庶民の念仏信仰の場となった、全国各地の念仏道場について語りましょう。
念仏者もそうでない方も歓迎致します。
2 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/20 23:50:36
3 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/20 23:51:31
>>1 具体的にはどこの寺?
念仏系の寺は大抵が坊主付の霊園だろ。
5 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/20 23:54:59
ああ、「あだしの」ね。。。
6 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/20 23:55:21
>>3 法然さんや親鸞さんが開いたとされる道場のことでは?
8 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 00:01:56
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,__ | 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・
/ ./\ \_______________
/ ./( ・ ).\ o〇 ヾ!;;;::iii|//"
/_____/ .(´ー`) ,\ ∧∧ |;;;;::iii|/゙
 ̄|| || || ||. |っ¢..|| ̄ (,, ) ナモナモ |;;;;::iii|
|| || || ||./,,, |ゝ iii~ ⊂ ヾwwwjjrjww!;;;;::iii|jwjjrjww〃
| ̄ ̄ ̄|~~凸( ̄)凸 ( ,,)〜 wjwjjrj从jwwjwjjrj从jr
>>7 いい感じですなぁ・・・農村風景に思いっきりマッチしてますな。
10 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 00:04:20
大伽藍や勲章(この団体は政治結社という説もある)を
誇るようになった宗教はもう死んでるんだよ。
12 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 00:11:38
>>6 念仏道場というと親鸞のイメージが強いけど、法然もけっこう道場開いてるんでしょ?
14 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 00:13:43
>>7 寿川道場の創立年代は不祥。
喚鐘の刻銘から宝暦4年(1754)には存在していたとされている。
なお、現在の道場は文政4年に完成したものと言われている。
五箇山に関連して……
h**p://www.tkc.pref.toyama.jp/furusato/syoku/t94-3.html
より引用。
晩秋のころ、村へ手次寺の坊さんがきて数日滞在して各家の報恩講をすませた最後の晩、
ムエン(無縁)といって村の物故者の報恩講を念仏道場で営む。このとき村の若い衆がそば
粉を持ち寄って手打ちそばを作り、僧侶をもてなし会食をする。そば会といって、若い衆の晩
秋の楽しみであった。
物故者の報恩講ってのがあったのね...
化野念仏寺ってのは、そもそも空海が如来寺を建立したのが起源でしょ?
でもって法然がそこに道場を建てたと。
17 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 00:36:37
>>13 法然が指導して建立した念仏道場ってそんなに無いだろ?
法然院と化野念仏寺くらいしか知らんな。
知恩院だって仏殿は源智が建てさせたものなんだろ?
浄土宗・浄土真宗に話が偏ってるような……
>>18 念仏道場と言えば、西教寺(天台真盛宗)なんてのもあるよね。
確か、明智光秀とその一族の菩提寺でもあったと。
20 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 00:53:58
>>19 西教寺って大乗円頓戒と阿弥陀信仰だよな。厳すぃ・・・庶民には手が出んぞ(w
21 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 00:58:59
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,__ | 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・
/ ./\ \_______________
/ ./( ・ ).\ o〇 ヾ!;;;::iii|//"
/_____/ .(´ー`) ,\ ∧∧ |;;;;::iii|/゙
 ̄|| || || ||. |っ¢..|| ̄ (,, ) ナモナモ |;;;;::iii|
|| || || ||./,,, |ゝ iii~ ⊂ ヾwwwjjrjww!;;;;::iii|jwjjrjww〃
| ̄ ̄ ̄|~~凸( ̄)凸 ( ,,)〜 wjwjjrj从jwwjwjjrj从jr
善哉善哉
24 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 02:37:51
>>23 何か「あなたの知らない世界」って感じのPHOTOっすね(w
>>23 そもそも化野って風葬の地でしょ?
空海さんが五智山如来寺を建立したのも、里の人間に土葬させるためだったはず。
今のように無縁仏だの石仏だのが集められたのは明治に入ってからでしょ?
となると法然さんの時代にはもう少し違った雰囲気だったんじゃない?
26 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 02:56:18
>>20 「戒称一致」あるいは「戒称二門」というやつね。
>>26 真盛は、源信の『往生要集』の影響を受けていた人物だよな。
戒称二門も、はじめに念仏の教えを大衆を広め、教化された大衆が布施を申し入れても
受け取らず、円頓戒を守ることを誓わせたと。
28 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 17:49:16
>>27 戒を守れないとどうなっちゃうんだろうね?
30 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 18:57:33
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,__ | 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・
/ ./\ \_______________
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/_____/ .(´ー`) ,\ ∧∧ |;;;;::iii|/゙
 ̄|| || || ||. |っ¢..|| ̄ (,, ) ナモナモ |;;;;::iii|
|| || || ||./,,, |ゝ iii~ ⊂ ヾwwwjjrjww!;;;;::iii|jwjjrjww〃
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31 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:42:02
良スレの予感・・・age
32 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/22 05:04:40
>>15 末寺が複数の道場を管理してたということかな????
33 :
けちゃっぷ:04/12/22 12:31:43
>28 戒を守れなくても往生できますが、一人の仏教徒として戒を守るよう努めるのは当然です。阿弥陀様を親に例えると、悪い子供を嘆きながらも見捨てませんが、善い子を喜びます。
>>28 戒が「誰が、誰に、何のため」に作ったかを考えましょう。
>>33 無分別智、賢善精進&造悪無碍などをもう少し考察していきましょう。
35 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/22 14:20:59
>>32 蓮如が作り上げた体制はそうだね。
拠点寺院を中心として、その周りに道場が点在するというね。
五箇山の道場などもその1つ。
37 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/22 14:31:20
>>33 貴殿のところは念仏道場になってるかな?
確か和歌山の小寺院のはずだったが。
>>33 それは「憐れみ」とはちょっと違うような気がするけどね。
39 :
けちゃっぷ:04/12/22 17:41:01
>34 戒・律は、本人の修業であると同時に、教団の評判を悪くしない(カルト扱いされない)ためでもあります。浄土宗開宗当初、悪業やりたい放題と勘違いした信者が出て、念仏弾圧のきっかけになりました。
40 :
スレ違い?:04/12/22 17:42:51
六波羅蜜寺の空也踊躍念仏見てきました。
南無阿弥陀仏を黄檗宗で唱えるような読み方で唱えるんですね。
41 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/23 03:08:51
42 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/23 15:27:06
43 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/23 23:57:14
>>15 そりゃ、諸仏と位置づければ報恩ということは確かにあるかもな。
>>39 >教団の評判を悪くしない(カルト扱いされない)ためでもあります。
それは違うんじゃないの?
後々の理由付けではあるだろうけど、戒を定めた理由ではない。
45 :
けちゃっぷ:04/12/24 18:16:46
>44 まぁ正確には、戒ではなく律が教団のルールなんですけどね。浄土宗の場合は、信者の問題行動が多発したため、法然さんが「七箇条制誡」を出しました。これが浄土宗の律にあたるでしょう。
46 :
けちゃっぷ:04/12/24 18:25:23
正しくは、律は教団メンバーとしての規律、戒は修業のための自律的努力目標ですね。あと、当時の貴族は、病気になった時などに戒師の僧侶を招き、魔除け感覚で一生のうちに何回も戒を授かったそうです。
47 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/25 01:54:10
>>45 それはそうなんだけど、それでは
>>34氏への回答にはならないのでは?という指摘だと
思われますが・・・
>>44のそれは。
>>43 最近は「みんなで諸仏を崇め奉ろう」仏教のような気もするな。
49 :
けちゃっぷ:04/12/25 08:13:26
戒を守れないことは煩悩を放し飼いにすることなので、生活の中で不満やストレスを感じやすい人になっちゃいますね。戒は、苦悩の原因である執着を減らして苦悩を減らすための、訓練ですね。
50 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/25 08:27:31
52 :
けちゃっぷ:04/12/25 08:33:56
毎月25日は“世界平和念仏の日です。正午に念仏を称えましょう。ナむあみだぶナむあみだぶナむあみだぶナむあみだぶ ナむあみだぶナむあみだぶナむあみだぶナむあみだぶ なむあみだぶつ なむあみだぶ。
53 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/25 08:54:48
54 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/25 09:06:12
>>53 都合の悪い質問はスルー、ということでしょ?w
55 :
けちゃっぷ:04/12/25 11:27:52
>50 なかなか守れませんね。ただ、戒を授かり“戒体”が発動してますので、多少はブレーキがかかるし、戒を破ると「しまった」と懺悔の気持ちが起こります。うちは小寺院で、体験道場等は開いてません。
56 :
けちゃっぷ:04/12/25 11:37:05
浄土宗の檀家の方は、機会があれば「五重相伝」を受けてみましょう。その時にはお寺が道場になり、5日間かけて、抗議を受け、戒を授かり、念仏の奥義・口伝を伝承されます。
57 :
けちゃっぷ:04/12/25 11:42:01
>56 まちがった!5日間も「抗議」を受けたらたまりませんね。説教師を招いて、「講義」を受けます。先日も近所の寺の五重を見学に行きました。説教で感激して泣いてる人もいました。
58 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/25 11:59:22
けちゃっぷ坊居る所即ち是念仏道場也
又云、往生は初の一念なり。初の一念といふも、なほ機に付ていふなり。
南無阿弥陀仏はもとより往生なり。往生といふは無生なり。
此法に遇ふ所をしばらく一念といふなり。
三世セツ断の名号に帰入しぬれば、無始無終の往生なり。
臨終平生と分別するも、妄分の機に就て談ずる法門んなり。
南無阿弥陀仏には、臨終もなく、平生もなし。
三世常恒の法なり。出る息いる息をまたざる故に、
当体の一念を臨終とさだむるなり、念々臨終なり、
念々往生なり故に「回心念々生安楽」と釈せり。
おほよそ仏法は、当体の一念の外には談ぜざるなり。
三世はすなはち一念なり。
>>56 じゃあ、自分のところの檀家を連れて行ってるわけね。
それは感心です。
60 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/25 17:38:18
61 :
けちゃっぷ:04/12/25 19:17:09
>59 五重相伝は、小さいお寺にとっては最大の行事なので、近所の寺にも案内が来ます。うちの寺の檀家さんも、数名参加されました。生前に戒名をもらえることに関心があって参加される方も多いみたいですが。
62 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/25 21:31:59
>>61 で、けちゃっぷ氏の寺はちゃんと道場の体になってるのかな?
現場は大事だよ。
63 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/26 00:33:31
64 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/26 19:40:51
>>60 関東には昔ながらの念仏道場ってけっこうあるの?
65 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/26 23:09:33
>>64 真宗で言えば……北関東(茨城方面)が中心だろうね。
66 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/27 18:15:41
「茨城県」「念仏道場」でググッた結果・・・
h**p://travel.nifty.com/cs/catalog/travel_595/catalog_8000151_1.htm
> トウコウジ
>東弘寺
>(略)
>真宗大谷派で、親鸞聖人の高弟・善性坊の開基。善性坊が開いた東弘庵という念仏道場が
>始まり。寺宝に親鸞聖人の自刻像、薬師如来座像がある。本堂は町で最古の建築物。
何故か真宗なのに、念仏道場なのに薬師如来座像が・・・どういうこと?
h**p://travel.nifty.com/cs/catalog/travel_595/catalog_8000301_1.htm
>ホウオンジ
>報恩寺
>(略)
>親鸞聖人の第一番の弟子である性信が、廃寺となっていた真言宗の大楽寺という寺を再興
>して真宗最初の念仏道場としたのがはじまりという古刹。下総報恩寺とも呼ばれている。
浅草にも報恩寺ってあるよね。
68 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/28 16:16:11
>>66-67 お弟子さんたちが既存の寺院を再利用して道場にしたわけね。
69 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/30 00:53:45
>>68 新規に建てるとなるとそれ相応の費用が掛かるからな。
廃寺を再活用した方が上策。
70 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/30 03:50:55
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,__ | 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・
/ ./\ \_______________
/ ./( ・ ).\ o〇 ヾ!;;;::iii|//"
/_____/ .(´ー`) ,\ ∧∧ |;;;;::iii|/゙
 ̄|| || || ||. |っ¢..|| ̄ (,, ) ナモナモ |;;;;::iii|
|| || || ||./,,, |ゝ iii~ ⊂ ヾwwwjjrjww!;;;;::iii|jwjjrjww〃
| ̄ ̄ ̄|~~凸( ̄)凸 ( ,,)〜 wjwjjrj从jwwjwjjrj从jr
71 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/30 06:37:47
>70
地蔵に「南無阿弥陀仏」ってヘンじゃないか?
72 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/30 19:07:08
73 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/31 00:43:46
硬いこと言いなさんな。
あだしののねんぶつ寺だっけ?お地蔵さんだらけじゃないか。
弥陀は遍満してるということでよろしく。
>>73 いいこと言うねぇ。どこに行っても念仏、念仏ですわ。
75 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/31 06:46:31
76 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/31 07:27:25
>>73 縁を結ばせるもの、という捉え方でいいと思うけどね。
77 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/31 07:45:52
つーか地蔵菩薩に「南無阿弥陀仏」って
鈴木さんに向かって「佐藤さん」って声をかけるみたいなモンでは?
78 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/31 08:11:48
>>77 「間違えました、ごめんなさい」から始めりゃええやんけ。
79 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/31 08:18:24
エリザベス女王に向かって「天皇陛下万歳」をやるようなもの。
80 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/31 08:22:52
>>79 「間違えました、ごめんなさい」から始めりゃええやんけ。
81 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/31 10:37:51
お地蔵様に南無阿弥陀仏は無いとも言い切れないな。
地蔵盆の大数珠繰りのとき、まわしながらなんまんだぶ
って唱えてるし。
82 :
けちゃっぷ:04/12/31 11:42:46
僕は、地蔵さんで神社でも教会でも、南無阿弥陀仏です。無量の功徳を有する名号・それを称える私を、神様に奉納します。
83 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/31 17:06:27
「神様」まで登場しましたか。
【大吉】 (No.41803) モナー神社
願事 : 気長くして居れば叶う
待人 : 来れど遅し
失物 : 出づ 手近にあり
旅立 : よし 連れ人に注意
商売 : 見込み確かなれば儲け有り
学問 : 労多いが成果有り
争事 : 初めは悪く後勝つ
転居 : 差し支えなし
病気 : 軽くとも長引く恐れあり 注意せよ
縁談 : 良縁あり 人に頼んで進めよ
85 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/31 19:21:24
阿弥陀仏は一切の衆生を救済してくれるので大吉も大凶も無いだろ。
86 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/31 20:29:55
87 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/01 18:57:23
88 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/01 19:51:20
そりゃそうと、念仏って対象は「阿弥陀仏」に限らないだろ?
「南無釈迦牟尼如来」でも「南無薬師如来」でも問題無しだよな?
>73
ということで、地蔵菩薩には「南無地蔵菩薩」でいいんでないかい?
89 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/01 20:06:54
>>88 『大経』『観経』から取り出せば「南無阿弥陀仏」だわな。
90 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/01 20:13:15
薬師如来対象の念仏信仰もある罠。
91 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/01 20:15:48
>>90 そりゃ、根拠が異なれば対象になる仏サンも違ってくるわな。
92 :
けちゃっぷ:05/01/01 20:19:31
阿弥陀仏は、「呼んでくれたら極楽から迎えに行くよ」って誓ってるんですが、他の仏にも、そういう誓いとかがあるんでしょうか?
>>2-92 一応、こういうスレなので宜しく頼みます。
1 名前:名無しさん@京都板じゃないよ 04/12/20 23:48:30
庶民の念仏信仰の場となった、全国各地の念仏道場について語りましょう。
念仏者もそうでない方も歓迎致します。
94 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/01 21:38:05
水を差す念仏禿...
95 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/02 05:12:10
__
/三ミミ、y;)ヽ
/三 ミミ、ソノノ、ヾ、}
,':,' __ `´ __ `Y:}
}::! { : :`、 ,´: : j !:!
{:| `・、 i ! ,・;' |:}
r( / しヘ、 )j
g ! ` !-=‐!´ ,ノg アンタ! 地獄に落とすわよ!
\._ヽ _´_ノ ソ
__,/ ヽー ,/\___
|.:::::.《 ヽー/ 》.::.〈
//.:::.`\ /'.:::.ヽ\
96 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/02 11:58:18
↑なんて人の言葉にフラフラと振り回されないのが仏道ですから。
97 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/02 18:26:00
>>92 まさに方便としての浄土めがけて一直線って感じだね。
98 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/02 22:21:50
>>97 臨終来迎ばっかりだとねぇ……
で、念仏が修行で、ボクは凡夫で……まあ、適当にやってや。
>>98 いくらでもイメージできちゃうってのもな。
それで今を生きられるならそれでいいって考え方も分からんでもないが。
しかし、それが念仏かと言われると、決してそうではないんだが。
100 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/03 06:24:00
>>98 今叶えられないことが未来に叶う・・・それこそ麗しき妄想だけどな。
けっこう面白い話なので紹介しておきますね。
http://www.pict-web.com/issue/021/soba_3.html >「そば店」
>あわてて店に飛び込んだ蕎之助は蕎麦切りが出てくるまでの間あたりを見廻わして
>いるとこの店の屋号松月庵なる文字が目に入った。蕎麦屋の屋号に庵号が用いられ
>たのは江戸時代中期からで、そもそもそば店が庵号を名乗るようになったのは、江戸
>浅草の称住院という寺にゆらいするといわれる。称住院は浄土宗の檀家を持たない
>念仏道場でその院内に「道光庵(どうこうあん)」という支院(しいん)があった。そこの
>庵主は、信州出身のそば打ち名人で参詣人に手打ちそばを振る舞ったところ大変喜
>ばれた。次第に「道光庵そば」として評判となりこのそば切り寺にあやかろうと当時の
>そば店は競って屋号に庵を付けたのがそのはじまりである。
>ちなみにこの道光庵であるが江戸中のそば好きが押し寄せたため寺だかそば店だか
>分からなくなってしまった。親寺の称住院ではその様子をみるにみかね、天明六年
>(一七八六)にそば禁断の石碑をたててそば党に門前払いをくらわすとともに道光庵
>のそば切りも三代で打ち切られた。(蕎麦辞典より)
102 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/03 07:30:01
103 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/03 10:41:47
>>101 称住院は浅草から世田谷の烏山に移転し、今も現存してるよね。
立ち入り禁止の石碑も現存しており、称住院の門前に立てられているとか。
104 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/03 21:09:19
長寿庵
105 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/04 00:56:29
http://www.tokusen.info/soba/12.html そば打ち名人といわれた初代道光庵の庵主は、享保ごろの信州出身の人で、初めは檀家に
所望されたとき供養のためにそばを打っていた。そのそばは、そば粒の中心部分だけの粉(今
でいう一番粉)で打つ純白のそばだったので、色黒のそばしか知らなかった当時の江戸ッ子は
驚いた。ちょうど、木綿豆腐しか知らなかった江戸ッ子が、初めて絹ごし豆腐に出会ったような
ものである。
しだいに道光庵そばの評判はひろがり、一般の人たちにもふるまうようになった。そして、安永
六年(1777)の「富貴地座位」という市井評判記では、他店をおさえてトップの座につくまでにな
った。
「道光庵うでたてなぞとけんどん屋」などの悪口の句まで残っているのは、繁盛した証拠である。
しかし、寺だかそば屋だか区別がつかないほど門前市をなすようになると、再三の本院からの
注意にもかかわらず、本来の寺としてのお勤めを怠るようになる。
ついに天明六年(1786)、称往院和尚は、道光庵に高さ二メートルにもなるそば禁断の石柱を
立てて、集まるそばの亡者どもを門前払いにした。
客が悪いのか、はたまた店が悪いのか、マスコミにのせられたひいきの引き倒しという現象は、
現代社会だけではないようだ。
「不許蕎麦入境内」(そばを打って当院の清規を乱すゆえそばは境内に入るべからず)と彫られ
たこの大石柱は、安政の大地震で倒壊したが、のちに称往院が現在地の世田谷区北烏山に
移転するとき、三つに折れて土中に埋まっているのがみつかり、今、この寺の門前右手に再建
されている。
106 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/04 21:42:02
>>105 >そばの亡者ども
ラーメン屋の前で行列作ってる香具師みたいなものね?
107 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/05 07:19:25
108 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/05 08:35:49
>>107 果たして「浄土真宗」の名乗りが相応しいのかねえ?
まあ、単立寺院だから「何でもあり」なわけだが。
110 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/06 06:02:41
>>108 一応、根差すところは法然−親鸞なんだろ?
111 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/06 08:26:06
>>108 そのあたりの柔軟性?が単立寺院の持ち味だし。
研修や修行を経験した個人なり団体、企業の感想も一度聞いてみたいものだが。
112 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/06 21:57:21
>>110 まあ、今は本流の真宗教団だって、親鸞の言質を都合よく拾い集めて政治活動してるだけ。
修業道場としてオープンしてるだけマシって気もするが。
113 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/07 01:23:55
>>112 真宗禿にしちゃ珍しく修行してるようだしなw
115 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/07 05:53:04
>>111 以前、総持寺で研修目的の体験修行をしたが、僅か1〜2日で性根まで改まったら苦労せんわい。
どこの寺のどんな修行であれ、一日や二日というのは「お試し体験版」。
タイなどでは成人男性が誰でも一生に一度は会社や役所を休んで数日から数週間
出家体験をすることが公認だそうだが、日本でも最低限七日や十日間の修行休暇は
認められるべき。
117 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/08 06:12:51
>>116 有給休暇取りなさい、自己鍛錬なのだから。
>>115 募集したらけっこう来るでしょ、体験修行。
119 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/09 17:25:21
>>117 んなところまで企業も面倒見きれんだろ、常識的に考えて
120 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/09 17:39:39
121 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 01:08:35
南無釈迦牟尼佛・・・
本尊ひとつあれば、そこは念仏道場
>>122 その通り。
あれやこれやと余計なものは要らない。
124 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 12:51:43
>>118 座禅や写経は人気あるからね。プチ感覚は大事なこと。
125 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/11 07:22:18
126 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 08:10:47
127 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 13:18:22
>>124 何か気分のモノって感じもしなくはないが…
128 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 15:30:44
>>122 マンションの1室でも開設できるからな。
果たして家賃払えるかどうかは疑問だが・・・
観想念仏の道場とかって無いの?
130 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 14:11:44
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131 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 15:31:21
>>129 http://www.hm.aitai.ne.jp/~jintori/history4.htm >4、浄土信仰に基づく観想念仏道場に発展した勧善寺
>
>日本では、「勧善講」に多くの人々が集まり一大精神運動を興しました。
>「善いことをすれば、善いことがある」と悪因縁に泣かされている
>人々から、悪い縁を吹き飛ばして善い縁だけを固く結ばせました。風神社
>は縁起なおしと風邪除けの神として、勧善寺は善縁結実の寺としての信
>仰を広めました。平安時代中期に、勧善寺十六世の宝蓮上人は、比叡山
>の横川の源信僧都の御同朋となられ、勧善寺を観想念仏道場となされま
>した。
>浄土信仰の高まりによって、「勧善寺でいただいた善縁は極楽往生の因
>となる」とされて、勧善寺は浄土系の寺院の一つに数えられるようになっ
>ていきます。
>>131 浄土宗には属してないだろ?
口称念仏もさることながら、定善・散善の修業道場なわけだから。
133 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 16:39:35
>>132 要は「観想念仏」「称名念仏」「善行」の3点セット。
分かりやすと言えば分かりやすい。
凡夫にそれができるか否かは別として・・・だが。
134 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 19:00:20
>>133 まあ、念仏ってのは本来、称名だけじゃないからね。
本筋を辿っていけば、勧善寺の方が保守本流と考えてもいいのかも知れない。
135 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 20:57:14
>132 ということは、天台宗かなぁ?
136 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/16 04:25:31
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経
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139 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/16 10:52:48
>136 単立って、うさんくさい気もしますが。
>>139 ひとり本山だから?
そりゃ、偏見でしょ。
141 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/16 17:10:38
>>139 確かにどの程度のものだか分からないからね。
でも、由緒正しい修行道場だったら、そこまで酷くはないんじゃない?
142 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/17 10:32:20
浄土門勧善派????
143 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/17 11:12:36
>>142 浄土門勧善寺派では?
ちなみに生前戒名は2万円だそうです(w
144 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/17 15:17:43
>>143 でも、普通はそんなものじゃないのか?
葬儀になると途端に跳ね上がるって理屈がよく分からん。
ウチは生前だろうが没後だろうが、額面は変わらないしな。
145 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/18 10:16:13
>>144 それだけ皆さん、ボッタクリしてるってことですよwww
146 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/18 15:28:10
>>143-144 それが本来のあり方でしょう。
ウチも面倒くさいから「生前戒名をもらいましょう」キャンペーンやってるけど。
庶民信仰と言えばやはりお地蔵様。
148 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 19:46:21
149 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/21 12:13:34
親鸞さんは寺を建てることに否定的だったけど、現実には東西本願寺系列で2万前後の寺があるよね?
これってどういうことなの?
151 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 15:59:28
>>150 信濃町にも不気味な題目道場があるよね?
あれって一体何なの?
152 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 17:38:03
153 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 22:28:54
155 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/27 21:44:56
そうかそうか・・・・・
156 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/31 00:34:05
>>149 その中には法人格の無い開教寺院も含まれてるわけでしょ?
>>156 当然含んでいるはず。
私的にやっているものは別として、、、だが。
158 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/02/01 13:48:33
>>157 真宗あたりだと、浮世離れしたことばかり言ってる「ひとりキティ道場」とか
多そうだなwww
スレタイ無視の雑談スレはここですか?
160 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/02/03 14:45:21
>>160 やはり教化の現場として機能していないとダメってことですね。
間借りさせていただきます。
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1107230057/255- 255 :名無しさん@京都板じゃないよ :05/02/06 16:25:03
>>234 不必要に建設費用の掛かる堂宇なんて要らんのじゃない?
信仰の現場なのだから、道場or会館スタイルの構造物でいいように思う。
葬儀などに用いる会館スタイルの方が使い勝手が良かったりするし、建設費用などの面でも
負担が小さいのでは?と思ったりする。
256 :名無しさん@京都板じゃないよ :05/02/06 16:32:34
>>255 実利面を考えればそうなんでしょうが、歴史的に形成されてきた
「お寺とはこういうもの」というイメージがあるからね。
257 :名無しさん@京都板じゃないよ :05/02/06 18:01:37
>>256 そういう要素は別院に任せてもいいんじゃないの?とも思うけどね。
「お寺とはこういうもの」という部分を求めるあまり、その負担に辟易してしまっては元も子もないし。
259 :名無しさん@京都板じゃないよ :05/02/06 20:07:44
もうイメージで金出さんわ。時代につれて変わらなきゃ。
それに町内にそんな大金のかかったもの必要ないわ。
どうしても欲しかったら、欲しい人だけが金出して建立したらどうかね。
260 :名無しさん@京都板じゃないよ :05/02/06 20:20:54
>>259 話はズレるが・・・
>もうイメージで金出さんわ。時代につれて変わらなきゃ。
何言ってんだ?
ここ最近の日本はイメージにこそ金出す傾向じゃん。
どこの国の人?
263 :名無しさん@京都板じゃないよ :05/02/06 23:51:40
>>260 イメージねぇ・・・
でもね、400〜500年続く無住のボロ寺を再建する時に、120〜130の檀家衆に
「これまで続いてきた伝統をあなた方が断ち切ることになりますが、それでもいいんですね?」
と1軒、1軒回って金策した代務住職さんと檀家総代さんの話を聞いたことがある。
結局、ぜ〜んぶの檀家衆が金を工面して再建されたわけだけど、この話、肯定的
に捉えたらいいのか、否定的に捉えていいのか分からないけど、ここ10年内の話
なんだよね。
264 :名無しさん@京都板じゃないよ :05/02/06 23:58:09
>>263 その代務住職、頭の回る人というか実務的な能力を持った人だね。
でももはや文化的伝統しかバックボーンにもってこれないのは悲しいなー。
上に出てたキリスト教の教会のケースだと、バックボーンにあるのは伝統とか因習じゃなくて信仰だよね。
267 :名無しさん@京都板じゃないよ :05/02/07 00:16:56
>>264 代務住職だからそんなことまでしなくてもいいのに、それでも
突き動かされるものがあったというのは、ある種の宗教的情熱
と受け取ってもいいと思うなぁ。
そこに人がいる限り、「灯りは消えない」って考え方もあるんだ
けど、逆に場ということから「灯りを灯し続ける」という考え方も
ある。
何せ「方便の法身」ということが仏教にはあるから。
問題はその「灯り」がないのに、場だけ残そうとする、綺麗にし
ようとすることかも知れないなぁ。
268 :名無しさん@京都板じゃないよ :05/02/07 00:23:20
信仰する人がいて、きちんと地域の人もその必要性を認めている状態がそこにあるのは確かです。
それは今後の教化面を含めた寺院経営のヒントになるものでしょう。
檀家・信徒相手の「保守点検業務」だけでいいのか
地域と共に歩んでいくということはどういうことか
そのために必要な具体的な施策とは何か
そのために主管者が檀家・信徒、地域の中でどのような存在であるべきなのか
検証できるものはいろいろあると思いますね。
269 :名無しさん@京都板じゃないよ :05/02/07 01:01:59
>>264 信仰もあるけど地縁もあるんじゃないの?
小さい町のことだから。
271 :名無しさん@京都板じゃないよ :05/02/07 04:33:44
>>268 布教する前に自分が1人の信仰者にならんといかんでしょ、それが根本。
その上で、何故、布教するのかということが明らかになっていないといけない。
ただ、金蔓を掴まえたいから?それじゃあ、どうにもなりませんわね。
新興宗教と一緒。
272 :271:05/02/07 04:37:13
ということから考えると、新興宗教との違いを明確にしなければなりませんわね。
仏教の真の救いとは何でしょう、ということから始めないと。
「信じるものは救われる」ですか?違いますよね。
>>272 前から言ってることですが、仏教を称するカルト集団に対抗して、なにが仏教であるかを
明らかにするのは、伝統的仏教諸宗の責任であると思うわけです。
274 :名無しさん@京都板じゃないよ :05/02/07 04:57:30
>>273 それをやると同じ土俵の上で戦うことになるでしょ、ただの泥仕合。
おそらくだけど「救い」の意味合いがまるで違うということを忘れちゃいけないんじゃない?
違いは明確にするけど、それは相手を批判することじゃない。
むしろ「救い」ということから「解いて」いかないとダメでしょ。
目に見える分かりやすいご利益の方に行くのは人情ってもの。
275 :名無しさん@京都板じゃないよ :05/02/07 05:01:20
>>273 勘違いしないでね、「対抗」という言葉に反応したことだから。
対抗というのは対決軸の一方になる、ということでしょ。
それこそカルトさんの思う壺。粗探しをして「ほら、救われない」ということになる。
本質が違うし、求めているものも違う、ということから入らないとね。
>>162-167のような状況であるからこそ、巷の念仏道場が再びその機能を回復
していくべきだと思うんですけどね。
法話でも座禅でも、あるいは観想or称名念仏でもいいと思います。
ビジネスから一歩抜け出た存在として、道場の役割は重要だと思います。
そのあたり皆さん、どうでしょう。
参考までに・・・
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r10.htm より引用。
>「檀家型」と「新宗教型」仏教各宗派
(略)
>高野山真言宗の883人(信者数割る僧侶数。以下同じ)は、少し多すぎる(この数字は
>たぶん、観光スポットでもある「高野山」や「四国遍路」の「参詣客」も数に含んでいると
>思われる)にしても、真言宗御室派の350人・真言宗智山派の372人・真言宗豊山派の
>400人は、極めて近い数字である。一方、典型的な「檀家型」宗教である浄土系をみて
>も、浄土宗の604人・浄土真宗本願寺派(西本願寺)の238人・真宗大谷派(東本願寺)
>の323人も合理的な数字である。「在家型新宗教」の多い日蓮系でも、伝統教団である
>日蓮宗の453人・本門佛立宗の764人は、他の仏教諸宗派とあまり変わりなく、新宗教
>教団である霊友会の658人・妙智會教団の279人・佛所護念會教団の446人・立正佼
>成会の293人も、この面(教師1人当たりの信者数)で見る限り、ほとんど変わりがない。
>ただ、日蓮正宗の8,263人だけが突出した数字であるが、これは、別に述べたように、
>今では別の教団になっている創価学会の信者数をダブルカウントしたせいと思われる。
(略)
(略)
>ところが、1ヶ寺当たりの僧侶(宗教家)の数をみると、「伝統仏教型」と「新宗教型」諸教
>団とでは、著しい差異が生じる。高野山真言宗の1.71人をはじめ、御室派の1.38人・智
>山派の1.45人・豊山派の1.13人、浄土宗の1.41人・本願寺派の2.78人・大谷派の1.92人、
>日蓮宗の1.52人・日蓮正宗の0.98人・本門佛立宗の2.47人など、いづれも、伝統教団に
>属する寺院は、世襲(おもに父子相続)体制に裏打ちされた「家族経営」的基盤で支えら
>れていると言えよう。一般に知られていない言葉で、なおかつ、仏教諸宗派でよく使われ
>る言葉に「寺族(じぞく)」という専門用語がある。「庫裏(くり=寺院境内にある職員宿舎)
>に居住する住職の家族」という意味だが、本来、税法上は厳密に区別されるべき(宗教
>法人として、免税措置を受けている)礼拝施設である「本堂」と(住職個人の所得税の対
>象である)居住施設である「庫裏」の維持費(光熱費等)が混同(どちらも税金を払ってい
>ない)されている場合も多い。いわんや、住職の子弟が(法人の経費で購入した)高級
>外車を乗り回しているなどは、言語道断である。
>一方、「新宗教型」諸教団では、1ヶ寺(布教施設)当たりの僧侶(教師)数が、霊友会の
>0.98人を除けば、妙智會教団の366人・佛所護念會教団の379人・立正佼成会の32.5人
>と、ずば抜けて多く、これらは、伝統仏教各宗派の「家族経営型」とは全く異なる、中央
>集権的本部の下に所属する「布教センター型」を形成している。これらの有力教団の多
>くは、霊友会の一支部が、カリスマ性の高い支部長によって独立して形成された場合が
>多く、霊友会は組織防衛上、一布教施設の単位を意図的に小さくしているものと思われ
>る。いずれにしても、これらの諸教団では、教師1人当たりの信者数が伝統仏教諸宗派
>(檀家型)と同じくらい多いのもかかわらず、「在家宗教」と称して、教師の多くは「別の
>収入源(サラリーマンや自営業)」を持っている場合が大半で、なおかつ、世襲されている
>伝統仏教諸宗派の僧侶よりも、「自ら信仰を選んだ初代世代が大半」という、教祖(教団
>本部)へのロイヤリティの高さから、ほとんどの収入を教団本部へ「上納」するため、本部
>は巨大な宗教施設を有し、なおかつ、潤沢な資金によって、多彩な社会活動や世界平
>和運動を行っているのが共通する特徴である。
>>172 なんかいいね、ほのぼのした話で。
でも、こういうのって寺の場合には難しいんだろうね。
2700万円じゃ本堂建たないだろうし。
>>172 確かにキリスト教系の教団の場合、布教所(伝道所)などはこういった民家を改装したような
構造のものが多いよね。
仏教のようにやたら荘厳を派手にしたり、堂宇のような構造物はそれほど多くない。
道場というなら、最終的に教会寺院を目指すのではなく、布教・伝道ということを最優先して
もらいたいね。
葬式だの仏事だのに追われることもないのだろうから。
>>174 どの道、墓地は霊園だし、道場というのはあまり馴染みがないが、
敢えて求めるなら「非日常」だろな。
仏事だってそこでやっていいんだろ?
何ここ?sage推奨?
>>175 布教所も結局、手っ取り早い資金稼ぎとして儀式執行の方にウェイトを置いてしまうことが
多いみたいね。
そうするとイレギュラー対応が主体になるし、話をあまり選べない立場になるから、肝心の
布教活動が疎かになってしまうと。
けっこう悪循環だったりするわけね。
浄土真宗(西本願寺系列)の布教所。
下の方は変な構造してますね。
h**p://www.tsukijihongwanji.jp/toshikaikyo/kaikyo/chiba/ichihara.html
h**p://www.tsukijihongwanji.jp/toshikaikyo/kaikyo/ibaragi/kashima.html
>>178 周りを見て思うのだが、道場ってそれだけじゃ絶対食えんぞ。
どうしても副業、兼業が前提になる。
>>179 一瞬、南蛮寺?と思うような建物だね。でも、嫌いじゃないよ、こういうの。
↑のスレにある「碌山美術館」って一見すると教会みたいだね。
>>180 まあ、みなさん働いて稼いだ分から布施しているんだから、代表者も自分の食い扶持くらいは
稼がないと。
道場を護持してもらえればまずは上々でしょ。
>>184 法人格を取得していない場合が多いはず。
運営はけっこう厳しいだろね。
四畳半でも「ここは道場だ!」と宣言して表札を出せばそこが道場。
近隣からどう思われるかは知らんけど。
>>186 教会なんかは民家を改装した場合が多いしな
本当はその程度の施設で足りるってことか
本来、念佛道場ってのはこういうものだったんだろうなぁ…
http://www.soka.ne.jp/jihou/jihou5.htm >都市開教寺院とは
>寺院の役目は、正しい教えを間違いなく届けることです。それには何が必要でしょうか?
>広報も必要でしょうし、住職の力量も要りましょう。また、そこの集う方々の力も大きな推進力で
>あります。そうしてみると、やはりそこには永続性が不可欠のように思えます。一代限りのサポ
>ートでは正しい教えが時代を超えて、更には世界をつなぐ教えにはなりません。仏教は普遍の
>教えでありますので、これをお寺で教え伝えるのです。
>お寺が時代を超えてつながってゆくには、現法制の上で法人を取得する必要があります。
>法人とは国の法が認める人格、お寺に人格を与えて、世の中で色んな権限や責任を与えること
>です。これによって様々な発言や、責任ある行動が出来るようになります。法人取得には、現在
>「寺院」と「教会」そして「布教所」や「出張所」「分院」などの種別があります。当布教所は築地
>別院所管の未法人団体ですが、宗派から法人取得を目的付けられた団体ですので、当然「寺
>院」を目指しています。これはいくつもハードルを越えなければ成りません。土地と本堂の取得・
>借財が無いこと・門徒戸数・役員会・帳簿類などなど埼玉県法務局から出される条件はどれも
>高いハードルです。そこでまずは「教会」という宗派の包括を受けることを目標に置いています。
>これだと寺院よりは楽なようです。条件も緩やかだし、なにより宗派のお墨付きを先に取ろうと
>言うことなのです。その後で時間をかけて「寺院」に成ればよいのです。まずは、「超光教会」
>へと駒を進めていこうと思います。
>「教会」であれば、たとえ住職が亡くなっても「教会」は存続しますが、「布教所」ではそうはい
>きません。場合によっては「草加布教所」閉鎖もあり得ると言うことです。教会申請を目指す理
>由がここにあります。
>借地でも本堂が建っていること。それにもまして土地と建物を建立する資金を銀行もしくは本
>山より借り入れするのですが、現在の収支ではすこし心許ないのが現状。あとは、住職の力
>量が試されることになります。安心して借り入れが出来るような収支を目指し、活動をしなけれ
>ば成りません。
>助成金支給が終わりいよいよ本当の門出の年が始まりました。永続性のある寺院を目指し、
>正しい教えをより多くの方に伝える活動に時間を費やすことの出来る人生に生き甲斐を感じま
>す。敷居の低いお寺、門徒と友達の住職を目指しています。各種企画を実現するためご理解
>とご協力ご参加を切にお願いする次第であります。
今は宗教法人格を取得するのは極めて困難だよね。
そもそも借財ゼロで礼拝設備、地所を持ってなけりゃいけないし、一定数の役員
及び信徒数(確か100人以上?)、宗憲、過去数ヵ年の活動実績と会計書類の
精査が必要なはず。
徒手空拳で成り上がるのはやはり厳しい。
>>192 そうなってくると「作る」より「乗っ取れ」だろな。
信仰生活が前提だからな。
他に生業を持ちながら道場を主宰するってのも悪くないと思うが?
あれこれ優遇措置を期待するって性質のもんじゃないだろ。
もうこれ以上、世のためにならない宗教法人など要らんよ……
今後は都道府県毎に定数を設けてるべき。
定数を遵守して、活動実績の伴わない休眠状態の法人の認証を取り消し、その数だけ増やす
ようにするべきだよ。
しかしさぁ…
>永続性のある寺院を目指し、正しい教えをより多くの方に伝える活動に時間を費やす
>ことの出来る人生に生き甲斐を感じます。敷居の低いお寺、門徒と友達の住職を目指
>しています。
というなら、わざわざ宗教法人格を取得する必要もないんじゃないかと思うが。
寺院でなく教会で十分のはず。
現状、本社(本山)から見たら、契約特約店(寺院)より直営店(教会)を増やし、絶対
服従という状況で上納金を吸い上げていった方がいいと思うが。
直営店なら本山の支配力が及ぶので人事にも容易に介入でき、信徒数など実態の
把握も容易になる。それだけ上納金の賦課も実情に沿ったものになるはず。
>>200 本山<<<別院<<<教会・布教所<<<一般信徒
という構成だわな。
寺院が間に入ると、余計な意思決定(抵抗)が生じる場合があるので、包括関係にある教会を
増やし、近隣寺院の檀家信徒を切り崩せるだけ切り崩していく。
そのうえで寺院に対しては「嫌なら離脱してくれて結構です」という姿勢で臨み、上納金だけは
しっかり分捕るようにした方が良いことは明らか。
包括関係上、本山が教会の人事権も掌握できるので、反逆する可能性のある香具師は偏狭
の教会に左遷すればいいだけのこと。
ポイントは、
>>9にあるが「組織防衛上、一布教施設の単位を意図的に小さく」すること、「ほと
んどの収入を教団本部へ「上納」」させること。そのうえで最低限度の配分をすれば良い。
>>201 法人格を持っている寺院は要らないということね?
>>202 ということになる。
檀家信徒だけ差し出して、サッサと潰れちまえ、ということ。
>>201 教団としての資金力、組織力を強化するならその方がいいだろね。
末端に法人格が無ければ、どうにでも操作はできる。
同時に、末端が法人化に向けて動き出さないように統制するわけね。
檀家からも本山からも見捨てられ・・・末寺って哀れ・・・
巷の商店が、大型店舗やコンビニに駆逐されていくのと中身は一緒だろ。
じゃあ、末端の被包括法人は何をすべきなのか、も見えてくる。
>202 法人格がないと、固定資産税がかかりますけどね。「みんなの仏壇」「みんなの神棚」「みんなのお御輿」等の保管場所に税金がかからないようにするのが、そもそもの宗教法人の意義の一つでしょう。
地域住民の宗教活動に使う「みんなのお金」を1個人に預けると具合が悪いので、宗教法人を設けて預かる。だから宗教法人は営利目的ではない。今は法人が独り歩きして地域から浮いちゃってるんですよね。
宗教的な活動には興味ないけど、50歳を過ぎたら、ひっそりと庵で隠棲生活を送りたいね。
といって、生活の資として年金はアテにならないだろうし、何らかの収入源がないとな。
在家の坊さんみたいに葬儀社の飼い犬?みたいになるのは嫌だけど。
>>211 ご家族の理解を得てからにした方が良いと思いますよ・・
>>211 家賃収入で暮らすってのはどうかな?
ウチの檀家で、一部上場の会社に勤めながら、アパート1棟と1LDKのマンションを
所有して、毎月利ザヤを稼いでる人がいる。
ちなみに当の本人は家賃のあまり必要ない実家暮らし。
ローンが終われば、けっこうな収入になるだろうし、隠遁生活するにはちょうどいいん
じゃないか?
よくある手だけど、ある意味、それが手堅いんだろうね。
>210 宗教法人に無償で貸していて、その土地が宗教目的に使われていれば、非課税です。タダで寺に土地を貸して、参拝客が無料で使える駐車場なら非課税。有料駐車場なら課税されます。
>>216 私設道場レベルのものは法人格取得するのも困難。
>>217 そうなるといずれかの包括宗教法人に私有地を無償で貸与して、そこで自分自身が道場主として
活動するってのが・・・
そういうシステムがあればの話だが。
>>218 宗門側も開教したい地域もあるだろうし、といって新たに土地を取得して出先機関を
設けるだけの資金的余裕が無ければ、借りた土地に教会寺院を建設していくのは
合理的かも知れない。
普通の民家みたいな家屋でも、天理教教会になってるとこがあります。自分が住んでる家を教会にしちゃえば、節税になりますね。
>>219 西本願寺さんなどは、首都圏の寺院新設に積極的ですよね。
専従員という制度を設けていますし。
年齢の高い方と話をすると、皆さん、信仰活動云々よりも社交場、あるいはお友達サークル的な
繋がり合いを求めているような傾向があります。
布教も大事なことですけど、「誰しもがここに居ていいんですよ」という場所がこの世に1つくらい
あってもいい、と思いますね。
そういう意味では、念仏道場というのは「老少善悪」関係ない空間なんでしょう。
>>221 営業拠点ばかり増やしてもねぇ……
内実は伴ってるのかい?
>>223 教団側から助成金が出ているようですね、一定の期間だけのようですけど。
それと檀家信徒数の増減についてはよく分かりません。
>>219 実際にはその建設資金すら乏しいんじゃないの?
>>227 それが本来の道場、布教所の在り方だろうな。
これに教養・趣味部門などが加わることで、
>>222が言うような共同体組織が
形作られていくと。
信仰の現場だけでもいいのだが、プラスして生涯学習や交流の現場としての
価値も見出したいところ。
>>220 なるほど。
別に税金対策ではないにしても確かにそんな感じだね。
www.sopia.or.jp/mutu/honsaidai/index.html
www2.odn.ne.jp/koujyou/img/pic_k11.jpg
www2.odn.ne.jp/koujyou/img/pic_k13.jpg
>>230 天理教の分教会のサイトとか見ると、けっこう明るい印象を受けるな。
中には月3千円の修繕積立を徴収してる分教会もあるようだが、これなら払ってもいいかな、と思える。
>231
教会長もやっぱり世襲なのか?
>>231 そりゃ、明るいわけだよ(w
http://www.tenrikyo-kawaguchimachi.or.jp/Ja/tenrikyo_oshie.html 天理教とは・・・
この世と人間を創造された親神(おやがみ)天理王命(てんりおうのみこと)が、天保九年
(1838)、教祖 中山みき様の口を通して初めて明かされた人間がこの世で陽気ぐらしを
するための究極の教え。
1.教祖を通してすべては明かされた
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたす
けるために天降(あまくだ)った。みきを神のやしろにもらい受けたい。」−−−親神天理
王命が、教祖(おやさま)中山みき様の口を通しておおせになった最初のお言葉です。
これより教祖は神のやしろ(神の鎮まる所)と定まられ、ここに天理教は始まりました。
天保9年10月26日のことです。
「この屋敷へ木仏・金仏・石仏を据えたところで、神が入り込んでものを言わすわけに
いかんで。元なる親の魂に人間五体の生を享けさして、神が天よりその心を見澄まし
ていた。」との教祖のお言葉がありますが、姿は人間、農家の一主婦ですが、その心
は親神様の心そのもの。おっしゃる言葉は千に一つも違うことはありません。
2.生きる目的は「陽気ぐらし」にあり
私たち人間は、「だれが」「なんのために」つくったか、という生きていく上で一番大切
な問題は、優秀な頭でいくら考えてみたところで、つくられた人間では分かりません。
人間を創造した「元の親」にたずねるしか方法はありません。
教祖が自ら筆を執られた書き物に、「月日(神)には人間はじめかけたのは、陽気遊山
が見たいゆえから」とあります。
人間が陽気ぐらしをするのを見て神も共に楽しみたい、というわけです。陽気ぐらしは、
各自勝手の陽気ではなく、互いの良いところを伸ばし合い、足りないところは補い合っ
て、たすけたり、たすけられたりしながら、共に生きることを言います。
3.あの世ではなく、この世に極楽世界
人間は、いつの世も変わらず極楽世界を求めてきました。この世での暮らしが苦しけ
れば苦しいほど、あの世に極楽を思い描いてきました。この中にあって教祖(おやさま)
は、この世に陽気ぐらし世界を実現するのだ、とおっしゃいました。ある宇宙飛行士が
宇宙から地球を見て、「真っ暗な空間に浮かんだ青い地球には、水があり、雲が動き、
まるで大きな生き物のように見える。」と言いました。そして、「地球には、花が咲き、
鳥がさえずり、人やいろいろな生き物がおり、宇宙の中のただ一つの生きている星だ。
この地球を極楽と言わずに一体どこに極楽があるのだろうか。もし、地球よりもっと素
晴らしい星があれば、宇宙に行ったついでに、そっちへ行ってしまうのだが、そんな所
はどこにもない。だから我々宇宙飛行士は、酸素と燃料のある間に命懸けで地球に帰
って来るのです。」と言いました。
教祖は、江戸時代から、「ここはこの世の極楽や」とおっしゃいました。この世は苦の
娑婆や仮の世界ではなく、また素晴らしい世界が死後にあるのでもありません。かけ
がえのないこの地球を大切にし、人々が互いにたすけ合って、この世に陽気ぐらし世
界を実現するのです。また、陽気ぐらしは、条件がすべて整わなければ出来ないとい
うのではなく、今そのままで、心一つでいくらでも喜べるのです。まずは、無いものを
不足に思うよりも、いま有るものに感謝して暮らしましょう。
4.人間は同じ親をもつ兄弟姉妹
「外国製の時計がこわれたとき、日本製の時計の部品を組合わそうとしても合わない。
それは、製造元が違うから。 ところが、人間はどこの国の人とでも一緒になれる。そ
れは、人間五体の道具は製造元が同じだから。その証拠に子が出来る。」というような
お話を教祖がなさいました。人間は、熱帯に住もうが草原に起居しようが、風俗・習慣
がいかに異なろうとも、同じ親神様を親とする兄弟姉妹なのです。魂に高い低いの差が
あろうはずはありません。また、「同じ五本指のごとく、兄弟の中なら、どの指かんでも
身にこたえるやろ」と。 隣人の難儀も他国の災難も、対岸の火事視するのではなく、
我が事と心得て何事にも取り組みたいものです。
5.人間創造の姿を再現する「かぐらづとめ」
世界中の人間をたすけるために「おつとめ」を教えられました。その最高の儀礼は「か
ぐらづとめ」と呼ばれ、男五人、女五人の計十人がかぐら面をつけ、歌と9つの楽器の
調べに合わせて、ぢば・かんろだい(本部神殿中央・この世と人間創造のとき最初に
人間が宿し込まれた地点)を囲んで、親神様の十全の働きをそれぞれ手振りにあらわ
して踊り勤めます。混沌とした中から悠久の時間をかけて人間が創造されていった姿
を再現されるダイナミックな感動的なおつとめです。その地歌は、「あしきを払うて救け
給へ天理王命」で、「人の身にふりかかる悪しき事柄(病気、事故、災難など)や、全人
類の上に襲いかかる悪しき事柄(天災地変、疫病、不作、不漁、戦争)など人を不幸に
陥れるような出来事を払ってくださいまして、また、悪しき事の原因となる人間の心の
ほこりを払ってくださいまして、どうか無事平穏に陽気ぐらしをさせてくださいますようお
願い致します、親神天理王命様。」という意味です。
参拝者も含め、勤める人の心が澄みきり、一つになって勇めば勇ほど神様も勇まれ、
神も人も共に喜ぶという陽気がみなぎり、ご加護があまねくゆきわたっていきます。
本部では毎月26日に勤められ、その理を戴いて各地の教会では定められた日に月
次祭が勤められます。また、おつとめの理を戴いて、病んでいる人をたすけるために、
おさづけがあります。私たちは日頃、意識しないうちに心にほこりを積んでいます。
ほこりが積もり重なると、本来の澄んでいる心が曇ってしまって、明るさを失ってしま
います。ですから、親神様の教えを「ほうき」として絶えず心を掃除するように、とお教
えくださっているのです。(以後略)
いつから天理教スレに????
>>238 ま、道場スタイルってことでいいんじゃないか?
>>233 1〜4くらいまではわりとすんなり同意してしまうのだが。。。(w
>>232 分教会などのサイトを見てみると、必ずしも世襲ではないようだけど、血縁関係にある
人間が引き継いでいる場合の方が多いようだね。
>>241 でなけりゃ、運営が厳しい教会なんて引き受け手がいなくなっちゃうもの。
>>241 住み込みで教会を預かっている人、という認識のようだけどな。
その是非は別として。
>>233 >「この屋敷へ木仏・金仏・石仏を据えたところで、神が入り込んでものを言わすわけに
>いかんで。元なる親の魂に人間五体の生を享けさして、神が天よりその心を見澄まし
>ていた。」
なるほど。
「出遇って」しまったわけですね、そういう境界に。
感動表現ということでは分かる気がします。宗教というのは多かれ少なかれ
そういったところから始まってますからね。
>>244 ちょっと話は変わるのだが、「感動表現」という言葉に反応して・・・
『新シルクロード 〜トルファン・灼熱の大画廊〜』を見ていて、
>>244氏と同じことを思ったね。
イスラム勢力や列強国調査隊、中国政府による文化大革命により破壊し尽くされたベゼクリク
千仏洞の「誓願図」(ウイグル族が描いた仏教壁画)を、龍谷大学のチームがデジタル復元し
ていく話だったのだけど、再現された十五面の誓願図を見ると、やっぱり「究極の真理に出遇
ったことに対する尽きせぬ感動表現なのだなぁ、と思ってしまったよ。
誓願図では、釈尊が前世において成仏の予言を得るという物語が、民族も身分も、文化も宗
教も全てを超越していく内容として壁画の上で展開されていくわけだけど、そこに世界人類が
共に救われていく究極の真理があるのだろうし、6つの宗教が平和的に共存したとされるトル
ファンにおいて、人々がその境界を感動表現として壁画に現したんじゃないかと。
参考までに・・・
http://www.kahoku.co.jp/news/2005/02/2005021501002655.htm 失われた仏教壁画復元 龍谷大、デジタルで
----------------------------------------------------------------------
かつてシルクロードの要地として栄えた中国・トルファン郊外のベゼクリク石窟(せっくつ)に
残る仏教壁画「誓願図」を、龍谷大(京都市)がデジタル画像で復元し15日、報道陣に公開
した。
ウイグル族が残した15号窟(11世紀ごろ)のコの字形回廊に描かれ、釈迦(しゃか)が前世
に成仏の予言を得る図で計15面。
それぞれ縦3メートル、横4メートル前後の大きさだが、20世紀初めに日欧の探検隊が一部
をはぎ取るなどしたうえ保存状態が悪く、持ち去られた分を合わせても2−3割しか残ってい
なかった。
龍谷大の入沢崇教授(仏教学)と岡田至弘教授(デジタル復元)のグループは、各国の博物
館などに残る壁画の断片を分析。下絵の描き方や色調などを調べ、別の窟に描かれた同種
の図も参考に約1年3カ月かけ、NHKと共同製作した。
宗教的な体験を言葉に起こしたところから宗教が分かれ、違いが生じてきたとするならば、
その原点にある宗教的な体験(=真理との出遇い)というのは本来、比べる必要も、違いを
云々する必要もない心境世界を意味するわけで、
>>244氏はそのことを言いたかったのでは
ないかと。
248 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/02/21 12:32:22
三昧や臨死体験みたいな神秘的な遭遇は、真理そのものではない気がします。それをきっかけに現実をしっかり認識する智慧の眼が開き、真理が観えてくるのではないかと。
>>242 分教会って独立採算なのかなぁ?
当然、ロイヤリティを納めないといけないのだろうし。
>>250 そりゃそうでしょ。
他の仏教教団と比較しても決して低い賦課率ではないと思うよ。
>>246 複製品でいいから展示してくれる寺院、教会ってないものかなぁ・・・あれ。
>>251 でも、信仰があればそれ自体は大した問題ではないのでは?
信徒数で割ればいいだけのこと。
/
/
/ な く .い き
l
l あ れ っ が
| 。
l る て る
|
\ ____ に
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,.;'"::::::::::::::::/‐- 、l/ ';:::::::::\ /
/::::::::::::,;::::::/ .( ・)| |--- .|:::::::::::::\_/
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::::::::::::::::::::/ ヽ -‐' `:,:::::::::::l
念仏ということであれば、「南無阿弥陀仏」という名号、行ひとつに全人類を貫き通していくような
本願の無限の広がりが満ちている、ということでしょうね。
となると、念仏道場という空間は、来る人を選ばず、誰彼なくそれを共有しようとする空間世界と
いうことになるわけです。
>>252 同意。
住職の趣味としか思えない拝金主義的な金ピカ本堂よりも、再現された
「誓願図」の方が心に訴えかけてくるものがあったな。
>>256 龍谷大学は今回、ホントいい仕事をしたと思うよ。
>>255 表に打って出るような布教活動も大事なことだけど、そこにいけばいつでも誰でも、という在り方も大事なこと。
それがご本尊の意味だから。
庵っていうのは本来、そういうところじゃないかな。
そりゃ、理想はそうだけどさ。
専業でもなかなかできるこっちゃないよな……そういう環境作りは。
>259
教団が布教要員を雇用してるわけじゃないからね。
寺院、教会レベルになると、石油業界で言えば元売と契約特約店みたいな関係がそこにあるし、
仮にそういう制度を設けても、教団側で必要な人件費を賄えるかどうか・・・
>>260 西本願寺さんには「専従員」というポジションの人がいるんでしょ?
>>262 門主さんの意向で首都圏に100ヶ所の開教寺院を設置するのだとか。
この板的には、信徒が一定数集まるまでは兼職。そのうえで一定数集まったら献金や寄付で
人件費を賄えるようにすると。
まあ、そんなのは理想を語ってるだけで、所詮、絵に描いた餅に過ぎないわけだが。
>266
兼業で布教しながら信者を獲得していくってことでしょ?
普通に生きていくのだって大変なのに。
>>267 そこを何とかするのが優秀な宗教者では?
と、言ってみるテスト。
>>269 何か「自宅の1階を布教所にしました」って感じの構造だね。
>>269 集会所の人々が「この人に伝道所に来て欲しい」と駐在の牧師を指名するってのはいいシステムだと思う。
神社や寺院では神職や住職を選びようがないから。
>>270 建物として比較的新しいというのもあるけど、けっこう立派な方の部類に
入るんじゃないかな?
もっと簡素、悪く言えば粗末な造りの布教所多いし。
>>267 徒手空拳でやるとなったら念仏云々、信仰云々よりも前にペテン師の素養がないとなwww
>>273 女を騙せる香具師じゃないと宗教家には向かない。
何となくそう思う・・・
>>274 一時期、話題になった釈尊会も女婿信徒が多いらしいしね。
>>252 道場だから宗門の正式な荘厳・内装である必要はないしね
自由度は高いんじゃないの?
>>279 包括関係があるとそうもいかないと思うぞ。
>>290 確かに何らかの統制は受けることになる。
本尊を下賜されるところから始まるから。
>>271 布教所や道場であれば、信仰と人間関係以外に拘束力は無い。
選ぼうと思えばいくらでも選べる。
まあ、変なのに捕まっちゃうと後々面倒なことになるが。
今の人たちは寺と付き合いたいなんて思ってないからね。
そういう意味では、単純に信仰だけで繋がる、あるいは人間関係だけで繋がるような場の方が
理に適ってるでしょ。
>>286 人件費を宗門で捻出しているからできる芸当。
>>284 昔は寺がそれを担っていたけど、今はそんな感じじゃないからね。
そこを巧妙に突かれてるところはあるわけだが。
>>289 それ、大事なことじゃないかな。
「そこは楽しい」あるいは「そこには楽しさがあるのでは?」と思える場所じゃなければ誰も集まらないよ。
>>291 まあ、中には度を越したお仲間集団もあるけどなwww
>>292 但し、念仏というキーワードだけは外しちゃいかんよな。
「お念仏を通してのお友だち空間」としての道場ならOKということで。
しかし、上の方の荒れっぷりは酷いね。
>>293 組織が大きくなるとダメになっていくんだろう。
いろいろな力関係や派閥争いが生じることになる。
宗派の枝分かれにはそういうことが必ず作用してるわけだ。
参考までに。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r10.htm より引用。
>「檀家型」と「新宗教型」仏教各宗派
(略)
>高野山真言宗の883人(信者数割る僧侶数。以下同じ)は、少し多すぎる(この数字は
>たぶん、観光スポットでもある「高野山」や「四国遍路」の「参詣客」も数に含んでいると
>思われる)にしても、真言宗御室派の350人・真言宗智山派の372人・真言宗豊山派の
>400人は、極めて近い数字である。一方、典型的な「檀家型」宗教である浄土系をみて
>も、浄土宗の604人・浄土真宗本願寺派(西本願寺)の238人・真宗大谷派(東本願寺)
>の323人も合理的な数字である。「在家型新宗教」の多い日蓮系でも、伝統教団である
>日蓮宗の453人・本門佛立宗の764人は、他の仏教諸宗派とあまり変わりなく、新宗教
>教団である霊友会の658人・妙智會教団の279人・佛所護念會教団の446人・立正佼
>成会の293人も、この面(教師1人当たりの信者数)で見る限り、ほとんど変わりがない。
>ただ、日蓮正宗の8,263人だけが突出した数字であるが、これは、別に述べたように、
>今では別の教団になっている創価学会の信者数をダブルカウントしたせいと思われる。
(略)
(略)
>ところが、1ヶ寺当たりの僧侶(宗教家)の数をみると、「伝統仏教型」と「新宗教型」諸教
>団とでは、著しい差異が生じる。高野山真言宗の1.71人をはじめ、御室派の1.38人・智
>山派の1.45人・豊山派の1.13人、浄土宗の1.41人・本願寺派の2.78人・大谷派の1.92人、
>日蓮宗の1.52人・日蓮正宗の0.98人・本門佛立宗の2.47人など、いづれも、伝統教団に
>属する寺院は、世襲(おもに父子相続)体制に裏打ちされた「家族経営」的基盤で支えら
>れていると言えよう。一般に知られていない言葉で、なおかつ、仏教諸宗派でよく使われ
>る言葉に「寺族(じぞく)」という専門用語がある。「庫裏(くり=寺院境内にある職員宿舎)
>に居住する住職の家族」という意味だが、本来、税法上は厳密に区別されるべき(宗教
>法人として、免税措置を受けている)礼拝施設である「本堂」と(住職個人の所得税の対
>象である)居住施設である「庫裏」の維持費(光熱費等)が混同(どちらも税金を払ってい
>ない)されている場合も多い。いわんや、住職の子弟が(法人の経費で購入した)高級
>外車を乗り回しているなどは、言語道断である。
>一方、「新宗教型」諸教団では、1ヶ寺(布教施設)当たりの僧侶(教師)数が、霊友会の
>0.98人を除けば、妙智會教団の366人・佛所護念會教団の379人・立正佼成会の32.5人
>と、ずば抜けて多く、これらは、伝統仏教各宗派の「家族経営型」とは全く異なる、中央
>集権的本部の下に所属する「布教センター型」を形成している。これらの有力教団の多
>くは、霊友会の一支部が、カリスマ性の高い支部長によって独立して形成された場合が
>多く、霊友会は組織防衛上、一布教施設の単位を意図的に小さくしているものと思われ
>る。いずれにしても、これらの諸教団では、教師1人当たりの信者数が伝統仏教諸宗派
>(檀家型)と同じくらい多いのもかかわらず、「在家宗教」と称して、教師の多くは「別の
>収入源(サラリーマンや自営業)」を持っている場合が大半で、なおかつ、世襲されている
>伝統仏教諸宗派の僧侶よりも、「自ら信仰を選んだ初代世代が大半」という、教祖(教団
>本部)へのロイヤリティの高さから、ほとんどの収入を教団本部へ「上納」するため、本部
>は巨大な宗教施設を有し、なおかつ、潤沢な資金によって、多彩な社会活動や世界平
>和運動を行っているのが共通する特徴である。
>>298 >霊友会の一支部が、カリスマ性の高い支部長によって独立して形成された場合が多く、
>霊友会は組織防衛上、一布教施設の単位を意図的に小さくしているものと思われる。
まあ、そりゃそうだろうね。
既存の寺院などは宗派の表看板を後生大事に守ろうとするばかりだけど、こういった集団
というのは逆に独立志向が強いからね。
>>298 >「在家宗教」と称して、教師の多くは「別の収入源(サラリーマンや自営業)」を持っている
>場合が大半で、なおかつ、世襲されている伝統仏教諸宗派の僧侶よりも、「自ら信仰を
>選んだ初代世代が大半」
ボランティアに近いスタッフ的な関わりならいざ知らず、道場主の場合だと他に生業を
持ってるのはつらいよね。
その分、本当は布教・信仰活動に充てたいわけだから。
まあ、そこは時間を作りやすい業種、業態を選べば良いのだけど。
>>300 とはいえ、SGなどは二代目たちの脱会も加速してるようで。。。
布教、布教と言うけれど、じゃあ、何が布教なのかと言えば物凄く広義ですよね。
活動のあらゆることが不況になってる。
阪神大震災で被害の大きかった神戸、芦屋、西宮などでは犠牲者を追悼する慰霊碑が
230ヶ所以上あり、ほとんどが地域で自発的に建立され、それらを巡る「ウォーク」が年々
盛んになっているという。
大阪国際大学の三木教授は
「既存宗教への信頼・崇敬の低下と相俟って、個人の自律した宗教的意識や民俗信仰
的な意識に立脚したつながり、ネットワークから生まれた「ウォーク」は新たな巡礼の形
である」
「人間が本来持っている原初的感情が基盤となり、死者への追慕、生命の尊厳に対す
る素朴な思いから、個人が考え、作っていく宗教というべきものが姿を見せ始めている」
と指摘する。
この点から考えても、葬儀、法事を以て本と為すような在り方は、「死の個人化」という
事象にまるで対応できていないことを露呈しているわけで、寺院における経済活動は経
済活動として、宗教活動は宗教活動として明確に区分けしていく必要性があるのでは
ないかと思う。
>>304 >生命の尊厳に対する素朴な思い
これって大事なことだよね。
これを無視したら宗教なんてあり得ないでしょ。
>>305 精神的な繋がり合いということがキーワードだろね。
>>304 そもそも集団的な価値判断をする宗教自体があやしいわけだが。
>>307 それはあるね。
単純に特定の価値基準の強制ということだし。
そこに本当の意味での人間の解放なんてあるわけない。
>>304 >個人の自律した宗教的意識や民俗信仰的な意識に立脚したつながり、
>ネットワークから生まれた「ウォーク」は新たな巡礼の形である
真宗あたりは民俗的な考え方は否定しそうだけどな。
>>263 確か御遠忌事業として100億円規模の予算投じるはず。
この時点で既に他宗を大きくリードしてるんじゃない?
>>311 伝統寺院がそのノリに対応したというのも凄い話だね。
寺院になってしまうと固定の檀家さんがいるから難しいだろうけど、新興の町道場には
基本的なルール以外は何も無いのだから、自由度の高い活動ができるんじゃない?
まあ、それだけのスペースがあれば、の話だけど。
>>313 ライブじゃないですけど(ライブか?)、演奏会のようなものはやってますけどね。
キャパシティを活かせるなら取り組めることはけっこうあると思います。
何かみ〜んな「お寺らしさ」ばかり追求してる傾向ないか?
むしろ「お寺らしくない」ことに敢えて取り組むことで、新しいスタイルを作ってもいいんじゃない?
念仏道場にはそれができると思うけどね。
>>316 らしさ、を求める人もいるでしょ?それは。
念仏道場の良さは「誰しもが何の条件も資格も無くそこに居て良いのだ」ということ。
真宗的に言えば、本願念仏を通していれば誰しもが朋輩であるということ。
その限りにおいて少々のことは気にしなくても良いはず。
>>318 布教して布施もらって暮らせ!とか言ってる香具師が多いけどね、この板では。
>>319 じゃあ、条件揃ったら布施するかと言えばその限りではないわけだ。
結局は口先だけなんだよ。
>>318 それがなかなか難しいんじゃない?昨今の事情を鑑みるに。
>>318 念仏を通さなくても実は既に朋輩。
念仏を通すことでますます身近に朋輩であることを自覚する。
違う?
>316
道場って法人格持ってるの?
>>326 持ってる場合もあるだろうけど、大半は持ってないでしょ。
宗門に土地・建物を貸すことで税法上の負担を逃れている可能性はあるけどね。
>>329 但し無償で貸してる場合なのであしからず。
圧縮掛かったんだ。。。
>>331 スレ数750がリミットのようですね。50前後のスレが落ちたようです。
宿坊やってる念仏道場ってあるの?
>>333 宿坊で括って良いのか分かりませんけど、民宿を経営している寺院なら知ってますよ。
>>334 海の家の営業権持ってたりしたら面白いな(w
あれって民宿+駐車場+海の家の営業権の3点セットで、年間売上の大半を7〜8月の
2ヶ月で稼ぎ出すからね。
冷夏になるととんでもないことになるけど。
>>337 学生の頃、冷夏で300万円くらい穴空けたサークル連中いたな
仕入れが一括だったりするので外すと大変なのだとか。
まあ、本業の人はそういうことないだろうが。
>338
商売下手?
>>339 若気の至りってことでしょ。
まあ、それで首括らずに済むのが学生の良いところでもある。
>>340 首を括った坊主というのもあまり聞かないが。。。
で、、、道場の話は?
布教所レベルでは、それだけで食おうとすると葬祭業者の下請けに
成り下がるね。
周りを見ているとほとんどそんな感じ。
>>343 でないと食い扶持無いだろうに。
別に生業があったり、地主みたいな人が私財の一部を投じて開設したのであれば話は別だが。
>>344 オウム事件以前であれば、それほどハードルは高くなかったし。
ま、個人的にはこれ以上、法人の総数を増やすべきではないと思っているけどね。
金持ちになって、自分の阿弥陀堂を創ろうぜ
>>347 廃業が1つ出たら、新規を1つ認めるみたいなことでいいのでは?
>>350 道場を開いてる人はそんな感じですわね。
じゃあ、それを生業にするかしないかで大きく分かれてくると。
>>351 教会もそうだが、民家を改装したような施設で活動してるからな。
>>348 戸建の家で庭に祠があったりするけど、そういうノリ?
でも、道場の場合だと20畳くらいないと厳しくない?
ここは浄土系の人たちの集まりでつか?
>>348 新規に建立したらいくら掛かると思ってんの???
それならば、古民家を改装した方がはるかに安上がりかも知れない。
阿弥陀堂って高いのか。
んじゃ平屋のプレハブでもいいや。雰囲気でないけどな。
気軽に念仏する道場を造りたい。無宗派、一応浄土系ってことで。
名号と最低限の荘厳で。
金持ちになって老後は念仏三昧よ。1000年前の貴族だな
>>356 まあ、自宅を改造するのが最も手っ取り早いかもよ。
仏間だね
>>360 何か住宅事情を反映したかのようなコンパクトさだなぁ(w
>>360の上の方ってお寺の人はどこ住んでるの?2階?
>>360 まさに寺が自宅にめり込んできたって感じだろ。
>>356 道場ってことは近隣で信徒を獲得したいってこと?
念仏道場もいいけど、その点、相手側から見て取っ付き易いのは座禅道場とか、現世利益的な
祈祷所とかなんだよな・・・
>>364 そもそも道場というもの自体、惣や講を基盤にしているからね。
>>367 地域的コミュニティが今や崩壊してるわけだから、それをゼロから構築しようとすると
一代ではどうにもならないかも知れないな。
>>368 別に数百の信徒を集めようって野心的な話じゃないでしょ?
気軽に念仏できる道場ってだけなら5人、10人でもいいのでは?
それで生計を立てようという話でもないし、趣味というか道楽というか、そういう範疇の話では?
以前、地方の或る道場にお邪魔したことあるけど、主な収入源は農業と林業。
暇なときに近隣の朋輩が集まってお念仏するという感じ。
でも、道場主はちゃんと宗門の学校を卒業してるし、調声なんかを勤めていた
けどね。
広さとしては20畳くらいで、隣に居間があったり、書斎があったり、もろに生活
空間って感じだった。
ちなみに道場の裏山を10mくらい登っていくと、1〜1.5坪程度の小さなお堂
があって、阿弥陀様が安置されてた。
>>370 念仏できりゃあとは何でもいいって感じだし。
林業って言うと山間部か。
人口減でそういったものも自然消滅していく運命にあるのかな。
>>374 文面を見るとそんな感じだね。
実際には本業を別に持ちながら、その御堂と道場の留守居役を片手間でやってるというイメージなんだろうな。
>>370 >1〜1.5坪程度の小さなお堂があって
そりゃまた随分小さい御堂だなw
ちょっとデカい祠?
>>360 そのサイトって寺院・教会側からクレーム来ないのかな?
>>379 勝手なコメントを書かれて内心、苦々しく思ってる人はいるようだよ。
仲間内でもこのスレの存在は知られていて「勝手に境内の写真撮るのは問題じゃないのか?」と
言ってる人がいるし。
>>375 まあ、それが一番健全なあり方かも知れないけどね。
>>382 俺のところの納骨堂がちょうど3坪だな。
それより小さいのか?
385 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/15(水) 01:25:03
>>384 ウチにも水子供養の地蔵群があるのだが、あれって何故か苔生した日陰にあるよな。
まあ、雰囲気を醸し出してることは醸し出してるのだが、子供も怖がるのがなぁ。
387 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/15(水) 08:01:49
388 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/15(水) 09:34:51
>>387 浄土宗じゃないか?
あそこは法然の教えから離れて、
何でもありの状態になっている。
末寺も、念仏と読経は知っているが教義は知らないから、
習俗や迷信を節操なくとりこんでいる。
極端に左巻きの真宗も変だけど、何でもありの浄土宗も変。
>>388 方便もけっこうだが、何やっても許されるとは限らんわな。
392 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/16(木) 13:13:33
>>388 浄土宗の末寺は、江戸期にはお武家さんの菩提寺だったところが多いでしょ。
明治維新の時に彼らが没落してからは、なりふり構わず、みたいなところがあったんじゃない?
元来、習俗や迷信が入り込んでおかしなことになっていたようだけど。
394 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/16(木) 16:13:59
奈良でポックリ寺やってる浄土宗の寺があるから、
水子供養して金儲けしてても不思議ではない。
>>394 まあ、いずれにせよ念仏道場というには厳しいね。
本筋を大事にしている寺院、道場も少なからずあるんだろうけど。
>>394 独自の打ち出し方があるだけいいじゃない・・・何の取り柄もないところよりは。
397 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/17(金) 02:37:21
所詮、供養仏教ですから(w
>>397 中世における「遁世僧」の存在を考えると、それを否定するのもね。
但し、彼らの場合、忍性や叡尊のように社会事業に取り組んでいたという一側面もあるのだが。
>>394 供養という行為そのものがいけないのではなくて、死者を供養したいと思う
自分自身に対する観察がそこに存在しないまま、単に「経をあげた」という
行為を落としどころに相互の利害を一致させていることが問題なのだと思う
のだが。
400 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/17(金) 04:32:06
http://fine.tok2.com/home/kyoto/aria/aria_west/aria_w_nennbutsuji.htm >化野念仏寺は浄土宗の寺院であり、その場所は小倉山の麓にあり、化野と呼ばれ
>古来は死者を風葬する地で鳥辺山の煙とともに世の無常の象徴とされた。
>寺伝によれば弘法大師空海が五智山如来寺を建てて、野ざらしとなった屍を弔ったのが
>創建である。のちに法然上人が念仏道場に改め、現在の寺名の念仏寺ととなった。
>なお、化野念仏寺は一般的な呼び名である。
>現在の本堂と庫裏は正徳2年(1712年)に寂道和尚が再建したものである。
こういう発祥のところもあるからねぇ。
「世の無常の象徴」であった場所を念仏道場にしたところに、やはりそれなりの意図と
社会背景というものがあるわけでしょ?
>境内には、明治36年(1903年)頃に近くから出土した石仏、小石塔を集め、釈迦の説法に
>なぞらえて配置した、およそ8000体が並んでいる。
ここまでくると演出なのだろうけど。
それにしても壮大な?石置き場だねw
>>399 何故、念仏なのか?という問いがないのが問題。
402 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/20(月) 04:27:22
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・
ご本尊とお念仏を一緒にいただく朋輩がいれば、そこは念仏道場。
405 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/20(月) 15:19:09
407 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/22(水) 21:00:59
>>406 なるほど、こういう構造があるわけね。
http://www.komatsu-c.ac.jp/~yositani/community2003.htm >3)檀徒集団〜真宗では檀徒のことを"門徒"と言っている。他宗派で"檀那寺"といっている
>葬儀・年忌供養を司り墓地管理をする寺のことも、真宗では"手次"といっている。
>同事例の手次門徒分布は配付資料の通り。全体で7つの手次寺に分かれる。このうち本覚寺・
>勧帰寺・称名寺・本光寺の4寺が小松市内にあり、白山麓に多くの手次門徒を持っている大寺院
>である。なお、このように事例内住民の過半数が小松市内の寺院門徒であることからも、当事例
>と小松市との関わりの深さがうかがえる。
>藩政期まで現在の上区にあったとされる本覚寺道場を除き、調査時点では配付資料のような6
>道場が確認された。このように真宗地帯で道場が存在するのは、手次寺から遠方の地(とくに山村)
>に限られる。しかし、調査時点では口の勧帰寺道場と中央の元・照台寺道場(戦後、寺院に昇格)
>を除き、道場主の死去などにより宗教行事を行わなくなっている。その代わりに、寺院に昇格した
>照善寺が"エンカリ"と称する、他の手次寺の門徒に関わる宗教行事を肩代わりするようになって
>いる(以下、次回)。
>>407 出先機関(手次寺)のそのまた出先機関(道場)という構造なのね?
409 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/22(水) 22:38:23
中に入れてもらうとき、
「どうじょー」って言われなかった?
411 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/26(日) 17:49:37
>>408 で、法要の時になると手次寺から僧侶が派遣されてくると。
ということは、このスレの対象は主に偏狭の施設になってくるのかな?
413 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/27(月) 02:36:01
>>412 いや、都会の片隅でひっそりと開かれている念仏道場(あるの?)にも興味ありです。
そうなると教会or布教所ですかね?
414 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/27(月) 09:55:04
, -'"´  ̄`丶、_
,.∩ `ヽ
〃∪'´ ̄`二二人\ ヽ
| ツ´ ̄ ̄ ̄ ̄´ ヾ ヽ. ',
|ハ ,ニ、 ,. - 、 | | | l |
| ハ ィハ ,二ヽ. | | | | | 同じ板にコピペするとそのままだけど、
| | | じ' |トJ〉 /)} l | 違う板にコピペすると鬼のような怖い顔
| ハ 、'_,  ̄,, 厶イ川| に変わる摩訶不思議な佳子様コピペ。
l l /\ .. イV\川 |
,' l l ,イ `l ̄´ / /ヽl l
l | l ハ `メ、 〃 ヽヽ、__ノ
>>413 聞法専門道場ならいくつか知ってるけどね。
東京にも聞法専門の道場があるらしい・・
417 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/29(水) 16:06:40
>>415 あるにはあるけど、どうやって食ってんのかな?
俺の知ってる道場主(主管)さんは元々地主さんだけど、マンション経営とかしながら
道楽で道場を主宰してるけど。
>>417 活動が聞法中心なので固有の門徒がいるわけじゃないし、何らかの仏事で
収入を得ると言っても、件数があるわけじゃないからね。
ましてや法人格すら持っていない、寺子屋感覚のところが多い。
となると別建てで何らかの収入がないと正直キツい。
>>419 やたらコアな聞法者が集まるよねぇ・・・
>>422 でも、そこに熱心な念仏者と聞法者が5人でも10人でもいれば、成り立ってしまうところもある。
生活レベルは保障できないけどw
424 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/08(金) 12:28:58
>>423 しかし、そこまでに持っていくには自身が研鑽して念仏者にならんと・・・
426 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/13(水) 00:13:52
>>425 勤行や聖教の輪読、法話、座談など盛りだくさんでは?
427 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/17(日) 03:58:33
>>427 そういうところは生き残るでしょう。
念仏道場の意義は、念仏者を量産しようということではないですから。
そこにたったひとり念仏者がいれば良い、ということです。
429 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/22(金) 12:45:41
信心と念仏のどちらが先か分かる人教えて
信行一如
>>429 これは「行」の受け取り方によって決まるものでは?
念仏というのは「行」のこと。
「行」というのは、すなわち名号のこと。名号とは本願が形をとったもの。
本願自体には姿形がないから、名号という形を取ることで初めて形に表されることになる。
信心というのは本願との出遇いを経て私の内容になるのだから、どこまでも「行」(=念仏)が
先に来ることになる。
信はこれ阿弥陀の本眼力、行はすなわち南無阿弥陀仏。
信も行も、ともに阿弥陀のはからい故に、他力と呼ぶ。
>>433 阿弥陀自体が目に見えない本眼力を具象化したものじゃないの?
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・
/\___/ヽ l
/::::::: \ /\___/ヽ
.|:::. '''''' '''''' | / :::::::\
|::::.,(一), 、(一)| | '''''' '''''' .:::|
.|::::::: ノ ,,ノ(、_, )ヽ、,, | |(●), 、(●)、.::::|
\:::::.ヽ`-=ニ=- ' / | ,,ノ(、_, )ヽ、,, .:::::::|
/ `一`ニニ´-,ー´ \ `-=ニ=- ' .:::::/
/ | | / | `ー`ニニ´-一´ヽ、
/ | | / | | / _ l
/ l | / | | /  ̄`Y´ ヾ;/ |
__/ | ⊥_ーー | ⊥_ _____________,| | |´ ハ
| `ーヽl_l_l.} ヽl_l_l.} | | |-‐'i′l
(、`ーー、ィ } ̄` ノ |__ | _| 7'′
`ー、、___/`"''−‐" I ( (  ̄ノ `ー-'′\
D @  ̄  ̄ \
お腹すいたよぉ・・・・
436 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/23(土) 13:12:46
>>437 ま、どちらかと言えば副業というか道楽でやってるものですから。
439 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 19:53:27
浄土真宗などでは 寺=道場 という捉え方をするのだろうけど、
門徒20〜30軒の集落の集会所を「道場」と呼ぶ場合があるからね。
一概に定義づけできないところがある。
441 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/02(火) 19:42:17
>>440 その集会所に僧侶が臨時に派遣されてくると。
442 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 00:11:47
ここも自治スレで標的にされているようですよ。
444 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 03:19:09
>>443 何でも一括りにすりゃいいってものじゃないでしょ。
ここは「道場」としての寺院を語るスレ。
そもそも用途が違うし、板のコンセプトに最も適合していると思うのだが。
法要でお軸の掛け替えをする時、山号も寺号もなく、
「●●村道場」という裏書きを見るたび、心新たに法要
に望もうと思うなり。
>>445 ということは、その裏書は道場主?が書いたのかな?
447 :
445:2005/08/07(日) 21:21:06
御絵伝は住如上人、七高僧と聖徳太子は法如上人なり。
住所等の裏書きは取り次ぎ主の僧侶らしい。
ちなみに御絵伝の箱には寺号が書いてあるよ。笑
明治まで本堂は茅葺き、庫裏も昭和まで茅葺きだったし、
山門もない、塀もない・・・本当に山奥の道場だったみたい。
448 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 23:22:49
>>447 ということは西本願寺の最末端道場ってことか。
449 :
445:2005/08/10(水) 11:58:13
でしょうなぁ。
一応、言い伝えでは某宗派の末寺であったのを、
蓮如上人の御教化を受け改宗とありますが、
具体的な資料がないし、非常にあやしい。笑
>>449 物証付きの寺伝がある寺の方が少ないのでは?
>>451 地方は多いんじゃない?
都市部は空襲でかなりのものが消失しているはず。
惜しいことをしたものだ。
453 :
445:2005/08/18(木) 20:48:20
まぁ、お寺だけじゃなく、田舎の古い家のお仏壇も面白いよ。
大抵一間の仏壇で、形も様々。もう、こりゃ、完全に素人の
手作りだなってのもある。ご本尊は別にして、脇軸も千差万別。
基本的に御軸がみんなでかい。その分、今の仏壇よりも収納
スペースが削られるけれど、基本はこのあたりの形から発展
していったんだろうなぁ、というのがわかるです。
最近、あるお宅のお仏壇が修復されたんだけれど、
遠い所の仏壇屋がわざわざ訪ねてきて、「古くて、珍しい
ものだから、是非、ウチの職人の勉強の為にやらせてくれ」
って言ったらしい。だから材料費だけで直っちゃったんだと。笑
454 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/20(土) 10:27:51
>>453 中にはもうその当時の技術を持っている職人がいないので「資料として預からせてください」なんて
こともあるようです。
代わりに檄安値で超ご立派な仏壇をゲットしたという例もあります。
455 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 04:53:42
>>453-454 親類からデカい仏壇を押し付けられ、6畳間に仏壇が2つあるなんて方も。
信心深い方なのでよくお参りにいくんですけど、
その方曰く
「離れを作って仏間にしちゃおうと思うんです」と。
理由を聞くと
「そうすれば近所に住んでる親戚縁者をいつでも呼べるし、お参りできるし、
宴会できるでしょ」と。
理由がちょっと邪な?ところが好きなんですけどね。
でも「みんなでお参りできる」っていうのは大事なこと。
道場もそういうところから始まっているわけですし。
456 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 17:42:14
>>455 聞法半分、交流半分でないと疲れちゃうものね。
>>455 個人的には厨子に絵像のみ、というシンプルなものが結構好き。
スペースも取らないし。
458 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 18:25:55
ご老人が孫たちを集めるために楽々ご法事計画。
田舎では命日にかこつけてよく集まる。
月回向そっちのけでみんなで炊き出しして飲んで食って騒ぐらしい。
私はお経が終わればそのまま次へ
遺産めぐって仲違いする親戚より仲良い事は美しき事かな
>>458 それはあるね。
都市部近郊でも、親戚が多くて仲がいいとそういう習慣が残っていたりする。
自分たちで炊き出しはしないまでも、料理屋や寿司屋などで一席という具合。
法事云々よりこういう繋がり合いが大事なのでは?と思う。
460 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/21(日) 19:17:40
>>456 如来様を中心とする社交場。
それだけに聞法しても良し、懇談しても良し、レクリエーションしても良し。
461 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 06:53:36
462 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 12:16:49
464 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/24(水) 08:44:43
>>461 なかなか工夫されてますなぁ。
町道場というのもこうでなくちゃいけません。
聞法の道場ってのは寺である必要ないものね。
逆に言えば、な〜んでもあり。
466 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/28(日) 15:00:51
>>465 一歩間違えるとカルトの仲間入り。
多少の社会性と客観性、科学性がないとな。
467 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/28(日) 16:42:42
庶民信仰?
じゃ、空也を語らないのは問題だろ。
>>467 浄土宗、浄土真宗の血が濃いですからね、このスレは。
踊念仏なども念仏普及に重要な役割を果たしているのに。
語りましょう。
469 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/28(日) 23:23:12
仏教語だったの?道場(どうじょう)
往生は「あきらめてじっとしていること」。他力本願は「他人の力をあてにすること」など、
意味が全く変質して伝わっています。「がらんどう」は「中身のない空虚なこと」という意味
ですが、寺院を意味する「伽藍堂」が語源だとすれば、私たち仏教徒にとっては、耳の痛
い言葉でもあります。
ところで、17世紀初頭の※日葡辞書で「道場」を調べてみると「一向宗の寺」「後生の道」
という意味が出てきます。道場は、本来お釈迦様のさとりの場を指す言葉ですが、それが
特に念仏修行の場を指す言葉として日本で芽吹き、現代にも通用していることは奇跡的
なことです。また剣道や柔道の道場は、そこから派生したものです。
しかし道場にも危機がありました。
そもそも道場は、お念仏をよろこぶ人たちが集まって信心を語り合った場がその始まりで
す。後に僧侶が入り、祖先崇拝の祭祀をつかさどる仕事を受け持つようになることで、寺
の威儀を求めて「○○寺」という寺号を取得していきます。そうなると道場は、寺にしない
所、寺になれない所、寺よりランクが下がる所の名となりました。そして、お釈迦様のさと
りの場というすばらしい名が、人々から軽んじられる意味に変質していったのです。
1981(昭和56)年、真宗大谷派宗憲が改正され、東本願寺は「根本道場」を名のりまし
た。本来の意味の回復です。今こそ「お釈迦様のさとりの場、念仏修行の場」にふさわし
い本来の道場を、名実ともに回復していきたいものです。「道場」の意味を「がらんどう」に
しないために。
※1603年に刊行された日本語・ポルトガル語の辞書
埴山和成 はにやま・かずなり 大谷専修学院指導補
月刊『同朋』2003年7月号より
470 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/28(日) 23:51:34
471 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/29(月) 00:17:28
>>469 >祖先崇拝の祭祀をつかさどる仕事を受け持つようになることで
それでメシ食ってるわけでしょ、この人も。
その点は無視かいな。
ホント、都合がいいことしか言わんな。
472 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/29(月) 00:35:19
>>470 遊行が基本なのになぜ道場を?
と言ってみる。
>>469 で、結局東本願寺は、念仏の声の聞こえない、
政治や人権の話ばかりのサヨク道場になりはてましたが、
あれが、めざす根本道場の姿?
>>473 東の本スレでやってもらえません?申し訳ないけど。
同じスレは2つ要らないので。
475 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/29(月) 00:48:29
>>472 それは組織化、集団化に向けて避けては通れないこと。
>>475 親鸞さんも一遍さんも教団化ということには消極的、否定的ですね。
このあたり現場主義的というか、権威的な大本山を崇敬するより町道場で法に触れることを
重要視しているように思います。
>>476 「組織のための信仰」になった時点で終わり。
となると、常に小所帯で信仰活動を中心とする道場の役割が
今後見直されてくると思う。講のようなね。
478 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/29(月) 15:33:14
法華講
もう、けっこう
>>476 都内でオススメの踊念仏道場ってあるんですか???
483 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/30(火) 11:46:42
>>482 >品川区文化財「海蔵寺無縁塔群」、この中には「品川牢屋で亡くなった人の遺骨、1708年」(頭痛塚)、
>天保飢饉(1833−40)の215人(首塚)、1865津波供養塔、1915京浜鉄道轢死者、1932関東
>震災供養塔が含まれている。つまり、品川の投げ込み寺であった。
投げ込み寺ってのも凄い言葉だねぇ。
昔はそういうのがいっぱいあったのかも知れないけど。
次に大地震が来たら、身元不明者とかの遺骨処理ってのはどうなるんだろ?
スレ違いではあるけど。
>>484 供養塔を立てて終わりでは?
引き取り手がない遺骨は土に還すしかあるまい。
486 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/31(水) 01:11:08
>>484 あまり宗派は問わないのかな?こういうことには。
>>476 法だけの繋がり合いによって成り立てば良い。
そこから先は「あとは野となれ山となれ」の精神でしょう。
488 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 16:18:07
>>485 阪神の時には各地に立ったね。
関東で大地震が起これば、同じようなことになるのでは?
489 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/03(土) 22:20:43
>>488 都内と近郊でどれだけの供養塔が立つのやら・・・・・
490 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/04(日) 13:04:38
か
492 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/04(日) 16:06:34
ここも荒らしに目を付けられたようですね。
>>493 あまり関わらないことです。
スルーしましょう。
495 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/04(日) 22:21:04
>>487 しかし・・・なかなかそうはいかないよね。
496 :
& ◆ELblpBYdik :2005/09/04(日) 22:29:43
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
なーんまーんだーぶー
>>498 清水寺やんけ。
でも、イラストを見ると尼僧さんが数名確認できるな。
500 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/05(月) 01:07:46
道場からお寺に発展していく過程がよく分かるお話。
ttp://www.town.komono.mie.jp/k-backno/komono463/rekishi1.html 以後、抜粋。
この寺のはじまりは、室町後期の文亀、永正のむかし本願寺蓮如の子、実如の直筆
「帰名尽十方無碍光如来」の十字の名号を受けていました。その名号を村人の寄り集
まる小さな堂に安置して念仏道場としていたようです。その道場は信心だけでなく村
の社会生活の中心でもありました。
関ヶ原で天下分け目の合戦の行われたあとの慶長五年に土方雄氏が菰野へ入国す
ると、その城下にお寺が建てられるようになりました。福村では、弥平治という在家信
者が道場を守っていましたが、寛永十八年になって源達坊が本願寺の宣如の許を得
て、阿弥陀如来像を受けて長伝寺を開きました。永らくの福村惣道場からお寺への段
階に一歩踏み出しました。
この創建者の源達坊は、桑名郡深谷部郷の出で片岡玄達といい、その先は長島一
向一揆に加わった宗徒の一人であったようです。源達は早くから東菰野村西覚寺三
世の正玄の下で修行をしていました。長伝寺を創立するときは、親寺の西覚寺から
檀家二〇軒を分けて貰い、それを土台にしました。そのため源達の子の一風と雲澄
も西覚寺の盆会、報恩講などの法会仏事の際は、出勤して、本寺、末寺の関係に
ありました
(中略)
十一世の義運は日露戦役に出征無事帰還してから寺の「過去帳」を整え、「長伝寺
由緒記」を綴っています。また菰野藩の寺社奉行が調べた延享二年の書上帳に「京
六条本願寺末、境内六畝歩、門徒数三八軒」と記録されています。
(以後略)
>>500 門徒って分けてもらえるものなんだ・・・今じゃ絶対にあり得ないだろうけど。
502 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/05(月) 16:44:40
>>501 今みたいに個別の墳墓が各寺にあるわけじゃないし、地域社会の中心にあったから
対象となる集落ごとにそっくり移動することも可能だったのでは?
503 :
提案:2005/09/05(月) 17:09:18
ご提案ですが・・・
最近の真宗系スレの乱立状態は目に余るものがあります。
そこで類似スレの統合を考えたいのですが、
内容的に見て、本スレは「念仏道場」という信仰共同体と建物の話が中心になっている
ものと思われます。
一方、信仰共同体の本尊となる阿弥陀如来については、既に「阿弥陀如来信仰」スレが
存在しています。
そこで本スレの信仰共同体と建物の話を「阿弥陀如来信仰」スレに持ち込む、あるいは
逆に「阿弥陀如来信仰」スレの内容をこちらに持ち込むことで両者を整合させてはどうで
しょうか。
先に1000到達をしたスレ住人がもう一方のスレに移動し、そこで1000到達をした段階で
新スレとして「阿弥陀如来信仰と念仏道場を語るスレッド」を立ち上げてはどうかと思い
ます。
内容としては阿弥陀如来の信仰を中心として、その共同体スタイル(=念仏道場)まで
言及していくと。
いかがなものでしょうか。
504 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/05(月) 22:01:34
>>503 阿弥陀如来スレも牛歩みたいなスピードで進んでるからね。
そのうち忘れられて「U」が立つだけだったりして。
どうじょ
507 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 12:27:43
>>505 そちらは重複誘導で何とかならんか?
本質的には一緒だろ?
509 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 13:22:33
>>508 やっぱり何らかの権威と拘束力がないとダメなのか・・・
>>500 >その道場は信心だけでなく村の社会生活の中心でもありました。
これが念仏道場を支えてきたものなんだよね。
511 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 01:24:22
>>500 一向一揆の歴史をサラリと通り抜けてますなw
>>511 地域によっては「そこまでしても信仰を守り抜いた」という誇りがあるんじゃないの?
ま、今となっては「門徒を戦場に送り込んだ」負の歴史のひとつということで、関係者も及び腰の対応を
しているわけだけど。
しかし、そういう時代環境がますます信仰を深めさせる原動力になったところもあるんじゃない?
どう言葉を改めたって歴史は変えられないのだし、巧妙にかわそうとするよりも、むしろ真正面から受け
止めた方がいいと思うのだが。
513 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/09(金) 14:29:35
>>512 400年以上前の話をされてもねぇ・・・というのが正直なところ。
514 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/10(土) 01:33:12
聞法道場だけで食えるの?
ナット投げ御真影に傷 京都、西本願寺の灯油まき事件
京都市下京区の西本願寺阿弥陀(あみだ)堂で包丁を持った男が侵入し、床に灯油をまいた事件で、
男が投げつけた金属製ナットで「御真影(ごしんねい)」と呼ばれる宗祖親鸞の木像の肩や腹など3カ
所に傷がつけられていることが8日、分かった。
事件直後、同像に被害はないと発表していた浄土真宗本願寺派は「筆舌に尽くしがたい強い憤りを
覚える。全国の僧侶や門信徒に申し訳なく、ただちに修復したい」としている。
親鸞像は、鎌倉時代の1243(寛元元)年の作と伝えられ、高さ約82センチの座像。ヒノキの寄せ木
造りで、表面に漆が塗られている。門信徒の礼拝の対象となっており、本来は南隣の御影(ごえい
)堂に安置されているが、修復工事中のため、今は阿弥陀堂内に安置されている。
昨年6月から、表面に亀裂やはく離が増えたため、初めての修復が美術院国宝修理所(東山区)で
行われ、終了後の同8月に西本願寺へ戻されたばかりだった。
発見された傷は、親鸞像の右ひざ、腹部、左肩の3カ所で、いずれも縦横5ミリ程度。乱入した男が
阿弥陀堂の内陣で暴れた際、金属ナット(直径3センチ大)約20個を周囲に投げつけ、うち数個が
厨子の中の親鸞像に当たったとみられる。
同派はこの日、全国に約1万300あるすべての末寺に「このような事態を未然に防げずに深くおわ
び申し上げる」とする謝罪文書を郵送した。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005090800242&genre=J1&area=K10
>>515 けっこう杜撰なんだな。
町道場を襲撃することはないだろうけど・・・怖いのはむしろ窃盗団か?
517 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/10(土) 15:36:18
>>514 小金持ちの道楽者か、セッセと業者の下請けをやってる人か、そのいずれかでしょう。
519 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:02:29
520 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:41:05
人生バクチ
521 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:09:42
尾籠と尾籠の織り成す人生模様
>>518 そうしないと食えないですから。
胸はいっぱいになっても、腹はいっぱいにならない。
で、いつの間にか腹をいっぱいにする方に傾いちゃうんですよね。
523 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 02:24:27
>>522 それが世の常。武士は食わねど・・・・とは言ってられない。
524 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 17:29:18
525 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 23:47:44
>>517 福井の道場行った時には、本尊が安置されてる厨子に警報機が仕掛けてあったな。
過去に窃盗をはたらこうとした輩がいたのかな。
526 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 18:32:36
>>525 文化財あたりだとそのくらいのセキュリティも致し方ないのでは?
>>526 俺のところにも区の指定文化財があるが、そこまで手が回らない。。。
528 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/03(月) 13:44:30
>>514 北陸や滋賀あたりに行ってみな。
門徒10軒くらいで支え合っている聞法道場がい〜っぱいあるよ。
それらの多くは手次ぎの住職が出張してきて法務を掌ったりしているけど、
管理は門徒側でやっているのが実情。
個別に道場主がいるという形態ではないのであしからず。
>>528 寺号を持ってるわけじゃないし、外置き型の簡便な門徒会館みたいなものだからな。
>>529 これって別院あたりから見ると、支院のさらに格下という扱いなのかな?
531 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/03(月) 14:36:07
>>530 村単位の講というのも存在するし、手次ぎ寺を中心として講が広域に存在したりして、その講が
道場という形で存在していたりするわけで、形態としては一様ではないと思う。
とはいえ多くの場合は、手次ぎ寺が複数の道場を管轄していると思われるが。
532 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/03(月) 18:32:53
533 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/05(水) 15:47:39
>>532 手次の出張所になってる場合もあるからねぇ。一概には言えないんじゃない?
534 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 00:46:42
ただの任意団体?
でも、それじゃ不動産の問題も出てくるしね。
535 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 19:15:05
別院ないしは手次の飛び地扱いかな?
住み込みで管理している門徒がいれば、別院ないしは手次が「無償で借りている」ということ
にもなるのだろうが。
536 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 03:43:46
>>535 住み込んでる専従的な人は少ないんじゃない?
農家やりながら管理人やってますとか。
>>536 山間部なんかはそんな感じだと思います。
知人にも本業は林業、副業が農業と道場管理という方がいますし。
538 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 00:02:23
>>537 独立した門徒会館をイメージしておけばいいわけでしょ?
539 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 17:59:21
>>538 時には農家の母屋を改造したような道場もありますね。
540 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 02:59:22
541 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/17(月) 03:24:40
五箇山の道場の一つかな?
542 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 02:11:00
543 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/21(金) 07:46:37
>>542 文化財だしな。
親戚の家も文化財の指定受けてるんだけど、維持まで義務付けられるから
大変なんだよな。
544 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/22(土) 12:59:24
545 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/23(日) 19:09:28
葬式仏教とは明らかに異なる信仰がそこにはありますよね。
葬式なんて付け足しのようなもの。
>>545 信仰の方が先に来るというのは大事なこと。
547 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 14:21:21
548 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/25(火) 08:59:21
>>547 最近は地方でもそういうカラーが失われてるようですね。
549 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/27(木) 09:40:46
>>539 民家を改造した寺院教会なんて腐るほどあるでしょう。
新興寺院(法人格の有無を問わず)などはほとんどそんな感じだと思いますが。
550 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 04:46:52
>>549 行ってみたら何てことない民家で、「ん?本堂は?」と聞いたら、居間の隣が20畳程度の本堂だったり。
そんなことはよくあること。
本願寺の前は、門前町ではなく、昔は本願寺の寺域だった寺内町。
そこにはたくさんの寺院が存在するが、本願寺で役職をもっていた寺院がほとんどだから、
門徒もそんなに多くなく、寺院としての立派な伽藍ももたない。
本願寺の寺域だから、本堂を別に持たず、座敷御堂という形式になっている。
法要の時は6つの座敷を区切る襖を外すと、外陣が40畳足らずの本堂が現れる。
家具は置けないが普段は座敷として使えるし、集まる人数によって、
2つに区切ったり、3つに区切ったり出来て便利ですね。
552 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/04(金) 05:53:33
>>551 ちょっとキャパシティのある仏間のようなものですね。
>本願寺の前は、門前町ではなく、昔は本願寺の寺域だった寺内町。
本願寺専門の町奉行が置かれたこともありますしね。
>>552 寺内だけの法律があって、門徒以外は住めない(借家人は例外)
魚屋などの殺生にかかわる店はだめ
歌舞音曲はだめ、など決まりがあったようですね。
寺でも、本願寺が近いから鐘などはだめだったようです。
554 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/04(金) 11:47:17
>>553 まさに「どうして浄土真宗ってダメなの?」を地で行ってますね(w
>>554 いや、これはむしろ真宗的ではないでしょう。
一般の仏教の感覚です。
556 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/04(金) 12:51:39
>>553 町の外に出ればOK!というのもなぁ・・・ちょっと違うような気もするけど。
557 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/04(金) 16:13:20
>>551 まさに道場という感じの趣き。
しかし、6つの座敷ということは本尊はどの位置関係にあったのだろう?
>>557 > まさに道場という感じの趣き。
> しかし、6つの座敷ということは本尊はどの位置関係にあったのだろう?
さらに3つの部屋があって、真ん中が本尊のある内陣、
左右が余間の役割をするが、外した襖や机など道具を置いたり、
法衣のタンスを置いたりしているから、そこまではオープンにしない。
結局、3×3の9部屋あって、そのうち6つが外陣。
ただし、内陣の後ろに廊下はないから後門はなし。
>>556 > 町の外に出ればOK!というのもなぁ・・・ちょっと違うような気もするけど。
そういう意味ではありませんね。
寺内町は、本願寺の境内のようなものですから、
境内に魚屋や歌舞音曲はないでしょう。
寺内の外は、本願寺の意見は通りませんから自由です。
だからといって門徒や僧侶に対して、何もしてもいいとは言いません。
560 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 00:02:01
>>560 その9つの部屋で一つの本堂の役割をするわけですね。
でも、地方の寺院の本堂からすれば、かなり小さいでしょうね。
まあ、街中ですから精一杯ですね。
562 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 11:13:23
9つフル使用の時は荷物どかしたり、片付けたり大変なんじゃね?
まあ、そういつもあることじゃないとは思うが。
>>562 45年ほど前の親鸞聖人700回大遠忌に9部屋全部使ったらしい。
20年ほど前には8つまで使ったが、道具の移動は大変だった。
テレビの大きさだけでも昔とは違うから、道具が増えた今では、
9部屋全部使うのは不可能になったなあ。
564 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 12:45:49
>>563 ということは・・・あなたは庵主さん?
ちなみに寺格、法人格は持ってらっしゃるんですか?
>>558 大体、1つの部屋が4畳半くらいですかね?
内陣3部屋、外陣6部屋で単純に40畳余りと。
>>565 外陣6部屋で38.5畳ですね。
余間は8畳と4.5畳、内陣は8畳ですからコンパクトです。
>>534 普通の寺院ですが、寺内にありますから道場形式に近いものがあります。
567 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 13:43:11
>>566 荘厳などが含まれるとすると8畳でもやや手狭、内陣に3人くらいしか出仕できないんじゃ?
ん?頑張れば6人入るか(w
>余間は8畳と4.5畳
あ、左右対称じゃないのね?
568 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 13:46:49
>>566 >寺内にありますから
失礼な言い方になるけど、昔の下寺さん?
>外陣6部屋で38.5畳ですね。
ということは、1畳で門徒さん2人程度としても、キャパシティ的には詰め込んでも
MAXで60人くらいですかね?
570 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 16:48:54
>>569 もともと、寺域内に住んで本願寺の役職をしていた寺ですから、
門徒の数は多くありません。
そんなに詰め込むこともありませんから、
今の規模でちょうどいいくらいの大きさです。
>>567 襖を全部取って本気で9部屋の本堂として使うようには考えてないのでしょうね。
寺域内の寺は、どこも門徒をほとんど持たず、本願寺に出ていた関係で、
変則的な建て方の寺院がほとんどです。
「座敷御堂」(ざしきみどう)と言うそうです。
>>568 > 失礼な言い方になるけど、昔の下寺さん?
下寺というのがどういう形態なのかわかりませんが、
門徒をほとんど持たず、本願寺で何らかの役職を持っていましたから、
寺院ではあっても、住居としての役割が大きかったのでしょうね。
大きな寺の下で代わりに法務を行うという訳ではありません。
>>567 > 荘厳などが含まれるとすると8畳でもやや手狭、内陣に3人くらいしか出仕できないんじゃ?
> ん?頑張れば6人入るか(w
となりの余間と同じ8畳だと思いこんでいましたが、
余間には床の間と押し入れ(昔はこの部分に御絵伝を掛けていたそうです)がありました。
その分がありますから内陣は10畳でした。
後門がありませんし、荘厳は小ぶりになっています。
出仕できるのは左右、2畳ずつです。
まあ、これ以上伽藍を立派にしようとも思いませんし、
門徒を増やして寺院の規模を大きくしたいとも思いませんから、
これで充分です。
575 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 17:23:17
>>571 俗?に「堂衆寺」なんて読んだりしてますよね。
確かに堂衆寺さんは門徒さんもそれほど多くないと聞いています。
>>573 今でこそ廃されましたが、大坊に隷属して法務を手伝っていたお寺のことを
そう呼んでいましたね。
したがって、門徒さんがほとんどゼロに近いようです。
>>574さんのところは今でも本願寺の役職をやってるの?
577 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 17:32:31
>>572 「座敷御堂」でググッてみたら・・・
どうやら堂衆さんのお寺のようで。
h**p://homepage1.nifty.com/keko-housennzi/housennzi.htm
579 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 17:53:50
>>577 ウチは京都からはるか彼方のところにある寺ですけど、
戦後間もなく建てた仮本堂が、まさに住居兼本堂という感じでしたね。
荘厳は
>>577のそれに酷似してまして、後門などあろうはずもなく、内陣なんて
左右に2人ずつしか座れない(w
しかも、外陣も20畳に満たない狭さ。
外陣横の襖を開けるとそこは居間、婆さんが得意の三味線をベンベン弾いてる(w
後に本堂横に客室(1階)兼庫裏(2階)を建てましたけど、昭和50年代半ばまで
その状態でしたね。
580 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 18:00:01
>>579 >外陣横の襖を開けるとそこは居間、婆さんが得意の三味線をベンベン弾いてる(w
何か想像するだけで微笑ましい。
581 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 19:10:01
新京成の常盤平駅と八柱駅の間くらいの所に
「梅松院念佛寺」という寺院があるのを通りすがりに見つけました
屋根などに見える紋は浄土宗の抱き杏葉に少し似ていています
新興住宅街の一角に建てられて間もないような立派なお堂が一宇あるだけで
霊園も隣接してはないようですし
境内といえるような広場のようなものはありません
門前の案内板には坂村真民の言葉などがあり何か関係があるようにも見えます
しかし寺院の由来を示すようなことは書かれてはいません
ネットで検索しても詳細のわかるページにはあたりませんでした
千葉県松戸市常盤平の梅松院について何かご存知のおかたがいらっしゃましたら
情報をお願いします
>>575 > 俗?に「堂衆寺」なんて読んだりしてますよね。
> 確かに堂衆寺さんは門徒さんもそれほど多くないと聞いています。
堂衆寺と呼ばれることはありませんが、
御堂衆(みどうしゅう)であったようです。
584 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 23:00:08
585 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 09:22:21
>>582 地名と院号と寺号とで検索すると
松戸市内の寺院について書かれたサイトならあり
梅松院は単立の寺院が集められている所に名前が見えるけど
名称と住所だけが簡単に載っているだけで公式サイトも詳細を知りうるページへのリンクもない
坂村真民というと一遍上人について書いた著作を何軒もの書店の棚に見た
篤信の資産家の人が坂村真民を通して一遍上人に傾倒して単立の道場を建立したのかも
一遍上人の教えにはまったら既成の宗門に所属する努力をしようという気持ちはあまり起こらないような気がする
586 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 09:26:06
>>585 ということは時宗の道場ということですかね?
587 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 09:39:12
>>581 >新興住宅街の一角に建てられて間もないような立派なお堂が一宇あるだけで
>霊園も隣接してはないようですし
>境内といえるような広場のようなものはありません
というより、街中に「立派なお堂が一宇あるだけ」という道場があることが凄い。
経済力があるのね。。。
588 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 10:07:17
>>586 時宗の紋は八角形の枡に三の字だったような気がします
ただ千葉市のJR西千葉駅の近くに来迎寺という時宗史を語る文にもしばしば寺名が見える名刹がありますが
その寺の現在の宗派は浄土宗になっています
踊り念仏は各地にあるようですが踊り念仏が行われているからといってもそこの寺は真言宗などだったり
時宗以外の宗派であったりすることが多いようです
たまに珍しく時宗の寺院を見つけても本尊が阿弥陀ではない場合が少なくありません
時宗は六字名号の称名念仏への信仰があまりに純粋を極めたために
可視の寺院の所属宗派や可視の本尊の像には頓着しないのでしょう
時宗の寺の中には昔阿弥陀ではない像を本堂の本尊にしている寺院が長く無住になっていて荒れていた所に
諸国遊行の時宗僧が訪れてその寺の檀家に請われて住職になったものの
時宗の教えの性格から改宗前の本尊を改めることに力を尽くす気があまり起こらないところから
ずっと阿弥陀ではない仏菩薩(ときには天部)が本尊であるという感じの古刹もあるようです
589 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 10:13:12
そもそも時宗には堂宇を構えて道場にする、という発想自体がなかったような・・
>>588 今の時代、諸国遊行の時宗僧っているんですか?
591 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 11:20:17
>>590 >>588の時宗の遊行僧は江戸時代までの話だけど
法華の日本山妙法寺の遊行僧みたいなお坊さんだったらみたことある
日本山妙法寺ならインドにけっこう遊行僧がいそう(昔ヒッピーだった人とかがいるみたい)
あとアメリカなどでヒッピームーブメントの盛んな時代に大きくなった新興ヒンズー教の一派のハレークリシュナなどは
往時の時宗の遊行念仏の勧進の姿を偲べるかも
何十年も前に新宿や上野でハレークリシュナの一団が踊っていたのを見たこともあるけど
ただ雲水みたいに托鉢だけみたいなシンプルな行脚なら問題も起こらないだろうけど
踊り念仏は道路交通法とかがうるさくなってきて現代は難しそう
原宿のホコ天のローラー族も竹の子族も宗教のようなのりがあったが今はホコ天もなくツワモノどもの夢のあと
592 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 12:07:09
593 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 13:23:06
ギリヤーク尼崎さんぐらいの熱意がなきゃ大道で一人じゃ踊り念仏なんかは出来そうにない
ギリヤーク尼崎さんは南無阿弥陀仏の念仏はやらない街頭の前衛舞踊家だけど
「じょんがら念仏」とかいう題での踊りもやってる
尼崎さんにも信仰のような雰囲気が伝わってくるけどそれは自分の母親へ向けられている
それは決して子宮への退行などではなく
屋外への積極的な進出・露天の大道を舞台にすることのこだわりを貫く力の源泉になっている
弥陀の定印も古くは胎蔵界の大日如来と同じ法界定印だったが
胎蔵界は仏法が衆生にとって母のような慈悲で救済をしてくれる教えであることを示している
賢明な厳父である金剛界にたいして
見る者を和ませる美しさや嗅ぐ者を癒す香りや
実りをもたらす秘められた力を持つ蓮華の花
五智如来の一員としての阿弥陀の三摩耶形にも蓮華が見られる
真宗に近い人だが中村久子は文筆でも著名人になれたあとでも見世物小屋の舞台に自ら進んで出続けた
阿弥陀の蓮華を胸中に咲かせ続けられたからなのだろう
595 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 16:33:51
>>574 そのくらいの本堂だと1度にどれくらいの人が入れるものなの?
まあ、門徒さんが総動員?集合するのは報恩講くらいだと思いますが。
596 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 19:26:10
>>593 正しくは「ギリヤーク尼ヶ崎」なんですが
「あまがさき」が一発変換で「尼崎」になるんでネットでは「ギリヤーク尼崎」と書かれてるのが多い
**tp://www.tctv.ne.jp/sparabo/edt_tk/satage.html
**tp://www.tctv.ne.jp/sparabo/edt_tk/satage0.html
尼崎氏の十八番は「じょんがら念仏」ではなく「念仏じょんがら」のようです
**tp://www.geocities.jp/yo00944423/hdp_amagasaki.html
このインタビューでは「道路交通法違反なんですよ。」と言ってる
「大道芸やって31年目になるんだけど、捕まったのが71回!」(!)
(インタビューア)
「動禅。動く禅のようなものですね。」
(ギリヤーク尼崎)
「そうそう!よくぞ言ってくれたっ!この踊りのバックボーンになってるのは、禅なんだっ!
そう動く禅!」
黄檗宗などは「念仏禅」などといわれますが
ギリヤーク尼崎の「念仏じょんがら」もまた別の形で念仏と禅が融合した世界のようです
>>596 そろそろスレ違い気味になってきてます。ご注意を。
598 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/07(月) 17:30:50
>>583 堂衆さんのお寺は定数が決まってるはず。
最近は准堂衆から堂衆への道が開けたようだけど、それでも狭き門。
600 :
599:2005/11/07(月) 18:32:24
ちなみに堂衆さんのお寺の場合、門徒はせいぜい数十軒単位。
基本的に本山業務が優先なので、門徒を数多く抱えてもフォローできないというのが
実情のようです。
お寺自体もそれほど大きくないようですし。
601 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/07(月) 20:36:00
602 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/08(火) 10:34:52
>>601 本山からの俸給と各種のアルバイトでしょう、そこは。
603 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/08(火) 13:30:39
604 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/10(木) 11:36:12
605 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 15:16:49
>>604 地方によっては准堂衆の資格を持っていないとカネにならないらしいからな。
そういう考え方もどうかとは思うが。
607 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 19:27:49
>>606 真宗でしょ。
そういうしょ〜もない慣習が罷り通るのは。
>>607 真宗に堂衆って今はないでしょ。
准堂衆というのも聞いたことがないが。
>>607 真宗は他の宗派と比べて、比較的早い時期に旧来の制度は廃止している
610 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 22:16:48
>>610 ああ、大谷派ね。
本願寺派(西本願寺)のことを念頭に話していました。
大谷派は、政治団体化してラジカルになったのに、
まだそんな制度を残しているんですね。
>>611 結局、根っこと葉っぱは別物ってことですよ。
>>609 「真宗は・・・」と言うべきではないですね。きちんと「○○派」まで付けないと。
差異があるのは別教団なのだから致し方ないと思いますし。
614 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 23:42:11
>>613 そうですね、>607 に対する反論のつもりでしたが、
大谷派もてっきり、そういう制度は過去のものになっていると
思いこんでいました。
しかし、大谷派の全国准堂衆会は800人ですか。
どうも私の感覚では御堂衆というのは十数件の寺院です。
准堂衆会というのは、声明を受け継ぐ会員組織なんですかね。
616 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/13(日) 01:37:46
>>615 >堂衆というのは十数件の寺院です。
そうですね。20軒に満たない数だと思います。
堂衆寺というのは従来、指定された寺院による世襲だったのですが、最近は准堂衆から
ステップアップすることも可能になったと聞いています。
>准堂衆会というのは、声明を受け継ぐ会員組織なんですかね。
そのブランド・バリューで各地の別院、末寺の法要全般を取り仕切っているわけです。
地方によっては准堂衆資格がないと相手にされないとかで、皆さん、必死になって声明
研修会に参加されているようですね。
その結果、声明ヲタが幅を利かせているというのが実情です。
但し、「詳しい」「知っている」と「巧い」「聞く人たちに伝わる」は別問題だとは思いますが。
「政治団体化してラジカルになった」はずなのですが、底部ではそういう風習が罷り通っ
ているという質的矛盾がそこにあります。
617 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 15:41:31
ウチの嫁さんの実家が真宗のお寺なんだけど、自坊と併せて山間部の道場も管理してる。
自分のところだけで200戸余(嫁さん談)の門徒さんをお預かりしながら、同時に山間部の
集落にある道場(1ヶ所)も法人の管轄下に置いている状態。
それ以外にも自治管理?している道場の面倒も見ているのだとか。
『阿弥陀堂だより』という映画がありましたが、
あのような道場というのは実際にあるのでしょうか。
>>617 ということは住職さん1人だと大変かもね。
621 :
617:2005/11/16(水) 18:09:46
>>620 そのあたりは住職と義兄(嫁さんの姉婿)がWスタンバイで対応しているので問題はないらしい。
義兄は付属保育園の運転手も兼任しているので、仕事がない、ということはない模様。
622 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 21:11:11
>>621 なるほど。
典型的な地方型という感じでしょうかね。
>>622 道場だけでは食っていけない場合も同様のパターンが多い。
地方は土地があるし。
624 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/19(土) 15:39:53
布教伝道よりもそちらが本業になってしまっている方も多いわけですが。
625 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/20(日) 18:17:28
>>624 檀家や信者が少ないところはしょうがないでしょ。
でも、幼年時の情操教育や、それを通しての父母の学びは大切なこと。
>>625 時にとんでもないDQN息子が事件起こしたりしてね(w
627 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 22:44:00
628 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 15:26:00
629 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/29(火) 19:20:10
>>627 聞法主体の伝道所のことでしょ?
聞法会での勤行や報恩講などはやるけど、個々の家庭の仏事にはあまり介在しないと。
631 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/01(木) 23:28:06
632 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/04(日) 19:07:01
>>629 でも、結局は管理してる手次ぎさんが個々の法務を担当するしね。
633 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/05(月) 20:50:03
>>629 そういう意味では、プロテスタントの町教会に近いノリでは?
と言ってみる。
聞法ということが最も大事なことは言うまでもないけど、倫理・道徳をやってるわけじゃないし、
主宰がどういう姿勢で生きているのか、そのことを常に示し続ける現場であるべき。
それが「場の力」を生むのではないかと。
でないと口先だけになるし、知識・学問と聞法歴自慢で終わる。
635 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/07(水) 00:22:11
636 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/08(木) 15:31:47
>>634 絶対、ということが疑わしい。そういうことですかね?
637 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/09(金) 17:06:14
638 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/10(土) 14:55:41
>>637 そういう道場になるということですね、単純に。
そしてそれが現実でもある。
639 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/10(土) 15:34:54
座禅や瞑想だと、道場で指導を受けてステップアップするのはわかりますが、
念仏の場合、悟りに近づくわけではないので、道場に通うイメージがわかない。
641 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/11(日) 21:20:41
>>640 ですね。
真宗は「聞き拓く」宗教ですから。
>>642 あまりに多くの夾雑物が付きすぎて、
俗っぽくなりすぎたから今さら無理ですね。
644 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/12(月) 01:21:37
直指庵のような駆け込み寺は?
>>644 観光寺院化すると、道場には戻らない
癒し系の仏教ファッションになってしまう。
646 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/12(月) 23:58:55
>>645 そりゃそうですけどね。
確か明治期に一度復興させたけど、今や完全に観光寺ですね。
>>647 浄土宗って玉石混淆。
ぽっくり寺もあるし。
649 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/13(火) 16:45:46
>>648 何か有難味があるのか、無いのかよく分からん。
650 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/14(水) 00:43:55
>>648 それを柔軟と見るか、節操無しと見るかでしょうねw
651 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/15(木) 15:42:32
>>644 今でも駆け込み寺として機能しているのかな?
どちらかと言えば・・・いや、今や確実に観光スポット化しているが。
652 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/15(木) 23:26:05
>>651 今の時代、寺に駆け込んだって「そんな厄介な話を持ち込まないで」と門前払いされそう。
>>652 公的機関に飛び込んだ方がいいしね。
とりあえず何の役にも立たない。
昔の様にお寺が治外法権という時代ではないからね。
今の時代にお寺が治外法権となったら、逆にそれを
悪用する輩が多すぎて収拾がつかないでしょう。
>>654 治外法権?
町方と管轄が違っていた(寺社奉行の支配下)だけやん。
比叡山は治外法権だから犯罪人が逃げ込んだ。
それが僧兵になったようだ。
お坊さんにしては乱暴だと思っていたがガードマンね。
今の様に法律がはっきりしていた時代では無いから
治外法権と言うほどはっきりしたものでは無くとも
寺に逃げ込むことでそれ以上は深追いしないという
不文律は日本中のアチコチにあった。
658 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/16(金) 17:46:59
>>657 それも時の為政者によって「不介入」が明確にされていたからでしょうね。
まあ、あまり念仏道場とは関係のない方向に話が流れていますが。
659 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/16(金) 18:01:43
>>653 物理的な問題解決を望むならば無理でしょう。
道場が提供できると言えば、心を安らげる場の力だけ。
>>659 世間の価値観や行動規範に縛らないということが、現代の道場が唯一できる時代への抵抗
ではないかと。
661 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/16(金) 18:16:44
真宗道場
親鸞は、当初小堂や庵室において他力の本願・信心・念仏・往生を説き、教団や寺院の設立の意思
はなく、仏像などの本尊すら必要としなかったとされる。親鸞が本尊としたのは「南無阿弥陀仏」のよ
うな仏への帰依を誓う「名号」であり、そこでは人家の棟を上げた程度の小規模な道場があればよか
ったのである。そのような道場が、越前・越中・飛騨・近江などの山村のわずかに残されている。
安養寺道場(岐阜県郡上郡八幡町)は、福井県大野郡和泉村にあった穴馬上半原の道場を九頭竜
流ダムの建設のために移築したものである。安養寺は、康元元年(1256)に近江国蒲生郡で創立さ
れ、6世仲淳の代に安八郡に移され、蓮如より寺号を下されたとされる。この建物は、安養寺の支配
下の道場で明和9年(1772)に建立されたものである。桁行7間、梁間5間、切妻造り、当初は萱葺で
あったとみられる。間取りは、40畳の「広間」を中央におき、妻側の奥1間半の中央に間口に2間の
「仏間」、その向かって左側に6畳の「坊主部屋」、右側に4畳半の「花部屋」を設け、妻側の前1間半
の手前に入口土間を造り、他を倉庫としている。「広間」では上部に野梁を十字に組み、低く棹縁天
井を張り、内陣と余間の前面では床高を上げて襖を入れ、「仏間」は板間とされ、奥には通し仏壇を
構えており、仏壇に阿弥陀如来・宗祖・名号などの画像を祀った極めて素朴な建物であった。
安養寺道場
http://www.jia-tokai.org/sibu/architect/2004/0410/jiin1.jpg 安養寺道場内部
http://www.jia-tokai.org/sibu/architect/2004/0410/jiin2.jpg
662 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/16(金) 19:08:11
>>661 廉価で量産?が利くシロモノなのよね。。。
663 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/16(金) 19:19:58
664 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 00:56:39
>>662 高価で量産が効かなかったら布教にならんやんけ。
基督教の教会なども
>>661の仕様が多かった。
665 :
転載:2005/12/17(土) 01:27:42
281 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/12/12(月) 15:39:01
愛知県の廃ホテルを買い取って
念仏道場なるものをこさえた住職って
本派?大派?
282 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/12/12(月) 17:36:35
>>281 釣りなのか?
ttp://www.eko.or.jp/ 283 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/12/12(月) 17:39:08
釣りじゃないっす
マジレス、dクス
667 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 15:49:43
>>665 研修道場のようにしたいのかな?
しかし、廃業したそのホテル、損傷がひどいうえに復旧作業も遅れがちのようで。
669 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 23:12:26
>『廻向精舎』の建物は、もともと「蒲郡ふきぬき観光ホテル」(本館9階建、ホテル館17階建、
>宴会場館5階)という温泉ホテルでした。しかし平成9年11月に営業不振、過大投資による
>2回の不渡りで倒産し、その後は、心ない人達によって、内部は滅茶苦茶に荒らされていま
>した。温泉は停止中。ロビーは小火の焦げたままです。資金が足りなく大掛かりなお金をか
>けた改修はすぐにはできない惨状です。改修整備に協力を願います。
だってさ。
670 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 23:15:24
>○ 現代に特徴的に見られる、脳学者や医者や経済学者が寺に来て僧侶に向かって仏教を
>語る本末転倒の事態への反省から、僧侶が各業界へ行って、生きることの根本となる仏教
>を語られるように改革していく。
確かにそういうことはあるね。
僧侶自身が自分の言葉を持っていない、ということ。
本末転倒というか末期症状?
672 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 23:53:05
673 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/18(日) 00:25:05
>>671 ちなみにそのご本尊は近所のお寺からの借り物なのだとか。
>>669 というか、完全修復にいくら掛かるんだ?www
675 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/18(日) 20:01:04
>>674 廃業してから相当荒らされてたというからね。
軽〜くウン千万円いくんじゃない?
676 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/18(日) 20:06:50
>>674 というか、そんな僻地誰が行くんだ?www
677 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/19(月) 00:53:39
678 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/19(月) 01:51:10
>>677 寺じゃないからね。
巷にあるお堂でしょ?
679 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/20(火) 12:10:06
>>677 阿弥陀堂の横の小屋で暮らしてるんでしょ?
寺尾あきらが厠作ってあげたはず。
680 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/20(火) 22:56:34
681 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/21(水) 17:05:13
682 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/21(水) 17:16:11
>>681 幕藩体制下、天領及び諸藩において寺院台帳が整備され、寺院台帳に記載された寺院は
「寺請の判形を加える権限」を有する公認寺院となった。
この「寺請の判形を加える権限」が宗判権。
この宗判権を有しない寺院は非公認寺院又は新寺として領内規制の対象となった。
683 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/21(水) 17:37:10
684 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/21(水) 19:56:22
>>682 その結果、寺院化できなかった道場も、いずれかの寺院の傘下で管理・運営されるようになったと?
685 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/22(木) 03:00:48
>>684 できなかったのか、しなかったのかは知らんけどね。
686 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/22(木) 05:34:28
>>680 >近年は遅くなったが、昔は朝5時から始めた道場での年賀の行事。
>正信偈の読経から始まる。そして集落の老若男女が集まって「箸始め」(お雑煮を食べるのです)。
>それにしても今年は少ないね。
いいねぇ、こういうの。
687 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/22(木) 05:35:05
690 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 15:42:20
>>687 巷の道場では管理人の住居の一部になっていたりする。
691 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 16:15:55
692 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 16:17:55
福井県の雑煮
具と餅を白みそで煮込むのが福井の雑煮。カブラと丸餅が特徴。
●材料(2人分)
丸もち 2個 鶏もも肉 50g カブラ 80g ニンジン 20g
だし汁(コンブ・カツオ) 4カップ 白みそ 50g
●作り方
鶏肉は一口大に、カブラは皮をむき、くし形に、ニンジンは皮をむき、半月型に切ります。(1)
鍋にだし汁を入れて火にかけ、沸騰したら(1)を入れ中火で煮ます。
具材が柔らかくなったら、もちを入れ、その後みそを溶き入れ、弱火で煮ます。
もちが柔らかくなったら火を止め、お椀に盛ります。
●さらにひと工夫
みそは赤、白お好みのもので構いません。地元では白みその代わりに、赤みそを使う家庭も
あるようです。ちょっとぜいたくに、ブリやカニを入れても北陸らしい味わいになります。
>>691-692 美味しそう。
雑煮はその土地、その土地でいろいろと特色があるようだけど、
たまには他の地方のレシピで作ってみたいもの。
694 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 17:17:54
修正会の光景のようだが、都市部では神社行っちゃうもんな、その時間は。
696 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 17:30:58
修正会でお雑煮を振舞うなんて・・・ちょっと良くない???
コスト高だけど慶事だし。
697 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 17:43:06
>>695 地域社会の中で、今、こういう施設が無いからね。
どうせなら、団地とか作るときに敷地内に礼拝施設とか作りゃいいのに。
そうずれば犯罪は少なくなる・・・はず。
698 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 18:00:08
>>697 特定の宗派に偏ったら攻撃されるんじゃない?
700 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 18:45:41
>>697 そこで生活する人を置いちゃうといろいろ問題もでるだろうが、道場だけがボ〜ンとあって、
そこに布教師が通う(神主さんが1人で複数の神社を管理しているように)ようにするとか。
701 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 23:38:20
704 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/24(土) 03:40:34
>>696 人数にもよるでしょうけど、大したコストじゃないでしょ。
705 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/24(土) 17:55:03
>>704 ですね。
季節の風物詩は大事です。
それもお念仏をいただく一つのご縁だったりして。
707 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/25(日) 04:13:53
>>705 しかし、地域社会も崩壊しつつあるしな。
708 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/25(日) 18:32:59
>>707 人口は過密になっても、人の間は薄まるばかりか。
何か空しいね。
>>708 それだけに価値を見出したいところですけどね。
主管者なり管理者にそれだけの思いがあるかどうかではありますが。
711 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/28(水) 17:25:26
>>710 木辺派の東京寺務所?はマンションの一室のようで。。。
712 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 12:40:10
713 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/31(土) 20:23:26
さあ、いよいよ雑煮!☆
714 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/31(土) 22:41:30
お雑煮 ワッショイ!!
\\ お雑煮 ワッショイ!! //
+ + \\ お雑煮 ワッショイ!!/+
+
. + ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ +
( ´∀`∩(´∀`∩)( ´∀`)
+ (( (つ ノ(つ 丿(つ つ )) +
ヽ ( ノ ( ヽノ ) ) )
(_)し' し(_) (_)_)
715 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/01(日) 00:31:59
お雑煮 ワッショイ!!
\\ お雑煮 ワッショイ!! //
+ + \\ お雑煮 ワッショイ!!/+
+
. + ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ +
( ´∀`∩(´∀`∩)( ´∀`)
+ (( (つ ノ(つ 丿(つ つ )) +
ヽ ( ノ ( ヽノ ) ) )
(_)し' し(_) (_)_)
716 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/01(日) 00:49:47
☆ チン マチクタビレタ〜
マチクタビレタ〜
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・) < お雑煮まだ〜?
\_/⊂ ⊂_ ) \_____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| 愛媛みかん |/
717 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/01(日) 01:01:54
∧ ∧ マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜
マチクタビレタ〜 / ヽ ./ ヽ マチクタビレタ〜
/ ヽ―――/ ヽ マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜
マチクタビレタ〜 / l___l \ マチクタビレタ〜
| ● | | ● | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
へ | へ ヽ ./ | < ねえ、お雑煮まだぁー?
\\ \ \\ ヽ/ / \____________
チン \\ .> \\ ヽ
チン \\/ \\ _ | マチクタビレタ〜
\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / ̄ ヽ / _
\回回回回回/ ̄ ̄ヽ / ̄ ̄ /| マチクタビレタ〜
\___/ ヽ____/ / .| マチクタビレタ〜
/ | マチクタビレタ〜
__________________/ .|
| | マチクタビレタ〜
718 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/01(日) 01:08:08
―――――――――――――‐┬┘
|
____.____ | ☆/
| | ∧_∧ | | チンチンうっせーんだよ ゴルァ! :|\ \∧_∧
| | (# ´Д`)| | | \ (;´Д`)○
| |⌒ て) 人 / ̄ \ : \ ̄ ̄/| ○
| |( ___三ワ < > ====≡≡≡三三三三:| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ :| :|
| | ) ) | ∨ | みかん :|/
 ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄ |
719 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/01(日) 01:17:10
∧_∧
( ・∀・)
( ∪ ∪
と__)__) 旦
721 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/02(月) 01:29:14
722 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/02(月) 16:02:49
>>711 都市部の場合は、駅前のマンションとかの方が便利が良いのでは?
723 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/02(月) 17:52:05
>>724にプラスして・・・
一緒にお勤めをし、聞法をし、朋輩と談合する場ですね。
さらにプラスして社交場・サロンとしての機能も。
726 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/05(木) 16:14:35
>>725 そうしてみるとけっこう機能的にはいろいろあるんだな。
727 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/09(月) 04:47:38
>>726 使い方次第でしょ。
せっかくキャパシティがあるんだし。
728 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/10(火) 10:17:01
>>721 修正会ではお雑煮&お汁粉を振舞いましたよ。
まあ、参詣者がそれほど多くないからできる芸当ですが。
729 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/15(日) 09:54:33
>>728 いい感じですね。
その他の年中行事は?
730 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/16(月) 18:29:52
731 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/18(水) 13:17:27
>>730 花まつりに永代経、んでもってお盆に報恩講あたりか?
732 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/18(水) 13:42:52
>>731 永代経かぁ・・・。
道場が永代に護持され、念佛相続がなされることを願っての行事ね。
本来は「永代にお経が読まれる」という『永代読経』の略だったわけだけど。
733 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 00:38:03
734 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/23(月) 17:52:44
735 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/24(火) 13:58:14
>>731 修正会、春季彼岸会、永代経、盂蘭盆会、秋季彼岸会、報恩講・・・
736 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/25(水) 00:43:00
>>735 巷の道場でそこまでやってる?
どちらかと言うと聞法会主体の印象を受けるが。
738 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/25(水) 13:58:58
>>737 聞法を基本にしながらも、節目毎の行事を大事にするということでしょう。
739 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/25(水) 23:18:12
>>737 仏事より聞法会に比重を置いているにせよ、そのくらいの行事はやるでしょう。
まあ、やっているところは毎週あるいは隔週で聞法会やってますしね。
かなり密度が濃いと思いますよ。
740 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/26(木) 00:13:53
>>739 手次ぎと言っても拘束力が今ひとつ弱いからね。
うかうかしていると信徒を獲られてしまうし、法と教義、長年の人間関係……
繋がりとしてはこんなもの。
信者寺ならば現世利益だの祟りだので縛れるし、檀家寺ならば墓などで縛れる
のだろうけど、道場にはそれがない。
常に動きを止めることができないのが実情だろう。
741 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/01(水) 23:51:02
>>740 緊張感あっていいんじゃない?
と言ってみる。
742 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/02(木) 18:18:23
>>740 真宗の場合、普通の寺も道場って呼んだりしてますよね?
743 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/03(金) 19:53:44
>>742 そうですね。
そもそも親鸞さん自身、「寺」というツールを重視していなかったわけで。
草庵仏教というか、寺という体裁に拘らず、人が寄り集まって法を聞くことができる道場があれば
十分という考え方ですね。
746 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/03(金) 22:24:53
>>743 江戸期に町役場的な機能を付与されて、今のようなスタイルに出来上がってしまったことを
云々しても始まらない。
じゃあ、「更地に戻してゼロから作り直せ」と言ったところで誰がやりますか?と。
本来的な機能を取り戻すことが大事なのであって、体裁や形状なんてある意味、どうでも
いいんじゃない?
>>745 初期の道場と、今の教団とは別物です。
昔に戻る必要はないし、教団のなかにも、
道場的な組織はいくらでも存在します。
釈迦の時代の出家者の修行教団と、
入滅後に、墓を中心に発展した大乗仏教とは異なります。
748 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/03(金) 22:55:58
>>747 「○○講」なんて門徒組織は都市部ではあまり聞かないな。
得度だけなら短期間で可能というところで粘着してるんだろ?
でも、真宗の場合、教師持ってないと意味
750 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/03(金) 23:33:09
>>748 それは各寺の門徒集団を「講」に見立てるしかないだろうね。
751 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 00:19:09
>>747 >今の教団
それはどこを指しているのかな?
752 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 01:36:52
>>751 本願寺系のことを言っているのでは?
規模と数からして上位2派のことだろう。
753 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 01:49:36
徐々にここ、裏真宗サロン化してますねw
>>753 スレ立てはこっちの方がはるかに古いわけだが。
755 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 02:35:35
>>753 裏というよりは「ほのぼの雑談」系では?
756 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/06(月) 13:56:29
>>747 >初期の道場と、今の教団とは別物です。
教団化した時点で本質は摩り替わったよね、確かに。
>昔に戻る必要はないし、教団のなかにも、道場的な組織はいくらでも存在します。
組織偏重になっているよね。
むしろ講から地域社会が成り立つような考え方でないとね。
757 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/08(水) 22:05:48
真宗は「寺じゃなければならない」わけじゃないし。
既に寺院化して歴史をもつ真宗に、昔に返れと言うこともない。
何も教団に属さなくても、道場として自由にやればいいのだし。
日本の仏教教団に、インドの釈尊の時代に戻れと言うこともないし。
759 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 01:55:41
そもそもの起こりを顧みることも必要じゃないの?
寺院という形態を否定するわけではなくて、他宗の寺院と何が違うの?という問いを
持つという意味でね。
本来、浄土の真宗はどこに立脚しているのかを確かめることで、これからの在り方が
定まってくるように思う。
ちょっとキャパシティのあれば民家でも十分いけるし。
761 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 12:25:08
☆ チン なむあみだぶ〜
なむあみだぶ〜
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\( ・∀・) < 往生まだ〜?
\_/⊂ ⊂_ ) \_____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| |/
762 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 14:06:35
>>758 門徒主体の講(輪読・座談会)の方がよっぽどストレートに浄土真宗っぽいですけどね。
寺という枠組みがかえって浄土真宗の本質に還りにくい構造を作り出している部分もあるように
思う今日この頃。
763 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 12:48:21
>>762 行も大事。
でも、儀式屋さん任せの行もどうかと思うが。
764 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 13:00:49
>>763 寺となると儀式を掌る比重が高い。
でも、浄土真宗などでは門徒もお勤めするからね。
2つをバランスよく組み立てる法はないものか。
765 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 13:43:52
>>764 商業主義的な匂いを残してしまいますね。
それが悪いとは言いませんけど。
武士は食わねど高楊枝というわけにはいきませんし。
真宗の場合は、説教所から寺格を持つようになった寺院が多いですね。
766 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 14:10:02
>>765 開拓地など人口の増えたところに説教所を設けていった歴史がある。
明治期の北海道には数多くの門徒が開拓民として移住しといったが、その後を追うように
真宗(主に大谷派)が説教所を開いた。
768 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 14:29:25
逆に考えると……ですが、
どこかで「寺らしさ」をどこかで要求されて「浄土真宗らしさ」を失いつつある既存の寺院に比べると、
道場・説教所の方が自由度が高いかも知れません。
求められているものに対してストレートに行動できそうな感じを受けますね。
儀式といって儀式に縛られず、パフォーマンスよりも法を主体に展開していく。
土日に法事をやらずして礼拝・法話会や、信徒参加型の行事をやってしまうような自由度というか。
769 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 14:33:49
>>768 それじゃ経済的に立ち行かないでしょ?どう?
770 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 14:39:18
>>769 それが概念的というか……。
平日は平日で自分も働けばいいですしね。
今の時代、月曜日から金曜日まで9:00〜17:00で働く公務員のような人ばかりじゃないし。
方法はいくらでもあるんじゃないかと。
>>768 檀家型になっていくと、違うニーズが出始めてしまうんだよね。
平日に法話会なんてやって誰が来るんだ?と思ったりするが、「土日は法事なので」で
ケリがついてしまう。
そこに差別化のヒントがありそうなものなのだが。
772 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 15:31:53
773 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 15:46:38
>>771 開教所を作る人も「寺を作りたい」ということで始めるからな。
宗教法人格を取得するには礼拝設備が必要だったり、一定の信者数が必要だったり、
借財がないとか何とかいろんな条件を課されてくる。
といって一般の寺院が出資するとなるとこれも問題が多い。
775 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 04:14:32
宗教法人にならないと、普通に固定資産税など税金とられるから、
とても道場を維持していくことはむつかしい。
単独で道場を作るのは難しいから、個人の家で法話会を定期的にしたり、
別院などの場所を利用して、聞法の会を作ったりしているが、
それが、現代における道場の役割をしている。
独自の建物を持つのは困難だろうね。
777 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 13:16:13
>>776 個人が借金を背負いながら運営するには無理があるし、本来は「場を欲する」集団の総意
があって成り立つもの。
個人(有教師者)が「講」を作りたいと思ったら、審査を通ったそれについては施設を貸す
とか、補助を出すとかすればいい。
初めは借家から、というのが多かったようですけど。
次第に信徒さんの世話で設備を整えていったようです。
779 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 14:43:38
場というものに対する考え方の違いですね。
現代においては、道場は建物ではなくて、場でしょうね。
ただ、教団や寺の協力がなければ、維持していくのはしんどいでしょうね。
781 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 20:22:19
精神的な繋がり合いを大事にする空間。
ただひとつ、そこに本尊があればそこは道場になる資質があるということ。
仏教のカルチャーセンターや公開講座などに人が多く集まるが、
本尊のない空間、念仏のない空間だからね。
783 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 22:26:10
>>782 否定はしませんけどね。
でも、その種の講座は自分にとって心地よい話しか耳に残らないんですね。
甘いだけが仏法の味わいではないし、むしろ逆。
自分を引っ繰り返されることを通して初めて自分を受け入れることを知るわけで。
784 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 22:48:04
楽なんだよね。
自分を問われない学びだし。
785 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 23:40:07
>>780 既存の寺院は置いておくとして、法人格を持たない直轄の布教所を増やしたりできないのかね?
で、俸給は宗門から支給されるようにするとかさ。
786 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 00:43:14
>>785 間接的にではあるが、所属末寺がその費用を分担していることには
変わりない。
とはいえ、批判も多そうだけどね。
新規に布教所を立ち上げると、近隣の寺院からの嫌がらせもある
ようだし。
>>785 う〜ん……それじゃ持ち味が失われないかねぇ。
別院の管轄なんかにしちゃうと、本山大事!みたいな講になっちゃうような。
そういうことではない、等身大の問題を取り扱うような場として開かれるべきなんでね。
788 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 01:05:08
逆に言えば、別院や末寺のキャパシティや地理的沿革を有効に活用して、場をお借りするというような
システムにして、会処料を宗門側が補助してあげるとかさ。
別に門徒だろうが、門徒でなかろうがそこではイーブンに扱うと。
そういうシステムが一般化すると、お寺の敷居も随分と低くなると思うけど。
>>788 難しいことを考えないで、民家とかでいいんじゃないの?
790 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 02:12:29
>>790 霊場ならそれで充分ですね。
法を聴く念仏道場とは性格が違いますね。
>>791 そうなの?
昔の説教所なんて
>>790のようなものが多かったみたいよ。
民家の2階を借りた・・・なんてのも。
793 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 03:21:13
795 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 14:05:33
796 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 15:21:46
>>794 最初からその地域に門徒がいるという前提があるわけでしょ?
ゼロからの布教伝道とはちょっと事情が違うかと。
過疎の地域だから、物理的にそういう形しかとれないということですね。
過疎に悩む山陰では、寺院の伽藍の維持はもはや困難だから、
今の伽藍が耐用年数を過ぎれば、取り壊されて、
民家風の説教所が出来るかも知れませんね。
住職は仕事のために町に出ているから、
交代で門徒が管理する道場が復活ですか。
799 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 16:30:25
800 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 16:32:22
>>798 山陰地方限定?そんなことはないと思いますが。
山間部に共通する事態かも知れません。
立派な伽藍を維持することが信心の表れ、みたいな言い方をする人も
いますけど、本当にそうなんですかね?
801 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 16:44:51
過疎化が進んで廃寺となり、公民館として再利用されている寺もあると聞く。
逆に、複合店舗型コンビニエンスストアではないけれども、寺ではあるけれども地域社会の中で
多目的に利用できる施設として汎用性を高めるという手もあるのではないか。
以前、某別院の輪番さんと話しをした時にも
「礼拝施設としての体裁を保ちつつ、門徒であるか否かを問わず、地域住民に気軽に利用して
もらえる設備として設計しました」
と語っていたし。
803 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 17:14:55
>>798 悪い傾向じゃないと思う。
GDPの低い地域で無理なことをやってもね。
804 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 17:53:54
805 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 22:40:22
イメージと定義を引っ繰り返したところが生き残ると。
>>798 同意。
効果が一緒なら費用は少ない方がいい。
807 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 17:37:47
>>806 というか、まずは誰もが「ここにいて良いのだ」と思える場作り。
見た目など二の次でしょうな。
808 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 19:15:51
>>807 確かに念仏の僧伽とはそういうものですね。
>>807 そういう意味では、道場スタイルを旨とする浄土真宗には可能性があると思います。
ちょっとした空間と本尊があれば良いのですし。
見た目はシンブルで地味だけれども、教えの奥は深いと。
西本願寺の聞法会館の1階に集まって聴聞するグループなど、
そういう雰囲気があるんじゃないの?よく知らないけど。
811 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 00:01:24
本山ですか。
でも、お寺の行事で取って付けたように法話を聞くのではなく、
聞法に中心を置いた会運営には好感。
812 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 14:24:14
在家の人でも道場を開く(あくまで趣味の範囲で)人もいるからな。
て、そこに講師として僧侶を呼ぶと。
でも、それが本来の講の在り方だったりするんだけど。
813 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 16:21:47
寺にだけ法があるわけじゃないし。
814 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 19:59:36
やはりこれからの時代は禅道場です。
815 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 21:17:20
>>814 禅と念仏の合わせ技ってのは?
糞袋と凡夫、ウマが合うんじゃない?
816 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 14:38:34
>>815 1階は念仏道場、2階は座禅道場・・・・
817 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 15:01:17
818 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 23:56:08
>>817 門徒が主宰ならば、宗派にこだわらないでもいいだろうに。
どうせ「菩提寺は真宗ですけど・・・」というような人たちが多いだけのことで。
法人化するわけでもないし。
819 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 00:09:02
看経すべからず座禅すべし。掃除すべからず座禅すべし、茶の実、種うべからず。座禅すべし、
馬に乗るべからず座禅すべし。
一休宗純/『真珠庵法語』
>>819 中途半端が一番いけないってことね。
「一心一向に仏たすけたまえ」という真宗で、いきなり仏の境界から修行したんじゃね。
821 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 14:02:14
詰めるところまで詰めなけりゃ、「まだこれがある」という心境で己に望むことになる。
禅も念仏も「もうこれしかない」という心境の行。
ひたすらに、ただひたすらに、という行。
したがって両立は双方の価値を減ずる生悟りを生じる危険がある。
822 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 16:35:13
>>721 何でもありでは、何をしていいか分からなくなるしね。
823 :
822:2006/02/18(土) 16:37:06
824 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 21:53:47
いつでも、どこでも、本尊ひとつでそこが道場。
これが基本。
825 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 00:12:14
いつでも、どこでも、座禅が組めればそこが禅道場。
826 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 16:06:17
827 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 16:28:25
念仏しながら禅なんて、往生際が悪いってやつだな。
829 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 23:57:33
坐禅しなくても本来道場、性根いれてやれ。
831 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 23:59:37
832 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 00:15:51
意味わかりませんでしたか。「本来は」です。見性認められましたか。
833 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 14:50:13
だから?
834 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 23:54:52
>>791 あら、そう?
戦争中に空襲で本堂を焼かれたから、20年前くらいまでは
>>790みたいな本堂だったよ。
当時は墓守寺という感じの趣きだったらしいけど、他所で説教所を開いていた祖父が入婿してから
道場っぽい乗りになった。
835 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 15:42:04
>>824 有難みと恭しさ、言えば、演出効果ばかり求めて、中身がない寺が多い。
警鐘でしょう。
到底、文化財になり得るものでない真宗寺院の歩むべき方向でしょう。
836 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 18:18:02
真宗に寺院など要らない。
837 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 23:41:20
>>836 真宗が寺院の形をとっている点については既出ではないのか?
その形自体を改める必要はないと思うし、本来のあり方を追求すれば良いだけのことで。
あるいは住職なり教師が「講」を組織するような教化方針を打ち出せば良いだけのことで。
838 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 01:41:00
しかし、真宗系のスレって多いね。
839 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 22:44:17
>>834 でも、新興の寺院の方が活気あるね。
大抵、役僧寺ではなく元・説教所。法が生きてる。
840 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 22:52:41
>>839 説教所(=開教所)を作るのも大変らしいよ。
周囲の寺院からの妨害工作とか。
ろくなことしないね、ホント。
841 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 00:27:38
>>840 近隣の出入りの葬儀社に圧力を掛けたりね。やることがえげつない。
842 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 02:24:17
>>841 説教所も下請けやらないと食っていけないからな。
ところが、地域に根付いている既存のお寺は業者ルートを押さえているから、そこで糧道を絶つような
手を使ってくると。
目障りなのは分かるけど、同行が反目してもな。
843 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 04:42:46
>>842 そりゃ、縄張り荒らされちゃ文句のひとつも言いたくなるだろうよ。
まあ、本来、縄張りなんてものは存在しないんだが、長年掛けて構築した地域的な
「しがらみ」もあるだろうし。
そのあたりは教団側が調整してやるしかないんだろうが。
844 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 17:44:36
存在しないのに縄張り?
845 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 03:44:00
ただ、地域で委託されてる場合もあるからね。
847 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 22:26:08
>>846 新寺を建設したり、会館を建設したりする時に費用の一部を地域に持ってもらう代わりに、
それらを相場よりも安価で利用できるようにしていることでは?
けっこうあるようですよ。
848 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 02:25:20
>>847 中には町会の防災倉庫まで引き受けてる例もありますね。
849 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/03(金) 02:28:28
癒着あっての地域社会ですし。
850 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/03(金) 07:47:23
朝っぱらから「南無阿弥陀仏」でございます。
851 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/03(金) 15:49:26
昼間っから「南無阿弥陀仏」でございます。
852 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 07:05:56
>>849 地域社会が機能障害を起こしている、あるいは機能を失っている現状、地域に根差した
教化が意味を持つのでは?
誰もがそこに居て良いのだ、と思える空間がどこにあるのか。
実はこういう待った無しの状況こそ、道場の果たすべき役割が大きいのでは?
853 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/05(日) 02:20:47
>>852 宗派は別として、集合住宅には宗教的施設が必要である、という声はあります。
854 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/05(日) 22:41:31
>>855 教誨どころか、逆に犯罪者が増えるんじゃないかww
857 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/07(火) 01:34:13
>>856 さすがにGOサインは出ていないようだが。
858 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/09(木) 11:03:56
政治的圧力掛けてるでしょ。
ああいうことを「おかしい」と言えないことがおかしい。
層化には僧侶がいないんだから、筋違いな話だな。
860 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/09(木) 12:38:48
坊主:草加は、小悪党:組織犯罪
861 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/10(金) 09:25:41
>>860 なるほど。
ちなみに小寺院・道場の住職さんには教誨師が多くないですか?
862 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/10(金) 09:27:56
多いでしょう。保護司もね。
>>862 やっぱり悪人正機の影響?
悪人往生ならば分かるけど、悪人の定義が違うからね。
864 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/10(金) 09:36:20
人の限りを知らなければ、信仰は持てんでしょう。
カルトには自分の都合を宗教用語でカムフラージュしてるだけの
人間が多いですからね。
>>863 悪人正機は宗教的自覚の問題で、犯罪者の意味じゃないから、
そういう問題じゃないと思うけどね。
866 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/10(金) 12:05:41
867 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/10(金) 12:46:08
>>862 保護司は多いね。
中には犯罪を犯した少年を引き受けて、社会復帰のお手伝いをしている住職さんも。
869 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/11(土) 03:44:04
>>868 多いですね。
昔は今と違って、お寺の社会的信用が高かったですし。
870 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/11(土) 05:37:09
871 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/11(土) 15:00:40
>>869 間違っても、非行少女は預けられません。
872 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/11(土) 15:44:02
念仏道場って具体的になにをしてるの?
873 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/11(土) 15:59:20
念仏の僧伽ですが何か?
874 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/11(土) 19:15:12
875 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/12(日) 13:00:57
>>874 それを取ったら、大きな仏間がある家ですね。
876 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/15(水) 12:18:47
>>875 地方の真宗門徒の家の方が凄かったりして。
仏壇のない家なんてただの小屋みたいなものだ!という方もいますし。
877 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/15(水) 13:59:33
879 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/16(木) 13:29:50
880 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/17(金) 15:25:32
>>879 今じゃ、そういう地域も珍しいでしょうね。
これから加速度的に減っていくでしょう。
881 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/18(土) 19:46:56
882 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/19(日) 18:39:52
>>880 それならば生活空間を拡げた方がいいですからね。
生活の中からできるだけ生と死を消し去り、宗教性を消し去りたいと。
ならば、それに見合った宗教の形というのがあるんじゃないですか?
883 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/20(月) 11:01:12
>>882 本願寺派の場合、民家&駐車場無しでは布教所としての機能に限界あり、
ということで、布教師に最大1億円の貸付をしているそうですね。
さすが現実的です。
884 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/20(月) 11:46:55
真宗を騙る共産団体は解散せよ
886 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/21(火) 12:20:00
>>885 ここはマターリと念仏道場を語るスレですから。
887 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/21(火) 21:13:36
>>886 浄土系スレの統廃合が進む中で、ここもびみょ〜な立場に置かれているようですが。
888 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/21(火) 21:15:16
浄土系は自主的にスレの統廃合を進めていますからね。
>>888 というか、きちんとガイドラインを設けようとしているわけでしょ。
でも、神社仏閣板なんだし、入れ物の発想から起こったスレは認めて欲しいけどなぁ。
890 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/21(火) 21:18:49
必要があれば総合スレの中で話し合ってみたらどうです。
891 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/21(火) 21:23:02
893 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/21(火) 22:56:10
>>892 総合サロンがあるのだから、それすら統合対象でいいんじゃないの?
サロンの過去ログには既にそのスレが入ってるし。
894 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/23(木) 13:33:57
>>893 言うことを聞くような連中じゃないけど。
896 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/24(金) 00:12:15
897 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/24(金) 12:16:38
>>897 密教系か神道系が犯人のようですね。
すぐに停止になりましたが。
899 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/24(金) 23:47:01
900 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/24(金) 23:48:27
901 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/26(日) 19:54:20
残り100を切りましたので、そのあたりをじっくり相談しますか。
902 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/27(月) 13:36:35
ここは真宗スレの出張所?
903 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/28(火) 13:08:39
>>902 聞法道場という発想は今や浄土真宗にしか存在しませんからね。
浄土宗は多くが現世利益信仰の儀式屋さんになっちゃったし。
904 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/28(火) 18:12:09
>>903 最大の特色を昔と変わらず押し出していくのか、現代仕様に転換させていくのか、岐路に立っているよね。
905 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/29(水) 22:46:56
>>904 教団では前者に固執しているところがありますよね。
でも、それじゃ世代の壁を超えられないのも事実。
906 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/30(木) 14:23:19
北陸には囲炉裏のあるところも多いね。
関西のあたいの所では鉢が定番だったな・・・
会合といえば火鉢の火をおこすのが小さい頃の
あたいの役目だった。
909 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/31(金) 12:05:49
>>908 囲炉裏を囲んで寄り合い談合・・・。
酒が入ったら収拾つかなくなりそうだなw
911 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/32(土) 15:39:48
最後は殴り合い?w
まあ、できれば金払いたくないよな、それ。
912 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/02(日) 13:04:29
酒飲む時くらい念仏の話はやめよう。
大抵、荒れるから。
913 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/03(月) 17:51:39
>>903 真宗も似たり寄ったりでしょ。
今頃になって慌てて「危機感」なんて言葉を連発しているけど。
>>913 さすがに、真宗は浄土宗と違って現世利益を言うほど落ちぶれてはいないよ。
915 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/04(火) 16:26:15
916 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/04(火) 16:32:08
まだ現世利益のほうがマシだな・・・
918 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/04(火) 17:19:59
>>916 でしょうね。
だから、道場系で盛況なのは祈祷系、坐禅系。
念仏系はあまり流行っていないと思います。
知る人ぞ知るという感じで。
919 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/04(火) 17:32:52
>>918 礼拝と聞法が基本だから、プロテスタントの教会のようなイメージですよね?
>>919 民家を改造した礼拝所が多い点も似ていると言えば似ている。
921 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/08(土) 01:44:01
922 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/08(土) 19:14:13
>>921 「今度、親鸞についてみんなで語り合わないか?」
「どこで?」
「俺のアパートに決まってるじゃん」
ドン引きしない?
923 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/09(日) 15:11:16
924 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/09(日) 18:49:40
926 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/09(日) 19:50:11
>>924 神道には「含むところ」があるんでしょ?
なのにその境内に説教所を建てようなんていい度胸してるっていうかw
927 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/09(日) 20:46:25
>>926 しかし、説教所というのは或る布教師が1人で「ここに建てるぞ!」と宣言して建つものじゃない
ですからね。
そのような場合には、借家の狭い布教所から始まり、次第に信徒を増やしつつ寺格を得ていく
というのが順路というもの。
浄土真宗の場合には、当初は「○本願寺△△説教所」みたいな看板を掲げているはずですし。
本山の許可が下り、一定数の信徒もいて建立されるもの。
となると、諏訪神社側にも土地を提供するだけのメリットがあったか、周辺の氏子兼信徒の要望
があったのかも知れませんね。
928 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/10(月) 00:44:28
929 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/10(月) 02:03:32
寺と説教所ってどう違うの?
930 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/10(月) 03:35:29
>>929 宗派に属している場合、寺格を与えられていない布教拠点を教会、開教所と位置付けるよね。
したがって、開教所=説教所と考えていいんじゃないかな。
説教所から寺格を得た寺院の場合、初めは特定の寺院に付属し、当該住職が説教所の主管を
兼務する形が多かったようだね。
931 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/10(月) 15:07:54
933 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/10(月) 15:50:58
934 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/10(月) 15:57:15
. i^i ,.-l[]l-、
. |_| il┌'^'┐li / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,.--(の)__i_ニ[_]ニ,i_ < 通報しますた!
(ぃヘ(__)^i\ ヾ=='ヘ, \________
'〜'⊂ノ,__/三7ヽ,__l7
| l, i |. /7/ _
. (ヽ/^/ ̄|_/7/iー―irfニヘ _,i.lニl.i,
/ ̄7 ̄ '--' ̄|___|∪ニノ. /a__,--,_a、 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/___./ | __|  ̄ __() l,__,-,__,l i) < しますた!
. 7 ̄^'ラ=:t┴‐'ヽ\ (の)、__l__l_/ \______
. ___/ ノ \._ ____;'┐ (ぃ(__)ト==、,ニr> ___
レ'f―,/マ (())' / └>->-l/E/lニr'i ヘ
/ / /./ / / / / ̄/ ̄^i^~>.,k;i__ノ. n
'r' トノ. i _,/ / _/ ̄^ー;r--'^ \ (凸) シマスタ!
/'i―i'l' y'_/_ (/  ̄'i^).^-(^iニi二ヽ @[ Y]−
[;iレ==ト] (())-i-ヘ. [/  ̄ i~l] ialニiニニヽ / >
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935 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/10(月) 17:42:14
>>932 持ってないでしょうね。
特定の寺院の付属施設になっているでしょうから。
936 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/11(火) 15:46:22
開教所も増えているけど、収入源は業者の下請け仕事ですからね。
937 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/11(火) 17:00:54
キックバック禿か・・・
938 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/11(火) 17:37:25
>>936 専業でやっていこうとすると結果、そういうことになるでしょうね。
おまけに一度でも穴を開けたら、二度と仕事は来ない。
939 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/12(水) 01:53:32
>>939 兼業で土曜日(or日曜日)限定というくらいでちょうど良いのかも。
940 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/12(水) 11:58:18
>>939 兼業奨励?けちゃっぷじゃないんだから。
それで公務員か何かやっていたら、それはそれで批判の的になるね。
941 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/12(水) 14:13:33
942 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/13(木) 16:00:46
943 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/13(木) 18:09:23
>>927 しかし、神道からいきなり真宗ですか?
それもまた劇的な変化と言わざるを得ないですね。
話が変わるけど・・・
ここは総合サロンに併呑されるの?
946 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/13(木) 23:36:21
>>945 その通りですね。
一度、サロンに合流して、結果如何では再独立すれば良いと思います。
947 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/14(金) 02:19:28
潰されませんかね?
948 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/14(金) 21:30:10
949 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/15(土) 15:22:53
そもそも真宗寺院は親鸞以来、念仏道場であることが基本。
>>945の誘導先は大谷派スレか、ここが妥当だと思いますね。
950 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/15(土) 17:58:14
念仏不毛の地に住んでいるので、
道場さんがあるような集落に暮らしている人達の生活、
正直、憧れる。
長い歴史の中で培われてきた信仰のありようを
守り伝えていくのは、今の時代、困難な事もあるだろうけれど
どうか情熱を保ち続けて伝えていって欲しい。
信仰は今だけのものではないのだから。
952 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/22(土) 00:27:49
>>951 背中に何を背負い、未来に何を見つめて今を精一杯生きるか。
それが与えられたところを全うする信仰生活。
953 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/22(土) 15:41:39
>>952 そういう意味では、道場というのは「関係」の中でそれを見開かされていく場所であるべきなんですね。
親子、夫婦、兄弟とそういう血縁的関係を一度離れ、独立した人間であることに気づいて再びそこに戻るというね。
そういう場所は絶対に必要だと思うわけです。
954 :
951:2006/04/22(土) 23:34:00
>>952さん
レスありがとうございました。
仰る通りですね。
愚痴を書いてしまって、又生意気な事を書いてしまって
すいませんでした。
>>953さん
信仰は自分を見つめる事なのですね。
念仏不毛の地と言っても、聞法させて頂くご縁を
頂いているのだからこれからも聞法させて頂きつつ
自分をみつめていこうと思います。
ありがとうございました。
>>ALL
スレ汚し本当にすいませんでした。ROMに戻ります。
>>954さん
ROMってないでどんどん参加してね!☆
956 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/24(月) 19:21:04
次スレは?
>>980あたりを踏んだ人にお願いしましょうか。
958 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/03(水) 18:30:58
959 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/04(木) 01:16:45
960 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/04(木) 16:37:11
>>959 そのようですね。
でも、サロンもこういう話はしづらい環境にあるよな。
テンプレで反映したと言っても。
961 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/05(金) 02:34:50
962 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/05(金) 02:55:00
>>961 そもそも真宗寺院は皆、念仏道場ですからね。
963 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/05(金) 03:02:08
http://www.ex.biwa.ne.jp/~tatsuoyy/kono.htm 日野町には五十か寺の真宗寺院があります。
真宗大谷派と呼ばれる東本願寺に属する通称お東のお寺が二十八か寺、お西という西本願寺の
末寺である浄土宗西本願寺派が二十二か寺です。
この五十か寺の外にもう一か所、真宗が日野地方へ教腺を延ばした、四百数十年ほども昔のまま
の姿を残した念仏道場が、大字小野の中ほどに残されております。
地元小野ではただ単に「道場」という、大昔そのままの呼び名でこの建物を呼び、西大路にある真
宗大谷派の光延寺門徒である十四軒が、この道場に集いて、一年に五,六回の法要を営んでおら
れます。道場の建物そのものや、祀られてある仏壇や玄関に掲げてある太鼓などはすべて近年の
ものであって、それぞれが文化財価値には乏しいのですが、この道場の継承そのものは、日野町
にとっては歴史的にも、仏教民族的にも非常に尊い伝承と言わなければなりません。(後略)
964 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/06(土) 16:58:25
966 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/11(木) 03:49:41
でも、サロンに合流したら、↑みたいなネタは無理ぽ。。。
968 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/11(木) 04:00:57
念仏道場スレの住人の皆さんには、サロンが第二両本願寺スレと化している状況を、
むしろ一新していただきたいものです。
>>968 民俗・文化の観点から念仏(+道場)を語るスレは残したいなぁ。
何も念仏は浄土真宗さんだけの専売特許じゃないんだし。
原理主義?一直線でしょ?あちら様は。
970 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/11(木) 04:06:13
とすると、むしろ浄土教サロンに合流したほうがいいことになりますか?
>>970 意地でも潰したいのね?
あそこも論争主体でしょ?嫌だなぁ、マターリできないスレは。
972 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/11(木) 04:12:36
>>971 そういうわけではないんですよ。
そういうふうに自治で決まったようなんで。
必要なものは立てたら良いと思ってます。
973 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/11(木) 04:12:50
>>971 論争っていうか教学的な範疇でしょうね。
そもそも神社仏閣を語る掲示板なのだし、道場スレはここがオリジナルなんだから
今後もそのスタンスを堅持すれば良いだけだと思います。
975 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/11(木) 14:05:05
976 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/13(土) 19:37:36
>>966 念仏を起源とする民俗芸能というのはなかなか面白そうな話題ですね。
977 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/18(木) 19:06:46
六斎念仏
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ky-sagan/rokusai1.html 六斎念仏が京都周辺でいつ頃から行われたかは明らかでありませんが、“六斎”の語は、
持統天皇(691)に始まった事が「日本書紀」にもみられ、「言継卿記」(1567)によれば
すでに団体も形成され、行われていたとされています。
ここでいう“六斎”とは、仏教でいう六斎日のことで、月のうち8日・14日・15日・23日・
29日・晦日の六日をいい、昔この六日を悪鬼が現れ人命を脅かす不吉な日として事を慎
み「斎戒謹慎」し功徳を修し善心を発起すべき日であるとされた。この観念は、空也上人
が一般庶民に信仰を広める為、鉦・太鼓をたたいて「踊躍念仏」を始めたのが起こりで、
民衆教化の宗教行事であったと伝えられています。
六斎念仏の集団は干菜寺系と空也堂系に分けられ、当保存会は空也堂系に属し芸能
六斎として空也堂から鑑札や免許状をもらっており、大正10年に行われた空也上人95
0年大遠忌などにも参加しています。又、空也堂が発行した「六斎念仏巡行之証」と記
された木札も残っています。
六斎念仏は、その保存と継承に努力していくため、昭和52年には保存団体で構成する
“京都六斎念仏保存団体連合会”が結成され、昭和58年には国の重要無形民俗文化
財に指定され、民俗芸能として高い評価を受けました。
このような流れをくみ、嵯峨野六斎念仏保存会は、能や長唄・歌舞伎から流行芸を摂取
しつつ、独自の芸域を開いた芸能的六斎です。
978 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/21(日) 20:15:49
979 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/28(日) 19:08:25
>>978 しかし、それくらい庶民生活に浸透していたという証拠。
結果はどうあれ、その手法は見事と言うべきだろう。
980 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
>>979 空也の存在って浄土系のスレであまり語られないですね。