ゴーストタウン「大石寺」に行ってきましたPart3
だいたいが
創価学会に独自の教義は一つもない
本尊は日蓮正宗の本尊をコピーして販売
(日蓮正宗では販売はしていない、下附していただいている)
御書は日蓮正宗のもの
池田でも仏壇に祀って拝んでからえらそうに言えって!
日蓮正宗から破門されて以降、信者は減るばかり
内部改革同盟なるものまで出てくる始末
未活信者も年々増加
ふと廻りを見渡せば「老人ばかり」
早く気づけよ!全国で脱会が流行りつつあるぞ!乗りおくれるなよ
なかには創価学会の独自の教義で迷走云々て言われているが。
どっちなんだ?
まぁ、脱会者が増えたところで困るやつなんてそうはいないだろ。商売人以外は
>>744 > 御書は日蓮正宗のもの
この一部分だけでも決定的におかしな考え方だというのに、気がつかないでカキコしてしまう・・・・何というレベルの低さだ。
御書の内容は地涌の菩薩、ひいては全人類のためのもの。
御書は解説がないと読めん。出版物が多いのは創価であることは認める。
しかし、創価のための創価の解釈による出版物はいただけない。
>>746 >>744の言うことをみたときに、
学会がもと使用してきた刊本の『御書全集』のことを指してるんだろ。
それはまさにその通りで、学会独自の判釈によって撰して成ったものじゃないからね。
一言に御書といっても色々なんだぞ。
なにも祖書そのものを指して「日蓮正宗のもの」なんて言ってないだろ、文脈的に。
おかしいのは君だね。
>>748 発刊経緯
ttp://www16.plala.or.jp/PC-MURA/gosyohakkan.htm (創価学会HPからの転載だということなので、引用はしない。
創価学会HPは、トップ以外へのリンクは認めていないため。
興味のある方は、全文でもそんなに長くないので一読してくれ。)
また、発刊の辞と序を読むだけでも、御書全集がどのようにして作られたのかを程度うかがい知ることが出来る。
「・・(御書全集を)発刊せんと発願したのである。
これに応えられて・・略・・堀日亨上人猊下が・・略・・之が編纂の大事業に立たれたのは、・・・」御書全集 発刊の辞
「聖祖建宗七百年を記念する報恩行として昨年の六月に創価学会で御書全集刊行の美拳が決定せられ、其の編纂を予に是非とも引き受けてくれの事であつた。」御書全集 序
「・・不幸にして一人の同志をも得ず・・・略・・・僅に一二の学徒に浄写を助けしめて・・・」御書全集 序
宗門の協力はまったくといってなかったことがうかがえる。
もし、まともな協力があったのなら、発刊の辞の中でそれに触れて感謝の意を示すはずだ。
こうやって発刊されたのに、正宗のものと主張できるかね。
750 :
749:2010/05/26(水) 18:01:12 ID:???
>>749訂正
>宗門の協力はまったくといってなかったことがうかがえる。
→日亨上人個人を除いて、宗門の協力はまったくといってなかったことがうかがえる。
>>749 正宗・創価蜜月時代に刊行された御書全集に、宗門・猊下への謝辞が無いとは信じがたいのだが。
資料などは、御宗門からお借りしたものだろうし。
創価お得意の会員信者を騙すための、カット、切り文じゃないのか?
>>749 発刊の経緯と編纂された御書の内容を混同しているのではないだろうか。
学会の資金と人員だけでは御書出版ができないから堀上人に御書編纂を願い出た。
> 編纂よりも、さらに困難に思われることは、刊行についての経済的基盤がまったくないことであった。
上記の通りなら学会の教学部が独自に編纂出版すればよかったはず。
堀日亨上人が日蓮正宗に縁したのは学会が悪罵せる日霑上人の説法に触れた為であり
貧乏な大石寺で学問に打ち込めたのも師である日霑上人のお陰。
大石寺所蔵古文書群がなければ正しい御書の読み方(観心本尊抄、開目抄等)もできず相伝書も揃わなかった。
御書全集は日蓮正宗御隠尊猊下と創価学会の共同で完成し出版された。
御書全集は誰のものでもない皆(みんな)のもの。
>>750 > →日亨上人個人を除いて、宗門の協力はまったくといってなかったことがうかがえる。
事実上のお弟子だった大橋慈譲師が協力。(僅に一二の学徒に・・・の方)
>>751 それに、>749のレスの引用部分には、" 略 "が多すぎます。
完全な核心部分の文章を引用出来なかったのでは無いでしょうか ?
そうだとすると、『カット・切り文』の可能性が高いですね。
ここに来ている講中の方に宛てたレスなら、
その内容を指して、"長文が読めない"なんて言う人は居ない筈です。
(「御書」自体、1800余のページ数を誇る、長大な宗教文献ですからね。)
なのに、" 略 "だらけ。短くしなくてはならない理由が有った。
と考えるのが自然です。
(余談ですが、私はトリップキーを変更しました。どうやら割られた様なので。)
>>754 動画ばかり見て本を読まないと駄目になる見本のような存在。
ばかだな。全集ってのは、第五十九世日亨上人監修のもと、
「日蓮正宗に伝わる相伝、教義に基づいて」編纂されたんだから、
多くの学会員が協力をした、発願をしたという経緯があろうがなかろうが、
それは「日蓮正宗の」御書でいいんだよ。
>>748の言うのはそういう意味だな。
「一緒に発行したんだから共有物だ」なんて次元の違う話にすり替えるなw
これが、たとえば真偽の選定、収録の取捨選択、文言の判読など、
学会独自の解釈にもとづいてしたというなら違うけどな。
>>749 >「・・不幸にして一人の同志をも得ず・・・略・・・僅に一二の学徒に浄写を助けしめて・・・」
そこの前の部分な、
>思うに予非器なりとも親しく参加して居たならば此の悔い
>五十八世日柱上人が御書編纂を企画されたとき、その主任を依頼されたのを辞されたことを指す)
>かりしかと慙恨茲に年を久しうした処に豈図らんや創価学会会長戸田城聖氏の
>請に値はんとは、此の大任を受諾したのは全く 已 上 の 遠 因 があつたからであり、
※( )内は加筆しました。
とあるわけだ。
冗長になるから全体の引用は避けたが、幕末の久遠院師や日霑上人、日柱上人
その他数名の名を挙げて、独自の御書の発刊に尽力された方々の名を挙げられ、
御書編纂までの歴史を解説されています。
それを伏せて、都合の良い切り文をして、本来の筆者の意図をねじ曲げた解釈を、
読む者に印象づける手法は、学会の常套だよねw
やり方がコスいよね。御書編纂をするような僧俗が皆無に等しかったなんて大ウソです。
757 :
756:2010/05/26(水) 19:35:04 ID:???
タイプミスしたようなので、引用部分を訂正。
>思うに予非器なりとも親しく参加して居たならば此の悔い
>(五十八世日柱上人が御書編纂を企画されたとき、その主任を依頼されて自分が参加されなかったことを指す)
>なかりしかと慙恨茲に年を久しうした処に豈図らんや創価学会会長戸田城聖氏の
>請に値はんとは、此の大任を受諾したのは全く 已 上 の 遠 因 があつたからであり、
(御書全集 序 三頁)
※( )内は加筆しました。
>>754 法華講なら、信心が古い人および学会から移った人は、新編の他に御書全集を持っている可能性が大きいから全文は省略した。
(結構長いので、全文打つのはちょっと・・・。)
法華講側に発刊の辞および序に関して反論があるなら、その二文から引用しての反論があることだろう。
(連投規制で書き込めない間に、早速来たな。)
>>753 アリガトン。
>>752 > 御書全集は誰のものでもない皆(みんな)のもの。
その通り。
だから、
>>746で
> 御書の内容は地涌の菩薩、ひいては全人類のためのもの。
とカキコしている。
>>749は
>>748に対する反論だ。
759 :
eco ◆Smw69BiSBo :2010/05/26(水) 19:41:53 ID:YBmTC4He
760 :
eco ◆Smw69BiSBo :2010/05/26(水) 19:43:13 ID:YBmTC4He
しかも、善無為の項では「樋田氏」と変わらないような論調になって
悪魔の証明にもなっちゃって・・・
761 :
eco ◆Smw69BiSBo :2010/05/26(水) 19:44:15 ID:YBmTC4He
自作自演のゴーストタウンしかり、切り文による都合の良い曲解しかり、
創価のやることってのはいちいち小汚いというか…。
単に、一水四見よろしく本気でそう思いこんでいるのか。
はたまた会合や機関誌で教わったまま思考停止しているのか。
764 :
749:2010/05/26(水) 19:54:22 ID:???
>>756 歴代の一部が御書をまとめたものを発刊したかったというのは、別に否定はしていないし、当たり前の話。
ただし、日蓮大聖人御書全集に関しては、当時すでに隠尊だった日亨上人以外ほとんど協力していない。
宗内を上げて協力したなら、それなりの内容が記載されているはずだ。
これ以上本題からずれた論議はしない。
学会の謗法の根源は驕慢謗法だというのがよくわかる思考回路だよな。
その経費を拠出して、校正作業に多くの学会員が携わったのは事実だし、
素晴らしい功績だと思うよ。
ただ、そのことをもって、「宗門は何もしていなかった」とするのは乱暴だし、
過去の浄行を台無しにする物言いだと思うけどね。
まぁ、発刊の経緯ということと、破門されて都合の良いつまみぐい教義と偽本尊で誤魔化してることは関係ないけどね。
本因妙抄や百六箇抄、御義口伝などもふくめて、『御書全集』をもって御書とするのは、
日蓮正宗の信徒団体であったころならいざしらず、今となっては我田引水、ただのパクリだよ。
それにしても、改めて『御書全集』の発刊の辞(戸田城聖氏)を読むと、
その熱意は当然として、日亨上人の御功績を随処で讃えられ、真摯で謙虚な姿勢が滲み出ているよね。
まぁ、現今の洗脳信者は、その信心の対象が大作センセーだからな。思いも寄らないわな。
ぜーんぶ「学会の功績」として、先達の苦労や偉業をひた隠しにしたり、
あえて顕揚せずに過小評価し、「それより学会がすごいことした」と喧伝するのがこの組織の性分。
機関誌での自画自賛や、世間での批判をみてもわかるだろ。
お互い様ですけどね。
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/26(水) 21:20:41 ID:azVha/9M
そうかもね
>>756 日蓮正宗としての御書(全集)出版は「昭和新定」が初めて。
>>757 >思うに予非器なりとも親しく参加して居たならば此の悔い
>(五十八世日柱上人が御書編纂を企画されたとき、その主任を依頼されて自分が参加されなかったことを指す)
違うだろう。
高橋慈豊師編纂「日蓮大聖人御書新集」を指しての感慨。
発行元がどうだなんて次元で話してるっけ?
まぁとにかく、
本山が未だに野犬がウロウロ
ぺんぺん草が生えている
桜をほとんど伐採した
この嘘を見抜くために、本山へ行ってみたらどうかと言っている
なにも創価学会員に登山して寄付してくれとは言ってない
わかるか?洗脳儲よ
それをあれこれ屁理屈こねて、真実を見ようともしなくて逃げてばかり
いい加減逃げないで、現実真実を見て来い!
御書全集については、編纂が日亨上人。校正が創価学会。
これ以上でもこれ以下でもありません。
編纂とは、書物を集めて作るもの。
よって、御書全集は日蓮正宗の教義をもとに、
日亨上人が御書を選別し、さらに数人の僧侶と共に真偽を研究し、
完成させたものを、学会の教学部が校正した。
校正とは、最終的な誤字脱字などをチェックすること。
よって、学会が御書を教義的に選別などはしていない。
つまり御書全集は、日蓮正宗の教義をもとにしたものです。
表紙に、「日蓮正宗大石寺版」と書いてあるようにね。
だから学会に都合が悪い御書も出てる。
早く学会が編纂した御書を作った方がいいと思うよ。
ついでに大作筆の本尊もね。
んで、学会独自の教義を確立してほしい。
破門されて20年近く経つんだから。