>>203 やー、ありがとうございます。とりあえずこっちでトライします。
うまくいっても、そっちにも、いづれ貼りますね。
「見えたわ。あれよ。あの岬の上」
峠を越えるとふいに眺望が開けて、穏やかな海が見えた。
太陽はすでに傾いていて、あたりは朱色にそまりつつある。
うっそうと茂る林の切れたところ、岬の高台にそれはあった。
「一度海岸沿いに下って岬の先端を回るの。反対側からだともうすこし便利なんだけど」
生徒達は身を乗り出して病院の方をのぞき込んでいる。
仁科は左手を返して腕時計を見た。16時10分。
「病院まであと20分ほど、か・・」
朝永の手術は16時からの予定のはずだ。
(もう一度、もう一度だけ、手術前に言葉を交わしておきたかった・・・)
・・・昨日の病室。仁科は手術前の最後の見舞いに病院を訪れた。
「・・・いよいよだな。今年こそ大賞をもらうのは我々だ。
彼女らの実力は充分それに値する。きみと私で、そうなるように育てたのだ。
優勝以外、ありえない」
朝永は、仁科の手を握りながらそんな言葉をつぶやいて、意識の底に沈んでいった。
(・・・・にぶちん、か・・・)
「みんな、ちょっと聞いて」
仁科は杉坂の言葉にはっと我に返った。
彼女は通路に立ってトートバッグを持っている。
「もうすぐ病院につくわ。これは常識だと思うけど、携帯電話。
電波で病院の大切な機械がだめになるの。
それで、病院にいる間はみんなの携帯電話、あずからせてもらうわ。
悪いわね。疑うわけじゃないけど、こんなに大勢でおしかけて、その上、
ひとりのわがままのせいで病院に迷惑をかけるなんて到底許されないの。
わかった?わかったらこのバッグ廻すから、電源切って入れてって。さぁ」
杉坂の言葉に、仁科は携帯電話を取り出し、真っ先にバッグの中に
放り込む。続いて杉坂が放り込むと、生徒たちも我先きにと放り込んだ。
ほどなくしてトートバッグは杉坂の手元へ戻ってきた。ずっしりと重い。
「これは誰もさわれないように受付に預けておくわ。帰るときに渡すから。
みんな、ありがとう」
小さな神社の脇を通り過ぎて岬を回ると右手に小さな駅が見えた。
「あの駅からだと徒歩で15分ほどね。こっちとあっちで大違い」
いかにも不便な立地だった。なにかいわれがあるのだろうが、それよりも
澄んだ空気と目にしみ入るような木々の緑の美しさが際だっている。
「さぁ、もうついたわ」
バスは病院の入り口に続く坂道にさしかかっていた。
「みんな。わかってると思うけど、病院内では静かにしてね。迷惑にならないように」
「はい」
「はい」
病院の玄関先で、生徒たちに院内での心得を与える仁科。
杉坂はバスの運転手と話している。
「・・・申し訳ありません」
「いいってことよ。こんなことはめったにねぇ。課長に電話したら、
おまえはもう帰ってこなくてもよろしい。あんたらに最後までつきあえ、とよ。
へっ、粋なとこあるじゃねぇか。じゃ、俺は駐車場の隅で休んでるからよ。
何かあったら言ってくれ。手術、うまくいくといいな。コンクールもよ」
「ありがとう」
バスはドアを閉めると、深々と頭を下げる杉坂の側をはなれて、すこし離れた
駐車場の方に向かった。
「16時40分。もう手術、始まってるわね」
「でも、一応、もう一度病室には行ってみたいの」
「わかるわ。行きましょう」
仁科は杉坂と生徒たちと共に病院の玄関をくぐった。
「ちょっと待って。これ預けてくる」
杉坂は受付へ向かい、トートバッグを差し出した。係の人となにやら話している。
見回すと、待合室はまだ診療を待つ人たちであふれていた。
「お待たせ。行こう」
「何話してたの?」
「朝永先生の手術のこと。ここではわからない、詰め所で聞いてくださいって」
「病室・・」
「ええ」
二人はエレベーターを避け、廊下の奥の階段を登っていく。
生徒たちもそれに続いた。
朝永の個室は、引き扉が開け放たれていた。中をのぞき込む二人。
朝永はいない。代わりに、ナースが一人、ベッドのまわりを片づけている。
「あの・・・」
「あっ、いつものお見舞いの方ですね。朝永さんは二階の外科第一手術室です。
16時。予定通りに始まっています」
「ありがとう」
「待ってください」
立ち去ろうとする二人をナースは呼び止めて、2枚の小さな紙切れを渡した。
「メッセージを預かっています」
見ると、一枚目には几帳面な文字で
-困難な手術ですが、スタッフ一同ベストをつくします。ご安心を
メモの最後に筆記体でK.H.の頭文字。執刀医のイニシャルだろうか。
もう一枚は朝永だった。スコアで見慣れた、あの独特のクセのある字だ。
-きみに出会えてよかった。ふたたびまみえることを信じて待つ。
-コンクールの健闘を祈る。朝永
メモを胸におしいただくと、絶えずしてはらはらと涙をこぼす仁科。
杉坂は仁科の肩を抱き
「りえちゃん。手術室、行こう」
「え、ええ・・・」
ナースは二人に一礼すると、詰め所の方へ向かっていった。
外科第一手術室前。
置かれたベンチに、杉坂は仁科の肩を抱いてならんで座っていた。
仁科は絶えずあふれ出る涙をしきりにハンカチで抑えている。
「りえちゃん。大丈夫。大丈夫だから。きっとうまくいくわ。大丈夫・・・」
生徒たちは、病院スタッフの邪魔にならないように壁のきわに並んで立っていた。
すすり泣くもの、祈るもの、目を閉じて思いにふけるもの。
廊下は、さまざまな器具や薬品を乗せたワゴンを押して
ナースが早足でひっきりなしに通っていく。
と、クリップボードを胸に抱いたナースがつかつかとベンチへ歩み寄って
「すみません。婦長がお話があるそうなので、どちらか詰め所に
来ていただけますか?」
「私、行ってくるわ。りえちゃん。しばらくひとりで。ごめんね」
「・・・」
仁科はハンカチで目を押さえながらようやっとうなずいた。
「こちらです」
先に立ってナースが歩き出すと、杉坂はさっと席を立ち、早足でその後を追った。
ナース詰め所。壁の時計は18時を指している。
「お連れしました」
「ご苦労さま。もういいわ。部署にもどって」
ナースは軽く一礼すると、来たときと同じ、早足で歩み去った。
「婦長の柴崎です。お名前を教えてください」
「杉坂です。蔵等高校の合唱部のOGです」
「杉坂さんね。はじめまして。朝永さんの担当ナースから様子をうかがってますよ。
胸の痛むことね。あのお嬢さんも。生徒さんたちも」
「はい」
「実はね。私はクリスチャンで、聖夜祭であなたがたの歌う賛美歌を毎年楽しみにして
いるの。7年前に久しぶりに復活して、それからいつもあのお嬢さんと朝永さんが一緒
にいたわ。それで、今日生徒さんたちが大勢こられて、ああそうかと思ったの」
「はい」
「それでね。今日、使っていないセミナールームがあるから、あなたがたの待合室
に使ってもらおうと思って。5階だから、すこしはなれてしまうけど、どうかしら」
渡りに船だった。手術室前を忙しく行き交うナース達を見ながら、杉坂は、いかにも
場所ふさぎな生徒たちをなんとかしなければ、と思っていたのだ。
「ありがとうごさいます。使わせていただきます」
「そう。ごめんなさいね。ナースに案内させるわ」
す、と席を立って近くのナースとひとこと、ふたこと交わすと
「こちらです」
ナースは先に立ってつかつかと歩いていく。
「ほんとうに、ありがとうごさいます」
杉坂はもういちど深く礼をすると、ナースの後を追った。
婦長は軽く手を挙げてこたえると、再び自分の仕事に戻っていった。
セミナールーム。
杉坂は、生徒たちをひきつれてここにくると
「いい?病院のご厚意で使わせてもらえることになったわ。
みだりに大声を出したり、汚したり、迷惑にならないように。いいわね」
「はい」
「あと、二・三人ずつなら、順番に手術室前に来てもらってもいいから。
あなたたちで調整して。凉子ちゃん。みんなをまとめて。あたしは
仁科先生のそばにいるから」
凉子はメゾソプラノのリーダーで、副部長。聡子の大の仲良しでもある。
背が高く、目元が優しい。本の好きな夢見がちな娘。うなづいてすっと席を立つと
「んー、くじ引きがいいかな? パートごとで、あみだくじ、しよ?」
くちびるにちょっと手をあてて、すでに差配をする風情。
杉坂は微笑むと
「じゃ。まかせたわよ」
手を挙げて、セミナールームを後にした。
ホールの駐車場。マッハ号を前にして、原田と聡子。
すでに日は沈み、上弦の月が、高く、煌々とあたりを照らしている。
「じゃ、聡子ちゃん。乗って乗って」
「・・・」
聡子はちょっとためらうと、後席のドアを開け、マッハ号に乗り込んだ。
「聡子ちゃん。遠慮しないで、前に乗ったら? 迫力よぉ」
「いえ、後ろで」
(報告が済むまではどんなことがあっても死ねないわ・・・)
後席に乗り込むと、深く腰かけ、ハーネスをきりりと締めた。
左手を返して時計を見る。18時30分。
「じゃ、いこうか。エンジン点火ッ!」
原田が裂帛の気合いとともにキーをひねると、軽いセル音を残して苦もなく
エンジンは廻りだした。アクセルを何度か踏んで空ぶかしのあと
「いきまーすッ!!」
シフトレバーをDレンジに入れ、アクセルを思いきり踏み込む原田。
がっくん、と。激しいタテ振動。が、マッハ号はぴくりとも動かない。
「お、おかしいわね」
「先輩。サイドブレーキ」
「・・・」
「あの・・・」
「あ、あははは、は。ジョークよジョーク。今度こそ大丈夫」
(神様ッッ!・・・・)
「はずすわね」
「あっ、待って!」
ギャギャギャ・・・☆
強烈なスキッド音を残して急発進するマッハ号。
「来たーーッ。そぉうれ!」
「先輩ィィ! 安全運転ーッッ!!」
原田の駆るマッハ号は、駐車場を横切って三区画も突進したあと、右に左に急カーブを
切りながらようやくホールを後にした。
峠に至る坂道で。やっと巡航体制となったマッハ号の二人。
町を出るまでに、オートマ車にあるまじきトラブルが何度もおこりかけたのだが
その都度、 聡 子 の 的確な指示でどうやら切り抜けることができたのだった。
「聡子ちゃん。よく知ってるわねー。車の運転のこと」
「・・・」
「(うッ。そんな目でみつめないでッッ)そ、そうだ。ここを登ったところにコンビニ
があるんだ。展望台があって見晴らしいいんだよー。ここまで来たら、あとちょっと
だから。何か買って休憩していこうよ。ねっ」
「・・・(どう答えたものかしら。止まりさえしなければ、たぶん、このまま
病院につけるわ)」
「ほら、見えてきた」
「・・・わぁ」
さっと眺望が開けた。
高くかかった上弦の月に照らされて、湾の波がきらきらと輝いている。
左手に、くろく茂った岬の先に病院のあかり。遠くには、漁船らしきあかりも見える。
「ね。どうする?」
「はい」
「じゃ、決定ね」
原田は左に折れると、コンビニの駐車場にマッハ号をすべりこませた。
月明かりの展望台。広場の時計塔は19時を指している。
「いただきます」
「はーい。遠慮しないで。足りなかったらもっとあるから。ねっ」
展望台の特等席で、聡子はおむすびの皮をむくと、ちびりちびりとかじりはじめた。
原田は携帯電話を取り出すと、なにやらにやつきながら画面をのぞきこんでいる。
(いいなぁ・・・)
聡子は携帯を持っていなかった。旧い家で、子供にそのような贅沢は不要、と
いくら両親に懇願しても決して持たせてもらえないのだ。
「あの・・・センパイ」
「んん、なぁに?聡子ちゃん」
「それ。ちょっと見せてもらえませんか?」
「ん?持ってないの?携帯。聡子ちゃん」
「はい」
「へぇ。今時めずらしいよね。こっち来て。ほら」
ベンチに二人、寄り添って携帯の画面を見つめる。
「こうするとね。ほら」
「わぁ」
かわいいメロディが流れ出す。
「凄ーい」
「えへー。聡子ちゃん。やっと機嫌が直ったよ。
オネーサンほんとにどうしようかと思ってたんだから」
ふふふ、と二人、笑い合う。と、急に携帯のベルが鳴った。
「ちょっと貸して。あッ!」
原田は携帯電話を取り落とすと、拾おうとして踏み出した足に当てた。
携帯はつと地面をすべると、手すりのむこうに消えていった。
病院の待合室。19時を回ったところ。すでに外来は終わり、人影はまばらだ。
杉坂は、公衆電話をかけている。
(出ない・・・)
生徒たちを移動させたあと、杉坂は公衆電話から原田の携帯に何度か
電話をかけていた。だが、そのたびに、留守電が応答するばかり。
(そろそろこっちに向かってると思うけど・・・)
また留守電の応答。杉坂はため息をつきながら受話器を置くと、
仁科の待つ外科第一手術室に向かっていった。
展望台。
「あーっ。あぁぁぁ」
手すりをつかんでがっくりとうなだれる原田。
「ごめんなさい」
「ん。聡子ちゃんのせいじゃないよ。でもちょっとショック大きいかも」
「センパイ」
「ん。大丈夫。そろそろいこっか」
「はい」
二人は食べかすを拾い集めると、マッハ号へと引き返した。
「さっ。乗って。あと20分ほどよ」
「はい」
今度はホールの駐車場のような無様はなく、マッハ号はしずかに走り出した。
「いつもこのくらい安全運転なら・・・」
「んん? 何か言った?」
「いえ」
二人を乗せたマッハ号は岬へ向けて峠を下っていった。
セミナールーム。19時を回ったところ。
生徒たちは席につき、静かに時を待っている。
みな目を真っ赤に泣きはらしている。
と、だれともなく、聖夜祭が縁で習い覚えた賛美歌の一節を、
低く歌い始めると、皆がそれに和して歌い始めた。
セミナールームに切々と響きつづける彼女たちの小さな、小さな声。
様子を見にきた婦長は、開けかけたドアをそっと閉めた。
そして、ゆっくりと十字を切ると、詰め所の方へ戻っていった。
マッハ号。
二人は、右手に湾を見ながら岬の先端を目指して快調にとばしていた。
すれ違う車はまったくいない。典型的ないなか道だ。
「もうすぐね。岬の先端を回ればすぐ病院よ」
「はい」
と、なにか黒いものが海側から飛び出してきて、マッハ号の前に立ちふさがった。
ヘッドライトに照らされて、目が炯々と光っている。
(・・・狸!?)
原田はとっさに左にハンドルを切ってブレーキを思い切り踏み込んだ。
「きゃーッ」
「聡子ちゃんッ。しっかりつかまってッ」
マッハ号はおおきく左に道をそれると、傍らの草むらの中につっこんでいった。
外科第一手術室前。
待合室から戻った杉坂は、仁科に話しかけた。
「だめ。原田の携帯。電源を切ってるみたい。もうこっちへ向かってると思うけど」
「連絡が無いのは、きっとどうしようもない成績なのかも」
「そんなことない。あたしあなたたちの演奏を聴いて、会場の反応も知ってるわ」
「でも・・」
再び嗚咽を漏らし始める仁科。
19時30分。手術がそろそろ終わろうとしていた。
「いたたたた。あいたーッ。大丈夫? 聡子ちゃん」
傾いたマッハ号の車内。
聡子は少しずつからだを動かして痛むところがないか確認している。
後席にもかかわらずハーネスを締めた聡子の用心のおかげで、痛むところは全くない。
「どう?痛むところはない?」
「大丈夫みたい・・・」
「よかったぁ。ごめんね。今日は私、散々だよね」
外へ出て、状況を確認しようとする原田。と、地面に足をおろして立ち上がろうとして
痛みにがっくり膝をついた。
「先輩!」
「う、突っ込んだ時ちょっとひねったみたい」
「大丈夫ですか!?」
「うん。ちょっと厳しいかも。ごめん。外に出て様子見てくれる?」
聡子はドアを開けてはい出るとマッハ号を確認した。
左側二輪が完全に溝に落ち込んでいる。溝は深く、脱出のための手当を簡単には
できそうにない。
「先輩。かなり深い溝に落ちてます。左側」
「何とか出られそう?」
「ダメ。たぶん」
「そう」
原田はため息をついてあたりを見回した。
岬はあと半周を残したところ。近くに神社の灯籠の明かりが見える。
「こうなると携帯がなくなったのが痛いわね」
病院までは、車で約10分、といったところか。
相変わらず人通りは絶えてない。波の音と虫の声だけが聞こえている。
原田は放心状態でマッハ号の横に座っていた。
(私は動けそうにない。万事休す、か・・・)
「センパイ」
「んー?」
「病院まで、あとどのくらいですか?」
「うん。車だと10分くらい、かな?」
「歩いてだと、どのくらい、ですか?」
「たぶん、人によるけど2、3時間ってとこかな。まさか、聡子ちゃん」
「いきます」
「え?」
「歩いて、病院へ。賞状のこと、早くみんなに知らせたい。
朝永先生の手術のことも知りたいし、先輩、怪我してる。だから」
「助けを呼んでくれる、ってこと?」
「はい」
原田は聡子の顔を見た。口元をきりりと結び、一歩も引かない表情だ。
原田は苦笑すると、
「その様子じゃダメっていっても無駄みたいね」
「はい」
「ごめんね。そうだ。助手席の下に懐中電灯があるから、持ってって。
あと、コンビニのお茶。のどかわくといけないから」
「はい」
聡子は自分の鞄の中身を改めた。賞状の入った筒がハンドタオルにくるまれて
金塊かなにかのように大切に収められている。
(これだけは何としても仁科先生に届けなければ・・・)
聡子はお茶の入ったペットボトルを一緒に入れると、鞄の肩ひもを結び直し、
ランドセルのように背中に背負った。
「じゃあ、いってきます。原田先輩。すぐに助けを呼んできますから」
「うん。ありがと。無理しないでね。海岸沿いに道なりにいけばつけるよ。
ひょっとしたら、車が通るかもしれないし。そうして」
「はい」
聡子はきびすを返すと、岬の先端へ向けて歩き始めた。
原田はその背中をずっと追っていたが、やがて聡子の姿は闇にまぎれていった。
(情けないなぁ。わたし・・・)
ちょっとべそをかいて、頭を後ろにそらす。
コンソールの時計は19時30分を指していた。
岬への道行き。
聡子は駆け出したい衝動を抑えながら、黙々と歩いていた。
(普段歩かない距離だし、無理しちゃダメ)
深呼吸をして、歩調を落とそうとするのだが、すぐに戻ってしまう。
月は正面に高く、こうこうと照っている。
岬の高台を見上げると、病院のあかりがちらりと見えた。
(あそこか・・・こっちから登る道があればいいのに)
左手を返して時計を見た。19時50分。
と、行く手に神社が見えてきた。ほんのりと、灯明がともされている。
(へぇ・・・)
聡子は神社の前に立って、あたりを見回した。
病院は鳥居から向かって正面の高台の上。背後には岬のうっそうたる林が
すぐに迫っていた。
小さな社だが、よく手入れされてちりひとつなく掃き清められている。
かたわらの手水に清らかな水が湧いていた。
(少し、飲んでいこう・・・)
聡子は鳥居の手前で一礼すると、境内へ入っていった。
手水で手を洗い、湧き水でのどを潤すと、社へ向かい柏手を打って、祈りはじめた。
(どうか先生の手術がうまくいきますように。賞状を無事にとどけられますように・・)
目をあけてふと見ると、社の奥に、ふるびた石段らしいものが見える。
(あれ? ひょっとして上の方に続いてるのかな?)
聡子は近寄って懐中電灯で奥の方を照らしてみた。
ところどころ崩れてはいるが、少しずつ奥の方が高くなっていることだけは
確かのようだった。
聡子は、鳥居の方と、石段と、高台の上と、何度か見やりながら考え込んだ末、
うん、と大きく頷くと、社の奥へと入っていった。
外科第一手術室前。なにやら中が騒がしい。
はっと顔を上げる仁科と杉坂。杉坂は時計を見た。20時。予定の時刻だ。
「終わったみたい。出てくるよ」
がちゃり、とドアがあいて、ドクターらしき一人が現れた。
ベンチの仁科と杉坂の方を見ると、マスクを外しながら近づいてきて
「朝永さんのご親族の方ですか」
「いえ。でもごく近しい者です。私は杉坂。この子は仁科といいます」
「第一助手の高村です。手術が終わりました」
「で、どうなんですか」
高村はにっこり笑って頷くと、
「今回執刀を担当した医師は、外部の方で、院長の旧い友人ということなんですが、
いや、素晴らしい腕前ですな。まるで精密機械です。99.99%失敗はありません。
ご安心ください」
顔を覆って泣き崩れる仁科。杉坂はそれを支えて、
「りえちゃん。りえちゃんっ。よかった。よかったねぇ・・・」
杉坂も声がとぎれとぎれになって、涙がこぼれ落ちた。
「今日一晩は感染症防止のため隣のICUで容態を監視しますが、経過が良ければ
明日の朝には病室に戻します。お会いになりますか?」
「はい」
「こちらです」
高村は先に立ってICUへの扉を開き、仁科と杉坂を招き入れた。
ICUの前室。
一枚ガラスで隔てられた中に、朝永は横たわっていた。
点滴やドレンのチューブを何本も差し込まれ、弱々しく寝台に横たわる朝永。
これが、傲岸不遜、常に自信に満ちあふれ、断固として彼女らを叱咤して、
頂上へと駆り立てた、あの同じ朝永なのか?
仁科はその変わり果てた姿を見て、ふたたび大きく嗚咽を漏らしはじめた。
高村は言う、
「今は麻酔が効いていますが、一時間程度で覚めるでしょう。だれかついていて
あげてください。といっても、中に入れるのはお一人だけです。どうしますか?」
「りえちゃん」
「わ、わたしが・・・っく、ひっく、わ・・・」
高村は頷くと、
「規則ですので、着替えてもらわないといけません。こちらで支度してください。
案内します」
「はい・・・、っく・・」
「杉坂さん」
「はい」
高村は杉坂の方を向き直るとにっこり笑い
「生徒さんたちに。早く知らせてあげてください。安心するように、と。
それから、一遍に、は無理ですが、数人ずつなら、ここから顔を合わせられますよ。
それも伝えてあげてください。では、私はこれで」
会釈すると、仁科を伴って、更衣室の方へ消えていった。
セミナールーム。20時15分。
がちゃり、と勢いよくドアが開いて、杉坂が駆け込んできた。
「みんな、聞いて。手術。成功だって」
わぁ・・・!!
歓声を上げて抱き合って喜ぶ生徒たち。杉坂は口元に手をあてて
「シーッ。みんな、嬉しいだろうけど、病院よ。静かにして。今ICUに仁科先生と
一緒にいるわ。まだ麻酔で眠ってる。窓越しだけど、数人ずつなら、会えるから。
順番決めて」
「はい。みんな、さっきの順番で、いいよね?」
と、凉子。みんな、やーっ、と同意を示すと、早速一番くじの子から連れだって
部屋を駆けだしていった。
「ちょっと、廊下を走らないで。頼むからぁッ」
背後から叱る杉坂。顔はあくまで晴れやかだ。
「そうだ。あなたたち。おなかすいたでしょ。私、病院の車借りて何かちょっと
買ってくるわ。凉子ちゃん。あとおねがい」
「まかせてください」
杉坂はセミナールームを後にした。
外科第一手術室前。
杉坂はでかける前に仁科に声をかけようと、ICU前室に入りかけた。
と、ベンチを見ると、さきほど元気いっぱいに駆けだしていった子たちが
うつむいて啜り泣いている。ICUの朝永の姿を見てショックを受けたらしい。
(いきなりは、ちょっときつかったかな・・・)
杉坂は近寄って、
「あんたたち。朝永先生、大丈夫。大丈夫だから。今はあんなだけど、
どんどんよくなるから。ね」
「・・・はい」
「他に待ってる子がいるでしょ。戻らなきゃ。で、わるいけど事情を説明してやって。
心の準備をして来るように、って」
「・・・はい」
しおしおと廊下を戻っていく生徒たち。
杉坂はそれを見送って、ため息を一つつくと、ICUの前室に入っていった。
ICU前室。
滅菌服を着た仁科は、窓の向こう側で、朝永の手をにぎりながら、しきりに目元を
ぬぐっている。杉坂は手元の受話器を取って鈴を押した。
はっと顔を上げ、立ち上がる仁科。受話器を取る。
「ごめん。わたしちょっと出かけてくる。あの子らに食べ物買ってくるよ」
「ええ。ごめんなさい」
「一時間ぐらいで戻るわ。あとのことは、凉子ちゃんにまかせてあるから」
「ありがとう」
「じゃ」
杉坂は受話器を置き、仁科にむかってちょっと手を振ると、きびすを返してICU前室を
後にした。
病院の車庫。20時25分
杉坂が受付に事情を話すと、病院のワゴン車を一も二もなく貸してくれた。
(峠にコンビニが有ったわね。片道20分くらいだから、21時過ぎくらいには
戻れるかな・・・)
杉坂はワゴン車を車庫から出すと、夕刻来た坂道を下っていく。
(だけど、40人分か・・・、こんな田舎のコンビニじゃ、ほとんど買い占めになるわね。
パンとかおにぎりとか、まともなものが残ってればいいけど。ほんと、病院の売店が
開いてるうちに、なにか交渉しとけばよかった)
まさか、彼女らに生フライ麺のスープ粉まぶしなどをかじらせるわけにもいかず、
頭の痛い調達担当の杉坂であった。
(しょうがない。足らない分は適当な駄菓子でごまかすとして、あとは炭酸飲料を
どっさりで満腹感を演出しましょ。あー私ってば天才♪)
20時35分。ワゴン車は岬の先端を切った。
神社を右手に見てしばらくいくと、道路の真ん中でだれやら手を振っている。
(!!・・・・原田ぁ!?)
杉坂はワゴン車のスピードを落とすと、手を振る原田の真横に車をつけた。
マッハ号の事故現場。
原田はしょんぼりと岬の方を眺めていた。
と、きらり、と車のヘッドライトがきらめいて、岬の先端を廻って
近づいてくる気配。
(聡子ちゃんかしら。それにしても、ずいぶんと早いわね)
彼女が出発してからやっと一時間過ぎたところだ。
彼女のコンパスなら、まだ岬の先端には着いてはいまい。
(それとも全然関係ない病院の車かな。どっちにしても助かったよ)
原田は痛めた足を引きずりながら、車道の方へにじり寄った。
そして、車道に出ると、大きく手を振って合図した。
「おーい、おーい。とーまーっーてー!!」
通じたようだった。ワゴン車は徐々にスピードを落とし、原田の横に止まった。
窓があく。
「聡子ちゃんッ。ご苦労様ぁ。助かったよ。ありがとーお」
「原田ッ。あんた、そこでなにやってんのッ」
「あっ。杉坂じゃない。聡子ちゃん。一緒でしょ?どこ?」
「はぁ? 私一人だよ。病院からずっと。原田、あんたの言ってること
わけわかんないよ。聡子ちゃんはあんたと一緒のはずでしょ?
いったいどういうこと?ちゃんと説明して」
「えっ」
青ざめる原田。
と、見ると、原田の後ろに、草むらに突っ込んで傾いたマッハ号。
杉坂は状況を完全に把握した。
「原田ッ。あんたァ・・・」
怒髪天をつく勢いの杉坂は、どんっ、と力任せにワゴン車の扉を閉めると
ずいっ、と原の前につめ寄った。
「あんたッ。だからホールで別れる時に私があれほど因果を含めたじゃあないかッ。
聡子ちゃんを送る時に絶対にマッハ号を使うなッ、タクシーを使えッて。
なんで私の言うことを聞かないんだよッ。ばかぁッ」
原田はぶるぶると震えて何もしゃべれない。杉坂は容赦なく平手で打った。
-ぱぁんッ!
「あッ」
「さぁッ。気絶するのはまだ早いよッ。聡子ちゃんは、聡子ちゃんはどうしたのッ」
「う、あぁ」
-ぱぁんッ!
「どうしたのッ、さぁッ」
「うぁ、わ、わたし、足をくじいて、動けなくなって、そ、それで、聡子ちゃん、
賞状のこともあるし、歩いて病院へ行くって」
「携帯はッ。病院に電話すればすむじゃあないかッ」
「あ、あ・・」
-ぱぁんッ!
「なんとか言いなさいよッ、さぁッ」
「わ、わたしメモなくして、そ、それで、携帯も崖からおとしちゃって、
さ、聡子ちゃんも持ってないし、ど、どうしようもなかったんだァ」
-ぱぁんッ!
「やぁめぇてぇ、杉坂ぁ、乱暴にしないでぇ、うっ、う、うっ、
わたしだって、わぁ、わたしだって、が、がんばった聡子ちゃんに、
自分でなにかしてやりたかったんだァ、わぁぁぁぁぁ」
泣き崩れる原田。
杉坂は原田を放すと、呼吸をおちつけて状況に頭をめぐらせた。
(ここにくるまで、聡子ちゃんとは合わなかった。このあたり夜になれば
人っ子ひとり通らないし、家もない。誘拐の線は絶対ない。とすると、山中?・・・)
ふと見ると、神社の灯りが目に入った。
(あの神社・・・、そういや、前にお見舞いの帰りに港で一夜干し買った時、
なんかおもしろそうなこと言ってたっけ。昔は岬の上に祭場があって、
雨乞いとかしてたって。社のところから古い石段があって上までつづいてて、
崩れかけてて足下はあぶないけど、紅葉の季節になると、時々ハイキング客が
登ったりしてるって・・・ふーむ。さすが聡子ちゃん。勘がいいわね)
杉坂は、ようやく泣きやみかけた原田に
「ごめん。乱暴して悪かった。あんたもよかれと思ってやったことだし。
もう怒ってないよ。で、済んだことはよしとして、聡子ちゃんを助けなきゃ。
ね、聡子ちゃんが出かけたの、何時頃?」
「・・・19時30分頃かな、コンソールの時計、ちょうど見たから・・」
「あかりは?なにか持ってるの?」
「・・・懐中電灯。マッハ号の」
「電池は?どのくらい?」
「・・・わかんない。新品じゃないことは確か。わたし、夜に脱輪したりして
よく使ってたから」
杉坂は左手を上げて時計を見た。20時45分。
みたところ、神社まで徒歩なら15分から20分といったところか。
(山中に入って約一時間か。足下危ないとはいえ、ハイキング客が通る道だし、
何もなければ、そろそろ8分目くらいはきてるはず。あとは電池が心配ね。
かなわなくても、なにかみちしるべになるようなもの・・・ないかな)
見上げれば、上弦の月煌々たり。
「・・・原田。鏡持ってる?」
「あるよ。助手席の鞄の中」
「借りるよっ。あんたはワゴンに乗ってて」
杉坂は原田の鞄を取ってくると、ワゴン車をUターンさせた。
山中の聡子。
石段は思ったほど痛んでいない。ただ、ところどころゆるんでいて、
うかつに体重をかけると踏みすべらせてしまうような箇所がある。
聡子は、懐中電灯で照らしつつ、慎重に足探りをいれながら進んでいた。
(怪我をしないよう注意しなきゃ・・)
鳥居から社を望んでそのまま目線を上げると、そこが高台の頂上だった。
仁科先生のいる病院のあるところ。
(この上で昔なにかしてたのかな・・・)
それならば、たぶん石段も一直線に組まれているだろう、と想像していたのだが、
ちがった。大岩などの難所を避けて進むために、どうしても曲がっている箇所が
ある上、ところどころで枝分かれして、祭事を行ったあとらしい、袋小路の
広場となって終わる箇所があり、思うようにいかないのだ。
(電池。だいじょうぶだろうか・・・)
林の中に入ると、月夜がうそのように暗い。懐中電灯だけが頼りだった。
ただ、木々のまばらな所では、月の光が差し込んで、そこだけは
下草の様子もはっきり見える。
(けっこう、手入れしてるみたい。社もきれいだったし・・・)
石段のまわりは、ほとんど草が生えていない。
頻繁に人が通るのでなければ、なにか人工が加えられている証拠だった。
(どうかな・・)
林の木の途切れたところ。
聡子は体の軸を利用して月と斜面の方向を確認している。
分かれ道で深入りしないために、聡子はなんどもこれをやっていた。
(電池。節約しなきゃ・・・)
出発するとき、斜面の方向を軸にしてほぼ直角の位置に月はあった。
まわりを見ても木があるばかり。高い方向が目的地とは限らない。
すくなくともこの関係を守っていれば、あさっての方向に行くことはない。
(行こう・・・)
20時45分。山中行も8分まで終わっていた。
神社の前。20時50分。
杉坂はワゴンを降りると、鳥居の前に土を盛り、原田の鏡を置いた。
月の光を反射して、やわらかな光の筋ができている。
杉坂は光の角度を調整すると、病院の十字の方へ向けた。
(届かないか・・・そりゃそうよね。でも、位置関係をつかむくらいは・・・
聡子ちゃん、気づいたら、つかってね・・・)
「じゃ、戻ろう。まずあんたの手当ね」
「ごめん」
「あたしゃこのあと買い出しもあるんだよ。ひとりでてんてこまい
だったんだから。ちょっとは手伝ってもらうわよ。いい?」
「うん」
杉坂はワゴンを病院へ向け走らせた。
(あれっ?)
林の切れたところ。聡子は月の方向を確認していた。
ふと斜面の下を見ると、木々の薄くなったところで、なにかきらっと光るものがある。
おそらく神社のあった方角だ。
(ひょっとして、原田先輩?・・・)
確証はない。だが、聡子が歩いて病院を目指していることは、原田だけが
知っている。足を怪我している原田。
(ごめんなさい・・・)
原田は聡子に、海岸沿いをいくように、とすすめてくれていた。
聡子の身を案じてのことだった。
(つかってみよう。きっと病院の方に向けてある・・・)
20時55分。もう頂上がせまっていた。
ICU。21時05分。
「んん、ん・・・」
「朝永先生、先生・・・」
仁科は、麻酔から覚めた朝永の手を握りかえながら、何度も強くささやいた。
滅菌服にマスク、帽子をつけている。一瞬混乱したようだが、彼女の声、
忘れようはずかない。
「ん、仁科君か・・・」
「はい」
「またあえたな」
「はい」
はらはらとこぼれ落ちる涙。仁科は朝永の手を押しいただいてむせび泣いた。
「仁科君、すまないが頼みがある」
「・・ひっく、は、はい、っく・・・」
「聡子君が戻った。裏門だ。迎えに行ってやってくれ」
「・・え、うら、もん・・・」
「疲れているようだ。早く行ってやってくれ。頼む」
仁科は立って、ICUの内線電話を手に取った。
前室には凉子。手の甲で涙をぬぐっている。
「凉子さん。ごめんなさい。聡子さんね。戻ってきたみたい。だけど
朝永先生、裏門、って仰るの。ちょっと、見てきてくれる?」
「え、裏門、ですか?」
「そう。はやく」
凉子はつときびすを返して早足でICU前室を出ていった。
ICU前室を出た凉子。
順番に様子を見に来た生徒と出会う。
「朝永先生、意識、戻ったよ。セミナールームのみんなにつたえて。
それと、聡子さん、着いたみたい。裏門だって。みんなをつれて来て。おねがい」
それだけ伝えると、廊下の奥の階段を駆け下りていった。
病院の玄関先。原田と杉坂。中に入ろうとしている。
「・・・だからぁ、何ですぐいわないのぉ?」
「だって、杉坂、さっきすごく怖かったから、そんな気持ち吹っ飛んで
ちゃったんだよう・・・」
「ほんとに。みんなが待ち望んでるビッグニュースじゃない・・」
原田の耳を引っ張りながら詰問する杉坂。
そこへ、凉子。全速力で駆けていく。
「あっ、凉子ちゃんっ」
耳に入らなかったのか、無言で建物の裏をめがけてかけていく。
続いてどやどやと生徒たち。次々に玄関を抜けてかけだしていった。
杉坂は一人を捕まえると
「ちょっと。どうしたの。あんたたち」
「聡子センパイが戻ったって。それで、・・」
「聡子ちゃん!?」
生徒の手を放して顔を見合わせる原田と杉坂。
と、生徒は脱兎のごとく駆けだしていく。
「わたしたちも」
「行こう」
杉坂はびっこを引く原田の肩を支えながら、皆の後を追った。
(あっ)
最後の斜面を登り切ると、林が切れて病院の白い建物が見えた。
聡子は汗びっしょり。顔や制服は土の付いた手でぬぐったなりして
あちこち泥がついている。
(着いた・・・)
月が明るい。すぐのところに、木でしつらえた門扉があった。
(行こう・・・)
聡子は木戸にとりついて、引っ張ってあけようとするのだが
かんぬきがかかっているのか開かない。
がたがたやっていると門の向こうから声がした。
「聡子ちゃん?」
(凉子ちゃん・・・)
「聡子ちゃん、聡子ちゃんなの?」
「凉子ちゃん」
「聡子ちゃん、今あけるよ、待ってね」
かんぬきを抜こうとするが、扉がずれていて動かない。
追いついた生徒たちが扉にとりついて、かんぬきを抜いて
「まぁ!?」
月明かりの中、鞄をランドセルのように背負った聡子。
疲れた様子だが、にこにこしながら立っている。
「どうしたの、聡子ちゃん、泥だらけ」
「ん、いろいろあったの」
「大丈夫? ね、ちょっと、おしぼりと水、早く!」
凉子はそばにいた生徒に差配すると、くずれ落ちそうになる聡子を抱き留め、
たもとからハンカチを取り出して、顔の泥をていねいにぬぐい始めた。そこへ
生徒たちが集まってきて一斉に質問を浴びせるものだから、かしましいことこの上ない。
「凉子ちゃん。鞄、賞状が入ってるの」
「うん・・・」
「出してみんなに見せてあげて。わたし、手が泥だらけだから」
「うん、わかった・・・」
凉子は親友の酷い様子に涙をこぼしながら、聡子の背中から鞄を外して
中身を改めた。ハンドタオルに大切にくるまれた賞状筒。
凉子は筒を開いて、内側の一枚を引き抜いた。と、拡げて
「まぁ!!」
そこに書かれた「金賞」の文字。
わぁ!!・・・・
のぞき込んでいた生徒たちから一斉に歓声があがる。
抱き合ったり、とびはねたり。むこうの方では賞状が取り合いになっている。
「まって、もう一枚あるわ」
凉子の声にふたたびみんなが一斉にのぞき込む。
どうやら生徒同士で頭をぶつけたものもいるらしい。おでこをなでている。
凉子が外側の一枚を引き抜いて、拡げて
「!!」
-文部科学大臣賞
きゃあーっ!!・・・
「あんたたち、病院、病院よ。ガマンして。頼む。たのむから」
杉坂の制止も耳に入らないらしい。歓声はいつまでも止まない。
凉子は聡子を抱きしめて、額にほおを寄せて
「聡子ちゃん。わたしたち、やったわ。やった。嬉しい・・・」
ぽろぽろと涙を流す。
「凉子ちゃん・・・」
「・・・そうだ、朝永先生の手術、うまくいったの。さっき意識が戻って、
それで、聡子ちゃんが戻ったから、って」
「うん!」
「賞状、見せよ」
「うん!」
「ね、賞状、返して。先生にみせるの。誰か、聡子ちゃんを支えてあげて」
賞状を受け取ると、つ、と先に立って歩き出す。
つづいて聡子、ソプラノパートの娘たちが奪い合うようにその肩を取ると
凉子の後を追った。皆もそれについていく。
杉坂と原田もその後を追った。
ICU前室。扉の隙間からみんなが覗きこんでいる。
「ほら、聡子ちゃん」
凉子に促されて窓のそばに寄る。
ICUの朝永の姿にすこしびっくりした様子を見せたが、聡子のにこにこ顔はかわらない。
窓の中の朝永が片頬を上げて微笑みうなづいた。
-さとこちゃんからほうこくします
凉子は口を大きめに動かして窓の中に伝えると、
聡子の後ろにぴったりついてすっかり二人羽織の体制。
聡子は凉子の手首をとって、凉子の持った賞状を拡げて窓にはりつけた。
「金賞」
はっとマスクに両手をあてる仁科。目に涙がにじみ出す。
朝永は、片頬を上げて微笑んだまま小さく二度頷いて賞賛の意を示す。
凉子はちょっとはなれて得意げに指を立て
-もうひとつあります
くちをつくると、聡子と二人羽織、ICUの窓に賞状をはりつけた。
「文部科学大臣賞」
体を折って泣きくずれる仁科。
朝永は、初めて歯を見せて笑い、大きく、大きくうなずいた。
いれかわり、たちかわり、ICU前室にあらわれて賞状と共によろこびを
表現する生徒たち。
それにいちいち微笑んで頷く朝永。
「仁科君」
「・・はい」
「あの子らに、よくやった、と伝えてくれ」
「・・・初めてですね、先生が、あの子たちを、ほめるの」
「少し違う。言い直そう。仁科先生をたすけて、よくやった、とね。
伝えてくれ、頼む」
生徒たちの勝利の報告は続いていた。
病院の玄関先。22時。
病院スタッフの気遣いで、朝永の病室に泊まることになった仁科と聡子。
バスに収まった生徒達を見送ろうとしている。
「聡子ちゃんっ。今日はホントにごめんね。今度うめあわせするから。ねっ」
「はい」
原田はうるうるしながら聡子の手を取って平謝りの体、杉坂は追い打ちをかけるように
「あんたもう機械物禁止。ぜーっったい乗っちゃダメ。いい、わかった?」
耳を引っ張りながら因果を含める杉坂。こっくり、と。大きく頷く聡子。
「えーっ、自分だけ、一人だけで乗るのならいいよね、ねっ」
「だぁめ。あんたが居なくなったら、あたしのこのカミソリのようにするどい
ツッコミはどこに向けたらいいんだよッ。いいッ、わかったわねッッ」
杉坂の折檻は続いている。運転手が
「おーい、ネエさん。そろそろ」
「はぁい。じゃ、聡子ちゃん。また明日くるから。りえちゃん。今日はほんとによかった。じゃあね。また明日ね」
「ええ、ありがとう」
「原田ッ、行くよッ」
「ああーん、耳引っ張らないでよぉ」
バスの扉を閉め、手を挙げて出口の方へ走り出す。
「じゃ、聡子さん。病院のお風呂使わせてもらって、キレイにしてから寝ましょうか」
「はい」
二人、連れだって、病院の中に消えていった。
『コーラス!コーラス!』w episode3 - 病院 - パートAでした。
あとパートBとlast episodeが残っていますが、脱稿のめどは立っていません。
すくなくとも最萌中にどうにかすることは無理です。申し訳ありません。
このまま放置すると、えいえんに未完になる可能性が高いのですが、
続きが読みたいという奇特な人は、合唱部スレに「読んだ。続きキボンヌ」
などと書いてくれたりするとちょっとは励みになるかもしれないので
よろしくお願いします。
それから、合唱部の方、医療関係の方に。
コンクール表彰式やICUの記述で不十分な部分があったかとおもいます。
申し訳ありませんでした。
ファンタジーということで、ご寛恕ください。
公式をはなれたファンタジー
合唱部SLG『コーラス!コーラス!』w
わたしの <<仁科りえ>> さんが、
みなさんの目に、しあわせ、と写りましたら幸いです。
拙文におつきあい頂いた方、どうもありがとうごさいました。
(ここにコード)