>>1 いや、実はお題目とほかに大事なことを守れば、窮地が救われて苦しみが
軽くされて、うまくすれば救われることがあります。
それは、自分は宇宙の絶対者、創造の主なる神、天の神の前に立っている
ことを知り死後の運命はその存在に委ねるしかないことを知ること。その裁き
の前に立つときには私たちにはもうどうすることもできません。
そして、最後に結果が、どうなろうとも、その存在にすべてを任せて委ねる
ことしか残されていないことを知ること。
そして自分が悔い改めるべきと心にあることを、その存在の前に言い表し、
赦しを願い、すっかり委ねて、ついに赦されたと受け止められたらすべてを
その神にお任せし、自分のすべてをその絶対者なる宇宙の作り主に願いを
述べて毎日祈る。
こうすれば自分が死に至る前に、答えを得、最後は願いを聴き入れてもらう
ことができることでしょう。
「神は私たちが受け切ることができないほどの試練にあわせ給うことはありません、
必ずそこからの出口を頂くことができるからです」(聖書)
お題目を唱えただけで救われた人々とは実はこの同じ絶対者なる神の恵み
を頂いて、その明け渡した心の故に救って頂いたということでしょう。もしお題目
だけで救われないと感じておられる創価学会の方、日蓮正宗の方がおられ
ましたら、この全能の父なる神に祈ってみてください。
信じる者に神様の憐れみと恵みが、今も後も、ずっとずっと限りなく、ありますように
>>518(追記)
南無、妙法、蓮華経...
開經偈(かいきょうげ)
無常上甚深微妙法(むじょうじんしんみみょうほう)、
百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)、
我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ)、
願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)
懺悔文
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞう しょあくごう)、
皆由無始貪瞋痴(かいゆうむし とんじんち)、
従身口意之所生(じゅうしんくい ししょうしょう)、
一切我今皆懴悔(いっさいがこん かいさんげ)
主の祈り
南無天の父なる神様、御名を崇めます、
御国が来ますように、御心の天になるごとく、地にもなりますように
我らの日々の糧を、どうぞ今日もお与えください
我らに罪を為す者を、我らが赦すごとく我らの罪をも、お赦し下さい
我らを苦しみと試練とに遭わせ給うことなく、悪から救い出してください
国と力とご栄光とは、ことごとく、あなたのものだからです