音楽的な言葉は知らないけどBeckのLord only knowsとか
ゆらゆら帝国の発光体とかストゥージズのサーチアンデストロイとか
レッドツェペリンの移民の歌とか、どういじってもバラードになんないじゃん。
だけどかっこいい。
それは音楽の力だから音楽性というけど、楽理では説明出来ないでしょ。
カルーセル牧が最近のロックはロックである必要が無いって言うのはこの事を示してると思うけどね。
端的に言えばみんなボウイのジギースターダストの焼き直しだもん。
ラルクだのグレイだのミスチルだの、みんなバラードなんだよね。
レンジのロコモーションはそう考えたらロックだ。
ロックがあまりに汎用的になって衝動性が表現できてない。
衝動がバラードの悲しみより偉いわけじゃないけど、少ない表現は価値があるように感じる。
ハイテンポながらバラードになってしまう鳥の詩は、まぁロックじゃないけど
そこに限界を感じる。明らかにかっこよさを狙ってるのに。
だから、ハイテンポの名曲はスゲーし、それは難しいつってるわけ。
圧倒的な壁とか越えられない壁みたいにオリジナリティのないスレタイだな
バラードにもならず、だけど強烈な独特の印象を放つ曲は僕は評価しますって事です。
creepはバラードだけど、歌詞と、ギターの強烈な激情性が凄いから比較に使ってやったさ。
後、シリアスさ。
やっぱりcreepの後だと鳥の詩は浮く。逆だとcreepは静む。
完全にイメージだけで論じてますから、何処に価値を置くかで変わりますがね。
どうせバラードになるならアニソンらしさをパロディにしたFeeling Heartとかのが
OPとしては価値があると思う。いい曲だけどアニソンらしさは備えてる。
まぁ鳥の詩が扇情的なのは認めるし、それが本編の壮大な物語に繋がってるのはわかるけど
歌のイメージは浮遊して何処にも繋がってないと思う。
お前の頭んなか意味わかんねーな
>>144 うーん、楽理以前に論理的な問題としてだな、そもそも、
「バラード」にならない曲が優れているという考えはどこからきたんだ?
なぜアンビエントでもインストゥメンタルでもなく「バラード」なんだ?
君の中でロックとバラードは対比の関係なのか。
あと、挙げられた曲の中で移民の歌しか知らのだが、移民の歌はハイテンポじゃないだろ。
そこからハイテンポの名曲はスゲーって結論は論理として繋がってないと思われ。
ついでに言えば、鳥の詩も曲調はアップテンポだがBPMはハイテンポというほどじゃないぞ。
速さはスピッツのロビンソンと同じくらいだろ。
音楽でなく論理の話としてな。
ハイテンポじゃなくてアップテンポでしたね。ごめんなさい。
バラードなのは、単純にイメージのたやすさにあります。
もちろんバラードと呼ばれる楽曲にも種々あるわけですけど
悲しみがあまりにたやすく量産されてる感じのある現状から、
イメージが死んでる感じがする、と僕が勝手に思っている。
僕が価値あると考える芸術は、僕らが求めて既にイメージされているイメージではない、
未体験のイメージ。
需要の存在しない未発見のものを、供給自体が需要として開拓する力のある表現、
それが芸術の、ある1面の側面として最高だと思う。
バラードは安易さが存在する感がいなめ無い。と、僕が思っている。
バラードじゃなきゃ何でもいいわけじゃないですが。
バラードじゃない独特さがありながら、キャッチーで強い感動なりがある曲がいい。
バラードだって、一般的なバラードみたいな安易さが無くて、独特なイメージを強く表現出来ていればいい。
問題はバラードが評価されやすい事。
評価するのは普通の人だけど、バラードなら安全という感じがある。
要はイメージの容易さ。イメージが容易いという事は
既に需要がある市場なわけ。それがダメだつってる。
バラードの悲しみは音楽の力以外の記号性を感じる。
だから、記号にたよらない、バラード以外の高い評価の音楽こそ、音楽の力だと思う。
ここで良い音楽は売れるっていってるの長谷部なの?
http://music4.2ch.net/test/read.cgi/musice/1106208005/201-300 ポップパンク〜一部のエモとオルタナの曲作りにありがちな6/8拍子で
マイナー1コードで回すバラード作れれば名曲とか呼ばれるべって奴で。
まあcreepも1コード引っ張るんですが。
つーか鳥の詩はエロゲソングなんだから音楽の力がなくてバラードにも記号にも
頼っていいじゃん。Feeling Heartだってバラードじゃないが
記号には便りまくり出し。
creep>>>ポッポスとエロゲソングの壁>トウハト>鳥の詩だろ。
現代音楽とエレクトロニカのおすすめ一枚ずつ教えて
ペンデレツキのチェロ協奏曲とオウテカのキアティックスライドと
エイフェックスのi care because you doは聴いたからそれ以外で
>>150>>151 要はオリジナリティってことか。それなら誰も異論はないと思うんだが、
それをロックとかバラードで区別するのはでっかい語弊がある希ガス。
>既に需要がある市場なわけ。それがダメだつってる。
断定的な言い方だなぁ。好き好きはともかく、ダメだとは思わんが。
じゃあバラードなら容易に売れるのかっつーと、そんなに甘くないしな。やっぱ売れる曲は何かしら違う。
開拓する力と人を満足させる力、両方満たすのが誰だって理想だが、後者だけでも充分「音楽の力」と言えると思うんだが。
その点を君は「あらゆる芸術は等価」って理屈で理解してても、感情で納得できてない印象がある。
>バラードの悲しみは音楽の力以外の記号性を感じる。
これはバラードに限ったことじゃないな。純然と音だけの情報で音楽は評価できんからな。
曲の背景とか外見とかの先入観、ラーメン屋の親父もラーメンの味のうちってことだ。
>>152 そんなところ行ってないですよ。
楽理最近勉強し始めたような人ですから、コードの
力学めいたものや、コードを聞き分ける耳持ってないし。
記号は再生であって表現じゃないと思うんだけれど。
はっきり言って悲しいことを思い出せ、つってるのと同じだし。
ペンデレツキってトムヨークが薦めてたやつですね。
僕そんな詳しくないですよ。10枚くらいしかもってないんじゃないかなぁ。
持ってるのではライヒの大アンサンブルの為の音楽、
クセナキスの「アコースティックーエレクトロニック」とかいうやつ。
エレクトロニカはマシューの「サッドマック」、The booksのやつ。
>>153 うん、言ってることはかなり理解できます。
全ては等価であるのは当然だけれど、しかし何か違うんじゃないかと思う面も有る。
人間の努力は単なる権威付けでしかないということになるでしょ。
だから、魂の価値は語り得ないが、何か僕らが希求するものはあるんじゃないかと
思う。それを我々が単独で語るべきなのはわかるけれども。
たまに煽りたくなる。
まぁ、無駄なんだよね、実際。
どんだけ理論を積み重ねてもそれは勝手に閉塞した団体が作り上げた
「勝手な妄想」でしかない。それが正しい。
大衆がどれほどに他人の汗や正しくあろうとする力を評価しなくても仕方ない。
大衆はなんとなくこれがいい、と思ったものをみとめる。
それが正しいかどうかなんて興味無いし、事実正しさなんて無いわけですよね。
それをみとめられない、感情的に。
とりあえず優劣付ける方が無駄じゃねぇ・・・?
鳥の詩が〜とか論議する気は無いが、音楽と言えないLVの曲(っていうのか・・?)なら
万人がダメって言うかもしれないが
所詮芸術関係の感性は人それぞれだし、これがダメあれがダメって言う意味がまったくないだろ
付け加えると、皆が聞いてるからいい曲、いい音楽ってわけでもない。
一定以上の水準はあるかもしれないけれど現代では
それはほとんど流行という名の波でしかないよ。
creep自体洋楽板とかヒットした92-3年のアメリカ(後イギリスに逆輸入)では
賛否両論だからなあ。