Although Myers concluded his analysis in 1979, the process that hedescribes is undoubtedly continuing, for, as he himself says, there arecurrently over a thousand animal forms that may soon disappear fromthe Earth. In many parts of the world concern is certainly expressed about this, but just as few animals can be recognized by the public, perhaps even fewer of these thousand forms could be named andidentified.
下から二行目のbutのあとのjust as few animals can be recognized by the publicのところで質問があります
解説にはjust as few animalsのasは「同じくらい」(原級)の意味を表すとでていますが、だとしたら なぜ接続詞などはなくてbutのあとに
just as few animals can be recognized by the public, perhaps even fewer of these thousand forms could be named andidentified.
That is the park (where/which) I took my brother to yesterday.
の場合、関係詞の後ろの文が「I took my brother to φ yesterday」となっています。 この「φ」はtoの目的語ですから、thereやwhereなどの副詞は形式的に入りません。 入るのは「the park(=which)」の(代)名詞です。つまり、形式的理由から「where」が正解になることはありません。 正解は「which」となります。意味的にも「あれは、昨日弟を連れていった公園だ」となります。
その問題の場合、関係詞の後ろは「I told you to φ」となっています。したがって、これも形式的にwhichが正解のように 思えます。しかし、そうすると意味的に「I told you to the book(×)」となって、意味的におかしくなります。 「the book which I told you to(×)」を強引に訳すと「私があなた(のこと)を話した本」ということでしょうか。 「本」に向かって「ぼくの友達に面白いやつがいてね」と「you」のことを話している感じがします。
そこで、もう一度考えると、これは「tell O to do:Oにdoしてと言う」のパターンであり、 「I told you to PUT」となるところを、putの繰り返しになるため「代不定詞」になっていることが わかります。したがって、「I told you to put φ」で考えることになります。
この場合、「I told you to put the book」でもよさそうです。意味的にも 「私があなたにputするように言った本、putした?(1)」ということで問題ないように思えます。
しかし、putという動詞は辞書を調べてもらえればわかると思いますが、「put a wallet OUT」 「put a ship INTO A PORT」のように、必ず「put O + 場所を示す副詞(句・節)」という使い方をします。 したがって、やはり形式的にもwhichはダメだということになります。