1 :
名無しかましてよかですか? :
2008/09/16(火) 21:59:32 ID:W6pg5I7u
たてたんだ… 話題がなきゃ自然淘汰されるだらうが…
4 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/17(水) 00:04:15 ID:XJRkRM36
西部さんは、 1.深層においては大東亜戦争を肯定している。 2.日本の侵略性については対華21ヶ条要求のころより前と後を区別して評価している。 このぐらいのことは押さえないとね、よしりん。 「国読力」があるんだったら。
5 :
大悟と大輔の呉越同舟 :2008/09/17(水) 00:24:26 ID:/JbMTboX
4> 「国読力」って何だよ、 正しくは、「国、どく、力」じゃなくて 「国、ご 、力」だろう「国語力」 「国読力」× 「国語力」◎
6 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/17(水) 04:51:46 ID:GRtFNaxh
,
7 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/17(水) 05:09:08 ID:uT4QHtIM
アメリカの戦闘機から撮ったフィルムで民間人を機銃掃射してるのがあるが、あれは明確な戦争犯罪じゃないのか? 米軍は詳細な記録を残してるから人物を特定できるはず 戦犯として訴追しよう!
8 :
前スレ482 :2008/09/17(水) 06:15:45 ID:SClUC3oL
9 :
前スレ482 :2008/09/17(水) 06:17:02 ID:SClUC3oL
>>2 買いました♪
まだ、拾い読みしかしてないですけど、
パール判決の解説+日頃の持論・体験談
って感じの内容のようです。
松下政経塾出身者を集めて行った読書会が元ネタだそうで。
松下政経塾出身者って、誰だろ〜?気になる(^^)
>>7 そんなのざらにあったことだからなあ。
俺の知り合いにも狙われた人がいる。
こういうのは取り上げられないみたいだね。
11 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/17(水) 16:15:21 ID:uT4QHtIM
日本人の元戦犯容疑者は入国させないとかアメリカは言ってるし、フィリピンや中国で戦闘中民間人を銃撃したとかで、BC級戦犯として裁かれた人もいる 海戦で船から投げ出された兵士を機銃掃射した日本兵は戦犯として裁かれてる これらの例より、確かな証拠も残ってる米兵のが完全に戦犯! よくあった事と日本人が諦めてるからアメリカや中国に舐められるんだと思う
12 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/17(水) 20:06:35 ID:i9T7HLX4
中島って自称保守を名乗ってたのか。 やっと『パール真論』を読んだんだが、初めて知った。 あまりにも主張と隔たりがありすぎてワロタ。
13 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/17(水) 20:13:37 ID:XJRkRM36
中島は自分が保守だとは言ってないはず。
いや名乗りまくってるだろw
保守とは〜 保守とは〜 こ〜うなんだ〜
中島が保守でなければ、最初右翼呼ばわりしてた小林が、 保守でありたいっぽいんで、 僕のがほしゅ知ってるるもん! ほしゅとはこうだもんね〜 と月刊現代2月号でいきまいてたら、 実は、正論2月号で、金輪際、保守とは呼ばれたくない! と拒否される〜 (o≧∇≦)o
17 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/17(水) 21:10:19 ID:9pIBGhRM
まあ、知識自慢したかっただけの話だろう。
>>13 それはそうだね。保守とはこういうものだ、という「見解」では西部と一致しているが、
中島自身は自分が保守だとは言ってないはず。パールについても「見解」では西部と
一致しているが、その評価のし方は真逆のはず。
20 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/17(水) 21:52:48 ID:XJRkRM36
そうそう。 中島が言ってるのは、お前ら保守なんだったら、ああすべきこうすべきってこと。 自分が保守だとは言ってない。
21 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/17(水) 22:39:20 ID:wZGhtKJg
中島を重宝していた論座と月刊現代が相次いで休刊。 中島はもう終わりでしょ。 まあここ数年、いい小遣い稼ぎができたんじゃないか?
22 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/17(水) 23:55:23 ID:wVeRXhrD
23 :
大悟と大輔の呉越同舟 :2008/09/18(木) 00:56:39 ID:Rm73LgFC
16> 可愛い絵文字の裏に、毒?もってるね^^
小林って西部のことを真正保守の論客とかいってたよねww
25 :
前スレ482 :2008/09/18(木) 05:29:14 ID:d/f8zRfc
>>17 一応、マッカーサーも有罪になってるようですが・・・。
副題が「決断しないリーダー、暴走する組織」となっているところからして、
大戦版JAPAiN
って、感じですね。
せめて、ルーズベルトとトルーマンも裁いて欲しかった。
26 :
前スレ482 :2008/09/18(木) 06:20:32 ID:d/f8zRfc
>>25 あー、いや、たこつぼ史観から足1本、外に出した程度か。
文藝春秋、ダメダメだな(笑)。
もっと、タイトルを工夫しないと。
「大戦版JAPAiN」とか。
27 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/18(木) 10:35:59 ID:14hGaj1y
>>13 あ、そうか。中道だって書いてたっけ。
自称中道?公明党路線?w
28 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/18(木) 10:39:28 ID:14hGaj1y
以前、西部が保守の正統性を主張するために、 チェスタトンの『正統性とは何か』を引用してたんだが、 ここでいう正統性ってキリスト教のことみたいだな。 日本には当てはまらないなと感じたんだが、 西部って文献をつまみ食いして引用するのが常なのか?
>>28 >ここでいう正統性ってキリスト教のことみたいだな。
今さら何を仰いますかw
西部じゃなくて、元祖真正保守思想家の福田恆存氏からも連綿と続く常識ですよ。
なにしろ訳までしてますから。
それに西部や西尾に敵対的な松原だってチェスタトンを保守の輝かしい星のひとつに数えていますよ。
いわゆる『絶対的なもの』みたいな価値じゃないの? 日本はそれに類するものとして、天皇を現人神として持ち上げたと。 三島が天皇の人間宣言に批判的だったのって、そういうことを鑑みてでしょ?
31 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/18(木) 13:30:16 ID:14hGaj1y
>>29 そうなんですね。門外漢なので知らなかったです。
私がチェスタトンを読んだ感想は当たってたんですね。
で、そのチェスタトンの正統性って日本において妥当ですか?
あなたはどう思います?
>>30 やっぱりそうですよね。
日本においては天皇を持ち出さないと保守の正統性は語れないですよね。
32 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/18(木) 21:29:12 ID:FotwN9xf
>>30 西部によると天皇は現人神じゃなくて半神半人なんだそうだよ。
聖と俗の境界線上におわしますって言ってたかな。
>>32 それなら別にどっちも変わんないんじゃない?
人間を超越した化け物って点でさw
34 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/18(木) 23:42:01 ID:FotwN9xf
>>33 いや、半分は人間のがわにいるんだってば。
天皇だって、飯も食えばウンコもする。
35 :
前スレ482 :2008/09/19(金) 06:16:11 ID:+cIkARmk
>>34 >>33 を相手にしない方がいいと思う。
ときどき、たちの悪いことを書いていて、
この前の正論でも小林から石呼ばわりされていた人の可能性が高い。
36 :
前スレ482 :2008/09/19(金) 06:41:04 ID:+cIkARmk
>>32 西部的には、現人神=半神半人じゃないんですね。
難しい・・・。
37 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/19(金) 06:41:51 ID:XbYIYx/t
>>34 半分は人間であとの半分は何?
キメラ生物ですか?
38 :
前スレ482 :2008/09/19(金) 07:01:15 ID:+cIkARmk
39 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/19(金) 09:52:46 ID:9NiHDRQL
40 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/19(金) 20:27:30 ID:OycSmyke
41 :
前スレ482 :2008/09/20(土) 05:46:46 ID:sl1kD95F
>>39 なるほど、ゴーマニズムの話は、このあたりから来てたのか・・・。
「今、世界各国はみな親しく交わっているように見えるが、それは全く表面的なことで、 本当のところは弱肉強食であり、大国が小国を侮るというのが実情である。 例えば国際法というものがあっても、それは大国の都合で存在するものであり、 自国の都合のいいときには国際法をふりまわし、 自国に都合が悪くなるときには軍事を用いる。小国は実に哀れである。 国際法の条文を一生懸命に勉強し、他国に害を与えること無く自国の権利を守ろうとしても、 大国というものは国際法を破る時には容赦なく破る。」 ドイツ〔プロイセン〕首相・ビスマルクが大久保利通らに語った言葉。 参考文献・『米欧回覧実記』
>>19 でも保守思想に限らず、日常の生活・仕事で
その思想に従った振る舞いをしてこそ、
思想を理解してると証明されると思うんだけど。
字面を眺めるより、いかに日常で保守として振る舞うか、
それが出来るかどうかだと思うんだが。
中島の場合、保守とは何かとか、他人に「お前は保守と違う」とか
説明する以上、自らが保守として振舞ってなければならない。
「保守オタクの薄らサヨク」って、適当に見えて正しいかもね。
薄らサヨクというか腐れサヨクというか
裏切りサヨクでしょw
今は心強い西部大先生に寄生しておいて、
ほとぼりがさめるのを待ち、
さめたら、
サヨクに合流する、
薄らサヨクの保守オタクですwwwwww
>>43 あなたのおっしゃる通りです。
人のことを右翼呼ばわりしておいて、
都合が悪くなったら、あなたは保守でしょ?w
と、保守の西部作成教科書を朗読する。
実践が伴ってこそ、保守であるのに、
調子乗って偉そうに説教し出す。
何様ですか?w
そりゃ〜、見解に賛成し、人様に偉そうに説くくらいですから、エラク、たいそう、立派に、保守思想を実践出来る程に、真正保守なのでしょうねw
このスレでは、中島は、保守であると宣言していない〜!
と、クズ流のくだらない批判しか行えないw
46 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/21(日) 10:34:43 ID:QhUvbWYL
>>19 それなら、正論に「中島は保守派の友たりえない」という論文も書くべきだな
47 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/21(日) 11:14:14 ID:qrD/X0Kl
>>43 >日常の生活・仕事でその思想に従った振る舞いをしてこそ、思想を理解してると証明される
そうすると、自分が同意する思想しか理解できないことになるな。
もう少し考えてからレスしたらどうだ。
恥ずかしいぞ。
>>46 人間は思想が変化することもあるのだから、存命中の人に「お前は友たりえない」は言いすぎだろ。
>>47 >人間は思想が変化することもあるのだから、
>存命中の人に「お前は友たりえない」は言いすぎだろ。
>>46 の彼は一生、中島、お前は友たりえない、
というレッテルを貼る気で書いているわけではないだろうw
とりあえず現時点を指摘しているに決まっているでしょうw
思想が変化することなんか、皆の前提に入っているよw
変なところで、言いがかりをつけるところが、西部そっくりw
49 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/21(日) 13:18:23 ID:qrD/X0Kl
>>48 >とりあえず現時点を指摘しているに決まっている
そうかあ?
それなら普通、「いまのお前は」って限定をつけるだろ。
なんでも自分につごうよく解釈するところは小林そっくりだな。
>>49 都合良く解釈じゃなくて、流石にあんたの言うような馬鹿みたいなことは、言わんだろう、
と、相手の意図するところを読みとってみただけなんですけどねw
一から十まで、説明しないと理解出来いから、誰もが、前提としているような当たり前のことを、
わざわざ、相手を見下して、相手が理解していない、として、しょうもない揚げ足を取り、論破したふりをする、
のは、まさに、西部ですw
ああ、一応言っておきますが、
>>43 の彼のように、
西部が論文書くべき、とは、思っていませんよ。
>>49 >>とりあえず現時点を指摘しているに決まっている
そんなに文章の正確性をあなたですから、
あなたの、私の文章の引用の仕方が気に入りません。
本来、こう、
>とりあえず現時点を指摘しているに決まっているでしょうw
「だろう」の丁寧後、「でしょう」を使っているのです。
まさか、あなたが言ってるような一生を対象にしたアホなことは言ってるわけないだろう。
という気持ちを込めて言っているわけです。
>>45 結局「自分は保守じゃない」と言ってる人間が、
他人が保守だとか違うとか言ったって、
どこまでも実感なき机上の空論だよね。
>>47 >そうすると、自分が同意する思想しか理解できないことになるな。
実際、そう思うよ。
「文章や論理で」理解したって、実際の生活で
その思想に従った行動を取れなきゃしょうがないじゃん。
字面だけだったら、別に保守も左翼も理解出来るだろう。
バークとマルクスを両方読むぐらい簡単だ。
しかし、自分が現実に行動するにあたって、
リアルタイムに判断するに当たって、両方は選べない。
リスクを伴った時の判断を見てこそ、その人物がどういう人物か分かる。
そういうもんだ。
で、西部・中島が言う所の「(自称)保守主義」という奴は、
「設計主義ではなく、自然的な物を重視する」と言っているから、
尚更に
>>54 のような問題が生じる。
言語化されず、自然的に蓄積された常識感覚を
頼るため、あえて伝統主義を取るのが保守思想なんだから、
尚更、伝統を感覚レベルで理解していないとならない。
従って、字面だけの理解であれは保守だ、あれは保守じゃないと言っている
中島は変だし、保守の人物とは思えん。
本来、小林が保守かどうかなんてのは、
彼の言論活動、それぞれのタイミングでリアルタイムにやってきた事から
判断するべきで、発言がバークに従ってるか
マルクスに従ってるかケルゼンがどうとか、第一義的な問題じゃないと思う。
ま、簡単に言えば。 「何の為に思想をやるのか」という基礎の基礎だね。 その思想を現実の実生活に使う。 文字という媒体を「解凍」してね。 中島の場合、勉強はしてるみたいだが、 自分の実感と付き合せて解凍する作業をしてないみたいね。 だから血に溶け込んでないで、保守思想を教条主義で捉える。 そんなんで「あれは保守だ、保守じゃない」とか言ったって しょうがないし、何より信用出来ないよね。 どんな仕事でも生活でもいいから、思想信条に基づいて行動するという 「言語の外」の世界に生かせなきゃ意味無いよ。 やっぱり中島は「オタク」だと思う。
中島が信用できるかできないかは、史料の引用を見ればわかるだろ。 不誠実で馬鹿。 どうしようもない 誠実で馬鹿だったら愚直に何かをなしとげるかもしれない 不誠実でも賢かったら何かの役にたつかもしれない。 だが不誠実で馬鹿だったらどうしようもない
58 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/21(日) 15:53:34 ID:3KLruBfr
知的に誠実な小林は東京裁判研究会の訳を原文がないから信用しないと言ってたが、 田中の日記に書いてあるパールの言葉の原文は見付けたの? それと、「いわゆるA級戦犯を補強する」で牛村に絡んだ件は謝罪しないの?
>>58 >それと、「いわゆるA級戦犯を補強する」で牛村に絡んだ件は謝罪しないの?
謝罪?
×学会
〇協会
だけの間違いで、
その時の会議が、比較法国際会議であったとしても、
小林が言うよう、「国際法学界」で名声を得ていたことに変わりはありません。
実際、
「国際法協会の会員」であったのですよ。
これだけでも十分に国際法の素養があったという事実がわかります。
その事実を見落としていたのは、牛村氏の方です。
彼は、反論する気はないのでしょう。
で、田中氏はassociationを学会と訳してしまっただけで、それほど、たいしたことではありません。
それに小林は、おそらく、その頃より、
パール判事のことを「専門家」と呼んでいない、と思います。
それと、
牛村氏は、専門家であることなぞ、関係なく、パール判事を評価する論者ですが、
朝日新聞の牛村氏の言葉の載せ方が断片的で、悪かったことが、
小林が牛村氏を批判することになった要因でしょう。
というか『パール真論』にあれだけの賛辞を贈ったんだから気にしてないだろ。
61 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/21(日) 19:48:09 ID:qrD/X0Kl
>>53 >まさか、あなたが言ってるような一生を対象にしたアホなことは言ってるわけないだろう。という気持ちを込めて言っているわけです。
世の中には、びっくりするようなアホがいるもんだよ。
63 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/22(月) 00:15:36 ID:3dsnlmp9
>>59 国際法協会に問い合わせたところ、
37年ハーグで会議はなかったということです
『アジア経済』に『パール判事』の書評出たんだね。
65 :
大悟と大輔の呉越同舟 :2008/09/22(月) 07:04:06 ID:isAvkog+
58> なんで大林わるのりが謝罪する必要があるんだよ、 「パールの件の牛村への評価」と、「いわゆるA級戦犯での牛村への罵倒評価」は、オールマイティじゃねーだろう、
戸谷由麻『東京裁判――第二次大戦後のほうと正義の追求』 みすず書房 2008年8月 読んでないんだけど、この本も中島岳志『パール判事』について書いてあるらしい。 著者は南京事件の大虐殺派の本(『現代歴史学と南京事件』)に論文書いてた人
67 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/22(月) 11:37:55 ID:0TJQ3rNI
で、次の展開としては、中島・西部が小林の正論10月号に対する反論てことだよね。
68 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/22(月) 19:58:59 ID:hEG0vSDU
『アジア経済』 基本的には厳しい書評だった。 改ざんもしくは史料の引用についても少しは触れたほうが良かったと思ったけど
70 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/22(月) 23:19:14 ID:PNcgesOE
なんか左翼思想真っ盛りて感じだな
http://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68310459 @ニュールンベルク裁判との比較(これまでなされていない)、
A東京裁判に関する史実の洗い直し(日本軍による性暴力や対
アジア人戦争犯罪が裁判では軽視された、というのは事実かどうか)
B天皇不起訴論の経緯の分析(マッカーサーによる免責、という通念
は事実か)をおこない、最後に
C 過去60年の裁判研究の大きな流れを振り返り、今後の研究の方向を
探る。
[翻訳に関する緒言]
序章 なぜ今東京裁判か
第一章 ニュルンベルク裁判からの教訓
第二章 裕仁天皇の裁判をするか否か
第三章 東条英機とその他主要戦犯容疑者
第四章 戦争史をどう語るか
第五章 戦争犯罪に対する指導者責任
第六章 南京事件を泰緬「死の」鉄道
第七章 日本軍残虐行為の記録
第八章 初期の裁判研究家たち
第九章 パル判事の反対意見とその波紋
[終章 勝者の裁きを越えて]
71 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/22(月) 23:44:01 ID:k6c/z8+l
72 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/23(火) 00:19:00 ID:Tl65/sxm
沖縄は中国固有の領土あるよ
73 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/23(火) 01:42:20 ID:Is40MhRz
沖縄は韓国の領土ニダ
74 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/23(火) 15:43:45 ID:NwnZkuG/
75 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/23(火) 20:02:01 ID:mPZjX3tU
よしりんはウィキペディア嫌いだろうな。 あそこは2ちゃんとは別の意味で反小林が多いところだからな。 主要なコテハンユーザーの多くは左翼なんだぜ。
77 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/23(火) 23:18:58 ID:mPZjX3tU
>>77 おおー
そんなことがあるとはねえ。
Thanks。
でもこんなこと、小林も知らなかったんじゃない(笑)
中島にかんしてはネット右翼(妥当な結論だと思うけど)が強いかと思うけど。
『ゴー外@』によるとイラク戦争以降、2ちゃんねるの世界では「小林の乱心ぶりが焦点になってきており、 小林離れ」が激しくなってきたという。「洗脳が解除され始めた」「小林批判といえば、一昔前までは左翼の バカ共だけだったが、今では健全な国家主義を持つ人間達が小林を批判している」 という書き込みがあったという。小林氏はこのようなネット言論は「砂粒の個人が、アイデンティティーのよりどころを 保守言論に求めていきなり天下国家を語りだしても、そんなものは保守ではない」と批判している。 いくらインターネットで天下国家を語っても「わしは帝国主義の時代に白人列強の言いなりにならず、自主独立のために 外へ打って出た戦前の日本に愛情を覚える。今の日本はそれほどではない。 だが今でも、日本語と日本の四季が好きだし歌舞伎から日本の文化が好きだ。 日本の美意識を破壊するものとは戦わざるを得ないだろう」という歴史感覚を持ち リスクを背負って発言している小林氏には勝てない。 西部さんも真っ当な歴史感覚を持っているなら小林氏に降伏したほうがいいよ。
>>79 今まで仲間で使えると思っていた奴が、突如裏切り宣言だもん(笑)
そのくせ、8月には、反靖国の集会に参加してるし、信用ならねえ奴、ってのは左右共通。
>日本の美意識を破壊するもの これって2ちゃんのこと?
84 :
前スレ482 :2008/09/24(水) 05:27:24 ID:gfRKcYtb
>>77 リンク先を見てみたら、何気に渡辺昇一が「右翼」にされてますねえ・・・。
>渡部昇一などの「右翼」とされる論者は招かれず、
渡辺昇一の項の方は大丈夫のようでしたが。
>便衣兵(ゲリラ)を不当なものとして、「その場で処刑してもよい」と発言している。
>実際には、相手の立場が正当かどうかにかかわらず、
>ハーグ陸戦条約第23条により、助命しないことや裁判の不受理の宣言を行うことは禁止されている。
第1条を無視して、第23条を持ち出してますね。
これって、何年か前の極東板で結論済みのはずなんですが、反映されてないか(笑)。
以前ちらっと見たことあるけど、南京関係で、いわゆる否定派と言われている人たちの ウィキペディアの項目はかなりひどいよ 渡部昇一氏、板倉由明氏、東中野氏、田中正明氏等。 一方いわゆる肯定派のほうはというと、本多勝一氏、笠原十九司氏等の 問題とされている事柄に関しては言い訳みたいなものが延々書かれていた ようは南京事件調査研究会のシンパ達が書いてるんだろうなと感じたな。
86 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/24(水) 16:36:47 ID:HBa5h7rZ
『1995年 未了の問題圏』(大月書店)刊行記念 〈1995年以後〉をどう捉え/生きるか――政治と文学・貧困と暴力をめぐって―― 中島岳志×杉田俊介 ■2008年10月18日(土)19時より 1995年―― 阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件が 「安全で豊かな社会」の終わりを予感させ、 戦後50年の節目が歴史認識をめぐるさまざまな議論を呼び、 「援助交際」や「完全自殺マニュアル」が若者の心理の 不透明さの象徴として語られた年。 一方で、雇用流動化や規制緩和等の「構造改革」が急速に進行。 「就職氷河期」といわれたなかで社会に出た若者たちは、 いま「ロスト・ジェネレーション」と呼ばれ、 格差社会の突端に位置しています。 日本社会の大きなターニングポイントであった〈1995年〉。 私たちは、今なおその問題圏のなかにあるのではないか。 『中村屋のボース』をはじめとする活発な著作活動と、 左右の枠組みにとらわれない闊達な思想性で 快進撃を続ける中島岳志さん。 『フリーターにとって「自由」とは何か』で鮮烈にデビュー、 昨年には雑誌『フリーターズフリー』を創刊し、若者をめぐる現実に 研ぎ澄まされた言葉で挑み続ける杉田俊介さん。 同じ1975年生まれのお2人に、〈1995年〉の経験、 そしてそこから照射される現在の日本社会の姿を 語っていただきます。
87 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/24(水) 18:33:12 ID:ULKSL9Pw
小林はたしか、西部は美学のある男だって言って持ち上げてたよな。 まず、そのときの自分に人を見る目がなかったことを認めろ。 その次に、現在の自分も間違ってるかもしれないことを自覚しろ。
88 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/24(水) 18:53:52 ID:1M7Qo/+A
いや西部はすごかったんだよ 宮台や宮崎も昔朝生に出てた頃の西部を好意的に取り上げてた 人は変われば変わるもんだよ
宮台は西部を罵倒してたんじゃない? 「それは伝統じゃない!!お前の思い出だ!」 みたいな
小林が西部を評価し、執筆依頼してたのは2,3年前だけどww
そうだっけ? もっと経ってると思うけど わしズムにももうずっと出てないけど
目の玉日記か わりと最近だな 情報thx
94 :
前スレ482 :2008/09/25(木) 06:39:13 ID:L1Tdbr5L
>>85 本多勝一の項目を覗きましたけど、今はだいぶ、様変わりしてるみたいですよ。
本多勝一
http://ja.wikipedia.org/wiki/本多勝一 肯定評価が軽く書かれた後、批判が倍近く書かれてます(笑)。
シンパさんたちは、歯ぎしりしてるでしょうね(爆)。
>肯定的評価
>
>その他
>
>太平洋戦争に関しては、アジアに対しては日本の侵略戦争、
>英米に対しては帝国主義国家間の覇権争いの戦争だったととらえている。
前半は私と正反対で、後半は私と同じですねー。
本多は帝国のことを皮相的にしか捉えてないから、ずれちゃうんでしょうね。
この人の頭の中では、「帝国」と「悪」が直結してる(笑)。
95 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/25(木) 08:15:08 ID:TxohMC63
わしズムでの西部の連載がパタッと止まったときがあったけど、あのときに小林と西部のあいだに何かあったんだろうな。
>>95 小林が漫画を描き始めて「西部さんと付き合ってたらわしが知識人
になってしまう」とか言ってた。その一方、八木と西部の対談で
八木「小林よしのりさんと切れたらしいですね?」
西部「その話はアンタッチャブルだよ(笑)」
とかいうやりとりがあったような・・・。
つるんで仕事をしなくなっただけで特にもめたとは思わなかったけどな 今回の話は私憤じゃなくて公憤だろ SAPIO欄外とかでも礼をつくしながらこれ以上変なこと言わないでって感じだったのに 西部がどんどん暴走して行った
目の玉日記の講演会でのヒトコマが西部ではないかという説 たしかあれは表現者のパーティーだったはず
p64の2、3コマ目か。 何かあったんかな。 知っとる人はおらんのか。
あのタバコを片手で持ってる、
適当に描かれた「主催者」は西部でしょ。
>>63 東京裁判の判事紹介記事で、国際法学会会員として、
ハーグ法学会の委員長を務めたと報道されてたみたいだから、
コレのことだろう。具体的に何だかは知らんがな。
それから牛村圭が言ったのは、東京裁判まで
国際法に関する「論文などの実績が無い」と言うのみで、
能力については「人は歴史を書いてこそ歴史家になるのである」と言うように
別に否定的ではない。
>>97 時間軸忘れたが、西部氏の奥さんの病気で降りたのかな?と
思わなくもなかったけど、だとしたら、今は西部は本を書いて
「問い直す」でも奥さんの病気に言及してるから、
隠しておいた理由が意味不明だしなぁ。
>>100 「主催者」は佐伯啓思氏だよ。西部氏も参加した。
で、両者がわかれたのが「目の玉日記」の言及の前後。これでFA。
>87
それは時間軸を無視した、無謬の評価を要求してるに等しい。
人に生老病死がある以上、時間軸で評価を変えること自体は間違ってない。
「自分の事を、外から眺めている自分を、
さらに外から眺めても、ソレは他者ではない」。
お前が言ってることは、自分だけを現実から離れさせ、
高みに置いているだけだが、それは実体化しないんだから無意味。
>>88 若い西部は非常にシャープだったって言ってたねぇ。
宮台は「西部は、自分が左翼からの転向組だったから
相手(左翼)の弱点が丸分かりだった。
しかし、それは素朴な左翼にしか通用しない芸であり、
現在(宮台と議論した時)では西部の素朴さが哀れを誘う」
みたいに言ってたね。
西部自身、中島との「保守問答」で、相手が左翼だったときは
ある意味簡単だったって言ってたなぁ。
ま、時間が経てば色々変わるものさ。
>>100 その記事は、何新聞?
朝日だったら大笑い。
105 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/25(木) 14:41:14 ID:TxohMC63
小林と西部の関係が切れた原因には、小林の女性に対する接し方が関係ある気がする。 西部には妹が4人もいるから。
106 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/25(木) 14:46:17 ID:65T3tgzg
もともとは批判してたしな
>>104 確か朝日。敢えて言えば、他の判事も専門家っぽい描写だったから
GHQ公式見解の丸写しの可能性も高いが。
>>102 了解dクス。
つか中島って、元々、ゴー宣読者のコヴァ系だったようだが、
「ゴー宣的」が投影される題材で引っ張りこみながら、
「ゴー宣的」を否定する逆照射という戦略で、
変な似顔絵で名前は売れたし、評者の思考能力も停止させられた。
文章力、思想、歴史分析、どれも現状、見るべき才能ないのに
その事が見過ごされてきた。
主観を客観のようにする傾向は、 「パール判事」に限らず、著書全体にある。
今まで問題にされなかった事の方が不思議だ。
むしろ、中島の弱点を突いた、「部外者」小林に対して、
「マトモな学者なら」良くやったと言うべきなんだよ。
そう言えない奴は、結局は中島をプロパガンダに使いたかっただけでしょ。
中島が本当に感謝すべき相手は、小林と牛村だな。
10年後にそれを実感すると思うし、そう思えなければ消えてるだろ。
というわけで、俺の意見としては、 小林も別に無謬からは程遠いが、中島はそれに比べても未完成すぎる。 中島に対して批判すべきを批判せず、 甘やかした学者連中(バカデミズム)が一番悪いと思うな。 ノシ
>>108 未完成という未熟、
というか、
根腐れしてる。
110 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/25(木) 16:02:17 ID:b3eQLUIC
宮崎哲弥が、今日発売の『週間文春』の連載コラムで、 『小林&八木vs中島&西部』のパール論争を論評していた、 中島&西部の共著と、小林の著作を読み比べた結論は、小林側に軍配をあげてた。
中島[曰く](重要)、 「つまり、フラーの言ったことは、法には一定の道徳内容が予め含まれている。ということです。法は『法独自の観点』で道徳規範を内部化しているということですね。 法は、すべての道徳や価値から切り離さなければならないという純粋法学の前提は、かなり崩れているというのが現状です。 さらに、第一章でも論じましたが、ドゥオーキンの議論のように、明確なルールがない場合でも、裁判官は法制度に内在する法原理に従って、一定の判決を下しているという見解も主流になってきます。 そこで言われる法原理とは、長年の間、人々が適正であると見なしてきたものとされるわけで、一定の道徳規範や常識のようなものが、法原理そのものに内在するという考え方は、もはや広く共有されています。 西部「そうか、私もそのフラーの見方に近いのかな。」 『パール判決を問い直す』p171〜172 今月の正論読むと、 爆死です。
>>110 そうだね。
西部、中島のケルゼンの批判が危ういものみたいな。
その上に、仏教徒And京都学派である中島に疑義を呈していたなあ。
西田幾多郎と般若心経を結びつけてる点も気に入らないご様子。
ガンジーの評価についても気に入らないみたい。
中島はどんどんと怪しまれてゆくねえ(笑)
113 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/25(木) 19:22:47 ID:VsJ77Vkw
>>99 目の玉日記、手元にないんだけど、
「主催者」「パーティー」うんぬんって、どういう描写なの?
>>113 自分も手元に無いけど、目の調子が悪いと事前に言ってあったのに、延々と
来場者サイン会をさせられたとか、2次会、3次会でも不愉快な思いをしたとか。
116 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/25(木) 20:03:58 ID:TxohMC63
>>115 触れてない。
というか専門家じゃないし、そこまで余裕ないみたい。
フォロー入れるだけで精一杯だが、今回パール真論と対談本、今月の正論などを読んでみて思ったことが上にも書いた通り、ケルゼンについて。
で、もう一つのが仏教徒の宮崎にとって重要らしい。
いや中島の改ざんがいろいろな意味ですごいのは誰にでもわかることなんだ(『松井岩根日記』の原文を読まないとわからない田中正明と違う。)。 宮哲も間違いなく把握してる。 ま、言ってもしょうがないから別の論点をだしたのだろう。 誰か中島を擁護してくれないかな。 できたらすごい。
119 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/25(木) 23:35:16 ID:4QIELwEu
サピオ アエラ以外の書評が沈黙って。笑った。
120 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/26(金) 21:19:25 ID:FR5QaxYR
東京裁判の見方 牛村圭、日暮吉延 文春新書 10月20日発売、税込価格861円 東京裁判判決から60年。 近年、海外や日本で続々と公開、 発掘された新史料を丹念に読み解きつつ、 長きにわたる論争に終止符を打つ。
それこそ
>>120 でどう取り上げられるかだな
日暮氏の反論も聞きたいし
123 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/27(土) 16:15:26 ID:bbOPjq9w
124 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/27(土) 22:23:44 ID:g7G58bC9
あきらかに小林より中島のほうが冷静だな。 小林はいい歳してみっともない。
わざわざageんなよ
127 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/27(土) 23:32:42 ID:JeLgP2Cg
冷静なふりなら出来るやつは山程
賢いふりもな ここまで簡単に化けの皮はがれるやつも珍しいがw
>>122 > 日暮氏の反論も聞きたいし
コヴァは図々しいな
日暮本読んでりゃ日暮の返答を待つまでもなく小林が印象操作してるのは明白だが
>>122 これって対談形式なのかな。掘り下げが浅くなるから、あまり好きじゃないが…。
どんな議論が展開されるかは興味あるな。
131 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/28(日) 02:49:10 ID:r5xdBmtu
>>129 いきなりコヴァ認定するお前が一番図々しい。
西部・中島対談とは比較にならないだろう。 パールに一切触れなかった触れなかったですごいがw
>>132 >パールに一切触れなかった触れなかったですごいがw
どういうこと?
134 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/28(日) 15:23:15 ID:0o3GDXUh
>>133 牛村・日暮対談が、パールに一切触れなかった「ら」、触れなかったですごい、ということでしょ?
136 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/28(日) 15:37:14 ID:b8VRPEOm
h
137 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/28(日) 15:45:09 ID:b8VRPEOm
西部は、西部グループに、『郵政民営化の時のような造反組』が できたら、西部が嫌っていた「小泉純一郎元首相らや飯島勲ら」のように、 いるかどうかは解らないが、仮定の話として、西部グループに造反組がいたら追い出すだろうか? まあ我々にとっては敵側の分裂は、あっけなく悲しい、 中島岳志か小林よしのりは、保守分裂のための左翼のスパイと思う まあ俺は違う
138 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/28(日) 16:02:01 ID:b8VRPEOm
116> 中島を叱れなかったから、自責の念に駆られてピストル自殺まで考えるようになったのか、 GHQに拘束されそうになった、東条英機かよ、 フセインやピノチェトだって、戦争に負けなかったから自殺はしてない
139 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/28(日) 16:25:29 ID:b8VRPEOm
西部マンセーなのかよ 西部邁はキムジョンイルじゃありません 弱弱しいおじいさんです
なんでコテハンやめたの?
141 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/28(日) 18:01:59 ID:CWnQP8XC
西部が自殺するのはパール問題よりもずっとまえから言ってたことだろ。
西部氏はロマンチストやのう。
143 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/28(日) 21:41:18 ID:syoIIuQw
>ID:b8VRPEOm 相変わらずアンカーが間違ってるな。その知性で 保守がどうこう、スパイがどうこう言えるのが不思議 いい加減忠告を守ったら?
144 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/29(月) 00:39:58 ID:H5HxWUqW
143> アンカーと俺の言い分は関係ないだろ、 人をくさす言い方に品がないなアンタ。
145 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/29(月) 00:47:59 ID:H5HxWUqW
140>前々から、名無しで通してるよ。 141>山羊とかね。
ID:b8VRPEOm= H5HxWUqW= 大悟と大輔の呉越同舟 改行の仕方といい、 アンカーの付け方といい、 よくわからない文章といい
>>147 見たくないならあぼ〜んしる!
専ブラ使ってたらできるだろ。
俺はこれで超快適。
いよいよ牛村圭との論争か…。西部、中島両氏の時とは違って、 実証的な論争を期待できるかな。
新・ゴー宣なんだ(笑)
パール判決は政治文書か 八木の東谷に対する反論もある
153 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/30(火) 00:18:01 ID:gpA48FV+
>>149 『正論』目次の牛村論文には SAPIO「新・ゴー宣」の字句はないよ
確かに
本当の論争だな 中島のはただの虐殺だったw
小林って西部を真正保守の論客とかいってたよなww みんな西部が馬鹿って知ってたのにww
157 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/30(火) 06:02:33 ID:C9zY8BdJ
158 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/30(火) 10:34:48 ID:IV+nx2w4
牛村って人が参戦ですね。 どういう歴史観の持ち主なんですか? 中島と西部の反論が出ないことが痛々しいです。
159 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/30(火) 15:26:05 ID:aT+2eTCM
国際法学者にオファーすればいいのにな。 どっかでやんないかね?
160 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/30(火) 18:39:35 ID:+p9U5vvF
けど西部って話の合いそうな若手に迎合しやすいのか?昔は小林で今はこいつか。 淋しがり屋なのか?
別に小林はいつでも孤高の境地にいただろ。 浅羽・呉とも救う会ともつくる会とも別にべたべたしていない。
162 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/30(火) 22:41:26 ID:Ju/THttW
『アジア経済』の書評を読んだ。笑いかつ呆れたのは最後の部分だな。 この、南アジア地域研究の専門家と称する北海道大学准教授さんは、 カルカッタって地名の読み方すら知らないそうだ。
163 :
名無しかましてよかですか? :2008/09/30(火) 23:42:32 ID:uHxhrq7W
パール真論は小林の最高傑作だろ。 あとはどうでもいい。
中島がバカ過ぎたからこんな良書が書けたんだろ 中島は本当にいい生け贄だった
「起こったことを正しく評価するためには、各事件を全体中におけるそれ本来の位置 にすえてみて初めて、正しく評価することができる。これらの事件の生ぜしめた政治的 経済的な諸事情の全部を検討することを回避してはならない」『パル判決書(下)p466』 左翼はその当時の国際的感覚を考慮することなく戦勝国が与えた「東京裁判史観」に基づいて 「日本は侵略」したと妄言を吐いている。まさかそれに西部さんが加わるとわね。 まあ所詮は「東京裁判保守」に過ぎなかったということかね。
167 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/01(水) 01:05:38 ID:s+c/LE25
サヨクが無視する前後の文脈の「後」ろの方ですね。
そりゃあ現在の感覚で言えば日本は「侵略」したといえるだろう。 朝鮮を独立させると言いながら「併合」したり、満州に傀儡国家を造ったり。 しかし帝国主義の時代、戦争がごく当たり前に存在していた時代に左翼のような 「潔癖主義」は通用しない。日本も独立を維持するために現在の感覚では 「正当化できない行為」をやらざるをえなかった。 それを現代人が「侵略だ!」と偉そうに上から言えることができるのかね。
169 :
前スレ482 :2008/10/01(水) 07:31:53 ID:JMLcw8Ua
>>149 むぅ〜、今度は買った方がいいかなぁ・・・。
>>168 久しぶりに突っ込みたくなるレスが(^_^;・・・。
韓国も満州も事実関係が違うと思いますよ。
「親日派のための弁明」とか、
「紫禁城の黄昏」とか、
全然、違うことが書いてありますよ?
それに満州は寿命が短かったから、傀儡と決めつけること自体、相当の無理があるような気が・・・。
170 :
前スレ482 :2008/10/01(水) 07:44:00 ID:JMLcw8Ua
>>166 そのパールの言葉、素晴らしいですね☆
次スレのテンプレにして欲しいです(^。^)
171 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/01(水) 07:58:19 ID:s+c/LE25
パール判事の おそらく(perhaps)法において(in law)正当化できないであろう。(原文p558より) というのは当然、正当化を要求される 場合の話だからね。 すなわち、世界連邦ができるか、世界各国がこぞって、侵略戦争はそれが正当化されなければ犯罪であり、指導者は罰される、とのようになればの話。 で、東京裁判の場ではそもそも正当化の判断をする必要はないが、だからと言って、わざわざ正当化する必要もない。 判事は「正義が行われつつあるという印象をあたえるような方法」(上p241)で裁判しなければならないので、 判事自身が戦争肯定したり、利権の保有を是とするのもおかしいから、 (というかそんな裁判官は嫌(笑)) 例えば、p858の「本官は一国が他国の領域内に利権を保有することを是と信ずるものではないといわなければならない」 とのように言わなければならない。 何故か? その後に続く話が、 はっきり言ってしまえば、 利権を保有しようと振る舞うことは、国際生活上普通に行われていたし、欧米の先例がそれをよく示している。異常なものとして非難されうるものではない。 その標準を持って評価しなければならない。 ということだから。 因みに、国家というものは、妄想を抱きやすい、 というのは、一般論で、そもそも日本のことを指そうとしているわけではない。 それは、p858俺が引用したすぐ前に書いてるけど、 日本の行為が正当化できるかどうかを検討する必要は全然ない。 「以下に述べる見解は、すべてただこの目的の範囲内において解釈されるべきである。」と書いてるのに、中島は… まあ、この部分は小林氏に二重の観点から論破されているので蛇足だが。
>>171 あ、この文脈ちょっと違った。
まあ、いいや、全文引用しとくね。
「日本の中国における諸行為が、
果たして正当となしうるものであったかどうかを検討することは、本官にとって全然必要ではないのである。
本官がここで問題としているのは、はたしてかような行為が、いわゆる全面的な共同謀議によらないで、説明されうるものであるかどうかを見究めようとすることにある。
したがって以下に述べる見解は、すべてただこの目的の範囲内において解釈されるべきである。
まず最初に、本官は一国が…」
と
>>117 で引用した部分に続く。
因みに中島の作文(笑)
『パール判事』p153
より「パールは、『本官は一国が他国の領域内に利権を保有することを是と信ずるものではない』と明言した上で、日本と西洋諸国が同じ穴な狢であることを強調する。
パール曰く、当時の日本は、満州を領有しなければ自国の生活が脅かされるという『妄想』を抱いていた。
『どうしてもこれを獲得することができなければ、あたかも死と破壊とに直面するであろうという想像をたくましゅう』していた。
そのため、日本は『その生存にとって死活問題と考えた若干の《権益》を中国において獲得した』。
このような『妄想』に基づく軍事的行為は、そもそも西洋諸国が長年にわたって大規模に繰り返したことであり、日本だけの問題ではない。
『ほとんどすべての列強が同様の利害関係を西半球の領域内において獲得したのであって、かような列強のすべては右の利権がその死活問題であると考えていた』」
先に引用した部分はまったく無視です。
よくもここまで文意をねじ曲げられるものだ。
先に、きちんと留保していたものを無視し、もっと言えば裁判官の事情も無視。
で、日本を非難していたようにする。
ある意味凄いわ* ̄0 ̄)ノ
173 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/01(水) 08:44:28 ID:s+c/LE25
そもそも、パール判事が日本の行為を単に、「妄想」であると論じていないことは、下巻p45からも垣間見れる。 「実質上において高度に権威ある著者の意見と相通ずるものがある。」 で、その一つは、『臣民の道』の 「満州事変は久しく抑圧されていた日本の国家的生命の爆発である。」 という言葉。 というわけで、さいなら〜
174 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/01(水) 10:47:13 ID:5Uv0LE0K
>>164-165 牛村はどんな論法を展開するのだろうか?
小林を論破できるのだろか?
>>172 中島を持ち上げたバカデミズムは真正の馬鹿なのか、
単に飯の種としてイデオロギーのためとしてなのか、
どっちだろう。
加藤陽子、御厨貴は専門分野においてはきわめて優秀な研究者。 まさか京都大学から博士号をもらった北大の准教授様があんな露骨な改ざんをするとは思わない。 加藤先生に関しては『パール判決書』を読んだと言ってるんだから言い訳の余地はないと思うがね…
176 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/01(水) 12:46:19 ID:MsKnJiWE
加藤のHPの書評欄。 去年の中嶋書評したあたりから更新なしw アップできんわなそりゃ。
177 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/01(水) 12:49:15 ID:MsKnJiWE
要するに、新聞で書評をする人選・形式ってのが、もう駄目なんじゃないの? 書評委員なんてあらかじめ決定しておいて、適当な本を選ぶっていうんじゃなく、 この本なら、この分野のあの人に書評をお願いしようって感じじゃないと。 ま、そういうふうに加藤が中嶋を選んだわけなんだがw 対談もあらかじめしちゃってるし。
178 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/01(水) 14:32:35 ID:5Uv0LE0K
牛村は先月の正論を読んだ上でなんだろうか? 1ヶ月で反論文を掲載することって可能?
>京都大学から博士号 アジア研究では伝統と定評のある鏡台では一体何を教えてるんだろうね。 史料の引用の際に改竄するテクニックを教えてる暇があったら、 コルカタ(カルカッタ)の読み方ぐらい教えてやればいいのに。
>>163 小林が言ってるじゃん。漫画の読者はあくまで面白くて魅力の
あるものしか読まないって。小林の漫画がつまんないだけw
>>179 常識的に考えれば中島の博士論文も疑うべきだよな。
松井日記の改ざんを根拠に
田中正明の過去の言説の信憑性にいちゃもんをつけたんだから
田中正明は頭の病気だからしょうがないww
ったく…ただ単にいちゃもんつけるだけか…。
184 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/01(水) 18:29:02 ID:sCACDkbX
>>181 履歴には、博士課程修了、と書いてあるだけで、博士(政治学)のような
記述がないのだから、博士論文を書いていない、と考えられる。
185 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/01(水) 19:35:49 ID:zdMrqUCw
正論立ち読みしてきた。 牛村氏の主張は 東京裁判は国家を裁いたのではなく個人を裁いた。 よって東京裁判についての反対意見であるパル判決は国家ではなく個人を無罪とした。 結論、パル判決=個人無罪論ではあるが、パル判決=日本無罪論ではない。
186 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/01(水) 19:49:38 ID:s+c/LE25
東谷の主張については次回を待つしかないねえ。 『純粋法学』、図書館に置いてるかなー
>>185 あん?
パールはいわゆるA級戦犯の行為を国家の行為であると言ってたんじゃないっけ?
189 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/01(水) 20:22:24 ID:sCACDkbX
>>188 情報に感謝。博士号あったのか、、、、。だとするとますます問題あり。
指導教員は誰だったんだろう?研究者にもPL法を適用してほしいもんだw
191 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/01(水) 21:08:59 ID:MsKnJiWE
15 名前: 名無しかましてよかですか? 投稿日: 2008/01/11(金) 01:17:17 ID:pg6AHKYo
中島の本質って詐欺師なんだよな。
本当に感心する。以下、決して嫉妬ではなく言う。
大阪外国語大学外国語学部ヒンディー語学科って、物凄く入りやすい。
たぶん、ヒンディー語はまったく身についていないと思う。三流大英文科の学生が英語読めないようなもんだ。
で、京大大学院アジア・アフリカ地域研究研究科のインドは穴場だったと思う。
指導教官を知っているが、まあマジシャンみたいな人だ。波長があったんだろう。大学院は教授の判断で入れる。
「インド留学」って、別にインドの大学院に入ったわけではない。
「フィールド・ワーク」というワーホリだ。でも、そのインド滞在という研究経験をもつ者は少ない。
折からのインド・ブームで、実業界も出版界もインドモノが欲しかった。
でも、インド研究者は少ないし、ヒンディ語を読める者も少ない。
だから、誰も中島を検証できなかった。嘘書いても分からなかった。
彼は、見事に論壇賞を取る。
ワイシャワー研究室ってのも、まあアジア研究で入り込むのは京大のコネなら簡単だ。
たぶん、英語はまったく話せない。たぶん読めないと思う。
でも、後から振り返ってみると、経歴的には完璧なんだよ。凄い奴だと思う。
本当に中島は素晴らしいと思う。
保守ヲタクの薄らサヨク詐欺師・中島岳志
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/kova/1199959726/l50
ま、博士持ってないと思うのも無理ないと思う。 史学というか、学問の基礎を身に着けてるとは思えない。 あんな改竄(どんなにあまく見ても極めて恣意的な引用)を許す学問分野あるのか? あるなら教えて欲しい。中島の手法が許されるなら博士号1年で取れるわ(そんなもん紙切れだが)
193 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/01(水) 22:05:08 ID:Uvvp5WmX
↑ 嫉妬とひがみ。ご苦労産です。君も京大大学院でインド史でも勉強したら。(笑)
>>191 矢部太郎がコイサンマン語で論文書けば大学教授になれるようなものか?
>嫉妬とひがみ 別に否定しないW
サピオの欄外で東谷を批判したら今度は東谷が小林を徹底批判してますね。 どうなるんだろう
牛村のは読んだが東谷のは読んでねーなー。どこにあったっけか。 佐藤健志のポニョ評は物凄いこじつけ…。
199 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 04:52:20 ID:4/vHOTWU
また北海のトドか 「親米vs反米論争」の後の小林と西尾幹二との和解?のように、 小林と、西部&中島が和解する日はいつの日か、
200 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 04:55:34 ID:4/vHOTWU
腹巻きの西部、ハエ叩きの西部、 山羊の西部 あの暴露雑誌が生きてたら書いてたか、でも相手西部だし、スルーか
マジなところ、評者の先生方は中島の本読んでないと思うよ。 学者の人間関係もいろいろ複雑なんだろう。 読まずに書評するなんてよくあること。
202 :
前スレ482 :2008/10/02(木) 06:35:53 ID:5oJeBw8w
>>185 あはは、反論になってない(^_^;
その程度か、牛村(笑)。
203 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 08:15:34 ID:iJwKjP5j
>>197 正論の寸鉄
>>198 誤読をしておいて
他人を批判する小林よしのり氏の「知的不誠実」、
ケルゼンを伝統主義者に仕立てるあまりに懇意的な解釈法、批判の前に自分の読解力を少しは疑うべきではないのか、
ま、小林よしのりも無謬ではないからね。 知らんけど
東谷は「当為」がケルゼン特有の語法と説明しながら、 中島が(通常の意味での)当為」って言葉を使ったことはスルーで 小林が批判したら「また小林が文句を言っている」って 中島に従えと言わんばかりの扱いなのは一体。
>>203 、
>>204 thx!
「パール判決書」ではなくて、ケルゼン解釈の方だったんだ。東谷氏も「寸鉄」
のほうで論争に絡んできてたけど、いよいよ本格参戦の様ですね。
208 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 10:48:17 ID:iJwKjP5j
正味の話、もし、ケルゼン解釈が間違っていたところで、小林氏が恥かくだけで、 東谷の解釈が正しいと仮定すれば、そのようなものにパール判決が寄り添っていない。 そんな自称保守派もおらん。 もともと、小林氏はケルゼンの信奉者ではないから、ちょっと調子に乗ってしまった。 以上、終わり。 って感じかな。 もし間違っていたとしても小林氏の対応次第でどうとでもなる。 それより、純粋法学を読まなきゃならんね。
>>208 ちょっとニュートラルでないというか初めに結論ありきな感じがするな・・・。
確かに対応次第ではあるんだけど、受けにまわるとそれかい! となりかねない。
みんな痛快痛快って言ってたんだもん。
>>209 まあ、間違っているならきちんと謝ればいいんじゃない。
言論戦も戦いだから被弾することもあろう。本人も自覚してるし、中島みたいな無様な態度を取らなければよい。
小林氏はここまでくると、単なる間違いによる失敗程度で公の議論から退くべきではないし、退いてもらっては困る。
もし今回の小林解釈が間違っていたとして、相手側がその一点で延々と言ってくるなら、冷静になって、更なる反論をし、
論破すればいいんじゃない。
俺はパール判決は読んだが、ケルゼンは読んでないし、結局自分で読むしかないと思っている。
小林氏の解釈が正しければそりゃ痛快(笑)
211 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 11:16:56 ID:iJwKjP5j
小林氏は相手を一石二鳥で倒すためにケルゼンを持ってきたけど、ちょっと欲張り過ぎた、ということになるのか? それとも愉快痛快に反撃してくれるのか? 次回の小林氏の反論が楽しみだ。 何れにしても期待しているので頑張ってもらいたい。
>>210 に書いた、
更なる論破
はもちろん、パール判決とケルゼンの関係についてな。
更なる、というか改めてかな。
小林ケルゼン解釈が間違っていた、と仮定した上での話。
ようやく論争らしい論争が始まったな。 西部は反論出来ないだろうけど。墓穴掘るだけだし。
215 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 12:42:10 ID:cuPNqFYJ
正論の牛村論文読んでみた。ぎっちり印刷されていて読みにくかった。 主旨は10月号の小林論文にあった自分への問いかけへの回答とのこと。 礼儀正しい書き方だったよ。読んでいて気持ちよかった。 以下まとめてみたので誰か補って。 小林氏は、東京裁判を、被告という個人を通して歴然たる国家の行為を裁いたものとし、 それは裁判所憲章にもあるというが、ポツダム宣言も裁判所憲章もそれに首席検察官の 冒頭陳述も全て、「個人」を訴追していることをまず原史料で確認した上で、パルも この同じ土俵で正反対の結論を出したことを主張。公式判決が「個人」を裁き、 パル判決が「国家の行為」を無罪とした、というのでは、この2つを比べる意義が無くなる。 同じ土俵の上にたって「全被告無罪」としたからこそパル判決は強いメッセージを発している。 国家弁護対個人弁護という視点からブレイクニーの発言を小林氏は評価しないが、 この弁護方針の対立はそう簡単に分けられない。ウッシーの出していた例を見ると納得する。 また清瀬の功績は評価しながらも、キーナンの冒頭陳述を日本という国家の行為を 訴追するとした清瀬の冒頭陳述は、キーナンへの誤解による。キーナンは国家を 裁くのではないと強調している。つまり清瀬はポツダム宣言,裁判所憲章から続く 裁判の枠組みとずれた見解を出している。なので、清瀬を持ち出しても 小林氏の主張の論拠にならない。 パル判決を「日本無罪論」と読む可能性は否定しないが、「日本無罪論」とすべきということには反対する。
>では、この法廷で何が裁かれたのか。朝日新聞法廷記者団著の >『東京裁判』シリーズは、第一巻の「はしがき」で、「審判するものは東洋の >三国をふくむ戦勝連合国十一ヶ国、被告として擬せられたものは >二十八人の個人とはいえ、日本の行動の名の故にあることを思えば、 >審判台に立つものはまぎれもなく日本帝国そのものである」と書いた。 秦郁彦『南京事件 増補版』p25 朝日新聞の法廷記者の認識
217 :
嫌特定アジア流 ◆nwZRjuTh/E :2008/10/02(木) 12:59:18 ID:8klVNA8N
>>185 確かパール判決書に
「本館の見解によれば、ここに述べられた行為はすべて国家の行為である。
そして、これらの被告がなしたとされている行為は、すべて政府の機構の運用にあったものであって、
政府機構の運用の義務と責任は、時局の推移に伴って彼らの負うところとなったのである」
って思いっきり書いてなかったっけ?
牛村も小学入試不合格の国語力なのかね?
>>215 、
ちょっと牛村氏は勘違いしていないかい?
小林氏が「国家弁護派」と「個人弁護派」
とに分けたことに関しては、流石研究家、という検証をしているが、
そもそも、小林氏は牛村氏がブレークニーの認識を持ち出して、それを根拠の〈一つ〉にして、
「この法廷では日本が裁かれているのではない」
と言っていることが、根拠としては無効であると言っているに過ぎない。
清瀬の認識のため、日本無罪論、などと言っていない。
国家弁護、個人弁護に関する認識については、もう一度考え直す必要はあるのだろうが、基本的に牛村氏の主張するような、
個人弁護派が国家を弁護するような状況なら、
かれの前回述べた根拠の一つは根拠として無効であって、小林氏の要件である、牛村氏の根拠の一つの論破は達成していると思う。
で、論としてはあくまで、パール真論に書いてあることを根拠にしてある。
正論では、牛村氏の主張する根拠の一つを〈破った〉ことを、パール真論で発表した論に上乗せして、
これで納得するだろうと考えた上で、「以上のことから」と書いているわけだろう。
でも牛村氏は、自分が言っていたことを完全に忘れ去ったのか、自分が最初根拠にしていたことを逆に相手が同じように〈根拠〉にしている、と勘違いして、
更に、批判を重ねたわけだが、自分の前に言っていたことの一つは無意味だった、と示しているに過ぎないと思う。
基本的に、上にも書いたよう、牛村氏の言うような複雑な状況なら、牛村の前回の根拠の一つ自体無効であって意味をなさない、ということを示しているに過ぎないのだが…
まあ、この点は勉強になったのでそこまで批判するわけではないが。
219 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 13:16:47 ID:iJwKjP5j
>>218 訂正、
>正論では、牛村氏の主張する根拠の一つを〈破った〉ことを、パール真論で発表した論に上乗せして、
>これで納得するだろうと考えた上で、「以上のことから」と書いているわけだろう。
根拠の一つじゃなくて〈二〉つだ。
220 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 13:27:51 ID:DLyUP0eQ
結局誰も漫画家にかなわないわけかよ。研究者。
221 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 13:31:40 ID:8IaPxvbe
>>211 ケルゼンを持ち出したのは中島・西部じゃないの?
>>211 そうだよ。
西部中島を倒す効果的な方法は、パール判事をケルゼンとほぼ同じような扱いで批判しているのだから、
そもそものケルゼン解釈に間違いがあれば、パール判事とケルゼンの比較をする必要もなく、痛烈な打撃を与えられるから、
小林氏はケルゼン解釈を有効カードとして持ち出した。
で、もしもその解釈が間違っていて、東谷が正しいなら、
誠実に謝罪するなりして、
その上で改めて、東谷が言っているようなケルゼンと、
パール判事の違いを一つずつ判決書を読みながら、論じて行く必要出てくるわけだ。
だからもしケルゼン解釈が間違っていたとしても、
根本的な議論に決着がつくわけではないが、小林氏が恥をかき、その後の対応次第で、
信頼を失うか、それとも取り戻すかが決まるわけだ。
もちろん、これらは全て、間違えていた場合の話。
もし、小林解釈が正しく、痛快に批判して終われば何の問題もない。
223 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 13:45:19 ID:iJwKjP5j
もしも間違っていた場合。 まあ、謝罪はボロくそ言った 西部、中島に対して。で、読者。 で、自分の至らなさを指摘した東谷に礼ってとこか。 もしもの話が続きまくりで悪いのだが(笑)
224 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 14:16:48 ID:iJwKjP5j
>>215 >公式判決が「個人」を裁き、
>パル判決が「国家の行為」を無罪とした、というのでは、この2つを比べる意義が無くなる。
この部分の「国家の行為」は、「国家」の間違いでしょ?
確か記憶によると牛村氏は「国家」としていたはず。
どう考えても、「国家の行為」に関しては無罪でした。
で、その上で、批判。まず簡単に言うと、パール判事は国家の行為の責任の所在は個人ではなく国家にある、と考えている。
要するに、国家の行為では個人を裁けないということだ。
訴追された性質の戦争(侵略戦争)が犯罪になったという仮定をした上で、
そうであっても個人責任は取れない、と個人責任に関して結論を下した。
そして結局このように、結論付ける。
「国際団体は、国家もしくは個人を有罪と決定し、これを処罰するための司法的手続きを、その機構内に包含することを得策とするような段階には今日までのところまだ到達していないこと。」(上p498)
わざわざ「国家」を入れているのは当然ながら、個人も国家も裁けないことを主張しているわけ。
結局パール判事の国際法論においては、本来、責任は国家にいく、と考え、個人は裁けないとし、更に、国家も裁けない、となってるのだから、日本無罪論で何の問題が?と思う。
パール判事からすれば一番肝心な権威は国際法で東京裁判チャーターでも法廷でもない。
「私見によれば、本裁判所条例は、国際法の権威を無視することはできず、また本裁判所はこの国際法の権威にもとづいて本裁判所条例の諸規定が法律上有効であるか否かに疑義を挟む権限を十分に有している。」(p300〜301)
だから、パール判事の国際法上の議論では「国家の行為」の責任はあくまで「国家」だが、本判決はまずその部分を違えている。
当然、日本無罪論は正しい。
よく共同謀議と侵略戦争は犯罪ではない、という二重の崩し方をしていると言われるが、本来、侵略戦争は犯罪である、と仮定した上での個人責任をも含めて三重の崩し方と呼ぶべき。
225 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 14:43:00 ID:8IaPxvbe
小林はギャグ漫画家としておもしろくしないといけないからな…
『パル判決書(上)』に個人責任についてケルゼンの見解が出ているが 「一つの行為が、国家の行為であるという言明の法律的意味は、その行為が 国家に帰属させられるということであって、その行為を行った個人に帰属 させられるべきものではないということである」 「もしも個人が国家の行為として行った行為のために、他国の裁判所または 国際裁判所によって、処罰されるべきものであるとすれば、その裁判の法的 の基礎となるものは、原則として、その処罰されるべき行為の主体である国家 との間に締結された国際条約でなければならない」 「一国の法律は、国際法に違反する他の国家の行為にたいして制裁を課する 規範を含むものではない。一般的または特殊的国際法の規則を無視して、戦争 に訴えることは国際法の違反であるが、戦争の遂行方法を定める国際法上の規則 の違反と異なってそれは同時に国内刑事法の違反になるものではない。 かような行為にたいして、個人を処罰する権限のある国内裁判所が適用する 実体法としては、ただ国際法があるだけである」 つまり国家の行為である戦争に個人が責任を問われることはありえない。 仮に個人が裁かれるとしてもそれは国家との間に締結された国際条約でなければならない。 パール判事はケルゼンの「適当な条約が存在していたならば、その力を借りて裁判および 処罰を合法的なものとすることができる」という考えを支持できないが、 「本件に関するかぎりにおいては、かような条約はないと言えば十分であろう」 と問題にはしていない。 ケルゼンを批判する西部・中島の東京裁判保守連合は「国際法など問題ではない。 日本は侵略したのだから個人責任が問われて当然だ」とでも言いたいのかな? まるでマッカーサーが頭の中にいるような考え方だね。
228 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 19:15:27 ID:iJwKjP5j
>>227 >>224 とか書いたし、一応気をつけておくと、
パール判事はその辺りのケルゼンの言葉に対して、範囲は判決書読めば理解出来る。
で、ケルゼン教授によって考えられているような種類の条約は存在しない、
ということを付加するだけでよい。
つまり、その他の見解はさっくり肯定しているんだよね。
こんな感じに
↓
ALL THAT I NEED ADD TO THESE OBSERVASIONS of the learned author is ・・・・・
(原文p79)
上巻405ページ
「この学識ある著者の以上のような考察に本官が付加すべきことは、…」の原文。
405〜406頁の訳文じゃあ今ひとつ“ALL THAT I NEED…”の意味が表現しきれてないような。
後、「以上のような見解」は403〜405頁にあるケルゼン教授の見解。
で、一応誤解ないように言っておくと、
406〜407頁を読むと、適当な条約が存在していた場合、
戦勝国が、提示されているような裁判、処罰を合法的なものとすることができる、
というケルゼン教授の「原則」には、例え適当な条約が存在していたとしても、
パール判事の意見としては支持できないみたいだね。
そりゃ条約さえあればOKみたいな意見を支持したくないよねぇ。
229 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 20:03:26 ID:iJwKjP5j
>>228 は破棄。自分で読んでも意味わからん。めちゃくちゃだ(笑)
>>227 >>224 を書いから、一応気をつけておくと、パール判事はその辺りのケルゼンの言葉に対して、
君が指摘した部分、
「本件に関するかぎりにおいては、かような条約はないと言えば十分であろう。」を除いて肯定しているわけなんだよね。
こんな感じに
↓
ALL THAT I NEED ADD TO THESE OBSERVASIONS of the learned author is ・・・・・ (原文p79)
上巻405ページ
「この学識ある著者の以上のような考察に本官が付加すべきことは、…」の原文。
付加すべきことは、もちろん、本件において、条約が存在しないこと。
405〜406頁の訳文じゃあ今ひとつ“ALL THAT I NEED…”の意味が表現しきれてないような気がするね。
後、「以上のような見解」は403〜405頁にあるケルゼン教授の見解。
で、一応更に慎重を期しておく。
406〜407頁を読むと、たとえ適当な条約が存在していた場合でさえ、
戦勝国が、提示されているような裁判、処罰を合法的なものとすることができる、
というケルゼン教授の「原則」を支持しうるものであるかどうか問題だが、
パール判事の意見としては支持できないみたいだね。
まあ、結局、英文まで持ち出して指摘するまでもなく、「個人の行為」が「国家の行為」である場合、責任は、
「国家」に帰属させられていることが前提であり、ケルゼンのこの部分は肯定している、というのは、最終的な判断の
「二、政府を構成し、その政府の機関としての機能を遂行する人々は、かれらがなしたと主張される行為について、国際法上なんらの刑事責任を負うものでないこと。」(上p467)
とp404の7〜11行目を見比べるだけでも十分に理解出来るはず。
ちなみに、
>>224 で引用した上p468は結論の三番目ね。
折角だし、予備的法律問題の結論をまとめて書いておく。 後一個だし。 「検察側が提示した理由ならびに各権威の意見を慎重かつ子細に考察した結果、本官は左の結論に到達した。 一、国際生活においてはどの種類の戦争も、犯罪もしくは違法とならなかったということ。 二、政府を構成し、その政府の機関としての機能を遂行する人々は、かれらがなしたと主張される行為について、国際法上なんらの刑事責任を負うものでないこと。 三、国際団体は、国家もしくは個人を有罪と決定し、これを処罰するための司法的手続きを、その機構内に包含することを得策とするような段階には今日までのところまだ到達していないこと。」(上p497〜498)
「東京裁判というのは、太古の昔から戦争につきまとう”みせしめ”の儀式であった。 だから東京裁判を不当と詰るのは適切ではない。詰られるべきなのは、東京裁判を ”みせしめの裁判”とまだ認定できない戦後日本人のほうである」『国民の道徳』p136 一見客観的に書いているようにも見えるが悪いのは連合国ではない戦後の日本人であると 言っているんだよね。これでは国際法に基づいて東京裁判を全否定したパール氏 のことをあれだけ侮辱的に批判できるわけだ。
232 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 21:22:01 ID:21eUKAUT
パール真論、連載中はつまらんと思ったが ここまで楽しめるとは小林に感謝だな
233 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 21:42:49 ID:iJwKjP5j
結局西部は村山談話みたいなもんかね。 韓国併合あたりは国際法上合法で満州事変あたりからアウト。 そういえば、自称保守派が韓国併合について国際法を出してくるとか言ってから、 やっぱりマッカーさー保守(笑) まあ、自称保守派の「不誠実」とやらを批判してるつもりなんだろうが、いちゃもんだから、こちらは正論+西部の気持ちを無視したいちゃもんと洒落こむか(笑)
234 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 21:57:31 ID:DLyUP0eQ
>>232 連載中も最高だったぞ。とくに生贄の回なんかw
>>233 パール氏が「日本は朝鮮にダムをつくり、工業を興し、樹を植え、基地を開拓した。
それが植民地支配であったにしろ、過去30余年間に投じた日本の資本と労力は莫大な
ものがあった」『平和の宣言』p102書いているように日本の帝国主義は欧米の愚民化
教育とは全く異なっている。しかし西部は「日本は侵略した国」という主観があるから
どうしてもパール氏のような客観的な評価ができない。こんな人物が自分は保守であると思い込んでいる。
まあ今回の「パール論争」のことでメッキが剥がれたからどうでもいいが。
左翼から転向した者を信用してはだめ。
>>236 林房雄はいいだろう。『大東亜戦争肯定論』は普通に面白いし。
西部と林の違いは林は自身が左翼であったことを悔いて「歴史感」を修正したのに
西部は修正していないことだろうね。全く恥じていないもん、自身の「左翼経験」を
>>236 そんなこと言ってると、よしりんに「わしが変わらなかった方がいいっていうわけ?」って
怒られるよ? 実際、何度か言ってるし。
西部はインテリ特有の意識(学歴・知識を誇り、一般人を馬鹿にする) が強すぎて嫌いなタイプ。 知らないことは知らないといえる素直さがない。
>>238 西部の左翼と小林のサヨクは全く異なるものだ。
西部は「俺は保守だ」という選民思想が強いんだと思う。 しかしその根拠が外国の保守思想家っていうのがね・・・ 「〜はこういった」「〜がいうには」ばっかりじゃん。 西部が本当に保守ならば現在の価値観で過去を裁くという愚行はしないと思うけどな。
242 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/02(木) 23:28:22 ID:iJwKjP5j
頑張って、何回も、自称保守派が悪いんです、 と言ってるけど、 パール氏のことも、 どう考えても私怨があるんじゃないかってくらい罵倒しているしね(笑)
西部は自分が「保守」であると思っているなら少なくとも「日本史」全般を 扱ってほしいものだ。西部が批判する渡部昇一は古代から現代まで勉強している。 西部の場合は似たようなことを何回も何回も繰り返すだけ。 普通だったら「パル判決書」は熟読すべきなのにそれもしない。 結局「保守思想オタク」だったてことかね。
245 :
前スレ482 :2008/10/03(金) 07:21:55 ID:3j9sZfFF
>>220 今まで、何十年もパール論争が行われてきたわけではなく、
パール真論以降、論争が起こっているようだから(笑)。
で、漫画家と大学教授が互角に論争できてしまうという(爆)。
小林が漫画家を引退したら、
きっと、どこかの大学が名誉教授にしようとかするんじゃないかと思う。
本人は・・・女子大だったらOKするかも(笑)。
>西部が本当に保守ならば現在の価値観で過去を裁くという愚行はしないと思うけどな 小林って西部のことを本物の保守とかいって、一緒に対談本だしたりしてたよねwwww 西部が馬鹿なんてみんな知ってたのにwwww
248 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/03(金) 16:06:25 ID:vaQg4rq9
>>247 なんだかんだとそいつを構ったのはあんたが初めてだ(笑)
やさしいねー
249 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/03(金) 16:44:50 ID:vaQg4rq9
>>239 知らないことは知らない、と素直に言うぞ。
確かに人を馬鹿にはするがね。
西部はよく駄目な知識人を『専門人』として馬鹿にするけど、 西部みたく広く浅くでは、やっぱり専門的な知識を有する人には適わないね。
252 :
前スレ482 :2008/10/04(土) 12:52:40 ID:ktNKNs8R
>>251 >>246 が現れると、無視するか、叩くか、皆でボコボコにするかのどれかです。
恐らくは、この人は、正論の10月号で小林から「2ch最低の石」と呼ばれていた人だと思われます。
最近は、私は彼のことを『石男』と呼んでます(笑)。
西部を馬鹿にしたり、批判してる人はたくさんいた。 小林は西部を明らかに評価してた。 西部の評価に関しては、小林は明らかに間違ってたわけだがw こういうと西部が豹変したんだ!!よしりんは悪くないとか言うのかな??wwwww
254 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/04(土) 14:23:10 ID:CyOKeY3Q
>>173 「高度に権威ある著者」というのはパールのことではないだろ…
>>254 そうだが。
というか
>>173 からは、そうとしか読み取れないんだが…
「臣民の道」の著者としか…
>>252 違うでしょ。
最底辺の石はオナルシストであって、
今出現してるのは、いつも2chで何を言ってもやっても無駄だ無駄だ言ってたやつか、
売れない評論家山崎行太郎でしょ。
まあ、言ってる内容からすれば、それも山崎かもしれないけど。
ザキさんは石ですらなく、石綿にまみれたコンクリ破片。
258 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/04(土) 16:29:41 ID:5YgG5lDD
山崎行太郎って誰?
260 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/04(土) 17:32:53 ID:Qxg65jOK
あの戦争裁判で、私は日本は道徳的な責任はあっても、 法律的な責任はないという結論を下しました。
261 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/04(土) 21:33:09 ID:lqMtomgE
判決書読めばよいだけのなこと。 あほらし
262 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/04(土) 22:38:58 ID:iexkU8kc
正論難しいよ。 買って読むか。
今回、西部は全面に立たないで後ろで司令塔やってる感じだな 中島は全く使えなかったので今度は西部グループの東谷を表に出して 来たんだと思う まあ牛村は別だと思うが
逆に中島が使ってるような気がするが・・・
265 :
前スレ482 :2008/10/05(日) 06:53:42 ID:zFxVJOOK
>>256 ???あ〜、こんな変人が複数いたのですか・・・。
失礼いたしましたm(_ _)m
そう言えば、変人の書き込みのレベルが落ちてるようですね。
・・・にしても、区別しにくいなぁ・・・。
まあぁ、良いか。どちらにしても、叩くか、無視するかしかしないんだし(笑)。
流れぶった切って悪いんだが、今日の東京新聞に中島岳志の読書感想文が載ってたので報告。 P10の「東京裁判(戸谷 由真 著)」で、 本書は今後の東京裁判論争の必読文献となるとともに、論争の発火点にもなるだろう。 と述べている。今度本書をみかけたら立ち読みぐらいしてやろうと思っているけど、 本書のなかで東京裁判を正当な判決と述べているようなので相当あやしい本かもしれない。
>>266 めちゃくちゃなこと言ってるけど、実はめちゃくちゃなりに西部よりは筋が通っている。
東京裁判は事後法ですらない、という理由として、
もう東京裁判本判決そのままの論理で、
国際法は侵略戦争を犯罪として裁けるほど発展している、という論理。
西部も歴史的自然法で裁けることもある、という論理。
基本的には似たようなもんで、前者がサヨク、後者は保守でどっちも恣意的であることに変わりはないのだけど、
西部の場合、これを表現するのに「事後法」もありうる、なんて言い出すわけ。
本来言い分としては戸谷の方が筋が通っているんだ。
戸谷は、自然法的にかな、まあそんな感じに侵略戦争を犯罪として裁ける程に国際社会の通念が育っているという論。
西部の場合は、ジェノサイドみたいな国際社会の「基礎」を揺るがすような事態なら「事後法OK」なわけで、
まあ面倒なのではっきり言うと、西部は本来戸谷と同じように、そもそも自分の主張は事後法ではない、
と考えるべきなんだ。
実際西部は自分が主張していることが正しいと思っているのだから、それは事後法とは言わないわけ。
で、ここから導き出される答えなんだが西部は無意識にとんでもない勘違いをしてそう。
「制定法」で裁くのでなければ事後法になるとでも思っていそうだ。
なんて考えてみたりする。
由麻ね 大学の図書館に入ったみたいだから見てみるよ。
269 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/06(月) 17:52:40 ID:T8RS11Qs
>>266 新たな反論ネタを見つけたってことなのかな?
中島もセコいなあ。
戸谷本パールの部分だけバッと流し読みしたけど、中島みたいに馬鹿ではないし、薄らサヨクでもないな。 後書きみたらオールスターって感じw
戸谷由麻氏の『東京裁判』は発売直後に買ってたけど、積み本状態で最近になって拾い読みしてるとこ。 パールについても一章を設けて国内での受容史を論じてるんだけど、家永三郎を除けば、戦後最も パル判決書を酷評した人だと思う…(笑) 「(パル判決書は)国際法の基本原則を見誤った判断をところどころくだしており、国際人道法の発展史に 貢献していない。実際、今日の国際裁判所でパル反対意見書が判例として注目され論じられたことは、 筆者の知る限りない。これはおどろくことではない。……ハーグ第四条約を拘束力がないと断じて しりぞけ、指揮官・閣僚責任について懐疑論を展開し、証人の信憑性を「宣伝工作」の可能性があるから 信用できないと主張し、現在の国際人道法の基本原則に逆行する論を進めているからである」 『東京裁判』p350〜351 他方、多数派判決は国際人道法の発展に寄与してると高い評価を下してる。将来の国際法の基準を 未来洞察的に当て嵌めて裁くべきだったと言ってんのかな。それと、パル判決を否定する論拠として度々 挙げられるのが、ニュルンベルク判決。けれど、パールの法的判断は東京裁判と同様の法理を展開して いるニュルンベルク判決にも向けられるものなのだから、水掛け論としかならないような。
何か東谷暁氏の見解と通じるような事も述べられてる。 「パル反対意見書は……思想書の側面をそなえており、パルを思想家とみなすひとびとは、たとえ 同意見書が国際法の解釈上多くの重大な誤りをしているとわかっても、パル反対意見書を却下したりは しないだろう。そもそも同書が一部のひとびとに大きな魅力をもちつづける大きな理由は、それが 「日本無罪論」という日本冤罪論を展開しているからだけではないのではないか。むしろ、パルが判事 という枠組みを越え、技術上の法律問題を越え、哲学の領域に入ってアジア世界の統合や連帯などの 理想郷を語っているところに強いメッセージ性があるのだろう……この意味で「思想家パル」を掘り 下げて研究した中島著『パール判事』はあらためて有用な本といえよう」 『東京裁判』p351 全体的には、中島さんについては褒めてるのか馬鹿にしてるのか判んない様な扱いでした(笑)
>>273 戸谷は判決書上巻500ページ読んで
パール判事が、
「説明」できれば自衛戦争、
みたいなことを言ってるように書いていたような気がする。
立ち読みうろ覚えだけど。
どう、わかるかな?
こうゆう人こそ中島の史料引用批判すべきだと思うがな〜
>>272 戸谷は、「世界人権宣言」
第11条
二、何人も行われた時には国内法によつても国際法によつても刑事犯罪を構成しなかつた行為又は不作為のために、刑事犯罪について有罪と判決されることはない。(以下略)
事後法についてはトンデモだってことは理解出来たから、「不作為」については何か言及してたかな?
>>274 該当箇所なのかは確信が持てないけど。パールの論点をまとめたくだりかな?
「……自国が脅威にさらされるという「誠実な確信」(bona fide belief)があり、そのような確信に
もとづいて他国に対して軍事行動を開始したとみなせる根拠があるのならば、それは「自衛戦争」と
みなすに足るという。……「自衛を余儀なくされた」と当時日本の指導者たちが誠実に信じうる状況が
実際あったのであって、侵略戦争の計画あるいは共同謀議という検察側の仮説にわざわざ説明をもとめ
る必要はないという」
『東京裁判』p312
違ってたらごめん。で、以下の様に纏めてる。
「ただしパルの指摘する日本の直面した「脅威」とは、おもに経済的・政治的・思想的な驚異であって、
軍事上のものではない。……パルが展開する自衛論とはさしせまった軍事上の脅威があるかないかに
かかわらず、自国が非友好的な国際環境におかれたという「誠実な」認識をもったとき、その国家指導
者が打開策として自由に軍事力を発動してよいというものだった」
『東京裁判』p313
■中日新聞・東京新聞 書評 2008/10/05
戸谷由麻『東京裁判』(みすず書房、 5460円)
とたに・ゆま 2008年からハワイ大マノア校助教授。
05年、カリフォルニア大バークレー校で博士号取得。
本書は英語で出版され著者が邦訳・改訂した。
[評者]中島岳志(北海道大准教授)
■国際法判例としての価値
今年は東京裁判結審から六十年目の年である。A級戦犯の靖国合祀(ごうし)問題や歴史認識問題など、東京裁判に
関係する問題はいまだに決着を見ていない。それどころか議論はますます混沌(こんとん)とし、迷走を続けている。
そのような中、待ちに待った本格的な東京裁判論が登場した。著者はハワイ大学で教鞭(きょうべん)をとる若手研究
者で、本書は国際法、現代史、国際政治学などの分野を横断しつつ、東京裁判を立体的に捉(とら)えようとする意欲作
である。著者は世界各地の一次史料にあたり、これまでの定説に大胆に切り込んでいる。
本書の最大の特徴は、東京裁判を国際人道法の形成・発展プロセスの中に位置づけようとしている点である。東京裁
判では、「平和に対する罪」以外にも「人道に対する罪」「通例の戦争犯罪」についての指導者責任が争われた。特に南
京事件のような戦争犯罪・残虐行為の事実を知りながら、具体的な対応を怠った「不作為の責任」(刑事不作為)が問わ
れ、現場の指揮官だった松井石根や武藤章、外務大臣だった広田弘毅らが死刑判決を受けた。
このような判決を、著者は国際法および国際刑事裁判の文脈の中で吟味し、当時としても正当な判決であったと論じる。
そして、この判決が、現在のハーグ国際法廷などで指揮官責任・閣僚責任の有用な判例となっている事実を提示し、国
際人道法の発展過程で東京裁判が果たした役割の大きさを強調する。
著者は、この観点からA級戦犯の刑事的無罪を主張したパール判事の意見書に対しても厳しい見方を提示する。パー
ルの議論は国際人道法の流れに逆行するものであり、「国際法の判事の意見書としてほぼ失格の内容におわっている」
と手厳しい評価を下している。
本書は今後の東京裁判論争の必読文献となるとともに、論争の発火点にもなるだろう。著者の活躍に期待したい。
http://www.tokyo-np.co.jp/book/shohyo/shohyo2008100501.html
最近の中島の支離滅裂さを考えると、 戸谷本に乗っかってパール批判を始めかねない。
戸谷氏は事実認識においては小林よしのりに近いのかな? 評価は正反対だが
283 :
前スレ482 :2008/10/07(火) 06:34:27 ID:Xc/px8xb
どんな瑣末なことだろうと間違いは間違いで正しいなら正しい、間違った理解を元に まともに読めてないと相手を非難したのだったら、その誤読を縷々指摘されればそれはね・・・。
大事なところが抜けてるな。 立ち読みしただけだが戸谷パールは判事の資格がないとか言ってなかったか? おそらく三十路前の学者で売名のために書いたんだと思う。
286 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/07(火) 10:43:13 ID:l1f6ffaJ
>>279 >東京裁判を国際人道法の形成・発展プロセスの中に位置づけようとしている点である。
意味がよくわからん。
イラクのフセインの処刑はどのように位置付けられるのだろうか?
人道法が発展しているという認識が俺には理解できない。
「国際人道法の形成・発展プロセスの中に位置づけようとしている」なんてまさに進歩主義の左翼そのものだ。中島は西部と一緒に罵倒しなければ筋が通らないのではないだろうか? ま、媚を売るんだろうがw
288 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/07(火) 20:42:54 ID:66rI6JRb
東谷まで狂わせてしまったな、寸鉄で刺されたのは東谷だったな。 尊師のために側面支援、議論を摩り替えたいかね。
東谷の次は佐伯KCが挑むに100バーグ
誰か真っ正面から中島を養護してくれよ〜
パリ不戦条約に関しては どう思います?? 最近、別宮&兵頭の本を 読んだんだですが真珠湾は先制攻撃でパリ不戦条約に違反してるから侵略であり自存自衛ではないと言う 持論を展開してるのですが
>>291 パール判事によると「本官の意見としては、同条約は現存の国際法になんら
の変更をもたらさなかった」としている。また「自衛権は、関係国の主権のもとにある領土の
防衛だけに限られていない。そして本条約のもとにおいては、自衛権がどんな
行為をふくむかについては、各国みずから判断する特権を有する」。
ではパリ不戦条約の役割とはなにかというと「同条約は、たんに世界の輿論を刺戟するのに
役立つだけで、その(条約の)違反にともなう危険はただ違反国にとって不利な
世界的輿論を喚び起すというだけである」という。
まあ帝国主義の時代に「〜をしたから侵略」というのは難しいと思う。
293 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/08(水) 07:12:36 ID:JGgjF673
>>291 前にその条約の事でギャアギャア言い合ったことがあるけど
結局『真珠湾はパリ不戦条約に違反している侵略だ』と言う奴をつっついてみたら
大概親米保守と同じ『国際法なぞくそくらえ』て言うレベルの意見しか無かった気がする。
日本以外の国の事について聞いたら
『日本だけはダメ』と言う意見に呆れた事も有ったな…
294 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/08(水) 08:25:59 ID:sUtYVwU5
>>292 >「自衛権は、関係国の主権のもとにある領土の防衛だけに限られていない。
>そして本条約のもとにおいては、自衛権がどんな行為をふくむかについては、各国みずから判断する特権を有する」
この部分の引用の仕方が、少し適切ではないね。
この部分は上巻p324〜325だが、この直前に、「自衛の問題に関して、ケロッグ氏は次のように言明した。」
という文言があるので、君が引用した部分は、パール判事によるケロッグの言葉の要約だとわかる。
勿論このケロッグの言明に拠るのだからパール判事の意見と同じようなもんだが、一応。
で、重要なのがこれ。
「ケロッグ氏の説明の形式と範囲における自衛および自存の権利の留保は、パリ条約わ法の規則の範疇の外におくものである。」(上巻p327)
この一連の議論を理解出来ないから、
田岡はパール判事が自衛と自存を混同しているかのように言うのだろう。
1928年4月28日、アメリカ議会でのケロッグの演説や、
6月23日付でアメリカ政府が関係諸国に送達した公文書にも、
「自己解釈権」に言及している。
「アメリカの作成した不戦条約案中には、自衛権を制限乃至毀損するが如き点は少しも存しない。自衛権はすべての独立国に固有のものであり、又あらゆる条約に内在している。
各国家はいかなる場合においても、各条約の規定如何にかゝわらず、
攻撃もしくは侵略から自国の領土を防衛する自由をもち、自衛のために戦争に訴うる必要があるかどうかは、その国のみがこれを決定し得るのである。」(『太平洋戦争原因論』p491、アメリカ議会のケロッグ演説)
「不戦条約のアメリカ案中のいかなる規定も、自衛権をいささかも制限または毀損するものではない。
自衛権は、あらゆる主権国家に固有なものであり、あらゆる条約中に暗黙裡に含まれている。
各国は、いかなる場合にも、条約規定とは関係なく、自国の領域を攻撃または侵入から防衛する自由を有し、
かつ自国のみが、事態が自衛のため戦争に訴えることを必要とするか否かにつき決定する権限を有する。」(『各法領域における戦後改革』p79)
295 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/08(水) 08:39:39 ID:sUtYVwU5
>>294 の下のは公文ね。
まあ、自分で決定する権限を有しているからケロッグは、
「自存」と同等の意味で「自衛」という言葉を使用している。
「意図」するところはそういうことになるね。
他にも、ケロッグは、上院外交委員会で、
「アメリカ政府は、自衛の問題の決定を、いかなる裁判所であれ、それに委ねることを決して承認しないであろう。
また(他国政府も)この点については同様に承認しないであろう。」(『各法領域における戦後改革』p79)
このように発言。
「裁判に付し得ない」(unjusticiable)問題に留まっているというわけだ。
というわけで。
時間がねえ…
狂った、狂わないっていうのは無しにしよう。
298 :
なにこれ。「マンガ右翼」って。 :2008/10/08(水) 11:47:03 ID:39awzYxP
2008-10-01 喜連川温泉で佐藤優と「太平記」を読む。 先週の土・日は、栃木県の喜連川温泉で行われた、佐藤優を講師とする太平記の勉強会に行って来た。 今春の奈良県吉野での二泊三日の勉強会に続くもので、また喜連川と言えば、わかる人にはわかるだろうが、 特殊な施設があり、それとの関連で、場所が選ばれたのだろう。佐藤優氏は、 相変わらず精力・勢力的で、今月号の「正論」では、「日本哲学の考察」という連載も開始している。 佐藤優にとっては雑誌連載ものが、これでいくつになるのか知らないが、その執筆は驚異的な量とペースである。 誰もが「ネタが尽きるのでは……」と心配することだろうが、佐藤優の文章を読むと、 その気配は何処にも感じられない。「日本哲学の考察」は、「国体」という我が国独特の「国家論」を論じようとしたものであるが、 表面的な議論ではなく、なかなか根源的な議論を展開している。 ここ10年か20年、論壇的には、あるいは思想的には、左翼・革新派が衰退し、 保守・右翼派が勢いを増し、まさしく「保守・右翼全盛」時代だったと言っていいが、 しかしその中身はと見ると、マンガ右翼、マンガ保守、あるいはオバサン保守に代表されるような、 実に思想的に軽薄、浅薄な保守・右翼や、あるいは西部邁に典型的に代表されるような機を見るに 敏な営業右翼、商業右翼、あるいは転向右翼が跋扈した時代だった。 哲学や歴史を、常に古典や原典に立ち返り、根源的に思考する佐藤優のような 重厚な思想家の登場は、まさに、そういう時代の終わりを告げる象徴的な事件だったと言ってよかろう。
299 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/08(水) 13:16:45 ID:quC01fC/
ロシア関係では日本を売ってしまう所だったのでは? いつ間に国士になったんだ?
今回は一切触れなかったな さすがに飽きたかw
>>300 一段落したと思ったんでしょ。
最終校了日が9月25日だから正論を見てない段階だしね。
302 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/08(水) 20:13:06 ID:ZBJqnx23
304 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/09(木) 21:32:31 ID:DovSe1iG
佐藤優マンガ右翼とか「レッテル張り」はやめて欲しいな。でも具体的に お互いどこが気に食わないの?
この二人の場合はもはやプロレス気味にしか思えん。
中島もね。 羞恥プレイ疑惑は否定できまい。 いくらなんでも馬鹿すぎるんだよ
307 :
大悟と大輔の呉越同舟? :2008/10/10(金) 11:39:09 ID:VQK/bKjd
302> 悪い、意味がわからん。
308 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/10(金) 19:25:55 ID:kPAc8f3l
>>303 >>307 つまりさ弁護側の主張って国際的に通用するのかなと
思って
満州事変、シナ事変の非難の根拠は九ヶ国条約なわけだし
309 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/10(金) 19:55:16 ID:kPAc8f3l
669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 08:25:59 ID:xIoJ0jtp0
>>668 と、いうよりももっと簡単な事実があるよ。
当時の日本は国際法上における罪刑法定主義を謳った条約に一切調印していない。
日本が、国内法はともかく国際法において事後法禁止を採用するとしたことはない。
だから日本はドイツ皇帝訴追賛成をはじめ、事後法で他国の人間を裁こうとした、あるいは戦時中設置した軍事法廷で裁いてきた。
他国を責めるときはいいが、自国が責められるときだけは別、という話が通じないのは明白。
670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 08:32:19 ID:xIoJ0jtp0
ごめん。ちと言葉足らずだった。
現在ならば、罪刑法定主義を目指すことを謳った国際裁判条約に批准しているから、現在は当然別。
よって三行目は取り消しね。
>>669 具体的には、ドゥリットル攻撃隊の捕虜処刑、B29の捕虜処刑において日本が事後に法を作ってから裁いた例が挙げられる。
310 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/10(金) 20:00:48 ID:kPAc8f3l
311 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/10(金) 21:29:43 ID:kPAc8f3l
312 :
前スレ482 :2008/10/11(土) 08:38:24 ID:XC0ZbJil
>>309-311 非常に面白い話で、興味深く読ませていただきました。
アメリカやイギリスなどでは、事後法OKみたいですね・・・。
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3479236.html?ans_count_asc=20 オーストラリアは罪刑法定主義がないうえに人種差別が激しいので、刑法的には非常に危険な国です。
クルド人難民が船でやってきたと聞いて、急いでそれを違法とする法律を作り、
上陸後のクルド人を追い出し、しかもその法律は別院の審議で廃案とされ、
たった14日間のみ有効だった法律に基づいて、実際にクルド人を追い出してしまった実績があります。
これでは、ちょっと(笑)。
で、
>他国を責めるときはいいが、自国が責められるときだけは別、という話が通じないのは明白。
ということですが、
パール判事は、日本人でもアメリカ人でもないので、彼には関係ない気がします。
パール的には、無茶が出来る事後法は受け入れられないんではないでしょうか。
一応、例の一節を引用・・・。
<勝者によって今日与えられた犯罪の定義に従っていわゆる『裁判』を行うことは、
敗戦者を即時に抹殺した昔とわれわれの時代との間に横たわるところの数世紀にわたる文明を抹殺するものである。
かようにして定められた法律に照らして行われる裁判は、
復讐の欲望を満たすために法律的手続きを踏んでいるようなふりをするものにほかならない。
それはいやしくも正義の観念とは全然合致しないものである。>
あー、ドゥリットルに対して復讐してしまってるな・・・。
>他国を責めるときはいいが、自国が責められるときだけは別、という話が通じないのは明白。 パール真論p153 「道義的責任」とは自らの良心が審判するものである。 他人が責めたてるものでなく、ましてや裁判官が決定するものでもない。 パール真論p136 日本に「道義的責任」があるのなら、西欧列強、 特にアメリカにはもっと大きな「道義的責任」があり、ソ連にも当然あった。 そして国の近代化の必要に目を啓かなかった朝鮮にも、 内乱と条約無視の排外主義に明け暮れていた中国にも、 「道義的責任」はあったのだ!!!
314 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/11(土) 13:37:34 ID:u8ATIkFr
「国際人道法」ねえ
315 :
前スレ482 :2008/10/11(土) 14:44:13 ID:CWsPuGRe
>>312 >パール判事は、日本人でもアメリカ人でもないので、彼には関係ない気がします。
>
>パール的には、無茶が出来る事後法は受け入れられないんではないでしょうか。
ええっと、全然、突っ込まれてないので問題ないのかも知れませんが、説明を追加。
日本が事後法を用いたからと言って、アメリカの事後法を認めれば、事後法だらけになるので、
パール判事の立場としては、全ての事後法を認めないということになるはずです。
>>309 そう言えば、これ、どこからの引用ですか?
>>314 「国際人道法」って、言葉遣いが気持ち悪いですよね(笑)。
非常時には事後法を容認するって国際的慣習があるなら、ありっちゃありじゃね。 もちろんありだとは思わないけど
317 :
前スレ482 :2008/10/11(土) 15:21:01 ID:CWsPuGRe
今、ちょっと気になって検索してたんですが、例の 横田喜三郎(東大の国際法の権威) 田岡良一(京大の国際法の権威) は、ドゥリットル裁判における事後法を批判しなかったんでしょうか? ググルでは、何にも引っかからなかったです・・・。
>「道義的責任」とは自らの良心が審判するものである。 >他人が責めたてるものでなく、ましてや裁判官が決定するものでもない。 すげーなこれw 「道義的責任」で他人を責めてはいけないのか?
319 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/11(土) 15:29:54 ID:TmS5q462
正論で牛なんとかって人がパール論で小林への反論が出てたけど どうなったんだ? 斜め読み途中までしか読んでないから詳細はわからないけど、
320 :
前スレ482 :2008/10/11(土) 15:31:05 ID:CWsPuGRe
321 :
前スレ482 :2008/10/11(土) 15:34:53 ID:CWsPuGRe
322 :
前スレ482 :2008/10/11(土) 15:43:49 ID:CWsPuGRe
↓は、ドゥリットル関連でググルで引っかかったんですけど、
ここのtpkn氏は、私と同じことを言ってますね(笑)。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_reply?reply=34962 なりませんね(苦笑)
あなた、本当に論理的に考えることが全くできないのですね。
「国際社会に対して胸をはれる」かどうかは、「国際社会が承認」することとは全く別のことです。
この誤解は、烏龍茶という人物は常に多数派が承認することにしか「胸をはって」主張できない、
すなわち、自分の考えの正しさを周りの「承認」に求め、
そこで安住する付和雷同型の人物であるということを物語っているにすぎません。
>>318 他人に「お前は悪人である」とはなかなか言えないからな、普通は.
>>315 >「国際人道法」って、言葉遣いが気持ち悪いですよね(笑)。
そうだね。というか、東京裁判とごっちゃにして何を論じたいのかねえ(笑)
コピペ。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/184067/ 【コラム・断】「大東亜戦争」名称肯定論 10/04 05:30更新
十月一日の朝日新聞が「『大東亜戦争』首相が表現」と報じている。前日、首相官邸で記者団と談話の
際、麻生首相が先の大戦を「大東亜戦争」と表現したというのだ。記事中、言葉の解説として「『大東亜戦
争』は当時の政府が決めた正式名称だが、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が公文書での使用を禁止」
とあるほかはほとんど事実報道だけで、論評にあたる文章がないのが興味深い。
悪意にとれば、首相の失言を取り上げてみたものの、よく考えると別に失言ではないので中途半端な記
事に終わったとなろう。善意にとれば、首相の発言を機に「大東亜戦争」禁圧の経緯を読者に啓蒙(けい
もう)しようとする苦心の記事だと言えよう。私は善意に解釈したい。
終戦後の一時期GHQ(実質、米軍)は原爆被害の報道も禁圧。「大東亜戦争」はその言論弾圧の一環
として使用が禁止された。言論の自由を叫び、反米の姿勢の強い左翼・革新人士が米軍のこの言論弾圧
の共犯者であることに彼らの不誠実と無知が表れている。
大東亜戦争を「大東亜戦争」と呼ぶことは、その評価とは別だ。他でも書いたが、私は全共闘の学生だ
った頃、ベ平連の指導者小田実の著作で、大東亜戦争には欧米列強からのアジア解放戦争の一面があ
ったことを教えられた。同時に、この戦争が理念とは裏腹に内外民衆に多大な惨禍をもたらしたとの認識
も揺るがない。かかる矛盾した戦争の性格は「大東亜戦争」の名称であってこそ読み取れる。歴史の隠蔽
(いんぺい)と偽造に加担してはならない。(評論家 呉智英)
326 :
前スレ482 :2008/10/12(日) 09:31:56 ID:nzC3THtf
>>325 >(前略)小田実の著作で、大東亜戦争には欧米列強からのアジア解放戦争の一面があったことを教えられた。
>同時に、この戦争が理念とは裏腹に内外民衆に多大な惨禍をもたらしたとの認識も揺るがない。
>かかる矛盾した戦争の性格は(後略)
前々から、この小田実の発想には?????が連発です。
理念が大きければ大きいほど、犠牲も大きくなるはずですが・・・。
絶対、小田実や呉智英は「鋼の錬金術師」を見てないな(笑)。
327 :
前スレ482 :2008/10/12(日) 13:56:07 ID:nzC3THtf
>>325 自己コピペしとこう(^_^;
19 パール真論:前スレ482 age 2008/10/12(日) 09:21:19 ID:nzC3THtf
さりげなく(というか、本人自体が無意識でやってるのかも知れないが)、
アサピーにダメージを与える発言をしてますね☆
この調子、この調子(^^)/
小林は匿名で批判するやつを「道義的責任」で責めてたのになww 法的にはなんの責任はないのにw
日本に「道義的責任」があるのなら、西欧列強、 特にアメリカにはもっと大きな「道義的責任」があり、ソ連にも当然あった。 そして国の近代化の必要に目を啓かなかった朝鮮にも、 内乱と条約無視の排外主義に明け暮れていた中国にも、 「道義的責任」はあったのだ!!!
330 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/13(月) 21:59:34 ID:SRFJ1xOw
TBSで「あの戦争はなんだったのか」とかいうドラマをするらしい。 東条英機役がビートたけし・・・
>>325 問題は、正誤はともかく、これをきちんとよしりんが批判するか否かだと思うんだ。
遠まわしによしりんを意識して異を唱えているわけでしょ>呉氏。
別に異をとなえてなくね?
>>329 なんつーかさ、万引きで捕まって、
「○○だって××だってやってるのに、
なんで俺だけが悪いんだ!」
みたいな言い訳と変わらないんだよなー。
女々しいよ。
呉智英のこの持論、ゴーマニズム宣言開始のずーっと前からだ。
335 :
前スレ482 :2008/10/14(火) 05:49:18 ID:6KZJuz6q
336 :
前スレ482 :2008/10/14(火) 05:56:34 ID:6KZJuz6q
>>324 ちょっと、ズレたレスをしてしまったみたいですねf(^^;
ただ、東条英機や100人切り裁判の将校の子供たちが、ひどい目にあったことを考えると、
「国際人道法」の名の下に裁かれるのは、やだなと思って・・・。
ただ、それだけです。
337 :
前スレ482 :2008/10/14(火) 06:03:17 ID:6KZJuz6q
>>331 朝日がへたってきたってことで、素直に喜ぼーよ(^ー^;
小林自身がさんざん「道義的責任」で他人を責めてきたんじゃんw
漫画で他人をキャラクター扱いしてるから神様にでもなった気分なんだろう
たしかにその感覚はあるだろうね。
341 :
前スレ482 :2008/10/15(水) 06:00:19 ID:kxQAWzTQ
小林の漫画みたいだな
343 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/15(水) 12:38:46 ID:8Yc2raR5
富岡は結局どっちにつくんだ?
345 :
前スレ482 :2008/10/16(木) 05:48:19 ID:D9Ht/Z8E
>>342 そういう幼稚なレスなら、どんどん、書き込んで下さい。
書き込めば書き込むほど、あなたのイメージが悪くなります(笑)。
346 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/16(木) 16:10:50 ID:1/DAoDTb
g
347 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/16(木) 18:34:06 ID:4J9k9bMy
日本に「道義的責任(自らの良心が審判するもので他人が責めたてるものではない)」があるのなら、 西欧列強、特にアメリカにはもっと大きな「道義的責任(自らの良心が審判するもので他人が責めたてるものではない)」があり、ソ連にも当然あった。 そして国の近代化の必要に目を啓かなかった朝鮮にも、内乱と条約無視の排外主義に明け暮れていた中国にも、 「道義的責任(自らの良心が審判するもので他人が責めたてるものではない)」はあったのだ!!!
348 :
大悟と大輔の呉越同舟 :2008/10/16(木) 22:05:25 ID:1/DAoDTb
このスレ、最早ここまでかねえ、
349 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/17(金) 03:53:30 ID:ZZuM770f
近代史研究者からのまともな書評が出ないんだからな。 中島本のときはあれだけたくさん出たのに。 何も言えんわなw
中島もまともな書評は『アジア経済』一本だけだろ。 他はただのよいしょ 牛村・日暮対談待ちだな
351 :
前スレ482 :2008/10/17(金) 06:40:31 ID:3BKLnZ6l
そう言えば、パール判事って、カルカッタ大学副総長(wikiより)まで出世した人なんだから、 教え子の法学者がたくさん、いるはずでしょう? そちらに話を聞きに行くと、色々、話題を提供してくれそう。 論評も結構、してくれそうだし。 誰か、英語の出来る人、インドの掲示板にカキコして(^^)/
352 :
前スレ482 :2008/10/17(金) 06:44:17 ID:3BKLnZ6l
>>347 >345 前スレ482 sage 2008/10/16(木) 05:48:19 ID:D9Ht/Z8E
>
>
>>342 >そういう幼稚なレスなら、どんどん、書き込んで下さい。
>書き込めば書き込むほど、あなたのイメージが悪くなります(笑)。
>
353 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/17(金) 11:36:49 ID:ZZuM770f
中島ブログ、もう新刊の告知もしないのなw
354 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/17(金) 20:10:41 ID:TLO7QmQT
東京大学准教授加藤陽子先生は、文藝春秋に寄せた書評をHPにアップしているのに、 中島本を大絶賛した書評をなかなかアップしてくれないのは、なんでだろうねえw
それほど褒めてもない。 問題は『パール判決』を読んだのに改ざんを見抜けなかったことだろう。
いや、だから責める気もあまりないんだが、普通気づくだろ普通
360 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/18(土) 05:04:08 ID:vUFwscCV
しかし、漫画家に刺激されなきゃならん歴史研究者って何だよ。 漫画家に詐欺師呼ばわりされる真正詐欺師ってなんだよ。
このスレに居るおまいらはみんなパール判決全文読みましたか? 俺は図書館で丸々3日掛けて読んで来ました 印象としてはパールの心情的には完全に日本側に立っているんだけど その心情を論理で裏づけようと格闘した記録って感じですかね 引用された証拠書類も膨大でその中には文語体のカタカナ漢字混じり文などが多く正直読みやすい物じゃなかったけど パールが語りかけた地の文の部分がとても面白くいつの間にか引き込まれてました そして中島の本でいかに酷い捏造が行われてるのかも小林の戦争論以降の作品がこの判決を下敷きに書かれたものなのかもよく判りました 確かに戦争論を書いた小林なら中島の本を読んで「なんじゃこりゃ」って思っただろうし、怒りも感じたでしょうね パール真論の「解題パール判決書」はとてもよく出来た抜粋で、なんとか本当のパール判決を世に知らしめたいという小林の執念が感じられます この本はすべての日本人に読んでもらいたい良書だと思うんだけど 小林が書いたというだけですでにレッテル貼りされていてマスコミなどがスルーするのが悔しくて仕方が無い
362 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/18(土) 09:38:58 ID:2lrNcIBc
日本近代史の専門家である東京大学准教授加藤陽子先生は全部読んでるのかな? 小林によれば最初の一行すら理解してないってことだが・・
363 :
ノッテルダムの風来坊 :2008/10/18(土) 13:26:03 ID:9o5ajWtp
ハートのエースが出て来なぁーい♪
中島の引用(改ざん)したところすら読んでないンだろうな…
> 小林によれば最初の一行すら理解してないってことだが・・ 小林は講和条約の解釈じゃ「裁判」と「判決」の違いにこだわるくせに、 自分は「判決」の意味で「裁判」を使ってるというだけのことだな
367 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/18(土) 21:37:52 ID:2lrNcIBc
それにしてもパール判決書の日本語訳、読みにくいなー。 いちいち原文と対照したわけじゃないから誤訳かどうかはわからんが、悪訳とはいえるだろうな。 ここでも引用するときは英語原文を併記してほしい。日本でも出版されてるし、こんなサイトもある。 ://homepage3.nifty.com/kadzuwo/history/Hall-content.htm
「宣伝と誇張を、できるかぎり斟酌しても、なお残虐行為は、 日本軍がその占領した、ある地域の一般民衆、はたまた 戦時ふ虜(捕虜)に対し犯したものであるという証拠は 圧倒的である」 NHKスペシャル2007/8/14 パール判事は何を問いかけたのか〜東京裁判知られざる攻防〜 抜粋
東京裁判の4年後、パール判事はこう語っています。 「私の歴史を読めば、欧米こそアジア侵略の張本人であることが わかるはずだ。しかるに、日本の多くの知識人は、ほとんどそれを 読んでいない。そして、自分らの子弟に”日本は国際犯罪を犯した のだ””日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ”と教えている。 (中略)日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って、卑屈・退廃に 流されていくのを、私は見過ごして平然たるわけにはゆかない」
371 :
前スレ482 :2008/10/19(日) 07:10:36 ID:OfVD5jtq
>>351 あれから考えてたんですが、先に法律板の方に話を振ろうかと。
日本語が通じるし、
質問すれば、意外に答えてくれる日本人の法律家も居るかも知れない。
って、反応がないf(^_^;
一応、スレの話の流れに合わせてるんですが・・・。
>>361 だからこそ、こちらから話を振らないと。
(↓につづく)
372 :
前スレ482 :2008/10/19(日) 07:12:04 ID:OfVD5jtq
(↑のつづき) みなさん、今のまま行くと、確実にパール論争は、 従軍慰安婦論争や南京論争の二の舞・・・じゃなくて三の舞になりますよ。 マンガはメディアとしての力が「中程度」にしか過ぎません。 小林1人が頑張るだけじゃ、中くらいにしか真実は広まりません。 従軍慰安婦論争などは、はるか昔に終わっているはずなのに、 アメリカ議会が非難決議を出したりする始末。 麻生新総理は、あっさり河野談話や村山談話を踏襲してしまったようです。 最近の田原総一郎や辻本清美なんて、余裕しゃくしゃくじゃないですか。 さすがに田原はアメリカに戦争開始責任があることを認めたようですが、 そこで止まってるようですし・・・。(←典型的な中程度の影響力) アニメ化まではしないとしても、 こちらから打って出ないと、 ゴーマニズムは古参の読者ばかりが読むものになってしまいます。
374 :
前スレ482 :2008/10/19(日) 08:49:37 ID:OfVD5jtq
日本は東京裁判を受諾しています。
ドイツはベルサイユ条約のウィルヘルム訴追の条項は留保してんのに、 日本は公式に受諾したにも関わらずグダグダ言う馬鹿がいるんだな 一方じゃ「判決」を受諾したのだといい、 一方じゃ「判決」を否定すべきだというんだからキチガイとしか思えん。
北海道大学公共政策大学院のレベルをよく知らないんだが、センセイのデタラメぶりがここまで暴かれたことについて、学生はどう思ってるんだろう。 批判能力がある学生もいるのか、それともセンセイ盲従のボンクラばかりなのか。
>>372 前スレ君はそろそろコテとトリをつけた方がいいな。
例えばf(^_^;)を名前欄に書くとか。
アニメ化なんて何処が引き受けてくれるんだ?どうせならジブリか手塚プロがいいな。
後、誰か援護でもしない限り広まらんぞ。
漫画家なら業田良家の他に山野車輪とかさかもと未明とか久米田康治とか、あるいはジョージ秋山か秋本治とか鈴木みそとかしなっちとか宮下あきらとか、やって欲しいと思う。
日暮・牛村対談今日発売
>>379 そんなこといったら西部だって東大にいたんだからwww
昨日の西日本新聞に、東京裁判の反日本の書評を中島が書いててワロタ
牛村・日暮対談 中島・小林に一切触れてないよ。 すごいな
386 :
前スレ482 :2008/10/21(火) 06:57:20 ID:u1+Rx2Lz
>>380 どうも、相手してくれてありがとうございます。
スルーされそうな気がして、昨日はアクセスしておりませんでした。
コテは、あった方がいいですよね、やっぱりf(^^;
ただ、考えてるんですけど、良いのが思い付かなくて・・・。
(↓につづく)
387 :
前スレ482 :2008/10/21(火) 06:58:02 ID:u1+Rx2Lz
(↑のつづき) >アニメ化なんて何処が引き受けてくれるんだ? あはは、引き受けてくれるところがあるくらいなら、 とうの昔にアニメ化の話が小林のところに来て、 ゴーマニズムで大々的に自慢してることでしょう(笑)。 そもそも、あの絵の下手さが嫌われて・・・ ジブリのアニメーターは、かわいそうだから勘弁してあげましょう。 変な癖がついたら、アニメーター生命を失ってしまいます。 宮崎駿は、掛け値なしに厳しいです。 有名所で頼むとしたら、IGがおすすめです。 押井守がギャグアニメ好きの反共の大東亜戦争肯定論者ですし、 社長がマーケッティングに長けています。 しかも、この社長、インテリ路線でアニメを作っている上に、 フジテレビと仲がいいんですよ。 「パール真論」だったら、 ぎりぎり、インテリ路線の範疇にはいるだろうし、 フジテレビも放映に乗り気になるだろうし、 何とかなるかも知れない。 ええっと、フジテレビは、報道局がときどき、 歴史ドラマをゴールデンで流してるようなので、その枠で。 で、テレビ放映後は、レンタルで広めると。 どうでしょう?
388 :
前スレ482 :2008/10/21(火) 07:14:45 ID:u1+Rx2Lz
(まだまだ、つづき(笑)) でも、一番、重要なのは、お金をかき集めることです。 さて、どうするか・・・。 映画ファンドを作って、1万円づつ、浄財を集めるとか。 1万人が投資したら、1億円。 「パール真論」レベルの絵なら、この程度で作れますよね? デジカメの実写静止画・動画を混ぜたり、パソコンをフル活用して。 ネットで3000人、ゴーマニズム読者で3000人、軍人OB会で3000人、 最後の1000万円はよしりん企画でどうでしょう?
それするなら、卑怯者の島とかを映画化したほがよくね? 直接的な反反日は、圧力かけられるから
卑怯者の島は上手く完結させられたら映像化してもらいたい
391 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/21(火) 19:29:42 ID:6EDKgqRF
ダンカン!この野郎!おめぇ、この野郎。車回せって言ったろダンカン。この野郎、お前は。あぁ? 何で回してねぇんだ、お前は、この野郎。らっきょ、お前はー、また脱いでんのか、お前は、この野郎。 らっきょ!お前は、この野郎。パンツを履け、お前はパンツを!この野郎。うろうろすんなお前、裸で、この野郎!お前は。 嫁いんだろ、お前。この野郎!バカヤロウ!らっきょも、お前も早く車回せよ、お前。どっちか車回せよ、早く。 どっちか車回せよ。お前、この野郎!・・・なんだよ、お前、その感じ。なんだぁ、お前。 車を回せって言ってんだ、お前、らっきょ、お前。らっきょかダンカンどっちか車回せよお前、この野郎。 何で回さねぇんだお前、この野郎。コラー!ダンカン、何だお前その感じ。お前。コラー!何だよ、お前。何だお前。その、何だお前。 車を回せつってんだ!お前、この野郎ー、車回せよ、お前。この野郎。何だお前、この野郎。まあ、いいやもうお前。 おい!ラッシャー、ラッシャー、お前車回せ、お前、そんな事してんだから(?)お前。車回せよ!お前。この野郎。何だ、お前。 そのー、それは、その、その態度は何だお前。この野郎。回せよ!お前、この野郎!回せよつってんだ。この野郎。 らっきょ、お前も早くパンツ履けよ、お前!この野郎。先回してこい!車。この野郎!この野郎、何だこの野郎。 何だ、お前、その目付き、この野郎。何だ、お前。やんのか、お前!逃げるんなら、すんじゃねえよ!お前、そんな感じの、馬鹿! 何だ、お前ダンカン。まだいんのかお前。早く回せよお前、何やってんだお前。お前、いつまでそこにいんだ、お前。この野郎。 早くしろよ!お前、回せよお前。二分ぐらいですむだろ、お前、空き地。空き地に止めたろー、止めてねぇのかお前、この野郎。 止めたろ、お前が止めたろう、お前。タカー、タカー!タカー!タカちょっと、早く来い、お前、降りて来い、早くお前、そっちから。 どこにいんだ、お前、早く降りて来いよタカ!この野郎!タカ、ちょっと早く降りて来い。お前、お前、何だよ、車回せよ早く。
牛村・日暮対談、中島・西部対談よりよかったな。 にしても講談社の新書、最近どうしちゃったんだろう? センスの悪いカバーに変えて売り上げが落ちたもんだから 慌ててまたカバーを変えたみたいだが、もう中身で勝負する気はないのかな・・
多分相撲で負けそうだから。
394 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/21(火) 23:18:20 ID:xkSuxQNq
今日発売に反論載るかな
>>379 俺なら史料批判の仕方も知らない先生には歴史について習いたくないし、
カルカッタの発音も知らない先生にはインドについて習いたくないなあ。
ましてや詐欺師の弟子なんて思われるのは御免だ。万一そんなレッテル貼られたら将来にかかわるよ。
396 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/22(水) 00:37:57 ID:KNbOivWK
マンガ家に言われたんだったら大丈夫ずら?なんせ、漫画家ずら?
小林は史料批判もできない学者を「真正保守の思想家」とか もちあげてたけどねwww 漫画家としての才能はあっても、人を見る目はなかったらしいww
欄外でのコメント 「正論」で東谷が親分を守るためにパール判決書には一切触れず、ケルゼンに 絞って誤謬を書いている。次号の正論でわかりやすく粉砕する。牛村氏も「パール真論」をちゃんと読んでいないな。もちろんパール判決も読んでいない。
399 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/22(水) 03:09:32 ID:uLEMj6B/
400 :
前スレ482 :2008/10/22(水) 05:48:14 ID:807toUy8
>>380 ええっと、
>>386-388 では、
元素ナショナリストさんへのレスとしては、ちょっと変ですね(^^;
>>386 >>388 >>387 の順番で読んで下さい。
一応、筋の通った返事になると思います。
つまり、
お金を用意すれば、どこかのスタジオが作ってくれるだろうし、
マーケッティングをしっかりすれば、どこかの局が放映してくれるだろう
ということで。
401 :
前スレ482 :2008/10/22(水) 05:49:34 ID:807toUy8
>>389 >直接的な反反日は、圧力かけられるから
いえいえ、「反反日」ではありません。
あくまで、「インテリ路線」です。
「怠惰で不勉強な学者たちをしかる。」
これです!
ケルゼンについては東谷の論理に特に穴はないように見えたが、小林にはまだ反論の余地 があるのか。これは少し期待する
ケルゼン解釈は重要な問題ではないと逃げ、 西部中島を批評しないのは卑怯だとすり換えるに100コヴァ
鵜沢の最終弁論に対するパールの感想 「私は弁護人諸士が国際法の議論ばかりして、 東洋の思想に触れるもののないのを見て淋しく思っていたが、 今日は実に嬉しかった」 菅原裕「東京裁判の正体」 小林が綺麗事で誤魔化してるのが良く分かる。
>>400 だけど、結局フジですら反日自虐戦争ドラマ作るくらいだからな。
どだい、無理だ。
>>398 牛村氏にもけんか売っちゃって…
牛村氏も日暮氏との対談で触れなかったわけだが(あそこまでボロクソ言われた日暮氏の手前言いにくいだろうけど)
自称保守派による東条あたりへの嘲笑・非難には、間違いを指摘して軽く叩いただけなのに、 パールのことになるとパールへの評価だけ違うだけで同じ大東亜戦争肯定論者にまで徹底的 に罵倒しまくるっていうのはなんなのかな。個人的な思い入れ以外に何かあるのかいな。
>>407 パール判事関連のまともな書物がほとんど無くて、左翼の書いたキチガイ解説本ばかりなんだから
いつか一言言ってやりたかったんだろう。
一言どころじゃなくなって、分厚い本でボッコボコにしてしまったがw
>>407 引き金引いたのは中島。
但し肝心の中島はとんずらかましたまま。
中島が自分のコメカミに引き金を引いたんだけどな。 あれは酷すぎる。それこそ専門家(日暮さんあたりに)批判されてたら終わってたのに
中島は小林に対談を申し込んだりして論客であることを認めちゃったのが失敗だったな。 しかも自分が「バランスを欠いていた」「反省すべき」とまで言っちゃったしねえ。 今更、低俗な漫画家の妄言なんぞ相手にしない、ってポーズをとっても遅い。
結局、おぼっちゃまくん読んでましたと以来のファンを思わせておきながら、所詮は漫画家だからという感覚で馬鹿にしてたんだろうな。
漫画家だけじゃなく今じゃ研究者の評価も、中島本否定だよ。 特に『アジア経済』の書評は中島の基礎学力の無さをさりげなく暴いていて笑えた。 最初のうち新聞や雑誌で絶賛してたカロ藤らの研究者は、今から見れば無見識をさらけだして恥をかいただけだったな。
415 :
前スレ482 :2008/10/23(木) 05:58:34 ID:l0VuLVCh
>>405 >だけど、結局フジですら反日自虐戦争ドラマ作るくらいだからな。
それは、この前の特攻隊のドラマのことでしょう?
見ましたよ。失望しました。
でも、あれって、あくまで「死にたくないよ物語」でしょ?
特に、クローズアップされていた教師の卵は「学校に未練たらたら物語」でした。
自分が特攻隊に入れられたら、死にたくないと思うだろうし、
フジの報道局の人々も、そう思ったんでしょう。
ネタが特攻では、こう思うことは避けられないと思います。
どうしても、特攻隊のドラマを作りたかったのなら、
『第1航空艦隊』を扱えば良かった。
この艦隊の創設から最後の特攻までを描けば良かった。
この艦隊のドラマなら、
元素ナショナリストさんも私も大満足なドラマをフジは作れたと思います。
フジは、過去には、何十年も戦い続けた元日本兵の話を作ったりしてるのですから、
充分に望みがあると思います。
重要なことは、みなでフジの背中を押すことです。
パール真論アニメを見たいという気運がネットで盛り上がれば、
弱腰なフジもやる気になるはずです。
アニメは無理だろ・・・
417 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/23(木) 18:20:44 ID:ce8dLnD0
しかし中島の本があれだけ大絶賛されて取り上げられたのに 小林のパール真論が一部雑誌を除いてほとんどスルーされてるのは恐ろしいな 東京裁判史観って日本隅々まで汚染しまくって 汚染されてる自覚自体が全く無くなってしまってるんだなぁ
ありもしないGHQの圧力があるんじゃないのか?
なんで中島の奴、のうのうと生きていられるんだ?
ヒント:日本は優しい国だから。
422 :
前スレ482 :2008/10/24(金) 05:55:12 ID:6aFCTAd2
>>416 充分なお金を用意し、
効果的なマーケッティングを行えば、
可能なはず。
「パール真論」なら、
中島たちが間違っていることは、
「判決の参照」によって簡単に説明できてるし、
「判決や発言の引用」によって無罪論まで導いていけてるのだから、
テレビで放映するのには、一番、向いてると思います。
パール真論は、小林色が最も薄い小林本なのです。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
とにかく、基本的には、『参照と引用』によってのみ、
結論が導かれているのです。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
だから、先入観なく見れるはずです。
少なくとも、最小限の先入観しか、わき起こらないはず。
この『参照と引用』をキイワードにして、
マーケッティングやプロモーションを考えましょう。
423 :
前スレ482 :2008/10/24(金) 06:16:28 ID:6aFCTAd2
>>422 >とにかく、基本的には、『参照と引用』によってのみ、
ここで「基本的には」と言っているのは、
例えば、パール判決には出てこない
ヤスパースの罪の4分類
の話が出てきたりするところもあるという意味です。
念のため。
424 :
前スレ482 :2008/10/25(土) 05:56:45 ID:gmCElIN9
>>422 簡単に言えば、「パール真論」はパール判決の解説書だということです。
牛村&日暮の共著にも「パールが東洋思想云々、反植民地思想云々だから判決書にも表れてる」ような事を書いてますね。
p10にて、政府が国民に対して「民族的優越感」を植え付けようとしたことを侵略戦争を準備するための共同謀議の一環とした、検察側の見解に対して、 「本官は、これらはすべての国民に共通な欠陥であると信ずる。 あらゆる国民が自分の人種こそ他のいかなる人種よりも優秀であるという謬見のもとにあるのである。 そして国際生活において、人種的差別が持続されるかぎり、 この謬見は実に防御武装なのである。 どの一国をとってみても、その指導者たちは、『衷心より』(注、bona fides)この謬見こそ国民を劣等感の有害な影響から護るものであり、 また【西洋諸国の行動が人種的差別にもとづいている事実】に徴し、 かような感情は自己防衛の方便として必要なるものであると考えることができるであろう。」 この文脈にて【】部分だけが日暮によって引用されているわけだが、 どの辺が反西洋帝国主義なのかね? 「民族的優越感」を植え付けようとしただけで、 侵略戦争を準備するための共同謀議の間接的証拠になる、 なんて言ってくる馬鹿な検察側に対して、充分かつ有効な「説明」だよ。 共同謀議の文脈知らないのかね? 日暮は。
下巻な。
428 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/25(土) 23:18:29 ID:RFz0UG2p
具体的な事実の記述がひとつもないな。 「人種差別に基づいている事実」 内容がない 偏見とみなされてもしょうがない 検察の立証の不備を突けばいいだけのこと
読んでもない馬鹿が調子乗ってろ。 馬鹿のために引用してやる義理もない。
>>428 >検察の立証の不備を突けばいいだけのこと
オナルシストの立論は如何に?
431 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/25(土) 23:41:48 ID:gglXkqvh
中島からの対談申し込みを断ったくせに、 自分がウタリ協会に対談を求めて断られたら 「小林よしのりを差別しとるのか?」 「これで抗議してきたら、わしは本当に怒る!激怒する!」 って、どうよ?
ウタリ協会っていうのは北海道の社団法人。 小林よしのりっていうのは単なる一漫画家。 しかも中島の対談断ったのは、理由があるだろ… まあ、アンチがもうなんでもいいからいちゃもんつけたいだけだろうけど
今日、日暮の「東京裁判」を買ってみた。 新書なのに高いし厚い
中島としては対談ことわってくれて助かっただろうけどw
自分はおぼっちゃまくんを読んでましたとか、 自分の世代には小林の存在は大きかったとか、 自分はバランスを欠いてたとか反省すべきだとか、 若輩者に胸を貸してほしいから対談してくれとか、 ぜーーーーーんぶ北海道大学准教授クンの「処世術」。 処世術だけでのし上がってきた人間は、処世術が通用しない事態になるとホントに惨めだねえw
前スレ482です。 PalGashBellという名前を名乗りたいと思います。 Palは、パール判事のパール、 GashBellは、金色のガッシュベルのガッシュベルです。 「別に小林信者じゃないよ。」という意味込みです。 キャラを規定するような名前を考えていると、 どうしても長くなるので、 どうしたものかと考えていましたが、 半角なら、それほどスペースを取らないようです♪(^^)
お金の集め方ですが、 2ch全体を巻き込み、協賛してくれるブログも巻き込むなら、 アフェリエイトでも、いけるのではないでしょうか。 専用のブログを立ち上げて、 ハリウッド映画などの人気DVDのアフェリエイトリンクを 順番に張り付けていくのです。 アマゾンなら、確か、注文量が多いときには6%もらえるので、 4000円のものなら240円、2000円のものなら120円、手に入ります。 50万個〜100万個売れれば、1億円に到達です。 100万人の人間が動けば、アッという間の個数です☆ 1億人以上いる日本人のたったの1%の協力で実現可能なのです★ で、宣伝の面において副次的効果も期待できます。 集金額を数値や円グラフで表示すれば、 結構、話題になるはずです。
しかし、ゴー宣をアニメにするなら「よしりん」訳の声優は誰にすれば良いのだろう?w ルルーシュに声に合わせてパール真論読んだら爆笑したwww
さっきのフジの報道2001の特集、見ました? 日本の漁業は儲からなくてダメダメですが、 ノルウェーの漁業は、 良い「ビジネスモデル」を発見して大儲かりらしいです。 なんせ、年収1200万円以上ですよ。すごいです。 アニメ化も良いビジネスモデルを発見しさえすれば、 うまくいくはずです。 一緒に考えませんか? ボヤいているのより、はるかに建設的です。 色々な人が色々な視点からアイデアを出せば、 1人では思い付かないような斬新なビジネスモデルを 思い付けるかも知れません。
440 :
名無しかましてよかですか? :2008/10/26(日) 20:18:30 ID:MDu+c44s
しかし、この論争も不気味だな。 内容的には小林の圧勝のはずなんだけど、なぜか西部、東谷といったこの論争とは本来無関係の人がムキになって小林に挑んでくるし(しかも二人とも一度は小林の勝ちと判定したはず) 論争にコメントした専門家は牛村一人だけ(ただし変に腰が引けてる)、論争の場を提供している正論も読者欄で小林を批判するコメントを載せるし、他のマスコミはAERAを除いて全く取り上げないし、 なんか左右関係なしにマスコミ、知識人がよってたかってこの論争をを葬り去ろうとしているように思える。
>>440 恐らく、政府が関わっていると言ってみる。
西尾幹二の様に、つくる会の時みたく検定パス採択ゼロの方針を政府が採ったと推測して。
政府は村山談話河野談話そして「裁判」受諾の見解をアホみたく採っているから、パールの判決書出されると現在の連合国による捏っち上げ体制が揺らぐからじゃないのかと考えてみる。
>>441 >現在の連合国による捏っち上げ体制が揺らぐからじゃないのかと考えてみる。
いや、今の日本人は、ボケてるし、あきらめが良いし、
都合の良い理由付けを考えるのが得意な人がいたりして、
全然、揺るがないんじゃないかと。
>>440 >論争の場を提供している正論も読者欄で小林を批判するコメントを載せるし、
あー、それ、旧ゴーマニズムで読んだことある(笑)。
渡部昇一が、こういう時に何の働きもできないのも、痛いですね・・・。
援軍になりそうで、ならない・・・。
ちょっと前の話に戻りますけど、
論争を「国際化」するのも、手だと思いますよ。
つまり、インドの国際法学者に話を振るという。
間にネットをやっている学生を挟むことになりますが、
国際法スレをのぞいてみたら、国際法を専攻する学生が結構、居ましたので、
インドの掲示板でも、同じように国際法の学生が見つかると思います。
ところで、不気味つながりで一言言わせてもらいたいのですが、
自分にとっては、あれこれ働きかけているのに、ほとんど反応の来ない、
そのみなさんの「無反応さ」が不気味です。
>西部、東谷 こいつらが訳わかんないのは一貫してるからww
日暮・牛村の共著本を読んだ人いますか〜?
読んだよ
>>442 渡部昇一氏は「致知」という本でこの論争について触れていたぞ
いい本だと思うよ。 中島にも小林にも一切ふれてないが
>>449 あー、「『パル判決書』の真実」でも触れてはおられます。
でも、あれだけの人気のある有名人でありながら、
この論争については、援軍にはなってない気がします。
誰も反論してこないですし・・・。
>>445 >>448 それって、大昔に流行った
「オマエモナー」をくだけて言っているだけなのではないですか。
どう不気味なのか説明できますか?
>>442 >>452 自分としては、精一杯、挑発してるつもりなのですが、
オマエモナーしか、返ってこなかったか・・・。
自分が英語が出来れば、自分でインドの掲示板に書き込むんですが・・・。
このスレですら、この調子なら、国際法スレに行っても似たような調子だろうなぁ・・・。
「敵に回すと怖いけど、
味方にすると頼んない。」
まさに、これですね。残念。本当に残念。
とりあえず中島の出るシンポジウムや講演に行って批判してみては。
>>451 まだ半分ですが読んでみました!
パル判決の所で「反西洋的思想」=判決に影響しているとなってますね。
>>454 うっ、う〜む。運が良くても、1回しか、発言の機会は回ってこないですよね。
司会者が追及を続けさせてくれるとは考えにくいですし・・・。
絶対、制限時間があるとか何とか言われてしまう・・・。
気が変わりました。 ダメモトで国際法スレには、行こうと思います。 ★ で、お願いなのですが、 何かあったら、援護射撃はお願いできるでしょうか? 例えば、「日本は有罪に決まってるでしょ(笑)。」などと言われたときに 反論のためのアドバイスは頂けるでしょうか? 出来れば、援軍に来ていただけると有り難いのですが。
ROMってる人たちが、気が変わって後でやってくれるかも知れないので、 書き込むだけ書き込んでおきます。 3つ目のお金の集め方です。 2chブラウザにバナーを付けるという手も考えられます。 ただし、「横長広告」は邪魔なので 「縦長広告」か「正方形広告」が良いと思います。 ベクターに行くと、説明文がバナーに付属する縦長広告とか、 大きな正方形バナーがありました。 もしも、これが実現したら、 自動的にどんどん、軍資金がたまるようになるわけだし、 大量に広告が撃てるようになるかもしれません。
突撃は控えるべし。 如何に「正しい」としても雰囲気があるから、少数には少数なりのやり方がある。
>>460 「突撃」には、当てはまらないと思いますが・・・。
国際法スレは、読んでみた限りでは、
法的良心はあるのは分かりましたが、
どういう歴史認識なのかは、分かりませんでした。
ということで、最悪の場合に備えて言っています。
もともと、パール論争って、法律家がまいた種なのだから、
法律家が後始末をするべきでしょう?
とはいえ、どちらにしろ、無視される可能性の方が高いとは思います・・・。
まあ、ダメモトということで。
国際法スレに書き込む草案を書いてみました。 ご意見をお聞かせ下さいm(_ _)m ■■■■■■↓草案■■■■■■
初めまして。ゴーマニズム板から来ました。 みなさんは、この分野の専門家ですから、ご存じのことと思いますが、 最近、また、「パール判決論争」が再燃しております。 アメリカ軍が日本から撤退して 田中正明が「パール判事の日本無罪論」を出版してからですから、 延々、50年以上、論争は続いているわけです。 でも、実はこの論争には、 本来の主人公であるはずの国際法の専門家が加わっておりません。 そこで、みなさんの意見をうかがいたく、書き込んだ次第です。 そして、出来れば、教授や準教授の方々にこの話を持っていって、 発言していただけるよう、促していただければ幸いです。 (↓につづく)
(↑のつづき) それで、特に、聞きたいことを3つほど、以下に書かせていただきます。 [1] 角田順が「共同研究パール判決書」に書いている 『道義上の責任』とは、一体、何のことなのでしょうか? 「平和に対する罪」と、何が違うのでしょうか? [2] また、この「共同研究パール判決書」の冒頭の解説は、 書き直されることはないのでしょうか? 相当に問題のあることが書かれているようですが。 [3] そもそも、いまだに論争が続いている原因は、 横田喜三郎や田岡良一や角田順ら 戦後初期の国際法学者の責任だと思うのですが、 今の国際法学者たちは、彼らの間違いを直せないのですか?
■■■■■■↑草案■■■■■■ どうでしょう? PS:そういえば、横田喜三郎はあまり評価されていないみたいです。
>>460 >>461 「あの時代は、国際法がととのっていなかったからなぁ〜。」
などと、グチられそうな気もします(^_^;
>>460 そう言えば、
>少数には少数なりのやり方がある。
って、例えば何ですか?
法律の知識ある人間であろうと素人であろうとパール判決書を読む人間はほぼ確実にいないから、 国際法スレに行こうと無意味。
>>466 「パール論争」は国際法の論争というより「歴史認識論争」の性格が強いものと
なっているのが現実なので、貴方にそのつもりは無くても、先方は確実に「突撃」
と受け止めると思いますよ。貴方が掲げた三点の質問も小林氏が論点として挙げた
範囲に限定されてますし、彼らが国際法スレに沿う内容と認識するとは考えられま
せん。
>>460 、
>>467 の言うように翻意されることお勧めします。
そう言えば牛村氏も最初、パールは国際法の専門家?権威?では無いような事を言ってましたよね。
とりあえずダメ元で行ってみれば? これだけ話題になってれば、どういう思想性があろうが少しは読んで 自分なりの見解を持ってると思う 国際法律論争になるか歴史認識論争になるかスルーされるかわからんが
>>468 「道義的責任」について検索してみました。
弁護士菊池捷男の知って得する法律豆知識
義務と責任は同じ意味?
http://www.shinenet.ne.jp/~kikuchi/mame/mame3.html 面白いことですが、道義的責任という言葉は日常しばしば聞きますが、
道義的義務という言葉は聞きません。
法的責任は、まず法的義務があって、その義務が履行されないときに、
発生しますので、その前提としての法的義務という言葉が、当然ながら、使われます。
これに対し、道義的責任を言う場合、道義的義務という言葉が使われないのは、
それが「義務」ではないことが暗黙の内に了解されているからなのでしょうか。
つまり、道義的責任をいうのは、義務なき責任の追及であることを、
暗黙の内に認めているからなのでしょう。
ということで、道義的責任について法律家に質問することは問題ないと思います。
実際、裁判になると問題にされることですし。
(↓につづく)
(↑のつづき) それに、最近、オナルシストさんたちの書き込みを読んでいて、 周期的に道義的責任について考えるうちに、 東京裁判における道義的責任=平和に対する罪 ではないかという気がしてきました。 この点をはっきりさせたいという気もします。 >「パール論争」は国際法の論争というより「歴史認識論争」の性格が強いものと >なっているのが現実なので、 出発点がそうではないでしょう。 法律家が、何も言わないから、不毛な議論が延々と続いているのではないですか?
パール論争が国際法学者の問題であることを、はっきりさせるため、 後半を加筆修正しました。 ■■■■■■↓草案■■■■■■
(↑のつづき) それで、特に、聞きたいことを3つほど、以下に書かせていただきます。 [1] 角田順が「共同研究パール判決書」に書いている 『道義上の責任』とは、一体、何のことなのでしょうか? ★「平和に対する罪」と、何が違うのでしょうか? [2] また、この「共同研究パール判決書」の冒頭の解説は、 書き直されることはないのでしょうか? 相当に問題のあることが書かれているようですが。 パール判決をどう解釈すべきか、 ★新しく解説し直す必要があるのではないでしょうか? [3] そもそも、いまだに論争が続いている原因は、 横田喜三郎や田岡良一や角田順ら 戦後初期の国際法学者の責任だと思うのですが、 ★今の国際法学者たちは、彼らの間違いを直せないのですか?
>>470 やはり、「専門家の見解」は知りたいですよね!
専門家じゃない人ばかりが寄ってきて、
あれこれ議論したって、
それでは、永遠に論争が終わらないかも知れません。
まっ、まあ、彼らと論争したら瞬殺されるような気がしますが、
あまりにも変なことを言っていたら、何か言ってやろうと思います。
★
次は、インドへ行くわけですから、
とりあえず、その前に日本人専門家の意見を聞いておかないと。
インド人から「何だ、聞いてないのか?」と言われても
なんですしf(^_^;
ということで、書き込みました。
論争していればそのうち専門家が出てくるだろう 小林のパールへの拘りようを見れば、曖昧なまま終わることはなさそうだし
今日、発売の「正論」で 東谷・牛村に反論
478 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/01(土) 07:46:29 ID:a8lZGkPi
だれか、正論よんだ?
今月号の読者投稿は、小林氏寄りだった。
ここで触れられすらしなかった八木は アホってことで全会一致。 OK?
>>426 に関してオナルシストなどはどうでもよいが、
パール判事がその
(ここで引用されているのはパール判事がよくするまず最初に結論、の部分。)
後引用している箇所がどのように歴史的事実に反するのかをはっきり検証しなければならんな。
日暮と牛村がな。
パールが「法廷」でアメリカを「断罪」した事例とか パールが国際法学界で名声を得ていた根拠とか
塵クズの意見まで取り上げる必要はないw 原爆に関しては、小林氏は言い過ぎだがな。 国際法学界で名声云々は、 国際法協会会員であったことくらいしかわかっていない。 その他は一匹塵クズがイカれてたなwww 中島、東谷辺りに頼めや。 奴等ですら取り上げるかどうかw
所詮塵は枝葉末節、批判された側の牛村が何も言ってこないこと誰も指摘したくもないことくらいしか突っ込めない。
あぁ後
>>480 は俺が勝手に選んだわけで実際参考にしているかどうかは知らん。
所詮、当たり前のことだからな。
オナルシストに一つ教えておいてやるが、平和の宣言をよ〜く読めば、田中正明氏があの時点で護憲であることがわかるぞw 嘆いてるからな。 憲法改正と再軍備同列に扱って。
結局、牛村と日暮は「人種、反西洋の思想が判決に影響している。」的な事を 新書でも述べてるけど小林はそれを否定してるんですよね?
「正論」買った。 東谷がポロクソに言われてたよ。 もう反論しようがないんでない? 牛村・日暮の共著も追記で批判。 ついでに八木にも呆れてた。
牛村は東京裁判で裁かれたのは被告個人であり「日本」は裁かれておらず パル判決を「日本無罪論」とすべきことには反対すると言っている これは牛村だけが言っていたわけではなく、『パール真論』のp190に出てくる 戒能道孝も「日本を裁いたとしたら不名誉な越権である」と読売新聞に書いている。 しかしそんなことを言うのなら「チャーターには拘束されない」 と表明した時点でパール判事は越権行為を犯したことになる。 現にイギリスのパトリック判事は「我々はチャーターによって任命されたのだから、それに従わないのなら辞任を申し出るべきだ」 と他の判事に覚書を送った。それに対しパール判事は反論し、パトリック判事は「インド政府はなぜあんな男を指名したのか」 と本国に報告書を送っている。 あと「個人」を裁いたというが絶対王政時代の専制君主じゃあるまいし個人の意志で 戦争ができるのか?東条が侵略的な性格を持っていたから戦争が起こったと検察側は主張したいのか?
編集部も土俵これから設けるらしいが、「西部学派」ってウィキに載るかな? 一応「西部学派」 西部邁 中島岳志 東谷暁 牛村圭…? 日暮延吉…?
>>495 東谷以外、西部グループじゃないんじゃんw
中島は憲法9条擁護のばりばりの左翼だし、牛村・日暮は付き合いすらないw
無理がありまするぞw
497 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/02(日) 00:13:10 ID:cCUL7+4F
西部グループっていうのも笑ったな。 西武グループみたいでw
499 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/02(日) 08:24:26 ID:uE/wBDhh
東谷のケルゼン解釈批判については何か書いてた?
>>403 で正解
「ケルゼンは議論の本筋ではない」(笑)
小林はチャーターが罪を規定してることすら知らんらしい
小林の珍説 「予備的法律問題」で日本無罪確定(笑)
>>499 ケルゼンの内容についても反論してたよ。
オナルシストがトンデモ発言!!!
しかも自作自演でw
予備的法律で日本無罪確定じゃなきゃどこで日本は無罪なんだよwwwwwwwww
通例の戦争犯罪か?www
チャーターが罪を規定してるって?
お前はパール判事がどのように戦ったのか理解出来ない塵クズだから黙っておけw
504 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/02(日) 17:58:48 ID:MixqfnOg
>>500 オイ!塵クズ!
>ケルゼン解釈は重要な問題ではないと逃げ、西部中島を批評しないのは卑怯だとすり換えるに100コヴァ
逃げたか?
反論してただろうが。
誰も何も言わなきゃ即座に捏造たぁ、
見事な塵カスだ!
あっゴメン、
>>503 で塵クズに問うことが間違い。
是が非でも日本有罪論だからなwwwwww
>>504 馬鹿は相手にしないほうがいいよ。
頭は完全に「日本有罪論」に染まっているから。
西部と同じで「国際法なんて関係ない!マッカーサー様が造ったチャーターに従え」
と洗脳されている哀れな属国民なんだから
>>506 そうだね。有り難う。
何も知らない人間にデマを吹き込んでいたから、
あまりにもお見事でw
ケルゼン解釈について反論していることさえ述べないからビックリしたよw
恐らく、
「わしは別にケルゼンを信奉しているわけでもなく、この論争のために初めて読んだ素人に過ぎないので、
これ以上ケルゼンについて論じるつもりはない。」
ってところ辺りで、
逃げた!
と挙げ足取るのだろうねw
単に、これ以上ケルゼン学者みたいに研究する気がないって意味なのにw
そういえばチャンネル桜の掲示板で西部信者と思われる人物が小林氏を 攻撃してたな。それが教祖様と同じで「保守がどうたら〜」と連呼しているだけ。 まあ『パール真論』も『パル判決書』も読まずに「保守派の友ではない」と 言い東京裁判史観を信仰している西部は「詐称保守」として後世に名を残すだろう。
509 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/02(日) 18:54:18 ID:5CG2Q3MF
ラ亜zzdggghhhjjkプゲラwwwwwっうぇfgbんm、。m、、、kk、 げrちおl
>>508 sakamotoだっけ、
当為を排した、当為を排した、
と教祖ヨロシク馬鹿みたいにパール判決を誹謗してる多言症でしょwww
教祖様のおっしゃること絶対な塵クズだからw
そうそうsakamotoっていう人。しかし小林氏は文章でも西部グループを 発狂させたんだからすごいなーと思った。 正直もっと発狂するところを見たいんだが、小林氏はアイヌ問題を描くだろうし 今回の『正論』で見納めかな。
>>503 > 予備的法律で日本無罪確定じゃなきゃどこで日本は無罪なんだよwwwwwwwww
予備的法律問題で結論出るなら裁判も検証も必要ないな
無意味なパール史観(笑)
> チャーターが罪を規定してるって?
小林はチャーター批判を撤回するわけね
514 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/03(月) 00:40:32 ID:EOmyF3EG
少し前だけど、西日本新聞で『東京裁判 第二次大戦後の法と正義の追求』って本の書評を中島岳志が書いてた。 要約すると、 @東京裁判は国際法からみて合法 Aパール判事は間違っている。 書評冒頭で、著者はアメリカで教鞭を振るっている偉い人って説明してたり(権威づけ) 『東京裁判について、なんども言い争われている』とか『この書が新たな論戦のきっかけになることを期待している』とか、あきらかに小林を意識してて面白かった。 論戦といい中立を気取りつつ、反対意見を提示しなかったり、実に中島らしい小物臭い文だった。 ところで、この本しってる人いる? ちょっとググッてみたら、けっこう絶賛されてるみたいなんだけど
515 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/03(月) 02:42:11 ID:xZGKvRlp
駅前で「手相占いの勉強してます」と声を掛けてるのが統一教会ですwwww
サリンはオウムの工場では作れません。工場では覚せい剤やLSDを作ってました
オウムは統一草加の下部組織ですよ
911では小型の水爆が使われましたよ(イラクでも核兵器が使用されてる)
2ちゃんねるは統一教会が運営して個人情報を集めてますよ
2ちゃんねるで「チョン」「ネトウヨ」言ってるのは統★教会ですよ
草加の池田台作はソン・テジャクという名の朝鮮人ですよ
日本の与党野党の要職は朝鮮人ですよ
統★教会,草加は覚せい剤などの元締めですよwwwwwwwww
ユダヤの子分→北朝鮮=小沢]朗=自民党清和会=与党野党の朝鮮人=統一教会=草加=ヤクザ=日本右翼は朝鮮人
ユダヤの子分→桜井良子=マスコミ=読売=毎日=サンケイ
ユダヤ人→ロックフェラー=ブッシュ=クリントン=ヒラリー=ヒトラー=オサマ・ビンラディン
★★ユダヤ北朝鮮カルト統一草加は日本で保★険★金★殺★人★★をしてますよ。動画見てください↓
無料の動画見てくだい!!!(規制回避のため★がついてます。取り外してね)
与党★も野★党もメディアも★全部朝★鮮★★人だった。
ht★tp://j★b★★bs.l★ivedo★★or.jp/b★★bs/re★ad.c★★gi/news/2★★092/1★1579★413★06/
■2チャンは★創価・統一の朝★★鮮人の日本支配の道具。背後にユダヤ。
http://j ★b★bs.li★★ved★oor.jp/bb★★s/r★ead.c★gi/news/2★092/119★★49471★★43/
フ★ルフ★ォ★ード
http://be ★nja★min★fulford.type★pad.com/ben★ja★min★fu★lford/
コ★シ★★ミ★ズht★tp://ri★cha★rd★ko★shimi★zu.at.w★e★bry.info/
独★立★★党ht★tp://do★k★u★ritsuto★u.ma★in.jp/
ht★tp://vi★de★o.google.com/v★ideosearch?★hl=ja★★&q=%E3★%★82%★B3%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%82%★BA&lr=&★um=1&ie=UTF-8&sa=X&oi=v★ideo_result_gro★up&res★num=4★&ct=t★itle#
毎日新聞スレ荒らしは2ちゃん運営(統一協会)
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1225645600/
八木さんにも触れてあげて下さい…。 次号の東谷さんはどう反応するだろう? @黙りA論点をすり替えて批判B負けを認める
517 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/03(月) 21:38:53 ID:LjTgu/6O
>>514 東京の学術書扱ってるような書店には必ず平積みされてるな。
518 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/03(月) 22:53:30 ID:LJmw2gM1
___ / \ / \ , , /\ / (●) (●) \ あなたねぇ、政府の意向に反する論文を書く者が | (__人__) | 幕僚やってていいと思ってるんですか? \ ` ⌒ ´ ,/ 自衛官に言論の自由などありません! . /⌒〜" ̄, ̄ ̄〆⌒,ニつ | ,___゙___、rヾイソ⊃ | `l ̄ . | 狂師 | では日教組の皆さんも、政府に従って日の丸君が代を授業に採り入れてくれますね? \____ __________________________/ \/ / ̄ ̄\ / \ ____ |:::::: | / \ 教師の思想信条は . |::::::::::: | / ⌒ ⌒ \ 政府に拘束されません。 |::::::: 政府 |/ (●) (●) \ . |:::::::::::::: } | (__人__) | 反政府デモにも参加しますが何か? . ヽ:::::::::::::: } \ ` ⌒´ _/ 言論弾圧反対!! ヽ:::::::::: ノ | \ /:::::::::::: く | | 狂師 | | -―――――|:::::::::::::::: \-―┴┴―――――┴┴――
>>516 A→@と言う順序。
それで最終的にBと来てAに回って@となる。
>>503 > チャーターが罪を規定してるって?
パール真論p163
コヴァは東京裁判の基礎知識がないばかりか、パール真論も読んでないらしい
教祖様が健忘症だからしょうがないな
>>520 チャーターが本来事後法でしかない平和に対する罪を規定したからといって
何だというんだ?ってことだろ。
アホの
>>501 が何を思ってクズっぷりを晒したかが、
ヒントになるかも。
524 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/04(火) 20:39:46 ID:JFd1DuDJ
どうして、学者は「日本無罪論」と言えないのだろう。 歴史家の師弟関係とか学閥とかが関係して、牛村も、言えないのだろうか。 それを言ってしあむと、「歴史家」として終了するとでも恐れているのだろうか。
525 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/05(水) 06:16:25 ID:pSXpTA19
牛村さんはないだろう。ひぶん出身だし 日暮さんはいろいろありそう
パール論争って左派はどんな感じなのかね? スルー?
527 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/05(水) 15:18:39 ID:KyjI1JVT
研究者にとってのWGPの呪縛ってそこまでひどいのかな。党派性のない牛村が無罪だと言えないほど。 しかも、判決文本文にすら言及できない。 見てしまたtら、真実を書かねばならないから、開けられない。まさに、パンドラの箱。
Iが欠けているからさ。
529 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/05(水) 21:35:30 ID:0TttXxXw
正論読んで来たけどかなり感情的で下品な語り口になってたな、よしりんw ここまで一刀両断するまでに何度も警告してたのにねぇ これは西部が悪いよ、不誠実過ぎる 最初の中島擁護までは有る意味しかたがなかったと同情するけど よしりんにパール判決原典を読んでないだろって指摘された時に謝るべきだった 対談本とかが先に決まっててがんじがらめになってたんだろうけどねぇ その後はみっともないというか悲しすぎるわ、保守の巨人だろ 年は取りたくないねぇ
530 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/06(木) 12:49:52 ID:0cVCQunJ
日本無罪否定派は、無謬と無罪の間のものを道義で裁いているって感じるんだよなぁ。
>みっともないというか悲しすぎるわ、保守の巨人だろ こいつが駄目なことはみんな知ってたろww まあ、真正保守の思想家とか持ち上げてた漫画家もいたけど。
パルはなにも、日本がいいなんてことは言っておりません。 正しかったなんて、言ってません。 ただ、一方的にこういう裁きをしていいのか、と言ってるのです。
ケルゼンに関しては、安心出来ないよ。 これは確実。 頑張ってもらいたいけどね。
>>532 「まだ読んでない人をだましてやるぜ作戦」ですか?
てかなんでケルゼンなんて出てくんだよ パール判決の話だろ
>>530 「無謬と無罪の間」については、私も最近、考えていますが、
実は、この間の部分って、「たいしてない」んじゃないかという考えに
最近は、傾いてます。
↓に国際法スレからコピペ
227 PalGashBell ◆e3H.Q7t8.U sage 2008/11/03(月) 06:47:36 ID:scDR6T4H
>>226 の[1]について分かりにくいかも知れませんので、
補足説明します。
道義上の責任と言えば、真っ先に思い浮かぶのが南京虐殺です。
直接の責任者は日本軍ですが、
日本人全体にも道義上の責任があるというわけです。
で、南京に関する裁判におけるやり取りを見てみますと・・・
清瀬一郎弁護人が、
残虐行為はあったようだが、誇張やねつ造をされて、膨らまされて語られている。
という内容の主張をしたのを受けて、
パール判決では、
プロパガンダ一般についての話をした後、
南京は誇張されている疑いがある。
という内容の主張が書かれています。
これが、フランス人判事に至っては、
全くの「事実誤認」であると断言しているほどです。
実際、東京裁判において、まともな証言はなかったようです。
(↓につづく)
228 PalGashBell ◆e3H.Q7t8.U sage 2008/11/03(月) 06:49:09 ID:scDR6T4H (↑のつづき) となると、南京において起こったことは、 他国の軍隊が他の都市を占領したときに起こっていたような そういうレベルの犯罪があっただけだと推測されるわけです。 そのレベルの犯罪なら、戦争が起これば自動的に起こることだと考えるべきで、 つまり、「道義的責任」と戦争を起こしたことに対する罪である「平和に対する罪」は、 ほぼ、重複することになります。 道義的責任には、 他の犯罪や犯罪には含まれない一般的な戦災なども含まれると思いますが、 他の犯罪も道義的責任としては、 「平和に対する罪」と重複するものしか無いようですし、 一般的な戦災にいたっては、完全に重複するわけですから、 総合的に言って、 東京裁判における道義的責任≒平和に対する罪 と言ってよいと思います。
>>534 下手なこと言って足を引っ張るな。
無能なんだから自覚しろ。
まっ無能は言い過ぎか。 それ田中正明氏の発言だから。 それくらい押さえてからつっかかるんだね。 しかも何ら問題はない。
わしズムも読んでないような奴がパール真論読んでるのかどうかも疑わしい。
>>532 の言い方が曖昧すぎるだろ。
日本は「いい」とは言ってないって、そらJapan is good.とか言うわけねーだろ。
しかし、無罪である、という主張がなされたのは揺るがない。
>>532 2回目に
正しかったなんて、言ってません。
って言ってるから「いい」はその意味でしょ。
咄嗟に出た言葉だからそんなもんでしょ。
無罪であることに変わりなしだがな。
>>541 パール真論なら読んでますけど、わしズムは買ってません。
・・・小林ファンじゃないって、既に言ってるんですが・・・。
ファンじゃなくても、買ってる人は買ってるんでしょうけど。
>>543 >咄嗟に出た言葉だからそんなもんでしょ。
なるほど、そうなのですか。
>>540 >>542 >>543 広島の「大亜細亜悲願之碑」から言って、明らかにパールは正しいって言ってます。
判決書の最後にも「正義の女神の天秤」の文章がありますし。
>>532 を初心者さんが読んだら、間違いなく勘違いしますよ。
せめて、発言者の名前ぐらい、書いて欲しかった。
>>545 >広島の「大亜細亜悲願之碑」から言って、明らかにパールは正しいって言ってます。
判決の話。
>判決書の最後にも「正義の女神の天秤」の文章がありますし。
だからといって日本が正しいなんて言っていない。
つーか言ってたらおかしいだろうが。
正当化には踏み込んでないんだよ。
頼むから足を引っ張るようなことをするな。
工作員ですか?
>>544 お前さんの事じゃないよ。
別スレで同じIDの奴がわしズム読まずアイヌの事でうだうだ言ってたから、ここで釘刺した訳。
そういえばIDが微妙に違っていた。 勘違いだスマヌ。無視してくれ。
549 :
ラサ ◆/qA26WorWM :2008/11/08(土) 18:29:57 ID:vcsayLx3
このスレではもちろんパールが田中氏の日本無罪論のタイトルにすることに パールが同意したって話は既出なんだろ?
ちゃんと書いてあるよ。
551 :
ラサ ◆/qA26WorWM :2008/11/08(土) 20:57:36 ID:vcsayLx3
そっか
ありがとう
パール真論の次の増刷で
>>549 の件も載せるようにすればいいのにな
??????? コテはアホばっかか?
553 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/09(日) 00:11:26 ID:g58oJYcQ
おまえが馬鹿すぎて話しについていけてないだけじゃないの?
しかし、俺には
>>551 が不思議に思えてならない。
>パール真論の次の増刷で
>>549 の件も載せるようにすればいいのにな
>>549 ↓
>このスレではもちろんパールが田中氏の日本無罪論のタイトルにすることに
パールが同意したって話は既出なんだろ?
そもそも、パール真論に既に載っているのだがな。
しかもそれ以後の論文でも触れられている。
それとも「2ちゃんねる」なんて紹介じゃかなく、このスレのことを大々的に紹介してもらいたいのか?w
>>545 もかなりおかしいこと言ってるしなあ。
やっぱりコテはなんか変。
馬鹿?
>>545 >
>>532 を初心者さんが読んだら、間違いなく勘違いしますよ。
せめて、発言者の名前ぐらい、書いて欲しかった。
後さあ、レス番の三つともすべて、俺に宛ててるみたいだけど
>>532 は俺じゃないから。
そこんとこ宜しく。
文句なら
>>532 に。
確かめもせずにいきなりつっかかる方もアレだが。
>>548 いえいえ、どーも(^^)
>>554 >そもそも、パール真論に既に載っているのだがな。
それ、単にど忘れしただけでしょう。
>やっぱりコテはなんか変。
>馬鹿?
そういうこと言うなら、あなたもコテを使ってみたらどうですか?
同じことを言われるようになるかも知れませんよ?
>>556 ど忘れ
って(笑)
知らなかった、
の間違いだろ(笑)
なんか非常にズレてんだよ。
コテさんは。
その中でもずば抜けているのが君。
後、コテ使う気はないよ(笑)
>>555 >>545 の1つ目は、批判じゃないです。
「なるほど」と思っただけです。
>後さあ、レス番の三つともすべて、俺に宛ててるみたいだけど
ということは、IDが[1wcxbzRJ]の方ですね?
だったら、2つ目と3つ目は、あなたと
>>542 さんへの反論ですよ。
★
>>532 の引用の仕方には、「悪意」を感じませんか?
引用元や発言者について、何の説明もないのですよ?
パール判決について調べ始めた人が、
検索などでこのスレにたどり着いたとしましょう。
最初に
>>532 を目にしたら、混乱する可能性が高いです。
中島みたく、
「法的には問えなくても、道義的には日本は侵略した。」
などと、詭弁をろうされれば、コロッとだまされるかもしれません。
>>554 >
>>545 もかなりおかしいこと言ってるしなあ。
↑の★以降の通りです。
>>558 つまり、「コテ使うとやばいかも」という自覚があるのでしょう。
>>557 >
>>556 >ど忘れ
>って(笑)
>
>知らなかった、
>
>の間違いだろ(笑)
匿名なら、いくらでも平気でこういうことが言えます。
>>546 最後にあなたは・・・。
前半については
>>559 の★以降を読んで下さい。
後半については、「読解力」を働かせて下さい。
石碑の話を補強するために天秤の話をしているんですよ?
天秤の話は独立しているわけではありません。
>>561 >
>>545 の1つ目は、批判じゃないです。
「なるほど」と思っただけです。
んなとこは批判してないから安心せよ。
>最初に
>>532 を目にしたら、混乱する可能性が高いです。
悪意ねえ(笑)まっ、
>>532 に文句言っておいてくれ。悪意を持っていたとすれば、単なるアホやね。
いずれにせよ、こんなことで騙され、調べようという気のない奴には用がない。まあ、結局そんな馬鹿にも俺は優しかったわけだが(笑)
>後半については、「読解力」を働かせて下さい。
>石碑の話を補強するために天秤の話をしているんですよ?
>天秤の話は独立しているわけではありません。
石碑の話を補強?
>>532 は判決についての話。ってことは既に言っている。
>広島の「大亜細亜悲願之碑」から言って、明らかにパールは正しいって言ってます。
>判決書の最後にも「正義の女神の天秤」の文章がありますし。
>>540 >>542 >>543 は
>>532 についての話。そもそも石碑は判決後、個人訪問での言葉。よって理由にならない。天秤は判決の最後。石碑の言葉を補強出来ない。
で、石碑は関係ないので、判決の言葉である正義の天秤云々を、パールが、日本が正しいと言っていた理由にするとしても、内容的に何処がどのように日本が正しい、に導かれる?
これこそ読解力の問題だ。
パール真論に引用されてるだろうから、説明してみせてくれ。石碑が重点の君にはムリか(笑)
工作員か、ど忘れかどちらにせよ、判決の話を判決後の石碑で説明しようなんて、一番誤解されちゃ駄目な話じゃん。
そんなことを当然のごとく書いている君の文章を読んで、その通りだ!
なんて思う馬鹿な初心者には悪いんじゃないの(笑)
>つまり、「コテ使うとやばいかも」という自覚があるのでしょう。 そもそも、こんな匿名の場所でコテ使っている時点でやばいけど、 君の場合はさらにズレまくり。 それは証明済み。 コテつけてここの論客になる気はない(笑) コテ使って一体何がしたいの? 2チャンネルでする意味が不明なんだが?
折角だから一応、
>>532 について言っておくけど
この言葉はおそらく
>>530 に対応してるのだろう。
というか文脈から考えると
>>524 辺りから日本無罪論について話されてはいるが、直接的には
>>530 の可能性がかなり高い。
>日本無罪否定派は、無謬と無罪の間のものを道義で裁いているって感じるんだよなぁ。
これを考慮すると
>>532 は、悪意は悪意でも日本無罪否定派に対する悪意であると考えることが、十分に出来る。
日本無罪否定派が何を言っていようが、
田中正明氏はこのように言っている、ってね。
もちろん、
>>532 が日本無罪否定派で、反対の意味で悪意を持っている場合も否定しはしない。
その場合は逆に墓穴を掘っただけのことになる。
いずれにせよ、悪意の相手が別の場合の可能性も十分あるのだから、もう少し調べようぜ、文脈理解して読解力を養おうぜ(笑)
パール判事は大東亜聖戦論に踏み込んでるんですよ よしりんが正論で書いてます 田中正明氏が間違ってる可能性もあるのでは?
>>565 田中正明氏は、正確にパールのことを理解していると思います。
ただ、
>>532 は誤解を招く表現になってるんです。
少なくとも、現在のパール論争では、誤解を招きやすいと思います。
>>565 >パール判事は大東亜聖戦論に踏み込んでるんですよ
よしりんが正論で書いてます
それも石碑同様個人としてだ。
『平和の宣言』での話。
小林氏もパール氏個人と判事として書いた判決を分けている。
読解力無さすぎだよ君は。
普通文脈からして『平和の宣言』について、中島の恣意的引用ぶりを論破している箇所なことくらい簡単に理解出来る筈だがな。
>>562-564 まあまあ、その文章の分量から判断するに
相当に頭にこられたようで(笑)。
どうも「読解力」という言葉を連発すれば、
相手を怒らせられると思っておられるようで(笑)。
私は「宣伝戦」について言っているのですから、
>>532 に引用元や発言者についての記述がない以上、
引用元や発言者が何であれ、それは関係がないのです。
>いずれにせよ、こんなことで騙され、調べようという気のない奴には用がない。
「宣伝戦」においては、数が1番、重要です。
>コテ使って一体何がしたいの?
>2チャンネルでする意味が不明なんだが?
なるほど、あなたには分からないわけですね(^^)
>>566 誤解を招く?
それはお前が理解能力ないからだろ。
判決に関連した話故に
普通に正論だ。
それと田中氏は「正確」に理解しているとは言い難い。
「概ね」だ。
>>568 >私は「宣伝戦」について言っているのですから、
君が宣言戦をしたいのはわかったが、
デマを平然と言ってのけるようでは、中島とあまりレベルは変わらないなあ。
>>562 あたりで間違いをきちんと教えてあげたから、
君の宣伝戦のお役に立てたと思うよ(笑)
間違った部分を撤回もせず、 デマを垂れ流しにする中島のような奴に宣伝戦をされても困るので、撤回、反論ヨロシクね。 論の部分に関してはマトモに相手してるんだから。
人種差別撤廃案も空襲裁判も善意であると書いてますよ
>>575 ID:djeSUTLGだから
>>565 か。
「善意」
だからパール判事は、善、悪に口出して、日本が正しいと言ってる、って言いたいのか?
そうだとすればあまりにも…
なんか糞コテ並みの能無し。
「裁判」なんだぜ。
まあ、右にも左にも若干キチガイが存在するってだけだから問題ないか。
後、俺は小林氏の敵ではない。 無自覚に味方の足を引っ張るような奴に文句言ってるだけ。
>>575 う〜ん、空襲裁判の方は判断が難しい・・・。
「空戦における批准された国際法の不在」を問題にしているようですが・・・。
「人種平等条項」については、惜しかったですね。
「善意」は、やはり、欲しいです。
これがない人が世界を動かしているようでは、おしまいです。
どうも、私の論争相手は、怒り狂っているだけで、
>>568 に反論できないようですし、
これ以降は、完全に水掛け論になるんでしょうから、
ここで論争を終わりにしたいと思います。
まあ、小さな間違いなら、誰でもやりうることですし、
大筋に関係しない間違いであれば、大したことはないでしょう。
■■■■■
581 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/11(火) 06:30:12 ID:uFwl8Cxl
>>579 >う〜ん、空襲裁判の方は判断が難しい・・・。
>「人種平等条項」については、惜しかったですね。
>「善意」は、やはり、欲しいです。
これがない人が世界を動かしているようでは、おしまいです。
とりあえず裁判用語で考えろよ。
判決書の話をしてるだから。
どっかのスレで「良心的」とか書いてるけど、
そんな善悪論じゃない。
まだ、わかっていないのか?
この
>>579 を読む限り理解していないようだな。
>>580 もうどうでもいいわそんなこと。
明らかに宣伝戦しかけられるレベルに達してないんだから、
素直に教えを乞うべきだろ。
宣伝戦をけしかける気の奴が、
>>579 のようなこと言っているようじゃ、あまりにも恥ずかし過ぎる。
一番の本筋はパール判決だろうに、
面白くない奴だ。
石碑の話を判決の最後の部分で補強しようと考えるアホのレベルが一番問題なのだがな。
>>579 とかもな。
バール判事が下した判決は国際法上の無罪であり、 道義的な無罪ではないな。 むしろ米英がやったことが、われを正義、敵国を悪とする 政治的宣伝的道義的判決だった。 道義的な判決を出したい側が、「有罪」をとなえ、 機械的法的な判決を出したいパール判事が「無罪」を唱えた点が 昨今の戦争論論争において小林よしのりに分を与えている。 ここに「食うため」とか「守ってもらうため」とか余計な「主観」 が紛れ込むと米英の道義的判決にすがりたくなる。という構造。
>>584 おっ♪面白そうなことを書いている人が♪♪
↑の人の相手をするのは、飽きちゃいました(^_^;
「道義的判決」って、何でしょう?
平和に対する罪のことみたいですが・・・。
「道義的な『ほとんど』無罪」なら、
>>536 >>537 >>538 で証明を試みました☆
ちょっと、最後が分かりにくいと思いますが、
東京裁判における道義的責任≒平和に対する罪(アメリカと中国の罪)
という意味です。
どうでしょう?
全然、反応がないので、感想が聞きたいです(^^;
>>579 (ドゥリトル裁判)
だんだん、頭の中が整理されてきました。
国際法の整備を待っていたために
国内法の整備が遅れてしまった。
ということなんじゃないでしょうか。
>>586 あまり意味がわかりません。
頭の中で整理したことをパール判決書に即して、分かり易く教えて頂けませんか?
『パール判決書』を読んでいないのであれば、『パール真論』からでも良いです。
パール判事の「善意」はラテン語で言うbona fidesで、上の方が言っておられるように法律用語に過ぎず、善悪は関係ないかと思います。
ところで正論で展開されている論争がちんぷんかんぷんなんだけど・・・www 俺にはもうついていけないぜ。
>>588 ついていけないというか、程度の低い論争になってしまっているな
東谷が親分庇ってこじれているという現状。
>>585 >「道義的判決」って、何でしょう?
道義的判決とは何らかの法とは異なる「善悪」の価値観が紛れ込んでいる判決、
ということ。
そんなものが紛れ込むと、裁判は裁判とさえ言えない。裁判は違法性を検証するものであって
、良心を検証するものではないから。
東京裁判を「裁判らしく」行っていたのはパール判事だけ。
あとは戦争宣伝のとっかかり的茶番だったと言えなくもない。
やっぱり戦争宣伝のための「判決」と 可能な限り国際法に引き寄せて出した「判決(意見書)」 では信憑性にいやでも差が出ると思われる。 信憑性という観点からみてもパール判事の判決は 実際の判決より高い。というか、ある意味で「信憑性」しかない。 (現実的にいえば「真理」では食えないし、危ないのかもしれない。 けれど、そういうものを大事にする者が忘れられたり排斥される 世の中になってはいけないと思う。)
(ALL START)(1)
>>587 あっ、どうも♪
でも、結構、大変なリクエストですね・・・。
とにかく、頑張ってみます(^^;
「パール判決書」は買ってないですし、買っても読む時間がありません。
ということで、「パール真論」のオマケを元に述べてみたいと思います。
>>586 は、p345上段の要約です。
↓に前後を含めた全体の要約をします。
パール真論 解題 ドゥリトル裁判 要約 = p344下段〜p345下段
[1]
事後法はNG。
ただし、戦勝国は事後法OKで、敗戦国は事後法NGなんて、賛成できない。
[2]
>>586 という特殊事情により、事後法を作った日本の立法者は有罪とは言えない。
[3]
「爆撃手への無残な処罰」に注視することよりも、
「爆撃手が行った残忍な無差別爆撃」に注視することの方が、
より良心的な行為である。
[4]
国際法草案から判断しても、爆撃は違法であり、
事後法でもって爆撃機搭乗員を有罪とした裁判者は、有罪とは言えない。
(↓につづく)(1)
(↑のつづき)(2)
>パール判事の「善意」はラテン語で言うbona fidesで、
>上の方が言っておられるように法律用語に過ぎず、
>善悪は関係ないかと思います。
う〜む、そうでしょうか?
>>575 の「人種平等条項」ですが、これは国際連盟の話ですから、
善悪の「善意」と思います。
ドゥリトル裁判の方は、[3]から言って、
善悪の「善意」に基づいた裁判であったと判断できます。
ここで、「善意」のことを法律用語、つまり、
「ある事実について知らない」と言う意味に捉えると、
日本の立法者や裁判者は、何かを知らなかったことになりますが、
「解題」を読む限りでは、そのようなことは書いてありません。
想像してみても、なにも思い付きませんし、お手上げです。
(↓につづく)(2)
(↑のつづき)(3)
パールが、法律家であるからと言って、
『自動的』に「善意」が法律用語であると考えるのは、
無理があるのではないでしょうか?
既に述べたとおり、善悪の「善意」であると考えれば、意味が通るのです。
パールは、wikiによると『法哲学』で博士号を取っています。
ラダ・ビノード・パール
http://ja.wikipedia.org/wiki/ラダ ・ビノード・パール
ですので、パールは「法哲学に強い国際法学者」であるはずです。
そこで、『法哲学』の視点から「善意」を考察したいと思います。
(↓につづく)(3)
(↑のつづき)(4)
法−道徳関係と正義のエートス―
―G・ラートブルフの法哲学における重心移動をめぐって
霜田 求
http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/eth/mspaper/mspaper06.htm ――引用開始――
もちろんこうした外面性/内面性の二分法は相互に排他的なものではない。
法にとって、動機(善意/悪意、計画性の有無)、意図(故意/過失)、←★
結果の認識といった内面的側面は行為の判断にとって不可欠であるし、
道徳にとっても、行為によって示された外的側面は
その規範的ないし価値的評価の本質的構成要素をなす(ER:220[8])。
――引用終了――
ということで、パールの用いている「善意」とは、
法学の視点からではなく、『法哲学』の視点から捉えるべきであり、
法律用語の善意ではなく、
「動機の善意」、「善悪の善意」として捉えるべきものであると考えます。
(ALL END)(4)
そもそも共同謀議というものの性質から論じなければならないような問題ですが、 物凄く簡単に言うと、「善意」かどうかの判断とは、 例えば、共同謀議が陰謀論的に全てを一つの原因に押しやろうとすることに対して、 ただ、他の要因を「信じて」いた可能性を挙げるだけでよい、ということです。 例えば、日本の指導者が民族的優越感を植え付けたことに対して、それは、壮大なる共同謀議の一環であると、検察側は考えたわけです。 しかし当時の、例えば、人種差別撤廃に関しての、あの状況等々から、して被告が列強の人種差別から自国を守ろうと「信じて」いたことを完全に否定し去ることは出来ません。 侵略戦争実行の為に、民族的優越感を植え付けた、とわざわざ断定する必要が何処にあろうか? というだけのお話しです。 侵略戦争を実行するために、民族的優越感を植え付けた、と証明出来るものなら、被告は、「悪意」あるものとみなされるわけですが、そんな直接的証拠は皆無でした。
ニュルンベルク裁判の条例は、一般的な目的のため「事後法」を定めたのではなく、特定の捕虜の裁判のため、特殊の個人または集団を対象にした「事後法」であった。 だが、日本側は、この空戦に関する状況で、空爆を一般的に「戦争犯罪」であると「誠実に」(これもbona fides)、 考え、この考えに基づき軍律を作ったかもしれない。 なら「事後法」である、という理由だけで犯罪にはならない。 そして、空戦の状態を考慮すると、この「善意」を、特定の捕虜や団体のみを罰するような「悪意」(mara fides)であると決めつけることは出来ない以上、 犯罪的であると考えることは困難である。 実際のところ、普通は、爆撃手が惨殺されることより、爆撃によって悲惨に殺されるの方に憤激しますからね。 真に戦争犯罪である、と信じて、つまり「善意」に基づいたものであることを否定しさることは出来ません。 そもそも、戦勝国だって、そういう権能を有していると考えるのですから。 軍律を定めたものがそのように信じて、その空爆が戦争犯罪である、と考えたこと自体を完全に否定してしまうことは出来ない。 そんな証拠はありませんから。 単に、それだけのことです。 「善意」というのは、この場合、上のように「信じて」いたかどうか、というだけの意味に過ぎない、と考えるとわかりやすいでしょう。 で、特定の捕虜の為だけに、「事後法」を作るような行為は、「悪意」あるものと見なされるかもしれないものです。
続き その特定のものだけに適用してしまっているという事実がある時点で、おそらく証拠として十分でしょう。 実際のところ、戦勝国は特定の個人や団体に対してのみ「事後法」を適用しましたからね。戦争犯罪になるかもしれません。 連合国側は、立法の権能を有している、と考えていますから、平和云々と公然と唱えつつw じゃあ「事後法」を実行しただけで、「悪意」あるものと見なしてしまうと犯罪者の集団が犯罪者を裁くことになってしまう。 やはり、問題となる行為が「悪意」からかどうかは、特定の個人や団体にだけ適用するという事実などが決定的な役割を果たすのでしょう。 結局、日本の当局者の行為が「悪意」あるものである、と見なす確たるものは無かった、というわけです。 勿論、その行為自体が正しかったかどうかの善悪の判断にまでは踏み込んでいません。 指導者がそのように考えた可能性を否定出来ないというだけです。 パール判事自身事後法には反対ですし、道義的な話になるとまた別の考え方かもしれません。 指導者が「善意」からそう信じて、行為したとしても、 どのようにすべきだった、どうあるべきだったか、憤慨を抱いても事後処罰すべきでなかった、など、 そういう道徳的な問題についての判断は残されたままです。 ただ、信じる可能性は存在し、その可能性は高いし、否定しさることは出来ないし、 ただ単に信じるだけなら、連合国側だって平和の為にとか、人類の良心に訴えていますから、それだけじゃあ犯罪にはならない。 やはり、特定のものだけを処罰するとか、そういう証拠が必要です。
>>594 >[3] 「爆撃手への無残な処罰」に注視することよりも、
「爆撃手が行った残忍な無差別爆撃」に注視することの方が、
より良心的な行為である。
良心的な行為と言っていません。
「人類の良心が反感、憤怒の情を抱くのは、無残な爆撃手に与えられた処罰にたいしてではなく、むしろその爆撃の残忍な方式にたいしてである。」下p703
単に、一般論からすると被告の「動機」がそういうものであっても不思議ではない、ということです。
で、あなたの解釈であるとしても上述した理由からして妥当ではありません。
[4]
国際法草案から判断しても、爆撃は違法であり、
事後法でもって爆撃機搭乗員を有罪とした裁判者は、有罪とは言えない。
まず、「違法」がおかしいですね。
法ではありませんので。
そのような規則を無視した爆撃が行われた。というだけです。
で、例えば、そういう委員会によって提案された諸規則を基準として、これが一般的に戦争犯罪である、と判断したとしても、
特定捕虜だけを罰するような「事後法」を制定した、と断定するには足りません。
「善意」の可能性を否定出来ません。
結局、連合国側みたいな直接的証拠はありませんし、間接的にも断定出来ない。
>>594 まとめておきます。
>>598 >>599 >>600 >>601 さりげなく
>>597 にも答えてたりするので、ほぼ省きます。
判事自身、ある行為が善である、とか悪である、とか、判断しているわけでもありません。
そんな必要外のことをすると裁判官として「越権」行為を働いたことになります。
事実法認定の場で法哲学を語るなどもっての他です。
そんなことであれば、まさに中島や西部が言うように「政治文書」です。
もし、知らないのであれば、彼等の主張をお読みになられるとよいでしょう。
上の方で足を引っ張る云々とおっしゃられる方がいますが、そのことを指して言っておられるのでしょう。
確かに由々しき問題です。
パール判事はあくまで、被告等が考えた動機を、彼等が何を「信じて」行動したか、それを客観的に示すために、世界各国の政治家が抱いていた考え、意見等を採用したり、
当時の権威ある『国際問題概観』を採用したりしたわけです。
今回のような「善意」を確かめる問題であるからこそ、採用することが可能なのですが、その点日暮等理解出来ない人間が多いようです。
ドゥリットル空襲裁判の問題にしても同様に空戦に関する状況などから考えうる被告の「動機」を探ったわけです。
被告が何を信じたか?を、ですが、それが確実にその動機だ、ってわけでなくても問題ありません。
「悪意」であるという証拠をつきつけられない限り困難です、というだけです。
だからパール判事は「困難である」「確たるものがあるとは思わない」といった表現を用いるのです。
被告の「動機」自体もそれである!
と断定していません。
日暮『東京裁判』サントリー学芸賞受賞
思っきしスルーされてるな。 どういう評価してんだ、サントリーは?
>>598-602 ご丁重な書き込みをしていただき、恐縮です。
その博識ぶりからして、「国際法スレ」から来た方ですね。
思い切って、そちらに書き込んだ甲斐がありました。
★★★あなたのように『行動する専門家』をお待ちしておりました。
是非、これからも懇意にお願いいたします。
で、読ましていただいたのですが、はっきり言って薄ぼんやりとしか、
言ってることが分かりません。
そこで、
>>474 なども参考にしつつ、↓に箇条式に疑問点を書きましたので、
お答えいただければ幸いです。
[Q1]
>>598 の意味の「善意」ですが、wikiに載っておりません。
★お手数ですが、wikiに書き加えておいてもらえると嬉しいです。
★★私の
>>594-597 は、初めから順番に読んでいただければ、
「善意」の意味が見つからなくて、
探していることに気付かれるはずなのですが、
あなたの
>>598-602 を読ましていただくと、
気付くことなく、ただ、怒っておられるだけのようで、
もう、これは残念としか言いようがありません。
[Q2] パール論争は、50年以上続いているわけですが、 いつまで経っても終わらない第1の原因は、僭越ながら、 ★★★『法律家の怠慢』 にあると思われます。 そこで、あなたのような『行動する専門家』が必要とされるわけです。 是非、パール論争に加わり、この論争に終止符を打っていただきたいと思います。 [Q3] で、具体的な方法ですが、 ★パール判決の解説本 ★パール判決の解説サイト のどちらかが良いと思います。 応援しております。
[Q4]
それで、この本やサイトには、素晴らしい副作用も望めます。
つまり、
>>587 のような質問が来たときには、
本のページを教えるとか、サイトへリンクするとか、
そうするだけで答えたことになるのです!
わたしは、もう
>>594-597 のような駄文を苦労して書いたあげくに
叱責されてガックリ来ることもなくなりますし、
あなたも駄文を読まされてイライラすることも無くなるわけです。
バラ色の未来ですね。
[Q5]
最後に、国際法スレにも書き込まさせていただきました
「道義的な『ほとんど』無罪」論
について、専門家のご意見をうかがいたいです。
僭越ながら、↓にコピペさせていただきます。
227 PalGashBell ◆e3H.Q7t8.U sage 2008/11/03(月) 06:47:36 ID:scDR6T4H
>>226 の[1]について分かりにくいかも知れませんので、
補足説明します。
道義上の責任と言えば、真っ先に思い浮かぶのが南京虐殺です。
直接の責任者は日本軍ですが、
日本人全体にも道義上の責任があるというわけです。
で、南京に関する裁判におけるやり取りを見てみますと・・・
清瀬一郎弁護人が、
残虐行為はあったようだが、誇張やねつ造をされて、膨らまされて語られている。
という内容の主張をしたのを受けて、
パール判決では、
プロパガンダ一般についての話をした後、
南京は誇張されている疑いがある。
という内容の主張が書かれています。
これが、フランス人判事に至っては、
全くの「事実誤認」であると断言しているほどです。
実際、東京裁判において、まともな証言はなかったようです。
(↓につづく)
228 PalGashBell ◆e3H.Q7t8.U sage 2008/11/03(月) 06:49:09 ID:scDR6T4H (↑のつづき) となると、南京において起こったことは、 他国の軍隊が他の都市を占領したときに起こっていたような そういうレベルの犯罪があっただけだと推測されるわけです。 そのレベルの犯罪なら、戦争が起これば自動的に起こることだと考えるべきで、 つまり、「道義的責任」と戦争を起こしたことに対する罪である「平和に対する罪」は、 ほぼ、重複することになります。 道義的責任には、 他の犯罪や犯罪には含まれない一般的な戦災なども含まれると思いますが、 他の犯罪も道義的責任としては、 「平和に対する罪」と重複するものしか無いようですし、 一般的な戦災にいたっては、完全に重複するわけですから、 総合的に言って、 東京裁判における道義的責任≒平和に対する罪(アメリカ(と中国)の罪) と言ってよいと思います。
>>607 残念ながらおそらく11月中にはこのスレに来ることは出来ません。
因みに私は専門家ではありません。
「善意」はあなたが引用したものにも書いているように「動機」です。
何を信じて行動したか、というのも動機が何であるか、と同じことを言わんとしているのです。
後、別に怒っているわけではありません。
>>602 の訂正
>事実法認定の場で法哲学を語るなどもっての他です。
×「事実法認定」
〇「事実認定」
というよりこの件に関する事実を扱う場。
>判事自身、ある行為が善である、とか悪である、とか、判断しているわけでもありません。
判事自身の道義的な判断として、本件における日本側や連合国側のある行為が善である、とか悪である、と判断しているわけではありません。
に訂正。
言葉足らずでした。
勧善懲悪を説いているわけではありませんが、犯罪行為を悪と考えたとしたても判事として当然でしょうし、
その犯罪行為に見合った表現にもなるでしょう。
しかし「犯罪」=「悪」であるからといって、判事自身の道義的な善悪論を説いているわけではありません。
実際説いていません。
妊婦の腹を蹴るなど、それが事実なら確かに鬼畜行為です。
そういう表現になるのも当然でしょう。
ですが、単に戦争「犯罪」を扱っているだけに過ぎないこのような部分を持って、道義的な日本批判とする中島等の頭はどうかしています。
後、
>>597 >法にとって、動機(善意/悪意、計画性の有無)、意図(故意/過失)、←★
>結果の認識といった内面的側面は行為の判断にとって不可欠であるし、
★が証拠になると思っているのでしょうが、
これは当たり前のことで、それを前提に話を進めているわけです。
この論文は法と道徳の関係等論じていますが、普通、
法にとっての動機、意図、結果の認識といった内面的側面の行為の判断という場合には善悪の話ではありません。
その著者もここでは、あなたの言う「善悪の善意」の話をしているわけではありません。
他のレスで既に説明したように、共同謀議にしても内面的な側面、即ち心の問題です。
検察側は、日本の指導者が民族的優越感を植え付けた、という事実から、それは侵略戦争の為に国民の精神的準備を行なう共同謀議の一環だ、と、そのように「動機」を決めつけたわけです。 パール判事は、当時、連盟での人種差別条項の拒否や、 移民排斥等を挙げることによって、 当時の指導者人種問題から自国民を守ろうと考えたという「動機」を捨て去ることはできない、 現在であれば、人種平等の主張を推し進めることを反対するものはいないと考えたいし、考えられるかもしれないが、当時の状況は今とは全く異なっていたのであり、 被告が、日本民族保護の為の手段である、と考えたのであれば、その「善意」(そう信じていたということ)を疑う理由は何一つ見出せない、 とのように判断しました。 結局のところ共同謀議以外の他の理由で十分「説明」出来ればよいのです。 そうでなくとも、その「説明」を否定してしまうことが出来なければよいだけのことです。 というよりこの場合、普通どこの国も民族的優越感を持ち、士気を高めていたりしたのですから、 もうそれだけでも疑う理由はありませんし、この人種差別の箇所について、検察側はあまりにも馬鹿げてます。他にも一杯馬鹿げていますがね。 民族的優越感を植え付けたら侵略戦争を欲する共同謀議者である、なんてことであれば、世界中が侵略者ですwww
例えば、奉天事件にしても、それ自体事実認定の段階で確たる証拠はありませんでしたが、もし事件が日本側のせいであったとしても、 ある名前の知れない陸軍将校の計画であったとしても、 「善意」(検察側の言うような共同謀議の計画の一環としてではなく、日本の国内事情や中国の状況に危機感を抱き、それに) 基づいて行動したかもしれない。 しかも、ある陸軍将校を被告の何れかであることも立証しなければなりません。 検察側はこれら全てを立証しなければなりませんw で、このとき、善悪の判断なぞ存在しません。 動機自体が善であるとか悪であるとか論じていません。 ただ、検察側の共同謀議の立証に対し、 別の高い可能性を挙げた、というだけです。 例えばの話、殺人事件が起こったとして、検察側が、それは何かしら陰謀の一環だ!と言ったとしても、 実は単なる口論が原因であったり、その他にも様々な原因が考えられる場合、 それを否定することが出来なければ、 「善意」を否定することは出来ません。 よって「陰謀」であると立証出来ません。 この場合、「善意」は善、悪ではありません。 何が「動機」であったか、それだけです。 殺人行為に変わりないのですから、 「犯罪」です。 理由によっては情状酌量もあります。 注意しなければならないことは、 上の単純な例では、殺人は犯罪ですが、 東京裁判の場においては、そもそも、いわゆる侵略戦争自体犯罪ではない、ということです。 奉天事件の話に戻ります。 パール判事は事件を日本が実行した場合も仮定に入れた上で論じているわけですから、 実際のところ日本側の実行であった、ということがわかったところで、上述したように、検察側が立証すべきことが何重にも存在し、 なんら判決に影響しません。
>>618 の続き
ところで、日本が実行した場合のある将校の「善意」も理解できますよね?
「善意」と言っても善悪の意味で良心的とかそういう意味にはなりません。
その「動機」が正当、不当、善か悪か、なんて人によって意見は大きくわかれますからね。
実行された「行為」にしてもです。
パール氏「個人」の場合「動機」についてかなりの理解をもった方であると思います。
「行為」について、パール氏自身は暴力行為自体は肯定しません。不正なものだと考えていますが、日本がそういう行為に踏み切らざるを得なかった「動機」を考慮すると、
そうそう日本のサヨクのように日本批判する気はなれない。
それどころか、植民地を欧米から解放しようとしたことに共感を抱いていることは、大亜細亜悲願之碑や『平和の宣言』から十分読み取れます。
判決書の「善意」では、ただ、十分「説明」になるという程度までしか踏み込んでいません。
その指導者の「動機」やそれによる「行為」について正当、不当、善悪の判断を下すことはありませんでした。
>>611 後のあなたの質問については、問答し合う時間はありません。
最後に私の意見だけ述べます。
さて、「裁判」でなら、おそらく南京虐殺なぞ信憑性ゼロのものばかりでしょう。
ただ、南京虐殺が嘘、誇張であることを検証しなければ、宣伝戦的には、あまり意味がないと思います。
>そのレベルの犯罪なら、戦争が起これば自動的に起こることだと考えるべきで、つまり、「道義的責任」と戦争を起こしたことに対する罪である「平和に対する罪」は、ほぼ、重複することになります。
重複したところで、道義的責任の話になると勝手が違って来るかと思います。
あなたは
>総合的に言って、東京裁判における道義的責任≒平和に対する罪(アメリカ(と中国)の罪)と言ってよいと思います。
と言っておられるので、おそらく、戦争を実行したこと自体が道義的責任であるなら、それを誘発したアメリカ、中国にこそ道義的責任がある!と思われているのでしょう。
で、それについては議論すればよいと思います。
しかしその段になると、パール判決に書かれた歴史や、当時の政治家、学者等が抱いた意見を参考に勉強することは可能ですが、
もし、東京裁判本判決が、道義的な裁きであるから、パール判決をもってして道義的にほとんど無罪、のように考えておられるのでしたら、それは間違いである、と考えます。
パール判事はあくまでも、国際法の下、判決を下したのです。
私のこれまでのレスから言いたいことは大体理解できるでしょう。
判決書を読む時間がないのでしたら、正確に理解することなぞ叶わぬ話かもしれません。
宣伝戦を実行したいのであれば、読む時間を作りだし、勉強し、その論理で人を惹き付け、賛同者を作るのが一番ですよ。
最寄りの図書館等を検索して、ケルゼンについて探し、情報を提供するなども、人を惹き付ける材料になるかもしれません。
それではまた、暇が出来た時にでも覗いてみます。私は今違う勉強に勤しまなければならない立場なので失礼します。ご健闘をお祈りします。
>>607 しかし、読み返してみると、丁寧な上で、かなりトゲのある書き方ですねw
宣伝戦のために盛り上げるなら、もう少し柔らかくならなければ、人はよってきませんよw
不気味、という指摘がなされていますが、その尊大な態度に問題があるのかもしれませんね。
貴方に苛立たされる方々もどうも貴方のその態度が気に食わないみたいです。
星マークとか、顔文字とか、確かにおちょくられているような気にさせられるかましれませんw
私としてはさりげなく伝えた部分が今日の説明で伝わっていると嬉しいですねー
折角宣伝戦に向けて頑張っていらっしゃるので、
私は応援したい気持ちです。
ですから、
ちょっとした感想を述べてみましたー
ではー今度こそ失礼します。
私なぞより素晴らしい知識をお持ちの方々が現れるとよいですねー
>>605 日暮は自分は真ん真ん中って言いたいのか。
ご返事ありがとうございます。
色々、細かいことを気にしておられるようなので、
なるべく答えていきたいと思います。
[A1]
>>619 >しかし、読み返してみると、丁寧な上で、かなりトゲのある書き方ですねw
それは、
>>602 に怒ったからです。
>>602 がなければ、そこまではしませんでした。
大抵の人間が、ここまで書かれれば怒ると思います。
>>612 >後、別に怒っているわけではありません。
>>602 まで書いたら、怒っているとしか判断できません。
>>619 (に戻る)
>w
それ、トゲがあります。
[A2] >宣伝戦のために盛り上げるなら、もう少し柔らかくならなければ、 >人はよってきませんよw TPOに合わせて、態度を変えております。 [A3] >不気味、という指摘がなされていますが、 >その尊大な態度に問題があるのかもしれませんね。 それは、2ch名物だった「オマエモナー」です。 3回、「不気味」という言葉が使われていることには気付きませんでしたか? 「善意」の意味を探していることにも気付かないくらいの 読み方をされてますし・・・。
[A4] >貴方に苛立たされる方々もどうも貴方のその態度が気に食わないみたいです。 それは、「アニメ化」の話のことですね。 それは、前スレからやっているので、非常に長い話で、込み入っています。 ちょっと簡単には説明が出来ないので、読んでいただかないと・・・。 ・・・って、読む時間がないんですよね。 [A5] >星マークとか、顔文字とか、確かにおちょくられているような >気にさせられるかましれませんw あなたもそうですが、どうしても、気付いてくれない人がいるので、 必要に迫られて、「★マーク」を付けています。 特にあなたには、付ける必要を感じたので、たくさん、付けました。 「顔文字」については、標準的な感情表現です。 怒っているときには、そういう感情表現になっていると思います。
[A6] >私としてはさりげなく伝えた部分が今日の説明で伝わっていると嬉しいですねー いえいえ、詳しく説明していただいて参考になります。 ・・・なんで、そういうことを言うのかよく分かりませんが、 「ゼミの教授の口癖」でしょうか?・・・。 [A7] >折角宣伝戦に向けて頑張っていらっしゃるので、 >私は応援したい気持ちです。 あー、分かる人は分かってくれるのですね。 とても嬉しいです(^^)/ ただ、頑張っているわけではないのですが(^^;
[A8]
>>618 >宣伝戦を実行したいのであれば、読む時間を作りだし、勉強し、
>その論理で人を惹き付け、賛同者を作るのが一番ですよ。
>最寄りの図書館等を検索して、ケルゼンについて探し、情報を提供するなども、
>人を惹き付ける材料になるかもしれません。
ケルゼンは、西部が論破されているのを読者にばれないよう、
煙幕に利用しているだけという気がしていますが・・・。
それから、自分がしたいのは「宣伝戦」ではありません。
2chでは、このスレも含めてネガティブ宣伝戦を仕掛けるものが出没するので、
それに応戦しているだけです。
・・・気になったときだけですけど。
[A9]
>>619 (に戻る)
>ではー今度こそ失礼します。
>私なぞより素晴らしい知識をお持ちの方々が現れるとよいですねー
>>612 >因みに私は専門家ではありません。
それだけ詳しければ、何の問題もなく
『初心者向けの解説サイト』
が作れるのですが・・・。
[A10]
せめて、wikiぐらいには、書き込んでおいてもらえないでしょうか?
[A11] >残念ながらおそらく11月中にはこのスレに来ることは出来ません。 私は、ROMに戻りそうです。 少なくとも、ここでやれそうなことに関しては、やり尽くしました。
[A12]
>>618 >後のあなたの質問については、問答し合う時間はありません。
将来的にインドの掲示板に書き込もうと思っているのですが、
「道義的責任」についての自分の考えを言えた方がよいと思いまして、
変な意見をインド人に開陳しても、何なので、
「添削」のために、意見を聞いております。
インドに書き込むときには、
『自動的戦災論』
と呼ぼうかと思っております。
>もし、東京裁判本判決が、道義的な裁きであるから、
>パール判決をもってして道義的にほとんど無罪、
>のように考えておられるのでしたら、それは間違いである、と考えます。
あー、はい。道義的責任論は、完全な場外乱闘ですね。
・・・しかし、角田順とか、田岡良一などは、何で進んで場外乱闘を
したがるのか・・・。
・・・うーむ、「≒」でつなぐのは、良くないかも知れないですね。
誤解を招いています・・・。
「⊂」の方が良いかも・・・。
とても参考になりました(^^)
[A13]
>>612 >「善意」はあなたが引用したものにも書いているように「動機」です。
分かったような、分からぬような・・・。
「動機」の中にも「善悪」は内在しているような気がしますが・・・。
出来れば、wikiに解説していただければ、嬉しいです・・・。
また、ルーズベルト大統領みたいに、
「日本人は邪悪なのだから、列島に封じ込めて、
徐々に滅んでいくようにした方がよい。」
などど考えるのは、『善意』なわけですよね?
『善意』で、原爆を何十発も日本に落として、滅亡させることもできますし。
まあ、当時は数発しか持ってませんでしたが、
サリンを空中散布するのなら、滅亡させるのは、可能です。
これらは、『善意』なので罪に問えないということになるのでしょうか?
[A14]
最後に念のため聞きたいのですが、
>>587 は、あなたの書き込みでしょうか?
文の色が似ているのですが。
[A15] どうも、あれこれ、説明していただいてありがとうございますm(_ _)m それなりの成果があったように思います。 次は、インド人が返事を書き込みやすいよう、 日本語英語併記のblogでも作ろうと思います。 ・・・英語は苦手ですから、なるべく、併記する位しか出来ないでしょうけど。 こちらこそ、ご健闘をお祈りしております。 それでは(^^)
中島もSAPIOに連載持ってたら佐藤優みたいに批判封じてくれたろうに。
>>629 >また、ルーズベルト大統領みたいに、
「日本人は邪悪なのだから、列島に封じ込めて、
徐々に滅んでいくようにした方がよい。」
> などど考えるのは、『善意』なわけですよね?
『善意』で、原爆を何十発も日本に落として、滅亡させることもできますし。
まあ、当時は数発しか持ってませんでしたが、
サリンを空中散布するのなら、滅亡させるのは、可能です。
> これらは、『善意』なので罪に問えないということになるのでしょうか?
アホか。陰謀で訴追する場合や、事後法云々特殊な関係を理解しろ。
>「動機」の中にも「善悪」は内在しているような気がしますが・・・。
当たり前。その内部を扱っていない。
あれだけ丁寧に説明してるんだから理解してやれよ。
簡単な例でわかるだろうに。
>>631 まあ花中島岳志は佐藤マサルさんのようにインテリジェンスが足らんかったっちゅうこったな。
しかし左翼も花中島岳志もマサルさんの手法を見て、「その手があったか!」と思うんだろうね。
佐藤優以外には無理だろ。 並みの書き手なら「はいどうぞ」と言われるのが落ち
635 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/18(火) 18:05:14 ID:bTLoNZNg
昨日の読売新聞に中島が「インドに新ガンジー主義が出現した、ガンジーが再評価 されている」みたいな事を書いてたのが載ってたんだが読んだ人いる?
小林より佐藤の方が、商品価値が上ってこと?
>>635 月曜の新聞は確認していない。
新ガンジー主義ってなんだろう?
もう中島は新規というか珍奇なことを提唱して注目を集めることしかできないんじゃないか
はじめからぞうだろ。
640 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/20(木) 12:24:33 ID:kGU8o3gE
イカサマ人生の本道ですな
博論もイカサマなのかな?
花中島岳志は若いってことで免責されたりするんじゃないの?
若い頃よりの憂国の想いは、歳を重ねる毎に強くなり,また逆に絶望感も強めています。
この国がかって堂々と日本人である事に誇りを持ち、胸を張って海外に雄飛していた
時代は、夢のような遠い昔話になりました.勝てば官軍、負ければ賊軍…とは、申し
ますが…物言わず朽ち果てていく旧軍の関連品を見る度に…そして太平洋の様々な海
を潜る度に…海底に眠る艦船や航空機、浜辺に残骸をさらす輸送船や戦車、未だに上
陸地点を見つめて錆つく姿を晒す朽ち果てた野砲…。我々の祖父達が血族・先人諸氏
が南方やシベリアで亡くなっています…これらの振り返られる事も無くなった物言わ
ぬ遺物達を出来れば国立の軍事博物館を作り篤く保護したいものと考えております。
貴重な収集品をお譲りいただければ幸いです。宜しく御願い致します。
http://cb1100f.web.infoseek.co.jp/
644 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/23(日) 03:45:53 ID:/wRMBRzE
仕事忙しくて、やっと正論12月号読んだ。 東谷がここまでやりこめられているとは思わなかった、1月号では当然反論するんだろうが どんな内容になるのか楽しみだ。 後、八木、牛村の反論も期待。
ケルゼンは正直興味がなく読み飛ばしてしまったが、牛村は楽しみだ 小林の反論は要約すれば「パル判決書を読め」だし、 読めば牛村の理論は破綻してしまうように思える
>>644 反論はないんじゃない?
あれだけやられたら反論しようがないというかw
小林も打ち切るっていってるしなぁ
647 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/27(木) 22:18:07 ID:6snn2eDz
報捨てで中島が朝日の駒になってた。ワカリヤスイネ (注・インドテロ事件で出演してただけ)
インド研究者としてもどうなんだろうね? 博士論文で改ざんをしてないとは思えない。
649 :
名無しかましてよかですか? :2008/11/28(金) 06:38:16 ID:qG6kWIAG
しばらく雲隠れしてると思ったらやっぱり出てきたかw こいつのやることは解りやすいwww
こいつの場合ちっともわかりやすくないよ… 無知 恥知らず 出たがり
ケルゼン解釈は本当油断ならないし、 牛村は事の経緯を把握できないし、 なんかちょっとこの人鈍いから。 真面目なんだけど。 東谷は正論10月号のパール判決書に対する解釈のとんでもない間違い。 すなわちチャーターを否定、肯定云々というあまりにもパール判決を無視した馬鹿げた間違いを訂正出来るか? パール判事の戦い方を寸分たりとも理解出来なかった自らの過ちを訂正出来るのか? 楽しみだ。
正論最新号 改めて小林よしのり氏に 反論する。 「パール読みのパール知らず」がもたらす害毒。 東谷暁
東谷氏もようやく、パール判決書本体の議論に戻ってきたか。判決書の 「予備的法律問題」を例に、〈チャーターを肯定しつつ、その核心部分を 否定する法理は構成しがたい〉、〈[欧米の]政治的制裁に対し、同じ法理を まとった政治的抗議を試みた〉政治文書であるとの主張を論証出来てるの かな。今までの彼の議論は、政治文書あるいは思想書と結論付ける根拠が 薄弱で、結論が飛躍し過ぎているとしか思えなかったんだけど。特にヒンドゥー のダルマ(法)の普遍性がどうのと云う辺りとかw議論を打ち切るとしていた 小林氏の再反論も予想されるし、まだパール論争は続きそうだね。
656 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/01(月) 03:09:31 ID:jjkrFyAm
「パール読みのパール知らず」とは小林氏に向けて なのかなぁ? チェックしてみよう。 渡部氏はパール判決の本を出したのに参加しないんだから不思議だわさ。
中島や佐藤みたいにどうしようもない連中じゃ論争の甲斐がない。 東谷なら面白くなる
東谷読んだ。 よくわからん(笑)
東谷さんには撤退して欲しかった。 老師西部に対する忠義心が強い男なんですね。 二十八との絡みを見てみたい今日この頃。
さっき本屋で斜め読みしかしてきてないからよく分らんけど、 西部中島が反論できずに、ごまかす為にケルゼンを持ち出してきた印象なんだが。 本当にケルゼン解釈はパール判決の議論の本筋なの? 東谷は西部中島のパル判決の曲解、未読については知らん振りでしょ。 そこのところを無視して小林に噛み付いて、仮にその主張が正しかったとしても、 ぜんぜん知的誠実には映らんのよね。
西部嫌いの副島が参加すれば面白いのだけれども(笑)
そう言えば相変わらず生姜は今回の田母神論文での朝生で、東京「裁判」を受け入れたんだから異議申し立てするなっつってんな。
663 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/01(月) 19:34:49 ID:NZqNBnM7
>>662 それよりも、アンケート結果が出たときの生姜の反応が笑ったwww
すれ違いだが詳しく教えてくり
>>664 ボソボソと愚痴を零す感じで聞き取れなかったけど、朝生関連や田母神関連で聞くか、或いはその内容がコピペされてるからそっちの方が早い。
今回の東谷の論文でもその「諸判決」やらに一々噛みついて来たな。
個人的には、仲正昌樹にも参加して貰いたいなあ。 東浩紀などという崩れ宮台シンジや勝てる相手の左翼なんか相手せずに、法律の学者なんだから首突っ込んで欲しいなあ。
667 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/02(火) 00:45:13 ID:R/ovMzDF
>>663 もう時代は変わったよね。生姜と同じ民族の領主さまが拉致をお認めになって以来、決定的になった。
日本人をなめないほうがいい>生姜
668 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/02(火) 10:21:12 ID:M3ZOm3tV
>本当にケルゼン解釈はパール判決の議論の本筋なの? 本筋ではないかも知れないけど、パールの依って立つ国際法の解釈からすれば ケルゼンを持ち出すというのは自然な流れだと思うよ。事後法で無罪という論拠は、 大陸法による法実証主義から導き出された考え方だからね。
何か泥沼化してるね。 いつになったら収拾つくんだろう。
670 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/02(火) 14:16:38 ID:GjA3wZHY
創価学会にはストーカーマニュアルがあってうろつきや盗聴方法について細かく指示されている うろつきについては「子供が襲われないように地域の安全のためにパトロールしましょう」だそうだwww 盗聴については「たまたま自分の家が盗聴されてないかどうか調べてたら声が聞こえてきて 子供の安全のためにこれからはこれを利用してみんなで盗聴しましょう」だそうだwww この言い訳使ってたらまず創価学会に間違いないし他の言い訳使ってんなら創価学会じゃない可能性が高い 熊本隆談www
671 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/02(火) 16:47:13 ID:7Siwljfv
東谷の反論読んだけど・・・ あれ反論になってるか?手元に本がないから斜め読みでうろ覚えの主張の概要 ケルゼン解釈 小林氏の主張は 法律と、法律として結実していない道徳を分けるのが純粋法学で、法律に道徳が内封しているのは当然 ケルゼン自身も法律は当為(であるべき)であるということを述べている 東谷は 法律と道徳を分けるのが純粋法学で、法律に道徳が内封しているのは小林の妄想 ケルゼンの当為は、一般的な意味の当為とは違う 当為から正義や道徳は外されている なぜなら、ケルゼンは正義や道徳をおぞましいと言っているから どう考えても東谷がおかしい。 法律と道徳を分けるというが、法律から道徳を分離すると言うのはどういうことか? 法律に道徳が内封されていないのなら、法律とは、どういう過程で作られ、どういう意図で作られるのか? 社会学的な法律というのは何か?それができる過程とは?? そんなものがあるとして そもそもパール問題と枝葉ではないというのなら 最低限、国際法が社会学的経緯で作られた事を証明しなくてはならないが その記述はない 国際法は慣習法であって歴史学的な経緯で作られていると考えるのが自然なのだが・・・ またケルゼンがおぞましいとしているのは、法律に結実していない正義や道徳であって 当為の解釈は東谷の論理は飛躍しすぎ
>小林氏 >東谷 ただの論争にそんなに熱入れなくても。トッキーが見てるかもしれないけど。 「だからなに?」と言われれば「別に」としか言えないが。
>>672 まあ、好き嫌いくらい当たり前でしょ。
俺も小林氏、パール判事、西部氏、中島、東谷、という表記になってしまう。
後、論争は熱くなって普通と思うよ。
675 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/02(火) 17:19:44 ID:M3ZOm3tV
>どう考えても東谷がおかしい。 おかしいといってもケルゼンの法実証主義における純粋法学の立場が、実定法と道徳を ふたつの別の価値として捉えたものなんだから、それは東谷にどうこう言うべき問題じゃなく ケルゼンに対して言うべきだろうね。小林は法哲学を知らないから、トンチンカンな 理解の仕方をしているのはしょうがないとしても。少なくともケルゼンについては東谷が 正しいよ。長尾や横田が概説書を出しているから読んでみると良い。
676 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/02(火) 18:26:29 ID:7Siwljfv
>>675 「法が道徳的であるべきだとの、即ち、善くあるべきだとの要求を排斥するのではない」ケルゼン
すなわち
実定法と法律に結実していない道徳を分けるのが法実証主義だろ
上記の文章でもわかるとおりケルゼンは実定法が道徳的であるかどうかまで否定してない
実定法が道徳の結実であることまで分離はしていない
ってゆーか西部が裏でやらせてるのかと思うとがっかりするわ 反論したいなら正論で真正面からやればいいじゃないか 対談本出したり弟子に反論させたり・・・もしかして佐藤や宗男とも通じてるのかとまで疑ってしまう 西部の20年来の読者だっただけに情けない気持ちだわ
東谷の言うことは、○○の文を××で読み、××の文を○○で読むとし、最終的にブラックホールであると結論づけている事は、わざわざケルゼンを引っ張り出す必要はないんじゃないかと思う。
ケルゼンとか純正法学とかわけわからん。 富岡、佐伯の両氏が小林氏と親密関係結んでるから もう西部さんはいいや。
680 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/02(火) 21:28:35 ID:8eH9C1Qo
中国板で在ったんだが。
937 :名無的発言者:2008/11/30(日) 23:55:05
間抜けなんだよな
11条容認しといて後からグダグタ言うのは卑怯者のやることだ
まぁ実質逆らえず戦犯を拘禁してるわけだし
940 :名無的発言者:2008/12/02(火) 15:43:17
935
それを言ったらインドのシン首相はパル判決を日本インドの友好の証と言ったんだが
戦勝国のインド首相が東京裁判を否定している。
937
不当性を訴えるのが卑怯なら、スポーツの国際大会で審判に一切抗議出来無いな
ハンドボールの国際大会に不当と言った日本と韓国は卑怯なのか。
サンフランシスコ平和条約11条は戦犯の釈放で効力を失ったんだが。
941 :名無的発言者:2008/12/02(火) 19:59:19
>>940 何それ?
全く法的問題と関係ないww
判例の法源性の問題が分かっていない
所詮、パルの主張は「少数意見」で「判決」ではない
基本的なことを間違っている人が多すぎる
>戦勝国のインド首相が東京裁判を否定している
で?
また、「事後法」とかを持ち出すの?
パルばかりではなく、レーリンクの意見やベルナールの意見も見ないとww
パルの「先見の明」のなさが分かるよ
事実誤認や欠席率の高さは問題としないの?
東京裁判に問題があるのは事実
宣誓供述書もそうだし、判事選出の問題、言語の問題、「しっぺ返し」の禁止の問題などなど
しかし、パル「意見書」を盲目的に信じている人達って、「判決文」を読んだことないんだろうね
たぶん、小林よしのりとか渡部昇一とかしか読まないで(あるいは、講談社学術文庫の「パル判決」(これも間違いだがw)も読んでいないだろうね)、「いい」と言っているんだろうな
要するに、戸谷由麻の信奉者ですね。
そう言えば「ダルマ」に ついても触れてましたね。
NHK教育にて中島出演中w
>>683 公に発表する者としては、論文読んでないのは痛いなあ。
おもいっきりいいテレビでもみのもんたや加藤晴彦は読みもしないでボロクソに毒吐いていたからなあ。
最新号のWILLに全文載ってるから大月はそれ読めって。
>>684 やっぱこいつかw
よしりんの似顔絵すげー
実物見たことないのになんかそんな気がしてここ来てみたw
687 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/02(火) 22:39:04 ID:6XcOcMIn
結局NHKは中島を使い続けるのか。
688 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/02(火) 22:40:00 ID:HZENBSXT
ケルゼンなんてどうでもいいよ。 「西部・中島に知的不誠実は無かったか?」 まずこれに答えろよハゲオヤジ
689 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/02(火) 23:21:58 ID:A4QkfLG1
>>688 そんな小林が正論12月号で決めたルールなんかに従うつもりはないと
東谷暁は論文の最初で宣言しているだろ!
690 :
ジャック :2008/12/02(火) 23:42:57 ID:IiyNXwec
ケルゼンが西部を救唯一の手がかりだ
691 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/02(火) 23:43:25 ID:6XcOcMIn
692 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/02(火) 23:48:59 ID:6XcOcMIn
>>689 スマン言葉が足りなかったな。
つまり東谷は西部や中島の言論については批判も何もしないが
小林は気に食わないから叩くんだ。文句あるのかよ。ってこと?
ケルゼンには手を出さなければよかったね。 ちょっと調子に乗りすぎてしまったのかもしれない。 そもそもパール研究とケルゼン研究とは、規模が違うのだから、そうそう新発見! は無理、ということだろう。
批判された張本人(西部)はあれ以来、黙りだしね。
パールについては戦争論からの長年の研究の積み重ねがあるから小林の方が詳しそうだが ケルゼンについては両者とも最近調べてみた程度のもんだろ どっちが正しいかとかいえる段階にはまだまだないようにも思う
696 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/03(水) 00:44:47 ID:p1uzQNBq
わかりやすく言うとですね ケルゼンは法律と法律ではない道徳や正義を分離したのであって 法律の立法などからは、道徳や正義を排除していない すなわち法律に道徳や正義が内封しているのは否定していない それを馬鹿が「ケルゼンは法律と道徳を分離した」だから保守派とは相容れないとか 無意味な批判をしている 東谷に至っては「法律に道徳や正義が内封している」というのは小林の妄想とまで 言っている始末・・・ 嗚呼・・・
>>696 じゃあ東谷は法律はどういった物でデキテルと言ってるの?
698 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/03(水) 01:34:28 ID:p1uzQNBq
>>697 さあ?
当為を排除した法律だけをケルゼンは認めているといいたいんじゃないの?
そんな訳ないけどね
「法が道徳的であるべきだとの、即ち、善くあるべきだとの要求を排斥するのではない」
とケルゼンは、言っている
法に道徳が内封しているのを否定してない
『新 歴史の真実』によると横田は1947年7月に『戦争犯罪論』を出し日本有罪論を展開した。 「平和に対する罪は、形式的な法の技術的な立場からすると、いくらかの不備や弱点はあるが、 実質的には法の精神的な立場からすると、やはり戦争犯罪としての性質を有することが あきらかにされた。これを処罰することは、十分な理由がある」 この見解は実は横田個人のものではなく前年2月にハーバード大学のグリュック教授が ある雑誌に寄稿した「ニュンベルク裁判と侵略戦争」という論文のほとんど受け売りに近い内容であったという。 占領が終わっても、横田の考えは変わらず『国際法講座』という本の中で 「以上のように、平和に対する罪については、法律上でいろいろと問題になる点がある。 形式的な、法の技術的な立場からすると、いくらかの不備や欠点があって、これを戦争犯罪として処罰することに 疑問も抱かれるが、実質的な、法の精神の立場からするとやはり戦争犯罪としての性質が認められる。 いずれにしても、第2次世界大戦では、これを戦争犯罪とし、その責任者を実際に処罰した。 これによって、重要な先例が作られ、平和に対する罪が戦争犯罪として成立したと考えられる」 つまり事後法の遡及原則が正しいかどうかではなく、先例が作られたのだからと戦争犯罪であると言い放ったのである。 ではなぜ横田がここまで戦前全否定になってしまったのだろうか?横田は社会主義系の知識人では なかったが、西洋を崇拝し強い革命志向に毒されていたという。さらに軍国主義者に出世を阻まれたという 個人的な経験があり、国を怨んでいたため、国家の否定に拍車がかかったという。 まあこれはあくまで推測ではあり確実ではない。 しかし、我こそは保守であると言っていた西部が横田と同じような考えを持っていたとは・・・ やはり元が共産主義であり、現在は西洋崇拝主義だからかなのか。 吉田茂が『大礒随想』「日本は外国人の言うことは片っ端から信じる癖がある」 と言ったが、真実だろう。
そもそも中島・西部はパールとゲルセンを重ねて「法実証主義」だなんだと批判してたような。 だけど東谷はパールがゲルセンを批判したって書いてたかと思う。 どうゆうこと?
701 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/03(水) 07:07:54 ID:oXF2y4L5
>>683 時価会計撤廃、BIS規制見直しをさっさとやった欧米を見て、
東谷は正しいと思った。
お前ら、さっき法哲学のあんちょこを表面的にさらっと読んだばかりで、 付け焼き刃の知識でやってるくせに、知ったかが偉そうに法哲学の講義してるんじゃねーよw メッキがはがれるぞwおまえら一夜漬けのハッタリ知識人は見ていて恥ずかしい。
703 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/03(水) 08:40:33 ID:1q6w5sej
>>689 東谷はそんなこと書いてるのマジで?
この論争の当事者は小林と中島なんだから後から参加する人は、小林支持か中島支持かどちらも不支持か・・・
とにかく自分の立場を表明しないといけないはず。
これは小林が勝手に決めたルールじゃなくて、この論争に注目してる読者に対してのマナー。
小林は先月号で論争を打ち切りにすると書いてたけど、こんな不誠実な人間は徹底的に潰してほしい。
704 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/03(水) 10:13:43 ID:0boKnBl/
>>676 あなた、ケルゼンの著作物はおろか、その概説書すら読んでないでしょ。
そもそもケルゼンという人はカント哲学の倫理学と法学との関係における規範の
帰属性を問題として「純粋法学」を書いた人物だよ。小林はそうした理解も無しに、
部分的な切り取り(この手法は歴史修正主義者が得意だが)を行い、
ケルゼン法学の法実証主義を勝手に解釈してしまっているわけだ。
>実定法と法律に結実していない道徳を分けるのが法実証主義だろ
違うけどね。全然。ケルゼンが目指した実定法の理解とは、「正しいとか善くあるべきだ」とする
倫理学分野(彼は心理学なども含めて社会学的な説明科学との相違点を明らかにしている)では
検証が不可能であり合理性を欠くと考えていた。だから、立法論として倫理的規範を議論することは
排除してないし(要求を排斥するのではないとは、その様な意味で言われている)否定することも
していないだよね。ただし、それ自体が「当為」として実定法に影響するわけではないとして、
「全く別種の意味「国法学の主要問題71頁」と結論づけているし、「相関的に法律学が独自の
学問であるなら他の学問とのあらゆる混合から脱却する必要がある」
(「国法学の主要問題」)としている。
>実定法が道徳の結実であることまで分離はしていない
ケルゼンのどの著作を見てもそんな風に書かれた箇所はないよ。あるというなら教えて欲しいね。
「実定法が道徳の結実」とする所をね。その理解は明らかにケルゼンの立場とは相容れないから。
705 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/03(水) 12:38:59 ID:8dQ2cVM1
>>700 俺もそれがよくわからん
パールとゲルセンどっちも法実証主義なら
「格闘」しなくてもよかったはずだよね
それとケルゼンは立法論としては法律と道徳を分けていないらしいけど
そうならば立法手続を経たかどうかが決定的に重要だということになる
そうなると慣習法の分野にはそもそも妥当しない議論だよね
その分野では実体論と立法論の区別があいまいなのだから
(だからこそ東谷さんは「東京裁判の見直しには、条約解釈だけでは不足で、
条約無効宣言(という立法)に向けた政治戦略も必要だ」と言ってるんだろう)
パールがケルゼンと「格闘」した?理由がますますわからなくなる
ま、ゲルセンに論点をそらす西部・中島の作戦は成功だろうな。 東谷さんの議論もその文脈で理解しないといけないんだろう。 それを無視してゲルセン・ゲルセン騒ぐのは保守のすることではない。
707 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/03(水) 15:03:11 ID:B3kY2vIB
ゲルセンって誰?w
>>688 そりゃ本末転倒だw
それに「恐るべき博識」が、よしりんの論敵になった途端、ハゲオヤジ呼ばわりとかちょっとさあ・・・ねえ?
あんまりみっともよくないから(誤った日本語)やめようぜ。
709 :
ワロスww :2008/12/03(水) 16:20:18 ID:p1uzQNBq
>>704 お前アホだろ?
>立法論として倫理的規範を議論することは 排除してないし
倫理的規範を元に法律が作られることを排除していないってことだろ
ケルゼンが言っているのは既に作られた実定法に倫理的規範や「当為」が
影響しないって言ってるんだよ
だから実定法が道徳の結実から作られる可能性をケルゼンは排除していない
(あくまで排除していないという話。法律すべてが道徳の結実という事でないが
道徳によって法律が作られる可能性を否定していないという話)
そりゃそうだろ倫理的規範を無視したところからのアプローチでしか法律を立法できない
なんてアホな話はケルゼンはしていないし、そんな事は実現不可能
710 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/03(水) 16:37:02 ID:0boKnBl/
>>709 あなたは人をアホ呼ばわりする前にせめてケルゼンか法思想史についての概説書を
読むことを勧めるよ。全体像を把握しないまま、素人が勝手に解釈できるほど
法思想は緩い分野じゃないからね。
>倫理的規範を元に法律が作られることを排除していないってことだろ
少なくともケルゼンを知っている学者にこんな認識を示せば馬鹿にされるだけ。
無理しない方が良いと思うよ。これは私からのアドバイスだけど。
>>710 「それ(法の規範)はこれ(道徳規範)と異なる。それはその内容に基づいて妥當するのではない。
いかなる任意の内容でも法であり得る。いかなる人の行動であっても、それ自身として、その内容のために、法規範の内容となりえないものはない。」(『純粋法学』p103)
のだから、
>>709 の言っていることは間違いではないでしょう。
あなたが
>>704 で言いたいことは理解出来ますよ。
純粋法学の
第一章法と自然、の始まりからでも。
「純粋法学は實定法の理論である。實定法そのものの理論であつて、特殊の法律秩序の理論ではない。
それは一般法律學(allgemeine Rechtslehre)であつて、特別の國内又は國際の法規範の解釋ではない。
理論として、それは専ら單にその對象を認識しようとする。何が法であるか、法がいかにあるかとゆう問題に答えようとする。
法がいかにあるべきか、いかに作られるべきかとゆう問題に答えようとするのではない。純粹法學は法律學である。法律政策ではない。
純粋法學が法の【純粹】な學と名ずけられるとすれば、それは純粹法學が専ら法に向けられた認識を保證しようとするからであり、
正確に法として規定された對象に屬しない一切のものを右の認識から排除しようとするからである。
換言すれば、それは法律學を一切の異質的な分子から解放しようとする。
それが純粹法學の方法論上の根本原則である。」(p11〜12、【】はルビふっている箇所)
法律が善くあるべきである、という「当然の要求」は排除しない上に、「いかなる任意の内容」も法となりうるのですから、
一見我々からして、善い、道徳的と思えるものも法律になり得ます。
>>711 の続き
勿論、ケルゼンにとっては、我々から見て一見道徳的として見えるものは、相対的なものに過ぎません。
法については、
「それ(純粋法学)は法をそのあるままに叙述しようとする。
これを正当な物として是認したり、不当なものとして否認したりしない。それは現実の法や可能的な法を問題にするのであって、正しい法を問題にするのではない。
この意義において、純粋法学は極端に実証主義的な法律理論である。
それは実定法を評価することを排斥する。実定法をその本質に従って把捉し、その構造の分析によって理解すること以外に、科学として、他のことをなすべき義務があるとは考えない。」(p34〜35)
このようなスタンスをとっています。
ケルゼンが排除しようとしたものを正確に言うならば、道徳の有する「性質」、つまり、「絶対的価値」、「正義」を排除しようとしたわけです。
無論、小林氏の言うように、「非合理な正義や道徳の中から、ようやく合理的認識に到達したとみなされるものだけを法律として、それ以外の正義や道徳を排除するというのがおそらくケルゼンの志したことであろう。」
(『正論』12月号、p249)というのも、
>非合理な正義や道徳の中から、…
この部分を「いかなる任意の内容」の中から云々と書き直さなければならないでしょう。
ケルゼンは、法律がイデオロギーに振り回されている現状に対してもの凄い嫌悪感を抱いているようです。
次に引用する部分(上に引用した続き)からそれが理解出来るでしょう。
おっ、何か専門家が出てきたなw こういう高度な論争は歓迎だが。 保守は歴史認識とかそういうのばかりで、 哲学とか語る学者が少ないから新鮮だ。
(引用開始) 特に、現存の社会的秩序がそれによって是認されたり、否認されたりするイデオロギーを供給することによって、何かの政治的利益のために奉仕するようなことを排斥する。 このことによって、純粋法学は傅統的法律学と最も鋭く対立することになる。 意識的であれ無意識的であれ、多かれ少かれ、後者は常にイデオロギー的の性格を有する。 これと反対の、反イデオロギー的傾向によって、純粋法学はまさに真性の法律学であることを証明される。なぜなら、科学は認識として対象の目かくしを剥ぎとる努力を固有するからである。 これに対して、イデオロギーは実在を目かくしするものである。これを保存し、擁護する目的で、神聖化したり、これを攻撃し、破壊し、他のもので置き代える目的で、醜悪化したりすることによって、実在を目かくしするのである。 一切のイデオロギーは意欲に基くものであって、認識に基くものではない。ある利益からそれは生じる。 より正確に言えば、真理に対する興味でないところの、その他の利益から生じる。 もとより、ここで、これらの他の利益の価値や品位に関しては、何も断言しているのではない。 いずれにしても、意欲が物のまわりにかけた目かくしを認識は絶えず引き裂くであろう。 法を創造したところの、従って、それを維持しようと力めるところの権力は、かれの生産品(法のこと)の非イデオロギー的認識が何の役に立つのかと疑いもしよう。 現存の秩序を破壊し、よりよいと考える他の秩序によって置き代えようと欲する努力も、かような法認識ではたいしたこともできないであろう。 しかし、法の科学はこれらのいずれにもこだわるわけはない。純粋法学は実にかような法の科学でありたいとするのである。 (引用終了)(p35〜36) 何かが法に結実したならば、その時点で一切の解釈を封じる、というわけです。
もう小林さんは反論しないのかな〜
716 :
感服 :2008/12/03(水) 22:26:49 ID:p1uzQNBq
>>712-714 すごい知識ですね。感服します。
屁理屈みたいで悪いですが、質問させてください。
小林氏の記述について(
>>712 )ですが
「非合理な正義や道徳の中から、ようやく合理的認識に到達したとみなされるものだけを法律として、
それ以外の正義や道徳を排除するというのがおそらくケルゼンの志したことであろう。」
法律が善くあるべきである、という「当然の要求」と言っているのですから
「非合理な正義や道徳」でも間違ってはいないのでは、ないですか?
ケルゼンは、
法律が善い方がいいのは当然だが
法律の解釈が法律になっていない道徳や正義に影響されてはいけない。
と考えていたとなると
法律が、まだ不合理な善いと思われているもの(道徳・正義)の中から
善いと合理的認識に達したものだけ法律にして、それ以外は排除するべき
と志していた
と記述するのは間違ってはいなくないですか?
しかも「おそらく」と小林氏は書いていますし
逆に、法律が道徳観や正義以外のアプローチで作られる可能性もあるでしょう
ケルゼンは、それを排除しようともしてません。
しかし、なるべくは善いものが法律になるのが当然の要求と考えていたとなると
ケルゼンの志したことが見えてくると思いますが・・・
どうでしょう?
もちろん、ケルゼンの論理を正確に表すには「いかなる任意の内容」の方が正確でしょう。
しかしケルゼンの志しの推測となると小林氏の記述で良いと思います。
>>716 >>712 ではかなり説明不足でした。
>「非合理な正義や道徳の中から、ようやく合理的認識に到達したとみなされるものだけを法律として、それ以外の正義や道徳を排除するというのがおそらくケルゼンの志したことであろう。」
小林氏のこの推測は、ケルゼンの志からすると少し生ぬるく聞こえるんです。そもそも、「非合理な正義や道徳の中から、ようやく合理的認識に到達したとみなされるものだけを…」
…から…だけを…と限定している時点で「志」としてさえ、意味がズレています。
>「ようやく合理的認識に到達したものだけ」
「到達」という言葉もズレているんです。
後述するよう長い時間を経てようやく善い法律に「到達」する、というイメージではなく悪い方向のイメージが念頭にあります。
ケルゼンの純粋法学は、「立法者」によって制定される法律は、「あらゆる任意の内容」を含むと考え、法律となったものを、ただただ「認識」するだけです。
そしてそれに対して、道徳的な価値判断は一切しない。
つまり、あらゆる認識に到達し得ざるもの(正義、道徳的性質)による法解釈を避け、イデオロギーが入り込む余地を無くす、という「志」、を抱いていた、というわけです。
>ケルゼンは、法律が善い方がいいのは当然だが………
ケルゼンは、法律が善い方向に向かうというイメージよりも悪い方向に向かうイメージの方が強かったようです。
>>714 に引用した通り、彼は法律がいじくり回されることを徹底的に避けようとしました。
恐らくケルゼンは、そうすることによって、法律が制定された以上【なんであれ】、「それ」以上合理的認識に到達出来ない絶対的価値によって、【左右されないように】、伝統的法律論に牙を向けたのでしょう。
「それ」というのは、ケルゼンが一般的に制定される法律に対して抱いていたであろうイメージを、ケルゼンの置かれた状況から推測したものです。上に述べたよう法律が悪い方向に向かうイメージを。
結局、私の言いたいことは、小林氏の推測が、〈生ぬるく〉感じる、ということです。
先程から説明しているよう、ケルゼンの志したものはもっと徹底して、不信感に溢れた、〈冷たい〉、と言ってもよいくらいの形式主義だと思います。
また後で論ずるため、『法と国家の一般理論』を引用しておきましょう。 f.法理論の一つの要請としての国法と国際法の統一性 2.実定法と道徳の関係 実定法のある規範と道徳のある規範との抵触の場合を考えてみよう。 例えば、実定法は兵役の義務を果たすことを義務づけうる。 それは戦争における殺人の義務を含意するが、道徳、あるいは一定の道徳秩序は無条件に殺人を禁止する。 このような状況の下で、法律家なら 「道徳的には殺人は禁止されるかもしれないが、 そのことは法的には無関係だ」と言うだろう。 妥当する諸規範の一体系の実定法の見地からは、道徳は妥当する規範体系として存在しない。 言いかえれば、もし実定法が妥当する規範体系と考えられるならば、道徳は妥当する諸規範の一体系として全然問題にならない。 この見地からは兵役を果たす義務が存在し、 その反対の義務は存在しない。 同様に、道徳家なら「法的には人は兵役に服し、戦争において殺人を行なう義務を負うかもしれないが、 そのことは道徳的には無関係だ」と言うだろう。 つまり、もしわれわれの規範的考慮を道徳に 立脚させれば、法は妥当する諸規範の一体系としては全然現れない。 この見地からは、兵役を拒否する義務が存在して、その反対の義務は存在しない。 法律家も道徳家も両方の規範体系が妥当するとは主張しない。 ちょうど道徳家が実定法を妥当する諸規範の一体系として無視するように、法律家は道徳を妥当する諸規範の一体系として無視する。 いずれの見地からも、互いに矛盾する二つの義務は同時に存在しない。 しかも第三の見地はない。 一個同一の見地から法と道徳を同時に妥当する諸規範と考えることは、一つの秩序が他方に「委任」していると考えられるときに限って可能である。 実定法は往々、少なくともある特定の人間関係を規律するために、一定の道徳体系を照合する。 また、多くの道徳体系──多少とも広範な条件つきで──現存の実定法を承認する。 道徳の委任された部分は実定法の一部であり、法の委任された部分は、道徳に対しても同じ関係に立つ。
>>719 (引用開始)
一個同一の見地から法と道徳を妥当する諸規範と考え、同じことに帰着するが、それらを同時に妥当する体系と認めることは、両者を包括する単一の体系の存在を想定することを意味する。
科学的知識の探究は、すべて、一見多種多様な諸現象のなかに統一性を見いだそうとする努力によって動機づけられる。
だから、対象を首尾一貫した諸言明、すなわち互いに矛盾することのない諸言明の一つの体系において記述することが科学の任務となる。
それは、その対象が諸規範である法と道徳の科学についても当てはまる。
これらの科学の分野でも矛盾は追放される。
ちょうど「Aがある」と「Aがない」の両方を主張することが論理的に不可能なように、「Aがあるべきだ」と「Aがあるべきでない」の両方を主張することも論理的に不可能である。
妥当する所のものは、もっぱら「汝は…すべきである」というような文章によってのみ記述されうる。
法律家が妥当すると前提された諸法規範の体系を、そして道徳家が妥当すると前提された諸道徳規範から体系を記述するのは、このような言葉においてである。
その意味が矛盾し、互いに論理的に排斥し合う二つの規範は、同時に妥当するものとは考えられない。
自分が扱う資料を首尾一貫提示することが法律家の主な仕事の一つである。
資料は言語的な表現の形で提示されるので、それがいろいろな矛盾を含むことはア・プリオリにありうる。
法学的解釈の特殊な役割は、それらがただ見かけだけの矛盾であることを証明して、これらの諸矛盾を除去することである。
法学的な解釈を介して、法的な資料が一つの法体系に変形される。(p544〜546)
720 :
716 :2008/12/04(木) 08:45:59 ID:gnloYsim
>>717 ありがとうございます。
なるほど・・・
言いたいことはわかります。
ケルゼンは「非合理な道徳や正義から合理的認識に到達したとみなされるものだけ」を法律として
認めているのではなく、法律としてできたものすべて認めているという事でしょう?
ただ小林氏は正論12月号249ページでの文章は「道徳・正義」の文脈で
「非合理な正義や道徳の中から、ようやく合理的認識に到達したとみなされるものだけを法律として、
それ以外の正義や道徳を排除するというのがおそらくケルゼンの志したことであろう。」
と述べているんです。
文脈上、小林氏は道徳・正義以外の事は外しているのでしょう。
あくまでケルゼンが道徳・正義について、どう考えていたかを小林氏は述べたかったのだと思います。
また「合理的認識に到達したとみなされる」に関してですが
小林氏は
>>717 であなたが書いている
「長い時間を経てようやく善い法律に「到達」する、というイメージ」
というよりも単純に「立法に達した」という意味で述べているのではないでしょうか?
まとめていうと
「まだ立法に達していない正義や道徳の中から、ようやく立法に到達したとみなされるものだけを
法律として、それ以外を排除する」
という意味じゃないですか?
>>720 >ケルゼンは「非合理な道徳や正義から合理的認識に到達したとみなされるものだけ」を法律として認めているのではなく、法律としてできたものすべて認めているという事でしょう?
それだけではありません。それは既に前に述べたことですから。
>>717 では更に踏み込んで、批判足らずの部分を補強したわけです。今回更に詳しく補強しようと思います。
>文脈上、小林氏は道徳・正義以外の事は外しているのでしょう。
そもそも、小林氏の『正論』での文脈がどうであろうと、ケルゼンの「志」について述べているわけです。
それで「非合理な正義や道徳の中【から】、ようやく合理的認識に到達したとみなされるもの【だけ】を法律として、…」とのように限定しているわけですから、一番初めに指摘したよう、【訂正】を要します。
>「長い時間を経てようやく善い法律に「到達」する、というイメージ」というよりも単純に「立法に達した」という意味で述べているのではないでしょうか?
今論じている内容からすれば、「【ようやく】…到達」という言葉自体が存在するだけで、何か善なるものを想起させるのは当然です。
「いかなる任意の内容」も法律になり得るのですから、「ようやく…到達」なんて言葉は必要ありません。
続く
>>721 の続き
「立法者」に立法されれば、それだけで、純粋法学の「認識の対象」になります。
「ようやく…到達」するものではありません。
「認識の対象」になれば、合法性という意味以外の正義の概念を排除する。その概念で解釈させない。それだけの話です。
小林氏の「ようやく合理的認識に到達したとみなされるものだけを…」という言葉は、『正論10月号』
「もちろん成分化された実定法を超えた道徳や倫理が世の中には存在するが、それが実定法として結実するには歴史の積み重ねが必要である。
実定法という「合理的認識」到達していない道徳や倫理で人を裁くのは、かえって危険な行為なのだ。」(p54)
の文章からすると
>>717 で指摘した通り、
「長い時間を経てようやく善い法律に「到達」する、というイメージ」にならざるを得ません。
「合理的認識」という言葉の使い方は、正論10月号、正論12月号でも変わらず同じままです。
「歴史の積み重ね」で「合理的認識」に到達するなぞとはケルゼンは言っていません。
純粋法学は、ただただ、「法」をありのままに「認識」するだけです。
そしてその「法」は「立法者」によって制定された「いかなる任意の内容」も含み得るものであり、
彼等によって制定され、法となったときから「認識の対象」となります。
結局小林氏のケルゼン解釈は、純粋法学本来の性質ではなく、ケルゼンに似つかわしくない〈生ぬるい〉ものになってしまういうことです。
淡々と書いてしまいましたが、これは仕様ということで。
723 :
716 :2008/12/04(木) 20:31:57 ID:gnloYsim
>>721 正論12月号の小林論文は
まずP248で根本規範について論じています。
ケルゼンが「最初の憲法」が国内法の根本規範であると明記しているとか
「法秩序の根本規範は、人は憲法の「父祖達」および−直接間接的に−その憲法によって
授権(委任)された諸個人の命ずるように行動すべし、と言う。」と書いていて
「根本規範」が「歴史的形成物」であることを論証しています。
それを引き継いで249ページで「法と道徳」の関係性を述べています。
ここで述べているのはケルゼンの純粋法学ではなくケルゼンが法と道徳をどう考えていたかの話です。
だから「だけ」とか限定するのは問題ではありません。
ケルゼンが法律をどう考えていたかを述べているのならば、あなたの言うとおりでしょうが
道徳と法をどう考えていたかならば小林氏の記述に問題はないわけです。
文脈です。文脈
だからようやく・到達というのも立法に達したという意味で取るのが普通でしょう。
>>722 その正論10月号P54での小林氏の引用部分ですが、それはケルゼンの認識を言っているわけではありません。
それは、中島・西部に対しての小林氏の認識であってケルゼンは殆ど関係ありません。
>>723 >その正論10月号P54での小林氏の引用部分ですが、それはケルゼンの認識を言っているわけではありません。
正論12月号と対照した上で言っているのです。
「合理的認識」という言葉の【使われ方】、「歴史を積み重ねが必要である」云々。
しかもケルゼンの話の続きですよ。
文脈上繋がっています。
西部・中島がケルゼンこそが、法律から道徳観を完全に抜き去った、として対談本p167あたりで論じているのを批判しているのです。
わざわざ12月号において「合理的認識」という言葉を使い、「ようやく…到達」と書き、「歴史の積み重ね」を意識しているわけです。
もし10月号が中島・西部を批判しつつ、ケルゼンを擁護したものではなく、単なる自分の意見であったとしても、「合理的認識」という言葉を使うだけで不適切です。同じ意味で使っていると考えられても仕方ない。
>…ケルゼンの純粋法学ではなくケルゼンが法と道徳をどう考えていたかの話です。
ケルゼンが【志したもの】は、純粋法学以外ありません。
大体、東谷の「純粋法学を志すケルゼンにとって、通常の意味の正義はおぞましいものなのだ」という部分に対応して、「志」という言葉を使っているのです。
たとえ、あなたの言うように、法と道徳に限定されるべき文脈だとしても、
>>723 を読めば明らかなように、正義や道徳が「ようやく合理的認識に到達したものだけを法律」とする必要はありません。
どんな法律でも立法者が制定するだけです。
>>712 に引用したように、政策には携わりません。
その後に、合法的である、という正義概念を用いて解釈することを避ける必要がある。ということです。
>「根本規範」が「歴史的形成物」であることを論証しています。 後はこれだけですが、一番厄介でややこしい。既に小林氏の始めの認識が甘いということを示しておけばよいでしょう。 『法と国家の一般理論』においてケルゼンは、国内の根本規範に触れた後、「後に、国際法を考慮に容れると国法の根本規範の問題にいかなる影響が生ずるかを考察することにしよう。」(p201) そしてp535「d.国法と国際法の妥当性の理由」 『1.国法秩序の妥当性の理由は国際法によって規定される』という項目において、 「国法秩序の根本規範に関する問いの答えは、本書の第一部で与えられた[本書二○○頁以下参照]。 もし、国際法に関係づけることなく国法秩序が考察されるなら、その妥当性の究極の理由は『憲法の父祖達』を法─創設権威と資格づける仮定的規範である。 だが、もし、われわれが国際法を計算に入れるならば、われわれは、この仮定的規範が国際法秩序の一つの実定的規範、実効性の原則から引き出せることに気づく。 国際法が『憲法の父祖達』に一国家の最初の立法者として作用すべく授権するのは、この原則に従ってのことである。 歴史的に最初の憲法は、それに基づいて打ち立てられた強制的秩序が全体として実効的であるがゆえに妥当する。 かくして国際法は、実効性の原則によって、諸国法秩序のさまざまな妥当範域ばかりか、妥当性の理由までも規定する。 諸国法秩序の諸根本規範は国際法の一規範によって規定されるから、それらの規範はただ相対的な意味での根本規範にすぎない。 もろもろの国法秩序の妥当性の究極の理由でもあるのは、国際法の根本規範である。 上位の規範は下位の諸規範が創設されるべき手続を詳しく規定することもあるが、ある権威に下位の諸規範をそれ自身の裁量で創設すべく授権することもありうる。 国際法が国法秩序の基礎を形づくるのは、後者のやり方においてである。 みずから樹立した強制的秩序への恒常的な服従を獲得できる一個人または諸個人は合法、正統な権威とみなされるべきであると規定することによって、 国際法はもろもろの国法秩序に『委任』し、それによってそれぞれの国法秩序の妥当範域も規定するのである。」(p536〜537)
小林氏は「歴史に問う」という言葉を単に、遡るだけ、と考えているのか? 歴史主義的な解釈なのか? で全く変わっきます。 前者であれば、よくわかります、妥当性の淵源を辿っていくときは、ただただ、形式的、動的にポンポン、ポンポン辿って行くだけです。 何故こんなに簡単に辿れるか?と言えば、それは、それら中間にある以前の憲法等に何らの解釈も施さないからです。 これならわかりますが、先程から論じているようにどうも小林氏には、生ぬるく、後者の解釈が入っているようです。
そもそも、私は小林氏を批判したいわけではありませんから。 ケルゼン解釈はどう考えても怪しいのですが、 パール判決に関してとっとと東谷のアホをぶちのめしたいのです。 ケルゼン解釈について更に指摘してみます。 b 先験的範疇としての当為(四一頁〜) このイデオロギー的分子から法の概念規定を解放することが純粋法学の努力するところである。 後者は法規範の概念をその母体であった道徳規範の概念から完全に遊離し、法の固有法則性を道徳律に対しても確立するのである。 このことは、傅統的学説が多くの場合になしたように、法規範を道徳規範と同様に命令として理解することなく、仮設判断(hy-pothetisches Urteil)として理解することによって行われる。 この仮設判断は制約的構成事実(bedingender Tatbestand)と被制約的効果(bedingth Folge)の特殊な結合を言いあらわすものである。 かくて、法規範は法規(Rechtssatz)となる。後者は法律の根本形式である。自然法則が原因としての一定の事実に結果としての他の事実を結合するように。 法の規則は法律要件に法律効果(即ち、いわゆる不法効果)を結合する。前者において、諸事実を結合する様式が因果関係であるとすれば、後者においては帰属関係(Zurechnung)である。 この帰属関係は法の特殊法則性として純粋法学によって認識されたものである。結果が原因に遡及するように、法律効果は法律要件に遡及する。 ただし、法律効果は法律要件によって因果的に惹起されたと見ることを得ない。 法律効果(不法効果)は法律要件に帰属されるのである。 これこそ、ある人が犯罪の「故に」処罰されるとか、ある人の財産に対して弁済されない債務の「故に」強制執行が行われるとかゆう言葉の意味である。 刑罰を犯罪に関係させ、強制執行を私法上の不法行為構成事実に関係させることは因果的の意味を有するのでなく、規範的の意味を有する。 (続く)
(続き) この「帰属」と名ずけられた関係を表示する言葉、それと同時に、法の特殊の存在を表示し、 その妥当性を表示し、「法」の体系に属する構成事実を相互的に結合する特有の意味を表示する言葉、それこそ純粋法学がそれによって実定法を表現する当為(Sollen)である。 それ以外の何ものもこの当為ではない。そのことは因果法則性を表示する言葉が必然(Mussen)であるのと同様である。 これらの双方の場合において、問題になっているのは単にそれぞれの体系――後者では自然、前者では法――に特殊な諸分子の機能的関連を表示する言葉にすぎない。 特に、因果性も、これを魔術的・形而上的意味から解放すれば、このこと以外の何ものも意味しない。 この魔術的・形而上的意味は、原因をおもってそのうちから結果を創造する何か秘密な力であるよう に――まだ全く万有精神論的に――考えるために、はじめに因果性に附着していたものである。 しかし、右のように純化すれば、この純化された因果原則を自然科学は放棄することを得ない。 なぜなら、それは自然が理解し得られるものであるとの要請(ポスチュラート)を表現するものにほかならないからである。 この要請に応じるには、我々の認識の課題とされたところの諸事実を互に結合することによるほかあり得ない。 『Aならば、Bであらねばならない』と自然法則が言えば、『Aならば、Bであるべきである』と法の規則は言う。 ただし、これによって、この関連の価値に関しては、即ち、その道徳的や政治的の価値に関しては、何ごとも断言されているのではない。 この場合に、当為は経験的の法的客体を把捉するための相対的に先天的な範疇であるに止まる。 実定法において構成事実が互に結合されているところの特殊な様式をいやしくも把捉し、表現しようとするならば、この点において当為を欠くことを得ない。 なぜなら、右の結合は明に原因と結果のそれではないからである。 (続く)
729 :
716 :2008/12/05(金) 08:35:01 ID:WwzKwagK
>>724 すいませんが納得いくまで反論しないと気がすまない性格なので反論しますね
まず、小林氏のいう「合理的認識」というのは「実定法になる」という意味ですよ。
正論10月号のP54では、実定法という「合理的認識」に到達していない・・・と書いています。
「合理的認識に到達していない。」という意味は
単純に、実定法に到達していないと言う意味でしょう。
また、ケルゼンの志の事を言っている正論12月号と、
西部、中島に対する文脈での正論10月号では
合理的認識に関しても記述をきちんと分けています。
10月号には合理的認識には歴史の積み重ねが必要と述べていますが、
12月号のケルゼンの志からは、歴史の積み重ねというのは排除しています。
これは「歴史の積み重ね」という認識は小林氏の持論で、
ケルゼン解釈とは別だということでしょう。
>しかもケルゼンの話の続きですよ
そうでしょうか?正論10月号P53の下段の最後の行から話は切り替わっていると思いますが?
>ケルゼンが【志したもの】は、純粋法学以外ありません。
純粋法学者の道徳・法律への志を述べているのですよ・
>ようやく合理的認識に到達したものだけを法律」とする必要はありません。
ん?どういう意味ですか?合理的認識というのは「実定法」という意味なんです。
「実定法以外を法律とする必要はない」という意味になりますよ?
それとも「合理的認識」が「実定法」という意味じゃない意味があるんですか?
正論12月号のP249上段では、「道徳や正義というものは人間が希求してやまないものではあるが、
決して合理的認識には到達しえない」とも小林氏はちゃんと書いています。
合理的認識になって法になるのではなく。
法になって初めて合理的認識になる。ということも小林氏はわかっているということです。
730 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/05(金) 14:10:27 ID:lx9tVzKd
そもそもケルゼンの理論って国際法にも応用できるの? 東谷によれば「ケルゼンは国家とは実定法の体系そのものである とまで言っている」らしいけど、なら国家の外は別の話だよね。 パール(判決)にとってケルゼンが重要でないのなら ここでケルゼン解釈を論じても意味がないと思う。
元々は西部が「法に道徳や慣習が関与する余地がないという形式主義を自称保守派が受け入れるというなら、 では、あなたたちの保守とは何なのか?と問うてみたい。」(パール判決を問い直す 160P)と、言ったことが始まりでしょ。 そして小林氏が反論して東谷が「小林のケルゼン解釈は間違っている」と なんやかんや言っているだけ。
732 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/05(金) 20:35:16 ID:xCbBsV6q
>>731 だから西部がパール判決を読まずに中島のトンデモ本をネタにいい加減な仲裁したことを咎められたから論点を拡大して曖昧にしてるだけだよね
正論二月号に西部が反論しないなら論争なんて成り立たない
734 :
まだ勉強不足 :2008/12/05(金) 22:55:34 ID:/pzmtiJH
ちょっと質問なんですけども。 ようするに西部さんはパールのことそれ自体はほとんどどうでもよくて、 むしろパール判決に対して日本人がそれをどうとらえて行動するか というところに着目してほしかっただけってこと?
いや、単に昔の男(小林)から今の男(中島)を守っただけ
>>734 西部が『パール判決書』を英文を含めて熟読して、そのうえで
「小林君は間違っているよ、中島君の方が正しい」と言ったなら、公的に実りある言論になったと思う。
しかし中島の『パール判事』しか読まずに、知ったかぶりするからややこしくなってしまった。
まあ元々西部は保守か保守でないかで評価しているから、パールが「日本の再軍備反対」の時点で
「なんでこんな人物を自称保守派は評価するんだ?」と思ってしまったんだろう。
読まずに批判するなと言いたいけどね。
737 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/05(金) 23:51:11 ID:ejAyoerl
>>732 『正論』一月号で東谷暁が小林よしのりを批判しているのを見て、よしりんもつまらん「深み」へ踏み込んだな、と思った。
まあ東谷−西部のつながりというのもあるのだろうが、ケルゼンなど放っておけば良かったのである。
断っておくが私はケルゼンのことなど何も知らない。中島岳志に対して私が批判したのは、
「パル判決を利用して大東亜戦争肯定論を主張する右派」というのが具体的に誰のことで、大東亜戦争肯定論とはどう定義されるのか、ということであり、
よしりんが中島を批判したのは、パルが日本の憲法第九条を守れなどとどこで主張したか、ということである。
それ以上の深みなど、ありはしないのである。
ずるい論者はしばしば、負けそうになると話を「深み」へ持っていってごまかそうとする。
西部ー中島がケルゼンなど持ち出したのはそのよい例で、よしりんはそれに引っ掛けられたのである。
ここに、「論争文は一回分が長いと余計なことを言って足元を掬われる」という法則がある。
中島への批判は、実は三行あれば足りる。丁寧に書いてもせいぜい原稿用紙十枚だ。
しかし雑誌の文章は20−30枚と書かせるから、いきおい、余計なことまで書くことになる。
これは学術論文でも同じで、5枚で言えることでも、それじゃ論文にならないからと引き伸ばすと変な論文になる。
> よしりんもつまらん「深み」へ踏み込んだ > ケルゼンなど放っておけば良かった > よしりんはそれに引っ掛けられたのである。 > 余計なことを言って足元を掬われる ↑わかるんだけどさ。ただ、もう自分の口から余計なことを言って足元を掬われた以上、 今度は、自分の発した言葉への「知的誠実さ」が問われてしまうんだよね。 それと小谷野氏が議論の焦点を限定するのは、よしりんと大東亜戦争観が異なるというのもあるんじゃないかな。 よしりんも古賀さんとかとは意見違うんだけどそこはスルーだったりするんだよねえ。うーむ。
あと、中島がたいしたもんだと思うのはダメダメな記述があちこちにあるから論点が一つにしぼれない。
>まず、小林氏のいう「合理的認識」というのは「実定法になる」という意味ですよ。
私は、始めからずっと小林氏の、「ようやく合理的認識に到達したもの…」という言が「実定法になったもの」という意味を表している、という前提に立っています。
その上で、ケルゼンの言う実定法は、「ようやく…到達」するようなものではない、ということを言っているのです。
私の
>>724 の
>たとえ、あなたの言うように、法と道徳に限定される文脈だとしても、
>>723 (
>>722 に訂正)を読めば明らかなように、正義や道徳が【「ようやく合理的認識に到達したものだけを法律」とする必要はありません。】
>どんな法律でも立法者が制定するだけです。
>>712 (
>>711 に訂正)に引用したように、政策には携わりません。
【】この部分だけで考えてしまうから、不自然になるのです。
ケルゼンの純粋法学では、実定法は「ようやく合理的認識に到達」するものではなく、ただただ、立法者によって立法されるのみです。そしてその法が、「認識の対象」とされるだけです。
手続きさえしていれば、「いかなる任意の内容」も法となり得るということは、
いわゆる道徳やいわゆる正義も、いわゆる最悪最低と思われる内容も、立法者の気まぐれによって決まり得るものである、として考え、それを出発点にしている、それが純粋法学だからです。
(だからこそ、一旦法となったからには、合法的という意味以外の正義の概念を入り込ませず、それによる((正当、不当の))解釈を禁止する。
>>712 >>714 のケルゼンの文章を慎重に読み直して下さい。)
こうして論じていくと、小林氏が、「最初から合理的なものなど、人間社会には存在しない。」(12月号p249)
とのように言っていることは一般論としては正しいけれども、ケルゼンに関連して全く述べる必要のない言葉でありことが理解出来ます。
何故なら、ケルゼンの純粋法学は、何かが時を経て「実定法」へと【変化】するものではなく、
立法者が手続きに従って立法した時点で、直ぐ様、「いかなる任意の内容」であっても「実定法」となり、
認識の手に届き得る実定法が与えられ、【「認識の対象」】となるに過ぎないからです。
続く
>>740 の続き
当然のことですが、認識の対象である実定法を認識することは、純粋法学にとっての「課題」であり、その「課題」とは、実定法をその本質に従って把捉し、その構造の分析によって理解することだけです。
そもそも、小林氏は10月も12月号も「合理的認識」を「実定法」としていますが、
本来、「合理的認識」の対象ではなく、それに【よって】到達することが不可能(認識の手によって届き得ない)なのが、非合理的理想である正義の内容であり、
「合理的認識」の対象であり、それに【よって】到達可能(認識の手によって届き得る)であるのが、「実定法の内容」です。
「認識」という用語でケルゼンは【対象を知る働き】の意味で使っていますが、小林氏は【知られた内容】にして使っています。
そのあたりに勘違いの本質的原因が存在するのでしょう。
>10月号には合理的認識には歴史の積み重ねが必要と述べていますが、12月号のケルゼンの志からは、歴史の積み重ねというのは排除しています。
>これは「歴史の積み重ね」という認識は小林氏の持論で、
ケルゼン解釈とは別だということでしょう。
「ようやく…到達」と言っている時点で、これは、「歴史を重ねる」ことと同義であると考えられます。
「非合理な正義や道徳の中から、ようやく合理的認識に到達したとみなされるものだけを法律として、…」
ということは、実定法という「合理的認識」に【到達】するためには、道徳や正義が【歴史の積み重ね】を経る必要がある、ということを前提にしています。
そうでなければ、「ようやく…到達」なぞと言う言葉を使う必要が何処にありましょうか?
辞書で「ようやく」「到達」の意味を調べて下さい。
結局小林氏は歴史学的解釈を前提にしていますし、そう考えられても仕方ない言葉遣いをしている。
よって、あなたのおっしゃる説には無理がある。
後、p53の下段からでも話は続いているのです。まず言っておきますが、
>>724 で私が指摘したこと(対談本のこと)を見落とされています。
>>741 の続き
そして小林氏が、「そもそも、西部・中島は、完全に道徳観を抜き去った法律の条文というものが、どこかにあると思っているのだろうか?」(10月号p54)と言っていることは、
対談本p165辺りで、西部・中島連合がケルゼン批判に続き、そのケルゼンが法律的アルゴリズムに依拠しているとし、
さらにその点でケルゼンとパール判事を同一視した上で、その法律的アルゴリズムに依拠したパール判事を持ち上げる「自称保守派」を批判していることについて、
正論p51〜53にて、(小林氏自身が)ケルゼンについて既に論じたことからして、
そんなこと(法律的アルゴリズムを可能とする条文)を考えている奴はケルゼンを含め誰一人存在しない、とのように、p53、15〜22行目と同様に考えた上で、
それ故に、そんな馬鹿げたことを考えている人が存在すると考えていること自体が、
西部・中島が、(法律的アルゴリズムを可能とする)「完全に道徳観を抜き去った法律の条文」の「存在」を信じられる、法律観の幼稚で浅薄なアンポンタンに過ぎない、ということを示しているのである、
このような意味を込めています。
その上で、【自身の見解】を述べるわけですが、12月号において、述べられている言葉を吟味すると、
「ようやく合理的認識に到達」とのように、10月号と同じ言葉「合理的認識」を使い、「歴史を重ねる」と同義の「ようやく…到達」を使うことからして、
ケルゼンの志しを小林氏自身の持論に惹き付けてしまっている、ということです。
更に言うならば、p51から小林氏はケルゼンの「合理的認識」という言葉を引用しているわけです。
それを理解した上で、敢えて、括弧つきでケルゼンが用いた言葉を用いて、西部・中島に当て付けつつ、ケルゼンを庇い、p54上段にて自身の見解を述べた、と考えるのが正しいでしょう。
12月号でさえ上述したよう、同じ使い方をしている以上、小林氏はケルゼンの志しを自身の持論に惹き付けて解釈している、ということを示しています。
これは別に小林氏がこれから最終的に不利になる言説ではありませんので、安心して、冷静に私の意見を読んで下されれば幸いです。見落とされている部分も多いかと思います。
>>729 へ
>>740 >>741 >>742 >>727 >>728 の
(続き)
刑罰が犯罪に科せられるのは原因に対する結果としてではない。因果関係と全く異ったところの、右の二つの構成事実の結合こそ、立法者のまさに設定したところのものである。
それは因果関係と全く異ったものではあるが、しかし、やはりこれと同様に破りがたいものである。
なぜなら、法の体系のうちでは、即ち、法律上では、刑罰は例外なく犯罪に継起するからである。自然の体系では、何かの理由のために、刑罰が科せられないでいるときでも、やはりそうである。
実際に刑罰が科せられるときは、犯罪が原因として働き、丁度その結果として必然的に刑罰が生じなければならないとゆうのではなくて、全く他の原因によって惹起されることがあり得る。
しかも、犯罪が現実に全く生じなかったときでも、そうである。
いわゆる不法行為が起ったならば、不法効果が科せられる「べき」であると言う場合に、この「当為」は、――法の範疇として――法規のうちで法律要件と法律効果を互に結合する特殊の意味を意味するにすぎない。
この法の範疇は純形式的の性質を有する。それによって、それは原理的に超越的法理念と区別される。
右のようにして紹介された構成事実がいかなる内容を有しようとも、法として把捉される行為がいかなる種類のものであろうとも、それは依然として常に適用され得る。
いかなる社会的実在であろうとも、その内容的形状のために、この法の範疇と両立しないとゆうことはない。
カント哲学の意義において、それは認識論的・先験的のものであって、形而上的・超越的のものではない。
丁度そのことによって、その徹底的に反イデオロギー的な傾向が確保される。
まさに、それ故に、この点において、傅統的法律論の側から、最も烈しい抵抗がなされている。
傅統的法律論としては、ソヴエート共和国の秩序がフアシズムのイタリアや民主主義資本主義のフランスの秩序と全く同様に法律秩序として理解されるべきだとゆうようなことは容易に我慢のできないことである。
以上(p41〜46)
今から引用する部分→
>>727 →
>>728 →
>>743 の順に読んで下さい。『純粋法学』第三章、第11節p39〜46です。
第一一節 法の範疇としての当為
a 超越的理念としての「当為」(三九〜四〇頁)
第三章 法の概念と法規の理論
この精神状態は、実定法がその下に包括される概念のうちに、即ち、規範又は当為の概念のうちに、
明瞭に現われている。なるほど、法規範と道徳規範の不同一性は繰り返して力説される。
しかし、法律学の側から、道徳の絶対的価値が疑問に付せられたことはない。
このことは、それを背景として、法の単に相対的価値がいよいよ明瞭にきわだつようにとの目的のみでなされるように見えるけれども、
絶対的価値の存在が法律学――みずからこの問題を論じる権能があるとは感じていないところの――によって否定されないとゆう事実そのものが既に法の概念に対して反映的効果を及ぼさないではいない。
実際において、法が道徳と同様に規範であると見られ、法規範の意味が道徳規範のそれと同様に当為として表示されるときは、
道徳に固有な絶対的価値のいくらかが法規範の概念と法的当為にもやはり附着させられている。
何かが法で規定されているとの判断、何かの内容が法によって当為とされているとの判断は、それ故にそれが善く、正しく、正当であるとの表象から決して完全に解放されていない。
この意義において、一九世紀の実証的法律学によってなされたところの、法を規範や当為として概念規定することは、事実において、あるイデオロギー的分子を含むものである。
(引用終了)(p39〜41)
745 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/06(土) 16:27:15 ID:ZAN7/PTt
>>740 >>741 結局、ようやく・・・到達と歴史の積み重ねが同義だといいたいわけでしょ?
あのね
まず小林氏が論じているのは「道徳と法」に関してだからね
それで、ケルゼンは道徳・正義は不合理だから法と分けたわけでしょ?
でも、ケルゼンは法が道徳・正義から作られることを排除していないし
それは、当然の要求と述べているわけでしょ?
それを踏まえて、小林氏は「ようやく合理的認識に到達」と述べているわけです。
別に歴史の積み重ねは関係ないですよ
「不合理の中からようやく合理的認識に到達する」
うーん・・・時間の流れはありますが(作業・手続きという意味において)
歴史の積み重ねとまでは飛躍でしょう。
例えば
立法にされていない道徳からようやく立法に到達したものだけ法律として認める。
どうです?歴史の積み重ねを感じます?
「ようやく・・到達」を使っただけで、「歴史学的解釈」を前提って・・・
難癖レベルだと思いますが?どうですか?
>>745 >立法にされていない道徳からようやく立法に到達したものだけ法律として認める。
>どうです?歴史の積み重ねを感じます?
じゃあ何故に「ようやく…到達」と書いているのか意味不明です。
実定法は、立法者が作れば出来上がるだけなのに…
>「ようやく・・到達」を使っただけで、「歴史学的解釈」を前提って・・・
> 難癖レベルだと思いますが?どうですか?
その他にも、言葉遣い等多角的に説明しています。
しかし貴方には伝わらないようなのでもう構いません。
私は別に小林氏を責めているわけではありませんが、
無理の多い文章を書いてある以上、
その点は一つずつ解消していかなければなりません。
その上で、「言い分」を述べるべきです。
一応。指摘しておきます。 >「不合理の中からようやく合理的認識に到達する」 この直前に、「一切の合理は非合理の中から生まれる。最初から合理的なものなど、人間社会には存在しない。」 と書いているのですよ。 >うーん・・・時間の流れはありますが(作業・手続きという意味において) >歴史の積み重ねとまでは飛躍でしょう。 それがいきなり手続きに話が切り替わるのは、それこそ飛躍です。
748 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/06(土) 18:40:49 ID:cuOTBY1X
けどね、そのパルの「意見書」の内容が世界の国際法史から無視されて、 チャーターの方が国際人道法の発展に寄与している(だから、「権威」も認めることができよう) IMTFEに問題がなかったとは言っていないので注意 >事後的に犯罪を規定できるのか、権威なんか存在するのでしょうか? 事後法を問題にする事自体がもうワンパターン 上記した英米法体系のエクイティ、伝統的国際法理論のの「事情変更の原則」、ラートブルフやハンナ・アレントの見解などのような見解が支持されていることを意識しないと 小林の考えは、「自分の考えに合うところ」をいいとこどりしているだけ パル意見書でケルゼンの法思想を「重要視していない」と論じたが、全くの「嘘」であることが見破られている(パルが法実証主義に賛同はしていないのは確かだが、意見書の中で、ケルゼンのことはしっかり言及され、問題視されている) パール真論だけでは、パル意見書は分からないよ あれは、保守に都合のいい「要約文」だから しっかりと、講談社学術文庫のものを読み、IMTFEの判決文と比較検討することを勧めるよ
749 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/06(土) 19:49:07 ID:ZAN7/PTt
>>746 じゃあ何故に「ようやく…到達」と書いているのか意味不明です。
あのねぇ日本語の問題ですよ・・・
AからBに到達するのに時間(今回の件でいうなら歴史)という概念以外にも
AのものをBのものに到達させる。という作業工程的な流れもあるでしょ・・
作業的な流れにも時間の概念があるので、ようやく・・・到達は自然な言葉ですぜ?
>実定法は、立法者が作れば出来上がるだけなのに…
「立法者が作れば出来上がるだけ」であっても作業工程でしょ
作ってない→作る→完成という流れがあるでしょ?
ここに時間の概念がないのなら事後法もOKになりますぜ旦那
>>743 の
>>742 に補強。
小林氏は正論10月号p51下段で『純粋法学』から(正義は)「一般に合理的認識によつて到達し得ない」
という部分を引用しています。
そして、p54上段にて引用符付きで同じ「合理的認識」という言葉を使い、
既に
>>741 で指摘しているように、ケルゼンの使う「認識」の用法と違い、「よって到達」を「に到達」と勘違いした。
それを正論12月号p249まで引き摺っている。
正論十月号p54「もちろん成分化された実定法を超えた道徳や倫理が世の中には存在するが、それが実定法として結実するには歴史の積み重ねが必要である。
実定法という『合理的認識』に到達していない道徳や倫理で人を裁くのは、かえって危険な行為なのだ。」
正論十二月p249「一切の合理は非合理の中から生まれる。最初から合理的なものなど、人間社会には存在しない。
非合理的な正義や道徳の中から、ようやく合理的認識に到達したとみなされるものだけを法律として、それ以外の正義や道徳を排除するというのがおそらくケルゼンの志したことであろう。」
ですが、「合理的認識」の対象であり、それによって到達し得る(認識の手に届き得る)のが、「実定法の内容」。
「ようやく合理的認識に到達」する必要はない。
小林氏が引用した(「一般に合理的認識によつて到達し得ない」)ケルゼンが言う「合理的認識」とは「立場」のこと。
立法者が手続きに従って、制定することだけで「実定法」が生まれ、それが純粋法学によって「認識」されるに過ぎない。
「一切の合理は非合理の中から生まれる。最初から合理的なものなど、人間社会には存在しない。」
一般論としては正しいが、そも、ケルゼンは、「実定法」が「合理」であるとか言っているわけではなく、
何であれ作られた「実定法」をその本質に従って把捉し、その構造の分析によつて理解するというのが、純粋法学の「課題」であり、義務である。
それ故に、「実定法」は、「合理的認識」によって「到達」し得る(認識の手に届き得るも)のである。
小林氏は勝手に「実定法」を「非合理」から生み出される「合理」であるとして、勝手に「到達」させ、折角の「課題」を無くしてしまっている。
>>749 何故に
>>746 のみに反論するのか?
>>747 にも目を当てるべきですよ。
更に、
>>750 であなたもようやく理解出来るはずです。
そもそも、手続きに時間がかからないなどと言っていません。
文脈を無視し、
手続きにかかる時間をもってして、
「ようやく…到達」と書く理由とするなぞ、小林氏の論文から読み取ることは出来ません。
752 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/06(土) 20:10:54 ID:ZAN7/PTt
>>747 はあ?
「一切の合理は不合理の中から生まれる。最初から合理的なものなど、人間社会には存在しない。」
ここでいう不合理は特に道徳・正義に限定していないだろ。
不合理な考えの中から合理になる。最初から合理的認識なものなどない。という意味
立法者が作っただけのものでも、同じ
立法者が作っただけの不合理なもののなかから合理的認識になるという意味。わかる?
>>748 それは中国板のレスのコピペだよね?そのひと、今月の『正論』も参考にしてる様なんだけど、
該当する記述わかる人いる?東谷氏の反論の一部なんだろうか。今月の『正論』は未読なんだ…。
>>752 まず、議論を続けるつもりであるのであれば、私の言っていることを馬鹿にせず、落ち着いて、冷静に聞いて下さい。
>>750 をお読みになられましたか?
>>747 のままで放置しておくわけにもいかないので、更に補強しているのです。
>ここでいう不合理は特に道徳・正義に限定していないだろ。
それを問題にしているわけではありません。
>不合理な考えの中から合理になる。最初から合理的認識なものなどない。という意味
>>750 で述べたように、一般論としては正しいけれども、
ケルゼンについて述べる時には意味がないのです。
最初から合理的なものなどない、故に、「非合理的な正義や道徳の中から、ようやく合理的認識に到達したとみなされるものだけを法律として…」と小林氏が言っていることは理解しています。
そしてそれを批判しているのです。
しかも、「合理的認識」という言葉遣いがケルゼンとは違うからこそ、間違いが引き起こされた。
とも既に述べています。
>立法者が作っただけのものでも、同じ
>立法者が作っただけの不合理なもののなかから合理的認識になるという意味。わかる?
あなたの言う「立法者が作っただけの不合理なもののなかから合理的認識になるという意味」
ではおかし過ぎる。
立法者がつくっただけのもの、すなわち「実定法」は、「不合理」なものでもなければ、「合理」でもない。
その「実定法」は、ただ、「認識の対象」であり、「認識の手に届き得るもの」に過ぎません。
それを何回も言っているのです。
あなたも、小林氏が「ようやく合理的認識に到達したとみなされたもの…」、と言っているのは、「ようやく実定法に到達した…」と言っていることを意味していると考えているのでしょう?
その小林氏の認識が間違っている、ということを何度も言っているのです。
言葉が乱れてしまうので、議論するのであれば、まず落ち着いて、冷静に議論し合いましょう。
2ch的にあなたを罵倒し、責めたりするつもりはありません。
中島がNHKの教育TVでガンジーについて語ってるのは みんなはチェックしてる?
756 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/06(土) 21:53:20 ID:ZAN7/PTt
>>750 >>754 小林氏はきちんと
「道徳や正義というものは人間が希求してやまないものではあるが、
決して合理的認識には到達しえない」とも書いています。
ループしそうで悪いですが
ケルゼンは立法にかんしては法が道徳的であることを排除していないでしょ?
しかも法が善いものである要求は当然の要求と述べてるんですよ
でも実定法には関わらないと・・・
何故関わらせないかといえば、それは、不合理だからでしょ?
ケルゼンは実定法になったものだけを合理と考えていたということ。
また、「実定法が非合理の中から合理が生まれるである」のが小林の勝手の解釈といってますが
そりゃそうでしょ。ケルゼンにしても小林氏にしても現実にしても
道徳・正義が非合理であって、その中から法律ができる。それで合理ができる。
道徳・正義と限定せず、ただ任意者の手続きであったとしても
それは不合理なものでしょ?そこから合理が生まれる。
どんな立法の仕方にせよ、不合理なものですよ。それが実定法という形で合理になる。
>その「実定法」は、ただ、「認識の対象」であり、「認識の手に届き得るもの」に過ぎません。
それはおかしい
認識するだけといっても、
最低限Aというものが実定法なのか実定法なのかを判断・認識し
実定法でないなら不合理、実定法だから合理と判断するんでしょ?
>立法者がつくっただけのもの、すなわち「実定法」は、「不合理」なものでもなければ、「合理」でもない。
実定法は合理でしょ?もしくは実定法だけを合理ということにするんでしょ?ケルゼンは
絶対的に合理的なものなどないけど、法律を合理ということにしましょう
ということじゃないの?
757 :
まだ勉強不足 :2008/12/07(日) 11:42:47 ID:PmGoGkvD
>>735 >>736 なるほどど、ありがとうございます。
ほかの先生方と同じで西部さんが本当に判決書を読んでいなかったとは
あまり考えてなかったっす(ノ 信者ぶりが結構きいてた。
でも、まじめにそうかんがえると小林さんの正論の文章はつじつまあうことになりますな。
あれだけ本読みまくってる西部さんが戦争論関係を語る上でパール判決書をほんとによんでないなんて思いつかなかった;;
てっきり小林パール論OK、でも中島的パール観でチンピラ右翼にならないようにバランス保とうっていってるだけだと思ってました。
みんなケルゼンまともに読んでないのね。 初期・中期・後期とその法哲学が変遷していくのでどの時期のケルゼンに依拠するかも大問題。 一番論理的に徹底しているのは後期ケルゼンなんだけど、 後期ケルゼンは過激すぎて殆どの人にはついていけないだろう。 ちょっとだけケルゼンのしっちゃかめっちゃかな用語法を回避しつつ 彼の純粋法学の内容を整理してみる。 1:規範の意志説(非認識説) 規範の基本形式「〜は…すべし」は基本的に話者の意志の表明であって 信念の表明ではない。規範は「〜、…せよ!」という命令と同種のもので、 信念と違って「真偽」を問う余地がない。規範は認識ではなく意志の問題。 「〜はよい」とか「〜は正しい」という価値に関わる文も、 基本的には偽装された「〜すべし」文なので、見かけ上は真偽を問えそう なのだけれど、実は真偽を問うことが出来ない。価値判断は信念の問題ではなく、 命令・欲求の問題なのである。 2:相対主義 「〜が正義である」と「…が正義である」という2つの意見が食い違っているとき その食い違いは「〜しろ!」と「いや、…しろ!」という意志・命令の衝突。 事実判断・信念の衝突はことの真偽を扱う合理的・科学的議論で解消できるかもしれない。 でも価値判断・意志の衝突は真偽の問題ではないから合理的・科学的議論では解消できない。 したがって、文化間や人間間で正義や善についての判断が食い違うとすれば(実際食い違っているのだが) それは合理的議論によって解消したりはできない。 どちらかが合理的なものとして勝利を収めるということはありえない。
3:規範の合理的・科学的認識 規範の中身は話者・判断者の意志の問題なので、合理的議論になじまない。 しかし、規範という抽象的概念の形式的構造について探求することは 不可能ではない。ある規範が「妥当する」とか「存在する」ということは、 他の妥当な規範によってその規範の定立者が授権されている、ということだ。 こうして、規範に「ついての」認識は、その形式的構造について可能である。 さて、規範という抽象的概念は授権連関に拠って認識される。 授権は現実には多くの場合先行する法規範によって行われるから、 授権連関の探求は多くの場合、これまでどのような法規範が存在してきたか についての歴史的探求を必要とすることになる(でもこれは保守主義者が 好きな「歴史」とは何の関係もないよ)。 さて、授権連関はどこかで打ち止めにならない限り無限遡行する。 そこでどこかにそのような打ち止めを行う「根本規範」がなくてはならない。 規範についての認識とは結局のところ授権連関の認識なので、 規範という抽象的概念そのものが「根本規範」の存在を要請する。 この「根本規範」には一切の内容がなく、空虚なものである。 しかしこれは規範の「概念枠」として必然的に仮構される超越論的仮構。 4:規範に対する論理の適用の否定 しつこいが規範それ自体は意志の問題で認識の問題ではない。 ということは、あくまで(合理的)認識に関わる「論理法則」は 規範それ自体には適用されない。授権された裁判官が 「〜な者はみな…せねばならぬ」「しかるにAは〜なものである」 「それゆえAは…してはならぬ(!)」という一見馬鹿げた法的推論を したとしても全然OKなのだ。彼はもしかしたら認識的には不合理なのかも しれないが、彼の不合理性は規範の定立にはまったく影響を与えない。 裁判官は上位規範によって授権されているから「Aは…してはならない」が 結局のところ妥当な法規範になる。
5:法認識と法評価の区別 結局のところ具体的な事例で何が「法」であるかというのは その事件が係属した先の裁判官がなんというかの問題。 もちろん一定の価値判断を行っている我々は「法は〜であるべきである」と いうだろうが、実際の法は授権された裁判官の決定以上でも以下でもない。 「法がいかにあるか(what law is)」と「法がいかにあるべきか(what law ought to be)」は まったく別の問題。後者は「正義」という価値の判断の問題であり、 それゆえ合理的・科学的議論の対象ではない。前者は立法者や裁判官が 実際になんて言ってるかという事実認識の問題(これは事実の問題だから 合理的・科学的議論の対象に出来る)。 法の中身に対して道徳は一切概念的関係を持っていない、というのがケルゼンの立場。 裁判官が自分の道徳的価値判断に依拠して判決を出せばその限りで、 その裁判官にとっての「道徳」と当該判決によって定立された法規範の中身の 間には関係があるが、形式主義的裁判官ならそういうことはないだろう。 法の中身に立法者や裁判官の道徳的価値判断が入り込むことはよくある。 道徳的価値判断は合理的議論の対象ではないから、その限りに於いて 法の中身は非合理的である。しかし、その非合理的な中身自体は 立法者と裁判官がどのように言っているかという事実の問題として 合理的に確定できる。
****ケルゼンからの引用**** 民主制のもつ合理主義的性格を顕著に示すのは、 国家秩序を可能な限り目的意識的に設定された成文一般規範の体系として樹立し、 それによって個別的な司法行為や行政行為を可能な限り厳密に規定し、 予測可能性をもたせようとする志向である。 民主制は国家活動の重点を立法に置こうとする傾向、 法律国家となろうとする本性的傾向を持っている。 *****引用終わり***** ケルゼンが「民主制とは〜である」という言明をなすとき、 これが価値判断であることに注意すべき。「自由とは〜である」と 同様に「民主制」も無条件でよいものという情緒的色合を纏っているから (つまりシュミットもそうなのだがワイマールドイツに於ける 国法学の状況というのは平たく言えば「真の民主制とは〜である!」と 大声で言って喝采をもらえた奴の勝ち、みたいな状況だったのだ。 ヘーゲルの「真の自由とは国家意思に服従することだ!」というのも いっしょ。「自由」の情緒的色合いに頼ったレトリックに過ぎない)、 「民主制とは〜である」というのは「〜まんせー」というのと似ている。 相対主義者であるケルゼンはこのことを自分でも良く理解している。 したがって「民主制とは形式的法治国家である」とケルゼンが言うとき、 それは「形式的法治国家がいい! 断然いい! 予測可能性が重要だ! 予測可能性を越えて正義とか言い出すとムダにもめて社会が不安定になる。 それはオレはイヤだ! 断然イヤ! お前らもそうだろう? な? な? 予測可能性が重要なら合理的な事実的認識によって法の中身が確定できる 必要があるだろ。だから法実証主義マンセー。おまえらもそうしろ! な? で、予測可能性が大事だから遡及法もダメ。断然ダメ。遡及法には 力強いブーイングを! おまえらもそうしろ! な?」 というのがこの文章の中身。
ある実定法規範の中身「〜は…せよ」が、その規範の定立者 (つまり立法者や裁判官)の価値判断の影響を受けている限りで (ただしそのような影響があることはまったく必然的ではない)、 その実定法の中身は合理的議論や科学的探求の対象とならない不合理なものである。 しかし、その不合理な中身自体は、立法者や裁判官がなにを述べているか という社会的事実の問題として記録を調べたりすることで合理的・科学的に 確定できる事柄なのだ。 犬好きの終審裁判官が、動物愛護法のトンデモ解釈を繰り出して 「お犬様を虐待したAは死刑!」という判決を下した場合、 この判決が授権された終審裁判官によるものである以上は法である。 その中身はもちろん、当該裁判官の「犬まんせー」という、 合理的議論の対象とはなりえない価値判断と、トンデモ法解釈の 産物という意味でまったく「不合理」なのだが、 「Aは死刑に処されねばなぬ」が法であること自体は、 この裁判の裁判記録を確認することで科学的・合理的にわかる。 まあ大体こういうはなしなのだよ。
「生類哀れみの令」は「動物、特にお犬様まんせー」という、 立法者に於ける価値判断の産物。その価値判断は「真か偽か」の 問題ではないので合理的・科学的議論の対象でない、という意味で不合理。 しかし「犬ぬっころしたら死刑にせよ(犬じゃなきゃOK)!」が法であるということは 将軍様のお触書にどう書いてあるかという事実の問題として 合理的・科学的に確定される。 さて、与作が犬をぬっ殺す。 奉行所に行くと将軍様からのお墨付きを頂いたお奉行様が 「与作がぬっ殺したのは人間なんだぜ?」といったとしよう。 与作が殺したのは本当は犬なんだけど、なぜかお奉行様は「人間」だと言い張る。 そうすると、ケルゼンの理論では、法の世界に於いては「与作は人をぬっ殺した」 のであって「犬をぬっ殺した」のではないことになる。マジで。マジキチ。
こうして「与作は人をぬっ殺した」わけだが、 将軍様は実は「人をぬっ殺したものには褒美を与えよ」とかいうお触書を 出していた。将軍様マジキチ。でもお奉行様は与作に向かって 「人をぬっ殺したくせに褒美に与かろうたぁ不逞な奴じゃね?」 「というわけで与作には死罪を申し付けちゃうんだぜ?」と言う。 お奉行様マジキチ。でも、お墨付きの有るお奉行様のお裁きが 法なので「与作を死罪に処すべし」が法になる。哀れ与作。 ていうかケルゼンてばマジキチ。 「犬ぬっころしたら死刑にしろ」 「人間ぬっ殺したらご褒美やれ」 「与作は人間を殺した」 「与作は死刑にしろ」 がどれも妥当な法と法命題。マジで。将軍様もお奉行様マジキチだけど 将軍様のお触書と、将軍様からのお奉行様へのお墨付きと お白州でのお裁きの記録を全部合わせれば、合理的かつ科学的にいって これ全部が妥当な法だとわかる、というわけ。ケルゼン凄い。 いや冗談抜きで本当にこういうこと言ってるんだよ。
したがって、これだけだと実定法の中身なんでもありだし、 ていうか法解釈もなんでもありになっちゃう。 ケルゼンいわく、「はい、でもうちこうなんです」。 でも、ケルゼンは「形式的法治国家まんせー」という価値判断をしているので 「法の予測可能性まんせー」という価値判断をしている。 上のままだとお奉行様がマジキチなので予測可能性がない。これは困る。だめだ。 したがってケルゼンは「できるだけ形式主義的に法解釈して判決する裁判官まんせー」という 価値判断をする。裁判官が勝手に自分の「正義」に依拠して判断すると、 その「正義」に同意していないひとには予測不可能な判決がでちゃう。 ケルゼン自身が自分の「正義」に依拠して判決しちゃうと ケルゼンに同意しない人には予測不可能な判決がでちゃう。 だから予測可能性まんせーなケルゼンは、自分を含めた裁判官が 自分の「道徳」を敢えて無視して形式主義的に判決を出すことをまんせーする。 ところで「履行すると多大な不正義をもたらす契約は無効とする」という 法が立法者によって制定されるとする。そうすると「多大な不正義とは何か」 という価値判断(これは合理的議論の対象にならない)を裁判官がしないと いけなくなるから、判決の予測可能性が大きく損なわれる。 だから、立法者はこういう法を制定しちゃダメー! とケルゼンはいう。 遡及法も制定しちゃダメー!ということになるわけね。
したがって、ケルゼン的には状況はこうなる。 1:法と道徳の分離可能性のテーゼ(法についての哲学的記述) 実定法の中身は恣意的であり、道徳的価値に依拠した法的判断を裁判官が なすこともあるだろうしなさないこともあるだろう。 立法者は「正義」や「善」などの価値に言及する法を作るかもしれないし 作らないかもしれない。それは偶然の問題。 まあ現実の裁判官は自分の「正義」についての価値判断を 判決に持ち込んじゃうことが往々にしてあるんだけど、 そうする必然性はないし、そうしなくても大丈夫。立法者もそう。 2:形式的法治国家まんせーのテーゼ(ケルゼンの価値判断) 「形式的法治国家まんせーだから予測可能性まんせー。 3:法と道徳の分離まんせーのテーゼ(ケルゼンの価値判断) ところで「正義」とかそういうのを考えて裁判官が判決を下すと それを共有しない人には予測不可能な判決が出るのでダメー! そういう裁判官には強固かつ強大なブーイングを! ブー! 予測可能性のある形式主義的判決を下す裁判官まんせー! ところで立法者が制定法に「正義」とか「善」とか書くと 裁判官が道徳的価値判断しなきゃいけなくなるからダメー! 因みに遡及法も予測不可能性を損なうからダメー! そういう法を作る立法者には強固かつ強大なブーイングを! ブー! 道徳的価値とかに言及しない中立的な法を作る立法者まんせー! もちろん1で言ったように実定法の中身は恣意的に作れるんだから 道徳的価値とかに言及しない法とか当然作れるよ! できないことを要求してるんじゃないんだよ! だからちゃっちゃということを聞いてね!
ケルゼンは法のありさまの記述としては、法と道徳は分離できる (法の内容はまったく恣意的でありうる・とんでもなく不正な法も法である)、という。 これが法と道徳の記述的分離可能テーゼ。 しかし更に進んで、法の予測可能性を重んずるケルゼン自身の政治的価値判断として 立法は道徳的価値を参照しない形で制定されるべきだし、 判決は道徳的価値判断を行わないで決定されるべきだ、という。 法と道徳は事実として分離可能であるだけでなく、分離されているべきである これが法と道徳の政治的分離テーゼ。 記述的分離可能性説と政治的分離テーゼを混同してはいけない。 どちらも主張しているから混同したくなるけど、この2つは 概念的には別々の主張なのだ。もちろん後者を主張するためには 前者が成立していないといけないわけだが。
>>658 もう、あなたにこの小林氏の、ケルゼン解釈の当否を講義して頂くのが簡単な話ですね。
正論十二月p249
「一切の合理は非合理の中から生まれる。最初から合理的なものなど、人間社会には存在しない。
非合理的な正義や道徳の中から、ようやく合理的認識に到達したとみなされるものだけを法律として、それ以外の正義や道徳を排除するというのがおそらくケルゼンの志したことであろう。」
私としてはそも実定法そのものが、
「合理」なもの、のようにケルゼンが考えているとは思いません。
例えば、エビを即死させなければ、罰金、懲役に処するべきである。
という法律がどこかの国に存在するみたいです。
一種の道徳規範ですが、ケルゼン純粋法学ではこれも実定法になる。
内容の是非、正当、不当は、認識の手には届かない、そういう意味で不合理。
しかし、ただ、この実定法の形式内容を、認識出来る。
なわけですよね?
例えば、立法者でもある裁判官が、エビを即死させなかった、だから十万払え!
これはそのまま、事実として認識され、適用されるわけですよね?
実定法の「内容」自体はどうでもいいや、というのが、ケルゼンの実情だと思います。
>>768 小林氏のそのケルゼン解釈はまったく誤っている。
正義や道徳は最初から科学的・合理的議論の対象ではありえないのだ。
正義や道徳はそもそも認識の対象ではないから、そこから「合理的認識」に
到達すると言うことは絶対にありえない、とケルゼンは主張する。
後半はほぼあなたの言うとおり。実定法は、授権連関と立法者や裁判官の言ったこと、
という社会的事実によってその中身がなんであるかを認識できる、という点で
合理的・科学的議論の対象となりうる。そうやって認識できた中身が
ろくでもない法だったり道徳臭芬々たる法だったりするかどうかは
まったく別の話。
ただし一番最後の行は微妙。とはいえしかし、一連の批判者のように
「実定法の内容は道徳的に正しくあるべきだ」というのではなくて、
むしろ逆に「実定法の内容は合理的議論の対象となりえない『道徳』に
依拠していないほうが望ましい」とケルゼン自身は政治的に考えていたと
いってよいと思います。
>>769 返答有り難うございます。
最後の一行に関してもあなたのおっしゃる通りですね。
ただ、「内容」自体気違いの法律でも、ある程度までこの規範秩序に適合しなくなった実在に対しては、この規範的秩序は妥当性を失わなければならないのだから。
その内、なんとかなるさ。
という感じでしょうか。
ケルゼン的には。
ちなみに「エビを即死させなければ、罰金、懲役に処するべきである」という 法は道徳的に考えて作られたのかもしれないけれども、法文の中には 別段価値語が混じっていないので、法的判断に於いて予測可能性を そこなうということもないはずであり、ケルゼン的にはまったく無問題でしょう。 これが「エビに不要な苦痛を与えず殺さなければ」となっているすると、 なにが「不要な」なのかをめぐって価値判断をしなければならず、 法(判決)の予測可能性を損なう、としてケルゼンは嫌ったはずです。
>>771 おっしゃる通りです。
というか、私の記憶ではなく、「即死」ではなく、「不要な苦痛を与えず殺す」、というような法律だったと思います。
なんだかよくわかりませんが、無駄に苦痛を与えることが、道徳的に駄目なんでしょうね…
>>771 オーストラリアの功利主義者たちでしょうね。人間を含めて感覚を持つ
動物に無用な苦痛を与えることはそれ自体悪い、というやつです。
基本的にはごくまっとうな発想だと思いますが、彼らは実に徹底的なんですよね。
774 :
750 :2008/12/08(月) 19:49:33 ID:yhQ00CYp
>>768 君さあ、俺より頭が良いのは認めるし
君が誠実に論理展開しているのは認めるけど
>>712 の時点では
>非合理な正義や道徳の中から、…
「いかなる任意の内容」の中から云々と書き直さなければならないでしょう。
こう君は言っていたんですよ?
そこでは、合理的認識の部分を問題にもしなかったのに急に
ケルゼンは実定法すら合理と考えていなくて認識するだけって・・・
自分の主張を変えるときは、きちんと書いてください。混乱します。
しかも、あなたの言っている事は的外れですね
中身が合理とかの話ではありません
実定法が合理だといってるんですよ
>>769 の前半部分に関しても
小林氏は、きちんと
「道徳や正義というものは人間が希求してやまないものではあるが、
決して合理的認識には到達しえない」
と書いていると何度も私は書いてます。
実定法が合理的認識で、それ以外が不合理な認識
これをケルゼンは言いたいのでしょう?
小林の記述で問題ないと思いますが?
あとエビの殺し方だろうが殺人の禁止だろうがいっしょ
両方とも不合理です。永久に合理になることはありえない。
しかし法律になった時点で合理と「みなす」とうことですよ。
>>774 >>717 の時点で説明不足であることを表明し、更なる問題を指摘しているわけです。
というか、そのちょっと後から、正義・道徳限定と仮定した上で議論してく説明していったつもりです。
それはともかく、小林氏が「ようやく合理的認識に到達」
でようやく実定法に到達、と考えてるのは、我々の共通認識ですが、
「道徳や正義というものは人間が希求してやまないものではあるが、【決して合理的認識には到達しえない】。
宗教によって、国によって、あるいは個人によっても異なるなである。」
「一切の合理は非合理の中から生まれる。最初から合理的なものなど、人間社会には存在しない。
非合理的な正義や道徳の中から、【ようやく合理的認識に到達したとみなされるものだけを法律として】、それ以外の正義や道徳を排除するというのがおそらくケルゼンの志したことであろう。」
既に「合理的認識」という言葉の使い方が無茶苦茶で、この二つの文章は完全に矛盾してしまっていますよ。
非合理的道徳や正義は決して、合理的認識に到達し得ないのに、
勝手に到達させてる。きちんと言ってる、きちんとと言ってると言われても困ります。
言葉遣いの杜撰さに気づき、指摘してから、きちんと、矛盾なきように説明していただきたい。
実定法の形式的事実の面は認識可能ですが、形式的事実も合理とは言えません。
というか、「実定法」が「合理」であるなんて言われても困りますよ。
「実定法」といえば、「中身」もあります。
認識の対象たる「形式的事実」は形式的という意味で「合理」なだけでが、
これで、非合理的道徳や正義の中から、「ようやく実定法に到達」する、と言う意味が理解できません。
すぐになるでしょう。「実定法」に。
実定法は、裁判官を含む立法者が、勝手に作るのですが…
しかも道徳規範と言ってもエビの話のようなものもありますし、まさか、小林氏はここでは頭に思い浮かべた善なる道徳だけを対象にしているのでしょうか…
前に、実定法は、「非合理」でも「合理」でもないと言ったことは、訂正。これでは意味不明ですね。
中身についてはケルゼンからすればどうでもいいのかなーと思っていたから出た言葉なんです。これについては、他の方に詳しく説明していただきました。
>>775 の続き。
>>775 で大きく分けて引用した2番目の小林氏の文章の「ようやく合理的認識に到達したもの…」を「ようやく実定法に到達したもの…」とのようにわざわざ汲み取ろうとしたのは、
1番目に「決して合理的認識に到達し得ない」とのように言ってるので、
ここで、「合理的認識」に与えてる意味じゃあ、2番目では完全に意味不明になるだろうからなのに、
あなたが一番目を持ち出し、きちんと小林氏はこうこう言ってるとか
>>756 辺りで言い出してきて、えっ?同じ認識じゃなかったの?ビックリ!、という状況なんです。
で、もういいやー
って感じでした。
そもそも、「ようやく実定法に到達したものだけを法律として」
という文章自体も
法に達したものを法律にして…
なんで、トートロジーなんですが…
これ以外に汲み取りようがない。
一番目の、あの意味を与えるよりはましだろうと考えた末の話です。
流石にそんなこと言ってないだろ、ということで。
で、汲み取ったのも無駄だった、 やっぱり非合理が合理に結実… という意味だし… てな感じですね。 前から。
779 :
750 :2008/12/08(月) 21:35:14 ID:yhQ00CYp
>>775 >既に「合理的認識」という言葉の使い方が無茶苦茶で、この二つの文章は完全に矛盾してしまっていますよ。
ようやく合理的認識に到達したと
「 み な さ れ る 」
と書いています。矛盾はありません。合理というのは、到達し得ないものですが、
合理到達したと仮定することはできますからね。っていうか合理というのは本質的には、全て仮定ですけど
(立法されることよって)ようやく合理的認識だと「みなされる」ものだけ法律に・・・
という意味ですね。矛盾でも?
実定法が合理だと「みなす」ことも否定?
その場合だと、不合理な道徳を適用しても問題ないような・・・
だって実定法だって合理でない=不合理
ってことになるでしょう?不合理OKなら道徳を排除する意味がない
>すぐになるでしょう。「実定法」に。
>実定法は、裁判官を含む立法者が、勝手に作るのですが…
これは、
>>749 に書いてますね
>>751 が反論になっているとは思えません
私のいう時間の概念とは、手続きの順序などの概念です。
1秒であろうが10年であろうが立法手続きがある以上開始から到達までの流れはあります。
>実定法は、裁判官を含む立法者が、勝手に作るのですが…
だからね?任意の内容から法律が作られる話はしてないのよ
「不合理な道徳・正義の中から」が主語なわけです。
あなた
>というか、そのちょっと後から、正義・道徳限定と仮定した上で議論してく説明していったつもりです。
と書いているでしょう
>>777 「一切の合理は非合理の中から生まれる。最初から合理的なものなど、人間社会には存在しない。」
なんて言われると「結実」の意味としか…
781 :
750 :2008/12/08(月) 21:47:56 ID:yhQ00CYp
>>776 はあ・・・トートロジーねえ・・・
「ようやく合理的認識に到達」なんですよ書いているのは
でも合理的認識に到達ものなんてありえないんです。
だから合理的認識だと「みなす」ことしかできない
その「みなす」に唯一値するのが実定法
そういうことです。
合理的認識=実定法といっても
あなたが
「ようやく実定法に到達したものだけを法律として」
これではおかしいトートロジーだ!
というような、ただ当てはめて反論するような幼稚な話ではありません。
正直がっかりです・・・
782 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/08(月) 21:49:12 ID:Ct92tUiK
>>779 >合理到達したと仮定することはできますからね。
何故にそこまでして庇うのか理解不可能です。
人間にとって、求めても合理的認識に到達できない。
みなされることもできない。
みなされたと仮定するなら小林氏はそう書くべきでしょうが。
なんでようやく到達しているのやら。
で、矛盾がないとして、「合理的認識」という言葉は無茶苦茶な使われ方ですよ。
その後も、
>だって実定法だって合理でない=不合理
ってことになるでしょう?不合理OKなら道徳を排除する意味がない
事実として認識可能ですよ。
それでいいんです。
>>781 結局あなたは、ようやく…到達を
立法者が立法する時間に限定してるだけでしょう。
どこから勝手に限定出来るのか。
小林氏の文章からすると何の脈絡もありませんよ。
784 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/08(月) 22:02:50 ID:Ct92tUiK
実定法は、合理とみなされるわけでも、なるわけでもなく ただ、その形式的事実が、合理的に認識されるだけですよ。 実定法が合理でないから、非合理を、道徳を排除する意味がない、 って、あのさあ、 実定法の「内容」の是非は、 認識出来ないから、認識出来ないことはしない。 それが、正義の概念を持ち込むことの排除。 形式的内容を合理的に認識出来ればいいのだから、 実定法自体を敢えて合理とみなす必要はない。
>>781 >これではおかしいトートロジーだ!
というような、ただ当てはめて反論するような幼稚な話ではありません。
なんだか、方向性を間違われているようですね。
別に、トートロジーであることを批判していません。
そういう調子であるだけの話で、
わざわざ意味を汲みとって採用してる時点でだから批判するはずが…
786 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/08(月) 22:20:58 ID:yhQ00CYp
>>780 それは結実でOKですよ
主語が「不合理な道徳・正義の中から」なんだから
道徳・正義の中からようやく実定法と結実したものだけ法律にそれ以外は排除
これのどこが不自然なのかしら
>>782 >事実として認識可能ですよ。
>それでいいんです。
ちょっと意味がわかんない説明お願いします。
>>783 別に限定してませんよ?
道徳から法律が作られるのもケルゼンは排除していないし
どうであれ物事の開始から到達までは順序があり
ようやく〜到達は不自然ではありません。
別に開始が立法者の思いつきであろうが
道徳を出発点に使用が開始から到達までの時間ですから
>>784 道徳・正義が不合理なのだから実定法は合理でしょ
ケルゼンは、なぜ道徳・正義を排除しようとしたんですか?
不合理だからでしょ?
実定法が不合理なものなら、正義・道徳だけを排除する理由がない。
787 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/08(月) 22:33:32 ID:Ct92tUiK
>>786 >物事の開始から到達までは順序があり
ようやく〜到達は不自然ではありません。
>別に開始が立法者の思いつきであろうが
>道徳を出発点に使用が開始から到達までの時間ですから
不自然。ケルゼンの純粋法学に関して、不自然。
ケルゼンが立法者の恣意的立法を「ようやく到達」なんて言いませんよ。
なのに、「ようやく到達」を使えば怪しいに決まっている。
>道徳・正義が不合理なのだから実定法は合理でしょ
>ケルゼンは、なぜ道徳・正義を排除しようとしたんですか?
不合理だからでしょ?
>実定法が不合理なものなら、正義・道徳だけを排除する理由がない。
なんか、単に、言葉に囚われてるますね。
>>784 で説明したとおり。
道徳・正義の排除というのは、
実定法の「内容」の是非は、正義の概念が入り込み、決められない。
だからしない。
これが、道徳・正義の排除。
ケルゼンは、「形式的事実」を対象として認識出来ればいいんだって。
>>712 >>714 のケルゼンの言葉を読んでくださ
要するに750の子はちっともケルゼン読んだことがないのね。 いや、もし読んでるなら申し訳ないけど、その場合には読解力がなさ過ぎる。 ケルゼンに於いては価値と規範は基本的にことごとく意志の問題であって認識の問題じゃない。 それらは認識の問題ではないので論理法則の対象にならないし、それゆえ 合理的な議論の対象にもならないし科学的探究の対象にもならない。 「〜は正義にかなっている」「〜は道徳的に正しい」といった言明は 偽装された命令文であって真理値を持たない。つまり真偽の問題じゃない。 「人を殺したものはしかじかの刑罰に処す」という法規範が妥当することは 先行する授権規範についての認識と、授権された立法者・裁判官の言ったことと いう社会的事実によって確定できる。つまり、合理的認識の結果として ある法規範が妥当しているかどうかについては言うことができるのだ。 どんな実定法も、まさにそれが実定法として妥当するからには 内容が合理的に確定できるはずである。授権連関と被授権者についての事実に よって合理的に確定できないのならば、それはそもそも実定法ではありえない。 その上で、「人を殺したものはしかじかの刑罰に処す」といった法規範の内容が 道徳的にいって正当か否かは、まったくもって合理的議論の対象ではない。
>>786 だから「結実」じゃあ、生温いの。
立法者が勝手に作るんだから。
自然に実を結んだり、
努力して結ぶものでもない。
>>788 >>787 のこれって正しいですよね?
道徳・正義の排除というのは、
実定法の「内容」の是非は、正義の概念が入り込み、決められない。
だからしない。
これが、道徳・正義の排除。
ケルゼンは、「形式的事実」を対象として認識出来ればいいんだって。
>>712 >>714 のケルゼンの言葉を読んでくださ
>>786 >>789 私も前までは言葉遣いがめちゃめちゃの部分があっただったことは認めますから、
言いたかったことはこうなんですよー
792 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/08(月) 23:07:35 ID:Ct92tUiK
>>788 ちょっとお聞きしたいのですが、
授権された立法者・裁判官が言ったこと、その形式的な「事実」を「認識」することによって、
「社会的事実」として確定するわけですよね?
>>791 さんへ
>>787 はそこに書かれている限り正しい。
私の名前を太郎としよう。私が「どんな雪も黒い」と述べるとする。
そうすると命題「どんな雪も黒い」は「太郎によって述べられた」という性質を持つ。
命題「どんな雪も黒い」はむろん偽である。この命題を偽にしている世界の事柄は
存在している雪の白さや白い雪の存在である。
しかし、雪の白さや白い雪は、命題「どんな雪も黒い」が「太郎によって述べられた」
ということにはまったく影響を与えない。
「どんな雪も黒い」が太郎によって述べられた、ということはこの命題についての
形式的事実である(つまりこの命題内容の真偽とは無関係の事実である)。
最高裁の裁判官が「ププリクはンウルムモヌルをズルマットポエせよ」と
述べたとする。この命令規範(いちおうNと名づけておく)は、
「授権された終審裁判所裁判官によって述べられた」という性質を持ち、
Nが授権された終審裁判所裁判官によって述べられた、ということは
Nについての形式的事実である。そして、この形式的事実によって、
そしてそれのみによって、Nは妥当な法規範である。
もちろん我々は「ププリクはンウルムモヌルをズルマットポエせよ」
ということがどういう意味内容を持っているのかはさっぱりわからないわけだが
それは純粋法学を遂行する我々にとってまったく関心のない事柄に過ぎない。
純粋法学は規範についての形式的事実にしか関心がないからである。
Nは妥当な法規範である。純粋法学の回答はそれ以上でも以下でもない。
>>792 について、
いや、やっぱり、裁判官が言ったことは、「社会的事実」、つまり拘束力を持ちますね。
というわけで
>>790 で私が「形式的事実」と言っているのは「社会的事実」と同義です。
795 :
750は俺のレスじゃなかったゴメン :2008/12/08(月) 23:44:25 ID:yhQ00CYp
>>787 はぁ・・・
主語が(不合理な道徳・正義の中から)となってるでしょ
立法者の恣意的立法だとか、関係ないんですよ
「不道徳な道徳・正義の中から」ようやく合理的認識に到達したとみなされるものだけ法律に
その他は排除する。
立法者の恣意的立法からというのは
主語と無意味な事を言い続けていることに気付いてください
>なのに、「ようやく到達」を使えば怪しいに決まっている。
これもそう主語が不合理な道徳・正義なのだから
道徳や正義から立法に至る話で
道徳からようやく合理的認識に到達するんだから問題ない
道徳が法律になるまで1秒だろうが10年だろうが100年だろうが表現は
ようやく〜達成で問題ない
>実定法の「内容」の是非は、正義の概念が入り込み、決められない。
>だからしない。
内容の是非の話を誰がしたんですか?
実定法が正当か不当かを論じているんではなく
実定法が合理が不合理かなんですよ。もちろん中身じゃなくてね
実定法となった時点で実定法が合理になるんですよ。どんな過程を積もうが
後にどんなに道徳観が変わろうが。どんなに非合理だろうが
>>788 あなたはケルゼン以前に、まず2人の書いている内容を読みましょう。
実定法の「内容」が合理的認識かどうかなんて
俺が言いましたか?
あなたも実定法以外=非合理 実定法=合理的認識とみなす(内容ではなく実定法そのもの)
とケルゼンが考えていたというのを否定するんですか?
でも
>>714 を何度呼んでも
ケルゼンが道徳・正義を非合理と認識していたとしか思えないんだが・・
796 :
750は俺のレスじゃなかったゴメン :2008/12/08(月) 23:52:12 ID:yhQ00CYp
>>789 この期に及んで「生ぬるい」という表現はやめていただきたい。
はっきり否定してください。小林氏が間違っていると思うのなら
あなたは
>別に、トートロジーであることを批判していません。
とも書いていますね?
では、何故わざわざ書いたのですか?まったく無意味でしょ?糞卑怯者が
あまりにむかついたので、言葉が過剰になりましたが。
で789
「主語を考えろ」の一言だけ添えておきます。
あと別にね俺は
>>793 が間違っているといいたいわけじゃないんだよ(その通りだと思う)
この議論のテーマは
小林氏の
「一切の合理は非合理の中から生まれる。最初から合理的なものなど、人間社会には存在しない。
非合理的な正義や道徳の中から、ようやく合理的認識に到達したとみなされるものだけを法律として、
それ以外の正義や道徳を排除するというのがおそらくケルゼンの志したことであろう。」
これが間違っているかどうか
例えば上の文章が
「一切の合理は非合理の中から生まれる。最初から合理的なものなど、人間社会には存在しない。
非合理的な正義や道徳の中から、ようやく合理的認識に到達したとみなされるものだけを法律として、
それ以外を排除するというのがおそらくケルゼンの志したことであろう。」
これなら間違いを認める。
これなら任意者の恣意的立法も排除されるから
797 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/09(火) 00:07:38 ID:FQUejKJ9
>>795 >立法者の恣意的立法だとか、関係ないんですよ
はあ。じゃどうやって実定法になるんですか?
エビのことについてもあれは一種の道徳規範ですよ。
小林氏の脳内で考えられた、道徳だけに限定しているのですか?
それが、実定法に到達するのを待ち望んでいるのですか?
>内容の是非の話を誰がしたんですか?
してませんよ。
正義、道徳を排除する意味を教えたのですよ。
>実定法となった時点で実定法が合理になるんですよ。
これが思い込みである、ってことを。
>>714 に関して
>ケルゼンが道徳・正義を非合理と認識していたとしか思えないんだが・・
そんなこと誰も否定してませんよ。
>では、何故わざわざ書いたのですか?まったく無意味でしょ?糞卑怯者が
あまりにむかついたので、言葉が過剰になりましたが。
いや、単に、トートロジーであることに気づいてないと思われるのが嫌だから。
つーか、言ってるじゃん。
一番目の「合理的認識」の意味はありえんから汲み取った、って。
>あなたも実定法以外=非合理 実定法=合理的認識とみなす(内容ではなく実定法そのもの)
>とケルゼンが考えていたというのを否定するんですか?
>でも
>>714 を何度呼んでも
>ケルゼンが道徳・正義を非合理と認識していたとしか思えないんだが・・
ああ、やっぱり基本的なことがわかってなかったのね。
言葉遣いを正確にしないから自分のなかで混同がおきるんだ。
「実定法」と「合理的認識」を等号で結べるわけがないだろう。
「法」と「認識」はそもそも同じ概念範疇にないからそれは範疇錯誤だ。
「実定法以外」ではなくて価値と規範の総てが合理的議論や認識の対象でない。
規範や価値が「非合理」だというのは、「合理的」とか「不合理」とか
いったレッテルの対象ではない、ということ。「合理的」でもなければ「不合理」でもない。
不合理(irrational)と無合理(arational)の区別をつけるべき。
実定法はあくまで法「規範」だから、それ自体としては「合理的」とか
「不合理」というレッテルの対象ではない。ただ、「どんな雪も黒い」が
太郎によって述べられた、というのと同じように、ある法規範が授権された
主体によって述べられた(定立された)かどうかについては、それが
事実の問題だから、認識の対象であり科学的・合理的議論に馴染むものとされる。
誰かによって述べられたかどうか、というのは主語が命題だろうが命令だろうが
なんだろうがかかわりなく言える形式的事実。実定法について合理的に
語るやり方はこれしかない、というのがケルゼンの見解。ただし、
その語りは実定法についての語りであって実定法そのものではない。
実定法規範は「規範」なので、それ自体としては意志の問題であり
認識の問題ではない。「何人も〜してはならない」という法規範が
妥当だとしても、仮に裁判官が「太郎は〜してもよい」と言ってしまえば
それが妥当な法規範なのだ。法規範は論理操作の対象にならない。
「太郎は〜してはならない」という規範の方が合理的だ、などと考える余地はない。
実定法規範もこの点において他の規範(正義や道徳のそれ)と変わらない。
799 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/09(火) 00:14:01 ID:FQUejKJ9
>>795 そうか。あんたが不思議がってるのは、
>「不道徳な道徳・正義の中から」ようやく合理的認識に到達したとみなされるものだけ法律にその他は排除する。
これか。
これも立法者の恣意によって、というか「運」によって決まる。
>>798 >実定法はあくまで法「規範」だから、それ自体としては「合理的」とか
「不合理」というレッテルの対象ではない。
これ!
「レッテルの対象ではない」
これが言いたかった!
>>799 に関しては、
仕方なしに「合理的認識」を「実定法」に変えてるだけで、
実定法=合理的認識
なんて思ってないからね。
802 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/09(火) 01:12:57 ID:WnfVtlnq
>>799 はいはい
そんなこと言い出したら全ての事象は運ですよ
そんな相対主義的な反論されてもね
道徳が元に法律が作られる場合もある。
まともに反論してね
>>800 はいはい
でも論じているのは法規範ではなくて道徳と法についてですからね
道徳が不合理なら実定法は合理ということになる
>>801 >>799 ?なんの反論にもなってませんが?
>>802 >道徳が元に法律が作られる場合もある。
んなこと否定してない。
立法者の気まぐれ。
>道徳が不合理なら実定法は合理ということになる
まともに反論出来てないのはそっち。
>>798 のあんなにわかりやすく説明読んで理解出来なければ、私にはどうしようもない。
804 :
ワロス :2008/12/09(火) 04:19:33 ID:3cj2/rLz
>>798 >>803 全然反論になってないんだから(笑)
君らがずーーーーーーーーーと前から述べているのは純粋法学での道徳の位置づけ
なんだよね
立法後に実定法に対して合理か不合理かなんてレッテルを貼らないっていうのは
ケルゼンは何故純粋法とういうものを志したか
小林氏は書いています。
ケルゼンが道徳と法の分離を唱えたのは、そもそも「正義」とは
「幸福に対する人としての永遠のあこがれ」ではあるが、
「一般に合理的認識では到達し得ない」からである。
もしも合理的認識によって基礎づけられる正義があるとすれば、
法律が存在する意義がない。「実定法は全く余計なもの」であり、
立法行為自体が「続々と太陽が照っているのに、人工的な点灯を敢えてするような
馬鹿げた試みであろう」というのがケルゼンの認識である。
ケルゼンは、道徳が合理的認識には到達し得ない=道徳が不合理なものと考えていた。
じゃあ立法行為を指している人工的な点灯とは何なのか?
いかなる価値も合理的認識には到達しない。
しかし実定法を合理的なものとして「みなして」それ以外を排除する。
こういうこと。
無合理とか馬鹿じゃね?それは実定法ができたら、合理不合理の解釈はしないってことでしょ?
はっきりいって、この件と無関係なんだよね
人を馬鹿にするのは結構だけど、君らのほうが言葉をごっちゃにしてるよね
立法後のことと立法前のことをごっちゃにしてるんだから(笑)
805 :
おっと797もあったのね :2008/12/09(火) 04:40:55 ID:3cj2/rLz
>>797 >はあ。じゃどうやって実定法になるんですか?
>エビのことについてもあれは一種の道徳規範ですよ。
>小林氏の脳内で考えられた、道徳だけに限定しているのですか?
>それが、実定法に到達するのを待ち望んでいるのですか?
何の話をしてるのか(笑)
立法者の恣意的内容が関係ないって言うのは
「道徳・正義を元に法律が作られる場合」という主語からは無関係なんですよ
その道徳正義が恣意的かどうかなんて、ここでは論じる意味がない。読み返せ
>してませんよ。
>正義、道徳を排除する意味を教えたのですよ。
はいはい。じゃあ無意味な事を急に言わないでね
>そんなこと誰も否定してませんよ。
じゃあケルゼンって大馬鹿ですね。君の論理だと
道徳や正義は不合理だから排除するのにも関わらず、じゃあ実定法は合理だとみなすかといえば
違うという。なら実定法も排除しろよケルゼン!
ごめんケルゼン
>>797 が間違っているだけなのに悪態をついてしまって・・・
発狂でもしたの? 本当にケルゼン読んでないんだね。 ケルゼンからしたら実定法は「規範」なんだから合理的でもなんでもないよ。 法規範は立法者・裁判官の恣意的な規範定立行為によって決まってしまう。 ただし、授権連関と被授権者の規範定立行為の認識、という唯一可能なやり方 のみによってそれについて合理的に語ることはできる(これが純粋法学)というだけ。 道徳規範はこれすらもできない。そこが法と道徳の重大な違い。 ケルゼンは道徳観対立が社会を崩壊させかねないワイマールドイツで 「いかなる不正も無秩序に優る」という発想を採用し、 法的安定性(法の予測可能性)を重視した。法的安定性は 法規範に「ついての」純粋法学的認識ができればぎりぎり確保できる。 したがって、合理的認識しか扱わない科学としての純粋法学によって 法的安定性は最低限確保することができ、たまたまケルゼン自身は 法的安定性まんせーなので、自己の学問的良心と価値判断が うまく結合できてうれしい、ということになってるだけ。 だいたい「排除」するの意味がわかってるのかな? 「合理的」「不合理」といったレッテルの対象でないから、 合理的議論や科学的探求の対象にならない。だから「学者」としてのケルゼンは 政治大好きなシュミットとかと違って、学問の振りをしてそういうことに 首を突っ込んだりするつもりはない、というそういう話なんだけどね。 だから、裁判官の法解釈(これは規範定立行為で意志作用の問題だから 合理的・不合理というレッテルの対象にならず、学問的論議の対象でない)に ケルゼンは口をはさまない。必要なのはあくまで、授権連関と被授権者の 規範定立という実定法に「ついての」事実認識だけ。合理的(でありうる)のは 実定法に「ついての」認識であって実定法そのものじゃない(それはあくまで 実定法「規範」なので合理的論議や科学的探究の対象ではない)。
みんなが同じ道徳観を持っていて、みんながその内なる道徳観に従って動くことができるのならば 立法者や裁判官の恣意を実定法規範という形で特権化する必要はない。それができるなら 道徳観対立から社会が崩壊寸前などというワイマールドイツみたいな状況にはいたらないわけ。 そんなことができれば、最低限の社会秩序を、ある特権化された恣意と それにともなう暴力によって維持しようという法の機能は無用になるから。 要するにアレだな、道徳観・宗教観の対立から生ずる社会の崩壊を 恣意的な実定法と暴力によって食い止めようというホッブズ以来の 政治学の根本的モティーフが理解できてないから、ケルゼンが なにをしたいかがいつまでたっても見えてこないわけだ。 勉強してからまたおいで。
808 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/09(火) 09:33:25 ID:2VevJYGh
小林が正しいんだと思うよ。一生懸命研究してるようだし。 でも正しいからって、共感が得られるわけではないんだな〜これが・・・ 小林は既にパール原理主義に陥っているんだと思う。原理主義ははたから見ると痛いっす。
まあ、ケルゼンを理解したいならケルゼンの著書のにならず、カントも読まなきゃね。 最低でも「純粋法学」と「純粋理性批判」は必読。この関係性を理解できないと、 法学と倫理学との関係性も分からないよね。
> ケルゼンは、道徳が合理的認識には到達し得ない=道徳が不合理なものと考えていた。 > じゃあ立法行為を指している人工的な点灯とは何なのか? > いかなる価値も合理的認識には到達しない。 > しかし実定法を合理的なものとして「みなして」それ以外を排除する。 > こういうこと。 ケルゼンにとって道徳は「不合理」なんじゃなくて、合理的でも不合理でもない。 それについて「合理的」とか「不合理」とかを論じること自体が無意味なの。 みんなが同じ道徳観を持っていてその内なる道徳観に従って行為するなら 社会の最低限の秩序は自動的に保たれる。これが「太陽が照っている」場合の社会。 でもそれはありえない。道徳観は合理的論議の対象ではなくて人々の恣意でしかないから いつまで待ったって道徳観対立は収束することはありえない(つまり「太陽」はない)。 そこで、ある人々(立法者・裁判官)の恣意を実定法規範として特権化してしまい 違反者を暴力によって始末する(あるいは将来の違反者に向けて威嚇を行う)ことで 社会的秩序の最低限は確保しようということになる。このときの実定法規範が 「人工的な点灯」に他ならない。人々が従うのは「実体法規範」が合理的だからではない。 違反に対して予想される暴力的制裁に対する「恐怖」から従うのである。 「太陽」とか「人工的な点灯」における「輝き」の表象は 合理性をさしているのではない。むしろ虫が明かりに引き寄せられるんと同じで 人々の行動をコントロールする意欲的要素についての表象。 ほっといても虫の飛ぶ方向を決めてくれる太陽がないので 実定法の場合には実体法規範に違背した場合に予想される暴力的制裁によって 実定法に「人工的な点灯」を行い、虫がみんなそっちに飛ぶようにする。 と、まあこういうことなのだな。 「明かり・輝き」の比喩を「合理性」ととるから間違うのだよ、ぼうや。
新カント派風に読めるのは前期のケルゼンだけ(純粋法学初版)。 後期にいたっては懐疑を深めてどんどんヒュームみたいになっていく。 最終的にはリアリズム法学張りのルール懐疑に行き着くわけで、 ケルゼンを読むためにはカントがどうのと言っている時点でだいぶアレ。
> 小林が正しいんだと思うよ。一生懸命研究してるようだし。 ケルゼンはそんなに甘くない。
そりゃ時系列で読み込むだけの能力があればの話。道徳律の理解すらない人間が、 いきなりケルゼンから入るのはいささか危ないよ。
> ケルゼンは、道徳が合理的認識には到達し得ない=道徳が不合理なものと考えていた。 > じゃあ立法行為を指している人工的な点灯とは何なのか? > いかなる価値も合理的認識には到達しない。 > しかし実定法を合理的なものとして「みなして」それ以外を排除する。 > こういうこと。 ついでだからもう少しいじっておこう。 哲学なんだから言葉をもっと正確に使おうね。 「道徳」が「合理的認識」に「到達し得ない」というのはどういう意味なの? 「道徳」がどこかに「到達」するわけ? でその到達地点が「合理的認識」なの? ほとんどたわごとだね。「合理的認識」に到達できるのは人間の側であって 認識の対象側ではない。「地球は丸い」という合理的認識に科学的探究の 結果として我々がたどり着くのであって地球が丸いという事実が「合理的認識」に 到達するのではない。規範や価値は(道徳でも法でも)事実の問題ではなく それゆえそもそも「認識」の対象ではない。「合理的認識」以前の問題で、 最初から「認識」すらされない(認知的信念の対象でない)。 それは「意欲」されるだけ(非認知的欲求の対象である)。 もし合理的議論と科学的探究の結果としてみんなが同じ道徳観を持つように なるのなら、そのあかつきには人はみな同じ道徳規範にしたがって行為することになるだろう。 でもそんな道徳観はそもそも存在しない(というのも道徳観は意欲の問題であって 認識の問題ではないから合理的議論や科学的探究によっては対立が解消できないから)。 だから、人々が自分の道徳観に従ったときに、いっせいにそこに向かって 人々がみんなで飛んでいくような先の「太陽」などない。 そこで立法者と裁判官の恣意を実定法として特権的な規範へと祭り上げる。 これは規範だから「合理的」とか「不合理」とかの問題ではない。 ところが、法規範の命令に従いたいか従いたくないかにかかわりなく 違反すれば暴力的制裁があるわけだから、どんな道徳観の持ち主でも 実定法に従うよう動機付けられる。つまり、人々がみなそっちに向かって 飛んでいく「人口の点灯」が得られたわけ。合理性とか関係ない。 実定法への服従は、痛いのはイヤだ、という意欲の問題で認識の問題じゃない。
> しかし実定法を合理的なものとして「みなして」それ以外を排除する だからね、みなすもみなさないも、そもそも実定法は法「規範」なんだから 「合理的」とか「不合理」とかいう余地はないの。実定法規範には 「合法性」という価値が伴うんだけど、価値はもちろん認識の対象じゃない。 実定法だけが合理的に論ずる余地がある、というのは実定法についての 形式的事実(つまり授権連関と立法者・裁判官の規範定立という事実)を 合理的に論議する余地がある、ということでしかない。実定法規範が 合理的なのではなく、実定法についての合理的な語り(これが純粋法学)があるだけ。 道徳についてはこれすらできない(純粋倫理学は存在しない)。 「実定法を合理的なものと『みなす』」だなんてことはケルゼンは まったくしていないし、ケルゼン解釈としては論外。
816 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/09(火) 14:45:33 ID:eT/e5WKk
西部邁とまた喧嘩してるのかよ、言論人ってなんかプロレスのアングルみたいに 抗争を繰り返してるなw
まあでも、思想や歴史の研究が前進しているんだから良いんじゃないの?
818 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/09(火) 17:04:38 ID:WnfVtlnq
>>806 はいはい。それは実定法の中身の話ですね。
道徳や正義が不合理なもの←これを否定するならケルゼン以前にお前の国語力がないだけ
だれも規範が合理といっているんではなくて、規範を合理とみなすと言っているんだが?
規範の中身が不合理だろうと合理だろうと無合理だろうと関係ないの
規範自体を「合理的認識」と「みなす」と言ってんのよ
そうしないと、規範を守らせる根拠が無い。
>>810 ワロスwwww
虫が明かりに引き寄せられるのは「理」があるからだろwww
頼みますよ先生
>>814 馬鹿丸出しは君なんだが
>そこで立法者と裁判官の恣意を実定法として特権的な規範へと祭り上げる。
それで?祭り上げたからといってもそれに合理的とか不合理とかないのなら
太陽の変わりになりませんよ?
道徳を守ろうが、法律を守ろうがいいってことになる。
特権的!といくら言ったって、「特権」ていうのが何から与えられるのかも不明だしww
>>815 規範の中身、解釈が合理的とか不合理とか言ってるんじゃなく
規範「が」合理的なものと(みなす)言ってるんですが?
不合理なものや無合理なものを遵守する意味はない
819 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/09(火) 17:18:46 ID:OvZdXky1
そもそも小林って日本語以外できるの?
>>818 まだぜんぜんわかってなかったのね(嘆息
一般人が法を守る「理由」なんてのはそもそも全然ないわけ。
ケルゼンは法を守る理由なんか与えようとしてない。
法を破れば刑罰的制裁があるから守るひとが多いだろうと言うだけのこと。
> 道徳を守ろうが、法律を守ろうがいいってことになる。
そうだよ。法律守らないと国家の暴力によって制裁されるだけ。おしまい。
> 規範の中身、解釈が合理的とか不合理とか言ってるんじゃなく
> 規範「が」合理的なものと(みなす)言ってるんですが?
> 不合理なものや無合理なものを遵守する意味はない
人が道徳規範(ケルゼンによればこれは無合理的)に従うように
何の根拠もなく法に従うやつもいれば、制裁を恐れて従うやつもいるし
法を守る道徳的義務があると考えて(これは価値判断だから無合理的だが)
従うやつもいるだろう、それだけ。従わないやつももちろんいるだろう。
そいつらは高確率で国家による暴力によって制裁を受ける。それだけ。
だからね、「規範」というのはいわば「命令文」に対応するものなの。
「命題」に対応する「事実文」と類比的に考えればいい。
「事実文」には真や偽が問える。だから合理的議論の対象にできる。
「命令文」には真も偽もない。だから合理的議論の対象にならない。
ケルゼンによれば規範はそれ自体としては合理的でも不合理でもないの。
それに従うかどうかは規範の側の問題じゃなくて、従うか従わないか
決めようとしている人間の側の問題。そいつが従いたければ従う。
従いたくなければ従わない。それだけ。
> 規範「が」合理的なものと(みなす)言ってるんですが? 道徳規範であれ法規範であれ、それは誰かの意欲の表明(要するに命令)に過ぎない。 だからそれが合理的とか不合理とか言う意味はない。真偽がある事実文と違って、 命令文を発してるやつに「君は間違っている」とかいっても無意味なわけ。 規範について、それが「合理的」だとか「不合理」だとかいう余地はない。 これを繰り返し指摘してるのになんでまだ > 規範「が」合理的なものと(みなす)言ってるんですが? とか言ってるのかね。規範はそもそも「合理的」とか「不合理」という レッテルの対象じゃないんだから、規範を「合理的」などと見なしようがないの。 大体だね「規範が合理的」てのはどういうことなんですかね? 「法に従う理由」なんてのは一般的には存在しない。 個々の人間の事情に応じて、制裁が怖いからとか、「法に従うのが正義だから」とか 「法には従うものだから」とか「なんとなく」とか「そのつもりはないんだけど 気がつくとなぜか従っているんだ。不思議。」とかでもなんでもあり。 どうでもいいけど虫が光に向かうのは「理」の問題じゃないよ。 それは虫の物理的特性の問題。人が法を守るのも別に「理」の問題ではない。 「なんとなく」とか「制裁がイヤだから」とか全然普通のこと。それだけ。
話が無駄に面倒になるからいままで言及してなかったけど、 ケルゼン的には通常の刑法は裁判規範であって行為規範ではない。 「人を殺したものはしかじかの刑罰に処す」という殺人罪の法文は 「人を殺すな」とはちっとも言っていない。 殺人罪の法文は正義に適ってるなマンセーと思ってる人が、 当の刑罰を受けてでもいいから殺人をしようと思った場合、 この人にはなんの矛盾もない。だからね、一般人が殺人をするかしないかは たとえこの人が刑法の殺人罪に関する法文をマンセーしていたとしても、 あくまで制裁がイヤかイヤじゃないかという問題なの。 もしマンセーしてなかったらなおさらその人の個人的事情の問題。 もちろんこの条文は制裁を通じて殺人の発生を抑止しようとしているけど 殺人をしてはならないという理由を国家暴力による制裁というものの他に 与えようとはしていない。
>>814 私は
>>791 です。
私も
>>750 でも似たようなことを論じているわけなんです。
しかも、小林氏が間違った原因も750その前から説明してるわけなんですよ…
私の言語能力が不足しているから理解させることは出来かったわけですが…
私の至らなさを指摘しておくと、
>>750 の
>ですが、「合理的認識」の対象であり、それによって到達し得うる(認識の手に届き得る)のが、「実定法の内容」。
「実定法の内容」というのは「形式的内容」を指しています。
言葉遣いが正しくありませんでした。
この750の内容、実定法が「合理」ではない、ということを指摘していることから、言いたいことは理解出来るかもしれません。
>>784 で、「形式的内容」と書いていますが、こういうイメージです。
>形式的内容を合理的に認識出来ればいいのだから、
実定法自体を敢えて合理とみなす必要はない。
この784から、「事実」という言葉を使用し出したわけです。
貴方のおかげで、正しい言葉遣いが身に付きました。
有り難うございますm(__)m
後、私は全然指摘していなかったのですが、「強制規範としての法」についてはまったくおっしゃる通りですね。
人の一定の行動を違法なものとして認めさせ、不法行為として認めさせるものは、何かの内在的な性質ではありませんから。
しつこいがまだわかってなさそうだから繰り返しとく。 > 規範自体を「合理的認識」と「みなす」と言ってんのよ 規範はそもそも認識じゃないから「合理的認識」だなどと見なしようがない。 規範てのは誰かの(法規範だったら立法者と裁判官)の 「〜しろ」とか「〜であれ」っていう意志や欲求の表明なわけ。 世界の有様と自分の欲求がずれてたら世界の側が折れないと欲求は満足しない。 認識は逆。世界の有様と自分の認識がずれてたら折れなきゃいけないのは自分の側。 間違ってました済みませんつってその認識を改めなきゃならん。 世界と自分の関係が規範と認識では真逆。だから規範は絶対に「認識」ではありえない。 ましてや「合理的認識」などではありえず、それゆえ「合理的認識」であると 「みなす」こともまったくできない。そもそも規範は認識じゃないんだから。 これくらいはきちんと抑えておいて欲しいんだよなぁ。 規範は非認識的な意欲の問題。事実は認識的な信念の問題。 規範が「認識」だなどということはありえないし、それゆえ 「合理的認識」などとみなすことはできない。ぜんぜんダメ。
>>821 >道徳規範であれ法規範であれ、それは誰かの意欲の表明(要するに命令)に過ぎない。
私が引用した
>>744 とそこから辿れる
>>727 に命令ではなく、仮設判断と書いてあるわけですが、
理解出来なかったみたいです。
そも「超越的理念としての当為」と「先験的範疇としての当為」を理解出来ていないのでしょう。
小林氏にもその「疑い」がかかっていますし。
826 :
818 :2008/12/09(火) 18:56:06 ID:WnfVtlnq
>>820 >一般人が法を守る「理由」なんてのはそもそも全然ないわけ。
おいおい。無茶言うなよ。人は無理由に行動しないぜ?
何にせよ人の「理」に訴えてくるんですよ。
「国家の暴力的制裁が怖い」というのも「理」でしょうね。
>そうだよ。法律守らないと国家の暴力によって制裁されるだけ。おしまい。
それもおかしい。合理・不合理がないんだから
「法律を守らないと暴力の制裁がまっている。だから法を守る」という「理」も駄目なんだから
君の論理だと法律は作る意味が無い
>何の根拠もなく法に従うやつもいれば
そんな人いません。人それぞれ「理」はあります。どんなに無意識に近かろうが
法の文章を読むだけで洗脳効果があるなら別ですが(笑)
>それに従うかどうかは規範の側の問題じゃなくて、従うか従わないか
>決めようとしている人間の側の問題。そいつが従いたければ従う。
>従いたくなければ従わない。それだけ。
そうだよ。ただし従わせるためには、ただ「命令を発しました」
では、駄目なわけ。誰も従わない。何の効力も無いの。人間の「理」に訴えなきゃ
それが暴力であろうが
暴力的制裁が怖いから法に従うというのは従う側の事情であって規範の側の (それゆえそれ発した立法者や裁判官の)関知するところではない。 人々がどういう理由で法に従うかに実定法はなんの興味も持っていない。 人々が実定法に従うことにどういう理由があると考えるかは勝手。 それは実定法とはなんの関係もない外在的事情に過ぎない。 従うことに理由がないと考えて制裁を受けるやつもいるだろう。それだけ。 たまたま多くの人々が国家の暴力的制裁をイヤだとする負の欲求を持っているから 制裁を規定する実定法によって人々の行動が一般的に規律できているだけ。 だからといって、制裁があるんだから従え、と言っているわけではない。 従おうが従うまいが勝手だが制裁はするぞ、と法が言い、たまたま 制裁を恐れる人々が多いから秩序が保たれているだけ。以上でも以下でもない。 > そうだよ。ただし従わせるためには、ただ「命令を発しました」 > では、駄目なわけ。誰も従わない。何の効力も無いの。人間の「理」に訴えなきゃ > それが暴力であろうが だからね、人々が従う理由は何でもいいわけ。それどころかたまたま 身体の動静が法の禁じるところに抵触してないだけで構わない。 実定法にとっては、実定法が従われる理由が自己利益なのか単なる習慣的行動なのか それとも単なる偶然による身体の挙動なのかそれともその実定法が 「道徳的にまんせー」だからなのかどうかは関係がない。 行為の理由は人々が勝手に自分の事情に応じて見出すものなのであって 実定法がそれについてどうこういうことは全然ない。法は命令するだけ。 従わないと国家的暴力によって制裁するだけ。もうただそれだけ。 というか、少なくともケルゼンはそう考えている。だからそれ以上を 求めるのはケルゼン解釈としてはまったくの失当。
あのね「命令」の特徴っていうのは「なぜ?」という問い返しに 免疫があることなの。「ドアを閉めろ」って言われて「なぜ?」と 聞き返したところで「理由はない。とにかく閉めろ!」という返答に いかなる矛盾もない。言われた側はむっとしてドアを閉めないかもしれないし、 閉めないからと言って別に命令者が何か危害を加えてくるわけでもないかもしれない。 命令と言うのは単に命令者の意欲を表明するだけのもの。 それに誰かが従う理由があるかとかそういうことは命令概念の外側の問題。 実定法もそう。制裁を科すとは言っているけれど、「だから従え」とは言ってない。 実定法はいかなる理由も提示はしない(制裁はついてくるけどそれが理由になるとは言っていない)。
829 :
818 :2008/12/09(火) 19:19:47 ID:WnfVtlnq
>>821 君は俺の言いたい事を「これっぽっち」も理解してないね
>命令文を発してるやつに「君は間違っている」とかいっても無意味なわけ。
こんなことは一切述べてませんよ俺は・・・
命令文を守ることが合理ですよ。と言ってるんです
法の「 中 身 」の話ではない
頼むぜ先生
>規範について、それが「合理的」だとか「不合理」だとかいう余地はない。
それは中身とか解釈ね余地が無いのは
君が混同してるんだからね
俺が言っているのは規範「自体」が合理(みなす)ということ
例えばね
「毎日100万円を国に収めろ」という法が出来るとする。
それに対して、その法律が合理か不合理か?を問うのを言っているんじゃなくて
「何故守るかといえばそれは法律だから」という合理を言っているんだよ
「法律を守る」をいうことを「合理的認識」とみなすことにせねば駄目だろ?
>それは虫の物理的特性の問題。人が法を守るのも別に「理」の問題ではない。
>「なんとなく」とか「制裁がイヤだから」とか全然普通のこと。
制裁がいやというのは「理」ですね。
なんとなくについても、なんとなくの中に「理」があるんでしょ
830 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/09(火) 19:24:25 ID:FQUejKJ9
>>826 >おいおい。無茶言うなよ。人は無理由に行動しないぜ?
>何にせよ人の「理」に訴えてくるんですよ。
>「国家の暴力的制裁が怖い」というのも「理」でしょうね。
馬鹿が揚げ足取ってるようで、醜いよ。
規範である「実定法」が「合理」であるから従うわけではない。
人々が恐れて従うだけ。
>それもおかしい。合理・不合理がないんだから「法律を守らないと暴力の制裁がまっている。だから法を守る」
>という「理」も駄目なんだから君の論理だと法律は作る意味が無い
馬鹿か。
相手の言わんとするところを汲み取れ。
小林氏のだけではなくな。
何度も言うが、規範である「実定法」が「合理」であるから従うわけではない。
人々が勝手に恐れて従うだけ。
そして、「実定法」=「合理的認識」とのように等号で結べないということは既に指摘されている。
「合理的認識」とは我々の立場。
我々が対象を知ることによって得られる。
人間の側が「合理的認識」に到達する。
対象は到達しない。
辛うじて法が「なぜ?」と尋ねられて返しうる返答は「私が法だからだ」というもの。 これが、実体法規範が「合法性」という価値と結びついているということ。 だが、個々人が「合法性まんせー」とするかどうかは個人の偶然的な問題に過ぎない。 なんで「合法性まんせー」しなきゃいけないかなどという問いに答えはない (なんで「正義まんせー」しなきゃいけないかなどという問いに答えがないのといっしょ)。
>>829 とりあえず、お前はこの文章を弁護してるんだから、この文章を如何に弁護し得るかを、この文章の言葉の使われ方のおかしさを認識した上で、
きちんと説明してみせてくれ。
正論十二月p249
「一切の合理は非合理の中から生まれる。最初から合理的なものなど、人間社会には存在しない。
非合理的な正義や道徳の中から、ようやく合理的認識に到達したとみなされるものだけを法律として、それ以外の正義や道徳を排除するというのがおそらくケルゼンの志したことであろう。」
>>825 >>727 の引用はケルゼンが法を命令ではなく要件効果図式によって
捕らえようとしているところのはなしね。これはまあケルゼン的には
もちろんそうなんだけどこれのせいでケルゼンの理論の図式全体がわけわかんなく
なる大原因でもある。ケルゼンが命令についての認識と命令の受容を
区別できていないせいでこの要件効果図式への移行が必要になっちゃったわけで。
ケルゼンは法を直接に人々への命令とはしない形に理解しようとしているわけね。
まあここで法が人々に直接なにか行為理由を提供しようとはしていない、
ということで決着は簡単につくんだけど(法が全部裁判規範になるから)。
法を直接の行為規範と見る伝統的な立場でもケルゼンの立場を同様に再構成することは
できるので実はそこはあまり論点にしなくてもいい(してもいいんだけどさらに無駄に
手間がかかるから)。命令の認識と命令の受容の区別さえつければ大丈夫。
そこを批判者に譲歩してもなお、批判者の見解は間違っている。
> 「何故守るかといえばそれは法律だから」という合理を言っているんだよ > 「法律を守る」をいうことを「合理的認識」とみなすことにせねば駄目だろ? 全然間違ってる。 だいたい「法律を守る」っていう行為が「合理的認識」になってどうすんだ。 行為が認識になりうるとははじめて聞いた。 「なぜ法規範Nを守るかと言えばそれは法だから」というのは 「Nは妥当な実定法規範である(これは授権連関と立法者・裁判官の規範定立行為に関する事実認識)」 で終わるのではなくて「合法性まんせー」という意欲の表出がともなってなければいけない。 後者はなんら「認識」ではない。それは意欲の問題で認識の問題じゃない。 だから「なぜ法を守らなくてはいけないか」というのは認識の問題じゃない。
>>833 返答有難うございます。
>ケルゼンは法を直接に人々への命令とはしない形に理解しようとしているわけね。
例えば、「エビに対して不要に苦痛を与えて殺したならば、
罰金の刑に処されるべきである。」
と言う場合、
「ただし、これによって、この関連の価値に関しては、即ち、その道徳的や政治的の価値に関しては、
何ごとも断言されているのではない。
この場合に、当為は経験的の法的客体を把捉するための相対的に先天的な範疇であるに止まる。」
だから、直接に人々に命令しているわけではないのですよね?
確かに、この場合でも
我々が認識可能な「形式的事実」だけをもって命令的とも言えるわけですからね。
勿論、価値に関しては断言されていないから、
法が直接に人々に対して行為理由を与えるわけではありませんね。
836 :
818 :2008/12/09(火) 20:28:46 ID:WnfVtlnq
もう、だらだらと個別に反論するのもメンドクサイから
主なところだけ
>馬鹿が揚げ足取ってるようで、醜いよ。
はあ?揚げ足?理以外で法律を守る人がいるなら事例をあげてね
>何度も言うが、規範である「実定法」が「合理」であるから従うわけではない。
>人々が勝手に恐れて従うだけ。
怖いから従うという理があるじゃん♪
>人間の側が「合理的認識」に到達する。
そうだよ?
>>832 の文章に矛盾するけ?
人間の側の話だもん♪
>>831 相対主義乙
それなら道徳を法と結びつけるのも、この法律が道徳的じゃないから守らない
ってのも個人の偶然的な問題に過ぎないですね♪
君って相当馬鹿ですね?大丈夫?
>>834 >「合法性まんせー」という意欲の表出がともなってなければいけない
はあ・・・
だからね。完全に合理的なものなんか存在しないんですよ。
道徳・正義は合理的認識には到達し得ないという前提が「あるが」
「合法性まんせー」を合理的認識と「みなす」と言ってるんだよ
>>832 また後で
>
>>831 >相対主義乙
>それなら道徳を法と結びつけるのも、この法律が道徳的じゃないから守らない
>ってのも個人の偶然的な問題に過ぎないですね♪
>君って相当馬鹿ですね?大丈夫?
かなり腹が立ってきたな(藁
ケルゼンはまさにそのとおりの相対主義者だ。ていうか常識。
私はケルゼンの立場を説明してるだけ。
ケルゼンが坊やから見て相当馬鹿なのはまあ私の知ったことじゃない。
>
>>834 >だからね。完全に合理的なものなんか存在しないんですよ。
>道徳・正義は合理的認識には到達し得ないという前提が「あるが」
>「合法性まんせー」を合理的認識と「みなす」と言ってるんだよ
だからね、「合法性まんせー」は意欲の表出であって認識じゃないの。
「合法性まんせー」てのは真か偽か、なんて聞かれても答えはない。
認識じゃないんだから「合理的認識」と「みなす」ことはできない。
それは範疇錯誤なの。わかる?
この簡単なことがちっともわからないわけね?
>だからね。完全に合理的なものなんか存在しないんですよ。 この言い方がなにもわかってないことを示唆してるな。 合理性の程度の問題じゃなくてそもそも「合理的」とか「不合理」とか ということが意味を成さない、という話なんだから。 「完全に合理的なものなんか存在しない」という反論はまったく的を外している。 「法を守らねばならぬ」という規範を定立する「合法性まんせー」という意欲は いかなる合理性の制約も受けない。論理法則の適用すら受けない。 合理性の最低限の要請である論理法則すら意欲には適用されない。 だから意欲について合理性や非合理性を問題にすることは的外れ。 もちろん極端な立場だが文句はケルゼンにいってくれ(特に後期の)。
規範それ自体は道徳、正義と同様認識出来ないから。 これが、純粋法学から道徳や正義を排除する、ということ。 >相対主義乙 お前は真性の馬鹿かよ(爆笑) ケルゼンは相対主義なんだよ。
>>836 >はあ?揚げ足?理以外で法律を守る人がいるなら事例をあげてね
メンドイからって勝手にアホな前提立てて押しつけるなよ。
>怖いから従うという理があるじゃん♪
それは人々の側が勝手に考えること。
法は、「不要に苦痛を与えてエビを殺したならば、罰金に処するべき」とは言うが、
そこでは、この規範内容を強制していない。
そしてこの規範内容について人々は勝手に解釈出来る。
お前が言うように「実定法」=「合理」と見なす必要はまったくない。
立法府の立法者や裁判官が言ったという「形式的事実」が実定法になる。
その形式的事実が我々によって認識される。それだけ。
>そうだよ?
>>832 の文章に矛盾するけ? 人間の側の話だもん♪
実定法=合理的認識という言葉遣いからしてまず間違っている。
その上で、道徳や正義はどんなものでも、合理的認識に到達したとみなされるわけがない。
どんな人間でも道徳や正義は認識不可能。
だから、人は実定法を認識するとき、対象は「形式的事実」となる。
道徳や正義は認識出来ないから。規範としての実定法は認識の対象ではない。というか無理、認識出来ない。規範それ自体は道徳、正義と同様認識出来ないから。
これが、純粋法学から道徳や正義を排除する、ということ。
>相対主義乙
お前は真性の馬鹿かよ(爆笑)
ケルゼンは極端な相対主義なんだよ。
そうかあケルゼンが相対主義者だってことがわかってなかったんだ〜 そらケルゼンがなに言ってるかわからないのも当たり前。
ということでケルゼンねたは終了、ということでよろしいのかな。 ああ、くだらなかった。
844 :
ワロス :2008/12/09(火) 23:15:18 ID:WnfVtlnq
なるほどケルゼンは相対主義なんだね。ふふふ
君の論理だとケルゼンは実定法を合理的認識と「みなす」と考えていなくて
法律は、ただの立法者の命令にすぎない。合理も不合理もないと考えていたと
それを鵜呑みにするなら東京裁判でいえば、連合国が事後法で裁こうと別にケルゼン的にははOKだし
チャーターで裁いてもいいわけだ。だって別に何で裁こうがいいでしょ。
法律だけ適用しなくちゃいけない根拠ないし(笑)
お花畑解釈は自分だということに気づこうね
何度も言っていますが君が言っているのは法の中身とか解釈の話なんだよ
>>840 君の言う「形式的事実」が合理的認識と「みなす」ということでしょ
君の言う「形式的事実」を守るべきものと「みなす」と言い換えたらわかるかい?
相対主義といっても次元がある。
道徳とか正義とか価値とか排除して
実定法すら合理とみなしていない。無合理だ!
なんてケルゼンは何がいいたいのでしょう?
それじゃあ法すら守らなくていい気がするけど?
暴力を背景にすれば法律以外で裁こうが、似非正義で法律なしで裁こうがいいんでしょ?ケルゼンは?
あほらしいな君の論理
>>836 >>840 を補足。
>立法府の立法者や裁判官が言ったという「形式的事実」が実定法になる。
その形式的事実が我々によって認識される。これについて、立法者が実定法を定立する時、「AはならばBであるべき」、と言う。
この規範は単なる意欲・意思に過ぎず、認識の対象とはならない。
合理的、不合理、などと論じる意味がない。しかも、合理とみなすことは出来ない。そもそも議論の対象にならないだよ。当たり前だ。
何かの対象が、合理的認識【によって】到達し得えない、ということは、合理的議論が出来ない、ということ。
>実定法=合理的認識という言葉遣いからしてまず間違っている。
これはもう一人の方が指摘している範疇錯誤ということ。
>>832 の小林氏の文章は、道徳や正義が、合理的認識に到達したとみなされたものだけを法律として、ということになっている。
お前は「みなされる」を強調しているが、この文章は、誰か(この文脈では裁判官や立法者)が、
道徳や正義の中から、合理的認識に到達した、と見なしている、ということが前提である。
道徳や正義という本来なら「対象」に過ぎないものが、合理的認識に到達するわけがない。
範疇錯誤に過ぎない、というわけだ。
だからお前みたいなアホが裁判官なら曲解して、無茶苦茶な言葉遣いになるだろうし、その可能性は否定しないが、論理的に考えると、誰かがそのように見なすことは、必然ではない。
結局、まず最初に言葉遣いの問題がある。で次に、その誰かによって規範を定められるわけだが、それは意欲に基づく。
つまり、規範定立者が、頭の中で、ある道徳や正義が合理だ、と考えて規範を定めたとしても、規範内容自体は道徳や正義と同様、認識の手に届き得ない無合理、非合理的な理想。
(続く)
>>845 の続き
だから、規範内容を合理、不合理云々することに意味はない。
抽象的概念規範たる実定法の表象、即ち「形式的構造」以外我々には認識出来ない。
その「形式的構造」を合理的に認識出来る、というのみ。
規範たる実定法なのに、意味不明に「実定法そのもの」を合理とみなす、というのは、お前のアホな言葉遊びに過ぎない。
道徳・正義の排除、この意味が理解出来ていない。
規範内容は道徳・正義同様、正当不当の認識が不可、故に無合理、非合理的な理想だから、これらの概念を法解釈から排除する、ということ。
認識可能性が一切ない、つまり合理が一切無いんだからね、規範や道徳は。
だから合理、不合理などとレッテルを貼る対象ではない。
で、規範の「形式的構造」を認識することが、純粋法学の「課題」だ。
「形式的構造」は合理的に認識できる、そういう意味でなら、合理的。
「実定法」の「形式的構造」を「認識」してもいないのに、をわざわざ、
>>795 に書いてるように、何の根拠もなく馬鹿の一つ覚えに、「実定法そのもの」を「合理」と見なすことは、純粋法学の「課題」を無視していることと同義。
小林氏は単に、言葉遣いを間違えて誤解しているだけだろうが、お前は弁護に夢中なあまり、真性の馬鹿になり果てたわけだ(笑)
>>844 >君の言う「形式的事実」が合理的認識と「みなす」ということでしょ
>君の言う「形式的事実」を守るべきものと「みなす」と言い換えたらわかるかい?
オイ、お前サラリと意味を移動させるなよ。
範疇錯誤なんだよ。
「形式的事実」というのは認識可能な「対象」だ。
この対象の場合、合理的認識によって到達し得る。
認識可能だということだ。
で、この「形式的事実」の構造を把捉することが、純粋法学の課題。
>>795 で言ってるような「実定法そのもの」を合理にする、という話は何処にいったんだ?
お前は課題をすっ飛ばして勝手に、合理と見なしているが。
今更になって違うこと言うかよ。
>なるほどケルゼンは相対主義なんだね。ふふふ そう。まったくそう。 というか、ケルゼンの政治関連の著作を読めばわかること。 >君の論理だとケルゼンは実定法を合理的認識と「みなす」と考えていなくて だから、法は「規範」なんだから「認識」じゃないんだとなんどいったら(ry >法律は、ただの立法者の命令にすぎない。合理も不合理もないと考えていたと 基本的にはそう。というか、19世紀イギリスの主権者命令説の変種とみても そんなに外れているわけではない。この点はケルゼン自身も後に認めている。 >それを鵜呑みにするなら東京裁判でいえば、連合国が事後法で裁こうと別にケルゼン的にははOKだし >チャーターで裁いてもいいわけだ。だって別に何で裁こうがいいでしょ。 >法律だけ適用しなくちゃいけない根拠ないし(笑) ケルゼンは自身の正義観念(これは彼の主観的価値判断)と 法的安定性まんせーという彼の主観的価値判断から それはダメだ、というだけのこと。だからといって、自分の 価値判断が客観性を持っているとは言わない。 しかし、価値判断を放棄するわけではない (ただしそれは合理的とか不合理とかの問題ではない)。
>お花畑解釈は自分だということに気づこうね むしろ坊やのケルゼン解釈の方がまったく理解不能。ケルゼンどこでもそんなこといってない。 ケルゼンが坊やが言ってるようなそんな頭の悪いことをどこで考えてたというわけ? 最終的に徹底しすぎてルール懐疑論にまで行き着いちゃったからね。 ルール懐疑論までいたればまあ殆どの法は裁判になったときに裁判官が 勝手に決めることなので、裁判前には法の内容は決まっていないことになって 殆どの法は事後法と区別がつかなくなる。衝撃的だけど。 ケルゼンは法的安定性まんせーなので(それは彼の主観的価値判断)、 遡及法や事後法は良くないよね、というだけのこと(だからといって 現実の事後法や遡及法が法でなくなるわけではない)。 事後法のほうが法的安定性まんせーを超えて正義まんせー(これも彼の主観的価値判断)に 合致するなら事後法まんせー。それだけ。 ばかばかしいも何も私の「論理」がばかばかしいんじゃなくてケルゼン理論の帰結。 まあ要するにケルゼンが自分に都合のいい結論を持ってるはずだから それを不可能にするお前のケルゼン解釈は間違っているに違いない、 という頭の悪い反応なのね。久々にダメな生き物を見た気分。
> 相対主義といっても次元がある。 価値判断や規範定立一般について完全に非認識主義だから かなり徹底した相対主義だよ。しかも価値判断や規範についての 論理法則の適用を明示的に否定しているから、 他には類例がないくらい過激な相対主義。その場その場で発露される 場当たり的な意志以上のものは価値判断や規範にはない。 > 道徳とか正義とか価値とか排除して > 実定法すら合理とみなしていない。無合理だ! > なんてケルゼンは何がいいたいのでしょう? > それじゃあ法すら守らなくていい気がするけど? ケルゼンが「法を守らなきゃダメ!」と思う場合には(これは彼の主観的価値判断) ケルゼンからしたら「法を守らなければいけない」。それだけ。 相対主義は別に価値判断や規範の放棄を迫っているわけではない。 ケルゼンはケルゼン自身の価値判断をする、でもそれは主観的なものであり しかも合理性とか不合理の問題ではない、単なる意欲の表明。 > 暴力を背景にすれば法律以外で裁こうが、似非正義で法律なしで裁こうがいいんでしょ?ケルゼンは? ケルゼンは法治国家まんせーだから、国際法の場合でも国際法まんせー& 遡及法ないし事後法逝ってよし!だっただろうね。でもそれは彼の主観的な 価値判断の問題。彼は彼の価値判断をし、遡及法良くない、と主張する。それだけ。 > あほらしいな君の論理 確かに愚かな坊やに付き合ってまじめに応対している自分があほらしくなってきたよ。
851 :
818 :2008/12/10(水) 00:40:54 ID:ppgy9k+V
>>848 >ケルゼンは自身の正義観念(これは彼の主観的価値判断)と
>法的安定性まんせーという彼の主観的価値判断から
>それはダメだ、というだけのこと。だからといって、自分の
>価値判断が客観性を持っているとは言わない。
>しかし、価値判断を放棄するわけではない
>(ただしそれは合理的とか不合理とかの問題ではない)。
人には法律と価値観を分離しろと言っておいて
ケルゼン自身は自分が言って事を棚にあげて「それはダメだ」っていうのww
法律と道徳が分離してねええええええええええええええええええええええええ
あらら論理破綻としか思えないね(爆笑)
あと言っておくけど
法律が合理・不合理ではないって君が何度も言ってるけど俺が納得していないのは
法律の中身や解釈や内容について、そういうレッテルを貼る対象じゃないってのは理解してるよ
俺が言いたいのは、「法律自体が社会にとって「合理的認識」とみなすものと
している。」といいたんですよ。(日本語変なのはご愛嬌)
この法律を守りなさいというには、何か守らせられるための根拠(合理)がいるでしょ?
それが、暴力などの制裁なのか正義なのかは色々あると思うが。
ひとまず、この法律を守ることは正解なんだよと。根拠(合理)があるんだよと「みなす」。
法を受け取るがわに、そういう認識があるとみなして法律にするということだよ。
>>851 >>832 に引用した小林氏の文章を説明してみせろよ。
小林氏の文章もご愛嬌か?
愛嬌で済ませるなら始めから、
可愛らしくしておけwww
坊やは本当に根本から法実証主義そのものがわかってないね(怒 >>ケルゼンは自身の正義観念(これは彼の主観的価値判断)と >>法的安定性まんせーという彼の主観的価値判断から >>それはダメだ、というだけのこと。だからといって、自分の >>価値判断が客観性を持っているとは言わない。 >>しかし、価値判断を放棄するわけではない >>(ただしそれは合理的とか不合理とかの問題ではない)。 >人には法律と価値観を分離しろと言っておいて >ケルゼン自身は自分が言って事を棚にあげて「それはダメだ」っていうのww >法律と道徳が分離してねええええええええええええええええええええええええ どのような規範が妥当な法規範かという問いは価値観をまったく無視した 授権連関と被授権者の規範定立という事実に基づいて合理的に答えられる問い。 つまりある法体系に於いて現在なにが妥当な法規範であるかは事実の問い。 この法体系に於いてなにが「妥当していることが道徳的に望ましい」かは これとは別の問い。前者は「法とは何であるか」の問い(これは合理的に答えられる)。 後者は「法とはなんであるべきか」の問い(これは価値判断を含むので合理的議論の対象でない)。 さらに法体系があるとして、目の前の社会的紛争やなにかをその法体系によって 処理・解決す「べき」かどうかという問いはまったくこの2つとは別の問い (これも価値判断を含むので合理的議論の対象ではない)。 坊やはなんでそんなに頭が悪いの?
>>832 については、とりあえず、範疇錯誤から愛嬌で済ませるのだろう(笑)
855 :
818 :2008/12/10(水) 00:52:04 ID:ppgy9k+V
でさあ 坊やは馬鹿だからわかんないんでちゅけど 法実証主義の人が判決を書いたらどうなんの? もしケルゼンが判事だとしたら意欲の表明は有りなの?無しなの? 有りなら意欲は表明するけど判決には無関係ってこと? 無しなら、いきなり裁判官が法にないことを勝手に判決にしたら どうなんの?ケルゼンはどうすんの?
857 :
818 :2008/12/10(水) 01:04:32 ID:ppgy9k+V
>>852 いいから
>>851 の後半部分の反論しろよ
>>832 の説明になってるだろ
>法律が合理・不合理ではないって君が何度も言ってるけど俺が納得していないのは
>法律の中身や解釈や内容について、そういうレッテルを貼る対象じゃないってのは理解してるよ
>俺が言いたいのは、「法律自体が社会にとって「合理的認識」とみなすものと
>している。」といいたんですよ。(日本語変なのはご愛嬌)
>この法律を守りなさいというには、何か守らせられるための根拠(合理)がいるでしょ?
>それが、暴力などの制裁なのか正義なのかは色々あると思うが。
>ひとまず、この法律を守ることは正解なんだよと。根拠(合理)があるんだよと「みなす」。
>法を受け取るがわに、そういう認識があるとみなして法律にするということだよ。
> 「法律自体が社会にとって「合理的認識」とみなすものと > している。」といいたんですよ。(日本語変なのはご愛嬌) 日本語が変だから何が言いたいのかさっぱりわからない。 > この法律を守りなさいというには、何か守らせられるための根拠(合理)がいるでしょ? > それが、暴力などの制裁なのか正義なのかは色々あると思うが。 > ひとまず、この法律を守ることは正解なんだよと。根拠(合理)があるんだよと「みなす」。 > 法を受け取るがわに、そういう認識があるとみなして法律にするということだよ。 いらない。まずケルゼンみたいに要件効果図式で法規範を説明する場合には 法は基本的に裁判規範だから行為規範として人々に従われることを概念的に 要求しているわけではない(これは色々議論の余地があるが)。法は制裁を規定するが その制裁の通知によって人々がどのような影響を受けるかについては関知しない。 「法を守ることが正解」? どんな問いに対する「正解」なの? 「私は何をすべきか?」っていう人々の問いに対する立法者・裁判官の 回答として「正解」なわけ?
> 根拠(合理)があるんだよと「みなす」。 「私はなにをなすべきか?」という問いに対して「君は法を守るべきだ!」という 回答を立法者が返すとして、ケルゼン的にはその回答には「合理性」はないよ。 立法者が自分の利益のために「守れ」と回答するかもしれないし、相手の自己利益を 慮って自分が相手の立場にいたら守ったほうが得だと思って「守れ」というかもしれないし、 一番露骨な場合には「お前がなにをすべきかなどということに私は関心がない。 とにかく守れ!」というかもしれない。「君は法を守るべきだ」という立法者の 当為判断は立法者の意欲の問題でその中身がどういうものかは立法者による。 そもそも命令っていうのは意欲の表明であって、 相手にそれを守る理由があるなどということを含意はしない。 「理由はない!つべこべ言わずに守れ!」という返答はなんら矛盾ではない。 そもそも、まあ人々が国家暴力による制裁に反応するよねと思って 一連の法規範を立法者が定立するとして、そのことが法規範に何の関係があるわけ? 制裁に反応しないやつもいるだろうし、制裁じゃなくて正義の問題だと思って 従ったり反抗したりするやつがいるだけだろう。立法者が人々が法に従うだろう 理由を事前に忖度するからといって、実定法にはまったく何の差異もない。 実定法を見てそこから立法者が「人々はかくかくしかじかの理由から服従するだろう」と 考えたなどということを導出することはできない。立法者のほうは、人々が従う理由がどうあれ 相変わらず「要件→効果」式に「殺人する→死刑」という形式の法規範を定立するだけ。 ていうか、坊やはケルゼンがどう考えていたのかが知りたいんじゃなかったのか? そもそも小林氏のケルゼン解釈ともまったく遠いところに来てるんだがね。
> 坊やは馬鹿だからわかんないんでちゅけど > 法実証主義の人が判決を書いたらどうなんの? > もしケルゼンが判事だとしたら意欲の表明は有りなの?無しなの? > 有りなら意欲は表明するけど判決には無関係ってこと? > 無しなら、いきなり裁判官が法にないことを勝手に判決にしたら > どうなんの?ケルゼンはどうすんの? ケルゼンが判事なら(つうか判事だったんだが)意欲の表明はありなの。 ていうか彼の意欲の表明が法になるんだから意欲の表明はするわけ。 でもこのときのケルゼンは別に学者として振舞っているのではなくて 授権された権力者として振舞う。ケルゼンは法的安定性まんせーだから 形式主義的に法を適用した形になるような意欲を表明するだろうけど。 ちなみに裁判官が法にないことを判決にした場合、 彼がそれについて授権されている限り、それが立法者が事前に定めていた 法にはないことでも、裁判官の判決が法。ていうか、どんな恣意的な法解釈でも 裁判官の判決が法。一応枠理論とか言って法解釈に一定の制約があるという ことに最初はなってたんだけど、授権された以上はその裁判官の恣意が法になるしかない、 というところまでたどり着いた。だから裁判官が「だれだれは人を殺した」と 認定すれば現実はどうあれそれが法。だから最高裁で有罪が決定されてしまったら 冤罪というものはありえない。有罪判決が出た以上は被告人は有罪。 立法者が事前に定立したどんな一般的規範も実際に裁判で適用されるまでは無意味。 で、テラアリエナスなトンデモ法解釈を繰り広げても、その裁判官が授権されていれば (そしてそれが特に最終審ならば)それが法。 トンデモ法理論だが、ケルゼンの最終的な結論はまさにこのとおり。 あっはっは。
863 :
敗北 :2008/12/10(水) 01:24:45 ID:ppgy9k+V
>>860 あなたの言うとおりです。敗北を認めます。
すいませんでした。
ここまで付き合ってくれてありがとうございました。
どうも、途中から自分の主張に無理があると感じてましたが
プライドが高いので・・・
しばらく、勉強し直します。
>>863 俺ではあんたを納得させることは出来てなかったからな〜
>>860 さんは凄い。
ところで、
>>860 さんがきちんと範疇錯誤を指摘し出したんだが、それについても認めるの?
是非とも
>>860 さんに
>>835 についてお伺いしたい。
その前のレスからして、もしかするとちょっと面倒かもしれませんが…
>>835 の話はほんとに面倒なこと極まりないのです。
新カント派の専門家に任せるのがいいんですけど。
たとえば「窓を開けろ!」といわれたときに「ああ、これは命令だ」と
いう認識が生じるでしょう。何かを命令として認識する際に用いられている
概念的構造が命令の先天的範疇というやつです。同様に「要件→効果」図式の
規範について、それを目にしたときに「ああ、これは規範だ」とわかるのは
先天的範疇としての当為のおかげなのですね。しかし「窓を開けろ」という命令を
受諾したわけではないのです。規範もそれが規範だと認識するだけでは
受容したことにはならない。いや、このあたりは本当はもっと面倒なのですが。
他にも主観的意欲の表明である規範定立行為が実定法規範として客観的に妥当することを
言うためには範疇転換が必要で、そのためには根本規範が必要で、とかこれが
「記述的意味に於ける当為」と結びついて、でも中期以降改定されてとか、
もう鼻血がでそうなので、どうぞケルゼンについての概説書を買って読まれることを
お勧めします(長尾龍一先生の本)。後期ケルゼンはまた全然違う思想みたいな
印象を受けるでしょうけれどね。
>>866 さん、
返答有難うございますm(__)m
ちょっと、質問の形式を変えさせていただきたい。私が何の「為」に聞いているのか、を。
(引用開始)
つまり、《彼は「事実」と「当為」を厳密に区別しようとしたのです。
ここで言う「事実」とは「であること」ですね。
それに対して「当為」というのは、「であるべきこと」です。
この二つをはっきりと区別し、法から「当為」=「であるべきこと」をきれいさっぱり除去しようとしました。
あくまでも法は「事実」=「であること」に依拠すべきであり、その事実は制定法と判例である、というのが、ケルゼンの純粋法学です。》
【道徳や倫理、イデオロギー、社会的慣習、政策的判断など、すべて「であるべきこと」であり、法とは何ら関係がないというのが彼の主張です】。
(引用終了、『パール判決を問い直す』p159〜160、《》は後に言及する小林氏の引用部分、【】部分は後で、指摘する際に用いる。)
まず、この中島の言葉の中に出てくる「法」は「事実」に依拠する、という言葉についてですが、ケルゼンの『法と国家の一般理論』から引用すると、
「このように法秩序の妥当性がその実効性に依存することを見て、
人は、法の妥当性をその実効性と定義し、法を『べし』言明ではなく『ある』言明で記述することによって、この二つの現象を同一視する誤りに導かれるかもしれない。
この種の企てはしばしばなされたし、常に失敗に終わっている。なぜなら、もし法の妥当性がなんらかの自然的事実と同一視されるならば、法が現実に向けられ、
現実に対して上に立つ所のあの特殊な意味を理解できないからである。ただ、法と自然的現実、法規範の体系と人々の現実の行動、
『べし』と『ある』とが二つの異なった領域であって初めて、現実が法に適合したり、背反したりすることがありえ、人間行動が合法とか違法とか性格づけられうるのである。」(p208)
と述べていることからすれば、間違いなのでは?
と思われるわけです。法は、「先験的範疇としての当為」、「べき」言明として記述されるわけですから。制定法にしても判例にしても「べき」言明ですよね?
>>867 の続き、
そして先程引用した中島の文章の【】部分を引用し、その中島の文章に対して、
>>728 辺りに引用した『純粋法学』p44の、
「実定法において構成事実が互に結合されているところの特殊な様式をいやしくも把捉し、表現しようとする
ならば、この点において当為を欠くことを得ない」
この部分を引用して、「ケルゼンは実定法の表現には『当為』は欠かせないと明記している。どういうことか。
『犯罪』『刑罰』という構成事実の関係を実定法に表現する場合、『犯罪者は刑罰を受ける』という単なる原因と結果の『事実』としてではなく、『犯罪者は刑罰を受けるべきである』という『当為』でなければならないと言うのである。
規範や当為にいかなる意味も認めないならば、『法律生活が日々表示されるところの幾千の言葉のすべてがその意味を失ってしまう』とケルゼンは断言している。中島の説明とは真逆である。」(正論十月号p52)
とのように批判する。
この批判自体は、もし中島が【】のように、「当為」を「超越的理念としての当為」としていなければ、
つまり、「先験的範疇としての当為」としていれば、
小林氏の批判はそのまま当たっていたことになる、と思うのです。
どっちにしろ、法は「べき」言明で記述されるのですから、中島の「法」は「事実」=「であること」=「判例、制定法」に依拠している、
と言っていることは「法」を「ある」言明で記述し、それに依拠していることになる。
ならば、
「もし法の妥当性がなんらかの自然的事実と同一視されるならば、法が現実に向けられ、現実に対して上に立つ所のあの特殊な意味を理解できないからである。」のもし、状態になってしまい、「あの特殊な意味」を理解出来ない。
「特殊の意味」を表示する言葉が、「当為」(先験的範疇としての当為)ですから当然ですが。
>>867 これはそうです。法はあくまで規範ですから「べき」言明の内容を持ちます。
ケルゼンの法実証主義の特殊性がここにあります。通常の法実証主義は
「なにが法であるか」と「なにが法であるべきか」を区別します。
前者は経験的事実の問題で、後者は規範的議論の問題だというわけです。
中島氏も法実証主義をこのように理解し、ケルゼンがそれにコミットしていると
考えたのでしょう。まあ無理もないのですが、もちろんケルゼンはそれより厄介です。
授権連関(これは規範についての思惟なのでケルゼンの独特な術語では
「記述的意味での当為」であるとされます:これはケルゼンの主張の中でも
わけわからんもののひとつですが)と規範定立行為について知れば
妥当な実定法規範がどのようなものか確定できるわけです。実際には、
普通の法実証主義の場合に比べて、法の内容の確定に必要な素材が増えているわけではなくて
その素材を用いてどのように妥当な法規範を認識するかの過程の違いではあるのですが。
したがって、中島氏が先験的範疇としての「当為」を法が欠くのだ、
といっていればケルゼン解釈としては誤りですね。
「違反すれば制裁が下される」という図式を「制裁が下されるべし」と
当為的に読むのがケルゼン的ですが、「制裁が下されるであろう」と予言的に
読むのが古典的な法実証主義だったことを考えると、そこを見落とすのはまずいのです。
まあでも法実証主義的に法認識と(道徳からの)法評価を分離するという態度を
そのように述べたのであろう、という想像はつきますけどね。
したがって、中島氏の【】内の部分を見れば、それが法評価に用いられる 基準だと言うことを忖度し彼がなにを言いたかったのかは理解できたと思います (社会的慣習が入っているのは微妙ですが)。ただ、これを読むと 中島氏はケルゼン読んでないのかもな、とは思います。 もしケルゼンを読んだ上でこういう発言をするのだとすればかなり迂闊だと思います。 法の認識と、法の道徳的および政策的そのほかの観点からする評価は別の問題である、 とでも書けばよかったのです。
>>869 折角返答していただいたのに返答遅れてすいません!!
訂正する箇所があります。
>>868 の
>
>>867 の続き、
そして先程引用した中島の文章の【】部分を引用し、その中島の文章に対して、
この部分の【】は間違い。
×【】
〇《》
小林氏は【】部分を引用していないんです。
《》部分だけ。
だから、中島氏が、「超越的理念としての当為」を述べていることに気付かず、
ケルゼンの「特殊性の部分」のみに気づき、其処に目が集中してしまったわけでしょう。
これからまだ、
>>868 の続きがあるのですが、それについては、明日…
というか今日ですね。
もう寝ておきます。
872 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/10(水) 08:07:16 ID:tfirEElx
東谷暁さんの新刊が発売 中止
どっかの誰かさんが裏から手を…(笑)
規範・当為についての思惟を「記述的意味における規範・当為」と呼ぶケルゼンの 用語法はどう見ても変だ(多くの注釈者はこの観念を「不可解」という)。 規範・当為という抽象的な対象についての事実とその記述、と考える方が望ましい。 こうすれば、法規範についての思惟たる法命題はきちんと事実命題になって 「当為命題(非認識主義的には変な名称だが命題なのに当為だと言い張るからには そう呼ぶしかない)」というアレな分類を作らなくて済む。
パールに関して加藤陽子を批判しましたけど彼女の 近現代史を読んだ事ある人いますか?
優秀な研究者だと思うよ。 中島に関しては、だれもあんな露骨な改ざんをするとは思わないので責める気にはならない。
>>876 そうなんですか!
じゃあ新書買ってみよう
かな
パール真論でも加藤陽子の事をガンジーに関しては良き目で見てたし。
岩波と講談社で悩んだけど講談社新書をチョイス 正論もサッと読んだけど 諸判決を受け入れたのに 東京裁判を否定するのは 矛盾する云々って東谷さんが言ってましたな。
>>879 そんなもん読むより「パール判決」そのものを読んだほうがいいんでない?
新書とかで安直に知識得るのはおすすめできないお
いやあれはきついだろ。 量が多すぎるw
>>880 途中で挫折するから無理です(笑)
新書でも良書は多いですよ。
結局、東谷さんが正論で 書いた「諸判決を受け入れて東京裁判を否定するのは矛盾してる」は詭弁でいいんですかね?
日暮さんが書いてたかと
詭弁の便器で正解!
>>883 どう考えても詭弁です。
そもそも東谷は『正論』十二月号で
「小林氏はフランス語の『諸判決まで引用し、果てはインターネット上の人々を煽りさえしたものだ。」(p258)このように述べているわけですから、『ゴー宣・暫』一巻、【第二幕・第三編】
講和条約11条で東京裁判を受諾していない明確な説明
に、小林氏が、フランス語まで持ち出して「言い渡された判決」と「判決理由」を分けていることを読んでいるはずですが、見逃しています。
このことは、要するに、小林氏自ら言っているように、「裁判」まで受け入れるのではなく、「言い渡された判決」だけを受け入れ、「歴史解釈権」を手に入れられればそれでよいのです。
それ知ってるはずなのに、東谷は、小林氏が『パール真論』p126において、「『東京裁判を否定する』とは、『東京裁判の判決・決定を否定する』という意味に決まっているだろうが!!」
と述べていることに対して、
「論理的にも、法理的にも、政治的にも成り立たないことは中学生でも分かる。
裁判を否定するには、事前的には東京裁判の権威をまったく認めないと宣言する、事後的には裁判そのものを無効にする必要がある、と考えるのが現実感覚を持った人間というものである。」とこう批判する。
>>886 の続き
しかし、東谷は、小林氏自身が東京裁判を批判する際、直接には「判決理由」を批判しているに過ぎないことを見落としている(勿論、言い渡された判決は、無理矢理受け入れさせられた、不当なもの。)
『パール真論』では、特にパール判事に焦点を当てているので、「言い渡された判決」と「判決理由」のようにはっきりと区別はしていない。
勿論、パール判事は判事なので、連合国の越権行為を許すはずがなく、現行国際法の権威に基づかない判決(判決理由も含む)を全面否定し、東京裁判そのものを無効、と考えます。
しかし、我々は、既に刑の執行を肩代わりし終え、何だかんだと「言い渡された諸判決」は受け入れちゃいました。
しかし、後からでも「判決理由」はデタラメだった、あんなもん国際法に基づかないリンチだ、
「言い渡された諸判決」もデタラメだったが、ボロボロに敗戦している状況で、無理矢理受け入れさせられた、不当だ!!、裁判自体おかしなものだった!!
と訴える分にはなんら問題はない。ガリレオが天動説を受け入れたはずがない。
ということで、妙に法理論に閉じ籠っているのは東谷の方。
そもそも、「事情変更の原則」を持ち出してくるが、既に「言い渡された諸判決」を受け入れ、刑の執行を肩代わりし終わったのだから、
どうやってその事実を消すの?
って感じ。
東谷は、小林氏が「サンフランシスコ条約に拘束されないと主張したわけで、その主張自体は大いに支持できる。」
と述べるが、 サンフランシスコ条約自体、「判決理由」まで日本に押し付けてないのだから、今現在何に拘束されてるの?
外務省の英訳じゃない(笑)
しかも「『裁判』という語を『諸判決』に 変えたからといって、日本はサンフランシスコ条約を無効にすることも東京裁判を否定することもできない。」と述べるが、
別に小林氏は、サンフランシスコ条約が無かったことにはせんよ。
こいつは、「言い渡された諸判決」を受け入れ、刑の執行を肩代わりした、という事実を消し去れると思い、そうしなければ、何らかの、日本にとって不利な効力がサンフランシスコ条約には存在するらしい。
サヨクはこのように主張する。 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#136】 (1) 刑の執行を引き継ぐためだけなら、「刑の宣告」(sentence。主文ともいう)だけでよい。 しかし、条約11条によって受諾したのは sentence ではなく、judgments である。そして、東京裁判のジャッジメントが内含するのは、 「裁判所の設立、あるいは審理、あるいはその根拠、管轄権の問題、あるいはその様々なこの訴因のもとになります事実認識、それから起訴状の訴因についての認定、 それから判定、いわゆるバーディクトと英語で言いますけれども、あるいはその刑の宣告でありますセンテンス、そのすべて」である。 すなわち、sentence は judgment のごく一部に過ぎない。 (2) つまり、この異説は、「『裁判』は誤訳で『諸判決』が正しい」と言いつつ、勝手にjudgment(判決)を sentence(刑の宣告)にすり替えているのである。 (3) そもそも、裁判を認め ないと言うなら、認めない裁判の判決をどうして受諾できるのか? 「判決の受諾」には「裁判の受諾」が必要である。また、裁判を受諾すれば判決も受諾する。つまり、必要十分条件である。 ゆえに、日本国が「judgmentを受諾する」ことと「裁判を受諾する」こととは同じである。 (4)さらに、前述のように東京裁判の中に「駄目押し」で、書き込まれている。その周到さは、ある意味、気味が悪いほどである。
889 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/15(月) 21:03:02 ID:C1VMVSke
>>887 “Japan accepts the judgments of the International Military
Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts
both within and outside Japan, and will carry out the sentences
imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.”の翻
訳文は、“日本の国内と外国における極東国際軍事裁判所および他の連合
戦争犯罪裁判所の判断を日本は承認し、そして、そのために日本国内で
収監されている日本国民に科せられた刑罰・処罰を実行する。”が妥当で
あり、東京裁判の「判決主文」と「判決理由」を併合して日本の教育を論じ
てもらわないと「精神分裂症」が発生すると、私は思量します。
http://mochizuki.iza.ne.jp/blog/entry/452351/
>>889 で、フランス語の「言い渡された」、を意味する“prononce′s”が出てくる。
のに、サヨクは英語のJudgments=諸判決
だけに反論して済ませる。
>>889 つーか、お前、そのブログ主が辞書片手に熱論してるようなことを既に、俺が、
>>888 に引用してやっただろうがよ。
それに、お前、引用する箇所も間違ってるよ。
そのブログ主の結論だけ引用してどうするよw
引用するなら理由部分を引用しろ。
教祖様\(^O^)/かよ、まったく。
もしかして英文持ってくれば説得力があるとでも?w
892 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/15(月) 21:48:33 ID:G2LpqXa2
判決文丸ごと「言い渡された」んだが?
>>892 笑い死にさせるなよww
確かに、そういう言い方なら何も知らない人間は騙くらかせるなw
ダラダラ述べられた平和に対する罪やらのデタラメは、「判決理由」だ。
「言い渡された判決」は、「死刑」とか「終身刑」とか、「懲役何年」とかだ。
本当にサヨクはあらゆる印象操作にいそしむねw
東京裁判ではダラダラと「判決理由」を述べるのに、何日もかかったみたいだが、
それが終わった後、「判決言渡し」は1948年11月12日に為された。
>>893 で説明した「言い渡された判決」は、
>>890 のフランス語で書かれた部分が意味してることを、
説明したことと同じ。
「刑の宣告」。
「判決理由」に拘束される謂われはない、ということだ。
895 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/15(月) 23:05:27 ID:C1VMVSke
>「パル判決」って言っているようでは、駄目ですなw >(あるいは、講談社学術文庫の「パル判決」(これも間違いだがw) とか言ってる人がいたから、同じ人かもな。こっちも言い掛かりに過ぎなかったんだが。 このスレでも、「パル判決」の方も「意見書」と呼ぶことに意義を感じてる人がいるかも なので念のため。 ……半可通の人は「ディセンティエント・ジャッジメント(反対意見書)」という 呼び方が正式なものだったと主張していますが、パルは少数意見書にそんな呼び方 を付してはいません。1953年インドで刊行された「パル判決」のタイトルこそ、 International Military Tribunal for the Far East:Dissentient Judgment of Justice R.B.Palというものでしたけど、時系列でみれば、初出時はJudgmentです。 牛村圭・日暮吉延『東京裁判を正しく読む』p.122 多数派を構成し、判決起草権を得て書かれた「判決書」を多数判決(多数派判決)と 呼ぶのはなにも間違っていないし、パールの少数意見を我々が「パル判決」と呼称 すること自体も何の問題もない。
>>895 俺のこと?
>>889 のブログの人のこと?
もし誰かに意味不明なレッテルを張られてしまっても困りますので、先に言っておきますが、
『パール真論』p14で、パール判事が“Judgment”と書いてることを述べています。
更に、講談社文庫p142〜145を読めばわかります。
法学博士一又正雄は、
「まず『パル判決書』という言葉であるが、これは英米裁判手続きに慣れないわれわれには誤解が生じやすいから、解説を要するであろう。
原文はJudgmentであり、裁判所言語部翻訳は『判決書』と訳した。このJudgmentには二種類の意味があって、われわれが普通に理解しているような裁判所が下す『判決』のほか、その裁判に参加した判事、判決について述べる『意見』の意味がある。
パル判事の『判決書』は、本来は正にこの後者の意味である。
普通このようなものは『反対意見』(dissenting opinion)と称せられるが、この場合はたんなる意見ではなく、
多数判決とは全面的に反対の判定を行なっているところにかんがみ、
特にJudgmentという言葉が用いられたと思われる(フランスのベルナール判事の場合は、meorandum, dissenting judgmentとなっている)。」
このように考えているみたいですね。
パール判事によって書かれたJudgementを「判決書」と訳すのは、われわれにとって誤解が生じるので、牛村も今まで、パール「判決書」は本来、「意見書」である、と言っていたわけです。
>>895 >このスレでも、「パル判決」の方も「意見書」と呼ぶことに意義を感じてる人がいるかも
もともと、あなたが引用した対談本の著書である牛村や日暮が、本来、パール「判決書」は「意見書」の性質を持つものである、と主張したわけで、
今回、例えば、中島が著書『パール判事』p98〜99
にて、
「英文でのタイトルは『Dissentient Judgment of Justice Pcl』とされ、裁判所言語部が『Judgment』を『判決書』と翻訳したことから、『パール判決書』という日本語の呼称が定着した。
しかし、『パール反対意見書』とするのが本来は適切であると、しばしば指摘される。」
等の『Dissentient Judgment of Justice Pcl』が正式名称かのように、言われることから、
>>895 にあなたが引用したようなことを牛村等は言わなければならなくなった。
本来パール判事は、判決書を“Judgment”と名付けた。
これは、講談社文庫パル判決書上巻やら『パール真論』p14を読めばわかる。
898 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/15(月) 23:56:31 ID:lQWZRu2j
>>895 >>897 は破棄。
手がかじかんで、まともに打てんかった。
ところどころ修正。
>このスレでも、「パル判決」の方も「意見書」と呼ぶことに意義を感じてる人がいるかも
もともと、あなたが引用した対談本の著書である牛村や日暮が、本来、パール「判決書」は「意見書」の性質を持つものである、と主張したわけで、
今回、例えば、中島が著書『パール判事』p98〜99
にて、
「英文でのタイトルは『Dissentient Judgment of Justice Pal』とされ、裁判所言語部が『Judgment』を『判決書』と翻訳したことから、『パール判決書』という日本語の呼称が定着した。
しかし、『パール反対意見書』とするのが本来は適切であると、しばしば指摘される。」
等の『Dissentient Judgment of Justice Pal』
が正式名称かのように、言っていることから、
>>895 にあなたが引用したようなことを牛村等は言わなければならなくなった。
本来パール判事は、判決書を“Judgment”と名付けた。
これは、講談社文庫パル判決書上巻やら『パール真論』p14を読めばわかる。
>>896 へ。
田中正明もパール判事も菅原裕も「判決理由がない」と主張しているんだが、 君は何をしたいのかね?
>>899 はあ?
あなたは、日本語が読めないのでは?
チャーターを全く検証せず、
法的根拠はデタラメ。
頭から日本を侵略国家呼ばわり。
こんなのが「理由」とは呼べないぜ!
ってことだろw
>>899 アホに教えておくけど、田中氏や菅原氏からみて東京裁判の「判決理由」は理由にもならん、と言ってるだけで、
多数派は、それがまっとうな理由なんだー!
と、叫んでるだけだw
挙げた人物の著書を読んでからいいなさいよ。 「判決理由とは呼べない」ではなく、「判決理由がない」と書いてある。
903 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/16(火) 00:14:02 ID:8d8NiNDe
68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/15(月) 23:49:53 ID:BfO7cIaCO ウェッブが「多数意見による判決」と言ってるように、 多数意見がまさしく「判決」であり、反対意見は「意見」でしかない
不思議な人たちだなぁ。 単に判決主文(sentence)と判決理由(judgment)を分けるってだけでしょ。 英米法的には普通「判決」ていうのは直接に訴訟の対象にかかわる法的効果を発生させる、 多数派のそれである最終的決定。その判決をなぜ下したかが「多数意見」や 「○○裁判官補足意見」とか「○○裁判官反対意見」とかですよ。 普通はそれはopinionと呼んでjudgmentとは呼ばないけど、内実はopinionそのもの。 歴史的に「パル判決」と呼ばれてきたのはそうだろうが、 内実は「パル判事少数意見」なので、そう呼び変えたいという人がいれば それは内実を表す適切なやり方だというだけのことだろう。 最終的なsentenceを法的に妥当なものとして受け入れるということは、 そのsentenceを述べた法廷とそれを構成する裁判官に対する授権規範を 受け入れるということを意味する。で、その授権規範は法廷に於いて 多数派が認定したところが法である、というわけ。 だから、多数意見が支持する事実認定やそのほかの法的判断は総て妥当(valid)な法となる。 sentenceを法的に妥当なものとして受け入れるのであれば、多数意見の下した 法的判断も、sentenceの妥当根拠たる授権規範に拠って、妥当する。 「○○したものは死刑に処す」という法規範があるところで 「〜を死刑に処す」という判決が下った場合、その判決だけが法なのではなく 「〜は○○した」という事実認定を含む、当の判決に至る法的判断の 各過程で用いられた総てが法であるとみなされる。 だから、sentenceだけを法的に妥当(valid)なものとして受け入れつつ その根拠となった多数意見を妥当(valid)なものとして受け入れない、ということはできない。 少なくとも、未だに世界的にはスタンダードなケルゼン的法理論からすれば無理。 で、何かが法的に妥当だということは、それが道徳的に望ましいということを いささかも意味するものではないので(それを受容するということすら意味しない)、 別に多数派意見を法的に妥当なものと見ることに噛み付かなきゃならん理由はどこにもない。
>多数意見がまさしく「判決」であり、反対意見は「意見」でしかない 上にある誰かのこの表現はややミスリーディング。正確を期すならば 「多数意見がまさしく『法』であり、反対意見は『意見』でしかない」
>>898 >>889 、
>>895 は近代史板の東京裁判スレのレスをコピペしたものだよ。あなたのレスも
向こうに貼られてたし、何か煽ってるのがいるみたいだね。
>>904 私は
>>889 ですけど、要するに一々、判決理由を批判することにたいして、それは裁判を受け入れたからできない、なんて言われても困りますよ、ってだけです。
まあ、あなたのレスからしても、問題ないのでしょう。
>>906 私のレスとは、どれのことでしょうか?
変に煽られるのは、嫌ですね。
>>904 >>889 ですが、私は、基本的にパル「判決書」であろうと「意見書」であろう、
こだわっているわけではありません。
まあ、小林氏のパール真論を読んでいれば、まあ、このスレにて、「意見」、と呼ぶことにこだわっている人はいないのかもしれませんね。
一応、論争が生じているので、
パール判事がJudgmentと書いたことを取り違えたのは、中島氏で、牛村・日暮両氏は、それを指摘しているのだろう、
ということを整理して、指摘しただけです。
> 判決理由を批判することにたいして、 > それは裁判を受け入れたからできない、 > なんて言われても困りますよってだけです もちろん判決も判決理由も道徳的に批判することはまったく問題ない。 ただし判決理由に対して「それは法的に妥当でない」という批判は意味を成さない。 裁判を受け入れる、ということが「法的に妥当なものをそのまま道徳的に (あるいは政治的に)望ましいものとして受け入れる」ということならば、 判決理由を批判することはできないが、まあ普通は「受け入れる」にそんな 意味を読み込んだりはしないしな(「甘受する」くらいだろう)。 実際、国内法の場合だってそんなこと考えて法を「受け入れている」やつなんか いやしないわけだし。
東京裁判を批判することは自由というわけか。 そりゃあそうだわ。だったら大逆事件や帝人事件を暗黒裁判だなんて批判できないしな
>>909 >ただし判決理由に対して「それは法的に妥当でない」という批判は意味を成さない。
どんなのでも、法になるのは、理解出来ます。
非合法的に作られたどんな法律も、法律そのものとはなりますね。
ラテン語に言う、「不正より生ずる法力」(ex injuria jus oritur)です。
しかし、国際法に基づいていな《かった》不法裁判だ!
と、否定することは出来るわけですよね?
当然、妥当しない、と言うことと両立しないわけではありませんし、
道徳的な批判ということと同じです。
パール判事は、その時多数派判決に全面的に反対し、この裁判は無効だ!
と考えたのでしょうが、
我々は言い渡された判決を受け入れた。
だからと言って、判決理由を批判することまでは、禁じられていない。
>裁判を受け入れる、ということが「法的に妥当なものをそのまま道徳的に(あるいは政治的に)望ましいものとして受け入れる」ということならば、
>判決理由を批判することはできないが、まあ普通は「受け入れる」にそんな意味を読み込んだりはしないしな(「甘受する」くらいだろう)。
カンサンジュンあたりが、東京裁判の批判をすると、止めてきたりするわけですよ。
如何に、裁判が不当で、とりあえず国民にたい
>>911 ようするに東京裁判を批判すると左翼から「日本政府は東京裁判を受け入れているから〜」
と言われて言論弾圧されしてまうのはおかしいということですよね。
あくまでも11条は日本が独立を回復したからとって戦犯を全て釈放させることはできないという
ものであり「判決理由」までは封じられていないということだね。
>>907 どうやら近代史板ID:ZLJXIdlOO
が、私の意見と、
>>889 を引用したみたいですね。
引用された私の意見に対しては、一人ブツブツとつぶやいている輩がいるだけでした。
>>912 要されたら、ちょっと精密さがなくなってしまうので、
>>911 が答えだけど、
まあ、大体そんな感じです。
そりゃあ左翼は東京裁判を批判できないでしょ。 東京裁判では「犯罪的軍閥(A級戦犯)が1928年〜1945年にかけて共同謀議をして侵略戦争を実行した。 日本国民もまた犠牲者であった」という壮大なストーリーを作ったんだから。 これってマルクス主義の階級闘争史観そのままだよね。権力者(軍閥)が悪で 民衆(国民)が犠牲者という構図が。
先生、本当に有り難う。 凄く勉強になります。 久々に感動しました。 本当に有り難う。
>>ただし判決理由に対して「それは法的に妥当でない」という批判は意味を成さない。 >どんなのでも、法になるのは、理解出来ます。 >非合法的に作られたどんな法律も、法律そのものとはなりますね。 >ラテン語に言う、「不正より生ずる法力」(ex injuria jus oritur)です。 これはそういう問題じゃない(国際法はあくまで実定法体系だ)。 ここで問題になっているのは、授権された判事の決定というfactから生ずる 法の話だ。適切な法格言はex factis oritur jusの方である。 東京裁判における法廷が国際法によって適切に授権されていれば、 多数派の意見とそれに従って下された判決が国際法として妥当(valid)である、 というそれだけのこと。その判決や意見の内容が「非合法」だというのは 意味を成さない(授権規範が妥当している限りは)。 >しかし、国際法に基づいていな《かった》不法裁判だ! >と、否定することは出来るわけですよね? 東京裁判の法廷が国際法によって授権されていることを認めるのならば、 彼らの「裁判」が「不法」だったと主張することは意味を成さない。 彼らが国際法規の適用その他を誤った、という主張はできるが、 彼らが最終審である限りは、彼らの決定と判断は「違法」ではありえない (wrongly decided but law.)。彼らが法規の適用を誤った、という批判は、 従って、彼らの判事としての個人的資質に対する批判にはなるかもしれないが、 判決に対する批判にはならない。 東京裁判の法廷自体が国際法によって授権されていなかった、という批判は 不可能ではないかもしれないが(あまり意味のあることとも思えない)。
>当然、妥当しない、と言うことと両立しないわけではありませんし、 >道徳的な批判ということと同じです。 いや、国際法として彼らの判決は「妥当する」のだ。 判事たちの法的判断の過程が国際法の適切な適用ではない、 と主張することはできるが、それはそれらが法でないことを意味しない、 ということをわきまえておく必要がある (しつこいがwrongly decided but lawということに矛盾はないのだ)。 道徳的な批判は大いにやれば宜しい。 それと実定法的な問題をそれと混同してはいけない、というそれだけのこと。
>>918 >>919 >いや、国際法として彼らの判決は「妥当する」のだ。
ちょっと私の言葉がわかりにくかったかもしれませんが、妥当してようが、
彼等が如何に不当であったかを示すため、当時の国際法に照らして、明らかに、侵略戦争は犯罪ではなかった!
と批判するのは、道徳的に批判することと同じでしょう、ってことです。
裁判所憲章自体が、《当時》の国際法に基づかなかった、という批判も言えるでしょう。
サンフランシスコ条約で、諸判決を受諾することになって、「裁判の効果」を認めるだけになった、ってことでしょう。
「裁判の効果」という言葉が適切かどうかは、ちょっと私はよくわかりませんが。
>ここで問題になっているのは、授権された判事の決定というfactから生ずる
法の話だ。適切な法格言はex factis oritur jusの方である。
これについて、勉強になりました。
有難うございます。
>>911 について、
>当然、妥当しない、と言うことと両立しないわけではありませんし、道徳的な批判ということと同じです。
これは、「当然、法的に妥当する、と言うことと両立しないわけではありませんし、」に訂正、補強。
わかりにくいどころか、文章が完全に間違ってました。
すいません。
922 :
@@@@@@@@@@ :2008/12/17(水) 11:21:32 ID:zm2WHTfU
東谷をああいえば上祐、 西部尊師の信者とこき下ろしてるね。
まあ他はともかくセルゼンが本筋ってのは相当無理がある主張だからな〜
925 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/17(水) 19:56:15 ID:knY5H4ru
横やり失礼します。 パール判事は何を問いかけたのか(5/6) 東京裁判 jp.youtube.com/watch?v=mhwSHOWUsFo このNHKの番組はひどい。「薄らサヨク」がやるようにパール反対意見書のつまみ食いをしています。 2分9秒あたりからのパール判事の言葉に注意を払って下さい。 「日本の為政者、外交官および政治家らは、おそらく間違っていたのであろう。またおそらくみずから過ちを犯したのであろう」 ここでとぎれてしまい、日本の政治家をパール判事が批判している、としています。 みなさん良くご存知なように、本当に重要なのはそれに続く部分なのにもかかわらず。 判事はこう続けます。「しかしかれらは共同謀議者ではなかった。かれらは共同謀議はしなかったのである」 共同謀議がなかったがゆえに日本は「平和の罪」には問えない、パール判事はそう結論したのです。 単に平和の罪が事後法であるという理由からだけではないのです。 NHKを代表とする薄らサヨクはどうしても日本を悪者にしたいがために、パール判決書の都合の悪い所を無視し、 このようなつまみ食いをします。 パール判決書にはサヨクにとって都合が悪い部分が多々あるのが本当のところです。 パール反対意見書は難解で私のような素人にはとうてい解読できないのですが、解りやすい解説書もあるので、 真のパール判事の判決内容を周知して欲しいものだと思います。 素人が口出ししてすみませんでした。m(_ _)m
926 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/18(木) 06:33:22 ID:6ozeM2xZ
おまえらがやっている議論の大半はすでに小林がやっているので大概無意味 オナニーだ。新しい未来を先読みして議論しろよ
>>925 は一年くらい前からタイムスリップしてきたのかと思わせるような、書きっぷりだ。
928 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/18(木) 12:03:12 ID:zx2QXggq
>>927 「パール真論」をこの6月に読むまで、パール論争があったことを知らなかったものですから・・・
まあ、大目にみてやって下さい。
「お前のかあちゃんデベソ〜!」で終わるのかな、結局。
930 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/18(木) 18:54:59 ID:Ehpg46L4
むしろこっからじゃないかな?と俺は思うよ。 色々な意見が出て来きているし。 パール判事がバリバリの理想主義者だからこそ、偽物と本物の区別が見えてくるしさ。 大事な事に気が付ける。 と俺は思う。
よしりんはうまく東谷から逃げたイメージだな。ちよっとズルイと思う。 東谷のケルゼンが本筋というのは噴飯ものだけど、批判の内容そのものはけっこう説得力がを感じた。 まあケルゼンはマイナーすぎるしパールばかり関わってらんないだろうけどさ。 西部邁が反論すればいいんだけど、弟子に噛み付かせてるのがちょっとなぁ。
>>931 ちょっとがっかりだな。よしりんの知的誠実はどこ行ったっていいたいよな。
ケルゼンが本筋だろうがそうでなかろうが、自分が発した言葉に責任を持たなきゃおかしいと
知的誠実を言ったそばからだからなあ。
よしりんはいい仕事すること度々だけど、議論になったら、必ず人間性の罵倒まで行くのがね。
欧州によくみられるような、議論は議論として酒でも飲みながらとことん議論して、
その後は「じゃあね」と仲良く別れる、というような下地が無ければ、公におけるマナーがどうとかなんて以前の問題だし。
他に全然意見が違う人間がいるけどそれはスルーだったりダブスタなところもあると思う。
でもよしりんの良さは「変わる」ところなんだよな。かつての論敵の宮崎しかり宮台しかり。
だから、今のよしりんの言動に振り回されないようにしようっと。
そもそも朝生の楽屋のベタベタの馴れ合いに若き小林よしのりは愕然としたんだが
>>933 あれだけ嫌いだった西部と見つめあいながら話してしまった! とか言ってたやつとかでしょ?
でも、その後には、番組終了後の小沢遼子の振る舞いを褒めてたりしてたじゃん。
935 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/19(金) 03:34:45 ID:UrPnJeeI
小林って、中島みたいにきちんと「小林氏」とか呼んで まともに対応してくる若い論客のことはおちょくって侮辱してるのに 小林以上の毒舌キャラの山崎や変化球でくる佐藤のようなタイプ にはからっきし弱いのな。 「なんとか魔」というワンパターンなレッテル貼りで逃げてんじゃねーよ。
>>932 >>933 だって諸判決を受け入れて東京裁判を否定するのは矛盾するような事を言ってるんですよ…
937 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/20(土) 00:11:20 ID:cK0o/H09
>>936 >
>>932 >>933 だって諸判決を受け入れて東京裁判を否定するのは矛盾するような事を言ってるんですよ…
判決を受諾して、判決を否定するんだろう
精神分裂じゃないか
菅原裕のように11条を破棄せよというのが筋だと思うがね
941 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/20(土) 10:07:17 ID:NnZMi1Mc
>>940 その内すりゃいいだろうが、かなり絶望的だが。
事情変更の原則って言ったところで、一方的に破棄出来ないしな。
それと東谷が、小林がインターネットを煽ったとしている回だが、その時小林はお馴染みの姜尚中がお馴染みの理由で議論を遮ってくるから、
東京裁判「史観」を受け入れる必要はない、として「歴史解釈権」に言及してるわけだろ。
そんなところでなら「事情変更の原則」の話が出なくて当然。
事実今は諸判決を受け入れているんだから、それを裁判を受け入れたとして、東京裁判史観を受け入れる必要はない。
道義的な議論として、歴史的な議論として、あの裁判は当時の戦争以前の国際法に照らして、それに基づいていない。
これをパール判事の議論を持ち上げながらしても構わない。
そういう意味で東京裁判を全否定出来る。
小林のゴー宣暫1巻での議論では、相手が姜とか小森だから事情変更の原則の出番はない。
小林は別に後から「無効」に出来ること自体否定も肯定もしていないだろ。
「裁判を否定するには、事前的には裁判の権威をまったく認めないと宣言する、事後的には裁判そのものを無効にする必要がある、と考えるのが現実感覚を持った人間というものである。」
東谷はこういうけど、そもそも、東京裁判判決は何をどう言おうが、
デタラメであろうが現在では「国際法」。
これを変えようとするなら、日本が世界一の圧倒的強国にでもならなければ無理。
権威を認めない、と宣言するなら、もうちょっと日本の力が強くなれば出来るかも。
というか、東谷が言うようなことなんか、中国とロシアとアメリカを消し去れなければ無理に近い。
緊急の事情なら一方的に事情変更の原則を適用出来るかもしれないが。
942 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/21(日) 19:06:20 ID:pSptSLMx
パール判事は国際法学界で名声を得ていたけどね ケルゼンはマイナーなんですよ
944 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/21(日) 21:14:29 ID:pSptSLMx
>>942 初めから、自分の信条で反対意見を書こうとしたパルを信用できない
今、世界では相手にされていない
日本ぐらいだよ、こんなにもてはやされるの
A級で無罪になってるだけなのに、日本無罪論を言ってるのがおかしい
また、パルの歴史認識の誤りは問わないのか?
確かに日本はケルゼンを重要視しすぎるが、世界的に圧倒的に著名だろ
>>944 日本無罪論を言うのがなんでおかしいの?
946 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/21(日) 21:26:03 ID:pSptSLMx
>>945 パルの日本に対する南京大虐殺以外の歴史見解が間違えているから
>>944 中島がパール持ち出してやぶへびになっただけだろ。
それに荷担したもろもろも氏ねって話だと思うが?
みんな忘れてたってのはガチ。
949 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/21(日) 23:00:11 ID:pSptSLMx
>>949 よしりんの書いた判決書の概訳のどこがおかしいんだ?
このスレの過去スレで散々やってきたことが一杯。
判決書読む前に過去スレ読めば、としか言えない。
このスレもな。
>>942 後、法哲学を学ぶぶ法学者以外には非常にマイナーだ(笑)
そういう話に決まってるだろう。
解説書読む奴も原著読む奴も稀。
法哲学を専攻していなくても法学分野ならケルゼンやハートは超メジャーだけどねw そりゃ日本の一般人に対してはメディア露出からいってパル判事は有名だけどさ。
956 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/22(月) 14:32:04 ID:NeGeuXJh
小林よしのり 田母神支持 西部ススム 田母神批判 小林の勝利!
957 :
大悟と大輔の呉越同舟 :2008/12/22(月) 15:51:54 ID:Nz9cpjqm
今日発売の週刊ポストでは、「兵士に聞け」などの著作で知られる杉山隆男と 田母神が激突対談で、ものすごい落ちついた応酬があった、
958 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/22(月) 16:07:59 ID:iuceOaYc
パールの話はもうおなかいっぱい。
959 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/23(火) 13:41:17 ID:N4nXWwB1
結局世界の歪みはパール判決さえ読めばすべて理解出来るんだよ 雑誌とか新書100冊読むぐらいならパール判決読んだほうがずっと勉強になる
>>959 >世界の歪み
オイオイ、何かガンダムっぽいぞ。
ちょっと恥ずかしい。
961 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/23(火) 16:21:02 ID:oe3Ydw+s
>>959 パル意見書から一歩も進歩できないのは悲しいね
西部って、日本は侵略戦争をしたって主張してるんだっけか? んで、日本が悪いって言ってるんだっけ?
>>962 グッドタイミングで通りかかったけど、ラサさんってよしりんファン長いんですか?
あれだけ長い間、よしりんと西部氏のつきあいが長かったわけだけど、
あんまり著書とか読んでないとはちとショック。自分も最近読み出したんでいい読者じゃありませんが。
まあそこはわかりやすくよしりんが「ゴー宣」で描いていたからそれでいいのかもしれないけど。
西部氏は、「侵略した・悪」「侵略してない・善」という2者択一のグループ分け自体に与していないんですよ。
他の人も前にこの板に書いていたけど、言葉遣いの問題としては、侵略(初発攻撃←このあたりは微妙)はあったが
しかしだから日本=悪ではない、「半ば正当な侵略」という言い方をしていたこともあるようです。ではでは。
>>962 「日本は明治以来、侵略の度合を強めていった。対外諸国に贖罪意識を持たなければ
ならない」と言っているね。ただし欧米諸国の侵略に対しては何も言わない。
だから俺は西部は東京裁判史観の信奉者の詐称保守だと思っている。
こういう自称愛国者はサヨクよりやっかいだ。
>>963 結局は「日本は侵略した」が主観になっているわけね。
そりゃあ小林氏と意見が分かれるわけだ。
>>963 おいらは郵政選挙の後によしりんのファンになったものです
おいらの考えのとおりでした
西部は日本が侵略したとは思ってるけど、だからといって日本が悪というわけではない
という考えなんだとおいらも確認したかったところなんです
先日のチャンネル桜での討論でそれがわかりました
ところで、もうすぐ中島のガンジーの番組が始まりますね
詐欺師が喋ってるよ
>>967 おいらも観てて、
今までの全部録画してるよ
中島のゼミの様子出てたけど、ひでぇな
憲法9条を変える方向に傾いていて、どんどん戦争に近づいてるとか、
いったいどういう教育してんだかw
憲法9条があろうがなかろうが自衛隊がアフガンやイラクに行ってるのにな
>>966 郵政選挙でっていうのは多分私と同意権ですね。嬉しいです。
城内氏には当選してもらわないと困るw
東谷暁氏の「民営化という虚妄」が文庫化されたばっかりで、
おそらくよしりんも評価していたであろう名著なんですが、
今よしりんとバトル中だからなあ(汗)。
ともかく丁寧にどうもです!
>>969 実はその城内実先生と佐藤優が同盟関係にあるという事実があるんです
971 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/23(火) 23:13:05 ID:D5EpDzZr
それにしても、状況に応じてあんなに自分の意見を簡単にひっくり返せる奴には呆れてしまう。 まあ、人間性根はいつまで経っても変わらないのだろうね。 あんな嘘つき人間がガンディーの可能性だと! どうにも泣きたくなる。
ガンジーが筋金入りのナショナリストで、暴力を誘発したり、 独裁的な男だったこと、中島が言わないのは予測できたけど、 wikiで調べても同じなんだな 実際のガンジーの実像について載ってる本かサイトってないんかな?
>>970 ま、まじですか・・・
失礼しました。社交って大変だなあ。
>>968 中共のエージェントであった竹内好を崇拝している中島が
まともなはずがないよな。
>>966 続・言いたい放題11月22日放映を見ればもっとわかる。
その時は、侵略という言葉に関して、なんとなく躊躇う気持ちがあるが、『パール判決を問い直す』ではそういう躊躇いが全く無かった感じ。
それと、侵略が悪じゃない、って言うのは通用せんだろう。国際社会にて。
そもそも侵略の定義が広範囲なんだから、一部でも認めれば、他国が勝手に思い描いている「侵略」でボロカスにされるのがオチ。
じゃあ最初からもっと事実を踏まえ、侵略なんて言葉遣いしなきゃいいじゃん。
侮蔑語に過ぎない侵略なんて使う必要がない。
次に引用するの読むとスパイですかあんた?って感じなんだけど。
続く。
>>966 『大東亜戦争の総括』第二部日本人の歴史認識
細川首相の「侵略発言」をめぐって
西部邁
第二次大戦終了まで「侵略」を公に裁く道徳の体系も国際法の体系も存在せず
最初に気になるところを片づけてしまいたいのですが、私の両脇におられるご年配の先生方からあとでたっぷりとお叱りを受けることを覚悟で言うと、
私はあの戦争──大東亜戦争にせよ太平洋にせよ──は、侵略戦争であったということを言うにはいっこうにはばからない、そういう発言をしてきました。侵略戦争であると。
ただ、すぐさま念をおさなければいけないのは、私の頭の中では「侵略戦争」という言葉は必ずしも悪い意味ではないのです。
べつによい意味でもないのですが、私の「侵略」の定義はごく簡単でありまして、最初に武力を発動することをもって侵略と呼ぶ。
細かく言えば、盧溝橋事件で誰が鉄砲を撃ったとかいろんなことがあるようでありますし、パールハーバーにしても誘い込まれたとかいろんな解釈がありますけれども、私はそういう解釈は一切抜きにして、
なにはともあれ最初に国家としての組織的な形で武力を発動することをもって侵略と呼ぶのならば、中国方面にせよ太平洋方面にせよ、それは侵略なのであったと。
しかしながら侵略だから悪いことだともなんとも思わないし、ましてや謝罪すべきことだとも思わない。
……
そう考えていきましたら、私のような戦後育ちでも、あの戦争について論じられるべきことは、たかだか侵略であることを認めても、
その侵略の是なり非について論じ得る基盤というのは、それが政治的・軍事的に言って賢明な判断であり、賢明な行動の連続であったかどうかということは、
政治学もしくは軍事学として議論の対象になるでありましょうが、それを超えたような道徳的論議あるいは法律的論議は成り立ちようがないだろうという見解を私は持っています。
(p129〜130)
>>975-976 ようつべかニコ動に動画あがったりはしてないですか?
西部さんの言う侵略という言葉の定義がそのまま正しいとも思えないんですがね
続・言いたい放題はいつでもYoutubeにあるよ。
>>976 ??
「最初に武力を発動することをもって侵略と呼ぶ。
細かく言えば、盧溝橋事件で誰が鉄砲を撃ったとかいろんなことがあるようでありますし、パールハーバーにしても誘い込まれたとかいろんな解釈がありますけれども、私はそういう解釈は一切抜きにして、
なにはともあれ最初に国家としての組織的な形で武力を発動することをもって侵略と呼ぶのならば、中国方面にせよ太平洋方面にせよ、それは侵略なのであったと」
これはおかしいだろ。満州・シナ事変もあくまでシナ側の反日テロが原因だし
大東亜戦争も東京裁判でローガン弁護人がいったように「一国から、その生産に必要な物資を剥奪することは、
たしかに爆薬や武力をもちい、強硬手段に訴えて人命を奪うのと変わらない戦闘行為」があったから開戦したんだよ。
最初に打ってきたのは国民党や欧米諸国であって日本ではない。
>>976 の意味の他に、続・言いたい放題や去年の正論1月号で言ってたりするのが、
ペリー来航以来のいわゆる100年戦争中に、
最初は自衛で21ヶ条のあたりから覇権的(侵略的)で、大東亜戦争中にまた自衛的で。
結局1/4くらいとかまた変なことを言い出す。
そもそも21ヶ条の要求についての歴史的背景を語って貰いたいところだが、西部の侵略に関する言葉遣いには二通りある。
単に先制攻撃したのと今挙げたの。
で、西部のこの考え方を国際社会に定着させるように努力して、延々と喋ること自体どう考えても、例えば、
奴等は「侵略」の意味を狭め、自分達の行いを矮小化しようとしている!
なんて批判をされることになる。
そして、トータル百年に見る考え方はもはや道義論なんだから一々世界中で呪いの籠った言葉を敢えて使う意味がわからんし、全部が自衛とか、西部の定義で勝手にそんなことを考えている人を作られているが、そもそも、どういう観点から見るかにかかっている。
例えば、21ヶ条の要求にしても日清戦争以前から読み解く必要がある。
なんとなく覇権的とか言われても納得出来んよ(笑)
>>981 そりゃあそうだ、ごめんなさい。
なんか西部さんの言い方はいつも違和感を感じるんだ。
普通に「帝国主義の時代では自衛であった」と言えばいいのに。
983 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/24(水) 00:59:11 ID:NkTo3OMy
それも変。侵略の反対=自衛ってだけを考えたんだろうけど。 西洋諸国のあの振る舞いはどう考えても自衛じゃねえよ(笑)
まあ西洋諸国はそうだと思うよ。 いま11月22日の続・言いたい放だい見てるけど 明治は自衛の度合は100だが、21カ条の要求で自衛の度合が低くなったとか 意味不明なことを確かに言っている(笑) んでアメリカの時は自衛戦争になったとか 結局「自衛」か「侵略」かは西部さんの「主観」で「おれが侵略と言ったら侵略である」 と言いたいのかな?
無主地先占の原則も知らん馬鹿がいるようだな
西部の話に法律論はいいから(笑)
兵頭&別宮コンビによると動員先制攻撃はパリ不戦 条約違反になるから侵略なんだってさ。 経済制裁も認められている行為だから日米開戦は自衛ではなく侵略になるそうですよ。
988 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/24(水) 14:29:11 ID:9eIjcYus
福沢諭吉みたいな大家が、 インベーダー=侵略 アグレッシブ=○○ ○○にあたる日本語をつくらないと、解決しないんじゃね? ガイジンとも会話にならんだろ。 西部氏が新しい言葉を作るなど、積極的に日本のことを思って行動し、 対外的に論争でもしてくれるなら支持できるけど、そうでもなさそうなので、西部氏を拒否します。
989 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/24(水) 18:41:15 ID:NkTo3OMy
>>988 インベーダーは『侵略者』だから、対応するのは、アグレッサー(aggressor)。
アグレッシブは『侵略的』、つまり形容詞。
世界中でaggression(侵略)は侮蔑の言葉だから、内実で勝負かけるにしろ容易に『侵略』なんて言葉を認めてしまっては、集中放火だろうが、わざわざ言葉を生み出したとしてもたいして意味はないと思う。
インベイダーと言われれば終わりだし(笑)
要は内実の勝負。
しかし、『侵略』を寸分たりとも認めれば、ありとあらゆる想像を膨らませた『侵略』という言葉の集中放火を受けるだろう。
990 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/24(水) 18:50:02 ID:ShEup4nO
>>988 もう「侵攻」っていう定義を主張している人がいるよ
佐藤和男だっけかな
パルの歴史認識は反共・反帝国主義イデオロギーがあるが、法的構成もそれに合わせているような気がしてきた
「法の真理」に踊らされていると思う
国際軍事裁判は規範と権力のせめぎ合いなのは研究がなされているので、それを意識していないパルの意見はどうしても納得できない
パルに賛同しないといっても、左寄りではないが
>>990 侵略を侵攻という言葉に変えただけで、効果は、日本限定。
後、煽るなら過去スレ読むか、『パール真論』でも論破するなりしろ。
>>990 そもそも共同謀議の性質が如何なるもので、それによってどのような性質の議論になったのか。
そういうのが既にこのスレでも論じられているのだがな。
>>989 >世界中でaggression(侵略)は侮蔑の言葉だから、
え? 帝国主義華やかなりし、かの戦争当時に?
当時の価値観で? 当時も侵略は侮蔑だったんですか?
日本の戦国時代だと風林火山とかあるけど。(字は違う)
誰かガンジーの実像についてよくわかるサイト教えていただけませんか?
蝋山芳郎訳『ガンジー自伝』中央公論新社 あとは、これでも読んでおけ
>>997 文脈をどう考えても今現在どのように対応するかのお話だが、お前のレスにびっくらこいだ(笑)
999 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/24(水) 21:34:41 ID:ShEup4nO
>>992 コンスピラシーは陸軍省のバーネイズ案からしっかり分かってるよ
マルメディ事件からステティニアス1月3日付覚書にFDRが署名し、バーネイズの1月4日付覚書・13日覚書・22日覚書によって具体化されていったことも
1000 :
名無しかましてよかですか? :2008/12/24(水) 21:52:07 ID:xSOnYHpw
小林と西部 早く仲良くなってね。
1001 :
1001 :
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