>>362 三宝院流の伝授は「はった」広沢諸流や中院流は「ぱった」で受法しました。
差しさわりの無い程度に申し上げれば、梵字で真言が記されているのでその通り
に発音されるのが問題ないのですが、それぞれの読み癖というものがあります。
たとえば毘沙門天の真言 おんばい(べい)しらまんだやそわか
これは京都方は多く「ばい」と梵字の通り発音しますが、高野では古来の読み癖
によって「べい」と発音します。このように諸流に読み癖がでてきます。
三宝院流では「はった」と発音されます。広沢諸流と中院流では「ぱった」と
発音されます。それはなぜか?三宝院流は四度の十八道の次第を元杲さんの
ご製作の次第を使います。広沢諸流と中院流は大師ご製作の十八道次第を
使います。それぞれの次第には「はった」「ぱった」とカナがついております。
それゆえに醍醐の伝授では「はった」と発音します。
あと書き込みで阿闍梨の言うとおりにという発言がありましたが、ホントは
阿闍梨の伝授は絶対です。しかし今時の阿闍梨の中には、どこかの総長の様に
伝授も受けておらずさも伝授を受けたような顔をして平気で伝授する輩もおり
ます。又伝授は受けられても只その場にいるだけで何もわかっておられない
方もおられます。
やはり阿闍梨は選んで伝授を受けられた法が良いと思われます。