[tenses] We can use a past tense with a present tense meaning after as if /as though. This shows that a comparison is 'unreal'. Compare: ---She looks as if she's rich. (Perhaps she is rich.) ---He talks as if he was rich. (But he is not.) ---You look as though you knew each other. ---Why is she looking at me as though she knew me? I've never seen her before in my life.
However, we do not use a past perfect for a past unreal comparison. ---He talked as if he was rich, but he wasn't. (NOT...as if he had been rich...)
In a formal style, were can be used instead of was in an 'unreal' coparison. This is normal in American English. ---He talks as if he were rich.
(Michael Swan, Practical English Usage, 2nd edition, Oxford University Press, 1995)
>>711 Michael Swan の本を引用してくれてありがとう。 なるほど、他の文法家はともかく、少なくとも Michael Swan は 現実に反することを言うときには as if のあとは今でもちゃんと 過去形にしないといけない、と言ってるんだね。 そこらへんを考えると、受験生や一般の外国人はよけいのこと、 「現実でないことを "まるで〜であるかのように" って言いたいときには as if のあとは 過去形にする」 というルールを守った方がいい、ってことになるね。
We主語 We can't expect to completely understand other people, for what they actually are is more complicated than how they look. However, we sometimes feel as if we had known a person for a long time, although he is a stranger with whom we have had a small talk for a while. Misunderstanding of this sort may sometimes lead to the birth of a friendship.
You主語 You can't expect to completely understand other people, for what they actually are is more complicated than how they look. However, you sometimes feel as if you had known a person for a long time, although he is a stranger with whom you have had a small talk for a while. Misunderstanding of this sort may sometimes lead to the birth of a friendship.
People主語 People can't expect to completely understand other people, for what they actually are is more complicated than how they look. However, people sometimes feel as if they had known a person for a long time, although he is a stranger with whom they have had a small talk for a while. Misunderstanding of this sort may sometimes lead to the birth of a friendship.
>>723-724 興味深いご質問を感謝。一般論のyouは“anyone, anytime”すなわち「誰でも、どこでも」当てはまる例であることが前提である。 You can get a fine view of Mt. Fuji from here.「ここからは富士山がよく見えますよ」という時に、曇天や夜間や視覚障害のある 人のことなど(いわゆる特殊な例外)は前提になっていない。つまり、特別な事情がない限り、誰でも富士山を見ることができる。
なお、strangerという言葉を本人に向かって直接使えば「よそ者」という排他的なニュアンス になるように感じられるが、本来はa person that one does not know or who is not familiar to oneあたりであろうし、その直後にyou have just metという補足もつけたので、それほど 否定的にはなっていないと思うのだが、どうであろうか。いずれにせよ、久しぶりに実りある ご意見を頂戴し、感謝申し上げる。
もちろん、単語の意味は文脈によって変わりますし、必ずstrangerがそういう含みを持つわけではありません。 ですが、その文章では、「彼がstrangerである」ことが成立した上で、 you have just metという補足を加えた、という解釈が自然だと思われます。 そして、それだけの文脈ではstrangerの排他的なニュアンスが打ち消されているかは微妙なところではないでしょうか。 ですので、stranger to me として意味を限定的にすることによって「初対面」を演出するほうがよいのではないか、と私は考えます。
自分の解答:When you write letters, you spend a lot of time to think content. But I think you make content casual when you send e-mails. You tend to think casual about express of content because e-mails are more convenient than letters, and easy to send and to write.
>>745 原文の第一文を思い切って2文に分けて書いているのは良いと思う 第一文はそのままだと断定的すぎるからperhapsから始めてyou spend〜when〜.にすると良いかな a lot ofはenogh, sufficientに、contentは普通はcontentsと複数にするとなお良い 第二文は第一文との比較だと思うから、かける時間について書けばいいと思うんだけどどうかな you may spend not enogh time to write Emailsみたいな そして原文は疑問文だから付加疑問文にすればいいと思う あとButをhoweverに、I thinkはいらない 第三文は「文章表現までお手軽に」の部分は悩んだようだけど you may tend to underestimate the expression in writing when you use Emailとかunderestimateがでなかったらnot to take it seriouslyみたいに・・・ あと最後の比較の部分は列挙したほうがいいと思うな emails are more convenient, save you more time, and easier to send and write than lettersのように・・・
[添削] ・write letters→一度に書く手紙は一通だからwrite a letterでよい。 ・spend a lot of time to do→spend much time ---ingとする。 ・think content→think of its contentsとする。itはa letterを受けている。think of「〜について考える」 ・I thinkよりもI suspect, I guessあたりの方が、相手の事情を推測する含みが出る。実作例では文字通り否定疑問文にしてみた。 ・you make content casual→you tend to make its contents too casualとしないと、casual自体は悪い事ではないので分かりにくい。 ・send e-mails→これだと、いつも複数のメールを送信するかのように読めてしまう。write an e-mail, send an e-mailでよい。 ・You tend to think casual about express of content→You tend to take it too easy expressing yourself in an e-mailあたりにする。 「メールでの自己表現において気楽に考えすぎる傾向がある」ということ。 ・e-mails are more convenient than letters, and easy to send and to write→どちらも比較級にする必要がある。e-mails are more convenient and easier both to write and send.あたりにまとめてみる。
[実作例] Don't you spend less time and energy writing an e-mail, although in writing a letter you may spend more time on how to express yourself? An e-mail is a more convenient and easier tool than a letter both for writing and sending. Eventually you end up using more casual or less considerate expressions for it.
>>748 「手紙を書く」を英訳するのにwrite a letterと単数形を使ったために、それとのバランスを取って an e-mailとしたに過ぎない。現実にはsend e-mailもsend an e-mailもsend e-mailsも見かけるよう になっている。同様に、Don't write a long emailなどというハイフン抜きの表記も頻繁に目にする ようになった。mail自体は不可算名詞として「郵便、郵便制度」、集合名詞として「郵便物」であるが、 中世英語では手紙などを入れる「ずだ袋」を指していた(write a mailと書かないのはそのせいである)。
問2 0/8 ・「何ができるのかということを考えると同時に、何がわからなくて、何ができないのかということを考える」ことが「謙虚さ」と読むのが自然。 最初の「考えること」と「謙虚さ」を並列にとってしまうと意味が不明。 二つの「考えること」を同時に持つことが「謙虚さ」である。 和文の解釈の重大な誤り。(−4) ・時制を過去形にしているが、そこで過去形だと「現在はそうではない」、「現在とは無関係」ということになる。 その文脈の限りでは完了形を使うべき。 日本語の「〜ていた」に引っ張られないように。 全体の時制に関わる誤り。(−4) 以下、訂正だけ ・「何が分かっていて、何ができるのか」はwhat we know and what we can doとすべき。 分かっていることと、できることが同じとは限らない。 ・were losing は進行形にすべきではない。 日本語の「している」「していた」を安易に進行形に結び付けないこと。 ・「謙虚さ」はmodestなどを使う。 considerするためのemotionsでは意味が不明瞭。 considerすること自体が謙虚さのはず。
問3 3/7 ・about以下は、howの中に入れる。about themの位置に。(−1) ・energy and water , airのandの使い方は誤り。正しくはenergy,water and airとする。 さらに、andではなくorを使うべき。(−1) ・「どのようにして〜できるのか。」のhowの反語は最後にクエスチョンが必要。(−1) ・「損得」はdamageを使っても間違いではないが、loss and gainまたはprofit and lossという決まり文句を覚えておくこと。 ・「経済効率」はeconomic efficiency economy pointsという名詞の連語は意味不明。(−1)
>>752 [添削と評価] 既に他の方からの指摘もあるので手短に。問2の文全体の時制については、その方とは少し見解が異なる。 問1 5点満点の2点 ・問2でも使っている関係代名詞whatを使ってwhat we can't imagineを主語にする手もある。 ・occurは過去形のoccurred、名詞形のoccurence、アクセントの位置(真ん中のuの上に来る)など、単語問題の常連である。 ・in our worldを文頭に持ってくる必要はない。we can never imagineが本来の語順である。 ・「われわれが想像できないような出来事」が日本語の発想のままであるし、せめてthere can be some occurrencesにしてほしい。 問2 8点満点の2点 ・謙虚さを欠く→〜するだけの謙虚さを持たなかった、と考える。be 形容詞enough to doの構文を使う。 ・「何が分かっていて、何ができるのか」という名詞節の中身は時制の一致を受けない。 ・「〜と同時に」を見ると、ただちにat the same timeを発想するが、おなじみの熟語both A and Bと同じ意味でat the same time A and Bともいう。 ここでは「同時に」という言葉に引きずられないほうが良い。対立することを同時並行的に考える、ということでよい。 both A and Bが長すぎるときは途中にカンマが入ることもある。 ・emotionsの使い方やin[→at] the same timeなどは減点対象となる。原文が過去形なので、進行形にする必要はないが、この文自体は過去形で構わない。 問3 7点満点の3点 ・反語疑問の疑問符を忘れないこと。語順も当然how can weであるべき。 ・「エネルギーや水や空気」を論じる、と考えるからthemを使いたくなるが、「〜の問題」とまとめてしまうと処理がしやすい。
[実作例] 問1 What is unimaginable to us can[couldも可] happen in our world. 問2 We weren't modest enough to think of both what we know and what we can do, and what we don't know and what we can't do. 問3 How can we discuss the matter of energy, water or air without thinking of its loss and gain or economic efficiency?
>>757 問2は違うと思うな その英文だと「何がわかっていて、何ができるのかということを考える」事が謙虚であることになってしまう 原文を見ると、同時に謙虚に考えることをできないと言っているのであって 〜at the same time that we thought of what we know and what we can do. とでもすべきだと考える