806 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2013/10/20(日) 21:34:47.24
お経というとやはり、阿弥陀経 般若心経 観音経(法華経)を唱えたくなります。
でも、ダンマパダ スッタニパダが基本じゃないでしょうか
そう。ダンマパダ、スッタニパータが基本
808 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2013/10/20(日) 23:57:19.37
名無しの妄想小説の朗読! ラノベ 「はたらくお釈迦様」wwwww
809 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2013/10/21(月) 00:02:55.91
>>808 「隣合わせの灰と青春」でも暗記した方がまだマシかもwww
尼寺施損 柔三枚 暗城日記www
810 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2013/10/21(月) 00:06:52.57
>809
二時は世損、昼寝の時間 ニダ!
三時は世損おやつの時間 ニダ!wwwwww
811 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2013/11/16(土) 21:07:53.16
>>807 原始仏教と大乗仏教の違いの整合性を如何説明したらいいのか・・・
>>806 まずは大乗じゃないほうの「大般涅槃経」からで。
813 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/04(火) 09:57:31.27
仏教は「人法二空」。
仏教と非仏教(外道)の違いは法印を採用するか否かにある。
諸行無常
諸法無我
一切行苦
涅槃寂静
全ては無始無終の止まることのない因果応報の流れ(諸行無常)。
今の苦の大小はしてきた善悪の因縁で流れに現われる識(諸法無我)。
少しの隙間もない因果を縁が影響し合い苦の量の大小が変化している(一切行苦)。
苦から解き放たれる希望は、正しい修行を積み因縁果報の嵐を
鎮めて安らぎを得られる日を待つ心(涅槃寂静)。
大乗であれ小乗であれ顕教であれ密教であれ
法印に立ち返れる教えであれば仏教。
輪廻を霊魂で説明したり最高神を立てて神話を物語ったり霊媒などで教義を成り立たせたりなどして
法印をないがしろにしている者たちは「仏法」を自称していても全くアウト。所詮その者たちは非仏教の外道。
怪力乱神を語っても聴衆の機根に対しての一過性の方便にすぎないとし、
無明よりの罪障に慙愧を念じ懺悔を胸に諸悪莫作・衆善奉行に精進すべし。
814 :
徴兵制:2014/03/07(金) 22:28:58.71
人間サイエンスの会
科学的に人間の潜在能力を研究しています。
http:// NPO - IRI .org /
815 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/27(木) 22:19:17.59
日本仏教が「慰霊鎮魂儀式教」になってしまった元凶は如来蔵思想の放置にある。
古くは太子三部経に「勝曼経」という如来蔵思想の経典が列する。
また、天台宗や日蓮宗の教判に「五時八教」という説があるが、
この中で第五時を「法華涅槃時」とし、法華経と涅槃経をあたかも同列の価値があるかのように最高の教えと讃える。
大乗の伝える涅槃経は如来蔵思想の教えだ。
法華経は太子三部経にも入るが、日本仏教の誤解はまるで法華経までが如来蔵思想によって
一乗を説いているかのような解釈が主流であってしまったこと。
法華経を冷静に読み直して見ると、如来蔵のように、
人の中に仏性が“在る”とか無いとかの考えの否定に一乗が説かれる。
常不軽菩薩は刀杖瓦石の難に逢おうとも人々を汝等作仏と拝み続けた。
その人自体を拝んでいたのであり、仏性のみを拝んだのではない。
禅は如来蔵思想の弊害を、即身即仏即心是仏と、頓を極めることで解消しようとしたような形跡もある。
しかし、日本の仏教は既成仏教も新興仏教も如来蔵思想からの卒業に程遠い現状のようだ。
816 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/28(金) 01:50:05.01
如来蔵は畜生も含めて一切衆生に宿るとされる。
ゆえに如来蔵を信じるならば、畜生も身中に如来を内蔵していることになり、
それを殺してその肉を食べるのは殺仏に当たる言語道断の行為。
ゆえに如来蔵を説く涅槃経、首楞厳経、入楞伽経などは
こぞって肉食禁止を説く経典であり、如来蔵思想と肉食禁止はセットである。
それなのに日本人は肉をバンバン食う。如来蔵思想などどこにもないことが分かる。
817 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/29(土) 00:54:54.87
まさしく如来蔵の弊害。弊害もあるし効能もある。
“人間(畜生・草木国土)のうちに仏性あり”と説く如来蔵は、仏性ではない部分もあると聴く者に思わせる。
仏性の部分とそうでない部分、部分の違いがあるとするから
意識無意識で分裂が起こる。
上手く使い分ければ公私をわきまえる人格者として世渡りも巧みにこなせようが、
一方では、躁鬱に病む人も多い日本。
仏は中にある内にあるというモノではなく、
真相真理に気付いて正確な見方をしていけるような修行が続けられるようになる境地。
手塚治虫の「ブッダ」は神は人のうちにあると喜んでそれを悟りにしてしまう困った「ブッダ」だが
あの結末もまた如来蔵に傾いた歪みで纏められた誤解の仏伝。
作仏は成った後と前とで法が変わるというものではないので仏を神にしてしまうのも困る。
タターガタガルバは「如来を蔵する者」を指す他に「如来の胎児」「胎児として胎内にある如来」のような意味もある。
むしろ仏教で使われ始めた頃の本来の意味は如来胎児なのではないかと思われる。
818 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/29(土) 01:11:45.43
公私混同は非難されるが、命じられて滅私奉公はできるものではない。
モチベーションが熟していなければメッシホーコーを演技する役者となり、
裏表の差が激しい偽善の屈折を極めるばかり。
だから経を読んで文字からばかりに何かを得ようとしても仏教の目的には近付けない。
四諦の理に思いを巡らし七科三十七道品などの修行に励み続けていくように勧められる。
819 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/29(土) 01:13:54.79
戒は十善戒の受持が勧められる。
820 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/29(土) 08:54:27.14
涅槃経のよく知られた一四句偈に「諸行無常偈」がある。
諸行無常
是生滅法
生滅滅已
寂滅為楽
仏陀の遥か過去世の一人に雪山童子として修行していた時に
雪山童子のモチベーションの真偽を見極めようと帝釈天が化身した説話があり
その物語の中で登場する偈なので「雪山偈」ともいう。
涅槃経と聞くとこの偈をまず想起する人もけっこういる。
確かに涅槃経は「諸行無常」には積極的だが「諸法無我」にはそうではないように思う。
如来蔵は如来を蔵する自我が無ければ始まらないからだろうか。
まず我を認めてその我を浄化し内に秘められた如来を洗い出すような教えだろうか。
シヴァ派の外道アディ・シャンカラ系の梵我一如に通じる学説だ。
そんな修行では塵に塗れて仏性を奥にしまいこんでどこにあるかが判らないでいる
今いる自分に距離を置いて、それを洗う側のもう一人の自分を設置する必要が出てきそうだ。
821 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/29(土) 11:06:43.94
>>820 中村先生の解説した「マハーバリニッパーナスッタンダ」を聞いたけど
その部分は、完全に後世に誰かが付け足したフィクションじゃないの
823 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/30(日) 10:01:38.13
学界の研究者たちも、我が国での如来蔵偏重が日本の仏教が故人霊供養教に変質させた元凶であることには気付いている。
法華経などの一仏乗は、誰でも修行すれば仏陀になれるとするのは、ある人の可能性を否定しなければならない何かは無いという立場。
人の“中”に仏の種なるモノがあるかのように説く如来蔵思想は
たとえ誰にでもどんな事物にでもあって全部が成仏の日が来ると説いても
外道の神の霊(たとえばキリスト教の聖霊)のような仏性観を
聴く者に誤解させる危うさが大きすぎる。
だが、現実は学界の仏教研究を支えるスポンサーとして既成の仏教界があり一部は新興系仏教教団と根強く繋がる学者もおり、
如来蔵を大胆に否定することでスポンサーたちと対立が生まれたり大きな溝が出来たりすることは
学者自身の糊口を凌ぐ道を断つことに繋がる。
如来蔵の否定を仏教界が受け入れれば、教義の大きな改革を迫られ
先祖供養などの、霊崇拝に伴う現金収入の機会も大きな制限をもたらすことになる。
824 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/30(日) 10:20:17.01
欧米先進国の東洋に興味を抱く白人好事家たちにいまだに多いが
日本は禅の国と思ったり人にそう知らせたりする人たちがいる。
禅系こそが実は如来蔵に対する最も強い反駁をぶつける仏教であった。
本来、如来でない“部分”など禅の道場には入る余地などない。
だが、寺檀制度に支えられている日本の多くの“禅寺”は違う。
たしかに衆生各々の機の熟しかたには差があって、ラジカルな禅語を発する祖師たちもそこはわきまえている。
いきなり誰にでも仏陀は「カンシケツ」だと指して教えよとは言わない。
しかし、機の熟しかたに適した禅を日本の仏教が説いていけてあるかといえば、
あまりに霊園販売の幟旗が風にはためき過ぎて、とても弁護を担う自信はない。
825 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/30(日) 10:49:20.48
日本が仏教的に誇れる箇所があるとすると「中道」を重んじる点だろうか。
中道をわきまえて立つ位置には、その時あの時その場所あの場所の時間空間の違いで異同がある。
神道との戦争があった歴史を四天王寺などの古刹が伝えている。
血で血を洗うような武装闘争は不殺生を説く仏教に最も矛盾するのは言うまでも無い。
そこで印度や震旦で行われた習いに学び日本も仏教渡来以前よりの神々との調和をはかった。
それには如来蔵は便利だったのだろう。勝曼経は太子三部経で最も重んじられた形跡がある。
聖徳太子の著という伝説の真偽は置いておくとして、
法華義疏も、涅槃宗に影響を受けていた梁の光宅寺法雲の法華義記がタネ本で、涅槃宗に通じた方面による制作であろう。
しかし、奈良時代の六宗はけっこう部派の戒律や中観派や瑜伽行派といったかなりしっかりした仏教を根付かせようと務めた。
天台宗が伝わると「法華涅槃時」を最高の説法と位置付ける五時説が広まり、
仏教界に涅槃経が学ばれるようになった。平安仏教は如来蔵思想を過剰に神秘化し理論武装を固め、京の都を怨霊や魑魅魍魎妖怪変化の渦巻く魔界となし
仏教の仕事を魔除け御祓い加持祈祷に傾かせてしまう。
826 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/30(日) 11:00:37.28
諸国の寺も周辺の住民に般若空観や瑜伽唯識を説いてもいられず
「仏教」として説き聴かせるのは「霊異記」などに頼るようになっていく。
確かに当時は当時の大衆の機が未熟であったこともありやむをえなかったとも言えよう。
しかし、現代日本の一般人は学校教育などで合理的に思考するように教えられて育つ。
近世以前の衆生が至っていた機とは質も熟成の度合いも違うはずだ。
それなのに、物故者の鎮魂慰霊を主な任務とし儀式の専門家と化していては
現代人の合理的感覚との乖離ばかりが大きくなる。仏教は神話対策・迷信対策で深層が成り立っている学門であるのに
残念でならない。
>>822 「大般涅槃経」で、初期仏教の解説書とかで引用されている箇所は、
原形(律蔵か?)の部分なんだよな。いわば、良いトコ取り。
中村元の、ブッダの言葉シリーズにもあるから、
初期仏教の経典かと思って、全体を通して読んだら、超能力物語だった。成立はかなり後なんだよな。
途中で嫌になったので、後は中村元の解説だけ読んで止めた。
あんな超能力持ってるんなら、自分の病気ぐらい治せるだろと思った。
半端な「神格化」では、半端な印象しか持てないな。
久遠の釈迦の方が遥かに自然に感じる。
828 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/30(日) 11:22:17.32
>>827 >あんな超能力持ってるんなら、自分の病気ぐらい治せるだろと思った。
釈尊の死因のこと?
マハーバリニッパーナスッタンダによると
食中毒(キノコ料理?)による下痢で身体が衰弱したとあるけど
要するに老衰でしょ
何故、君は永遠を求めるのだ
生あるものは滅す、それが釈尊の教えなのに
>>828 80じゃ老衰じゃないでしょ。病気でしょ。
ガンジス川(だっけ?)をひとっ飛びする「パワー」があるなら、
自己ヒーリングだってできるでしょ。少なくとも、自己ペインクリニック(痛み止め)ぐらいできるはず。
初期仏教経典は、中村元などの尽力によって読む人も増えたけど、
より近いはずの上座部経典はさっぱり普及しないのも、
ブッダの半端な神格化が一因じゃないかと思えてくる。
ある特定の宗派に属する人が、その宗派の経典や解説書を
読むことはあっても、所属宗派以外のそれを読むのは
あまりないと思うのだけど・・・
パーリ語経典長部の『「大パリニッバーナ経』なら中村元訳で
読めるけど、大乗仏教の『大般涅槃経』を最後まで通して読む
のはちょっと大変かな。
『華厳経』もちゃんと読むのは大変だと思うし。
学者でもなければ、自分の興味のあるところを斜め読みする
くらいが普通じゃないのかな。
経典の解釈も時代と人によって様々あるし、いろんな考え方が
あって面白いなと思うくらいが余裕のある楽しみ方なのでは。
>>829 >80じゃ老衰じゃないでしょ。病気でしょ
今の時代の平均寿命を元に考えても困るよ
例えばの話だけど
インフルエンザで健康な大人が亡くなることは滅多にない
しかし、老人がかかると直接の死因になる
そんな感じでしょ
釈迦の死の意味にしても、それを受け止める人によって様々。
いろんなお寺にお参りして、いろいろな涅槃図を見るの楽しいです。
>>826 >それなのに、物故者の鎮魂慰霊を主な任務とし儀式の専門家と化していては
>現代人の合理的感覚との乖離ばかりが大きくなる。仏教は神話対策・迷信対策で深層が成り立っている学門であるのに
>残念でならない。
私は、原点回帰で「スッタニバータ」「 マハーバリニッパーナ・スッタンダ」(中村元訳)と
瞑想で人の道を歩むことにしました
禅と本覚思想との関係についても、いろいろ研究があるみたいだし
836 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/30(日) 19:21:42.79
中村先生も言ってたけど
後世の教義学者が正理や法をいろいろ解説してるからね
でも、釈尊の教えというのは人の道を歩きなさいという実践なのよ
お釈迦様が最初に説かれた教えをもとに様々な教えが
展開していったのも仏教の流れのうち。
歴史上の人物である釈迦の実際に説いた教えを
追求していく学問もあれば、現代に伝わる過程で展開
されたいった様々な教えを仏説として受け止めていく
信仰という立場もある。
お経の受け止め方はいろいろ。それで良いのでは。
838 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/30(日) 20:47:31.79
>>837 >歴史上の人物である釈迦の実際に説いた教えを
>追求していく学問もあれば
別スレでどこかの教義学者らしき人が本音を言ってたけど
仏教(経=仏典)を学問として追求しても信仰が深まるわけではないって
>>838 学問と信仰は別の立場だけど、それぞれ別物として両立可能。
信仰に生きることも学問を追究することもどちらも楽しいんだな。
ただし、自分の信仰を学問としての仏教研究に持ち込んでも
他の人には受け入れて貰えないし、研究成果にノイズが乗るだけ。
学問的成果を信仰の立場に持ち込もうとしても、宗派の伝統的
解釈との間に齟齬が生じるだけ。
しかし、両者の間に折り合いをつけられると楽しみが増えます。
840 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/07(月) 07:08:56.88
何年も前の昔に門前仲町で降りて深川不動尊おわします成田山東京別院によくお詣りしておりました。
灌仏会には深川の仏教会に所属するお寺のお坊さんたちが深川不動尊の境内に集まって合同の法要。
ご宗旨もさまざたで衣やお袈裟も色々。
御経は法華経のお自我偈でした。法華系宗門のお坊さんにはお得意でしょうが
真言宗など他宗のお坊さんは法華経といえば普門品の世尊偈しか読まないかたがた、
けっこうご苦労されながらお自我偈と格闘しておられたご様子。しかし、とても好感が持てる有り難い読経の光景でした。
最近数年は地元に近い豊山派のお寺の灌仏会に参拝していますが、こちらは自我偈を読誦することもなく、いつも通りの普門品。
いくら真言宗でも、灌仏会・涅槃会・成道会ぐらいは自我偈を読誦してほしいと思いました。
841 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/11(金) 02:28:17.20
>>836 人の道を歩みなさい(で終わり)ってのは間違い それは儒教などが志向した方向性
人間の道を超えなさい(上人法 uttari manussa dhamma)ってのがブッダの教え
たんに人の道でいいなら出家して禁欲行なんかする必要もない
世間一般の道徳(五常など)を守っていればいいだけのことだよ
汚痔蛾芸16番
843 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/06/15(日) 12:04:06.27
唐招提寺、お経売ってないのかな?と立ち寄ったら
「鑒真大和上和讃」700円が置いてあったので購入。
願共諸衆生 往生安楽国 見仏聞正法 同入不ニ門
南無鑒真過海大師
南無鑒真過海大師
南無鑒真過海大師
844 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/06/28(土) 18:54:31.92
仏教の基本って、合理主義と博愛精神だろ?
845 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/06/28(土) 20:12:12.15
>>844 これは、別スレで活躍中の、とある柔道家が詳しいから、そいつに聞いたほうが良い♪
そいぎんた、柔道家 シェンシェイ! あとは頼みますばい♪ あっちょ〜っ! v(=^o^=)/シ~~~~ www
846 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/06/28(土) 20:15:55.70
偽経=スタップ細胞論文?
847 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/06/28(土) 21:43:33.07
>845
なしてあさんはどこかしこ出没すっとですかwww
秘密の大人の武がおわっちしもたので書きますばってんwww
インダス文明やヒンドゥー文明辺りでぐぐっちくれれば良かろ思いますばってん。
人間が数百、数千と集まれば、粗暴な人間、優しい人間、器用な人間、気が利く人間、どんくさい人間、頭の良い人間、アホ、キチガイ、いろいろ集まるとです。
頭の良い人間で比較的温厚な人間がより良い生活圏を作ろうと、戦争を嫌ったんでしょうな。
戦乱の時代に、法でもって統治しようと言う勢力が仏教と言えますね。
しかしながら、いくら頭が良くても博愛精神だけでは、生き残る事は出来まっしぇん。
宗教を己が為の指針として、一歩下がって全体ば見渡すぐらいの気持ちで何事も信仰すれば良かろ思いますばってんどうですかいなw
そいよりも、何故人間は信仰を欲するのか、考えた方が楽しかですばいwww
誰が人々を纏めようと法を説いたのですかのうwww
なして、今の日本から宗教を用いて人心を纏める事に批判的な工作があるんですかいのうwww
そうすっと、うっすら見えたり、隠れたりしますけんwww
誰にもわからんけん、探す楽しみがあっとじゃないとでしょうかwww
848 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/10/19(日) 19:50:40.29
宮島弥山 大本山大聖院の
在家勤行法則 三鬼大権現功徳和讃入 \500- ゲット
849 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/10/21(火) 22:05:09.68
850 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/11/06(木) 17:15:52.44
851 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/11/06(木) 21:43:55.29
方便品のサンスクリットとの解離が凄すぎてワロタ
(全体に言えること)
原典では如来達の複数形なのに漢文では、
単数扱いで釈迦のみと思い込ませた?
(加筆されたと思われる箇所)
名称普聞 (自画自賛の文の追加?)
吾従成仏已来 (勝手に主語を釈迦にした?)
深入無際、成就一切、未曾有法(くどい誇張?)
巧説諸法、言辞柔軟、悦可衆心(宣伝?誇張?)
十如是(原典は5種のみで、如是とは訳せない)
なるほど。
数百回も読めば、『お釈迦さんともあろうお人が、こんなこと自分で言わんわナ』
と思えてくる、まさにそこです。
五如是だとして、雰囲気はどうでしょうか?
私は、『よく考えろ。大抵のことは自分が悪いだろう』くらいの諭しだったのでは
ないかと思っています。
853 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/11/06(木) 22:28:22.94
そうですね、原典はザックリしか書いてないのに、
漢訳は、原典で言及していないところまで、細分化させてしまっていてw
当時すでに訳されていた他の経典や、当時の教学に合わせてしまったのでは?って感じですかね。
854 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/11/07(金) 18:33:12.56
膀 ben ポーーン、崩壊平等 ウソ 陀羅尼、長屋の熊さん、熊った顔して、
兄魔尼 money!42歳は男の本厄、さっさと亀頭ば致しましゅうー♪チーーーン!
SEO効果を高める被リンクを検証
もう、SEOでサイト上位を望むのは難しいと言われています。
その理由は、ペンギンアップデートやパンダアップデートがあるからでしょう。
とはいえ、実際に1位や2位に表示されているサイトがあります。
これはどういったことなのでしょうか。
特にウェキペディアなんかは、軒並み色々なキーワードで上位表示されています。
そして、被リンクをチェックしても内部リンクばかりで外部サイトからのリンクはほとんどありません。
これらから言えることは、内部構造に上位表示のヒントがあるのかも知れません。
ただ、1本も外部サイトから被リンクがないのはダメかと思います。
ウェキペディアのように信頼性の高いドメインと評価を受けている場合は個別ページを生成するだけで上位表示しますが、
自分が作るサイトはそうもいかないでしょう。
http://juni.tatituteto.net/diary/diary.asp?number=6016