225 :
マンセー名無しさん:
パンムンジュン(板門店・パンムンチョム?・休戦ライン38度線上の話し合い場)
阿利水(アりス=漢江=ハンがん=帯水=帯方郡)
アリラン娘(チョソンタル=朝鮮娘?アガシ=ネーチャン?・アジョッチ?・韓国女=ハングクヌナ)
もランぼん(牡丹峰)
トリョンニム(若様・若旦那・妻が「夫の未婚の弟」・旦那の弟・トーリャンニム=坊ちゃん?)
アジュンマ(オバちゃん)
226 :
マンセー名無しさん:2007/03/31(土) 19:37:14 ID:Ekq1/5ga
227 :
マンセー名無しさん:2007/03/31(土) 19:55:52 ID:Ekq1/5ga
|д`)・・・2008年に韓国からアメリカ軍が撤退だが。。。
(´-`).。oO(ドウなるんでしょうかねぇ。)
<>
Σ (゚Д゚;) もしや戦争の予感?南侵があるのでは・・・・・orz
228 :
マンセー名無しさん:2007/03/31(土) 20:14:12 ID:Ekq1/5ga
民族大移動の意味を語句にすると。。。
↓
百姓(百など多くの姓名・全人民)をして、海を渡ってきた(遠くから移動してきた)
↓
百家済海(四文字熟語)
↓
百家済海→百済(クダラ)←クン、なら(大きい、国)
朝鮮県は楽浪郡に属するも、狼林山脈を海に反対し半島内陸の東に見る。
楽の字は、同じ音で洛で、都の意味、南に楽都県があり、弁楽奴国に名が近い。楽都→楽奴
浪の字は、同じ音で狼で、しかも狼の意味、北に朝鮮県がある。
漢(前漢)を簒奪し続漢(後漢)に倒れた、
新の王莽は、楽浪を楽鮮郡と改名する。続漢は楽浪郡と名を旧に復する。
犬肉鍋と揶揄されるポしんタン(補身湯)ではあるが、実は
犬ではなく、狼林山脈の狼ではないかと。。。
229 :
マンセー名無しさん:2007/03/31(土) 20:54:37 ID:Ekq1/5ga
韓国・朝鮮では、民族大移動が何度もあるが、重要な事件は2つ。
『明史』によれば、「鉄州」の所在を問題視する記述があります。
答えは、江原道「鉄原」としたものだが、満州−遼東「鉄嶺」と李成桂は主張したようです。
「鉄嶺」の朝鮮人を「鉄原」に移動させています。
ところで複合や重ね合わせの記事があります。「隋史」だったと思います。
夫余は、この遼東より漢江流域に移動をし百済を作っています。
百済は「夫余」が祖先で、高麗(高句麗)から出た国だと言います。
夫余は、盛強な2つの虜(北方異民族)に挟まれ、国が弱く悩んでいました。
遼河の西の、遼西に盛強な「鮮卑族慕容氏(燕国)」があり、
遼河の東で鴨緑江の上流域の両岸の遼東高地に「高麗国(高句麗)」がありました。
そこへ、遼東国(有力者の公孫氏により自立した遼東郡)の公孫度が
夫余王尉仇台に宗女(娘)を嫁がせ
子の公孫康(婿の義兄弟)の時に楽浪郡を分割し南を帯方郡として分設し
帯方郡へ夫余王の勢力は移動し、百家済海したので、百済と名乗ったといいます。
楽浪郡を分けて置いたのが206年、三国志演義でいう
赤壁の戦いの204年の、すぐ後の事です。
王朝が交替し後漢より
三国志魏となり、244〜246年に、遼東−蓋馬の高麗(高句麗)を討ち
高麗の人はヨクソ・フジ(不而・ワイ・太白山脈)・カラ(韓)に逃げ
韓に留まった者達が百済の王を頂き、新羅の祖である城を作りました。
名を健牟羅城といました。
最初に就職した会社が北朝鮮貿易やってて、日本と北朝鮮を行き来してる
船の名前も覚えたんだけど、ラングーン事件で「東健愛国号」と
いう船名が報道されたときは、ああやっぱりと思いましたねえ。
次に就職した会社は、在日5人、日本人は俺一人だったけど、社長が
若い頃「熱誠者」だったらしくて、日本海海岸に上陸する工作員を
出迎えに行ったとか、そんな話も聞かされましたねえ。
231 :
マンセー名無しさん:2007/03/31(土) 20:57:19 ID:Ekq1/5ga
時を同じく246年
楽浪太守の劉茂と帯方太守弓遵は、東夷の韓を討ちます。
弓遵は戦死しますが、楽浪・帯方の2郡の民は、韓を滅ぼし
古代の東夷の韓は消滅します。
韓の臣智(酋長)達が、崎離営を襲撃し漢人の集落を略奪したのが原因といいます。
しかし襲撃の理由は、翻訳役人が異動して代わり、誤解が発生した為だと言います。
戦死した弓遵は、倭の邪馬台国の卑弥呼の妹の朝貢を受けていた時の
魏の帯方太守です。前任の劉夏が帯方太守の時に、卑弥呼からの朝貢を受けました。
その後しばらくして、魏王朝は2郡の民を軍として起こし、韓を滅ぼしたのです。
1つ目が夫余の民族大移動であれば、
2つ目は契丹の強制移住(徒民・シミン)政策です。
契丹が渤海を滅ぼす前に
渤海が新羅を滅ぼしており、渤海国の蓋州と改名しています。渤海国の蓋州は
遼の聖宗の時に滅ぼされ蓋州を辰韓の故地のゆえに辰州と改めます。
辰州の三韓の民つまり百済−新羅の民を、祖州(たぶん先祖の土地)へ強制移住し
漢兵と遼西の遊牧民を、入れ替わりに居住させます。
この時に、満州の鉄嶺(鉄麗とも祖州ともいう)へ、現在の朝鮮人の先祖が住み
明朝の頃に、夫余の異動よろしく、鉄原へと、また南に移住したと思われます。
232 :
マンセー名無しさん:2007/03/31(土) 21:12:15 ID:Ekq1/5ga
弓遵は、夫余人・百済の先祖の可能性があります。
百済は高麗から出たのですが
夫余と高麗(高句麗)は、先祖が小水貊という遼東半島の北部高地の小水におり
貊と言う民族は、貊弓という
貊という動物から作った弓で狩猟していていたから名付けられたといいます。
つまり弓遵の弓の姓名、弓氏は貊とか高麗とか百済と推測されます。