【素描・1960年代】新日和見主義事件再考【実相】
今回は「民青の」という箇所に力点があるようだ
まだ全部読んでないけど
さすがに元県委員長にして中央委員らしい詳細さだ
だけど、「党の誤った政策を主たる原因として民青が激減」
というお話は私のような70年代後期から80年代前半に
中間機関で活動した人間には事実と違うから肯定できない
一旦「実相」で言い切った川上らの陰謀には今回ほとんど言及がなく
延々と「あのときこうだったら」というタラレバで
自分(油井)ら無辜のシンヒヨ連座者がもし処分されなければ
という話を展開している
傍線引いて「ここは不同意」とか言いつつもさざなみの
長文をそのまま引用しちゃってる
俺が在籍当時聞かされていたシンヒヨの「先輩の指導が必要」という話の
否定面が油井の今回の本では非常にくっきりと皮肉にも浮かび上がってる
もう60歳も70歳もなったらやっぱり民青の件語るのは痛いだけ
でも川上の本にあった、妙にサバサバとした回顧の目線とは趣が異なるな
たしかに油井さんは川上にコロっと騙されてるよ
だが、「騙された共犯者」として川上の援護の本を2冊出してる事実は消せない
油井さんが川上「査問」を補間したから世間が川上を信じてしまった部分もある
またいくつかの本は川上社長の同時代者から出してるしね
とっくの昔に党を見切ってる川上
党員時代に回復すべき名誉があったと思ってる油井
ここからしてもう完全にすれ違ってた。
>川上の援護の本を2冊
川上にとっては援護なんて全くの想定外だったろう。
「査問」が党と論争するために書いた本でないのは第三者にも分かる。
川上にとっては何の価値もない「名誉」だが、油井にとっては名誉回復の狼煙と見えたようだ。
もっとも、この大いなるすれ違いの原因を純情な油井に求めるのは酷だろう。
責任は事件を闇に葬った党と、それに従い長い沈黙を続けていた川上にある。
「純情」であれば何しても許されるし居直ってもいい
ということではないよ
また、川上は援護射撃を期待して油井を「作家」デビューさせてる
想定外ではない
”「こころ派」の外のシンヒヨの会を組織したら釣れた大物”が油井
であって、川上らは意図して油井をオルグしてるんだ
また、川上の「査問」の奇妙な構造も、おっかけで刊行される
油井の本があればこその構想だろ 「阿吽の呼吸」だよ
もしかしたら川上が「査問」を刊行する前から油井の
親の人生、自分の体験なんかを綴るライフワーク大構想を聞いていて
「それに便乗する本を出してひっかきまわしてやろう」という
邪悪な思いつきをその後で思いついたのかも知れない
インサイダーである川上にはそれが可能だ
>>903 本を読む力が無いのか人間観が貧しいのか。
それとも、素直に読めないような過去を引き摺ってるのかな?
野次は飛ばせても擁護はできない様子ですねw
「総括」読後感なんだが
民青の中央幹部は引退するにあたって
これぐらいの内容書けないといけないし
そういう「回顧録」は常幹クラスは出版すべきだと思った点が一点
「卒業」しちゃうとほとんど民青振り返らないからね
俺の場合はずっと下っぱだったから
県大会に自分の専門部の分野の文書発言提出したわ
同じ時期に卒業する県委員長さんが休憩時間に顔みたら
「(文章発言)読ませてもらったよ!」て声かけてくれてうれしかったの覚えてる
もう一点としては油井さんは
地域では普通に大衆運動レベルで活動続けてるんだな
反核運動とか、と。
川上徹はすっかり出版社社長になりあがちゃったか
陰謀企むことはあっても、もはや「運動」とは早々に縁切ってて
語るべきスタンスがなーんもないんだなということ
最後の一点としては帯の佐高信はあの一文で
何が言いたかったんだろう?ということ
中身のない奴だとあきれたw
あ、思い出した
結局油井さんが指摘したがってた「新事実」って何?
当時の委員長も25歳卒業制に反対だったて事だけ??
長い時間かけて路線が戻って「25歳卒業」を廃したみたいに
描かれてあるけど、70年代中葉には既に「25歳卒業」は空文化してた
つまり3年も経たずに元の木阿弥で卒業システムは従来通りに戻してた
この本の読後感からはずいぶん後から後手後手で彌縫策講じたみたいになってるけど
俺の感想としては、こころ派などシンヒヨ排除が主で
「北朝鮮からの干渉」の線がマジで切迫して現実性があったんじゃなかったか?
従来ソ連中国と嫌というほど内政干渉されてるんだから
過剰に防衛する気持ちもわかる
あとまるで新事実発見みたいに市川正一ら除名者が多すぎるとか書いてるけど
路線問題に限ってるように一見体裁とってる割に、党への嫌言だよね
もう一方で、スパイ分派の問題は、昔の本では、シンヒヨ摘発の
本筋の冤罪の原因だとか主張してたと思うんだが
今回スパイ分派は別立てで描いてるね
俺も編集に名無しで参加したWikipediaのシンヒヨの項目みてくれたのかな?w
高橋彦博センセイも加藤哲郎センセイと同じく
「査問」の読書会とか開いて大真面目に取り上げてたね
哲郎センセイ同様、「素描」「実相」でた後はダンマリかな?
そういうのは「左翼知識人の理論責任」としてどんなもんなの?
油井さん
■1972年当時、今期限りで民青も卒業し党専従として活動する気でいた
■当時発生していた「こころ派」分派の暗躍で年齢問題が中央委員会で対立軸となり問題化していた
■油井さんは独自の立場から年齢問題改変に反対し、その言動から「こころ派」と疑われる
■党中央委員会は数百人を査問。油井さんも査問
■当時油井さんは病気入院中なのを「一時帰宅」しての査問
■民青中央幹部としては「1週間」などの長期の場合が多かったのだが
油井さんは病気も考慮され(体力続かないため(油井さん自身が
「自白」してしまい、本来経緯や問題解明のためには尽くすべき議論
を尽くさなかった事もあり、比較的早く「解放」される
■油井さんの配下の分派と疑われた民青中間機関役員数名も連座で処分
■油井さんは自白その他を根拠に民青卒業を前に処分。不名誉な脱退に
同時に党の処分。権利停止期間もついたが、その後復帰して1党員として
静岡で点在におかれたりしながらも活動続行
■川上らと「シンヒヨの会」として合流。機関から「いくな」といわれても参加。川上と意気投合
■川上が社主を務める「同時代社」にて本刊行
■川上が「査問」刊行
■川上「査問」に呼応して「汚名」刊行
■続けて「虚構」刊行
■「シンヒヨの会」内部でゴタゴタが発生
■「シンヒヨの会」ほぼ崩壊
■川上「素描」刊行。「こころ派」分派を告白。ゲラ見せられ川上と反目
■「シンヒヨの会」完全に崩壊
■「素描」への反発から「実相」刊行
■続けて「総括」刊行
タイミングの問題もあろうが、対極にある高野孟の場合のように、一週間かけてでも査問に応じて
「自分は分派の陰謀には無関係」と論証すればよかったわけだ
なんでも「はいはい」と認めてしまったために油井さんに連座して処分者がでたり
そういうことにもなったんじゃね?
910 :
革命的名無しさん:2010/09/05(日) 15:39:59
当時の社青同協会派は、新日和見時代の民青を一定評価していた。その大衆
闘争重視−街頭における反戦平和の闘いや、職場闘争についてである。新日
和見摘発後民青がすっかり元気をなくしたと惜しんでいた。
ぶっちゃけ「汚名」のインパクトは「虚構」にはない
だが2冊合わせて「査問」を補強、補間している
川上との合作で10年あまり、民青の拡大をちょうどネット時代に
よくもよくも印象操作で邪魔しましたね
同様に「実相」の迫力は「総括」にはまったく見られない
今度は「実相」の対川上の批判から矛先を民青の路線や
民青指導の日共の幹部に向けつつ、自己の「虚構」の
思い違いを自己弁護している
「総括」とは赤軍派の「ソウカツ」なんかを連想させて
題名はおどろおどろしいんだが、結局自己総括としては何にもない
「後で触れる」とした項目で抜けてる部分もあるし
「実相」刊行以後に得た情報って、民青のその後の状況を探ってただけか?と
もっと「シンヒヨの会」周辺の意見やら状況でも描くかと思ったが
「自分は反対しましたが、ごらんのとおり25歳制ではうまく
ゆかなかったでしょ」ということを他の要因を全く捨象して
強引に因果関係をひきつけてるだけだ
912 :
革命的名無しさん:2010/09/05(日) 17:59:52
>>910 社青同山崎耕一郎元委員長が川上氏とばったりあった時、立ち話で川
上氏が共産党は老害で困っているとこぼしていたとのこと。(宮顕さ
んのこと)−80年代の話しです。
民青後退要因の「分析」についてはたしかに油井の牽強付会を感じざるえないな
その辺に関してはむしろ川上(大窪の方だったか?)が『素描1960年代』で展開している
「日本人の意識構造の変化=結社性・闘争性の衰微」に求める議論のほうがしっくりくる
年齢制限問題が若干の混乱を起こしたことは確かかもしれんけど、もう80年初頭あたりには
運用変更で前に戻ってたよ。大勢に影響があったとは思えん。
>>901 >傍線引いて「ここは不同意」とか言いつつもさざなみの
>長文をそのまま引用しちゃってる
確かにこれは残念な点だったね。油井氏はどの程度の裏づけをとってあれを引用したのかねえ・・・
なんの取材もせずに、無批判に、都合がいいから引用したなら川上の冤罪偽証から何も学んでなかったということになる
「人がいい」のだけかもしれんけど、動機と客観的影響は別だからなあ
>>914 そのさざなみの文章の引用の仕方が、忘れもしない
川上「査問」の文体そのまんまの延長線上なんだよね
出所不明の「発言」をそれとなく提示して自分の傍証として援用する
川上の真似をしてるうちにすっかり自分の板についちゃったのか
それとも「査問」も川上と分担してマルクスとエンゲルスみたいに
実は共著だったのか
川上に声かけられてからの油井は川上と一心同体で
「査問」の文章にはかかわっているはずだ
「こうしよう」「こういう声を入れたら」「こんな言い方のが印象的」
進んで油井は川上の構想にかかわったんじゃないか
漫画家と編集担当者、あるいはアンカーとして
そういう油井の情熱をうまく使って自分の筆名で上梓する川上
ところが「査問」以降は他の仕事が忙しいと油井を放置する
仕方なく油井は処分後27年間も守り続けてきた党籍も擲って
自分で「汚名」「虚構」と刊行する(が「査問」ほど売れない)でホゾを噛む
そして突如油井の知らぬ間に別の「こころ派」若手
東大卒の「歴史家」との共著「素描」発表
こっちは「共著」で、油井の知らぬ事実満載
油井がしゃかりきに前のめりになって追い求めたシンヒヨ問題の
追及というテーマは後景に退き、川上の本来書きたかった
「60年代」がテーマで感傷的な回顧が主
いやそれは油井をバカにしすぎだろwww
というか油井はバカを演じて何冊も本を出してるんだと思う
つまり「宗-川上」の場合も
宗が突っ走りだしたのを川上は掣肘できたがしなかった
「油井-川上」の場合も同じだという推理だね
川上自身はさして能力があるわけではないが
一人合点に思い込んでシャカリキになってる奴を
切り込み隊長にしたてあげ
木に登らせ、日共にけしかけさせる裏方の役だ
自分の実情と相手の認識との相違点は黙ってる
自分に問題があった場合でも相手は
こっちが黙ってると勝手に(思い込みから)
誤解してくれる
「査問」にあったよな。自分で炊事してて火傷したが
来訪者が川上の包帯グルグル巻姿をひとめ見たら
「党からの拷問で全身に負傷」と勝手に思い込む場面
川上は川上の父も欺いている
川上父は日共が人権侵害してると思い込んで
党に乗り込んで川上を救助している
他の川上に巻き込まれた奴は1週間以上も
延々査問されてるのに、川上本人は数日
「実は父さん、俺本当は分派してたんだ」とは
川上父には言わないで伏せていたんじゃないかな
本当は
「俺のために、まあ自業自得でもあるけれど
俺が巻き込んだ奴が俺ら数人を首謀者とした分派として
民青中央やその他の大衆団体で不満分子みたいな形で
ちょくちょく独自の学習会とかやってて、宮本路線の
「人民的議会主義」ってドイツの社民みたいに
真性のブルジョワ議会主義に、共産主義の背教者に
転落したんじゃないかと思ってね」「それが今回党にばれて
一網打尽にされたんだ。だから俺は首謀者として
他の加担者や加担さえしてないのに巻き添え喰ってる奴の
ためにもきちんと弁明して、事実を明らかにしなければならないんだ」
とは言ってないはずだ
これは結局
■油井さんは独自の立場から年齢問題改変に反対し、その言動から「こころ派」と疑われる
■党中央委員会は数百人を査問。油井さんも査問
■当時油井さんは病気入院中なのを「一時帰宅」しての査問
■民青中央幹部としては「1週間」などの長期の場合が多かったのだが
油井さんは病気も考慮され(体力続かないため(油井さん自身が
「自白」してしまい、本来経緯や問題解明のためには尽くすべき議論
を尽くさなかった事もあり、比較的早く「解放」される
■油井さんの配下の分派と疑われた民青中間機関役員数名も連座で処分
■油井さんは自白その他を根拠に民青卒業を前に処分。不名誉な脱退に
同時に党の処分。権利停止期間もついたが、その後復帰して1党員として
静岡で点在におかれたりしながらも活動続行
■川上らと「シンヒヨの会」として合流。機関から「いくな」といわれても参加。川上と意気投合
■川上が社主を務める「同時代社」にて本刊行
■川上が「査問」刊行
■川上「査問」に呼応して「汚名」刊行
■続けて「虚構」刊行
1972年段階で「こころ派」その他の川上周辺の分派にいなかったという点は本当だろうけれど
シンヒヨ摘発以降の川上の工作にまんまとのって、自ら前のめりに「シンヒヨ」に参加して
「査問」刊行時には一心同体。無数の会合を川上らと通じて、川上「査問」に呼応して
離党した上で「汚名」「虚構」と「査問」の援護射撃をしているわけで
油井の人生はやっぱり党員としては相応しくない。正しくないといわざるを得ない
まして今回の「総括」なんて全然総括になってない
幾ら「72年当時人民的議会主義に新鮮な響きを感じていた」にしてもだ
油井は「実相」以降に書くものとしては、川上との再開、川上とのシンヒヨ関連のつながり
そういう面を「実相」ではあえて伏せていた部分も洗いざらい書くべきだった
>>915 >それとも「査問」も川上と分担してマルクスとエンゲルスみたいに実は共著だったのか
吹いたw
まあ、川上と油井の場合、マルエンとはまったく異質な偽りの「同志的信頼」を紐帯とする呉越同船の関係だったわけだが(哀)
>>921 主観的意図がどうであれ、結局のところあなたの挙げたような、客観的結果に対する反省、自己批判が油井氏にはほとんどみられないのは問題ですね。
川上にいわば「盲従」して援護射撃したのにもかかわらず、「素描」以降はただただ自分を「日共に冤罪で切られ、川上にも騙された二重の被害者」と
しか描かない。「善意」だったにしろ、思い込みで党を攻撃していたのだから、「実相」「総括」でその辺についてきちんと、「総括」すべきだった。
油井の功績は
あの衝撃だった「査問」「汚名」「虚構」の連打で
すっかり定着してた「党の新日和見主義弾圧」が
マジで分派でふざけた奴らだと徹底的に「実相」で暴いた点
とにかく「素描」でた時点では誰も気づいてない(苦笑)
油井の「汚名」「虚構」に、さらに加藤哲郎の
「ハンセン病患者への虐待に比すべき日共の戦後最大の人権弾圧事件」
というレッテルが貼られた
油井は民青地方幹部らしい朴訥キャラをうまく演じた
加藤哲郎は川上の「市民的目線」を大いに補完した
油井は「自分は悪くない」と責任を逸らしながらも
川上の「査問」から「素描」への明らかな変更点の指摘はした
さて現役で華やかな大学教授職の肩書きを連ねている加藤センセは
今後どうされるのでしょうね?
査問
文庫か 36− 1
川上 徹
商品種別:書籍
定価:777円 (税込)
本体価格:740円
販売価格:777円 (税込)
ポイント:3%ポイント還元!(本体価格に対して)
販売状況 販売中止 ←
販売状況について
発行年月:2001年07月
発売元:筑摩書房
ISBN:9784480036568
どっかで入手して、前書き書いてる加藤先生に
サインしてもらわなくっちゃ♪
こりゃレアアイテムだね
>>926 まさにこのスレ開始直前の「2008/03/17(月) 13:56:46」に書き込み
『素描』が2007年『実相』も既に出ているのだが、読み込まれていずに
頭の中が完全に『査問』のノリのままだw
40年余り前、わが国に「革命」を訴える世代がいた。当時それは特別な人間でも
特別な考え方でもなかった。にもかかわらず、彼らは、あの時代を積極的に語ろうとはしない。
語られるのは中途半端な武勇伝だけであり、「そういう時代だった」「みんなそうだった」と
簡単に片付ける人もいる。そして、私たちの「隣人」としてごく普通の生活を送っている。
彼らの思想はいつから変わったのか。また変わらなかったのか。あるいは、その存在は
わが国にどのような功罪を与えたのか。そもそも当時、この国のキャンパスで何が
起きたのか。彼らが社会から引退してしまう前に、「総括」する。
本書に登場する主な証言者たち
重信房子/秋田明大/塩見孝也/表三郎/三田誠広/佐々淳行/西部邁/宮崎学/鈴木邦男/
鴻上尚史/立花隆/加藤登紀子/植垣康博/弘兼憲史/奥島孝康/浅羽通明/小浜逸郎/若松孝二……
表紙、解説 山本直樹
全共闘―各地の大学で1968年ごろに生まれた学生組織で、全学共闘会議の略。全国の主要大学の
大半にあたる約160校で結成された。新左翼政治党派(セクト)だけでなく、ノンセクト・ラジカルと
呼ばれた党派に属さない学生たちも参加し、バリケードストライキなどで学内課題やベトナム反戦
などの政治課題について訴えた。69年1月の東大・安田講堂攻防戦は全共闘運動の象徴的事件になった。
本書は2008年5月からの09年6月まで、産経新聞大阪朝刊、インターネットのMSN産経ニュースに
掲載された記事を大幅に加筆したものである。過去を振り返る上で最も重要な登場人物の年齢、
肩書はあえて取材当時のままとした。
出版社: 産経新聞出版 (2009/11/16)
ISBN-10: 4819110772
ISBN-13: 978-4819110778
発売日: 2009/11/16
総括せよ! さらば革命的世代 40年前、キャンパスで何があったか
産経新聞取材班 (著)
>>909 >■「シンヒヨの会」完全に崩壊
シンヒヨの会って完全に崩壊しちゃったんですか?『実相』見る限り確かに川上の『素描』で
かなりゴタゴタがあったというのは分るけど、川上派と油井を除いた一部でまだ存続しているかと思っていたんですけど
まあ、これ以上集まっても非建設的な気まずい空気が充満するだけかもしれませんが・・・
>>929 『総括』にあります
「こころ派」連中は今でも酒飲みに集うかも知れないが
どうなったか油井さんには知る由もなく
「シンヒヨのつどい」は消滅したとのことです
騙されてた連中が「こころ派被害者の会」みたいにして集ってないの?って疑問なのかな
それとも第二こころ派みたいな別組織が内部にあったっていうこと?
そもそも川上が吹いた笛に1998年時点で乗って踊った
人間が油井一人。裏で協力する奴も「シンヒヨ」「こころ派」
その他を巻き込んで沢山居ただろうが、その後『素描』が
でた2007年までに油井は2冊だしてるが、10年間沈黙してるわけで
自分の名前出すだけの根性ないし、路線と自らの潔白に
自信がないし、シンヒヨの会とかに顔出して酒飲むのがせいぜい
というのが実態だったんじゃないの?
特に『査問』読んでても、「自分は資金着服も罪名に挙げられた」
とか川上は書いているが、『素描』見たら本当に資金着服横領してるじゃん
その金で「こころ派」オルグに周ってるわけで
あの会計の女の子との会話のシーンとか、泣かせるポイントだったんだがw
結局民青本部の会計の真面目一徹の女の子も騙して川上は
金せしめてました、って図。ひどいよな
933 :
革命的名無しさん:2010/09/25(土) 18:16:02
普通の無実の党員同盟員
→無実だから落ち込む。→さっさと離党
→無実だから無実言い続ける。72年からずっと
→的はずれでも指摘されたことを反省する。以後活動続行
あきらかに「こころ派」だった奴
→覚えがあるから指摘され落ち込む→さっさと離党
→持論を堂々と言い争う。→居られなくなって離党
→党転覆が目標だから面従腹背で党内に残る
川上の軌跡
→党転覆が目標だから面従腹背で党内に残る
→広谷オヤジが公然と反党やって除名されると影で支える
→数年で広谷は死去
→同時代社を作る
→赤旗にも広告のせて左翼っぽい本だしながら党転覆をずっと狙う
→油井に声かけたら乗ってくる(しめた!)
→油井に本書かせ「作家デビュー」させる
→油井と構想をよく相談して『査問』だす
→油井に『汚名』『虚構』、加藤に緒言、新聞社界隈の仲間に書評かいてもらう
→10年経ったら飽きてきた。シンヒヨの会もうまくゆかない『素描』刊行
油井の場合
→的はずれでも査問も病気もあり査問早めに切り上げ
→「酷い目にあった」と思い込む
→川上らから声かけられると喜んで「シンヒヨの会」に参加
→父親のこととか川上の社から刊行。「作家」デビュー
→川上『査問』に呼応してあえて『汚名』書き上げ、離党して刊行
→『汚名』に飽き足らず党路線を「分析してみせた」『虚構』刊行
→「シンヒヨの会」が内輪もめ。川上『素描』刊行。苦悩する
→「俺は悪くないが川上が悪かった」『実相』刊行
→「俺は悪くないが、党のいい様は何だ」『総括』刊行
>>930>>931 とうも。単に実相で出てきた会のことです。
近所の図書館も仕入れる気配がないので、『総括』買おうか迷っているんですけど、あれは『実相』位の内容はありますか?
あと話変わりますけど
>第二こころ派みたいな別組織
これは私も少し気になってます。川上の『素描』でサラリと触れられてましたよねえ・・・。新婦人や国労まであったとか。。。
違う違う。第二云々は、別組織内の川上分子や組織の話じゃなくて、
シンヒヨ「分派」内に、こころ派(=川上組織)以外に別の人間による謀略組織でもあったのか?ってことを訊いたの。
で、そんなのが最近まで存続でもしてたのかってこと。
936 :
革命的名無しさん:2010/09/28(火) 14:26:09
飲み会や山登りなどは今でもあるよ。
共産党以外の地方議員の選挙もやってる。
937 :
革命的名無しさん:2010/09/28(火) 14:35:19
川上や「こころ分派」だけを見ていてもシンヒヨの全貌はわからない。
川上はまだ全ては語ってないよ。
「分派」なんて不穏分子が少人数集まっていろいろ謀議を重ねれば成立なんでしょ。
結成すること自体はたとえ民主集中制の共産党でもぜんぜん難しいことではない。
同時期に党の人民的議会主義の路線に反発する人間が、川上とまったく関係ない、川上も知らない
ところで作られた分派があったとしても全然不思議じゃない。分派はまだまだあったはずだ
こうなってみると、新日和見主義事件っていうのは、人民的議会主義体制の確立時に起きた最後の大掃除と見るのが妥当ですな。
>>935 川上が言ってた民青・全学連以外の分派は「川上組織」とは違うんじゃないか?
あの『素描』川上・大窪対談での川上は「こころ派」の一部ではないみたいな風に言ってたよ
>>936 >飲み会や山登り
それは分派活動とは違うんじゃ・・・
まあ分派の延長線上の付き合いなんだろうけど
>>939 ああ、なるほど
「なんかどうでもよくなってきた。それより昔話したい」
みたいな感じ?
分派が「でっち上げ」のままじゃ、確かに川上の輝かしい青春の思い出(笑)は語れない
ということは他のこころ派仲間からも何の了解も得てなかったのかな?
だとしたら油井でなくても脱力するほかないな┌┤´д`├┐
「党綱領に団結している気」があるのならば「シンヒヨ」がでっちあげ
ということを言い続けるのも一つの輝かしい功績だと思う
だがいかなる意味でも「査問」刊行以降の川上の態度はバレバレ
油井は2007年「素描」のゲラの段階で「衝撃が走った」とか言ってるが
「査問」を誤読していたのは「査問」の影の共同執筆者である油井唯一人で
日共攻撃に用いる気満々で読んでいた奴には川上の意図は十分通じてた
だから猛烈な日共攻撃のネタにされ、民青攻撃のネタにされ
その間油井も川上もほくそ笑んで党攻撃を見ていたわけだし
加藤センセは「ハンセン病患者への国の弾圧に比すべき党史上最悪の
人権弾圧事件」と(50年問題は捨象して)鉦や太鼓で大宣伝
さらに2010年の「総括」において、まだ民青攻撃のネタ提供を
続けているのが油井さんだ。70歳近い党籍も自ら捨てた人から
今更「さざなみ」のコメントを援用しながらの
「先輩からの指導」なんて若い子が可哀相だろw
加藤哲郎は戦争中のソ連での日共党員の被弾圧や弾圧への加担も調べ
新日和見主義にも造詣が深いのにどうして50年問題には黙ってるの?
本当は「市民の立場から」日本共産党や日本の革新運動を見る学者なら
もっと必死になって50年問題とその結果としての61年綱領は見ないといけない
はずなんだが。
>>942 哲朗クンの反日共的偏向には同意するが、
>新日和見主義にも造詣が深い
これには?
「ハンセン病患者への国の弾圧に比すべき党史上最悪の人権弾圧事件」
からは「造詣」や「良心」のカケラも感じられんがw
あ、もしかして皮肉?
『素描』の共著者である大窪氏が宮崎学と筆坂英世で共著を出したようですな
川上・宮崎・筆坂のトリオで反日共本出版も近いかなw
ただ、衒学趣味でプライドの高い川上が「共産党は無謬主義だ!絶対に自分が正しいと思っている!だから(あなたの考える共産党の過去にした)過ちを認めないのだ!」
等々の単純素朴な決め付けを連呼することしか脳のない筆ピーと同席するか微妙か
スレ違いだけどやっぱ高卒関西人だからしょうがないと思う
> 共著者である大窪氏
『突破者』の語り口だと宮崎サンは大窪サンのような人大嫌いだと
思うんだが、どうなんだろう? もうお友達も限られてきたから
生暖かく付き合っちゃうわけ?
> 筆坂氏
筆坂サンは何考えてるかよくわからない部分があるんだが
元党幹部という以外に存在意義はなにも感じない
第二の人生を「反省したセクハラ野郎」として生きていくべき
947 :
革命的名無しさん:2010/10/19(火) 14:27:34
a
948 :
革命的名無しさん:2010/10/20(水) 18:16:08
949 :
革命的名無しさん:2010/10/21(木) 06:32:35
現在の常任の質の低さがよくわかる。
950 :
革命的名無しさん:2010/10/22(金) 05:06:08
a
951 :
革命的名無しさん:2010/10/22(金) 13:36:29
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_____ おまえは」 ____
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952 :
革命的名無しさん:2010/10/23(土) 06:33:21
分派ということについての明文化された規定がなされない限り、中国の国家転覆罪と同じ。
シンヒヨは、共産党にデュープロセスが不在であった犠牲者。
> 中国の国家
それは入党申請をだして認めてもらってなるものですか?
党員の自由というのは党綱領を実現するために党規約を守ること
それは生まれたなりで国民である国家の枠組みとの違いです
そしてシンヒヨの核心に居た人物たちはこの党綱領を敢えてやぶった
口先だけは「我こそ61年綱領にたつ。宮本路線こそ修正主義」なんだが
「査問」でも嘘ついているし、その後の行動が全部反党活動だけで
国民に奉仕して社会の合法則的な進歩の促進者という役割は果たしてない
中国の現状と故意に混同させる議論は川上ら嘘つきジジイを
体を張って中国の自由のために戦ってるノーベル賞受賞者に似せて美化する
タチの悪いプロパガンダだし中国の反体制派に失礼
955 :
革命的名無しさん:2010/10/24(日) 07:38:05
分派についての明文化された規定がないのだろ?
だから「ふたり分派」などという発想が出てきたのだろ?
>ふたり分派
構成員がたとえたった2人でも、党の意思決定に影響を与える目的で、党の内部に作られた非公式のグループであれば理論上分派だと思う。
勿論、それに対してどのような処分を下すべきは分派の悪質性や被害の度合いで柔軟に判断されるべきだが
規定云々については過去の党大会・中央委員会決定について精通しているわけではないのでなんとも言えないけど、
たしか分派事件が起きるたびに、分派とは何かについては赤旗で説明されたと思う。
川上のデマゴギーブック第一弾・『査問』に対する批判記事でも「ここでいう分派とは、日本共産党の内部で、党の方針に反対したり、
自分たちの方針や考えを党に押しつけるなどのためにつくられる派閥的グループのことである。」ってあるし。
どちらにしろ君の言う「明文化された規定」云々が問題になるのは、一般常識に照らして分派がどうか微妙な事案でしょ
結局、川上組織の実態は「ふたり分派」どころの騒ぎではなかった
あれが分派じゃなかったら何が分派になるんだい?
> 分派についての明文化された規定がないのだろ?
罪刑法定主義ですか?
「法に規定がなければ合法。自由な個人は何をしてもよい」と。
「党内規律」と大げさに言うつもりはないけれど
ちょっと「同好の志の集団の中での個人のあり方」を
考えてみればいい
そもそも川上のやり方をトコトン抉り出して追及したのが
油井『実相』だったのじゃないか? 実相を読んで
油井に対して川上はひどい奴と思わなかったか?
最後に油井さえ斯様に裏切った。もとより他の党員をや。
シンヒヨの側の論理の根本は
「私たちは党を裏切ったわけではないのだが、党中央が
私たちの少数意見をスタ体質故潰しにかかり排除された
私たちシンヒヨは当時も今も日本共産党員として党綱領に
団結し、党規約への違反はなく、全党の皆さんと共にある
悪いのは宮本ら党中央」という党中央への団結の否定にあった
そしてそれがウソに基づいていたんだからその悪質さは明白だ
958 :
革命的名無しさん:2010/10/25(月) 14:36:55
つまり悪質かどうかはその時点の党中央によるわけだ。
俺は「党中央」じゃないけど川上らは有罪でいいと思う
まるで「党中央」が全党を代表してないかのように表現しようと
している奴がいるけど、荒唐無稽だし結党の自由に反する
党内問題に文句をつけるなら小沢証人喚問ぐらい実現させましょう
そっちは「党内」で済まされない社会に示しが付かない問題だからね
だが新日和見主義問題は厳然たる党内問題
960 :
革命的名無しさん:2010/10/28(木) 10:52:47
党の規約というのは、目指すべき社会を反映しないのか?
共産党内の話をしているのだが。
961 :
革命的名無しさん:2010/10/29(金) 04:30:14
無駄なスレ 生め 梅 うめ 埋め 宇目 ウメ 産め ume
962 :
革命的名無しさん:2010/10/29(金) 04:31:08
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963 :
革命的名無しさん:2010/10/29(金) 05:29:00
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964 :
革命的名無しさん:2010/10/29(金) 05:35:45
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965 :
革命的名無しさん:2010/10/29(金) 05:38:42
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1000までまだ遠いな、おいw
>>960 結局川上らは分派だったんだよ
未来の社会でも、その社会を破壊しようと言う悪意のヤカラまで
自由気ままにそいつの「自由」を許容することはない
ましてや「結社の自由」というのは通常の社会で言う自由の逆で
「その成員がルールを守る自由」が本質
その部分を履き違えなければ「分派の自由」はでてこない
968 :
革命的名無しさん:2010/10/30(土) 05:11:04
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969 :
革命的名無しさん:2010/10/30(土) 05:19:48
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970 :
革命的名無しさん:2010/10/30(土) 05:20:44
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971 :
革命的名無しさん:2010/10/30(土) 05:47:12
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972 :
革命的名無しさん:2010/10/30(土) 05:48:01
a
973 :
革命的名無しさん:2010/10/30(土) 06:00:13
a
974 :
革命的名無しさん:2010/10/30(土) 06:34:53
だから分派って何?
975 :
革命的名無しさん:2010/10/30(土) 12:07:54
川上のこころ分派なんて氷山の一角に過ぎない。
70年代初頭の、「ある傾向」まるごと摘発されたのがシンヒヨなのだ。
だから川上も油井も全貌などわからない。
どういうことをすれば分派活動かという規定すらなかったのだからな。
> どういう事をすれば分派かという規定すら
>>975 は規定を決める側の内部に居たわけでもないのに
どうしてそう断定的に決め付けることができるのかな?
2スクロールほど遡って↓の箇所をかみ締めて読んでみて
> 「党内規律」と大げさに言うつもりはないけれど
ちょっと「同好の志の集団の中での個人のあり方」を
考えてみればいい
自分でわざわざ川上自身が「素描」で確信犯的な分派であった事
その目的は党中央の大会で規定された人民的議会主義の破壊
その人民的議会主義路線の推進者であった宮本-不破体制の転覆
にあると明言しているじゃないか?
イッチョカミで無理言うたらあかんわw
>>975 だったらあれですよね、川上や油井とまったく無関係ないやつも本出せば?って思うんですよね
無関係なやつ、ですスイマセン
979 :
革命的名無しさん:2010/10/31(日) 03:01:58
日本経済をつぶした張本人 日本経済は1991年から衰退しつつあったが、小泉が総理になってから1年後の2001年から加速度的に
日本経済は衰退していった
丶丶丶丶丶丶温幽籬櫑櫑櫑櫑櫑幽厶雌櫑幽岱垉厶丶丶丶丶丶丶
丶丶丶当櫑欟欟櫑欟欟欟欟欟欟欟櫑欟櫑櫑翻麗謝叱丶丶丶丶丶
丶丶丶覇竃櫑櫑欟欟欟欟欟欟欟櫑欟櫑欟欟欟層櫑艶旨丶丶丶丶
丶丶丶層櫑欟欟欟欟欟欟欟欟欟嬲竃嬲竃竃欟櫑竃覇覇丶丶丶丶
丶丶丶灑嬲欟欟嬲嬲嬲嬲嬲鬻辧卻眉贈幗層欟欟櫑竃櫑廴丶丶丶
丶勹僧層櫑欟鬱綴綴局悦局局拇狐綴綴鋼幗幗竃欟竃櫑廬丶丶丶
丶湘嬲嬲櫑欟辧綴仰災欠災沼卻局綴綴掴綱幗櫑嬲幗櫑廳丶丶丶
丶勺覇欟櫑鬱即卻仰災災沿己卻凹句郊塀獅幗櫑櫑欟櫑勳丶丶丶
丶丶濁幗欟圓扼卻仰災災沱災可沼笳鏑櫑雌彌幗櫑欟櫑欟眦丶丶
丶丶層櫑櫑鬱狐猖旛幽迫己旧卻獅嬲嬲幗幗幗幗櫑欟櫑覇眇丶丶
丶丶櫑欟欟鬱掴嚴憫笥局仰可局綮当踏審綱燒幗層欟櫑欟廴丶丶
丶丶層覇櫑欟即尚旛籬籬枢叫猖鬱幣憫牒憫椹禰幗欟欟欟杉丶丶
丶丶層欟櫑欟抓儕凹沼珱卻旧塀簡紹笳綴僻綴掴幗欟欟鬱丶丶丶 コイツが全ての元凶www
丶丶丶層櫑欟仰卻旧突句己沒笵綴囹卻仰加仰塀禰層欟欟企丶丶
丶丶丶瀰欟欟仰旧句災沼卻卻卻獅雌扼卻卻狐綴綱層欟欟歡丶丶
丶丶丶湧欟欟紀凹句巡卻仰似局綴獅雌卻卻綴掴綱幗嬲覇黙丶丶
丶丶丶丶層眼眼句旧卻卻鍵輔禰層嬲幗囹卻綴掴囃幗櫑歉丶丶丶
丶丶丶丶勺龝圄句沒卻卻卻卻沺禰幗幗雌歳狐掴囃彌欟默丶丶丶
丶丶丶丶丶丶丶句沒卻笳僻把洞雄櫺櫑顧綴鋼囃讃幗嚶丶丶丶丶
丶丶丶丶丶丶丶勺句卻譲嬲霸嫻嬲幗難掴獅幗幗幗嬲艶二丶丶丶
丶丶丶丶丶丶丶丶句旧卻卻綴掴燒辧辧讃幗幗幗幗杉欟欟幽丶丶
丶丶丶丶丶丶丶丶丶刈皿狐卻仰瀉囃雌幗幗幗覇歉勺欟欟欟櫑幽
丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶勺牋綴燒雌幗幗幗幗幗鬱三儲欟欟欟櫑櫑
丶丶丶丶丶丶丶丶二旛櫑封贈簡幗難幗幗櫑鬱災三灑欟
980 :
革命的名無しさん:2010/10/31(日) 03:02:11
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981 :
革命的名無しさん:2010/10/31(日) 03:02:52
日本経済をつぶした張本人 日本経済は1991年から衰退しつつあったが、小泉が総理になってから1年後の2001年から加速度的に
日本経済は衰退していった
丶丶丶丶丶丶温幽籬櫑櫑櫑櫑櫑幽厶雌櫑幽岱垉厶丶丶丶丶丶丶
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982 :
革命的名無しさん:2010/10/31(日) 03:02:54
無駄なスレ 生め 梅 うめ 埋め 宇目 ウメ 産め ume
>>977 油井さんは何か隠しているかも知れません
例えば、次のような仮説
川上 油井と「分派はなかった」という設定で元は口裏合わせ
で、「査問」刊行。すでに「査問」刊行時には「汚名」「虚構」までの筋書きができていた
ところが、「実相」にあるようにシンヒヨ内で内訌
既に意欲を失っていた川上は大窪ら元学生戦線組に声をかけて
「60年代学生運動」の線で意気投合して「素描」出す
これに油井は激怒。口裏合わせとしては二人とも共闘して
「分派はなかった」としたのに、自分の知らぬ間に川上から
内実をバラされて、立場を失った油井は「実相」を刊行
つまり、シンヒヨの集いに来る程度の奴らの中では
自分が直接かかわっていたかどうかは別として
川上らの分派があったことは(薄々か、モロバレかの温度差は
あったにせよ)わかっていた。だが「市民的感情に訴える」
という方針の下、「分派はなかった」と、破綻のないように
川上も油井も統一的な見解を通す予定だった
そのアリバイが川上自身のバラシで崩壊
シンヒヨ仲間も、判っているから油井以外は「3の矢」を
撃つ者はでなかった
川上は川上であしびかやらさざなみやら、あっちもこっちも
必ず日共批判と対日共謀略には噛んでいて
未だに反党活動の結節点(の一つ)としてがんばっている
無論、加藤哲郎センセイも重要な結節点でいらっしゃるわけですがw
984 :
革命的名無しさん:2010/10/31(日) 19:55:01
哲郎の名前出すとまたスレ埋め立てが加速するよw
>>983 うーん、そこまでやったかねえ・・・
そうだとすると
『実相』の最初の方に出てくる川上との軋轢シーンはでっち上げっていうこと?
さすがに、それをやってら川上も黙ってないと思うけど。
まあ、確かに川上は嘘をついていたんだから、油井が何も隠していないという前提は捨てたほうがいいかもね
987 :
革命的名無しさん:2010/10/31(日) 22:27:49
>>983 だから言ってるだろう。油井の出版元はどういう出版社なのか、わかっているのかと。
>>986 > 軋轢シーン
内訌でモメているのは窺い知れるけれど
何をどうモメていたかまでは川上側の反論もないからわからない
「でっち上げ」というより、「部分的真実が反映している」のでは?
また、まさに川上が「素描」で暴露したあの箇所が油井の激怒した
ポイントなのだから。 ま、単なる私の妄想仮説なんですけれども
川上自身は「党のでっちあげなのでは?」と読者に思わせるように
「査問」は思わせぶりに書いているけれども、「完全に党は嘘つき」
まで言い切っているわけではないんだよね。だから「あれ、信じたの?」
みたいなとぼけ方もできるんだろう。油井は違う
「断じて分派はなかった」「あれはでっちあげ」「党の路線を検証する」と
やったのだから、肝心要の部分、「結節点」が「分派しました」と言えば
それが全部崩壊する
で、今になって油井は渋々、「民青の当時から今日までの路線と
その衰退を検証する」だとか、川上の路線に合わせて自分の当初の
スタンスを若干舵を切りなおししてる。反党で何らかの関係ある
「さざなみ通信」の長文を引用しながら川上への批判は欠落させて、
「自分の知り合いが巻き添え無実で処分」というお涙頂戴ポイントも
すっかり欠落させて。(あの”まきぞえ被処分者”でさえ川上側へも
油井側へもつかずに沈黙してるし、シンヒヨの集いにもきてないわけで)
油井は正真正銘の幹部学校講師クラスの民青幹部としての知識は
ある。だがそれは60年代から70年代前半で止まってるw
俺らは2chで連日連夜「縦読み」だとか自演だとか眺めてきたから
当時のトッポい「青年」じゃないw 民青がシンヒヨだけを主たる打撃
として減少し、活動力が落ちたという油井らの説も事実とは違うと
現に見てきてる。不破さんの「干渉と内通の記録」も参考になった