1 :
トーマス :
☆如来寿量品
『自分の死後、この教えを、ひろく全宇宙にひろめてくれ』という。それをきいて、よその仏国土・・・地球以外の世界という想定だね・・・からきたおおぜいの菩薩たちが、『もしお許しがあれは自分たちが、この娑婆世界で法華経を宣布しましょう』という。すると釈迦は『自分の死後、この地球上で宣教する者は、前々から用意してある』と答える。そのとたんに、今までに一度も見かけたことのない無数の菩薩たちが、地下からぞくぞくと現われてくる。釈迦はその菩薩たちを指さして、『彼らこそ、この地球上の人びとに法華経の真髄を伝えるために大昔から特別に私が育ててきた者たちである』と紹介する。それまで、自分たちだけが仏弟子だと思っていた連中が、ビックリして釈迦にたずねる。『この菩薩たちはどう見てもお釈迦様がお生まれになるずっと前から、修行を重ねてきたとしか思えないような風格の人たちばかりなのに、この世でお教えをはじめられてから40年ほどしかたっていないお釈迦様が、こんな菩薩たちをお弟子だといわれるのは、まるで25歳の青年が、100歳の老人をわが子だというようなものではありませんか・・・』とね、・・・そこで釈迦は『私は40年前に悟りを開いて仏陀になったのではない。じつは、数えきれない年月の以前から、仏陀なのだ』と答える。
☆ヨハネ福音書
「・・・『もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることがないであろう』とイエスがいう。それを聞いたユダヤ人たちが、『自分の教えを守る者は永遠の命を得られるなどと高言するあなたは、われわれの先祖のアブラハムよりも、えらいつもりなのか』とつめよる。するとイエスは、『あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見てよろこんだ』と答える。そこでユダヤ人たちはいよいよあきれて『あなたはまだ50歳にもならないのにアブラハムを見たのか』と嘲笑すると、イエスは平然として、『アブラハムの生まれる前からわたしは、いるのだ』と宣言した・・・と、福音書には書いてある(ヨハネ8-51以下)・・・この、『自分はこの世の初めから存在するのだ』というのはイエスの、父なる神と一体であるという実体験であって、自分の言動は、父なる神の言動と同じなのだ。このことが理解できる者は永遠の命を得られるが、父と予が親子であると同時に完全に一身同体だということの意味がわからない者は永遠の命を得ることができないのだ・・・と、ユダヤ人の群集に向かって、イエスはくどくどと説明しているんだ
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6258/j-0030-seisyo-butten.html
2 :
トーマス :2000/10/09(月) 05:10
そこで、もう一度、福音書と法華経を比較してみるとだね、福音書では、『アブラハムの生まれる前からわたしはいるのである』と言っているだけだが、法華経では『我、仏を得てよりこのかた、経たるところの諸(もろもろ)の劫数(こうしゅ)、無量百千万億載阿僧祇(無量の年月)なり。常に法を説いて無数億の衆生を教化して仏道に入らしむ』(妙法蓮華経如来寿量品)と言っている。ところが釈迦の弟子たちにしてもユダヤ人たちにしても、現在、生き身の釈迦、生き身のイエスを目の前にして、その意味が、どうにも理解できなかった。ユダヤ人たちは『あなたはまだ50歳にもならないのに・・・』と言うし、釈迦の弟子たちは『たとえぱ少壮の人、年始めて25なる云々』という。・・・・・・これはたまたま表現が似ているだけじゃないんだ。両方を細かに調べていけばいくほど、言わんとしていることが、まったく同じだ、とわかってくる」
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3 :
トーマス :2000/10/09(月) 05:12
「この問題ではこの桃棲じいさんにもすくなからず強烈な思い出があるんだ。もう、50〜60年前だけれども、その当時、法華経の研究では学僧の中でも指折りの大家で、・・・君も、きっと知ってる名前のはずだが、やっぱり誰というのははばかっておくよ・・・その大先生とたまたま個人的に会う機会があった。・・・そのとき、なにげなく日ごろの疑問を聞いてみたんだ。『法華経のなかに、福音書の文章と酷似しているところがありますが・・・』って、ところが、その先生、それまでじつに機嫌よく応待してくれていたのだが、その瞬間、ほとんど顔色が変わってね、ものすごい早口でどなったんだ。『それは偶然の一致です!』って・・・あの剣幕には驚いたよ。こっちは、わけがわからないままで恐縮しきって、それでもなんとか話題を換えることができたんだが・・・・・・あとになって考えても、どうにもふしぎなんだ。だってそうだろう?『似たところがありますね』と言っただけで、従地涌出品とも如来寿量品とも言ったわけじゃない、ヨハネと言ったわけでもないのに、どうして『それは偶然の一致です』と断定できるんだ?」
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4 :
トーマス :2000/10/09(月) 05:16
「『はじめに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった』という名文句・・・誰でも知ってるヨハネ福音書の書き出しだが。この〈言〉・・・ギリシャ語のロゴスね、これはいろいろの意味あいで、新約のいろんな所にでてくるけれども(使徒行伝11-22噂、15-6問題、18-23決算、ペテロ第1、3-15弁解等々)、なぜかここでは、とくに、〈この世のはじめから神と一身同体であるイエス〉を指している。そのうえ、この〈言〉は〈光〉という別名を持っているんだ(1-4、8-12、12-35以下、参照)。・・・そしてこの〈光〉、すなわちイエスについての証しをするために登場する人物が、例の洗者ヨハネ・・・・ところが面白いことに、法華経の場合も、釈迦の眉間から一条の光明が発射して、全世界を照らすところから、物語がはじまる。しかしそれが、なにを意味しているのかが、わからなくて、凡人たちが不思議がっていると、そこへ、洗者ヨハネと同じ役目の文殊菩薩が現われて、『この光明はこれから釈迦が最高の真理を万人に説きあかす前兆なのだ』と解説する。・・・つまりヨハネによる福音書も法華経も、救世主の出現を暗示する場面が発端になっている、それなら、クライマックスは? となれば〈ヨハネ福音書〉は最後の晩さんで、イエスが、あの長い別れの説教をするところ(13章〜17章)と言っていいだろう。・・・ところが法華経はこれまた釈遡が、この世を去るにあたって、最後に伝える奥義だということになっている(序品、見宝塔品)。しかも福音書では、イエスがいよいよ最後の説教をはじめようという直前に、いきなり、あの裏切り者といわれるユダが、席を立って行ってしまうし(ヨハネ13-30)、法華経のほうも、釈迦の説法がはじまる間ぎわに、『増上漫の弟子』五千人がなんの断りもなく突然立ちあがって出て行く(方便品、ヨハネ第一の手紙2-19も参照)。・・・それはさておき、どの福音書にも、『イエスは、直弟子には天国の奥義を伝えたが、一般大衆には譬えでしか語らなかった』ということが、例外なく出てくる(マタイ16、マルコ4、ルカ8-9、ヨハネ16-25)。ところが法華経では・・・釈迦が弟子たちに向かって、過去45年間、真実の奥義を語らなかった理由として、彼らの理解力が熟していなかったから、あらゆる讐え話によって説かなければならなかったのだ、ということを懇切に説明する(方便品)。ではイエスの奥義とは、なになのか? ・・・イエス(子)と、神(父)とが、一つであるように、この世のすべてのものが神と一つになること(ヨハネ17-11,21,22,23)だと言っているし一方、法華経では釈迦が、『われ、もと誓願を立て、一切の衆生をして我の如く等しくして、異ることなからしめんと欲せり』(方便品)と説いている」
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5 :
特撮オタ :2000/10/09(月) 05:24
釈迦(日蓮正宗では釈尊):紀元前1000−950年頃の人物
新約聖書:キリスト生誕後の行動記録(紀元後の話)
コメント:時代考証のミス。逝ってよし!!
6 :
トーマス :2000/10/09(月) 05:34
「そもそも大乗仏教なるものが、仏教の中の一派として台頭してきたのは紀元前一世紀だとも、あるいは紀元後一世紀だともいわれているが、ともかくそのころに、それまでの仏教とははなはだしく変わった教義を説く教団が、忽然として現われた・・・ということはいまや否定できないんだよ」
「突然というのは、面白いね」
「大乗の経典は大体、般若経系のものが一ばん早くて、それから維摩経、法華経、華厳経などが現われて、少しおくれてから無量寿経や阿弥陀経などが、まとめあげられた・・・といわれている。成立した時期が一ぱん古い般若経などは、紀元前一世紀までさかのぼる・・・という意見が、もっとも有力のようだ。・・・しかしね、いわゆる初期の大乗経典の中には紀元50年ごろから書きはじめられた・・・と推定されるものが、意外に多い・・・」
「、その時代になにか画期的なことが起こったのか?」
「そこで例の、福音書との関係が問題になる・・・」
「ということは誰か、紀元50年ごろか、それより前に、キリスト教をインドに持ってきた人間が、いるんだな?」
7 :
トーマス :2000/10/09(月) 05:35
「ここで、もう一度、シリア教会の開祖といわれている、十二使徒の一人のトマスに登場してもらわなけれぱならない。彼は〈ヨハネによる福音書〉の終わりにちかいところで、(20-24〜29)〈疑いぶかいトマス〉として書かれているのが最後で、それ以降は、新約聖書のどこにも姿を現わさない。ところが、シリア教会には、〈トマス行伝〉という文書が伝わっていて、トマスが、イエスの死後、インドに渡って伝導して殉教したことが、くわしく物語られている。そのあらすじはイエスの死後、使徒たちが集まって、くじびきで各自の伝導さぎをきめた。トマスは、インド方面をうけもつことになる。たまたまそこへ、グンダファルというインドの王様から、『宮殿を建てる技師を探してきてくれ』と頬まれたという、貿易商人が現われる。その機会を利用して、トマスは大胆にも、建築家になりすまして、グンダファル王の国へ出かけて行く。王様は西の国からはるばるやってきたトマスを信用して、莫大な費用を前渡しする。ところがトマスは、それをことごとく王様の名で貧しい者に分配してしまった。王様はあとでそれを知って激怒して、トマスを死刑にしょうとしたとき、急病で死んだ王様の弟が、息を吹きかえしたと思うと、意外な話をした。『自分が天国へ行ったら素晴らしい宮殿があったので、そこに住みたいと望んだところ、これはグンダファル王が建てた宮殿だから、ほかの者を住まわせるわけにいかない』と断られた、というんだ。その話を聞いて翻然と悟った王様は、心からトマスに帰依したので、その国はすべてイエスの教えに従うようになった。そこでトマスは、さらにインド全土に布教しようと旅をつづけ、最後にマツダイという王の国で殉教した・・・大体、こんな話なのだが、欧米のキリスト教関係者は、今日でもほとんどが、『これは非キリスト教徒(たとえばグノーシス派の人間か、マニ教徒など)がつくりあけたフィクションであって、その時期にインドでキリスト教が布教された事実はありえない』と断言する。・・・ところがね、パキスタン北部のペシャワール地方で発見された碑文や、いろんなところから出てきた貨幣などからわかったことは、紀元19年ごろから45年ごろにかけて、インドの北西都のタキシラを首府として、ガンダーラや、アフガニスタンのカブールあたりに君臨していた。ハルティア系の王様の名が、ゴンドファレスで、貨幣などに彫られているインド名はグトファラだった。・・・」
8 :
トーマス :2000/10/09(月) 05:38
「ところがね、一方では終始一貫、トマスのインド布教を事実だと主張している人たちが、今日でもインドにおおぜい、いるんだよ・・・インド西南のはずれにマラバル海岸というところがあるね、あの、ケララ州、・・・住民の25パーセントがクリスチャンで、これはインド全体のクリスチャンの3分の1にあたるそうだ。といっても、ここの多くは、カトリックでもない、プロテスタントでもない、といえばすぐ、それとお察しの、いわゆるシリア教会。・・・現在では西方シリア教会と結びついているけれども、本来は西だの東だのという区別があったわけではない。彼らとしては、『自分たちは、そんな区別よりはるか以前の、イエスが死んだ直後からの、トマスの直系だ』と確信しているわけだ。それで『聖トマスの教会』と自称しているのを、なぜかヨーロッパのキリスト教関係者は、もっぱら潮笑酌な意味で〈マラバルのクリスチャン〉とよぶ」
9 :
トーマス :2000/10/09(月) 05:40
「マラバル海岸に、トマスの足あとは、あるんだろう?」
「『トマスはマラパル海岸に、七つの教会を建てた』と言ってるんだ、そして現在、彼らの教会の本部があるコッタヤムは、その中の一つだ、と」
「トマスの殉教も、そこか?」
「いや、そのころのマラパル海岸には、かなり大きなディアスポラ(ユダヤ人の居留民地)があったはずだから、むしろトマスは大歓迎されたのではないか、と思う。なぜかというと、その当時、マラバル海岸にコショウや綿布を買い付けるアレクサンドリアの貿易商が、殺到していたから、その中にはユダヤ人ぱかりではなく、例のサマリアびとも、相当にいたはずだ。なにしろ一時は、ローマの守備兵さえ駐屯していたことがあるくらいだから、ギリシャ語やアラム語も流通していたようだ・・・となれば、トマスがこの地方で、短時日の間に大ぜいの信者を誕生させて、その子孫がいまも残っている・・・という可能性は、考えられないことではない・・・」
「トマスはマラバル地方で伝導に成功して、さらに移動したのか」
「いわゆるマラバルのクリスチャンの伝承では、トマスはそれから、インド大陸の南端を迂回して、東のベンガル湾に出て、今日のマドラス市の南都にあるミラブルという所まで行った。そこの王様に殺されたのが、紀元53年ということになっている。そこに現在でも、トマスゆかりのサントメという地名や、殉教した山だという〈聖トマス山〉というのもあって、〈聖トマスの教会〉にとっての、大切な聖地になっている」
11 :
名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 06:03
キリストは仏教徒だった言った本を書いた外国人がいたな。
12 :
特撮オタ :2000/10/09(月) 06:19
>10さん
サンクス(^^ゞ。
とすると、これが正しいか考察するにはキリスト教が仏教圏に伝搬した
時期を確認することになるね。
13 :
トーマス :2000/10/09(月) 06:40
歴史を調べてみますと、イエスの弟子たちは、ただ「西の方角」(西洋)へ伝道に行っただけではないということがわかります。
彼らは実は、「東の方面」(東洋)にも向かったのです。
学者たちによりますと、
インドには、西暦52年
に、キリスト教の宣教師が存在したという証拠があるそうです。
(久保有政+ケン・ジョセフ著「日本・ユダヤ封印の古代史2【仏教・景教篇】」徳間書店、2000年。28ページ参照)
たとえば、「アジア伝道史」という本には、
「インド西岸に分布するマラバル教会は使徒トマスによって開かれたという伝承があり、現地ではそう信じられている。トマスの到着は五二年と伝えられる。云々」
(渡辺信夫著「アジア伝道史」いのちのことば社、1996年。59ページ。)
と書かれています。
14 :
トーマス :2000/10/09(月) 06:42
「伝承」によれば、使徒トマス(別名「デドモ」、“双子”の意)は東に向かいました。
研究家、バル・オーライの記すところによれば、トマスはイエスが昇天されてからわずか2年後(つまり、西暦35年)には、すでにアッシリヤ地域で伝道していました。
アッシリヤ東方基督教会では、伝統的に、トマスは
「初代の大主教」
と呼ばれています。
彼らにとっては、使徒トマスこそ、「自分たちに最初にキリスト教をもたらしてくれた人物」であり、それゆえに、今でも、トマスは彼らから深く尊敬されています。
また、トマスはその後、インド南西部のケララ州(ケララのマラバル海岸。インド半島南西部のアラビア海に面する海岸)に伝道に行きました。
「日本仏教の歴史的描写」の著者である、アーサー・ロイド博士は、その点を詳しく調べ、
「トマスのインド伝道は疑う余地なし」
との結論を出しています。
ロイド博士の研究によりますと、トマスは、インドのクランガモールのマーランカラに上陸し、その地で多くの人々に洗礼(バプテスマ)を施し、7つの教会(会衆)を建て、2人の司祭(長老)を任命しました。
四世紀の宗教史家エウセビオス(260年頃〜340年頃の教父)は、クリスチャンの使徒トマスが、一世紀にキリスト教をインドに伝えた、と述べています。
「広辞苑」第五版(岩波書店、1998年)は、「トマス」の項目で、次のように説明しています。
「トマス【Thomas】
キリスト教の聖者。イエス十二使徒の一人。伝説に、インドに渡ったといわ れ、その言行は「トマス行伝」に描かれる。トーマ。」
(ここで言う「トマス行伝」とは、いわゆる「新約聖書外典」の一つで、西暦三世紀前半に、エデッサ(現ウルファ、トルコ南東部)で、グノーシス派に属する人物によって書かれたと思われる書物です。
注: この「トマス行伝」を、じかに読んでみたいと思われる方は、荒井 献偏「新約聖書外典」講談社文芸文庫、1997年。275〜408ページ。「使徒ユダ・トマスの行伝」をご覧下さい。
その「使徒ユダ・トマスの行伝」は、トマスの十三の行録と一つの殉教物語から成っています。その第一行伝は、「彼(主)が彼を商人ハバンに売り、彼が下って、インドを悔改めさせたときのこと」という言葉で始まり、第二行伝は、「使徒トマスがインドに入り、王のために天上に宮殿を建てたこと」という言葉で始まっています。)
15 :
トーマス :2000/10/09(月) 06:44
さらに、伝承によれば、トマスはまたその後、中国にも伝道に行った、とのことです。
だいたい今の北京(ペキン)あたりまで行き、信者を作って教会(会衆)を建てたと言われています。
しかし、再び、トマスはインドに戻って伝道し、西暦68年から75年ごろ(ある人によれば、「西暦七二年」)、バラモン教徒の手にかかって殉教したと言われています。
(「日本・ユダヤ封印の古代史2【仏教・景教篇】」徳間書店、2000年。29ページ参照。)
(トマスが中国にも伝道に行ったのが、もし本当だとすれば、当然、中国には、彼が殉教するよりも前に(遅くとも、西暦75年以前に)キリスト教が伝わっていたことになります。)
彼の遺体は、南インドのメリアポール(または、ミラポール。今のマドラス)に葬られたらしく、テオドラという人物(西暦五世紀)は、フランスのクールの監督グレゴリーに対して、
「南インドのメリアポールにトマスの墓があった」
と伝えています。
また、一三世紀のマルコ・ポーロの日記には、
「トマスの墓を、預言者の墓、またはアベリア(「聖人」の意)の墓と呼んでいる」
と記されているそうです。
マルコ・ポーロが、西洋の人に初めて「日本」という国を、黄金の国「ジパング」(チパング島)として紹介した有名な「東方見聞録」(1298年成立。当時のジパングは、「鎌倉時代」)にも、インドのマラバル海岸(マアバル地方)に関する説明の部分で、トマスの伝道や殉教のいきさつ、トマスの墓がそこにあることなどについて言及されています。
こう記されています。
「聖トーマスの墓はマアバル地方の一都市にある云々」
「使徒聖トーマスの遺骸は、マアバル地方の人の少ない小さな町におかれている。そこは産物もゆたかでなく、不便なところなので、商人もあまり行かない。しかしキリスト教徒もイスラム教徒も大分参詣にゆく。イスラム教徒が行くのは、彼をイスラム教の大予言者と考えているからで、彼をアヴァリアンすなわち聖者とよんでいる。・・・(中略)
聖トーマス教会の管理者はたくさんのインド胡桃〔やし〕を栽培し、これで生活して・・・いる。彼の話によると、この聖者の死んだときの有様はつぎのようである。ある日聖トーマスは隠遁所をでて、森の中で祈祷をしていた。・・・ゴヴィ族の偶像崇拝教徒が弓をもって通りかかり、聖者の姿が見えないのを幸いに、矢を孔雀にはなったが、それは聖者の右脇腹にあたり、傷のため、彼は霊魂を神に託したのであった。彼はここにくる前、ヌビアにすみ、多くの人をキリストの信仰に改宗させた。」
(マルコ・ポーロ述/ルスティケロ著。青木富太郎訳「東方見聞録」現代教養文庫、1969年。184,188,189ページ。)
16 :
トーマス :2000/10/09(月) 06:48
この、トマスがインドに伝道に行ったということは、その昔、NHKの番組「シルクロード」の中でも取り上げられました。その番組によれば、インドのケララ州においては、人口のいまだ「5分の1」がキリスト教徒であり、彼らは自分たちのことを
「トマ(トマス)の子」
と名乗っているそうです。
(久保有政+ケン・ジョセフ著「日本・ユダヤ封印の古代史2【仏教・景教篇】」徳間書店、2000年。106ページ。
また、その同じ本の80ページによれば、「住民の約二五パーセント」が基督教徒だと言われています。その場合、人口の4分の1。
一方、インド全体では、約0.3パーセント。全人口の9億8@`923万人(1999年現在)のうち、キリスト教徒はわずか300万人だけ。
他は、ヒンズー教徒、イスラム教徒、シーク教徒などが占める。)
そして、今でも、そこには、トマスが建てたと言われる(または、使徒トマスを記念して建てた)教会堂も現存しているそうです。
現地の人はそれを、アラム語で
「マル・トマ」教会
と呼んでいるそうです。
「マル」とは、「聖」(または、「先生」)という意味で、「トマ」とは、もちろん、「トマス」という意味です。
つまり、その教会の名は、
「聖トマス」教会
という名前なのです。
(久保有政+ケン・ジョセフ著「日本・ユダヤ封印の古代史2【仏教・景教篇】」徳間書店、2000年。63ページ。)
「新聖書辞典」では、「トマス」という項目で、その「聖トマス教会」に言及し、次のように述べています。
「シリヤ語を話す教会の間では、トマスは主イエスのふたごの兄弟の一人であり、ユダ(マコ6:3)と同一視する説があった。その後のトマスについては、ペルシヤに宣教したとか、インドで宣教し、そこで殉教したとかの伝承が伝えられている。現在も、インドの聖トマス教会は、トマスの宣教によって設立された教会の継承と主張している。」
(「新聖書辞典」いのちのことば社、1985年。893ページ。)
17 :
トーマス :2000/10/09(月) 06:50
この点に関しては、有名な賀川豊彦(かがわ とよひこ)も、その著「神に就いての瞑想」の中で、次のように述べています。
(現代語に替えてあります。)
「世界のキリスト教は二つの分派を持ち、東と西に伝播した。
一つは、弟子トマスがインドに持っていった。紀元一世紀にキリスト教がインドに入ったと言えば、ウソだと言う人があるかも知れないが、インドにはシリヤ教会がある。この教会は確かに、イエス・キリストの弟子トマスが伝道した教会で、一九〇〇年の間眠っていたのであるが、最近五〇万人位の勢力を持ち復活してきた。」
(「かがわ‐とよひこ【賀川豊彦】とは、
「キリスト教社会運動家。神戸の人。神戸貧民街の伝道をはじめ、関西の友愛会の指導者となり、農民組合・消費組合運動にも関係。第二次大戦後は伝道・生活協同組合運動・世界連邦運動に尽力。小説「死線を越えて」。(1888〜1960)」
「広辞苑」第五版。岩波書店、1998年)
18 :
政教分離名無しさん :2000/10/09(月) 07:23
>>1-9
面白く読ませて頂きました。
キリストは仏教徒だった、という話もどこかで聞いたことが有るような。
>>5 釈迦の生きた時代については諸説有るようですが、およそ紀元前600-400年頃とするのが一般的なのではないでしょうか?
また、大乗経典の成立とキリスト教の誕生は時期的に重なっていますから、説としては面白いと思います。
19 :
名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 08:10
>このトーマスと言う方は
一体何を言いたいのでしょうか。?
だからドウだって言うのか?
キリスト教の優位性を言いたいのでしょうか?
20 :
政教分離名無しさん :2000/10/09(月) 08:39
>19
ただ単に宗教の成立史(特に法華経始め大乗仏典)を明らかにしたい
だけだと思いますよ。
21 :
政教分離名無しさん :2000/10/09(月) 08:44
>1さん
景教(ネストリウス派キリスト教)の中国伝播の時期と中国仏教に
与えた影響は?
22 :
トーマス :2000/10/09(月) 08:54
23 :
政教分離名無しさん :2000/10/09(月) 09:25
ミトラ教=
ペルシアの宗教。太陽神・光明神で戦闘神でもあるミトラを崇拝する。
紀元前三世紀頃起こり、小アジア・ローマ帝国に伝わったが、キリスト
教に圧迫され衰えた。 [広辞苑]
ミトラ=マイトレイヤ=弥勒菩薩だと聞いたことがある。
(弥勒菩薩は法華経の重要な登場人物、鸚鵡のホーリーネームじゃないよ)
24 :
トーマス :2000/10/09(月) 09:38
>19
もし、法華経が聖書のパクリだったとしたら
「釈迦唯一の真の教え」と信じた日蓮の思想は、
根底から崩れはしないだろうか?
25 :
金マンコ大聖人 :2000/10/09(月) 10:11
若有人。軽毀之言。汝狂人耳。空作是行。終無所獲。如是罪報。当世世無眼。
妙法蓮華経:普賢菩薩勧発品第二十八
法華経の神聖を汚すものは「世世無眼」(何度生まれ変わっても盲目になる)という仏罰を受ける原因となります。
覚悟して批判しましょう。
26 :
トーマス :2000/10/09(月) 10:16
普賢菩薩勧発品第二十八
それは、いつ誰が書いたのですか?
27 :
トーマス :2000/10/09(月) 10:26
これは、西暦150年ころの作ですね。
釈迦の死後600年後に
「釈迦はこう言いました」とインド人が嘘をついたのでしょうね。
28 :
金マンコ大聖人 :2000/10/09(月) 10:28
>普賢菩薩勧発品第二十八
>それは、いつ誰が書いたのですか?
誰が書いたか、いつ書かれたかは問題ではないのです。
釈尊の説かれたところを後の世の学者が編纂したものなのですから。
29 :
トーマス :2000/10/09(月) 10:38
金マンコ大聖人様
じぇんじぇん納得できましぇん。以上
30 :
金正日 :2000/10/09(月) 12:19
宗教の文献はほとんど「電波文書」です。
「全宇宙に?」
「生まれる前から?」
ホントかよ!?どうしてそんなことが信じられるのだ??落ち着いて考えろよ。
何となく意味がありげな言葉、しかし考えてみればトンデモない言葉を
並べることによって、意味を重要視しない人々が
「これはなんか意味わからないけど、とりあえずありがたそうか」
と思って、都合のいい部分だけを拡大・曲解して信じた気になるんだろうな。
だいたい、「平和のために戦う」こと事態がおかしいじゃないか。
正しくは「自分たちの正しいと考える平和のために他者を排除・洗脳させる」
と言うことじゃないのか。
人間はそうやって戦争の歴史を築いてきたんだろ?
全く昔と変わっていないじゃないか。何が「人間革命」だよ。
自分たちが争いの種の一つになって巨大化しているんじゃないか。
しかも宗教・・・まさに歴史で見る愚かな過去と同じだね。
戦争を無くしたいなら、すべての隣人のよいところを認めて、
自分たちの正義だけでなく、他者の思想への寛容さを持つことが大事だよ。
価値は相対的、正義はすべての人の中にあるんだ。真理も人によって違うんだ。
信じたくて信じている人を批判はしないが、いやがっている者にまで押しつけるな。
「絶対的」な教えを作り上げて、他の人まで巻き込むんじゃない!
31 :
名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 12:30
貴方の出かけている所は大丈夫ですか?
◆実在のカリスマ的指導者が中心にいて、メンバーは無条件に心酔している。
◆新しいメンバーの獲得に余念がない。
◆金儲けにのめり込んでいる。
◆質問したり、疑問を持ったり、反対意見を唱えることは認められず、 罰せられるケースさえある。
◆瞑想や詠唱、体力を消耗させる労働など、精神を麻痺させるテクニックを用いて 疑いの心を持てないに仕組んでいる。
◆指導者がメンバーの考え方や行動、感情を細部に至るまで支配している。
◆エリート主義的な発想に立ち、集団とそのメンバーと指導者は特別な高い地位に あると主張している。
◆自分たちは善、外部者は悪という「二分法」的な考え方に立ち、一般社会との 軋轢を生み出している。
◆主流の宗教の聖職者などとは違って、指導者にはいかなる権威に対しても 従う意思がない。
◆倫理に反すると考えられるようなこと(不正な目的の募金活動など)でも、 目的のためなら正当化されと教える、または、ほのめかす。
◆メンバーの罪悪感をあおって、支配力を強めている。
◆メンバーは集団に従属させられ、家族や友人との絆は断たれ、それ以前の 個人的な関心事も忘れてしまう。
◆メンバーは当然の義務として、集団の活動に法外なまでの時間を費やすことを 求められる。
◆ 同じ集団のメンバーとの共同生活や、メンバーのみとの交流が奨励される、 あるいは、義務づけられている。
2つ以上当てはまる方は残念ながら創価学会か狂った宗教です。 早急に脱会しましょう!
32 :
↑ :2000/10/09(月) 14:53
日蓮系は壊滅
33 :
とりはだ :2000/10/09(月) 14:58
共産党は国賊です。公明党は宗教団体です。さきがけは、ないんです
34 :
↑ :2000/10/09(月) 15:01
日蓮を信じるとこうなっちゃいます。もう手遅れです。合掌
35 :
とりはだ :2000/10/09(月) 15:08
月に一度の休みの日は尊敬するアーティスト、池田大作と殴り合っている
36 :
政教分離名無しさん :2000/10/09(月) 15:50
トーマス氏は法華経がキリスト教のパクリだと言いたいのだろうか?
二つの書の類似点に関しては、納得しかねる。なにしろ、万葉集をヘブライ語で読めるなどと言う人もいるぐらいだから。
法華経とキリスト教は大枠において似ている、ということは感じる。超越神的、一神教的なところや、父と子の一体説、喩え話の多用、従来までは方便であるという主張など。
しかし、逆に、キリスト教の方が仏教に影響を与えられた、ということは考えられないだろうか。
預言者の言葉(神の言葉)を正確に伝えることに異常なこだわりをみせるキリスト教が、あんなにも変形した形で法華経に表現されることはありえないと思うのだが。
37 :
政教分離名無しさん :2000/10/09(月) 16:22
聖書が仏典のパクリならわかるが、法華経が聖書のパクリだと主張する馬鹿がいるとはね。
そもそも、キリスト教そのものが、仏教のパクリ。
紀元前にギリシャで大規模な仏教の団体は発見されてるが、インドでは大きいキリスト教団体は見つかってない。
法華経が文書として編纂された時期は新しいが、口伝の法華経はしっかり残ってたわけ。
だからうそをいうやつがいてもそれは他の口伝者に糾弾されるだけ。浦島は鶴にのって竜宮に飛んで行きました。
なんていっても、そのMADE UPにはみんな気付くだろう。
馬鹿なことほざくなよ。
それから冒頭のやつ。地湧品と如来寿量品をいっしょくたにして寿量品だとかほらふくな。
捏造野郎。
アンチの質が疑われるだろ。
38 :
政教分離名無しさん :2000/10/09(月) 16:46
1はアンチじゃなくって電波系キリスト教でしょ。
宗教板でも相手にされないからさびしいんだよ(藁)。
たぶんTCCあたりじゃないの?
39 :
トーマス :2000/10/09(月) 16:52
>36
では、どうして法華経の誕生がイエス以前ではなくて、
イエス以後(釈迦から600年後)なのでしょうか?
疑問に思ったことはありませんか?
40 :
政教分離名無しさん :2000/10/09(月) 17:04
>37
どっちにしても、法華経はある仏教教団が自己の正当化のために
作った思いこみの強いお経ですよ。
お経自体の正当化をそのお経の中でお経自身が主張する。
ただ、それだけが、正当性の根拠。(笑)
41 :
政教分離名無しさん :2000/10/09(月) 17:07
>39
釈迦は説法はしたけど、弟子はそれを記憶していただけで筆記され
なかったので、釈迦入滅後何回か今で言うデータベース化を行った
んだって(諸説あるようだけど、入滅直後から700年後の間に
4回ほどおこなわれたそうな)。
42 :
政教分離名無しさん :2000/10/09(月) 17:08
>37
へえ〜、
>紀元前にギリシャで大規模な仏教の団体は発見されてるが、
>インドでは大きいキリスト教団体は見つかってない。
一見もっともな理屈だが、影響性の有無には決定的ではない。
ところで、ギリシャで“大規模な”仏教団とありますが、
出典・文献は何からですか?
大規模ってどのくらいですか?数百万規模の大きさですか?
43 :
政教分離名無しさん :2000/10/09(月) 17:24
聖書を根本としの展開が先ずおかしい。
現在の聖書は都合のいい様に偽造や削除(聖書外伝)があるというのは広く知れている。
44 :
政教分離名無しさん :2000/10/09(月) 17:34
法華経ではなくて法華教という新興宗教だったという仮説はどう
いまでいう統一教会みたいな(笑)
45 :
第7の外道 :2000/10/09(月) 18:20
一応読ませていただきました。
教典・宗教間の影響関係という視点は面白く、特に法華経における釈迦自身の「超越者化」には他の経典と比べてもかなりの飛躍があるように感じ、それが何らかの非仏教的伝統影響のもとで成立した、という仮説はあながち捨てがたいものがあると感じます。また南インドのケララ州でまとまったキリスト教信仰地域(ネストリウス派?)があるというのも不思議に思っていたんですが、そういう説もあったのか、と興味深くよみました。
ただ、個人的な感想として、「法華経は聖書のパクリ」と言わなければならないほどの直接的影響はないのでは? と感じます。
法華経とヨハネ福音書との類似点ですが、この二つの教典に直接の影響関係がある(パクリ?)と考えるよりは、教典作成の動機に共通のものがあった、と考える方が自然ではないかと個人的には思います。つまり、両者とも、「普通の人間と同様の有限の生命を持った存在が、同時に永遠の生命を持った超越者であった」ということを「証明」したいと考えていたわけで、動機が似ていればその「論法」は共通したものになっても不思議ではないのではないかと思います。(この動機自体には、「影響関係」を想定する必要はないでしょう。)
4で書かれているようなストーリー展開の類似点も、そうしたメッセージの主張を意図するのであれば、結果的に似てきても不思議ではないものと思います。「有限の人間が同時に超越者である」などというメッセージなんて、まず一般人は信じはしないと思いますから、それに対応するための「一般人の理解しているものは仮のものだ。真実はこちらにある」という「論法」も自然に発想されることと思います。
(真理を「光」に喩える発想自体をいわゆる「パクリ」の証拠にすることはできないでしょう。それに釈迦が額から光を放つシーンは「序品」のことでしょうが、ここの詩の部分は「方便品」などの詩の部分と同様、その成立は紀元前1世紀ころ、という説があり、福音書からの影響を主張するためにはそう言った点の検討も必要になります。)
それに法華経自体複合的な経典で、トーマスさんの論証は「如来寿量品」を中心とするいわゆる「本門」の内容を説明するには適していますが、いわゆる「方便品」を中心とするいわゆる「迹門」には全く対応していないものですから、「法華経はパクリ」という言い方そのものにも率直に言って疑問を感じます。
46 :
政教分離名無しさん :2000/10/09(月) 18:44
>>22 トーマス さん
「イエスの失われた十七年」の紹介ありがとうございました。早速拝見させて頂きました。
>>45 なるほど、教典作成の動機に共通のものがあったから論法が似てくるというのは説得力ありますね。
法華経
・従来までの部派仏教を否定して、新しい思想を正当化しなければならない
・強いカリスマ性をもつ釈迦を信仰の対象にするが、同時に「人に依らざれ、法に依れ」の原則を守らなければならない
キリスト教
・従来までのユダヤ教を否定して、新しい思想を正当化しなければならない
・強いカリスマ性をもつイエスを信仰の対象にするが、同時に「神のみに仕える」という原則を守らなければならない
ただ、二つとも作成時期が近いことを考えると、なんらかの影響があっても不思議ではないですね。
48 :
第7の外道 :2000/10/09(月) 23:57
>47
レスどうもです。キリスト教&法華経の教典作成動機の比較はわかりやすいですね。
>二つとも作成時期が近いことを考えると、なんらかの影響があっても不思議ではないですね。
私も影響はない、とは言いきれないと思いますが、かなりアクロバチックな議論にはなりそうですね。
トーマスさんの書きこみを見ると、〈使徒トマスがインド西南で布教 => 西南インドに伝わったキリスト教の思想が法華経教団に知られる => 久遠実成思想に福音書のアイディアが取り入れられる〉という筋道で議論をなさっているようです。
ただ一口にインドといっても広大ですし、法華経が製作された場所は西北インド(というか中央アジア)ともマガダ地方(東インド)とも言われますが、西南インドという説は聞いたことがなく、この辺の影響関係の立証は難しいのではないか、と思います。内容的にも「パクリ」とまで言えるほどの重なりはないように思いますし。それにトーマスさんの聖トマスについての書きこみや引用には「〜と信じられている」「伝承では〜」というのが多すぎるところも、個人的にはちょっと疑問を感じさせます。
しかし宗教思想のクロスオーバーは、日本人が一般に考えているよりも遥かに激しいようですし、法華経製作者たちは当時の一般インド社会とはかなり異質な社会に属していたのではないかという説もあるので、法華経への非インド思想の影響、という論点は無意味なものではないと思います。
49 :
政教分離名無しさん :2000/10/10(火) 00:21
詳しくは知らんが、確か統一教会がなんでもかんでも聖書に結び付けて
説明しようと我田引水ともとれる説明を行っていたように思う。
50 :
政教分離名無しさん :2000/10/10(火) 01:02
高尚過ぎて頭溶けそう。 _(_ _)戸 シロハタ パタパタ
>法華経が製作された場所は西北インド(というか中央アジア)ともマガダ地方(東インド)とも言われますが、
>西南インドという説は聞いたことがなく、この辺の影響関係の立証は難しいのではないか、と思います。
西北インド(というか中央アジア)だったら、古代シルクロードみたいなものを使って、
思想の交流をもつ事は可能かもしれないですね。
#この場合、交流形態は、使徒トマスの布教ではなくて、旅商人@名無しさん の土産話 になりますけど。
51 :
政教分離名無しさん :2000/10/10(火) 06:46
>>41 口伝に法華経は含まれていなかったそうな。釈迦の説ではないから。
52 :
政教分離名無しさん :2000/10/10(火) 08:14
age
53 :
あみ〜ご :2000/10/10(火) 12:01
>口伝に法華経は含まれていなかったそうな。釈迦の説ではないから。 釈尊は法華経を説く前に、40年以上の間、爾前経(にぜんきょう)と総称される仮の教えを説き、人々が真実の法を受け入れられるよう、準備を進めていたのです。その事実は、釈尊自身が法華経の序文にあたる無量義経(むりょうぎきょう)のなかで、「四十余年には、未だ真実を顕(あらわ)さず」と示し、“これまで説いてきた爾前経には、成仏の根源の法を顕していない”と述べているのです。法華経の方便品(ほうべんぽん)のなかでも、“正直に方便(仮の教え)を捨てて、ただ、無上道(最高の教え)を説く”等と説き、法華経以外の教えへの執着を捨てるよう戒めています。
http://www.sokagakkai.or.jp/html6/SG-Shoukai/hokekyo6.html このように創価学会のホームページに書いていますが、これは真実ではないということですね。
横レス失礼
他の宗派でも法華経は勉強するらしいけど、その人達の共通の意見は
『法華経は釈迦が説いたものではない。しかしながら、釈迦が法華経
成立の時代まで生きておられたら、説いたであろう教え』という解釈
らしいです。
55 :
政教分離名無しさん :2000/10/10(火) 21:33
age
56 :
政教分離名無しさん :2000/10/10(火) 22:52
つーか、おまえらみんな法華経をよんだうえでレスしてんだろうな。
57 :
政教分離名無しさん :2000/10/10(火) 23:05
法華経とは、
人間はすべて仏になれる、
しかし、何故かは「仏にならなければ理解できない」
だから、しのごの言わないで信じて布教しなさい。
ということが書いている物語でしょ?
58 :
妙法蓮華経並びに開結 :2000/10/10(火) 23:13
>57
まあ、核心をついたご意見で(^^ゞ
>56
ぼかあ、読んだけど、君は?
59 :
政教分離名無しさん :2000/10/11(水) 00:01
>57
つまりだ、言ったもん勝ちが法華経の極意だね(笑)
日蓮もそれをうまく利用し、
創価学会も利用しているということだ。
まあ法華経の成り立ちからして、釈迦をうまく利用したということだ。
オウムなみのカルトだね。
60 :
政教分離名無しさん :2000/10/11(水) 00:05
論点がずれてきてやがんの。
61 :
政教分離名無しさん :2000/10/11(水) 03:35
論点はなんだ?
62 :
名無しさん@1周年 :2000/10/11(水) 06:51
ロンね!
63 :
政教分離名無しさん :2000/10/11(水) 07:06
>53
法華経非仏説論ね…
そんなもん、何の根拠もない話。
あほな一部の仏教学者か、小乗経典を
依所にしてる宗派の連中だけが言ってる事。
レベル低いね。
64 :
金正日 :2000/10/11(水) 07:17
>63
信じる心も宗教も人の心にあるの。
真実も人それぞれ違ってもいいじゃない。
ありがたいと思っていりゃそれでいいんだから、宗教なんてのは。
それを「こっちが本当」、「いや、こっちが正しい」
とかいって非難しあう方がレベル低いよ。
どーせみんなめざしているのは一緒なんでしょ。
「最終解脱」なんでしょ(笑)。
逝くまでわからない「真実」なんて誰も確かめられないものを
本当だなんて逝って信じるのは俺にはできないね。どーでもいーけど。
誰か逝った後に「これが真実だ」なんて言ってくれた人は今までいるのか?
逝くまでわからない「真理の探究」なら逝ってからにしなさい。
そういう連中こそまさに「逝ってよし!」
65 :
63 :2000/10/11(水) 07:17
むしろ、キリスト教の成立の過程において
何らかの形で、法華経の影響を受けていたのでは?
と言う、説があるくらいだ。
66 :
政教分離名無しさん :2000/10/11(水) 07:36
>65
それは、あほな一部の仏教学者か、法華経を
依所にしてる宗派の連中だけが言ってる事では
ないのか?
誰が言ってるの?
67 :
政教分離名無しさん :2000/10/11(水) 13:39
シルクロード等、法華経が伝わってきた経路を考えても
決して不自然ではない。
68 :
政教分離名無しさん :2000/10/11(水) 13:41
ヨハネ福音書以外にも共通点は見出せる。
例えば、全衆生の中に仏性を見出す法華経思想と
の共通点は興味深い。
例えば、(ルカの福音書 17−21)の記述
「(神の国は)『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』
とか言えるようなものではありません。いいですか。
【神の国】は、あなたがたのただ【中】にあるのです。」
69 :
そりゃー、 :2000/10/11(水) 13:43
どれも人間が生み出した文化物だもん、共通点はあるんぢゃないの?
神話だって色々な国で似たようなのがあるんでしょ?
特徴もあるだろうけどさ。
70 :
政教分離名無しさん :2000/10/11(水) 19:47
>>68 トーマス氏ですか?
横レスですが、法華経の内容自体には、全衆生の中に仏性をみだす思想はないと思います。仏性の概念が登場するのは涅槃経でしたっけ? これは法華経よりかなり成立が下るのですが(四世紀ごろ)、こちらも聖書のパクリでしょうか?
全ての衆生が釈迦の導きにより、最後には成仏できる、という考え方をそうみなしてもよいかもしれませんが、この場合、人間が遠い未来に、ある状態になる、ということであって、ルカの記述とはニュアンスが違うように思います。
ただ、「神の国はあなたがたのただ中にあるのです」という考え方は、極めて仏教的な考え方(もしくは哲学的な考え方)のように思います。こういう考え方はユダヤ教の伝統的な考え方からすると、むしろ異端ではないですか?
71 :
第7の外道 :2000/10/12(木) 00:41
>68
70さんのおっしゃるとおりだと思います。法華経は直接「仏性」思想を説くものではありません。法華経と仏性思想を重ねたのは天台家であり、そこに至ると「仏界は己心にあり」という主張も登場するわけですが。
因みに(大乗)涅槃経ですが、ここにおける仏性思想はブラーフマニズムへの回帰によって成立したものと見られています。ここでは「アートマンは常住不滅である」という主張さえなされますが、「仏性」と「アートマン」とをほぼ同一視したところに特徴があります。これについては非インド思想の影響を云々する必要がそもそもないでしょう。公然とブラーフマニズムをパクッたわけですから。
ただイエスの思想に見られる唯心的傾向はかなり独特なものがある、という印象を私も持ちます。これはイエスが何かの思想に影響された、と考えるより、突き詰めて物事を考えるとどうしてもそこに突き当たってしまうのだ、と考えたほうがよいのでしょうね。
72 :
政教分離名無しさん :2000/10/12(木) 01:04
杜の『神の国』発言も聖書の影響を受けたものであろうか?
73 :
政教分離名無しさん :2000/10/12(木) 01:37
>72
あれは場当たり的なものでしょ。
#仮に、あれがアレフ信者の集会だったなら、
#「日本は麻原尊師を中心とした神の国」ぐらいの発言は、漏りだったら別に不思議とも思わん。
74 :
釈尊はかく語りき :2000/10/17(火) 02:35
「世間はわれと争う。されど我は世間と争わず」とも言っています。釈尊の理解するところによれば、この世界の存在のしかたは、対立性の物ではなく相依性の物でした。となれば、恨み、怒りをもって世間の人々と相対するべきではありません。徹底的な平和主義でした。
75 :
政教分離名無しさん :
>>74 トーマス氏?
いったいこのレスの意図は? 論争がおろかしいと言いたいのだろうか。それでトーマス氏は遁走したのですかな?