690 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2007/05/10(木) 01:00:31 ID:FoxSVmj9 海外ではやはり Chanting に・・・
これは古代からあったものと恣意的に誤謬されていて興味深い。
↓
Nam Myoho Renge Kyo - Ancient Chants, Blissful Grooves
http://www.youtube.com/watch?v=9Sqrtj9p7ZU&NR=1 説明に
Discover the spiritual demension and yogic power of sound
to enhanse wellbeing of body, mind and spirit.
などとある。これは完全にNewAgeの思想になってるのがわかる。
つまりは外人には要はこういう理解にしかなり得ないのでは?
これは創価学会のだと思う。
↓
Ways of Worship: Buddhist Chants
http://www.youtube.com/watch?v=0g0ka540uEE&mode=related&search= これもおそらく上のと似たような理解しか得られていないと思う。
要するに海外では日本の伝統や法華経の神秘性などはなくなってしまって
最終的には真言の一種となり、すべて Chanting の一種として
相対化されていくのではないか?
それを集団として囲ってカルト化してトップのいいように意識操作されて
政治的、あるいはマスコミらへの威嚇の道具にして使っているところに
創価学会が本来的に忌避されるべき理由があると感じる次第ですね。
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/10(木) 01:02:15 ID:FoxSVmj9
お題目のリズムは要は太鼓のリズム。これ聴くとお題目を唱えたのと
全く同じ効果が得られます。 ww
Music Corps Taiko
http://www.youtube.com/watch?v=gORCsbzQWUA&mode=related&search= 特に低音で響くのでお腹の横隔膜に反響して体で響きを感じるリズムが
体(body)を活性化し元気な気分になる。
人間は物理的な振動から影響を受けて精神にもその効果が及ぶ。
その一つの方法がこのお題目という chanting ということでしょう。
なので創価学会も日蓮正宗もこの太鼓による音楽的効果を自分の発生で
得るための方法を、宗教として宣伝してしかもそれを自分のところだけの神秘な
秘伝によるもので絶対正義だみたいな話にして無知で見識のない、特に
科学教育の乏しい論理的な思考ができない人々、つまりいわゆる庶民をだましてる
わけですが、それで彼は庶民の王者と自分を語ったと、まぁこういうわけで。
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/10(木) 01:03:41 ID:FoxSVmj9
700年間、科学的な見識のない世界では宗教であっただけで、現実には
>>690 と
>>691 の2つだけで、完全に解釈可能なものだったということ。
海外に爆発的に広まらないのは、日本での法華経のように歴史の伝統
(つまり科学的思考の育たない時代に長く続いたというその歴史の伝統)
がないところでは、それへの神秘性が宗教として受け取るには単純すぎて
結局は体操、Yoga(
>>690 の最初のリンクがまさにそれ)の 「一部」 と
して考えるほかはなく、単純に音楽の効果、振動の効果が感じられるだけ
になるからです。
要は本質はそれ以外ではないからです。
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/10(木) 01:05:17 ID:FoxSVmj9
集団の思念は通常の五感経路以外でも現実に他人に伝染し、宗教的な意識や 集団ヒステリー的気分や印象というものが他者に対して暗示的に働いたりする 原因の一部を担っているでしょう。 なぜ日本でこんなに大勢の人間に広まったのかの理由には、これらで活性化された 人間の意識における Yogic な潜在力としての思念の伝播、つまり Telepathy 的 効果があったということで、これも実際には科学の研究対象になると考えられるが、 日本での科学の伝統のない700年間の妄想の歴史がある下地においてその基礎 的な部分が神秘性を醸し出す原因としてずっとあったわけです。 それが、科学されないうちに戦後のどさくさに紛れて 「まだ科学的思考のない庶民」 の中で集団ヒステリーとして広まり、それが一層のその迷信的意識を強化拡大させ、 その影響がまだ残っているがため、それがまだ 「信仰」 者らから染み出る意識の 妄想部分がその同じ科学的姿勢の植えつけられていない人々に印象や Telepathic な効果も手伝いつつ伝染する素地をまだ残していて、それが残滓として日本に形成 しているのが現在の数々の新興宗教としての存在を許しているのだろう。
南無妙ホモ蓮華経
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/15(火) 18:34:30 ID:z4+bSRHD
お寺で、うちわ太鼓を叩きながらやってます!お題目はお寺でもできる。 寺でやるほうが安い。若者よ・・・何故?創価に入るんだ。
よくわかんないけど、お経って中国語じゃないの? 日本語読みしても仕方ないような……和訳しなきゃ駄目じゃん? あと目読で十分かと。
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/15(火) 22:36:29 ID:Tpn4L4OB
層化のお経豚作ちゃん豚作ちゃん豚作ちゃんて拝む其の後皆でチンご苦労様 で完了。 あと無し解散
お題目
ええか! おまいら! 池田大先生の悪口をいうんじゃない! ええか! お題目なんだよ 学会の真髄なんだよ 病気だって治っちゃうんだからしょうがないだろう 幸せになっちゃうんだからしょうがないだろう 文句をいうな!
お題目だよお題目
>>693 「この妄想の伝統」 の一つに戦前の関東軍の大将だった 「石原莞爾」 がいた。
「軍政が続けられていた。一市民として旅行して意外に思ったことは日露戦時中に
あれほど満州市民に対して協調的であった日本軍がまるで満州占領軍であるかのように
満州市民を戦敗国民扱いしていることであった。、、、駐屯部隊の傍若無人ぶりを
各地で見て心が痛んだ」。
日露戦争の密偵・石光真清の述壊。
昭和の関東軍はすでに軍紀軍律が乱れ満州良民への虐待が常態化していた。
これは南京虐殺の背景として指摘されている事実でもあるが、
仮に映画の中で皇軍の状況をあたかも軍律を守るすがすがしい軍隊であるか
のように歪曲して描けば、後になってからちょっと問題が起きるはずだ。
「大虐殺」 はなかったが、便衣兵と敗走兵、ゲリラを揚子江にまとめて流し
乱れ撃ちして酷いころし方した結果、それが数千人程度に及んだとしても、
それまでの状況をあまりにきれいに描きすぎると必ず後からクレームが出る。
日本側の記録ですでにこうした規律、軍紀の乱れを示すメモはあまりにも多い以上、
ウソツキとそしられるような作り方をすれば必ず失敗するだろう。
これだけはぜひ注意してほしいのだ。
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/06(水) 11:27:42 ID:pviNKfI8
>>701 この記録は満州を支配した関東軍の状況を語ったものだが、まさに石原莞爾のやったことは
まさしく失敗であった。
彼の失敗後に、しかたなく事後処理的にシナ大陸への侵攻を開始せざるをえなくなった日本は
結局石原を戦列から外したものの、第2の理想としては大陸を台湾化する目標があればよかった
のだ。
しかし国民党軍も共産等軍もそのゲリラも容易には日本軍に明け渡すことはなかった。
それもあって、南京事件などもいちいち誇大にされる結果になった。
いずれにしても、石原ら 「日蓮主義者」 らが頭が行かれるほどのカルト化していた結果の
日本の悲劇であったことは記憶に留めておくべきだろう。その真因は何であったのか・・・
これを歴史家も精神医学者も哲学者もみな解明するべく研究していかなければなるまい。
ああ、狂気と悲劇の惨憺たる結果よ・・・
日蓮が残した狂気と妄想という伝統こそが、まさにこの日本を悲劇に陥れたのである。
題目という真言の変形が残した日本への呪いでありその呪術の結果であったのだ。
恐ろしい結果を生み出すこの 題目 という名の魔の呪いことはこの世から払拭させるべき
ものかもしれないのだが?? さていかにお考えだろうか???
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/06(水) 11:41:29 ID:pviNKfI8
日蓮が編み出した行法の形態は、まさしく真言密教の形態そのものだった。 曼荼羅 = 「阿字観瞑想」 の 「阿」 の字を書いた曼荼羅が基礎となっている。 「阿字観瞑想」とは真言密教で 「阿」 の字を曼荼羅として前に置き、 それをじっと見つめて瞑想するもの。 これには宇宙神秘を抽象する絵を描くわけであったが、それを日蓮は法華経の タイトルへの帰依という 「意味のない抽象」 をあえて行い、あたかもそれに意味が あるかのごとき妄想をこの曼荼羅において実現した。 そもそも密教はYogaであり、それへの回帰を意味したが、その際に Chanting を行いながら瞑想するのは常套的方法であった。そのマントラに何を使うかは 適当な意味のない文句で十分であった。それを指導するチベット僧の指導もある。 (またTM瞑想などの実例もある。) それらをあえて経文との関係付けをすることで、「真言密教」 ではなく、「法華宗」 だと名乗っただけの話に過ぎない。 だがその行法とは、完全な 「阿字観瞑想」 + 「マントラ瞑想法」 だったのである。 これが本質である。したがって、実は 「日蓮教」=「真言教」 だったのだ。これを 理解していない者があまりにも多すぎる。
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/06(水) 11:52:20 ID:pviNKfI8
題目のマントラ効果はすでに
>>691-693 にある通りだが、これら大声を出して行なうところが
通常の阿字観瞑想とは異なる効果となって現われて来るのであるが、
それがこの行法をしてあたかも 「法華経」 の功徳であるとか、奇跡を起こすのであるとか
妄想する結果をもたらすことに貢献したに過ぎない。
しかし、そうした新しい 「信仰方法」 「信仰形態」 を生んだことが、新しい伝統を作り、
「日蓮宗」 あるいは 「法華宗」 として根付いたということでしかないのである。
人は信じることで 「場」 を形成し、雰囲気を醸し出す。それがまたフィードバックして
また信仰という 「場」 を強めあうように働き、「信仰が奇跡を起こすことがある」 までに
なるということでしかない。
そこには実は 「法華経」 の功徳だとか神秘だとか存在してはいないが、それを
「信ずるという心的行為」 が、自分の体内感覚を開発して 「奇跡」 を起こすメカニズム
が出来てくるということでしかないのである。
従って、かつてはこの同じ日蓮主義妄想が生まれるまでになり、 ”石原莞爾という負の奇跡”
も生まれ、大陸には 「満州国」 という奇跡までが実現してしまい、結果としてその
妄想が 「日本を悲劇に陥れるまでに至らしめた」 のであった。妄想の力はまさに
魔の力であったのである。これが日蓮が日本に残した魔の力の正体である。
さてこれらのメカニズムをばみなさんもしっかりと学ばれたいものである。どうだろうか。