三重性とどこかのジジイが言ってるけど、とても合理的な解釈だよ。
アタナシウス信条だとか、キリスト教の根幹にかかわる神学思想でこのあたりの切れ味はスウェーデンボルグならではじゃね?
クレバー&ジーニアスあやかりたいもんだ。
カトリック教会というのはイエスを御子として認めてるけど、受肉した父としては認めてない。
生前があまりに人間くさかったからそれはありえねーということで御子としての立場にとどめている。
でも復活後のイエスキリストはマリアから取得した人間性をすべて栄化、つまり神様のものとしてしまったから真の意味で三位一体とスウェーデンボルグは述べてる。
だから、復活後のイエスは「父と子と聖霊のみ名によって洗礼を授けよ」と述べてる。
受肉した父はイエスキリストとなって神人となったというのが三位一体の真意でそれはカトリック流の解釈では、反故にされてしまっていて、アウグスチヌスが愛という言葉で結論してるように、あいまいにされてしまってる。
その結果、三つの独立した人格というイメージが進んで現代のキリスト教世界の病根となってる。
スウェーデンボルグはそのあたりを鋭く指摘してるからさすがという感じ。
父の受肉ということでサベリウス派と混同する人がいるけど、牧師も言ってるように人間性の無限的拡大、
ということで生前のイエスに神の全容を見ようとするもの。
「キリストの全身に神性のすべてが宿っている。」パウロ手紙、コロサイ2
と生前、スウェーデンボルグは知り合いの牧師に書き送ってるから人間性の無限的拡大というのはこのあたりにある。
三重性というのはひとえにこのあたりを言い換えたものだと思う。
教理的にはものすごいけど、いったいいかにしてわれらはこれを日常に生かせばいいのだ。
そこは課題である。
スウェーデンボルグは政治家として、貴族として、科学者としてカリスマだったから信望する人たちが多くて、その影響で福祉国家になった。
宗教家は一面に過ぎなくて実業家というのがどちらかというとメインで、多彩だけどさすがに空海みたいな作家とか、行基みたいな慈善家、教育者みたいな最澄みたいな面はなかった。
でも寝食を惜しんで研究に没頭する姿は平田篤胤に勝るものがあったと思う。
教会にはこなくていいけど、スウェーデンボルグには興味もってくださいね。
きっと寿命が延びて勤勉の徳が身につくと思います。
スウェーデンボルグはあらゆる宗教を主の変容として認めるから、本当の意味で宗教が理解できて、神仏を信じることも出来るはず。
伝統的な宗教を大切にすることがスウェーデンボルグ派の教えです。
83 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/02/09(水) 05:50:31
スウェーデンボルグは政治家として、運河を開削したり
平和条約を結んだりしたみたいですね。
84 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/02/09(水) 12:37:52
インディアンの宗教でもOk?
85 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/02/12(土) 15:43:20
86 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/02/12(土) 15:47:38
>>84 悪を避け、善を求める
というのが創造主の源流だから。
この源流にある教えはどこの島の原住民でも。
その教えに従って生きる人の方が教えに従わないキリスト教徒よりも愛する、とスウェーデンボルグは言ってる。
インディアンどころか。
テニスの話しかと思ったぜ
スウェーデンの英雄
ビョルン・ボルグ
Swedenborgがインチキの証拠。
Swedenborgは地球以外の水星、金星などの惑星にも人間がいると信じていた。
こんなのが”天からの啓示”
インチキ丸出しですね^^
まじめに答えると異星人は霊的な人間のことだから、人間が死後生活するところに照応してるということ。
惑星間転生というのはエドガーケイシーも唱えてた説だし、霊界が惑星に対応していて場所というより惑星の持つ性質、ホロスコープ的な、それが人間の性質に対応してるということを言いたいのだと思う。
人は死んだら星になる、と俗説に言われてるのも、神話を星座にたとえたギリシャ人も、そこら辺をキャッチしてるんだと思うよ。
人体と惑星は手相にも対応していて小指は太陽に、人差し指は木星に、それだけじゃなく人体すべてが複合的に惑星に対応してると言われてる。
たとえば内臓にはすべて月がつく、肝臓、心臓、肺、などと、月ととくに人体が対応してる。
惑星のほかに月が関係していて、シャーマン的な人が残したのがホロスコープとか手相とか。
照応というのがキーワード
山に神様が住む、とされるのも高い=神聖のほかに、死に近い、清さがあると思う。
星ほどじゃなくとも自然の中でもっとも死に近いところだから、古来山に神様をお祀りしていたり、修行の場とされていたんだと思うよ。
惑星以外に宇宙全体が人間に関係していて部分が全体に、全体が部分に対応してるミクロコスモス、一人の人の中に全宇宙が宿ってる、という仏教的?な世界観だと思うよ。
スウェーデンボルグ系の教会でもスウェーデンボルグに精通した人はいない。
一番詳しいのが出口王仁三郎ではないか。
神愛と神知と言ってるし、内容はほとんど同じ。
ただ普通の日本語なのでワニ様は読みやすい。
独学でこれだけ勉強したのだからすごい。
お筆先も読んだことあるけどあんまり表現すごくて意味分からなかったよん。
うんこ
霊界の太陽が主、でもそれは主ご自身ではない。
太陽としての現れがアマテラスオオミカミとか大日如来とか。
日本のベールにつつんだイエスキリスト。
スウェーデンボルグのは宗教というより命を深く観察していて、元来クリスチャンが思ってるような薄っぺらなものなら聖書には価値がないし、
聖書が普遍の書であると裏付けてるのがスウェーデンボルグだけどそれはほとんど宗教じゃない。
家族で宗教ばらばらってすごくスウェーデンボルグ的でよい。
ただ、、、、西欧のキリスト教はスウェーデンボルグが警鐘を鳴らしてるから、
注意せよ。
>>91 見てください。
この詭弁を。
こんなのを信じれるのはまともな理性を持ってる人には無理ですね(笑)
神道のフィーリングは水にも森にも霊的な命があり、動物も人間も区別がなく、魂と魂が交じり合い互いに交流するというもの。
その中には神的な霊もいたろうし、それが神道の始まりではないのだろうか。
でも欲心が生まれ、感性が鈍るとそういうのは損なわれてしまった。
そして教えが必要になった。
聖徳太子が仏教を広めたのはフィーリング一辺倒の神道が時代に合わなかった背景があると思うんだ。
そしてキリストが教えを広めたときも、ああ悪い世代よ!何度も嘆いてる。
はるか太古、人類が始めて生まれた頃、そういう時代はあったのかも知れない。
スウェーデンボルグはその時代を黄金時代といっている。
文明が生まれて人々は神を対象物としてお祀り始めた。
これが銀の時代。
おもえば神道はこの時代の産物なのかも知れない。
理性的な現代人が生まれると脳に中継点のない前時代の人とは違い教えが必要になった。
ゼウスというのも銀の時代の象徴でクロノスとか巨人が黄金時代の人々。
生まれた子を次々飲み込むというのも暗喩がこめられてる。
スウェーデンボルグはギリシャ神話も読み解いてるけど同じように古事記も読み取れると思う。
そうした祭祀が形式だけ残って人間の欲望に利用されたのが魔術の始まりなんだ。
エジプトには古い書物がたくさん残っていた。
多数の神々、動物の頭をした神々というのも実は一神だけど本質が損なわれて外見だけを真似る傾向があり、
(ユダヤ人には)偶像崇拝となった。
欲心に利用されるから禁じたんだよ。
選ばれし民ではなく許されし民とスウェーデンボルグはユダヤ人のことを述べてる。
とても現世的な人々だから。
そういう人たちの資質に合った神祀りがモーセによって与えられた。
光が分解すると7色となり合わせると白色、
通すものの形によっていくらでも変化してしまう。
神社のご神体にお鏡があるのもひとつにはそういう理由である。
統合失調症の妄想w
102 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/03/07(月) 18:45:37.86
>>56 >比類なき霊能力と隔絶した宗教性でイエス以来とか20世紀最高の覚者と謂われている
それは信者が言ってることであって、一般には箸にも棒にもかからない馬の骨です
ラジニーシについてもまた20世紀最大の覚者とか言う者がいるけど同様
>神智学協会で、キリスト・マイトレーヤの媒体となるべき養育された
こういう考えがいかにもヨーロッパ的というか、人為的だよな。
104 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/03/09(水) 18:46:11.74
だいぶ前のレスに急にどうしたん?
ボルグの訳本って日本語には訳してあるけど、訳した人が日本語ヘタなっつーか
そのまま訳してるのか分かり難い言い回しの日本語で頭に入ってこないね。
ある人がブリンアシンに留学して通訳の人にスウェーデンボルグの本見せたらこれは英語じゃないと言われたのが有名な話。
ラテン語のもともとは透明な文章みたいだけどね
常識的な言葉で非常識なことを伝えるのに苦心していて、内容は禅宗に近くて、へきがんろくとか、山は山にして山に非ずみたいな、そもさんかいかに、か−っ!それを学問的な言葉で表してるみたいだね。
107 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/03/19(土) 13:48:42.41
戦争や災害が起こる原因についてスウェーデンボルグが述べたこと。
悪いものと比較することによって良いものが知られるから。
主は天罰など与えないし、怒りとか憤りとか聖書に表現はあっても熱意の現れで、ユダヤ人に写った主の後ろ姿に過ぎない。
仏教でいう不動明王みたいなもので質直意柔軟でない人達を導くときの現れで主体が異なるのではなく、人が異なるために起こる現象です。
仏教では集約すれば大日如来だし、霊界の太陽が主のひとつの姿であるが、それでも主ご自身ではないとスウェーデンボルグは言ってる。
本当に天的なものは人には感知出来ないし、姿も形もないので聖書では主の霊とか言われてる。
聖霊はキリスト以後で人が感じることの出来る霊、メシアが通い道を作ったんです。
慈悲とか愛自身だから怒りとか憤りとかあるわけもなく、人であるイエスを見なければその原因である神は分からないため、三重性と言われて、イエスの全身に神性の全てが宿っている、とパウロの手紙を引用して説明してる。
主体が客体により変化するから私達は人であるイエスに神を見なければすべて自分なりの神様になってしまう、ということです。
不幸が起こる原因は私達が自発的に良いものを選ぶためということだったと思う。
皆様、お大事に。
外道の極意は内道に入ることだよ
内道を盗んで外道は智恵を増すよ
恐々謹言
仏説に依ると
大日経は法華経より
七重くらい劣るよ
恐々謹言
アラスなハゲ
スウェーデンボルグはイエスキリスト一神教だけどほとんど多神教です。
神社の神様というのはおおむねスウェーデンボルグの言う銀の時代の人々で霊的な天使のこと。
イザナギと言ってるのはそうで、ひとり神といわれてるアメノミナカヌシとかクニドコタチと言われてるのが、金の時代の人々で天的な最上級の天使。
ここからイザナギなどの子孫たちが生まれた。
前の時代の人々(ムー大陸の人々?)が神様だけど、神社にいるのは眷族でいわゆるケルビム。
クリスチャンは否定する人が多いけど、実際私は何度か人間じゃない方を見たことあるし、感じることはよくある。
フランシスコは自然賛歌を残して自然のスピリチュアルなもの認めてるけど、ヨーロッパで変遷したキリスト教の多くはそういうもの感じない人たちだったので否定してしまった。
福音の中でもイエスは、湖上で風を叱咤してとめて、弟子たちは「風も言うことを聞くとは・・」と驚嘆してる。
これは自然界のスピリチュアルなものと交流できたからで、その中の神的な方とも対等に語り合ってたからだよ。
フランシスコや、ベネディクトの時代は分からないけど、現代の牧師はほぼ全員そういう感覚は持ってないから、分からないことを否定してしまってるけど、これはとてももったいないし、危険でもある。
日本は太古からそういう道が残っていて、その交流の中で国が存続していて、想像超える霊的背景があるみたいなので、分からないことは否定するのではなく、そっとしておくのがパウロを教えたガマリエルの知恵だと思う。
危険というのはケルビムに触ると死んでしまうから。
妄想乙
113 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/04/08(金) 22:48:47.94
聖書を4000万回、やってみろ。祈りは、2時間です。
?
115 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/04/29(金) 14:14:00.97
>>92 > スウェーデンボルグ系の教会でもスウェーデンボルグに精通した人はいない。
さすがにそれはないと思う。
精通したつっても上っ面だけだろう?
真に理解なんてムリ。
117 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/05/07(土) 01:59:32.77
キリストをしろ。
118 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/05/08(日) 01:13:43.89
神の使者
意味踏めえなんだよバカ
うむ
121 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/05/14(土) 06:41:13.99
丁寧に聖書をやりなさいよ。
122 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/05/31(火) 21:03:37.29
よう、祈れ。
123 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/06/01(水) 11:21:35.82
125 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/07/23(土) 04:40:40.28
悪魔に抵抗しろよ。
126 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/07/23(土) 06:01:14.41
悪魔と戦え。
127 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
ここの教会に行ったことある人いる?