三鳥派は吐菩加美神道・烏行神道

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1波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6
日秀師の起こした三鳥派とはどのようなものであるか、なかなか
わからなかった。

江戸時代突然発生した異流義であり、弾圧され痕跡が完全に消されて
いるため、なかなか実態が掴めないでいた。

以前日蓮大聖人の神道観は、現在日蓮宗が入れている吉田神道ではなく、
渡会神道を基礎にしている、という主張をしたことがある。

石山の場合は、他の法華集団の神道観とは別に、突然変異した、という
私の予感はなんとなくあたっていた。

三鳥派は吐菩加美神道・烏行神道の影響を強く受けていたのだ。
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 10:40:58 ID:???
三鳥派は正宗系にとってタブーなのか?
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 10:48:55 ID:???
板違い
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 11:16:56 ID:???
タブーだよ
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 12:38:21 ID:???
>>4
じゃあ、なおさらageなければwwwwwwwwwwwwww
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 16:58:25 ID:???
波木井さん、詳しい説明をお願い。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 17:27:54 ID:???
板違い
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 18:06:46 ID:gN3H7dwU
三鳥日秀っていう人の、御本尊がヤフオクに出てた。3〜4ヶ月前だったと
思う。
9波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/24(月) 21:52:41 ID:???
詳しい話はこれからボチボチと行きましょう。

日秀さんの御本尊?
どんなでしたか?
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 00:17:30 ID:???
日秀さんって、日号が付くくらいの坊さんだから、正宗内でそれなりの
地位があった。

でも異流儀を唱え始めて、大聖人をも超える存在に自分を位置づけ
ようとした。

どうも正宗系には、大聖人を仏とするくせに、大聖人をないがしろに
してしまう傾向があるなw
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 00:25:58 ID:???
>>9

たまに、ヤフオクで「日蓮 曼荼羅」と入れて検索するんですよ。
大半は日蓮宗系のものですがね。

日秀さんのは、中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」と書いてあり
有供養者福過十号 と 若悩乱者頭破七分 が最上部の左右に
横書きで書いてありましたね。「ハ」の字の様に。

あまり詳しくは覚えてませんが、後は、富士門流のと差異はな
かったような。確か、1000円で落札されていったかと。w
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 03:16:36 ID:???
http://www.kosho.ne.jp/~kotenkai/tokusen/gazo/gp2184.html

ゴメン、記憶違いだった。波木井さんスイマセンねぇ。
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 03:21:28 ID:???
http://www.kosho.ne.jp/~kotenkai/tokusen/mok006.html

下の方、御本尊いっぱい。w
14波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/25(火) 15:09:44 ID:???
どうやら日秀さんは、吐菩加美神道の井上教祖から呼吸法とか
習っていたそうです。
習合の仕方はわかりませんが、日秀さん独特の考えだった
ようです。

この吐菩加美神道は現在の神道とは違い、玉振りの神道で、
当時すぐに幕府から禁制になったそうで、資料が少なく調査が難しい。
15波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/26(水) 02:28:13 ID:ZW5Ew7Ct
ここでちょっと整理しておきます。
みなさんも神道には詳しくないと思いますので。

日蓮大聖人=度来神道(伊勢外宮神道)※波木井坊自説
日興上人=古神道・役の行者の修験道系神道
日秀師=吐菩加美神道・烏行神道

現在の日蓮宗=吉田神道
現在の日蓮宗内霊断師=吉田神道・仏教系神道各派・修験

です。
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 02:33:13 ID:umL5oGbv
正宗系はこういうのを無視しちゃいけません。
17波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/26(水) 02:37:39 ID:ZW5Ew7Ct
この日秀師の吐菩加美神道は、不明な点が多い。

不受不施派と同じで弾圧され教祖や信者は弾圧された
歴史かあるので秘密主義で、弾圧時に資料も焚書され
たので調べにくい。

日興上人の神道も実はあまり資料がない。断片として
本門寺の垂迹堂の本迹関係や一部の特殊な書写をした、弟子達の書写本尊から
推測するしかない。

ただ日蓮大聖人も日興上人も正史と呼ばれる神道観をベースにしている。
18波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/26(水) 02:44:00 ID:ZW5Ew7Ct
後、現宗研の石川師が、その研究から、日蓮大聖人の神道観に゛日天子・月天子゛とよく
この語句が出る事から、非常に強い北斗信仰があったとされている。
幼少の頃から北斗信仰・妙見信仰があったと指摘する
石川師の指摘は興味深く、私の持論を補強するものだ。
19波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/26(水) 02:58:22 ID:ZW5Ew7Ct
話を戻すが日秀師派は、三鳥派でありながら、葬式は下条妙蓮寺でやっているので、
昔から石山容認であったとされる。
同時代、黒住教教祖や天理教の中山みきが、生まれていて、もうすぐ教派神道が産声をあげる直前。

石山は要山から連続9人の人が入って、事実上一山制だった時代。

途中、学会得意の日精師、その後にあの日寛さんがでてきて、
三鳥派弾圧となる。村山村民に、盗人のぬれぎぬを着せて島流しにし、
役人が断崖絶壁から突き落としてしまう。
20波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/26(水) 03:04:32 ID:ZW5Ew7Ct
石山周辺の状況はと言うと、富士講がさかんで、
石山そばの道の、
甲府に至る塩の道を富士講信者がたくさん人穴に参拝する。
参拝客目当てに石山は、あの有名な゛完器講゛を組織し、御開帳制度を
導入する。
当時、電気とモーターがあれば、さぞもったいをつけて、
丸太本尊を御開帳したに違いない(笑)
21波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/26(水) 09:46:47 ID:ZW5Ew7Ct
天下はと言うと、天明の大飢饉があった。
既成宗教は寺社奉行所の管轄下におかれ、何も出来ない状態で、
僧侶の布教の自由は制限され、檀家制度で動きが封じ込められていた。

逆に講は、お参りに限定はされても、手形なしで諸国を自由に行き来できたから、布教の主体は在家にあった。

日秀師が影響を受けた吐菩加美神道は、水戸学・国学からは、
左道神道だと弾圧されたが、元来は正統な賀茂神道系を基盤にした
教派神道で、こちらも大衆からおきた神道であった。
22波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/26(水) 10:17:20 ID:ZW5Ew7Ct
ただここで注目すべきは、石山近隣の北山本門寺・西山本門寺・小泉久遠寺に、影響を与えた痕跡がない。

妙蓮寺と石山の間には東光寺があるが、やはり痕跡がない。

幕府から禁制となったから、富士派の歴史から消されたのか、
それとも石山だけの゛突然変異゛かは定かではない。
ただ北山には若干の教義変更があった事を伺わせる動きはあった。
北山にあった鬼子母神像が、宮原の法華寺に移された。
現在でも富士派でありながら鬼子母神祭を行う。
近隣には題目を刻んだ碑や宮原八幡宮があり、小さい
宿場があったから富士講登山客を当て込んで、
石山の完器講と競い合いしたのかもしれない。
23波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/26(水) 10:29:21 ID:ZW5Ew7Ct
創価学会沼津の金城会で指導的立場にいる金原氏が、
七年前ほど愛鷹山の山中に、三鳥派の遺跡があるとの論文発表を行った。
沼津明治史料館で展示もされ、金原氏の研究内容が公表されたので、
それを元に愛鷹山山中にあるとされる、山居院跡を見に行った事がある。
24波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/26(水) 10:45:38 ID:ZW5Ew7Ct
道中行きの友は、正信会のKAGAMI氏である。

周辺には井出のお穴があり、根方法華衆が住んでいる地域で、石山とは縁が深い。
また巨大楠の木がある事で有名な法華宗光長寺がある。
この光長寺の作りは石山とそっくりで、
塔中坊からの参道を歩くと、石山かと錯覚するほどだ。

ところで山中、山深い山居院跡は石塁が残るばかりで、特別興味深いものはなかった。

配置的なものがわかれば、方位の取り方から、類推する事も可能だが
それすらもままならない。
25波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/26(水) 10:54:53 ID:ZW5Ew7Ct
元来、愛鷹山は修験の山でその手の遺物がたいへん多く出土する事で知られている。

位置的には富士山と箱根の間にある死火山で、今もって解明されてない。
謎が謎をを呼んでいる。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 11:28:01 ID:???
>>12
ん、この御本尊に「日興日目日尊代々聖人」とあるね。ということは日秀は要法寺系か?
27波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/27(木) 22:08:03 ID:IJ2p32CK
尼崎勧学院日秀といっていますから、元々は尼崎学林、日隆師のところから
出た人ですね。

石山は現在こそ日蓮正宗、と自称していますけど、それ以前は日蓮宗富士派、
江戸時代は細草壇林と言っていました。

近隣には光長寺の岡宮檀林にも近い。先に書いた法華宗の光長寺で石山と
塔中坊の作りがうりふたつの寺院です。ここは富士門流ではないのですが、
何ゆえか鶴丸印を使ってます。

当時は細草法縁、勝劣派内の一法縁、というのが実質的な立場だったようです。
28波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/27(木) 22:28:56 ID:IJ2p32CK
あ、間違った(汗)
よそんちなので、(藁)
尼崎勧学院日秀と三鳥派日秀さんは別人です。
http://tokyo.cool.ne.jp/fuji-dainichiren/seki_hoku/26.html
をご参照のこと。
29名無しさん@お腹いっぱい:2006/07/29(土) 00:21:41 ID:???
(論旨の展開からはずれて申し訳ありませんが)
>>15
日蓮大聖人=度来神道(伊勢外宮神道)※波木井坊自説 について、
もう少し詳しいご説明をいただければと存じます。
30波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/29(土) 12:51:29 ID:zaSe7qmJ
>>29
申し訳ない。それは次の機会にしてください。
たしかNB氏の正信掲示板に投稿した記憶があります。2000年ぐらいだったか、
過去ログにあるかと思います。

石川師の論文はこちらにあります。
現代宗教研究 32号 NO.8175頁~
www.d1.dion.ne.jp/~janis/kenkyu8.html
31波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/29(土) 12:55:46 ID:zaSe7qmJ
http://www.hugyou.jp/cgi/buranko/eslog.cgi?no=423&dno=422&rno=421&acto=mview&page=0&f=
御祖様の神道観について。

宗祖日蓮大聖人の神道観は、現在言われている所の、古事記・日本書紀を根底とする
皇室神道・神社神道と同質なものかどうか、御遺文やその足跡から考えていこうと
思う。

大聖人は、佐渡流罪で新潟へ往かれる途中の文永八年十月十二日で、馬を欅(けやき)
につながれお詣りされています。御祭神は、豊受大神つまり豊宇家姫命(とようけひ
めみこと)です。伊勢神宮の食を司る神様です。

豊受の大神とは、元来、伊勢の山田に五十鈴川の川上に豊受大神宮(伊勢神宮の外宮)で、
天照大御神に大神饌(おおみけ)をお供えする神饌津神として豊受大神をまつって
いる。

また御遺文中で、

”国主たづぬれば神世十二代、天神七代地神五代なり。天神七代の第一は国常立尊”
と仰せであります。
32波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/29(土) 12:56:21 ID:zaSe7qmJ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
伊勢神宮の起源

内宮:崇神天皇の時代に皇居と神居に分ける。垂仁天皇時代(BC4年)伊勢国
   五十鈴川の上流に奉遷。

外宮:友略天皇(西暦478年)丹波国比沼の真奈井から伊勢に奉遷。
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伊勢神宮祀官
内宮:荒木田(あらきだ)神主
外宮:度会(わたらい)神主
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伊勢内宮に対する対抗意識から度会神主系は、独自神学を打ち立てる。これが、
伊勢神道=外宮神道=度会神道の発展となる。

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祭祀される神:豊受大神・国常立尊・天御中主神=大元神となり天照大御神の出生以前の
神が祭祀されている。これにより外宮が優位に立つことができると考えた。

国常立尊(くにのとこたちみこと)ー>日本書紀にでてくる元初めの神
天御中主神(あめのみなかみこと)ー>古事記にでてくる元初めの神


この三神が合体することにより内宮より外宮が尊いという考えが始まる。

33波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/29(土) 12:56:51 ID:zaSe7qmJ
正史では偽書とされている神学的根拠「神道五部書」

1、天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記
2、伊勢二所皇太神鎮座伝記
3、豊受皇太神御鎮座本紀
4、造伊勢二所太神宮宝基本記
5、倭姫命世記

上記5つに「神皇実録」「神皇系図」「天口事書」を加えて神宮八書、
別の七部書を加えたモノを禁河十二部書という。
この書の特徴として、神道側から神主仏従(和光垂迹論)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

伊勢神道の変遷ーー>南朝(北畠神道)ーー>吉田神道(室町)ー>大本教

日蓮宗は三十番神など吉田神道から相伝された、と言われているが御祖様の神道観には
最初から外宮神道の影響が濃密でる言説が別の面からも見て取れる。御祖様がよく日天
月天、星天(これは道教的北斗七星信仰なのかは後日にゆずる)と言われるが、1の、
天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記の多賀宮に、
34名無しさん@お腹いっぱい:2006/07/29(土) 15:07:28 ID:???
>>30
早速、レスいただきありがとうございます。
>>31〜33
興味深く読ませていただいています。
35名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 17:14:29 ID:Dos5HXcm

>23

金○氏は金城会では無いですがな。
元S価○K宣○で、現在XnX-oXXの教学の指導的立場にいるの間違いでしょ。
カトちゃん・キンちゃんといえば、その世界では有名。

ど〜もでした〜


36名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 18:37:25 ID:???
正宗ではとくに日興上人は神社参りを禁止していますが
神道との関わりは今後どうなっていく思いますか?
37波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/29(土) 19:04:51 ID:zaSe7qmJ
イザナギが筑紫の日向の橘のあ原で左目を洗ったときに、日天子=オオヒメムチ(
天照太神の荒魂)が生まれ、右目を洗った時に月天子=アメノミナカヌシ(止由気大神
の荒神)が生まれた。とあり、豊受大神はスサノオ、ツヨクミに擬せられアメヌカシと
同体ということになる。

また山崎安斎の「垂加社語」には、”天神国常立尊、地神天照、天地交互してこれを
号するものなり。とあり、大本教の回帰的神道観に転じていく。

また伊勢神宮の内宮と外宮の間に以前、寺院があったそうで現在は廃寺になった、
”間の山浄明寺”という寺号の、天台宗寺院で、御祖様の開目抄の有名な誓い
(日本の柱とならん・・・。)はここで最初に誓われたと言われたています。その時、
水垢をした井戸というのがここの寺院の井戸で「誓いの井戸」と言われて、今でも
日蓮宗系が護持していると聞きましたが、御祖様が天台・真言の持つ神道観とは
別の外宮神道も学ばれた可能性は大きいと思われます。

参考文献:市川智康著「日蓮聖人の歩まれた道」菅田正昭「危険な古史古伝P269から」
38名無しさん@お腹いっぱい:2006/07/29(土) 19:58:30 ID:???
>>29>>34のものです。
>>36の方とは別人ですが、この方の質問は
 あなた様が>>15で提示された
 日蓮大聖人=度来神道(伊勢外宮神道)※波木井坊自説
 日興上人=古神道・役の行者の修験道系神道
の構図と照らし合わせて考えた上で、大変興味深いものがあります。
 なぜなら、
神天上の法門と共に
日興上人の「檀那の社参物参りを禁ず」る教戒を
学会も継承しているからです。
それを考えると
日蓮大聖人と日興上人の間に、神道の捉え方に違いがあるのかは
大変興味があるところです。

(またまた本スレの展開からはずれた質問、申し訳ありません。)
39波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/30(日) 00:37:02 ID:6oLTJlM7
日興上人の「檀那の社参物参りを禁ず」の言葉を考察するにもう一言
付け加えますと、当時の神社は現在のような純粋神道は意外と少ないです。

例えば、鎌倉の八幡さんは八幡宮寺でした。
日興上人は目師をスカウトした伊豆山神社も当時は修験道の寺でした。

日興上人の「檀那の社参物参りを禁ず」は他宗僧侶が入っている社寺、
という意味ではないでしょうか?
40名無しさん@お腹いっぱい:2006/07/30(日) 10:32:45 ID:???
日興遺戒置文の
「檀那の社参物詣(→>>38の表記訂正します。)を禁ず」に続けて
「何に況や、其の器にして、一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや」
とあります。
「謗法を致せる悪鬼乱入の寺社」をどう解釈するかですね。

一方では、大聖人様が
南条時光に対して、熱原の法難に関連して、
神主の保護を依頼している、弘安3年7月2日の御書があります。

神道観。「謗法」。
日蓮大聖人と日興上人に、その捉え方に違いがあるとすれば、
非常に興味のあるところです。
41波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/30(日) 11:42:24 ID:6oLTJlM7
>>40
そうです。この時の神官のことははっきりわかっていて、現在の富士宮にある
福地神社の神官です。

この神官を南条氏は館に匿い食事を給仕していたことがわかっています。
また南条氏はこの後、浅間大社に五重塔を寄進造営しています。

石山側がいう地頭の謗法と言う三島大社も実は、北条・南条氏の氏神で、
参拝を波木井に進めたのは誰でもない南条氏です。
つまり三島大社への参拝という謗法行為を自ら行い、また他者に勧めたのが
南条氏本人ということになってしまう。
42波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/30(日) 11:46:42 ID:6oLTJlM7
現在の石山の教義を元として、客観的な歴史的考察をしていくと、
どうも真実が見えなくなる。

現在の石山・創価学会の教義は、ひとつの言葉尻だけを都合よく
借用し、引用して用いるから、過去におこった現実とは別物になっていく。

石山を建立し寄進した南条氏までもが謗法という結果になる。
しかしこれはおかしいことです。

宗祖や日興上人のお言葉は別の意味を指していると解釈していかないと、
正しい歴史認識ができない。そう思います。
43波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/30(日) 12:00:02 ID:6oLTJlM7
さてこの宗祖も庇護を要請した神官が所属する福地神社ですが、
福地神社は元々、現在の浅間大社の本宮のところにあった。
山宮から里宮と鎮座する以前からあった神社です。

延喜式に記載があり富士三社の名を連ねているところから、
かなり古い神社です。

1200年以上前からあった神社であることが判っている。
現在は神官はおりませんが、その当時は常駐神官がいた、
ということです。
44名無しさん@お腹いっぱい:2006/07/30(日) 23:12:52 ID:???
神主の件のご説明、ありがとうございます。

>>42で、社参物詣について
「宗祖や日興上人のお言葉は別の意味を指している」とすれば
正しい歴史認識をした上で、
どう解釈なさるか、お聞きかせ願えればと思います。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 23:24:55 ID:4W31RZIO
正宗系はこういうのを無視しちゃいけません。
46波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/30(日) 23:30:37 ID:lKRP82ao
>>44
当時は神仏習合が普通ですから法華に帰依しない神社や、
他宗の僧侶がいる神社、というところでしょうか。

47名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 00:11:35 ID:nNMpM0XS

あの〜
キンちゃんは金城会じゃないんですけど〜

ど〜もでした〜

48波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/07/31(月) 00:34:39 ID:93cXxveC
おや、のりまき君珍しい。
49名無しさん@お腹いっぱい:2006/07/31(月) 18:41:32 ID:???
>>46
貴解釈の回答、ありがとうございます。
こちらについては、また後日、質問させていただきたく存じます。

>>15
 日興上人=古神道・役の行者の修験道系神道 と
論じられていらっしゃいますが、これにつきましても、解説願えればと思います。
そして、大聖人と日興上人の この神道の捉え方の違いが、
大聖人と日興上人の謗法の捉え方の違いに至っているか、ご見解もいただければと思います。

(「三鳥派は吐菩加美神道・烏行神道 」の本筋からはずれた質問、申し訳ありません。)
50名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 01:21:41 ID:Z2DONtoO
ハキリが立てたスレだからと言って、
日蓮系はこのスレを無視しちゃいかんのう(藁
51名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 03:05:44 ID:???
このスレは板違いです。
下の板にどうぞ。

神社・仏閣
http://travel2.2ch.net/kyoto/
52名無しさん@お腹いっぱい。
ばかもん、あげじゃ(藁