「つくる会」の教科書を購入しよう

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1名無しさん
「新しい歴史教科書をつくる会」(西尾幹二会長)のメンバーらが執筆
した扶桑社(東京)の中学の歴史、公民教科書の市販本が、発売1週間で
大手書籍取次会社、トーハンの週間ベストセラーの最新総合ランキングの
1、4位に入ったことが14日までに分かった。
内容への批判なども話題性となり、教科書のベストセラー化という珍現象
になった。

この教科書の支持を表明する為に、この市販教科書をどしどし購入して、ベストセラーにしよう。
2NANASI:2001/06/14(木) 23:01 ID:.UYbL0KY
本を買った人⇒つくる会賛成
コピーの人⇒つくる会反対
3チップ・ナナッシ:2001/06/14(木) 23:03 ID:kDXCUOgo
みんな新しい歴史教科書買ったのか?
http://teri.2ch.net/test/read.cgi?bbs=korea&key=991713583&ls=50

いわゆる一つの既出かも・・・
4名無しさん:2001/06/14(木) 23:07 ID:Chnhs8kg
概出ならスマソ

しかしこういうスレは重複してもいいんでは?
5名無し:2001/06/14(木) 23:07 ID:yRSohEHU
買ったよ。当然だろ。
批判するにしても、賛成するにしても読んでみなけりゃ分からない!!
6名無しさん:2001/06/14(木) 23:10 ID:lm0rLn3Q
悪いけど、歴史の方はあまり役に立たないよ、だって所詮歴史
なんだもん、逆に言えばそんなものに目くじら立ててる韓国とか
はやっぱどうかしてるよ

公民の方はマジで勉強になりました
7 :2001/06/14(木) 23:16 ID:3U7DqFWQ
買ったよ。
正直、良いとか悪いとか判断が付かないほど、
中学校時代に勉強してなかったのが分かった。
utu...
8名無しさん:2001/06/14(木) 23:23 ID:H8sI5WhY
>>6
だからこんな程度のモノにも文句をいってくる、チョウセン、やシナがどんな
国、民族かということ。
あいつらの国の教科書はどんなものなのか見てみたいな。
まあ時間の浪費だけど。
9名無しさん:2001/06/15(金) 01:07 ID:yGdWpfYk
この季節になると韓国のTV電波が混入してくるので、一時間くらいボーっとみて
たんだけど。
ニュース報道と思しき番組の内容は、「北(と思しき)との領海問題」
「金大中の演説内容」「Kリーグの勝敗」ETC と教科書問題は出てきませんでした。

案外日本における米空母寄港サヨクデモ程度のものなのカモ。
10名無しさん:2001/06/15(金) 01:12 ID:qw93UUOg
>>9
そんなものではないな。
他国の教育に口をはさむ神経が問題だよ。
また、チョウセンはこれまでも色々日本に厚かましい要求をしてきたが
日本が相手にしないとしばらく静観し、頃合を見て又同じ問題を蒸し返す
いつものパターンだよ。
11   :2001/06/15(金) 04:52 ID:cd2DUaWA
こんなところもあります

http://www.h2.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/kyokasho/1/
12名無しさん:2001/06/15(金) 05:13 ID:pe7d5UIU
ここのリンク先に修正表があるよ。
http://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/0_con003.htm
13予想:2001/06/15(金) 06:31 ID:2At5Uzbo
買わなくても、歯医者から送られてくるかもしれない

“国民の歴史”みたいに
14名無しさん:2001/06/15(金) 09:33 ID:PzE0rdac
>>13
自分で買いなさいよ。
15ななし:2001/06/15(金) 10:58 ID:i2DnRImw
>>9
市販本が出て以来、韓国マスコミでも取り上げていませんね。
批判することが宣伝になることに気づいちゃったのかもしれま
せん。(藁

先日、高橋史朗氏の講演を聞いたら「韓国政府内でも実際に
日本が教科書を書き換えるとは思っていないけど、マスコミ
などが騒ぐので要望書などを出さざるを得ない。本音は、早
くほとぼりが冷めて欲しいようだ」(聞き覚えのため不正確)
というようなことを言っておられましたが。
16名無しさん:2001/06/15(金) 11:05 ID:W30vsBW2
>>13
送ってもらえる人はいいな
自分で買っちゃったよ
17 :2001/06/15(金) 11:34 ID:QTV1sPDA
自分はデザイン系だから、どうも装丁に目がいっちゃうよ。
いっちゃんどうでもイイコトだけどね。
美術作品が沢山載せてるのも気に入ったよ。
18発売してるのは:2001/06/15(金) 11:56 ID:QIBIqM6E
中学生向けでしょう?
19名無しさん:2001/06/15(金) 12:46 ID:W30vsBW2
>>18
そうだよ

学校で日本史習ったのは中学までだったから、いい勉強になったよ
20鈴木せんせひどすぎ:2001/06/15(金) 18:56 ID:eAhsdkj2
掲示板のご利用を!
                        東京都学校ユニオン
こんにちは
 東京都学校ユニオンの鈴木と申します。
私どものHPに「つくる会教科書に反対する掲示板」を設置しました。どうぞご利用ください。
 掲示板には右翼から荒らしが入るかとも思いますが当分放置し、いかに「つくる会教科書支持者が酷い」かを白日の下にさらしていきたいとも思います。
 中国、韓国、アジア諸国の団体にもこの掲示板を紹介していきたいと思います。 知り合いの方が中国、韓国などにいらっしゃいましたら、この掲示板についてご紹介ください。

****************
東京都学校ユニオン
http://www4.ocn.ne.jp/~tsuunion/
****************
21平ノ時盛:2001/06/15(金) 19:46 ID:3orbvuY2
22名無しさん:2001/06/15(金) 21:35 ID:Ot9COSp.
>>20
在日よりのあらしです。
23名無しさんいっばい。:2001/06/15(金) 21:46 ID:w92oRaM.
こんなに早く優良スレ認定が!
24名無しさん:2001/06/15(金) 22:15 ID:6JwsA8.s
掲示板にはチョウセン人等から荒らしが入るかとも思いますが当分放置し、いかに「つくる会教科書反対者が酷い」かを白日の下にさらしていきたいとも思います。
25平ノ時盛:2001/06/15(金) 22:44 ID:bnSvU7RU
この「一期弘法付嘱書」というのは、普通の御書とは全く違う。大聖人が御入滅の直前、一代三十年の御化導を括られて、日興上人に示された御付属状です。この短い御文の中に、大聖人の仏法のすべてが含まれているのです。
先ほどから述べてきた「本門戒壇の大御本尊」と「血脈」と「国立戒壇建立の御遺命」の三つが、はっきりと示されております。
まず冒頭の
「日蓮一期の弘法」とは「本門戒壇の大御本尊」の御事です。この大御本尊は大聖人の出世の本懐であられるから、「日蓮一期の弘法」と仰せられる。
次に「白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり」とは、戒壇の大御本尊を日興上人に付嘱して、本門弘通の大導師と定められたこと。これが「血脈」です。ゆえに末文に「血脈の次第 日蓮 日興」と仰せられる。
次に「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是れなり」とは、まさしく国立戒壇建立の御遺命です。
「国主此の法を立てらるれば」とは、広宣流布が達成されて国家意志が表明される時が来たならばということ、その時、富士山に本門戒壇を建立せよと御遺命あそばされている。「時を待つべきのみ」とは、"広宣流布の時は必ず来るのであるから、それ以前には断じて建ててはいけない"との御制誡です。
最後の「我が門弟等此の状を守るべきなり」とは、日興上人への血脈付嘱そして国立戒壇建立の遺命を守らぬ門弟は、我が弟子ではない、師敵対の者であると、厳しく仰せられているのです。
まさに国立戒壇の建立こそ日蓮大聖人の終窮究竟の御本願であるから、この御遺命を破壊する者は、御本仏の一代三十年の御化導を水泡に帰せしむるの仏敵といわなければならない。
ところが、この大事の御遺命が、広布前夜の今日、まさに破壊されんとしたのであります。
26平ノ時盛:2001/06/15(金) 22:45 ID:bnSvU7RU
末法の仏道修行は勤行と折伏に尽きる。勤行とは、御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱える三大秘法の修行であり、そしてこの三大秘法を人に勧めるのが折伏である。
勤行は自分自身の修行であるから「自行」といい、折伏は他人を教化し救う修行であるから「化他」という。末法、ことに広宣流布以前の謗法充満の世においては、自行と化他が車の両輪のごとく相俟って、始めて完璧なる仏法の実践となる。すなわち自分が御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えるだけでなく、人にも御本尊の功徳を教え信心を勧めていくことが、大聖人の仰せのままの正しい仏道修行である。
大聖人は自行化他にわたる仏法の実践について
「南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」(持妙法華問答抄)
「我もいたし、人をも教化候へ」(諸法実相抄)
「唯我れ信ずるのみに非ず、また他の誤りを誡めんのみ」(立正安国論)
「末法に入って今日蓮が唱うる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(三大秘法抄)等と御指南下されている。
27平ノ時盛:2001/06/15(金) 22:46 ID:bnSvU7RU
さて、日寛上人が「此の本尊」と仰せられた御本尊とは、別して、大聖人が弘安二年十月十二日に御図顕あそばされた「本門戒壇の大御本尊」の御事である。
この大御本尊は、日本および世界の全人類に総じて授与された御本尊で、広宣流布の暁には本門戒壇に安置さるべき御本尊なるゆえに、「本門戒壇の大御本尊」と申し上げる。
大聖人が御在世に書き顕わされた御本尊は数多にのぼるが、それらの悉くは「一機一縁」といって、信心強盛の個人に授与された御本尊である。ここに、全世界の人々に総じて授与された御本尊は、ただこの弘安二年の戒壇の大御本尊一幅である。この大御本尊こそ三大秘法の随一、大聖人出世の本懐であられる。
ゆえに大聖人滅後においては、この戒壇の大御本尊を御本仏日蓮大聖人の御当体、唯一の帰命依止の法体と仰ぎまいらせねばならない。
この戒壇の大御本尊は弘安五年に大聖人より日興上人に御付嘱され、以来日目上人・日道上人・日行上人と次第に相伝護持され、いま広宣流布の時を待って冨士大石寺にまします。
私達が勤行の時、信じ唱えまいらせるところの対境・法体とは、実にこの戒壇の大御本尊にてましますのである。
冨士大石寺門流においては、入信者の信行が進んで不退の金剛信が確認された時、日興上人以来嫡々付法の大石寺歴代上人が、この戒壇の大御本尊を書写して授与して下さる。授与された弟子・信徒は、その書写された本尊を即戒壇の大御本尊と拝して、日夜勤行に励むのである。
ただし、本宗における御本尊の授与は極めて厳格で、入信早々に授与されるということは絶対になく、身命も惜しまぬ信心が確立してのち、始めて授与されるのである。したがって、御本尊を頂戴するまでは、すべての人が、我が家より遠く戒壇の大御本尊を遥拝し奉って勤行申し上げる、いわゆる「遥拝勤行」がまず信心の出発となる。これが本宗伝統の厳格なる風儀である。
宗門上代において、御本尊授与がいかに厳格であったかを、二祖日興上人の御指南に拝してみよう。
「富士一跡門徒存知事」に
「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由、諸法に其の聞えあり、いわゆる日向・日頂・日春等なり。日興の弟子分においては、在家・出家の中に、或いは身命を捨て、或いは疵を被り、若しはまた在所を追放たれて、一分の信心の有る輩に、忝くも書写し奉り、之を授与する者なり」
と。
28平ノ時盛:2001/06/15(金) 22:47 ID:bnSvU7RU
日興上人と日向・日頂等の五老僧と、御本尊に対する姿勢が全く違っていたことがよくわかろう。日向・日頂等は御本尊の尊厳がわからなかったために、大聖人御直筆の御本尊を「形木に彫む」すなわち版木におこして印刷し、それを信心もない輩に軽々しく授与していたのである。まことに不敬の至りである。この不敬に対して日興上人は
“日興の弟子分においては、信心のゆえにあるいは身命を捨て、あるいは傷を受け、あるいは追放されるなど、信心の色あらわれた不惜身命の者に対してのみ、恐れ多くも戒壇の大御本尊を書写し奉り、これを授与する”と仰せられている。
日興上人の門流(冨士大石寺)においては、御本尊の授与がいかに厳格であったかが、この御文でよくわかる。まさに御本尊は、入信時に軽々しく授与されるものではなく、信心決定の結果として授与されたのである。
ゆえに、あの熱原の法華講衆にしても、入信未だ日も浅く、したがって未だ御本尊を頂戴せぬまま、遥拝勤行に徹してあの不惜身命の大仏事を成しとげられたのである。
近年本宗において、信徒の増加にともなって、止むなく信心決定までの暫定の仮本尊として、形木御本尊(印刷された御本尊)が下附されるようになった。もちろん本宗における形木御本尊は、日興上人が日向・日頂等を誡められた御制誡に該当するものではなく正しき暫定の仮本尊であるが、これとても、よく創価学会員の入信勧誘に見られるような軽々しい下附、あるいは不信の輩に無理に押しつけるごときは、「軽賤」の罪に当たろう。
いま顕正会は、正系門家の中で創価学会が御遺命を破壊せんとするのを見て諌め、ために不当の解散処分を受けたが、この迫害により、計らずも御在世の信心に立ち還ることができた。すなわち御在世の信徒の方々が厳格なる風儀のもと信行に励まれたごとく、いま顕正会員もまず遥拝勤行に徹し、広宣流布に立ち上がっているのである。
御遺命を守護せんとして不当の解散処分を受けたことが、「或いは疵を被り、若しはまた在所を追放たれて」に当たれば、これほどの喜びはない。
やがて御遺命守護完結のその日には、顕正会員こそこの捨身の御奉公によって、時の御法主上人より、晴れて御本尊の授与を賜る資格を得るのである。顕正会員は、いま御在世のごとき厳格なる信心修行が貫けることを、誇りとしなくてはならない。
29平ノ時盛:2001/06/15(金) 22:48 ID:bnSvU7RU
遥拝勤行の心構え

遥拝勤行と、御本尊の御前で行う勤行とは、功徳において全く同じである。
遥拝勤行において大切なことは、我が家と冨士大石寺にまします戒壇の大御本尊と、いかに距離があろうとも、信心でその隔たりを乗りこえ、眼前に御本尊ましますとも通ずることはなく、もし信心があれば、千万里を隔てるとも直ちに御本尊と感応道交して、我が生命に仏界が湧現するのである。
ゆえに大聖人は、身延より千里を隔てた佐渡に住する千日尼に対し
「譬えば、天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮かび、雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾にきこゆ。御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来れり。――御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」(千日尼御前御返事)
と御指南下されている。まことに大聖人の御心に通じ通ぜぬは、その人の信心による。距離は全く関係ないのである。



 遥拝勤行の仕方

それでは遥拝勤行の仕方を具体的に説明しよう。
冨士大石寺の方に向って正座し、数珠を手に掛け至心に合掌する。二人以上が一緒に勤行する時は、一人が前に出て唱導し、他はこれに和する。
30平ノ時盛:2001/06/15(金) 22:52 ID:XwY8BMi6
五老僧の師敵対

 大聖人は御入滅にさきだち、日興上人への唯授一人の血脈相承とは別に、日興上人を含む門下の法将六人を本弟子(直接の弟子)と定められている。すなわち日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持の六人、いわゆる六老僧である。
 日興上人は門下の高弟の義務として、大聖人の墓所を守るべき輪番の制度を、この五人の老僧と相計って制定された。しかし五老僧は身延で奉修された百ヶ日法要以後は、遠国のためもあってか登山せず、すべてを日興上人に託し輪番を怠けるようになった。
 日興上人と疎遠になるに随い、五老僧の信心は次第に逸脱していった。五老僧はもともと日興上人のごとく常随給仕の功もなく、不惜身命の決意も甘く、未だ大聖人の仏法の奥底に達していなかったのである。
 したがって時がたつにつれ、日興上人の富士門流と、鎌倉方と呼ばれる五老僧の間には、天地のごとき法義上の差異が生じてきた。その主なものを挙げれば

一、 日興上人は大聖人御図顕の妙法五字の大曼荼羅を本尊とせられたのに対し、五人は釈迦の仏像を本尊と崇めた。
二、 日興上人は「日蓮大聖人の弟子」と名乗って本門の三大秘法を弘通せられたのに対し、五人は「天台沙門・日昭」等と名乗り、大聖人の仏法を「天台の余流」といった。
三、 日興上人は立正安国論の御趣旨に基づいて神社参詣を禁じられたが、五人は神社参詣を許した。
四、 日興上人は大聖人の御書を御本仏の直接の御教えとして尊重せられたが、五人は御書を軽んじ、すきかえしたり、あるいは焼くなどした。
五、 日興上人は勤行において、大聖人のあそばしたごとく方便・寿量の両品を助行とし唱題を正行とせられたが、五人は如法経・一日経といって、法華経二十八品を書写したり読誦するなど、摂受の行をおこなった。

 ――等々である。まさに五老僧は法難を恐れる臆病のゆえに、また大聖人の仏法の奥底を知らぬゆえに、日興上人と疎遠になるに及んで、たちまちに本師・大聖人に背いてしまったのである。
31平ノ時盛:2001/06/15(金) 22:53 ID:XwY8BMi6
身延離山

 さて、大聖人御滅後三年目の弘安八年三月、五老の一人民部日向が突然身延に登山してきた。それまで、鎌倉方の諸老僧が大聖人の御墓を守らぬ不知恩を嘆き再三登山を促がされたいた日興上人は、これを見て大いに悦ばれた。
 日向は日興上人に伏し、身延に住することになった。大聖人の直弟である五老の一人が、ともかく正信に立ち還ったことは、一門の喜びである。この年の秋、日興上人は一分の不審を胸に懐かれつつも、日向を学頭に任命された。
 だが、一年・二年と経つうちに、民部日向は身延の地頭・波木井実長(日円入道)に取り入るようになったのである。日向は世才家で名利の心が深かった。ゆえに席の暖まるにつれ、地頭にへつらい、その心をたぶらかしていったのであった。
 実長は日興上人の教化によって入信している。したがって大聖人・日興上人には情の面で信伏していたが、性来が我が儘で傲慢のふうがあり、法義には全く暗かった。
 日向の甘言により、地頭の信心は次第に狂っていった。厳格な日興上人を敬遠し、数々の謗法を犯すようになった。その謗法とは、次のようなものである。

一、 釈迦仏の立像を造立して、本尊としようとした。
二、 大聖人が身延御在住九ヶ年の間禁止されていた神社参詣を始めた。
三、 領内に念仏の塔、また念仏の道場を建立するなど、謗法への施を行った。
32平ノ時盛:2001/06/15(金) 22:54 ID:XwY8BMi6
これらの謗法は、すべて民部日向が許し、あるいは教唆したものである。日興上人はこの不法の学頭の擯出を決意されると共に、地頭の謗法を再三再四厳しく誡め給うた。しかし日向と心を合わせた実長は、ついに
 「我は民部阿闍梨を師匠にしたるなり」(原殿御返事)
 とまで放言するに至った。ここに、清浄の地であった身延山は、謗法汚濁の地となったのである。
 かかる汚濁の地に、大聖人の御法魂たる「本門戒壇の大御本尊」を居しまいらせることは、聖意に背くことになる。
 大聖人も兼ねて波木井実長の信心を見抜かれ
 「地頭の不法ならん時は我も住むまじき由」(美作房御返事)
 の御遺言を日興上人に下されていた。ここに日興上人は、身延山離山の重大決意を堅め給うたのである。
 しかし、波木井一族の中にも、実長の子息等は清信に住し、日興上人への絶対帰依を誓っていた。これら清信の士の懇望を斥け、かつ大聖人より付嘱を受けた身延山久遠寺を退出することが、日興上人にとっていかに情の面から忍び難いことであったか。しかしまた、御大法を正しく立て広宣流布を進めることこそ本門弘通の大導師としての責務である。日興上人はこの万感の御心情を、波木井の子息への御手紙の中で、次のように吐露あそばされている。
 「身延沢を罷り出で候事、面目なさ、本意なさ、申し尽し難く候へども、打ち還し案じ候へば、いずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ詮にて候へ。さりともと思い奉るに、御弟子悉く師敵対せられ候ぬ。日興一人本師の正義を存じて本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って覚へ候へば、本意忘るること無く候」(原殿御返事)と。
 まことに情理を尽くしたこの御心情、この御決意、とうてい涙なくしては拝し得ない。
 かくて正応二年の春、日興上人は戒壇の大御本尊を始め、一切の重宝を奉持し、一門を率いて身延の山を下られたのである。
33平ノ時盛:2001/06/15(金) 22:56 ID:XwY8BMi6
大石寺建立

 身延を後にされた日興上人の御一行は、まず富士川添いの河合にある、上人の祖父・由比入道の邸に入られた。
 この事を知った富士上野の地頭・南条時光(上野殿)は、自領内に移住せられんことを懇に願い出た。この懇請を容れて、日興上人は南条家の持仏堂(下之坊)に移り給うたのである。
 南条家の北東半里のところに「大石が原」という雄大なる地域がある。この地は東一里(四キロ)に戒壇建立の地「天生原」をのぞみ、南には駿河湾を一望するという勝地である。ここに日興上人は広宣流布の根本道場を建立せんとせられた。
かくて南条時光の外護のもと、新田信綱(日目上人の兄)が与力して正応二年秋よりその工が始められ、翌正応三年十月十二日に落成した。
日興上人はこの寺を地名を以て「大石寺」と号され、ここに「本門戒壇の大御本尊」および大聖人の御霊骨を奉安し、「広布の気発するまで異地に移すべからず」(家中抄)と仰せられ、この大石寺を広布の根本道場と定め給うたのである。
大石寺落成の翌日の十月十三日、日興上人は日目上人に内々に血脈を相承し、その証として「御座替わりの御本尊」を書写し日目上人に授与された。この時日興上人四十五歳、日目上人三十一歳であられた。まさに令法久住の深きおぼしめしをここに拝する。
さらに八年後、日興上人は大石寺の東に隣接する重須(北山)に談所(学問所)を開き、自らそこに移り、学徒の養成に務められた。

富士に一門の本寺・大石寺が建立されてより、大法弘通は日興上人の総指揮のもと、日目上人・日華・日仙・日尊等の死身弘法により全国におよんだ。その教域はなんと、東北は奥羽より、西南は近畿・山陰・四国・九州にまで及んでいる。当時の交通不便の状況に思いを至せば、この弘通は驚嘆のほかはない。以て富士門流の広布の熱情を推知すべきである。
また国家諌暁も、大聖人の御聖意を継ぎ、「日蓮聖人の弟子・日興」と名乗られ、武家あるいは公家に、日目上人等を代奏として幾度も申状を奏呈されている。
34平ノ時盛:2001/06/15(金) 23:03 ID:XwY8BMi6
日目上人への御付嘱状

正慶元年十一月十日、八十七歳の日興上人は、後々のために「日興跡条条事」と題する日目上人への御付嘱状を書き置かれた。



日興跡条条事


一、 本門寺建立の時は新田卿阿闍梨日目を座主と為し、日本乃至一閻浮提の内・山寺等に於いて、

半分は日目嫡子分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之れを領掌すべし。


一、 日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊は日目に之を相伝す、本門寺に懸け奉るべし。


一、 大石寺は御堂と云い墓所と云い日目之を管領し、修理を加へ勤行を致し、広宣流布を待つべきなり。



右日目は十五の歳日興に値い法華を信じて以来、七十三歳の老体に至るまで、敢えて遺失の儀なし。
十七の歳日蓮聖人の所(甲州身延山)に詣で御在生七年の間常随給仕し、御遷化の後弘安八年より

元徳二年に至る五十年の間奏聞の功他に異なるに依って、此くの如く書き置く所なり。

仍って後の為、証状件の如し。
35名無しさん@:2001/06/15(金) 23:05 ID:mZkX10zE
>平ノ時盛

つまり、百字以内に要約すると、どういうことかな。
さあ、理解できているなら書いてみよう。
書けないなら、あなたの知識は実生活に役立つ知恵となりません。
時間の無駄です。
さよおなら。
36名無しさん:2001/06/16(土) 01:12 ID:8q7IWsCk
掲示板にはチョウセン人等から荒らしが入るかとも思いますが当分放置し、いかに「つくる会教科書反対者が酷い」かを白日の下にさらしていきたいとも思います。
37名無しさんのお腹いっぱい。:2001/06/16(土) 02:28 ID:Q0/1GeWQ
ん、宣伝スレか?
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書けませんよ( ̄ー ̄)ニヤリッ