに順ずる出自の高い妻との婚姻関係は
周囲なんかが勝手な離婚や不義は許さなかったんだよ。
政治のことも絡んでるし。
そうじゃない妻の場合はお互いの気持ちが冷えたらあとは
ご勝手にって部分もあったんだよ。
279名無しさん@HOME:03/06/25 14:36
落葉の宮は、本来内親王の身分と格式からいったら雲居の雁よりずっと上な
はずなのに、世間的にも雲居の雁の方が上か、精々同列に扱われてるよね。
内親王の身分も、正式な結婚をして子供もわんさかいる正妻の権威には
勝てないわけだ。
と思うと、夕霧が、雲居の雁とやること先にやっちゃったとはいえ、
結婚となると正式な形を取れる状況になるまで待ったのは、彼女のためには
のちのちまで良かったということになるよね。
あそこで夕霧がなし崩しに連れ出したり、許しもないのに通ったりして子供
生まれたから仕方なく認知(二人の仲を、大臣が)、なんて形になってたら、
彼女は、落葉の宮事件の時に、紫の上と同じ立場に陥っちゃったかも知れないね。
いやそもそも、女三宮自体夕霧に嫁してただろうし。
そう考えると、夕霧も嫁孝行な男なのだなあ。父に似ず。
280名無しさん@HOME:03/06/25 14:52
>>279
最後ワロタ>父に似ず。
281名無しさん@HOME:03/06/25 14:52
>279
雲居の雁に関してはパパ一族の威光が大きいのよ。
夕霧が雲居雁との前途をあきらめて
もういいやー、とほったらかしにしたら、
雲居雁にはどんな未来が待ってたの?
283名無しさん@HOME:03/06/25 15:08
>>282
入内はできないだろうから、そこそこの男と結婚かな。
>279 いやそもそも、女三宮自体夕霧に嫁してただろうし

もしこうなってたら、柏木と夕霧と女三の宮の三角関係になってたのかなー。
なんかそっちの方がリアルで生々しいような気がする。。
285名無しさん@HOME:03/06/25 15:39
>>284
本当だ。おもしろそう。
女二宮も加わって、金妻並みの四角関係。
いや、女三宮が夕霧に降嫁していたら、柏木があれほど執着したかどうか?
柏木ってロマンチストで、手が届かない高みにある女性に憧れてるだけだと思う。
院鍾愛の姫宮で太政天皇(だった?)の源氏の正室だからこそ
欲しかったんだと思うけどなー。
友人の夕霧の奥程度じゃ食指が動いたかどうかw。
287名無しさん@HOME:03/06/25 15:48
夕霧は朴訥だし、三宮は反応薄い女だし
つまんねえ夫婦、と柏木は思ったかもな
288名無しさん@HOME:03/06/25 15:51
柏木は、源氏と話が決まる前から執着していたと思うのですが。
289名無しさん@HOME:03/06/25 15:54
いくらパパ一族の威光が大きくても、正式じゃない結婚の仕方をしてたら、
それなりについて回るもんだよ。世間の目も違うし。
もし、後から他に正式に結婚する妻が出来たら、その時にやはり「格式」が
違っちゃう。
雲居の雁は、正々堂々「夕霧の正妻」になれたからこそ、一族の中でも
肩身狭くないようになったんじゃないかな。

多分、二人が駆け落ち同然の結婚の仕方してたとしたら、朱雀院も、
強引に女三宮を夕霧に・・・としたかも知れないし、それに対して、
雲居の雁の父大臣側も、駆け落ちな結婚の場合は表立ってイヤな顔も
できないでしょう?
そういう違いだと思う。
290名無しさん@HOME:03/06/25 15:57
中の君も正式な結婚じゃないから、あとあとたいへんそう。
291名無しさん@HOME:03/06/25 15:57
朱雀院が、女三宮を夕霧と結婚させるのを諦めたのって、おそらく
柏木を袖にする上に雲居の雁の実家でもある、という意味で、頭の中将の
意向をはばかったのではないかと思うんだな。
292名無しさん@HOME:03/06/25 16:05
宇治の中の君が正妻になるには、どんな形式が必要だったのかな?
というか、あの条件じゃどんな風にしたって駄目?
中の君は冷泉院の養女になって、院の姫宮として結婚してたら
そりゃもう完璧な正妻になっていたかも。
八の宮が出家にさしさわりがあるなら、姫君を引き取ってもいいみたいな描写があったし。
でもそれは、養女というより側室みたいな意味合いかな。。だったらだめか。
失礼しました。
冷泉院、そんなこと言ってたのか!
トシとってから煩悩全開だな。父親譲りかなーw。
295名無しさん@HOME:03/06/25 17:15
中の君が正式な妻になるには・・・
薫の妻にならなきゃ無理だったろう。
薫なら、「八の宮の遺言でケコーンしまつた」なんつって世間にも説明し、
三条の宮へ引き取って他の妻ももらわず大事にしそうだ。

匂の宮相手に正式な妻というのは無理ぽ。
娘がいない大貴族の養女になりでもしない限り。
でもこの先匂宮が立太子して、六の君が死ぬor皇子を産まなかった場合に、
薫の養女格(ちと無理があるが)とか、他の有力貴族をバックにつければ
立后も可能かも、という話が前出てたね。
秋好中宮みたいにね。
訂正。
中の君腹の男の子と、薫や他の大貴族の娘が結婚して男の子でも生まれて、
岳父が後見者になれば、中の君の立后やその腹の皇子の立太子も可能かも、
とかいう話だった気もする。
297名無しさん@HOME:03/06/25 18:13
>>295
薫の妻なら、結局女二宮が降嫁して紫上の二の舞じゃないかな。
薫は、愛情と誠意というよりも、意地と偏屈で降嫁を断りそうだとオモタ。
よく考えてみたら、六の君って大した血筋でもないような。
>>299
母親が典侍だから?
でもそれで言ったら、明石の中宮も出自は低いよね。
301名無しさん@HOME:03/06/25 19:13
そのへんは、パパの生死or扱い方の違いかな。
302名無しさん@HOME:03/06/25 19:18
純粋に血だけで考えたら、薫のほうが
臭いの宮より高貴なような??
三代前までさかのぼると。
え〜? パパが帝ってのは高貴の切り札じゃないのー?<匂宮
304名無しさん@HOME:03/06/25 20:23
いや、純粋に、母方の血まで考えると、匂いの宮は
明石系のB級の血が入ってるけど
薫はおじいさん、おばあさん、父、母、みんな宮家か
一級貴族なかんじが。
あくまで、血だけで。
>>明石系のB級の血
源氏も明石の君をよく「身分が低い」って言って侮ってた。
でも、明石の君の父親の明石の入道と、源氏の母親の桐壺の更衣って、
従兄妹同士だよね?
従兄妹くらいじゃ、他人も同然か?
風俗博物館に行った事のある方いらっしゃいますか?
源氏物語の世界を再現した博物館らしく行ってみたいと思ってるんですが・・・。
1/4スケールの春の御殿やら、物語の中にでてくる情景どおりに配置された
人形やら興味津々。行かれた方の感想をお聞きしたいです。
京都御所の一般公開も行ってみたいな〜。
>>305
母親の方の身分がとても低いってあったけど。
しかも血縁はあっても明石の入道は受領階級だし。
308305:03/06/26 00:32
>>307
「明石の中宮の母方の身分が低い」のでは?
明石の君の母の尼君は皇族(中務宮)の孫とあったような・・・
>>306
風俗博物館のHP見てみました。
行ってみたいですねー。
紫の上が春の御殿の寝殿にいたけど、彼女、寝殿に住んでたの???
明石の方のパパンは三位中将まで勤めたってことは、
なかなかの貴族だったんじゃない?それが思うところあって
受領に→出家ってあったような気がする。世渡りが下手だったのか…
尼君は中務の宮様の孫娘、もしパパンがそのまま殿上人だったら
明石の方もあんなに肩身の狭い思いはしなかったのかな。

でも宮様の孫くらいになると、そんなに大した官職には
つけないのかな。大輔の命婦とかも宮様の孫なのに、
女房勤めだし…
311306:03/06/26 02:59
>>309
あそこのHPおもしろいですよね。私もHPを見てから俄然
行きたくなってしまいました。
興味のある方の為にURLはっておきます。
ttp://www.iz2.or.jp/

実際に行かれた方の感想お待ちしてます。
312名無しさん@HOME:03/06/26 09:04
1回都落ちしちゃうと、大変なのはいまもむかしも同じ
だのう。
313名無しさん@HOME:03/06/26 09:16
確かに、明石の方のパパンって世渡りは下手そうだ(w
けど「華やかな貴族世界」は知ってる物だから、娘には出世を!と
手を回したっぽいな。
まっ、それが「源氏へ」ってトコが・・・
絶世の美男子だから良いものの、これが位の高いブ男なら明石のお方も
「ざけんじゃねぇ〜」だと思われ・・・
こりゃ〜今も昔も一緒か(w
明石の入道はどっちかというと好き! 
夢を信じて受領階級に落ちる(自ら志願)、明石の浜で貴人を待っていた建設的ロマンチスト(変な取り合わせだけど)
源氏物語中の男でも異色なキャラ。 夢が叶った後、人知れず入山した所もイイ。
明石の君が聡明なのもあの父にして、この娘ありって風に思ったもん。 
315名無しさん@HOME:03/06/26 09:38
>>314
でも受領階級の方が下手な貴族@都より
生きやすい時代だったんだよ。
316名無しさん@HOME:03/06/26 10:19
明石の入道って、仏様のお告げで「我が家から国母が立つ」とあって
受領〜出家したんじゃなかったっけ?
野心家といえば野心家だし、神仏からの使命を全うしたといえばそうだし・・・
高貴な奥様は振り回されてたいへんだっただろうな〜と思う。
明石が都に上るとき奥方はついていって、自分は明石に残るときの惜別のシーンは
なかなかぐっときましたなぁ。
317名無しさん@HOME:03/06/26 10:33
でもなんかその後明石一族ばかりはびこるのが
うざいというか・・・。
入道は好きなんだけど。
明石の上のことは、若紫の巻の冒頭くらいにちらっと出てますよね。
意に染まぬ結婚をするくらいなら、海に入ってしまえなどと娘に言ってる
変わり者の受領がいるとかなんとかいう噂話で。。
それが明石の物語の伏線になってるようだけど、でもその噂の当時は、
明石の上はまだ9才くらいなんだよね。。
そんなこと考えるのはまだ早すぎるような気がするんだけど、
仏のお告げがあったので、早いなんて思わなかったのかなー。
319名無しさん@HOME:03/06/26 10:41
源氏の基本ラインとして、当時絶対と見なされていた「生れの高貴さ、実家の
力の強さ」にアンチテーゼというのがあるもんね。
物語の中で幸せな余生を送っている人たちはみんななにかしら身の上に苦労があったり
出自が今ひとつだったりする人ばかり。
当時の絶対権力の藤原氏に対抗して皇族よりの物語を書いた、なんてのも
ありますが、生まれ育ちよりも心栄えや魂の高貴さが人生を決めるのだと
式部さんが言っているような・・・
320名無しさん@HOME:03/06/26 13:37
>319
式部さん自身の希望も入ってたかもね。>生まれ育ちよりも心栄えや魂の高貴さ
321名無しさん@HOME:03/06/26 14:04
明石より紫が年上というのがピンとこないのはなんでかな。
源氏がスマ落ちしたとき、紫はまだ儚げだったからかな。
322名無しさん@HOME:03/06/26 14:52
明石の年齢ははっきりしないよね。
323名無しさん@HOME:03/06/26 15:06
>322
「あさき〜」では明石が紫よりひとつ年下になってたような。
324名無しさん@HOME:03/06/26 15:55
式部さんって現代の作家だと誰のタイプだろう?
>318
そうはいっても、ハイソサエティの適齢期は7・8歳くらいからでしょ?
もちろん本人の意思は関係ないけれど。
源氏の娘など実年齢6・7歳で入内、出産は11・12歳程度ですよ

当時は体も小さいし、なによりも惨い…と思うけれど。
明石の女御はその割に多産だったよね。
いたいけな彼女はさぞかし東宮の劣情をそそったことだろう・・
てか避妊もせずにHしてるんだもんね〜
4男1女だっけ? 明石の女御が産んだ子供たち。
ええと、11歳で入内だから実年齢9・10歳か?
2年後の出産時が11・12歳・・・
可哀想だ。

長男は東宮、次男は次期東宮、三男は臭う宮。
しかし四男は? まったく出てこないよね?

>>326
東宮にしてみれば、自分に譲位される前に男の子(その次の東宮)が
産まれている必要があったのでは?
でなければ、次の東宮位は・・・ 誰になってたんだ???>明石の女御にも、
他の女御たちにも男の子がいなかった場合。
328名無しさん@HOME:03/06/26 19:20
無知な質問なのですが。
あの当時の高貴な生まれの女性は、殿方の目に触れぬよう
外を歩いた経験がないのでしょうか?
329名無しさん@HOME:03/06/26 19:53
>>328
「立ち歩くのも稀」っていうくらいだし
お日様のあたる外なんて歩いたことないんでしょうなぁ、身分の高い方は。
ずっと座りつづけている体力さえもないとか。
内裏の中だと、帝のご寝所に上がるときくらいは歩くのかな。
でも普通の貴族の妻なら、男のほうがかよって来るんだしね。
高貴な女性は歩くこともほとんどしなくていいんだろうな。
下手したら、部屋から一歩も出ずに何ヶ月…とかあるのかな??
社寺の参詣がほぼ唯一の外出機会じゃないかな。
牛車がはいらない場所は歩いたのでは。
后女御ともなると、それも無しかなぁ。
明石の君は住吉詣でしてたよね。(身分低いけど)
332名無しさん@HOME:03/06/26 21:05
太陽を浴びない生活で、くる病とかにならなかったのかな?
ついでを言えば、あの時代ってマメにお風呂に入っていないし
あの十二単の厚着。
夜這いってことは、女性側の事前の準備はなかったろうから
臭いHでしたのね。
333名無しさん@HOME:03/06/26 21:09
臭かったからこそ
香の文化が生まれたんじゃないかってガッコの先生がいってたなぁ。

参詣の時も歩かなかったんじゃない?
きっちり輿使ってそう。
くる病患者、多かったんじゃないかなぁと思う。
日に当たらないのみならず、食生活も貧しい平安時代..
それに歩かないよね、いざり歩きっていうの?
あんな重い着物着て膝でいざるなんて長い距離は無理ぽ。
すごく不健康な生活だ。庶民のほうが健康そう。

風呂もめったに入らないもんねぇ。
(そんなの中世の西欧も似たり寄ったりだけど)
事前準備があるのは親の決めた結婚だけか?
で、日本では香の文化、西欧では香水の文化。
335名無しさん@HOME:03/06/26 21:41
肉食してないと体臭なさそう。
336名無しさん@HOME:03/06/26 21:53
そぉ?外国人に言わせると日本人はしょっぱい匂い、とか
魚臭いとか体臭かなりあるらしいよ。
成田に着いた時点で、匂いを感じるらしい。
けっして肉食だけが原因ではないしね。
平均寿命が25歳かそこらだったと聞いたことがあるが。
338名無しさん@HOME:03/06/27 01:51
えっ、本当? >337
25歳で年寄り?ヤダー
それって貴族に限った話でつか?
寿命短いと思う。 食べ物も粗末だし。 娯楽は寺参りの外出かS〇X・・・。
そして、お産で死んじゃう女達。   あわれだわ。

横川の僧都みたいな坊さん(専門職?)も出家後であっても家族で暮らせるんだね。
男の出家は元妻と暮らせるのかな? 明石の入道は妻と暮らしていたようだけど。
340名無しさん@HOME:03/06/27 09:12
平均年齢25歳といっても、赤ん坊や子供の死亡率高かったから・・・
無事成人したら、40〜50までは生きる人が多かったのでは?
四十の賀ってあるけど、あれが今の六十の還暦祝いぐらいな感覚なのでは。
女の人は、お産で死ぬ人も多かっただろうし、疫病が流行るとばたばた死んだけど。

一応出家したら、妻とは別居だと思うよ。
明石の入道は、屋敷内の別のところに暮らしてたのでは?
源氏と女三の宮みたいに、同じ邸に同居してても、一緒には寝ない・・・みたいな。
341名無しさん@HOME:03/06/27 09:29
あの当時の貴族の出家ってのは多くの場合、
配偶者と床を一緒にしないだけで
同じ邸内に暮してたんじゃないの?
342名無しさん@HOME:03/06/27 09:53
当時お産で亡くなる女性って、骨盤の発達が悪くて赤ん坊が
出てこず、そのまま苦しんで亡くなるってパターンだったらしいよ。
(歴史本で知った)
いくら今の子は発達が良いと言えど(倫理的問題は除き)
13〜4歳でのシュサーンは、やっぱり出来る子(身体の成長が早い子)と
出来無い子(身体の成長が緩やかな子)が居るんだもん、その当時だと
もっと成長具合は遅そうだしねぇ・・・
それより不思議なのが、身体の成長は遅いのにセックルは大丈夫なのか?
成長が遅い(未発達?)ならば、初潮も遅いのでは?と思うのだが・・・
14〜5歳で母って人間も多そうだよね>30前後で平均寿命ならさ
初潮だけは早かった?つー事なのかすぃら?
343名無しさん@HOME:03/06/27 10:23
早く結婚したらそのぶん急激に精神的におとなびて
ホルモンが活発になったとか・・・。
それにしても明石の女御と、まつは凄い。
344名無しさん@HOME:03/06/27 10:25
紫はなぜあんなに幼かったのだろう。
>>327
明石の女御は確かに4男1女をもうけているけど、
四男は更衣腹の皇子(後に常陸宮とよばれる)だから
末息子は五男にあたるはず。
まあ四男、五男ともにほとんど出番はないけどね。
源氏は子供は少ないのに孫はすごく多いなあ。
夕霧と明石が子だくさんだからだけどね。
でもその孫どうしが何組か結婚してるのって、冷静に考えたらすごいんだけど。。
いとこくらいだったら他人も同然、て感覚なのでしょうか。
親が兄弟でも、腹違いの場合が多いし。夕霧を除いて。
347名無しさん@HOME:03/06/28 02:02
夕霧と明石は母親も違うし、さほど近いという感覚はないんじゃないかな。
叔母甥、叔父姪の結婚も多かった時代だしねえ。
あと、あの時代は、同じ家で育っていると近い→近親相姦っぽい雰囲気、
という感じみたいですよ。
だから、夕霧と雲居の雁の仲について、頭中将が「体裁が悪い」っつーて
良い顔しなかったわけ。
栄養状態が悪いって言っても、
貴族階級はかなりの贅沢をしている。
藤原道長は、その症状からいって「日本最古の糖尿病患者」と
言われている。
その兄の道隆も、大鏡あたり読むと、
アルコール依存症+糖尿病ではないか、と思わせる記述がある。

源氏物語でも、花散里はデブっぽい。(w
>348
平安時代の貴族ってデブが多かったし、それが美だったって聞いたよ。
米中心で食べるものも炭水化物が中心で、非常に偏りがあるから、
病的に太るというかむくむんだって。
糖尿病の人も多かったらしいけど。
350名無しさん@HOME:03/06/28 11:52
デブが美
なのではなく、当時は貴族は皆着物が重くて動けなかった
=運動不足による肥満。
そして、貴族の常識=世間の常識
の時代だから、デブが美と言われただけ。
実際庶民の間では、下膨れデブ女はやはりもてなかった
っと、歴史の時間習いました。
唐の時代も、デブというかぽっちゃりめが美人だった。
よって、「絶世の美女」といわれる楊貴妃も、太めだったらしい。
もう少し前の時代のものだけど、高松塚古墳の壁画の美女たちも、
下膨れ。(w
「中国の流行=イイ!!」という時代なので、
本朝でも太目を好んだ、そうな。

しかし、本当は350さんの理由なんだろうな…。(w

小説「武則天」に書いてあったんだけど、中国でも美女のトレンドは色々で
楊貴妃は、めちゃくちゃふくよかだったみたいだけど、趙飛燕に代表されるような
柳腰の華奢な女性がモテル時代もあったそうな。

「蜂のように細いうなじ」「色白」「豊満なバストに細いウエスト」というとこは
現代と共通するなあと、ホホーと思いながら読んだ。
他にも化粧方法(基礎化粧がメチャ念入!)とか美容法とかの記述が面白かった。

すれ違い失礼

食べられない時代だからこそ 太っている(豊満)=稀少=美だと思っていた。
現代でも途上国じゃあその感覚じゃないかな?
日本で痩せ女が流行るのは、豊かな証拠なんでしょう。

海から遠い京都、殺生を禁じていた時代だから蛋白質は乏しいと思う。
紫式部は好物の鰯を夫に隠れて食べていたっけ、鰯食いを歌に残していた(笑)
源氏が食事する場面は記憶にないなぁ。 宴会ばかりじゃなかろうに。 
まぁ絵にならないからね、もの喰う源氏なんて。
>>353
田辺聖子の書いた源氏物語のパロディー小説(題名忘れた、スマソ)は、
ひたすら食べてばっかりだった。(w

まあ、アンチテーゼなんだろうけど。
>347
異母兄弟姉妹の結婚はOKだった古代でも、同母は駄目と
いうタブーは比較的早く成立したとか。
同母は異母よりもちろん血が近いからなんだろうけど、
同じ家で育つからという理由もあるんでしょうね。

ところで、紫式部の時代まで下がってくると、兄弟姉妹婚は駄目なんだっけ?
日本ではいつタブーになったんだろう。
>>355
紫式部の時代よりさらに後、亀山天皇(1260年ごろ?)が
異母姉妹の懌子内親王を妻にしてる。
それくらいが最後なのかな?
当時の年齢の数え方ってどうなってんの?
ちい姫が紫に引き取られたのは三歳ということだけど
どうも二歳になったばかりのような幼さなんで・・・。
358名無しさん@HOME:03/06/28 19:12
数え年なのと、
誕生日じゃなくて御正月がくるたびに年を重ねるんじゃないっけ。
同族婚というと奇形を連想するんですけど
奇形児が生まれたらどうしてたんでしょうか。
捨てると思う。
まぁ里子という形か乳母にまかせるかはともかく。(飼い殺しね)
帝の第一皇子が奇形だったらどーするんだろうな?
病弱につき夭折・・・ガクガクブルブル((;゚Д゚))ガクブルガク
冷泉の皇后昌子が養子にしようとしていた皇子が池沼だったって話が
栄華物語にあるよ。
奇形の場合は、「前世で悪いコトした報いで奇形になった」という風に
考えられ勝ちなので、マジで捨てられたり間引きされたりするかもね。
>>358
数え年は、生まれたときにすでに一歳(お腹の中にいた期間も計算に入れる意味らしい)で
お正月を迎える度に自動的に一歳づつ歳をとっていきます。
変な話、12月31日うまれの新生児でも、一日後には2歳と勘定されるわけ。

個人の誕生日という概念はあまりなかったようですな。
強いていうなら、お正月が日本中の人の誕生日だったわけで、めでたさもひとしお。
いまでも大晦日の夜のことを「年取りの夜」という言葉ものこってるね。
>360
第一皇子=東宮最有力とは限らないよね。
第一皇子の母、ひいてはその実家次第でしょう、問題になるかどうかは。
箸にも棒にもかからないクラスの女が母親ならきっと闇に(ガクガクブルブル

冷泉天皇は精神に問題があったようだけど天皇になったよね...
その子の花山天皇だってそうだよね...
多少問題があってもえいやで皇位につけてしまうこともあるんだね。
見るからに奇形だったらさすがに皇位は無理だろうけど。
精神に問題があったというのは今でいうと何だろうね。
精神分裂症?花山天皇は躁鬱?
どちらにしても遺伝疾患なのかなあ。
江戸時代だと乳母の白粉のせいとかあるけど。
>363
誕生日という概念があまりない…ということは、占星術とかもなかったんでしょうかね。
ちょっと話飛ぶけど。
でも阿部清明とかもいたしなあ。あれは陰陽道だからあまり関係ないのかな?
現代の感覚で、あのヒロインは何座?とか妄想したりします。
六条はぜったいにさそり座だったと。。朧月夜とかは獅子座っぽい。
ん、女君の星座を考えるって素敵だね〜。
確かに六条は蠍座の女っぽい。
三宮は乙女座とか?
朧月夜、射手座なんかはどう?
安部清明ですけど。
369名無しさん@HOME:03/06/30 01:43
チミたち、凄過ぎるよ・・・
370名無しさん@HOME:03/06/30 08:37
源氏はどうだろう。ふたご座B型!となんの脈絡もなく
あたまに浮かんできましたが…
女好きの星座ってあるんかな(笑)

しかし年齢の話があったけど、明石の中宮もすごいけど
女三の宮も、降嫁してきたとき13〜4ってことは、12歳前後って
ことでしょう?今で言えば小学6年生とか中一の女の子が
40間近のオッサンのとこに…・゚・(ノД`)・゚・。
それで「女の自覚もない…」って言われてもなぁ。
オマエには中年男の自覚ネエだろ!!って突っ込みたいっす。
371名無しさん@HOME:03/06/30 08:45
浮気っぽい男は射手座に多いと思うけど、源氏の場合知的な面も多いので
天秤座か双子座辺りかと。
>>365
364じゃないですけど。
「精神」というより、「知能」のほうだと思いますよ。
冷泉帝でしたっけ? 足から血を流しながらも尚、
蹴鞠を続けていた、っていうのは。

…って、戦前なら「不敬罪でタイーホ」されそうな話題なんでsage。
373名無しさん@HOME:03/06/30 08:53
>>370
今の精神的感覚でいけば、人形遊びの好きな22歳くらいの女が
50過ぎの男と結婚する感覚かとw
>>360
「さらさらと水をお産みになりました」みたいな感じで
流れたことにしていた。>奇形児の場合。
実家に帰って産むので、帝にはわからない。
後で噂が立ってしまうけど。
(一条天皇の女御の誰かがそのケースだった記憶がある)
375名無しさん@HOME:03/06/30 09:02
水を産むというのは、想像妊娠の例えだと思ってたけど、
そういうこともあるのね。
初めて知った。
376名無しさん@HOME:03/06/30 11:48
>373
ゴスロリで人形抱いた、目の逝っちゃってる女の子を
想像しちゃった(笑)
今だったらそんな感じかな。それが金持ちオヤジと…オェ。
377名無しさん@HOME:03/06/30 12:02
実際女三宮って、成人式(裳着)を済ませた「大人」なのに
雛遊びの好きな「幼稚な人」というふうだよね。
>374
それって、病気で腹水で腹が膨らんだのに妊娠したと思い込んだ女御の話
じゃない?
379名無しさん@HOME:03/06/30 12:16
>377
その辺は今のDQN成人とかわらないかもw
まあ、体や精神が成長する前に「女」にしてしまうのは
なんだかなーって気がする。
裳着や元服をしたら、その日をさかいに大人と子供、
男と女!って割りきるのは大変だったのかもねー。

源氏も、いきなり藤壷と会えなくなって淋しい!ってとこに
葵と結婚してそういうことも色々覚えて味占めちゃったから
子供の理性では歯止めが利かなくなって藤壷病にやられちゃったんかな。
(下品でスマソ)
380名無しさん@HOME:03/06/30 13:01
>373
育ちと血筋からいって、単なる人形遊びというよりは
アンティークドールやアンティークテディを収集していそう
今でもアンティークドールのコレクターは
金持ちと相場が決まってますしね。
でも、成人したっていっても、12歳かそこらの
クマさんがいなきゃって年頃じゃないの?
いちがいに幼いともいえないよ。
382名無しさん@HOME:03/06/30 14:10
体のことはともかく、精神的なことは
周りから大人として扱われることで変っていくと思うなぁ。
今の12歳が子供なのも、周りが子供として扱うからっていう側面もあるとおもう。
まあ、時代の変化で大人になるためのスキルが昔とは比較にならないほど
多いから、単純にはいえないが
383名無しさん@HOME:03/06/30 14:14
12歳で蝶よ花よで育てば、子供っぽいのも仕方ないというか
現代でもお嬢様育ちの子は、純粋な部分を多く持っていたりするし
紫のような庶民は、しっかりしていないと生きて行けないから
自然としっかりしていたんでしょうね。
>>374
んにゃ、自分が読んだやつの話は違ってた。
(筆者の解釈が入っていたのかも)
手足の無い蛭子(Z武君かい?)を産んで、すぐ死んだから…云々だった。
妊娠して里下がりしていた女御にどうしても会いたかった帝が、
異例のことだが宮中に呼んでしまったので、
「懐妊中に宮中に上がったからだ」と噂された、っちゅう話だったんだが。

原文を読んだわけじゃないんで、筆者の解釈に過ぎなかったらスマソ。
385名無しさん@HOME:03/06/30 14:42
手足が無い位の奇形だと、大抵流産しちゃうけどね
しかもごく初期のうちに。
みなさーん、作り話ですよー
387名無しさん@HOME:03/06/30 18:15
水を産む、云々は、破水のことだと聞いたが
388名無しさん@HOME:03/06/30 19:20
藤原元子の妊娠騒ぎの真相については、破水のことだとか、諸説あるんだよ。
腹水説もあるし、色々だぁね。
>>388
安西篤子の「悲愁中宮」では、奇形児説だったな。
あの小説は面白かった。
集英社文庫で出てるから、良かったら読んでみてくれ。

古事記でも、イザナギとイザナミの最初の子供は蛭子だったんで、
川に流してしまっていたし、
奇形児を流してしまうっていうのは、この時代のデフォルトなんだろうね。

しかし、奇形児ならわからんでもないけど。
(って、どこぞの団体に怒られそうな言い方だな…汗)
この当時は、直毛の黒髪でないとまずい時代なんで、
くせ毛の子供は捨てられた…って、中学のときに国語の教師が言っていて、
ガクブル…だったな。(自分もくせ毛なのさ)
蛭子と書いてエビスと呼ぶ。 
イザナギとイザナミの最初の子供の形状は蛭みたい、で元が神様の子だから流された海で神さま(エビス)になったと聞いた憶えアリ。
神様が自分の子供の形で差別? あっさり海に流す?と激しく首を傾げたものです。

エビスって漢字で書く場合、恵比寿(須)か夷にするけど、本来は蛭子なんだよなぁと売店のビールで物思う。
スレ違いですみません 
「悲愁中宮」読んだことあります。確かにおもしろかった。おすすめ。
藤原元子の出産?については、永井路子さんの本には
「想像妊娠=腹水」とあって、てっきりそう信じてたんだけど
いろいろな解釈があるのねー。勉強になりました。
>390
そういう人間臭い行動は何か意味があったのかどうか
神様ってなんだろうと謎に思う。
人間が造り出した幻想なんだろうか?
>389
平安時代の癖毛と言えば、「アカデメイアの冒険者」を思い出しますねー
彼女は幸せになれたっぽい。
でも、あさきゆめみしでは、籐の中将がなんかテンパー系に描かれている気がするが。
籐 藤のまちがい
ちゃうちゃう、「頭の中将」だよ。蔵人の頭で中将を兼ねてる人のことね。
397名無しさん@HOME:03/07/02 08:10
頭の中将とか、息子の柏木、紅梅も天パっぽかったね>あさき
描きわけの都合なんだろうけど、男なら良かったのかな。
男は髷に結って、烏帽子をかぶっちゃうから…
でもちいさいときはみずらに結ったりするんだよね、
そう言うときはどうしたんだろう。
398名無しさん@HOME:03/07/02 08:36
現代のように毎日シャンプーするわけではないし、女性の場合は「丈なす黒髪」
だったわけで、そうとうキツイ天パーじゃないかぎり、自重でほとんどストレートに
見えたと思われ・・・
そういうアテクシは天パーの剛毛ですが、腰くらいのロングヘアにしていたときは
毛先までボリュームのある直毛のように見えていました。余談〜
399名無しさん@HOME:03/07/02 12:30
主人公はじめ、ほとんどの登場人物に、あだ名がある。
官職が変わっても、あだ名はあまり変わらない。
ところが、非常に重要な人物であるにもかかわらずあだ名がなく、最初から最後まで官職名で呼ばれ続けている人物がいる。
頭中将→大将→中納言→内大臣→太政大臣
400名無しさん@HOME:03/07/02 12:52
>399
けっこうワラタw
まさにそのとおり!
401名無しさん@HOME:03/07/02 13:11
太政大臣のあとは、致仕の大臣ね。

でも、あだ名があると言っても、原作で本当にあだ名がある人って
そんなに多かったかな?
光源氏、紫の上、通称として使われてないけど藤壺(輝く日の宮)、
薫、匂の宮以外は誰がいるっけ?
頭の中将は、主人公になってる帖が特にないし、通称をつけにくいから
原作まんまの呼び方になっちゃってるんだろね。
「六条の御息所」「明石の御方」は、あだ名というのともちょっと違うよね。
実際に世の中でそう呼ばれていた、ということになるんだろうし。

源氏の登場人物の呼称に関しては、以下のように分類できるかと。

・原作でついているあだ名:光君、紫の君、匂の宮など
・原作での通称(身分役職名、邸の場所などで呼ばれるのが普通)
 :六条院、対の御方(紫の上)、頭の中将などなど。
・原作での本名:玉鬘しか分からん。
・後世、便宜上つけられたあだ名(通称):夕霧、柏木、葵etc.
あの時代で髪の毛に問題があった女性はどうしてたんだろうなぁ。
いや、私が猫毛で髪細いんだよ(泣
肩まで伸ばしただけで分け目やばやば。
髪型やパーマでごまかしてるけど、できなければ辛いだろうな。
容貌と一緒でブス!とランク付けされてただけなのかな。
現在の力士も似たような悩みはありそうだねw。
404名無しさん@HOME:03/07/02 19:50
私は平安時代だったら美人な髪。
しかし現代だと、ショート→「GO」の窪塚、ミディアム→礼子像、ロング→貞子、
縛ると五右衛門。
扱いやすい髪の人、うらやましい。
405名無しさん@HOME:03/07/02 19:51
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>403ですが。
ぬあ〜〜。貞子だなんてうらやますぃ!!
やっぱストレートの黒髪ロングは最高っすよ!
って関係ないですねw。スマソ
>402
玉鬘の本名は藤原の瑠璃君だったんじゃないかなー。
余談だけど氷室冴子の「なんて素敵にジャパネスク」の
ヒロインも瑠璃姫だね。だいぶ昔のコバルト文庫だけど。
>403
付け毛してたらしいよ。自分の抜けた毛を集めて作ったりもした。
清少納言は天パだったんだって。
>>406
ストレート黒髪ロングは、オバサンがやるとイタタな人になるからなぁ。

>>408
かつらがあったかもね。うちの母の時代ぐらいまでは、髪を伸ばして
売ってた。本当の髪の毛でかつら作ってたらしい。
410402:03/07/03 00:01
>>407
そう、玉鬘の本名は「藤原瑠璃」君です。
でも玉鬘以外は本名出てこないんだよね。
411名無しさん@HOME:03/07/03 00:09
>>408
髪だけは美しかった末摘花が、源氏の須磨流れ以降ますます没落して
一番の女房を叔母がつれていってしまう。。。というときに
かもじ(かつら)にしておいた自分の髪を渡す、というのがあったね。
412名無しさん@HOME:03/07/03 02:29
惟光、良清は本名じゃないの?
413名無しさん@HOME:03/07/03 08:26
>412
あーたしかにその二人は本名だねぇ。
414名無しさん@HOME:03/07/03 09:14
名が知れているのは官職にあるひと。
あとは帝の后。
そのほかは身分が低いひと。

玉鬘は内持の司かなんかになったから、知られてるンだと思う。
中宮になった藤壺の名もほんとは分かってるはず。もともと内親王だし。
ただ身分の高いひとを名指しするのは失礼という慣習があったので、
もともと女御更衣などは、住まう御殿や舎で呼ばれた。

清少納言は赤毛の縮れ毛説有り。
平安時代の美容法では、髪を黒くする方法や艶を出す方法、縮れ毛を直す方法、
そして顔色を良くする方法、肌の艶を出す方法、色白にする方法が列挙されていました。
415名無しさん@HOME:03/07/03 17:30
違うよ。
玉鬘は、たまたま本名が出てきただけ。
行方不明の彼女が見つかるよう右近が願をかけていて、「願をかけていた藤原
瑠璃君が云々」みたいな感じで、話にぽっと出てきたの。
そりゃ、源氏の登場人物にも名前はあるんだろうけど(源氏自身にもね)、
基本的に出てきませんね。
高貴な人に名前表記がない、古典の不思議でした。 
官位で呼ぶと出世する貴族だととても不便。 その点源氏名は便利よね。 
私は名前の呪力を信じてたからみだりに呼ばないと思っていた。 
414の名指し呼び=失礼説に納得。 勉強になるわ。 
源氏のホントの名前がdqnだったらおもろいだろうなとふと思った。    
417306:03/07/03 18:54
水商売の人が使う「源氏名」って光源氏からとってるんだから
すごいなー。1000年後までスケコマシの代表として語り継がれる
光源氏。紫式部も本望でしょう。
>>417はこのスレの306ではありませぬ。失礼。
419名無しさん@HOME:03/07/03 18:56
藤原の瑠璃君 も、道長の母親の時姫と同じように、通称または右近がつけた
呼称だと思っていました。

男性は官職名。
女性はさぶらい名。
后は御殿名(舎や壺名)などで呼ばれる。
位などをいただくとき、文章に本名を載せるけど、女性の名前は身内しかしらないから、
道長の妻の名も、蔵人の行成は知らないから、道長本人に聴いている。
「O子」というのが正式な名前=本名なんじゃないかなと。
右近は身内といえないこともないけれど、主人の娘の本名を呼んでいたとは思えない。
>419
私も瑠璃君は右近が勝手にそう呼んでいただけだと思ってました。

女房って仕えている姫君の本名って知ってるのかな?
王命婦は藤壺の、えーっと誰だったか(w)は浮舟の、本名を知ってたかしら?
知ってたところで呼ばないだろうけどね。
(実際は大君とか中の君とか呼んだんだろーか)
421名無しさん@HOME:03/07/03 19:49
>>419
じゃあ、右近が「あの瑠璃のように、うつくしくかわいらしかった姫」という意味で
そう書いたのかしら?
422名無しさん@HOME:03/07/03 22:47
>421
私もそう思ってましたー。願を立てる便宜上「あの美しい姫ぎみは…」
ってことで藤原の瑠璃君、と呼んだのかなって。
423名無しさん@HOME:03/07/03 23:34
本名と言っても、公式な名前と、身内での名前と両方あるんだよ。
幼名と元服(女性は裳着だけど)してからの名前みたいな感じで。
牛若丸と義経の違いというか。
瑠璃というのは、牛若丸にあたる名前と思われます。
玉鬘の場合、裳着を行って内侍になった時、別に公式な名前(○子と
いうやつ)を付けたんじゃないかな。
なお、女性の場合、皇妃になったり官位をもらったりしない限り、
幼名も正式な名前も残らないし、そもそも正式な名前が付かない
ことすらあると思う。
あと、幼名にあたるものも、「大姫」「中の君」とかで済んじゃって
取り立てて名前がないことも多いと思われます。
源頼朝の長女も「大姫」だしね。
男の子の幼名が「太郎」のことが多いのと同じで、一般名詞と固有名詞の
境界が曖昧な感じ。

玉鬘の場合、母親が正妻ではないから、「大君」「中の君」みたいな名前を
付けにくくて、「瑠璃君」という幼名を付けたのかも知れない。
424名無しさん@HOME:03/07/03 23:41
藤典侍と夕霧の子供達は、雲居雁との子供達と合わせて
一郎次郎三郎…だったけど、それは正妻公認?だからってことかな。
夕顔は、頭中将の正妻に虐められていたみたいだったし…
425名無しさん@HOME:03/07/03 23:52
名前、あってもなかなか後世に残らないんだね。
日本語って直接的な言い方を嫌うし、直接的な呼び方もそうだから。
高貴な人(女だと○○の姫、とかXXの室ばっか)だけじゃなくて、
やや下層の人も官位があれば、それになっちゃうし(△△の守とか)。
ズバリ名前で呼び合うのって、下男下女・庶民だけだったのかな。
426名無しさん@HOME:03/07/04 00:02
正妻が認めてないとか、内々に認知してても大っぴらに認知できない
状況だと、一郎次郎三郎・・・という数え方の中に大っぴらに含める
わけにもいかなかったのではないかと。
雲居の雁も、『中の君』みたいな呼ばれ方はしてないよね、確か。
(玉鬘とどっちが次女なんだかよく分かんないけど)
427名無しさん@HOME:03/07/04 00:11
高貴なお方の名前を記す、というのは畏れ多いということで
本当は名前があっても直接表記することは控えられていたらしいよ。
今の皇室でも、皇族の持ち物には名前を記さずに「お印」という
紋のようなものをつける風習が残ってる。
実際に口にしているときはどうだったかわからないけれど
文字にあらわすときは本名は控えた、ということもありそ。
428名無しさん@HOME:03/07/04 00:27
そういえば、帝も本来「御門=内裏の大きな門」から来てるっていうしねぇ。
女御も更衣も、賜るお部屋の場所で呼ばれることが多いしね。
今だって、人を場所や仕事で表したりするよね日本。
「奥さん」とか、「あなた(「あの方」の変形)」とか。
「八百屋さん」とか、英語じゃ言わないよね(w
429名無しさん@HOME:03/07/04 00:29
>>426
玉鬘の娘は大君、中の君だけど真木柱のことは無視してるから
どうなんだろう?でも夕霧は上から数えてるみたいだし。

八宮の大君、中の君って浮舟への布石だと思ってたけど、
玉鬘のように二人でも大、中なんだ。
430名無しさん@HOME:03/07/04 00:52
>428
北の方、も寝殿造の北の対の屋に住まうからだし、
東宮も、宮中の東の建物に住むからだしね。 
帝に至っては、それすら直接呼びは畏れ多くて「主上」「今上」ね。
ズバリものを言わない文化だね。
431名無しさん@HOME:03/07/04 01:01
女の子は、大君(おほいきみ)、中の君、三の君、四の君・・・と呼ばれ、
三女以下がいなくても次女は「中の君」と呼ばれます。
その他、単に「姫君」と呼ぶ場合、惣領娘を指すことが多いです。

真木柱は、母方に引き取られて祖父の養子みたいな形になってしまったことも
数に入らないようになってしまった原因だとオモワレ。
直接名前を呼ばないって、中国の風習と関係あるの?
以前から字(あざな)ってのがよくわからなくて。
諸葛亮が孔明。亮が本名(いみな)で孔明が字だよね。
で、孔明とばかり呼ぶんだよね。本名は呼んじゃいけないみたいだ。
そんなのと関係あるのかなーとちょっとだけ思ったんだけど…。
あ、私すごく無知なので上記でも間違ったこと書いてるかもしれません(汗
あらかじめ謝っとくわ!
433名無しさん@HOME:03/07/04 10:09
基本的に日本って言霊信仰の国だから、
名前を呼ぶこと=相手を縛る、みたいな雰囲気はあったはずだよね。

代名詞のバリエーションの多さからみても、
やっぱり、高貴な人に限らず、ある程度のタブーだったんだと思う。
434名無しさん@HOME:03/07/05 00:18
ナポレオンは戦争のとき、下士官の名を一人ひとり名前を呼び、
勇気付けたという。心理学では、自分の名前の韻は、心地がいいものらしい。

もっともこれは上から下に対する態度であることと、西洋文化での話だけど。
本名を呼ぶ=支配するというのは、世界中である物語公式だよ。

千と千尋の神隠しでも、本名を取り上げられて、別名で呼ばれ、
支配されるとあったでしょ。
鬼六の昔話でも、本名を知られたらおしまいみたいな。
西洋文学でも、妖精の本名を言ったら術が解けたとか、魔法をかけられた
人の本名を読んだら魔法が解けたとか、いろいろあるよ。

だから、ナポレオンも、本名を呼ぶのは、つまりはおまえを俺は支配するって
公式であって、べつに心地がいいのではないよ。
読んだら 呼んだら です
437名無しさん@HOME:03/07/06 16:13
あさき…は、作者本人も言ってたけど甘い少女漫画に解釈したって
ことだけど。桐壺の香合わせとか、花散里に薬玉を贈るとことか
ああ少女漫画〜!って感じで、なおかつイメージを損なわない感じで
とても好きだなー。
伊予の介の若い?頃のシーンとかも創作ですよね?

あさきでは、明石の中宮様は夕霧や匂の宮に、御簾を上げて
対面して会話してますが、あれは現実にはありえないんですよね?
いくら親兄妹とはいえ、お年頃になったら夕霧は明石の姫の顔も
直接見たりしなかったってあったような気がするんですが…。
漫画の作画上の都合?
夕霧は兄弟に当たるから、御簾は上げたかもしれないけど、
扇で顔隠したり、ついたてとかがあったと思うよ。現実には。

匂宮は我が子だから直接対面しても不思議じゃなかろう。
いくらなんでも、自分の産んだ子に顔見世ない母親って不自然でしょ。
作画の都合でしょう、やはり。 隔てて二人を書ききれないし。

しかし、隠されていると見たくなるのも人の心理で。 
かえって近親相姦みたいなこと多かったんじゃないかなと思っている。
真木柱の長女(宮の姫)と継父なんてアブナイ感じだったな。
真木柱は必死に娘を護ろうとしてたけど。
>>438,439
ありがとう!匂の宮は息子だから、直接対面でもオケなんだね。
弟(中宮は知らないんだよね?柏木の子って)の薫は、御簾越しの
対面だったように描かれているから、夕霧のときだけ御簾上げて
隔ても置かず…っていうのが??って思ったんで…。
やっぱり作画上の問題なのかな。

まあ、幼い頃から御簾の中に入ってもいいつきあいだから、
気にしなかったのかな?
>>439
大納言は宮の御方に懸想してたんだろうか?
「琴の音も聞かせてくれない、顔も見せてくれない」ってあるけど、
ただ単に、実娘の中の君より継娘の宮の御方の方が優れていたらどうしよう?
ってヤキモキしてるだけのような気もする・・・
442名無しさん@HOME:03/07/08 22:35
大納言は、宮の御方に多少好奇心は持ってて、それが好色めいたもので
ないとはいえなかったとしても、本気で手を出す気は全くなかったでしょう。
真木柱が、夫から娘を守っていたとは思わないけど・・・
彼女は、夫が次女を匂の宮と結婚させたがってるのに、当の宮は宮の御方に
懸想しているというので、間に挟まれて困惑してたようだったけど、肝心の
宮の御方は匂の宮と結婚する気がまるでなかったから、結局ことがこじれずに
済んだ・・・という感じだったのでは。
>442
そうでしょうね。でも紅梅大納言は柏木が亡くなった時に、
落葉の宮に思惑があったようだから、なんとなく宮の御方にも…
っていう気になってしまうw
444441:03/07/09 13:29
なんか微妙なんですよね、あの辺の関係。
っていうか、宇治十条ってはっきりしないままで終わっちゃってるから、
イライラする。
「紅梅」や「竹河」も、大納言の中の君や真木柱の宮の御方、
玉鬘の大君とかその後どうなったの?
教えてよ〜!>紫式部
445名無しさん@HOME:03/07/09 16:33
寝殿の奥にひきこもって、周囲に几帳をたてまわし、
前に御簾をたらしてたら
真 夏 は 暑 い んじゃないの?!
まともに十二単衣を着てたとも思わないけどさ。
京都の夏の暑さはハンパじゃないぞー。(経験者)
それとも案外すごしやすい造りだったのかな。<寝殿造り
(徒然草でなんかいってたような気がするけど忘れたw)
446名無しさん@HOME:03/07/09 16:47
暑かったと思うよー。
でも、袴の上にうすものの一重を着ていたって書いてあるから、
ちょっとは涼しかったかな。でも姫はそれが出来るけど、女房は
大変だったろうねぇ。とくに御所勤めの女房なんか、正装だものねー。

でも寝殿造りも隙間風多そうだよねー。冬なんて地獄の冷えだったんじゃ
ないだろうか。
447名無しさん@HOME:03/07/09 16:50
空蝉と軒端荻が碁を打ってるときの服装って
空蝉は、単(ひとえ)を二枚を重ね着したもの。
軒端荻は、白い羅の単衣の上小袿らしいものを着て、胸をはだけている。

けっこう涼しそうに見える。
でも、キャミソールと短パンでも暑いくらいだし…。<今の京都
池とか水を効果的に使ってたのかな。
でも寝殿の奥にまでは涼味もとどかないだろーな。
紫もアセモだらけだなんて、田辺聖子のパロディの世界だねw。
屋敷自体は、今の建築物より涼しい造りだと思うが、
ろくに入浴もしなかったら、アセモひどそう。ウゲ
徒然草のは、「家は夏の暑さを基準に造れ」ってことだっけ(?
寝殿造りには部屋という概念がなかったから、
だだっ広い空間を用途に合わせて、
御簾や几帳で区切っているだけなんだよね〜。
建具がないの。ある意味、合理的ではあるけど。

夏は風通り良さそうだけど、冬はホント寒かっただろうな。
あと声も、丸聞こえ(笑)。
あの長い髪はうっとおしくなかったのかなぁ。 髪を洗うのも一苦労だろうに
屋敷のつくりは開放的 お庭も池があって素敵だけど、端近に行くとはしたないって言われちゃうし
我慢大会みたいな生活でしょうね。
髪はめったに洗わないんだよねぇ。
地肌は気持ち悪くないのかと素朴に疑問。
櫛ですいて汚れを取るというけれど、
そんなんでさっぱりするんでしょうか。
試す勇気はありませぬ。
あの長さだから、洗うと乾かすのも大変。
宇治の中の君は髪が多くてなかなか乾かないなんて描写もあった。
私ロングにしてるけどドライヤーでもなかなか乾かなくて
参ったなーと思ってるから、平安時代には生きられないわ...
453名無しさん@HOME:03/07/09 18:41
当時は今より気温、多少は低かったでしょうな。エアコン排気?ないし。
アセモの上にべったり化粧か・・・おぅぇ・・美しくするって大変。

わかった。
美人の条件に、暑さに強い・あまり汗かかない、ってのがあったんだよw。
455名無しさん@HOME:03/07/09 19:59
>>454
女優のようでつね。
456名無しさん@HOME:03/07/09 22:54
>443
紅梅が落葉の宮を・・・と思ったのは、多分、自分も内親王を妻に
したかったからだと思う。
その記述ってどの辺りにあるんですか?>紅梅が落葉の宮を
458マイデータ ◆MYDATAJ0tU :03/07/09 23:00
天皇は、暑い夏は、氷をお側近くにおいて・・・
涼をとったんじゃなかったっけ?

氷室があったと思ったけど。
459名無しさん@HOME:03/07/15 13:08
あげ
460名無しさん@HOME:03/07/16 07:08
は〜やっと来れたよ。
461名無しさん@HOME:03/07/16 11:58
おお。復活してる!
このスレ好きだったのでうれしいです。
462名無しさん@HOME:03/07/16 13:02
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最近書き込みないからかきこんじゃいけないのかとおもってた。
すれ違いなのでサゲ
464名無しさん@HOME:03/07/16 22:34
薫って、仏道に入りたいみたいなことをいいながら、清らかっぽく書かれて
いるけど、結構やることはやってる(汗)奴だよねぇ?
母親の女房に送りこんだりしてるし。
大君は手を出してないけど、中の君にも人妻なのに言い寄り、浮舟は無理やり?
宇治に拉致、姉妹なのに平気なのかな。
女二ノ宮と女一ノ宮を二人とも妻にしたいとか言ってるし。
匂の宮も、中の君と浮舟を平気でものにしてるし、
昔は姉妹ともお手つきにするって良くあることだったのかな?
465名無しさん@HOME:03/07/16 23:21
薫るって無い物ねだりというか、自分に自信がないというか、
より気高い存在に惹かれるみたいね。見栄というか。
女一宮にあこがれてたけど、そこまでの気高い存在は降嫁してくれないので、
話のあった二宮を受ける。で、いつまでも女一宮に未練たらたら。
柏木が更衣腹の皇女をいただいていながら、上皇愛娘の女三宮に色気をだしたのと
くりそつ。遺伝かい?

浮き舟は姉妹として正式に認められていない日陰の存在。
だから薫るも匂宮もやりたい放題。
平安時代には姉娘が嫁ぎ先で亡くなると妹が後妻にはいることはあったけど、
姉妹同時は認められてない。母娘を相手に両方に子供を産ませた上皇はいたけどね。
古代は姉妹すべてが大王の后になった例もあるみたい。
466名無しさん@HOME:03/07/16 23:27
思い出した。
村上天皇が居た。
中宮安子の妹、登子を寵愛したんだった。
天皇の叔父である有力な親王の妻であった登子を、
親王の生前・没後にまたがって寵愛。地位は内持だったかな。
安子没後姉の遺児の養育もした。
天皇の寵愛は安子没後薄れたという話。
「生前、安子を悩まして悪かった」と。昔の人は、死霊を恐れてもいたからね。
467名無しさん@HOME:03/07/16 23:28
天皇のお后として姉妹ではべると言うのは古代からあったけど、
イチ貴族や親王の立場では、非難されなかったのかな?
468名無しさん@HOME:03/07/16 23:42
>467
大君と中の君両方を妻にしたりしたら、かなり外聞が悪かったとオモワレ。
浮舟は公的には中の君の妹と認められてないから微妙だけど、
それでも、匂の宮が浮舟に手を出しかけた時、周りも中の君も浮舟の母も、
外聞の悪いことだともの凄く困惑していた。
469名無しさん@HOME:03/07/17 00:16
安子の兄弟たちは、むしろ他の女御たちに寵愛が移るのを
嫌い、登子と帝の逢瀬を黙認したんだよ。
それを知ってるから安子も、悩みながらも、黙認した。
従妹の芳子が寵愛されるのに我慢ならず、陶器のかけらを
投げつけたと言う伝説の持ち主安子が、妹だから黙認したのか?
登子の夫である親王は娘の女王が村上帝の女御にあがってるほどの
年配なので、妹を不憫に思っていたのかもしれない。
470名無しさん@HOME:03/07/17 00:22
そういや、一条帝は、定子の死後、妹を召してるよね。
471名無しさん@HOME:03/07/17 00:32
みくしげ殿でしたっけ?
この方も召されてすぐになくなったのですよね。
出産がらみで亡くなったのでしょうか。
472名無しさん@HOME:03/07/17 00:40
姉が死んだ後にすぐに妹を後釜にというのは縁を切らないためらしい。
姉妹の親や兄弟が、姉妹の夫との縁を切りたくない場合、
他の娘が後添いに入る前に妹娘を入れるということをする。
平安朝は婚姻こそ政策だった。

定子が死亡した時点では、皇子はひとりしかいなかった。
この養育係をかねて、妹を召したのか親族が押し込んだのか。
この妹も死んでしまい、皇子は彰子の膝下に養育されるようになったらしい。
473名無しさん@HOME:03/07/17 00:55
和泉式部は兄弟宮と浮き名を流して、道長に「浮かれ女」という
有りがたくないあだ名を付けられてる。
まあ、外聞の悪いことだが罪科としてとがめられる問題では
なかったようですね。兄弟姉妹両方との恋愛沙汰。
しかしさすがに姉妹とも同じ帝の中宮とか女御なぞという例はないよね。
叔母甥の縁組みはあったが。
474名無しさん@HOME:03/07/17 01:10
源氏は義理の母子には手を出してしまったが、
実の母子には踏みとどまってるよね?
秋好の中宮や玉鬘(にはちょっかいだしてたが)。
やっぱり物語のヒーローの条件としては、ダークな要素なのかも
母子同時や姉妹同時。
継母とやってしまう、と言うタブーが強調される必要もあったし、
ダークネタは一つでいいってことか、母子・姉妹との方が
より非難されことなのか。
475名無しさん@HOME:03/07/17 18:59
やっぱり、罪としてとがめられたりはしないけど、姉妹とも手を出しちゃうのって
顰蹙は買うものだったんでしょうね。
帝のお妃となると、また別物だったんでしょうが…。
でも、いくら帝の妃といえど、姉妹で寵を争うなんて、姉も妹も
複雑なものがあったんでしょうね。いくらそう言う教育をされてても…。

しかし、薫も匂の宮も、浮舟には好き放題だね、今で言ったら
どっかに監禁して好き放題しちゃうぞ、って感じでしょうか。
いくら身分高く金持ちとは言え…ヤナヤツ!
浮舟って、やっぱり八の宮の血筋だからこそ
薫や匂宮に関われたわけ?
まぁ薫については大君にそっくりだからだけど。
これがただの受領の娘だったどーなんだろう?
まぁ和泉式部も身分はたいしたことなかったから
同じように考えていいのかなー。(女房あつかい)
477名無しさん@HOME:03/07/18 17:12
八の宮の娘だったからこそ、中の君から浮舟の話が出て薫も興味を持ったし、
匂の宮も二条院の中で姿を見ることが出来た。もしいくら似ていても、
本物の常陸の守の娘だったりしたら、出会うこともなく終わっただろうね。
浮舟も、少将と結婚して、普通の奥さんになってたりして…
なまじ高貴の方のご落胤(でも日陰の身)だったから、あんな運命に
巻きこまれたのかもね。

ところでいつも不思議に思うのが、桐壺の帝は、桐壺更衣が亡くなった後、
引きこもって他の女御達も近寄せなかった、とか言ってる割に、
ぼこぼこ皇子や皇女が産まれているのはなじぇ??
怖い弘徽殿女御にも皇女が二人生まれているし…
帝も、嫌でも他の人を召さなきゃ行けなかったのかな、ちょっと気の毒…
478名無しさん@HOME:03/07/18 18:18
>477
だってそれが帝の仕事だもんなぁ。
むしろ桐壺が亡くなってからは、桐壺一人を寵愛して
負担をかけてしまった事を反省して
まんべんなく(?)なさるようにしたんではないかのう。
>>477
藤壺が入内したあたりから復活したんじゃなかった?
片寄ったご寵愛だとまた桐壷みたいに恨みをかうから
平等に御方方を召したとか読んだ気がするなあ。
義務でお召しか〜それでも無いよりは良かったのかな。他の御方々にとっては。
>>480
義務っていってもそこはそれ、男だし・・・・。
据え膳食わぬはなんとやら。ま、結局は桐壺も男だったと。
桐壺更衣が死んだ頃の桐壺帝って、まだ20歳前後だろうから
毎晩するのが習慣(義務)だったのではないかと。

帝なんて、自分ですることなかったんだろうな。性的に目覚めた頃には
して欲しい女がいっぱい側にいたんだから。
それが嫌で、男色・稚児遊びにはまった帝も数知れず・・・
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
485名無しさん@HOME:03/07/21 23:52
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高校の古文では、「雨夜の品定め」をやりましたが
共学なのに失礼なwとか今思った。
でも・・「若紫」だっけ?紫の登場シーソ、あれは今じゃロリ養成になるかも
・・なわけないか。

>484
今頃コピペかよ!とつっこんでみる。マクロじゃないんかい。
487名無しさん@HOME:03/07/26 18:10
沈んだな〜。チトあげよう。

ところで、源氏物語の中で好きなタイプの男っていますか?
あの中なら、頭中将がいいかな〜と思ったり。
お金持ちだし、なんだかんだいって男っぽいし…。
あ、でも奥さん怖いけど。
488名無しさん@HOME:03/07/26 20:04
私も源氏より頭中将だけど。
ま、そんなに大したことない自分の身を考えれば
惟光あたりがなかなか良い男じゃないかと考えとりますですw。
489名無しさん@HOME:03/07/26 22:21
想像だから自分のことは思いっきり忘れて、私も頭の中将かな。
夕霧も好きだけど・・
490名無しさん@HOME:03/07/26 22:39
わたしゃ断然光源氏!
老後の保険に一発やっときたい。
491名無しさん@HOME:03/07/26 22:44
浮舟になって、匂宮に小舟で連れ去られたい。
492名無しさん@HOME:03/07/26 23:03
コソーリ目の保養をしたいタイプ:光源氏、冷泉帝
美しいだろうから見たいけどお近づきになるのはなんか怖いような

なんとなく萌え〜、一度だけ寝てみたいタイプ:柏木、匂宮
この人たち、性格はともかくなんかエチーが濃厚そうなので

友達になりたいタイプ:頭中将、惟光
この人達はやはり須磨での源氏への接し方が漢だよねー
493名無しさん@HOME:03/07/27 00:23
ヤパーリ、薫を好きな人はいないのネ。
494名無しさん@HOME:03/07/27 00:30
薫って、常にチロウかソウロウかどっちかっぽいからイヤン。
ちょうどよくってことが出来なそうだ。
495名無しさん@HOME:03/07/27 00:37
薫はパシリにしたいタイプ。事務処理能力、幹事能力はありそうだし。
友達にならいても面白いかも。
朱雀院とか身近にいたらイぢメたくなるだろうなぁぁ。
496名無しさん@HOME:03/07/27 01:06
朱雀院は、本人はとてもいい人そうだけど、義実家が…
もし今だったら、家庭板の義実家スレでたたかれそうだね。
とくにママンがすごいもの。
497名無しさん@HOME:03/07/27 01:24
わたし薫・・・。
融通の利かないとことか、器用そうで不器用なとことか、結構好きw
49802 ◆countLQaVc :03/07/27 01:29
私も薫。影があるとこが好きだ。
守ってあげたくなる。
499名無しさん@HOME:03/07/27 06:21
柏木が好き。今不倫してる(すみません)毒男も柏木に似てます。
人妻に自ら手を出しておきながら本気になり悩みまくってるところが
そっくりです。こー書くと私は三宮みたいですね。不倫なのにすごく
美化して書いてしまいました。スルっとして下さい。
誰も取らないので500頂いても良いですか?遠慮して誰かが取って
下さるのをまってたのですが・・すみません、500頂きます。
柏木は、自分が独身で遊ぶんならオケだけど、
不倫でマジになられても困るからやだな。
今だったら、女性をさしたりしてワイドショーネタになってそう。
三ノ宮に対しても、ストーカーぽかったし。

もし柏木とエチーするなら、小侍従くらいの関係でおねがいしたいw
今書店で平積みされている 丸谷才一さんの「輝く日の宮」読んでみた人いますか〜
桐壺と帚木の間に 「輝く日の宮」という段があったという説を追っていく小説ですが
知りえなかった当時の風俗や習慣、経済環境などもいろいろ出てきて楽しめました。
一つご紹介〜平安当時、日本の紙は非常に高価で貴重なもので
(中国へお土産に持っていったら金よりも喜ばれたとか)
そういった状況の中、源氏物語は当時の国家が一年に使う紙の4分の一を要した超大作
莫大な資金援助(紙の供給)が必要だった・・・というはなし。
1000年を越えるような才能とそれを支える莫大な援助が相まってうまれたのですな〜

丸谷才一氏の小説は読んだことがないんです。
エッセイは好きでかなり読みましたが。

「光る源氏の物語(上・下)」 (大野晋/丸谷才一著 中公文庫)ってのが好き!
初めて読んだ時、推理小説みたいだと思いました。
なんか論じた後で「ここは実事ありですね(セクースあり)」なんておかしいw。
超オススメだー。
>502
おもしろそうな本ですね。買ってこよう。

紙が当時そんなに貴重なものだったとは。
清少納言が中宮定子に綴じた紙をもらって枕草子を書き始めたってのは
ちっと自慢が入ってるってことですね。
505名無しさん@HOME:03/07/28 11:17
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>503 それって対談集みたいなもの?
対談集みたいなのって苦手なんだけどおもしろいならよんでみたいな。
対談集ってけっこう出てるよね。
対談ではないんだけど、エッセイでは大塚ひかりさんの本が好きです。
登場人物の体格を推察したりとか、
普通とは違った視点って感じで面白いですよー
508名無しさん@HOME:03/07/28 18:32
>507
私も大塚ひかりさんの本面白いと思って読んだんだけど(何冊も)、古漢板の源氏スレでは評判悪いみたいで怖くて言い出せなかった。
(ひょっとしたら、このスレの過去ログかもしれない。どちらがどちらか分からなくなってしまった)
509507:03/07/29 14:03
>508
そうなのですか。知らずに書き込んでしまいました。
真面目に研究している人から見ると、
変なことばっかり言って!って感じなのかなー。
でも面白ければいいと思うんだけど。個人的には。
510名無しさん@HOME:03/07/30 22:17
>509  508です。
>真面目に研究している人
このスレとさほどレベルは変わらないみたいに見えます。
私は大塚ひかりさんのを読んで、感心しました。あぁ、こんな見方もあるのか!って。
(今聞かれても、覚えてないけどネ。)
面白かったからオススメなんだけどなぁ・・

別に学究的な知識を必要としてるわけじゃないし、トンデモ過ぎなければ
面白ければいいなぁ。真に受けて人に吹聴してまわって赤っ恥をかくような
ことをしなければ。
時代の変遷で男への評価も変わるし、大塚さんのだってイマドキの源氏解釈でよいと思ふ。
昔、あの薫が理想的恋人だったなんて・・・しらんかったぞ。

どんなに時代が下ってもいろいろ料理(解釈)できる源氏は凄いと思ふ。
薫と匂宮に挟まれて揺さぶられる浮き舟的シチュエーションは現代女でも一度は味わいたい美味しいポジション。
華麗なる古典世界をみせてくれるならなんだって食いつくわよ。
あのちょっと質問してもいいですか?
帝の妻ってどこまでなんでしょう? 子供は?

皇后、中宮、女御、更衣(尚侍も?)あたりまでは、
初めから帝の妻として入内してくるわけだから、
産まれた子供は帝の子供として認知されるんでしょうけど、
その他の、典侍やミクシゲ殿などの女官や女房から生まれた子供たちは?
彼女たちも帝のお手が付くこともあるでしょうが、
産まれた子供って帝の子供として認知されるんでしょうか?
落葉の宮の母親は典侍で、産まれた子供(女二の宮)は内親王として認められてるけど、
同じ典侍の藤典侍の子供たちは夕霧の子供になってる。
帝とも臣下とも関係を持つことがOKな彼女たちの立場で、
生まれた子供が帝の子供(または臣下の子供)と認知されるにためは、
どういう条件が必要なんでしょうか?
514名無しさん@HOME:03/08/04 09:01
>513
落葉の宮の母親は典侍ではなく、更衣です。
典侍レベルが母親だと、子供は認知されないことも多そうな気がする・・・

子供と認知されるためには、生まれた時の儀式とか(守り太刀とかをくれたり)、
親王・内親王宣下があるかとか、色々あるんじゃないかな。

あと、帝のお手つきになったら、普通は臣下は遠慮しますよ。
515名無しさん@HOME:03/08/05 16:49
典侍以下は女官ってイメージだけど、尚侍は妻って感じがする。なんとなく。
朧月夜がもし子を産んでたら、やっぱり朱雀帝の御子ってことになったんでしょうね。
源氏とかぶってる時だったらちょっと微妙だったかもしれないけどw
玉鬘も尚侍になった時には、入内ってことになってたようだし。
516513:03/08/05 18:10
>>514
あ、すみません、勘違いですね。一条御息所は更衣でした。
彼女の甥が受領なので、彼女もそのくらいの身分出身(受領階級出身→典侍)だと思い込んじゃってました。
じゃあ、やっぱり典侍くらいじゃ帝の子供を産んでも認知してもらえないんですねー。
典侍って出世して尚侍になったりしないんでしょうか?そしたら認知してもらえるのかな?
女御は中宮や皇后に出世しますよね?更衣も女御くらいにはなるみたいですし。

>>515
朧月夜が源氏と朱雀帝と両方と関係を持ってるときに懐妊、なんてことになってたら、
子供はどうなってたんでしょうね?朱雀帝の子供?
517名無しさん@HOME:03/08/05 18:32
そういう都合の悪い子供は寺へ入れられますね。法親王とか呼ばれて。
でなければ赤染衛門のように、「自分が父親だ」と言い張った男に引き取られるか。

女御から中宮・皇后になるのは出世じゃなくて立后。
すべての女御が中宮になれるわけではないのはご承知ですよね。

時代が下ると、すべての後宮が皇后と典侍だけという状態になります。
これは経済状態が女官イコール借り腹という制度を生み出したと言えましょうか。
玉鬘が尚侍になるとき、長年勤めた典侍が出世すべきところ
適任者がなく…ってことだったから、出世すると言うことはあると思います。
ただ、尚侍の立場が、純粋に女官としてのお勤めと言うより、
帝の妾という意味合いが濃いので、長年勤めたオバチャンでは、冷泉帝は
嫌だったのかな〜とか思ったり。
尚侍は「妻」ではないですからね…立場的にはその子供も微妙でしょう。
尚侍はたてまえでは「女官」だけど実質は「妾」に近いのですか?
もちろん時代やその帝の御代によっても違うのかもしれませんが。
藤原道長は娘をたくさん入内させたけど、その中に尚侍待遇だった人が
いるような気がするのですが…記憶違いかな?
どなたか知っている方いませんかね?

>>517
赤染衛門はご落胤だったの?質問ばかりでごめんなさい。
>519
三条天皇が東宮の時に尚侍で入内した藤原綏子のことかな?
この人だったら道長の異母妹だけど。
521名無しさん@HOME:03/08/05 22:13
いや、尚侍は位から言ったら女御と同格だから、かなり上だよ。
三条天皇の中宮になった娘(道長の異母妹とは別)も、最初は尚侍だった筈。
その場合、娘に格付けするためにまず尚侍の位を与えて入内させ、立后・・・
という感じだったんじゃなかったっけ。

朧月夜も、傷物の身で「女御」で入内は無理だったから尚侍で入内したけど、
皇子でも生めば、晴れて立后して中宮になってた筈。
尚侍=妻の一人なら、玉鬘も冷泉帝の妻になるハズだったのに、鬚黒に先越されちゃって・・・
がっかりしただろうな、冷泉帝。
人妻である玉鬘に冷泉帝のお手が付く可能性ってあったんでしょうけど、
もしそうなったってたら、鬚黒はどうするんでしょう?泣き寝入り?
よい女はみ〜んな帝がもっていっちゃう!って並貴族は思っただろうな・・・。

玉鬘に手がついたら泣き寝入りしかないっしょ。 だから無理やり引き取った。
玉鬘は頭中将の娘で源氏の養女格で、ややこしい立場だから帝も躊躇した。





524名無しさん@HOME:03/08/06 08:17
道長娘は彰子以外、皆尚持になってるようです。
三女威子は12歳で尚持となり18歳で甥の後一条天皇に入内(3月)
4月に女御となり、10月に中宮(後一条)となってます。

四女嬉子は、威子が入内して尚持の空席ができた1018年、尚持となり、
翌年裳着。東宮の添いぶしとなり、21歳でのちの後冷泉天皇を生み、
赤もがさで死去。贈皇太后。

道長の頃は、尚持として位をもらっておいて、勢いをつけて入内という
態勢があったということなのでしょう。
525名無しさん@HOME:03/08/06 08:42
みくしげ殿別当という地位も、天皇の妻妾となることが多かったみたい。
中宮威子も尚持のあと御くしげ殿別当になっているし、
一条天皇女御藤原尊子も御くしげ殿から入内して女御。
定子の妹の御くしげ殿もいたっけ。

安子の妹で村上帝の寵愛をうけた登子は尚持だった。
526名無しさん@HOME:03/08/06 08:43
訂正   嬉子が出産して赤もがさでしんだのは1021年で19歳でした。
527名無しさん@HOME:03/08/06 08:49
528名無しさん@HOME:03/08/06 09:24
>>520
その、ずい子が里邸蟄居(なんと四年間!)のあいだに生んだという
源頼貞の子と言われる僧都がいたらしい。

529名無しさん@HOME:03/08/06 09:52
>>519
「しのぶれど いろにいでけり わがこいは
       ものやおもうと ひとのとうまで」の平兼盛の妻だった

赤染衛門の母が懐妊したまま別れて、赤染時用と再婚したという伝承が
あるんだそうな。兼盛が「引き取りたい」と申し出たが時用が「自分の子である」
と返答してきたので兼盛はあきらめたとか。
赤染衛門の歌才は実父の兼盛譲りだと人々は噂したと。

530名無しさん@HOME:03/08/06 10:27
兼盛と離別して子を産んでから再嫁したという説もある。

小式部内持などは頼宗愛人から教道の子(静円・僧です)をうみ、
藤原範永(まあ歌人ですな)の女子(のちに頼宗の家女房)をうみ、
藤原公成の子(頼忍阿じゃ梨・僧)をうんだときに死亡してます。

大弐の三位(紫式部娘)は受領と結婚して後冷泉帝の乳母となり、
高階氏と再婚。為家を生んでます。

「どの父の子か」認められるにも、母の身分や政治力がものをいったのかも
しれません。父の官位に準じて出世するのは母方の外戚の経済支援が
必要で、それが期待できないこどもは家女房や僧になったようです。
531名無しさん@HOME:03/08/07 14:26
赤染衛門は平兼盛の子だったかもしれないのですね。
確かに歌才が遺伝してるような気がするなー。
余談ですが赤染衛門は和泉式部と仲がよかったようですね。
530さんが書いてる小式部内持(名前からすると典侍とかだったのかな?)と
大弐の三位もそれぞれ和泉式部と紫式部の娘だし…
王朝の才女ってみんな何かしらつながりがあるみたいですね。
狭い貴族社会だから無理もないのかな?
532名無しさん@HOME:03/08/07 15:07
蜻蛉日記作者と更級日記作者は血縁関係があるし、清少納言の兄弟も蜻蛉日記作者と関係が
ありますよね、確か。思った以上に血縁関係や、親交はあるかもしれませんね。


あと、先日知ったのですが、院政期から紫式部の夫の子孫って活躍してますね〜。
今でも子孫の方々がいるし・・・。式部の子孫じゃないのが、ちょっと残念ですw。
道長が娘(彰子)の為に才女をかき集めたらしいので、
職場の交友関係というのもあったんじゃないかな。

元々は定子に張り合っての行動だから、定子が亡くなった後に
清少納言にも声を掛けて、断られたんだよ。
534名無しさん@HOME:03/08/08 03:46
清少納言の娘って言われてる人が、彰子に仕えていたって本で読んだな。ちゃんと調べてみよう!
>534
田辺聖子の本だと「清少納言の娘じゃなくて」
「清少納言の夫の娘」が彰子に仕えたみたい。
清少納言に子供は居ないんじゃなかったかな。
彰子の御前にはそんな才女ばかり集めてるのねー
清少納言まで誘ってたなんて、道長は長嶋監督ばりだなw
537名無しさん@HOME:03/08/08 18:39
>535
学者さんによっては、実の娘としているん場合もあるんだよね…ややこしい。
清少納言は定子の死後は、その娘たちに仕えたって説もあるらしいし。

あと昔、六条御息所が霊になったのは、六条院が源氏にのっとられた形に
なったのも理由の一つと書いてる学者がいた気がする。
秋好中宮の実家にはなっているけど、最終的には源氏が乗っ取って
しまい、女達を住まわせてしまったこと。
特に紫の上の存在、待遇がむかついたっていう感じで書いてあったような…。

538名無しさん@HOME:03/08/08 23:58
>536
たしかに、巨人軍って感じだねえw

大塚ひかりの「ブス論で読む源氏」読んでます。
おもろいっす。教えてくれてありがとー>このスレw
539名無しさん@HOME:03/08/11 09:43
清少は橘則光と16才で結婚。17才で則長という子を産んだそうな。

定子のところに宮仕えにでたのが27〜8才のときというから、
その間に「馬の命婦」とかいう娘を産んでいた可能性もないことはないが。
しかし則光とは早い時期に夫婦関係は解消されて、則長が幼児の頃別れたと
いうふうに物の本には書かれている。
540名無しさん@HOME:03/08/12 11:54
下がってるのでage
541義実家連行決定!:03/08/13 08:37
枕草子を読んだ印象で、清少納言は小梨だとずっと思っていた・・・。
子供に対する記述の甘さ(ただ可愛いものみたいな感覚)を感じたもので。
紫式部の幼児描写がの方がリアルで、親近感をおぼえたものです。
(ex犬君みたいに雀いじめするのが子供の本性)
そうか・・・、生き別れだったのね。 ちょっと納得したよ 539
542名無しさん@HOME:03/08/14 08:49
三枝和子さんの「小説 清少納言 諾子の恋」では
藤原実方との間に「こま」をいう女子を産んでることになってる。
まあでもこれはあくまでも小説だけどね。
ちなみに他の才女の「〜子の恋」シリーズも三枝和子さん著であります。
小説だからフィクションも入ってるけど、面白いのでおすすめですよ。
私は別に田辺聖子のファンでもないけど、
「昔あけぼの」という小説の最後の最後で
老いさらばえた清少納言が
「おお、中宮さま」と述懐するシーンでは涙がこぼれたよ。
泣くような小説じゃないので、これ読んだからって泣きは期待しないでねw。
544名無しさん@HOME:03/08/15 00:13
田辺聖子は清少ファンだよね。自分で公言してるけど。
同じ父子家庭育ちでもずいぶん性格が違うって、紫式部と。
式部の父親は一条帝に直訴しちゃうような性格だし、
清少の父親はもっとユーモアのある明るいタイプのじいさんだったらしい。
どちらも父親似というか、もろ影響を受けたんだなと。

六条院の模型が京都の風俗博物館にあるらしいね。全部じゃなくて東南の寝殿の
あたりだけらしいけど。
六条御息所の旧邸は、六条院の西南部で全体の1/4くらいにあたるそうな。
ここは秋好の里邸になっていて、ほかの3/4の部分は旧邸のまわりを源氏が
開墾整備したということになっている。
六条御息所は死霊になる前に生き霊としても夕顔と源氏の前、葵の上と源氏の前に
現れているから、死霊となった原因が六条院をのっとられたせいというのは
理由として弱い気がする。それよりやはり、高い身分の割にないがしろにされたという
うらみや源氏への未練などを含めた女の業が原因だと思うな。
545名無しさん@HOME:03/08/15 01:59
六条御息所は前坊(前東宮)の御息所だよね。
道長の娘で尚持で東宮の皇子を産んで死んだ嬉子が御息所と呼ばれてた。
彼女の場合は死ななければ東宮の即位とともに女御から中宮に立后したのは
間違いない。六条の御息所も東宮が死ななければ立后していた可能性がたかい、
身分も寵愛もある東宮妃だったので、死後はそういう運命を呪う意味でも
死霊になったのかもしれない。自分の血筋が立后し国母となるのを見たかった
のかも。
546名無しさん@HOME:03/08/15 02:03
六条院の奥方たちの公的身分って、どうなってるんですか?
女三宮は二品内親王でしたっけ?
他に三位とか、位を持ってる奥方はいましたっけ?
平安期には御幸があると、屋敷の女主人やこどもに「接待ご苦労様」の
意味を込めて位を授けたとか。そんな描写、ありましたか?
547山崎 渉:03/08/15 09:38
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
548名無しさん@HOME:03/08/16 15:43
保守アゲします。
549名無しさん@HOME:03/08/17 15:35
六条御息所が死霊になった原因って、主な理由は
立后できなかった無念と、源氏への愛執の二点なのかな。
もしそうなら、前者は秋好が中宮になった時点で晴れたかもしれないけど、
源氏への思いの方が強くて、その後もさまよっていたのでしょうかね。
つくづく母としてより女としての業が深い人だったんだなー。
秋好とはほんとに母娘ながら正反対ですよね。
これから綺麗になっていく娘の方へ、
いつかは関心が移っていくことを、賢い人だけに予感していたんだね。
551名無しさん@HOME:03/08/17 17:54
でも秋好も晩年、玉鬘の娘が寵愛されて、ヒステリーを起こしていたよね?
それを聞いた玉鬘もw

秋好も国母にはなれなかったし、栄える源氏(王氏)に対する、
他の氏族の恨みを体現してるのかも、六条みやすどころの霊は。

桐壺更衣は追贈三位。他の女君の位も表なんかになってないかと探したけど、
今のとこ見つけられない。
「たたびと」である女の哀しみを描いてる物語でもあるのかな。
六条院の女君たちの位が比較されたり語られることが少ないのは。
紫の上と女三宮の身分の違いも、紫の上にはこたえたんだろうけどね。
「ひとにわらわれる身の上」になることを、当時の人は恐れていたらしい。
552名無しさん@HOME:03/08/17 17:58
秋好が源氏の女になると、前皇太子の娘であるのに、
臣下の愛人(正妻でない)となって笑われる身の上になる。
さらに、その母親も愛人で、しかも寵愛うすれて捨てられたという
「ひとわらわれ」のもとになる。
母子で同じ男の愛人となれば、さらに人並みでないわらわれの種。
そういう意味でも「けして思い人にしてくださるな」という
御息所の遺言は、つまり「私を、私の娘を、世間の笑い者には
しないでくれ」という意味だったんだなと。
553名無しさん@HOME:03/08/19 00:21
冷泉帝って若くして即位したせいかもしれないけど、
肝心な時に皇子を作らずに、誰も期待していない頃になって
しかも誰の得にもならない玉鬘の娘の腹に男御子を宿らせたなんて
何と間の悪い…これも不義の子ゆえの報いだったのかな…
554名無しさん@HOME:03/08/19 01:18
紫式部も、不義の子の血が受け継がれていくのは恐れ多いと
思ったんじゃないでしょうか。
ところで当時って、正妻1人、その他の妻多数って感じなんでしょうか。
正妻は自分の実家から進められた相手なんですかね。その後、ほぼ同格
あるいは上の身分の姫が妻になったらもめそうですね。夕霧は2人をたて
てうまくやっていたけれど、身分からいえば落葉の宮が正妻か・・・。
もし六条の御息所を妻に迎えていたら、葵上とどっちが正妻だろう・・・。
555名無しさん@HOME:03/08/19 01:26
>554
正妻は、両方の親が認めて、ところあらはしという披露宴をして結婚した妻。
そういう妻がいない場合、夫の寝殿に住む妻が正妻(北の方)。
そういう妻もいない場合、夫に第一に遇されている妻が正妻扱い(女三宮と
結婚前の紫の上がこれにあたる)。
夕霧の正妻は雲居の雁。
落葉の宮は、第一の正妻とは言えないけれど、身分柄第一の正妻である
雲居の雁と同等に扱われている。
六条の御息所を妻に迎えていても、葵の上が正妻であることは動かず。
六条は第二の妻、という感じ。
556名無しさん@HOME:03/08/19 01:31
なお、正妻は1人というわけではありません。
ところあらはしをして結婚する妻は、臣下身分の場合は1人であるのが普通だけど。
正妻以外でも、妻として遇されているのと、ただの情人扱いは違う。

なお、玉鬘の場合、事前の許可がなかった点ではいまいちだけれど、事後に
認めてところあらはしもしている筈なので、一応正妻の1人だった。
本来元からの妻の方が、妻としては上なんだけど、玉鬘の身分や権勢が高いから
実質気圧されることになってしまうと、北の方や実家の面子に関わることに。
そういう場合、二人の妻が並び立つと言うよりも、1人がすっぱり身を引く方が
普通かも。
えっと、物忘れが激しいのですみませんが
本居宣長が「もものまぎれ」とかいったのは
皇家の血統の乱れという意味?
あー、このスレじゃ馬鹿みたいな質問ですがw。
558名無しさん@HOME:03/08/19 01:44
もものまぎれって(笑)
物のまぎれ?
ttp://homepage2.nifty.com/kotenmura/norinaga/shibun-4.html

物のまぎれというのは、血統の乱れ、という感じですね。
宣長がいう「冷泉院の物のまぎれ」というのは、おっしゃるとおり
皇家における血統の乱れ、という感じかと。
560名無しさん@HOME:03/08/19 08:35
物のまぎれかー。本居宣長というと「もののあはれ」しか
知りませんでした。勉強になりました。
やっぱり中世(宣長は近代だけど)の言葉はきれいですね。

正妻の話ですが、道長の場合だと二人並び立ってるような気がします。
彰子と頼道他を生んだ倫子はもちろん、姉の詮子が取り持った明子も。
明子は倫子と比べると影が薄いような気がするけど、
皇太后が引き取っていた姫なら、やはり世間は倫子と同等の感覚だったのかな。
実際のところの扱いはどうなっていたんでしょうねー
561名無しさん@HOME:03/08/19 08:42
>>560
倫子と明子は同等ではないよ。
男の子の初叙がちがう。それに実資の日記に明子は「妾」とかかれている。
562名無しさん@HOME:03/08/19 09:34
道長の妻は源氏なんだよね。
綸子の父は宇多天皇の孫。明子の父は醍醐天皇の皇子。
どちらも左大臣。源高明の方は皇位継承をめぐる争いに巻き込まれて
失脚はさせられたけど、明子は屋敷など財産を譲られていたのでは?

道隆の妻は高階氏。これは恋愛結婚みたいなものだから、妻の実家の
勢力で出世しようと言うもくろみがあまり感じられない。
比べて道長は、倫子の方は道長が母親の穆子のお眼鏡にかなったから。
明子の方は姉の東三条院の斡旋。
感情のまま。情熱のままというよりは、お膳立て結婚のような感じ。

綸子は道長より早く従一位をもらったんじゃないかな?
中宮の母として、そののち東宮の祖母として。

明子の身分は倫子に劣るものではないし、財産も持っていたと思う。
しかし後ろ盾がない。現役左大臣の娘であり。財産家であった母親の
庇護を受けていた倫子がやはり勝っていたと思う。

倫子に娘が産まれず、明子の子を入内させる事態になっていたらどうか?
倫子を嫡母としただろうか。明石の上の産んだ娘を紫の上が育てたように?

明子の性格は世俗に興味のないように書かれることが多いがどうだろう?
この明子の立場などが明石の上のモデルになったんじゃないかなと思う。
明石の上も身分はなかったが、親譲りの財産を冬の御殿の蔵にどっちゃり
持っていたんだよね。紫の上は親譲りの財産も子供もない。
可哀想だと思ったよ。
563名無しさん@HOME:03/08/19 10:22
なるほど。明子は身分は高いけど後ろ盾がないので第二夫人のような扱いなのですか。
源氏の女君のいろんなパターンのモデルになってそうですね。
明子と道長の結婚は、失脚して失意の中で没した源高明の鎮魂の意味も
あったんじゃなかったかなー。
そう思うともっと時めいててもよかっただろうに。
562さんの言うように、控えめな性格だったのかしら…?
同じ名前なもので、何となくヒイキしたくなります。
564名無しさん@HOME:03/08/19 10:32
教道が兄の頼道に臣下の礼を取ったのを明子腹の息子が「やりすぎだ」と
あざ笑ったら、教道は「父の道長が、兄に対するときは親を敬うように対しろと
言っていたのだ。頼宗などはそのような父の言葉は知らないだろう」と言い放った
という話があるらしい。

倫子腹の子供は彰子を中心に結束が堅く(兄弟にはもちろんライバル心はあったが)
明子腹の子供は結構バラバラだったとも言われる。
権力の中枢にいた姉弟と、はじかれた兄弟の違いもあるけれど、道長の
重要視度や二人の母親の性格の違いも大きいのだろうな。
565名無しさん@HOME:03/08/19 22:12
倫子と明子については、正式に結婚したのが(親が認め、ところあらはしも
してる完全に正式なもの)倫子の方が先、というのも大きいよ。
何というか、天皇か親王(春宮候補になるような)以外は、正式な妻が何人か
いてもいいけれど、現実的に全く平等というのは難しいし、順番が付くんだよね。
やはり妻の格付けに関しては、より古い仲、というのも重視されるものだと思う。

いつ結婚したか、結婚のしかた、子供がいるか、身分や実家の勢力はどうか、
本人や子供がどのように遇されているか、、、
色んなポイントをトータルして、「第一の妻」というのができるんだよね。

藤原兼家みたいに、道綱母と親も認めた正式な結婚をしていたのだけど、
子供が男の子1人しか生まれず、本人同士の仲も悪化して離婚同然に
なってしまったため、子供がたくさんいて女の子も多かった時姫が兼家邸で
同居して、「第一の妻」という格で認められるようになった例もある。
もし道綱母と仲がこじれず、子供も沢山生まれてたら、当然そっちが
第一の正妻になってたんだろうけど。
566名無しさん@HOME:03/08/20 08:59
やっぱ摂関家の北の方、第一の妻と目されるには、本人の性格・手腕も
大事だよね。
明子の性格はいまいち解らないから何とも言えないが、
道綱母の性格じゃ〜和歌の才能とか目新しさとかプレミアム妻として
余暇に付き合うのはいいけれど、政争の最中や、自分が慰め励まして欲しいときに
いて欲しい女じゃないもの〜(現代だって作家で良妻賢母なんて皆無よね〜)
「三十日三十夜をわがもとに」ってのは、愛情というより、独占欲。
しょうみな話、小さい子供が何人もいて、乳母や女房なんかの派閥もあり、
自分の兄弟姉妹ばかりじゃなく家司や女房の息子などの出世昇進にも口を
聞いてやらなきゃならない、北の方。
旦那はよそで機嫌良くしててくれる方がありがたい時期もあるはず。

道綱母が兼家があんまり寄りつかないので時姫に消息をきく手紙を出したら
「あなたのところにいるとばかり思ってましたよ〜」という返事が来たそう。
やきもきして、新参妻を匂わして時姫にも嫉妬させようと言う意地悪も
多少あったかもしれないが、時姫からは余裕の返事しか来なかったってとこかな。

それと道綱はあまり賢くなく、どちらかというと異母兄弟の腰巾着となって
要領よく出世したタイプらしい。道長より年上だから、くらべられたのは道隆
だとおもうが、道隆は美男で有名。子供の優劣も(数だけじゃなく)時姫の
余裕の元だったと思われる。
567名無しさん@HOME:03/08/20 09:00

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568名無しさん@HOME:03/08/20 11:46
平安時代は招婿婚というのは知ってても、一族で婿殿に私財を投じて応援する
というのが実感としてわからなかった。
道長が順当に出世していっても道隆・道兼らの風下にたたねばならない身の上
の打開策として源氏の姫を妻にしたとか、
兼通・兼家の不仲で有名な兄弟が一方は天皇家(妻は親王女や女王)
一方は藤原氏(受領階級、身分は低いが地方官を歴任すると財産は増え裕福)
と異なる一族から嫁をもらったことなどがわかってくると、
結構ただごとじゃないというか、兄弟でも本当に出世競争は命がけだったんだなと
思える。
光源氏は兄弟と妻の実家の氏族をわけることもなく、色好みと称して傍若無人
に妻取りをしていて、そこのとこも、夢の主人公らしいと感じる。
569名無しさん@HOME:03/08/20 13:27
物語の中にも「多くの女君のなかで、一番大切に扱われることが女としての栄華」だという
当時の常識?が何度かでてくるよね。
それは正式な身分とは関係なく、通ってくる回数であったり男君からの気配り
(要するに生活支援や親族の昇進の口利きなど)だったりするわけだ。

しかしながら 女性にしてみたら、正妻でありながら普段はないがしろにされたり
世間からは一の人という評価をされていても、公式行事などのときは正妻の後ろに
控えなくてはならなかったりと、悶々することが多々あった・・・と。
570名無しさん@HOME:03/08/21 08:39
源氏とは逆に、落葉の宮に出会うまでの夕霧は妻をたった一人しか持ってなかった。
(藤典侍のことは身分も低いし例外ね)
「まめびと」と言われたけど、当時はそれは決して褒め言葉ではなかったんだよね。
複数の妻を持って采配できるのが男としての器量、という考え方というか。
落葉の宮と結婚してからは一夜ごとに二人の妻の元を訪ねてたそうだけど、
権門の娘と皇女では、どちらの機嫌を取るのも大変だったんだろうなー。

571名無しさん@HOME:03/08/21 15:41
藤典侍は、身分が低いというのもあったけれど、妻の1人という感じじゃ
なかったのは、宮仕えしていて、家庭を持つような生活してないというのが
大きかったのでは。
妻扱いもされていない、と言う風に軽く扱われていたわけではなく、
家にいて、表向きの身分が「○○の娘」「○○の妻」「○○の母」とか
いう風になる人と比べ、「典侍」という身分があったから、「夕霧の妻」と
して公に扱わなくても良かったんだろうね。

それにしても、もし夕霧が、雲居の雁の父に仲を裂かれている間に
こっそり忍んで通って、既成事実作って無理に認めさせて結婚する、
みたいなやり方してたら、のちの落葉の宮の登場で、雲居の雁は
第二の妻という立場に落ちてしまってただろうね。
それを考えると、夕霧はやはり父に似ず妻孝行なのだなあ、と。
572名無しさん@HOME:03/08/21 16:07
やっぱりまじめな女にはまじめな男じゃないと。
そういう意味で夕霧は結婚相手としてふさわしいよね。

しかし薫は論外。
573名無しさん@HOME:03/08/21 16:46
紫の上は父親の庇護もなく、その父親は源氏に文句の一つも言ってくれるわけではない。

雲居の雁と夕霧が祖母大宮の庇護の元、恋仲になったとき、頭中将は安易に認めず
むしろ二人の仲を引き離したよね。父親の愛情からだけ出た行為じゃないように
紫式部は書いていたけど、世間から見ると、これが父親の庇護というものじゃないのかな。

574名無しさん@HOME:03/08/21 17:07
籐典侍の子供たちってどこで育てられたんでしょう。宮中でしょうか。
それとも実家?宮仕えの女性や貴族に仕える女房が子供を生んだら
実家が引き取って乳母をつけて、自分は復帰するんでしょうかね。
575名無しさん@HOME:03/08/21 17:29
>573
いや、その時点で、きちんと認めて、一度自邸に引き取り、形式を整えてから
結婚させてやる、というやり方もあったのではないかと。
まあでもその時点では夕霧は身分も低いし、やはりきちんと待たせて、その上で
認めるというのが結果論だけどベストだったんだろうね。

>574
多分実家。三女は花散里の元で、六女は落葉の宮の元でだったよね。
ただ、貴族に仕える女房が子供を産んだ場合、実家がきちっとしてれば
まだしも、女房の身分によっては、そのままその家で飼い殺しみたいなことに
なることもあるかも?
576名無しさん@HOME:03/08/21 18:35
藤典侍の場合は父親の惟光が摂津の守左京太夫から参議にまで出世してるし、
宮中でいろんな男性と付き合うよりも、夕霧の第二夫人的立場(第一夫人が
ふたりいるという感じ)で三男二女の母親として盤石なかまえだから、
娘が他家の女房に成り下がるということもないだろうけど、
正妻のもとに引き取られて親王の妃になれば招婿婚よりも身分が確か。
匂宮はいづれ御位につかれる予定だから、惟光の身分から見たら、
三世代で三段跳びの出世。
577名無しさん@HOME:03/08/21 21:37
貴族の女房と、宮中に仕える女官とだと、だいぶ立場が違わない?
宮中に仕える女官なら、ちゃんと官位ももらえて国から給料(?)
もらえるんだし。
国家公務員と会社員みたいなもんかな?>577
579名無しさん@HOME:03/08/21 23:23
>578
そうそう。安定度が段違い。
主人が落ちぶれてじり貧、ということがないし。
>>577
枕草子で、清少納言が
そういう正式な女官(?)に「推挙しちゃろ〜」なんて言われちゃった、
みたいな自慢話書いてたね。
結局、彼女はフリーの女房で終わったけどさ。
581名無しさん@HOME:03/08/21 23:36
藤典侍って、華やかな宮中勤めをしているのに、夕霧の第二夫人として
浮気もせずやってて、結構堅い女性なんだろうね。
落葉の宮も雲居の雁も藤典侍も、夕霧の周りはお堅い女性ばかり(w
彼は、朧月夜みたいな女性は趣味じゃないのかもな〜
女三宮のガードの緩さに批判的だったし。
582名無しさん@HOME:03/08/22 08:45
夕霧は面食いではなかったのでしょうね。
藤典侍は美形だったようだけど、正室の妻二人は
それほど美しいっていうわけではなかったようだし…
その点、女三の宮の美貌に目がくらんでしまった
柏木ともまた全然違いますね。
平安貴族にしては珍しい人なのかも。夕霧って。
583名無しさん@HOME:03/08/22 09:47
紫の上の裏の理想男性じゃないの?>夕霧
584名無しさん@HOME:03/08/22 09:51
落ち葉の宮への恋愛感情は、同情が横滑りしたものでしょう。
身分の高さへの恋愛感情も。このへんは柏木と大して変わらんけれど
これだけでないのが、夕霧の平安男らしからぬ、人間らしいとこだと思う。

雲居の雁は、性格も生い立ちも顔もなにもかも知ってるし
でもこれも、親に構われない少女への同情から横滑り派生恋愛感情
だよね。

夕霧って包容力ありそう。
585名無しさん@HOME:03/08/22 10:50
雲居の雁への思いって、小学校の時に隣の席の女の子を好きになった
っていうのとあまり変わりがなさそう。
でも一時の感情ではなく、結婚までしてしまうってよく考えるとすごい。
よく言えば一途だけど、悪く言えばストーカーっぽい…
実際、落葉の宮を手に入れるまでってちょっとそれっぽいよね。
でも結果的には幸福にしてるわけだし。物語の人物としては華がないけど、
実際にもいなさそうな不思議な人物かも…
586名無しさん@HOME:03/08/22 13:39
実父との性格の対比という面にでも、夕霧の志向って面白いよね。
あの父にしてこの子?って感じでさ。

初めての官位をわざと低くして、遊びに流されず努力するような環境を与えたり
自分の事は棚に上げて、女性問題について苦言したりと
庇護するだけではない子供への思いやりを強調してるね。
587名無しさん@HOME:03/08/22 13:42
586っす 途中で書き込みスマソ

それというのも母親代わりの花散る里の包容力に依存するところ大だと思う。
下手な母親役だとけなされてすねちゃったかも・・・
588名無しさん@HOME:03/08/22 15:54
夕霧って、薫の素性を知りつつ知らぬ気に対してるよね。
宇治十帖で、匂の宮が六の君と結婚したがらずに中の君を引き取った頃だったか、
六の君を薫と結婚させようかとして打診して断られたことあったよね。
夕霧としては、ごく近い血族のようだけど、実際はさほどでもないんだから
いいか、とか内心思ってたんだろうな〜と思うとしみじみする。
>588
夕霧が素性を知らぬ気に薫に対しているのは当然のこと。
まさか「あんたは不義の子だ」とは人間として言えないし、
表向き弟なんだから世間にばれたらまずいと夕霧自身も思ってる
はずだもの、自分の言動でばれるようなことは慎むでしょう。

六の君と薫の結婚を画策したのは、
血筋がよくて帝や院の覚えもめでたく官僚としても有能、末は出世
間違いなしの薫を他家に取られたくない、取られたら政治的にまずい、
できれば自家陣営に取り込みたいという気持ちもあったからでは。
異母兄弟だからうまくやらないと最大のライバルになってしまう
可能性もあるわけだし。
そういう政治的な理由が大きいと思っていたんだけど。

また、夕霧が六の君を匂宮にと考えていたことは周知の事実なので、
それがうまくいかないからと臣下に縁付ける場合、そんじょそこらの
男では自分の体面にも傷がつくし六の君も可哀想、その点匂宮に
勝るとも劣らない薫ならうってつけということもあったと思う。
これは親心と見栄かなぁ。でもわかる気がするよ。
590名無しさん@HOME:03/08/22 21:20
>589
勿論、夕霧が他言するはずないんだけど、あれだけ秘密を知られるのを
怖れている薫が、夕霧は知っているのだということを知ったら
どう思うのだろう、恥ずかしくて悶絶するんじゃないか、などと妄想するのも
結構楽しかったり。
夕霧自身、どういう気持ちで薫のこと見てるのかな、とか。
ますます柏木に似てくるなあしみじみ、とか思ってるのかな、とか。
女二宮と結婚した薫を見て、柏木と引き比べて色々感慨持ってそう。
実際には、自分と比べて落葉の宮にちょっと語ってたりしなかったっけ?
内心では、柏木と薫を比べてしみじみしてたのかな〜。
591名無しさん@HOME:03/08/22 23:53
藤典侍のこどもで
花散里にひきとられた子と落葉宮にひきとられた子では
なんというか身分の差とかできるのかな?
妙に六の君だけ優遇されてるようでさ。(美貌とか別要素もあるかもだけど)
身分の高い女君に養われる=高い教養を身につけられる=価値が高い
って感じなの?
花散里と例えば女三宮なら前者のほうが教養ある気がするんだけどなー。
592名無しさん@HOME:03/08/22 23:55
三の君は、多分もう普通の貴族と結婚したんだろうと思うよ。
話が出てこないだけで。
六の君は、美貌もあるけど、年回りの関係で匂の宮の妃候補に
適してたんじゃないの?
593名無しさん@HOME:03/08/23 01:00
>591
あまり詳しくないのですが、花散里が六条院のいくつかの屋敷を相続したの
でしたっけ?三の君を花散里に預けたのは、六条院がさびれていくのを防いだ
のではないでしょうか。おばあちゃんに孫を預けるというだけ。
六の君を落葉の宮に預けたのはまた別で、彼女が美貌や才気があるので、匂の
宮にさしあげようとしたのだけど、母親が典侍では身分が低いので、落葉の宮
の養女にして不都合のないようにしたのでは。
594名無しさん@HOME:03/08/23 01:08
花散里は、紫の上が明石の中宮の子供(女一宮)を預かって育てているのを見て
羨ましくなり、藤典侍腹の三の君を育てさせてもらったんだよ。
その話は、宇治十帖じゃなくてもっと早くに出てくる(源氏の生前)。

花散里は、源氏の死後は二条院に移ったんじゃなかったかな。
六条院が寂れていくのを防ぐ云々というのは、夕霧が落葉の宮を六条院に
住まわせた時の理由。
六の君に関しては、落葉の宮が六条院に移った後、明石の中宮にならって
預けた。匂の宮との結婚話が出るよりも前の話。
花散里が相続したのは二条東の院。源氏が亡くなった頃には
三の君もお年頃だったのかな、彼女は東の院でそのまま婿取りをしたのかなぁ。
596593:03/08/23 01:38
>594、595
そうでした。なんだかごちゃまぜになってしまっていた。
ありがとうございました。
597名無しさん@HOME:03/08/23 18:36
花散里の一生って幸福だったのかな?
世間的には紫の上に次ぐ存在(女三ノ宮が入るまで)と見られ、
夕霧や玉鬘の義母として遇され、自身は子を生まなかったが
三の君の養育で子育てを経験できた。
と書き並べるとやっぱり幸福なような気がするけど。
あの時代、落ちぶれた生活をしなかっただけでも恵まれてるんだろうしね。
でも源氏との愛の面では…不満はなかったのかな。
>597
結婚生活に、愛は無くても、信頼関係さえあればいいと思う今日この頃w。
599名無しさん@HOME:03/08/24 08:40
後年の源氏ヒロイン達は縁の者たちの養育に勤しむ様子が読み取れる。次世代紹介の前フリなのか?
女もず〜っと恋愛の前線でいられないってことかしら・・・。
花散里的幸福もアリと思ふ 中年のこの頃(ふぅう) 
紫上は、ず〜っと恋愛の最前線にいなければならなかったから、
疲れてしまったんだ、みたいなこと誰か(田辺聖子かな?)が
書いてたような。
>600
うん、そんなこと書いてたね、田辺さん。
子どもを持たない紫上には恋愛からの逃げ道がないとか。
紫上は明石の姫の養母ではあるけれど、
「これからは実の母でないと言えないこともあるだろう」
と考えて最終的には身を引いた決断がすごく哀れに思えた。
そんなこたぁない! あれだけ愛してあげてたらそんなことないのに〜と
思ったんだけれど、実の母娘でないからやっぱりそうなの?
602名無しさん@HOME:03/08/25 17:48
紫の上は実家からの支援もないし、子供もいないし
あるのは源氏からの愛情と生れの尊さだけ。
必然的に恋愛に頼るしかなかった哀しさがあるね。

さすがに疲れて源氏に出家を願い出ても許してもらえなかったし
恋愛の辛さから逃れさせてももらえなかった。
トドメは女三宮の降嫁
精神的な支えを失って発病・・・哀れじゃ。
603名無しさん@HOME:03/08/25 18:12
602
花散里は対源氏恋愛専業の紫の上の一生をどうみてたのか、考えてチョトしんみりしちゃったよ。
花散里って、育児専業みたいだが幸せそうな晩年だし。 若い時は辛かっただろうけど。
>602
鬱病だよねあれ…
605名無しさん@HOME:03/08/25 19:40
紫の上は源氏の一の人と称され、世間的には最も幸福な人と思われていたが
その実最も不幸な人だった…ということでしょうか。
一番気になるのは、自分は藤壷の身代わりだった
(誰かは分からないけど、ともかくも誰かの身代わりだった)
ということに気付いていたのでしょうか。彼女は。
もしも気付いていたなら、更に不幸ですね…
606名無しさん@HOME:03/08/25 22:12
>601
今まで多分蝶よ花よと育ててきたわけだけれど、後宮に入ると、色々
嫌なことがあったりストレスがあったり、綺麗事じゃすまない色んな
ことがあったりするだろうし。
そういう時に、やはり実母の方が気兼ねなく我儘も言える部分というのは
あるのでは?
それに、子供を産んでいない自分より経験者の方がこの先良かったり
するのでは?

と、考えたのではないかと思う。
607名無しさん@HOME:03/08/25 22:12




毎年、約1万組の日韓結婚。
それに伴なう朝鮮化した混血児。
年間、日本の新生児約100万人のうち、
約1〜2万人の新生児に
容赦の無い朝鮮人の血が流し込まれている。

また、韓国朝鮮人の帰化が年間約1万人も!



608名無しさん@HOME:03/08/27 09:39
この時代の女君は、当たり前ですが自分の思うようには生きられなかったのだなあ…
と、紫の上を見ると特にそう思います。
源氏の中では比較的、思い通りに生きたのは朧月夜ではないかと思うのですが。
源氏と朱雀帝に愛され、源氏に強く惹かれながらも朱雀帝を自らの意志で選んだ。
朱雀出家の後、一度は源氏とよりが戻るが、最終的には自らの判断で出家をしてしまう。
源氏は簡単になびく人、と軽く見ているようですが、女三の宮についで、
実は源氏の思い通りにならなかった人のような気がします。
私は彼女が、女君の中で一番好きですね。
609名無しさん@HOME:03/08/27 09:45
一番幸せだったのは花散里だと思う。
610名無しさん@HOME:03/08/27 09:50
源氏にとっては尻軽w(失礼 簡単になびく女だったかもしれないが
朧月夜の君にしてみれば こころのままに振る舞っただけ。

紫の上が明石中宮の宮中での世話?付き添いを明石の君に譲ったのは
そうとははっきり書いてないが、明石の君の財産のためかなと思う。
紫の上は家計の管理も上手とほめられてるが、要するに源氏の収入の
範囲内でやりくりするわけで、自分の財産がない。

明石の君は、自由に使える父親譲りの財産をもっていたので、
それこそ、こころのままに、娘を支援することが出来る。


611名無しさん@HOME:03/08/27 10:03
明石の姫君を紫の上が養育することになったのは、
正妻の子として育てて入内させるため。

明石の上の母親も「正妻のことその他の妻の子とでは、世間の見る目も
重みも違う」と娘を諭す場面があった。
その一方で、明石の上は正妻の子だという(たとえ出家した受領の子でも)
誇りを持てと感じさせる場面でもあった。

紫の上とすれば、正妻でいたいのなら入内予定の娘の養育をしろと
言われたようなもの。小さい人を育てるのはそれなりに楽しくも
あったろうけれども。。。入内し、国母となれかし、というような
願望や情熱とは無縁だったと思う。
将来の国母を輩出し、天皇の外戚となるという明石一族の野望の前に、
明石姫君の母親役を降りたんじゃないかと思う。
612名無しさん@HOME:03/08/27 10:05
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>610
おお、それは気がつかなかった視点だ!
愛とか色好みとかいいつつ
結局は財産とか女実家の後援が大事な世界だからなぁ。
(だから、紫上はかわいそうだったんだけど)
質問〜
娘が入内したときに付き添いや後見として実母がともに宮中へ上がるっていうのは
ありだったのかな?
娘が入内するほどのなら、母親も身分が高いはず
それが娘の世話係りとして・・・というのは考え難いような。詳しくないのでわかりませんが。

例えば明石の君が世話係にならなかったとしても、紫の上が宮中へ。。。というのは
なかったのではないかな?信頼の置ける女房を送り込んだのでは?
615名無しさん@HOME:03/08/28 16:51
いや、道長妻倫子もちょくちょく内裏に行ってるよ。
行きっぱなしじゃなくて退出して自分の屋敷(母親から伝領)
に帰ってくるんだけどね。
手車の宣治なぞを受けたりして。

とにかく入内するってのは一家を挙げての事業なんだから、入れっぱなしで
女房任せと考える方が甘いかも。

明石の上もちょくちょく内裏にいって六条院は留守がちとか書いてなかったっけ?

紫の上が内裏にまで行って留守にしてたら源氏が何をするか解らないのでw
明石の上に譲ったのかもねえ。
朧月夜は彼女なりのポリシーで源氏だけを愛したし
他の男達に次々簡単になびいたわけじゃあるまいに
それが何で尻軽扱いなんだろう・・・・
んなこと云ったら藤壷なんてある意味どうなるんよ。
源氏ってとことん猜疑心の塊。やだやだ。
617名無しさん@HOME:03/08/28 20:35
>601
>「これからは実の母でないと言えないこともあるだろう」

に関していうなら、財産問題の他に、やっぱり政略問題があったと思うなあ。
明石の血統をどう残すか・財産をどう使うか守るか
いかにして権力を握るか、そのために
源氏の血統(夕霧他)をどう利用するか、というようなえぐい会話は
もろ「源氏側の人」である紫とでは出来なかったと思われ。
618名無しさん@HOME:03/08/28 20:37
源氏って広域暴力団みたいなものでしょ?
619名無しさん@HOME:03/08/28 21:36
>616
朱雀院が出家した後、イヤだイヤだいいつつ結局源氏と
ヨリを戻したから。>尻軽扱い
広域暴力団は、貴族と言うより武士団のことだよね。
地方の豪族とかが武装して段々大きい勢力になってくる…源氏物語よりは
もうちょっと後のことかな。
(もちろんもう芽は出ているんだけど)
バイクでパラリラ〜のかわりに馬で…って感じでしょう。
621名無しさん@HOME:03/08/29 00:44
紫が明石に宮中への付き添いを譲る話、
私は10代に源氏を読んだときは、
「紫はこれで明石を源氏から引き離し成功なのねぇ」と
イヤミ?っぽく思ってしまったよ。

30になり母となった今は、「これからは実の母でないと〜」もわかるなあ
私も621同様、明石に仕事与えて内裏派遣、源氏と隔離作戦 紫のGJかと思っていた。
明石なら内裏での社交にむいてそう 女御も安泰でOK!
617のいうように明石一族の密談に紫が遠慮して説も奥深くて捨てがたい。
623名無しさん@HOME:03/08/29 10:02
なるほど〜。明石を源氏から遠ざけ作戦は全然思いつきませんでした。
確かに、そういうふうに考えることもできますね。
紫の上は明石に一番嫉妬してたようだし…
でも明石も追い出して(?)これでやっと源氏と二人で余生…
と思いきや、女三宮がやってくると。(涙)
624名無しさん@HOME:03/08/29 10:18
そう、学生の時読む源氏物語
結婚して読む源氏物語、さらに年老いて読む源氏物語、
味わいが違ってくるんだろうねえ。

一昔前は女学校時代を勤労動員にささげて学び足りないおばあさま
たちが源氏を読むぶーむがあって、バブル期にはカルチャー奥様の
間で流行ってた。

源氏物語ではあからさまに書いて無くても当時の人にはつーかー
という事柄が多いけど、「これからは実の母うんぬん」の
裏の意味などもつーかーだったと思われ。

紫の上ははじめ、夢のヒロイン風に登場して遇されていたけど、
やっぱりあの境遇で、ただ比類無きご寵愛だけで正妻安泰というのは、
いかにも嘘くさく、作家魂に火がついた紫式部も、また熱心な読者も
物足りなく思い、リアルな逆転劇が用意されたかなとおもう。
それでも、女三宮をああかくことで、あからさまなリアルに陥ることを
さけながら、リアリティーはもたせて物語の整合性を保ってる。
さすがな力量と言える。
625名無しさん@HOME:03/08/29 10:26
朧月夜も結局、源氏の本性や自分に対する気持ちを
見抜いてたんだと思う。
出家して源氏を捨てた。
源氏が紫の上の出家を拒んだのは、「ひとりぼっちにしないでくれ〜」
というエゴ。
源氏の恋愛遍歴や藤壺への執着や女性に対する猜疑心やいいかげんさ
(忍び入る相手を間違えたのに、前からお慕いしてましたと口から出任せ
すらすら)なんかも、やっぱり実母と死に別れ、祖母とも死に別れ、
そういう幼児時代の寂しさで説明できるものかな。現代精神医学では。

幼児期6歳までに自分を専属的に盲目的に可愛がってくれる相手が
居る子供は安定してぐれないという説がある。
源氏の場合、庇護者である父は公的責任の重い帝。
行き場のない執着心が藤壺に向かったのかなという気がする。
藤壷への慕情は愛とは違う気がする
627名無しさん@HOME:03/08/30 12:18
藤壺とは愛じゃない。 ただの‘ないものねだり’。 手の届かないものを奪おうとする自分が好きだっただけ。
あの頃朝顔や空蝉に夢中だったのもその傾向。 なんでも手に入る若い源氏のはある意味不幸さ。
実際、日常の女として向き合ったら色々ボロをだすものを、振られたから極限まで美化した。 

父帝と懐妊した藤壺の前で悶々として青海波を舞う源氏は美しくて好きだけどさ。 

628名無しさん@HOME:03/08/30 17:28
夕顔・・・・・。
そうやって考えると、藤壷って欺瞞だらけだよね。
あと紫は藤壷の姪にあたるわけだが、
紫側にはオバが居るという面識があったのだろうか?
源氏と紫との結婚の時、お祝いを上げてるけどそれ以来は放置ぽい。

妻になった姪、紫を羨んだだろうか。
それとも自分の「身替わり」と悟ったのだろうか。
630名無しさん@HOME:03/08/30 18:23
年上のひとに憧れる男を嫌悪する時期ってあるよね。
男が年上の女に憧れる時期があるように。
藤壺に対してはマザコン的なものも含まれてるような気がする。
紫の上は本当に生まれたときから綺麗なひと。
そういう意味では藤壺もそうだったのに、源氏に汚されてしまった。
多少自分の意思はあったにしてもね。
私はどうも藤壺の素晴らしさがピンとこないんだけど。
源氏の偏った眼で語られるだけで
本当にイイ女だったのかどうかわからん。
っていうか私はあまり藤壺が好きじゃないのかもw。
(変に理想化された女ってキモくない?)
>631
田辺聖子先生もそうおっしゃってましたな>藤壺
人物造形は曖昧模糊としていると。

でも彼女も結構気の毒な人だ・・・
お母さんが桐壺帝の後宮に入るのは反対してたのに
そのお母さんが亡くなって、なし崩しに入内させられてしまって。
そういえば、彼女と女三宮の境遇ってちょっと似てる。
だから源氏も三宮に過剰な期待をしたんだろうな。
普通の男女のように藤壷と源氏が知り合ったら
(先帝の皇女は美人でどうとかで源氏が興味を抱くなどなど)
あれほどまでに萌え上がったかどうかは疑問。
なんだかんだいってもマザコンが発端のこの話、
母桐壺あっての藤壷じゃない?
それを言ったら紫の上はダブル身替わりなわけで・・・・・・
オチ的に本当に彼女自身を愛してたと源氏が禿げ後悔してるけど
これも藤壷の愛と同じで執着に過ぎないとかだったら
愛って何だろうとちょっと考えてしまう(w

桐壺、帝を愛しているならどうして気張って長生きしなかったんだ?
同じもろい愛だけに生きた桐壺と紫
似てるようで似てない感じがする。


>桐壺、帝を愛しているならどうして気張って長生きしなかったんだ?
>同じもろい愛だけに生きた桐壺と紫
>似てるようで似てない感じがする。

他の女御更衣がゾロゾロいる中へ入り、針のむしろ状態だった桐壺更衣と、
二条院でのんびり暮らし、三宮降嫁後もNo.1を守っていた紫とじゃ
単純に比較は出来ますまい。
葵と源氏が一緒に暮らしているところへ紫を引き取った、とかならともかく。

桐壺はあらゆる方向から突かれてあえなく出血死、
紫は同じ所を少しずつ突かれ続け、ある日大出血した印象がある。
635名無しさん@HOME:03/09/01 00:26
出血死と大出血って面白い表現ですね。分かるような気が…
私は「あさきゆめみし」で紫の上の死後、源氏が真実の彼女を愛していた、
と述懐するシーンで感涙したのですが…
633さんの言うように、愛か執着か?と考えたら微妙なような気がしますね。
ほんとに愛していたのなら、出家も許すのではないかと思うし。
でも長い年月を共に生きてきて、源氏にとって一心同体だったのは彼女だけなんですよね。
例え紫の上に死なれた寂しさから生まれた感情だったとしても、
それはそれで真実の思いだったと思いたいです。
人間の、男の真実なんてイパーイイパーイあって
よく判らない所だ。
637名無しさん@HOME:03/09/02 12:39
何がなんだかわからないが愛してる〜という源氏の目線で描かれてる藤壺は
曖昧模糊としてるのがかえってリアルなんだと大塚ひかりは言ってたなw

宿世なのだ。。。ですべて説明がつく時代って笑えるけど、現代でも
「ソウルメイト」とかにはまってる人いるし、「ないものねだり」は結構
時代を超えたキーワードかもしれませんな。
で、藤壺の生涯は幸福だったのかなー?
考えられる限りの栄誉(内親王→中宮→国母)に飾られてたけど。
639名無しさん@HOME:03/09/03 04:24
紫は自分が「誰かの身代わり」って気づいていたと思う・・
640名無しさん@HOME:03/09/03 09:37
幸福な一生って概念が、すでに幻想なんですよ。
トータルで幸福だったか?というのも、本人からしたら余計なお世話以外の
なにものでもないし。
幸福感なんていうものは、本人のこころの持ちよう、足をしるこころというか。
だから源氏の一生は、なくさないとありがたみが解らない、足るをしらない
一生だから不幸とも言える。
また、あれが不幸なんて、いい気なもんだと、思う読者もいる。
641名無しさん@HOME:03/09/03 12:17
>>638
あさきゆめみし の印象的なシーンに、藤壺が亡くなる直前に回想する場面があるよ。
そこで「人は自分を最高の栄誉を得た人と称するだろうが、女としての私は
最期の時でさえ愛する人(源氏)を拒みつづけて一生を終るのだ。」
なんて語らせていたね。
しかしさ、自分の子供を守るため、ひいては自分の立場を守るために源氏を拒んだ側面も
あるわけで、人間の欲の深さと罪深さが浮き立つ。
藤壺の罪は結局次世代の冷泉帝に受け継がれてしまった。
別に身分とか冷泉帝の前途、立場を捨てる勇気さえあれば
本当の意味で正直に愛に生きたいと思っているならば
源氏の元に何もかも捨てて走れるだろう。
>愛する人(源氏)を拒みつづけて一生を終るのだ。
最後まで言い訳じみたことを言う人だなあと思った。
もっとも源氏もあれで世渡り言い訳巧いから
何もかも失った藤壷を受け入れられるか、疑問。
確か藤壺って死後、源氏の夢に出てくるんじゃなかった?
あの罪のおかげであの世で苦しい目に会っていると
源氏を恨むシーンがあって、目覚めた源氏が藤壺のために祈るの。
だけど、藤壺は全部源氏のせいにできる立場なのか?
表向きは抵抗してるけど、心の内では源氏を愛してたんでしょ。
何だか言い訳がましいと思った。
生前は非の打ち所がない振舞いの人だっただけに、
死後のこういう言動ってどうなんでしょ、と思ったわ。
644名無しさん@HOME:03/09/03 18:29
しかし藤壺は、中宮とか母后とか、女院とか言う身分をはずされてしまって
ただの女になったら、自分の身代わりのハズの紫の上と正妻バトルを
しなきゃならん。冷泉帝は廃太子となり、それこそ「ひとわらわれ」という
当時の貴族が一番恐れていた立場に逆落としだもん。
明石の上みたいな親譲りの財産もないし。
手に手を取って愛の世界へなんてことは出来なかったんだよ。
できないことに人は焦がれるもの。
障害が何もなかったら、萌えないし続かない関係だったんだな。
ところで。
当時、実際に帝に上がった中宮や女御で
臣下の妻に下った例はあるのか?
中宮では無理だと思うんだが。
646名無しさん@HOME:03/09/03 18:49
一条帝の女御は再婚している
>>646
レスありがとん。
中宮での例はありますか?
648名無しさん@HOME:03/09/03 18:59
藤原元子 一条帝没後、源頼定と密通。父親に髪をおろされるも
「どこへでも、おいきやれ」と勘当されると頼定の元へ。
このひと例の「水を産んだ」想像妊娠?のあの方です。

藤原尊子 やはり一条帝没後、参議藤原通任と結婚。

649名無しさん@HOME:03/09/03 20:41
>>643
あの罪のおかげで、じゃなくて、あの罪が人に知れてしまって
苦しい思いをしている、とか言ってたんじゃなかったかな。

>>645
中宮は無理。再婚はできません。
状況によって、愛人はないでもないだろうけど。
タブーはタブーだと思うよ。
女御は臣下身分、中宮は皇族だから、身分に隔絶があるんだよね。

古くは、藤原不比等と結婚した不比等の妹の五百重郎女がいるね。
天武帝との間に皇子もいたんだけど、不比等との間に京家の祖になった
麻呂を生んだ。
>>648
元子は正式には結婚できなかったのですね。

尊子の結婚は正式に認めたれた(ところあらはし をしたとか…)もの
だったのでしょうか?
651名無しさん@HOME:03/09/03 21:01
再婚で「ところあらはし」というのは、有り得ないのでは?
あの時代、何が「正式な結婚」であるかって境目が微妙だからね〜
特に再婚の場合、大抵既成事実の問題だよ。
なるほど。

では、藤壺が源氏のもとに走るっていうのは、
やっぱり不可能なんですね。
ということは、源氏との子である冷泉帝を守るっていうのが、
源氏への思いを示す唯一の手段だった、という気がします。
653名無しさん@HOME:03/09/03 23:04
少しあとの時代になると、二代の后と言うのが有るけどね。
藤原多子が近衛帝の皇后から二條帝のたっての希望で后(皇后?)に。
654名無しさん@HOME:03/09/04 08:16
藤原多子は10歳で近衛天皇に入内、皇后冊立。
養父の失脚により里邸に引きこもる日々(他の妃がときめいてた)
1155年(15歳)に近衛天皇崩御。のち皇太后となる。
1160年(20歳)のとき、二条天皇のたっての要望で入内。

二条天皇の中宮は最初内親王(近衛天皇同母姉)がなり、このひとが
病により出家すると、藤原育子が中宮になってます。

多子はまた30前に未亡人。
あんまり幸多い一生とは言えない感じ。
655名無しさん@HOME:03/09/04 08:23
業平の恋人、藤原高子が、東光寺僧侶善祐と密通したと皇太后を廃されたのは
なんと!54歳の時。
死後30年経って、復位してますが。

平家物語では二条天皇を悪者にするために(なーんもしてない高倉天皇を
もっちゃげるためらしい)好色な天皇が美貌の皇太后を無理矢理入内させた、
てな描写ですが、実は養父の失脚で楽しまない日々を送った年若い多子が
気の毒だというので、再び入内させたということらしい。

多子の同母姉は後白河天皇中宮。
656名無しさん@HOME:03/09/04 08:47
平安時代の婚姻のしめくくりは、花婿の父が引き出物を持って嫁の家に
祝いに行くことだそうな。元子は勘当されたわけだから、相手の男の家に
嫁に行っちゃったみたいなもので、尊子は親がかりでその後も婿入り婚
だったんじゃないのかな。
紫の上の結婚の時、みかよもちだけは女房が用意したんだよね。
源氏は左大臣家に婿入りしてたわけだから、紫の上とは正式な婚姻ではないんだけど、
葵の上が亡くなって左大臣家の婿でなくなってから、皇太子や親王並みの
嫁入り婚だけを繰り返すんだよね。
657名無しさん@HOME:03/09/04 12:33
桐壺帝がコウキ殿一族に対抗させる為に藤壺中宮&冷泉帝は実現させねばならない。
そんな桐壺帝の皇族復権への執念を藤壺も理解していたのやも。
乞われて桐壺帝の後宮に来た世間しらずの宮様も強くなったものね。 

女三宮のネンネぶりから比較して 藤壺は老獪に成長したと思う。 桐壺帝の影響か
女三宮の場合、源氏はその幼稚さを望んでいたから女三宮も成長しなかったのかな
>656
光君が惟光に用意させて、若い女房に持って行かせたんじゃなかったっけ?
紫の三日夜の餅。
659名無しさん@HOME:03/09/05 13:50
あさきゆめみしではそういう描写ですね。>三日夜餠
原文ではどうなってるのかな?あさきゆめみしだけしか詳しくないのでw
いずれにしても、紫の上の場合は親がところあらわししてないので、
正式な結婚とはいえないですよね。あくまでも「正妻格」であっただけで。
660名無しさん@HOME:03/09/05 16:03
原文でも惟光に用意させてるね。亥の餅にかこつけて、もうちょっと少なめにって
源氏が言ったんで、惟光がぴんときた。

紫と一緒にきた女房が「こんなにしてくださるとは」って喜んでたけど
既成事実+餅って、妻として認めるよってくらいのことなのかな。
でも落窪物語では落窪の君の女房が餅用意してんだよね。
男は「そんなつもりじゃねーよ」って餅食べるのを拒否できたのか?と
疑問に思ったけど、餅は3日目に出すから、男は本気じゃないなら3日連続通わないし
やっぱり女側が用意するもの?そうすると源氏に餅を用意してもらった
紫は悲惨な身の上なんだね。
661名無しさん@HOME:03/09/05 16:21
普通、女君は別の家で他の庇護者の下でくらしているわけで、
紫の上の場合は同じ家に引き取ってくらしているとなると、そのままズルズルと
愛人というか主従関係になってしまう可能性大だったから、女房(小納言だっけ?)が
源氏の心配りに対して感謝したんじゃないかな。
実際、紫の上の立場上、愛人にされても仕方ない身の上だったし。
餅は女側が用意するものだったと記憶してる。
源氏は庇護者であり背の君であるということだ。

そういえば須磨で明石の入道が、源氏の君が通ってこないので、娘を源氏の君の住まいに
連れて行こうとしたら、奥方が「娘を愛人にしてしまうつもりか」と諌めたくだりがあったような。
でも、三日夜餠だけじゃぁ
やっぱり世間からは愛人扱いじゃないのかなー < 紫
663名無しさん@HOME:03/09/05 17:47
結局 裳着の儀式も執り行ってそのときの準備も一切源氏がやったんだし
紫の父親にも来てもらったんだから、一緒にくらしていたというだけでほぼ普通の
結婚に近い体裁は整えたんじゃないかな?
それでも、同じ家に住んでそのまま妻に・・・というのは軽んじられたいうか
寝殿には住まわせず西ノ対に置いたままだったのが、後に女三の宮の降嫁を招く
元になったわけだ。
しっかし、紫式部は細部まで無駄のない構成だなぁ・・・
664名無しさん@HOME:03/09/05 18:03
確かに。どの女性もなにか欠けていて、物思いする…うまく作ってる。
特に紫は、’体裁だけの’実家との冷ややかな関係、つまり実家の後ろ盾なし、
しかも子無し、というダブルパンチを受けた、でも最愛の女性ですからね。
夫=後ろ盾、だから浮気な彼でもじっと品よくしてるしか道はないし、ストレスフル。
本人は相当寄る辺ない気分だったろうな…
665名無しさん@HOME:03/09/05 18:05
あさきしか読んでないけど、明石の上が言った
「あの方はご自身の愛を剣に、大臣の愛を盾にして戦っていたのだと思います」
って感じのところはぐっと来たなぁ。
>665
ぐっときたけど良く考えたら
何と戦ってたのか・・・楯と戦ってたようなもんだよね・・・
無敵だったつもりがまさに矛盾だったってことか…。
切ないねぇ…
668名無しさん@HOME:03/09/06 14:46
最愛の人とはいうものの、藤壺への恋慕に基づいた愛情だったわけだし
人の心は移ろうものだしね・・・

当時の宮廷では寵愛を得て時めくことが一番の栄誉だったわけだけど
「寵愛」だけではこころは休まらず、心労の方がはるかに多いことを作者は示したように思うよ。
自分自身のよりどころを持つこと・・・いわゆる精神的な自立を得るために
しっかりした実家の存在、子供の存在は大きいよねぇ。
669名無しさん@HOME:03/09/06 14:54
帝の妃でも、子がいるといないとでは後々の生活も
違ったようだしね…精神的に安定できると言うか、経済的な
安定がまずあってのことなのかな。
桐壺帝の麗景殿さまも、朱雀帝の朧月夜も、晩年の暮らしは
さびしいものだったようだし。

ところで朧月夜って、源氏とのことがばれなければ、
父大臣は女御にするつもりだったんだよね?
いくら朱雀帝がお人よしでも、処女じゃない女御をあてがわれたら
どうなったんだろうとたまに思う。
何も言えなかったのかなー、ママンコワイし。
楯から攻撃されていたんじゃひとたまりもないね・・
ほとんど鋼鉄の処女状態?(違うか
671名無しさん@HOME:03/09/07 15:53
こうして考えると、つくづく紫の境遇って気苦労が多かったんだね。
源氏があちこちに手を出すたび、身分高い実家がしっかりした相手だと
「私は誰かの下に…」って心配が絶えなかったんだろうか。

玉鬘に、もし源氏が手をつけていたら、内大臣の娘の玉鬘が、
父のプッシュを受けて第一の妻になったのかな?
>>671
いや、玉鬘は立場としては紫の上と同じ程度かと。
(実父に軽んじられた脇腹の娘)
いくら内大臣が可愛がりたくても、北の方が怖くて無理だと思う。
雲居の雁だってあんなもん(大宮に預けっぱなし)だったんだから。
玉鬘の方が、雲居の雁より更に悪い立場だったわけだし。
673名無しさん@HOME:03/09/07 23:10
いやあ、内大臣は、ここぞとばかりに喜んで、いやみったらしく
源氏を婿扱いしただろう(w
源氏だって、それが嫌で玉鬘に手を出さなかったんだよ。
>>673
なるほど。w
そういえばそんな下りがあったね。
しかも、親子揃って自分の女婿になるわけだし…。(・∀・)テヘッ。
675名無しさん@HOME:03/09/11 11:51
保守
676名無しさん@HOME:03/09/11 13:36
亀でスマソ 朝顔の巻読み返して見たよ。
>>643 649
紫と女君達の噂話をしていたうちに、藤壷の事も話題に出たその夜に夢枕に立ったんだよね。
世間に二人の秘密が漏れてあの世で苦しい思いをしてるということではないと思うな。
実際にこの事を知っていたのはほんの数人(当人達、冷泉、王命婦、阿舎利)だったと思うし。
紫とのピロートークに藤壷の話題を出したことがいやだったんじゃないかな。
仮面の下の藤壷の嫉妬の感情を見たようで私は面白いと思うけど。

まあ、勘の鋭い紫がこの話題だけで二人の秘密を嗅ぎつけたんではないかと
ビクビクした源氏の良心の呵責が夢に現れただけだと思うけどねw。
677名無しさん@HOME:03/09/15 16:05
>>676
>源氏の良心の呵責

そういう解釈好きだ。話したあとびくびくして夢にまで見るのね。
678名無しさん@HOME:03/09/17 13:36
原文には「心の鬼」という言葉がよく出てくるでしょ。特に六条さんw
これは今で言う良心の呵責という意味でいいのかな?それにしても上手い言い方だと思うよ。
嫉妬やドロドロしたものが渦巻いていたり、反対に空虚な感じがよく出ている。
「心の鬼」いい表現だね。
六条のように、身分もセンスもすぐれた女性を登場させながら、
内面の暗部をその言葉であぶりだすなんて、式部は凄いな。
六条や藤壺ほどの女性でも、ドロドロした部分のある事をあえて描いている。
主人の彰子中宮や、身分の高い人達が読んだら、ドキッとするだろうに。
680名無しさん@HOME:03/09/21 13:59
一気にこのスレを読みました。
私は大昔にあさきゆめみしや小さな小冊子を読んだくらいの経験しか無いので、
あーこういう風に読むと面白いんだ、とかそういう事だったのかとか
すごく面白かったです。

ほとんど歩く事もなく、大きな声を出す事は大変に恥ずかしい事と教育
されていた姫が、手引きで忍び込んだ男にレイプされても
旦那に「私を裏切ったのですね」とか言われている(思われているダッタかな)
シーンに憤慨したりしていました。
でも、機転のきく姫ならそういうハァハァな相手でも上手に逃げられたのでしょうか?
681680:03/09/21 13:59
紫は晩年出家したいと源氏に何度も頼んでその度にダメだしされているけど、
自分で髪の毛切っちゃうわけにはいかなかったんでしょうか?
そういう出家の仕方は、正式の出家した人より身分が低くなったりとか
「〜わらわれ」とかあるのかしら?

出家したかったら勝手にすりゃいいじゃん。
ホントは源氏の気を引きたかったんじゃないの?
「死ぬ死ぬ」言うやつってホントは死にたくないんだよね、なんて
ずーっといじわるな考え方していたので詳しい方に教えてもらえたら
嬉しいです。
682名無しさん@HOME:03/09/21 15:00
>680
女三宮のこと?
というか、ちゃんとした女性なら、そもそも忍び込まれる隙なんぞ
作らないものです。
独身の姫ならまだしも、既婚夫人の場合、女房の手引きで
忍び込まれたら主人の『監督不行届』。
忍び込む男だって、下郎な筈はないから(女房の手引きがないと
ダメ→ふつー下郎の者を手引きしたりはしない)、なだめて
追い返すのが女の技量。
100歩譲って一回は仕方ないにしても、その後ずるずると
何度も関係持ってたら、女が悪い。
女三宮の場合、最初の一回だけじゃなくて、何度も会ってたんだよ。
だから浮気行為自体は、責められても仕方ない。
ついでに、彼女の場合、柏木が好きで仕方なくて会ったわけでもない
から、余計情状酌量の余地がなかった。

>681
原作にちゃんと記述があったと思うけど、源氏が引き止めるのを
あながちに強硬してしまうのも良くない、と考えて紫は思いとどまって
いたんだよ。
出家しても経済的に源氏を頼らざるを得ない紫の身としては、
源氏に逆らって出家しておいて、だからといって源氏が彼女を
見捨てることはないとしても、のうのうと頼り続けるのはどうかと
思った、というのも大きかったのでは。
現代の奥様だって、夫が止めるのを振り切って、
「尼になりたかったんだから、勝手になってもいいでしょ」と
さっさと割り切って髪をそってしまう人は…少しはいるかもしれないけど、
なかなかそうはいかないわなぁ。
それに対して、「ホントは夫の気を引きたかったんじゃないの?」という
受け取り方は、一般的なんだろうか…?分からないけど…。

ただ、早い時期に紫の上が源氏を振り切って出家したとしたら、
ある意味、藤壺と同じようなことをしたことになるのかな。
藤壺が髪をおろした時には源氏は激しいショックを受けたようだし、
(私を置いて、世を捨ててしまうのですね…みたいな)
そういう意味では、紫は、藤壺が源氏にした仕打ちと同じ道は歩まなかった、
自分を殺して、もうしばらくは源氏と同じ俗世に身を置いてあげようとした、
ともいえるのかな。
684680:03/09/21 18:09
>>682,683
レスありがとうございます。
スレが面白くて一気に読んでぽわわ〜なまま書き込んだのにレス頂けて
嬉しいです。
でもちゃんと原作を読み返して書き込んだ方が良かったですね。
すみません。

女三宮だったのかな。
まだ若く、妙に潔癖だった頃源氏物語を読んで
「きー!自分の事は棚に上げて女の方は責めるんだ!」なんて思っていた事を
思いだしまして。
源氏がよくいろんな女性のもとに忍び込んでいるので、どんな屋敷も
なんだか忍び込み易い造りのようなイメージを持っていました。
ただ、女三宮が情状酌量の余地が無いのなら、源氏も自分も情状酌量してもらおうとは
思うんじゃないよーと源氏を蹴飛ばしたい。
685680:03/09/21 18:10
紫に関しては、読んだ当時はホントに苦しかったんだろうなあと感じていたんだけど、
月日が経ってくる(年を取ってくる)と「やりたきゃやれ!」的な気持ちになってきて・・・。
自分の心の平安(に繋がる何か)だけは自分で手に入れようとしないと
手に入らないと感じてしまって。
当時は女性が生きるのは大変な時代だったんだろうから、そう切って捨てるのは
いけないと思いつつ、だんだんいじわるに考えてしまいました。
紫、ごめんなさい。

ところで、源氏が流される前に紫に荘園とか生前贈与していた気がするんですが、
その財産では出家後の経済はまかなえなかったんでしょうか?
地位ある男性の後ろ楯はもちろん必要、と言う話は抜きにして。
源氏が荘園を紫の名義に書き換えてたのは、京を離れる間のことで、
帰ってきたら名義は源氏に戻したのでは?(そういう記述はないけど)
もともと、源氏不在の間に、紫の名義であれこれ差配ができるように、
という理由もあってのことだろうから、帰京したら元に戻すのが
当然というか。
それに、可能不可能の問題とちょっと違って、あの時代の価値観
としては、「なだらかな人間関係維持」というのを重視するから、
以前贈与してもらったのをそのまま持ってたとしても、それを
あてに無理矢理出家なんかしたら世の中の非難轟々だよ。
そして、紫は、そういうことをする我の強いキャラじゃなかったしね。
源氏が忍び込む云々だけどね。
源氏は、若い頃人妻である空蝉のもとに忍び込んだことがあるでしょ?
で、一回目は空蝉をモノにしたけど、二回目以降空蝉は拒んだでしょ?
その記憶があって、源氏はそれ故に空蝉を高く評価していたから、
余計に比較して女三宮を許せなかったんじゃないかな。

なお。
男が女の元に忍び込むこと自体は、別に悪いことじゃないんだよ。
あの時代は。
相手が人妻だとか、親が許してないとか、相手によって良い悪いが
決まるだけ。
そして、忍び込まれるのが悪いわけでもない。
実は、人妻なのに他の男を引っ張り込むのが悪いというわけですら
ないんだよね。
正妻でなかったら、他の男を引っ張り込んでも必ずしも悪いわけでは
なかったりしないでもない。
女三宮みたいに、はっきり源氏の正妻である人が他の男を作るのは、
源氏の体面・社会的立場にも関わることなので、やっちゃいけない
ことなのです。
688名無しさん@HOME:03/09/22 18:20
>それに、可能不可能の問題とちょっと違って、あの時代の価値観
>としては、「なだらかな人間関係維持」というのを重視するから、
そだね。
その上、紫は源氏に育てられたおかげで、の楽屋裏もよーく知ってるから
こう出たら、源氏がどう感じるか、どう考えるか、どう行動するかが
手に取るようにわかってしまったってのも痛いね。
でも反対されるとわかっていても「出家したい」って言わざるをえなかったんだ
と思うと…泣ける。
689名無しさん@HOME:03/09/22 22:52
あの時代の男女がらみの倫理観って、基本的には現代よか
かなり鷹揚ではあるよね。
人妻との恋も、外聞悪いことだけど、でも仕方ないみたいに
見られる面もあるし。
それに、はっきりした結婚してない間柄ほど、しばりもルーズに
なるよね。
ところあらはしした妻が他に男作ったら、夫の体面に関わる大問題に
なりかねないけど、そこまでしてなくていつのまにか妻になったような
女性が他に男作っても、わりとうやむやになったりするし。
ところあらはしして正式に結婚した間柄の場合、死別後の再婚すら
あまり良い目で見られなかったりしてない?(真木柱とか)

結局、妻としての表向きの立場が強ければ強いほど、浮気への縛りも
強いのかも知れないね。
690名無しさん@HOME:03/09/22 22:53
691名無しさん@HOME:03/09/22 23:36
紫が出家を願うあたりは、大人になって読むと気の毒になってきた。
あと、あさきだと特に気の毒なのが「殿はついに私にこの場所(寝殿)を
お許しにならなかったのだ」と、「私には声をあげてなく場所がないのです」
ってとこだった。
あれは漫画ならではというか、ぐっと来るシーンだった。
692名無しさん@HOME:03/09/22 23:41
顔を見たこともない女性のところへ夜這いに行くんですよね?
相手が未婚女性だが、結果気に入らなかった場合結婚しなくても
いいの?それとも、一度手をつけたら生涯面倒見なきゃいけないの?
693名無しさん@HOME:03/09/22 23:42
>692
気に入らなかったら通わない→結婚しなかった、ということに。
694名無しさん@HOME:03/09/22 23:44
>>693
そうなんだ。
物凄く屈辱ですね。勝手に妄想して襲った癖して、やっぱり気に入らない
とは・・・。
これって女性の方からも「あんたヘタだからもう来ないで」とも
言えるんですかね?
695名無しさん@HOME:03/09/22 23:49
うーんでも文化的に、本当のレイプっていうのは結構ないもんだよ。
寝所にまで忍び込まれたら、女性は諦めて抱かれろっていう
文化だけどね(w
女性の方が気に入らなかったら、男を入らせなければ良いだけ。
最初の日は油断してたとしても、次は来るのが分かってるんだから
方違えとかでどっか行っちゃうとか、色々手はある。
もとい、

>本当のレイプっていうのは結構ないもんだよ。

本当のレイプが、文化として是認されてたわけではないよ、と
言い換えておこう。
697680:03/09/23 01:57
>>686,687
レスありがとうございました。
紫の性格と立場ではやっぱり無理ですか。しょんぼり。

忍び込む事は悪い事とされていた時代ではなくても、全然好みじゃない人に
忍び込まれてハァハァされたらやだなーと思ってしまいます。
さらりとかわす機転がきかないので。
それでずっと「いくら何でも髭黒はないだろう〜」と思っていたんですが、
(ドラマでガッツ石松がやっていたのがさらにきつかった)
そうですね、1回の過ちならともかく夫婦になったと言う事は
3日通わせているんですよね。
髭黒の口説き文句に関してはずっとその通りと感じていたんですが
やっぱりガッツ石松が・・・

今原作を読み返しています。
といっても田辺聖子さんの「絵草紙源氏物語」、読みやすいやつです。
読んでいると、またまたいろいろ疑問みたいなのが出てくるんですが
教えてちゃんは嫌われちゃうし、「結婚して読む〜」のスレタイとは
違ってきそうなので自分でネットで調べたりしようと思っています。
次からは名無しさんに戻って書き込みます。
このスレ、源氏マニアな教えたがりな人が結構多いと思うから
ぼちぼち質問するのも悪くないと思うよ(w
それをきっかけに話が弾むかも知れないしね。
>>698
ありがとうございます!
700名無しさん@HOME:03/09/23 10:11
紫の上の出家の件ですけど、自分で勝手に髪を切る、たとえば侍女なんかに
髪を切らせて、はい、出家完了、と言うわけにはいかなかったと思われ。
前レスの勘当された元一条女御は父親に髪を切られてるが、髪が伸びるとさっさと
男と再婚。

出家するときには「引導」役が必要で、それは位高い聖とか、天台座主とか、
身分アル出家者に髪をおろしてもらい、仏の道の説教を受けるという儀式が
必要だった。「引導を渡す」とか現代も使われる語の元の意味は出家の時のこと。

女三宮は父法王に髪をおろしてもらったが、紫の上は引導役を頼むにも、
源氏の許可やコネがないと無理だったと言うことだと思う。
定子は兄弟の失脚のどさくさで髪を下ろしてしまったけれど、引導役がいなかったのか
「本当は出家してなかった」とか苦しい言い訳をして皇子の出産前後を取り繕った
という。
701名無しさん@HOME:03/09/23 10:35
源氏の許可を受けずに、出家すべく、どこぞの寺に籠もったらどうなるか?
道綱母が当てつけに髪を下ろしますと寺ごもりして、兼家に連れ戻されたような
醜態を演じることになってしまう。

世間のものわらわれ、になるし、紫の上はもう、「愛を取り戻すための」
パフォーマンスとして出家したいと言い張ってるわけではなく、
一抜けた、の人生を望んでの出家願望だから、確実に出家したい。

それと、出家くらい「正式に」したかったんではないだろうか?
正室格とはいえ、世間からは(女三宮が出家したからまた正室ね)的な、
実質「継室」みたいな認められかた。
出家まで、「正式でない」方法でしたくなかったんじゃないかな。
原文では紫の上の性格で強硬に主張できなかったということだけれど、
彼女の深層心理には「正式でなかった結婚」「ひとの数にも入らぬ身」
「完全とは言い難い源氏の寵愛」などが鬱屈してたと思う。
「出家ぐらい人並みに」(ここでいうひとは人間ではなく殿上人)と
言う心理が働いていたと思う。
「正式な出家の儀式」を伴わない出家は、彼女のこころの平安には
結びつかないものなんだろうと。
702名無しさん@HOME:03/09/23 10:42
出家というのは一般人として死ぬことだから、
出家の儀式は現代の葬式のようなもの。
引導役やゆかりのひとも招き、法名もいただいて、しめやかな中にも
華やかに、第二の人生に出発したいというのは人情。

紫の上の躊躇に比べ、浮き舟はすっぱっと出家した。
身分も教養も、たぶん器量も頭の良さも紫の上に劣るはずの浮き舟が。。。

ひとの幸福や、世間にとらわれない自由さ、魂の幸福というものは、
身分の上下や男の寵愛の濃い薄いには関係ないのだという、
紫式部の悟りの境地を感じる。作者も成長したというか、世間や世間体の
くだらなさを超越し悠久の真実を感じたのではないかなと。
703名無しさん@HOME:03/09/23 10:48
紫の上が躊躇して、結局臨終の間際にしか髪を切れなかったのに比べ、
浮き舟が出家を果たしたのを比較してみるとき、
明治維新後に苦界(つまり売春)に身を沈めたのは身分ある士分の娘が多く、
下級武士の妻や娘は巷でしぶとく奉公や商売などをして生活したという
史実を思い出す。
704名無しさん@HOME:03/09/23 11:00
「紫の上はこんなに可哀想」と書きながら、行間には、
でもこの女君の欠点でもあるんですよ〜と思ってそう、紫式部。
頭悪い読者には、永遠の悲劇のヒロイン・理想の女君として
全うさせつつ、「出家」を人生最大にして最高の行事・晩年の理想と
言う思想からは、「出家は万難を排しても遂行すべき」という
思いを伝えてる。
705名無しさん@HOME:03/09/23 11:50
>>704
概ね同意
綺麗な言い方をすると、紫の上は「愛を食べて生きた女」だったと思うな。
彼女を支えたのは源氏の愛情だけだった。病気になるのもその愛情に疑いがもたれた
(受け取る愛情が減った)ためだし。
出家=俗世を離れて生きること 愛憎から逃れることは
彼女にとって生きる糧を失うことだったと思う。
死んでもなお 形ばかり髪を削ぐ程度で出家しなかったのは
死後でさえ愛という糧を無くしては生きていけないということを思ったよ。
706名無しさん@HOME:03/09/23 13:50
先に源氏が死んでたら、紫はどうなったのかな。
生活は源氏がそれなりに差配してると思うし、明石の中宮や
夕霧(ちょいあやしいけど)がいるから暮らし向きは困らないよね。
でも、出家は思い道理にできたよね。
707名無しさん@HOME:03/09/23 14:16
律儀な夕霧が差配したでしょうね。
しかし紫の上が先に死ぬところが文学だからw
メリー・ウィドーな紫の上なんてね。
708名無しさん@HOME:03/09/23 14:17
701の部分だけですが、
>彼女の深層心理には「正式でなかった結婚」「ひとの数にも入らぬ身」
>「完全とは言い難い源氏の寵愛」などが鬱屈してたと思う。

出家のことはわかりませんが、紫式部自身にも、
当てはまるんじゃないかと思う。

紫式部の「夫」といっても正妻は別にいるし、「夫」からすれば、
紫式部は何人も通う相手の一人にしか過ぎない。ある意味、自分の
気持ちを紫や明石に代弁させたのかもしれない。
709名無しさん@HOME:03/09/23 14:48
そういや、紫式部んところも年の差夫婦だったなぁ。
710名無しさん@HOME:03/09/23 14:52
受領階級でもあんまり経済的に恵まれていない家に生まれ、
親ほどの年上の男を夫に持ち、
短い結婚生活を経て宮仕え。
物思いのない生活ではないし、鬱屈するというか、ひねくれるというかw
作家魂を育ますには良い環境だったろうと思われ。
711名無しさん@HOME:03/09/23 15:20
メリーウィドウな紫も見てみたかったかも。
物心ついた時から源氏と一緒の呪縛生活だもん。
全て源氏中心に物事を考えて生きてきたんじゃない。
で、あっけなく源氏がはかなくなる・・・・。(腹上死?)
あれ、私生きていけるじゃん!!!って紫
712名無しさん@HOME:03/09/23 15:25
でも死んだときもう40くらいよね。
40の賀=今で言えば還暦祝い になってから源氏が死んでも、
もう取り返しはつかない。
せいぜい出家しつつ、物見遊山がいいところ。
匂宮あたりにだんだん疎んじられつつ年を取っていくのが関の山。
713名無しさん@HOME:03/09/23 16:20
>>700-705
うーん。紫上は仏道に魂の救済を求めていたと思うけど、
作者の紫式部がどれほど仏教や出家するということに救いを求めていたかは
わからない。出家が人生の上がりというのは時代の常識ではあったと思うけど。
宇治十条で俗聖の八宮や薫の自分勝手さやいやらしさ、横川僧都や尼の俗っぽさや
人間くささを必要以上にスーパーリアルに書きすぎw。
ヒロインの浮舟自身も二人から逃れるために出家したけれど、仏道に邁進しそうな人では
ないものなあ。
出家したからと言って魂に平安が訪れるわけではないのよね…なんてブツブツ言ってそうな
気がする。

>鬱屈するというか、ひねくれるというかw
>作家魂を育ますには良い環境だったろうと思われ。
つるっ禿同。ビバひねくれ式部!
714名無しさん@HOME:03/09/23 17:57
確かに紫式部自身がどこまで仏道に救いを見いだしていたかはあやしいもの。
むしろ、人間は救われないもの、というのが式部の悟りだったのかも。
715名無しさん@HOME:03/09/26 19:00
>>306 309 544
京都の風俗博物館には行った事がないんだけど、去年の正月に銀座松屋でやってた展覧会に
風俗博物館の六条院の模型が展示されてたよ。けっこう大きなものだった。
春の町の寝殿と南北両渡殿と東の対の一部を具現しました…とパンフには書いてあるよ。
716名無しさん@HOME:03/09/27 17:41
下がってますね(涙)
六条院って、大きさにしたら相当なものなんですよね。
昔の金持ちって半端じゃないな〜…
717名無しさん@HOME:03/09/27 18:49
ものすごく良いスレだから、落ちないでー!
ここのスレ読んでると、源氏はあの時代のリアルな小説だったんだと思うよ。

今度宇治に行ってくるので、
浮舟が身を投げようとした宇治川の流れの音を聞いてこよう。
式部は宇治ぐらい行ったことがあるだろうね。
須磨や明石はイメージで書いたのか?
そんな宮仕えの人がほいほい行けるような所ではないよね?
718名無しさん@HOME:03/09/28 15:28
>717
宇治なら源氏物語ミュージアムっていうのがあるね。
もし足を運んだならレポプリーズ。

>須磨や明石はイメージで書いたのか?
父について越前まで下った経験があるからそんなに難しくなかったんじゃないかな。
読者はそれこそ京しかしらない人達が多かったんだろうしね。
719名無しさん@HOME:03/09/28 15:42
717さんじゃないけど、去年宇治へ行きました。
ミュージアムはこのスレの人なら楽しめるかも。
それより、宇治川を眺めながら、ここを小舟で渡ったのかなんて
考えるほうが楽しかった。夕霧の別荘のモデルといわれる平等院も見学。
あと、抹茶アイスおいしかった。
源氏ミュージアムで「あなたはどの女君タイプ?」っていうお遊びが。
私は明石の君でした。(全然違うぞw)
だいぶ前に行ったので、今でもあるかどうかはわかんないけど。
八月下旬に宇治源氏ミュージアム及び風俗博物館に行ってきました。

>>720
まだありますよ。私も明石の御方でした。

源氏ミュージアムは宇治十帖メインですが、六条院の全体像を再現した模型もありました。
源氏に関する本・漫画を集めた図書室もありました。
宇治川ってあんなに水かさが高くて急な流れなんですか?行ったときちょうど水難訓練やってました。
落ちたら絶対死ぬ。あれで助かるなんて奇跡としかいいようなし。
JR宇治駅前の中村藤吉本店の抹茶金時白玉入りアイスおいしかった!

風俗博物館は西本願寺の近くのか細いビルの5階に小ぢんまりとありました。
規模は狭いが行って損はなし。HPにあるものがじかに見られます。触われませんが。
春の殿は、いろんな角度から覗き込めるようになっていて、俯瞰も仰角も写真撮影もOK。
私が行ったときは、尼そぎをした女三宮・薫を抱いた源氏・明石姫君の袴着・五節の舞姫などが見られました。
夕暮時でもお客さんでいっぱいで、子供がむさぼるように源氏(小学館の漫画?)を読んでいる姿を見つけてちょっと感動。
年に二三回衣替えするみたいなんで、暇さえあればまた行きたい予感。
中村藤吉本店の抹茶ソフト、私も好きだー。
生チョコもンマイですぞ。
ミュージアム行って見たいなー♪
723名無しさん@HOME:03/10/01 09:33
宇治の源氏ミュージアム、3、4年前に一回行っただけなので、
ここ見てたらまた行きたくなっちゃったよ。
源氏好きにはたまらんところよねー。
宇治の雰囲気も何となくいいし。
724名無しさん@HOME:03/10/01 11:06
宝島社からあさきゆめみしの特集本が出ました。
おおぉ!高いんだろうなあ。
726名無しさん@HOME:03/10/01 17:58
>725
千円弱です。
727名無しさん@HOME:03/10/01 22:04
どうしても三ノ宮とケコーンしなきゃいけなかったの?
皇女が生涯独身を貫くのは珍しい話ではないだろうし、
朱雀院だって「面倒をみてくれる人」を探してたんじゃなかった?
まあ藤壷と縁続きと知って食指が動いてたから
遅かれ早かれ食べられちゃったかもしれないけど。
728名無しさん@HOME:03/10/01 22:05
あとさ、寵姫を掠め取られ、秋好中宮への恋も妨げられたのに、
最愛の娘を差し出したのはなぜ?マゾですか?この人。
729名無しさん@HOME:03/10/01 22:08
三宮が降嫁してからガラッと物語のカラーが変わるね。
紫の上もすごく魅力的になるし。
田辺訳の下巻ばかり読んでるよ。
730名無しさん@HOME:03/10/01 22:14
読み返すたびに紫式部の知識の広さと深さには感心するね。
あと、この人は絶対に道長とデキてたと思うね。
紫式部日記にも「夜部屋に訪ねてきた」とあるし。
この時代の「逢ふ」はセクースするってことでしょ?
731名無しさん@HOME:03/10/01 22:16
>728
確かにマゾっぽいかも。朱雀院ってw
源氏にさんざんいたぶられたようなのに、
「もし源氏が女だったら、たとえ兄弟でも深い仲になりたかった」
なんてことも言ってるから変態も入ってるかもね。
732名無しさん@HOME:03/10/01 22:31
源氏がことあるごとに紫の子供時代のことを
「打てば響くような才気があった」と評するじゃん。
特に三の宮が降嫁してからは何かと比較して。
だったらそのまま手応えのある女に養育すれば良かったのに
嫉妬せず、意志を持たず、10のうち9は胸の内にたたむ、というような
つまらない女に仕立て上げたのはなぜだ。
733名無しさん@HOME:03/10/01 22:36
五節の舞姫(惟光の娘)と雲衣の雁って、どっちが先に夕霧とケコーンしたの?
田辺聖子の訳では雲が先だけど、誰かのは(谷崎?)五節が先だった。
式部自身が、子供の頃は才気ビンビンで、男の子っぽかったじゃない?
でも出仕するころは、恐らく内向的な感じになっていたんだろうね。
そんな自分の気質を、理想的ヒロインに重ねていた面もあるのかなあ。
>733
関係ができたのは、雲が先(というか、引き裂かれる前に
そおゆう関係になっていたから)。
二人が引き裂かれている間に、藤典侍と関係ができた。
でも雲居の雁と結婚するまでは、藤典侍との間には
子供が産まれてないんだよね。
どう解釈すべきか・・・
おそらく、結婚前は、典侍ともたま〜に会うぐらいの関係で、
雲との結婚後に、安定したつきあい方をするようになった、という
感じなんじゃないかと思う。

結婚する前に、典侍と定まった関係になってしまうと、
結婚に差し支えるからね。
736名無しさん@HOME:03/10/01 23:04
柏木いいなあ。セクシーで。
>>732
そこまでの情熱も若さも愛情もなかった。と思う。
738名無しさん@HOME:03/10/01 23:10
葵の上が生きてたらどうなってたのかなあといつも思う。
ところで葵が和歌を詠むシーンってないよね。
>>733 与謝野訳だと
夫人と結婚のできた以前の青春時代には、この典侍だけを隠れた愛人にして
慰められていた大将であったが、夫人を得てからは来ることもたまさかになってしまった。

>>735の解釈で合ってると思います。
740名無しさん@HOME:03/10/01 23:17
でも雲って典侍のことを全然気にしてないよね。
身分があまりにも下だから歯牙にもかけてないのか。
いや、身分が下というのもあるけど、典侍は宮仕えの身で、
家にいる女じゃないからというのも大きかったはず。
ってか、そんなことをどっかに書いてあったような。
夕霧と雲居の雁が結婚前にHしてたかどうかって、見方が分かれるら
しいね。
元服、裳着をするかしないかの年齢でもやることはやってたから、雲居
の雁は、他の男と結婚もせず、入内もできなかったのかな?

>>742
周りは年増の女房ばかりだから、
2人とも早くから耳年間になって、
やることやってたかもね。
いつの時代でも、オバチャンが集まると
下ネタ炸裂だっただろうし、
大宮のところなら、しっかりした男主人がいないから、
余計に女房たちも慎みが無かったんじゃないか、
と想像してみる。

って、朝から何想像してるんだよ、自分。_| ̄|○
744名無しさん@HOME:03/10/02 10:14
紫の上の少女の頃の資質と女三宮の資質とにもともと差があったのは
確かだったろうと思われるけど、
昔読んだ「源氏の女君」という解釈本に、女房の資質・役割について
書かれていたところで、源氏が幼い若紫を世話したいと申し出るところに
「でも、お嬢様はまだこんなにねんねえなんです!」とぐいっと、源氏の前に
若紫を突き出す(わら
女房の駆け引きについて、賞賛していた。

源氏が若紫をさらったところでも、さっとただひとりお伴について行ったり。

そういう女房たちに比べ、女三宮の女房たちには「姫様大事」な必死さも、
柏木から姫を守る才知も、ことの後に源氏から姫を守る覚悟もな〜んにも無かった。
女三宮に対する愛情とか、忠誠心が無いともいえるけれど、
柏木とのことを手引きした女房の言い草が「源氏に顧みられずお気の毒」とか
柏木の熱心さに負けてとかいうもの。
「この足りない姫をひとわらわれにならないよう、守っていこう」というような
気概や共通認識が全然無い。
結局、源氏の嫌味は炸裂させたが節度を守った子供の取り扱いで事なきを
得てるあたり、朱雀院が源氏に頼ったのは無理も無いことだったかも。
745名無しさん@HOME:03/10/02 11:30
>731
当時美しい男に対する褒め言葉に「女にしてみむ=こいつを女にしてヤッてみたい」ってのが
あるんだから、皆変態と言えば変態かもw
源氏は紫の父の兵部卿や息子の夕霧までそんな目で見てるよね。

でも朱雀はその中でもちょっと特殊かも。この人源氏をすごく好きだし。
朧月夜と源氏の関係を知ってもやめさせなかったあたりがとても微妙。
本当は朱雀と朧月夜と源氏の三人で寝たかったのかも。
内心は最愛の娘を自分の身代わりとして喜んで差し出したんじゃないだろうか。
研究材料?として朱雀はかなり面白い人だと思う。
746名無しさん@HOME:03/10/02 11:48
>732
>嫉妬せず、意志を持たず、10のうち9は胸の内にたたむ、というような
>つまらない女に仕立て上げたのはなぜだ。

うーん、源氏の中では紫は嫉妬する人として書かれてると思うけど?
六条とは違って嫉妬と言っても嫌味ややきもちにソフィストケートされてますが。
源氏は紫をつまらない女とは思っていなかったと思われ。
むしろ紫自身が自分をつまらない女(女なんてつまらない)と思っていただろう。
紫のような人は源氏自身というよりも女の限界に失望したのかなと最近思う。
ま、源氏がそれに拍車をかけるタイプだったのは否めませんが。

母を知らない源氏が同じく母を知らない紫を妻ではなく、自分の母親のように育てて
してしまったのが悲劇だと思う。
母と言うより、あそこまで甘えているのは「お祖母様」を投影してたのかな。
747名無しさん@HOME:03/10/02 12:04
源氏のすべての女に対する共通スタンスだよね、実は。「甘え」
だから朱雀院も、買いかぶっていたんだよね、源氏の包容力を。
源氏が紫の上を立派な女性に育てたわけではなくて、彼女の資質、
おかれた環境、かしずく女房たちが形成に多大にかかわってるわけで。

当然与えられるべき母親の愛情も祖母の愛情も断ち切られていく中で、
父親は公人。満たされなかった源氏は、年寄りキラー・色好みの男に
なっていく。

源氏は権力者ゆえでなく、満たされない愛の狩人であったがゆえ、
女たちと対等に愛し合えない、一種の奇形児だったと思う。
源氏と対等に愛し合える、或いはその可能性のあった女君ってだれ?
葵・朝顔・朧月夜…みんな身分も後ろ盾もあるじゃないか。

ちょっと別だけど、仮に藤壺が完全に自分のものになったら
ソッコーで捨てたんじゃないかと思ってるんだけど <妄想w
749名無しさん@HOME:03/10/02 12:48
源氏をもう一度生み直してあげて、育てるわけにはいかないものね。
女君たち。

だから対等に愛し合える女君はいなかった。
葵は死んだけれど、朝顔は拒否。朧月夜も結局、源氏は自分が
思うほど自分を思ってはくれないと悟った。
紫の上の気持ちもこれかな?
自分が思うほど思ってくれない源氏。
藤壺もそれがわかってたから、結局は母性の人として踏みとどまれたのかも。
750名無しさん@HOME:03/10/02 12:54
けど、源氏の人間形成に置いては「藤壺、アサーリ捨てる」があったなら
も少し、大人になれたんじゃ無いかと(w
「お母様への慕情や執着」を藤壺で完結させ、チャラチャラした人間か?
若しくは、地に足をつけ当時の政治闘争に翻弄してたかもよ・・・
甘えは卒業できても、自己顕示欲は強そうだモン>源氏
アチコチに子供産ませ、コマとして使ってそうじゃ無いかい?
751名無しさん@HOME:03/10/02 13:07
捨てられない性格だからなあ源氏。
むしろあきらめの悪い粘着質。
というのは、むしろ彼自身が、恵まれてはいたが「捨てられた子」だからじゃ
ないか。
明石から呼び戻されて、朱雀院に詠み掛けた歌が「蛭子がどうのこうの」という
恨みがましいもの。思い切り潜在意識がでちゃったか?とも思う。

自己顕示云々も、自分の才覚ひとつで出世していかなければ、世間的にも
いらない存在と明確になってしまうのを恐れているのだと思う。
752名無しさん@HOME:03/10/02 13:28
>751 同意。フェイドアウトもできないね、この人。
物も捨てられなかったんだろうな。現代人なら汚部屋住人だ。
753名無しさん@HOME:03/10/02 13:34
>750
アチコチに子供作るのも当時の男の生活手段でもあったわけで。
通い婚だからね。
>746
横ですが、732さんは紫じゃなくて女三宮のことを言ってるのでは?
>>754
うーん、私は746さんじゃないけど、紫のことを書いているように読めた。
三の宮は、紫と比較した、というだけで。
子供の頃の紫を、才気があったとほめているくせに、その後はつまらない女に
仕立てた…と書いてあるように読めたんだけど、真相はいかに?
私も755と同じように読んだ。
757746:03/10/02 16:13
紫が女というものに失望している述懐「夕霧」の巻より
-------------------------------------------------------
女ばかり、身をもてなすさまも所狭う、あはれなるべきものはなし。
もののあはれ、折をかしきことをも、見知らぬさまに引き入り沈みなどすれば、何につけてか、
世に経る映えばえしさも、常なき世のつれづれをも慰むべきぞは。
-------------------------------------------------------
以下まだまだ続くけど、これは式部自身の心からの声なんだろうね。
お節介だが訳しておこう。

-------------------------------------------------------
女ほど、身を処すにも肩身が狭く、哀れなものはない。
情趣あること、興趣に富んだことがあっても、そのような情趣も
分からないかのように、引きこもって沈みがちに暮らしていれば、
生きる映えも、無常の世の中の所在なさも、どうやって慰める
ことができようか。
-------------------------------------------------------

女性は引きこもって暮らすべき、みたいな考え方を
前提に、女なんてつまんないわ、とぶつぶつ言ってるわけです。
759名無しさん@HOME:03/10/02 17:48
源氏の死後、明石や花散里は心配ないけど
空蝉と末摘花はどうなったんだろうと思う。
それぞれ遺産をもらって、適宜隠棲したとオモワレ。
源氏が出家する前に、そこらへん全部手配してたでしょう。
そういうことにはマメだから、あの男。
761名無しさん@HOME:03/10/02 18:07
>そういうことにはマメだから、あの男。
また、そういう細々と差配するの好きそうだし、あの男w。

源氏、あんなに女君集めちゃったものの、正直しんどくなかったのかなと思うな。
ハーレムとは程遠い実情。皆オヴァの年代だし、若い玉鬘は鬚黒に取られるし。
生ぬるい老人ホーム化しそうになった時にドカンと女三宮降嫁か。上手いなー。

式部も初めは華麗な王朝絵巻を書いていたんだろうに、若菜以降は
小説の神が降りてきたんだね。
>生ぬるい老人ホーム化

ゲキワラ。まったくだ。

細々差配して、「俺ってなんて思いやりのある良い男」とか
悦に言ってるんだよね、ヤツは。
763名無しさん@HOME:03/10/03 00:20
>「俺ってなんて思いやありのある良い男」
実際、この時代関係した女性ほとんどの面倒をみるような貴族はいなかったと思われ。
いいとこどりして、身分の低いものはぽいっ っていうのが普通だったのでは?

紫式部はそのあたりのことを、とても現代的(?)な視点でとらえたと思う。
>>763
作者自身の願望も入っていたのでは?
と私は思っている。
765名無しさん@HOME:03/10/03 08:20
深窓の令嬢や奥方の性格や容貌も容赦なく切るかわりに、
(自活能力のアル女房などは「この人も源氏と関係があったが。。。」とか軽く流す
だけなのだが、)生活の面倒はきっちりみます、ということで帳尻をあわせてるような。。。

なにせ親王の姫だろうと大臣の姫だろうと、おちぶれて身分低いものの妻になったり、
もっと酷いことには盗賊に襲われたり小路にすてられたり、していた時代だからねえ。
宮中に出仕していた女房には年金みたいなものはあるの?
源典侍の老後が気になってさw。(登場時から老後だけど)
なんかその後のエピソードがあったようだけど忘れてしまったよ。
767名無しさん@HOME:03/10/03 09:18
源典持はさらに(わら 年老いて尼になって、女5宮(桐壺帝や大宮の妹・こちらも老女)
に仕えていたので、女5宮の見舞いに行った源氏が驚く場面があった。
768名無しさん@HOME:03/10/03 09:40
八の宮の屋敷で薫に出生の秘密を話す女房も、かなりの年だったはず。
もとは宮中で仕えていて、晩年、家女房になってるところを見ると、
年金なんかはなくて、役を辞した後は自分の実家で娘に婿取りなどして暮らす
力がない場合は、晩年まで女房勤めしたのかなと思う。
引き取る縁者がいない場合、病気なんかで寝付いたら、
鳥野辺あたりにうち捨て?((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
770名無しさん@HOME:03/10/03 09:58
息を引き取るまでは、まさか打ち捨てられはしないと思うが。。。
例のうるさ型、実資の幼い娘は、当時の習慣で埋葬せず、死体を捨てさせた
が、翌日気になって見にいかせたら死体は跡形もなかったらしい。。。
鳥か野犬にでも持っていかれたのかな。
771名無しさん@HOME:03/10/03 10:25
いや、これは助からないと思われると、息のある状態でも
捨ててしまうなんてその当時ありがちだよ。
特に、流行り病で看病する手も足りなくて、生きている人間が、
いつ自分にも伝染するかと疑心暗鬼になってる時にはね。
死が穢れという意識も強いから、ただの雇い人じゃなおさらそうだろう。

実資の娘はきっと770さんの想像通りでしょう。
自然界での正しいリサイクルには違いないが、親の心情としてはたまらないね。
もっとも埋葬してもリサイクルされちゃうけど、直接目に見えないだけましだ。
実資も確かめなきゃ良かったんだろうけど、それが親の煩悩だよね。
源典侍の場合は、縁者はなかったんじゃないかな。
弁の尼もそうだけど、老後に頼る実家がなかったら、
よすがを頼ってどこかの家に仕えて、そこで最後を
看取ってもらうのでは。
773名無しさん@HOME:03/10/03 23:09
現代で思われる「老後」まで生きることが出来た人はどのくらいいたんだろうね?
イメージ的にはある程度の歳になったら、皆出家して僧や尼になるって感じだけど・・・
出家しても自宅で暮らす人も居たようだけど
どこかの寺に身を寄せる・・・というのもありかと。
774名無しさん@HOME:03/10/03 23:14
尼寺なんて階級社会もいいとこ。
身を寄せるということは、結局召し使われるってことなわけ。
775名無しさん@HOME:03/10/03 23:37
割合としては少ないけれど、天皇后大臣から受領クラスまで
長生きなひとは長生きなんだよね。

清少納言と紫式部の父親は両方とも長生きの部類だし、
道長の長女、一条帝中宮の彰子も確か85くらいまで生きてた。
776名無しさん@HOME:03/10/03 23:44
安部清明も84まで生きてたらしい。
777名無しさん@HOME:03/10/03 23:47
777ずさー
778名無しさん@HOME:03/10/03 23:50
馬鹿かお前ら!
長年使えた女房が病みついたからと、生きているうちに外へ放り出した話、
何かで読んだよ。

>775
確か、道長妻の母も90の賀を行なったような。
平均寿命は短くとも、極端に短命な人や子供の死亡率が多い一方で、
生きる人はとことん行くね。不思議だ。
あれだけ病気がはやって、ワクチンも何もない時代にねぇ…。
780名無しさん@HOME:03/10/04 00:04
既出かもしれないけど、道隆って糖尿で死んだんだよね。
道長も似た症状だし。
あの当時、仏教の影響でほとんど菜食だし、たいした食べ物なかったのに
酒、所謂どぶろくの飲みすぎで発病するなんて、ある意味感心したわ。
それと足腰、丈夫じゃなければ長生きできないって言うのに、
いざってばかりの彰子が、長生きなのも驚いた。
結局、いつの時代も宿命というか運命というか。
781名無しさん@HOME:03/10/04 00:22
綸子の父親、源雅信も85くらいまで生きてるし、
彰子の長寿(87歳薨去だがこれは数え年ね)は隔世遺伝かな。
しかし妹たちは皆、若死に。まあ34歳とかは当時は普通なのかな。
嬉子の21歳は当時でも早世だろう。

782名無しさん@HOME:03/10/04 00:26
道隆は大酒のみだったらしいから生活習慣病としての糖尿かも
しれないけど、道長も含めて、遺伝性の糖尿病だったのかもしれないなと。
783名無しさん@HOME:03/10/04 00:34
太古の昔から、DNAの不思議はあるのですね。
それにしても、同じ一族の定子中宮の境遇は、涙を誘う。
枕草子を読むんで、涙が出るんです。
スレ違いなので、ゴメン。
784名無しさん@HOME:03/10/04 00:36
三条天皇も眼病に苦しんでるし、糖尿病は蔓延してたかも。
当時の1日2食の食生活とか、米の飯に焼き味噌とかほしさかなとか、
冬の住居の寒さとか腎臓にも悪そうな感じ。腎性糖尿病とか病名が浮かぶ。

退位した天皇が出家した後長寿なんんてのは、ストレスから開放された上に、
栄養価の高いものを食べてるからなのかな。
785名無しさん@HOME:03/10/04 00:45
明石の姫君が早婚のうえ、出産も超人的に早いのは、
定子が15歳で入内して、皇子誕生までに時間がかかり、いざ生んだときには
道隆は死んでいて、後継の兄弟たちが叔父の道長に歯が立たなかったり、
彰子を無理に立后させたはいいが、なかなか妊娠すらせずヤキモキさせられた
道長の例を皆が知っているから、順調な政権把握のために、何が必要かを
作家も読者もよ〜くわかってた結果じゃないだろうか、と思う。

それにしても、式部の皮肉が込められてる気もする。
摂関政治の非人間性を洞察していた感じを受ける。
786名無しさん@HOME:03/10/04 09:43
>>770

当時は7歳以下の子はお墓を作っちゃいけなかった(葬式をしてはいけなかったか?)
から、実資もなくなく娘を捨てさせたんだよ。でも、最愛の娘だったから気になって見に行かせた。はず。

下働きなんかは疫病なんかのうつる病気や、もうこりゃ死ぬぞなんてことになりそうになると屋敷から
たたき出されちゃうんだよ。幼い娘なんかがいればそのこも一緒に。
周りにうつるってのも理由だけど、そこで死んじゃうと屋敷全体が穢れちゃって屋敷の主なんかも、死の穢れに
さらされたことで、何日か内裏にもいけなくなる、もちろん仕事もできないし。

下働きの子が野犬かなんかに食い殺されて死体が屋敷内にあった。それをしらない屋敷の主が、友人に逢いに行って、
その友人がお偉いさんのところにいって、そのお偉いさんが内裏内でだれかにあって・・なんてことがあったもんだか
から翌日に会った神事はどうするんだ、どこまで死の穢れが・・なんて大騒ぎになって陰陽師は呼ばれたなんて
話しをどっかで読んだ。
787名無しさん@HOME:03/10/04 11:33
>結局、いつの時代も宿命というか運命というか。
そうなんだよね。
現代なら小学生くらいの歳でケコーンした明石中宮が無事シュサーンできるなんて
すごい事だと思う。小さい体に小さい骨盤((((;゚Д゚))) ガクブルです。
栄養状態のよい現代でも妊娠シュサーンは大変だったよう…。
788名無しさん@HOME:03/10/04 13:15
もうすぐ御所の一般公開ですね。 昔行きました。
行ってみると、源氏の世界がよりイメージ出来て感慨深かったです。
お近くの方、是非行ってみて下さい。
こそっとしか言えないけど、
あのお人形がない方がイメージふくらむ気がするんだけど<御所
菊人形みたいで…。
790名無しさん@HOME:03/10/04 15:04
御所の天皇の私邸(?)の庭を見て、とても質素だけど、電灯なんて無く
こんな静かな場所で月明かりの中、虫の音や楽曲を聞けたら
なんて雅やかなのかしらと思いました。
791わむて ◆wamuteW7DE :03/10/04 15:06
             _
  (      .,‐ '´   ヽ-、_
       /⌒)i レノノ))) \ヾヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄
     /ヽ './人il.゚ - ゚ノイ|/.ヾヾヽ<  みる、みる、みるまらーーー!
 ゞ   ("....( (ヽ ⊂)Yiつヽ) |'ノ    |  わむてさん、地球!
     (" "ヽ\.' く _ :|〉ヽ.ヽ| | ノ  |
        '( " ヽ\し'ノ  ヽ| |ノ  ノ   \____
   (\     '("ヽ\     |ノ
   \)       '((.     "   し″
>783
定子のお子さんたちも、死後身代わりのように愛された妹も、
東宮妃だった妹も、妙〜〜に若くして亡くなっていますね。
793名無しさん@HOME:03/10/05 14:11
>790
月以外は真の闇だもんね。さぞ音が澄み渡るだろうなーと思います。
源氏で言えば、蛍の場面が(・∀・)イイ!!。蛍の光でライトアップされた美しい女の姿にハアハアする所。
あれは可能なんだろうか。誰か実験してほしいもんです。
794名無しさん@HOME:03/10/05 15:54
原子は毒殺説がある。
口からも鼻からも血を吹き上げて死んだ、とか。
結核なんかでもそんなふうにはなるが、病んでる様子もなく、いきなり
血を吹き上げて死んだらしい。。。
定子の死後二年後くらい。
道長方よりも、三条皇后誠子あたりが、毒をもったと噂されたらしい。
795名無しさん@HOME:03/10/05 16:06
>794
急死なんですね。
兼家の娘の超子が脇息に
もたれたまま死んでいたという
話を思い出しました。
796名無しさん@HOME:03/10/05 16:13
源氏物語にはそこまで泥臭い話はないけど、現実は怖い。
797名無しさん@HOME:03/10/06 09:02
庚申の明け方、頓死したらしいね、超子。
以後、兼家一門では庚申の催しはしなかったらしい。

道長の兄弟では、この超子と道隆が美貌だったらしい。
しかし三条天皇・為尊親王・敦道親王・光子内親王(2歳で早世)の四人の子
を無事生んだくらいの人が、徹夜明けごときで急死とは。。。
超子が女御になったとき兼家はまだ蔵人頭だったので、そういう人の子としては
女御となった初例らしい。
ライバル女御懐子あたりが首謀者の毒殺説とかあってもしかりと思うところ、
そんな話も特にないのは、光子内親王出産の産後のひだちでも悪かったのだろうか。
血吐いたとかだと妙だけど、超子は心臓が悪かったんでないの?
すでに皇子3人も産んだ後で毒殺したって仕方ないだろうし。
799名無しさん@HOME:03/10/06 11:51
皇子3人生んでるけど、帝の位に就いたのは、一人目だけ。
これは超子が早死にしたせいというより、兼家が死んだせいで、
政権が移っていったからなんだろうけれど。
詮子が定子の兄(自分の甥)に政権を渡さず、弟の道長をひいきにした気持ちがわかるな。
800名無しさん@HOME:03/10/06 11:58
ってか、弟二人は和泉式部との恋に狂ってる内に、
流行病かなんかで早死にしてしまったから
帝位につくもへったくれもなかったんでは。
801名無しさん@HOME:03/10/06 12:06
冷泉天皇はああだったので、中宮の昌子内親王は里邸にいて、
めったに同殿しなかったということで子供もなかった。
二番手妃にして時の大臣の娘懐子が先に、後の花山天皇を生んでて、
超子は三番手妃で後の三条天皇は、円融系の一条の皇太子という
一歩も二歩も下がった立場だったから、生きていても、兼家の政権パートナー
は、まず、詮子であることに変わりはなかったと思う。

だから頓死しても、「あやしい!毒殺だ」「呪い殺された!」などと
騒ぎ立てて、ライバルを蹴落とすようなことまで一族が画策しなかったのかも。

花山天皇を位から降ろすためには姦計を用いたわけだけども、
兼家やその息子たちには、次の一条天皇の時代が早く来ることしか
頭になかったかも知れないと思うと、超子の人生っていったいなんだったのかと。。。
802名無しさん@HOME:03/10/06 12:07
>800
いや、皇位継承から度外視されたからぐれちゃったわけで。

803名無しさん@HOME:03/10/06 12:18
>802
度外視されたってこたないでしょ。
いつ誰が流行病で死ぬか分からない時代だから、予備としては
結構重要だったはず。
804名無しさん@HOME:03/10/06 12:27
為尊親王が26歳で死んだ1002年は定子の妹・原子が頓死した年だが、

その年までに生まれていた皇子は

一条天皇の皇子 敦康親王      999年(母・皇后定子)
三条天皇の皇子 敦明親王      994年
        敦儀親王      997年
        敦平親王      999年 以上母・皇后誠子

ちなみに1000年には彰子が中宮に冊立されてる。
皇子が生まれるのは1008年と遅いが、世の一の人は道長で、
外祖父たりえる兼家も没しているし、為尊・敦道両親王に位がまわってくる
可能性はなかったと思われ。
805名無しさん@HOME:03/10/06 12:30
でも、道長にしてみれば、彰子が皇子を産むか分からない状態では、
敦康親王や敦明親王兄弟に帝位が行くよりは、まだ為尊親王たちへ
帝位が行く方がマシだから、場合によってはゴリ押しでそっちを、
なんてこともアリアリだったと思う。
806名無しさん@HOME:03/10/06 12:39
たとえばの話。
彰子が皇子を産む前に一条天皇が急死したりしたら、
それから三条に娘を納れて皇子誕生を待つとしても時間がかかる上、
三条には既に3人も皇子がいる。
となると、為尊親王に娘を納れて、そっちをゴリ押し→うまく皇子が
産まれたら、なんだかんだで一条系三条系まるごと排除、という手段も
ありえただろうな、と。

だから、死んだ時点では、まだまだ予備としての価値はあっただろうと思うよ。
807名無しさん@HOME:03/10/06 12:52
986年に花山天皇を退位させた時点では一条・三条というふたりの
持ち駒があったので、為尊・敦道両親王はそのまた控えとしても認識
されてたかどうか。
990年に兼家のあとを道隆が継いだ時点では、肝心の一条天皇は11歳。
三条天皇も15歳。やきもきしてはいたが、世継ぎの皇子がどちらにも
生まれないとは想定していなかったろう。

なによりも、為尊・敦道両親王に何十年も帝位をにらんで生きていくような
野心とか尊慮遠謀はなかったと思われる。

敦明親王が東宮を辞去したときには道長は自分の娘を妃に差し出している。
為尊・敦道親王とは婚姻関係を考えていない。
これは道隆も同じで、両親王は後継から度外視されていたと言えよう。

808名無しさん@HOME:03/10/06 12:58
いやだから、実際に後継候補になったかというとならなかったけど、
状況によってはなりえたよ、と。
流行病の時は、ばたばた死んで行くから、上の方の候補が
のきなみ死んじゃうなんてことだってあるからね。
809名無しさん@HOME:03/10/06 13:19
為尊親王は藤原伊伊の娘を娶っていますから、少なくとも伊伊が関白で
あった970〜972年には、伊伊の持ち駒であったと考えていいでしょう。
しかし、為尊親王は976年生まれと言うことですから計算が合いません。
なぜ有力な大臣が娘を押し込まなかったのでしょうか?

敦道親王は道隆の娘を娶っています。それから済時の娘も。
道隆が摂政だった993〜995年の間は、少なくとも道隆の持ち駒だったと
言えるでしょう。
しかし済時の婿というのはよろしくありません。

さて、道長が両親王を持ち駒にしようと思うでしょうか?
三条天皇で散々てこずったのに?
敦康親王を彰子の膝下に置いておいた道長ですから、当然、
こちらを考えていたでしょう。そのために伊周・隆家兄弟を失脚させて
おいたのですから。
それとも人格円満で人望もある敦明親王に娘を入れて順当に後継とし
また皇子誕生を待ちましょうか?ああ、両親王はもう死んでいますね。

花山天皇が退位させられたのは一条がひかえていたからだし、
三条天皇と道長がうまく行かなかったのも後一条・後朱雀がいたからだし、
だ〜れもいなければ為尊・敦道に東宮の地位が回ってきた可能性は
ゼロではないかもしれないが、和泉式部と恋愛してるのが分相応だったので
そういう歴史のめぐり合わせとなったのでしょう。
810名無しさん@HOME:03/10/06 13:25
和泉式部が敦道親王の邸宅に引き取られたとき、北の方が姉君差し回しの
車で出て行ってしまうんだよね。
あれは済時の娘たちだったとおもう。
済時はさんざんだよね。
三条天皇の皇后になった娘は皇子を三人も産んでいながら天皇になれないし
敦道親王は女房風情と恋愛して、娘は無駄駒になってしまうし。
811名無しさん@HOME:03/10/06 13:26
外戚が生きている敦康親王よりは、まだ為尊親王兄弟の方が
道長にとってはリスク少なかっただろうと思うよ。
バカ兄弟だし。
後一条産まれる前は、敦明親王も問題外でしょう(のちに娘を
やったのは、損料みたいなもんだから)。

とはいえ、あの兄弟がちとおバカなのは、帝位が遠かったから
とは思えない。もともとでしょう。
逆に、東宮とかになったら気軽に遊べなくてイヤだ、とか
思ってたと思う。
812名無しさん@HOME:03/10/06 13:35
もともと馬鹿w
冷泉天皇の血筋だからかなと思ってた。
長兄の三条天皇だけは順番だから仕方ないが、
成るだけあの血筋には皇系統を持っていきたくないという意識があったのかなと。
813名無しさん@HOME:03/10/06 13:39
三条天皇が、まだ中ではマシな方だよね・・・
花山も為尊親王も敦道親王も、女絡みではちょっとおつむが
逝っちゃう人たちとゆーか。
814名無しさん@HOME:03/10/06 13:43
敦康親王が東宮になれば、伊周らもうざいが、高階氏もうざいだろうな道長には。
敦明親王・敦道親王が東宮になれば済時の一族が出てくる。
どっちにしろ八方ふさがりだったな道長。
彰子がふたりも皇子を産んでくれたのは運が良かった。

為尊・敦道両親王は母・超子が早くなくなったこともあって、
昌子内親王に親しかったらしい。
超子が早くなくなったのだから、両親王はもっと、兼家や道隆・道長に
庇護されるのが当然のような気がするが、そうでもなかったらしい。
815名無しさん@HOME:03/10/06 14:02
「大鏡」には兼家が三皇子を溺愛してたと言う話がある。
敦道親王は道隆三女を娶っているのに、後に離婚して、済時娘を
正妃にしてる。そしてこの娘にも出て行かれたわけで。。。
なんか自ら帝位から遠ざかってませんか?

為尊親王は足袋がきつくて気分が悪くなり、道長に脱がせてもらう
エピソードがある。
注釈では兼家の溺愛が彼らをダメダメにしちゃったwとかかれてたな。
816名無しさん@HOME:03/10/06 14:07
足袋を脱がせてもらったのは、亡くなる半年前のことだそうな。

「大鏡」は為尊親王をくさしてる描写が多い。
童姿はかわいらしかったが、元服姿は見劣りがしたとか、
足袋を脱がしてもらわなきゃならんとは、べたべたの甘ちゃんだとか。。。
817名無しさん@HOME:03/10/06 14:12
敦道親王は和泉式部との間に男の子も作っているよねw
道隆娘とかに生ませず、和泉式部には生ませちゃう。
間が悪いというかなんと言うか。

源氏の子は三人と、予言されるんだよね。
あのあたり紫式部はうまいなと。
恋の遺児とか、無駄にやたらに源氏に作らせないものね。
だからこそ、薫の話が重くなるわけだし。
818名無しさん@HOME:03/10/06 14:52
道隆三女には奇矯のふるまいがあったらしいよ。
客が来ると御簾をあげてのぞいたり、着るものの着付けが乳房が出そうなほど
だらしがなかったり。。。
運がないね敦道親王。
この妃が楔になってくれて、一条天皇も生まれていなければ。。。

摂関家は円融系と冷泉系両系統に目配りしていたと思うが、
一条帝が生まれ、超子が死んだことで、円融系を守り立てる方向に
道長・詮子のタッグが組まれたんだと思う。
819名無しさん@HOME:03/10/06 14:55
源氏物語は、明石の姫君と夕霧のタッグを描くことには興味がなくなった紫式部が
宇治十条を描いていくわけだよね。
820名無しさん@HOME:03/10/06 14:57
話の腰を折ってスマンが、みなさんの詳しい知識はどこから?
源氏物語は一通り読んだけど、現実の流れを知るには
何を読めばいいですか?
821名無しさん@HOME:03/10/06 15:13
「大鏡」「栄華物語」「和泉式部日記」かな?

天皇名で検索すれば、その時代の重要人物のことはたいていでてくる。

源氏物語の注釈本なども、村上帝〜三条帝くらいのことについて、
触れているものが多い。

個人的には匂宮の過激な色好みは、敦道親王あたりをモデルにしたかな
と思っている。
822名無しさん@HOME:03/10/06 15:17
京都の風俗博物館の話は前に出たけれど、三重の斎宮博物館に行かれた方
いらっしゃいますか?
数年前、鎌倉で「斎宮展」があったとき、いけなくて残念でした。
あの催しのパンフレットなど、まだあるのかなあ。
あるんだったら鎌倉まで買いに行ってもいいが。
>822
「斎宮展」鎌倉だった? 横浜じゃなくて?
824名無しさん@HOME:03/10/06 17:30
横浜歴史博物館でした。1999年。チラシがあった。。。
鎌倉と思い込んでいたのか?鎌倉でも同様の展示があったのか?
825名無しさん@HOME:03/10/06 17:44
その当時鎌倉住人だったが、そういう展示はなかったと思う。
横浜でやってた記憶はある。
826名無しさん@HOME:03/10/06 17:47
実際にいってみた方、どうでしたか?
827名無しさん@HOME:03/10/06 18:33
六条御息所の娘が斎宮になって下っていくとき、母親も一緒に行ってしまうのは、
村上天皇の女御と皇女がモデルなんですよね。
もちろん都に帰って後、帝に入内なんてことにはならなかったけど。
紫式部はこの女御の無念を晴らす意味でも、斎宮帰りの秋好中宮をときめかせた
という説があった。
この女御の父親の後妻が安子の妹の登子。
828名無しさん@HOME:03/10/06 18:45
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829名無しさん@HOME:03/10/06 20:33
>紫式部はこの女御の無念を晴らす意味でも、
なんとなくだけど式部ってあんまりそういう思いいれの無い人のような気がするけどね。
清少納言はバリバリ思いいれの人だなー。

皆さん昔の女性の名前をどういうふうに呼んでます?
読みが判らない人は音読みしかないんだろうけど。
830名無しさん@HOME:03/10/07 08:51
>829
学校で習った(かな?)ように
彰子はしょうし、定子はていしって読んでた。心の中で。
読みが分からないから音読みで統一してるってのはだいぶ後になって知ったかも。
大学のときとか。
以来、これまた単純に彰子はあきこ、定子はさだこって気持ちになってるんだけど…
実際のところ、どういう読みだったのでしょうね。
今とまるっきり違ってるってこともあるのかな?

紫式部と清少納言の名前という説のある香子、諾子の今の感覚の訓読みって
かおるこ、なぎこですよね。すごいきれいな名前でいいなー
831名無しさん@HOME:03/10/07 09:15
清少納言のおかげで、中の関白家の栄華が肌身に感じられるようにわかるんだけど。。。

紫式部って、夕顔が連れ込まれた屋敷のモデル、何がしの院で実際に大顔という女房を
死なせてしまった親王と親戚なんだって?
何気に反藤原、源氏王氏に肩入れしてるのはなぜ?
時の体制への反骨精神だけ?と気になってはいるんだ。

名前に関しては、当時、呼んでたのか?と言う疑問がある。
女御の宣旨などでも文章に名前は書くが、
何がしの娘、何子を女御とするとか、読み上げたりしたんだろうか?
832名無しさん@HOME:03/10/07 09:30
思い入れと言うよりは、「あ、このネタはここで使える!」って感じかな。
清少納言はミーハー呼ばわりされる(一昔前のおじいちゃん教授などw
わりに、世界が狭いと言うか、自分の世界を楽しんでるというか、
そんな感じだけど、紫式部は知識・見聞を総動員して「作品」を
しあげることに熱心だ、と言う感じかな。

ひとと噂しあったりはしないが、トラブルや事件、人の口に上ることは
ひととおり分析済みって感じの、しんねりむっつりだが、話せば結構
皮肉と毒舌が効いたことを言いそうなキャラだ。
833名無しさん@HOME:03/10/07 11:04
彰子をあきこ、はいいけど、定子をさだこ、は何となくやかも(w
でもさ、彼女たち、その本名を実際に使用することなんて
殆どなかったんだろうね。
きっと二人とも子供の頃は「大い君」「姫君」とか呼ばれてたのかな、
長女だから。

道長の妻の、源明子は「あきらけいこ」だよね?
それもなんか優雅な感じでいいな。
834名無しさん@HOME:03/10/07 11:12
あきらけいこ は、皇后になった藤原氏の娘の名前じゃない?
なぜかこの皇后だけ、昔からこの読みなので不思議だった。
源明子は通称「めいし」の音読みだけど、最近は「あきらけいこ」と
読むのかな。

835名無しさん@HOME:03/10/07 11:14
道長の姉、詮子はみちこ?
妻の源倫子もみちこ?
836名無しさん@HOME:03/10/07 11:31
詮子は、ふつうに読むと「あきこ」な気も。
倫子は、普通に読むと「ともこ」じゃない?
837名無しさん@HOME:03/10/07 12:29
そうすると、伯母と姪で同じ読み「あきこ」になるね、彰子と詮子。
これは「あやかり名」として、命名法として有りですかね。
>>836
知り合いにどっちもいたよ、
「倫子」と書いて「みちこ」という人と「ともこ」という人。
839名無しさん@HOME:03/10/07 13:59
なぜ「あきらけいこ」「たかいこ」「くすこ」の読みは後世に残ったのかな?時代?
伊勢物語だと「高子」を「こうし」と読むより「たかいこ」って読む方が断然雰囲気でる。
私は「安子」だけは「あんし」ではなくて「(焼餅焼きの)やすこさん」って呼んでしまう。

それはそうと「超子」なんてどんな読み方したんだろう。
「安子」は「やすいこ」だと思ってた。
安い子みたいで嫌だな(w
「超子」は「とおこ」
しかしどういう意味合いで超子なんだろう・・・
あれ、超子は「まさるこ」じゃなかった?
ごめん、やっぱり間違ってた。
「まさるこ」は、藤原多子だね。
843名無しさん@HOME:03/10/07 14:47
古典のさる大家が常識にしてしまったとか?音読み。
最近は「やっぱり訓読みでしょう、普通」という若い研究者の台頭があるからかな。

薬子の変の藤原薬子は歴史的仮名遣いで普通に昔からくすこ、と言われてたんじゃないかと。

明子は「今昔物語」高子は「伊勢物語」で有名。
大家の音読みが浸透する以前から「あきらけいこ」「たかいこ」と読み習わされて
いたんじゃないかと。

安子は「やすきこ」としてるひともいるね。
844名無しさん@HOME:03/10/07 15:00
一条帝が亡くなったあと、東宮冊立のとき、「敦康親王の母・定子の母は高階氏
だが、この高階氏は業平と斎宮かつこ内親王の子が始まり。よって敦康親王は
東宮にふさわしくない」という文章を藤原公成が奏上したそうだよ。。。

後見がないとこういうふうに貶められて東宮になれないわけだけど、
こういう言いがかり的な手順を踏まないといけなかったということは、
敦康が東宮になる正当性がかなり高かったと言うことだよね。
845名無しさん@HOME:03/10/07 15:17
一条帝が亡くなる前に公成に意見を聞いた。
それをもっともだと思し召し、敦康を東宮にするのをあきらめたと何かで読んだ。

それにしても、さすが道長の懐刀。確か彰子の二后並立のときも、
藤原氏出の后が全員出家していて藤原氏の神事を祭る后がいないから、
とか言う屁理屈を編み出して、道長に感謝されたんだよね。
敦康を東宮にしなかったことで彰子は道長を非難したといわれてるけど、
あまり追求すれば自分の立后のことまでさかのぼらねばならないわけで、
脱力しただろうな。
>844,845
「公成」ではなくて「行成」では。
847名無しさん@HOME:03/10/07 16:18
崇親院   藤原氏が運営する身寄りのない女性を収容する施設

さて、いつごろからあったものか。養老院みたいなものなのか?
基経が正月の御馳走を下げ渡したとか。
その下げ渡した先のひとつの寺の坊さんがその美味に感激して「芋粥がお腹いっぱいたべたい」
それが今昔物語や芥川の「芋粥」だそうな。

しかし正月の御馳走が芋粥。
848名無しさん@HOME:03/10/07 16:26
藤原行成、道長の四納言のひとり、だね。

この人も音読みで「こうぜい」とか言われてる。
日記を残しているんだよね。
実資の日記と比べて読んでみたいよ。現代語訳されてないかな。
849名無しさん@HOME:03/10/07 16:29
昔のおしろいって水銀が入ってたから、肌に合わない人は痘痕顔になったり
時には命を落としたりしてたらしいね。美も命がけってか。
清少納言は肌に合わなくて、晩年にはすごい御面相だったとか。
850名無しさん@HOME:03/10/07 16:32
源氏が40の時に三宮が14で降嫁しているので
次スレは>>2のテンプレに「三宮・・・26歳下」を加えてくだされ。
851名無しさん@HOME:03/10/07 16:35
光源氏も痘痕面だったはずという説を読んだ。
「わらわやみ」って天然痘のことなんだっけ?
852名無しさん@HOME:03/10/07 16:37
マラリアでしょ
853名無しさん@HOME:03/10/07 16:40
>849
つい近年までそうだったんじゃないの?水銀入りおしろい。
「皇室の乳母の首おしろいが赤子の飲む乳に入って云々…」明治生まれの祖母がよく言ってたな。

で、平安時代は男も皆おしろい塗って眉書いてたんでしょうか?
854名無しさん@HOME:03/10/07 16:44
平安時代の男達ってわりと自分の感情に素直に涙を流してたみたいね。
源氏物語の中でもそういうシーンがたくさんあって、いいなあと思った。
855名無しさん@HOME:03/10/07 16:46
葵が朱雀帝に嫁いでたら幸せだったろうかとか
三ノ宮に知性があったら紫は捨てられていただろうかとか
いろんなことを考える
856名無しさん@HOME:03/10/07 16:59
>847
多分「甘み」が貴重な頃だったからじゃないのかしら。
芋以外に甘い食べ物なんて柿(日本原産)くらいしかなかったとか。

>853
徳川将軍家では、たくさん子どもが生まれているのに早死にばかり、
やっと育った子にもちと問題が... というのは、乳母のおしろいが
原因かもって話もあるみたいね。

源氏って紫上が死んだ後半分引きこもりみたいな生活だけど、
食事はちゃんと食べていたんだろうか、とふと気になる。
857名無しさん@HOME:03/10/07 17:30
崇親院は藤原良相(よしみ・よしすけ)が建てたらしい。
良房の弟。
だけど家の無い藤原氏の子弟が起居する施設、なんて書いてある。
養老院かどうかは不明。
858名無しさん@HOME:03/10/07 18:41
40にして惑いっぱなしの源氏。なんか政治的に「おおっ」という功績はあった?
自宅を擬似老人ホーム化するだけで、「民」のことなんて、OUT OF 眼中よね。

紫式部の夫は疱瘡が死因とか。
平安時代はみな痘痕面だったはずとか、聞いたことはある。
それを隠すためにも、厚化粧だったらしい。
859名無しさん@HOME:03/10/07 21:22
>OUT OF 眼中

新世紀に入って初めて目にしたよ
860名無しさん@HOME:03/10/07 21:50
>平安時代はみな痘痕面だったはずとか、聞いたことはある。
>それを隠すためにも、厚化粧だったらしい。

病に伏してからの紫の上はすっぴんだったようですが、彼女の死に顔を見た夕霧が
「生前の化粧をした顔より清らかに愛らしくも美しい」と表現しておりますた。
861名無しさん@HOME:03/10/07 21:52
源氏の柏木いじめってヤダ。いんけーん。おやじくさーい。
862名無しさん@HOME:03/10/07 21:56
>芋以外に甘い食べ物なんて柿(日本原産)くらいしかなかったとか。

源氏物語の中にくだものはけっこう出てくるぞよ。みかんとか。
あと、枕草子の中に「氷を削ったものに草の蜜をかけるとおいしい」と
今で言うかき氷のようなものもある。甘味はけっこうあったんじゃ?
>862
甘蔓だね。
以前再現してるのをTVでみたけど、少量を採るのに恐ろしく手間のかかるものだったよ。
果物だって今みたいに甘味の強いものじゃないだろうし、
甘味はやっぱり貴族のゼイタク品だったと思うよ。
補足だけど、芋粥は芥川のによると長芋を焚いて甘蔓の蜜で味付けたものじゃなかった?
芋自体が甘いものではなかったと思われ。
サツマイモが入ってきたのって江戸時代だったっけ?
865名無しさん@HOME:03/10/08 00:36
>858
当時の政治なんて、そういうものさ・・・
言霊を読み上げるっていう。
>864
青木昆陽だっけ?サツマイモ
>>866
そうそう。

そう言えば、甘栗の使い、なんてのもあったね。
入内前の姫君に帝が、ラブレターと一緒に甘栗持たせて送るやつ。
次スレの参考図書に入れてください。

別冊宝島880 あさきゆめみしPerfect Book
http://tkj.jp/bessatsu/479663603x/
869名無しさん@HOME:03/10/08 12:26
>860
紫は子供を産んでないから女としての傷みが少なかったんだろうしね。
古女房の雲居の雁と比べたらなおさらね。
シュサーンで髪が抜けるのは仕方ないけど(今抜け落ち中)、長い髪がたくさん抜け落ちるって壮絶だろうなー。
大事に拾ってかもじにしたんだろうけどね。

源氏は最後の最後に紫の顔を夕霧に見せたわけだけど、
当時女の顔を見てしまう(垣間見も含め)っていうのは現代で言うとどれくらいのインパクトかな?
その人のセミヌードを見てしまうくらいの衝撃?それともフルヌード?
870名無しさん@HOME:03/10/08 15:55
雲居の雁は、所帯じみてはいるけど、いつまでも老けずに
若々しくて、でもかえって大人らしく我慢するということを
知らずに、ヤキモチやいたりなんだりする・・・って人柄じゃない?
容貌も老けてはいないんだと思うよ。
でも元もとの器量が紫より劣るんだろうね。
871名無しさん@HOME:03/10/08 16:16
そういや、為尊親王・敦道親王は皇位継承について対象外だったのか?
に関して、和泉式部日記に記述を見つけた。
敦道親王の乳母が、親王に外歩きをたしなめてる場面で、
「世の中はけふあすともしらずかはりぬべかめるを、とののおぼしおきつる
こともあるを、世のなか御らむじはつるまでは、かかる御ありきなくてこそ
おはしまさめ」とある。
これは1003年の話。
実際の一条から三条への譲位は1011年だけど、その頃何があったか
ちょっと忘れたが、その頃も譲位が行われるという取り沙汰はあったのかね。
少なくとも乳母は、敦道親王が天皇になる可能性もアリアリだ、って
思ってた模様。
872名無しさん@HOME:03/10/08 16:44
彰子が後一条をうむのが1008年だから、最大権力者の道長に持ち駒なしという頃。
乳母の言うように、身持ちを良くしておけば、道長の孫でもなんでもない三条の皇子
たちよりも、道長を叔父に持つ敦道の方が東宮に押される可能性もあった。
(1003年当時、敦道22歳 敦康4歳 敦明9歳)
873名無しさん@HOME:03/10/08 16:52
元服済みの親王がいない状態だから、大事な控えだったはず。
もちろん、すぐにも挿げ替え可能な不安定な立場。
それに加えて、正妻の父親がはじめ道隆で990年に死んでるし、
次の正妻の父親は三条天皇の皇后と同じだし、
乳母は「いける!」と思ってても、敦道は一条天皇や三条天皇に
入内した道長の娘が皇子を生むよとあきらめてたんじゃないかと思う。
>869
ヌードを見られるのと同じ位、見られた方は恥ずかしかったかもね。
ただ、素顔を見られるのって…ってとこでセイントセイヤを思い出してしまった
自分が鬱です・゚・(ノД`)・゚・。
875名無しさん@HOME:03/10/08 17:02
かわいがってくれてた外祖父=兼家が990年に死に、
その後継者の道隆が995年に死んだ。
995年に14歳だった四品親王敦道と結婚させる娘が道長にいなかった。
この時点でもう形勢は確定なんだけど、
乳母としては、その道長だってどうなるかわからんぞという、年長者としての
ものの見方があったんだろう。
なにせ栄華を極めた中の関白家が、道隆の死で、権力の座から追われるさまを
見てただろうから。
敦道親王はそういう権力闘争なんかには嫌気がさしてて、一抜けたな、気持ち
だったんだろう。
おおおおおおこんなところで同士が!!!!
嬉しい!。・゚・(ノД`)・゚・。
私も、私もシャイ菜さんを、つい・・・・
877名無しさん@HOME:03/10/08 17:09
赤もがさの大流行で七日関白道兼をはじめ、公卿の上位者がほとんど
死んだということがあったあとだから、
乳母にしてみれば、またそのようなことがあるかもしれない。
外歩きなどして事件・事故・病などにかからないようにしていないと、
そのようなことがあっても、生き残る方には入れませんぞと、
そういう気構えを持てといいたかったのかもしれない。
しかし「神風が吹くぞ」と執念深く待ってるようなもので。。。
878名無しさん@HOME:03/10/08 17:10
乳母の進言は、いわゆる、大人の分別というもの。
これが、この兄弟に、無かったものだよなあ。
879名無しさん@HOME:03/10/08 18:23
1003年に何があったか?
1002年に為尊親王が亡くなってます。
皇位に対しては上位者であった兄が亡くなって立場が浮上するときなのに、
兄と浮名を流した女とかかわるなんてと、誰よりも乳母はあきれたことでしょうな。
他板で見つけた源氏関連ネタ
若林豪の名前の由来は「光源氏」である。

三島の「葵上」の若林光が初舞台だった所から命名。
「光」ではあんまりなので「豪」。
無臭にんにくのもみあげ俳優が元光さんです。

「葵上」面白いよね。六条康子さんとか。
私は脚本しか知らないけど舞台見た事ある人いるかな?
881名無しさん@HOME:03/10/12 19:03
あげましょう…
882名無しさん@HOME:03/10/14 10:32
別冊宝島 あさきゆめみし特集号 買いました。
ざっと見ただけで、誤植を二つ見つけました。

P91 ,道長六女彰子・・・長女の間違い。明子腹のむすめも皆、彰子より年下ですし。

P90、嵯峨帝は平安時代を通じて最も多くの皇后をもった天皇だった。・・・??

         そのような事実はありません。皇后は有名な橘賀智子ですし。
         その後、「その後宮には30人ほどの女性がいたという」
         「当然皇子女も多く、50余名にも及んだ。」と続きますので。
これは「皇子女」の間違いではないかと思います。

>882
随分いい加減だね(w

どうでもいいけど、橘嘉智子じゃなかったっけ?
884名無しさん@HOME:03/10/14 12:19
そうだ、そっちの嘉でした。

関連情報の、近藤富江「服装で楽しむ 源氏物語」¥619が欲しくなった。
ただ豪華絢爛な衣装の解説といっても、挿絵や口絵じゃなあ〜

千年の恋 ひかる源氏物語 も近々、テレビ放映されるし、衣装のためだけに見るか、
という気になってます。

NHK人間大学 源氏物語の女性たち 見てた方いらっしゃいますか?
衣装については何か映像があったでしょうか?
「国文学」の後宮特集も面白かった。
「服装で楽しむ 源氏物語」はカラー口絵があれだけだもんね。
いい装丁で源氏の衣装風俗諸々事典(タイトル忘れた)
なんて本が出てた。
中々面白かった。仕舞い込んで行方不明・・また読みたくなって来た。
886名無しさん@HOME:03/10/14 19:11
かさねの色味なんかもね、実際に生地を重ねて見せてる豪華本があるんだよねえ〜

しかしあれを買うくらいなら、京都に紅葉見に行って、風俗博物館と
平等院の源氏ミュージアムに寄れるよなあ〜
ただびとの私が買う本じゃないよなあ〜でも欲しいよな〜

あさきゆめみしだと、女君の顔が区別つかなくてw
まあ、原文を読んだときに固定されたイメージがないのはいいんですけど、
なまじ漫画なので、ことさら衣装に関心が向いちゃうんですよね〜
まったくの幻想だけどさ。
源氏が、藤壺と紫を(同じでなくてもいいけど)
屋敷に住まわせることができたら…。
寵愛はどちらに傾く?
一日ごとに「やっぱり藤壺」「やっぱり紫」っつーて
うろちょろし続けるに1票。
今は華でも藤壺も紫もいずれは枯れる。

若くて思い通りになるほうでしょ結局は。
三宮降嫁はどんな場合でも、持ちかけられたら実現したんじゃないかしら。
男なんてそんなもの。
890名無しさん@HOME:03/10/15 08:29
藤壺は先帝の皇女だけど、紫の上は親王の娘で皇孫、しかも妾腹。
正妻の座は藤壺に取られる。

しかし、源氏と藤壺の息子は皇位につけず、源氏は太政天皇にはなれない。
そして、藤壺は宮中でのプレッシャーがなくなって長生きするw
子供もぼこぼこできるかも。
夕霧は左大臣家の婿だからいいが、明石の姫君は、藤壺腹の姫君に取って代わられ
明石一族の野望は成就しない。
まあ、予言の通り子供は3人としよう。
女三宮の降嫁はなく(正妻の紫の上は親王のむすめ・・・妾腹でなければ姫君とか
天皇の発言でも御娘くらいには、言ってもらえるはずという説がある・・・だから
女三宮を降嫁させたが、正妻が先先帝の皇女で、息子も生まれていれば遠慮
しただろう)若菜以降の第二部の構想が出来なかった。

まあ、先帝の中宮、藤壺は、先帝亡き後、光の君の継室(葵上の後釜)に
収まりました、めでたしめでたし。。。で、話が終わってても、一応恋愛小説・
母恋小説として成り立ってはいたと思うけどね。
891名無しさん@HOME:03/10/15 08:40
藤壺と源氏って、いくつ違いだっけ?5〜7歳ぐらいだったよね。
源氏が親戚降下していない有力親王で、藤壺が入内していなければ、
当然考えられる組み合わせなんだよね。
 桐壺更衣の早世がすべての歯車の狂いの元なんだよね。
藤壺が桐壺の身代わりで、紫の上が藤壺の身代わりで、人妻犯しにおいては
空蝉が身代わりで。。。
 桐壺帝が人のそしりをものともせず、身分違いの更衣を寵愛したのが
すべての始まりか?紫式部は着眼点が鋭かったな。
構想が構想を呼んだんだろうなあ。。。
 
892名無しさん@HOME:03/10/15 09:01
桐壷が早世しなくても、祖父がすでに亡くなってたから
立太子は難しいし、どっちにしても源氏になってただろうね。
なまじ親王のままでいるよりって臣下にさせたのも
桐壺帝の優しさ&東宮にたてつかないと思わせるための
政治的配慮があってのことだし。
893名無しさん@HOME:03/10/15 09:10
>>888
「やはりあちらはお若いですから(たしなみがなくて)」と藤壷に、
「落ち着かれているのはいいのですが(活気がなくて)」と紫の上に。
ちょこちょこ愚痴って相手の不満を和らげているつもりの源氏の
浅はかさをとっくに見抜いて、藤壷、紫の上を連れて実家へ帰る。
明石の上だけが残される。
894名無しさん@HOME:03/10/15 09:22
源氏の正妻「格」はかたや妾腹の親王の娘で正式な結婚でなく自分の財産もない。
かたや先々。。。帝の皇女で入内し中宮冊立されたのに臣下の妻になった
前代未聞のスキャンダルの主で当然、中宮待遇も剥奪された資産なし。

皇太子は廃太子となるだろうから、当然源氏の出世にも響き、
女三宮の降嫁先として考慮されることはなくなるのでは?





895名無しさん@HOME:03/10/15 09:30
源氏って、親王でさえ居続けることが出来ない「傷」もちなんだよね。
だから妾腹の娘だ、とか、市井に暮らす夕顔だとか、ブスだとかブスだとか
ブスだとかに弱いんじゃないのかな?

藤壺も「父、帝の中宮」という「手にいれられない」立場の人だから
余計に恋焦がれたわけで、「自分のもの」になる相手だったら、
「熱が冷める」か「気が詰まる」かして、六条御息所との関係のように
なっていったかも。

御息所の霊も、紫の上との関係に悩むような藤壺には、とりついて
呪い殺しちゃうかもw
>>894
高倉天皇の娘で二条天皇の中宮だった「女朱」子内親王の例はあるけどね。
出家後に大僧都澄憲との間に僧・海恵を生んでいる。
当時、かなりのスキャンダルではあったようだけど。
897名無しさん@HOME:03/10/15 11:04
>895
藤壺も死んだ後ずいぶんたってから霊になって源氏に出てくる人だから、
六条VS藤壺の陰険おどろバトルが見られたかもw
898名無しさん@HOME:03/10/15 12:17
源氏と御息所との間に子供が出来ていたらスキャンダルだったの?
それは別にそんなことはない.
子供が産まれてたら、源氏も観念して六条を正式な妻扱い
せねばならなかっただろうね.
>六条VS藤壺の陰険おどろバトル

どっちが勝ちそう?w
901名無しさん@HOME:03/10/15 14:31
六条サンのばあいは たとえ六条院ができるころまで彼女が長生きしていたとしても
愛人格で引き取って世話をする・・・なんていうことはできないほど高貴なお方だしさ
ほおって置かれるか、正式な妻とするか二つに一つだよね。
仲睦ましい夫婦、というよりか 賢夫人でサロンの女王・旦那の格を上げる妻って感じだよね
栄華を極める源氏には必要の無い女性でもある。
902名無しさん@HOME:03/10/15 14:34
御息所は出家せずに亡くなって、二夫にまみえずという強制はなかったのか。
>>902
中宮になっていなければ、
夫の死後、他の男性と結婚している例は結構あった。

20歳になるかならないかで未亡人、なんていうのもいっぱいあったからな〜。
強制したら、ちょっと可哀相かも。
904名無しさん@HOME:03/10/15 16:17
ということは、女二の宮母子が再婚を嫌がったのは、皇女という立場
からだけ?
皇女と中宮未満女御、どちらがより品格を求められたのでしょう?
905名無しさん@HOME:03/10/15 18:03
女御はただびとだからね。
中宮冊立されて、やっと「臣下」じゃなくなる。

皇女は「内親王宣下」されて神格化される。
降嫁はその神格化されたところから降りてくること。
それも一度ならず二度もせねばならないというのは、いかにも経済がたちいかなくて
「身を売る」ような、外聞の悪いことだったんだろうね。
906名無しさん@HOME:03/10/15 18:07
出家するということは、当時の仏教の思想で女は不浄だから成仏できない
ということで、一度男子になる儀式として髪をそぐんだそうな。

それでも、髪は尼そぎという程度で、臨終に際してやっと坊主になり、
男子となって成仏するんだそうな。

907名無しさん@HOME:03/10/15 18:11
六条御息所も出家してますよ。
帰京後発病して出家。

>>906
尼そぎと言っても、
この当時はかなり長めに残して切っていたみたいだよね。
女三の宮の出家の時も、ぱっと見ではわからないくらい、って感じの
記述がなかったっけ?
(記憶違いならすまそ。本自体は実家に置いてきてるんで確かめられない)
909名無しさん@HOME:03/10/15 18:57
風俗博物館の空蝉の出家姿では、背中の真ん中より下で切りそろえていた。
910名無しさん@HOME:03/10/15 19:07
あさきゆめみしでは、身分が高いor若い人ほど尼そぎが長めなような気がする。
女三の宮なんかはほんとに長いけど、女房はおかっぱみたいだし。
ちとずれるけど学生の時、誰かが髪をボブくらいに切ってきたら
「尼そぎにした」と言われていた。授業サボるのは物忌み。国文科ならではですな。
911名無しさん@HOME:03/10/15 19:09
図書室にこもって授業をさぼるのを「かたたがえ」と言ってたなw高校のとき。
912名無しさん@HOME:03/10/15 19:15
高校のとき、「次の授業何だっけ?」と聞かれると(自習があると他の授業を
くりあげて、一時限分早く帰る慣習があった)
「首ねじ切ってすててんげるだよ」とか、「犬きが雀の子を逃がしつるだよ」
とか答えるのが流行ってたw
913名無しさん@HOME:03/10/15 19:19
小さい子供が、顔を赤くして泣いてるのって可愛いんだよね。
身内に子供が出来て、なついたその子が3歳ぐらいになって
泣きながら何かを訴えてくることがあって、
初めて実感したんだけども。

源氏も兄弟もいないし、泣いてる若紫が新鮮だったんだろうね。
あのー、落葉の宮って内親王宣下されてたの?
内親王宣下されない皇女はどういう扱いをされたの?
教えてちゃんでスマソだけど。
915名無しさん@HOME:03/10/15 21:34
>914
親王宣下されない皇子皇女が
増えるのは
平安時代後期からみたいです。
天皇が後宮の女房に手をつける風習が
定着した頃のようです。

近世皇室の系図をみると
皇后所生以外の皇子は
「皇子某(名無し)、通称○○宮」で
大抵は出家されていたようです。
916名無しさん@HOME:03/10/15 21:58
>>914

宣下があれば経済的に安定するし、まわりの扱いも違ってくると思うよ。

花山院の皇女は上東門院の女房をやることになったし(しかも強盗に殺される)
亀山院の皇女は父院の命令で公卿たちの前で顔をさらして踊らされる
南北朝のころの皇女は乳母と一緒に地方を流浪。つれづれに詠んだ和歌がみとめられてようやく宣下をもらう。
(しかも40歳過ぎ)

宣下がなければ扱いは臣下とおなじだからね。


生母が権勢のある人じゃないとうまれた子もつらい立場になるよ。
だったら、朱雀院はなんで女三宮を
あんなに心配したんだろうね?
(もちろん内親王宣下されてるだろうし)
そりゃ、いくら財産があったとしても、守れない頼りない姫では
一人で置いておくのは心配で仕方なかったでしょう。
女一人で内親王の体面を守って生活していくのって、並大抵のことでは
ないんじゃないかな。結局、たしなみもある二の宮も、
「一介の国の守が後ろ盾では」と、夕霧に押しきられたわけだし。
宣下されると、いくらか荘園ももらえるのかな?
でも後ろ盾もない宮様では取り仕切れないだろうし、
荘園側も女があるじだと、ろくに税も納めないような気がする。
920名無しさん@HOME:03/10/16 19:17
四品以上の皇族には品封、三位以上の貴族には位封が授けられた。

封戸(ふこ)は食封(しょくふう)ともいって、つまり食い扶持。
私有民を授ける制度のかわりに、一戸の祖の半額と庸・調の全額が支給された。

修子内親王(定子むすめ)の封戸は一千戸だったらしい。
彼女は最終的に一品内親王。
また準三后にもなり、年官・年爵も授けられてる。

この封戸の制度が形骸化した平安中期以降、荘園化した。
921名無しさん@HOME:03/10/16 19:37
律令制下では食封は一品親王に800戸、以下二品600戸、三品400戸、四品300戸。
内親王は半減、という定め。

ちなみに太政大臣が3000戸、左右大臣が2000戸、退職者は半減。
(致仕の大臣などといわれるひとですね)

年観年爵というのは平安時代に定められた三宮(太皇太后・皇太后・皇后(中宮)以上
または準三后、三位以上の公卿に与えられた年給のことらしい。
無品の親王なんて言うのはどうやって生活してたんだろう?
妻の実家の援助?

ところで次スレ、4なんですけどどうします?タイトル…
以前、4はいい案が出なかったですよね…
光源氏と四つの御殿、っていう案が出てなかったっけ?
四季の御殿、だったかな。
「結婚して読む源氏物語 光源氏と四人の妻」
ま、その四人を誰にするかで、けっこう楽しめるかもw。
(葵、女三宮、紫ははずせないだろーから、あとひとりは誰?とか)
明石の上か、花散里かどっちかだね。

でもそこが難しいなあ。
あっさり、四季の御殿、でいいんじゃないの?
あんまりスレタイ長くしすぎると、
字数制限にひっかかるし。
927名無しさん@HOME:03/10/17 08:21
そうだね。四人の妻というのは解せないしw
四季の御殿か、通好みwで「先帝の四の宮」でもいいな。
四の宮(藤壺)という案も出てたみたいだし。

あさきゆめみし では、花散る里は「現代的でないブス」を表すために
小太りに設定したが、原作では痩せぎすとなっていることを知った。

紫式部はデブがお嫌いだったのか、身分の低い常陸殿はデブだが、源氏の妻には
デブはいない、ということらしい。
928名無しさん@HOME:03/10/17 08:23
>922
例の敦道親王も四品に叙せられたのは元服のときだしね。
やっぱりそれまでは母方の祖父兼家に養われていたみたい。
929名無しさん@HOME:03/10/17 10:14
源氏が四人の妻 心の妻 藤壺 その実 正妻 葵上
        正妻格 紫の上
        その補佐 花散る里
        宿世の妻 明石の上 の四人の妻で満足するような男だったら
何も問題なかったんだが。
末摘花や空蝉を引き取って擬似老人ホーム化したり、
六条御息所や夕顔にちょっかいだして、秋好中宮や玉鬘と因縁を作ることもなかった。
ま、物語が薄っぺらくなっただろうけど。

紫は正妻格ではなかろうに
最愛の人はママンと藤壺だし、正妻は葵だし、後の正妻は女三宮だし
子供関係では明石がダントツだし、紫の立場って中途半端

普通に四季の御殿で良いよ。
931名無しさん@HOME:03/10/17 10:53
「格」ってそんなもんよ。周りの状況でいくらでも流動する。

二条院のあと女三宮はわかりやすくてよいけど、
四季の御殿は六条院とバッティングしない?
あ、6は六条御息所でいくのかな。
スレタイ、六条御息所だと、スレ全体が呪われそうな気が…w。
>>932
ワロタ。

って、6スレ目まで話が続くんだろうか?
いい加減、同じような話でループになったりしないか?
>920-921
詳しい解説勉強になりました。ありがとう。
気になっていた修子宮も、意外と高い位を得られていて良かった!
スレタイは四季の御殿に一票
分かりやすいし。
>934
修子宮とは言わないのでは?
修子内親王かと。
現代でもそうだけど。
937名無しさん@HOME:03/10/19 16:40
先日京都に行ってきて、
風俗博物館で六条院春の御殿の模型みてきますた。
ほんとは宇治まで行きたかったんだけど、
スケジュールの都合で、次回の御楽しみに……(つД`)

知らなかったんだけど、あそこって、予約とかしなくても衣装自由に着れるんだね。
よくある女性用だけじゃなくて、
男性用のも数種類用意されてて自由に着れるようになってたよ
旦那と2人、記念撮影しまくってしまった。
ガイシュツだったらスマソ。
938名無しさん@HOME:03/10/19 22:30
年若い男が幼女と毎晩一緒に寝る、なんてエロ過ぎる、と思ったわ昔。
現代だったら、ロリコン犯罪でしょ。
男側が完璧に育児父モードなら話は別だが
最初から妻問いしてるみたいだし、半愛人もどきにしようとしてた男の
行動だからなるべくして獣になったというべきだな。


ロリコンにしても一生添い遂げようとする意志がある場合
ロリコンといえるのかどうか。
ただ幼女の側に恋しているとかの相応の判断力が必要だけど
そのあたりは難しい。
男側が幼女が大人になるまでHはなしの育む愛も確かにある。
(紫は妻になるということは意味は知らねど自覚済みだが)


節操なく不特定多数の幼女に妄想したり、襲い掛かる先天性変態と
源氏とはまた違いがあるような気がしる。
幼女なら誰でもいいっていうのが真性ロ(以下略

美貌の幼女なら誰でもいいっていうのは(以下略

本ママン偽ママンの面影を宿した美貌の幼女なら誰でもいいって言(以下略

どいつもこいつも当の幼女の気持ちなんか無視してるんだから罪深いね
つまりは大差ないってことさね・・・
生理来るまで待ったんだし、炉理じゃないんでは?
年齢的には、充分適齢期だったんだし。
>生理来るまで待ったんだし、炉理じゃないんでは?
生理というより、葵の喪明けまで待ったって感じではない?
明けましたのでやりました…ってw。
手許にいる美少女、ママンの面影付きの上
偽ママンの血縁者だもんね。

襲い掛かる前に結婚の手続きしてやれよ。源氏。
事後承諾にすんな〜!!!!!
ロリっていっても、紫上が幼すぎる。明石中宮が入内した年齢と
そんなに変わらない。
事後承諾哀れ。兄とも父ともという人に
何の予備知識もなくいきなり。当時の13・4歳って、今の小学校6年生くらいの
感じかなあ。デリケートな神経の子だったら発狂しかねない。

あのやりようでは、当時こそ感謝があったかもしれないけれど
長じて振り返れば、根無し草の立場を思い知らせただけだろうなあ・・・
なんとなく源氏の言い草は正統性があるようで変。
兄とも慕っていた人の裏切りに拗ねて何が悪いんだ。ボケ
可愛いから君をレイープしたんだよ。愛があるからいいんだよ
それじゃあまりにも鬼畜性コミ同然じゃないか。
古代の人に憤っても思考の違いがあるから仕方ないけどさ。

まず結婚の承諾をあのバカヘタレ親宮にするのが筋だろ!
最初っっっから紫の事、都合のいい女扱い
見下げて侮った態度だったんだね。
この時代って「ヤッちまったもん勝ち」ってとこあるよなー。
それがレイープでも、そういう関係になったら姫君のほうも諦めるというか・・・
髭黒と玉鬘とかね。
ちょっと前の話題になるけど、朱雀帝が女三の宮にしっかりした男をって考えたのも、
そういう危険性もあったんだろうね。
内親王なんて世間知らずの典型だろうし、財産騙し取られたり、
お金を握らされた女房が身分の低い男を忍び込ませたりしそうだしね。
でも玉鬘はまだ実父、義理父(源氏)が知られていたから
正式な結婚できただけいい。
それは彼女の理想に沿う形での殿方ではなかったけれどもね。
世間的には結果オーライ?
将来、子世代への禍根を残したが(w

玉鬘って頭良さそうなのに、長女の結婚は間違っちゃったよね。
夕霧の長男の方が幸せになれただろうに。
夫の遺言ってそんなに守らないといけないもの?
>984
紫は皇孫で、血筋はいいけれど身分がないからね
そこをいいように、思いっきり軽々しく扱われたってことだよね
衣食住豪華に足りてはいるけれど根本的に人権無視なんだわよ

それは紫の生涯に見え隠れしつつ影のようについてくる。
いい加減本人も悟るわな。
いくら一番愛されていても
唯一無二の夫に人格人権無視な言動されたら
どんな女でも傷付くよね。
身分第一の社会じゃ仕方ない事なのかもしれないけど
愛してるからこそ、源氏にそういう歪んだ現実に気付いて欲しかった
その積み重ねが原因で亡くなったも同然だしね。
954名無しさん@HOME:03/10/21 09:04
紫や玉蔓と女三宮を比較して「この年齢のときには・・もっとしっかりしていて・・」なんて
源氏は言っていたが、彼女たちは好き好んでしっかりしていたわけではなく
確固たる後ろ立てがなかったから、しっかりせざるを得なかったってわけだよね。
まったく・・・源氏のご都合主義には恐れ入るw
現在でも皇室は意見や感情を表に出すのは好ましくないらしいから、
(皇太子妃が意見を言ったり、涙ぐんだりしたのは皇室的には良くないらしい)
当時、お姫さまらしいのは女三の宮なのよね。
956名無しさん@HOME:03/10/21 10:54
事後承諾がイカンっていうけど、事前承諾はあり得ないよ。
そこらへんで怒ってる人は、ミスリーディングだと思う。

事前承諾するならば、紫を父親の元に帰して、裳着の式を
父宮が執り行った後、改めて妻問いするということに
なるんだけど、はっきり言ってそれは不可能。
継母がいるから、裳着をちゃんとしてもらえるか未知数。
妻に欲しいなんつっても、他の北の方腹の娘を押しつけられる
可能性限りなく高い。
父の元に帰したが最後、会えない可能性99.9999%。

だから、既成事実を作って、妻にした後に(妻にしていれば、
父親が誰、と公表しても、源氏にも権利ができる。
妻にする前に公表したら、父の元に返すのが筋)
裳着をして、父親にも認めてもらう形式にしたんだよ。
それが、精一杯正式なやり方だったのですよ。

玉鬘の時は、内大臣が父親だと知らせた後、本来玉鬘に
権利があるのは内大臣だけど、源氏との勢力関係とかも
あって、内大臣は源氏を『養父』として立ててるでしょ?
実の父と拮抗するぐらいの政治力とか地位とかあれば
駆け引きも可能だけど、紫の頃は、源氏も若くて
そこまでやるのは無理だったから、ああいう形になったんだよ。


だけど、「精一杯やった」ということを後々まで紫に
恩に着せ続ける源氏は、やはり無神経野郎だ。
957名無しさん@HOME:03/10/21 11:54
そうかー。956さんの言うように、紫を一度実家へ戻したとしたら
結婚できなくなる可能性が高いのね。
でもまだ若かったとはいえ、帝の愛子として権力もあっただろうから
他の正妻腹の娘を拒むくらいできるような気もするけど…
あ、もし正妻腹の娘の方が藤壷に似てたらそっちにあっさり鞍替えしちゃうかなー。
源氏のことだから。
脇腹の紫が誰よりも(なのか?)藤壷に似てるっていうのも考えてみれば不思議な気もするけど、
脇腹とか別に関係ないか。それとも母方からたどってもつながるとか?
他の正妻腹の娘を拒むことはできても、それをやっちゃったら
結局紫とは結婚できないだろうからね。
式部卿宮相手に選り好みして要求できるほど、地位も権力も
足りなかったというか。
他の娘は、結婚前に藤壺に似てるかどうかチェックできないし(w
959名無しさん@HOME:03/10/21 14:58
源氏は紫と結婚したかった以前に、紫を引き取って育てたかったんだから
まどろっこしい事はするつもりはなかったんじゃないかな。

按察大納言を祖父に持ち、母は若くして死に、力のない祖母に育てられる子供。
唯一の肉親父には有力な妻がいる。
ここまで共通点がある子供を放って置けない気持ちがあったんじゃないかと。
藤壺に似ている美少女というオプションも魅力的だけど。w

父帝が自分を育てたように(結婚もするつもりだからそれ以上か)紫を育てたい…。
父帝に後宮で育てられたその時期が彼にとって一番幸せだったんじゃないかと。
そして藤壺は源氏の追放されたエデンの園である幼年時代の象徴なんじゃないかと思う。

ロリというよりも意識しない自己愛の変形なんじゃないかなあ。
紫はもう一人の自分。
紫に対する図々しいまでの甘えぶりってそんな所に起因してるんじゃないかな。
ロリとは思っていませんが・・・
藤壺に似ていなければ「哀れよの」程度ですっきりスルーだったんでしょうしねえ。

実家に戻したら結婚できないか。そうかもね。
でも、どうだろ。
それなら、既成事実なくても、紫は手の内なんだから
なんとでもなったはず。彼女はくちなし同然なんだから。
精一杯やったのは、紫のためでなく自分のためなんだよなどこまでも。
正式に紫を妻にすると公にしてしまえば
式部卿宮だろうが関係ないと思うよ。
そんなことにビビる源氏ではないはず。
いくらでも紫自身のしっかりした体裁を整える時間もあったはず。

単に側の幼い女体に発情して抑え切れなかった後始末が
裳着、父娘対面の事後承諾になったわけですからね。
>>959
意識しない自己愛の変形、って、分かる気がする。
当時は源氏自身もまだ十代の若さだったし、子供時代の母のいない寂しさと
父帝に愛されて後宮にいられた時期の楽しさが、生々しく残ってる頃だろうね。
そもそも源氏は後に、ちょっと関わりがあっただけの女性もまとめて引き取るくらいの世話好きだし、
優しそうに見えて強引な部分もかなりある。(身分の高さもその土台になってるだろうけど)
若紫拉致事件は、このふたつの性質が合わさって起こされた事件かもしれないなー。
美形で身分があって金持ちの男が
愛にだけは翻弄される人生なわけですかね。

例え、源氏と紫が何度生まれ変わっても
同じ結果になるような気がする。
>961
そうそう。
ただ、発情wはともかく、
源氏はちゃんと最初から、「結婚」するつもりだった、これは
認めておかないと不公平かなあ・・・

源氏ってば自分のためと相手のためと、ちゃんと整合性かけてるつもりなんだけど
相手の根源的なプライド、無視なのよね。ぼっちゃんめ。
何度生まれ変わっても同じだよコレ。わかりあえてないから。

紫が受領の娘程度だったらコレで問題ない。
明石は親に大事にされててプライド高いから、どーのこーの文句たれながらも
「妻にしてくれたし私は受領の娘、ま、しょうがない」と
あきらめ切れてるでしょ。
紫、本人が血筋を自覚して、この世の仕組みを知ったなら辛くなるよね。
後々考えて、いきなりレイプすんな。
親代わりでもあるんだからフォローしてやってよもっと。
>964
うん「結婚」「妻」にするつもりで引き取った名目は
評価できる。その辺はロリコンとは違うかも。

他の女人引き取った事についても評価はしたいが
一応妻のひとり、源氏を愛する以外
取り柄のない末摘花にも公平なようで哀れみだけ
あくまで生活の面倒を見てやってるだけ
相手のプライドはヤパーリ無視なんだよね。
そりゃ当時、生活していくことが第一だから彼女達愛人同様の女人には
文句は言い様がないだろうし
引き取っただけ源氏は美徳有り、ましなんでしょうね。
あんまり多くを求めすぎて源氏を責めるのも悪いか(w
彼も創作上の人間だしな。
紫に結婚というものはどういうものか教える侍女はおらんかったのかなあと呟きたくなる。
いつそうなってもおかしくない状況だったのに。
この時代の姫君の教育に性教育はなかったのかな。
>961
>正式に紫を妻にすると公にしてしまえば
>式部卿宮だろうが関係ないと思うよ。
>そんなことにビビる源氏ではないはず。

ってゆうか、正式に紫を妻にすると公にしたのが、
自邸で父宮を呼んで裳着をする、という源氏が取った
形なんだよ。
それ以上の形は、あの場合紫には望めない。
どのみち、母方に有力な者がおらず、父も、尊貴なだけで
実際の実力・権威は妹頼みのキライがある宮様では
紫の社会的地位は限界ある。
式部卿宮の女であることを公表して、正式な妻として扱って
もらえただけ、普通では考えられないぐらい、源氏は紫を
大切に扱ってる・・・ということになるのです。
女房の筆頭ぐらいの扱いになるのが普通であり、
当たり前のことだからね。
源氏はさ〜
男だから、紫にやんわり性教育施すすべを思い付かなくて、
ええいめんどくさいとばかりに、さっさと実地教育しちゃったんでは?
所詮男。
少女の繊細な気持ちなんぞ、分かる筈もなし。
>>967
性教育って、ホントどうなってたんだろうね。
姫君教育としては、何も知らずおっとりと…が真髄だろうから、
結婚生活を続けてゆく上での知恵みたいなものは教えても、
性教育は…。
「なんとなく今日は屋敷の中がざわざわしてるな、と思ったら、
夜になって女房達が引っ込んでしまい、やがて男性が忍んできた」みたいな
初体験(結婚)の話も見た覚えあるから、やっぱりあの時代はそんなもんなのかな。
971名無しさん@HOME:03/10/21 23:09
「千年の恋 ひかる源氏物語」っていつテレビでやるんでしょうか。
このスレで近々するという事を知り調べたんですがわかりませんでした・・・。
教えてください。お願いします。
972名無しさん@HOME:03/10/22 10:21
へ〜テレビでやるんだ。
かなり酷評だったからどれほどの物か見てみたかったんだ。
>>971
確かテレ朝だったよ。
ダメだろうなと思いつつビデオを借りて見たら軽ーく殺意を覚えましたw>「千年の恋」
でも脚本がダメすぎなので逆に笑えるかもしれないです。
「千年の恋」金払って映画館で見ちゃったよ・・・
つっこみどころ満載で、ほんと金返せ!!って感じだった。
でも、パロディかギャグとしてみるなら笑えるかもね
どのへんが笑えた(考証とか解釈とか変だった)?
>>976
1年以上前の話なのでうろ覚えでごめん。

一番のインパクトは明石の上だなぁ・・・
源氏と初めて会うのは海で泳いでる時だし
(源氏も一緒に海に潜るし・・・)
出産なんて海中出産だもんw

他にも時系列バラバラだし
晩年の源氏は勘違いオヤジだし・・・。
笑うしかないってかんじでした。
(でも源氏の役やってた天海さんはきれいではまってたと思う)
私は松田聖子にぶっ飛んだ>千年の恋
そうね。「千年の恋」といえばやはり空飛ぶ聖子じゃないかしら。
そういえば藤原宣孝が浜辺で海賊に斬殺されたりしてたな。
十代の女の子の裸がいくつか出てくるので、あれはある意味ロリ映画だったとも言える…(トオイメ)。
一番笑ったのは「(セクースの時)紫の上は鳩のように鳴くのでした」とか
小百合が言うところダス。なんだよ、鳩って!ククルクーかよ!
980名無しさん@HOME:03/10/22 16:19
>979

なんだよ、鳩って!ククルクーかよ!

激ワラ
あ〜聖子!飛んでた飛んでた!
あまりのことに記憶から抹消されてたみたいw
なんか急に歌いだしたり、変な役だったね。

しかしみんな良く覚えてるね。
ビデオ組ですか?
982名無しさん@HOME:03/10/22 16:46
すいません、どなたか、玉鬘が黒髭にレイープされてから結婚するまでの
どのへんが賢くてけざやかなのか説明してください。
「我が心から引き入れたのではないと態度で世間に知らしめ・・・」とあるけど
よくわかりません。
983名無しさん@HOME:03/10/22 16:48
明石ってふーみんだっけ。
当時最も高貴とされた紫色の衣を贈りたいタイプではないな。
984名無しさん@HOME:03/10/22 16:52
>970
たしか源氏が玉鬘を抱きしめた時に
「(玉鬘は)世慣れぬおぼこだからそれ以上の男女の関係があるとも知らず
『これは大変なことになった』と思い悩んだ」というようなくだりがあったので、
セクースについての教育はなかったのかもしれん。
985名無しさん@HOME:03/10/22 16:54
天海の源氏ってどうなん???
美しいけど、しょせん女がやってるわけだから
いまいち感情移入できそうにない。
ヅカファンなら容易に受け入れるのかもしれないけど。
986名無しさん@HOME:03/10/22 16:58
遅レスだけど944、

>生理というより、葵の喪明けまで待ったって感じではない?

明けてないよ。
987名無しさん@HOME:03/10/22 17:02
呪まーすのAA作った人亡くなったんだってね
奥さんが書き込んでた
多分ネタじゃない
988名無しさん@HOME:03/10/22 17:04
あんた・・・随分お人よしだね。(クスクス
>>987
このスレにレスしてる時点で(ry
「千年の恋」を映像で観た方がこんなに多いとは!
「千年の恋」の脚本が書籍化されてたので、図書館で借りてみました。
金返せ〜〜! と買った方なら思ったでしょうな。
私は幸い図書館だったので叫ばずにすみましたが。
で、ビデオ観る価値あります?(お笑い系でw)
>ヅカファンなら容易に受け入れるのかもしれないけど。
いや、源氏好きのヅカヲタならばこそ受け入れがたいっつーか、もにょるものがあったよ。
実際の男と男役を競演させるのはあまり趣味がいいとは思われぬ。
それに奄美は綺麗だけど声が扁平で庶民なんだよなあ。

>990
テレビでやるならご覧あれ。
ただし源氏をよく知らない人と一緒に見ると「源氏物語」を激しく誤解されてしまうかも…ね。
奄美源氏、若い時代にはよかったけど,晩年はかなり違和感だった。
声もねぇ・・・声だけアテレコしてくれれば完璧だったのにw
>986
ハウっ!そうだった。喪は明けてないね。49日だから忌明けだね。
鳩のように〜という言葉は、複数の小説などにも出てくるので、
女性のその時の声を形容するのにそういう決まり言葉があるのではないか、というレスを
映画板の千年の恋スレかどこかで見た気がする。
995名無しさん@HOME:03/10/22 19:50
ククルクー?
鳩はぐるぐるぽっぽーでしょ。
勢いで新スレをたててしまいました。

http://life3.2ch.net/test/read.cgi/live/1066819825/
997名無しさん@HOME:03/10/22 20:08
997!
998名無しさん@HOME:03/10/22 20:12
みやびに998
999名無しさん@HOME:03/10/22 20:13
可憐に999
1000名無しさん@HOME:03/10/22 20:14
1000年の恋
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