1 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :
03/10/31 13:10 ID:DMvL4zaW
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/10/31 13:13 ID:wVxax9Yn
あるよ
あるある
というか、Sb。 平日の昼間から書き込んでなく仕事しろ。 日常に帰れ。
6 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/31 16:28 ID:DMvL4zaW
>>4 ,5
自営業だよ
仕事の合間がたくさんあるのだ
7 :
29男 ◆JMmE5ppk7Y :03/10/31 17:07 ID:FgaeKHT7
ひさしぶりにオセロしたいな♪(笑)
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/10/31 22:00 ID:Zp7ld1G+
>984 ちとっと聞きたいんだけれども、因果を越えるとは、どういう意味かな? 全ての事象は因果から逃れられないはずだぞ、人のこころ、一念だって縁に触れて変化する。 それから原始仏典、阿含系には六道輪廻は説かれてないのか? そんなはずないだろう?
学会員さんに質問 前スレでお答えいただけなかったので……。 社会学者橋爪大三郎の説 ○仏教は「悟り」をめぐるゲーム。前提は二つ @釈迦は悟りを開いた A悟りは外部から確認できない内的現象 この2つの前提を認めた上で「誰が悟りを開いたか」 について「承認」を行う。「承認」のやり方はさまざさ で、そこに宗派の多様性が産まれる。 ここから考えると、(私見ですが)、Aの前提を認め れば、時代、社会状況に影響されず、比較的正当性 に対して疑問をもたれ難い構造である。 @>学会では「悟り」ということばはつかわない 学会では「悟り」という概念は使用しない。ということですね。 すると池田氏は「悟った」という承認は行われていないという ことで宜しいでしょうか。 一方、お邪魔しますさんのレスでは戸田氏は「悟達」を得た とありますが……。この矛盾はどのように考えればよいの でしょうか? A>だから「悟り」とはいはない。学会では福運という言い方をす るのかな? この点曖昧では不味いでしょう。正しく「悟り」を福運と呼ぶの か否か、典拠を明かとした説明をいただきたいものです。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/10/31 22:17 ID:Zp7ld1G+
>993 死後の世界がないとする事柄より、死後の世界があるとする事柄の方がはるかに多いい 「空仮中の三諦」だってあきらかに現実の世界のほかに何ものかが存在することを 示唆していることだと思うよ。 九識論だってそうだよ(後で調べておくが)。 数々の臨死体験をレポートした、アメリカの医学博士、キューブらー・ロス氏も 死後の世界は間違いなく存在すると言っている。トルストイだってそうだし、、、 もしないとするなら「業」をどう解釈したらいいのかな? ぜったいあるよ、ないと考えるほうが無理がある、、、反論してくれ。 、、、意味のないことじゃないと思うよ、、、
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/10/31 22:34 ID:Zp7ld1G+
>池田氏は「悟った」という承認は行われていない、、、ちょっと難しいな、「悟った」ことに対して承認する、ということは誰がするのかな? A悟りは外部から確認できない内的現象 、、、と自ら言っているように外部から確認できないのだから 池田氏自身が悟ったと承認すればそれでいいのではないのかな。 戸田氏についても、たしか自身が悟ったことを池田氏に伝えたことなのではないのか。 もともと仏教では悟りとい言葉はないと思う、一般的な言葉と解釈している。
>11レスサンクス 「承認」は概ね既に「悟達」した師まず行い、それを通じて信者全 体が行います。前スレでお邪魔しますさんが例を挙げてくれてい ます。 学会では「悟り」(非常に一般的な意味で全く問題ありません)は 特に問題としていないと考えてよいのですね。 >池田氏自身が悟ったと承認すればそれでいいのではないのか な。 「承認」については難しく考える必要はないのですが「自分で承認 する」というのはここでは避けてほしい。少なくとも宗派における信 仰の問題なので……・。 前スレで説明したのですが、繰り返します。 >ちなみに橋爪は「承認」」という言葉をヴィトゲンシュタイン(論理学) >から引用しています。「承認」とは簡単に言うと「なんとなくそうだと >皆(任意の共同体)が認めること」です。 >科学、あるいは論理学的な「真偽」ではなく「承認」が科学および論 >理学の基本的な自明の理の部分を支えているとしか「言いようが無 >い」という説です。 以上からすると学会では池田氏にせよ戸田氏にせよ「悟り」について は重視しておらず、「悟達」をもって教団の指導者の資格とは考えて いないということですね。 この点日蓮宗、日蓮正宗ではどうなってんでしょうね?
>>10 死後の世界や輪廻転生を認める世界観というのは、始まりや終わりの無い世界観だと思うのですが、
進化論や地球の誕生、ビッグバンなどは認めないのでしょうか?
14 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/31 23:39 ID:ODUKPvte
学会が悟りを認めているかに付いては、 創価学会会則の前文の5段目にこう書いてある。 「戸田第二代会長は、獄中において「仏とは生命なり」「我、地涌の 菩薩なり」との悟達を得、人間革命の理念を掲げて、日蓮大聖人の 仏法を現代に蘇生させた。そして、75万世帯の誓願を達成し、日 本における広宣流布の基盤を確立した。」さささ
前スレで「○○は方便」って書いてる人が何人かいたけど 自分の考えと釈迦が言った(とされる)ことが食い違ったのに 「自分の考えと釈迦の考えは違う」とは思わず(思えず) 「釈迦の真意はきっとこうだ」と思っちゃってるってことだよね。 法華経をはじめとした大乗経典の作者たちもこういう発想で経典作ったんじゃないの? 日蓮もそう。
16 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/31 23:54 ID:ODUKPvte
>「釈迦の真意はきっとこうだ」と思っちゃってるってことだよね。 そして、自分流の教えを信じている。 釈迦の「我が教えは難解難入なり」としたのは、輪廻転生を信じている 中で、輪廻転生を否定する考えが受け入れられない、と考えたのじゃな いかな。 2500年後の今でも、この考えを受け入れない人がいるものね。当時 のインドでは大変だったと思うよ。 なんか結局、このスレに来ちゃったな。
>>10 輪廻転生や業に関しては
「在る」とした方がいい人生を送れるならそれでいいし
「無い」とした方がいい人生を送れるならそれでいいんじゃない。
実際に在るのか無いのかは証明不可能なんだから云々してもあまり意味が無いことでしょ。
>>17 無いでしょ、「前世がアメーバとかウィルス」ってのも認める
と言う条件がなければ人類誕生以来の人口増加に伴う「前世」の
大量生産は困難だからね
>>18 ・細胞分裂するように霊魂分裂する
・前世では別の星にいた人が大量に地球上に転生した
・前世はサルだったが死後の世界で進化し、人間として生まれた
なんてのはどうですかね?(w
>>14 お邪魔しますさん、またお会いできましたね。
仏教音痴なので、文脈で判断するしかないのですが……。
>「戸田第二代会長は、獄中において「仏とは生命なり」「我、
>地涌の菩薩なり」との悟達を得、人間革命の理念を掲げ…
の「悟達」は、我々が日常言語で用いる「悟る=直感的にある
ことを深く理解する」という意味だと思うんですが。
学会員の方のレスなどを見ていると明かに「地湧の菩薩」や
その後の「人間革命」に信仰の力点が置かれているように思
います。
>>20 釈迦も「直感的にあることを深く理解」したんじゃないの?
↑ それは既に前スレの話題ということで。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/01 00:48 ID:FV61pbU5
>以上からすると学会では池田氏にせよ戸田氏にせよ「悟り」について >は重視しておらず、「悟達」をもって教団の指導者の資格とは考えて >いないということですね。 そう思いますね。一般的に仲間どうしで「悟った」なんてことは言わない。 そうじゃないという人がいたらどうぞ。
>>10 >「空仮中の三諦」だってあきらかに現実の世界のほかに何ものかが存在することを
>示唆していることだと思うよ。
「空仮中の三諦」は天台大師が言ったこと。
釈迦が言ったことじゃないだろ。
>九識論だってそうだよ(後で調べておくが)。
九識論と死後の世界が関係あるの?
>数々の臨死体験をレポートした、アメリカの医学博士、キューブらー・ロス氏も
>死後の世界は間違いなく存在すると言っている。トルストイだってそうだし、、、
臨死体験は幻覚でしょ。
>もしないとするなら「業」をどう解釈したらいいのかな?
「業」を前提としようとするから死後の世界が必要なんでしょ?
死後の世界なんてない。よって「業」もないよ。
25 :
919 :03/11/01 08:08 ID:???
>>18 輪廻転生を説く宗派では、我々が現在生きている世界とは別の世界があるということ
も説いているし、人間に転生するとは限らないとしていますから、その点については
破綻はなかったと思います。
だからこそおかしいとも思うんですけどね。輪廻転生なんてことを信じ始めると、そう
いった実証できない事柄がつぎつぎにでてきて、オカルトを信じるのと大して変わら
ないことになってしまいます。そんなものが仏教の本質かな?と思います。
26 :
919 :03/11/01 08:47 ID:???
>>24 >「空仮中の三諦」は天台大師が言ったこと。
そのとおりですね。空仮中については天台の前に龍樹も述べています。もっとも
中論や大智度論は全部が全部龍樹の作ではないという説もあるらしいです。
それにしても空仮中の三諦なんて、いきなり難解な概念を持ち出すあたり、10
さんはおそらく層化の人だと思いますが、大変失礼ながら、これをきちんと理解
できてますか?
空仮中の三諦が示唆するものと仰っておられる以上、理解されてると思うんです
が、正直な話、私にはさっぱりです(^^;) 私の知っている層化の人も理解できて
いませんねw もしよろしければ空仮中の三諦からどのように背後世界が示唆さ
れるのかご説明をお願いします。
27 :
919 :03/11/01 09:56 ID:???
>>9 層化の場合、あくまでも信徒団体なので、悟りということに重点が置かれないのだと
思います。信徒の中で悟った人がでてくると、それは信徒ではなくなってしまい、仏
になるわけですから。まあ、これは仏を一人格として見るのか、生命の発露として見る
のかにかかってくるわけですが(後述します)。
ゆえに、悟る(仏になる)ことが目標でありながら、層化の中には永遠に仏は現れな
いということになると思います。なんでしょうね?これはw
これだとさすがにおかしいわけで、それで、一時期、会員の象徴的人物である池田氏
が仏であるという池田本仏論が一部でとなえられたのでしょう。会員の師であり、目標
である池田氏が仏でないのなら、自分たちも仏になれるわけがないとなりますから。
結局それは、当時の宗門から非難されて引っ込めたみたいですが、そのかわり、現在
は、勤行、題目を唱え、層化の活動(会合出席、布教活動、投票依頼等)を行っている
時の自分が仏界を湧現している(仏である)としているみたいです。
勤行をする
↓
題目を唱える
↓
活動をする
↓
最初に戻る
28 :
919 :03/11/01 09:56 ID:???
このようなサイクルを続けている限り仏である。やらなくなったら退転であり、仏ではな くなる。仏が仏じゃなくなるというのは変なように思えますが、層化の場合、一人格とし ての仏という考えから離れているように思えます。十界論の中の仏界が表に現れるこ とが成仏としているみたいですね。凡夫即仏とかいいますし。 これだと546さんが言われる承認は容易です。要するに勤行、題目、活動という外形 で判断できますから。そして、それをたくさんすればするほど、指導者層に近づいてい くということになりますね。 もっとも、これがあんまり簡単にできてしまうと、会員は仏ばかりということになり、会員 の中で、頑張ってるのに(仏なのに)、変なこと言うなあとか、現実社会で仏にあるまじき 振る舞いをして罰せられるとかいったケースもでてくるでしょうから活動はある程度困難 なほどの量を課すとかの操作が必要でしょうね。
29 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/01 13:46 ID:rWW5D8AW
浄土系の信者に妙好人と呼ばれる人がいる。心が落ち着かないとき その人たちの話を読んでいる。三つほど挙げておきます。 盗草 宇三郎、源左の畑で盗草をしておった。そこへ源左が下りて来た。こりゃ悪いところを見られたわいと思っていると、源左、 「ここもええけど、そっちのええところを刈んなはれなあ」 後日宇三郎、心境を述懐して、 「叱られたのなら飛んで逃げるということもあるけんど、ああいわれては逃げるにも逃げられず、あがあに困ったことは知らんがやあ。」 癇癪性 谷口光造氏が源左に、 「わしゃ癇癪性でやあ」というと、 源左、「旦那さん、なんとあんたはええものを持っとなんすなあ。癇癪は癇癪玉ちって、宝ですけなあ。玉ちゅうものはめったに人に見せなはんすなよ。」 障子 「爺さん、子供が障子を破りおるがなあ。なして叱らんだいのう。」 源左、「子供の時分でなけらにゃ、破る時がないだけのう。」
>>8 >それから原始仏典、阿含系には六道輪廻は説かれてないのか?
>そんなはずないだろう?
釈迦が六道輪廻について説いている部分を出してみれって。
31 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/01 15:39 ID:7IzpHYgv
>>10 何にどう書かれているかなんてどうでもいいんですよ
漫画や小説はすべて事実であるというようなもの
臨死体験はあくまで、臨死、死んで無いでしょ
死ぬ間際に脳が見せているに過ぎないの
生まれ変わりの例はたくさんあるらしいけど、そんなことどうでもいいとこ
だって、今生きているって事が一番大事なんだもの
だから、業とは生きる事だって書いたでしょ
生きるって事は他の生きているものにそれだけで苦を与えている
それが業でしょ
>>17 そう、だから、どうでもいいことなんだよ、死後なんて
>>27 悟ったから仏になるんじゃなくて、そもそも仏であることを悟るんだよ
あくまでも、仏であると思い込むのではなくて、悟るんだよ
>>29 いいね
>>23 さん。誠実な回答ありがとうございました。
>>27 919さん、納得できました。こちらの援用した仮説の延長線上
での回答だったので、大変判りやすいお答えありがとうございました。
×回答だったので、大変判りやすいお答えありがとうございました。 ○回答だったので、大変判りやすかったです。ありがとうございま した。 スマソ
さてそうすると、学会にとってのブッダの有徴性とはなんなんでしょうか? 多くの伝統仏教では基本的にブッダは「悟りを開いた人」と考えているわ けですが、学会ではブッダは他の人と「何処が違う」と考えているのでしょ うか?
35 :
919 :03/11/01 21:17 ID:???
>>31 >悟ったから仏になるんじゃなくて、そもそも仏であることを悟るんだよ
>あくまでも、仏であると思い込むのではなくて、悟るんだよ
なるほど。日蓮の教義は如来蔵思想の影響を受けているんでしたね。
そうだとすると、層化の人たちは、自分が仏であると悟っているのかも
知れません。自分が仏だと悟った上で、勤行、題目、活動のサイクル
を続けているんでしょうね。
会合等で仏としての悟りを得てない新人会員等と指導者との間でこの
ような会話がなされているかも。
会員:勤行、題目、活動を真面目にやっていますが、いつまで続くんで
しょうか?最近仕事もうまくいかないし、本当に成仏できるんでし
ょうか?
指導者:君は仏だ。よって問題なし。そんなことより投票依頼はどうなった?
会員:ハッ!(゚Д゚)
と、ここまで書いて思ったんですが、やっぱり層化の場合は違うような
気がします。地湧の菩薩であると悟るというのは出てきますが、仏であ
ると悟るという言葉は聖教新聞等にはみつかりませんでした。仏界を湧
現するという言葉は頻繁にでてきますが・・・これが仏と悟るということで
しょうか?だったら素直にそう書けばいいわけで、どうも違うような気がし
ますね。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/01 21:26 ID:2IR4J4zt
>前世はサルだったが死後の世界で進化し、人間として生まれた >なんてのはどうですかね?( 前世で動物だったな。と感じるのはよくいる。 言うことなすこと、全て悪意に解釈するとか、層化のような 独善にはまっているのとかな。
37 :
919 :03/11/01 21:47 ID:???
546さん いえ、こちらこそ。 層化の場合、本仏はあくまでも日蓮(というより日蓮の内証というんかな)ですから 釈迦も日蓮の内証をもととして成仏したとされています。ですから、歴史的な意味は ともかく、我々とさして変わらないという認識ではないかと思います。
38 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/01 21:52 ID:AmN15ZNH
悟ったかどうか、外部から確認できるかどうかについては、悟りを得た人なら あの人が悟っているかどうか、判別できると思う。 そうでなかったら禅宗は成り立たないことになる。 前の板から引きずって居る輪廻転生問題について、釈迦が輪廻転生を唱えるのなら、 バラモン教の祭司(バラモン)になればよいのであって、新しく仏教を興す必要はない と思うのだが、どうだろう。
39 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/01 22:10 ID:AmN15ZNH
創価学会の信者に対して指導する目標は何か。 日蓮は何を目標として、教えを説いたか。 釈迦も何を目標として、教えを説いたか。 この辺から、意見をまとめてみないか。
40 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/01 22:42 ID:AmN15ZNH
創価学会の会則から学会の目的を持ってくると (目 的) 第4条 この会は、日蓮大聖人の仏法に基づき、弘教および儀式行事を行ない、会員の信心の深化、確立をはかることにより、日蓮大聖人の仏法を世界に広宣流布し、もってそれを基調とする世界平和の実現および人類文化の向上に貢献することを目的とする。 釈迦は何のために教えを説いたのだろう。人々を苦しみから 救うためではなかったのか。唯一正しい仏法の継承者なら、世 の中の苦しみをなくすことを、最初に唱えなければならないの ではないか。
41 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/01 23:17 ID:AmN15ZNH
学会の成仏に対する考えを貼っておきます。 御本尊を信受して純真に自行化他の実践に励むならば、どのような人でも必ず一生のうちに成仏の境涯に到達することが出来、これを「一生成仏」といいます。 成仏とは、現在の自分と全く異なった特別な人間になるとか、現実世界を離れた浄土に往生するなどということではありません。 又、大聖人は 「〜成は開く義なり〜」 (御書 753p/御義口伝) と仰せであり、 成仏とは、自身の内に仏の生命を成(ひら)く″ことに他なりません。 私たちの人生は、自身の仏界を開き、その確固たる境涯を味わい楽しむためにあります。 このことを法華経寿量品では「衆生所遊楽」と説いています。 成仏とは他の世界に行くことではなく、あくまでもこの現実世界において、なにものにも崩されない絶対的な幸福境涯(寂光)を築くことをいいます。 又、 「〜桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見す〜」 (御書 784p/御義口伝) と仰せのように、成仏とは、自分自身が本来持っている特質を生かしきって、自身をもっとも充実させていく生き方をすることです。 成仏の境涯は、具体的には六根清浄としてあらわれます。 六根清浄とは、私たちの六根(眼〈げん〉・耳〈に〉・鼻〈び〉・舌〈ぜつ〉・身〈しん〉・意〈い〉)、すなわち生命の全体が浄化され、本来もっている働きを十分に発揮して、さまざまな困難に直面しても動揺しない、力強い境涯になることをいいます。 成仏とはゴールに到達するということではありません。 仏界を涌現しつつ、悪を滅し善を生ずる戦いをすることを即身成仏といいます。 妙法を受持し、間断なく広宣流布に戦い続ける人こそが仏なのです。
>成仏の境涯は、具体的には六根清浄としてあらわれます。 >六根清浄とは、私たちの六根(眼〈げん〉・耳〈に〉・鼻〈び〉・舌〈ぜつ〉・身〈しん〉・意〈い〉)、すなわち生命の全体が浄化され、 これは逆だろ、六根清浄してから成仏でしょ。層化の会員で六根清浄を具現してる様な方を見たこと無い。 即ち、成仏の境涯に至る人物は存在しない。
>>38 >釈迦が輪廻転生を唱えるのなら、バラモン教の祭司(バラモン)になればよいのであって、
新しく仏教を興す必要はないと思うのだが、どうだろう。
だから、輪廻についてはブッダは沈黙なんだっていってるだろう。
唱えてもいなければ、否定してもいねえんだよ。
45 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/11/01 23:49 ID:TaEICisG
沈黙じゃねえよ。否定だよ。
>>42 同意。
成仏の境涯とやらが、六根清浄を具現化するならば・・・
なぜ層化の会員からは清浄な香りがしないのだろう。
成仏の境涯に成ってないからに他ならない。
層化の会員であるかぎり成らないのである。
47 :
919 :03/11/02 00:13 ID:???
お線香の臭いはしますけどねw それはともかく、 >六根清浄とは、私たちの六根(眼〈げん〉・耳〈に〉・鼻〈び〉・舌〈ぜつ〉・身〈しん〉・意〈い〉)、 >すなわち生命の全体が浄化され、本来もっている働きを十分に発揮して、さまざまな困難 >に直面しても動揺しない、力強い境涯になることをいいます となっていますから、六根清浄とは、困難に直面しても動揺しない、力強い境涯になることで あって、香りがするとかしないとかではないかと。
お邪魔しますさん 次のとんでも教義プリーズ。
>>47 わたしは、雰囲気を香りと表現しただけである。
やっぱり層化だな・・・・
>困難に直面しても動揺しない、力強い境涯
私には只の「厚顔無恥」にしかみえませんが
>>48 同意。次いってみよう。
>>37 そ〜か……。学会ではブッタは「ただの普通の人」なのか……。
なんともいえませんね、こりゃ。
51 :
919 :03/11/02 00:31 ID:???
>>49 そうですか。それは失礼しました。
ちなみに、私は層化ではありませんよw 友人はいますけどね。仏教に
興味をもつようになったのは層化の人のおかげです。
まあ、この板では、層化に敵意むき出しの方がおられるのは知ってますし
それはそれで結構なんですが、一言いわせてもらうと、距離の取り方
一つで仲良くやっていけるということです。私の場合ですけどね。
52 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/02 00:32 ID:hnfNthGQ
私としては下から2行目の >仏界を涌現しつつ、悪を滅し善を生ずる戦いをすることを即身成仏といいます。 が凄い問題だ、と思うんだけどな。
53 :
919 :03/11/02 00:43 ID:???
こういう戦闘的な思想が、釈迦の思想とは非常に異質なものを感じますね。 釈迦というより日蓮の生き方が手本になってるんでしょうが。 法華経にもこういう思想があるのかな。
>>41 「六根清浄」を具現する会員は(つд⊂)イナイイナイ
という事は、成仏している会員はいない。
成仏してない→仏界は湧現してない→善悪を正しく判断できない→
→戦いは間違いである→層化は基地外
はい、では次のとんでも教義を提示して下さい。
55です、、とんでも教義とは41でお邪魔しますさんが紹介した層化の主張のことです。 一見好さげな話しなんだけど。よい境地(境涯)に至る因果が説明抜きに へんてこなスローガンに結びつく、まったく層化的な文章です(41は) よくこんなのに騙されるよな<会員
57 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/02 01:20 ID:hnfNthGQ
じゃ、つぎ「信 仰 の 目 的」について 人生の中で出あう悩みや苦難はさまぎまであり、その中には 今世の自分自身の行動や判断が原因になって現れるものもあ るが、中には、原因を見いだす事が出来ないものもあります。 「自分は何も悪いことをしていないのに、何故このような苦し みを受けなければならないのか」と思われる苦悩が多く、 仏法では、この様な苦悩は、過去世において自分が行った行為 (宿業)が今世に現れたものであるととらえ、生命は今世だけ のものではなく、過去にも未来にも永遠にわたるものであり、 過去の行為が因となって現在の結果として現れ、現在の行為が 因となって未来の果をもたらすと説いています。 仏法は、宿業を受け入れて耐えなければならないとするのではな く、過去の宿業は現世の苦悩として現れますが、現世に妙法を行 じて各自の生命に仏界の境涯を顕す事により、その宿業の報いも 現世で軽く受け、苦しみの因となった罪業を滅する事が出来ると 説いています。 これが「宿命転換」「罪障消滅」の法理です。 御本尊を信受して自行化他の唱題に励み、自身の胸中に太陽のよう な仏界の命が昇れば、さまざまな罪業も霜露のように消えていくと 述べられており、 又、過去から積み重ねてきた宿業を今世に軽く受 けて滅する事を「転重軽受(重きを転じて軽く受く)」といいます。 本来、重い罪業は、今世だけでなく未来にわたって受けなければなら ないが、現世に正法を信じ、修行に励む事によって、その功徳の力に より、その重い報いを現世に軽く受け、すべて消滅させていく事が出 来ると説かれています。
>>57 >過去世と現世について
私は今生においての今という瞬間の前を過去世、今という瞬間より未来を来世として考えたほうがよいと思う
>因果応報
因に縁が加わり果となるのですから。宿命論とは違うのです。
層化の表現する「宿命転換」とはそもそも宿命の使い方が間違いだと思う。
無我・空となればおのずと苦悩から解放されますが、
層化はお願いばかり(増欲とでも名付けるか)なので苦悩は増え続ける。
59 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/02 01:35 ID:hnfNthGQ
日蓮大聖人は普賢経の文を引いて、 「〜御義口伝に云く衆罪とは六根に於て業障降り下る事は霜露の如し、 然りと雖も慧日を以て能く消除すと云えり、慧日とは末法当今日蓮所弘 の南無妙法蓮華経なり、〜」 (御書 786p/御義口伝) 通解: 「〜自身の生命に降り積もった罪障も、南無妙法蓮華経の題目の慧日にあ えば、霜や露のようにたちまちのうちに消し去る事ができる〜」 と述べられています。 転重軽受の法理について、日蓮大聖人は 「〜涅槃経に転重軽受と申す法門あり、先業の重き今生につきずして未来に 地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みばつときえ て死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候〜」 (御書 1000p/転重軽受法門) 通解: 「〜涅槃経に転重軽受という法理が説かれています。それは過去の悪業が重 て、今世だけでは消滅することができず、未来にも地獄の苦しみを受けなけ ればならないところ、今世で法華経を修行したためにこのような重い苦しみ はたちまちに消え去って、死んでからは人界・天界、三乗(声聞・縁覚・菩 薩の三界)、一乗(仏界)の功徳を得ることができるという法門です。〜」 と述べられています。
>>59 日蓮は「南無妙法蓮華経」と唱えるのと僧の法話等による法華経の理解が
セットになって、徐々に仏教への理解を深めて行くことを考えたうえで
とりあえずの「南無妙法蓮華経」かと、、、
死んでから云々と「南無妙法蓮華経」の唱題から、日蓮系は他力本願系の仏教になります。
層化は自力との間違った解釈ですが(笑
日蓮系は他力本願なのは仏教界の常識だね。 それと功徳とは >死んでからは人界・天界、三乗(声聞・縁覚・菩薩の三界)、一乗(仏界)になること。 とのこと。金持ち、健康とは無関係です<層化の皆様
59では層化の主張はありません。 日蓮の方便と日蓮の解する仏教が書いてあるだけです。 層化のとんでも教義の続きをお願いします。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/02 02:38 ID:o9hycodn
法華経は仏陀が解き告いだのが日蓮!
末法の御本仏・日蓮大聖人
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/02 02:45 ID:gYwrai2H
test
何度も言うが法華経は釈迦とは関係ない。 日蓮は法華経こそ釈迦が伝えたかった末法の経典と主張した。 これを意訳すると、室町時代の伝記を現在の人が書き記して、 それが唯一絶対だと主張するようなもん。 唯一絶対という概念は仏教の「無常」と相対する発想であり、 これまた仏教と反する。まして、経典の名を唱えることで、 奇跡を願ったり、欲得を願うなど・・・・・。 冷静に考えなくても明らかに迷信。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/02 16:01 ID:20n6hdSN
六根清浄とは、具体的な身体が本来の正常な身体に戻ることを言っていると思うよ。 、、、これは本当にそう思う、題目をあげると身体が温かくなり、血液循環がよくなってくる、全身の筋肉の緊張が解けリラックスする、 結果治癒力が増し、健康になる、、、健康になれば心に余裕も出てくる、、、など これは実感している、疲れたときには題目と睡眠、これは本当に自分には有益ですばらしいこと(修行)。 >六根清浄とは、と困難に直面しても動揺しない、力強い境涯になることであって、、、 これは結果、自然とそうなるということかな。 >>仏界を涌現しつつ、悪を滅し善を生ずる戦いをすることを即身成仏といいます。 >が凄い問題だ、と思うんだけどな。 素直にとればいいでしょう。仏界を涌現しつつ、(ここがポイント)何が悪かを判断し、それを滅し、善を行なう。 表現の問題でしょう。
69 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/02 16:54 ID:BmIUSbzx
>>35 私は層化では無いのでわかりませんが
違うんだと思いますよ
地湧の菩薩ってのはやっぱり、
仏であると思い込ませる語法だと思いますね
70 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/02 16:58 ID:BmIUSbzx
71 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/02 17:13 ID:BmIUSbzx
>>57 >原因を見いだす事が出来ないものもあります。
>「自分は何も悪いことをしていないのに、何故このような苦し
>みを受けなければならないのか」と思われる苦悩が多く
>仏法では、この様な苦悩は、過去世において自分が・・・
自分が原因であるのに責任転嫁する輩も出てくるよね
生きているってことは苦であるってのが仏法なんだけどね
72 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/02 17:20 ID:BmIUSbzx
>>68 >題目をあげると・・・
別に題目じゃなくても、般若心経でも、南無阿弥陀仏でも効果は同じだよ
カラオケでもね
>何が悪かを判断し、それを滅し、善を行なう。
それを行った教団の教祖の裁判が先日結審したわけだが
その教団の言葉で言えば「ポア」ってことだね
善の為に悪を滅する行為は歯止めが利かなくなるから注意しようね
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/02 18:38 ID:20n6hdSN
>72別に題目じゃなくても、般若心経でも、南無阿弥陀仏でも効果は同じだよカラオケでもね そうかもね、ただ自身の身体に意識を集中して観察していると、ただ声を出すだけでこれほどの変化は感じない。 ほかにもいろいろあるが、これは「悟り」と同じで自身の問題、あなたに感じなくても私は直感できます。 「ポア」とは明らかに違います。「ポア」とはよりステージの高い聖者が、やもうえずステージの低いものを抹殺しても許される危険思想です。 どこにそのように解釈する人がいるのか?そのような考えを持つあなたの方が問題だ、信じられないね。まったく呆れる。 >「〜涅槃経に転重軽受という法理が説かれています。それは過去の悪業が重 >て、今世だけでは消滅することができず、未来にも地獄の苦しみを受けなけ >ればならないところ、今世で法華経を修行したためにこのような重い苦しみはたちまちに消え去って、 これも本当にそう感じますよ。私は交通事故で本当に感じましたね、、、紙一重のこと、あれだけの事故で相手は捻挫だけ、しかも罰金がこないのは何故なのか実に不思議。 それを運がよかったと普通の人は感じるだけのこと、私は偶然はないと感じていますので、守ってもらったと感謝しています。事故はこの一回だけ、二度と起こさない。
74 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/02 18:38 ID:2VPfrXRd
善があるから悪がある。 善が生ずることによって、悪が生ずる。 善がなければ悪がない。 善が滅することによって、悪が滅する。 学会の人にこれを言っても、分かんないだろうな。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/02 18:58 ID:20n6hdSN
私は何か、とてつもない大きな問題に直面してしまったような気がするのです。 それは前述の死、死後、輪廻転生の問題です。 優等生のあなた方は釈迦は無意味だから考えるな、成仏とは関係ないと、みなさん言う、、、 しかし私は大きな疑問である。みんなが疑問に思わないことも、また不思議である。 これは人類の大きな課題であるはずだ、しかし変なことだ、仏教が死について何も語れないというのは、 仏教だからこそ死の問題、、、おのずと転生の問題について、答えるべきこと、でなければほかに何物かが、それに答えるのだろうか。 現実問題として、自殺の問題。死が、ま近かにせまった人が、死について考えないはずはない、、、私は考える、また多くの人もそうだろう。 しかし仏教(原始仏教)は何も答えられない。これっておかしくない。 特に転生に関しては、当然の事実だと思っていた。経典にも釈迦は久遠の昔にすでに成仏しており(久遠実成)、 自分は常に娑婆世界にいて、いろんな所で説法教化していると説かれる。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/02 19:01 ID:20n6hdSN
先の「空化中の三諦」については天台が言ったことじゃない、仮諦は小乗で多く説かれている。 空諦は維摩経や般若経などの大乗経にとかれているのは以前に「お邪魔します」さんが女性不成仏のところで示してくれたとおりです。 中諦は法華三部経にとかれています。 私は、これが現世以外の何物かが、あんに存在していることを示唆していることだと申し上げました。 説明します。仮諦とは縁起によって仮に存在しているもの、つまり身体のこと、または物質世界。 空諦とは、「身体がある」とはひとつの側面、一方的なみかたで「身体がない」という状態も含めて考えると この二つの状態は生命(物質も)の全体のなかの、ひとつの見方、とらえ方、または生命の性分であるとすること。 中諦とはこの「有無」両方にある、何物か、生命、物質の本質である。つまり一般的ないいかたからすれば、 死後はあるということになる。死んだら終わりではなく、身体がなくなっても、「ある」から「ない」は、ともに一連性がある。 大乗経典には転生について当然の事実かのように説かれているのである。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/02 19:04 ID:20n6hdSN
>74 それくらい分かりますよ。 「悪」という言葉の問題、邪心とか煩悩とかにすれば問題ないのでしょう。
>>75 転生があるかどうかなんて証明できないんだから誰にも本当のことは答えられない。
答えたとしたらそいつは嘘つきだよ。
>しかし仏教(原始仏教)は何も答えられない。これっておかしくない。
誰か(例えば釈迦)に「輪廻転生はある」って明確に言ってもらった方が安心できるんだろうけど、
答えられないものは答えられないと思うんだよね。
あんまり釈迦に期待しない方がいいんじゃないの。
>>75 >大乗経典には転生について当然の事実かのように説かれているのである。
大乗経典は釈迦の教えじゃないよ。
そこで転生について説かれていても釈迦とは関係ない。
関係は無いけど、大乗経典の方が納得できるってことならそれでいいんじゃない?
でも釈迦はあくまで「無記」としたんだから
「釈迦は転生を認めている」なんていったら釈迦がかわいそうだ。
80 :
79 :03/11/02 19:55 ID:???
81 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/02 23:06 ID:2VPfrXRd
>>74 の文は、縁起の基本を述べたものです。
これがある故に、これがある。
これが生ずる故に、これが生ずる。
これがない故に、これがない。
これが滅する故に、これが滅する。
(サンユッタ・ニカーヤ 12:37 増谷文雄訳)
これが縁起の考え方であり、すべての苦から解脱する方法です。
メッタグーさんがたずねた。「先生!あなたにお尋ねします。このことをわたし
に説いてください。あなたはヴェーダの達人、心を修養された方だとわたしは考えま
す。世の中にある種々様々な、これらの苦しみは、そもそもどこから現われ出たので
すか。」
師は答えた。「メッタグーよ、そなたは、わたしに苦しみの生起するもとを問う
た。私は知り得るとおりに、それをそなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦
しみは、執着を縁として生起する。実に知ることなくして執着をつくる人は愚鈍であ
り、繰り返し苦しみに近づく。知ることあり、苦しみの生起の元を観じた人は再生の
素因をつくってはならない。」
(スッタ・ニパータ 1049-1051、中村元訳)
82 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/02 23:07 ID:2VPfrXRd
ブッダは、人間の様々な苦しみには、苦しみを起こす原因があること(この場合は執着)、 そのように苦しみの原因を知らないで物事に執着し続ける者は、繰り返し苦しみを体験するこ となどを指摘している。 それゆえ、この苦しみの起因を知って、苦しみを再発させる起因、執着心をつくらないようにと、 教えています。 この考えは、後に12段階に分けられ十二縁起としてまとめられます。 物事に対する執着がある故に、苦がある。 物事に対する執着が生ずる故に、苦が生ずる。 物事に対する執着がない故に、苦がない。 物事に対する執着が滅する故に、苦が滅する。 物事に対する執着・こだわりが苦の最大の因とされた。
苦の心理学と、因縁の哲学こそが、仏教の正体。 仏教は偶像崇拝と思われているが、とんでもない。 仏教は偶像はもちろん、教祖や団体も否定しておられた。 非偶像崇拝こそが仏教の姿なのだが、これを継承しているのは禅系といっていいだろう。 それにしても。もう、研究が進んで歴史的事実が明らかにされている 上で、このような時代錯誤の団体が仏教団体として存在すること自体 奇妙でならない。法華経も、大海の1滴的な価値しかないし、名もないインド人が創作したのは 明らかだよ。 そんな不気味な経典を拝んだり、紙を拝んだり・・・・・。 いいから勉強しろ。幼稚園でもまたぐよ。ちょっと図書館で勉強して 仏教をわかれば、「なんだこりゃ?」と思うだろう。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/02 23:54 ID:20n6hdSN
>78 現在の医療技術は進んでいて脳死のこと、移植のこと、遺伝子操作のことなど生命の尊厳といった問題に直面している、 これらのことに仏教はどう答えることができるのか?宗教はその役割があると思う。 たしかに釈迦にはあまり期待しないほうがいいかもしれないなー、(半分冗談)だって、全て「無記」にされちゃう。 >79 なるほど、ただマッジマ・二カーヤ、「中部経典」は「毒矢のたとえ」で釈迦は神秘的形而上学的問題のことは 説かないと言明している。 ところが同じ中部経典には菩提樹の下での悟りの過程で幾多の過去の生涯が追憶され、業因業果の法則が説かれているらしい。 「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで、確立し不動になったときに、過去の生涯を思い起こす智に心を向けた。 かくしてわれは種々の過去の生涯を思い起こした。すなわち、一つの生涯、二つの生涯、、、千の生涯、百千の生涯を、幾多の宇宙成立期、幾多の宇宙破壊期、宇宙成立破壊期を。 われはそこにおいて、これこれの名であり、これこれの姓であり、これこれの種姓であり、これこれの食をとり、これこれの苦楽を感受し、これこれの死に方をした。そこで死んで、かしこで生まれた。」と。 さらに「諸々の生存者の死生を知ることに、われは心を向けた。すなわちわれは清浄で超人的な天眼をもって、諸々の生存者が死にまた生まれるのを見た。 すなわち卑賤なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なもの、そして諸々の生存者がそれぞれの業にしたがっているのを見た_(実にこれらの生存者は身に悪行を為し、ことばに悪行を為し、こころに悪行を為し 諸々の聖者をそしり、邪った見解をいだき、、、かれらは身体が破壊して死んだあとで、悪しきところ、堕ちたところ、地獄に生まれる。 また他の生存者は身に善行を為し、ことばに善行を為し、こころに善行を為し、諸々の聖者をそしらず、正しい見解をいだき、正しい見解にもとずつ行為をなす。 彼らは身体が破壊して死んだあとで、善いところ、天の世界に生まれる。)と」 これは輪廻転生や業のことじゃないの、中部経典とは原始仏典に含まれる経典ですよ。
85 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/03 06:16 ID:BT6wa80i
>>84 さんへ
まず番号でも何でも良いから、ネームを固定してくれないか。
73.75.76と同じ人だと思うので、まとめて答えておきます。
輪廻転生は当時のインドでは、一般に強く信じられ、この考えを否定しきれ
ないことは確かです。反対にブッタの考えに引き入れるきっかけとして、また
は善行を勧め、悪行を退ける考えとして、在家の人に説くこともある。でも
苦からの解脱する手段として、輪廻転生の思想を説いていない。
この世で生きていることが苦であるならば、来世に生まれ変わり苦のない人
生を送ることが、今現在の苦しみの解決になるだろうか。
知っていると思うがブッダには、四門出遊の伝説がある。東の門から出よう
として老人に出会い、南の門では病人、西の門では死人に出会い、人は生きて
いる限り老・病・死の苦しみからは逃れられないと考え、北の門で出会った修
業者に刺激され、苦からの解脱を求めて、出家しました。
>しかし仏教(原始仏教)は何も答えられない。これっておかしくない。
ブッダは人生の苦悩に対して、業や輪廻転生の考えで誤魔化さず、真っ正面から
むかっていきました。
86 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/03 06:17 ID:BT6wa80i
ブッダが何を悟ったかについては、悟りは知識ではなく、いろいろな事象、物事 に対する考え方・認識の問題だと思う。だから人から伝えられるものではなく、自 分でいろいろ実践していく内に答えを見つけ、自ら経験してその正しさを確かめ手 に入れるものです。他の人はその方法を教えることが出来るけど、究極のところは 自分自身で見つけだすしかないものと考えている。 この自らの体験をもとに、苦しみから安らぎへいたる道を人々に示すこと、これが ブッダの目指したことであった。 「伝承によるのではなくて、いま目の当たり体験されるこの理法を、 わたしはそなたに説き明かすであろう。」 (スッタニバータ1053.) ブッダのものの見方は、きわめて合理的である。苦しみが宿命や神の意志、あるいは 偶然から起こるものであるとは考えなかった。苦しみが生ずるには、そこにかならず何 らかの原因・条件がはたらくと考えた。その苦しみを作り出している原因・条件をなく すことが、苦しみを除く方法であると説いている。 ただ、原始仏教のすべてが理性的であるとすることはできない。布教の過程で輪廻転生 のような当時の俗信あるいは迷信を必ずしも排除しなかったからである。ブッダの教えが 合理的で理性的であるとは、根底となる考え方が合理的で理性的であるという意味である。 サ
>それを運がよかったと普通の人は感じるだけのこと、私は偶然はないと感じていますので、守ってもらったと感謝しています。 >事故はこの一回だけ、二度と起こさない。 あのー交通事故の死者は年間3万人いて、水面下の自己は20万以上あるんだけど・・・。 そんなありふれた事故で、宗教に結びつけるなんて余程洗脳が深いんだろうな。 仏教においては幸せも、不幸もない。輪廻に縛られている自己そのものが不幸なの。
88 :
おめこ :03/11/03 17:07 ID:???
お邪魔しますさん
でもやはり釈迦は
>>84 に出てくる話で「輪廻転生」や「業」の存在を認めているってことにはなる。
>輪廻転生は当時のインドでは、一般に強く信じられ、この考えを否定しきれ
>ないことは確かです。反対にブッタの考えに引き入れるきっかけとして、また
>は善行を勧め、悪行を退ける考えとして、在家の人に説くこともある。
と言ってしまうと逆に
「釈迦は本当は輪廻転生を認めていたが弟子達に教えを説くうえで敢えて「無記」とした」
という考えも成り立つ。
一方が「真意」でありもう一方がいわゆる「方便」であるとすると解釈によっていくらでも「真意」が存在してしまう。
逆にいうと釈迦が矛盾したことを言っているので「真意」が確定できない以上どの解釈も釈迦に関係ある、といえる。
よって
「日蓮の教えはブッタと関係とは関係あるのか」
と問われれば
「関係ある」
と言わざるを得ないのである。
89 :
おめこ :03/11/03 17:16 ID:???
別に層化や日蓮系信者じゃないので。 為念
90 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/03 17:37 ID:mDIiWybX
>>41 で引用した文中にある御義口伝については、聖人門下初期の古記録を初めとして、
聖人滅後120〜30年の頃編纂された録内遺文、聖人滅後180年の頃に出来た八品日隆の
本門弘経抄にも見あたらず、聖人滅後210年頃完成された円明日澄の法華啓運鈔に至っ
て初めて引用されていること。
また日蓮聖人滅後13年、元の元貞元年に成立した徐氏の科註の文章が引用されている
ことなどから、偽御書とする見方があることを、書いておく。
91 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/03 19:11 ID:mDIiWybX
苦悩が縁起などの見解、思想だけで解決するはずがない、とは初期仏典にも書かれている。 もしも人が見解によって清らかになり得るのであるならば、あるいはまた 人が知識によって苦を捨て得るのであるならば、それでは煩悩にとらわれて いる人が[正しい道以外の]他の方法によっても清められることになるであ ろう。このように語る人を「偏見ある人」と呼ぶ。 (「スッタニパータ」789) 「世界は常住であるという見解があるとき、ひとは浄らかな行いを実修する であろう」というのは正しくない。また「世界は無常であるという見解があ るとき、ひとは浄らかな行いを実修するであろう」というのも正しくない。 世界は常住であるという見解があっても、世界は無常であるという見解があっ ても、しかも生はあり、老はあり、死はあり、憂い・苦・嘆き・悩み・悶えが ある。わたくしはいま目のあたり(現実に)これらを制圧することを説く。 (パーリ「中部経典」)
92 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/03 19:15 ID:mDIiWybX
>>84 の指摘した「毒矢のたとえ」は、これ
毒矢にいられ、苦しむ人を前にして、医者が、患者の身分、階級、弓の種
類、矢の種類などについて知られない間は治療しないとしたら、その人は死ぬ。
世界が永遠であろうとなかろうと、有限であろうとなかろうと、生命と身体
が同一であろうとなかろうと、人が死後存在しようとしまいと、人は生まれ、
老い、死に、嘆き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩む。
で、なんだっつーの?
>>お邪魔します 宿業と業の違いってなに?
95 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/03 21:06 ID:mDIiWybX
過去世から現世、現世から来世と一つ前の行いの結果が伝わる のを業、前世の業の結果が現世に現れたものを宿業として使っ ています。
結局日蓮の教えとブッタは関係あるの?
>>85 >でも苦からの解脱する手段として、輪廻転生の思想を説いていない。
あたりまえだ。輪廻こそ苦なのだからな。
輪廻は説かれるべきようなものではない。
当時においては社会通念だ。説く必要などないから説かんのだ。
>>86 >布教の過程で輪廻転生のような当時の俗信あるいは迷信を必ずしも排除しなかったからである。
何度でも言ってやるが、ブッダが輪廻を俗信・迷信と断言しているのか。
その経典を明示しくれ。
排除しなかったのではなくて社会通念の中で生きていただけのことではないのか。
>>97 輪廻が苦なのではなく生きることが苦であると釈迦は言ったんだろ。
輪廻など形而上学的問いについては
「ヴァッチャよ、[世界は常住かどうか、霊魂と身体とは一体であるかどうか、人は死後にもなお存するかどうか、などのような種類の問い]
に対する見解は、独断に陥っているものであり、見惑の林に迷い込み、見取の結縛にとらわれているのである。
それは、苦をともない、悩みをともない、破滅をともない、厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たない。」
(中部経典)
と言っている。
確かに俗信・迷信と断言はしてない。
だが社会通念として当然のことと捉えてはない、と読み取れるし
「そんなものがあるかどうかに言及しても涅槃に役立たない」と言っている。
>>98 >輪廻が苦なのではなく生きることが苦であると釈迦は言ったんだろ。
いや、四苦八苦が三界六道をどう輪廻しても消え去らないことを一切皆苦といったのだ。
>確かに俗信・迷信と断言はしてない。
>だが社会通念として当然のことと捉えてはない、と読み取れるし
つまり輪廻を否定はしないのだよ。
>「そんなものがあるかどうかに言及しても涅槃に役立たない」と言っている。
そういうことだ。そしてそれだけのことだ。
100 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/03 23:13 ID:mDIiWybX
>>97 さんへ
>何度でも言ってやるが、ブッダが輪廻を俗信・迷信と断言しているのか。
>その経典を明示しくれ。
この件については、私の手持ちの資料にはそのような経典はない。
こちらも何回言っているだろうか。ブッダは輪廻転生、梵我一如などについては、
直接に否定していない。ただブッダが輪廻転生等を積極的に説くならば、バラ
モン教の祭司になればよいことであって、新しく仏教を開かなくても良いこと
になる。
ブッダは我々が生きていくことは「苦」であると見て、その苦を克服する方
法を示してくれた。それは苦が成立するには、何らかの原因があり、その原因
をなくすことが、苦をなくすことだと説いている。
そこにはバラモン教で輪廻転生、梵我一如で使用する永遠に続く「我」と言う
ものは必要としない。したがって「我」に関する考え、人間には霊魂があるかど
うか、この世は永遠に存在するかどうか、人は死後何か残るものがあるかどうか
等についてはブッダが説く苦からの解脱には必要ないので、そのようなものはブ
ッダは説かないと言っている。
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/04 00:12 ID:bnTAoIbQ
>>95 現世の中で、行いの結果が伝わるものは業とはいわんのか?
>>100 >ただブッダが輪廻転生等を積極的に説くならば、
いつオレがそんなことを言った?
ブッダが輪廻を積極的に説く必要などないと言っているだろう?
>そのようなものはブッダは説かないと言っている。
そんなことはブッダは言わんだろう。
ブッダはただ説かないだけだ。説く必要がないからだ。
ブッダは悟りを得た者はもはや輪廻せずに再び生まれてくることはないと言う。
悟らぬ者は輪廻すると言うことだ。
なにが前提となっているのか、わかるか?
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/04 00:19 ID:NC/jFTLb
:::::::::::/ ヽ:::::::::::: :::::::::::| ば じ き i:::::::::::: :::::::::::.ゝ か つ み ノ::::::::::: :::::::::::/ だ に は イ::::::::::::: ::::: | な。 ゙i :::::: \_ ,,-' ――--、..,ヽ__ _,,-'' :::::::,-‐、,‐、ヽ. )ノ _,,...- :::::_|/ 。|。ヽ|-i、 ∠_::::::::: /. ` ' ● ' ニ 、 ,-、ヽ|::::::::: ニ __l___ノ |・ | |, -、:: / ̄ _ | i ゚r ー' 6 |:: |( ̄`' )/ / ,.. i '- `ー---―' / '(__ ) ヽ 、 ====( i)==::::/ ,/ニニニ :/ ヽ:::i /;;;;;;;;;;;;;;;; ;;
104 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/04 00:52 ID:vNDbGGNC
>>101 さんへ
その使い方もあった。ごめん。
>>102 さんへ
>ブッダは悟りを得た者はもはや輪廻せずに再び生まれてくることはないと言う。
悟らぬ者は輪廻すると言うことだ。
それを少なくとも初期仏教では、悟りとは言わない。
苦が何によって起こり、何によって消滅するか。
このことを身をもって体験し、智慧として身につけ、
苦から解脱することを悟りという。
ここがあなたと私の違うところです。
どちらにしろ、新興宗教創価学会と独自仏法の押し付け。 その行い、 行動、 結果 を 見ても 元の仏法とは 無縁のような気がする。 宗教として扱ってよいのかどうかも怪しい。 「仏陀の仏法は、通用しない。」 「これこそが、シャカの伝えたかった仏法」 の 主張は、限りなく詐欺に近いような感じでもある。 このような新興宗教ができてしまったために。 それまでの、宗教=良いもの というイメージから 宗教=怪しい というイメージを植え付け根かせた。 宗教離れ。創価学会の功績といっても過言ではない。
106 :
98 :03/11/04 01:24 ID:???
>>99 >いや、四苦八苦が三界六道をどう輪廻しても消え去らないことを一切皆苦といったのだ。
ちがうでしょ。
生きていくことは思い通りにならない(=苦)ということを一切皆苦といったんだろ。
>つまり輪廻を否定はしないのだよ。
否定はしてないけど「言うまでも無い前提」とはしてない。
引用した経典で、輪廻などに対する見解は「独断に陥っているもの」としている。
輪廻を前提とすると当然自ら「独断に陥って」しまうことになる。
やっぱりあなたの前提がおかしい。
107 :
919 :03/11/04 01:37 ID:???
>ところが同じ中部経典には菩提樹の下での悟りの過程で幾多の過去の生涯が追憶さ >れ、業因業果の法則が説かれているらしい。 中部経典の怖駭経にそういった記述が見られるみたいですね。 ただ、同じ経典内でも古く成立した部分と後世に付け加えられた部分があるそうです。 問題はそこで、経典が文字に記されたのは、釈迦滅後500年(そのころには部派仏教や 初期大乗も興隆している)くらい経てからだそうなので、科学的な検証ができず、釈迦の 真意はどこにあったのか未だに議論が続いているわけですね。 結局、経典中、「無記」とした部分を重視するか、「無記」は否定していないんだから肯定 する記述が経典中に見られる以上、輪廻転生や業思想を肯定したと見るのか、もうこれ は水掛け論にしかならないかもしれません。 ただ、あれですね。輪廻転生はともかく、業思想が誤りだとすると、例えば、人をいくら殺 そうが、考えを改めるだけで悟りが得られるわけで、これはいくらなんでも・・・と思ったも のの、こういったことで苦しむのは執着しているからですね^^; 悪いことをしてるんだか らおかしい、と思うことこそ執着なんでしょう。こう考えれば、業思想は執着の固まりのよう なもので、苦しみは執着から生まれる、執着から離れよといった釈迦の考えから相反する ものだと思えます。
創価の使う「宿命転換」なる造語は間違っている。 業報論が仏教的な考えかたで、宿命論的考え方は一神教。 宿命転換なんて仏教(仏法)用語にはありません。やだやだ新興カルト!
絶対幸福境涯って造語も仏教(仏法)にはありません。 カルト用語です。 仏教(仏法)用語に絶対などと付く言葉はありません。 創価やオウムなどのカルトは絶対という言葉が好きみたいだね。
110 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/04 03:31 ID:syVRTzN9
>>73 そう、自身の問題、だから、ぞんな物は正しい訳でも絶対な訳でもない
だから、書くなら、「私の場合は」を入れよ
>「ポア」とは明らかに違います。「ポア」とはよりステージの高い聖者が、
>やもうえずステージの低いものを抹殺しても許される危険思想です。
同じになるということが理解できないの?
ステージを上げてやる(善行)ためには何をしてもかまわない
ってなるってことだよ
111 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/04 03:37 ID:syVRTzN9
>>75 生きることのほうが何倍も大事なことだからだよ
生きるってことはそれだけで「業」を生み
「四苦八苦」するってことだからだよ
何で君がそんなに、輪廻なんてものに執着しているかというと
「四苦八苦」の「死」に怯えているからだよ
それをどうできるかは、君にしか出来ないんだよ
君の問題なだけだからね
自分の道は自分で歩きなさい
112 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/04 03:56 ID:syVRTzN9
>>107 何度も書くようだけど
生きている者で、他の生きている者に苦を与えていない者など無い
その、「苦を与えてしまう」ことが「業」なのです
ここでも、前世などはどうでもいいのです。
「生きてる」ということが一番の問題なのですから
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/04 07:48 ID:zqZn8UIk
>107 >悪いことをしてるんだからおかしい、と思うことこそ執着なんでしょう。こう考えれば、業思想は執着の固まりのよう >なもので、苦しみは執着から生まれる、執着から離れよといった釈迦の考えから相反するものだと思えます。 業の思想がないとするなら、まさに極悪人のやりたいほうだい。執着とは本人が認識できるから起こること、 業とは過去世の行いだから本人は認識できない、つまり執着はしないのですよ。 それから業の考えが、お邪魔しますさんの言うように現世のみに限定されるなら生まれながらに持つ違いを説明できない。 >102.104 >>ブッダは悟りを得た者はもはや輪廻せずに再び生まれてくることはないと言う。 >悟らぬ者は輪廻すると言うことだ。 悟ったものは再び生まれてくることはない???????どこの経典に説かれているのか教えて。 これじゃキリスト教などの思想と同じだ、この世には本当の天国はなくあの世にあるとしている。 この考えは否定される。 だいたい死後の世界について説かない宗教なんて世界中探してもめずらしいし、むしろ奇異だよ。 形而上学的問題のことは分からない?本当か?
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/04 07:49 ID:zqZn8UIk
>87仏教においては幸せも、不幸もない。 現代の文明の発達はなんで起こったのかな? 物事に執着したからだよ、輪廻転生の問題だって執着するから苦が生まれる ただ執着しなければ解決しない。私はあえてそのことに執着するし、執着が苦を産むならば苦のないところに悟りはないと断言する。 そうでなければ現代文明はすべて否定される。 やはり釈迦仏法は喩伽論や大集経に説かれた「白法隠没」のごとく現在では効力がないと思う。 生死即涅槃、煩悩即菩提だよ。、、、大乗経典で説かれる輪廻転生とバラモンで説く輪廻転生とは全然違う、 >110 意味が分からん、「悪の消滅」という言葉をどう受け取るかだろう、あなたがたはそのように取るということだろ、 そんな考え方する人は学会にはおらんよ、笑われるし相手にしない。
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/04 08:06 ID:zqZn8UIk
>108.109 あなたは全て仏教用語で話すのか?現代語に訳すだろう、 仏界を湧現させるということは、一切の苦から開放される絶対幸福境涯ってことだろ。
115へ
>>108 は宿命論は個人の意志に係わりなく、遠い過去から宿命的に決められているので変化しないものだ。
仏教は元々業報論なので自由意志によって自己の未来を決断し、自由に自らの世界を切り開くことを教えるものです。
と言うことを書いている。創価はおかしな造語で人を惑わしているのだ。
(創価じゃなくても仏教では元々創価語の宿命転換を説く)
>>109 は創価用語で同じく人を惑わすなといっている。
絶対幸福境涯とはどのような状態なの?
117 :
919 :03/11/04 09:21 ID:???
>>112 確かにその通りだと思います。仰せの「苦」とは、それをを与える者と与えられる者双方の執着
によって生じるものですね。「業」とは、執着をおこす心の作用の源。すなわち「無明」ということ
になろうかと思います。八正道を行ずることにより執着を離れ、「無明」を滅することができる。
「無明」を滅すれば執着を離れることができる。解脱とはまさにこのようなものではないかと。
ここに前世の概念は必要ではありません。
118 :
919 :03/11/04 09:42 ID:???
>>113 私は逆の考えをしてしまいます。業の思想があるとすると、悪いことをすれば、悪業を積んでしまう
のであり、本人はその行為をした時点でその罰を受けている、すなわち、人々は刑罰の必要性を
感じないでしょうし、実際無用なものです。それこそ、極悪人のやりたい放題になりませんか?
業が認識できないのはその通りで、「業」=「無明」は執着を離れることによってのみ滅することが
できるでしょう。
生まれながらに持つ違いは、現代では生物学の発達により、遺伝子で説明ができます。それをさ
らに、自分はなぜこのような遺伝子を持って生まれてきたんだろうと思われるのでしたら、それは
現在の自分に対する不満=苦しみ、これを起こす執着によるものでしょう。執着を離れることによ
り、その苦しみを脱し、そのような形而上の事柄を思い悩む必要もなくなります。実証できないこと
を思い悩んで何になりましょう。釈迦が「無記」と言われたのはそういうことでは。
言われたのは
119 :
919 :03/11/04 11:16 ID:???
>>114 現代の科学文明で、人々の苦しみはなくなったでしょうか?古代の人々と比較して、四苦八苦が
少しでも減ったと言えるでしょうか?私はそうは思えません。それは心の問題だからです。
科学の発達は、人間の知的探究心によるものだと思います。これは執着のように思えますが、
これによって苦しみが生じるでしょうか?生じる場合もあるし、生じない場合もあると思います。
生じる場合、そのような知的探究心をひかえればよいとするのが釈迦の教えでないかと思いま
す。その意味で、私は、仏教が決して科学文明を否定するものではないと考えます。
120 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/04 11:46 ID:syVRTzN9
>>113 生まれ変わりが有ろうが無かろうが、そんなことは、
今生きているということに比べれば、どうでもいいことなんだよ、
生まれ変わりがあったとしても、それは、また別の人生だからね
別の人生ってことは、生まれ変わったら別人ってこと
そんなことより、今の自分の人生のことのほうが大事だろ
仏教はどうでもいい死後なんかよりもリアルな死を説いているんだよ
生きている苦しみとしての「死」をね
121 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/04 11:50 ID:syVRTzN9
>>114 執着するんだろ、そうすると、「苦」は生まれるんだよ
その「苦」を説いたのが釈迦だよ
生きていくってことを説いたのが釈迦なんだよ
効力が無い?馬鹿いっちゃいけないよ
日蓮の法華経への執着のほうが百害あって一利無しじゃないの?
122 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/04 11:54 ID:syVRTzN9
>>115 カタルシスは「苦」の根本的解決にはならないよ
>>116 >絶対幸福境涯とはどのような状態なの?
魔境ですよ
123 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/04 17:33 ID:pIlycxcf
初期仏典が、全て釈迦の説いたそのままを記しているかというと、文字化 されたのは早いもので紀元前一世紀ごろと考えられている。その間には伝統 的に信じられていたバラモン教の教義が混じり込んだと考えても、おかしく ない。 しかし初期仏典は釈迦が説いた教えに一番近いものだし、その中に釈迦本 来の教えも入っているとして、バラモン教や当時の民間信仰の教えとは違う 教義、四諦・八正道・一二縁起・無我などを掘り出して釈迦が説いた教えと している。 釈迦が輪廻転生を否定していない、初期仏典の中に輪廻転生を説いた箇所 がある、としてこれらの教えを認めることは、今まで初期仏典の中から釈迦 本来の教えを導き出した多くの先人たちの苦労を無にするものだと思うんで すが、ハイ。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/04 19:09 ID:zqZn8UIk
まず私も名乗りましょう。「法孫悟空」と。 >科学の発達は、人間の知的探究心によるものだと思います。これは執着のように思えますが、これによって苦しみが生じるでしょうか?生じる場合もあるし、 >生じない場合もあると思います。生じる場合、そのような知的探究心をひかえればよいとするのが釈迦の教えでないかと思います。 生じる場合もあるし、ない場合もある、、、いったいどっちでしょうか。 執着が苦を生むなら知的探究心は苦を生むことになる。 私は同じ苦でもレベルがあると思う、六道の執着、つまり性、生、食、喜びなどの一般的な生理学的執着よりも学問的探究心という執着は二乗の執着、これは真理を知るための執着でやはり苦を産む しかし真理を知るための執着で人間の本能でありなくすことはできない、、、だから大乗では二乗はなかなか成仏できないと説かれている。 しかし妙観察智という知恵を持てば良いこと。 >123 やはり、あなたの文章から判断すると輪廻転生は否定しているようですね。あくまで当時の社会通念からバラモンの教えが混在したと捉えていますね。 まず転生とか死といった形而上学的問題について論じます。悟りとは関係ないかどうかはともかくも人は知的探究心としてこれらの問題に直面します。 あなた方は「考えても分からない」から意味がないとします。本当でしょうか、 例えばデカルト以降、学問的パラダイムを根底からひっくり返したアインシュタインの相対性理論や素粒子論などは時、空間、物質が個別には存在しないことを突きとめましたが、 物質は全てエネルギーに還元でき、E=MC2、で現され時空に還元されるなんて、我われにはまさに形而上学的命題。 さらにガモフのビッグバン宇宙論はこの全宇宙が小さな小さな塊だった、それが爆発して宇宙ができて、今は膨張している、、、などと我われが言ったらまさにカルト、 だってあなた、宇宙の始まりなんて見たことありますか!
125 :
法孫悟空 :03/11/04 19:10 ID:zqZn8UIk
同じことが先に説明したインフレーション理論、無とは高次元のエネルギーでありそのうねりから有が誕生するとか、、、これ全部、形而上学的問題だよ。 ガリレオの地動説だって当時のカトリック教からすればカルトであり、異端、でもそんなこと今じゃ子供だって知ってる事実だ。 カントの純粋理性批判では、先に説明したア・プリオリな問題、つまり経験的認識から区別される純粋認識を扱っている。 その一つに肉体とか物質といったものは、時間というものを背景に因果の法則で仮に存在する、とか常住不変なものについても、その考察をし ているのです。 これはまさに仏教の仮諦と同じ概念である。 つまりだ西洋の論理的思考でも形而上学的問題を扱い答えを出している、原始仏教はどうか知らないが大乗仏典ではすくなくともこれらの問題 つまり死、死後の問題、誕生の問題、無、深層心理などの通常の思考では答えられない諸問題を扱い、答えている、しかも現代科学と照らし合 わせても、整合性、共通性が見出されるし、より深い思索がなされている。
126 :
法孫悟空 :03/11/04 22:23 ID:zqZn8UIk
原始仏典が釈迦の本当の教え、と考えているようだけれど、それはどこまでがその教えなのかな?教えてくれ。 私にはそんなことはどうでもいいこと、釈迦仏法がすでに白法隠没していることは分かっているから。 原始仏典が低い教えであることはつぎのことからも言える、すなわち「執着するから苦が生まれる」これは六道輪廻から離れさせるための教え そこから声聞、縁覚界という二乗、つまり一段高い心情へ導くための教え。 執着することが苦を生む、だから執着するなというだけの教えなら、学者は全て煩悩、苦の固まりだ、一生苦から逃れられない。 学者だけではない、何かを追求する人には何の救いにもならない、こんな低い教えでは現代では通用しない。 結論から言えば、執着は捨て去ることはできず、また捨て去る必要もないのである。 それから、カントの純粋理性批判でも読むとおもしろいよ。 ただ大乗仏教が理屈だけで難しいと感じる人には向かないけれど、同じように難解な本です。
>126 ひじょーに低レベルの質問かもしれませんが、「釈迦仏法が すでに白法隠没していることは分かっている」法孫悟空さん が「仏界を湧現させる」という時の「仏」とは誰(何)を指すの ですか? 法華経初心者に対する説明として答えてください。 これは法華経に限ることではないのですが、結局「仏」って なんなんでしょ?
>法孫悟空 で結局日蓮の教えとブッタは関係あるの?ないの?
>126 それでは「法華経は近代科学と関係がある」そして「ブッタとは関係がない」 ということでよろしいな!
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/04 23:50 ID:gIGNKdUC
でも「紙に向かって呪文をとなえると幸せになる」ってのはブッタとも法華経とも近代科学とも関係ないよな。
131 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/04 23:58 ID:SBtf2+JI
法孫悟空さん、あなたは初期仏教における悟りに対して勘違いをしています。 悟った人はあらゆる欲望や煩悩がなくなり、死をも超越するような感じをお持ちですが それはちがいます。いくら悟っても、欲望や煩悩はあるし、怪我すれば痛いし、老いや 死もあるのです。これらの苦をうまく制御出来る事が悟ると言うことです。 経典に記された釈尊の比喩に、第一の矢、第二の矢というのがあります。 釈尊の教えに従うものにも、苦楽の感覚は起こる(第一の矢)。 しかし、釈尊の教えを聞かぬものは、第一の矢をきっかけにして、 執着や嫌悪を生じ、長くそれに苦しめられる(第二の矢)。 と言うものです、ハイ。
>>104 >それを少なくとも初期仏教では、悟りとは言わない。
なにをバカなことを言っている。
「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存を受けることはない」(中村元訳『スッタニパータ』より)
これは原始仏教では悟りを得た者を指す常套句ではないか。
苦とは生存そのものだ。そして古代インドでは生存は輪廻するのであり、
輪廻し続ける限り苦は消えないのだ。ゆえに苦の原因である無明を破ることで、
輪廻することが止むのだ。だから上記のような表現になるのだろう。
逆に悟らぬ者は輪廻から逃れることができない。
『スッタニパータ』には悪徳をなした者が地獄に堕ちる話も多く説かれている。
「かれは無明に誘われて、修養をつんだ他の人を苦しめ悩まし、煩悩が地獄に赴く道であることを知らない。
実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へと生まれかわり、
暗黒から暗黒へと赴く。死後には苦しみを受ける。」(P61)
>>123 >釈迦が輪廻転生を否定していない、初期仏典の中に輪廻転生を説いた箇所
がある、としてこれらの教えを認めることは、今まで初期仏典の中から釈迦
本来の教えを導き出した多くの先人たちの苦労を無にするものだと思うんで
すが、ハイ。
バカもの。その「先人」が「釈迦の本来の教え」なるものを曲げていたらどうする。
ブッダは輪廻を否定していない、しかしそれを超克することを目指したのだ。
その構造は外してはならない。先人たちの苦労などが問題ではない。
>>106 >ちがうでしょ。
なにがちがう。
ではなぜ悟りを得たものたちは「もはや再びこのような生存を受けることはない」と言われたのだ。
「生きていくことは思い通りにならない(=苦)」ということを、
もはや繰り返すことがないということが重要な意味を持つからだろう。
>引用した経典で、輪廻などに対する見解は「独断に陥っているもの」としている。
輪廻を前提とすると当然自ら「独断に陥って」しまうことになる。
ちがう。
その引用経典で言われているのは、形而上学的問いへ見解を示すと独断に陥るということだろう。
あると言っても独断であり、ないと言っても独断なのだ。
ところが社会通念というのは形而上学などとは別だ。
輪廻を前提とするなどという作為的な表現ではなく、土壌として輪廻はある、
それを超克することをブッダは主張した、と言うべきであったかもしれんな。
あろうがなかろうが、煩悩を断たなければ苦しみを抱えた生は永遠に繰り返してしまうのだ。
>>113 岩波文庫の『ブッダのことば』『真理のことば・感興のことば』などを読むといいのでは。
『ブッダのことば』はオレが引用した『スッタニパータ』の邦題だ。
134 :
106 :03/11/05 02:06 ID:???
>>133 >その引用経典で言われているのは、形而上学的問いへ見解を示すと独断に陥るということだろう。
>あると言っても独断であり、ないと言っても独断なのだ
>ところが社会通念というのは形而上学などとは別だ。
その社会通念たる「輪廻」が形而上学的だから弟子が見解を求めたんでしょ。
で釈迦は社会通念たる「輪廻」も含めて、形而上学的問いへ見解を示すと独断に陥るとした。
そういう「輪廻」から脱け出すことを「悟り」としていた、とするとやはり前提として「輪廻」がないと話が成り立たず
釈迦は「輪廻はある」という見解を示したことになり、これだと「独断に陥って」しまうことになる。
論理的に考えるとそういうことになる。
確かに「もはや再びこのような生存を受けることはない」という言葉は輪廻を前提としていると思える。
でもそれだと上で書いたように「無記」とは矛盾する。
(困ったもんだ・・・)
「輪廻については社会通念だから、形而上学とは別である」という見解は一解釈にすぎない。
「輪廻について説いている部分はバラモン教が混じり込んだ部分」という見解も一解釈にすぎない。
「釈迦の思想は当時の社会通念の枠内だった」と見るか
「釈迦の思想は当時の社会通念の枠を越えていた」と見るかで見解が違ってくるのだろうが、
つまるところどれも一解釈にすぎないわけなので相手の見解に対して「バカ」とか書くのはどうかと思うぞ。
135 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/05 10:00 ID:RjEphZR+
>>124 >あなた方は「考えても分からない」から意味がないとします。・・・
あなたは、「死後はある」と断言しているのでしょうか?
釈迦の教えとは、生きていくこと、そのもの
科学がどうだとか、二乗がどうだとか、高い心だとか形而上だとか
偉そうに書いているけど、傲慢で、執着していて、未練たっぷり
>釈迦仏法がすでに白法隠没していることは分かっているから。
生きていくということの大切さがどうでもいいって思っているということですね
>結論から言えば、執着は捨て去ることはできず、また捨て去る必要もないのである。
これは自分で悟ったものなの?
136 :
919 :03/11/05 10:17 ID:???
>>124 法孫悟空様
私は、苦しみの原因となるものが執着だと思っています。知的探究心と一口にいっても、人それ
ぞれ、さまざまです。行き過ぎれば貪りとなるでしょうし、執着となる場合もあるでしょうし、正見、
正思と評価できるものもあるでしょう。知的探求心によって今まで知らなかった世界が開け、満足
感、安らぎを得た経験は誰しもあるのではないでしょうか。そのあたりの区別をしないと、執着とい
う言葉が一人歩きし、それにとらわれてしまいます。たとえば、釈迦は心の安らぎを求める気持ち
は誰よりも強かったでしょう。幸福を求める気持ちが誰よりも強かったので、悟りを得られたわけ
です。これは執着とはいいませんね。このように何かを求める気持ち=執着ではなく、苦しみをう
むものという言葉を付け加えてお考えになってください。
137 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/05 10:19 ID:RjEphZR+
>>132 なぜ、輪廻が必要なのか、それを悟れば、
輪廻は不必要になり、どうでもいい物となり
輪廻は消える
逃れるわけでも、止むわけでも、超克するわけでもない
どうでもいいものになり、どうでもいいから消えるのだ
存在しなくなるんだよ
輪廻とは、「死」という「苦」に対するカタルシス
カタルシスでは根本的解決にはならない
>>134 例えば『スッタニパータ』には「バラモンにふさわしいこと」といった一節もある。
人間の品格は生まれによって定まるのではなく行為によって決まるという説明ではこんなふうにもいう。
「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。
行為によって賎しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。
わたくしは次にこの実例を示すが、これによってわが説示を知れ。
チャンダーラ族の子で犬殺しのマータンガという人は、世に知られて令名の高い人であった。
かれマータンガはまことに得がたい最上の名誉を得た。
多くの王族やバラモンたちはかれのところに来て奉仕した。
かれは神々の道、塵汚れを離れた大道を登って、欲情を離れて、ブラフマン(梵天)の世界に赴いた。
(賤しい)生まれも、彼がブラフマンの世界に生まれることを妨げなかった。
ヴェーダ読誦者の家に生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、
しばしば悪い行為を行っているのが見られる。
そうすれば、現世においては非難され、来世においては悪いところに生まれる。
(身分の高い)生まれも、かれらが悪いところに生まれまた非難されるのを防ぐことはできない。
生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのでもない。
行為によって賎しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。」(P35-36)
このように、ブッダは真っ向からバラモンと衝突したと考えるよりも、その枠組みの中で行動し、 社会通念としての輪廻を否定することなく、苦を離れる術を求めたと考えるべきではないか。 お邪魔します君に、バカバカと言ってしまったが、悟りを得た者はもはや輪廻を繰り返さない、 と言ったオレの言葉に「それを少なくとも初期仏教では、悟りとは言わない」と返したので、 本当に「そんなバカな」と思ったのだ。 さらに輪廻否定こそブッダの真の教えであって、それを否定したら先人の苦労がどうのこうのと言い出すから、 なんで輪廻否定がブッダの真の教えだという前提になっているのか、 なんで先人の苦労に免じてその見解を批判することをやめなければならないのか、 さっぱり分からなかったので、やはり「バカものめ」と思ったのだ。
>>137 Sb君よ。
何度いったら分かるんだ。輪廻は必要でも不必要でもない。
単にブッダが生きたその時代はそういう考え方が普通だったということだ。
>輪廻とは、「死」という「苦」に対するカタルシス
カタルシスでは根本的解決にはならない
いつオレが輪廻が苦の根本的解決になるなどと言った。
輪廻によって苦は永遠に繰り返してしまうから、
悟りを得ることによって輪廻を止めるのだ。
「もはや再びこのような生存を受けることはない」状態こそ解脱の完成だ。
141 :
134 :03/11/06 02:59 ID:???
>>139 確かにバラモンと真っ向から衝突するという姿勢ではなかったとは思うよ。
でも「無記」の話からすると輪廻を当たり前のこととして認めていたとはやっぱり思えない。
でもその釈迦が一方では輪廻を前提に話をしている。
一体どういうことなのか。
あなたの言う通り輪廻は当時の社会通念だったわけだが、一方で「輪廻ってホントにあるの?」と疑問を持つ人達(例えば釈迦の弟子とか)もいた。
弟子が疑問を持つくらいだから当然釈迦も「輪廻はあるのか?ないのか?」と疑問を持ったに違いない。
そして
「有るのか無いのかは証明不可能。だがどっちにしろ現に今生きており、その苦から脱することが大事だ」
という結論に至ったんだと思う。
で何故一方で「無記」としたり他方で輪廻を前提に話をしていたのかというと、相手によって説き方を変えた、というこなのではないか。
「輪廻はあるのか?」と疑問を抱くような人にはちゃんと「無記」としたうえで教えを説いたが、社会通念として輪廻を疑問なく信じているような人に対してはそれに沿って教えを説いた。
つまり、輪廻の有無でなく苦から脱することがテーマなので各々が受け入れやすい形で教えを説いたということであろう。
「もはや再びこのような生存を受けることはない」という科白も「悟り=輪廻からの解脱」というバラモン教的発想に沿った言い回しなのではなかろうか?
142 :
おじゃまします :03/11/06 04:38 ID:WrOi9MQ2
スレタイの答えは・・・・ 答えはNO ブッタとブッダは似て非なるもの 只、単に日蓮は誰にもアゲアシを取られない日本語で仏陀の教えを日蓮なりに翻訳しただけでしょうね 創価の人は日蓮>仏陀だと思ってます 日蓮自体は日蓮<仏陀なのが解かってきました 私はフクシで自分の意思とは関係無く創価に入っていました 信心辞めて15年に成りますが籍は残っています 今は辞めたいです おじゃましました
法孫悟空さんはトンズラでしょうか。名前だけですね。基本的にココはち
ゃんと議論する場になってるみたいなので、「言いっぱなし」の方には来
てほしくないですね。
>>141 時代背景と釈迦が教えを伝えた相手を考えると、私のような仏教シロウト
からみて、一番妥当な考えにみえますよ。
>>142 おつかれさまです……。
144 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/06 19:54 ID:YIbNuLcp
>>140 134さんが言うとおり
輪廻がなくなっちゃえば
解脱だよ
>>68 >六根清浄とは、具体的な身体が本来の正常な身体に戻ることを言っていると思うよ。
、、、これは本当にそう思う、題目をあげると身体が温かくなり、血液循環がよくなってくる、全身の筋肉の緊張が解けリラックスする、
題目でも確かにそうなるんだが、カラオケでも同じ現象がおこる
ようはずっと声だしてればそうなるってこと
>>143 法孫悟空氏とて2ちゃんばっかやってるわけじゃねーべ。
最終書き込み日時からするとお邪魔します氏もトンズラしていることになるぞ。
>146 それでは待ってみましょう。
>>141 ブッダにとって輪廻があるのか、ないのかはどうでもいいことだったのだろう。
あるに固執することも、ないに固執することも悟りの妨げだ。
だから無記なのだ。無記とは否定ではない。
だから、無記であり、なおかつ輪廻に沿って教えを説くことは矛盾しない。
ただ輪廻の有無に固執する態度を批判したのだろう。
ゆえにブッダはさらりと輪廻という社会通念に沿って教えを説く。嘘でも方便でもなくな。
みんなはブッダほどの者が輪廻などという迷信を信じていたはずはないという、
思い込みが激しいんじゃないか。
そんな思い込みを取り除いて『スッタニパータ』や『ダンマパダ』を読んでみたらどうだろう。
普通に読めばブッダが輪廻を嘘だとも方便だとも思っていなかった、と気づくはずだ。
149 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/07 00:17 ID:7v3UaqOj
輪廻の問題はキリがないのでちょっと置いておいて、選挙が近いので学会の投票依頼が 毎日のように来ている。男の人はそうでもないが、女の人で完全に学会にはまっている人 がいる。題目をあげているところを見ると完全に無我の境地になって、涙を流さんばかり になっているし、学会の指導通り動いているから何の迷いもない。私に言わせれば学会の ロボットだと思うが、この様な人もやっぱり悟ったというのかしら。
150 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/07 00:21 ID:7v3UaqOj
今、何で苦行が悟りにならないか考えている。 全ての欲望を断ち切っているんだし、自分の生命に対する 執着もない。ブッダはこちらも悟りの道でないとして、中道 を唱えたんだけどね。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/07 01:01 ID:EXXSb780
結論。あるとも言えるし、全くないとも言えます。仏教というカテゴリーから見れば、釈尊なしでは 語ることはできないでしょう。しかし、「信仰」という視点から言えば、脱益仏法の釈尊を実践しているようでは この末法の時代には功力がないのです。真の幸福を求めるならば、下種仏法の日蓮(大聖人様)に帰依するべきです。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/07 01:01 ID:EXXSb780
結論。あるとも言えるし、全くないとも言えます。仏教というカテゴリーから見れば、釈尊なしでは 語ることはできないでしょう。しかし、「信仰」という視点から言えば、脱益仏法の釈尊を実践しているようでは この末法の時代には功力がないのです。真の幸福を求めるならば、下種仏法の日蓮(大聖人様)に帰依するべきです。
>>149 >輪廻の問題はキリがないので
いや、キリはついただろう。
名前:ブツ理先導人 ◆O1kx14oBys :03/11/06 22:22 ID:??? 「呪文を唱えると元気になる、病気も治る、仕事もうまく行くって。 だからおめえもこの呪文を唱えれってば。」 「無念のうちに死ぬというのは、その使命を果たせぬまま死を迎えることを 意味します。その弱々しい生命力を、妙法では蘇生させることができます。」 (NotEqual) ≠「仏教」 でしょう。 ブツ理先導人 ◆O1kx14oBys :03/11/06 22:29 ID:??? 補足しますが、「魔法」≠「仏法」ではありません。魔法を魔法として教える宗教 を魔法教とするなら、創価学会は魔法教であり、呪文教ですね。「呪文教は仏教では ありません」。 仏教ではないものが、自分を仏教だと名乗り、しかも自分のところこそが 正しい仏教だと勝手に名乗ったが故に、「他の仏教」を駆逐しなければならない という論理になったに過ぎません。これが答えです。 仏教でないものが、勝手に他人の軒先に入ってきて、おれが本当の仏教であり おまえらは仏教ではない、死ねと言って母屋を乗っ取ろうという行動に出たのが つまり創価学会なんです。 ですから、本来仏教ではない「気分だけブッポウ」気取りの意味不明ブッポウ 単語使いの連中が、元々の仏教を乗っ取るために破廉恥な空騒ぎをし始めたのが すべての始まりです。この破廉恥をやめれば、創価学会という仏教とは別の宗教 はその棲息場所を仏教の外に置いて、新興宗教として新しくやってもらえば それでいいことなのです。
特に反論がないようなら、これで失礼しよう。
名前:ブツ理先導人 ◆O1kx14oBys :03/11/06 22:22 ID:??? 「呪文を唱えると元気になる、病気も治る、仕事もうまく行くって。 だからおめえもこの呪文を唱えれってば。」 「無念のうちに死ぬというのは、その使命を果たせぬまま死を迎えることを 意味します。その弱々しい生命力を、妙法では蘇生させることができます。」 (NotEqual) ≠「仏教」 でしょう。 ブツ理先導人 ◆O1kx14oBys :03/11/06 22:29 ID:??? 補足しますが、「魔法」≠「仏法」ではありません。魔法を魔法として教える宗教 を魔法教とするなら、創価学会は魔法教であり、呪文教ですね。「呪文教は仏教では ありません」。 仏教ではないものが、自分を仏教だと名乗り、しかも自分のところこそが 正しい仏教だと勝手に名乗ったが故に、「他の仏教」を駆逐しなければならない という論理になったに過ぎません。これが答えです。 仏教でないものが、勝手に他人の軒先に入ってきて、おれが本当の仏教であり おまえらは仏教ではない、死ねと言って母屋を乗っ取ろうという行動に出たのが つまり創価学会なんです。 ですから、本来仏教ではない「気分だけブッポウ」気取りの意味不明ブッポウ 単語使いの連中が、元々の仏教を乗っ取るために破廉恥な空騒ぎをし始めたのが すべての始まりです。この破廉恥をやめれば、創価学会という仏教とは別の宗教 はその棲息場所を仏教の外に置いて、新興宗教として新しくやってもらえば それでいいことなのです。
君達が信仰しているのは、仏教に寄生した新興宗教「日蓮教」 いや今となっては「池田教」ではないのかね? よ〜く考えてみたまえ!
158 :
141 :03/11/07 01:27 ID:???
>>148 >みんなはブッダほどの者が輪廻などという迷信を信じていたはずはないという、
>思い込みが激しいんじゃないか。
別に思い込みじゃなく、釈迦が言ってることから判断しているのである。
そりゃ釈迦の教えが全部輪廻思想に沿ったものだったら「(単純に)輪廻を信じていた」と思えるが、
一方で無記の話があるわけだろ。
輪廻があるかないかを聞いてきたのと同じ弟子に「悟ると輪廻から解脱する」って言ったらどうなると思う?
弟子「輪廻はあるのですか?ないのですか?」
釈迦「そういうことは私は説かない」
弟子「では悟るとどうなるんですか?」
釈迦「輪廻から解脱する」
弟子「え?じゃあやはり輪廻はあるということですか?」
釈迦「そ、それは・・・」
ってなっちゃうじゃん。
言ったことを並べると整合性が取れないんだよ。
そこでまあ、辻褄を合わせようと様々な解釈が生まれるわけ。
まあそういうことだ。
キリがないね、たしかに。
159 :
法孫悟空 :03/11/07 01:52 ID:EpYArH5x
>141 何故一方で「無記」としたり他方で輪廻を前提に話をしていたのかというと、相手によって説き方を変えた、というこなのではないか。 この方便という考えは、もともとある考えですね。 中村久子さん(手足のない方、ヘレンケラーとも交流があり彼女も尊敬している方)の話をされていた人がいましたが、輪廻(生まれ変わり)や業の思想を説くと差別生む、 ということはよく理解します そのようなことを説くよりも、現実にそのことで悩んでいる人のためになることが大事であるということも、よく理解します。 ただ、それは「輪廻」や「業」を説くことが悪いのではなく、それを理解する人々に正見、正思などの正しい心がないため、誤解を生むためである。 したがって機根の整わない人に対しては、これらのことを説くことはしない、というのは良く分かる。だがそれを十分理解できる機根を持った人に対しては、当然真実を 語るであろう。なぜならば、個別に教えを説いたとしても、その話はいずれ反対の人たちにも知られるであろう。 つまり「無記」とされた人たちは、反対意見の人から話を聞いて 「輪廻はあるらしいぞ」と、一方「輪廻を説いた」ことを聞いた人たちは反対意見の「無記、それらを説くことは本意むではない」を聞いて、どうもないらしいぞ、おかしいな、と。 まして後々記録されることが分かればなおさらである。 その混乱を避けるため、真実を語るはずである。 そのためには六道輪廻から解脱した人である必要があった、つまり六道から声聞、縁覚という二乗という悟りを開く必要があった。 ここて゛みんなちょっと誤解しているが輪廻転生(生まれ変わり)と六道輪廻は違うと申し上げた、>102.104 でブッダは悟りを得た者はもはや輪廻せずに再び生まれてくることはないと言う。 つまり悟らない者は地獄〜天界の場所に永遠と生まれる、このようにみんな解釈していますが、これは違うと言いました。
160 :
法孫悟空 :03/11/07 01:54 ID:EpYArH5x
六道がどこにあるかその住所は、と尋ねれば、経典には次のようにあります。「地獄は下一千由旬以下のところにあり、餓鬼は地の下五百由旬のところ、畜生は水陸空に住し、修羅は海のほとり、 海の底に住し、、、天は四天王の住所は須弥山の中腹、由乾陀山にある。この山の四つの峰に四天王が住んでいる。、、、」 そして大乗経では六道以外の四聖の住所については「二乗は三界の外にある方便土に、菩薩は菩薩行の果報によって実報土という黄金世界に、仏は清浄な楽土たる寂光土(じゃっこうど)に住する。」 と説かれています。 この点について日蓮大聖人は十字御書(むしもちごしょ)に「そもそも地獄と仏はいづれの所に候ぞとたづね候へば、或いは地の下と申す経文あり、或いは西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば 我らが五尺の身の内に候とみへて候」 つまり六道とはそれぞれ地の下とか(ちなみに五百由旬とは地球からはみ出て反対側に飛び出します。) 空とかいうのは方便で、自身の心にあるということです。 ですから六道輪廻は生まれ変わりのことではないのです。 それは一念三千のなかに六道が入っている、 一念三千とは心の状態を現すことなので、当然六道も自身の心のことを指します。 もとに戻って、この六道から出て、つまり悟って上の心の状態へ導いた人たち(声聞、縁覚の人、二乗といいます。)にはもはや輪廻転生(生まれ変り)や 業のことを説いても、差別や偏見をすることがないので、後々混乱を起こす前に真実を語るでしょう。 事実、成立年代がより新しい経典(大乗経典)では輪廻転生(生まれ変り)についてと思われる記述や業に関する記述はよく出てきます。 したがって生まれ変り、や業の考えは真実と考えられます。
161 :
おめこ :03/11/07 02:07 ID:???
>>160 あのさ、経典に書いてあれば真実なわけ?
それに「方便」とか言ったらどんな解釈でも可能になっちゃうよ。
162 :
法孫悟空 :03/11/07 02:28 ID:EpYArH5x
http://www.shunjusha.co.jp/book/36/36114.html ヴァ―ジニア大学イアン・スティーヴンソン教授「生まれ変りの刻印」春秋社 では二千例を越す証例から20人の例が発表されアメリカでは輪廻転生は
あるのか?という話題でもちきりになったそうです。 すべての子供たちに見分け実験がされ、前世に生きていたという場所に連れて行き、前世の
家族を判別させたのです。その子供は前世の母に会った時には、そのように喜び、前世の夫に会ったときは妻のような態度を示した。さらに行動上の特徴
、好き嫌い、くせ、体質、特別な才能、母斑、身体上の特徴も詳細に調査されぜんせの人物と同一性が確かめられたといいます。
その他、キューブラーロス博士、L.Aムーディのレポートなど数限りなくあります。 仏教経典とのおもしろい類似性も認められます。
唯識仏教の九識論の解釈からもおもしろい事実が発見できます。、、、後ほど。
マトリクス観てきました。 オラクルの部屋に意味深な言葉「己を知る」という額が掛けてありました。 悟りとは、縁起(縁滅)している事実を知り、自分の存在の真実を知り、 “生かされている不思議に目覚める”ことなのでは。。。 「縁起を見るものは法をみる、法を見るものは縁起をみる」 「その法を見るものは私を見る、私を見るものは法を見る」 −釈尊− 目覚めたネオは・・・・・
164 :
名誉 ◆pmoi8ARVqQ :03/11/07 02:48 ID:t4wggqCq
ワシもマトリクスに仏教を見たぞい(藁
165 :
名誉 ◆pmoi8ARVqQ :03/11/07 02:50 ID:t4wggqCq
ワシもマトリクスに仏教を見たぞい(藁
166 :
法孫悟空 :03/11/07 02:51 ID:EpYArH5x
>“生かされている不思議に目覚める”ことなのでは。。。 いい言葉ですね。 マトリックスは多分、仏教の影響も受けて作られていますよ。 エドガー・ケイシ―って知ってますか、リーディングといって、医者の知識が全くないのに、その人の病気の処方箋を的確に言って治療したり、 前世のことを語ったりするのです。 それはアカシックレコードと呼ばれる全てのことが記録されている何かがあって、 そこから読み取ると解釈しているようです。 その信憑性は世界的にも認められています。 彼の側近者でもっともよい理解者であるヴァン・ウォーケンは、講演で次のように語った。 「自分自身を理解し、自身が聖霊の経路となるよう努めるとき、死という変化をより用意に意識的に切り抜け、?諧謔(?)な気づきを 得られるだけでなく、自分は永遠な存在であるという完全なる理解をも得られるのです。生命の連続性とは、単なる希望的観念や信念ではなく、 我々がどうしても知っていなければならないことなのです」
167 :
名誉 ◆pmoi8ARVqQ :03/11/07 02:51 ID:t4wggqCq
なんだか具合がわるうてスマン。
168 :
名誉 ◆pmoi8ARVqQ :03/11/07 02:53 ID:t4wggqCq
前世がどうたら言うのは仏教とは縁もゆかりもないと思うがのう・・・(藁
169 :
名誉 ◆pmoi8ARVqQ :03/11/07 02:55 ID:t4wggqCq
輪廻の否定が釈迦の教えの中心じゃろ(藁 前世なんぞ口にしたら釈迦にしかられるぞい(藁藁
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/07 02:57 ID:aVcqRYYM
>>167-169 あほよ。元気だったか?(藁
お前の大好きな「あほ」も、何日か前に創価板に来ておったぞい。
171 :
名誉 :03/11/07 03:03 ID:t4wggqCq
>>170 誰か知らんが・・・
ひさしぶりじゃの(藁
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/07 03:06 ID:aVcqRYYM
>>170 もうちっと早い時期、早い時間に復活してくれれば良かったのにのう(藁
ワシは寝るぞい。またな。(藁
173 :
おじゃまします ◆g6V0jYwopc :03/11/07 03:12 ID:8L5LwltH
肉体は遺伝子によって継承されていきますが 魂は家系とは関係無いのでしょうか? それらを辿っていくと海に住んでいた脊椎動物になりますが・・・ 別の星に生まれ変わるのでしょうか
>>158 だから、無記は否定ではないといっているだろうが。
無記はあるとかないとかいうことにこだわるな、っていうことだ。
だから輪廻に沿って説いても無記に矛盾しないんだよ。
175 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/07 09:33 ID:PzM0n0qZ
>>151 意味不明
真の幸福などカタルシス
もっと、「生きる」ということを大事にしなさい
176 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/07 09:38 ID:PzM0n0qZ
>>158 だから何度も書いているように
輪廻から解脱するって云うのは輪廻の正体を悟ること
それによって、輪廻などというものがどうでもいいことと悟ること
すると、輪廻は消えてしまう
消えてしまったものを説くことは意味が無い
だから「無記」
輪廻が無くなっちゃったんだから
解脱したといえる
さ、もっと大事な、「生きる」ってことを考えなさいってことじゃないの
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/07 10:37 ID:Z2RUKEAQ
>>174 いや、絶対に輪廻が有ると言う姿勢だと無記としては無理がある。
輪廻は絶対に「有る」とするのが層化だよね。
対して、漏れらのような一般人は輪廻があるかどうかと言うと、
無いと言う人も居れば、「知らない」と「解らない」と言う人も居る。
有るって言う人も居るだろう。
この場合、ブッダの説いた無記ってのは知らない、解らないと
答えた人の立場。有るってのも無いってのも証明が出来ないから。
つまり、輪廻がある事を前提として話してるのは無記には矛盾してるのよ。
仏教に原始的宗教・呪術・民間信心をおりまぜた状況ですから 創価学会自体に輪廻があると言う主張があってもよいわけです。 ましてや怪しい新興なカルト集団だからオカルトがあっても納得 真の仏教であるという主張も、オウムが真の仏教であるというのも 同じに聞こえます。また、統一教会の教祖がイエス様の生まれ変わり、 池田先生が日蓮大聖人様の生まれ変わり、というのも 怪しい新興なカルト集団だからしかたないと思う。
179 :
158 :03/11/07 11:12 ID:???
>>174 輪廻を前提としてるとすると「無記」とは論理的に矛盾するっていってんの。
釈迦が輪廻を否定してるなんて一言もいってないッつーの。
180 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/07 12:03 ID:rOT1Wp/t
無記とは文字通り「記さない」こと。 問題対象としないこと。 「ある」とか「ない」とか結論を出す事(これは辺見)は勿論、 語ることもしないこと。 別に弟子達に、それについて考える事を禁止したわけでは ないが、少なくとも原始仏教では「相手にしないよ」と明言し ているわけである(佛説箭喩經)。 だから口の端に乗せる事がそもそも間違い。
>>180 アーレフ(オウム)じゃんかー。
こんなとこにリンク貼るのやめてくれよーw
せめてモンロー研ぐらいにしといて・・・・
あっちのほうがまだマシ
183 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/07 12:41 ID:rOT1Wp/t
>>182 あそこはかなり研究してるよ。思わず信じたくなるからね。
他の人が馬鹿にしているのに、自分だけが、真理を知っているような
気分にさせられるところがあるね。
184 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/07 12:54 ID:6aXRi6tl
でも何で物理学や、法律、医学を勉強した人が、輪廻転生や 空中浮遊などを信じてしまったのか、不思議だ。
オウムは、学者さんまでがテレビで正しい仏法を実践していると論評してたよ。 大昔、パソコン通信のNiftyで信者と論戦してた一般人がオウムに暗殺されるという事件あったよな。 一見虫の命おも大切にしてるように見える団体がまさかと思うような事を影でやってたりする これが、勢力拡大して政党を所有して権力もってたとしたら大変な事になってたでしょうね。
>勢力拡大して政党を所有して権力もってたとしたら大変な事になってたでしょうね。 大衆に溶け込む能力を持ったオウムが与党にいるだろう。 政治の能力と関係ない人物が議席を不当に占拠する。 実際、大変なことになっているわけだ。
187 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/07 14:48 ID:PzM0n0qZ
生まれ変わりに関しては私にはどうでもいいことなので 「無記」とします。
>>184 答えは簡単。
真面目に学問すれば、理性の限界値が見えるから。
最先端の学問を学べば、かなり鮮明にそれが判る(法律はともかく)。
限界を超えたところを扱っているのは、昔から宗教と呼ばれている。
真面目に学問してない奴が能天気に、イノセントに
唯物論・科学万能な世界観を持てるんだよね。
ただ、自分のパラダイム・シフトを起こすにしても、それはあくまで
学問的手続きを踏んでから行うべきであって、いきなり排他的な
カルトに向かうべきではない。
189 :
919 :03/11/07 17:27 ID:???
>>184 そういう人はごく一部でしょう。人間の理性や認識に限界を感じても、検証できない信仰の
世界に入っていく人はごくまれだと思います。ほとんどの人は理性や認識外の事柄を追求
することに力をそそぐことはないと思いますよ。人生は短いですからね。知的探究心も
方向性を間違えるととんでもないことになり、人生の空費になりますね。
>166 法孫悟空さんお久しぶりです。 なぜか私の質問はスルーされてしまいました。是非お答えを。 >126 >ひじょーに低レベルの質問かもしれませんが、「釈迦仏法が >すでに白法隠没していることは分かっている」法孫悟空さん >が「仏界を湧現させる」という時の「仏」とは誰(何)を指すの >ですか? >法華経初心者に対する説明として答えてください
>>179 >輪廻を前提としてるとすると「無記」とは論理的に矛盾するっていってんの。
矛盾しないっていっているだろうが。
輪廻という社会通念と無記という態度は語られている層が違うのだ。
輪廻について無記ならば、輪廻について語ったっていいだろうが。
語っちゃいけないというなら、それは輪廻がないことに拘泥しているのだ。
現にブッダは『スッタニパータ』で相当多く語っているぞ。
>釈迦が輪廻を否定してるなんて一言もいってないッつーの。
だったらますますブッダが輪廻を語ることはきわめて自然なことだな。
>>181 >だから口の端に乗せる事がそもそも間違い。
はあ?
そんじゃブッダも間違ってんだな?
193 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/07 22:22 ID:OqMnSCOt
サンユッタ・ニカーヤにブッダにおける「一切」の説明がある。 みなさん、わたしは「一切」について話そうと思います。よく聞いて下さい。 「一切」とは、みなさん、いったい何でしょうか。それは、眼と眼に見えるもの、 耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、身体と 身体に接触されるもの、心と心の作用、のことです。これが「一切」と呼ばれる ものです。 誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、 それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないでしょう。さらに彼を問い詰めると、 その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。何故でしょうか。何 故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。 (サンユッタ・ニカーヤ 33.1.3) ブッダは自分の五感および心で直に感じられ、経験できることだけに限って、教えを展開している。 だから前世や来世にどうなるかは、自分が直接経験でき、確認できる範囲を超えている。 「毒矢の譬え」は次の文で締めくくられている。 「マールンキャプッタよ、ゆえに、わたしが説かないことは説かないと了解せよ。 わたしが説くことは説くと了解せよ。」以上のことを世尊は語られた。尊者マール ンキャプッタは歓喜して世尊の教説を受け入れた。
>>193 >ブッダは自分の五感および心で直に感じられ、経験できることだけに限って、教えを展開している。
そんなことはない。
これまでもそうではない例をオレは引用してきたではないか。
例えば『サンユッタ・ニカーヤ』の(3.3.1)にあたってみてくれ。
輪廻をベースにして四種類の人間の在り方について語っている。
>だから前世や来世にどうなるかは、自分が直接経験でき、確認できる範囲を超えている。
だからブッダは前世や来世があるかどうかという議論には組みしない。
そんなことは確認不可能だからだ。
そしていきなり輪廻をベースにして教えを説いてしまうのだ。
>わたしが説かないことは説かないと了解せよ。わたしが説くことは説くと了解せよ。
そのとおりだ。ブッダは自身の教えを説く上で輪廻を平然と組み込んだ。
そのことを了解すべきである。
195 :
919 :03/11/08 00:00 ID:???
最古の仏典と言われるスッタニパータで輪廻に関係する言葉を検索してみました。 結果 「輪廻」12ヒット 517 あらゆる宇宙時期と輪廻と(生ある者の)生と死とを二つながら思惟弁別して、塵を離れ、汚れなく、清らかで、生を滅ぼしつくすに至った人、──彼を(目ざめた人)(ブッダ)という」 519 師が答えた、「サビヤよ。一切の悪を斥け、汚れなく、よく心をしずめ持って、みずから安立し、輪廻を超えて完全な者となり、こだわることのない人、──このような人は<バラモン>と呼ばれる。 638 この傷害・険道・輪廻(さまよい)・迷妄を超えて、渡りおわって彼岸に達し、瞑想し、興奮することなく、執著がなくて、心安らかな人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 715 (輪廻の)流れを断ち切った修行僧には執著が存在しない。なすべき(善)となすべからざる(悪)とを捨て去っていて、かれは煩悶が存在はない。」 725 かれらは心の解脱を欠き、また智慧の解脱を欠く。かれらは(輪廻を)終滅させることができない。かれは実に生と老いとを受ける。 727 かれらは、心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。かれらは(輪廻を)終滅させることができる。かれらは生と老いとを受けることがない。 729 この状態から他の状態へと、くり返し生死輪廻に赴く人々は、その帰趣(行きつく先)は無明にのみ存する。 730 この無明とは大いなる迷いであり、それによって永いあいだこのように輪廻してきた。しかし明知に達した生けるものどもは、再び迷いの生存に戻ることがない。 740 妄執を友としている人は、この状態からの状態へと永い間流転して、輪廻を超えることができない。 746 生存に対する妄執を断ち、心の静まった修行僧は、生をくり返す輪廻を超える。かれはもはや生存を受けることがない。 752 従属することのない人はたじろがない。しかし従属することのある人は、この状態からあの状態へと執著していて、輪廻を超えることがない。 786 邪悪を掃い除いた人は、世の中のどこにいても、さまざまな生存に対してあらかじめいだいた偏見が存在しない。邪悪を掃い除いた人は、いつわりと驕慢とを捨て去っているが、どうして(輪廻に)赴くであろうか?かれはもはやたより近づくものがないのである。
196 :
919 :03/11/08 00:01 ID:???
「来世」9ヒット 141 そうすれば、現世においては非難せられ、来世においては悪いところに生まれる。(身分の高い)生れも、かれらが悪いところに生まれまた非難されるのを防ぐことはできない。 188 信仰あり在家の生活を営む人に、誠実、真理、堅固、施与というこれら四種の徳があれば、かれは来世に至って憂えることがない。 190 [神霊いわく、──]「いまやわたしは、どうして道の人、バラモンどもに広く問う要がありましょうか。わたしは今日<来世のためになること>を覚り得たのですから。 224 この世または来世におけるいかなる富であろうとも、天界における勝れた宝であろうとも、われらの全き人(如来)に等しいものは存在しない。この勝れた宝は、目ざめた人(仏)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。 634 現世を望まず、来世をも望まず、欲求もなくて、とらわれのない人、──かれをわたしはバラモンと呼ぶ。 666 けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。 801 かれはここで、両極端に対し、種々の生存に対し、この世についても、来世についても、願うことがない。諸々の事物に関して断定を下して得た固執の住居は、かれには何も存在しない。 864 「世間において、愛し好むものは何にもとづいて起るのですか。また世間にははびこる貪りは何にもとづいて起るのですか? また人が来世に関していだく希望とその成就とは、何にもとづいて起るのですか?」 865 「世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは、欲望にもとづいて起る。また人が来世に関していだく希望と成就とは、それにもとづいて起る。」
>>194 ブッダは「罰=身障者になること」という身障者差別主義のインド人だよな。
198 :
919 :03/11/08 00:01 ID:???
「あの世」 579 かれらは死に捉えられてあの世に去って行くが、父もその子を救わず親族もその親族を救わない。 661 嘘を言う人は地獄に墜ちる。また実際にしておきながら、わたしはしませんでした」と言う人もまた同じ。両者とも行為の卑劣な人々であり、死後にはあの世で同じような運命を受ける(地獄に墜ちる)。
199 :
919 :03/11/08 00:03 ID:???
↑は2ヒットですね 「前世」2ヒット 647 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を減し尽くしに至った人、──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。 1009 かれらはすべて、それぞれ衆徒を率い、全世界に命名があり、瞑想を行い、瞑想を楽しむ者で、しっかりと落ち着いていて、前世に宿善を植えた人々であった。
200 :
919 :03/11/08 00:03 ID:???
「かの世」24ヒット 1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 2 池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。 ──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 3 奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して余すことのない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 4 激流が弱々しい葦のの橋を壊すように、すっかり驕慢を減し尽くした修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 5 無花果の樹の林の中に花を探し求めて得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なものを見いださない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 6 内に怒ることなく、世の栄枯盛衰を超越した修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。 ──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 スッタニパータ.txt(30): 7 想念を焼き尽くして余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 8 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、すべてこの妄想をのり越えた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 9 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 10 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って貪りを離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 11 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って愛欲を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
201 :
919 :03/11/08 00:04 ID:???
12 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って憎悪を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 13 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って迷妄を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 14 悪い習性がいささかも存することなく、悪の根を抜き取った修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 15 この世に還り来る縁となる<煩悩から生ずるもの>をいささかももたない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 16 ひとを生存に縛りつける原因となる<妄執から生ずるもの>をいささかももたない修行者はこの世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 17 五つの蓋いを捨て、悩みなく、疑惑を越え、苦悩の矢を抜き去られた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 185 「ひとはいかにして智慧を得るのであろうか? いかにして財を獲るのであるか? いかにして名声を得るのであるか? いかにして交友を結ぶのであるか? どうすれば、この世からかの世に赴いたときに憂いがないのであろうか?」
202 :
919 :03/11/08 00:07 ID:???
468 全き人(如来)は、平等なるもの(過去の目ざめた人々、諸仏)と等しくして、平等ならざる者どもから遙かに遠ざかっている。かれは無限の智慧あり、この世でもかの世でも汚れに染まることがない。<全き人>(如来)はお供えの菓子を受けるにふさわしい。 470 こころの執著をすでに断って、何らとらわれるところがなく、この世についてもかの世についてもとらわれることがない<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。 496 この世でもかの世でも、いかなる世界についても、移りかわる生存への妄執の存在しない人々がいる。──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。 516 全世界のうちで内面的にも外面的にも諸々の感官を修養し、この世とかの世とを厭(いと)い離れ、身を修めて、死ぬ時の到来を願っている人、──かれは(自己を制した人)である。 520 安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人、──このような人がまさにその故に<道の人>と呼ばれる。 779 想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執著に汚されることなく、(煩悩の)矢を抜き去って、勤め励んで行い、この世もかの世も望まない。 1117 この世の人々も、かの世の人々も、神々と、梵天の世界の者どもも、誉れあるあなたゴータマ(ブッダ)の見解を知ってはいません。
203 :
179 :03/11/08 03:17 ID:???
>>191 >輪廻という社会通念と無記という態度は語られている層が違うのだ。
>輪廻について無記ならば、輪廻について語ったっていいだろうが。
だからー「(輪廻等の形而上学的事柄について)語らない」ってのが無記だろって。
「語らない」ってことを語ってたら矛盾すんだろって。
>語っちゃいけないというなら、それは輪廻がないことに拘泥しているのだ。
語らない=否定にはならないだろーが。
あるかないかは証明不可能だから語らないんだよ。
「ある」と言っても「ない」と言っても証明不可能である以上それは独断に過ぎないのだから。
語らない分には否定にも肯定にもならないんだよ。
>現にブッダは『スッタニパータ』で相当多く語っているぞ。
だから矛盾してるっていってるんだよ。
で辻褄あわせようと
>>141 の推論を試みたんだよ。
でもね、
>>161 で
>それに「方便」とか言ったらどんな解釈でも可能になっちゃうよ。
って意見があって確かにそうだなって思ったんだよ。で考えたのは
@釈迦は二人いた
「無記」の釈迦と、輪廻を前提に教えをといた釈迦はあきらかに矛盾している。
実はこの釈迦は別人なのではないか?
遠い昔の話だから二人(もしかしたらそれ以上)の人間がごっちゃになったということも考えられる。
A釈迦は精神分裂症、若しくは多重人格
同じ人間が平然と矛盾する説をとなえている。同一人物だったとしたら、上記の可能性も考えられる。
とにかく「語らない」って言った事柄について語っているんだから、矛盾してるのは確かだ。
その認識があわないんだから話にならん。
>>203 >だからー「(輪廻等の形而上学的事柄について)語らない」ってのが無記だろって。
「語らない」ってことを語ってたら矛盾すんだろって。
わかんないやつだなあ。
社会通念は形而上学じゃないっていってんだろうが。
>語らない=否定にはならないだろーが。
そんなこといってないだろ。よく読め。
社会通念たる輪廻を語ることの足かせとなるような考え方なら、
その考え方は「ない」ことへの「拘泥」になるといっている。
>@釈迦は二人いた
むちゃくちゃだね。
>とにかく「語らない」って言った事柄について語っているんだから、矛盾してるのは確かだ。
語られているものの所属する範疇が違うのだから矛盾しないのだ。
そのことを理解してくれ。頼むから。
スッタニパータにおける矛盾は解決済みだった筈。
大雑把な言い方をすれば釈尊の説法は
@出家に対するもの
A在家に対するもの
場合わけをして説いた、というもの。出家に対するものとしては
「無記」を貫き(
>>193 の通り)、在家に対するものとしては「輪廻」を
説いた、とか。もっと細かく分ければ2種類以上に分類できると思うが。
この辺も原始仏教スレで誰かが言ってたような気がするな。
その辺を読み違えしないように注意する必要があるんじゃない?
>輪廻説の支持者
哲学的要素のあるものと、オカルト的要素要素があるもの両方あるね。 来世障害者仏罰なんとなくオカルト的要素が入ってるものは、総て偽経典 当時の社会風土誰かが何かの意図をもって著作された。 釈迦とは無縁のものであると、なんとなく分かってきた。 霊魂や輪廻、火の玉が飛んだで刀が折れた日蓮さんの話などは、 仏教と切り離し、御伽噺として聞くのがよい。
仏教や釈迦と、新改訂版日蓮仏法、宇宙のリズムと生命生命は無関係 新興と仏法は分けて考えましょう
>>207 オレ的に異論はない。
但しそれを言う場合には「仏法」「仏教」の定義づけを明確にして
おいた方がいい。
「仏法」:あくまで釈尊が説いた法、及び直の弟子達が編纂していったもの、
或いはそれを元に再構築された法。
てな感じに。そうすれば日蓮仏法(富士門の教義ね)や生命論(これは創価
の教義)との違いは割とすっきりする筈。
209 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/08 17:02 ID:PqnYwUtK
輪廻転生をブッダが説いたかどうかは別にして、輪廻転生の思想は仏教成立 以前からあったバラモン教の教義ですよね。 そうすると、学会の教える「五重の相対」の一番目「内外相対(内外相対と は、内道と外道を比較相対して、内道が優れていることを明かすものです。 内道とは仏教のことです。外道とは、元来は古代仏教以外の諸宗教を指す 言葉ですが・・・云々)」からすると、学会は外道の教えである輪廻転生 を教えていることになりますね。
210 :
203 :03/11/08 19:04 ID:???
>>204 >わかんないやつだなあ。
>社会通念は形而上学じゃないっていってんだろうが。
あんたこそわかんないヒトだねえ。
輪廻は形而上学的事柄だよ。釈迦もそう認識している。
輪廻は社会通念でありかつそれは 形而上学的事柄なんだよ。
社会通念であることと形而上学的事柄であることは矛盾しない。
社会通念だから形而上学の範疇に入らない、なんて詭弁もいいところだ。
>社会通念たる輪廻を語ることの足かせとなるような考え方なら、
>その考え方は「ない」ことへの「拘泥」になるといっている。
なんで「ない」ことへの「拘泥」になるんだよ。
輪廻は(社会通念ではあるが)形而上学的事柄だから語らない、ということだよ。
言ってみれば自ら足枷をつくったんだよ。
でもそれは「ない」ことへの「拘泥」になんかならない。
不確かな事は語らない、という誠実な姿勢だ。
>>@釈迦は二人いた
>むちゃくちゃだね。
あくまで「こういう考えも成り立つだろう」って話だよ。
「矛盾してない」という強引な解釈よりはすっきりするよ。
>語られているものの所属する範疇が違うのだから矛盾しないのだ。
そんな強引な解釈が通るかってえの。
要はそういう強引な解釈をしないと辻褄が合わないってだけの話だ。
そこに気付け。
釈迦の言ってることを並べて客観的に判断してみろ。
>そのことを理解してくれ。頼むから。
頼まれてもこまるよ。
>>209 >輪廻転生の思想は仏教成立以前からあったバラモン教の教義ですよね。
厳密にいうならウパニシャッド哲学(ヴェーダ聖典の一番新しい部分)に三世
因果の法則が見られる(輪廻転生思想自体はもっと古いと思われる)。原始
仏教自身もこれは取り込んでると見なしていい。これを認めないものは邪見
と見なされ修行に入れなかった。
けど一旦受け入れてしまえばその事は重要な事ではなくなり、ついでに
原始仏教自身では扱わない事になった。
この事をどう受け取るかは自由。
私自身は絶妙な措置だと思うが。
>>205 あのさあ。
例えば『スッタニパータ』の第三章の十「コーカーリヤ」を読んでみな。
ブッダが死後地獄へ堕ちることの恐怖を修行僧にとくとくと説いているから。
>>209 >輪廻転生をブッダが説いたかどうかは別にして、輪廻転生の思想は仏教成立
以前からあったバラモン教の教義ですよね
ブッダは普通に輪廻の話をしてるじゃんか。
オレもその例を示してきたよな? ちゃんと読んでくれたか?
輪廻は創価に限らず仏教では普通に取り込まれている発想だろう。
ブッダが批判したのは輪廻なんかじゃなくて固定的実体として自我に固執する態度だ。
>>211 を支持するな。
>>205 あのさあ。
例えば『スッタニパータ』の第三章の十「コーカーリヤ」を読んでみな。
ブッダが死後地獄へ堕ちることの恐怖を修行僧にとくとくと説いているから。
>>209 >輪廻転生をブッダが説いたかどうかは別にして、輪廻転生の思想は仏教成立
以前からあったバラモン教の教義ですよね
ブッダは普通に輪廻の話をしてるじゃんか。
オレもその例を示してきたよな? ちゃんと読んでくれたか?
輪廻は創価に限らず仏教では普通に取り込まれている発想だろう。
ブッダが批判したのは輪廻なんかじゃなくて固定的実体として自我に固執する態度だ。
>>211 を支持するな。
>>210 >輪廻は形而上学的事柄だよ。釈迦もそう認識している。
輪廻は社会通念でありかつそれは 形而上学的事柄なんだよ。
だからブッダは輪廻の形而上学的側面については語らないっていうことなんだよ。
意味ないからな。そして社会通念としては受け入れているじゃんか。
あんたがどう言おうともブッダは輪廻に沿って教えを説いてんじゃないか。
>社会通念だから形而上学の範疇に入らない、なんて詭弁もいいところだ。
はあ? 輪廻には社会通念と形而上学の二つの側面があるっていう話だぜ?
「社会通念」と「形而上学」は言葉として別の範疇を形成しているだろうが?
交わらないのは当たり前だ。それのどこが詭弁なんだ?
>輪廻は(社会通念ではあるが)形而上学的事柄だから語らない、ということだよ。
だからブッダは語ってるだろうが。ブッダが語らないのは輪廻の形而上学的側面だけだよ。
社会通念としては普通に受け入れているし、語っている。
>でもそれは「ない」ことへの「拘泥」になんかならない。 なるよ。 だって、輪廻があってもなくてもいいんなら、 自分の生きている世界の社会通念である輪廻について語ってもいいだろ? それを語ることが禁止されるのであれば、 それは社会通念に反してでもこだわらなければいけない、 輪廻否定の思想なんだよ。それはブッダの無記の姿勢に反する。 そしてブッダは輪廻について普通に語るわけだ。 >不確かな事は語らない、という誠実な姿勢だ。 じゃあ、ブッダは不誠実かい? ああ、そうか。ブッダは二人だって? >「矛盾してない」という強引な解釈よりはすっきりするよ。 いやはや、ブッダ二人説なんていう奇怪な説より、よっぽど論理的なこといってると思うがね。 >釈迦の言ってることを並べて客観的に判断してみろ。 その言葉はそのまま返すね。ブッダのことばを素直に読んでみな。 >頼まれてもこまるよ。 いや、頼むから言葉の所属する範疇の話くらいは理解してくれよ。
216 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/08 23:52 ID:WcuHiQiy
岩波文庫「ブッダのことば」の435ページにある解説によると
それらの集成のうちでも『スッタニパータ』は特に古く成立したものであり、それらの
第四章(アッタカ・ヴァッガ)と第五章(パーラーヤナ・ヴァッガ)とはもっとも古く成
立したと考えられる。
とあります。
そこで、第四章、第五章の詩句の数を数えると、766〜1149までとなりこれはスッ
タニパータ全体の詩句の数のちょうど三分の一にあたる。
>>195 から
>>202 にかけて919さんが輪廻転生に関係する詩句の数を調べてくれているが
全49カ所の内、第四章、第五章に属するものは、たった七分の一の、七カ所に過ぎません。
ブッダが最初から輪廻転生を説いたとすると、これはあまりにも少なすぎるのではないでし
ょうか。
これから見ると、輪廻転生の考えは後に付け加えられたと見るのが妥当ではないでしょ
うか、ハイ。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/09 00:07 ID:BrkA8hxt
正論・なぜ自民ではダメか 自民党は談合を黙認しているので毎年10兆円以上も公共事業費が高くなる。 自民党は郵政事業、財投、特殊法人の利権をあさりたいので郵政改革させない。 自民党は巨大な官僚機構を温存し天下りを許している。 自民党は圧力団体から政治献金と票をもらっているので既得権益、規制を切れない。 自民党は政官業の癒着体質で、業界から献金をもらい官僚を制御している。 自民党は日本財政が破綻しているのに、数多くの無駄なハコモノを作ろうとしている。 自民党は選挙のとき、道路や橋を作るなどと公約するので無駄な公共事業が多くなる。 自民党は利権で票を釣って成り立っている政党で利権を手放したがらない。 自民党は族議員、地元優先議員が多く日本全体の利益を損なっている。 自民党は大きな政府、重税、放漫借金財政路線。現状維持ではいずれ破綻するのみ。 自民党は抵抗勢力が7割で、これだけブレーキが強いと小泉改革は不十分な改革しかできない。 小泉内閣は官僚、圧力団体、自民党族議員の3つの抵抗勢力に囲まれ、実効ある改革は不可能
>>216 あんまり意味のない統計学だね。
輪廻は別にブッダのオリジナル思想じゃないからね。
古代インドの通奏低音のようなもんだよ。
折に触れて輪廻話もしたろうよ。
あんまり、2ch初心者には来てほしくねーな。 基地外レスをスルー出来ないから。 あんたらバカに釣られすぎ
つーか、この数年間イヤと言う程この2chで語りつくされて来た話題を凝りもせず 無限ループ状態でまたもや論争してるヤシら(w; とは言え、過去ログも見れない現状では仕方がないか… しかし、しばらくこないでいると、新しい論客が増えてる。 まさに、これが「輪廻転生」だな(w
池田先生は、日蓮大聖人様の生まれ変わりて・・・←輪廻くりかいしかい成仏してないの? 前世法華経冒涜したから、障害者に生まれた←本とかな?
そういやぁ、昔「電波男」ってエセ仏教学者が 論客にいたがどうしたかな?
やめとけ やめとけ 今の学会員の教学レトリックじゃ ここの基地外を蹴散らすのは時間のムダ。 現行の仏教哲学大辞典読んでつくづく思ったよ。
>>165 名誉さんどうもです。m(_ _)m
ボクはがネオに対して思ったのは、釈尊では無くどちらかといえば阿弥陀如来。w
>>166 法孫悟空さんどうもです。m(_ _)m
エドガー・ケイシー知りません、ブツ理タソもカキコしてましたね。
私には、創価の人がスミスに見えてしまうんですけどね。(苦笑
>>205 賛成。
>>208 賛成。
225 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/09 00:56 ID:2qnHYdkp
法華経には、御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えなさいと言 っていない。これで正しい仏法を行じていると言えるのかな。
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/09 01:04 ID:oW9rlJnD
あ〜!また超初心者を装った厨房釣師出現!!! アホらしいー。
呆太郎に勝つ位のつわものいないかな〜? アホどもは相手にしてられませんyo
>これから見ると、輪廻転生の考えは後に付け加えられたと見るのが妥当ではないでしょ >うか、ハイ。 輪廻転生は、仏教の基本だよ。虐殺者、聖者が死んだら全て終わりでは、 道徳も、モラルもへったくれもないだろう。 輪廻転生の有無より、バラモンと同義の層化のありかたを問題にするほうが先決ではないか。 盲信、独善、排他性、煩悩、自我の欲望、呪術、功徳、迷信、恐怖による洗脳・・・。 全て仏陀の教えと反するからな。
>お邪魔します君よ。 特に決定的な反論もないようだが、 ブッダは輪廻を否定したわけではなかった、ということでよろしいかな?
生まれ変わり、呪術、オカルト連発の創価学会よりまし。 あほらしければ書かないでもよいのに、何度となく妨害入れてくるのは 内容ものすごく気になる学会員なのか 否定もしてないし、あるとも言ってない、その件については無記とのこと 後の人間が、日蓮大聖人の生まれ変とか、輪廻輪廻しきりに言うようになった。
231 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/09 12:24 ID:VCbrk785
>228
>>229 さんへ
或る人々が「最高の教えだ」と称するものを、他の人々は「下劣なものである」と称する。これらのうちで、どれが真実の説であるのか? かれらはすべて自分らこそ真理に達した者であると称しているのであるが。(903)
かれらは自分の教えを「完全である」と称し、他人の教えを「下劣である」という。かれらはこのように互いに異なった執見をいだいて論争し、めいめい自分の仮説を「真理である」と説く。(904)
もしも他人に非難されているがゆえに下劣であるというならば、諸々の教えのうちで勝れたものは一つもないことになろう。けだし世人はみな自己の説を堅く主張して、他人の教えを劣ったものだと説いているからである。(905)
(真の)バラモンは、他人に導かれるということがない。また諸々のことがらについて断定をして固執することもない。それゆえに、諸々の論争を超越している・・・。(906)
(中村元訳、『ブッダのことば スッタニパータ』、岩波文庫、197〜198頁)
と言うことで、輪廻転生についてはキリがないので、法華経、日蓮、創価学会の
方に行きたいのですが。
>>231 そうだ。
輪廻を下劣な思想、嘘、方便、迷信、などで片づけないで欲しい。
オレが言いたかったことはそういうことだ。
ましてブッダはキミが引用したとおり、輪廻を方便とも迷信とも見下してはいない。
以上だ。
輪廻と業の思想は結局差別を生むものなんだよ。 カースト制度は輪廻と業の上に成り立っている。 それに輪廻と道徳は関係ない。 輪廻がない、死んで終わりならば何やってもいいだろって奴は、輪廻はあると言われても 輪廻があるなら何やってもまた人生があるんだからいいだろって言うだろう。 ドキュソは輪廻とは無関係にドキュソ。 まともな人間は輪廻とは無関係に道徳的に生きてる。 輪廻・業はつまるところ脅しの思想。 よって輪廻輪廻と言うシャカや草加はヤクザと一緒。
\ │ / / ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ─( ゚ ∀ ゚ )< わっしょいわっしょい \_/ \_________ / │ \ ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 不幸な人達ワショーイワショーイ! ワッショーイ! ワッショーイ! 〜 >( ゚∀゚ )/ | / \__________ _________/ | 〈 | | / /\_」 / /\」民主・共産・日顕・邪宗・基地外  ̄ / / わっしょいわっしょい
235 :
法孫悟空 :03/11/09 17:12 ID:rF1HyNfh
>546さん、徐々にその話になると思いますのでいきなりだと語れません。 >180 お邪魔しますさん やめてくれアーレフなんか持ってくるな気持ち悪い。彼らは世間と隔離した、閉ざされた独自の世界で住んでいる その修行法は奇妙なヨーガです、カルトの一番の特徴は世間との隔離です。 >233 このような人がいるから初め「無記」にしたのだ。そのような考え方をする心が問題なのです。 一段上の悟りにいる人ならば、素直に受け入れる。 輪廻思想は人類の起源とするエジプトだって古代ギリシャにもあり、キリストなど西洋は 輪廻は説かないが死後は説きますよ。 輪廻転生を説かなかったら仏教じゃないでしょ。 大体このような問題が、いまさら起きること自体おかしいと思わないかな、たかたか百年くらい前の人が大乗非仏説論なんてアホなことを言って 現在に至りますが、 今までのとおり原始仏典だって分からないものなのです。原始仏典だって滅後200年以上300年はたっていることは分かっているのだから これ自体無意味なこと、 大昔、例えば天台、伝教、日蓮などなどの人たちは、そんなことは分かっていたこと、そんなことを疑問にもなんにも思っていなかったのだ、 彼らは輪廻が本当かどうか、とか、釈迦の真意はどこか、何てことは悟っていたから、全部分かったはず 釈迦自身、自分は修行をして悟ったのではなく、初めから悟っていた。と語っているように、、、 これは全体の識である第九識に至れば、すべて共通の体験ができるということ、つまり真実が分かるので 輪廻、業が本当だなんていうのは、、、おのずと当たり前ということが分かるのである、だからこうような議論すらされていないのである。 裏を返せば、今の人々には、本来の仏智見がないということを如実に表していることは間違いないこと。 わざわざ西洋の学者が輪廻を検証するためにわざわざ調べているという訳だ。 ムーディーやキューブラーロス、エドガーケーシー、、、彼らの臨床例はなんなのさ。まさに今の人に、それらを知るだけの仏智見がなくなった証拠。
>235 法孫悟空さん、お久しぶりです。以下の質問のお答え、気長に待って おりますので。 >ひじょーに低レベルの質問かもしれませんが、「釈迦仏法が >すでに白法隠没していることは分かっている」法孫悟空さん >が「仏界を湧現させる」という時の「仏」とは誰(何)を指すの >ですか? >法華経初心者に対する説明として答えてください
つかエドガーケーシーなんて「日本が沈没する」とかいってたオカルト予言野郎じゃねーか。 まあ層化にはお似合いか。
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/10 00:56 ID:jJ0JxKrN
輪廻転生がないのなら、はっきり否定するだろう。否定するのに何も問題はないでしょう、何も障害はないでしょう。 しかし否定することもしない。 ところが肯定するものならいくらでもある。肯定することで問題となるのは、差別や偏見でしょう。 それらは人の心が問題、六道を脱した、二乗の人であれば、真実を語っても何も問題はない。 常識的に言っても、いずれ真実を語るはず。 「無記」を強調しすぎだね。 「無記」だから、輪廻は否定されているなどと、無知もはなはだしい。 釈迦がもし、輪廻転生のことが、本当に分からないのだとしたら、釈迦は本当の仏ではないと言える。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/10 01:00 ID:jJ0JxKrN
唯識仏法では人の識は五識から第九識まで五つに分類しています。 第五、六識までは通常の意識レベルで、第七識(末那識まなしき)は強い自己執着作用をもち我癖、我愛、我慢、我見の煩悩で汚されているところで、怒り憎しみ悲しみなどを生みます。 つぎの第八識(阿頼耶識、あらやしき)は蔵識とよばれいろいろなものが蓄積されるところで、第六識で体験した身、口、意の行為が業として記録されます。 さらに動物、植物などの進化論的な記録も含まれ、われわれの環境となる物質、宇宙にまでひろがりいっしょに記録されています。 深層心理学の分野でも、ユングなどは集合無意識層として捉えています。 これは依正不二の考えと繋がります。法華玄義釈には「依正概に一心に住す。一心あに能所を分たん、能所無しと雖も依正宛然なり」 天親の大乗成業論、「業は百劫を経といえども終に失壊することなし、衆縁合する時に遭えば必ずまさにその果を報うべし」 業は百劫という無限に近い時を経ても消えず、外界からの縁によって必ず苦楽が現れることが説かれています。 第九識は根本清浄識といい、仏識といえます。 天台は第九識を阿魔羅識と名ずけ宇宙根源の法を指し、釈迦もここから成仏しました。
人間釈迦の哲学思想とみるか 超人釈迦、霊界を覗くことができる はたまた 拝んで念力で病気治したり、超常現象霊魂や 火の玉が飛ぶような話で考えるかの違い。
>>237 漏れもそう思う。法孫悟空は「ムー」でも読んでガクブルしてなさいってな。
>輪廻転生を説かなかったら仏教じゃないでしょ。
いや、輪廻転生を説いたらむしろ仏教じゃないんですが。
おまいは無記って言葉の意味をちゃんと理解出来てない。
あくまで、確認出来ない事はどちらとも言えない、というのが無記で有って、
だからこそ当たり前かつ正しい話なの。
対して、輪廻転生が確実に有ると言うのが法華経を含む大乗仏教。
無記って姿勢と大乗仏教は正反対なんよ。
>大体このような問題が、いまさら起きること自体おかしいと思わないかな、
今更そういう問題が起こってしまうのは人間が如何に
簡単に迷信に騙されてしまうかを正に証明している。
おかしいのは功徳があるはずなのに天理やPLなどの他の宗教の野球に
勝てない層化。立候補者が毎回全員当選させらない層化。
筋ジストロフィーやエイズを治せない層化。
>たかたか百年くらい前の人が大乗非仏説論なんてアホなことを言って
たかたかって何すか?100年位前の人がって言っても、
学術的な歴史解釈の世界では伝統とか関係ないから。
川に石を投げてなむなむしても石は浮かばないと言うのが原始仏典。
なむなむしたら功徳で浮かぶとするのが法華経。どっちがアホだと思う?
>240 まったく同意。 原始仏教が「哲学」であるのに対して「法華経」はオカルトに近い。
243 :
法孫悟空 :03/11/10 01:27 ID:jJ0JxKrN
>237 日本経済、株価は沈没かもよ、、、それはともかく、 ムーディーやキューブラーロスは学者の立場で臨床例をあげてますよ これも幻想でしょうか? 今現在、否定する証拠もないですよ。
>243 「幻想です」と答えるとムキになって、擬似科学の例を挙げたがるところは オウムとクリソツですね! 「ムーディー」だの「キューブラーロス」だのこのスレの趣旨とは無関係で すから、一々カキコするの辞めてね。 知り合いに変な宗教やってるヤツがいて……。 職場にわざわざ携帯ビデオテレビ持ち込んで、昼休みに「食品添加物の 危険性」みたいなの見てんの、わざとらしく。「それなに?」って聞くと、そ こからヘンな宗教の勧誘に徐々に移動してゆく。もちろん誰も相手にしな かったけどね。そいつ昼休み中、一人でそのビデオ、感心したふりして、 「フーン、なるほど…」とか言って見てんの。バカじゃね? バリ強酸のヤツがいて……。 テレビドラマ録画し忘れたっていってた友達に、バリ強酸のヤツが「あ、僕 そのビデオ撮ってるから貸してあげるよっ」ていって貸したのが、「原発の 危険性」を指摘する内容のビデオ。あとで「間違えちゃった」とか言ってんだ が、それで相手の気を惹いて、自分の主張に引き込もうというのがミエミエ。
>243 じゃ、あんただけ信じてれば……。
246 :
法孫悟空 :03/11/10 01:50 ID:jJ0JxKrN
>541 そういうあなたは輪廻転生を否定できない、 それなら聞くが釈迦はどうやって悟ったのだ。その方法を教えてくれ。 釈迦の教えはよく知ってるようだが、それは観念だよ、実践は?いっておくけど八正道は戒律で修行法じゃないよ。 、、、瞑想、禅定だけでしょう、その禅定の仕方についてはどうなっているのかな? その回答には天台の「十境十乗観法」にこと細かく示されているが。他に何かあるか? この方法で今、釈迦と同じ悟りを得ることができるだろうか。教えてくれ。
>246 「>541」って未来のレスに対する予言的カキコですか? それはどういう超能力によって可能になるの?
なんつーか『辺見(極端なこと。この場合輪廻転生はあると考えたり、無いと 考えたりする事)に陥ってると、自分と異なる思想を持つ人間は全て反対の 辺見を持っている者であると錯覚する』を地でいってるようなスレなんだが・・・ 無記つってるじゃんよ、無記! 話題にすんな!話がすすまねーんだよ! 無記にするべき話題の無限転生を見ているようでイヤになる。 いつまで堂堂廻りしたいのだ、と小一時間(ry
>>243 ムーディーやキューブラーロスの臨床例てどんなんよ?
250 :
法孫悟空 :03/11/10 02:09 ID:jJ0JxKrN
輪廻転生を直接否定できないのなら間接的にでも否定してくれ。 確認できないことだから「否定」、、、にはならないよ。 一方、肯定する例はいっぱいある、九識論だって、ある程度、深層心理学は同様な考えを持ってるよ 空仮中の三諦だって理論物理学の見解と同様の見方がされているのは何故か説明してくれ。 肯定と同じくらい否定する例がなくてはならないが。 まったくないよね。 否定する例を示せ!
251 :
241 :03/11/10 02:10 ID:???
>>246 法孫悟空
そうだな、輪廻転生の存在を否定はしないよ。個人的には無いと思うが、
ある事も無い事も証明出来ない事だし。
ただ、おまいは「輪廻転生は絶対ある」って言ってるんだから
こりゃどう考えてもおかしい。絶対無いって言ってる香具師と
同じレベルだ。ここまでは理解できたかな?
>それなら聞くが釈迦はどうやって悟ったのだ。その方法を教えてくれ。
見てた訳じゃないから解らない。当たり前の話だけど。
悟りとか何とか言っても、単に当たり前の事に気がついただけでしょ。
霊とか魂とか生まれ変わりが有るのを前提で考えてた当時の香具師らには、
無記みたいな発想は神がかり的な凄さを感じさせたのではないかな。
結局、それが神霊的なものだと思うから毒別な修行法が必要とか
実践法がどうとか考えるようになる。ブッダとか言う2000年前のただの哲学者も
今の仏教の状況を見たら嘆くんだろうな。
>250 もう何度も繰り返されているレスかもしれないが、「否定」と「無記」は違うということ では? 「無記」は「否定も肯定もしない」立場。何が疑問なのかちょっとわからない。
>このスレ全員 あはは おまいら基本的なところでめちゃくちゃまちがってるな。 どうせ今のおまいらの観念やら科学やらで世界の真理がそうそう分かるわけないんだからよ 問題はどれを信じてどれを信じないかだけじゃん。 おまいら理屈こねても結局は信じてないし信じる気もないんだろ? いみねえからそんな議論。 具体的に何が信じるに足るか考えてみな
>>254 また変なのがきた。
お前の言う「信じるに足る」ものを語りだしたりしないでくれよ。
電波野郎め。
相手にするな
>>254 つまらない釣りですね。釣られてやるよ。
世界の真理って具体的に何の事を指して言ってんの?
悪いが、物理現象は人間の思考や人格形成なども含めて、
ほとんどが科学で解明されてる事ばかりですよ。
あ、魂とかあの世とかそういう電波な話はナシね(藁
どれを信じてどれを信じないか。理論と科学で普通に
判別出来ますが何か?
>具体的に何が信じるに足るか考えてみな
藻前にとってはブッダと日蓮と池作だろ?(w
258 :
法孫悟空 :03/11/10 02:31 ID:jJ0JxKrN
>248 だからいろんな仏典から輪廻転生はあるって言ってるだろ。 説明してるだろが! これだけ説明しても「ない」と言うのなら、あんたらにとっては 分からないこと=「無記」だろうから、悟りだって無記だろう 「苦を滅する」だって無記だ、大体、執着は第六識にあたる通常レベルの意識だ 消せるものではない、どうするんだ、全部、無記で「ない」と同じだよ。 輪廻転生は業の思想を説くためには必要な考えだよ。 これっきりの人生だったら極悪人の天国だよ、違うかな。
>>258 じゃあお前は輪廻転生・業がなかったら人殺しとかすんの?
怖い奴。
あんな駄文でも釣られてくれるとはおやさしいことで感謝にたえないな じゃあ補足 なんのためにそんな議論してんのかってことが漏れには理解できないっていうただそれだけ 議論に実体がなさ杉だとか おもわねえの?
>>260 何のためかと言うと層化信者を脱会させる為ですね。
もっとも、会話のキャッチボールが出来ない法孫悟空が相手の
電波な議論では確かに実態も糞もないですが。
262 :
法孫悟空 :03/11/10 02:52 ID:jJ0JxKrN
>259 頭いかれてんのか!! >260 何だよ批判だけして、私の質問には何も答えられないのか。
だから原始仏典には輪廻転生は出てこないって言ってるだろ。 説明してるだろが!これだけあるかないかは解らないと 説明しても「ある」というのなら、あんたにとっては 分からないことでも「層化で教えて貰えば真実」だから、 怒りえない功徳や仏罰も真実だろう。 「苦を滅する」のは確認や証明の出来ない現象じゃないから無記とは関係ない。 大体、執着は第六識にあたる通常レベルの意識だとか誰が言ったんだ? この場合は消去法で消せる、どうするんだ、全部、ちゃんと説明ついちゃったよ。 >これっきりの人生だったら極悪人の天国だよ、違うかな。 ちょっと待て。人間の基本的な欲求には段階がある。 食欲、睡眠欲、性欲辺りが満たされると。。 社会的な欲求の段階になる。 基本的に自己愛が満たされると人間は 周囲の他者へ愛を与えたいと言う欲求が増してくる。 それも満たされてくると、今度は人類愛になったり、 無償の愛にとどんどん発展していく訳だ。 つまり、自己中心的な香具師は愛の段階が低いのさ。 輪廻転生が無ければダメ人間社会になるとか言う様な香具師はあれだな。 自己愛にすら至ってない精神障害者or犯罪予備軍。 宗教やる香具師には多いよね。満たされない感情を埋める為に 宗教活動で得られる脳内麻薬にハマる。
>>262 >これっきりの人生だったら極悪人の天国だよ、違うかな。
これっきりの人生だったらなにやってもいいってお前が思ってるからこういう発想になるんじゃねえの?
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/10 02:59 ID:VpyYTvIK
>261 なるほど目的はすばらしいな だが相手が悪いうえにここはネットだ 対面で話せるような信者を徹底マークした方がいいぜ 危険だが(笑 >262 あー答えてやるよ ネットで下手な教学こねんな! 身の回りの奴に信仰の実証で示してみろゴルァ! それから体験談でも書き込めや!
>>263 原始仏典に輪廻の話出てくるよ。
スレの上の方みれ。
釈迦も所詮DQNなんだよ。
267 :
法孫悟空 :03/11/10 03:18 ID:jJ0JxKrN
>だから原始仏典には輪廻転生は出てこないって言ってるだろ。 前からちゃんと読め、原始仏典にも多くさんあるんだよ、ボケ! >「苦を滅する」のは確認や証明の出来ない現象じゃない どうやって他人が確認できるんだよ。 後半部分は意味不明だ、ほとんどの国で宗教には業や天国、地獄の思想がありそれが 無意識に人々の深層心理に働きかけ、犯罪の抑制になっているんだよ。 もっとも最近は信じない人が増えたのは事実だ。
判った! 輪廻転生を話題にしてしまうと、こうまで不毛な堂堂廻りの議論になる事が 判ってたから釈尊は無記としてこの話題を滅殺処分したんだ! なんてな。 んなわけねーっての。 いいかげんこの話題終わろうぜ。意味ねーよ。 スレタイにそった流れに戻すべ。
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/10 16:03 ID:E0geF1ZL
無記といいつつ輪廻を語る釈迦。 単なるボケジジイじゃん。 こんなおっさん有り難がるとはつくづくめでたい椰子等だな。
270 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/10 16:05 ID:wTNlrgk0
何を馬鹿なことを延々とやってんだよ 輪廻も輪廻転生も、どうでもいいことだろうが そんなことより 今、生きているって事のほうが大事なんだよ どう生きていくかってのが仏法なんだよ 輪廻が無いと悪人だらけだなんて仏法を知らない奴のせりふだよ 他人に「苦」を与えることが「業」 「業」に塗れて生きるのは「苦」 だからなるべく他人に「苦」を与えないようにしたほうがいい
271 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/10 17:58 ID:wTNlrgk0
で? いつになったらスレタイの議論に戻るんだおまいら。スレの意味ないんだが。
とにかく「輪廻転生」のはなしからは離れたほうが良いのでは? 法孫悟空さん。「無記」に関して誤解があると(私は)思う。論理学や記号論でも 「言語の外部」を想定することがある。「言葉で語れないものは『語り得ない』」と いう論理だ。釈迦がそう考えたかどうか厳密には判らないけど、私はそう解釈す ると、すんなり「無記」が理解できる。 ここでの「輪廻転生」は @「言葉としてある」A「言葉としてもない」B「実在としてある」C「実在としてない」 のいくつかのレベルの「有無」が、混乱して使われているため、これ以上議論は すすまない。
輪廻転生についてひとつ言っていい? 「 死 ね ば 分 か る 」 これ冗談で言ってるわけじゃないから。死んで地獄に堕ちちゃってからじゃ遅いんだけどねー
でもな「大乗仏教および日蓮は輪廻を説いてるが釈迦は輪廻なんて説いてない、したがって大乗仏教・日蓮は釈迦と関係ない」 ということから話が展開しているわけだからあながちスレの趣旨と無関係ではないぞ。 実際釈迦は輪廻を説いてるわけだから上の主張は間違っているわけだがな。 したら今度は「輪廻は関係ない」とか言い出すんだから、まったく困ったもんだ。 オカルト話は論外だけどね。
>275 まあそうなんだが、法孫悟空は輪廻転生の実在が科学的に証明 されていることを言おうとしている。それはちょっと違わないか。 これまでの議論ではあくまで教義上の整合性の問題であって、科 学的に証明できるか否かは問題になっていない。 輪廻転生もこれも言わば、「証明できない内的体験」の類なので この話を続けてると、いつもの「脳内のエンドルフィンが……」に なるのは目に見えているぞ。神経政治学みたいのはちょっと別問 題だろ。 法孫悟空が「悟りはどうだ」と言ってるのも同じ。これに科学的な 証明の手続を求めても、「証明できない内的体験」で前スレでは エンドルフィンになってたぞ。 とりあえず、輪廻転生に関しても、教義上の問題(一応唯名論的な 扱い)で進行しないとだめなんじゃないか? どうしてもエンドルフィン方面に行きたいならしょうがないが……。
277 :
269 :03/11/11 00:50 ID:???
>>271 >哀れなのはお前だよ
そっくりそのままお前に返すよ。
ボケジジイの戯言なんざ盲信せずに、もっと生きるってことを考えなさい(w
>>276 漏れとしても
>オカルト話は論外だけどね。
と書いた通り法孫悟空はスルーという姿勢ですよ。
でも輪廻についての釈迦(原始仏教)・大乗仏教・日蓮を通しての整合性についてまで
「輪廻は関係ない」みたいにあやふやにするのもどうかと思ったんだな。
279 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/11 10:41 ID:VLhDhhrt
>>275 じゃあ、釈迦がなぜ輪廻を説いたのかって事が問題になってくるわけだね
そこに一度絞ってみる?
ヘ(゚∀゚ヘ)コソーリと♪ バラモン教の影響だべね
281 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/11 10:46 ID:VLhDhhrt
>>276 悟りは「不立文字」なんだけど、とりあえず後回しにしよう
エンドルフィンは関係ないからスルーってことで
>>277 はいはい、いいこだね
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/11 12:39 ID:tc6Zrf7l
頭取って議論しましょう
('A` ;) ('A` ;) ハアハア /(ヘ ω.)ヘ 丿ヽ.)L ('A` ;) ハァハァ /(ヘ ωヾ('∀` ;)>.)L メッ ( `A') /(ヘ ωヾ(゚∀゚;;;)>.)L ( `A') ('A`;) スミマセン /(ヘ ω.)ヘ ノ ) ^ ^ ヒトノ キンタマ カッテニ サワリヤガッテ ( `A') ('A`;) モウシマセン /(ヘ ω.)ヘ ノ ) ^ ^
284 :
919 :03/11/11 13:45 ID:???
サイコーですか?!サイコーです!
荒れてキタネェw
スレタイ見て気付いたんだが、 何をもって日蓮の教えとするんだ? 富士門の日蓮本仏論辺りか? 正直もうその辺の話は終わってると思うんだが。 考えてみたら「ブッダと関係あるのか?」ってある意味難しいタイトルだな。
287 :
法孫悟空 :03/11/11 18:14 ID:gCVZ05Q1
輪廻転生の実在は、いまの人は立証できないだろうね、ただ西洋的な論理思考、つまり外界から観察してその存在をある程度、立証することはできる。 それを示そうとしただけ。 仏教はおとぎ話しじゃない、現実の問題だから。 「死後をみることは我われにはできないから、そのことを論ずることは意味がない。」ということではなくて実際釈迦は輪廻も業も説いている、この点は理解したほうがいい。 つまり輪廻転生はあるということを受け入れること。 もしあなた方の中に輪廻はないと思うのなら、それは仏法ではない、それだけのこと。 結局あなた方は、都合のよいものは受け入れて、都合の悪いものは無視するわけだから、これはもう宗教とは別のものと言わざるおえないよ。 あなた方が信じるものは、誰でも理解できる道徳だよ、釈迦の言ってる道徳は信じるということで、輪廻や業といった、わけの分からないものは、初めに「無記」としたのだから、信じないということなんだから。 四諦、八正道は信じるのでしょう、、、これなら誰でも理解できるよね、ただこれは道徳だよ、なにも宗教でなくてもいい。 言っておくけてど私は「無記」と転生、業に対する矛盾はない、ちゃんと整合性はついている。 結局、原始仏典は仮諦しか説いていない。つまり現実のこの社会、娑婆世界のことを説いている。だから転生や業などは空を説く必要がある、だから 原始仏典には輪廻転生や業のことは、後半で少し述べている程度なんだ、その後、空諦を説いた大乗ではばしばし説いている。 段階を経て説法教化している。 つまり輪廻転生はある、、、これを受け入れないということは釈迦の仏法を学ぶ意味はないよ。 せいぜい釈迦の道徳でもやってな! 名ざしで申し訳ないがSbさん、お邪魔しますさん、それと転生を信じない人は釈迦の何を信じてるの? 輪廻転生を受け入れないのなら、それは独断でただの道徳だよ、 それはそれでいいけれど、勝手な趣味ということで反論はしないでくれ。
288 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/11 19:45 ID:nehehT9z
ブッダは生きることは苦であるとしている。そして苦の生ずる原因は、物事に対 する執着であると教える。 「わたくしはこのことを説く。」と言うことがわたくしにはない。諸々の事物に対す る執着を執着であると確かに知って、諸々の見解における過誤を見て固執することな く、省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。 一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。 「無記」とは、ただ否定や肯定することをやめることではなく、物事、思考を一つ に固定することをやめると言うことです。ですからブッダも人によって「無我」を 説き、また人によっては「輪廻」を説いたりしているのです。
>287 >名ざしで申し訳ないがSbさん、お邪魔しますさん、それと転生 >を信じない人は釈迦の何を信じてるの? 輪廻転生を受け入 >れないのなら、それは独断でただの道徳だよ、 釈迦が「輪廻転生」を信じなかったこところを信じてるんじゃない のか? 俺もそうだが……。なにがいけないの?
>>288 いや、だから無我というのは輪廻すべき主体がないという話ではなくて、
執着すべき固定的な実体としての我はない、ということなんだよ。
だから無我でありつつ輪廻話をすることは矛盾しないの。
もうキミに対しては話を切り上げるつもりだったけれど、もう少し続けるね。
291 :
法孫悟空 :03/11/11 21:40 ID:gCVZ05Q1
>288 あなたのおっしゃることは良く分かります。しかしあなたは輪廻を受け入れていない、原始仏典の「無記」に執着しています。 無記も輪廻転生も業も釈迦が説いたものであり、素直に受け入れるべきではないでしょうか。そうでなければ執着から逃れられない。 無記と転生を両方といている矛盾を、矛盾として思わずに、きれいに転生を頭から消せるのなら良いでしょう。 もしそうでなければ、その後の大乗の教えは受け入れられませんね。 如来寿量品第十六「すなわち、生死は有ること無く、あるいは、退出も有ること無く、また生死の世に在るものでも無く、涅槃の滅に入るものでも無い。生命は中道であって、実でもなければ、虚でもないし、 また同一でもなく異なるというものでもない。このように仏が三界を知見するのは、三界に住む迷いの衆生が、それぞれの立場から見たり考えたりしているようなものではないのである。、、、 この世に住む衆生には、さまざまな性分、そまぞまな欲望、さまざまな行為、さまざまな憶想や分別があるゆえに、仏はこれらのものをむしろ縁として一人ひとりに善根を生ぜしめようと、 いくつかのいわれや譬え、また言葉をもって、いろいろに法を説いたのである。」 >289 >釈迦が「輪廻転生」を信じなかったこところを、、、 それでは輪廻を否定しているところを示して下さい。 べつにそれでも悪いとはいいません、誰でも理解できる道徳の部分だけでも意味はありますが、それは仏教ではありません。 たしかにどうしても信じられなければ、それぞれの立場で信じればいいのだろうが、しかしこの場合「全ては一法より生じる」と言った、この一法さえ信じればの話でしょう。 原始仏教では、成仏の方法は表していない、だから釈迦在世の人々は直接の指導で成仏の法があったが、末法の我われにはもはやその方法はないのである。 ただ法華経に説かれた「一法より生じる」この一法を現すことだけを信じれば、全ては具現されるのである。
輪廻で引っ張るね。 日蓮の教えは仏陀と関係あるのか。
>291 >べつにそれでも悪いとはいいません、誰でも理解できる道徳の部分だけでも意味はありますが、 それは仏教ではありません。 仏教ってのは「誰でも理解できる」ものであっていいんじゃない?特に大乗は。 釈迦は輪廻を否定してないんじゃない?信じないだけで。
おまけにもひとつ 釈迦は輪廻がそんなに好きならバラモン教にはやればよかったんじゃない? やめちゃったんだから輪廻キライだったんじゃない?
で、超能力は信じますか? 同じ日蓮系宗派でも、真似して似てるものほど仏罰ですか? 火の玉が飛んで刀折れる日蓮大聖人の話は信じてますか?
>291 >無記と転生を両方といている矛盾を、矛盾として思わずに、 >きれいに転生を頭から消せるのなら良いでしょう。 だから消せるじゃん。「無記」なんだから…。なにも矛盾しないじゃん。
アジアに広まっていった仏教、そしてインドでは衰退していった仏教 なぜに突如として、日本に釈迦が伝えたかった仏法が、 新興宗教から飛び出るのか不思議だ。
無記と輪廻を両方説いてるなんて普通に考えたら支離滅裂もいいところ。 だが釈迦や仏教への盲信がそれを認めない・認めることができない。 で無茶苦茶な理由をこじつけてるわけだ。 それこそ「釈迦は正しい」なんて執着は捨てろってことだな。 大昔のインドのボケジジイ有り難がってなんになる?
糖尿のレイプ親父を有り難がるよりマシ
>やめちゃったんだから輪廻キライだったんじゃない?
別にバラモンの中心思想は輪廻じゃないからな。
もちろん仏教の中心思想でもなかろう。
それらの宗教のベースにある社会通念だったわけだ。
>無記と輪廻を両方説いてるなんて普通に考えたら支離滅裂もいいところ。
以前オレが書いた文章を読んで見ろよ。
>>214-215
>300 ということで輪廻は当時の社会通念としてあったのでブッダは語った。 そして、その社会通念にたいして「無記」(くれぐれも言うが、否定でも 肯定でもない)という態度をとった。ということで法孫悟空は納得でき ないのかな? 暫くまた輪廻ネタが蒸し返されたが、それぞれいろんなこと言っていて も、概ね↑の考え方で一度結論が出ていると思うが? 法孫悟空以外で(なるべく常連でたのむ)↑以外の立場を取りたい者 はカキコしてくれ。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/12 01:18 ID:AAhi2Oyw
>>268 そもそもブッダとブッタは関係あるのか?それがハッキリしないと皆誤爆になる訳だが・・
直すなら[ 日蓮の教えとブッダの教えは同じなのか ]の方が議論し易い
今のスレタイの答えはNOでよろしいか?
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/12 01:21 ID:AAhi2Oyw
>>270 明日死ぬと解かっている人もいるのだよ だから輪廻の事考えても良い人だっている
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/12 01:24 ID:AAhi2Oyw
>>274 分かるはず無いよ
死んだ後に分かるって事は輪廻は有るって事になるぞい
なぜなら死んだ後に分かる(意識が有る=死んでいない)
末法だから、釈迦の仏法はやくに立たない だから、この仏法なのだ 釈迦が本当に言いたかった という主張がかならず出る。 当初末法は、釈迦が入滅して500年単位で計算させるが 中国で、1000年引き伸ばされたり 日本で、1000年単位に変更されたり 釈迦が入滅が大きく間違っているのが分かったり でたらめである。 地震災害戦乱の世、末法と言う言葉と末法思想が生まれ それが一人歩き混同されるようになった。
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/12 01:35 ID:AAhi2Oyw
生きる事=苦は間違い 逆を言えば死=しあわせになる 生きる事=しあわせだろ 輪廻も無い。人類の起源をさかのぼると魚にまで達する 殺生を禁じても体の中には悪玉菌を殺す善玉菌が居るので生きるだけで殺生になる 科学が無かった時代の法律みたいなもんでしょ 所詮
とにかく、創価学会存在しなくとも、人間の営み数億年、 世界中のほとんどの人間は、創価学会など知らず生活してる。
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/12 01:42 ID:AAhi2Oyw
生きる事で苦も、もちろん有るけど生きていないと幸せはありえない 今は、科学>宗教 昔は、宗教>自分
309 :
法孫悟空 :03/11/12 02:46 ID:/TpH0dBX
>294 だからバラモンとは違うのだ、バラモンはアートマンという常住不変な実体が主体となり輪廻すると説いているんだよ。そんな固定的実体はないとするのが仏教。 >仏教ってのは「誰でも理解できる」ものであっていいんじゃない?特に大乗は。 理解できないから議論してるのでしょう。誰でも理解できるんじゃなくて、誰でも仏性があり成仏の種があることを説いているということ。 >296 ではあなたは輪廻転生を受け入れるのですか。受け入れないのであれば大乗の教えも受け入れられないことになる。 >300 あなたは輪廻転生を受け入れますか? また輪廻転生は真実なのでしょうか?
310 :
法孫悟空 :03/11/12 03:04 ID:/TpH0dBX
>305 残念ながら末法であるという裏づけは年代だけじゃないんだ、釈迦が誕生したときは 大地が割れたりとかいろんな転変地異があった(詳しくは分からない、いい加減なことは言いたくない)、依正不二だから環境にも何かしらの 兆しが出るのは当然で、その点でも当時の鎌倉にはいろんなことがあったんだよ。
311 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/12 09:48 ID:+uG1vzKT
>>287 学会の間違った仏法知識なんてどうでもいいんだよ
そもそも何の為に釈迦は教えを説いたと思っているんだ?
生きていくことの為に説いたんだろ
輪廻転生なんか、有ろうが無かろうが生きていく上ではどうでもいいとこなんだよ
死後もそう、輪廻もそう、神も、宗教も
なぜなら、それは人それぞれ違うものなんだから
生きていく、つまり、四苦八苦する
四苦八苦に対して何を行うか、そのために輪廻やらいろいろ使えるものを使う
本末転倒してはいけないよ
大事なのは生きていくこと
312 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/12 10:04 ID:+uG1vzKT
>>303 うん、そうだよ、使えばいい
使ってその人の「苦」が軽くなるのだから
つまり、方便、道具
>>306 ,308
生きる事の苦とは四苦八苦
いくら科学が発達しようと、生きている物は皆、四苦八苦している
してない人などいないでしょ
そのために仏法はあるんだと思うよ
('A` ;) ('A` ;) ハアハア /(ヘ ω.)ヘ 丿ヽ.)L ('A` ;) ハァハァ /(ヘ ωヾ('∀` ;)>.)L メッ ( `A') ヤベッアマイゾ? /(ヘ ωヾ(゚∀゚;;;)>.)L ( `A') ('A`;) ツイ アマイ,カホリシテタノデ /(ヘ ω.)ヘ ノ ) ^ ^ ヒトノ チンコ カッテニ サワリヤガッテ イカセロヨッツ!! ( `A') ('A`;) イヤァ モウダメジャナイカト /(ヘ ω.)ヘ ノ ) ^ ^
314 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/12 11:52 ID:mhzn136m
>>291 の如来寿量品第十六の教えだと、ブッダの主張したことは正しく伝わってい
るんだよね。
やっぱ日蓮と創価学会とで、ブッダの教えを狂わしたのかしら。
人が生きていく間にいろいろな苦しみがある。その苦しみを乗り越える方法をブッ
ダは示したんだよ。
日蓮系の新興宗教にしつこく勧誘されたことがある。 バイト先の女から。今思えばあれはやっぱ創価だったのか・・・。 本人は違うと否定してたけど。
316 :
法孫悟空 :03/11/12 12:21 ID:/TpH0dBX
>sbは悟っているようだからそこまで言うのだろう。ならばどこが間違っているのか示せ。 >お邪魔しますも、どかを狂わせたのか説明しろ。 きみにとって苦しみを乗り越える方法とは何んなのか説明して。
318 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/12 12:45 ID:+uG1vzKT
320 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/12 13:07 ID:+uG1vzKT
『法華経の本質はインドや他国にあらず、日本は世界を仏国土にする義務を背負っている』 田中智学に深く傾倒した石原莞爾は、満州事変の中心人物。 晩年の石原莞爾は武力全面放棄を訴える姿勢をとっている。 過去スレで人気者波木井坊(藁)なる人物が興味深いことを書いていた。 _日蓮主義は関東軍の軍人を利用したのですか? この問いに対し 「利用したと言うより、利用してしまったと言うべきでしょう。 だからこそ私たちは今反省しているのです。」 にもかかわらず現支那人を驚異と見なし、反感を煽るカキコを随所にしている。w 日蓮主義者の本質はここにある。いくら反省していると見せかけても 時が経てばまた同じ間違いをしでかし、人々を巻き込む集団なのだ。
>>321 おいおい簡単に日蓮主義を語ってんなよ。
戦前の日蓮主義ってのは国家に利用されたんだよ!!
創価が田中智学をぱくってんだよ!!
アフォが
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/12 14:21 ID:NSzqBY+d
日本で一番嫌われる層化団体。 総本山大石寺から破門されたのに、いまだに宗教法人。
脅しか金でとったに違いない
>>322 >おいおい簡単に日蓮主義を語ってんなよ。
>戦前の日蓮主義ってのは国家に利用されたんだよ!!
国家に利用された←話を簡単に済ましているのはあなた達の方ですよ。(藁
確かに戦後、日本山のような反戦・反核の精神で活動している日蓮宗もありますが、
それが日蓮主義全体を表現しているとは到底思えません。
あなた方の教義は常に閉鎖的で一般人を寄せ付けず、煙に巻くのに長けています。
そしてその中でも解りやすい田中智学がどうして、今の学会活動家が体現しているように権力に利用されるのか?
その事の本質を棚上げし、あっちがパクリだのこっちが正しいなどと
うやむやにしているだけじゃないですか?
そんなうやむや状態ではこの先、どっちへ転んでもおかしくはない。
在日勢力による創価学会なるものがたとえ潰れたとしても、
また新たな権力に利用価値を与えてしまうことに成りかねない。
いや必ずそうなる、その本質を暗々のうち持っている限り!
う や む や は 学 会 の 得 意 技 ッ !
ますます混乱の態を様してきましたね。 >309 法孫悟空さんに質問 >ではあなたは輪廻転生を受け入れるのですか。受け入れないのであれば >大乗の教えも受け入れられないことになる。 >あなたは輪廻転生を受け入れますか? また輪廻転生は真実なのでしょうか? 「受け入れる」とはどう言う意味でしょうか? 選択肢 @輪廻転生は科学的に立証(もしくはほぼ立証)出来る事実だと受け入れる。 A輪廻転生はブッダが生きた時代の社会通念としてあったことを受け入れる。 B輪廻転生は単なる言葉(唯名)としてあることを受け入れる。 Cその他 他の多くの論者はおおむね@ないしAの立場をとり、その立場の違いで論旨が 分かれてきたのですが、結論としてAにほぼ議論は収斂したと見てよい。 しかし、法孫悟空さんはBの立場のようです。また、そうであれば、面倒でも、 「科学的に立証できる実在」「客観的に存在している」と書いてください。「受け入 れる」という表現はたいへん紛らわしい。これまでのスレの流れからすれば@、 Aともに「受け入れて」いると言えるわけですから。(いずれも輪廻転生を「否定」 しているとは断言出来ませんし、だからこ、そそれに対して「無記」という態度を取 ることに何ら矛盾を生じないわけです。) また「真実」という言葉も曖昧です。科学的、客観的に存在が認められない、あ るいは故意に認めないものに対しても、人は「内的な真実」としてそれを尊重し 得る。個人的には、特に宗教こそ、そうした言語活動の代表だと思うのですが。 Cであればもう少し説明が欲しいところですね。
>304 「死んだら分かる」っていう言い回しは比喩。能動的な意識があって分かるとかいう意味ではなく 「命」は体がばらばらになってもいっしょに消えてなくなるわけではないということ。輪廻転生と 命の永遠性はぜんぜん別の議論になるかもしれないが少々お付き合い願いたい。 仏法においては 命 というものが最重要である。私とあなたや他のすべての人がそれぞれ 同じ命だがまた状態(境界)が違う命を持っている。在ると言われても色も形もわからず、今、 仮に作られたお互いの体を通じての縁から在りそうな気がするとしか言えないし、無いと言われると それも納得がいかないという「命」だが、大事なことは釈迦仏も日蓮大聖人も命のことを深く 説かれているということである。 長文が止まらなさそうなのでひとまずここで。
法孫悟空君よ。 >あなたは輪廻転生を受け入れますか? 受け入れない。現在では輪廻は社会通念ではない。 >また輪廻転生は真実なのでしょうか? 輪廻を真実であると考えることは固定的なものの考え方だな。 そのような実体的真実を追い求めることは拒否するべきだ。 輪廻という考え方が有効に作用する部分では語るもよいが、 害悪となる部分が存在する事実は見逃してはなるまい。 お邪魔します君よ。 >やっぱ日蓮と創価学会とで、ブッダの教えを狂わしたのかしら。 確かに法孫悟空の言うとおりもう少し詳しく語ってもらう必要があるだろうな。
そうそう、このスレでは以下のことが前提として通用しますかみなさん? 釈尊が説かれた仏法(法華経)は末法において衆生を救う力は無い。 これは法華経の文が嘘になるとかいうことではなく、われわれ末法の衆生は釈尊の時代の有善の衆生と 違い、過去世において仏種を植えられたことがない(仏法に出会ったことがない)からということ。 そこで久遠元初の御本仏、日蓮大聖人が御出現あそばされ、われわれでも即身成仏がかなう大白法を 説き出だしあそばされたのです。 なお、釈尊の説いた法が力を失うということは釈尊自身が説いた(予言した)ことです。どの経文だったかな?
法が力を失う。のでなくて その時代時代に言われる事は変化し、信じられてる事も変わり人々は聞き入れなくなる。 その時代に信じられてた迷信は、科学的に解明され意味を持たなくなる。 火の玉飛んで刀折れる日蓮さんのお話も変だと思われるようになる。 法が力を失う。のでなくて 変わらないのは物事の通り。
>>330 前提になんないですね。
要は「大乗非仏説」だから法華経も日蓮もブッダとは関係ないだろ?どうなのよ?
ってスレだから。
333 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/12 23:51 ID:w5PW8alO
私が日蓮、創価学会がブッダの教えに反しているとするのは 1 自宗のみが絶対正しく、ほかは全て邪教とであること。 2 御本尊に向かって題目を唱えると救いになると言うことが、 どの仏典にも書かれていない。 ま、とりあえずこんなところかな、ハイ。
334 :
330 :03/11/13 02:49 ID:???
>332 大乗非仏説については「 創価学会に入ってイイことあった人!手ぇあげて!!」スレの243あたりで スレタイとは無関係に反論を載せてあるので、暇ならログ読んでご意見をどうぞ。 概略で大乗非仏説を説いた奴は弟子たちの経律結集の意味を勘違いしたものであるという内容です。 >333 大乗仏説の立場から言えば、法華折伏破権門理の文より、小乗等の低い教えで用いた摂受(相手の 考えを受け入れつつ正しい教えへ導く教導のやり方)ではなく、いきなり真実の法華経を説いてそれを 信じさせる折伏という教導を用いたことは重要です。たとえ相手が理解できなくても、相手の考えを 直ちに打ち破り法華経に帰依させるのです。なので1.は誤りということになります。 2.に関しては反しているというよりはこちらが末法の衆生のための法華経修行のやり方として 日蓮大聖人が顕されたのですから脱益の仏である釈尊が説くはずがありません。これもまた折伏に より釈尊の法を捨てて信じせしめるものであると言えましょう。 私的にはこの辺からなら意味のある議論が出来そうです。
>>309 >だからバラモンとは違うのだ、バラモンはアートマンという常住不変な実体が主体となり輪廻すると説いているんだよ。そんな固定的実体はないとするのが仏教。
じゃあさ、なにが輪廻してるの?
輪廻輪廻というのはいいけど定義がアイマイな気がする。
輪廻は真実っていうんだからどういうメカニズムなのか説明できるよね?
>>334 つか大乗非仏説なのかどうかというのがこのスレのメインテーマでもあるからここでそのあなたの持論を書けば?
>>335 >じゃあさ、なにが輪廻してるの?
もちろんアーラヤ識だろう。
>>336 >つか大乗非仏説なのかどうかというのが
その「仏」を歴史上実在のブッダに限定するのか、
その後拡大して行く古代インド仏教徒の精神的基盤としてのブッダを指すのか、そこが問題だろう。
後者なら大乗は仏説だ。
>>333 大いに異議無し
・無根拠な自己神聖化強いとこがダメ
・御本尊への題目信仰ダメ(先祖返りだろ)
んとだな・・・私見を書くなら
大乗と上座部区別してるところは大概ダメ
創価も散々上座部を小乗とけなしまくっているのだから当然ダメ
逆に大乗を「あれは仏説ではない」と否定しているところもダメ(桐山
のとことかテーラワーダとか)
どっちも自己神聖化の為に大乗小乗の区別を持ち込んでる
研究対象としてなら当然区別も必要だろうが、信仰になぜそんな
区別が必要なのだ?不思議でならない
『法華経の本質はインドや他国にあらず、日本は世界を仏国土にする義務を背負っている』 田中智学に深く傾倒した石原莞爾は、満州事変の中心人物。 晩年の石原莞爾は武力全面放棄を訴える姿勢をとっている。 過去スレで人気者波木井坊(藁)なる人物が興味深いことを書いていた。 _日蓮主義は関東軍の軍人を利用したのですか? この問いに対し 「利用したと言うより、利用してしまったと言うべきでしょう。 だからこそ私たちは今反省しているのです。」 にもかかわらず現支那人を驚異と見なし、反感を煽るカキコを随所にしている。w 日蓮主義者の本質はここにある。いくら反省していると見せかけても 時が経てばまた同じ間違いをしでかし、人々を巻き込む集団なのだ。
ハキは日蓮宗じゃねえよ。 新興宗教の出だw そのコンプレックスからそいうカキコしてるんさ。
341 :
919 :03/11/13 09:48 ID:???
法華経は釈迦の教説を相当勉強した人が書いたんでしょうね。 原始仏典を読むと、釈迦はあーでもないこーでもないといい、一つの考えに執着するな、 断定するな、といっているように読めます。しかし我々の頭は論理的な思考になれていて 前提をおかなければ何も考えることはできません。前提とは断定そのものに外ならず、 我々は考えることをやめなければならないんでしょうか? 法華経はそれを仏知見でしかわからないことだから仏を信じなさいと言っているように 読めます。この見解は仏教を学ぶ多くの僧を救ったんだろうなあと思います。多くの宗派 で法華経の人気が高いのはわかるような気がします。 一切の断定を捨てて静かに瞑想してみると何かが得られるかもしれません。
日本の歴史の中で、いつも法華経を利用した団体が問題起こす事は事実。 きっと何か問題あるに違いない。 法華経が間違いなのか、それとも法華経のみだと何かがかけてるのか
343 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/13 10:26 ID:LcoMUjCW
>>330 >釈尊が説かれた仏法(法華経)は末法において衆生を救う力は無い。
これは日蓮が説いたの?
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/13 11:46 ID:x2TW3obE
ごめんね。大昔、鎌倉時代の人なんで、日蓮の教説はまるっきり反古紙なんだな。 それも正宗のは虫食いだらけの。 日蓮の歴史的意義は認めるけど、 いまさら進行の対象にするには、 むちゃ無理ありすぎ まして、無謬性まで持ち出されると、病院行きを勧めます
345 :
ゆうポン :03/11/13 12:16 ID:qIusl3SO
強弱などの波がある。 波と認識できないほど超超高速なものから ゆったりしたものまで、波が溢れている。 複雑複合に絡み合い、影響し合っている。 ある周波数を緑という色に変換して認識する。 全く異なる波を緑に変換してもいい。 同じ波でも、それぞれ或いはその時で様々なものに変換される。 ある波を音に変換したり、匂いや味、恐怖に変換したり。 痺れや痛みや暖かさ、重いや硬い悲しみや喜びに変換して(感じて)いる。誰が? どこを検索しても実体のない変化しかないのに。 でも、方程式だけでは、選択は生まれない。 生きることは選択の連続。
346 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/13 13:14 ID:8kRbLCvB
日蓮が12才で清澄寺に入り何を学んだか、創価学会からの文を引いてみると 清澄寺では、もはや学ぶべきものがないほどに研鑚(けんさん)を深めら れた大聖人は、17歳のころに「一切経を見候いしかば八宗並びに一切経の 勝劣粗是(ほぼこれ)を知りぬ」(義浄房御書)とも述べられているように、 一切経の勝劣を知りうる智慧、すなわち、全仏法の根底と言うべき仏の悟り の法である「妙法」の智慧を得られたのです。 この文の終わり2行に注目して下さい。 ブッダは何を説いたか。どうすれば人々が苦悩から逃れられるか、その方法を示したのです。 これが仏の悟りであり、智慧なのです。 日蓮の間違いは、どうすれば人々が救われるかではなく、何が正しい仏法かを求めてしまった ことにあると考えています。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/13 14:55 ID:qtSlNoTP
要するに日蓮は間違いなんだろ。
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/13 14:58 ID:JJU1e7/7
>>346 違います。
「『人々を救う』ために正しい仏法を見極め、その生涯を賭して流布した」です。
癌が治った奇跡と、開祖が癌で御亡くなりになった説明が無い。
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/13 15:05 ID:qtSlNoTP
1)大作が間違っており、戸田城聖とか大作以外の創価は正しいのか 2)創価は間違いだが、大石寺または宗門つまり日蓮宗は正しいのか 3)日蓮は間違っているが、しかし法華門じたいは正しいのか 4)法華経じたいが本来の仏教としてみて問題含みだから法華門以外の大乗経典によるべきなのか 5)法華経含めた大乗仏教が誤りのもとで、大乗仏教以外に真の仏教を求めるべきなのか 6)そもそもシャカの教えからして根本的にまちがっていたのか ↑どの段階に最大の問題があった?
初代会長が宗教やろうっておもた時点だろね
教え理由付け理屈もあるが。 現世ご利益なら、現証、行い、行動、結果 を見れば 一目瞭然。 少なくとも、創価学会は誤りであることは間違いない。 世界平和なのに、殺人依頼するような宗教団体は。 オウムと同じに分類してよいのでは?
>>349 人生の価値は寿命の長さによって判断されるものではないだろう。
病より老衰や突然死の方が幸せだと考えるのは安易。
また、亡くなった人の価値は遺される人によっても変わってくる。
言い換えれば、「何を遺すか」が人生の価値とも言える。
354 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/13 16:43 ID:LcoMUjCW
創価学会の活動見てたら、何かに追い立てられる人生、 そんな、人生よりもっと有意義な人生あるように思えるのだか、 やってる人間の勝手だでしょう。 しかし、それを押し売りは迷惑な話しですよね。 押し売りを義務付けてる宗教にろくなものなし 押し売りを義務付けてる商品にろくなものなし という基準は、大体において正しいのかな。
>言い換えれば、「何を遺すか」が人生の価値とも言える。 包茎狂がイイって言ってただけで本人は何も残してない。
新しい儀式と方法残したよ 南無南無妙法蓮華繰り返せば、願いかなう? それと、神道神の名前書いた曼荼羅 残したよ
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/13 17:32 ID:JJU1e7/7
>>358 まあ、そういうことだね。
一人の人間が「この題目を広める」と言いだして、現代これだけの同系宗派が
あるわけだ。
360 :
法孫悟空 :03/11/13 18:06 ID:gzzGpAaa
まさにケイオスだな。 >321.322+339 顕正会と創価学会は何の関係もない!無関係! なんでここにレスするんだ!どっか他へ行って勝手に言ってな。 >323 日蓮正宗と創価学会は、それぞれ初めから独立法人なんだよ、戸田先生は、初めから見抜いていたんだ、すごいね戸田先生は。 役所の人が判断して法人格を与えているんだよ。あんたの腐った脳みそが判断することじゃなかんべーがな、 >324 あげくのはてにそんなことまで言うとは、さよなら、Want to KISS MY butt?
361 :
919 :03/11/13 18:12 ID:???
>>360 荒らしにいちいち反応すると厨房認定されますよ。
362 :
法孫悟空 :03/11/13 18:13 ID:gzzGpAaa
>327 546でーす!:またまた校正係さんは、細かい突っ込みいれますね。 たしかに「受け入れますか?」というのは曖昧な表現です、そのような表現しかなかったからです。 つまり形而上学のことを肯定したり否定したりすること、あるいは「ある」「ない」とすることは主体であるわれわれの立場 であって、あの世は、実体はないわけで、純粋認識の分野であり、「ある」いったら嘘になる、「ない」といっても嘘になる、 だから輪廻転生を受け入れるか、と質問したのです。 だからこの場合、社会通念として輪廻転生があるどうかは問題ではなくて、もし釈迦の教えを信じるのなら、輪廻転生を受け入れることになる。 受け入れなければ釈迦を信じないことになる。 なぜならば釈迦は輪廻転生を説いているから。 ちょっと分かりずらいと思う、これは空を説いていることだからあたりまえなんだ。 つぎに「輪廻転生は真実か?」という問は肯定、否定または「ある」、「ない」という認識、つまり実体として捉えるかどうかということ。 私は実は「ある」といっていいと思っている。それは、前に言ったムーディやロス博士たちの臨死体験の臨床例や、スティーブンソンの著書の前世を記憶する 子供たちが実際にいてアメリカだけでも2000を越える子供がいるという。輪廻転生そのものではないが、その一側面を立証する実在、つまり「ある」と考え られなくはない、ということで、一般に受け入れられていないかも知れないが、この科学を社会通念として置き換えることも可能ではないかと思っている。
創価学会が言うと真実味無くす。 規制して利用して捨てる。 言うこところころ教義もころころ変わるし
364 :
法孫悟空 :03/11/13 18:29 ID:gzzGpAaa
もっともみんなの中には輪廻転生を否定していて、以前に、その否定されている輪廻転生を持ち出す創価学会はバラモンである、、、と言った人がやく一名いるが これは訂正してもらわないとならない。 お邪魔します:輪廻転生を受け入れるのでしょうか。 私は寛大なる心で許していたが、本来ならば、あなたは何宗なのか?何教なのか、語ってもらわなければならない。 壁の影に隠れながら、こそこそと石を投げているようなものだ、こっちは創価学会と名のっているのだから、それを名指しで批判するわけだから、 あなたは何ものか語るべきでしょう。 >334 それでいいと思う。ただ脱益の仏法と言っても、彼らには分からないでしょう。 >333 お邪魔します:補足で2は法華経のなかに隠されている。その文低秘沈されている当体を御本尊として現したにすぎない。
タイだったか、自殺者が多い理由に「生まれ変わり」を信じているからという説があって、 その逆に、「生まれ変わり」が無いなら自分の人生で何したっていいだろうという 考え方もあるだろうし、どちらがよいとも言い難い・・・ なんとなく、釈迦が「無記」としたという話もわかるような・・・
オカルトぽいの前提条件かもしれないが 前世来世大霊界、常人に判定できないもの取り合えず無記にして、 現世の物事の通り法則の方向性でいきません? でないと色々なオカルト教が現れそう・・・
367 :
法孫悟空 :03/11/13 19:02 ID:gzzGpAaa
>346 違うよ。 それでは釈迦は人々を救うためにどんな方法を残したのだ、その具体的方法は少しはあるようだけれど 何も残していないと思うぞ、天台は摩訶止観で現している。日蓮も何人も実践できる、当体、ご本尊を現している 釈迦だけ何も残してない。 あなた何教よ、どうやって救われてるの? 具体的方法は、そこんとこよろしく。
368 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/13 19:13 ID:5f5XpsvA
>>350 さんへ
3番が一番近いかな。
私は日蓮が法華経を元にして、全く新しい宗教を作ったと見ています。
法孫悟空さん、家は真言宗智山派ですよ。もっともお盆とお彼岸の墓参り、葬式、
年回忌ぐらいしかつきあいはないですけどね。
日連の欠点は正しさにこだわっていること。これにつきると思うね。
また敵対組織だと疑って。何か用意してたな・・・。(-_-) 捕らえどころ無い相手だと困るのだろうか? マニュアルにしたがって話しを展開するのだろうか・・・。
釈迦は信仰を捨てよって言ってたジャン。 なのに釈迦を信仰しちゃったのがそもそもの間違いだべ。
>>362 あんたは結局、「仏典にこう書いてあるから真実だ」っていってるだけなんだよ。
もし仏典で輪廻などまったく語ってなかったら、ナンタラ博士の臨床例やらなんやらも信じないだろ。
372 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/13 22:30 ID:/i/ASLhf
>>371 御本尊に向かってお題目を上げると功徳があると、どの経典に書いてある
かという質問に対する法孫悟空さんの答え。
>法華経のなかに隠されている。その文低秘沈されている当体を御本尊として現したにすぎない。
これを言ったら何でもありなんだよね。そのくせ自分のことになると
はっきりとした文証を出せと、うるさいんだよ、ハイ。
373 :
919 :03/11/13 23:06 ID:???
ところでご本尊を拝むというのは仏教なんですかね?釈迦はそんなことは一言も言ってない と思うのだけれども。いつ頃からこういう風習ができたんでしょう?
age
>362 法孫悟空さん レスサンクスです。賛否はともかく立場は良くわかりました。 また、疑問点があれば質問させていただきます。
376 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/14 00:04 ID:S2Kt+yYh
お題目と同じようなものに、浄土系で唱えている念仏がある。この念仏については 阿弥陀仏が仏になる前に、48の誓願を立てこの誓願が実現しなければ悟りを開いて 仏にならないとした。この誓願の18番目に 設我得仏十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念若不生者不取正覚唯除五逆誹謗正法 たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。 というのがある。これが念仏を唱えると極楽浄土に生まれ変われる根拠となっている。 ところが御本尊に向かってお題目を上げると功徳があるとは、どの仏典にも明記され ていない。これは日蓮が勝手に作り上げたものであるからです。日蓮のことばを信じて 功徳を求めてお題目を上げるのは構わないけど、これを唯一正しい仏法であるとするこ とは、仏典上で釈迦が説いたという言葉がない限り、偽りと言うしかない。 したがって日蓮の教えはブッダの教えとは関係がないとするのが、私の見方です。
377 :
919 :03/11/14 00:21 ID:???
どうも釈迦の骨を納めた塔を拝むようになったのが起源みたいですね。仏教から派生した 一種の土着宗教みたいなもんでしょうか。釈迦を敬う気持ちはわからないでもないですが 釈迦の教えとは全く関係ない行為ですね。法を頼りとし自らを頼りとせよと教えているのに こともあろうに骨を拝んでそれで良しとしているとは・・釈迦も嘆いているでしょうね。
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/14 00:41 ID:4DYBfmDl
良い所だけ取って活用すれば、周囲に害及ぼすこと避けられるのだろうか そのような器用なことできるのかな、難しいね。
>>337 >その「仏」を歴史上実在のブッダに限定するのか、
>その後拡大して行く古代インド仏教徒の精神的基盤としてのブッダを指すのか、そこが問題だろう。
「その後拡大して行く古代インド仏教徒の精神的基盤としてのブッダ」ってどういうこと?
「歴史上実在のブッダ」じゃないブッダとはなんなのよ?
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/14 03:03 ID:4DYBfmDl
>>381 337がどういうつもりでいってるのかは知らんが
歴史上実在した人間としてのシャカとは別に「久遠の仏陀」という観念上の神を想定して
御都合主義的な屁理屈をつじつまあわせしてきたのが仏教。
まぁキリスト教におけるイエスだって歴史上の実在した人間イエスとは
ほとんど関係がなくなっているわけで、同じようなもんだがな。
337はキチガイの手前まで逝ってるのでまともな回答は期待しない方がいい。
>>380 日蓮の思想は法華経がどうのということが重要なのではなく、国家論であるところが
画期的だったわけ。だから信仰が個人の問題ではありえない。
左翼思想と同じ鬱陶しさはそこからくる。まぁ社会主義革命というのは?だが。
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/14 03:26 ID:3+2gStn9
ない。 そもそも、この板自体が「心と身体」ではなく「政治経済」の所に 割振られてるでしょ。 ホントは「文化」のオカルトに加えてもいいんだが・・
>>382 法華経の成り立ちそのものにインドの階級闘争が深く関係しているのだから、
それを利用して日本国家論に導こうとしたこと自体、今で言う社会主義革命。
もちろん資本論抜きでの例えとしての話だが・・・。
幻想で人々を煽り、理想国家を目指す形態のものは、
それが科学的社会主義であろうが、日蓮主義であろうが、ユダヤのシオニズムであろうが、
同じ落とし穴を持つ眉唾物として私は見るのです。そしてそれが真理であると。
385 :
382 :03/11/14 04:15 ID:???
>>384 喩えかよ。紛らわしいなぁ。まじでいってる人も実際いるので、もう少し注意して頂きたい。
しかし全体の主旨としては同意します。
>>385 敢えて''たとえ''としたのは、マルクスが後世の人物であるという理由以外は無い。
実際その理念を生む背景や過程はよく似ている。(既存する政治機構、宗教を否定)
ただ決定的に違うのは、日蓮がセッカチに外敵の脅威を予言するだけで、
権力システムごと乗っ取ることができると過信した勘違い野郎だったこと。
そして負け組となった日蓮が、その怨念を晴らすがために弟子に 宿した魂が今も尚燻り続けているわけだ。(藁 創価学会が「仏法は勝負、勝った!勝った!」とやたら言って騒ぐのは 怨念の作用かもな。(大藁 シオニスト達にも同様のことが言えるわけ。過去にどんな酷い目にあっても 自分達の理想郷こそが選ばれし人間の唯一の場所だという幻想を持ち続ける限り、 怨念は怨念を呼び、争いの種を世界にばらまいてしまう。 怨念とはいわば負から得た正のエネルギーで、そのエネルギーを放出すると、 またそこに負が生まれる。放出されたエネルギーが大きければ大きいほど、 怨念も巨大化する。これを繰り返すとキリがない。 やがては地球もろとも無としてしまうに違いないだろう。 人間はいつかこの悪夢から脱却しなければならないのに ほとんどの人間がそれに気づこうともしない。
笑い事じゃないだろ。 層化は実際権力システムを乗っ取りつつあるからな。日蓮の怨念おそろしやおそろしや。 怨念が言葉となり文書となって残っていくと、後世にまで影響を与えるのか。
>>387 面白い話ですね。
バブル崩壊以降の日本はもしかすると個人の執着心を抑制していくことによって
比較的円熟した社会に近づけるのかもしれない・・・観念的ですが、
言葉を借りれば、正と負の振幅を0に近づけていく(仏教で言う「空」か)流れにも
思えていました。
ただ、それで仮に日本が円熟した社会を構築できたとしてもそれでよしなのか。
国外に視点を向けたとき、他人事で済まされるのかどうか。
そこが日蓮の「四箇格言」と「元寇」の話に結びついてくるように思えます。
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/14 14:51 ID:LoHXOkQc
法華経自体がインドでもカルト的な仏教狂信集団の作り出した教典だとする 説がある。自己正当性・絶対性と排他性が法華経の特徴。 迫害されたり論破されたりするとそれは法難だといって自己正当化をますます 強くする。 その後法華経は仏教教典として認められるようになったが、いぜんとして 法華経信者の特徴は上記の通り。中国でも日本でもそう。 それがいちばん強く出ているのが日蓮宗。
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/14 14:53 ID:LoHXOkQc
狂信的法華信者には教典にある通りを信じて自らの身体を焼いて 仏に供養する者もいた。
392 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/14 15:26 ID:Qj8BTKOS
>>367 残すのも残さないのも同じこと
私は禅魔だよ
悟れなかったからって、魔呼ばわりは無いだろうが、日蓮よ
>>368 正しいも、正しく無いも同じことなんだけどね
>>387 >怨念とはいわば負から得た正のエネルギーで、そのエネルギーを放出すると、
>またそこに負が生まれる。放出されたエネルギーが大きければ大きいほど、
>怨念も巨大化する。これを繰り返すとキリがない。
>やがては地球もろとも無としてしまうに違いないだろう。
>人間はいつかこの悪夢から脱却しなければならないのに
その脱却の方法を提示したのが仏陀なのだけどね
その方法が仏法なのだけどね
四苦八苦の連鎖を乗り越えられるのかな、人類は
>>390 日蓮宗ではなくて、日蓮正宗だね、学会はその分派
法華経の間違いは、「法華経が仏陀が説きたかった本当の教えだ」と
書いてしまった点でしょうね、そうだとしても、それを書くことによって
仏陀から離れてしまうことに気づかなかった
読んだ人たちはその魅力に捕らわれてしまった
393 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/14 18:37 ID:9PaYc4Ki
>>392 Sbさんへ
日蓮も師の後を継いでくれる親鸞や道元のような弟子が欲しかった。
日蓮があまりに偉かったせいかそのような弟子が現れなかったのが、惜しい
ところです。親鸞や道元みたいに師の教えを純化させ、正邪、善悪の相対的
な評価の届かないところまで持っていける人が欲しいね。
創価学会はそのような相対的な評価に執着している。悪があるから善があ
るし、正があるから邪があるんだよね。自分の宗派が正しいと言うことは、多
くの邪教とされる宗派によって成り立っていることに気が付いていない。
これに気が付けは゛
>正しいも、正しく無いも同じことなんだけどね
と言うことが分かるんだけどね。
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/14 19:03 ID:oJzKxFrP
★11月、岩波文庫版 日蓮遺文集「日蓮文集」の重版が出ています。 漢文については、その書き下し文のみです。解説・注釈は付いています。 数年に一度の印刷で部数も少ないです。興味のある方は早めに! 日蓮遺文集でお値打ちは以下の本ですが、これはもう入手不可かも。 日本の名著8 「日蓮」 中央公論社 日蓮遺文集でお値打ちという意味では創価学会本が他を圧倒するのですが、 書棚に並べてみて、その背の文字が気にならない人にはお勧めでしょうか。 とは言え、その遺文に誰もが接することが出来るよう容易で安価に作って いることは一考に値するものがあると思います。 墓や戒名、教祖・宗祖の本は高いもの、というのは甚だしい心得違いでしょう。 その他;読者が選んだ〈私の好きな岩波文庫100〉 18位、75位 童話集 銀河鉄道の夜、 童話集 風の又三郎 解説に賢治と法華経、国柱会との関わりについても記されています。 26位 歎異抄 43位 ブッダのことば ― スッタニパータ ―
日蓮さんがだんだん器の小さい。だだのおっさんに見えてきた。 セクト集団派生させるし、その後の師弟の行動が総てを物語ってる。
私は学会2世(20代)の現学会批判者です。 そんでもって現学会は否定だけど前学会は肯定です。存在としてあり。(戸田まで。) 池田大作は早く死んでくださいと思っています。っていうか寿命でしょ。まぁ、大作さんは十分延命策 をとって生に執着する事を望みます。池田大作の葬儀と学会分裂が祭になるのを望んでいます。 まず、輪廻転生についての見解は、大衆がそんな事考えなくていいよと思っております。 どうしてそういうかと言えば、末法において聖人は生まれ変わる事がないって考えです。私は。 要は、輪廻転生って事自体、それこそ生への執着なのではないか?っていう思いが強いですね。 って事はわざわざ辛い末法に戻りたい仏がいるか?って事に考えにもなるしね。 まぁ、そういう意味で救世主を待つしかないよね。 ご本尊について。 基本的にご本尊は、祈る対象ではないと思っています。 私の認識ではご本尊は金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅の合わせもったような物っていう程度です。 月と太陽っていう解釈でもありですかね。陰と陽でもあり。(っていうかそうなっている・・・。本尊見ると。) 父と母でもありかな。(結局否定できない対象って事だよ。) まぁ、信仰している人間がそこに”世界のなりたち”を実感できるならアリかと。 そこで題目を200万遍唱えているのは笑い種でしょう。(なにも生産していないと実感。) 日蓮とブッタの関係について 難しいよな〜。これは。 大衆(特に労働者側)の為の仏法としての礎をきづいたのが、日蓮聖人だと思っております。 ただね。重用なのは、日蓮正宗は純粋な日蓮宗ではないって事なのね。 で、一応、日蓮正宗は日興聖人が礎をきづいたのね。 私個人は釈迦・日蓮・日興の流れを見ないと創価は見れないしと思っているし。 当事者の創価はこの3つを蔑ろしているし・・・。やりきれないし・・・。 私は今の、日蓮正宗は違うと思っているし(違うというよりある種の役目が終わったと感じる・・・。)
396の続き 一番問題なのは、法華経についての広宣流布って事なんだろうね。 あと、折伏っていう認識かな。 普通の大衆に学会員程度の人が広宣流布しちゃいけないって思っているよ。あと、折伏もね。 教育学会の時の学会はそれをある程度しっていたとは思う。 やっぱ馬に説法ってする方もされる方も辛いじゃん。 「なぜか知らんが法華経に出会えたけどいいんですか?」っていう状態の人に。 「うん近くなった。」 っていう事を伝えたかったのが日蓮なのではないかと。 「出会う状態になったら出会うよ法華経に」っていう感じでいいのではないかと思われ。 で、私の最終的な結論は「出会わなくてもいい人に強制的に法華経を伝える人は”罪”である」 よって創価は悪である。という結論です。 私も、ここにカキコしている段階で罪だと実感しています。いやはやまた遠くなったな〜と。
>>381 >「歴史上実在のブッダ」じゃないブッダとはなんなのよ?
原始仏教においても既に「ジャータカ」のような過去仏への言及があった。
未来仏への広がりも含め、ブッダは拡散してゆく。諸仏の出現である。
大乗仏教出現の土壌はそのようにして形成されたのだろう。
それは「偉大なるブッダ」が古代インドの仏教徒において精神的支柱として、
機能していたことをあらわすだろう。
逆に問うが歴史上実在のブッダ像をキミはどれくらい同定できるのかね?
>>382 >337はキチガイの手前まで逝ってるので
どこが?
399 :
法孫悟空 :03/11/14 22:16 ID:CBHWxSgX
>381 仏(菩薩)というのは釈迦だけじゃないの、仏典のなかで自身が説いているんだよ。 >382、384、386、387、388 あんたらの話が、怨念に聞こえるぞな、もしもし亀よ亀さんよ! そーいやー、あんたらの話で思いだしたぞなもし、 東工大の先生の「ユダヤのプロトコール」とかいうやつ、世界はユダヤに征服されているとか、アメリカの大統領もユダヤに操られてるとかさ しまいにゃオカルトになるんだよね。あれと同じ論理だね。まあ、妄想を膨らませてくださいな。 そのユダヤのホロコースト展を日本で唯一やることを許された、信頼をもらった団体が創価学会だから、ユダヤと創価学会が結託して世界征服するんだろなー 結局、あんたらは共産党と同じで批判だけだね。 ばかな論理だよ、先進国は社会主義、共産主義のまえに法治国家だよ! それからもう少し偏見を捨てて、日蓮の心を読んでごらん、日蓮は政治家じゃないんだよ、この意味が分かる?わかんねーだろなー。
400 :
法孫悟空 :03/11/14 22:30 ID:CBHWxSgX
>390 ほー! その話もうちっと聞きたいねー。っていかさー、今のインドの修行者って、何がおもしろくてそうしてるのか知らないけれど 右手を一生下ろさない人とかさー、後ろ向きに歩く人とかいるんだってさー、こっちのほうがカルトに思うぞ。 >391 どこに「身を焼け」って書いてあんの〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んばさー。 >396.397 さすが、学会二世だね。あっ!俺もそうだった。出会わなくてもいい人に無理やり伝えるのは罪ってさー出会わなくていいか悪いかどうやって判断すんのー 自分は無理やりなんて伝えてないしねー、学会と言ったとたんに目つきが変って、ものすごい攻撃する人もいるしね、何も言ってもやってもないのに、まあどっちもどっちだな。 興味があるからみんなここに来てんじゃないのー。 お疲れさま、来るものを拒まず、去るものを拒まず。だね。 さいなら〜〜〜〜〜〜〜〜!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ←荒らすなよ。 大概の人は、ヤバイ宗教か、直感で判断付くのだろう。 だから、弱った人間狙って取り付く。 殆どの民衆迷惑がってるよ。
>399 >日蓮は政治家じゃないんだよ、 そうだろうか?私たちは以外と宗教を信仰という観点だけで 「純粋」化しすぎているのではないか?過去の伝統仏教も 概ね、政治的理由があって普及している。つまり、同時代に 数ある宗派のうち、政治的、経済的、社会的必然性が認め られたものだけが淘汰されて歴史に残っているのでは? 発生の経緯には支配者側の要請と、庶民側の要請の二通り が、考えられる。聖徳太子(厩戸皇子)の場合、氏族社会の 解体を目標として上からの仏教の普及を促進している。 鎌倉期の状況についてはハッキリ調べてないが、大抵の鎌倉 仏教は庶民、特に町衆の支持により発生しているのでは? 当時の僧侶は漢籍に詳しく、外国(唐)の文化輸入に関わり、 大きな財を蓄えることで、政治的にも発言力を持っていたはず だが? 日蓮も大作なみに金持ちだったんじゃない?
完全にスレ違いになるんで、これは言っちゃいけないかも しれないが、一言だけ。 宗教を教義だけで判断するのは危険。オウム事件を思いだそう。
>402 スマソ ×私たちは以外と ○意外と でした
405 :
法孫悟空 :03/11/14 23:31 ID:CBHWxSgX
>372.376 お題目の功徳については御書のなかに「このご本尊全く余所に求む事なかれ、只我ら等衆生の法華経を 持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中におわしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり」 、、、とあるように題目の五字と第九識という阿麻羅識という根本の識、これを根本清浄識、無垢識ともいう、 これらの同一性というか関係をいう。 天台は十境十乗観法の修行によって第九識の奥低に至ろうとして説いた さらに「今経に之を開して一切衆生の心中の五仏性、五智の如来の種子と説けり是則ち妙法蓮華経の五字なり」 ともあるな五字というのは妙法蓮華経の五字で、五智とは第五、第六、第七(末那識)、第八(阿頼耶識)、第九識(阿麻羅識)で 題目を唱えることで第九識である阿麻羅識つまり九識心王真如の都である法界体性智という知恵が第八識を大円鏡智に転じ、第七識が 平等性智に第六識が妙観察智に転じる、つまり第九識(法界体性智)の顕現が第八識以前を智慧の光明で変革していくということ。 このことは十八円満抄にも問う一家には五智をたつるや、答う概に九識を立つ故に五智を立つべし、前の五識は成所作智、第六識は妙観察智 第七識は平等性智、第八識は大円鏡智、第九識は法界体性智なり、、、」 これらの五智と九識のことは天台の修禅寺決に説かれている。
406 :
法孫悟空 :03/11/14 23:33 ID:CBHWxSgX
さらに無量義経には「無量義とは一法より生ず」と説かれ、この一法より無量の義が生ずるということだがこの一法とは何か、それが法華経 に説かれた。 同じく十功徳品第三に「この微妙甚深無上大乗無量義経説きたもう。真実 であるから、もし人々が、この経を聞けば、大利益があり、そして修行すれば 早く無上正覚を生ずることができる。このように、この経は不思議であるから、もっと広く人々のために 甚深不思議の事を演べたまえ」とある。釈迦は、この経を如説修行すれば十不思議功徳があると説いている。 他にもあるよ、お邪魔しましたでした。
407 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/15 00:17 ID:aOhia1xz
>>400 法孫悟空さんへ
>どこに「身を焼け」って書いてあんの〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んばさー。
下の箇所が焼身供養について書いてあるところ。
妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三
汝等当一心念。我今供養。日月浄明徳仏舎利。作是後已。
即於八万四千塔前。燃百福荘厳臂。七万二千歳。而以供養。
無数求声聞衆。無量阿僧祇人。発阿耨多羅三藐三菩提心。
皆使得住。現一切色身三昧。
汝等当に一心に念ずべし、我今日月浄明徳仏の舎利を供養せん。
是の語を作し已って、即ち八万四千の塔の前に於て、百福荘厳の臂を燃すこ
と七万二千歳にして以て供養す。無数の声聞を求むる衆・無量阿僧祇の人をして、
阿耨多羅三藐三菩提の心を発さしめ、皆現一切色身三昧に住することを得せしむ。
岩波文庫 法華経(下)190ページ
408 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/15 00:23 ID:aOhia1xz
>>405 406
わたくしは仏典のどこに書いてあるかを、問題としているのですが。
日蓮さんの御書なら、私もいくらでもだせます。
>400 えっ?私なんか法悟空さんの困るような事書いたのかな〜。ごめんよ〜。 そんなつもりじゃないんだけど・・・。あっ、きっと凡人が「法華経語るな!」って っていう意味合いの文節にカチンときたのですかね。私は法悟空さんを応援してるのに・・・。 いやね。私がいいたいのは、僧と民衆との相違点は認識しているって事ですよ。私は。 まぁ、末法の世に僧という立場まともに成立しているのかしてないのかわからないけど・・・。 現代はたくさんの欲を刺激するのが多いですからね〜。僧を成立させるのも大変。 実際、日蓮批判をする人達がこのスレに実在するのは確かなので、それは やっぱ学会員もそうだけど鎌倉時代の僧と民衆を同じベクトルで図るのはいかがなものかと・・・。 (つまり、僧(聖職者)も民衆も政治家も企業家もフリーターも立場一緒っていう見解が納得いかない。) 比喩としていうと「出産の気持ちを男も体感しろ」って叫ぶ女の人ぐらいの感じ。(←こういうのオカルト主義なのかな?) だから、僧と政治家が一緒っていうのはどうだかな〜。日蓮を偉大な企業家としてみるのか みないのかっていう事自体が現代的な発想でしょ? 要は、創価学会が宗教法人の傘に隠れているのが民衆の大半(?)は気に食わないのでは。 優秀な企業としての創価学会だ〜。とか思ってる人もいるわけで・・・たぶん。金儲けの仕組みとかね。 現に集金の仕組みは日本ナンバー1でしょ。きっと。宗教法人である事を放棄したらある程度は理解して くれるかもしれませんよ。一般の人に。 あと、日蓮の国粋主義的な側面の事ね。その時代は権力者VS僧や僧VS僧はアリだったのでしょう。 きっと砕いて考えれば日本人のアイデンティティーの問題ね。ふむ、日本国に富士が無かったら寂しいだろうな〜。っていう感じ。 自分の生まれというか、故郷みたいなものをどう受け止めるか程度の問題なのでは? そりゃ、戦争を行う理由として国家だったり忠義だったりが必要なのだろうね。それで日蓮の教えが歪曲され利用されたの仕方がない。 ナショナリズムが悪かどうかなんて難しいよ。特攻兵の人達がナショナリズムで特攻していたなんて、それこそ後付けだと思うけど。
>400の続き あとは、「出会わなくても・・・」のくだりね。いや、人間に出会うなって一言も私は言っておりませんよ。 「法華経」に出会わなくてもいい人に無理矢理出会わせるのは”罪”っていっているわけで・・・。 ほっといても出会う人は出会うって書かれてなかったけ?それを言っているだけです。 法華経に出会うのは難しいって法華経自体もいっているのにな・・・。難解難入ってさ。 その部分を改めないと(学会が)理解はされないんじゃないの?金儲け集団と見られてもしかたないよ。 ちなみに牧口常三郎は宗教法人にしようなんて考えていなかったと思うけど。
焼身供養はひとつの譬えだろ。 その昔中国で実際に身を焼いた者もおるようだが。
412 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/15 01:18 ID:zSboSwNp
七一八年(養老二)制定の養老令の第七 僧尼令 第27条の 焚身捨身条 にこう書いてある。 僧尼は、焚身・捨身といった宗教行為を行うことはできない。もし違反した場合、また由来するところの者は、いずれも、律に依って科断すること。 このことから僧尼の焼身自殺、焼身供養があったことが分かる。
>>398 ますますもって意味不明であります。
「歴史上実在のブッダ」ってのはゴータマシッダールタのことでしょ。
そしてそのゴータマさんからこういう話を聞いたぜってのをまとめた(とされる)のが原始仏典だよね。
あなたの言う諸仏とは誰なの?
大乗経典の作者のこと?
もうちょっと具体的に書いて欲しい。
でないとわけわからん。
例えば原始仏典=ゴータマシッダールタの言ったこと(をまとめたもの)、としたら
大乗経典=なにになるの?
>>406 無量義経は偽経というのが有力な説だよ。
百歩譲って偽経でないとしてもそこから
「南無妙法蓮華経と曼荼羅に向かって唱えると功徳がある」
とは、少なくともオレには読み取れない。
てゆうかお前も「これはそういうことだ」って教えられたからそうだと思っているだけでしょ?
客観的に考えてみろ。
無理あり過ぎなんだよ。
>>414 偽経の定義は何?
それを言ったら釈尊の手によるものではないすべての経典は全部偽経になるのでは。
結局、学会は日蓮大聖人を本仏としているから
「ブッダとは関係ない」と言われてもそれほど差し支えはない。
大聖人がブッダの真意はこれだ、と言われたことを我々は信じるということ。
>>415 それこそ、それを言ったら、毎日あなたが勤行をあげているご本尊に「釈迦牟佛」って
書かれている事の説明ができないよ・・・。真ん中の南無妙法蓮華経以外の文字も直視してみたら?
>大聖人がブッタの真意はこれだ、と言われたことを我々は信じるということ。
それこそが、学会の創作だって思っちゃうよ。私は。だって幾らでも手を加えられるもん。
>「ブッタとは関係ない」と言われても差し支えはない。
きっと池田大作にとってはね。日興聖人はそういってるの?確認してみた?
あとね。御書について。 立正安国論とかは別にして。
よく学会の教学で引用されている”個人宛ての手紙”は”個人宛ての手紙”だって事に早く気がついた方がいいよ。
大聖人も生きていたらきっと安易に利用されていると思って迷惑していると思われ。可哀相だよ。
”個人宛ての手紙”を何千万人に見られて。(過去合計の推定)
ほんと、早く教育学会時代に戻ってほしいよ学会員。(切望) まぁ困難だよね、きっと。
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/15 07:56 ID:Eb8akhwY
既出ならごめん 釈迦は歴史上ひとり。 仏陀は理論上誰でもなれるわけだから、法華経書いた人(教団)もブッダなら、日蓮もブッダでいいわけだ。 もちろん大川総裁もね
419 :
415 :03/11/15 09:30 ID:???
>>416 「言われても仕方ない」と言ってるんだよ。
御本尊に「天照太神」と書いてあっても、神道根本なわけじゃないだろう?
学会では全部自分と世界に内在する「力用」を表している、と解釈されている。
そんな基本的な教学を知らずに、どうして創価教育学会が語れる?
君は世間の批難に怖気づいて迎合してるだけなんだよ。
「創価教育学会だったら理解してもらえるかも・・・」みたいな。
ある意味、その原理主義性を反省して戸田先生が「創価学会」に道を進めたんだ。
君は単に世間に日寄ってるだけだよ。
420 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/15 09:34 ID:OvZbT6zP
>>415 :ガカインですが さんへ
あなたの言っていることが、正しいです。
日蓮系では日蓮の言ったことが、そのまま信じられるかどうかが基本と
思っています。
>「ブッダとは関係ない」と言われてもそれほど差し支えはない。
大聖人がブッダの真意はこれだ、と言われたことを我々は信じるということ。
日蓮を上行菩薩あるいは自授用法身の本仏であると、信じられるかどうかと言
うことですね。
私はダメですけど、ハイ。
421 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/11/15 09:38 ID:hcUNLb9o
間違ってるよ。 日蓮宗=上行菩薩 日蓮正宗=カルト信者用自慰マスカキ本佛 と訂正してくれい。
↑日蓮狂徒の毎度の仲間割れ。似た者同士で罵倒を始める(w
423 :
415 :03/11/15 10:32 ID:???
>>422 それは反省すべき点かと思う・・・。
教義について論争するのは悪くはないと考えるけど、それが主になってはいけないね。
個人的には他宗派の勉強もしてみたいと思ってる。
424 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/15 10:40 ID:faOqgr2n
>>393 悪も善も同じこと、正も邪も同じ物
絶対も相対も同じこと
>>396 ,397
日蓮は乾いた糞掻き箆だよ
>>399 私はスルーかよ
>>415 信じてるんじゃない
依存しているんだよ
自分の足で歩かずにね
425 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/15 11:53 ID:jC/JoaaB
>>424 Sbさんへ
私は親鸞は他力を徹底的に突き詰めて、一即多、多即一の境地に
たどり着いたと思ってます。
426 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/15 11:55 ID:jC/JoaaB
>>415 さんへ
やっときちんとした学会員に会えてうれしいです。
>>419 さんへ
私は疑問を持ちましたよ。私は十数年間何に対して手を合わせてきたのか?
手を合わせるって行為は人間にとってどういう事を表しているのか?
>世間の批難に怖気づいて迎合しているだけだよ。
学会批判を聞いて怖気づいて学会を疑ったのではありません。決めつけはお家芸ですか?
なんせ学生時代に疑ったから。(社会に出る前に)。創価大学で中国語勉強する直前でしたよ。
一番の根幹は何を対象に我々凡夫は手を合わせているのか?ってところだと思っています。
例えば、食事をする前に手を合わせる。とか先祖の墓の前で手を合わせるとか。
で、問題は「選挙に勝て。」とか「希望を叶えろ」等の事に手を合わせる事は自然なのかどうかって事です。
いわんやあなたは、「世界平和を願っている」とでもいうのでしょうか?
私は手を合わせるって行為は”感謝の現れ”だと思っていますよ。親に対してとか、友人にたいしてとか、食事ができる幸せとか。
今、我々現代人のような生かされまくっている人たちには”感謝する”対象を見つけだすのも難しいんでしょうけど・・・。
>「創価教育学会だったら理解してもらえるかも・・・。」
それは思ってますよ。原理主義云々はおいといて創始者の創始理由は正しいと感じましたよ。
だから、なんで「創価”教育”学会」ができたのかを知りなよ。それは教学の範囲ではないって・・・。
始めに教学ありきじゃないよ。この団体は・・・。
>ご本尊に「天照太神」と書いてあっても、神童根本なわけじゃないだろ?
じゃ、なんの為に書いてあるの?疑問も持たないの?与えられた情報だけで満足しているの?
自分と世界に内在する「力用」ってなにさ?リアルじゃないよそれは。だから最初に戻れば、あなたは何を対象にして手を合わせているの?
あのさ、”教学勉強すれば解るって理屈は通用しない”って遠まわしに前置きしておいたのに・・・。
”個人宛ての手紙”は個人宛だって。日蓮からのあなた宛の手紙じゃないよ。
428 :
419 :03/11/15 13:20 ID:???
>>427 こちらの煽るようなレスはm(__)m。
ひとつ、「平和を願う」という想いが理解できないのなら、
学会の全部が理解できないんじゃないかな。
牧口先生の教育学もそれが出発点なのだから。
それは釈尊も日蓮大聖人も同じ。
真意を捉えられなければ、いくら教学を突き詰めてもだめなのは同意です。
429 :
415 :03/11/15 16:36 ID:???
>>426 恐縮です。
私には学が無いので、ここら辺で遁走します。(^^;
430 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/15 17:29 ID:faOqgr2n
>>429 遁走してどうするんだ
逃げちゃ駄目だよ
碇シンジ君がいる。。。。
432 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/15 17:43 ID:faOqgr2n
>>431 自分に言っているわけじゃないけど、
結構イイ!かも
逃げちゃ駄目なんだ!
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/15 17:51 ID:JAmhhg4t
池田豚作不名誉会長死ね! 世界人類の敵、豚作死ね!
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/15 17:52 ID:JAmhhg4t
池田豚作不名誉会長死ね! 世界人類の敵、豚作死ね!
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/15 17:53 ID:JAmhhg4t
池田豚作不名誉会長死ね! 世界人類の敵、豚作死ね!
436 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/15 20:32 ID:D63w9MBu
末法を信じない人には関係ないけど、日蓮は末法の世の中でも通用する釈 迦の教えを、新しく作り出したんだと思っている。 法孫悟空さんには意地悪したけど、経典上には日蓮の教えを正当化するも のは、何もない。 いろいろな仏や、菩薩が説いた教えを信じるのと違い、人間日蓮が説いた 教えを信じられるかどうかが、日蓮系の信仰の鍵だと思うね、ハイ。
>>413 >ますますもって意味不明であります。
インド仏教史の勉強でもしたらどうだ?
>例えば原始仏典=ゴータマシッダールタの言ったこと(をまとめたもの)
ずいぶん単純な図式だな。
原始仏典の中で真に実在のゴータマ・ブッダが述べた言葉である部分を、
キミはどれくらい抽出できるのだ?
原始仏典は各部派によって編集されているのだよ。
大乗仏典が登場したあとも新たな言葉を付け加えて増え続けていたのだ。
実在のゴータマ・ブッダがいった言葉だけを限定して示してくれ。
>大乗経典=なにになるの?
部派仏教への批判をベースにした人たちによって、
真にブッダであるならば、こう説くであろうと理念化され経典さ。
部派仏教では物事を実体する方向へと硬直化したグループもあったようだからね。
>>418 >337はキチガイの手前までしか逝ってないが
398はキチガイ。
だから、どこが?
>424 >信じてるんじゃない >依存しているんだよ 確かにそんな感じのガカーインは多いような 気がします。もし学会が解散ってなことに なった場合、依存している会員は右往左往 してパニくるだろうね。
依存抜け出せないものは、かたまり継続するんじゃないかなアーレフのように。 個で信心続けるというようなタイプではないので どうしても所属する集団がないと不安になると思う。 妙観やら怪しげなのが、取り込み狙ってやって来る。
>>437 妙に突っかかる書き方して嫌な感じ。
ぼやっとした要領を得ない文章だから意味不明って書いたんだよ。
>原始仏典の中で真に実在のゴータマ・ブッダが述べた言葉である部分を、
>キミはどれくらい抽出できるのだ?
別に原始仏典に書いてあること全てがゴータマの述べた言葉とはいっとらん。
原始仏典マンセーじゃないもん。
大昔のヒトの話だ、一言一句正確に伝わっているわけないだろ。
色々付け足しとか削除とかもあっただろそりゃ。
でもベースとしてはゴータマの述べた言葉なわけだよね。
んで大乗経典というのは君によると
>真にブッダであるならば、こう説くであろうと理念化され経典さ。
ってことだから、ベースが違うわけだな。
つまり
原始仏典=(基本的には)ゴータマの言ったことをまとめたもの
大乗経典=各経典の作者が想像したことを「ゴータマが言ったこと」として書いたもの
ということですね。
で「その後拡大して行く古代インド仏教徒の精神的基盤としてのブッダ」
というのは要は「想像上の架空のブッダ」ということか。
シンプルに書いてよ。
そういうものがブッダと関係あるのか、ましてやそういうものを元に新宗派を作った日蓮がブッダと関係あるのかといったら・・・
まあ信者以外は「関係ない」って思うんじゃないの?
ふつーに考えたら。
ほう。 ではブッダなくして大乗仏典はあったのかね? 関係があるだろう。 歴史上のブッダがなければ大乗も日蓮もありえない。
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/16 08:01 ID:UOnVwHQK
要は原始経典と法華経とにどれだけ共通点があるか、精神を受け継いでいるか。
てことを検証してみないと
>>1 に対する答えは見つからないんじゃない野?
ブッダも日蓮も死んでいる今となっては、仏典、教典、御書の 真意など聞けるわけもなく、読む側の解釈次第だね。 タイムマシンで、現代につれて来ることが出来たら 自分の教えがいかに歪曲されて伝わっていることに驚愕するかもね。
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/16 09:21 ID:UOnVwHQK
↑まずタイムマシンに驚愕すると思う。
鎌倉期の仏教は、貴族階級から武士→庶民へ移行する時期。 釈迦仏教は己が悟りを開くことを目的とする教えであるのに対し、 当時唐から積極的に持ち込まれた密教は、対人的目的に使用されると言い切って (・∀・)イイ!でしょう。 私はその起源は原始ユダヤ密教にあるとおもっちょるんですが・・・ でも元々の日本神にも密教的要素がフンダンにあり、その共通点に初めて気づき アプローチしたのが空海じゃ〜なかったのでしょうか? 日本では平安以降それが仏教(仏の教えと姿を変え)の中に成りすましたワケ。 最近はやりの陰陽道は大陸からきた説が一般的だが、私は輸入されたのは 天文・暦法と言った学問であり、それと元から存在する呪術的なものが組み合わさり 体系化したものと考えちょるです。 空海のアプローチが皇室安泰であったのに対し、日蓮は逆の民衆革命路線と見ることができる。 (わしゃこれを勝手に宗教的社会主義革命と呼ぶ) そして自体がその性質を持つ密教「法華経」に着目し、具現化しようとした「政治革命家」。 日蓮にとっての「法華経」とは、レーニンにとっての「マルクス資本論」と言ってもえーのでは? 逆転すれば科学的社会主義思想も「マルクス資本論」を経典とした立派な宗教なのだー(w 続きはまた気が向いたときにカキコするだ(^.^/~~~
age
447 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/16 12:09 ID:nvgKu6le
>>443 筒井康隆さんがそのような趣旨の小説を書いているよ。
『末世法華経』(新潮文庫、『笑うな』所収)
あらすじを書いておくと
日蓮が現代にタイムスリップしてくる。そこで現在の創価学会(戸田会長時代)の集会に参加するが、自分の説いた教えと余りにも違うために、怒りの演説をする。が、創価学会員たちによってボコボコにされ(共産党と言われて)建物の外に放り出されてしまう。
>>441 ブッダなくしても大乗仏教はあったよ。
もともと大乗仏教ってのは中央アジアの方からきたヘレニズム的万教一元化運動が
それ以前からあった仏教をとりこんだもの。
>>445 密教の本質は国家論。日蓮は大陸の密教史とは無関係に独自の考えだけで
大陸のいわゆる「後期密教」に相当するものに辿りついた。
信仰という形式になってしまった時点でどれもこれも釈迦とは無関係です。
>>441 じゃあ例えばあなたが田中さんだとして、誰かが「田中ならこう言うね」と想像して書いたものが
「田中語録」として世に出回ったらどうよ?
「あれはおれには関係ない」って思うだろ?
そういうこと。
>>448 >ブッダなくしても大乗仏教はあったよ。
もともと大乗仏教ってのは中央アジアの方からきたヘレニズム的万教一元化運動が
それ以前からあった仏教をとりこんだもの。
ちょっと強引だな。
ヘレニズム文化の北インドへの流入が大乗成立へ影響力を持ったことは事実だろうが、
それは土壌として仏教があったからこそ、そこへ影響を及ぼすという現象も起きたのだ。
第一ヘレニズム的万教一元化運動とやらだけで、
空や縁起を強調して部派仏教を攻撃した初期大乗運動は成立するものなのかね?
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/16 22:37 ID:38p+rwi+
>>450 おいおい、比べているレベルが卑近すぎないか?
例えばその田中さんが、教えを説き、それが教団を形成し、田中さん死後100
年経ってその教えをもとに語録が編集され、その語録が様々な田中さん教の部
派内でその後何百年かに渡って改変されその解釈をめぐって硬直化し、そにれ
たいして、いや田中さんはそのような硬直化したことを言いたかったのでもや
りたかったのでもなく、こう言うことをいいたかったのだ、というグループが
「偉大なる田中さん」像を掲げて新しい運動を起こしたのだとしたら、オレは
それを田中さんと無関係とは思わないがな?
つーか、もう一度言っておこう。インド仏教史を学んでみてくれ。
ちと古いが『バウッダ・佛教・』(中村元/三枝充悳著 小学館)をお勧めする。
100年どころではない600年以上たって 権力者の意図をもって編集された。
455 :
法孫悟空 :03/11/17 00:39 ID:F3q/5nTX
>454 なんであんたにそんなこと分かる? 珍説だな、そうでないのなら説明してくれ。 また振り出しだ、 そもそも実在の釈迦が言ったことが、どれを指すのか、分からないのだよ。 原始仏典だって2〜300年後に記されたものだ、300年、口伝えで伝わったものなら600年だって伝わるよ、分からんか! 大体、八万四千法蔵ってどれくらいあると思う、これを見たらとても一人が言ったことじゃない位のことは誰だって分かると思う、 大乗非仏説なんて言ったのは、江戸時代からだろ、何故それ以前に問題にされなかったか、考えてみろよ。 解明不可能で無意味(われわれにはそう思える)、仏は悟っているので何が真実か分かっていたか、だろう。 、、、天台をみてごらん、全ての教えを体系づけて、何が言いたいのか、真実は何かを論理的に思考している。 矛盾がない(どうでもいい比喩は除いて、その大意をつかんでる)。さらにその裏づけとして禅定によって確かめている。 今の人間よりも格段に霊的な力、直観力が優れていたと思われる。
>霊的な力、直観力が優れていたと思われる。 学会員さんの仏法とやら 霊という話しが出てくる自体、次元が違うので 話しが噛み合わないと思うのだが
457 :
法孫悟空 :03/11/17 01:04 ID:F3q/5nTX
>407 それは薬王菩薩が法華経を聞いて、一心に仏を求めて修行し、一万二千年後に「現一切色身三昧」という境涯を得た そのことに対しての報恩として、六波羅蜜の布施、その最高の供養として身を焼いた。 その灯明は千二百年燃え続けた。 われわれ迷える凡夫は暗闇を歩いているようなものでその暗闇を照らす灯火であり、そのともしびは智慧のことだ。 この六波羅蜜は菩薩の歴劫修行であり、末法である今は「六波羅蜜、自然に在前」と説かれているように 意味がないの。 身を焼けなんてどこにも書いてないだろが、ちなみに千二百年間という年代がおもしろいというのは、灯し続けた千二百年間というのは正法時代で その後は像法時代だ、ということは釈迦在世の衆生ではなく、釈迦の教えでは不十分で天台の摩訶止観が必要であることとも一致している。
458 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/17 01:16 ID:p2Vel51h
>>412 で書いたとおり、法律で取り締まらなくてはならないほど、当時の日本では
焼身供養、捨身が行われていたと言うことです。でもよく調べましたね。
459 :
法孫悟空 :03/11/17 01:33 ID:F3q/5nTX
>410 それはあなたの勝手な解釈でしょう。 >408.414 だから無量義経、十功徳品、にその一法、その功徳。天台の修禅寺決に文低秘沈が説かれているって言ってるでしょ。 そんじゃさー聞くけど、釈迦は何で悟ったの、禅定だろうが、その禅定と九識心王真如の都との関係は すごくよく理解できるぞ、天台だってその最深層心理であるところの「九識心王真如の都」に迫ったんだろう そこに識を持っていければ本当の悟りが得られるわけだよ。 ところがその禅定とは、至難のわざ、とても現代人ができるものではない。 それと「闘じょう堅固、白法隠没」、それと「東方に小国有りその中に唯大乗の種姓のみ有り」の文が 新たな仏法の予見につながり、文低秘沈の独一本門である妙法蓮華経を説くことになる。
無量義経、持ち出してくるとは思わんかった。 学会の教学か?かなり危ういな・・・。
>>452 仏説と思ってきたものが実はそうじゃなかった、でも今まで信じてきたことを今更否定できない、
ってんでそういう説明で納得してる、つか納得したいんでしょ。
最初から仏説じゃないということが明らかになっていたとしたら、あなたは果たして信じたの?
「ブッダと関係がある」って果たして思えたのか?
ふつーに考えてみな。
463 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/17 02:41 ID:p2Vel51h
>>442 共通点じゃないけど、人々を苦しみから解放しようと
する精神は同じだと思う。
大乗仏教になって初めて説かれたものに「菩薩」がある。
これこそ、余の説く第三の真理「滅諦」である。それによって、人は間違いなく解放される
のだ。この道を実行してこそ、解放があるからである。シャーリプトラよ、かれらは何から
解放されるのか。迷妄から解放されるのだ。しかし、いずれにせよ、かれらは完全に解放さ
れたのではない。「かれらは『さとり』の境地に達していない」と、この世の指導者は言う。
余は何故にその人の解放を語らないのか。彼が、この上なく勝れた「さとり」に到達してい
ないからである。
(岩波文庫 法華経上 方便品205ページ)
初期仏教では悟ることが目的であったが、法華経では譬え悟っても、この上な
く勝れた「さとり」に達しているとはいえないというのです。
教えの王者として、人を安楽ならしめるために、この世に生まれるのが、余の望みなのだ。
これが、シャーリプトラよ、余が最後に今日説く教えの根本なのだ。神々と世間の人々の
幸福のために、その教えを四方八方に説き示せ。
(方便品207ページ)
この世において、慈しみと平静な修行に努めて専念し、仏の位に到達しうる確信を得た仏の
息子たちが、このような丈の低い木と言われる。転がりかえることのないしゃりんを回しつ
づけ、神通力を発揮して、
巧みに幾千万という多くの人間を苦しみから解放させる人が、実に高い木といわれる。・・
・この教えの神髄は常に世間の幸福のためであり、この教えによって世間のすべての者を満
足させるのだ。
(同上「薬草喩品」281.283ぺージ)
自分一人が悟って満足するのではなく、多くの人間を苦しみから解放させるため
仏の教えを説き広めること(菩薩行)を法華経は求めているのです。
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/17 07:57 ID:YQSZa8ed
>>447 たしか日蓮は御書の言葉で、学会の非を責めてたな。
筒井、いじわる
折伏鬼
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=8031 志茂田景樹がまだまともな作家だったころの作品で、志茂田自身の体験をもとに
書いた小説。
創価学会は聖護道会、戸田城聖は多田皓聖、池田大作は河田大介の名で登場する
自伝的小説ってことになってるが、これ全編内部暴露そのもの。
もう絶版になっていて、単行本の古書価は5000円、文庫本でも程度がいいもの
だと2000円以上もする。
皆で復刊コムに投票して復刊させよう!
>>463 >人々を苦しみから解放しようとする精神は同じだと思う。
そこまで大雑把にしちゃったらキリスト教もイスラム教もみんな同じだろ
>455 >今の人間よりも格段に霊的な力、直観力が優れていたと思われる。 過去の社会をあまりにも理想化することは危険。 また、歴史や社会から教義を切り離して純化しすぎることも危険。 法孫悟空さんにかぎらず、仏法をそれ独自で評価する姿勢には個人的に は大きく疑問。 大乗仏典に現れる「ブッタ」が、現代において原始仏典にも詳しい現代人の 我々にとって奇異に映るのは、自然なのでは? むしろ過去において、各宗派の限られた情報のもとで信仰を養った人々に は我々にとってブッタを思えないようなものがブッダに見えていた。 その背景には教義の整合性以上に、僧侶達の知識、資本、政治力といった 「俗世」的権威が大きな意味をもっていたのではないだろうか? そうした意味において層化は「正しく大乗」であると思うのだが……。 またそうした歴史は「歴史」として否定も肯定もできないと思うのだが……。 いささかスレ違いスマソ
教学に霊が出てきても、学会員だだら許す(w
469 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/17 20:14 ID:udnhu+hw
法華経の方便品に次のように説かれている。 入滅した仏たちの遺骨に供え物を捧げ、 宝玉づくりの幾千の塔や、金・銀および水晶の塔を建立した人々、 緑玉の塔を、猫目石・真珠づくりの塔を、また極上の瑠璃ならびに青玉の塔を 誰かが建立するとき、かれらはすべて「さとり」に到達するであろう。 ・・・子供たちが遊戯の際に、そこここに、小石づくりの塚を作り、 仏たちのために供養塔とするとき、これらの人々は、すべて「さとり」に到達するであろう。 ・・・誰かが七宝づくりの、あるいは銅または真鍮で、仏たちの像を作らせるとき、 かれらはすべて「さとり」に到着するであろう。 ・・・壁に、四肢が完全で幾百の福相のある像を、みずから描く人々も、 あるいは描かせる人々も、かれらはすべて「さとり」に到達するであろう。 ・・・また、如来たちの遺骨に、あるいは塔廟に、あるいは土偶の像に、 また壁あるいは粘土づくりの塔に像を描き、香 と華とを手向けた人々も・・・かれらはすべて「さとり」に到達するであろう。 ・・・また仏たちに供養するために、歌を甘く、また美しく歌っても、 仏たちの遺骨にほんのわずかのことをしたり、ただ一種の楽器を奏でさせただけでも ・・・かれらはすべて、この世で仏となるであろう。 ・・・塔に合掌するだけでも、それが完全な形であれ、ほんのちょっと片手を挙げただけにせよ、 また、ほんの一瞬頭を下げただけでも、また、ただ一度身体を屈めただけでも、 遺骨の安置された場所で、そのとき「仏を礼拝し奉る」と一言いえば、 取り乱した心で一言いっても、かれらはすべて、この最勝の「さとり」を得よう。 これらは全て初期仏教で、ブッダが悟りへの道ではないとして、否定したものです。 でもこれらを機縁として、釈迦本来の教えに触れれば、それは悟りへの道として認め られると言うのが、法華経の立場です。
470 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/17 20:15 ID:udnhu+hw
同じく方便品から、 余(ブッダ)が三乗の乗物(それぞれの人に必要な方便としての様々な教え)を約束するのは、 余(ブッダ)の言うところの巧みな手段である。 しかし、乗物はひとつ、方法もひとつである。 そして、ほとけの教えもひとつである。 全ての教えは縁起の法によって、一つに繋がっていて誰でも悟りを開いて仏に 成れるというのが、法華経の一乗の思想です。 そしてこのことを説いた法華経に触れて信じることが、完全な悟りに近づく 道だというのです。 法師品より 其れ衆生の仏道を求むる者あって、是の法華経を若しは見、若しは聞き、 聞き已って信解し受持せば、当に知るべし、是の人は阿耨多羅三藐三菩提 に近づくことを得たり。 法華経は、経典である法華経自体への信仰を求めているのが特徴です。
471 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/17 20:41 ID:udnhu+hw
>>467 普通、宗教は始め神話の時代があってだんだんと現実的な話に移っ
ていく。
しかし仏教は始めに現実的なブッダの教えがあり、ブッダが亡く
なった後次々と神格化されて、神話の世界に入っていってしまった。
法華経なんかまるで仏教神話の世界だもんね、ハイ。
>>471 そうですね、そこが仏教の不思議なところですね。
>>455 >そもそも実在の釈迦が言ったことが、どれを指すのか、分からないのだよ。
大乗非仏説ってこと?
>原始仏典だって2〜300年後に記されたものだ、300年、口伝えで伝わったものなら600年だって伝わるよ、分からんか!
ん?大乗仏説ってこと?
>大体、八万四千法蔵ってどれくらいあると思う、これを見たらとても一人が言ったことじゃない位のことは誰だって分かると思う、
あれ?やっぱ大乗非仏説?
どっちなんだよ。
支離滅裂だよ。
考えを整理してから書き込め。
それに句読点のうち方なんとかなんないの?
あんたの文章非常に読みづらいよ。
474 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/17 23:48 ID:wRMYUpYP
>>459 法孫悟空さんへ
悪いけど、ちょっとチャチャ入れさせて貰うね。
>だから無量義経、十功徳品、にその一法、その功徳。天台の修禅寺決に文低秘沈が説かれているって言ってるでしょ。
まず無量義経は中国で創作された偽経と言う有力な学説がある。
その理由は、サンスクリット本が無い点、訳語の不統一、文体の中
国臭によるものである。
(横超慧日『法華思想の研究』)による。
次に「修善寺決」については、最澄が唐の貞元24年に中国の天台
山の修善寺で師匠の道ズイから伝えられた法門を記したとされている。
ところが最澄が日本に帰ってきたのは805年(貞元21年)で、さ
らに貞元はこの21年で終わっている。
このように偽物の経典、文書でもって正しいと主張されても、私は
同意出来かねます、ハイ。
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/18 01:28 ID:q3NidS+9
>>462 なんだかずいぶん勝手な解釈だな。
いつどこでオレがキミの言う通りな思考経路をたどったのか示してもらおうか?
ふつーに考えてな?
>>469 >これらは全て初期仏教で、ブッダが悟りへの道ではないとして、否定したものです。
どのあたりでいっている?
とりあえず『スッタニパータ』からの引用で答えてくれたまえ。
結局さぁ、本尊拝んで題目唱えるのが仏教なの? ってことよ。これに端的に答えていただきたい。 ついでに浄土門のみなさんには念仏を唱えるのが仏教なのか? をお聞きしたい。 禅宗の皆様には座禅を組むのが仏教なのか? 律宗の皆様には戒律を守ることが? 仏教って、つまるところなに?
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/18 07:40 ID:KoLSajHv
>>476 南無阿弥陀仏
一言でも唱えとけば、臨終のとき瞬時に阿弥陀様が極楽に100%連れていってくれます。
三途の川もエンマも関係ありません。
死後は阿弥陀様におまかせ。
人生を楽しんで精一杯生きましょう。
ちなみに、死後が極楽だからシャバは地獄だ。つー考え方は、鎌倉時代に終わってるから。
死ぬも地獄生きるも地獄、みたいな貧乏国家の人民はどーすりゃいいんだ?
宗教はそのためにある。もし世界から宗教が一掃されたら、酒や麻薬の消費量が増える だろうな。
>>477 ありがたいお話だしなにより楽でいいんですが、いまいち実感がわかないんですよね。
座禅組んで実際に心を落ち着けるんなら、今、この今生で実感できます。
題目唱えてお金が入ってくるならw、実感できます。ほんとならね。
でも死後極楽へと言われても、なにより実感にかけるんですよね。もし浄土門のみなさまが言われるのが仏教なら、なんとも実感にかけるんですよ。
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/18 11:09 ID:KoLSajHv
>>478 浄土系なら死んだら極楽(藁
生き地獄はどこの国?
貧乏国家は宗教ではよくなりません。
あくまで教育と当を得た経済政策のみ。
宗教国家や思想国家で豊かになったところがあったら、教えてください。
思想国家?んー、京三主義のつもり
禅宗の皆様には座禅を組むのが仏教なのか? >>そうでつよ?只管打坐(しかんたざ)って座ることで仏界が現れまつ 仏教って、つまるところなに?>>仏さまになるための現世で修行ですな(笑
>>479 >宗教はそのためにある。もし世界から宗教が一掃されたら、
>酒や麻薬の消費量が増えるだろうな。
なにを根拠にそう言えてしまうのか解りませんが、
それならもし初めから宗教なんて無かったら?
と考えれば、何世紀にもわたるキリスト教徒とイスラム教徒の殺し合いや、
ユダヤ人迫害もなくて済んだと言えませんか?
宗教はこの為にある?その為にある?どの為にある?・・・実にばかばかしいよ!
宗教という名のもとでいったい何人の貧困が救われた?
そして宗教という名のもとでいったいどれぐらいの血を流してきたんだ??
深く考えて書いたものじゃないにしろ、そう短絡的に宗教の有益性を説かれたら
むかつくんだな、なぜか・・悪いが。。
(何も宗教者すべてを否定はしません。ストイックな修業者には共感することも多いですが・・)
宗教と一言でいいまつけど根本はヒトでつよ 南無(-人-) そのために日蓮上人は十界互具を説かれたんです。 そして一念三千につながるんですよ
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/18 12:10 ID:KoLSajHv
>>480 、ごめんね477の私見だから。
たぶん極楽を確信させる方法論とかあるんだろうが、個人的に必要な氏。
ためしに一回唱えてご覧、極楽行けるよ?
486 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/18 12:41 ID:77bKz7b4
原始仏教でブッダが説いたのは、苦しさや困難に出会った時どうするか、これを 克服する方法を具体的に述べたのです。 ところがこの方法を実際に適用して身につけるのより、方法そのもの、または方法 を身につけた人を崇拝するようになってしまったのです。 試験でよい点を取るには、一生懸命勉強するしかないのです。商売繁盛を願うには 一心不乱に仕事に打ち込むしかないのです。 テストで悪い点を取ったり、商売がうまくいかない時は、必ず何か悪い元になる原 因が有ると教えてます。その原因を見つけ解消することが、うまくいくコツだという のがブッダ本来の教えなのです。 当たり前のことを、当たり前に説くお釈迦様。
487 :
阿呆陀羅經 ◆lumF7rJyeY :03/11/18 12:45 ID:3k0syq+S
宗教板の原始佛教スレの住人です。上の方の輪廻論議を読んだ所見を少々…。 原始佛典に散見される十難あるいは十四難の無記を、輪廻の有無に直接関連づ けて読むことは不適切ではないかと思います。輪廻の自覚とそれからの解脱は 佛教を基礎づける思想であり実践の指針であるわけで、これを抜きに佛教を語 ることは不可能だと考えます。しかしながら、その「輪廻」とは安まることなく 三界六道を経巡る現在の自己の迷いの生存の様相を示すものであり、生物学的 死を機軸とした「転生」とは峻別すべきでありましょう。このような「転生」やそ の主体に関してブッダは一貫して「無記」の姿勢をとったわけです。 原始佛典を読む場合、以下の事に注意すべきと思います。次第説法あるいは対 機説法の手法に留意すること。またそこで説かれる六道の衆生を近代的な生物 などの分類範疇と考えないこと。そして経典そのものを伝来した部派による改 変や加上増広を受けたものであるということを忘れない事、等々です。
>>484 根本は人だというんだったら、
日蓮用語、法華経用語を淡々と並べるだけじゃなくて
万人にも理解できるように努力専科!
おまいみたいな閉鎖的自己マン=ゲキョゲキョ信者が一番のくせ者なんだよ。(わら
新興宗教の温床
490 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/18 23:23 ID:XEoKgoqn
>>475 さんへ
>どのあたりでいっている?
>とりあえず『スッタニパータ』からの引用で答えてくれたまえ。
はい、よ。
927
わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法と夢占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、
懐妊術や医術を行ったりしてはならぬ。
1043
ブンナカさんがたずねた。「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って、
参りました。仙人や常の人々や王族やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのか?
先生! あなたにおたずねします。それをわたしに説いて下さい。」
1044
師(ブッダ)は答えた。「ブンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々
に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げた
のである。」
1045
ブンナカさんが言った。「先生! およそこの世で仙人や常の人々や王族やバラモンが盛んに神々に犠
牲を捧げましたが、祭祀の道において怠らなかったかれらは、生と老衰をのり超えたのでしょうか? わ
が親愛なる友よ。あなたにおたずねします。それをわたしに説いて下さい。」
1046
師(ブッダ)は答えた。「ブンナカよ。かれらは希望し、称賛し、熱望して、献供する。利益を得ること
によって、欲望を達成しようと望んでいるのである。供儀に専念している者どもは、この世の生存を貪って
やまない。かれらは生と老衰をのり超えていない、とわたしは説く。」
これらが占いや呪術、祭司について述べているところです。
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/18 23:26 ID:+f2KjJF+
>>486 ブッダへの礼拝は既に『スッタニパータ』においても言及されている。
仏・法・僧への帰依(三宝帰依)は大乗よりも前に原始仏教において成立していたはず。
仏教徒として大事な行為だから法華経などでも推奨されているのだろう。
原始仏教だけは別、などとゆがめた主張はしないで欲しい。
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/18 23:39 ID:Uq2j6Ct7
>>490 ブッダへの礼拝は占いでも、呪術でもない。神々への供儀でもない。
『スッタニパータ』236
われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、
神々と人間とのつかえるこのように完成した<目ざめた人>(ブッダ)を礼拝しよう。幸せであれ。
これに続いて<教え>と<つどい>への礼拝が説かれる。
大乗非仏。すべてはそこからスタートすべき。 この前提をひっくりかえしてごちゃごちゃ逝ってる椰子はカルト電波。
494 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/19 01:44 ID:Wkv2+9S3
>>491 .
>>492 さんへ
「自燈明、法燈明」は、釈尊が入滅(死亡)される直前の説法において出てくる言葉である。パーリ長部経典「大般涅槃経」に説かれている。
インド各地を説法してまわっておられた釈尊が、ヴェーサーリあたりにおられた。その時、釈尊は、病気になり、説法を請うたアーナンダに語られた言葉の中に、次の語がある。
「なんじらは、ここに自からを燈明とし、自らを依所として、他人を依所とせず、
法を燈明とし、法を依所として、他を依所とせずして住するがよい。」
釈尊が生きておられるうちは、釈尊に依存する(依所とする)者もいたであろう。しかし、釈尊のなき後は、「自ら」と「法」を燈明、依所とせよ、と示された。
ブッダが死んだ後の遺体の始末についての阿難の質問に対して、釈尊は、
阿難よ、お前たちは如来の遺骨の供養に関わるな。お前たちは、最高善に邁進せよ。最高
善を実行せよ。最高善に向かい怠らず、勤め、専念せよ。阿難よ、王族たちバラモンたち資
産者たちで如来に対し清らかな信をいだいている人々、彼等が如来の遺骨の供養をなすで
あろう。( 大般涅槃経 第5章10節、南伝7・p.126)
遺体の始末は在家の人たちに任せて、出家者は修行に精進せよと説いている。
495 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/19 01:48 ID:Wkv2+9S3
>>491 >原始仏教だけは別、などとゆがめた主張はしないで欲しい。
あなたと違う見方、あなたと違う信仰の仕方をしている人がいると
言うことを、分かって欲しい。皆が皆、同じ信仰をしているわけでは
ないのです。
496 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/19 18:32 ID:MOKTu3zM
後でつっこまれると嫌なので
>>494 の後の文にはつづきがある。
アーナンダは、修行完成者の遺体の対して質問をしますと、釈尊は出家者には
「遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな」と修行に専念すようさとし、如来に対し
て特に深い崇敬の念を懐いている賢者たちが王族やバラモン資産家などの中にい
るので、彼らにまかすように指示します。またアーナンダが遺体の取り扱いにつ
いて質問すると、「世界を支配する帝王(転輪聖王)の葬法にならって扱うがよ
い」とし、具体的には、――
アーナンダよ。世界を支配する帝王の遺体を新しい布で包む。新しい布で包んでから、
次に打ってときほごした綿で包む。打ってときほごした綿で包んでから、次に新しい布で
もって包む。このようなしかたで世界を支配する帝王の遺体五百重に包んで、それから鉄
の油槽に入れ、他の鉄の油槽で覆い、あらゆる香料を含む薪の堆積をつくって、世界を支
配する帝王の遺体を火葬に付する。そうして四つ辻に、世界を支配する帝王のストゥーパ
をつくる。アーナンダよ。世界を支配する帝王の遺体に対しては、このように処理するの
である。
アーナンダよ。世界を支配する帝王の遺体を処理するのと同じように、修行完成者の遺
体を処理すべきである。四つ辻に、修行完成者のストゥーパをつくるべきである。誰であ
ろうと、そこに花輪または香料または顔料をささげて礼拝し、また心を清らかにして信ず
る人々には、長いあいだ利益と幸せとが起るであろう。
こうした方法でストゥーパ(塔もしくは塚)をつくって拝むに値するのは
四種の人々で、その四種とは『如来、尊敬されるべき人、正しいさとりを得
た人』、『独りでさとりを得た人(独覚)』、『如来の弟子(声聞)』、『
転輪聖王』であり、どういう理由でストゥーパの建立に値するかというと
「これは、かの修行完成者・真人・正しくさとりを開いたひとのストゥーパである」と思って
、多くの人は心が浄まる。かれらはそこで心が浄まって、死後に、身体が壊れてのちに、善い
ところ・天の世界に生れる。
497 :
法孫悟空 :03/11/19 20:25 ID:A3wi+ovS
>473 その前にあなたは読解力を養ったほうがいいよ。ななめ読みしたって大意はつかめるよ。 わたしが言いたいのは原始仏典も大乗も両方とも仏説が混在としていて、釈迦が言ったことがどこの部分を指すかは分からないということだ。 釈迦在世には紙も鉛筆も文字もなかった(厳密にはあった)。われわれがすぐに鉛筆で紙にメモするようなことはないということ。意味分かる? 全て口頭、口伝えということ、釈迦が言ったことを直接記録したものはない、2〜300年もたってから記録した。 経典によっては数百年もかかって完成した経典もある、初めと終わりが百年、二百年の隔たりがあるものもある。 つまり300年後に記録された仏説もあれば600年後にきろくされた仏説だってあるだろうといってるんだ。 473は分かったかな、疲れるから変な反論してくれるな。 さらに大本の原典というのは壺の中に入っていたパピルスのようなものに書かれていたもの。この原典の数はかなり少ないそうだ。 大体こんなもの2500年も残っていること自体めずらしい、コピーだってないからね。 ほとんどの原典というのが写本、原典が何百年かたってボロボロになったので書写したものだね。
498 :
法孫悟空 :03/11/19 20:30 ID:A3wi+ovS
>474 まず無量義経は中国で創作された偽経と言う有力な学説がある。 >その理由は、サンスクリット本が無い点、訳語の不統一、文体の中国臭によるものである 「偽経」というとすぐにそのことに反応しますが、内容を把握しなで判断をくだすのはどうかと思いますね。 梵語の原典がないということですが、原典がないというのがそれほど重要でしょうか? 中国では梵語からの翻訳を完成させると、その漢訳ばかりを読んで原典を顧みなかったことがあげられます。 したがって梵語の原典の多くはないはずです。 さらに翻訳僧は原典だけで訳したわけではなく、インドで記憶してきたものを訳したこともあるそうです。 先に説明したように原典は少なく、ほとんどは写本じゃないでしょうか。 「文体の中国臭」というのはよく分かりませんね。だって漢訳なんだから、初めから中国語ですよ、中国語の表現が中国臭なのは当たり前だーな。 次の天台の修禅寺決については、たしかにいろいろあるようですね。 しかしここで説かれた五智と九識の関係は竜樹の「大智度論」とも関係があります。 日蓮も「竜樹、天親、知ってしかも拾い出ださず、唯、天台の智者のみ知れり、、、」たしかこんなかんじで述べていた通り 妙法蓮華経の五字と九識心王真如の都のことは竜樹、天親、天台、伝教それぞれに関係している、決して日蓮一人が言ったことではない。 ところで、このような疑問をもつときりがないね。芸術でも原典主義というのはよくいわれるが、これを突き詰めると袋小路の迷路だ。
>無量義経は中国で創作された偽経と言う有力な学説 でなくて、ほぼ確定してるような気がするが。 だからといって、無量義経が悪いとするものではない。 学会員が正しいとしてよく用いられる根拠 前提条件が、根本から倒壊してる現在 もう一度作り直した方がよいかと
自分の無根拠な宗教的信念を優先して学問の成果を平気でねじ曲げて何とも思わないのは すでにカルト狂信者の証し。
>498法孫悟空さん 疑問点を一つ…… >だって漢訳なんだから、初めから中国語ですよ、中国語 >の表現が中国臭なのは当たり前だーな。 >内容を把握しなで判断をくだすのはどうかと思いますね。 >梵語の原典がないということですが、原典がないというの >がそれほど重要でしょうか?中国では梵語からの翻訳を >完成させると、その漢訳ばかりを読んで原典を顧みなかっ >たことがあげられます。 パーリ語、チベット語から漢訳している仏典も多いと聞きま すが?その場合、サンスクリット語からの訳と違いが出る のでは? さらに、現代日本語でも「翻訳」と「創作」では、わりと簡単に 文体の違いは見分けられるものだけど……。漢訳だから中 国語というのは余りにも単純。
>>494 「自燈明、法燈明」はブッダが世を去ったあとに弟子たちがもうブッダに教え
を請うことができない、という動揺があるであろうことを察して、自分がこれ
までに説いてきた法がすべてであり、それによって自らが主体的に修行を進め
てゆくことを説いたもの。礼拝の禁止ではないと思うが?
もうひとつ大きなことをキミは見落としていると思うのだが、法華経を含めて
大乗仏典は在家を視野に入れて説かれているものだ。キミの引用からも分かる
ように、在家者がブッダを供養することは推奨されている。その方法まで示さ
れている。大乗が硬直化した部派仏教に対する批判運動であったとすれば、当
然在家に軸を据えた説き方となるであろう。であるならば原始仏教において推
奨されていたブッダ礼拝・供養が大乗において否定されるわけがない。
>>495 >あなたと違う見方、あなたと違う信仰の仕方をしている人がいると
言うことを、分かって欲しい。
その言葉をキミにそのままお返ししよう。
大乗をまさに仏説として見、信仰を営んでいる人たちがいることを、受け止めていただきたい。
>大乗をまさに仏説として見、信仰を営んでいる人たちがいることを、受け止めていただきたい。 つまり異教徒とは話したくないと。自分の論理の破綻を指摘されるのが辛いから。 漏れも、地球平面説を信じる自由が万人に認められるとは思うよ。
>>503 >つまり異教徒とは話したくないと。
いつオレがそんなことを言った?
>自分の論理の破綻を指摘されるのが辛いから。
オレの論理のどこが破綻している? 教えてくれ。
オレは原始仏教をタテにとって大乗非仏説をのたまう輩が嫌いなだけだ。
493 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メェル:sage 投稿日:03/11/19 00:51 ID:??? 大乗非仏。すべてはそこからスタートすべき。 この前提をひっくりかえしてごちゃごちゃ逝ってる椰子はカルト電波。
>>475 >なんだかずいぶん勝手な解釈だな。
>いつどこでオレがキミの言う通りな思考経路をたどったのか示してもらおうか?
>ふつーに考えてな?
だって実際そうでしょ?
層化かなんかの信者なんでしょ?
自分の信じてきたものはそう簡単に否定できないんだよ。
言ってみればそれまでの自分の人生を否定することになってしまうから。
だからハタからみたら正直強引な理論も受け入れてしまうと。
だって「偉大なるブッダ」がどーのこーのといったってさ、要は「偽物」じゃん。
誰か知らないが釈迦じゃない人の考えを仏説と偽って世に出すのはやはり良くないと思うんだよね。
いくら立派なことがかいてあったとしてもさ。
彼らは心が痛まなかったのかと思うよ。
人間として何とも思わなかったのかな?
あなたはその辺どう思うのよ?
>>506 いつオレが創価だといった?
大体キミらは歴史をなんだと思っているのだ。
ちゃんとインド仏教史に目を通していれば大乗非仏説などという、
およそ不毛で実りのない主張はしないものだ。
仏教が原始仏教で終わっていたらいかに思想的貧困であることか。
508 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/20 09:45 ID:2m831Lf1
大乗だろうが、原始仏教だろうが、小乗だろうが、一乗だろうが、二乗だろうが 仏教の根本は 生きていくうえでの「苦」をどのように乗り越えるかってこと 書かれている世界観や、神、仏も その方便に過ぎない 方便は根本に非ず 根本の為に方便があると知るべし この経にうんたら書かれているから、などというのは 本末転倒 仏の道とは、「苦」を乗り越えて生きていく道 自分を生きていく道 業を受けとめていく道
大乗非仏=原始仏教マンセ−だと思い込んでるドキュンがいるな(w
510 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/20 11:21 ID:+kmW+aKE
本気でサッカーを上手になろうとしたら、中田やベッカムの写真を拝むより 実際に二人の練習方法や考え方を身につけた方が効果があると思うんだけど。 なぜか仏教ではこの考え方が通用しないみたい。
511 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/20 16:46 ID:2m831Lf1
512 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/20 17:58 ID:e9EXo81o
>>510 ロベルト=バッジオ(元イタリア代表)は創価学会員。
513 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/20 18:02 ID:DB5zrLFO
Sbさんへ 道元のこの言葉を思い出しました。 「語録を見て何の役に立つか」 「故国に帰って人を教化するためです」 「それが何の役に立つのか」 「衆生に利益を与えるためです」 「それは結局のところ 何の役に立つのか」
514 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/20 20:56 ID:4aOgsEgS
>>512 お題目がまるっきり役に立たないと、いうわけではないんだな、ウーム。
旬を過ぎたサッカー選手しか出てこないな。 世界で通用する有名人・芸能人は、ほとんどクリスチャン。 学会系芸能人は「WHO?」世界で通用しないのばかり。
>>515 漏れは反学会だが、そういうことで宗教を評価するのは違うと思う。
学会憎しで道理を曲げたり屁理屈を総動員するのは学会の物真似に陥る。
そんなことをしなくても学会の破綻を明らかにしたり批判したりするのはいくらでもできること。
517 :
? :03/11/20 22:05 ID:???
>>507 一言忠告したいんだけど、
「ちゃんとインド仏教史に目を通していれば」っていい訳はかっこ
悪いからやめたほうがイイよ。
なんでも言えちゃうからね。
「ちゃんと原始仏教勉強しいてれば…」
「ちゃんと御書よんでれば…」
人を納得させるってそんな甘いものじゃないよ。その程度のレス
しか書けないならココに来るなよ。
>>510 話を逸らすな。
原始仏教と大乗仏教の関係の話をしているのだ。
サッカーの話などしていない。
仏教を軽蔑したいなら原始仏教ごと軽蔑したらどうだ?
>>517 分かった。
もうそのような表現を使うことはやめよう。
>>507 原始仏教マンセーというより、釈迦のオリジナルの教説を探ろうとすると原始仏教を重視しない
わけにはいかない。日蓮にしたってそうだが、宗派の開祖と呼ばれる人は釈迦の真意はどこに
あったのかってのが出発点だろう。
今日テレビでやってたが、坊さんが焼き肉を食い、医者に止められるほど酒を飲み、あげくに
飲み屋のネーチャンと一緒にカラオケ歌ってるなんてのが今の日本の仏教の現実だもんな。
思想的に豊かなのかどうか知らないが、そんなことが許されるほど大乗仏教は世俗化してる
わけで、それに対する拒否反応として原始仏教に学んでみようと思うのは自然なことだと思う
のだが。
>>507 >仏教が原始仏教で終わっていたらいかに思想的貧困であることか。
仏教が仮に思想的に貧困だったとして、何かまずいわけ?
先に結論ありきじゃまともな議論になるわけがない。
これだから狂信者との対話は不毛に終わるんだよ。
>>519 オレもそれちょっと見たが、気分悪くなってチャンネル変えた。
特に、占いみたいなことをやってるのには、正直萎えた。
522 :
法孫悟空 :03/11/21 10:04 ID:YaS/6tay
>499 その根拠は横超慧日の「法華思想の研究」でしょうか? 現在、それを否定する論文がでていないからでしょうか? いずれにしても、法華経を理解する上で重要な経典であることは間違いないでしょう。 そしてそのことは、その経典の作者も天台のような仏としての悟りから説いたものということです。 >501 そのようです。般若心経などもいろいろな種類の訳本があります。 そもそも梵語(サンスクリット語)の原典は限られていて、ほとんどが写本ということを理解したほうがいいよ。 オリジナルではないということ。 その写本がしかも2〜300年もたってから記録されたもので、本当に釈迦が語ったものかなんて考えたら 分からないよ、誰も(原始仏典のこと)。 考古学みてごらんよ、捏造事件があったけれど数日前に埋めたものと太古のものと判断できないんだよ。 あれは驚きだよ。教科書にまで載ったことが実は捏造だったんだからねー。 あくまでこれが一番信頼できるだろう、ということでしょ。 だいたいさー何度も言ってるけど、300年後に記録されたものが釈迦が言ったことで、600年後に記録されたものが釈迦が言ったことではないというのはどうみたって納得できないなー。 ネット検索だけではその辺のところが詳しく論じているものが皆無なんだにゃー。 それよりも内容が問題だと思う、たとえ大乗が釈迦以外の菩薩たちの作だとしても、その内容は原始仏典をちゃんと踏まえてあるあるぞ。 竜樹は初め原始仏典をよりどころとした大論者だ。 かりに釈迦が実際に言ったことを記録したものではなくても大乗は原始仏典をしっかりと理解し悟っているといえる。 この当たりのことは誰がなんと言っても私の言っていることが正しいぞ。
523 :
法孫悟空 :03/11/21 10:04 ID:YaS/6tay
それからブッダ(仏陀)という原語は「悟った人」を意味することばであって、実在の釈迦一人のことを指すことばではない。 さらに歴史的事実として仏教以前の宗教であるバラモンの聖典であるヴェーダ経典などは数百年にわたって複数の聖者によって発展、展開されていったものです。 仏教がその影響を受けたのは事実であるから、当時の人々の感覚としては当然のことと思われる。 現在のわれわれが大乗非仏説なんて論争していること自体、もし釈迦やその時代の仏教者が聞いたら不思議に思うぞ。 言っておくけど屁理屈じゃないよ! あんたらの言っていることのほうが屁理屈だな。
寺和田
宗教板逝けや、オメーラ
526 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/21 10:17 ID:qxxBX6sG
>>513 はははははは
流石だ、道元さんは
>>522 法孫悟空さん
いつまで、私をスルーするんだい?
>法華経を理解する上で重要な経典 これは無理があるんでね? 書かれた時期から考えて無量義経は鳩摩羅什が訳した「妙法蓮華経」の前振り 部分として書かれたと思うんだよね(これは想像やけど)。 無量義経なくても別に法華経読む分には何も困らんよ。 単に「中身の無い薬の効能書きだけ」のような法華経に「更に誇大広告のおまけ」 をつけてみた。それが無量義経だと考える方が楽。 勿論誇大広告してるだけで中身の説明が全くない無量義経は、「間違いなく法華経 を理解する」為のものには成り得るけどね(繰り返すけど法華経自身、自画自賛 の雨霰で中身なんか全くないから)。
創価学会員は法華経なんか読まないだろ?
529 :
法孫悟空 :03/11/21 10:24 ID:YaS/6tay
>生きていくうえでの「苦」をどのように乗り越えるかってこと sbさんそのあたりを議論しようよ。 どのように苦が乗り越えられるのでしょうか? >実際に二人の練習方法や考え方を身につけた方が効果があると思うんだけど。 >なぜか仏教ではこの考え方が通用しないみたい。 仏教は理論と実践の両方を重んじるのではないでしょうか。 天台は北伝、南伝仏教を同じ理由で批判してますよね。 お邪魔しますさんも、その練習方法はなんなのか教えて下さい。(苦を乗り越える方法。)
おや法孫悟空さん、だいぶまとも(冗談w)噛み合わなかった 争点のズレなくなり近くなってきましたなw そうなると、学会員が言われる 釈迦が言いました。& 釈迦が本当に言いたかったのは、 この経典であり、他は、これを伝えるための方便である。 というのは、どのような見解になりますか?
>>522-523 >その写本がしかも2〜300年もたってから記録されたもので、
>本当に釈迦が語ったものかなんて考えたら分からないよ、誰も(原始仏典のこと)。
原始仏典でさえシャカの直説かどうかがわからないのに
それより後世にできた大乗仏典に対して
>それよりも内容が問題だと思う、たとえ大乗が釈迦以外の菩薩たちの作だとしても、
>その内容は原始仏典をちゃんと踏まえてあるあるぞ。
>竜樹は初め原始仏典をよりどころとした大論者だ。 かりに釈迦が実際に言ったことを
>記録したものではなくても大乗は原始仏典をしっかりと理解し悟っているといえる。
などと言えるのはどういうわけ?狂気の垂れ流しにしか見えませんがね。
>歴史的事実として仏教以前の宗教であるバラモンの聖典であるヴェーダ経典などは
>数百年にわたって複数の聖者によって発展、展開されていったものです。
>仏教がその影響を受けたのは事実であるから、当時の人々の感覚としては当然のことと思われる。
>現在のわれわれが大乗非仏説なんて論争していること自体、
>もし釈迦やその時代の仏教者が聞いたら不思議に思うぞ。
3行めは意味不明だがまぁ1〜3行めはいいとしよう。
でもそれががどうして4〜5行めにつながるのか文脈がわからない。
当時の人々の感覚が大乗非仏の是非となんの関係があるんですか?
>言っておくけど屁理屈じゃないよ! あんたらの言っていることのほうが屁理屈だな。
>この当たりのことは誰がなんと言っても私の言っていることが正しいぞ。
屁理屈だろ、明らかに。
あなたの個人的・宗教的な信念の堅さには興味がない。
アホにみえるからそういう言い方はやめた方がいいね。
アホとか、バカとか、感情で相手を罵ったりするのは、 できるだけ、このスレでは止めた方がよいでつ。 でないと、また言い争いだけでぐちゃぐちゃになってまいます。。。
533 :
531 :03/11/21 10:43 ID:???
>>520 >仏教が仮に思想的に貧困だったとして、何かまずいわけ?
。。。。
「貧困」という感覚は違うと思う。
華言経。般若心教ーーこれらは、複雑な面とか精神性は、一見複雑だ。
法華経ーーこれRは、文学作品としても、思想的にも深遠かもしれない。
しかし、原始仏教経典に見られる、実際に生きた釈尊の様子(説法)を伝えていない。
釈尊は、自らの説法を文字には遺さなかった。したがって、後に編集された原始仏教経典ンも釈尊の直説とは言い難い。それでも、経典編集にあたった仏教徒達は、口称で、かなり正確に記憶して、次世代に伝えたに違い無い。
特に、スッパニタータなどの古い経典は、ありし日の釈尊を彷彿させる。スイランカなどでは、祭り、結婚式などで、読まれているという。
釈尊の教えは、現代に生きているのだ。==そこには、人類が岐路に立たされたよきに、立ち戻るべき「人間のあるべき姿」が説かれている。
そういう意味で、原始仏教は、根本仏教と呼ばれるのが相応しい。
535 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/21 12:44 ID:RBNLSYqL
無量義経が問題とされるのは、その中に書かれた「四十余年未顕真実」と言う一文があり、 これによって、法華経が釈迦の直説とする「法華経正意論」の根拠になっているからである。 『仏御年七十二の年摩竭提国霊鷲山と申す山にして無量義経をとかせ給いしに四十余年の経経を あげて枝葉をば其の中におさめて四十余年未顕真実と打消し給うは此なり』(開目抄上) このように日蓮は「法華経は釈迦の直説である」と言う立場で教えを説いている。「法 華経正意論」が崩れると日蓮の説いた教義の大半が通用しないことになる。だから学会で は無量義経が偽物とする考えを、否定しているのです。 また学会では 『なお、権教が釈尊の本意の教義でないことは、釈尊自身、法華経の開経である無量義経で 「四十余年には未だ真実を顕さず」として、法華経以前の経文は真実でないと断わっており、 また法華経は、すでに説いた教え、今説いている教え、また将来説くであろうところの教え のなかで最第一であると、法華経法師品で明言してます。 このことも動かすことのできない明証であるといえましょう』 (創価学会教学部『創価学会入門』(1998年) このように釈迦自身が法華経が最高と説いているとして、折伏の武器に使ってきた経緯が ある。そしてこれが学会の説く仏法が唯一正しい仏法であり、他宗を邪教と呼んできた、根 拠でもある。
536 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/21 13:46 ID:RBNLSYqL
ま、私としては法華経をブッダが直接説いてないとしても、全ての教えを束ねる経 典(万善同帰経)としての法華経の価値は変わらないとしています。それよりも、正 しくないと批判されると、すぐ噛みつく体質の方が問題です。それに「正しい」と証 明されなければ「正しい」と言えないのは、本当に「正しい」と言えるかどうか。 親鸞の言葉に、このようなものがあります。 「この親鸞、たとい法然上人にだまされて地獄に堕ちてもさらに、後 悔はないのだ。助かる縁、微塵なりともある親鸞ならば、だまされ て地獄に堕ちた、という後悔もあろう。だがのお、金輪際、助かる 縁の絶え果てた親鸞、地獄へ堕ちて当然 」 たとえ自分の信じる道が正しかろうが、間違っていようが、私にはこれしかないの だ、と言う考えの方が、常に「間違っている」「正しくない」と言われるのじゃないか とビクついているより、悟りに近いのではないかと思います。
げ yurikoが来た こいつが来ると平気でスレを私物化するからなぁ
>全ての教えを束ねる経 >典(万善同帰経)としての法華経の価値は変わらないとしています 信念としていってるだけっしょ? 他の人がどう思うかは関係ないよね、信念なら。 真面目な話、このスレの参加者は教相判釈にも興味ないと思うよ。 だってあんなもん、ただの『経典オレ的ランキング』でしかないじゃん。 そんなもんを有難がって拝聴する奴の気がしれん。 >それよりも、正 >しくないと批判されると、すぐ噛みつく体質の方が問題です これについては全く同意。 同意なんだが、その体質は富士門系には非常に色濃く残ってるよな。 もうあの連中はほっとくしかないんじゃないのか? >それに「正しい」と証 >明されなければ「正しい」と言えないのは、本当に「正しい」と言えるかどうか 真理値と証明可能値は同値ではない。証明などできなくても正しい事は 確かにある(不完全性定理T)。あるが、だからといって「これは正しいん だけど証明はできないから」といってなんでもかんでも反証不能な事を言 い散らかし言いたい放題なんでもあり、ってのは非常に問題。 反証された事は反証された事として素直に取り下げれば何も問題は起きな かった。現在の富士門をめぐる問題の数々は反証された事(特に日蓮本仏論) をいつまでたっても取り下げない宗門や創価学会の責任が重大だ。
そうそう、法華正意論もな>反証された事 これもとっとと引っ込めればいい。 冷静な奴は「いつまでいってんだ?」としか思わないぞ。
長年に渡る東西の仏教学界の蓄積を無視して
自分の信念だけを垂れ流す「大乗厨」にはウンザリだね。
>>534 原始仏教と根本仏教は厳密にいうと意味が微妙にちがいますよ。
シャカの直説が原始仏典から抽出しうるという前提を置く宗教的な立場が「根本仏教」。
シャカの直説が原始仏典から抽出しうるかどうかを事前には決めつけないが
概念的にブラックボックスとして仮定する学問的な立場が「原始仏教」。
たいていの場合、ほとんど同義に使われていることが多いけど。
>概念的にブラックボックスとして仮定する学問的な立場が「原始仏教」。 原始仏教or根本仏教スレになったのかw まぁともかくこのスタンスを明解に言明したのがオズレーなんだろうな。彼の 言い分を引用してみよう。 ------------------------------------------------------------- 無知な迷信によって祀られた祭壇を降りたブッダは素晴らしい哲学者であり、 人類の幸福のために生まれた賢者だった 現在残された文献は神話的な装飾に満ちているが、その資料からかならず 哲学者ブッダに相応しい合理的・知的体系が抽出できる -------------------------------------------------------------- 日本の仏教学も基本的には変わらない。このベクトルを決めたのは和辻哲郎 でいいんかな?(いいんだろうか?)彼の言い分も引用してみよう。 ------------------------------------------------------------ 我々はあの大きい思想潮流の源泉として一人の偉大な宗教家があったという 以上にその人物の内生や思想を規定しようとは望まず、ただ我々に与えられ たる資料の内にいかなる思想が存しそれがいかなる開展を示しているかを理解 せんとするのみである。 ------------------------------------------------------------- 結果として現在の文献偏重主義のスタンスが作られた。これは副次的な 作用として、「仏教学が仏教に影響を与える(極論新しい仏教文化を作り出す) 」風潮を生み出したと言える。 今後どうなるか判らないが少なくとも現在のところは良い方向に動いていると 考えられる。
542 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/21 20:33 ID:hkEw/ToB
初期仏教でブッダが目指したものは、「苦」からの解放であった。 これは「苦」を受けないと言うことではなく、「苦」を受けて、深く思い悩んだり、ノイ ローゼに落ち込んだり、仕事や勉強が手に着かなくなったり、果ては自殺などにならない ようにしようと言うことです。 このためには「苦」をしっかり見つめ(苦諦)、その「苦」が何から起こることをはっ きりとさせ(集諦)、「苦」の素となる原因を滅する(滅諦)正しい道(道諦)を取れば よいと教えています。この道諦を具体的に述べたのが八正道です。 この四諦、八正道をしっかりと体得することが悟りとされ、初期仏教の究極の目的なの です。 このことは初期経典にも、はっきりと書かれています。 「さとれる者(=仏)と真理のことわり(=法)と聖者の集い (=僧)とに帰依する人は、正しい智慧をもって、四つの尊い 真理を見る。――すなわち(1)苦しみと、(2)苦しみの成り 立ちと、(3)苦しみの超克と、(4)苦しみの終滅におもむく八 つの尊い道(八聖道)とを(見る)。」 (ダンマパダ190、191) 「苦しみを知り、また苦しみの生起するもとを知り、また苦し みのすべて残りなく滅びるところを知り、また苦しみの消滅に達す る道を知った人々、かれらは、心の解脱を具現し、また智慧の解脱 を具現する。かれらは(輪廻を)終滅させることができる。かれら は生と老いとを受けることがない。」 (スッタニパ−タ726,727 ) 理屈としては簡単ですが、これを実際に身につけるには自ら体験し、その効果を確かめることの 積み重ねが必要とされています。
543 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/21 20:51 ID:hkEw/ToB
なぜか法華経に行くと、初期仏教に戻されてしまうので、もう一回法華経に行きます。 法華経では上に述べた四諦、八正道の教えが六波羅蜜よりも低く扱われ、四諦、八正道を 会得した声聞は二乗の輩として一乗の教えを実行する菩薩よりも低く取り扱われている。 さらにこの教えを説いたブッダ自身も、「久遠実成の仏陀」に比べて低い地位におかれて いる。
544 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/21 21:07 ID:hkEw/ToB
初期仏教では『スッタニパータ』927 「わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法と夢占いと星占いとを 行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術や医術を行っ たりしてはならぬ。」 (アタルヴァ・ヴェーダはバラモン教の聖典の一つで除魔・攘災の呪詞を伝えている) とあるように呪術は禁じられていた。 ところが法華経では『陀羅尼品』を設けて堂々と呪文を説き、終章『普賢菩薩勧発品』 でも重ねて説いている。また『陀羅尼品』における 「世尊よ、われ今、当に説法者に陀羅尼呪を与えて、以って之を守護すべし」 「世尊よ、われも亦、法華経を読誦し受持する者を擁護らんがために、陀羅尼を説かん。」 など、呪文に頼って教えを説くことなどは、初期仏教では行っていない。
545 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/21 21:17 ID:hkEw/ToB
法華経は釈迦が直接説いたとされているのにも関わらず、『常不軽菩薩品』には 「…正法滅して後、像法の中において、増上慢の比丘に大勢力あり。」 とあり、『安楽行品』には 「…如来の滅後に、末法の中において、この経を説かんと欲せば、 応に安楽行(容易な行)に住すべし。」 とある。このように「法華経」は釈迦滅後五〇〇年から一〇〇〇年たった像法から 末法の中にあることを説いている。
546 :
法孫悟空 :03/11/21 22:59 ID:YaS/6tay
>538 真面目な話、このスレの参加者は教相判釈にも興味ないと思うよ。 >だってあんなもん、ただの『経典オレ的ランキング』でしかないじゃん。 あなたも本当のところは何も分かっていないね。 正直私も大乗非仏説の本当の意味がよく分からない、天台の教相判釈が間違えという本当の意味は、おそらくは 大乗が釈迦が直接説いたものではなく別の仏が説いたものであろうことを前提にこの教相判釈が成り立たないという意味だと思うぞ。 その前提を考えなければこの教相判釈は成立する。 もっと勉強しないと理解できないようなのでしょうがないな。 >535 無量義経で説かれた「四十余年未顕真実」や「無量義とは一法より生ず」の文はたとえこの経が釈迦の直説でないとしてもその意味は崩れはしない。 たとえ経文に説かれていなくても、法華経を理解すればおのずとそのことが分かる。 「舎利佛よ、私は成仏してよりこのかた衆生を導くために種々の因縁、種々の比喩をもって広く教えを演説し、また無数の方便をもって衆生を引導して、多くの執着を離れさせてきたのである。 、、、舎利佛、かさねて説くことはやめよう。そのわけは、仏の成就した法は、最上の稀有の法であって悟ることが難しい法だからである。ただ仏と仏のみ が、すく諸法の実相を極め尽くされているのである。それはいわゆる、諸法の是くの如きの、、、(以下、十如是が説かれる。) 」その後、寿量品に入り弟子の願い「釈尊よ、どうか願わくは、その真実にしてあきらかな教えを説いてください。」 を三度にわたり問い、四度目の問いでついに釈尊は重い口を開いた。 「あなたがたよ、今あきらかによく聞きなさい。如来の偉大なる秘密神通の力を。、、、」 まさに四十余年の間、方便を説き、今真実の法を説こうとしているではないか。 >542 以降は大変興味深い内容です。
>天台の教相判釈が間違えという本当の意味は、 間違え?間違えもクソも無いだろ つか、マジで言ってるの?ギャグだろ?
548 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/11/21 23:14 ID:yac885ci
>>547 馬鹿はつまらない合いの手をいれるなつ〜〜の。
>>519 原始仏教を軽視などしていない。
それ以外は仏教ではないといわんばかりの大乗非仏説を軽蔑しているだけだ。
そのテレビの話はよくわからんな。そんなやつのことを俺は好きではないが?
大乗やっているから不摂生になりましたって? そんなの自分の責任だしな。
>>520 とりあえず原始も大乗も仏教と言うことだ。
>>534 まあな。貧困という表現はオレも間違ったと思うよ。
貧困なのは大乗非仏説という貧しい発想のことだな。
>>536 >ま、私としては法華経をブッダが直接説いてないとしても、全ての教えを束ねる経
典(万善同帰経)としての法華経の価値は変わらないとしています。
ほう。キミは法華経を評価していたのか。喜ばしいことだ。
少し態度を改めねばならんな。原始仏教マンセーなやつだと思っていたわい。
>>543 >法華経では上に述べた四諦、八正道の教えが六波羅蜜よりも低く扱われ、四諦、八正道を
会得した声聞は二乗の輩として一乗の教えを実行する菩薩よりも低く取り扱われている。
そう断言してしまっていいのか?一仏乗は、菩薩道という位置づけか?
むしろ、二乗も菩薩道も結局は一仏乗を説くためのそれぞれの道筋に過ぎない
と、法華経では言っているのではないか?その意味では法華経はそれ以前に先
行した般若経典類において主張された二乗不成仏を乗り越え二乗成仏への道筋
をつけた大乗経典として評価されるべきなのではないのか?
>さらにこの教えを説いたブッダ自身も、「久遠実成の仏陀」に比べて低い地位におかれて
いる。
それは変な解釈だろう?
久遠実成のブッダとはまさにこの教えを説いたブッダなのだからな。
それらは別々に考えて比較されるような個別のものではない。
それらは一体の存在だろう?
>>544 オレは「アタルヴァ・ヴェーダの呪法と夢占いと星占い」と陀羅尼(総持)が
同じものかどうか知らん。陀羅尼は筆記によらない初期仏教において暗誦によ
る記憶が強く保持するように精神集中のために行われていたのだろう。それが
記憶保持の神秘性と結び付いて呪術的なものとなったのだろうな。
>>545 法華経の時間概念を普通の尺度で測らん方がいいだろうな。
久遠実成という昔から弟子を育成しているようなブッダのことだ。
自分の死後も常に霊山で教えを説き続けていると言ってしまうようなブッダだ。
もうこれは法身というようなイメージで捉えなければなるまいて。
三身論への展開を踏まえるべきであろうな。
>>548 それは自分に言ってくれ
時々トンデモ発言してる事気付いてるか?
>>546 あのね、教相判釋って当時中国で立宗する時の一つの習慣みたいなもの
だったんよ。つーても実際にやったのは法華と華厳ぐらいみたいやけどね
(今に残ってるのがその二つだけ、ってことだけど)。弘法大師もやってるだろ?
法華の教判を正しい、って言うんなら華厳のそれも正しいって事になるし、
弘法大士のそれも正しいって事になる。「オレ的ランキングに過ぎない」って
のはそう言う事なんよ。
その辺のこと全然知らんで書込してるとしか思えんぞ
>>546 は
>>549 「大乗非仏説は貧困な発想」という発想こそどうかと思うがね。
「釈迦の教え」と言いながら実は別の人の教えだったんだから
「そんなもんに意味あるのか」と思うのも自然なことだろ。
「大乗仏教は釈迦の直説ではない、故に価値が無い」という考えと
「大乗仏教は釈迦の直説ではない、しかし価値はある」という考えに優劣があるのか?
結局自分と対立する意見を貧困と言ってるだけ。
見苦しい。
>>553 はあ?
>「大乗仏教は釈迦の直説ではない、故に価値が無い」という考えと
>「大乗仏教は釈迦の直説ではない、しかし価値はある」という考えに優劣があるのか?
オレは「大乗仏教は釈迦の直説ではない、故に価値が無い」に腹を立て、
「大乗仏教は釈迦の直説ではない、しかし価値はある」を主張しているのだ。
大乗以降その影響を受けたすべての文化を価値がないと否定でもする気か?
バカらしい。
555 :
法孫悟空 :03/11/22 00:48 ID:a2pnhYKn
>550 それは変な解釈だろう? >久遠実成のブッダとはまさにこの教えを説いたブッダなのだからな。 >それらは別々に考えて比較されるような個別のものではない。 >それらは一体の存在だろう? そうではないです。543の言っているとおりです。 釈尊は初め過去の修行の結果として今生で成仏した(初成正覚)と説いていた、しかしすでに五百塵点劫というはるかな過去に実は成仏 していたという久遠実成の立場を法華経で示した。 >552 ここで言っているのは天台の教判のこと、この教判というものは中国特有のものであるが、インドでも「解深密教」という教判がある。 それに当時の南三北七の教義を打ち破った天台の教判に勝るものはない。 空海のものも、その教判の範疇では成立するといえる。 それでは何をもって天台の教判が正しくないとしているのか教えてほしいな。 大乗非仏説についてもひとつ。 大乗経典では仏は釈迦一人ではないことを認めている。だからそもそも釈迦の直説でなくても何も問題がない。 大乗経典そのものにそのことを説いて、三世十方の諸仏は自分の分身とまで説かれている。 だからわれわれが大乗非仏説がどうのこうのと論ずること自体おかど違いというわけだ。 もちろん大乗の中には仏説も含んでいる。(この点に関してはどこがそうで、どこが仏説ではないかを明確にはしていない、というかできないのだろう。 だからその辺りを学問的に明確にしてくれればいいのだが。)
みーーーーんなに言いたいんですが、仏教シロウトの立場から見て
「
>>541 」は結構説得力がある。
なのに全員スルーです。
@原始仏典派も大乗派も指向としては仏教そのもの(あるいは実行)に
ついて語っているのだが、互いの主張の証明はテキストに頼るしかない。
A全員いま21世紀のこの社会の人間である。
つまり、全員「現代の社会で(不可抗力であっても)テキストについて語っ
ている」という前提に関して、少し議論してみる必要はないかな?
>>554 なにが「はあ?」だよ。
>>553 で書いたのは、要は「大乗仏教は釈迦の直説ではない」という歴史的事実に対し
どう評価しようと一方の考えが貧困であるとかそういうことはないだろってことだ。
>大乗以降その影響を受けたすべての文化を価値がないと否定でもする気か?
なんでそういう発想になるんだよ。
自分と異なる意見にはこんな風にしか思えないのか?
それこそ「貧困な発想」だよ。
横レススマソ。
>>555 >それでは何をもって天台の教判が正しくないとしているのか教えてほしいな。
だからそういうことでは無くてさ、
教判というものはどこまでいっても「一個人による一ランキング」でしかない、ということでしょ。
正しいとか正しくないとかは主観でしかないからな。
空海の教判と天台の教判、どっちが優れているか、といったらそれは人によって評価が違うでしょ?
そういうことをを
>>552 は言ってると思いますが。
>>554-555 は被害妄想になったり焦りまくって早とちりする前に
相手の文章をちゃんと読んで、理解してから書くべき。
>>1 日蓮の教えはブッダとは全く関係ない
糸冬 了
>>557 >>大乗以降その影響を受けたすべての文化を価値がないと否定でもする気か?
>なんでそういう発想になるんだよ。
大乗の価値は認めないが、その大乗の影響下にある文化価値は認めるのか。
一貫性がないな。貧困という前に論理的一貫性を求める必要があるようだな。
562 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/22 10:14 ID:qpbrqtmn
>>529 駄目だよ、前提である世界観をまず否定できなければ
全部捨てた後の、あなた、とならいいけどね
僕は、重い鎧をつけた奴とは握手はしないよ
己のみしかない人としかね
563 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/22 10:23 ID:qpbrqtmn
>>542 凄いね、この意味を悟る為に、いろんな経典がある
法華経だってその一つでしかない
分かっても、理解しても、学んでも駄目なんだよね
悟るしかない
これが出たことだから
般若心経でも持ち出しますか
564 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/22 10:28 ID:qpbrqtmn
>>555 教判に勝るも勝らないも無い
勝らせているものは誰か、ということに気づくのが先だよ
565 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/22 10:35 ID:qpbrqtmn
>>556 人の文献から、紐解いても意味無いんだよ
それを読んでいる人に意味があるんだから
テキストは重要ではない、読んでる人が重要だってこと
>>560 無くは無い、よって継続
釈尊は、 人生は四苦八苦とみる「苦諦」ということを説かれた。 かつ、一つ一つの苦は常が無いという「無常観」もといて下さった。 さらに、常が無い以上空であるという「空観」も説かれた。 そして、四苦八苦とうまくつき合うことで「今生での悟りを目指せ」と言われているのです。
実際のところはガウタマ・シッダルダの思想は法華経のようなものとはかけ離れているだろう。 ガウタマの弟子はシャアりプトラにしてもマウドガリヤーヤナにしてもいわば六師外道出身者だ。 ガウタマは全ての思想を広く受け入れた上で中庸を説いているのだから、そこには法華経のような 排他的で独善的なものはないし、何より争いごとを嫌い誰とも融和しようとするガウタマの実像からは 予想もできないような考え方が法華経には散りばめられている。 法華経はあまりにも差別的な内容で『女人成仏が説かれているから女性差別でない』と学会員は 言うが、何のことはない変成男子が成仏するであるということは明らかな女性差別である。 法華経には数々の好んで近寄ってはならない人間に屠殺業者や遊女も含まれているが こういう差別のない経も存在する。やはり法華経はガウタマの教団運営に不信を抱き分裂させた ダイバダッダの考えが源泉となっていると考えたほうが妥当だろう。 ガウタマの教えは人間の根本にある『生死に対する不安』を昇華させるためにある涅槃思想が 一番重要であるのは言うまでもないだろう。それに到る道は数々あるのだから殊更に声聞や縁覚を 否定する必要もないだろう。これは法華経信徒が伝統的な仏教徒を貶めて自分達の 優位性を強引に主張したいがための幼稚な考えからきているのであるが、これは法華経信徒の レゾン・デ・トールともなっていて法華経には何度も繰り返し菩薩乗=大乗が優れていて ガウタマの弟子は声聞乗=小乗で劣ると書かれている。 ガウタマの弟子を否定してガウタマ自身を否定しないようなことはありえるのか。 だから、法華経信徒=大乗仏教徒にはガウタマ以前にはガウタマより優れた仏が多数いることを語る 必要性があり、『ガウタマの権威を低下させる=ガウタマの弟子の否定』という図式が成立するのだ。 以上のことから法華経のお題目を唱える狂信者はガウタマ=ブッダとは無関係である。
>>565 Sbさん、若干誤解があるかな。こちらも不用意に「テキスト」といったの
はよくなかった。もう少し詳しくくりかえします。
みーーーーんなに言いたいんですが、仏教シロウトの立場から見て
「
>>541 」は結構説得力がある。
なのに全員スルーです。
@原始仏典派も大乗派も指向としては仏教そのもの(あるいは実行)に
ついて語っているのだが、互いの主張の証明はテキスト=仏典に頼るし
かない。
A全員いま21世紀のこの社会の人間である。
つまり、全員「現代の社会で(不可抗力であっても)テキスト=仏典につい
て語っている」という前提に関して、少し議論してみる必要はないかな?
このところ話題になっている「大乗の文化的価値」「原始仏典への傾斜に
たいする批判」を考える鍵になるのでは。
80年代以降の「テクスト論」では、任意のテクスト(ここでは仏典)が存在
するための要件は@作者の存在A「読者による支持」の存在、と考える。
さらに、任意のテクストが存在する以前に読者による「期待の地平」が形成
されており、複数のテクストのうち、期待の地平にかなったものだけが歴史
上の存在として残存する。ただし、期待の地平はテクストに内在する力や
構造に由来するのではなく、同時代の社会状況に強く依存する。
「原始仏典」の場合、同時代のテクストとしてバラモン系のものがあるとおも われるが、すでに、このスレでは輪廻を軸に議論が白熱した。(ただし、仏教 発生当時、あるいは原始仏典発生当時の政治、経済に関しては触れられ ていないが。) 「大乗」に関しても今後「文化的価値」を語るなら、同時代の「期待の地平」を 探る必要があるのでは?大乗が発生した当時のインド、法華経が普及した 当時の中国(?)、日蓮が活躍した当時の日本など、社会状況のなかでの テクストの評価をしたほうがよいと思う。いずれも「法華経がすばらしい、ある いは正しいから」普及したのではなく、同時代の政治、社会、文化的状況の なかに法華経への「期待の地平」を形成するための与件があったはず。 だいたいそれを抜きに経典の妥当性、真理性を論ずるのは無理があるので はないだろうか。「法華経と原始仏典を比較する」という行為自体、>541の 指摘する、文献主義的傾向にどちらもドップリ浸かっているように思える。 無論最後は現代に生きる我々の問題として捉えるべきだが、とりあえず、問 題をもうすこし客観的に同定してみたほうが良いと思う。 法華経についていえば、日本で法華経を需要した同時代の人々、特に主要 な信者である層は(僧、および日蓮は除く)「原始仏典」など知らなかったはず。 そうした人々が法華経の需要者としてテクストを支持し、歴史的に存在さしめ た点を良く考えたほうがいいと思うのだが……。 法華経の方ばかりになっちゃったが、原始仏典の分析にも同じことが言えると 思うんだ。
>569の最初の方に自分でちょっと補足。 >「原始仏典」の場合、同時代のテクストとしてバラモン系のものがあるとおも >われるが、すでに、このスレでは輪廻を軸に議論が白熱し 結局のところ、原始仏典だって、「バラモン教」がなければ存在しえないん だ。だってバラモン教との「緊張関係」がなければ「新しく」ないんだから。 (だから原始仏典は間違っているとか、そんな意味じゃないよ)
仏教知らずが長レスですいません。ただ、文学理論の観点から 見ると、>541はここで起こっている議論を簡潔に説明しきってい るように見えるんだ。 仏教学(仏教史学)は仏教学(仏教史学)のテクノロジーで、とい うスタンスを崩さない、というなら無視しても別にかまわないんだ けどね。
>>568-571 スマン。
何がいいたいのかよくわからん。
具体的にネタをふってくれるとありがたいのだが。
うーん、全部説明すると長くなちゃうんだけど、簡単に言うと……。 ここでは仏典の本文の付き合わせ作業が主流だが、ある仏典(なんでもいい) について考える場合、その仏典の存在理由が仏典の「外部」=その仏典の成立 した時代∩社会(さらに細かく見れば、政治、経済、文化、サブカルチャー、言語 )にあるのではないか、ということ。つまり、図と地の関係で、我々は今、「図」しか 考えてないわけだ、だけど「地」の部分について考えないといけないのでは? さらに簡単にいうと成立事情ってことかな。 そうしたところを押さえていかないと、いつも仏典の文句の付き合わせだけになっ ちゃうんじゃないかな。 いい例が挙げられるといいんだが、仏教でこれやるのはじめてなんで、いまちょっ と一遍についての文よんでんだけど、自分で説明できる段階まで勉強できてない。
なんで>541に固執するかというと、原始仏典派も大乗派も「現代の社会で 豊富な仏典資料を時代順に並べ、さらに和辻→中村元(ちょっと違うかな) に従って、仏教を遡行的な視点で捉えた上での評価」を前提しちゃってる。 しかし、特に大乗の場合は数少ない学僧を除けば、そうしたことは出来なか ったわけだ。 ところがそうした無知な信者達に「受けた」からこそその仏典は歴史上の存 在になったんだから、その理由を(「法華経が正しいから」じゃなくて)同時代 にまず求めるべきだと思うんだ。 一方で大乗、法華経の真実性を現代科学との一致に求めるレスがあるん だが、これも第一義の検証としてはおかしいよね。遡行的視点とは逆のケ ースだ。 両派ともそういう現代人的視点(思考の枠組)を一度外して、同時代全体を 見渡してみてから、現代との関係を考えたほうが良いんじゃないかな。 仏教オンチがまたまた長レススマソ。
ごめん!もう一言だけ! いつの時代、どのような人々が、なぜその宗派の教えを信じたか、 という視点がこのスレには欠けていると思うんだ。 仏典の文章、釈迦や日蓮の事情、心情にレスが集中しすぎてない かな。つまり仏典の正当性を、常に(文学のケースで言えば)「作者」 にだけ求めてしまっていると思う。 もう止めます。
1)大乗仏典はシャカの直説を正当に継承したものであり、ゆえに価値がある 2)大乗仏典はシャカとは関係ない。よって、仏教としての価値は原始仏典に劣る。 3)大乗仏典はシャカの直説を正当に継承したものであるが、それにしても原始仏典に劣る。 4)大乗仏典はシャカとは関係ない。しかし、それとして宗教思想としての価値は高い。 二つの立場の対立ではなく、論理的には四つの立場がありうる。 相手の主張を短絡して二項対立にもちこまないように。
>576 その場合さらに、「価値」に関しては、 @「真理性(過去の社会においてなぜ真理と考えられたか、また現代 ではどうか)」 A「妥当性(過去あるいは現代において、どれだけ信仰されていたか)」 を厳密に分離して考える必要があるということ。
「546でーす」さんの言う事正しい。 社会環境、時代背景が大きく影響してる。 学会員がよく言う、書いてるから正しいということで 理論こじ付けてたら理論破綻きたします。 良い事もたくさん書いてあるのだが、 自分達に都合の良いよう付け加えられたり、 修正されたりしてるのは明白。 最初から疑ってかかるのではなく、 また、最初から正しいと信じこんでかかるのではなく (学会員はこれができない、なぜなら信心の根拠が嘘となり破綻するから) 中立的立場で考察する必要がある。
久遠元初の自受用神=しゃか 末法下種の御本仏様=ニチレン だったかなあ。
釈迦は仏の手前の菩薩で日蓮は仏なんだよな? 違ってたら言ってくれ。
まあね、釈迦の説法では実際には世の中がダメになってしまったから 日蓮の仏教が必要かなー、とは思うよ。 釈迦でも日蓮でもダメなんだろうけど。
時間がぐるぐる回っていて、末法になってまた振り出しに帰るとか言ってたなあ。 字を間違えてた。 久遠元初の自受用身。しかもこれは日蓮のことだった。 それに釈迦とは日蓮のことだそうだし、よくわからん。
>546でーすさま 言ってることはもっともだと思うが 「日蓮の教えはブッタとは関係あるのか」 というこのスレの主旨とはまた別の話ではないの?
>583 でも経典の文を付き合わせるだけじゃ結論でない(まあ、出す 必要ないともいえるけど)と思うんだ。 すくなくとも堂々巡りから一歩前進できると思うんだけど……。
585 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/23 18:40 ID:0Jq363rj
546さんのおかげで、急に難しくなったな。 初期仏教と日蓮は直接には結びつかないんだよな。ブッダと法華経、法華経と 日蓮という具合にどうしても間に法華経を挟まなければならないんだよね。 どうします?。法華経の始まりから始めるか、日蓮の立宗宣言から始め るか。どっちにします。 どっちにしろ、当時の社会情勢からやるとかなりな量になると思いますよ。
思い出した。 釈迦は久遠実成のなんたらだったような気がする。
>585 お邪魔しますさん もうマジでごめんなさいね。 このスレ読んでてどーもそこが気になって仕方なかった。 オレの為にわざわざそちらに議論を持って行ってもらうほ ど、こちらは知識がありません。 今後、その手の議論が進む機会が生じることを促す程度 のレスのつもりです。 また、俺のワガママレスを読んで気になることがある方は どうぞ、何か議題を出してください。 それにしてもまだまだ日蓮までは遠い道のりだな……。
で、末法になる前の時代には釈迦の教えでしか成仏できない。 末法では日蓮の教えでしか成仏できないということだ。 なぜなら昔の時代の人間は釈迦に下種された経験のある魂だから、 釈迦の教えを聞けばそれで成仏できる。 しかし、末法になると釈迦に直接下種された魂は居なくなり 下種されたことのない荒凡夫だけが存在する時代になる。 だから末法になると釈迦の教えを聞いただけで悟ることのできる人間はいない。 日蓮は末法の凡夫どもに下種するために久遠元初の御本仏様が現れたもの。 つまり現代人は過去に釈迦の時代に生きていた経験のある魂ではないので、 釈迦の教えそのものを聞いただけで成仏できるだけの記憶がどこにもない。 だから日蓮の仏法の下種がないと絶対にダメだ。 というわけだ。違ったら言ってくれ。
589 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/23 20:46 ID:0Jq363rj
そうなんだよな。日蓮は末法の世にも通用する教えを、新しく作ったんだよな。 法華経は、その日蓮の教えの権威付けに使われているのに過ぎない。ただ、それ で本当に悟れるか、と言うことなんだよね。この辺が「?」です。 あと問題は、この娑婆世界を極楽浄土のような仏の住むのにふさわしい浄土にするのには、 時の権力の力を借りようとしたことだね。臨済宗や律宗が鎌倉幕府、真言宗が代々朝廷の庇護 の下で発展しているからね。日蓮が鎌倉を中心に活動したのも、それをねらってのことだと思う。 もっとも、そのねらいは「立正安国論」が時頼に無視されて、外れてしまった。その恨みが、 禅天魔、律国賊、真言亡国になったんじゃないかな。もっとも「立正安国論」自体が、かなり 滅茶苦茶な理屈だから、それを受け入れろと言うのは無理ですね。
>>588 何だ?「日蓮の教えはブッダとは関係あるのか」がスレッドの題名だろ。
「日蓮の教えはブッダとは関係ない」と結論づけられつつあるから
論点逸らしか?
「日蓮の仏法の下種」とは何だ?
日蓮はシャカ同様に現代の人間ではないぞ
逝田仏法を信じろとでも言いたいのか?
負け犬の学会淫は逝ってよし。
>>589 極楽浄土はアミターバの住処だ。
それぞれのブッタにそれぞれの世界があるんでないの?
学会淫はどのブッダを信奉しているんだい?
あっ!そもそも学会淫は浄土に逝けないんだったな。
逝く先は日蓮のいる地獄しかないんだからな。
立正安国論かぁ。一つの宗派が世界征服してまうという考え。 現代の社会いでやると、民衆主義奪取テロ集団と言われかねないよな。
創価学会がカルト狂団にすぎないのは自明だろ。今さら何いってんだかw このスレの一連の論戦みても彼らの学問無視・論証なしの 狂信たれながしの妄想ぶりは明瞭だろうに。
593 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/23 23:40 ID:0Jq363rj
>>590 さんへ
>極楽浄土はアミターバの住処だ。
>それぞれのブッタにそれぞれの世界があるんでないの?
我々娑婆世界のブッダであるお釈迦様のいるところは、霊鷲山のある霊山浄土です。
そこで今でもお釈迦様は説法をしていると、説かれています。
日蓮が法然に対して怒っている原因の一つが、霊山浄土に行くべき娑婆世界の人間を
別の世界の阿弥陀仏が支配する極楽浄土に送っている、と言うのがあります。
法然が人々を極楽浄土に行かせるのは、そこに阿弥陀様がいてこう言っているからです。
「たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、ことごとく三十二大人相を
成満せずは、正覚を取らじ。(私が仏になるとき、わたしの国の人々や天
人が、一人残らず三十二相の仏の姿をまどかに備えられないようなら、私
はさとりを開きません。・・・第21願)」
極楽浄土に来た人は皆、悟りを開いた仏に成れるとのことです。
>>593 だ・か・ら・な・に・が・いいたいの?
サハー世界の閻浮提とやらが
我々が住みかとしているところだろ?
霊鷲山なら印度に実在するだろ?
そこに逝けば釈迦に会えるのか?
馬鹿なことぬかすな
法然がどうのこうもないだろ?
香具師は大師号をいくつも貰ってるんだぞ
日蓮はいつ貰ったのか知ってるのか?
どちらも下らんがまだ法然のほうが格上だ
スカーバティ世界でブッダなのはアミターバだけ
もしブッダになったのなら他の浄土に逝く
595 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/24 01:02 ID:K7YDP1Sr
釈尊の存在の重視から生まれた思想として、日蓮の釈尊御領観と呼ばれるものがある。 つまり、譬喩品の 「今、此の三界は皆な是れ我が有なり。其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり。 而して今、此の処は諸もろの患難多し。唯だ我れ一人のみ、能く救護を為す」 に基づいて、娑婆世界は釈尊の領土であり、娑婆世界の衆生と釈尊とは有縁の関係、つま り宗教的に深い絆で結ばれているとするものである。 この思想に基づいて、日蓮は浄土教を批判し、西方極楽浄土を領土とする阿弥陀 如来と娑婆世界の衆生は宗教的に無関係であるから、阿弥陀如来に対する信仰は的 はずれであり、本師釈尊との関係をないがしろにするものであると指摘している。
不殺生戒と申すは、是の如き重戒なれども、法華経の敵になれば、此 れを害するは第一の功徳と説き給う也。(秋元御書) 例せば殺生戒は仏誡の第一であり、生物を残害しないのは道徳心の発 端である。それにしても謗法の者を懲罰するは、法華行者の義務であ り、いかに折伏してもこれに応じない者は、これが一命を断つとも已 むを得ない。これかえって真の慈悲である。この意味からいえば、謗 法者を殺すのは、法華経主義からいえば、不道徳でないのみならず、 かえって大道徳になる。
597 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/24 01:34 ID:lk7oV8BJ
>>594 さんへ
>スカーバティ(極楽浄土)世界でブッダ(仏)なのはアミターバ(阿弥陀)だけ
もし(娑婆世界で)ブッダ(仏=釈尊)になったのなら他の浄土(霊山浄土)に逝く
これ私の言ったのと、同じじゃないの。なに怒ってるのかな 。
>>597 文章読解力がないなあ。
各浄土にいるブッダはただ1人だけだろ。
>極楽浄土に来た人は皆、悟りを開いた仏に成れるとのことです。
この時点で何人のブッダがいるんだ?
不退転の境涯を得るというのならわかる。
それをこの文章ではとれないということ。
>>588 うむ。
これを読んで
「日蓮の教えはブッダとは関係ない」ということがよくわかった。
「下種」とか「久遠元初の御本仏様」とかナニ言ってんだって感じ。
>>595 娑婆世界と霊山浄土も無関係だぞ。
あのなあ。シュメール山の頂上よりもさらに高いところに
ブッダはいてそこで法を説いているんだろ。
>西方極楽浄土を領土とする阿弥陀如来と娑婆世界の衆生は宗教的に無関係であるから、
>阿弥陀如来に対する信仰は的 はずれであり、本師釈尊との関係をないがしろにするものであると指摘している。
なんだその支離滅裂な論理は?
いいかシャキャムニにしろアミターバにしろもうこの娑婆世界とは
関係のない浄土にいるんだろ。無関係もなにもないだろ。
穢土と浄土はそもそも無関係で何ら有縁関係などないだろ。
それは個人とそのブッダに対しての信仰が縁となるだけだろ。
日蓮は基地外か?それでも虚空蔵求聞持法を修したのか?
日蓮は唯の誇大妄想の嘘つきにしか思えないがな。
まぁまぁ藻前等、これでも見て餅つけ
http://up2ch.net/img/u1151.jpg /\⌒ヽペタン
/ /⌒)ノ ペタン
∧_∧ \ (( ∧_∧
(; ´Д`))' ))(・∀・ ;)
/ ⌒ノ ( ⌒ヽ⊂⌒ヽ
.(O ノ ) ̄ ̄ ̄()__ )
)_)_) (;;;;;;;;;;;;;;;;;;;)(_(
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/24 07:39 ID:gIfU0YxT
御本仏自受用報身は夢殿救世観音です。
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/24 10:12 ID:96Lx35uO
つま゜り日蓮宗は、日蓮を信じることのみ。 によって成立してるわけだ。 日蓮を崩せれば、600年にわたる日蓮系教団の大間抜けが露呈しる。
シャカは大昔に死んじまったんだからどこにもいないだろ 支離滅裂な妄想や微笑ましい迷信ならべたって電波仲間しか感心してくれないよ
605 :
浄土宗でよかった :03/11/24 11:41 ID:96Lx35uO
いくらお釈迦さまがいたとしても、 霊山浄土がそんな標高なら、さむくていやだ。 登山家向きだな。 ああ、極楽でよかった。
606 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/24 14:46 ID:CE8zzHlC
そんなんで驚いてはダメ。学会のホームページはもっと凄いぞ。 ヒロインネット「希望の扉」より 釈尊が法華経を説いていた。その時、突然、大地から、巨大な塔が出現。空中に浮かび静止した。塔には7種類の宝石がちりばめられ、その高さは地球の半径ぐらいだったという。
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/24 15:14 ID:96Lx35uO
その塔は、今もインドに… ないだろうけど 塔の跡くらいは残っているのかな? その塔は何のために建ったのでしょうか。 寒さもだけど、空気ないよ
不殺生戒と申すは、是の如き重戒なれども、法華経の敵になれば、此れを害する は第一の功徳と説き給う也。(秋元御書) 例せば殺生戒は仏誡の第一であり、生物を残害しないのは道徳心の発端である。 それにしても謗法の者を懲罰するは、法華行者の義務であり、いかに折伏してもこ れに応じない者は、これが一命を断つとも已むを得ない。これかえって真の慈悲であ る。この意味からいえば、謗法者を殺すのは、法華経主義からいえば、不道徳でな いのみならず、かえって大道徳になる。 日蓮大聖人サマはこんな恐ろしいこといってます。 どう考えてもブッダとは関係ないと思います。 法孫悟空さんどうですか?
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/24 20:55 ID:96Lx35uO
オウム真理教のポアと同じ考えですな。 秋元御書 鎌倉時代、掘ったて小屋で自給自足しながら寒さに震えてた日蓮の、秋元たろべえへの食器受取の返事。つまり私信ですな。 この世の不幸は間違った信仰にある。といった 日蓮得意の仏教万能主義。 そういや戸田さんも日本が負けたのは、神が居なかったからだ。 つってたな。
>>599 そうなんだよ。日蓮の仏教は釈迦の残した教えとは直接は関係ない。
釈迦の教えでは 私たちは 絶対に正しく真実を見いだすことは困難だとわかっているから
日蓮だけ が釈迦の仏教の真髄を明らかに示すことができた。
だから我々が釈迦の教えをそのまま修業しても逆に迷ってしまうものであったところを
日蓮によって仏教の本質は改めて説かれ、私たちは仏教本来の教えの肝心をそのまま
聞くことが叶うようになったと。
釈迦は32の荘厳な相を備えていて、誰もが自然に教化されるような見た目を持って
生まれた。そういう使命があってのことであるけれども。で、たくさんの人間が自然に
教化された。
それが日蓮はどうかというと卑しい身分に生まれ普通の人間として生活した。
これは釈迦がそのような荘厳さでもって当時の人にも分りやすく導くことができたが、
末法の日蓮の時には、とにかく普通の人間であっても仏になる方法があるということを
示し、それを可能にするための方法を教え導くという非常に希な究極の原理の悟りを示し、
現代に欠かせない、仏教の最も大切な教え、一歩奥に踏み込んだ最上の法を説いた。
あ、別に学会を応援してるわけじゃないよ。釈迦も日蓮も必要だからね。
>>610-611 効能書きだけの空虚な阿呆駄羅経の見本のような文章だな。
こういうの見ると釈迦も日蓮もドキュンを生み出す元凶、不要のゴミだということが良く分かるね。
614 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/25 17:08 ID:GTwZhNbp
>>610 >私たちは 絶対に正しく真実を見いだすことは困難だとわかっているから
そりゃ、絶対に正しく真実を見出すことは困難だよ
だって、仏教ってのは、そんなこと求めることじゃないもの
>釈迦は32の荘厳な相を備えていて、誰もが自然に教化されるような見た目を持って
>生まれた。
本末転倒を見抜けないのかな
釈迦は悟りを開いた、だから、遡って、そういう相を備えて生まれてきたことになったんだよ
日蓮にだってそういう逸話は数多く残っているじゃない、鯛の浦の鯛がどうだとかさ
>それを可能にするための方法を教え導くという非常に希な究極の原理の悟りを示し
悟りを示しって言う点で駄目だよ
悟りは悟るだけ、示すことも、分かることも、理解も出来ない、説くこともね
615 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/25 17:25 ID:i4Bz/0Vd
キリスト教もとんでもない宗教になり変わってしまったが、 真宗もまた然りだな。親鸞が見たら無くぞ。
616 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/25 18:20 ID:6dbrx++h
初期仏教がバラモン教と一緒になり、大乗仏教から密教と変わったように、日本では 大乗を中心とした仏教が、日本古来のカミの考えと一緒になり、神道化されて仏教がカ ミの仲間またはカミを束ねる思想として広まったと見ている。 だから日本では仏教に対して、出家して悟りを求めるよりも、上は国家の平安やいろ いろな災害を防ぐ祈祷から、下は家内安全、商売繁盛等の実利祈願、水子供養や先祖供 養と言った霊魂に対する祀りとして、その役割を果たしてきたと思う。
それは神道化するしないと関係なく、密教としての必然的展開。
いんちき教祖が次々と出現する宗派より、 密教の方が奥が深くて、なにかしら神秘的 法華経はほんの一部にすぎないし総てではない もしかしたら方便にすぎないのかもね
新興宗教だったから、受け入れられないで無視され続け オウムと同じで、世間に受け入れられなかったもんだから 勝手に人を憎み敵を決め、首切れと指示 世界平和はから程遠いのだが、この世から抹殺して ポアして師弟だけの世界になることが世界平和と考えたのかな
この戦慄すべき教義が、実は創価学会にも存在していたのだ。創価学会 の宗祖・日蓮の根本教義のなかに、その「ポア」思想は存在している。 その殺人思想を、日蓮は「涅槃経」から学んでいた。 日蓮は法華経至上主義をとっていたが、「法華経第一、涅槃教第二」 としたほど、涅槃経を重視していた。 それは日蓮の著作の中で、涅槃経が数多く引用されていることからも 実証できる。 「殺人は功徳となる」 たとえば『立正安国論』には次のような引用がある。 「異端の教えを説く婆羅門が大乗の教えをそしるのを聞いて、ただちにそ の者の命を断ってしまった。しかし、正しい教えを護ったこの功徳によって、それから後は地獄に堕ちることはなかった」(涅槃経・聖行品より) 「この禿人(破戒堕俗の僧)たちは正法を護る者を見ては追放し、殺した り、迫害したりするであろう。だから、私は戒律を持つ出家層が、武器を持 った在家のものといっしょになって正保を護ることを許すのである。武器を 持っていても戒を持つと同じである」(涅槃経・金剛身品より) 要するに、自分たちの教えを護るためなら殺人は功徳となるといっている のである。これはまさにオウムの思想と同じではないか。 この結果『秋元御書』と呼ばれる日蓮の手紙の中にも「法華経の敵になれ ばこれを害するのは第一の功徳」と書かれ,アショーカ王が10万8千人の 外道を殺したことなどの例があげられている。 ではなぜ、この「涅槃経」は、そうした極端な教えをもっていたのか。 実は涅槃経は、釈尊が直接説かれた教えではない。釈尊没後、4〜500 年後に、大乗教団の一派がつくった経文であることは通説となっている。 この涅槃経の教団は、法華経教団と並んでかなり迫害を受けていたよう で、迫害してくる相手を武器を持って殺さねばならなくなった。そこで涅 槃経の中に、前述の教義を織り込み、自分たちの行為を正当したのである。 実際、この涅槃経を読んでいた日蓮も、迫害から身を守るために、教団を 武装した(オウムもサリンなどの化学兵器や自動小銃などを道蔵していたの は周知のとおり)。
涅槃経に潜む闇 この涅槃経の最大の過ちは、「一闡堤の問題」である。 『涅槃経・梵行品』には、次のように記されている。 「異端の教えを説く婆羅門達は正法をそしる一闡堤であるから、彼等を 殺しても罪にはならない」 一闡堤とは「断然根」、つまり善の根っこが断ち切れ、仏神につながって いないような者、どんなに修業しても絶対に悟ることのできない者のこと である。 一切の衆生は仏性を持っていて成仏する可能性があるが、ただし大乗仏教 を批判する者は別だというのだ。しかも『涅槃経』では、一闡堤なら殺し てもかまわないと一蹴されてしまっている。 しかし、殺人など、釈尊は決してお説きにならなかった。 釈尊は不殺生を、仏教を根本の戒律である五戒の一番最初に上げられた。 涅槃経の一闡堤に対する考え方は、殺生戒を説いた始祖釈尊の教えに真 っ向から対立するものなのである。 結局、自分たちの教えを護るために殺人や戦争を肯定すると、それがや がて一人歩きし、闘争と破戒の世界、阿修羅の集団を生み出してしまうこと になるのだ。 法華経以外は全て邪教であると、激しく他宗を排撃していた日蓮は、 結局、時の権力者から狂言的なカルト集団に見られて、迫害された。 その迫害をかわすために、こうした涅槃経を、自らの行動基準としたこ とは、想像に難くない。
>>619 ,
>>610 そのほか
おいおい待てよ、漏れはシャカも日蓮もどうでもいい「非仏教徒」だが、
宗教ってのは人間よりも神がだいじ、世間の通俗観念よりも信仰がだいじなはずだろ。
「殺人がいけない」なんて薄っぺらい話はただの近代的市民道徳じゃねぇか。
自分とこの教祖様が殺人を肯定してるぐらいで信仰が揺らいでおたおたするぐらいなら
はじめから宗教なんてやめちまえよ。
神が殺せと命じたら殺すのが信仰だろうに。
(むろんこの場合の神ってのは、一神教の話じゃないのはわかるな?)
『撰時抄』のなかで日蓮は、自分を迫害する権力に対して、次のよ うに述べている。 「日蓮は日本国の棟梁である、日蓮を殺すは日本国の柱を倒すので ある。見ているが良い、今すぐにも自界叛逆の難といい北条一門の同 士討ちが始まり、他国侵逼の難といってこの国の人々が他国の敵に打 ち殺されるだけでなく、多く生け捕りにされるであろう。それゆえに 早く建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏殿・長楽寺などの一切の念仏者や 禅僧たちの寺院を焼き払って、彼らの首を由比が浜で斬り、謗法の根 源を断たなかったならば、日本は必ず滅びるであろう。」 要するに、「他の宗教の寺は焼き払い、僧侶を死刑にせよ」と、 確信を持って断言しているのである。 「僧侶」を「殺す」ことが、二重の意味で教主・釈尊の教えに反 するということに、この時日蓮は気がついていない。
やっぱり日蓮の教えはブッダと関係ないね。 結論がでたので 糸冬 了
危険視されて、当たり前の気がするよ。今で言うカルト >早く建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏殿・長楽寺などの一切の念仏者や >禅僧たちの寺院を焼き払って、彼らの首を由比が浜で斬り、 まさに大量殺人の指令、国家転覆を狙うテロですな。 >謗法の根源を断たなかったならば、日本は必ず滅びるであろう。」 予言までしちょるし。。。
日蓮=麻原の先駆者 大作=麻原の同期ライバル 日蓮信徒=オウム信者のプロトタイプ 学会員=オウム信者そのもの
>>624 日蓮の主張したそれらの難も法華経では無くて
他の経典から引いてきたものだった。
しかも、元コウは日蓮の信者の情報から予想出来た。
(予言でもなんでも無い)
また、律宗の僧侶の祈祷の翌日に元軍は撤退している。(二回目の時)
なんだよ、日本を守ったのは日蓮じゃなくて律宗やんけ。
日本を守ったのは為政者でもなければ宗教でもない 数多くの名も無い日本人達だ お前もその一人だったかもしれない
632 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/26 16:02 ID:MwztgLQ2
>>623 道流(どうる)、なんじ如法の見解を得んと欲せば、但人惑を受くることなかれ。
裏に向かい外に向かって逢著せばすなわち殺せ。
仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、
父母に逢うては父母を殺し、親けんに逢うては親けんを殺して、始めて解脱を得ん
臨済録より
633 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/26 17:01 ID:l7IMZ84U
これらの場合は、一つの譬えとして「殺す」ぐらいの覚悟が必要と言ってい るのであって、実際に殺すことではない事ぐらい、不殺生を旨とする仏教徒なら 分かるはずですが。
634 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/26 17:28 ID:MwztgLQ2
>>633 変なほうから釣られないでくれよ>お邪魔さん
>>633 譬えでもなんでもないジャン。
「秋元御書」では具体的にアショーカ王が10万8千人の外道を殺したことなどの例を挙げてるだろ。
「不殺生を旨とする仏教徒」のはずの日蓮が殺人を認めている。
これはまさに日蓮の教えがブッダと関係がない証拠。
「ブッダも殺人を認めている」というなら話は別ですが。
それならそれでブッダも狂人認定するだけ。
いや、理由を御書に書いてあるからと無理にこじつけます。 「仏法は勝負であるからして」、「原爆投下された理由」、「地震が起こる」 勝手に意味付けてやるのが、この手の宗教。
>>633 「たとえ」にすぎないというのならば、あらゆる仏典、あらゆる教説の中から
「そのまんまの意味の部分」と「たとえの部分」を恣意的にわけてはならない。
たまたま近代的市民道徳と合致しているところはそのまま採用して
たまたま近代的市民道徳と合致しないところは「たとえですよ、たとえ(w)」ですますのか?
それはただの「御都合主義」ではないのか?
幻覚幻聴丸出しな法華経の記述だって、何かの「たとえ」としてむりやり意味付ければ
そりゃあ何とでも御大層な解釈ができるだろう。「仏説はすべて方便」だからな(w
方便をもてあそんでいれば言葉のニヒリズムに陥る。それが「空」だってか(w
どこまでも救われない。疑似修行と化したお題目と折伏と学会活動に打ち込むことで生じる強度で
空虚を埋めていかざるを得なくなるんだ。そんな人生送ってる連中が鬱陶しがられるのは当たり前だろう。
>>621 >実は涅槃経は、釈尊が直接説かれた教えではない。釈尊没後、4〜500
>年後に、大乗教団の一派がつくった経文であることは通説となっている。
だが、釈迦が直接説いたという可能性もないわけではない。
となると釈迦が殺人を説いていたことになる。
コワイね。
639 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/27 01:19 ID:bGe8yPuQ
奈良時代中期、藤原広嗣の乱や飢饉、疫病の流行などによって社会不安が増大していた。 これを鎮めようと聖武天皇は仏教の鎮護国家思想に基づいて国分寺建立や大仏造立をおこ なった。また僧侶になるためには日本の公式の戒壇で僧侶と認められる必要があった。認め られれば終世、官僧として身分を保証された。 反対に教義や伝道については勝手に行うことが出来ず、国の方針に従うしかなかった。奈 良仏教の特徴は一言でいうと、国家のための仏教、鎮護国家の仏教ということが出きる。最 澄はこれを嫌って比叡山独自の戒壇を設けようとしたが、生前には実現しなかった。 日本の仏教は親鸞や日蓮が出て、大衆の為の真の宗教が始まるまでは、公務員のものに過 ぎなかったわけである。 日蓮が立正安国論で幕府の力を借りようとしたけど、失敗に終わった。また国の力で 戒壇を作り日蓮の教えを広めようと、考えていた。しかしこれは国の干渉を受ける覚悟が 必要とされる。現在の公明党が、世界平和をうたっていながら、イラクに自衛隊を派遣す ることに同意せざるを得ない状態になったようなものです。
喪家の教義は、 「邪魔者は消せ」 それだけです。そういう意味では 日蓮に忠実です
641 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/27 02:16 ID:bGe8yPuQ
日蓮と同時代に鎌倉幕府の力を借りて、大きく勢力を伸ばした僧が居た。
その僧の名前を忍性という。
蒙古の大軍が2度にわたって攻めて来た「文永・弘安の役」といわれる出来事の時
朝廷や幕府は全国の有名な神社や寺に蒙古軍を打ち負かすお祈り「祈祷(きとう)」
を命じました。このとき最も効果を上げたと評価されたのが奈良・西大寺の叡尊・忍
性という二人の僧でした。
>>629 で
>また、律宗の僧侶の祈祷の翌日に元軍は撤退している。(二回目の時)
律宗の僧侶と言うのが、この二人です。
律宗というのは唐招提寺の鑑真が開いた宗派で、戒律を守ることを重視しました。
「鎌倉新仏教」という非常にわかりやすい仏教が出てきた一方で戒律によって仏教
の原点に戻る、という修行生活を目指したのが叡尊・忍性でした。
忍性は、23歳のとき叡尊と出会い出家し、西大寺で本格的に修行をはじめました。
忍性は自分は学問に向いてないと思い、仏の教えを実際の行いで示そうと心がけたと
言われています。(実際、叡尊はガチガチの戒律を守る非常にまじめなタイプだった
の対して忍性は事業家としての色が強かったようです。)奈良にある大和の癩病者の
救済施設として北山十八間戸(きたやまじゅうはっけんど)は現存する我が国最古の
病院施設ですが、これは忍性が修行のかたわら救済をおこなったところです。このころ
奈良坂に住まう癲者が重傷で市中に物乞いに出ることも出来なかったため、忍性はこ
の人を負って早朝市中に行き、夕刻に連れて帰って生活が成り立つようにし、これを
数年間休まずに続けたと言う話があります。
642 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/27 02:17 ID:bGe8yPuQ
忍性は、「戒律」を関東に広めるため常陸国の御家人八田知家の菩提所(筑波山の麓) 「三村寺(正式には三村山清涼院三村寺)」いうお寺に留まり、布教活動をしていました。 忍性はここから何度も鎌倉に出向き、「戒律」を説いて廻りました。忍性は、幕府の有力 者、北条重時に極楽寺に免れました。三代執権北条泰時の弟、重時の葬儀には導師を務め鎌 倉の有力者たちとの交際が深まり、その後の忍性の活躍の場が大きく開かれました。忍性は、 有力者の支援のもとに盛んな活躍を続けましたが、自らは節約を守り、貧しい衣まとい、贅 沢な食事をさけ、慈善事業や説教に勤めました。(叡尊は時頼が荘園を寄与しようとしたとき 「そんなものは要らない」と断ったとあり無駄使いするなとしたのに対し、忍性はむしろ権 力者と結んで資金を調達し、それによって現実の民衆を救おうという路線だったようです) 忍性は金沢の地には正嘉年中(1257年から8年)に頼朝が創建した浄願寺(のちの町屋町・ 龍華寺縁起)という寺に住んで戒律を広めたようです。文永6年忍性は、江ノ島で「雨乞い の祈祷」に成功し、「戒律」の僧のみならず真言密教の僧としても名声を高めました。 後に鎌倉の極楽寺を拠点として鎌倉幕府の庇護のもとに戒律の実践と布教、慈善救済 活動、国家と人々のための加持祈祷に力を尽くしましたが、特に飢饉や疫病の流行に あたって飢えた人や病者に対して行った救済活動は他に類を見ないものと言えます。 鎌倉の桑谷に忍性が開いた療養所では20年の間に46,800人の人が癒され、それに対し て亡くなった人は10,450人であったと伝えられています。
643 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/27 02:18 ID:bGe8yPuQ
忍性は極楽寺良寛と名乗っていた文永八年六月には、日蓮と雨乞い対決を行い破れた 事を根に持って日蓮を迫害したとして、仏敵の代表とされています。 学会のホームページでは、このように言われています。 タイトル:「仏敵」とは 文字通り「仏の敵」ということであり、仏法を破壊する邪説を述べ、 仏あるいは仏道修行に励む者に敵対し、迫害するなどして仏道を阻 もうとする者のことを指します。 日蓮大聖人の時代にあっては、大聖人をざん言して御命をも奪おう とした極楽寺良観らがそれにあたるといってよいでしょう。 現在、日蓮大聖人の御遺命に違背し、広布を阻む日顕宗は「仏敵」 以外の何ものでもありません。 蒙古襲来の際の、北条時宗の命に応じて行った祈祷で、大功ありとされ、朝幕の帰依も得て摂津多 田院別当、東大寺大勧進職、四天王寺別当などの重職を歴任しており、当時の僧侶としては栄達を 極めたとも言えます。
日蓮さん、雨乞い対決 やってたですか。。。 やぱーり、呪術対決なのは ぶっとびぃ。 うーむー、現代みたいに学問的見地(歴史・文化・考古学)にたって、 研究や証明ができなかった時代、どうしてもオカルトになってしまう のはいたしかたないことかな。 現代においても通用する法、変わらない道理・思想だけでというのは困難かぁ。 オカルト入れないと日蓮仏法というのにならないし、 オカルト入れないと魅力無くなるのでしょうね
>>638 実は涅槃経って2種類あるんだよね。
小乗涅槃経と大乗涅槃経。
小乗涅槃経の方は、釈尊入滅の場を記録した文献として重視されることが
多いね。
ここで引用されてる部分はどっちかしらんけど。
646 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/28 09:59 ID:gIatooy+
>>645 如来蔵思想のある大乗の方です。
日蓮の考え方を見ていて、法華経だけが正しいとしているのが間違いの元だな。
日蓮の流れの中で、法華経でなくても構わない、法華経の教えが間違っていて
も良い、でも私は日蓮を信じると言う強烈な人が出てこないとダメかな。これは
狂信的な学会信者、という意味じゃないよ。
647 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/28 10:27 ID:gIatooy+
前の文が解りにくかったと思うけど、日蓮の教えというのは、理論や理屈で作り上 げた感じがしてしている。原始仏教で釈尊が言っているのは、ちょっと極端に言うと 理論や理屈などは捨てて、日々の実践の中で教えの根幹になっているもの(悟り)を 掴めと言うことだと思うんだ。 強烈に日蓮を信じる人というのは、また訳の分からないことを書くけど、日々の生活 が「南無妙法蓮華経」になっている人のことです。御本尊に向かってお題目を上げている 時だけではなくて、ご飯を食べていても、仕事や勉強の時も、寝ていても「南無妙法蓮華 経」になっている人ね。世の中全てが「南無妙法蓮華経」だから、うちだけが正しいとい うのではなくて、浄土宗も「南無妙法蓮華経」だし、禅も、キリスト教も、イスラムも皆 「南無妙法蓮華経」になる。宗教だけではなく隣のおっさんも、野良猫も゜、町を走って いる自動車も、空も、大地も、すべて「南無妙法蓮華経」と感じられれば、素晴らしいこ とになると思うけどな。
法華経強調しすぎというところ、いかにも怪しいし胡散臭さを感じるんだな なんというか無量義経といい、なにかトリックがあるのかなという気がしてる。
>>646 ,
>>645 大般涅槃経のことか?あれもとの小乗の涅槃経の方が短くてまとまってて完成してるのに
大般涅槃経の方はそれに余計な屁理屈をムリヤリ挿入してぶち壊してにしてる。
素人がみても後世の偽経だってすぐわかるようなシロモノだけどな。真如苑が教典にしてたなぁ
>>647 日蓮は真言も律も禅も念仏もみんな「南無妙法蓮華経」と感じらる素晴らしい人だったんでつか(w
自分の無根拠かつ脈絡不明な妄想を垂れ流すのは迷惑なのでやめてください
>>649 >大般涅槃経の方はそれに余計な屁理屈をムリヤリ挿入してぶち壊してにしてる。
挿入? 如来蔵思想を経て新しく作られたのだろう?
そもそも大乗仏典は後世の創作物なのだから、それを偽経と呼ぶ感性の鈍さが笑える。
ましてや挿入とはね。
>自分の無根拠かつ脈絡不明な妄想を垂れ流すのは迷惑なのでやめてください
お邪魔します君は日蓮の現代的受容の在り方について意見を述べているに過ぎない。
キミは勘違いをしている。
創価学会とは、そもそも、新聞配達、選挙活動、お布施のための 人員を集めるのが主たる教義であって伝伝、隠れ蓑の宗門は 用済み、日蓮大聖人の仏法は方便である 秘すべし、秘すべし。
652 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/28 18:40 ID:FOSNnJT4
>>647 その「南無妙法蓮華経」は「南無阿弥陀仏」であり
「主イエスよ」であり、「アッラーアクバル」であるってことでしょ
それが禅なんだけどね
禅宗って意味じゃないよ
>>650 >挿入? 如来蔵思想を経て新しく作られたのだろう?
如来蔵思想を挿入して旧来の涅槃経を改竄したわけだよ。
>そもそも大乗仏典は後世の創作物なのだから、それを偽経と呼ぶ感性の鈍さが笑える。
感性の問題に摺り替えたつもりか。自分の姑息さの方を恥ずべきだな
そもそも大乗仏典は後世の創作物なのだから、すべて偽経だとまず認めることから
誠実な宗教的的態度は生まれない。真の仏説であるという信仰を根拠に免罪しようという
狂信者に特有の護教的態度といわれてもしょうがないだろう。
で、あなたは二つの涅槃経を読み比べたことがあるのですか?
それによってこちらのレスも方向性を考え直さなければならない。
>>自分の無根拠かつ脈絡不明な妄想を垂れ流すのは迷惑なのでやめてください
>お邪魔します君は日蓮の現代的受容の在り方について意見を述べているに過ぎない。
「お邪魔します君」が考える日蓮信徒のあるべき信仰の理想と、
「お邪魔します君」の無根拠かつ脈絡不明な妄想とは矛盾しませんが何か?
>>652 ,
>>647 >うちだけが正しいというのではなくて、浄土宗も「南無妙法蓮華経」だし、
>禅も、キリスト教も、イスラムも皆(中略)隣のおっさんも、野良猫も゜、
>町を走っている自動車も、空も、大地も、すべて「南無妙法蓮華経」
それって日蓮が天魔とよんで唾棄した仏敵である禅の思想そのものじゃないですか。
それがお邪魔します君の考える「日蓮を信じる」ってことなんですね。
・・・・ああそうですか、どうそご勝手に・・・としかいいようがない・・・・
正邪が基本だから、悪を作らないと正しいと証明できない 他総ての否定が根本、他を邪にしないと成り立たない 期間が修正されまくりの末法を振りかざし、 法華経イイ!イイ!のために書き加えられた無量義経を根拠とし 仏教と関係ない自分教を確立
>>632 喩えとはいえ、そこまでして解脱したいんですかね?
なんか芥川龍之介の「杜子春」を思い出したよ。
>>656 津田真一の本読んでいたら、彼の解脱の解説があまりにぶっとんでるんで
編集者が「えっ!?発狂とどうちがうんですか?」とつんこんでた。
彼の返事は「そう、ほとんど同じです」
>>632 どころではない
麻原ショーコーは真言宗だったね。
>>658 オウム真理教はチベット仏教。
これはいわゆる後期密教に分類され、真言宗などよりかなり新しい。
別に原始仏教などではない。
噂によると嫁さん一家学会員だったらしいよ。(あくまで噂だけど) 千葉で免許なしの漢方薬局健康食品販売しててヨーガ教室が出発点 本人曰くインドに渡って修行したとかなんとか。 学者が絶賛するほどの仏教教義を実践してるとか。。 空中浮遊とか超能力言ってる時点で仏教から外れてきてるような気がするが 新興宗教は、ご利益や神秘的なのが多いですな。 階級とか政治進出とかは、学会真似たとも言われてるな
創価学会の教学って、無宗教の一般人に論破されるほど、 おかしな仏教を教えられてるのか? 相手の宗教や宗派に対応したマニアル完璧聞いてたが
662 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/29 11:34 ID:Ta7vzwEs
>>654 仏教ってのは最終的には禅に行き着くんだよ
いや、宗教は、かな
というか、それが仏教なんだけどね
つまり、創価学会はまだまだってこと
>>656 たとえじゃないよ、自分の中から捨てよ、殺せってこと
本尊があれば、本尊を捨て、
法華経があれば、法華経も捨てよ
日蓮がいれば、日蓮を殺せ
池田に会えば、池田を殺せ
全て捨てた後に残る、
己
そこから始まる
>>662 じゃとっとと全部捨てて殺して解脱でもして下さい。
アホらし。
664 :
法孫悟空 :03/11/29 18:07 ID:sCZk05GI
>558 教判についてだが、まず天台の教判がなんであるのかその辺を知りもしないで「こんなの俺的ランキングにすぎない」 なんて言うな。天台のその論理性はみごとだよ、あんたのようなそんなな軽薄なものではないことをよく心得ておくべきだね。 ばかものだよまったく! >567 お前よく勉強しろよ! 「法華経には変成男子して成仏するから差別だ」と、そんなこと説いてないよ。 原始仏典に説く女性不成仏はもろそのまんまじゃねーかよ。 それからさー法華経のどこに争いごとを好むのか知りてーな。 >「排他的で独善的」ってさー自分(釈迦)で自分の教えを否定してるんだぜー排他的も独善もないだろ本当のアホだよ。 それぞれに説いた教えに執着した人々がいたから排他的とかになっちゃうんだよ。 >621.622.624.626 あんたのような危ない人はさー見せられないんだねこのような経は。こういうところばっかし見て批判するんだよね じゃ聞くけどサー、日蓮は弟子といっしょに武装してさー、自分を捕まえにくる役人どもをバッサバッサと刀やヤリで叩き切って自分の身を守ったのか?えーどーなのさー 立正安国論がテロだと、時の執権にたいして正法に改宗しろ、そのために今の寺を焼きなさいと言っているんだよ。 自分の手で燃やせと言ってるんだよ。 日蓮軍が坊主をタタキ殺したのかよ、ばかかお前は。 その御書なり涅槃経に書かれてることが正しいのならばそうしているぞ。
665 :
法孫悟空 :03/11/29 18:29 ID:sCZk05GI
>568〜546でーす ちょっとよく分からないですが。 その作者が生きた時代や社会、地位といったものがその作品に影響するのはその通りですが本当にすぐれた作品は 時代を超越し人種も超越しより普遍的な課題を扱っています。本当に優れた作品は人に関係なくずっと存在し人々に受け入れられます。 ある人が私はそんなの嫌いというものはその人の主観であり、その人の無知さかげんである。そのような主観とは切りはなれても優れたものは存在し続ける その意味では絶対も「ある」のです。
666 :
法孫悟空 :03/11/29 18:31 ID:sCZk05GI
補足:その生きた時代、文化、地位、社会といったものは、その人の背景である。
>>664 >こういうところばっかし見て批判するんだよね
逆に聞くがお前はこういう都合の悪いところは無視するのか?
実際に人を殺したかどうかって問題じゃねえだろ。
>不殺生戒と申すは、是の如き重戒なれども、法華経の敵になれば、此
>れを害するは第一の功徳と説き給う也。(秋元御書)
お前はこれを読んでどう思った?
こういうことを言う人間が「末法の御本仏」なのか?
>>664 >それぞれに説いた教えに執着した人々がいたから排他的とかになっちゃうんだよ。
まさにお前らじゃねーか。
一応自覚してんのか?(w
669 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/29 21:30 ID:9DxGhykH
法孫悟空さん、ひさしぶり >教判についてだが、まず天台の教判がなんであるのかその辺を知りもしないで「こんなの俺的ランキングにすぎない」 なんて言うな。 五時八経の教判は、八万四千もの仏典を釈迦一代で説いた事を前提に成り立っており、 この前提は、仏典は何世紀にわたっていろいろな人が説いたとする「大乗非仏説論」に よって崩されております。ついでに >天台のその論理性はみごとだよ、あんたのようなそんなな軽薄なものではないことをよく心得ておくべきだね。 その見事な倫理とやらを説明してもらえないかな。むかし平田篤胤(一七七六〜一八四 三年 安永五〜天保十四年)という有名な国学者が 「実に法華経一部八巻二十八品、皆、能書きばかりで、肝心の丸薬はありやせぬ。 もし腹の立つ人があれば、その丸薬を出してみせろと言うつもりでござる」 と言っていたが、「すごい」とか「素晴らしい」とかばっかり言っていないで、少しそ の中身を見せて貰いたいのだが。
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/29 21:44 ID:MOZBFPj8
@他力本願 この言葉は世間では,他人の力を当てにして自分の願い事をかなえるという怠け者の代名詞のように使われていますが,本来の意味は全く違うのであります。 他とは仏さまのことで,仏さまにお願いするのではなく,仏さまから願われているということです。 宗教とは無病息災,商売繁盛,入試合格など自分の欲を満たすために願かけをすることと思っている人が多いようです。 浄土真宗の御開山親鸞聖人は,このような宗教はにせものであると言われました。 私達のお寺には,お札,お守り,おみくじなどはありません。 人の欲は際限がありませんし,誰しも人生はいつどんなことかあるか分かりませんので,他人と比べて自分がどれだけ欲を満たしているかを幸せの判定基準にすることはできません。 私達の本当の幸せは仏さまの願いにおまかせし,安心して生かしていただくことと思います。 無条件に先回りして案じていてくださる仏さまのお心を,親心にた とえられます。
671 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/30 05:01 ID:sbJi73K/
親鸞は、人一倍性欲が強かった。女性に対する思いが、どうしても断ち切れない。 出家した僧侶にとって、女犯の罪は大変重い。当時の僧侶の世界では、妻帯するものが 普通になり、それをかくす傾向さえなくなっていた。それにもかかわらず、妻をもつこ とは否定され、性欲をみたすことは禁じられていたのである。 僧侶たちはこのいましめを平気で破りながら、口では性欲をみたしてはいけないとい っていた。表面は賢そうによそおいながら、裏ではそのいましめを破っていたのである。 親鸞はまともにそのいましめをいましめとしてうけ取り、実践しようとしたために、自分 の性欲をどうするかで悩んだのである。彼が比叡山からおりたのも、また六角堂にこもっ たのも、このいましめをどうしても守れない自分を発見したからであり、そういういまし めを守るように求める教義についていけなかったからである。 いままでの仏法の説くままに従って、隠れて妻を持ついんちきの生活をするか、あるいは その仏法にそむいて性欲のままに生きるか、この二者択一を迫られたのが、比叡山をおりた 頃の親鸞の心境である。 阿弥陀如来を念仏すれば、誰でも極楽浄土にいけるという教えを説いている僧侶が居た。 法然である。自分に正直に生きようとすると、地獄に行くしかないと苦しんでいた親鸞は この教えに飛びついた。そしてその親鸞を、法然はそれが人間だと言って迎い入れた。
672 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/30 05:02 ID:sbJi73K/
「善き心の起こるも、宿善があったがために起こり、悪しき心の起こるのも悪業 のためである。何事も心の動きにまかせるなら、浄土をつくるために、千人殺せ といえば殺すだろう。けれども、一人にても因縁がないなら、殺さないであろう。 自分の心が善くて、殺さないのではない。また、殺すまいと思っても、因縁があ れば殺すであろう」 親鸞は人間は生きている限り、善悪二つのなかで、立ち往生する以外にないとみたのである。 人間が容易にこれこそ絶対的善であるといっている殺さない行為にしても、人々は自分が生きる ために日々殺すという行ないをくりかえしているのである。人々は善かれと思いながら、他人に 悪をなしている。人々が悪をなさないためには、死する以外にない。法然にあうまえの彼は、ま ったく絶望の人であった。そのままでよいといわれたときの彼の喜び。そこから、彼の信が生ま れた。 「人間は自己の修行にによって悟りを開くことができるものではない。 念仏をとなえたから極楽浄土に往生できるものでもない。人間は無力で あり、阿弥陀の本願によってのみ救われるのだ」 と言っている。阿弥陀如来の救いの願いが,思えば親鸞ひとりのためのものであったことに 気づいたという。だから親鸞は「弟子一人も持たず候」と言い、やっと阿弥陀如来によって 救われた自分が、弟子を救えるはずが無いという。ただ自分が救われた道を、あとからつい てくる人に、示すだけなのだ。 「念仏をしてほんとうに浄土に生まれることができるか、それとも地獄に落ちる業となるか、 そんなことに関心を持たぬ。よしんば法然上人にだまされて、念仏した結果地獄に堕ちたと しても、わたしに後悔はない。なんとなれば、念仏以外の修行をやって、それで仏となれる はずの身が、念仏をしたために地獄に堕ちたのであれば、そのときは「だまされた」という 後悔も起きるかもしれぬ。しかし、このわたしは、どんな修行もできぬ身だから、それなら 地獄がはじめからわたしに定められた棲処(すみか)なのだ。」 南無阿弥陀仏をとなえたら、必ず浄土に往生するということは、この親鸞は信じています。 あなたが信じるか信じないかは、それはあなたの問題であり、あなたが決めることです。
性欲は動物の本能だからね 人間であるかぎり、生きている限り断ち切ることはできない 自然に逆らい、それを悪としたのが苦の原因ではないかな 確か真言とかの密教では、性欲は悪としていなかったですよね。
大切なのは、「理性」ですね。
なんで親鸞の話してる香具師がいるんだ?ウザイよ
色々と興味深い話しでてきて面白いよ。 いつのまにか、お邪魔しますさんとかがこのスレ引っ張ってるね。 お邪魔しますさん自体は、浄土でないよ。(どちらかと言えば無宗教に近い) 布教のためにカキコしてるわけじゃないしのでから、そうウザがらない
べつに親鸞や浄土真宗がきらいだといってるのではなくて スレちがいだと逝ってるのっ!
678 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/11/30 09:35 ID:p9TvZdD3
>>677 ウザがりさんへ
このあと道元について書くつもりだけど、同時代に生きた日蓮とこの二人とを比べると
仏教に対する三人の受け取り方の違いがはっきりと解ると思うので、もう少し我慢してつ
きあって下さい。
679 :
677 :03/11/30 10:11 ID:???
じゃしょうがないから付き合うけど、ちゃんと落ちがあるんだろうね?
>>672 親鸞さんの話の続き
「無上仏とまふすは、かたちもなくまします。かたちもましまさぬゆへに自然とはまふすなり」−末灯抄−
親鸞は阿弥陀仏を一切衆生を救う「宇宙意志」(無上仏)と表現した。
「宇宙意志」は人類全体を救わんとするために、様々なプログラムを組んでいる。
そのプログラムの中で、損な役割を与えられている人もいる。たとえば、堤婆達多などだ。
彼らは、釈迦が韋堤希に対し浄土の教えを説くために必要な人物なのだ。
しかも、釈迦が韋堤希に浄土の教えを説いたが故に、二千年後の日本人が
浄土の教えによって救われるのだ。
つまり、「宇宙意志」は二千年後の衆生の救済を見越してプログラムを組んでいるのである。
というのが“親鸞の見方”に違いない。
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/30 14:13 ID:2QL8nfVh
衆生救済が目的の仏陀が、性別、財産、地位、宗教、等の違いで人々を差別する事は無い。 「他宗教を信じれば救われない」と言うのは俗物の戯言である。
>>682 その通りですね。
道元さんの話
「ただ、我が身をも心をもはなち忘れて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、
これにしたがひもてゆくとき、力をも入れず、心をも費やさずして、生死をはなれ、仏となる」 −正法眼蔵(生死)−
これが「心身脱落」です。
月影さんに続けて。 「一寸座れば、一寸の仏」・・・やれば、やっただけ効果が上がる。 「只管打坐」・・・・・・・・・ただ、ありのまま。 詳しくは、「お邪魔します」さんにお任せします。
>>683 の続き
-------道元は蜘蛛の糸を登る------
蜘蛛の糸を登りながら
「本当にこんなことをしてていいのだろうか?」「行き先は極楽世界なのか?修羅の世界じゃないのか?」
「途中で落っこちないか?」「みんなが登ったら糸が切れるんじゃないか?」こんな妄想が起きてくる。
この妄想を止めるのが「心身脱落」であり、「我が身をも心をもはなちわすれ」ること。
そして「仏の家」(蜘蛛の糸)になげいれる。そうすると、次に「仏のかたよりおこなはれ」ることになる。
仏の力(加持)が加わってくるのだ。
−−加持−−
アディシュターナ(サンスクリット語) 加被、加護の意
空海はを仏から衆生に対する働きかけを「加」
行者がその働きかけを受け止め持することを「持」となずけた。
ほんとに落ちがあるのか? 単に日蓮批判をログ流ししたいだけじゃないのか?(w まぁいいけどさ
なんか関係ない話で誤魔化そうとしているみたいだね。
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/30 20:01 ID:lcEeC09R
内容が難しいよ・・・
689 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/01 00:23 ID:wd5gtk0E
「一切の衆生は本来仏性を持っており、人は元来仏である」 という天台宗の教えに対して、 「人がもともと仏なら、なぜ修行しなければならないのか」 というのが道元の抱いた疑問であった。彼は転々とした。だが、誰一人として、 比叡山では彼の納得できるように説明してくれる者はなかった。かくて、道元は その疑問の解決を求めて、比叡山を去ることにきめ、諸国を流浪する旅にでたの である。 彼の諸国遍歴の旅は、建保五年(1217年)建仁寺の明全の弟子となるとき までつづいている。明全という人は、一切妥協がなく、初一念を貫く人であった。 だから、道元も、「ひとり無上の仏法を正伝せり。あえて私のような者の比ではない」 といって、明全を非常に尊敬している。 念仏に生きることを説いた法然、それは親鸞が人間は本来悪人であるから、仏の絶対 慈悲を信じて、それにたよる以外にないと教えるものと変化していたが、法然の教えに も満足できなかった。念仏に生きる人間をみても、相変わらず、名誉、利益を血眼にな って追求しているし、殺生、虚言もいままでのようにおかし、いっている。法然がその 教えを説きはじめて、相当の年月が経過しながら、世の中が少しも良くなったと、いう ことがみられない。 道元からみたとき、法然やその門弟は錯覚におちいっているとしか思えなかった。 「ひっきりなしに口を動かして念仏するのは、春の田の蛙が夜となく昼となく、 鳴きたてるようなものです。いくらやっても到底益はありません。ましてや、 名誉、利益を求める心で深く迷っている人々は、それを捨てられません、そも そも利益をむさぼる心が特別に深いからです」 と書いている。
690 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/01 00:24 ID:wd5gtk0E
明全と道元の二人にとって、仏法の真理は日本にはなくて、宋にはあるらしいと思ったので ある。それをさぐって日本にもちかえる以外に、日本に光明は訪れないというのが、その時の 彼らの思いであったろう。こうしてふたりは博多から船にのったのである。 道元は貞応二年(1223年)四月、宋の慶元府の沿岸についた。同行した明全は、すぐさま 上陸して、景福寺にゆき、ついで、太白山天童景徳寺に入門したが、道元はなお三ヶ月の間船に とどまっていた。 ある日この船に一人の老僧が訪ねてきた。 「自分は阿育王山の食事を司る役をしている者で、今年六十一歳だ」という。 「今朝、阿育王山を出発したが、品物を買ったら、また二十粁の道を歩いて、かえるのだ」ともいう。 道元はこの老僧に茶を出してもてなした。 道元、「今日偶然にお会いした。今晩はぜひ語りあかしたい」 老僧、「それはできない。明日は私が食事の世話をしなくてはならない」 道元、「あなた一人くらいいなくても、どうということはないのではないか」 老僧、「とんでもない。私にとってこれが大事な仏法修行である。人にまかせるなんてできない」 道元、「あなたは、もうかなりの年である。静かに、勉学して、仏典をきわめたらよいのではないか。 いつまでも、食事を司る役に恋々としている必要はないのでないか」 老僧、「あなたは勉学のなんたるかがわかっていない。文字のなんたるかもわかっておらぬな。」 こう言い残して、老僧は帰っていった。
691 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/01 00:25 ID:wd5gtk0E
また文字について正法眼蔵随聞記にこう記されている。 わたしが宗国にいた時のこと、禅寺で古人の語録を読んでいたところ、四川省出身の僧で修行を 立派になさった方であったが わたしにたずねられた。 「語録を見て何の役に立つか」 「故国に帰って人を教化するためです」 「それが何の役に立つのか」 「衆生に利益を与えるためです」 「それは結局のところ 何の役に立つのか」 この問いの意味を考え詰めてみて、語録公案の類は結局自分の修行や他人の教化に無用であること がわかった。 むしろひたすら坐禅して一生参学の大事を明らめ、一切世界は心の造りなす道理なるを見究め悟り 得たなら、その後では一文字を知らなくても、人に真理を教え示す場合にも限りなく自由自在であろ う。 文字が示すのは悟りや真理はこうであると言っているのに過ぎず、決して悟りや真理そのものでは ないのである。それより自分が悟りを得た方が、人に教えるにも、人を導くにしても、自分の悟りを 語ればよいし、自分の修行を見せればよいのである。そこには文字は必要ない。 このことを知った道元は、さらに師を求めて中国国内を転々とするのであった。
692 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/01 00:27 ID:wd5gtk0E
宝慶元年五月一日、道元は生涯の師である天童如浄に会うことが出来た。如浄という人は、十九歳 の時、求道の道を歩み始めて各地に真の師を求めて転々とした後に、やっと曹洞宗の足庵知鑑に会う ことによって、いかに生きるべきかということを体得した人で、年とるにつれて、いよいよ弁道工夫 の猛烈な修行をつづける人であった。その間、世俗に近よらず、皇帝から禅師号をおくられても、そ れを問題にすることなく、常に禅的真理を追求して、それに生ききろうと心がける僧であった。 如浄の指導はとても厳しく、如浄が先頭にたって、夜は十一時半頃まで坐禅し、朝は二、三時頃 より起きて坐禅をくむというありさまであった。その間、弟子たちのなかに、眠そうな者がいると、 こぶしをもって打ったり、くつでたたいたり、さらには、鐘をうって、弟子たちの怠慢をいましめた。 如浄はつぎのように教えた。 「坐禅は身心脱落で自由そのものである。これは、焼香とか礼拝とか、看経でなくて、 ひたすらに坐禅することである。また身心脱落とは五欲を離れ、五蓋を除いて、法その ものを体得して、真に自由になることである。」 すなわち法と一体になることが自由を得ることであり、それが身心脱落の状態になることであるとい うのである。 あるとき、如浄は坐禅の最中に、眠っている僧をみつけて、 「坐禅は身心脱落を求めるもの。それなのに、眠っていてどうなるのか」 と叱咤した。その声を聞いた道元が法を体得して自由そのものの境地に到達したのである。彼はつい に、法そのものにまで到達したのである。かくて、彼は如浄から仏仏正伝の印授をうけることになった のである。彼はいまや釈迦の教えをそのまま伝授されるものになったのである。
693 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/01 00:30 ID:wd5gtk0E
道元の得た真理とはどんなものだろう。正直言って私にとっては「?」だけど 正法眼蔵の第一現成公按(げんじょうこうあん)から見てみたい。 「現成」とは、「現に成立しているもの」、 「公按」とは、「絶対に動かすことのできない真理」 現成公按からすれば、あらゆるものが仏法であるから、そこには迷悟があり、修行があり、 生があり、死があり、諸仏あり、衆生がある。 現成公按からすれば、それぞれのものはみな無我であるから、そこには迷いもなく、悟りも なく、諸仏もなく、衆生もなく、生もなく、滅もない。 総じて、このようにいったからとて、ありありなしなし有無の相対をこえたものであるから、 生滅、迷悟、生仏は絶対の事実としてあるだけである。 花は人びとに愛され惜しまれながら散りゆき、草は人びとにきらわれすてられながら生い繁る のが、あるがままの相(すがた)である。 自己を離れないで真実を明らかにしようとするのが「迷い」であり、真実を自己の体験の上で 明らかにしていくことが「悟り」である。迷いを迷いであると悟るのを「仏」といい、悟りの 中にありながら、迷っているのを「衆生」という。人間には、悟った上にも悟り抜いていく人 と、迷いの中に迷いを重ねる人とがいるだけだ。 ・・・・・・・・・・・ 仏道を修めるということは、自己を修めることである。 自己を修めるということは、自己を忘れることである。 自己を忘れることは、真実を明らかにするということである。 真実を明らかにするということは、自己の身心も、自分以外のすべてのものにも、いっさい捉われないことである。 そうすると、ついに悟り得ることができるが、そのことにも捉われなくなったとき悟りが身についてくる。
で、落ちはないのか?>お邪魔
>>692 道元は中国から帰国する際に、師の如浄から次の餞(はなむけ)の言葉を送られています。
「国に帰り、化を布(し)き、広く人天を利せよ。城邑聚落(じょうゆうじゅらく)に住する莫れ、 国王大臣に近づく莫れ。
ただ深山幽谷に居して、一箇半箇を説得し、吾が宗を断絶にいたらしむること勿れ」 −「建撕記」−
これは、
おまえさん、日本に帰ったら政治に近づいたらいけませんよ、(北越)入山して一人ぐらいの弟子を
教育しこの教えを伝えていきなさい・・・・と言うような意味でしょう。
日蓮は仏教とは関係ない。 喪家は、日蓮と関係はあるかもしれんが 仏教とはまったく関係ない、 単なるオウム級カルト
念仏は無間地獄に墜ちるだろ。禅は天魔だろ。 ウザイからもうやめろ>お邪魔 いつまでもオチも見えないし。
698 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/01 11:04 ID:SVFUmkMd
>>697 お前の落ちを見つけるのはお前の役目だ
日蓮、親鸞、道元を読んで、どうするかはお前だ
落ちたければ、彼らと同じように、修行すればいいじゃないか
人に頼るな
お前が一番ウザい
699 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/01 11:24 ID:SVFUmkMd
>>665 >法孫悟空さん
優れた作品かそうでないのかは
読んでる己の問題
優れているとかそういうものを取っ払って接せませんか?
「絶対」という「色」に捕らわれないでさ
法華経を信じてるあなたには嫌なことだろうけど
色即是空、絶対を「空」にしちゃえよ
絶対という鎖から、解放されちまえよ
絶対は有るも無いも同じ
どうでもいいことなんだよ
700 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/01 12:08 ID:MraX3N5o
道元は中国から 「眼横鼻直を知る(目は横に、鼻は縦についているのが分かった)。」 と言って帰ってきた。 このことば好きなんだよね。 事物はただあるだけ。正しいとか、美しいとかは事物に関係なくこちらが勝手に 判断しているんだよね。ただあるだけ。諸法実相とはそれだと思う。
701 :
法孫悟空 :03/12/01 17:56 ID:nvHs5EfF
>667 >逆に聞くがお前はこういう都合の悪いところは無視するのか? 都合なんか悪くないよ、だから言ってるんだろが、ボケ! >実際に人を殺したかどうかって問題じゃねえだろ。 お前分かって言ってるのか??? >>不殺生戒と申すは、是の如き重戒なれども、法華経の敵になれば、此 >>れを害するは第一の功徳と説き給う也。(秋元御書) >お前はこれを読んでどう思った? お前なーここだけ読んで判断するな、ばか! この御書は秋元太郎へあてた信心の難しさをたとえをもってしたためた御書だ。 前後を読めば今日本国は謗法のものばかりで「又報恩経に説かれて候がごとくんば過去せる父母、兄弟。姉妹、一切の人死せるを食し又生きたるを食す、 今日本国亦かくの如し真言師、持斎等人を食する者、国中に充満せり、是ひとえに真言の邪法より事起れり、、、、 彼に習いて人の肉を或いは猪鹿に交え或いは魚鳥に切り雑へ、或いはたたき加え或いは鮨として売る、食する者数を知らず 皆天に捨てられ守護の善神に放たれたるが故なり、結句はこの国他国より攻められ自国どし打ちしてこの国変じて無限地獄と成るべし、、、」 というすごい前フリがあるんだ、今のわれわれには想像できないが人が人を食ってたということだ。 次にお宅の言ってる「不殺生戒と申すは、是の如き重戒なれども、、、」がつづく、つまりだこれこそ時代背景を考慮しなければ考えられないことだ、当時は食のために 人を食っていたんだよ、そして不殺生戒という戒律がありやぶれば無限地獄へいくと説かれているにもかかわらず犯していた、
702 :
法孫悟空 :03/12/01 17:57 ID:nvHs5EfF
そのことにふれ「、、、覚特比丘は無量の謗法のものを殺し、阿育大王は十万八千の外道を殺し給いき、これら等の国王、比丘は閻浮第一の賢王、持戒第一の賢者なり、、、」 という例をあげている、阿育大王は釈迦の予言どおり仏滅後100年に生まれた大王で敵対するものをつぎづに殺し暴悪大王といわれていた。 しかしその後改心仏教を保護し、優れた政治を行い、当時の閻浮是つまり世界にあたる全インド統一といってもいい大偉業を成し遂げた人。 そして「悲しいかな我ら誹謗正法の国に生まれて大苦に値はん事よ、、、、謗国の失を脱れんと思はば国主を諌暁(かんぎょう)し奉りて死罪か流罪かに行なわれるべきなり 、、、過去遠遠功より今に成らざりける事は加様のことを知る弟子等 の中にも当世の責めのおそろしさと申し露の身の消えがたきに依りて或いは落ち或いは心計り信じ或いはとうかうす、この経の文に難信難解と説かれて候、、、謗ずる人は 大地微塵の如し、信ずるものはそ爪上の土のごとし、謗ずる人は大海、進む人は一滴。、、、」 とつづく、正法を保つことの難しさ、正法を破るものを目の前にして責めないのは謗法である、その意気込みといったものを阿育大王などの例を引いて秋元太郎への 書簡でしたためられたのである。 分かったかドアホウ!!!! こういったものを部分だけで判断するな、ばかもの無知さらけ出しだな、お疲れさん!
ここは議論スレだと思ってたんだが・・・ブッダさんも気の毒なこった
>>701 だから何? 何が言いたいの?
涅槃経からの引用で、
法華経の敵を殺すことは功徳だって釈迦が説いた って
日蓮が述べていることに変わりはない。
>>702 覚特比丘は無量の謗法のものを殺し、阿育大王は十万八千の外道を殺し給いき
「給いき」 って尊敬語だって知っている?
外道 を十万八千人もお殺しになったって
誉めたたえてるんだよ。
敵を殺すと功徳になるっていうのが喪家の根本
706 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/01 21:01 ID:8cJ9SL/U
親鸞から約40年、道元から約20年遅れて、日蓮が出てくる。日蓮が出家して何を 求めたか学会のホームページから見てみよう。 「承久の乱」(1221年)で、朝廷側が天台真言の秘法によって勝利を祈った にもかかわらず、惨敗したのはなぜか 仏教は釈尊一仏が説いた教えであるのに、なぜ各宗派に分かれて争うのか 自分の父母等も信ずる念仏の行者が臨終(りんじゅう)の時に狂乱、悪相 の姿を現ずるのはなぜか 要するに民衆を救い、社会の安定を実現するために、仏法は本当に力を発揮できる のかという疑問であり、民衆と社会を救う智者になりたいというのが、幼少の大聖人 の願いだったのです。 なんか変ですよね。もともとブッダの教えは一人一人のの心を重視し、心を変える ことにより「苦」からの解脱を求めるものだったはずです。決して共産主義宣言のような 「民衆を救い、社会の安定を実現する」事を第一の目的に掲げるものではない。 ここから日蓮の教えは、仏教用語を使いながら、仏教とは違う思想を展開していくのです。
707 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/01 21:03 ID:8cJ9SL/U
続いて学会のホームページから 清澄寺では、もはや学ぶべきものがないほどに研鑚(けんさん)を深められ た大聖人は、17歳のころに「一切経を見候いしかば八宗並びに一切経の勝劣 粗是(ほぼこれ)を知りぬ」(同893ページ)とも述べられているように、 一切経の勝劣を知りうる智慧、すなわち、全仏法の根底と言うべき仏の悟りの 法である「妙法」の智慧を得られたのです。 まもなく大聖人は、鎌倉・京都・奈良等の各地の諸大寺を巡る遊学を開始し、 一切経を閲覧するとともに、小乗・大乗の各宗派の教義の本質を把握するこ とを目指しました。その結果として、大要、次のような結論に至ったと拝察で きます。 (1)法華経こそは釈尊の説いた一切経の中で最勝の経典である。 (2)御自身の悟られた妙法は、法華経の肝要の法である妙法蓮華経の五字であり、 釈尊の滅後においては、この妙法蓮華経の五字こそが人々を救う根本の法とし て弘 (ひろ)められるべきである。 (3)肝要の妙法を悟った御自身は、妙法蓮華経を弘めて、末法(まっぽう)の人 々を救う使命を仏から託された地涌(じゆ)の菩薩(ぼさつ)に当たる。なか んずく、その上首(じょうしゅ)・上行(じょうぎょう)菩薩の再誕として末 法救済に先駆して戦い、凡夫成仏の妙法を末法流通(るつう)の法として具現 化していく使命がある。(「末法」とは、釈尊の仏法が救済の力を失う時代の ことで、釈尊が入滅してから2000年以後とされます) (4)当時の日本に弘められている諸宗の教義には、法華経の正法に背(そむ)く “謗法(ほうぼう)”の要素がある。御自身が上行の弘教(ぐきょう)を進め て諸宗の謗法を責めれば、大難が押し寄せてくる可能性がある。 18歳から14年間にわたる遊学は、御自身が悟った妙法こそが、人類救済のための根本 の法であることと、御自身は、この妙法を弘めて、末法の人々を救済していく上行菩薩の 使命を担っていることを確認するための過程であったと言えます。
708 :
法孫悟空 :03/12/01 21:05 ID:nvHs5EfF
>704.705 このようなアホがいるから世の中良くならないんだよ。 「法華経の敵を殺せば功徳になるから殺せ」なんて言ってないんだよ、分からんやつだのー。 だから阿育大王のような気構えで事に当たれといっているだけだろうが。 それにこのような場合やはり時代背景を無視できない、今のように生ぬるい時代と違って例えば武士は気に食わなければ平民を殺していた時代だ、 その時代に書かれた書簡であることを理解もせずに一部分のみを取り出し「法華経の敵は殺してもよい。」などと言うものはとんでもない野郎だよ。 お前のようなやつを悪人というのだよ、真実を捻じ曲げて平気なものだからな。 それから涅槃経からの引用なんて書いてないよ。
709 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/01 21:08 ID:8cJ9SL/U
日蓮にとって悲劇だったのは、これらの間違いを正してくれる師に出会わなかったこ と、親鸞、道元もはじめよき師に出会わなかったが、後に法然といい、如浄というよき 師にめぐりあったのに比べ、彼は生涯師という人にめぐりあわず、書物、あるいは、世 界の事象を師として学んだということです。 日蓮の思想が、経典や論書などの文字を元にして作り上げられていることです。道元の ところで書いたとおり、文字とは月を示す指に過ぎないのです。文字自身が真理ではない。 だから出家して修行を繰り返して、自分の経験から真理を探り当て、悟り得て救われるの しかないです。 日蓮は悟りによる救いより、自分の仏説の正しさを求めた結果、ブッダの教えから離れ てしまった。そしてそれに気が付いていない。
>>709 道元に感じ入りました。
「文字とは月を示す指に過ぎないのです。文字自身が真理ではない。」
んー日蓮とは質が違う。全然違う。
>>708 涅槃経からの引用なんて書いてないよ
じゃあ、どこからの引用なんだ?
嘘吐きはおまえ。
>>708 阿育大王は十万八千の外道を殺し給いき]のような気構えで
殺せ ってことだろ。
「給いき」は尊敬語だぞ。
>>698 何言ってんだ。
スレ違いだが、オチがあればまあよしとしようということで書かせてやってんじゃねーか。
親鸞や道元なんてこのスレと関係ないだろ。。
禅ヲタのお前こそウザイ。
714 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/01 21:48 ID:8cJ9SL/U
あっ、それから急に思い出したんだけど、悟りというのは個人個 人で獲得するものだからね。これは公明党が政権を執って、憲法 を改正したら、日本人全員が悟りを得るというものではないこと で解ると思う。 まっ一部そう考えている人も、いるみたいだけど。
>>713 に禿同。
勝手にスレ違いのこと書き垂れて「落ちを見つけるのはお前だ」「これをどうするかはお前だ」
って屁理屈があるかよ。
日蓮批判を封じるログ流し、つまり「荒らし」以外の何物でもないじゃないか。
こういうルール無視な暴力的手段をおかしいと自覚できず
「落ちたければ、彼らと同じように、修行すればいいじゃないか
人に頼るな お前が一番ウザい」と見当違いの説教&逆切れ。
偉そうなカルト狂信者に特有の反応とでもいいようがないな。
>>709 がお邪魔の落ちだな。
それだけのこというために、前ふりが長過ぎだよ
いくらなんでもひっぱりすぎだろ
もっとよく文章練ろうな(w
日蓮がキチガイなのはわかるが、それを示すのに親鸞や道元を持ち上げなくてもいいだろ。 似たり寄ったりだろ。
718 :
法孫悟空 :03/12/01 23:00 ID:nvHs5EfF
>699 Sbさんあなたの話はいつも雲をつかむようで分かっているのかいないのかよく分からない。 あなたは禅宗だと思いますがどうでしょうか? わたしにはあなた方は「絶対はない」と言うその意味を理解しているのかいないのか疑問だと言いたい。 絶対はないから何を信じても本人の勝手と聞こえる。、、、まさに天魔だな。 現実世界は仮諦であり変化しないものはない、その意味であらゆる物質に絶対はない、だが法は物質ではない「ある」でも「ない」でもない 物質ではないから、このことを空と捉える。しかし現実に思考は存在する、その本質を見極めることが中諦。 この空仮中の三諦という法則は絶対である。 >693 いいこと言ってますね。 >無我とか自己を離れないで真実を明らかにしようとするのが「迷い」であり、真実を自己の体験の上で >明らかにしていくことが「悟り」である。迷いを迷いであると悟るのを「仏」といい、悟りの >中にありながら、迷っているのを「衆生」という。 これも九識論で説かれてます。自己という煩悩にまみれた識は第六識、第七識にあたります。 その奥に個人というわくを越えた意識が存在し男とか女とか日本人などという共通の識が存在します。 その第八識まで到達した境地は人だけではなく動物や植物、微生物までに至り万物を生み出す基盤にまで拡大されます。 さらにその奥に根本清浄識しいう第九識という「九識親王真如の都」が存在します。
719 :
法孫悟空 :03/12/01 23:01 ID:nvHs5EfF
それが「無量義とは一法より生ず」と説かれた一法、つまり妙法によって生命本来の都にもどり最高の境地に達しそのことが第八、第七、第六、第五識を 本来の識の姿に導くと説かれています。 しかしお邪魔しますさんの言っている「悟り」はせいぜい第七識までです。その理由は「真実を明らかにするということは、自己の身心も、自分以外のすべてのものにも、 いっさい捉われないことである。」と述べているところで分かります、というのは人は生存している限り第五、第六識にとらわれている訳です。 それが捉われなくなるのは通常の生活レベルの識では絶対に有り得ないからです。 せいぜい禅定のときに捉われなくなるだけで、生存レベルで性欲やあらゆる執着に捉われないということは人間にはできません。 だから無量義は一法より生じる、その一法つまり妙法により第九識を親王真如(しんのうしんにょ)の都なすることしか第五、第六識という 通常の識を本来の無垢な識に変えることができないのです。
720 :
法孫悟空 :03/12/01 23:07 ID:nvHs5EfF
お邪魔しますさんがいろんな宗派について語ってくれていますが、ご本人は結局何も信じてないようで、まるで迷える子羊のようですが。ちょっと前後してすいませんが。 >五時八経の教判は、八万四千もの仏典を釈迦一代で説いた事を前提に成り立っており、 >この前提は、仏典は何世紀にわたっていろいろな人が説いたとする「大乗非仏説論」に >よって崩されております。ついでに だから以前に説明しているように大乗経典が釈迦以外の者による経典である、という前提があって天台の教判は成立しない、ということだとわたしは言っています。 何度も何度も何度も言っていますが原始仏典も含め全ての経典のうち釈迦が直接言ったであろう経文がどれほどあるのか、分かっているのでしょうか。 分からないわけです。大乗経典の中にも直説はあると思いますが、天台は八万法蔵が全て釈迦一人が説いたものでないことは分かっていたと思うといいましたが、 どれが直説かわからない以上、天台の行なった教判の方法は真理を導き出すひとつの方法として有効であると思う。 >>天台のその論理性はみごとだよ、あんたのようなそんなな軽薄なものではないことをよく心得ておくべきだね。 >その見事な倫理とやらを説明してもらえないかな。 その教判がどのようなものかそれを批判する以上ご自分でも勉強してみて下さい。
721 :
法孫悟空 :03/12/01 23:33 ID:nvHs5EfF
>むかし平田篤胤(一七七六〜一八四三年 安永五〜天保十四年)という有名な国学者が >「実に法華経一部八巻二十八品、皆、能書きばかりで、肝心の丸薬はありやせぬ。 たかが一学者の言うことには耳を傾けて、仏の説く経典を信じないというのはどうしたことか、だから難解難入といったのだろう。 >706 もともとブッダの教えは一人一人のの心を重視し、心を変える >ことにより「苦」からの解脱を求めるものだったはずです。 その考えは原始仏典の考えをよりどころとしたものの見かたでしょ。 そのことはあなたがその教えに執着しているからにほかならない。 八正道はわれわれには道徳でしかない。 執着することから苦が生まれるというのは真理ですがあらゆるものに執着しないというのは できないし、これだけでは個人的な悟りでしかない。 例えばある営業マンが成績が上がらずに生活ができないくらい収入が減り生きていけなくなったとしよう。 この場合成績を上げるためにいろいろな方法を考えて働かなければ稼げない。つまり一生懸命そのことに執着しなければならない。 もし執着しなければ苦はなくなるがそれでは乞食になるだけである。 乞食もそれはそれでいいだろう自分個人だけは救われるだろう。 しかし家族がいる、妻や子もいっしょに乞食になってくれるのか? 社会の変革というものも悟りには必要でありみんな関わっている、関わらざるおえない。
不殺生戒と申すは、是の如き重戒なれども、法華経の敵になれば、此れを害する は第一の功徳と説き給う也。(秋元御書) 例せば殺生戒は仏誡の第一であり、生物を残害しないのは道徳心の発端である。 それにしても謗法の者を懲罰するは、法華行者の義務であり、いかに折伏してもこ れに応じない者は、これが一命を断つとも已むを得ない。これかえって真の慈悲であ る。この意味からいえば、謗法者を殺すのは、法華経主義からいえば、不道徳でな いのみならず、かえって大道徳になる。
>>721 社会の変革というものも悟りには必要でありみんな関わっている、関わらざるおえない。
↑
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講さん、ミッケ。
孫悟空以外にもH.Nたくさんもっていそうだねぇ(藁
しかし御前の書く文章は癖が目立っていて分かりやすいね(大藁
724 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/02 00:16 ID:V5GusI1f
大乗仏教が小乗仏教の連中を非難するのに 「自分だけの悟りを求めて、人々の救いを忘れている」 というのがある。反対に小乗の方の言い分は 「自分が悟っていないのに、本当に人を救えるか」 ということだ。 本当に悟りを開いて自分さえも救っていない人が、美辞麗句を並べ人々を救うという 名目で教化を始めたらどうなるか。凡夫本仏と言い、自分の行いを菩薩の行為と言って 人々を誘うとどうなるか、冷静になって、池田大作氏と学会員の言動を見れば解ると思 う。 凡夫本仏の凡夫と、本当に悟りを開いた仏がどう違うか、道元は自分の身をもってそ れを示してくれている。 法孫悟空さんや日蓮もそうだが、理論は立派。でも口先だけなんだよ。ブッダの教えは 実践しなければダメだし、その中で経験を積んで高めていくものです。 法孫悟空さんの言っていることは、一流ホテルの料理長が書いたレシピを示して、お いしいだろう、と言っているのと同じ。きちんとした料理を作るには、ちゃんとした先 生について、何度も何度もやり直して身につけて行くしかないんだよ。そうなって初め て、他の人においしい料理を作って食べさせてあげられるのです。 悟りというものが伝えにくいのも、理論、理屈でなく実践面での経験が必要とされてい るからではないかと思っている。
>>724 「実践しなきゃ駄目」なんて層化みたいなこと言うなや。
それにお前の言う「実践」てなに?
726 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/02 00:52 ID:hevQJU1e
>>721 欲望や執着をするなと言っているのではない。
それらを制御しろと言っているのです。
727 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/02 01:18 ID:hevQJU1e
どうも売り言葉に買い言葉で、言葉がきつくなるな。 気を付けよう。
この スレ って も し か し て 「自・作・自・演」?? ですっか???
>>728 書き込み時間の流れでほとんどハキリだと分かるなw
「孫悟空」の時はコピペで連投している。
普通は、レスがガチンコしたり前後したりする罠。
Sb ◆SbSGI7AtEA も禿げだと分かるなw
>>724 お邪魔します様
・・・ってスゴイ方ですね・・・勉強になります。m(_ _)m
日蓮はカルトの始祖
732 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/02 03:13 ID:hevQJU1e
>>725 さんへ
>それにお前の言う「実践」てなに?
法孫悟空さんの
>例えばある営業マンが成績が上がらずに生活ができないくらい収入が減り生きていけなくなったとしよう。
と一緒に答えるね。
ブッダの基本思想が、四諦、八正道なのは分かるね。
営業マンにとって何が苦であるか、まず見極める。成績が思うように上がらないこと、が「苦」になっている。
次になぜ成績が上がらないのか、その原因を突き止める。顧客への対応や、商品の問題などいろいろある。
その成績が上がらなくしている元の原因をなくせば、問題は解決するんじゃないかな。
八正道は道徳ではなく、「苦」を解決する心構えを具体的に述べたものです。
これが私の言う、ブッダの教えの実践方法です。ブッダは特別なことではなく、当たり前のことを当たり前に
言っているのです。営業成績を上げるには、お題目を100万遍唱えるより、効果があると思いますけどね。
あとはこれをいろいろな場面で何回も何回も繰り返して、身につけることです。
>>724 >法孫悟空さんや日蓮もそうだが、理論は立派。でも口先だけなんだよ。
はぁ?論理もあきらかに破綻しまくってるじゃん。
ただ闇雲に信念を垂れ流してるだけ。藻前の目は節穴でつか(w
他宗派の開祖みて分かるとおり、自ら留学し探求してる しっかり経典を持ち帰り、後に布教も認められる。 一方、日蓮さんは、他宗派の坊さんやってて、 勉強途中で投げ出したよにも見えなくもない。 当時の天台で最高の教えと思われてた法華経に 独自の考えをもって自分教を広めようとしたようにも取れる。 公家や武家の権力に認められないと他宗派のように 広められない国家の事業として大きな寺建てられない 世間に認められない新興宗教のままでは不都合 権力に対し必死に働きかけを行おうとしてたかのような 動きが読み取れる。自分教えに逆らうもの既存の宗派には、 攻撃姿勢を見せ、自分からくってかかるしまつ 他の新興やってる権力者に新興宗教の教祖が来て、 行き成り改宗しろとか、けなされたらどうだろう? しかも身分が違う謎の新主教のお坊さんに、 喧嘩うられたととって激怒しない方がおかしい。 この動きは、迫害とか法難でなく、世間から注目されたいという利敵行為にも取れる。 さて、その後の結果見ても何かと問題起こす日蓮の系統 分派が次々に起こり問題起こしてる なにより、結果が証明してる。
735 :
鬼子母神陽子〆 :03/12/02 07:29 ID:YckIWNLe
創価学会員 鬼子母神陽子〆
>>734 日蓮大聖人に関しては、最初さまざまな宗教を
経験された後、それらが真に民衆を救う力のある宗教では
ないと悟られ、見切りをつけて、自ら真実、末法に
広まるべき大白法を残してくださったのです〆
当時は念仏など、誤れる宗教の蔓延で、ひとびとは
不幸のどん底にあえいでいましたから、そういった人を
救うために、立たれたんですよ〆
YOKO〆
末法と言って実は、像法時代だったぁ・・・。 法華経を最高とする根拠である無量義 実は、法華経派が作った偽経であった。
日蓮は、ブッダを騙るペテンカルトのモト
738 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/02 17:57 ID:08yG6BYF
>>713 、715
同時代の宗教家がどのような行いをして、
どのような教えを説いたかを知ることは日蓮と仏陀の違いを見つけるのに有用ではないのか
それを、オチだとかくだらない茶々を入れるからだろ
とくに715、勘違いもはなはだしい
オチを求めていることのほうがログ流しの「あらし」行為だよ
ま、いいや、お邪魔しますさん、すまなかった、スルーすればよかったね
739 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/02 18:52 ID:08yG6BYF
>>718 法孫悟空さん
禅宗ではないよ、禅の精神で生きていこうと思っている、至りませんけどね
>雲をつかむようで分かっているのかいないのかよく分からない。
「分かる」では駄目ですからね、あなたも、「分かる」では第七識にも至れませんよ
絶対に関してはそれに執着する危険性ですよ
諸行無常ならば、絶対も「空」でいいじゃないの
「法」も「空」にしちゃえばいいんだよ、ちょっと乱暴だけどね
まっさらになって、その「法」になればいい
>生存レベルで性欲やあらゆる執着に捉われないということは人間にはできません。
そうだよ、四苦八苦は死ぬまで、法華経を唱えようが、四苦八苦し続ける
悟ろうが四苦八苦し続ける、(やっとスレの流れになってくるけど)
その、前と後ろなどに目を向けるなよ、四苦八苦の一番最初はなんだい?
「生」だろ、それが、仏法なんじゃないの?
後はお邪魔しますさんが書いてるから、それをね
>>732 そんで、そこから
740 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/02 18:59 ID:08yG6BYF
>>729 たのむよぉ、おれは波木井さんは嫌いなんだ、勘弁してくれよぉ
それに、こんだけの書き込みを自作自演できる奴はいないよ
>>733 立派って言ってるじゃない、正しいとは書いてないよね
破綻していても、立派に着飾っているものをいっぱいあるよね
>>724 >悟りというものが伝えにくいのも、理論、理屈でなく実践面での経験が必要とされてい
>るからではないかと思っている。
おまえはどうやら真言密教の立場に近いようにも思えるな。
漏れは単なる仏教というカテゴリーの枠内で説かれるようなものを
シッダルダが説いていたとは思えない。
仏教であると自称する教団でもジナ教に近い教団やヒンドゥ教に近い教団もある。
それらを果たしてブッダの教えとしてもよいものか。
漏れはシッダルダは1つの教えに拘るような宗教的な考えはなく、人それぞれに
合った教え、悟りが存在するというそれまでの既存の宗教家が受け入れがたい
思想を示し、呪術的なものや迷信を否定的に捉えているからむしろ宗教ではなかったと思う。
シッダルダにしろ、空海にしろ彼らは色々な師に付き、あらゆる思想を吸収した。
空海は儒教、道教のみならず、キリスト教、イスラム教、ゾロアスター教、マニ教などの
あらゆる宗教・思想を見聞し、それを全て自分で消化させた。
そして、当時の最先端の仏教である密教の正統な後継者となり、さらに未完成であったものを
完成させた。彼自身は理論を修めることのみならず、多くの実践があったことは知られている。
三年の月日を経ても工事の見通しもたたなかった満濃池の修築を当時の最先端の土木技術に
よる指導で3ヶ月ほどで磐石のものにしたことを筆頭に、数々の実践がある。
土木工学だけでなく、鉱山技術や薬学、医学、占星術(天文学)なども一通り修めていたから
できたことだ。
結局のところはブッダの教えに拘ることは本来のブッダの教えではないと言えるのではないか。
漏れはナガールジュナうやヴァスヴァンドウは好きではないが、執着はいけないというが
執着しないということも執着しないというそのもの自身に執着しているということだろ。
それに対し、『執着に執着しないが、執着に執着しないのでもない』というようなおかしな言葉遊びの答えをだして
喜んでいるような大乗仏教徒自身が、実は地に足のつかない形而上学的な言葉遊びを好んでしたのが
そもそもの誤りだと思う。シッダルダ自身は『そんな無意味なことはするな』と説いたのではなかったか。
>>738 オチというのは、つまり
「要するに何がいいたいのかわかるように書け」と逝ってるのだ。
道元をかたることが日蓮とシャカのちがいを見つけるのに有用だとは思わないが
(それはたとえば白人をかたることがサルと黒人のちがいをみつけるのに有用だというようなもの)
百歩譲って有用だとしても、ログを流した割に結論はたいしたことなかったじゃないか。
結論がゼロだったというのではないぞ。消費したログの量に見合わないといっているのだ。
「オチを求める方が荒らし行為」などというに至っては
とうとう錯乱したかと判断せざるをえんな。
>>738 大体日蓮同様に道元とか親鸞だってブッダの教えとは関係ないだろって。
スレのテーマともブッダとも関係ない香具師等の話を延々と書かれると迷惑なんだって。
てめえが道元ヲタだからってかばうなって。
道元や親鸞について語りたいならヨソへ逝ってやってくれってことですよ。
744 :
742 :03/12/03 00:54 ID:???
漏れは742であって、743ではないが、 一応念のためいっておくと、漏れは743のいうとおり道元も親鸞も日蓮もシャカの教えと 直接関係ないという立場。大乗非仏説は現在でも大筋において有効だと考えるからな。 しかしシャカとの関係がどうあれ、道元や親鸞はそれとして・日本の宗教思想として奥深いものとは思う。 漏れは信徒になる気はないが、道元や親鸞に魅かれたり感銘を受けたりするのは気持ちとしてはわかる。 しかし、ここはそういうスレじゃないし、ましてや、もしも その「道元や親鸞がシャカの直説なり根本仏教から遠い」ことを理由にして 「同じくシャカの直説なり根本仏教から遠い日蓮」を免罪しようとするなら、 それもあまりに非論理的だろう。
745 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/03 01:22 ID:SayWk4Vb
日蓮やブッダだけでなく、同時代のほかの宗教者や、日蓮に関わった人物、社会的 出来事等もなるべく書いてみようとしているんだけど。 たとえば極楽寺良寛も学会では、律国賊や仏敵として扱われているけど、実際は鎌倉幕府の力を借りて 大規模な社会事業を行っており、忍性菩薩として慕われている。このようなことは学会の教学では省かれ ているし、日蓮自身も始めは清澄寺で念仏者として、修行していた。このことが法然に対する反発になって いるかも知れない。 生涯これといった師を持たなかった日蓮だけど、法然の生き方を参考にしたのは否めない。法然の弟子で 優等生が親鸞とすると、不良学生が日蓮になる。師に逆らったり反発したりしながら、結局同じ道を進んで しまったと見ている。 日蓮が政治に関わり、社会を変えることにより理想世界を作ろうとしたのに対して、道元はただ一人山に籠 もって悟りを求めていった。しかしこの道元と日蓮は、北条時頼で繋がっていて、立正安国論に何らかの影響 があると見ている。 この三人の開いた、浄土真宗、曹洞宗、日蓮系の宗派は今現在日本で大きな勢力を持っている。日蓮に対しては 皆分かっていると思うので、親鸞と道元について、やや詳しく書いてみた。
>>745 >たとえば極楽寺良寛も学会では、律国賊や仏敵として扱われているけど、実
際は鎌倉幕府の力を借りて大規模な社会事業を行っており、忍性菩薩として慕
われている。
そうですね。ただ忍性の主催する極楽寺が関料、津料を幕府の許可を得て民衆
から徴収しているのは事実で、それは社会福祉事業へ当てられるとともに富の
蓄積でもあったので、評価としては日蓮的な非難もあってしかるべきですよね。
>日蓮自身も始めは清澄寺で念仏者として、修行していた。
清澄寺は天台のお寺で、もちろん密教化していたし、日蓮の師は念仏者でもあ
りましたよね。日蓮は念仏も密教も学んでいたと言うことですね。そしてそれ
らに納得するところがなかったと言うことですね。
>法然の弟子で優等生が親鸞とすると、不良学生が日蓮になる。師に逆らった
り反発したりしながら、結局同じ道を進んでしまったと見ている。
当時の既成宗教からは法然は目の敵にされていたのでは。日蓮もその線に沿っ
て反発していると思います。そもそも天台沙門の自覚が強かった人ですから。
法然への反発といえばもちろん道元もそうなのでしょうし。同じ道とはどのよ
うな部分を指しますか。具体的に書いてもらえると嬉しいです。
>しかしこの道元と日蓮は、北条時頼で繋がっていて、立正安国論に何らかの
影響があると見ている。
ここも具体的にお願いします。
立証安国論に道元の影響が見られると言うことでしょうか。
>>745 済みません。
立証安国論 × → 立正安国論 ○
>日蓮が政治に関わり、社会を変えることにより理想世界を作ろうとしたのに
対して、道元はただ一人山に籠もって悟りを求めていった。
日蓮は幕府へ抗議はしたけれど、自身が政治の枠組みに組み込まれることが本
意ではなかったと思います。社会を変えるには政治に携わる人間を変えなけれ
ば駄目だと思ったのでしょう。そして三度の諫暁が受け入れられないと分かっ
たところで、山に籠もるのですね。
748 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/03 09:49 ID:uT+kwfp8
>>742 同じ時代に同じ場所から出てきた人たちが
どのような違いを見せたかというのは、その時代を知るのには有用だと思いますが
まさか、結論を出そうなんて考えているの?
それじゃあ、学会と同じだよ
>>743 関係ないかどうかは各々が判断することだろ
判断する材料は多いほうがいいではないか
>>744 >742
>「同じくシャカの直説なり根本仏教から遠い日蓮」を免罪しようとするなら、
>それもあまりに非論理的だろう。
それは無いですよ
実際、仏陀の説いた仏道を知るのに、経典を紐解いても駄目な部分があるじゃないですか
しかし、簡単に「拈華微笑」で伝わってしまうものでもあるし
それに、仏陀の説いた仏道を語るのに「悟り」を外す事が正しいのでしょうか?
「悟り」から日蓮がいかに離れたか、これもこのスレの流れに合致すると思うのです。
その立場からだと、オチを求めることのほうがスレから外れてくるのですよ
売り言葉に買い言葉だったことは謝罪いたしますが、違う視点から見て、書いていることを否定するのは
学会の方と変わりなくなると思います。
>>748 「悟り」は言葉で表せないし言葉では伝わらないでしょう。
BBSという形式にふさわしいレベルの話をすべき。
>オチというのは、つまり
>「要するに何がいいたいのかわかるように書け」と逝ってるのだ。
BBSに相応しく言葉で到達できる範囲のことを扱うなら↑こういうこと。
>簡単に「拈華微笑」で伝わってしまうものでもある
その前の段階にコミュニケーションの積み重ねか、あるいは同じものを共有しているという直観の元に
面と向かってふたつの魂が交感するというのはわかる。しかしこの場合その話はちょっと別かと。
インターネットは不特定多数がみるので、そういう伝達のしかたは返って荒れる原因。ふさわしくない。
750 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/03 16:19 ID:uT+kwfp8
>>749 もう、からんでこないでくださいよ
それこそスレ違いで、アラシですよ
で、あなたは何を主張したいんですか?
751 :
法孫悟空 :03/12/03 23:17 ID:n/Hu/TQZ
>>733 .743
結論だけ言われても意味ないよ、その理由をあなた自身語ってみたら。
>793「分かる」では駄目ですからね、あなたも、「分かる」では第七識にも至れませんよ
いえいえ私には九識親王真如の都にダイレクトに通じる妙法の五字を大聖人が残しているので心配いりません。確信もありますし。
絶対を空とすればたしかに捉われなくなる、しかし絶対とは中諦であって仮と空の両方をそのまま有りのまま受け入れることで
禅のように全てが心の現われであると考えると全ては幻となる。 だから禅宗の人は経典など関係なく自分の禅定体験だけが全てである。
しかしそれでは中諦、つまり絶対の法も幻になってしまう。 だから日蓮は天魔と呼んだのだ、すごく利を得ている考えだ。
わたしはあなたの考え方のほうが危険だと思う。
後半部分は納得する。
752 :
法孫悟空 :03/12/03 23:22 ID:n/Hu/TQZ
732 :お邪魔しますさん あなたの答えは別に宗教である必要は全然ないと思いますが成績が上がらない原因を探り解決する、それは誰でもやることです。 わたしが言いたかったのはその苦の原因が努力では何ともできないこと、例えば一生懸命働きたくても体にある種の問題を抱えていて 物理的に頑張ることができないとかこの場合の苦の原因は成績がうまく上がらないことと、そのための肉体的問題、前者は手法を工夫 すればOK、しかし後者はどうすることもできない、成績に執着しなければ苦は確かになくなる、しかしそれでは食べていけない。 例えば、さらに妻は仕事中事故に合い病院に入院、子供は学校へも行かず遊びほうけてしましに補導されたとしよう。はたして執着 しないだけで現実の問題を解決できるのだろうか? 大体、人のおおきな悩みというのはこんな感じで第三者を介して複雑さを増す、つまり個人的な悟りをして苦から逃れられても幸せ にはなれないことを言いたいのです。 しかし、われわれの仏法は一人の根本識が浄化されれば第五、第六識という通常レベルの識も清浄、正常になりそのことが依正不二、 つまり主体と環境は一体なので一人の変革(人間革命)は周りの人、物、環境に作用し全ては好転すると説かれます。 このことは実感しています。 その法は一念三千の国土世間が説かれてはじめて完結する論理です、これは法華経だけに説かれた法門です。
753 :
法孫悟空 :03/12/03 23:30 ID:n/Hu/TQZ
>745 優等生が親鸞とすると、不良学生が日蓮になる 日蓮が不良学生というのは、授業中さぼってタバコすってたとか?カツ上げしたとか?、、、 せめて天才と言ってほしいな。アインシュタインだって落ちこぼれだったんだ。 >生涯これといった師を持たなかった日蓮だけど 日蓮は全ての修行者が先生だった。十二歳のとき日蓮は清澄寺に出家、当時は延暦寺の末寺として天台宗に属していた。そのときの師匠は道善阿砂梨 というひと。天台宗なのに真言密教や浄土宗の教えもやっていた。一方で天台法華を説き、一方で念仏を唱え、真言密教もやっていた、 当時はみんなこんなかんじだった。 師匠も確たる信念があるわけではなく日蓮の問に十分答えられなかった。十二歳のこどもはすでにこのことに 疑問を持った、釈迦の教えはひとつのはずであるというものである。そして全ての経典を読破するために鎌倉へ修学の旅をはじめた。 そこでさまざまな師匠に出会った特に禅宗と浄土宗を重点的に学んだ。 そして浄土宗の大阿弥陀仏なる僧に師事したか臨終のとき師匠が大いに取り乱したのを見て下山したと語っている。
754 :
法孫悟空 :03/12/03 23:36 ID:n/Hu/TQZ
そして当時の最高学府とでもいう比叡山延暦寺で修行した。 しかしここの寺も一方で学生(がくしょう)学問僧と堂衆(仏前に供える香花のことを司る役僧)が対立していて時に武器を持って合戦までしていた。 寺の俗化は甚だしく延暦寺は大荘園領主その荘園警護のために武装し、年貢の取立てでサラ金のように利潤追求をおこなっていた。 僧侶の地位も年齢、修行歴、才能ではなく血筋、家柄を重視していた。そして当時わが日本は仏法王法両輪の国であった皇室は天照大神、 八幡大菩薩などの諸神に加護されているはず、ところが安徳幼帝が海底に沈み、また後鳥羽上皇が流罪になったり下克上があった。 このことも日蓮は当時の仏教の無能さを感じていた。その他のことはお邪魔しますさんが言っているので省略。日蓮は全ての経典を読破し釈迦の 本当の教えは法華経にあるという結論に到達した。もはや学ぶべきものがなくなった日蓮は現実の仏教界の堕落ぶりをみてさらに意気消沈し下山したのである。 お邪魔しますさんや他の人は「日蓮は政治に関わり、社会を変えることにより理想世界を作ろうとした、、、」と言っていますがこれは真実ではないですね。 仏教はすでに政治と関わっていた、ならば理想社会が実現できているはずであると考えた、ところが現実は先に述べたようにそうではなかった。 その理由として間違った仏教を行なっているからであるという結論を導いたのです。 政治に擦り寄るならごまスリをするはずである、しかし反対のことをしたわけである、日蓮大聖人の純粋な心はそんなところにはない。 現在の公明党のことにも触れていますがなぜ政治だけ特別視するのだろうか? 政治はその一部、弁護士、医者、学者、ビジネスマン、銀行マン、技師、 スポーツ選手、芸術家あらゆる分野に個人が関わりまた横の連帯もあるものもあります。ことさら政治を誇張すること自体おかしな話なのです。
下らねぇや法孫悟空。日蓮の教えで救われるのは煎じ詰めれば日蓮のみ。 創価学会の教えで救われるのは池田のみということだ。 他人の思想に支配されるようではダメだということ。 それでは奴隷以下の家畜よりもさらに劣る。従ってそれこそが地獄道であるのだ。 それぞれがそれぞれの考え方であるようにあればよいのだ。 どのような考えも無謬であってはならない。絶対的な絶対者を自分の中に つくってはいけないのだ。 どんなものでも崇拝の対象としてはならない。それこそが己を滅ぼす根本であるのだ。 他人の意見はあくまで他人の意見である。 ブッダというのは結局のところは超人以外の何ものでもないのだ。 他人(ブッダ、経文、日蓮、池田など)の考えに支配されるような自己を克服しないで 超人とはなりえない。 おまえの考えは池田流日蓮考だ。自己の革命はおまえ自身にある池田を倒さない限りは 成就しない。
756 :
法孫悟空 :03/12/04 00:21 ID:bzFxMvAS
お邪魔しますさんはわたしのことを理論だけで実践がないと言いました。 ちょっと視点を変えますが釈迦はどのような実践をしたのであろうか? 彼は悟りを語ってはいるがその実践である修行の方法は述べていない。原始仏典にもどこにもないのである。 彼の実践は何なのか? 釈迦は禅定によって悟った、つまり座禅をして座ったまま悟ったのである、これが彼の実践だ。わたしはおおいに疑問を感じる。 座ったまま悟って何になるのであろうか、実践とは体を動かす行動である。彼の体験は禅定体験である、しかもその禅定の方法も示していない。 ただ涅槃経に入滅のさいの禅定の様子が描かれていて、それが後の九識論へとつながる。 大乗仏典では唯識仏教派により九識論は極めつくされ確立した。その正確さは現在の心理学の分野ともその整合性により確かめられていると言える。 師匠である釈迦が何も語らない以上その後の仏により語る必要があった。 釈迦の直説ではなくても真理なのである。 さらに釈迦は無我ということを説いた、しかしもし本当に我がなかったら悟る主体もないわけであるから、それは生物ではなくあるがままのそれになってしまう。 どうも釈迦は悟るべき主体、つまりその我については否定していないようである。 それはそうだと思う。だから唯識仏教では我をなくすことは不可能なので根本識である第九識を浄化できれば通常域の我のレベルも 清浄化されると説いた。わたしはこのことは正しいと思うしこれしかないと思っている。 執着をなくせとか、無我とか座ってするだけの禅定のときならいざしらず、われわれは行動しなければならない、無我や執着をなくすことなどできない、 少しの間隠すことはできるだろうが。
仏教徒は、世界人口の6%。 主に信者は東南アジア近辺の漢字文化圏に集中しております。 ・・・おまえ、何を言いたいのかって?・・・なんでしょうね(苦笑)。
>釈迦は無我ということを説いた、しかしもし本当に我がなかったら悟る主体もないわけであるから、それは生物ではなくあるがままのそれになってしまう。 >どうも釈迦は悟るべき主体、つまりその我については否定していないようである。 >それはそうだと思う。だから唯識仏教では我をなくすことは不可能なので根本識である第九識を浄化できれば通常域の我のレベルも >清浄化されると説いた。わたしはこのことは正しいと思うしこれしかないと思っている。 ただの辻褄合わせに聞こえるが。「根本識である第九識」なんてオカルトレベルの与汰でしょう。
>>752 そこで挙げている「努力では何ともできないこと」の例だが
・一生懸命働きたくても体にある種の問題を抱えていて物理的に頑張ることができない
→治療に専念する
・妻は仕事中事故に合い病院に入院
→同じく治療に専念する
・子供は学校へも行かず遊びほうけてしましに補導された
→子供がなんでそうなったか考えどうにかする(一概にこうするという答えはないだろう)
とにかく「原因を探り解決する」ってことだよね。
それ以外無い。
それを、何だかんだ言っても要は「ゲキョゲキョ呪文を唱えれば解決する」っていいたいんだろ。
そんなの道理にかなってないでしょ。
>原因を探り解決する、それは誰でもやることです。
とは言うものの、その当たり前のことをやるのが意外と難しい。
それで「呪文をとなえれば解決する」なんて無茶苦茶なことをいう。
まあ、逃げだよね。
ゴマカシだよね。
困難に立ち向かうことを放棄しているってことだよな。
釈迦は当たり前のことを当たり前に言っただけだと思うんだけどね。
釈迦の言葉を「宗教」という形でとらえようとするからおかしくなるんじゃないの?
760 :
法孫悟空 :03/12/04 01:03 ID:bzFxMvAS
>755 法の崇拝は全然かまわない。 釈迦は初成正覚つまり修行をして悟ったブッダである立場を初めとった、しかし法華経ではじめて久遠実成という五百塵点劫という 久遠の昔に実は成仏をしたことを明かした。 これはどういうことかと言えば釈迦の頭の中にすでに真理の法があった、それを探し出すために修行をしたということである。 実はこのことはアインシュタインも同じことを言っている。われわれが何故このような複雑な問題が分かるのか、 それは初めから頭のどこかにあるからであると。 先日NHKでサバン症候群の人のことが話題になっていましたがその人はカレンダーが全て頭に入ってい たとえば2951年の4月21日は何曜日と質問すると即座に答えるのである。本人は何故わかるのかわからない、どうも調べてみると 頭で複雑な計算をしているという、しかも同時に複数の計算を、これはどういうことか、 もともと頭に計算式があるとしか思えないというのである。
761 :
法孫悟空 :03/12/04 01:06 ID:bzFxMvAS
日蓮はさらに久遠元初の自受用身という無初無終の仏の立場を説きました。 つまり始まりも終わりもない根本の法ということで釈迦もこの法によって悟ったと説かれたのです。 このことは宇宙物理学でも同じことを示しているといえます。つまり釈迦の久遠実成はビッグバンで 今から数十億年前にビッグバンが起こり宇宙が始まったわけです、そのことと一致する。 ところが始まりがあるということはその前は何だったのかという問題が当然生じます。 このことについてはログノフという物理学者がブラックホールを例にして超新星が爆発するとその重力の強さにより中心に集まり小さな集合体 となりいずれは光も抜け出せないブラックホールができる、さらにどんどん物質を吸い込みますがある地点を境に反発し、今度は膨張えと 転じると考え その計算式もできているそうです。つまり宇宙創生のビッグバンもいずれは収縮の次期を向えまたビッグバンをくり返し宇宙がまた誕生する という仮説です。 この考えとも久遠元初の自受用身という無初無終の仏の立場も似ていると考える。日蓮大聖人はそこまでの悟りを得とくしていたと考えられる。 不思議である。
762 :
法孫悟空 :03/12/04 01:27 ID:bzFxMvAS
>759 音楽が人に静寂と安定をもたらすように唱題と祈りは人に計りしれない力をくれる。 実体験としてそのことが分かる。 声仏事を為す。不思議な力がある。
>不思議な力がある。 だからさ。言ってもしょうがないわけよ、それを。 いろんなところに不思議な力はあったりなかったりいろいろあるでしょう、そりゃ。 理解も賛同も共感もしますが、そんなことを掲示板で書いてどうするの? 糞役にもたたないとはまさにこのこと。 通りすがりに荒らされてもしょうがないだろうし、その荒らしはけしからんとしても それとは別にあなたの“法悦”につきあわされる方はたまったもんじゃないね。
結局法孫悟空氏は「不思議な力」を求めているオカルト野郎なんだよな。
765 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/04 03:24 ID:vTn9wkin
>746さんへ とりあえず法然と日蓮が同じ道を歩いていることを、説明するね。 法然の「選択本願念仏集」と日蓮の「守護国家論」を見れば解るけど、日蓮は選択集を ベースにして自分の教義を作り上げているんだよ。 守護国家論がどのようなものか、本文を引いてみる。 中昔、邪智の上人有て、末代の愚人の為に一切の宗義を破して選択集一巻を造る。 名を鸞綽導の三師に仮て一代を二門に分ち。実経を録して権教に入れ。法華真言の 直道を閉じて浄土三部の隘路を開く。 亦浄土三部の義にも順ぜずして権実の謗法を成し。永く四聖の種を断じて阿鼻の底 に沈むべき僻見なり。 (すこし昔、那智の上人が居て、末代の愚人のために一切の諸説を論破して「選択集」一巻を造った。 曇鸞・道シャク・善導の三師の名を借りて、全ての仏説を(聖道門・浄土門の)二つに分け、(「法 華経」などの)真実の経典を方便の教えの部類に入れ、「法華経 」や真言のまっすぐに悟りに向かう 道を閉ざして、浄土三部経のような狭隘な道を開いた。また、浄土三部経の教えにさえも従わずに、 真実や方便の教えをいずれも誹謗することになり、(声聞・縁覚・菩薩・仏の)四種の聖者になる種子 を断じて、阿鼻地獄のそこに沈むような邪説である。)
766 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/04 03:25 ID:vTn9wkin
このようにして選択集に述べられた説を、一つ一つ丁寧に破折している。全体は 分て七門と為す。一には、如来の経教に於て権実二教を定むることを明し。 二には、正像末の興廃を明し。三には、選択集の謗法の縁起を明し。 四には、謗法の者を対治すべき証文を出すことを明し。五には、善知識並に 真実の法には、値ひ難きことを明し。六には、法華涅槃に依る行者の用心を明し。 七には、問に随て答ふることを明す。 の七つの段落に分かれている。 第一,二章で浄土教と多の仏説の優劣を論じ、浄土教はあくまで方便的であるとしている。 第三章で、浄土教の優越性を主張する「選択集」そのものを批判している。 第四から六章では、浄土教の優越性に代書する方法を述べ、どのように真実の教えに従うべ きかを示し第七章の問答で締めている。
767 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/04 03:25 ID:vTn9wkin
実際どのように書いてあるか、たとえば第二章では 法華経を除いた経典の範囲で比較した場合、ほかの経典が滅びたあとでも浄土教典が残り、 衆生を救済出来ることは認める。ただ、法華経と比較すると法華経の方が浄土経典より後ま で残るとしている。 「法華・涅槃は無量百歳にま絶えるはずのない経である。」 このように法然の説をひとまず認め、その上で法華経の方が優れていると持っていくのが、 日蓮の論法である。 第五章では、真実の教えに会い難いことを述べているが、このことは真実の教えである法華 経に出会った喜びが何者にも代え難いことを表す。 日蓮は普賢菩薩勧発品の 「若し是の法華経を受持し読誦し正憶念し修習し書写すること有らん者は、 当に知るべし、是の人は即ち釈迦牟尼仏を見るなり。」 と言っている箇所を引いて言っている。 この文を見ると、法華経は釈迦牟尼仏である。法華経を信じない人には釈迦は入滅されたが、 この経を信じる人の前には仏の滅後であっても、仏の在世である。 「法華経は釈迦牟尼仏である。」とは大胆な発言です。日蓮はこれを持って、法然が釈迦が亡 くなって末法に入ったとして阿弥陀仏を持ち出すのに対して、法華経がある限り、釈迦は生き ていると主張している。 これは後の久遠実成の釈迦仏に繋がっていく。 このように法然の主張を一つ一つ潰していくことによって、日蓮独自の仏法を作り上げていく。 だから私は、法然は日蓮の師であり、日蓮もまた法然の引いたレールの上を歩いていると思って います。
768 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/04 03:37 ID:vTn9wkin
法孫悟空さんへ
もう一度
>>690 、
>>691 の道元のところに行って、文字とは何か、文章はどのようなものか、
からやり直した方が良いと思いますよ。
>>710 の「世界人口を100%とすると学会員は0%台です。」さんは文字の意味を分かって
くれているし、
>>759 さんは釈迦の教えの実践とは何かを理解してくれています。
769 :
も :03/12/04 03:42 ID:???
でるとおもた。宇宙物理ビッグバーン 鎌倉時代に宇宙という言葉なし 鎌倉時代の宇宙観は亀の上に人が住んでる 単に自己主張強いだけで、それを釈迦が言いたかったかのような 嘘を付け加えないと優位性保てない。だからホケキョウ!イイ!イイいう 偽経典が残ったりする。 とにかく。大きく見せようとする器の小ささが見え隠れする。 それより、学会員の発言は、霊とか超能力ポイのが多いのですがね。
770 :
横レス :03/12/04 05:01 ID:???
>>769 なんで宇宙を出すと「大きく」って思うんだ?
おまえの人間性がチビなんだろ。
771 :
も :03/12/04 05:05 ID:???
他を否定しないと正当性が見出せない、器の小さな乗り物ということ だから、他から引用して補填したがるのです。
関係あるのか?
773 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/04 10:47 ID:VALNeJ+j
>>751 >法孫悟空さん
>いえいえ私には九識親王真如の都にダイレクトに通じる妙法の五字を大聖人が残しているので心配いりません。
言うと思ったよ(ごめん劇笑)でも、それはファンタジーだぜ、読んで信じてるってだけなんだろうな
子供が「スパーヒーローは実在してるんだ」って思っていることとなんら変わり無いんだよね
「事実を報道するNEWSと同じテレビでやっているんだから、スーパーヒーローが現実で無いわけ無い」と同じなんだよね
>禅のように全てが心の現われであると考えると全ては幻となる。
そもそも、世界なんて、自分の脳が作り出している仮想現実なんだよ
そもそも、幻なのか、幻でないのかなんて、検証できないんだよ
>だから禅宗の人は経典など関係なく自分の禅定体験だけが全てである。
全てを切り捨てた己のね、仏陀もそれで「悟り」を得て、仏道を見つけたんだけどね
その後の伝言ゲームで出来た経典に依存するのはいかがなものかな
>しかしそれでは中諦、つまり絶対の法も幻になってしまう。
>だから日蓮は天魔と呼んだのだ、すごく利を得ている考えだ。
日蓮は怖かったんだろうね、絶対だって信じて、執着して、依存しているものが
幻であるってことを認めるのが、仏道から逃げたってことなんじゃないの?
今のあなたと同じなんだろうね、自分が着ている分厚い鎧が、幻で
何の役にも立たないってことが怖くて仕方が無い、だから
>わたしはあなたの考え方のほうが危険だと思う。
「脱いだら、危険だよ」って、聞こえるよ
774 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/04 10:57 ID:VALNeJ+j
>>770 >横レスさん
おいおい、読解力があるのか?
どうよんでも、もさんは学会の人がそうだと書いているじゃないか
そうだよね>もさん
775 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/04 11:16 ID:VALNeJ+j
>>753 当たり前だ、天台ってのはそういう宗だもの
法華経を中心に、円、密、禅、戒、どれも大切にする(四宗相承)んだもの
総合学科みたいなものだよ、そっから、みんな単科として出て行ったんじゃないか
なぜ?の問いに学会員は、 経典、御書に書いていてあるからと言いながら 宇宙やDNA、生命の科学論を展開する。 物理学や医学で証明されてるなどと・・・。 書いてないのに宇宙宇宙生命生命生命よくいう。 法華三部経 無量義経一巻 法華経イイ!法華経イイ!!とするための経典 法華経 本体 観普賢経 実践方法修行方法
777 :
、 :03/12/04 12:02 ID:BCLeJ7in
777!
>>767 お邪魔しますさん。
まず師についてなのですが、論駁する相手を持って師とするのは表現としては
ありえると思いますが、例えば、あなたが挙げた道元における如浄、親鸞にお
ける法然とは、位相が違うと思われます。そこは明確にしておく必要があるで
しょう。反面教師を含め「我以外皆我が師」とは言えなくもないのです。
「守護国家論」はもちろん法然の「選択集」を批判・論駁するための書であり
ますから、念入りに批判をすることでしょう。それは私が以前にも言ったとお
り、批判する上での依って立つ場が既成宗教としての天台宗にあったと思うの
です。そのような伝統に沿って考える日蓮にとって、法然の主張は許されざる
ものだったのでしょう。それは同じ道とまとめてしまえるものなのでしょうか。
もっとも称名念仏に対する唱題行、それ以外では末法の衆生は救えないとする
狭隘な態度は、同じ方向性を持ったものであると思います。
それでは「立正安国論」に見られる道元の影響について具体的な説明をお願い
します。
779 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/04 22:07 ID:4IUhjCZg
日蓮と法然の続きね。 日蓮が法然を目の敵にしているのは、専修念仏だけが成仏できるただ一つの 方法であるとしていることです。 法然が誰でも成仏できる方法として念仏を唱えることを、勧めただけなら 問題はなかった。法然以前にも空也が同じように口称念仏を唱えている。 ところが法然は選択集の第六章において 末法万年の後に余行ことごとく滅し、特り念仏を留むるの文 で無量寿経の「将来、ほかの経典が滅しても.百年間この経典を世にとどめる」 としているのをほかの経典が滅びても残るのは、この経典が正しいことの証明で あるとして、専修念仏だけが唯一正しい教えだとしている。 法華経が最高と考えている日蓮にとって、これがカチンときた。それで法然の 選択集を徹底的に批判したのである。ただしこの時は念仏そのものを否定したわ けではなく、修行の一つとしての念仏は認めているし、禅や真言も否定していな い。法華経以外の教えを全て否定するようになったのは、後のことです。 法然のこの考えは南都北嶺の旧仏教の反感を買い、何回も専修念仏停止の処分を 受けたり、法然自身も僧籍を剥奪され土佐に流された。 道元も同じように、座禅だけが悟りに至る道であると説いて、比叡山僧の攻撃を うけ、京での布教の処点である興聖寺が破却される始末であった。 日蓮も叡山に遊学して居たので、このことは十分承知していたが法華経絶対主義に 行ってしまった。
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/12/04 22:40 ID:fTckeJHS
仏陀も何でも、関係有りません。池田先生が、至上のメシアです。お顔を 拝見すれば誰でもわかるでしょう。
>>761 >法の崇拝は全然かまわない
これは過ちだろう。崇拝とはそれに囚われ、執着する元だろ。
いきなり大層な宇宙物理学持ち出したのはいいが宇宙が収縮すろのか
宇宙が膨張し続けるのか答えはでていたっけか?
宇宙は外に対して閉じているのか、開いているのかもわからないだろ?
何でもかんでも最後に日蓮と結びつけるのは強引だ。
不思議というのは単にわからないということだけだろ?
物事は理解できるかできないかしかないものだろ。それを理解するだけだろ。
そんなことはいくらでもある。いちいち不思議がって有難たがってたらしょうもないぜ。
それと実践というのはこうもくだらない不毛な議論を重ねて自己満足するものなのかい?
いい加減に日蓮仏法とやらの過ちに気付けよ。創価のマインドコントロールも大したものだ。
>法華経が最高と考えている日蓮にとって、これがカチンときた。それで法然の >選択集を徹底的に批判したのである。ただしこの時は念仏そのものを否定したわ >けではなく、修行の一つとしての念仏は認めているし、禅や真言も否定していない。 すぐカチンとくるような奴を「お上人様」とはいいたくねぇな。 >法華経以外の教えを全て否定するようになったのは、後のことです。 「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」のうち、 律国賊については良く知らないが 「禅天魔」はマスターと一般人との間に差があるのでわからなくもない。 漏れは禅には好意的だけど、いい加減な奴が魔境に陥ることは確かにあるわけで。 「念仏無間」も、自力開眼から入っていろいろあって 最終的に弥陀の本願に達するのならいいけど、 途中すっとばしていきなり念仏にいくようなのは人間の屑ばかりでロクなのがいない。 もっとも重要なのは「真言亡国」。国が滅んでしまって 庶民の安寧な生活が失われたら信仰も糞もないし僧侶の修行も成り立たない。 教団共同体なり地域共同体なりの指導のシステムが崩壊すれば、本来、悟りに達するための かけがえのない宝であったすべての禅は天魔におち、すべての念仏は無間に陥る。(続く)
783 :
782 :03/12/04 22:46 ID:???
>>782 の続き
このように、小乗から大乗への流れがあって、その流れの先には当然「国家」という問題がある。
その段階に達したのが密教だともいえるわけだが当時の真言宗は
鎮護国家を商売道具にした「権門(内乱的諸勢力)」のひとつにすぎなかった。
国家の安全保障と庶民生活の安定なくしては禅も念仏も律も健常に機能しない、
というのが「真言亡国」という日蓮の気づきであるわけだ。
だから日蓮としては、禅・念仏・律を完全否定したというより、
メタレベルから俯瞰してもっと根本的な前提に気付けよ、と言いたかったのではないか。
国家を立てるというのは一元的にわかりやすく人々をまとめるということであり
法華経一元論を打ち出すのは実に理解しやすいことである。
この国家問題意識ゆえに、日蓮宗は大陸と無関係に成立しながら同じ「後期密教」だと言われる。
でも実際の日蓮信者は盲目的に他宗派を排撃するようなドキュンばかり、なぜこうなったのか
というと、日蓮の錯誤というのはエリート向けと一般人向けという区別をなくしたことだと思い至る。
なぜ『真言亡国』なのかわからん。真言僧の大元帥明王秘法により元からの襲来を封じることができたとされているが 日蓮は自分のおかげだと嘘をついて誇大に宣伝していたから目の敵にでもしていたのかな。 日蓮は鼻から胡散臭いからあまりこいつについては知らないし、知る気もないが、独善的で麻原みたいな椰子だったんだろうな。
>>799 > 法華経が最高と考えている日蓮にとって、これがカチンときた。
カチンときたと言うよりも、天台沙門を持って任じる日蓮にとって、天台の立
てた五時八教は「事実」であったのであり、単に法然は間違っているとの認識
のもとに、その批判を展開したのではないでしょうか。そして日蓮の生きた時
代の災厄はこれら間違った教えが広まっているゆえである、という信念が彼を
貫いていたことでしょう。
法然・道元・日蓮ら鎌倉仏教の各祖師たちは末法という概念のもとで宗教活動
を展開したのであり、各々が思索を重ねる中で真に人間を救える法を探求した
のでしょう。ときにそれが偏狭な態度としてあらわれようとも。
このスレは一人の工作員が一生懸命書いているスレであります。 一生懸命はいいのですが、話を延々纏まらないまま引き延ばし 結局正論は所在しないスレににてしまうことが目的で、 焦点がぼやけて読んでもつまらないものになってしまいます。 波木井坊のような工作員(雇い主は創価ではない)は、 インターネット自由形掲示板の社会的効力を最小限に抑える為に存在します。 他板にもそれぞれ工作員がせっせと24時間監視し、話を散漫化、読み手を 錯乱させています。
論点をテーマに戻すと、 要は、日蓮はカルトの始祖であって、 仏教を騙っているだけなのだということに疑いの余地はない。 結論:日蓮や日蓮の教えは、ブッダやその教えと関係ない。
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/12/05 01:36 ID:O2zq86QT
法孫悟空て椰子はいうまでもないが Sbて椰子もなにげに電波だな。
>>788 電波とトンデモはちがう。Sbて椰子は「考える」ってことはやっていそうなので
かなり重症のトンデモであっても電波ってほどではない。
法孫悟空は自分の毒電波もとい信念(それが妄想であるという保証は一切無)を
だらだらと垂れ流してるだけの典型的なデムパ。
仮にSbを電波認定したら法孫悟空はお花畑の領域に突入してるだろう。
そこまではちがうと思うから。
790 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/05 09:46 ID:tsSt4nCX
>>788 、789
まてー、分かるではないとは書いているけど、考えるなとは書いて無いぞ
それに電波を受信しているようなことは書いて無いぞ
ま、言いたいことは判るけどね、私のような書き込みをしている奴がいたら、確かにトンデモだって思うよ
矛盾が当たり前だし、支離滅裂、不安定をそのままにしてるしね
一番の問題は文才が無いからね、
ま、ありのままでいきますんで
791 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/05 10:05 ID:tsSt4nCX
>>783 なるほどね
乱暴に言うと日蓮は「組織依存症」かな
あくまでも乱暴にだけどね
>庶民の安寧な生活が失われたら信仰も糞もないし僧侶の修行も成り立たない。
江戸時代まで、政治システムに僧侶も組み込まれていたからね
>日蓮の錯誤というのはエリート向けと一般人向けという区別をなくしたことだと思い至る。
同意です。だから、
>メタレベルから俯瞰してもっと根本的な前提に気付けよ、と言いたかったのではないか。
といっても、錯誤してるし、組織依存なために見当違いに陥っているんだと思うね
僧侶なくても、お布施(財務)修行(選挙・新聞・勧誘)が成り立ってるよな。。。
>五時八教は「事実」であったのであり どこが事実なんだ。客観性に乏しいよ。 1:釈迦死後600年経った経典が、釈迦が最も伝えたかった経典とするとんでも。 2:末法という概念は中国の天台時代より前には歴史上存在しないこと。 3:経相半尺をした中国には、インドの一部の経典しかなかったこと。 4:無常で絶対性を否定した釈迦が法華経の独善を主張するはずがないこと。 5:無記で、超自然的なことを否定した釈迦が末法のようなハルマゲドン予言などしないこと。 事実とは以上5つ。これでも五時八教を信じているなら、精神病院へ行ったほうがいい。
加えて1つ。釈迦が在世時に、カピラがコーサラ国に滅ぼされたのを知っているだろうか。 一族の滅亡。これほどの不幸があるだろうか。釈迦ですら不幸を免れない。 だが、呪文と紙切れで何でも願いが叶う、不幸が免れると主張する団体がある。 釈迦を超えた仏教徒というわけだ。なんとも失礼な話ではないか。 よいだろうか、幸せ。不幸など仏教では何の価値も意味もない。 執着がそれらを作り出しているのであり、その執着(煩悩)を絶つために 仏教は創始された。煩悩を鼓舞し、ありったけの執着を法華経に注ぐ団体とは、 いったい何か?を考えたほうがいい。
釈迦が膨大な量死ぬ間際に話し、口伝で伝わるのなかな。。。と、ふとおもふ 日蓮大聖人は、天台のつくった五時八教の説をもとに法華至上主義をとった。 像法時代に、末法時代であるからこれだ!と主張した。 日蓮大聖人も人間、間違いもするだろう。。。 無量義経は法華経でなく、涅槃経の開経だったのかな?
他否定する前に、前提条件・根拠の崩れた現代 法華経もサンスクリット原典はあるが、 妙法蓮華経よりも新しい逆流か?神の手のなせる業。。。 創価学会もここは、一つ神の手で、インドに行って何か埋めに行く必要ありますな。。。
>>795 死にぎわの釈迦の言葉。すべての弟子がシャカを取り囲んでいた。
「今のうちに我が教えに疑問があれば何なりと質問しておくがよい」
誰も黙って答えなかった。
「師を敬するのあまり尋ねられぬのであろう。遠慮してはならない」
それでも弟子の中で誰一人質問する者はいなかった。
シャカは絶望したように息を引き取った。
798 :
783 :03/12/05 17:05 ID:???
>>791 日蓮は組織依存症ではないと思うよ。自分の判断と自分の責任、自分の行動力で
揉め事起こしているわけで。むしろ精神的に自立した人でそ。良くも悪くも。
>>783 の続き
日蓮は前半生を仏教の研究に費やしてしまって、ようやく国家論に辿りついたんだけど
783でいったような錯誤をしてしまったというのは、
仏教の専門家ではあっても国家論については素人だったということ。着想はよかった。
あとはこれを後継者が正しく追加補足して深めて逝かねばならなかったのだが、
日蓮が祭り上げられてしまったので宗派の思想レベルがそこで止まってしまった。
>>784 >なぜ真言亡国なのかわからない
>>782-783 で言ったように真言宗は本来鎮護国家が根本趣旨なのに
それをおろそかにして自分の教団利権につっぱしっていたから。
日蓮がいちばん憎いんだのは禅でも念仏でもなく堕落した真言宗ではないかと思う。
「鎮護国家」ぬきに日蓮思想はない。
799 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/05 17:47 ID:tsSt4nCX
>>798 なるほど、そうですね
「鎮護国家」から考えると、「エリート向けと一般人向けという区別をなくしたこと」は
斬新なようであるが、致命的錯誤ですね、封建社会的国家観に民主主義的な平等を
無理やり押し付けようとしても破綻するのは見えている
かといって、現代に通用するのかといえば、民主主義に、封建社会的国家観は今更なじまない
下手すれば、国家社会主義化してしまう、つまり、ファシズム
>真言宗は本来鎮護国家が根本趣旨
これは間違いだと思う、それは天台だよ
もちろん空海はそれを行ったけど、空海という天才だから出来ただけ
真言の根本はそれこそ、宇宙との融合、
空海にとっては国家などちっぽけなものだったんでしょうね
求められてもいたし、鎮護できる、
確かにその後は堕落しましたけどね
真言は一番難しいよ、秘密仏教、仏教のオカルト部分ですからね(オカルトとは隠されたという意味だよ)
間違って使えば簡単に堕落するからね
800 :
798 :03/12/05 18:37 ID:???
>真言の根本はそれこそ、宇宙との融合、空海にとっては国家などちっぽけなものだったんでしょうね
>求められてもいたし、鎮護できる、確かにその後は堕落しましたけどね
>真言は一番難しいよ、秘密仏教、仏教のオカルト部分ですからね
>(オカルトとは隠されたという意味だよ)
ちょっと浅いんですよ、それだと。国家論ぬきに密教ってのは存在してない。
国家論といっても近代国家のことじゃないし、論といってもまとまった文章じゃない。
オカルトの秘儀の中に象徴的に必然的に折り込まれているものなんです。
天台はもちろん総合学科で、密教専門ではなかったけど国家的機関に準ずる存在だったと思います。
天台も真言も主従濃淡のちがいはあれ、大筋において国家鎮護にはちがいないと考えています。
>>799 (
>>798 の続き)
国家論にはオカルト的な(いわば密教的な)「個人の発展段階」みたいな概念が不可欠、
つまり、すべてをわかった上で言葉を発し秩序を管理しうる修行をつんだエリートと、
専門家になる必要のない一般人ですね。
日蓮の言葉をみてると、彼はただ区別なしに、覚醒した人々を結集させさえすれば
国家論になる、と早とちりしたのが明らか。
それだとただの一揆集団になる虞れがあり、よしんば集団として安定しても、
国家的なものに同化せず自己目的化して暴走するに決まっている。
>>793 日蓮の認識の話をしているのであり私の認識の話をしているのではありません。
ゆえに括弧付きの表記をしたのです。
鎌倉仏教以前の仏教は貴族仏教なのであって、鎮護国家の役割は天台・真言を
問わず重要であったことでしょう。日蓮が真言を亡国と呼ぶのは承久の乱にお
いて上皇側が真言の僧侶に祈祷をさせたのにも関わらず幕府側に破れ流された
ことに基づいていっているだけのことだと思います。日蓮の発想から言えば貴
族仏教時のような国家権力を守る意味での護国思想はないのでは。あくまで庶
民に降りかかる災厄を回避させるために国家を正さなければならないと考えて
行動していたのだと思います。
思います。だけだと、想像の域越えないのでなんとも・・・。
803 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/06 09:55 ID:QoNrw7Xv
>>800 >798さん
800おめ!
いや、もともと密教に国家論は必須というわけではないと思いますが。
空海が鎮護国家のために使っただけで、後は惰性というか慣習化し
それが当たり前になった為、国家論抜きの密教は有りえなくなったのでは?
ま、確かに、鎌倉期には国家論抜きの密教は有りえなくなっていたのでしょうがね
>日蓮の言葉をみてると、彼はただ区別なしに、覚醒した人々を結集させさえすれば
現代でいうと、日蓮は間接民主主義ではなく、直接民主主義を主張したようなものでしょうかね?
ま、今の政治家に「すべてをわかった上で言葉を発し秩序を管理しうる修行をつんだエリート」は皆無ですが
(特に公明党、社民党、には)
今回の選挙においても、この低投票率ですからね
(投票率が高い集団だからといって、上記のエリート集団とは正反対の集団もありますが)
法華経を唱えたからといって、覚醒するわけではないのですし
>>803 密教ってのはインドで発祥した当初から本質的に国家論そのものでもありました。
その点に関してはインド中国チベット日本どこの密教も同じで
空海のオリジナルアレンジというわけではありません。
ただし私の力では反論されてもうまく説明できないので、賛同できないというなら
それでも可です(^^;)たしかに密教というと一般的にはオカルト、個人的な行のイメージが
流通しており、国家論といわれても「はて?」と疑問に思うのもむりないです。
スレテーマと遠ざかるので密教ネタはこのへんで打ち切りにしましょう。
シャカと日蓮に関する他のネタをどなたかどうぞ
>>803 >法華経を唱えたからといって、覚醒するわけではないのですし
私が覚醒した人々といったのは悟りを開いたとかではなくて、
何か重大なことに気づいた(もしくは気づいたつもりになってる)人々という意味です。
なんなら、洗脳された人々でも、すごい教えに感銘して法悦に興奮してる手の付けられない人々でも、
言い方はなんでも良かったんですが、一応ニュートラルな表現をしてみました。
本人たちの気分としては覚醒とでもいいようがないでしょうから。
806 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/06 18:52 ID:QoNrw7Xv
807 :
法孫悟空 :03/12/06 23:13 ID:6FvCV1kL
仏教と科学はまったく別のものでした。 しかしここに来て同じようなテーマを扱うようになり、その考えが共通しているのは何故かということを言いたかった。 釈迦も天台も、もちろん日蓮の時代には地球が丸いことすら分からない、しかしその時代に無限の宇宙を捉えている。 例えば釈迦が法華経で久遠実成という昔に成仏したと説いた、この時間は五百千万億那由侘阿僧祗(なゆたあそうぎ)ということで、 三千大千世界を粉々にして、東のほうへ五百千万億那由侘阿僧祗、行って国土をすぎるごとにその塵を一粒づつ落として全ての塵がなくなるまで行き その一塵を一劫としたときの時間をすべての塵の数だけかけた時間ということで。 実際の時間の長さのことではなく、信じられないとんでもなく長い時間ということでこの時代にそんな表現をすることが不思議なんだ。 宇宙創生はたしか50億年前と考えられる、この信じられない昔を表現したものと考えられないだろうか、、、ということなんだ。 大乗経典にはまだまだ多くさんこのような例がある。 宇宙が膨張しているというのはハッブルが確かめたものだったと思う。それは遠くの星になればなるほど星の熱が低くなっていることで たしかめられたと思います。
808 :
法孫悟空 :03/12/06 23:15 ID:6FvCV1kL
ほかには九識論で説かれたものでは第八識には生命の起源にまでさかのぼる識があると説いていますが このことは三木茂夫教授は生命の発生から人類の誕生にいたる進化の歴史をあかちゃんが母親のお腹の中で十月十日で再現することである程度説明できる。 ヘッケル博士によれば32日の胎児はまだ魚のエラの形をあざやかに残している、34日になると鼻の穴ができ両生類に近ずき、目が正面を向き爬虫類に近ずく 哺乳類の姿になるのは38日以降で40日もすぎるとヒトになるそうです。 宇宙創生を一年のカレンダーであらわすと地球誕生が46億年前でここを1月1日とすると、生命誕生は2月17日となるのですくなくとも第八識までに40億年前の 識が記録されていると考えられなくはないのである。 先日のサバン症候群の人のレポート見た人はわかるけれど、そのなかでサバンの黒人の人はあるときボールが頭にあたってそれ以来、不思議な能力に目覚め その日から現在までの日と曜日と天気、出来事まですべてを覚えているというのです。 どうも人はすべての出来事を全部記録しているというのです。 このことからも人の深層心理には計り知れないデータが記録されていると考えるほうが自然なんだよ。 そうすると釈迦が久遠の昔に成仏したとか、初めから悟っていたとかの説明になるよね、 宗教と科学は別であるが、実によく似ている、というより同じことを考えているんだよ。 まだまだいっぱいあるよ!!!
>>807-808 はぁそうですか。その程度の話なら、聖書でも古事記でも、
科学にこじつける解釈は昔からいくらでもありますがね。
自分の見識の狭さを暴露してるだけだな。
この糞デンパがくると一気にスレのレベルが下がるな・・・
810 :
法孫悟空 :03/12/07 00:17 ID:qXNlCb3/
>809 ほー、本当かいな、そんなら説明してくれ、できるよねー。 聖書じゃ進化論も認めないけどね。 地球のまわりを太陽が回ってるんだよね。 国家論を説いた段階で普遍性がなくなる。 絶対王政でも社会主義でも資本主義でもその国が認めてくれるかぎりどんな国にも適応しなければならない。 また適応するものなんだ。
811 :
横レス :03/12/07 00:46 ID:???
>>809 だからその潜在的な現代科学への妄信が滑稽なんだって。
今の科学が数十世紀後には「亀の甲羅の上」解釈と大差ないかも知れないってこと。
宗教を現代科学と結び付けて解釈しようと、別にどうってこともないの。
>地球のまわりを太陽が回ってるんだよね。 そりゃそうだろ。 亀の甲羅に象は四頭のってて、その象が平らな地面を支えてんだろ。 地面の真ん中には須弥山があって、太陽がその周りをぐるぐる回ってんだろ 須弥山の向こうに隠れた時が「夜」でこっち側にきた時が「昼」だ。 仏典の教えを無視して西洋科学に媚びを売る奴は仏敵。
話しの腰を折っちゃいますけど・・・ 『自灯明・法灯明』 −アーナンダよ、それ故、自分自身を灯明とし、自分をよりどころとせよ。他のものにたよるな。 法を灯明とし、法をよりどころとせよ。他のものにたよるな。− 大パリニッパーナ経 かりに釈迦が、「自灯明」なしに「法灯明」だけを遺言されたら ・・・佛教はキリスト教的な命令型宗教になってしまう。 だから釈迦は、「自灯明」を「法灯明」より先にいっている。 釈迦の教えられた真理(法)を自分なりにどのように活かしていくか、 それが佛教に於いては大事なことなんだ。
釈迦の教化はそれぞれの弟子にたいしてふさわしいかたちでなされた。 −対機説法− −応病与薬− けっしてステレオ・タイプな教えをとかれなかった。 その結果、佛教には『八万四千の法門』ができた。 ひとの性質・能力・タイプが無数にあるように法門もまた無数にある。 佛教に宗派が数多くあっていいわけだ。むしろ、宗派が数多くなければならない。 なぜなら、宗派がなくてただ一つの教えしかないのであれば、 それは命令型宗教になるからです。それは釈迦の精神に悖(もと)ることになるのだから。。。
自灯明。 皆誤解しているが、実は釈迦の作り出した宗教とは、 特に層化信者には信じられないかもしれないが、 教団、指導者、偶像、教え、経典など全てを否定する宗教だったんだよ。 人間の概念とは全て、煩悩が作り上げた幻だからな。 それにしても。正宗系、層化ほど、釈迦を侮辱する団体もないだろう。
教団つーか、サンガは否定してないでそ
>>807 >宇宙が膨張しているというのはハッブルが確かめたものだったと思う。
>それは遠くの星になればなるほど星の熱が低くなっていることで
>たしかめられたと思います。
何これ?光のドップラー効果すなわち赤方偏移で確認したんでないの?
つまりは観測点から遠ざかるほど波長が長くなるからでないの?
それと一塵劫という時間を創出したのはインド人は元々は無限という概念で
もつて具体的な数字をださないのを嫌う性質があるからだと思うよ。
比喩や列挙するのも好きなんだよね。
>教団つーか、サンガは否定してないでそ 理解力があれば、わかるが。教団も実は否定している。 そこまでの理解力は普通の人に期待していない。 まぁどっちでもいいよ。
そうか? ブッダとダルマとサンガを頼れと逝っていたような気がするが。 まぁ漏れもうろ覚えだからどっちでもいいや
>>814 の補足
キリスト教やイスラム教は「命令型宗教」である。
どちらもユダヤ教を母体として派生した宗教であり共通した聖典をもっている。
・ユダヤ教・・・『聖書』+『タルムード』
・キリスト教・・・『旧約聖書』+『新約聖書』
・イスラム教・・・『聖書』+『コーラン』
この三つの宗教は、人間は唯一絶対神(ヤーウェ、ゴッド、アッラー)に服従するかわりに
神は人間を保護してくれる・・・といった枠組みによって成立している。(契約一神教)
この三つは砂漠の宗教だった。(神に命じられたとおり星をめざすような構造)
「砂漠を旅するものは、星に導かれて進む。星に向かって歩んで行く。
星に到達することはないが、星に近つ゛こうとすることにより、目的地である町に着くのだ。
人がそれぞれ掲げる理想は星のようなものである。」 −トケイヤー(ユダヤ教のラビ)−
822 :
横レス :03/12/07 22:24 ID:???
仏教徒は、一生懸命キリスト教を引き合いに出し、仏教の優位性を主張する。 (キリスト教徒は、仏教が眼中にない) いずれにせよ、仏教の人は「どちらが優れているか」に、とらわれすぎだね。 時々、見苦しいと思うことがあります。
>仏教の人は「どちらが優れているか」に、とらわれすぎだね。 むしろキリスト教のほうがこだわる。 そういう優劣にこだわるのは、層化のような、似非仏教だろう。
劣るようにしないと気がすまない日蓮さんの精神です。 引用してパクッておいて、起源は俺だ!と言い張るです。
825 :
822 :03/12/07 22:31 ID:???
>>823 本当?キリスト教入門系の本には仏教の「ぶ」の字もないが、
仏教の入門系の本には「キリスト教では○○ですが」と、触れていることが多いよ。
いつも「大人げないなあ」と思いながら、立ち読みしています。
キリスト教は仏教を哲学の一種としてしか考えている。 バチカンでは、世界で最も仏教を研究しているのを知っているだろうか。 彼らは仏教を知れば知るほど、それが実に恐ろしいものだと気が付いたんだよ。 偶像崇拝は彼らの理解できるところだが、なんと仏教では偶像崇拝を超えて、 「信仰の対象が存在しない」。 仏教に関しては彼らは相当な危機感を持っているらしい。そして彼らが、 仏教は宗教ではなく、哲学だ。という結論に達した。そういう結論に逃げたわけであるが、 それから、彼らの仏教研究は沈静化している。もちろん、バチカンでは、 層化のような、偶像崇拝の団体を仏教の範疇に置いていないが。 信仰の対象が存在しなくても、宗教として高度な哲理を維持している。 そういう本来の仏教の再興を願う1人として、日蓮や親鸞などの「中身のない」 発想にはうんざりだね。 >キリスト教入門系の本には仏教の「ぶ」の字もないが 他を否定して自己の存在を肯定するというより、仏教を哲学として考えているのだろう。 日本人も似たようなもので、「聖闘士☆矢」に釈迦の生まれ変わりが出てきても、 問題にならないからな。崇拝の対象とするよりも、はるかに健全といえる。
827 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/12/07 23:20 ID:xM4mjLo/
意味がわからんねー。 法本尊、偶像否定はキリスト教やイスラム教の神学論争のほうが歴史的には先なんだけど。
>827 ハキリ。まぁあわてるな。キリスト教やイスラム教が偶像崇拝を禁じているのは、 あたりまえ。だが、神への崇拝はあるだろう。 偶像崇拝は、モスク、アッラー、神という心のイメージへの崇拝にも当てはまる。 実は偶像崇拝を禁じているのならば、信仰すらも否定しなくてはならない。 その矛盾を超えているのは仏教。で、その高度な理論にバチカンの 仏教徒たちは気が付いたというわけ。 信仰を否定する宗教。ハキリには理解できんだろうがな。
>バチカンの 仏教徒たちは気が付いたというわけ。 バチカンの仏教研究者たち。
830 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/12/08 00:05 ID:fR2pvXcM
>>828 んなこたあねえよ。仏教だって初期は偶像崇拝を禁じていた。像を拝むように
なったのはガンダーラに伝播したころからはじまった。
お前さァ。言ってることがおかしいよ。
>830 そう。仏教は偶像崇拝を禁じていた。当たり前じゃないか。 読解力がないのか? 仏教。イスラム。キリスト教。全て偶像崇拝を禁じる。 で、大乗仏教(仏像。本尊)。イスラム教(モスク。コーラン)。 キリスト教(聖書)。これらは全て崇拝の対象がある。それは明らかに偶像だ。 しかし、本来の仏教にはそれがなかった。 いみじくも、偶像崇拝を禁じている仏教を知っていながら、日蓮 を崇拝している人に言っていることが可笑しいもなにもないだろう。
神、信仰、偶像、・・・・・
クリスチャンと同じ意味でいってるかどうかも検証しにくいね。
>>828 は「こっちが優位」にこだわる日蓮病を感じるな。
キリスト教側の論客がいれば面白いんだが・・・・
ちなみに大乗仏教はヨーロッパのインテリ(ユダヤ人除く)には一般的にいって好印象でかなり評価され
てるっぽい。(たぶんヨーロッパのインテリが生真面目に宗教を選ぶとしたら一番人気じゃないかな)
現代思想とかかなり仏教きてるって感じだし。キリスト教思想にこだわるのはユダヤ系の思想家だったりする。
庶民レベルでは仏教の内容なんてほとんど知られてない。庶民のトレンドはイスラム教。
(キリスト教の西洋人がイスラムに改宗する)だから何だってことでもないけど。
カトリックに関していえば世界中の宗教なんでも研究してるよ昔から。
インテリ層とはまた別の関心でカトリックは仏教の人間観とか宗教のあり方に
ひじょうに共感的な興味を寄せてるみたいな感じ。仏教神学や論理にではなくて。
ヨーロッパで流行しているのは、チベット密教だろう。
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/12/08 00:36 ID:ii82t41N
日蓮正宗創価学会の研究してたら、原理主義カルト化する要素満載で危険視されるの間違いない
836 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/08 01:25 ID:GnzuPGQy
日蓮が「立正安国論」を出した北条時頼について書いてみたい。 時頼は寛元四年(1246)20歳で執権の職に就いた。このころの北条氏は、名目上 の将軍に使える御家人の代表と言う立場であった。名目上とは言え、二歳から30年も 将軍職に就いてと将軍頼経を中心とする反執権勢力が台頭してくる。その中心が三浦氏 である。 これに対し時頼は将軍頼経を京に送り返し、新しく藤原三寅(のちの頼経、当時二歳) を将軍に付けた。この翌年、三浦氏に対しては、母方の親戚である安達氏を使い挑発行 為を繰り返し、一方で三浦氏謀反の噂を流した。 驚いた三浦氏が時頼に対し和議を申し入れ、武装解除したところを安達氏が襲ったので ある。反抗すれば謀反人になり、そのままだと安達氏に攻め滅ぼされる。窮した三浦氏 一族五〇〇人余りは、全員頼朝公の墓前で自害し果てたのである。こうして最大の反対勢 力を滅ぼし、北条市独裁の基礎を築いた。これを宝治合戦という。 この宮事件から、宝治合戦の直前まで道元は鎌倉に来て、時頼に教えを説き菩薩戒を授け ている。こののち「一寺を建てゝ荘田を寄せん」との申し出を断り、永平寺に帰っている。 この当時栄西の開いた臨済宗は禅密体制を取り、数々の祈祷を執り行っていた。時頼は純 粋禅を求め、建長寺を足掛け3年かけて創建し、寿福寺にいた来日僧、蘭渓道隆を開山とし て迎える。 禅宗は,その後幕府の強力な後ろ盾により、禅興寺、円覚寺、東慶寺、浄智寺、端泉寺 等次々と創建され、鎌倉を中心に、栄えて行く。それらを支えたのは、蘭渓道隆、兀庵普寧 (ごったんふねい)、無学祖元らの来日僧である。鎌倉時代、建長寺や円覚寺の歴代住職は、 これら宋・元からの来日僧が半数近くを占めている。また僧だけではなく宋の技術者や学者、 商人などが出入りし日常語として中国語が話されていた。これらは当時の大陸の様子を知る のに大変有利だったと思われる。 1259年蒙古は朝鮮に攻め入り、無条件降伏させている。
837 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/08 01:26 ID:GnzuPGQy
その翌年、日蓮は、 「近年の災害続出の原因は人々が正法に背き、悪法に帰依したために国土を守護す る善神が国を捨て去り、聖人は所を辞して還らないために悪魔・悪鬼が来たって災 害が起こったのである。正法とは法華経であり、悪法とは法然浄土数である。その 方策は悪法である浄土教への施を止め、法華経に帰することである。このまま放置 るならば三災七難のうち、いまだ現れていない薬師経などに説く他国侵逼難(たこ くしんぴつなん)・自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)が起こるであろう。もし 実乗の一善たる法華経に帰依するならば、この世界は仏国であり、その仏国に衰亡 なく、十方ことごとく宝土であるから身心ともに安全となるであろう」 と立正安国論に書いて、時頼に差し出したのである。
838 :
832 :03/12/08 04:37 ID:???
>>833 チベット密教はヨーロッパのインテリ層で流行ってんじゃなくて、
ヨーロッパの(庶民の中の)東洋マニア(つーかオタク)の間で流行ったんだよ
それをパクッて日本にもってきたのが中沢新一。
>>837 歴史上、日蓮原理主義者はろくなこと起さない
いつも、争いの火種なんだな
840 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/08 10:07 ID:UfAK48QS
>>807 また、御伽噺か?
世界観なら、般若心経のほうが先行ってるよ
このごろ、だから何なの?って書き込みしかしないね
841 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/08 13:52 ID:Gs/CLpwv
立正安国論については、だいたい上に述べたとおりであるが、法華経を信じないと 他国侵逼難(たこくしんぴつなん)・自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)が起こると は、法華経には書いていない。法華経を信じないとどうなるかは、仏種を絶たれて、地 獄、餓鬼、畜生道に落ち成仏できないだけである。決して法華経を信じないと国が滅ぶ とは言っていない。 「近年の天変(てんぺん)・地夭(ちよう)・飢饉(ききん)・疫癘等の災害続出の原因は 人々が正法に背き、悪法に帰依したために国土を守護する善神が国を捨て去り、聖人は 所を辞して還らないために悪魔・悪鬼が来たって災害が起こったのである。」 このことはどのような経典に書いてあるかについては、日蓮は金光明経、大集経、仁王 経、薬師経をあげている。つまり法華経に帰依しないと、この四つの経典に書かれている 災難が起こるという、目茶苦茶な理論を展開している。 さらにこの四つの経典に書かれている、悪僧が跋扈することによって、これらの災害が起 こるとして、法然こそがその悪僧であるとしている。
842 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/08 13:53 ID:Gs/CLpwv
なぜ悪僧かというと 法華・真言を惣(そう)じて一代の大乗(だいじょう)六百三十七部・二千八百八十三巻・ 一切(いっさい)の諸仏菩薩及び諸(もろもろ)に世天等を以(もっ)て皆聖道(しょうどう)・ 難行(なんぎょう)・雑(ぞう)行(ぎょう)等に摂(せっ)して、或は捨て、或は閉じ、或は 閣(お)き、或は抛(なげう)つ此の四字を以(もっ)て多く一切(いっさい)を迷はし、剰(あ まつさ)え三国の聖僧、十方(じっぽう)の仏弟を以(もっ)て、皆群賊(ぐんぞく)と号し併 (あわ)せて罵詈(めり)せしむ つまり法然が浄土宗以外の教えを「或は捨て、或は閉じ、或は 閣(お)き、或は抛(なげ う)つ」と、しているからである。そこで法孫悟空さんに聞きたいのだが、浄土宗がはび こると立正安国論に書かれている、水難、火災、兵災の三つの災と、人衆疾疫難、他国侵 逼難、自界叛逆難、星宿変怪難、日月薄蝕難、非時風雨難、過時不雨難の七難がなぜ起こ るか説明してもらいたい。立正安国論には、法華経以外の薬師経を始めとする四つの経典 に説かれているとしか書いていない。
日蓮正宗系の顕正会代表浅井の予言の方が可愛く見えてきた 大丈夫かなぁ、この日蓮いう人は・・・。 途中で投げださないで、もっと勉強しとけばよかったかも知れないな、。
>>843 日蓮は気付いちゃったんだよ。のんびり勉強してる場合じゃないと。
神国日本に恐ろしい国難が迫っていると。
最終戦士として覚醒した仲間を結集しなければならないと。
ハルマゲドンに備えなけれならないのよ!
学校の宿題なんて近視眼的な世俗の些事にかまってる場合ではないの!
さあ、あなたも教団に今すぐ馳せ参じましょう!
いるでしょ、こういう人。
>>841 他は知らないが金光明経、仁王経は密教系の経典じゃなかったか?
日蓮宗というのは何なんだ?台密と論争して、確か決別したんじゃなかったか?
ご都合主義的経法解釈の天才ならば麻原なんかと同類だな。
846 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/12/08 22:12 ID:fCn22PK3
麻原尊師を日蓮なんかと一緒にすんな!
847 :
法孫悟空 :03/12/08 22:28 ID:SyGTKj/T
>812 こじつけじゃないだろが。 >813 なんだよそれ? たしかに須弥山を中心にはしているけれど須弥山は一つだけではなく無数にあるとしている。 竜樹の倶舎論では宇宙観の広がりを三千大千世界としている。須弥山を中心に太陽、月などを含んだ世界を一世界、つまり今でいう太陽系にあたる この「一世界」が1000個集まって「小千世界」とします。 銀河系になる。さらにその小千世界が1000個集まって「大千世界」、これは超大銀河といえる。 これが三千大千世界と表現している。 さすがに数は科学のような正確ではないが、宇宙を階層的に捉えた、まちろん科学のように外界にむかったのではなく自分の内にその回答を求め、 たぶん宇宙と自分の中は同じと捉えたのだろうその洞察力はすばらしい、2000年以上昔にそこまで把握していたことは驚きであり、その正確さをものがたるに十分だろ。 大智度論には、成住壊空(じょうじゅうえくう)というのがあり、まず初めに「器世間」(国土世間)が成立してそこに有情(生物)が生まれる「衆生世間」。 この段階を成劫とする。次ぎにこの二つの世間が維持されていく段階を住劫という。 その後「有情世間」「衆生世間」の順番に壊滅する、これを壊劫といいますがこれは宇宙全体に溶け込み次ぎの成劫を冥伏した状態で、これを空劫という。 これら四つの成住壊空を繰りかえしつきることがないと説いている。 現代科学はビッグバンまでは突き止め、膨張しているまではほぼ間違いないと言えると思う、しかしその後収縮に転じることはまだ確かめられていないが いずれにしても繰り返しつきることがないと考える点は仏教と同じだ、現在の膨張から収縮に転じるまでは約300億年かかるとログノフは計算している。 ウパニシャッドでも生成破壊を繰り返すといってますがこれほど詳細ではない。
848 :
法孫悟空 :03/12/08 22:29 ID:SyGTKj/T
>826.828.831 大乗、なかんずく日蓮が偶像崇拝だと談じているが、まったくもって笑わせるよ。 法華経では「、、、この三を法報応の三身とも空仮中の三諦とも法身、般若、解脱とも申すこの三身如来まったく外になし我が身即三徳究境の体にて 三身一身の本覚の仏なり、これを知るを如来とも聖人とも悟ともいう知らざるを凡夫とも衆生とも迷とも申す」。 つまり仏という実際の身体と、教えとしての法はともに仮諦であり、応身とも如是相ともいう。一方を把握すれば「ある」一方をみれば「ない」という仮に因果によって和合している もの、これを空諦とも報身とも如是性とも説く。 この仮と空を全体としてとらえその本質とすることを中諦とも法身とも如是体ともいう。 そのことを知ることを悟りとも如来とも聖人ともいう、ということで釈迦や日蓮は偶像の対象でもなんでもない。 まして本尊は「胸中の肉壇におわしますなり、、、」というように心の内奥にあるもので一応、形としてあるけれども一人一人の心にあるもので、これまた偶像でもなんでもない なんとなれば自分が自分の心を崇拝することは偶像崇拝とは言わないからね。 よく知ってから言ってね。
849 :
法孫悟空 :03/12/08 22:34 ID:SyGTKj/T
お邪魔しますさん、一見したところ法然の念仏だけを目の敵にしているようにみえるがそれは違います。 法然の浄土宗は当時の鎌倉時代に民衆や武士たちにとくに受け入れられたものだった。 比叡山でさえ念仏信仰を認めなければ信者の庇護、寄進を受けられなかった、比叡山といえば伝教大師最澄が建てたものだよね。 元久元年(1204)比叡山の僧侶は念仏の禁止を天台の座主に要求したことでもわかる。 さらに翌年興福寺が念仏禁止を院に訴えた。 つまりそれほど法然の念仏は広くしんとうしていたということ、であるから日蓮はもっとも重要な宗派と判断し特に重点的に矛先をむけたわけだ。 だから決して念仏だけではないことを理解すべきだ。 つまり正法を破ることを原因として、その果を言っている。 あなたが言いたいのは「法華経以外に説かれている七難だから関係ないだろう」ということでしょ? 薬師経のここの部分をみると「、、、もし刹帝利、かん頂王等の災難起こらん時所謂、、、」とつづく この冒頭の刹帝利、かん頂王等とは支配階級のことクシャトリアという。 執権である時頼は特に念仏に傾倒していた、つまり正法に背いていた、だから七難が起こると言った。 薬師経だろうと大集経だろうと仁王経だろうと関係ない。 最高権力者の謗法が問題である、それほど権力者は影響が大きいというもっともなことだ。 念仏を特に攻撃した理由はここにもある。
権力者に頼んで他宗の僧の首をはねてもらおうとした時点で、日蓮はカス。 で、日蓮のいったとおりになったの? で、日蓮のいったとおりになったの? で、日蓮のいったとおりになったの? で、日蓮のいったとおりになったの? で、日蓮のいったとおりになったの? あんたら、 バ カ ですか?
851 :
法孫悟空 :03/12/08 22:49 ID:SyGTKj/T
他国侵逼難(たこくしんぴつなん)・自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)はそれぞれ 金光明経、仁王経、大集経にも説かれている。 訳せば「もし刹帝利(せつていり)、かん頂王といういわゆる支配階級のものが謗法すること によって災難が起こる時にはつぎのような七難がある。」ということである。 事実このとき七つのうち五つはすでに起こり残りの他国侵逼難・自界叛逆難も後に起こったことは承知の事実だ。
>大乗、なかんずく日蓮が偶像崇拝だと談じているが、まったくもって笑わせるよ 笑わせる? 偶像崇拝だと気がつけないのは、君に知恵がないからだよ。 >自分が自分の心を崇拝することは偶像崇拝とは言わないからね。 心のイメージを崇拝することは、イメージした偶像を崇拝することだ。 形に囚われるのも、まぁしょうがないな。 >釈迦や日蓮は偶像の対象でもなんでもない。 そうだといいんだが、信者のあり方、団体のあり方が死ぬほど偶像崇拝なんだから、 言っていることに意味がないだろう。 本質を考える心の余裕はないのかな。
>チベット密教はヨーロッパのインテリ層で流行ってんじゃなくて、 >ヨーロッパの(庶民の中の)東洋マニア(つーかオタク)の間で流行ったんだよ >それをパクッて日本にもってきたのが中沢新一。 うーん。ピンとこないな。中沢は自らチベットカギュで修行したわけで、 なんでヨーロッパから輸入してくるんだ?
855 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/09 00:02 ID:uWmaQ/mX
基本的なことを書くね。 法華経に帰依して浄土宗を取り締まれば、蒙古が攻め込んでこないと考えたのが、日蓮。 法華経に帰依して浄土宗を取り締まっても、蒙古は攻め込んで来ると考えたのが、時頼。 時頼が立正安国論を無視して、取り上げなかったのが正解だと思いますけどね。 反対に立正安国論を取り上げないと怒る日蓮の方が、おかしいとおもいますよ。
>自分が自分の心を崇拝することは偶像崇拝とは言わないからね。 余計な事を言うと、全ての概念は偶像なんだよ。上座や チベット密教の行法には、止観(ビパサナ)で自分の 心を観察する行がある。偶像を第3者の立場で観察し、 自我に左右されない自己を作る。君がグルジェフ、クリシュナムルティを知っている のなら、それがどういうものかわかるだろう。 全ての概念は因果の範疇にあり、それは究極の所、仏教的な価値はない。
>>841 お邪魔しますさん。
>つまり法華経に帰依しないと、この四つの経典に書かれている
災難が起こるという、目茶苦茶な理論を展開している。
滅茶苦茶ではないと思います。
日蓮は法華経以外の経典ももちろん仏語であると思っています。
なにが正法か、その判断基準の違いがポイントであるのでしょうね。
>>842 >立正安国論には、法華経以外の薬師経を始めとする四つの経典
に説かれているとしか書いていない。
つまりそれで充分なのでしょう。
ところで「立正安国論」における道元の影響の具体的説明はどうされましたか?
>>836 ではとても影響を与えているとは言えないと思いますが。
法然さんの話 ○法然の出家 法然の父は漆間時国という地方豪族であったが、明石定明というものに夜襲を受け殺された。 9歳の法然に対し父はこう遺言した。 「自分はとても助からない。この傷により落命するであろうが、おまえは敵を恨んではいけない。 おまえが父の仇を討とうとするならば、相手の子もおまえを仇と思うだろう。そうすると、 争いはいつまでも絶えない。だから、おまえは復讐を思ってはならない」(´Д⊂グスン 法然は父のこの遺言によって、出家そして13歳で比叡山に入った。 ○おかしな法然さん 法然は「智慧第一(`・ω・´) 」と評判の人だった。。。 でも、、「智慧高才をもって本願」とすることに反対する。 なぜなら「愚鈍下智の者」が救われないから。。。 また、法然ほど戒律を守った人もすくない。。。 しかし、「持戒持律をもって本願」とすることに反対する。 それでは、「破戒無戒の人」が救われないからである。。。 ○自分を見つめる眼 -=・=- -=・=- 法然は貧しく、愚かで、破戒の民衆を救いたいと考えたからそう思ったの(・ω・)モニュ? ・・・そうじゃない・・・ 冷徹に自分を見透かすならば、自分も愚かで戒を破っている人間だということに気つ゛く。 世間で「智慧第一」「持戒堅固」と褒められてもそれは世間の物差しであり 「仏のものさし」ではないからだと思われ。
859 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/09 09:58 ID:VhNKx+AE
>>847 >法孫悟空よ
「色」の中で何を言ってもな、どっちにしろ御伽噺なんだよ
孫悟空と名乗ることだけはあるね、お釈迦様の手のひらの中で飛び回って
ションベン撒き散らかしているだけだってことに気づいていない
色即是空だよ
いい加減、法華経なぞ頼らずに生きてみたらどうだ?
頼ったら、遠ざかるぞ
全てを切り捨てて、己のみとなって
己と向き合ったときに、法は己となるんだよ
そん時に気づくよ、あんたが今まで書いてきたことが
どうでもいいことだったってことにね
それが法華経なんだよ
860 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/10 00:09 ID:RRLP7PZ7
>>849 日蓮は立正安国論では、法然の浄土宗だけを非難している。それも法然が浄土宗のみが正しい
としているからです。この時点では日蓮は天台の円(法華)・戒(浄土)・禅・密の立場をとっ
ていた。
どのように浄土宗を取り締まるかについては、布施を止めることとしている。ところが法孫悟空
さんが書いているように、1207 (承元1)年の院宣で4人が死罪、法然 親鸞ら8人が流罪になっ
ているほかに。
1200(正治2)念仏宗が禁止される
1222 (貞応1)念仏停止行われる。
1224(元仁元)幕府、専修念仏を禁ずる
1234 (文暦1)宣旨により、京都の専修念仏、禁圧される。幕府、専修念仏を禁ず
1235 (嘉禎1)幕府、専修念仏を禁止。
1240(延応2) 祇園犬神人つるめそう 山徒の命により念仏停止
1255 (建長7) 幕府の関東の念仏弾圧、激化する
これだけの弾圧を受けている。いまさら念仏を停止しても、効果がないのは分かりきっている。
また念仏を禁止したら、蒙古が攻めてこないとの保証もない。
日蓮は寺に籠もって経文だけで立正安国論を書き上げた。いくら理論的に正しくても、現実には
何の役にも立たない。当然時頼は無視する。これに対して、正しい立正安国論に従わないと、抗議
する日蓮の方が狂っていると言わざるを得ない。
861 :
857 :03/12/10 00:55 ID:???
>>860 お邪魔しますさん。
念仏の流行は朝廷や幕府による弾圧があっても広がっていったのでしょうし、
極楽寺の重時などもやはり幕府の要人でありながら念仏者であったのでしょう。
そのような流行と、度重なる天災とを、日蓮は経文に照らして感じたわけです。
むしろ日蓮は理論であるよりも現実に目の前に現れている民衆に降りかかって
いる災難を見て、経文と取り組んだのではないでしょうか。時の権力者である
時頼が「立正安国論」を取り上げることはもちろんありえないでしょうが、宗
教者として、日蓮は自信の信条に基づき真摯に行動したと言えるのではないで
しょうか。それを狂っていると言われるあなたの態度に不快感を覚えます。
862 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/10 01:52 ID:8YyyQrQX
確かに狂っているとは言い過ぎたかも知れない。しかし、じぶんは良いことと悪いことの区別が 完璧に出来ると信じて、現実の出来事を無視し、経文だけで幕府に対する意見書を作り上げてしまう。 そしてそれが間違っているとはつゆほどにも思わず、自分の理想とする世界に現実を合わせるべきと 主張するさ。異常とも言える自己過信。 そのおかしさが日蓮は分かっていないし、現代においてもその理想郷の実現をはかっている政党がある。 日蓮においては、自分の作り上げた教義や経論が正義であり、それに従わない現実の方が間違っている としている。自分は間違っていない、自分の言動は常に正しいとの考えが、無理な行動や、周囲との軋轢 を作り出している。 親鸞が自分は悪人であり、常に悪事をなさなくては生きていけないと考えたのとは、正反対です。 宗教は人が苦しんでいるのを、救うためにあると考えている。ところが日蓮は理論的に完璧な宗教を 作りだし、人はそれに従うべきだと考える。この法に従わない人は救われないとした。 ブッダは決まった教義を持たなかった。常に人を見て、その人にあったやり方で法を説き、苦しみを和 らげた。
イスラム原理主義やオウムとさして変らん創価学会 田中が『公明党は法華経を唱えるヒトラーユーゲント』と言ったのがよくわかる。 池田=創価=公明党が自民党=政府を支配する時代だ。 このままでは思想・信条の自由さえも脅かされかねない。 創価学会員には一等国民の地位が与えられそうでない者には 二等・三等の地位が与えられかねない。 イスラム国家や共産主義国家のようなイデオロギー統一の独裁が生じる。 創価学会には過去の治安維持法や破防法を適用し徹底的に弾圧するべきだ。
864 :
857 :03/12/10 08:42 ID:???
>>862 お邪魔しますさん。
あなたの日蓮理解はゆがんでいると思います。日蓮は経典に強く依拠しようと
努めた僧ではありますが、それは僧侶として当然の態度ではないでしょうか。
そして日蓮が依って立った教義は天台であったのであり、それは法華最勝をう
たう宗派なのでした。そして当時の社会は災害がうち続き民衆は苦しんでいた
のです。その現実に対して日蓮は僧としてなにが原因なのかを考え、その思索
の結果を「立正安国論」として時頼に上奏したのです。「現実の出来事を無視
し」てはいないのです。
>日蓮においては、自分の作り上げた教義や経論が正義であり
むしろ彼を鎌倉新仏教の括りに入れずにあくまでそれ以前の伝統仏教の文脈で
捉えようとする説もあるほどに、日蓮は独創性の低い僧侶でした。(他の鎌倉
新仏教の宗祖に比べて、という意味です)。真に独創的なのは文字曼荼羅、唱
題行、といったことぐらいではないでしょうか。
865 :
857 :03/12/10 08:43 ID:???
>宗教は人が苦しんでいるのを、救うためにあると考えている。ところが日蓮 は理論的に完璧な宗教を作りだし、人はそれに従うべきだと考える。この法に 従わない人は救われないとした。 それは発想が逆だと思います。日蓮は人々が苦しんでいるのは「正法」を見失 っているからだ、と考えます。理論が先ではないのです。現実を見てその原因 を探る。法然の説に日蓮は法華誹謗へと繋がるものを見たのであり、それが民 衆を苦しませているという「結論」に彼は達したのでしょう。 >ブッダは決まった教義を持たなかった。常に人を見て、その人にあったやり 方で法を説き、苦しみを和らげた。 日蓮は教・機・時・国・教法流布の先後といった状況判断に基づいて教えを説 くべきだと考えています。どのような時代であるのか、どのような民衆であり、 どのような国であるのか、それらを踏まえて法を説くべきだというのですね。 そしていま末法は法華経の題目であるとしたのでした。その判断の根拠が現代 社会において揺らいでいたとしても、当時の彼のそのような態度までもが非難 されるべきではないと思います。日蓮はあくまで真摯であったことでしょう。 ですので「異常」であるとか「狂っている」といった表現はあたらないし、や めて欲しいものです。
866 :
857 :03/12/10 08:55 ID:???
それと「立正安国論」に見られる道元の影響について、説明お待ちしています。
867 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/10 09:36 ID:VGVm+fby
>>865 >857さん
ありもしない「正法」に固執したのではしょうがないと思いますよ
真の正義とは狂人の行い、という言葉もありますからね
>日蓮は教・機・・・・・
それでなお画一的な法華経の題目としてしまったでは
袋小路に陥ってしまうのですがね
868 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/10 09:45 ID:VGVm+fby
現段階で、私が感じていることは 親鸞、道元は悟りにより、仏陀と通じている 日蓮は関係はあるが、通じているとは思えない 円、密、禅、戒を省いて法華経が成り立つと思えない 方便の中身はどうでもいいこと それに影響を受けた人の行動から仏陀の仏法は探るべきではないか
864・865は正論ですな。(`・ω・´)
どう神聖化しても、実際の動きや歴史見ても 短気、我侭で頑固、その性格から修行も中途半端で投げ出し 当時は仏教の研究資料がなかったため間違った理論を受け売り さらに、自分の作った理論において布教しようとした 従わないものは殺せとばかりの教祖になってしまった おごり、執着、自己顕示欲が強すぎな人間に見えます そうみても、そう見える 元がそうだから、創価学会や顕正会のようなのが発生するのだと思う
871 :
脱会@名無しさん :03/12/10 10:34 ID:uL+JVy9o
初期大乗仏教典の思想の中に「法華経」が制作された。 しかしインドでは大乗仏教は仏教の大衆化を図ったものであり この大衆化には呪術的な要素(密教)が付き物であった。 そして仏教が密教化することによって ヒンドゥー教の中に埋没していったことを意味する。 13世紀の初めに、イスラーム教徒によって大寺院が破壊され インドにおける仏教は滅亡した。 日本の仏教者には珍しいタイプ。 彼は一種、キリスト教の預言者タイプの人間。 彼の主張は、いろいろな宗派があり、いろいろなお経があるが 「法華経」が一番大事である、法華経以外は価値が無いというもの。 仏教は割と異説に対して穏やかで、キリスト教のように 1つの解釈に固執してそれ以外のものを信じる人間は 死刑にしてしまうというようなことはしない。 それはもともと絶対の教典がないから。 悟りの山という頂上がある。 そこに行くには、たとえばストレートに 釈迦的に小乗的に目指すとか、あるいは阿弥陀バスに乗って みんなで上に行くとか、いろいろな方法を認めていたが 日蓮だけはそれを認めなかった。
872 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/10 11:16 ID:VGVm+fby
>>871 とても判りやすいですね
>悟りの山という頂上がある。
>そこに行くには、たとえばストレートに
>釈迦的に小乗的に目指すとか、あるいは阿弥陀バスに乗って
>みんなで上に行くとか、いろいろな方法を認めていたが
>日蓮だけはそれを認めなかった。
阿弥陀バスも頂上までは行ってない、8合目からは自分でいかなければならない
けど、頂上には立てる
山頂にいけるのは日蓮印の飛行機だけだって感じかな
でも、近づくことは出来ても頂上に立つことは出来ない罠
どどうやら中国の各諸派は、優位性を証明するための材料を 作成していたようだ。必要とあらば梵語にも訳してた模様。。。 五時八教 末法の概念は中国の天台時代より前には歴史上存在しない。 経相半尺をした中国には、インドの一部の経典しかなかった。 無常で絶対性を否定した釈迦が、法華経の独善を主張するだろうか。 釈迦自信は、超自然的なことを無記とした。 無量義経(何故法華経でならないか前提条件) 無量義経は中国産偽経というのが有力説 無量義経は法華経でなく、涅槃経の開経であった 天台がどうやら優位性を理論付けるためにくっ付けたもののよう 法華経 法華経にサンスクリット原典はあるが、 妙法蓮華経よりも新しい中国から逆流した? 釈迦が本当に伝えたかったというのは怪しくなるが、 例え中国の人があらこれいじって作ったものでも、 良いものは良しとしよう。 布教課程で「釈迦が本当に伝えたかった」というのはひかえましょう。学会員さん そして、それを売りに布教されたかたも、それを信じてたかたも 嘘、騙しとは言いません。単に知らなかっただけです。 仏教界の常識を知っていても布教の邪魔になるので隠してただけです。
874 :
857 :03/12/10 14:00 ID:???
>>867 Sbさん。
>ありもしない「正法」に固執したのではしょうがないと思いますよ
真の正義とは狂人の行い、という言葉もありますからね
当時日蓮にとってそれは「ありもしない」ではなくて「ある」のでしょう。無
量義経を偽経であるとは日蓮は夢にも思っていないのでしょうから。固執した
のではなくて彼にとっては単に「事実」だったことでしょう。それと狂人とい
った表現を安易に使って欲しくありません。 800年もの年代を隔てた現代人
の視点で当時の人間を狂人呼ばわりするのは控えるべきではないでしょうか。
>それでなお画一的な法華経の題目としてしまったでは
袋小路に陥ってしまうのですがね
徹底的な相対化こそ袋小路に陥るのではないでしょうか。日蓮やその門弟は別
に袋小路に陥ってはいないように見えます。彼らは自分たちが正しいと信じて
いるものに従って突き進むだけなのですから。もちろんそのような偏狭な態度
が正しいのか・正しくないのかは別問題です。私は快く思っていません。
>>871 >日蓮だけはそれを認めなかった。
法然も念仏以外での往生を認めなかったのではないでしょうか。だから旧仏教
や朝廷から弾圧を受けたのでは。禅もまた教外別伝・不立文字を言いますね。
鎌倉新仏教はそれぞれに偏狭な態度があるように思います。
875 :
857 :03/12/10 14:07 ID:???
876 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/10 14:54 ID:VGVm+fby
>>874 >857さん
>当時日蓮にとってそれは「ありもしない」ではなくて「ある」のでしょう。無
>量義経を偽経であるとは日蓮は夢にも思っていないのでしょうから。固執した
>のではなくて彼にとっては単に「事実」だったことでしょう。
禅の立場から見るとそこに問題点があるのです。
>禅もまた教外別伝・不立文字を言いますね
これは偏差とは関係ないのですよ
仏陀の最初から教外別伝・不立文字なんですよ
>800年もの年代を隔てた現代人の視点で当時の人間を狂人呼ばわりするのは控えるべきではないでしょうか。
ま、日蓮さんのことですから、狂人呼ばわりなぞ気にしないでしょうね
800年前の人間の行動を現代の人が行うことはおかしいとも思います
徹底的な相対化は袋小路ではなくて、拡散してしまうのですよ
なくなってしまう
>法然も念仏以外での往生を認めなかったのではないでしょうか。
ですから、親鸞の浄土真宗のほうがより広まるのでしょうね
>禅もまた教外別伝・不立文字を言いますね
これは偏差とは関係ないのですよ
仏陀の最初から教外別伝・不立文字なんですから
>>874 書き洩らしが沢山ありますので、そのまま受け取らないでください。
仕事なので、また書きます。
878 :
857 :03/12/10 15:57 ID:???
>>876 Sbさん。
>禅の立場から見るとそこに問題点があるのです。
私は禅の立場について話しているのではなく日蓮の立場について話しています。
それぞれの正・邪については私はなにも言いません。
>仏陀の最初から教外別伝・不立文字なんですよ
当時の仏教界の話です。
>800年前の人間の行動を現代の人が行うことはおかしいとも思います
私もそう思います。ですので逆も同じことでしょう。800年前の人の言動を現
代の人間の尺度で価値判断することは危険だと思います。
>ですから、親鸞の浄土真宗のほうがより広まるのでしょうね
浄土真宗では念仏の他に坐禅や題目や加持祈祷も排除せずに問題なく受け入れ
ているのですか。浄土真宗の教義について詳しく知りませんのでご教示願いま
す。それと禅の教外別伝・不立文字は「偏差とは関係ない」とのことですが、
では禅宗では坐禅の他に念仏や題目や加持祈祷も排除することなく悟りを開け
る方法論として受け入れていると言うことでしょうか。その点もご教示願いま
す。しかしそれらの宗派も祖師たちの時代と現代では違ってきていると思われ
ますので、祖師たちの時代に限定してお話願います。
>書き洩らしが沢山ありますので、そのまま受け取らないでください。
わかりました。一応私なりの意見は書きましたので、私の側に誤解があるよう
でしたらご指摘下さい。
879 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/10 17:42 ID:VGVm+fby
>>878 >それぞれの正・邪については私はなにも言いません。
邪だとは思っていません、ただ、仏道ではなくなってしまうと思うだけです。
>当時の仏教界の話です。
仏陀から当時を経て今に至るまでです。
>800年前の人の言動を現代の人間の尺度で価値判断することは危険だと思います。
そういうことなのです。それが言いたかったのです。
>浄土真宗では念仏の他に坐禅や題目や加持祈祷も排除せずに問題なく受け入れ
>ているのですか。
日蓮のように排他的だとは思いません、ですから悪人正機は面白いのです。
当時の人は、念仏しか、出来なかった。それでも大丈夫なのだと親鸞は説いたと思います。
題目のみ、とした日蓮との違いは明白だと思います。
>禅宗では坐禅の他に念仏や題目や加持祈祷も排除することなく悟りを開け
>る方法論として受け入れていると言うことでしょうか。
禅宗は密教的なこと(少しは入っているかもしれませんが)以外は全部使いますね
修験的なことはしませんが、修行も一番厳しいのではないでしょうか
悟りを開く為に最も簡単な方法として、座るのです、ただ、座るのです。
これは、昔も今も変わっていません。
そして只管只座なのです
自分が生きてるって自覚から自分が生かされてるってことに気がつかなきゃ (-人-)
881 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/12/10 17:56 ID:VGVm+fby
>>880 自分を見つめなければ、生かされてることの意味に気づくことは無いと思う
(-人-)
882 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/10 18:09 ID:UrHd+i1D
弘安二年(1279年) 857さん、ネーム固定してくれて有り難う。 道元が時頼に直接教えを説いたおかげで、宋からの来日した禅僧が大勢鎌倉に集まって 蒙古の情報が正確に伝わっていたと考えています。道元が直接立正安国論についてどうの こうの言っているわけではありません。ただ宋から多くの人が来ることによって、蒙古に 対する一代情報基地になっており、立正安国論の理想論では国難が回避できないのが、よ く分かっていたと思います。 日蓮が立正安国論を出す前年には、韓国が蒙古に破れて属国になっています。 また時頼は仏教への関心が深く、建長寺を創建したほか、奈良・西大寺の叡尊(えいそん 例の雨乞い問答で有名な極楽寺良寛の師匠)を鎌倉に迎えて受戒しました。建長寺第2世 兀庵普寧のもとで悟りを開いたといいます。後に来日した無学祖元についてはこのような エピソードがあります。 無学祖元が温州(浙江省)の能仁寺に住していたとき,元兵が寺に 侵入し白刃をかざして迫ったが,無学は泰然として 「珍重す大元三尺の剣,電光影裏に春風を斬る」 と偈を呈し,難を免れたという。 時頼の時の蘭渓道隆も、時宗の師である無学祖元も、蒙古と南宋との交戦中、南宋 人として生きてきた人達で、蒙古への敵対心は当時の日本人と変わらなかった。従っ て同志的な感情があったであろう。南宋の滅亡を目のあたりに見てもいる。元寇当 時の執権時宗の導師としては、ふさわしい人であったかもしれない。
883 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/10 19:01 ID:UrHd+i1D
日蓮で分からないのは、立正安国論の内容が念仏衆に漏れて松葉ヶ谷の草庵が 襲われているのですね。人心の乱れや風紀紊乱、戦乱ぐらいは人間のやることだ から分かるけど、地震、颱風、干魃、疫病までも法然のせいにされたら、浄土宗 の連中は怒りますね。さんざん人の悪口を言っておいて、相手が殴りかかったら 相手が殴ったと怒っているようなもので、とても坊主のやることとは思えない。 だいたい相手が絶対受け入れないと分かっていても、同じ事を文永五年(12 68年)、文永十一年(1274年)と二回もやっている。そのたびに無視され た、迫害されたと御書に書いている。このような人間を何と言ったらよいのでし ょうか。
今で言うオウム真理教の扱いと同等だったのではないかと なんとなく想像がつく。 自分達はしっかり正しいとアーレフに名前変えて続けてる 750年後には、反省もなく分派が複数できてて 創価学会のように突然新興宗教ができ爆発的増殖見せるかも知れない。 その時は、平和の為に戦い弾圧うけたなどと言ってるかもしれない
だから、評価されているされていないとか、歴史上の人物とか そういう色眼鏡を一切取り除けば、日蓮と親鸞は明らかに異常なんだよ。 末法には法華経しかない。それを信じなければ日本は滅ぶ(結局滅ばなかった)。 なんて今の時代に言うやつがいれば、ライフスペース、オウムだろ(w ただのカルト教祖も時代によって神格化される。まぁ、法華経そのものが、 偽経典という明らかな事実がある以上。そういうカルトに関わるのは 何の意味もないがな。
886 :
857 :03/12/10 22:06 ID:???
>>879 Sbさん。
>邪だとは思っていません、ただ、仏道ではなくなってしまうと思うだけです。
そうですか。分かりました。
>当時の人は、念仏しか、出来なかった。それでも大丈夫なのだと親鸞は説いたと思います。
題目のみ、とした日蓮との違いは明白だと思います。
日蓮の唱題行は易行である称名念仏を念頭に置いていると思います。題目もま
た念仏を唱えるのと同じくらい当時の民衆には行い易いものだったでしょう。
親鸞にとって念仏はたまたま念仏であったのでしょうか。題目であっても坐禅
であってもかまわないというほどの寛容性が親鸞にはあったのでしょうか。
(もちろん日蓮は親鸞の後に登場するので題目のことは知らないのでしょうけ
れど)
>禅宗は密教的なこと(少しは入っているかもしれませんが)以外は全部使いますね
修験的なことはしませんが、修行も一番厳しいのではないでしょうか
悟りを開く為に最も簡単な方法として、座るのです、ただ、座るのです。
ということは別に坐らなくてもよいということでしょうか。たまたま坐禅であ
っただけで、実際のところ道元にとっては方法論はなんでもいいのでしょうか。
887 :
857 :03/12/10 22:07 ID:???
>>882 お邪魔しますさん。
蒙古襲来に関しての情報網として鎌倉に栄えた禅宗の影響力があったということですか。思想的影響力という意味ではないのですね。分かりました。
>>883 >このような人間を何と言ったらよいのでしょうか。
宗教的不寛容と呼べばよいと思います。教条的なのでしょう。ただ当時の時代
状況や彼が身を置いた宗教的な環境を無視して、狂人であるとか異常であると
いうような現代的視点だけでの断罪はすべきではないと思います。私は彼は彼
の立場で真摯にその時代を生き抜いたのだと思います。
>>887 >彼は彼の立場で真摯にその時代を生き抜いたのだと思います。
とんちんかんなことを真剣にやってたからこそキチガイなのでは?
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/12/10 22:17 ID:42g37+1L
857 は乾闥婆か?
>とんちんかんなことを真剣にやってたからこそキチガイなのでは? いいことを言った。パラノイアは論理的整合性のある基地外だ。 たとえぱパナウェーブを考えればわかる。 ああいう白ずくめにもちゃんとした論理と意味がある。 「法華経ずくめ」にも非常に高度な論理と意味があるだろう。 頼むから、人に強制するな。パナウェーブの異様な理論を押し付けられる 気持ちを考えてみろ。
891 :
法孫悟空 :03/12/10 23:17 ID:nHOfJTnA
>余計な事を言うと、全ての概念は偶像なんだよ。上座やチベット密教の行法には、止観(ビパサナ)で自分の >心を観察する行がある。偶像を第3者の立場で観察し、自我に左右されない自己を作る。 釈迦は止観の方法についてはちょっと触れているだけで詳しくは述べていない。 上座だけじゃないよ、むしろ大乗のほうが詳細に現しているよ。 天台は摩訶止観にくわしく述べている。 止観に関してはその第二から第六章に述べられている。 特に第六章では止観が一切の仏法をそなえていることを明かしている。 次ぎの第七章の正観において十境十乗観法のなかで一念三千が明かされている。 止観とは禅と置き換えてもいい、止とは禅定、観とは智慧のことで禅定だけに重点をおくのではなく観にあたる智慧も重要なのだ。 つまり止観によって諸法の実相をみることが究極の目的である。その一部をしめすと第二章に止の三義、観の三義がとかれる。 それはいずれも心を一所に停住させ散乱した想念を止息させ、一切法の真実ありのままの様相を観察するというのが基本。 心のさまざまな誤った働きつまり煩悩を抑え、智慧によって真理に到達すること。 また第三章において三止三観について説かれ、諸法の空を体得して妄想が止まり、心を俗諦に安じさせる(方便である実在かな?) それらは文字通り空観、仮観、中観を会得するものである。そしてその三止三観が次第順序を追って修されるのはまだ浅い段階で、究極的には 同時に全てを修することが目指される。これが一心三観、円頓止観しいう。 さらに一念三千の説かれた十境十乗観法の第一に観不思議境がある。
892 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/10 23:20 ID:5vPhPt11
893 :
法孫悟空 :03/12/10 23:25 ID:nHOfJTnA
ここに陰入界というのがあるがこれはこれは自分の六根を通して知覚された世界を問題にしていて、つまり自分の身体五感を通してのことであって 、つまり主体である「我」があるということを意味しているとも考えられる(以前にも言った) 主体である我を離れた客観的な世界を問題にはしていないことは重要だ。 「心が一切法を生じる」例えば心が六道を生じるという小乗の考えは諸法を「有」としかとらえない、また「有」とみることで六道の衆生のあり方が成立する。 有とは対象が永遠不滅の実在ととらえるので必然的に対象に執着する。 そして心が十界を生じるという大乗の考えは対象を空ととらえ固定的実体を持たないと捉えることで必然的に対象に執着しない、だがこれでは二乗のありかたで 完全には説ききってない。 つまり三世間がないのだ、これがないと空理空論で現実には意味がなくなるんだよ。わかるかな?分からないだろう。 この三世間によって一念三千が成り立つがこれは天台独自のものではなく法華経にとかれている、ただし文字通りに説かれるものではない。 法華経以前の経に十界互具は説かれる。つぎに方便品において十如是が説かれている。そして三世間は法華経寿量品の文底に秘沈されている。 日蓮は「文の底に沈めたり、竜樹、天親知っていまだ拾い出ださず」と言っている。このように言うと手品のようでばかげていると言いますが、 よく寿量品を読んでごらん、釈迦は久遠実成を現し、いろんなところに住所をおいて、常に娑婆世界で説法教化していると説いた、これは国土世間を説いている。 そして人々のために教えを説くために菩薩の道を実践してじょうじた寿命はつきることがない、など衆生世間が説かれたりしている。 直接は説かれないがよく読むと文の底というか裏にそれが読める、これが寿量品全般に説かれている、文底秘沈とはそういうこと。
894 :
法孫悟空 :03/12/10 23:26 ID:nHOfJTnA
sbさんあなたにはこの三世間つまり中諦がない、というより禅宗しはこれが分からないんだ。 先の説明のように摩訶止観では禅定と智慧、つまり経文は重要なんだよ、あくまで文上での経文、法だけでないことは当然。 日蓮が禅天魔と言った理由はここにあると思う。 仮想現実じゃないよ現実の世界は、sbさん。 つづけますがこの「心が一切法を生じる」というものは地論学派や摂論学派などの唯識系(九識論を説いた)の仏教思想でもある。 この摩訶止観はさらにこと細かく体系づけられている。天台はこの方法で仏になったのはいうまでもない。ご本尊に唱題をあげる行為はこの禅定の行為の日蓮的方法論である。 煩悩は煩悩としてそのまま祈りご本尊に唱題をあげることで仏界が湧現する、「我」が認識する、つまり頭で理解するのではなく直接、識に働かせる。 第九識である阿魔羅識(あまらしき)が根本清浄識にかわることでその下にあるすべて、第五、第六識までが本来の姿になり娑婆即寂光土になる、これを九識心王真如の都とも法界体性智ともいいます。 偶像と呼ぶ本体はない、もしご本尊をあらわさなかったら、日蓮そのものを拝んでいたかも知れない、そのことを知っていたのだろう。
895 :
857 :03/12/10 23:30 ID:???
>>888 >とんちんかんなことを真剣にやってたからこそキチガイなのでは?
当時の宗教界の文脈からいえば、それほどとんちんかんではないと思います。
むしろ鎌倉新仏教として台頭してきた浄土宗や禅宗に対しての伝統仏教側から
の反動と言えるのではないでしょうか。ただ現代に生きる人間から見ると、日
蓮は非常にイタイと思います。
896 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所護念 ◆IByKs72gR2 :03/12/10 23:32 ID:WTkP9pLV
そうかなァ。 アンチテーゼとしての法華宗ではないですよ。お祖様は、全てを経験し修行してから、 その結論達した。反動、アンチテーゼとして法華唯一を主張したわけじゃないですよ。 その見方はオカシイ。
897 :
873 :03/12/10 23:36 ID:???
学会員がだとす仏教の話しが、すぐに念力や呪術ぽくなるし 日蓮大聖人と言う人間が、神格化され神ぽくなるので 少しちゃちゃ入れましたが、信心は自由ですので 否定するつもりはありません。 ただもっと、現実的に見れないかなと思いました。 無条件に教本を持ち出し魔法のようなこと言う人多いので 話しにズレを感じてしまいます。
898 :
法孫悟空 :03/12/11 00:04 ID:Ru2gHCP7
>873 以前にも同じこと書いていたけれど、、、 五時八経のところで>「経相半尺をした中国には、インドの一部の経典しかなかった。 >無常で絶対性を否定した釈迦が、、、」 天台が現れたころは中国に仏教が伝来されて300年はたっている、そのあいだアビダルマ経典をはじめ全ての経典はそろっていましたよ。 無常を説いたのは仮諦のことで絶対性の意味があなたは分かってない。 仮諦も空も本質ではない、その意味で中諦は絶対です。 真言亡国と言ったのは主である釈迦をさしおいて大日如来をおいている点、大日如来は応身の仏で釈迦の分身、それを主としいてること。 そして天台が読み取った一念三千を自宗の極理のように説き、さらに弘法大使にいたっては法華天台を罵倒している。 このように主をないがしろにしているために真言亡国と言った。 お邪魔しますさんはたしか真言だったよね、彼の言うことを聞くとよく分かる、結局お邪魔しますさんは何が言いたいのか、 あっちの宗派はここがいい、あっちはここが悪いと迷走している。 つまり元、主がないんだ、その点sbさんは禅という主がしっかりしている。
899 :
法孫悟空 :03/12/11 00:06 ID:Ru2gHCP7
立正安国論は田中智学を初め間違った見解をしている人が多いい、日蓮主義などという言葉はその最たるものでもともとそんな言葉はない。 高山樗牛は「日蓮は真理のために国家を認む、国家のために真理を認めたに非ず。彼にとりては真理は常に国家よりも大也」 矢内原忠雄は「日蓮は国を法によって愛したのであって、法を国によって愛したのではありません、、、、立正が安国のも因でありまして、 安国によりて立正を得ようとするは、本末転倒であります。日蓮の目的としたものは国家主義ではありません。」 宗教のための宗教ではない、人間のための宗教である。
900 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/12/11 00:22 ID:LoSZGKAQ
法孫悟空さんちょっと間違えているよ。 >天台が現れたころは中国に仏教が伝来されて300年はたっている、そのあいだアビダルマ経典をはじめ全ての経典はそろっていましたよ。 天台大師智ギが生きていたのは(538-597)、中国で真言密教の主要経典である 「大毘盧遮那(びるしゃな)成仏神変加持経(大日経)」を訳出した善無畏が生き ていたのは(637-735)である。 だから天台大師智ギの時代に中国では大日経はなかったんよ。
法孫悟空に聞きたいが、一時興隆を誇った天台宗が、短期間で 衰退したのは何故かね。 俺の解釈は、「現実的には作用しない」ということだ。中国人は現実の功徳に うるさいところがあり、ご利益がないとポイっと捨てる傾向にある。 だから、中国に今も残る中国医学、風水、気功などは、現実に作用すると考えてよい。 中国人が見限った天台。その天台を信じた日蓮。この流れで なおさら功徳があるなど、いくら難解な哲学を語ろうが天台など、 その程度なの。わかった。
>天台宗が、短期間で 衰退したのは何故かね。 中国の天台宗
>>898 大日如来=法身仏
阿弥陀如来・薬師如来=報身仏
釈迦如来=応身仏
これは大乗仏教徒であれば認めざるを得ないのでは?
法華経には釈迦以前に多くの仏がいたと釈迦自身が説いている
大乗経典の特徴は上座部をはじめとした釈迦以外の仏を認めない
部派仏教に対する優位性を説くために多くの仏を創出したこと
その目的は釈迦の弟子を声聞としてこれを劣った小乗仏教徒と
規定したいがため、釈迦の弟子を否定的に捉えるのだから
大乗仏教徒はより優れた釈迦以前にいた仏に帰依して
菩薩道を修めなければならないとしたから必然的に釈迦の
相対的な地位は低下する。
法華経では迹門の釈迦はゴウタマ・シッダルダとしての
人間の釈迦。
本門の釈迦というのが何度も生まれ変って仏として世にでてくる
釈迦の本体と説いて釈迦の地位保全を説くから法身仏とあると
するような間違った解釈がでてきてしまう。
下げておいて上げるような無茶苦茶な矛盾が法華経にはあるわけだ。
基本的には維摩経ほどではないが法華経を含めた大乗経典は
部派仏教に対する攻撃として釈迦の弟子を劣ったものとしているから
釈迦自体も劣ったものにならざるを得ない。その矛盾を解決する手段が
他に優れた仏がいるとすることだから釈迦如来が法身仏でありかつ
応身仏であるという大矛盾は法華経の存在意義自体を問う問題でもある。