浄土宗・称名念仏第四回

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1名無しさん@京都板じゃないよ
浄土宗と念仏について大いに語れ。

●過去ログ●
浄土宗・称名念仏第一回 http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1101618487/
浄土宗・称名念仏第二回 http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1113414378/
浄土宗・称名念仏第三回 http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1119955135/
2漂泊の2ゲッター:2005/07/30(土) 15:41:02
   コタツデ
        ∧∧  <2ゲト〜〜〜〜〜
       (゚Д゚ )  
     / ̄ ̄旦/ヽ;;;⌒`)   
   /___/ ※/)≡=-;;;⌒`)⌒`)   
  / ※ ※ ※ ※ // ≡≡≡≡= -;;;⌒`)⌒`)
  (ー―――――_,ノ ≡=⌒`);;;⌒`)≡=-⌒`)
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   ズザー―――
3仏様:2005/07/30(土) 15:42:47
真宗を妬むスレまた作ったのかよ
潰してやるから楽しみにしてな
4名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/30(土) 15:45:18
>>3
それを狙って真宗のヤツが作ったのかもよwww

とりあえず>>1
5けちゃっぷ:2005/07/30(土) 17:23:47
>>1 ありがとうございます。
6名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/30(土) 17:26:48
けちゃっぷと菅ちゃんとウラジャと仏様は同類
7名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/30(土) 17:40:18
真宗にとって、東と西は同じ親鸞の教えだから違いには敏感になるけど、
今の浄土宗は、法然の弟子の始めた宗派で、違いは当然だから意識することはない。
まあ議論をする機会も対立する機会もないから、知らないというのが正確か。

しかし、以前に「法然と親鸞」という二枚看板でシンポジウムがあったが、
法然だけでは一般受けしないから仏教大学が考えたのだろう。大入りだった。

場所を考えて、真宗の先生は法然をもちあげて、批判することはなかったが、
浄土宗の先生方は、ここぞとばかりに真宗批判を始め、拍手までするのがいた。
聴衆者席で聴いていた私だが、正直言ってあの展開にはびっくりした。
招いておいて失礼なことだが、浄土宗側には、
「浄土真宗」という宗派名や、法然より親鸞の人気が高いことなど、
日頃、真宗に対する、ねたみや屈折した感情があったことを知った。

当日は、仏教大学の主催ということも考え、真宗の先生は我慢の子であったが、
後日、法然上人に批判されるのならわかるが今の浄土宗に非難されたくはないな、
そう、ぼそっと言っておられたのが印象的だった。

平成23年には真宗も浄土宗も宗祖の遠忌を迎え、
共同で念仏の教えの振興を考えるそうだ。
そういう流れになって念仏の教えがもっと広まればよいが、
現状では、末寺を含めた宗派のありかたがあまりにも異なるのでどうかな。


8けちゃっぷ:2005/07/30(土) 18:24:31
>>7 その時の真宗批判は、どのような内容だったのでしょう?興味があるのでお聞かせ願えないでしょうか?
9けちゃっぷ:2005/07/30(土) 18:26:19
>>6 ウラジャさんと仏様さんは存じあげませんが、菅ちゃんは知ってます。
メル友だし、たまに電話もします。
10名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/30(土) 18:34:42
>7
そんな席で真宗批判をおっぱじめるなんて愚か者がいたものですね。

ただ、浄土宗には真宗を邪義とみなす傾向は昔からありますね。
一方で西でも東でも、浄土宗を自力とみなして攻撃する傾向もありますな。

和やかに歓談していた西本願寺の坊さんが、私が浄土宗の宗侶であると知った
とたんに、「あぁ、御念仏を沢山いうんですねぇ」とか言い出したかと思うと、三十分
ぐらいしてから、「あなたなんて地獄に行くに決まってんだから。死んだらそれで全部
おしまいだと思ってんでしょ。言っても仕方ないけどねぇ」なんてやりだす始末。

度し難いアホだと思ったけれど、こんなんが真宗では普通なんですか。
そういや、大谷大学の某教授、浄土宗の念仏では往生できないってほざいていた。
念仏に浄土宗も真宗も違いがあるわけではないし、親鸞や法然上人が往生させてくれる
わけでもない。
佛大は誰かは知らないが、この大谷大学のアホといい、どうしょうもないでつね。
11名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/30(土) 19:31:56
けちゃっぷは菅ちゃんとメル友!?電話も!?
12名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/30(土) 19:38:18
>>10
それは確かに愚か者ですね。
真宗では、浄土宗の念仏では往生できないなどとは普通言いませんよ。
念仏をたくさん言う「必要」はないとは言うかも知れませんが。
阿弥陀仏の本願によって往生できるという点では、
摂取不捨、すべてをすくい取って誰も捨てないという立場ですから。

大谷大の真宗は近年、変な方向に行っていますから、そのせいかな?
13けちゃっぷ:2005/07/30(土) 21:04:46
>>11 このスレで菅ちゃんの名前が出るとは…。法華経スレか創価板の住人さんでしょうか。
菅ちゃんには、2ちゃんねるに来る前からお世話になっております。僕にはないジャンルの知識と能力をお持ちのようです。
14名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/30(土) 21:50:19
けちゃっぷさんは京都で浄土宗の若手現役お坊さんでしょう?
15けちゃっぷ:2005/07/30(土) 22:10:44
>>14 ちょっと違いますが、お坊さんです。
16名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/30(土) 22:17:25
ごめんなさい
どの部分が違いましたか?
京都?
宗派?
若さ?
17けちゃっぷ:2005/07/30(土) 22:22:25
京都在住ではありません。
18名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/30(土) 22:27:49
あぁ東北のかただったんですかぁ
19名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/30(土) 22:38:18
>>18 近畿地方です
まどろっこしいので、質問の意図をずばりおのがいします。
20名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/30(土) 22:43:22
けちゃっぷちゃん。あんまり個人情報を流さないように
21名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/30(土) 22:53:04
2ちゃんねる以前に菅ちゃんと知り合いなら東北なんかなぁって思っただけやのに、なんでまどろっこしいとか言うの?
深読みとか勘繰りとかってされるほうは嫌な感じです
22名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 01:41:49
23名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 01:52:15
>>15
嘘つくな。小役人だろが。
24名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 01:54:53
けちゃっぷさんは宗務の人?
25名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 02:16:06
京都在住ではないが近畿内から通勤してるってことね
26名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 03:04:24
>>24
さすがに宗務の人じゃないだろう。
宗務なら、もうすこしまともなこと言うだろ。
27菅ちゃん ◆bu.JfPj2vI :2005/07/31(日) 07:32:34
皆様おはようございますm(_ _)m
お忙しい中私のためにレス付けさせてしまい申し訳ありません。
けちゃさん忙しいのにすいません。
私を捜してる子を探しにきました。
本当にごめんなさいねf^_^;
えと、名前が分からないからだけども、メールくださいね(o^^o)
[email protected]
↑えっくすは、半角小文字英数字です。
それではすいませんでした(^^;)ノシBye-bye
28けちゃっぷ:2005/07/31(日) 07:54:09
宗務の人じゃないです。
29けちゃっぷ:2005/07/31(日) 08:08:33
>>21 ごめんなさいね。
菅ちゃんのことを聞きたいのか、けちゃっぷのことを聞きたいのか、どっちかわからなかったもので。
30名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 10:43:24
伊勢神宮の神職は昔のように女性にしたらいい。
それに尼門跡を復活させても良いかも。
結婚できなきゃ尼になれ〜って、暴論か・・・

31名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 12:07:26
☆菅ちゃん復帰希望☆♪(=^▽^=)♪
32名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 13:20:01
一般の人から見たら、
般若心経で十分成仏できると思ってるんだろうな。
極楽往生のためには、何故「南無阿弥陀仏」なのか
一般の人間が納得行くってのはなかなか難しいよな。
いろんな宗教、信仰があるからどうも相対的な考えを消し去れない。
極楽往生を望まなければ、
それぞれの信仰で、
天国いったり、成仏したり、
それなりのところへやっぱり行くのだろうか?
33名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 13:22:48
死んだらおしまい
34名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 14:03:09
>>33
それは浅はかな了見
35名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 15:30:34
>>33 身も心も死んだらおしまいになれるのが成仏ではないでしょうか。
未練があるとおしまいになれない。
36名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 16:24:19
愚者ぐしゃです。

遅まきながら新スレ乙、おめでとうございます。
またつまらん質問をします。
最近、私は「南無阿弥陀仏、南無釈迦牟尼仏」と称えているのですが、私は死んだらどうなるでしょうか?
37名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 16:28:07
>>36
骨になります
38名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 16:30:02
☆菅ちゃん復帰希望☆♪(=^▽^=)♪
39名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 17:21:29
>>35
未練のない死を迎えられる人間って稀だろう。
未練って言葉を変えれば煩悩だから、
煩悩を抱えたまま、我々の殆どは死を迎えていく。
死んでもおしまいじゃないよ。
40名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 17:30:46
ある意味、脅迫的だよな
41けちゃっぷ:2005/07/31(日) 18:07:14
>>36 極楽へ往生します。
南無釈迦牟尼仏ということは、仏教徒宣言であり、南無妙法蓮華経と同じことです。
その上で南無阿弥陀仏なのだから、「釈尊」が説かれた仏教の中でも特に浄土教に帰するということになります。
阿弥陀仏は釈尊に対立するライバルではありません。釈尊こそが、我々に阿弥陀仏を紹介してくださった教主様なのです。
42名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 18:18:24
イスラム教徒はどうなるの?
43名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 18:21:13
奉酬、大悲願王阿弥陀佛、撥遣教主釈迦牟尼佛、六方恒沙証誠諸佛、観音勢至諸大菩薩、極楽界会、清浄大海衆等、一切三宝広大慈恩
(ぶしゅう、だいひがんのうあみだぶつ、はっけんきょうしゅしゃかむにぶつ、ろっぽうごうじゃしょうじょうしょぶつ、かんのんせーししょだいぼさつ、ごくらっかいえ、しょうじょうだいかいしゅとう、いっさいさんぼうこうだいじおん)
〈十念〉
なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ なむあみだぶつ なむあみだぁぶぅ。
44けちゃっぷ:2005/07/31(日) 18:23:45
>>42 仏教をまったく知らない人でも、阿弥陀仏と極楽のこと、念仏で往生できることを知って、念仏すれば、往生します。
45名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 18:28:10
イスラムの人はたいてい知らないまま死ぬけどどうなんの?
46名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 18:33:07
撥遣教主釈迦牟尼佛とは、「ほれほれ、おまいらも極楽へ往け」と私たちを送り出してくれるお釈迦様のことです。
六方恒沙証誠諸仏とは、東南西北上下の六方の浄土で「お釈迦様が説いた阿弥陀仏の教えは本当のことです、まちがいない」と証明してくださっている、ガンジス河の砂(恒沙)の数ほどの無数の仏様達のことです。
47けちゃっぷ:2005/07/31(日) 18:44:42
>>45 この世の創造主である梵天が支配するの世界(六道の天のうちの一つ)に、輪廻します。
そこで仏教に出会えれば悟れるかもしれないし、念仏に出会えれば、往生します。
梵天様自身が仏教徒なのですから、梵天の世界に往ったイスラム教徒は、仏教に出会える確率が高いと思います。
梵天様も釈尊に出会って以来菩薩行に目覚めたのか、キリストやマホメットを世に遣わして、救済活動に精進なさっているようですね。
48名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 18:51:31
>>47
め、明解だなおい
49名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 19:16:31
ホレッ 餌だぞ。

弥陀の本願力は一切衆生を救う。
念仏は方便なんだよ。だか〜ら、
念仏してもしなくても往生する。イスラムも水子も一様に。
50名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 19:17:48
けちゃっぷさん、そんな大胆なこと書いてよいんですか?
浄土宗の公式見解?
51けちゃっぷ:2005/07/31(日) 19:31:08
>>50 コテハンで書いてるのは、個人的見解だと思ってください。
イスラム教徒と無闇にケンカしてもつまらないですからね。彼らが信じている神様(仏教徒が梵天様と呼んでいる)におまかせしておけばよいでしょう。
死ななきゃ仏教に出会えない人に比べて、戒も守れない凡夫であるとはいえ仏教に出会えた私たちは、とてもラッキーなのです。
このチャンスをムダにしないためにも、確実に往生しましょう。変な世界り輪廻したら、また仏教を忘れちゃうかもしれませんから。
52名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 19:34:09
けちゃっぷさんは、アラシを引き込むための確信犯ですか?それともマジ信念の書き込み?
53名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 20:28:02
>47
>この世の創造主である梵天
こら。おまはん、本当に仏教徒なのか?この記述はまったく間違い。恥ずかしいから浄土宗の教師であると名乗らないでくれ。
54名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 20:49:07
>>47
いくらなんでも、恥ずかしすぎ。
いったいどこで浄土教の勉強をしたんだ。
梵天がこの世の創造主?梵天が六道を支配?六道の天?
そんなばかなこと、いったい誰が言っている?

浄土宗も、こんなバカなこと言っているのを
取り締まらなくていいのか?
それとも、浄土宗の坊さんは、みんなこの程度の知識?

こんなオカルト坊さんや、
念仏説かずに、祈祷して金儲けだけしているぽっくり寺が、
浄土宗の実態?
55名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 20:54:13
>>47
> この世の創造主である梵天が支配するの世界(六道の天のうちの一つ)に、輪廻します。

六道がみんな天なら、地獄も天か?
地獄天があるなら、一番上は天天か。
56名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 21:11:07
大梵天は自分の中に梵天が落ちてきたから
創造主だと思いこんだ
57名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 21:12:30
〇 界
58名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 21:27:07
こんなこと言ってる人もいるんだね。
ヤハウェと梵天
ttp://deva.aleph.to/interview/04-03.html

59名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 21:29:11
浄土宗でしょケチャップ?
60名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 21:36:44
けちゃっぷは、ひょっとして隠れオウム?
61名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 21:54:48
「浄土系のお坊様に質問です…  part2☆」
上のスレで、ここのスレとけちゃっぷ批判されてるな。
62名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 21:57:16
どうでもいいさ、そんな事。○ちゃんとメル友の坊主なんて
余程変人ですよ。どんなことでお世話になったかは別として、
彼女の言ってることはめちゃくちゃで、まともに「宗教」を
学んだ人間の言うことではありません。
63名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 21:59:35
菅ちゃんとケチャップ君はメル友なんだよね
64名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 22:08:40
>51
あなたの発言はどっかのカルト新興宗教と同じ。
もし自分でそのように信じているのなら、さっさと僧籍を返上してください。
その信念が正しいとお考えなら、浄土宗を離れてべつの一宗を立ち上げてください。
カルト教団として心置きなく驅逐してさしあげます。
浄土宗侶として迷惑千万です。
65けちゃっぷ:2005/08/01(月) 00:22:24
>>55 六道がすべて天とは言ってません。梵天がいる天界は六道の一つだという意味です。
66けちゃっぷ:2005/08/01(月) 00:57:30
>>54 梵天(ブラフマー)が六道を支配しているとは言ってません。
67名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 01:09:18
>>56 そうかもしれませんね。
梵天は色界の最初、初禅天であり、一歩まちがえば欲界に転落しかねない位置です。
創造と分別(特に言葉)とも関わりは深いでしょうね。赤ちゃんが自分の名前を呼ばれる意味を理解し、自我を形成し、自他の分別を覚えると、そこに初めて「わたし」が創造されます。
「おもちゃ」の名前を憶えて他の物体と分別をつけると、そこに初めて「おもちゃ」が創造されます。
梵天が住むのは色界ですから、物質には縛られていても欲には縛られていませんが、一歩欲界に転落すれば、欲に縛られます。
赤ちゃんが「おもちゃ」と「わたし」を結合させて「わたしのおもちゃ」を創造しだすと、我欲はふくらんでいきます。
68けちゃっぷ:2005/08/01(月) 01:15:26
>>64 では、イスラム教徒は死ぬとどうなるのか、浄土宗としての正解をお願いします。
69名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 01:32:06
けちゃっぷさんは資格取る時どう習ったの?
教科書とかにはどう書いてあるの?
70けちゃっぷ:2005/08/01(月) 01:41:55
>>69 イスラム教のこと?梵天のこと?
インドで創造神とされている梵天(ブラフマー)は、仏教に取り入れられて護法神になっています。
三界に27種の天を配する世界観も、一応仏教の世界観です。
イスラム教徒は創造神を崇めています。仏教の世界観の中で創造神といえば梵天ですから、けちゃっぷは、イスラム教徒は梵天を拝んでいるのだと思うことにしています。
けちゃっぷにとっては、そう思うことで、イスラム教徒も仏教的世界観の一員としてすんなり受け入れられるからです。
71名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 01:45:52
じゃあユダヤ教やキリスト教は?
72名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 01:54:40
『岩波仏教辞典』より「梵天」
ヴェーダ祭祀の根本原理たる中性的ブラフマン(梵)はヴェーダ時代後期より男神ブラフマーの形をとり、ブラジャーバティ神に(創世神)にとってかわるようになる。
ヒンドゥー教では破壊・維持を司るシヴァ・ヴィシュヌに対し生成の神として重んぜられるが、他の2神ほど勢力は持たない。
仏典では〈梵天常童子〉〈梵天裟婆王〉などが登場し、梵天は一般に帝釈天と並ぶ諸天の長の座を占める。
仏に転法輪を勧める〈梵天勧請〉の物語は名高い。
なお、梵天の住する色界の初禅天、大梵天・梵輔天・梵衆天の総称ともする。
73名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 02:04:41
>>71 やはり梵天。
「人間」を〈創造する〉ということを、「人間」という概念が私の脳みその中に形成されることだと理解することもできます。
なぜ最初に創造された人間がアダムとイヴという夫婦なのか。それは、赤ちゃんが初めて認識する身近な何件が、両親だからです。
なぜ神様は人間を神様自身とそっくりに造ったのか。それは、「人間」という概念を認識し、「これは人間、これは人間じゃない」と分別するわたし自身が人間だから。梵天は私という人間の自我の一部だからです。
梵天を拝む奴らは、自我を拝んでるだけです。
74訂正:2005/08/01(月) 02:06:18
身近な何件が→身近な人間が
75名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 02:30:59
けちゃっぷさんとは別の人?
76名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 06:09:19

どうも唯識の知識が入っているように思うのですが・・・
浄土宗でもそういうことは学ぶんですか? それとも大学で? 自習?
77けちゃっぷ:2005/08/01(月) 07:35:39
>>64 イスラム教徒は死ぬとどうなるのか?浄土宗としての正解をお答えください。
78名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 07:37:51
>>64
おれも知りたいな。

ただ、「浄土宗として他の宗教の信者の死後について見解はもつべきではない」という答えもありだと思うけど。
79名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 09:25:59
当時のインドの世界観が、仏教の経典の中に混入しているのは事実だが、
仏教は、そういった世界を超えて解脱に至るものとして説かれているわけで、
仏教の教義体系のなかに、梵天などの世界観は必要なものではない。

浄土教なり仏教なりの教義体系をきちんと学べば、
世界の創造神というものをもたないことや、
それをキリスト教やイスラム教の神にたとえることがいかに的はずれであるか、
普通に理解すればわかるはずだ。

梵天は、仏教がインドに広まるために付加された土着の神概念であり、
あくまでも仏教の周辺にあるわき役にすぎない。
何が本質かを見きわめる姿勢を法然上人は教えてくれたのじゃなかったのか。
80けちゃっぷ:2005/08/01(月) 12:31:54
>>79 教義上重要でないことはわかってます。創造説自体も仏教では否定していると言えます。
梵天信仰を説くために書いたのではなく、イスラム教について質問があったので、私見を述べたのです。
仏教を知らないまま死んだイスラム教徒は、救われるのか?
梵天を否定するなら、聖書の神もまた否定することになります。本来の仏教の思想からはかけ離れていますから。
しかし僕は、イスラム教徒を否定したくなかったので、梵天様の名前を借りて彼らを仏教世界に引き入れたのです。
「否定したくない」というのが、質問に対する僕の答えであり、それに肉付けしただけです。
イスラム教徒は死ぬとどうなるのか?宗門の方々、どうか正解をご教授ください。
81名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 12:59:23
>>80
私見なら人前では話さないことだな、恥かく。
素人か浄土教に興味を持つオカルトファンならともかく、
浄土宗の僧籍をもっているものの話す内容ではない。

> 梵天を否定するなら、聖書の神もまた否定することになります。
> 本来の仏教の思想からはかけ離れていますから。
ということは、聖書の神を肯定しているということ?
聖書の神を肯定するなら、その神以外に阿弥陀仏などを認めないことになる。
一神教というのはそういうこと。
まさか浄土宗が梵天信仰を認めているということはないでしょうね。
82名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 14:57:37
やはり似非坊主はこの程度
83名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 17:34:03
梵天信仰ふつうに認めてるんじゃないの?
梵天以外にも、弁財天、吉祥天、毘沙門天等四天王を祀ってる浄土宗の寺もありそうだし。
じっさい坊さんが四天王をお呼びして浄めているって説明してたぞ。
84名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 18:04:08
>>77
> イスラム教徒は死ぬとどうなるのか?浄土宗としての正解をお答えください。

もう少し常識をはたらかせなさいよ。
浄土宗の正解?そんな正式な見解などある?

阿弥陀仏はすべての衆生を浄土へ救うと本願で誓われているから、
みんな阿弥陀仏の浄土へ往生しますよと、イスラム教徒に言うつもり?
イスラム教徒は怒りますよ、イスラムの天国へ行くつもりなのに、と。
それこそ、テロの標的になるかもしれないな、イスラムを冒涜したと。

それともイスラムは仏教に出会っていないから、六道輪廻して苦の世界に?
仏教に出会って、浄土へ往生するまでは救いはないとでも言うわけ?
やっぱりイスラム教徒は怒りますよ。

他の宗教を信じている人がどうなるのか、
そんなおせっかいを浄土宗の正解として出す非常識をわきまえるべき。
おせっかいはやめてくれ、
85名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 18:10:59
>>81 浄土宗でも、釈尊の生涯を説明する際に「梵天勧請」が説かれます。
梵天に帰依しろなどと言っているのではなく、梵天の存在(する世界観)を認めるというだけです。
たとえば観無量寿経では、釈尊がイダイケ夫人のもとに現れた時、帝釈天や梵天達が虚空から天花を降り注がせて、釈尊に供養しているのを、イダイケ夫人が見ています。
86けちゃっぷ:2005/08/01(月) 18:16:44
>>84 たとえば檀家さんのご家族や親しい人の中にイスラム教徒がいて、亡くなられたとしたら?
それは亡くなったイスラム教徒本人の問題ではなく、仏教徒である知人がいかに納得できるかという問題なのですよ。
87名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 18:16:50
おまいらもう少し冷静にいきましょう。
三毒が渦巻いていますよ。

2chだから無理か・・・
88名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 18:17:51
>>84
それならそもそもけちゃっぷにそういう質問する人が非常識なんでは?
89けちゃっぷ:2005/08/01(月) 18:22:59
>>88 けちゃっぷ限定で質問されたんじゃないですけどね。たぶん浄土宗関係者すべてに対する質問だったのでは?
たまたま僕が最初に答えて、今のところ他に答えてあげる僧侶がいらっしゃらないというだけです。
ですから、僕の答えを批判するなら、同時に質問者に答えてあげてください。
90名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 18:25:05
けちゃっぷさん、勉強になりましたね。
まあ、こんなもんじゃないですか?
念仏称えて、次にすすみましょう。

でも本当はそういうふうに包括的に説明できて、それこそドラゴンボールみたいに
「西の界王、東の界王」みたいな体系ができあがれば世界が平和になるかも知れないのにね。
おなじ梵天(ヤーヴェ)をいただく宗教同士が一番殺し合ってるっていうのが現実ですものね。
『法然 イエスの面影をしのばせる人』 井上洋治/著・・・・神ではなく預言者の人間の「生きざま」
にならこんなにも理解が示されるのにね・・・でもこれも、井上師が日本人だからかも知れませんね。
アメリカのキリスト教左派に言わせたら単なる邪教にされるかもしれんし。

91名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 18:46:10
>>90
右派だ! 右派! ウハウハ
92名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 19:00:16
>>85
地動説を知らない時代の世界観が仏教経典のなかに見られるからと言って、
今の時代に、地動説に基づく世界観を認める必要はありません。
もう少し、本質をご覧なさい。
93名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 19:31:47
その前に今の時代に極楽や阿弥陀仏の存在を認める必要があるのかって話だな。
物理学、宇宙科学が発達していない時代にはそういう存在がはるか彼方に有ると信じられたかも知れないけど。
仏教の本質は死んだ後はるか彼方の世界に生まれ変わるということじゃなくて、誰もが心の中の浄土を探求
すべきということではないかな。
94名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 20:02:52
>>93
私がここによく来る理由のひとつです「心の中の浄土」
しかし、「浄土」を心の中の存在、とした瞬間に浄土は消えてなくなります。
すくなくともその存在の力を失います。
法然上人の頃にはおそらく浄土は地獄ともに、現在の火星や木星なみに確実な
存在であったでしょう。
その後の科学の発達を乗りこえて「存在」できるかどうか、それが鍵です。

科学的に「西方ってのは西のことだろ。十万億土が何キロメートルか知らないが、
地球をグルグル回って、どこにそんなものがある」と言ってしまうことは簡単です。
しかし、現在も人間は科学的に存在しないものを求め続けています。テレビを
見れば今日もハゲたおっちゃんが(真宗批判ぢゃないよ)純金でできたパワーの
入れ物を売ってました。彼はセックスをして相手のエイズを治せるそうです。
そして、「科学」を助行にした時、オウムが出現します。

「西方浄土は実在し、阿弥陀仏は救いの手をさしのべておられる、人間は死ねば
みな(念仏を称えるかぎり)苦しみのない極楽浄土へ迎え入れられる、疑ってはならない」
この法然上人の選び取った真理は先に書いたふたつより遥かに素晴らしい真理だと
思います。

私は浄土宗に期待しているのですが。
95名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 20:12:40
指方立相
浄土を心の中にしてしまえば、もはや浄土教は命を失う。
96名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 20:42:12
>>93
梵天勧請やその世界観にしたって同じことだろう。
科学の発達を乗り越えて、それを現代の文脈においてどう読み解き受け取るかだ。
昔の人の考えだから認める必要はない、ってのは単純すぎる。
>>95
中国、韓国、チベットに浄土の教えがないとか、それらには命が無いとか断言できるか?だとしたら非常に傲慢に思える。
9794:2005/08/01(月) 20:44:19
私の考えを動かした一文をまたあげておきます

・・・しかし、いかにも物知り顔で「釈尊は死後の世界を説かなかった」「阿弥陀仏や極楽浄土とは
清きわが心そのものである」「仏教は死者のためにではなく、今生きている者のためにある」などと
声高に叫んでいる方たちがいます。なぜその方たちは、多くの日本人が墓参りをし仏事を営んで、
今は亡き<大切なあの方>に対して真摯に掌を合わせる姿に目を向けないのでしょうか。出棺の際、
亡骸に顔を寄せ泣き崩れる遺族の心の底に思いを馳せないのでしょうか。

出展は知ってる人は知ってるでしょう。なぜこの一文が浄土衆徒でもない自分を打ったか?
前半の「 」内の文章は私の考えそのものです。まったくその通りだと思っている。つまり、ここで
いう「声高に叫んでいる」のはまさに私のことでした。

「なぜ目を向けないのか」・・・・ははは、目を向けられたら葬式で儲けてる坊主が往生するからさ・・・・
と、思った自分もいます。そして、この文章はそういう意図で書かれたのかもしれません。

しかし・・・・「大切なあの方」という部分に固有名詞を入れてみましょう。どこかの知り合いの話をした
こともないご老人の葬儀しか知らない若い人には想像がつかないと思います。「死」を目の前にした
時、人は簡単に自分の理性を手放します。教育も道徳も、情緒さえ放棄して何かにすがろうとします。
自分の死でも、自分になくてはならない人間の死でも。その時、理性や科学だけで乗り切れる人は
いないはず・・・いたとしたらもうそれは人間ではない、と思ってもいいかもしれません。

オウムが洗脳の第一に何をしたか「人は死ぬ、必ず死ぬ」と反論しようのないか事実を突きつけて
耳の横で太鼓を叩いたり薬物を投与したり・・・・そんなことをしなくても、「人は死ぬ」と繰り返すだ
けですべてを手放して洗脳は完了します。



98名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 20:48:26
(97つづき)
仏教自体は、私の理解では特に禅宗などは「死後の世界などない」ということを教理の中心において
いる気もします。しかし、真の目標は「人を苦しめる迷妄からの解放」であり、その方法論がいろいろ
に分かれていったのだと思います。私は浄土衆徒ではないのであえて言いますが、それもまた「迷妄」
に過ぎないかも知れない「浄土」の存在を、あえて選び取ったのが法然上人であり、一切経を何度も
読み返し、知恵第一といわれた法然上人だからこそ見つけられた真理であると思います。

浄土が実在し、阿弥陀仏が必ず救ってくれる。そのことを信じられるだけで、どれほどの迷妄が晴れる
でしょうか。前に書も書きましたがたとえば聖道門の真理が宇宙空間のイメージなら、浄土門の真理は
雲ひとつない青空ではないでしょうか。たとえば、自分ではなく自分の年老いた親に死ぬ前にどちらを
見せてあげたいと思うでしょうか。

この世には絶対的に「青空」を必要とする人々がいるのです。もちろん宇宙空間から見た地球の真の姿
もまた美しいに違いないけれど、そのために全員を宇宙ロケットに乗せる必要がはたしてあるのでしょうか。

ただ・・・・・・・・・・・・・やがて人類の教育水準はあがり、みなが宇宙空間をのぞむほどの知的構想力を持つ
にいたるかも知れません。その頃には浄土宗の生命も、あるゆるものがそうであるように、終わりを迎える
ことになるでしょう。
99けちゃっぷ:2005/08/01(月) 21:06:49
我々の知っている宇宙は、浄土の大きさの単位よりはるかに小さいサイズです。宇宙の果てに浄土があるというより、無数の浄土の織り成す世界のすみっこのホコリの中に、我々の宇宙があるのです。
三界を考えればわかるように、物質世界自体が悟りの境地に比べると低次元なのです。物質世界の尺度で浄土の座標やサイズを量ることはできません。
100けちゃっぷ:2005/08/01(月) 21:14:55
>>93 「心の中の浄土」という時、前提となるイメージとして、肉体の器の「中」に心があるように想ってしまいません?パソコンというハードの中にソフトが有るのだと想ってしまいません?
ほんとにそうなんでしょうか?
心の「中」に物質が浮かんでは消えていくんじゃなかろうか。
いのちについても同じように感じます。肉体の中にいのちの電池が有るイメージじゃなくて、いのちというエネルギーの風の中で肉体の風車が回ってるんじゃなかろうか。
101名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 21:19:09
>>96
梵天勧請は、梵天の支配する世界観を信じていた当時のインドにとっては、
必要なエピソード(もちろん史実ではない)ではあったであろうが、
日本において、阿弥陀仏の浄土を説く浄土教には必要なものではない。
そんなことは法然の浄土教をちゃんと学べばわかることだ。
102名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 21:20:59
>>100
オカルトはやめようや。
また話がこじれる。
103暁天講座:2005/08/01(月) 21:36:59
東本願寺・大谷祖廟
8月1日=真城義麿・大谷中高校長「捨てられず捨てず」
  2日=戸松政憲・福万寺 前住職「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の宗教」
  3日=村永行善・浄土真宗本願 寺派総務「仏様のおこころをいただいて」
  4日=片山寛隆・相願寺住職「転換−後悔すべからず」
  5日=安原晃・真宗大谷派参務「見えるもの見えないもの・見えること見えないこと」
 
西本願寺・大谷本廟
8月6日=武田昭英・浄土真宗本願寺派総務「朝(あした)には紅顔ありて」
  7日 =大竹輝道・同派布教使「仏さまと私」
  8日=竹田恵示・真宗大谷派参務「人と生 まれて」
  9日=上山大峻・本願寺派教学伝道研究センター所長「みんなちがって、みんないい」
  10日=橋本明宣・本願寺派布教使「たすけられまゐ(い)らせて」

知恩院    
7月27日=漫才師・内海桂子さん「転んだら起きればいいさ」
  28日=古美術鑑定家 ・中島誠之助さん「『目利き』の人生談議」
  29日=臨済宗大徳寺派大仙院・尾関宗園住職「高き志と厚き心」
  30日=石丸晶子・東京経済大教授「面影びと−法然上人」
  31日=鈴木超淳・知恩院布教師会長「人生”うけとめ方”」

なんだこりゃ。漫才師に鑑定家に観光寺院の漫談坊主。
いいのか浄土宗、客集めばかり考えて法を説かなくても。
仰天講座にけちゃっぷにぼったくり寺、浄土宗の実態が見えてきた。
いや、本当にいいの?浄土宗のまともな皆さん。
104名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 22:26:31
>>101
梵天勧請が当時のインドにとっては必要なエピソード(もちろん史実ではない)ではあったであろうが今は必要ないように、
阿弥陀仏の浄土を説く浄土教という前提そのものを疑ってかかる必要がある。
阿弥陀仏の浄土を十万億土の彼方に実在すると説く浄土教は、鎌倉時代の日本にとっては必要なエピソード
(もちろん史実ではない)ではあったであろうが、現代の日本において仏の教えを説くときに、必要なものかということだ。

問題は>>96
>「迷妄」 に過ぎないかも知れない「浄土」の存在を、あえて選び取ったのが法然上人であり、一切経を何度も
>読み返し、知恵第一といわれた法然上人だからこそ見つけられた真理であると思います。

というように真理の探究を「法然」という偉大な高僧頼り、聖者頼みにしているということだ。
一切経を読破した高僧だったかも知れないが800年も前の人の知恵に未だすがりついているというのはどういうわけか。
今必要なのは何が迷妄で何が真実か分別する智慧を、人任せではなく自分で身につけることではないのか。
105名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 22:27:55

>>96
>>98
106名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 23:01:49
98
ちなみに文中にもありますが、私は浄土宗の人間ではありません。
ついでに申しますが、法然上人の見つけた真理自体は800年経っても古びている
とは思いません。ただ、それを説く方法がより困難になっているとは思います。
私はただの愚者にすぎません。
107名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 23:13:05
>>104
現代の日本が、科学的な知識や仏教に関する知識を増やしたにもかかわらず、
死後の世界については、何一つわかってはいない。
科学的に見れば、死後の世界など何一つ証拠がないから信じられないということになる。
それを説明する思想体系の一つが浄土教であるわけだが、
それが本当なのかウソなのかは当然ながら証明はできない。
インドにおける釈尊の存在は史実だが、浄土教の世界観は史実という範疇にはない。
信じられない人には、当然のことながら信じられないだろうし、
信じる人にとっては、科学や理屈を超えた世界が宗教の世界なのでしょうね。
科学が発達した現代は、宗教的なものが消えゆくのかと思いましたが、
かえって関心をよぶようですね。
ただ、それが占いなどオカルト的な方向に向いているのは情けないですが。
108けちゃっぷ:2005/08/01(月) 23:16:22
>>104 なぜ浄土門かといえば、他力だからです。なぜ他力かといえば、誰でも実践できて確実に結果が与えられる易行だからです。
自力の修行だと、個々の能力によって結果に差が出てしまいます。浄土教以外でこの点を埋められる仏教はあるでしょうか?
『大パリニッバーナ経(ブッダ最後の旅)』に説かれる「法の鏡」という教えは、三宝に帰依するだけで天に往けるとあります。ただし、「りっぱな弟子は」とあるのがひっかかります。
ストゥーパを拝めば天に往けるという教えもこの経にあります。
どちらも、天に往くだけですから、確実に輪廻を離れるわけではないし、そもそも天を信じられる人なら極楽も信じられるでしょう。
109けちゃっぷ:2005/08/01(月) 23:24:13
では、信じる対象を仏から三宝印に重点を移してみてはどうか。
たとえば「無常」を信じる。どんな苦しみも無常だから必ず過ぎ去る、夜があれば必ず朝が来ると信じる。
なぜ「信じる」必要があるかといえば、凡夫は悟れないからです。自分で悟れないなら、他人が出してくれた答えを信じるしかありません。
しかし結局信じるしかないなら、他力の究極的な救いを信じるのと大差ないと思います。
また、念仏という行は、実はやっぱり行なので、心を整える効果はあります。
110けちゃっぷ:2005/08/01(月) 23:25:30
三宝印じゃなくて三法印だね
111名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/02(火) 00:44:57
スルーでいいよ。
映画「電車男」見た。美談だね。
このスレもハートフルなものになるといいな。
112名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/02(火) 07:14:03
>>111
映画は見ていませんが、あの話は「色即是空 空即是色」だと思ったのは仏教カブレの私
だけでしょうか。
つまり、彼が勇気をふるって酔っぱらいに立ち向かった瞬間、それまでの自分のすべてを超えて
空になった、とは考えられないでしょうか。女性を助けてそのあと云々、などという煩悩が動機では
とてもあの「勇気」は奮い起こせないと思います。たとえ「その後」がなくても、彼は変われたと思います。
「電車よ、変わった後のお前はカッコイイ、だが、最初に勇気を出したのは変わる前のお前だ」という
フレーズが大好きです。
あの事件は一種の偶然ですが、仏教には体系的にそれまでの自分を変える、世界の見方を変える力がある
のだと信じたいところです。
感動のおじゃまになったらごめんなさい。
113名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/02(火) 10:25:42
>>112
仏教の「空」とは違いますね。
とっさに心を無にして、というのが「空」ではなく、
世界のあり方に対する仏教の見方が「空」ですから、
その見方に対する深い理解が必要ですね。
114名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/02(火) 10:34:59
>>とっさに心を無にして、というのが「空」ではなく、
ええ、それはわかってるんですよ。
ただ、
「色即是空」の境地というのは「現象は変え得る可能性をもっている」という意味
だと理解しているので、あの瞬間におこったことは「空」に近いことではなかったかと。

「電車男」は世界は変わらないと思っていた。目の前で危機に陥っている女性を自分が
助ける、なんていうことは「起こり得ないこと」だと思っていた。しかし、それは思い込みに
すぎなかった。現象に固定した本質というものはない、すべては変わり得るし、変え得る。
「とっさに心を空にして」の「空」はたしかにそのごくごく一部ではあろうと思うけど、仏教の
「空」ともつながる部分があると思っています。

逆の方から見ましょう。優れた仏教者なら目の前で女性が(弱者が)酔っぱらいにからまれて
難儀している状態を見過ごすでしょうか? 何もヒーローになりたいとか、そういうことではなく
「見過ごす理由」がないと思います。それは「空を悟っているから」だと思うのです。その人が
仏教者であるかぎり、宗派に関係なく。というのは思い込みでしょうか?
115名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/02(火) 10:58:00
レスをどうもありがとう。
「電車男」は実際起きたという恋愛美談。
電車男は確かに臆病な人生観だったが諦観の境地にいたともおもう。
彼の行動と面識のない人々の善意の力添えが
それまでの人生を変えたように描かれていくが、
映画の最後の演出では、
実は彼と彼女の出会いは運命的なものであったという描かれだった。
男女が結ばれるのは因果の法則の中にあるという見方もできるな。
HERMESがまたよくできた女性だ観音菩薩の化身のような、
電車男の愚かさを包みこみ、且つ 電車男の素晴らしさを讃える。
「仏と凡夫の関係」とまで誇大解釈するのは可笑しな話だが。


116名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/02(火) 14:08:33
それが浄土宗と関係あるのか?
何らかの方法で自分が変われるならそう努力すればいい(自力)。
女性が(弱者が)酔っぱらいにからまれて難儀している状態を何とかできる人は、そうすればいい(聖道門)。
しかしそうはいかないのが凡夫であるから、その場は女性の無事を祈って後で警察に通報するとかする。
117名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/02(火) 14:49:34
>>114
> 「色即是空」の境地というのは「現象は変え得る可能性をもっている」という意味
> だと理解しているので、あの瞬間におこったことは「空」に近いことではなかったかと。

どうも、「空」を「無」と誤解されているような気がします。
「現象は変え得る可能性を持つ」という意味でもありません。
電車男の話も、仏教の空とは関係ないでしょう。
118名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/02(火) 14:53:26
>>117
まあ、電車男の話はけっこう強引なのでここで置くとして・・・

「空」と「無」はちがう

というのは、今まさに書こうと思っていた話です。
「現象は変え得る可能性をもつ」・・・・・・・これが「色即是空 空即是色」の意味で
ないとすれば、私はもう仏教にかかわる理由はないと思うんです。
117さんのお考えの「空」について、なにか説明していただけませんか?

>>116
浄土宗も仏教ですから関係あると思います。
念仏を一心に称え、阿弥陀仏の本願を信じることは「空」を悟るための行だと考えています。
119118:2005/08/02(火) 15:00:38
「空即是色、は空だからこそ色が大事なことなのだという意味です。色即是空と同じことを
強調するために逆からいっているのではなく、意味がぜんぜんちがうのです。すべてのもの
は空の性質をもっているのです。この世のすべてのものは空性を本質的にもっている存在なので、
空から生まれた私たちはどのようにでも変わることができるのです」

↑さて、これは何宗の先生の見解でしょうか?

それはともかく、私はこの一文に出会ったおかげで仏教に興味を持った、持ち直したのです。
記号論や量子力学などと通じる部分がある、というのが比喩に過ぎないとしても、仏教の根本
的なテーマ「苦からの解放」(というべきもの)を、この一文のおかげで実感することができました。
現実は何も動いていないのに、現実を解釈する自分の思想が変わることで「苦」が消え去るとい
う、それは感動的な体験でした。
仏教の各宗派はこのような体験をするための方法論がちがうだけであり、逆にいえば「空」を抜き
にしては自力も他力も成り立たないであろうと推測しています。
120119:2005/08/02(火) 15:03:35
玄奘三蔵が中国語に般若心経を翻訳するさい、
「色即是空 空即是色」の前にあった
「「色即是空性 空性即是色」を省略したそうです(インターネット
からの知識なのでご確認ください)。しかし、強調する意味でも
省略すべきではなかった。

「空」とは「無」のことではなく「空性」のことを指すのではないのでしょうか?>>117さん
121名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/02(火) 15:06:28
>>「空」を抜きにしては自力も他力も成り立たないであろうと推測しています

↑つまり、現在の自分や現象が変わり得るためには、当然自分や現象は
変え得るものでなくてはいけない。そのことを「空」(空性)というのではないですか、という見解です。
122けちゃっぷ:2005/08/02(火) 18:40:06
>>121 変えられるよ、変えていいんだよ、って感じがしますね。
私達がこだわっていることはすべて「価値のない」ものなのです。でも、もともと「価値のある」ものなど何一つないのだから、シュミでこだわるのは勝手でしょう。
「空」を宝物のような大事なものだととらえて、全部「空」だと言うなら、それは逆の意味ではないでしょうか。全部「空」だから、全部ゴミ同然なのです。
ゴミを守りたいと想った瞬間に、ゴミを失う恐怖が生まれる。電車男が自分の身を心配したら、恐怖が生まれたはず。一瞬自分のことを忘れたから、恐怖も克服できたのでしょう。
123名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/02(火) 20:50:42
>>118-120
中途半端な仏教の聞きかじりぐあいが、愚者とよくにているな。
124名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/02(火) 22:49:40
空は仏教、無は道教、コレ基本のキ
125名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 00:46:50
浄土宗の意からすれば、「往生極楽」を抜きにしては自力も空も成り立たないということであります。
空だの何だの言ってもどうせ現世では悟ることはできないのです。そういうことは往生極楽した後でやればよい話です。
そういう意味からすれば、釈迦の教えはただ往生極楽一筋を目指せということに尽きています。
空の教えは極楽に導くための宣伝パンフレットのようなものです。
極楽に往きさえすれば、こういうことも自由に学べますよということです。しかし往かなければ何にもなりません。
パンフレットを読むのはほどほどにして、念仏して往生極楽を目指しましょう。
126名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 00:55:39
>>121
> ↑つまり、現在の自分や現象が変わり得るためには、当然自分や現象は
> 変え得るものでなくてはいけない。そのことを「空」(空性)というのではないですか、という見解です。

空性で「現象」を変える?
空がわかれば、自分は当然かわるが、「現象が変わる」っていったい何?
現象=観察されうるあらゆる事実、が変わり得るって、何が言いたいのか。

>119 の「空から生まれた私たち」というのもよくわからんな。

やっぱり、「空」の理解がわからない。
「空」の理解と、それでなぜ「現象が変わるのか」、わかるように説明して。
127名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 01:07:42
>>125
> 空の教えは極楽に導くための宣伝パンフレットのようなものです。

大乗仏教で、空や縁起の教えを無視してどうする?
むしろ、「念仏すれば極楽に往生する」というのが宣伝パンフレットで、
その内容が、空や縁起、そして法然の説いた浄土教。
宣伝パンフレットだけで往生は出来るでしょうが、
知らないからとか、難しいからといって、
中身が必要ないということはないでしょう。
128名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 01:41:16
>>127
空や縁起の教えを無視してるのではなくて、非常に高度で奥深いので、この世では理解や体得できようもないもの
ということです。そういうものに時間と努力を費やしても仕方がない。
最高の学者、最高の修行者でも完全に空や縁起を体得して解脱したと言える人がいるのだろうか。
そう考えれば空しいことです。そういう意味で空や縁起の教えはこの世では仮の教えと言うのです。
129名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 02:13:04
空とはインド仏教の考え方
無とは中国仏教の考え方
ではあるが意味としては同じ事ではないですか
130名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 02:19:28
現代的の申すと
空とはビックバンの前の状態
無とはZEROの状態を言うんではないかと
最近考えています
131名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 02:30:09
>129-130
だから、空は無ではないと言っているのに。
書いていること読むと、誤解しているとよくわかる。
思い込みで仏教を理解しないこと。
132名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 02:47:38
>>128
> 最高の学者、最高の修行者でも完全に空や縁起を体得して解脱したと言える人がいるのだろうか。

なにも、空や縁起を完全に体得して、さとれと言っているわけではない。
どうしてこう、極論をだすのかな。
さとれば仏陀、浄土へ行く必要もないだろ。
そういうことではなくて、念仏の意味や阿弥陀仏の意味、
なんにも知らずに、ただ念仏だけ称えるなら呪文と変わらない。
法然は、仏教の基本をふまえて専修念仏を選んだんじゃないか。
その根拠を少しくらい知っていても悪くはあるまい。

宣伝パンフレットに、「王子はナマンダブと称えて、幸せに暮らしました」と、
ハッピーエンドであると書いてあっても、それだけを信じ込むのではなく、
「ナンマンダブ」とは何?どういう意味か?なぜ称えたら幸せになるのか?
そもそも幸せっていったい何なのか?
そういったことを考えて、そのうえで念仏を喜ぶのが無駄なのか?

133121:2005/08/03(水) 06:16:49
>>126
>空性で「現象」を変える?
>空がわかれば、自分は当然かわるが、「現象が変わる」っていったい何?
>現象=観察されうるあらゆる事実、が変わり得るって、何が言いたいのか。

ここからは本格的に「聞きかじり」になりますが、「自分は当然変わる」なら当然
「現象」と名付けられるものも変わるのではないですか? 唯識とはそういうこと
ではなかったですか?
まあ、私の唯識に関しての理解が思い込みだとして、
現象が変え得ることを理解することが「空」ならば、「変えることを理解せず」して
変えられることは有り得ない。「すべてのものに空性がある」ことを知ったなら
「すべてのものが変え得る可能性がある」ことを知ったわけですから、現実に
変えることもできるようになるわけです。それは「石に溶けよ」と念じたり命じたり
することではなく、「石もまた火によって溶け得る」と知ることでしょう。だから空
を悟った瞬間に「カメハメ波」を撃てるようになるわけではありません。しかし、
「カメハメ波」を撃てる可能性を信じられるようになるわけです。変え得ないと感じた世界を変え得ると知ること、それが「自分も変わる」ことではないのですか?

>>「空から生まれた私たち」
この表現は本にあったお坊さんの言葉なのでそのまま引きましたが、一切皆空で
ある以上、自分がいた場所も帰る場所も当然空でよいのではないですか?

・・・・・・・・・・・・うーん、まだこなれてませんけど、こんなものかな?
どこらへんがわかりにくいですか?>>126さん

>>123
「中途半端」とは批判の言葉ですよね? 批判をする場合は「どこが違う」という指摘があってしかる
べきだと思うのですが?
それとも、「2ちゃんねるって、料金はいくらなんですか?」レベルの初心者的なカン違いですか?
ならば、空についてのあなたのご理解をご教授いただきたいものです。


134133:2005/08/03(水) 06:26:25
自分でもわかりにくいので、もう一度書きます(削除ができないので、重複部分はすいません)。
「すべてのものに空性がある」と知ること。それが「空を知る」ということではないのですか?

一本道を歩いていて、目の前に大きな石があって、道が塞がれていたとします。
ふつうは「ああ、もう前へ進めない」と嘆くことでしょう。
しかし、「その石をどければ前へ進める」わけで、「石はどけることができる」と知ること
が「空を知る」もしくは「空を悟る」ということではないでしょうか。

石の例は具体的すぎてわかりにくいかも知れません。

たとえば「あの人は死んでしまった、もう今の悲しみが絶えることはない」という心から
苦を取り除くために心の中を再検討してその状態を脱する、というのが仏教の目的で
はないかと思います。そのために方法はたくさんありますが、究極においては「空を知る」
にいたることではないかと考えています。もちろん「苦」は愛別離苦でけではなく・・・・
ここからは釈迦に説法ですね。
135名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 06:29:57
あと
>>128
「空を体得できない」とありますが、瞬間的には誰にも可能なのではないですか?
いわゆる「悟った人、解脱した人」というのは、その瞬間を恒常的にできた方のことを
いうのではないのでしょうか?
136名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 07:27:50
>>129
しつこいな
空は仏教、無は道教、コレ基本のキ
137名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 07:46:03
>>136
道教は「太虚」だと思いますが。老荘だっけ?
138けちゃっぷ:2005/08/03(水) 08:30:14
>130 空とはビッグバンの前の状態
 …というのは、おかしくないでしょうか?今の宇宙も空ですからね。
光の波長を色彩として認識し、きれいだとかまぶしいとか言ってる。しかし単なる光エネルギーの分布なのだから、「きれい」と感じるのは幻なのです。
すべて空ということは、すべて錯覚だということです。
139名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 10:05:50
>>138
わかりやすいですね「色即是空」の例として。
では「空即是色」はどう考えてますか?
>>「きれい」と感じるのは幻なのです
というのは、たとえば美人にふられて、その美しさに執着する苦しさ
を幻だというのにはいいでしょうが、「きれい」という一般的に価値と
されていることを「幻」といってしまうのはあまり支持を得られない言い方だと思います。
140名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 10:15:48
仏教は宇宙の真理を説明してる。

物質に質量が存在しない「空」、ビッグバンにより質量を得る「色」
すなわち空即是色
無は不生不滅、不垢不浄、不増不減 ZEROの世界をよく説明してると
おもいますが
141名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 11:15:44
>>140
一度、きちんとした仏教書で、空のことを学んでください。
ものがない、からっぽの状態が空ではありません。
空が無だと誤解しています。
142名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 11:22:10
からっぽの状態が空とは言っていない
よく考えてから発言してください。
143名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 11:31:54
>>142
141さんはまずビッグバンについて理解していないのだと思われます。
これが仏教界の知的標準だとは思いませんが、お寒いかぎりです。
144名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 11:42:06
>>143
ビッグバン後の今も「空」なのよ
145けちゃっぷ:2005/08/03(水) 12:24:52
>>139 「きれい」は空だから、本当は、美人もうんこも「きれい」「きたない」の差別はないのです。
ということは、美人もうんこもどちらも等しく「きれい」だし、なおかつ、どちらも等しく「きたない」のです。
「空即是色(・受・想・行識)」は、もともとすべて空なのだから、すべて同じ価値だということでしょう。
それを理解したまま現実生活にもどると、美人をきたないと想うのもその人のシュミだし、うんこをきれいだと想うのもその人のシュミですから、どちらでもいいのです。
しかし同時に、そう感じることが苦悩の原因になるなら、どちらも切り捨てるべきなのです。
念仏者の場合は、美人が汚くても往生できるし、うんこがきれいでも往生できるのです。だからどちらでもいいのです。
146けちゃっぷ:2005/08/03(水) 12:29:50
ただ、「どちらでもよい」と本人の欲が消えた場合、人は他人の欲に従う。それが慈悲です。
食事に行くとき、自分は食物に好き嫌いなければ、友人が行きたい店についていくように。
自分は死ぬのが平気でも、目の前の他人が生きたがっているなら、その人が生きられるように手助けしてあげる。
自分が死ぬの恐くないからと、サリンで他人を殺すのは間違いです。他人は生きたいと執着してるから、執着があるまま殺されたらその人は苦しむからです。
147名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 12:32:01
美人はうんこしないし、屁もしない
これが「不垢不浄」の世界ですか?
148名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 12:46:13
>>147 美人を見てもキレイだとも汚いとも感じないし、うんこを見てもキレイだとも汚いとも感じないことではないでしょうか?
しかし、自分は汚いと想わないことでも周囲の人が汚いと感じてストレスを受けることなら、避けるようにすべきです。また、約束したことについては、守るべき責任が生まれます。
結婚してる坊さんは、自分が悟って貧乏平気になっても、妻子を養う責任があるので、お金を稼ぐ義務が消えないのです。
149名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 12:53:24
>>143
ビッグバンのことを言っているのではない。
空と無とをいっしょにしていることを言っているだけ。
150名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 12:54:42
>>143
仏教では、ゼロは「無」ではなく、「空」です。
151名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 12:59:16
それでは「無」とは?
152けちゃっぷ:2005/08/03(水) 13:01:20
怒りも空です。怒りの原因も空。
カルシウム足りなかったり忙しかったりすると、イライラします。イライラしてると、他人を怒りの原因だと錯覚してしまう。本当は他人のせいで怒ってるんじゃないのに。
153名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 13:17:28
いい感じに浮世離れしてきましたね。

>>ただ、「どちらでもよい」と本人の欲が消えた場合、人は他人の欲に従う。それが慈悲です。
よくわかるのですが、しかし、他人の欲もみんな消えたら、世界はのっぺりしたものにならない
でしょうか・・・・あ、そうか「どうせ凡夫にはできない」ことですね。ならば、瞬間的にでも、という
のが「他力」の世界なのでしょうか。欲望が全部消えたら人類も滅びるでしょうが、そうはならない、と。

「美人をきたない」と感じることはただのヘンタイです。「美人をなんとも感じなくなる」ことはある
意味悟りに近くなることですが、現代人は自らの欲望を低める嗜好を持ち得ないでしょう。
本来「苦」から逃れたいのであれば欲望を吹き消すことが必要なのに、わざわざ犯罪を犯して
まで麻薬を手に入れて「欲望と迷妄を増幅させたい」と願うのが現代の人間です。酒もタバコも、インターネットも然り。

その苦しさ、虚しさに気づかない者に「欲望を消してあげよう」と言っても魅力を感じないでしょう。

むずかしいですね。
154名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 13:23:28
膨張する宇宙もやがて収縮に向かい
やがてビッグバンの前の状態に戻る
すなわち色即是空。

量子力学で証明されつつある
155名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 14:22:24
>>154
>量子力学で証明されつつある
痛いなw
156名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 15:58:03
>>154
単純でいいなあ。
じゃあ「即」って何なんだ。
157名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 16:11:17
自分で考えてみなはれ
158名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 17:07:41
即とは、そのままということだから、
時間的な前後はないということ。
ビッグバン(空)が膨張して今の宇宙(色)
やがて収縮して(空)というのとは根本的に異なるのが、
色即是空、空即是色。
159名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 17:08:59
だから、聞きかじりの思い込みではなく、
ちゃんと仏教の本で「空」を学んでくださいな。
160名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 17:10:01
ビッグバンだのなんだのと、空とを関連付けて概念操作している時点で
「空」がわかってない証拠じゃない?
161名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 17:18:36
>>159
「空」をまともに説明出来る、仏教の本なんか
ある訳がないよ
162名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 17:27:49
>>154 それじゃあ、時間的スケールがでかすぎて、100年しか生きない人の人生の悩みには関係ない話になるじゃないですか。今この瞬間が空でないと。
163けちゃっぷ:2005/08/03(水) 17:54:47
>>153 涅槃に入れば、二度と迷いの世界に生まれてくることはありません。すべての生物が成仏すれば、この世から生物がいなくなり、悩む者は誰もいなくなります。
この世全体の煩悩が吹き消された、全き平安。理想ですね。
164名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 19:35:26
>>163
けちゃっぷ師、13.5回に一回ほどついていけない。
165名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 19:36:25
>>163
念仏を称えている時には「空」を知る状態(またはそれに近い状態)なんですよ、ね?
166名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 19:49:01
>>164
> けちゃっぷ師、13.5回に一回ほどついていけない。
おれは毎回。ついでに言えば愚者の中途半端な仏教にもついていけない。
二人とも、自分の世界に入り込んでいる。
二人だけでメール交換してくれるのが、わずらわしくなくてよい。
167名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 19:49:09
>>162
仏道修行をする、阿弥陀如来に祈る
人生の悩み、救いを求めるこれが宗教
だとおもいますが。
168名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 19:51:49
>>161
> 「空」をまともに説明出来る、仏教の本なんか
> ある訳がないよ

それは理解できない方の能力の問題。
まともな説明でないと、そう判断できるあなたは、
ひょっとしてこの世でさとった、生き仏?
まあ、すっぱい葡萄の話にしか思えないが。
169名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 19:54:46
お前はどう理解してるんだよ
170名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 21:49:37
空=無
171名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 22:17:32
まぁ考え方の違いかな、確かに実体が
ない意味では同じだが
172名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 22:47:47
科学者たちと対等に渡り合える坊さんでありたいもんだ。
言葉遊びしてると笑われちゃうよ。
っていうか・・・相手にしてもらえないことが多い。
173名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 23:19:56
>>172
同意。
念仏信仰を正中に
マルチな教養身に付けて
新鮮な息吹きをもった浄土宗僧侶でありたい。
174名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 00:19:19
空≠無
175名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 00:35:00
>>174
数字で言ったら、どちらも「0」だったりして。
176名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 00:40:11
>>175
テーブルの上にリンゴが無いのと、
リンゴが0個あるというのは大きな違い。
空は、あり方を説明する。
177名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 00:58:37
愚者です
なんか、俺の方が正しいような気がするんだけどなあ・・・
178けちゃっぷ:2005/08/04(木) 01:13:07
>>165 念仏の時は、空だとか有無とかは、どうでもいいことでしょうね。念仏する時に念仏するために念仏できてるんだから、もうそれで充分です。
179名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 01:17:43
>>176
「リンゴが無い」と「リンゴが0個ある」
を大きな違いがあるとか言っちゃうの?
変なこだわりだなwww
カチカチな思考を身に付けている奴だな。
180名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 01:25:25
変なこだわりではないだろう
頭の悪そうなヤツにはわからないだけだ。
181名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 02:17:07
>>180
果たしてそうかな?
182名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 02:38:45
>>181
だから、一度きちんと仏教の本でもよんでごらんよ。
インド人がゼロを発見したことが、いかに大きな意味があったか。
そして、そのことが仏教の空とどうつながるのか。
183名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 03:09:25
>>177
> 愚者です
> なんか、俺の方が正しいような気がするんだけどなあ・・・

どの発言が「俺」なのかわからんのに、
自分のこと誉められても・・・・・
184名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 03:41:43
>>182
言葉遊び過ぎて付き合ってられんのじゃ。
もっと自己の知見を広げ、21世紀の僧侶像を模索するのじゃ。
科学者達の獲得してる知見はすごいぞ。
185名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 06:59:00
空思想の成立とゼロ概念の発見の、時空的な(歴史的縦軸の)時間差がどれほど大きいか知らないのか
186名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 08:21:35
>>185
飽くまで、言葉遊びの世界じゃの。
オマエにまかせた。よろしくな。
187名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 08:29:24
横レス スマン。
ちょっと今カキコした人に質問。
人大杉なのにどうやって書き込んだの?
どうすればスレッド数20以降に書き込めるの?
読む事すら出来ないのは何故?
188名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 08:36:01
空我 無我 非我
189名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 08:40:16
携帯からだと人大杉にはならないな。
190名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 08:54:15
>>184 科学者達は心身を整えるすべをマスターしてないし、仏教とは次元がちがうでしょ。
単に知識を深めても苦悩の原因は消せないから。
191名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 09:01:09
>>189さん
ありがとう。
192名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 09:35:50
>>190
仏教に関わってるからといって
心身を整えるすべをマスターしてるとはいえないじゃろ。
オマエは、そんなに傲慢の者か?
現代の科学は生命現象、人間、その活動を含めた包括的な自然界を
研究対象にしておる。
現代科学者が、
その研究姿勢から身に付けた哲学そして研究成果としての知見は
仏教者にとって大いに参考になるのじゃ。
食わず嫌いにならないようにしようではないかのう。
お釈迦さまは自然界をよく観察せれ洞察されていたではないか?
193神様:2005/08/04(木) 09:56:00
わしは「私が神様です」スレの「神様」じゃ
最近「神様」そっくりの口調の書き込みが多いのじゃが、まぎらわしく、人違いの要らぬ誤解を招くゆえに、「〜じゃ」のご使用はお控え下さるようお願いしたいのじゃがm(__)mだめかのう?
194名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 10:02:02
>>196
「じゃろ」だからいいじゃろ。
ある意味、人気のバロメーターではないかのう?
195神様:2005/08/04(木) 10:14:30
>>194
そうじゃの
明るく楽しく前向きに!を標榜し、2ちゃんねる教化をすすめておる「神様」としたことが、不粋なことを書いてしまったの
申し訳ないことじゃ
おんにこにこえがおでそわか!!
元の話題にお戻り下され
196名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 10:17:37
>>192
あと、釈尊の表現力もな。
今は弁が立つってのは金になるから才能が入って来ないのかも知れないが、
金よりも信仰の方が魅力があるのは(イヤな例だが)新興宗教を見れば一目瞭然。
芸人になる必要はないけど、表現力は学ばないとね。


197名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 10:18:09
>>192 科学とはジャンルが違うでしょう。
宇宙がどんなしくみでできているかわかっても、知的好奇心を満たせるだけ。苦悩の原因が消えないと苦悩は消えない。ガンを治せても死ぬ恐怖は消えない。
198名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 10:24:43
>>192
偉そうな言い方をせずにやりましょうや。
双方の立場や方向性が違うだけで言い合いになってしまうほど人間とは自分本意
な生き物であるよね。人は「自分が知る事しか知らない」と認識した上で会話を
すれば、最悪なぶつかり合いや罵り合いは無くなるのに、どうしても自分本意に
進めてしまう。積極的な姿勢は保ちつつも謙虚に受け止められる自分を持てたら
良いですよね。
ただ科学者は研究解明に対して慈悲心を以って当たる事はないですよね。釈迦は
大慈悲心の下に全ての事象に当たられていました。大きな意味では慈悲心と言う
事とは別に人類の未来の為にと言う姿勢は判ります。
199名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 10:47:00
釈尊以降、仏陀になれた人の名前を挙げてみてください。
誰もいないでしょう。悟れないんですよ。誰一人。だから浄土へ往くしかないのです。
大乗仏教では一説に、菩薩は六波羅蜜の修行を窮め尽くして十地の位を証してゆき、三大阿僧祗劫を経て
無上正等覚へ至るといいます。「さとれば仏陀、浄土へ行く必要もないだろ」というのは、そのほうが極論です。
まったく問題になりません。

念仏の意味や阿弥陀仏の意味を知るのはいいでしょう。
「ナンマンダブ」とは何?どういう意味か?調べるのもいいでしょう。
しかし空とは関係有りません。この世で空を悟るために念仏するわけでもない。

そして念仏称えても、本当には幸せにはなりません。絶えず移り変わるこの世に、永遠の絶対の幸せはありません。
すべて仮そめの幸せです。そして仮そめの幸せは、必ず皆苦しみになるだけです。
この世界を離れて極楽に往生して、初めて絶対不変の幸福を得ることができます。
そのことを思って嬉しい(幸せ)というのはあるでしょう。
200名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 11:13:26
>>199
>釈尊以降、仏陀になれた人の名前を挙げてみてください。誰もいないでしょう。

いないのでは無いですよ。皆が認めないだけです。「悟れるはずが無い!俺が悟れて
いないのに、他人が悟れるものか!」ってね。そしてその者を我々宗教家が殺します。
悟れた者は現代では邪魔者だからです。(ちなみに私は邪魔者とは思っていません。
目指すべき境地に到達された方と仰ぐだけです)そして浄土系を擁護するつもりは無
いけど「浄土」とは悟った者の境地の表現であり場所では無いですよね。

>この世界を離れて極楽に往生して、初めて絶対不変の幸福を得ることができます。

ちょっと矛盾してませんか?この世を離れて往生など本当に有り得るのですかね?
「 空 」をこの世で悟った上で離れるのなら同意も出来ますが、貴方ほどの理論を
掲げている人の言葉とは思えませんよ。「 空 」を悟ろうとするのも極楽往生を
求めるのも幸福を得ようとするのも、この世で今生きている我々ですよね。その今生
きている我々の心を蔑ろにして「 空 」も「 極楽 」も「 往生 」も有りませ
んよね。違いますか?「嬉しい」も「幸せ」も「苦しい」も「悲しい」も全てに於いて
心が邪魔をするからです。
201名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 11:16:15
あの〜。
この人大杉何とかなら無いの?まともに読めなくてイライラするよ!
202名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 11:33:14
>>201
ギコナビ使え。
http://gikonavi.sourceforge.jp/
203名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 11:50:29
愚者です
>>199
親鸞学徒さん、おひさしぶり……でもないか?
204名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 11:52:10
>>200
皆が認めない仏陀ですか。麻原とか大川隆法とかかな?
だとしたらあまりなりたくないですが。どんな人を言われているかわかりません。

「浄土」とは悟った者の境地の表現であるというのは、浄土宗以外の諸宗で言われることです。
浄土宗の意とは異なります。 「浄土」とは「西方極楽世界」、法蔵菩薩が四十八願を立てて不可思議兆載永劫の
修行の力によって実現した理想世界を指しますから、仏道修行の場所です。
205名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 11:53:45
死して後この世を離れ、彼の世界に生まれ変わるのを往生と言います。
この世を離れて幸せなどない、と考えるのは、死ねばお終いと考えているからです。
それは浄土宗はもちろん、六道輪廻を説く仏教に反します。

浄土が素晴らしいと言われるのは、「空」など悟らなくても往ける所だからです。
浄土に往った後で存分に空を修行すればいい。
たいした境地を得られもしないのに、この世で空を修行しても無駄です。
頭のいい人はそのことが理解できず、「俺ぐらい賢ければ悟れるだろう」と、時間を費やしてしまいますが、
老いを重ねて死ぬ間際になって、まったく無駄だったと気づきます。
「浄土に往けばこんなことを修行できるんだ」と知る分には、賢い人も浄土へ往こうという気になれるかもしれないから、
良いかもしれません。
206名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 12:12:45
>>204-205
親鸞学徒さんは、どうしてコテを名乗らないの?
207名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 13:00:23
誰それ?
208名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 13:07:01
>>202
義粉日って有料っすか?
209名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 13:35:31
なんで仏陀が麻原と大川隆法なんだよ
210名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 13:41:32
「疾く疾く安楽の浄土に往生せさせおわしまして、弥陀観音を師として、法華の真如実相平等の妙理、般若の第一義空、
真言の即身成仏、一切の聖教、こころのままに悟らせおわしますべし。」(法然)

観想念仏も理観念仏も凡夫が現世で成就できる行ではない。いわんや余の種々の修行においてをや。
一刻も早く極楽往生してから後、好きなだけ空でも何でも修行したらいい。
211名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 13:48:02
念仏による浄土往生に空のさとりは必要じゃないが、
中途半端な仏教の聞きかじりの思い込みで、
空だのビッグバンだの、わかったような書き込みはやめれば。
空のことを言うのなら、きちんとした知識をつけて。

阿弥陀仏や念仏の学術的研究が必要だとも言わないが、
何も知らずに念仏だけ称えるなら、
それは、陀羅尼と同じ呪文にすぎないということ。
212名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 13:56:40
空でも何でもと言うけど、極楽を見た人がいないのに
悟ると言って見ても、猫の耳に念仏でしょう
213名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 13:58:02
>>208
ただだ。HP嫁。
214名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 14:00:49
空のことは何も言わないのがいちばん良い。ましてや浄土宗のスレだ。間違い、勘違いの輩も多かろう。

念仏は一文不知で称えて往生するのを最上と為す。これを愚鈍念仏往生の機と言う。
たとえ釈迦一代の法を普く学んでいたとしても念仏申すときは、ただ本願の旨を頼んで六字を称えるだけ。
他の義解を交えない。
215名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 14:09:27
本願もなにも、そこには狐もタヌキもいなかった
と法然上人自身の言葉ですよ。
216名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 14:14:54
>>213
どーもっす。
217愚者ぐしゃ:2005/08/04(木) 15:04:29
私が「聞きかじり」とよばわられているのは
>>118-120
あたりのことだと思いますけど・・・。いちおう今回は仏教の本から
引用したつもりだったんですけどね。あんまり反応なくて残念です。
流れを戻す気はありませんが、「浄土宗も空を基礎においている」
というと明確に間違いなんですかね?
世界が変ええないものとして凡夫を浄土に阿弥陀仏の慈悲によって
導く、というのなら世界が空だろうが固定したものだろうが関係ないの
かも知れませんが。そんなもんなんですかね?

218愚者ぐしゃ:2005/08/04(木) 15:06:27
あと、親鸞学徒さんの絶対他力論は聞けば聞くほどわからない。
「この世では何も変ええない」ことを悟って何が変わるんですか?
それは虚無主義とはどこがどう違うんですか? そのへんが聞きたいですね。
219名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 17:08:36
横スレでスマソ。

法要時、檀信徒のご先祖の為の付け回向、
歴代上人の回向は当然するが、
寺族のご先祖の回向はみなさんしてますか?
220けちゃっぷ:2005/08/04(木) 19:46:24
>>218 人生のハッピーエンドが決定しているのだから、人生が幸福に変わります。それでは物足りないようですね。
221けちゃっぷ:2005/08/04(木) 20:02:01
空を悟ること、存在の本質を理解することを、仏教の目的だと勘違いしてはいけません。そうすると、科学者のほうがそのことを理解しつつあるじゃないか、等と主張しだす輩が出てくる。
「本当のこと」を知るのが目的ではありません。心の平安を得るのが目的です。空を悟るのは手段の一つにすぎない。
222愚者ぐしゃ:2005/08/04(木) 20:10:53
>>人生のハッピーエンドが決定しているのだから、人生が幸福に変わります。それでは物足りないようですね。
はい、もの足りないですが、悪くないと思います。

>>そして念仏称えても、本当には幸せにはなりません。絶えず移り変わるこの世に、永遠の絶対の幸せはありません。
私が否定したいのはこっちの考え方です。
223けちゃっぷ:2005/08/04(木) 20:11:51
仏教はすべて、苦悩の原因を消すことで苦悩を消すのが目的です。
念仏で苦悩が消えたらそれでもいいし、空を悟って苦悩が消えたらそれもいい。戒を守る訓練で欲を消して、欲が生み出す苦悩が消えたら、それもいい。悩みはかならず過ぎ去ると気付いて悩みと不幸感を結合させないなら、それもいい。
224名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 20:19:33
>>223
なのになんで、仏教を学ぶ人の中に「永遠の絶対の」なんて言い出す人がいるのですかねえ?
「永遠に絶対に」なんて言い出すのは苦悩の一番のもとだと思うんですがねえ。
225名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 20:22:48

浄土宗は往生浄土を基礎においています。空とか何とかは余乗。やりたい人だけ学んだらいい。
226名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 20:41:46
この世に永遠の、絶対不変の幸福はありますでしょうか?
ありませんね。この世はどこまでも無常、無我、苦です。

新興宗教の中に、そういう甘言で信者を集めているところがあるが、無いものは無い。
無いものを求めるから信者の苦悩は深まるばかりです。
またこの世の全ての幸福は死を以て終止符を打たれます。永遠に続くということがない。

だから浄土を目指すのです。

「舎利弗よ、彼の土を何が故に名付けて極楽となす。その国の衆生、もろもろの苦あることなく、だだ
もろもろの楽のみを受く。故に極楽と名づく」(阿弥陀経)
「また舎利弗よ、彼の仏の寿命およびその人民も、無量無辺・阿僧祇劫なり」(阿弥陀経)
「無量寿仏、寿命長久にして、称計すべからず。(略)声聞・菩薩・天・人の衆、寿命の長短も、またかくの如し。
算数・譬喩のよく知るところにあらざるなり。また声聞・菩薩、その数量り難く、称説すべからず。神智洞達し、
威力自在なり。よく掌の中において、一切の世界を持せり」(無量寿経)



227名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 20:51:35
>>226
だから、なぜ、仏教を学ぶひとが「永遠不変のものを求める」のかわからないと聞きたいんですよ。

「アスイクリームはからだに悪いですね。冷たくないアイスクリームがありますか? ありませんね。
アイスクリームを食べたいなら牛乳をのみなさい。豆乳を飲みなさい。チーズを食べなさい。アイスクリーム
なんてすぐに溶けてしまいます。お腹を冷やします。アイスクリームなど食べてはいけません。この世に
冷たくないアイスクリームなどないことを知りなさい」

そんなふうに言われて、どんどんアイスクリームが食べたくなってるんですけど。
228けちゃっぷ:2005/08/04(木) 21:00:11
>>222 本当の永遠の幸せがありえないということは、永遠の不幸もありえないんですよね。
悩みを思い出している時間だけ悩んでいるのであって、24時間の生活の中では実際は数分だけ悩んでいるだけです。
歯を磨きながら通算1秒間だけ悩みを思い出しただけなのに、歯をみがく間ずっと悩んでたと勘違いしてるにすぎない。悩みを絶えず念じ続けていては、歯磨きなどの肉体の操縦はできないはずです。むしろ悩みながらも歯磨きができる人は歯磨きする間不幸じゃないのです。
229名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 21:08:43
けちゃっぷ さんは僧侶ですか在家ですか
230けちゃっぷ:2005/08/04(木) 21:29:29
>>229 在家みたいな僧侶です。
231名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 21:31:54
>>227
「阿難よ、かの仏の国土の、もろもろの往生する者、かくの如きの清浄の色身、もろもろの妙なる音声・神通の功徳を具足す。
処すところの宮殿・衣服・飲食・もろもろの妙なる華香・荘厳の具、なお第六天の自然の物の如し」(無量寿経)

極楽へ往けば飲食は好きな物が好きなだけ手に入る。
この世ではアイスクリームはあればあったで無くならないか心配し、なければないで欲しいと思って苦しむ。
極楽でのアイスクリームのことは心配する必要はない。
しかも極楽の衆生は色香味に執着することなく、ただ食べたと思うだけで自然に心が満足する。

>>228
悲憂苦悩から簡単に解脱されたんなら、その道を行くのもよい。それを説いていかれなされ。
232名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 23:14:52
ああ、そうか。
けちゃっぷさんと231さんの差は、ベースに満足を置いてるか不足を置いてるかなんだね。
阿弥陀仏を信じているのなら231さんはおかしい気がするなあ。
アイスクリームの比喩もぜんぜんわかってもらってないし。

おやすみ

233名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 23:42:11
かつて病を得た曇鸞は不老長寿の法を求めて、高名な道家から仙経十巻を授かった。
時に洛陽の都で、天竺僧・菩提流支三蔵と出会う。

曇鸞、問うて曰く。
「仏教の中にこの法に優る長寿の法はあるか?老いの身を不死と変えるような」

流支、大地に唾を吐いて答える。
「たとえっ!この世で長寿を得たとしても所詮は三界、輪廻六道の内!浄土とは比較にならんわ!」

こう言って曇鸞に世親菩薩の「往生論」一巻を授けた。
曇鸞、たちどころに仙経十巻を焼き捨てて浄土の教えに帰依し、のち注釈一巻を記した。
234名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 23:50:50
>233
ずいぶんと創作を加えていらっしゃるようで(ny
235名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 00:02:23
>>234
しらんけど、原典じゃなくて、派閥のテキストだろ(w
236名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 00:06:01
>235
そうおもう(w
237名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 00:07:27
>>233
「往生論」じゃなくて観無量寿経だ。バカが
238けちゃっぷ:2005/08/05(金) 00:30:43
菩提流支三蔵は世親菩薩の『往生論』を漢訳した人で、曇鸞大師はその解釈書『往生論註』を書いてますね。
浄土教が唯識の学者によって発展させられたのは、なぜなのでしょうか。たまたま世親菩薩が唯識と浄土教の祖だったからなのか、教え自体に深い関連があるのか?
239けちゃっぷ:2005/08/05(金) 00:49:43
唯識といえば法相宗です。法相宗は、法華・華厳の一乗思想ではありません。誰でも仏性があって必ず悟れるとは認めない。個人の能力によって悟れない人もいると説きます。
唯識を学べば学ぶほど、ユガ行をやればやるほど、悟ることの困難さに気付くのかもしれませんね。
240名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 00:53:22
>239
唯識=法相宗じゃないよ。世親、無著の唯識説から見たら、ずれまくった護法系だし、
伝訳伝承した玄奘、基以下、さらにずれてゆく。
五姓各別説を法相宗限定でなく、唯識説一般に拡大するのはちがいますよ。
241けちゃっぷ:2005/08/05(金) 01:22:12
>>240 なるほど。
唯識ほど難しい仏教はない(いつまでたっても悟れないじゃないか!)と、比較哲学の授業で聞いた記憶がありました。その印象が強かったので。
遍計所執性の分別・判断を超えるなんて、人為的努力で可能なのでしょうか?偶然というか、縁がある人でないとムリなんじゃないでしょうか。
242名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 02:04:23
>>241
だれだ?そんな馬鹿なこと教えたのは。田山か?田中か?藤本か?
243名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 02:08:49
けちゃっぷ。念仏してるか?
244名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 04:51:24
何か適当なこと言ってるなぁ・・
245けちゃっぷ:2005/08/05(金) 07:53:52
>>242 「難しい」というのが先生が言われてたことで、後半のは僕の感想ですが。
246けちゃっぷ:2005/08/05(金) 07:56:11
>>242 その三人ではないです。
247名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 09:30:53
けちゃっぷ氏、他諸氏、
マジれすお願い致します。

おバカな質問です。

○◎さんが極楽往生した。という時、
○◎さんの肉体が極楽往生したわけでは決してありません。
○◎さんの「何が」極楽往生しとことになるのでしょうか?

レスをよろしくお願いします。
248名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 09:38:54
向かうところ敵無し! 
249名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 10:06:51
肉体は滅しても、魂は不滅
その魂を阿弥陀如来が菩薩を従えて、迎えに来る。
250名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 10:19:10
>>249
レスをありがとうございます。

やっぱり「魂」ですね。
何か経典に書かれてあるところを御覧になったことはありますか?
あるいは、法然上人の法語類でもいいですが?
251名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 10:27:12
>250
法然上人でも善導でも、人間の「何」が往生するのかについては言及しません。
凡夫が往生するとはいっても、それならどの部分が往生するのか、ということはまったく述べないのです。

だから、>249あなたの質問には答えることができないでしょう。
>249に質問します。
魂は不滅、とか、魂を迎えに来るとか、どこに書いてあるのよ。いい加減なことほざくな。
このバカが。
252名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 10:41:18
<法然上人でも善導でも、人間の「何」が往生するのかについては言及
しません

もう一度、勉強して出直して来い
253愚者:2005/08/05(金) 11:49:10
思わず携帯から書きこみます
実に面白い質問が投げられました
まず事実関係が知りたいですね
254けちゃっぷ:2005/08/05(金) 12:35:39
なぜ「魂」を別に設ける必要があるのでしょう?
「太郎くん」が往生する場合は、「太郎くん」が往生するのです。肉体を捨てた「太郎くん」自体が往生するのであって、「魂」等が「太郎くん」と別個に存在するわけではありません。
仮に「太郎くんの魂」が往生するなら、「太郎くん」が肉体とともにこの世に残ってしまいますからね。残るのは「太郎くんの亡骸」であって、「太郎くん」はもうこの世に粘着しません。
この世で死んだ過去の「太郎くん」と、極楽に生じる未来の「太郎くん」をつなぐのは、因縁という関係性です。因縁を「いのち」と呼んでもいい。
「太郎くん」は切り取りされて貼りつけられるのです。因縁(いのち)のフロッピーが介在するとしても、フロッピーは魂ではない。たとえば阿弥陀仏の本願力が、フロッピーの役目として「太郎くん」を運びます。
255名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 12:40:41
>>254
けちゃっぷ、変なたとえはやめてくれるか。
かえってわかりにくくなって、問題がこじれる。
自分ではわかったつもりでしょうが、
他人から見れば、自分だけの別の世界にはいっているようだ。
256名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 12:46:23
>>254
肉体を捨てた「太郎くん」自体が往生する


訳わからん。太郎くん自体は何なのかと。
まともな浄土宗の坊さん解説キボン
257けちゃっぷ:2005/08/05(金) 12:48:17
>>255 ごめん、わかりにくかったですか。
「太郎くん」と呼ばれる対象が変わるだけで、魂が飛んでいくわけじゃないのでしょう。
山田さん演じる映画の「電車男」と、武田さん演じる舞台の「電車男」は、別の物体(ヒト)だけれど、同じ「電車男」だと認識され名付けられた瞬間、同一人物になるのです。
山田さんから武田さんに魂が飛んでいかなくても、電車男だと認識する人とっては、電車男という同一人物です。
258けちゃっぷ:2005/08/05(金) 13:00:10
>>256 「太郎くん」と呼ばれるものが、「太郎くん」自体です。名称が受け継がれるだけでいいのです。
どこかで太郎くんが死んで、僕が「オレが太郎くんの生まれかわり」と名乗ったとする。
で、太郎くんを知る人が「けちゃっぷは太郎くんの生まれかわりだ。今日から太郎くんと呼ぶよ。」と認識したら、それで「太郎くん」は生まれかわったことになる。
けちゃっぷが「太郎くん」自体になる。
259名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 13:03:04
戯論だな。浄土教学はこの程度か。
260名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 14:34:22
>>259
正論を言って                
261名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 15:33:56
浄土に往生する、といっても、
霊魂のような実体が、はるかかなたの浄土まで空間移動するわけではなく、
この世での肉体の死と同時に、
その人の概念のようなものが、浄土に生まれるということじゃないか。
262名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 15:53:01
>>261
「その人の概念のようなもの」って
俗にいう「魂」「霊」とはちがうのですか?

「霊」という言葉は浄土宗の回向で使いますよね。
だから、経典や法語になくても
浄土宗では、臨終を迎えた人間は肉体から霊が離脱して、
念仏者は、極楽浄土に迎えられるのだということに
暗黙の了解で受け止められているのではないですか?

江戸時代の祐天上人の悪霊払いの話も有名ですよね。
263名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 16:30:06
仏教的に言えば、死後のことはあくまで無記でしょうね。
人が知りうるのは「死」という現象だけで、
それを「往生」と為すことによって生に対する執着を離れ、死苦を超克する。
これがおそらく浄土教の方便ということになるだろうと思います。
他の苦を滅する方法を説かないのは、凡夫のための方便だからです。
真宗の妙好人などは特殊な例でしょうけど。
264名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 16:31:05
>262
仏教では原始仏教以来一貫して霊魂の実在は説かないんだよ。
265名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 16:52:31
「三界萬霊」「〜家先祖代々之諸精霊」と回向の時使うじゃないですか?

>>264
カチカチ頭な発言はやめな。
266名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 17:03:19
>>265
> カチカチ頭な発言はやめな。

日本のほとんどの仏教宗派が、霊魂の実在は否定している。
これはカチカチというより、事実なんだからしかたがない。
267名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 17:08:01
>>266

浄土宗の回向で「霊」という言葉を使うのは
どういう了見だというんだい?

268名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 17:23:00
>252
どこにどう書いてある?教えてよ。
269名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 17:33:08
 
270名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 17:46:46
ここらで正解書いておくよ。浄土に往生するのは補特伽羅(プドガラ)です。
辞典によると補特伽羅は諸趣を行ったり来たりする神識のことで、実有ではないけれども諸々の理由から
仮に立てられた観念のようです。これでお分かりか。
271名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 17:51:29
>270
質問!それはどこに書いてあるのですか?
三部経、五部九巻、選択集、漢語灯録、和語灯録、いずれにも見えない言葉ですが。
典拠を求めます。
272名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 17:56:24

正解!!!キター!!!
でも、これって正解って言えるのか?

オレを含め、オレの浄土宗の僧侶の友人達は、
念仏の功徳によって死者の霊が極楽往生するのだと心底より信じてるぞ。
273けちゃっぷ:2005/08/05(金) 18:05:27
僕の記憶が正いければ、M谷先生は「いのち」が往生すると書いていらした気がします。
274名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 18:05:57
>272
どうして正解?根拠のないことをいくら言っても無意味ですよ。
275名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 18:09:42
前スレに出てきた故先生からの口伝です。
私はそれ以上調べてないので知りません。
懐感(えかん)とかが詳しいんじゃないですか。
276名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 19:24:13
>>263
それだと阿弥陀仏や極楽が単なる仮想概念になってしまいますね。
そういう見解ではやがて、教養のある現代人にとって生に対する執着を離れ、死苦を超克するためには、
わざわざそんな仮想概念を立てる必要はないという流れに至ることでしょう。

浄土宗なら阿弥陀仏と極楽は方便ではなく、有るから有るんだと説かねばなりません。
経験論や理屈ではなく、経典に書いてあるからそれをそのまま文字通り信じるということです。
阿弥陀経を拝読しましょう。「これより西方十万億仏土を過ぎて世界有り。名づけて極楽という」
277名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 21:08:26
指方立相
278263:2005/08/05(金) 21:43:35
>>276
凡夫にとっては、「単なる仮想概念」で十分だと思いますよ。

それと、「教養ある現代人」にとっては、
「有るから有るんだ」とか、「経典にあるから信じる」とか、
こちらのほうがむしろ無理があるような気がします。

蛇足ながら、「信」は、他人に説くものではないと考えています。
279名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 21:48:10
指方立相というのは「観経疏」第八像想観で言われることです。
それはすでに観法(瞑想)の話です。まったく文脈が違います。
280名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 22:01:53
>>278
仮想概念だと思い言いつつ、どうやって心から拝んだり、手を合わせたりできますか。信心もできないでしょう。
信心は幼少の頃から育てれば育ちますね。欧米やアラブでは、寺院教会を通じた地域社会がその機能を担っていますね。
教養ある人もちゃんと聖典を信じるようになっています。
281名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 22:55:14
>>279
指方立相は、観経の観想に限ったことではなく、
浄土や阿弥陀仏は心の中だけにあるのではない。
遙か彼方の西方に浄土をたてるという意味で、使われます。
まったく文脈が違いますか?
282263:2005/08/05(金) 23:31:09
>>280
仮想概念であっても、人は生き、人は死にます。
それはともかく、地域社会が信心を育てるというのは、
「現代の教養人」のイメージとは少し違うような気がしますね。
日蓮宗あたりならありそうな話ですが。
283名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 23:33:32
「又今此の観門等は唯だ方を指し相を立て、心を住めて境を取らしむ」
とあるので観門のことですね。像想観を無想離念の観と説く諸師を批判してのことですから、観法の話しです。

この部分を「浄土は本当は心の中の存在なんだけれども、それだと末代の衆生が理解できないので
釈尊が憐れんで、仮に西の彼方に浄土があると説いた」という意味だとすると、拡大解釈になります。
284名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 23:55:23
>>283

>拡大解釈になります。

このあたりが問題の焦点でしょうね。
285名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 01:28:18
前スレ
>286 名前: 名無しさん@京都板じゃないよ 投稿日: 2005/07/11(月) 19:48:51
>仏教大学だけじゃなく大正、大谷、龍谷その他もろもろの宗門大学の
>サンスクリットも読めない教授連中は国立大の学生以下。
>大学3、4年の学生にかなりバカにされてるぞ。

これが浄土宗糞坊主クオリティ
286名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 14:00:24
>>285
はいはいわろすわろす
287名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 15:05:05
>>283
心の中に浄土があるのではなく、
西方を指して、浄土の具体相を示すという一般的な意味で、
指方立相は使われています。
288名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 17:57:24
    ,へ、        /^i
     | \〉`ヽ-―ー--< 〈\ |
     7   , -- 、, --- 、  ヽ
    /  /  \、i, ,ノ    ヽ  ヽ
    |  (-=・=-  -=・=-  )  |
   / 彡  / ▼ ヽ  ミミ   、
  く彡彡   _/\_    ミミミ ヽ
   `<             ミミ彳ヘ
      >       ___/   \
     /         7      \
     |        /
     ラスカルがこのスレに興味をもったようです。
289名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 19:02:08
ラスカルでも念仏を称えれば往生できます
290名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 21:52:12
お念仏で、ラスカル、たすかる。
291神様:2005/08/06(土) 21:56:45
代理あげ
292名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 22:49:02
以前、おバカな質問をした者です。

 浄土宗では、
 ○◎さんが、極楽往生した。といいますが、
 ○◎さの何が?、極楽往生した。というのでしょうか?

 「魂」「霊」というのが通俗的に一番適当ですが、
 浄土宗では、そこのところどう伝えられてるのでしょうか?

 いろんなレスがあったのですが、
 結局、妥当なご意見を拝見できなかったものですから・・・

 それに人大杉で過去レス見れませんでした。

 おバカな質問だから、スルーでもいいですけど。
293名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 23:30:35
>>292
浄土宗の方への質問なので私の出る幕でないのはわかっておりますが、一通り出たようなので・・・
「○◎さんの何が」という質問は質問自体が、すでに「○◎さんの肉体」とは別の「何か」があることを
前提にしています。
「○◎さんがアメリカへ行った」というとき「で? ○◎さんの何がアメリカへ行ったの?」という質問
をするでしょうか?

おじゃましました。

294名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 23:47:22
その○◎さんがすでに死んでいる場合、「○◎さんがアメリカへ行った」と言われたらどう考えたらいいのだろうか?
ふつうは○◎さんの遺体がアメリカへ行ったと考える。しかし遺体もすでに火葬されたと言う。答えは↓
295名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 23:55:50
>>293 わかりにくいので、コテハンでおねがいします。
296名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 00:18:54
禅宗なんか、身心一体で肉体が滅すれば、魂も亡ぶ
49日を過ぎれば、新しく生まれる変わると言う
浄土宗はひたすら阿弥陀様におまかせする
そうすると亡骸は何になるのかな
まさかゴミではないよな。
297名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 00:22:29
>>296
臨済宗妙派の寺の納骨堂に阿弥陀如来が本尊に祀ってあったよ。
禅宗も結局は死後は阿弥陀様をお頼りしてるんじゃないか?
一休禅師の話も有名だろう。
298けちゃっぷ:2005/08/07(日) 00:25:49
>>294 肉体も思考も、その人自身(我)ではありません。
落としたバッグがアメリカに送られたからって、持ち主本人がアメリカに行ったのではありません。遺体は遺された体にすぎません。
あと気になるのは、「何が」往生したかとか、「誰が」往生したかという場合、誰か他人が往生したという前提で問われていますよね。この前提自体は正しいのでしょうか?
ほんとうに他人は私と別人なのでしょうか
299名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 00:38:15
生物学的に言えば、精神も肉体も、動かしている物の正体は
全て、例外なく微弱な電流です。
となれば、肉体が滅んでも、もしかすると電流は残る
可能性があるわけです。
という事は、その電流の行き着く先の一つに
極楽浄土がある、と言えるのかも?
与太話を書き込んでしまいました。合掌。
300名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 00:43:35
>>299
新手の新興宗教のタネになるかもしれない。
301名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 00:51:18
空を本質とする肉体を失ったその人が往生すると考えたらよいのでは。
302けちゃっぷ:2005/08/07(日) 00:53:53
>>299 電流が往くというよりは、電流がやって来るのではないでしょうか。
未来というのは、未だ来ていないという意味です。私が未来の世界に往くのではなく、未来が私にやってくるのでは?
映画のスクリーンである私が、自分(スクリーン)に投影されている画像である登場人物を自分だと勘違いして、物語に没頭し、スクリーンの存在自体を忘れてしまっている。
その映画の中で、阿弥陀仏が現れて、極楽の場面がやってくる。で、たぶん極楽に行った主人公の最後の台詞は、「これは映画です。私自身がフィクションです。」と言うのでしょう。
303名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 00:59:49
あの〜、
檀家さんにお話するとき、
「魂」とかの言葉をつかったほうが
信心が深いご家庭には
暗黙にわかってもらえるんですけど・・・

この暗黙にわかってもらえるっということが大切だったりして。

お通夜の席で、
「これから○◎さんの肉体を駆け巡っていた電流が極楽往生の旅路につかれます」
とか
そんなお話できませんよ。けちゃっぷくん。
304名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 01:10:15
また、ばかなこと言ってんじゃないよ。
電流なら、そのエネルギーはどこから供給されるんだい?
305名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 01:13:18
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です。

風景やみんなといっしょに
せはしなくせはしなく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です。
306けちゃっぷ:2005/08/07(日) 01:13:50
>>303 電流の話を持ち出したのは僕じゃないですけどね。
本当に、亡くなった人と僕と檀家さんは、別人なのでしょうか?
僕と檀家さんと亡くなった人は、同じスクリーンに投影された一つの画像の中に描かれているわけです。ひとつの画像なわけです。
「私」が僕に感情移入している時は僕が私だし、亡くなった人に感情している時は亡くなった人が私です。
「太郎くんが往生した」というのは、その映画の中で「太郎くんが往生した」のです。
その時私は太郎くんに感情移入していますから、太郎くんが私です。
次の場面は、「『太郎くんの何が往生したんだ?』と次郎くんが言っている」場面です。
映画の中で、「『太郎くんの何が往生したんだ?』と次郎くんが言っている」のです。
その時私は次郎くんに感情移入しているので、次郎くんが私です。
「往生した太郎くん」が「次郎くん」なのです。
「太郎くんの何が往生したか?」「次郎くんである私が太郎くんであった時の太郎くんが往生した。その往生した太郎くんが次郎くんになったのが私である。」
307名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 01:14:15
肉体に充電されてたんじゃないの
貴方の携帯のように
308名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 01:19:20
何が往生したというのは全く重要じゃなくて、たとえ肉体を失っても永遠の生命と無限の光明に入っていくというのが
説くべき大切なこと何じゃないの。
309けちゃっぷ:2005/08/07(日) 01:29:19
映画の中に「太郎くんが往生した」と描かれている。映画に描かれているのは「太郎くん」であって、「太郎くんの魂」など描かれていない。
はじめから描かれていないキャラクターを映画の中に探すのは、意味がない。
映画に描かれているのは、「太郎くんが往生した」というできごとです。
アーラヤ識があなたに感情移入している時のあなたが、たなたです。アーラヤ識が僕に感情移入している時の僕が、僕です。
特定のキャラクターに感情移入せずに、画面全体を観ている時もあります。
310けちゃっぷ:2005/08/07(日) 01:42:48
映画の監督であり観客である私が、映画の登場人物である太郎くんに感情移入していた時には、映画がおもしろすぎて完全に自分が太郎くんだと思いこんでしまいました。
その時は、映画の世界から覚めるのに苦労しました。そこで、観客であり監督である私は、次の映画からは、必ず映画の中にブッダというキャラクターを登場させることにしました。
ブッダが登場して観客である私がブッダに感情移入したら、ブッダの台詞に「これは映画です。」と出るので、私は必ず映画の世界から覚めるので、安心です。
311名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 02:06:05
結局、
我々が臨終の時、阿弥陀仏に来迎して頂いて
我々の何が、極楽浄土へ往生するんだろうね?

「魂」生き物の体に宿っていて精神作用を司るもの。
なんて、ふつうの辞書には書いてあるけどな。

やっぱり、肉体と別物が往生する、
それを「魂」とずっと我々日本人は呼んできたんじゃないのか?
あるいは「霊」と呼んできたんじゃないのかね?

わざわざ、映画の話を持ち出してややこしくしなくて
いいんじゃないの? けちゃっぷくん。
312けちゃっぷ:2005/08/07(日) 02:14:09
>>311 むしろ、「我々の何が」という想定が話をややこしくしているんじゃないでしょうか?
「我々が往生する」という場面が映画に描かれるだけで、「魂」なんて描かれないんじゃない?
何かが往生するんじゃなくて、極楽がこっちにやって来るんです。我々が映画のスクリーン自体であり、そこに極楽の場面がやってくるのです。
我々が極楽に入るんじゃなく、極楽が我々という画面に入る(映される)のです。
313けちゃっぷ:2005/08/07(日) 02:18:46
念仏者が念仏称えてる時に耳に鳥の声が入って、鳥がいる庭の映像が頭によぎったとします。
念仏者(の魂)が庭に飛んで行ったんじゃなくて、念仏者を映していた私という画面に、庭の映像がやって来たのです。
314名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 02:22:00
電流=魂ってのは、有名なSF小説でも描かれているよね。
「ターミナル・エクスペリメント」

最終的には、大きなエネルギー体のかたまりに、皆帰ってゆくという・・・。
火の鳥の世界観にも似ているな。

最後の言葉が印象的だった。
”そこは天国ではなかった。そこは故郷だった。”みたいなね。
うろ覚えだけど。。
315けちゃっぷ:2005/08/07(日) 02:25:37
>>311 肉体(色)と別に魂(受想行識)があり、受想行識が往生するとでも言うのでしょうか?
画面に肉体が映って、次に画面に受想行識も映って、極楽もその画面に映るんじゃないでしょうか?
画面が極楽の中に往生するんじゃなく、画面の中に極楽が現れるのです。
316けちゃっぷ:2005/08/07(日) 02:36:01
太郎くんが往生した=私が往生した。往生した太郎くんの墓を次郎くんが拝んでいる=往生した太郎くんの墓を私が拝んでいる。
太郎くん=私=次郎くん=私=けちゃっぷ=あなた
317名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 02:55:01
いちばん話をややこしくしているのは、
なんか知ったつもりで変なものにたとえる人。
ビッグバンや電流や映画など、
たとえ、というのは話をわかりやすくするもんだが、
かえってわかりにくくなっていて、
一番の問題は、本人がそれに気づいていないこと。
318けちゃっぷ:2005/08/07(日) 03:17:39
太郎くんが往生したと思う時に、そう思っている私が往生している。
太郎くんを通して私が往生し、私を通して太郎くんが往生する。太郎くんと私は、ほんとは同一人物。
319けちゃっぷ:2005/08/07(日) 03:29:34
太郎くんが私になって、私が往生した太郎くんを思う時、私が太郎くんになって極楽にいる。
まぁ、仮に魂というものを介在させて表現するとしたら、魂は、死んだ太郎くん→太郎くんを拝む私→極楽にいる太郎くん…という順番で輪廻する。
320名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 03:59:59
現、浄土門主 中村康隆猊下は華頂(知恩院月刊誌)の中で述べられた。
「魂のふるさと、極楽浄土」と。
調べたら載ってるよ。
確か、12年前ぐらいの新年のご挨拶の文面だった。

我々の魂が、極楽浄土に往生するという見解が
浄土宗の見解じゃないの? けちゃっぷくん。

321けちゃっぷ:2005/08/07(日) 04:17:28
>>320 仮に「魂」という言葉で表現しているけれど、一般的にイメージされる霊魂のことを言ってるんじゃないのでは?
太郎くんが魂になることはあるかもしれないが、太郎くん以外に太郎くんの魂が別に存在するわけではないでしょう?
322名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 05:51:46
>>321
けちゃっぷくんは、ややこしい思考をする人のようですね。
性格もややこしそうです。

浄土宗の最高位にある方が「魂」って言葉使ったってことは、
やっぱり、「魂が往生する」でいいじゃない。
323愚者ぐしゃ=293:2005/08/07(日) 06:20:15
>>295
リクエストにお答えしてコテにしてみますた。
ホントに出番じゃないのですが、303の御意見が突き詰めていくと
法然上人の本願になるのだと思います(素人考えですが)。
だから「○◎さんが往生した」というのは「まさに○◎さんが往生した」
以外のことではなく、遺体が目に見えているのでそれにまどわされない
ように「魂」と説明するのではないでしょうか。
それをものすごくリクツで説明しようとするとけちゃっぷさんみたいに
なっていくと思います。

それをもっとわかりやすい話にできればいいのでしょうが・・・・。
そりゃ仏陀ででもないとムリなのですかねえ。

324けちゃっぷ:2005/08/07(日) 06:44:49
>>323 僕も、「まさに○◎さんが往生した」んだと思います。18願にも、魂が往生するとは書いてないですしね。
325名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 09:47:52
>>320
> 現、浄土門主 中村康隆猊下は華頂(知恩院月刊誌)の中で述べられた。
> 「魂のふるさと、極楽浄土」と。
> 調べたら載ってるよ。
> 確か、12年前ぐらいの新年のご挨拶の文面だった。

「魂のふるさと」じゃなくて「心のふるさと」と言うべきだろう。

浄土宗の最大の問題点は、教義を知らないのがトップに立って、
変なこと言っても、誰もそれをチェックしたり問題にしないこと。
霊障に悩む人に念をこめた数珠をあげたら治ったとか、
オカルトが平気でまかり通る体質を何とかするべきだが。
326名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 10:55:41
>325
同意。今の法主クラスできちんと宗義が
分かっている人は黒谷と善導寺だけだろ。

その上、加行道場の勧戒師も宗義が正しく
理解できているかというと疑問符をつけたくなるような人がやっている。

佛大の浄土学の教員が奇妙なことを言う連中
を選び抜いたようなスタッフ構成になっているぐらい
だから今後ますます変な方向へはしるだろうな。
327けちゃっぷ:2005/08/07(日) 14:27:19
>>325 「魂のふるさと」って、「ふるさと」っていう点が重要なんじゃないでしょうか?
328名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 14:29:41
○◎さんが極楽往生した。○◎さんの「何が」極楽往生しとことになるのでしょうか?

1.霊
2.魂
3.肉体を捨てた「○◎さん」自体
4.その人の概念のようなもの
5.補特伽羅
6.肉体が滅んでも残る微弱な電流
7.空を本質とする肉体を失ったその人
329見習魔術師:2005/08/07(日) 15:12:36
はじめまして。

 おそらく、7でしょうか?

 私のホームページでは、禅を紹介しています。よろしければご覧くだ
さい。
 魔法学校 N∴E∴ http://reza38.gozaru.jp
330名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 15:49:03
>>328
今までの 解答 を箇条書きにして明解。感謝。

>>329

7 で檀家さんに語りかけても、わけわからないと思う。
 結局それを「霊」「魂」と一般では語られているんじゃないかな?
ただ、「霊」「魂」という言葉を避けているだけのようだ。
林田康順さんは「魂」を「こころ」と言い換えてもいいじゃないですか?
と話していたことを講演で聞いたことある。

 「我」とは一体なんなのか?との問いかけにも変わる。
 「我ら愚痴の身、曠劫よりまた流転したもの」善導大師
331名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 16:16:19
>330
林田氏がどういうコンテキストで発言したものかお教え願えますか?


曇鸞は、往生する主体は実は無いのだ、という方向性で往生について語りますが、
それ以後、善導や法然上人は往生する主体については何も言及しないです。
むしろ、善導や法然上人が言及していない(言及することを避けた?)ということ
自体に意味があるように私には思われます。

何かが往生する、と言及してしまった時点で有に迷う、平たく言えば
死後に霊が存在するように受け止められてしまうのを避けるためにあえて
言及しようとしなかったのではないかと。しかし、こういったことについても
お二人は何も述べませんから推測にしかすぎませんがね。
332けちゃっぷ:2005/08/07(日) 16:32:10
>>328 おおまかに分ければ、1=2=5、3=4=7 ではないでしょうか?
五薀仮和合であり、肉体が「○◎さん」の本質ではないのに、肉体とは別に魂などの言葉をわざわざ持ち出すのは、誤解を招きますね。
そもそも何が「○◎さん」なのか、と問われたら、「○◎さん」自体が空なので、はっきりとした答えはありません。「あなたが○◎さんだと思うものが、あなたにとっての○◎さんです。」「あなたが○◎さんは死んだと思ったら、あなたにとって○◎さんは死んでいます。」
「○◎さん」自体が実体がないのだから、「○◎さんの魂」なんてさらに実体がありません。
たしかに、日常の会話では「魂が往生した」と言ったほうがイメージしやすいですが。
333名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 17:03:26
そういえば、
棚経に使う偈文 「一切精霊偈」

一切精霊生極楽 ・・・・・

明らかに 「霊」という言葉を使っている。

これは、霊が極楽往生する という表明だよね。
334けちゃっぷ:2005/08/07(日) 17:52:53
すでに霊(名色の名のみ。情報のみ)になっている場合もあるでしょうからね。肉体のない鬼神でも往生できます。
○◎さんが霊である可能性もある。その場合は、その霊が○◎さんそのものです。
335名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 18:03:29
>>328
7に一票。4も似たようなものだが。
336名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 18:07:57
>328
「空を本質とする肉体を失ったその人」
この発言者および賛同者諸君は言葉の意味が理解できていますか?
意味不明。特に、けちゃっぷ君、指名してあげるから説明してみてちょ(指名料ははらわないぞ)
337名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 18:10:18
>333
一切精霊偈は典拠はなんだっけ?
このスレでつかわれている霊と偈中の精霊とが同じ対象を指すとは限らない。
338けちゃっぷ:2005/08/07(日) 18:31:13
>>336 ご指名ありがとうございます。
「空を本質とする」って付けているのは、「仏教徒だから一切皆空を前提に」って意味だと思いました。
「肉体を失ったその人」は空ですから、有るのでもなく無いのでもない。肉体は死んでも、その人の存在がまだ有ると思ってる人にとっては、有る。無いと思ってる人にとっては、無い。
「あなたの頭の中のその人は(霊であれ何であれ)、ちゃんと往生しました。あなたの頭の中のその人はちゃんと往生したのだと、データを更新しといてちょ」ってことでは?
339名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 20:06:32
肉体を失って往生するその人が肉体に代わって何に依るにせよ、空を本質とするが故に実体が無いということでしょう。
340けちゃっぷ:2005/08/07(日) 20:40:25
ぜんぜん話変わるけれど。愚痴らせてください。
今の寺の収入では、一生住職したとしても、佛大の学費分を稼いで終わりだよ。奨学金返済終わる頃には、自分の跡取りを大学行かせないといけないから。(まだ独身だけど)
寺の収入だけで余裕で生活できる坊さんと、小寺院の兼業坊主とでは、住む世界が違う現実。宗門の方で対策考えてほしいですね。
341名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 21:21:44
>>341
苦境をお察し致します。
いつもの調子で
「寺の収入だけで余裕で生活できる坊さん でも
 小寺院の兼業坊主 でも 念仏すれば往生できる。それでOKです。」
だけでは不安になってしまいますか?
そうでしょうね。
けちゃっぷ氏も自分への説得のつもりで、
あの台詞を言ってたんでしょう?
たえず、いろんなことで我々凡夫は悩まされながら
生きていかなければならないですよね。
愚痴の気持ちが心を覆うとき、なかなか念仏ってでませんよね。
それでも、念仏するしかないかな。

直接、宗務庁に相談のメールを送ったらどうですか?

私は詳細は言えませんが、
相談にのってもらい対応して頂きましたよ。
342けちゃっぷ:2005/08/07(日) 22:13:31
特に都会の人には、お寺はお金持ちというイメージを持っている人が多いので、貧乏寺の存在をアピールしておこうと思いまして。
大遠忌反対!念仏申す人のいるところが法然さんの遺跡だし、本山にばかりお金集める意味がわかりません。
343名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 22:23:05
>>342
それも含めて相談してみれ。意見も言ってみれ。
信仰は個人のものだけれど、信仰を広めることはやはり宗の問題でもあると思う。
こんだけ邪教がはびこる世の中なんだから、仏教しっかりしる。


344名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 23:24:38
>>342
俺は大遠忌という行事自体は反対しないが、
それを理由に金を集めて、何の効果があるのかもさっぱりわからん
オナニーイベントばっかしやってる本山には腹が立つ。
345名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 23:31:41
話し変わりますが
浄土宗は般若心経を唱えますか、先日出席した
お葬式ではやりませんでした
346名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 23:32:43
けちゃっぷさんって夜中も書き込んでるけど、棚経はいつからなの?

みなさんもお盆乙です。
347名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 23:34:54
>>345
うちでは使いませんよ。
修行の時の食作法で使ったくらい。。

地方によっては違うと思いますがね。。
348名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 23:41:39
真宗もやりませんね
浄土系ではやらないんですね
因みに札幌でした
349名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 23:49:03
私も大遠忌には反対しませんし、本山がぼろぼろではちょっと情けないので
寄付集めて修理にも反対しません。
ただ問題なのは大遠忌とは何か。大規模な行事をどう布教に結びつけるかその辺が知りたい。
いつも思うのだが、浄土宗は大きな組織を生かしきれていない。
会と肩書きばかり作ってるだけで活動範囲が非常に狭い。
伽藍ばかり立派で派手に行事を行ったとしてもその後何も残らないでは
話にならないし、今の時点ではその可能性大。
350名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/08(月) 00:02:39
私も般若心経は使わない。
養成講座と加行の食作法の時に使っただけ。

うちの棚経は明後日から。
8月1日にバイクで走る坊さん見かけた。
檀家の多い寺は大変だね。
けちゃっぷさん、うちも小寺です。
檀家の助けでなんとか専業で頑張ってます。
檀家の数は宗門ではどうにも出来ないんじゃないかな。
布教師や回向師にでもなればいいのかもね。

351名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/08(月) 03:40:55
>>350
布教師、って何ですか?
辻説法でもするの?
352けちゃっぷ:2005/08/08(月) 12:22:43
>>346 昨日は早朝から私用があり、朝まで起きてました。
棚行は14日のみで回ります。法要組の寺の施餓鬼会は、7日と15日と16日です。棚行はほとんど住職(父)が回ってます。
353けちゃっぷ:2005/08/08(月) 12:32:58
般若心経を食事前の作法で唱えるのは、やはり食物や味覚に執着するなと教えるためなのでしょうか?
唱えるだけで、心経の内容についての講義はありませんでしたよね。
354名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/08(月) 12:51:02
>>351
在家の方ですね。
布教師って彼岸等の法要の時に法話する坊さんのこと。
人気のある布教師は彼岸の間、あちこちの寺から呼ばれる。
多くの人に語りかけられるし、また自分自身も経験を重ねたり勉強にもなり
お布施も入る。
355名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/08(月) 12:55:04
けちゃっぷさん、正座はつらくないですか
太るとまず正座がつらくなる。
356名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/08(月) 13:13:26
>>354
ありがとうございました。
けちゃっぷさんもやればいいのに。
ユニークだから人気でるかも?
357名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/08(月) 13:42:45
塩まかれたりして、、
358名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/08(月) 14:28:51
>>345
知恩院門前の瓜生石のところで般若心経を唱えているのを見たことがあるよ。
山門からたくさん坊さんが出てきて、神主もいて、神仏習合の行事だったみたい。
359名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/08(月) 15:01:00
>>358
葬式では唱えない、飯食うときに唱える。
360名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/08(月) 15:36:38
飯食うとき行鉢念誦を唱えなかった。
361けちゃっぷ:2005/08/08(月) 17:53:01
布教師の資格を取ること自体が、お金と時間がないと不可能なイメージがあったんですが、どうなんでしょうか?
地方在住のサラリーマンでも可能でしょうか?
362けちゃっぷ:2005/08/08(月) 18:02:51
>>355 長時間正座すると膝が弾け飛びそうな痛みがきますよね。

ところで、法衣って、なんで色んな種類が必要なんでしょうか?洋服か作務衣に袈裟つけるだけとか、簡素で安価にできればいいのに。
上座部の僧服って日本みたいに派手じゃないですよね。
363名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/08(月) 20:18:04
>>362

>上座部の僧服って

あれは袈裟だ
364名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/08(月) 22:00:40
>>361
布教師は資格じゃないよん。
ここでこれだけ多くの言葉を残しているのだから、
けちゃっぷさんも立派な布教師だよん。
365名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/08(月) 22:02:10
法然上人もずっと墨染めの衣だったのだから、
みんなそれに倣えばいいのにね。
無駄に派手なおべべを競い合って、あほらし。
366名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 01:53:20
>>364
> ここでこれだけ多くの言葉を残しているのだから、
> けちゃっぷさんも立派な布教師だよん。

内容が問題だが。
あの内容を布教して欲しくはないな。
いや、むしろ実際に布教してみて問題に気づくべきかも。
367名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 02:42:49
>>365
だよな。黒衣で十分だ。
一枚起請文が泣いてるぞ
368名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 03:17:25
江原啓之の特番テレビあるね。
ああいう能力を持った人物がいて
全国放送でその能力を放映されてしまうと、
やっぱり、一般には「霊」とか「魂」とかのイメージが
普及してしまうよな。

宗教というのは、ああいう能力の人の蔭の働きもあって
成立しているのかもしれないな。
369名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 06:34:36
江原啓之の人当たりの良さを坊さんは見習うといいかもしれない。
傲慢な坊さんは嫌だから。
370名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 07:56:27
>>368 「空だ」とうことは、「無い」ということではありませんからね。霊だけでなく生身の人間も「空」です。
371名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 07:59:35
>>369
坊さんもテレビに映れば人当たり良い人になるし、
江原もテレビに映らない時は傲慢なやつ。

テレビの超能力番組が「ヤラセ」だと、まだ知らない人がいるのか・・・
372名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 09:20:26
テレビ局なんか金になる事なら、なんでもやる
江原啓之なんて典型的なイカサマペテン師だと
言うこと、大衆は気がつかないんだなあ。
373名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 09:31:11
愚者です
何度も書きましたが、江原とか細木をほめる風潮はどうかと思います
細木数子はいいこと言ってる時もあろうと思いますが、「超能力のある
おばはんだからいうこと聞く」ということは、若い女の子は母親や身近な
人のいう事は聞かなくていい、ということにならないでしいょうか。

いきつく先は「ザイン」でしかないのでは?

江原さんがいいこと言ってるかどうか知りませんが、「霊が悪いんですよ」
といわれることで救われるというのは・・・・江原本人に会えば救われるかも
しれませんが、あの考え方で自分を省みてしまった場合、迷妄を増やすだけ
なのではないのでしょうか?

いや、関係ない書き込みかしれませんね・・・いや、しかし「ああいう能力を
もった人の蔭の働き」なんてもしかしてお坊さんかもしれない人の口から
聞きたくないですね。
374名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 09:59:37
テレビ局がカルト宗教の発生を助けている
細木数子はいいことなんか言っていませんよ
あの言い方が売り物なだけなんですよ。
375名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 10:01:20
細木数子は、色欲と金銭欲を塗り固めたような人相してるね。
あの顔で、老いた陽明学の泰斗を丸め込んだかと思うと、ちょいと笑える。
376名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 10:50:22
愚者です
えらいお坊さんが超能力めいたことを行えた、ということを否定する気はありませんよ。
法然上人が宙に浮いてたというのはどうかと思うけど、常に真剣に信仰や人間に向き合って
くれば、人の心を見抜いたり、瞬時に正しい判断を行えたり、肉体的苦痛を無化できたりと
いった「超能力」は身につくと思います。まあ、簡単な予知能力くらいまでは理解できます。

問題はその能力の説明を「霊」にもってきていいかどうかです。「御仏のお導き」という
のは信仰を究めた人ならありうることでしょう。しかし、あの「悪霊」関係に自分の因果
の原因をぜんぶ背負わす「宗教」はどうなんでしょう。また繰り返しますが、直接診て
もらった人は救われることはあると思います。しかし、「江原モドキ」が「セックスでエイズ
を治してあげよう」と言われても、時として信じてしまうのが人間の弱さでしょう。

なんでもかんでもマスコミのせいにする気はありませんが、既存の宗教がんばれ!と
いいたいところです。


377けちゃっぷ:2005/08/09(火) 12:46:57
>>371 他人が嘘つきに見えるのは、自分も嘘つきだからです。
世間の人が気付かないことをあなたは気付いていると、自慢気にお話しされていますね。
自慢を口にする時は自分の心に気付くチャンスです。自慢している点こそ、実は自分がコンプレックスに思っていることだそうです。
お互い気をつけましょう。
378けちゃっぷ:2005/08/09(火) 12:58:11
>>373 理屈では正しいと思っていることでも、親に言われたらおもしろくない、という経験はありません?
でも同じことを他人やテレビや本が言ってたら、すんなり受け入れられることがあります。押しつけられた知識じゃなく、自分でみつけた知識のように思えるからかも。
われわれ坊さんが情けないから、細木さんが流行るのかもしれませんね。
379名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 13:16:54
民衆は無知で馬鹿で因果の道理をわきまえない
のが多いから、騙される。
380名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 13:43:21
>>377
と、一番物知り顔で、口出ししたがりなのが、け・・・
本人が一番気づいてないけど。

ここで一番、無知な説教繰り返しているのは誰だろう。
地方の文化人きどりの人に、そういう人多いけど。
381けちゃっぷ:2005/08/09(火) 17:35:36
>>380 はぁ、そう言われると思って、「お互い気をつけましょう」と付け加えておいたのですが。
382名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 17:36:32
>>378
テレビを鵜呑みにする子どもが一人。
仏教を学んだのなら、もう少し見る目を持ちなさいよ。
浄土宗の僧侶でありながら、オカルトファンである原因がわかったよ。
誰かテレビ関係の人と知り合いになって、裏の現実を教えてもらうといいよ。
383けちゃっぷ:2005/08/09(火) 17:48:19
>>832 テレビも肉眼で観たものも、どちらももともと幻ですよ。
384名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 19:24:30
サーバが惨めな状態になってません
385名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 00:47:17
浄土宗、真宗、浄土真宗、何が違うんですか?
全く別なの?
無知です。
教えてください、
386名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 01:51:01
>>385
法然のひらいた浄土宗は、法然の死とともに消滅。
その後、元の弟子がそれぞれに教えを伝える。
弁長を祖とする浄土宗鎮西派(知恩院)、
証空を祖とする浄土宗西山派(光明寺)
親鸞を祖とする浄土真宗(真宗)、など。
鎮西派は徳川の菩提寺となり勢力を大きくし、
その影響で西山派の勢力は小さくなる。
真宗には親鸞の血筋を引く西本願寺(浄土真宗本願寺派)、
江戸時代に兄弟が分かれた東本願寺(真宗大谷派)や、
弟子の系統の派など、全部で十派ある。(東はその後さらに分裂)
浄土真宗も真宗も同じだが、正式な宗派名としては、
十派のなかで本願寺派だけが浄土真宗を正式な宗派名とする。
すべて、浄土経典に基づく浄土教(念仏の教え)を伝えるが、
歴史の経過とともに、教義の解釈はいくぶん異なる。
387名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 02:50:18
詳しく教えていただき有難うございます。
大変勉強になりました、⌒〇⌒♪
別スレで真宗に聞けと言われたんですが
『朝?夕?には白骨となり』ってあるでしょ?
なんて言ってるのか聞き取れなくて
意味も教えてくだされば幸せなんだけど、、、
気になって気になって
宜しくお願いします。
388名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 03:10:23
江原氏の話題にかわるけど、
江原氏のようなああいう能力を科学的に解析できて、
そういう後世の者と現世の者とが交信できるテクノロジーが
開発された時、
我々、坊さんのお盆参りというか棚経の習慣とか
ほとんどきえちゃうだろうな。

まさに、霊能の世界が科学的に探究され解明されだしたら、
仏教が新たに問い直される時代がくるだろう。

脳の機能と電磁波との相関の探究が深まれば、
きっと死者の霊魂との交信ができる時代が到来しそうだ。

DQNやって、スマソ。
389名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 05:38:19
あなたもお坊さん?
皆さんお疲れなのねー、
月が悪いのかしらね?
トリツカレタ坊さんばかりだ
お盆が終わったら温泉でも行って
頭休めたほうがいいかもね・・・
御愁傷様です。
390名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 05:39:47
>>386
聞きたかったのはそんな歴史じゃなくて、教義の違いだと思うよ。
聞いた方としてはお礼をいうのは当然だけど、求めてた答えと違うと
不満が言えなさそうなので私がもっぺん尋ねたいです。

簡単にいうと、浄土宗と真宗ってどう違うの? もちろん浄土宗の立場からで
けっこうですので。
391名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 05:42:41
>>388

他で主張する気はないけど、ここは宗教者のたくさんいるスレだからな・・・。

正直、霊の存在が科学的に証明される時代は永遠に来ないと思います。
だから、永遠に宗教者は必要とされ続けると思います。
宗教者になるということは、それだけで永遠を生きるということです。

392名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 05:55:44
390さん その問いは358の 代わりですか?
もしもそうなら有難うございます。
大丈夫ですよー、
良くわかりましたです、
393390:2005/08/10(水) 06:28:31
それでは、私のあらたな質問としてでもいいです
まあ「かんたんに」なんてムリでしょうから・・・
私の知るところでは「念仏」の位置づけが違う?
浄土宗ではあくまで「往生するための念仏」
真宗では「念仏すれば往生、というのは自力本願、
あくまで阿弥陀仏にすべてを任せる、念仏はその感謝の意味での念仏」

正直、真宗の主張がよくわからない。一番美化されるはずのマンガ版の「親鸞」
を読んでみても、単に結婚したことへのいい訳に「絶対他力」とか言い出したと
しか思えない。しかもその結果できた自分の息子すら教化できない。そんな
宗派が現在日本の最大宗派っていうのがわからない・・・・・。

ちなみに浄土宗の人間ではありません。実家は真宗です。バチが怖いので
教えておいてください。

394けちゃっぷ:2005/08/10(水) 07:42:23
>388 番組ちらっと観た。霊視の力以上にカウンセリングのテクニックがすごいんじゃないかと思いました。
儀式も有効に使ってますね。
395名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 10:15:22
お坊さんって霊視する人?だっけ、、、
これからってもしかしたらお葬式が無くなるかもよ、
お寺さんとの接触のない若いもの達が親になって 今のままなんて有り得ないでしょう、
葬式が変われば勿論お盆や法事なんて当然しない、
お寺さんは盆踊りの会場くらいしか思われなくなる、、、
そう遠くない現実かも
396名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 12:22:43
歳とると先祖を思う気持ちが強くなっていく。
今は長寿だから、施主や遺族が昔より高齢で、昔より熱心な場合も多い。すくなくとも現時点のうちの寺はそんなかんじがする。
397名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 12:58:26
>>396
たぶん、ここに書き込んでる人は30代が中心だと思う。
40代になると、自分よりもまわりの親がボケたり死んだりして、だんだん
「死」というものを実感させられる。
若い頃にはたとえば友人が死んでも、それは特別なこと「事件」だった。
だが、寿命として身近な人間、それも、おじいちゃんとか、おばあちゃんとか、
すでに「死」を背負っていることが明白な人間ではなく、ずっと生きると思っていた人が「事件」で
なく死んでいく。

そして、やがて自分の番だと「実感」する。なんの「事件」にも「事故」にも巻き込まれなくても、
絶対に避けえないものだとの思いが頭をもたげてくる。

その時、宗教は絶対に必要になる。「葬式仏教」なんて言われるが、元来宗教のテーマは「死」
であったはずだ(たぶん、「生」をテーマにするのは政治だろう。この両者が結びつくと安定したり
破滅が起こったりする)。先祖を思う、というのもその一貫。

現代は「死」を遠ざけすぎている。無価値なものとして機能している。宗教の重要さはいや増すばかりである。
398名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 13:03:16
>>388
> 江原氏の話題にかわるけど、
> 江原氏のようなああいう能力を科学的に解析できて、
> そういう後世の者と現世の者とが交信できるテクノロジーが
> 開発された時、
> 我々、坊さんのお盆参りというか棚経の習慣とか
> ほとんどきえちゃうだろうな。

お盆や棚経の習慣がどうなっていくのかはわかりませんが、
江原氏のような「能力」は、科学的に解析する前に、
そのように見せる手法や、テレビ番組製作の裏事情が見えてきて、
そのうちにあきられるでしょうね。
今までの「超能力」や「霊媒師」は、たいていが手法をみやぶられて、
表舞台からは去っていきましたが、
テレビでは未だに過去の「能力者」扱いをしていますね。
お盆参りや棚経がきえるのか、江原が消えるのか、どっちが先でしょう。
399名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 13:06:33
>>395
> お坊さんって霊視する人?だっけ、、、

霊は見えません。
見えると思いこむことはありますが。
テレビなどで「見える」と言う人の話は矛盾だらけで、
本当に見える人がいるなら、
もうとっくに仏教はなくなっています。
400名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 13:17:29
>>387
> 『朝?夕?には白骨となり』ってあるでしょ?

「朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」
というのは、浄土真宗の蓮如の書いた御文章(御文)という文書伝道の手紙です。
内容は、真宗で聞かれたほうがいいかもしれませんが、
朝には血の通った元気な顔をしていても、夕方には白骨となってしまうかもしれない、
私たちの人生は、そのような明日をも知らぬ無常のなかに生きている。
だから、浄土往生という大事なことを日頃から聴いておかなくてはならない、ということでしょうか。
401名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 13:24:31
>>393
> 正直、真宗の主張がよくわからない。一番美化されるはずのマンガ版の「親鸞」
> を読んでみても、単に結婚したことへのいい訳に「絶対他力」とか言い出したと
> しか思えない。しかもその結果できた自分の息子すら教化できない。そんな
> 宗派が現在日本の最大宗派っていうのがわからない・・・・・。

マンガの「親鸞」は、真宗とは関係なく、漫画家の創作のようです。
美化する意図もなければ、真宗の主張が表現されているわけでもないでしょう。
マンガを読めば、当然困惑されるでしょうね。
402名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 13:34:05
>>401
正確な書名を書いておく。
『マンガ 親鸞入門』(サンマーク出版)。
おれはこのシリーズの『法然入門』で、「法然上人ってエライんだな〜」
と興味を持ったので続けて買ったのだが。どこがどう違うのかな?
403名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 19:07:25
>>402
浄土宗と浄土真宗の違い
ttp://www2.big.or.jp/~yba/QandA/03_02_26.html

これは真宗のサイトですが、参考までに。
404名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 19:11:47
400 大変有難うございました、
優しいレス大切に読ませて頂きました、
お手数おかけしました、
お身体ご自愛くださいませ、 (感謝
405名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 19:35:13
>>403
なるほど、よくわかる。
浄土宗に、あれだけ論理的に教義の違いを説明する人がいないのがさびしい。
教義に対する姿勢の違いなのかな。
406名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 19:38:22
>>403
ご指導ありがとうございます。
やはり「かんたんに」とはいかないようですね。
じっくり読んでみます。
407名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 20:47:50
なに連続で自作自演自画自賛してるの
408けちゃっぷ:2005/08/10(水) 20:57:50
法然さんの著書『選択本願念仏集』の冒頭が、浄土宗のテキストでは「南無阿弥陀仏 往生の業は念仏を先とす」ですが、真宗のは「南無阿弥陀仏 往生の業は念仏を本とす」なんですよね。
409名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 23:11:02
な〜んで 西と東は個性的な坊主多いの?
お坊さんって賢いんだよね…?
西?東?変わらんくらいかばだと思う… ム・カ・つ・く!東西クソ坊主!
410名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/11(木) 00:02:17
お前は小便小僧
411名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/11(木) 01:09:18
確かに小僧です。
すんません、
今、反省中です。
ごめんなさい、
412名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/11(木) 02:07:50
勉強して、お坊さんになってから出直しておいで。
413名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/11(木) 09:42:56
真宗小僧仏様スレにレスしたのか?
414名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/11(木) 09:44:00
421さん 有難うございます。
昨夜はちょっと荒れてました、
他スレでイジメられたことでここにあたっちゃいけませんでした、(/=\# 反省
ごめんなさいです!
415名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/11(木) 09:45:43
412でした、訂正デス
416名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/11(木) 09:53:12
413さんへ
はい、いきました、
いってたんですけどノリが別ノリからいっちゃってたんでー質問できへんかったんですー、(悲
本当に昨夜はごめんなさいです。
417名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/13(土) 09:34:21
西本願寺スレで粘着にネチネチと…
お暇になったら一度西本願寺スレ見てみて下さい、
「クソ坊主」って言いたくなった気持ち察してもらえるかと…
(ここにも来てたんだ)粘着のネカマ追っかけ!
418名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/13(土) 09:36:09
おまえが板から消えればよいだけのこと
西本願寺スレから出てくるなネカマ
419名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/13(土) 18:42:48
↑板違い!お前も来るな!
420名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/13(土) 19:07:39
ついでに、けちゃっぷと愚者も来るな。
あれが浄土宗だと思われるのは迷惑。
421愚者ぐしゃ:2005/08/13(土) 19:14:14
私は浄土宗の人間じゃないし、特に浄土宗に知識が深いわけでもないと、何度も言ってるんですがねえ・・・。
422名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/13(土) 20:46:49
>>421
なら、知ったかぶりしてくだらんこと言うな。
423西本願寺ネカマ ◆SSFP7q0bhw :2005/08/14(日) 16:51:43
コテトリにしました!よろしくね⌒▽⌒♪
424名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/14(日) 17:28:59
お盆も明日までですね。
しかし家の菩提寺ではお施餓鬼があってまだしばらくお忙しいそうです。
ところで施餓鬼では浄土宗のお坊さんも加持祈祷するそうです。
お供えする食べ物を真言で加持して増やして、それを餓鬼に施すから施餓鬼なのだとか・・・
餓鬼と言われても絵巻物で見るようなのしか思い浮かばないけど、実際どうなんでしょうね。
目に見えない悪霊なのかな。

425名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/14(日) 18:28:08
>>423」が悪霊か妖怪か?
妖怪ぬらりひょん


(東本願寺のお坊さんらすい)
426名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/14(日) 18:51:03
>>424
言葉使いと態度の悪いレス!   あれが一種の『餓鬼』の姿です。

哀れみを持ってご供養してあげたいものですが、なかなか聞く耳すら持たないで
反発し、人に食って係るだけですね。         哀れです!! 
427名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 00:19:31
お盆は、朝は何時から、夕方(夜)は何時くらいまで檀家へ行く?
428名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 12:38:59
>>424 現状に満足していない人の心は、すべて餓鬼でしょう。
お金を手に入れて「やったぁ!」と喜んでいる心は、天の心地。でも次の瞬間に「これでは満足しない。またまだ足りない」と思ったら、その瞬間に餓鬼に堕ちています。
429名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 12:53:49
書き込んだ瞬間は良い事書いたぁと天の心地。
でも反論されると罵詈雑言倍にして書き返すおまえは餓飢以下。
430名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 12:54:50
花ちゃんのことだね
431名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 12:55:57
>>429 そのとおり。
432名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 19:54:27
>426
その言葉、そっくりちみにかえしてあげる。
433名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 20:19:12
生きている人が餓鬼ならどうして寺で坊さんが施餓鬼の儀式をしてその人を改善できると思いますか。

意味がわかりません。その人が自分の心を正す以外にないと思いますが。

日本の坊さんはこんなことで金をもらって良心は痛まないのでしょうか?

またやってもらってる人も本当の意味分かってるんでしょうかね。
434名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 20:25:50
>>433
一.おっしゃることはもっとも。
二.でも、こんなとこの与太話を真に受けちゃダメ。
三.また、一行空けても最近は目立ちたがり屋という認識しか受けない。
435名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 20:32:34
馬鹿が馬鹿にレスしてるね
436名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 20:36:34
何か陰湿な空気ながれてないか?
浄土なんだから、もっと明朗なところもだそうよ。
和顔愛語でいきましょう。
437けちゃっぷ:2005/08/17(水) 00:56:22
>>433 みんなに施すその瞬間だけ、その人は餓鬼じゃなくなることができます。瞬間的ですが善人になれます。
その善の瞬間の場面をプロデュースした人がいたとしたら、そのプロデューサーも善に貢献したことになります。
私をプロデュースしたのは誰でしょうか?近くには、やはり私先祖です。私の善は先祖の善です。私が報われれば先祖も報われます。
438名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 00:59:36
けちゃっぷ教を開けよ
439名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 01:51:01
死が急速に恐くなりました。恐くて恐くてなりません。
440名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 08:21:31
>>439 それはあなたがいつも正しい行いをしていないから死が怖いのです。
死は全ての苦行から解放される安らぎの時です。
一番幸せな時です。死は一瞬、瞬きの間です。
441名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 08:22:56
下ヨシ子の祈祷集団の力はすごい。
災厄を起こす霊障を祈祷の力で払い消滅していた。
テレビだけどね。

浄土宗僧侶50人集まって、厄難を受けてる家庭のために、
1日念仏通したら、その災いを取り除くことできるかな?
442名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 08:25:39
テレビの娯楽性が理解できない人が、カルト、霊感商法に引っかかる。
443名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 08:31:59
つまり、分析能力のないただのバカ?
444名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 17:40:24
>>439 だいじょうぶ、死が恐いのは自然なことですよ。
ただ、死が恐いことと、死のことを考えてしまうことは別問題です。
怪談聞いた後は、特に暗闇が恐いというか、気になります。暗闇は人間にとって恐いものですが、気にしなければ忘れてるのに。
445名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 18:22:03
>>439
いろいろ方法考えたけど、けっきょく「南無阿弥陀仏」って称えるのが一番な気になってきた。
浄土があるかどうかはともかく、この言葉を何億人の人間が何兆回称えてきたことだろう。
「そうか、みんな死が怖かったんだな。その怖さと必死に戦い、乗りこえてきたんだな」と思うと
勇気がわいて来る。

「死は怖くない。怖いのは死を恐れて生が歪むことだ」と言ったのはビートたけしだったはず。
446名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 18:47:42
>>441
浄土宗的念仏では厄難を取り除くことは出来ないでしょ。
念仏は呪術ではないんだし。

念仏者は死んだら極楽に・・・その一点が柱で、
それを基に色んな利益があるっていう解釈なんじゃないの?
447名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 19:20:33
>>439です。皆さん有難うございました。
448名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 20:10:13
>>446
浄土宗の場合、阿弥陀如来根本陀羅尼を唱えたら効果あるかな?
棚経の時、唱えるよね。
それか、浄土三部経を
50人くらいの僧侶で24時間読経し続けたら効果あるかな?

祐天上人の悪霊払いでは、取り憑かれた本人に念仏させなければ
効果なかったそうだから・・・

念仏の功徳に「転重軽受」ってあるね。
とりあえず、
当山の檀家さんで明らかに霊障に悩まされている家庭は
ないな。
しかし、不運な状況で苦悩してる家庭はやっぱりありますね。

念仏を有り難く受け取れるようになるのはいろんな縁が
必要だろう。そして、念仏することで、
不運な状況でも心明るくなれることが、本当は目指すところかもしれないけど・・・

毎日のように、ポルターガイスト現象とか起きたら、
平常心も無くなるだろうし、念仏で救われるって心底より思うことも
適わないだろう。
実績ある法力の持ち主を頼りにしてしまうよな。
449名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 20:54:29
>448
いいかげん、ばかばかしいオカルトねたとはさよならしなさい。
念仏にはそういう方面の效果は皆無。
精神的な面以外の現世での效用はまったく無いのだ。

確かに法然上人は、念仏者には諸仏菩薩の護念があるから
悪鬼神がつけいることはない、と仰せになってはいるが、それとて
現世にそんな效用を求めて何になる、というのが彼の本音だ。

目にも見えず、耳にも聞こえない、そんなあやふやなものを持ち出して
ありがたがってどうするの。

その点で、前の善導寺法主は邪義邪宗の極み。あんなのをどうして
大本山の法主に据えていたのか?
450名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 21:44:01
>>目にも見えず、耳にも聞こえない、そんなあやふやなものを
鈍い
451名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 21:48:06
トリビアであみだくじが出たので、飛んできました!
452名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 21:56:03
>450
何が「鈍い」の?
そういう判別をしてしまうから、オカルトだっていうのよ。
かっきりとした根拠の無いことは、人を騙し、誑かし、不幸にするだけだ。
453名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 22:26:44
>>452
オカルトファンは、論理的に反論しても結構むなしいとこありますよ。
論理的に明らかな矛盾でも、思い込みで信じているから聞く耳をもたなかったり、
一つの例が反論不可能になると、別のオカルトをもちだして来たりする。
それがオカルトファンの特徴でもあるわけだが。
454名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 22:29:42
>>449
善導寺の前ご法主台下を誹謗するのは謝罪をもとめたい。

あの方のご人徳を知らずして軽率な発言である。
455名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 22:31:56
>>439
遅レスですが。とりあえず『アミターバ』(玄侑宗久)には
かなり死への恐れを軽減してもらいました。正確には「死を恐れる
人を見る苦痛」を、なんだけど。禅宗的には「昨日の自分と今日の自分
は別人」だからもう生まれてから何万回も死んでいるのでいまさら恐れる
ことは大してないとも解釈できます。
死後の世界があるなら、まあ人殺しでもしなければ救われるだろうし、
死後の世界がないのなら、死んでからのことなどスイッチを切って
からのテレびと同じで自分にはなんの関係もない。
あと、死は平等にやってくるからいいんですよね。
456名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 22:39:05
>454
人徳があっても邪義は邪義。
法然上人の教えから外れてしまったらどうしょうもないだろ。
末寺の住職でも困るのに、布教師として影響力を行使し、剰え法主としてああいう振る舞いを
したことを、誰も咎めなかったのか?

君のまなこが腐ってしまったのは自己責任かもしれないが、法主ならそれを晴らすぐらいの働きをしてほしかったものだ。
実際に彼がしたのはその逆ではないか?
457名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 22:39:50
>>449
心の有り様(精神)と様々な人間社会の出来事は大いに
因果関係があるよ。
念仏が精神に作用するんだから、いろんな事象が起きる筈だろ?
「現世での効用は『まったく』無いのだ」と断言したね。
物事を見る目が養われてないな。
458名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 22:43:54
>>456
アンタ、何様?
459名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 22:44:50
>457
第三者によって客観的かつ再検可能なも事実でなければ
あやふやで根拠のないもの、と指弾されてもしかたがない。

脳内妄想で幸せになれればそれでもいいが、それは他者に
告げてよいものではない。
なぜなら根拠のないことで人の精神にいらぬ影響を与えるからだ。

>現世での効用は『まったく』無いのだ
というのは無条件にではない。
>精神的な面以外の
という条件をつけただろ。脳内妄想であれ、精神的に有用なら
效用として認める、といってんだよ。
460名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 22:56:39
ついでに言うと、念仏を呪文と勘違いしてるんだったら
精神的な效用もない。むしろ害悪と效用と区別がつかない。
その場合は、害悪だと思った方がいいかもしれない。

弥陀の本願の念仏である、という限りにおいて精神的な
效用を認めることができるだろう。
461名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 22:56:57
>>449,452,456,459

相変わらず、高慢なおにぃちゃんだな。
高慢は念仏の「四障」の一つに入ってるから気をつけよう。
462けちゃっぷ:2005/08/17(水) 23:05:17
>>455 念仏を称える前と称えた後の自分も別人です。念々の念仏ごとにリセット。
死の恐怖を感じても、念仏すれば恐怖リセット。また恐怖が出たら、またリセットすればいいだけ。
体が汚れたら風呂に入ればいいだけ。毎日汚れても汚れる度に風呂に入る。この当たり前のくりかえしが、平安ですよね。
心も体のように、汚れる度にお風呂に入れてあげればいいだけ。死の恐怖という汚れは、有ってもいいのです。だいじょうぶだいじょうぶ。
恐がりな自分が嫌いなら、念仏してまた生まれ変わればいい。また嫌いな自分になっちゃったら、また念仏して生まれ変わればいいのです。
463名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 23:07:36
ここにもいたな。救われねー因縁の塊!こんな奴でも救ってくださるのが仏さまなんだなー!
464名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 23:15:18
>>462
神道の禊ぎやお祓いに似てない?
自力の滝行とかとも
465名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 23:18:42
>>464
似てるかもしれないけど、
お念仏は「いつでも、どこでも、だれでも」できる行ですよ。
466けちゃっぷ:2005/08/17(水) 23:22:47
>>464 お祓いは神主さん呼ばないとできないし、滝に打たれるのは滝が無いとできませんよね。
念仏は、いつでも・どこでも・だれでもできます。
なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶつ なむあみだぶ〜っ。
467けちゃっぷ:2005/08/17(水) 23:23:52
>>465 レスかぶっちゃいました!
468名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 23:26:02
易行だからといって効果が薄い訳ではない。
「智者のふるまいをすることなく」とは、生活を捨てて修行
できない人も救われるように、との法然上人の本願。
つまり、法然上人は「生活」を、「生きること」を肯定したんだと思いますね。
469名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/18(木) 00:08:46
道元は念仏を、カエルの合唱だと批判してますね
470名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/18(木) 02:13:34
>>464
> 神道の禊ぎやお祓いに似てない?
> 自力の滝行とかとも

だれかが屁理屈言っていますが、本質がいっしょになってしまう。
念仏が呪文になっちゃあ、浄土宗もおしまい。
471名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/18(木) 08:21:09
>>470 仮に呪文とごっちゃになっていたとしても、称えさせることができれば、阿弥陀様がその人を往生させてくれますよ。
472名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/18(木) 13:04:07
>>471
なら、やっぱり呪文ということなんだ。
473名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/18(木) 15:09:24
>>468
> 易行だからといって効果が薄い訳ではない。
念仏で「効果」?

> できない人も救われるように、との法然上人の本願。
法然上人の「本願」?

浄土宗って、そういう理解?
474名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/18(木) 17:02:23
あなたの仰られる浄土宗とは?
475468:2005/08/18(木) 17:09:19
>>473
「効果」はちょっと使い方が悪かった。
法然上人の本願、は俺の理解。
浄土宗の見解ではない。
476名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/18(木) 17:22:43
>>472 とりあえず、あなたが考える「呪文」の定義を述べてください。念仏がそれにあてはまるかどうか、考えてみますので。
477名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/18(木) 19:31:30
>>475
本願は阿弥陀仏の本願だろ。
法然上人の本願など聞いたことがない。
478名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/18(木) 19:39:50
>>477
「法然上人の願い」じゃダメ?
479名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/18(木) 23:23:31
>>478
願いと本願は違う。
本願って何なのか本当に知っているのか?
480478:2005/08/19(金) 00:34:09
>>479
おしえてください。
481名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 01:16:29
>479
漏れも教えてほしいな。「願い」と「本願」の違い。
誰もが死ぬまで必死に生きることができるように、というのが
「法然上人の本願」だったのかもしれないよ。

>468
浄土宗で本願といったら普通は阿弥陀仏の四十八願を指すから、
「法然上人の本願」という表現はまずかったね。意図はわかるけれどもね。

ところで腐れオカルトかぶれは消えたのか?
482468=480:2005/08/19(金) 06:33:53
>>481
>>479のいいたいことが「お前は浄土宗でいう<本願>をわかっているのか?」
という意味だと思って納得してたんですが、「願いと本願の違い」を聞きたいですよね。
いちおう四十八願は知ってます。王本願とか、三十五願問題とかも。
483名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 08:20:14
菩薩が、「これが実現するまで成仏しないぞ」と誓願を立てて、その菩薩が実際に成仏した場合に、はじめて本願と呼ばれる。
成仏の公約みたいな誓願で、しかもその公約が実現しないと、本願にならない。
484名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 15:08:56
だいたい目にも見えず、耳にも聞こえないものを斥けるんなら、
須弥壇から本尊も脇の菩薩も取りのぞいちまえ!
代わりに自分が須弥壇に上がって座ったらいい。
是心即仏と言うではないか。己の外に仏だの浄土だの求めても自他迷惑するだけだぞ。

485名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 17:22:01
目に見えるお経に書かれている仏の姿を、再現しているのです。
486名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 17:35:16
>>485
永観堂の、後ろ向いてる阿弥陀さんは、どのお経の再現?
487名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 17:55:25
>486 浄土三部経に描かれている、臨終に来迎して極楽に連れてってくれる阿弥陀様のキャラを、想像して創られたものです。
488名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 17:57:25
違う!うそつき
ちゃんと説話があるわい
489名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 18:00:35
>>488 どんな?
490名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 21:56:27
『臨終の時は、自分が自分を責めることが起きる。いろんなことを
してきているから、だから常平生にお念仏をするのが一番大事。』
『人間は皆、高慢のかたまりでございます。しかし、死の前には
どんな高慢も役に立たん。高慢する人ほど、奈落の底に落ちていく。』
491名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 22:11:07
その奈落の底ってのは誰が見たの?死んだ後にどうなるかなんて誰が知ってるの?
かっきりとした根拠の無いことは、人を騙し、誑かし、不幸にするだけだよ。
地獄だの浄土だの、一切は心の造るところだよ。その心を改めることだけが自分の享受する境地を変えるのだよ。
492名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 22:17:25
>>491
そんじゃ、心とは何なんだい?
493名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 22:54:35
これですよ。
494名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 23:00:35
心は未知で不可思議。天地宇宙との相関も否定することはできない。
地獄や浄土と呼ばれる世界との関連も果たして、
凡人の知恵でどこまで計れるやらですな。
495名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 23:26:59
じゃあその心の天地宇宙との相関を究明すべく、自分の心の観察でもしろや。
知らないなら、知るように努めろや。それが坊主の為すべきことじゃないの?
それ棚に上げて、あやふやで根拠のないものに飛びつくような真似はするな。人を巻き込むな。
496名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 23:35:28
>>495
言葉使いが汚ないね。
萬徳無漏のお念仏を称えて自浄吾意してくださいな。
まだ、子供か?
497名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 23:40:46
糞ガキだろ!口先だけの中は空っぽ!
一人前に攻めることは知ってるが他には何もない。糞ガキ!
498名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 23:43:40
東で叱られて すごすごととこっちに逃げてきた類いじゃないか?
499名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 23:46:01
和顔愛語で、いきましょう。
500名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/19(金) 23:54:35
そうですね。
和願愛護で行きましょう。(和顔愛護)!
501名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 00:24:26
なんだオカルトばっかりか。
せいぜい脳内妄想で幸せになっててくれ。しかし自分で中毒になってる分には良いけど、
他人に教え説いてよいものではないね?根拠のないことで人の精神にいらぬ影響を与えないでくれね。

502名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 00:29:44
>>501
前々から、かなり幼稚な人間じゃないかなと思っているんだが・・・
人生重ねていけば、もっと謙虚になれるよ。
「オカルト」と軽視すべきでないことも沢山あるぞ。
503名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 00:59:15
謙虚になる、ってのは自分の見たことも聞いたこともないものをあたかも実在するかの如く
人に説いたり振る舞ったりすることだろうね。お経に書いてあるということを盾にね。
経典や祖師の権威を笠に着たと言ったらいいのか。
昔の人はたいがい謙虚に数息やら随息から始めたもんだ。息は誰しもに明瞭な事実だからね。
504名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 01:00:48
人に説いたり振る舞ったりすることだろうね→人に説いたり振る舞ったりすることではないだろうね。
505名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 01:06:58
今の勢いが永く続くことを祈ってあげよう。 若さ=ばかさ! お前が死ぬ前に会ってみたいぞ!
506名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 01:18:34
謙虚を辞書でくぐってみ! 傲慢も!
きっとお前のような者のこと、と書いてあるだろう。
507名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 01:31:56
最悪板でやれ
508名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 01:42:04
そんなことしか言えんのか。お前らには失望した。せいぜいオカルトやっててくれ。
509名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 03:30:56
おみゃあもオカルト以外の言葉しらんのか? 他の言葉も早く覚えなさいね!
510けちゃっぷ:2005/08/20(土) 06:13:21
>>503 法然さんは、観法をやっても悟れなくて、戒も表向きは完璧に守ってても心の中は破戒ばかりで、悩んで悩んで…それでやっと救われる教えに出会ったのです。
それが念仏だったのです。
だいじょうぶ・あるがまま・おたがいさま。僕もあなたも許されています。
511名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 10:13:27
ケチャップ教祖さま! ばんざ〜い♪
512名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 20:43:46
>>510
それは法然一人が言ってることでしょう。法然は救われたと思ったかも知れないが、それは第三者によって客観的かつ
再検可能な事実でもなければ、かっきりとした根拠のあるものでもない。 そんなことをありがたがってどうするの。
僕もあなたも許されています、って誰に許されてるの。その人に直接会って「あなたを許します」って言質をもらったのかな。
そもそもなぜ許されなきゃならない。はじめに誰かに罪を着せて地獄に突き落とさなきゃ、そもそも許せないわな。
513名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 21:20:21
>583
亀レスですが。あなたの言う本願の語義は、サンスクリット pUrva-praNidhAna の
訳語として主張されている語義にすぎません。つまり、香川孝雄などの仏教学系の
人が主張するものですね。でも、伝統的には根本の願と理解されているはずですよ。
ちなみに、『地蔵菩薩本願経』というお経がありますが、地蔵菩薩の本願ですね。
これはどのように処理するおつもりですか?

>510
浄土宗は法然上人の言葉(正確に言うと、法然上人を通して理解された経論の言葉)に
したがう教えなのよ。だからあんたの批判は当たらない。
もっとも、けちゃっぷは法然上人の教えから外れまくっているから困るのだが。

オカルト基地外は一人で狂ってろ。他人を巻き込むな。
514名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 22:24:14
>>513
法然上人の言葉にしたがってどうするの?
そんなことは日本の一部坊主と信者だけで通用する基準でしょ。
法然上人に従うから従う。それじゃ「麻原尊師に従うから従う」って人にどう反論するの?
何宗とか何経とか、そんなことは信者だけに通用する基準。
もっと宗教として万人普遍に妥当する要件を考えなさいよ。

目にも見えず、耳にも聞こえない、そんなあやふやなものを持ち出さない。
論理的に整合している。第三者によって客観的かつ再検可能な事実に基づいている。
これらの要件を満たしている宗教であるかどうかが、大切なことでしょ。
515名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 22:40:31
>514
>法然上人に従うから従う。それじゃ「麻原尊師に従うから従う」って人にどう反論するの?
麻原の言うことが間違っている、ですな。
どのような場合でも、殺人を容認するような言説は間違いだよ。

>目にも見えず、耳にも聞こえない、そんなあやふやなものを持ち出さない。
>論理的に整合している。第三者によって客観的かつ再検可能な事実に基づいている。
>これらの要件を満たしている宗教であるかどうかが、大切なことでしょ。
そのような要件を満たす宗教があれば、お教えください。
516名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 22:48:20
>514
もう一つ。
>何宗とか何経とか、そんなことは信者だけに通用する基準。
>もっと宗教として万人普遍に妥当する要件を考えなさいよ。
そういう宗教はありえない。具体的に個々の人の救いを説くわけだから、
その時点で普遍性は失われてしまう。

もしもそういう「宗教」を想定するならば、個々の「宗教」を統合する
理念的なものを想定せざるを得ないけれども、そこからあらわれてくる
表現は個別的なものにならざるを得ない。
517けちゃっぷ:2005/08/20(土) 22:58:14
>>512 法然さんは念仏で救われて幸せを感じた。同じ道を歩めば、私たちも幸せを感じることができますよ。
許される=こんなダメダメな私でさえも阿弥陀仏の救いに預かることができると、“私自身が”私を許すことができるのです。
こんな私でも生きていていいんだ、ここに存在していいんだと。
518名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 23:07:03
今言ってるのはオカルトの話し。殺人なんて話題じゃない。ずらすな。
殺人さえ犯さなければ空中浮揚もシャクティパットも何でもありなのか。

そのような要件を満たす宗教があれば、お教えください・・・ってそんな他力本願でどうするの。
メディアをにぎわせるオカルト思想に流されずに、なおかつ自分の宗教のオカルトをありのまま認めて批判し、
論理的で第三者にも検証可能な科学的な宗教に変えていくのが、坊さんのつとめでしょ。
519名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 23:20:34
どっちが正しいかなんて一度死んでみれば分かるんじゃなーい!
私ゃ死ぬ時にゃ安らかに死にたいから仏教だよ〜ん!
520名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 23:25:03
仏教だよ〜んではなく、仏道を自らの足で歩んでこそ
結果として安らぎが内在するのじゃないの。
521けちゃっぷ:2005/08/20(土) 23:33:37
>>520 自分で仏道を歩めない人は、どうすればいいのですか?
体を売るしか食べていくすべがなかった遊女は、救われてはいけなかったのですか?
自分を責め地獄を恐れていたであろうその遊女に、救いを説いた法然さんは、間違っていたのでしょうか?
522名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 23:47:28
凡人にはやはり素晴らしいお方です。
私凡人です。
523名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 00:13:04
521
あなたのお話には最初から遊女が低い存在として捉えられているようですが、
仏道とは出家する僧侶だけが歩める道ではなく、
お釈迦さまはどのような職でも一所懸命に仕事をまっとうする事で
誰かの為になる。そしてそれが自分に還ってくる。
一生懸命に生きていれば仏道に通じると私は思いますよ。
それに遊女も階級社会ですから向上心があれば上にいけるでしょうし、
個人が生きがいを見つけれれば、苦と楽を理解できるでしょう。
人は苦しみ、苦悩等を経験しなければ悟りは得る事ができない。
よく従軍慰安婦や遊女を極苦として扱われている人がいますが、
その当時の社会と現在では尺度が違う。
江戸時代に飢饉で東北の農家では餓死者があふれたが、吉原で餓死者が・・
とは聞いた事が無く、よって私は遊女だけが劣悪な環境にいたとは思わない。
逆にお聞きしたいのだが、遊女に救いを差し伸べたと説くその宗派が何故
数数多の遊女に差別戒名をお付けしたのかを?
矛盾がありませんか?
524名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 00:32:21
>518
でたでた。科学的。カルト信者の口にしそうな言葉だな。
科学的ってどういう意味よ。
浄土教は所謂オカルトではないから(悪魔の論法になるから証明はしないよ。オカルトだと考えているなら証明しろよな)、
その点、批判する要はない。オカルトかぶれが湧いて出れば逆にこっちから批判してやる。

おまえのは批判のための批判に過ぎない。具体的に、どこがどうおかしいのか挙証してみろよ。
525名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 00:34:54
差別戒名の話しを持ち出したら、日本には仏法は
正伝されなかったと結論づけされますが。
526名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 01:01:24
>>523 には521が遊女を差別したように感じたんだ、私には差別と感じなかったけど、それこそあなた自身が日頃思っているから「遊女は低いって言うのか」 なんてレスするんじないの?日頃思ってない人には差別したようには感じなかったよ。
527けちゃっぷ:2005/08/21(日) 01:11:44
>>523 低い存在といいますか、仏教の戒を破る商売ですので、悩んでいたのでしょうね。
528名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 01:13:54
>>520 凡人からお聞きします。
仏道って何?どんな修行するん?
私ゃ修行して仏道進もうなんて思ってない、阿弥陀仏の光を頼りになるべく正しく歩くように導いてくださってるくらいだよ、死ぬ時に気持ち楽に死にたいからね、死んでからは分かる訳ないんだし、どうでも構わない。
529名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 01:18:57
幽霊、霊魂、死後の地獄、浄土など、目に見えず耳にも聞こえない、経験的に知られないことを主張するのがオカルトですね。
その存在の証拠があるなら一つでも出せれば存在は証明され得ますが、いまだかつて成功したことはないですね。
死後の世界や存在を語るのはすべてオカルトと言っていいんじゃないですか。
530名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 01:24:23
仏教の戒を破る坊主は山ほどいる、京都の有名寺院の住職なんかは
愛人を囲ってる話しよく耳にする。
えらそうな事言えないよ
531名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 01:29:43
何か思想がすごいね、完全に今のバカ共だ。
仏教で言う死んだ後の世界をそのまんま受けてる ただの理解力0のバカ者です。
国語からお勉強し直して来たら? 情けなくてお話になりませんよ!凡人の方がちゃんと理解できてるなんてね、
532名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 01:56:07
>>530批判する奴らの言いぐさ1、耳にした。2、と言っていた。3、絶対的意志じゃないから突っ込み入ると太刀打ちできんで逃げる。
バカ共が偉そうにほざいても歴史にゃ勝てんのよ!担って来たものの大きさが違うんだからさ!
早く気付けよ!
533名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 02:00:51
532 のキンタマに敬礼!!  感動した
534名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 02:12:22
>>533 誉めてんの?素直に受けましょう! 有難うお!
535名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 02:30:13
愛人を囲ってる住職の話遊女以下、不邪淫戒
それでも得度出来るんだな
536名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 02:40:28
一文不知の愚鈍の身、って有り難い言葉だな
537名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 02:46:01
羨ましいの? 別に構わんでしょ?
結婚も許されてんだし、するだけの事してるなら!棄てたら? だって往生しなきゃダメなんでしょ?女に刺されちゃ 南無ー チーンと!
538名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 02:53:24
良い事ばかりはありませんって!自由という不自由って言うじゃん! だから仏の教えがあるんでしょ? 「楽しい事ばかりじゃないぞ同じくらい苦労しろよ」 って!
539けちゃっぷ:2005/08/21(日) 03:04:00
>>529 “みんながもれなく救われますように”という、阿弥陀仏の願いと法然さんの願いが重なった道に、さらに私達一人ひとりの気持ちを重ねるのです。
540名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 03:15:05
何とか日本の宗教界と日本の科学界が交流できたらいいんだがな。
宗教界で科学に精通する人材育成を重要な課題だと捉えてもらいたい。
このままだと、宗教の知恵が滞ってしまって、
一般の人々に受け入れがたいものになってしまう。
現代日本で力点を置いてる科学分野は、
地球環境、情報通信、生命科学、ナノテクノロジーの4分野であるが、
仏教的な精神をもった科学者がこれら分野の科学技術の開発に
関わって、我々現代文明から仏教を受け取る事ができるような
時代が到来してほしいものだ・・・
科学者の努力の姿、まさに昔の修行僧のような精進生活の有り様は、
ぜひ、現代僧侶は見習わないといけないと強く思う。
小生は、科学者崩れの僧侶だが、研究会での科学者同士の切磋琢磨と
協力の姿勢には敬服する。
541名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 03:23:20
オカルト逝っちゃったのに今度はSF坊主? 誠、浄土とは???なるところよの〜。 ホンに人間とは面白い者よのお。
542名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 03:32:17
SF? 認識不足だな。科学最前線の本ぐらい読んでみろよ。
傍観者気分でいる自分を反省すべきだな。
543けちゃっぷ:2005/08/21(日) 03:48:20
科学と仏教の接点をどこに見いだそうとお考えなのでしょうか?
瞑想しなくても錠剤かなんかで悟れるとか?
544けちゃっぷ:2005/08/21(日) 04:02:59
物質の存在のしくみを解き証すことは科学でできますが、それと仏教がどう関係あるのでしょうか?
まったくジャンルの違うものを、なぜ無理矢理くっつけようとするのでしょう?
佛大1回生の時、宗教学・宗教史の授業のレポートの課題に、「科学と宗教」について書けというのがだされました。
その時は、たまたま量子力学の本を読んだばかりの頃で、空と量子力学を無理矢理並べて書いて、宗教と科学はこれから融合してくなんてムチャクチャなレポート書きました。
今思えば、見当ちがいなこと書いてました。
545名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 06:52:45
科学と宗教の話

宗教は「たとえ話の体系」のような理解もありますが、宗教にとっては「科学」の方こそが
「たとえ話」として使える(程度の)関係だと思います。だから宗教者が科学を学ぶとすれ
ばそれは、「たとえ話」のストックを豊かにするということで、それはそれで大事だと思います。

ただし、究極では「絶対に乗りこえられない壁」があるだろうと想像できます。

「死」というのは科学的には「その先は理解もできず到達もできないもの」という前提になると
思います。「科学的に」死者と交信することができたとしたら、それはもう「死」ではないでしょう。

だから、人間の肉体が滅んだあとのことは宗教しか扱えない。阿弥陀如来にすがる以外の方法
は「一切ない」というのが私の理解です。

546けちゃっぷ:2005/08/21(日) 08:47:54
確かめようのないことを信じるなんて「非科学的だ」と非難する人もいます。
確かめようのないことだから、信じることが答えになるのです。
浄土教の場合は、信だけでなく、念仏という行があります。目に見える肉体を使って、念仏を体験することができます。
好きな歌を唄ってみましょう。で、唄の途中で、念仏してみる。口で「なむあみだぶつ」・心で「往生するぞ」と。そしたら、口と心に流れていた歌が、一瞬念仏でふさがれます。
同じように、口と心で「私って不幸だ」と念じてみます。そこに念仏を挿入すると、「不幸」が念仏によってふさがれてしまいます。
547けちゃっぷ:2005/08/21(日) 08:57:59
「それじゃあただの念仏バカじゃないか」という疑いが起こっても、「それで往生できるからいいじゃないか」と信が疑いを追い払おうとします。
しかし再び、「でも、ほんとに往生できるのかなぁ…」等と疑いが起こるかもしれません。
実は、信と疑は表裏一体ですから、信を意識すれば疑も意識されるのは自然なことですよね。
そんな時は、口に「なむあみだぶつ」・心に「往生するぞ」の同時念仏をします。その時に阿弥陀様のお姿を想うのもよいでしょう。
ほんとうに念仏してる瞬間は、信も疑も忘れてただただ念仏という機械的な作業のみになります。
信や疑を意識するのは、心の中の念仏というできごとが中断されて、念仏以外のできごとが起こっているからです。
凡夫は、心が定まらないので、念仏というできごとがすぐ吹き飛んで中断されます。その時には、「それでも、たった1念で往生できるからOKだ。」と思いましょう。
548名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 09:04:50
>>546-547
禅宗あたりからこれについての意見を聞きたいものだ
549名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 09:55:44
日本の昔の僧侶は仏教も身につけてるが、
インドや中国の流行の文化を同時に輸入してきたから
日本の文化発展に大きな功績を残す事ができた。
けちゃっぷくんは、無理に科学との接点を見い出そうというのは無意味だと
主張したいようだが。
小生も、
別に接点を見い出すために科学界との交流ができる仏教界であれと
提案してるのではない。
現代文明の最先端の科学界で僧侶が研究体験を持つことや
優秀な科学者との交流は、
現代の仏教者として世界観や人生観が大きく開かれることが
期待できるからだ。
現代僧侶の人格成長の一端として科学研究体験や優秀な科学者との交流
の場が持てる環境作りを切望する。
残念なことに、科学者の多くが、現代の僧侶を侮蔑している状況に
あるので非常に難しいんだが・・・
現代僧侶は、
科学者の自己研鑽、探究に集中する精神を敬って見習うべきでは
ないだろうか?
550名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 09:58:50
能作、所作を越えて念仏そのものになりきれば、既に往生している。
別段、念仏しようと思う必要は無い、ましてや往生を望む必要は無い。
551名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 09:58:59
けちゃっぷくん、科学研究体験を持たないうちは、
「科学」については語れないよ。
そのあたりの科学啓蒙書を呼んだ程度ではね。
552名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 10:23:52
>>551 別にここで科学語らんでもええがね。有り難ーい阿弥陀仏のお話聴けりゃそんでええだに。
「浄土宗のお坊さま質問スレ」か西本願寺スレ止まっちゃってるあっちでゆっくり語ってちょ!
553けちゃっぷ:2005/08/21(日) 11:39:41
>549 それなら、科学だけでなくスポーツや芸術でもいいんじゃないでしょうか。
浄土宗にも、医者で僧侶の人がいるのは聞いたことあります。他にも、知られていないだけで、さまざまなジャンルで仕事されてる僧侶はいるでしょう。兼業僧侶多いですからね。
554名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 11:44:55
質問スレの方がいいんかな?
>>550
↑これって浄土真宗なんですか?
あと、「学僧」というくらいだから、お坊さんは学問があるにこした事はないと
思いますが。
555けちゃっぷ:2005/08/21(日) 11:46:10
大作さんみたいな、著名人と会談しまくればいいという売名行為だけではダメだしね。
556名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 11:56:56
禅宗の教えでは、「全宇宙とは客観世界を自己なりとす」
科学も客観的に物事見る学問で、念仏とか仏とか入り込む
余地がないと何ともつれない宗派です。

557名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 13:32:35
>>544
> 今思えば、見当ちがいなこと書いてました。

今でも充分に見当ちがいなこと書いてますが・・・
558けちゃっぷ:2005/08/21(日) 13:44:44
仏教はすべて、人生の苦悩の原因を滅することにより人生の苦悩を滅するための、教えでしょう。
しかし、十代の頃の僕は、それを理解しておらず、宇宙の奥深い「本当のこと」を知るために仏教を学ぼうとしていました。単なる知的好奇心の対象でしかなかったのです。
ですから、阿弥陀仏や他力の教えに興味もありませんでした。縁起や空に興味があっただけでした。
559名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 14:07:38
十代の頃と今、考え方が違う。それが成長って事で少し大人になれたっちゅう事ですね。まだまだ先は永いしもっと変化していきますよ!
生きるって楽しいですなー。
ケチャップさんはきっとすごく素直な方なんですね。素晴らしいことだと思います。
560名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 14:41:51
>>558
そこからオカルト念仏に進んだのが残念だが。
561名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 14:45:27
また、オカルトヲタ来るよー。鬱陶しいから止めよ!
562名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 15:26:16
仏教はスピリチュアル(霊性の)世界だよ。
「学生骨になりて、念佛や失なわんずらむ」学問では量りきれない、直接体験の世界だ。
光り輝く佛菩薩がを目の当たりに見る人もいるし、念佛中に曼陀羅華が雨ってくるのを感得する人もいる。
「感応同交」という言い方をするんだけど、これをユンク風に言うとシンクロニシティーかな。
563名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 18:46:59
>トマト和尚
>>阿弥陀仏や他力の教えに興味もありませんでした。縁起や空に興味があっただけでした。
縁起や空に対する理解がなければ阿弥陀仏や他力に到れないんじゃないか、と思っているんですが。

564名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 19:32:32
>>562
またオカルトかい、ニューエイジかい。
言葉遊びだけで内容のない空虚な書き込みだなあ。
「空」の実践のつもりかい?
どうせなら、四国へ行って念仏中に本物の雨を降らしてくれ。
565名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 19:43:44
>>564 アゲ!旨い!頂きます!
566名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 20:09:29
科学研究体験を僧侶がすることは意義が深い。
567名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 22:35:35
>>566 具体的にはどのような分野で?
568けちゃっぷ:2005/08/21(日) 22:44:07
>>563 空や縁起を理解してなくても、阿弥陀様が救ってくださるという事実は変わりませんけどね。
しかし、いずれは極楽で阿弥陀様から空や縁起を教わるわけですから、予習しておくのもいいでしょう。
569けちゃっぷ:2005/08/22(月) 00:00:21
>>562 夢で、お寺に竜巻みたいな風をビュンビュンまとった鬼がたくさん出現したことがありました。そしたら突然阿弥陀様が現れました。
鬼はそこにいるままなんですが、阿弥陀様が現れた途端に鬼に対する恐怖がまったくなくなりました。
…たかが夢ですが、生身の人間みたいなリアルに生きている阿弥陀様に出会えたあの感覚は、一生忘れないでしょう。
570けちゃっぷ:2005/08/22(月) 00:08:27
目が覚めて夢が消えても、夢の中で体験した「感覚」は、胸の中にしっかり活きています。
見聞きしたことは夢の中の幻なんだけれども、残った「感覚」は、現実に今でも心に刻まれています。あの感覚があるかぎり、何があっても生きていける気がします。
571名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 01:06:50
風神を引き連れた阿弥陀の來仰か、ご本尊にして開教すべし
572けちゃっぷ:2005/08/22(月) 01:28:20
すべての法要を、黒如のみで行なってはいけないのでしょうか?
法衣を買い揃えるだけで檀家さんに負担をかけることになるのは、気がひけます。
次の世代の檀家さんのためにも、法衣を黒如のみにする運動をはじめませんか?
573名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 01:44:37
収入の問題が解決されれば可能かな?
うちの宗派は葬式のときに衣代を請求するお寺は聞いたことが無いので問題なし
ただ法事の時は御更衣料があるが大体1000円か2000円で個人的には
問題ないが、宗教的には霊に新しい服をあげられないので問題かな。
いずれにせよ金銭的なものが絡むので生半可にはいかないでしょうが、
よい試みだと思います。
574名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 01:45:59
現代科学文明の中で、僧侶の活動が葬儀中心に滞こうてしまっている
ことは非常に残念。
>>567 科学研究体験する分野は自己の興味ある分野が望ましいでしょう。
現代日本科学研究の重点分野は
地球環境、情報通信、生命科学、ナノテクノロジーの4分野であることは
紹介した。この分野には優秀な科学者が大勢集まっている。
そうい科学者との交流は非常に現代僧侶として意義深い。
研究手法も錬磨されているから、科学とは一体どういうものなのか、
自分なりの認識に到達できる筈だ。、
是非、日本の仏教界からの積極的な人の科学界への流入によって、二つの
世界の交流がよりよいものになってほしいものである。
そして、日本の僧侶の新たな質を高められることを希望する。
575名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 02:37:53
念仏が心身に与える影響を医学的に説明できたりすると、仏教と直接関係があるけど。
なんか、世間から坊さんが非科学的だとバカにされないために科学を学べ、と言ってるように聞こえます。
世俗の科学信者にごまする必要はないでしょう。所詮は裟婆世界の物理法則を説き明かすだけにすぎないし。悟りや往生に関係ないお遊びに力入れすぎてもなぁ。
576名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 02:43:01
>>573 住職の代が替わる時とかに、新しい住職や副住職のために法衣を買わないといけないですよね?
300万必要だとして、檀家が300件なら1件あたり1万円で買えるけど、30件なら1件あたり10万円かかります。
577名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 02:47:19
ただ、全国の寺が法衣を買わなくなったら、法衣店には大打撃になります。
578名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 03:19:36
そういえば法衣の安売りダイレクトメールがきてたな。
579名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 03:28:13
>>576
あくまでも檀家の気持ちであって絶対ではないと思う。七条が高ければ
五条でもいいし、ただ買ってもらっていたほうが檀徒が少ないお寺で
あればあるほど、要る物は後々自分で買わないといけなくなるので
ここは檀家さんのご好意に甘えてみてはどうでしょう。
自分で買うにはちと厳しいです。
それより入寺式のほうがお金が掛かりますよ。
580名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 03:37:52
>>574
科学研究体験する前に、浄土宗としてはまず教義をきちんと勉強するべきだな。
手ぶらで訪ねて行っても失礼なだけだし。
581名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 03:58:43
>>575, 580
あぁ〜だ、こうだと屁理屈言わずに、
まず、飛び込んで体験することが大切。
そういう流れが生まれるって有意義だと思うね。
葬儀仏教の滞りもなくなってくるだろう。
参議院議員の小泉顕雄上人も生物科学をやってた人だったよな。
582名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 05:56:42
ちょっと盛りあがったところで・・・。

外部の人間ですが、世界平和における浄土宗の意義、というのは見つけられないでしょうか?
私が思うのには

一、世界三大宗教でありながら、ほとんど大きな宗教戦争を起こしていない
二、特に浄土宗は、復讐を捨て平和と救いを選んだ法然上人が開祖である

この二点を強調して、戦争に疲れた人々に広められればすごく大きな力になる、この
言い方が悪ければ「多くの人を救える」と思うけどなあ。

583名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 07:52:21
>>582
抑、浄土宗の檀信徒や僧侶のほとんどが、
自ら望んで浄土宗を選んだわけではないんですが・・・

日本人には馴染み易いが、
世界宗教になるだけのものを潜在してるかどうか?

君は、念仏していますか? 
念仏を有り難い信仰だと受け止められていますか?
584名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 09:56:27
>>582
まず、世界でなぜ宗教戦争が起こるのか、
キリスト教やイスラム教の教義や歴史を知らないと話になりません。
「念仏で平和に」なんて言っても、
天台宗が「祈りで平和に」と言っているのと変わりはなく、
世界からはばかにされるだけです。
585名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 10:20:43
そうじゃな。宗教戦争とは国は違えども発端は同じよのお。
差し詰め日本では鎌倉時代の天台宗かのお?仏の教えもキリスト教も解釈様々なれど同じことなのだがな。
人間の愚かな限りない欲による戦争だな!
昔も今も何も変わりゃあせんがの。
586名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 10:32:23
>>仏の教えもキリスト教も解釈様々なれど同じことなのだがな

しかし、戦争に利用し易いかしにくいかという違いはあるでしょう。
どちらかといえば「仏教によって世界平和をもたらせないか」という問題意識なのですが、
ことに法然上人は奈良法師と山法師の宗教戦争を見た上で浄土宗を興した
のですから、その点にアドバンテージはないのかと?

私は門徒じゃありませんから(仏教徒だとはなんとなく思ってますが)別に浄土宗でも
もしくは仏教でなくてもよいのです。
ただ、あきらかにキリスト教・イスラム教・ユダヤ教の抗争が殺人の正当化に利用
されている今日、その対抗勢力/仲裁者/超越者/オブザーバーとしての仏教の地位
を考え直すべきだと思っているのです。
587名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 12:13:20
水さえ奪いあわないと足りない砂漠地帯の民族が生んだ宗教と、海の幸や水田の恵みが有って仲良くさえしてればそこそこ暮らせる地域の仏教とでは、根本的にちがうでしょうからね。
588名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 12:21:53
>>585
> 仏の教えもキリスト教も解釈様々なれど同じことなのだがな。
こういう理解の人間がする話は世界では相手にされません。
せいぜい日本のなかで言っている分には問題は起こらないでしょうが。
589!!!:2005/08/22(月) 13:22:24
>>587

今、ちょっと目が開きました。
今は世界中が、分け合うことさえできれば誰も飢え死にせずに済むほど豊かです。
だから、今こそ、一神教の他を排除する理由にされやすい宗教より、純粋に慈悲を
説く仏教、なかにも浄土宗の使命があるのです!!!


↑、てなことを言ってくれよ。
590名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 13:37:31
>>589
純粋な慈悲を説く仏教こそ、世界平和に貢献できる。
仏教の教えこそ、世界にひろまるべきだ。

だから、現世利益を説いて、人々の欲望を充たす方向ではなく、
欲望を抑え、自分さえよければというご利益信仰をいさめる、
もっと純粋な仏教が浄土宗には求められているのだけどね。
591名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 14:48:30
ただし仏教は無抵抗主義じゃない。法敵外道を調伏するためならやるときゃやる。
怒りや貪りからではなく、護法のためにやらねばならぬ時もある。
それが物部氏に対する蘇我氏、聖徳太子の例もある、日本仏教の伝統だ。
坊主にしたって日頃、諸民の葬式でお布施を頂いて仏飯貪る身だ。
外敵、国難の際にはすべからく馳せ参じて四恩に報ずる責務もある。
592名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 15:03:21
わがチベットでは、国王は僧侶であるため、いまだに宣戦布告をしていない。
なぜなら、「不殺生」を一番大事な戒めとする僧侶に、戦争しろと言うことはできないからだ。
だがそのために、特に一番最初に中国に抵抗した人たちは、まるで賊軍扱いだった。
また、かつて英国の侵略、清朝軍の侵略を受けて軍隊を近代化しようとしたこともあったが、一番の圧力になったのは寺院だった。
「われわれは殺生をしてはならない。慈悲の気持ちで毎日修行してお祈りすれば平和になる」と思っていたからだ。

【講演録】「チベットから見た中国問題」
桐蔭横浜大学教授 ペマ・ギャルポ氏の講演(要旨)
ttp://www.emaga.com/bn/bn.cgi?3407
593名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 15:06:50
あまり他宗教と比べない方がよいずらよ!キリスト教は新約聖書対旧約聖書の戦争で日本のそれと対して変わらないんだから。
仏教が世界を救うなんて絶対ない!無理!
宗教が戦争を引き起こすことはあっても戦争を止めるのはあなた方の心しかない!
594名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 16:37:41
>宗教が戦争を引き起こすことはあっても戦争を止めるのはあなた方の心しかない!

↑イマイチ意味がわからんな。「あなたの心」は宗教によっても導かれるだろ? 「宗教が国家と結びついたら」
ってんならわかるが。
チベットの例は現実はどうだか知れんが、国家と宗教が結びついた例だろう。さらにいえばいまのアメリカの政策
にもプロテスタンティズムの影が濃いし。

>仏教が世界を救うなんて絶対ない!無理!
さみしいこといいなさんな。普遍的なヒューマニズムじゃ平和なんか来ないんだし、仏教に期待しても悪いこと
はないだろう。

ホリエモンは「世界が豊かになれば平和になる」と言ってるみたいだが(今日の発言・北朝鮮問題について)
豊かになる過程でどう欲望を抑制するか、これに最も有効な哲学を持つ体系としては仏教が世界最大だと思う。
経済発展は経済発展で続けるしかないとして、その過程での個人の欲望の抑制。21世紀らしいテーマだと思わないか?

595名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 16:56:38
>>593
> あまり他宗教と比べない方がよいずらよ!
> キリスト教は新約聖書対旧約聖書の戦争で日本のそれと対して変わらないんだから。

まあ、この程度の知識だから世界平和に口出ししてもバカにされるだけ。
キリスト教が新約聖書と旧約聖書の戦争?
日本と変わらない?
596名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 16:57:06
心が歪んでいたら仏の教えも歪んで捉えるだろ?
宗教は関係ないでしょ?自分の心しかないですよ!絶対戦争はしない、って強い意志!謝罪なども必要ない!一部の人達の不満なんかは所詮根拠のない一部のたかりなんだから、
経済大国のお金が欲しいだけのたかり、
597名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 16:59:52
>>595 意味のないカキコ、プゲラ笑っちゃうねー!
598名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 17:03:30
>>597
恥かいたのを笑ってごまかすのか・・・
599名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 17:05:46
意味のないカキコよりましだ。
知性の欠片もないカキコよりましだ。
600名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 17:17:43
狭い宗教社会の中に浸かってるお前達の考える事は世間から見れば笑えます。
可愛いのお。いやいや純粋。素直。猿回しの猿!いやいや純粋。純粋。永遠にそのままで頑張ってくれ。大丈夫!宗教は否定しないがお前達じゃまだまだじゃ!
世間はなーんも期待してないから安心してじゃれあってろ!
601名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 17:48:04
>>599
ではあなたの知性を動員して、
キリスト教の旧約聖書対新約聖書の戦争とやらを
わかるように説明してくれないか。
602名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 18:30:46
ユダヤ、キリスト、イスラムの神は元々は同じ神じゃ!
新約聖書=イエスが新しく神と結んだ契約。
旧約聖書=神と結んだ古い契約。
イスラム=モハメッドに突然神が乗り移った預言者。
元々の神=ヤハウェの神。
それぞれの神のお告げの受け取り方が違った!
603名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 18:33:30
イスラエルやパレスチナには領土問題も絡んでおった。政治的な側面もある。
イラクはアメリカの介入への反発じゃな。いずれにしても一神教が災いかもな。
604名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 18:40:09
元々の神は同じだった。日本のそれと似てはいないか?
天台宗は法然がうざかった。ユダヤはキリストがうざかった。イスラムは完全に受け取り方が違った!ヤハウェの神の十戒は良く知っておろう?仏は半分よの?
605名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 18:43:10
なんならついでに天理教も教えてやろうか?
606名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 18:58:31
>>602
で、どこで旧約聖書と新約聖書が戦争をしているわけ?
607名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 19:01:24
>>604
> 元々の神は同じだった。日本のそれと似てはいないか?
全然似てない。
元々の神などという存在は日本にはない。
608名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 19:02:23
仏教と違うのは、仏教では「真理とはお釈迦様が発明したものではない」
一神教は「真理も含めて全て神様が創造したもの」この違いはデカいがな。
歴史は繰り返される、、、なのかのお。
609名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 19:08:47
>>604
> ヤハウェの神の十戒は良く知っておろう?仏は半分よの?
ははは、十戒の半分が五戒か。
キリスト教の戒律と仏教の戒律は意味が違うこと、
ご存じないんでしょうね。
知性あふれる書き込み、お疲れさまでした。
610名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 19:20:54
仏教とはお釈迦様の教えであろう。
平安時代に最澄の天台宗。空海の真言宗。
鎌倉時代には法然の浄土宗。栄西の臨済宗。親鸞の浄土真宗。道元の曹洞宗。日蓮の日蓮宗。様々な形に変わったが元々はお釈迦様だろう。
日本は一神教ではないが。伝わった教えの根本は?
611名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 19:27:32

みなさん智者ぶってますなあ。
612名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 19:33:17
疲れる奴じゃのお。五戒まで言わすのか?言っておくがわしは僧侶ではないからのお。お前達の仕組みには全く興味はないんじゃ。五戒=不殺生。不チュウ盗。不邪淫。不妄語。不飲酒。一般人には五戒も十戒も同じことに思うがな。
613名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 19:37:21
>>611 間違うなよ。わしは賢くはないぞ!ちょっと永く生きておるだけじゃ。だがのお疲れたぞ!またな。まあ信じる道を頑張れよ!
614名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 20:00:46
>>612
頼んでもいないのに五戒の説明お疲れさま。不偸盗戒ですね。
モーゼの十戒と、仏教の五戒とでは、戒律の持つ意味は異なりますが、
受戒をおこなう浄土宗ですから、その説明はできますよね、浄土宗のお坊さん。
615名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 21:02:07
一つ教えてやろう。わしは神父とは良く話しをするが神父は良く仏教の教えをキリストとだぶらせて話しをするぞ。浄土宗は懐が狭いなあ。世界に通用しないと言うのはお前達のような考え方じゃ!
仏の教えも神の教えも同じじゃよ!
聖書も読んでみるか?
616名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 21:10:21
>>614には誰も答えんのか?わしは浄土宗の坊さんじゃないから関係ないぞ!
浄土宗のお坊さん!
617名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 21:14:35
>>615
その神父は仏教のことをよく知らないようだな。
一神教と仏教では根本的に世界観が異なる。
618名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 21:15:05
御朱印 4冊目 をみれば浄土宗の坊さんの頭の中身がわかろう。
浄土真宗:知恵遅れ
日蓮系 :気違い
臨済宗 :ホモ
曹洞宗 :守銭奴
融通念仏:部落民
黄檗宗 :チャンコロ
時宗 :文永・弘安の役
だそうだ
619名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/22(月) 21:26:10
神父が仏教に詳しい訳なかろ?お前聖書に精通してなかろ?
お前は日本人!彼はスペイン人。
620名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 06:15:46
>>617
世界観が異なっても、世界そのものが違うわけではないから
極めて行けば同じ物が見えるはず
太陽を赤いと言う人もいれば黄色いと言う人もいる
それは世界観の違いだが、太陽は太陽の色なのだ
そこにキリスト教も仏教もない
身体を鍛えようとサッカーを始める人がいる
同じ動機で野球を始める人もいる
サッカーと野球では世界観がまるで違うが
それを極めて一流のアスリートとなった時に
そこに優劣があるだろうか?
心を鍛えようと浄土宗を始める人がいる
禅宗を始める人がいる。キリスト教を始める人がいる
極めてみれば同じ世界があるはず
ただ、合う合わないの相性の問題があるだけだ
朱子は若い頃禅宗にハマった時期がある
その後儒家の師匠に出会い禅問答を挑むも
その師匠は「間違っておる。聖賢の書を読みなさい」とだけ答えたそうだ
その後朱子は聖賢の書(孔子や孟子など)を読んで儒家として大成していく
彼くらいの実力があれば禅家でもそれなりになれたろうが
より儒教に相性がよかったわけである
自分が浄土宗であろうが禅宗であろうがクリスチャンであろうが
説く相手がその適性があるとは限らない
浄土宗僧侶であっても相手に禅宗として大成する見込みがあると思えば
禅宗を勧めるのが見識だと思う
比叡山に登った道元に当時の座主は
彼の禅僧としての素質を見抜き、栄西を訪ねるように勧めている
仏教の世界観が正しいわけでもキリスト教の世界観が正しいわけでもない
ただ、目の開いた人が語れば、どちらの言葉も正しくなる
621名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 09:14:56


こういう人も救わなければならないなのだから、阿弥陀如来も大変だなあ
622名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 09:52:06
↑こう言う人も救ってくださるんです。有難たや有難たや。
623名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 09:56:37
聖書の戒律は、神との契約をしたもの同士の間でしか成立しない。
異教の人間に対しては、むしろ略奪・暴行・殺人を奨励している。

人間を創造したと自称する基地神より、
人間の成れの果ての仏のほうが好きだな。
普遍的宗教なんぞ糞食らえ、でございます。
624名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 10:10:08
>>623
> 普遍的宗教なんぞ糞食らえ、でございます。

じゃあ仏教も糞食らえか
625名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 10:46:20
>>623こんなバカは相手するだけ時間の無駄じゃ!スルーじゃ!
626名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 11:24:16
宗教的境地では通じているという話を、戒律や宗教戦争の理由まで同じとか言うから話がこじれるんでは…
627名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 11:53:40
何か拗れたか?何も起こってはいないぞ。楽しくディスカッションしとるだけじゃ。のお?
628名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 12:13:25
「わが宗教こそ正しく、他は間違っている」と考えるから争いが絶えない。
わが宗教、わが宗派の意識があるかぎり争いの種はいつでもある。
どんな神、どんな仏を信じていようとも人は愛、慈悲、平和を大切にしなければならない。
629けちゃっぷ:2005/08/23(火) 12:18:20
他は間違いだとかどっちが勝ってるとかは、どうでもいいのにね。
原因があって結果があり、原因を変えれば結果が変わる。ただそれだけ。
630名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 12:54:19
じゃからわしが言ったではないか。お前達の心じゃと。何事も心次第じゃと思えんのかのお?
631名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 13:39:36
しかし、ケチャップ殿はええのお!わしゃ好感が持てる。
浄土宗スレの中にもお二方のような活きとるお方もおるんだのお。わしゃ幸せじゃでのお。
有難たや有難たや。
632名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 13:50:59
しかし、世界観の違いというのは大きい。
それが相容れないから戦争も起こるし、
キリスト教と仏教の戒律観の違いにもそれが現れている。
633愚者ぐしゃ:2005/08/23(火) 19:53:12
本当に信仰心を深めたひと同士はわかりあってる気がする
マザーテレサなんか、バリバリのクリスチャンなのにある意味超宗教的な偉人だった
そうは思いませんか?
法然上人が現代に生きていたら、また、仏教のない国に生まれても、苦悩したのち
なんらかの方法を見いだした
そうは思いませんか?
634名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 20:24:47
その通りだと思います。
教典も聖書も偏った見方で見てしまえばただの本、無垢な心で読めば宝の箱、
全てが尊く優しく生きる為の教科書、
635名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 20:55:16
>また、仏教のない国に生まれても、苦悩したのちなんらかの方法を見いだした

ここのところ。つまりたとえ方法は違っても、」普遍的なところで人を幸福に導くこと大事だろうね。
「我が神の教え」「我が宗祖の教え」と執着している限りは、「我がもの意識(エゴ)」のぶつかり合いは避けられない。
それに比べて愛、慈悲、不瞋恚、平静、忍耐、努力、分かち合うこと・・・といった徳目は古今・洋の東西を問わず、
大切にされてきた、人の幸福の要。
その普遍性が「絶対唯一の信仰」ではなく「諸仏の法」という言い方に表れているのだろう。
636名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 00:49:54
>>635
他の国の宗教を本当に学んだことのない方はのんきでいいですな。
637名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 00:53:10
>>633
宗教対立の現場を経験したことのない方は、
のんきでいいですなあ。
638名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 00:54:42
それほど日本が平和ということか・・・ありがたい、ありがたい
639名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 01:10:03
>>636>>637>>638
何妄想して勝手に決めつけてんだ?お前ら坊主に向いてない。早く肉体を離れろ。脳梅毒
640名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 01:13:31
言葉の乱れは心の乱れ
641愚者ぐしゃ:2005/08/24(水) 06:27:20
このスレにきて、いろいろ狂信的な書き込みもあったけど
>>のんきでいいですなあ
はじめてムカッとくるほどくだらん書き込みですね。
私がイメージする、一番エラそうで役に立たない宗教人のもの言いです。
自分だけは人と違う知識と知恵があるという訳ですね。
それを少しは愚者にも披瀝してくださいな。

642名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 09:51:37
>>636->>637意味を持たないカキコご苦労さん。あ〜ぁ、なんも言い返せないから意味を持たないカキコか! 本当に偏った見方しかできない方は不幸だねー。
643名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 10:13:44
>>635
愛が徳目というのは驚きました。
仏教でそれはありえない。
浄土宗僧侶ですか?
恥ずかしいからおかしなこと書くの控えて。
644教祖:2005/08/24(水) 10:33:49
おまえらみんながおかしいのだと気付けよニートども♪合唱
645名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 10:34:03
愛が徳目が恥ずかしい??
ここの浄土宗はもっと恥ずいぞ!
646名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 10:36:08
今度は「狂祖」じゃないんだな!
647教祖:2005/08/24(水) 10:45:52
ニートはイラクへいけ♪合唱
648名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 10:54:48
新説
ニートがニートにレスした。

649教祖:2005/08/24(水) 10:56:57
ニートには施餓鬼じゃ♪合唱
650名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 11:19:10
>>645
仏教で愛と言えば愛欲を示す。
もしかして知らないのか?本当に僧侶なのか?
かなり恥ずかしいから僧侶もやめて。
けちゃっぷ氏でも誰でもいいから指摘してあげて下さい。
651けちゃっぷ:2005/08/24(水) 11:29:51
>>650 たぶん僧侶ではないのでしょう。キリスト教的な愛のことを言ってるだけでは?
僕はモルモン教(アメリカのキリスト系新興宗教)の教会に約半年間週1で通い、外国人宣教師達に話を聞き、意見を交わしていました。
彼ら仏教知識は当然偏ったものでしたので、おもしろかったです。
652けちゃっぷ:2005/08/24(水) 11:37:46
外人だからというのもありますが、モルモン教のすごいとこは、お寺にも平気で勧誘に来ることです。
おかげで、普段関わりのない地元他宗派寺院の住職がこんなこと言ってましたよ…みたいな話もちょっと宣教師から聞くこともできました。
仏教を知らずに幼くして死んだ子供は地獄に落ちると言ってた坊さんもいたらしい。
モルモンでは、バプテスマ(洗礼)を受ける年令に達していない子供が死んでも、罪はないらしい。
653名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 11:38:31
けちゃっぷではないが・・・
坊主が「愛」を徳として捉えるのは間違ってるな。
世間で言う「愛」の意味で使ってんだろう。
仏教では「慈悲」と言え。
654名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 11:43:21
けちゃっぷ氏、うちにはエホバの信者も本を売りに来るし聖教新聞の勧誘も来る。
655名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 11:46:24
現代日本では、
「慈悲」を「愛」っと換言したほうが、
一般人には直感的にわかってもらいやすいんじゃないか?
656けちゃっぷ:2005/08/24(水) 11:48:59
モルモン教会に行って教えのレッスンを受ける前後には、かならずお祈りをします。僕もやりました。
さらに彼らの勧誘テクニックなのか、「来週まで1週間毎日お祈りをしてみてください。きっと“何かを”感じるはずです」と言われます。
ふつうに目を閉じて黙想しながら祈れば、“何かを”感じたような気になる可能性はあるでしょう。
特に他に信仰もたない人は、その“何か”がもしかしたら神様の愛なのか…などと、心のどこかで思ってしまうかもしれません。コワイですねぇ!
僕は聖書の神様は梵天だとみなしていますので、これからも仏教を守護してくださるようお祈りし、心の中で梵天に念仏を供養しました。
657名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 11:52:12
ではテレビなどで仏壇の前に座り「天国に行ったお父さんも・・・・」
と話すおばはんを目にするがそれも許すのか?
658けちゃっぷ:2005/08/24(水) 11:52:29
慈悲は抜苦与楽ですから、愛(愛着)とはちがいますけどね。慈愛とかならまだ通じるかも。
659名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 11:59:42
愛欲は激しい欲望で生に対する執着が根本であり 見るもの聞くものすべてを
欲しがる欲望ともなり、また転じて死を願うような欲望ともなる。
660名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 12:02:53
現代日本で、一般人にとって
愛というのは、愛着にも愛欲にもうけとられてないね。
慈愛は適切だとおもうが、日頃見聞きしない。
日本テレビ「愛は地球を救う」とかやってるでしょ。
我々仏教者の使う「慈悲」は、一般の人にとっては「愛」だよ。
浄土宗宗僧侶にとっての「極楽浄土」が、
一般日本人にとっての「天国」と同様であるが如しです。
細かなこと言ったって、一般人は無関心だし。
661名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 12:17:10
私は学生時代カトリックの高校生大会に参加してました。(カトリック信者ではない)多分無宗教、
そこで(愛)についての討論会がありました。キリスト教では愛は(寛容で情け深い)仏教では愛欲? 一般的な見解で言うなら仏教って変!
愛がそんな解釈だから若者が離れていくんですね、良くわかりました、
662名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 12:19:04
>>660
浄土宗ってそういう宗派なの?
それで良しとするの?
檀家の前でわかりやすいからと「天国」だ「愛」だと話しているの?
そんなこという僧侶を私は知らないよ。
なんか訳がわかんない。
おかしいよ。絶対おかしい。
意味がどうのというより僧侶としての立場を考えて。
663名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 12:22:10
>>661
カトリックの高校生大会に参加して無宗教はないんじゃないか?
愛についての討論会なんてまさに「カトリック」であって一般的ではないよ。
664名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 12:25:57
カトリックの愛は広い。
親子愛、異性に対する愛、隣人愛、他‐
仏教の愛は、愛欲…狭い考え方?捉え方の違いだと思いますが。愛をタブー視してた日本人の考え方じゃないかな、
665名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 12:30:28
カトリック高校生大会に参加したからカトリック?私、お寺の講話にも天理教の勉強会にも参加しましたよ。
参加したから信者ってとこが考え方が偏ってるって証でしょ!
666名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 12:33:23
キリスト教徒でもないのに教会で結婚式して神に愛を誓うくらい
日本人は無意識にキリスト教を受け入れてるんだよね。
「愛」が世間で普通に使われるのはそのぐらい宣教師が頑張ったということだ。
坊主が布教をさぼったという証拠でもある。
667名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 12:34:29
ある高僧の有名な言葉に
「愛語よく廻天の力あることを学すべきなり」
とあります。
668名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 12:39:36
ここのスレ見てると仏教が情けなく感じてくるよ。単に無学なの?ケチャップだけは違うと思ってたのになぁ、破壊的な坊主は居ないのかな?!
669名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 12:45:11
>>664
カトリックでいうところの愛を愛欲とは言ってない。
キリスト教の愛 = 仏教の慈悲 
僧侶だったら慈悲という言葉を使いなさいって話をしてるの。
仏教用語で愛といったら愛欲の意味でとらえられるから。
670名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 12:53:12
わかんない坊主だねー!今の世の中愛を愛欲とは受けないの!坊主は坊主に説法するの? 頭の硬い禿を坊主って言うんだっけ?
671名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 12:55:43
>>666にアゲ!賛成意見です。今度から坊主を禿と言います。
672名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 13:00:08
>>669読み直してみ。アホレスしてるよ。
673名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 13:03:25
>>662
> 浄土宗ってそういう宗派なの?
> それで良しとするの?
> 檀家の前でわかりやすいからと「天国」だ「愛」だと話しているの?

浄土宗は、そういう宗派です。
一般人が求めれば、加持祈祷でもおこないますし、
クリスマスだって否定はしません。
土地の習俗でも何でも取り入れます。
論理的矛盾とか教義よりも、人が求めるものにこたえるのが慈悲です。
674名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 13:05:54
おお、ここはキリスト教にかぶれた浄土宗僧侶のスレですか?
675名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 13:07:37
いい加減なのねー!じゃあ、愛についても柔軟になっていいんじゃない?
676名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 13:10:08
本当にいい加減すぎる。
浄土宗腐ってる。
677名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 13:13:28
>>664
> 仏教の愛は、愛欲…狭い考え方?捉え方の違いだと思いますが。
> 愛をタブー視してた日本人の考え方じゃないかな、

インドで始まった仏教の頃から「愛」の本質をそう見たのが仏教です。
愛を、人間存在の深いところから見つめれば、そうなのです。

結婚式で誓ったはずの永遠の愛が、
どうしていつまでの続くことはないのでしょうか。
美しく輝いている愛の、その本質を見つめたのが仏教です。
教えを知らなければ、ここの書き込みぐらいでは誤解しますけれどね。
678名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 13:20:55
インドの愛は日本の考え方(捉え方)とは違うと思う。それに何千年も前の事でしょ。一字一句解釈が間違ってないって言えるのかな?
どこかで歪んでいませんか?浄土宗ってもう少しおおらかじゃなかったっけ?
679名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 13:26:39
カトリックは離婚は出来ません。堕胎も避妊もダメです。
それでも離婚する方もいますが簡単にはいかないですよ。なんちゃって信者はすぐ離婚できますが、
680けちゃっぷ:2005/08/24(水) 13:32:12
キリスト教用語を日本語に訳する時にたまたま「愛」という漢字にあててしまったけど、もともと仏教で言われてた「愛」とキリスト教の「愛」は意味が違う。
「神」だって、たまたまキリスト教のゴッドを「神」の字にあててしまったけど、日本の神とゴッドは全然ちがう。
681名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 13:33:15
日本語でも「愛」とは昔は「愛欲」を指していた。
西洋文化が入ってきたときに、loveの訳語として「愛」を充て、現在一般に言う「愛」が生まれた…と何かで読んだ。
つまり「愛」という本質的な何かがあって、それの捉え方が仏教と一般人で違うというのではなくて、
単に「愛」という言葉の意味や使い方が違うということじゃないかい。
682名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 13:33:42
仏教は日本で完結したって言うけども、日本で歪んだとは受け取れませんか?
愛の解釈も五戒もしかり、モーゼの十戒とは比べられませんよね、
683けちゃっぷ:2005/08/24(水) 13:36:09
はい。
愛と慈悲はちがう。
仏教で愛と言う場合は、自分の気に入った相手や身内に対するえこひいき的な愛着。これは結局相手幸せのことより、自分が相手を失いたくないという、自分の欲。
684名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 13:42:20
だから宣教師が頑張ったからこういうことになっているんだよ。
浄土宗ももっと布教に力入れないと。
坊さんが天国だ愛だと言っていては駄目なんだ。
ちゃんと「極楽浄土」「慈悲」と言え。
坊主までキリスト教かぶれでどうする!
685名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 13:43:32
愛を徳目と書いた人、わかりましたか?
もう本当にはずかしいからやめて。
686名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 13:44:17
そのうち浄土宗の坊主は教会で結婚式するんじゃないの?
687名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 14:17:51
>>685
おまえ文脈を読む能力ない。本当に坊主に向いてないから今すぐやめろ。
死んで出なおせ。糟が
688名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 14:24:22
イワコデジマ イワコデジマ イワコデジマ
現世に執着を持って死を迎えると蛇の動きをする悪霊になって、
嘘つきで罪を重ねると狐の動きをする悪霊になるんだとさ。

>>686
お坊さんの結婚披露宴でタキシードど白のウェデイングドレスは
ふつうになってるよな。指輪の交換してる人もいるし。
西洋文化を受け入れているってことは、
結局、キリスト教文化を受け入れているってこと。
日本文化は混教交流がメリットってところある。
五木寛之が記事にしてた。
689名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 14:38:58
五木寛之が記事にしてたからなんなんだ。
690名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 14:47:47
このスレに本物の坊主っているの?浄土宗って世間知らずのお坊ちゃんボッチャンばっかし?ケチャップもええ加減だね。
691名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 14:59:14
>>690
2ちゃんねるのスレって、ええ加減だぞ。
Certainly だぜ。

真剣に浄土宗のこと知りたかったら、
それなりの僧侶の著作物を読んだり、
それなりの寺の門戸を開いてお坊さんと対話したり、
浄土宗檀信徒であれば五重相伝の儀式を受けることだね。
692名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 15:06:35
2ちゃんねるをまともだと思ってる人は
おめでたいよ
693名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 15:06:42
宗教戦争もやはり間違いとは言えませんね、そもそも地球上の生物の中で一番愚かなものが人間である!だから宗教が生まれたんだよ、一番正しいと思いたかったのか…愚かな生き物だと自覚しろ、という意味だったのか。。。私が信じるものは地球と言う神です。
694名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 15:52:09
>>693
そうすると、宇宙は君にとって神を超越する存在なんだ。
695名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 15:53:23
>>679
> カトリックは離婚は出来ません。堕胎も避妊もダメです。
愛がさめて、気持ちが離れていても、
離婚さえしなければ、それが愛なのか。
偽善としか思えないが。
696名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 17:00:59
下ヨシコって、
不動明王の真言唱えて浄霊してるな。
お念仏で浄霊してる霊能者って見た事ない。

霊能者から見ると「お念仏」ってどういう言葉と捉えてるんだろうな?
697けちゃっぷ:2005/08/24(水) 17:29:21
>>695 愛や恋という感情は無常だから、年月とともに変化してあたりまえなんですけどね。
年齢に応じた成熟した夫婦関係にシフトしていかないと。ラブラブじゃなくなったら別れたいなんて言ってたら、きりがない。
何のために結婚で「誓う」のか、苦しい時も助けあうつもりで誓うはずが、苦しくなったらポイ捨てが増えていますね。
698けちゃっぷ:2005/08/24(水) 17:37:44
>>695 お釈迦様は若かりし時に妻子を置いて出家しましたが、後に家族のもとに戻ってきました。
その時には完全に愛着を断っていたので、もはや妻子だからといって他人とは別にえこひいきする愛は全くなかったはず。
しかし、夫であり父である「責任」は忘れていなかったのではないでしょうか。
愛が冷めても、家族として慈しみあうことはできるはずです。
699けちゃっぷ:2005/08/24(水) 17:42:12
お釈迦様のなにげに偉大なところは、実の息子が弟子の中にいながら、その息子を教団の後継者にしなかったことです。
700名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 17:43:01
>>695の人生の課題は愛だな。臨終の際までには理解できるといいね。愛は愛欲じゃないよ。一般的にはね!一般的言葉で言えば愛は愛!
慈悲は慈悲!似通って勘違いしそうだけど、全然意味違う。坊主にはわからんのかね、
701名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 17:47:09
キリスト教が好きな人は
『法然 イエスの面影をしのばせる人』(井上洋治 神父)
をおすすめします。
なぜ浄土宗が「ええかげん」で「いい」のかということも書かれています。
702名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 17:51:16
>>700
世間一般にはそうですが、このスレでは「愛」を「愛欲」とする解釈もあって
当然ではないでしょうか?
そんなに一般的な話をしたい人がなぜこのスレにいるのかぜんぜんわかりません。

私じしんは仏教徒ではありませんが「愛」を一番広い意味にとることで見えなくなる
ことは数限りなくあると思います。
せめて「神の愛」と「男女の愛」くらいは区別しなくてはものごとを考えられないと思います。
そして、それらを超えた「愛」を知る人には「慈悲」との違いも意味をなくすでしょう。
すくなくともあなたはそのレベルに達してるとは思えません。
703けちゃっぷ:2005/08/24(水) 17:53:41
>>700 キリスト教でいう「愛」の意味を教えていただけないでしょうか?
一般的にいう「愛」とも、仏教でいう「慈悲」ともちがうみたいですが。
一般的に「愛してる」っていう場合は、家族や恋人など他人と比べて特別な存在に対して使いますね。
しかし「愛は地球を救う」などの場合は、慈悲に近い意味ですよね。
で、キリスト教の「愛」とは?
704けちゃっぷ:2005/08/24(水) 17:56:03
>>702 仏教徒側も、一般の方が区別しやすいように、仏教の「愛」を「愛着」とか「執着」と表現したほうが親切かもね。
705名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 17:56:13
ケチャップ君、最後が要らんな、愛が冷める=愛欲だろ。
愛は無限なんだよ。慈悲も無限だろ、似通ってると言ったのはこの部分ね、
ああ、ケチャップ君は坊主だったね、
706名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 18:00:27
愛は地球を救うの「愛」は隣人愛!
707けちゃっぷ:2005/08/24(水) 18:01:22
>705 神の愛のことではなく、男女の恋愛感情のことを言っていたので。男女の恋愛感情は、愛着・執着ですね。
自分が相手を手に入れたい、失いたくないという、愛着・執着が、男女の愛です。これは年月とともに変化してあたりまえです。
両思いとは、あくまで片思い同士がたまたま向き合っているだけです。結婚しても、あくまで他人のままです。一心同体でもなければ、自分の所有物でもありません。
708けちゃっぷ:2005/08/24(水) 18:04:43
>705 >706 ややこしいので、キリスト教徒側も、ただ単に「愛」と言わずに、「隣人愛」などのように区別できる言葉をつかってほしいですね。
709名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 18:06:50
すまん。ケチャップ君、私の幼い頃の付き合いが外国の方が多かったせいなのか、ケチャップ君の男女間の愛についても理解できないんだよね、違うんだよねー。
710名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 18:09:57
汝隣人を愛せよ、十戒の中になかったかな?ごめん記憶力が…
711けちゃっぷ:2005/08/24(水) 18:10:05
>>709 あなたに言うわけではないが、「違う」とか「間違ってる」とか指摘するくせに、正解や訂正を書かずに消える人がたまにいますよね。
何が違うのか教えていただけますか?
712けちゃっぷ:2005/08/24(水) 18:14:22
ハリウッド映画の中には、恋人や子供一人を助けるために、敵を何百人も平気で殺害する物語がありますよね。
あれってやっぱり「愛着・執着」ですよね。
713名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 18:19:57
恋の間の結婚と本当の愛の結婚とは全然意味違うでしょ?
異性に対する愛とは自分と全く同じ全て!愛には犠牲はない、伴侶の苦は自分の苦、伴侶の苦痛も分け合いたいと思うもの、過激な言い方だと命をかけられるものが結婚の愛だと思いますが!
714名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 18:22:19
キリスト教の結婚観は、”契約”なんですよね。
だから、「二人を死が分かつまでお互いに愛することを誓いますか?」って言う。

つまり、当然のことながら離婚は出来ない。
でも、どちらかが死んだら再婚は出来る。
”契約”なんだから。
715名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 18:24:24
自分の命を分け合っている相手と簡単に離婚なんて考えられんでしょ!恋は何時かは冷める。愛に変化するか消えてしまうか、恋を愛だと勘違いして安易に結婚するから離婚なんてね、
716けちゃっぷ:2005/08/24(水) 18:25:04
>>713 そんなつもりで結婚すると、生命をかけられるほどの愛着が時間とともに過ぎ去った後に、離婚するハメになりますよ。
恋人の名前をタトゥーで入れて、あとでレーザーで消さなきゃならなくなる。
愛が過ぎ去っても仲良くくらしますというのが、結婚の誓いでしょう。愛が過ぎ去ってしかも仲良くできなくなったら、離婚も止むを得ないけど。
717:2005/08/24(水) 18:36:00
>>恋は何時かは冷める。愛に変化するか消えてしまうか、

それとまったく同じ、一文字も違わないセリフを10年以上前に信じてたことある。
でも、10年たっても、「愛に変化する恋」なんて見つからなかった。
恋愛には個人差があるし、そう簡単に人のものを実感することはできないけど、
執着から「神の愛」に近いアガペーな愛に変化する、ということは理解できます。
親子の愛なんかは最初からこれに近いかも知れない。

しかし、この「恋愛という制度」(柄谷行人みたいだな)が、「ないものねだり」
になって苦を生んできたことも事実でしょう。けちゃっぷ師みたいに「ない」と
決めてかかられるのも極端だけど「ある」ことを前提にされすぎるのも・・・。
たとえそういう「愛」であなたが今幸福だとしても、誰でもが実感できるとは
限らないし、「誰でもが実感できる」という物語は時に苦を生むと・・・・・・・・・
繰り言になっちゃった。ちえっ。
718名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 18:40:22
愛しているから結婚も出来るし、多少のことも受け入れられる。
愛は時間によってだんだん冷めてゆくけど、
お互いを受け入れることで、またより深く愛せるようになる。
それが成長。
719名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 18:48:45
恋だの愛だのと、恋愛の処女たちが騒いどる。
実践すれば否応なしにわかってくるぞよなし
720名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 18:55:28
>>719舐めるなよ!
お前が一生かけてもわからんことでも
若くして悟っている奴もおるぞ!
年は全く関係ないんじゃよ!どこまで追求して思い悩むか、悩んだだもんの心情は悩んだことのない奴にはわからんて!
721名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 18:58:26
>>718矛盾にきづかんかな?愛は冷めるけど深くなる?冷めてないじゃん!
722名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 19:02:54
>>721 違うよん。
ほおっておけば冷めてゆくっていう意味。やかんの湯が冷めてゆくようなものだね。
相手のことをどう受け入れるかで、加速的に冷めることも、逆に暖まることもある。
”氷”と見るか”火”とみるか。

ちょっと言葉足らずでした。ごめんね。
723名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 19:25:31
良くわかりましたV その通りなのかな、きっと、
724教祖:2005/08/24(水) 19:54:03
わしの教団に入って愛の蜜儀を体験せよ♪合唱
725名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 19:56:06
>>720
浄土宗は無知の知じゃかいのか?
悟っていると思う事自体増長慢と説教していた浄土宗の坊さんがいたが。
ただ無心に阿弥陀に全て身を任せれば救われるのではないのか? 
726名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 19:58:27
しかし、面白いものです。高校生大会で神と仏、愛と恋、
キリストの愛とは
キリストの思いは
などとディスカッションしてたことを今また今度はお坊さんと話してる。人生っていろんな縁があるんですね。聖書も仏教も全て正しいと思ってます。
天理教も歪めて考えなきゃ正しいと思ってます。
仏教の誇りを持って布教活動(説法)?
頑張ってください。
727名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 20:09:52
>>725
基本的にはそうだろうね。
「ただ一向に念仏すべし」信者ならそれでいい。
特に布教することなく、篭って念仏している僧侶も
それでいい。。

ただ、他人に布教しようと思うのなら、
やはり経験や知識が必要だろうね。
728教祖:2005/08/24(水) 20:14:16
わしの教団にくるのじゃ♪合唱
729名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 21:14:51
バカ教祖。神さまスレが呼んでっぞ!
730名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 22:10:05
>>726
聖書も仏教も、人間の悪業の取り繕いから生じたものです。
宗教も教典も捨て去ることです。
731名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 22:13:06
>>730
捨て去れば新たに道徳的範疇が必要になる。
宗教なしには秩序は存在し得ない。
732名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 22:44:37
>>731
社会的見地からでなく、個人の心の在りようから「 宗教も教典も捨て去る」というのです。
真っ裸の自分の本性を見つけることです。
733名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/25(木) 17:25:43
しかし、パレスチナへ行って
「みんなで十念しましょう、念仏すれば世界は平和になります」
なんてこと言わんでくれよな。
石投げられるぞ。

それから「阿弥陀さんが、みんなを救う」
なんて言うのもなしな、袋だたきにあう。
734名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/25(木) 17:41:27
いいじゃんよ。勝手に行ってもらえば。石ならいいけどねー石なら...
平和って怖いねー!
735名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/25(木) 17:47:33
一つ積んでは父のため
二つ積んでは母のため
かわらで石を積めば垂迹となり救いたまう
736名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/25(木) 18:20:34
>>733 すでに信仰もってる人より、まず特定の信仰をもっていない人に布教して、念仏者を増やすすべきですよね。
そして、たとえテロで殺されても、念仏者は報復しない。これを徹底する。その積み重ねで平和を拡げていく。
念仏の声するところはみな法然さんの遺跡であり、世界の中でそこだけは平和な場所となるように。
737名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/25(木) 19:58:35
日本も決して平和ではないぞな。今夜隣りの人が殺人鬼にならぬとは言えんぞな。お坊が絶対犯罪を犯さんと言えんぞなもん。
738名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/25(木) 20:40:28
>>736
実際は念仏者どうし罵りあい、陰謀の画策のし合い。念仏の声するところ魑魅魍魎の跋扈する場所であるわけですが。
739名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/25(木) 22:29:46
儒教では仁という言葉をよく使いますね
仁は性、愛は情だといいます
情である愛はその時の状況でうつろいますが
性である仁は一貫してその人の思考行動原理となります
儒教とは何か?と言えば、つまるところ
その仁の性を磨く工夫にあって、それが義礼智と言った徳目を伸ばすわけです
ところで、その仁をキリスト教の愛、仏教の慈悲に読み替えてみるとどうでしょぅか?
結構しっくりと来るはずです。
念仏とは何か?仏教の修行とは何か?教義的にはいろいろと言われますが
つまるところ性を磨くことです
自分の行動=(外部からの刺激×性)÷煩悩
と方程式に表せば、性を磨き、煩悩を減らせば自分の行動が洗練されていくと表現できるでしょう
どの宗教を選択するにせよ
ただただ、性を磨く工夫を進めていくのが素晴らしい事だと思います。
740名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/25(木) 23:12:50
>>739
> ところで、その仁をキリスト教の愛、仏教の慈悲に読み替えてみるとどうでしょぅか?
> 結構しっくりと来るはずです。

またまた、おめでたいのが現れたなあ。
内容を知らないから、そんなこと言えるんだなあ。
恥かくから、他では言わないようにね。
741名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/25(木) 23:31:30
740にアゲ!私も違うと思います。
性?複雑な言葉使いだけど、意味合いが全然違うんじゃないか?
742名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/25(木) 23:33:37
なんで?性のことにキリスト教が何故絡むのか理解できね。
743名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/25(木) 23:56:35
カトリックは神父さまで牧師ではないから結婚はできないって知らないの?
シスターは神と結婚するからシスター勿論処女です。
神父さまの場合は神学校の間は、、、?卒業して世界中のどこかに配属されて神父になってしまったら一生女は×です。
744名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 00:00:06
キリスト教の愛には愛欲は意味していません。男女の愛を認めてないってのとは違いますよ!戒律が厳しいと言う事です。
745名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 00:06:25
浄土宗にキリスト教持ち出すなよ。
一緒にしてんじゃないよ、失礼な。
746名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 00:14:31
どんな宗教を信仰するのも心、どんな思考、議論をするのも心だ。
神を信じる人も、仏を信じる人も、何も信じないことを信じる人も、すべて心の働きである。
この心の働きをよく知り、よく統御できるとき、何宗に属しようとも知恵のある人と言われる。
747名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 00:18:56
心の統御とか制御とか、言葉では軽率に使えるが、
果たして、そんなことできるのかね?
748名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 00:25:43
あるがままが一番でしょ、虚栄心や猜疑心を持たず、自分自身あるがまま、愚かな人間なんですから、自覚して開き直ってあるがまま!
749けちゃっぷ:2005/08/26(金) 00:48:48
本気で心を制御したいなら、大乗でも上座部でも、聖道門各派にすばらしい修行法があります。いくら本を読んで勉強しても、実践しなければ心のテクニックを身に付けられません。
浄土宗は、心を制御する実力のない人でも救われる教えです。だからといって、煩悩即菩提などと煩悩を肯定するわけでもありません。
題目で仏性が開くなどと抽象的なことを言って、煩悩があるままで即身成仏気分を味わうわけでもありません。
煩悩に関しては、あくまで仏教の基本的立場のまま、否定します。心を制御したほうがいいという考えのままです。
750名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 01:08:56
>>749
「心を制御する」とは、具体的にどういうことなの?
「心」とは、一体なんなのか?説明できますか?
かなり、未知の部分があるとおもうんだが・・・
751けちゃっぷ:2005/08/26(金) 01:37:50
>>750 人間は(というか総ては)、5つの構成要素(五薀)が仮に結び付いてできているのです。
その5つとは、色・受・想・行・識です。色とは物質的要素、つまり肉体です。あとの4つは精神的作用です。それら4つをまとめて〈名〉ともいい、五薀のことを〈名色〉ともいいます。
この〈名〉が心ではないでしょうか。しかし名と色は密接に関わって影響していますので、心の制御には肉体の制御が伴います。
752けちゃっぷ:2005/08/26(金) 01:43:41
「(個人存在を)構成する五つの要素(五薀は)は、完全に知られて、根だやしにされて存続している。
生まれることを繰り返す迷いの生存が滅びてしまった。
今や迷いの生存を再び繰り返すことはない。」
…『仏弟子の告白―テーラガーター―』より、サーミッダ長老の詩句
753名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 01:46:34
>>751
果たして、それで「心」を理解してることになるのかい?
もし、その程度で理解したことになるのであれば、
「心」病める人々の治療も容易だろうに、
結局、抽象的な説明に過ぎず、制御には到底至らない認識だと思う。
「心」を探究せずして、「心」を語ろうとしているよ。
仏教書の受け売り。
754けちゃっぷ:2005/08/26(金) 01:52:18
「かつては制御し難かったが、いまや自制によって制御されているヴィーラ(勇者)は、満足し、疑惑を超え、勝利者となって、恐怖をいだくことがない。
かれヴィーラは、完全に安らぎを得て、自ら安立している。」
  …ヴィーラ長老
「わたしの貪欲はすべて捨てられた。わたしの怒りはすべて根絶された。わたしの迷妄はすべて消失した。
わたしは清涼となり、平安となっている。」
  …ラッキタ長老
755けちゃっぷ:2005/08/26(金) 01:56:56
>>753 ですから、本を読んだだけで理解できるものではありません。ブッダや長老達のように、瞑想によって覚ったなら、はじめて理解できることなのです。
五薀の存在や関係性なども、はじめからその概念があったのではなく、瞑想による心身の観察の中で発見され、体系づけられて説かれたものでしょう。
756けちゃっぷ:2005/08/26(金) 02:01:58
知識を認識することで制御するのではありません。瞑想が熟練してはじめて認識でき、制御できるようになるのでしょう。
いくら運転の教本を読んでも練習しなきゃ運転できないのといっしょです。
757名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 02:08:02
だれでも心の制御は学んできたことだ。別に心理学の研究をしなくても。
子供の頃に泣きわめいて、怒り散らしたこと、誰でもあるだろう。
大人になって会社や子供の前で、泣きわめいたりしてるか。してない。
学んできたことを、忘れいてるのだ。
しかし大人になっても感情をコントロールできずにキレたりする人がいる。
たとえ普通の人でも心の葛藤と不安定を誰でも経験している。
心を統御することは誰にでも必要なことである。
子供から大人になる過程で嫌が上にも学ばされたことではなくて、自分自身のために自発的に取り組むべき課題だ。
758名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 02:24:13
>>751
> >>750 人間は(というか総ては)、5つの構成要素(五薀)が仮に結び付いてできているのです。
> その5つとは、色・受・想・行・識です。色とは物質的要素、つまり肉体です。あとの4つは精神的作用です。

わかって説明してるのかいな。そんな答えを求めてるとは思えんが。
じゃあ、受・想・行・識の4つの精神的作用って、いったいどう違うのか、
素人にもわかるように教えてくれないか。
759名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 03:01:07
自分の心の在り様を、他者に教えられたからといって
何が分かろうか?
自分の心の動きをよく見つめてみることです。
五感を通して得たものに対して、心がどう動くのか。
それは誰かに教えて貰うものではなく
自分自身が考え、実感することで段々分かっていくものです。
760名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 03:17:00
>>759おっしゃる通りです...が、
面白い坊さん問答だったのに邪魔せんといて! 楽しくに拝見してたのに、
761名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 08:59:05
個人の生活と人類全体の活動との別があるように、
「個」の心と「集合体」の心もある。
「個」の心が本人の瞑想の熟練によって制御されるように思えたとしても、
果たして、「集合体」の心をわかることはできるのだろうか?
水滴1滴の動きを理解し制御したと思っても、
大河の動きを理解し制御することはできないだろう。
非常に複雑な系の中に我々は生かされている。
762けちゃっぷ:2005/08/26(金) 12:51:44
>>758 〈受〉は感受作用です。鼻の粘膜に物質が付着したできごとを、知覚します。人は、自分の身体だから受が及ぶのか、受が及ぶ範囲を自分の身体だと思ってるのか。
〈想〉は、対象を思い浮べる表象作用です。鼻が感じた物質の成分を、たとえば数値として認識してもいいのですが、人の場合は臭いとして感じます。さらにその臭いが「いちごミルクだ」などと具体的なイメージにつながります。
臭いしか感じてないはずなのに、すでに映像まで想い浮かべてしまいます。
〈行〉は、意志や欲求などです。「いちごミルクか。飲みたいな」等と心が動きます。
〈識〉は、これらの心作用を統括する判断・認識・記憶です。
臭いが入った瞬間に、識の持つデータの中からいちごミルクの記憶が検索され、それが飲み物であることや、好き嫌いの評価の記憶も、出力されてきます。
色と識の間のキャッチボールを、受・想・行が間に入ってくりかえしているのです。
763名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 13:08:02
>>762
けちゃっぷよ。
茂木健一郎の著作を読んでごらん。
その程度の認識で「心」は捉えられないのだ。
もっと緻密な科学的理解が進められているのが現代なのだ。
764名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 14:22:16
>>763
>>758素人にもわかるように教えてくれないか。
って書いてあるだろう。頭悪いな。
765名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 15:03:21
>>762
よくわからないのですが、
体に針が刺さった時に、痛いって感じるのって、
それは受なんですか想なんですか?

例に出された匂いの場合、鼻の粘膜に物質が付着って、
自分ではなにも感じないじゃないですか。知覚って言えるのかな?
それを匂いと感じてはじめて想なら、
体に針が刺さって何も感じない知覚と、
痛いと感じる知覚とをわざわざ分けるのですか?
よくわからないですね。

それと、識というのも、統括する判断というのがわからない。
インドの当時の分析でしょうが、
今でもその分析によっているということなのでしょうか。
766けちゃっぷ:2005/08/26(金) 17:46:33
五薀(ごうん)は、瞑想による自己観察の中で発見されたものです。実際に瞑想しているお坊さんの説明を読んでみましょう。
http://www.j-theravada.net/pali/key-pancakkandha.html
ちなみにこのサイトを運営するテーラワーダ仏教協会は、浄土宗を含む大乗仏教を否定する立場です。
まぁそこはとりあえずおいといて、実際瞑想を実践している人の説明を読んでみましょう。
767けちゃっぷ:2005/08/26(金) 18:03:16
>>765 受はすべて痛みだということですから、受は、痛みをキャッチするはたらき、痛みに気付くはたらきではないでしょうか。
想は、その痛みをキャッチした場所や強さから、この刺激は臭いだな、と痛みを臭いに変換するのでしょう。
768けちゃっぷ:2005/08/26(金) 18:11:50
受の起こる場所(刺激の入り口)は、眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の〈六根〉です。
これに対して、六根からの刺激を認識するのは、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識です。
眼根から光の刺激が入っても、眼識がなければ光を色彩として認識するはたらきが起こりません。
769けちゃっぷ:2005/08/26(金) 18:14:20
眼識〜意識の六つを、〈六識〉といいます。
770名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 18:49:04
疑問スレにきてほしいです
771名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 18:51:32
江戸時代辺りの医学書みたい。
772けちゃっぷ:2005/08/26(金) 19:03:18
>>771 あくまで、瞑想やヨーガの実践で発見されたものです。
よく深層心理と比較されるアーラヤ識の存在なんかも、ヨーガの実践の中で実際に心がそのレベルまで入っていった体験から、説かれるようになったのです。
773けちゃっぷ:2005/08/26(金) 19:16:46
仏教が五薀を説くのは、変化しつづける五薀という現象を、まるで自我であるかのように錯覚することが、苦悩の原因だからです。
苦悩の原因を消して苦悩を消すのが、仏教の目的です。根本的な苦悩の原因を消すのに役立つ教えだから説くのです。ですから医学とはジャンルがちがいます。
病気を治療するテクニックや知識をいくら知っても、病気になりたくないという恐怖が消えないかぎり、根本的には変わらないのです。
とはいえ、瞑想で五薀が空であり、「わたし」という存在も幻だと覚って、それによって恐怖が消えるようになるのは、とても難しいのです。
恐怖が起こる度に、口になむあみだぶつ・心に往生するぞと念仏しましょう。病気で死んでも往生できるからたいした問題ではないと思いましょう。そう思えば、思うたびに恐怖は消えます。
でもまた恐怖は襲ってくるでしょう。安心してくださあ。恐怖が起こったら、また念仏すればいいだけのことです。生きるって簡単だね。
774名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 19:41:41
お気楽一番!脳天気一番!賢い人は不幸。悩むな悩むな早いや遅いか地球上の生物はいつかは滅するのじゃ!
775名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 19:44:37
ノウタリン
776名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 20:49:08
ノウタリン大学
777名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 20:51:11
よかった♪脳が満ち足りてなくて♪
778名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 20:53:20
今日は教祖出てこないなー
779名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 21:01:44
教祖は死にました。南無ー。かなりの粘着だからゾンビで復活・・・するなよ!
780名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 21:18:08
「たとひ一代の法をよくよく学すとも」
どれほど勉強して知識を得ても
使いこなせなければ、意味ない意味ない。
781名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 21:33:42
>>766
別に瞑想が、五蘊を知るのに必要だというわけではないでしょう。
お釈迦さんがさとった内容なのだから、そこに至る方法まで規定する必要はない。
上座部の瞑想は、上座部の瞑想であって、お釈迦さんと同じというわけでもない。

でも、ここの説明からすると、
受が鼻の粘膜について、それをいい匂いと感じるのが想、というのとは説明が違いますね。
感受作用全体を受として、想は知識としている。
しかも受はぜんぶ痛みだとするのって強引な論理に思えますね。
美味しい物食べても、食べ過ぎると苦痛だから、「美味しい」は苦痛の始まり?
いい香り、というのも苦痛の始まり?
782けちゃっぷ:2005/08/26(金) 22:09:23
刺激は刺激なのに、その刺激パターンの違いで一喜一憂してストレスの要因になっているということでしょう。
783名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/26(金) 23:05:54
>>782
そういうことではないと思いますが。
784名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/27(土) 09:47:04
ケチャップってなんやようわからんお人ですね。
坊主なんすか?
なんちゃって‥ですか?
時々 本に書かれてるまんまじゃん!って思うとこもあるしなー?ケチャップさんどうでっか?
785興味@日蓮宗葵講 ◆X872v3FaeI :2005/08/27(土) 12:22:54
けちゃぷは坊主だよ、畿内のね、久々に来たら菅ちゃんも暴れてる。

で、けちゃぷさんは極楽往生できるんですか?
786名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/27(土) 12:40:16
官ちゃん?おましたか?見かけてまへが?
787けちゃっぷ:2005/08/27(土) 12:46:46
極楽往生はまちがいありません。
788けちゃっぷ:2005/08/27(土) 13:04:52
>>784 基本的には本に書かれてるまんまですよ。
789名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/27(土) 13:05:43
極楽世界も地獄世界も差別無し。畢竟不可得の故に。
790けちゃっぷ:2005/08/27(土) 13:31:01
日常生活の中では、念仏が大切です。念仏するために生きています。
一度念仏のための人生にシフトしてしまうと、もう極楽も地獄もあまり気になりません。人生には2種類の時間しかなくなる。「念仏」と「念仏以外」のみ。
とにかく毎日「念仏」の時間があれば、その日はOKです。
念仏を通して、「今の僕はOKかな?」と確認します。何があっても、念仏してみて念仏できれば、「だいじょうぶ。何の問題もない」と念仏が応えてくれます。
791興味@日蓮宗葵講 ◆X872v3FaeI :2005/08/27(土) 14:22:48
菅ちゃんは病院かな?
体調よくないみたい、創価学板の葵講スレか地震板の尼スレにいるんでは?
792待乳山:2005/08/27(土) 14:23:30
>>790
[念仏してみて念仏できれば、「だいじょうぶ。何の問題もない」と
念仏が応えてくれます。]
念仏の中に生活を生かしておられる!
793興味@日蓮宗葵講 ◆X872v3FaeI :2005/08/27(土) 14:40:17
菅ちゃんはここらへんです

菅ちゃん隔離スレ
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1122524462/

【万邦】日蓮宗葵講と創価学会14【協和】
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1124582415/
794名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/27(土) 16:48:04
「念仏をすると無限地獄に落ちる」といった坊さんが800年ほど前にいたそうですが、
それは「無限に念仏を続けなくてはならない」という意味なのか、「極楽を目指して自殺
するから自殺者が落ちるのは無限地獄」という意味なのか、どっちなのか定説があった
ら教えてください。
795名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/27(土) 17:28:59
>>794
両方とも、日蓮の作り話ですね。
創価あたりの定説ならしりませんが。
796名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/27(土) 17:37:33
「無限地獄」ではなく、「無間地獄」です。別名「阿鼻地獄」。八大地獄の最下位で、五逆罪を犯したり仏教を誹謗するなどした極悪人が墜ちる地獄だとされています。
日蓮さんが、「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」と言って他宗派を非難しました。
797名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/27(土) 17:43:40
日蓮さんは、法華経こそがお釈迦様の説きたかった真実の教えで、他のお経は法華経に導くための方便だ、だから他のお経は捨てて法華を信じろ、と説きました。
浄土三部経に代表される念仏の教えは、真理を理解できない人でも念仏のみで救われると説いていますので、法華を信じる必要はありません。
日蓮さんは、法華を信じず念仏のみでいいなんて言うのは、お釈迦さまの教えを誹謗する極悪人だと考えたのでしょう。極悪人だから、おまいら無間地獄に墜ちるぞ、と。
798794:2005/08/27(土) 18:11:12
回答ありがとうございました。
フムフム
日蓮さんは「おまいら」と言った、と _φ( ̄ー ̄ )メモメモ
799名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/27(土) 19:43:20
仏の名前を称えるというのは仏名経というものもあり、
仏教の伝統の中にあります。
しかし、お経のタイトルをとなえるという題目は、
仏教の伝統にもなく、日蓮が考え出したもの、
おそらく念仏のパクリでしょう。
だからこそ、よけいに念仏を攻撃したのでしょうね。
自分がマネをした元を否定することによって、
パクリをごまかす、そういうことです。
800名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/27(土) 19:46:43
>>799
もっとも、日蓮の説く仏教が異質だということがばれた今では、
釈迦仏教はもはや古く、日蓮こそが本当の仏陀だ、
なんて開き直っていますが。
801名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/27(土) 21:00:59
おこらないで聞いてください。
私の仏教各派の皮相な解釈は
浄土宗・・・・念仏して阿弥陀仏に救っていただく
浄土真宗・・・もう救われてるから感謝の念仏と他力の自覚
禅宗・・・自分を無にして悟りを開け
真言宗・・・仏と一体になれor自ら仏となれ

日蓮宗・・・蓮華教にすべてがある

どうも、日蓮宗だけ自信がないのですが・・・いや、ここで聞くのもアレですが・・・
802名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/27(土) 21:50:44
>>801
> 日蓮宗・・・蓮華教にすべてがある
>
> どうも、日蓮宗だけ自信がないのですが・・・いや、ここで聞くのもアレですが・・・

日蓮宗・・・日蓮の法華経理解がすべて
803名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/29(月) 23:50:58
全国浄土宗青年会 第1回全国大会 疲れた。
804名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/30(火) 09:12:45
全浄大会にみんな参加してるのか?

日蓮宗から発生した「顕正会」って、また大変なカルト教団なんだね。
805名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/30(火) 22:11:09
浄土宗のみなさんは、選挙はどうするんですか?
俗世の権力はムシですか?

公明党に入れないことはわかりますが
806名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/30(火) 22:20:02
政治は損得の世界だから、信仰が同じでも利害が対立することはあるし、その逆もある。
学会嫌いでも公明党は嫌いじゃない、とかもあり。
807名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/30(火) 23:45:07
全浄中央研修会だよ。毎年8月末に行われるが、研修とは名ばかりで、
酒池肉林。
808名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/31(水) 06:55:20
>>807
酒池はまではともかく肉林まであるですか!
809名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/31(水) 10:50:36
>>808
当然!それが楽しみで地方から出てくるのに。
810名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/31(水) 17:02:46
夜回り先生、水谷修さんのお話はかなり重い内容だった。
お坊さんに慈悲の心を持って子供達の心のケアを担ってほしいと
切望されていたが・・・
ほとんどの僧侶が志や資質があって僧侶になってるわけではなく、
出家というより継家のために仕方なくこの道を歩んでるものばかり。
「心の時代」と言われるこの時期に、自分のようなものが
僧侶になってよくなかったなぁ〜とつくづく思いながら、
話を聞いていた。
811名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/31(水) 17:20:29
>>810 仏教を浴びつづけて自分を洗脳して生まれかわりなさい
812名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/31(水) 17:27:12
>>811
お、高慢な発言してきたな。
お互い愚者の自覚をもって念仏しよう。
813名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/31(水) 18:53:55
継家、、、本当にそれだけなんでしょうか?
嫌なら全てを捨てて違う世界に行けるでしょう?
あなたは選ばれたとは思いませんか?
寺に生まれようと継いでいない方も沢山おられるでしょう。あなた自信の選択ではなく選ばれたんではないですか、
ご縁ってやつに、
814名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/31(水) 20:29:22
>>810
そんなことは考えずに、ただ念仏しなさい。
念仏さえしていれば、問題は解決します。
それが浄土宗。
815名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/31(水) 21:33:12
>>814
念仏して問題が解決した体験談を聞かせてください。
816けちゃっぷ:2005/08/31(水) 22:30:29
どんな問題も、念仏してれば往生できるから問題じゃないという意味じゃないのでしょうか?
817名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/31(水) 22:34:22
>>808
勘違いするな。肉林の肉は食べる肉だ。
柔肌ではないのだ。
818名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/31(水) 22:57:43
>>817
勘違いしてるのもいたよ。
819名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/31(水) 23:06:10
やはり。。。ジュルッ
820豆豆龍:2005/08/31(水) 23:13:33
酒池肉林は殷の時代に酒の池に船を浮かべて数多の男女が不特定の相手と
時の経つのも忘れて交わる故事から来ているが、木々に肉(ハム)をぶら下げて
空腹になったら食べていたのも事実らしい。
要するに食事をする時間も惜しんで情事に明け暮れていたらしい。
821名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/31(水) 23:20:24
>>810
真宗が夜回り先生を講師に呼んだら浄土宗もあわてて真似とはプゲラッワラワラ
822名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/31(水) 23:25:54
噂の真宗禿だな
823名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 01:50:45
>>821
しかし、珍しくまともな講師を呼んだな。
真宗のまねでも、その点はほめられる。
浄土宗というと、タレントや落語家やスポーツマンやアナウンサー、
そんなのばかりで人集めして、内容は二の次という印象があったが。
824名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 09:32:37
>>823
そうなんだ。
桂三枝の穴埋めに、岡本さんを2回講演させる必要あったのかねぇ?
825名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 09:39:45
>>808-817
いやいや 異説もあろうが肉林は男女が激しく交わり合う様を
表現しているとも受け取れるんよ。
だから、808は間違いとはいいきれんなぁ
826名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 09:46:36
>>816
それは、アンタの教義だったらそうだろうよ。
果たして >>814 の真意は?
827名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 10:05:10
結局、運のツイテル人は、恵まれているゆえに人にもいい事をしてあげられる
だけの余裕がある、よって徳を積みますます運が良くなる、まさに良い循環。

一方、運のナイ人は、恵まれていないがために心がすさみ人に色々と施しを
してあげる余裕がない、よって自分が生きるためだけに精一杯な人生となり
、人に何かを施してあげるのではなく人に施しをしてもらう側となり
結局徳を積めず、運はよくならず、来世も悪くなる、まさに悪循環。

やっぱり、世の中、不公平にできてるね。
828名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 10:28:34
不公平だから不幸とは限らない。
それにみんな公平に死ぬ訳だし。
運の良し悪しも確かにあるが、
「生きてるだけで丸もうけ」だと思うぞ。
829名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 10:46:31
>>828
全浄青全国大会での水谷さんの講演で
語られた「あいちゃん」の人生。
「生きてるだけで丸もうけ」?かい???
不幸に苦しみ喘いでる人間の心痛を思い遣れないのかな?
830名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 10:47:38
色々な本を読んで知った事(自分の体験も含めて)なのですけど。
この世に生まれてくるのは、カルマの解消のため、というのが人間の大きな目的であるそうですが(他にも目的はおるけれど)
前世の行いが今世に影響するのは、カルマの法則による事もあります(すべてがそうとはいえないでしょうけど)。
そしてカルマは自分自身だけでなく、国や家のカルマもあるそうで、自分の行いは国や家(家系)にも影響を与えている事になるそうです。
そう考えると、先祖の行いが子孫に何らかの影響を残すことは理にかなっているなぁと妙に納得しました。
この世がカルマの法則で動いているのならば(そうらしい)そのカルマを解消すればいいわけなので前世で徳をつんでいなかったとしたら、今世で徳をつんで来世に繋げればよい。
そして先祖の行いからよくない影響を受けているのなら、そのカルマを解消して徳を積み、子孫に繋げる。そういう事ではないでしょうか。(カルマを知る事とか、どう解消すればいいのかは難しいですが)
先祖が悪いことしたから子孫がメイワクしている。と、悲観的にならず、今現在生きている自分がどれだけ徳を積むか(イコール自分自身が良い方向に向かい、また子孫もよい方向へ向かう事になる)という事が大切なのではないでしょうか。
あと、
>>たまたま良い先祖を持った奴は、運がいいということに
 なるし、極悪非道の先祖を持った子孫は、たまったもんじゃねーじゃん。それこそ不公平きわまりないよ。
人は生まれてくるときにあらがじめ宿命を自分で決めてくるらしいです。たとえば、どこの国に生まれるか、家系、親、など、
自分自身の学びに必要な状況のところに生まれてくる。
その方向から見たら「たまたま」ではないようですね。何か意味があってそこの家系に生まれてきたのではないか、と思います。
831名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 10:58:11
はい。夏休みをうまく利用して、大変いいお勉強をしてくらました。
ごほうびに。しぇんしぇいから二重まるをさしあげます。
832けちゃっぷ:2005/09/01(木) 12:22:26
>>830 カルマ解消の方法は、水に流して許し忘れる(気にしなくなる)ことです。
加害者も被害者も第三者も、その子孫も、お互いに気にしなくなったら、カルマはなくなります。
コップの水の中に温度差があれば、水は対流します。温度差がカルマです。温度差がなくなれば水は静かになります。
被害者も加害者も、初対面の人同士のような気持ちになればいいのです。
833名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 12:36:15
>>832
けちゃっぷよ。
自然界とはそんな単純なものではない。
浅はかな見識をペラペラ軽々しく語るなよ。
物理学もよく知らないくせに。
834けちゃっぷ:2005/09/01(木) 12:53:54
水の説明はたとえ話です。自然科学や物理を語るつもりはありませんよ。
すべて無常・空ですから、刹那刹那に人は死んでいます。名前と記憶を受け継いでいるけど昨日の私とは別人です。
親の仇に再会しても、その相手はかつて親の仇の皮をかぶっているだけで、別人です。つまり犯人ではありません。
犯人と別人の人に対して犯人と勘違いして復讐しても、しかたありません。
とにかく水に流して忘れるべきです。怒りは煩悩ですから、捨てるべきです。
怒りを捨てられないなら、復讐するかわりに念仏しましょう。殴るかわりに合掌し、恨み事言うかわりに念仏しましょう。
835名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 12:58:05
>>830
> 色々な本を読んで知った事(自分の体験も含めて)なのですけど。
> この世に生まれてくるのは、カルマの解消のため、というのが人間の大きな目的であるそうですが
> 前世の行いが今世に影響するのは、カルマの法則による事もあります。
> そしてカルマは自分自身だけでなく、国や家のカルマもあるそうで、
> 自分の行いは国や家(家系)にも影響を与えている事になるそうです。
> そう考えると、先祖の行いが子孫に何らかの影響を残すことは理にかなっているなぁと妙に納得しました。

色々な本を読まれたそうですが、読まれる本がかたよりすぎています。
いわゆる、神秘主義や、その影響をうけた幸福の科学などの本にはそのように書いてありますが、
仏教の基本的な考えは、そういう考えを、迷いとして否定しています。
冷静になって客観的に考えれば、そのような形で人間の運命が決まることなどないことが、
よくおわかりになると思います。
情報がかたよりすぎています。もっと、いろんな本をお読み下さい。
836名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 13:00:28
>>834
いつも変なたとえを出すから、話がわかりにくくなって困る。
自分ではわかっているつもりだろうが、
けちゃっぷのたとえが、いつも話を混乱させる。
変なたとえは、もうやめてほしい。
837名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 13:33:43
>>834
けちゃっぷよ。
深広なる大自然界への畏敬の念や認識の甘さが、
念仏の教えを軽々しくたとえ話を用いて説こうとする傾向を
生み出してないか?

かなり、癖のある人間になってるから、
ここで、一度
「けちゃっぷ」自身を問うて、自分で自分を語ってごらん。
838名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 14:28:25
カルマ解消のためには、阿弥陀如来根本陀羅尼を毎日唱え続けることだな。
サルバー・カルマー・キレーシャ・キシャヨウキャレイ・ソワカ。
839名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 14:57:46
>>832
ん! なんだとぉ〜 ばかも休み休み云え!! 忘れることでカルマが消えりゃぁ今頃
みぃ〜んな幸せだぁ!!
>>お互いに気にしなくなったら、カルマはなくなります。 っていうのもまんざら間違いじゃないが
死んじまった者はそう簡単に気持ちは変わらへんのじゃ。
840名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 15:28:38
>>834
波木井のお友達発見!!
841名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 15:33:50
>>835
そういう自分は、本物の情報を見分けて本を読んでるのか?
群盲象を奏す。これが真理に対する我々の態度の実体ではないか?
842名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 15:47:35
>>835
仏教は「三世」を語る教えだよ。
前世・現世・来世、これらが因果律によって結ばれていると
説いている。
君は、「人間の運命」がどう決まるか知っているのか?
843名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 16:22:26
さすが波木井の親友
844名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 16:33:58
>>842
知らないなあ、運命が決まってるとお思わないが、
君が知っているならご高説、お聞かせ下さいな。
ついでに、その説はどの本から、誰から聞いたのかもお教え願いたい。
845名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 17:05:39
842じゃないが
運命が決まってると言う言葉は御幣がありまくりだけど
思いがけない事などない
それは自分から見て思いがけないだけで
広く周りを見渡せば
全てはなるようになっている
そう思います
タネをまけば花が咲く
浮気をすれば女房が逃げる・・orz
仕事怠ければリストラされる○<\_
因果がよくよく身に沁みる34歳バツイチ無職。。
南無阿弥陀仏
846名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 17:55:58
>>844
自分の人生どこまで自分で作り上げたと思ってるんだい?
847けちゃっぷ:2005/09/01(木) 18:23:21
はい、そう簡単に気持ちは変わりませんよね。煩悩をすっかり忘れ去るのは難しい。
だからこそ、念仏にすがるわけです。
この世で憎しみ合っていたとしても、極楽で再開した時には互いに悪業が消えていますので、修行仲間として仲良くなれるはずです。
この世で上司と部下だったとしても、極楽では対等です。だから、この世にいる間は、上司ゲーム・部下ゲームを楽しめばいいだけのことです。
往生極楽に比べれば、この世に大切なものなど何ひとつありません。守るべきものなど何ひとつありません。
せいぜい、守りたいものがあるだけ。そして、守れないこともある。
往生待ちの短い一時、「守りたい」を楽しめばいいし、「しまったぁ!守れなかったぁ!」を楽しめばいいのです。
848名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 18:48:40
>>847
けちゃっぷくん、
「この世で憎しみ合っていたとしても、
極楽で再開した時には互いに悪業が消えていますので、
修行仲間として仲良くなれるはずです。 」
な〜んて、いかにも極楽を知ってるような語り口は軽率だよ。

けちゃっぷくん自身、自分が変だと思わないか?
849名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 19:03:06

けちゃっぷは おめでてぇ奴だ!
850名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 19:53:54
知らずとも 知っておるぞと 安心させ
それが坊主の つらいところよ
851名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 21:13:05
この世で憎しみあったキリスト教徒とイスラム教徒も、
念仏しらんでも、みんな極楽いくのかいな。
「天国行くつもりなのに、おせっかいはするな、
 第一に、おれたちは漢字が読めない」と言ってますが。
852けちゃっぷ:2005/09/01(木) 21:24:08
>>848 お経に書いてあるとおり、極楽に生まれた衆生は、阿弥陀仏の本願力によって不退転の位に達しています。心が安定しているので、ケンカなんかするわけありません。
浄土宗では、浄土三部経を事実と“みなして”行動し、生活します。
ほんとうに往生できるかどうかは死んでみなければわかりませんが、ともかく死ぬまで往生できるつもりで生活します。
別れる時も、この世で再会できなくても極楽で再会できるつもりで別れます。
また例え話ですが、午後から雨の「つもりで」傘を持ってでかけることがあります。
結果雨が降らなくても、「そのつもり」になれば傘を持っていくことが可能です。それで降らなくても、「降ったらどうしよう」という不安がなく一日過ごせたんだから、それでいいのです。
853けちゃっぷ:2005/09/01(木) 21:27:24
>>851 阿弥陀仏は、「極楽を望まない者も強制連行する」とは誓ってませんよ。「望む者は拒まない」と誓っているだけです。
854名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 21:35:42
エンヤのチャイナローズって曲に
天国があるならば
望むものなど何もない
川も雨も不思議な世界も
私のパラダイスかも知れない
って歌詞があります(訳は直訳です。。)
宗旨が違うなどとくだらない事はいわんでください
望むもの(desire)がなくなればこの世は楽園だと歌ってるわけです
エンヤが浄土宗信者なわけはないですが
浄土教の本質をついた歌だと思ったりもするわけです
念仏が尊いものだとは思いますが
浄土宗は少々念仏の形にこだわりすぎていないでしょぅか?
浄土への憧憬こそが浄土教の本質であり、その憧憬こそが煩悩を溶かす力だと思います
念仏が形式的に過ぎ、極楽浄土が具体的に過ぎるのが
むしろ信者をして往生から遠ざけている感じがします
けちゃっぷさん他、浄土宗上人様たちのご意見を賜りたいと思います。
855名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 21:54:09
>>853
極楽を知らないものは往生できない。
信じない者も往生できない。
望む者だけが往生するのが極楽?
ハードル高いなあ。
856名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 21:58:31
林田康順さんは、
キリスト教のパラダイスと浄土宗の極楽浄土は区別してたな。
857名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 22:19:39
>>855
お念仏すれば極楽往生できるはずだが・・・
ハードル高いか?
858名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 22:35:34
極楽を知らん者は往生できないし、信じない者も往生できない。当たり前だ!
自由意志を無視して知らない者や信じない者が強制送還されるような所が極楽と呼べるか?
自分の信念で望む者だけが往生するのが極楽だ。
不幸にして知る機会がなかった人や縁はあったが信じるまで至らなかった人には、遺族が追善回向をして
極楽へ往けるように功徳を振り向けるから安心だ。僧侶の力が必要とされるところである。
859名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/02(金) 01:08:25
>>858
> 不幸にして知る機会がなかった人や縁はあったが信じるまで至らなかった人には、遺族が追善回向をして
> 極楽へ往けるように功徳を振り向けるから安心だ。僧侶の力が必要とされるところである。

そりゃインチキだ。そんな教えは法然さんのどこにある?
860愚者ぐしゃ:2005/09/02(金) 08:54:16
けちゃっぷ賛同派少ないね、ひょっとすると私だけ?
ただ、ふつうに聞いてると、そこまでいとニヒリズムと区別がつかない
気もしますけど。
少なくとも「カルマ」なんて言ってるよりよほどいいと思う。

「カルマ」について何を知ってるかと突っ込まれると困るけど、
要するに「自分が苦を感じていることを納得させる」ための方便に過ぎない。
それが自己目的化するとわけのわからんことになってしまう。
「これ以上悪いカルマを積ませないためにポアしてやれ」とかね。
861名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/02(金) 10:47:50
>>860
理解が浅いのう。聞きかじりかい?
862愚者ぐしゃ:2005/09/02(金) 11:28:26
毎度のことですが、批判だけはして何も教えてくれない
「聞きかじりだから答える必要もない」とくる。
お前なんかに説明しても無駄、ってことでしょうね。

けちゃっぷ師のいいところは聞けば答えてくれることと、人を冷笑する態度がないことでしょうね。
まあ、ネット上の人格と現実が同じとはかぎらないし、現実に熱心だからネットでは別人格で
ウサを晴らす、というのは逆よりいいでしょうしね。

で、861さんは「カルマ」はどんなものだと思っているんですか
「それは一言では言えない」という一言でもけっこうですからお返事ください。
863名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/02(金) 11:42:15
>>861 ただの荒らしじゃで 曖昧な書き込みしかしとらんではないか 放置がよかろう
864けちゃっぷ:2005/09/02(金) 12:31:57
>>860 自業自得を基準に考えたら、何事も他人のせいにしなくなるでしょうからね。他人に怒りを向けるのは的外れだということになります。
カルマを説くためにカルマを説くのじゃなく、煩悩を鎮静化するための薬としてカルマを説いたらいいと思います。
逆に、カルマを気にしすぎて苦悩している人は、カルマを気にしなくてすむような教えを学べばいい。
必要に応じて、矛盾するまったく逆の教えを使い分けるねも、可。まぁ、2ちゃんねるでは矛盾してるとつっこまれますが。
865けちゃっぷ:2005/09/02(金) 12:37:04
「何が本当か」は重要ではありません。
その人にとって「何を本当にするほうがいいか」が重要です。
866名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/02(金) 13:44:43
何が本当かはとても重要なこと。そのために多くの時間と努力を重ねている。
そしてその事実に対し自身がどの様に受け止め捉え、どの様に対応して行く
かが重要なポイント。

867名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/02(金) 15:31:53
>>865
また、言葉の遊びだな、それをやめろとみんな言っているのに。
「何が本当か」が重要でなく、
「何を本当にするほうがいいか」が重要なら、
オウムの信者がポアの教えを本当だとすることを尊重しなければ。
868名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/02(金) 17:09:07
>「何を本当にするほうがいいか」が重要なら、
>オウムの信者がポアの教えを本当だとすることを尊重しなければ。

なんでこうなる?ハクチですか?

869乃杏 ◆noaw746W1Q :2005/09/02(金) 20:16:15
オウムはナチ的MCでしょ。
>>867それで突っ込んだつもりか?
870名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/02(金) 20:54:40
karman
871名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/02(金) 22:22:00
「何が本当か」を問うことなく、
「何を本当にするか」を重要視するなら、
真実とは何かを問うことなく、教祖にいわれるまま、
その教えを真実であるとし、その教えに従うことになる。

譬喩やキャッチフレーズは、本人はわかっているつもりでも、
意味があいまいだから、よけいな誤解を生むことは謹んでということ。

「何が本当か」と対比する形で「何を本当にするか」だと、
「何」の内容や真偽を問うことなく、それを自分で本当だとしてしまう。
872名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/02(金) 22:49:45
自分にとっての「何が本当か」を探すとき、いい加減な気持ちで
それに当たるでしょうか?
自分の気持ちと真摯に向き合えば、間違った解答には
辿り着かないと思うのですが?
873けちゃっぷ:2005/09/02(金) 22:51:48
今回の話題はカルマについてでしたよね。
「カルマが本当にあるのか」が重要なのではありません。
「カルマがあると思ったほうが幸せなのか」を、各人ごとに適用します。
カルマを信じたほうが幸せな人にとっては、カルマは必要なのです。本当かどうかでなく、必要かどうかなのです。
教祖の言うがままを信じて幸せなら信じればいいし、信じて不幸になるなら信じなければいいだけです。
教祖の説が「本当だ」と、答えを一つにしてしまうと、その人が不幸になろうとも信じなければならなくなります。信じたくなければ信じなければいいのです。
874けちゃっぷ:2005/09/02(金) 22:55:34
>>872 「自分にとって」何が本当か、と、「自分にとって」という前提があればいいでしょう。
「自分にとって」という前置きがなくなってしまうと、受験勉強のように正解が一つでなくては許せなくなります。
自分が信じることと他人が信じることが同じでないと、納得できなくなります。
それは危険ですよ。一人一人、「本当のこと」が違っていいではありませんか。
875名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/02(金) 23:04:43
あぁ〜〜ぁ   けちゃぷ鳥が一羽でさえづってる!
876けちゃっぷ:2005/09/02(金) 23:10:26
極楽の鳥なら泣き声が法を現しているんですが、裟婆のけちゃっぷの鳴き声なので、役に立たずに申し訳ないです。
877名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/02(金) 23:14:38
いえいえ、鳴いて戴いてるだけでありがたいです。
878けちゃっぷ:2005/09/02(金) 23:21:17
念仏者の方がいらしたら、どんどん鳴いていただきたいですね。
879名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/02(金) 23:42:25
>>874
> 一人一人、「本当のこと」が違っていいではありませんか。

なら、麻原彰晃が何を本当のこととしてもいいということになります。
法然上人は、誰もが救われる、誰にとっても真実の道を求められたのじゃないのですか。
あれは、法然上人が「自分にとって」という前提をつけて、
他人には関係のない自分だけの真実の道を求められたのだろうか。
880名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/03(土) 00:02:31
誰かに与えられた「本当」と
自分で見つけた「本当」はきっと違うものだ。
881けちゃっぷ:2005/09/03(土) 00:23:29
>>879 法然さんの「自分にとって」に共感する人は、念仏を信じればいい。
自分を凡夫だと思わずに、この世で悟れると信じている仏教徒には、念仏以外の修行もあります。
上座部仏教の信者にとっては、大乗経典は仏説だと信じていません。
仏教徒以外の人には、阿弥陀仏の存在を信じないでしょう。
阿弥陀仏の念仏のみが真実で他の教えが嘘だなんて、いうつもりはありません。また、世界中の人が念仏を嘘だと言っても、関係ありません。
882名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/03(土) 02:09:24
>>880
> 誰かに与えられた「本当」と
> 自分で見つけた「本当」はきっと違うものだ。

あのね、自分で「本当」を見つけるには、
「何が本当か」を問わなきゃ見つけられないでしょ。
それが大前提なのに、
「何が本当か」は重要ではなく「何を本当とするか」が重要、
なんて、わけのわからない言葉遊びするから、
意味のない議論が始まるんでしょ。

変な言葉遊びと変な譬喩は、いいかげんにして欲しい。
883名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/03(土) 02:13:16
>>881
あのね、法然さんは自分のことだけ考えて求道した訳じゃないでしょ。
上座部とか仏教徒以外とか、そんなこと法然さんと関係ないでしょ。
自分だけの真実で、普遍性を持たなくてもいいと法然さんが考えたのなら、
専修念仏を人に説いたり、教えを広める必要がない。
884けちゃっぷ:2005/09/03(土) 02:31:51
>>883 法然さんにとっては当然本当のことです。僕も阿弥陀仏が実在すると信じてます。
でも、実在を信じられなくて阿弥陀仏を法身仏みたいに説く念仏者がいるのも事実です。それはそれで、その人が納得できてるならいいと思います。
西方極楽は実在し、阿弥陀仏がいらっしゃる。このことを「本当のこと」だと思います。
885けちゃっぷ:2005/09/03(土) 02:37:45
>>882 死後の世界にしたって、死後の世界が本当にあるかないかよりも、自分にとって死後の世界があるべきかどうかのほうが重要です。
886名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/03(土) 06:50:05
そぉ〜かねぇ。 けちゃっぷ鳥が鳴けば鳴くほど空しいさえずりに感じちゃうのは漏れだけかねぇ〜。
887名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/03(土) 07:35:01
けちゃっぷ師の徹底した相対論はそれなりにいいと思うのですが、
>「何が本当か」は重要ではありません。
>その人にとって「何を本当にするほうがいいか」が重要です。
と言った瞬間に手品のタネあかしになってしまう危険があります。
「阿弥陀仏は実在する」と言うのと「阿弥陀仏が実在すると信じるのが
自分にとって重要」というのは同じことを表現しているようで実は違うことでしょう。

たぶん、この「タネあかし」なしに内容を納得させなくてはならないのでは?

カルマを心から信じるひとに「カルマを信じる方が幸せかどうか考えろ」といって
も考えることはできないでしょう。「カルマにとらわれることが逆に悪いカルマを
増やしてゆく」というところからはじめて自家中毒的な迷路からまず救い出す、
というのがいいのでは。



888名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/03(土) 13:37:13
タネあかしする・しないは時と場合に依る。
重要なのはタネが仕込まれた手品だと分かっていることだ。

タネも何もない、絶対普遍の真実、他の一切を排除する否定する真実、であっては大変危険だ。
この種の絶対主義が世界に絶え間ない紛争と悲惨をもたらしている。

すべての真実は自分にとっての真実でしかない。
それが他の人にとって如何なる意味を持つかどうかは、共感を得るかどうかによる。
889名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/03(土) 20:36:35
「何が本当か」は一般的な事実。
「何を本当にするほうがいいか」は個人的な真実。
けちゃっぷの言いたいことはそれやね。
このスレで共感を呼ぶかどうかは疑問だが、
オレはけちゃっぷに一票いれるよ。
890名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/03(土) 23:44:13
>>889
そんな意味じゃないだろ。
何が本当かを確かめることなく、
とりあえずは本当だと誰かが言ったことを本当だと信じる。

だから、それだとオウムの教祖の言葉信じてる信者と変わらない。
891名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/03(土) 23:45:58
宗教を論じる場合は「本当」という言葉は適切じゃないだろ。
ふつう、「何が真実か」とか言うもんだろ。
892名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/03(土) 23:51:55
>>890
麻原バカに帰依したというなら、それも仕方ない。
問題は麻原に帰依する時点で他を選べなかった自分。
あと、信仰させるために薬物などを使った教団。

結局、オウムを信じて救われた人間だって存在する可能性はある。
だから既成宗教を挑発にここにくるわけだが。
893名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/04(日) 01:23:38
>>890 信仰の自由については、どう考えてるんですか?極端な話、天道説を信じてたって犯罪犯さなきゃかまわないんですよね
894名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/04(日) 01:29:56
>>893
わたしの意見じゃなく、けちゃっぷ氏の意見。
「何が本当か」確かめることは重要じゃなく、
「何を本当にするほうがいいか」が重要だというんだから、
麻原の言葉を信じて何も考えずに修行しているほうがいいと判断するなら、
それが大切だということになってしまう。
「何」を問うことこそ重要じゃないのか、宗教というのは。
895けちゃっぷ:2005/09/04(日) 01:33:03
>>894 「何」を確かめるのが目的ではありません。人生の苦悩を消すために必要な「何」を信じるのです。
896けちゃっぷ:2005/09/04(日) 01:35:29
麻原を信じて幸せな人は、信じていいと思いますよ。
ただ、何を信じていようと、日本で暮らすのだから日本の法律は守らなくてはいけない。
897けちゃっぷ:2005/09/04(日) 01:41:58
人生の苦悩を消すのが最重要です。宗教の内容は苦悩を消すための薬なのだから、苦悩に応じて薬は変えればいい。一つの薬にこだわることはないし、毒が薬になることもある。
ただし、人生の苦悩を消すというのは、自分の苦悩だけじゃなく他人の苦悩も消すことです。
自分が死ぬの恐くなくても、死ぬのを恐がっている他人を殺したら、その人は恐いのだから苦しみます。ですからその人の苦悩を消すためには殺さないのがいい。
898けちゃっぷ:2005/09/04(日) 01:45:47
たとえ「死んだら生ゴミになって消滅する」というのが真実でも、死がせまって消滅を恐怖している人には「死んでも極楽で幸せになれる」と教えるほうが救いになります。
899名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/04(日) 01:49:37
人生の苦悩って本当に消せるの?
けちゃっぷ氏へ問う素朴な疑問。
900けちゃっぷ:2005/09/04(日) 01:55:29
>>899 覚らないかぎり完全には消せないでしょう。
でも、苦悩を少なくしたり、苦悩そのものを受け入れる(苦悩があること自体を悩まない)ことは可能です。
大人になっても注射は痛いけれど、大人は注射の痛みを受け入れているので、子供のように泣きわめくほどの苦悩を注射から受けません。
901けちゃっぷ:2005/09/04(日) 01:58:47
人生には苦がつきものだけれども、それが人生というもんだ、あたりまえなんだと受け入れていれば、自殺しないでしょう。
人生は苦しいんだということが、受け入れられないと、苦しい自分の人生が許せず、死にたくなるでしょう。
902名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/04(日) 03:17:57
けちゃっぷ氏は譬え話をする傾向が
非常につよいね。
譬え話の妥当性って考えたことある?
903名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/04(日) 11:57:54
>麻原の言葉を信じて何も考えずに修行しているほうがいいと判断するなら、
>それが大切だということになってしまう。

それが信仰ということだと思いますけどね。
でも、普通はそこまでは帰依できないし、帰依していても殺人を命じられたら立ち止まる
はずです。
林郁夫の書いた『オウムと私』を読むとその踏み越えていく過程がよくわかる。彼は著書
の最後でも帰依は捨ててもオウムの世界観は捨てていないことがよくわかる。

既成の教団に期待するのは長い歴史があればそのことに対してはストッパーが完成
しているはずだ、と思うことです。新鮮味に欠ける方が、新鮮だが暴走する宗教よりよほどよい。

けちゃっぷ師の意見にはだいたい賛成。ただ「苦」から逃れる境地とは逆に「苦」すら
感じられないニヒリズムというものがある気もします。それが「苦」なんでしょうけど。
そういう人には浄土の存在も無力で、「いま現に自分に注がれている慈悲」を実感
できないといけないのかもしれません。
904名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/04(日) 15:56:46
1000
905名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/04(日) 16:20:33
とりあえず今の苦からのがれられた「気持ちになれれば」いいという安易な方法がいかに多いか。
それは、「いやし」や「なぐさめ」ではあっても、「救い」ではありません。
仏教というのは、その場限りのごまかしでない、根源的な救いを求めるものですね。
骨折した足にサロンパスを貼って、痛みがやわらぎ、気持ちよくなった、これは本物だ、
と信じ切ることが、それほど重要なことなのだろうか。
906名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/04(日) 16:20:35
 *     +    巛 ヽ
            〒 !   +    。     +    。     *     。
      +    。  |  |
   *     +   / /   イヤッッホォォォオオォオウ!
       ∧_∧ / /
      (´∀` / / +    。     +    。   *     。
      ,-     f
      / ュヘ    | *     +    。     +   。 +        このスレッドは1000を超えました。
     〈_} )   |                                次スレも…VIPクオリティ!!
        /    ! +    。     +    +     *         http://ex11.2ch.net/news4vip/
       ./  ,ヘ  |
 ガタン ||| j  / |  | |||
―――――――――――― 
907けちゃっぷ:2005/09/04(日) 18:32:06
>>905 骨折を治療できても、いずれ死ぬことは変えられません。
サロンパスで骨折が治るかどうかは確かめることができるので、妥当性のある「事実」を他人と共有するのは簡単です。
でも、死んだらどうなるんだろうということは確かめようがないので、万人と共有できるひとつの答えを見いだすのは難しいですね。普遍妥当性のある「事実」がない。
死ぬ時のことは死ぬまで考えないほうがいいんですが、考えるなと言っても考えてしまう。それなら、考えた時に決まった答えが浮かんでそれ以上考えなくてすむようにすればよい。
908名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/04(日) 19:29:31
けちゃっぷ師
この質問は、聞いた人間が不眠症になる危険があるのでめったに
よそではしないんですが、
死ぬことと眠ることはどう違うと思われますか?
909けちゃっぷ:2005/09/04(日) 20:24:11
他人の死と他人の眠りの違いは、言うまでもありませんね。自分の死と自分の眠りについてですね。
眠りは、目が覚めた後に、はじめて存在するものです。眠りは過去にしかありません。未来の場合、これから眠るのもこれから死ぬのも同じです。
そこで念仏です。寝る前に最後臨終の念仏のつもりで念仏すればよいのです。
910名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/04(日) 20:29:26
けちゃっぷさん  あんたはえらい!

もう漏れはよそへ行く・・・
911名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/04(日) 21:35:43
>>907
どうせ、死後のことはわからないのだから、
死後のことを考えずにすむなら、どんなことであってもよい、と言うことですね。

死のことを考えずにすむなら、念仏である意味も、浄土教である意味も、
法然の教えである意味も、そういった必要性はないですね。
912not けちゃっぷ:2005/09/04(日) 22:51:27
>>911
ほほう、そんな方法があるなら、教えてほしいな。
念仏はかなりよくできた方法だと思うがな。
913名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/05(月) 00:21:44
>>912
何を読み間違っているんだ、前からの流を読めよ。
けちゃっぷが、死後のことを考えずにすむなら、それが何であるか問わない、
と言っているんじゃないか。
だから、それなら念仏である必要もないことになるということ。
914けちゃっぷ:2005/09/05(月) 01:48:21
>>913 でも仏教徒の場合、お経から導き出される方法の範囲内でないといけないわけですよ。
915名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/05(月) 02:26:57
>>914
それは違うだろ。
経典にあると言っても、最後は自分自身の中に感得されるものが
頼りになるはず。
模範解答をもらい、ただそれをなぞればいいというものではない。
「お経から導き出される方法の範囲内でないといけない」などと
決まってはいない。
916名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/05(月) 02:37:18
>>914
誰が導き出したのか、どのお経から導き出したのか、どうやって導き出したのか、
そういうことは考えなくてもいいの?
念仏を批判する日蓮の題目だってお経からだと言うなら、それでもいいの?
麻原彰晃がお経から導き出したものだと主張するなら、それは信じるべき教え?
何であっても、死後のことを考えずにすむなら、それでいいわけ?
「何が本当か」は、そんなに重要じゃないのかなあ。
917名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/05(月) 03:00:49
>>916
「何を本当とすれば人が救われるか」だろ?
ここでは「多くの」は省く。
それを信じることで救われるならポア教義だろうが
なんだろが、その人にとっては仕方ないことだ。

と、ふたたび既存教団の怠惰を叩く。
918名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/05(月) 09:45:41
何が本当か?何を信じるか?これは、まあ仏縁ということで。
念仏などしてるのも、これもまた阿弥陀さんの回向なんでしょ?
919けちゃっぷ:2005/09/05(月) 12:30:21
>916 「何が本当か」をかけて争うよりかは、いいのではないでしょうか。
念仏者は、念仏者である前に仏教徒です。
佛教大学の全学部の1回生が、まずブッダの教えの講義を受け、次に法然の思想の講義を受けます。
ちなみに、その教科書には、大乗経典がブッダの死後に創られたものだということも書かれています。
920名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/05(月) 13:16:27
>>919
> >916 「何が本当か」をかけて争うよりかは、いいのではないでしょうか。

何で「争い」にしなくてはならないの?
「何が本当か」(何にが真実か)を求めることは、仏教における重要な求道。
道を求めることよりも、教えられたことを鵜呑みにすることが大切?
法然上人は、何も考えず善導の本を鵜呑みにしたの?
921名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/05(月) 17:27:48
>>920 何を本当ということにすればいいかを、真剣に考えたのでしょう。
922名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/05(月) 22:04:25
阿弥陀仏や極楽世界の話しが本当かどうか検証することは不可能だ。
だいいち十万億仏土という単位からしてどういう単位なのかはっきりせず、物理的単位に置き換えできない。
五劫とか十劫とか不可思議兆載遥劫だとか、不可測な単位でいっぱいだ。その存在の位置も時代も確定できない。
本当かどうか確かめようがないのだ。
念仏して往生すれば何かがわかるかもしれないが、それも死後の話だから確かめようがない。
本当のことを生きている内にはっきりと目の当たりにしたい人は、浄土門には入らない方が良い。
923けちゃっぷ:2005/09/05(月) 22:53:04
念仏を称えることができる。こんなすぐに答えが出る宗教はないですよ。念仏が出ればOKです。ただそれだけで人生は完結している。
念仏が心の主人で、念仏以外は通りすぎる客人です。
念仏がスクリーンで、念仏以外の思考はスクリーンに映されている映像です。映像が通り過ぎれば、スクリーンはもとどおり白いまま。だからノープロブレムなんです。
スクリーンに染みができてないか心配になったら、映像を停めて念仏し、スクリーンがまっ白いままだと確認する。
「あーよかった。汚れてないや。安心して映像を楽しもう」と。
佛性があるかないかはわからなくても、念仏できるかどうかはいつでも確かめられます。こんなすぐに答えがでる宗教はありません。
924名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/05(月) 23:08:07
>>923 けちゃっぷさんは声の出せない人たちは
称名念仏では救えないと思う?
925名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/05(月) 23:15:09
ここ読んでるとなんか怖くなったよ。
漏れは坊主ではないが家が仏教だから素直に仏教徒だったんだけどちょっと考えようかな
926名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/05(月) 23:16:28
>>925 何を不安に感じたの?
927名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/05(月) 23:27:03
>>924 声帯が壊れていても、言語をつかさどる脳が働いているなら、「口業」は死んでないと思います。
手話でも筆記でも、とにかく信号を放つことは称名だと思う。
念仏は、「唱える」ではなく「称える」ですからね。ナムの気持ちを表現して阿弥陀佛を讃えるのです。
928名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/05(月) 23:30:31
>>927
へりくつ
929名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/05(月) 23:55:22
念仏を称えられない人さえ救えないのだとしたら、
弥陀の本願力など大したものじゃないということになる。

一切衆生を救うという以上、マホメットであれイエスであれ、
はたまた麻原であれ、その誓願の名にかけて救わざるを得ないだろう。

オレなんかはもう、どうあがいても弥陀の掌から逃げ出せないと諦めてるがね。
930名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 00:10:27
>>929

あのな、阿弥陀仏は「念仏を称えられない人さえ救えない」どころか「念仏称える人」さえ「救わない」かも知れないのだぞ?

「唯除五逆誹謗正法」って知ってるか?
「心から我が国に来たいと願って十念でもする者は誰でも救う。ただし五逆罪を犯した者と正法を誹謗する奴は、救わない
これが十八願だ。

この部分を釈迦による抑止門と読んで方便と取るのが浄土宗だが、それが絶対に正しいかどうかなどわかったものか。

念仏となえてさえ救われないのかも知れないのだから、ましてや浄土教とは無縁の衆生など論外だ。
931名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 00:20:59
>>922
「何」と言っても、阿弥陀仏や浄土の話だけではないでしょう。
さまざまな僧が経典に基づきさまざまな教えを説き、その解釈も千差万別。
「何が本当か」を問うことなく、そのなかから選択するだけ?

「このまま生き続けて、罪を犯し地獄におちる」のか、
「今、命を絶ってあげて罪を犯さず素晴らしきあの世へ送ってあげる」のか、
どちらがいいのか、選択肢からどちらかを本当だとすれば、
麻原彰晃のポアを実践することになってしまいます。
「何が本当か」を問うことなく「何を本当とするか」選ぶならそれと同じです。
まともな人間なら、本当にそれでいいのか、何が本当なのか考えます。

何を本当とするのかという時には、「何が本当か」という自己の問いがあるはずです。
「何が本当か」と切り離して「何を本当とするか」と言ってみたところで意味がありません。

言葉の遊びや譬喩は、説教など後でフォローが出来る場面なら、
パラドックスとしてうまく利用出来ます。
しかし、短文の書き込みが続くネットの掲示板では、誤解を生むもとになります。
もう、いいかげんに気づいてください。
けちゃっぷ殿。
932けちゃっぷ:2005/09/06(火) 00:53:12
>>931 与えられた選択肢の中から選ぶだけではありませんよ。
だから「何を本当にするか」なのです。
ある老夫婦が二人でUFOを見たと証言したとして、しかしそれがどうも嘘か見間違いみたいだとする。
しかしその夫婦は当時めずらしい白人と黒人の夫婦であり、近所からも歓迎されていない夫婦だった。
その夫婦にとっては、二人でUFOを観たということは強い絆を生んだ。二人にとっては、UFO目撃は「本当」でなくてはならない。本当でなくては困る。
だから二人にとっては、生涯UFO目撃が本当のことなのです。
933けちゃっぷ:2005/09/06(火) 01:02:15
凡夫を、「おまえ達のような悪人でも救うぞ」と許してくれる人も法律も教えも見当たらなかったとする。
そこに、お経の中の釈尊だけが、釈尊の説く阿弥陀佛だけが、「必ず救う。」と私を許してくれていた。
もしこの二尊の許しが嘘ならば、この世に私を許してくれる者、受け入れてくれる者など誰一人としていない。そうだとしたらもはや生きている意味さえ刈り取られてしまう。
そういう状態だと、その私にとって、阿弥陀佛の教えは本当のことでないと困るのです。だから本当のことなのです。
もし嘘ならすべてが崩れて救いがないからです。
934けちゃっぷ:2005/09/06(火) 01:09:13
お経全体の流れをみたら、本当はそのお経は、極楽の優等生菩薩たちのまじめな生活態度を紹介して、「おまえらも彼らを見習えよ」と説くための教科書だったのかもしれない。
しかし、救いを探し求める目で穴があくほどお経や論釈を読んだ時、その中に念仏往生があった。
本来は別の意図で説かれたお経かもしれないが、救いを求める人にとっては、そのお経は「本当は」念仏往生を伝えるために説かれたものに「ちがいない」、と受けとめられる。
そうだ、そうにちがいない。そうでなくては困るんだ。そうでなくては、今までさんざん探しても他に救いが見当たらなかったじゃないか。だからそうなんだ。
935けちゃっぷ:2005/09/06(火) 01:26:35
町で見かける戦乱にあけくれる人々、罪をつくらねば生きていけない人々、一般的には悪人・罪人とされる人々。
そんな人々に対しても、「だいじょうぶだよ。許されているよ。」と言って包んであげたい、励ましてあげたい。…そのように常々考えていたとする。
ところが一般的な教えでは、悪人に救いはない。許されてはいけない、救われてはいけない人々。励ましてあげたくても、その根拠がみあたらない。
そこに阿弥陀仏の救いの教えが目に留まったとする。膨大なお経の中のほんの一部に書かれた、普通は見向きもされないオマケみたいな教え。
しかし、常々悪人を励ましてあげるための根拠を求めていた者にとっては、そのオマケこそが主役になる。
936けちゃっぷ:2005/09/06(火) 01:40:53
>>931 まずポアの思想があって、殺人になるのかな?潜在的に「逆らう奴らをぶっ殺してやりたい」という気持ちがあって、そこにポア思想があったから、ポアで殺人も可という解釈になったのでは?
法然さんの中に、はじめから「極悪人でさえ、みんなもれなく救われてほしい」というまるで阿弥陀仏のような究極の慈悲があったが、それを発動させる器がなかった。
そこに念仏という器が発見され、堂々と究極の慈悲を表に出せる力を与えられたのでしょう。
937名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 03:26:56
だめだこりゃ
938名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 03:36:34
>>932
> ある老夫婦が二人でUFOを見たと証言したとして、しかしそれがどうも嘘か見間違いみたいだとする。
> しかしその夫婦は当時めずらしい白人と黒人の夫婦であり、近所からも歓迎されていない夫婦だった。
> その夫婦にとっては、二人でUFOを観たということは強い絆を生んだ。
> 二人にとっては、UFO目撃は「本当」でなくてはならない。本当でなくては困る。
> だから二人にとっては、生涯UFO目撃が本当のことなのです。

ある若い夫婦が二人でオウム真理教に入って、教祖の言うままにサリンをまいた。
しかし、どうもそれは間違ったことをしたとされる。
その夫婦は、全財産を教団に寄附し、もう戻るところもないし、
二人で一緒に何かに夢中になることは二人の絆を深めた。
二人にとっては今すすむ道も、教祖の言葉も「本当」でなくてはならない。
本当でなくては困る。
だから二人にとっては、生涯、教祖の言葉も、その指示も、本当のことなのです。
939名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 03:44:59
ご本人はきっと満足しておやすみになられたことでしょう。お疲れさん、
940名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 03:47:09
>>938 確かに 一理あるね
941名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 07:02:05
さて、けちゃっぷ応援団の(めいわくだろうが)愚者がきましたよ
>>938
ずいぶん得意そうですね。鬼の首でも取ったんですか?
「だから二人にとっては、生涯、教祖の言葉もその指示も本当のことなのです」
そうですよ。それが信仰というものなのではないですか?
ここでもっとも悪いのはその信仰を指導したものでしょう。
「言うままにサリンをまいた」すごいところからスタートしてますが、もし、
信者がまともな意識をもっていたら、ここにいたるまでに疑問を
もって信仰を捨ててるはずです。それをさせないようにあらゆる
方法で「洗脳」(これと普通の修行がどう違うかは難しい問題ではあるが)
し続けた教団と、その存在を受容してきた社会と、何よりそういう教え
を広めた教祖が悪いでしょう。
だいたい、あのポアだって、まず資金集めがあって、その正当化や選挙に
失敗して、弁護士を殺して、成り行きで捏造された教義でしょう。

どうして宗教スレで人間がどんなに救われない存在であるかを前提に
話がすすまないんだろう?

たとえばけちっゃぷ師の論理だと「じゃあテロ犯も、念仏すれば救われ
るんだ、と思って人を殺すだろう」って反論が予想されますが、たぶん
「救われているので、人を殺す必要もありません」となるでしょう。テロ
を止めるのは社会的状況であって信仰にそれをもとめるのは筋違い
だし、あと、たぶんですが、イスラムの本当の信仰にもとづけばあの
テロだってアラーに許されるものではないと思います。
現実に犯罪をとめる云々よりまず苦を取り除くこと、真に苦が軽減
されれば犯罪にいたる理由がなくなる。、この過程は正しいと思う。

942名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 07:02:22
きょうもけちゃっぷ鳥は一羽一生懸命囀るんだろうなぁ〜

もう漏れは前を通り過ぎるだけだからドォでもいいんだけどね!
943名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 11:51:06
次々
944けちゃっぷ:2005/09/06(火) 12:30:11
>941 愚者ぐしゃさん、応援大謝。
アレフに残っている信者は、「教祖・教団はたしかに過ちを犯した。しかし教義が真理であることは変わらない。」と信じているのでしょう。
教義自体は真理なんだという信仰が、オウムという最悪の教団に入ってしまった自分を正当化すための担保になっているのです。
教団の過ちを認めながらも、基本的にはまだ信者である自分自身の過ちは認めていないのでしょうね。
過ちを認めたら教団から離れなければなりません。単に今までの人生が間違っていたと認めるだけじゃなく、これからの生活も先が見えなくなります。
お寺の跡取りの人も、似たような心境はあるかも。もし浄土宗の教義を完全否定してしまったら、お寺に養われている自分をも否定することになりますからね。
945けちゃっぷ:2005/09/06(火) 12:39:27
>>938 林被告だったかな。刑務所の中で禅僧の指導を受け、禅の信仰へと転換しているそうです。
単に今まで信じていた信仰を否定するだけでは、今までの自分を否定し、すべてを失うだけです。
しかし、禅という新たな「本当のこと」に転換する場合は、今までのことを失うマイナス以上に、新たな自分を手に入れたプラスを実感できますので、抵抗が少なくてすみます。
つまり、今までの「本当」が必要なくなったり邪魔になったと思わせるのに加えて、より魅力的な新たな「本当」を与えてやれば、更正させる糸口になるのではないでしょうか。
946名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 14:16:21
>>945
>932 二人にとっては、UFO目撃は「本当」でなくてはならない。本当でなくては困る。
> だから二人にとっては、生涯UFO目撃が本当のことなのです。

で、言っていることと違うんじゃないの?
禅宗の指導を受けて「何が本当か」を考えたから改宗するわけでしょ。

言うこと、ころころ変わるなあ。
947名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 15:12:28
そうだな
948けちゃっぷ:2005/09/06(火) 17:43:57
>>946 逮捕されて、オウムの「本当のこと」が否定されてきた状態だから、新しい「本当のこと」が必要だったのです。
そこに禅宗と出会った。はじめから、「今度こそ本当の教えであってほしい」という願望があったから、素直に受け入れられたのではないでしょうか。
949けちゃっぷ:2005/09/06(火) 17:53:36
UFO目撃夫婦がもし仲悪くなって離婚でもしたら、今度は、「UFOなんて嘘っぱちだったんだよ」という新しい本当のことを欲するかもしれません。
本当のことはコロコロ変わり得るのです。だから、何を本当にするかが大事だと言ったのです。
方便は相手によってコロコロ変わるし、自分が変わってもやはり変わります。
950名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 19:27:42
無常ということかね。
951名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 19:52:14
このスレの住人は、総合学術大会とは無縁ですか?
952名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 19:52:36
けちゃっぷくんは、今まで
どんな人生の悲哀や辛酸や苦悩を体験してきましたか?
953けちゃっぷ:2005/09/06(火) 22:00:54
>>952 コテハンでは言えないこともありますし、結局はグチになっちゃうので、やめときます。
954名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 22:17:49
>>948
矛盾してますよ。
逮捕されて「本当のことが否定された」ら、「本当のこと」は変わるわけ?
UFO目撃夫婦は、彼らにとって「本当のこと」を否定されても、一生変わらないわけでしょ。
離婚したら変わる?
じゃあ、結局「何を本当にするか」の「本当のこと」は、
夫婦が仲良くいられるためという、自分たちにとって都合がいいことにすぎないですね。
逮捕されずに逃げているオウム信者にとっては、
「本当のこと」は自分たちの立場にとって「何が一番都合がいいか」ということにすぎない。
955けちゃっぷ:2005/09/06(火) 22:27:01
>>954 はい、そうですよ。オウムに走るしか方法をみつけられなかった若者、世間の冷たい非難に耐える絆を生むためにUFOを見るしかなかった老夫婦。彼らをあわれんでください。
裸の王様が自ら裸であると気付くまで、一緒に裸で歩いて王様を守ってあげてください。
956けちゃっぷ:2005/09/06(火) 22:33:58
あなたにとって阿弥陀仏の救いが必要であるならば、世間がいくら「阿弥陀仏なんて嘘だ」とあなたを攻撃しても、全国の浄土宗僧侶があなたを守りつづけるでしょう。
ひとりじゃないよ ひとりじゃないよ ひとりじゃないよ
957名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 22:36:20
ごまかさないで
958けちゃっぷ:2005/09/06(火) 22:39:17
阿弥陀仏は無量の寿命があるので時間がたっぷりあります。
「はやくしなさい」とあなたの成長をせかしたりしません。
あなたが成長するまで、いつまでもいつまでも、見捨てず見守りつづけます。待ちつづけます。
あなたのことを見捨てないし忘れない。
そういう気持ちを受け継いで、全国に浄土宗僧侶がいます。みんなあなたの味方。だいじょうぶだよ、ひとりじゃないよ。
959名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 22:43:36
正直>>955はとても共感できるのだが、
>>956は余計な一言のような気がする。。

でも、けちゃっぷさんがんばってね!
960名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 22:45:19
感覚だけで語らないで、
もう少し論理的にものごとを考えていただけないだろうか。
961けちゃっぷ:2005/09/06(火) 22:52:40
>>960 それは、何のために?
962名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 22:55:44
そもそも議論の対象にする事物ではないでんしょう。
ひろしです。
しかし、いにしえから公上対決など愚かなことがやられてきたと思う今日この頃です。
963名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 03:22:25
「本当」が何かを規定するのではなく、「本当」とは何かを
思考し続ける事が大切なんじゃないですか?
今自分が考えている事は「本当」なのか、それでいいのかと。
誰かに与えられたにしろ、自分で見出したものにしろ
それに依りかかって思考停止になる事は避けなければならないと思います。

それにしても、至誠心、深心、回向発願心についての論議は
いつ始まるのですか?称名念仏を語る上では外せない要素だと思うのですが。
964名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 05:23:27
葬式が長げーんだよ・・・浄土宗
965名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 08:34:55
だらだら念仏ばっかり繰り返すんじゃなくて、
心に響く仏教の話くらいしろよ
966名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 09:49:07
百の説法より一遍の念仏
967名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 12:34:22
浄土宗の念仏は、陀羅尼かまじないか・・・・
968名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 17:45:58
>>966
仏法が必要なくて、一遍の念仏でいいなら、僧侶や寺は必要ない。
969名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 18:19:38
>>968 念仏の教えを伝えるために必要では?
970名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 19:11:10
>>969
教えを説く説法より、一遍の念仏で充分だと >966 が言っている。

教えを伝える必要があるのは、あたりまえ。
だけど、念仏だけで充分だというのが浄土宗のようですな。
971けちゃっぷ:2005/09/07(水) 19:41:02
往生のためには念仏だけで充分です。
説法聞いても悟れなければ往生できません。ただし念仏すれば別です。
悟らず、往生もしない場合、次は虫に生まれたり地獄に落ちたりして、仏教にさえ出会えず輪廻をさまようかもしれません。
だからとりあえず今回の人生では往生が最優先。そのためには念仏。念仏以外のことは、余裕のある人はやればいい。
972名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 20:31:02
>>971
人間が一番のような言い方だね、 果たして本当に人間が一番なんでしょうか?
人間が一番つまらないと思うけどな。
畜生って悪いものなんですか?
973名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 20:49:42
>>971
なら、やっぱり浄土宗のお坊さんもお寺もいらない。
念仏さえしていれば、お経も、仏教の教えを知ることも必要ない。
みんなで集まって念仏する、念仏クラブだけで充分。
974名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 20:56:48
>>973
>>956のような効果もあるので、教団組織はあった方がいいと思います。
>>972
「人間がいちばんつまらないと思う」・・・そうかなあ。それについては『禅的生活』(玄侑宗久)
がいいとこついてますよ。「犬や猫の方が悟っているのかなあ」玄侑師の考察です。

って、おれは禅宗のまわしものか?


975名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 22:00:50
ま、人間じゃなきゃ念仏出来ないしね。
そのことは素直にラッキーと思える。

それだけの事であって、
つまらんも良いも悪いもない。
976名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 02:38:02
>>974
> >>956のような効果もあるので、教団組織はあった方がいいと思います。
> 956 全国の浄土宗僧侶があなたを守りつづけるでしょう。
> ひとりじゃないよ ひとりじゃないよ ひとりじゃないよ

けちゃっぷ一人の考えを、全国の浄土宗僧侶に押しつけないでほしいなあ。
いっしょにされるのは迷惑です。
「守る」? どうやって。
念仏だけで、教えもいらないなら、僧侶の立場がなくなる。
977名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 07:05:55
念仏を称えましょう、と言っただけでは誰も念仏称えません。
檀家の中にもそんな方はたくさんいらっしゃいます。
念仏の説明、阿弥陀仏の説明をしても、です。
それをどう考えますか?


978名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 07:08:21
>>976
僧侶の立場ではなく、信者の立場で思ったんですよ(いや、正式に入信したわけじゃないが)。
阿弥陀如来の慈悲を信じたとしても、ふと孤独になることもある。その時、少なくともこの世に
「阿弥陀如来なんかいません」と決して言わない人が何千人もいる(何万、か?)ということはもの
凄く救いになると思う。

ところで、プロテスタントなんかも「家を継ぐために、檀家の求めで」牧師になる人なんている
のかなあ? さすがにカトリックはいないだろうけど・・・・(子供いないだろうし)。
何もキリスト教の方が高級だといってるワケじゃないですよ。ただ、もし本気で阿弥陀如来を
信じられないなら、なんとしても僧籍は脱するべきだと思いますがね。
979名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 09:42:04
>>977
念仏は教条ではなく廻向です。
980けちゃっぷ:2005/09/08(木) 12:33:43
>>977 念仏を使って自分の心をチェックすることもできます。能常念仏者能常懺悔人(常に念仏する者は常に懺悔する人だ)。
念仏以外の妄念から念仏に心を戻す時に、「あ。また余計な妄念してたなぁ、オレ」と、気付き反省できます。
そういう反省を念仏によってすることができます。
普段から念仏してると、鼻歌みたいに念仏が口に出るようになります。その自分の口から出た念仏を聞いて、口業だけでなく意業も念仏に戻ってきますからね。
念仏を使って毎日自分の心をチェックしましょう、それで極楽にも往けるというんだから、一石二鳥ですね(ニッコリ)。
981けちゃっぷ:2005/09/08(木) 12:40:22
川の流れに流されそうになった時、つかまる島(州)があれば安心です。
妄念・怒り・貪りなどの流れが心に襲ってきた時も、念仏という島につかまれば安心です。
普段は泳いでいても、本当に危険な激流に気付いた時は、島につかまりましょう。
では、どうやったら危険な流れなのかどうか気付けるのか?そのための教えが、戒です。
982けちゃっぷ:2005/09/08(木) 12:44:02
人を殺したくなった時、盗みたくなった時、嘘をつきたくなった時、浮気をしたくなった時、お酒を飲みたくなった時は、念仏してみましょう。
本当にいいのかな?正しいのかな?やりすぎじゃないかな?後悔しないかな?と、念仏に尋ねてみましょう。
983けちゃっぷ:2005/09/08(木) 12:50:53
感情は右脳ですが、称名念仏は左脳です。
感情的になったとき念仏すると、多少は冷静さがもどります
984名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 14:58:27
>普段から念仏してると、鼻歌みたいに念仏が口に出るようになります。

むかしむかし・・・ 毎日念仏を唱えているお婆さんがおりましたが、年には勝てずしんでしまいました。
そして閻魔大王に「念仏をもってきたか」と聞かれました。
おばあさんは、ほれこの通りと山のような念仏を出しましたが、閻魔大王がフルイにかけると、すべて下へこぼれてしまいた。
「これは空念仏というもので話にならん」とおばあさんを無間地獄に落しましたとさ。
985名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 16:33:17
地獄に落ちたおばあさんは、その後も念仏を続けました。
やがて、地獄の囚徒たちも、おばあさんの念仏に称和するようになりました。
いつか獄卒たちの間にも念仏の輪が広がっていき、
念仏称名は無間地獄から上の地獄へと伝わっていきました。
そしてとうとう閻魔大王の耳にもその声が届きました。
すると、大王のお姿がみるまに阿弥陀さまに変わり、
こう言われたのです。
「地獄はもはや何処にもない。
今後は地獄に落ちる者は一人としていないであろう。」、と。

こうして、地獄も浄土に変わりましたとさ。めでたし、めでたし。
986名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 16:46:54
よく似た話をもう一つ。

むかしむかし・・・中国のえらいお坊様が幼い子供たちにも念仏を称えてもらおうと、
よく念仏した子供にわずかの銭を与えてまわったそうな。子供たちはみな喜んでオミトフオミトフと念仏称えるようになった。
大人たちも影響されて、やがて都中の老若男女が自然にオミトフオミトフと念仏が口をついて出るようになった。

月日は流れやがて大量の念仏者が続々と閻魔大王の元へやって来た。
しかし閻魔大王、「これは空念仏というもので話にならん」とみんな地獄に落しましたとさ。
くだんの坊さんも閻魔大王、「汝は出家の身でありながら釈尊の戒を守らず、銭に手を触れて在家の者の歓心を買おうと
した。汝の罪は山のように重い」と大灼熱地獄へ落としましたとさ。

どっとはらい。
987名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 17:32:04

世界に広げよう、念仏の輪。
988名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 17:48:31
こういう話はよくうけますな。
本当は1ヶだけ念仏があってなんとか下品下生できたの。
近くに雷がおちた時とか、強盗に殺されそうになった時とか、一人息子が死んだ時とか、ストーリーによって違うんだけどね。
信心というのは、そういうもの。たとえ話としても「鼻うたみたいに」とか、右脳とか左脳とか言いなさんな。
989名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 18:35:26
浄土宗には「地獄」って考えかたはないでしょ?

でも、江戸時代の記録を見ても、やっぱり「地獄」がないと広まらないんだよね。
「地獄」なんて、方便のそのまた方便だと思いますけど。
よほどの時でもなければ「地獄」なんて考えない方がいいと思う。

でもまあ、悪人をとりあえず悪から遠ざけるのには有効だっただろう、昔は。
今「ウソをつくと舌を抜かれるぞ」とか「地獄で閻魔さまが待ってるぞ」なんて
子供でも信じないよ。そんなもん反論につかいなさんな。
990名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 22:46:11
浄土宗にも地獄はありますよ? 浄土宗と直接関係はないですが、
往生要集を読んでみて下さい。地獄を用いて往生を説いています。
中学か高校レベルの歴史教科書にもありますが、平安時代の書物です。
また、浄土宗の寺院で地獄絵図を掲げる所もあります。
991名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 22:46:29
>>989
それを言ったら、”三界流転”とか”受けがたき人身”とか
”施餓鬼”とかも方便になっちゃいますがな。
992名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 23:15:55
「往生要集」の名がでたから、尋ねてみるが・・・
「霊界日記」(スウェーデンボルグ著)を読んだことある
浄土宗のお坊さんどれくらいいるんだろうな?
ここでも、恐ろしい地獄の有り様が描かれている。

中国の禅僧やインドのヨガ行者との霊界での遭遇も描かれている。
ニュートンとも話したりするんだよな。
993名無しさん@京都板じゃないよ
989です
私自身は浄土宗は法然上人以後の形、というか
法然教だと思っているのですが、法然さん自身は地獄については
どう考えてたんでしょう。いや、勉強すればいいことですが・・・。
私の考えるかぎりでは法然さんが必要以上に地獄を説くとは思われませんが・・・。