学会退会をビビル人へ

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57名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 21:33:17 ID:???
財務できないならやめろ!! 必要なし!
58名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 09:43:46 ID:???
\
59名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 10:43:44 ID:PMSD+hjs
どげんかせんといかん
60 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/22(火) 16:23:16 ID:JlPvTL/1
>>春田の蛙さん

次は「志向姿勢に解釈の問題が含まれることは自明」に関してです。
春田の蛙さんは「自明」とおっしゃいますが、はたしてそれはどのような形で
「自明」なのでしょう?(下記に私なりの「自明」の説明を提示してみます。)

デネットの「志向戦略(志向姿勢をとること)」は、「ふるまいを予測しようとする
対象を、ブレンターノたちが言う志向性を示すような信念や欲求などの心的状態を
持つ合理的行為者として扱うことで成立」します。(デネット)

その対象(或いはシステム)であっても、ふるまいがこの志向戦略で充分に予測
できるなら、それは「真の信念者」と呼ぶに相応しい存在であるという立場です。
「真の信念者とは何かと言えば、それは志向システムである。」(デネット)

実在論と解釈論の話を突き詰めるとクワインの議論になってくるのですが、
一般的に実在論と解釈論は両立し得ないと思われることが多いのです。ですが、
ある種の予測戦略によって確証される事実を事実として扱わなければ、現実的な
問題として私達の生活は成り立たないのではないでしょうか。
61 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/22(火) 16:24:29 ID:JlPvTL/1
>>60からの続き)

デネットの立場からすれば、信念は客観的な現象であり(つまりデネットは
実在論者)、信念はある種の予測戦略をとる観察者の視点からのみ認められ、
その戦略がどれほどうまくいくかの評価によってのみその存在が確証されるのです。
(つまりデネットは解釈論者)

「根底的翻訳」という観点からクワインはその不可能性という命題に辿り着きました。
ブレンターノも「志向的イディオム」の「還元的不能性」に辿り着きました。
意味(或いは、意味論や志向性)に関するイディオムを、自然科学の言語に厳密に
還元し翻訳することが不可能であるとすれば、私達は「心」というものをどの様に
扱うべきなのでしょうか?それとも志向的なイディオムが論理的にはどうしようも
ないというのは誤りなのでしょうか?他のアプローチから考察しても、この問題が
とてもやっかいなことがわかります。ホフスタッターの言葉を借りれば
「人間の知覚はその本性上、二元論的現象である」ことになります。
(この二元論とは世界をカテゴリーに概念的に分割することです。)
この問題は真理を得る方法として公理的方法の限界がある(ゲーデル)ことに
つながっています。
62 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/22(火) 16:25:40 ID:JlPvTL/1
>>60からの続き)

絶対・究極の現実を描くための手段を私達が持っていなくとも、日常生活において
実際的必要性として志向的イディオムは「事実上不可欠」なのです。「だとすれば、
生の事実だけではなく、解釈、ここでは物語的な解釈の要素が、志向的語彙が
使われる場には必ず見出されるはず」(デネット)ということになります。

春田の蛙さんがこういった問題を自明であるとし「志向姿勢に解釈の問題が含まれる
ことは自明」であると主張しているのだとすれば異論はありません。そうではなくて、
志向姿勢は「解釈の原理」から許容されない逸脱が大いに含まれるという趣旨で
あるならば、どこのがどのように逸脱なのかということになってきます。

志向システム「として」の動物に関するデネットの主張を春田の蛙さんはいろいろ
誤解しておられるのではないかと私には思えます。「動物には心がない(と
デネットが主張している)」という「春田の蛙さんの言明」がそれを端的に
表しているのではないでしょうか。
63春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2008/07/23(水) 09:20:11 ID:KOE6deLf
> ◆Bwr5tJDUMcさん

デネットについての詳細な解説をありがとうございます。
最初に申し上げた通り、私はデネットの議論についてあまり詳しくはありませんので、
正直「何か間違ったことを書いてしまったのかな?」という不安があったのですが、
◆Bwr5tJDUMcさんの説明を読んで、逆に「あまり間違ったことは書いていなかった」と分かってホッとしました。(笑)

>>44
> ついうっかり先入観で何か誤った解釈を述べていたとしたら訂正しますので、
> 具体的に引用して下さい。

>>53
>私はデネットの志向姿勢の哲学と
> アフォーダンス理論とを比較検討しているわけではないのです。
> (或いは、先に述べたように、私が意図せずに?アフォーダンス理論はこういう
> ものだと先入観で決め付けてしまっているのであれば、訂正しますので具体的に
> その問題部分を抜き出して引用して下さい。)

はい、以下の部分で具体的に仰っています。

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1216155953/8
>アフォーダンスの概念はデネットの提示する志向姿勢と絡めて論じると
>どうなるのかなぁ・・・と、ふと疑問に思ったり興味はつきません。
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1216155953/128
>「行為の可能性」という意味でのアフォーダンス概念はデネットの提示する
>志向姿勢の哲学と大きな差異があるわけではないですし、表現が違うだけと
>評価するのが妥当だと私は考えます。
64春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2008/07/23(水) 09:22:39 ID:KOE6deLf
>>63続き

今回の議論の食い違いは、当初の◆Bwr5tJDUMcさんの↑の反応から、私が
「◆Bwr5tJDUMcさんはゲシュタルト心理学やアフォーダンス理論といった、認知科学を論ずる場合によく言及される
基本的なことに目を通していて、その上で↑のように反応されてるのだろう」と予断を持って思い込んだ点にあります。
そう思い込んだ点は私の非でしょう。謹んでお詫び致します。(深々)

>>43
>一連の春田の蛙さんのレスだけでは、ゲシュタルト
>心理学やアフォーダンス理論がどういったものなのか、今ひとつつかみ難いので

つまりアフォーダンス理論については、◆Bwr5tJDUMcさんは私のレスで初めて知ったような状態だったのですね。
了解しました。それでしたら、『◆Bwr5tJDUMcさんが、アフォーダンス理論を
そのように解釈』というのは確かに私の誤解ですね。これも撤回して謝罪致します。
では◆Bwr5tJDUMcさんも、アフォーダンス理論と志向姿勢について早計に同一視して
論じられたのは、誤りだったとして撤回されるということで宜しいですね?

私の意見は徹頭徹尾、『ギブソンとデネットの両者の見解には共通する部分もあるけれど、
両者の背景にある哲学は異なりますよ。混同は出来ませんよ』という点に尽きます。
ですから、デネット側の“ギブソンとは異なる部分”について挙げていた訳です。

>>52
>ホージランドはデネット側の立場だと思います。
> 少なくともデネットはそう「言明」しています。

そりゃそうでしょう。(笑)
その点でホージランドはデネットと一致してて、そこがギブソンとは違うじゃないかという話なんですから。
基本的に哲学者であるデネットやホージランドと、知覚心理学者であるギブソンを比較するのも難しい話ではあるんですが。
65春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2008/07/23(水) 09:25:15 ID:KOE6deLf
>>64続き

◆Bwr5tJDUMcさんの反応が不可解だったので調べ直してみましたが、デネットは“真正の”利他主義・道徳性といった表現も用いていますし、
それはホージランドが“真正の志向性”として論じた内容とかなり深く一致すると思いますよ。
デネットにとってホージランドは頼もしい知的同盟者の一人ではないでしょうか?

そして私はこれに賛同出来ないし、ギブソンはそれとは異なる(=クオリアや志向性といったことを深刻に考えないで済む)
別の立場で議論していて、私はそっちに賛同してますというだけの話です。志向性やクオリアということを
深刻には考えないという点では、これは別にギブソンだけの特徴ではなく認知科学の主流ではないかなと思いますが。
分かり易いとは言い難いですが、以下の記述↓が実情をよく反映してまとまってるように思います。

http://d.hatena.ne.jp/deepbluedragon/10101010/p1

◆Bwr5tJDUMcさんがそれを『表現が違うだけ』と仰ったので、『いや、ここが違いますよ』と例を挙げたのです。
私が紹介した事例について◆Bwr5tJDUMcさんが妙な疑問を持たれるのは、端的に言って知識不足だからでしょう。
志向姿勢を言う辺りが、デネットが機能主義の中では特殊な立場ということですしね。

私は“あなたがこの分野について一般的に論じられることはご存じなのだろう”と思い込んで(この点が私の誤りです)、
ギブソンのアフォーダンス理論とデネットの志向姿勢について“表現が違うだけ”と仰る◆Bwr5tJDUMcさんの見解への反証を挙げていたのですが、
◆Bwr5tJDUMcさんからすれば『アフォーダンス理論について知らないまま』『志向姿勢と同じ』だと評価されていた訳ですから、
私が挙げる点が『なぜデネットの主張との対立点になるか?』が分からない。それが行き違いの原因ではないでしょうか。

ちなみにクオリアについては、デネットの批判を茂木に対比させるのは難しいと思います。茂木のクオリア論は、彼独自の
相当おかしな内容になっていますから(>>36からの引用でも、クオリアについて述べてある箇所は省いてあります)。
レスの残りの部分についても、追々お返事させて頂きますのでしばらくお待ち下さい。m(__)m
66春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2008/07/23(水) 09:36:08 ID:KOE6deLf
>>54
> 春田の蛙さんは元学会員だったのですか?

いいえ。私は創価学会へ入会したことはありませんし、
創価学会のいう教えを信仰したこともありません。
67 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/23(水) 18:26:21 ID:SMi3sEsf
>>63-65 春田の蛙さん

「アフォーダンス」はギブソンによる造語ですが、この「言語表現」は「通俗的」に
(広くとは言わないまでも)使用されています。特にデザイン業界では
(私もその隅っこに身を寄せているわけですが)一時結構流行った「言葉」なのです。

この「通俗的」「概念」としての「行為の可能性」が「アフォーダンス」であると
捉えるならば、「表面上」はデネットの志向姿勢と大きな差異はないという意味で

『「行為の可能性」という意味でのアフォーダンス概念はデネットの提示する
志向姿勢の哲学と大きな差異があるわけではないですし、表現が違うだけと
評価するのが妥当だと私は考えます。(ただ、その行為の可能性の背景に
始原的志向性を認めるとなると話が変わってきますけれどね。) 』
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1216155953/128

と私は述べているのです。「何か」を環境が私達に「提供し」(afford)それを
私達が受け止める(affordable)という考え自体がまさに「志向的な構え」では
ないですか。その「何か」を「アフォーダンス」と呼称しようが、別の表現を
用いようが、「これだけでは」デネットの提示する「志向戦略」と対立するとは
言えないのです。

ただし、この議論を突き詰めていった場合に志向性帰属の問題として始源的志向性/
内在的志向性の教説を擁護するのであれば、話が変わってくる(デネットの戦略と
対立する)というお話をしているのです。(ここで私は「アフォーダンス概念」に
ついて述べていますが、それが「ギブソンのアフォーダンス理論」とまったく
同じだという話をしているわけではないことに注意して下さい。)
68 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/23(水) 18:27:54 ID:SMi3sEsf
>>67からの続き)

「では◆Bwr5tJDUMcさんも、アフォーダンス理論と志向姿勢について
早計に同一視して論じられたのは、誤りだったとして撤回されるということで
宜しいですね?」これはまったくの誤解なのです。

春田の蛙さんが「はい、以下の部分で具体的に仰っています。」と引用して
おられるのと同じレスの後半を無視しないで頂きたいのです。

「コフカやレヴィンのゲシュタルト心理学やギブソンのアフォーダンス理論と
デネットの哲学姿勢との差異については・・・、どうなんでしょうかねぇ。
興味はそそられますが、ゲシュタルト心理学がよくわからない今の私には
手に負えません。」
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1216155953/128

「アフォーダンス」を「抽出」することを具体的にどの様に捉えるのかについて、
ギブソンが構築している統一的・体系的な知識内容がどういったものなのか、
私はあまりよく知らないのです。(だからといって、「全く知らない」とか
春田の蛙さんの「レスで初めて知ったような状態」というわけではないことに
注意して下さい。)

春田の蛙さんのこの点に関する「了解」は「誤解」です。
69春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2008/07/23(水) 20:28:12 ID:KOE6deLf
>>67>>68 ◆Bwr5tJDUMcさん

……それは通俗的意味などと擁護出来るレベルの話ではなくて、単なる無知とカンチガイによる誤用です。

うーん……つまりですね、◆Bwr5tJDUMcさん。
仏教の話をするという前提で、有我論的に「我即宇宙」などと言ったら、それは単なる間違いです。
雪山童子さんに対しては、私と一緒にあなたもそう追及なさったのだから、これは認めますね?

けれども、仏教の教えを通俗的にそう誤解してるケースは、歴史上を見ても珍しくない話です。
というより、縁起説や無我・非我論は分かり難いですから、分かり易い有我論にすりかえて
仏教を理解したことにしてしまう。そういう誤魔化しは、何も創価学会に限った話ではないのです。

――ですから、ここのスレタイは「学会退会をビビル人へ」ですが、様々な意味で学会員さんが退会に伴い
謂われない恐怖を感じてしまう…そうなってしまう理由の一つは「本当は学会が正しいんじゃないか?」という気持ちが
たとえ僅かであっても内心拭いきれないことでしょう。その奥底にある要因には、“仏教や日蓮の教え”より“創価学会の創作した偽仏教”のほうが、
私たちの日常的な常識というか普通の考えには“むしろよく一致する”という側面があります。

これは、キリスト教系カルトの場合も同じです。マトモなキリスト教会であれば、
救い主イエスが我々人間の罪を背負って処刑された、よってあなたは原罪から救われたのだと教えます。
が、そう言われても現代社会を生きる我々の、普通の感覚からはピンときません。

そこで――例えば統一教会などは5%の責任分担などといった新たな神学を作り出し、イエスだけでなく私たちの側にも
“救いについての自立と自己責任”を求めます。けれどもこうした教義だけを見れば、他のマトモなキリスト教会全てよりも、
統一教会のほうが“私たちの日常的な常識に近い”分かりやすく正しいことを述べているような感じがするのです。

アフォーダンス理論とは、志向姿勢のような単なる既知の理論の焼き直しではなく、知覚理論におけるコペルニクス的転回と評価された理論です。
70春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2008/07/23(水) 20:31:42 ID:KOE6deLf
>>69続き
だからこそ、従来とは全く違う概念を説明するためにギブソンは新たな造語を作らなければならなかったのであって、
カルトやマインドコントロールのような元々通俗用語だった言葉ならともかく、知覚理論のための専門用語をそこまで違う意味に用いるのは単なる誤用です。

まして、私は初めから知覚理論の話題として、ブレンターノを引用し志向性と対比して論じています。
それを勝手に誤解したのは、◆Bwr5tJDUMcさんの非です。アフォーダンスをそのように解釈するのは、単なる間違いです。

分かりやすく一例を挙げましょう。アフォーダンスは環境が生物に提供する価値を指しますが、その価値は生物の志向性や主観に関わらず実在します。
生物の側がアフォーダンスを抽出し損ねることはあっても、生物の側の解釈によってアフォーダンスは変化しません。

――新鮮な食物は人間にとって“食べられる”という価値をアフォードしますが、その価値情報を人間側が
ピックアップし損ねても、食べられるキノコが毒キノコに変化したりはしないのです。
この考え方は“主観的な解釈によって不幸や不運は仏罰になるか?”という問いへの強烈なアンチテーゼとなります。

アフォーダンス理論においては、生物から環境を解釈するのではなく、情報の環境から生物へという向きを考えるのです。
だからこそ、アフォーダンスなのですよ。生物の側からの解釈や志向性ではなく、環境が生物に価値をアフォードするのです。

大体知覚理論の世界においては、当時今さら志向性なんて話を解釈し直したくらいでは驚かれたりしませんよ。
それまでとは全く違うことを言ったからこそ、アフォーダンス理論は多くの専門家から驚かれたし、その評価が高いから
一般の世界でも知られ、アフォーダンス理論について理解出来ない人までが、そのブームに乗ろうとしたのではありませんか?

◆Bwr5tJDUMcさんのお話は、言ってみれば、相対性理論や量子力学のブームが起きたとき、それをよく理解出来ない人までが
理解出来ないままに自分の常識に当てはめて、これらを語りたがったり商売に取り入れたのと同じでしょう。
しかし、そのような“俗流”相対性理論や量子力学を、通俗的相対性理論とか通俗的量子力学とは言えません。それは単なる間違いです。
71 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/24(木) 00:33:56 ID:roZL4gEA
>>69 春田の蛙さん

「……それは通俗的意味などと擁護出来るレベルの話ではなくて、単なる無知と
カンチガイによる誤用です。」と春田の蛙さんはおっしゃいますが、どこが
どのように「誤用」だというのでしょうかね?春田の蛙さんのレスでは、
その説明になっていないのです。(私からすれば「単なる」とはいいませんが、
それこそ「無知とカンチガイ」です。)

私は「通俗的」「概念」として「諸法無我」や「梵我一如」を説明しました。
「神」や「仏」として、「言語に頼らない啓示」を「与えた」わけでは
ありません。今回の「アフォーダンス」「概念」も同様です。

「アフォーダンス理論とは、志向姿勢のような単なる既知の理論の焼き直しではなく、
知覚理論におけるコペルニクス的転回と評価された理論です。」

哲学的アプローチと心理学的アプローチを比較検討するにしても、これでは
あまりにも乱暴ではないですか。(しかも、はっきり言えば、春田の蛙さんは
デネットの議論を誤解しまくってますよ。「実質的には」既に指摘していることに
なるのですが、後述します。)

私の理解では(ギブソンの「アフォーダンス理論」を具体的に詳細にわたって
知っているわけではないものの)ギブソンやエヴァンスの「知覚」への
アプローチは「生態学的」であり、しかも伝統的な知覚理論を否定したことが
「コペルニクス的転回」と評価される所以ではないかと思えます。
72 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/24(木) 00:35:08 ID:roZL4gEA
>>71からの続き)

「アフォーダンス」「概念」自体と「アフォーダンス理論」とを混同すべきでは
ありません。知覚者(人間)の身体的行為の可能性(つまり「アフォーダンス」)が
感覚器官が受容した情報と「対応」しており、これを「抽出する」ことが、知覚者の
行為を「促し」、知覚者は行為することによって環境世界の情報を得ると共に、
その情報を得ることが再び行為を「促す」というのが、ギブソン流の「知覚」への
アプローチなのではないでしょうか?(私はあまりよく知りませんが、
これぐらいは知っているのです。これは「誤用」なのですかね?どうして私が
わざわざ、あえて「」で強調しているのかを春田の蛙さんは理解できていないの
ではないでしょうか。)

そして、こういった「理論」は、認知作用の形式として、この世界の事物を
追いかける手順のようなものが認められ(これは実証的にですよ)その事物について
更なる情報を必要とするときには、表象物よりも事物そのものを調べることでその
「表象」を最小化することができるという点においてのみ、(再度強調しておきますが、
「その点においてのみ」)環境は「意味・価値」を生物に「提供する」というものであって、
この環境や社会集団の中での個体の広義或いは自然主義的な心理学からの「生態学的」
アプローチが、その枠組みを越えて自然言語の意味論、様相論理学の意味論と形而上学
や、その他の種々の分野の「真理」に収斂するさまざまな異なる理論的試みの目標や
仮定を「ときほぐすことに成功した!」というものではないはずです。
(ギブソンの理論が取るに足らないものだという趣旨ではないですよ。
それはすばらしいものですし、経験的問題を提起できる内容だと思います。
ただし、上記の分野の問題を一挙に解決できる程の「コペルニクス的転回」では
ないのです。まだそんな「転回」を誰も為し得ていないでしょうし、私は
「(ある種の)転回」に関してデネットの立場に賭けるという話をしているのです。)

これは「通俗的」「概念」としての「志向戦略」や「アフォーダンス」に関する
私の「言明」です。
73 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/24(木) 01:21:46 ID:roZL4gEA
>>71からの続き)

さて、私は今回一連のレスの中で「はっきり言えば、春田の蛙さんはデネットの議論を
誤解しまくってます」と「言明」していますが、何が「誤解」なのか言って欲しいと、
春田の蛙さんが願っていることを私が信じることができると春田の蛙さんが認識
できるということを私が言っているつもりかどうか春田の蛙さんが理解していると
確認するのは春田の蛙さんにとってどれほど難しいか私が気がついているのかどうか
春田の蛙さんが心配しているのではないかと私は疑っています。そして、その疑いを
春田の蛙さんが認識できるということを私がry

「通俗的」「概念」を用いた通俗的ではないお話はこれぐらいにしておいて、
再度、何が誤解なのか指摘してみます。

すぐ上の通俗的ではないお話で何を示唆したいのかというと「誤信念課題」の
話なのです。猿でも人でもいいのですが、ある対象に志向姿勢をとるということは
(もちろん試験的にという意味です)「信じる」「欲する」といった志向的
イディオムを用いて、その対象の行動(或いは「ふるまい」)を特徴づけ、
予測し、説明しようとすることであり、その対象の合理性を仮定する(或いは
前提とする)ことを決断することなのです。

デネットの立場からすれば、その対象がたとえ猿であっても、コンピューターで
あっても、「環境」であっても、「母なる自然」であってもです。
(これがどういう意味なのかを春田の蛙さんは理解できていないようですね。)
74春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2008/07/26(土) 09:07:57 ID:???
>>71-73 ◆Bwr5tJDUMcさん
> 私の理解では(中略)ギブソンやエヴァンスの「知覚」へのアプローチは
> 「生態学的」であり、しかも伝統的な知覚理論を否定したことが
> 「コペルニクス的転回」と評価される所以ではないかと思えます。

……あのー、それで◆Bwr5tJDUMcさんの>>72の説明のどこが、“コペルニクス的転回”で“伝統的な知覚理論を否定”したことになるのですか?
>>72の説明では、ギブソンは誰でも思い付く当たり前のことを、当たり前に説明しただけになります。

難解な表現に置き換えたり言い回しを変えてみても、それで対象をより正しく厳密に記したことになる訳ではありませんよ?
ギブソンは伝統的な感覚主義、間接知覚論を否定した↓のです。◆Bwr5tJDUMcさんは、この辺りを根本的に誤解してませんか?

http://dynamictouch.matrix.jp/psystems.php

>「アフォーダンス」「概念」自体と「アフォーダンス理論」とを混同すべきではありません。

では、◆Bwr5tJDUMcさんは自分ではどういう風に「アフォーダンス」「概念」自体と
「アフォーダンス理論」とを“区別”しているつもりなのですか?

> 私はあまりよく知りませんが、
> これぐらいは知っているのです。これは「誤用」なのですかね?

はい、誤用ですね。微妙に正しい部分もありますが肝心な点が誤りです。
その説明だったら“視覚に関するアフォーダンス”は、網膜に投影された画像に“対応”し、その“網膜画像”から
アフォーダンスは“抽出”され、その意味においてのみ“表象が最小化”されることになりませんか?

“事物そのものを調べること”で表象を最小化できるという点のみが「環境が価値を提供する」という意味だと
仰っていますが、郵便ポストは、手紙を書いた人間に手紙を郵送することをアフォードします。

では郵便ポストそのものを調べることで、どう郵便システムを知覚するのですか?
それに、「郵便ポストが使いやすいデザインをしているかどうか」と、「それが郵便ポストかどうか」は本来無関係でしょう?
75春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2008/07/26(土) 09:11:13 ID:???
>>74続き

しかし、「実際の郵便ポストが(これだけが)郵便制度のある地域では手紙を書いた
人間に、手紙を郵送することをアフォードする」(ギブソン、「善悪は実在するか」より孫引き)のです。
郵便ポストと間違えてゴミ箱に手紙を入れても、手紙は郵送されません。
人間がロボットに“心がある”と感じたからと言って、ロボットに心が生まれる訳ではありません。
従って、創価学会員や日蓮正宗信者がどれだけ強く心から願い信じたとしても、
いかなる本尊にも功徳も仏罰もありません。私が書いているのは、そういう話です。

……うん、通俗的にと仰ってましたね。では“ギブソンの”アフォーダンス理論から離れて、
少し広義にアフォーダンスの概念を論じてみましょう。通俗的かつ些か乱暴な説明にはなりますが。

アフォーダンス
http://dynamictouch.matrix.jp/affordance.php

アフォーダンスを利用するのに必要なのは、知覚者の知覚システムです。
しかしここで言う知覚システムには、感覚器官や神経や脳や筋肉といった特定のものは、必ずしも必要ではありません。
植物も含めて、私たちあらゆる生物はアフォーダンスを利用している知覚システムの束と考えられます。

アフォーダンスという言葉で表される訳ではありませんが、ロボット制御におけるこれと同様の概念を用いた手法を
ビヘイビアベースト制御と言い、その一種であるサブサンプションアーキテクチャ(以下SA)によって設計されたロボットは、
従来の人工知能と異なりフレーム問題に陥りません。このSAの背景には、アフォーダンスと同様の概念があります。

アフォーダンスは、“事物そのものの物理的性質”にも“感覚器官に受容される情報”にも
必ずしも“対応”はしておらず、例えば人間が“利用可能な面”という視覚的なアフォーダンスを
知覚するとき、必ずしもそれに対応する“光学的な像”が網膜に結ばれてる訳ではありませんし、
“利用可能な面”が物理的な意味で実在するとも限りません。
76春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2008/07/26(土) 09:17:05 ID:???
>>75続き

にも関わらず知覚者は環境から“直接”アフォーダンスを“抽出”していて、しかもそれは主観的な解釈などではなく、
“環境と知覚者によりアフォーダンスは一義的に決まる”というのがこの概念のキモです
(ここまでがギブソンの実験に基づいた正確なアフォーダンスについての説明です)。

つまりこうした捉え方における“知覚者に環境が提供する価値”が、アフォーダンスと名付けられている概念なのです。
ですから知覚者の行動は、“知覚者の中枢(知性)”によってではなく、
『ある意味』環境が提供するアフォーダンスによって“制御”されています。

↑これがおそらくは後で紹介する、アフォーダンスが応用(誤用)されたデザイン関係のアフォーダンスの本のレビューでの、
複数の方の「ミスをするのはデザインのせいで人間は悪くない」といった感想にも繋がります。
つまりその意味では、SAによって設計されたロボットはフレーム問題に陥らずに行動出来ますが、
しかし決して騙されないという訳ではありません。環境に適応しヒラヒラと飛び回る蝶が、
時に蜘蛛の巣に引っかかってしまうようにはやはり騙されてしまうでしょう。

と、こうしてアフォーダンスという概念からあまり話を広げると、ギブソンの理論からは離れてしまいますが。
実は、こうした概念が世の中に広まったせいで、犯罪の取締りに関して幾つかの社会問題も起きています。
だって、「犯罪の原因は犯罪者本人ではなく環境」ということにもなってしまいますからね。
この種の考え方で有名なのが、犯罪機会論の一つである「割れ窓理論」です。
これは現在日本においても、実情というよりむしろ“信仰”に基づく犯罪への社会的対処を生み出してしまっています。

しかしギブソン的には生物と環境は一体不可分と捉え、その全体にこそ精神性を見る。
だからこそ“生態学的実存主義(エコロジカル・リアリズム)”と呼ばれるのですよ。
このように、アフォーダンスという概念はギブソン的な理解からやや離れた意味でも、現在は使われています。
77春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2008/07/26(土) 09:20:28 ID:???
>>76続き

専門家、学校教育への応用、デザインに携わる一般の方々等々、以下にその例を幾つか挙げましょう。

ロボット工学への応用
http://www-kasm.nii.ac.jp/papers/thesis/dthesis/9761012/dthesis.pdf
アフォーダンスと日本語教育について
http://wwwsoc.nii.ac.jp/nkg/kenkyu/2006/2006-4-houkoku/001-56all.pdf
アフォーダンスと体育教育について
http://www.cc.mie-u.ac.jp/~ln20104/yato.pdf

存在論や形而上学への応用
http://wwwsoc.nii.ac.jp/pssj/program/program_data/35ws/Kankyo1.pdf

ノーマンによる“アフォーダンスの誤用”とデザイン分野での流行
http://www.fladdict.net/blog-jp/archives/2005/06/post_86.php
http://blog.asanoken.com/?eid=506726
“誤用されたアフォーダンス”のデザイン論に対する、一般の反応(アマゾンレビュー)
http://www.amazon.co.jp/review/product/478850362X/ref=dp_top_cm_cr_acr_pop_hist_all?%5Fencoding=UTF8&showViewpoints=1
webデザインとアフォーダンスについて
http://uddesign.blognext.jp/blog/c/10000598.html

アフォーダンスと割れ窓理論について
http://gijutu.blog.drecom.jp/archive/136

……以上のようにアフォーダンスについては、専門家の学術論文から
一般匿名の方のアマゾンの書評まで、ほぼ全てにおいて私がしたのと共通点を持つ説明で一致しています。
それぞれ理論としては差があったり、理解が誤っていたり、アフォーダンスをかなり広義に論じていたりしますが、
その概念は、“私がこれまで述べた意味で”の『環境が知覚者に提供する価値』として共通です。
78春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2008/07/26(土) 09:28:56 ID:???
>>77続き

通俗的な意味でのアフォーダンスの理解(誤解)は、「環境が私たちに提供する価値があって、
それに私たちの行動は左右されてる。だからその原因は環境の側にある」といった辺りでしょう。そこから
「マニュアルを読まなくてもパッと見て使い方の分かるデザインが好ましい」といった類の主張になるわけですから。

このように本質的には誤用してる場合でも、普通はある程度は概念を分かって(どうも環境と動物の関係について
普通と逆のことを言ってるらしい……とは理解して)皆さん言葉を使っていますから、志向姿勢と混同したりはしません。

あなたの誤解は、まず正確なアフォーダンスの意味をノーマンが誤用し、誤用されたアフォーダンスが
デザインの世界で流行し、更にその誤用されたアフォーダンスを◆Bwr5tJDUMcさんが勝手に再定義したことによるのでしょう。
どうしても言い張るなら、他にアフォーダンス概念≒志向姿勢だと、説得力ある主張をしてるソースを貼って下さい。
そうでない限りは、◆Bwr5tJDUMcさんだけの脳内定義です。

……私がロムしてる別板のスレッドでも、先日やっぱり互いの解釈の違いでグダグダになるというやりとりがありました。
そこに、ゲームのセリフですが↓のような言葉を張り付けた方がいらっしゃいます。

http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/army/1213789788/723

もちろん、周りにただ合わせるというのも危険な態度ですが、世界のほうが間違っていて
自分一人が正しいと感じるのも、同じように危険な態度だと思いますよ。

最後に……もしあえてアフォーダンス『的』な概念から志向姿勢を論じるなら、人間は“本当は心のない相手”にも
心を見出して、その対象の利益になるように“行動を操られることがある存在”ってことにでもなるでしょうか。
……その相手がただの板や紙であるご本尊であっても。

……これはずいぶん皮肉で切ない解釈ですが、猫などのペットが時に飼い主を操る現象なども同様の類推で
理解出来ますから、私個人は納得いく解釈です。私自身という人間も、所詮その程度の存在ですし。
例えば学会員さんたちの多くが創価学会に騙されているとして、アンチである私はそれより優れてるという訳ではありません。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 16:48:41 ID:???
アンチは修羅だな。
80名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 17:19:51 ID:KT+ZyLV5
創価学会の【大量替え玉投票事件】昭和43年7月10日(毎日)投票の入場券10万通消える 大量の不正投票か 世田谷など本人の手に届かず(学会から逮捕者)
81名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 17:21:35 ID:KT+ZyLV5
創価学会は●アメリカ(上院)(下院)●フランス ●ドイツ ●チリ ●ベルギー ● オーストリア でカルト(セクト)指定されていて、危険な団体として監視下にある。その中の理由として『秘密の仕事がある』と理由が挙げられている。
82 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/26(土) 22:17:18 ID:M3FmeFdd
>>74-75 春田の蛙さん

「座りやすそうな」椅子とか、「おいしそうな」食物とか、「握りやすそうな」
ドアノブとか、こういった「概念」の説明として、たとえば、椅子の事例でいくと、
座ること(或いは「座りやすそう」)という「要請」は「あくまでも」知覚者「側」の
「心の働き」によるものであるとするのが伝統的な知覚理論です。環境(世界)
自体に「意味・価値」があるのではなく、それは「心の働き」によって生み出される
(与えられる)のであり、「行為」は「知覚」による余剰的なもの(剰余変数)に
すぎないとする考え方です。

言い換えるならば、伝統的知覚理論では『感覚器官が受容した情報を「中枢」で処理
(つまり「解釈」し)その「解釈」が「身体的行為の可能性」であり、「あくまでも」
行為は「中枢」の「解釈」による余剰的なもの(剰余変数)にすぎず、環境(世界)
自体に「意味・価値」があるわけではない』となります。感覚器官が受容するのは
光や音といった所謂「感覚刺激」であり、その情報を「中枢」が処理「解釈」して、
その「解釈」が余剰的な形で「座りやすそう」な椅子に「座る」といような形で
「行為」を促すということになります。この立場からすれば、「行為の可能性」とは
「単なる」「解釈」にすぎないわけです。
83名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 22:18:28 ID:W6VrIqBG
学会3世ですが、学会を脱会したいと考えていますが、親・親戚・兄弟も学会員です。もし脱会すると親・親戚・兄弟とは縁を切られてしまうのですか?あとどのようになるか教えて下さい。
84 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/26(土) 22:18:48 ID:M3FmeFdd
>>82からの続き)

ギブソンはこれに対して、感覚器官が受容した「情報」に「身体的行為の可能性」が
「対応」しているのだとするわけです。「中枢」の「解釈」による余剰的なものが
「行為」というわけではなく、「知覚」と「行為」は相補的・循環的関係にあり、
人間(或いは生物)は環境(世界)自体から「身体的行為の可能性」を直接的に
「抽出」しているという考えです。これは知覚を「能動的」な身体的活動の
全体として捉えることを意味します。そして「能動的」とは知覚者に限ったこと
ではなく、環境・生物の相互の関係性を指し、その意味において環境は「意味・
価値」を「提供する」のであり、その「提供される」情報が「アフォーダンス」
だというわけです。

ギブソンからすれば、環境が「提供する(afford)」「アフォーダンス」「としての」
情報を感覚器官は受容(affordable)しますが、それは、たとえば視覚的風景の
「変化」「つながり」「まとまり」といった形で環境(世界)自体に遍在する、
(或いは包摂される)ものであり、所謂「感覚刺激」「としての」物理特性で
あるとは「限らない」という考えなのです。
85 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/26(土) 22:20:09 ID:M3FmeFdd
>>82からの続き)

乱暴な言い方をすれば、「心の働き」「知覚システム」を知覚者を含めた
環境全体に広げて捉えるということです。伝統的な「心の働き」理論(知覚理論)
では、「中枢」の「解釈」によって「行為の可能性」が与えられるということに
なりますが、ギブソン流の「知覚」アプローチはもっと「生態学的」であり、
環境(世界)があってこその「行為の可能性」「意味・価値」なのだという
考えです。環境(世界)に実在するわけではない「意味・価値」を「中枢」が
謂わば「創造」するのではなく、環境(世界)自体にそれは実在するのだという
考えです。進化論との親和性がとても高いわけです。生物・環境の相互作用
システムとして「知覚」を捉えるわけですから「生態学的」なわけですよ。

「“コペルニクス的転回”で“伝統的な知覚理論を否定”した」というのは
そういうことです。(「コペルニクス的転回」でもいいですが、「生態学的」な
部分を強調したければ、「ダーウィン的転回」と言ってもそれ程語弊はないように
思います。)
86 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/26(土) 22:21:43 ID:M3FmeFdd
>>82からの続き)

これは「通俗的」「概念」を用いた「アフォーダンス」「概念」に関する
私の「言明」です。春田の蛙さんは「誤用」だの「肝心な点が誤り」だのと
おっしゃいますが、私の以前のレスと今回のレスの内容は別に矛盾しませんし、
「アフォーダンス」「概念」の説明としてどこが問題だというのでしょうか?

これは以前の私の説明と特に違う内容を述べているわけではありませんよ。
こういった説明は厳密な記述ではありませんし、少々「難解」な側面があるにせよ、
私は今回と以前とで言い回しを大きく変えているわけでもありません。

以前から述べているように、私はギブソンの「アフォーダンス理論」をあまり
よく知らないのです。(まったく知らないわけではないですよ。ギブソンの研究を
詳細に検討したわけではないという意味です。)先に提示した「アフォーダンス」
「概念」を個々の現象や事実を統一的に説明し、予測する力をもつ体系的知識の
根幹として「押し上げる」には(つまりきちんと「理論」化するには)経験的
手法に基づいたギブソンの研究の中身を具体的に知る必要があります。
87 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/26(土) 22:22:55 ID:M3FmeFdd
>>82からの続き)

春田の蛙さんが提示している「網膜画像」の例でいけば、「網膜画像」という形で
既に何らかの「アフォーダンス」が環境から「提供」されているのです。
言い換えれば、人は「網膜画像」という形で既に「アフォーダンス」を環境から
「抽出している」のです。伝統的な知覚理論における「網膜画像」とは意味が
違ってきます。「変化」や「まとまり」といった「情報」が抽出されている
「はずだ」と考えるわけです。

伝統的な知覚理論からすれば、「網膜画像」を所謂「感覚刺激」の
観点から捉えるわけですから、環境から「アフォーダンス」が「提供」されてなど
いなくて、「変化」や「まとまり」といったものは「あくまでも」「中枢」の
「解釈」の産物にすぎないということになります。伝統的な知覚理論からすれば、
「抽出」すべき「はずの」「アフォーダンス」など環境(世界)それ自体には
実在しないということになるわけです。
88 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/26(土) 22:24:23 ID:RNsy9g63
>>82からの続き)

空軍のパイロットがどのような「知覚」によって着陸するのか、動物も含め、
「運動知覚者」「としての」様々な「身体的コントロール感覚」はどのように
「制御」されているのか、ギブソンはこういったことを詳しく研究しました。
「一瞬のひらめき」の形をとる「知覚者」の洞察過程を「アフォーダンス」「概念」に
よって説明するわけです。(詳細は、私よりも春田の蛙さんの方がご存知かと思います。
何度も述べるように、残念ながら私はギブソンの研究内容をあまりよく知りません。)

生物の「能動的」な身体的活動が環境に包摂されている「アフォーダンス」による
ものであるとするならば、「アフォーダンス」という考えを用いることで様々な
事例に関しても統一的な知識としてうまく説明ができる「はず」です。そして、
その考えは今のところ生物の「知覚」に関する時空間における因果関係の軌跡を
「うまく記述できている」のではないでしょうか。

さて、こういった主張内容のどこがどのようにデネットの志向戦略と対立すると
いうのでしょう?
89名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 22:28:46 ID:MMa8ZbQ5
90 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/26(土) 22:43:43 ID:RNsy9g63
>>83
このスレは落ちる一歩手前だったので、あまり人がいないように思います。

●○私、創価学会 脱会しました。○●「Part25」
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1213334307/l50

こちらのスレは以前から継続して脱会に関する情報の提示や悩み相談を広く行って
いるので、こちらで相談してみる方が多くの人から回答を得られると思います。

「もし脱会すると親・親戚・兄弟とは縁を切られてしまうのですか?」

ご家族との関係や、話し合いの内容によって、状況は変わってくると思われます。
ご家族が、いわゆる「バリ信者」の場合と「未活動」の場合とでは反応が随分と
違ってくるでしょう。脱会自体は上記のスレのテンプレを利用しつつ、内容証明
及び配達証明を使用して脱会届けを提出するのがオススメですが、ご家族との
縁を切ってまで(或いは、仕事場や地域での様々なしがらみを振り切ってまで)と
なると、悩みどころですよね。

自立できる年齢・収入の問題や、その他、さしつかえない範囲で83さんの状況を
上記のスレでもう少し詳しく説明しつつ質問してみてはいかがでしょう?
91 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/26(土) 22:57:40 ID:RNsy9g63
>>74 春田の蛙さん

「“事物そのものを調べること”で表象を最小化できるという点のみが
「環境が価値を提供する」という意味だと仰っていますが、」

私はそんなことは述べていませんよ。それでは意味がまったく違うことになります。
不適切な引用はやめて下さい。

「では郵便ポストそのものを調べることで、どう郵便システムを知覚するのですか?」

はい???なんですか、この質疑は・・・。「郵便システム」を志向戦略をもとに
考察するのと、「郵便ポストそのものを調べることで、郵便システムを『知る』」
ことを春田の蛙さんが混同しているだけでしょ。

こういった議論に多少難解な側面があることは否定しませんが、こういうのは
いくらなんでも恣意的にすぎるでしょ。日本語の問題ですよ。
92 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/26(土) 23:05:08 ID:RNsy9g63
>>91からの続き)

「あなたの誤解は、まず正確なアフォーダンスの意味をノーマンが誤用し、
誤用されたアフォーダンスがデザインの世界で流行し、更にその誤用された
アフォーダンスを◆Bwr5tJDUMcさんが勝手に再定義したことによるのでしょう。」

だから、そう春田の蛙さんが思い込んでいるだけで、きちんとした反論がちっとも
提示されていないではないですか。

「どうしても言い張るなら、他にアフォーダンス概念≒志向姿勢だと、
説得力ある主張をしてるソースを貼って下さい。そうでない限りは、
◆Bwr5tJDUMcさんだけの脳内定義です。」

はぁ?ソースは提示してあるでしょ。私はデネットの志向戦略についての議論を
簡単にではありますが、デネットの書籍を引用しつつ示していますよ。
「アフォーダンス」については、春田の蛙さんがソースを提示していますが、
私の主張と特に矛盾するところは見受けられませんけど?

春田の蛙さんの「根拠」は志向戦略を擁護するのは「(極端な)主観主義」に陥る
ことを意味するという「単なる」思い込みでしょ?
(こんなの根拠として通用しませんよ。)
93 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/27(日) 00:12:04 ID:6W5iJb19
>>春田の蛙さん

今回の春田の蛙さんの一連の主張は残念ながらグダグダなのですよ。あまりにも
誤解が多すぎます。

いろいろ先入観はあるでしょうけれど、もう少し冷静に考えてみて下さい。

>>47で述べてましたが、再度提示しておきます。

デネットの出発点は「客観的・物質主義的・第三者的な自然科学の世界」です。
(上記「」内は『「志向姿勢」の哲学』デネット著、白揚社より引用)

■質疑(1)

デネットの具体的な主張内容がどうであれ、春田の蛙さんは、このスタート地点に
異論があるわけではないでしょ?他の地点からスタートすることもできますが、
自然科学に「合理性」や「説得力」があること自体には異論はないですよね?
(数学や物理学がまったく信頼のおけない体系だとは言わないでしょ?)
94 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/27(日) 00:13:31 ID:QF4b4NkT
>>93からの続き)

次は「単純」な「絶対主義」と「相対主義」についての、とても簡単なお話です。
(あくまでも便宜上の簡単な分類のお話です。)

「唯一絶対」の「普遍・妥当性」のある「真理」を目指すことについて、
それを擁護すれば絶対主義です。それを否定し、真理は相対的でしか「あり得ない」、
或いは、さまざまな真理が「あり得る」というのが相対主義です。

ヒュームの普遍と経験を巡るアポリア(難題)は懐疑論の金字塔と言えるでしょう。
クワインの「根底的翻訳の不可能性」やブレンターノの「志向的イディオムの
還元不可能性」やゲーデルの「不完全性定理」といった議論を前にして、哲学的
アプローチを考察する際に、単純・素朴に「絶対〜だもん!」と言い張るわけには
いきません。私達は何らかの形で相対的にならざるを得ないのです。(>>61-62
参照してみてください。)
95 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/27(日) 00:14:36 ID:QF4b4NkT
>>93からの続き)

逆に単純・素朴に「相対主義万歳!」というわけにはいきません。相対主義を
極端に推し進めると「どのような考えも同等に正しい」となってしまいます。
これはナンセンスです。「私は何もわからない」と述べているようなものです。
こういった極端な相対主義を「主観的主義」「文化的相対主義」と呼ぶことも
あります。(必ずしもこの呼称が妥当だというわけではありません。あくまでも
便宜上、半ば挑発的にそういった呼称が用いられることが多いという話です。)

春田の蛙さんがご自身のサイトで展開しておられる倫理観や、このスレで提示
しておられる議論内容を拝見すると、上記のような「極端な」相対主義を批判
しておられるようですね。そこで提示されている詳細な議論内容はひとまず
措くとして、こういった極端な相対主義は通用しない、大いに問題だ、という
点については私は同意します。異論はありません。(そして、デネットも、
そういった極端な相対主義を批判しています。)

■質疑(2)

春田の蛙さんは単純・素朴な絶対主義を擁護する立場なのか?

■質疑(3)

デネットの議論、「志向戦略」は「極端な」相対主義を意味するのか?
96 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/27(日) 00:15:59 ID:QF4b4NkT
訂正:「主観的主義」→「主観的相対主義」
97 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/27(日) 02:39:44 ID:QF4b4NkT
>>93からの続き)

質疑を提示しましたが、私なりの応答を提示しておきますので、比較しながら
春田の蛙さんの応答を提示してもらえればと思います。

■応答(1)

「覚えておくに値することだが、数学と物理学は、世界中どこへ行っても同じで、
原理的には、その社会的階級、政治的好み、ジェンダー(そのようなものがあると
してのことだが)、前科、などのいかんにかかわらず、エイリアンたち(そのような
ものがいるとしてのことだが)にも発見できるものだ。私がこう言うのは、あなたも
お聞きになられたことがあるかとは思うが、最近、科学社会学のある思想学派から
―私はわざと曖昧に言っているのだが―ナンセンスな考えが流出しているので、
これを撃退したいのだ。(中略)立派な科学の客観性と厳密性を容認することが
「科学主義」でないのは、ナポレオンがかつてフランスを統治したことや、
ホロコーストが現実に起こったことを容認するのが、歴史崇拝でないのと
同じことだ。事実を恐れるものは、永遠に、事実探しをする人たちの面目を
失墜させようとするだろう。」(「ダーウィンの危険な思想」デネット著、青土社)

他でデネットが上記と矛盾することを述べているなら話は別ですが(私の知る限り、
そのようなことはありませんけどね)これがデネットの立場です。

数学や物理学が信頼のおける緻密性・厳密性に優れた体系であることの擁護論は
いくらでも挙げることができますし、私はこういった立場を支持します。
98 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/27(日) 02:41:11 ID:QF4b4NkT
>>93からの続き)

■応答(2)

私は単純・素朴な絶対主義を擁護したりはしません。しかしながら、
「単純・素朴に」真理は相対的でしか「あり得ない」と述べるつもりもありません。
これは絶対主義の裏返しになり、自己矛盾に陥ることになります。真理は相対的でしか
「あり得ない」のだとすれば、「どのような命題であれ、それが絶対に正しいという
ことはない」という主張が含まれてしまいます。ということは、この「どのうような
命題であれ、それが絶対に正しいということはない」という命題も「絶対に正しい
ということはない」わけです。自己矛盾ですね。(これは少し前に焼きうpスレでも
話題になりましたね。)

私はさまざまな真理が「あり得る」という立場を支持しますが、実際にどのような形で
どのような内容で「さまざま」なのかということを重視します。何故なら、先にも
述べたようにそれを無視して相対主義を極端に推し進めれば「どのような考えも
同等に正しい」というナンセンスなことになるからです。そして、実際問題として
何らかの形で「さまざま」な真理が「あり得る」にしても、絶対真理(或いは
最終真理)を「仮説」することはその有用性において肯定され得るという考えを私は
支持します。(「ある種の」プラグマティズムを擁護する立場です。これはあくまでも
便宜上の分類名として述べているだけで、あらゆるプラグマティズムを擁護する立場
ではないことに注意して下さい。)
99 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/27(日) 02:42:49 ID:QF4b4NkT
>>93からの続き)

■質疑(3)

デネットの提示する志向戦略は、「極端な」相対主義を意味しません。
(既に多少の説明は提示してあります。)

春田の蛙さんが「主観性」という「概念」を問題とし、「(極端な)主観主義」を
批判しているのはレスの内容から理解できますし、アプローチは違えどデネットも
(それを支持する私もですが)そういったナンセンスな考えを批判すること自体には
同意する立場です。しかしながら、春田の蛙さんは「志向性」という「概念」に
誤解をもとにして過剰に反応しすぎて、危険な方向を向いてしまっているのでは
ないでしょうか。それは自分の首を絞めることになるだけで、うまいアプローチでは
ないと思いますよ。
100 ◆Bwr5tJDUMc :2008/07/27(日) 02:43:41 ID:QF4b4NkT
>>93からの続き)

著者が「本当に信じている(こういった議論の際には、これを単純・素朴に文字通りに
捉えることはオススメしません)」哲学的背景がどのようなものであれ、春田の蛙さんも
紹介しておられた、チャルディーニの「影響力の武器」やハッサンの「マインド
コントロールの恐怖」は志向戦略まみれです。これらの書籍内容の全てを支持
できないにせよ「志向性」や「志向戦略」自体を極端に毛嫌いしたり、非難すれば、
上記の書籍の殆どの部分を否定することにもなるということを春田の蛙さんは
理解できていないようですね。そして春田の蛙さんのレスもまた志向姿勢まみれなのです。

科学を信頼に足る体系であると支持するにしても、緻密性・厳密性に優れた数学や
物理学でさえ完全無欠とはいかないということは認める必要があるでしょう。
だとすれば、どこかで「解釈」というものが「事実上不可欠」であることも認める
必要があります。こういった意味においてデネットは「解釈論者」なのであり、
私も同様に「解釈論者」です。ですが、これは極端な「主観主義」極端な「主観的
相対主義」を意味するわけではないのです。

「アフォーダンス」や「フレーム問題」や、その他のことを論じるにしても、
お互いに基本的な立場がどういったものなのかを確認するのも有効なのではないかと
私は考えます。質疑(1)〜(3)に対する応答をお待ちします。
101G:2008/07/29(火) 01:20:23 ID:MXnUTFl/
学会アンチよ
つか、気づいてくれ
お前ら必死すぎて
熱伝わらんわ〜
ある意味お前らの敗北
102名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/29(火) 01:24:21 ID:???
↑おまえ必死だね
103名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/29(火) 01:44:24 ID:???
>ある意味お前らの敗北

本筋では勝ってるって事か(馬鹿
104名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/12(火) 15:20:30 ID:???
アドベンチャー
105名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/27(水) 19:17:47 ID:???
あげ
106ガーデンハイツ
創価集団ストーカーのゴミは裏で妙な洗脳電波で大儲けしてないで即シネよ。

妙なヤメ方したら洗脳電波漬けにされて自演テロの駒に使われそうだな。