1 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
神仏習合の神社仏閣を語りましょう
2 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/08(火) 06:58:35
志ね。
そんなスレ、どっかに有ったような・・・ 2ゲット
4 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/08(火) 07:02:04
さらに志ね。5ゲット
5 :
妖輝緋 ◆is1mRve2Rk :2008/01/08(火) 07:52:20
のし('-^*)/
7 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/19(土) 13:04:52
age
落ちたのか
9 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/20(日) 01:47:18
竹寺
10 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/20(日) 01:47:45
豊川稲荷
11 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/20(日) 09:09:14
違わないよw
代表の典型だよ
13 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/22(火) 00:47:05
豊川稲荷は寺だからな
神仏習合を積極的に展開しようっていうお寺・神社はないの?伝統系で。
私のところでは稲荷系の神仏習合を展開しています
16 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/22(火) 12:49:36
うちの近くにある寺
寺なのになぜか最近になって境内に戎神社ができていた
17 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/22(火) 12:53:47
塔がある神社。
19 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/22(火) 14:45:09
天橋立の文殊堂
えべっさんを祀ってるよ。
21 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/26(土) 22:25:14
談山神社
22 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/27(日) 09:58:31
拝観料を取る神社
23 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/27(日) 11:09:25
護国寺さんも境内の神社ありますね
24 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/27(日) 11:10:11
25 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/27(日) 11:48:13
群馬県の榛名神社には神仏習合時代の三重の塔があるよ。
現在塔には神様が祀られている。
仏塔に神様が祀られているというのが珍しいな。
26 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/27(日) 13:38:37
神宮寺って残ってるの?
27 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/27(日) 16:38:10
いろいろ
28 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/27(日) 16:41:28
生駒神社
歴史のある規模の大きめの神社には、なにかしら仏教の痕跡がある。
例:鵜戸神宮
30 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/02/01(金) 08:37:38
32 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/02/12(火) 11:52:13
ageたまへ
33 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/02/12(火) 13:36:20
道明寺
34 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/02/12(火) 15:59:08
寺に鳥居と祠が有るのは珍しくない。
神社の境内に寺が有るのは珍しい。
35 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/02/12(火) 16:05:27
東大寺
薬師寺
36 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/02/12(火) 16:33:58
神社の近くに寺があるのは、昔は珍しくなかった。(神宮寺)
37 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/02/12(火) 16:34:52
伊勢神宮(神宮)と朝熊山金剛証寺(神宮寺)
38 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/02/12(火) 20:29:52
金峯神社
39 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/02/14(木) 18:01:53
延喜臨時祭式の熱田神宮に関する規定
凡そ尾張の国の熱田の社は、毎年春秋の二節(せち)に、
節ごとに僧六十四口(く)を屈して金剛般若経一千巻を転読せよ。
其の布施、供養は神封(しんぷ)の物をもて充てよ。
40 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/02/16(土) 23:07:25
秋葉は神社と寺と両方あるね。
41 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/02/17(日) 04:06:41
酒見寺
42 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/02/17(日) 08:31:20
岡山最上稲荷
43 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/02/21(木) 16:37:21
あげ
仰ぎ願わくば ageたまえ 書き込みたまえと申すことを 聞こし食せと
畏み 畏み 申申す
_,.._,.=-_-、
,r;r '´ `ヽ
,r:i' ヽ
/::::;! ヽ
;!:::::::'! ., _ _,.......i:、
;i:::::::::::::l. ,;r''_:::::'' ::r_;ニ;.:l:::i
r'::::::::::::r "'"`=';' ' i:::`;::::l:;!
/::::::::::r:ミ ;::::. ´'´ r )´ '::l!
!::::::::::::、_,.:::::: /.:::::::::ヾ、.::l
ヾ:::;、::::!::::::. ..::' ';':::::::::::::::::ヽl!
` ヾi ::::::ミ:、-':::::;:r―::、:::ij;!
,.r!i ミ::_;::::''::::::::::::::;r/::`::::-.、
,...-:::::::::/ `r、__,-―--‐'´ /::::::::::::::::::::::..、
:::::::::::::::i'' ー-'r--r.、´ヽ /::::::::::::::::::::::::::::::::`::、
アーゲンナー [Georg Urgenner]
(1898〜1975 ドイツ)
46 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/18(火) 00:20:51
鳥居のある寺院
保守
48 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/04/12(土) 19:48:57
門戸厄神は?
49 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/04/12(土) 20:52:49
今は寺ですね
50 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/04/13(日) 17:17:52
大きな寺院の横には必ず神社がある
二ヽ / ̄ ̄ヽ 人
||/ /~ ̄ヽヽ (__)
|||. | ・∀・| | (__)
ヽ , ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄) (´・ω・`)
>>51
52 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/03(土) 18:45:10
お寺の鎮守さま
神仏習合、表す祭事に
新熊野神社の神幸祭 聖護院僧侶ら参加へ(京都新聞)
5日に行われる新熊野(いまくまの)神社(京都市東山区)神幸祭の
行列巡行や神事に、聖護院(左京区)の僧侶や山伏らが参加する。
記録のある限りでは初めてという。同神社が「神仏習合という神社の
信仰の形を表す祭事にしたい」と、かつてゆかりの深かった聖護院に
依頼して実現した。
同神社は、神仏習合の熊野信仰が高まっていた1160年の創建。
京都の熊野3社の1つで、修験宗の聖護院と関係が深い。明治に
神仏分離令が出るまでは、聖護院が同神社に別当を置いて管理
していた。
近年の新熊野神社の神幸祭は地域祭り的な性格だったが、2年半
前に就任した尾竹慶久宮司(57)が行列に、巫女によるおはらいを
取り入れるなど「本来の神事としての祭り」を追求してきた。
今回、かつて関係が深く、同じ神仏習合信仰の聖護院の協力で、
同神社が守る熊野信仰を表す祭事にしようと企画した。
5日は正午からの例大祭に続き、午後1時から聖護院の「菊法螺紋」
の旗を手にした僧侶と山伏ら11人が、鳳輦(ほうれん)やみこしを担ぐ
約300人の行列の先頭に立ち、今熊野のまちを巡行する。御旅所
での神前読経なども行う。
同神社は「日本人の信仰の根底にある神仏習合を表したい」、
聖護院も「今回のような取り組みはうれしい」と話している。
ttp://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008050300028&genre=J1&area=K00
54 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/03(土) 23:10:32
よいことだ
神道と伝統仏教が一致団結してカルトから日本を救おう
神輿に読経で締め 稲荷祭・還幸祭(京都新聞)
伏見稲荷大社(京都市伏見区)の「稲荷祭」を締めくくる還幸祭が
3日行われた。神輿が御旅所から大社に向かう途中、東寺で僧侶の
読経を受ける「神供」があり、観光客らが神仏習合の名残がある
珍しい儀式に見入った。
還幸祭は、4月20日から御旅所に安置されている神輿を大社に
返す行事で、平安時代から続いているとされる。東寺への立ち寄りは
弘法大師と出会った稲荷大神が後に東寺を訪れてもてなされたとの
伝承から行われている。
5基の神輿はトラック5台に乗り、氏子らが乗る約30台のトラックとともに
御旅所を出発。東寺前で止まると、大社の神主がおはらいし、野菜や
お神酒を供えて出迎えた僧侶が読経した。
神輿はその後、氏子がいる京都市下京区などを巡り、大社へ戻った。
ttp://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008050400034&genre=J1&area=K00
鐘のある神社ってある?
愛媛県大洲市の秋葉神社には鐘楼もあるし通夜堂(通夜殿ではなく)もある。
でも拝殿・本殿のつくりは神社だし鳥居も狛犬もある。
見事に神仏混仰時代の名残。
59 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/08(木) 20:56:06
日本の危機に関するDVDを受け取った方々は信徒の方々にも教えてあげて下さい!
60 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/08(木) 21:06:36
住吉大社も神宮寺が嘗てあって、神仏習合だったんだよな。
住吉大社の神宮寺は再興されるのかな?
ンな訳あらへんがなwお寺建てるだけのスペースもうあの辺に無いやろ。
そんなんあったら、住吉の浜を復活させたいわ。
62 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/08(木) 21:58:39
>>57 岡山の田舎にはたまにある。
戦時中に供出して戦後わざわざ再鑄した場合すらある。
でも元は時鐘目的らしい。
63 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/18(日) 21:47:09
神仏習合つながりで質問させて下さい。
修験道の行者は、仏教のような食事の制約はないのでしょうか。
あるよ。四つ足のものは口にしない。
65 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/18(日) 21:55:03
動物でも鳥や魚はOKということですか?
少なくとも俺の知ってる範囲はおk
67 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/18(日) 22:05:44
68 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/24(土) 21:53:18
>>61 いやスペースは一応あると思うぞ。お堂の一つは建てるくらいには。
(招魂社くらいの大きさならば、招魂社はもとは神宮寺のお堂だったらしいが)
神宮寺のあったところ、空いてるし。(種貸社の近く)
69 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/24(土) 22:22:08
70 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/31(土) 16:44:27
神仏習合の神社で、別当寺の僧侶が全員還俗してしまった場合
仏像・仏具・経文類はどうなってしまったのだろうか。
売却されたりいつのまにか散逸?
そんなことしたらバチが当たりますので
大事に倉庫で保管しておりますよ。
時々ピカールで磨いて輝かせてます。
72 :
視点論点:2008/06/02(月) 19:45:53
視点論点
>>53 >>56 まあしかし見事なまでに本地説については触れられていませんね。
神社に僧侶も参画していただけのようにしか見えない。
神仏習合という「本来別々のものが対等に合併した」かのように見える用語
自体、分離志向の神道家が言い出したそうですが。
>>70 ・川に流す、もしくは焼く
・売られる
・他の寺院に預ける
・氏子が持ち回りで礼拝して管理(今でもある)
昭和初期頃まで、神社から流出した仏教関係の道具の帰属が問題になること
があったようです。
74 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/16(月) 18:21:55
神社と寺院は互いに崇敬の念 岡本権宮司が神仏習合講演
日本古来の文化について理解を深める春日大社(奈良市)の「いのちと心の講座」
(読売新聞大阪本社後援)が15日、境内の「感謝・共生の館」で開かれた。岡本
彰夫権宮司が「神と仏と奈良」をテーマに、神仏習合について講演し、約150人が
聞き入った。
岡本権宮司は、まず「奈良では寺院も神に敬意を持ち、神社と寺院はお互いに侵
さないという崇敬の念を持ってきた歴史がある」と説明。推古天皇(在位592〜62
8年)の時代、仏教信仰を奨励するとともに「天地の神も敬うように」と呼び掛けて
いた当時の史料などを示した。
また、東大寺のお水取りでは、身内が亡くなった僧侶は、こもって業を行うことがで
きないなど、寺院の行事にも神道の影響がもたらされている点などを映像を交えな
がら解説した。
講演後には、学芸員が、春日大社と、その上空に釈迦如来などを描いた「春日宮
曼荼羅(まんだら)」など神仏習合を示す宝物を紹介。境内を歩き、興福寺の僧侶ら
が読経した中門の御廊(おろう)も案内した。
参加した県職員の山崎伸幸さん(46)は「神仏習合について、神社と寺院両側か
らのかかわりを説明しており、わかりやすかった」と感心していた。
(2008年6月16日 読売新聞)
ttp://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20080615-OYT8T00569.htm
春日大社でチベット仏教の僧を見た
76 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/26(木) 20:21:49
石清水八幡宮は?
神仏習合復興は、寺が葬式仏教になって信仰の場でなくなったことと関係があり
仏教復興の鍵のような気がする。
78 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/07/15(火) 10:38:22
坊主いらね
鵜戸神宮
80 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/08/07(木) 12:01:37
>>73 神仏習合という「本来別々のものが対等に合併した」かのように見える用語
自体、分離志向の神道家が言い出した
だよな。変な言葉だ。
そこいらに 野仏に鳥居 があるがな。
そういう関係もあるし、あながち間違いでもなかろう
いろんな習合形態が時代時代であるしさ
近所の創価の家、門扉が鳥居だよ
84 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/08/25(月) 19:33:40
新霊場巡り、神仏習合こころの道が熱いな。
9月からスタートらしいが、神社と寺が団結して神仏習合の動きがはじまりつつあるよ
日本大乗仏教は人だけでなく生き物全て、それどころか無生物までもが成仏しうると説く
極めて神道的な世界観を持ってるので、これは当然なんだよ
85 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/08/26(火) 10:13:59
宣伝乙
単なる新たな金集め
何故かヤソ信者が必死に動いている(笑)
86 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/08/28(木) 06:38:48
既に西国三十三箇所やら入ってるとこばかりだし
いまさら増えても収益には対して結びつかないだろ
純粋に神仏習合復活狙ってる風だよ?
87 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/04(土) 06:46:30
神仏習合復活は人間都合だけじゃなく、仏様も神様も喜ばれるはずや。
神仏習合復活は、静かにゆっくりとビッグウェーブであってほすい。
88 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/06(月) 01:20:21
国家神道の伝統改竄を糾弾し、
習合神道文化を復元しよう!
現実的な話するけど、国家神道の廃仏毀釈で
神社も寺も本当にズタズタにされてるんだよ。
かつての大寺、大神社だったようなところは
当然公共の地域の聖地で、歴代の僧が代々高潔に守ってきたのだが
廃仏毀釈で寺が追い出されて、わけのわからん神職の個人資産になって
営利主義の酷い場になってるようなところが各地にある。
歴史を顧みれば、明治維新まで確実にソイツの個人資産なんかじゃないのに。
寺が廃された例はよく知られてるが、
神社になった/神社だけが残ったところも、ことごとくズタズタに地域の信仰が破壊されている。
そういう地域の公共物を、ワシの家のもんじゃ!みたく勘違いしてる例が多々ある。
本当になんてことをやってくれたんだろう。
90 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/18(土) 07:39:45
本居宣長ら → 平田篤胤 → 復古神道 → 国家神道 → 神仏分離、廃仏毀釈
思想の段階 過激化
91 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/18(土) 14:53:39
うちの近所の神社(坂本)では、今でも山から坊さん下りて来て
本殿で法事やってるが、神仏分離の本庁としてはどうなの?スルーか?
?
うちのじもとの鎮守「神明神社」は寺持ちだけど。
93 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/18(土) 15:38:49
うちの神社の本殿の中には、恐い顔の貴族の像が三体入ってる。
でも今の主祭神と全く釣合わなくて皆お手上げ、宮司も判らないらしい。
そもそも…
その土地の神様がいてさ
長い時代流れて
伊勢だ出雲だが金に物いわせて布教していって、その土地の神様は
立場追われてしまったからね。
95 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/18(土) 20:23:46
>>93 明治時代に入って平田系統の復古神道の流れを汲む国家神道が全国の神社
の祭神を記紀に登場する神々に当て嵌めようとした。
その一環でその土地特有の神々や習合色の強い神々も記紀の神々の名前が
与えられて祀られる様になったが、恐らく、神像と祭神が一致しないのもそのような
理由によると思われ。
96 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/18(土) 20:34:43
修験道、法華神道、両部神道、比叡山焼き討ちで失われた天台の修法
口伝でのみ伝えられえてきた修行法、教義、修法、祭祀法、呪術など
記録を抹消された時点で復興は無理です
97 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/18(土) 21:58:41
復興は無理とも言い切れない。
なぜなら、そういった法を仏様から改めて教わる事もあるからね・・
98 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/19(日) 00:32:49
>>95 >>93だけど、そんな事宮司言ってたわ。
その神像虫喰いだらけだけど眼光鋭くモロ魂こもってそうで、とても疎かには出来ない雰囲気。
名前は伏せさせて頂くが京都南部です。
100 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/19(日) 19:32:35
>>98 土着の神を立体化した神像か、もしくは道教神だろうな。
虫食いって進むの早いから、保護したほうがいい。
少なくとも写真などいろんな角度から撮って保険に残しておいたほうがいいのではないか。
貴重な文化遺産だよ、それ。
101 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/19(日) 19:46:18
霧島六社の霧島東神社も、神仏混合で不動明王様もあります・・・
性空上人様由来みたいです
102 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/19(日) 20:23:17
石清水八幡宮
>>93 そこのお社の明治以前の記録ないかな?
村や町の古文献でのお社の名称、神号からある程度の推測は可能と思うんだが。
別当寺院が昔あったなら、そこの記録も見れば明治の分離直前はどんな神と看倣されていたか判る場合もあるよ。
104 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/19(日) 23:56:15
>>103 うん、実はそのルートで調べたんだけど、それにも該当しなくて。
廃社になったどこか別の御神体の可能性もあるらしい。
105 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/20(月) 00:13:42
ああこれまた明治の神社整理かぁ。神仏分離以上に厄介だぞ。
それだと困難だな。廃社になったら古文書あっても散逸するから難しいわ。
まして江戸の頃にも祠職もマトモに居なかったような小社なら、古文書すら無い場合はざら。
こら、歴史の闇に隠れ消えてしまってるな…
106 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/20(月) 01:12:25
本地仏像って、総じてツルペタに簡略化されたり意図的に歪められたり鑿跡ガッツリ残したり、と
教儀に則った仏像には無い妖しさ全開の神秘性が表現されているのが魅力なのに、
一般には稚拙!造りカケ!キモイ!と誤解され酷評される傾向にあるのは残念至極です。
じっくり眺めるとかなりイイ奴等なんでもっと愛でてやってください。
107 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/20(月) 04:36:53
俺の予想は、道教神じゃないかなあ?
文字情報だけだけど、その造形の特徴が神像より道教の神像に見える。
ただ道教由来の神像は寺に奉られることがほとんどなので、神社ってのが…
そこ神仏習合色が強いとか、もともと寺で明治維新後神社に鞍替えとかではない?
>>106 木の彫り跡残りまくりで仕上げが汚く、作り雑とかわかってない人は思われるのかもね。
神像はたいがい霊木を使って作ったりしてるので(奉ってきた霊木が倒れたりした際に)
あえてわざと木の地を見せて無骨な作りにしてる例が往々にしてあるよね。
108 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/20(月) 12:51:45
大津園城寺の新羅明神像(国宝)この異形さはダントツ!
真っ当な感性では有り得ないデフォ、まじ一度みたら夢に出る。
109 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/20(月) 13:23:46
>>107京都南部辺りは春日社の影響が強いが、祭神は応神系統で占められてる。
あの地域で道教系はちと考えられないな。
神像で由来が明確に残ってる方が珍しいかと思う。
>>108見た、目が異常だなw
110 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/20(月) 21:38:23
愛宕神社は、神仏習合というより、神仏混合のような。
お参りしたら、お地蔵さんになるとか、ならないとか。
効果不明、というか、本末転倒。
>>109 いや、京都は北も南も鎌倉あたりの道教神像はいっぱいあるってばさ。
寺にね。
廃仏毀釈で廃寺になった遺産とか
その神社が本来寺だったとか寺併設だったとかという可能性は十分あるよ。
神社・寺と分けて考えるとこの手の文化は見えてこないよ。
112 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 01:37:06
関西の道教神像についてはあまり知らないなぁ…
蘭溪道隆辺りがもたらした城隍爺像って建長寺の伽藍神像が最古でなかったかな?
禅宗以外で奉る例ってあったかしら?
113 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 01:54:49
つ大将軍八神社。
つか陰陽道という方が正確だけど、実質道教から道家思想を中途半端に抜いて一部の神信仰と呪術が残ったのが日本の陰陽道だし。
禅宗寺院の道教神像も伝わってると思うよ
道教神像は来歴不明とか、なんて神か不明で今や謎になってるのがほとんどという世界だね
115 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 14:54:04
現在の竹生島弁才天は、頭に鳥居と白蛇の宇迦神を戴く習合色の強い姿ですが
平安期の竹生島像を写した別尊雑記では経儀に忠実な異国的姿をしており
中世浅井姫命の本地仏となる以前の信仰形態が窺えます。
この島は神仏習合が凝縮された様な所がいいですよ。
116 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 16:16:09
黄檗宗、長崎の○福寺には関帝も女馬祖も祀ってある。
117 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 17:33:25
118 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 20:06:28
なんか道教スレみたいになっちまったなここ。
119 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 21:26:21
まあ、日本の仏教、主に日本密教と言うべきか、間接的に道教の影響が入り込んでいるからね。
道教神を取り上げるのも、広い意味での神仏習合と言うべきなのかな。
ちなみに中国の場合、儒道二教による仏教攻撃が激しく、どちらかと言うと守勢に立たされた仏教側
は三教融和を称えたり、民間で盛んだった道教的信仰を導入したりしていたから、その一環で関帝など
の道教神も仏教に入ってきたみたいだね。
道教神も含め広い視野で捉えないと神仏習合文化は理解できないし
話題に出てくるのはしゃあないでしょう
陰陽道だの修験道だの含め道教思想は取り入れられてるし
そもそも道教のもろもろの思想って、飛鳥時代に遡る中国星辰思想の系譜とも言えるし
切り分けできないですよ
正確には儒者は道仏双方を淫祠邪祀呼ばわりしていた。
が特に仏教は出家する事で子孫の道を絶やす、髪を剃るのは親より授かった肉体を傷つける不孝、人を誑かして金をせしめとる詐欺師とまで考えられていた。(この主張はそっくり江戸の林羅山や国学者が仏教批判に使ってる)
道教からは中華の地に生まれた黄老の道、孔孟の道と異なり仏教は異国の教えとして非難した。
儒者は遂に清朝滅亡の後も禅の一部を除き基本的には仏教を嫌った。
道教は仏教と時に競合しまたは交ざり合う事もあった。
122 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/22(水) 00:40:21
誰か「八幡神」についてガッツリ教えてくださらんか?
そもそも記紀にいましたっけ?宇佐の地神?それが何でここ迄全国規模になって
僧形になったの?よくわからん。
123 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/22(水) 01:02:38
神仏習合は時期によりその理論がいろいろ変遷する
初期の習合理論は、神を仏の下に置き、神は仏に成れない劣った存在で
仏教で救うために神宮寺を神社に併設したりした。
次に神は仏教に帰依したとなり、その時期の神仏習合図では
僧形八幡神図が出てきた。つまり出家して仏道に励んでいるわけです。
そういう仏教帰依した神のはしりが八幡神なのです。
その後本地垂迹説により、仏が神の姿になって
民の前に現れたのだという理論が優勢になり僧形図は廃れるが
八幡神と言えば僧形というイメージが付いてるので、その後も八幡神は僧形で描かれる。
八幡神は実在が確実視される最古の天皇と言われる応神天皇のこととも伝えられており
要するに天皇家およびその民族が大分県、宇佐から近畿にそのまま持ってきた神ではないのかな?
本来の天皇家の根拠地は九州だろうし、故郷の神なのだろう。
124 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/22(水) 11:33:36
>>123 ありがとさんです。
宇佐八幡は道鏡の時から権威あったみたいだし、皇祖に繋がる神か?
でも何故応神が宇佐?神宮に匹敵する神威を持ちながら
天照の系譜に比べて霧が濃いんですよね。
125 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/22(水) 20:16:45
宇佐が神仏習合発祥の地か
神宮寺が最初にできたのもここ
八幡神の信仰を中央に伝えたのも豊国法師
126 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/23(木) 23:35:54
宇佐八幡の初めての勧請は、東大寺鎮守八幡宮(手向山神社)でよいのかな?
あの快慶作の八幡像は超有名だけど、普通一緒の比売神大帯姫の像は造られなかったのかな?
確か造像の過程で重源が神護寺の文覚と大喧嘩したらしいから
余裕なかったのかな?
快慶の女神像は是非見てみたかったが…
127 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/24(金) 03:00:12
快慶は狛犬とかいろいろ実は作ってるし
女神像も作ってても不思議ではないよね
もしかしたら作ったけどどっかにやったとかかもしれんね
128 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/11/11(火) 08:36:14
129 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/11/11(火) 12:12:54
両部神道いいね
131 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/05(月) 22:28:06
132 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/08(木) 00:14:05
133 :
民間神道禰宜:2009/01/16(金) 14:32:29
神仏習合を残すことで有名な長野県の「遠山の霜月祭り」なんだが、下栗拾五社大明神の祭りに行ってみたら、祭りを取り仕切る「禰宜」達が数珠を揉み鳴らし柏手を打って拝礼してた。
調べたがどうも神社本庁傘下じゃない様子なのだが、単立なのかな?
134 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/16(金) 14:47:37
単立神社ってカルトとか新宗教とつながってるから気味悪いんだよね
安全安心を保障するのは、やっぱり神社本庁。加入してない単立はどこかそれだけの後ろ暗いところがあるんだよ
>安全安心を保障
嘘つけ。保障も保証も補償もやらないだろ。
136 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/17(土) 04:17:48
>>125 四天王寺でしょ。
聖徳太子は四天王寺作ったときに神社を配したり
既に神仏習合様式で仏教を取り入れている。
137 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/17(土) 04:20:06
>>131 赤山禅院は道教要素…というより陰陽道の場で、かなり異質な文化が伝わってるね。
邪神とされる摩多羅神なんかも大いに祀ってるし、呪術の香りがプンプンする。
138 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/17(土) 06:45:17
139 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/17(土) 20:30:38
お参り・ご祈願は、「安全・安心」な神社本庁加盟神社へ。
140 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/19(月) 10:50:16
少なくとも本庁傘下の神社はカルトじゃないから
その点だけは安心だね
それは言い切れないよ。残念ながら。
変なニューエイジな思想に傾倒してる神職のとこなんかもあるし
単立でも伝統的な信仰守ってるところもたくさんある。
神社本庁はそこまで価値は無いよ。
だってしょせん国家神道の組織の末裔でしかない。
本来の地域地域にあった信仰からすれば神社本庁の様式自体が
新興のカルトって見方もできてしまう。
最近は本庁から離脱してそこ本来の古式信仰を取り戻そうなんてところも増えてきていて
本庁のあがりが減って危機感あるようだけど、
正直利権団体にしかなってないし、役目は終えてると思う。
一元管理するのではなく、中世のように吉田神道とか○○神道とか
それぞれ流派で多元的に管理していくのが妥当だよ。
剣術の流派みたいなもんだ。
平成になってから創立されたような神社は・・・?
歴史も何にもないし、
ただの新宗教とみていいでしょうね。
143 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/19(月) 14:27:33
>>139 じゃあ、出雲大社や靖国神社とか、明治神宮その他の神社は
神社本庁に入ってないから行けないね。
144 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/19(月) 14:38:52
靖国なんて神社じゃないだろ.
チョンや酷使やブサヨホイホイ装置だよ.
145 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/19(月) 21:42:24
146 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/19(月) 21:42:52
とりあえずネット上に神仏習合の神道を標榜する「本庁」を建ててみるか・・・。
スローガンは「打倒国学」ってことで。
神社本庁でもは昨今では関西の神仏巡礼会に参加したり
古来の神仏習合に寛容な人も若い世代で増えてるようです
歴史学べばむしろそっちが本来とも言えるしね
そういった研究の発展の成果が実りつつある
…が、しかしやっぱり本庁は国家神道でガチガチに染まった人が支配的で
それに習合はけしからん!仏教はカス!みたいな教育受けた世代が若い世代でもやはり多く
習合に嫌な顔する神職は多い
神仏巡礼の神社でも神仏巡礼の朱印帳で朱印貰うと嘲った態度をあからさまに取る神職が居たとか
よく話しに聞きます
後継ぎしただけみたいな半可通な神職に多い。
逆に吉田神道だ両部だと国家神道以前の神道儀式にも視野を広げて
学問的な分野にも博識な神職ではそんなことはないことが多い
国家神道に覆い隠された中世の信仰の歴史研究をどんどん進めることが
こういった偏見打破の唯一の道だと思う
神職の間にも国家神道以前の信仰を取り戻そうと、破棄されなかなか無い資料をかきあつめて
復活を試みようとする動きが昨今盛んです。
吉田神道の吉田神社でもそういう動きがありますし。
148 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/20(火) 01:53:12
平田国学は神道をつまらなくしたよな。
神仏が仲良く共存していた時代のバラエティーに富んだ良さを粉々に
潰してしまい全く魅力を欠いてしまった。
初のって、初の官製大寺の四天王寺が創建当初から神社を配して神仏習合だよ。
聖徳太子は必ずしも神道を否定していない。
そもそも天部などインド由来の諸神自体が習合してるわけだし
聖徳太子は法華経やら読んで理解してたんだし、そんな習合は当然理解してるわけで
日本の神々も仏教に取り入れるのは当然の発想なんだよ
151 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 07:35:22
法華経には神々が仏法の守護者として帰依する様があるからね
天台宗などそれを重視する宗派がずっと主導権握ってるわけだし
神仏習合思想は当然の帰結でしょうな
元から聖徳太子も法華経を重要経典として注釈書書いてるしね
まぁ聖徳太子自体その存在が疑われてるんだけどね。
153 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 21:19:43
豊川妙厳寺なんかは境内の鳥居や、通称・豊川稲荷本殿は神仏習合だって説明してるよね。
でもそれは多分、こういう仏教的な護法善神と、日本古来の神祇とを混同しているような、
そんな程度のヤツラを牽制して、めんどくさいこういう会話を2ちゃんでしてもらいたいんだろうな!
154 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/11(水) 06:56:52
>>152 在日乙。
反日史観のサヨクがトンデモ言ってるだけで
聖徳太子は居たし、仏教の教主として知られていたというのは否定しようがないよ
そもそも聖徳太子信仰が生まれるのは死後100年も経たずなわけで…
155 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/11(水) 09:53:54
>>152 聖徳太子が書いた経典の注釈書は支那でテキストになって高い評価を受けてる訳で。
しまいには支那で、日本の聖徳太子は天台大師の師匠である慧慈の
生まれ変わりだという信仰が生まれるに至り、それを求めて鑑真が来た訳で・・・。
156 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/11(水) 16:37:07
最近は3つの注釈書のクセが共通してて同一人物のものであり
また漢文の間違いなどが倭人独特のものであることから
渡来僧が書いた説も否定されつつある。
じゃあそれ書いた日本人って誰さ?つったら
死後すぐに仏教の教主として崇められることになる聖徳太子しかやはりありえないと思うよ。
157 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/12(木) 04:10:38
聖徳太子はホモだった。
158 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/19(木) 21:17:28
159 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/04/07(火) 01:54:04
福山市鞆町の安国寺・釈迦堂にて、朝鮮伝来という「守護神像」を発見。完全に道教の神様の格好をしていた。
しかし、釈迦堂という名に反して、本尊が善光寺式の阿弥陀三尊なのは何故だろう・・・
160 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/04/07(火) 01:59:56
同じく福山市鞆町の福禅寺。
主尊が千手観音、脇侍が多聞天に不動明王という摩訶不思議な三尊像を発見。
この三尊形式は神仏習合の寺社に特有のものらしく、どうやら真言系統(両部神道?)と関係ありそうなのだが・・・
>>160 それ初めて聞きました。
その三尊形式ってそこだけでなく他にもあるのですか?
…とするとなんらかの意味付けがあるのでしょうか…気になりますね
162 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/04/22(水) 06:48:00
東京都品川区大井町にある、大井蔵王権現
七福神の福禄寿と金峰山の蔵王権現の習合です
163 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/04/23(木) 16:15:40
>>161 情報訂正。どうも真言ではなくて、天台の系統らしいです。もともとは比叡山の横川中堂に始まる三尊形式で、天台系寺院に多く見られるとか。
実見はしていませんが、福井県小浜の若狭神宮寺にも見られるそうです。また、福山市新市町の天王さん(現スサノオ神社)にもかつて、同形式の三尊を祀る別当寺があったようです。
164 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/04/23(木) 16:28:48
神宮寺
165 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/04/23(木) 16:56:09
しつこく福山市鞆町の医王寺。
仁王門をくぐると本堂の前にいきなり鳥居(!)。本堂脇「愛宕大権現」の祠に、何やら奇妙な神像が・・・
主尊は閻魔様に似て恐ろしく、膝元に女神像と武神像。さらに両脇に四体ずつ八体の道教風の神像。どうやら、完全に牛頭天王と八王子である。女神は頗梨采女=歳徳神=クシナダヒメ、武神はタケミナカタか?
166 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/16(土) 00:17:31
東京都武蔵野市の杵築神社・・・大国主命≒大黒天、事代主命≒恵比寿
東京都昭島市の拝島日吉神社・・・大山くいの神≒大日如来
167 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/07/03(金) 19:03:33
清荒神は?
168 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/07/03(金) 20:01:07
参道の骨董屋
169 :
高野山真言宗僧侶:2009/07/03(金) 20:17:49
>>160 真言宗系では、千手観音の脇侍は毘沙門天と勝軍地蔵が一般的です。
天台系になると、鞍馬寺の“千手・毘沙門・魔王尊”のように、三つめにブレが出てくるようですね…w
170 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/07/03(金) 20:23:37
>>169 葛井寺(御室派)では、脇侍は聖観世音菩薩、地蔵菩薩だが?
171 :
高野山真言宗僧侶:2009/07/03(金) 20:51:22
その組み合わせはわけわからんわ。
御堂の中にあった仏像の中から、観音さんに合う大きさのをテキトーに並べといたんちゃうか?
172 :
高野山真言宗僧侶:2009/07/03(金) 21:01:55
大体、観音さんの脇侍にまた観音さん…ってところがメチャクチャやで…。
173 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/07/04(土) 07:55:49
>>171 …と思ったら深遠な理由があったりするから
このへんの由来はおもしろい
たぶんなんかあるんじゃないか?と俺は思うよ。
例えばさ、唐招提寺の三尊は廬舎那仏、千手観音、薬師如来で不思議だが
それぞれ天下の三戒壇の本尊で、そういう意味と言われている。
>>170 脇侍ってほどの並べ方ではないと思うが・・
単に縁あって寺に来たお像を並べただけかと。
菩薩のくせに菩薩を家来にするとはけしからん。
あやまれ!お地蔵さんにあやまれ!
別に仏の世界ってそんな俗っぽい上下関係ではないだろ
拝む人間は俗っぽいのだ!
178 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/07/06(月) 01:11:31
>>169 真言宗でその三尊を組み合わせるのは、どういう理由があるのでしょうか?詳しい由来を知りたいです。
何の経典に基づいて、何時頃、誰によって定められた、とか分かりませんか?
179 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/07/06(月) 01:18:49
>>173 三尊形式と言うのとはまた違いますが、その地域で中心的な三ヶ寺の本尊が、それぞれ阿弥陀・薬師・観音って例は結構あるかと。
これも何か意味ありますかね。
180 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/07/11(土) 20:24:55
奈良県吉野郡下市町l邑岩森にある天八山大明神は神社だが祭神が阿弥陀如来
181 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/07/12(日) 23:15:09
>>169 大正時代に大正心霊主義ブームに感化されて神智学にハマった住職が
独自に理論立てた鞍馬寺の信仰思想はここで上げるべきもんじゃないだろw
183 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/07/14(火) 19:59:12
なんか梵字業界(?)では、毘沙門の代わりに地蔵を加えた「千手三尊」ってのが定番化してるみたいだが、どういう事なのかなぁ。
184 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/07/14(火) 20:25:51
なんだよ?梵字業界ってw
185 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/07/14(火) 23:39:03
>>184 梵字を彫り込んだアクセサリーとかを売ってる業界
何かデザイナーズブランドなんかもあるみたいな
たぶんそれ売ってるとこのバックにいるミニ宗教団体とか宗教家の感得だと思うよ
そのひとは毘沙門信仰ではなかったんでしょう
187 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/05(水) 16:35:58
188 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 17:49:06
神仏習合しなかった神社ってあるんですか?
189 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 18:51:33
池上本門寺の長栄堂が神仏習合チックでいい感じ。
鎮守神として、高祖日蓮を守護したという長栄大威徳天というお稲荷さまを祀ってます。
毎月22日は縁日なのですが\1,000という格安で木剣加持を受けれますよ。
190 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 19:08:22
>>188 伊勢神宮ですらバリバリやってたんだから
多分無い筈
当然明治以降の神社は無しで
191 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 19:12:35
>>189 そのお稲荷様はダキニ天やウカノミタマとはまた違う存在なのでしょうか?
192 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 19:25:10
>>191 恐らく違うかと思います。
法華経に書かれている天部(大威徳天)の化身という解釈だそうで。
高祖日蓮が佐渡で流罪中に白髭の翁として現れたそうです。
刀を携えた翁の姿の御神像でした。
堂内では大黒天も祀られております。
名称は不明ですが他にもお稲荷さまの像がおられました。女性でした。
また池上本門寺の下に稲荷神社があるのですが、ここは長栄堂の分社として神道で独立した所だそうです。
こちらのページの写真がイメージに近いですね。
http://www.butsuzou.com/jiten/tyouei.html
193 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 19:27:57
白髪の翁と言うと弘法大師の前に現れたウカノミタマノカミとイメージが似てますね。
194 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 20:31:01
既に宇迦御魂は真言密教と切離せない存在だから
稲荷神を日蓮が法華経儀になぞらえ奉る為新たな神を創造したんだろな
195 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 21:57:20
空海や日蓮は本人というよりも後の弟子が作った伝説や結びつきのある神も多いと思うけどね
196 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 23:02:46
190
外宮、熱田、鹿島、香取、博多住吉、弥彦、大三輪、宗像、霧島、寒多、高良、阿蘇の数社、
俺の私見です。習合は無かった雰囲気
197 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 23:09:32
198 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 23:11:31
明治 乃木 東郷 靖国 平田
199 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 23:15:10
仏教が日本の事実上の国教だった時代は神道よりも長いし
そんな時代にあえて仏教と敵対したり完全に距離を置いてた神社はさほど存在しなかっただろう
歴史的にも大きな宗教は何だかんだ言っても権力に迎合する性質があるし
200 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 23:41:13
神仏分離って仏閣だけでなく神社にもダメージを与えてるよね。
例えば信州の飯縄山飯縄神社里宮・奥宮だけど、元は100石もあり。同祭神の高尾山薬王院50石よりも大きかった。
だが神仏分離の余波で石高没収されてしまった。一応全国の飯縄神社総本社なのに今では薬王院やお隣の戸隠神社と比べると随分寂れている。
今でも開山祭の時は法螺貝吹いたり、飯縄祭文を読んだり神仏習合時の形が少し見える。
それにしても薬王院はよく神仏分離を乗り切ったと思う。
201 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 23:58:33
他スレにこういうレスがあった。
Yさんがいる三嶋大社でこういうことをしているということは
本庁も変わってくるかも?
109 :名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火)
毎年8月17日は流鏑馬があるから三嶋大社に行くんだけど、
錫杖を持った人を先導に神職、何かの約の人、巫女という列を組んで
参陣→昇殿する姿を毎年必ず見かけるよ。
先導の人もちゃんと一定のリズムで錫杖を鳴らしながら歩いてる。
三嶋って本庁のお偉いさんがいる神社なのになんかおもしろいね。
202 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/19(水) 00:25:42
成田山新勝寺には神仏分離の時に近くの警察や神主などが打ち壊そうとしたたさいに当時の住職が
「ここに祀られているのは不動尊(うごかずのみこと)という神であるから壊そうとする者は逆賊だ」と言って
追い返したという話が今でも残っていますね
203 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/19(水) 04:48:51
習合に猛反発した結果の
隼人の乱
大隅正八幡宮
これは、どうだ?無いだろ
204 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/19(水) 09:49:09
>>203 思いっきり習合しとりますがな、全然アウト
>>200 記紀に出てこない神は全て名前を変えさせた
変えないと蛮習として弾圧された
それに明治政府の国家神道って、
吉田や伯家や出雲といった旧来の神道勢力を排除する目的もあったからね
206 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/19(水) 11:58:37
百年前まで
神体を像として彫ったりしてたんかな?
なんだか、境内ってより霊内って雰囲気だな…
207 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/19(水) 12:32:20
戸隠神社の式年大祭で神仏分離時に追い出された仏さまが里帰りしておられました。
博物館のように無造作に展示されてるかと思ったらちゃんと祀られており安堵。
仏さま方は追い出された訳ですが、神祇の飯縄大明神さまだけは戸隠神社に残り講も残っているようですね。
善光寺にあるような御印文を頭に押していただきました。
それぞれが胎蔵界と金剛界の大日如来なんたらと説明を受けましたが、受ける時は払い給え清め給えと神式で面白かったです。
宝光社の博物館を見ましたが、修験道が盛んだったころの物品が多く見られました。
戸隠、飯縄は神仏習合が色濃く残ってますね。
208 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/19(水) 12:43:51
>>205 確かに飯縄神社も飯縄大明神であったわけだけど、皇足穂命と新たなる名前を頂いちゃって神社名も正しくは皇足穂命神社になった訳だしねぇ。
名も無い神こそ八百万の神らしいと思うんだがな。
うちの近所、川崎だけどしばられ松という神社があるが、祭神不明で残ってるよ。松が御神体で古くから信仰されてる。よく神仏分離を乗り切ったもんだ。
意外かもしれないが存外自然の物を拝んでる場合は神名不詳でも廃絶される事は少なかった。
ただ明治中期の神社整理政策で周囲の森や林諸共潰され、公共の更地になる場合はあった。
逆に祠や石碑などの人工物の時は、どんなに参拝の多い人気の高い所であっても
迷信として合祀か跡形も無く破壊される事が多かった。
因みに中国の文化大革命の場合、廟は公共の建物として再利用されたので公に信仰を許されたら復活出来たのに対し
自然の物を崇拝していた場合は迷信として徹底的に更地にされ、信仰が許されても拠り所が破壊されてたので復活しなかったそうだ。
210 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/20(木) 00:34:22
文化大革命も権力者が一つの思想に国家の全てを統合させようとした点では
ある意味で国家神道にも似た宗教と言えるかもしれないね
自治体によっては正月の門松や、盆踊りすら禁止のお触れ出てるから凄いよね
当時祝日として普及していた節分も(節分は2月3日だけではない!)国家として祝日から外されたし
あらゆる民間習俗が弾圧された時期があった
特に当初数年は激しく、寺も多くが寺領を没収され廃された。
(たまに国は寺を潰してない!民間が勝手にやったのだ!と半可通を晒す人がいるが、当時の事例を見る限り、適当ではない)
その後、行き過ぎた宗教弾圧への反省があり(東洋的なものへの価値を見る人も出たせいで)、この手の弾圧はゆるみ
寺も一定の地位を保証された。
明治5年、「各宗派は教導職管長1名を置き、一宗末派の取り締まりに当たるべし」という一宗一管長制度で認められた数宗派に集約される。
この5年のあいだにとてつもない遺産が失われた。現在国宝の興福寺の五重の塔が二束三文で売られるのだから尋常じゃない。
その他、非国家神道系の神道や、民間信仰は、教派神道として仏教同様認可された
十三派に集約され、管理下におかれる。
ここに漏れた信仰や、習合色強すぎて神道への転換を拒んだ信仰は全て弾圧された。
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名無しさん@京都板じゃないよ:
立里荒神社は?