チベット仏教について語ろう

このエントリーをはてなブックマークに追加
731名無しさん@京都板じゃないよ
(読者の声1)先週、両国国技館で行われたダライ・ラマ法王猊下の講演会に行って参ったのですが、
考えさせられること多々あります。

 猊下の発言。中国に支配されるチベットの厳しい現況、未来を考え、政治的発言を自ら控えておられる猊下の心情は
察するに余りあります。またノーベル平和賞受賞者としての道義的責任、そして猊下自らが宗教的カリスマである現実、
発言内容に極力気を使われておられるのでしょう。
以上を頭では理解しながらも、しかし、結ぶところである「許し、愛し、解り合う」ではチベットは返ってこないのでは?
と思ったのは小生だけでしょうか。
平和的対話は大事であります。しかし血を流さずして民族の独立とは可能なのか?
猊下の本心がどこにあるのか気になった次第です。
 もちろん産経の取材記事などを読みますと、最近開通した青蔵鉄道や人権問題等について批判的に述べておられ、
単に中国との妥協点に急接近されておられるばかりではなしと考えられます。
ご存知のように近年、猊下は訪中、もしくは帰国を模索されており、北京特使と交渉を重ねています。
北京は独立放棄を求め、そのかわりに「高度な自治権」を「約束」するとか。
11月2日の毎日新聞によると猊下は「我われは独立を望んでおらず、外交と国防以外の自治を求める現実的な方策を
主張しており、(帰還)を楽観している」と発言されています。果たして外交と国防の伴わない自治とはいかなるものなのでしょうか。
732名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/15(水) 13:34:45

 また講演内容とは別の問題で解せないのは、現在日本人一般にダライ・ラマ法王猊下とはどういった存在として捉えられて
いるのかであります。一般人にどう認識されているのか?
単なるカルト的な「スピリチュアル・リーダー」として捉えられているだけでは?

 というのも会場の聴講者、大半が所謂サブカルチャー系で占められていた現状です。
ラブ&ピース的様相の若者も決して少数はではありません。
小生の認識では決してダライ・ラマ法王とラブ&ピース的思想は重なり合わないのですが。
あと新興宗教の筋の方も多数おられました。

講演で設けられた質疑応答、猊下へ投げかけられる質問といいますと「背後霊についてどう考えられるか?」、
「最近、何かに操られているのですか、どうすればいいのか?」、「光のパワーを私にお与え下さい!」等々、猊下も困惑気味。
人権問題などの「生臭い」質問はなし。

 欧米では人権問題、チベット難民問題、中国問題といったハードな話題で取り上げられる猊下でありますが、
この日本においては「サブカル・カルト的」な存在のカリスマとして捉えられる方々がどうもマジョリティーのようであります、
ビックリいたしました。
やはり日本では大メディアのニグレクトが、そのダライ・ラマ像の誤解を作り上げてしまったのではないかと思った次第です。
 宮崎先生はどうお考えになりますか?
        (AI生、渋谷)

(宮崎正弘のコメント)ちょうど二十五年前、加瀬英明・三好修両氏主宰の「日本安全保障研究センター」
(小生がボランティア事務局長でした)で、ダライ・ラマ猊下をお招きして、東京で講演会をおこなってことがあります。
 そのおり参加者のなかに新興宗教指導者がまじり、なかには怪しげな指導者がいて、(あの麻原がインドへ行ったおりも
猊下は拝謁を許されましたが)、盛んに記念写真を撮っていました。この俗物根性め、と新興宗教の連中の一部を
こころのなかで罵った事を思い出しました。
ttp://www.melma.com/backnumber_45206_3426513/
733名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/19(日) 10:10:14
>>732
貴重なダライラマの質疑応答に対してスゴイ質問するな
日本人は恐れを知らないというか、馬鹿というか。
734名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/19(日) 10:27:03
結局、チベット仏教どころか仏教そのものが根付いていないんだな
その手の連中相手には仏教を知らない西洋人に説くがごとく教え諭さねば
なるまい。