1 :
名無し:
古代日本と密接な関係にあった百済。
この百済について色々語り合いたいと思います。
2 :
sage:2001/06/10(日) 01:54 ID:8fcFk5W6
sage
3 :
CHINDARURE:2001/06/10(日) 11:55 ID:9p0JuVhM
落花三千。惜しい、いやもったいないことをした・・・
全て日本に来ていれば・・・
4 :
CHINDARURE:2001/06/10(日) 12:19 ID:9p0JuVhM
5 :
名無し:2001/06/10(日) 13:25 ID:B7W3rMVU
くだらねぇスレだ
6 :
CHINDARURE:2001/06/10(日) 13:33 ID:ibTOfNyU
こういう話好きなんだけどなー?
ここの板ではハヤンネーのかな?
そろそろ卒業しようかなー?
7 :
名無し:2001/06/10(日) 13:39 ID:IvdsuUMA
8 :
:2001/06/10(日) 14:10 ID:x57hA88A
ここの板には学問的知識が豊富な人はいないのでは?
あくまでここは、韓国をネタとして楽しむ場所でしょう。
9 :
名無しさん:2001/06/10(日) 14:58 ID:J25o6PM.
じゃあ百済の何について語りたいんだよ。
スレたてた1がまず話題を提供してくれ。
色々語り合いたいでは漠然とし過ぎてるよ。
10 :
CHINDARURE:2001/06/10(日) 15:20 ID:3sujdTWE
>>8 ご指摘のとおり私は知識が貧困です。
面白可笑しくチャチャ入れながら楽しく勉強したかったダケ。
迷惑なら入りません。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/10(日) 15:27 ID:c0H90jcA
>>1 このいたにまともな歴史の知識のある奴はいないから無理。
「国民の歴史」と「新しい歴史教科書」に書いてある以上の
ことを求めても無駄。
12 :
低脳屁以下:2001/06/10(日) 15:31 ID:kD.wnkcc
おい3流エンターティナーの1よ おまえのスレ レス無さすぎであまりにも
可哀想だから俺が一回だけ書き込んでやるよ
これでおまえのスレも少しはのびるだろうぜ俺効果でな(笑)
14 :
名無しさん:2001/06/10(日) 15:45 ID:J25o6PM.
>>11 勝手に決めつけるなよ(笑)。
昔百済や新羅関係のスレ一杯あったの知らないの?
だから1はなんか話題を提供しろっつってんだろ。
15 :
名無し:2001/06/10(日) 16:20 ID:u9yDeJCI
百済は、支配層が夫余系の言語、被支配総が韓系言語だったそうな。
夫余系の言語の国家は、高句麗語、百済語(支配層)、日本語です。
韓系の言語は新羅の言語ですが、夫余系とは大きく異なります。
いまは夫余系の言語は日本語にしかなく、周囲から断絶しているようにみえるんですよね。
16 :
Mr.コパ:2001/06/10(日) 17:28 ID:1BmhshHo
大昔になくなっちゃって、半島にはカスも残ってないからねぇ。
本当のところ言語もどうだったかわからないし。
日本に難民がちょっと来て、遺物が残っている程度ではねぇ…
熱く語れって言われてもちょっとねぇ…
17 :
旭日:2001/06/10(日) 19:55 ID:Om.zfwOw
>16
百済の遺跡で残っているのは、夫余の石造五重の百済塔のみ。なぜか?碑文があるため。その碑文。「おれが百済をほろぼした。」唐の将軍、蘇定方の戦勝記念碑
夫余の王都を破壊し尽くした後、記念碑を作る余裕がなかつたので、焼け野原のあとに残っていた石塔に目をつけた。
自国が征服された記念塔を1000年以上大事にほぞんしている。カンコク人ていったい。これも中国の教科書にどう記載されているのかな?
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
22 :
旭日:2001/06/10(日) 20:21 ID:Om.zfwOw
平ノ時盛さん。あなた宗教を遊びの道具につかっていると、自分の身
に悪いことがおきますょ。マジで
23 :
>旭日:2001/06/10(日) 20:45 ID:ZJ8vxP5s
24 :
名無し:2001/06/10(日) 21:02 ID:nqTmqa0g
くだらねぇくだらねぇ
25 :
ひゃくさい:2001/06/10(日) 22:13 ID:y9Pu.xh.
百済の読み方は「ひゃくさい」。魏志東夷伝に記載されている馬韓50余国の中の「伯済」国。
このころからキムチが名産だったのでこの名前がついた(ウソ)。
26 :
名無し:2001/06/11(月) 00:00 ID:YamxHKNU
詳しいことは判らないけど、日本に伝わった韓国
文化というのは百済文化がほとんどで、百済が滅ぼされた
後は王族とかが日本に亡命して土着化したんでしよ。
んで、今の韓国人は百済人はほとんどいなくて百済があった
全羅道は今もって差別されている。
韓国人は日本の文化は韓国が伝えたと言ってるけど、
そうなると日本に伝わった韓国文化というのは百済
の文化であって、今の韓国人とは全然関係ない違う
民族がつくった文化といっていいので、韓国人の言ってる
ことは少し違うんではないんでしょうか?
反論求む
27 :
反論? ある!:2001/06/11(月) 00:20 ID:1Ah6pm2w
>>26 >韓国人は日本の文化は韓国が伝えたと言ってるけど、
>そうなると日本に伝わった韓国文化というのは百済
>の文化であって、今の韓国人とは全然関係ない
『韓国文化』など 今も昔も存在しない。
28 :
名無しさん:2001/06/11(月) 00:24 ID:HXWdpU8Y
アホクレーマー新羅(=南鮮)を征服して百済を立て直そう。
南に百済共和国、来たに高句麗由来の金王朝(=北鮮)マンセー。
29 :
名無しさん:2001/06/11(月) 00:37 ID:HXWdpU8Y
30 :
名無しさん:2001/06/11(月) 01:00 ID:HXWdpU8Y
31 :
名無しさん :2001/06/11(月) 01:16 ID:jfGvLnIY
もうハングル板もできてから1年半経つから、
この手の話題は散々語り尽くされてしまって
今さら、盛り上がらないのかもしれないね。
しかし、板に来て月日の浅い初心者はこういう漠然とした
ことを知りたがるのも事実。
だとすると、最近のハングル板は初心者には
敷居の高い板になってしまっているのかも。
これは、日本史板、世界史板についても感じること。
だとしたら、最近で来た地理・人類学板にスレ建てるともいいかも?
32 :
郎女:2001/06/11(月) 01:33 ID:P2nNi/8A
>>17 旭日 さん
遺跡といっていいのかどうかわかりませんが、
1971年に、百済武寧王陵が発掘され、王と王妃の墓誌が出ています。
この墓誌の王の没年、西暦523年は、日本書紀中の武寧王記事の没年と一致し、
斯麻(しま)王という武寧王の呼び名も一致。
武寧王の父の王子は倭に来ていて、筑紫の島で武寧王が生まれたので、
日本風に「しま」と名付けたという、日本書紀の記事の信憑性を裏付けます。
33 :
旭日:2001/06/11(月) 07:45 ID:c0uUlnYU
>32朗女さん
いつも,あなたの博学に敬服しております.ところであなたの読み方ですが、いらつめでよいのでしょうか?
34 :
名無し:2001/06/11(月) 08:05 ID:qrdjB9rw
>>31 旧百済スレッドに案内出ているし十分でしょ。興味があって、知らない
人が多い場合、既出スレッドであっても、ある程度盛り上がるしね。
ハングル板の効能は「自分で調べて判断する」力を付けることだよ。
マスコミの態度がおかしい韓国・朝鮮問題でもっとも必要とされる
事だよ。
35 :
ななし:2001/06/11(月) 11:03 ID:/4I6U9sE
つーかさ、日本人の祖先が百済人で韓国人の祖先が新羅人だったら
その昔日本人は韓国人に侵略されて朝鮮半島を追い出されたわけだ。
だったら日韓併合ってのは侵略者から祖先の土地を取り返したってこと
になるんだが、そのへんをあの国の人たちはどう思ってるんだ?
36 :
さん:2001/06/11(月) 12:15 ID:UCW2BgZg
>>35 それが理由で任那日本府の存在を認めようとしないんだよ。
37 :
ななし:2001/06/11(月) 12:20 ID:d46AgvUU
>>36 そうだったんだ。
てっきり日本の勢力が半島にまで及んでたことを認めたくない
だけかと思ってたよ。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/11(月) 12:36 ID:GfgCZoIw
>>36 任那は35さんの話の場合無関係なのでは?
百済が新羅によって滅ぼされ、その難民が日本に渡ったというだけで成立するよ。
しかもこれはカンコックが声を大にして主張してるしね。
>>35さん
岸田唯言論(「日韓いがみあいの精神分析」中央公論社・がいしゅつ(^^;)
的に言えば「国家の無意識」と言うことになるわけやけど、ちょっと言い
過ぎっぽいなー。
そうだとしても、それは「倭人(百済人含む)」の話。
もしそうだとしたら、そのことを隠蔽するために作られたのが「日本書紀」
であり、日本という概念そのものなのやから、そんなことを韓国併呑の正当
化に使うのは「ウリナラ半万年」と同じ水準の話だわな。(^^;
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/11(月) 13:15 ID:mrypErUo
>>15 日本語が夫余系というのはすこし無理があるんじゃない?
夫余というのは満州かシベリアのほうにあった国でしょ。
沖縄までつながる日本語が夫余系というのはどうだろう。
日本語は南のほうから渡ってきたという説も有力だし。
やっぱり縄文語が基本で、列島固有の言葉なんじゃないかな。
半島南部には、古くから日本のほうから進出していて百済などに
影響力をもっていたとは思うけど。
41 :
千里馬:2001/06/11(月) 18:00 ID:OuKUViwg
>35 その追出すはそう 韓国人のはそうだよ 韓国人は百済人をよく追い詰めて
追出したと言っているんだよ 百済人を追出さなかったら良かったとか奴らが
言うんだよ 高い技術を持った百済人を
42 :
郎女:2001/06/11(月) 18:44 ID:jfqYx08M
>>33 旭日 さん
いらつめ です。去年の夏、HANボードに初めて投稿したとき、
含蓄を必要とする投稿だったために、投稿内容にあわせて、
大伴郎女を名乗りまして、こちらでは名無しのままだったのですが、
種種の事情で、やがてこちらでも、郎女を名乗るようになりました。
43 :
名無しさん:2001/06/11(月) 23:59 ID:cOkbvWb2
44 :
名無しさん:2001/06/12(火) 00:02 ID:dhbJwydM
43です。相当昔のやつみたいですね...
45 :
調べてちょ:2001/06/12(火) 00:09 ID:obbJzyIo
46 :
名無しさん:2001/06/12(火) 00:14 ID:dhbJwydM
47 :
世界史板から出張:2001/06/12(火) 00:50 ID:Dvoqesks
48 :
47の続き:2001/06/12(火) 01:10 ID:Dvoqesks
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/12(火) 02:24 ID:0UOjTQCE
縄文後が北方に広がった経路ってどんなものだったんでしょう。
ひょっとして、アイヌ語が樺太からシベリア経由で伝わったとか?
50 :
奈菜氏:2001/06/12(火) 02:52 ID:xgeA/meI
>>39 イスラエルとパレスチナ関係みたいなものか
あっちは、マジだけど
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/12(火) 05:13 ID:IrBnswlc
>>4 百済の国歌なんてのは知らないが、国旗は源氏と同じ白旗だったと思われ。
陰陽五行説で百済は金徳を採用してたらしいからシンボルカラーは「白」だったろう。
>>49 >アイヌ語が樺太からシベリア経由で伝わった
あんた時代の前後関係がむちゃくちゃだね。そんな話ではぜんぜんなくて、もっとはるか先史時代のことでしょ。
52 :
陳伯林:2001/06/12(火) 06:38 ID:KPAekxlY
test
53 :
陳伯林:2001/06/12(火) 06:44 ID:KPAekxlY
54 :
>53:2001/06/12(火) 07:06 ID:.DgW3Jpg
最後のリンク先がドキュソだね。
>>54 百済の里、宮崎県南郷村はサウラビの元凶。
村興しのために侍の魂を売り渡した売国奴の村。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/13(水) 03:21 ID:PNfU4Uz.
>>54 ドキュソっつーか、半月城は大昔からニフティとかでヒガミ鮮人の電波説を捲き散らしてた老舗だろ。
57 :
名無しさん:2001/06/13(水) 03:30 ID:U/XsQuw6
反日城はYahoo Japanの韓国スレにある竹島トピで
虎三さんに完膚無きまでに叩きのめされています。
虎三さんのクールで情け容赦ない追及ぶりは必読物ですよ。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい:2001/06/13(水) 04:44 ID:klqJe9d2
>15
新羅は倭人の国と世界史板の方で言っていたよ、
59 :
世界史板から出張:2001/06/13(水) 05:55 ID:ek9nrCNM
>>58 世界史板のあれは漏れもメインライターの1人だけど、
>>15はとくに間違ってはいない。
新羅は政治的に倭国の掣肘下に置かれた時期がながかったというだけで、
新羅語と倭語が言語系統として近いという話ではまったくない。
>>50 さん
お、それは意外に的確な比喩かも、ですね。
もし日本書紀に「よくもわが同胞たる百済を滅ぼしたな。ただ1つの神の名にかけて
何百年、何千年かけても聖地・扶余を取り返す・・」とでも書いてあったら東アジア
も中東に近い歴史をたどったか。(^◇^;)
ま、それはやーめた、が「日本」のはじまり。
ヘブライズムより仏教が先に伝来していてよかったなー。(^^;
61 :
名無しさん@お腹いっぱい:2001/06/14(木) 09:52 ID:VMSBc6MU
「それはやーめた」なんていってないよ。
できれば武力を使っても半島の権益は回復したいというのが朝廷の本音だろ。
百済滅亡以降、新羅とはあまり友好的な関係になかったのは事実。
藤原仲麿も対新羅戦争をまじめに考えていたようだし。
半島との友好関係が回復したのは家康になってから。
61 さん
ええっとね。
6世紀以前の記紀の記述と、同時代の中国の日本列島の記述がじぇんじぇん合わ
ない、というのは知ってるよね。
>>50 60 で言ってるのはそういうお話です。
で、解ってもらえるだらうか・・・
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/16(土) 05:32 ID:hlyYBaec
いや、解りません。
「記紀の記述と、同時代の中国の日本列島の記述がじぇんじぇん合わない」ってことと、
「
>>60 で言ってること」 とがどう関係するのかわからない。
64 :
:2001/06/16(土) 06:19 ID:gfV1dSvk
ふむ? まあ・・、いいか。
>>63 さん
記紀と中国側の記述が合わないのは、記紀の物語が「日本は大陸とも半島とも
関係なく古よりある国だ。」になっているからです。
私は、中国の記述以前にそれはあり得ないという立場で話しています。
もっとも、戦後の日本ではマルクス主義を標榜されている方々がこの説を堅持
されてきました。最近でもその伝統を受け継ぎ、西尾幹二という人が「国民の歴史」
という本の中でそう述べていらっしゃいます。
(なんであの人が監修して、あれだけまともな教科書ができたのか奇怪不思議。)
ですので、貴方が記紀に書かれてあることはすべて真実であるのだと仰るのなら
ば、私としては、そうですか、とだけいってこの話は終わりです。
そういうわけで、以下は無意味かもしれませんが、一応。
もし、上記の事が事実でないのなら、記紀の記述はなぜそうなっているか。
それは任那や百済が記紀の記述から読めるような植民地や属国でなく、大和朝廷
にとって失いがたい重要ななものであり、白村江の敗北によりそれを失ったことを
隠蔽し、新たに「日本」という物語を作りだしたものである。
が、たとえば岸田秀氏の「唯幻史観」の日本史のはじまりです。
私の
>>50 はそれを踏んだ上での冗句です。
蛇足ついでに付け加えれば「歴史」と言う概念自体、人類文明にとって普遍の
ものではなく、あれだけ精緻な哲学を展開したインドにもない概念です。
ヘブライズム流の歴史のない世界、特にインド風の輪廻転生の概念が仏教とと
もに入ってきた世界では、恨みはそれを昨日のことと感じられる人が亡くなるに
つれて風化するのが自然でしょう。
>>65 あ、間違えた、て、まあ分かり切っている事ではあるが(^^;ゞ
>私の
>>50 はそれを踏んだ上での冗句です。
>>60 が正解
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/17(日) 03:25 ID:UgfwU6D2
>>67 さん
>そんなこたあ言った覚えはないが?
はあ、だとすると私も貴方の仰ってる趣旨がよくつかめません。(^^ゞ
最初に戻りましょうか。私の
>>50 の冗句に対し、貴方は「そんなことはない」
とつっこまれました。
これは私としては、天武朝になってもまだ半島へ逆襲しようという具体的な動き
があったということと解釈するしかないのですが、それでよろしいのでしょうか。
>冗句だとは思わなかったので、史実をもって反論としたのが
浅学にして、そのような具体的な動きがあったとは存じませんので、できれば
史実をご教授願いたいのですが。
>藤原仲麿も対新羅戦争をまじめに考えていたようだし
この人が恵美押勝のこと(間違っていれば失礼)だとして、具体的な進出計画が
ありましたのでしょうか。
いや、それ以前に押勝だとしたら、つまり「だから反逆者として殺されたのでは」
というつっこみを返されない(^^;事例をできたらお願いしたいのですが。
あ、又間違えた。(^^;ゞ
こりはひょっとして何かの潜在意識の抑圧のなせる技か。(;´Д`)
>最初に戻りましょうか。私の
>>50 の冗句に対し、貴方は「そんなことはない」
冗句は
>>60です。
70 :
ななし:2001/06/18(月) 21:57 ID:ePiPYfY2
百済は好きだよ。
耳障りの良い名前だ。それに日本文化を豊かにしてくれたわけだし。
今の韓国と百済はあまり関連性がなさそうだけど。
71 :
名無しさん:2001/06/18(月) 22:11 ID:7LL6YkJY
>>70 百済の末裔は南朝鮮で差別されています
最近になってやっと百済の末裔から大統領が出ました
1300年ぶりでしょうか
日帝時代の前までは朝鮮は新羅そのままで日本とは関係が悪すぎた
今はまだマシです
72 :
とうりすがり:2001/06/19(火) 20:42 ID:eENMpmxo
>>51 百済の旗は平家と同じ赤旗だと何かの本で読んだ気がするが
平家の祖先の桓武天皇の母親は百済系のためにそれを引き継いだとか。
豊田有恒だったけ
>>61 半島に対する文書を処分したのも桓武天皇で以後半島の土地奪還はタブーになった
73 :
名無しさん:2001/06/19(火) 20:55 ID:YPFP0Wuw
世界で最初に人口が100万人に達した国が百済。
二番目がロンドン、三番目が江戸。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/19(火) 21:03 ID:kf.MipEs
なんで国と都市を比べるのだろう
75 :
たう:2001/06/19(火) 21:08 ID:DlHxdOAY
>>73 なんどか見るんだけどさ、なんで百済だけ国なんだ?
77 :
たう:2001/06/19(火) 21:12 ID:DlHxdOAY
被った・・・
武蔵の国といいたいのだろう。
79 :
名無し東シナ海:2001/06/19(火) 21:44 ID:Myg4KlT2
都市国家か(藁)
80 :
ななし:2001/06/19(火) 22:10 ID:LnznMKEw
日本語の「くだらない」は「百済」が語源だと言う話を聞いたことがあります。
百済でないもの=下らない、らしいです。
たぶんトンデモ説だとは思いますが、どなたか真偽のほどをご教授ください。
81 :
名無しさん:2001/06/19(火) 22:19 ID:mDEwF1X2
>>80 ネタですか?マジレスるのも恥ずかしいですね。
「下り物」を辞書で引いてください。
82 :
ななしさん:2001/06/19(火) 22:20 ID:jL2t2oWA
百済が100万人って何だよ。
>>73 当時は人口=軍事力だよ。100万人いたら国が滅びやしないよ。
大体、20世紀でも半島全部で900万人なのに。
83 :
えっと:2001/06/19(火) 22:21 ID:.puyFr2.
江戸ブームの頃の本で、江戸初期は京都から江戸にくだったモノと江戸近辺で
作ったモノ、後期は江戸で作ったモノの中で周辺にくだったモノという意味で
使われた、と書いてありました。
なんだか意味が分からない日本語ですね。
なんで、江戸から周辺に送ったモノがくだりモノとして尊ばれ、
江戸に残った「くだらない」ものが低品質のモノの代名詞になるのか?
読んでいたときは判ったつもりだったんですけどね。
84 :
80:2001/06/19(火) 23:02 ID:cGaIzxaI
>>81 もちろんネタですよ〜。
韓国人がいかにも言いだしそうな「捏造ネタ」をちょっと思いついたので、カキコしてみたのです。
>>83 ご丁寧にありがとうございました。
なんか、恐縮です。
85 :
名無しさん:2001/06/19(火) 23:05 ID:5q9k5x3s
>80
ソレ、確かずいぶん前に、韓ヤフで見ました(藁
86 :
旭日:2001/06/19(火) 23:06 ID:kDulD0Mk
>>80 その説は、わたしもきいたことがある。クンナラ(大きい国)=くだら。ナラは都市とか国の意。ウリナラとかね。だから百済でないものはくだらんとこうなるのだけど、その説はまったく、くだらん。
正しいのは>81
>>82もいってるけど江戸は海岸の埋め立て地がおおいため井戸水に塩分がまじり、いい酒ができなかった。そこで京、大阪の上方から酒を送った。いいのをくだり酒=くだる
とこうなった。
87 :
80:2001/06/19(火) 23:07 ID:cGaIzxaI
え?マジでそんな説が出てるのですか?
ちょっとびっくり。
88 :
旭日:2001/06/19(火) 23:11 ID:kDulD0Mk
ちなみに江戸は井戸水がわるいため、当時の世界中の都市の中でも水道の設備がバッグンに発達していた。これは誇っていいこと。たしか
大江戸博物館にも展示していたようにおもう。
89 :
旭日:2001/06/19(火) 23:21 ID:kDulD0Mk
ついでに、江戸はそれこそ当時ロンドンをしのぐ世界最大の都市で、
水道などの生活環境もせいびされていた。
90 :
>>88:2001/06/19(火) 23:53 ID:FEC4XJoE
>江戸はそれこそ当時ロンドンをしのぐ世界最大の都市で、
確かに。江戸は百済一国の人口と等しい訳ですもんね(w
91 :
名無し:2001/06/20(水) 00:36 ID:0UMeQZhc
くだらねえこと言ってんじゃねえ、の「くだら」って
半島の百済から来たの?
あせ
93 :
娜々志娑无:2001/06/20(水) 00:48 ID:MuIjFRyo
旭日さんその他の皆さんには大変申し訳ないのですが、その説は俗説で
あって、正しい語源説とは言いかねます。
理由その1:「下らぬ」という表現は既に室町時代末期から使用されており、
江戸とは関係ない。
理由その2:「下らぬ」は当初は「わけがわからない」「意味がわからない」と
いう意味で使用されていて、「ばからしい」「取るに足りない」の意味で使用さ
れるようになったのは江戸時代も末期になってから。
で、現在の通説は、「下る」にもともと「文意が通じる」という意味があり、
それを打ち消して「意味がわからない」の意味になり、そこから更に「ばからし
い」という意味に転じた、であります。酒の「下る」「下らぬ」説は私も聞いた
ことがあり、大学の頃まではそう信じてました。語源説として確かによくできて
はいると思いますが、所詮は語源俗解(フォルクス・エティモロギー)ということ
のようで(^^;。
94 :
旭日:2001/06/20(水) 07:05 ID:bTgWCPf6
>>93 へえーくだり酒説も百済ペクチェ説とおなじだつたんですね。ふたつともよくできている話でつい信じてしまいますね。
95 :
あはは:2001/06/20(水) 07:13 ID:/nzkFJDM
えっ!
下らないって、詰まらないって意味じゃないの?
96 :
俺なんか:2001/06/20(水) 07:15 ID:X74H1evc
日本史の受験参考書で読んだんだよ>「上方下りもの説」
でも、韓国人留学生は予備校で「百済ない説」を先生に聞いたって言っとたがな(w
せっかく間違いを正してやったのに〜
97 :
名無しさん:2001/06/20(水) 08:06 ID:ivJvzrjA
百済がもし朝鮮半島を統一していたら、ローマ帝国と同等の大国に
発展していたと、力説する韓国人がいました。
その根拠は、百済は海洋国家で、世界でも最も優れた航海技術を有し、
遠くギリシア・ローマとも交流があるほどの先進文化があったかだそうです。
98 :
旭日:2001/06/20(水) 08:26 ID:bTgWCPf6
カンコクは地域意識がつよいので。だから光州事件みたいなものがおきる。ま、土地じまんお国自慢。ひいきのひきたおし。阪神タイガースがアメリカのワールドシリーズを制覇したっていうようなもんですかね。くだらん。
99 :
旭日:2001/06/20(水) 08:33 ID:bTgWCPf6
スマソ訂正。阪神タイガースをヘテタイガースに
100 :
あはは:2001/06/20(水) 08:51 ID:/nzkFJDM
くだる、くだらぬって、基礎的で古い言葉ですよね。
くだる【下る、降る】
1。雨が降る 2。時が過ぎる 3。世が移る 4。都から地方へ行く
5。降伏する、降参する 6。劣る、低級になる 7。低い、低くなる
8。さがる、下付される 9。へりくだる、謙遜する
日本人の上下高低の倫理基準から言うと、あまり良い意味はありませんよね。
つまり「くだる」ことはあまり良いことでは無い。
そうすると、「くだらない」ことは良いこと、良いものですよね。
ところが、現代では「くだらない」は取るに足らない、つまらないこと、
ものですよね。そうなると意味が何処かで変化したと考えるのが普通ですよね。
「くだる」が取るに足る、高級、良いもので「くだらない」が取るに足ら無い、
低級、悪いものに変わったんですよね。
「くだる」こと、ものが良いものに変わった時期、現象があったのでは無いかな?
【くだり諸白】上方から来た上等の酒
【くだり杯】 上方産の安物の杯――下ったものでも、安物もあったようですね。
101 :
あはは:2001/06/20(水) 09:08 ID:/nzkFJDM
詰まるところ、古語の「くだる」も現代語の「くだらない」も
同じような意味になっちゃいますよね。
ところが、「ホンのくだらぬものですが」とはいうが「ホンのくだる
ものですが」とは言わなかった。(言ったかもしれない。)
「くだる」を「くだらぬ」で表現するのは、葦をヨシ、梨をアリの実と言う
くだるものが高級であるが故の「洒落(しゃれ)」ですよね。
そうして、その洒落が通じるための共通認識があった筈です。
102 :
あはは:2001/06/20(水) 09:44 ID:/nzkFJDM
ところで、詰まる、詰まらないも同じような関係ですよね。
【つまる】
1.窮する
2.(打消し、反語を伴って)無駄だ、損だ、良いことは無い、面白くない。
本来、詰まるものと言うべき時に、つまらぬ物という明らかな矛盾を許す何か
、共通認識があったのではないでしょうか。
打消し、反語を伴った形を1歩進めた高度な用法、「詰まるものかは。」いや
「詰まらぬもの」と洒落で、変化したのかもしれません。
単に反対語と捉えるのではなく、むしろ反語に近い用法と見るべきでは
ないでしょうか?
103 :
名無しさん:2001/06/20(水) 10:52 ID:o4dIjVhw
もしかして漢文を訓読して読み下し文にするとき、意味が通じてないものを「下らない」と言ったのかな?
104 :
旭日:2001/06/20(水) 11:00 ID:bTgWCPf6
>>101.102,103
うーむ。なるほど、そういう観点からの捉え方もあるのですね。脱帽
105 :
名無し:2001/06/20(水) 12:25 ID:g21OLTlM
関係ないけど、『むごい』ってのは『蒙古い』が由来なんだってね。
蒙古ってそんなに酷いことしたんだ?
106 :
名無し草:2001/06/20(水) 18:04 ID:to7yLZ7I
>>105 超有名ネタです。
対馬の男女を捕らえ、手に穴をあけて縄を通して連れ去ったり、
中央アジアじゃ切り落とした首を山に積んだら高さ50mになった、
とかね。そうそう牛馬で人間を引き裂く刑罰もモンゴル発だってはず。
「ポロ」の元ネタもモンゴル人がやってた「首ホッケー」が起源
です。
107 :
ななし:2001/06/20(水) 18:51 ID:2HJOtAgg
>>106 げげっ。めちゃくちゃやったんだな、蒙古軍。
その尻馬に乗った(当時の)朝鮮人を英雄として描く韓国の教科書っていったい・・・。
108 :
娜々志娑无:2001/06/20(水) 21:34 ID:ntlWItmo
>>103 それが実情に近いようです。文意の通じる文章であれば、目は自然に「下る」
けれど、文意の通じない文章は、前後を行きつ戻りつして中々「下らない」こと
になりますからね。あははさんの
>>100から
>>101にかけてのお話は、語義や用法
の時代的変遷ということを無視した論であり、専門家の目から見れば乱暴この上
ない意見と言わざるを得ません。
>>102の「つまる」「つまらない」の論も同じです。「つまる」は本来「人や物が
空間の中で動けなくなる状態、行動や思考が行き詰まる状態」をいう語で、そこから
「物事や思考の動きが止まる→決着する・納得する」という意味も生じたのです。
それを打ち消したのが「つまらない」で、「納得できない」というところから「面白
くない、下らない」という意味になったというのが真相です。
ただ、あははさんの名誉のために付け加えると、日本語の打ち消しの中には反語
に近い用法も存在することは事実です。一般には「強意」と説明することが多いで
すが、意味的には似たようなものですからね。以下の語がそれに該当します。
おぼろけならず(=おぼろけ)、なのめならず(=なのめ)、とんでもない
(=とんだ)、滅相もない(=滅相な)
※「とんでもない」については「途でもない」から来たとの説もあります。
109 :
旭日:2001/06/20(水) 22:26 ID:r4pYV3/.
>>108 うーむ御説感心いたしました。しかしみなさん博識でいらっしゃる。大変勉強になります。
百済をくだらと読むのは
日本史の謎です。
111 :
名無し:2001/06/20(水) 23:46 ID:mW/4Lc9c
112 :
名無しさん:2001/06/21(木) 00:15 ID:AE5lTrGU
このスレッドの上のほうに百済の読みはヒャクサイとレスがあるんですけど
これは本当なんですか?。
>百済の読み方は「ひゃくさい」。魏志東夷伝に記載されている馬韓50余国の中の「伯済」国。
113 :
>111:2001/06/21(木) 00:16 ID:7nm1xOv2
そういえば、JCウイルスを持ち出して
日ユ同祖説を言ってるアメリカ人がいたな・・・
114 :
蚯蚓:2001/06/21(木) 00:49 ID:Mxgu0b6I
「海峡を越えて」―前近代の朝・日関係史―F朴鐘鳴
http://www.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj2001/6/0620/52.htm 日本に仏教が公伝するのは百済からである。538年のこと。仏教は伝わったが、本格的な寺院はまだない。そこで588(崇峻元)年、日本は百済から僧侶、寺工(建築技術者)、鑢盤(ろばん)博士、瓦博士、そして画工などの集団を招いて寺院の建築にとりかかり、596(推古4)年にほぼ完成させた。これが飛鳥寺(法興寺)であり、日本最初の本格的寺院であった。
以上は「日本書紀」崇峻元年条の記述である。しかもこの寺の本尊である「飛鳥大仏」を鋳造したのは、百済からすでに渡日していた技術者、止利(鳥・禽=とり)仏師であった。
止利の手になる仏像は際だった特徴があり、一般に「止利様式」といわれる。この「飛鳥大仏」も同様式であり、特に著名なのは法隆寺金堂に安置されている釈迦三尊像である。
止利様式の造像形式は百済の仏像と酷似しているのに驚くばかりである。立像も坐像も、顔立ちも、目・耳・口・鼻も、衣文も、正面観も同じである。
それも当然で以上のように飛鳥寺は百済一色で成立したものであったからだ。
>>112 さん
>これは本当なんですか?。
本当というか何というか、漢字の読み方からすればそれが当然でしよう。(^^;
ちなみに新羅も当然「しんら」。
では、なぜ「しらぎ」と読むかといえば元々は「新羅のくそったれ」という意味
合いがあったのではないかという説を聞いたことあり、ソースあやふや。(^^ゞ
「くだら」は「日本」を「やまと」と読むようなもの、いわば訓読みでしょう。
百済語というべきなのかな?
116 :
名無しさん:2001/06/22(金) 00:27 ID:OiZOvnC2
>ちなみに新羅も当然「しんら」
辰韓12国のひとつ「斯廬」国ですね。
>「くだら」は「日本」を「やまと」と読むようなもの、いわば訓読みでしょう。
でも中国の史書に載っているのは現地言葉を漢字の音に当てはめたのでしょうから
「ひゃくさい」も「しんら」も自称の読みではないのかなあ。
ん〜、歴史に詳しくないから、なぜこれが「くだら」「しらぎ」になるのかよくわからん。
そういえば八幡太郎源義家の弟に「しんらさぶろう」なんていうのがいたような気がする。
117 :
名無し:2001/06/22(金) 07:58 ID:xpkY/tpI
埼玉県に高麗川がありますが、大阪には百済が滅亡した時に亡命者が多く移り住んだ
のが現在の生野区や東住吉区で聖徳太子が建立した四天王寺の近くなんですが、
現在は地名としては残っていませんが、東住吉区今林にはJR貨物の百済駅と言うのが
ありますし同じく東住吉区湯里には大阪市立南百済小学校があります。
118 :
名無し:2001/06/22(金) 08:09 ID:xpkY/tpI
百済と言えばなんと言っても’白村江の戦い’ですね
新羅、唐VS百済、大和 歴史のロマンですね、
百済の王子豊璋が斎明天皇に仕えていたとはいえ何故
大和朝廷は戦ったのか?ご存知の方教えて下さい
119 :
旭日:2001/06/22(金) 08:56 ID:BpqPk9tk
1.朝鮮半島は地理的状況から大陸中国の影響をつねにうけている。
2.つまり中国に強大な統一国家ができるとモロ圧迫される
3.この時代大唐帝国という空前の統一国家が誕生
4.新羅は大唐帝国の力を利用して百済をほろぼそうとする
(このあたり朝鮮戦争の原因とよく似て意、北と南にね
5.百済は、当時はアメリカがなかったから日本に救援要請
6.当時の日本は稲作文化が発達、人口もおおかった。
日本も天智天皇のもとで統一国家が形成
7.天皇の側近にいる多数の百済からの渡来人が煽り
8.天皇戦争決意。
とこういったところかな。ごくかんたんにいえば。
120 :
名無し草:2001/06/22(金) 11:22 ID:L1ieGzBU
>>114 添削しとこか(藁
>百済からすでに渡日していた技術者、止利(鳥・禽=とり)仏師であった。
止利は「渡日」してない。先祖が帰化して100年以上経っている(笑
>止利様式の造像形式は百済の仏像と酷似しているのに驚くばかりである。
>立像も坐像も、顔立ちも、目・耳・口・鼻も、衣文も、正面観も同じである。
>それも当然で以上のように飛鳥寺は百済一色で成立したものであったからだ。
多分、本物を見た事が無いんだろうな。一見、百済様式そっくりなんだけど
少し離れて見ると、驚く程違う。明らかに止利の仏像はそこかしこに「非対象」
とか「微妙な歪み」それから「動き」というものを含んでいる。そしてこうい
った日本独自の要素は白鳳時代に向けて広がりを持っていくんだな。
朝鮮の仏教美術が日本に影響を与えた最初で最後に時代でしたン。
121 :
じゃ俺も:2001/06/22(金) 14:37 ID:oYfOcj3A
>百済からすでに渡日していた技術者、止利(鳥・禽=とり)仏師であった。
彼の祖父・司馬達等は南梁の人。何故に百済が出てくるのやら。
記事の著者は、渡来したもの=百済と決めつけているのだろう。
122 :
名無し:2001/06/22(金) 18:15 ID:0C6DSYbs
>>119 なるほどね、ところでPHP文庫「古代史の秘密を握る人たち」関裕ニ
によると百済の豊璋王子と中臣鎌足が同一人物であったと書いていますが
どう思われますか?
123 :
名無し草:2001/06/22(金) 19:17 ID:O6A2qfOw
>>122 怪しい。
別に百済の王族の出自で有ることは隠す必要は無いので、
どっかで記録にあっても良さそうなものだ。
だからぞの説は不自然と思われ。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/23(土) 18:45 ID:5TItXtGw
国力だけなら
大和朝廷>百済+新羅+高句麗
なような気がする。(のちの中世の半島の人口は日本の半分くらいだったよね)
なおかつ大和朝廷は隣接する強力な敵がいない。反対に半島の三国は互いに牽制しあって膠着状態。
こういう状態では大和朝廷の態度がでかくても不思議ではないと思われ。
125 :
名無しさん:2001/06/23(土) 18:50 ID:NZ6k.yHg
大和朝廷=高句麗>百済+新羅これが現実。
126 :
名無しさん:2001/06/23(土) 19:10 ID:NZ6k.yHg
中臣鎌足が朝鮮系渡来人である事に変わりはない
127 :
名無しさん:2001/06/24(日) 15:15 ID:n3KQfATs
中臣鎌足は新羅系の渡来人の子孫の可能性があるだけで、彼自身が渡来人である
わけではない。
あと今週のNHK「その時歴史が動いた」(タイトルは間違ってるかも)は
白村江の戦いを特集します。
128 :
名無しさん:2001/06/24(日) 15:38 ID:8URijUrc
くだらん
の語源は百済だとか聞いたことがあるが、ホント?
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/24(日) 15:44 ID:Wo416G3I
ウソらしい
131 :
あん:2001/06/26(火) 09:06 ID:u699siS.
城の字を「キ」と発音するのは百済の訓だと聞いたけどあるけどホントかな
城之崎、城山(キヤマ)、茨城、宮城、なんてのは百済と関係あるの?
百済音だとしても、それでもって百済人の植民地というのはちょっとムリなコジツケというきがするんだけど
森浩一なんてのは大分この説だな
城=キのほかの字でも百済音という漢字はあるのかな
情報キボーン
132 :
。:2001/06/26(火) 10:32 ID:ri9ZAT8k
うそでーす。
百済音など、殆ど判っていません。
二、三の単語が記紀の御かげで、判っているだけデーす。
133 :
娜々志娑无:2001/06/26(火) 10:46 ID:ElYrhTB6
>>131 日本書紀では朝鮮の「城」を「サシ」と訓むのが伝統なのですが、この「サシ」は
朝鮮半島の言葉(多分百済語)に由来するものと言われています。そういう点からも、
「キ」は「城」を意味する日本の固有語と見るべきでしょう。「城」は通常「シロ」と
訓まれますが、もともと「シロ」に「城」の意味はありませんでした。山背(ヤマシロ)
国(今の京都府。大和から見て山の後ろにあたることからの命名)に都を移すにあたっ
て、国名の漢字表記を「山城」と改めた後も、相変わらず「ヤマシロ」と呼ばれ続けた
ため、他の「城」の字まで「シロ」と訓まれるようになったのです。即ち「キ」こそ
が「城」を意味する本来の大和言葉なのです。
NHK「そのとき歴史が動いた」あげ
135 :
名無しさん:2001/06/27(水) 20:22 ID:k1ijvmL6
その時:663年8月28日
倭国軍、唐・新羅連合軍に白村江で大敗する
番組のあらすじ :
663年8月27日、28日、朝鮮半島の白村江(はくそんこう)で、唐・新羅連合軍と
倭国が激突した白村江の戦。およそ18万の唐・新羅連合軍に対し、約2万7千の倭国勢が
対決した古代日本史上最大の戦争である。
これに先立つ3年前の660年、百済国は唐・新羅の連合軍によって滅亡させられていた。
当時、朝廷を指導していた斉明天皇・中大兄皇子は、祖国復興を企図した百済国の遺臣からの
救援依頼に応じ、唐・新羅の強大化という国際情勢の変化を認識することなく、朝鮮半島へ
派兵してしまったのである。
実際の戦闘では倭国軍の戦略の無さが余りにも目立つ結果となった。
最新の戦艦を装備した唐軍に対し、「我等先を争わば、彼自ずからに退くべし」という突撃主義で
戦いを挑んだ。また軍団の編成に関しても、律令制に基づき統率された唐軍に対して豪族の将軍が
戦功を競い合うというありさまで、倭国軍は寄せ集めの軍隊でしかなかった。
なぜ、斉明天皇は彼我の戦力の差を省みず、自ら筑紫にまで出陣し、兵を朝鮮半島に送り込んだのか。
実は、斉明天皇は「狂心」(日本書記)と呼ばれたほど民泣かせの指導者だった。
昨年、明日香で発掘された水路遺跡は、大土木工事を好んだという斉明天皇の強権を裏付けるものと
言われている。斉明天皇にとって、白村江の戦いは、強大な王権を誇示しようとした末の決断でもあった。
白村江での敗北後、斉明天皇の子、中大兄皇子(天智天皇)は、唐・新羅の再襲撃に備え、対馬以南の各地に
防御の山城を築いて国境線を確定。敗戦後20年の間に戸籍や律令を整え、国号を倭ではなく「日本」と定めるなど
中央集権的な律令国家建設を急ぐことになる。
番組では、いわば「日本」誕生の契機となった古代最大の対外戦争、白村江での倭国軍の戦いを韓国の現地取材を
交えて描きながら、東アジアの緊張の中で倭国がダイナミックに変ぼうしていく過程を探る。
136 :
名も無いななし:2001/06/27(水) 21:07 ID:1UHoP3AA
なんかアカデミックなスレだなー。
137 :
松平です:2001/06/27(水) 21:16 ID:MBZyv/Mg
NHKはじまったね。
138 :
ななし:2001/06/27(水) 21:18 ID:bR5hAjyM
中国の長江河口域あたりの人間が半島や列島にたどりついて倭人になったと思って
いたけど。どーなの?
そうすると日本列島と半島の百済あたりにたどり着くと思うんだけど。
だから百済と日本列島は同じ中国からの移住民ではないか?
あと、百済は帯方郡が滅びたときに多くの中国人が亡命したらしいけど、
百済滅亡後に日本に来たのはそういった人も多かったんじゃないか?
139 :
:2001/06/27(水) 21:52 ID:a7oAtRPY
水城(みずき)ってのが出たね。
きとは元々海岸を意味してて、岬(みさき)奥津城(おくつき=墓場・昔は海辺に墓を作った)
の「き」と同じと聞いたことがある。海辺の城=「き」だとか
140 :
菜梨:2001/06/27(水) 22:06 ID:QFIi6eJw
城之崎
141 :
娜々志娑无:2001/06/27(水) 23:10 ID:QTgc2w6Q
>>139 残念ながら、城を意味する「き」と、先端を意味する「さき」の「き」とは、
奈良時代には発音が違っていました。具体的に言えば、前者は乙類、後者は甲類
と言われる万葉仮名で表記されています。文字が違うということは発音が違うと
いうことを意味するので、結局両者の起源はまったく異なるということになるの
です。「城」と「先」「崎」とを語源的に結び付けようという考えは、その辺の
事情をまったく知らない人が唱えたものでしょう。
ちなみに、城を意味する「き」の起源としては、個人的には「木」を考えるべ
きではないかと考えています。木の「き」は乙類ですので、発音の方も一致しま
すし、元々は木製の柵のようなものを「城」と称していたのだと考えれば、意味
的にもつながりが出て来るように思うのですが、いかが。
142 :
白村:2001/06/28(木) 01:13 ID:njc9nE7I
城戸=木戸ですか?
143 :
ななし:2001/06/28(木) 01:17 ID:fiz7XqKk
>>141 娜々志娑无さん
万葉仮名にもお詳しいのですね。
万葉仮名に関する読みやすい本などあったら教えてください。
144 :
:2001/06/28(木) 01:22 ID:DvKLUY5M
なんか「ハクソンコウ」って表現、違和感あったな。
白村江を「ハクソンコウ」って呼ぶんなら、
新羅は「シンラ」って呼ぶべきじゃない?
145 :
娜々志娑无:2001/06/28(木) 14:58 ID:GoKcdkYI
>>143 一番のお奨めは、橋本進吉『古代国語の音韻に就いて』(岩波文庫)です。
橋本進吉は万葉仮名に存在する上代特殊仮名遣を再発見した人物で、本書の
中に収められているのは、橋本氏が国語学についてはまったくの素人である
神社の神職を相手に講演した内容を文字に起こしたものです。橋本氏が上代
特殊仮名遣を再発見するに至った経緯から、上代特殊仮名遣の存在を知るこ
とが何の研究に役立つかまで、専門的内容を実にわかりやすく説明してくれ
ています。しかも、文庫ですから手に入れやすいですしね。
146 :
ななーししし:2001/06/28(木) 15:11 ID:HXw/f/iI
147 :
娜々志娑无:2001/06/28(木) 15:22 ID:GoKcdkYI
ありゃりゃ、確かにこの本、既に電子テキスト化されていたことをすっかり
忘れていました。補足、有難うございます。
ただ、確かに便利な時代になったことは慶ぶべきことでおじゃりますが、何
かこう味気無うもおじゃりますなぁ…(^^;。
148 :
とむ :2001/06/30(土) 19:33 ID:coQVvHpQ
城=きは木ではなく杭(くい)ではないかな
やはり母音が5つしかないスペイン語ではキはquiの表記になる
ちなみにスペイン語では、かきくけこは
cua,qui,cu,que,quo,となる
杭なら城との関連もあるのではないか?
149 :
娜々志娑无:2001/06/30(土) 22:40 ID:fcMwAkrM
>>148とむさん
残念ですが、杭(くい)の歴史的仮名遣は「くい」ではなくて「くひ」です。
奈良時代なら[kufi]、更に以前は[kupi]ですからねぇ。ちょっと無理ではない
でしょうか。
150 :
とむ :2001/07/01(日) 02:04 ID:1kQl7atI
>149有難うございます
アルファベットで表す、ki音とkhi音(裂音)の区別があっても良いような
万葉仮名だと「き」は幾の字の草体とされていますね
全くの仮説としても、古代はki音が、幾、khi音が城で区別したなどというのはムリでしょうか?
151 :
あはは:2001/07/01(日) 07:24 ID:gShOVfvc
時間が経ってしまいましたが、今一度、乱暴な意見を提示させてください。
漢文読み下し論で行くと、「読み下せる」「下せない」が倫理基準となります。
「下せない」ものが悪いのだという倫理は「酸っぱい葡萄」であり、日本人、
アジア人の倫理としての、「高嶺の花」と著しく異なります。
152 :
あはは:2001/07/01(日) 07:28 ID:gShOVfvc
続き
また、「下す」と「下る」には、本質的な差異がるのではないでしょうか?
そして、「下す」は「下らない」にはなり得ないのではないかな?
153 :
娜々志娑无:2001/07/01(日) 10:32 ID:WtIrK8uI
>>150とむさん
一般には万葉仮名の甲乙の違いは母音の差であるということになっていますが、
あなたが
>>148で示されたように、[-u-]の有無が甲乙の違いであると主張する研究者
も結構おります。後者の説に従えば、「キ」の甲乙の違いは甲類が[ki]で乙類が[kui]
ということになるわけです。そういう意味では、あなたの仮説もかなりいい線を行
っていると思いますよ。ただね、こういう発音に関わる部分は実証するのが非常に
難しいんです。何せ当時は音声を記録するテープレコーダーのようなものもありま
せんし、古代人相手じゃあ直接聞き取り調査をするわけにもいきませんのでね。
ちなみに、専門家は万葉仮名として使用されている漢字の発音そのものを研究す
ることで音価(実際の発音)を推定していますが、漢字音の研究そのものが上と同
様の問題を抱えていますので、どうしても意見が分かれてしまうのです。そもそも
漢字は表意文字であって表音文字ではないし、発音の時代的変化や地方的変異がも
のすっごいんですよ。私ゃとても付き合い切れません(^^;。
ついでながら、現代日本語のイ列音は必ず口蓋化(舌が口蓋に近付くこと)を伴
いますので、「キ」も純粋な[ki]ではなく、どちらかと言うと[khi]に近い発音になっ
ているはずです。
154 :
娜々志娑无:2001/07/01(日) 10:35 ID:WtIrK8uI
>>151あははさん
まず、「くだり」に「(縦書きにされた)文章」という意味があることを押さえ
て下さい。文章は何も読むだけのものではありません。当然書くものでもあるので
す。「酸っぱい葡萄」の心理が日本人〜アジア人の倫理と相反するものなのかどう
かは私は知りませんが、文章をすらすらと読んだり書けなかったりしていらつくこ
とは、誰しも経験のあることではないでしょうか。
歴史的に見ると、1400年頃成立の世阿弥著『風姿花伝』に、「さのみに細か
なる風体を尽くさずとも、大方の掛りすぐに下りたらんが、指し寄り花々とあるや
うに、脇の猿楽をば書くべし(あまり細かい芸の数々を色々やらなくても、大体の
風趣が素直にすらすらと理解でき、最初の部分がぱっと見物衆の目を引くように、
脇の能を書くべきだ)」とあるのが「すらすらと読み書きできる」意味での文献初
出例のようです。ちょっとわかりにくいかも知れませんので、別の用例を示せば、
1450年頃成立の『正徹物語』という歌学書に、「歌はうち詠むるに何となく詞
続きも歌めき、吟の下りて理を詰めず、幽にも優しくもあるが良き歌なり」とあり
ます。これは明らかに「すらすらと読み書きできる」意味です。
以上の例を見る限り、少なくとも15世紀の段階ですらすらと読み書きできるさ
まを「下る」と表現したことは明らかです。それを打ち消したのが「下らぬ」で、
「六、七字理ガ下ラヌゾ。字ガチガウタカ。」(『詩学大成抄』1570年頃)、
「Cono qiono guiriga cudaranu,l,qicoyenu.(この経の義理が下らぬ,また,聞えぬ)
この経・書物の道理,あるいは,ことをわけて述べた事柄がわからない.」(『日葡
辞書』1604年)あたりが古例となります。
ついでに言えば、「下す」にも、文章のわかりにくい部分に注などを施すことに
よって、具体的に自分の解釈を明らかにするという意味があります。用例は「旧史
ヲ補テ新意ヲ下テ注シタホドニ、小司馬史記ト云ゾ」(『史記抄』1477年)や
「説法ヲモセズ、一言モ下ヌ先ニ学者ヲ会得サスルヤウニ接セラレウズトナリ」
(『江湖抄』1633年刊)など。
155 :
娜々志娑无:2001/07/01(日) 10:36 ID:WtIrK8uI
>あははさん
>>108では「乱暴」などと評しましたが、それはあなたの論の組み立て方に対し
てのもので、あなたの物事に対する鋭い視点そのものは私は評価していますよ。
156 :
るる:2001/07/03(火) 15:02 ID:K9LP8XfU
百済はなぜペクチェ(韓語)でなくクダラか?
クンナラ説はシロート駄洒落ぽい
新羅(シンラ)シラギもクダラ語かい
百済語というのは、なんか文献あるのかいな
157 :
あはは:2001/07/03(火) 16:22 ID:KEjOihGw
スレ違いにて皆々様には御迷惑掛け候儀、平にご容赦。
「あまり細かい芸の数々を色々やらなくても、大体の風趣が素直にすらすらと
理解でき、最初の部分がぱっと見物衆の目を引くように、脇の能を書くべきだ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あまり細かい芸の数々を色々やらなくても、(その場合)大体の風趣が素直に
すらすらとは判らないが、最初の部分がぱっと見物衆の目を引くように、脇の
能を書くべきだ。」
時代に特出した能力を持った世阿弥なら、これくらいの割り切りで表現しそう
にも思えます。多少不遜にも見えますが、むしろ、世阿弥らしい。
また、「吟の下りて・・・・」は「歌い終わった後、あれはこうだ、これはあれ
だねと言わずに趣が心地良いのが良い歌だ。」と解釈しても、良いのでは?
ありがとうございました。非常に勉強になりました。深追いの無礼お許し下さい。
158 :
娜々志娑无:2001/07/03(火) 17:30 ID:V5SFSwSA
>>157 脱線ついでにあと1回だけ脱線させて下さい。>おおる
>あははさん
『風姿花伝』(第六・花修)の引用文の直前の下り(笑)をお読み下さい。
能の本を書くこと、この道の命なり。極めたる才学の力なけれども、ただ匠により
て、よき能にはなるものなり。大方の風体、序破急の段に見えたり。殊更、脇の猿楽、
本説正しくて、開口より「そのいはれ」と、やがて人の知る如くならんずる来歴を書
くべし。(以下、
>>154の用例が続く)
↓
能の台本を書くことは、この猿楽の道の生命である。最高の学識の力はなくても、
ただ工夫次第でよい能になるものである。大体の芸の数々については、序破急の段に
書いてある。特に、脇能は、根拠となる説話が正しくて、発端から「ああ、あのこと
か」とすぐに見物人がわかるような筋のものを書くべきである。
脇能というのはめでたい気分を演出することを第一とする能(『高砂』とか『鶴亀』
とかがこれに相当)です。だからこそ世阿弥は、脇能で奇をてらっては駄目だ、誰も
がよく知っている素材をむしろ積極的に利用して、内容はわかりやすく、かつ出出し
は華やかで目を引くように作るべきだと主張しているわけです。文脈から考えても、
あははさんのように解釈するのは難しいと思いませんか。
>深追いの無礼お許し下さい。
いえいえ。それもこれも学問(学び問い、問い学ぶ)の道ですから。
159 :
名無しさん:2001/07/12(木) 21:21 ID:oP41sGb2
age!
160 :
名無しさん@:
age