【文学BUND】叛旗派・情況派・遊撃派etc【右派】
101 :
名無しさん@3周年:
>>99 江戸川支部事件って、マル中のNが指示して「部落民だ」って名乗った
一件だよね。それを明治の青(自称)が問題にしたわけだな。
結局、白・青抗争に巻き込まれただけじゃん。
ご愁傷様って言いたかったな。
当時の都連の同盟員の半分くらいが部落民じゃなかったし、
活動家にいたっては7〜8割が部落民じゃなかったわな。
それをNが江戸川支部立ち上げるのに、学生使って、そのときに
おきた問題ちゅうわけ。遊撃としては本当に運が悪かった。
103 :
名無しさん@3周年:04/01/26 20:21
いいえ、サラギと違います。
104 :
名無しさん@3周年:04/01/26 20:27
江戸川支部は、赤軍プロ革も食い込んでいたな。
>103 爆
>101
というか、解放派としてはブント系のブロックを崩したかったのでしょう。
当時、遊撃派と竹内派のほかに国際主義派がいて、西田派もB研にいたわけです。
最初、解放派は和泉校舎での竹内派の伸張を恐れて、若い活動家をいじめたりしてたそうですが、
遊撃派のチョンボで、矛先を向けたんでしょうね。木元以下、30歳前後の活動家が
張り付いてたらしいですから、専従活動家の少ないブント系は太刀打ちできなかった
といわれています。のちに、ブント系は竹内派をのぞいて各個撃破でしょ。
ついでに、明治生え抜きの解放派の活動家も追放されましたしね。
106 :
名無しさん@3周年:04/01/26 20:38
>>105 78-79学費闘争で、バリ封動員数は
解放派50、竹内ブント20〜30、人連10、L学同5
といったところか。
>>106 いや、まだ解放派の文連支配が及んでない時期だと、
解放派30、竹内ブント20〜、人連10、L学同〜10、国際主義派5
生田の赤ヘル〜20(遊撃派シンパ、のちに一部が西田派)、和泉の赤ヘル5(ブントファン)、てなところ。
解放派が学館委員会(部屋)と文連(カネ)をテコに大量動員できるようになるのは、
80年代なかばからと思われ。
なんか、明大スレになってきたな。
108 :
名無しさん@3周年:04/01/26 21:43
89> F氏は91年9.16東峰十字路戦士
110 :
名無しさん@3周年:04/01/26 22:04
>>105 学内政治的には、そなるのか
街道的には、新左翼各派対中核の対立があった
ま、東京レベルの話だが
あの一件で、江戸川支部は権利停止かなんかになったと思う
それよか、A支部には叛の字の元気いい姉ちゃんいたな
いまごろは、えらいさんになってるかな?
>110
知ってる。というか、見たことあるかも。
法政の出身じゃ?
112 :
名無しさん@3周年:04/01/26 22:14
>>111 そそ
それで、高校のときは白だったとか
その反発か、中核嫌いだったが
知り合いの叛の人が挨拶をしてるのを見ただけですが、
明るーい感じの人でしたね。夏菓子ポ
114 :
名無しさん@3周年:04/01/27 18:24
誰が書いたか当ててみな↓
『このことに無自覚なままに過去に依拠し立脚したことさえ黙殺しようとし
「セクトNo6」などという薄暗い茶店の片隅でサングラスをかけ
モダンジャズを聞くことをもってよがっていた、ヒッピー族まがいのはるか
以前の自己史をもって第二次ブントの苦闘の総括にすりかえよう等という
三上浩(味岡修)などの情況・叛旗的変節の試みに対しては、われわれは
あの10・8羽田闘争以来の鮮血の日々を全存在を賭けて戦い抜いてきた
すべての者の名において、怒りの鉄槌をふりおろさらるをえないのだ。
われわれはかつて小ブル急進主義といわれ、武闘主義といわれ、
又暴力革命主義と批判されたことはあったが、文学的ディレッタント
だとか好き者のたぐいであろうとしたことはただの一度もなかった。』
115 :
名無しさん@3周年:04/01/27 19:34
こんなもん、整理してみました。当時のこと全く知らないので、誤解、間違いも多々あると思います。ご指摘下さい。
篠田某とシミタケの確執
・1959年、篠田、明大工(生田)入学
・同年、全学連(主流派はブント)書記長・シミタケ、和泉校舎グランドでソフトボールをやりつつ若手活動家をオルグ。短期間で、明大日共、いっきにブント化。動員数で、東大本郷、駒場、中大、明大の四大拠点の一つに。
・1960・6・15安保、国会突入闘争(樺さんが殺された)時、まだ2年生の篠田を
中心とした明大ブントが工作隊担当。突入に際し、国会の門をこじ開ける主要メンバーに。
・権力が告訴したブント27人の内、最も若かったのは篠田
・あっさりブント崩壊後、唐牛・篠田は戦旗派→革共同、そして61年の共学同画策
・一方、シミタケ当時「お前らは精神的ホモセクシャルか!?」といわれるほどの親友、西部の「政治的に生きていくのなら革共同しかない」という西部特有の直感アドバイスもあり、プロ通派を経て革共同入り。
・1961年、東京・両国で行われた全学連大会にて、「ブント」に拘り続ける篠田は、ゴリゴリ革共同化したシミタケを許せず、隅田川に落とそうとするが、唐牛に「許してやれ!」と止められる
・篠田、1962年、明大農(生田)研究員として復学。以降、いわゆる明大独立社学同の中心メンバー
・1966・12三派全学連成立。委員長は明大ブントの齋藤。篠田は、「ご祝儀に学費値上げ全学スト闘争をプレゼント」
・1967・2・2明大当局と明大ブントのボス交発覚。全学的に力を持つ篠田政治によるところが大きいと言われている
・その機に乗じて、中核シミタケら学対が猛烈に反発。三派全学連内政治画策を経て、中核・秋山(横国)委員長に。
・1972〜73年頃、明大生協理事長に君臨していた篠田、若手活動家達から追放。
・1979年、三里塚反対同盟内に一定の影響力を持っていた松本礼二、篠田らは、当時の後藤田系列の革新官僚とボス交。政府サイドからは「農本主義という点で同じだ。方向を探ろう」と
・そのボス交を知ったシミタケは、「松本、篠田一派粉砕!」を叫ぶ
116 :
名無しさん@3周年:04/01/27 19:40
>114
おもしろい!出自をご教示乞う。
>115
スゴスギ コメントできません・・・。
>>114 日向翔ですね。こういう文章を書かせれば、読む者を陶酔させるほど傑出しています。
普通の文章は、まるでダメなんだけど。
118 :
名無しさん@3周年:04/01/27 20:56
119 :
名無しさん@3周年:04/01/27 22:31
>>116 >おもしろい!出自をご教示乞う。
『過渡期世界の革命』(荒岱介著 戦旗社 1972)
121 :
名無しさん@3周年:04/01/27 23:06
>120
では、
「鉄槌を下す」はずだった、または実際に下した荒岱介が
嬉々として「情況」に登場したり、
元叛旗の高橋順一を「理戦」に載せたりするのは、
ブント右派の文学路線に屈服ということでよろしいのか?
叛旗ネタですが、
80年頃に神津グループが出した雑誌の名称は
「ローリングサーティ」だったですか? 吉田拓郎の歌と混同してますかね?
叛旗縮刷版発行の後ですか先ですか?
123 :
名無しさん@3周年:04/01/27 23:46
>>122 記憶は定かではないが、その名称で正しいと思われ
同人誌のような内容だったと思う
「叛旗」縮刷版が出たときは、叛旗ファンから非難轟々だったよ
党を物神化した「日本共産党の50年」とどこが違うのか
幻想(意識)の革命を目指した党派が思い出の幻想に浸るのかと
文学(哲学)系列でいえば、
叛旗は吉本隆明、谷川雁、森崎和江?
情況は広松渉、アルチュセール、寺山修司?
125 :
名無しさん@3周年:04/01/28 00:02
>>115のは西部の文章のまとめみたいだけど
>1972〜73年頃、明大生協理事長に君臨していた篠田、若手活動家達から追放。
って遊撃派と「遠方から」グループの分裂と連動しているのだろうか?
>>125 正確には73年〜74年ですが、仰るとおり『遊撃派と「遠方から」グループの分裂』
のことです。74年の参院選に松本礼二(高橋慶彦)が出馬するので、
政治局は秘書団に改組し、茨城の右翼団体(おそらく四元人脈)と提携して
表向きは地方党を選挙母体にする、という方針をめぐって「情況」編集長の
古賀(遊撃派の議長?)が反対の意見書を提出し、政治局会議が紛糾。と言われています。
たぶん、73年から74年にかけて党内闘争が行なわれ、74年夏に遊撃派
「遠方から」グループに分裂。遊撃派の「ボルシェビキ」という機関誌で読んだことあります。
80年どろに、三里塚集会で「地方党」のビラが撒かれ、揉めてたのを見たこともあります。
遠方派はそれ以前に、仙台で「オルフェウス旅団」と名乗ってましたね。
127 :
名無しさん@3周年:04/01/28 00:31
当時、NHK茨城で長崎浩が「地方党」の政見放送をやっていたようだ。
128 :
名無しさん@3周年:04/01/28 00:40
>「オルフェウス旅団」と名乗ってましたね。
オルフェウス旅団、川崎の幸病院労組にいたな。メチャ、ゲバルトが強かった
129 :
名無しさん@3周年:04/01/28 01:08
むかしむかし・・・そのむかし
叛旗派の拠点校
中央(最大拠点)、青山学院、立教、茨城大
情況派の拠点校
明治、和光、東京外大、名古屋大、大阪経済大
遊撃派の拠点校
74年2・6実行委(明治、中央、法政、東大C、早稲田、横浜市大)
2・6実分裂以降
明治、中央、東大C、和光、千葉商大
130 :
名無しさん@3周年:04/01/28 01:11
>74年2・6実行委
73年2・6実行委でした。
131 :
名無しさん@3周年:04/01/28 01:24
132 :
名無しさん@3周年:04/01/28 01:27
おおっ、そーだったかぁ・・・
>>131さん サンクス!
>>129 70年代すね。
遊撃派の末裔の赫旗派(80年代)の拠(虚)点は
明治(元遊撃)、和光(元遊撃)、法政(元赤軍ML)、関西学院(元紅旗)
信州大(元ブントシンパ)、神奈川大(U部)、関東学院(元赤軍ML)
134 :
名無しさん@3周年:04/01/28 18:33
>>129 関西では大経大だけやな。
マルとの関係は、どないなっとったんやろ。
135 :
名無しさん@3周年:04/01/28 19:28
もともと大経大は革共同関西派の青年インターの拠点校。
それが二派に分裂した。
その後 自治会の側が情況派に流れたと思う。
一時マルは学内に入れない状態であったが、いつの間にか
逆転状態になりマルの単独支配となった模様。
元情況派の人が近所にいるのでそのへんは 又、聞いときます。
その人今は人のいい単なる民主党のおっちゃんなのですが。
136 :
名無しさん@3周年:04/01/28 19:55
>>135 レスありがと。
お願いします。
ところで、叛旗派の拠点校は関西にはなかったんですかね。
>136
叛旗派は人気あったから全国に自称シンパ(難解な機関紙の読者会を開いて、時々本部――蒼茫社
に連絡してくる――勝手に××大反帝戦線)はいましたが、拠点といえるかどうか。
今、手もとに縮刷版がないので、そのうち。
情況派の大経大は
>>135さんのレスどおり主流派だったそうですが、マルとヤバイ内ゲバ(明治から来た部隊
が濃硫酸ぶっかけるとか)やったそうで、怖くなってやめちゃったらしい。
こちらもどっちかというと、情況ファンクラブみたいなんじゃなかったのかな。
叛旗と情況は組織の力よりも機関誌と雑誌の影響力で勝負してたみたいなイメージですね。
138 :
名無しさん@3周年:04/01/28 20:50
>雑誌の影響力で勝負
情況の愛読者になって、情況派に入る
→活動の傍ら、情況に文章を書かせてもらう
→ヤバくなったら辞めて、ライターとして活動
→ライターとしての実績をもとに政界デビュー
ウマーだったのかな
>>137 ていねいなレスありがとうございます。
そういえば、近所にある大学(大阪市住吉区)の周辺に
「反帝戦線」のステッカーがたくさん貼ってあって、
「この大学はマルの拠点なのに何で?」
と思ってました。
140 :
名無しさん@3周年:04/01/28 20:53
>ライターとして活動
原稿料が安すぎて、喰えねえよ。
141 :
名無しさん@3周年:04/01/28 20:54
>>137 ていねいなレスありがとうございます。
そういえば、近所にある大学(大阪市住吉区)の周辺に
「反帝戦線」のステッカーがたくさん貼ってあって、
「この大学はマルの拠点なのに何で?」
と思ってました。
142 :
名無しさん@3周年:04/01/28 21:02
二重カキコ、スマン。
>政界デビュー
仙波とかいるけど、大半は研究者志望になったと思われ。
広松派の学者の大半が情況派崩れという噂。
>ライターとして活動
編集者のほうが多いでしょ。
あと、生協(首都圏コープの幹部)
144 :
名無しさん@3周年:04/01/28 22:17
叛旗派の拠点校は関西にはなかったと思います。
でも吉本派を自称する人たちは居ましたし、関西大学で
講演会とかもしてるので細々と個人的には居たのかも知れません。
145 :
名無しさん@3周年:04/01/28 22:22
>143
仙波氏が情況出身とはお恥ずかしながら
知りませんでした。確か、旧社会党で
「月刊・社会党」の編集長をされていた
方ですよね。
叛旗、オルグなんかしなかったもんな。
やりたいヤツだけやればいいって、そんな雰囲気でサルベージもおざなり。
あれだけ人気あったんだから、中核みたいにゴリゴリとオルグすれば
1000人くらいのデモも出来たのにな。
>145
御意。
148 :
名無しさん@3周年:04/01/28 22:36
>143
ついでにお恥ずかしながら、仙波輝之氏の「前衛等組織論批判」を
愛読していました。
149 :
名無しさん@3周年:04/01/28 22:51
150 :
名無しさん@3周年:04/01/28 22:52
>>146 はい、高校の時、中核さんにはいっぱいオルグされましたが、
本命の叛旗さんは、いずこにおられるかも分かりませんでした。
なんか、ブスの女の子にいっぱい言い寄られて、
あこがれの人は行方知れず、みたいな感じ。
ごめんね、中核さん。
151 :
名無しさん@3周年:04/01/28 22:55
俺の友人の高校には叛旗いたぜ。
152 :
名無しさん@3周年:04/01/28 23:02
>>146 茶店で必死こいてオルグしてる叛旗見たことあるぞ。
相手、オレの高校の一個下だけど。
ま、顔わかったから、あとでこっちにオルグしといたけど。
相手の反応とか、問題意識が事前にわかって、助かった。
ご馳走様ってとこかな?
153 :
名無しさん@3周年:04/01/28 23:03
というか、叛旗の場合は機関紙が難しすぎて
オルグしようにも自分たちで主張を説明できなかった説が。
155 :
名無しさん@3周年:04/01/28 23:10
156 :
名無しさん@3周年:04/01/28 23:13
雑談と、
吶喊の読み方だけ教えて、そのまま帰ってった
○叛のオルグ、、、、、、、、
吉本隆明の自己幻想、対幻想、共同幻想の概念の説明から始まる
158 :
名無しさん@3周年:04/01/28 23:44
>>157 そこまで踏み込んでたやつがいたなら、
結構すごい。
159 :
名無しさん@3周年:04/01/28 23:47
神津タソは事あるごとに三上タソをボロクソにいうが
ありゃ、なんなん?
160 :
名無しさん@3周年:04/01/28 23:52
>>157 で、そこから、どうやって変革に至るんだろうな。
いや、決して揶揄じゃなくて、
自分が結構悩んだもんで・・・。
>159
私見だが、
組織人の神津にとって、途中で組織をほっぱらかした三上は赦せんのだろうが、
何となく男の嫉妬に思えてしまうね。人物としては、大衆受けする三上の人気に対して?
162 :
名無しさん@3周年:04/01/28 23:59
>>157 あくまでも自己変革なのさ。幻想(意識)の革命は、運動自体の質として、
運動が批判対象とともに変革されるべきだというわけだね。
そのあたり、同じことを言っていても情況派の大衆政治同盟論のほうがわかりやすい
と思った。近代の主客構造(批判する主体と変革される対象)からは、必ず無謬の
変革主体が想定もしくは出現して、絶対の主体(党・党員)が物神化される。
主客図式(デカルト)を超えるには、マルクスを関係概念で読み解くしかないと。
164 :
Z(革マル)Y(やっぱ)X(ダメポ):04/01/29 00:19
165 :
名無しさん@3周年:04/01/29 00:36
>主客図式(デカルト)を超えるには、
は分かるとしても、
>マルクスを関係概念で読み解くしかないと。
の所をかみくだいてほしい。「変数」ということで
考えればいいのかな。
>幻想(意識)の革命は、運動自体の質として、
>運動が批判対象とともに変革されるべきだというわけだね。
「べき」は分かるような気がするが、
その方法論はどうなのか。
166 :
名無しさん@3周年:04/01/29 00:40
>163
「大衆政治同盟論」はこんな解釈でよろしいか?
三里塚の青年行動隊が激しい実力闘争の中で革命的な政治同盟に成長した
のを見てわかるとおり、現代資本(帝国)主義は、いたるところで
大衆的な政治同盟を成長させている。その中に共産同のフラクションを
建設して、革命的叛乱を準備汁。そのためには、大衆運動の党への囲い込み
は唾棄すべし? で、政治的訓練を積んだ陰謀家の党が必要だと。
167 :
名無しさん@3周年:04/01/29 00:42
>>163 スマソ
働くおじさんにもわかる言葉で言ってくんろ
>>165 方法論は、おそらく前衛党の否定ですね。
叛旗派はその点で愚直なまでに党派政治を否定し、最後は党を解散したわけです。
情況派はひたすら大衆運動に隠れることで、党の陰謀が大衆に乗り越えられるために?
陰謀家の組織を志向した?
169 :
名無しさん@3周年:04/01/29 01:11
>>165 >>マルクスを関係概念で読み解くしかないと。
>の所をかみくだいてほしい。
組織論でいえば、党・階級2元論の止揚ですね。
革命党は労働者階級の一部にすぎない、党を階級から離れた特別の存在としない?
資本主義批判(価値論)では、価値抽出を価値実体論からではなく
価値形態論から解読する。つまり、交換価値(貨幣)を可能とする社会的諸関係
に着目することで、資本主義の実相が暴露できる。ではないかな。
このあたりは、広松哲学でしょう。現在の荒派も同じ立場ですね。もっとも、
荒派においては共産主義が捨てられてますが、たぶん広松「ド・イデ」の「現実を揚棄
するのが共産主義」の無理解の結果でしょう。
171 :
名無しさん@3周年:04/01/29 15:01
荒って、いろいろ党派カンパニアとか軍事のまねごとしてみて
やっぱり情況派が正しかったと気づいたわけね。次は陰謀政治家として
政界デビューか?
172 :
名無しさん@3周年:04/01/29 17:11
>>129 叛旗派は埼玉と明治学院モナー
ついでに戦旗派の拠点校
早稲田、医科歯科、明治、日大、慶応、上智、立教・・・。
173 :
名無しさん@3周年:04/01/29 20:16
>>170 私の広松への読みが浅いのかもしれませんが
(「疎外論から物象化世界論へ」「世界の共同主観的存立構造」
ぐらいしか知りません)、
>党を階級から離れた特別の存在としない?
は分かります。
しかし、使用価値→交換価値は古典的なマルクス読みの人でも
言うのでは・・・。
広松や情況、叛旗と、その他を画する一線とは思えないのですが。
<浅学非才より>
174 :
名無しさん@3周年:04/01/29 20:37
>>172 医科歯科って日向いたのか?
医学連は12.18だろ?
175 :
名無しさん@3周年:04/01/29 21:11
>>174 マル共連のフォーラムに、二次ブント分裂時医科歯科大は面子は戦旗にいった
との記述アリ。(もちろん12・18もいた)
>>157 >吉本隆明の自己幻想、対幻想、共同幻想の概念の説明から始まる
「思想の問題としての国家は、
あるがままの大衆の存在様式の原像からうみだされた共同的な幻想として成立し、
そこから大衆の生活過程と逆立し矛盾するにいたったものと
して規定される」(吉本「情況とはなにか」より)
この言説は正しいと思う。
しかし、素のままでこの言葉が出された時、
実践的な運動としては、何をすればいいのだろうか。
177 :
名無しさん@3周年:04/01/29 21:31
あげ
178 :
名無しさん@3周年:04/01/29 21:49
叛旗が解散した理由がよくわかりました。
179 :
名無しさん@3周年:04/01/29 21:52
180 :
名無しさん@3周年:04/01/29 22:14
>>176 まあ、行為の共同性を通じた階級形成とか、
個的−共同体的所有とか、
生活過程のイデオロギー化になるんじゃない?
181 :
名無しさん@3周年:04/01/29 23:09
お前ら早いとこ、自らの関係と可能性を打ち切れよ。
>○叛のとっつぁんら
182 :
名無しさん@3周年:04/01/29 23:20
183 :
名無しさん@3周年:04/01/29 23:26
184 :
名無しさん@3周年:04/01/29 23:28
>>181は、
「逝ってください」の叛旗的翻訳でつか?
>>173 >しかし、使用価値→交換価値は古典的なマルクス読みの人でも
>言うのでは・・・。
もちろんそうですが、価値実体を単に剰余価値論から抽出すると、
労働=疎外となるわけで、交換価値(価値)が貨幣に物象化される
社会的擬制(単純に分業や富の偏在、所有制)が見てこない。
したがって、疎外からの回復という抽象的なロジック(革共同的な)
が生まれるのではないかと私は解釈しています。
これに対して、形態論的地平は価値の実体が労働過程にではなく、
所有や分業などの社会関係に根ざしているとみるから、資本主義に
対する批判が観念的ではないと思われるのです。
このあたりは、榎原均の資本主義批判にも通底する内容だと思いますが、
浅学にて失礼。
186 :
名無しさん@3周年:04/01/30 01:06
詳しい人、追加してちょ
叛旗派(共産同三多摩地区委員会)
組織 全国反帝戦線連合
機関紙誌 叛旗 吶喊
おもな闘争 68年中大学費闘争(白紙撤回)、三里塚9・16戦闘、高浜入闘争、早大解放闘争
情況派(共産同再建委員会)
組織 社学同
機関紙誌 ローテ 共産同重要政治論文集
おもな闘争 67年明大学費闘争(2・2協定―ボス交)、三里塚9・16戦闘、高浜入闘争
フォード来日阻止闘争
分裂後の戦旗派
両川―明治の一部、立教、関西地区の戦旗
松原―明治
本多―北大
荒―早稲田、日大、慶応、上智、東大、中部地区の一部
このスレと関係ないのでSAGE
188 :
名無しさん@3周年:04/01/30 01:15
>>188 松原博志(明治の戦旗派のゲバルト隊長)が率いた
共産同国際主義派(明大ニ部政経自治会・レーニン主義研究会)
78年に日本共産党行動派に合流。
>>187 両川(西田派)は九州地方委員会もありますた。
敏雄ちゃんは情況派の幹部に可愛がられてましたね。よって、関連レス。
>>189 レスサンクスです。
そういや日向のおっちゃんも自称パラチェンやりはじめのときに旧叛旗勢に
矢鱈とにじり寄ってましたよね。
191 :
名無しさん@3周年:04/01/30 01:55
>>186 遊撃派(共産同再建委政治局少数派・同盟多数派)
組織 2・6学生実→全都学生活動者会義(社学同)→共産主義革命戦線
機関紙誌 遊撃 ボルシェビキ
主な闘争 75年9・30天皇訪米阻止闘争(ブント共闘)、三里塚開港阻止闘争
79年に赤軍派(ML)と統合(革命の旗派)
82年に紅旗派と統合(赫旗派)
遠方派(共産同再建委政治局多数派)
組織 地方党
機関誌 遠方から
主な闘争 全金本山闘争、参議院選挙(茨城地方区)、三里塚反対同盟と自民党の橋渡し
192 :
名無しさん@3周年:04/01/30 02:21
193 :
Z(革マル)Y(やっぱ)X(ダメポ):04/01/30 02:37
194 :
名無しさん@3周年:04/01/30 07:37
>186
叛旗、情況についてマッタクトーシロなんで教示下さい。
何て読むの。どういう意味なの→吶喊
共産同(再建)と雑誌「情況」はどーいう関係なの?
195 :
名無しさん@3周年:04/01/30 13:23
「とっかん」が正しい読み方。 >吶喊
ただし、叛旗の場合は、「とっつぁん」かもな
196 :
名無しさん@3周年:04/01/30 16:18
立川の自衛隊監視テント村ってどっかのブントの末裔なのでつか?
吶喊 突撃するときの鬨の声
雑誌「情況」共産同再建委員会の政治局員だった古賀が
個人的に出版していた雑誌。ただし、編集方針(ライターの選別)は
党派の枠組みに近かった。
198 :
名無しさん@3周年:04/01/30 16:24
>>196 右派ではないので、関西ブントのスレに来い
199 :
名無しさん@3周年:04/01/30 17:43
>>185 >>173ですが、レスありがとうございます。
概ね理解できたような気が・・・。
特に、なぜ広松につながるのかという疑問が解消しました。
200 :
名無しさん@3周年:04/01/30 19:40