1 :
1 ◆y6SLqwSRMc :
04/05/21 12:01
2 :
1 ◆y6SLqwSRMc :04/05/21 12:04
次スレ立てました。 前スレ同様、マターリと時には熱く語りましょう。 荒氏は...じゃなくて荒らしはスルーでお願いします。 それでは名無しに戻りますので皆さんまたよろしくお願いします。
3 :
名無しさん@3周年 :04/05/21 15:05
了解しますた!!ありがd!
4 :
名無しさん@3周年 :04/05/21 16:35
4ゲットニダ ━━<ヽ`∀´>@∀@)`ハ´)´Д`>━━!!!!
4は韓国固有の領土ニダ!
/|__
>>2 チョパーリの身体能力ではそれが限界ニダ!!
/ ̄ | ヽ
>>3 謝罪と賠償を要求するニダ!!
___<<丶`∀´>
>>5 5ゲットした栄光ある
>>5 は在日ニダ!
=≡ / .__ ゛ \ .∩
>>6 中国様!?ごめんなさいニダ、アイゴー。
‐=≡ / / / ◎/\ \//
>>7 7はウリナラでは縁起が悪い数字ニダ!! ウリが貰ってやるニダ!!
‐=≡ ⊂_/ / / .\_/
>>8 チョパーリ女発見ニダ!!レイープするニダ!!
‐=≡ / /
>>9 には名誉国籍をくれてやるニダ!! 拒否は許されないニダ!!
‐=≡ | _|___
>>10 10ゲットはさせないニダ!! レーザポイントを食らうニダ!!
‐=≡ \__ \
‐=≡ / / /
``) ‐=≡ // /
`)⌒`) ‐=≡ / | /
;;;⌒`) ‐=≡ / /レ
;;⌒`)⌒`)‐=≡ (  ̄フ
あぼーん
6 :
名無しさん@3周年 :04/05/21 19:48
↑とりあえずこのコピペが貼られたところでスレ開始です
7 :
名無しさん@3周年 :04/05/22 00:56
ヘッドバッドあ○ださんの話題からでもいくか↓
8 :
名無しさん@3周年 :04/05/22 07:35
9 :
名無しさん@3周年 :04/05/22 20:34
ていうか、思い出を語ろうぜ。オレは、集会の都度権力側の過剰な検問やいやがらせ をいまだに思い出すよ。いつかこいつらに仕返ししてやるからなって、本気で思ったぜ。 まあ、若い隊員はともかく、中年の小太り指揮官はホント憎たらしいな。指揮官って なんで皆小太りなんだ。
10 :
名無しさん@3周年 :04/05/22 21:21
機動隊の検問には腹立ったことが何度もある。三里塚へ行く途中の検問は特に酷かった。 こずかれたり、罵詈雑言並べたれられ手が出そうになったことも度々・・・ やったらこっちの負けだからじっと我慢したものだが、屈辱だったな。 同じ年かちょい上くらいの若造は特に凶暴だった。まあ、連中も必死なのは 逆によくわかった。三里塚のあの時間と空間だけは、五分五分の世界だったし。 恐怖の現れだったかも知れないな。しかし、思い出すたびむかつく。
11 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 00:31
検問もムカついたけど、日常的な嫌がらせも目に余るものがあったよ。 アジトの前で露骨に車で監視。出かけようとするとわざと分るようにピッタリと車をつけてくる。 鬱陶しいから巻こうとして適当に住宅街をグルグル走り回ってやり過ごそうとすると 近所の派出所と連携してたんだろうな。制服警官に見つかり(ドンくさ)派出所まで任意同行。 反抗すると公妨で持ってかれるの分ってるからとりあえず派出所まで同行し 弁護士を呼ぶことを要求したら「釈放」されたが、派出所の中で同年代の制服警官に 浴びせられた屈辱的な言葉の数々をオレは忘れないよ。
12 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 00:36
>>11 世の中を暴力で変革しようとする精力を取り締まるのも警察の仕事。
13 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 00:42
>>9 >指揮官って なんで皆小太りなんだ。
そう言えばメットのあご紐がホッペに食い込んでる香具師多かったな。
対して左翼にデヴってあんまりいなかったな。
14 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 00:43
実家に行かれなかったか?きたねえ奴ら。 田舎の実家に行きやがって、まいった。 けど、うちは℃田舎だから、ばあちゃん、じいちゃん、しかおらず、 父ちゃん出稼ぎ、母ちゃんパートで、事情はわからんかったようだが・・・ ばあちゃん、そのボケ洪庵に地元の手打ち蕎麦やら新鮮野菜やら、 俺が「世話」になってる偉い人≠ゥと誤解して一杯ご馳走してやったとか。 洪庵も面食らったかもなw それにしてもそれ聞いた俺は脳みそ沸騰したよマジに!! そんな椰子らに田舎の純情が踏みにじられた気がした。許せなかった。
15 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 00:48
実家、高校同窓生、大学同クラス、、、、
16 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 00:51
親御さんに迷惑かけるようなことするからだよ。自業自得。
17 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 00:53
ソフトボールとかのレクリエーションって活動の息抜きみたいな意味あったんだろうけどさ。 ホラ、活動してると大学に友達とか出来ないからさw。 天気のいい日にみんなでバットとかグローブ持って電車に乗ってグラウンド行く時って ワクワクするくらい楽しかった。 用具を運ぶための袋は闘争の時のメット袋w 中学、高校とずーっと「変わったヤツ」と言われ続けてきたオレに仲間はとても優しくて みんなといるとそれだけでクスクス笑いたくなる感じがした。 なんでヤメちゃったんだろーなオレ。 多分今は楽しいことしか思い出さないからそんな風に思うんだろうな。
18 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 00:57
>>15 >実家、高校同窓生、大学同クラス、、、、
それにバイト先ね。ある意味ヤツ等のしつこさには頭が下がるね。
19 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 01:06
俺はばあちゃんの善意まで出汁にしやがった椰子らが今も許せん。 俺はそん時ばあちゃんに真実を説明したが、ばあちゃんは戦争経験者で 戦争は二度と御免だと言っていた。けどそれと洪庵との関係はいくら説明 してもぴんとこない様子だった。その婆ちゃんも今はいない。 そん時の洪庵よ、頼みもしないで勝手に行きやがってタダメシくいやがって 少なくともそん時のメシ代返せこの野郎、どうせ出張旅費・食事代請求してんだろうが!
20 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 01:14
でもまあ活動に消耗した時に「せめてあいつ等に一泡吹かせるまでは...」と もうひと頑張り出来たことは事実だったりするなぁ
21 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 01:15
>>17 ブントはえかったんだなぁ・・・
そんなんは一切なかったぞぉ〜!
夏の理論合宿の時、海水浴すんのが精一杯だった・・・
娯楽なんて考えも及ばなかった。80年代の体験ですけど。
22 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 01:32
>>21 いや戦旗だって年に1〜2回だったよ。ソフトボールとかするのは。
実は以前の中スレにあった「夏の広島の帰りに海水浴するのが楽しみだった..」という書き込みを
思い出しててこの話を書き込む気になったんだよ。
オレも夏に三里塚に詰めてる時に一日だけ現闘の人が海に連れてってくれたんだ。九十九里。
駐車場に車止めてさ。駐車場から砂地の道を昇って行って向こう側に海が見えた時
オレ嬉しくなって走って海に飛び込んだんだ。
世界革命だ蜂起・内戦だなんて言ってたってまだ18歳。子供だったんだなw
23 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 01:37
>>21 だって80年代の中って対Y戦の緊張感がまだあった時期でしょ?
21さんは85年10・20参加したの?
オレは三里塚での検問で、なんか別のことでその日は気分が悪かったのかも しれないが、「オマエなんか殺してやる!!」とかネチネチ機動隊員に言ったのを、言いすぎ だったかなと、思い出すとやや反省する気持ちになる。「死ね」じゃなくて「殺す」 だからなあ。まあ、言われた方はそれくらいなんとも思ってないかもしれぬが。 その成田の空港警備が、警視庁の機動隊よりも、というか全国一凶暴と当時聞いて いた。空警のやつらは向こうから手を出してきた。で、仲間内でのイジメもあるみたいで、 デモ中に明らかにイジメられてる隊員がいて、他人事ながらそいつのことは気の毒に思った(笑)
25 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 06:49
20年以上前、某集会に無地の黒ヘルもっていったら、検問にあった。中見せたら、警官が言った。「何だ黒ヘルか」 といわれてしまった。
26 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 07:52
>>23 その通りです。Yは東北、京都、富山などに襲撃かけてましたから。
それがあったがために、アジトの防衛は必死だったなぁ・・・・
権力だけでなくYのことも意識して。貧乏なのにとにかく「経費」がかかり泣く思いでした。
10・20もやりました。仲間は多くがパクられましたけど、私は幸か不幸か免れました。
長時間にわたる肉弾戦、もう何がなにやら分からぬままに時間が過ぎていった。
RAとか言ってマジに組織をかけた戦闘でした。だから浅草橋もそうだけど、その後の組織的な
弱化は痛かった・・・ 「党としての戦い」、引くに引けぬ戦いだったから。
そこからよくぞ立ち直ったと思う。学生戦線は特にダメージが酷かった。
27 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 09:27
>>22 夏に山でキャンプ合宿したけど、すごく楽しかったこと覚えてる。
>>25 検問で新聞紙に巻いた伸縮旗竿(アルミ製)を見つけられ、鉄パイプだ!!
って大騒ぎされた。楯を持ったやつらが、オレの周りにどっと集まってきた。
旗竿とわかって、なんとも照れくさそうな、珍妙な顔してまたさーっと
散らばっていったのには、皆で大笑い。あの間抜け警官の顔を今でも思い出す。
28 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 12:39
>>26 スレ違いだからあんまり引っ張るのも何だけど..
10.20は写真なんか見るとスゴイですよね。
オレこういう集団戦って経験無いんだけど、指揮系統を維持するのは大変そうだ..。
前進見る限りじゃ局地的にはマルキに勝ってる場面もあったようだし。
でもあの頃から天皇決戦の頃の中核ってもうなんだかヤケになったような闘いぶりでしたね。
29 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 12:46
>>27 >夏に山でキャンプ合宿したけど、すごく楽しかったこと覚えてる。
那須だったかどこだったかその辺りに行った記憶があるなぁ。うーん。どこだっけ?
地区の仲間も好きだったけど、こういう合宿とか闘争で他地区の学生なんかと会うのも
また楽しみのひとつだった。三里塚で文字通り「同じ釜の飯を食った」仲間との再会は特に。
逆にアレ?あいつ見ないな?とか思ってるとコケた噂を聞いたりしてショックを受けた。
まあオレも言われたんだろうけどw
30 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 19:49
コケた原因は何が一番多いんだろう。 結局は自分の弱さなんだろうけど、、それは置いといて、 彼女とか親とか、実は表面的にはそういうのが多いんだろうか・・・
31 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 19:57
コケた原因ね..。 まあ消耗したわけだけど、考えてみれば一番色々なことに目移りする年代だからねえ。 活動から召還した罪悪感はあっても、今となっては一応普通の若者らしい経験もしておいてよかったとは思ってる。
32 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 19:59
このスレ本当に昼間は伸びないね。 我が同志たちは昼は仕事に家族サービスにと相変わらずマジメに自分の世界と向き合ってるんだな。
33 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 20:43
昔から活動家って夜型だよね。でもオレ、築地の市場でバイトしてたころは朝型だったし、 今は田舎で暮らしてるから23時には寝てる。だからこの深夜のレスは翌日見てる。 かつての援農の時は疲れてもっと早くねたぞー。
34 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 21:06
35 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 01:18
>>33 確かに左翼って夜型ってイメージあるなあ。
労働者のメンバーが仕事が終わってからアジトに集まってきて飯作ってみんなで食って
会議やってその後飲みに行って...なんてことやってたらもう1時..なんてザラだったな。
オレは学生だったから翌日昼まで寝てるとか平気だったけど、あの頃の労共闘のメンバーには
敬意を表さざるを得ないな。
36 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 12:34
仕事の帰り、その会社の同僚と酒を飲み、酔ってしまって電車の中にカバンを 忘れたやつがいた。カバンには組織の文書類が入っていたけど、結局みつからなかった。 まあビラの類で重要文書でなかったらしいが、問題になり、そいつは自己批判して、断酒宣言。 以後ホントに一滴も飲まなかった。いまでも断酒してるんかなあ。
37 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 14:15
>>36 なんとマジメな...。
忘れたのがビラの類だったらオレだったら黙ってるなw
38 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 15:20
ヘマやって、まいいか黙っとこ、ていうのオレもけっこうあったな。
39 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 15:58
確信犯的にやったヘマならあるけど確実に人物特定されるので書けませぬw
40 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 20:12
ヘマというわけじゃないが、情宣ビラにけっこう誤字・脱字があって、それを 見つけて指摘するのが楽しみだったけど。今思えば、いやらしかったかなあ。
41 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 20:20
アジなんかは自分で段々何言ってんのか分らなくなる時よくあったよ。 まあ前段集会の時なんかは取り合えず何か言ってればOKみたいな感じがあったので 言う事に困ってきたら「大木よね精神をもってぇ」とか慣用句を織り交ぜれば 「ヨーーッシ!」と盛り上がった記憶があるよw 最初はスッゲー緊張したけど慣れてくると「どうせみんなそんなに真剣には聞いてないだろう」と 思いながらやっていた感はあったw
42 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 20:23
情宣ってブントの言い方なのかな?中核なんかは街宣って言うみたいだけど。
43 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 21:02
は首都圏は「街宣」、うちらの地方では「情宣」といってたよ。 アジは獄中16年、完黙非転向で生還した鎌田委員長のが凄かったよ。 俺も見習ってとは思ったが無理だった・・・・鬼気迫る腹のそこから搾り出すようなアジ。 小さいからだのどこからあんな声がでるのかと思ったものだ。 戦旗ではだれがアジテーションの名手だったのでしょうか?有名人いますか?
44 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 21:34
>>43 戦旗では・・・ 思い浮かばない・・・
は法政の堀内委員長なんかもうまかったな。いつも赤いネクタイして。
45 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 21:42
おぉおぉお、堀内委員長ご存知ですか、、感慨深い。 70年代中盤〜末まで、対Y戦が激烈だった頃のお方。 末ごろに鎌田氏は情宣部長だった。彼のアジの師匠は多分、堀内委員長。 体でかくて度迫力でしたね。 ブントはあまり知らんが、アオ反帝学評も凄いのいた記憶が・・・名前は忘れたけど。
46 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 22:17
北条委員長ですかね
47 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 22:19
のアジはやっぱり北小路さんがうまいよ。 石橋内田問題がおこった時の第一公園でのアジとかね。
48 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 22:23
それは「年輪」というもの。 ブント出身の北氏は筋金入りのアジテーター。 ブント府学連委員長だったんでしょ。 本当はその筋がブントを指導してくれてたらきっと・・・(ry
49 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 23:37
言われてみれば荒氏のアジってほとんど印象に残ってないな
50 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 23:40
挫折したとはいえ三派全学連初代斉藤委員長はどうよ。 あと加藤登紀子さんのだんなさんとか。ちと世代は違いすぎるか・・ 80年代は浮かばんもので。スタープレーヤー不在だったな。粗本尊信仰だったかも。
51 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 23:47
>>50 粗本尊信仰が顕著になるのは90年代に入ってからと思われ
52 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 00:01
粗さんはアジはうまくなかったが、合宿最後の総括集会ではしめの挨拶をしてた。 これを聞くと闘うぞという気にはなった。 今でも思い出すのが、「我々の闘いは世界史に鍬を入れる闘いである」というフレーズは今でも忘れない。
53 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 01:18
粗さんのアジは所謂「火の出るような」アジではなかったね
54 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 02:23
>>48 北小路さんとか安保ブントの人たちに指導してほしければ中核派に
結集すればいいじゃん。
55 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 09:05
やっぱり俺は中では無くて、ブントで良かったと思っている。 80年代はこういっちゃー悪いが、中はやっぱ対○戦では多くの殲滅戦を行ってるし。 ある新年、革命軍アピールでは「○を殺すことが革命軍の使命」みたいな内容で全て回収になった話も聞いてたし。 俺的には殺し合いを革命に位置づけることは絶対におかしいと思ってた。 このスレがやはり明るいのはそういった世界とは無縁な地平で組織建設を行った結果と考えてる。
56 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 09:17
そうだな。中核の人らはよくやっていけたと思う。 誰しも人情沙汰は嫌にきまってる。けど一方で革命を突き詰めれば無血革命なんて 歴史上稀だし、本当に革命、内乱なったら血を見るだろうなとは薄々思った。 権力の部隊や右翼、民間反革命などとの。本音ではもうその時点で逃げ腰だったかもな。 明るく楽しい革命なんて本来ないと思った。かといって議会主義も幻想でしかないし。 革命を名乗る以上はやがて来る殲滅戦の問題から逃げられなかった。 そこが弱味でもあったかも。けど今となってはそこまで手を染めなくてよかったと思う。
80年代後半の反天皇制闘争(天皇在位60年〜天皇代替わり)の頃の戦旗だった人も語れ。 反天連呼びかけの実行委員会での闘いや、皇居前で糞尿撒いたこととか。
58 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 10:51
そうね。80年代の中はまだ対マル戦を声高に叫んでいたし実際死者も出してるしね。 戦旗がもし西田と殺し合いなんかしてたら絶対結集してないな。 インターへのテロも本当に失望したし怒りを禁じえなかったよ。ここに出入りしてくれてる 元中の人には悪いけど。
59 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 11:27
まあその結果戦旗がマルクス主義を放棄してアラカルトになっちゃったんだから いいじゃん。
60 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 12:00
第三者からみて言わしてもらうけど、もし中や青が対マル戦してなかったら 今ごろ多分マルの天下だったろう。80年代だって他勢力は自由に活動できなかったかも。 党是として諸雑派解体路線だったし。ゲバ反対の奇麗事一般論では語れないかと・・・
61 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 12:11
>>60 あほか。それこそ軍事主義であり、革マル思想だ。大衆不信だ。
ゲバがなければ、左翼に大衆が多く結集していただろう。革マルの敵対なんて大衆の力ではねのけられる。
革マルは小セクトに凋落していただろう。
62 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 12:18
というか戦旗は70年代は関西ブントとかのゲバにあけくれてましたが何か? 社会評論社の内ゲバ本に生田あいがいろいろ書いているよ。 一時期は対権力闘争より対他派のゲバに主力をおいていたところなんかが マルに似ているとかいわれるゆえんかな。
63 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 12:31
>>61 川口大三郎君の件で早稲田で大衆的にマルをおいつめたけど、テロに
やられました。
64 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 12:45
中核や解放がゲバらなからと言って革マルの天下が来るほど革マル自体に求心力があるとは思えない。
65 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 12:56
>>62 パラチェン後の90年代のことをもってして戦旗を批判されても答えようがないのと同様
70年代の前半〜中盤のことを言われてもなあ..
その辺りの意味もあって”80年代スレ”なんだと思うんだけど。
66 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 13:10
>>65 都合の悪い過去と現在は語らないでね ってことね。スマソ
67 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 13:17
>>64 ゲバもやっていなかったのに革マル派よりはるかに規模が小さかった
戦旗には求心力あったのか?
68 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 13:33
戦旗は80年代は西田を三里塚でどつくゲバにあけくれましたが何か?
69 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 13:34
>>66 いやそういうことではないんだけど....
80年代には戦旗には若い学生がたくさん結集していて、
「正直昔のことを言われても知らない」っていうメンバーの方が多かったでしょう。
二次ブント系のセクトに属していた人ではかつての戦旗のゲバに恨みを持っている人も
多いのかもしれませんが、少なくとも80年代は戦旗は「内ゲバ反対」であり
党派闘争は「どちらがより権力と闘うのか?」を大衆に示していくことで行うべきという主張で
私も含めて当時のメンバーは戦旗のそういう主張にも魅力を感じていたと思います。
80年代になっても「他党派解体」を党是にしていたのなら「カクマル的」という批判も甘んじて受けますが。
ただ80年代に他のブント系の党派と直接ゲバが無かった(除く西田戦旗)のは、過去の反省というよりも
他党派との組織的力量の差が顕著になることによりその必要が無くなったという側面もあるかもしれないですし
その辺りが余計に恨みを買ったのかな?などと当時のブント系他党派とのイデ闘を思い出すと思ったりもします。
いずれにしましても気分を害されたのなら謝ります。
70 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 13:58
戦旗は90年代はロフトプラスワンで佐藤なにがしをどついていましたが何か?
71 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 14:08
>>70 佐藤某はファシストだから内ゲバではない。
72 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 14:21
>>63 あと一歩の盛り上がりが必要だった。
早稲田以外でも盛り上がれば、全国動員によるテロ支配は不可能になっていた。
73 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 14:47
>>70 内ゲバとはかいてないじゃん。
どついていたって書いてあるよ。
74 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 15:35
>>他党派との組織的力量の差が顕著になることによりその必要が無くなった だからチュンにテロ恫喝されたらすぐあやまっちゃったんだね。
75 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 18:04
>>64 認識が甘いと思う。クロ教の洗脳は骨の隋まで侵食します。自ら退出することなど無し。
76 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 18:56
20年近く前話したことのある早稲田の革マルは本当に尊大だった。 でも当時早稲田の二文だけで二桁くらいの人がいた。侮れん。
77 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 18:57
80年代の戦旗の香具師ら大衆運動の場面でマルとぶつかったことある経験 なんてほとんどないんじゃないかな? マルの陰湿な他党派解体運動と直面したことないから「内ゲバ反対」とか 簡単に言うことできるんだろ。
78 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 19:24
>>77 うん確かに。
リアル革マルなんて見たことなかったな。
79 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 19:34
内ゲバ問題はやはり深刻な問題だね。 俺は活動してたことは親は知ってたが、内ゲバが現実的に行われている組織だったら 説得できなかったな。 確かに○の組織力・諜報活動では抜きん出たものがあった。社学同早稲田学籍者は○に突き止められ 恫喝されてたからな。 だから当時の千機が掲げた「革命運動のスターリン主義的歪曲を克服せよ」のスローガンは多くの若者をひきつけたのではないか? アダチに対してどうか?と言うことにはスマソということもあったが陰惨なテロの応酬ではなかったし。
80 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 19:38
続けて言うなら、 人々が新左翼とは語るときに出てくる言葉は何か? 人殺し、暴力、暗い、怖いぐらいがTOPに出てくるか、もしくは 最初に知らないぐらいではないのか。
81 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 19:40
82 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 19:43
>>79 ぼくは横国だったので革マルはそんなに恐くなかったが、早稲田なら恐かっただろうな。
83 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 19:45
でも早稲田ってそれなりにメンバーいたよな?
それよりも
>>82 さん横国もそれなりに大変だったんじゃぁ...??
84 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 19:46
86 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 19:54
>>83 早稲田の戦旗ってどういう経路で戦旗に入ったの?
やっぱ学外の運動?
早稲田の学生はわりと学外の運動では見かけるが、学内ではマルの恫喝のゆえに運動しない。
87 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 19:58
80年代前半。早稲田ではレーガン来日反対を掲げる革マル派と賛成・歓迎を公然と掲げた原理が衝突。 反原理集会が学内で開催されていたけど、集会は革マル一色だった。共闘(?)していたのは「嫌いだ!原理友の会」(嫌原) という純然たるノンセクトくらいだったなあ。 あの中を他の新左翼党派が公然登場するのはとても無理だろうな...と思わせる雰囲気があった。
88 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 20:00
>>86 >早稲田の戦旗ってどういう経路で戦旗に入ったの?
駅の情宣とかで一本釣りされたってのがほとんどじゃないのか?
89 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 20:02
言われつくしていることだけど核〇は、組織温存・拡大第一主義でそのためには どんな卑劣で矮小なマヌーバも苦もなく駆使する。「謀略論」は自己都合、 合理化の最たるものでしょう。で、ある時期から権力と闘うことによる組織への ダメージの損得から、ポーズ以外は「闘争」をしなくなる。その一方で「他党派解体」 のためのテロ、索敵、嫌がらせは度を越して凄まじくなった。それも他党派の伸長は 自派の組織拡大にはマイナスとの利害からくるもの。他党派への暴力は権力に対する のとは違い弾圧とかは無いわけだろうし、また、元々の尊大さ≠艪ヲになおさらに のめり込むことになる。とりわけ中核の学生戦線は70年安保沖縄で体力がなくなった ところを狙われ全国の大学、自治会から追われることになる。当事は相当の勢力だった 解放もしかり。そして両派は党首までやられてしまった訳だ。その立場からみれば 核〇は権力と一体に見えても致し方ないことだろう。ブント諸派も例外ではなかったろう。 西田、関西ブント、・・・・。弱体化したとはいえ、今も本質は変わっていないと思う。 よって侮ってはいけないと思うよ。
90 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 20:08
俺は「世界を揺るがした10日間」を読んですごく感動したのを覚えてる。 今では明確に思い出せないが、新しい世界をつくろうとした熱気は伝わってきた。 価値観の創造過程では様々な問題ー内ゲバも含めーが生み出されたが、根本は人々の社会変革の 思いだと思う。権力を打倒し新たな世界をつくるという思いは、全てを動かしたわけだし。 たとえマルがどういう存在であれ、主軸にはなりえないと思う。
91 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 20:10
ところで、ぼくは横国の近くに住んでいたのだが、アパートの近くで革マルが集団下校してくるのをよく見かけた。 おそらく近くにアジトがあったのだろう。 それを監視していたのかどうかわからないが、怪しい車がぼくのアパートの前によく止まっていた。うざかった。 まさかノンセクト個人のために毎晩車を止めて監視するとは思えなかったので、近くにあるらしい革マルアジトを監視しているのだろうと思ったが。
92 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 20:13
荒って子どもいるのか?
93 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 20:14
>>85 トマホーク阻止闘争で横須賀現地闘争ではよく横国のノンセクトが 集会を牽引してたような記憶がある。(ウラ覚え)
94 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 20:18
>>92 いるはずだよ。もうけっこうデカいんじゃないか?
95 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 20:18
横国のノンセクって雪谷のソウ翠寮ではない? 白が黒被っていたかもね、その頃は
96 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 20:19
>>93 .>トマホーク阻止闘争で横須賀現地闘争
おーそれ行った記憶があるなあ。
そうすっと82さんとは共闘してた可能性があるわけだ。
97 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 20:24
ありそうだね。 当時は、学生運動は日大銀ヘルを中心に反憲学連との闘いで 全国学生共同闘争も組まれておりそこには青・インター等様々な党派 ノンセクトが集結してたような記憶がある。
98 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 20:24
>>94 荒の子どもはなにしてるの?
荒がいまいっしょにいる女は何歳くらい?
99 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 20:27
なんか○批判スレになってきたなあ。みなさんの○に対しての気持ちはわかるけど。 西田とは三里塚で罵倒しあったことあったな。
100 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 20:42
101 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 20:43
>>98 なんでそこまで聞くの?
そんなことどうでもいいじゃん。
102 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 20:54
>>101 荒の子どもはメンバーでないなら、どうでもいいが。
103 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 21:03
>>102 ないない。
それどころか憎んでいるのかも知れんな。
破天荒伝にそのくだりは出てくるが。
104 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 21:11
成田用水の話しはぜんぜん出てこんな。あの頃のメンバーはここに常駐してないのか。 少しは聞かせてくれや。
105 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 21:20
106 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 23:48
>>104 そういう104さんは用水闘争参加されてたのですか?
107 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 00:09
菱田暗渠作業はつらかったな。石井新二にどやされながら働いたよ。
108 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 00:25
いひひひ。 確かに辛かったな。 成田用水に対して対案として出された自主整備にかり出された支援は、冬の寒い時期 泥まみれになりながら田んぼを掘ってたな。 シンジは確かにセイコウの中では唯一作業をしてたんじゃーなかったかな?
109 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 00:37
用水闘争の過程で何か貯水のためのプール?のような物を造る現場を手伝った記憶があるなあ。 あれは成田用水の対案として同盟が作っていたわけなのか? あれで鉄筋を針金で縛っていく技術を習得した。 脇で見ていた機動隊員が「ほお、すんげえ技術だな」とかからかいに来た。 「うるさいあっち行け」とか言いながら自分が作ってるものが何だか正確には知らなかったw
110 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 02:45
80年代の戦旗の連中は対カクマル戦の内実よくわからんまま「内ゲバ」反対とか いっていたんじゃねえか。 80年代といえばチュンが対カクマル戦で軍事的には優位にたっていたからマルの 他党派解体白色テロにさらされなかっただけだろ。 結局70年闘争の破壊者としてカクマルが登場して以後、それをどう打ち破るか を正面からみすえない限り大衆運動できなかったというのが実情だろう。 情勢と関係ないところで「内ゲバ」反対いっているのは楽しいかもしれない けどね。
111 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 07:54
>>110 だからそこは(=内ゲバの問題は)そこに所属した人間の様々な思いがあるわけだから
実際殺す殺される闘争に入っていなかった千機は、「楽」という言い方ができるかもしれない。
しかし革命の大儀ってマルの白色テロに対して赤色テロなのか。
80年代東工大の5人殺害も含め、やはりどう意味づけしようとも多くの人々に新左翼に対する恐怖
と支持の喪失しか生み出してなかったのではないか。
またその手段(=殺す)と言う手段をとってきた青も
90年以降、組織内闘争においてもその手段を行使し勢力を縮小させたのではないか。
新左翼の闘争は3・26闘争のような権力との真っ向勝負と思う。
こう書くと○は闘争で弱った背後から襲撃を繰り返すと、言われそうだが。
そこは違うと思っていたから俺はブントでよかったとコケた今でも思っている。
112 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 08:26
当たり前のことを当たり前のように言っているようにしか聞こえない。 というのも、本来誰しも好んでゲバなどしないだろう。反権力、反帝大衆闘争を 軸に奥に決まっている。事実、みなそうだった。それを背後からやられる。 様々な手口で。その時どうすればいいかという現実的、具体的な問題。その立場に 断ち切らないとゲバ一般の話で終わる。平行線にしかならない。 相手は自分を党是のもと「解体・撃滅」しようといしているとき「ゲバ反対」言っても 極めて無力だろう。事実そうだった。大衆的に追い詰める。これは言葉の響きはいいし受けもいい。 けど、それが真に運動や組織、参加する大衆を守ることなのだろうか。はなはだ疑問に思う。
113 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 08:36
解放や中核がやらなかったらその魔手は疑いなく戦旗にもいっていたろう。 その時にはじめて生き死にの問題として革命的暴力の問題が己に突きつけられる。 勿論、簡単に結論付けられるテーマではないが、選択肢はいくつもない。その時、 革命派として重大な決断を迫られる。そういうぎりぎりの切迫した時間と空間を 80年代ブントの皆さんは経験してこなかった。幸か不幸か・・・
114 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 08:41
多分この部分は平行線をたどる一方と思われる。 そこがいいにせよ、悪いにせよお互いの党派性だったから。
115 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 20:25
成田用水がでたな。よし次は、レーガン、全斗煥だ。語ってくれ。
116 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 20:43
レーガン来日阻止では、機動隊に突っ込んでいったが、先頭はもちろん逮捕覚悟の隊列。 オレは後方隊列だったけど、でも正直びびったなあ。あの異様な興奮というか熱気は忘れられん。 総括集会では涙がでた。
117 :
阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 20:51
内ゲバ問題で いつも思う。いな、政治全般で。 「逃げることは、そんなに悪いことか?」と。 俺は、身近の主義者には「嫌になったら、いつでもこいや」と声を掛けて いる。逃げさせるために・・・。
118 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 21:06
119 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 21:17
>>117 状況にもよるだろう。あんたが、かの低劣きわまりないストーカーを相手にせ
ず、「逃げた」ことと、「他党派解体のための暴力」を公然と掲げて白色テロ
で襲い掛かってくる「左翼」の形態をとったカルト的・ファシスト的集団から
「逃げる」こととは、全然意味が違う。
それでも「逃げる」とする人間を、私は批判はしない。「去る者は追わず」と
いうことだ。だが、逃げずに戦った人達に対して浴びせられる不当な罵倒、と
りわけ、小西誠のように、そうすることの必要性をじゅうぶんに知りうる立場
にありながら、今になってきれい事を言っている者には、強い批判の思いを感
じずにはいられない。「小西=反革命」規定は大きな間違いだと思うし、「批
判」と「全否定」を安易に同一視するべきじゃないと思うが、彼のきれい事だ
けは俺は批判せずにいられない。それだけだよ。
に熟知しながら、今になって
120 :
&rlo;∪・ω・( &lro;弱い犬 ◆JrNMd471Nk :04/05/26 21:24
逃げないにしても、闘う方法の問題じゃないのですか?
121 :
阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 21:30
>>119 なるほど。深いなぁ。今から風呂に入るから、それ以後に返答します。
あぼーん
123 :
&rlo;∪・ω・( &lro;弱い犬 ◆JrNMd471Nk :04/05/26 22:06
120は、小西さんの正論が逃げではないとおもう、という意味での発言。 また、分子センセの仰る逃げと、119氏の仰る逃げでは、 意味が微妙に違う気がするでやんす。 木乃伊取りが木乃伊と言うか、 大元が善意である事は疑いませんが、 結局 変質した党派性によって個人が疎外されてるわけで。 懐疑の精神を失いたくないわけですが、 ホントに まもらにゃならんものってのが何なのかって懐疑を保持すりゃ、 分子センセのいう逃げ=党派から距離を置く事こそ、 119氏の言う逃げの意味では 実は 逃げない事なのかも知れんですよ? とか思いました。 ははは(勘違いかも知れませんが・汗
124 :
阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 22:22
ふう、エエ風呂やった。色々味わいながらの入浴。 > 状況にもよるだろう。あんたが、かの低劣きわまりないストーカーを相手にせ > ず、「逃げた」ことと、「他党派解体のための暴力」を公然と掲げて白色テロ > で襲い掛かってくる「左翼」の形態をとったカルト的・ファシスト的集団から > 「逃げる」こととは、全然意味が違う。 ■阪僑文士 writes: 無視すればそれで事足りる俺と、逃げられるとは限らない党派の方々は自ずと違い ますね。また、逃げることで、殺されるかも知れない仲間がいる、ということも。 苦しく、つらい選択であったろうと思います。
125 :
阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 22:23
> それでも「逃げる」とする人間を、私は批判はしない。「去る者は追わず」と > いうことだ。 ■阪僑文士 writes: 伝え聞いたところによると、中核派の方々の圧倒的多数は、内ゲバで「逃げた」と 聞いております。逆に言えば、中核派から多数が離脱できたというのは、当時の中 核派には人間的な柔らかさが残っていた、ということかと。なお、小生が知る中核 派というものは、熊野寮を実質暴力支配していた連中です。哀しいのは、個々人は 魅力溢れる「平和愛好家」が多かったにもかかわらず、です。日本人としては、皇 軍兵士の歴史でしょうか。息子に滅多に手を上げない日本人@レーニンが、冷酷無 残な三光作戦を行なう皇軍兵士になる、という。内ゲバ闘争の負の遺産かと今にな れば思います。「怪物と対決するものは、自らも怪物となることを知れ」と。
126 :
阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 22:23
>だが、逃げずに戦った人達に対して浴びせられる不当な罵倒、 ■阪僑文士 writes: これは、外部の人間としては、よくわからないところがあります。以下に小西さん のことが書いてありますから、具体例として、小西さんの文章に即して記してもら えれば、幸いです。 >とりわけ、小西誠のように、そうすることの必要性をじゅうぶんに知りうる立場 >にありながら、今になってきれい事を言っている者には、強い批判の思いを感じ >ずにはいられない。 ■阪僑文士 writes: 「検証 内ゲバ」の生田さんの文章にも感じましたが、当時真面目にやった人ほど、 当時の判断がギリギリであったが故に、自己正当化のバイアスがかかるんでしょう ね。それは、心理学的のみならず、論理的にも仕方のないことです。そのことでも って、奇麗事云々という批判を言っては、問題の理解に繋がらないと思います。お そらく、そういうことではないと思いますけど。 さて、本論です。あなたの書き込みでクリティークしなければならないことがあり ます。それは、「そうすることの必要性」ですが、それは非常に狭い範囲からの発 想ではないか、という疑念です。
127 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 22:24
124がいいこと逝った!!
128 :
阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 22:24
これは、80年代までの左翼党派人のメンタリティー批判にも繋がります。左翼党 派は、大衆のため、大衆とともに、と良く口に出します。しかし、その一方で自ら を前衛と位置づけ、大衆と自らを区別します。 「俺が逃げれば、仲間がやられる、運動が潰される」、この脅威は俺には計り知れ ないものがあったと思います。だが、運動を担うのは党派ではなく、大衆です。大 衆の利益から出発しなくてはならないと思います。それも、自分の運動圏内、ご近 所の大衆ではなく、全世界の大衆の。イニシエーターとして党派があり、運動の中 核に党派があること、これはいいと思います。だが、それもこれも大衆あっての物 種です。逃げずに相手を殲滅すれば、大衆はビビって逃げます。それは、間接的に 運動全般から大衆を離反させる行為ではないでしょうか。結局、党派というものは、 大衆とともにと言いながら、自らを英雄的に描いているのです。そこに、胡散臭さ を俺は感じます。党や運動が一旦漬いてても、意志のある者がいれば、復活できる じゃないですか。毛沢東が各地を放棄しても、結局中国全土を革命したように。 それが、日本ではそう出来なかった。・・・・(宿題)
129 :
阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 22:24
また、小西さんは昔の自らの主体的立場を相対化して、検証を始めています。これ には人間的な批判「お前の立場は云々」があり得ますね。だが、ご本尊=マルクス も他人の小ブルジョア的根性をコキ下ろしていましたが、自らの出自と生活も、小 ブルジョアそのものでした。バクーニンが強烈に皮肉ったところです。だが、だか らと言ってマルクスの思想の価値が減ることはありますまい。物事を検証するには、 ある種の厚顔無恥とも思える所業が必要なのではないか、と思います。
130 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 22:36
怪物と対決するために怪物にならざるをえなかった者達の苦悩を知れ、と。 ややもすると、逃げた人∞弱い人≠フ擁護論、同情論になりがちな昨今。 では苦しみ抜いた暁に、自己犠牲を決心し、困難な現実から逃げることを拒み、 自分を何度も何度も奮い立たせた強者≠ヘ、何ゆえに非難を浴びせられ、 皮肉を言われ、時には罵倒されねばならないんだろうか・・・・賞賛なぞ望むべくもなく。 日本人の伝統的な美意識、滅びの美学そういうDNAに起因してでもいるかのように。
131 :
阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 22:42
さて、「左翼散種事業団」ネタになると思われる話を開陳したいと思います。 コミンテルンの末裔である日本共産党をはじめとする日本の共産主義結社の多くは、 唯一前衛党=一国一党主義を(建前であるにしても)採用しています。だが、彼ら が他党派に投げかける批判の仕方は、仏教徒としてはいぶかしいものがあります。 と、申しますのは、非常にあつかましい論理ですが、お釈迦様の教えを信じるもの としては、「唯物論者であろうと、アラーの神を信じていようと、この世と他の世、 三千世界を遍く照らす弥陀の光は均しく降るのだ」と思っていますし、そのことに 気づく、気づかないだけの差、気づきたいと思ったものは仏教徒、そうでない人は そうなるまでの過程、気づきかたには色々あり、という次第でして、まあ、人様の 言うことは自分で納得しなければ#どうでもいい#のです。自分が唯一前衛党であ るということに徹底すれば、自分以外の党派がどう言おうと、「ああ、そういう考 えもあるのかな、だけど納得しないから、自称共産主義党派であっても、それは違 うし、登山同好会みたいなものだな」とうっちゃっておけばいいはずです。それを 自らを唯一前衛党でございと規定しておきながら、命(たま)まで取るような憎し みを込めて他の自称唯一前衛党を殲滅する、自分で自分の存在を否定しているよう にしか俺には感じられませんです。
132 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 22:43
いやあ、こういう話が出てくると新左翼もまだ捨てたものじゃないなと思う。 数がどうとか、どこは何人しかいない、とかいうやつみるとゲンナリするが。 そういうやつこそ、反革命だろ、と思う。 では、続けてください。
133 :
阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 22:48
>>130 その人たちに人間的な同情はあります。だが、やっぱり、上手くいか
なかったという現実の前に、批判があるのは当然ですよね。
なお、日本の左翼を離れても、失意の内に亡くなった方はたくさんいます。
だが、石達開の人生、プルードンの人生、皆意味があると思っていますよ。
ただ、上手くいかなかった方法に未だに固執しているものを見れば、
イラ立つし、勿体無いなあ、と思うのです。
その上で、中核派は、変わろうとしていますね。それは認めます。だけど、
宿題をいずれは解決して欲しいと思います。知人もいますからね。
134 :
阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 22:50
あれ? SENKIスレやん。場違いかな? すいません。
135 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 22:51
先週の日曜に渋谷のとある古本屋にて「反体制的考察」=1980年代論文集という 粗氏の分厚い定価2000円もする御本をみつけました。で、値札は750円だった ので、まぁいっかで参考に買ってしまいました。この80年代スレ見てなけりゃ買う ことも無かったと思う。ここに集うOBの皆さんがどのような主義・主張のもとで戦 いに決起したのか、ちと興味があったもので。 1980年4月論文「3・26戦闘精神を発展させ、武徳の思想を獲得せよ!」あたり が、皆さんの思想背景だったんでしょうか?などと思いながら読み進んでいます。 70年代は粗氏も「カクマル」と呼称してたんですね。
>130 悪い。申し訳ない。当時やらリアルに知っている人には、 重くて、重すぎて、誰も言えないような気がする。130の答えは。 だから、おいらが言う。何様だと思われる事必至なので先に謝る、申し訳ない。 努力とか苦労ってのは(行為者の主観的には 諦める口実になるけど)、 客 観 的 に 評 価 す る 理 由 に は な ら な い ん だ よ。 成果が無い事が非難の原因。 手段を誤ったことが成果の無い原因。 例えば、革マル派の若者を殺す代わりに、 そいつを拉致して武装解除させた上で自由に発言させ、 そこで論破してそいつすらを獲得すべきだったんだよ。 中野OBの思惑通りに動いた失態が 悪評の原因だと思いますよ。 ──── …って、念のためにリロードしたら文士センセのレスが(汗 133のセンセの発言とおいらのを比べると、やっぱセンセは上品だなぁ、と思いますた(苦笑
137 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 23:02
>>133 中核は変わろうとしています。私もそう思います。
何か60年安保や70年安保沖縄を形成した大衆闘争主義に、
螺旋的に回帰している感を受けます。対Y戦には決着ついたとし、
主軸を反帝に全面転換しているように思われます。
この30年間とてもとても遠い迂回路を通らざるを得なかった。
けれども、ようやく本来の戦線にもどって来てくれた感じ。
BUND荒さんのような方向へのパラダイスチェンジでなくて
よかったと内心思っています。
138 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 23:15
主観と客観の問題は哲学の領域に入る。客観評価している方の客観も主観の生み出す観念。 客観の根拠は?科学的立証、多数決、社会的通念、・・・どれもこれも疑わしい。 とりわけ革〇派についての評価についての客観性、そこから出発しない限りその後の事象は 単なる現象評価であり、主観対主観の堂々巡りというジレンマに陥る場合がほとんどです。 30年にも及ぶその「迂回路」を強い、新左翼を疲弊させたことに少なからぬ関係性は見出せる。
139 :
阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 23:18
>>137 「パラダイスチェンジ」
意味深・・・・。荒さんの広松氏との交流を通じた共産主義批判には、
一定共感しますし、それでもってパラダイムチェンジしたのもいいの
ですが、みんな挙ってゴソっとチェンジしたようで、まるで地上の楽園。
まあ、共産主義捨てたなら、自称唯一前衛党的悪しき他党派への
態度を止めて欲しいものです。
※いつぞやの米大使館前での継続した決起、偉いなあと思いました。
暫く見ていましたよ。こっちはポリに追われ、タクシーで逃げたヘタレ
でつ。
140 :
名無しさん@3周年 :04/05/27 06:21
>>135 懐かしい文章です。
確かに結集した当初はそれらの論文の読み合わせを何度も行った記憶があります。
その論文集の中には川口君虐殺に関する論文も在ったように記憶しています。
あらさんの文章はどれも人民の大儀に根ざした闘争の推進が語られており、社会正義を求めていた
私には感動させるものがありました。
141 :
名無しさん@3周年 :04/05/27 11:02
相変わらずなんて真面目なスレなんだろう。 内ゲバの問題はおよそ新左翼党派に関わった者なら完全に無関心でも無責任でもいられないと思う。 しかし、80年代に新左翼運動に身を投じようという者にとっては内ゲバがマイナスにしか作用しなかったのも確か。 少なくともオレはそう。当時の中核の人は何かっていうと「カクマル殲滅」だったけど聞いてる部外者にしてみりゃ 「シラネーヨ」って感じだった。それに正直殺し合いは怖かった。 社会的正義感以前に「オレは革命の阻害物反革命カクマルを一人でも殲滅するために中核派に入った」なんて人は ほとんどいないと思うし、いたらその人の左翼としての資質を疑うよ。 80年代はまだ中核と革マルの「殺し合い」をも含めた内ゲバはリアルで進行中だったし、 第四インターへのテロも発生する中、当時の戦旗の主張は「これぞオレの求めていたもの!」と感動したのは事実。 党派闘争の緊張感を知らないで「内ゲバ反対」なんてキレイごと、という批判もあるだろうけど 20年前、内ゲバ主義にも市民主義にも埋没しない左翼の王道(日本のボルシェヴキとかよく言ってたけど)こそ我々 という戦旗の立場が多くの若者を惹き付けたのは間違いないと思う。
142 :
名無しさん@3周年 :04/05/27 11:05
>>135 「3・26戦闘精神を発展させ、武徳の思想を獲得せよ!」
うん。懐かすぃね。
143 :
名無しさん@3周年 :04/05/27 11:09
>>139 広松なんてナンセンスもいいところでしょう。彼の文章は意味不明。なぜなら内容がないから。
西田もいっしょ。
ヘーゲルは難しいけど、よく考えれば分かる。それは内容があるから。
広松や西田は内容がないものを書き散らして、哲学者気取りしただけ。すぐに捨てられる。
144 :
名無しさん@3周年 :04/05/27 11:12
>>139 荒『マルクス 残された可能性』を読んだが、あほらしくて途中でやめた。
ありきたりのエンゲルス批判やらなんやらをつなぎあわせただけ。おまえは自分の目でマルクスを勉強したんかい!と問い詰めたい。
145 :
名無しさん@3周年 :04/05/27 11:50
実践社から本を出している伊藤述史って、同伴知識人?メンバーじゃないよね。
146 :
名無しさん@3周年 :04/05/27 12:16
>>141 各丸という党派、いやクロ間の思想的変節が戦後の新左翼運動の桎梏だった。
鬼ッ小の各丸により30年間に渡り、左翼運動の芽が摘み取られ続けてきた。
いまやあれほどあった新緑、芽吹きも箱庭程度の残骸があるだけ・・・・。悲劇だよ。
80年代そんなに若者をひきつけたブンドは、それと関係なくパラチェン変節したけど、
それは荒しの個人的な資質によるものですか?個人崇拝に原因があったということ。
思想や理論ではなかったのか・・・
147 :
名無しさん@3周年 :04/05/27 12:23
>社会的正義感以前に「オレは革命の阻害物反革命カクマルを一人でも殲滅するために中核派に入った」なんて人は >ほとんどいないと思う 当然だろうに。そんなもん誰が好んで・・・ もともと戦闘的大衆闘争に憧れたわけだ。 しかし、現実はあまりに重すぎた。 党是として他派解体でくる武装集団に、 どう立ち向かえと?それに武装し戦えば 自分も同じだろ、という論議がある。 それは違う。武装解除した途端あぼんだ。 そのリアルな現実、苦悩を知らぬ者は 表層のニューマニズムであっさりかたずける。 やらねば今ごろ連中の天下だったろう・ 学戦、労戦ともに。80年代のブントすら経験 できなかったろう。マジ実感だ。 けど、本来の70安保沖縄規模やりたかった・・・
148 :
名無しさん@3周年 :04/05/27 13:31
>>141 へ
この論議はそろそろ終了しませんか。
自己史においてお互いの立場はやはり違うわけだし。
あの当時、中や青に所属していた人間にとって対○との党派闘争やはり切実な問題であり
その批判は、仮に我々が80年代闘ってきたことを否定されるのと同じ意味を持つものと思われる。
ゆえに
112=147さん思うが、彼がどうしても譲れないところと思われる。
このスレで盛り上がれるのは、なんやかんやいいながら対権力闘争で盛り上がっているわけだから
(10・20もそうだし)このスタンスに戻さないとどんどん重くなっていく気がする。
149 :
名無しさん@3周年 :04/05/27 20:03
そだね。その話しはよそう。
150 :
名無しさん@3周年 :04/05/28 06:45
島成郎と60年安保の時代(2) 60年安保とブント(共産主義者同盟)を読む ●第1章 ブント始末記「異議あり! 東原吉伸 追想の中の「二人の改革者」 清水丈夫 悼辞 島さんの思い出によせて 大瀬 振 さよなら島、さよならブント ・・・・・・・ 山本庄平 「戦旗」印刷所顛末記 林 紘義 島成郎はブントそのものだった 蔵田計成 蔵田計成版「ブント綺譚」秘話/ブント「革通派」結成の経過と謎 ●第2章 それぞれの安保闘争 武井昭夫 「全学連」引き継ぎの頃を話そうか 小川 登 京都から見つめた60年安保とブント 古賀才子 59年お茶大ストとその後 ・・・・・・・・・ 小野正春 毎日がデモだった頃 山田恭暉 中途半端な燃焼! 向井拓治 「おめでとう」の言葉 藤原慶久 4・26 島さんの執念 ●第3章 新しい闘いへの展望 古賀康正 わたしたち人間が生き延びる努力 葉山岳夫 9・11同時多発ゲリラ事件の衝撃 坂野潤治 いまよみがえる安保と戦争の問題 ・・・・・・・ 多田 靖 墓碑銘 --------------- 島成郎と60年安保の時代 2 60年安保とブント(共産主義者同盟)を読む 島成郎記念文集刊行会・編情況出版 【定価】本体2600円+税
151 :
名無しさん@3周年 :04/05/28 09:31
バスガイドなぐりましたが何か?
152 :
名無しさん@3周年 :04/05/28 11:03
全斗煥の時、東大の原理研の香具師の髪の毛引っ張って抜いた人よ。 お元気ですか?
153 :
名無しさん@3周年 :04/05/29 00:02
原理研といえば、最近余り聞かない気がするが、動いてんのかな? 日大銀ヘルの女性指導者は今なにやってるかしってる香具師はいないかい。
154 :
名無しさん@3周年 :04/05/29 00:26
銀ヘルのお姉ちゃんのことなら最近マル共で話題になってたね。 なぜか中核松尾氏のスレッドで。 あの銀ヘルの学生集会っていつ頃まで開催されてたの?
155 :
名無しさん@3周年 :04/05/29 00:40
スマソ。 アドレスをコピペお願いします。 80年初頭学生運動はこの銀ヘル支援で結構動いたよね。 M原が中心で活躍してた時期だったな。
156 :
名無しさん@3周年 :04/05/29 00:54
157 :
名無しさん@3周年 :04/05/29 01:41
ありがとさん。 反憲学連が日大に登場した日、日大の学館上から牛乳瓶を持ち、対峙したのを覚えてる。 何で投げて粉砕しないか不思議だったが。
158 :
名無しさん@3周年 :04/05/29 15:31
三里塚以外で集会参加者がみんなメットっていう集会はほとんど無かったから 銀ヘル支援集会は萌えたよ。 色とりどりのメット数百の部隊が日大キャンパスからデモに出て行く様は結構壮観だった。 何故か中核は参加してなかったんだよなあ。
159 :
オサダ@ブント専従 :04/05/30 11:57
お前ら久しぶりだな!「冬のサナタ」にはまっている長田武くんの登場である。 俺は今、次の料理対決に向けてレシピを考えているところだ。 さらばじゃ!
160 :
名無しさん@3周年 :04/05/30 15:17
オサダさん、もう一つの戦旗スレにも登場してくれよw。
161 :
名無しさん@3周年 :04/05/30 17:12
いやいや長田の名前を語るブラックは止めようぜ。 あいつは確かK大だったと思うが、人生を賭けて未だ活動してるのには頭が下がる。 (今のブントが変わったとはいえ)
162 :
名無しさん@3周年 :04/05/30 17:40
163 :
名無しさん@3周年 :04/05/30 17:51
内容からそうだね。 オサダは茨城にいたと思ったが、関西か?でいま茨城は誰がやってんの?
164 :
名無しさん@3周年 :04/05/30 18:46
ブントの拠点ってどこにあるの? 埼玉・東京・茨城・神奈川・大阪ほかには?
165 :
名無しさん@3周年 :04/05/30 19:04
今のことは分らぬ
166 :
名無しさん@3周年 :04/05/30 19:37
ブントって粗以外の幹部ってのは80年代以降の活動家なの? 古い人は残ってないの?
167 :
名無しさん@3周年 :04/05/30 19:49
たのむから、ブントを名乗るのはやめてほしい。 いったいブントだったヤツが荒以外いるのか? いまや主張もまるで違うのに。
168 :
名無しさん@3周年 :04/05/30 20:12
荒氏、長田氏、沢○氏...その他は?
169 :
名無しさん@3周年 :04/05/30 21:01
2次ブントというか70年代から活動している香具師はいるの?
170 :
名無しさん@3周年 :04/05/30 23:55
今の「ブント」のことは何とも思わないけどWPNに対する批判は共感できた。
171 :
名無しさん@3周年 :04/05/31 00:34
仙台にもあったよね。
173 :
名無しさん@3周年 :04/05/31 01:30
ふーん。昔東北に支部なんてあったっけ?
174 :
名無しさん@3周年 :04/05/31 21:06
仙台に確かにあった。 情宣で登場した日に、全員逮捕されたと思う。 そのとき部隊は三里塚現地闘争だった記憶が。
175 :
オサダ@ブント専従 :04/05/31 22:47
俺は慶応だが何か? 俺たちおおさかエロムーブが次の料理対決で発表するメニューが決まったぞ。 ファットマン五味のステーキと刺身の女体盛りだ! 女体盛りは当然、荒さんに喜んでいただくためだ。 ぶっちゃけ、食を通して文化を考えるなんてのはこじつけだ。悪いか?
>>175 オサダ@ブント専従さん
悪いけど、そういうのはもうひとつのブントスレでやってくれよ。
177 :
名無しさん@3周年 :04/06/01 00:33
178 :
名無しさん@3周年 :04/06/01 00:35
つーことはアレか。 パラチェン後も以前からあった支部をベースに地方組織を維持してるわけだ。
179 :
名無しさん@3周年 :04/06/01 00:43
マジに質問したいのだが、いいかな? 「聖戦」「ジハド」などという用語を使ってたことあったよね。 あれって、80年代だっけ? オレ的には、80年が共産主義運動の国際的なターニングポイントになったって、 実感したんだ。イラン革命も光州蜂起も80年だったと思うが、 それ以前の革命は、基本的にマルクス主義が思想ベースにあったが、 この二つとも、基本的には非マルクス主義だったんで、驚いた。 特にイラン革命は、その端緒をフェーダインハルクなんかが切り開いたのに、 いつの間にか「イスラム革命」に化けちまった。 そのことの重要性を感じたのはその数年後だったが、ちょうどそのころに、 「戦旗」に「聖戦」とかの文字を発見して、「危機感ねーのかな?」って 感じた記憶があるんだが。 当人たちは、どんな感じで、イスラム革命(裏返しに言えば、共産主義の 衰退)を受け止めていたんでしょうかね。 ちなみに、オレは、12.18系のノンセクとです。
180 :
名無しさん@3周年 :04/06/01 00:47
>>179 コミンテルン第4回大会(1922年)でも「ジハード」が登場してますが...
181 :
名無しさん@3周年 :04/06/01 01:19
>>179 んー。イランに関しては当時イラン・イラク戦争について我々はイランを支持する立場に立つ、
みたいな論文を読んだ記憶がある程度。
一方光州蜂起については繰り返し繰り返しこの民衆蜂起に連帯し、学ぶということが意思統一された。
金大中氏(金泳三だったっけ?)の「民主化よ!民主化よ!民主化よ!」などがよく引用されてた。
当時の戦旗は帝国主義国同士の反革命同盟を第三世界人民の蜂起によって打ち破っていくという
情勢分析であり意思統一であった。
帝国主義国家の援助を受け延命している非民主国家の人民が圧政を打ち破るために立ち上がった時、
帝国主義国家内の人民は自国政府を打倒する闘いに決起することによりそれと連帯しようということ。
その第三世界人民決起のイデオロギーが何に依拠しているかはそれほど重要視されていなかった気がする。
オレ自身それについては特に疑問を感じなかった。
圧政に対する命がけの民衆蜂起に100%シンパシーを憶えただけだった。
でも20年前のことなので記憶も曖昧。
補足よろ。
182 :
名無しさん@3周年 :04/06/01 01:29
183 :
名無しさん@3周年 :04/06/01 21:56
バカサヨっていうけど、基地外としかいいようがない。 地に足が着いておらず、空疎なことを言って自己満足しているだけならいいが、 テロまでカッコいいと思ってやるから許せない。 エリート意識が強く、変な理屈が好きで、学歴信者で、目立ちたがりのどうしようまない人間のクズ。 おまいらはそういう人間だ。逝ってよし。
184 :
名無しさん@3周年 :04/06/01 22:51
>>183 そう思ってパラチェンしてみますた。
ご迷惑をおかけいたしました。
185 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 00:26
>>183 で、お宅は徹底的にサヨクに論破され粉々にされ、ぐうの音もも出なかったことを
この場で述べてるっていうわけか。
まー文章的にチュウボウと思うが。
186 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 00:35
>>180 ジハードが、80年代以降に顕著となったイスラム教が社会変革の
思想的軸となったことと無縁であるなら、当方の誤解というものだろう。
>>181 サンクス。雰囲気はよくわかる。80年当時のオレの受け止め方も、
基本的には同じようなものだったから。ただ、イランでフェーダイン
なんかが弾圧されていく過程を見て、悔しくも感じた。
70年代に戻れば、国内的には連赤や○核青戦争。国際的には中・ベト・
カン戦争という具合に、マルクス主義の権威の崩壊の10年だったのでは
という印象があり、その後現れたイスラムの台頭が、ある意味社会変革の
思想の核をマルクス主義からイスラム教にシフトしたのではと感じたわけだ。
いろんなところで揶揄される「パラチェン」だが、オレ的には賛同はしかねるが、
旧態依然の思想にしがみつくよりは、ずっとましだと思ってきた。
そのあたりとの関連で、ジハードの用語を使うことと、後のバラチェンとが
結びついていたのかという疑問があったからだ。
187 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 00:45
バカサヨたちよ。テロリストや犯罪者になるより そいつらと闘う方がカッコいいと思わないのか? 親が泣くぞ。もう逝ったか。親不孝者めが。 森恒夫の親は首吊ったな。
188 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 05:26
光州蜂起のことを対象化する時、それがどのようなイデオロギーによって闘われているかということよりも 「自分も彼等のように闘えるだろうか?」という自問の方が大きかった。 鎮圧軍の銃剣で腹を刺される妊婦。正直読んでいてビビった。
189 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 09:56
>>188 あの当時安保ー日韓体制打倒を前面に掲げてたしな。
隣の国で、同じ学生の身分でありながら、生死を賭して闘っていることに衝撃を受けた。
今でも覚えている手記の一文に「この闘いは最初から勝てる闘いではなかった。しかし闘いにたちあがるしかなかった」スマソウラ覚え。
これに感動した。人は金や名誉などの利己的な利害ではなく、社会のため自らを投じられることに感銘を受けた。
そしてこうした価値観を問うたブントに共鳴し結集したわけだ。
今じゃー年収1千万越えなきゃ生活楽に何ねーよなーぐらいの、俗物ですが。
190 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 18:16
オウムも「社会のために」大量殺人したな。オウムの殺人鬼にも感動するのか
191 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 20:29
逮捕された時はまだ19歳で、少年房に入れられたな。同室のチンピラがここを出たら 「組を訪ねてこいよ」って誘ってくれたけど・・・
192 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 21:59
オレはサークルの一員としてデモ行進に参加してたら、先頭の旗竿集団が機動隊に 突っ込んで、そのあおりで逮捕されちまった。完黙なんてこと知らないから聞かれること そのまましゃべってた。少年なんで鑑別所に送られそうになったが、バイト先の社長が 身元引受人になって釈放された。社長は地元の交通安全協会長で、警察に顔が利いたんだと。 オレも恩義を感じて結局、卒業間近までそこでバイトを続けた。
193 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 22:02
長田ってSENKIではどういう地位にあるの? 本社じゃなくて大阪にいるということは低いの?それとも地方を任されるというのは高いの?
194 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 22:02
>>191 やっちゃんには、一目置かれたな。
権力に媚びずに完全黙秘を貫くのは彼らにとって尊敬の対象だったような気がする。
留置場でも、便所掃除もやってくれてたし。
195 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 22:05
>>192 当時の拠点大か?
うーん。懐かしいな。
196 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 22:12
埼玉大学か?
197 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 22:30
>>196 違うだろ。
これ以上は人物が特定される可能性があるので終了で。
198 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 22:37
また オマエか・・・ ケツがアカイぞ・・・
199 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 22:58
200 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 23:11
まだブントロマンチシズムの酔いに浸っているのか、バカだな。
201 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 23:12
いいじゃあないの、今は単なる善良な一市民なんだから
202 :
名無しさん@3周年 :04/06/03 19:09
マルらしきのが紛れ込んでから食傷気味だな・・・ そんなん無視して、もう一回語り合おう!熱く!
203 :
名無しさん@3周年 :04/06/03 19:20
また オマエか・・・
204 :
名無しさん@3周年 :04/06/03 20:24
ところで、カンパをどう思う? なんか関係団体のカンパや機関紙代、闘争支援カンパ、けっこう出したよな。 まあ、自分の信念で出す金だから惜しくはないけど、貧乏学生の自分によく あんな金があったなって、不思議なぐらいだ。
205 :
名無しさん@3周年 :04/06/03 20:24
また オマエか・・・
206 :
名無しさん@3周年 :04/06/03 20:37
おれはそのためにバイトしたり友人をオルグして2〜3千円もらったり、 何だかんだかき集めて4〜5マソだったよ。それでも必死だったよ。ほんとありゃ浄財だった。
207 :
名無しさん@3周年 :04/06/03 20:40
また オマエか・・・
208 :
名無しさん@3周年 :04/06/03 22:21
カンパはいいんだがヤッパ額の問題だよな。 前スレでも出てきたが、9万以外全額上納は、今から考えればありえないよな。 ボーナスも50%上納で。 どういうわけか、一律なので、中小零細対大手では大きく差ができ、新たな社会矛盾かよと思ったもんだ。 本部員も活動暦に比例してある年から給与が支給されてたが、粗さんでも20万ぐらいだったと思う。 その反動なのか、パラチェンしたとたん堰を切ったかのように物質へのこだわり。 地球環境問題を論ずるなら、文化としての車より、公共手段の拡大でも論ぜよと言いたい。
209 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 04:41
学生の頃はそれほどのカンパをした憶えは無いなあ。 労共闘の人は「○万体制」とかって言われて「大変だな」と思った記憶はあるけど..。 活動以外の時間はバイトしてたわけだけど「明日から一週間○○地区で××闘争」とか言われちゃうと それもままならないわけで、どちらかと言うと組織からは財源としてよりも「労働力」としての 期待の方が大きかったんだろうな。 しかし今になって思うけど、今までの人生であれほど金銭的に切り詰めたことはなく、 今同じくらいのペースで生活したら一年でかなりの額が貯金できるはずだなw 逆にちょっとしたことで浮いた千円くらいの金がものすごく心を豊かにしたよ。 それに仲間の経済状態や金銭感覚も似たようなものだったので、金が無いことで惨めな思いは したことがなかった。 あれから20年。 「あと給料日まで10日あるのにあなたの財布には千円。さあどうする?」みたいなことは無くなったけど 得た物と失った物とどちらが大きいのかハッキリとは結論が出せない自分もいたりするよ。
210 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 04:42
またオレだよ〜♪
211 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 04:55
やっぱ教会みたいに1割献金程度でちょうどいいんだよ。 息長く活動できないとだめだ。
212 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 04:58
それと専従の数をできるだけ減らすべきだ。 ボリシェヴィキ党は権力を獲得したときでも専従が700人くらいしかいなかった。 専従にならざるをえない場合は、職を持つ同志と共同生活(結婚など)することを基本に。
213 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 05:01
「子供を作るな」という指導は正しいと思う? 実際、党員は子供をつくるなと指導している党派もあるけど。
214 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 06:36
は子供多かったような。そして学生戦線の隊列に加わるパターン。 そういうのは比較的自由だったかも・・・。育てるのが難儀だろう。組織がよほど大きくないと。
215 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 08:45
>>212 それって今の企業でも言われてることだよな。
企業の強化は現場主義に徹するとか。
本部の人員を減らしてスリム化するなど。
まー実際、当時からそういう体制だったと思う。
216 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 08:50
>>213 正しくは無いが。
幼少期の形成過程には少なからず影響があると思う。
どちらかというとマイナス面で。
当時子供がいても家族を省みれる状態ではなかったし、結局離婚率は高かったし。
割り食うのは結局子供と、女性かなと言う気がする。
217 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 19:12
子どもに関しては特に意思統一なんてなかった気がするけど。 でも実際子どももいる同盟員同士の夫婦を見てて 「やっぱり左翼でも子育ては母親が中心にならざるを得ないんだな」と思ったことはある。
218 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 21:10
まあ男の身勝手かもしれんが、活動家の女はなにかとキツイよな。男に対して。 夫婦間でもキツクなるわな。離婚率高いのもうなずける。 一方、運動から身を引いて小市民的に家庭を築いてるのも多い。まあオレもその 口だが・・・ 夫婦仲はまあまあ。選挙のときにどの候補者に投票するかで激論する ぐらいか。w
革命的晩婚主義がどうとかいう論文が戦旗だか理戦だかに載って話題になったよね。 たしか80年代後半だったと思うけど。
220 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 23:11
>>218 と言うことは、闘争で知り合い結婚して、一緒にどろんじょした口ですか?
選挙での激論ってちなみにどのあたりの政党争いなのでしょうか?
221 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 23:35
どろんじょしたいましきりにぼやっきー
222 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 07:15
革命的な男女関係てえのは具体的にどんな関係を指すんだろう。 SEXはどうすんの。子供は。仕事は。家事は。難しくてわからん。
223 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 08:54
>>222 余り記憶に残ってないんで、たいして論議にならなかった気がする。
224 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 08:59
ある意味タブーで言わずもがなにしたかったのだろうか。 で、インターは悪いほうに結果が出てしまった。やっぱ事前に明示的に議論が必要なんだろうな。
225 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 10:55
でもなあ。いくら左翼つったって若い男女が集まればまあ色々あるわ。 あの頃だって恋愛絡みでくっついたり別れたりそのことで消耗したり...ってことはあったし それ自体は普通の若者と変わらなかったんじゃないかい?普通に舞い上がったり嫉妬したりとかさ。 好きなメンバーに「最近頑張ってるね」とか言われて益々頑張っちゃうことなんかあったよ。オレ。 逆に恋愛絡みで消耗してるメンバーを「革命的主体云々..」で批判する香具師には 「お前はそれ以前に人間として何か足らねーよ」と心の中でw思ったりしてた。 今考えればそういう香具師も羨ましさの裏返しだったんだろうな、と思えるけど。
226 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 11:20
全国集会で××地区(△大学)の〇〇同志と顔あわせて言葉交わすの楽しみだった。 闘争それ自体にというよりも、その麗しく逞しいお姿を拝見できることにわくわくしたものだ。 オレも随分と若かったな。いまそういう純粋な(?)わくわくはない。色欲塗れてか(自嘲
227 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 11:35
ただ真面目な話、男女ともにアジトで雑魚寝が日常的になっている中で インターのような問題が(少なくとも表面的には)おこらなかったと言うのは それなりに左翼的倫理観が働いていたのかもしれないな。 女性メンバーと二人っきりでアジトに寝たこともあったけど、何事もなく朝を迎えたよ。 尤もまだ童貞だったオレに何がしかの行動なんておこしようがなかったんだけどw
228 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 11:40
ハハハ、わかるわかる。やり方なんてわからんかったし、どう攻めていいかなんて考えも及ばなかった。 けど、脱した別のやつに聞いたら、やる奴はちゃんとわからぬようにやってたらしい。 会議でもしらんぷり、でさ。特に、解散の後まちぶせしてばったり会ったような偶然装いそのままホテルとか。 そんな奴もいた。けど大半は、227の言うとおりだ。純粋なやつが大半だったな。
229 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 11:52
オルグのうまい香具師はモテた。 そういう人を惹きつける構造というのはブルジョア社会と変わらなかった。
230 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 13:46
>>229 それは一理あったが、もてた香具師もそれなりにきちんとしてたから
問題はなかったな。
そこがブルジョア社会と違うところか。
231 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 20:08
学習会で女性同志のスカートの奥に白いパンツがチラチラするので気になって なにを学習したのか全く覚えていないことがあった。若かったんだなー。
232 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 20:13
233 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 20:37
あんまりエロレスばっかりするのもナンだけど、風呂上りとか結構ノーブラだったりする 女性同志が多かったじゃん。 左翼になる女の子って結構その辺無頓着っつーか、若いオレには拷問のような時間もあったw
234 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 20:43
根本的な提起をしたい。 私はWillhelm Reichが提起したように、性的抑圧からの解放はプロレタリア革命運動の根本課題だと考える。 そのため、革命組織内では積極的にセックスをすべきだし、それは団結を強めるのにもいいと思う。 だけど、それを実行すると、組織がカルト化する可能性もあるし、セックス目的で入ってくるメンバーが増える可能性もある。 それを防ぎ、革命組織が健全にセックスを楽しむためにはどうするのがいいと思うか。
235 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 20:48
一夫一婦制に関わる問題だな。 多夫多婦制ってどうなんだろう。 ブルジョワ意識的には嫉妬という厄介な代物を克服せねばならない。 それを乗り越えろと・・・・ できた子供は集団教育で父も母も無いとか。 そういう世界はありなのだろうか。
>>235 日本では昔からセックス道徳は開放的だった。
たとえばこれを見よ。
http://www.egroups.co.jp/messages/yanagita-kunio_wo_yomu_kai/24?expand=1 昭和の初期の話です。
「俺は百人切りがすんだという若衆がおり、なんや、そんなもん、うちら一七
で男の百人抜きぐらいしたぜえと、おばはんに叱られていた。」
のだそうです。夜違いは、男からだけではなく、女からも通ってきたので、
こんなことが起こるのです。
で、「私の在所では、百人切り、百人抜きを基準にしていたが「千人になる
と瀬盛大に祝宴を開いて「千人供養」をしたそうである。ほんまかいな、と疑
ったら、いろいろと事例を教えてくれた。金、鉄、木製などの巨根を正面に飾
り、前に女陰形の大朱盃を供え、参列者の前には大根や山イモで作った男女陰
供し、僧尼が厳粛に読経、終わって無礼講ということらしい。引出物もいろい
ろ苦労したようで、性器や性交の酒盃、玩具などか多かった。義理固い男や女
になると、筆下し、水揚げの恩人を上座にして、その労をねぎらったという。
こうなると、まさに良風美俗である。」
青年がセックスしたいのは当然。革命組織においても例外ではない。 だから革命組織内部においてセックスを楽しんで何が悪いだろうか。 しかし、それによって、セックスが目的でやってくる連中が増えてしまい、セックスカルト化する危険性をどう防ぐか。 また、必ずしもセックスしたくない同志(特に女性)が居辛くならないような措置をきちんと取れるか。 欧米の左翼では、一夫一婦制の破壊が60年代以後の運動で掲げられたこともあり、組織内でのセックスは普通である。
238 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 21:10
239 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 21:12
好まれるモノと好まれざるモノとの区別はどうなる。 見てくれやなんかで男の場合どうしてもあそこが立派にならなかったり、 女の場合潤いを保てなかったり、それは理性ではどうしようもない問題だ。 男でも女でも好まれないモノは居た堪れないのではないだろうか。 好まれるモノは平等に好まれざるモノの相手をせねばならないか。 それは一種の拷問に等しく無いだろうか。難問過ぎてわしにはわからん。
最大の難問は、セックス目的で加入してくる連中をどう排除するかということ。
241 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 21:27
それはだいたいそいつを見れば合点がいくだろう。 1ヶ月もすりゃあ正体現すよ。闘争は過酷で基本的には男女関係どころではないからね。 過酷な任務に耐えかねて炙り出されるさw
242 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 21:36
>>241 まあそうだろうね。過酷な闘争に耐えて、ご褒美に内部でセックスを楽しむという程度なら問題はないか。
243 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 21:43
いやいや同志よ。それは違うだろう。 レーニンは革命前夜のロシアにおいても性の解放を唱える一部の 部分に今は性の解放ではなく革命であると否定している。また当時の学習会でも これは否定されてた。 ブルジョア社会からの解放が性からの解放だとすると俺は学生のとき真面目に講義をうけ 企業戦士となっていただろう。
244 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 21:46
>>243 レーニンが何でも正しいわけではない。レーニンは私生活においてはかなり保守的な人物であった。
レーニンよりもライヒから学んではどうか。
性の解放とプロレタリア革命は対立するものではない。
245 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 22:12
確かに対立しないが、受け入れられる? 今の常識で。 それを組織内に持ち込んだとたん、少数派のサヨがもっと少数になること間違いなし。 またブルジョア社会に生きている親をどうオルグるの? 自分たちは高邁な存在だから?そんなことだから・・・。
246 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 22:19
革命すら程遠いのに、その後の性のあり方を主要テーマにしてもいらざる対立を生むだけ。 それは当面はペンディング、ブルジョアイデオロギーの内だろうがそのうちの清貧なる部分までに収めよう。 そんなこというと女解に糾弾されそうだなwところで当事のブントに女解はあったの?
247 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 22:25
>>245 そうか?周りから「セックスカルト教団」とか言われるってか?
そんなことあるかな?
248 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 22:42
結集の動機ってそもそもそんなことじゃーないだろう? また結集して知恵ついてもそれが主要なテーマにならないだろう? 少なくともサヨに結集すると言うことは、現実何かを捨てなければならなかった しそうした。その組織がそれが主要なテーマにかかがることがあるとすれば、何でわざわざ・・・。
249 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 00:24
おいおい何か妙なことが議題になってるなw まあ男女関係についてもある程度組織的方針はあったような気もするけど (地区をまたいだ恋愛は不可みたいなのってあったような気がするんだけど) 実際は普通の若者の集団とそう大きくは変わらなかったよ。 オレある女の子といよいよデートって時に先輩活動家が 「コンドー○忘れんなよ」とそっと耳打ちしてくれたりしたよ。 で、結局コンドームどころか手すら握れずにトボトボ帰ってきたら待ち構えてた先輩に 「今日の総括をしろ」と言われ、そのたどたどしいデートとも言えないようなデートの顛末に 一々自己批判を求められたよw 先輩「で?まずはどこ行ったんだ」 オレ「ええ、まず○×で飯食いまして...」 先輩数人「○×??ナンセーンス!」 とかそんな感じ。 まあ単なる青春の一ページだったよな。そういう思い出は。左翼云々以前に。
250 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 11:39
レーガン死んだね。 コメントしてたけど次は中曽根の番か。 違った意味で感慨が深いね。
251 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 13:18
>>250 ホントだ。
なんか時代の流れを感じるな。
常盤橋戦闘に参加した同志はなおさら感慨深いだろうね。
中曽根は元気だよなあ。権力への妄執は人を長生きさせるな。
252 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 13:28
中曽根の前にサッチャーかもよ。 しかし昭和の妖怪=岸を上回る平成の大妖怪にオオバケしそうな予感。 100まで生きるな奴は。「青雲の志」とやらを永遠にもち続けてる。 思想面ではそこいらの左翼より鉄壁のゴリゴリぶり。改憲だって影で仕掛けているし。 あん時もっときっちりケジメ≠ツけさせるべきだったか・・・
253 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 16:00
中曽根とアラは100まで生きるかもな・・・
254 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 19:16
レーガン逝ったか・・・
255 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 19:41
>>233 その程度で拷問か。俺のところには、風呂上がりにパンツ一枚でうろうろする女の子がいたぞ。
かわいかった。巨乳ではなかったけど。
256 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 19:44
おぉぉおおお!!それは鼻血ブーのまさに拷問。それで起とうモノなら宦官の刑だぜ。
257 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 19:58
単なる朝立ちじゃなく、疲れた時の、いわゆる「バテマラ」。 あれは種保存のDNAが指令するんだるな。援農でくたくたに なった時、よく「バテマラ」になった。山行中の早朝にもよくなった。
258 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 20:20
まあでも戦旗って猥談には案外寛容な組織だったよな。 先輩がよく「青解や蜂起ではこんな話できないよ」って言ってた。
259 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 20:21
参加者全員で早朝ご来光に向かって「バテマラ」てのも凄い光景だ・・・
260 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 21:02
>>258 そうか?
所属地区によっても違うかも知れんが、俺の所はそうでもなかったな。
255は嘘っぽいな。そんな話聞いたことが無いぜ。
しかしイカ臭いスレだな よくよく考えてみると書き込んでるのはみんな40半ばのオサーン連中な訳だから、なんとも・・・
262 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 21:32
263 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 22:52
けどさぁ、みんな性処理どうしてたの。まさか夢精でもあるまい。そういう神はいたか?
>>263 好きな子が隣で寝てるときに、こっそりオナニーした思い出はある。
265 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 23:08
ぼくは部外者だが、大学の工学部の話。 研究室はほとんど男ばっかりだったが、同期に一人だけ美人でやさしいみんなのアイドルがいた。 田舎の県立高校出身の純朴な美人。 研究室の男はみんな彼女に童貞をささげた。
266 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 23:12
>>264 マジかよ。よく見つかんなかったな。それに匂うだろ。
もしかして見つけて欲しかったとか(w
わくわくドキドキ体験みんなそれなりにやってんだなぁーー。
267 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 23:47
268 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 00:13
まあ三里塚の小屋ではよくオナニーしてたよ。みんなスマンかった。
269 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 00:20
>>268 (藁)
俺は現行でいってた彼女を指でいかせた。スマソ。
270 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 00:25
インターのこと言えんな。そこまで言うな!!
271 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 00:30
>>270 彼女なので許してスマソ。
久々に会って燃え上がっちゃったな。
272 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 00:31
>>269 おひおひ。当時現行で彼女と一緒に来てた香具師って限られてるぞw
273 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 00:35
ワラタ。
274 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 00:38
>>270 いやコソーリオナニーしてたからそれだけで済んだんだよ。
それに比べてインタ(ry
275 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 00:56
インターと一緒にしては失礼というもの。レベルが違うって。
276 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 01:04
>>275 確かに。
中核派の内ゲバ路線に徹底的に反撃した四トロと、中核の顔色うかがってた
日向を一緒にしたらアカンわな。
277 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 01:06
妙にインター持ち上げるあなたは・・・・(ry
278 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 01:11
マペー(ry
和姦ならいいじゃないか
280 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 20:19
まあ、このネタでいくならインターのスレでやるのが適当かと。 このスレらしい話しに変えようぜ。 例えば、一時期、下層プロレタリアートに依拠すると言って、町工場なんかに 勤めたことないか。オレの先輩は大学中退なのに中卒で応募して零細工場に 勤めてた。昼休憩はいつも読書してるんで、変なヤツと言われてたそうだ。 オレはそのころ青果市場でバイトしてて、リンゴにワックス塗らされて、これは 資本主義の矛盾じゃないかと、真剣に悩んだ。
281 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 22:08
オレは生協でシコシコアルバイト、給料安かったなぁ・・・ 共産党がえらく強くていやんなっちゃったけど、我慢したw
282 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 22:32
そうか。 俺は工場での流れ作業。 ほんとしんどかった。時間が気になって気になって仕方なかった。 留置場での拘束も時間が経つのが遅くて嫌になった。唯一の楽しみは飯だったな。 転向した今でもあの工場労働のしんどさは忘れられない。
283 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 22:38
みんな苦労したなぁ・・・けどあん時の「苦労」は屁でもなかった。 理想に燃えてたからなぁ。今やれったってあほらしくてできんわ。 芯に思想があるなら死をも厭わない、なんて思ってたあの頃が懐かし。
284 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 22:43
そうだな。 今じゃーどちらかと言うと物質的豊かさの追求になっちゃってるな。
でも、何でそこで労働組合運動やるっていう方針にはなんなかったんだろう?
286 :
名無しさん@3周年 :04/06/08 00:02
うーん。ならなかった。 やっぱ、組合活動のノウハウがなかったから。 話は変わるけど、俺がガキの頃、オヤジが動労は各○だから・・と言ってたのを 覚えてる。俺が小学生ぐらいだからその当時からすでにと言う気がした。
287 :
名無しさん@3周年 :04/06/08 00:25
>>285 大学でもそこの大学での「学生運動」を組織するという方針ではなかったな。
例えば学費闘争とかさ。
この辺は前スレでも散々指摘されてたけど、オル対を獲得する場くらいにしか
思ってなかったのかな?
288 :
名無しさん@3周年 :04/06/08 06:20
革命的一本釣り方針。 大学に大衆的根城を作る方針は出なかった。 そん時はそれはそれでめんどくさくなくていいと思ったし、自分の決起で精一杯だった。 それに忙しくて学内経済闘争などしている暇もなく・・・ けれど、今考えるともったいなかったなぁ。自治会権力の一つや二つとってりゃ資金的にも チトは楽だったろうに。そういうノウハウは若い党だったからなかったんだろうか。 指導部に聞きたい。いまさら聞きたいもないのだけどさw
おちんちん
290 :
名無しさん@3周年 :04/06/08 20:15
共産同は理論よりも武装蜂起。戦術にこだわったり、あまりにも分派につぐ分派で、 そっちの方にエネルギー注ぎ込んでしまった。 組織化という点だけで見ればマルのもんか。
あまりに臭くて見てられんw
292 :
名無しさん@3周年 :04/06/08 20:56
えっ!学内?カルト的に協同生活で洗脳したからじゃないの? それは今か?昔は違うのかねえ?
80年代後半、反天皇制とか東京サミット粉砕闘争とか語れる元戦旗の人ってこのスレッドにいないのかな? おれは戦旗じゃ無いけど、その頃は反天連呼びかけの実行委員会でみなさんとごいっしょしてたよ。 あの「安保-日韓体制打倒」の青いゼッケンの赤ヘルの群れ、思い出すなぁ。 皇居前に糞尿まいた闘争とかさ。
294 :
名無しさん@3周年 :04/06/08 22:23
うーん。 あれは週刊誌にも大きく臭い闘争で取り上げられてたな。 ヒロヒトの大喪の礼反対集会の盛り上がりが、サヨの80年代のピークとも言える。 確かに懐かしい。 あの熱気はサヨ総体も含めどこに?
295 :
名無しさん@3周年 :04/06/09 07:01
>けれど、今考えるともったいなかったなぁ。自治会権力の一つや二つとってりゃ資金的にも >チトは楽だったろうに。 あれほど伸びてたのに影響あった自治会、サークル団体、寮とかなかったのかよ。
296 :
名無しさん@3周年 :04/06/09 09:41
>>293 70年代後半から80年代前半組が多いんじゃないか。レスの内容から推測するのに。
>>295 オレがいたサークルは先輩が次々といなくなり、オレと1年生2人だけが残った。
オレも組織から離れていったから、いつしか自然消滅。
こんなパターンって多いんじゃないか?
297 :
名無しさん@3周年 :04/06/09 20:11
オレも組織から離れて田舎に帰り、ある時、山登りしてたら昔の同志にバッタリ 出会った。お互い別々のパーティー連れだったんで、詳しい話しもできず、電話番号 だけ聞いて分かれた。後日電話をかけたけど通じなかった。お互い、こけちゃった組 で、ヤツも気まずかったんかな・・・ オレはそんなに気にしてないんだが。
298 :
名無しさん@3周年 :04/06/09 20:14
こけた同士で会いたくない。 けど、酒でも飲めば花が咲き親密に。 変な心理だけど、わかるんだよなぁ・・・ 本当はみんな同窓会もやって大宴会したいのさ。 けど現在の社会の表層では会いたくない。 転向者のジレンマ。
299 :
名無しさん@3周年 :04/06/09 20:17
こけ=転向なの? こけたって、戦旗の運動から離れただけで、べつに保守派になった わけではないでしょ。(そういう人もいるだろうけど)
>>299 真の転向者とは日向尊師のことだと思われ。
>>300 そういう話をしたいわけじゃないんですが。
ここはパラチェン後の日向の路線を論議するのに適当な場とも思えないし。
302 :
名無しさん@3周年 :04/06/09 21:54
>>299 そのとおり。ボクこけちゃいました、アハハって感じで。
でも、山の中でばったり出会えば、複雑な心境にもなるわな。
かつての軍事訓練ならいざ知らず、お互い遊びの世界での再会だもんね。
303 :
名無しさん@3周年 :04/06/09 22:04
けど雲散霧消した当事の仲間と酒飲み同窓会でもしたら、 最初ははにかむだろうけど、酔いが回れば昔話に花が咲く事請け合いだな。 いきおい第四次ブントでもできたりしてな。40過ぎの中年ブント同窓会派w
304 :
名無しさん@3周年 :04/06/09 22:13
>>303 それは笑える。
だがお互い家族のある身。
酒を飲み語り合うぐらいかな。
以前だったら、観念サヨとして断罪されてた身。
305 :
名無しさん@3周年 :04/06/10 01:14
党派関係者じゃないが、運動から後退しても、たまにピースウォークに参加したり、署名あつめたり、職場で管理職にかみついたり、いいもんだよ。 無党派、一人一党のつもりで、動けるときだけ動くのが気楽でいいよ
306 :
名無しさん@3周年 :04/06/10 01:26
ずーっとコケたことが心の重荷だった。 幸い若い頃は転勤で地方を転々とすることが多く、戦旗や新左翼のビラや機関紙を 目にすることも無かったし、情宣に会うこともなかったので昔のことを封印することは なんとか可能だった。 しかし組織に残った昔の仲間は皆オレの弱さを笑い、蔑み、オレと彼等の命ある限り オレは一生彼等の目をまともに見れないと自分を卑下し続けていた。 後ろめたさに変わりは無いけれどもこのスレを読んでいるとちょっと救われる。 自分に言い訳するわけじゃあないけど(まあ言い訳か)戦旗に関わったのべ人数のうち 恐らくそのほとんどはコケており、年がら年中「決戦中」の新左翼の組織からコケることは 恐らくどのタイミングでコケても「○○決戦からの逃亡」になってしまうのだ。 考えてみればオレの活動中にもコケた人はたくさんいた。 アジトに置手紙だけ残して忽然と姿を消した人。 三里塚の現行で、普段は勇ましい決意表明をしながらも夜中酔っ払って 「オレは...オレは...何やってんだよぉ!こんなところでよぉ!仕事も辞めてよぉ!」 と暴れだしたヤツ。そして彼を正視できなかったオレ。 ここを読んでいる現役の人達は笑うかもしれないけど、 ここに集う人達は皆かつて理想に燃えながらも苦悩し続けた優しい人達に違いないと 信じているよ。 いつだって原則論しか言わなかったお前よ。 お前が作る世の中なんかにオレは住みたくないぜ。
>>306 「心の重荷」とか「後ろめたさ」っていうのは、なんか理解できないな。
「心の重荷」とか「後ろめたさ」とか感じる人間だったら、尊師みたいにケロっとポルシェになんか乗ってられん罠。
>>306 さんはいい人だよ。
マジメに自分の頭でモノ考える人間だったら、いずれは離脱する運命に在ったのさ。
気にせずまた運動に戻ってこい。時代は大きく動こうとしているぞ。
309 :
名無しさん@3周年 :04/06/10 17:18
310 :
名無しさん@3周年 :04/06/10 20:12
そうだな。復活というか勝ってに行動参加するのはやぶさかでない。 が、どの集会、どの行動に参加したらいいか考え込む。まさか社共というわけにもいくまい。 ブント系はなんとなく気が進まない(もち古巣はあの通りだし・・) あの統一委員会≠ゥ。いつどこで何してるかわからんし。 中核か・・・インターか・・・。問題はそこなんだよ。
311 :
名無しさん@3周年 :04/06/10 20:34
ンー 難しいよなあー。まあ305さんのように「一人一党のつもりで」ということかなあ。 それと、今では全国バラバラになって、どこで何してんだかわからんけど、その昔苦労した 仲間と一杯やりたいなあという気持ち、あるな。
312 :
名無しさん@3周年 :04/06/10 20:57
313 :
名無しさん@3周年 :04/06/10 20:58
そう!それあるね。 やっぱり、苦労を共にした同志だもんな。 気持ちは未だ若く、頭はすでに白くだけどな。
314 :
名無しさん@3周年 :04/06/10 21:00
怒涛のスレ見てたら、労活のことが出てた。たしか昔あの灰色ヘルメットと共闘集会 したような記憶があるが。宮下公園あたりだったかな・・・ よく覚えてないが。
315 :
名無しさん@3周年 :04/06/10 21:02
80年代も芝工のインターは、力持ってたからな。 参加112名と言うのはすごくないか。
>>312 アルバムの中にある「ミニデモ」にワラタ
317 :
名無しさん@3周年 :04/06/10 21:05
>>314 労活って、労活評のこと?。
三里塚では小屋のご近所だった記憶がある。
319 :
名無しさん@3周年 :04/06/10 21:26
ほかにそんな同窓会サイトなかったけか?たしかどっかに日大全共闘関係もあったような・・・ まぁ、80年のそのまた10年前の世代だけどさ。
320 :
名無しさん@3周年 :04/06/10 22:18
321 :
名無しさん@3周年 :04/06/10 22:30
日向っていうのが荒の先代の指導者?
322 :
名無しさん@3周年 :04/06/10 23:08
323 :
名無しさん@3周年 :04/06/10 23:22
日向翔は荒岱介のペンネーム。
324 :
名無しさん@3周年 :04/06/10 23:55
みなさんの大学は層としての形成、大学内フラクションというのは無かったのか。
325 :
名無しさん@3周年 :04/06/11 00:37
↑にも書いたけど、戦旗は学生戦線独自の闘争には無関心だった印象がある。 自治会、サークル、寮などに根ざした闘いはむしろ中核とかの方が熱心だったんじゃない? 学生はしょせん労働者の予備軍。 学生活動家だったオレの印象はそんな感じ。 学籍者メンバーがたくさんいた大学のメンバーはそうでもなかったんだろうけど。
326 :
名無しさん@3周年 :04/06/11 01:05
同窓会なあ.... 考えると楽しそうだけど、ここで昔の仲間とこんな風に話が出来るなんて 思ってもいなかったのでそれだけで充分楽しいよ。 みんなありがとうなどと2ちゃんでちょっとまじめに語るオレよ痛し。
327 :
名無しさん@3周年 :04/06/11 01:53
328 :
名無しさん@3周年 :04/06/11 01:58
血債をかけて勃起しよう。
>>328 40代のオサーンが深夜にナニ書いてんだよw
330 :
名無しさん@3周年 :04/06/11 04:12
331 :
名無しさん@3周年 :04/06/11 05:31
オレは30代後半だけどみんなちょっと年上の人が多いのかな?
332 :
名無しさん@3周年 :04/06/11 08:34
>>331 若干年齢のずれはあるよな。
でも大体、30代後半から40代前半層が一番多いんじゃーないかな。
ちなみに俺は後者だが。
333 :
名無しさん@3周年 :04/06/11 12:44
その年代だからこそ、今こうして思い出話ができるのかもな。 30歳前後の頃は多分できなかったと思う。 色々な思いがリアルすぎて。
> その年代だからこそ、今こうして思い出話ができるのかもな。 > 30歳前後の頃は多分できなかったと思う。 > 色々な思いがリアルすぎて。 激しく同意いたしますです。 時間がかかるよね・・・。
335 :
名無しさん@3周年 :04/06/11 17:13
90年代の人はまだ傷が癒えきってないと思われ・・・
336 :
名無しさん@3周年 :04/06/11 18:30
90年代と80年代では「傷」の質が違うのでは? どちらが深いとかは無しで。
337 :
名無しさん@3周年 :04/06/11 21:10
闘争の質も違ってるんじゃないか。大衆デモからゲリラ行動、援農あり、党組織の強化 時期等、その年代によって「こけた」時のの思いはさまざまでは。 オレは70年代後半から80年代初めあたりだから、もう「傷」なんて感覚はないな。 いろいろあったけど、いい体験だったし、今の生き方の肥やしにはなってると思っているが。
338 :
名無しさん@3周年 :04/06/11 21:24
大学中退(一応、某有名国立大)の俺は複雑。確かにある意味「肥やし」にはなった。 けど、今となっては後悔している部分もないとは言えない。みんな大学卒業したのか?
339 :
名無しさん@3周年 :04/06/11 21:38
>>338 中退はやっぱり活動が原因?
オレは要領よく卒業だけはしたけど。
340 :
名無しさん@3周年 :04/06/11 21:42
理系は簡単じゃない。4年のブランクはそっち方面を退化させるに十分過ぎた・・・
341 :
名無しさん@3周年 :04/06/11 22:07
オレも中退するつもりだったけど、この活動に入るきっかけをくれた人 (オレはその人を尊敬してた)に、ズルズルとせず、きちんとけじめをつけて 卒業しとけよ、と言われて改めて単位を取り、卒業した。 その人はガンで死んじゃったけど・・・
342 :
名無しさん@3周年 :04/06/11 22:19
>>341 ふーん...そんなことを言ってくれた人がいたんだね。
どっちかって言うと大学をきちんと卒業したいなんていうのは小ブル的発想って感じで
批判対象だったような気がしたんだけどな。
341さんにそれを言ってくれた人がメンバーなのかどうか上の書き込みだけでは
わからないけど、人生には往々にしてターニングポイントに助言してくれる人が
現れるということを実感する40歳です。
このスレは2ちゃんねる有料スレ大賞にノミネートされました 引き続きがむばってください
345 :
名無しさん@3周年 :04/06/12 02:09
今さらだけど「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!大人帝国の逆襲」を観た。 泣いたよ。傑作とは聞いてたけどさ。 思えばオレ達ちょっと「懐かし病」にかかってたのかもしれないな。 でもまあオレ達ももう40歳だ。 仕事も忙しいし、子育ても大変だ。 ちょっとくらい昔のあの頃のことを思い出したっていいだろ? つまらない利害関係や打算とは無関係に情熱を傾けていた時代が確実にあったんだ。 最近鏡に映った中年顔の自をマジマジと見てこう思うよ 「あの頃のオレは本当にオレだったのか?」と。 みんなあの頃自分が40歳になるなんて想像したか? あの頃自分が40歳になった時のことが全く別世界のことのようにリアルに感じられなかったのと 同じように、オレは今20年前の自分をリアルには思い出せない。 だからこのスレはとても貴重だ。 這いずり回るようなあの日々も間違いなくオレの青春の日々だったことを思い出せる。 しかし一方でだ。 オレ達の感傷とは無関係に世界は動いている。 オレはもう一回始めたぜ。 どっかの隊列でまた会おうよ。昔の愛すべき仲間達よ。
346 :
名無しさん@3周年 :04/06/12 06:52
>>306 革命党派というのは、情勢分析が主観的になりやすい。
「決戦」という用語をやたら使いたがるのもそれ。活動家を奮い立たせるという意味もあるのだろうが、長期的に見れば消耗させるだけ。
革マルは嫌いだが、革マルの労働戦線が「決戦」をもてあそばす、長期的な組織建設を行ってきたことは正しかっただろう。
ただそれが行き過ぎた結果として、本物の決戦(中曽根時代の分割民営化)からも逃亡してしまったわけだが。
主観的な情勢分析をやめて、「本物の決戦へ向けて力をたくわえる。そのために学習を重視し、革命家として末永く活動できるようにする」といった方針が必要だと思う。
活動のために仕事を辞めさせるなどあってはならない。(重要産業に再配置するためとか、専従として指導部に入るというのなら良いが)
三里塚闘争というような、階級闘争にとってあまり異議のない急進主義的運動のために全国動員した新左翼はそこのところが根本的に誤っていた。
347 :
名無しさん@3周年 :04/06/12 06:56
>>345 とうとうやったか。
ちなみに新サヨ系か、市民系か。
よろしかったら教えてくれ。
348 :
名無しさん@3周年 :04/06/12 06:58
学生時代は人生全体から見れば一時にすぎない。 この時期に激しい活動で消耗し、活動をやめてしまっては意味がない。 日共民青のように、「ちゃんと卒業し、就職する」という方針を採るべきだろう。 私の知っているある革マル活動家は、新聞社に就職した。(就職後も活動しているかどうかはわからないが。) 新左翼諸党派が、大学では影響力があっても、労働運動などでは日共や革マルに勝てなかったのは、学生時代に消耗してやめてしまうという愚行を繰り返していたからであろう。
349 :
名無しさん@3周年 :04/06/12 07:06
岡崎次郎『マルクスに凭れて六十年』は大変面白かったが、その中で興味深いくだりがでてくる。 岡崎次郎は法政の教授だったが、学内の闘争にはまったく共感を示していない。 学内の混乱に対して、「さっさと警察を導入せよ」との立場だった。 中核派の学生に対して、革命は児戯ではなく、大学の中でできるようなものではないことを諭した話がでてくる。 岡崎次郎はあまりにも学生運動を軽視しすぎてはいるだろうが、彼のような先輩知識人から学生活動家は学ぶことができなかったのか。
350 :
名無しさん@3周年 :04/06/12 07:12
年がら年中「決戦」を行い、そのために活動家を引き回すという活動はやめなくてはならない。 仕事を辞めるというような重大な決断は、革命情勢が到来した時以外はすべきではないだろう。 あくまで、息の長い活動家人生を送るために、長期的組織建設路線を取るべきだ。
351 :
名無しさん@3周年 :04/06/12 07:18
三里塚闘争については、思い入れのある人が多く、なかなか冷静に議論できないことが多い。 しかしあえていいたい。三里塚闘争は左翼にとって消耗であったと。 労働者が武装していない段階で、ちゃちな「実力闘争」で国家権力に勝てるわけがない。 全国から多くの活動家を三里塚に動員して、得たものは消耗だけだっただろう。 階級闘争の観点から見れば、空港労働者を組織することが必要であって、空港阻止など何の意義もなかったであろう。 このような運動に貴重な革命的青年を浪費するようなことは、二度とあってはならない。
352 :
名無しさん@3周年 :04/06/12 08:02
半分うなずき半分首をかしげた。というのが上記の方の主張を読んだ率直な感想です。このスレに何度もカキコ してきた者として、そしてあの80年代の一時に青春を賭けた者として少しだけ言わせて戴きたい。 組織を維持していく、労働者本体の組織を充実させるために労働組合の中に入り、ヘゲモニーをとっていくとい というような方向は異論がないし、あの当事の反省点だったかもしれない。しかしながら、だから戦闘的大衆運動 はほどほどに、まして武装的な戦いはいわんやおやというのは少し言いすぎのような気がします。 それでは組織を拡大した暁に、社民か共産に一票投じよう、議会で多数派をとり世の中を変えよう、という議会主義 に行き着くことになるのではないかしら。戦後の新左翼はその否定から始まったはずです。 革マル派の組織≠ニいいますが、現状はどうなんでしょうか?私は実情を知りません。組織重視といったってせいぜ い中核派と一緒かしれ以下の規模でしかないような気がします。そんな組織重視だけを掲げた党派の陥ったもう一つの 陥穽は何か?権力当局とは戦わない、戦えない、しかし他派は解体する、結果として階級闘争の桎梏としての存在にしか なってこなかった感じがします。そんな組織はスワ革命というその時にいったいどんな役割をするのか。 武器を持って血で血を洗う熾烈な対権力戦、民間反革命との内戦を見据えられるのでしょうか。 私は一揆主義的な武装闘争はあまり意味がないと思います。しかし大衆運動を戦闘的に導く事、時には街頭で機動隊と ぶつかったりすることは大切だと今でも思う。一種の教育の場でもある。それに決定的なところで逃げずに、徹底して 戦うことは人民の信頼をうることにもなろう。さんざん煽るだけあおり逃げるのは一気に信頼を無くす。 党建設の戦いというものと戦闘的大衆闘争のバランスの問題である。無意味に武装化するのではなく、また 水ぶくれに組織建設だけに埋没するのでもなく、その調和を目指すべきだと思います。
353 :
名無しさん@3周年 :04/06/12 10:25
354 :
名無しさん@3周年 :04/06/12 11:28
>>351 オレは三里塚闘争に関しては一定の勝利を収めたんじゃないかと思ってる。
*国の当初想定した空港は未だに完全には完成していないこと。
*国の当初の思惑よりも開港をはるかに遅らせ、それに伴い膨大な手間をかけさせた。
この二点は社共式の平和的反対運動では成し得なかったんじゃないか?
さっさと予定通りの滑走路を建設されてハイお終いだったと思うよ。
実力闘争を貫いたが故達成された勝利だ。
そして何よりも(そのような初歩的な武器であれ)人民が武装して、国と真正面から対峙したことにより
権力の心胆寒からしめ、人民の側も「やれば勝てる」という確信を実際的な感覚として
持てたというのが大きいんじゃないかと思う。
国のやることに唯々諾々と従う国民ばかりじゃないんだ、
そしてそれは自分や相手の命すら奪うことも躊躇しない闘いなんだということを身をもって示した
この闘争に権力は心底恐怖したに違いないよ。
オレ個人で言えば、この闘争が階級闘争として位置付くかどうかなんて考えたこともなかったよ。
権力と人民の利害は絶対に一致することがなく、それが剥き出しになればこういう闘いにならざるを得ないということを
あの場所にちょっとでも滞在したことがある人間なら空気として感じ取ることが出来たはずだ。
それは革命家にとっては大事なことじゃないのかな?
>>351 さんの論法に従えば、
>>351 さん自らも論証しているように現状革命勢力は全ての決戦から
召還しなくてはならなくなる。「まだその時期ではないし、その力量もない」ということで。
中核の革マル批判じゃないけどそれは「革命の彼岸化」じゃあないのかな?
革マルはそれにプラスして「他党派解体」が党是だから憎まれるわけだが...。
355 :
名無しさん@3周年 :04/06/12 17:06
つくった組織が何の役にも立たない組織じゃないほうがマシ。 御用組合以上に使い勝手がよかったりしてね。換骨奪胎どころか。
356 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 08:45
1.同志よ固く結べ 生死を共にせん いかなる迫害にも あくまで屈せず われらは若き兵士 プロレタリアの 2.固き敵の守りよ 身もて打ち砕け 血潮に赤く輝く 旗を我が前に われらは若き兵士 プロレタリアの 3.朝焼けの空仰げ 勝利近づけり 搾取なき自由の国 闘いとらん われらは若き兵士 プロレタリアの 思い出したかい 同志諸君
357 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 09:08
>>356 ノスタルジアだが、この歌を初めて歌ったのは、やはり三里塚だった。
集会はいつも雨に打たれていた気がする。
赤ヘルの同志が肩を組み合い体を揺らしながら歌った記憶は今も忘れない。
358 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 09:40
350代の投稿 革マル派、自画自賛に必死でつね。 さすが他派批判だけは一流のカルト・グループ。
359 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 10:07
やはりそうでしたか。どうりでチト変だなと感じていたが。 そもそも思いで語りのスレなのに、組織論、運動論持ち出すところ、 何か妖しさが漂っていました。けど、そういうのも中にはいるかと、 無視していたけれど。w
360 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 14:52
>>357 >赤ヘルの同志が肩を組み合い体を揺らしながら歌った記憶は今も忘れない。
オレも初めて集会に参加して、機動隊にこずかれ、あれこれやりあった後、
皆で肩を組み合いインターナショナル歌ったの思い出した。あんときはなぜか
涙がでてしまった。
361 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 14:55
いったい、皆さんは、ここで何がしたいのですか? ベビーユーザの意見が聞きたいです。 一覧にして、コメントがあれば助かります。
362 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 15:54
最初に赤ヘル被ってインター歌った時震えるような高揚感をおぼえたものだが 最後の方は惰性で歌ってた気がするな。 ああ、やっと終わった。マジックマンドクサ('A`)とか。ごめんなさい。
363 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 16:32
364 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 17:32
昔、日本向け北京放送がその日の放送終了後(午前0時か1時頃だったと思うが) インターナショナルを流してたよな。 どこの党派でもこれ歌ってたんじゃないか。違うかな・・・ おお、甦ってきたぞ・・・ 起てうえたる者よ 今ぞ日は近し さめよ我がはらから 暁は来ぬ 暴虐の鎖たつ日 旗は血に燃えて 海をへだてつ我等 かいな結びゆく いざ戦わんいざ ふるい起ていざ あゝインターナショナル 我等がもの いざ戦わんいざ ふるい起ていざ あゝインターナショナル 我等がもの
365 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 17:34
「レッズ」のオープニング萌えた
366 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 18:57
ソ連の崩壊時、これで 革命の阻害は無くなると語ってたよな。 ところが数年していつの間にか主義は過ちと語り始め、組織形態はそのままで NPOだと叫びはじめる。 粗の宗派といわれてもしかたないか。
367 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 19:12
>>366 しかも転向の理論的内容はお寒いばかり。
環境革命を主張するならそれはそれでいいが、組織形態を維持する意味はどこにあるのか。
368 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 20:06
いまの姿を語るな。気が滅入る・・・・ こうなる前の輝かしいブントの80年代を思い出がたるスレットなり。 頼む、今を語らんでくれ・・・・
369 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 20:14
↑ そのとおり。このスレと今のアラとは関係ないよ。 ここは同窓会的スレなんよ。猛省です。
370 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 20:29
でも今がアレだからw こうやって昔の思い出話しも出来るのかも
371 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 20:33
>>370 自分が元中核で、今中核派がワールドアクションなんかで地道に若者集めて
大衆運動展開してるの見たら身の縮む思いがするかも....。
372 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 20:35
うーん。確かに。 自己批判しろなんて言われないしな。 主義捨てたわけだから、立場はいまや同じだし。 それに今の主義者には昔は語れないだろうしな。
373 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 20:40
>>371 おれは元中核だが、数学の勉強に没入している。
374 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 20:45
中核は理系多いよな・・・ 地方の話だが・・ どこの党派であれ止めたらただの人。 好きな事、没入できることに熱中すればよし。 傷跡深く、精神的に参るよりずーっと健全だ。
375 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 20:55
70年代あたりまでは学生運動といったら文学部や経済学部、法学部といった文系が主流だったが、 その後、80年代に入ると文学部はすっかり堕落し、経済学部はシラケまくり、法学部は反動化する 一方だった。教育学部はいつも民青の溜まり場で。逆に、理学部や工学部、農学部など理科系が多くなる。 なぜだろうか。バブルとかに踊らない真面目な学生が多かったためだろうか。 かのスーフリは確かに文系学生ばっかだったような。文系の奮起を!!
376 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 21:14
>>375 スーフリは確かに文系多かったが東大農学部もいたぞ。
ま、それはともかく、最近は社会学なんかで差別やらジェンダーやらやって問題意識持ってる女子学生がけっこういたりする。
学生運動はやらないが、戦後補償の集会なんかで「あれ、あの子じゃん。政治に関心あったのか?」なんてのが何度かあった。
そう、社会的関心の高い学生、勉強してる学生は決して減ってはいないハズだ。 しかしそんな若者を受け止められる「受け皿」が存在しないだけなのだ。 情報過多な現代、彼らには既存党派のドキュソっぷりも全部見えてしまっていて、 「こんな連中とは付き合ってられないぜ・・・」と思われているだけなのだ。
378 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 21:36
それではどのような「受け皿」ならいいのでしょうか? 一見もっともらしい提案だけれど、その先も語ってくれないと意味が半減かと。 語れないならもっともらしいことを言うのは控えたほうがよろしいと思います。 単なる批判、非難にしか聞こえませんので。
379 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 22:12
senkiの最新号で、北朝鮮脅威論を煽ってるぞ。 あーあ、彼らが批判しているブッシュとレヴェルが変わらないねえ。 難民が押し寄せてくるだとか、核兵器が飛んでくるだとか…。 最近はアジアと連帯だとか言ってるけど、これでは無理。
380 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 22:34
>>374 数学は理系ではない。
むしろ哲学に近い分野である。
381 :
名無しさん@3周年 :04/06/13 22:44
それは「屁理屈」。 わかるよ数字の哲学は。 けどやっぱり」数学は理科系だよ。 すべての理系の基礎。 文学部哲学→理学部数学科は絶望的でしょに。 多分、ゼロとは何?とか1+1はなんで2なんだとか 逝ってる香具師は理学部数学科には逝かんよ。
382 :
名無しさん@3周年 :04/06/14 13:19
活動家時代は全く授業に出てなかった,,って言うか大学自体全然行ってなかったので 学部なんて関係なかったな。 それよりも他党派の影響力が強くない大学は軒並み情宣に出かけたので他人の大学には詳しくなった。 今仕事で誰かが「私○○大出身で」とかいう話になると「ああ○○駅の近所ですよね」とか言ってしまって 「詳しいですね」とか不思議そうな顔されたりするよw
383 :
名無しさん@3周年 :04/06/14 21:31
>>382 わかる、わかる。
で、当然中退だよね。俺も。
384 :
名無しさん@3周年 :04/06/14 22:13
オレはとある大学の自治委員だったが、結局・・・・中退だった。せめて大学くらいでておきゃいかったと多少悔やみ。
385 :
名無しさん@3周年 :04/06/15 01:00
現役の東大生なんかもいたけど、みんな中退しちゃったのかなあ?
386 :
名無しさん@3周年 :04/06/15 01:11
みんなあの頃の経験が今の仕事に役立ったことってある? オレは接客業なので、あの頃の情宣→署名をしてもらう→喫茶店まで連れて行く →地区の前段集会に連れて行く→全国闘争に連れて行く→組織に結集させる... という日々の繰り返しが確実に役に立っている。 「普通の市民」を「過激派の集会」に連れて行くことを思えば、自社製品を買わせることなど屁でもないよ。 新入社員の研修の時にすでにそう思った。「なんだ楽勝じゃん」と。 反面他党派や市民団体との折衝などは全く経験せずに終わったので、今他社との交渉などは ちょっと苦手...。 その辺りが役に立ってるって人いる??
>>347 遅レスでスマソ。
>ちなみに新サヨ系か、市民系か。
>よろしかったら教えてくれ。
んー。まあ市民系になるのかなあ?
あんまり詳しくは書けないけど、その辺は察してくだされ。
もちろん昔のことは全く話してないw
まあ思うところ色々。
「変わったなあ」というところと「変わってないなあ」というところ両方ね。
388 :
名無しさん@3周年 :04/06/15 06:32
>>387 了解。
やっぱすごいよな。
俺なんか最近の世相がどんどん右傾化するなか、(俺の妻方の両親も典型的な
自民支持だし)極力テレビニュースは見ないようにしている。見ると滅入るから。
頑張ってくれ。力になれることがあれば力になりたい。(カンパは小額で)
389 :
名無しさん@3周年 :04/06/15 06:58
>>386 そうだなー。
組織内(職場での)の意思統一では、力を発揮してるな。
組織作り(会社づくり)は人づくりであることにはかわりがないしな。
下向的分析、上向的総合の考え方は、管理職になった今でも問題解決の方法として
重宝している。
390 :
名無しさん@3周年 :04/06/15 07:19
飛び込み訪問で大成功しました。今はとある訪問販売会社の幹部になりました。 あれ経験してればどんな営業も屁でもない。富士山幹部養成なんとやらなぞ児戯に等しい。 あの頃のみんな、事業起こせばきょうび成功しないはずはない。がんばろう。
391 :
名無しさん@3周年 :04/06/15 08:44
392 :
名無しさん@3周年 :04/06/15 15:13
393 :
名無しさん@3周年 :04/06/15 20:25
今日も仕事お疲れさん。 80年代の元活で出世した奴はどこまでいったんだろう。 スマソ、M原は除いて。
昔の他スレで元カクマルで起業した人が 「あれだけ組織論叩き込まれてれば、会社経営なんてずっと楽」と逝っていた。
395 :
名無しさん@3周年 :04/06/16 21:36
営業しないタイプ。倒産確実だな(w
396 :
名無しさん@3周年 :04/06/17 00:33
>394 会社が社長を中心に同心円状に広がっていくのか? 資本主義的感性を持った社長の
397 :
名無しさん@3周年 :04/06/17 05:40
同業他社は徹底してツブすよ。 その点チュンは談合体質で 仕切り役をやりたいタイプだな。
398 :
名無しさん@3周年 :04/06/17 10:49
>元革マルの人の会社 ライバル会社の顧客に徹底してナーバス。 自社製品が売れないのは全て他社や業界団体の謀略。
399 :
名無しさん@3周年 :04/06/17 10:54
顧客にナーバスしてもメリットないよ。 やっぱり オーナーとかスタッフが相手だろ。
400 :
名無しさん@3周年 :04/06/17 14:09
じゃあ元戦旗が会社起したらどんな感じ? 業界最大手の他社には常に低姿勢。 ↑言われる前に書いておいたよ。 なんか愚直なまでに営業につぐ営業って感じかな?
401 :
名無しさん@3周年 :04/06/17 19:35
>>400 笑えた。
愚直なまでに営業につぐ営業
たしかにそうなるな。
おれはどうせブル転したんだから、絶対に起業をおこす。
そうじゃねきゃ意味無いと思ってる。
402 :
名無しさん@3周年 :04/06/17 19:57
社員旅行とか盛り上がりそうだな。 昔の地区の合宿とかもカナーリ凄かったよ。 みんな芸達者だったしね。
403 :
名無しさん@3周年 :04/06/17 20:06
確かに皆、今の置かれてる状況で奮闘し、かつての闘争経験が生かされてるって 面はあると思うけど、人生というか、世の中を斜に見てしまうことないかい。 これ、活動家に共通した心理だと思うんだが・・・
404 :
名無しさん@3周年 :04/06/17 20:10
戦旗の人って愚直で失敗しそうと思ったけど。
405 :
名無しさん@3周年 :04/06/17 20:12
>>403 そうね。なんか要領だけで世の中渡ってる香具師とか見ると心がささくれ立つよw
そういう野郎と話す時って多分オレは昔の犬のような目になってんだろーなーとか思う。
ただ原則を曲げずに愚直にやってれば見てくれる人は見てくれてるということも
同時に学んだ20年間だった。世の中そう捨てたもんでもないな。
406 :
名無しさん@3周年 :04/06/17 20:41
普段はただの一市民だけど、政治的なことになるとけっこう突っ張る主張を したりして、「共産党の人だと思ってたけど、違うんですネ」なんて言われて ウーン、まあその・・・なんて言葉に窮したりしたこともあった。 それはそうと、元活動家はつい、「メルクマールは」とか、「教条主義的に」 とか「意思一致を」なんて言葉が出て、仕事先で、あっ、もしかしてこいつもかなんて ことけっこうあるぜ。
あるある〜w
408 :
名無しさん@3周年 :04/06/17 21:48
>>403 だから俺はこうして掲示板で己の存在を確認してるんだなと一面悲しくもなる。
どうせブル転したんなら、昔の同志で同じ仕事をやるのもこれまた人生かなと思ったりする今日この頃。
409 :
名無しさん@3周年 :04/06/17 21:49
オレはしがない業界のしがない会社につまらん内勤として安い給料に甘んじて就職した。 それから15年が過ぎた。いまは何だかんだいって経営まで上りつめた。部長でそれなりに給料もらう ようになった。おかしい事はおかしいといい、やるべきことは情熱を背景に論理的に主張する。 誤れる連中や私利私欲に走る連中はことごとく論破してきた。 大学中退した身だが、今の時代、学歴なんか何の役にも立たない。 実力だ。そこには思想はない。だから過去の思想を抜いたあり方を貫けばよかった。 役員になり金が自ずと入れば、もし、もし、支援できる左翼があれば半分は支援するよ。 それが中核なのか解放なのか、ブント諸派なのかは今後を見させてもらおう。 パラドックスだが今の自分は左翼によってできた。また、思想を問われれば、当事とそれほど 変わらぬと確信している。だから、もっと頑張ってくれ。オレもがんばる。 (階級性抜きにした変な理屈だがご勘弁・・・)
410 :
名無しさん@3周年 :04/06/17 22:01
ええ話や(涙
411 :
名無しさん@3周年 :04/06/17 22:43
>395 カクマルの営業、けっこうマメにやっているんじゃないの? 京都の某大学生協の書籍部にこぶし書房の名刺があったのには驚いた。
412 :
名無しさん@3周年 :04/06/18 00:12
>>406 先日取引先と軽くモメた時に
「部署ごとにちゃんと意思統一しておいてよ!」とか言ってしまった。
このスレのせいだw
確かに戦旗は「メルクマール」ってよく使ったよなー。
413 :
名無しさん@3周年 :04/06/18 00:15
>>409 泣けた....。
オレもカンパしよ。
問題は「どこに」だ...。
414 :
名無しさん@3周年 :04/06/18 00:51
尊師のポルシェに化けたんじゃ洒落にもならんしなw
>413 >もし、もし、支援できる左翼があれば半分は支援するよ がんばれ!今日は楽しかった。部長さん。孤独な夜に乾杯! キーボートの音に乾杯!おやすみなさい。
416 :
名無しさん@3周年 :04/06/18 10:41
オレはタイムスリップしてあの頃のオレにカンパしたいよ。 一万円札渡して「これで映画でも観て美味いモンでも食えよ」って。 「そろそろシャツや靴も替えた方がいいぞ」と....。 あの頃のオレにとっての一万円は多分今の10万円よりも大金だ。
418 :
昔貧乏学生→今経営者 :04/06/18 15:29
今から思うと一万円あったら、大喜びで肉かうなぎを食べてたら良かったんだけど 実際は当時一万円あったら、インスタントラーメンの大量買い込みw
419 :
名無しさん@3周年 :04/06/18 15:40
>それが中核なのか解放なのか、ブント諸派なのかは・・・ こういう時ってマルは完璧に対象外にされてるのはなぜ?
420 :
名無しさん@3周年 :04/06/18 16:07
っていうより そんな腐敗分子と 一緒にしないでくれるかね
このスレは2004年上半期優良スレ大賞最有力候補にageられています。
422 :
名無しさん@3周年 :04/06/18 16:52
ヽWノ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 〜′ ̄ ̄( ゚Д゚) < それいいすぎ! UU ̄ ̄ σ b \_______
423 :
名無しさん@3周年 :04/06/18 21:02
>>412 かつての左翼用語もそうだが、略字もいまだに使ってしまう。ついメモなんかに書いて
しまうんだな。石K言N(確認)とか、あるいは左翼が多用した中国の略字とかを。
手書き原稿がついゲバ字スタイルになったり・・・
424 :
名無しさん@3周年 :04/06/18 22:17
たしかに。結構言葉は残ってるよね。その中でも 意思統一は結構出ちゃうね。 今日も会議で意思統一の問題じゃないの。と言おうとして、意思一致は出来てんのに変えた。 主体的にって言葉もよく使うよね。
425 :
名無しさん@3周年 :04/06/18 22:20
株主総会で桜で「異議なし!」て言わされるけど妙に力入る。俺も堕ちたもんだw
是非「ナンセ〜ンス!」と逝って欲しかった・・・
427 :
名無しさん@3周年 :04/06/18 23:47
話は変わるけど、今回の長崎の事件はどうよ? 親も世代的には近いし、正直親父の子を思う気持ちは、子を持つ親としては胸が詰まる思いにかられた。 少年法の改正には複雑な思いを抱きながらも、一方残虐性は強まるばかり。 元サヨとしてどう考える?
428 :
名無しさん@3周年 :04/06/19 07:58
429 :
名無しさん@3周年 :04/06/19 08:11
元サヨとか関係なく報道を見てて思うのは いくら大人があれこれ分析しても11歳の女の子の心の中なんて絶対分からないと思うよ。 ただひとつだけ憶えてるのは、オレも11歳の時には殺したいヤツの一人くらいリアルでいた。 そんだけ。
433 :
名無しさん@3周年 :04/06/19 11:02
オレを痛めつけた洪庵デカを頃四手やろうと、一時期だが本気で思った。
ブントすれなのに恐縮だが、433ほどの経験が無いおいらでも、 間抜けな法規を振りかざし違反切符を切り、 街中で罵声を浴びせ掛けやがる交通課のくずどもに対しては 将来 相応に間抜けな法規を用意して 報復をしたいものだ。 違反の抑止に努めず、違反させて捕まえる糞どもめ…むむむ。 逆に、交番の警官の諸兄は、抑止に努めるので敬愛と尊敬を持ちますです、はい。
435 :
名無しさん@3周年 :04/06/19 12:43
2ちゃんとは思えん有料スレだ。
436 :
名無しさん@3周年 :04/06/19 15:57
>>433 その気持ち同感。
本気で後をつけまわす奴らの車にガソリンをブン撒いて焼き殺してやろうと思ったことは、数数え切れないな。
あいつらも本気だったし、こっちも本気だったし。
実際取り囲まれて殴る、蹴るの暴力は一度や二度じゃなかったからな。
でも実際やってたら、この場でカキコ出来たかどうか微妙だが・・・・・。
437 :
名無しさん@3周年 :04/06/20 01:43
438 :
名無しさん@3周年 :04/06/20 03:10
ところで、公安の写真ってどんどん撮った方がいいの? 写真を撮ってネットに流したほうがいいのかな?
439 :
名無しさん@3周年 :04/06/20 07:41
>>438 やるだけ無駄でしょう。
それより、住所録が、ネット上に流れているという情報が、週刊誌に載ってたよな。
相手が恐怖を抱くのは、相手が行っているように、こちらも住所・家族構成を掴み
電話の一本でもかけるほうが、打撃と思うが。相手は所詮仕事でやってるわけだし。
440 :
名無しさん@3周年 :04/06/20 07:50
>>439 そういや、革マルの非公然アジトが摘発されたとき、革マル担当公安の家族構成や、
子どもの通学路やらが出てきて、公安は身震いしたとかあったな。
写真についてだけど、顔写真がネットに流れるだけで、工作しにくくなったりするだろう。一定の効果はあるんじゃないの?
441 :
名無しさん@3周年 :04/06/20 07:52
デモとかで公安の写真を撮った場合、どこに投稿すればいいの? ここは画像UPできないし。
442 :
名無しさん@3周年 :04/06/20 07:59
職務中の公務員には肖像権はないはずだよね。
443 :
名無しさん@3周年 :04/06/20 12:04
>>440 ○でビビルぐらいなら、青だったら仕事辞める奴が出てきてもおかしくないな。
444 :
名無しさん@3周年 :04/06/20 12:56
「反体制的考察」〜80年代論文集 朝からペエジめくりあの頃の気分に浸っていた。 胸が熱くなり闘争心の芽がムクムクと沸き起こるオレって・・・ 現在のマッタリした日常、一方で反動化する社会の動き「劇場」のように眺め。 自己を喪失した状態が今も続いているんだな・・・など内省してみたりしてw
445 :
&rlo;∪・ω・( &lro;弱い犬 ◆JrNMd471Nk :04/06/20 13:04
>441 犯罪教唆はいけないのでこんなところで聞かないで下さい。 WinMXとかWinnyでアップなんてしてはいけません。絶対にやめてください。勘弁してください。
446 :
名無しさん@3周年 :04/06/20 13:43
>>444 昼から酒飲んでんじゃないか?
俺は家族も出かけ酒飲みながら本読んでた。山田宗樹 死者の鼓動 だが
時間の無駄だった。
それは解るが、今はその組織は無いし、どこにいくのよ?
残念ながら無いのよ。それとも戦闘的市民運動をたちあげる。アメリカ並みに。
それなら賛同するよ。
447 :
名無しさん@3周年 :04/06/20 19:34
>>446 446ですが、おっしゃるとおり、いくところが問題ですね。
先に部長さんがいっていたように、カンパくらいでしょうか。現実的には。
また「のめりこみ」そうでね。ブント系といっても最近の「統一委員会」と
「プロレタリア戦線派」くらいしか勢力はないんでしょうね。
あとは中核か解放(三派)くらい。最近の中核あたりは悪くないと思います。
戦闘的市民運動もいいですね。
448 :
名無しさん@3周年 :04/06/20 19:38
失礼447は444でした。晩酌して酔いが回ってるかなw 因みに、昼間はお酒戴いてませんでした。
449 :
名無しさん@3周年 :04/06/20 19:40
450 :
名無しさん@3周年 :04/06/20 20:01
>>447 そうだけど、やっぱり革共同には抵抗あるね。
駅での情宣に会ったら今ならカンパはするけど。80年代の、運動の囲い込みとそこでの己の主張の絶対化だけは
どうも 抜け切らない。
451 :
名無しさん@3周年 :04/06/20 20:13
>>450 あくまで消去法での選択。選挙は社民党あたりだけど、どうも運動的には生ヌル過ぎてなじめないねw
レーニン主義の新党なぞ、これからは出ようはずも無く。世の中大変な方向へ向かい焦燥感は募るばかり。
せいぜいここで昔語りして、心を癒すくらいが関の山の今ですよw
452 :
名無しさん@3周年 :04/06/21 00:03
こうなったらみんなで中核に加入戦術でもとるか
453 :
名無しさん@3周年 :04/06/21 01:00
そ・・それだけは辞めようぜ。
454 :
名無しさん@3周年 :04/06/21 01:24
いや、それもいいかも かつて、清水・北小路らの第一次ブントが革共同を 乗っ取ったように、今度は第ニ次ブントの流れを汲む 者が大挙して加入したら、ナニかが変わるような気が しねぇか? (オレ、酔ってるのかな)
455 :
名無しさん@3周年 :04/06/21 01:30
将来の新左翼史(高沢皓司あたりに書いてもらうか)には記されるだろうな。 21世紀に入り、革共同中核派は日向ブント(しかもコケ組)によって 乗っ取られたってな。
正直 もう活動はいいよ・・・ 今が一番充実している
457 :
名無しさん@3周年 :04/06/21 01:47
>>456 気持ちはわからないでもない・・・
でも、女房・子持ちになっている今こそ
そしてきちんと仕事をできている今こそ
(浮ついたものではない)党活動と大衆運動
がきちんとできるような気がするし、
もし、そういう機会があるのなら(たとえ中で
あったとしても)やってみたいという気持ちが
心の底にはあるんだよね・・・
(今が一番充実しているってことには禿同)
459 :
名無しさん@3周年 :04/06/21 06:31
460 :
名無しさん@3周年 :04/06/21 10:14
オマエ等 マルに来いよ マルがかえ してやるよ。
461 :
名無しさん@3周年 :04/06/21 10:22
それよかアオを救ってやれよ
462 :
名無しさん@3周年 :04/06/21 10:32
中核に加入し、密かにメンバーをオルグ。 一定の勢力になったところで分派を立ち上げる。 分派の名前は..。 そうだな..。 「勝利に向かっての試練」派なんてどう?
463 :
名無しさん@3周年 :04/06/21 10:35
二番煎じだよ。
464 :
名無しさん@3周年 :04/06/21 11:22
・・・・・革マルブントが中核に加入戦術したら、先祖帰りするんじゃねえのか?
465 :
名無しさん@3周年 :04/06/21 11:33
>>464 あたりすぎて笑えるのだが、当人たちは日向が赤ヘルかぶった革マル
ってことを、自覚していないみたいだから、意味がない。
少なくこと、ここに書きこしている連中はね。
昔話してるだけだし、君の言ってることもそのまた大昔だから、
その当たりのことは、いいんじゃないかな?本家ももうバラバラだし。
466 :
名無しさん@3周年 :04/06/21 12:29
中核ってそんなに バラバラなの?
467 :
名無しさん@3周年 :04/06/21 13:09
パラチェンがバラバラてこと
468 :
名無しさん@3周年 :04/06/21 13:13
「本家」ってのは革マルのことを指してるんじゃない? JR総連との分裂のことなのかな? よく分らないけど。 むしろ中核は大衆運動主義がうまく機能しているように見受けられるよ。
469 :
名無しさん@3周年 :04/06/21 13:14
血債猛省しろよオメーラ
471 :
名無しさん@3周年 :04/06/22 05:17
↑ どうも異質な方のようですね。
472 :
名無しさん@3周年 :04/06/22 16:08
先日会議の時に「では○○部署より決意表明を行ってもらいたいと思います」とか言ってしまった。 言われた方は「決意表明って....プレッシャーだな..」と苦笑いしてた。 やっぱりあんまり一般的な言葉ではないのねw
473 :
名無しさん@3周年 :04/06/22 20:00
意思統一 → コンセンサス、同意、合意、根回し 決意表明 → 心構えを述べる メルクマール → 基準、一定のレベル、到達目標? アジる → あいさつ、所見を述べる、訓示、プレゼンテーション オルグ → 営業、部下を掌握 イデ闘 → 同業他社との競り合い 血債猛省 → 法令遵守、コンプライアンスの徹底、クレーム対応? 安保日韓 → 収益確保と企業の社会的責任の両立w スタ克 → 官僚主義、ことなかれ主義、マニュアル主義の克服、すぐやる課 ウォッチ → 情報収集 水溶紙 → シュレッダ 援農 → 出向? 消耗 → 過労 幹部だった人がいつのまにかいなくなってる(粛清) → リストラ、左遷 コケる → 自己都合退職 公然非公然の闘い → 事実上の談合、暗黙のカルテル、鈴木宗男 3点セット → ? 夏でも長そで → 夏でもスーツ 法廷闘争 → 訴訟対応 革命的左翼としての矜持 → ? 組織防衛 → アコム、弁護士 ? → 研究開発 ? → 経理
474 :
名無しさん@3周年 :04/06/22 20:15
援農ってどういうことなの? 空港反対闘争だけでなく、農業も支援するってことをやってたの?なんで?
475 :
名無しさん@3周年 :04/06/22 21:53
>>473 良く出来てるね。(笑)
これで、ひとまず大丈夫か。
闇に隠れて生きる俺たちゃ 元活人間なのさ。(妖怪人間の歌)著作権で
逮捕されないよな。
>>474 援農 ・・・。うーん懐かしい響き。80年元活にとってこれを抜きにして語れないし語ってない。(笑)
これは党派によって位置づけが違うので統一した概念は無いんじゃないか。
基本は、反対同盟農民と支援との農作業を通じた交流と相互理解が最初はあったんじゃ−無いかと思う。
当初三派が三里塚に入ってきたとき、同盟は学士さまがやってきたというんで、大層なもてなしをしたそうじゃ。(同盟から聞いた話)
それはおいといて、当初の目的は闘争により、畑・田の管理が滞るなか、農民支援の一環として始められたものだと思う。
ゆえに同盟=農民=生活手段=田・畑→闘争=生活の犠牲=同盟からの脱落→生活支援=援農だと認識していたが。
スマソ。我々の場合は、学ぶが入るが。
476 :
名無しさん@3周年 :04/06/22 21:57
ブルジョア農民に利用されてただけだろ。 まぁ自分たちも農民を政治的に利用してたから どっちもどっちだが。
477 :
名無しさん@3周年 :04/06/22 22:14
478 :
名無しさん@3周年 :04/06/22 22:21
479 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 00:13
オルグの最終段階になると地区のキャップが出張ってくるのって 契約の最終局面で上司に同席してもらうのに似てるな。
480 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 00:19
>オルグの最終段階になると地区のキャップが出張ってくるのって 統一協会の勧誘でもアジトのマンションにカレーを食べについていって、あれこれ論破していたら、そこの親玉がでてきて、 個室で一対一で勧誘されたことがあったな。
481 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 01:09
欠け恥糾弾!革マル一掃!創価・統一爆砕!日共民青解体!
482 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 01:22
483 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 02:07
484 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 02:13
つかさ〜、市民運動業界って「元ナントカ派」の人がいっぱいいるんだが、あんまり「元日向」って遭遇しないんだよね。 そもそも主体の形成の仕方が「運動的」じゃなくて「会社的」なんじゃないかと今オモタ。
485 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 02:44
486 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 06:00
共産同(統一委員会)について語るスレはないの?なかったら誰か立ててくれない?(制限で立てられないので。) 共産同(戦旗派)と共産同(烽火)が合同して統一委員会になったんだけど。
487 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 06:09
488 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 06:15
富士を眺める 麗しいせんき社 ポルシェ仰いで 歓呼にどよめく ハイデガーの偉業継ぐ 人民の哲学者 まんせー! まんせー! 荒岱介将軍
489 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 06:25
490 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 06:47
なるほど。 そう言われればそうだよな。 それは、 でも組織に己の全てを投影させようとした結果と思う。 その辺りがブントの○と言われる所以かもしれないが・・・・。 中は、現状全体が地盤沈下を起こしてる中相対的に浮上してきただけかなーと思うが。
491 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 06:57
そうだね。はこれといって突出してる部門がないね。 学生だって強くはなさそうだし。特徴なく現状維持している感じ。 その間にまわりがこけているだけかもね。マルもしかり。
492 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 19:10
藻前らって本当に80年代の一時期だけの党派みたいだな。 2次ブントからの残党もいないし、その後本体はあんなだし、コケたやつは 運動から離散??? 80年代に粗が若い香具師を一本つりして集めたかんじ?
493 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 20:52
>>492 それはそうかもしれないが、お宅は現役なの?それとも元活だけど、組織からは
離反したが、市民運動を行っていることに己の存在感を確認してるオヤジ?
このスレは、確かにお宅から見れば、頭にくるかもしれないが、60年代も全国
20万近い学生が闘争に加わり何人残ってんのよ?現存数÷2,000,000=?
そればかりか大多数は、立派な企業戦士で己の出世しか頭にない人じゃないの。
そうした現実に目をつぶり、あれこれ言われる筋合いは無いと思うが。
494 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 21:00
:名無しさん@3周年 :04/06/17 21:49 オレはしがない業界のしがない会社につまらん内勤として安い給料に甘んじて就職した。 それから15年が過ぎた。いまは何だかんだいって経営まで上りつめた。部長でそれなりに給料もらう ようになった。おかしい事はおかしいといい、やるべきことは情熱を背景に論理的に主張する。 誤れる連中や私利私欲に走る連中はことごとく論破してきた。 大学中退した身だが、今の時代、学歴なんか何の役にも立たない。 実力だ。そこには思想はない。だから過去の思想を抜いたあり方を貫けばよかった。 役員になり金が自ずと入れば、もし、もし、支援できる左翼があれば半分は支援するよ。 それが中核なのか解放なのか、ブント諸派なのかは今後を見させてもらおう。 パラドックスだが今の自分は左翼によってできた。また、思想を問われれば、当事とそれほど 変わらぬと確信している。だから、もっと頑張ってくれ。オレもがんばる。 (階級性抜きにした変な理屈だがご勘弁・・・) >こんな部長さんもいる、人それぞれだよ。
495 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 21:07
>>493 いや、大半は釈然としないものを抱き、左翼本を一杯買って読んでいるようだ。
それを単純に「ブル転」と言うのはいかがなものか。内面的実存と、社会的=
物質的実存の分裂もまた、資本主義的ありようではないかね。
>>494 その気持ちはわかる。その上で。
主張よりも実践を見るべきと思う。中核派も、変わろうと苦闘している
のはわかる。申し訳ないが、他の党派のことまでは知らないけど。
496 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 21:16
>>495 であるからこそ、492のような言い方をされると無性に頭にくる。
498 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 22:05
最近このスレに書き込むようになって頭が活性化してきている。 政治的にと言うこともあるが、それ以上に自分の思考のあり方が。 やはり人は、他との関係性で成り立つものであるとつくづく思う。 同窓会マジでぶち上げようかな。(笑)
499 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 22:29
あれから十数年、社会の様々な機構にいろんな形で入り込んでいるんでしょうね。 どこでどんな風に頑張っているのか、苦しんできたのか、じかに聞きたいもんだね。
500 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 23:33
つかなんで今の状況で市民運動にでも労働運動にでも復帰しないの? 回路が無い?やり方がわかんない? レーニン主義の党なけりゃなんにもやれないのかよと言いたくなるんだが。
501 :
名無しさん@3周年 :04/06/23 23:49
で、そう語っているあなたは何なの? これは茶化してんるんではなくマジで。
アフガンの時に何年かぶりに運動に復帰して、今はそこそこの運動やっている元なんとかだが。 戦旗じゃねーがな。 昔、デモや会議でよく一緒だった戦旗の某さんや某さんなんかはどうしているのかなーと思うわけよ。
503 :
名無しさん@3周年 :04/06/24 00:40
その昔オレは世界を相手に闘ってるつもりだった。 闘わないヤツらはみんな遅れた大衆で卑怯者のエゴイストで、つまりはダメな連中だと思ってた。 でも500さんも元活なら「人にはそれぞれ事情がある」ってことも知ってるはずと思う。 そういうオレもまた最近復活した組だ。もちろん昔のようなペースじゃやってないよ。 まあボチボチやろうぜ。 案外元活は世の中変えるかもしれないよ。
そうさな。 戦旗の場合は、党の方が転向したつー変な形だから、あの時にやめた奴は単純にもったいないと思うんだよな。 あんたらの場合、誰か旗振りやって運動に復帰する回路作ったら、たちまち大勢力になるんじゃないのか? 「人のそれぞれの事情を考慮する運動」が普通の市民運動だよ。
505 :
名無しさん@3周年 :04/06/24 01:12
>>498 >同窓会マジでぶち上げようかな。(笑)
マジでやっちゃってよ。まずは首都圏からか。新宿西口公園集合か?
506 :
名無しさん@3周年 :04/06/24 03:31
新宿西口も悪かないけど オレは、ヒシダに集まってみたいな。
507 :
名無しさん@3周年 :04/06/24 06:34
西口公園といやあ、甲斐バンドの野外コンサートあったな。 いまは都庁でしょ。 西口で街宣し、ションベン横丁で焼き鳥どう? 集まったカンパはイラク行くジャーナリストに寄付。誰でもいい。 みんなアカヘルもって来いよ。そして戦旗(元)と書いてさ。 シロも歓迎するよ。
508 :
名無しさん@3周年 :04/06/24 08:22
千期はシャレになってもはシャレにならんだろう
509 :
名無しさん@3周年 :04/06/24 08:46
510 :
名無しさん@3周年 :04/06/24 09:13
だから元中核なんか普通に運動に復帰しているって。 元戦旗の方が実はシャレにならんのではないか?
511 :
名無しさん@3周年 :04/06/24 18:45
まあ、無理に復帰と思わず、共産趣味者○○派のままでよろしいかと・・・
512 :
名無しさん@3周年 :04/06/24 18:55
>>504 今、ゆえあってレーニンを読み返しているが、レーニンというのは言うまでもなく
職業革命家だな。指導者としてああいうのは必要だが(階級闘争はある意味生きる
か死ぬかの戦争だから)、だが、闘う奴らみんながああいう風にならなければなら
ない、という風に考えたら、大間違いだな。
そんな了見では、生活抱えている人間は殆ど運動に近寄れない。そういうことを
キチンと踏まえている指導者って、日本にはかつてどれだけいたんだろうね。
それはともかく、ボチボチやりましょうね、お互い。
514 :
名無しさん@3周年 :04/06/24 23:18
>>513 レーニンが書いたものは、「非合法・非公然」の状況下での党建設についてである、というのが当たり前だけど抜けている場合が多い。
515 :
名無しさん@3周年 :04/06/25 01:19
荒岱介はレーニンじゃなかったって話か?
>>514 権力奪取後も、干渉戦争・内戦を口実に、赤色テロルを肯定している
ね。それは状況を考えれば仕方がない部分があるんだけど、だが、
余りにも「広汎に」使用され過ぎた感じが否めないと思うが、どうか?
武装反革命では決してない、農民の処刑、聖職者の処刑、教師の
処刑・・・・。旧体制を無自覚に支えていたという理由だけで、ラボアジェ
を処刑したフランス革命のようで、革命の大義を傷つけているね。
517 :
名無しさん@3周年 :04/06/25 18:44
大体組織に結集して学習するにつけ「共同主観」とかそういう言葉を 自分に納得させるのが大変だった。 そういうのが大嫌いだから左翼になったのに...。 ただ当時の指導部が「それは普通の反応だよ。最初から納得するようなヤツはファシストになる素質があるんだよ」 と慰めてくれた。
518 :
名無しさん@3周年 :04/06/25 20:19
オレは5年間「人民」のためという思想に純粋に共鳴し何もかも捨てて 革命運動に飛び込み自己犠牲の精神を貫いた。 けど、信じたその「人民」て何してたんだ。 バブルに向かう過程、遊びほうけ、SEXしまくり、腐敗しまくってた。 そんな圧倒的大多数のためを思い一心不乱に革命に邁進する自分はなんなんだ? 自己満足、理想に酔うだけで満足できる連中はそれでよかろう。 オレはそんな圧倒的多数の「人民」のために死ぬことがあほらしくなった。 なんで連中のために、そんな腐敗した類≠フためにたかだか数十年のオレの生を 犠牲にせにゃならんのだ?それにどんな歴史的な価値がある。もう止めたとなった。 こういうオレを誰がどう責められるというのだ?責める理論持ってるのならとことん 責めてくれ。オレはブントではないが、同じ思いの人も多いんではないかと思い・・・
519 :
名無しさん@3周年 :04/06/25 21:06
>>518 大丈夫。このスレでは誰も責めないし、責められない。
ただ、どこの所属かわからないが、そんな風には俺は思っていない。
決断したのは やはり自分だし、貴重な青春の時間かもしれないが
後悔しても戻ってこないし。
520 :
名無しさん@3周年 :04/06/25 21:18
>>518 活動止めた連中がこのスレに書き込んでんだから、あんまり気にせんこと。
だから、ちょっと斜に構えた感じで受け止めてりゃいいんでは。。
まあでも、いろいろあったけど、結果としていい経験だったとオレは思ってるが。
その後の人生で悔やむこともあるかもしれんが、「人生はあざなえる縄のごとし」
と開き直ったら。
>>518 死ぬかも知れない・・・ということに直面したことがありますか?
世間虚仮、唯仏(唯物と変換されたぞ!)是真という言葉があり、
それは誰も無縁ではないのだが、普段は気づかないもの。
社会の死は革命(=再生)を要するが、それを日常から幻視出来る
ものは普段は少ない。
その「堕落・腐敗」した大衆こそ、その幻視を共有し、革命をするのだ。
あせらず、迷わず、犀のように歩もうじゃないですか。
522 :
ヨヴァ ◆P0IfHjzAm. :04/06/25 21:43
>>521 聖徳太子の言葉だが、世間は虚構であり、仏のみ真実。はやはり
政治家として偉大な聖徳太子も万能で懸命な人ではないという事を明らかにしただけの言葉だ
人間と人間社会が進歩しているのは歴史を見ても明らかだが
常識的に考えて2500年前に真に到達できているわけないわな。
>>518 >バブルに向かう過程、遊びほうけ、SEXしまくり、腐敗しまくってた。
>そんな圧倒的大多数のためを思い一心不乱に革命に邁進する自分はなんなんだ?
革命(revolution)=退化にまい進した影響だろ。
それまでの社会秩序をナンセンスとして否定したのは何処のどいつだ?
アメリカの戦後政策推進の為に歴史捏造かましたのは誰だよ
民族の自尊心を奪ったのはお前らだろうと、オレからみてもバカバカマンコの部類だYO。
>>522 位相の異なること。物自体のような「真理」が、仏の道ではない。
それから歴史捏造をかましたのは、保守から革新まで、共犯だね。
524 :
ヨヴァ ◆P0IfHjzAm. :04/06/25 22:28
>>523 観念上では正統は存在するが真理は存在しないと思うが。
仏の道が精神世界での真理だとでも?
まあ少なくとも518は人民の為に革命にまい進したのに
一民族の大和民族だけをみて失望したと言う所が矛盾してるわな。
525 :
名無しさん@3周年 :04/06/25 22:57
>>524 真理の立ち現れ方は一切衆生の個体それぞれに違うということ。科学の
名のもとで、全ての”絶対的真理”が検証可能であるかのような幻想を
撒いたことは、マルクス主義の罪業だね。
共産主義が「運動」であるように、仏の道もまた、「運動」であり、
2500年前の仏陀への法の現れ方と、ヨヴァさんや俺への現れ方は
おのずから違うということ。
その上で、最後の2行は、75%同意。俺的に、いわゆる共産主義が
ダメだと思ったのは、クループスカヤの「レーニンの思い出」で、美食
を「人間の生き方として軽蔑した」クループスカヤを読んでだな。耽溺、
耽美、こういうのも人間だと思ったから。自分がするかどうかは別とし
て。はっきり言って、いわゆる共産主義者は権力につけるべきじゃない。
526 :
513=524 :04/06/25 23:01
>>521 の最初の段で言いたかったことは、
「バブルに向かう過程、遊びほうけ、SEXしまくり、腐敗しまくってた。」
も大衆ならば、真理を求め、革命を行なうのも大衆であり、それは位相の
異なる、場合によっては冷酷な鉄の万力によって気づかされる「欲望」に
過ぎないということ。
耽溺、耽美も欲なら、仏の道をただひたすら願うのも欲だよ。
527 :
ヨヴァ ◆P0IfHjzAm. :04/06/26 00:02
>>525 仏の道で言えば、仏教とは2500年前の仏陀の教えが真理であり
仏陀の法の現れを否定するならそれは非仏教、末法の間違った真理である。
親鸞、日蓮なんかは末法時の正しい仏陀の教えという事で広まったわけで。
>真理の立ち現れ方は一切衆生の個体それぞれに違うということ。
なら仏陀の悟りを否定してないか
528 :
名無しさん@3周年 :04/06/26 00:30
何だか難しい話になってるけど、お前ら明日7時から西口で情宣な。 トラメガ忘れんなよ。
529 :
名無しさん@3周年 :04/06/26 01:01
仏教についての話はそれはそれで続けてもらうとして、
>>518 >そんな圧倒的大多数のためを思い一心不乱に革命に邁進する自分はなんなんだ?
>オレはそんな圧倒的多数の「人民」のために死ぬことがあほらしくなった。
こんなふうに感じたことは私もけっこうあった。世間的な風潮と、組織活動に求められる
ストイックさとの間にある落差が激しかった。
よく、「革命家は、革命という自分たちの目標が近づくために、人民大衆の生活が困難に
なり、抑圧されることを望むことがある」といわれるが(たしか)、そういう気持ちだな。
「こんなに苦しい思いは長くは続けられないから、人民がもっと苦しめられるようになり、
その結果として早く革命が来てくれ」みたいな(笑)。
私がコケたときに何を考えていたか、よく思い出せないが、とにかく心身の疲労が激しかった
記憶はある。ゴルバチョフ改革や東欧革命のゆくえがはっきりしてきたことも、一つの理由
だった。
しかしそういう時期や、もっと後になって感じてきたことは、一つにはわれわれは人々に対して
それほど具体性のある変革プランを提示できていたわけではなかったということ。
根性入れて情宣やってオルグしてということはやるが、自民党と正面からぶつかって
粉砕するほどの中身のあるプランを出したことはなかったし、実現可能性や現実的な
説得力のある提案はできていなかった(これはもちろん私見なので、異論は歓迎)。しょせんは
思想運動、意義申立て運動のレベルだったと思う。そういう運動も重要な役割をもってるけどね。
結局そういうところから社会は変わって行くのだろうが、そのために犠牲とするものが多すぎた。
そして大衆を軽蔑することはもちろんあった。「自分はこんなに苦しい思いをしているのに、 なぜ理解されないのか」という、ナイーブな、片思いのような感情。 でも、やはり回りの、この日本の人々を軽蔑し相手にしないというような傲慢な態度をとることは できないし、それは愚かだともやがて強く思うようになった。一つ目の、実質的に具体的プランを 何も提示していないのに、他人に向かってそんなことは言えないだろうということと、2つ目には、 そういう、軽蔑すべき、どうしようもない人々であったとしても、そういう人が自分でもなかなか できないような素晴らしいことをやってしまうことが、ときにいくらでもあるという、当たり前のこと に気がついたから。どうしようもないとしか思えないような人が持っている、純粋な同情や、不正に 対する怒りや、自分の生命さえ捨てても何かをしようとした人に対して、人はやはり尊敬の念を抱く こと(一揆の首謀者の話が語り継がれることとか)。われわれの主張していた共産主義的変革に まったく賛成しない人でも、こういう感情は多くの人が持っている。そういうところを離れて何かを 論じたり運動したりすることはできないし、そういう「普通の人」を軽蔑するのは愚かだと思うように なったわけ、私の場合。 もちろん、自分が人並み以上に怠惰な人間であったことに気がついたという、たぶんより実際的な 理由もある(笑)。 結論的に何が言いたいのかわからなくなったが、まあそういうこと。
531 :
名無しさん@3周年 :04/06/26 01:25
まあ80年代は浮かれた時代だったからね。 世間一般とのギャップは大きかったよ。 ただそういう浮かれた雰囲気への反発心がオレを左翼へと駆り立てていったのも事実。 その辺は矛盾した現実だった。
>>527 俺が言いたいのは、「人を見て、法を説け」とお釈迦様がおっしゃっているという
ことだ。
>>529 凄い深刻な、(各種)修正主義と革命的マルクス主義、社民主義と共産主義の分岐
にかかわる問題ですな。
一例として、レーニンが、「ブルジョア化し、堕落した労働貴族」と言う形でカウ
ツキーとその指導部を糾弾したが、少なくともイギリスでは多くの労働者がレーニ
ンの言う「労働貴族」と化し、共産主義者は孤立した。そういう中で、堕落した労
働貴族として指導部を糾弾することは、労働者大衆の多数を――彼らが自覚的であ
ればあるほど――糾弾することにつながり、実際そのように捉えられ、イギリスの
共産党は極少数勢力にとどまった。
ましてや、レーニンモデルの革命戦略は、WW2後は特に先進国においては無効に
なったと言えるんじゃないか。
昨日、クループスカヤを例にとったが、「芥子をハムに塗りたくるほどの 贅沢」という当時の”ブルジョア性”を基準にすれば、文句なく(ホーム レスさえも!)ブルジョア化、否、当時のブルジョアなぞ問題にならない くらい贅沢となったプロレタリアの大群がいる。そのことを直視している とは言えない左翼党派には未来はない、ということだ。プロレタリアを神 棚に置くな。 問題なのは、そのような贅沢化にもかかわらず、社会的諸関係においては 所詮プロレタリアはプロレタリアであり、不安定かつ社会的に弱い位置に いることでもって、革命の戦略を練り直すことだ。 エゴイズム・・・この偉大なる力!(by トロツキー)
535 :
名無しさん@3周年 :04/06/26 12:43
>>532 >草加氏
サイト拝見しました。草加氏も80年代の活動家さんでしょうか?
海外版戦旗の常盤橋戦闘萌えました。
まだサラっとしか読んでませんが、これから腰を据えて読みます。
536 :
名無しさん@3周年 :04/06/26 13:18
あわれな「赤ふん」野郎共、こんなとこでズリセンこいてアフォだね
538 :
名無しさん@3周年 :04/06/26 13:26
539 :
名無しさん@3周年 :04/06/26 15:16
>>539 ミス! 「赤ふん」野郎共はダメージを受けない!
・・・
毛 沢山は逃げさった。
>>529 さんあて。
それで、こんな文章がキャッシュに残ってたから貼っておこうか。元のネタは
知らない。
−−−以下コピペ−−−
諸君は、大衆の水準まで、階級のおくれた層の水準までさがってはならない。この点はまちがい
ない。諸君は彼らににがい真実をはなす義務がある。諸君は、彼らのブルジョア民主主義的な、
議会主義的な偏見を偏見だという義務がある。だが、同時に諸君は、まさに全階級(その共産主
義的前衛だけではない)、まさに全勤労大衆(そのすすんだ人たちだけではない)の意識と覚悟
の現実の状態を冷静に注視する義務がある。
542 :
名無しさん@3周年 :04/06/26 18:37
543 :
名無しさん@3周年 :04/06/26 20:32
昨夜から哲学的な「仏」の話しになったりしてるが、怒涛スレでも一時「神学(?)論争」があったな。 まあ、これやりだすとエンドレスになるから・・・ たしかに、あの活動経験で学んだことは一生引きずって行くんだろうけど、でも今の現実とかつての 思想との整合性を突き詰めちゃだめよ。 このスレは思い出を語るところだから。スマンがオレは共産趣味者同盟千期派でいくよ。
>>543 そうだね。俺が一言で言いたいのは、無理な背伸びをしても、意味がない
ということだな。
その例のために仏様の文章を出したのみだが、脱線させてしまったようで すいません。
546 :
名無しさん@3周年 :04/06/26 21:59
かなり、広範囲に広がりつつありますね。 どんどん当時の香具師が集まりつつあることにある種感動。
547 :
名無しさん@3周年 :04/06/26 22:03
当事の戦旗と中核の同窓会スレッドって感じ。 で、マルが入り込まないだけまともな議論展開してる。
548 :
名無しさん@3周年 :04/06/26 22:15
549 :
名無しさん@3周年 :04/06/26 23:14
>>528 「情宣」も一般用語ではないな。
ところで「情宣」も場所も当然80年代は符牒で呼んでいたよね?
>>546 うむ、ちょっとした党派より人数多かったりして。
本当は結構みんなお知り合いばかり来てるんだろうな。ここの人間でオフ会などしようもんなら「なんだ、おまえだったのか」の連発なんでしょうな。
>>535 >草加氏も80年代の活動家さんでしょうか?
はい。金大中死刑阻止闘争で結集して用水決戦の頃までいました。辺田大会戦で逮捕歴があります。今後ともよろしくです。
>サイト拝見しました。・・・これから腰を据えて読みます。
まだ製作中なので、腰をすえて読むほどの内容はまだないっすよ。
>海外版戦旗の常盤橋戦闘萌えました。
あの写真の中央あたりで竹竿かまえている私が写っています。
> 本当は結構みんなお知り合いばかり来てるんだろうな。ここの人間でオフ会などしようもんなら「なんだ、おまえだったのか」の連発なんでしょうな。 爆笑
552 :
名無しさん@3周年 :04/06/27 06:56
草加さん...。 草加さんの活動歴なら、オレ絶対会った事あると思います。 オレ以外でも多分そういう人多いんじゃない? って言うかここは知り合いだらけか?w ロムに徹してる人も含めて。
553 :
ヨヴァ ◆P0IfHjzAm. :04/06/27 07:10
>>544 あるがまま=在(存在する)我(我執)儘(思いどうりである事)
であり仏教の諸行無常とは矛盾するのだが、、。
554 :
ヨヴァ ◆P0IfHjzAm. :04/06/27 07:22
つうか日本に伝わった仏教のほとんどの経典は 仏滅の500年後くらいに作られた偽典であった事は証明されている 仏教の中道(道の真中を歩く)でいえば中り難い(ありがたい)偽物ばかり 追って来た悲しい出来事を認識しない限り本当の仏法には近づけない。 そう考えると、その中では日本で唯一仏法の中道を行っているのは禅のみ そしてもうインドでも中国でも他仏教や共産党に迫害されて無くなった 日本にしかない禅こそ仏陀の教えの中核であるのだよ。
555 :
ヨヴァ ◆P0IfHjzAm. :04/06/27 07:35
まあ宗教の話なんかくだらんからやめ。
556 :
名無しさん@3周年 :04/06/27 12:50
>>552 三里塚の草むらで一緒に立ちションした仲間かな。
ところで、オレ畑の隅で野グソしたこともあるぞ。だって下痢気味で我慢できなかった
んだもの。拭く紙もってなくて、草の葉っぱでケツふいた。
ああ、なつかしい思い出だ・・・
557 :
名無しさん@3周年 :04/06/27 13:11
畑の中のクソ壷にうっかりはまった椰子いなかったっけ。 あれ、マジわかんねえんだよ。それにくせえのなんのって・・・ 多分、嵌った椰子が例の皇居へのヤツ思いついたんだとオレは今も思うとる。
バイクでウィリーして一日で現行隊やめた人もいたような・・・・
559 :
名無しさん@3周年 :04/06/27 19:56
もうよく覚えてないけど、たしか清水谷公園での集会だったと思うけど、トイレが 汚くておまけに紙がなく、パンツ脱いでケツふいたよ。 そのあとズボンだけでデモ行進。なんだか解放感一杯だったような記憶が・・・
560 :
名無しさん@3周年 :04/06/27 20:13
オナニーネタの後はウンコネタかよ! まるで「パンツの穴」のようなスレだなw っつーかこの例えがすでに40代だなショボーン
561 :
名無しさん@3周年 :04/06/27 20:26
↑ 観念論的な理屈をこねまわすんではなく、まず現実から出発するということを オレは学習会で学んだが・・・ ウンコネタでもいいじゃん。毎日おつきあいしてんだから。生あるものには ついてまわること。
562 :
名無しさん@3周年 :04/06/27 21:40
そうだ。三里塚反対同盟の最大の武器は糞尿爆弾だったんだし。 わしらも見習ったまで。これはキツイぞぉ〜♪
563 :
名無しさん@3周年 :04/06/28 00:42
今は亡き糞尿戦士 一抹の寂しさ
564 :
名無しさん@3周年 :04/06/28 01:03
草加さん、高校時代の話泣いたよ...。 それにしても支部のキャップまでやっていたんだね。 そこまでいくと脱する時も上の人とイデ闘するのでしょうか? オレはまるで下っ端だったので夜逃げ同然に脱したけど...。
565 :
名無しさん@3周年 :04/06/28 02:09
赤ダニのクズどもがここに集まってるのか。
566 :
名無しさん@3周年 :04/06/28 03:48
567 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/06/28 04:41
>>564 私も「夜逃げ」だよ(^o^)/
ふっと「このままアジトに帰らなかったら」みたいな気持ちが膨らんでしまったんですね。
私の限界だったんだと思います。イデ闘なんてかっこいいもんじゃないです。
「弱かったにすぎない」ということを認めます。
私の頃はパラチェン以降みたいに古参カードルがどんどん離脱していく時代じゃなかったからね。
むしろ支部キャップや地区指導部メンバーが離脱する時のほうが「夜逃げ」パターンで、新規の下部メンバーのほうが組織に不満とか述べて話し合いの上で辞めるパターンが多かったと思う。
変わり種では辞める一ヶ月前に「来月末で労共闘やめます」と届け出て、その日までちゃんと自分に割り当てられた任務を果たし、後任に「引継ぎ」もしっかりした上で辞めていった人がいた。さすがに「送別会」はしなかったけど。
568 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/06/28 04:43
>>552 >草加さんの活動歴なら、オレ絶対会った事あると思います。
>って言うかここは知り合いだらけか?w
私らの時代は動員力500くらいでカードルメンバーは200くらいだと思うから、すれ違ったくらいならほぼ全員に会っているでしょうね。
もし学生出身なら、社学同の合宿とかは参加してましたか?大島でやったやつとか、三里塚現闘でやったやつとか。
沢田さんが「ヨカチン踊り」で調子にのってビール瓶割った宴会とか、大正大学のグランドでやった「地区対抗ソフトボール大会」とか
>>567 パラチェン以降は、一部の最高幹部以外は古参活動家はいなくなったの?
個人崇拝が成立するには、古参活動家がそんなにいたら困るよね。
570 :
名無しさん@3周年 :04/06/28 11:01
>>567 >ふっと「このままアジトに帰らなかったら」みたいな気持ちが膨らんでしまったんですね。
ああ分るなそれ。
消耗してる時にふと思ったりもして、そんな時闘争のことや仲間のことを思い返して「いかんいかん」と
自分を励ましてきたんだけど、ある時ふとそういう「夜逃げ」の想像にワクワクしてきちゃったんだよね。
そうなるともうダメだ。
責任感とか仲間への罪悪感とか全てぶっ飛ばして自分の「夜逃げ計画」に夢中になってしまった。
一ヶ月くらいタイミングを見計らって計画的に夜逃げした。
>変わり種では辞める一ヶ月前に「来月末で労共闘やめます」と届け出て、
>その日までちゃんと自分に割り当てられた任務を果たし、
>後任に「引継ぎ」もしっかりした上で辞めていった人がいた。
へースゴイねその人。
逆にそういう人はこういうスレを覗いて懐かしい気持ちになったりはしないのかもしれないな。
571 :
名無しさん@3周年 :04/06/28 11:05
>>568 沢田さんのヨカチン音頭懐かしいね。
でもあんまり宴会の度にせがむので、本人も最後の方はイヤがってたよ。
あ○ださんの武勇伝なども聞きたいね。ヤクザとケンカしたとか色々あったでしょ?あの人。
572 :
名無しさん@3周年 :04/06/28 11:25
>ほほう、そうかね。 >今回ばかりは嫌になったから、エネルギー政策研究所の当人に報告しとくわ。 >マグウッド局長の件も知らなかったようだし、喪前偽者。 >427 :名無電力14001 :04/06/26 23:11 >反対バカが逮捕されるまでカウンダウンスタート! 環境・電力の板には、当局の犬が、監視してます。 気をつけてください。
573 :
名無しさん@3周年 :04/06/28 18:42
でも組織を離脱して解放感あふれたかというと、当分はシンドかった。 いままでの自分はなんだったのか・・・ これからどう生きていこうかとか・・・ 今だからこそ「こけちゃった」と笑えるけど・・・ 当時はほんと悩んだよ。
574 :
名無しさん@3周年 :04/06/28 19:04
実家や学校に上司は押し掛けて来なかったの。 面と向かって「もういいです」とか言った?
575 :
名無しさん@3周年 :04/06/28 19:32
>568 大正大のグラウンドでやったねぇ。懐かしい! 500名の動員を達成したときは、確か東京駅の構内かなんかでの総括集会で、歓喜の嵐だった。
576 :
名無しさん@3周年 :04/06/28 21:39
>>548 そうですか。
私が思うのはこの時代だからこそ、100万人が進めるのは、広範囲な統一戦線の形成による
参議院選の統一候補の擁立と、元活も含めた左翼層の掘り起こしの推進だと思いますが。
これが出来れば、新たな時代の幕開けかとも思いますが。
うーんん 。ちぇ!丸が妨害に奔走して終了か!
577 :
名無しさん@3周年 :04/06/28 21:41
>>574 それは宗教じゃー無いから無かったな。
そんなことしても意味ないしね。
578 :
???A´?k?? ◆diI3XrwYkM :04/06/29 03:08
>>570 >へースゴイねその人。
いや「すごい人」というより「変な人」といったほうが当たっていたと思われ。
会社じゃないんだから。。。。(^_^)
みんなちょっとあっけにとられて何も言えなかった感じでしょうか。
>>573 >今だからこそ「こけちゃった」と笑えるけど・・・ 当時はほんと悩んだよ。
そうなんです。本当に苦しかった。
特に私の場合は計画的な夜逃げではなく、会社の帰りにふと反対側の電車に乗ってしまった口だから、手持ちのお金も数千円しかなくて。。。
3年間くらいは精神的に悲惨な日々でした。ほんの一時だけど宗教団体の集会にも通ってしまうような状態でした。
見かねた(?)組織のメンバーから「自己総括文でも書いてみたら」と提起された。書いて見せたら「これじゃあ『生まれてごめんさない』だよ」と言われた。
>>575 >大正大のグラウンドでやったねぇ。懐かしい!
荒さんはグランドの隅で飄々と自転車で遊んでましたね。
松原君は「荒さんに当てたらホームランな!」とか冗談で社学同メンバーに叫んでましたけど、その後のことを考えると笑えない?
1打席だけ荒さんがどこかの地区(中央指導部チームだっけ)の代打で出ましたね。さすがに早大野球部で素人目にも「体育会経験」ゼロの他のメンバーとは全然フォームからして違った。素振りなんか側にいると恐いくらいだった。
ところが実際に打席に立つとソフトボールのタイミングと全然あわず、スローボール作戦の前にあえなく三振。「あーくそ、だめだぁ〜!」と天をあおぐ姿が非常にユーモラスで「ああ、このおっさんの党派でよかった」とその時は思ったものだった・・・のに!?
なんか名前欄が文字化けしてしまった(
>>578 )のでもう一つ。
>>569 なんか名前欄が文字化けしてしまった(
>>578 )のでもう一つ。
>>569 >パラチェン以降は、一部の最高幹部以外は古参活動家はいなくなったの?
つーか、あんだけえげつない路線転換したのに、昔からの古参メンバーのほとんどがついて行くほうが不思議だと思われ。
少なくとも半分以上はいなくなる方がむしろ正常というか、自然なことでしょう。
なんか共産主義者時代の古参はどんどんいなくなってしまってるみたいだ。特にじみで献身的な「プロレタリア的体質」の人が。
今回の路線転換は10年をかけている。これは総評路線から連合(と全労連)への路線転換にかけた時間にほぼ等しい。
だからこれだけ活動家が残って勢力を温存・発展させることができた。昔からこういう「一糸乱れぬ撤退戦」には本当に強い党派だ。やたらと「撤退戦」に弱くてすぐに分裂してへたれてしまう日本の新左翼の中では極めて異色ではあるなあとは思う。
580 :
名無しさん@3周年 :04/06/29 06:06
>>578 >「ああ、このおっさんの党派でよかった」とその時は思ったものだった・・・のに!?
オレはどっかの全党合宿の相撲大会で、決勝戦で佐脇氏に勝って優勝した荒さんが
「まだまだお前らには負けねえぜ!」とたんか切った時にそう思った。
そういう体育会系陽性主義によって一枚岩的に意志統一された雰囲気が、反戦旗の
急先鋒の某女史をして「日向男根主義」とか批判されちゃうんだろうけど
オレにとってはそういう雰囲気が居心地よかったな。
581 :
名無しさん@3周年 :04/06/29 07:03
確かにじめじめした暗さは無かったよな。でもそれは、80年に荒さんが出てきて、 83年までが組織的にも解放的であり、様々な取り組みもされてたような気がするが。 荒さんも左翼運動の本来的明るさの取り戻しを唱えてたしね。
>>567 草加さんって、あの元現行隊で有名だった草○さん?
583 :
名無しさん@3周年 :04/06/29 20:48
やっと80年代スレらしくなってきたな。オレは70年代後半組だが、オレがこけた 後どうなったかがよく判って、面白いよ。どんどんやってくれ。後輩諸君。
584 :
名無しさん@3周年 :04/06/29 21:10
>>582 ちゃう。現行隊経験はあるけど。。。
>>580-581 確かに左翼団体の党首が「体育会系出身」だったのは戦旗だけかも。
>>583 給料全額上納時代の方でつか。私らはちょっと遠い国の話みたいな感覚で聞いてましたけど。生活費は夜のバイトでということですが、そんなんでいつ「活動」できんの?
ところで皆様の一番印象に残っている闘争はなんでつか?
私は金大中闘争での死刑判決当日。韓青同を検挙しようとした機動隊の前に割って入って殴られながらも押し返した時。韓青同の人が感動して涙ぐんでくれた。
あと、ジェット燃料阻止一週間決戦。初日の成田駅での30列デモで、機動隊の阻止線をボロボロに突破してやった時とか、線路上デモとか、最終日の動労千葉の人達との駅の中と外での交歓とか。。。
586 :
名無しさん@3周年 :04/06/30 07:30
いい話しやね
>>585 >給料全額上納時代の方でつか。
活動に入るきっかけは、75年の皇太子訪沖阻止闘争からだった。
三里塚もしっかりやりました。78年の3.26開港阻止も、もちろん闘った。
こけたのは79年の頃。いやあんまり書くと人物特定されるので、ここまで。
588 :
名無しさん@3周年 :04/06/30 18:44
75年の闘争だったら西田を選ぶでしょ
>>588 確かに、西田のひめゆりの塔の火炎ビン攻撃はすごかった。オレも活動新米だったから、
あれすごいですねって、キャップに聞いたら、我々は日本国内で闘うのがスジだと言われた。
でも、最初のきっかけって思想で選ぶというより、出会いというか、人間関係や置かれた環境
でそのまま、という感じがあるじゃん。
あぼーん
591 :
名無しさん@3周年 :04/07/01 09:52
592 :
名無しさん@3周年 :04/07/01 18:43
ところで、叛旗が「叛旗解体」を発行したように、戦旗は組織としての総括集は 出したのか? 誰かおしえてけれ。 「破天荒伝」は個人的回想録だから、違うよな。
593 :
名無しさん@3周年 :04/07/01 19:59
>>589 戦旗(荒)派は、沖縄は日本ではないという立場だったのか?
594 :
名無しさん@3周年 :04/07/01 21:10
>>593 というより、国家という枠の考え方でなく、民族的なもので沖縄人民と日本人民は
それぞれの地で闘うのが原則というようなものだったんでは。
これって、「属地主義」って言わなかったかな。(30年近く前の記憶なんで、違ってたら
スマン)
それと、当時怒涛なんかは北方領土は日本のものじゃなく、アイヌ人民のものだという主張してたが
それと近い感覚のような気がするが。589にある発言は組織の見解というより、個人的見解じゃないかな。
595 :
名無しさん@3周年 :04/07/01 21:57
埼玉大学は今でも「拠点」なのかな。熱田宅の援農報告でてたけど。 エコ関係では茨城大とか北関東は依然勢力あるんだろうな・・・
596 :
名無しさん@3周年 :04/07/02 00:52
>>592 [左翼思想のパラダイムチェンジ」がそれなんじゃない?
597 :
名無しさん@3周年 :04/07/02 20:35
>>596 「左翼思想のパラダイム・チェンジ」はそれらしい文献ですが、
組織討論を経て出されたものではありません。
荒さんがなし崩し的に「右へ右へ」と引っ張っていった際の
文章です。
あの内容でしか意思統一していないから、いざ戦争が始まると、
「もはや動員的には追い抜いた」と言っていた中核派に
あっさりと負けてしまうのでしょう。
共産主義前衛党ならイデオロギー的に武装し、NGOなら党中央に
頼らないネットワークを追求しと展開できるのに、組織的には
民主集中制を堅持する前衛党、内容はNGO・反戦・自由主義・
ケインジアン・社民・エコロジスト(適当にあげたけど)の雑炊。
それなら前衛党かNGOかどっちかに行くだろうね。
598 :
名無しさん@3周年 :04/07/02 20:59
荒が組織討論を経ず、勝手に総括したということか。 ンーン・・・ どう思う、かつての同志諸君。
599 :
名無しさん@3周年 :04/07/02 21:03
粗のとこはまだ民主集中制をとってるの?
600 :
名無しさん@3周年 :04/07/02 21:10
>>597 そうそう、誤解のないように言っとくけど、「いざ戦争が始まると・・・
中核派にあっさりと負けてしまうのでしょう」というのは、イラク戦争のこと。
戦旗vs中核の戦争ではないんで、念のため。
601 :
名無しさん@3周年 :04/07/02 21:17
>>598 「勝手に総括した」というんではないと思う。
総括をするには情勢分析が必要だろうけど、なんとなく新しくみえる非共産主義的な
考え方にのりかえただけだと思う。
情勢に応じてとった方針は正しかったのか、分析はされていないと思う。
本来なら党大会で文書として運動圏に公表すべきものだろうが、文書化・公表を前提とした
組織内総括・討論は、「パラダイム・チェンジ」についてはなされていない(と思う。
ちょっと弱気に)
602 :
名無しさん@3周年 :04/07/02 21:21
>>601 とは言うものの、実際の運動にそんな立派な体系だった思想・任務方針が必要だとは思わない。
いまの中核派のように人集めをするだけでもいいと思う。
小難しい理屈で知的に見せるより、いつ闘いの現場に行っても戦旗がはためいているという方が
現場に来た人民大衆の支持を獲得できるだろう。
603 :
名無しさん@3周年 :04/07/02 21:42
>601 はためいているのは「統一の旗」だって? ご冗談を!
604 :
名無しさん@3周年 :04/07/02 21:48
だな。前レスに現実から出発ってのがあったが、ブントの現実主義かな。理屈をこねまわす こたあーない。人民の利益になればいい、とは言いすぎか・・・
605 :
名無しさん@3周年 :04/07/02 21:52
じゃあポスコロがどうの、カルスタがどーしたという話がしたい人間は 日向派は不向きなんですかね。 党派機関誌では理戦は群を抜いていると思うけど。
606 :
名無しさん@3周年 :04/07/02 21:55
>>602 人集めだけなら、ね。当面はそれでもいいだろう。
だが、いやしくも革命を言うならば、それだけじゃだめだろう。全階級を
巻き込んだ階級決戦を行なうには、革命理論も、筋道の通った指導(影響
力の行使)も必要なんだから。
あ、荒さんたちのことか。それなら、ええわ、それで。
608 :
名無しさん@3周年 :04/07/02 22:32
>>579 >昔からこういう「一糸乱れぬ撤退戦」には本当に強い党派だ。
納得しました。党派の出自の意味をご理解していた人がいたわけですね。
609 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/03 05:34
>>608 赫旗派が解放派ともめ、引く引かないで党内がガタガタになった時に、赫旗派
の某幹部が「戦旗はなんであんなに整然と撤退できるんだ」と嘆息したとかし
ないとかいう話が伝わってきて、なんだかすごく誇らしく思ったのを憶えてお
ります。
だいたい組織が分裂したり消滅したりするのは、運動の後退局面でみんなが苦
しい時ですから、ここで勢力を維持できるというのはかなり大切なことです。
610 :
名無しさん@3周年 :04/07/03 08:46
>>609 勢力(人数や資金力)を維持することを主要な目的にしてしまうと
闘争と理念がそれに応じて後退縮小化してしまい
どうしても右→右に流れてしまって日共社民化してしまう
第2次ブンドの皮は現中核派しか受け継いでないのか?
611 :
名無しさん@3周年 :04/07/03 09:07
第2次ブンドのあの裏切りの歴史は きちっと現中核派が継承しているだろう。
612 :
名無しさん@3周年 :04/07/03 11:00
「あの裏切りの歴史」なんぞは、政党に限らずありとあらゆる集合体が 経験して継承しているわけであって、それだけでは負の遺産とは 云い切れない むしろ正の遺産にせよ負の遺産にせよ現中核派しか 「きちっと」第2次ブンドを継承できてないところに問題あり
613 :
名無しさん@3周年 :04/07/03 11:12
中核派は1次ブントは継承しているが2次ブントなんぞは継承 しとらんぞ!
614 :
名無しさん@3周年 :04/07/03 11:35
1次ブントのいいかげんさを継承したのが 2次ブントと中核派ということだよ。
615 :
名無しさん@3周年 :04/07/03 11:46
ブントは単なる青春の思いでづくりだもんな。
616 :
名無しさん@3周年 :04/07/03 12:26
617 :
名無しさん@3周年 :04/07/03 13:51
>>616 そしてそれはそれで悪くないと思える今日この頃。
618 :
名無しさん@3周年 :04/07/03 19:58
同志よ 思い起こせ この歌を 暴虐の雲 光を覆い 敵の嵐は 吹きすさぶ ひるまず進め 我らが友よ 敵の鉄鎖をうち砕け 自由の火柱輝かしく 頭上高く燃え立ちぬ 今や最後の闘いに勝利の旗はひらめかん ゆけ同胞よ ゆけ闘いに 聖なる血にまみれよ 砦の上に我らが世界 築き固めよ勇ましく
619 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/04 04:00
>>610 運動の後退局面で勢力を維持しているとブント系諸派やノンセクトから「党建設至上主義」と言われる。
運動の拡大局面でアジってオルグって動員して機動隊ともガンガンぶつかって頑張っていると、連帯する会の上坂氏から「イケイケドンドンじゃあ駄目だ」とか言われる。
「ほんま、どないせぃちゅうねん!」といつも思っていたよ。
80年代はやたら「今までの運動では駄目だ」みたいに「悩んでる」人が多くてウザいと思えた。彼らから見れば僕らの運動などオールドスタイルなんだろうけど、変に自分らの思想性を隠そうとするほうが、よほどいかがわしく思えた。
「反戦に決起しよう」「自分達は共産主義者です」「暴力革命論者です」「党建設が重要だと信じています」「党組織に結集しなくては闘ったことになりません」
つつみ隠さず正直に訴えている戦旗だけが動員を伸しているというのに、アホかいな、ほんまにもったいない。。。と思ってましたが?
620 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/04 04:11
>>618 「ワルシャワ労働歌」は機動隊とかに押されて「ちょっと負けてる」時に歌っていた記憶が(^_^)
私の人生で最後に「インターナショナル」や「ワルシャワ労働歌」を歌ったのはいつだったろうか。。。
そしてもう歌うことはないのかな?
70歳の老人から15歳の高校生まで、初めて会った人、顔もしらぬ地球の裏側の人
誰でも同じ歌を初対面でも肩をくんで歌えるのが俺達左翼だったよな。
願わくばもう一度だけ、肩をくんでインターを大声で腹の底から歌ってみたいものだ。
621 :
名無しさん@3周年 :04/07/04 04:56
では 遺言としてお聞きしておきます。 棺は赤旗かぶせなくていいですか?
622 :
名無しさん@3周年 :04/07/04 09:35
アー 日曜の朝はゆっくり寝すぎて、今起きたよ。 ンー 棺に赤旗だって? オレの友人(元活)は親が亡くなった時、 鎌とトンカチ(ほれ、あのインターのマーク)型の墓を作ろうとして、 親族から大反対され止めたよ。 いつまでたっても、なにかしら左翼的なものを引きずってしまうんだな。
623 :
名無しさん@3周年 :04/07/04 09:50
>「反戦に決起しよう」「自分達は共産主義者です」「暴力革命論者です」「党建設が重要だと信じています」「党組織に結集しなくては闘ったことになりません」 >つつみ隠さず正直に訴えている戦旗だけが動員を伸しているというのに、アホかいな、ほんまにもったいない。。。と思ってましたが? 戦旗じゃなかったけど、同時代を生きたものとして同意します。 うちの地方も同じようにして幾何級数的に動員が伸び周りを驚かせたもの。 やはり思いは同じだった。中央はどうあれ、そうだった。 当事大学や地域で、戦旗とあいま見えることは無かったのは残念です。 三里塚では赤ヘル伸びてるなぁ・・・と思った事はあります。 あり得なかっただろうけど、共闘≠オたかったですね。 いつかどこかでインター、ワルシャワ歌えるといいね。
625 :
名無しさん@3周年 :04/07/04 12:37
30代でガンで亡くなった友人がいるが、その妻(彼女も元活)の意志で、墓は作らず、 遺骨は彼の故郷の山の頂上に埋めたと聞いた。オレが今すんでるとこからは遠く離れてるんで、 未だにその地に行くことが叶わずにいるが、いつの日かそこに行って、かつて共に歌った「同志よ固く結べ」を 歌いたいと思ってる。 ブントのセンチメンタリズムかな・・・
626 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/04 13:09
627 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/04 13:16
628 :
名無しさん@3周年 :04/07/04 14:09
>>625 遺骨なんてのにこだわるのはナンセンス。火葬場で「骨はいりません」といえば、全部処分してくれる。
細かく砕かれて肥料になる。それでいい。
629 :
名無しさん@3周年 :04/07/04 15:48
>>627 荒正人が荒の叔父というのは事実と違います。
向こうが認識できないくらい遠縁ではあるらしいが、それを叔父さんと言うのは、いかにも有名人志向の強い荒らしさがプンプンするエピソードです。
630 :
名無しさん@3周年 :04/07/04 17:35
>>619 前スレにも書いたけど、禿げしく同意。
上坂は本当にウザかった。
上坂だけじゃなく、市民主義者は何かっつーと「新しい運動」とか言うくせに
本当の「新しさ」なんて提示した試しがなかった。
631 :
名無しさん@3周年 :04/07/04 20:02
>>625 その人って、○○闘争で逮捕された人ですよね。遺骨が埋められた山は東京から北
の方角、標高2000m越す○○岳ですよね。聞いたことあります。
>>628 彼が遺骨にこだわったって、別にいいと思うけど・・・ その人の人生観なんだから。
632 :
名無しさん@3周年 :04/07/04 20:15
633 :
名無しさん@3周年 :04/07/04 20:23
634 :
名無しさん@3周年 :04/07/04 22:43
635 :
阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/07/04 22:44
このスレを読んで暴言を一言。 「うわぁ、身近に戦旗いたら、入ってたかも知れないな(汗。おれ、男組とか、 魁!男塾にあこがれるヴァカだし。左右じゃなく、体質の問題」
636 :
名無しさん@3周年 :04/07/04 23:37
>>634 「同志倒れぬ」は革共同の十八番と思っていたが・・・・。
暗いリリシズムの曲だね。
1917年のロシア革命以来、多くの人々が歴史に鍬を入れる闘いに入ったわけだが
人生を賭すとは何だろう?ロシア革命に没したプロレタリアートは今の現状をなんと見るだろう?
確かに人はどこから来てどこに行くのかは永遠の命題だ。
637 :
名無しさん@3周年 :04/07/04 23:44
おれも落ちたのはそれに関わる想念。 人民ってどこにいる。オレの死は誰のために・・・ バルブで浮かれるこいつらのために命かけてるのか・・・ との、ある種の絶望だった。 大衆の海、人民の海はいったいどこにあるのだ!? その大衆、人民に疑い、不信を抱いてしまった瞬間、オレの革命は終わりを告げた。
638 :
名無しさん@3周年 :04/07/04 23:48
今も現役で頑張っている革命勢力は漏れらみたいなんにも期待してるんだろうか・・・
639 :
名無しさん@3周年 :04/07/04 23:53
>>637 でもここに書き込むぐらいだから、ぬけきれないんだろ?同じだけど。
俺は「人はどこから来てどこに行くのか」を問うた時、それは組織に属す属さないは別にし
自分で決定するしかないかなと思う。
640 :
名無しさん@3周年 :04/07/05 00:01
やりきれない忸怩たる思いはいまもある。 けれどもイラク派兵に諸手を上げて賛成する世論、小泉を支持する民衆に、 いまだ不信感は拭えない。いきつくところまで行って地獄を見るまで皆わからんのかと。 であれば好きにすればいいさと。それが人類の運命ならば、そうすれば、と。 もうそれを乗り越えるマルクス主義の行動理論も漏れの中には湧き起こらなくなってる。 でも、それを未だ確信し粉骨砕身する人々を漏れは否定はしない。 だからカンパや署名などは見かければ協力している。この感覚はなぜかわからん。
641 :
名無しさん@3周年 :04/07/05 00:11
それが真摯に闘ってきたものの宿命ではないか思う。 最近はこのスレのおかげで、昔の仲間と会い交えたいと思っている。 最近の世論? 俺はだからこそイラク戦争反対の意思をここの掲示板で意見してる人間に 戦争反対の意思を掲げて欲しいと思う。 だから共産党に変わる新左翼の統一戦線による参議員選への突入、掘り起こし を提唱してるが、話にもあがらないね。アホみたい。
642 :
名無しさん@3周年 :04/07/05 00:18
640だがスマン、スレ違いかもしれんが漏れは元チュンだ。 いまならみなさんと一緒に何かやれるかも知れませんね。 結構、80年代参加組みのチュンと皆さんとはオモイの点では似通っていたかもね。 ここに漏れも随分書き込みしていてそう思いました。
643 :
名無しさん@3周年 :04/07/05 01:51
>640 > けれどもイラク派兵に諸手を上げて賛成する世論、小泉を支持する民衆に、 > いまだ不信感は拭えない。いきつくところまで行って地獄を見るまで皆わからんのかと。 > であれば好きにすればいいさと。それが人類の運命ならば、そうすれば、と。 それでいいんだと思う。良かれ悪しかれ一人一票の民主主義のもとでは、 日本政府のふるまいに対して私個人が負うべき責任は、一億分の一くらい。 それ以上の責任は問われない。 私も将来の予測とそれに基づく意見を、いつも確信をもって主張できるわけではない。 後で私の考えAが間違いだったと思うこともある。 そういうときは、別の考えBやCを主張していた人がいてくれてよかったと、思う。 昭和初期の日本人は、いきつくところまで行って地獄を身をもって体験し、 戦後はその反動で平和主義と経済発展に基本的には邁進してきた。愛すべき人たちだよ。 われわれが自分の力で、または左翼組織の中で身につけたと思っている自分の考えや 思想や政治的意見、左翼思想といったものだって、そういう日本人の経験の中から 出てきたものであるか、またはそれに強く影響されている。これは論証とか実証による ものではなくて、感じるものですが(笑)。 あとは、「イラク派兵に諸手を上げて賛成」している人は、多く見ても半分か、もう少し 少ないくらい。厳密な意味での積極的賛成は、とても少ないと思う。少なくとも日本人の 半分はイラク派兵に疑義を持っているから、あまり悲観的に見すぎない方がいいと思う。 できるだけ客観的に自他を見ようぞ。
644 :
名無しさん@3周年 :04/07/05 01:52
> もうそれを乗り越えるマルクス主義の行動理論も漏れの中には湧き起こらなくなってる。 > でも、それを未だ確信し粉骨砕身する人々を漏れは否定はしない。 > だからカンパや署名などは見かければ協力している。この感覚はなぜかわからん。 何かを懸命にやってる人に対する畏敬の気持ちは、政治的意見が異なっても、私もある。 スポーツですばらしいことをやる人に対して感じるものと、あまり違わないかもしれない。 そしてもし(私と同じように)挫折をすることがあっても、そこからまた必死で考えるのだと、 運動している若い人に対してはそんな気持ちで見ている(まあ余計なお世話だろうが)。 民衆といっても、性格や能力や社会的地位もいろいろ。 共産党の地味な組織活動はあなどれないし、社会の誰からも相手にされないような 目立たない人たちは創価学会が組織している(これは偏見か)。新左翼はやはり いろんな意味で狭い。狭いゆえに、激しく鋭く糾弾し、行動することはできるが、 欠けているものは多い。 右の考えも、左の考えも、時間がたつにつれて理解できてきた気がする。右の人は たぶんこういう理由でこう主張しているんだろう、それに対して左翼は気に入らなくて こう反論するだろう、というように。 右翼が、「左翼は日本から出て行け!」と叫ぶのにも、一理あるなといつからか思える ようになった。単純な反論で、「右翼こそ出て行け」と言うことはできる。しかし、 本当に日本と日本の人々に絶望したときには、日本からどうにかして出て行って、 受け入れてくれる国に住むこともできなくはない。それも選択肢には入れておきたい。 そのうえで、まだ日本は住みやすい国で、改善の余地のあるところを改善していける 国だと思っている。これも論理ではなく、感じるものです(笑)。
645 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/05 04:07
>>621 > 棺は赤旗かぶせなくていいですか?
それは勘弁してください。
>>629 > 荒正人が荒の叔父というのは事実と違います
ほう、そうなんだ。別に荒さんがそう言ってたってわけではなくて、何かの新左翼の歴史を書いた本(or現代用語の基礎知識)にそう書いてあったので、そうなのかと思っていました。(どっちが本当なんだ?まあどっちでもいいけど)
昔、上の人に聞いたら「荒さんは『正人氏には1回か2回子供の頃にあったくらいでほとんど他人だ』と言っていた」そうです。
>>630 「新しい運動」って結局何も出てこんかったよね。
結局「言い訳」が多い運動はダメですね。
>>633 > 上坂ってどんな人?
「三里塚闘争に連帯する会」代表。おじいさん。いつも悩んでいる人。戦旗とか中核みたいにオールドスタイルで「原則的」な運動を見ると必ず文句をつける人。駄目な所はいろいろ指摘してくれてそれなりにわかるが、じゃあどうすればいいのかは決して言ってくれない人。
>>635 阪僑文士さん>
ワロタヨ!
>>636 > 「同志倒れぬ」は革共同の十八番と思っていたが・・・・。
加藤さんが癌で逝った時、家族の問題で党葬などはできずに葬式にも入れなかったらしいが、家の前で葬儀を見守りながら、出棺の霊柩車をみんなで「同志倒れぬ」を歌いながら見送ったと聞いています。
訃報と弔辞を戦旗に載せたら、同志社の学友会から戦旗社に弔電が届いたそうです。
646 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/05 04:53
>>641 > 最近はこのスレのおかげで、昔の仲間と会い交えたいと思っている。
>>642 > いまならみなさんと一緒に何かやれるかも知れませんね。
同感ですが、いろいろと障害も多そうですね。
よろしければこのスレが消える前にご連絡ください。まずいろんな意見交換をネット上でしてみましょうよ。
http://www.geocities.jp/souka431/2/index.html >>643 > 後で私の考えAが間違いだったと思うこともある。
> そういうときは、別の考えBやCを主張していた人
> がいてくれてよかったと、思う。
深いお言葉ですね。感動しました。
戦旗も「絶対的真理はない。すべて主観である」と言ってましたよね。そんでわれわれは特定の主観を共有する者達=「共同主観の形成」。。にすぎないと。
すまん、他の左翼系掲示板なら普通だが、2chでの長文投稿はちと恥ずかしい。
でも書いてしまったので。。。
>>637 > 人民ってどこにいる。オレの死は誰のために・・・
私の回りの活動家にとって、「人民」といえば「韓国民衆」であり「第三世界人民」でしたが?
「日本国民」もまあ一応は人民なのかしれんけど「彼らのために」ではなく、むしろ国内人民には「自己否定」を迫るのが80年代の戦旗のスタイルじゃなかったっけ?(除く三里塚農民等)
だって「血債猛省」だもん!日本人なんてちょっとくらい酷い目にあってもかまわないんだもん!
それが戦旗でしょ!(^_^)v
まあ私はNHKの「素人のど自慢」とか見ながら「ああ〜庶民だなあ〜、人民がここにおるなあ、良いなあ」とかほのぼのしてて、同志からあきれられてましたが。
>>640 > けれどもイラク派兵に諸手を上げて賛成する世論、小泉を支持する民衆
あのね、2chばかり見てるからそんな馬鹿なこと思うんだよ。(^_^)
大衆は自然発生的には戦争にも派兵にも「嫌だなぁ〜」てのが素直な感情なの。
原発と同じで「なきゃ無いに超した事は無い」という人が圧倒的なの。
一応は「賛成」してる人も「嫌だばかりは言ってられない」という人で、むしろ無関心派よりも「いい人」なの。
たとえば有事立法に賛成の人も「いざという時に国民を守る備えは必要なんだろうな」程度の単純素朴は認識で、それ自体は当然思うことなの。
だから有事法制が「国民を守るためのものじゃない」とか「派兵はイラクの人々を助けるどころかその逆だ」とちょっと説得すれば十中八九、ころりと考えが変わるようなことが、私の回りでも当たり前に可能なのよ。
すでに日本国民は社共の「一国平和主義」にはあきたらないだけなの。
ほんでそれを小泉某とか石原某が表面的に浅く吸収してるだけのことなのよ。石原さんなんて「東京第一主義」が都民から支持されてるだけでしょ。
本当の「賛戦派」なんて2チャンネラーをのぞけば10人に1人もいないよ。
>であれば好きにすればいいさと。それが人類の運命ならば、そうすれば、と。
その気持ちは私にもあります。
もう別に共産主義でなくてもいいけど、何かの形で資本主義が止揚されずに人類が衰退していくなら、
それも人間という種の限界だったわけで、それはそれで仕方がないかなと。。。
649 :
名無しさん@3周年 :04/07/05 11:16
>>645 >「三里塚闘争に連帯する会」代表。おじいさん。
>いつも悩んでいる人。戦旗とか中核みたいにオールドスタイルで「原則的」な運動を見ると必ず文句をつける人。
>駄目な所はいろいろ指摘してくれてそれなりにわかるが、じゃあどうすればいいのかは決して言ってくれない人。
ワハハハ。
その昔トマホークの集会の時にこのオジサンが
「権力がハードにハードに戦争への道を進めようとしている時に、それに反対する側が同じように
ハードにやってちゃダメなんだ!アメーバーのようにソフトにソフトに下から侵食するような運動を
展開しなくてはっ!」などとトンチンカンなことを言って戦旗のメンバーの失笑を買っていた。
ソフトに侵食って....そりゃあんたのイメージだけで具体的な運動論はどうなんだ?と。
結局は戦旗のようなオールドスタイルに対するアンチでしかなかったんだろうけど
とにかく新左翼的文法の大嫌いな人でしたね。
まあそれをあからさまに失笑するから戦旗は余計に嫌われたんだろうな。
戦旗と気まずくなってもインターやプロ青が持ち上げてくれるからよかったんだろうけど。
650 :
名無しさん@3周年 :04/07/05 12:05
>>619 後退局面で後退したり仮装wしたり某組織に加入戦術wすることは
別に悪いことではないが、80年代ブンドが将来的な97年BUND体質を
内在していたことを「勢力維持」と肯定弁護できるのか?
651 :
名無しさん@3周年 :04/07/05 13:22
しかしのちに戦旗が「ハードな転向」とげたっつー事は「ダメだ」という事については正しかったとしか言えないんじゃねーの?
652 :
名無しさん@3周年 :04/07/05 14:49
「ダメだ」ってことを本人たちが自覚してるのならなんにも云わんが 正当化し自画自賛し、他人に説教たれるのは如何なものかと小1時間(ry
653 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/05 17:43
左翼業界には時々他人が一生懸命やってることを「ダメだ」としか言わない人種がいるものです。それで自分が「ダメだ」と決めつけた相手を超えた「もののわかった人間」だと思い込んでいるのです。 一般人の素朴な感想ならそれでいいんだけど、内部の業界関係者の態度としてはいかがなものかと。 上坂氏はまがりなりにも「代表」なのですから、たとえば一生懸命頑張って業績をあげている社員に社長が「おまえらダメだ」と訓示するようなものです。しかも何がダメなの言ってくれないし、社長は座っているだけで何もしていません。 社員が「はぁ?」となって「こんな社長のしたで働けるか!」と思っても責めるのは酷というものです。
654 :
名無しさん@3周年 :04/07/05 18:17
655 :
名無しさん@3周年 :04/07/05 18:49
656 :
名無しさん@3周年 :04/07/05 20:57
やっぱり加藤さんでしたか。 癌がわかる前、山行でみかけたが、随分顔色が悪く、ヤバイと思っていたが。
657 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/06 02:31
「戦旗の子供達」はどうしているんでしょう? 私が離脱した時は幼児だったけど、もうそろそろ思春期のはず。 ちょっと心配だ。
658 :
名無しさん@3周年 :04/07/06 07:33
>>657 そうだよな。親が日共でも大変なのに
過激派の子だよ。
あの頃は(80年代)は若かったから余り気にもしなかったが、
子供を持ち、闘うと言うのは大変なことだったんだなーと思う。
ガサ入れとかもあったし、集会にも連れてきてたわけだからね。
その子たちも思春期の世代どころか、成人してる子も多いしね。
子から見た親の話も聞きたいね。
659 :
名無しさん@3周年 :04/07/06 19:05
派遣会社の社長が荒社長で、塚が出向先のお客様じゃねえのか?
660 :
名無しさん@3周年 :04/07/06 19:19
そして派遣会社の社長が、後に出向先と同じ事を言ったわけだな。 出向先の言うことは聞けねえが自分の会社の社長の話なら聞けるってか?(わら
661 :
名無しさん@3周年 :04/07/07 08:26
加藤さんのデモ指揮とアジテーション思い出す。 独特の「味」があったな。
662 :
名無しさん@3周年 :04/07/07 20:29
デモ指揮ってかっこいいよね。一回やってみたかったけど、そんな出番はなかった。 それより、一番最初のデモ行進思い出すよ。靴が人に踏まれて脱げてしまうからって言われて、 紐で靴をグルグル巻きにしたけど、やっぱり脱げてしまった。次回からは、バスケシューズ にしたり、工場労働者風な頑強な靴にしたりした。 なつかしきデモの思い出です・・・
ヘルに書いてある文字教えて
664 :
名無しさん@3周年 :04/07/07 21:21
665 :
反過激派くん :04/07/07 21:27
Zとかって何?
マルチーズ共済って何ですか。
667 :
名無しさん@3周年 :04/07/08 20:24
>>665 初心者なんね。でも、ていねいに答えましょ。Z=全学連=革マル。
668 :
名無しさん@3周年 :04/07/08 20:54
>>662 雨の日、旗竿デモやったことあるけど、重くて寒くてビショビショ。でも、これに耐えねばって
一所懸命だったな。若かかりし日の思い出・・・
669 :
名無しさん@3周年 :04/07/08 22:49
いひひ。 秋の三里塚は特に雨が多かった記憶が。 ほんと、どろどろ、びしょびしょでしたな。 横堀からのデモはメットが会場を覆いつくしていて、壮観だった。
670 :
名無しさん@3周年 :04/07/08 22:59
>>667 「Z」は、党派を指す場合は革マル派のことを意味するが、
党派ではなく「全学連」の略語として使われることもある。
日共でも、「全学連」(もちろん日共全学連)を指して「Z」ということがある。
民青は「M」という。
671 :
名無しさん@3周年 :04/07/09 21:31
>>669 オレは雨のデモは登山用の雨具を着てた。防水ばっちりで中はむれない。
値段は少々張るが、安い雨具のムレムレ不快感からは解放された。
でも、眼鏡が曇るのはどうしようもなかったな。
雨に曇る横堀というより、メガネに曇るだった・・・
672 :
名無しさん@3周年 :04/07/09 21:47
ゴアの雨合羽だよね。 でもあれ使うと、ズボンが泥でぼろぼろになら無かったかい?
673 :
名無しさん@3周年 :04/07/09 22:05
なったなった。でも膝から上は問題なし。スパッツを着けるとよかったかも。当時はそこまで 気が回らなかった。 問題は靴。ゴム長靴履くのが一番かな。
674 :
名無しさん@3周年 :04/07/09 22:50
スパッツまで付けると、可笑しいだろう。 ゴム長は機動隊の盾の危険があったから無理だったかも。 しかし京成線にはもうどれくらい乗ってないだろう。 ところで、ナリタから海外に行った香具師はいるか? 俺は、相方に断固ナリタは使わんといって、結局新婚旅行は行かず。 今もやっぱり使うことには抵抗あるな。
675 :
名無しさん@3周年 :04/07/10 16:01
↑ ああ、酷な質問だ。使ったと答えられるはずがない。このスレで。 ところで明日は参院選挙か。暇つぶしに、比例代表は「戦旗・共産同」と書き、 選挙区は「荒岱介」で投票してやろう。無効票はわかりきったことだが、開票作業 の職員にかつての活動家世代がいれば、驚いたり喜んだりするんじゃないかと 思って・・・ 「荒岱介」はちょっとシャレがきついか。 どう、遊んじゃいけませんか?
676 :
名無しさん@3周年 :04/07/10 18:30
いひひ。 知ってればいいが、暴走族と間違われるかもな。 俺は結構行きたくないが。どうするか迷っている。
677 :
名無しさん@3周年 :04/07/10 23:33
お前馬鹿?辞めたもくそも今更戦旗の荒はかかないだろ、しゃれもくそもなくやめとけよ。
678 :
名無しさん@3周年 :04/07/11 00:19
そんなに目くじら立てるなよ。 俺も書かないが、80年代の活動家にとって粗はやっぱりでかかったんじゃないの。 括弧をつけてるのはそういうことだよ。
脊髄反射スマソ
まあまあ共産主義自体が馬鹿なんだからツマラン争いやめろよ。
>>680 お前はその共産主義も理解できないアホだけどな。
>>680 理解する気もないわ。この時代遅れの基地外おやじ!!!
683 :
名無しさん@3周年 :04/07/11 01:34
ところでホント誰・どこに投票するかな。 オレは東京なので、さっき候補者のリストを見たら、共産党の候補は党活動しかやってない 人みたいだな。だいたいそうなのかもしれないが。 当落線上の人に入れたい気持ちはある。 マタヨシイエスも主張はいいのだが、いかんせん「神」を名乗っていることがひっかかる。 どうも神と近代的価値観は合い入れない気がしてならない。 落選しても得票数に意味のありそうな候補として、ますもとがいる。 ますもとにしちゃおうかなーー
684 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :04/07/11 08:45
参院選挙か。かつて反対同盟の戸村さんが出馬したことあったな。 労働党も出たことあったな。 荒と西田が出馬して、勝負するというんなら、選挙に行く気にもなるが。
685 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :04/07/11 11:26
特に深い考えもなくみどりの会議に投票してしまった...
686 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :04/07/11 15:23
又吉イエスで・・・
687 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :04/07/11 15:56
688 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :04/07/11 16:33
まだ入ってない。 今回は棄権で。 4年後には統一候補を立てる運動を起こしたい。
689 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/13 23:10
荒さんが選挙に出たり、自薦で「朝生」とか出ようとしたら、いくら何でもそれだけは絶対に嫌だなあと思う今日この頃です。まあ、荒さんも泡沫候補になる気はないだろうとは思うが。 しかしなんだ、あの小泉ってのは。議会政治家のくせに選挙で負けてまでヘラヘラ他人事みたいな顔しやがって。もうはっきり言ってあいつの詭弁と民意蔑視には耐えられん!小泉以外なら亀井でもまき子でも荒でも誰でもいいぞ。一秒でも早く辞めてくれ。 ここ数日コツコツと自分のサイトに「戦旗派同窓会」という掲示板を設置していた。作ってから、これは誰も書込んだりはしないだろーなと思った(^_^; 別に荒してくれてもいいや。だれか2、3人くらいは書込んでくれ。 押し入れから84年3月の「闘う労働者」を見つけた。組織実践ノートのパート2だった。 ああ、そういえばあの頃は会議の時は電話をふとんむしにしたり、工具をもってアジト周辺をパトロールしたりしてたなあと懐かしく読んだ。 アジトが最上階なので窓も完全バリケードした部屋は、夏ともなれば夜になっても50度を超えてまさしく地獄だった。クーラーが欲しかったなあ。
690 :
名無しさん@3周年 :04/07/14 01:32
>>689 >アジトが最上階なので窓も完全バリケードした部屋は、夏ともなれば夜になっても50度を超えてまさしく地獄だった。クーラーが欲しかったなあ。
すげえな。そんな苦労があったのか。
やっぱ、窓を開けると公安が登ってくるということなの?
691 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/14 06:35
鉄扉はガソリンカッターを使えば木材よりも容易に破壊され、窓など何もないのと同じです。 窓は開けないのではなく、明かりが漏れないように目貼りをした上で鉄のアングルなどを打ち付けて塞ぎ、さらに箪笥や冷蔵庫などでバリケードしてしまいます。 明かりがもれると、そこから生活パターンを読まれて弾圧や襲撃の目安とされてしまいます。 電気は寝る時も24時間つけっぱなしにします。あらゆる出入り口は人1人がやっと通れる隙間を残して塞いでしまいます。公然アジトの場合はこれは最低限度の当然のことです。 70年代の戦旗はRGなどの「革命軍」作りを「代行主義」として批判し「党の武装化」を主張してきましたが、79問題克服の過程で一旦は武装を弱めて80年代の大衆的拡大を実現しました。 80年代中期からはGP戦闘の実現で、武装と大衆的拡大の両立を目指しますが、中核派の党派戦争宣言を受け、具体的にはそれへの対処と同時に、対権力闘争での組織防衛体制の構築もにらみつつ、短期間でいっきに党的武装の質を高めようとしたということです。
あ、すまん、さっきまで10年ぶりくらいに「闘う労働者」を読んでいたのでついアジってしまったYo しかしあらためて当時のものを読むと、(中核派の人もそうだろうが)本当に365日24時間、すごい非日常を日常として生きていたのだなと思う。
693 :
名無しさん@3周年 :04/07/14 20:05
軍事訓練としての山行もそのひとつ。オレは前スレでもカキコしたけど、この山行で 山の魅力にとりつかれ、いまでも月に1回は山行を楽しんでるよ。海外登山も1回やった。 その時に成田空港を使ってしまった・・・
694 :
名無しさん@3周年 :04/07/15 20:10
↑ たしかに山好きな奴多いよな。現実からの「逃避」にちょうどいいか? 軍事訓練とか山岳拠点なんて言い訳は止めようぜ。とっくに破産してんだから。 自然派志向と言う方が納まりがいいか。これからは「農」だ、なんて方へ行く?
695 :
名無しさん@3周年 :04/07/15 22:04
非日常と言う意味では山は良かったね。 音が無かったからね。山岳訓練の意味より、心の安らぎの方が大きかったかな。
696 :
名無しさん@3周年 :04/07/16 20:39
非日常とはあんなにナーバスになって、常に疑って生きるものなのか。心身共に疲れる。 ああいう生活はもうイヤだ。人間としての精神の解放をまず求める。 てなこと言えば、存在が意識を規定するのか意識が存在を規定するのか、という マルクス思想になりそうだが・・・ いやまてよエンゲルスだったかな。もう忘れたよ。
>>691 そうか。そんな状態だったのか。
90年代に、ある党派の事務所に行ったことがあるが、そんな弾圧対策はぜんぜんしてなくて、普通のアパートだったよ。
組織文書や預金通帳などは、事務所には置かずに安全な場所に保管してあったが、それくらいの対策しかしてなかった。
ところで、盗聴対策の機械って秋葉原で売ってるの?ヤクザは、暗号化機械をつかって電話するらしいけど、左翼もそういうの使うのかな?
698 :
名無しさん@3周年 :04/07/17 09:09
オレはかつてマル青同のビル(墨田区の錦糸町駅から北西方向にあった。隣に小さな公園があり、 周囲は町工場やボロアパートが密集してた)に入ったことがあるが、入り口や窓はすべて鉄板で ふさがれ、屋上には24時間見張り付。用事があるときは、まず屋上の見張りに合図し、それから インターフォンで会話という手順。街宣車の窓も全て金網付。そういやあの街宣車はいつも公園 横に路上駐車してたけど、取り締まりされなかったんかな。(まあどうでもいいことだけど)
699 :
名無しさん@3周年 :04/07/17 17:37
で、◎青銅は何から守ってるんだろう?
700 :
名無しさん@3周年 :04/07/17 19:47
>>699 オレも実はそう思った。
ついでに700ゲトー
701 :
名無しさん@3周年 :04/07/17 21:33
>>699 どの党派も同じじゃないかな。
@対公安
A対右翼
B対他党派
C対内部ーそうすることによって組織の危機感を高め共通認識を確認する。
702 :
名無しさん@3周年 :04/07/17 21:41
某支部のアジトは朝鮮総聯の隣にあった。 「ガサ入れか」と思ったらお隣さんへのだったり。
703 :
名無しさん@3周年 :04/07/18 01:28
>>699 解放社はそんな風になってないよ。
窓はふさがれてない(1階はマジックミラー)し、洗濯物が干してあったりする。
704 :
名無しさん@3周年 :04/07/18 09:22
建物も武装してないと、戦ってる気がしない。
705 :
名無しさん@3周年 :04/07/18 11:25
草加さん> PCスキルが低いのでクッキーオンの設定が分らず書き込めませぬ.... そー言えば初めて「ワープロ打ち」を教えてもらったのも戦旗だった。 まだイパーン人が個人で所有していることなんてほとんど無かった時代の話。 ビラやレジュメの製作のために...と導入されたものだった。 先輩OL活動家のお姉さんが「こういうのはローマ字で打つものなのよ」と教えてくれた。 戦旗で身に付け実社会でも役に立ったいくつかのうちの一つ。
706 :
名無しさん@3周年 :04/07/18 12:37
707 :
名無しさん@3周年 :04/07/18 15:58
社防の思い出も語ろう! 目覚ましはインターナショナルという話を聞いたが…
708 :
名無しさん@3周年 :04/07/18 20:16
>>705 援農の時の経験が、今家庭菜園で役に立ってる。
>>705 >PCスキルが低いのでクッキーオンの設定が分らず書き込めませぬ
★クッキーをオンにする方法
Internet Explorer 6.x の場合
1)[ツール]]メニューから[インターネットオプション]-[プライバシー]-[詳細設定]を選択します。
2)[自動Cookie処理を上書きする]にチェックをつけて[OK]を押します。
3)[常にセッションクッキー許可する]にチェックを入れます。
4)[OK]を押してウィンドウを閉じます。
Internet Explorer 5.x の場合
1)[ツール]メニューから[インターネットオプション]を選択します。
2)[セキュリティ]カテゴリを選択します。
3)[レベルのカスタマイズ]ボタンを押します。
4)[Cookie]項目の[コンピュータに保存されているCookieの使用許可]のラジオボタンの中から[有効にする]を選択し、 さらに[セッションごとのCookieの使用許可]のラジオボタンの中から[有効にする]を選択します。
2chにアドレスをさらしたので、ガチガチのセキュリティの掲示板にしてしまいました。そのため、IE 6.x だとうまく書き込めないようです。
上のクッキーオン設定を確認して、左メニューの下の方のボタンを押して下さい。別ウィンドウが開きますので、リロード(再読込み)してください。
これでもだめなら、セキュリティを低めてクッキーオフでも書き込める設定に変えますのでお知らせ下さい。
掲示板
http://www.geocities.jp/souka431/2/bbs/senki.html
>>709 草加さんどうもご丁寧にありがとうございます。
2ちゃんでこんな質問してこんな丁寧な回答をいただけるなんて何て良スレなんだ..。
掲示板にも辿り着けましたし閲覧もできました..。
しかしやっぱりいざとなると書き込めないヘタレ...。
何卒ご勘弁のほど..。
711 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/20 18:33
712 :
名無しさん@3周年 :04/07/20 21:19
>>695 今、登山も中高年が多数を占めてるらしいが、元戦旗がけっこういるんじゃねえか。
なにしろ、真面目に取り組むからすぐ上達するし、中高年グループのリーダーになった
りしてる。
713 :
名無しさん@3周年 :04/07/20 22:35
革命を目指したものに不真面目なものはいないが、我々の場合現体験に刷り込まれているから 入り、易いよな。フリクラをやってる香具師はいないの
714 :
名無しさん@3周年 :04/07/21 18:03
フリークライムより、やっぱりアルパインや冬の縦走のほうが似合ってると思うが。 でもだんだん歳と共に無理がきかなくなってしまった。せいぜい夏のアルプスか沢登り。 冬は低山歩き。かつての体力、気力がなつかしい。
715 :
名無しさん@3周年 :04/07/21 20:39
日向って「血債」論なんだ。
716 :
名無しさん@3周年 :04/07/21 20:41
なんか皆楽しそうに(?)昔を語ってて、まあそれはそれでいいんだけど、逮捕されて 下獄した人は今どうしてるんかな。なんか気になるよ。とか言うオレは執行猶予だったから 獄を経験してない。
717 :
名無しさん@3周年 :04/07/22 04:02
>>716 下獄した人か。うーん様々な人生を送ってると思うよ。
あなたも、執行猶予といえ、実刑なんだから、その人生もまたいろ色だろ。
俺は、23日でペイされてるから余りでかい事はとはいえないが。
718 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/22 14:27
>>716 >>716 それはインターもプロ青も同じこと。下獄したのは戦旗だけじゃなく、それこそ60年
安保の時代から山といるわけで、その後に組織が消滅したり変質した人間も山といる。
組織への「忠誠心」だけで下獄したというのなら悲惨ですが、そんな人はいないでしょ
う。
みなそれぞれに農民への共感などの正義感と自分なりの判断があったはずで、後悔はし
ていないという人が多いと思う。たとえ下獄にいたったその人の行動に反対するにせよ
賛成するにせよ、へんに「同情」することでその人の人生を貶めるような態度は失礼で
すし、したくないと思います。
719 :
名無しさん@3周年 :04/07/22 18:29
>>718 なるほど、ウンそうだね。当時のことを後悔してるやつは少ないと思う。オレも後悔してないし
今でも正しかった、と考えてる。
今の生活も、ちょっと判断誤ったかなと思う時もあるが、それも過去の延長線上にあるから、
不満を言う気はない。その時々、自分で選択した結果だから。
720 :
名無しさん@3周年 :04/07/22 20:20
話しの腰を折って悪いが↓こういうの見かけたけどマジ? >社学同は、東京医歯大.京大(文.教育.農). >京都府立医大.桃山学院大.専大.小樽商大.東大(医).中大.明大.同志社大(文.経. >商工).滋賀大(経).和歌山大(経).大分大(経).徳島大.香川大(除教育).富山大(教養). >法政大(法).お茶の水大等の自治会を傘下にしていた。 時が若干づれるのか??よーわからんです。
721 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/23 01:27
これは戦旗派時代の社学同ではなく二次ブントの頃の社学同の話ちゃいますかね。 70年安保、全共闘運動で学園闘争華やかなりし頃。まだ戦旗派は結成もされていない。 戦旗派社学同の「傘下」と言ってもなんとか許されるかなーと思われないでもない(微妙)のは東外大と大正大くらい? あとは単に支部があるというだけだった。
722 :
名無しさん@3周年 :04/07/23 02:59
723 :
名無しさん@3周年 :04/07/23 03:51
724 :
名無しさん@3周年 :04/07/23 20:34
>>721 >戦旗派社学同の「傘下」と言ってもなんとか許されるかなーと思われないでもない(微妙)のは東外大と大正大くらい?
そうは言ってもそこの自治会を掌握しようとかいう発想はないセクトだったよね。
単に「学籍者が多い」というだけじゃなかった?
725 :
名無しさん@3周年 :04/07/23 21:10
せいぜい筑波共闘で残ってた位で、戦旗の学生組織なんて四分五裂。 結果、ブント系ノンセクトで80年代前半まで細々と。戦旗にシンパシー を感じつつ、でも袂を分かつというか・・・ オレはその一組織で何年か過ごしたんよ。
726 :
名無しさん@3周年 :04/07/24 00:32
確かにそうだけど、その当時自治会把握など考えもして無かったよな。 その2大学は、サークルBOXを持ってたことが大きかったかな。 その他で言えば、一時東大のメンバーが増え、広松を招いての講演会なんぞぶち上げてたり、 青学で、不正入学に対する学内集会ぐらいが大きな所じゃないか。
727 :
名無しさん@3周年 :04/07/24 08:26
自治会に入り込む気もなきゃ、力もなかった。シンパを使ってサークルBOXの又貸し (又借りか)でなんとか学内の居場所確保してたりした。でも戦旗自体が学生には関心 がなかった(?) そのため、学生はブント系ノンセクトを選んだり、活動そのものを止めたりということに・・・ という分析なんですが・・・
728 :
名無しさん@3周年 :04/07/24 09:18
興味があったが、組織結集のための手段以上でも以下でもなかった、 と思うが。また当時の学対だった、S城、S田両氏も集会への動員と組織結集をメインにおいてたと思う。
読めば読むほど当時の戦旗の学生戦線て中核のそれと組織形成の仕方が似ていると思ったよ。 政治的なテーマや対Y戦はおいといて、学生の位置づけというか動員を通じた組織作りというか。 やはり根はブントなんだなと今にして思ったりします。 大学展開は戦旗よりも力を入れてはいたものの、あくまで三里塚二期決戦オンリー。すべて集会に結集せよ!に集約。 自治会の権力奪取やそこからの地道な運動形成などはほぼ無関心といってよかった。一部の大学を除く、ですが そこにしても地区の独自方針で、全体はそれでも二期決戦集中が大前提でありました。 結局、一本釣りによる援農、現闘防衛隊、集会動員という個の連なりで組織をつくっていた。 大きく自治会ぐるみ組織ぐるみという試みは実行委員会という名でしていたけど、実態はそれでした。 そんでもあんだけの学生動員を80年代に維持できていたのは中核の底力でしょう。 一本釣りのよさはその人間が強固なイストになりやすいことです。大衆動員は一時で、その後は 雲散霧消、代が変わると何も残らない可能性も秘めいている。勿論、大衆運動のリーダー格を獲得すれば いいのでしょうけれど。一部では成功していたようですけど。 80年代の学生戦線のパワーでもうちと大学現場の運動や丁寧な組織作りをしておれば今頃は相当な 学生自治会や自治団体を掌握・指導できていたはず。80年中盤の武闘で一度飛んじゃったからなぁ・・・ その点、マルは権力維持と組織継承にのみ腐心した甲斐もありいまだにあちこちの権力だけは維持してる。 そんな権力は意味がないとおもいつつも、ちと残念な思いがいまもしている。
730 :
名無しさん@3周年 :04/07/24 11:14
80年中盤の中の闘争が未だによくわからん。 特に浅草橋戦闘だが、組織的にどういう位置づけだったんだろう。 暴動→内乱の絵図だったのか。 宣伝にしては、?だし。 知ってたら、教えて。
731 :
名無しさん@3周年 :04/07/24 13:06
はたから見てるとあの頃の中さんはヤケになってるとしか思えなかったな。 ニュース見て唖然とした記憶がある。やっぱり特に浅草橋はそう思った。 自民党本部への攻撃は溜飲が下がったけど。
732 :
名無しさん@3周年 :04/07/24 13:10
ヤケじゃー無いと思うが、闘争の組み方が、わからなかった。
オルグの中身は対Y殲滅戦と革命的武装闘争、大衆的実力闘争しかなかった。 決起するからには浅草橋や三里塚十字路殲滅戦のような武装闘争はみな覚悟していた。 80年代中期階級結線の武装的大衆的発展が90年〜20千年革命の勝利の展望をこじ開けると みんな思っていた。今思えばほんと皆さん並みに真摯で真面目な学生党員多かった。 じゃなきゃあそこまでできないね。「意地」の部分もあったかも。
山登りとかはしなかったが夏は海で海水浴かねた勉強会したね。 2時間交代ではあったが幹部クラス数人での対Y夜間防衛は翌日眠くて辛かった。 あんなに切り巻いてこんな片田舎にきてるのにY来るのかと思いながら・・・ けど訓練だと思い緊張して任務を遂行したものだ。
735 :
名無しさん@3周年 :04/07/24 16:42
>>733 確かに真面目な党員が多かったのはわかるが、浅草橋って何か階級的に断罪されるべきとこだったのかが一番の疑問。
736 :
名無しさん@3周年 :04/07/24 20:31
中のことになると、オレは感情的なものが先にでてあまりいい気がしない。 三里塚のことをどうしても思い出してしまう。理論じゃなく、あの時の戦旗に対する あいつら(中)の態度はなんなんだ。左翼としてじゃなく、人間としての問題だと思う。 あの顔が今でてきたら、一発ぶんなぐってやりたい。 浅草橋の件もああいう感性だから起こすんだ。結果はご存知のとおり。
737 :
名無しさん@3周年 :04/07/24 20:36
3・8は言うな。荒れる。 言い出せばまた平行線だ。互いに。
738 :
名無しさん@3周年 :04/07/24 20:42
3・8は言うな。ミズに流せ。 どうせウジと赤ダニじゃないか。
739 :
名無しさん@3周年 :04/07/24 20:47
欲求不満のマルがここにまで鬱憤晴らしにきてるね。
740 :
名無しさん@3周年 :04/07/24 20:50
>>739 鋭い感性ですね、的確です。
小生はあなたが書かれました文章に感銘を受けました。
741 :
名無しさん@3周年 :04/07/24 21:01
◎を語ってる厨房だろう。 せっかくこのすれで元中が語ってくれてんだから、お互い譲歩しようぜ。 時代は変わり、今や三里塚さえ忘れ去られようとしてる現実があるわけだし。
742 :
名無しさん@3周年 :04/07/24 21:10
いや真性マルがいまこの時間に跋扈しているようだぞ。
743 :
名無しさん@3周年 :04/07/24 21:28
現役がか? そこまで、やること無いのか。
>>736 ふーん、じゃあ鹿島拾市、さとさと、小林義也、米沢泉美たちに対しては、どんな思い?
745 :
名無しさん@3周年 :04/07/25 08:34
まーちょっと話題を変えて。 世を見渡せば、祭りの季節を迎えている。 いつも気になるのが、神輿だ。 笛の音が、デモの調子とまったく同じである。ピー・ピー!ピー・ピー! 家で聞いてると自然に、安保粉砕!などと自然に口ずさんでしまう香具師は 俺だけか。
ちとアルコールが入って感情的になってしまった。猛省。_| ̄|○
747 :
名無しさん@3周年 :04/07/25 13:21
>>736 >結果はご存知のとおり。
結果ってブントとかいってる香具師の現状のことか?
748 :
名無しさん@3周年 :04/07/25 15:40
>>747 中があの武装闘争路線によって受けたダメージってことじゃないの?
マジレスするのもなんだけど。
749 :
オサダ@ブント専従 :04/07/25 16:44
われわれアラカイダは、 ここ2ちゃんねるを利用して日本政府およびマスコミ各紙に声明を発表する。 われわれは首相小泉と政府に対し、自衛隊のイラクからの撤退を要求する! すぐにも徹底がない場合、勇敢なる我がファットマン五味同志がアロファロメオに乗って首相官邸を進撃する。 荒将軍様が手勢の美女軍団を従えて首相官邸を占拠し、政権を奪取する。
>>747 748さんの解説のとおりです。
猛省してますんで、元中さん、カキコどうぞ。
751 :
名無しさん@3周年 :04/07/25 21:16
オサダブントは、次から次へと下らない内容をよく編み出すよな。 こいつの正体は、誰???
752 :
名無しさん@3周年 :04/07/26 12:16
>>751 おまいが書くこととりよっぽどおもしろいですが何か?
753 :
名無しさん@3周年 :04/07/26 14:17
案外本物かもよ?
>>751 長田と五味にこだわっているとこが、佐藤じゃねーの。
この二人にヤラレたとか書いてあるしな。
>>752 おもしろいか?まぁ、人それぞれだろうけど。
ここには書き込まないでもう一個の別スレに行って欲しいがな。
755 :
名無しさん@3周年 :04/07/26 20:44
はは。確かに佐藤って推理は、当たってるかもね。
756 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 00:49
元戦旗的には佐藤ってどーよ? 佐藤をテロったり小林義也氏に対する読むに耐えない誹謗中傷記事をWEB上に 載っける今のBUNDも相当「イヤ」だけど、佐藤も何かちょっとって言うか相当イヤ。 元戦旗のひとりとしては正直そんな感じ。
757 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 06:49
>>756 確かにその気持ちわかるな。佐藤に対する調査活動や組織的暴力は、あの頃と組織構造上なんら変わりが無いからね。
地区党内にも軍事を内包するという取り組みの成果??が今も形だけは残ってるということ。
佐藤なんてほっときゃいいのにと思うけどなー。内容が余りにもひどくて、それに
いちいち反論してるの見ると、敵が権力じゃなくなった分、逆に人民内部の矛盾に目が向くのかと考えちゃうね。
BUNDのホームページなど見ると、粗のページの写真は短パイ持ってる写真だし、変だよな。
758 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 08:43
全国学生共同闘争を語ろう。
759 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 08:50
粗派のふたつの側面のうちのひとつ、思想オタクの方面がサトサトにはないからな。 あいつは一種生真面目すぎ。
760 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 12:36
テロられたのが佐藤のようなキャラじゃなければ、あの問題はもっとスッキリしていたような気もする。
761 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/27 12:40
みんな佐藤さんについては私と同じような印象をもってるんだね。
つくづく私って「平均的な元戦旗」なんだなーと思うよ(苦笑
しかーし。佐藤さんとSENKIはもう他人同士である。よってSENKIの佐藤さんへの暴力を評価するにあたって、佐藤さんが辞めてからの「主張内容」そのものはあまり関係がない。
辞めた人間が何を主張しようが、元いた党派がそれに介入する権利は絶対にない(正当な反論をのぞく)。そのことは確認すべきだ。
「ロフト事件を知らない方へ−私なりの論争概観と感想−」
http://hatahata.mods.jp/ronsetu/rofuto/hajimeni.html >>757 >佐藤なんてほっときゃいいのにと思うけどなー。
佐藤さんが「元戦旗」だということが大きかったと思う。元いた人間が分派闘争をすることと、SENKI解体運動をすることの区別がついていない。
私はむしろ佐藤さんに対して「SENKIなんてほっときゃいいのに」と言ってあげたい。
762 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 14:54
戦旗時代のさとさとがどんな活動家だったか知らないけど「あのまま」だったら オレは悪いけど当時の同じ地区のメンバーや上級には同情するよ。 紋切り型で戦旗の方針をオウムのように繰り返し、いちいち箸の上げ下ろしにも 「ナンセンス!」とか言ってくる香具師もウザかったけど、 あのさとさとのようなキャラは、何て言うんだろーなー、上手く言えないけど 「当時の戦旗的なもの」から最も遠いところにいるような気がする。
763 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 18:33
だけどもそれは、とにかく情宣による一本釣りを行っていた状況を考えれば 一見オタクも含め、ありとあらゆる人間が対象だったからな。 佐藤より東京地区党に潜入?した洪庵のスパイ(=中の裁判で権力にうたった香具師) も情宣での獲得だし。様々な人間がいたってたことかな。 学生の頃、闘争前日はアジト泊まりだったが、朝起きると金が無くなって、シンパがドロンも たまにあったな。
764 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 18:55
>>763 >学生の頃、闘争前日はアジト泊まりだったが、朝起きると金が無くなって、シンパがドロンも
たまにあったな。
マジっすか..........
765 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 19:19
それぐらい動員・動員だった。
766 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 19:45
500〜600人は確保しろという指令だった。もちろん入れ替わりが多い。 とにかく街頭でつかまえた人を囲って、お友だちになって、アジトへ。 そのくせ集会が終わってからのフォローは特定の対象者のみ。 なにやってたんだろう。署名実としての発言ってなんだったんだろうね。
767 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 20:07
>>763 金が無くなって、シンパがドロンてのは聴いたこと無いけど、タバコを抜き取るのは
見たことあるな。たしかにそいつはすぐ居なくなっちまったけど。
768 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 20:45
俺の実体験だからなー。 でも当時の闘いに否定的わけじゃー無い。
769 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 21:10
まったく関係無いが、中島らもが亡くなった。かなりショック!!!。 運動とも関係無いが、よく彼の本は読んでた。朝日の連載も同じ酒好きとしては 楽しかった。謹んでここに哀悼の辞を表します。
770 :
名無しさん@3周年 :04/07/28 00:00
>>766 >とにかく街頭でつかまえた人を囲って、お友だちになって、アジトへ。
>そのくせ集会が終わってからのフォローは特定の対象者のみ。
別に茶々入れるわけじゃないけど、労共闘や社学同に結集する前のオルグ対象者を
アジトに連れて行ったことなんて無かったけどな。
地区の前段集会に連れ出すまでは喫茶店オルグだったけよ。
それに個々のメンバーが抱えていたオルグ対象者は地区全体でかなり細かくフォローしてたよ。
会議の度にみんな自分が抱えているオルグ対象者一人一人の状態
(どのようなことに関心を持っているか?戦旗の方針に対してどの程度共感を示しているか?
集会への参加の意志はどの程度か?)について報告し合い、それに対する対応などについて
皆で意見やアイデアを出し合った覚えがあるよ。
正直今の仕事の顧客管理よりもよっぽどシビアできめ細かいことをしていたw
地区によって違うのかな?
771 :
名無しさん@3周年 :04/07/28 00:03
>>767 オルグの時に対象者から平気でもらいタバコする人がいたけど
あれはちょっと見苦しかった。
773 :
名無しさん@3周年 :04/07/28 02:39
>>772 かなり、記憶が薄いので正確には思い出せないが・・・・。
10・20関係と・・・うーん。
774 :
名無しさん@3周年 :04/07/28 02:47
>>776 当時の戦旗・共産同のすばらしさがわかる文章ですね。感動しました。
これも荒さんの指導によるんだなあ。今のブントの勢いがわかるような気がします。
775 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/28 03:35
776 :
名無しさん@3周年 :04/07/28 04:12
>>770 喫茶店だと、公安がついてくることがありえますね。
そういう対策はどうするのですか?
安全なのはラブホテルだけど、金がかかるし、いきなり対象者をラブホテルにつれていくのもちょっと(特に異性の場合は)。
777 :
名無しさん@3周年 :04/07/28 04:14
でも、組織の会議なんかはラブホテルでやるのがいいかもしれませんね。アジトが盗聴されている危険性があるので。
778 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/28 04:52
>>776 オルグは休日ともなれば2件3件とはしごしますので、いちいちラブホなど使っていられません。(同性同士だとかえって目立ったりしますし、そんな所を公安や敵対党派にフォーカスされた日には目もあてられません)
基本的に尾行確認、会話はすべて符牒化して話す、トイレなどに立つ時にも荷物はすべて持つ、決まった喫茶店を使わない、一番奥の店内を見渡せる席に壁を背にして座る、ちょっとでも違和感を感じたら躊躇せず店を出る、などで対応します。
なお、オルグではなく正真正銘マル秘の会話は基本的にアジトで筆談でします。
まずバケツに水を用意してから水溶紙に名詞や用語を書きながら「これを・・これに・・これ・・だから・・こうして」ってな具合です。筆談しながら水溶紙はその場でどんどんバケツに入れて溶かしていきます。
>>777 盗聴については話が長くなるので、下記を見てほしいのですが
「盗聴防止法」(
http://hatahata.mods.jp/kaiko/jitusen/14.html )
日常的な盗聴器の探索、電話をラジオと一緒にフトン蒸しにしておく、ラジオのスピーカーを四方の壁に密着させて鳴らす、重要な案件はやはり筆談、などしていました。
>>778 パソコンから出る電波で、パソコンの画面を再現できる装置があるようですね。
それに対する対策はどうするのでしょうか?
秋葉原で教えてもらえるかな?
780 :
名無しさん@3周年 :04/07/28 04:59
>>778 「フトン蒸し」ってどんなのですか?
それと、電話の盗聴を防ぐための暗号機械って高いのですか?ヤクザは使っているそうですけど。
781 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/28 05:25
>780
>「フトン蒸し」ってどんなのですか?
受話器を置いた状態でも室内の会話を盗聴できる機械があるので、それへの対策として、音量を上げたラジオと一緒に布団でぐるぐるまきにしてしまうのです。この機械でも周囲数メートルの音しか拾えないので、基本的にこれだけのことで完璧です。
>電話の盗聴を防ぐための暗号機械って高いのですか?
憶えてないけどものすごく高かったように思います。今は知らんけど。
そういう機械の存在は知識としては知っていても、実際に購入することはありませんでした。
ではどうするか?このスレの上のほうに書いたと思う(
>>711 )のですが「電話は基本的に使わない」これにつきます。使わなければ盗聴のしようないでしょ?
782 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/28 05:30
>>779 >パソコンから出る電波で、パソコンの画面を再現できる装置があるようですね。
>それに対する対策はどうするのでしょうか?
あのー、スレタイにもある通り「80年代」ですので・・・f(^^;)
当時はパソコン一式の値段と自動車一台の値段がほぼ同じでした。
783 :
名無しさん@3周年 :04/07/28 07:31
ところでマジック(尾行を巻く)ことに関して、みんなどの程度自信を持ってた? オレただの嫌がらせで私服に尾行(あからさまについてくる)されたことあって 自分では完璧に巻いたつもりが先回りされて近隣の派出所まで「任意同行」を求められた ことがあったよ。 それとか、ある全国集会への移動のための合流ポイントへ向かう時、それぞれ2〜3人ずつの グループで散々電車とか乗り換えて(ドアが閉まる瞬間に降りるとか、降りると見せかけて降りないwとか) 集合場所に行ったら、ワシらの乗るバスの前に堂々と覆面が止まってて中で私服が ワシらの人数を数えてた。 もともとオレがそういうの苦手な方だったんだけど、やっぱりプロには適わないのかな?とか心中思っていたよ。 オレは完璧巻いてたよ、って香具師いる?
784 :
名無しさん@3周年 :04/07/28 08:29
シンパのドロンに関しては、牧歌的時代にも確かにあったし、激烈極めた時にも あったのは事実。前は学生支部、後者は地区労共闘支部。これは当時の地区の 温度差も多分にあったことによる。まー粗の膝元埼玉などはあり得ないだろうが。
785 :
名無しさん@3周年 :04/07/28 10:09
労共闘ってやたらやみくもにオルグってたな
786 :
名無しさん@3周年 :04/07/28 20:33
>>783 最初から巻こうと思うから神経すりへらすんよ。ある程度付けさせておいてポイントに
なるところでサット巻く。場数踏んでくると面白くなる。電車に乗るとみせかけて乗らず、
何本もやり過ごす。その時、怪しいと思われる奴の側にわざと近寄って反応を見たりする。
若い奴だと結構あわてたりして面白い。
787 :
80年代、俺はノンセクトだった :04/07/28 21:49
>>783 >>786 国内は所詮牧歌的だったなぁ。
俺はソウルで韓国の公安に尾行されたが、こわかったぞ。
788 :
名無しさん@3周年 :04/07/28 21:58
>>787 光州蜂起のあとの支援かな?あるとすれば。
789 :
名無しさん@3周年 :04/07/28 23:49
>>786 予定キャンセルして、逆に公安を尾行してみたらどうかな?面白そう。
790 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 00:03
結局ブントというのは 遊びだったんだな。
791 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 01:17
>>790 遊びと言えば遊びだったのかもな。
ある時韓国からの留学生を大学の中で紹介され、学食で話をしたことがあった。
全斗煥政権の頃。
韓国民衆への連帯を第一に掲げてた戦旗活動家のオレは興奮して
「あなたもデモなどに参加しているのか?」と勢い込んで質問した。
そうしたら彼は軽く困惑した表情を浮かべ
「デモに参加するのは学生としてはある意味『当たり前』のことだ。
それよりもこういう場所(学食)でそういう質問をしてくるあなたの警戒心の
無さが信じられない。韓国国内なら即投獄だ」と言われ
自分の甘さを酷く恥じた思い出がある。
792 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 02:03
793 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 08:45
その当時の韓国学生活動家層が、今の政権を中心的に支えてるんだから、変革があったといえばあったのかな。
794 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/29 08:58
加藤さんが学生時代のある雪の日に、在日朝鮮人の学友に呼び出されたそうだ。何かと思うと。 「俺は今日、共和国に帰国する。祖国での社会主義建設に身命を賭すつもりだ。君は自分の部署として日本革命のために頑張ってくれ。日本人には誰も挨拶するような人はいないが、君にだけはそれを伝えておきたいと思って」 と、雪の中で握手を求めて去っていったそうだ。加藤さんは「戦慄して震えが止まらなかった」と言っていた。 この人が帰国後どうなったのか。。。それが心配ではある。 しかし朝鮮人、韓国人の人々の話を聞くと、自分らは意味は違えど「平和ぼけ」となじられても仕方ないといつも思う。こういう彼らに信頼されるに足るような主体でありたいといつも自分を酷使して必死だった。 ともあれ、左翼を「平和ぼけ」と批判する人もまた平和ボケなのだ。でなければ反戦闘争に反対し、戦争を支持できるはずがない。
795 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/29 09:00
また、部落解放同盟の幹部の人は、敗戦直後の青年時代、都会に出て来てたまたま在日朝鮮人と友人になった。 ごく普通の友達つきあいだったが、やがて戦前の朝鮮人に対する激しい差別・抑圧を知って大変に驚いた。田舎では朝鮮人などいないし、そんなこと報道もされないので知らなかった。 そこで自分も部落民として差別され続けてきた彼は「お互い差別されている者同士だから協力しよう」と言った。すると普段は温厚な朝鮮人の友人が急に顔を真っ赤にして烈火のごとく怒ったというのだ。 「日本人が朝鮮人にしてきたことを知ってるのか!君も日本人ではないか!日本人の中で一番下の扱いを受けていたからって、それがなんなのだ!」と。 そう言われて自分は被害者意識ばかりだった彼はショックを受け大変に恥じ入ったそうです。
796 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 10:48
指紋押捺拒否闘争の時、我々の情宣部隊の隣で情宣をやっていた在日朝鮮人部隊(総連系だったのかな?) のある人に「お前らオレ達が長年やってきた闘いに便乗するなよ」と冷たく言われた。 考えてみればマスコミなんかが取り上げてた時期に我々は闘争課題として取り上げたけど 彼等にしてみれば、この問題は日常的にもずーっと闘ってきたわけだ。 何も言い返せなかった。
797 :
俺はずーっとノンセクトだった :04/07/29 11:08
>791,795,796 血債論の限界に思いは至りませんでしたか?
798 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 12:31
むしろ猛省が足りないと思いました。
799 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 13:48
しばらくは 元ブントには 懺悔してもらいます。
800 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 17:02
800ゲットですいません。
801 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 18:15
ー血債猛省ー これは組織的討論を経たものか? 荒の思いつきか?
802 :
希流 ◆zZakYvvs72 :04/07/29 18:26
>>801 獄中にいたときに荒が思いついたんでしょう。
そういう話を読んだ記憶が。
組織的討論の過程で生み出されたものではない。
803 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 20:45
>>802 下獄する前じゃないの? だって75年頃の機関紙には既に血債猛省の字が踊ってた。
「思いつき」というとなんだか軽く感じられるが、血債猛省精神はコミュニストとしての
誠実さの現れと、オレは高く評価してるが。
804 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 21:02
確か破転向伝で、分派闘争で消耗して魚河岸でバイトしてるときに 思いついたと書いてあったような記憶が。 誠実な思いつきでつね。
805 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 21:06
806 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 21:45
というか、何で、799みたいに言われる筋合いがあんの? 少なくとも、そうした社会矛盾を感じ変えようとして、決起したわけだからそんなこと言われる筋じゃないよ。 これが、79問題の陥穽じゃないの。
807 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 23:42
>>805 >総連は指紋押捺闘争をしていませんが。
あれ?そうだっけ?じゃあ彼等はどういう団体だったんだろう?
808 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 23:44
>>807 総聯は組織としては参加していない。
民団系・韓民統系・総聯系・無所属系の人々が個人として参加していた。
809 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 23:58
>>806 まあまあマターリいきましょうよ。
前スレから粘着タソが若干いるようだけど、このスレの展開が気に入らなく
感じる人の出自って一体どういうところなんだろう?
やっぱ二次ブント崩れなのかな?
810 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 23:59
811 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 00:18
>>794 その加藤さんと在日の人の感覚はよくわかるけども、例えば
同じ時期に、「俺はソ連共産党のために活動しているスパイだ」
とか誰かに告白されたとき、半分はすごいと思うが、半分は「ス
ターリニストかよ」と思うのではないか。危険を顧みず信じると
ころをおこなうというのは、ある種の感動をさそうが、間違ってい
ることを一所懸命やられるのは、本人以外にとってはたんなる
迷惑にすぎないこともある。
これも例えばだよ、朝鮮労働党のために必死になって誰かを
拉致しまくることは、尊敬できないし、感動もできない。
「血債猛省」は思いあがった自分達を見なおす意味ではよい
が、やみくもにアジア系の人々を尊敬し、自虐的になっても
しょうがないのでは。
>>795-796 当事者達の気持ちはわかるが、もう少し柔軟に言うことがで
きる在日の人もいるだろう。その在日の人達は、ちょっと性格
の悪さが入ってない?
812 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 00:28
813 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 00:31
>>811 そうね。それが正論だと思う。
健全な批判精神のないところに健全な共闘関係も生まれないだろうね。
814 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 00:42
はあっ? 在日だってね、ほんとに共闘できる日本人かどうか、被差別民族 の気持ちが理解できるか問いたいんだよ。 総ざんげを期待してそういうこと言うわけじゃないと思うよ。 性格の悪さとか健全とか形容詞で語る性質のものとは思えないんだが。
815 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 00:52
>>814 「ほんとに共闘できる日本人かどうか、被差別民族
の気持ちが理解できるか」を、確認するような言い方
ではないのでは?
>>795-796 は。
たんに相手を拒絶するか、さもなくば、自分の言いな
りになる相手かどうかを試しているだけのように感じ
る。
例えばさ、成田空港ニ期工事に反対する情宣とかを
やってるときに、「私も政府のやり方はおかしいと思
います」と言って近づいてくる人に向かって、「お前
なんかに俺達の気持ちがわかってたまるか」「お前
には農民の気持ちがわかるのか?」なんてことは
言わないだろ?
816 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 01:05
血債猛省か世界人類みな兄弟の二つの選択肢しかないんか。 あんたほんとに在日や反対同盟と腹割って話したことあんの? 「オル対」とかに呪文を並べてただけじゃないの? 置かれた立場や他者との関係性でいろんな表現があるんだよ。 言葉尻をとらえてどうすんのさ。 逆にその表現に隠された関係性を掘り起こし・自省や共鳴してこそ「連帯」 とかできるんだろうが。
817 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 01:13
>>816 なるほど。
では、よければ、そういう他者とのさまざまな関係性
について、ここで豊かに表現してみせてほしい。
俺も納得できるかもしれない。
>>816 みたいな言い方だと、たんなる恫喝に受け取
られかねない。
818 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 01:18
だから恫喝してるんだよ。 いいかげんにしろって。
819 :
漏れがその粘着なのかも :04/07/30 01:19
漏れはね、80年代に戦旗のわりと近くにいて、今の「持続的発展の可能性のbund」とやらが気にくわないんだよ。 元戦旗の人は今の荒派のていたらくに言うべき事があるんじゃねーのか?と思うんだが、なんで今は無きかつての戦旗共産同の想い出話にひたっていられるのかが謎なのね。
つか、パラダイムチェンジとやらで、戦旗は「血債猛省」を簡単にゴミ箱に投げ捨てちゃったわけじゃない? じゃ、血債猛省ってなんだったんだよ?というのが当然の疑問として出てくるわけだ。
821 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 01:56
822 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 05:13
赤ヘルのいいかげんさに今頃 気がつくなんて? 「血債猛省」なんて言葉が出る時点で それぐらい気付けよ。
>>819 ダカラその意見は、今の粗に投げかけろよ。 ここで言われても答えようが無いだろう。
差別を受けてきたから、何だとか、人民一般で括るのは、俺はうんざりだね。 在日だって、犯罪者はいるし、それが出自のせいだから、差別を受けてきたから などと考える思考は無いね。それは間違いだと思っている。
825 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 11:47
>>819-
>>820 なぜ80年代の活動家がパラ・チェンの責めを追わなければならないのか逆にオレには分らん。
なんでだよ(w あんたらが今の荒を責める立場なんじゃないのか、と言っているんだ。 そうならないというのが理解できん、と。
>>826 だってパラ・チェン前にはコケちゃったんだよ。
少なくともオレの場合はパラ・チェンに失望してやめたわけじゃなくて武闘時代に消耗してコケたんだ。
パラ・チェンを知った時は驚いたけど、それを責めたり批判したりする立場じゃあないだろ?もう。
だってコケちゃった組織のことだよ?
オレが戦旗を抜けた後も何らかの形で活動を続けてたんならまだ批判対象にもなるけどさ。
パラ・チェンのお陰で?こうやって昔のことを「思い出」として語れるようには
なったけど、パラ・チェン自体をどうこう論評する立場にはないとオレは思ってる。
ましてやどんな組織になろうと、昔の仲間でまだ残って続けている人には
頭が下がる思いしかない。
他の人は知らないけどオレはそんな感じ。
828 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/30 12:55
>>819 さん
>あんたらが今の荒を責める立場なんじゃないのか、と言っているんだ。
>そうならないというのが理解できん、と。
今の荒さんとパラチェンを(客観的な批判一般ではなく)主体的に責める資格があるのは、人生を賭けて活動を続けてきた現役活動家の皆さんです。実際に荒さんから追い出されたり自分から追い出たりしておられるようです。
私達は10年以上も前にそんな現役活動家を見捨てて自分だけ逃亡した「元活動家」なのです。そんな私達が「おまえら何やってんだよ。おれたちの頃にはなー」なんて言い出したら、それこそキモいではありませんか?
>なんで今は無きかつての戦旗共産同の想い出話にひたっていられる
>のかが謎なのね。
「今は無い」からこそ純粋に「想い出」として語れるわけなんですよ。
かつては私達も他党派の元活動家同様に沈黙を守っていました。というか、語ることができなかったという方が正しいですね。私も戦旗時代の体験について語れるようになるまでには15年を費やしました。
さらぎ徳二さんへの追悼文で蔵田さんが「あなたにたった1通のお手紙を差し上げるために25年の歳月が必要だった」と書いておられますが、その気持ちは痛いほどよくわかります。
しかしパラチェンで「呪縛」が解けたというか腰がくだけたというか「もういいや!」みたいになっちゃったのかなあ。
829 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/30 13:26
>>801-804 西田分派直後で全国動員40人くらいになり、自殺者も出るような状況の中で打ち出されたようですね。それが初めて提起された政治集会(7.7血債猛省集会)の基調報告が「人民の戦旗かかげて」に収録されているはずです。
>>811 >その加藤さんと在日の人の感覚はよくわかるけども
>間違っていることを一所懸命やられるのは、本人以外にとっては
>たんなる迷惑にすぎないこともある。
それは現時点からの感覚にすぎません。今、在日の人が「共和国に戻って将軍様のために身命を賭けて」とか言い出したら、その感覚は正しいです。
しかし当時は北朝鮮への帰国事業に関しては「平和になった祖国の建設に参加」という感じで、左翼ではない一般の人でも「良かったね」みたいな感覚でしたし、日本政府ですら「厄介払い」とばかりに協力的ですらありました。
>>815 >「ほんとに共闘できる日本人かどうか、被差別民族の気持ちが
>理解できるか」を、確認するような言い方ではないのでは?
そんなことを「確認」しようとしていたわけではないと思うよ。政治的動機とは関係ない単純な怒りの感覚の発露だろうと思う。
たとえばA組という暴力団にさんざん金を巻き上げられて家族をレイプまでされた人がいたとして、そのA組の中で下っ端でこき使われて毎日殴られていたチンピラから「毎日殴られていた者同士だから仲良くしよう」と言われた。。。
>>795 に関してはそんな感覚だったんではないんかな?
今から仕事なんでまた今夜きまーす。
そうじゃなくてよ〜、戦旗は主張掲げてきたんだろう。 戦旗の本体はああなり、ああなる前のあんたらは何も言えませんじゃ、 戦旗が言ってきた事は誰が背負うんだよ?
831 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 22:36
今それを背負うという立場にないことは、草加耕助さんの説明のとおりで、オレもそういう 考えだ。 まあ、「元」に対してそう突っかからんでちょうだいな。
つっかかるつもりはないんだけどね。 今となっては現役で残っている人よりも、やめた人の方がまともだったようにしか見えない。 本気であんたらもったいねーよ
そういわれても困るし、俺らは所詮コケ組だよ。 何らかの違和感を感じて辞めたわけだし、それでも残ってる当時の 同志を論評したいとも思わないし出来ないな。 それよりあなたは、今は何か活動されてんですか?????
ああ、いまは何か活動されてるんですよ(苦笑 脱落しながら復帰しながらね。
それは申し訳ない。 その闘いは、過去を乗り越え、有意義なものですか。
なぜこう書くかというと、元中が語ってるように、世の為人の為と信じて活動しながら、 現実の自分と、今の世の在り様を考えたとき、違うよなと思い、ゾレンとザイレンの狭間に漂い 召還した多くの人々がいる訳で。俺の原点も、別に貧しかったわけでも、虐げられてきたわけでも無いが、 差別を無くしたいとか、人は平等じゃなきゃならないとか、社会の矛盾を解決したいとか純粋な気持ちで 参加したが。いつの間にかゾレンとしてしか位置づかなくなったことに召還はあったので。 勝手な思い込みかもしれないが、なぜか痛々しい気がしてならない。スマソ。
ゾレンとかザイレンとかなんの事かわからないんだが、 漏れの場合は一緒にやっている仲間がなんだかよくわからなくなって逃げ出した。 別に「戦争に反対する事」「天皇制に反対する事」が位置付かなくなって逃げたわけじゃないんだよ。 それで今はうまく「似たような仲間」と一緒に動けているので、漏れとしてはこれまでで最も有意義ですね。
838 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 23:47
結局戦旗の言ってきたことを背負えるのは荒岱本人だけなのかも
839 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 23:50
>>838 そりゃそうだろ。
誰のものでもない。
荒のセクトなんだから。
荒はきっぱりと背負う事をやめたじゃないか。 なんであんなインチキなおっさんにすべてを背負わせようって話になるのかがよくわかんねー。 取り上げりゃいいじゃん。
841 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 23:57
コケヒューたち・・・ 個人崇拝セクト特有の反応だな。
そうですか。それは幸福なことですね。(ホントに) ゾレンは「こうでなければならないと思う彼岸の世界」、ザイレンは「現実存在」 と言うぐらいです。 粗をこのスレで持ち出すのは、辞めようぜ。やはり、世界を考えると言う観点では、80年代 頭一つ抜き出ていたと思う。
843 :
名無しさん@3周年 :04/07/31 00:33
>>842 何が言いたいのか、わかんねえよ。
わかるのは
>粗をこのスレで持ち出すのは、辞めようぜ。
だけ。
前後の文脈、ほとんど意味不明。
>>837 への返答だから。
で、オタクは荒らしか?
でちょうど、このスレが盛り上がる頃、ロフトか 読んでなくてわからないが、そちらなら、別の板に行けよ。
846 :
名無しさん@3周年 :04/07/31 00:43
うざい!!!!
もう一人いるわけだね(W
批判するんだったら自分の立場性を打ち出して、ちゃんと展開すりゃいいじゃん
>>843 80年代の戦旗共産同は、世界はどうか知らないが、それぞれの事柄について、相対的に「まともな立場」であると外からは見えていたよ。それが荒の頭からでたものなのかどうかは知らないけどね。
例えばさ、吉本隆明って人がいて、この人は60年代末に書いたものは大変まともだと漏れは思うのだが、80年代末に書いた高度資本主義礼賛の文章は、吉本のかつての文章と全然整合性が無いデタラメだと思うのね。
だったら、吉本はそもそもカスで、吉本は最初から間違っていた、60年代末の吉本が間違っていたのか、というとそうじゃないと思うのよ。
所詮、一人の人間はコロコロ変わる、しかしその周りの人間は、信者さんみたいについていく義理は全然ないだろ、というのが漏れの考えだ。
変わったなら見捨てればいいじゃないか。
849 :
名無しさん@3周年 :04/07/31 00:49
>>843 せっかく806さんがマジメに答えてくれているのに
突っかかるのはやめなされ。
850 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/07/31 04:50
>>848 正しい。それまで自分が信じてやってきたことを、指導部の意見が変わったからといって投げ捨てる必要はないわけだ。
で、我々に戦旗が投げ捨てた旗を拾えというのですか?
ああ、しかしそれを我々に言うのは残酷すぎる。
我々は指導部の意見が変わったわけでもないのに、
なおかつ自分でも「正しいこと」だと信じていたことを、
自分の都合でさっさと投げちゃったんだよ。つまり「逃げた」わけだ。
そんな我々が、残った元同志に対して「考えを変えたこと」自体を批難できるか?
できるわけがない!それはあまりにも「自分勝手」というものだ。
・・・しかし確かにそうするべきなのかもしれない。
別に80年代左翼に戻る必要はないしゲリラや実力闘争をやる必要も党建設をする必要もないけれど、あのとき自分が左翼としてでは無く「人間」として信じていた「正義」はなんだったのか?それを今の自分がどう引継いでいく(あるいは否定する)べきなのか?
日本の左翼界は本体を数倍する膨大な数の「元活動家」を層として生み出してしまいました。この「しめった火薬」何か使い道がありますかね?
851 :
武庫川女子大学総長 :04/07/31 07:05
一旦、乾燥させましょうね。
852 :
名無しさん@3周年 :04/07/31 09:03
線香花火の原料だった火薬 湿っても 乾いても 所詮遊びの世界だよ。
853 :
名無しさん@3周年 :04/07/31 11:39
小林義也さんはこう言ってる。 >人間は誰しも、自分の失敗は自分の責任として背負っていかなければなりません。そのことには何の異論もありません。 多くのまじめな活動家が、ブントを離れていったと聞いています。私と同時期に三里塚で汗を流した現闘団の仲間達も、 ほとんどブントを離れていきました。きっとみんな、自分の過ちを背負いつつ新しい人生を切り開こうと頑張っていると 思います。 それにしても荒は罪深い・・・
それは、違うよ。 粗はすごいと思ったが、個人崇拝ではなかったからな。 それに、小林は小林の人生だし、彼が書いてることを肯定などしていない。 彼なりの主観だし、人それぞれ思いは違うわけだから。それで括られると結構ですと 思わず言っちゃいます。
855 :
名無しさん@3周年 :04/07/31 17:06
856 :
名無しさん@3周年 :04/07/31 18:19
↑ リンクしてねーぞ。 粗のことはもう言うまい。粗さがしは終わり!
857 :
名無しさん@3周年 :04/07/31 20:18
オレは前スレの時からたまにカキコもして楽しませてもらってるが、そろそろ1000も 見えてきた。でもホントよく続いたなー。こんなに「元」がいたとは。ある種の感激! 西田スレはなかなか伸びなかったが。おっと、西田のことを言っちゃだめですね。 粗のことも西田のことも言うまい。 かつての同志諸君、もう少し思い出を語らせてもらおうぜ。
858 :
名無しさん@3周年 :04/07/31 23:49
859 :
名無しさん@3周年 :04/08/01 10:05
ブントはアラアラを中心とした乗り移り集団です。 それは今だから昔だからとか関係なく一貫したものです。 くだらん哲学で理論武装して昔話なんてあんたら哀れですね藁
860 :
名無しさん@3周年 :04/08/01 12:10
861 :
名無しさん@3周年 :04/08/01 13:31
まー急にロフトの板が立ち上がったのも、このすれの影響があるかもしれませんね。 他の板を覗くが、結構気持ち悪くなって,吐きそうになってしまう。 人間の憎悪の噴出ばかりで、そんなにストレス抱えてるのかと・・・・。
863 :
名無しさん@3周年 :04/08/01 16:04
そうね。なんで急にロフトのことなんて語りだしてるんだろう?と疑問だったんだけど。 どうも外から見てると80年代の活動家も「荒に身も心も捧げた」連中に見えるみたいね。 そんな意識は毛頭無かったんだけどな。
864 :
名無しさん@3周年 :04/08/01 22:31
>ここに集うコケヒューたち なんか、、、(ry
確かに外からは80年代末までは「個人崇拝党派」のようには見えていなかったな。 立原が出てこなくなってからあと、「ありゃりゃ、こいつらどうなっちゃったんだ?」て感じだ。
866 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 00:13
>>864 ほんとにねぇ・・・w
妄想膨らませて過剰反応するところなんか
コケても体質は全く変わりませんな。
867 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 00:36
868 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 00:39
>>865 ふーん。当時周辺にいた人にとっても立原さんの「粛清」って象徴的な
出来事だったんだ。
オレはもうその時はコケてたけど、内部にいた人はどう感じたんだろうね?
869 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 00:59
>>865 >外からは80年代末までは「個人崇拝党派」のようには見えていなかったな
そりゃ、「外」からじゃなくて、「お前さん」がだろ?
870 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/08/02 03:47
>>865 そうねえ。当時の荒さんはまったく表にはでてこなかったしねえ。
のこのこ集会に出て来て発言するなんてこともなかった。それは西田さんとかさらぎさんとかも同じなんでしょうが。
荒とか日向なんて名前を知らずに結集し、半年以上たってから「ところで荒さんって誰なんですか?」っていう人も結構いたよ。
「うーん、なんていうか、戦旗派の指導的な同志の一人だな。あそこに置いてある本の日向翔ってのが荒さんのペンネームだ」って説明すると「はーん」って顔してた。
私の意識の中でも「同輩中の代表格の一人」つまり根本においては私とも対等な人という感覚でした。今の2chで言えば「こんな荒岱介はいやだ」的なネタはアジトの雑談なんかでも言い合って笑ってました(キャラ的にネタになりやすい人だしね)。
871 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/08/02 03:59
869=866=859=852=843と、陰性タイプの粘着さんが張り付いているようだ。 荒しは放置が原則だけど、きっとこの週末やることがなくて寂しかったんだよ。 ボランティアだと思って少しみんなでかまって遊んであげようよ。
と、いうわけで
>>869 様
1)私らが活動していた80年代中ごろ、あなた様はどこで私らの活動をご覧あそばしておられたのでしょうか?(1行以上)
2)その時あなた様はどのようなお立場でどのような活動または生活を送られておられましたのでしょうか?(3行以上)
3)そのお立場から見て、私らの当時の活動について、アドバイスなりご批判なりいただけますでしょうか。(5行以上の論理のある文章=あなたに書ければですけれどね)
873 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 04:21
874 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 04:40
875 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 14:09
>ここに集うコケヒューたち 大丈夫か、こいつら? w 「カルトを つつけば つつくほど、小さく固まっていく」
876 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 14:31
どうもパラチェン後の「SENKI」と昔の戦旗を意識的にゴッチャにして 絡んでくるヤツがいるなあ。 軍事的にも政治的にも完敗した二次ブント崩れのオッサンが当時の悔しさを 今になって晴らしたいんだろう...お気の毒に... ちょっと前ならいずみの援軍も入ったんだろうけどなあ。残念でした。
1.パラチェン後の戦旗とかつての戦旗が別の物だなんて戦旗自身は言っていないのでは?別のものなら、なぜ荒の「過去の栄光」トークが現戦旗内で受容されうるのか? 2.現在のパラチェン戦旗は「敗北」の結果の産物だと思うが、あんたは悔しくないのか?
つうかおまえら左翼さえ挫折したのにここで能書き垂れてはずかしくないの? まさに生きてて恥ずかしくないのって草加を筆頭にしたコケひゅうにある言葉だね。( ´,_ゝ`)プッ
879 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 18:11
コケひゅうの為にある言葉だった・・・
880 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 18:57
「生まれてすみません」 ↑これはマルの為にある言葉??
881 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 19:03
>>875 >「カルトを つつけば つつくほど、小さく固まっていく」
ワロタ。禿同。
で、ここのコケヒューたちが
どうみても、「自覚」できていないのが、さらに、爆。
というよりこういう878.879のようなカスがいるのは、2ちゃんなんだから当たり前なんだが。いちいちマジで反応するのがわからないね。
883 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 19:08
>>878 悔しさはあるが恥ずかしさはない。その時々真摯にやってきたつもりだ。
表面の事象だけ見て嘲りや批判ばかりする、そういうおぬしこそ恥ずかしくないのか。
刺激の強い言い方させてもらえれば、自己を内省したことないの? と言いたい。
884 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 19:10
885 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 20:31
段々雰囲気悪くなってきたな。
で、悪くしてる中心はどこの糞なのかな。
>>878 などはロフトのスレに書き込んでる奴だろ。
>>886 そんなとこに書いてねえよ。妄想甚だしい香具師だなおまい・・・・
888 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 22:17
>806 お前の「妄想」、「意味不明のレッテル貼り」 キモすぎ。
>>887 ・888
で、仕掛けたら釣りあがったわけで2匹!後は。
890 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 22:29
コケヒューの典型 < 806 > の 痛さが、炸裂しつつあります。(ワラ
>>889 おまいがつられたんだろ、痛すぎですね藁
やっぱり2匹か。 ふむふむ。
893 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 22:47
806や819と仲良くするスレがここですね?
894 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 22:49
おお コケヒューDQN祭やっとるな。W
面白いもので、この書き込み前後の板スレを追うとそこそこわかるもんなんですね。
897 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 22:58
( 806 の妄想もすげえね。こいつ、全然抜けとらんなwww)
898 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 22:59
899 :
名無しさん@3周年 :04/08/02 23:03
さぁ次スレは、コケていった歴代地区キャップを一人一人特集しながら 語るスレになりました
901 :
名無しさん@3周年 :04/08/03 00:56
>>877 遅レスですいません819さん。
(1)に関してはアレだな。オレ的には荒氏が昔のことを回顧的に語って、それを
今のメンバーが許容しているのは、ヤンキー先生が生徒に「お前らこんなことしちゃ
ダメだぞー」とか自慢してるのと大差ないと思ってるんだけど。
それは今の「SENKI」と昔の戦旗との連続性云々という問題とは別次元のような
気がするんだな。
荒という人間の自己愛の強さだけを感じるね。
(2)パラ・チェンが戦旗の敗北ならば、そこからコケた我々はそこからも「敗北」しているわけだ。
悔しさよりも後ろめたさの方が大きい。
オウム事件で世間が大騒ぎしてる時に、あるテレビ番組でこんな企画をやっていた。
元出家信者に現役出家信者を説得させようという試みだ。
一般人的感覚では「目覚めた」元信者と「未だ『狂って』る現役信者」とを対面させて
反応を楽しむ「見世物」だな。
言葉をつくしてオウムを脱することを説得する元信者に現役信者は冷たく一言言い放った。
「あんたもう関係無い人じゃない?出てってくれないかな?」
オウムの主張とか犯罪行為とかぜーーんぶすっ飛ばして「100%脊髄反射」で
感じたのは現役信者の一言へのシンパシーと、その元信者と自分とを重ね合わせて感じる
身もだえするような恥ずかしさ、後ろめたさだった。
元セクトの人間の感覚なんてこんな感じだと思うんだけどオレだけかね?
>>901 >その元信者と自分とを重ね合わせて感じる
>身もだえするような恥ずかしさ、後ろめたさだった。
組織を離脱した直後の私と同じやね。よーわかるよ。痛いくらいに。
でも、佐藤さんがいいこと言ってるよ。
>>901 >その元信者と自分とを重ね合わせて感じる
>身もだえするような恥ずかしさ、後ろめたさだった。
組織を離脱した直後の私と同じやね。よーわかるよ。痛いくらいに。
でも、佐藤さんがいいこと言ってるよ。
「当時の未熟で蒙昧な私は『差別・抑圧への怒り』を表現する回路を党以外に創出することができず・・・
差別を問題にする立場を維持するために党に縛られ続けるか、それとも党から逃げ出すために『差別や抑圧の問題』も投げ出すか、どちらかを選ばなければならない状況に追い込まれていった・・・
今にして思えば、それは馬鹿馬鹿しい選択肢設定でした。」
http://www.t3.rim.or.jp/~punsuka/mienai05haji.html 戦旗を辞めたことで自分の正義感や人間性を否定する必要はまったくない。
戦旗で闘った自分の正義感は組織を離れた所でもまったく問題なく成立する。それどころか左翼思想すらそのために必要ではない。
組織にいつづけることが苦痛であるならとにかくいったんは辞めればよろしい!
「組織を辞める=正義感を捨てる=人間としても最低」という呪縛を捨てよう!
そのことに気がつくのに10年を必要とした私や佐藤さんは確かに「愚か者」かもしれません。
>>876 >ちょっと前ならいずみの援軍も入ったんだろうけどなあ。残念でした。
援軍どころか相手にもしないでしょう。いずみさんはこういう糞達とは違います。私はロフト事件当時のいずみさんのSENKI批判は原則的で正しいと思います。
いずみさんの「あかいしワールド」はトップページが削除されて消滅していますが、中身のコンテンツだけは(引用・リンクしている人のためと思いますが)残してくださっています。私のサイトから、トップページ以外のほぼ全文が読めます。
http://www.geocities.jp/souka431/2/ronsetu/rofuto/index.html >>878 >草加を筆頭にしたコケひゅう
やったぜ!佐藤・小林・見沢をごぼう抜きで元戦旗の筆頭だ!
ネタじゃなくて結構マジで喜んでしまった私っていったい。。(^_^;
しかしこいつら、わしが「あかいしワールド掲示板」の常連でいずみさんを支持していたことや、自分のサイトでSENKI批判していることを知っててこういうことを言ってるのかしらん。
絶対に君らより私のほうが千倍はSENKI派からけむたがられていると思うよ。
>>882 >こういう878.879のようなカスがいるのは、2ちゃんなんだから当たり前
>いちいちマジで反応するのがわからないね。
わしのこと?(^_^;(
>>872 )
いやーだいぶ以前に某掲示板で、みんなで荒し君をかまってあげて遊んだことがありましてね。本人がからかわれていると気がつくまで随分と楽しませていただきましてな。この粘着君なら、からかって遊ぶにちょうどいいかと思ったもんで。
皆様をしらけさせてしまったんなら謝ります。m(-_-)m
904 :
名無しさん@3周年 :04/08/03 12:29
( ´,_ゝ`)プッ コケヒューって、 どうして、こんなに痛いんだか 辞めても、変わらんのぅw
905 :
名無しさん@3周年 :04/08/03 12:50
ちょっとアンチの方何がそんなに気に入らないのか整理してくろ。 そんなことも分らないからコケヒューって...とかいうのは無しで
906 :
名無しさん@3周年 :04/08/03 16:07
狭山のことは、前スレからずっーと出てこないな。戦旗は狭山には取りくまなかったの?
907 :
あの〜質問なんですが・・・ :04/08/03 16:10
私はSGできてますか?
908 :
名無しさん@3周年 :04/08/03 17:33
『理戦』の目次見ると、ヒュウガのテロ部隊の襲撃を受けた、 元マル戦や、12・18ブントの面々もいるけどどういう心境?
>>903 きのうからあおってんだけどあんたにゃ負けたよ。
ちなみにあなたが自分のサイト作ってからブントから恫喝とかされないの?
910 :
名無しさん@3周年 :04/08/03 19:43
>>906 そう言えば狭山闘争には参加したことなかったし、このことを学習した記憶も無い。
80年代前半〜中盤に活動してたんだけど、戦旗は狭山闘争をどう位置付けていたのかな?
911 :
名無しさん@3周年 :04/08/03 19:54
草加さんは仕事中です。深夜にならないと出てきません。しばらくお待ちを。 それまでは806さんや819さん、たまに希流さんがお相手してくれるはずです。
912 :
名無しさん@3周年 :04/08/03 20:00
>806さんや819 こいつらの掛け合い漫才は、飽きた。w
>>910 確かに狭山闘争には代表動員ぐらいで参加しなかったな。
それでも政治集会には石川さんのお父さんとかも参加されてたような
気がしますが。
914 :
名無しさん@3周年 :04/08/03 21:28
狭山は70年代が中心で、三里塚と並ぶ当時の各党派の大きな闘争課題だったな。 被抑圧大衆に学ぶと戦旗は言ってたんだからもっと取り組んでもよかったかも。 戦旗の狭山闘争位置付けはよくわからん。
戦旗の狭山やっていた部分は西田にいったという事なのだと思っていたが。 西田は懸命にやっていたよ。
916 :
名無しさん@3周年 :04/08/04 01:46
>>914 そうだね。戦旗は狭山だけじゃなく「障害者」解放闘争などにもいまひとつ無関心だった。
まあ色々言い分はあるんだろうけど、リアルで差別・抑圧されている人々よりも
海の向こうで銃剣に立ち向かってる人々と連帯するイメージの方が荒岱介という人の
琴線に触れたんだろうな。
あの人の書くものを読むにつけ荒という人間のメンタリティというのはその程度だと
いう気がしてしかたがない。
「ターミネーター2」の中のT2の自己犠牲精神にシンパシーを感じたりとか。
逆に解放派や蜂起派は反差別闘争に熱心だったね。
その辺の差はどこから出てくるんだろうね。
>>916 >リアルで差別・抑圧されている人々よりも海の向こうで銃剣に立ち向かってる人々と連帯するイメージの方が荒岱介という人の
>琴線に触れたんだろうな。
そんな問題じゃないだろ。単に組織建設への有効性を考えて取捨選択しただけだと思うよ。
狭山や反差別はもういろいろな党派がいるから、あまり影響力が拡大できそうにない。
だから、ほかの党派が少ないところを選んだんじゃない?
918 :
名無しさん@3周年 :04/08/04 02:32
>>917 >狭山や反差別はもういろいろな党派がいるから、あまり影響力が拡大できそうにない。
マーケティング・・商売みたいですな。
つーても、「三里塚」にはご執心だったじゃん。w
70年代中旬は石川さんの判決に対して、武装闘争を行っているわけだから 無関心とか、党利党略とは違うと考えるが、819さんの意見が妥当ではないか。 全党あげてというより、埼玉地区党が担っていたような記憶があり、その信頼関係で 石川さんのお父さんが政治集会で発言されるということだと思う。 うら覚えだが、80年に入り解同の右傾化(新左翼の排除)もあいまってたような・・・・。
920 :
名無しさん@3周年 :04/08/04 09:57
愛知でも70年代は高校生活動家が進学せずに、名古屋市内最大の 被差別部落に支部建設のため、清掃や屠場労働者として入っていきました。 非常に優秀な人たちでした。ブル転して大学に入っていれば、 ブルジョア社会でもそれなりの地位を得られていたと思います。 私は進学したくて堕ちたクチです。それゆえ後ろめたさはあります。 80年代は高校生活動家が、結構進学しているようですね。 (五味さんや大場さんなど) 組織の方針が変わったのでしょうか?
921 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/08/04 10:20
>>909 >ちなみにあなたが自分のサイト作ってからブントから恫喝とかされないの?
手ぐすねひいて楽しみに待っているのですが、いまだにありません。
どうやらロフト事件でいずみさん達にコテンパンにやられた学習効果がきいているようです。現役メンバーが2chなどに登場することもなくなったし。
まあ「3人くらいから素手でボコボコに殴られる」くらいまでは覚悟の上でSENKI批判しています。ただし鉄パイプとか使われると個人の限界を越えてしまうのでちょっとつらいかな。そこまでいったら尻尾をまいて退散するかもしれんので、その時は909さん、後をヨロシコ。
私は佐藤さんじゃないから、世の中の大勢に影響の無いSENKI批判ごときに命はかけられんよ。
>>911 >草加さんは仕事中です。深夜にならないと出てきません。
今日は9日ぶりの休みだー!わーい!寝るぞ寝るぞ寝るぞー!
思えば戦旗を辞めた時「日曜日に何もすることがない」というのが、すご〜く幸せだった記憶がある。今はひょっとしてあの頃よりハードかもです。
ああ、こんなはずではなかったに。・゚・(ノД`)・゚・。
>>914-917 70年代論集の「人民の戦旗かかげて」では半分近くが狭山や部落など反差別関係の論文だったと思う。三里塚関係より多い。
戦旗は帝国主義打倒の「全人民的政治闘争路線」で、その中で被差別者と連帯していくという路線で狭山を闘っていたようです。三里塚も「反戦反核の砦」つまり軍事空港建設阻止の反戦闘争として取り組んでいました。
しかし80年代の反差別闘争はそれまでの全人民的政治闘争から個別戦線化していきます。そこでは差別糾弾路線が主流で、最左派になると一般人市民の実存そのものが糾弾対象です。戦旗は差別糾弾路線に対しては「慎重に決別」していました。
「狭山や反差別はもういろいろな党派がいるから(
>>917 )」というなら三里塚もそうなわけで、むしろ「差別糾弾路線の人々とかかわるのが面倒くさい」というのが本音だったんでしょう。
解放派などは差別糾弾路線の典型で、いきなり「お前は差別者だ」などという所からオルグがはじまり、解放派の元で狭山闘争などを闘わない限り差別者です。
んで、オルグの過程で平気で殴ってきたりするんですが、ある解放派のメンバーは「私は殴られてはじめて自分が差別者だということに気がついたんです」と目を輝かせていました。
923 :
名無しさん@3周年 :04/08/04 11:49
>>922 タイプミス修正「一般人市民」→「一般市民」
>>920 >愛知でも70年代は高校生活動家が進学せずに・・・
立原さんもそうだっけ?名古屋のカードルって高校生出身が多いね。確かにみんな献身的、原則的で優秀な人ばかりだった。狭山で結集してきた人は、その後の反戦闘争で結集した軟派なメンバーに比べて「堅物」のイメージもあるなあ。
ところで何で名古屋だけ「全愛知労共闘」って「全」がつくの?(^_^)
>80年代は高校生活動家が、結構進学しているようですね。
>組織の方針が変わったのでしょうか?
西田との分裂で学生戦線が壊滅し、残った数名の学生も地区(労働者)活動家にぶちこんでしまい、戦旗の学生組織というのはありませんでした。とにかく地区と党の再建に力を注いでいたわけです。
やがて佐久間さんらの世代に筑波共闘ができて、「そろそろ学生組織も再建すべえ」となり、労共闘に対して学共闘ができたわけです。んで、「大学に学共闘の支部も作らんと」で、めでたく高校生も進学できるようになったわけですね。
私は一回だけ学共闘のヘルメットをかぶったと思う。直後に「社学同再建」があってから結集した。
ちなみに学生組織を再建する時の名称案で「学共闘」以外に「社学同」さらには「全学連」というのも検討されたそうだ。いきなり社学同にせずに、笑われない勢力になるまで待ったのは賢明であったろう。
925 :
名無しさん@3周年 :04/08/04 12:22
>>戦旗は差別糾弾路線に対しては「慎重に決別」していました。 これって、西田日向の謎の分裂の原因?
926 :
名無しさん@3周年 :04/08/04 12:36
>>924 >いきなり社学同にせずに、笑われない勢力になるまで待ったのは賢明であったろう。
つっても、1980年、日向「社学同」立ち上げ時は60人じゃん。w
927 :
名無しさん@3周年 :04/08/04 12:38
3連続カキコでもいいかげんカコ悪いのですが、呼ばれてしまったので4連続許して下さい。
>>923 >あなた、ずいぶんさとさとをもちあげているみたいですけれど、
>さとさとのこういう文章にも賛成なのですか?
まったく賛成できませんね。私の佐藤さん(の思想)に対する評価は、だいたいまっぺんさんと同じで「ニヒリスティック」であると思うし、まっぺんさん言うところの「人間的弱さ」も感じます。
http://redmole.m78.com/news/new00603.html http://hatahata.mods.jp/ronsetu/rofuto/hajimeni.html ただ、同じ「戦旗OB」として言わせてもらうならば(佐藤さん本人はもとより、その回りの人々、さらにはSENKI派の人々からも反発される言い方でしょうが)可哀想だと思います。
可哀想と言って「お前は何様だ!」と言われるならば、悲惨であると感じます。きっと根はとても優しい人だと思えるのに。
そういう意味では佐藤さん本人よりも戦旗指導部に対して「何という人間をつくりだしてしまったのか」と憎しみすら感じます。
私も最初に佐藤さんの文章の数々を読んだ時には「何だこいつは。わけわからん」と思いましたが、
>>909 で引用した文章
(
http://www.t3.rim.or.jp/~punsuka/mienai05haji.html )
で初めて佐藤さんの心を少し垣間見たようで、また、私自身につきつけて反省させられることも多く、考えさせられました。「戦旗OB」の皆さんにも読んで感想を求めたい文章です。
戦旗派は保守系、反共系の学者の著作でも優れたものは全党で読み合わせしたり、また個人的にもマックス・ウェーバなど愛読したりする人も多かったではありませんか。ある人を正邪にわけて全肯定や全否定しないのは戦旗で学んだことです。
>>926 >つっても、1980年、日向「社学同」立ち上げ時は60人じゃん。w
60人もいれば少なくともブント系諸派の中では大勢力なので、党派系の人間で笑える人はいないでしょう。(じゃあお前ら全国動員で何人なんだよって感じ)
>>925 レスすると長くなる予感が。。。
ちょっと寝ますので。(^_^) ウザイでしょうが、また今夜きます。
929 :
名無しさん@3周年 :04/08/04 14:09
>>928 左翼から極右・差別排外主義者・ファシストに転向していった連中ってのは、さとさとに
限らず、いっぱいいるわけだね。日向派からは、見沢某という人物も生み出しているわけ
だし、元共産党、元新左翼の転向者は星の数ほどいる。田中清玄、鍋山貞親、水野成夫、
渡辺恒雄、藤岡信勝、谷沢永一、佐藤勝巳、西部邁といった名前がすぐに浮かんでくるし、
海外に目を向けても、かのムッソリーニをはじめ、フランスの対ナチス協力ファシストの
ドリオ、デアなどが著名な存在であろう。
こういう連中だって、一人一人はさとさとと同じように、「ニヒリスティック」で「人間
的弱さ」がある「可哀想」という言い方はできるのかもしれない。そういう人間を生み出
した「党派」に「何という人間をつくりだしてしまったのか」という言い方もできる。
ただ、それだけで片付けてしまったならば、ファシストの物理的な暴力、言葉の暴力にさ
らされている人達はどうなるのか、ということになるのではないだろうか?
どうしても納得できないのは、あなたには転向者に対する人間的な怒りというものが感じ
られないということ。
言っておくが、俺は日向派のOBでもなんでもない。また、日向派のさとさと襲撃を支持
するつもりは毛頭ない。日向派の動機は「排外主義者、極右に対する人間的な怒り」とは
かけ離れたものであるからだ。
932 :
名無しさん@3周年 :04/08/04 20:14
なんか・・・ふうーんって感じだね。923さんのスタンス、今ひとつよくわからんなー。 草加さんの反論があるだろうから、それに期待しよう。
933 :
名無しさん@3周年 :04/08/04 20:16
>>932 現役時代は、日向に依存し、
コケた今、このスレでは、草加に依存か。(w
934 :
名無しさん@3周年 :04/08/04 20:43
>>933 じゃあ、おめーさんの理論展開してみろよ。理論だけじゃなく、実践はどうだったんだ。
935 :
名無しさん@3周年 :04/08/04 21:31
>立原さんもそうだっけ? 立原さんは名大社学同です。ゲバ子と言われ有名人だったそうです。 当時の愛知の指導部は名大中退組が多かったのでは?。 地区のキャップクラスは既に高卒非進学組でした。
936 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/08/04 22:40
>>930-931 あなたのお立てになったスレを拝見しました。
ここであなたの議論に詳しく答えることはスレ違いゆえ、他の方の迷惑になると思います。とりあえず私が2年前に「あかいしワールド掲示板」に投稿した文書のうち、あなたの問題提起に通じると思うものを抜粋してみましたのでご覧ください。
http://hatahata.mods.jp/txt/02.txt 補足するならあなたのおっしゃっていることは、私が上記の文章で書いている「言論類似行為」「外形的言論行為」の問題ですね。
私もそれが外形的に言論であるかのような体裁をとっていれば、言葉でしか反対してはいけないとは思わない。ただその基準があなたは「階級性」であり、私は「自分の良心と責任に基づく判断」ということになるのでしょう。
なお、この文章でほんのちょっぴり(しかも遠回しかつおそるおそる)いずみさんの手法への違和感も表明していますが、幸い(笑)だれにも気づかれなかった。
なお、上記文書や私への批判は「ロフト事件スレ」に書いて下さい。ここではやめて下さいね。上記アドレスを引用しておけば混乱はない思います。
937 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/08/04 23:18
>>925 >>929 >オレも分裂のいきさつを知りたい。反差別闘争が原因のひとつ・・・?
戦旗派分裂、狭山、反差別とくると、80年代でなく70年代になってしまいます。
ここには70年代の活動家も来ているようなので。。。お〜い、誰か書いてくれ!
私だって80年代活動家だから、党の公式見解しか知らないよう。
公式見解についてまとめたものを、やはり「あかいしわーるど」への書込みから抜粋しましたので、興味があればどうぞ。3年ほど前のもので、れんだいこさんからの質問に答えたものです。
http://hatahata.mods.jp/txt/01.txt 反差別に関しては、一般の労働者・学生が被差別大衆の利害のために政治課題を掲げて闘う「全人民的政治闘争」の日向。地域密着で被差別大衆本人を押し立てる「差別糾弾路線」の西田という感じかなー。
さてさて、皆様。ご迷惑をおかけしました。m(-_-)m
このスレもあとわずか。再び想い出話に戻りましょう。
「ジェット決戦」とかどうでした。前スレで出てたのかな?
938 :
名無しさん@3周年 :04/08/05 12:37
アダチグループといえば替え歌がありました。 誰も居ない集会場 純プロ主義を確かめたくって〜 アダチの胸にとびこんでみた〜の 走る戦旗のまぶしさ、息も出来ないくらい
[いい感じのメールありがとうです!自己紹介するね。××美由起20才です] ・・・てな感じのメールがわしのとこに何通も来てるのだが(^_^) それと同時に「未承諾広告」が突然山のように送られてくるようになった。 そういえば昔、いずみさんも同じようなことされてたなあ。。。 こういうことされるようになったら、わしも一人前かな?
940 :
名無しさん@3周年 :04/08/05 12:56
>>939 ぷっ
べつに、サイト管理人なら、誰でもそーなるわ。w
941 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/08/05 13:08
>>938 それでは私も憶えてるのを
海援隊「JODAN JORDAN」の節で
「連帯する会」事務局会議
言いたい放題 インターにプロ青
任務と思って我慢する
ドアの向こうにやつらが消えた
灰皿なげつけ もう脱退だ
ドアが開いて 上坂見てた(アラッ!)
JODAN! JORDAN! JODAN!
聞こえましたか? 今のはほんの
JODAN JORDAN JODAN
冗談なんかで脱退するかぁ!(JORDAN!)
942 :
名無しさん@3周年 :04/08/05 14:42
替え歌ってよく作って歌ってたね。 地区の飲み会の時にある古参メンバーが ♪ま〜い〜に〜ち〜ま〜い〜に〜ち〜 僕らは駅前で〜 署名〜集めて〜 イヤになっちゃうよ〜♪ って歌って皆から「ナーンセーンス!」の嵐だったw その人本当に長いメンバーだったから案外本音だったのかもねw
943 :
名無しさん@3周年 :04/08/05 20:04
署名ってよく内閣総理大臣あてになってたりしたが、あれ提出 したことないよな どこかに提出した人いる? すぐ燃やしちゃうわけで、多少の矛盾、良心の呵責を感じない こともなかったけれども、割りと簡単に正当化していたような気 がする。組織を強化するためにこれくらいのウソ・欺瞞は必要悪 だ、というかんじ その延長に、連赤みたいな世界があるとはさすがに思わなかっ たが、法律や仁義を多少無視するのは組織のため、変革のた めなら仕方ないだろという正当化は無意識的にかもしれないが 日常のことだった。今はどうなのであろうか
944 :
名無しさん@3周年 :04/08/05 20:06
>>943 「署名」は、完全に街頭キャッチオルグのネタでしかなかったのね。
>>943 古いメンバーなら誰もが知っていることだが、全部燃やしてきた。
実は私がSENKI(当時戦旗・共産同 労働者共闘会議)にはいったとき
一番驚いたのが(署名は燃やしている)という事実を知ったときだった。)
でもあのころは「署名で革命なんておきない」と教えられ、最後は武装蜂起に
よってしか権力は打倒できないとオルグされていたから、すぐ気にしなくなった。
でも90年代以降の署名は実行委とかのものがあったから実際に出していたのもあるかも
946 :
名無しさん@3周年 :04/08/05 20:29
署名実最強!
947 :
名無しさん@3周年 :04/08/05 20:30
>>944 署名をしてもらうことによって、我々が訴えたいことを知って貰い、理解と共感
さらには運動の広がりを、と当時は真剣に考えてたけどね。
まあ、運動の広がりをといった時には、結果として共に行動する仲間の獲得もねらい
となったのは否定しないが。
948 :
名無しさん@3周年 :04/08/05 20:30
>>944 そうだったよ
こまかいことも思い出した
署名集めをはじめるときに、だれも署名していない用紙だ
と署名に躊躇するひとがいるという理由で、一行とか二行
自分で適当な名前と住所を書いたこともあった
せこいのう
しかしだ、もしあの署名を本当に内閣に提出していたらさ、
オルグ対象がバレバレになるのはもちろんだが、残念な
がらオルグには失敗した人であっても、提出してしまった
ら本当に迷惑かけたかもしれない。だから燃やしたほうが
やはりよかったのだ・・・
ややむなしい
以上の理由から、オレは
>>942 の替え歌の主は本音で
歌っていたと推察する。ごくろうであった
>>945 オレはそれを知らされても驚かなかったな。署名なんて
したって意味ないと思ってたからかもしれぬ。署名より
もゲリラのほうがまだしも意味があると思っていたのだろ
うか。忘れた
上のほうで煽っている香具師いるけど奴も元栓だから きにするな(コケヒューとかいってる香具師)
950 :
名無しさん@3周年 :04/08/05 21:01
オレは、渋谷ハチ公前で署名活動してた時、一水会の人(もう名前忘れっちまったけど) に署名してもらったことがある。署名してもらうまで20分位意見を闘わせた記憶 がある。これからの日本について、既成勢力には期待出来ないから新左翼、新右翼 の中から新たな潮流を、てな話しになっていって、「じゃあ、これに賛同して署名すると いうより、君と気持ちが通じたという意味で署名しよう」と言って書いてくれた。 短髪の背の高い、トレンチコート着た人だった。 今から思えば、ウソのようなホントの話しです。
951 :
名無しさん@3周年 :04/08/05 21:02
全都−神奈川狭山差別裁判糾弾共闘会議の旗を解放派の隊列でみた事がある。 元々は戦旗派と解放派が創った大衆組織と聞いたが。70年代中期の頃だが。
952 :
名無しさん@3周年 :04/08/05 21:19
全都−神奈川狭山差別裁判糾弾共闘会議は基本的には解放派系では? ただし、東大駒場だけは、まだいた解放派ではなく、どちらかというと 協会派が主流の部落研がこれに参加していた。明大あたりでは、戦旗も からんでいたのかな?
953 :
名無しさん@3周年 :04/08/05 21:22
>>952 なんで、東Cは、解放派じゃなくて、よりによって「向坂」なんだよ。
マジ??
954 :
名無しさん@3周年 :04/08/06 00:56
やっぱオレは初めて「署名を捨ててる」って聞いたときはショックだったし 最後まで割り切れなかった。 オル対の個人情報をみすみす権力に渡してしまう...とか言われりゃ「そうか」と 思うしかなかったけど、サングラスにマスク、時にはヘルメットを被っている 「怪しい」集団の呼びかけに応えてくれた人の「思い」はどうなるんだと。 キレイ事だけで運動は出来ないけど、キレイ事を「キレイ事だよ」と切り捨てる世の中に 矛盾を感じて左翼になったところもあったんだけどなあ。
955 :
希流 ◆zZakYvvs72 :04/08/06 01:08
最近は署名を捨てるようなことはないようです。 使っている署名用紙も日向派独自のものではなくて、 他の団体が発行したものを利用しているようですね。 以前はすべてシュレッダーにかけたり燃やしていたようですが…。
956 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/08/06 04:37
>>943 >どこかに提出した人いる?
金大中救出署名は提出してたなー。
あと管制塔戦士奪還署名も提出したんじゃない?
1)戦旗派独自の署名用紙ではない(まざってしまえば誰がオル対かわからない)
2)署名の数そのものに意味がある
反対同盟主催の二期阻止署名も提出したが、よりにもよって署名用紙の集約担当が中核派だった。
インターとかにしとけばいいのに、中核が署名のコピーもとらずにそのまま提出するはずがない。
ってんで、仕方なくオル対とかの防衛のためもあって、署名の住所欄を夜なべ仕事で全部書き換え
て、郵便が届かないようにしてから提出した。
957 :
名無しさん@3周年 :04/08/06 15:11
>>956 >よりにもよって署名用紙の集約担当が中核派だった。
何かそれすごくイヤw
大体そういう担当ってどうやって決めるんですか?
「ああそれウチがやるから」とかごり押ししちゃうんですか?
958 :
名無しさん@3周年 :04/08/06 21:14
署名活動なんて、まあ、自己満足で効力的なもんはまるでないよな。仲間獲得とか、プロパガンダと かの手段でしかないかな。最初は皆真剣にやるけど、その内、段々無力感におそわれるようになる。 やっぱ、ブントは実力=武力闘争が華だよな。
959 :
名無しさん@3周年 :04/08/06 21:30
俺ブントでもなんでもないけど、全斗煥来日反対の署名を日向派が集めていて 署名した記憶有り。 あれも捨てられていたのかな。ちと悲しい。浪人時代の思い出だ。
960 :
名無しさん@3周年 :04/08/06 22:36
>>958 >実力=武力闘争が華
オモチャのロケット by粗
飛ばしてか。(w
961 :
希流 ◆zZakYvvs72 :04/08/06 23:34
>>921 最近の日向派を見ていると、メンバーにぜんぜん求心力を感じないですね。
ネットでいくらたたいても、全然問題ないと思いますよ。
組織的にもずいぶんと解体してきているように感じます。
そういえば、この前の広松渉の追悼集会ですが、
日向派はこの集会に全国動員をかけ、会場を埋め尽くした
ところまではよかったのですが、メンバーのほとんどが
集会での講演などまったく聴かずに爆睡状態でした。
今の日向派はそんな水準です。
962 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 00:53
署名を捨てる。信じられん、、、、 人民の善意をシュレッダーにかけて平然としている党派とは、、、、
963 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 01:10
>>958 しかし日常的活動の8割は情宣。
つまり署名集めだったわけだが...。
964 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 01:11
>>962 他党派はどうだったんだ?
元中さんどうよ?
965 :
希流 ◆zZakYvvs72 :04/08/07 01:14
>>960 しかし、おもちゃとはいえ皇居やアメリカ大使館に飛ばすとなると
これは絶大なプロパガンダかと。
威力の面ではまさにおもちゃですが。
砦戦で使った火炎放射器とかは、おもちゃの類とはいえませんけどね。
966 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/08/07 04:59
荒さんの「おもちゃ」という表現自体がすごくイヤ。
リベラルな進歩派の仲間入りしたいのかしんないけれども、武闘派時代の活動について「たいしたことやってませんよ」と必死に言い訳している。
「ゲリラ?ロケット弾?あんなのおもちゃですよ。ははは、いやーお恥ずかしい。まあ昔のことですから。もちろん今は違いますよ。」ってな感じに聞こえる。
>>960 みたいな「日向嫌い」は、なぜかこの問題に関してだけは当の荒さん本人が喜ぶような発言をしたがるが理解できん。批判するなら「今さらおもちゃとは何だ!」と言うべきだと思う。
967 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 05:27
ブントはくされてるなぁ。 日向も、西田も、さらぎも、烽火も。
(
>>966 の補足として)
「ロケット弾」の威力に関しては
1)破壊力 2)射程距離 3)命中精度
の3つがあるわけですが、戦旗は意図的に3)の向上を至上命題としていました。1)に関してはむしろ抑制しており、2)については3)が保障される限りにおいて向上をはかる立場だったと思います。
実際、ゲリラの唯一無二の目的である政治宣伝という観点からは、3)を向上させることが世論へのインパクトを強め、警備当局者に甚大なショックを与えることは誰でも予想がつくことです。
この点で「テロだけで国家を作ったイスラエル」などという中核派の諸君とは発想を異にしてしました。
実際、戦旗の「ロケット弾」よりはるかに殺傷能力が高い中核や解放の「ロケット弾」はまともに目標に当たったことがなく、あまつさえ見当はずれの民家に命中したこともあったはずです。
今も運動圏の人々の記憶に残る「ロケット弾」は、それゆえ数でも威力でもはるかに優る中核や解放のそれではなく、皇居やアメ対などの最重要警備対象に、実際に命中させた戦旗のそれであるのは決して偶然ではなく、戦旗の意図した通りの結果と言ってよいでしょう。
それを今さら何だというのでしょうか。
一方でそのインパクトの大きさを利用して「86年の皇居、アメリカ大使館火炎弾発射事件」を指導したことを看板のように持ち回ったかと思うと「あんなのただのオモチャだよ」と逃げる。
その後の右翼との実力攻防で体をはって組織を守りぬいた我々や、実際にゲリラを敢行した活動家を何だと思っているのでしょう。荒さんにハクをつけるために体をはった人は一人もいないのです。
誇るならちゃんと誇れ!誤りだったと言うなら、まずちゃんと自己批判した後、当時の活動家全員に謝罪せよ!
969 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 06:30
睡魔は、活動家によくあることで、中とかマルの戦闘員は集会では眠りこけてますよ
>>968 大衆的実力ではない、「ロケット弾」などは冒険主義で無意味だという批判は組織内からありましたか。
971 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 06:43
ポーズでしょ
972 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 09:03
>>970 >冒険主義で無意味だという批判は組織内からありましたか
それを言えばブントでなくなるのでは・・・
973 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 09:30
冒険などとあいまいな概念で誹謗中傷するのも自由であるが、 人間の歴史において「冒険」のない営みなどあったであろうか? いまはリスクテイクやチャレンジという言葉に置き換えられる。 資本主義の命脈は常にこの「冒険」によるイノヴェーションにより 保たれてきた。これを忘れた左翼諸党派は、それゆえに資本主義ほどにも 活力がなくなり、衰退の道を辿った。 敢えていう。更なる「冒険主義」「冒険的経験」を積むべきである。 レジェンド=伝統的運動の継承に拘泥するものらは歴史の屑篭行きであると知るべきだ。 「冒険」というレトリックをわが身の保全のためだけにマヌーバとしてだけ使ってきた 某派の罪≠ヘ、それゆえ万死に値すると思う。 冒険結構、冒険的戦術、冒険的戦略を駆使すべきである。 小泉になど勝てるはずもないぞ、このままでは。
974 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 12:26
「おもちゃだ」と言えば共産主義者じゃなくなったが、ブントではあるのよなあ(詠嘆
975 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 12:57
当時ガンオタで爆弾マニアだったオレは戦旗の「M22」に対する自画自賛振りはちょっと引いた。 中核のイカロスは弾頭自体に推進剤を入れていたようで感心したけど(当たらなかったが) M22はあれだよね。ロケットというよりも迫撃弾だよね。
976 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 13:16
ラジコンヘリ使ったのってないの? 確実に命中すると思うが。 あれで桜田門一家を爆砕だ! そういや、昔は「粉砕」と言ってたのがいつしか「爆砕」と書くようになったよな。 70年代後半位からかな?
977 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/08/07 13:23
>>970 >冒険主義で無意味だという批判は組織内からありましたか
なかったですね。実際に「無意味」ではなかったからね。
「皇室の警備」というのは、たとえぼ天皇の車に小石をちょこんとぶつけられても、担当の首が飛ぶような世界ですから。皇居への直接攻撃が成功し、なおかつそれが闇に葬られず、新聞の1面に出たインパクトはでかかった。
私らも空気はいりまくったし、情宣でも今までより人がひっかかって集まるようになった。なにより「反対しても無駄だよ」と言うオル対がいなくなった。ゲリラそのものに反対する人は、もとから戦旗の活動自体に反対の人なので、それはそれでいいしね。
また、当時の天皇式典・サミットの警備は100億円の予算を浪費して「蟻のはいでる隙もない」と警察は豪語しており、闘う側でも「実力闘争は無理」「警備は強大で万全」と思われていたから。ゲリラ闘争も警備の薄い、地方の皇室関連施設を狙うみたいな発想もあった。
戦旗のGP戦は「いわゆる『革命軍』ではないごく普通の労働者活動家が、もっとも警備の強固な中枢にしかける」「武装宣伝隊」という位置付けでした。
そのへんが殺傷やゲリラ闘争そのものを目的化した「革命軍」による実行という中核派とは位置付けが違うのです。
978 :
草加耕助 ◆l5uYUz79nM :04/08/07 13:27
>>976 おお、これこれ、こういうのを戦旗では「冒険主義」ちゅうか、「戦役主義」って批判してたのよ。
(ガンオタ(当時)さん、悪気はないので。。。ごめんね)
979 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 13:29
980 :
1です ◆OHlVrQNEF. :04/08/07 14:03
皆様今さらながら1です。 今スレは終盤若干荒れ気味だったようですが、またも比較的良スレとして終わることができました。 これも皆さんの誠意ある書き込みのお陰です。 さて皆さん。 次スレもいきますか? また希望スレタイなどもございましたらあわせてお申し付けください。
nyBBSにまでスレ立てている香具師ハッケーソ 匿名性が高いのをいいことに、書きたい放題状態になってる
982 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 16:21
今更いうな藁 前からあるよNyにスレはな。
983 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 16:22
984 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 16:40
>>980 【アラ?】コケヒューたちのしゃべり場【カルト】
985 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 16:43
986 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 16:44
987 :
1です ◆OHlVrQNEF. :04/08/07 17:37
>>984 いいですね。それ。内容的にはそんな感じなんでしょうかね?
【他党派】'80年代ブントを語れV【歓迎】
【皇居】'80年代ブントを語れV【爆砕】
【輝ける】'80年代ブントを語れV【青春】
とかそんな感じでいいですか?
988 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 17:41
>>987 【安保日韓】'80年代ブントを語れU【血債猛省】 の U
とか
【他党派】'80年代ブントを語れV【歓迎】 の V
とか、
機種依存文字ですよ。
989 :
1です ◆OHlVrQNEF. :04/08/07 17:51
>>988 あ。ホントだ。ご指摘ありがとうございます。
普通の2とか3とかにしておきます。
990 :
1 ◆OHlVrQNEF. :04/08/07 18:24
991 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 21:50
前スレからずっとカキコさせてもらって、楽しませてもらったが、いやーほんとよく続いたよな。 感慨深いものがある。ウン・・・ いままでは人物特定されそうなんで、名無しさんでやってきたけど、次スレではコテハンで出ようかなと思ってる。 ところで、「爆砕」、この言葉いいねえ。最初に使ったのは?
992 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 22:00
オレも他派の元で大分登場させてもらいました。 いろいろ正直なところを述べたつもりですが、ちと物議を醸しだしたりしました。 で、チト書き込みを控えましたが、それなりに楽しませてもらった。 ありがとう。
993 :
名無しさん@3周年 :04/08/07 23:58
M22は「どこに飛んでいくかわからないものだった」って誰かが言っていたような気がするぞ?
994 :
元ガンオタ :04/08/08 00:30
>>993 だって砲身にライフリングも切ってなきゃあ、弾頭に尾翼もついてないんだよね?
そりゃどこ飛んでいくか分らんよなあ。
995 :
名無しさん@3周年 :04/08/08 02:20
996 :
希流 ◆zZakYvvs72 :04/08/08 07:19
>>994 M22の弾道計算をやったって人が、まだ今の日向派には
残ってますよ。
相当計算してやったはずですよ。
997 :
希流 ◆zZakYvvs72 :04/08/08 07:20
M53のほうはどうなんですかね。 あれは金属製の弾を火薬を使って発射するんですよね。 威力ってあったんですかね?
998 :
名無しさん@3周年 :04/08/08 09:13
ああいうのを作る人って工学部にいた連中かな。それとも工場現場でこの方面に詳しい 人かな。機械、電気、化学・・・ 教本があればそれに添ってという方法もあるが。 まあいいや、このスレはもう終了まじかなんで、テクニカルな話しは次スレでやりましょう。
999 :
希流 ◆zZakYvvs72 :04/08/08 09:21
実際に、ゲリラに参加した人とかいるんですかね? もう時効ですよね。 誰か話してくれないかな。
1000 :
希流 ◆zZakYvvs72 :04/08/08 09:22
それでは、次スレではかつてのゲリラ・パルチザン闘争に参加した 活動家の方たちの生の証言が聞けるよう期待しています。
1001 :
1001 :
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