1 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
真宗(浄土真宗)系の全宗派を対象にしたスレッドです。
対象となる宗派は、真宗十派(真宗教団連合加盟)の、
浄土真宗本願寺派、真宗大谷派、真宗高田派、真宗佛光寺派、真宗興正派、
真宗木辺派、真宗出雲路派、真宗誠照寺派、真宗三門徒派、真宗山元派、と、
その他の真宗系宗派(学術研究されるものを含む)、真宗系の単立寺院、
真宗系を自称する寺院、または真宗教団連合そのもの、となります。
もちろん真宗を自称するカルト宗教などは寺院ではないので板違いとなります。
真宗大谷派のみは神社仏閣板で単独スレを持っていますが、
これは勢いがあるのと歴史的経緯によるものです。
真宗大谷派スレにおいて継続スレがたたない場合などは、
ここに合流されるのも良いでしょう。
神社仏閣板の自治により真宗スレを乱立させない意向となっています。
対象となる宗派のレスが欲しい場合は、まずここで宗派名を明記の上、
レスしてみてください。
●前スレ
真宗(浄土真宗)総合 Part30
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1284108224/
2 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/17(水) 20:51:57
2ゲット!
3 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/17(水) 20:59:13
仕方がないから4げっと
4 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/18(木) 07:16:36
社団法人の理事長として登記する義務・作業を怠っていた、
県から認められていない、歴代理事長〔自称〕。
これらの期間の運営について社団法人を管轄する、
兵庫県庁より指導をうけました。そしてその言葉を結果無視して、
さらにお叱りをうけました。また有るべきはずのものも無くなっています。
会が現在の様な非常に残念な状態に成ってしまったのもこの期間の運営の仕方によるものです。
対外的にも会員にも、その期間の代表者として責任を取ってほしい。
●兵庫区(法)
●兵庫区(臨)
●灘 区(天)
●兵庫区(浄)
●長田区(臨)
神戸青年仏教徒会の雰囲気は会員の僧侶がお互い陰で、潰しあう感じ。僧侶では無い業者の会員は、僧侶の尊敬できない堕落した雰囲気を、会の外で宣伝。
神戸JBはこんな雰囲気を改善すべき。
4
5 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/20(土) 14:32:06
浄土宗スレより
いい加減しろ!
浄土真宗本願寺派の坊主なのに、浄土宗の坊主と語るな!
940:名無しさん@京都板じゃないよ :2010/11/20(土) 00:01:50 [sage]
GM&Mercedes・Benz 大好き 浄土宗僧侶 徒然日記 ・・・南無阿弥陀仏
http://minkara.carview.co.jp/userid/647707/blog/ 好きなもの 楽しいこと ・・・全て、、、
一時ガレージにPorscheが3台有った、、、が、飽きた、、、ある日 楽しく無く成った、、、
楽しい事・・・これからも追及、、、
自己紹介 たぶん 僧侶です、、、いえ 僧侶です、、、みるからに 僧侶です
<現在の浄土真宗の教えまとめ>
・人間死んだら終わり。霊魂は存在しない
・当然、あの世もない
・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの
・葬式は死者の霊のために行うのではない
・葬式は参列者が死者を偲ぶのと、真宗の教えを学ぶ場である
・死後に霊を供養するということも無意味である
・法事も供養する場ではなく、生きている人間が真宗の教えを学ぶ場である
・仏壇も先祖供養するためのものでなく、真宗の教えを学ぶためのもの
・墓も生きている者が死者を偲ぶだけの場である
・占い、迷信、オカルトなど科学的証明ができないものを信じる者は馬鹿である
・よって、聖徳太子の夢のお告げを信じた親鸞は馬鹿である
・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるので、これに対して祈りを捧げるのも馬鹿である
・報恩講などのお布施は、親鸞はもう存在しないし、阿弥陀如来は架空のものなので、
現在の僧侶に対するお礼として納めるべきもの
浄土宗スレとココを渡り読みしている真宗半僧半俗僧だが、
http://minkara.carview.co.jp/userid/647707/blog/ のブログで自称「浄土宗」僧を名乗っているブログ主催者が
煩悩三毒の貪欲(むさぼり)が燃え盛った状態でのブログ記事内容である。
さらに記事内で自坊紹介(後に判明)で実在する浄土真宗本願寺派の寺院
として紹介されていた。
もし実際は真宗僧なら、浄土宗の名を穢す(と私はとれる)偽りの行為と
なるだろうし、実際は浄土宗僧なら浄土真宗の名を穢す謀に思える。
実際はどうなのか・・・大変気になる。
8 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/20(土) 21:00:44
半僧半俗じゃないでしょ
非僧非俗ってのに
正確には非僧非俗ね でも半端もんって意味で半僧半俗と私は使っている
持戒も出家も無いのだから「本当の僧」とは言えるのか・・・という立場
でしょう、真宗は。
また「世俗にまみれたまま」の生き方って訳でもないという意味と立場として。
>5
その「問題児」の親の実家が湯浅の本勝寺=本家ってことね。
つまり湯浅の本勝寺住職と問題のブログ管理者は従兄弟同士だそうだ。
問題児本人は「西山派・浄土宗です、京都は光明寺が本院です」か。
11 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/20(土) 23:20:30
いかさまするのですが。
12 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/21(日) 00:13:14
歯科医師、開業医、かな。
「念仏院」号は冗談、で「〜医院」かな。
「法要予約満席」は「出張診療予約満席」のことかな。
いわゆる「娘」って誰?芸能人でしょ?
まあともかく、真宗僧の悪態疑惑は晴れたというところだな。
とばっちりっていうか、迷惑を被っている紀州本勝寺さんは
親戚とはいえ、ちょっとした「いい迷惑」だな。
14 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/21(日) 01:02:56
アンチが一気にトーンダウン?
15 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/22(月) 08:32:03
「非僧匪賊」が正解
16 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/22(月) 10:31:10
「悲愴卑俗」が大正解
17 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/24(水) 17:27:59
真宗の僧侶の方がいらっしゃったらぜひお聞きしたいのですが・・・
ボクは真宗で得度してみたいなと考えているんですが、
役僧として生活する場合、
兼業なしでなんとかメシだけは食える暮らしはできるものなのでしょうか?
回答をよろしければお願いします
え?在家??
ムリムリムリムリ。
寺族の次男、三男ですら大変なのに
19 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/24(水) 18:11:55
>>18 回答ありがとうございます
寺族出身でも大変というのは、
真宗は世襲が基本で僧侶の絶対数が多いというのも関係するのでしょうか?
まったく無いわけじゃないけど
まず、年忌法要と通夜葬儀だけでいい寺なら住職と若で十分。
檀家数の少ない寺も同じ。
役僧を使うってことは月参りの風習がある土地である程度の檀家数がいる寺
そして重要なのが、都市化が進むにつれてこの「月参り」をしない檀家が
増えている事。
あとね、社会保険と厚生年金じゃないよ。国民年金。
血縁でも無い限り首切りも覚悟する事。定年もある。
僧侶の仕事以外に寺族の小間使いとしてなんでもやらされる事。
住職を夜の繁華街へ送迎。などなどなど。
得度してるやつは五万と居るから。
得度=仕事にはならない。
21 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/24(水) 18:32:28
>>20 とりあえず仕事は何でもいいので、食えればいいです。
場所も地方の田舎でもいいです。
真宗はやっぱり得度した方の絶対数が多すぎますかね・・・
宗派にこだわりは特に無いので、
他宗派で割合、兼業なしでもやっていけそうな宗派ってありますか?
お経よめなくても得度できるの寺の子は
だからみんな9歳のこどものうちにやる。
真宗は檀家も熱心なの多いから得度する人も多い
絶対数は多い。
23 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/24(水) 19:40:34
浄土宗と真宗はどこがどう違うんですか?
御開山がちがう
ほうねんさんとしんらんさん
25 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/24(水) 19:59:16
素人でも聞いたら入信したくなるような説明でお願いします。
26 :
21:2010/11/24(水) 20:08:41
>>22 >得度できるの寺の子はみんな9歳のこどものうちにやる。
>真宗は檀家も熱心なの多いから得度する人も多い
やっぱり真宗で坊主だけで食べていくのは現実的ではないですね
ご回答どうもありがとうございました
27 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/24(水) 22:30:38
「真」が有るのが浄土真宗
「真」が無いのが浄土宗
「ギリギリ仏教」なのが浄土宗
「もはや仏教とはよべない」のが浄土真宗
29 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/25(木) 00:53:44
>>28 わーーい、ソレが知りたいな。
「もはや仏教とはよべない」点をkwskね。
>>17 17サン、何の為に得度=真宗としての在家僧になられるのですか?
生活の為という目的こそ・・・なら、別段得度をされなくても
よいかと感じます。得度し、真宗僧になれば、利点もあれば、損も
(教団を支える義務等)が発生します。
メリット・デメリット両方が有りますので、お考えの上で判断を。
場合によっては「門徒」のままでも良いかも知れません。
例え「僧侶」として収入を得ながらの生活が出来なくとも、聞法者
であり教化者の自覚を忘れない生き方を心掛けるのが「真宗僧」の
姿だろうかと存じます。
31 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/25(木) 00:55:31
真宗で食う食わないという問題じゃなくて変な学問教えられるらやめた方がいいぞ
>>17 もし、「食っていければ」とのお考えが深いなら・・・
得度⇒教師⇒特別法務員資格&布教使資格 というように専門職で
資格と実績を取り、積めば・・・僧専業で生活をしていけるかと存じ
ます。どちらかのご寺院や本山、別院等に勤める事も可でしょう。
勿論、下積み年数はその分掛かりますが。
33 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/25(木) 01:03:55
求道も無いのに聴聞したら全て許されるという「聴聞ぼこり」がはびこっています。
過程のはずの聴聞が目的になってしまっています。
34 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/25(木) 01:06:15
>>24 浄土真宗を開いたのがほうねんさんですね。
しんらんさんは?浄土宗は?
そもそも「真宗で食う食わない」ってのが、変な話で。
宗教を「飯の種」に考えていくと・・・はっきり言って「バカらしく」
なります。あるいは「辛く」なりますね。
確かに真宗教学の現状に「変な方向性」も・・確かに一部感じます。
真宗の教学をやるか・・やらないかは自己で決め、判断することですね。
そして、どの点に問題を感じるかも自己判断が必要でしょう。
>>33 33レスさん、こんばんは。よければ少しだけお付き合いのほど。
>求道も無いの
真宗お西で感じる上では、求道は無いかと。
道を求めるとするなら真宗(特に西では)・・・ツマラナイ教えか頼りない教え
に感じるでしょうね。
むしろ天台法華や真言密、禅の只管打坐の方が「求める境地」そのもの
だろうと。
>過程のはずの聴聞が目的になってしまっている
聴聞が過程との事なれば、目的は?
しかし、西から見る真宗では求めるのではなく、弥陀の法から教えられ
照らされ示される「我」に出会い、また弥陀に導かれていくのかと。
真宗(西)なれば「道」は示され、進めさせられていくものかと。
「全て許される」か「許されない」かは知りません。私が決めることに
非ず、弥陀のお決め下さっておる事ゆえ。
聴聞すら他力の妙味なのでしょう。真宗は本願他力ただ一つですので
大切な事はただただ「法を聞くしかない(聞かせてられていた)」のだろうと。
「仏法は聴聞に極まれり」の言葉通りかと。
>34
歴史の教科書でも目の前の便利な箱でも見ればわかるけど?
ばか?
>>32 もし、「食っていければ」とのお考えが深いなら・・・
得度⇒教師⇒特別法務員資格&布教使資格 というように専門職で
資格と実績を取り、積めば・・・僧専業で生活をしていけるかと存じ
ます。どちらかのご寺院や本山、別院等に勤める事も可でしょう。
勿論、下積み年数はその分掛かりますが。
うそつけ、真宗系の大学もでないで
○○寺の候補衆徒というバックも無く
ご本山、別院で奉職してるやつなんてシランが?
だいたい
>>17は僧侶で食べていけるのなら
「宗教はなんでもかまいません」
だって。おかしいだろうが
>>17 「宗教はなんでもかまいません」
そうでしたか、見落としていました。確かに敷居の低い(低そうな)
ように見えてしまう真宗でしょうから。
まあ結局は「何の為にそうするのか」が肝要でしょう。
40 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/25(木) 12:34:50
>>37 しんらんさまは和讃の中で
「浄土真宗を開いたのは源空上人」とおっしゃていますが
それがどうかしましたか?
「他人が馬鹿と思っていたが実は自分が馬鹿だった」
長い人生、そういったことはよくあるもんですよ。
教科書が嘘つきか、真宗教団が嘘つきか、親鸞が嘘つきか、さてどれでしょう?
ズバリ、親鸞が嘘つきです!!
師である法然の教えを逸脱しまくった教義を立てておいて、
「浄土真宗は自分のオリジナルじゃありません!法然聖人から承りました!」って。
だから親鸞が「浄土真宗を開いたのは法然聖人」って言っても、それは信じちゃだめなんだよ。
客観的に見れば「お前が開いたんだろうが!」って話だから。
42 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/25(木) 18:27:35
>>41 逸脱しまくった教義を立てておいて
根拠は?
43 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/25(木) 21:25:24
>>41 >師である法然の教えを逸脱しまくった教義を立てておいて、
では、逸脱しているとお感じになる事や事例は?・・・因みに貴方が
浄土宗徒では無いことを祈り・・・じゃなく念願します。
教行信証を読んでみるとイイよ。法然の選択本願念仏集には書いてないことがてんこ盛りで書いてある。
>40
あんたの言う和讃は
「智慧光のちからより 本師源空あらはれて 浄土真宗をひらきつつ 選択本願のべたまふ」
これね?
ここにでてくる浄土真宗っていうのは今の解釈の
宗派としての浄土真宗ではないんじゃないの?
どこぞの新興宗教の教祖のように「俺がこれから○○教つくるから!よろしくね」ってことじゃないだろ?
ここでいう浄土真宗っていうのは「阿弥陀さまがご苦労されて選ばれた本願念仏の道」そのことを教えてくれたのが法然坊源空。
浄土真宗としてかくりつしたのは覚如上人じゃないの?
今日のレスの流れとしては、法然さんと親鸞さんの理解の違いとか、
浄土真宗での違い・・・という方向性の議論になっているって理解でいいかな
結局、法然さんの理解(教義)からずれて無い「そのまんま」の宗や団体ってあるの?
ごめん、法然上人のことも浄土宗のこともあんまり知らないから
つっこまれると困るんだわw
>>浄土真宗としてかくりつしたのは覚如上人じゃないの?
覚如さんとなれば、東西本願寺の派だろうと。
覚如さんだと高田派では該当せずです。つまり親鸞様以降の各代表が
個々に真宗(浄土真宗)を確立化したってことでは。
>48
高田派あったねw
いやいや血脈の法統はお守りせねば
>>49 そよー 血統的な血脈の覚如さんと真仏血脈の二つに分かれる
そこに、ちこーと横曽根の性信さんの木辺縁もあったりする。
51 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/25(木) 23:06:48
ちなみに、教団として「浄土真宗・〜派」と名乗っているのはお西だけ。
お東も高田派も他は「真宗・〜派」と名乗る。
お西にはわざわざ「浄土」と付けて誇示せざるを得ないような
何か後ろめたいことがあるんだろうか。
なににしろ今のお西の学問体系では全くダメなわけだが。
まぁ、法脈の無い血統相続だからな。
>>51
浄土真宗東本願寺派
わすれないでね♪
>>51 >なににしろ今のお西の学問体系では全くダメなわけだが。
どういうこと?
大学は大谷<<<<<<<龍谷だよ
ねえねえ、「学問体系がしっかりと確立された」グループってどこ?
真仏高田さん?・・・渋谷の仏光寺さん?
ま・さ・か・・・S鸞会とか?
いやいや、イレギュラーな存在の北本願寺とか?
そんなにハンデあんの?
「大学は大谷<<<<<<<龍谷だよ」
知り合いが大谷OBなので・・・差が有りすぎっす
勉強たのしいね仏教大学が近くにあったらいいのになぁ
57 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/25(木) 23:24:17
59 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/25(木) 23:41:22
親鸞と今の教団には解釈の違いがあることは確かだろ。
60 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/25(木) 23:43:31
娑婆の縁切れて〜かの土へ云々
>>59 >親鸞と今の教団には解釈の違いがあることは確かだろ。
だな。
63 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/25(木) 23:47:58
>>55 龍谷が大谷より高いといっても
宗教の学部だけで比較したら変わらないんじゃないのか?
経済・経営・法・理工なんてろくに宗教の勉強も無いだろ。
これこそ偏差値ロンダリングだぜ、
>>59 >親鸞と今の教団には解釈の違いがあることは確かだろ。
法然と今の教団〜〜でも当てはまるような。
日蓮と今の教団〜〜でもな。
65 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/25(木) 23:52:17
66 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/25(木) 23:56:59
>>64 真宗僧侶は敗色濃厚になると「他の宗派も〜」とか言い出すんだよな。
その話術は教育カリキュラムの一環ですか?
先生「いいですか、みなさん。
組織の弱みを突かれたら『他の宗派も〜でしょう』と言い返すんですよ。
解りましたか?」
生徒「ハイ、わかりました!」
娑婆の縁切れてっつたら、やっぱ死後とか命終後としか思えんのだが。
>>66 うん? そんな意味や思いで言ったんじゃないんだが。
「敗色濃厚」・・別にそんな事どうでもいいよ。敗色決定だろうが
真宗僧侶だろうが・・別に関係ない。
大事なのは「俺の言う事が正しい」じゃなく「信を頂く事」だが。
後生の一大事解決出来るかどうかでもあるし。
「俺の言う事」が間違っているなら、理路整然と糺してくれればいいし。
69 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/26(金) 00:07:56
>>67 君の思う娑婆の縁は、正しい意味での娑婆の縁、ではないと思うよ、絶対。
それは今の教学では説明できないかもね。
70 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/26(金) 00:09:26
>>68 次の一手は「話を広げる」んだ。
よく教育されているねw
71 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/26(金) 00:11:35
>>69 「娑婆の縁」の理解が違う・・・とわ・・・・となると、
「娑婆の縁」とはどういう意味でしょうか?教えて下さい。
>>70 君、何がしたい? 私に何を求め、訂正させたいの?
73 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/26(金) 00:14:44
真宗の話題によその話をして真宗の何が解決するんだ?
74 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/26(金) 00:15:30
>よその話
確かにな。別にいらない文章でしたね。
いや、言ったのはそれだけ祖師の御言葉を忠実にするというのは
難しいと思ったので。真宗に限らず。
「親鸞と今の教団には解釈の違いがある」と思うので。
>近くにいる先生に聞きなさい。
おk! やってみる。
でも一意見としてでも簡易にご指導頂きたく存じます(`´)>
77 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/26(金) 00:23:03
>>75 そうでしたか、ごめんなさい。
昔からよく見る論法でしたので、またか、と思い。
>>75 >「親鸞と今の教団には解釈の違いがある」と思うので。
さっきからなにかとこの文句を使ってるけど
なに?具体的に言ってくれない?
何に対しての解釈の違い?
教行信証について?
79 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/26(金) 00:27:56
>>76 いきなり答えを与えることはしないけれども、
何を指して娑婆と言うのか・娑婆世界の存在場所、
これくらいを考えてみたらいいんじゃないかな。
「縁」についても調べてみるといいんじゃないかな。
80 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/26(金) 00:31:26
「親鸞と今の教団には解釈の違いがある」
改めて言われると大した事はいえないのですが、
いや
>>40と
>>45ほどではなく、組織感などない親鸞さまの頃と
教団として組織確立された現状の差っていうことぐらい。
上下や階級差です。
檀家制度の中で大きくなった本山とか?
「弟子一人ももたず候」・・・御同行なんでしょうが、現実はそうでもない。
檀家制度で特に変わってしまったように思えます。
また安易な安定の檀家自動入会制は、親鸞さんの真宗にはそぐわなかった
のかと。院号や先祖供養の方向性とか。寺生まれが寺を「ただ」継ぐとか。
サークルみたいな感じでやっておればよかったのよ。
私以外にお二人(それ以上かも)の方の意見を拝聴出来たので私としては有意義
二度と無い「一期一会」のひと時でした、感謝・・・・では休みます。
サークル活動だったら今の世に残らなかったよね。
守る人、受け継ぐ人がいたからここまで大きくなれた。
唯円が親鸞聖人のおそばにいたからこそ「歎異抄」がうまれた(一説として)
大きくなると当時でも権力やお金に目がくらむような困ったさんは出てくるけど
蓮如上人のようにせっせと御文を書いてくれるおかみが存在して
それをまとめて残してくれた人々もいた。
これは真宗門徒という個人だったら到底無理だった。
各家を檀家としてサポーターにし、それこそ産まれたときから
お念仏のある暮らしのなかで育つ。それが檀家制度のいちばんの強みだと思う。
一通り読みました。
このスレにいるのは浄土真宗に興味のある人、檀家、学生様々でしょう。
真宗十派のどこにおる方なのか興味わきました。
もしよろしければ、文末に「お東」とか「お西」とか「高田」とか「仏光寺」など
書いていただけると面白い。
個人的感想です。
>>69 >君の思う娑婆の縁は、正しい意味での娑婆の縁、ではないと思うよ、
「娑婆の縁」調べてみたが、娑婆は忍土でもあるこの世界で、縁は
その娑婆を生きていける働きや助け・・或いは寿命だと思うのですが・・・
違いますか?
89 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/26(金) 20:01:04
死ねばみんな成仏します
90 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/26(金) 20:05:04
死ねばみんな成仏します........だといいな〜
でも中には 成仏なんかしたくねっっっ て人もいるんじゃ。
そういうの他でもきいたことがある
例えばキリスト教徒の子と仏教(真宗)徒の親がいて
子に不幸があったときに親は真宗のお坊さんを呼んで葬儀をあげた。
キリスト教徒の子は神様のもとへ行きたかっただろう。
が坊さんの念仏と親の南無阿弥陀仏によってお釈迦様のもとへ
まちがったお釈迦様のもとじゃなくて
阿弥陀如来のもとへ
93 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/26(金) 20:46:31
織田信長も顕如も比叡の僧兵も倶会一処に生まれて仲良くやっているのだろうか?
仏になるってことは
人とは違うから
恨みや憎しみや嫉妬
そんなものはないんだよ。
そう教わった
95 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/26(金) 20:59:58
じゃあみんな仲良くやっているんだな。
あっちでみんななかよくワイワイって感じとは違う。
それぞれ、残してきた人や子孫の事を思うし
残された方も南無阿弥陀仏で呼ぶから
自分と縁のあった人たちを気にかけてるんじゃない?
これは勝手な想像。
97 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/26(金) 21:38:16
>>96 残された方も南無阿弥陀仏で呼ぶから
イタコかよw
98 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/26(金) 22:18:17
真宗の教えではみんな阿弥陀如来になるはずでは・・・?
100 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/27(土) 00:45:55
>>99 やめとけ。
阿弥陀如来の説明もできない真宗にそんな質問するな。
阿弥陀如来 は 弥陀如来 の単数形
阿弥陀如来になれるってさー違うんじゃない?
まだお浄土に行った事ないけどさ
お浄土にいって阿弥陀さまの佛弟子になるんじゃない?
103 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/27(土) 16:40:12
>>101 ん?
違うんじゃない
「アミータ」は「無量」「計り知れない」ということだから
「ア」が「無」で、「ミータ」が「量」でしょ
だから否定の「ア」が脱落すると肯定になる
つまり「弥陀」とは「計り知れる」ということ
キャハハ
104 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/27(土) 17:23:03
何が量り知れないの?
量る対象を否定するんだからその対象を教えてよ。
105 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/27(土) 18:14:59
>>104 「仏の功徳」じゃないの
阿弥陀様は「仏の功徳」が量り知れないほど多いってこと
弥陀様となると「仏の功徳」が量れる程度の数しかないってこと
106 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/27(土) 20:32:58
「仏」って何かな?
107 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/27(土) 21:24:18
仏とはbuddha、ブッダ、仏陀・・・目覚めた者、悟った者・・だと聞いています。
また一つの意味で仏は如来でもあり、如来とは「如去如来」真如から来るもの、
真如へと去っていくものの意を持ちます。
阿弥陀仏の計り知れない事の一つには「寿命の果てが無い無量寿」だと聞いて
おります。仏とそのはたらきがいつまでも終わる事が無いということかと。
>>「弥陀」とは「計り知れる」ということ
そうですか、有り得なくもない気がするので調べてみます。アミダじゃない
と否定形になるなら、阿弥陀と言った方がいいですね。
仏願の生起本末を聞く・・聞法。
108 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/27(土) 21:50:54
単に母音の脱落だから
阿弥陀様も「弥陀」でいいんじゃない?
たとえば「アメリカン」も「メリケン」って言うでしょ
最初の母音は省略されやすいんだよ
109 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/27(土) 21:57:16
110 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/27(土) 22:14:45
109さん、はたらきとは阿弥陀仏の本願力のことです・・・と聞いています。
摂い取り決して(不)捨てぬ姿もハタラキだと思いますし、私に南無阿弥陀仏と
響き届く事も更に私が南無阿弥陀仏とお称えする様もハタラキと存じまず。
信を得、残された人生を慶びと力強さとかたじけなさ(ザンギ)となって生きて
いけるのもハタラキかと。また間違いなく往生し、還相して世の人々に尽くす
と確信させて頂ける事もハタラキかと
・・・・と言うと、ほぼ理解出来なく聞こえますか?
理解出来る、などと思う心に計らいが混じる。
そのままのお働きにタノムのが真宗。
雪は手にとってみるのではなく
降らせた雪をそのまま自分のものとして見るのだ。
112 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/28(日) 00:43:05
>>111 確かに、確かに。
理解するは阿弥陀の本願を値踏みする「弘誓の網」のような疑い、不安
でありますね。
「そのまま、そのまま、仰せのままに」と聞いていくしかないと。
天台宗で祀ってある阿弥陀様と真宗の阿弥陀様の違いは何でしょうか
114 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/28(日) 13:19:35
まったくおんなじです。無料儒教に出てくる神様です。
天台宗の阿弥陀様は
自力修行に励んだ人を救うため
座して待っていておられる仏であるが
真宗の阿弥陀様は
自力では救われることがない人を救うため
常に立っておられていて自ら歩み寄ってこられる仏である
116 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/28(日) 17:47:36
117 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/28(日) 20:24:00
118 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/28(日) 20:28:21
気持ちが浄土に行ったり戻ったりするんですよ
疑問があるなら自分で調べてみてからここにこいよ。
言葉尻捕まえてコレは何?アレは何?っておちょくってんの?
120 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/28(日) 21:57:59
何が本願か何が他力かもわからんくせに偉そうなこと言うなよ。
所詮2000年前のフィクション作家の物語をマジで信じているレベル。
二千年前のフィクション作家?wなに??
122 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/28(日) 22:10:31
>>119 お?怒ったか。
頭に血が昇った今が勉強の絶好のタイミングだぞ。
日頃は血が通ってなくて覚えが悪いからな。
あれ何?これ何聞いてるのは
すべてを理解した上でここでじゃあこれは?なに?って聞いてる訳?
なんでそんな面倒くさい事してんの?
てめえが分かってんならいいじゃねーか
124 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/28(日) 22:30:09
その作家は何を根拠に本願とか他力と言う表現をしたのだろうか。
何の根拠も無い物語は頭に血が通っていない人のためにあるんですね。
どうでもいいけど
親鸞聖人や御歴代を馬鹿にしたり字面だけで議論しようとしているのが気に喰わない。
自分の信心やお敬いの心を試されたり、馬鹿にされたりするのは誰だって嫌だろう。
信心がしっかりしたものならバカにされても気にならん
真宗で看板出してやってりゃ正宗系の連中が絡んでくるのは日常のうち
わかんないから、教えて、わかるように教えろって言う人いるけど
簡単に「これはこうで、こうなる・・だから仏法はすばらしい」と
一言、聞いて直に理解出来るなら、誰も苦労はしない。
何百回でも何千回でも何年でも何十年でもひたすら色々な機会で法
を聞くしかない。浄土真宗って「法を聞く」事が唯一の行じゃないかと思う
128 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/28(日) 23:47:51
瞑想をしないってことはお釈迦様とは関係ない宗教だよね?
129 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/28(日) 23:54:53
>>125 本願を「本願」としか読み切れないやつが悪いのであって
親鸞さんは読み切っているので素晴らしいですよ。
>>120 >所詮2000年前のフィクション作家の物語をマジで信じているレベル。
シンジラレナ〜イっていうんなら、それでもいいんじゃない。創価のように地獄
に行くとか不幸になるとか脅迫しないし。
「2000年前のフィクション作家の物語」ってしか思えないなら、それでいい
でしょ。カビの生えた空想に2000年以上もかけて莫大な数字の人間が本気で
信じてきたとなりますね。
そこに聞いてうなずける真実があるから、続いてきたのでしょ。
他力ですから瞑想・・・自らの心に仏を見出す行はしないですよ。いや出来ない
ですよ。他力ですから瞑想より法を聞き諭されるって感じじゃないかと。
132 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 00:03:56
いいと思うんだよ、他力。親鸞さんの思想は迫力があるし洗練されてる。
でもお釈迦様の教えからは出てこない別のオリジナル宗教だと思うんだ。
心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、こころえたるなり。
[蓮如上人一代記聞書]
>>132 >お釈迦様の教えからは出てこない別のオリジナル宗教だと思うんだ。
132さん、一つ質問していい?
確かな「お釈迦様の教え」って、何&どこまでだとお感じ?
135 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 00:09:22
>>134 苦集滅道、八正道につきるのではないかな。
欲少なく規律正しく生活し、瞑想し、自我の飾りをそぎ落とすこと。
136 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 00:16:30
>>130 仏の信を差し置いて人間の信を誇るとはこれいかに。
137 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 00:21:29
ほとんどの人間の、無量寿経を信じるという行為は
「思い込み」
ですよ。
それが人間の信というものです。
138 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 00:23:34
135ですがね、お釈迦様のやり方は人間にはできるのだろうか?という疑問がある。
それを突き詰めていくと、親鸞さんの絶対他力ということになっていくのかなあ、と。
139 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 00:26:56
>>133 ほとんどの人間は「無量寿経が正しい」と心得ていますね。
140 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 00:28:15
なんだ?絶対他力って。相対他力というのもあるのか?
141 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 00:28:59
蓮如さんっていう人は、禅の坊さんのような気取ったことを言う
「如是我聞、一時仏在・・・・」
大無量寿経など浄土三部経もお釈迦さまが説いておられるのぞ。
一切経はお釈迦さまが説いておられる。
そういう前提のうえでの三部経だ。
143 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 00:33:22
絶対他力・相対他力があるなら
絶対自力・相対自力があってもいいはず。
お聖教を探してみようか。
無かったら御法義曲解の罪に問われるぜ。
144 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 00:39:51
>>118 気持ちが移動するとは初めて聞いた。
どれくらいの距離を移動するの?
気持ちというのは霊魂のことか。
145 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 00:54:57
>>137 そうなれば、結局何が「信ずる価値」が有るのか?
いや、逆に何も信じず生きるやつがいるなら・・・それはそれで
すごいな。
しかし信ずる・・・おっと信を頂く意味がありますよ。
釈迦=弥陀ですか?
釈迦=弥陀でないね
釈迦のお勧め⇒弥陀ですな
釈迦=弥陀でもいいんじゃね
みな真如からきたる方便法身なんだし。
149 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 20:13:01
三位一体ですね
150 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 20:17:28
>>145 おまえ、如来の信心と衆生の信心の性質を区別できていないだろ
151 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 21:58:31
>>150 いや、無量寿経なんて空想!!と仰る方への一般的な感覚で語っただけで
如来から回向される信と衆生が作り上げる信とはそもそも違うとは思っ
ています。
その辺は二種深信となるのかな?
152 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 23:21:52
如来の信が起こる時、衆生の信はどこに存在するの?
衆生の信が起こる時、如来の信はどこに存在するの?
153 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 23:43:05
如来の信も衆生の信も三世実有ですか?
154 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 23:48:42
宗教だからね。大経が真実の教というのは親鸞さんにとって真実だというわけよ。
日蓮だったら法華経が真実だろうしね。あくまでも親鸞さんにとって無量寿経が真実なわけだよ。
理由は簡単でその経の説くところの救いの対象に自分が入っているからだよ。
いくらりっぱな、すごい教えでも自分がその教えの救いから漏れていたんじゃ話にならない。
155 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 23:52:13
大経に説く阿弥陀の救いの対象は十方衆生だろ。そのなかでも18願は
罪悪深く重い、戒のできない凡夫を救うというわけだから、これだと自分も
なんとか救いの中にありそうだとおもうぜ。
156 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 23:57:17
また、そのような者を救うとなると仏も投げ出したくなるな。私には到底救えないとなる。
少しでも仏の方に歩いてきてくれるといいんだけど、背中を向けて逃げてる人間を救おうとしてるわけだからね。
このようなときは仏の大将というか最もすぐれた仏が出てきてその力でないと無理だな。
相撲で言えば横綱の仏というわけよ。だから阿弥陀が出てきたわけだよ。
157 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/29(月) 23:58:03
>>154 ↑
なんというレベルの低い思考なんだ。
158 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/30(火) 00:10:58
仏も投げ出すとか仏の大将とか横綱の仏とか・・・
何なんだよ一体、何があったんだw
159 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/30(火) 00:24:46
63連勝の仏
160 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/30(火) 00:40:27
全知全能の仏・阿弥陀如来
村一番の阿弥陀様
夜王・阿弥陀
暴君とか三冠王とか龍大主席とか宇宙の創造者とか大魔神とか何でもありだな。
法身の大日
応身の釈迦牟尼
報身の阿弥陀
・・・・という考えがあるらしい
ちなみに日蓮思想なら法身の南無妙法蓮華経で
報身は・・・飛ばして・・・応身は前は釈迦、今は日蓮・・・だそうだ。
164 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/30(火) 13:13:01
拝もうが頼もうが地獄行きの人間は地獄に行く
165 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/30(火) 16:11:54
>>164 日蓮宗ではそうかもしれんが
浄土真宗では皆、肉体の死滅で浄土に行く。
現世の行いは全く関係なし。
それが摂取不捨の教え。
166 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/30(火) 20:13:27
>>164 >拝もうが頼もうが地獄行きの人間は地獄に行く
君も僕も所詮は「地獄行き」確定の身。〜地獄は一定すみかぞかし〜
167 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/30(火) 20:16:03
みんな地獄行きだぜ。いきなり成仏できるほど煩悩をそぎ落とした人間なんてほとんどいない。
168 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/30(火) 20:27:11
地獄行き必定の世の衆生を・・この身を、大悲されて五劫思惟し、
兆載永劫と衆生の為に修行され「南無阿弥陀仏」になられたのだから・・・
差し支えなし、注文なし・・・お差し支えなし、ご注文なし・・のなもあみだぶつ
一切衆生必堕無間ってやつですか
なもあみゆうやつ西
>169
そっ。
落ちる衆生を落とす訳にはいかんと誓願された仏に出遇えたのじゃ。
172 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/11/30(火) 22:38:10
>>167 だから肉体の死滅で煩悩が無くなって浄土に行くという
短絡的な発想が起こる。
単に肉体の死滅で浄土往生できるんなら阿弥陀仏は関係ないことになってしまうな。
絶対他力と言うからには肉体の死滅後に往生できるか否かは阿弥陀仏のおはからい次第。
174 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 01:12:41
単に肉体の死滅で浄土往生できるんならこの世に生きてる意味ないじゃん
そんなことなら自殺するのが一番てっとり早く幸せになれるじゃねえかよ
戦争で先頭切っていけいけどんどんやったのもそういうことか
175 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 01:20:16
蓮如もそうだよ
死んだら浄土往生だとかいって民衆をあおって戦国大名もどきの権力を誇って
生きてる間に修行して少しでも仏に近づかないと
仏教を名乗るならゴーダマの教えを無視するな
>>生きてる間に修行して少しでも仏に近づかないと
たやすく出来もしないことを簡単に言える君はすごいよ。少なくとも
君と僕は修行も出来ない事を自覚していないし、このまま仏位にすら
到底近づけないことを自覚しないと。
177 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 15:39:32
>>173 阿弥陀様のおはからいで浄土に行くと「思え」ば、現実的に死後に浄土に行くってことだよね。
思わない人は現実的に行かないわけだね。
死後のことなんか誰が確かめるんだろう。
いい加減な教えだね。
178 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 16:58:53
阿弥陀様のお陰様だから
阿弥陀様にお願いすれば何でも叶うというのが正しい教えです
南無阿弥陀仏と称えれば誰でもお金持ちになれるし豪遊できるし酒池肉林できる
これが幸せの法則です
179 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 17:05:03
>>178 南無阿弥陀仏と称えれば誰でもお金持ちになれるし豪遊できるし酒池肉林できる
注)個人の感想・経験であり、効果・効能を保証するものではありません。
>>177 >死後のことなんか誰が確かめるんだろう。いい加減な教えだね。
一々反論したくなる性分ゆえ、許してくれ。なんせ真宗Loveなんでw
死後の事は「そうなった者にしか分らん」・・・君も僕もね。
無いかも知れないし、有るかも知れないし、有ったとしてもどうなのか分らん。
はっきりしている事は「分らん・・・けれど、どうなのか大変気になる」
じゃなかかのう。故に苦悩す。
分らんもんは分らん。気にしてもしかたなか、精一杯今を生き切れろう・・
なら、それでもよかばってん・・・・そうもいかんのが人間たい。
その先の見えぬ苦悩に確かな答え=終止符を打って下されたのが阿弥陀さんたい。
その阿弥陀さんに「お任せ」して、阿弥陀さんと共に精一杯この人生を生き切ら
せて頂くだけたい。
阿弥陀も他力も法然親鸞も真宗も信じられんもんは、それでよかこつじゃなかかね。
どうか自我の強さで生き抜いてくれ。
>>178 >阿弥陀様にお願いすれば何でも叶うというのが正しい教えです
その通り!!................異安心ですな。
煩悩のアリ地獄、無明のマイナススパイラルということか。
阿弥陀の願いのままにならず、阿弥陀の願いをぶっこむのは親鸞氏の理解
でも真宗でもないね。
しかし法然親鸞両氏の理解や真宗から離れて考えれば、それも有り。
しつこく、反論する吾も我執なのかもな。そんな愚行を大目にみてくれぬかの。
>>179 >南無阿弥陀仏と称えれば誰でもお金持ちになれるし豪遊できるし
>酒池肉林できる
法然氏親鸞氏の勧めた南無阿弥陀仏だと・・・そうなると阿弥陀浄土は、
ツマランとこになるでしょうな。
むしろ他者の為に身を粉にして尽くす世界・・・と法説から聞くので。
楽をする世界ではなく、我を気にせず他に尽くしていくらしいよ。
完全利他。
183 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 17:40:38
>>180 リストラされてもいじめられても自分や家族が不幸な目にあっても
それはそれで仕方ない、ということか。
信心いただいたらそれでも精一杯生きられるのか、すげーな。
184 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 20:04:25
釈尊は毒矢の喩えで、死後のことを考えてる暇はねえべ、と言うとります。
親鸞聖人は、死後があったからといって自力ではどうせ地獄行きの身、
阿弥陀仏を頼んでおいて浄土にいけたら儲けもの、というとります。
185 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 20:36:39
>>180くらいに強く思い込んだらそれこそ肉体の死滅で浄土往生だろう。
186 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 22:16:28
浄土往生は・・・私が「お聞かせ」の中では、命終後と聞き理解しています。
但し、その浄土往生の「確かさ」にて精一杯生き切れる事「現生正定聚」と
聞き理解している。
決して、死んだ後になってしか「幸せ」がないよ・・・では無いと。
187 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 22:26:59
>>183 人生は無常です。無我です。皆苦の種にいつでも成りえる事ばかりです。
「何事もなく平穏無事に=幸せ」のままで行く事はほぼ無いでしょう。
常に何か「思わぬ不測の事態が起きうる」毎日の人生です。
>>リストラされてもいじめられても自分や家族が不幸な目にあっても....
リストラも大いにあり得るし、いじめも事故、病気、災害等、有りえて
大いに当然・・・・逆に何の今の私にはまだ起きていない・・これは不思議
と・・・危機管理というか事前に準備しておける。
>>それはそれで仕方ない、ということか。
有る意味「仕方なし=有りえて当然」であり、違う面で「すべき事を
するのみ=仏法を要として生活していく」
188 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 22:33:14
187の続きで
転悪成善(悪を転じて善と成す)
いわば「不幸」となることも「経験と成長=お育て」とし、苦難から
学ばせて頂ける、共に阿弥陀仏と生きている想い。
人生の様々な出来事は、来るべき時には来る、避けようとしても来る
その出来事を「苦・悩み」とするのはその人次第。故に釈迦は
「第一の矢は避けられませんが、お第二の矢は受けません」という通り。
189 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 22:36:50
救われると信じることができれば幸せというだけのことじゃないのかな。
190 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 22:44:50
>>188 なんか宗教全般にそうだけど、イジメられるのは業だとか、修行の場だとか、
来世には救われるだとか、強者が弱者を抑圧するために使われかねない思想だと思う。
天災のようなものは仕方ないけど、他人に苦しめられるようなことには
諦めず抵抗するべきだと思う。
191 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 22:52:21
>人生は無常です。無我です。皆苦の種にいつでも成りえる事ばかりです。
それなら30億円以上補助金貰って本願寺の修理するのはやめようぜ。
本願寺の伽藍が朽ち果てるよりも困っている人を助けた方がいい。
192 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 22:58:02
順調にレスしてくれていますね、お相手有難う。
>>189 少し真宗から話を離れて・・何も信じないっと言い切れる人間は果たしてこの世
にいるのかな?
宗教を信じなくても、社会を信じる。社会が信じられなくても、家族親友を信じる
大事な愛を信じる。人も愛も信じられなくても・・・自分を信じる。
以上のものも何も信じない・・・と言い切れる人がいるなら、是非話を聞いてみたい。
・・・多分、生きれんな。
193 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 23:09:43
>>191 >それなら30億円以上補助金貰って本願寺の修理するのはやめようぜ。
>本願寺の伽藍が朽ち果てるよりも困っている人を助けた方がいい。
確かに、確かに その通りw よいぞよいぞw
絢爛豪華立派な伽藍に眉をひそめた親鸞さんに蓮如さんだからなあ
本願寺が立派なのと、教えが人の本当の救いとし勧める情熱と反比例なのが
現実ですな。
本願寺の修理は貴重な文化財なので、アレで食えている(関係者じゃなく)観光
や仏具などのがいるので例え国や府へ寄付しても公で30億円以上かけて修理し
たろう。
確かに私も立派なお堂など要らないし、二祖はそれを喜ばないと考える。
むしろ修理や大法要への費用寄付を募らんでいいと思うが・・・それを仕事に
したい「その関係者」が大勢いるので・・・困る。
194 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 23:34:14
>イジメられるのは業だとか、
業とは言わない・・・と。業じゃない。
>修行の場だとか、
有る意味修行の場(真宗では修行は本当は無いが)信を得る為の聞法の日々
この世は修行の場と仮住まい。「世間虚仮 唯仏是真」
と感じております。
195 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/01(水) 23:56:19
>来世には救われるだとか、
来世の救いも有るが、今世の救いもあるかと感じております。
救いがどういう内容かも問題。その本人自身の幸福のみで終わるかどうか。
どういう幸福の質かも有る。
>強者が弱者を抑圧するために使われかねない思想だと思う。
残念ですが、そういう悪用のされ方も出来てしまう。本来ではないが。
むしろ強者と弱者という差を存在させない世界こそ目標になるのだが。
>天災のようなものは仕方ないけど、他人に苦しめられるようなことには
諦めず抵抗するべきだと思う。
苦しみ、怒り、憎しみ、貪り、真実否定・・・と凝り固まった我を知る事
我を苦しめる他は一体何か、我は他へ苦しみを与えていないか
諦めとは「投げ出す絶望や無意味」の意味ではなく、真実をあきらかに知る
意味。我へ内省と他へ共感と慈悲と諭。
どなたか存じませんが対話の主189、190両氏 お付き合い有難う。
196 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/02(木) 11:49:22
霊魂も死後の世界も認めないのに
肉体の死滅で浄土往生とはこれいかに。
197 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/02(木) 14:20:08
貧困層馬鹿にしないで 虫けらをみるような目でみないで
198 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/02(木) 14:20:27
葬式の説教で「霊魂はありません。他の宗派の仏教は迷信です。お経は死んだ人間にあげているのではありません」。
遺族ドン引き
199 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/02(木) 14:35:48
う〜ん ここの宗教の寺ってあまり善い人いないんかな
200 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/02(木) 14:42:37
日本人は家の宗派を変えることが自由だってことを知らない。
自由だってわかれば、大抵の家は故人の供養をしない宗派は脱退するだろうよ。
葬式法事の値段は良心的なほうだからとどまってるというのもあるかもしれないが。
201 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/02(木) 17:33:48
阿弥陀様に感謝
ご先祖様に感謝
法界萬霊に感謝
しっかり仏事で供養しましょ〜ね
>>198 >葬式の説教で「霊魂はありません。他の宗派の仏教は迷信です。
お経は死んだ人間にあげているのではありません」。
スゴイな。よくそんな事自信を持って言えるな。他の宗派を学び実践した事が有れば
「私は実際にそう感じました」と言えるだろうが、もし学んでもなく実践も無いなら
思い込んで安易に迷信と言ってはいかんだろう。
>お経は死んだ人間にあげているのではありません
それは確かにそうだが、それを論じるなら「それなりの形」にしないと。
>>199 そうか それはツイてなかったな。いろんな人がいるから月とすっぽんにも
なるだろう。
俺の近くの真宗禿さんはいい人が多いが、派が違うと・・・・。
まあ色々だな さすがは非僧非俗の在家主義だけある。
204 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/02(木) 20:39:05
>>203 叔母がリンパ癌で亡くなったが真宗禿は「故人は浄土に往生されました」と何の根拠も無く
平気な顔で言いやがったからな。マジで殺して浄土に真宗禿も送ってやろうかと思った。
(真宗禿も願ったりだろうしな)
>>204 >故人は浄土に往生されました
なんて言ってほしかったの?
「叔母がリンパ癌で亡くなった」≠「故人は浄土に往生されました」
ではないと思います。
しかし真宗禿が引導を渡して「しっかり送ってあげましたので、間違いなく
浄土往生でしょう」とも言えない。
往生したか否かは本人と阿弥陀の知るところでしょう。他の者からすれば
往生されたなら還相し、既に回向のはたらきをされているので「その苦労を
無にしてはいけない」だろうし、もし逆に「往生していないかも」なら自ら
が他力の信を頂き、往生し仏となりその故人へ回向をもたらさねばならんだ
ろう。或いは自力聖道門の道の方なら、修行を積み成仏後故人を必ず救済する
とされるだろう。
後はその必要性を感じるか否か。
207 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/02(木) 20:49:20
阿弥陀さんじゃねえのに浄土往生を決めていいのか?
208 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/02(木) 21:43:27
非僧なら、俗だと思うが
209 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/02(木) 23:13:43
204−−いやいや悟ってもいないのに悟ってる振りしている真宗以外の宗派よりいいぞ。
この世で悟り仏になれないのに、さもこの世で仏になれるように説く真宗以外の宗派よりいいぞ。
真宗以外は出家の宗教だろ。ところが実際出家してないじゃん。拝観料とって儲かってるし。
210 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/02(木) 23:21:34
出家じゃないよな。出家ってのは鉢と衣だけを所有して乞食しながら野宿するもんだろ。
家族もって金やら財産もって、在家そのもの。しかも在家としてすら仏弟子を名乗れる
ような生活してるか。
211 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/02(木) 23:25:16
天台真言奈良や京都の大寺院なんか本山に女や在家入れ放題だ。しかも拝観料とって。
禅の永平寺もそうだ。法華経なんか出家の菩薩にといたお経なのに在家が関わっても出来るわけ無い。
頭剃って出家僧の格好はしているが子供が何人もいて後を継いでいるのはおかしいだろ。
みんな何処も実体は真宗と同じじゃねえか。でこの世で悟れないで仏になれないで最後の最後に浄土往生を願ったり
また人間界に生まれる事を願ったりの程度だろ。禅宗には浄土がないんだろ。だったらこの世で仏になれなかったら終わりか。
それとも仏になって、仏のいるところすべて浄土世界だとでも言うか。
真言なんか密教という最悪の教えを仏教とかん違いしてしまった。どうしようもないね。
212 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/02(木) 23:29:26
そんな俗物の他宗派の坊主は、真宗坊主のことを出家じゃないから導師になるな、ってなことを言う。
真宗門徒って阿弥陀教原理主義者なの?
214 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/02(木) 23:34:41
>>211 禅宗は、死後の浄土などないという悟りを開いている。だからこそ、現世で酒池肉林の限りを尽くす。
豪華な庭やインテリアの入場料、バカ高い戒名でぼろもうけ。
215 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/02(木) 23:37:10
>>213 いいえ、一般の門徒は日本古来からの祖霊崇拝ですよ。
ちゃんとお盆をやって先祖の霊を迎えますから。
217 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/03(金) 09:04:13
DQN坊主一家がいるんだが、なんとかなんないの?
苦情や要望受付してるとこないですか?
迷惑だからなんとかしたいんですが、、
>>217 >DQN坊主一家がいるんだが、なんとかなんないの?
まずはそのDQNぶりを報告してくれ
運が良ければ、何かの足しなるだろう。
219 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/03(金) 12:56:28
>>218 言いたいけど バレそうだから言えない。
いじめっ子で気に入らない人をとことんいじめる人達です。
自分の願いは、破門してほしい。
220 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/03(金) 13:33:55
迷惑行為は裁判所に訴えればいいんですよ
221 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/03(金) 13:40:43
>>209-
>>211 言い訳はいいからてめえんとこの堕落ぶりを侘びろよ。
おっと、他宗批判は真宗の18番だったなw
222 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/03(金) 14:00:35
>>220 訴えるのは、
あとが恐いから出来ないかな…
宗教内 でなんとかしてほしいのが本音。
苦情 悩み等、ネットや手紙などで募集してたら悩み吐きだせて助かるんだけど、ないかな…
223 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/03(金) 14:43:29
組織内部で組織の問題を解決するのは無理や
>219
まあ、実名・寺名・地域等は伏文字で状況のみ話せば問題ないと
思うよ。
DQNな僧さんもココなんかは見ていないと思うし、見ているなら
遠まわしな讒言にもなるだろうし。
身内同士では断罪と矯正がなかなか出来ないのが坊主の居る慈悲=やさしい
世界です。
信仰を選ぶのも、寺や坊主を選ぶのも・・・自己の自由と責任です。
226 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/03(金) 20:25:25
227 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/03(金) 20:30:21
ま、なんだかんだ言ってもどんな職業、職種、生き方の社会でも
色んな人間がいるんだな これが。
悪いやつもいれば、無害な奴もいるし、熱血屋もいれば、良い奴もいる。
228 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/05(日) 09:23:28
229 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/06(月) 00:29:40
40年くらいしたらゆとり世代が教団運営をするんだろうけれど
御法義も政治活動も一体どうなるんだろうかと心配する毎日です。
>>229 雑行雑修 自力のこころをふりすてて 一心に
涙尿等・愛
御法義も政治活動も一体になります
真俗二諦は?
234 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/06(月) 23:41:07
真俗二帯の問題点を説明してくれ。
昔聞いた時はピンとこなかったんだが。
浄土真宗の真俗二諦
仏法を真諦、王法を俗諦とし、広くいえば成仏道を真諦、世俗生活を俗諦と
よび、この両者の関係について別体説にたって関係を論じたり、真諦より
流出する俗諦として説いたりしてきた。
このような浄土真宗における真俗二諦説のよりどころは親鸞が『教行信証』の
化土巻に『末法灯明記』を引用して,
「それ一如に範衛して以て化を流す者は法王、四海に光宅して、以て風に乗ず
る者は仁王なり。然れば仁王法王互に顕わして物を開し、真諦俗諦たがいに因
りて教を弘む云云 」
と叙べられるものによるであろう。
上記のように親鸞聖人とその真宗でいう真俗二諦の解釈です。
但し仏教他流ではどうなのかというと、この「真俗二諦」の解釈が全く別に
なります。
念仏しながら特攻することだろ
238 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/07(火) 20:48:20
大東亜戦争の「戦死して浄土に行く」をいまだに引っ張ってるな。
239 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/07(火) 23:01:45
中国人の船長も念仏申しながら衝突してきたのだろうか。
12億人が念仏しながら日本に上陸したら歯が立たねえよ。
題目で迎え撃て
241 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/07(火) 23:57:52
題目は結構効くぜ。
腰痛も治るしな。
中国人船長が念仏したかどうかはわからんが、逆に題目はしなかった
とも言えんぞ。熱烈唱題の方が脳内のアドレナリンが増加して大行を
成せるだろう。
題目で病苦痛が治るなら、病院も治療薬も要らぬのでその調子で増え
れば、国民保険料各自負担も下がってくれる。
現世利益での修唱題の方なら、決して薬や病院に行かぬ方が良いかも
知れんな。薬や病院に手を出せば題目利益効果を疑う「迷い」だ。
243 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/08(水) 17:29:22
真宗の念仏はご祈祷に効く
244 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/08(水) 18:54:09
真宗が祈祷するのかよ
245 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/08(水) 19:01:50
題目はアドレナリン、念仏はセロトニン。
バランスよくやりましょう。
246 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/08(水) 19:31:37
光明真言を忘れないで
247 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/08(水) 20:59:19
座禅はアトピー治療に効果があるし、
護摩を焚くと片思いのアノ人から告白されるらしいぜよ。
248 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/08(水) 22:41:46
もはや真宗でもなんでもないなw
そもそも243〜247は真宗ではないわな。
250 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/08(水) 23:26:40
今の真宗教団は親鸞の真宗とは違うわけだが。
251 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/08(水) 23:42:11
親鸞は、祈祷を否定したんだろ
今の真宗教団もそうじゃないの?
252 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/08(水) 23:50:15
祈祷はしていないが自己の功徳をたのむ教えですよ。
253 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/09(木) 00:24:21
親鸞さんは、神祇不拝だったの?
254 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/09(木) 02:58:27
親鸞さんは今の真宗と違って他宗排斥じゃないよ。
今の真宗の始祖は蓮如さん。しかも蓮如さんの教えともまた違う。
なんで定期的に
「親鸞の教えと今の教団は違う」
発言がでてくるんだ?
そのたびにあーでもない、こーでもない始まるんだが
学校でレポートでも書かないといけんのか?
みんな違ってみんないい
何も問題ない
257 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/09(木) 22:06:27
258 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/09(木) 23:19:54
浄土真宗と唯物論は、紙一重だと思うのだけど?
真宗教学って難しいね
易行道でもなんでもない
260 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/09(木) 23:52:09
抹茶アイス食べてたオバマの隣にいた金襴緞子の坊主もどきにはびっくりした
261 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/10(金) 00:43:12
>>258 わかる わかるw
先哲は実の生死を否定して真実を説くのに、
今の教団は実の生死を肯定して肉体や思考が死滅した後に浄土に往生するってことかな?
そうでもしないと門徒から金が集まらないからだろうね。
遺族の気持ちを考えてやっているつもりだろうが、
そんなのは伝道でも皆が救われる教えでもないんだよね。
暗黙の了解で霊魂を認めているんだから安易に他宗を非難できないよw
>>先哲は実の生死を否定して真実を説くのに、
お前さんは真実を知っていそうだな。
そこんとこ小学生にも分かるように説いておくれよ。
263 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/10(金) 12:14:39
>>263 その御法木ってやつを小学生にも分かるように説明してごらん
265 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/10(金) 13:41:28
真宗の十三仏掛け軸と曹洞宗の十三仏掛け軸は何が違うの?
>>261 >先哲は実の生死を否定して真実を説くのに、今の教団は実の生死を肯定して
>肉体や思考が死滅した後に浄土に往生するってことかな?
うん? 大谷派安田教学?・・・往生はこの人生中で。還相も人生中で。
267 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/10(金) 15:04:59
唯識とか中観とかは浄土教と関係ないでしょ
関係ねーわけねえだろ
全部釈迦仏説の大乗教だ
269 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/10(金) 16:34:41
少なくとも今の真宗教団と釈迦とは何の関係もないだろ。
あ、でも看板だけ借りてる恩はあるか。
271 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/10(金) 16:58:49
なにが釈迦だ
自分が釈迦になればいいんだよ
働かないで生きるべし
272 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/10(金) 17:40:36
>>262 ↑
この時点で実の生死しか説いていないことを認めているじゃないかw
なんて間抜けな質問なんだ
273 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/10(金) 17:44:33
日本をニート国にしようぜ
戦争をして外人を奴隷にして
自分らは遊んで暮らすんだ
274 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/10(金) 17:55:01
浄土教は大乗仏教とも関係ない
276 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/10(金) 18:05:48
宗教って楽に暮らす為にあるんだぜ
ニートになろうぜ
戦争して他国民を奴隷すればいいぞ
>>274 大乗は釈尊の存ぜぬ説教である・・・というのと一緒
278 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/10(金) 18:11:49
なにが釈尊だ
自分が釈尊になればいいんだよ
馬鹿か
279 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/10(金) 18:21:21
車利子は浄土のことなんか聞いたことない。
ニルヴァーナ=涅槃=浄土・・・!・・・・?
281 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/10(金) 18:36:11
死んだ後のことを考えないという現代真宗は釈迦と通じるものがあるね
282 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/10(金) 18:39:50
だが現代真宗も、死んだら無になる、とまで言い切る必要はないよ
死んだ後のことはわかんね、という釈迦の態度でいいよ
283 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/10(金) 18:42:30
経営戦略としても、死んだら無、よりは死んだ後のことはわかりません。
としておいて、ですから生きてる間にせっせと念仏とお布施をしましょう。
とやったほうがいいと思うよ。
>>ですから生きてる間にせっせと念仏とお布施をしましょう。
中興上人の仰せです。
たのむべきは弥陀如来なり、信心決定してまいるべきは
安養の浄土なりと、おもうべきなり。これについてちかごろは、
この方の念仏者の坊主達、仏法の次第もってのほか相違す。
そのゆえは、門徒のかたよりものをとるをよき弟子といい、
これを信心のひとといえり。これおおきなるあやまりなり。
また弟子は、坊主にものをだにおおくまいらせば、わがちから
かなわずとも、坊主のちからにてたすかるべきようにおもえり。
これもあやまりなり。かくのごとく坊主と門徒のあいだにおいて、
さらに当流の信心のこころえの分はひとつもなし。まことにあさましや。
師・弟子ともに、極楽には往生せずして、むなしく地獄におちんことは
うたがいなし。なげきてもなおあまりあり。
かなしみてもなおふかくかなしむべし。しかれば今日よりのちは、
他力の大信心の次第を、よく存知したらんひとにあいたずねて、信心決定して、
その信心のおもむきを弟子にもおしえて、もろともに、今度の一大事の往生を、
よくよくとぐべきものなり。
布施の多寡など浄土往生とは直結しない。他力の大信心をとることこそ肝要です。
死んだら無になる、って理屈を構築してるけど(戦後になってから)、
商売上それではまずいから、ごまかしながら葬儀法事で稼いでいる。
真宗布教使にとっては、この世こそが極楽だな
>>285 死んだら無になる、って理屈
聞いたことないんですが・・なんて言ってました?
288 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/10(金) 22:23:28
>>284 真宗教団の内実は室町時代と変わって無いんだな。
安心したよ、やっぱり真宗はこうでなきゃ。
289 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/10(金) 22:31:11
置いていくしかない金にいつまでもしがみついても詮なきこと
子供たちや親族を「遺産に群がる亡者」にしてしまっては悲しい。
「(故人の)財産は奪い合い 位牌は譲り合い」
争いの元残さず、仏法残せ。
291 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/11(土) 00:16:24
292 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/11(土) 00:26:07
死んだら無。初めて聞いたよ。今年一番の受けねらいか。
このまま死んだら無・・・じゃなく無明の迷いのままです。
290本人ですが・・・こんな身ですが、一応在家でしかない真宗僧侶です。
290な意識を持って教化に専念してます。
「涅槃経」には解脱とは虚無なり、虚無即ち解脱なりと説いてあるんだよね。
そして「無量寿経」には極楽とは涅槃界であると説く。
涅槃とは解脱のことであるから、虚無=解脱=涅槃=極楽となり、つまり往生するとは無になるということになる。
そこらへんを教行信証ではあれこれ引用して説明しているんだが
296 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/11(土) 01:08:48
だが、死んだだけでは無にならない
死=無なら、念仏の道は要らないんじゃないでしょうか
禅の道にて「とらわれない」生き方をすればいいだけと思いますが
なんで親鸞さんは法然さんの弟子になり、念仏の道を選ばれたのか・・
298 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/11(土) 02:14:51
念仏行出身だからじゃないですか
いや、問題は叡山の念仏行のままでも良かったのに・・・そうせず
そして叡山天台の法華経だって基本路線だろうから、学んでいたろうに
その法華経での成仏も選ばなかった
結局、選択本願の念仏を選ばれた訳ですが
300 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/11(土) 17:07:03
301 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/11(土) 17:23:45
自分という妄念がなくなる
302 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/11(土) 17:26:32
>>301 永遠に妄念が無くなるのですか?一瞬ですか?
303 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/11(土) 17:30:39
最初は一瞬、徐々に無の状態は持続するようになり最後に永遠の無となる
>>290 仏法なんて、一般人には腹の足しにもならん。
財産だけ残してほしい。
なお、真宗の寺院との付き合いは、金取られるばかりで
はっきり言って負債だから、今の年寄りの世代で清算してくれ。
305 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/11(土) 19:27:01
>>303 それは肉体の存命中ですか?死滅後ですか?
それとも肉体の死滅をまたぐのですか?
306 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/11(土) 19:28:29
仏法は無常無我を説く。
往生して無になるのは我。
308 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/11(土) 22:21:55
浄土真宗のお坊さんがおっしゃる「肉体の死滅後に浄土に行く」というのはどういうことなんですか?
309 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/11(土) 22:25:47
310 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/11(土) 22:32:19
50年したら「葬儀」が都市伝説になりそうで。
100年したら真宗教団が都市伝説。
150年したら仏教が都市伝説。
311 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/11(土) 22:58:52
>>308 真宗の坊さんに以前直接聞いてみたんだが、「何とはいえないが、何かが浄土に行く」ですと。
大経などの経文に因るなら往生するのは衆生
314 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/11(土) 23:39:34
その往生とか衆生とかが
何か分かっていないやつが多いんですよ。
だから、肉体の死滅で浄土に行くとか、
わけのわからないことを言う奴が多いんですよ。
徹底的に実の生死を肯定して
生死を抜ける道なんて出てくるわけないんで、
どうやら、ただ必死で実の生死を避けようとして
変な理想論や感動を騙っているだけでしかないわけですがね。
聴衆が感動すればそれでよし!みたいなノリなわけで、
そんなものは思考が停止した人間に仏法を曲解して語っているだけでしかないわけですがね。
315 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/11(土) 23:49:11
生死出づべき道、が一体何なのか分かっていないやつが多いのも事実。
「壽終身死當獨遠去」
「所受壽命或長或短。魂神精識自然趣之」
「身獨度脱。獲其福徳度世上天泥?之道」
「身死隨行入三惡道」
(大無量寿経)
命終わった後、いずれかの仏国へ往生せずに六道輪廻する場合は
肉体から解脱した魂神精識がその業に従って天界や三悪道などで再び身体を持って生じるようだ。
317 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/12(日) 16:39:11
形だけ念仏したって死んですぐ浄土になんか行きませんよ。
死んですぐ浄土にいけるような人は生前から半分浄土に入ってる。
318 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/12(日) 18:47:00
>>313 そもそも衆生以外の何が往生するのか、と。
319 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/12(日) 18:57:40
弥陀にたのむとは自分がろくな人間ではないと諦めきること
生身の人間には自分も捨てたものじゃないという思いはなかなかなくならない
浄土門は決してやたすくない
真宗のお寺で葬儀をしないと、浄土には行けません
法事もしっかりお布施をしないと、浄土にいる先祖の霊が苦しみます。
んなことない。
322 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/12(日) 23:51:31
他宗派の檀家は浄土教に出会っていないし
念仏もしたこと無く信心さえいただいていないので
肉体が死滅したら浄土に行くことはありません。
しかし、浄土の門徒は阿弥陀様が救ってくれるので
念仏無し信心無しでも肉体の死滅で浄土に行けます。
嘘だと思うなら住職に聞いてみなはれ。
323 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/12(日) 23:55:35
檀家のうち、毎日念仏してるのはどれほどいるか
他宗派は他宗派のやり方でお浄土に行くそうだ。
たとえば登り口やルートが違っても同じ山の頂上にたどり着くみたいなもの
浄土に行くとか行かないとか・・・そんなに気になるなら
聖道門で頑張ればいいじゃないかな・・・真言でも華厳でも天台でも
極めれば、必ず行けるって確信が出ると思うよ
親鸞さんって「行ける、行けない」っていう感覚だったのでしょうか
それより「阿弥陀の仰せのまま」って気がするんだけど
327 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/13(月) 17:37:08
>>325 え?真宗のお坊さんは肉体の死滅で浄土に往生しますって言っているけれど?
328 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/13(月) 17:57:50
商売トークですがな
天台の阿弥陀さんと浄土宗の弥陀さんと真宗の弥陀様とは、微妙にずれがあるのね
真宗はビジネスだから、一番わかりやすい
331 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/13(月) 19:54:08
>>329 それは、お前の煩悩の眼のせいなのじゃ。
そりゃ、坊さんは煩悩の塊りだからな
んだ。
>>327 不体失往生言うとるがな
往生と成仏は別と考えたほうがいいよ
335 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/14(火) 16:47:02
>>334 え?親鸞さまは「念仏成仏 これ真宗」と言うとりますがな。
なるほど、念仏は浄土往生と関係無いわけですな。
>>332 祖師聖人の仰せにて「不断煩悩得涅槃」
「罪障功徳の体となる 氷と水のごとくにて氷多きに水多し 障り多きに徳多し」
ただし、煩悩の身と奢り切ったり、本願ぼこりへ解釈しては意味が無いが。
不体失往生が平生業成、現生正定聚と関わってくると思うのですが・・
『末灯鈔』? に 「臨終待つ事なし 来迎頼む事なし」との仰せです。
338 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/14(火) 17:59:10
「肉体の死滅で浄土という死後の世界に往生しまっせ!」
これで金が入ってくるんだからこんな有難いビジネスは他にはないよな。
339 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/14(火) 18:11:56
体失往生では浄土に往生しないの
>>335 二益法門の立場で言えば往生と成仏は別と言えるでしょう
死んだら仏とか死ぬことが往生って思ってるならそれは違うって言いたい
341 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/14(火) 20:36:00
>>340 死んだら仏とか死ぬことが往生って思ってるならそれは違うって言いたい
それを真宗僧侶に言ってください。
こんな感じになりますよw
↓
/∧_/∧ /∧_/∧ オロオロ
((´´ДД``;;)) ((;;´´ДД``)) オロオロ
// \\ // \\ オロオロ
⊂⊂(( ヽノヽノつつ ⊂⊂ヽ// )) つつ オロオロ
しし((_)) ((_))JJ
342 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/14(火) 21:03:54
死んだら仏です
「死」の別表現
「成仏」「往生」「臨終」「命終」「逝去」「他界」「永逝」「崩御」
「遷化」「死亡」「死去」「昇天」・・・・・・・・
ほとんど仏教から来た言葉
やっぱり仏教はすばらしい
「死」の苦を「仏」という心にして文化を築いた
>>341 「死んだら仏とか死ぬことが往生って思ってるならそれは違うって
言いたい」
↓↓
それを真宗僧侶に言ってください。こんな感じ(ガクブルッ オロオロ)に
なりますよw
拙者、恥ずかしながら他力念仏の真宗坊です
拙者、別段「死んだら仏とか死ぬことが往生って思って」はいません。
「死んだら仏とか死ぬことが往生」とは考えず、ただお聞かせの上にて
「信を頂いて将来必ず」「阿弥陀み親のお任せのままに」と感じたのみ・・です。
真宗坊の拙僧ですが・・・
「死んだら仏」と言うより「信を頂いた後には阿弥陀み親の願いのままに仏に」
と思えるのみです。
345 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/14(火) 21:22:33
>>343 自分で「他力念仏の」というところが恥ずかしい。
本物の真宗僧侶は「他宗批判の」とか「自力修行全力否定の」とか
平気で言うんだよ。
>>345 この流の仏法を聞くと「お恥ずかしい情けない我が身」を思い知らされる
拙者、本願他力名号とその念仏の妙味を味あわせて頂くのみゆえ。
この真宗を聞くにつけ、有る年数までは「他宗批判」とか「自力修行全力否定」
に嵌り、真宗こそ仏法の極地と他流より完全に勝ると勘違いもしたが・・・
聞き重ねると、時に傲慢で自惚れ、時に卑下慢な「私」目当ての阿弥陀仏の法
であったと知らされた。
機が優れているのではなく、機に合わせた法が優れていたに過ぎない。
俺みたいな一般門徒にもわかるように説明して暮れよ
348 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/14(火) 22:35:38
>>342 「死」の別表現
「成仏」「往生」「臨終」「命終」「逝去」「他界」「永逝」「崩御」
「遷化」「死亡」「死去」「昇天」・・・・・・・・
まあお前ら、上記の間違い探しでもやって休めよ。
「成仏」は間違いに入れてもいいかな
今生での成仏もあるようだし
>>347 「阿弥陀のみ親の仰せに ただ・・任せる」のみです。
その為にひたすら法を聞く続けるだけの生活です。
351 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/14(火) 22:44:54
形だけ門徒であっても生前に弥陀に南無してない人は浄土往生しないでしょう。
ご開山聖人の仰せです。
「一念」とは、これ信楽開発の、時尅の極促をあらわす(教行信証)
浄土往生の因「信心獲得」の瞬間は、臨終間際の一瞬にても決まるようです。
ゆえに「たゆまぬ」事になるのでしょう。
自由落下こそが真宗だよ
自由落下=万有引力という法のままに身を委ね切る所が他力の法門・真宗
っぽいですね。
自然法爾ともありますから。
355 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/14(火) 23:33:12
身を任せることは自力ですね。もとはといえば他力の働きでしょうが。
356 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/14(火) 23:36:54
「前念命終 後念即生」の意味が分からないやつらばかりだなw
龍大1年レベルなら当然
357 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/14(火) 23:40:05
龍大ではダンマパダなどは勉強するのですか?
谷大…
359 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/14(火) 23:50:41
やらねえよ。
将来の真宗教団を担う後継者として
龍大なりの一流教育を受けます。
最初の一年は阿弥陀経と正信ゲの読経を強要させられます。
自然な阿弥陀信仰としての三部経読誦は
地元に帰っても役に立たないのでやらせてもらえません。
浄土教の根本経典である三部経に親しむよりも
お布施の回収が優先されます。
真宗学科より仏教学科のほうがマシだな
361 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/14(火) 23:58:33
順番なら仏教学科が先なんだけどな。
こっちを先にやっちまうと教学の矛盾点がわいてくるから
それはそれでまた困るんだけどな。
真宗教学の後に仏教学をやると、騙された気分になるな。
>>357 私は龍大卒じゃないですが、真宗学科と仏教学科があるゆえ後者仏教学科なら
ダンマパダ=法句経ごく一部位は説明するような気がします。詳細などはしない
でしょうが。
やはり真宗教義か浄土門を中心に仏教各経を見るというスタンスはとるでしょう
龍大で理想と思うのは
仏教学→真宗学だと思う。じゃないと井の中の蛙になりそう
「我らこそ貴し」になったら大変で。
364 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/15(水) 00:08:04
親鸞の意図と今の教学が一致しているかどうかも怪しいもんだけどな
>>359 法義維持(伝道)より組織維持がもっとも重要になるのは、ヤダな。
おおたにだいがく…も…入れて?
>>364 「親鸞の意図と今の教学が一致しているかどうかも怪しい」
一致率100%じゃないでしょうね。でもなるべくほぼ一致させるべき努力は
必要でしょう。
真宗十派+αありますが、364さんや他の方的にはドコなら親鸞の意図とそこの教学
が一致している・・・と思える
と感じますか?
368 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/15(水) 00:14:14
注ぐ水の量より受け皿の容量を問題にしないとな。
宗門大学は、どこでも悩むんじゃないか?
宗学と仏教学の齟齬
370 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/15(水) 00:34:51
>>367 どの派というよりも、今は亡き先生方の本を読むといいよ。
生きていたら最低百歳以上になる人達かな。
この世代は、手を抜いていない。
ベクトルのズレは微妙にあるかもしれないが仏教学を徹底している。
ズレはあるけれども根幹は貫いている。
その根幹を見つけたら聖教を「なるほど、なるほど」とサクサク読める。
ただし、清沢満之については知らん。
あと、西洋哲学かぶれの人間には手を出すな。
ほんと、昔の人間は手を抜いてないなと思う、というより、
手を抜かなかった人間が歴史を作ってきたのだと思う。
371 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/15(水) 00:35:54
>>369 金儲けの為の宗学ってことを言いたいのか。
本願寺派大谷派以外の真宗の坊さんも龍谷大や大谷大行くのかな?
卒論とかレポートなんかは蓮如教学に反するテーマで書いて提出するのかなあ
373 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/15(水) 00:38:31
蓮如教学なるものがいまいち意味がわからん
法然さんはやさしく、親鸞さんは深く、蓮如さんは広く・・・
そのやさしく深い念仏浄土門が広くなったのが蓮如教学・・・でいいかな?
375 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/15(水) 00:43:02
なるほど
それは「豊かな表現」でいいのかな。
377 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/15(水) 00:45:02
>>373 実際邪宗だろw
異安心とかまだましな方。
すくなくとも中興上人さま(東西本願寺の流れで)は、本願寺という組織を
意識せねばならない段階です。
念仏以外財を持たずの親鸞さまとは、仕方がない・・・蓮如さまとは違いが
有るでしょうね。
380 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/15(水) 00:49:40
あまりにでかくなりすぎて手に負えなかったんだよな。
ほとんどはノリでお寺詣りした人間ばっかりだったんだろ?
手紙を書けども書けども信を得る人は少なく祭り目的の門徒衆。
仏光寺は澁谷さんとこだね。派の源流は真仏上人さまなんで、まさに親鸞聖人
の法義味わいを聞いてこられた法血脈の方ですね。
そこで気にするのが、覚如上人の本願寺ですね。
さすがに「仏法の直聞き」はないので、他の門弟を通して法を繋いだ
血法脈の東西本願寺・・・でも、後世の方々の奮起と求道はあったと。
>>379 私は見下してないよ。 ただ、本願寺・仏光寺・専修寺の各派、違いが
有るはずなんだがソレが分からない
東西の差についてはいくつかは解ったが。
383 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/15(水) 00:58:42
大学からして真宗は仏教じゃない、と宣言してるようなもんか
要するに、使うお経の実習がメインのお寺経営学科なんだな
大学に関しては知らんのだが・・・
>>真宗は仏教じゃない
そうか? 大乗非仏説とか非仏教って言いたいのかな。
私としてはそうでもない気がするケド。
385 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/15(水) 01:05:12
大乗全般はともかく、浄土教は初期仏教とのつながりはないでしょ
386 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/15(水) 01:10:23
初期仏教、大乗仏教、浄土教、親鸞の教え、真宗教学、末寺が実際やってること
すべてお互いにずれがあるな
>>385 いやいや、考え込むと大乗そのものが「つながりの有無ってどうよ?」
になる。
部派分裂での大衆部の後年からだんだん怪しくなっていくとか。
でも利他菩薩行の精神が有るし、初期仏教が発展派生後の極意と考えれば如何?
しかし、日蓮法華宗さんでの「我々のみが釈尊正統です!!」と力説するのを
冷やかにみえてしまうなぁ・・・
>>386 まさに「難しい」
難中之難無過斯で、かつ難中転更難です。でも他人の為じゃなく自身の為なので
「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」なのだろうと。
389 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/15(水) 01:20:26
大乗仏教には、大衆部が初期仏教を昇華した思想と、
誰かが(仏教風味を多少加えながらも)まったく新たに創作した思想があると思うんだ
釈尊の仏教の中にもバラモンの残滓が残ってる程度の風味の
>>356 「前念命終 後念即生」の意味ですが
浄土は自力のハカライ疑念が止んだ段階で開けて、今生にて浄土への道が始まる
と理解しました。
浄土は今生後で、浄土への道を歩むのは今生という理解ですが。
高田派が主流だったら違う展開もあったかもなあ。
カルト性の強い本願寺派、大谷派が力を握ってしまった。
まあ、創価学会見てるとわかるように、カルト性が強くないと
爆発的に広まらないから仕方ないかもしれんが。
392 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/15(水) 18:53:49
人生の虚しい「死」に対してお釈迦さまが「仏」という概念で尊ぶことを婉曲的に表現し道徳観や倫理観を確立したのが仏教である
>>391 阿弥陀仏、念仏原理主義にはならなかったかもね
394 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/15(水) 21:13:29
>>391 現状の勢力図で普通なんだよ。
本質をズバリ言ってしまっても、
自分の都合や分別が先に起こってしまうから
真如の理解は難事中の難事だといわれている。
法を説くものは本来、少数精鋭でないといけないと思う。
現に、両本願寺を見ても末端の僧侶まで教育が行き届いていないじゃないか。
395 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/15(水) 21:18:14
言葉の定義、思考・表現方法、やることはたくさんある。
昔は師匠の書物の書写なんて許可制だったんじゃないか?
ところが今や本屋で簡単に手に入る。
法のアマチュアの裁判員が裁判するようなもんだろ。
仏法なんて「危険物取扱注意」だよ。
「門徒のために仏法を簡単に説明します」とか言うあまり、
表現方法だけが独り歩きして仏教を理解しないまま語るやつが多いんじゃないか?
それは「伝道」を勘違いしているんだよ。
人のため、人のためとか言って招いたのは僧侶の習熟度の低下だよ。
396 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/16(木) 17:20:28
浄土真宗って法事で3回忌とか7回忌とかって
やっぱ仏事って「忌む」ものなんだよね
397 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/16(木) 18:58:01
7日ごとの法事とか、思いっきり日本式死人供養じゃん
葬式や法事を誰の為に行うかが重要でしょう。
残された者の為・・更に残された者の人生を生かす為か・・・或いは死者へか。
399 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/17(金) 16:03:14
葬儀や法事が無くてもお寺へ足を運べばいいんじゃないか?
400 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/17(金) 23:10:20
>>399 そういうこと
阿弥陀さまに感謝するならいつでもできる
親鸞さまの勉強だっていつでもどうぞ
わざわざ葬儀や法事でするこたぁない
401 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/17(金) 23:15:14
>>398 蓮如上人が「詰まるところ浄土真宗の信仰が無ければ何をやっても無駄だ」みたい
な趣旨の言葉を遺していられると何かで読んだ気もするが…
結局はこれに尽きるんじゃないか?。
俺もこの間法事やった。
案内文に式章のこと(穏当に当方でのご用意と書いたが)書いたダケで強烈な反駁を
喰らったよ。
ウチ(婚家)ではお寺で法事をやったこともあるがそんな「モノ」付けなかった。買えと言うのか?
とオバから激烈に食ってかかられたよ。(コイツの母親の実家は和歌山のソウドウシュウ)
仕方ないので、いやぁ、ご結婚の際当方より本来嫁入り道具の一つとしてお渡ししておくべき
ところ、随分不丁重が御座いまして申し訳ございません。当方でご用意致しますので、おば様
として今回のことはお付き合い頂けましたら有難く存じます。と平謝りに謝って本山に買いに
行ったよ。
数億銭溜め込んで、60も過ぎて、ソウドウシュウの寺にソイツのオバが「お興入」して「ウチは
寺族と縁がある」だの、母親の実家の家系図を作って郵送で送りつけたりしてきた大層な御仁
がきょうみ何処の仏具屋でも売ってる売価税込みでたった\1,200するかしないかの「売り物」の
式章一つでこの有様だ。
蓮如上人のお言葉「ずっと以前の超低レベル」をしみじみ噛締めれるだけ有難い家庭環境を
持ったと喜んでいいのか、悲しんでいいのか?。
402 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/17(金) 23:26:43
貴重な仏法を学べるの身分なのに
ヘコヘコ頭下げて門徒に家に呼びつけられて読経させられるより、
門徒がわざわざ寺へ足を運ぶくらいの仏法を説いたらどうか、と。
>>貴重な仏法を学べるの身分なのに
そこまで「お育て」頂いていれば、積極的に「足が向く」よ
私にとって仏法とは重要なのか?・・・が分かるまでは「時間の浪費」と思う
のみ。
>>門徒がわざわざ寺へ足を運ぶくらいの仏法を説いたらどうか、と。
来ない。来ないなら「居る所へ飛び込む」事が肝要。但し飛び込んで
「大事なコト言い切る」かどうか。
自分で何でもできると疑わない
現代の卓越した庶民には「直葬」がふさわしい。
そしてお骨はJRの荷物棚の上に置いていく。
これが何が問題なのか。畜生的でいいじゃん。
405 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/19(日) 19:08:04
お寺様は、ほんとに人生の苦悩を聞いてくれて、真剣に仏法を説いてくれるかな。
あまりお布施がだせない人にも。
お布施、いくらいるんだろう、と思って、お寺に足を運ばない若い人、っているよ。
406 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/19(日) 20:18:36
>>405 真宗の教えでは死ねば全て解決だからなあ・・・。
>>406 ブブーーッ!!
死ねば解決する教えなら、平生業成は要らないし、正定聚も無関係になる。
「本願ヲ信受スルハ前念命終ナリ、即チ正定聚ノ数ニ入ル、即得往生ナリ、
即時必定ニ入ル」(愚禿鈔)
>>404 >畜生的でいいじゃん。
本当に完全な畜生になれるんなら・・いいんだが。
畜生は、心底から他を憎み「殺したい、滅ぼしたい」とは思わないよね。
同じく「こんな世界にいる事は無意味だ。この世から消えて無くなりたい」と
思いきって自殺したりしない。
むしろ、畜生の方が「生きること、その情熱」に純粋ですね。
>>405 探さなくとも、ホラッ 近くの真宗寺にいるさ!!って言いたいが、どうかな?
でも、熱心に探しゃあ、必ずいるね。
410 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/19(日) 20:56:22
阿弥陀様、この世では阿弥陀様をダシにした真宗というわけのわからない宗教がはびこってます。
救いたまえ、払いたまえ。
411 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/19(日) 21:02:46
西本願寺は立憲君主制にするつもり?
413 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/19(日) 21:55:53
浄土思想に空の概念はありますか?
色即是空 空即是色
>>413 空では無く、我がハカライを捨て(捨てはがされていく様)はあります。
自然法爾であり「他力には義なきを義とす」(御消息)
空の思想と似ているのではないでしょうか。禅での無我の境地とも。
但し違う点は「どうやって?」です。
我が力ではなく、他力=阿弥陀仏からたまわっていくハタラキです。
415 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/19(日) 22:14:23
>>415へ
禅三宗でも浄土真宗でも師匠筋に当たる浄土宗でも真言密でも天台法華でも
無我性と思える教義は、私から見ると「有ると思える」です。
ただ、日蓮宗とその派生教団、組織では「無いのかも」と感じます。
日蓮教学に関しては、とても「異」に感じます。
417 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/19(日) 23:01:04
>>407 ブブーーッ!!
真宗では「みんな肉体の死滅で浄土往生」って言ってなかったっけ?
418 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/19(日) 23:02:27
>>405 >あまりお布施がだせない人にも。
檀家には入れて貰っている。
俺を檀家入れて貰っているのは、慈悲だな。宗教の心そのものだよ。
商売なら馬鹿臭くて俺のような金にならん男、檀家には入れんよ。
ソレぐらい金がサッパリ無い。
419 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/19(日) 23:09:54
>>412 明治時代に西本願寺の体制をモデルにして、大日本帝国憲法は制定されたのだよ。
420 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/19(日) 23:13:50
>>413 空とは言いませんが
親鸞聖人は表現(言葉)を変えて述べられています。
>>405 御布施関係無しに近くのお寺の行事に行ってみたら?
今からだと12月31日の除夜会
1月1日の元旦会
また、お寺の門の横の掲示板に法要(行事)の案内も張り出されてるから
それを見て予定を会わせて (大抵土日祝日)
本堂の端っこにでも入って
お寺の奥さん(坊守)が手が開いた時にコソッと聞くのが一番確実
そこの住職さんに聞けたらベスト (大抵忙しく走り回ってるけどね)
法要が終わって来てる人を見送り終わった時に予定聞いて相談の予約入れたら良いんじゃないかな
あと地域やそのお寺次第だけど
相談と称してお金をせびりに来る「語り屋?」って思われることもあるから
その辺は覚悟しといてね
422 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/19(日) 23:38:02
無生の生とか、空思想だもんね。
妙好人なんて、お金がないことが一つの条件ですね。
418さんのレスはいいですね。
これぞ浄土系思想の真髄って感じ。
423 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/19(日) 23:54:01
リストラされた人、失業中の人、病気で苦しむ人、家庭不和で苦しむ人、ニートの人。
うつ、ノイローゼの人、孤独な人、そんな人が仏法を気楽に聴くことができるお寺があるといいね。
なんか親しみを持って、多くの人が集まってくるような、本物の宗教家が少しでもいればいい。
商売でも、カリスマでもなく、地に足のついた。
>>407 はあ?真宗の言う即得往生はシュダオン(預流の聖者)に入ることで
死んでからしか極楽浄土にいけないだろうが。勉強不足だなw
>>424 浄土往生が決まるのは命終後でしょうね。でも往生が定まるのは死後ではない
と私は聞いたのですが。
往生が定まるのは「命終前」で現世正定聚だと。
425追記で
その「解決する」のが、何時なのかは・・・信心獲得の時でしょうね。
後生の一大事解決とも言うし。
427 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/20(月) 14:36:34
不体失往生。
心は浄土に居す。
本心で言えたらいいですね。
まだまだです。
428 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/20(月) 14:46:51
↑自分が確かに言えないと戯論ですね。
弥陀に出会い、摂取されないと。
聞いていきましょう。
429 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/20(月) 18:01:40
すでに救われてるのに気が付いてないだけ。
だが、何回生を受けようと永遠に気づかないのが人間。
救われてるんだったら、別に気づかなくてもいいだろw!救われてるんだから。
ちゅうか救われてるのに「何回生を受けようと」っておかしくね?
何回も生を受けたらそれは六道輪廻のうちで救われてないってことじゃあ・・・
安易に「もう救われている」って言っていいの?
もう「お救い」に授かっているなら、まだいいが「救われている」=すでに成仏
ってことじゃないよね。
今度のお西の制度が
将来の日本の制度になるのだよ
こりゃ誤解を招きかねないな。
「無事に過ごせた」と言うと、まるで仏さんが守ってくれてるみたい。
仏さんの御利益のおかげで無事に過ごせたみたいに思われる。
しかし真宗にはそんな現世御利益などない。
念仏者の死後往生を誓われたが現世で念仏者を守るとは言ってないでは。
まあ、一般大衆はそういう理解の方がいいだろうな。
真宗の主張、歴史を詳しく知ってもらうと、
「これってカルト教団なんじゃないですか?」
って思われるだけだからね。
>>435 そうでしたか...勘違いしておりました。
てっきり何か現世の御利益もあるのかと・・・
何にも有るわけないぞ・・死後にての御利益の他に何を期待するか・・・
と聖人の仰せなのですね。
南無阿弥陀仏をとなうれば
十方無量の諸仏は
百重千重囲鐃して
よろこびまもりたもうなり (現世利益讃)
十方恒沙の諸仏は
極難信ののりをとき
五濁悪世のためにとて
証誠護念せしめたり (浄土和讃/弥陀経讃)
※[証誠護念:諸仏が阿弥陀仏の誓願の誤りのないことを証明し、
念仏の行者をまもりたもうこと]
一切の功徳にすぐれたる
南無阿弥陀仏をとなふれば
三世の重障みなながら
かならず転じて軽微なり (現世利益讃)
南無阿弥陀仏をとなふれば
梵王・帝釈帰敬す
諸天善神ことごとく
よるひるつねにまもるなり
南無阿弥陀仏をとなふれば
四天大王もろともに
よるひるつねにまもりつつ
よろづの悪鬼をちかづけず
南無阿弥陀仏をとなふれば
堅牢地祇は尊敬す
かげとかたちとのごとくにて
よるひるつねにまもるなり
南無阿弥陀仏をとなふれば
難陀・跋難大竜等
無量の竜神尊敬し
よるひるつねにまもるなり
南無阿弥陀仏をとなふれば
炎魔法王尊敬す
五道の冥官みなともに
よるひるつねにまもるなり
南無阿弥陀仏をとなふれば
他化天の大魔王
釈迦牟尼仏のみまへにて
まもらんとこそちかひしか
天神・地祇はことごとく
善鬼神となづけたり
これらの善神みなともに
念仏のひとをまもるなり
願力不思議の信心は
大菩提心なりければ
天地にみてる悪鬼神
みなことごとくおそるなり
441 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/21(火) 19:00:27
真宗の現世利益の利益って、受けるべき苦しみを正しく受けることができるってことだろう。
誰も、病んで、老いて、死ぬことは逃れられない。
そこはごまかさない。
娑婆はどんな目にあうか分からないところだ、という認識を持って、たくましく生きる無碍の一道だと思う。
死んでからの利益では、自分には間に合わないです。
今、生きる力にならないと。
>>441 そういうことだろうね。
・・多分・・だが・・間違っているなら、指摘してほしいが・・
有るべき現実や現象は避けられない・・しかし、その現実や現象を受け、
その事で「苦しまない」「悩まない」・・のかと。
その根拠は、阿弥陀をよりどころにする他力の境地なのかと。
443 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/21(火) 21:04:04
最近浄土思想知ったんだけど
俺が思ってる厭離穢土の厭世的思想とは真逆だな
コノ世はもう駄目だから極楽往生しようぜって
一歩間違えば命を軽んじる事になりかねんなと思った
率直に
>>443 厭離穢土の厭世的思想がもし「この世は辛い事ばかり、いっそ今世が終われば
み仏のお力にて来世幸福になる」ということなら
「平生業成にて現世正定聚」=今から変えられていく・・という考えには
なりませんね
445 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/21(火) 21:28:11
西本願寺が大変だ。議会制廃止と近世に逆戻りしようとしている。
加えて本山が宗派から独立しようとしているが、これではお東騒動と同じだ。
446 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/21(火) 21:34:17
>>443 確かに。賛成です。
厭う、という表現があるにしても、それは世間的な価値が相対化され、自由になる、ということだ。
さまざまな苦しみや悲しみにそれに惑わされず、生きられる自由です。
たとえば、経済的な問題に出会っても、それが相対化された苦悩でしかないから、それがどうした、とたくましく生きる。
今、現在、如来の摂取の光の中に懐住まいすることを444さんは言ってると思う。
苦しみや悲しみの人生の中に、そのまま、心は浄土に居す、という世界が開かれる。
そうなりゃ、いいな。
お西の騒動ってどうなってんの?
教えてエロい人!
448 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/22(水) 00:05:04
>>433 寝言は寝てから言ってね(はあと
>>441 それなら報恩なんちゃらと言う何の役にも立たない集金行事は即刻やめるべきだ。
>>448 寺を支える門徒が「統一した意識見解」を示せば、その慣習を止めざるおえない
それより「払った分の元」を取るべき行動はしているかい?
450 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/22(水) 00:39:57
>>448 でも考えてみると、法要でお寺が儲けてくれてるから、安く聞法できるんだ。
布施や会費をあまり払わずに、聞ける。
出してくれる人が出してくれればいい。
まぁ、現実の僧侶を見たら、君のいうような批判は分かるけどね。
少数でも、法を説ける本物の僧侶がいればいい、というのが現実だ。
それさえ心もたない時代だけれど。
でもいると考えます。
お西の話いまいちわからんのだが
中外読んでるかぎりでは
築地本願寺を独立させるとか書いてたけど
末寺はどう思ってるの?
452 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/22(水) 17:02:20
日本で普通の付き合いがあれば真宗の葬式に出たことない人はまずいないわけで、
葬式は布教のためにもっともいい行事さ。日本では万人に阿弥陀の声は届いている。あとは海外だな。
龍大の学生なんかが海外で自転車に乗って二人組で「チョトイイデスカ」と布教するのを課題にしたらいい。
453 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/22(水) 17:52:25
浄土思想に興味のある者です。
「無縁の大悲」とは「どんな境遇の者でも救われる」ということなのでしょうか?
意見をお聞かせください。
いやだよ、お前のレポートの手伝いはもうしたくないんだ
455 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/22(水) 19:21:10
>>452 はあ?真宗以外の宗派に人間が「故人は浄土に往生されました」と禿が言うのを聞いて
一般の人は「ああ、真宗は地獄の沙汰も金次第な宗派だな」と思うに決まっているだろうが
突っ込まれたら説明も出来ない余計な事言うなよ。
「故人は浄土に往生したであろう」⇒なら、法縁のグンモウは、還相菩薩な故人
からの本願助縁を無駄にしてはいけないな。
「故人は浄土に往生してはいないのかも」⇒なら、故人への弥陀弘誓助縁と
なるべく、己が往生成仏せねばならんな。
458 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 00:10:38
459 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 00:22:57
460 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 00:43:29
>>456 「還相は他力に由る」って意味分かってて言ってんの?
死人を仏法にこじつけた葬式仏教の真宗らしいコメントだ。
他人が死ななきゃ仏法に出会えないというところがまたw。
461 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 01:02:47
>>457 門徒以外から見れば修行しない真宗禿が「故人は往生されました」と言うのは
夜店の香具師の話となんら変わらないだろw
>>460 じゃあ何の為に往生すんのよ?
「還相は他力に由る」って意味分かって使ったつもりですが
そのもの「他力によって還相出来る」ですよ。
だから還相の菩薩でしょう?・・・仏じゃない 便宜上「仏」の時もあるが
仏に成るのじゃなく、仏に成らしめられていた でしょう
葬儀にこだわり過ぎるのも危険ですが・・葬儀は無意味なのですか?
死を意識させられるからこそ、心して仏法を聞き励まねばならないのです
「生のみが我にあらず 死もまた我なり」の通りに
己が念仏するのは、己の積善の結果だからですか
己以外のはたらきがあってこそ、己が念仏さしめられた・・と思うのですが
>>461 御意。
引導の無い真宗なら安易に「した」とは言えないかと。真宗禿のほっさまでも
それが確認したくば、自身も他力の信の世界に身を置かせて頂けばよし。
阿弥陀様への信心さえあれば往生できるのであれば、
寺や僧侶に布施をしたり、葬式や仏壇で金を使う必要もない気がするのですが、
そこら辺は実際の所、どういう教義なのでしょうか?
やっぱり地獄の沙汰も金次第みたいな所も多少はあるんでしょうか。
465 :
453:2010/12/23(木) 06:05:55
>>454 思い込みが激しいですね。
他で聞きます。
466 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 08:11:40
>>464 布施というのは自力行だもんねえ。
「読経料」とかの名目で受け取るべきだね。
467 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 09:46:44
>>462 死者の何が帰ってくるの?
「相」ってなんなのかな?
468 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 09:58:03
>>462 お前は「他力」が分かっていなし、「生死即涅槃」も分かっていない。
469 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 10:27:38
自分が地獄にあるべき極悪人だと気づけばその瞬間に救われるのだ
470 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 10:31:35
>>469 極悪なオレもまだ生かされているぜ!と気は楽になるけど救われはしない。
もっと救われたい欲心旺盛なボクはどうすればいいですか?
471 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 10:41:43
生かされようが殺されようが南無阿弥陀仏
472 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 10:50:23
>>471 救われても救われなくても南無阿弥陀仏?
473 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 11:09:49
>>472 救われてなかったら南無阿弥陀仏にならない
474 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 11:29:25
>>473 それはおかしい。
救われたい心から念仏するんでしょ?
てことは救われていないから南無阿弥陀仏と唱えることから始めるんじゃないの?
唱える先に救いがあるのかどうかは知らないが
475 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 11:36:41
救われることが確信できると南無阿弥陀仏が自然に出てくる。
南無阿弥陀仏を唱えると救われるという契約関係ではない。
476 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 12:01:27
>>475 報恩の念仏なんかどうだってよくないか?
救われないと感じる人の念仏のほうが重要なような・・・
>>468 分っていませんか では是非468さんの理解にてご指導下さい。
「他力」とは何か? 「生死即涅槃」とは何か・・是非ご指導賜りたいと
思います。
「生死即涅槃」は「煩悩即菩提」と同義のようです。
それは
"罪障功徳の体となる. こほりとみづのごとくにて.
こほりおほきにみづおほし. さはりおほきに徳おほし"
という通りでしょうか
478 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 17:40:17
檀家になってる寺の坊主が妙に法名とやらを勧めてくるのですが、
これがないと浄土に行く上で支障をきたすんでかね。
479 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 17:44:38
きたしませんw
480 :
478:2010/12/23(木) 17:56:11
>>479 ありがとうございます。
てっきりキリスト教のクリスチャンネームのような、入信の上で必要なものなのかと勘違いしてました。
法名なしで死んでも浄土に行けるのであればお断りしておきます。
481 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 18:08:30
人みな本来名無し
482 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 18:13:46
名前がついてることが、我執のひとつの原因になってますね。
483 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 18:24:15
人みな本来人間でなし
484 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 19:49:48
極端なこと言えば親鸞聖人の言葉を文字通りに受け取るならば、
むしろ何をすれば救われないのかってレベルに優しい教えだぞ。
>478とその後の会話を読んでると
檀家制度はことごとく崩壊してるんだね
真宗なら法名はそんなに高い値段じゃないし
ふつうの感覚なら付ける
法名なしは恥ずかしい
住職に勧められるのは院号法名だよな?
院号を付けると高くなる。
だが、それは縁のある寺を護持していく金になるし
本山を護持する金になる
いままで先祖が護ってきた寺を自分も護るべきだし
その姿勢を子孫に伝えるべきだ
486 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 20:59:45
私は子孫のために祈ったことは一度としてありません
>>480 >てっきりキリスト教のクリスチャンネームのような
いや、まさにそのものなんだが…>法名
門徒としての自覚があるなら受けるべきでしょ。
「寺とか宗派とか関係ねぁ、オレは独自に親鸞勉強し念仏する」ってんならいらないけど。
信心に学問は必要ないですよ。
祈るってw
490 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 21:49:04
>>477 「生死即涅槃」は「煩悩即菩提」と同義のようです。
誰がそんなこと言ったの?
491 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 22:15:38
>>488 学問をしないと信心の説明もできないわけだが。
信心の説明しなくちゃいけんのか?
493 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 22:33:10
南無阿弥陀仏って字も読めんような人達の為にあるんだろ?
易行
そうだよ
文字の読み書きできないじいさんばあさんが
「なんまいだー」とか
「なまんだぁぶぅ〜」って合掌してる姿
そのものが信心だよ
ところが疑蓋が邪魔をする難信の法なのでである
文字を読めん人のほうがすんなり行き易し
496 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 22:54:47
ひたすらなんまいだーのじいさんばあさんもそろそろ絶滅の時期じゃない?
あの人たちは、本当に世の中がどうしようもないときに生まれ育って人間の無力を知ってるから。
80歳ぐらいから下はそれなりにやればできる社会に生きてなんまいだーを馬鹿にしてるかも。
これから日本が崩壊していくと、またなんまいだーにすがるしかない、という世代が生まれるんだろう。
497 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 23:02:50
あ、そのパターン俺だわw
前は法華経とか読んでたんだけど、何だか世の中も殺伐として来て
俺のまわりも無常観たっぷりになってきたら急に浄土思想がww
今までどうにもピンとこなかったのになぁ
498 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 23:11:13
学問しなければ信仰できないような難しい教えを親鸞は広めようとしてたのか?
499 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 23:15:22
親鸞の時代も貧民がばたばた街中で野たれ死んでいく世だったからなあ
500 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 23:32:14
>>493 仏の願力をもっての故に往生しやすいという意味での易行であって、
口に称えやすいから易行というのではない。
信心で往生することのいわれを説明しないといけないから
そういう意味で学問は必要なのである。
学問で往生できるとか、
往生に学問が必要、とは一言も言ってはいない。
そこの線引きを出来ずに、
何でもかんでも他力往生に結び付けようとするのが異義。
努力と自力の違いが分からないバカが多いからなぁ、見ていて面白いよ。
馬鹿がたくさん釣れる釣れるw
501 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 23:34:39
来春龍大に入学する諸君、がんばって学問して将来の本願寺教団を背負ってくれたまえ
502 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 23:35:49
自らの信仰を説明する必要なんてないしなぁ。
もちろん坊主はそれくらいの知識くらい教養としてあってもいいが、
小賢しい智慧で逆に惑う危険性があることも留意しなければならない。
503 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 23:40:14
>>493>>494 文字の読み書きができないと往生できないのかと。
それは仏が定めた往生の条件ではなくて
人間の綺麗事という理想の上につくられた条件だ。
学問をしないとお前らみたいなのが湧いて真宗が誤解される。
文字を読み書きできなくても信心が無ければ往生できないし、
大変優秀な人間でも信心があれば往生できる。
自分は学問ができる側にいるかのような驕りが見え隠れしますね。
どんぐりの背比べという言葉がありますが、
自分たちが凡夫であるという自覚は忘れてはなりません。
もちろん人格が優れていないと往生できないということはありませんが、
信仰が人間の心を豊かにするのもまた事実のはずです。
505 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 23:43:59
>>497 お前は「無常」の意味が分かっていないw
506 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 23:46:53
>>504 学問ができようとできまいと人間の心には驕りが生じます。
仏に出会ってもいないのにわざわざ凡夫を自覚さえるという強迫観念を抱かせていけません。
507 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 23:48:25
508 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 23:48:52
日蓮信徒はあからさまに攻撃的な人が多いけど、
真宗信徒って慇懃無礼なもの言いを好む人が多いな。
法然や親鸞は丁寧だっただけでそういう話し方を好んでたようには思えないけど。
509 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 23:52:19
>>508 今は21世紀です。
ここは2ちゃんねるです。
真宗信徒は意業は攻撃的になります。
510 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/23(木) 23:55:08
なんか真宗の教えが堕落の推奨のように解釈される。
そうでなくても結果的にそういった人間を生み出してしまっているのは悲しい所だ。
511 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/24(金) 00:00:52
適当に読経して適当にお説教しても
楽に金が入るシステムに気づいたからな。
そりゃ馬鹿と異議がはびこるわけだよ。
「学問は必要ない」ってサラッと言えちゃうわけだ。
512 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/24(金) 00:02:51
学問をしなければ往生できちゃうくらいの易行らしいよ、真宗は。
513 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/24(金) 00:03:35
>>464の話題から学問とかずいぶんと発展したけど、
学問はともかく結局は布施は信仰に関係ないのは確かだな。
信心深い者は自然と布施をしたくなるのかもしれないが、
昔のカトリックみたいに布施をしないと信心が足らんというのもどうかと思うし。
514 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/24(金) 00:06:18
文字も読めず信心が無くても口業の称名で往生できちゃうらしいよ、真宗は。
>>508 >日蓮信徒=あからさまに攻撃的な人が多い
>真宗信徒=慇懃無礼なもの言いを好む人が多い
日蓮信徒はもう今更だが、真宗信徒=慇懃無礼なもの言いを好むように
世間から見えるのは・・ちょっと問題あり。
そう見えるなら、やはり身を糺そう。2ちゃんだからって訳もなく。
>>514 >文字も読めず信心が無くても口業の称名で往生できちゃうらしいよ、真宗は。
大事な事を忘れている・・名号とも念仏にも成り得た阿弥陀仏はどう願われた
のか・・・を聞くこと。
それが欠けたら・・・他力ではなく、自我の念仏ではないのかなあ・・と思う。
517 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/24(金) 00:29:13
阿弥陀仏にすべてお任せする、は結局、我執を捨てる、というお釈迦さんの教えと同じ
>>468 「生死即涅槃」とは何か・・改めてどなたかにご指導賜りたいと思います。
学問できないから往生できるって
小学生でもそんな文章つくいらないけど?
学問できない人修行出来ない人であっても往生できる
南無阿弥陀仏が口から出ることが信心だって
だけど、信心って(自分が仏さまを)信じる心と解釈すると
またそれもおごりのようだなぁ
520 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/24(金) 09:23:30
521 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/24(金) 09:38:42
龍樹から親鸞まで学問出来すぎて分別の塊になったので
彼らは浄土に往生していませんよ。
522 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/24(金) 09:41:14
523 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/24(金) 09:54:39
最初は一旦、自力の菩薩行に入るのがよい。そうすれば無力を実感するだろう。
信心せよとは仏さまを信じるんじゃなくて、仏さまから信じられる人間になれということだよ。
自ら信じるのは自力の信心、仏さまから信じられるのが他力の信心。
仏さまから信じられる人間とは、無為自然の人。
何のはからいもなくて、ただ正直に生きている人だ。
そういう無為自然の人はたとえ一度も仏の教えを聞いたこともなくても
自然に日常の中で仏さまに出会って仏さまから信じられ摂取されている。
>>525 そういう定義をすることがはからいなんですよね。
527 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/24(金) 22:31:26
学問では往生できない→学問をしない輩が続出
往生に修業は要らない→努力をしない輩が続出
結果、僧侶のレベルの低下を招きました、とさ。
528 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/24(金) 22:35:31
今の教団は口称往生と勘違いしている御門徒に支えられています。
>>527 ・・・結果、僧侶のレベルの低下を招きました、とさ。
なんだとーーー(` 曲 ´) ひっ低くなんかないわい
530 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/24(金) 23:10:15
>>525 ・・・とお聞かせに預かっております・・・
と言わないと真宗学テストでは「自力のハカライが混じっておる」
とハネられるようです。
532 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/25(土) 00:27:10
後生の一大事とか、信心獲得が人生のテーマになりにくい時代だ。
真剣に求める僧侶も、門徒も少なくなったのが劣化の原因だろう。
しかし生きにくい、厳しい世の中に、クラッシックな表現の中に智恵があると思う。
ある著名な先生のカルチャー講座は人気があり満席で入会できなかったそうだ。
まだまだ潜在力があると信じたいよ。
そもそもここは僧侶じゃありませんので。
布教使ですから。
534 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/25(土) 18:17:47
↑非僧非俗は、僧侶じゃないの?
東も西も?
僧侶とは違います。
コスプレです。
536 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/25(土) 18:45:41
仏壇の阿弥陀様は解るんですが、なんで親鸞と蓮如がいるんですか?
この二人は偉大な先人だとは思いますが仏壇で祀る必要があるんですか。
537 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/25(土) 18:47:48
親鸞さんも蓮如さんも、阿弥陀仏の化身でしょ。お祀りする必要が無いと言えるのか?
539 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/25(土) 19:05:52
仏壇に宗祖、派祖の掛け軸、祀ってる宗派はけっこうあるよ
親も爺さんも
阿弥陀仏の使いだから
仏壇にいれておいていいだ。
541 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/25(土) 19:16:13
>>538 それはどのような経典に書かれているのでしょうか?
仏説無量寿経には
「おまえを救うぞ」
と書かれている。
俺みたいな底下の凡夫を救ってくれるなんて
なんて素晴らしいことなんだ。
>>536 名号本尊が本当なんだけどな。
ま、一種の妥協ですな。
544 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/25(土) 20:06:17
仏壇になんでお位牌を祀っちゃダメなの?
そう言いながらお葬式の時になんで白木のお位牌を祀るの?
ageるバカには答えない。
546 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/25(土) 20:20:59
というか別にこの板やスレはageがマナー違反にはなってないぞ
べつに仏壇にお位牌をおいてもいい。
でもそれを「祀っている」と思う考えはダメ。
お葬式の時に白木のお位牌を置くのはいい
でもそれを「祀っている」と思うならダメダメ。
左右の脇掛けは
A.親鸞宗祖聖人と蓮如中興上人
B.十字名号と九字名号
A=Bとすれば、親鸞聖人と蓮如上人は阿弥陀仏異体同心か化身と
いう意味になるのということでしょうね。
礼拝の対象ではなく仏壇の飾りものの一つということか
高田さんや仏光寺さんだと左は真仏上人になるのかな?
ところで「生死即涅槃」って 何なのかなあ
552 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/25(土) 22:44:41
↑
生も我等なり、死も我等なり。
生と死を貫き通したダンマ、法の世界に誕生するんだ。
そこには生も死も憂うるに足らぬ、大安慰の境地だ。
そこには自己の生も死もない、無我なのだ。
↑
どうぞつっこんどいて。
生死は六道輪廻。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天と、生まれ変わり死に変わりしていくこと。
親鸞は『唯信砂文意 』に「極楽無為涅槃界」と言うから、
涅槃は極楽のこと。
ゆえに「生死即涅槃」とは、六道輪廻がそのまま即ち極楽浄土だってこと。
「六道輪廻がそのまま即ち極楽浄土だってこと」
えっ・・・親鸞氏はずばり六道輪廻を説いたのでしょうか?
無明の闇ではなかったでしょうか? 間違えていたらご指導を。
555 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/25(土) 23:35:33
556 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/25(土) 23:40:43
生まれて死んだら即座に涅槃世界(浄土)に生まれるってことだよ
557 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/25(土) 23:55:18
生死は迷い、涅槃は悟り、即はそのまま。
つまり迷いのまま悟り。
正信げにも、不断煩悩得涅槃というだろう。
言っておくが、俺は分かって言ってるわけではないぞ。
553さんは、唯信抄文意まで出して、とても不思議な解釈をされていて感心した。
558 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/25(土) 23:58:14
↑つまり不生の仏心と、盤珪禅師が言っておるだろう。
そういうことだ。ますます分からなくなってきたぞ。
559 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 00:29:21
高田派も仏壇に位牌置かないの?
「生死即涅槃」は「煩悩即菩提」と一緒なのか
一緒じゃないのか?
正信偈での「不断煩悩得涅槃」とは「煩悩即涅槃」や「煩悩即菩提」とは
違うのか、同じなのか・・・うう〜〜ん 分からん。
561 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 01:30:13
↑学者だって、言葉の説明はつけても、ほんとに己証で語れる人は少ないだろうね。
いわんや、ここの住人においておや。
いや、2ちゃんには、悪人は多いかも知れないから、理解が深かったりして。
562 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 01:33:59
悪人こそ、救われる。
悪人こそ、真宗が分かる。
ではその悪人とはこれいかに?
>>562 親鸞の真宗でいう悪人とは何か
罪業深重の凡人
罪を作り、迷惑を掛け、止めようともせぬし、善も成し得ぬし
成そうとも思わぬ者 そしてその自覚すらない者・・即ち「この己」
>>562 悪人こそ救われるって言葉
聞き様によってはとても危険な響き
「悪人こそ救う」と願われた・・・としたらどうだろう
565 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 07:17:22
念仏しとんのか。
566 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 09:10:45
宗学や教学しか学んでいないから異議が出てくる出てくるw
>>564 どうだろうって、そりゃやりたい放題だなw
568 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 12:49:42
なんでお位牌やお塔婆ってダメなん?
間違えて位牌や塔婆に帰依礼拝する無知の輩が出てくるからよ。
周知の如く真宗で帰依するのは弥陀一仏に限る。
白木の位牌は用いたとしても祭壇のお飾りに過ぎぬ。
570 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 19:16:28
俺も間違って蓮如や親鸞に帰依しないように二人の掛け軸は処分したわ。
571 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 19:28:27
真宗って正宗に似てるね
572 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 19:37:10
親鸞や蓮如の掛け軸を仏壇に入れてる人いるんだ。
まあ、真宗カレンダーに歴代門主の肖像を書くのはいいと思うけどな。
>>570 ご立派。さすがだよ。
代わりに九字名号と十字名号にしようね。
574 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 20:03:01
報恩講では親鸞ではなく阿弥陀の慈悲に感謝しましょう。
親鸞に感謝しても何の意味もありません。
>>574 何をいまさら。
お前は御真影さまの前で何と称えているのだ。
576 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 20:17:21
親鸞の生誕何周年とか祝う宗派がいる現状だと、
そういう区別がつかなくなる門徒が出てくる危険性あるな。
浄土宗の知恩院なんか阿弥陀様より法然像への参詣者の方が多いしw
577 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 20:20:56
サクラに乗せられて高額な布団を買うような門徒がいないと教団が栄えないのだよ。
578 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 20:36:11
親鸞や蓮如は南無する対象じゃなくて同朋なわけだから、
携帯ストラップとかにつけてるのがふさわしい
579 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 20:42:19
じゃ、何周年とか何回忌という法要は一切やめよう
いったい何から勘定しているんだ?
死んだ人をきっかけにしてやる葬儀も意味ねーし
ぜったい間違えている
あくまでもご勝縁だからいいんだよ
あくまでも集金イベントだから、口実は何でもいいんだよ
正解。
583 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 23:55:36
福島では大雪で自衛隊が除雪に派遣されましたが、
浄土真宗は自衛隊の存在を否定しているので
自衛隊に助けてもらわないよう真宗門徒に呼びかけているのですか?
584 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 23:59:22
お金をいくら集めてもいいんだけど、布教とか人の役に立つように使ってください。
高級車や海外旅行費にしないように。
>>583 >福島大雪で自衛隊が除雪派遣されましたが、浄土真宗は自衛隊の存在を否定し
何の声明文か、法主・宗長の発言での「自衛隊の存在否定」論でしょうか?
否定していませんよ。少なくとも私は。
むしろ国軍化しないで「名義上の抜け道組織」で置く方が卑怯でしょう。
>>584 その通り、実りある使い方をして頂きたい。本当に必要なの?と訝しくなる
箱モノ事業とか・・・仏法の将来の為になるのか?と思う事はよく考えてから
決めて頂きたいね。
587 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/27(月) 00:52:31
お布施はお寺に寄付してるんでしょ。お寺やお寺の財産は住職の所有物じゃないでしょ。
住職への給料も含めて経理は檀家が決めることでしょ。
いま問題になってるよね
寺の会計と庫裏の会計をごちゃごちゃにしてる事
だけどはっきり線引きできないよな
世襲してるし、生まれたときから寺は自分の所有物だし…
親がきちんと教育しないと
天皇や門主の世襲は悪しき因習
真宗布教使様の世襲はキレイな世襲
590 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/27(月) 10:49:29
天皇や門主の世襲は平和ですよ。選考なんかで決めたら、すぐに争いごとになるでしょう。
大方の真宗構成員はそれでいいと思ってるでしょう。
門主ってお西だっけ?
門首が東?
お上の呼び方もそれぞれ
門主も門徒もみな凡夫。誰が門主でも同じだから自動的に決まるのでOK。
親鸞聖人の血脈は敬って当然じゃね?
594 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/27(月) 11:49:34
どこでもいまの西本願寺、大谷、財団、浅草
今の門主は親鸞の血脈子孫の筈だけど?
まぁ言いたい事はあるけどw
おまえは本来御連枝だろうが!ってとこも多いし…w
子孫繁栄に精を出した開祖、凡夫の鑑
597 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/27(月) 12:16:18
本当に「精を出し」ましたから。
598 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/27(月) 12:19:23
599 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/27(月) 19:30:18
ただの墓守がいつのまにかデカイ顔していたという情けない話です。
600 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/27(月) 20:25:36
すみませんなー。
ワシらも飯を食うために血脈を主張せざるを得ないんですわ。
この血脈があってこそ
今迄続いたし、大きくなれたのに
なにこの言い草w
親鸞様の子孫であれば、田舎の村の掘っ立て小屋か、
檀家に間借りして衆生に念仏を説くのがふさわしい。
周りがそんなことさせない。
604 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/27(月) 21:07:48
まさに宗教貴族
>>602 それが理想像。でもそうはさせられないので。
606 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/27(月) 23:19:57
>>602 檀家に間借りして、仏法を説いて、だんだんと自然に人が集まり、
全国に師を慕うグループが出来上がり、
各地に小さな道場ができ、
その弟子に文才のあるのや、組織のオルガナイザーがいて、
大寺院が建立され、海外にまで布教され、
巨大宗教教団ができるんだね。
開祖の七光りではだめであって、その子孫も名無しからスタートして、
仏法を説いて人が集まる、ということならば、門主の資格あり。
だいたい、愚禿氏は嫡子慈信坊を義絶するという判断を下されたのは
血縁に目を曇らせてしまい、仏法を曲げる事だけは避けたかったからでしょう
しかし、最初っから血縁尊重の門主制度は・・・危ういな。
とは言え、その血縁教団の中で生きる俺じゃ偉そうなこと言えない。
609 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/28(火) 00:03:18
ここで天国の親鸞さまから一言
↓
>>585 玉串訴訟を起こしておきながら、どの面下げて税金から34億円も補助金もらってるんだか
厚顔無恥とは真宗禿のためにある言葉だ。
>>610 >玉串訴訟を起こしておきながら、どの面下げて税金から34億円も補助金もらってるんだか
玉串訴訟については詳しく分かりませんが なぜ「玉串訴訟を起こす輩」は
「国からの援助」を受けてはいけないのか?
どうぞ持論を。
>>610 もう一つ
玉串訴訟に属する者は自衛隊合憲違憲・国軍化など言える
立場ではないのでしょうか?
613 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/28(火) 02:20:38
玉串訴訟は最高裁で違憲判決が出た典型的な愛知県知事による違憲行為であり、
法を犯した人間よりもそれを訴えた人間の法が悪いというのは、
盗人猛々しい発想としか言いようがありません。
614 :
613:2010/12/28(火) 02:28:46
申し訳ありません。
本来は「愛媛県知事」と書くべき部分を誤って「愛知県知事」と表記してしまいました。
>>609 天国?親鸞さんはキリスト教に改宗したのかい!
地獄は一定すみかぞかし
>>615 親鸞がムスリムである可能性も考慮してあげて下さい。
泣く子も畏れる地獄の親鸞さんかい?
>>611 詳しく判らないなら君に反論の余地は無い。終了!
619 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/28(火) 14:56:01
玉串訴訟のポイントを探ってみると、
宗教団体に補助金が出るのは違憲でしかないんだが。
じゃぁ本願寺に補助金出すのは違憲だって訴訟起こせばいいんじゃないかな
まあ違憲だろうねえ。国有ならいいけど。
靖国神社も国からの補助金なんて「情け」はもらっていないんだろうな
・・本願寺は靖国神社と同じように自給自足し、国の恩義を不受すべし
一番熱心に戦争を煽って、「お国のために戦って戦死したら浄土に行ける」
なんて言ってたのに、180度旋回する連中だからなあ。
節操がないというか、何というか。
全共闘世代が棺桶に入る頃には、また右旋回してるんだろう。
>>623 その通り、全く言い返す言葉もない!!
戦時教学と本願寺の方針の過ちを総括しないいいのか
同じ過ちを繰り返さぬよう「教訓」にすべきなのだが・・・
625 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/28(火) 19:26:52
>>624 心配ないから
また過ちを何度も繰り返します
何やっても極端にしか振れないんだよね。だから右へ行く時は極右に。
左なら極左になる。
これはおそらく、教義に起因するんだろうな。
>>625 では、次こそは・・・犯した過ちを総括し、再発を未然に防止する策
を講じる気概くらいは持ってみたい意識を生みだしたいと思います。
>>624 当時の国策に合わせたのが戦時教学と後になって呼ばれたが、何か問題あるの?
国と対立すりゃいいってもんじゃないよ。
629 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/28(火) 21:58:37
>>628 過ぎ去った過ちはもうやり直しが効かないが、その苦渋を二度と繰り返さない
ように手を講じる事は出来る・・・いや、そうしないと死んでいった者へ顔
向けが出来ない。
631 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/29(水) 00:31:19
↑
なにが善か悪か、という問題もある。
シンドラーのリストなんか、見たろ?
武器を使って、苦しめられている人を救うのは悪だろうか?
人間はいかなる状況におかれても過ちを繰り返さずにすむだろうか?
なにが過ちかを正確に判断できるだろうか?
教えてください。
>>631 ここは真宗(浄土真宗)って名指しているんだから、阿弥陀仏法に
従って善悪を教えて頂くことになるだろう。
633 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/29(水) 00:45:06
阿弥陀仏法ってはじめて聞いたよ。
具体的に教えて。
>>632 萱屋根の雨と弥陀の仏法は・・・直に出て聞け の通り。
もし興味があるなら・・・
お寺、僧侶・同行門徒、釈迦を始め各祖師の方々のお言葉を
通して聴き続けてくれ。
635 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/29(水) 01:09:10
仏法で定義される善悪をご存じない方がおられるようで。
636 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/29(水) 11:39:15
>>635 お前、善悪ってそんなに簡単か。
単純じゃな。
637 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/29(水) 14:39:06
道徳の善悪と仏法の善悪は前提も目指すところも違うのに
道徳の善悪で仏法を解決しようとしたり、
仏法の善悪で道徳を捉えたり、やれやれだぜ。
638 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/29(水) 15:24:57
仏法>道徳
道徳は仏法の一部に当てはまる
仏法のなかに道徳は含まれるが仏法はそれだけではない
ありとあらゆる人間の心を解き放つ手法が仏法のなかに存在する
639 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/29(水) 16:42:39
>>638 仏法>道徳
時には・・国家や体制、権力者の為に「敵」を殺す事は正義であり、
その時代の道徳に順ずることでしょう。
つまりそういう事。
仏法では「嘘をつく事も罪=悪」
お世辞もおべっかも「嘘」そのものです。お互い今までどれ程の
「必要悪な嘘」をついてきたでしょうか。
641 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/29(水) 22:10:39
道徳的な、倫理で割り切れたら、宗教はいらない。
善悪の基準が戎律であり、それで救われたら真宗はいらない。
悪人こそが救われる、ということがありがたくなるには、人生の苦悩が必要だ。
それより阿弥陀仏法って、そんな用語、使う宗派、あるのか教えてくれよ。
仏法・・・弥陀の法・・・阿弥陀仏法と私は言い使ってみました。
643 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/29(水) 22:33:27
↑はじめて聞いたので。
ありがと。
644 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/29(水) 23:00:15
「善業・悪業」について答えられる方、いますか?
645 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/30(木) 01:07:49
何だお前ら、急にトーンダウンしたなw
ところで 「念仏業に勝るべき 善業無き故に」 って知っているかい?
念仏業という善業が有れば、他の善業は要らないんだってさ。
今日レスしたお前たちには初耳だろ。
真宗僧侶じゃないんだから知らなくて当然だな、泣くことはないさ。
>>645 はい 一気にトオンダウンしますた。こりゃうかつにはって感じで。
「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすしるべし。
そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。
しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なき
ゆえに。弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々」
なんて初耳でした、知りませんでした。
『一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏のかたより往生は
治定せしめたまう。そのくらいを「一念発起入正定之衆」とも釈し、その
うえの称名念仏は、如来わが往生をさだめたまいし、
御恩報尽の念仏と、こころうべきなり』
「念仏する・申す」は弥陀のハタラキによって成される報謝行・・往生の因
に非ず。『信心正因 称名報恩』が如く。
正因となる信心は聞法においてのみ。"仏願を聞きて疑心あることなし"
と聞法馬鹿のワシは思う。
648 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/30(木) 01:37:35
なむ・あみ・だぶ
なん・みょう・ほう・れん・げっきょお
一定した区切りの念仏の方が言いやすいでえすね。
真宗布教使に得 = 善
真宗布教使に損 = 悪
簡単なこと。
だから、たまたま門徒の家だっただけで、霊魂とかあの世とか信じてる
連中からも、ごまかしながら葬儀、法事を受けてる、これは社会道徳的には
問題あるが、真宗的は善となる。
>>645 自作自演して自分で答えられなかっただけw
明日は除夜の鐘
修正会もあるし
寒いけどみんな頑張ろう
ウチは他宗のように初詣でご利益を売りにするようなことはしません、
とか言っておいて、どうせ似たような行事やるんだろ?
明日は大晦日だよ。
654 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/30(木) 14:02:17
浄土真宗は年越しそばを食べてもいいんですか?
>>浄土真宗は年越しそば
問題は無いと思います。食べるという行為に対しては。
でもそこに「長寿とか無病息災祈願」としたら・・・
真宗としては「そんな願いは通じないよ」です。
おせちで「豆料理を食べる」とかと一緒で、季節の風物詩的
なら良いのでしょう。
また「おそば」は胃腸に負担になりづらい=消化に良い・・と聞いた
気がします。忙しい大晦日=身体的に疲れの出る時節に体に良い物を
取るという先人達の智恵なのかと。
>>651 除夜の鐘(除夜会)と元旦会(修正会)のご法縁が続きますね。
寒いけどみんな頑張りましょう。お寺様も御苦労さまです。
参詣聴聞者のご門徒さまも寒い中ですが、信を頂く為でございます
ので足しげく共に参りましょうね。
いちいち「祈るな」って言うのね>真宗さん
易行道ではないな。ある意味レベル高杉
658 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/30(木) 15:32:01
良い年をお迎えするために祈りましょう
祈るなというのは西本願寺だけ。
「祈るな」っていうより、祈っても効果は無い。
お守りがないのも真宗らしさ!
661 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/30(木) 18:26:59
で、道徳の善悪と、仏法の善業悪業の関係はどうなったの?
たとえば乗り合いで船に乗っていたときに、
その乗客の中に強盗・殺人・放火などを重ねてきた冷酷無比の悪党が紛れ込んでいたとしましょう。
この盗賊を突き落としておぼれ死にさせたとしたら、世間道徳的にはこれは悪業です。殺人には違いないのですから。
しかしもし菩薩が宿明通で過去・現在・未来を見通し、
盗賊がまさに今船上で他の乗客たちを殺し金品を奪わんとするのを知って、
「このままこの大悪党が他の乗客を殺害しその罪により地獄に堕ちることになるよりも、
むしろ今速やかにその命を絶って後生を人天に生ぜしめよう」と
菩薩の大慈悲心からこの盗賊を突き落として殺害したとしたら、どうかと。
これは仏法では善業です。結果として多くの乗客の命を救い、また盗賊の後生をも救ったのですから。
このように世間では悪業とされることも仏法では善業となるし、その逆もまた然りなのです。
663 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/30(木) 21:03:54
>>662 あなたは「業」が何かわかっていないみたいですね。
>>656 正月の度にいちいち信をもらいにわざわざ真宗の寺に行かないといけないの?
信とは何度も寺に行かないと消えるもの、ということ?
665 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/30(木) 21:09:40
言ってる事はわかるけど、かなり危険な考え方だな^^;
親鸞会は巣に帰れよ。
ところで東西本願寺のスレが消えたのは?
667 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/30(木) 23:40:04
浄土真宗は歳神様をどうやってお迎えするんですか?
「門松や 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
一休禅師
>>667 門松を必要としない(飾らないのが真宗イズム)
かなしきかなや道俗の
良時・吉日えらばしめ
天神・地祇をあがめつつ
卜占祭祀つとめとす
「和讃 愚禿悲歎述懐」での宗祖、仰せの通り。
>>664 そう。何度も法を聞かねば、また疑心が湧きでるのが罪障深く
煩悩シジョウの凡夫どんじゃなかろうか
信を頂く機縁の一つになるのが「正月の寺参り」でもあるでしょう。
そんな助縁の積み重ねじゃないだろうか?
・・・メンドい、嫌だね・・・なら、別に参らんでも構わないと思うよ
なにせ「自身の為」なので、するもしないもご自身の思い次第だし。
参らんかったから「正月、寺に来んとは アンタ地獄行き決定やね」
とは、御住職さんも言わんやろ。
>>661 道徳の善悪と、仏法の善悪ですか?
なら一つでは「嘘をつく」が道徳と仏法では違いますね
お世辞の嘘(誇大評価)を世間では「思いやり」とか「優しさ」に
思ってくれますが、仏法においては悪です。
>>661 あと五戒についても。不飲酒とか不邪淫とか。
673 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/31(金) 00:48:08
みなさん、
善業は大善地法で、
悪業は大煩悩地法・大不善地法・小煩悩地法、
でよろしいですか?
善業は真宗布教使様にお布施を納めること
悪業は真宗布教使様にお布施を納めないこと
>>674 その事、まことにあさましや、なげきてもなおあまりあり
その事について、本願寺中興上人はかくの如く仰せになりましたので
僧門徒ともによくよくお領解いたしましょう。
御文章一帖目 第十一通 (電光朝露の章)の後半から
ただふかくねがうべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如来なり、
信心決定してまいるべきは安養の浄土なりと、おもうべきなり。
これについてちかごろは、この方の念仏者の坊主達、仏法の次第もってのほか相違す。
そのゆえは、門徒のかたよりものをとるをよき弟子といい、これを信心のひとといえり。
これおおきなるあやまりなり。
また弟子は、坊主にものをだにもおおくまいらせば、
わがちからかなはずとも、坊主のちからにてたすかるべきようにおもえり。
これもあやまりなり。
かくのごとく坊主と門徒のあいだにおいて、さらに当流の信心のこころえの分は
ひとつもなし。まことにあさましや。
師・弟子ともに、極楽には往生せずして、むなしく地獄におちんことはうたがいなし。
なげきてもなおあまりあり。
かなしみてもなおふかくかなしむべし。
しかれば今日よりのちは、他力の大信心の次第を、
よく存知したらんひとにあいたずねて、
信心決定して、その信心のおもむきを弟子にもおしえて、
もろともに、今度の一大事の往生を、よくよくとぐべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。
677 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/31(金) 11:19:12
浄土真宗は「トイレの神様」を信じますか?
布教師などと言ってる時点で身の上がわかりますね。
そりゃ非僧非俗なのに、自分たちを僧侶と称するのは
浄土真宗の布教使だけだからなw
非僧非俗ぐらい調べてから家w
非僧匪賊
>>681 ギター侍で。
テンテンテテテン♪ 言うじゃな〜〜い♪
スレ同朋よ、来年もよろしゅう m(_ _)m
683 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/31(金) 23:09:08
684 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/31(金) 23:55:11
ナムナム
685 :
!omikuji!dama:2010/12/31(金) 23:56:29
!omikuji!dama
>>662 この場合、菩薩はどうすべきだったんだろうな・・・
ヒットラーを目の前にして、殺すのが善か、
みすみす逃してホロコーストが起きるのか、
という選択みたいなもんだな。
687 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/01(土) 07:37:42
>>662 殺さずに慈悲でもって改心を働きかけるという選択肢・・というか
仏の智慧はないのですね。
親鸞聖人は確か自分では一人も殺せないが、
師匠に命令されたら千人でも殺せるというお方だから、
「慈悲を以て殺害し奉るべし」と命じられたら殺っちゃうんじゃなかろうか
690 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/01(土) 12:26:24
あけましておめでとうございます。
>>689 あけおめことよろ・・・後生よろ
師匠って良き人法然上人ですね
弥陀の慈悲を伝え語るお師匠さまなので「マジやるっす」という善信坊なら
本気で止めに入るでしょう。
いやそんな「導き」も気がつかんヤシに殺害方便など言わないでしょうね。
しかし観音菩薩に命じられたらどうだろうか。
「その者、大悪党でまさに人の命を奪おうとし、
これからも何百人と人命を殺害する宿命にある。
汝、今まさに慈悲を以て彼の命を絶つべし」
夢のお告げをそのまま信じる親鸞聖人だから、
殺すっちゃうかもしれない。しかしそうだとしても
観音菩薩に命じられたら、誰を責められようか。
真宗の信者って家に神棚は無いの?正月は初詣に行かないの?
そういう細かいところが解らないんだよな
嫁の実家が真宗だが、神棚もあれば、三宝荒神も祀っているし、神社に初詣にも行く。
その一方で、まあまあ裕福なせいか、菩提寺の真宗寺院の本堂改修にも多額の
寄付をしていて、本堂内の寄付者一覧にも名前が載っているし、正信偈も暗誦できる。
原理主義的には好ましくないのかも知れんが、一般の門徒は普通に初詣とかに行って
いると思う。
695 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/02(日) 09:47:03
真宗門徒が神棚を祀ったり初詣に行くのではなくて
氏子が寺院に寄付をしたり正信偈を暗誦しているのではないだろうか。
ものは考えようだなあ。
門徒が神棚祀ったり初詣に行ってると思えば
布教師も内心じくじたるものがあるだろうが、
氏子が寺に寄付したり正信偈あげたりしてくれると思えば、
うれしくもありたのもしくもある。
>>696 >門徒が神棚祀ったり初詣に行ってると思えば布教師も内心じくじたるものがある
はい、どげんかせんといかんなあと存じます。 いつか「一心一向」に向いて
ほしいと。
>氏子が寺に寄付、正信偈読んでくれると思えばうれしくもありたのもしくも
ある。
はい、ありがたくもかたじけなく。
氏子と門徒を兼任・・・というか門徒が氏子に加入を強いられたのだろうな
と。生粋純粋の神道氏子家系が門徒になる訳もないだろうし。
北陸門徒だが初詣は普通に行きます。
699 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/02(日) 15:39:41
>>692 社会的には責められるだろうw
日本は法治国家なんだからw
700 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/02(日) 16:00:13
仏教教団で公式に神棚不拝打ち出してるのって真宗(連合)正宗ぐらいですか?
701 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/02(日) 16:01:54
>>695 2行目を肯定したら真宗門徒なんてゼロに等しいのだが。
702 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/02(日) 17:12:22
なんで神様を祀っちゃいけないのか分からん
703 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/02(日) 17:16:13
>>702 なんで神様を必要とし、祀らねばならんようになるのか・・分かって欲しい
今は伝統仏教の一員みたいな顔してるけど、一皮剥けば
新興のカルト教団だからなあ
そ そんなあ〜
カルトじゃないお ToT)
706 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/02(日) 19:36:54
>>703 じゃなんで仏様を必要とし、祀らねばならんようになるのか
いつも逆説に足元を救われる真宗理論
707 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/02(日) 21:19:30
私が聞かせいただいた中でお話すれば・・・
>>706 じゃなんで仏様を必要とし、祀らねばならんようになるのか
別に真宗理論だけでなく、日本仏教の各宗に言えることでしょう
なぜ仏を祀る=仏(法)が必要なのか
必要を感じない人生なら、何より素晴らしい
しかし、そうならないから仏(法)によって人生の有り様を
知ることではないかと。
神や他の仏(法)を祀らないのは、一つの道(阿弥陀仏の誓願とその救済)
をひたすら見つめる(見つめる心に育てられる)ことすら、容易ではない。
ましてや、二つ三つと重なれば困難でしょう。
あと何より重要な事は「こちらから求める」のではなく、「あちらが
準備され施されたこと」をただ受け止める事が肝要だからです。
709 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/02(日) 22:26:45
>>708 あと何より重要な事は「こちらから求める」のではなく、「あちらが
準備され施されたこと」をただ受け止める事が肝要だからです。
ならば「神を祀るな」とか押し付けないで放っておけばいいじゃないか。
どうして行動が伴っていなのかなぁ。
710 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/02(日) 22:27:24
真宗も民俗信仰を少しは、認めよう
>>709>>710 大事なのは「他力本願」にて信をいただく日々を進ませてもらう&浄土への道
を歩ませてもらう人生か
別にそんな事どうでもよくて、たまたま真宗と関係があるだけなのか
です。
別に真宗の教えや念仏には関心が無いし・・・だと、
「ほっといてよ」「俺の生き方に口をはさまないでくれ」になりますね。
「"神を祀るな"とか押し付けないで放ってくれ。真宗も民俗信仰を少しは
認めろよ」とは真宗での阿弥陀本願他力に抱かれ生かされるのみになる
だけなので自然と"他"に迷わなくなる(但し、神などそれ自体を否定すると
いう事ではない)事になるだけです。
私がお聞かせいただいた上でお話すると・・
大事なことなので再度言いますと、神や民俗信仰自体を否定するわけ
ではなく、阿弥陀の他力に生かされる者ならば「それを必要としなくなる」
ということです。
それなので、他の宗教や信仰、その信仰者や利用者自体を否定する訳では
ないと聞いた上でそう理解しております。
但し真宗門徒の自覚ある者なれば「いけませんよ、不要ですよ」という事。
>>712 >「いけませんよ、不要ですよ」
「不要ですよ」はまあ言いとして、「いけませんよ」は押し付けじゃないの?
一歩間違えれば、嘗ての「本願ぼこり」の異端になるんじゃないの?
親鸞は兎も角として、少なくとも、蓮如あたりは神祇の積極的排除をしていないようだが?
「いけませんよ」では確かに押し付けにもなるかな?
ココで簡単に書いちゃうと「いけませんよ」と言った方が簡単で。
弥陀の本願・その他力に依るので、その本願他力に依る者が「他の宗教
や信仰」に道を迷うのは弥陀他力への疑い、自力の心、雑行雑修等
になるのでしょうね。さすがにそれは阿弥陀の救済から離れていくことに
なるでしょう。
『聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候う。そのゆえは
、もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力と
して、仏のかたより往生は治定せしめたまう。』(聖人一流の御文)
の通りだと。
715 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/02(日) 23:48:13
神社に参らなくても信心ない奴は浄土へ行きません。
神社へ参っても信心有るやつは浄土に行きます。
神社に参るかどうかが往生の条件ではない。
716 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/02(日) 23:50:33
どちらが正しいのでしょうか?
@『聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候う。
A『聖人一流の御勧化のおもむきは、神祇不拝をもって本とせられ候う。
>>715 確かに。神社に行ってはいけない・・ではなく、神社に行ってお願い事を
しては阿弥陀本願を疑っている事=意味が無いになるでしょう・・・ですね。
厳密に言えば「行ってはいけない」ではない。
「神社に参るかどうかが往生の条件ではない」は、その通り。
しかし、そこで何(人間的願望成就や現世御利益を求める)をするかが重要
でしょうね。
>>716 当然@ですよ。「神祇不拝(のみ)をもって本」ではありませんが。
蓮如上人は神明三か条で
それ、当流開山聖人(親鸞)のひろめたまふところの一流のなかにおいて、
みな勧化をいたすにその不同これあるあひだ、所詮向後は、当山多屋坊主
以下そのほか一巻の聖教を読まん人も、また来集の面々も、各々に当門下
にその名をかけんともがらまでも、この三箇条の篇目をもつてこれを存知
せしめて、自今以後その成敗をいたすべきものなり。
一 諸法・諸宗ともにこれを誹謗すべからず。
一 諸神・諸仏・菩薩をかろしむべからず。
一 信心をとらしめて報土往生をとぐべき事。
そして蓮如上人は「忠臣貞女・外典」で
『さて南無阿弥陀仏といへる行体には、一切の諸神・諸仏・菩薩も、そのほか
万善万行も、ことごとくみなこもれるがゆゑに、なにの不足ありてか、
諸行諸善にこころをとどむべきや。すでに南無阿弥陀仏といへる名号は、
万善万行の総体なれば、いよいよたのもしきなり。これによりて、その
阿弥陀如来をば、なにとたのみ、なにと信じて、かの極楽往生をとぐべきぞ
なれば、なにのやうもなく〜〜〜」
との通りです。
おかしなことを言うなあ。真宗禿は。
他力本願で極楽往生が確定しているならば神祇を信仰しようがしまいが
極楽往生間違いなしという結果は不変だろ?
もしも神祇を拝む事によって結果が変わってしまうなら真宗禿の言う事は嘘800だな。
>>719 なんと! 真宗禿に思ってくれますか ある意味光栄なことなのかな。
>神祇を信仰しようがしまいが極楽往生間違いなしという結果は不変だろ?
私のお聞かせいただいた事では、それは自力かと思えます
他神仏を敬うというのならいいのですが、他へ信仰=信となれば「阿弥陀仏の
救い誓いを疑っている」ということでしかないでしょう。
神祇不拝というのは、存在否定や不敬ということではなく、敬う事はします
が、我を必ず救うと誓われた阿弥陀仏を唯一信じます・・(これでは自力的
理解になるので)・・阿弥陀仏から信を頂く身に育てて頂きます という事で
しょう。
信の対象が、阿弥陀仏になるのが本願他力に生かされる道を行く者の姿かと
存じます。
>>719 >もしも神祇を拝む事
敬うのなら問題ないのでしょう。その「神祇・諸仏も阿弥陀仏を誉め称え
念仏他力の道を勧めている」と理解出来ますので「阿弥陀仏を誉め、勧めて
いる神祇・諸仏を敬う」
『帰命はすなわちこれ礼拝なりと。しかるに礼拝はただこれ恭敬にして、
必ずしも帰命ならず。帰命はこれ礼拝なり』(教行信証行巻168P)
帰命には礼拝があるが 礼拝(のみ)には帰命は無いと言う事になると。
阿弥陀仏へ帰命せよ。
先祖十代まえからの純粋な氏子=神道信者一族の家庭ならその子孫が仏教の
信者になる=寺の檀家になる・・なんて言ったら怒られて止められると思う
し、ましてや神と仏の掛け持ちなら「どちらかにしろ!先祖が迷う」って言
われるような気がする。
本当は信じる道は一つの方がよく、その道を深める事がよいのでしょうが・・
日本人の気質としては「こだわらない、やりこまない、ほどほどに」と出来る
のでしょう。
>>720 >戦争に多くの国民を送り出してどの口がこんなひどいことを言うのか
真宗以外でも各仏教宗や各神道神社も同じ過ちを進んできたでしょう。
真宗に限った事ではありません・・が、真宗は真宗で「その過ち」を
忘れず、心に刻み「同じ悲しみを繰り返さない」ようにしないと。
決して悲しみ苦しみ過ちを忘れず風化させず、次の世代に言い伝えて
もう二度と繰り返さない。
世間での戦後はもうとっくに終わっても、真宗の戦後(検証と反省)は
永遠に終わらせないようにしないと。
725 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/03(月) 17:55:37
>>624 >戦時教学と本願寺の方針の過ちを総括しないいいのか
そんな必要ないと思うよ。
日本が敗戦したからそういう非難を受けただけで、流行みたいなもんだろ。
>>720 >真宗大谷派(東本願寺)大阪教区
>制作:教化委員会ホームページ部
ひどい内容だな、それw
まず、廃仏毀釈の話してるが、長州閥と結託することによって、被害を
最も少なく食い止めたのが真宗。仏教各派内では相対的には有利になった。
政治的意図、って、徳川幕府の都合で、全員強制的に寺の檀家になった
という話も、取り上げて欲しいもんだ。
なお、国家神道体制の形成には、真宗は大きく絡んでいる。
まあ、連中にとっては都合の悪い歴史は墨で塗りつぶすだけだけどなw
727 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/03(月) 19:45:45
ある意味真宗にとっても都合がいいかな>国家神道
廃仏で一番被害を受けたのが真言天台修験等の密教系、次に曹洞宗か
国家神道体制のおかげで宮中の宗教行事は密教式から神式にかわりまた門跡寺院の権威も失墜
今日夜九時から日テレ系で仏教の番組があるんだがみんな見るのかな
730 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/03(月) 20:40:01
>>729 タイトルみると真宗が一番スルーされそうな
おい、この番組はちゃんと浄土真宗の説明をしてくれたぞ
真面目に真宗のことを取り上げたら、
「戦国時代のどさくさで急成長した狂信的なカルト教団」
という内容にならざるを得ないからなあ
>>732 「戦国時代のどさくさで急成長した狂信的なカルト教団」は蓮如さんを
中興にする本願寺(本願寺派と大谷派)であって、他の高田派、仏光寺派
残りの真宗六派は「戦国時代のどさくさで急成長」には該当しないんだが
なあ・・
>>728 嫌いなんだね真宗が。憎いんだね。
"戦争に多くの国民を送り出してどの口がこんなひどいことを言うのか、氏ね"
そう・・国と宗を守る為に戦ってこい、皇国を守り抜くことこそ、阿弥陀の
本願に叶う事的な事を言って励ましてきたでしょう。
国を守る一兵として例え、死しても弥陀の仏法が有る日本を守る為ゆえ、その
命は間違いなく浄土往生する的な事を言ったのでしょう。
阿弥陀の仏法にゆがみも誤りもないのですが、その法を聞き広める上では
誤る場合があるという事です。そして人間は自己の生活や環境を守る為に
"敵を倒し、殺める事も正当化していく"・・その根性を持っていると内省
する事を欠かしてはいけないということです。
それは真宗だけに限ったことではなく、他宗他教、国家や人心においても
同様です。それだけイザとなれば怖いということです。
735 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/03(月) 23:44:30
>>733 急成長で割をくったところでしょ。>真宗六派
成り上がり教団というか
>>735 「戦国時代のどさくさで急成長した狂信的なカルト教団」
狂信的なカルト教団=一大要因は一向一揆かな?
一向一揆を純粋な宗教闘争とみるか、民衆革命とみるか
私は民衆革命と見ます。そのきっかけが真宗の影響というだけで。
むしろ「戦国時代のどさくさ」=政情不安、戦乱混乱、民衆の希望喪失等
の苦しみに答えきれる宗教が余り多く無かったともいえる
737 :
735:2011/01/04(火) 00:00:17
成り上がり教団というのは蓮如一味のことね
織田信長がいなければ大阪がバチカンみたいな宗教都市になってたかも
739 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/04(火) 00:25:24
誰が天下とってもある程度は抑制されていたと思うぞ。
そもそも、堺って場所が戦乱の世のおかげで発展した貿易都市だから、
平和な世になると経済的に終わっちゃう場所だし。
でも武田上杉毛利が天下に覇をとなえても織豊政権ほど強権的じゃなかろうから
大阪城の場所に今でも本願寺がデーンと構えてたんだろうな
>>734 残念ながら少しだけ違う。
門徒は一人でも多くの人が極楽往生できますように。禿は地獄に落ちますように
と心の中で願っているだけだ。
742 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/04(火) 09:20:46
15 仏 真宗大谷派 8,800 京都府 1,310,000
16 神 出雲大社教 225 島根県 1,260,603
ダイヤモンドに載ってた信者数
大谷派が門徒数を数えて回答した門徒数は100万人くらい
>>742>>743 大谷派は「お東騒動」で分裂した影響後じゃないですか
浄土真宗東本願寺派、(東山上花山)本願寺=財団法人本願寺維持財団、
(嵯峨野)本願寺、そして嫌気がさして西に付いた寺院も
>>741 :
何かあったようですね、真宗禿と。あなたの憎しみを生む因縁を
色んな禿げがいらっしゃいますからね。良い人に当たればいいが
悪い人に当たると苦労する事や真宗が嫌になるし。
746 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/04(火) 18:53:18
浄土真宗って聖徳太子を祀ってもいいの?
>>746 聖徳太子を祀る祀る
愚禿グトクと聖徳ショウトクで「対」みたいでいいね。
一万円札が
太子から諭吉になったのは
宗教的だからなの??
749 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/04(火) 20:24:03
そだよ^^
坊主バーって酒飲んでうさばらししようって所?
自ら進んで煩悩にまみれましょうって事なのかな。
他宗派だと坊主カフェでリラックスって事なのに
大谷派って仏教的じゃないよね。
751 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/04(火) 20:34:49
1万円札と聖徳太子で思い出した。
うちのばーちゃん、宝くじ買って当ります様に!って
本堂の聖徳太子の下に置いてたわw
もう諭吉に変わってからの話しだけど、1万円札は元々
聖徳太子だからだそうだw
752 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/04(火) 21:07:13
信心が足りない人は死後に浄土に連れて行ってもらえないってマジっすか?
>>信心が足りない=命終ののちに必ず浄土に生まれさせるっていう御仏の
願いを疑っているor不要だと思っている状態
聖徳太子がお寺本堂に奉懸されるのは、在家仏教の始まりとして敬われている
から。
755 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/04(火) 21:37:13
全く疑いを持たないまっさらな信仰を凡夫はどうやったら会得できるのでしょうか?
私は20年近く念仏唱えていますが、未だに心の底から往生を信じられず、
親鸞上人が書いてるような、落ち着いた心や嬉しい心になったことが一度もないんですが。
>>755 >私は20年近く念仏唱えていますが、未だに心の底から往生を信じられず、
本願によって他力妙味なる真宗の方ですか?
違うとなれば、話は別ですが・・・
唱えている、唱えてきた、これだけやったのだから結果は当然!
我がハカライの底深さは恐ろしいものです。阿弥陀のお救いへ疑いが
なかなか晴れないようで・・・しかし、法をただただお聞き下さい(お聞かせで)。
>>756 おや、真宗がお嫌いな方のようで・・
念仏してると地獄に堕ちますと言い切れる確証があるのでしょう。
実際に自力性の濃い念仏して地獄に行ってきた方なのでしょうか?
759 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/04(火) 23:07:11
親鸞の師である法然は往生に信心は必要だがとりあえず念仏の数をこなすことだけを考えていれば
その内に自然と信心も沸いてくると言っている
>>759 そうでしょうね
とりあえず念仏する・・その意味=願いを聞く・・だんだんと念仏していたのが
念仏する身に阿弥陀のはたらきによって育てられていたとハッとする=他力に
至る。
761 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/05(水) 00:10:01
念仏と称名は厳密には異なるのだが。
762 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/05(水) 00:37:39
>>755 自分の心を当てにしないことだよ。
助ける、という仰せをそのまま聞くばかり。
だからたまわりたる信心というんだよ。
如来の仰せがあるばかり。
自分は、心の状態も含めて、なんにもいらない、手ぶらなんだよ。全部、如来持ち。
お念仏が出ていらしたら、それはもう確かなんですよ。
763 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/05(水) 00:39:35
自分の心で作り上げた信心はあやしいもんですよ。
いつ崩れるかわからんぞ。
>>759 それに対して、「一念の念仏」と言ったのが親鸞だっけ?
んーっと
阿弥陀さまはもう救って下さってる(=往生できます?)
このありがたいこと(事?事実?お心?おはからい?)
に私たち凡夫が気づかされようと、気付かないままでいようと
阿弥陀さまはもう救ってくれている。約束してくれている。
これが浄土真宗でいいっすか?
中学英語の「受動態」を思い出しました…。
767 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/05(水) 10:17:35
そうなるともう宗教団体とか形である事の意味なくね?
てゆうか阿弥陀様の認識すらしなくても良い。
ただ生きてるだけでOK^^;
ただ生きてるんじゃなくて無為自然に生きるだけでOK。
本願がどうとか信心がどうとか、
いろいろ沙汰するのがハカライの多い生き方。
ただ無知で正直に生き、経文の一つも知らずとも
路傍の石仏にも自然に合掌できるような生き方がハカライ無き無為自然の人。
769 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/05(水) 18:59:28
まったく違うね。何がハカライ無き無為自然の人だよ。笑わせるなよ。
そんなのただ単なる無自覚なわがままな生き方じゃないか。
770 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/05(水) 19:02:32
766+全く違う。お前はすくいの構造が根本的に分かっていない。
771 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/05(水) 19:05:11
二種深信も親鸞さんの本典の総序さえ読んでいないな。救いは今だ。現だ。
ここに成就する。
772 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/05(水) 19:11:19
全く疑いを持たないまっさらな信仰を凡夫はどうやったら会得できるのでしょうか?
答えーー出来ない
私は20年近く念仏唱えていますが
答えーー念仏は唱えるものでなく称えるものだ。この字の意味が分かっていない。
親鸞上人が書いてるような、落ち着いた心や嬉しい心になったことが一度もないんですが
答えーー上人じゃなく聖人だ。しかもこの敬称は後の世の人が付けただけ。本人は愚禿釈親鸞と名告っている。
この自覚に注目せよ。
落ち着いた心、嬉しい心になると何処に書いてあるのか。
773 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/05(水) 19:13:51
>>770 救いの構造?そんなマニュアルみたいなもんあるの?
信心一つなんじゃないの、基本
774 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/05(水) 19:25:39
念仏したら地獄行きだと。しなくても地獄行きだろ。
法華経は菩薩に説いた経だぜ。その経でどうして凡夫がすくわれようか。
阿弥陀は罪悪深重の凡夫を救う。自分が菩薩なら法華経だ。凡夫なら阿弥陀だ。
775 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/05(水) 19:29:08
じゃあ阿弥陀
いや法華経は全てに説いた経です
信じない悪人すら救われますから
凡夫も救われます
アミダ経は二乗成仏が許されていません
またアミダ仏は誹謗正法を救わない
法華経を捨ててナムアミダしてもアミダに見捨てられて
法華経の経文にあるように地獄に堕ちます
しかし地獄で長く苦しんだ後に法華経を誹謗した供徳で成仏できます
おや、旦ちゃん、真宗スレにも降臨ですか
>>769 そう考えてしまうのが頭の中はハカライで一杯な証拠だよ
>>776 776番さん
「法華経を信じない悪人すら法華経で救われる」とは冗談ですか?
ならば「信じない」で終わりますよ。世間の法華経不信心の人は
みな、もう救われる事必定ですね。
阿弥陀如来の救いは一乗誓願です。
>>777 「雑行雑修 自力の心をふり捨てて」と御文にあります。他力に委ねさせられ
包まれていくのです。なので「アミダ仏は誹謗正法を救わない」という読み方
理解の仕方はしません。
阿弥陀如来のその経では法華経の文言は出てきません。
783 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/05(水) 23:20:36
住職が雪で本堂が壊れたからと修繕費を請求してきたのをみんなで断ったら、
「そんなことじゃ極楽に行けんぞ!」と檀家一同に怒っています。
親鸞は布施を極楽に行く条件としていたのでしょうか?
>>783 はいはい、では一言助言を
お文 一帖目 第十一通 電光朝露の
それおもんみれば、人間はただ電光朝露の、ゆめまぼろしのあいだのたのしみぞかし。
たといまた栄花栄耀にふけりて、おもうさまのことなりというとも、それはただ五十年
乃至百年のうちのことなり。
もしただいまも、無常のかぜきたりてさそいなば、いかなる病苦にあいてかむなしくなり
なんや。まことに、死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も、財宝も、わが身には
ひとつもあいそうことあるべからず。
されば、死出の山路のすえ、三途の大河をば、ただひとりこそゆきなんずれ。
これによりて、ただふかくねがうべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如来なり、信心
決定してまいるべきは安養の浄土なりと、おもうべきなり。
(次↓に続く)
>>783 問題はココからでして
これについてちかごろは、この方の
★念仏者の坊主達、仏法の次第もってのほか相違す★。
★そのゆえは、門徒のかたよりものをとるをよき弟子といい、これを信心の
ひとといえり。これおおきなるあやまりなり★。
★また弟子は、坊主にものをだにもおおくまいらせば、わがちからかなはず
とも、坊主のちからにてたすかるべきようにおもえり。これもあやまりなり★。
かくのごとく坊主と門徒のあいだにおいて、さらに当流の信心のこころえの
分はひとつもなし。まことにあさましや。
師・弟子ともに、極楽には往生せずして、むなしく地獄におちんことはうたがいなし。
なげきてもなおあまりあり。
かなしみてもなおふかくかなしむべし。
しかれば今日よりのちは、他力の大信心の次第を、よく存知したらんひとに
あいたずねて、信心決定して、その信心のおもむきを弟子にもおしえて、
もろともに、今度の一大事の往生を、よくよくとぐべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。
とかくのごとく本願寺中興上人の仰せです。
>>783 何が大事か・・・「他力の大信心の次第」を、よく存知した人に
よくよく聞いて(親鸞聖人の御言葉も含む)その後、信心決定してその
信心の大事な事を同じ他力の道に居る者にも伝え、共にこの人生での
一大事の往生を、よくよく問うべきなのですよ。
と言う訳で寺への寄付の多寡じゃない。法をよくよく「お聞かせ」頂く
ことが重要なんですね。また寺において、法を語ってくれと求める事も
大事なのでしょう。
・・そのように・・・こうして寺が重要な場になれば「寺に難事が起き
れば、喜んで援助するし、その甲斐が生まれる」と自然になりますが。
788 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/05(水) 23:52:27
なるほど、色々と有難うございました。
布施は別にそれほど教義上では重要なものではないのですね。
本堂の修繕費の問題は門徒一同としても協力したくないわけでないのですが、
住職がちょっとお金にだらしない人なので、
修理費の明細を見せてもらうまでは払いたくないといういざこざがありまして…
修理にいくらかかったのかを具体的に明かさない辺りが
今回もちょっとふっかけてる危険性がありますので。
789 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/05(水) 23:54:52
浄土真宗では「縁起を担ぐ」ことは認められていないので
お節料理を食べることは禁じられているんですよね?
ですよね?
ですよね?
790 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/06(木) 00:00:09
>>788 修理にいくらかかったのかを具体的に明かさない辺りが
今回もちょっとふっかけてる危険性がありますので。
プンプン匂うぜ!
縁起を担ぐ・・本来、縁起とは担ぐものでも担げるものでもなく。
縁起(縁によって起こる)を仏教語でみれば、全ての現象=結果には、
その原因と働き(影響)があり繋がっているということです。
吉凶という意味は仏教語には本来ない。
お節料理をその季節料理として恵みに感謝し食すのみで、それで運気が
上がったとか、開運だとか、長寿無病息災、子孫繁栄という気持ちに
持っていかないだけです。
真宗や正宗が国教になったら文化大革命なみに伝統文化が破壊されそうだな
>>788 大慈悲に照らされる「お互いお念仏の仲間」故、必要な額については正確に
見積もりを取り、それを素直に寺を守り支える皆に報告し、その上で協議し
出来る範囲で良き結論を出すべきです。
金額が不透明や別途割増疑いや説明下手なら、不審を抱かせ結局、仏法から
「お念仏の仲間たるお互い」を遠ざけている・・・にしかなりません。
>>793 >>718で、こう。蓮如上人は神明三か条
それ、当流開山聖人(親鸞)のひろめたまふところの一流のなかにおいて、
みな勧化をいたすにその不同これあるあひだ、所詮向後は、当山多屋坊主
以下そのほか一巻の聖教を読まん人も、また来集の面々も、各々に当門下
にその名をかけんともがらまでも、この三箇条の篇目をもつてこれを存知
せしめて、自今以後その成敗をいたすべきものなり。
一 諸法・諸宗ともにこれを誹謗すべからず。
一 諸神・諸仏・菩薩をかろしむべからず。
一 信心をとらしめて報土往生をとぐべき事。
このお決め・しばりがある。故に日蓮宗とその派生組織と同様にはなれない。
喪マイら折のポストに変なパンフを入れた浄土真宗 親鸞会だろ?
>>796 その親鸞会から憎まれ嫌われる方ですが。
>>793 直接的には無さそうでも間接的に伝統文化は破壊されそう。
真宗が盛んな所に越してきたけど、迷信という事で、今までの土地で馴染みのある伝統文化がさっぱり無い。
悲しい。
>>795 蓮如個人の思想と一向宗の行動にズレを感じるんですよねえ
>>799 破壊っていうか衰退ですね。「その地域」で全国平均的な伝統を理解する人が
出ない事に。
でも考えてみたら「その地域」では、全国平均的なの伝統文化を不要とする
プラス真宗での慣習文化が「その地域」の伝統文化なのでしょうね。
「その地域」で純粋に育った者なら、他地域に出たら「迷信」文化ばっかり
と昔は驚いた(今は情報伝達広域化なので否)のでしょう。
>>800 まあ 少し偏ったりもするというところでしょうか。
「諸神・諸仏・菩薩をかろしむべからず」は敬うが、信仰はしないという
ことでしょう。存在否定では無いということかと。
>>800 一向俊聖上人が祖の「一向宗」 正確には真宗のことじゃなかったりする。
>>801 実の所うちの地域は真宗かぶれの殿様が真宗を布教しまくったようで
衰退とかではなく破壊に近い。
キリシタン大名が寺社ぶっ壊したように。
為政者の行い次第では怖いことが起こると実感
>>804 ・・真宗かぶれの殿様が真宗を布教しまくったよう・・
一体どこなんですかソレ? そんな地域があるなんて驚きです。
その土地の大名等に弾圧された話なら数多いですが、逆とは。
為政者が熱心過ぎると怖いのは事実。相対する教えを遮り、更には禁制に
するほどに簡単に発展しますから。
逆もまたあり、為政者に嫌われると死罪、弾圧、解散、禁制、破壊と
恐ろしい事になります。
近すぎず、遠すぎずという均衡が取れる為政の方が結果いいのかも。
807 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/06(木) 08:50:32
>>791 なるほど、「縁起」はそういう意味があるのですか。
誤って使われているのなら正さなければいけませんね。
真宗僧侶が『阿弥陀如来より賜る信心』を振りかざして「お節料理破壊運動」をしないといけませんね。
2〜3年後は日本からお節文化が無くなっているかもしれませんね、真宗のおかげで。
真宗を保護した殿様?江戸時代ならともかく、戦国時代じゃいないだろ。
毛利は保護したんじゃなくて軍事同盟だし、秀吉も家康も服従させてから保護したようなものだし。
809 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/06(木) 09:06:22
あんな文化やこんな文化を否定して勝ち誇るのが他力信仰らしいっすよw
真宗を保護した殿様なら江戸時代には結構いたはず
戦国時代にカルト教団として急成長してあまりにも力を持ったため
大名とぶつかっただけで、基本的には権力とべったりなのが真宗の歴史だから。
反権力かっこいい、という戦後左翼に占領されてしまったので、権力者と
つながってきた歴史は無視されて、常に権力者に虐げられ、それと戦ってきた
という「唯物史観的真宗史」が作られてきた。
まあ、妄想に近いもんだけどね。
812 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/06(木) 11:43:36
団塊の真宗僧侶の教育水準の低さがうかがえますね。
あ、団塊に限ったことじゃないか、スマンスマンw
広島県(主に安芸地方)って真宗帝国らしい。
民俗信仰根絶やしにされてるかも
814 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/06(木) 13:39:59
五穀豊穣祭やお節料理なんかは邪教なんで存在しないんだろうな。
存在しないとは言わないよ。
人々が現に豊作を願って祭りをしたり、延命長寿を願って料理を作って食べたりするという
そういう風俗習慣があるということは否定していないはず。
ただ豊作を祈願しても必ずしも豊作にはならないし、
延命長寿や子孫繁栄するという食べ物を食べても
思うがままに寿命が伸びたり子だくさんになったりするわけじゃない。
この世で欲望を叶えようとあれこれしても思い通りにいかない、無駄ですよと。
そういう「世間虚仮」の意で、五穀豊穣祭やお節料理を否定はするが。
>>807 いや別に「お節料理破壊運動」なんて起こりえないと思います。
『真宗僧侶が 阿弥陀如来より賜る信心 を振りかざして
「お節料理破壊運動」をしないといけませんね』なんてしないでしょう
お節料理を否定するんじゃなくて、お節料理の祈願的意味合いに頼らない
という事
皆さんそうでしょう。神社で交通安全お守りを買った後、交通事故に
なったからと言って「お守りの御利益無効果だ!」と神社社務に噛みつき
ますか?・・・しないでしょう。
どことなく「通じない、叶わない、思った通りにいかない」と知っている
からでしょう。
結局、唯物論に行き着いてしまうわな。
だから、阿弥陀も浄土も頭の中だけの架空の概念になってしまう。
マルクス主義と相性がいいわけだ。
>>817 そう? 真宗って結局唯物論にしか留まらないもの?
唯物論って結局なんだ?と思ってwikiで見れば下記
事物の本質ないし原理は物質や物理現象であるとする考え方や概念。
非物質的な存在や現象については、物質や物理現象に従属し規定される
副次的なものと考える。物理主義(ぶつりしゅぎ、英: Physicalism)
とも言う。対語は唯心論。
対が「心」だから、唯物って形有る物しか存在しないってことかな?
日本の伝統的な人々のなかには、「唯物論 即イコール マルクス主義」
あるいは「唯物論 = 社会主義」ととらえ、唯物論="資本主義陣営の敵"
であるかのような反応を示すことが少なからずある。しかし論理的に検討
すれば、唯物論とマルクス主義・社会主義は必ずしも同一ではなく、
「唯物論者かつ社会主義者」もいれば、「唯物論者かつ資本主義者」もいる。
一般的に唯物論は現実的、科学的であると理解され、観念論は、非現実的
・オカルト的である。
以上wikiちゃんから借りたです。
借りもんの知識コピペするようではいかんね。
で、君は阿弥陀と浄土は本当に存在すると思ってるの?
>>820 ではあなたの知る唯物論とは何でしょうか。
頭を垂れて「教えて欲しい」ですm(_ _)m
>>821 まずは君の中の阿弥陀如来と浄土の概念を話してもらおうか。
その方が話が早いだろうし。
どこにあるの?それは科学的に証明できる?
>>820 阿弥陀は有る。 それは私が称名念仏する身に育てられているから。
それでいいのです。
浄土は存在する。本願での他力の極まった所。それが浄土。
それでいい。私にとってはそれで良いのです。任せきれる境地で。
>>822 科学で822さんが生まれてきた理由が説明出来ますか?
生まれてこなくてもおかしくない。・・・お互いにね。
命を証明、明確化出来るでしょうか?
単なる生体信号とか生体電気等でしか言えないのかと。
>>822 科学や化学では突き詰めると最終的には「神が創りたもう事」で
終わります。
全てを証明しきれないのだから・・・「神が創りたもう事」の
その答えでいいのです。
>>824 すぐに真宗の連中はそういう話に持って行くw
で、浄土はどこにあるの?
>>826 >すぐに真宗の連中はそういう話に持って行くw
そうですね。いや仏教各宗自体ソコへいくでしょう。
だって科学はそんな事に答えなくてもいいのです。そこに答える事を
科学に求めていないと思います。
浄土は、本願での他力絶対の所。疑心有る事なき完全な他力「信」の世界。
これで私には十分ですが。
>>827 自分の信じるところにある、それでいいんだけど、ではなんで
>>816みたいなことを言うのかな?
>どことなく「通じない、叶わない、思った通りにいかない」と知っている
からでしょう。
みたいな馬鹿にした言い方を真宗の人間はよくするが、結局は君の中の
浄土や阿弥陀と、そういう祈願も同類じゃないの?
信じるか信じないか、という点に置いては。
何か違いがある?
自分の信じるものだけが正解で、他は間違いということ?
>>828 あなたは科学を信じ、唯物主義を当て頼りにする。それでいいでしょう。
否定はしません。なるべく、注意して。難しいけど。
「自分の信じるところにある」は私から離れられない自力の境地です。
信じるという損得の思考が働きます。
「自分の信じるところにある」のと「信じさしめられる所がそう」なのとは
違うのです。思いこむのと納得させられるのとは違うように。
だから「他力」となるのです。他力によって生かされていると。
神社の神様へも「願望を叶えて、頼む!」より「日ごろの感謝をする」のが
本当でしょう。
どんな出来事が起きても「有難うございます」と感謝していく事。
>>829 >思いこむのと納得させられるのとは違うように。
だから、一緒だって。
君も思いこんでるだけだろw
真宗的wに言えば君は
「浄土は、本願での他力絶対の所。疑心有る事なき完全な他力「信」の世界」
という迷信を無理やり思いこんでるだけなんだよ。
何を信じるのも自由だが、あまり他のもんを馬鹿にするのはよくないね。
結局は阿弥陀も浄土も同じ迷信なんだし。
>>828 科学を否定しなければならないのが宗教(正確には仏教ですね)では
ないと思います。科学とは別の目線にあるのが仏教なのだと。
現代科学は逆に仏教を否定排他しなければならないのでしょうか
やはり科学も仏教とは違う目線の「問いと答え」だと考えます。
人が生まれたのは神の所業とキリスト教ではなりますが
仏教では仏が創ったとは言いません。因が有り、縁が催して人が生まれる
果になったのみ、です。全てには原因と経過、影響と結果というサイクル
が必ず存在するという縁起の法です。
>>830 ふふふっ あなたは面白いですね。
今私もあなたが2chしているのも「思いこみ」かも知れませんよ。
これは夢かも! 実は植物人間で病床で寝たきりでしかない二人かも。
マトリックスの主人公が営んでいた社会生活の「ような」疑似脳信号かも。
それが迷信の真実なのかも。
>>何を信じるのも自由だが、あまり他のもんを馬鹿にするのはよくないね。
それについてはその通りです。但し「私はこう考え、理解して生活している」
というnつもり・・のハズでしたが、言いすぎたのでしょうか?
>>816 妙好人の源佐爺がその事に答えておられましたね。
思いだしました。
「鬼門が行ったようだね、さあ井戸を掘ろう」と。
カルト教団では自分の拝むもんは本当にすごいから、他のもの信じてる奴は馬鹿、
となるのは普通のこと。
むしろそうでないと短期間で爆発的には広がらない。
>>834 先ほどから暇のままにカキコしているヤシです。
「自分の拝むもんは本当にすごいから他のもの信じてる奴は馬鹿」
親鸞さんはそう言っていないな、確か。
他の教えは素晴らしい物が有るが、自分が愚かなのでどうしても実践出来ない
しかし「その愚か」に合わせてくれた"教え"に会ったので、歩ませてもらおう
なので親鸞さんの真宗はカルトじゃないと一人で頷く。
結局は真宗門徒も迷信バリバリなんだよな。
昔は門主の風呂の残り湯をご利益あると争って飲んだりね。
明治になって、キリスト教が入ってきてその教学に衝撃を受けて
こんな迷信じみた草宗教ではいかんと、理屈を組立始めた。
その理屈を解読するのが楽しい連中が親鸞オタクになった。
たいてい男だ。
しかし、その理屈は一般人の感覚とはかけ離れてる。
結果、寺は葬儀法事で飯食ってるだけだし、親鸞会みたいな
新たなカルトが起こってきた、と。
>>836 >昔は門主の風呂の残り湯をご利益あると争って飲んだりね。
なんら効果は無い・・・但し、一体感というかその人に一瞬でも同化出来た
感はある。
アイドルのおっかけが"握手会で握った手を洗いたくないのと同じで 。
でも信心自体には関係しないので効果無しでしかない。迷信というより
思い違いとも。
>>明治になって、キリスト教が入ってきて
キリスト教というより欧米の先進科学が入りその結果、科学優先とその
実証主義化してきたので「とにかく念仏しましょう」という誰でも簡易な
行のみでは進まなくなってきた。ついでにいうとキリスト教側と神道側から
の否定=大乗とは釈迦の説に非ず・・論を強く持ちだしてきたので。
キリスト教にしても・・一番最初の事実「人は神が創りだした」=神を信じ
なさいは「疑わず、それが真理と受け入れるのみ」
>>836 >その理屈を解読するのが楽しい連中が親鸞オタクになった。
まあオタク性はあるかな。宗教は皆有る。でも親鸞・・というか阿弥陀の
他力法で自己と世界を見つめる事が出来、人生が開け広がってきました。
>その理屈は一般人の感覚とはかけ離れてる。
そこは有る意味当然。それが仏教なのですから。四苦の苦悩から逃れられ
ない生き方から解放される訳ですから、フツーの生き方なら、そんな事は考え
もしないです。
>>836 >結果、寺は葬儀法事で飯食ってるだけだし、親鸞会みたいな
新たなカルトが起こってきた、と。
そもそも、本願での他力法はそうそう簡単じゃない。煩悩の身のままで涅槃
の境地に至らしめられるので。煩悩を絶つ道の方が理念的には容易です。
伝え語るべき対象がとにかく多いのです。そして時間もかかる。
となると「とにかく寺を続けていく事も大事」と答えが出る。葬儀法事で
寺を維持運営継続する事で終わってしまう。
それを批判したのが親鸞会で有る意味「過ちを教える鏡」的会なのです。
ただ親鸞会としては自力が強く異端に進む可能性が多いのが危ないのですが。
何も真宗に拘らず、仏教(釈迦の物と言える)に拘ればどうでしょう?
>>836 各真宗の教団が拡大する=寺受け檀家制度の影響によって、その信仰教義に
惚れて信仰するという理由ではなく、入信入檀しないとなにかと不都合がある
という損得なので、対処出来る数をゆうに越えたのでしょう。
でも続ける事が大事・・と優先されただけです。
841 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/07(金) 00:36:34
浄土は西にあるんだぜ。アミダ経にあるだろ。これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽と言うってさ。
だから自分たちは弥陀の浄土から見れば東にある諸仏の一人である釈迦仏の国に居る衆生だな。次ぎに
大経には下巻の「東方偈」に
無量寿仏の威神極まりなし。十方世界の無量無辺不可思議の諸仏如来、かれを称歎せざることなし。東方恒沙仏国の無量無数の諸菩薩衆、
みなことごとく無量寿仏の所に往詣して、恭敬し供養して、もろもろの菩薩・声聞の大衆に及ぼさん。経法を聴受し、道化を宣布す。
南・西・北方・四維・上・下、またまたかくのごとし」 ってあるだろ。
東西南北上下の世界から阿弥陀の所に往詣して、恭敬し供養しているとあるんだから
簡単に言えば浄土は諸仏の真ん中、中心にあるんだよ。
「阿弥陀とは南にあるを知らずして、西を願うははかなかりけり」
843 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/07(金) 00:50:57
阿弥陀の世界は十方諸仏の世界の中央にある。ところが
『観経』には阿弥陀仏の世界に生まれたいと願う韋提希にお釈迦さまは
「なんぢ、いま知れりやいなや。阿弥陀仏、ここを去ること遠からず」と
説くわけよ。さらに
天親菩薩の『浄土論』には「彼の世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり、
究竟して虚空の如し、広大にして辺際無し」と阿弥陀の世界を無辺と説くわけ。
何を言いたいかというと簡単に言えば辺なしだから、すべて阿弥陀の世界なのさ。
一切すべて阿弥陀なんだけど、とりあえず方向を示しただけね。
阿弥陀さまは無辺より辺(方角)を示しているんだよ。阿弥陀とは空の別名。縁起の法の
ことだぜ。
844 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/07(金) 00:54:21
阿弥陀の世界より私たちの娑婆の方角をみれば東方であります。そして説かれているように、阿弥陀さまの世界の南や西にも諸仏の世界はあるのよ。
そこではお釈迦さまと同じように悟られた仏さまが、三部経をお説きになっていますが、南の世界では「ここより北方」とお説きになり、
西の世界では「ここより東方」と説法され、北の世界では南方と説法されている。このように阿弥陀さまの世界は十方諸仏の世界の中央にあるのです。
>>843 よく御存じで。シャカに説法だったかな?
>>阿弥陀とは空の別名。縁起の法のことだぜ。
その由来はいかに。
>>843 >すべて阿弥陀の世界なのさ。
そうだと思います。すべてが阿弥陀の法に包まれた世界か
いたるところに有るのが阿弥陀という法の姿か
そんなところかと。
>>845 親鸞聖人は「涅槃経」を長々と引用して説明してるよ。
簡単に言うと、
如来=真如=涅槃=縁起=空ということ。
>>847 空ね。やはり通じるモノがあるのでしょう。
無我とかにも。そして「他力」となると。
850 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/07(金) 01:32:15
由来は直接的には司馬遼太郎さん。本に書いてあったよ。阿弥陀如来というのはつまり空の別名だって。
空と縁起の法は龍樹菩薩の説くとおり。同じ。と考えて、だったら興味が沸いてきたのは
親鸞さんがそれをどう表現したのか。と言うことだね。
空・縁起の法の働きがどう説かれていて表現されているか
それがどう私に伝わってくるのか。
私はその働きを知ってどうなるのか
そういった事をしりたいね。
>>850 よくは解りませんが、私が受け取ったことでは
阿弥陀如来は「限りない、際果てが無い、縛りつけ閉じ込めることが出来ない」
ようなことかと思います。つまりどこにでも何にでも存在するという。
・・だから、私と言う枠も取っ払われることだろうと。
阿弥陀という「一つ」になるのではないかなあと思っています。
完全なる「信」は、完全なる「他力」を生むんじゃね?
脳内にしか存在しない、架空の阿弥陀、架空の浄土を
自慢げに語り合っても仕方あるまい
さらに、釈迦とは何の関係もないし
釈迦「阿弥陀・・・? 何それ・・・? 」
的な状態ですよね
ここって誰が主に書いてるの?
在家?寺族?住職?若?布教使?学生?他教の人?
856 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/07(金) 12:34:28
「十方」というのは「空間」のことですね。
衆生にはとりあえず方向を定めたわけであります。
「三世」というのは「時間」のことですね。
衆生にはとりあえず「過去・現在・未来」と区切ったわけであります。
さて、空間に果てが有るのかというと、無いわけであります。
果てがないから中心の定めようがないわけであります。
そして時間に区切りが有るのかというと、無いわけであります。
区切りが無いから中心の定めようがないわけであります。
みなさん、続きを聞きたいですか?
寺族って…選民意識のなにものでもないな
重誓名声聞十方〜
三歳息子が大好きなフレーズ。
>>853 架空の阿弥陀、架空の浄土・・・仏も法も全て架空。宗教なんて
自己暗示の自己満足でしかないね。
全て脳内麻薬の成せる技なんでしょ。
日本の仏教は全て釈迦の そんな事言ってないぞ という言葉でしょう。
そんなことないぞ。
「論註」や「涅槃経」に依って空・縁起から阿弥陀如来・極楽浄土を明らかにしたのは親鸞聖人の独壇場だ。
×「架空の阿弥陀、架空の浄土・・・仏も法も全て架空」
○「空の阿弥陀仏、空の浄土・・・仏も法もすべて空」
まさしく般若心経などで説かれる釈迦の一切皆空の教え通りで、他の宗派からも文句のつけようがない。
「じゃあ一切が空だったら阿弥陀如来も浄土の種々荘厳も存在しないの?」と思うかも知れないが、
「いや、一切が空だから、一切が成立する」と経典も親鸞聖人も説いている。
阿弥陀如来や浄土は一切空であり色も形も無いが、一切空であるから三部経に説かれる一切の色や形が成就している。
言葉遊びだなw
862 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/07(金) 17:20:48
阿弥陀様を信じるのは迷信ですか?
863 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/07(金) 18:15:12
迷信=民間信仰
と考えるなら多くの大乗仏教の宗派では迷信ではないが
迷信=非科学的
と考えるなら何の証拠もない存在なので迷信です
親鸞自身も阿弥陀は本来は理屈で捉えられない存在だと言っています
阿弥陀如来が救ってくれて浄土に行ける、というのも民間信仰だろ。
阿弥陀=民間信仰=迷信
竜樹が仏教なら親鸞も仏教。
竜樹が仏教じゃない、という人もいるから、そういう人にとっては親鸞も仏教じゃないね。
竜樹は、真言宗の祖でもある
867 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/07(金) 19:01:57
浄土教って別に法然や親鸞が考え出したものでもないしなぁ。
大乗非仏説とか持ちだすんならもう日本仏教は全部迷信って話になるし。
868 :
結論:2011/01/07(金) 19:27:48
宗教なんてマインドコントロルで結局、大迷信だよ
民主主義も迷信。社会主義も夢物語。理想的国家や国民生活なんて迷信の夢
物語に酔っているだけ&そう信じているだけね。
友人愛とか家族愛とかも「条件」によって崩れる『幻、幻想』。
幸せってのも人それぞれで本当はうやむや。
幸せに一つの形があるとすれば「人の受け売り」
この世に存在していて「価値の有るもの」なんてあるのかい?
ただ「意味や価値がある」と思い込みたいだけだろう?
じゃないと、何もない明日を生きるのが辛いもんなww
869 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/07(金) 19:29:17
なんかポストモダンに嵌ってしまった人みたいな言動だな
(狂信的な)門徒は七草粥なんて迷信と否定するんだろうなあ
阿弥陀という迷信を信じてるのにw
.
自我を滅却する手段としては、阿弥陀信仰は最良の手段だな。
言いかえれば、阿弥陀信仰はもっとも優れた「禅」ともいえる。
低いレベルでものを見るから、「迷信」 と見える。
もっとも優れた「禅」、ワロタ
まあ、禅の前座にはいいかな。
小難しい理屈振りかざして喜んでると、ある時ふと、阿弥陀も浄土も
縁起も、実はただのガラクタであったことに気がつく。
ガラクタはさっさと捨てた方がいいね。
この真宗批判の人たちはなに?
クククッ
禅と真宗の他力が似ているとは、まさか誰も気づくまい。
やはり小難しい理屈なのかね、浄土とか・・・
って考えた事はあるけどね
禅であろうと空であろうといつか「筏」を捨てる時が来るのだ。
お釈迦様は次のことを説かれた。街道を歩み行く人があって、途中に大河を見た
としよう。そうして此の岸は危険で苦しみ多く、彼方の岸は安穏で苦しみがない
としよう。しかも此の岸から彼方の岸(彼岸)に行くのに渡し舟もなく、また橋
もない。そこで、その人は筏を組み、その筏に依って彼方の岸に渡った。かれ
が渡り終わって彼岸に達したときに、次の思いが起こった。この筏は実に益す
ることが多かった。我はこの筏を頭に載せ、あるいは肩に担いで進もう、と。
このようなことは、その筏に対してなすべきではない。筏に対してなすべき
ことは、その筏を捨てて進むことである。私は、彼岸に渡るために、執着を
捨てるために、この筏の譬喩の法を説いた。修行僧達よ、実に筏の譬喩を
知っている汝らによって法(仏教)もまた捨てられるべきである。
仏法という言葉の理念理屈から脱する時が来る。
>>876 そうそう筏なんてガラクタはいらねえよ。岸を渡ろうとするから苦労すんだって
向う岸を知らずに「見ない」って解決法もあんだってばさ。
>>875 まあ、しょうがないですね。小難しいのは。実際小難しいというかなかなか
難解ですから。
氷すら出来る事もない灼熱地帯居住の子供に「雪」とは何か?と知らせるには
相当小難しい説明をして「分かってもらう」ことになるでしょうから。
880 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/07(金) 22:28:34
881 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/07(金) 22:35:03
法然も親鸞も最後まで信徒たちに阿弥陀の願いと
浄土を確信させるのには苦労してたようだし
882 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/07(金) 22:40:35
言葉という表現方法もまた真実を知らせるための方便、
つまり、手段の一つである。
というのも、人間は言葉をコミューナケイシャンとして使用するからである。
883 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/07(金) 22:49:34
>>言葉という表現方法もまた真実を知らせるための方便、
空気をどうやって指示し限定し、説明するか・・・
言葉を使って「そういうものだよ」と共通理解にするしかない。
884 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/07(金) 23:56:44
「空」とか「涅槃」とか「如来」という言葉そのものは方便ではあるが、
その指し示すもの、つまり、その「性質そのもの」を「実体が無い」と言わざるを得ないのである。
その性質を古来より、諸行無常などの三法印、不生不滅などの八不、であらわし、
アビダルマ・唯識の学問が発達してきたのである。
何より忘れてならないのは、私自身も空なる存在の一部であるということである。
885 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/08(土) 03:41:39
アミダ如来とは光明無量にして、十方の国を照らすに障礙するところなし。
仏の寿命およびその人民〔の寿命〕も、無量無辺阿僧祇劫なり。ゆゑに阿弥陀と名づくと経典にある。
障礙については一つには外障で、山谷雲霧烟霞等がそれで、二つには内障で、煩悩悪業の障り。
要するに悪業煩悩に碍へられることないというわけだ。
また他の仏と比較しても無量寿仏の威神光明は、最尊第一なり。諸仏の光明、及ぶことあたはざるところなり。
あるいは仏光ありて、百仏世界あるいは千仏世界を照らす。要を取りてこれをいはば、
すなはち東方恒沙の仏刹を照らす。南西北方・四維・上下もまたまたかくのごとし。
とあるから諸仏の中でも、もっとも阿弥陀如来は優れているということか。
886 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/08(土) 03:51:40
でこの阿弥陀如来の光は未信の人を信心の世界に誘引し、衆生の一切の煩悩の闇を破り
信心の人を摂取して捨てることがないとある。そしてついには人民〔の寿命〕も、無量無辺阿僧祇劫なりだから
無量寿になる。これはともかく、阿弥陀如来の働きは私たちの煩悩に障られないわけだ。
887 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/08(土) 04:09:36
ところでもしこれが本当なら私たちは煩悩をもったままでも関係なく、阿弥陀如来に
摂取されることになるぜ。なぜ煩悩より弥陀の光の方が絶対的に強いと言えるのか。
今までどうして弥陀は私を救ってくれなかったのか。
だってそうだろ。絶対的に迷いの元である煩悩より弥陀の光が強く、障りないんだったら
私たちは当の昔に救われているはずだろ。弥陀は永遠にいのち無量で光を照らしていて、
光の届かないところはないと言ってるわけだろ。だったら私は遙か昔にその光に照らされ救われていないと
いけないのに、今救われずに煩悩を持ったままここに居るではないか。
今この迷いにいると言うことは過去に一度も光に会っていないからだろ。
矛盾してないか。
>>887 ガ━━(゚Д゚;)━━ン!
確かに・・・
889 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/08(土) 08:45:31
その「光」というのは眼で見えるものなんですか?
>>887 「絶対」としてしまって、考えを詰めていけばそうなるわな。
キリスト教の予定説みたいなもんだ。
キリスト教のゴッドは創造主、絶対主だから理屈は通るが、阿弥陀如来を
絶対とするとそれは何なんだ?ということになるわな。ゴッドの位置に持って行くか、
この世界=阿弥陀みたいな、わかったかわからんような禅問答に持って行くか。
真宗布教使は論外として、親鸞オタクや親鸞会の連中も他の宗教についての
勉強が足らないね。一度キリスト教でも勉強してみたらいいよ。
891 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/08(土) 09:45:49
完全無比なる神を想定するといろいろ矛盾が出てくるのはキリストと同様。
無量寿経の著者はむしゃくしゃして大げさに書いた。今では反省している。
892 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/08(土) 09:50:23
第一、絶対とか永遠とか、仏教の基本の考えと逆じゃん。
893 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/08(土) 12:44:49
894 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/08(土) 12:50:40
「絶対」なんて概念が紛れ込んできたのは明治以降だろ
これも西洋哲学の影響だろうな。
895 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/08(土) 12:51:34
>>890 この世界=阿弥陀みたいな、わかったかわからんような禅問答に持って行くか。
あなたの言う「この世界」の範囲を規定してください。
>>890 勉強が足らないね。一度キリスト教でも勉強してみたらいいよ。
確かにキリスト教神父や牧師の勉強熱心には見習うべきものがある。
しかしだな、キリスト教信者やその導師に当たる方へ「一度仏教でも
深く勉強してみたらいいよ」としても、そうはしないよね。
偶像崇拝の仏教という理解ゆえに。
>>892⇒第一、絶対とか永遠とか、仏教の基本の考えと逆じゃん。
普遍 不変 無常 真実 一切 久遠 無始無終 とかが元々で。
>>896 欧米のインテリ層では仏教への傾斜が結構見られるよ。
哲学、理論物理、神経科学なんかの分野で。
どっちかというと、キリスト教に対しては批判的だな。
まあ、日本の葬式仏教とは関係ないけど。
欧米のインテリで、日本に興味がある人間が関心を示すのは神道だな。
日本に興味ある前に東洋に興味があるから、だいたい仏教は学習してる。
すると日本の仏教は、あれは仏教なのか?と感じるらしい。
特に真宗まで行くと、思想は面白いがこれは仏教ではない、と断言する奴が多い。
鈴木大拙なんかもいるし、日本仏教への関心も高いよ。
「禅」は日本という理解だよ。中国が本家だけど、日本で純粋培養されたからね。
浄土真宗については、たとえばカール・バルトなんかが教会教義学で別個にとりあげている。
これはキリスト教徒の対比で持ち出してるね。「信」の理解については、ここまで行ってるのはキリスト教と真宗だけという評価。
ただし、バルトはクリスチャンだから最終的には否定するけど。
仏教の一方の極限形態。もう一方が禅だね。
その中間に他の大乗諸派が来るんじゃないの。
神道に関する興味となると、ちょっと異質だろ。
信仰とか宗教というより、ほとんど民俗学とか文化人類学的な関心だろ。
>>887 「月影の 至らぬ里は無けれども 眺むる人の心にぞ住む」
救いを遮り、逃げ回っている側は誰なのだろう?
一休禅僧と蓮如念仏坊の「疑蓋」での逸話でも示されている
(・ω・)今日の議論?は面白いな。
>>901 真言密教なんか一時期酷いもんだよ
淫祀邪教扱い。
空海の三教指帰なんか紹介すると「スゲー」ってなるんだが
906 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/08(土) 23:01:15
少なくとも近代の真宗は
西洋哲学の影響を受けて再解釈してる部分は多いんだから
そういった点を無視するわけにはいかんでしょ
「親鸞の思想なのか」という問題は確かにあるけど
西洋哲学による再解釈とか、キリスト教と比較したりとか、
あんまり意味がないというか、すごいまわり道だなという気がする
あーでも、西洋哲学やキリスト教が無条件で常識っていうか、いいものとして流通しているとしたら
逆に、批判的に検証して仏法との違いを明らかにしておいたほうがいいのかもね。
909 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/08(土) 23:29:20
阿弥陀仏は丹田にあり
910 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/08(土) 23:44:05
あー書き込みしたい
911 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/08(土) 23:50:59
西洋哲学で親鸞を解釈する奴なんて「西洋かぶれ」なだけじゃないのか?
親鸞思想と西洋哲学の思想を一致させようとする人がいるみたいだけれど
ホント、バカだな、と思う。
真宗と禅は意外に近いと感じる。
なんか、つきぬけた感じというのか。
禅の、私こそが仏、っていうのと
如来に救われているはずと信じきる、っていうのはかなり近いと感じる。
913 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/09(日) 00:00:56
2時間、やれよ。
あと、真宗はやたらキリスト教に近いと感じる。
真宗で歌われる歌は賛歌・賛美歌に聞こえる。
蝋燭をもって行列する儀式はカトリックのミサによく似ている。
本郷の会館は教会と間違える。
915 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/09(日) 00:08:09
キリスト教はどんなに頑張っても人間は神になれないが
仏教は阿弥陀のはからいによってアホでも仏になれる
>>912 の
>如来に救われているはずと信じきる
っていうのは親鸞教学的にビミョーだけど
我執を捨て去るor我執から引き離されていく という理念は
似ていると思う。
また、天台の法華一乗思想とも近しいし、日蓮題目の煩悩即涅槃的な所
も通じる物があるとおもう。
917 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/09(日) 00:15:16
神も仏も位置付けが異なるから、
なれるとかなれないとか比較のしようがないのだが。
そういう思考回路は宗門の最高学府であるR谷大学で学べるのですか?
918 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/09(日) 00:18:33
919 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/09(日) 00:20:19
>>914 本山のお勤め部隊がしっかりしていないから変な方向に走っちゃいましたw
>>914 当たり前だろ。門主の風呂の残り湯を有り難がって飲むような
日本的な草深い田舎宗教だったのに、明治時代にキリスト教を
参考にして教学を無理矢理作ったんだからw
一般門徒に「阿弥陀は絶対」とか言ってみな。一番偉いとか、とにかく偉い
みたいな認識だぜ。それは相対なんだけどな。
日本人は相対の世界にしか生きてないからしょうがない。
絶対、なんて理屈作っても、一部の屁理屈屋にしかうけない。
>>912 の
>如来に救われているはずと信じきる
っていうのは親鸞教学的にビミョーだけど
ビミョーですか。ここのあたり私もよく知りたいので
詳しく解説お願いできましたら・・・
私も死ぬまでに信じきれて歓喜したいのですが・・
922 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/09(日) 01:37:22
親鸞は多少は問題がある人間も浄土の辺境に生まれられると言っていますが
これは何の経典を根拠に言っているのでしょうか?
923 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/09(日) 03:56:08
世間でいう、その意味での「多少」と
仏法でいうその意味での「多少」は意味が異なる。
また、善悪の意味が世法と仏法では違う。
豊中のマンションオーナーのばあさんが餓死していましたが、真宗禿も
もれなく餓死して極楽往生しますように。ナムナム。
926 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/09(日) 21:21:53
浄土の辺境って概念が親鸞の妄想っていう有名な話のこと聞いてんじゃないか?
親鸞って大麻か阿片やってたんじゃないかな
>>925 まあまあ、真宗禿の嫌われっぷりがすごいこと,すごいこと
925の君が親鸞界や創価世界人というなら,大いに納得です。
929 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/09(日) 22:27:59
普通の感覚なら
>>925みたいな発言はしないんだろうけど。
>>929 えらそうなことをいうなら本願寺の周りに居る浮浪者の一人でも救ってやれよ。
口だけだから禿は信用なら無い。聞こえてくるのは禿同士の争いと
親鸞の墓が金ぴかになりましたとかいやみったらしいったらありゃしない。
>>930 君も慈悲行として君が出来る範囲の善事をやってくれ。
真宗禿は無用の長物とばかり、蔑むだけでは世の中は良くならない。
相手を思いやる気持ちが増え広がれば 皆幸せになるのだから。
そうした行動の君の姿に感化される真宗禿も出てこよう。
>>930 言われる前にやってるわ(怒)
禿の偽善ぶりに腹も立つわい(ちなみに層化や親鸞会じゃなく北陸門徒だぜ)
キリスト教みたく炊き出しでもすれば良いのに
都合の悪い所はマネしないんだよな
>キリスト教みたく炊き出しでもすれば良いのに
昔の仏教(寺院、僧侶)が炊き出しなどで困窮救済の事業をしていた
ようです。
いつの間にか・・ほとんどしないようになった(と思える)。
江戸期の寺檀制度=ぬるま湯環境のせいでしょうか?
でもごく、ごく少数の寺院や僧侶団体で「してますよ」と聞きます。
少なすぎて目立たないようです。創価ではどうなのでしょうか?
お真宗お禿は 教えを伝える側や慈悲を施す側というより
寺院を守り維持する事が仕事になっています。
それが「真宗への不満」の一因なのでしょう。
阿弥陀の御力とやらで救われる事が確定してるそうだから
炊き出しで現状を救う必要が無いのかもしれない
つまりは死ぬことが救いと
937 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/10(月) 13:56:43
自力で善を積んではいけないんですので貧者を助けたいけど我慢してるのです
ご門徒は真宗お禿に「困窮者救済の炊き出し」などを望んでいるのか?
です。
そんな事より先祖の供養を優先に望まれた・・果たしてどうするか。
>>937 それを自力の善と思わなければいい。報恩行にすればよいのでは?
もしくは伝道活動の一環で。
自力の善に抵触するから・・ってのは、言い訳になってしまいますね。
940 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/10(月) 21:42:17
別に親鸞は悪を勧めて善を抑えるような旨で言ってるわけでないぞ
よくそれを誤解してあえて善行を拒否したり悪行をする人が昔いたみたいだけど
「善行を拒否して悪行をする人」
浄土真宗布教使のことだなw
よく真宗布教使とか聞くけど、その布教使って一体なに者?
布教っていう位だから教義に詳しく布教する専門家って
想像するんだけど
ゼニに汚く、悪徳っぽいのが多いのがその筋の人?
943 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/10(月) 22:16:53
阿弥陀経を素直に読むと極楽浄土というところは
珍しい鳥を放し飼いにしているキンキラキンの熱帯植物園に
お坊さんの団体旅行客御一行様がいて園長さんが阿弥陀仏
というテーマパークのイメージなんですが、
ホントに皆様そんなとこ行きたいんでしょうか?
死んだとき、阿弥陀仏が迎えに来てくれてフリーチケットを手配してくれるまではいいんだけど
もっとアトラクションがないと暇そう。
ちなみに、「布教用お念珠」ってありますが
その布教使さん専用、ってことなんですね?
>>942 真宗の寺に行って、
「僧侶じゃなくて布教使なんですよね?」
「なんで僧侶を自称してるんですか?」
「なんで僧侶じゃないのに僧侶みたいなかっこしてるんですか?」
「で、街で布教してるんですか?」
とか、聞いちゃあだめだよw
>>946 →僧侶であり布教使である。真宗僧侶でないのに布教使な者はいない。
但し在家仕儀での僧侶でしかないが。
「なんで僧侶を自称してるんですか?」 →在家での僧侶です。出家の仕儀を
取らない生き方です。自称じゃない。一応世間で認知されてはいる。
「なんで僧侶じゃないのに僧侶みたいなかっこしてるんですか?」 →在家
僧だから。出家じゃない。
「で、街で布教してるんですか?」 →辻説法は見かけない。互助会員へ重点
的に布教している。それだけで手一杯。
布教使ってのは僧侶より上の資格なんよ
僧侶の中で研修受けて試験とおった人がなれるんよ
949 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/11(火) 22:00:05
その研修というのはどれくらい生易し・・・・厳しいのですか?
950 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/11(火) 22:04:55
950
どれくらい生易・・・生半可じゃないかというと
まず親鸞聖人の御書を全て読み込んで、何処に何が書いてあるか
同じ内容の文意が他には何処に書き記されているか・・を正確に
答えねばならない質問が50問程あり、その質問に80%以上は答え
なくてはならない。
次に面接官=ベテラン布教師の面前で約50分の布教を行い、かつ
面接官の合格評価点を取る。
両方が出来てこそ晴れて資格授与になる。
出来なければ十数年〜三十年でも掛かる場合がある。
952 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/11(火) 22:15:36
その結果、「肉体の死滅で浄土往生する」という教えが広まったわけですね。
ツマンネ、時間の無駄遣いじゃないの?
不体失往生ともあるが・・・
肉体の死滅で浄土往生するでもいいんじゃないの?
平生業成で現生正定聚となれば「往生の道」が定まるとも思うし
臨終待つ事なし 来迎頼む事なし というように往生成仏は体失でも
往生浄土が約束された「今」の生き方は出来るでしょう。
954 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/11(火) 22:36:28
↑
親鸞の御書を全て読み込んでないから、そんなことを言う。
>>954 う〜ん 親鸞御書とは違うか。でどんな風に御書には書いてありますか?
956 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/11(火) 22:49:38
>>938 真宗禿は門徒の先祖供養などしない。
仏壇の中の阿弥陀如来像を拝む振りをしているだけ。
957 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/11(火) 23:03:58
>>955 まずその前に「体失往生」「不体失往生」の二つの語句が
「親鸞御書」のどの書に出てくるかを説明してくれないか。
>>957 .....口伝鈔.....
御書じゃなかった。
となられば 真宗教書で言えば に切り替えます。
959 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 00:32:15
ふ〜ん、布教師は逃げ道も用意しているんだ。
ぬかりないね。
960 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 00:37:26
しかも謝罪なし!
>>959>>960 >>布教師は逃げ道
まず私は布教師ではない。多分布教師なら専門家でしょうから、こんな間違い
はしないと思う。
私はただ関心があって真宗について勉強しているだけの者ですよ。
>>しかも謝罪なし!
はい、私が理解した事で言いました。適当ではあります。
だから、「簡単な間違い」でしたね。調べればすぐ分かる事でしたね。
(wikiから借用)
口伝鈔とは、本願寺第3代覚如の著作で1331年(元弘元年)に記された。
覚如が、親鸞の孫にあたる如信より口授された教義を記したもの。
つまり、お聖人の「そのまま」の御言葉じゃないってことです。
ただ「お聖人のお考えとは関係ない」という訳ではない。
>>959>>960 何か布教師が嫌いのようですね。何かあったでしょう?実際。
瞋恚の毒にご注意ください。
963 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 18:38:13
へ〜、その口伝鈔とやらで親鸞が「体失往生」を主張したんだ〜。
興味深いね。
964 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 19:24:46
親鸞会関係者は自分の肥溜めにお帰りください。
965 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 19:32:53
親鸞会も本願寺も五十歩百歩だけどな。
966 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 19:36:05
50歩と100歩は全然ちゃうやろー。50歩と50歩やったら一緒やがなー。
967 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 21:17:46
口伝鈔も改邪鈔も歎異抄もお聖人が自ら撰述したものに非ず
口伝鈔改邪鈔に至っては門弟などではない"たかが"の曾孫の覚如なる
者が自らの徒党の正当性を作り上げる為に親鸞聖人の名を使い、言い
だした創作物である。
親鸞聖人のお考えとはかけ離れた異義である。
968 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 21:28:23
親鸞の著書なんて法然の撰述したものでない異議だろ。
969 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 21:31:06
法然の著書なんて釈迦説法の教えから外れた異端ね
970 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 21:41:30
どこからともなく創作された浄土経
971 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 21:50:13
いや浄土経だけじゃなく大乗仏教=日本のほとんど
の宗の経典自体が釈迦の言葉じゃないって思えるよ
今の日本の寺院や坊さんが大事にするお経を知ったらインドの
お釈迦さんも「そんなこと言ってないわよ」って驚くんじゃないか
972 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 21:54:50
というか現存している全ての経典は釈迦の死後百年以上後に編纂されたものだから、
上座・大乗・密教を問わず、現代の仏教そのものが胡散臭い代物だぞ
たまに上座は釈迦の教えを忠実に残しているかのように誤解している人がいるけど。
973 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 21:57:34
成金趣味の伽藍や庭園で金儲けしてる日本の観光寺を見たら釈迦は気絶して成仏するだろうな
974 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 22:30:10
975 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 22:41:26
問題点
その1
>>957>>958を読む限りでは、
「親鸞御書」にも無い「体失往生」「不体失往生」の語句を
ひ孫の覚如という人物が『口伝鈔』なる書物で
何故、採りあげて正当化したのか。
その2 そもそも覚如という人物は親鸞の教行信証に目を通したことがあるのか。
976 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 22:55:19
977 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 22:55:34
>>975 では宗祖は体失往生論である。でよいのですか
978 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 22:57:36
覚如が胡散臭くでっち上げだとその子孫
蓮如は覚如異端派の純血種となるね。
979 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 23:24:47
覚如というか大谷家の連中は元は親鸞の血を継いでるってだけの墓守で
真宗の法灯からは完全に外れてる連中だったのに
勝手に廟を本願寺なる寺にしただけだから
善鸞の一件で全くこりなかった悲しい者たちだ
980 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/12(水) 23:30:56
覚如に勝てない真仏上人開祖の各派は何をしているんだろう?
勝てない=覚如・蓮如も教義的に間違いは無い・・とも思うが。
↑
お敬いのない馬鹿
982 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/13(木) 01:05:03
「勝つ」というのが一体なにを指しているのかによるが
規模や信者数を問うているのであれば
最も勝利した教えはキリスト教であると言える
983 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/13(木) 01:31:17
>>977 それはこっちが聞きたいくらいです。
>>980 まさかまさかの「宗教の勝ち負け判定」。
そんな奴がこの世にいるとは驚きだ。
真宗ならそんな輩が湧いてもおかしくないかな。
2〜3年後には「覚如教学」なるものが発生しそうだね。
そして親鸞教学・蓮如教学・覚如教学の三学惑乱が巻き起こって、
その数年後に三社を擦り合わせた「21世紀教学」なるものがw
984 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/13(木) 17:16:28
ニュー速から
女子中学生にみだらな行為 女子大講師逮捕 大阪府警
2011.1.13 16:53
女子中学生に現金を渡し、みだらな行為をしたとして、大阪府警曽根崎署は児童買春・ポルノ禁止法違反の疑いで、
京都光華女子大非常勤講師で寺副住職の那須一真容疑者(34)=京都市下京区住吉町=を逮捕した。
逮捕容疑は昨年11月30日、大阪市淀川区のホテルで、大阪府内に住む中学3年の少女(15)に現金3万円を渡してみだらな行為をしたとしている。
同署によると「携帯電話の出会い系サイトで知り合った」と供述しているという。
大学によると、那須容疑者は平成13年からパソコン技術の授業などを担当している。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/110113/crm1101131654033-n1.htm 自己紹介 僧侶(浄土真宗本願寺派)大学講師(心理学・情報学)一児の父
【最近やってること】仏教超入門講座(来年からリニュアル予定)。
京都中心に一般市民に開かれた寺院活動の情報を発信するポータルサイトを立ち上げるPJ。
真宗のとある本書くお手伝いetc
http://twitter.com/isshin1
>>今日は、西本願寺にて常灯明を分灯していただきます。400年続いてる灯り、うちではどの位輝き続けるだろうか!
消えちゃったよ、おい・・・
986 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/13(木) 21:08:20
>>984 光華女子は東本願寺の関係大学だけどこいつは西本願寺か。
京都女子大は雇わなくてよかったね。
こらぁお西さんのすぐ向かいやないか
>>2010年11月28日(日)当寺で報恩講を開きます。
報恩講終わってすぐか。なら仕方ないかな。
俺も禿僧だが、
在家な真宗僧侶の犯罪の場合、その罰は一般人の罰(懲役刑等)の倍掛けので
いいと思うよ。その位の罪の重さがあるだろう。
990 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/14(金) 00:20:10
阿弥陀様は許しても社会や法律は許さないことをいい加減に一部の人は学んでほしいものだ。
法然や親鸞も悪いことをしてもいいとまでは言ってない。
993 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/14(金) 07:11:45
東西本願寺のスレが消滅したのは親鸞会と西が空気読めないせいですねw
「性欲が我慢できなかった。宗祖親鸞聖人と同じで」
って那須一真君が言い訳したら、宗派としての処罰はできないだろうw
995 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/14(金) 11:37:09
不断性欲得涅槃
運がいいことにちょうど750回大恩忌を迎える。
報恩感謝で恩赦もあるだろう。
999 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/15(土) 11:22:26
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このスレは1000即浄土往生します
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。