>>776 これは、どこかが「おかしい」と思わないでしょうか。
数学では背理法という証明法があるのをご存知ですか?たとえば、√2が
無理数であることを証明する、というアレですね。
そうです、ここが背理法の出番です。
この場合、もし√2が有理数であったと仮定したとき、そこから演繹される
結果が、その結果として矛盾を招来して困ったことになる、となった場合、
その理由は、最初に仮定した「√2は有理数である」という前提が間違って
いたのだ、として、「√2は有理数ではない=無理数である」と証明する
手法です。
結局、日蓮という誤謬から出発して論理を構築した結果、
本尊論などの、もともと存在していた日蓮教というものの
矛盾が今になって露(あらわ)になった
ということでありません。
なぜ本尊が大事なのでしょうか?それは修法のためのただの道具である
から大事なのでしょうか、それとも、尊崇の対象としての「ご本尊」だから
でしょうか。
もし後者であるとすれば、それは「日本の宗教法人法で定める信仰の対象
としての物体があることが宗教団体として存在するための条件だからなの
かもしれないですね、つまりそれは宗教を運営する側のための必要条件
だからでしょう。それは独立した宗教法人として存在せんとした創価学会
にとっても必要条件になっているわけですね。