1 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
2 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/19 23:49:17
これまで略して「バトルスレ」などと称されていましたが、
これからは「教判スレ」あるいは「判教スレ」と称するのが良いでしょう。
3 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/21 00:34:43
浮上します。
4 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/22 02:41:18
んじゃ早速。
悟るのが無理だからといって今生において戒や修行を捨てるのは
仏教徒としてありなりや否や如何?
5 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/22 03:04:21
答えらく、当相即道、衆生即涅槃なり。
されば仏教徒としてありといえり。
6 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/22 04:56:46
左道だな。
7 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/22 11:00:01
>>5 受戒が必要無いなら教団としての僧伽もいらないってことにならないか?
教団の和合を破壊しようとする行為は五逆大罪だし、
正法を「凡夫だから無理」と言う理由で流布を妨げるのは謗法の罪では?
もし、>5が念仏行者なら本願から漏れてますな。
こういうこと言うと、「五逆と謗法は除くというのは抑止」とか言い出すんだろう。
あるいは、観経持ち出して「前世の報い」を強調して「運命の前には無力」と嘯く。
物事は予め決定されていて不可避というのであれば何をやっても無意味、
人はただただ運命に流されるだけということになりはしないか?
んなアホな。
8 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/22 12:47:25
>>7 先手を打ったつもりだろうが、
私が次に引用を考えていたのはこれ→無仏無法無修無証
さて、出典が何かわかるかな?
五逆を犯さず法を謗らずとも
仏性を開顕する機を得ざる者、悟解を得ること能わず。
仏性の開顕は実に是れ頓悟にあり。
頓悟に持戒・十法行の要なし。
持戒・十法行を修するに覚悟なし。
所以何となれば、持戒・十法行を以て
一地断の義、成就すること能わざればなり。
一地断の義とは、即ち是れ根本無明滅却の義なり。
9 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/23 00:27:29
>>8 悟れさえすれば世間もどうでもいいというのであれば
それはもはや大乗仏教とは言えない。
戒は自利利他を具有するもの。
誰の為に何の為に悟りを得ようというのか?
>>9 悟りなど存在しない。
悟ることに気を取られているから煩悩が気になるのだ。
今の状態の何が不満なのだ?
11 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/23 00:55:09
>>10 >悟ることに気を取られているから煩悩が気になるのだ。
湧き上がる煩悩もぐら叩きで利己心に打ち勝つ喜びというのもあるし。
12 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/23 02:12:49
重複スレなのはまずいかな?
向こうに移ります?
14 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/24 03:50:32
まずかったら削除されんでしょ。
それまで、まあ、気軽にカキコしましょ。
15 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/29 18:52:31
「日本仏教 教相判釈」っていい名称だと思うけど、
ちょっと立てるの早すぎたかもね。応援してたのに。
次回も誰か頑張ってくれ!
16 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/29 20:04:29
底意地の悪い禿に意地悪されたからな。
>>1が気の毒だ。
>>15-16 おお!サンクスコ。応援してくれていた人もいるんだ。
でも、やめる必要はないと思うな。
バトルスレのほうは雑談っぽくなってるし、
すっかりけちゃぷさんをいじめようとする荒らしたちに占領されてる。
まあ、今のところ削除されていないみたいだから、
のんびり論客があらわれるのを待つとするよ。
おっと、それとせっかくの教判なんだから、
自分の宗旨を表明しなくちゃならんな。
私はいちおう真言宗ね。よろしく!
18 :
けちゃっぷ:04/11/30 12:56:34
他宗の粗探しをするんじゃなく、お互い自分の宗派の長所を宣伝しあうような展開になって欲しいですね。念仏vs念仏批判 じゃなく、念仏vs真言 とかに。
19 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/30 13:31:35
レベルの低いやつらやな。
こんなところでウダウダ言ってないで、おまえら「宗教板」逝け!バカ!
20 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/30 14:46:12
何を以って優れているとするかの定義も必要かな?
>>21 何を以て優れているかを定めるのは難しいなあ。
往生を目的とする浄土門と成仏を目的とする真言とでは
論点がかみあわない。
一般人がその宗派の教えに慰謝を感じるかどうか、
出家者がその宗派の教義・修行に情熱を感じるかどうか、
といった立場の違いでもずいぶんと印象が違うしね。
いちおう、空海の教判によって、真言宗(密教)が余宗(顕教)に
すぐれている点を示すと、次の三点となる。
@能説の仏身(密=法身、顕=報身・応身)
A所説の教法(密=果分可説、顕=果分不可説)
B成仏の遅速(密=即身成仏、顕=三劫成仏)
もちろん、空海は浄土と禅を想定してはいないので、
それとの優劣を判定することはできないけど、
いちおう阿弥陀仏は報身、釈迦は応身だから
@の項目に関してだけは真言の優位を主張することができる。
23 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/30 17:29:02
てめぇらにゃ定義できねぇぜ、さっさと宗教板へ逝けってんだ!
ここは神社仏閣板でございます。
24 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/30 17:41:44
25 :
けちゃっぷ:04/11/30 18:25:12
>>22 おもしろそうな話です。Aについて、もう少し教えていただけますか?
あと、@で、大日如来の説法を聞いたのは誰ですか?その大日の教えを聞いた人と、釈尊のような報身・応身の違いはあるのですか?
26 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/30 23:30:51
くだらねぇ〜
>>25 Aの果分不可説というのは、『華厳五教章』に
一には性海果分、是れ不可説の義に当たる。
何を以ての故に。教と相応せざるが故に。
即ち十仏の自境界なり。『地論』に
「因分可説」「果分不可説」と云う者、是れなり。
という文があるのをうけて、法身の内証智は言語で説くことは
不可能(果分不可説)と判断したのが顕教である、としたものです。
それに対して、密教経典には法身大日如来がそのまま
説法(この説法は通常の言語ではない)している記述があるから、
密教は果分可説だ、というのが空海の主張です。
@の大日如来の説法を聞いたのは金剛薩タです。
この金剛薩タは普賢菩薩と同体ともいわれてますが、
結集についての明確な論拠がないために
他宗からものすごい反論をうけています。
28 :
けちゃっぷ:04/12/01 00:19:46
>>27 金剛薩タが大日の説法を聴いたのは、いつの時代とされているですか?
ちなみに、浄土経典は、釈尊が阿弥陀仏の話を説く内容で、阿弥陀仏が説法したのではない。この点、大きな違いですよね。
大日から金薩への付法は曼荼羅海会(内証智の境界)において
行われたもので、時間や空間という概念がないんですよ(と思います)。
これが現実の人間の世界に伝えられたのは、第三祖の龍猛菩薩からです。
>>28 浄土経典というのは、伝統的な説では、
釈尊が何歳くらいのときに説かれたことになってるのですか?
あと、一乗、二乗、三乗の分類ではどれに属するのですかね?
31 :
けちゃっぷ:04/12/01 12:55:08
>>30 観無量寿経は、釈尊が霊鷲山で法華経を説いておられた時期らしいです。無量寿経・阿弥陀経については、勉強不足でよく知りません。一乗・二乗・三乗という分類について、もう少し教えてください。
>>31 少し驚いています。
一乗とか三乗とかいうのは、仏教諸宗通談の説と思っていたのですが、
けちゃっぷさんが知らないとなると意外とそうではなかったのですね。
二乗というのは声聞・縁覚のための教え、
三乗というのは二乗を信奉する者を大乗に導くための教えで
法相・三論を指します。直接菩薩乗を説くものではないため、
権大乗とも言われています。
一乗とはただちに菩薩となることを目的とする教えで
華厳・天台を指します。または実大乗とも言われています。
そういえば浄土の教えは菩薩となることを目的とするのではないから、
菩薩乗という概念がないのも当然ですね。
となると、浄土門は真言や天台でいうところの大乗の概念とは違う
ということになりますね。いや、これはひとつ勉強になりました。
33 :
けちゃっぷ:04/12/01 17:25:25
>>32 声聞・縁覚・菩薩を合わせて三乗と言うのは知ってましたが。そういう使い方もあるんですね。ありがとうございます。浄土宗は菩薩の道ですが、浄土経典はすべての衆生が対象です。
34 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/01 17:27:27
唯除五逆誹謗正法
けちゃっぷさん、この一文をどうお考えですか?
方便or真実?
35 :
けちゃっぷ:04/12/01 17:43:34
観無量寿経では、わが子(アジャセ皇太子)の手で幽閉されて絶望のどん底だったイダイケ夫人を救うために、釈尊がやって来て、極楽往生の方法を説きます。それを横で阿難尊者も聞いてました。
36 :
けちゃっぷ:04/12/01 17:58:07
>>34 抑止のための方便だと信じています。あと、五逆罪を犯してなおかつ仏教を謗る者のことだと思います。仮に「唯除」の文が本当なら、イダイケ夫人に悪人往生を説いたのが、方便になりますね。
37 :
けちゃっぷ:04/12/01 18:00:34
イダイケに五逆を犯した者が往生できないと説くと、息子アジャセが救われないことになるので。
>>33 全ての大乗仏教は、一切衆生が対象だと思うよ。
けちゃっぷ様
やはり方便と考えていいのですね。
鎌倉仏教には、結構都合の悪いとこはすぐに方便にしてしまう
ところがあるような気がするのもので・・・
実は私、元々真言宗の寺院出身(私は僧侶ではないです)なんですが、
ふとしたことから、お念仏の教えを知りました。
それからは、真言と共にお念仏も唱えさせていただいてます。
真言宗的な考え方では、念仏との併修は問題ないわけですが、
浄土宗としての考えではどうなんでしょうか?
法然上人は、一枚起請文で「この外に奥ふかき事を存ぜば、
二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候うべし。」と仰せられて
おります。この文は、他の行を行えば往生できないということ
なんでしょうか?庶民救済という面から見れば、明らかに浄土門
の教えのほうが、真言宗より勝っていると思います。
しかし、真言の教えに親しんできた者として真言も捨てられません。
出来れば、この両教を共に信心していきたいと思っております。
ぜひ、浄土宗的な立場で助言していただけないでしょうか?
>>38 禅宗はどうでしょう?
衆生教化は本旨ではないように思われますが。
41 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/01 21:11:25
禪宗も大乘佛教。
上求菩提、下化衆生。
実際はどちらが本旨と言うわけではない。
不一不二である。
衆生無邊誓願度
煩惱無尽誓願段
法門無量誓願學
佛道無上誓願成
42 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/01 21:12:26
段→斷
43 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/01 21:15:55
エゴイズムむき出しの日本の仏教はもはや仏教ではない。
葬式教とでも改名したらどうか?
44 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/01 21:25:18
>>43 葬式仏教と揶揄されますが、
どうして葬式仏教じゃいけないのかな?
葬式も法事も大切ですよ。そういう意味で「葬式仏教」と呼ばれることには大賛成です。
葬式も法事もしなかったら、何が仏教なのでしょう。
それこそエゴイズムじゃないですか?
自分だけが悟れれば良いって言う、小乗仏教以下の宗教でしょう。
問題は「葬式しかしない僧侶がいる」事なのであって、日本の仏教自体が悪いのではないと思うな。
いやなら、そういう僧侶と関わらないことです。
釈尊は、「仏弟子は葬式などに関わっちゃいけない」などと諭されましたが、
実際は釈尊もお葬式をしましたし、現世利益も説き、インドでも出家が葬儀に関わりました。
葬式をしない宗教を知りません。教えてください。
45 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/01 21:34:02
居直り禿
46 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/01 21:44:15
47 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/01 21:45:32
48 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/01 21:46:20
教えてください。
49 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/01 21:49:42
答えなきゃ、ダメよ。
50 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/01 21:50:41
>>44 葬礼にかかわらない宗教はないでしょう。程度の問題だと思います。
それが金づるになっているのは、少々具合が悪いのではということです。
51 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/01 21:51:01
あらら、尻尾巻いて逃げちゃう氣?
52 :
けちゃっぷ:04/12/01 21:51:44
>>39 「この他に奥深いことがあるなら、二尊のあわれみから漏れます」というのは、法然さんが、「私がこれ以上奥義を包み隠しているなら、私は二尊のあわれみから漏れますよ」と、仏前で誓っている文です。
53 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/01 21:53:45
>エゴイズムむき出しの日本の仏教はもはや仏教ではない。
>葬式教とでも改名したらどうか?
と
>葬礼にかかわらない宗教はないでしょう。程度の問題だと思います。
>それが金づるになっているのは、少々具合が悪いのではということです。
とでは、まるで語気が違うし、主張の内容が摩り替わっているね。
まぁ、許してア・ゲ・ル!
54 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/01 21:56:14
すぐに折れちゃって
つまんないから、
もう来ない事にするよ。
55 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/01 21:58:44
>>53-54 別人を別人と見抜けないようではね。来ても無駄だよ。
本堂で屁でもこいて寝とれ。
56 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/01 22:00:58
57 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/01 22:06:40
ちょっと覗いてみたんですけど、スレタイを無視したただの雑談スレですね。
>>58 スレ立ての時の嫌がらせが続いているようです。
60 :
けちゃっぷ:04/12/01 22:24:41
>>39 往生極楽のためには念仏だけで足りることは、忘れないでください。他の行で悟った人も悟っていない人も、念仏すれば等しく往生します。ただそれだけです。難しく考えないでくださいね。
61 :
けちゃっぷ:04/12/01 22:31:18
時々疑いが起こってもかまいません。口で「南無阿弥陀仏」と念仏してみてください。それがあなたの信心の証しであり、往生の切符です。本当に信心がないなら、念仏は口から出ませんからね。
>>61 信心が無くても「南無阿弥陀仏」って言うだけなら言えますけど?
63 :
けちゃっぷ:04/12/01 22:49:23
>62 さすがに、一生に一回くらいは信心の念仏が要りますが。でも、今となえた念仏のおかげで、死ぬ前に「今までろきに修行もしなかったし、南無阿弥陀仏くらい言っておこう」って信を目覚めさせるかも。
たくさんレスがついていたようなので喜んできてみたのですが、
なんだかちょっと荒れてますね。
荒らしに対してはスルーということでお願いします。
ところで、仏教にはいろんな宗派があって、
いろいろな教義がありますが、
修行法というのをみると、結局は
坐るか、唱えるか、この二つに還元されるような気がしますね。
大乗仏教の代表的修行といえば、もちろん六波羅蜜行ですが、
禅那波羅蜜以外の五波羅蜜は生活のなかで
自然に行われるべきものですからねえ。
とすると、鎌倉仏教の禅宗と浄土門とは、
仏教の基本的な修行に帰ったとみることができるのじゃないでしょうか。
>>41 すいません。見逃してました。
では、坐禅でもってどのように下化衆生を行うのですか?
67 :
けちゃっぷ:04/12/01 23:37:57
>>64 臨終に仏を思い浮かべることもできない人さえ、阿弥陀仏の名を口に出すだけで往生できます。頭の片隅にでも、阿弥陀の名を刻んでおいてください。
>>68 あ、それ興味ある。
けちゃっぷさん、ぜひ教えてください。
それと、便乗質問なんですが、
往生してから浄土で修行すると以前カキコされてましたが、
その浄土での修行というのはやはり念仏なんですか?
けちゃっぷ様
よくわかりました。
これからもお念仏も唱えたいとおもいます。
ありがとうございました。
71 :
けちゃっぷ:04/12/02 00:36:06
>68 >69 結果的に修行になるのでしょう。鈴木大拙なんか、念仏者に禅の悟りを見いだしてたみたいですし。過去には念仏三昧に入った人もいました。でも、念仏は往生のための行です。
72 :
けちゃっぷ:04/12/02 00:41:15
>69 極楽では、聖道門の修行をします。密教の即身成仏や、法華の諸法実相も悟ります。極楽の鳥は阿弥陀仏の化身で、その泣き声は法を語ってます。自然の中に真理を観るのでしょうね。
>>72 法世界そのもの、ということでしょう。だから、そこに生まれれば成仏は間違いない。
ならば、現実を生きる我々人間は今この瞬間をどう生きるべきなのか、それが問題である
わけです。
泣き声は法
鳴き声は法
啼き声は法
75 :
けちゃっぷ:04/12/02 12:39:53
>>73 とりあえず、怒りと貪りに注意して、できるだけ戒を守るよう意識し、念仏生活を送ることでしょう。
76 :
づbzうぇv:04/12/02 17:38:00
>怒りと貪りに注意して
って、アンタの注意力はなんぼのもん?
>できるだけ戒を守るよう意識って、
って、アンタのできるだけはなんぼのもん?
念仏者のできるだけに突っ込みいれてもしょうがないだろ。
個人の最善だろ。
>>72 なるほど。浄土で聖道門の修行ですか。
これは充実した修行ができそうですね。
エンブダイで出来たにこしたことはないんでしょうが、
実際これは難しい。易行道とはよく名づけたもんですね。
>>73 法世界というのは要するに法界のことですね?
この浄土の法界を我々の法界と別とみるか、
同一とみるか、この違いが本覚門と始覚門とでは
相違がありそうですね。
80 :
けちゃっぷ:04/12/03 12:22:40
>79 法というのは情報ですから、発信側と受信側の共通言語でなければ伝わりませんしね。裟婆で大日の言語を知る者はわずかですが、極楽の聖達は誰もが、「花は紅、柳は緑」を観るだけで悟れるのでしょう。
81 :
けちゃっぷ:04/12/03 12:49:04
>76 「怒り・貪りがあると往生できない」「戒を破ると往生できない」などと誤解されないように、やわらかい表現にしたんですが。
>>81 そうとは知らずどうもすみませんでした。
間抜けなHNについカッとなってしまいました。
>>80 煩悩の主体である「身」ということを離れているわけですから、
もはやど〜とでも言えるでしょうね。
>>83 それはどうなんでしょう?
浄土宗では身を煩悩の主体とみなしてるのでしょうか?
真言では色心不二と説いて、身と心との不可分を主張しています。
ですから即身成仏でないと成仏できないわけなんですが。
仏教では縁起について説きます。
色法と色法とが依存しあって生起していることは想像しやすい。
では心法と色法とは依存しあっているかどうか。
目の前のパソコンは私という観察者の視点によって生起している。
それと同時に、私という観察者はまわりの環境によって生起している。
このようにみるのが色心不二の考え方です。
しかし、この色心不二の状態を凡夫の我々は如実に知覚することができない。
知覚できるのは常住不変の法身のみ。
そこで、この色心不二の状態を俗世の物質に象徴化させて、
それを観念的に認識し、法身と同値的状態を作り上げようとするのが
即身成仏である、と私は考えています。
86 :
北海大将智:04/12/03 22:31:42
>>72 けちゃっぷ師 お久しぶりです。
ものすごくよく浄土の考えがわかりました。
真言行者は道場に入るさいに自身を大日如来
の代表的聴聞衆である金剛サッタであると観
じることにより三密行は可能になるという事
の意味を我々真言行者はよく思い行わなけれ
ばなりませんね。
>>85 1(真言宗)さんはアンマラ識や自性清浄心に
ついてどのように考えますか?
87 :
けちゃっぷ:04/12/04 00:18:43
>>82 普段の生活で、眼耳鼻舌身意からの入力に流されて怒り・貪りに支配されてしまうことに、注意しなければなりません。そのような時には、口と心に「南無阿弥陀仏」を。業のリセットが起こります。
89 :
けちゃっぷ:04/12/04 01:31:24
>>88 はい、注意していても感情に流されてしまいます。それだけ業が深いのです。今は心乱れながらも念仏する。そうすれば臨終には阿弥陀仏の来迎があります。来迎によって、臨終は心定まり、往生を遂げます。
>>89 多分、末期の患者が入る病棟で布教されたらいいと思いますよ、あなたは。
>>90 末期病人の教化も宗教の重要な使命だと思うが。
93 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/04 02:06:46
>>90は普段からけちゃっぷに粘着してるから、嫌味を言ってるようにしか見えん。
終わってる坊主からすれば末期の患者はカネを落とさないしほっとけば葬式代が入るから無視だろうな。
まともな坊主は彼らの心を救うために頑張る。
>>86 北海さん、お久しぶりです。
インドへ行かれていたとか。お腹の具合はいかがですか?
いちおう私はアンマラ識=自性清浄心で、
これは生滅門における究極の理想的状態だと考えています。
しかし、これはあくまでも理想の状態。
生滅門においてはアンマラ識を開顕することはできない。
なぜなら、煩悩を完全に消滅することはできなからです。
生滅門においてはイヤイヤながらも煩悩とつきあいながら
いかなくてはなりません。
しかし、このアンマラ識、仏智見をもって見れば
これは法界体性智にほかなりません。
このときに、はじめて煩悩即菩提、色心不二の実義を
如実に体得(?体得というかそのものになること)することができる。
と、こんなふうに考えています。
97 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/04 02:14:55
>>95 そうかな。ボディーを抑えることも大切だろ。
98 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/04 02:28:53
>>98 97氏はスレの流れにさからっているとは思われないけどね。
私が
>>85で主張した色心不二というのは
身体と精神とは相互依存関係にあるということ。
どちらもないがしろにしてはいけない。
身体の健康なくして精神の安定はない。
と同時に精神の安定なくして身体の健康はない。
100 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/04 02:38:04
>>99 アンタの目は節穴か?
>>97が言うところの「ボディー」の意味が分かってないと思う。
アンタが言うような、そんな高尚な話じゃないってのw
夫れ仏法、遥かにあらず。
心中にして即ち近し。
真如、外にあらず。
身を棄てて何くにか求めん。
―『般若心経秘鍵』―
>>102 もし、そうだとすると、
97氏は最初に「そうかな。」とは書かないと思う。
あと、
>>97のレスは
>>95の「まともな坊主は彼らの心を救うために頑張る」
に対する反論かと私は解した。
104 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/04 03:07:14
>>103 勘繰り過ぎ。
もっと素直に読もうよ。
「末期の患者はカネを落とさないしほっとけば葬式代が入るから無視だろうな」
に対して
「そうかな。ボディーを抑えることも大切だろ」
と返してるだけだよ。
>>104 そうですか。もしそうだとすれば、
97氏は甚だこのスレの流れから逸脱してますね。
ま、そもそも
>>95からして逸れてはいるが。w
106 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/04 12:57:06
な、だから宗教板へ逝けよ、おまえら
107 :
北海大将智:04/12/04 17:07:26
>>96 やはり真言坊主さんでしたか。。w
医者の薬飲んでゆっくりやすんだら大分治りました。
〈「煩悩と悟り」の相対的思考から一元論的な不二の境地「密教」へ〉
『釈摩訶衍論』の五重問答ですね。
>>107 良くなられました? よかった、よかった。
これで、御真言集スレのほうもまた活気が出てくるでしょうね。
しばしば如来蔵思想や本覚思想は仏教にあらずとする論調をみますが、
最近、私は煩悩の存在価値を重視する本覚思想こそが
釈迦の成仏を再現できる唯一のものではないかと考えるに至っています。
アヤシイ誤解を招いてしまう危険性はありますが。
釈尊を含め当時の思想家は存在の本質に迫ったんですね。
「アートマンとは何ぞや?」
釈尊は無我論者とみなされていたようだけど、
実際は非我を説いたとされる。(あるいは沈黙)
密教ではそれを象徴化して曼荼羅にしてみせた。
111 :
北海大将智:04/12/05 13:23:04
う〜ん
>>109 私は如来蔵思想と本覚思想(真言宗のとる随縁本覚)
は分けてとらえています。弘法大師は真如縁起である
如来蔵思想にかんしては第九住心として位置付けている
ので、、ただ真如=アートマンという論調の如来蔵批判
に関しては、津田博士の悟りの当体=プルシャという説
がわりと納得しやすいんですよねw
おっとインドで軽く頭がやられたかな〜w
なんて。。
112 :
けちゃっぷ:04/12/05 14:54:55
>>110 無我には、「我が無い」と「我ではない(非我)」の両方の意味があるそうですね。非我のほうが、実際の生活に活かしやすい教えだと思います。我(自分の所有物・支配できるもの)ではない。
113 :
けちゃっぷ:04/12/05 15:00:44
肉体が本当に自分のもの(我)なら、走って転ぶこともないはず。心が本当に自分のもの(我)なら、突然鼻歌が浮かんだり、物忘れしたりしないはず。はじめから自分のものじゃないのに執着するから、苦悩を生む。
114 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/05 19:07:47
>>113 そこまで行きますと、けちゃっぷさんは体を切り刻まれても大丈夫ってことになりますね?
まあ、屁理屈は承知の上ですが。
115 :
けちゃっぷ:04/12/05 21:34:50
>>114 平気じゃないですよ。縁でつながってますから。自分のものじゃないけど、影響は受けます。見ず知らずの農家が台風の被害受けても、野菜の高騰で影響受けます。
>>111 >津田博士の悟りの当体=プルシャという説
これについてもうちょっとくわしく教えてもらえませんか?
>>112 要するに観点の違いということになりますか?
無我=我の存在を客観的に否定
非我=我の存在を主観的に否定
>>113 いずれかの選択を迫られたとき、
その選択を決定したのは誰なのかな?
って思うときがあります。
自分であることに違いはないんですが、
その自分ってやつを突き詰めていくと、
最終的に決定を下したきっかけのようなものがあって、
そのきっかけそのものは自分自身の作為ではないような気がします。
このように見たときに、自我というものが実在するものではない、
結局は縁起されたものだということに気付きます。
>>119 物体として何らかの意思決定をしていることは事実として存在するんだよね。
121 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/06 08:39:15
>>119 人を殺した香具師がそんな言い訳してくれたら、裁判も面白くなるんですけどね。
かえって刑が重くなるようにも思いますが。
>>110 ありきたりな返答になってしまいますが、
我=永遠不変な自己
そんなものは存在しないというのが無我論。
霊魂の否定や来世の否定と見なされます。
非我は存在するものは我的なものではないとします。
霊魂の存在の有無を棚上げした考え方と言えると思います。
>>111 密教では世界、あるいは自己をどのように捉えてるのですか?
123 :
けちゃっぷ:04/12/06 12:52:34
>121 好きで悪人になったんじゃないですからね。環境や立場がそうさせた。でもそれは、死刑判決を下す裁判官にも言えること。お互いうらみっこなして、極楽で再会して仲直りすればいい。
124 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/06 13:46:47
http://www.gyouseinews.com/storehouse/aug2001/001.html 学会分裂か、大石寺と和解か
創価学会門徒も上層部も知らないだろうが、超トップのみが知りえている「池田大作の資産」の問題が、今、世界のウラ社会で話題となっている。それも超一級の話題である。
池田大作は個人資産としてスイス銀行に膨大額の預金を保持していた。これは「個人名義」のものであり、決して学会名義のものではない。
ところが、である。ご存じの通り今年になってスイス銀行は「個人名義の預金」を一切扱わなくなってしまった。団体名義(創価学会名義)だったら預かってくれるのだが、池田大作は1兆円の資産を「個人資産」としてスイス銀行に預けていたのだ。
で、スイス銀行が個人預金を扱わなくなったので、仕方なく池田大作名義の個人預金は他所に移すしか方法がない。紆余曲折はあったようだが、結論として、ニューヨークに六〇〇〇億円、ブラジルに四〇〇〇億円と振り分けられた。
>>121 実際、犯罪者のなかにはそのように主張する人も多いですよね。
自分がやったんじゃない、神がやったんだ、って。
縁起された自我がやったと主張する人はいないでしょうが(笑)
>>122 その解説によりますと、非我というのは
いわゆる大乗仏教でいう法無我というやつになるわけですか?
非我というのはちょっと聞いたことがこれまでになかったもので、
おしえてクンで申し訳ないのですが、それについて
書かれた経論はありますか?
>>126 何の本だったか忘れてしまいました。
無我と訳すのは不正確で、本当は非我と訳されるべきものだったらしいです。
atman(アートマン)に否定接頭語のa-(母音の前に来る時はan-)でanatman、
「我に非ず」で非我。
>>127 ありがとうございます。勉強になりました。
ちょっと調べてみたら、漢訳に「非我」の用例が
たくさんあるみたいですね(『倶舎論』など)。
129 :
北海大将智:04/12/07 01:34:43
>>117 私ごときが語るのは恐れ多いのですが、プルシャというのは
仏教以前のインド教において悟りの当体とされるある種の原初
的な人(カーストによる人種はこの神の体の各部位から生まれ
たとされる。またこのカーストに関係した各カーストの色に関
して密教的な五色との関連を個人的に想像しています。)
つまり仏陀が悟りを得た時には時間軸的なものを考えた時に
「大日如来」を尊格として持ち得ないわけですが、(後の思想
史的に見れば法身の大日如来に象徴化される総体として、尊格
としての悟りとして真言宗ではとらえるわけですが。。)
当時の観念としてはプルシャがあったわけです。
真如=アートマン的な指摘も、悟りの当体としてのプルシャを
考えた時に釈尊の時代から密教の時間軸的な隔たりが解消される
んですよね。。
その他にも津田博士は華厳経入法界品(普賢菩薩の行の曼陀羅
、ただしこの語は漢訳では菩提道場とされているため真意が見え
にくい)における大乗的は恒久的な行によってのみ永続される曼
陀羅から大日経の密教と行的な折半の曼陀羅、さらには瑜伽によ
って大乗的な瑜伽観法によって行が代替される曼陀羅観への推移
等を述べられています。
現在最も入手しやすい書物としては大乗仏典講座18中央公論
社の解説があります。私もまだ未読なんですが津田博士の書物で
は「反密教学」が華厳についてかなり論及していますよ。
なんだ、それだったら無我=非我じゃん。
>>129 ご説明ありがとうございます。
でも、ちょっと難しくて理解しかねてます。
『反密教学』は私も所持しているのですが、
「空海の解釈学」しか読んでないんですよ。
しかも、読んだのはずいぶん以前のことで…
今度きちんと一から読み直してみます。
132 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/07 12:31:58
>>122 あなたの宗派では霊魂の否定や来世の否定をしているのか?
133 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/07 13:01:34
それらを重要なこととは考えません。
否定もしませんし、肯定もしません。
語らぬ、ということです。
134 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/07 13:23:17
>>133氏の説は、いわゆる無記というやつですね。
これは仏教諸宗に通じる基本的態度だと思います。
たとえば、私の属する真言宗では宗祖空海の言葉に
次のようなものがあります。
我を生める父母も生の由来を知らず、
生を受くる我が身もまた死の所去を悟らず。
有るひと云わく、人は死して気に帰る、
更に生を受けずと。かくのごとくの類をば断見と名づく。
有るひと云わく、人は常に人たり、畜は常に畜たり、
貴賤常に定まり、貧富恒に分かれたりと。
かくのごとくの類をば常見と名づく。
或いは牛狗の戒をたもち、或いは恒河に投死す。
かくのごとくの類をば邪見と曰う。
邪見外道、その数無量なり。出要を知らずして、
妄見を祖習せり。かくのごとき等の類は
みなことごとく羝羊の心なり。
――『秘蔵宝鑰』巻上――
しかしながら、日本の仏教は中国土着の信仰や宗教、
日本古来の習俗なども混淆している。
だから招魂のための供養や来世への転生も説く。
各宗派の祖師たちもこれら土着の信仰や習俗をむやみに
切り捨てることなく、それらを内に取り入れている。
仏教というのは布教とともに土着の宗教や信仰を弾圧するような
姿勢はとらないというのが基本にあります。
136 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/07 17:50:59
転生がないんだったら、ジャータカ物語なんかどういう事になるの?
輪廻転生は……
来世や輪廻にこだわっている人にとっては、存在し、
こだわっていない人にとっては、存在しない。
そして修行初心者や在家信者の、道徳観念・生活の規則化のために、
一種の方便として、輪廻転生は仏教の中に取り込まれた。
ジャータカも、その一種と言える。
138 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/07 23:24:16
浄土への転生もない。
上座部仏教は輪廻転生を認めてるよw
140 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/08 01:07:12
141 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/08 10:45:01
チベット密教も輪廻転生を認めていますね。
輪廻を認めてないのは日本の仏教だけでしょうか?
認めてないというより、完全には受け入れられなかった
といったほうがいいでしょう。
日本は仏教の伝来以前に中国における魂魄の考え方を受け入れてますから、
なかなか輪廻というのを認めることができなかったのでしょう。
でも、中国や日本では仏教の伝来とともに輪廻の思想も入ってきて、
僧侶など一部の知識人たちは形式的に輪廻を説いています。
空海も死後については無記としながらも輪廻そのものは否定していません。
要するに、日本においてはインドの死生観と中国の死生観とが
衝突しあったまま、どっちつかずで適当に受け入れているといった
感じですね。坊さんが葬式・先祖供養をするというのも
そのような日本人の死生観が関係しています。
143 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/08 13:21:55
144 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/08 13:41:13
145 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/08 13:46:31
>>142 ということは、本来の仏教は、輪廻転生を認めているという事ですね。
146 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/08 14:04:56
本来の仏教とはなにを指していますか?
147 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/08 14:14:34
>>142 葬式の時、あなたはどのような気持ちで引導を渡すのですか?
日本の習慣だから仕方なくやっているのですか?
148 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/08 16:14:08
http://multisyn.hp.infoseek.co.jp/index.html 「放送法に罰則が無いのは理由がある。個人の自由を尊重するために罰則は無い」
放送法で受信契約や受信料を納めることを強制すると、
憲法19条(思想及び良心の自由はこれを侵してはならない。)に抵触する恐れがあります。
そこで、罰則を設けていないことにより憲法に抵触することを避けています。つまり、
「罰則は無いので憲法19条に対して問題は無い」という事だそうです。こんな奇怪な法律はありません。放送法で決まってるけど、
破る人を認めることによって、放送法は憲法に違反していないとしているのです。
NHK側もこれは良く分かっていて(集金人は知らないのでダメ)
放送法はNHKが受信料を得ても問題が出ないようにするために書いてあります。
でも、そこには思想及び良心の自由は保証され、望まない人は契約をしなくても良くなっています。
NHKはこのことをあまり世間に知られていない事を良いことに「放送法で決まっています。」だけを言って契約を取りつづけています。
納得行かずに払っている人は我慢する必要はありません。
コピペよろしく。
149 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/08 16:20:20
>>145 認めているというより、仏教発生当時のインドでは、あまりに当たり前の
考えだったので異論を唱える人が出なかったというのが本当のところ。
ただ、霊界については、釈迦は答えないという態度を貫き通したけど、
これは、一度答えてしまうと、次から次へと、際限なく、
その手の質問をされてしまうからだろう。
150 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/08 16:36:17
釈迦は輪廻転生については認めてるよ
151 :
kaitabha:04/12/08 20:34:15
横レス失礼します。
お釈迦さんは輪廻と輪廻する主体を〈縁起〉と見て、実体的な客体物の
ようには見てなかったのではないかしら。
日本の宗教事情の位相では、たとえばよくお坊さんの格好をした人で霊
界の本を書いちゃう人とかテレビに出てしゃべる人がいるけれど、その
輪廻転生のことを幾ら形而上学的な思考を積み重ねて、壮大な体系を構
築しえても、お釈迦さんに言わせれば苦の滅である涅槃に赴かないよ、
それはただの言葉による構築物であり、やっぱり移り変わる無常なもの
=苦なのですよ、ということになりはしないかな?と思うのです。
お釈迦さんは輪廻転生を否定もしなかったけれど、かといってそれが常
住不滅であるともいってはいなかったと思います。有るか無いか?という
問いが常に取りざたされますが、凡夫の認識は根底のところで何かが顛倒
しているのかもしれないですね。
152 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/08 20:37:58
君子は怪異を語らず。
さすが中国人は現世主義者だね
154 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/08 22:55:36
155 :
けちゃっぷ:04/12/08 23:31:44
霊があろうとなかろうと、念仏すれば往生します。極楽があろうとなかろうと、念仏すれば往生します。有るとか無いとかは、念仏していない時の思考です。念仏してる瞬間(念)の念(おもい)は、念仏のみです。
>>147 私は故人が菩提を得ることができるよう祈念して葬式をやりますよ。
それが師僧から伝えられたやり方ですから。それは仕方なくやってる
わけじゃありません。そもそも自分の考えている死生観が完全だとは
思っちゃいませんし、日本人の文化・慣習は複雑ですから、勝手にあれがいい、
こうやるのがいいなどと改変するのが良いとは思われません。
>>151 kaitabhaさん、ども。
kaitabhaさんはインドに行っていたことがあるんですよね。
そこで、ちょっとおたずねしたいのですが、
インド人ってのは幽霊とかは見ないのですか?
いや、輪廻を信じている人って幽霊を見ないんじゃないかなあって
思ったものですから。だって、死んだら別の生き物に転生するわけですよね。
157 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/09 00:01:00
>>156 >いや、輪廻を信じている人って幽霊を見ないんじゃないかなあって
>思ったものですから。だって、死んだら別の生き物に転生するわけですよね。
それは中有を彷徨っているのですよ。
>>152 子曰わく、其の鬼にあらずしてこれを祭るは諂うなり。
義を見て為さざるは勇なきなり。
――『論語』為政篇――
>>157 でも、中有にずっととどまっていることはできないでしょう?
インドではありませんが、チベットの死者の書では
最後は必ず何かに転生することが書かれています。
しかし日本の霊は違う。浮遊霊としていつまでもいつづけるし、
ひどいやつは地縛霊なんかになっちまう(笑)
160 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/09 00:11:49
未だ生を知らず。いずくんぞ死を知らん。
161 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/09 00:15:50
>>159 そうですね。しかし、執着が強いと49日以上中有を彷徨う事があるそうです。
ですから、日本のケースも矛盾はないですよ。
しかし、拝み屋さんのいうのは別ですがね。
>>160 いまだ人に事うるを得ず、いずくんぞよく鬼に事えん。
163 :
kaitabha:04/12/09 01:13:31
>>156 真言坊主さん
小生の見た限りでのインドでは、〈幽霊の姿〉を〈見た〉よ、という話は
身近で殆ど聞いたことがないのですよ。
(余談ですが、吾が邦の農村ではかつてよく見られたいわゆる
〈憑物〉の類は現在でも意外と頻繁にあり、いわゆる雑密のアビシャ法で
口寄せをして「物語を語らせる」こともあります(小生は生きた人間が、
人語で物語を語るというところがミソだと思うのです。))
ご指摘のように彼らインド人の霊魂観と、日本人のそれとはかなり趣が違
うようです。彼らは親や祖先を心の底から本当に敬愛しているらしく、中有
で迷っているという発想は希薄なようです。そして必ずや善き転生か或いは
神の世界に往生したと信じているようです。いろいろな書物によると先祖
供養にあたるシュラッダー或いはピトリ・タルパナの執行は家督を継いだ
長男のみの義務だそうですが、これも実際行われているのを見たことがな
いので、バラモン教からヒンドゥに移行した後は彼らの輪廻観、霊魂観も
時代とともに変化したのかも知れませんね。長文失礼しました。
164 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/09 09:33:25
中有で迷っている云々という話は、チベット密教での話ですよ。
インドでは仏教は滅びていますからね。
輪廻転生をヒンドゥーで説いているからといっても教えの点では仏教とは違うでしょう。
それに、口寄せのような拝み屋さんがやるようなものは仏教とは関係ないですね。
165 :
kaitabha:04/12/09 18:14:27
>>164 中有で迷う云々を説くのはチベット仏教だけではないでしょう?
日本でも捉え方は違うけれど中有、中陰という考え方は南都の時代からあ
ったようですよ。
また「日本仏教の教判」のテーマにチベット仏教の存在も視野に入れれば、
ヒンドゥ色が濃厚になってくる後期密教も視野に入れることになり、研究
者ならヒンドゥイズムとの比較も余儀なくされちゃうと思うのですよ。
仏教を原始仏教だけに限定すれば、雑密なんてぜんぜん関係ないということ
になりますが、仏教史全体において、と枠を広げればアビシャ法を説く雑密
もその流れの中に含むという立場もありえない訳ではないのですよ。
166 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/09 18:35:37
>>163 やはりそうですか。私のにらんでいたとおりです(ニコリ
前からインドにくわしい方にこのことを確認したかったんですよね。
>>165 なかなか日本仏教の教相の話にはなりにくいですね。
教相なんて古くさいものに関心がもたれることは
ないのでしょうし、だいたい専門用語が通用しない(笑)
ま、それ以前に日本仏教各宗派の教理が実生活に
生かされていないということも原因にあるように思われます。
167 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/10 00:12:29
>>165 どうも話がすれ違っているようですな。
>>166 輪廻を信じている人は幽霊を見ないというわけではないと思いますよ。
そもそも輪廻転生は、仏教において前提となっているものだと思いますが。
168 :
kaitabha:04/12/10 00:37:53
>>166 教相はあんまり、或いは全然大衆レベルで浸透してないみたいですね。わ
が国の「言上げせぬ」文化の何と強力なことか―――現象の本質を構造化
して取り出してみようという〈欲望〉が、ギリシャやヨーロッパやインド、
中国に比べ極端に乏しかったといいますか。良くも悪くもこれがあるがま
まの日本なのかと小一時間。。。
169 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/10 00:58:21
真言坊主さん
秘密曼荼羅十住心論に、身病の要は四大と鬼と業なりとありますが、この場合の鬼とは何ですか?
>>168 しかし、そのような〈欲望〉がなかったがために
本質を直感的に認識しようとする文化、
たとえば、茶道のわびさびのようなものが生まれてきたとも
考えられないでしょうか。
>>169 あなたはずいぶんとイジワルな質問をする方ですねぇ
答える必要はないでしょう(笑)
その文の続きを読めば、おのずとわかる。
171 :
kaitabha:04/12/10 13:03:30
>>170 確かに直感が重きを占めてきたからこそ、あの小さな茶室や山水庭園に
宇宙を一気に捉えようとしていたなんて言われてますよね。
或いは和歌とか短歌とかもありますね。日本はとても豊かなものを持っ
ているのに、もはやそれが〈直感〉では届かない程深い所に沈殿してし
まった部分が小生にはあります。だから、今は言葉のレベル、言葉の空
間で古人が残した教相という部分を頼りに日本を掘り下げることも必要
な作業と感じています。
>>171 私も全くの禿同です。言葉で記された先人の智慧が現代にはたくさん
残されている。このことに至福を感じます。
くさっても言論統制や弾圧のない現在の日本に生きているということを
ありがたく思います。
なんだかkaitabhaさんのレスを読んでいて、朱熹(朱子)と王陽明との
ことを思い出しました。朱熹は物事の本質をみきわめるときに知識と直感との
両方を重視したそうです。そのために読書することを重視した。
一方、王陽明は書物を得ることのできないド田舎に左遷されたために
本を読むことができない。そこで、外からの知識を得ずに自分の心を
内省することによって、そこに本質を見いだそうとしたそうです。
まるで、耳が聞こえなくなっても作曲をしつづけるベートーヴェンのようです。
私にはとても王陽明のようなことはできない。本を得られなくなった時点で
くさってしまってやけくそになるでしょう。仏典や祖典を自由に読める、
言葉を通じて先人の得た智慧に触れることができる、本当にありがたいことです。
173 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/10 18:46:48
>166
>教相なんて古くさいものに関心がもたれることは
>ないのでしょうし、だいたい専門用語が通用しない(笑)
>ま、それ以前に日本仏教各宗派の教理が実生活に
>生かされていないということも原因にあるように思われます。
坊主がこんなこといってる有様だから世襲制の施設管理人とかいわれるんじゃないのか??
>>173 では私とあなたとで教相について語りましょう。
よろしくお願いします。
さて、私は真言宗ですが、あなたは何宗ですか?
あなたは真言宗関係の書物では何を読まれましたか?
真言宗の教相のどこが良いところでどこが悪いところと思いますか?
175 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/11 00:33:16
真言坊主さん
お坊さんは、三界万霊と書かれたものを拝んでいますが、三界のうちの欲界とはどんなものですか?
ご自分で調べることも必要かと思います。
>>176 いやあ、わかったうえで言ってるんですよ。
いわゆる「釣り」ってやつですね。
178 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/11 09:17:33
>>168 例えば、
お盆には地獄の釜の蓋が開いてご先祖様が帰ってきて、
お彼岸にはあの世からご先祖様が帰ってくると言います。
日本人は輪廻転生を信じてなかったのではないでしょうか?
釈尊当時のインド人にとって来世の幸せが大事だとすれば
日本人にとっての大事はあの世に無事に行ける事なような気がします。
俗に言う「成仏できない」=「未練があってあの世にいけない」ですからね。
180 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/11 14:01:17
>>179 「地獄の釜の蓋が開いて」ということは、地獄に輪廻転生したご先祖様が、
お彼岸にはあの世から帰ってくるってことではないかな・・・。
182 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/11 19:29:33
183 :
kaitabha:04/12/11 19:30:49
>>179 上手く言えないのですけれど、かつてのお坊さんとかお経の文字
が読めた知識人ではない、わが国の死にまつわる民俗の心性は二層構造
になっているような気がするんです。基底となっているのは仰るような祖
霊信仰で人は死後、山(異界としての山岳を畏れ信仰することとダブりま
す)とか、海の彼方に赴き、お正月や季節の祭礼などに周期的に蓑と笠を
着て子孫の家を訪れ、食事を共にする、というものです。そしてこのよう
な土台の上に浄土教の地獄・極楽というイメージが重ねられている。
そこでインドと比較するとインド人(一寸哲学っぽいことを考え勝ちな人)
は果てしなく続くと信じた転生の〈無限〉を畏れ、一方、昔の日本人は今生
きていることも苦しいけれど死後地獄に落ちることを殊更激しく畏れたので
はないかとも想像しています。
言われてみれば何となく死んだおじいちゃんはお盆の時にやっぱり実家の
精霊棚のところに帰ってくるみたいな暗黙のイメージがあり、何となくそ
こにお供物やらをお供えして読経したりしているような気がします。それは
言葉として殊更口にしませんが、とすれば、厳密にはインドの輪廻「転生」
とはかなり隔たりがあるというのは充分頷けますよね。
184 :
kaitabha:04/12/11 23:51:52
>>182 読解を試みましたがS師が何をいいたいのかさっぱり分かりませんでした。。。
インド人は果てしなく続く輪廻を苦とみた。
一方、仏教の伝来後、輪廻という世界観のあることを知った中国人は喜んだ。
また、このすばらしい現世に生まれ変わることができるのか、と。
186 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/11 23:53:37
kaitabha さん自身は死後どうなると考えているのですか?
187 :
kaitabha:04/12/12 00:40:30
>>186 わたしは死後どうなるんだろう?という問い以前に、今
生きてあるらしい自分とか他人とか世界の在り様が間髪入れない
謎として小生の頭はいつも占められてしまっているようです。
死後はやっぱり未知としか言いようがないように思うのです。
もしかしたら死後のバルド―の中で『チベット死者の書』の描写
ように眩しく光るアシュク仏や、イノシシ頭のヴァラーヒー女神
が圧倒的な迫力で迫ってきたりするのかもしれませんね。でも死
んで見ないとそれも本当かどうかは分かりません。
何であれその未知なるモノがやってきた時には静かに向かい合える
自分でありますようにと個人的には切望しております。
188 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/12 00:47:42
ヒンドゥーの伝統ではどう考えられているんでしょうか。
189 :
kaitabha:04/12/12 01:06:30
>>188 伝統は沢山あるので、全部は分かりませんが、わたしがお世話にな
っていたお家のご家族の方々の話では、生きているうちに各々が任
意の神様に熱い信仰を捧げ、神の名前を唱えて愛すれば死後その神
様の世界に赴くということらしいです。
わが国の浄土教、専修念仏とかなり近いなあと思いました。
ヒンズー教にはチベット仏教のような死の教えと実践はないのかな?
密教はヒンズー教のテクニックを取り入れているから関係ありそうな気もするが。
>>181 輪廻転生ということはその世界に生まれ変わると言うことでしょう?
地獄はあの世ではなく、生まれ変わった当人にとっての現世となるはずです。
でも、日本人にとっては地獄も極楽も「あの世」「死後の世界」でしかないのかも。
192 :
北海大将智:04/12/12 11:49:31
>>183 言われてみれば何となく死んだおじいちゃんはお盆の時にやっぱり実家の
精霊棚のところに帰ってくるみたいな暗黙のイメージがあり、何となくそ
こにお供物やらをお供えして読経したりしているような気がします。それは
言葉として殊更口にしませんが、とすれば、厳密にはインドの輪廻「転生」
とはかなり隔たりがあるというのは充分頷けますよね。
Kaitabhaさん 私もこの日本人の死生観と仏教的(インド的死生観)の隔た
りにはどうしたもんだかと仏門に入りたての時は頭を悩ましましたが、最近
は、亡者に引導を渡し仏門に導く経験から「無住所涅槃」の菩薩としてお盆
の時期に人間界に御先祖様が密厳浄土から赴かれるのではないかと考えるよ
うになりました。それでも本当はこの世に密厳国土を開顕するという真言宗
の理念からすればこの「日本人の死生観」と仏教の会通の問題は頭が痛いの
ですが…。
仏教の性格上、日本的は死生観の存在を認めた上で、その背後に輪廻から
の解脱が真実の理想であるととらえてもよいんですけどね。。汗
いろいろあるけどみんな経典の知識か伝承か空想かといったところで、
何一つ真実体験はないのです。死んでみないと、死後は体験できない
はずでしょう。
194 :
kaitabha:04/12/12 13:24:44
>>190 死の概念は同じヒンドゥでもセクトや、都会と田舎でもかなり変わってき
ているので一概に言えないのですが、小生の印象ではヒンドゥにとって、
死の概念と象徴は、そこらの道端とか河とか寺院に日常の中に完全に溶け
込んでいるような感じがするんですよ。そこから立ち上がる宗教思想は
やっぱり自然に死を含んでいるような気がします。
インドで日常の文脈に埋まっている「死」(の概念)を意図的に目の前に
引き出して、一つの体系化した思想なり、修法にしたという例はあるとす
ればhaThayogaやtantraの特殊な流派ということになるのかも知れません
ね。
195 :
kaitabha:04/12/12 13:40:32
>>194 確かに死は普通、実体験できませんよね。でも、それをやろうとし
た人は昔居たみたいですよ。
日常に既に埋もれている死をあえて引き出すとき、「秘密集会タント
ラ」やそのアイデアの恐らく元になっているhaThayogaの人々が、生
と死の境界としての身体とか呼吸に注目するようになったというのは、
小生には一寸理解できるような気はするんですよね。
196 :
kaitabha:04/12/12 13:42:52
197 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/12/12 14:01:50
真言坊主様、北海大将智様、華厳スレではどうも・・・
横スレ失礼しますね。
そもそも一人の人間が死んで一つの魂しか生れないと言うのが間違いなように思えます。
日本人はお墓にもお仏壇にも手を合わせますよね。
これは両方にご先祖がいると思うからです。つまり最低でも2つに分割されていますよね。
しかも浄土とかにもいらっしゃる。
人が死ぬとその魂魄は無限(?)に分割されるのでは?
日本の神様がそうですよね、無限に分割されてあちらこちらに勧請されています。
日本人は神人一如(仏もか)で来ていますから霊魂が分割されるのは自然な事では?
ま、どの魂が本体かは無視するとして・・・
私は死後、魂魄は幾つかに分裂してこの世に留まる魂魄、あの世に行く魂魄、輪廻する魂魄があるように思えます。
>>191 まったくそのとおりだと思いますが、おそらく地獄に生まれ変わった後、お彼岸には帰ってくるという発想なのではないかと。
現世の人からすれば、他の世界はあの世になってしまうのかも。
>>194 haThayogaは体操だと思ってましたW
前スレで「二界増減」という、かつて各宗派で議論された
問題を提起したことがあるのですが、私はその結論が今みなさんの
話し合っている問題を解決する糸口になるのじゃないかと
考えます。要するに、本覚門の立場にたって、十界は心の所変、
仏界・衆生界の同一不二とする考えかたです。
空海の十住心もこの考え方が根本にあります。
もちろん、六趣に輪廻す、ということも説いていますが、
これはタテマエであって、本音は輪廻を否定していたと思います。
でないと、『即身成仏義』の理論は成立しえない(笑)
衆生住宅に略して十処あり。一には地獄、二には餓鬼、三には傍生、
四には人宮、五には天宮、六には声聞宮、七には縁覚宮、
八には菩薩宮、九には一道無為宮、十には秘密漫荼羅金剛界宮なり。
衆生狂迷して本宅を知らず。三趣に沈淪し、四生にリョウヒョウす。
苦源を知らずんば、心、本に還ることなし。
――『十住心論』巻一――
200 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/12 15:56:29
仏教は、世俗には輪廻であり、勝義には空であると説くのでは?
輪廻の否定なんてのは二諦を理解していないからではないかと思うが。
もちろん無自性ということは前提のうえでね。
>>197 華厳スレでと申しますと……
もしかすると、18さんですか?
あちらでは真言系と華厳系とで意見が対立していましたが、
実は私は華厳大好き人間です。華厳を知らずして空海の思想を
語ることはできませんし、なんといっても、華厳の思想は
輪廻を受け入れられない日本人にはピッタリだと思います。
すなわち、華厳の思想はインド発祥の仏教を
中国・日本の世界観・死生観にあうよう再構成させた完成体だと
考えています(笑)
ともあれ、このスレに華厳の方が来られたこと、喜ばしく思います。
ちなみに、
>>199で述べた「二界増減」ですが、
真言宗では法蔵の『起信論義記』巻上における論述が
二界不二を論証する重要な論拠とみなされています。
>>200 インドではね。
中国・日本では世俗諦においても輪廻が認められることは少ない。
なお、勝義諦において空というのは、世俗諦からみた勝義諦のことじゃ
ないでしょうか。もちろん、勝義諦は悟境ですから、我々が
通常認識している言語・存在というものは成立しえない。
だから、空としか表現できない。しかしながら、
そこに曼荼羅世界を想定するのが真言です。
これは仮に勝義諦に立ったということを想定して説いたものだと思います。
203 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/12 16:23:14
北伝の漢訳大乗仏教でも輪廻転生は認めていますよ。
そもそも唯識は体に依存しなくても存在しうる心として阿頼耶識を想定して
それが輪廻転生の主体だと主張しているのではありませんか?
>>203 もちろん。漢訳ですから。
輪廻を認めるのは当然じゃないですか?
中国日本でも法相・三論はインドの輪廻を前提として論述することが多いですね。
特に中国では『摂大乗論』にもとづく摂論学派の勢力が強かった。
しかし、結局は中国・日本には根付かなかったようですね。
205 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/12 16:35:56
根付かなかったという事の意味がよくわからないのですが・・・。
インドにおいて阿頼耶識説とほぼ同時期かちょっと前くらいに出てきた
仏性説・如来蔵思想というのがある。
中国人はこれに強い共感をおぼえ、それを自分たちの世界観・死生観に
マッチするよう、再構成した。それが天台・華厳の教学だと私は考えています。
>>205 今の中国・日本で『摂大乗論』を、あるいは唯識の思想を
尊崇する宗派は多いですか?
そういうことです。
華厳も今は奮いませんが、その思想の中軸は真言・禅の中に生きている。
208 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/12 16:47:12
つまり上座部や漢訳仏教やチベット仏教が認めている輪廻転生を
天台や華厳では否定しているということでしょうか?
私は明治以降に変質した近代仏教の一部くらいしか否定している
ところはないと思っていましたが。
否定はしていませんよ。受け入れられなかったのです。
そこで、修辞的範囲で輪廻を説くにとどまった、ということです。
>修辞的範囲で輪廻を説くにとどまった
>>199に掲げた『十住心論』の一文がその例です。
211 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/12 16:55:34
唯識でも中観でも主張は違いますが、輪廻は認めていますよね。
それでも受け入れられなかったというのは、意味がよくわからんですなぁ。
それでは仏教もどきという事になってしまう。
これ以上話しても平行線になりそうですね。
それでは・・・。
輪廻を受け入れてないと仏教ではない、ということのほうが私にはわかりませんね。
輪廻というのは仏教の思想ですか?
釈尊においても、輪廻というのは当時のインドにおいて周知のことであったから
それを前提に教法を説いただけであって、輪廻することを主体として説いたのでは
なかったでしょう?
213 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/12 17:08:29
唯識や中観などの主張を論破して、輪廻転生を否定したのならともかく、心情的な理由で受け入れられないというのなら、話にならないではないですか?
輪廻というのは当時のインドにおいて周知のことであったから というのは違うと思いますよ。
当時のインドでも順世外道のように輪廻を否定した立場もあったのですから。
ユダヤ教においては律法の遵守が神の教えに従う唯一の方法と考えられていた。
しかし、イエスキリストは律法遵守を否定して隣人愛を実行するのが
神の教えにしたがうことであると主張した。
律法がもたらされたモーセの時代とイエスの時代とにはどのような違いがあったか?
ユダヤ民族が他のエジプトに補収されてそこからの解放を目的とした時代と
ユダヤの国家が建設されて、他の民族との交流が説かれた時代と、
このような違いがあった。モーセの時代にイエスが生まれていたら、
彼はやはり律法の遵守を説いていたでしょう。それと同じく、
イエスの時代にモーセが生まれていたら、彼はやはり隣人愛を説いていたと思います。
今議論したところの輪廻と仏教云云というのもこれと同じことです。
んじゃ『秘蔵宝鑰』の
生れ生れ生れ生れて・・・は?
>>213 >唯識や中観などの主張を論破して、輪廻転生を否定したのならともかく
天台・華厳における唯識・中観に対する反論はほとんどが
輪廻を前提とした教説に対するものです。
たとえば、漸悟に対する頓悟、煩悩遮遣に対する煩悩即菩提など。
>>215 このスレの初めから読まれることをおススメします。
218 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/12 17:18:41
ん?209で否定はしていないと書いてあった気が・・・。
>>213 平行線だから議論をやめるなんてなげやりなこと言わないでくださいよ(笑)
ケンカじゃないんですから。このスレは相互理解の場です。
インドにおける輪廻を否定する学派の話、ぜひ聞きたいですね。
220 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/12 17:42:56
順世外道は仏教と違って、輪廻転生を認めていません。
彼らの根拠は要するに誰もみた事がないゆえに、です。
体の上に心は仮設されたものという主張です。
体が死ねば、心も死ぬというわけでしょう。
しかし、仏教の全ての学派はそれを否定しています。
>>217 あ・・・すみません
最初からもう一度読み直してきました
つまり件の「生れ生れ生れ生れて」は
あくまでも「修辞的範囲」で説かれた「タテマエ」
という理解で宜しいのでしょうか?
そうお考えなら、それでよろしいと思います。
十界は心の所変というのは、唯識派の見解ですね。
224 :
kaitabha:04/12/12 18:18:17
>>203 >北伝の漢訳大乗仏教でも輪廻転生は認めていますよ。
この辺、経・論の出典も含めてもそっと詳しくお話聞きたいです。
>そもそも唯識は体に依存しなくても存在しうる心として阿頼耶識を想定して
それが輪廻転生の主体だと主張しているのではありませんか?
わたしは世親の三十論ジュしか読んでいませんが、識を離れた体とい
う実体が識の外部に存在するとは読めないんですよ。
わたし達が体と言っているのは、前五識、および第六意識、第七マナ識
の縁起の束のなかに浮かび上がる幻のような像=偏計所執だということ
だったと思います。
225 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/12 18:26:00
>この辺、経・論の出典も含めてもそっと詳しくお話聞きたいです。
逆に否定している箇所があるならお聞きしたいのですが。
>わたしは世親の三十論ジュしか読んでいませんが、識を離れた体とい
>う実体が識の外部に存在するとは読めないんですよ。
>わたし達が体と言っているのは、前五識、および第六意識、第七マナ識
>の縁起の束のなかに浮かび上がる幻のような像=偏計所執だということ
>だったと思います。
もちろんその通りですが?
私は、識を離れた体というものがあるとは書いていませんが。
226 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/12 18:28:36
間違い。
識を離れた体という実体があるは書いていませんが。
227 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/12 18:32:22
また間違えてしまったw
逝ってきます。
しかしなんで仏教徒とこんな議論しなければならないんだ?しかも僧侶と。
馬鹿馬鹿しい・・・。
228 :
けちゃっぷ:04/12/12 18:33:07
>>197 同意します。霊・魂は、執着の対象たる情報でしょう。観察する側が見いだすものです。つまり、位牌におじいちゃんが帰ってきたと思う人にとっては、位牌はおじいちゃんなのです。
229 :
けちゃっぷ:04/12/12 18:34:59
情報には媒体が必要ですが、情報そのものには実体がありません。ただのインクの染みも、文字として認識する者が観れば文字になりますが、文字は情報なので実体はありません。
230 :
kaitabha:04/12/12 18:41:42
>>225 小生が勉強不足のは確実ですが、具体的に〈輪廻転生〉を肯定する北伝
の資料が思い浮かばないんですよね。よかったら何か引用してもらえま
せんか?
>私は、識を離れた体というものがあるとは書いていませんが。
そうですか。それを前提にすれば
>そもそも唯識は体に依存しなくても存在しうる心として阿頼耶識を想定して
それが輪廻転生の主体だと主張しているのではありませんか?
という問いそのものがはじめから論理的に成り立なかったと思うのですよね。
231 :
けちゃっぷ:04/12/12 18:44:04
情報は、観察者があってはじめて成立します。輪廻の主体は空ですが、あえて何が輪廻するかといえば、観察者の注意・執着が輪廻する。観察者が対象から別の対象へ名(ラベル)をはがして貼り替える。
232 :
kaitabha:04/12/12 18:50:41
けちゃっぷさんってなんとも不思議な方だなあ。age
233 :
197:04/12/12 19:03:20
>>201 正解で〜す、コテ版考えていないから番号にしま〜す。
>>228 けちゃっぷ様、そちらにとっては「はじめまして」かな?
前スレなどで孤軍奮闘しているのを度々覗いていました。
乙で〜す。
さて、どうも専門用語ビシバシで俗人にとっては「?」の世界なようですが
要は「輪廻」ですよね
輪廻って世間でも一部はよく認識されていますよね
「あの世で待っている」とか「天国で会いましょう」とか
「もう一度生まれ変わったら・・・」とか日本人には普通だと思うけど・・・
>>229の言い方は合っていると思いますよ、記憶ってインクのシミですよね。
人間は生活しながらシミを溜め込んで、死んだら洗濯機でガ〜ッと回す。
そこで出て来た汚れが魂魄の残滓としてこの世に残る。
また来世では落ちきっていないシミ(記憶)がたまに残っていることもある。
違うかな〜
234 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/12 19:08:37
>>230 唯識というのは、心以外のものは実体(自性)が存在しないという主張だと思いますが。
違うのですか?
235 :
けちゃっぷ:04/12/12 19:24:49
>233 はじめまして。前世も来世も、現在にしかないと思います。過去→現在→未来という時間の流れも、妄想です。ドラマの回想シーン、あたかも過去のシーンですがドラマの流れではそのシーンが現在です。
236 :
けちゃっぷ:04/12/12 19:28:43
死者の霊魂の破片は、生きている遺族の心に刻まれて存在しているのでしょう。それが何かの拍子(お盆など)に出力されて、仏壇やお墓にラベリングされる。前世も来世も、現在にラベリングされた名(情報)です。
237 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/12 19:29:12
>>230 補足すると、色は心の反映にすぎないという事です。
色を追求すると心とは別にその存在は認められず、したがって心だけが諦成就していると
いう意味で言っているのですが。
正直疲れます。
それでは。
238 :
197:04/12/12 19:30:10
>>235 すると日本人の多くが考えている来世(=天国etc)は無いと?
無に帰するとお考えですか?
確かけちゃっぷ氏は浄土門ですよね
まさか極楽浄土以外は無いと?
239 :
けちゃっぷ:04/12/12 19:47:06
>>238 無いのではなく、名(情報)として現在に有るのではないでしょうか。過去・未来を想う心は現在に有るわけだし。過去・未来を想っているこの現在が幸せであれば、それでいいと思います。
240 :
kaitabha:04/12/12 19:54:57
>>234 小生の浅薄な理解で唯識専門の方には申し訳ないのだけれど、唯識は厳
密には「わたし」とか、存在しているように見えるモノとか、様々なここ
ろの働きが全て阿頼耶識の<所変>だということらしいですね。そこで、わた
し達が「こころ」と称しているものも、またそのように‘称すること’す
らの働きをも阿頼耶識の所変と見ます。
ここでは輪廻転生のお話が出てましたので、それに沿って考えを纏めて
みれば、輪廻とその主体を<有>と執するのも(反対に<無>に着するのも)
、阿頼耶識が、所謂「第三の能変」の状態で「境を了別」したことで「そ
のように有無の問いが現れている」のだ、というのが唯識の本来の(とい
うか唯識の‘観’においての)文脈から言いえたのではないかな、と。
そこでは、身体を離れた輪廻の主体を問うということそのものが解体して
いたんじゃないかと思うんです。
241 :
けちゃっぷ:04/12/12 19:56:41
心の中で「往生するぞ」を再生しながら、口で「南無阿弥陀仏」を再生してみましょう。来世が有るとか無いとかいう妄想は、一時停止します。
242 :
kaitabha:04/12/12 20:07:50
色が心の反映であると見る、三界唯心の所生、これは結構だと思います。
同様に阿頼耶識という仮説も、輪廻転生とその主体という物語りもまた三
界唯心かと。
もし小生が唯識派の喩伽者だったらそんな風に感じていたかもしれないな。
素朴な疑問です。念仏は日本語でも通じるの?
インドの言葉じゃなくてもいいの?
244 :
197:04/12/12 20:35:05
>>けちゃっぷ氏
そう言えば浄土門では菩提心は否定するんでしたっけ。
私の尊敬する祖師もその事を言っておられました。
極楽浄土さえ否定し、ただ今の念仏のみ・・・私には界外の作用ですね
246 :
けちゃっぷ:04/12/12 21:05:16
>243 「帰命無量寿仏」でもいいと思います。でも、なむあみだぶつ、なんまいだなんまいだ…のほうが言い易いのでは?
247 :
けちゃっぷ:04/12/12 21:09:48
>245 菩提心は否定しません。より早く成仏するためには、極楽往生が近道であり、そのための念仏ですから。でも、菩提心がなくても念仏すれば往生します。
248 :
197:04/12/12 21:31:29
>>けちゃっぷ氏
>>来世が有るとか無いとかいう妄想〜
輪廻を妄想と言うなら極楽も妄想ですね、どちらも仏教思想の範疇ですから
249 :
けちゃっぷ:04/12/12 22:43:49
そのとおりです。光を色彩と認識する時点で妄想です。
250 :
197:04/12/12 22:57:04
極楽も妄想、来世も妄想だとすれば
けちゃっぷ氏はどこに往生するのですか?
(ちなみに妄想とはありもしないことです)
念仏は何回唱えれば極楽にいけるのかな。
阿弥陀如来を信じてなくてもいえばいいの?
仏教では、妄想とは「正しくない思い」のことを言います。
253 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/12 23:23:20
アマゾンの以下のレヴュー、勝手に削除されている。
何やら、恐ろしい事になっているぞ!
陰謀の匂いがプンプンだ。業界全体が。。。
oment / 最初から今まで [MAXI]
冬の恋歌(ソナタ) オリジナルサウンドトラック完全盤 ~国内盤~
レビュアー: 朴李 青森 Japan
この曲はは雅夢の歌った「愛はかげろう」や三浦和人の「あなたを愛する想い」、それに橘いずみの「26-ec.11th.1968」を彷彿させる作品で、とても懐かしい思いをしました。そう思われた方も多いんじゃないかと思います。
また、韓国の楽曲性の豊かさがハッキリと現れており、腹を押さえ涙を留めることが出来ないくらいに感動したほどです。
冬のソナタを見たことがある人なら誰でも聴くべき楽曲です。
紅白出場オメデトウ。決して辞退などしないでくださいね。(w
今年のベスト朴李決定!
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ですから、人によって何が妄想かは異なってきます。
私にとっては妄想でも、あなたにとっては妄想でないということもあるのでしょう。
それは私とあなたとではステージが異なっているので、しかたのないことです。
>>221 『秘蔵宝鑰』の「生まれ生まれ云云」というのは、
輪廻のことを言ったのではありませんよ。
生の前、死の後、というのは誰にもわかりません、
そのことについて議論したところではじまらない、
また固定的な見方をしてはいけない、ということを
空海は言ったのです。
前に引用しておいた↓この文章とシンクロしています。
我を生める父母も生の由来を知らず、
生を受くる我が身もまた死の所去を悟らず。
有るひと云わく、人は死して気に帰る、
更に生を受けずと。かくのごとくの類をば断見と名づく。
有るひと云わく、人は常に人たり、畜は常に畜たり、
貴賤常に定まり、貧富恒に分かれたりと。
かくのごとくの類をば常見と名づく。
或いは牛狗の戒をたもち、或いは恒河に投死す。
かくのごとくの類をば邪見と曰う。
邪見外道、その数無量なり。出要を知らずして、
妄見を祖習せり。かくのごとき等の類は
みなことごとく羝羊の心なり。
256 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/13 06:16:27
極楽ってどういうところなんだ?
>>204 >法相・三論はインドの輪廻を前提として論述することが多いですね。
日本で五性各別vs一切皆成の論争をふと思い出しました。
258 :
けちゃっぷ:04/12/13 12:38:10
>250 明日になれば明日は現実ですが、今日のうちから明日の心配をするのは妄想です。往生極楽が決定してると思えば、それ以降は、来世をあれこれ心配して妄想する必要がなくなります。
259 :
けちゃっぷ:04/12/13 12:49:17
>251 1回から10回程度(つまりたくさんは必要でない)念仏で往生できます。法然さんは、「阿弥陀仏は1回の念仏につき1度の往生を充て置かれている」と言われます。1念で往生できます。
260 :
けちゃっぷ:04/12/13 12:53:22
>256 最高の修行環境が用意されています。また、われわれの裟婆世界の仏であるお釈迦様はすでに亡くなっていますので会えませんが、極楽では直接阿弥陀仏の指導を受けることができます。
261 :
kaitabha:04/12/13 13:02:31
>>257 法相では成仏まで三劫の時間を想定してその間、菩薩として資量を
積み、段階的に修行を進めてゆくとも言っています。
会津の徳一にとって見たら、一切皆成したら<菩薩としての長い期間>
をすっぽ抜かしているように感じられたのでしょうね
262 :
kaitabha:04/12/13 13:02:54
>>257 法相では成仏まで三劫の時間を想定してその間、菩薩として資量を
積み、段階的に修行を進めてゆくとも言っています。
会津の徳一にとって見たら、一切皆成したら<菩薩としての長い期間>
をすっぽ抜かしているように感じられたのでしょうね
263 :
kaitabha:04/12/13 13:04:12
↑あーやっちゃった。二度打ちごめんなさい。
264 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/13 13:19:14
けちゃっぷさんに質問
>明日になれば明日は現実ですが、今日のうちから明日の心配をするのは妄想です。
だとすると、往生極楽していない現在、往生極楽が決定してると思うのは妄想ではないのですか?
>極楽では直接阿弥陀仏の指導を受けることができます。
阿弥陀仏は何を指導するのでしょうか
265 :
197:04/12/13 13:20:50
そもそも阿弥陀・極楽で無くてはならない理由は無いですよね
法華では釈迦常住と説いていますし、華厳では毘盧遮那一切編処と言っています。
密教でも密厳浄土即娑婆世界となっていますし、弥勒は到来して龍華に下生します。
この世を憂える人に対し諭す教えは「諦め」ではなく「勇気」ではないですか。
(念仏すれば往生するという現界を諦めた心はダメだと思います
しかも思考停止でお唱えするなど現世では言語道断です)
私はこの世を五苦楽と思っています(四苦一楽)。
明日を憂えるより今日を生きる勇気、これが大切だと思いますがね
唯識法相が五性各別説を主張し、覚に到るまで煩悩を制御し
善行を行う波羅蜜行の勤修を主張するというのは、
自己の善悪分別に相当な自信がなくてはできないことです。
だから、無性有情なんていう考えが出てくる。
人間にも悟れる人(善)と悟れない人(悪)との
二つのタイプがあると考えているわけです。
しかしながら、この世に絶対の善、絶対の悪なんて存在するのでしょうか。
自分の善行に自信をもってそれを行使している人はいます。
たとえば、ブッシュ大統領のように。
でも、彼の主張する善に対する評価は、時間の経過とともに変化します。
大量破壊兵器があると言って戦争をふっかけましたが、
結局そんなものは見つからなかった。
ブッシュの主張する悪というものが、今は崩れ去っています。
波羅蜜行にしても同じ。たとえば、檀波羅蜜を行うということの
難しさがある。困っている人に布施を行って、はたしてその人が
本当に幸せになることができるのか。救いの手をさしのべたために
依存的状態に陥ってしまうことはないのか。
このように絶対の善、絶対の悪に疑問をなげかけて、
善悪の価値観というのは個人の主観であって、
本質においてはそのような分別がないことを主張したのが、
天台・華厳・真言・禅です。
いったい、煩悩って何なんでしょう?
はたしてそんなものは存在するのでしょうか?
今の生活に不安、不満がある。
だから修行して悟りに到ろうとする。
でも、その不安、不満を感じることじたいが煩悩なんじゃないか?
不安、不満を感じないで充実した生活を行えるということが
悟りなんじゃないだろうか?
仏教では悟って状態のことを迷いといいますが、まさに至当な表現です。
釈尊の主張した悟りってのは、魔宮が震動したり、
甘露の雨が降ったりすることなんかじゃない。
こんなものはしょせん文学的表現にすぎない。
釈尊は人間のもつ不安の状態からの解脱を主張した。
それは難しいことではない。単に生活に充足できる状態になること。
ただそれだけです。
268 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/13 17:04:46
阿字本不生と般若心経の不生不滅は違う意味ですか?それとも同じ意味ですか?
269 :
けちゃっぷ:04/12/13 17:44:21
>>264 念仏者が来世のことばかり考えて生活してるかといえば、違うと思います。むしろ、考えなくてすむのです。妄想しないのは難しいですが、妄想をもって妄想を制するのは比較的易しいのでは?
270 :
けちゃっぷ:04/12/13 17:46:59
>>264 阿弥陀仏のもとで、仏教すべてを学ぶことができます。また、極楽の鳥の声や風の音などを聞いたら、自然と三宝を敬う気持ちが湧いたり、真理に気付いたりすることができます。
271 :
けちゃっぷ:04/12/13 17:51:00
>>265 多くの浄土の中で極楽を願う理由は、十悪五逆の罪人も生まれることができるからです。諸仏の中で阿弥陀仏に帰命する理由は、口で名前を数回称えただけで、迎えてくださるからです。
272 :
kaitabha:04/12/13 19:04:17
>>266 覚鑁は『密厳院発露懺悔文』で「・・・もし善根の作せば有相
に住し 還って輪廻生死の因と成る」と言っていますが、これ
などは、〈善〉や〈善なる行為〉が縁起し仮設された有為法で
あることを言わんとしているのでしょうね。だからいいことを
した、それはすばらしい。だけどそれにいつまでも拘ると無我
観とは反対にエゴを太らせるでしょう、と。
273 :
辻蓮:04/12/13 19:18:33
γ⌒⌒ヽ
( ´D`)<ふとることはきをつけなきゃいけないのれす
/`ーy//ヽ
|lつ|田|と)〕
し∠二二_」_/
(_△_)_△_)
274 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/13 22:13:31
>271 でもやっぱり極楽じゃなくて人間界でいいやと思ったときはいかないということもできますか?
>>272 おお!
こんな身近にそんな好例があったとは!
ご指摘ありがとうございます。
>>272 有相に住さない善行というと、真言・念仏の読誦なんかは
それに属するのかもしれませんね。ただし、これには信心が
必要不可欠となりますが。
あ、防音設備の整っていないアパートでの踊り念仏はダメかも。
>>268 同じです。どちらも空についての説明ですから。
梵語の阿字には無・不・非の意味があります。
その否定の意味をもって諸法が本有においては生滅したものでないことを示した、
それが阿字本不生というわけです。
278 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/13 23:14:10
>>277なるほど。それでは、大乗仏教(顕教)と真言密教の到達する境地というのは同じですか?
もちろん。到達という考え方が違うが。
280 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/13 23:44:40
たとえば、禅宗で悟ったという場合と真言宗で即身成仏したという場合の違いはないと考えて良いのでしょうか。
声は無為にして常住でしょうか。
>>272 善業を積んでも回向して手放してしまいますね。
283 :
けちゃっぷ:04/12/14 00:39:54
>274 極楽に往きたいと思って念仏すれば生けるということは、往きたくない人は往かないという意味でしょうね。極楽の衆生は、他の世界へ自在に行くことができる神通力を与えられますが。
284 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 00:43:16
>>280 上手く説明できないけど自分は違う気がする。
禅宗による成仏は人間性の究極の完成みたいな感じがする。真言宗の即身成仏は宇宙との合一みたいな感じがする。
それに、禅の高僧(臨済、道元、白隠など)と空海などは雰囲気が違い過ぎるし、似てもいない。
285 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 00:45:07
>283
極楽へいけば他の浄土も自由にいけるというなら便利ですね。人間界にもいけますか?
286 :
けちゃっぷ:04/12/14 00:45:35
>276 踊り念仏は近所迷惑かもしれませんが。「高声念仏」というのは、自分の耳に届く程度の声らしいので、大声は必要ありません。もしかしたら、自分の念仏を聴くことに、何か意味があるのでしょうか。
287 :
けちゃっぷ:04/12/14 00:51:47
>>285 他の世界の衆生を導きに出掛けるのも、往生極楽の大きな目的です。法然さんは、「往生できそうですか?」と弟子に問われて、「自分はもと極楽にいた身だからまちがいない」と答えています。
288 :
けちゃっぷ:04/12/14 00:57:19
>285 極楽の衆生は、人間界にも行けます。
しかし、仏教では執着は苦悩の原因と考えますので、現時点でこの世に執着するのは、できればやめたほうがいいです。執着してても念仏すれば往生しますが。
>>280 もちろん、一緒です。
釈尊の成道も禅の見性も真言の即身成仏も一緒です。
そして、それは波羅蜜行を修する菩薩の姿とも
念仏する信徒の姿とも一緒です。
もし、これら各々が違うというのであれば、
悟りがたくさんあるということになる。
たくさんあるとすれば、もうそれは真理ではない。
>>284 禅の悟りってのは「人間性の究極の完成」ですか?
その「人間性」ってのは何ですか?
出来心で万引きしたりするのは人間性じゃないのですか?
ちょっと意味が理解できません。
>禅の高僧と空海とは雰囲気が違う。
雰囲気が違うのは当然でしょう。それは人間の個性というものです。
悟りの内容の違いというわけではない。
禅の高僧の中でも雰囲気が違う人はたくさんいるでしょう?
292 :
197:04/12/14 05:07:46
極悪人も「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽に逝ける
すると改心(発心)していない極悪人は浄土でも極悪の所業を許される訳だな
法然や親鸞は毎日殺され毎日生き返る。
例の池田校の犯人も死刑の直前に唱えていれば、被害者のお子さんと極楽で
鉢合わせなんて事も・・・
地獄だな
>>280 悟ったこと無いからわからないけど全く別物です。
禅宗では成仏ではなく「見性成仏」と言います。
心の中に清浄な部分を発見しただけでは意味がありません。
衆生に還元することによって意味を成すと思われます。
>>289 >念仏する信徒の姿とも一緒です。
さすがにそれは筆が過ぎるのでは。
法然上人にしても親鸞聖人にしても機根の問題から念仏に移行しただけで、
末法思想も無くや識字率の高い現代の日本において念仏の優位性は無い。
むしろ、明文化された戒が無いと言う意味では害悪とも思われます。
煩悩とは一生涯の付き合いなわけで、向き合わなければいけないものだと思います。
戒を持たない宗派の人間がどうやって煩悩と向き合えると仰るのでしょうか?
295 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 09:43:27
>>294 そういわれればたしかに浄土教は成仏が目的ではなく往生が目的といってるから違うのかな…?
296 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 12:13:27
結局、今の人間には易教はもう無理なんだな
人間、成長するからね
題目・念仏みたいな脳内停止の教えは簡単だけど
多くの人間が真実を求めているんだよ
297 :
けちゃっぷ:04/12/14 12:31:31
>294 浄土宗では戒を授かります。在家信者にも戒脈と法脈を授ける「五重相伝」もあります。戒を意識すると、毎日自分の煩悩に気付きながら生活することになります。常能念仏者常懺悔人と言われる所以です。
298 :
けちゃっぷ:04/12/14 12:35:59
>292 極楽に往けば、悪人も悪人じゃなくなってしまいます。また、極楽には三悪道もありません。極楽では悪人も阿弥陀仏の力で聖に成ってしまいます。恨みもなくなってるはず。
299 :
けちゃっぷ:04/12/14 12:38:35
悪人でも極楽に往けるから悪を行なうというのは、誤りです。仏教徒として戒を授かれば戒体が発動し、戒を破るとうしろめたさが起こります。それで懺悔の気持ちになり、念仏するわけです。
300 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 12:59:32
>>299 甘いね
人間は「悪い事はしてはいけない」「悪い事すると地獄に落ちるぞ」
みたいな脳内補完しているから生活できるんだぞ
極楽は現世と違うだろ
条件が違えば脳内補完しなくて良くなるから暴走するのは必定だよ
「こっちに来れば儲け物」とばかりの宅○守みたいなのがウヨウヨしてるんだぞ
阿弥陀さまだって逃げら〜ね
>>294 浄土門の教えについて、私はわずかな文献を読んで、
けちゃっぷさんの教示を受けただけなので
自信があるわけではないのですが、
けちゃっぷさんによりますと、浄土宗の専修念仏というのは、
往生してからも修行しつづけるそうです。そして
還相回向してからもまた修行しつづけるとのことです。
つまり、いつまでも修行しつづけなくてはならない。
となると、これはもう現世の苦しみから解放されるための
修行ではない。すなわち、念仏するという行為、その行為によって
不安をぬぐい去り、そこに人生の充足を感じ、無相無念をもって修行する。
これはもう一挙手一投足がそのまま菩薩の行為、
現実の世界をありのままに受け止める仏の姿にほかならない。
真言宗でいう顕得成仏、禅宗でいう返本還源と
どこに相違がありますか?
>>301 >戒を持たない宗派の人間がどうやって煩悩と向き合えると仰るのでしょうか?
すでにくりかえし述べてきたことですが、
煩悩って何ですか?
人間を悪たらしめる根元体のことじゃないのですか?
じゃ、人間って悪ですか?
煩悩に左右されて行動する人間は悪ですか?
人間の所作が起こるのは煩悩の刺激によるものであることは、
十二縁起等によって説明されるところですが、
では、参禅したり念仏を唱えたり波羅蜜行を行ったりするという行為も
結局は煩悩の刺激によるものじゃないのですか。
要するに、人間というのは煩悩に刺激されて悪事を行って
その悪事の根元である煩悩を厭うて、その活動を抑えるべく修行しているわけです。
その煩悩の活動を抑える修行は実は煩悩による刺激が
起こったことによって生じているのです。つまり、
煩悩の所産には善とも悪ともとれるものがあるわけですよ。
ということは、人間は煩悩というものを意識しているかぎり、
ずーっと悟りには到ることができない。
持戒しようが何しようが煩悩の展転は抑えることができない。
このときに人は煩悩というものに実体のないことに気づくわけです。
煩悩を厭うていた自分の意識そのものが間違っていることに気づく。
煩悩に実体がなければ、悟りなんてものもなくなる。
修行する必要もなくなる(修行しなければならないという意識がなくなる)。
修行する必要もないのに、念仏を唱えてる。
修行する必要もないのに、坐禅を行っている。
修行する必要もないのに、三密行を行っている。
これが上求菩提と下化衆生とを両立した究極の菩薩の姿です。
304 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 13:54:06
>>290 得意に専門用語使わずに、一般人にも解りやすくするため、「人間性」にしておいたんだけど、
それで解らなければ「自己本来の面目」「一無位の真人」といえば禅を知っている人なら理解できる。
万引きを引き合いに出しているのは笑止だが、万引きをする実体が何者かよく考えてみよ。
>>289 真理が一つと云う思い込みはやめた方がよい。
それは何でも一つに集約たがる一神教の考え方であり仏教の考え方ではない。
真理は無限にある。庭先の松の木にもある。悟りは一つではなく沢山ある。法門は八万四千。悟りは繰り返し深めるもの。
305 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 14:20:55
>>301 念仏とはそんなことの為に唱えるのではない。法然の『一念起証文』くらい読んでからモノをいうように願う。
306 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 14:26:03
>>304 八万四千の法門とは覚りに到るまでのこと。
「八万四千の法門」の意味を勉強してから使えや、ハゲ。
表現の仕方・ニュアンス・アプローチが違うだけで、この宇宙の真理は一つ。
307 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 14:29:31
>>305 中国浄土教における“念仏”を知った上で、法然云々言ってんだろな?
308 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 14:31:17
ここは、けちゃっぷ氏以外のコテハンは「俺の方が専門用語知ってる」と。説明無しに専門用語を連発して、レベル高そうな文書を書き込み、自己満足に陶酔するスレで宜しいですか?
309 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 14:34:32
310 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 14:39:43
>>307も名無しに早変わりね。んで、その後悠々とコテで登場。しかも驚きながら。
311 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 14:47:31
>>306=真言坊主
それならただひとつしかないの宇宙の真理とは何か ? スレを読んでいる一般人にも解るように専門用語を使わず、使うなら用語解説をして説明してくださいな。
312 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 14:54:49
313 :
306=307:04/12/14 15:43:51
釣れた釣れた。
アホが釣れたことだし、北斗打ちに行ってこよっと。
314 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 16:09:51
>>313 捨て台詞の典型棚。お前が煽られてんの気付けよ。
>>297 浄土宗に戒があるとは知りませんでした。
浄土○宗の悪いイメージが先行してしまっていたようです。
あそこはおかしなところだから。
いつからか、「親鸞さま」って「さま」付けするようになったようで、
仮にも宗祖に対して失礼では無かろうかと。
>>301 >浄土宗の専修念仏というのは、往生してからも修行しつづけるそうです。
今生において修行してください。
何の為に僧侶になったのかということですよ。
在家が極楽を頼むならともかく、今現在出家している人間が極楽を頼むのはどうかと。
>真言宗でいう顕得成仏
真言宗は良いですよね。
「衆生にして悟る者無し、唯仏与仏」なんて言わないから。
どんな修行でも悟りに至ることができるなら、どうして「六師外道」「事火外道」
なる言葉が残されているのだろうか?「結髪行者」「犬戒」「牛戒」「沐浴行者」
が、なぜ愚かな人たちと言われるのか?八万四千の法門というのはブッダが色々な
角度から法を説くために言説を残されたからそう言うのであって、「どんな修行
でも悟りに至る」という意味ではなかろう。ではブッダが「悟りに至る道」と言う
場合、それはどんなことを指すのか?
「比丘らよ。あなた方は自ら気づいていなさい。これがあなた方に説く諸々の仏の
教えである。比丘らよ。比丘が気づいているというのは、どうのようにすることか?
比丘らよ。ここで比丘は、身体において身体を観察し、熱心に、よく気づいて、
この世における貪欲や憂いを除去していなさい。感覚において感覚を観察し、
熱心に、・・・。心において心を観察し、熱心に、よく気づいて・・・。法において
法を観察し、熱心に、よく気づいて、この世における貪欲や憂いを除去していなさい。
このようにしてこそ比丘は正しく気づいているのである。」
人は悟りを得るためと言って仏名・真言・聖句等を唱え、仏相を念じ曼荼羅を念じ、
あるいは峰行・滝行・断食などに精を出す。しかし釈尊によると修行僧のやることは
一つしかないのである。それは睡眠時(4時間)を除いて知覚を自己に向け煩悩に
よく気づいて観察し続けるということ。
>人間は煩悩というものを意識しているかぎり、ずーっと悟りには到ることができない。
これは邪見・転倒の最たるもの。煩悩がある時に煩悩があると意識できずに、いったい
どうやって悟りに至れるのか。
>>302 >煩悩って何ですか?
>人間を悪たらしめる根元体のことじゃないのですか?
生存の為には欠かせませんが、全く放置していいものでもないと思います。
悪と言い切っていいものかどうか。
>じゃ、人間って悪ですか?
悪であれ善であれ、仏教徒であれば目指す方向性はあるのでは。
檀波羅蜜にしても、結果の良し悪しにこだわる余りこれを捨てるのは
角を矯めて牛を殺す行為ですし、三輪清浄とも違います。
>煩悩の所産には善とも悪ともとれるものがあるわけですよ。
そのとおりです。
十牛図は煩悩を手懐ける様子を記したものです。
318 :
kaitabha:04/12/14 17:04:18
>>304さんに一つ質問いたします。
「人間性の完成」というと、アンデベロップなものをデベロップしていく
ことのように小生には聞こえます。漸悟っていうのでしょうか。
しかし、「自己本来の面目」「一無位の真人」とは完成させるものな
のでしょうか。それとも既に完成、円満していてそれを見出されるも
のなのでしょうか?
>>303 >これが上求菩提と下化衆生とを両立した究極の菩薩の姿です。
これが真言宗の教学なんですか?
菩薩勝慧者 乃至尽生死 恒作衆生利〜なんて空々しいですね。
>>304 >悟りは一つではなく沢山ある。
教えの浅深は法然上人も認めてること。
>>318 304さんではないのですが、
清浄な心を発見しただけでは意味が無いのです。
321 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 17:32:34
大乗だからね
322 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 17:50:52
>>316 ここは日本仏教のスレです。ブッダがどうこうとかは関係なし。
323 :
けちゃっぷ:04/12/14 17:51:32
>300 人生は無常です。突然病原体に出会って死ぬこともあれば、突然殺人鬼に出会って死ぬ場合もある。死に方や死ぬ年齢で不幸になるのではありません。でも、執着がある人を殺すと苦しむのでかわいそうです。
324 :
kaitabha:04/12/14 17:54:12
>>320 成るほど、禅門で「悟後の修行」という言葉を聞いたことがあります
が人間性の開発とはそういう「プロセス」を含めてと言うことなのかも
知れませんね。
しかし仏教で「清浄」という語が意味するのはキレイ汚いの意味では
ない=不垢不浄、不増不減の般若波羅密とすれば、わたしはそういう
意味での「自己本来の面目」「一無位の真人」を見出すことはかなり
すごいことなんではないかな、と思うし全然意味が無いとは思いませ
んよ。
325 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 18:00:16
>>318 そう。それは見出だすもの。しかしそれは完成していて未完成。そして、一無位の真人は今も貴方の顔から出たり入ったりしています。
糞にまみれた一無位の真人が修行して、一無位の真人に気付き、主人公になる。漸悟のようだが実は頓悟するもの。糞袋が真に完成すれば、それを見性できる。そのとき糞袋たる自分が何者かを悟る。
そして今、私がこうしてほざいている内容は全てが嘘。真実などひとかけらもない。いくら教学など語っても全てがまやかし。
○
326 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 18:06:09
〇
327 :
けちゃっぷ:04/12/14 18:08:21
犯罪者を憎んでしまうのは、自分の煩悩が強いからです。犯罪者を憎む前に自分の煩悩を反省しましょう。で、犯罪者も自分と同じように煩悩に翻弄されてるのだと思って慈しみ、共に救われるよう願いましょう。
328 :
kaitabha:04/12/14 18:16:48
329 :
けちゃっぷ:04/12/14 18:20:24
>>301 そういえば、在家出身の僧侶で、禅で悟れなかったのが、念仏寺で数週間念仏体験して禅の師のもとに帰ったら、突然師から「おまえ悟ってきたな」と言われ、それで念仏に転向した…という人もいました。
>>327 子供を殺された親がその犯罪者を憎んでしまうのは、子供の親の煩悩が強いからですか?
親は子供を殺した犯罪者を憎む前に自分の煩悩を反省しなければならないのですか?
子供を殺された親は、犯罪者も自分と同じように煩悩に翻弄されてるのだと思って慈しみ、
共に救われるよう願わなければならないのですか?
>>304 >真理が一つと云う思い込みはやめた方がよい。
思いこみではありませんが。
何なら経論から引用してもいいですよ。
用例ならくさるほどある。
ま、それよりも華厳スレにこんなおもしろいカキコがあったので、
貼り付けておきます。
>漫画のスーパーマンと映画のスーパーマンは同一人物と言えるのか。
この一言で十分ですね。
>法門は八万四千。悟りは繰り返し深めるもの
これは天台でいう隔歴成仏、真言でいう加持成仏というやつですね。
空海はこれを「助仏道の初門」「遮情門」「入道の初門」と称してます。
>>331 教えの浅深も無いのですか?
それなら、スレタイが既にオhル。
>>304 「人間性」=「自己本来の面目」「一無位の真人」
とみなすことはむずかしいでしょう。
「人間性」という言葉はあまりにも抽象的すぎる。
荀子は性悪説、孟子は性善説、同じ儒家でも意見は割れています。
あなたのいう「人間性」というのは仏性や如来蔵といったものを
前提としているのでしょう?
専門用語を使わずに、一般人にもわかりやすいよう説いたのであるなら、
一般人に誤解されないような言葉を使うのが当然じゃないでしょうか。
「人間性」という言葉の意味を仏教を知らない人にたずねて仏性の意味で
答えることのできる人がどれだけいるか。
>>333 教えに浅深は当然ありますよ。
私は教えに浅深がないなんて一言も言ってない。
それはあなたの誤読ですね。
>>335 浄土真宗と真言宗ではどちらの教えが深いと思いますか?
あるいは、どちらが優れていると思われますか?
スレタイに適った質問だと思うのですが。
>>316 どんな修行でも悟りに到ることができるなんて
私は一言もいっちゃあいませんよ。
Aという人は煩悩を断尽していく波羅蜜行で悟ることができるかもしれないが、
Bには無理、あるいはBは三密行で悟ることができるかもしれないが、
Aには無理、ということです。
Aは波羅蜜行を深とし、Bは三密行を深とみなしています。
法門の浅深はそれぞれ異なる。
338 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 19:12:56
このスレは言葉遊びだな。
>>319 >菩薩勝慧者 乃至尽生死 恒作衆生利〜なんて空々しいですね
あの〜私の言っているのは、この『理趣経』の無住処涅槃のことなんですが…
禅宗の人ならば、『金剛般若経』の「応無所住而生其心」と言ったほうが
わかりやすいでしょうね。
>>320 もちろん。
そんなんで悟れたというなら、私なんかとっくに悟ってる(笑)
>>336 今の私の考えでは、浄土真宗のほうが上ですね。
余計な理論を捨てている。
342 :
kaitabha:04/12/14 19:25:41
>>338 ある人にっては言葉遊びであり、他の人にとっては言葉遊びでは無く真剣
なやり取りだったりする、こういうのは何処でも普通にあることですね。
意味や意義を見出すか見出さないか、ようは自分の心のもち方や在り方か
と思いますよ。
343 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 19:26:14
真言宗より浄土真宗のの方が教えが優れているの?
344 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 19:31:18
>>341 それ空海が聞いたら五鈷でガッ!!されるぞw
>>341 >今の私の考えでは、浄土真宗のほうが上ですね。
政治的な力は向こうの方が上ですね。
>>343 なんか、強烈な脱力感を感じる。
正直ショックだよ。
現職の僧侶がよりにもよって宗教ヤクザに軍配を上げるだなんて。
346 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 19:40:14
浄土真宗はアカいよな。
>>344 そらやべーな。今度奥の院逝ってきまつ。
>>345 教団に軍配あげたわけではないので、全然問題ない。
親鸞の教えのほうが無駄な理論が省かれてスッキリしていると思うのだが、
はっきりいって私はついていけない。
長年つきあってきた空海のほうが、当然親近感がある。
348 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 19:55:42
>>301 浄土宗では往生してから成仏するための修行をします。
往生してからの修行は念仏ではないですよ。念仏はあくまで往生するための修行。
還相回向してからの修行というのはよく分りませんが、成仏したら修行は必要ありません。
349 :
けちゃっぷ:04/12/14 20:08:15
>330 そのとおりです。ブッダならそうなさると思います。殺されそうな子供を守ることは否定しませんが、殺されてしまったらスパッと執着を断ち、目の前の哀れな犯罪者を救おうと考えねばなりません。
350 :
けちゃっぷ:04/12/14 20:18:45
>330 自分が煩悩まみれの凡夫だと自覚しているから、法然さんは誰に対しても限りなく慈悲を注ぎます。戒師でもある法然さんは、いつも悪をやめなさいと説きながら、一方で決して悪人を見捨てないのです。
351 :
けちゃっぷ:04/12/14 20:23:34
法然さんなら「本来ならわが子の仇でも救おうと願うべきです。しかし煩悩深くて恨みが消せないなら、せめて念仏しなさい。煩悩深い罪悪生死の凡夫でも、念仏すれば往生できます。」と説くことでしょう。
けちゃっぷさんは自分の家族を殺されても、
家族を殺した哀れな犯罪者を救おうと考えるのでしょう。
しかし、あなたの考えている宗教は、普通の人にとっては
とてもむごいものだと思います。
353 :
承仕:04/12/14 20:49:43
>>344 灌頂の際に五鈷でガッされて、流血した受者がいました。
354 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 20:52:27
なしてガッなんてされたんですか?
355 :
承仕:04/12/14 21:11:08
>>354 真言宗の灌頂の儀を受けた方は解ると思います。
阿闍梨が気合い入り過ぎて受者にガッしちゃったんですよ。
軽〜いガッで良いのに、結構な勢いでガッてするから。
356 :
けちゃっぷ:04/12/14 22:05:31
伝記によると、法然さんの父親は敵の襲撃で死にました。その父の「敵討ちせず出家して私の菩提を弔ってくれ」という遺言に、法然さんは従いました。幼い日に父を殺されたトラウマは、強かったでしょうね。
357 :
けちゃっぷ:04/12/14 22:09:05
イラクの現状を見てもわかるように、憎しみ・復讐の連鎖は、誰かが止めねばなりません。憎しみを押さえるのが苦しいのは、煩悩のせいです。仏教のせいではありません。煩悩がなければ、苦しくないのです。
358 :
けちゃっぷ:04/12/14 22:13:42
自分の煩悩のせいで苦しいのを、他人に八つ当りしていては、八つ当りされた人も苦しみます。口で南無阿弥陀仏・心で往生するぞ、とやりましょう。一瞬煩悩が停止します。煩悩に気付く度に念仏しましょう。
>>355 やっぱり浄土真宗のほうが危険性の少ない分、優れてますね(笑)
けちゃっぷ氏に尋ねますが、口で南無阿弥陀仏とは言えます。
しかし心で「往生するぞ」と、一体どうやって思えるでしょうか?
たしかに心の中の声で「往生するぞー往生するぞー」とはできますが、
凡夫には「往生する」ということが分かりません。実感が伴わない。
往生という単語を使いはしますが、まるきり思い描けないです。
自分がいつか「死ぬ」ことすらよくわからない人もいるのに、ましてや死んで後
極楽に生まれ変わるなんぞ・・・。別に思い描けなくてもいいから、往生するぞと
何万回も言っているうちにわかってくるのでしょうかね。
けちゃっぷ氏はそこらへん体得なさってますか。
361 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 23:14:43
>>353 事故ってことだったんですね。
てっきり阿闍梨キレて殴ったんだと思いました。
362 :
承仕:04/12/14 23:27:23
>>361 阿闍梨が五鈷で「オーン!」てした瞬間、受者が「ん゙っ」って
変な声出したと思ったら、受者の頭から赤い筋がツツーッと。
ろくに慈救咒も唱えられなくて、受者に半ギレされた阿闍梨もいました。
363 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 23:29:04
>>362 そういうときって一応なんかの処置はするんですかね?
あるいは血流したまま放置とか・・・
364 :
けちゃっぷ:04/12/14 23:32:44
>360 まずは、基本的な教義を理解することです。その上でなら、「往生するぞ」は、心の中のセリフで充分です。難しく考えないでください。疑いながらも念仏すれば、阿弥陀仏は迎えてくれます。
365 :
承仕:04/12/14 23:34:50
>>363 とりあえずその場ではティッシュで拭いて収まりました。
366 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 23:36:32
けちゃっぷさん
これはあくまで例えばなんであまり気にしないでください。
仏教では生きるのが嫌になったからという理由で自殺したら、
基本的に成仏は無いと思います。しかし自殺する前に、信を起こして
十念あるいは一辺の念仏をして、死んだ場合これは往生できるのでしょうか?
367 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 23:46:34
>>365 それにしても血が出るほどガッできる五鈷って結構大きかったんですかね?
或いは鋭かったとか・・・
実は私真言宗寺院出身でして、結構五鈷なんかいじることあるんですけど、
よく考えてみると、あれで血が出るほど叩くなんて恣意的にやらないと
無理なんじゃないかなと思いまして・・・
まあ、それはそれで結構いい思い出になったかもしれませんけどね。
368 :
けちゃっぷ:04/12/14 23:47:00
>>366 できます。自殺者の9割は自殺間際には「うつ」状態になってるそうなので、平常の判断ができないのです。つまり、自殺は(精神的な)病死です。阿弥陀仏が病人を見捨てるはずがありません。
369 :
けちゃっぷ:04/12/14 23:50:06
法然さんは「生きれば念仏の功徳が積もり、死ねば往生できるので、この身には、生死ともに思いわずらうことがない。」の述べています。念仏の安心は、生きる苦悩を軽減しますので、自殺の必要がなくなります。
370 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 23:57:07
自殺は病死ですか。そう考えると確かに見捨てるってことは無いですね。
371 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/14 23:57:48
>>359 すぐれてないよ。その教えを誰よりも信じてる奴等が今の危険な真宗教団だよ。宗派の暴露本が出て、レイプだのセクハラだので坊主が訴訟されるし。伝統仏教各派で一番訴訟が多いのもこの宗派だと思うが。
372 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/15 00:01:00
>>367 7寸ほどの五鈷でした。なかなか鋭いですよ。
大きいと重さもありますから、勢いついちゃったんだど思います。
>>368 補陀洛渡海も自殺の内に入るんですかね。
373 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/15 00:04:37
>>362 ガッされた人可哀相。頭って意外に血が出るから焦っただろうな・・・。最も荘厳な流血事件w
374 :
けちゃっぷ:04/12/15 00:05:12
>370 ただし、熱で死にそうな人の熱を下げるのが治療なように、うつによる自殺願望で死にそうな人の自殺を止めるのも治療ですね。 >372 病死になるかはわかりませんが、念仏すれば往生できます。
375 :
承仕:04/12/15 00:07:57
>>373 教授が、阿闍梨に耳打ちするようにして
「やり過ぎです、やり過ぎ!」
って言ってましたよ。
376 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/15 00:14:17
痛そう〜
補陀洛渡海の他、即身仏の入定
法華経行者の焼身も自殺に当たるんですかね?
377 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/15 00:15:26
教授阿闍梨、血を見て興奮し思わず「讃!」
疑いながらだと極楽で牢獄に入れられると聞いたことがあります。
ここであれこれ論を交わすことも執着なのかなと思ったり。
380 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/15 00:21:32
381 :
けちゃっぷ:04/12/15 00:29:06
>378 無量寿経ではそうですね。500年間城の中で隔離されたあとで、外に出るみたいですね。まぁ、量り知れない寿命をもつ極楽の衆生にとって、500年がどの程度の時間感覚なのかはわかりませんが。
382 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/15 01:11:39
>381
えっ!やばい!それ本当ですか?
383 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/15 01:51:42
でもよく考えたらなんの権利があって500年間も幽閉するのってかんじだなー
慈悲はないのかって。
384 :
けちゃっぷ:04/12/15 12:28:22
極楽への生まれ方が違うんですね。疑いのない者は蓮の華の台に化生するけど、疑城に生まれる者は胎生です。で、500年後に城の外に化生します。疑いのある未熟児の菩薩を、しばらく保育器で育てるのでは?
385 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/15 13:01:46
でも、幽閉されたとしても地獄で永遠に近い間苦しむこと考えれば、
こっちのほうがいいかも。
386 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/15 19:58:39
菩薩ってどういう仏ですか?
>>386 仏にならずにずーっと修行を続ける人のことです。といってみるテスト。
もちろん、こんな意味はどこの辞典を引いたって出ちゃあきません。
388 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/15 23:22:34
無住処ネハーンでつな
>>388 正解。波羅蜜行の究極はこれにあると思う。
×究極
○極意
無住処涅槃。別名、修行者のチルチルミチル現象という(真言坊主命名)
392 :
けちゃっぷ:04/12/15 23:34:47
>536 菩薩は仏ではなくて、仏(悟った者)をめざす修業者です。
393 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/16 00:16:14
>>391 上野公園や新宿中央公園には無住所オサーンがやたらいます。
>>393 そりゃ菩薩だね。でも、オサーンたちは青い鳥を見つけたのかな?
395 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/16 12:12:22
>>392 菩薩って悟った後も利他行に励む仏様で無いの?
修行者は縁覚とかなんとか・・・
あと、浄土教って易教でしょ?
何で無縁の者にお経を説くの?
南無阿弥陀仏で良いんじゃないの?
「往生するぞ」って意味を諭す必要ないでしょ
ホントに仏門で修行してるの?
ま、浄土教は仏教じゃないと言われればそれまでだけど(^O^)
396 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/16 12:32:12
か…悲し過ぎるよぅ!
∩ _, ,_
⊂⌒( `Д´)
`ヽ_つ ⊂ノ
ウァァァァン!………
⊂⌒( _, ,_)
`ヽ_つ ⊂ノ
397 :
けちゃっぷ:04/12/16 12:52:21
>395 観音菩薩なんかは、悟っているけどあえて仏に成らず菩薩のままで利他行を続けているといわれますね。
お経は説法と願いの表明の代わりでしょう。往生そのものは念仏の力ですが。
398 :
けちゃっぷ:04/12/16 12:59:30
お経を読むことも、念仏に向かわせるための助業になりますし、善人なら、お経を読む功徳を往生のために回向しようと願うだけで、往生できます。悪人は、お経くらいでは心が浄まらないので念仏が必要です。
399 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/16 13:06:26
真言を念誦し仏を観想するのも念仏と呼べなくもないな
400 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/16 13:32:13
南無観世音菩薩やおんあろりきゃそわかではダメですか?
それかアミダさんのおんあみりたていぜいからうんでも往生できまつか?
401 :
けちゃっぷ:04/12/16 18:10:02
>399 仏や浄土のビジョンを観察して三昧をめざすのは、観想念仏ですね。仏名を口で称えるのは口称念仏。
>400 密教の阿弥陀仏の真言は、阿弥陀仏の名と同じなのでしょうか?
402 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/16 19:05:13
>仏や浄土のビジョンを観察して三昧をめざす
ビジョンだけでは三昧に入れんだろが
薄っぺらいこと言ってんなよ
403 :
けちゃっぷ:04/12/16 21:02:24
念仏で三昧に入った僧は実際にいます。浄土宗の念仏は三昧をめざすものではありませんが。観無量寿経では、観想念仏でビジョンを観るまでの13の観察のステップを説いています。いきなり仏を想うのではない。
404 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/16 22:48:00
>401
名と同じなのかはわからないです。
観音さんでは往生はだめでつか?
405 :
けちゃっぷ:04/12/17 00:30:28
>>404 阿弥陀仏は、明確に、念仏者を往生させるという誓願(本願)を立ててますからね。それができないなら修業完成しても成仏しないって。で、実際成仏してるんだから、本願は実現されているということ。
たとえば大作という人がいたとして、「大作記念館」とか「大作病院」とか
自分の名前がついた建物や団体作りまくったりして、関係者に「大作先生!大作先生!」
と自分の名前を連呼させて、それを世界に普及させたりしたら、どう思うかと。
たとえその人がどんな慈善事業をしていたとしても、素顔は傲慢で自我の強い人なん
じゃないかという疑いは残るわけです。「我が名」の広まることを願うとは。
阿弥陀仏が自分の名前を連呼させるのはどうでしょうか。
407 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/17 12:00:11
う〜む・・・・・・・
408 :
けちゃっぷ:04/12/17 12:21:10
「私を呼んでくれれば迎えに行くよ」って意味ですので、ちょっとニュアンスが違いますよ。「じゃあ、どこに連絡したらいいですか?」「阿弥陀仏までおねがいします。」
409 :
けちゃっぷ:04/12/17 12:33:53
あなたが阿弥陀仏の名を称える時、阿弥陀仏はそれを聞いてます。あなたが阿弥陀仏を念じている時、阿弥陀仏もあなたを念じてます。「わしが阿弥陀になるじゃない、阿弥陀の方からわしになる」南無阿弥陀仏
410 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/17 13:59:02
なんでけちゃっぷてそんなに必死なの?
411 :
けちゃっぷ:04/12/17 17:50:49
>410 趣味です。
412 :
けちゃっぷ:04/12/17 17:59:27
>400 「おんあみりてい…」の「あみりてい」は、アムリタ(甘露)でしょうね。甘露王如来は阿弥陀様の別名です。ですから、阿弥陀様の名前を称えてますので、往生を願って真言をとなえるなら往生できます。
413 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/17 18:11:12
真言を唱えて三摩地に入って即身成仏すれば、往生するまで待つ必要無し。
414 :
けちゃっぷ:04/12/17 18:21:53
>413 真言宗の僧侶は、何歳くらいで即身成仏するんですか?即身成仏した後は、苦悩は起こらないのですか?また、もしあと数時間で死刑になる人と話ができるなら、真言宗の僧侶はどんな話をしますか?
415 :
けちゃっぷ:04/12/17 18:25:51
密教で阿弥陀仏の真言を唱える目的・効果は、何ですか?それは、どの経典を根拠にしていますか?
416 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/17 18:54:38
南無観世音菩薩じゃ往生できないの?
417 :
けちゃっぷ:04/12/17 18:59:34
観音菩薩が、名前を称えたら往生させると説いているお経は、ないのでは?だから、南無観世音菩薩で往生できるとしたら、自分の信仰の力で心を浄めて往生する、自力の往生しかありません。悪人には難しい。
418 :
けちゃっぷ:04/12/17 19:06:33
阿弥陀仏の場合は、心が不浄なら不浄のままでも、念仏すれば、阿弥陀仏の力で往生できます。心が定まるから阿弥陀仏の来迎があるのでもありません。まず来迎があり、そのおかげで臨終に心が定まるのです。
419 :
kaitabha:04/12/17 22:25:18
やっと日本仏教教判に向かう予感age
420 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/17 22:44:16
>>408 空海も同じようなこといってますね。あれって本当に空海が言ったのかな?
けちゃっぷさんの
>>414の質問に答えてもいいが、
まずは当の
>>413さんの答えを聞いてからとするか。
真言を唱えて三摩地に入って即身成仏できると言うのも、念仏すれば阿弥陀仏が
来迎してくれて往生できると言うのも、ただ仏典にそう書いてあるからそう話して
いるというだけであって、自ら何か確たるものを得て言っているわけではないでしょう?
423 :
北海大将智:04/12/18 01:00:35
>>422 それを信じ実践するのが「信仰」でございます。
真言行者は不捨離菩提心を戒として捨てないのですよ。
424 :
北海大将智:04/12/18 01:30:16
>>417『観無量寿経』での観音菩薩の衆生を極楽浄土
へ導く衆生救済者としての役割を浄土宗の宗学という
か信仰に盲目的になって見落としていませんか?
阿弥陀仏が悟りを得て無色界の法そのものの仏となっ
てから衆生を救済するには観音菩薩と勢至菩薩という存
在を無視できないと思うのですが浄土教学ではどのよう
にあつかうのでしょうか?
阿弥陀仏の本願が阿弥陀仏の常道後も維持されるには
その智慧の働きを衆生に仲介する救済者としての『菩薩』
が必要なはずなんですがどうなっているのでしょうか?
私は浄土教学については無知なので明確で論拠を押さ
えた説明をお願いします。
425 :
北海大将智:04/12/18 02:11:03
>>415 無量寿儀軌には滅罪、大日経疏巻四には阿弥陀仏
の大悲方便が説かれています。また金剛界曼陀羅の
常身会の西方には阿弥陀仏(無量寿仏)が説かれて
おり妙観察智を司ります。
その周りには金剛法菩薩、金剛利菩薩、金剛因菩薩
金剛語菩薩が配置されます。
金剛法菩薩は胎蔵生曼陀羅観自在菩薩と同体であり
『金剛頂一切如来真実摂大乗現證大教王経』の大広
大曼陀羅儀軌品第一には大日如来と阿弥陀如来が、
相互供養し阿弥陀仏と上記の四菩薩が相互供養する
ことが説かれています。
426 :
けちゃっぷ:04/12/18 02:27:52
>424 観音は阿弥陀の慈悲を、勢至は智慧を司っています。当然、阿弥陀仏の救済活動に大きな役割を担っています。しかし本願で選択されている念仏は、阿弥陀仏の名号であり、観音・勢至の名ではありません。
427 :
けちゃっぷ:04/12/18 02:34:06
観音・勢至は、信仰・供養・礼拝・観察の対象です。しかし、他力易行の念仏は阿弥陀仏の名号のみです。なぜ阿弥陀の名号は浄土系の専売特許ではありませんので、他宗の方も、どうぞ口称念仏してください。
428 :
けちゃっぷ:04/12/18 02:46:35
>424 あと、浄土宗では、阿弥陀仏は法身仏ではなく報身仏です。修行が報われ本願を成就した法蔵菩薩が仏と成った、具体的人格的な仏です。だからこそ、具体的な救済があるのです。
429 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/18 02:56:22
>>427 観察の対象というのはどういう意味ですか?
もう少しくわしく教えてください。
430 :
けちゃっぷ:04/12/18 02:57:31
>422 お経では、阿弥陀仏の来迎があるのは臨終です。しかし僕は、夢で阿弥陀様にお目にかかりました。臨終でもないのに夢に現われるくらいだから、臨終の瞬間には必ず来迎があると確信しています。
431 :
けちゃっぷ:04/12/18 03:05:14
>>429 仏・菩薩・浄土の景色を想い描く瞑想訓練の中で、実際に目の前にバーチャルの仏・菩薩・浄土を観る念仏三昧の境地になります。そうやって意識の集中力を高める瞑想方法が、観察・観想念仏です。
432 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/18 03:06:44
夢に現れる ≠ 臨終時の来迎
433 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/18 03:09:26
観想念仏 = 真言宗における観法の焼直し
434 :
けちゃっぷ:04/12/18 03:13:49
観無量寿経には、観想のやりかたが細かく説明されています。例えば〈第十観〉と名付けられる瞑想は〈観世音菩薩の真実の色身を観るの想い〉で、そのやり方も説明されています。
435 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/18 03:18:07
>>428 死んだ後に往生して救済してもらうって、全然具体的でないぞ
436 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/18 03:28:41
極楽に往生して成仏できたとしたらその後はどーなる?
自分は到彼岸しっぱなしで、此岸の衆生救済には赴かないのかえ?
如来ではなく如去でつか
そーでつか
437 :
けちゃっぷ:04/12/18 03:35:33
>435 念仏者を往生させるという明確な方向性があるので、具体的です。宇宙仏(法身)だと考えるのは雄大で高尚な哲学を感じさせますが、宇宙仏は具体的な活動をする人格的な仏ではないですよね。
438 :
けちゃっぷ:04/12/18 03:39:59
>436 還相回向といって、極楽に往生した後で、衆生救済活動にもどって来ます。そのためにも、まずは自分が確実に往生するのが大事です。
439 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/18 03:42:03
440 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/18 09:02:59
>>437 密教の法身大日如来は法界に常住し無終無始無間断に法を説く。
441 :
けちゃっぷ:04/12/18 09:08:40
色は物質のこと。観世音菩薩の色身を観るとは、すがた形を観ることです。
442 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/18 09:12:10
法然上人は浄土宗の阿弥陀仏と真言の阿弥陀仏は違うとおっしゃっています。
すなわち報身と法身の違い。
法蔵菩薩が修行して成った仏だからこそ、48願が確かに成就されたことの証。
法身とは真理そのものであり、そこに本願は存在しない。
443 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/18 09:18:00
阿弥陀と大日を混同してないか?
444 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/18 09:22:48
阿弥陀は報身の如来。
四十八の願を立てて修行の末に覚った
わけだが、何を覚ったかと言えば、法身大日の境界を覚ったのだ。
445 :
けちゃっぷ:04/12/18 09:39:30
>444 そうですね。
では、大日如来の説法を聞くことは、つまり覚ることなのでしょうか?法が宇宙に遍満していることを、大日が説法していると表現しているのだと、理解してよろしいでしょうか?
446 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/18 09:51:27
頭で理解するのも結構だが、体感するのも忘れずに。
447 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/18 09:57:25
>>430 夢に出てきたから臨終の時にも来迎があるって、メンヘルか電波だね
思い込みも甚だしい
教判でも何でもない罠
法華経は色界の頂上で説かれた教えで
理趣経は欲界の頂上で説かれた教え。
無色界で説かれた教えなんてありましたっけ?
449 :
けちゃっぷ:04/12/18 10:40:05
臨終に来迎があれば、断末魔の苦もないし、この世への未練も忘れてしまいます。日々の念仏のおかげで臨終に仏を観られるなら、仮にただの自己暗示だとしても、僕はその暗示を仏の本願力と名付けたいです。
450 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/18 11:16:53
けちゃっぷさん個人の体験はともかく、臨終時の来迎は経典に依ること。
阿弥陀仏の来迎あればこそ間違いなく極楽に往生できる。
451 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/18 14:36:02
如来妙色身〜♪
なんだか論点が定まってなくて、もうわけがわかりませんね。
とりあえず、遅レスですが、
>>414に対する返答です。
>真言宗の僧侶は、何歳くらいで即身成仏するんですか?
人それぞれです。とりあえず、伝法灌頂を受けた時点で
即身成仏のソフトはダウンロードされています。
それを自覚できるか否かは本人しだいです。
>即身成仏した後は、苦悩は起こらないのですか?
当然起こります。即身成仏を実現できたことを誰もが認める人といえば、
釈尊がいますが、その釈尊でさえ苦悩あり病気あり、しかも最後は死にました。
>もしあと数時間で死刑になる人と話ができるなら、
>真言宗の僧侶はどんな話をしますか?
状況が具体的でないので、よくわかりません。
その死刑囚が真言法による救いを求めている人であれば、
私ができる範囲の方法(たとえば、お加持など)を実践します。
浄土門はこういうとき有利ですよね。
念仏を唱えるということを主張すればいいわけですから。
反抗的な人に対しても、救いを求めている人に対しても
念仏を唱えるという一事だけを説けばいい。
まさに死に直面した人に対してはこれは大きな慰謝となりますね。
453 :
けちゃっぷ:04/12/19 01:20:50
>452 レスありがとうございます。
ブッダは、煩悩を滅し、苦悩が滅したニルヴァーナを体得していたのではないでしょうか?それによって、生活の中の煩いから解放されていたのでは?
454 :
けちゃっぷ:04/12/19 01:27:05
>>452 仏教は四諦説の展開であり、苦悩の解決が目的だと思います。死に直面した人にとって極楽の存在は救いになります。死の恐怖という苦悩の原因を滅することで、苦悩を滅するのです。
455 :
けちゃっぷ:04/12/19 01:33:13
真言宗の教えにおける、人生の苦悩の解決は、どのような方法ですか?「ほんとうのことが知りたい」「宇宙の奥深い真理を知りたい」という哲学的なことより、人生の悩みの解決が、仏教のテーマでしょう。
456 :
けちゃっぷ:04/12/19 01:51:27
教判の基準はさまざまですが、法然さんは「私を救ってくれる教えはどれか?」という基準で選択しました。日蓮さんの場合だと、「方便ではなく釈尊が本音で語った最高のお経は?」という基準でしょうね。
457 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/19 02:48:41
>>455 人生の悩みの解決がテーマだから年間何千人
も空海慕って八十八ヶ所巡りする人が年間に
何千人もいるんだろう。哲学も民間信仰も真
言集にはあるんだよ。
>>452 煩悩とか苦悩とかの意味合いが経論によって同じではないですね。
もし、釈尊が根本無明を滅したのであれば、この世に生存することは
できないでしょう。あるいは四聖諦の苦諦でいう四苦八苦を滅したのであれば
死ぬことはなかったでしょう。これはもう人間ではありません。
このことについて疑問を呈したのが『異部宗輪論』の大天の五事です。
ある夜、大天は寝ているときに下着を汚してしまう。
次の日の朝、それをみつけた弟子は大天にたずねた。
「アラカンが下着を汚すとは何事ですか!」
大天曰わく「漏失には二つある。煩悩の漏失と不浄の漏失。
アラカンは煩悩の漏失は克服しているが、不浄の漏失は避けられない。」
さて、ここで私が注目したいのは大天が下着を汚したのは何だったか、
ということです。オネショでしょうか? それとも、夢精でしょうか?
オネショならば不浄の漏失とみて問題ない。しかし、これが夢精で
あったとすると、大天は性欲を完全に克服できていなかったことになる。
でも、どうでしょうか。アラカンやブッダははたして性欲を完全に
断尽していたでしょうか? 私はしていなかったと思う。
それを制御できただけで、断尽することはできないと思う。
死に対しても、死を克服したのではなくて、死の恐怖を克服したのだと思う。
これが釈尊の成仏じゃないのでしょうか?
釈尊は性欲の制御、死の恐怖に対する克服を説いたにもかかわらず、
後の仏教は性欲の断尽や死の克服こそが成仏であると説いた。
これは人間にとって実現することは不可能です。
でも、これが究極の解脱、理想の境地とみなした。
そして、これを体得するには何度も何度も生まれ変わって修行を
続けなくてはならない。だから三劫成仏になってしまった。
これは三劫経過すれば成仏するということになっているけど、
私は本当は成仏できないと思う。だから無住処涅槃が説かれるようになった。
仏にならない菩薩という存在が作られた。
念仏を一生懸命唱えて往生できるかどうか、私にはわかりません。
かりに、念仏を唱え続けて死んだ後に、往生とか浄土とかが現れなくて
これが真っ赤なウソだってことがわかったとする。
でも、念仏を唱えるということに強い信念をもって生きた人は
「こんちくしょう!ウソじゃねーかよ!」って怒らないのではないでしょうか?
「あーよかった。念仏を唱えていたおかげで曲がった道に入らなかった、
良い一生をおくることができた」って思うのじゃないでしょうか。
このような生き方は私の考えている即身成仏と何ら齟齬しません。
>>455 真言宗における苦悩の解決のしかたというのは、
苦悩そのものが実は仏の功徳と考えることでしょうね。
嫌いなものや悪いものが実は自分には間接的に必要な存在だったりすることがある。
嫌いとか悪いというものは結局は自分の主観にすぎない。
でも、仏の目線(仏知見)からすれば、それは嫌・悪、好・善の区別はない。
『理趣経』に説かれる煩悩肯定の思想というのは、
このような仏の目線であらゆる存在を見なおすということ。
でも、これはケッコウ難しいです…
462 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/19 05:07:24
>461 それは本性清浄、つまり空ってコト?
463 :
けちゃっぷ:04/12/19 10:25:58
>460 即身成仏がそのようなことなら、法然さんも即身成仏してたと言えます。禅者の中にも「法然は、自分では悟ったと言わない悟りを得ていた」と言う人もいますし。しかし法然さんは凡夫を自覚してました。
464 :
けちゃっぷ:04/12/19 10:30:55
無明を断っている釈尊なら、父親を殺されたとしても怒りや憎しみが起きないでしょう。一方、法然さんは表面的には戒を守っていましたが、内心では父を殺されたトラウマがあったのではないでしょうか。
465 :
けちゃっぷ:04/12/19 10:33:52
法然さんは表面上は生涯戒を完璧に守りました。しかし本人は「1つも戒を守れない」と告白しています。盗まないけれど、他人の物をうらやましがったりする等、内心の破戒を懺悔しつづけていたのでしょう。
466 :
けちゃっぷ:04/12/19 10:37:00
求不得苦(欲しいものが手に入らないこと)は、日常によくあります。釈尊は欲に客観的気付くことで、すみやかに欲を滅したのでしょう。しかし、僕はそれができず、ストレスの種を作ってしまいます。
467 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/19 11:23:17
なんだかんだ言っても、「念仏しましょう」だけでは無く、
いろいろレスしてる訳で…
>>465 >法然さんは表面上は生涯戒を完璧に守りました。
>しかし本人は「1つも戒を守れない」と告白しています。
法然さんは生涯不成仏を貫いたということですね。
これはすなわち無住処涅槃の境地です。
私のいう即身成仏と同じだと思います。
本覚や如来蔵の存在を頭で理解しただけを即身成仏とは言いません。
それを理解したうえで苦しみながら修行を行い現世をまっとうに
生きること、これが即身成仏だと思います。
>>462 そうです。その空に無量の功徳がそなわっていることを「不空」といいます。
『大日経』ではこれを「大空」といい、『理趣経』では「大楽」といいます。
471 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/19 15:51:42
池澤夏樹さんに親鸞賞授与。 小説「静かな大地」で受賞。
「静かな大地」朝日新聞社 629p \2,415(税込)だそうです。読まねば。
472 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/20 16:31:09
>>469 >その空に無量の功徳がそなわっていること
ここのところがわからないので、もう少しくわしくお願いします
>>472 覚り、すなわち真如というのは本来言語で表現できるものではありません。
言語というのは煩悩の所産ですから、それをもって真如を表現することは
不可能なのです。でも、われわれ凡夫は言語を使わなくては意志の疎通が
できない。そこで、暫定的に言語をもって真如を表現すると、
空と不空という二つの言葉に表現されるんです。相反する二つの表現をもって
真如をなんとか表現しようと試みたわけです。
で、その空というのは真如の澄浄なる性質を表現したもの、
不空というのは真如の活動や働き(功徳)を表現したものです。
要するに、真如というのは単なる空っぽじゃない、
ということを言いたかったので「不空」と言ったのです。
大日如来や阿弥陀さんの本体は空ですけど、
何もしない木偶の坊じゃない。真言法を説いたり、念仏を唱える人を
救ったりするという偉大なる活動を行っています。
その活動の面をとりあげて「不空」と言ったわけです。
ちなみに、真言密教では不空成就如来という仏さんを説きますが、
これは実は釈尊のことです。
釈尊は衆生教化という活動を司った仏さんですから、
「不空」の名が冠されていると解されます。
474 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/20 19:56:20
アモォーガシッディ♪
475 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/20 19:58:03
アモォーガヴァジラ?
476 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/20 19:59:28
アモォーガヴァイロォーチャナ♪
477 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/20 20:00:11
アミタァーバ!
478 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/20 20:01:22
アミタァーユス?
479 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/20 20:22:32
イヒ、ビッコ!!!!
ごちゃごちゃ言うてもみんなお経で勉強した知識に過ぎんよ。
481 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/20 23:43:19
483 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/20 23:58:07
>481
怒っちゃだめです。彼(ら)は振り込め詐欺の教育しか受けてないので、羨ましくてしかたがないのでしょう。
振り込め詐欺というのは身近な人物を装う架空の設定で金を騙し取るという
ものだ。坊主もまた架空の内容のお経を語って一般人から金を取る。
架空の内容なら、とうの昔に捨てられているだろうよ。
っていうか、ここは教相のスレなんだがな。
坊主批判したいやつはしかるべきスレへ移動してくれ。
幸いにも寺社板にはその類がわんさとあるでな。
486 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 01:55:45
ボォーディサットヴァ
487 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 01:56:06
ヴァジラサットヴァ
>>485 けっこういろんなスレに飛び火してるみたいですね。
489 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 02:48:27
>>485 ですね。
経典には隠と顕の意味合いがある。
肝心なことはどちらを読み取るのかでしょう。
490 :
けちゃっぷ:04/12/21 12:58:25
観想は難しいが、名前を称えたり念じるだけなら、易しい。
>>490 易しいものが良いのか、難しいものが良いのか、
これは意見が割れるでしょうね。
『法華経』と『華厳経』といずれが優れているか、という問題が
かつて天台・華厳の両宗で議論されていましたが、
華厳宗が『華厳経』は迹門を説かずに直ちに一乗の法門を説いている
という点が『法華経』より優れているところだと主張したのに対し、
天台宗は『法華経』には二乗を大乗へ引き入れるための迹門が
用意されているから『華厳経』よりもすぐれていると主張しました。
実は、密教の経論には、機根の勝れた者のために真言法は説かれた
と書かれているものと、それとは全く反対に機根の劣る者のためにこそ
真言法は説かれていると書かれているものとの二つの意見がみられます。
後者においては、五逆などの深い罪を犯した者は普通の方法では
救われることがないから、このような者は真言法によらねばならない、
と説かれています。法然さんはこのお経を引く空海の文章に注目して、
それを『選択本願念仏集』に引用しています。
493 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:22:32
アヴァロォーキテェーシュヴァラ!
494 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:23:12
アビシェーカ?
495 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:24:22
アビシンチャ!
496 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:25:17
ナンディケェーシュヴァラ♪
497 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:26:32
アディシュタァーナ♪
498 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:27:36
ヴァジラボォーディ!
499 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:30:34
ジニャァーナ!
500 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:31:26
アァービチャァーリカ!
501 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:32:54
シャァーンチカ♪
502 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:33:29
スヴァーハー・・・
503 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:34:34
フーム!
504 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:35:16
ニルヴァーナ?
505 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:36:00
ヴィジニャァーナ!
506 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:37:15
シャァーキャムニ。
507 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:38:13
カシャァーヤ?
508 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:39:44
アモーガパァーシャ!
509 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:40:27
ここが本スレです。
510 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:40:55
ブッダロォーチャナァー
511 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:41:31
ブッダカァーヤ?
512 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:42:47
アヌッタラサンミャクサンボォーディ。
513 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 23:52:54
・・・・・・・・・・・・・で?
sktの定型句をカキコしているのは何か意図があるのかな?
ただそれだけでは坊主批判をしているレスと何ら変わらないと思うが?
ふと思ったんだが、
>>490はけちゃっぷさんらしからぬ発言だなあ。
ホンモノなんだろか?
516 :
けちゃっぷ:04/12/22 07:14:46
はい、本物です。浄土宗で念仏を選択する根拠です。
517 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/22 09:11:59
荒らしてんのって、けちゃっぷ師に喧嘩売って、その結果負けてさらに
真言スレで止め刺してくれって書き込んだヤシじゃね?
>>516 これは失礼しました。かの発言が唐突だったもので、
穿鑿してしまいました。ごめんなさい。
519 :
けちゃっぷ:04/12/22 12:24:55
>518 いえいえ。なんとなく書いただけなので。
520 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/22 16:50:06
いや、こっちも十分寂れてる。潮時だな。
>>521 何をもって自宗が優れたるかを説明しないうちに潮時だなんてありえませんよ。
浄土経典は観想念仏を勧めていたように思います。
観想の重要性を一発打たれては如何でしょうか?
523 :
けちゃっぷ:04/12/23 18:36:32
>522 観想は難しい上に、いつでもどこでもできる行ではありません。煩悩はいつでもどこでも起こります。口称念仏なら、煩悩が起こるたびに、いつでもどこでも実践でき、瞬時に意識を念仏に帰してくれます。
524 :
けちゃっぷ:04/12/23 18:39:44
普段筆箱に入れている鉛筆は、使う時だけ筆箱から出し、使い終われば筆箱に帰します。このように、普段念仏に格納してある意識を、使う時だけ念仏から出し、用が済めば念仏に帰しましょう。
525 :
けちゃっぷ:04/12/23 18:44:20
煩悩は、意識のスクリーンを過ぎ去る映像みたいなものです。そして、念仏がスクリーンに現われると、煩悩はすぐに隠れます。口でなむあみだぶつ、心でおうじょうするぞ。これだけのこと。簡単なことです。
526 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/24 10:03:50
>>525 本願に依るという選択で口称念仏を勧めたのは中国の坊さんで、
経典そのものは観想を勧めている。
難しいかどうかより経典の趣旨と違うのでは?
それから、恨み辛みの思いはその場で一時的に消すことが出来ても
心の奥底・無意識下でくすぶり続ける。(無意識下だから自覚が無い)
ふとした機会がきっかけとなって、その火種が燃え上がり復讐行動に結びついてしまう。
戒は守るのが前提であるとともに、破った時に懺悔する為の指標でもある。
無意識下の火種を消すには懺悔しかない。
けちゃっぷさんのやり方では根本的な消火作業にはならないですよ。
懺悔しようが念仏しようが、これすべて意識上の行動に過ぎないんだよね。
無意識の領域まで行くには瞑想・三昧に入るしかありません。
そのための戒・「定」・慧です。
528 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/24 13:59:40
それがお好きな方は、そうされればよいと思います。
529 :
けちゃっぷ:04/12/24 17:44:33
>>526 他力念仏の信心は、阿弥陀仏を信じるのと、自分が罪深い凡夫だとしんじる懺悔の気持ちがセットですよ。
530 :
けちゃっぷ:04/12/24 18:03:25
>527 観無量寿経には、心を統一して行なう「定善」と呼ばれる観法と、心が散乱したままで行なう「散善」が説かれています。どちらでも往生できますが、僕のような凡夫には、「定善」は無理です。
531 :
けちゃっぷ:04/12/24 18:11:08
臨終間際に初めて仏教に出会ったけれど、病気でとても観法を完成できる状態じゃない人に、「阿弥陀仏の名前を称えるだけで必ず往生できる」と説くのが、そんなに悪いことでしょうか?否定したがるのはなぜ?
>>531 >臨終間際に初めて仏教に出会ったけれど、病気でとても観法を完成できる状態じゃない人
じゃないから。
>>529 罪って何?
何に対しての罪なの?
生きてること自体が罪なら全ての生き物は罪を負ってる罠。
533 :
けちゃっぷ:04/12/25 01:48:36
>532 「罪」とは、何かのルールへの違反ではなく、悪業のことです。煩悩中毒です。飲めば飲むほど飲まないことが辛くなるみたいに、自分で自分を苦しめる癖を、自分で蓄積することです。
534 :
けちゃっぷ:04/12/25 01:53:47
アルコール中毒を治すには、アルコールを断ち、その状態に慣れるトレーニングが必要です。戒は、そのトレーニングなのです。「罪深い」とは、トレーニングを続ける意志が弱く、仏道が下手くそなことです。
初期仏典での懺悔とはdesanaaつまり説き示すことであり、
一人以上の人(仲間の弟子)を前に自分の罪を告白することである。
罪とは上記指摘のとおり悪業煩悩のことであり、キリスト教で言うような
神の命令に違反することではない。ただし仏教でも煩悩を抑止する為に
戒が定められているので、具体的にはこれに違反することが罪となる。
仏教では口に出して表すのが懺悔であるから、意識上の行為といえる。
>535
「仏教では口に出して表すのが懺悔であるから、意識上の行為といえる。 」
キリスト教の懺悔は無言行なの?。意識上の行為〜、の部分もどういう概念
で書かれてます?。
オレは、意識無意識下の行為すべてにおいての罪の告白と聞いたけど。初
期仏典のみを書かれたのかな?。
>535
仏教に懺悔があるんですか?
懺悔するとどうなるの?カルマからの脱却に関係あるの?
キリスト教の懺悔ってサクラメントだよね。
そもそも「懺悔」という言葉自体、中国で仏典が翻訳された時に
できた仏教用語だそうです。サンスクリット語で許しを乞う意のksama(懺摩)
に、中国語の悔を加えて懺悔となった。
仏教とは常に心の汚れを払って悟りを目指していくことです。罪を犯して
それを人に知られまいと密かに黙っておくのは、心の汚れを隠し持つこと
になります。また人に知られなければそれでよしという傲慢さを育てること
になります。ですから罪を他人に告白して許しを乞い、傲慢さを捨て自分の
心を清めるのです。
539 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/28 14:01:12
540 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/28 15:38:14
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
懺悔 懺悔 六根清浄〜 懺悔 懺悔 六根清浄〜
541 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/28 15:44:50
懺悔 懺悔 男根清浄
すまん・・・
ちょっと言ってみたかったんだ・・・
542 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/29 09:33:41
懺悔懺悔六根清浄って天台系なのかね?
ウチは真言宗だけど
慚愧懺悔(ざんぎざんげ)六根清浄なんだよね。
たとえば汚れた洗濯物を山のように抱えて「洗濯 洗濯 この服キレイ〜」と
唱えただけで洗濯物がキレイになるという道理はありません。
洗濯物は洗濯して汚れを落とさないと綺麗にならない、ということは誰でも
知っていることです。
この心と体も、呪文やお経だけで綺麗になるということはない。汚れを落とす
実践を毎日行って初めて、少しずつ昔からの汚れが落ちてくるというものです。
544 :
けちゃっぷ:04/12/29 15:41:11
懺悔は、悪業を断つ剣だと言われます。もちろん、単に唱えるだけでなく、本気で反省しなければならないでしょうけど。
本気で反省すると言っても、大乗の懺悔は仏像の前で儀式や礼拝する
ことに過ぎませんから、それで悪業を絶つことは難しいでしょうね。
感情が高ぶって自分は罪深い、悪い人間だという思いは一時的に高まる
かもしれませんが、それで悪業が絶てるかというとそうでもないでしょう。
悪い悪いと思いつつやめられない、と言うならまだマシな方で、たいてい
は儀式や礼拝が終ったら懺悔の事もすっかり忘れてるんじゃないですか?
仏像の前での儀式や礼拝だろうとそうでなかろうと、本気で懺悔する気持ちが大事。
547 :
けちゃっぷ:04/12/29 17:58:00
>545 因果応報の業報思想では、悪いことした悪業が悪い結果をもたらすと考えますよね。懺悔で悪業をリセットできると信じるなら、過去の罪への執着や、報いへの恐怖を断てるのでは?一種の方便でしょうね。
548 :
けちゃっぷ:04/12/29 18:01:29
懺悔で過去をリセットして、さぁこれから仏教徒としてこれ以上悪業を重ねないよう精進するぞ、と。余計な恐れは消し、修行はかならず報われると信じて、初心に帰り、仏道をていねいに歩む。
では、懺悔と反省は違うの?
550 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/30 02:08:41
>>549 仏の前にて恥じるのと、自分に恥じるのでは意味合い違うでしょ?
お釈迦さまが教えた懺悔は、戒に照らして悪かった点を言葉に出して
仲間の修行者に話して許しを得るということでした。
言葉に出して話すことによって自分の間違った点を明確に認識でき同じ事
を繰り返しにくくなるというのと、人に許しをこうことでエゴを弱めることができる
という点が重要です。許しを与える方も寛容の精神を学びます。
会社の仕事でもミスや失敗に対して「オレは悪かった、なんて恥かしい」と反省
するだけでは、反省してもなかなか改善できません。速やかに問題点を明確にして
人にも明らかにすれば、次からはミスしにくくなります。
二千五百年前の方が合理的というのは面白い話だと思います。
552 :
けちゃっぷ:04/12/30 17:24:38
十善戒の中に、「人の罪を言いふらしてはいけない」という戒と、「謝罪している人を許さねばならない」という戒がありますしね。この二つを守るだけでも、かなりの人格者になれますよね。
553 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/30 20:51:34
仏教というのは自己満足の世界だと思うのです。
本当に自己を満足させて、自己を満足させきったとき涅槃が見えてくるのではない
でしょうか。
パーリ大槃涅槃経の釈尊の言葉に「私は自己をより所とすることを成し遂げた」
とあります。
本当に自己において満足している人が、怒りをまき散らしたり、人を暴力中傷したり、
欲望を貪ったりすることがあるでしょうか。何か常に不満足を抱えて縁に会っては
反応する人が、怒ったり貪ったりするのではないでしょうか。
何一つ不満の無くなった人は、仏様のような人でしょう。
555 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/01 02:06:21
十善戒を守ることが我欲を増長させることになると説く経がありますか。
┐(´ー`)┌
558 :
けちゃっぷ:05/01/01 17:57:43
>>556 >>555は、僕が「人格者になれる」と書いたこともまた我欲だと言いたいのかも。それを言いだすと、悟りたいというのも我欲と言えますね。
559 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/01 19:07:39
>>558 そういうこと。
「悟りたい」という自心も突き詰めれば自我。
そこを越えないと悟りということには近づけないと思う。
悟ったか否かなど、悟りを得た人間には関係のないこと。
仏道を修したいという欲を[大欲]というそうじゃ
561 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/01 23:19:01
taiyoku
大欲得清浄 理趣経マンセ〜
562 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/02 00:02:38
誰か1月1日フジテレビ放送の「トリビアの泉」見てた人。
金の脳だった「戒名を作れるパソコンのソフトがある」
にでていた日蓮宗の妙法寺という寺の詳細を知る人いませんか?
あの放送内容は亡くなられた方への戒名という物に対しての
非常に尋常ではない信じがたい侮辱行為です。正直愕然としました。
あんなものを使ってる寺院なんて全体の1%もいません。
仏教者全体の信用問題ですし、非常に大きな問題です。
正直訴訟も考えています。
1月3日まではフジテレビの苦情担当には繋がらないようなので
正月明けに大至急謝罪を求めるクレームを送りますが、この寺院
の住職にもそれ相応の苦情等をするつもりです。
仏教者としてあれ以上信用を落とす行為はありません。
本気ですのでご協力・ご賛同の方よろしくお願い致します。
562はマルチポストです。
564 :
けちゃっぷ:05/01/02 01:49:56
>562 戒を授かり仏弟子になることに意味があるのであり、戒名はただの名前・記号でしょう?戒名を商品にしてる人が、戒名の商品価値を下げられて怒ってる…と捉えられかねませんよ。
565 :
けちゃっぷ:05/01/02 01:53:05
学校卒業してもらった卒業証書が、プリンターね印刷だろうと校長直筆だろうと、学校を卒業したことに変わりはありません。なんか、焦点がずれてる気がします。
566 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/02 13:24:22
それだけ仏教に精通してる僧侶が少ないと言う事だろうね。
自分で考えは戒名さえ付けられないとは、少し情けないと思うね。
そんなクリック一つで戒名付ける坊さんは、「仏戒」をきちんと授けてくれないんでは?
と思われても仕方無いでしょう。
(´-`).。oO(マルチポスト厨がえらそうに・・・)
568 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/03 15:55:58
569 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/03 20:30:47
>>566 妙法寺の話をいきなり全国展開されてもねぇ・・・・いつも論議が飛躍するっていうか。
570 :
566:05/01/03 20:34:15
えっ?
いつもって何?
意味不明。
受け流せ
いつでも、何処にも自分が基準の輩はいる
572 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/03 23:40:51
>>564 年の暮れから正月までカキコしまくれるような僧階持ってる
だけの市役所務めがえらそうだな。ゲラゲラW
念仏しましょう、亡くなったお子さんも、念仏を聞いて、
私たちより一足先に往生します。極楽で必ず再会できます。
死は人生の卒業。お子さんは業が少なく、飛び級で卒業され
たのです。
↑上記のカキコは殺人者の犠牲になった子の親にどう救いを
説くかという問いに関する答えです。
573 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/03 23:45:10
>>572 ちなみに上のはけちゃっぷのカキコね。
無神念仏廚な内容だからわかるかw
574 :
けちゃっぷ:05/01/04 01:37:16
>572 死因が殺人だからって特別に考えるのは、分別・差別の煩悩のせいですよ。先立った我が子の冥福を祈りたい・信じたいという親心は実際あるでしょう?往生できると言うのがなんで悪いの?
575 :
けちゃっぷ:05/01/04 01:42:24
「いのち」は生かす縁です。我が子を育てる義務がなければ、今までりっぱに働いてこられなかったかもしれない。亡くなった子と過ごした経験は、お子さんの「いのち」の一部として、遺族の中に生きています。
576 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/04 03:21:26
>>564 戒名がただの記号ならば、阿弥陀の名号もただの記号。
その記号を口にしたところで何も意味は無い。
「阿弥陀の名号を唱える念仏は意味の無いこと」と自ら口称念仏を否定している訳である。
その意味の無いことをなぜか延々と書き連ねている。
甚だ疑問である。
浄土教の実践は念仏だが、教義は念仏そのものだけではないはず。
浄土教における念仏に付随する他の教義を伺いたい。
577 :
けちゃっぷ:05/01/04 08:16:42
記号を称えたら必ず救われるという信仰には意味があると思いますが。「みんなが救われたらいいなぁ」という仏の慈悲に共感しない人もいるのですね
578 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/04 09:48:20
>戒を授かり仏弟子になるのに意味があるのであり、戒名はただの名前・記号でしょう?
けちゃっぷも僧籍を持つ者である以上、戒を授かった身。
戒を授けて下さった師に「戒名は意味の無いものだから要らない」と言ったのだろうか?
このような発言は、戒を授けたことの無い人間としか考えられない。
教化活動として戒を説いたことが無いように感じた。
さて、ただの名前・記号には意味が無いとけちゃっぷ自身がカキコしている。
阿弥陀もただの名前・記号である。その何も意味の無い名前・記号を唱える念仏という作業も意味の無いことになる。
けちゃっぷ自身が「意味が無い」と言った名前を唱えることで救われるのだろうか?
大きな矛盾点である。
話をすり替えるのが常習となったけちゃっぷだが、けちゃっぷ自身は未だそのことに気付いてないようである。
>>578 極端な話、「南無無限仏」でも良かったりするしね。
580 :
けちゃっぷ:05/01/04 12:25:23
>578 もともとの問題は、戒名をパソコンに考えてもらうことの是非でしょう?どちらが問題をすりかえてるのでしょうか?名前は記号でも、記号を使ってその人を呼ぶことができるじゃありませか。
581 :
けちゃっぷ:05/01/04 12:34:13
戒名は、戒を授かった印ですが、その戒名はただの記なのです。南無阿弥陀仏も記号ですが、記号を使って呼んでくれたら往生させるぞと阿弥陀様が誓ってるんですよ。
582 :
けちゃっぷ:05/01/04 12:38:17
たとえパソコンが考えた戒名だろうと、菩薩ナンバー○○番とかいう記号だろうと、戒を授かった証明として師から発行していただくことに、価値があるのです。記号そのものじゃなく、記号が示す意味が尊い。
583 :
けちゃっぷ:05/01/04 12:54:04
戒名がなくても、どんな戒名でも、念仏によって往生できます。ですから、りっぱな戒名が欲しいとかいうのは、各人の趣味の問題にすぎません。
584 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 06:46:43
>>578 すりかえて「念仏すれば往生します」ばかり。もう臭すぎて飽きたわい。
585 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 11:39:23
>>584 教化の実践をしたことない、頭でっかちの念仏狂だから。
586 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 11:45:20
>>582 >記号が示す意味が尊い
記号に意味は無いはずでは?あんた矛盾しまくってるよ
問いに対してすり替えた答えをするけちゃっぷが自己満足のカキコをしまくるから、
他宗派の諸師方も呆れていなくなったんだろが、ヴォケ
587 :
けちゃっぷ:05/01/10 11:55:20
>586 何が矛盾してるのかわかりません。お経には念仏すれば往生できると示されているから、念仏という記号には力が与えられている。りっぱな戒名で虚栄心を満たすのとは全然違いますよ。
588 :
けちゃっぷ:05/01/10 12:02:05
>586 「記号に意味がない」という表現はしてない。阿弥陀仏が「あいうえお」と称えた者を救うというなら、「あいうえお」自体はただの記号でも、それで救われるという意味がある。戒名で往生するお経はない。
589 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 12:03:00
記号には意味がないと自身でカキコしとることを忘れ、矛盾してないと言い張る
教えがどうこう以前の問題
念仏すれば救われるんだろ?
いつまでも同じ内容をダラダラとカキコすんの止めれ
ボロ出しまくってるのに気づけや
590 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 12:34:00
>戒を授かり仏弟子となることに意味があるのであり、戒名はただの名前・記号でしょう?
これはけちゃっぷのカキコだ。
「仏弟子となることに意味があり、戒名は記号だから意味が無い」
という内容のカキコである。
そして今度は「記号に意味が無いとは言っていない」と言い放つ。
信念というものは無いのだろうか。
実際に人に接して法を説いたことのない者が云々言っても、説得力がまるで無い。
591 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 12:38:00
>>589 布教が目的らしいけどね。こりゃ、ダメだw
592 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 12:38:59
>>590 念仏して糞でもして寝ろってことだなwwwwwww
>>588 >戒名で往生するお経はない。
「諸仏」のはたらきを無視してんなよ。
594 :
けちゃっぷ:05/01/10 12:51:25
>590 堂々めぐりですね。僕が言おうとしてる意味は理解できてるくせに、なぜ認めようとしないのでしよう?「意味」と書いたの失敗だったか。「価値」と書けば少しは通じますか?
595 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 12:53:13
>>594 相変わらずの独り善がりですな。
おまえの説明が足りないことを、理解力不足とはね・・・。
文面に悔しさが滲み出てるよ。
596 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 12:54:45
>>594 認めようとしてねえのはテメエの方だろうが。
597 :
けちゃっぷ:05/01/10 12:56:06
>593 戒を守ってる善人は往生できますよ。戒名は戒を授かった証としていただく記号ですが、記号がりっぱなぼど戒を守ってるということではないでしょう。
598 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 12:56:28
>>595 けちゃっぷ自身が理解してないから説明もヘタクソな訳さ
599 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 12:58:06
>>585 全く以てその通り。
一般人と同じ目線で教化しないといつまで経っても孤高の山猿で終わると。
意味を汲まないのを「認めようとしない」で済ませられるなら、もはや教化もクソもない。
要は自分の言葉が足りないだけ。
600 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 12:58:50
「意味」を「価値」に置き換えたところで、辻褄が合っていないことに変わりはない。
601 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 12:59:00
602 :
けちゃっぷ:05/01/10 13:00:35
>598 では、あなたは戒名をパソコンソフトでつけることには反対の立場なわけですか?その理由は?もとの議論はそこから始まっているのですよ。
>>602 棚上げとすり替え・・・・確かに楽だな。
604 :
けちゃっぷ:05/01/10 13:06:08
>599 では、言葉が足りない部分を指摘していただけませんか?まず、僕は、記号にすぎない(空である)戒名の形体にことさら執着するのはよろしくないということを、仏教徒なら大前提だろうて考えてます。
605 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 13:08:23
>>604 自分を棚上げして他人を批判したことには眼が向かないわけですな。
全く以て「ボクだけの浄土往生」……まあ、適当にやってよw
606 :
けちゃっぷ:05/01/10 13:14:34
605 そういうあなたも、こちらの質問には答えていないではありませんか。戒名は文字の羅列ですから記号。戒を授かったということを示すための記号です。ここまでは伝わってますでしょうか?
607 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 13:20:08
無理やりの辻褄合わせ・・・必死だなwww
608 :
けちゃっぷ:05/01/10 13:21:58
たとえば持戒による往生の場合、阿弥陀様が戒名をチェックして往生させるか判断するのじゃない。戒を守るという自力の修業の積み重ねにより心を浄め、その浄い心の善人が往生を願うと、往生が決まるのです。
609 :
けちゃっぷ:05/01/10 13:28:07
戒名という記号で往生が決まるのではない。戒名はただの名前。その名前に執着させることは、仏教徒としてはよろしくない。なぜなら、戒名に執着すると戒名にまつわる憂い・苦悩の原因になるからです。
610 :
けちゃっぷ:05/01/10 13:50:40
>584 浄土宗だから、結局念仏に話をもっていくのは、当然です。他宗の方がいらっしゃるなら、禅の人は禅を、テーラワーダの人はヴィパッサナー瞑想を、各々の実践を紹介してくださいませ。
611 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 14:15:22
>>609 念仏に執着しとるな。
妄想に纏われて衆罪を造っとる真っ最中じゃな。
612 :
けちゃっぷ:05/01/10 15:03:21
はい、執着しております。それ以外に救われる道がないからです。ただ、念仏してる瞬間は、執着の有無に関する思考さえなくなってしまいます。それも、不可思議な阿弥陀様のお力なのでしょう。
613 :
けちゃっぷ:05/01/10 15:11:40
念仏は心の主人、それ以外の妄想は客。客は通りすぎるだけ。客が帰ったら、主人が心を掃除してくれる。そしてまた、客が訪れる。
614 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 15:21:27
>>612 と自己監察していることが執着なんですけどね。
教科書通りでつまらんな
616 :
けちゃっぷ:05/01/10 15:31:36
執着があるなら執着があるままで、妄想起こるなら妄想起こるままで、念仏すれば往生できます。他力の念仏には、そこに救いがあります。念仏者の能力を問わないからです。
617 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/10 16:20:45
まあ、作られた物語を頭から信じたければそれでいいんじゃねえの?
618 :
けちゃっぷ:05/01/10 21:05:41
>617 そのとおり。本人が幸せならいいのです。世界中の人が念仏だけで幸せを感じられるなら、争いはなくなります。
619 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/11 00:04:56
>>617 所詮、作り話だからね。
盲目的にそれを信じたいって言うなら、ひとり信じさせておけばいい。
620 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/11 01:06:52
エライ事になってますね☆
淨土系の宗派では戒名は「ただの記号」と考えるのですか?
それともこれはケチャップ氏の意見ですか?
もし仏弟子になる時に授かる名前に意味を見いださないならば、まず淨土宗は法名を廃止すればいいのではないのかな?
私は駆け出しの真言坊主ですけど、密教では血脈を重視しますので、真剣に戒名考えますし、大切な物である!と考えています。
621 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/11 02:45:13
>>618 んじゃあ掲示板にカキコすることよりも、世界中の為に念仏することを優先してくれ。
その方が漏れは幸せだ。
622 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/11 02:51:57
けちゃっぷをウザがる気持ちは分からんでもないが、
道理にかなってるのは、けちゃっぷの方だな。
戒名なんて記号だろ。
623 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/11 02:59:51
>>622 機根が整ってない者はそのように考える傾向があるようだな
ま、がんがれや
624 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/11 03:04:55
>>623 記号じゃないのなら、その立証を機根の未熟な者にも分かるように
説明してみろよ。できないだろ?
625 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/11 03:08:25
っていうか、記号ではない説明をした者はいないな
626 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/11 03:29:55
世襲禿には無理だろ。
627 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/11 06:46:25
ケチつけるだけしかできません 禿だもの
628 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/11 07:55:41
そこで、S価学会ですよ。
629 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/11 07:57:40
このスレの坊主=創価というわけか
レベルは同じかもな
↑おまえら仏教がクソの役にも立ってないみたいだから今すぐ止めちゃったら?
631 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/11 20:52:09
層化も禿もイラネ
632 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 10:17:53
でも、どうせ付けて貰うなら「ただの記号」と思っている方(けちゃっぷ氏等)より、意味を見いだし真剣に付けてくれる方(
>>620氏等)に、頂きたいものだな。
634 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 10:40:52
635 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 13:50:50
「汗水流して働いて得た1万円での布施」と「強盗して手に入れた10万円での布施」
戒名が単なる記号ではないのなら、後者の方が尊いことになる。
636 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 14:07:19
637 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 14:39:31
638 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 14:51:00
>>637 そういう側面からしか考えられんわけね。単純な香具師だ。
639 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 15:04:06
複雑怪奇な世襲禿
640 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 15:32:02
641 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 16:49:46
とりあえず浄土宗は「ただの記号」である法名を速やかに廃止して、実際に証明する必要があるんじゃないの?
「意味の無い事ですよ」と檀家に説明して、法名を止めるべきです。
話はそれからだな。
642 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 17:18:25
>>641 少なくともけちゃっぷの仮想寺院では「戒名?んなモン、記号ですよ、記号」で
運営してるらしいですよ。
だから当然、戒名に値段を付けるなんてこともしていない。
タダでバラ撒いてます。
つーかさ、バトルロワイヤルと競争批判って
けちゃっぷで持ってるようなもんだから
一緒にすれば?
同じ内容で分かれてる意味なさげ。
644 :
けちゃっぷ:05/01/13 17:56:25
>641 戒を授かったことを示す記号なのですから、なくす必要はありませんよ。公道を走る資格を示す車のナンバーもただの記号ですよね。ただの記号が何番だろうがゾロ目だろうが、同じだと言ってるだけです。
645 :
けちゃっぷ:05/01/13 18:25:46
>642 値段はつけてません。生前に五重相伝を受けた人、あるいは生前に寺に貢献した人には、禅定門・禅定尼がつきますが。
646 :
けちゃっぷ:05/01/13 18:33:03
戒名がない人は、正式に師匠から学んだ経験がないわけですから、その人が「これが浄土宗だ」と教えを説いたとしても、間違ってる可能性があります。戒名は、仏弟子であることを示す記号です。
647 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 18:35:48
記号なら漢字を使う必要ないよね
648 :
けちゃっぷ:05/01/13 19:01:11
逆に、車のナンバーが漢字でもいいわけです。
649 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 19:34:25
車のナンバーからはどこの陸運局に登録されているのか、
古い車ならワンオーナーか最近買ったかとか、読み取れる
情報がそこそこ含まれているので全く無意味な記号ではない
と思うよ。
でも、ナンバーの読み方を知らない人にはただの記号ってことか・・・。
651 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 23:51:43
戒名の件は、浄土宗では「ただの記号である」
これでよろしいか?
652 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/14 00:00:27
そんな事より、多く宗派では葬儀の時に
亡者を仏の国(浄土)に引導(導いて)する為、僧侶が引導作法や読経しますが、
浄土宗(けちゃっぷ氏の意見?)は、疑いながらの念仏であっても、又はたった1回の念仏であっても往生(仏の国へ行ける)のに、
何故、葬儀の時、僧侶が必要なんですか?
矛盾してませんか?
653 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/14 00:50:03
けちゃっぷは葬式に招かれても断るんだろ
654 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/14 08:56:31
>>653 そ、戒名無料、葬儀無用らしいね。
要するに宗教的活動では1円もゼニを取らない、それが信条。
655 :
けちゃっぷ:05/01/14 12:17:05
布施はサービスの対価じゃありません。本来は、布施をいただく僧侶側は、いただく時に表情一つかえてはダメらしい。だから、布施の高い低いで一喜一憂したり、サービス(?)に差をつけてはいけない。
>>655 おまえは布施を突っ返しておけばいい。公僕なのだから。
657 :
けちゃっぷ:05/01/14 12:35:07
昔は、寺は地域住民相互扶助の役割があったんじゃないでしょうか。普段檀家は布施や年貢を納めるが、逆に生活に困ってる人を寺が助たり、災害時に宿を貸したり。
658 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/14 12:37:25
>>657 そう思うなら自分の寺でやれっての。
何なのこの人は。
659 :
けちゃっぷ:05/01/14 12:47:42
>656 僕は寺からお金もらってないです。寺がいただいた布施は、寺の経費にしか使ってません。生活費は兼業でまかなってます。
660 :
けちゃっぷ:05/01/14 12:53:34
お坊さんに渡したお布施は、お坊さん個人にあげたんじゃなく、お寺(法人)への寄付だと思います。お坊さん個人の収入と混同されがちですが。お坊さんが寺からお金をもらったら、所得税がかかります。
661 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/14 12:54:51
662 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/14 14:04:39
けちゃっぷをいじめるな。
663 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/14 14:36:56
664 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/14 14:59:27
けちゃっぷここらへんで区切りをつけて阿弥陀さんの前で勤行に入り。
書き込みよりも自分を見つめ直すほうが先決や。
頭を冷やし冷静になり。
665 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/14 15:03:41
これでけちゃっぷが毎朝勤行しないで出勤してたら、わしは怒るよ。
666 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/14 15:13:42
667 :
けちゃっぷ:05/01/14 18:54:54
>>664 お気遣いありがとうございます。僕は冷静なつもりです。書き込みは、クイズを考える時のような感覚でやってます。厳しいツッコミが来たら「おっ、今度はそう来たか」って感じですね。
668 :
けちゃっぷ:05/01/14 18:59:56
申し訳ない。仕事前は念仏だけです。
あと、生活の中で、自転車乗りながら車運転しながら歩きながら、念仏してます。阿弥陀様は念仏者の前に常にお越しになっています。場所を問いませんよ。
けちゃぷ様、仕事中もお念仏して下さい。
670 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/14 20:44:12
仕事中はあかんで、政教分離や。
私の生まれ育った地区には寺は有りません。
檀家制度も有りません、葬式は長老が取り仕切ります。
戒名?も長老が付けます。
そう言う地区が点在していますが、地区外の人からは偏見の目で見られて居たような気がしますが・・・
南無阿弥陀仏と書かれた掛け軸が有り、朝夕参っていた事を思い出します。
あれは・・・いったい何だったんだと思う今日この頃???
okite
ou...
673 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/14 22:55:30
674 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 03:01:41
>>668 へぇー、それ本気で言ってるんなら、凄いカルト宗教ですね。
675 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 03:26:26
カルトとは臆面もなくこういうことを言える人間を作る組織を言う。
創価学会は2ちゃんねらとまさに対極の存在である。
一人の人をどこまでも尊重し、不幸な人を励まし続ける創価学会員。
人の不幸をニタニタ笑って喜んでいる2ちゃんねら。
今の日本人は、みんな本音では他人の不幸を喜んでいる。
そして正義のために闘う立派な人を嘲笑して尊敬すらできない。
これでは世界から尊敬されるはずがない。
日本人は道徳的に世界の笑いものである。
お宮参りは神社。結婚式はキリスト教。葬式は坊主を呼ぶ。
クリスマスでは馬鹿騒ぎ。行く年来る年は京都の寺院で除夜の鐘。
元旦は神社で、どいつもこいつも長蛇の列を作って阿呆みたいに賽銭を投げる。
こんな節操のなさは、日本人の精神がいかに腐っているかを物語っている。
しっかりした宗教観が確立されない限り、日本人の精神はさらに堕落していくだろう。
日本人が世界から尊敬されるには、もはや学会勢力の拡大しかありえない。
真の仏法を一人ずつ根気強く日本人に理解させるしかない。
我々はそのために生涯戦い抜く。師匠、池田先生とともに。
676 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 03:28:54
>>675は、池田先生に対して師匠などと言った。
オマエは間違いなく会員ではない。間違いない。
677 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 03:31:36
678 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 08:44:55
>>668 朝のお勤めもやらんのに僧侶を名乗ってんじゃねえよ。
679 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 09:26:05
朝のお勤め
30分のジョギング又はウォーキング、軽い体操などで身体のストレッチング。
30分の座禅、ヨガなどで精神のストレッチング。
坊さんには身体の、一般人には精神のストレッチングが欠けている。
イスラムの礼拝は、身体と精神のストレッチングを取り入れた
すばらしい礼拝です。イスラムの礼拝を経験し、健康な身体と
社会を築き上げよう!
680 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 10:50:11
681 :
けちゃっぷ:05/01/15 12:12:44
>674 仏壇の前で念仏しないと救われないのであれば、仏壇が買えない人や入院中でお寺に行けない人が救われないことになります。いつどこで誰が称えても、念仏の尊さは等しいのです。
682 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 12:15:22
>>681 少なくともおまえにはその環境があるんだろ?
だったら毎朝勤行くらいやってから出勤しろ。
他人様のことより自分自身を語れよ、卑怯者が。
683 :
けちゃっぷ:05/01/15 12:57:15
朝じゃないとダメですか?夜帰宅後で許してもらえないでしょうか?
684 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 13:04:27
>>
イスラム教に対抗するには、最低3回は必要かと。
685 :
674:05/01/15 13:06:35
>>681 話が噛み合ってないぞ。
何処ででも念仏すりゃイイじゃない。
別に否定してねーぞオレは。
あんたの考えが極端に偏ってるから、カルトって言ってんだよ!
念仏すれば阿弥陀仏が来て下さるなんて、土俗信仰(迷信)だよ。
法然さんの血の滲むような御生涯を、よく考えろ!
それてな、浄土門は「救い(利他)」で、聖道門は「修行(自利)」と、もしかして思ってない?
なんか、そう感じたから…
まさか、そんな簡単で軽率な考えでは無いでしょうね?
686 :
けちゃっぷ:05/01/15 14:00:05
>685 阿弥陀様を常にすぐそばに感じることで、「安らぎ」を常にすぐそばに感じることができます。阿弥陀仏は「理」の存在です。キリスト教みたいに実在を論じても意味がない。
687 :
けちゃっぷ:05/01/15 14:03:58
聖道門にも浄土門にも、自利・利他があります。聖道門は自力難行、浄土門は他力易行です(日蓮は自力易行かな)。いつでもどこでも誰でも実践しやすい念仏を往生の業に選択した、阿弥陀仏の慈悲を感じます。
>>685 詰まるところまで詰めて行かないと、大慈悲心の有り難さは分からない、ということでは?
やはり自力に敗れ去らないと他力には通じていかない。
他力を受け入れる土壌っていうものは、頭から妄信的に信じようとして信じられるものでは
ない。それを自力と言う。
「これでもか!」というくらい自力にもがいて、自力を突き詰めようとして、そこに敗れ去って
初めて染みて来るものが他力ではないかと。
人間なんてどこまでも自力。生きることは全て自力。だから常に自分という自力の壁にぶち
当たる。ぶち当たらなかったら、全ての自力を包括する他力には辿り着かない。
689 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 14:09:49
690 :
けちゃっぷ:05/01/15 14:10:44
法然さんは、「念仏できるように人生を過ごしなさい」と言われました。念仏さえできてれば、あなたの人生は合格だよ。自分の人生に不安を感じたら、念仏してみなさい。念仏できたら、あなたは合格だよ。
691 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 14:12:39
>>690 人間の側で勝手に合格判定してんじゃねえよ。
692 :
けちゃっぷ:05/01/15 14:20:44
安心しなさい。そこに阿弥陀様がいらっしゃるから。もう独りではないよ。ここに僕がいるから。念仏しなさい。もうあなたは独りではないよ。全国の念仏者が、あなたを誉め讃えるから。もう大丈夫だよ。
もう和歌山のカルト似非坊主は放っておきましょう。
694 :
けちゃっぷ:05/01/15 14:26:04
「さみしいのかい? 大丈夫 僕もさみしいから 悲しいのかい? 大丈夫 僕も悲しいから やりきれないかい? 大丈夫 それオレも得意」(大槻ケンヂ)口から出る念仏は、あなたを許す阿弥陀様の声。
695 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 15:19:46
>>688 自力を包括するものが他力なのだけど、ひとつひとつは自力ということ?
696 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 15:23:08
創価の組織票であることは疑いの余地がありませんね(w
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050115-00000048-kyodo-ent 「意味薄まる」と打ち切り NHK好きなタレント調査
NHKが1975年度から毎年実施していた「好きなタレント調査」を、昨年1月発表の
2003年度分を最後に打ち切っていたことが15日、分かった。
NHK経営広報部は「当初は先駆的な調査だったが、今では類似の調査を民間企業
などが行っており、NHKがあえて調査する意味合いが薄まった」と説明している。
昨年3月に事業計画を定めた段階で、打ち切りが決まっていたという。
調査はNHK放送文化研究所が毎年1回実施。全国の7歳以上の男女3600人を対
象に、好きなタレントを男女3人ずつ挙げてもらい、上位者を1月中旬に発表していた。
最後となった昨年の発表では、男性が明石家さんまさんが6年連続のトップ、女性は
久本雅美さんが3年連続で1位となっていた。
697 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 16:07:25
698 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 17:57:43
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ | あまりの馬鹿さ加減に
⊂(・∀・ )つ-、 < さすがの坊さんも引いちゃったみたいね。
/// /_/:::::/ | さて、晩ごはんの準備でもするか。
|:::|/⊂ヽノ|:::| /」 |_______
/ ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
/______/ | |
| |-----------| |
699 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/15 18:37:14
カルト念仏坊主に喝だぁぁぁぁぁぁ!!!!!!
700
けちゃぷ様有り難う!
21世紀まで生きながらえました。
お陰で、バイアグラにも出会い50過ぎても青春です。
日本に居ながら、ハーレム状態・・・有り難い事です。
人からは、人非人と言われる金貸しですが・・・爺・婆が震える姿を見ると、興奮します。
この上極楽に生まれるとは・・・ナム・ナム・南無阿弥陀仏\(^O^)/
人生最高や!
lヽ ノ l l l l ヽ ヽ
)'ーーノ( | | | 、 / l| l ハヽ |ー‐''"l
/ ナ | | |/| ハ / / ,/ /|ノ /l / l l l| l ナ ヽ
l ム i´ | ヽ、| |r|| | //--‐'" `'メ、_lノ| / ム /
| ・ l トー-トヽ| |ノ ''"´` rー-/// | ・ |
| ア |/ | l ||、 ''""" j ""''/ | |ヽl ア |
| ミ | | l | ヽ, ― / | | l ミ |
| ・ | / | | | ` ー-‐ ' ´|| ,ノ| | | ・ |
| ダ | / │l、l |レ' ,ノノ | ダ |
| ブ | / ノ⌒ヾ、 ヽ ノハ, | ブ |
| !! |,イーf'´ /´ \ | ,/´ |ヽl | !! |
,/ー‐---、,|-ト、| ┼―- 、_ヽメr' , -=l''"ハ ハ、_ノヽ
,/ | ヽ \ _,ノーf' ´ ノノ ヽ | |、
_ _ ‐''l `ー‐―''" ⌒'ー--‐'´`ヽ、_ _,ノ ノ
戒名は決して記号などではありません。戒名の違いは実際に死後の待遇の違いになります。
たとえば短い戒名だと故人が極楽に往生したとき共同部屋に入ることになります。
(ちなみに生前お坊さんや仏教を馬鹿にしたり悪口を言ったことがある人の場合、しばらく牢屋で反省させられるようです)
遺族が年忌法要などお寺にしっかり頼んでしてもらえば、だんだんと部屋のランクも上がってゆきます。
院号がついた立派な戒名であれば、往生したとき初めから個室が与えられ待遇もいいそうです。
遺族が後から院号などを贈って戒名を長く付け直すのもいいと思います。
704 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/16 02:16:12
じゃあ、どんなに悪人でも戒名さえあれば死後は安泰だな
705 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/16 02:21:36
釣
706 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/16 02:25:15
釣
707 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/16 09:19:52
そこで、キリスト教ですよ。
708 :
けちゃっぷ:05/01/16 09:56:43
>701 よかったですね。これからは、仏教徒の一人として念仏を支えに、目耳鼻舌身意から入力される刺激に注意して、怒り・貪りに惑わされないよう努力なさいませ。
>>708 カルト仏教徒がお目覚めのようですwww
710 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/16 12:10:55
>>709 どこが「カルト仏教徒」なのか説明してもらおうか
>>710 >>668を読めばこいつの正体が分かるというものです。
言ってることの本質は創価と変わりません。
712 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/16 12:17:25
それほどおかしなことは言ってないと思うが???
>>711 十分変だよね。もはや神秘主義の領域に入ってるし。
714 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/16 12:34:06
>>711 彼のいっていることの本質は、層化などとは
逆に違うのではないかと感じますよ。
>>713 変なのはしょうがないでしょ(笑)。だけど
どの部分が「神秘主義」なの?
>>714 ダメだよ、阿弥陀さんを擬人化しちゃ。それ神秘主義の第一歩だよ。
716 :
けちゃっぷ:05/01/16 15:52:54
>715 擬人化しなくても、法との合一や主客一体、密教の即身成仏、観察対象と一体化する三昧を説くのは、神秘主義ではないでしょうか?僕も神秘主義の定義には詳しくないですが。
717 :
けちゃっぷ:05/01/16 15:59:57
浄土宗は三昧にこだわらないわけで、むしろ神秘主義にもこだわってない気がします。宇宙との合一だとか相対のない不二だとか、そんなの悟っても悟れなくても、「念仏できるからOK」の一言で斬り捨てられる。
718 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/16 16:13:12
719 :
けちゃっぷ:05/01/16 16:21:07
>>718 >688 は僕じゃありませんが。誤爆でしょうか。
720 :
けちゃっぷ:05/01/16 16:28:20
>718 >668のことかな?神秘主義と迷信は違う概念だと思います。んで、「阿弥陀様が来てるなんて迷信だろ」っていうご批判ですね。念仏者は、いつも阿弥陀様がいらっしゃると「みなして」います。
721 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/16 16:28:25
722 :
けちゃっぷ:05/01/16 16:32:05
「想像してごらん。もしも阿弥陀様と極楽が在るとしたら、どんな気持ちになりますか?そう、平安な気持ちになりますね。その気持ちを忘れずに生きましょう。阿弥陀様がいてもいなくてもね。」って感じです。
723 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/16 16:32:10
>>720 その擬人化が突き詰めていけばただの偶像崇拝であり、神秘主義になっていく可能性
を持っているということ。
>>723 偶像崇拝じゃ人は救われませんね。
救われた気になることは誰にでも、いくらでもできますけど。
725 :
けちゃっぷ:05/01/16 16:36:31
親鸞さんが「たとえ法然上人にだまされていたとしても後悔はない」と言ってます。一度南無阿弥陀仏で腹をくくっちゃうと、もはや阿弥陀仏が実在しようとしまいと“念仏できれば人生OK”の心境になります。
726 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/16 16:39:31
>>725 いてもいなくても一緒ならやめちまえや、んなモン。
727 :
けちゃっぷ:05/01/16 16:40:48
どうせ凡夫がウダウダ考えることはろくなことじゃない。すべての業は、念仏と念仏以外に分けることができる。必要に応じて意識を念仏以外のことに使っても、用が済んだら念仏に帰すことができればいい。
728 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/16 16:42:53
>>727 >どうせ凡夫がウダウダ考えることはろくなことじゃない。
じゃあ、ウダウダ言ってねえで寺で念仏でもしてろや。バカバカしい。
729 :
けちゃっぷ:05/01/16 16:44:59
眠くなっても目覚めてまた念仏できればOK。悲しくても泣き止んでまた念仏すればいい。怒りも冷めたらまた念仏すればいい。念仏に意識が帰る瞬間には「しまった」と懺悔が伴います。そうやって生きればいい。
730 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/16 16:47:22
>>726 確かにそれは無茶苦茶な論法ですね。
法と法のはたらきということを無視して、いきなり梯子を外して「念仏できればOK」
というならば、もはや他力もへったくれもないことになりますね。
はたらきそのものの具現化(方便法身)が何故そこに必要であったのかということ
を全く無視しています。
>>725さん、少しはそういうことを調べられた方がいいと思いますよ。
731 :
714:05/01/16 22:06:25
>>715 弥陀は浄土経典の成立時から擬人化されていたとじぶんは見ていますよ。
それゆえ、民衆の受容があったのではないかと。
732 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/17 10:18:52
心模様がどのように変化しようとも常に心中には念仏。
念仏が心内にあれば心が地獄に堕ちようとすれば防げる。
弥陀を信じるからこそなせる業です。
その都度の反駁では方向性がころころ変わる。
板では一本筋を通さないと言葉のように消えないので矛盾した言動になる。
けちゃっぷ氏もそのへんをわきまえて書き込みされることを望みます。
733 :
けちゃっぷ:05/01/17 12:23:11
>730 他力は不可思議です。不可思議とは、考えることができない。考えても仕方ないのです。「念仏できれば人生OK」という結論だけで充分。「疑いながらも念仏すれば往生できる」ので、考えてもOKですが。
734 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/17 12:29:12
>>732 どうやら何も届いていないようです。放置しましょう。
735 :
けちゃっぷ:05/01/17 12:38:54
>726 念仏だけで人生OKという結論を失うと、救いがなくなります。諸仏の中で阿弥陀仏に帰するのも、その結論を与えてくださるからです。まず結論に飛び付くこと。理屈は理解できる人だけ理解すればいい。
736 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/17 12:44:22
>>735 >念仏だけで人生OKという結論を失うと、救いがなくなります。
救いを信じたいだけでしょ、それ。
737 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/17 12:45:35
738 :
けちゃっぷ:05/01/17 12:52:31
>736 そうです。信じたいから信じるのです。で、そんな生き方でいいのかという疑問に対して、法然・親鸞の弟子達は「大丈夫、それでOKだよ。安心していいよ。」という価値観を提示しつづけてるのです。
739 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/17 13:17:10
734さんに同意します。
放置宣言!弥陀には救われるが板の住人には見放されると思う。
740 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/17 14:21:42
教判スレかと思って見てみたが…
さすが2chですね
741 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/17 14:54:02
>>738 価値観の提示?信じたいから信じる?
アホなこと言うなよ。
他力回向ってのは本来、信じようが信じまいが、というところの話。
人間の「信じる」だの「価値観」だのなんて脆弱なものを如来は信用していない。
人間が考えようが信じようが、それは所詮、迷いの中にあることだから、一切を捨てて称名念仏の
一行で良い、ということが成り立つ。
布教もいいけど、もう少し自分の足元を見直したらどうかな?
弥陀も価値観のひとつなら、その価値観は俺には合わないからいいや、って
ことになりますわな。
価値観なんてつまらん人間の囚われを超えていけや、という世界でしょう。
743 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/17 15:09:34
>>737 彼は都合の悪いことにはレスしませんので・・・あしからず。
744 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/17 15:19:21
>>742 価値観の及ばない(=価値観に囚われない)働きだから不可思議?
そういうものかねえ?
>>741 >信じたいから信じる
結局のところ「ボクひとりの浄土」のようです。放置しましょう。
746 :
けちゃっぷ:05/01/17 17:38:24
>741 ですから「疑いながらも念仏すれば往生する」と言うのです。〈口で南無阿弥陀仏・心で往生するぞ〉をやればいいのです。念仏が人生の目的だという生き方は、やはり価値観でしょう。
747 :
けちゃっぷ:05/01/17 17:46:59
>742 「価値観なんてつまらん人間の囚われ」だという「つまらん」も、価値観ではないでしょうか?
念仏往生を選択するのも価値観です。自力で悟れないなら往生したくないという価値観もあるでしょう。
748 :
けちゃっぷ:05/01/17 18:10:24
>724 口で「南無阿弥陀仏」と1回称えながら同時に心で「往生するぞ」と1回念じてみましょう。その瞬間は偶像崇拝のことも救いのことも一時停止してしまいます。
749 :
にほんずん:05/01/17 22:37:32
ケチャップにこんにちの妙好人をみる。
信心があることは恩寵です。
私の信心が揺らぐ事が無い様に祈りたい。
勇気ずけられました。
くさらず頑張って下さい。
750 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/17 23:31:58
もう全然、宗派どうしの対論がされてませんね。
見ていておもしろくない。
751 :
けちゃっぷ:05/01/18 00:16:06
>749 おそれいります。
752 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/18 00:19:48
けちゃっぷさん
もっと他宗を煽ってください。
753 :
けちゃっぷ:05/01/18 00:20:58
日蓮さんは、自称上行菩薩だったそうですが、それはどういう意味?仏・菩薩の化身として他人から讃えられた高僧は数々いますが、自分で名乗ったのは日蓮さんだけでは?自分大好き他宗は邪教扱い?
754 :
けちゃっぷ:05/01/18 00:24:15
>752 とりあえずこれ>753で。
755 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/18 00:48:24
浄土宗以外の人
もっとけちゃっぷさんを煽ってください。
756 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/18 02:17:22
けちゃっぷさん
もっと私のアナルを犯してください。
757 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/18 02:27:31
ノンケ以外の人
もっとけちゃっぷさんのアナルを犯してください。
759 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/18 12:33:07
>>748 一時停止したとこでまた再生すんだろがヴォケ!
あんた話逸らしすぎ
>759 怒りも悲しみも、スクリーンの上を過ぎ去る映像にすぎない。どうせ過ぎ去る怒りなのに焦って「ヴォケ」などと人を罵っては、悪業でスクリーン自体に染みをつけてしまいますよ。念仏でコマ送りに。
>>760 そうやって話を逸らしていくわけですね、勉強になります。
762 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/18 13:50:02
もまいらしょーもない揚げ足取りのツッコミばっかやってないで
けちゃ氏にまっこーから教相でツッコメや!
けちゃ氏に対抗できる坊主はおらんのかい!
763 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/18 13:57:00
>>762 けちゃっぷごときには俺等で充分。
まともな坊主とけちゃっぷを同じ土俵に上げるなんて
まともな坊主に失礼だ。
764 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/18 17:56:44
ほんまもんの僧侶がここで法の論戦をせんやろ。
相手がけちゃっぷ氏では不毛、まともなことを言わないから。
彼は元オウムの上祐みたいな感じや。
765 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/18 18:12:26
>>764 妙好人気取りで「念仏すれば往生します」でしょ?
突っ込みどころ満載ではあるんだけど、彼の方がそれを逸らしているという状態だからね。
766 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/18 18:17:53
いや、逸らしてるんじゃなくって
相手にならんから返さないだけだろ。
前はかなり難しいことにも答えていたような気がするけど。
>>766 語句だけね。結局、落とし込み方は今と一緒だったよ。
>761 逸らしてるつもりなかったんですが。また再生するじゃないかという問いに、再生と一時停止のくりかえしでコマ送りにするんだと答えたつもりだったのですが。
常に念仏する者は常に懺悔する人である。怒(惑)→悪口(業)、の流転輪廻が速すぎると付け入るスキがないけど、間に念仏を挿んでコマ送りにすれば、怒→悪口のバトンタッチを断てるチャンスが増えます。
770 :
マカラギャ:05/01/18 19:20:16
だから論点が違うよ、「それなら念仏じゃなくてもいいじゃん」の一言で終わってしまうよ。
そして「念仏以外を信じる人はどうぞ。」と返す事が多いが、これでは教判にはなりません。
ここのスレでは、是非各宗派の教義を語って貰いたい。
各宗派が重要視する経典に何が説かれているのか、そしてそれをどのように捉えているのか、と言う点を論議して欲しい!
「念仏すればOK!」や「念仏すれば往生出来ます」は
教義とは言えませんね。
私も、けちゃっぷ氏の揺るぎ無い信心には興味あります。
是非浄土宗の真の教義を知りたいです。
>770 そうは言われましても、「念仏すれば往生できます」が浄土宗のすべてですよ。口先で南無阿弥陀仏と言えばよい、心なくして申せるものか。念仏が出てれば、その人の思想は完成してます。
772 :
マカラギャ:05/01/18 20:56:37
そうですか(汗
では質問形式にしましょうか。
浄土宗では、どのような経典、論書等を重視しますか?
>772 浄土三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)と、天親(世親)菩薩が三部経を釈した『往生論(浄土論)』を合わせて、「三経一論」と呼び、教えの拠り所としています。
天親菩薩は、唯識思想を大成したことでも有名な方です。三経一論の理解の仕方はというと、これは中国の善導大師の解釈に依っています。
775 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/18 22:38:22
往生論に興味あり。
良い解説本とかあるのかな?
今の作者の思想とかが入ってない純粋な解説本が読んでみたいな。
それと天親と善導では、大分とらえかた違うのかな?
>775 北魏の曇鸞大師の『往生論註』という注釈書があります。ネットでも現代語訳が見られると思います。でも、予備知識がないと仏教用語がわからないかも。天親の親と曇鸞の鸞で、親鸞。
777 :
にほんずん:05/01/19 01:02:55
ケチャップさんはなんで阿弥陀を信じてるの?
先日読んでいた本に、ロシヤ正教の一派に「神よ我を救いたまえ」と言うのを仕事中や私生活でもひたすら唱える宗派があるらしい(口に出さなくてもいい)、その内に我が無くなり、真の救済と心の安定がえられるそうだ。
>777 法然上人の視点に共感したからでしょうか。普通は、高度で奥深い教えの方が優れてると考えますよね。法然上人は逆だった。誰にでもわかり誰にでも実践できる教えの方が優れてると考えた。
778 キリスト教なのに、行の実践があるんですね。聖書にその根拠があるのでしょうか?ないなら、なぜそのような行に至ったのでしょうね。
782 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 22:09:08
おまかせ
カコのキョウシンシャミてどんな人オスエテ!
これ >753 についてご意見あります?
785 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 14:20:36
>>784 教相の議論ができる人はここにはいないみたいです。
787 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 20:00:10
>>786 それはここの次スレじゃないだろ。
あっちはコテハン叩きの集会所と化してるからな。内容のレベルも低すぎだよ。
バトルスレとは袂を分かつべきだね。
こっちはじっくり教相について語るといこうぜ。
789 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 22:14:08
教相を語ってりゃ重複じゃないだろ。
語れる人がいればの話だが。
790 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 22:25:41
>>786でやりゃあいいでしょうが。
どの道、コテ叩きやってる香具師などスルーしておけば良いのだから。
791 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/21 10:59:43
>>789 教相をかたっていない事に気付きなさい。
792 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 15:17:20
>>1 は 責 任 も っ て ス レ 使 い 切 れ よ
793 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 15:22:55
794 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/24 16:13:27
教相判釈板も最初は存続が危ぶまれたが、
>>1の志あって、なかなか良スレになったと思う。
あらし君はどのスレにも生息してるしね。
「バトルロワイアル」の方は文字通り、バトル志向の
方が多く集われているようでもあり、それはそれ。
教相判釈板は初志「日本仏教各宗各派の相互理解」を
貫くべし。
袂を分かつ、というより本来別物と考えるべし。
795 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/24 16:54:16
797 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/25 11:58:55
じゃ、次は第二章ってことか。
それとも新生第一章か。
>>797 日本仏教 教相判釈 第三章の弐
でいいんじゃないの?
799 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/25 12:35:42
賛成
801 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/25 13:12:39
向こうはコテハンスレ(ルール有)で、
こっちは名無しスレ(各自の勝手)でいいんじゃないか?
そもそも自分勝手ちゃんが立てたスレだろ?ここ
>>801 これ以上の「自分勝手ちゃん」は許しません。
803 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/03/15 20:00:10
わがままだえけ
804 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
糞顕正会