1 :
マンセー名無しさん:
2 :
マンセー名無しさん:2006/11/18(土) 15:40:54 ID:c3zpDfes
くるおしいほど3
⊂⌒⊃ ⊂⌒⊃ ―‐ ● ―‐ ⊂⌒⊃
⊂⊃ / | \ ⊂⊃
⊂⊃
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,, ,,,,,, ,,,, ,, ,,,, ,,,,,| 立った立った! クララが立った!| \
,,,, ,,, ,,,,, ,,,,,,, ,,,, , \ _____________/ 駄スレも立った ! |
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,〜(( ,,), ,,,, ,,,○( ノ ,,,, プル )) )○/_/) ,,,, ,, とと,,__つ , ,, ,, ,,
,,,, ,UUU ,,, ,,, ,,,,,, )__)_) ,, ,,, ,(( (_(_ノ ))プル,,,,◎ ,, ,,, ,, ,,,,, ,,,,, ,,, ミ ピョン
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食い物スレは他にたくさんあるんだからそれを先に消費しろ。
5 :
マンセー名無しさん:2006/11/18(土) 15:43:06 ID:c3zpDfes
くるおしいほど2
8 :
マンセー名無しさん:2006/11/18(土) 20:54:26 ID:PBcafWdH
突撃となりの晩御飯in韓国とかやってくんねーかな
またヲサルだったのか('A`)
>>6 それは民間の祭膳だろ。
関係ない。
そんなの貼って喜んでるのは頭が朝鮮化してないか?
天皇が饗膳で使用してる食べ物見て「貧しい」と言ってる朝鮮人と
どこが違うの?
>>10 関係ないどころか、そのものだぞ?
明治9年(1876)6月に朝鮮へ赴いた宮本小一外務大丞の記録でも紹介してやろう。
食事のことなど
食事は1日2回で、たいてい10種類から17、8種に至る。三尺四方ばかりの有脚盆に
うずたかく盛り上げて、倒れ落ちるのを恐れるばかりである。
牛豚鶏魚の肉、草餅、羮汁など、みな、器、皿に堆積する。しかし臭味がひどく箸を下す者が少ない。
ただ桃李、林檎、瓜などは臭味がないので食べられる。沙果・・林檎に似て頗る大であるが
美味ではない。マクワウリ、葡萄、西瓜、梨の類が多い。
水煮の卵、牛肉、豚肉、鶏肉、麺、カラスミ、乾し魚を削ったもの、或いは日本人のために
と焼き魚も出した。蜜を湯で溶いてミル(海草)と煮餅をあえたものなど。
それらが、1人に対して実に10人分程もある驚くべき量であった。
炎熱の時節でもあり、その異様の臭いに堪えきれず、胃腸も慣れないこともあって食傷を
恐れて箸を下す者が稀であった。
なお、庶民のものは不潔で食べるべからずと言う。
朝鮮国は豊かでないので賓客を迎えるのにふさわしいことが出来ないと言う。それで、
人の口腹を飽くまで食べさせることをもって饗応とするらしい。しかし、膳台に種々の物を
うずたかく積み上げて出すのを見ただけで、まず人をして飽きさせるものである。
(宮本たちの食事はいわゆる宮廷料理と思われる。なおメニューにキムチは見当たらない。(笑)
詳しいメニューを知りたい人はこちら
>>6をどうぞ。)
>>11 祭膳と宮廷の食い物の区別もつかないのか(w
ちなみに祭膳の並べ方で血の抗争もあった>李朝時代
四色党派なんかで並べ方が違う。
>>12 区別する必要があるか?
というか、おまえのソースを出してみろよ(w
>区別する必要があるか?
意味分からなくって頭が痛くなってきた・・・伊勢神宮の饗膳と天皇家
の食い物って同じだっけ(w
>>14 が朝鮮の宮廷料理を示せば、頭痛める必要はないと思うね。
存在すれば、だが(w
>>15 大阪の中ノ島の図書館のあるよ(w
手元の二次資料をわざわざ厨房の為に転写するのメンドクサイ(w
はいはい、捏造乙(w
せめて書名と、
>>6 とどこがどう違うかくらい言えやタコ(笑)
遅レスも遅レスですが、前スレ中盤のあたりのことで一応。
>>ちなみに刺身は食べても「鯛の活造り」のような虐待料理を韓国では作りません。
これは生きたままのものを食べるのも虐待に入りますか?
まあ生きてるものを食いちぎるから入ると思いますが、そうすると韓国にもあります。
ソースは世界丸見えテレビ特捜部で、韓国の名物料理を紹介する韓国の番組。
生きたタコをビビンパ(だったかな?)に入れ、客に出してました。活きがよすぎて
器から逃げ出して床をはったやつを、器に戻してそのまま客に出す朝鮮クオリティ
炸裂だったのでよく覚えてます。紹介されてるくらいですから客もよろこんでましたし、
もちろん連日大盛況でしたよえぇ。
19 :
マンセー名無しさん:2006/11/19(日) 02:48:24 ID:hJlDlIb6
>>17 祭膳というのは、お供え物なので
調理をしていない生ものが多いんです。
祭膳ってあっちの国で言うところの
河渡った人々への”お供え物”ですお?
現世のヒトの食い物じゃないですよ?
>18
犬をボコボコに殴り殺してから食うのが韓国流補身湯だと思ったが
それは虐待じゃないのか。
前スレの最後の方・・・大爆笑ですた。
まだやってるのー?
>>6 全然おいしそうに見えない。
>>25 どっちにしろ、やっぱり食欲をそそるものではないなぁ。
中華の方が全然(・∀・)イイ!!
朝鮮には人の食い物と呼べるような料理がなかったのにな。
>>26 現在の韓定食に
少し「赤い物」が有るのは、それが成り上がり者だらけの社会上層の
嗜好故・・・ですがね。
>>28 韓定食は厳密には宮廷料理では無いんだけど。
両班、それも士大夫階級クラスの飯。
その流れの伝統を支えたのはキーセン。
キーセンが無かったら多分廃れてた。
>>29 一応、知ってはいるけどね・・・。その辺りは。
>>30 本当にそうなの?
適当に言ったんだけど・・・・
>>31 「一応、知っているけど、話には勢いって言う物があるっしょ?」
と自分は言いたかった。
意図的に補足説明をはしょったのです。
スマソ。
33 :
マンセー名無しさん:2006/11/20(月) 02:46:12 ID:cnTUCuz/
>>29 宮廷料理は、王妃や側室の実家などに下賜される。
したがって、両班の家の料理に宮廷料理は影響する。
その反対もある。
両班は地方とソウルと両方に家を持っていて
親戚づきあいから、地方の両班の家にも伝わる。
近代的な外食産業がほとんど育たず
持て成し、宴会は、ソウルでも長く自邸で行われていたので
宮廷料理の影響を受けた韓定食が
現代に伝わったわけです。
34 :
マンセー名無しさん:2006/11/20(月) 02:48:13 ID:ygTP1Age
ホンタク定食について教えて!
35 :
マンセー名無しさん:2006/11/20(月) 13:56:46 ID:kIxbF8Rv
X−4+ ◆gLDuODoLLs は能無しw
30 :X−4+ ◆gLDuODoLLs :2006/11/19(日) 17:39:24 ID:g2H8ZhSt
>>29 一応、知ってはいるけどね・・・。その辺りは。
31 :マンセー名無しさん :2006/11/19(日) 17:59:59 ID:oFAAv4Ty
>>30 本当にそうなの?
適当に言ったんだけど・・・・
>11の様なモノを、家に持って帰って喰ったらどうなるのだろう?
宮廷料理の下賜品喰うのも命懸けですねぇ
焼き餃子なんてのは、主人が食い残した蒸し餃子を下働きが温めて食っていたのが起原だそうだが
朝鮮にも何か同じ様な起原の料理あるのかなぁ
ま、保存が適当でないと今の日本で調理されたのでも当たるけどw
駅弁フェアで買ってきた牛飯を夜食ったらイキなり来たw
>>18 それ、冷麺。
ちなみに、冷麺(冷やし中華)発祥は我が国。
シナでもチョソでもない。
>>26 だから、君の知ってる中華はほとんどここ50年以内に創造されたものだって。あとは国外の料理。
あのただ油っぽくて味が濃いだけの味付けはどうも・・・
やっぱり和食がイイネ!!(・∀・)
>>33 >宴会は、ソウルでも長く自邸で行われていた
宮廷で行われてる大きな宴会は宮廷内やそれに附随する場所でやってるけどな。
むしろ資料としては大宴会の方が献立、レシピ等が記録に残ってるが。
40 :
マンセー名無しさん:2006/11/21(火) 00:29:37 ID:oBIpznKa
>>39 書き方が悪かったようですが
宮廷以外の話です。
宮廷が中心なのは前提として。
41 :
◆yE0xy96kt2 :2006/11/21(火) 00:41:18 ID:p7Bff1mY
奥が深い…
42 :
マンセー名無しさん:2006/11/21(火) 00:53:20 ID:oBIpznKa
>>36 >>11で紹介されている記録ですが、
以前、東亜のチャングムスレでも推測を書いて反論されたんですが
もう一度書いてみます。
「炎熱の時節」ということから、
確かに傷みがきていたともとれるんですが
その臭気というのは、肉そのもの臭いもあったのでは、と思います。
穀物を食べさせないで、草だけで育った成牛の肉は臭いんです。
豚肉も、年寄り豚の肉は、飼料の関係もあるのでしょうが
非常に臭いものがあります。
臭い肉が料理に使われていると、料理全体が臭くなり、
むっとのどにつかえて、吐き気を催します。
内蒙古の観光キャンプでマトン料理を食べた経験があるんですが、
マトンそのものだけでなく、マトンを使った餃子も、
マトンの挽肉と豆腐や野菜をいっしょに料理したものも
日本人の多くは、臭くて食べることができませんでした。
ちなみに、がんばってたくさん食べた日本人の男の子は
お腹を壊して入院しました。
腐っていたわけではありません。
同じ食堂にいた韓国人も台湾人も中国人も、
平気でおいしそうに食べていました。
43 :
玲奈:2006/11/21(火) 01:45:05 ID:TGHU0EuN
匂いは人はよく慣れるでして熱いのや痛いのやまぶしいのやうるさいのや苦いのよりもくさいのが慣れるでして習慣でとても違うですのでまだあまり慣れていなかったのと思いました。
44 :
マンセー名無しさん:2006/11/21(火) 02:32:00 ID:oBIpznKa
>>43 日本人が肉料理に慣れていなかった、
ということでしょう?
しかしおそらくは、現在でもそうなのです。
現在の日本の食肉は、ほとんど臭いがないんですね。
アメリカの田舎に住んでいた知り合いが
ハイウェーで車に轢かれて死んだ鹿の肉をもらったんだそうです。
これが、いくらワインと香辛料につけこんでも
臭くて食べられなかった、と言っていました。
45 :
玲奈:2006/11/21(火) 02:45:22 ID:TGHU0EuN
それで日本の食肉が匂いが無いでしたら今でも世界の普通の獣肉に慣れていないのと思いました。
気にしないで食べる人がいるでしたらそれが証拠でしょう。
欧米の人の中に日本のご飯の炊いたの匂いがくさいので駄目な人たちがいるでしてその人たちはご飯の匂いに慣れていないです。
46 :
マンセー名無しさん:2006/11/21(火) 02:55:19 ID:oBIpznKa
>>29 料理屋とキーセンについての記述を見つけました。
「韓国の食」(平凡社ライブラリー)より
黄慧性
町に料理屋がたくさんできたのは、日本がきてからではないかと思います。
日本の料理屋もぽつぽつ渡ってきたでしょうし、
同じような格好のものもできました。
私が小さい時に明月館というのがありましたが、
館という字がつくのはお料理屋だったんです。
でも、当時の私たちはそういうところはふつう行けるところではないと思っていました。
とくに女の人は行くことはない。
今、料理屋には妓生(キーセン)がいて接待をしますが、それは料理屋とともにつくられたものです。
注釈
酒幕とちがって韓国で最初の料理専門の店がソウルに開業したのは一九八五〜六年くらいのことである。
一八八七年に井門楼という日本料理屋ができたのが最初の高級料亭であり、ややおくれて開業した開進亭が最初の西洋料理店だった。
韓国料理店は日本人経営の料理店の繁栄に影響をうけ一九〇〇年代の初頭にできる。ソウルで有名な韓国料理店であった明月館は一九〇〇の開業である。
(林鐘国著「ソウル城下に漢江は流れる 朝鮮風俗史夜話」1987平凡社刊より)
47 :
マンセー名無しさん:2006/11/21(火) 03:01:11 ID:oBIpznKa
>>45 >世界の普通の獣肉
に慣れていないわけではないと思うのですが。
野生のものとか、草ばかり食べて育った成獣の肉とか、です。
そういう肉が普通かどうかは、生活環境ですよねえ。
>46
なんつーか、料理屋があるかどうかってのは貨幣経済が成立してるかどうか
と関係あるんだな。
日本が保護国化するまで物々交換の世界だったらしいもんな。
>>42 草餅と言う食べ物も載っているけど?
ま、肉に関しては少し匂う位が美味いと言う所もありますけど
アングロ系の人間から日本の肉は熟成が足りないなんて意見聞かないから
明らかに宮廷料理で出された肉は腐敗しかけていますね
食肉に関しては、屠殺方法に問題が有った様な気がする
ちゃんと処理されていれば、夏場でも直ぐに腐敗する事は無い
日本の食肉は、屠殺方法欧米式だからかな?
>>50 むしろ、朝鮮半島が特異な屠殺方法をしていたとか・・・では?
朝鮮人の肉屋は、血抜きをせずに売るので、彼らからは買わなかったという
欧米人の旅行記がある。
羊が臭うか匂うかは人の好みの問題だけど、最近はいいものが入ってきているから
ほぼ気にならない。いかにも獣臭い肉というものはアンモニアが廻っているからで、
血抜きが不完全だと臭い。
肉の処理と、つまりは腐敗しやすい血と脂の管理ということです。
肉屋が重さを誤魔化すために血抜きをいい加減にするのは肉食国全般の風習というものでw
中世でも古代でも、見つかれば激しく罰金が課せられます。
アングロサクソンの喜ぶ肉の部位は日本人ともそんなに差がある訳でもない。
むしろ習慣から来るもので、アメリカのタイヤを切ったようなステーキが喜ばれるのは
アメリカだけw 個人的には欧米は「肉そのものの味が残る」方向での調理を
目指しているので日本風の肉は「お菓子みたい」という感想になるのだと判断しています。
53 :
玲奈:2006/11/21(火) 12:56:46 ID:Sgrax8z+
血も栄養があるでしてビタミンの補給にいいですのでアラスカでアザラシの生肉を血が少しあるのを一緒に食べるといいと言っていたですが慣れていない人は臭いでしょう。
グリーンランドは煮込むですが血も一緒にするです。
日本人が喜ぶの肉は脂が多くて白いでしょう。
朝鮮は温帯なのに北極圏なみに収量が少ない土地ってことでFA?
55 :
マンセー名無しさん:2006/11/21(火) 14:35:33 ID:oBIpznKa
>>50>>51 なるほど、血抜きの問題、というのは納得がいきます。
>朝鮮人の肉屋は血抜きをせずに売る
イザベラ・バードでしたか?
そういえば読んだような気もします。
>>52 日本に入っているマトンが食べられない、というわけではないのです。
内蒙古のマトンの臭さは異常でした。
ホテルで食べた火鍋、真っ赤に染まるほど唐辛子がぶちこまれているのに
野菜にも豆腐にもなにもかもにマトンの臭いがうつっていて。
以前に、モンゴルを旅行した感想を、ネットで読んだことがありますが
これも料理のなにもかもが臭くて、最後に腹痛で入院した、
というものでした。
ハイウェーで轢かれた鹿なら、血抜きなどしていないでしょうし。
朝鮮の牛の屠殺は、被差別部落民、いわゆる白丁が行ったんですが
これは特権でもあって、わけても宮廷に肉をおさめる白丁は財産家で、
宮廷官僚に金銭援助をしてたがいの利益をはかっていた、そうですから
モンゴル式の屠殺方法が、伝統として受け継がれていたんでしょうね。
これが、血抜きをしないものなのでは、と思えます。
幕末に日本へ来た欧米人が、
「日本の牛は食肉用ではなく飼料が悪いのでまずい」と書いていたので
飼料の問題を考えたのですが、認識不足でした。
血抜き不十分のまま時間のたったレバーとかマジ臭くて泣きますよ・・・
とてもじゃあないが、食えないと思われます。
血というと、ソーセージに使われることが多いですが、韓国には血の塊を入れる汁物がありますな。
興味があるところではあります。
58 :
マンセー名無しさん :2006/11/21(火) 14:58:03 ID:J/uKOdTe
たしかに日本の宮廷料理なんか聞いたことないな〜
日本の場合、宮廷が天皇家にあたるなら
天皇が現在進行形で存在しているから宮廷料理も
時代に合わせて進化し続けている
だから、「これが宮廷料理」っていうものが日本にはないだけじゃないの?
韓国の場合、王朝が滅んでいるから宮廷料理も
進化していないだけであって
韓国の宮廷料理は昔の調理法で作る古臭い料理ってことじゃないの?
韓国の宮廷料理は昔の進化の止まった料理
日本の宮廷料理は今も進化している料理
調理のことはくわしくないけどね
>>57 >血の塊
もしかして、「ソンジ」ですか?
そう言えば、過去にあったスレで・・・
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
20 名前: マンセー名無しさん 04/05/18 16:23 ID:XKrZYIWO
>>14 牛血の塊のスープって二日酔いに効くとかでしつこく勧められた。
接待される身とはいえ実につらかったよ。
24 名前: マンセー名無しさん 04/05/18 16:25 ID:XKrZYIWO
狂ったように飲まされて
朝早くたたき起こされ
牛血スープだぜ
地獄よ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
っていう記述があった。
>55
幸いにして臭い羊肉様には、未だ拝謁の栄に浴しておりませぬw
レーション関係サイト(THE 戦闘糧食)ではモンゴルの肉は賞賛されてましたね。
基本的に独特の臭いがありますが、オージーからいい羊が入ってくるので
そこらの飯屋でも旨い羊が食べられます。
「万豚楼」の羊肉そばは素晴らしく旨いです。
臭い肉だと言われる狸、狐、熊も捌き方次第だと思います。
臭腺を傷つけてしまうと一気に毒に変わる動物もありますし…
モンゴル式の肉の捌き方に問題がある、という見解にはいささか以上に
同意できません。彼らは20分もかからず、あっというまに一頭完全に
捌いてしまいます。もちろん血の一滴も無駄にしません。
その血の匂い、特有の金臭さが駄目な人は絶対駄目でしょうね。
この「血抜き」の問題なのですが、日本のような亜熱帯地方では
決定的に問題となります。肉食を好んだ連中は大方が乾燥して冷涼な
地方。日本あたりでは熟成の前に腐敗します。
魚もそうですが、血抜きと内臓の処理がいい加減だとそこから腐ります。
モンゴルであなたが食べた「唐辛子山盛りの羊肉鍋」、お気の毒様でした。
それは「チゲ鍋」を愛好する連中が作っているものです。
本来の蒙古では塩すら殆ど使いません。茹でるだけですから。
話がよたついていますが、幕末の日本の牛が不味いのは、まぁ
当然でしょう。食用じゃないんだからw
>>57 ブラッドソーセージは本当に調理(いや、加えられるスパイスか)の如何で
凄いものになりますね。
61 :
マンセー名無しさん:2006/11/21(火) 16:04:13 ID:oBIpznKa
モンゴル式の屠殺が紹介されているページをみつけました。
http://kotahaguma.hp.infoseek.co.jp/uchimongol.html 牧民の家を訪ねたときに、羊一頭を料理してくれた。客人をもてなす最大の方法である。
右写真;ナイフで腹を少し切り開き、そこから手をつっこみ心臓付近の動脈をひねって殺す。
血は全く外に飛びちらず、大角膜の内部に溜まる、解体の後半にそれをひしゃくですくい取る。
腸に詰めて血のソーセージをつくるからだ。羊の解体の手順も早く、血の一滴すら無駄にしない。
血抜きをしていないんですね。納得。
>>61 いや、血抜きをしないことと血を無駄にしないことは別問題ですよ。
どう説明しようかな、ちょっと考えます。
63 :
マンセー名無しさん:2006/11/21(火) 16:17:01 ID:oBIpznKa
>>60 家で料理して食べていた羊は
これまで全部、オーストラリアかニュージーランド産でした。
マトンではなくラムを買うことが多かったのですが、
まずいと思ったことはありません。
内蒙古には2日間いたので、もちろん、
丸ごとゆでた羊も食べたのですよ。
まず、これがだめ。
しかし、同じツアーの日本人は、ほとんどみんなだめだったので
特殊な感覚ではないと思います。
あまり食べないのも失礼にあたるし、
男の子ががんばってたくさん食べたのですが
その子は北京に帰ってから腹痛で入院しました。
ただ、内蒙古だったので、他にマトンを使わない中華総菜があり
なんとかなりました。
朝食も中華風。マトンを使っていないものは、だいじょうぶでした。
その日の夕食が、フフホトの高級ホテルで火鍋です。
64 :
マンセー名無しさん:2006/11/21(火) 16:22:36 ID:oBIpznKa
>>62 血抜きをしないというか、血抜きが不十分なのでしょう?
近代的な食肉処理を施しているかどうかの
問題ではないんでしょうか?
日本でも、昔は臭い肉が多かったと
老人はいっていますし。
市場が臭くない肉を求めた・・・って事か・・・
>>63 そうでしたか。私のほうがおかしいのかも・・・…
こちらの知り合いは蝙蝠まで食べるヤツまでいるので感覚が麻痺してしまったかも。
ゲンゴロウの揚げ物も旨いですよ。
誰彼かまわす勧めるようなアストラルには到っていないと思うのですが、やばいかも。
羊かぁ。何が問題なのかなぁ。
去勢されていない雄の爺は最高に臭いですね。サフォーク種の仔が一番フラットな
肉だと思います。
血については耐性の問題ですから、無理に合わせることもないでしょう。
人間の胃液のなかの塩酸はpH2以下の強酸性、これが血中の鉄分と反応して
激しく焼けるような熱を発します。
血を口に入れると気持ち悪く感じるのかといえば、血液中の蛋白質が唾液のなかの
酵素で分解されてアミノ酸化し、おなじく血中の金属イオンと結びつくので
「鉄が錆びたような生臭い」味に変わるわけです。
沖縄料理は豚の血を沢山使いますが旨いですよ。
ヤギと血という組み合わせながら臭みを感じさせない。
沖縄在住の方、間違っていませんよね?
67 :
マンセー名無しさん:2006/11/21(火) 16:49:37 ID:oBIpznKa
>>66 血をつかったソーセイジは、大丈夫なんです。
おいしいとさえ、思います。
新鮮な血液を加工した食べ物と
血抜きが不十分な動物の肉の臭さというのは
また別の問題ではないでしょうか。
68 :
マンセー名無しさん:2006/11/21(火) 17:02:31 ID:oBIpznKa
>>67について
このページがかなり参考になりそうなんですが。
http://www.free-bbs.net/users/1chome/200613113229/ 自分なりに、いろいろと調べてみた結果、次のことが言えそうである。
魚にしろ、四つ足獣にしろ、また、原始部族にせよ、高度資本主義社会にせよ、人間が食用を目的に脊椎動物(背骨のある生物)を解体処理する場合の基本は、「絶命と同時に血抜きをし、内臓と枝肉とを分ける」ということである。
ところで、どこで読んだかどうしても思い出せないが、
すき焼きの歴史を読んでいたときに、明治期のすき焼き(牛鍋)草創期には、牛肉の「臭み」が強く、
最初は、鍋の中央にてんこ盛りにした味噌で臭みを誤魔化しながら食さなければならなかったほどで、
この「開化」的な食材を敬遠する人が多かったらしい。
ところが、牛豚の解体(血抜き・内臓抜き)および流通機構が確立され始めると、その「臭み」がなくなり、
(関東大震災後には)すき焼き(味付けは「どじょう鍋」から発展)が爆発的に普及したという。
食肉としての流通プロセスが確立され、血生臭さがなくなったというわけだ。
69 :
玲奈:2006/11/21(火) 17:04:32 ID:Sgrax8z+
羊の臭いのはとくに脂でして血ではないでして年齢が増えると臭いのが増えるでしてラムはだいじょうぶです。
それでキリスト教の神様も子羊がよかったです。
>>67 >血抜きが不十分な動物の肉の臭さというのは
また別の問題ではないでしょうか。
おっしゃる通りです。繰り返しになりますが、血を使った料理は
好みと文化環境の問題なので好き嫌いがでても問題ありません。
それを「喰え」と強要するのも文化の問題なので、そういう局面に出会ったら
諦めてその場の掟に従いましょう。
しかし、血抜きは別の、衛生上の問題ともリンクします。
普通、動物の体内には動脈静脈という2系統の血流ラインがあって
生命活動をサポートしています。血の中には有用成分より老廃物、
容易に毒素に変わる微生物が大量に含まれているのでこれを排除してしまわないと
肉は簡単に腐敗を始めます。
血を料理用に保存することはできても、組織の中に血を残したまま保存することは
無理なのです。血抜きが絶対に重要な点はそこでしょうか。
私はそのように考えています。
71 :
マンセー名無しさん:2006/11/21(火) 17:18:21 ID:oBIpznKa
>>70 そう言われてみれば、訪ねたときの内蒙古は
内蒙古にしては異常な暑さだったんです。
北京は異常気象で、日本より蒸し暑い状態でした。
さすがに内蒙古は、蒸し暑いというほどではなかったんですが。
普段だったら、血抜きが不十分な状態でも
さほど臭くはないものが、短期間で臭くなっていたのかもしれないですね。
火鍋のマトンなど、実にきれいな赤い肉で
腐敗とは思いもよらなかったんですが。
72 :
マンセー名無しさん:2006/11/21(火) 17:22:17 ID:oBIpznKa
>>69 成獣であるかないかも、もちろん関係はしていると思いますが
あの場合は、けっしてそれだけではありませんでした。
73 :
玲奈:2006/11/21(火) 17:29:54 ID:Sgrax8z+
脂の処理が悪いと思いました。
羊は草を食べるようになりまして匂いが脂に蓄積をしていくですのでミルクだけを飲んでいた子羊は臭くないです。
それでマトンは焼きまして脂をたくさん出さないと駄目でして丸ごとゆでるのはとても駄目です。
74 :
マンセー名無しさん:2006/11/21(火) 17:37:17 ID:oBIpznKa
>>73 それもなかなか、説得力がありますね。
家でつくる羊料理は、オープンで焼くか
ニンニクなどを多量に使ったタレにつけておいて臭みをとり
フライパンで炒めるか、
少なくとも、ゆではしないですね、たしかに。
>>74 北海道でカレー煮込み出してくれたけど美味かったよ。
3日煮込んだと言ってた。
76 :
マンセー名無しさん:2006/11/21(火) 18:18:13 ID:oBIpznKa
>>75 カレーなら臭いはとれるでしょう。
さらに、オーストラリア産、ニュージーランド産の羊なら
食べ辛いような臭いを発するとは思えません。
北海道の親戚はいつもジンギス送ってくれるけど、臭いと思ったことないのはなんでやろ
>>77 在京ホカイドー人のウリが。
そりゃ、マトンじゃなくてラム。
80 :
玲奈:2006/11/21(火) 19:20:06 ID:Sgrax8z+
そうでしょう。
成羊と子羊では、まるっきり違う食べ物だとウリは思う。
成羊は・・・ウリのおかんが嫌がる。
曰く「見たくもない」と
>>59 ピンポン♪
解臓汁(ヘジャングッ)として有名ですな。
羊。
ラムに恨みは無い、つーか美味いと思うのだけれど。
ジンギスカンはマトン!
これは譲らない。
マトンをどれだけ美味く食うか。
それがジンギスカンの本道。
>>83 他にも、
「ソンジ抜いてくれよ!」
といったら、
「ソンジのないヘジャンクックなんて…」
と言われて、結局ソンジ付きで、飲まされたとか言うエピもあり。
ジンギスカンかぁ。
しばらく喰ってないなぁ。
猟をやってる人が猪など仕留めたら、直ちにその場で捌いて血をすっかり抜いてしまって
から持ってくる、なんて話をしてたっけな。話半分で聞いていたのでよく思い出せないが…
肉をおいしく頂くにも、それなりの工夫が要るってことだな。
朝鮮料理が血抜きをどのようにしていたかは知らないが。
羊の臭みは、種類にもよるんだよな。
今の日本で喰われてるのは食肉用の種だから、臭みが少ない。
でも、モンゴルのは毛を取るための種じゃないだろうか?
毛を取る羊だと、そもそも臭みが強い。
毛を取るなら、長く飼って老羊になってから潰すだろうから、余計に臭みがきつくなる。
・・・・近々ジンギスカン喰おう。アイヌネギの醤油漬けあるし。
マトンが食いたくなってきたじゃないか…
でも部屋の中で焼くと次の日の朝臭うんだよなあ…
綿羊として有名なメリノ種は肉がまずいことで有名だそうで。
ソース;羊蹄記/大内輝雄(平凡社)←羊好きは必見かと
モンゴルは確かに綿羊主体ですな。
飼育頭数は多いけど品種改良はそんなに行われていないそうで。
羊も牛もそうだが牧草だけで肥育した家畜はどうしても臭みが残ります。
なんで牛は牧草で飼育したものでも出荷前に一時的に牧場から集積場に移し、
脂を乗せるのも兼ねて穀物飼料で肥育したりします。
母乳しか飲んでいないラムが珍重されるのもそのためです。
>>88 にんにくと塩こしょうだけで炒めて味噌ラーメンに乗せると激ウマーだったりする。
しっかり火を通すのがポイントかなぁ。血が残っていると激烈に臭くなる。
90 :
マンセー名無しさん:2006/11/22(水) 14:04:15 ID:aC2ZN6jT
>>87 >>89 なるほど、羊の種類というのもありそうですね。
さらにやはり、飼料のせい、というのもあるんでしょう。
内蒙古の羊肉の臭さは、複合的な要素があったんだと思います。
それで本題の
>>11なんですが
>胃腸も慣れないこともあって
と断っているところをみても、やはり獣臭さもあったと
思えます。
内蒙古体験から、江戸の日本人が「肉」を嫌った気持ちが
とてもよくわかるようになりました。
豚も昔、ヒレの塊を買ったとき、一度だけ、
一見けっして腐ってはいないのに、
いやな臭いのするものにあたったことがあります。
祖母が、「それは年寄り豚だ」といっていましたが
処理も悪いのかもしれません。
>>44 昔持っていたアメリカの巨大な料理本に、「野生の肉の調理法」というのがあって、
ウサギやリス等は生け捕りにしてしばらくハーブを食べさせようと書いてあった。
やっぱり、穀類以外で育つ動物は臭いのかな。
日本人がオージービーフを好まないのも、牧草で育てた牛が多いかららしい。
BSE問題以降、オージーでも日本向けに穀物育ちの牛が増えたらしいけど。
アメリカ料理っていうと蛇文字さん思い出す。
このスレ、ダラダラ続けると
>>1の思うツボじゃねえの?
フルーツコウモリは果物ばっかり食べてるから臭みがないとかなんとか。
>>60 「またぎ」といえば熊襲だよ。
フレンチなんかじゃ、肉料理にその肉の血を入れたりするよね。
けどその理由は獣臭さをだすためだよね。
>>90 この人後から言い訳がどんどん出てくるね。
勉強不足なら書き込むなよ。論破されてんじゃん。
>>42 つか、ちょっと考えたらわかるだろ。
羊、ヤギ、鹿、つか牛や豚もだが、草ばっか食ってるだろ。
羊やヤギや鹿は現代でも臭いよ。
98 :
玲奈:2006/11/22(水) 23:53:48 ID:jJky8Tv9
豚は雑食でしょう。
昔シュラスコが日本に入ってきたばかりの頃食いに行ったんだが、
肉がなんていえばいいんだろうなあ、米ばっかり喰ったときのンこみたいな匂いがする。
いや、香ばしくて美味しい、って言う方向なんだけど、人によってはエーッという感じ。
味は最高だったけど。
南米直輸入という触れ込みだった。
シュラスコか。
ローストビーフとか、シュラスコって芋粥衝動を呼ぶ喰い物だな。
>>97 >羊、ヤギ、鹿、つか牛や豚もだが、草ばっか食ってるだろ。
豚(w
なんだかなぁ〜
この人「勉強不足なら書き込むなよ」なんて言ってるし。
最近、エンコリの韓国人より上級者がハン板に出没するのはどうして?
103 :
マンセー名無しさん:2006/11/23(木) 01:09:03 ID:Nnnu85kF
>>102 出没しているのがエンコリの上級者なのでは?
実体験とか確実な知識に裏付けられない人ほど、高い所からものを言う癖があるから。
俗に言う「虚勢を張る」というアレですな。
議論は勝負じゃないよ…
105 :
玲奈:2006/11/23(木) 13:44:39 ID:5eQ8eYSI
ヤギは食用よりも乳用が普通と思いまして私も子供のころはだいぶんヤギだったです。
いま30代でヤギの乳飲んで育ったヤシだっているわい!
>>107 ちょっほんと?
つかそれでも玲奈ちゃん30代かよ!
109 :
玲奈:2006/11/23(木) 14:04:24 ID:5eQ8eYSI
違うです。
ごめんね‥( '・ω・`)ショボンヌ
俺も子供の頃田舎で山羊の乳飲んでた。
あの頃(30年くらい前まで)は、子供に飲ませるのに
山羊飼ってる農家は多かったね。濃いんだ、これが。
>>111 うちの親(50前)もガキのころヤギ乳飲んだと。
臭いらしいじゃないですか
30年くらい前までは「地域差」が大きかったですからねえ。
東京近郊と東北の田舎じゃ10年分以上の文明格差があったもんです。
ヤギの乳は鍋で沸かしてから飲むんだけど、うっかり熱いままガラスのコップやビンに移して、それらを割ったこともしばしば(w
あの「ばちっ!」という音は忘れなれないなあ(w
玲奈はいつごろどこでヤギの乳飲んだのよ?
114 :
玲奈:2006/11/23(木) 14:20:46 ID:5eQ8eYSI
どこでもいいです。
116 :
マンセー名無しさん:2006/11/23(木) 14:26:11 ID:sXZ+OZ9/
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>>115 生暖かくて生臭い白くて濃いモノが喉にからまり‥
(玲奈ちゃん風)
>>117 指導!(最近は教育的指導はありません)
(*´д`)ハアハア
も、もっと指導‥
(玲奈ちゃ(ry
獅童
121 :
玲奈:2006/11/23(木) 14:47:17 ID:5eQ8eYSI
欧州はヤギはチーズを作るでして飲むのもするです。
アメリカでも飲む人がいるでしてあまり知らないですが韓国でもよく飲むでしょう。
今になってみると、あの臭くて濃い山羊の乳をもう一度飲んでみたい。
ダッシュ村で
>>121 そのチーズは日本でハイジのチーズといわれてアニメグルメランキングで一位だったでしょう
125 :
マンセー名無しさん:2006/11/23(木) 14:58:03 ID:F3YcYQ93
そのチーズは日本でハイジのチーズと言われてるでしてアニメグルメランキングで一位でしたでしょう。
126 :
玲奈:2006/11/23(木) 14:59:31 ID:5eQ8eYSI
そうですか。
誰が玲奈の芸風をパクレとw
山羊の乳ですか。
昭和30年代の話ですが、爺ちゃんが開拓部落で山羊を飼っていて、麓の町に乳を売りに行ったら
「牛乳と違ってマズイ」と大不評で、すぐにやめたそうです。
地域によっては受け入れるところもあったのでしょうか。
129 :
玲奈:2006/11/23(木) 18:49:27 ID:5eQ8eYSI
たくさんの国で飲んでいるですので受け入れるところがあったと思うです。
ヤギのミルクは栄養が牛乳よりもいいでして吸収もいいでして痩せるのにもいいです。
脂肪分か少ないのか、知らなんだ。
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| | -=ニ=- ! <あたし玲奈、お友達になってです
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132 :
玲奈:2006/11/23(木) 19:01:12 ID:5eQ8eYSI
中鎖脂肪酸です。
133 :
玲奈:2006/11/23(木) 19:02:08 ID:5eQ8eYSI
あなたは駄目です。
もいわ山で、羊の乳なら飲んだ。
臭みとかもなく、濃くて美味かったな。
ヤギとはやっぱり違うんだろうか。
今教育TVで料理と外交の話をやってた。
公式な晩餐会は世界共通で基本的にフランス料理というのは意外。
ミッテランが隠れ日本食ファンで、大使館まで飯食いに来た話が勉強になった。
韓国も料理で外交するくらい食文化を進化させんと。
>>135 そんな事を言うと、ホルホルしながら赤い悪魔を大使館に送りつけるぞ。
各国の大使館で、次々破裂するキムチボム。テロ国家認定される韓国。
>>136 そいつは素敵だw
ぜひやってもらおうw
近いことをやってますがな>晩餐会におけるメヌー
キムチがどういう物体か、ひとつ冷静に観察汁。
ありとあらゆるものに合うワインを勧める世界優秀ソムリエの
田崎師も、キムチとのマッチングについては言葉を濁していたような。
まずもって外交的な食事会では強烈な刺激物を出してはいけない事を学習汁。
リムパックの際、韓国艦に招かれた第七艦隊の指揮官にもウリナラディナーを出していたな。
日本艦は松花堂弁当だったんだが、ウリナラ艦はビビンバ…。
ボウルに山盛りにされたご飯(分けて出せよ!)とちまっと並べられたナムルを前に
困惑気味の米軍将官が印象的だった。
真面目に考えれば、欧米の王や皇帝、支那の皇帝や支那歴代王朝属国朝鮮の王と日本の天皇の差
日本の場合、天皇が生身の権力者として君臨したのは遥か昔の話し
そもそも、欧米の王程権力が有ったかどうかも怪しい
つまり、天皇に富が集中する様な状況では無かった
従って支那皇帝用食事メニューの様なモノが成立する訳が無い
王が生身の権力者として君臨した朝鮮に宮廷料理と朝鮮人が呼ぶものは存在するでしょうけど、それだけ
シュールストレミングには赤ワイン、という話もあるが、
こういう癖の強いものにはワインより蒸留酒の方が良いと思う。
キムチならジンやウォッカの方が良いのではないかね。
>141
マッコリがどぶろくでジンロが焼酎(蒸留酒)だっけ?
ジンロはメーカー名だったかな?
143 :
マンセー名無しさん:2006/11/25(土) 10:55:46 ID:DujUci6o
焼酎が訛った感じで、ソジュっていうんじゃなかったっけ。
144 :
マンセー名無しさん:2006/11/25(土) 11:47:32 ID:pMVk/bpC
まぁ、たとえ朝鮮に宮廷料理なるものがあったとしても
日本の元禄時代に作られた庶民料理に太刀打ちできないと
これで良いわけでしょ
145 :
玲奈:2006/11/25(土) 11:55:27 ID:xH+5AY/6
平安時代から天皇は権力はあまりなかったですが鎌倉時代からはもっと駄目でした。
>>145 お前はうるさい
とっとと祖国へ帰ってキム・ジョンイルの為に働け
147 :
マンセー名無しさん:2006/11/25(土) 12:14:24 ID:5Qg6EHzH
148 :
マンセー名無しさん:2006/11/25(土) 12:15:07 ID:w6T67Yak
http://www.youtube.com/watch?v=9jJKa993lSU チョンの諸君、君達も知っていようが今、日本のゴシック調パンクロック
がJ−ROCKと称して世界中で大人気を博している。
さてそこで諸君の使命だが、例によってこのJ−ROCKをパクッてウリナラ起源
を捏造主張することにある。
例によって劣化コピーとバレバレ嘘で世界中の嘲笑を買っても当局は一切関知
しないからそのつもりで、では成功を祈る。
149 :
マンセー名無しさん:2006/11/25(土) 12:35:14 ID:TcGxAfVT
天皇家は、子の曰わく、「君子は食飽かんことを求むること無く、
居安からんことを求むること無し」を実践しているからね。
>>147 ほほう。随分前から「蘇」とか赤米酒とか、
平安時代の記録から再現した食品が販売されていたけど
これはなかなか。
こういうものこそ値段の問題じゃないな(幾分割高な感はあるけど)。
しかし、作法に拘るなら食前に一首詠むのだろうか?詠めないと没収とか…
ここは優雅に山上憶良でも吟じてください。
>143
そうだったのかー!
もしかして現代の韓国語で日本語由来じゃないものって
スラングしかないんじゃないのかな?
152 :
マンセー名無しさん:2006/11/25(土) 13:36:39 ID:DK6rdOlQ
>>145 嘗糞時代からホンタクは魅力はあまりなかったですが犬肉時代からはもっと駄目でした。
>148
訂正求む。
J−ROCKをパクる
↓
韓国で大ヒット
↓
日帝のパクリとばれる
↓
国民総火傷
↓
アーティスト自殺
よって、起源主張などありえない。
>>145 平安時代は天皇の権力はあったよ。
武士が権力をもってしまってから、天皇家のバックボーン(摂関家)がなくなったので(荘園が食いつぶされたので)、
形骸化してしまったけど。
>154
平安時代後期には武士ではなく有力貴族に侵食されて傀儡になってなかったか?
>>155 と思うだろ?
実際の所、決定事項には、天皇の承認が必要だった事は、後白河法王の事例を見ても明らか。
実際の所は、摂関家は、天皇との血のつながりという権威を得て、政治をしてたの。
じゃなければ、摂関家といえども、伊周みたいに、失権してくのもいる。
無論、天皇家は、摂関家に権威の裏づけを与える代わりに、彼らの荘園からの上がりの一部を徴収してたし。
(天領からの上がりもあるけど)
ただ、武家はその貴族達の経済基盤(荘園)を委任管理という名のもの下、私有化しだした。
それに、武力という誰にでも分かりやすい力を持ってしまったから、天皇の権威が余り必要ではなくなった。
ただ、武士は名乗りを上げる時に、「先祖がウンヌン・・・」というのは、「自分達が山賊上がりじゃないぞ」という
ことをいいたいがため。(純粋に山賊上がりだと、神州の土地にいる根拠が薄らぐから。つまり、誰でも、取っていいぞということを阻止したいから)
ゆえに、天皇を始祖とする例がある。(清和j系とかね。徳川だって、松平家に食客としてきた得川氏と松平の姫との間の子供だという、苦しい証明をしてたし)
>>150 >ここは優雅に山上憶良でも吟じてください。
では一つ、「貧窮問答歌」でも(w
158 :
マンセー名無しさん:2006/11/26(日) 21:29:09 ID:XaatXoC2
>>150 >>157 平安時代の食に山上憶良は、いかがなものかと。
平安時代には、万葉集はさほどありがたがられていません。
ちなみに、山上憶良には
百済系帰化人二世説があります。
159 :
ゆーじ:2006/11/26(日) 21:39:15 ID:+U5nLx0H
>>158 古今集全文暗記が特技だった姫君はいましたが…万葉集はだめですか…
鎌倉時代に入ると源実朝あたり万葉集シンパですけど、やっぱり武士政権がある程度確立してから見直されてきたと言うことなんでしょうか?
160 :
玲奈:2006/11/26(日) 21:42:16 ID:LbHHxqfd
紀貫之がいいでしょう。
161 :
ゆーじ:2006/11/26(日) 21:44:09 ID:+U5nLx0H
>>160 かきくもり あやめもしらぬおほそらに ありとほしを おもふべしはや
162 :
玲奈:2006/11/26(日) 21:52:33 ID:LbHHxqfd
謝りましたか?
163 :
ゆーじ:2006/11/26(日) 21:56:08 ID:+U5nLx0H
>>162 いいえ、誤爆じゃないですよ。
近所の神社に伝わる紀貫之が作った和歌だそうです。さして名作とも思えませんが。
世阿弥の『蟻通』の舞台になった神社です、ただ謡曲とは紀貫之の和歌がまったく違うそうですが。
164 :
玲奈:2006/11/26(日) 22:00:37 ID:LbHHxqfd
それの和歌に謝罪の意味があるでして言ったです。
165 :
ゆーじ:2006/11/26(日) 22:03:59 ID:+U5nLx0H
>>164 変換ミスかと思いました。
その神社が私の家の氏神さんで、身近だったから言ってみただけですので。
166 :
玲奈:2006/11/26(日) 22:07:48 ID:LbHHxqfd
そうですか。
167 :
マンセー名無しさん:2006/11/27(月) 00:21:59 ID:LZuOhDWP
>>149 >君子は食飽かんことを求むること無く
平安時代の現役天皇の食事は、今からみれば実に質素なものでしょ。
出家したり上皇になると美食をしたらしいが。
>167
出家して美食というのも何か変だな。
昔の貴族の出家はそうだったのかな?
出家するとお寺にその人の荘園が組み込まれて
大きな顔が出来るとか、そういうことなのかな?
今でいう天下りみたいなもん?
時代・場所にもよるけど、お寺で精進ってのは本人の心がけ次第だからねぇ…
戦国時代の寺社なんか、大名(っつか今で言えば893)だし。
170 :
マンセー名無しさん:2006/11/27(月) 13:30:41 ID:RMLszvyX
>>167>>168 平安後期の院政は、言ってみれば、皇室の摂関家化なんです。
平安中期の摂関政治というのは、
帝の母の父や兄弟が政治の実権を握る制度。
皇室は、帝の地位が突出していますので、
父と子といえども、それぞれの母方や妻方の勢力に引かれて
敵対的であったりしもたわけですが
平安後期になってきますと、
氏族という大きなまとまりの拘束がなくなり
もう少し小さな「家」が意識されるようになってきたんです。
「家」の単位でいうならば、家長は母方ではなく父親です。
それで、帝の母方の親族である摂関家を押しのけ、
帝の父、祖父である上皇が、政治の実権を握る条件が整いました。
当時は男女均分相続でしたので、荘園の所有は流動的。
最初に、荘園をまとめて家領化をはじめたのは摂関家ですが
皇室もそれに対抗し、家領化します。
さらに、国衙領(公領)の荘園化は、皇室の家財形成には
むしろ好都合でした。
それで上皇は、風流、華麗な離宮を造り、
豪華な個人寺造営にも力をそそぎました。
当時の寺は、地上に天井の美を再現するためのものですから
とてもきらびやかで、法会も美々しい悦楽だったのです。
しかし、仏教の殺生禁断の教えは、強く浸透していましたし、
白河法皇などは、猟も漁も禁じて、魚を捕る網を焼かせたほどです。
鳥や魚は、当時でも普通に食べていたのですが、それさえ禁じた。
食事は完璧な精進料理であった、ということです。
しかし、精進料理が美食ではないかといえば、それはどうでしょうか。
白河法皇の出家、殺生禁制令は年をとってからのことですし
人間、年をとると、精進料理を美味と感じるようになるもののようです。
171 :
マンセー名無しさん:2006/11/27(月) 13:39:39 ID:ZbhYTDar
>>164 きちんとした日本語で書き込んでくれ。
わざとらしいんだよ。イライラする。
伝染りやすい文体まんだけど、意外に真似し難いね>玲奈
このコテハンの由来が気になって仕方がないので尋ねてみる。
ねぇ、「玲奈」ってパイパンサイトの彼女から?
173 :
玲奈:2006/11/27(月) 19:26:03 ID:VUSUTD5s
きちんとしているでして名前はいろいろで使う名前でして4年前の少し前から同じです。
>>玲奈
あんたキャラ濃すぎないか?
少し露骨だぞw
175 :
玲奈:2006/11/27(月) 19:31:43 ID:VUSUTD5s
文句が多いです。
4年も前からこれか。学習能力が低すぎるぞ。
177 :
マンセー名無しさん:2006/11/27(月) 21:52:40 ID:YLA49UVZ
玲奈君は風土記を読んで理解できる日本語力があるなら
少なくとも文章をマトモに書く事できるはず
大体、大学出たって、専門じゃなければ風土記なんて現代語訳されたものでも読まないし、
読んでも理解するのに時間がかかるだろ
それができるんだから玲奈君は、少なくとも片言にならない程度の日本語力があるんだよ
178 :
玲奈:2006/11/27(月) 21:55:33 ID:VUSUTD5s
あるです。
ないです。
>>178 なら、わざとらしい片言日本語はやめなさい
でないと肛門を綿棒で弄りますよ
181 :
マンセー名無しさん:2006/11/27(月) 22:39:50 ID:9hBcQMIh
宮廷料理はあるよ。ただ贅沢しつくしたから、質素なもんでも食ってみるかって好奇心だろ。
まあ、大陸と食文化の違いは国土の地形と民族流入の歴史、好み。
あまり、日本人叩きには向かないんじゃないか。
それより、北の友達に米でも送ってやれ。
>>180 タ○ガー○ームを子猫全体的に塗布するです。
英語にすれば同じネコさんだから相性がいいと思うです。
意味わからない人は「フルメタルジャケット」を字幕で観るですw
183 :
マンセー名無しさん:2006/11/27(月) 23:26:29 ID:yLDhi/bq
チャングムの歴史捏造・美化は酷いな…
日本に併合して貰う前の朝鮮があんな綺麗なわけないだろ…(;´□`)
韓国の文化なんて日本に併合して貰った時に日本からパクった物の起源を主張しているだけだし。
中国のパクりも酷いけど韓国はそれ以上だな。
日本に従属する前の朝鮮にいったい何の文化があったんだ。
糞だらけで蝿だらけだったという歴史的事実も無視しているし。
チマチョゴリだって元々は乳だしチョゴリだろ。
わずか8%以下の特権階級が全権力を握り、逆らう者は虐殺しまくってた最悪の独裁国家で、清の属国。
ただの使用人に対し、国王が門の前まで出迎えて、9回土下座をして受け入れる属国。
毎年、宝物や幼女を貢ぐ属国。
人々が餓死しても私腹を肥やす権力者だらけの最低最悪な属国。
そういった歴史的事実を描いた方がいいんじゃないか?
…てゆうか、何で皇帝や皇后がいるんだ?(
184 :
マンセー名無しさん:2006/11/27(月) 23:28:30 ID:yLDhi/bq
185 :
マンセー名無しさん:2006/11/27(月) 23:35:46 ID:HvY9QMNj
>183
何で皇帝や皇后がいるんだ?
~~~~~~~~~~~~~
正しくは、朝鮮王でつね。
186 :
マンセー名無しさん:2006/11/27(月) 23:42:42 ID:hlFMgOrD
>>184すげぇな日本・・・。100年ぐらい腸線の進化を早めてるなw
やっぱ歴史教科書って信じられないなw
なんか腸線人ってよく漫画やRPGでいる
助けてもらって、裏切る村人に似てるなw
187 :
マンセー名無しさん:2006/11/27(月) 23:51:15 ID:vpnSki3r
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==(_ミ{_ 。。 |
| | -=ニ=- ! <あたし玲奈、あたしの乳のチーズ美味しです
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>>181 >宮廷料理はあるよ。ただ贅沢しつくしたから、質素なもんでも食ってみるかって好奇心だろ。
あまりに頭悪そうなので笑ってしまった。最近ハン板に増えてるな、こんなのが。
少なくとも何時の時代の話しかで変わってくるな。
李氏朝鮮は18世紀にならないと詳細な資料が残って無いからなぁ〜
紙というものが朝鮮にはないからのぉ
玲奈はああいうキャラでしていちいちケチつけるは良くないでしょう。
pukuタソだぁあったゆきゃラでつじちゅっらっけ。
191 :
マンセー名無しさん:2006/11/28(火) 17:24:39 ID:XyincrT7
玲奈語がここの板で段々と定着していますような気がします。
このたどたどしい日本語を話す外国人に弱いです。
192 :
マンセー名無しさん:2006/11/28(火) 19:00:31 ID:pW3I15/8
2ch等で得た知識だと、李朝の宮廷料理はキムチ等はムルキムチ(水キムチとも。
唐辛子を使わないキムチで日本の漬物に似ているらしい)以外は出てこず、基本的
には中華料理だったと記憶しています。
よく考えれば、明朝・清朝の属国やっていたのだから、当然中華料理は伝わってい
るでしょうし、何より、中国からの使者をもてなすために中華料理は必須なのだから
、それが宮廷料理に多大な影響を及ぼした可能性も十分考えられます。
結論から言うと、おそらく李朝の宮廷料理は中華料理の系統を引いて、そこそこ見
栄えは良いと考えられます。味も、唐辛子一辺倒ではないと思います。
ただ、気候が温暖でなく土地も肥沃とは言いがたいので、良い食材が手に入りづら
いこと、塩に統制がかかっていたこと、最後に李朝の財政が良くなかったので、中
華料理や日本の料亭で出されたような料理には至らないと思われます。
193 :
日本は日本人だけの国:2006/11/28(火) 19:05:22 ID:bk5RBKM3
大根やピーマン 取れすぎで潰してるニュース見て
ああ 日本人に生まれて良かった
北チョンの連中がみたら発狂するなwと思った
考えれば考えるほど 北って哀れだなあ まあ自業自得だけどw
194 :
マンセー名無しさん:2006/11/28(火) 19:07:13 ID:pW3I15/8
195 :
マンセー名無しさん:2006/11/28(火) 19:10:30 ID:irPagRG7
>>193 都会の消費者は良いよな、生産者がどんな気持ちで潰しているか考えた事もなんだろう?
キャベツの時と同様、ものすごく出来が良かったのに・・・
牛乳を処理した酪農家の皆さんも同じような気分だったともう
196 :
日本は日本人だけの国:2006/11/28(火) 19:14:51 ID:bk5RBKM3
>>195 そりゃあ 解ってるつもりだよ おれだって地方に転勤になって長いし農家の知り合いも多いからね
もったいないとも思うけど
別に 農家を馬鹿にするつもりもないんだが・・
制裁がなければ
「余った白菜をキムチにして、飢えた北朝鮮に送ろう」
なんて奇特な在日さんが現れただろうか。
>>195 なんか勿体ないなあ・・・
農協に納めるぐらいの価格でなら、引き取りたい、って言う食品メーカーなんてヤマほどあると思うんだが。
流通ルートがガン?
199 :
マンセー名無しさん:2006/11/28(火) 21:57:19 ID:QaUo/VV+
>>192 李王朝末期の話ですが、宮廷のキムチにも唐辛子を使ったものはあります。
ただ、唐辛子が朝鮮に入ったのは16世紀も末くらい。
それ以前からキムチはあって、当然、唐辛子は使っていません。
中華料理の影響は、当然あるでしょうけれども
清朝の宮廷料理と、李王朝末期の宮廷料理はまったくちがいます。
清朝の宮廷料理は、もともとは山東地方の料理人が受け持っていたのですが
江南の料理を好んだ乾隆帝の時代に、蘇州の料理人迎え、
それに満州族伝統の北方の味も当然加わりますから
美味追求に徹した、グローバルなものであったわけです。
李朝宮廷料理の色彩は、
陰陽五行説に基づく五色、赤、黄、白、青 (緑)、黒を
きっちり配することを基本にしていて
食卓の思想からいうならば、中華原理に忠実であるかもしれませんが
どうやら高麗朝時代からの伝統もあるようですし
独自のものであったとは、いえるのではないでしょうか。
料理の並べ方の形式などから言えば、
平安朝の宮廷料理の方に似ている感じがします。
要するに、古代律令制当時の中華王朝の伝統を引き継いでいる、
ということではないのでしょうか。
李朝宮廷料理の内容の方はもちろん、
時代が下ったぶん豊かになってはいるのですが。
>>199 李氏朝鮮は清朝より古い王朝ですから、比較対象はむしろ
明がふさわしいのかもしれませんね
201 :
マンセー名無しさん:2006/11/29(水) 01:18:29 ID:vCtLTmvO
>>200 現代に伝わっている李王朝の宮廷料理は末期のものですし
その時代に対応するのは、清朝の宮廷料理で
この場合もまた、現在に伝わっているのは清朝末期のものです。
歴史的な経緯で言うならば、清朝の宮廷料理の原型は
明朝の宮廷料理であり、清朝の料理の基本が山東地方のものだった、
というのは、明朝宮廷料理の伝統を受け継いでのことです。
一方、李朝の祖は高麗朝の武将ですし、高麗の都だった開城は
李朝期にも美食の地とされていました。
李朝宮廷料理は、高麗朝宮廷料理の伝統を継いだと推測されます。
それ以前、ともに牧畜民だった蒙古族の影響を受けたことは共通していますし、
それが、日本と中朝の食の大きな差異になっています。
また、明以降の中華料理の影響も、日本が受けたものよりは、
朝鮮半島が受けた影響の方が大きかったでしょう。
しかし、少なくとも高麗朝以降、半島は半島なりに、
独自の宮廷料理を培っていた、といえるのではないでしょうか。
202 :
マンセー名無しさん:2006/11/29(水) 02:02:33 ID:Z36KUjdI
李王朝は金正日体制に似ている。
203 :
マンセー名無しさん:2006/11/29(水) 02:41:46 ID:xXRQRuSa
>>201 >牧畜民だった蒙古族の影響を受けたことは共通していますし
ってその名残ってそんなに朝鮮で残ってたか??
飲食知味方辺りでは狗料理にその名残が少し有ったはず(狗焼酎とか)
だが、ほとんど蒙古の影響が残って無いはずと記憶。
羊文化も朝鮮では消滅して今残ってる資料では使った記録さえまともに
残って無いはず。
「蒙古族の影響」って何があるんでしょう?
ざっと、朝鮮の王宮の進儀のメニューみても思い付くもの見当たらないけど。
>193
北朝鮮は飢饉なんだってねw
「飢饉で滅んだ国はない」とかニュースでやってたし極東にもスレが立ってた。
>197
それはない(断言
205 :
マンセー名無しさん:2006/11/29(水) 03:34:59 ID:vCtLTmvO
>>203 羊ではなく牛であったにしても、
肉食(四つ足)そのものが元支配の影響です。
普通に考えて、元が侵攻してくる以前、
仏教の影響が濃かった高麗の宮廷料理に
四つ足の焼き肉があったでしょうか?
206 :
マンセー名無しさん:2006/11/29(水) 04:14:20 ID:xXRQRuSa
>>205 >四つ足
と仏教はあまり国全体では関係ない。日本では有ったかもしれんが。
ヒンドゥー、仏教の敬虔な都だったアンコールにも遺跡には
豚の調理が壁画に残ってる。元とは無縁だし。
李朝時代も仏教信者で仏教を庇護した時期(文定など)にも
四つ足を禁止なんてないけどな。
>高麗の宮廷料理に四つ足の焼き肉があったでしょうか?
資料が皆無なので誰も答えが出せません。
ただ、高句麗時代(確か)の遺跡には肉料理してる壁画
が存在してるはずです(狗もしくは猪をさばいてるのではとの説)。
207 :
マンセー名無しさん:2006/11/29(水) 04:45:45 ID:vCtLTmvO
>>206 李朝期は、元朝支配の後です。
半島の肉食に対する姿勢が激変したのは
元の侵攻以降であったとは、定説だと思いますが。
統一新羅では殺生厳禁令が出ていますし
魚すら食べることを禁じた時期もありますね。
資料が皆無なのは知っていますが、推測はできます。
>高句麗時代(確か)の遺跡には肉料理してる壁画が存在してるはずです
宮廷料理が描かれていることが確実なのでしょうか?
208 :
マンセー名無しさん:2006/11/29(水) 04:52:29 ID:vCtLTmvO
>>207の訂正
高句麗を高麗とまちがえてレスしてしまいました。
高句麗の壁画に肉食が描かれていることは当然です。
高句麗、百済で殺生禁止令が出たのは、三国時代も後の方でしょう。
仏教伝来の遅れた新羅が一番遅かったわけですが。
日本古代の禁止令も、高句麗や百済より後です。
209 :
マンセー名無しさん:2006/11/29(水) 15:14:40 ID:vCtLTmvO
>>206 ご参考まで。
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/603503.html 鄭大聲『焼肉は好きですか?』
四世紀すぎ、朝鮮半島は三国に分かれていた。
北部の高句麗、南西部の百済、そして南東部の新羅の、いわゆる三国時代である。そこに仏教が伝播し、六世紀半ばには朝鮮半島全土が仏教の戒律に従う生活を営むことになったのである。
その戒律の一つ、「殺生の禁止」は、家畜の食用を禁じた。
戒律は必ずしも徹底されなかったようだが、食肉禁止を旨とし、植物性の食材を利用する「精進料理」的な生活は、約七世紀もの間、続くことになる。
やがて、この食生活に変化が起きる。それをもたらしたのは、大陸から侵入してきた遊牧民族「蒙古」であった。
>>209 因縁を付けるつもりではないのだけど、本文中の
>しかし、牛や豚などの肉を直火で焼いて食べるという、この素朴な料理も、
そのルーツを辿っていけば意外な歴史が見えてくる。実は、朝鮮半島で焼肉料理
が隆盛を遂げたのは、十四世紀のこと。そう大昔の話ではないのである。
この部分が頭痛い。
料理が素朴とか、そういう問題ではないな。
それまで文明化されていなかったのか?
モンゴルがアッシリアやローマに肉を炙る技術を伝えたとでも?
もっと奇異なのは、焼き魚の技術と肉を炙る技術は別の次元のテクノロジか?
そう主張しているようにしか取れないぞ。
こういう愚劣なことを得意げに語って本にする行為は資源の無駄遣いだな。
211 :
マンセー名無しさん:2006/11/29(水) 20:32:46 ID:vCtLTmvO
>>211 食用畜を養うだけの農耕生産力がないところで
肉食が普及できる道理がないのだけど。
東欧圏と比較すれば朝鮮が主張する「肉料理の存在」が嘘であることくらい
子供にでもわかるじゃないの。
肉が食えるくらいの生産力があるなら「春窮」に到りはしない。
さらに付け加えれば李氏朝鮮と高麗は断絶しているよ。
流儀を清に倣って全面改変しているし、平壌以北では放牧に適さない。
全国的な流通網を持たず、地域ごとの集合体のような社会でいかほどの
農業集約が可能かは改めて言うまでもないでそ。
肉を火でうんたらと言うなら、朝鮮併合の前に近代ヨーロッパからの
影響そのものなんだけど、そこらも無視しているでしょ?
<朝鮮式焼肉料理>で問題になるのは肉の焼き方がどう、という前に「食べる人間が
直接調理しながら食事する流儀」の有無の検証なんですよ。
……ひょっとして朝鮮って、農耕用の牛馬を割りとポンポン屠って食用に供してた?
>>212 同感
そもそも、何もしないのが尊ばれる地域で、自ら調理する料理が出て来る訳が無いし
朝鮮人が餓死する様な状況で豚や牛を養える訳が無い
215 :
マンセー名無しさん:2006/11/29(水) 21:15:05 ID:X8SVbYvv
>>213 韓国には馬肉を食す習慣はないよ。
焼肉も豚が一般的だから「牛カルビをパクパク」ってのは日本式焼肉。
台湾だと「日式焼肉」という看板を掲げてる店が牛焼肉。
>元朝宮廷料理が高麗宮廷料理に大きく影響したことは自明でしょう。
だから具体的にどんな料理が??
影響受けても幾つかの数少ない料理しか残って無いんじゃ。
生肉(ユッケ)の類いとか。
しかも狗の食用が李朝鮮まで生き残ってる事自体が、「元」の影響が
比較的少なかった事の表れ。
つか、鄭大聲引用は注意が必要。三割、四割割り引かないと。
酷い所は近代に固まってるが「ウリナラマンセー」の呪縛から離れられない
典型な人だし(w
>>215 ああ、そういえば聞いたことがあったな。>>馬喰わない
…シナ方式かな?>>豚飼育
218 :
マンセー名無しさん:2006/11/29(水) 21:42:57 ID:vCtLTmvO
>>212 >食用畜を養うだけの農耕生産力がないところで
>肉食が普及できる道理がないのだけど。
宮廷料理のスレッドで、宮廷料理の肉料理を話題にしているんです。
どこまで庶民に肉食が普及したか、という問題と、
宮廷貴族の食事に牧畜による肉食があったかどうかの問題を、
いっしょにしていませんか?
上流に肉食の習慣があれば、宴会のおこぼれとか
祝いの宴とか、庶民もたまには食べるものですが。
プルコギ(火肉)の古語はノビアニだそうですが
たまり醤油につけた牛肉を焼く料理です。
李朝宮廷における焼き肉は、王のそばで女官が焼き、
焼きたてを供したそうですよね。
両班の宴会においても、客は焼いてもらって食べますが
庭で待つ従者は、生の肉をもらって焚き火に放り込み塩だけで食べた。
李氏朝鮮と高麗の連続性については、さまざまな見方があるでしょう。
宮廷衣装も、わざわざ古風なものに改変したりもしたようですし、
牧場は廃止されて消えていますし、屠殺業者の蔑視も、
李朝期から顕著になったでしょう。
しかし、100年もにわたって影響を受け続けたことが
すべて消えてしまうということはありえません。
食文化という観点からいうならば、朝鮮の肉食は元朝の影響です。
219 :
マンセー名無しさん:2006/11/29(水) 21:47:58 ID:vCtLTmvO
>>215 朝鮮の被差別民である屠殺業者(白丁)が
主に扱っていたのは食肉用の牛です。
>>216 前にも書きましたが、肉食が、です。
>>218 ある程度の供給がなければ上澄みを掬えない事実を無視すれば
そちらのレスには説得力がある。
朝鮮の肉食はそれ以前の大陸からの影響。
元の影響というのであれば、何の様式が基礎になっているか提示を戴きたい。
>>216 それこそ嘘の基礎なんだけど。
生肉だよー!?
朝鮮は、元の本貫に比べれば湿気て暑い。
そこでの肉の管理が如何に難しいか?
判らないとは言わさないよ。
宮廷に肉が献じられていたことは否定する必要も無い。
が、それが生か塩漬けか、という差は巨大なものだ。
断言しよう。
祭礼でもない限り肉は保存処置がなされたものが大部分を占める。
それを朝鮮式に焼いて喰えるものなら喰ってみろ。
どんな味がするか(私は実験した)
221 :
マンセー名無しさん:2006/11/29(水) 22:51:05 ID:vCtLTmvO
>>220 >朝鮮の肉食はそれ以前の大陸からの影響。
>元の影響というのであれば、何の様式が基礎になっているか提示を戴きたい。
以前にも書きましたが、状況証拠です。
統一新羅はもちろん、元が侵攻するまでは、高麗朝でも
殺生禁止令、屠殺禁止令がたびたび出ていた。
元の侵攻以降、それはぴたりととまった。
屠殺を禁止するのですから、肉食がまったくなかったとは言いません。
しかし、殺生禁止令を出す宮廷が、宮廷料理に四つ足を出すとは考え辛い。
>祭礼でもない限り肉は保存処置がなされたものが大部分を占める。
上流階級に限るならば、それはどうでしょうか。
以下、安宇植著「アリラン峠の旅人たち」(平凡社ライブラリー)より。
**********************************
かつて成均館(儒教教育を司った官庁)の近くには、生肉を商うことを業とした「水平館」というのがあった。
この水平館に店舗を構えていた白丁は、それぞれ財産家ばかりときていた。
そこで彼らは、背後で、当時の官職についていた連中と密かに手を結んだ。
成均館に属して学問の修業に励む儒生たちのなかから将来性の有望な者を選び出し、いまの言葉で言えば、こっそりと奨学金を提供したのである。
こうしてその奨学生が科挙に及第し、官職について出世するのをまって彼らの政治的援助を受けた。
したがって、水平館を極力庇護したり、白丁の利益を代弁したりした官僚たちが引き続き水平館から支援されたことはいうまでもない。
こうした事実は、これら官僚の位牌を祀った祠が、やがて白丁たちの手で建てられ、その後、崇宝寺に昇格しているところにもうかがわれる。
***********************************
きれいな書き方をしていますが、要するに白丁が賄賂を贈って、宮廷に高値で生肉を納めた、ということのように読めます。
食肉について思い出したことをカキコ。
本来、肉食文化圏で上等とされてきた肉は「豚」。
生育条件が草食性の牛より遥かに楽だから。
草食動物は10`の生育に100`の餌を必用とする。
これに対して豚は雑食なので森で放し飼いができる。
豚は樫の実など高カロリーな餌で容易に肥え、繁殖率も
高い点から盛んに食用にされている。
しかし、人口が増大した結果、家畜用の穀物を人間が必要とする
状態となってしまい文明の進展と共に供給量は激減してしまう。
食用家畜の生産量が回復するのは、ヨーロッパではジャガイモの
普及するまで後退の一途を辿っていた。
このように食用に肉を生産することの困難は明らかである。
で、牧畜民における肉食なのだが・…彼らの主食は肉ではない。
夏は乳製品、冬は保存用の肉。
彼らが肉を主食にしているといっても、毎日肉が供給するのは困難だ。
だから乳製品(チーズなど)の加工品すなわち、ある程度貯蔵できる
状態に加工したものを日常の食事としている。
遊牧民の影響が大きいのであればヤギの乳、もしくは家畜の2次生産物を
多用する食事形態にかわっていなくてはならない。
(つづく)
で、朝鮮の食事であるが「状況証拠」から「元の影響は残らなかった」と
言えよう。彼らの連れていた動物は牛でも豚でもなく羊だから。
ここで繰り返しておくが、遊牧民の主食は乳であり肉そのものではない。
遊牧民が定住民から嫌われた真の理由、それは羊や山羊の食性にある。
この動物は草ではなく、木そのものを齧って森林を崩壊させる。
そして朝鮮は元侵攻の当時、すでに森林資源を枯渇させていた。
いかなる意味でも寒冷乾燥で森林を失った土地で食用畜を飼育することは
極度に困難だ。
朝鮮において元の影響と目されるもの、それは元が首都を置いた中原の
食習慣であり遊牧民の伝統的食事ではない。
・朝鮮料理に家畜の乳を加工したものがない
・供給される肉類の中心に羊がいない
この2点をもって「朝鮮の食における遊牧民の影響」は微弱であると
申し上げる。
224 :
玲奈:2006/11/29(水) 23:14:04 ID:kc0Z6qUb
黒ヤギはたくさんいるです。
225 :
mi:2006/11/29(水) 23:17:45 ID:KH64menH
宮廷料理って糞嘗めとか犬料理とかせいぜい十勝メロンとか
でるやつか?プッ!
226 :
mi:2006/11/29(水) 23:19:01 ID:KH64menH
なんで韓国の宮廷料理ってゴキブリだし使ってるの?
>>221 李朝は仏教を徹底的に弾圧したのだから肉食定止(ちょうじ)の令が
出る道理がない。李朝における宮廷での肉消費の度合いと絶対量は
単に生産力から逆算できる問題だ。
>生肉を商うことを業とした「水平館」
仏教の影響がないのだからあるでしょ、当然。
でも生肉を献上して、それを食卓に載せるまでの時間は?
その間に腐敗するよ。
血抜きの習慣がなかったのは史料から明らかなので、納入される
時点ではイッてる可能性が高い。夏場では不可能だ。
漢城、開城の夏は暑い。
そのなかでどうやって生肉を維持するの?
献上されても喰えないよ、それ。
>>224 韓国在来種というと、カンビン・カチャン系統の大陸型ね。
西アジア原産で南周り伝播(タイ、フィリピン方面経由)だから
北方遊牧民の持ち込んだものではないよ。
229 :
マンセー名無しさん:2006/11/30(木) 00:24:23 ID:j9yoe2fO
>>222 >>223 >>227 まず宮廷料理について書きます。
>朝鮮において元の影響と目されるもの、それは元が首都を置いた中原の
食習慣であり遊牧民の伝統的食事ではない。
先に書きましたが、宮廷料理が「遊牧民の伝統的食事」そのままで
あるわけがないんです。
しかし、清朝の宮廷料理に、満州族固有の調理法が入ったように
漢族の宮廷料理がそのまま元朝の朝廷料理であったわけはありません。
しかも前王朝宋は、開封、南京が首都で
北京に首都を置いたのは、元がはじめてのことですよね。
なにに書いてあったのか忘れたんですが、中華王朝の宮廷料理においても
四つ足の肉が多用されるようになったのは元朝から、と言われているんです。
くりかえしますが、李朝宮廷料理、その影響を受けた両班料理に、
四つ足の肉料理があることが、元朝の影響の名残だと言っているだけです。
もちろん李氏朝鮮の宮廷料理では豚も牛も使っているんです。
豚は満州族が飼いますよね。
飼育に関しては、モンゴルに属した女真族が考えられます。
李朝期に白丁と呼ばれた屠殺業者について、女真族だともいわれます。
白丁は、豚も牛も扱いましたが、神としてあがめ、歌や伝説を伝えたのは牛だけ。
牛肉を食べることを元朝宮廷にもたらしたのはイスラム教徒でしょう。
古代牛乳の加工品を食べた伝統からいっても、
牛はもともと朝鮮半島にいたわけですから、それを増やして食用にすることを
高麗朝に入ってきた蒙古人(あるいはそれに属した女真族)がしたわけでしょう。
(つづく)
230 :
マンセー名無しさん:2006/11/30(木) 00:42:27 ID:j9yoe2fO
>>229のつづき
>李朝は仏教を徹底的に弾圧したのだから肉食定止(ちょうじ)の令が出る道理がない。
誤解があるようですが、李朝の仏教弾圧は途中からです。
訓民正音、ハングル文字で最初になにがなされたか、といえば
宮廷事業としての仏教経典の翻訳です。
>血抜きの習慣がなかったのは史料から明らかなので、
屠殺に携わった白丁は、口伝で屠殺のやり方を伝え、
文字資料は残さなかったはずですが。
血抜きはしたと伝えています。
それが不完全なことはあったにしても
屠殺場が漢城にあったわけですから、
殺してから宮殿におさめるまで、時間はかからないと思いますが。
>>229 唐はおろか隋でも四足は食べているけど?
羊が多用されるようになったのは色目人の影響がある、といわれているね。
それまでの肉類の中心はトリとブタ。
>>229 >李朝宮廷料理、その影響を受けた両班料理に、
>四つ足の肉料理があることが、元朝の影響の名残だと言っているだけです。
四つ足を使ってたから元の名残かよ(w
残念ながら、朝鮮にはその四つ足の確証が「飲食知味方」には残って無い
んだけどな。それ以前のまともな資料も無いし。
畜肉に関して犬にページが大きくさかれては居るが牛、豚の記述はほとんど
無し。四つ足の主流をなしてたのが犬。
元が嫌う犬肉の消費が大きかったのに元の影響とは言えない。
高麗は仏教国だったので殺生は厳禁。
宋の国の使節を招くときは家畜を屠ったが、その方法は「縛り上げて火中に投げ込む。それでも死ななければ撲殺」
というものだった。こんな方法で殺された獣の肉が美味いはずがなく、宋の使節は肉の不味さに閉口している。
のちにモンゴルの侵入が顕著になったころ、きちんとした屠殺方も伝わった。
234 :
マンセー名無しさん:2006/11/30(木) 01:09:29 ID:j9yoe2fO
>>231 食べているのは知っています。
宮廷料理に多用されているかどうかと
食べているかどうかは、ちがう話です。
日本のエタヒニンの間にどのような屠殺方が伝授されていたかは知らないが、
幕末維新時、牛鍋が流行りだしたころの牛肉流通はかなりいいかげんだったらしい。
牛鍋屋では、病死牛の肉も平気で売られていたという。
また、福沢諭吉の証言では、維新ころの屠殺方は、「竹をたてて注連縄を張った中に牛を追い込み、槌で撃ち殺す。
そのあとで上等な部分のみ切り取り、残りは地中深く埋めて坊さんがお経を唱える」
というもの。まだ殺生に対する抵抗が強かったのだ。
このとき、血抜きはまずなされていないだろう。
福沢諭吉は牛鍋屋の旦那に豚の屠殺を頼まれたので、豚の四足を縛り上げて川に放り込んで殺した。
溺殺だから、まず血抜きはされていないな。
236 :
マンセー名無しさん:2006/11/30(木) 01:41:56 ID:j9yoe2fO
>>232 「飲食知味方」を書いた張夫人は、慶尚北道、
つまり漢城から遠く離れた地方に住んでいた両班の夫人ですよね。
もちろん、高麗の都だった開城からも遠い。
李朝末期においても、牛乳粥はほぼ宮廷のみのものであったわけですから
李朝初期に、牛、豚が宮廷料理限定で、地方の両班夫人が気軽に料理する
ものではなかったとしても、不思議はないでしょう。
狗醤(クジャン)は、真夏に滋養をつける食べ物であったわけですが
李朝末期には、両班は犬は下品だと言って、
かわりに牛肉のユッケジャンを食べるようになっていますね。
>>235 >牛鍋屋では、病死牛の肉も平気で売られていたという。
当時では当たり前。
>日本のエタヒニンの間にどのような屠殺方
例外を除いて屠殺はしません。
農耕等の家畜が死んだら所有する特権を得ているにすぎません。>エタヒニン
238 :
マンセー名無しさん:2006/11/30(木) 01:43:52 ID:j9yoe2fO
>>235 江戸期までの日本の牛の屠殺は、
肉を食べるためのものではありません。
皮を利用するだけ。
239 :
マンセー名無しさん:2006/11/30(木) 01:45:17 ID:UHhQkpzn
ア、ソ?コエーヘ箒ツニネクョチハスタエマエル
240 :
マンセー名無しさん:2006/11/30(木) 01:45:58 ID:UHhQkpzn
ア、ソ?コエタヌ ーヘ箒ツ ニネクョチ? セハスタエマエル
いや、幕末のころは彦根藩の名物は牛肉の味噌漬けだったよ。
水戸の徳川斉昭公はこの味噌漬けが大好物で、いつも取り寄せていた。
しかし井伊直弼が領内で牛の「屠殺」を禁じたため、味噌漬けも手に入らなくなる。
この食い物の恨みで、水戸浪士が井伊大老を襲った、という珍説もある。
242 :
マンセー名無しさん:2006/11/30(木) 01:55:02 ID:j9yoe2fO
>>236につけ加えて
また「飲食知味方」に、牛肉の調理法がまったく出てこないわけではなく
牛肉を煮る方法、牛の胃袋のいためもの、煮物、牛の足のスープ、
と出てくるのですから、十分じゃないでしょうか。
焼いておいしく食べられるような牛肉は、手に入れ辛かったというだけで
十分、牛肉にはなじんでいるように受け取れます。
豚肉の調理法にしても、出ていないわけではありませんし。
>>236 >漢城から遠く離れた地方
時代は少し下るが医学書の「東医宝監」もありますが(w
同じく犬肉の効用等を力説してます。牛、豚はなかったような。
あと、当時の両班の性格上、食に関しても田舎にも中央の情報が
流れて来てます。
1960年代に発見されて、それまでの李朝の王宮内の比較もされてますが、
調理、レシピなど一致するものが多くでてきてます。
実際に今の韓国ではこの本以上に宮廷料理を推察する資料がありません。
その後は時代が下って18世紀からしか。
>李朝末期には、両班は犬は下品だと言って
宮廷の司祭料理にでてますが>18世紀
王后(名前は失念)の好物との記録もあり。
244 :
マンセー名無しさん:2006/11/30(木) 02:01:34 ID:j9yoe2fO
>>241 そういえば、八百善の料理通にも、
「牛肉もどき」という料理法が出てきます。
牛肉を使った料理が知られていなかったわけではない、
ということは、屠殺法も知られていたんでしょうか。
猪と同じと考えれば、普通、猪も血抜きしますしね。
味噌漬けは、肉の臭みをとるいい方法ですね。
やわらかくもなりますし。
245 :
マンセー名無しさん:2006/11/30(木) 02:03:32 ID:j9yoe2fO
>>243 >1960年代に発見されて、それまでの李朝の王宮内の比較もされてますが、
調理、レシピなど一致するものが多くでてきてます。
知っていますが、
調理法の伝搬と食材の運搬は、
別の話ですね。
肉食文化がどのようなものであったのか調べることができる学問としては環境考古学ある。
近世のゴミ捨て場所を発掘し捨てられたゴミの中から加工跡のある動物の骨が出土すれば
肉食が行われていたことがわかるし、その骨に焼いた跡や血の跡があれば調理法もある程度特定できる。
日本の場合は仏教の影響で肉食文化がなかった(若しくは肉食は少数)と考える学者が多かったが、
環境考古学の成果で戦国時代から江戸末期にかけての複数の地域のゴミ捨て場から
牛や馬や豚や犬の加工跡がある骨が発見され、庶民の肉食文化が定着していたことが判明している。
兵庫県尼崎市大物遺跡から発掘された動物の骨320体分を調べた結果からは
加工跡がある犬の骨が全体の30%を占めており、日本の庶民の間にも肉食文化があったことの証拠となっている。
また、江戸時代の薩摩藩江戸屋敷跡からは多数の豚の骨が出土しており
薩摩藩が江戸屋敷で養豚を行っていたという当時の文献を裏付ける証拠となっている。
韓国は環境考古学どころか考古学自体がまだ発達していない現状なので
今後、環境考古学などが発達すれば本当に肉食文化があったのかどうかが判明することだろう。
徳川慶喜公は豚肉が好きだったので「豚一さん」などというあだ名があった。
>>245 朝鮮王朝実録にも16世紀に左議政が犬肉をこよなく好んだ
とありますから。
朝鮮の中央、それも政治のトップが犬肉好き。単に地方の両班だけでは
ありません。
249 :
マンセー名無しさん:2006/11/30(木) 02:29:50 ID:j9yoe2fO
>>232 さらに付け加えて、犬食ですが、
たしかに元朝では一般に嫌われていて、
それはイスラム教徒の影響もあった、といわれているようですが
元朝宮廷料理を記した『飲膳正要』には
滋養食として記されていますよね。
朝鮮半島における犬料理の記述は、「飲食知味方」が最初ですから、
『飲膳正要』の方が先です。
■古代中国の犬肉文化について
『礼記』「月例」七月より
「天子は白い衣を着て白玉を佩び、主に麻の実と犬肉を食べる」
同八月より
「犬を以て麻を嘗め先ず寝廟に薦む」(犬肉と麻の実を食べるが、まず祖先の廟に供える)
『国語』「越語」越王・句践の福祉政策について
「将に免せんとする者は以て告げ、公医これを守り、丈夫を生めば二壷酒・一犬、女子を生めば二壷酒・一豚」
(出産の近いものは申し出ると国家の医師がつき、男子を産むと酒二壷と犬一匹、女子だと酒二壷と豚一頭を授けた)
→呉との戦争を視野に入れて男子が欲しかったとすれば、少なくとも犬肉は豚一頭と同等以上?
『礼記』「王制」
「諸侯は牛を、士は豚と犬を、特別な事情が無い限り屠ってはならない」
→逆に言えば祭りや来客があれば肉にしていたとも言える。
→魯の士であった孔子は、普段は豚肉と一緒に犬肉も食べてた可能性が高い
元々中原では犬肉がかなりメジャーな食肉であった事が考古学的にも証明されていますが
後漢末から魏晋南北朝にかけて犬を愛玩する北方の騎馬民族の風習が流入し、
犬肉はかなりマイナーな食材となっています。
251 :
玲奈:2006/11/30(木) 19:24:28 ID:l/ZZi6WS
ヤギの製品は韓国は日本より発展をしていましてたくさんありまして犬は日本が縄文時代から食べていたでして珍しくないです。
>>251 日本のように野生の動物・魚が豊富な場合、無理に山羊の乳製品に頼る必要がなかったから。
高温多湿の夏に、乳製品が耐えられなかった所為も大きいが。
ついでに犬を食用にしたのは弥生時代以降。縄文期は狩猟のパートナーとして大事にされて
いた。実際同じ墓に葬られた例もある。
253 :
玲奈:2006/11/30(木) 20:25:22 ID:l/ZZi6WS
於下貝塚を調べなさい。
しかしインドは酷暑の国なのに乳製品が発達しているんだよ。
>>253 調べたよ。それで?w
犬食をする一部族がそこにいた、という事にしかならないと思うが。
珍しくないと言うには事例が少なすぎると思うが。
先のレスに矛盾するようだが、縄文や弥生時代だと「日本は単一民族でも単一国家
でもない」しな。
256 :
ゆーじ:2006/11/30(木) 20:55:07 ID:F3yiDk+/
>>254 アーリア系の流入のせいもあるのでしょうかね?
257 :
マンセー名無しさん:2006/11/30(木) 21:02:05 ID:M5ngDtu4
258 :
マンセー名無しさん:2006/11/30(木) 21:10:08 ID:j9yoe2fO
>>253 朝鮮半島の犬食に関して、李朝期の資料はあっても、
それまでの資料があまりないみたいなんですが、
まあ、文献資料が期待できないのはわかるとして、
考古学資料があるんでしょうか?
259 :
玲奈:2006/11/30(木) 21:11:01 ID:l/ZZi6WS
調べたでしたらいいです。
それで三貫地貝塚も散乱の骨が多いですのでそうかもしれないと思いました。
それで珍しくないは犬を食べるのが珍しくないを言ったでして縄文時代が珍しくないではないです。
それで乳製品は湿度が少し低いでも高温は駄目でしてインドは地方で湿度もとても高いでした。
260 :
玲奈:2006/11/30(木) 21:15:06 ID:l/ZZi6WS
朝鮮半島は新石器時代の遺跡からたくさん出たようでして日本に行った人が教えたと言われるでして弥生時代が多くなったのはそれだと言うでした。
261 :
マンセー名無しさん:2006/11/30(木) 21:33:00 ID:3GP8Bli/
乳製品なら、飛鳥時代の頃から「蘇」があったじゃん。
錬乳みたいなやつで、今でもあるし。
宮廷料理も、今でも宮廷あるんだから有るだろ。
262 :
玲奈:2006/11/30(木) 21:38:01 ID:l/ZZi6WS
練乳みたいのは酪だと思いました。
>>255 草戸千軒は?
室町くらいまでは割と犬喰ってたみたいだが?
「赤犬が紛失したと芝で言い」これ、薩摩藩邸のあった芝・三田近辺では
薩摩藩士が犬を捕まえて食ってた事を揶揄する川柳なんですよね。
薩摩藩邸跡を発掘したら、食った痕跡のある犬の骨が大量に出たとか。
まあそもそも、犬食って農耕民の間では結構同時発生的に見られるような
気がするんですよね。スイスでもまだ犬を食う風習が残ってるし、古代中国では
豚肉と並んで士大夫が食べる肉だったし。
>>263 >>253がいわゆる犬食の先達だとすれば、縄文中期以降、肉食の禁止が広まるまで
犬は食用だった、という話でないの?
日本で過去に犬を食っていた事まで否定する気はない。
実際犬食を本気で嫌った文化圏は、犬を狩猟や牧羊に用いていた地域で、かつ、
それらが長年主産業だった地域だし。
>>264 島津と言うとゑのころ飯ですな。
漏れは犬追物と犬喰いは密接に関わってたと思います。
犬追物の標的はどう始末したのか?
江戸時代になって犬追物が廃れると犬喰いも廃れていった。
犬追物の風習が残っていたのは島津家と小笠原家だそうで、
薩摩では犬喰いの習慣が残ったと。
それと別に犬喰いの習慣が廃れた理由として、生類憐れみの令もあったと思います。
>>265 割と普通に犬喰ってたみたいですが。
江戸時代初期に入ると大分廃れてきたようですが傾奇者が意気がって犬を喰うもので、
幕府はそこに眼をつけて生類憐れみの令を出しそいつらを取り締まる側面もあったとか。
>>267 まあそこいらは「普通」の認識の違いでしょう。
江戸期だって「普通」に肉食のできる店があったのは事実ですし。
269 :
玲奈:2006/12/01(金) 00:24:34 ID:Y13ik8E9
太平洋戦争のときに日本で犬がたくさんいなくなったでしてたくさん食べたそうです。
フィリピンは非常食で犬を飼ったですが非常食はよくあるでした。
270 :
マンセー名無しさん:2006/12/01(金) 00:43:25 ID:HzgmEdZY
韓国の高級料理はキムチですか
>>270 昔はウリナラじゃ白菜は高級品だった。
そゆこと。
272 :
霊羅:2006/12/01(金) 01:06:23 ID:nnHcsYno
赤い犬はおししいでして、よくうんこするでした。
273 :
霊羅:2006/12/01(金) 01:11:16 ID:nnHcsYno
赤犬拉致して鍋喰うでした。
274 :
玲奈:2006/12/01(金) 16:31:43 ID:/LShr0mm
真面目にしなさい。
275 :
ガッカリ君:2006/12/01(金) 16:55:37 ID:oK7wz1zW
>蘇
生産性が悪すぎて数世紀の単位で断絶していたから
「日本における乳製品の定着」例としては駄目だお。
今、売られているものは最近復元されたものだから。
>犬
愛玩動物として存在していたわけではないのだから、世界的に
喰われていて何か問題でも?
いま、朝鮮人が犬喰いを咎められているのは「犬≒動物≠食肉」という
西欧主導の犬観が支配的だからであるし、屠殺法がいい加減で不衛生!
この2点から非難されている訳だ。
「わざわざ犬を食わなくても他の肉があるだろ!」
反対派の言い分は鯨なり大型回遊魚にまで及んでいて、その尻馬に
乗って日本を攻撃した朝鮮人が犬食について倭人に追求されるのは自業自得。
犬食についてもっと洗練さていれば、攻撃側もグゥの音も出ないのだがね。
あんな不潔で粗雑な食い方では犬も可哀相だ。
質問。
韓国には、在る程度機械化された近代的な、犬用の屠殺場ってのが在るんだろうか?
朝鮮人の犬の屠殺が残酷なのはよく言われる。
でも、大規模に流通させるには、朝鮮人流の屠殺法は効率悪いと思うんだ。
市場に流通してんのまで、そういった殺し方をしてるのだろうか?
278 :
ガッカリ君:2006/12/02(土) 03:46:41 ID:xAsQIbhU
ユダヤ教みたいに
「犬の殺し方に厳密な作法があるニダ」ってな事で
機械化するのが難しかったりして
>278
棒で殴り殺す事か?>厳密な作法
手作業で皮剥がしてる画像をどっかで見たような……
280 :
マンセー名無しさん:2006/12/02(土) 10:26:01 ID:Pc6mkiLO
>>244 羊なんて百済の献上品で見たのが最後、次に見たのは元禄時代、1000年も羊の存在の絶えていた
日本で、「羊羹」なんて菓子がずっとあったのは?
281 :
マンセー名無しさん:2006/12/02(土) 10:44:27 ID:R5U+9FUe
>1
韓国は宮廷文化しかない。レベル低すぎ
>>280 「羊羹」は、もともと中国では羊の羹(要は羊のスープ)。
肉食の禁忌があった日本で、代用として小豆などの材料を使って汁物→蒸し物として定着。
一般的になったのは、茶席の点心からといわれている。
283 :
マンセー名無しさん:2006/12/02(土) 11:51:05 ID:Pc6mkiLO
>>264 そんな昔からザイニチがはびこっていたのか。
そういえば、赤穂浪士にも朝鮮征伐の捕虜の子孫がいたな。
兵庫県、蝕まれているよ。
284 :
マンセー名無しさん:2006/12/02(土) 12:15:55 ID:moR8YiZo
>>280 羊羹の起源は
>>282氏の言う通りですが
八百善の料理通の料理名と
それを同列に考えることはできません。
「牛肉もどき」は「豚肉和え」とともに
他の南蛮料理やしっぽく料理と並んでいるんです。
285 :
マンセー名無しさん:2006/12/02(土) 13:08:20 ID:Pc6mkiLO
羊も羊肉も知っているのは言葉の上なのに「羊羹」があるくらいなんだから、
牛肉を知らず「牛肉もどき」や豚肉を知らず「豚肉和え」があってもおかしくなかろう。
雁もどきのように、専ら雁の飛来地の方で似ても似つかない飛龍頭のことを呼んだりと
「〜もどき」が必ずしももとの材料の有無や似せた似せないとは関係無い傍証だ。
286 :
マンセー名無しさん:2006/12/02(土) 13:10:44 ID:moR8YiZo
>>285 江戸時代も後半のことなんです。
江戸にはしっぽく料理屋もありましたし
南蛮料理が知れ渡っていたことは
他にも資料があります。
287 :
マンセー名無しさん:2006/12/02(土) 13:14:18 ID:Pc6mkiLO
南蛮料理が知れ渡っていたら、余計、「牛肉もどき」の呼び方しないだろう。
現に、南蛮料理をよく知っていた堺や平戸では「ヒロウス」は一貫して「飛龍頭」で
「雁もどき」ではなかったし。
未だに作り方が不明な最高の和製チーズ”醍醐”について、誰も言及しないわけで・・・
289 :
マンセー名無しさん:2006/12/02(土) 13:31:23 ID:moR8YiZo
>>285 http://www.mirokuya.co.jp/syokubunka/bunka15.html 私は同書の中で特に興味を引かれたものの一つに片桐一男先生執筆の「鷹見泉石とオランダ料理」の中で江戸における「和蘭の会」の人達の活躍であった。
「和蘭の会」の中でも、特に私は出島カピタン・H・ヅーフよりオランダ語の名前をつけてもらうほどオランダ狂とよばれた江戸の菓子商伊勢屋七左衛門兵助の伝記に興味をひかれた。
彼のオランダ名はFrederik van Gulpenと記してある。
「和蘭の会」では会食があった記事は読まれるが、その時の料理、飲み物、その時の食器が如何なるものであったかと言うことについては記録がないようである。
ただ菓子類についてはパンとカステラが作られていたことは記録の中よりわかる。
そこで、パン・カステラを作るとなれば、其の製造には当然のこととして引釜(オーブン)を必要とする。
また引釜を用意したとなると、オーブンを使用する料理もつくられていたと考えている。
私はこの、つくられたであろう料理について前回にもご指導をうけた千葉大学教授の料理研究家松下幸子先生より先年送って戴いた東北大学狩野文庫所蔵の「阿蘭陀料理献立」と「オランダ料理煮法」を参考書として取り上げてみることにした。
松下先生の但書によると「両書共に幕末のものではないかと東北大の書誌に詳しい人のお話でした」と記してあった。
290 :
マンセー名無しさん:2006/12/02(土) 13:45:26 ID:moR8YiZo
>>287 >>289につけくわえて
http://yushodo.co.jp/pinus/56/forum03/katagiri/p06.html 描かれている人物は右から医師で画家自身のJ. F. フェイルケ(20)、
ディルク・フォーゼマン(21)、カピタンであるドゥフ、
そして最後に名前をFredrik van Gulpen(フレデリック・ファン・ギュルペン)とオランダ名で書かれていますが、
どう見ても日本人らしき人物が、眼鏡をかけて本を読んでいる姿で描かれています。
彼はオランダ通・蘭癖の菓子商人、本名を伊勢屋七左衛門兵助といい、鷹見泉石(22)などとオランダ語で手紙をやりとりしたり、オランダ好きの人々の集い「和蘭の会」を開いてオランダ料理を試食するなどといったようなことをしていました。
291 :
玲奈:2006/12/02(土) 13:51:41 ID:gXcTLTu5
羊羹は羊肝でして中国の小豆のお菓子でして日本の羊羹に味が似ているですのでそれでしょう。
それで色や形が羊の肝が似ていると言われるですが本当は羊のレバーを使っていたからでして羊肝糕と言うでして医食同源の中国的菓子でした。
羹を使いますのは肝が日本的菓子に合わないでしたのと羊肝糕の糕の同じ読み方をしました羹と混同をしたです。
1000年前の中国に小豆を寒天で固めた菓子なんかねぇよ。
逆だ逆。
294 :
玲奈:2006/12/02(土) 17:25:24 ID:gXcTLTu5
>>294 ちなみに、上記のホームページには件の虎屋のものも含まれてます。
よく確認の程を。
>羊羹は羊肝でして中国の小豆のお菓子でして日本の羊羹に味が似ているですのでそれでしょう。
なぁ、俺には「羊の肝と餡子菓子の味が似てる」と読めるんだが、
気のせいだよな。
297 :
ガッカリ君:2006/12/02(土) 18:06:28 ID:b3vLfuE7
298 :
玲奈:2006/12/02(土) 18:08:21 ID:gXcTLTu5
それで虎屋を反論をしているでして何を言っていますか?
それで羊羹を羊肝と書くところがあるのを考えたらいいです。
299 :
玲奈:2006/12/02(土) 18:10:36 ID:gXcTLTu5
小豆のお菓子に羊の肝も少し使ったでして医食同源でして羊肝糕に名前がついたでした。
無学なのにも程があるぞ。
羊羹とは羊の内臓の羹。
その代替として似たようなものが造られたのが、日本の羊羹。
しかも砂糖抜きだ。
始まりは菓子でもなんでもねぇよ。
羊羹という単語と食べ物は中発祥だけど、日本では別の食べ物の名前として定着した、
こうじゃなかったっけ?
こういう説明でいいね?
◆「羊羹」という字を二つに分けると、「羊」の「羹(あつもの)」になります。
「羹」とは肉や魚を入れたスープの意味なので、これでは羊肉を入れたお吸い物ということになってしまいますね。
甘い和菓子の代表である羊羹が、ヒツジのスープとはこれいかに?
小城羊羹の歴史をたどる旅は、まずこの謎を解き明かすところからスタートしなければなりません。
そもそも羊羹の起源は文字通り、古代中国で食されていた羊肉入りの汁物でした。
かの国の歴史書には、羊羹がたいへんな御馳走だったことが記されています。
これが平安時代に遣唐使によりわが国に伝えられたものの、仏教国の日本では肉食はタブー。
そこで考え出されたのが、見立て料理でした。肉の代わりに小豆や小麦、葛などの粉を練って蒸し、
汁の中に浮かべたものが、当時の宮廷や上流階級の人々の間でもてはやされたのだとか。
日本に於ける羊羹のはじまりは、代用品の肉を入れたスープだったというわけです。
羊肉の代用品として、わが国で用いられたのが小豆。原産地は中国だが、日本人には特に好まれる豆である。
◆この食べ物が今日のような羊羹の姿に近づいたのは、鎌倉・室町時代に普及した茶道の点心として出されるようになってから。
点心とは食事代わりの間食のことで、当時の点心には羊羹のほかに麺類や饅頭、餅などがありました。
汁の具だった小豆の蒸し物もこうして汁がなくなり、お茶菓子として重宝されるようになったのです。
これが「蒸し羊羹」のルーツ。蒸し物だけに日持ちはしないものの、モチモチとした食感は独特の味わいで、
いまでも「でっち羊羹」や「栗蒸し羊羹」などとして各地で受け継がれています。
蒸し羊羹が当時の人々に人気を得た背景には、それまでの甘葛(あまずら)に代わる甘味料として、
砂糖が徐々に使われるようになったという要因があります。もともとわが国では貴重品だった砂糖ですが、
戦国時代末期になると南蛮貿易によりカステラや金平糖などと共に輸入されるようになり、
これらの砂糖や菓子は高価な贈答品として用いられました。江戸時代に入っても、
長崎の出島を窓口に砂糖の輸入量は飛躍的に増加。やがては琉球や薩摩の製糖技術が全国に伝播して、
国内各地で砂糖が生産されるようになりました。
◆こうした時代背景の上に生まれたのが、それまでの蒸し羊羹に代わる「煉り羊羹」。
弘化3年(1846)に山東京山(兄は京伝)が著した「蜘蛛の糸巻」という本によれば、
寛政(1789〜1801)の初めに江戸日本橋で喜太郎という人物が、初めて煉り羊羹を作って売ったとあります。
これは、寒天と砂糖を煮て溶かしたものに小豆粉を入れて煉り合わせ、木箱に流し入れて固めたものでした。
蒸し羊羹との大きな違いは、寒天を使用したこと。冷やすとゼリー状に固まる寒天は見た目が美しい上、
舌に乗せるとほどよく溶けるのが特徴。また、砂糖の防腐効果は煉り羊羹に日持ちの良さをもたらしました。
この寒天・砂糖・小豆の取り合わせが羊羹に新しい命を吹き込み、以後、庶民の菓子として煉り羊羹が蒸し羊羹に代わり
、主流となって今日に続きます。
ちなみに、嘉永6年(1853)に出た「守貞漫稿」という江戸時代の生活風俗誌によれば、
羊羹を一棹や二棹などと棹(さお)の単位で呼ぶのは、流し固める型箱が昔から舟と呼ばれたためで、
一舟を十二棹に切り分けたそうです。これは舟に対して棹が付き物ということから来たようですが、
さすが江戸の職人らしい洒落た言葉の遊びですね。
つまり、羊のスープ→小豆・もちのスープ→(お菓子化)蒸羊羹→練り羊羹 ってことやね?
306 :
玲奈:2006/12/02(土) 18:31:20 ID:gXcTLTu5
長いです。
それで羊の内臓の羹を遣唐使が伝えるのが駄目です。
それで羊肝糕が伝わりまして肝を使わないで作りましたら羊羹のようになったでしたでいいです。
>>306 だから、
羊のスープ(中国)→(日本に伝播)→小豆・もち(蒸して固めたもの)のスープ→(汁がなくなる、砂糖投入)蒸羊羹→練り羊羹
でいいやん。
>>303 見事な纏め、乙です。
準備しているうちに詳細が説かれるあたりがハン板の恐ろしいところ。
江戸期に入ると羊羹は全国的に普及するのですが、それでも
大変に高級なお菓子の地位を保ち、これを出された客は
「睨み鯛」と同様に眺めて茶のみ喫して去る。これが暗黙の礼儀。
出された羊羹を食ってしまう客は大変に非常識でありましたw
羊羹と同様の経過でお菓子化した食べ物は「饅頭」が挙げられる。
これもオリジンは肉を粉皮に詰めた蒸し物であり、日本に伝来してから
中身の餡が肉から塩餡に変わった。
鎌倉期に伝来したあと、室町一杯までは紫蘇・茗荷・各種根菜類をベースに
かなり大型の肉饅洋の形態に変化する。
大きさも当初の人頭大から、平たく小型の盥ほどになり表面に焼き付けられる
十字の印をアテに4等分して食べたので「十字」と呼ばれる。
現在の饅頭の直接の先祖は室町末期に掌大にまで縮小して塩餡にしたもの。
「茶がこわい」くらい甘いものになったのは砂糖の大量消費が始まった江戸中期以降。
中国本土の文物は、かなり早期から入っていたので
羊料理(肉料理)そのものの情報は奈良時代にはすでに入っていた。
中国本土とは交易があったのだから遣隋使・遣唐使を待つまでもない。
もともと日本本土では仏教伝来以前には何でも食べていたので
羊料理の情報は非常に大きなインパクトがあったものと思われる。
今日に例えるなら「ボジョレーが」「フォアグラが」といったあたりかな?
311 :
玲奈:2006/12/02(土) 18:51:04 ID:gXcTLTu5
羊肝糕はどこに行きましたか?
313 :
玲奈:2006/12/02(土) 19:00:43 ID:gXcTLTu5
羊肝糕は羊のスープではないでして羊のスープの羹説の羹とは違うでして糕は餅のようでしてどこに行きましたか?
個人的には羊の脳みそカレーが大好き。
なんだろう、あの旨さ・・・
うわ、羊羹ですんげースレ伸びてるw
317 :
玲奈:2006/12/02(土) 19:20:38 ID:gXcTLTu5
言語が不自由な人間が、漢字の差異についてうだうだ言う所業は
天に唾するような気がする。
生半可な語学力で引っ張ってきた恣意的な史料で、他人に意見するな。
>>317 検索できない・・・
糕が、文字列になる。
>>317 では、明確な、羊羹の起源の資料を提出してください。
321 :
玲奈:2006/12/02(土) 19:39:22 ID:gXcTLTu5
>>321 中国での固めたものが、室町時代の蒸羊羹より先にあったという資料はあるんですか?
324 :
玲奈:2006/12/02(土) 19:57:26 ID:gXcTLTu5
昔は糕の字でして古いですが探すのが面倒です。
325 :
玲奈:2006/12/02(土) 19:58:44 ID:gXcTLTu5
羊羹の味がしまして楊枝で指して食べるドロップですか?
ええと、亀レスな上に流れ豚切りで申し訳ないニダが…
>>221 以前にも書きましたが、状況証拠です。
>統一新羅はもちろん、元が侵攻するまでは、高麗朝でも
>殺生禁止令、屠殺禁止令がたびたび出ていた。
>元の侵攻以降、それはぴたりととまった。
>屠殺を禁止するのですから、肉食がまったくなかったとは言いません。
>しかし、殺生禁止令を出す宮廷が、宮廷料理に四つ足を出すとは考え辛い。
禁止令が度々出されるということは、常識的に考えるならば、「守られなかっ
たので、度々確認する必要があった」と解釈するのが妥当ニダ。
確かに、ニムの言うように宮廷で肉食がおおっぴらになされたとは考え難いが、
民間での肉食の習慣・料理法は存在したと考える方が自然ではないニカ?
そうなると、李朝以降の(宮廷も含めた)肉食の習慣が、モンゴルの様式を受
け容れたものなのか、在来の習慣に対する禁忌が薄れたため(こういった、人々
の意識の変容に関しては、モンゴルの影響はあったかもしれないニダね)おおっぴ
らに食べられるようになったのかは、ニムの言う「状況証拠」だけでは判断できない
ように思えるニダ。いま少し説得力のあるお話を期待するニダよ。
>>325 俺はその現物を喰った。
楊枝で刺せるものなら刺してみろ。
328 :
玲奈:2006/12/02(土) 20:09:35 ID:gXcTLTu5
330 :
玲奈:2006/12/02(土) 20:15:08 ID:gXcTLTu5
文句が多いです。
>>330 文句が多きは、君だ。
中国の羊羹が日本の羊羹より早くに出来たという証拠はあるのかね?
332 :
玲奈:2006/12/02(土) 20:18:50 ID:gXcTLTu5
中国の方は本当の羊の肝を使いますので後に出来たは変です。
>>326 曖昧にしておかないと、起源の捏造に邪魔なのではw
実際のところ、各時代の習俗が完全に近いレベルまで抹消されているので
変遷や比較は無意味でしょうよ。
すべては李朝に残る食料事情、宴会の記録からの逆算ですから憶測の域を出ない。
比較対照先の史料は
・同時代の中国中央との関係
・生産力
・北方交易の継続性
これらを論証すれば<何を常食にしていたか>は朧に見えようというもの。
寒冷地なので高カロリーの補給源として肉類があるのは当然です。
が、その肉類を生育させるだけの穀物生産量が不十分なので、肉類の
継続的供給は極めて難しいものだった…この前提を、仏教うんぬんの前に
検討しておくべき主題だと思いますよ。
>>332 変とかそういう問題じゃない。
ちゃんとした歴史に沿った資料の提示をしてくれという。
それが、商店の宣伝ページでも良い。
そういう資料の一つでも見せてくれれば、考査の資料になる。
>>328 刺さらないんだよ。硬いの。
亀ゼリー系統の寒天で固めたもののような気がするのだが
だだ甘くて中華香辛料が利きすぎていて、もとがなんだかわからん。
文句があるなら自分で実証してみせろ。
楊枝自体も非常に根性が無く、細いプラ棒みたいなものだからすぐに曲がるし。
なんで小分けされているのか、それを考えたほうがいいぞ。
>>333 なるほど。非常にわかりやすく説明していただき、ハムハサムニダ。
>>221の方も、これくらい
理路整然と主張してくれると、ROMってても面白いニダが…。
豚は、中世ヨーロッパでは団栗などを飼料にしていたようだし、(呂后と戚夫人の逸話で
有名な)中国式の飼育法もあるし、肉用に肥育できたのでは?と素人考えでは感じられる
ニダが、如何でしょうか?
337 :
玲奈:2006/12/02(土) 20:32:44 ID:gXcTLTu5
あなたが言ったのは肝油ドロップでして駄目です。
> 肝油ドロップ
こう、微妙にプヨプヨした食感・・・
340 :
玲奈:2006/12/02(土) 20:37:36 ID:gXcTLTu5
とても甘い羊羹でした。
342 :
あど:2006/12/02(土) 20:53:51 ID:gNvYxdqg
18世紀中国の料理書「随園食単(青木正二訳注・岩波文庫版)」獣類の部には羊羹を
「煮熟した羊肉を取って骰子大の小塊に斬り、鶏の汁で煮て筍と香蕈(しいたけ)と山芋との
細切りを加えて一緒に煮込む」
とあります。
同書には豆沙糕 は載っていませんが栗糕など糕のつく料理を見るに
糯米の粉やデンプンを記事にして蒸した、蒸し羊羹というか外郎みたいな食べ物を
糕という模様です。
>>340 ×とても甘い羊羹でした。
○とても甘い擁韓でした。
前のほうのスレで語っている人がいましたが、森での放牧は
朝鮮北部の森林生育状況から見て「極めて困難」だと思われます。
山岳地帯でないエリアでの森林はとうに伐採されつくしていましたし
そういう環境では豚が好む高カロリーのエサは穀物殻か…人糞しかありません。
北部は中国の史書にも見られる通り激しい「蝗害」を受けていますので
史代を通じて食料生産そのものが不調と推測されます。
朝鮮農法が焼畑主体であった点からも大規模放牧の存在は、きわめて
疑わしいものがあります。家畜は放置しておいて太るものではない以上、
農耕以上に管理が難しい。また、夏は降水量が少ないのに高温になるので
疫病が発生しやすい。人間が死ぬのに動物が死なないはずがありません。
家畜も、幾度も全滅するほどの被害を蒙っています。
では何を食べていたのか?
というより、最低限必用な絶対量をどう集積していたのか?
これが問題となります。
「支配階級がこれを独占していた」これでは何も言っていないのと
同じことですなw
個人的意見としては『地域が分裂して交流が乏しかったので、地域ごとの
自給自足が辛うじて機能していた』これが李氏朝鮮統治時代の全般について
言えることだと思われます。なまじ中央集権が機能して物流を動かしていたら
地域格差が広がって餓死する地域が続出、とうに内部崩壊していたでしょう。
地域ごとにかつかつ喰えていたので朝鮮は国家として最低限の体裁を整えていた…
この状態で喰えるものを喰わないなどということは考えられない。
【民間の食料事情】
飢餓を免れるために犬まで食べていたのであって、料理を楽しむような
余裕のある状態ではなかった
【支配階級の食料事情】
>地方
民間よりは集積率が良いので餓死するには到らないものの
料理に必用な香辛料、油類の供給が乏しいので凝ったものは造れない
>中央
事大先の王朝から衣・住についての制限を設けられていた以上、食に
ついても制限を加えられていた事は十分にありうる事です。
中国本土で肉食が盛んであればそれに倣い、肉食が制限されていれば
それに倣って肉食を禁止する。
朝鮮における宮廷料理は常に宗主国の意向に沿うものであるので
「元以降、以前」という区分はあまり意味を持たないものと考えます。
・油がないこと
・各種調味料が貧弱なこと
・塩生産を禁じられていたので密造分に頼っていた
この3点からだけでも肉類の料理が支配的メニューでないことが証明できます。
これなしに肉を料理に代えることは不可能です。
最終的に残っていたメニュー(明治政府使節の歓迎宴)がアレなので
本国のものをまともにコピーできなかった…実情はそんなあたりかと。
>>347 >飢餓を免れるために犬まで食べていた
違いますね。
わざわざ食用にする狗に鶏を食べさせた後に屠殺するとの記録があるから。
>>349 例外じゃないですか。
トリ一羽生育させるのにどれだけの穀物が必要か?
若干書きかたを端折って申し訳ない。
「犬は愛玩動物の前に食料としか見られていない」
余裕がないことに変わりはありませんよ。
高級食材か?というとブランドがないのでそれも否定できます。
古代より味の点で豚より犬を上位に置いた民族、文明があっただろうか?
否!
食用にするには犬猫はスケールが小さすぎる。
鶏よりは大きいけど、生産するには餌の量が半端じゃない。
犬の食用が組織化されていない証拠は
・主な生産地がないこと(どこそこ産は美味い、という評判は何故うまれるのか?)
・食用とされる犬の種類がまったく揃っていないこと(生産性につながる)
もうひとつ傍証として在日業者は「頭」を棄てていること。
さらに保存加工された犬肉料理がないこと。
これで「犬の常食習慣自体が比較的最近であること」と言えます。
>食用とされる犬の種類がまったく揃っていない
黄狗。日本で言う赤狗と同じ茶色の毛並みの狗。
>保存加工された犬肉料理がないこと
あるよ。知らないだけです。
狗焼酎とか今も残ってる。某韓国女優のお気に入り。
ソーセージ状にした腸詰めも。
>「犬の常食習慣自体が比較的最近であること」
意味わかんねぇ〜し違います。
羊羹って、要は煮凝りだとおもうが、羊のスープが冷えて
固まりゃ羊羹そっくりだぺ、中国の寺院はモドキ食品が多い
からそこで羊羹の原型ができて、それが日本に伝わったてのが
真相では。
>>351 では、その犬の種類は?どこから持ち込まれたものかな?
>「犬の常食習慣自体が比較的最近であること」
では、はっきり言おう。近代になって犬の絶対量が増えたから皆で食べるように
なっただけのこと。キムチと同様、最近言い出した「伝統」という嘘です。
>>352 中国の精進料理ね。
あれの起源はよくわからないんだ。
日本には禅とセットで伝わっているから…
時系列がはっきりしないけど、可能性としては考えられるね。
>>352 伝わった段階では、羊のスープだったらしい。
日本では羊肉が使えない(ない、宗教上食えない)ため、米や小豆などを粉にして練り固めて蒸したものを汁に入れてた。
次第に、汁を使わなくなり、具も砂糖を練り混ぜ蒸上げるものが誕生(蒸羊羹)。
>>353 >代になって犬の絶対量が増えたから皆で食べるようになった
違いますね。
こと狗に関する食材の頻度は異常に多い。
今も狗肉は高級牛肉並の値段。
金日成なんか周恩来が北朝鮮に来た時嫌って程の狗料理でもてなしてますが。
自爆してるよ
>今も狗肉は高級牛肉並の値段。
自分が何を書いているのか、よっく考えてねw
人間が飢えているのに、どこにそんな余分な食料が?
犬を人糞で飼って飼えないことはないけど、食用には適さないですよ
(大きくならないから)
>>355 「食の政治学(産経新聞社)」によれば、金日成が中国を訪れる時も、毛沢東は犬肉料理でもてなしたとのことですね。
出したのは狗肉鉢という、唐辛子スープで狗肉を煮込んだものなどだったとか。
358 :
221:2006/12/02(土) 23:26:40 ID:moR8YiZo
>>326 話の発端は、宮廷料理における肉料理(四つ足限定)なんです。
庶民の食べ物の話は、していません。
ずっと以前からこのスレで言っているんですが、
料理文化というものは、前近代には、王侯貴族が担っているわけですね。
その王侯貴族の食事の話をしているのであって
庶民の食事の話をしているわけではないのです。
日本の江戸時代は、すでに疑似近代といえる状態で
江戸の料理文化を担っていたのは料亭であって、
幕末には外国使節団の接待料理も料亭の仕出しです。
江戸の料亭料理のメニューに、四つ足を使ったものはありません。
>>289、
>>290で示しましたように、
料理法は知られていましたし、また江戸時代日本の犬食の話も出ていましたが、
山地では猪も普通に食べていましたから、犬にしろ猪にしろ、
簡単なものでしょうが、その料理法が知られていないわけはないでしょう。
しかし、日本の料理文化を代表するものが、
江戸の料亭料理であったことは動かせませんし、
肉食が普通であったともいえないでしょう。
半島の宮廷料理の資料は、李王朝期のものしか残っていません。
李王朝の宮廷料理には、牛、豚など四つ足料理のレシピがあります。
それが、元が侵攻する前の宮廷料理にもあったのかどうか、
ということの状況証拠なんです。
定説からするならば、元の侵攻以降のことです。
あるいは、ポイントになるのは、四つ足の内臓料理であるかもしれないですね。
>>242>>236で書きましたが、地方に住む両班の夫人が書き残した
「飲食知味方」には、牛の胃袋料理が出てくる。
両班料理が宮廷料理の影響を受けたことには、証拠があります。
359 :
霊羅:2006/12/02(土) 23:29:15 ID:TroOyHxR
悲しい!哀号!せめて宗主国様の満干全席でもパクらせて頂いて
チョッパリを見下そう。
蛮族チョッパリにも全敗では中華思想が崩壊するニダ。
360 :
霊羅:2006/12/02(土) 23:30:19 ID:TroOyHxR
それにしても何か蛮族チョッパリに勝てる物は無いニダか?
>>356 言ってる事が支離滅裂でなんか良く判らない(w
>>350の
>食用にするには犬猫はスケールが小さすぎる
からこそ値段が高いんだけどな(w
362 :
霊羅:2006/12/02(土) 23:31:12 ID:TroOyHxR
哀号!
363 :
霊羅:2006/12/02(土) 23:34:02 ID:TroOyHxR
哀号!悲しいニダ、蛮族チョッパリに勝てるものが何もないニダ!!
ファビョーーーーギッーーーーー!!!ギョグェーーーーッ!!
ギギーーーーギッ!ギッ!ギッーーーー!!!
>>363 日本にないとか、日本より進んだ学問とかだと、漢詩とか儒学研究とかあるかもしれないけど
それって大抵中国のものだからなぁ。
まあ、朝鮮が自分の文化を優れたものと誇るためには、日本だけじゃなく中国にもない、あるいは
日中いずれよりも優れていなければならない。これって結構高いハードルだと思う。
365 :
マンセー名無しさん:2006/12/02(土) 23:39:18 ID:Bt80Nl46
,、-――ー-- 、___, て
// / __,ノノノ、 く (
/ / 、_, 从 | イヤア
//l/ / o=,、 ''、!| l|ノ i |l
イ | l|イ! `' , l;;メ川l ,,
!l川 ノ| " (`ヽ "川 "''ー- 、,, _ あー
モミ ノVl|ハト、_ `´ ノノノ |  ̄`l
モミ ノノ _ '´⌒ヽ ,-、 | | やっぱり幼児の
/ / nノ´ ´ l´)_,ヽ .| |
| l l´ ) :r;: Y ノ / | | シマリはいいYO!!
. ズッ `/ ゙ | / /● | |
. ズッ // / ̄`ヽ / / |
__ / / ' / ヽノ /// / /
/´  ̄ ̄' ´ l⌒l ヽ /_ / ←陸奥
/ // lλ ' ヽ \ ヽー''" _) /
ノー----/::::,'、_ _,ノ `ー`ヽ ヽ―''"´ /
/', `''‐- |::ノ(| ゚。 ̄/// ( \ ヾ /
/ /`) '、:::: ''‐- 、,, / `ヽ、つ_) l |
/ u`" // "'' ヽ/ / ノ ノ
`'' - 、,, J r‐、 ', /
366 :
玲奈:2006/12/02(土) 23:40:12 ID:gXcTLTu5
それで粘りのよううなのが少し足りないように思いまして出しておいておいたのような感じだったと思うです。
それで伝わった時がスープか固まったものかは証拠がないでしてその時の日本を考えますと羊のスープで伝わったは変だと思いまして
精進料理は中国が進んでいましたので豆に変えたのも中国だったかもしれないと思いました。
367 :
マンセー名無しさん:2006/12/02(土) 23:41:43 ID:pNHH2Rzd
>漢詩とか儒学研究
釣りか?両方とも日本の方が進んでる。
朝鮮儒学とか朝鮮漢詩を想定すれば良いんじゃまいか。
今となっては、漢文を普通に読めるミンジョクは日本人だけらしいが。
>>366 羊羹は江戸期に、京都の銀唾に対抗するために江戸の職人が作った物だよ・・・w
370 :
マンセー名無しさん:2006/12/02(土) 23:47:43 ID:pNHH2Rzd
>369
馬面め!
372 :
マンセー名無しさん:2006/12/02(土) 23:52:38 ID:ngTd+5yI
思わず見入ってしまったんだけど、小学校の学級菜園?
>>358 ご丁寧に、ありがとうございます。
しかし、どうも納得がいかない。というのは、貴方のレスには、食材の安定供給と
その背景となる農業生産力に関する考察が、失礼ながら、まったく欠けているから
です。宮廷は庶民から徴収する税によって維持されるのだから、そこで饗される料
理も、当然当時の国力や農業技術、あるいは流通の制約を受ける。それを度外視して、
レシピが残っているといわれても、「そうですか」という程度の答えにしかならない。
また、仮に肉食が盛んであったとして、、何ゆえ肉食をモンゴルの影響と言い切れる
のか?そもそも、華北はモンゴル以前から、農耕民と遊牧民の混住地域である。たと
えば新羅の時代に唐から肉食文化が伝わらなかったと断言できるだけの証拠はあるの
でしょうか。
375 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 00:00:20 ID:pNHH2Rzd
376 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 00:11:34 ID:5C26/UIS
>>347 >事大先の王朝から衣・住についての制限を設けられていた以上、
制限があるにしましても、衣、住に関しても、中華王朝とはまた微妙にちがいますよね。
住でいうならば板の間。
食で言うならば好みの問題もありますし、食材の調達の問題もあります。
元朝は、属国にした高麗に四つ足の献上を命じています。
否応なく、食用四つ足動物を増産する必要があったのです。
>最終的に残っていたメニュー(明治政府使節の歓迎宴)
使節の歓迎の宴は、宮廷料理の一環ではあるのですが、厳密な言い方をすれば、王宮の料理ではありません。
なぜならば、料理女官が作らないからです。
男性の料理人が作ります。
それにしても、日本人接待の宴会料理ならば場所は釜山ですが、江戸時代のメニューも残っています。
また、スレ1あたりで書きましたが、李王朝末期の王宮の料理については、詳細な記録が残っていますよ。
「韓国の食」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582765297 黄 慧性は、戦前の現京都女子大家政科で学んだ女性で
帰国後、最後の料理女官に弟子入りして宮廷料理を学ぶと同時に
李朝時代の資料も調べています。
また、ソウルの上層階級で牛が食べられていたことの傍証は、
>>221で述べました。
上層階級が肉を食べていたということは、先にも書きましたが
従者がおあまりを食べることもありますし、
また、内臓が庶民にまわったりすることもありえた、ということです。
>>375 その鼻つまみ者が大軍を負かしたぞ。
名無しに汝は子種がないからそれすらできぬかw
378 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 00:37:15 ID:5C26/UIS
>>374 何度もいっていますように、上流階級の話をしています。
李朝期の朝鮮は、極度の中央集権国家です。
現在の北朝鮮を考えてください。
庶民、わけても地方の庶民は飢え死にするような状態でも
金王朝のごく周辺は、贅沢の限りをつくしていますし、
そのおこぼれにあずかれるソウルの階層の食事も悪くはない。
そしてもちろん、新羅の時代に唐から肉食は伝わったでしょう。
それは日本も同じこと。
三国時代から統一新羅のころの半島の仏教は
そのまま日本に伝わり、日本においても肉食禁止令となります。
万葉集によれば、大伴氏の家に新羅の尼さんが寄宿していたりします。
肉食がまったく絶えたわけではないのは、日本もいっしょです。
飛鳥、奈良、京都と日本も当時の首都は内陸ですから
海産物利用の条件も、さほど変わりません。
宮廷料理からは、同じように四つ足が消えていたと推測できます。
元朝の宮廷料理が朝鮮半島の宮廷料理に大きく影響を与えた状況証拠は
>>211 >>249 >>376 で述べました。
>>376 >「黄 慧性は、戦前の現京都女子大家政科で学んだ女性では、戦前の現京都女子大家政科で学んだ女性で
残念ながらこの人、また聞きやなにかでかなりいい加減な事も多くなってる
はず。しかも李朝鮮末期、高宗の時代に無茶な度重なる祝宴などで李朝伝統
の食は混乱してるはずで、しかも時期の伝聞なので話しを五割位引かないと
ダメ(朝鮮の資料ではこんなのばっかw)
正確に李朝の宮廷内の日常食の資料は「園幸乙卯整理儀軌」くらいしかない。
黄慧性ともかなり乖離してる。ウソを言ってるのか時代かが代わったかは
判らない。
ただ元の影響って何?
あまり朝鮮では残って無いはずだが・・・犬焼酎の製造法方なんかはモロ
元の影響だが。
他に具体的に教えて??
380 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 01:05:13 ID:eK2pUJws
>>377 でも最後は負けて殺されちゃうけどな。
諸葛謹と名乗ってるだけあって三国志好きなんだなw
楽しかったよ。
381 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 01:09:15 ID:5C26/UIS
>>379 もちろん、混乱もあるでしょうが、
では李朝伝統の食に、
四つ足料理がなかったのでしょうか?
何度も書いていますが、元の影響は
宮廷料理に四つ足料理が入ったことです。
382 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 01:17:48 ID:5C26/UIS
>>379 といいますか、元朝の公主が百年にわたって降嫁して
宮廷料理に与えた影響が、なんの痕跡も残さず消えたとすれば
そちらの方が不思議でしょう。
「王の御膳」がモンゴル語なのはなぜ?
>>379 >宮廷料理に四つ足料理が入ったことです。
えっ?
それは、獣肉の用法には元の影響が少しは残ってるでしょうが。
魚料理も多く李朝にある訳し。
宮廷料理に四つ足料理が有る事は李朝が元朝の影響下とは言えないでしょ。
食材なんかから見ると李朝は明や清からの影響が強いとしか思えないが。
384 :
nimda:2006/12/03(日) 01:36:45 ID:bx5UZ32D
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=82308&servcode=400 日本「寿司」国際認証へ…韓国人運営食堂打撃憂慮
日本政府が海外の寿司食堂を相手に「監察組(shshi police)」の運営に出た。
外国の寿司食堂のうち品質やサービスがまともにできた所を選び「認証」す
るというのだ。寿司監察組は今夏フランスに初めて登場した。日本貿易振興機
構(JETRO)パリ支部が「真の日本の味とサービスが何かが分からなければなら
ない」と料理専門家12人で構成された「日本食堂価値向上委員会」を作ったのだ。
彼らは客を装って、大きくて有名だという寿司店80カ所を訪問した。
そして▽日本産の材料を使っているのか▽食べ物の質はどうか▽食べ物を
盛るスタイルやサービスが日本的なのか−−などを採点した。評価結果3分
の1は基準を満たすことができなかった。
海外の寿司店の中には韓国人の運営する所が多いが、この基準をパスでき
ない場合、営業に打撃を被るものとみられる。日本政府は監察組の活動領域
を米国などほかの国にも広げる計画だ。
---------------------
韓国人の日本料理人に対する政治的弾圧ニダ
>>382 >「王の御膳」がモンゴル語なのはなぜ?
それってもしかして「スラサン」の事?
だとしたら言われてるだけで確証なんてあったっけ?
奈良→ナラのレベルじゃ。
百歩譲って言葉が残ってもそれと実際の料理の影響とは別でしょ。
モンゴル民族の嫌う魚料理に関しては真反対の方角だし。
元の影響が全く無い訳じゃないとは思うが非常に限定的としか。
つか、実際に元の影響下の料理って何?
飲食知味方には数種は有るが、数少ない宮廷の資料で。
386 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 01:53:49 ID:5C26/UIS
>>383 明、清の宮廷料理の影響を、だれも否定していませんよ。
むしろ、影響がない方がおかしいでしょう。
しかし、李朝伝統の宮廷料理が、明、清の宮廷料理にそっくりですか?
ちがいますよね。
あたりまえの話ですが、統一新羅にも宮廷があった以上、宮廷料理はあったわけです。
当然、唐の影響は受けていたわけですが、食材の調達の問題がありますし、そっくりであったわけはないですよね。
そもそも、李王朝の宮廷女官が料理する、という制度は古代律令制の名残でしょう。
随、唐の律令制下の制度が、李王朝にまで続いたわけです。
明、清の宮廷とは、制度もちがいますよね。
アワビの献上などは、新羅の頃からの伝統とも推測できます。
それで、李王朝にいたるまでの一番大きな影響を考えた場合、
百年にわたって公主の降嫁があった元が浮かび上がってくるわけです。
とりあえずさぁ…
>>376読むと韓国起源ってのがいかに怪しいかよくわかるわ
状況証拠の積み重ね、民明書房からの引用かと疑いたくなる稚拙な文
まあ韓国人って日韓の歴史か何かで韓国に対する情がないとか何とか言ったんだっけ?
歴史や起源を感情でねじ曲げるのは古代の王侯たちの自分史だけにしてくれないかな
388 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 02:08:08 ID:5C26/UIS
>>385 これも何度も書きますが、
清朝の料理が満州族の伝統料理だけではないように
元朝の宮廷料理はモンゴル民族の好みそのままではないんです。
当然、前王朝の宮廷料理の影響もありますし
元王朝は非常にグローバルな王朝でしたから
さまざまな食材の料理があります。
ただ、北京は内陸ですから、魚料理は限られます。
それでも魚の料理がないわけではない。
四つ足料理が朝鮮の宮廷料理のメニューに入った、
ということは、朝鮮の宮廷料理全体の流れからいって
最大の大きな変革だということです。
日本料理との比較からいって。
389 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 02:09:29 ID:5C26/UIS
>>387 だれが韓国起源の話をしているのですか???
>>388 >四つ足料理が朝鮮の宮廷料理のメニューに入った、ということは、朝鮮の
>宮廷料理全体の流れからいって最大の大きな変革
誰も影響がなかったとは言ってないけど・・・
ただし、宮廷で犬食ってたのは元の支配の否定だし。実際に
中国でも犬食いは支配が弱かった地域に残ってる。
少なくとも、李朝鮮の現存する資料からすれば
清>明(当時の資料は数点で詳細不明)>>>元
でしょ。
391 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 02:37:45 ID:5C26/UIS
>>390 李王朝期の資料しか残っていませんからね。
現存する資料からすれば、それは当然でしょう。
言いたかったのは、朝鮮半島の宮廷料理に牛、豚料理が入ったのは、
元朝支配の影響である、ということです。
>>366 固まったものが、日本に伝えられたという証拠を提示できませんか?
どの和菓子屋のホームページを見ても、「汁に米や小豆を粉にして練り固めて蒸したものを入れたもの」と記載されてるのですが。
つまり、甘くないぜんざいみたいなのが羊羹の原型です。
>>392 一番近いものは「煮こごり」だと思うんだけどな。
寒天というところが日本独自の部分だと思われる。
なぜなら、中華では海草起源の食材が限られる。
中国禅、あるいはその前の仏教影響下での「もどき料理」が
日本に伝播して、最終的に「羊羹」というかなり特殊な食品に
落ち着いたんじゃないかしら。
フェイク食品を作る素材として、寒天を応用した人間は天才だ。
>>388 >ただ、北京は内陸ですから、魚料理は限られます。
あまりにも憶測に過ぎる。
帝都に造られた、あの運河による水運は無視?
中華皇帝の巨大権力が、どれだけの物資を迅速に帝都に
搬入できたかご存知かな?
昨夜は、質問しっぱなしで寝入ってしまい、失礼しました。
>>376 「何度も書きますが」というフレーズを、それこそ何度も書いておられますけど、
それは、とりもなおさずこれまでの貴方のレスが、私を含め読んでいる人を納得
させるだけの説得力に乏しいからであることを、先ず認識していただきたい。
>現在の北朝鮮を考えてください。
>庶民、わけても地方の庶民は飢え死にするような状態でも
>金王朝のごく周辺は、贅沢の限りをつくしていますし、
>そのおこぼれにあずかれるソウルの階層の食事も悪くはない。
まぁ、×ソウル
○ピョンヤンはご愛嬌として、金「王朝」は、たかだかここ5、60年ほどでし
ょう?たとえば、奈良時代の日本の朝廷では、酪や蘇などの乳製品が嗜まれていたけ
れど、結局数十年しか続かず、江戸時代にはその痕跡はないに等しかった。庶民の生
活生産や国の生産力を度外視した外国文化の導入が、長期間続かなかったことのひと
つの例といえるのではないでしょうか?朝鮮半島に話を戻せば、イザベラ・バードの
『朝鮮紀行』で述べられているような流通機構の中で、王家の為だけの流通網を維持
しようとすれば、そのコストは、どれほどのものになるでしょう?また北朝鮮を例示
されるかもしれませんが、そもそも金王朝が、このあと数十年数百年と存続しうると
お考えですか?
李朝期の資料しか残っていない、と認めながら
「推測によって」四足の宮廷料理は元の影響と言われてもな…
その「推測」をきちんとしたデータなしで何度書き込んでも、結論は一つしかないが。
「脳内妄想乙」という…
せっかくだからちょっと妄想してみる。モンゴルの姫が嫁入りして、四足の肉が
食いたいといった場合、食べたい肉は羊、牛、豚、犬のいずれだろうか?
現代のモンゴル人から想像すると、一に羊、二に牛だと思える。一方漢人の影響を
強く受けていれば、第一は豚だろう。
いずれにせよ、「元の影響で宮廷に四足登場」まではともかく、その四足として犬が
選ばれるのには疑問符がつくと考える。
398 :
玲奈:2006/12/03(日) 10:41:56 ID:INd1tvJY
>>307の人がまとめたの
羊のスープ(中国)→(日本に伝播)→小豆・もち(蒸して固めたもの)のスープ→(汁がなくなる、砂糖投入)蒸羊羹→練り羊羹
これの(日本に伝播)の場所をひとつ右に寄せまして
羊のスープ(中国)→小豆・もち(蒸して固めたもの)のスープ→(日本に伝播)→(汁がなくなる、砂糖投入)蒸羊羹→練り羊羹
これの方がいいと思ったでした。
中国は精進料理が発達をしていたでして日本も動物を食べるのが駄目だったですので遣唐使が羊のスープを伝えるのが疑問でして
日本がどこかで羊のスープのようなの動物のスープをこっそりをしていたの形跡もないでして最初に伝わったのスープの味付けのレシピもどこにも無いでした。
それで中国の精進料理で小豆を使うになっていたものでしたら遣唐使が伝えるのをしてもだいじょうぶのと思いまして自然でしょう。
それで汁をなくしまして寒天を使いまして甘くをしたのが日本は駄目ですか?
399 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 10:43:16 ID:5C26/UIS
>>394 >帝都に造られた、あの運河による水運は無視?
冷蔵がない時代に、新鮮なままに食材を運ぶならことは不可能です。
したがって、日本においても京都で発達した料理と江戸で発達した料理はちがいます。
海産物の利用の仕方がちがってくるのは当然でしょう。
>>394 >王家の為だけの流通網を維持しようとすれば、
北朝鮮を例に挙げたのは、富の偏在を示すためです。
食品の流通について、現在の社会におけるコストの理論で
前近代の王家の食卓が語れるわけもありません。
王家の為だけの献上流通網は、イザベラ・バードが描いたように
李王朝に古代的要素が残っていたでからこそ、成り立つものです。
生産性の低かった日本の古代においても
さまざまな地方から朝廷に献上物があがっています。
律令制の中央集権国家において、それは普通のことです。
とはいえもちろん、中華王朝ほどの豊かな食が
李王朝にあったわけではありません。全体の富の大きさがちがいすぎる。
だからこそ、清朝の宮廷料理をそのまままねることはできません。
ベトナム料理や沖縄料理が、中華王朝の影響を被りながらも
独自の色があったように、半島の宮廷料理にも独自の色はあったのです。
400 :
玲奈:2006/12/03(日) 10:58:51 ID:INd1tvJY
あったのですに断言をするでしたらいくつかを例を示すのをしないと文句をよく言われるですのでした方がいいです。
それで沖縄と比べますのは民族のルーツが違いまして影響が海洋民族などがありまして大陸だけはとても違うでして気候や植物や動物も少し違いまして
ベトナムも南側やインドの影響が強いのがあったのでして朝鮮半島は大陸の勢力の影響だけでしたので独自性が弱いのは仕方が無いでした。
401 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 10:59:05 ID:5C26/UIS
>>396 これは中華王朝においてもですが、
実際にレシピが載っている資料は少ないものです。
料理の名前があがっていても、現実にどういう食材を使い
どういう調理法であったかは、推測によるしかない場合が多い。
もちろん時代が降れば降るほど、資料は残っていますし
現代に伝わっているものに近くなっているので
情報の確実性はまします。
推測を妄想というなら、日本の古代食に関する推測も
すべて妄想ですね。
402 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 11:05:42 ID:5C26/UIS
>>400 >朝鮮半島は大陸の勢力の影響だけでしたので独自性が弱い
独自性をどう見るか、ですね。
失礼な言い方かもしれませんが、貧弱なのも独自性です。
古代的要素の保持、というのも、
独自性ではないでしょうか?
食材の面からいっても、中華王朝の食をそのまままねるような条件は
朝鮮半島にはありません。
403 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 11:39:29 ID:5C26/UIS
>>397 >「元の影響で宮廷に四足登場」まではともかく、その四足として犬が選ばれるのには疑問符がつくと考える。
それはおっしゃる通りです。
資料はありませんが、推測すれば、犬食は滋養食として
元の侵攻以前から、半島にあったでしょう。
ただ、それが宮廷料理のメニューであったか、といえば、
疑問符がつきます。
李王朝の料理のレシピとして、最古のものは
地方両班夫人の手になる「飲食知味方」です。
その中に犬料理がでてくる。
しかし同時に、牛料理も豚料理もでてきます。
地方の四つ足食材として、犬がてっとり早かったことは推測できます。
しかしそれが、元の影響で朝鮮半島の宮廷料理に
四つ足が入ったことを否定する材料になるのか、ということです。
>>398 「いいとおもいます」ではない。勝手に捏造するでない。
留学僧が持ってくるのは、現物そのものである必要はなく、それに関するレシピでいいの。
だから、汁の形でも、なんら不思議でない。
もっと客観的に、歴史をみよう。
捏造にも、程がある。
偽玲奈がいるでして誰も触らないでしてあなたは駄目です。
406 :
玲奈:2006/12/03(日) 15:18:33 ID:INd1tvJY
留学僧が持ってきますのは羊のスープのレシピではないでしてそれが変化をしました小豆をつかったの精進料理が普通でしたのでだいじょうぶです。
私は馬鹿でして、二本足の羊のスープを食べる民族ですのでし。
408 :
帝京魂:2006/12/03(日) 15:24:35 ID:tLQdtBKe
帝京魂の継承者であるワタシの今晩の夕食はちゃんこ鍋です。
昆布と鰹節でダシをとり、塩と味の素を入れて味を調え、そこに煮切った酒を加える。
これでダシは完成だ。
あとは白菜、人参、大根などの野菜をぶっこんで、野菜が煮えた頃に脂抜きした油揚げにつみれを投入。
食すときはダシにユズ胡椒味噌を溶かして、これを以ってつけダレとする。
こんな繊細の味の料理は韓国には無いだろ。
上から下まで唐辛子にニンニクという”火病の素”しか味を知らないヤツばらには、
ダシの味はおろか、カレーのスパイスの見事なハーモニーも感じられない。
409 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 15:35:40 ID:wvJJviHU
>408
ダシに味の素?
たいした味覚だぜ。
そんな料理でよく、デカイ顔していられるなw
>>401 日本の古代食は史料もあるし、何より食材に関する木簡および遺跡からの発掘資料で
相当なレベルまで解明が進んでいるのだが。
もっともらしく寝言を並べるのは大概にしておかないと恥をかくよ。
411 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 17:06:46 ID:5C26/UIS
>>410 例えば今話題になっている羊羹です。
ttp://www.ikedakai.com/teikinourai.html 室町時代初期に成立した庭訓往来に
「砂糖羊羹」と「箏羊羹」という点心がすでにでてくる。
しかし、それがどのような食べ物であったか、
そこから先は推測でしかありません。
それともあなたは、推測ではなく語れるとでも言うのですか?
点心なのだから、羊羹と呼ばれる精進ものがすでに宋にあった、
と推測することも可能ですし、他にも精進ものではなさそうな名前が並んでいるのだから
宋から伝わった点心は精進ものではなかった、と推測することも可能です。
412 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 17:11:14 ID:YfmRYNdj
ここはGOOKが日本人に化けて作ったスレッドですね。
もともとは中国の料理で、読んで字のごとく羊の羹(あつもの)であった。
これは羊の肉を煮たスープの類だが、冷めることで肉のゼラチンによって
固まり、自然に煮凝りの状態となる。
鎌倉時代から室町時代に、禅僧によって日本に伝えられたが、
禅宗では肉食が戒律、五戒により禁じられているため、精進料理として
羊肉の代わりに小豆を用いたものが、日本における羊羹の原型になったと
される。別の説によると、羊の肝臓の形をした菓子である「羊肝こう」が、
中国から日本に伝えられた際、「肝」と「羹」が混同され、
「羊羹」と呼ばれるようになったともされる。
初期の羊羹は、小豆を小麦粉と混ぜて作る蒸し羊羹であった。
蒸し羊羹からは、ういろうが派生している。
1589年(天正17年)、和歌山の駿河屋岡本善右衛門によって
「煉羊羹」がつくられた。煉羊羹は寒天に餡を加え、
さお状に固めたものである。こうして羊羹は日本独自の菓子となった。
江戸時代は煉羊羹全盛時代であり、江戸本郷の藤村羊羹をはじめ、
多くの名舗が現われた。一方、伝統的な蒸羊羹は下物とされ、
関西では丁稚羊羹と称された。
1861年には、寒天を減らし、水分を多くした水羊羹が江戸清寿軒で
つくられた。また、この時期には金玉かん、淡雪かん(メレンゲを
寒天で固めたもの)、みぞれかんといったあらたな羊羹も登場した。
wikiより
414 :
帝京魂:2006/12/03(日) 17:26:16 ID:chFHcN06
>>409 ↑
帝京魂のかけらも持ち合わせおらず、ニンニクと唐辛子でできた”火病の素”にやられると
こうなります。
それと味の素のどこが悪いんだ。え〜〜!! いってみろよ!!
このヨッツもんか チョーセンめ
415 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 17:34:39 ID:5C26/UIS
>>413 羊羹を洋肝と書くこともありますし、小豆羹とも言います。
料理名から実態はわからない、ということです。
推測なので、定説がない。
http://www17.ocn.ne.jp/~verdure/kasi/ya.html 羊羹は 『戦国策』 や 『史記』 にもその名が見え、本来は「羊の羹 (あつもの)」で、羊の肉を煮た汁物。
鎌倉時代から室町時代に、禅僧によって日本に伝えられ、羊肉の代わりに小豆を用いたものとされ、
『庭訓往来』 や 『遊学往来』 などに初めて名が出るが、このときにはすでに菓子となっている。
『嬉遊笑覧』(1830)に
「沙糖は下学集また林氏節用集に載たれば、その頃には異国よりわたりも多くなりしにや、されどさたうを用ひざる物多かり。
庭訓に羊羹と砂糖羊羹と二種出たり。唯羊羹は沙糖は入らざるなり」
とある。また同書に
「今の羊羹は昔の法に非ず。明人は豆沙〓(米羔)といふとなり。
宋書、毛脩之伝、脩之嘗為羊羹、以薦虜尚書云々あるものは羊肉のあつものなり、
菓子の羊羹は豆沙〓(米羔)なり、求肥ももと牛皮糖なると同じ、
獣を不潔とする故これらの字を書改めしならめど、羊字をかへざるはいかヾ、
又羹は〓(米羔)と同音なる故〓(米羔)といふべきものをも誤りて羹とかけり。」
とある。
416 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 17:40:21 ID:5C26/UIS
>>414 味の素は取りすぎると体によくありません。
江戸時代の製法で醤油を作っている老舗の醤油屋さんが
上海に行って連日中華料理を食べたところが
味の素を使いすぎていて、体の調子が悪くなった、
と言っていました。
てんかんの薬になるということは
毒にもなるということです。
417 :
玲奈:2006/12/03(日) 17:43:11 ID:INd1tvJY
羔は糕でしたが書けないですので米羔に分けて書きましたか?
418 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 17:44:46 ID:5C26/UIS
>>414 チャイニーズフードシンドロームになるぞ…
鍋物用のナベに小さじ1/3ぐらいの味の素でも濃すぎるくらい。 さっさっ、ぐらいだろ、味の素の使い方って。
正直、うまくだしが取れなかったときとかには重宝するがな・・・・
421 :
玲奈:2006/12/03(日) 19:06:49 ID:INd1tvJY
うまくとりなさい。
>>414 >味の素を使いすぎていて、体の調子が悪くなった、
ウソは良く無い(w
中華料理店症候群は完全に否定されてます。
肯定してるのは頭が逝った人たちだけ。
味の素くらい何だというのだ。
今時食品添加物の入っていない食い物はないぞ。
人間、重金属汚染以外ではなかなか死なないもんだ。
>>411 存在情報と、その味の情報を意図的に混在させるなんて
あんた馬鹿?
424 :
玲奈:2006/12/03(日) 22:02:03 ID:INd1tvJY
味覚をよくした方がいいでして化学調味料は駄目でして繊細な味を言うでしたらあまりしないのがいいです。
美味い料理を作りたかったら味の素を沢山いれたら良いだけであって
拘るなら入れるな!って事じゃダメ?
426 :
玲奈:2006/12/03(日) 22:07:53 ID:INd1tvJY
味の素を沢山いれたら美味しいのは味覚が駄目です。
ウリもポロニウム風味のキムチを試してみたニダ
>>426 あんた田舎者?
現代の味覚は”味の素なんでつよ?
あんたがお金をだして”拘りの店に”毎日通って色々言うなら、それはアンタの
趣味って言うか自分の世界だよ。」
世間的には味の素!わかった?
430 :
玲奈:2006/12/03(日) 22:15:01 ID:INd1tvJY
世間が駄目ですか?
>>429 肉料理にはハイミー!
一般の料理は味の素!
ラーメンもハイミーだな(w
>>430
ダメだよ。
世間が基準だからな。
世の中知らない人が多いんだよ~!
自分だけが知ってるだけじゃダメ!自分がこれが一番正しいって思ってもダメ!
まるで朝鮮人だよ(w
433 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 22:18:22 ID:5C26/UIS
>>423 文献で料理の名前がわかっても料理の内容は推測です。
そうじゃないとでも?
434 :
マンセー名無しさん:2006/12/03(日) 22:20:22 ID:5C26/UIS
>>425 少量使うのはいいのですが
たくさん入れるのは、ほんとうに体によくありません。
なにしろ抗てんかん薬ですから。
435 :
玲奈:2006/12/03(日) 22:21:41 ID:INd1tvJY
学力がないの人がたくさんになりましたらそれが世間ですのでそれがいいでして学力があるの人は駄目ですか?
旨み調味料の味は嫌いじゃないけど、今一好きになれん。
塩と胡椒と醤油でどうにでもなるぞ。
437 :
玲奈:2006/12/03(日) 22:24:03 ID:INd1tvJY
真面目に出汁をしなさい。
>>435 学力があるのって何?
大した「事じゃないy?
売れるものを発明してもらうために学力ある学者さんたちを雇うけど大したもんじゃない!!!
んじゃスーパー営業マンはどうなのかといったら大したもんじゃない!!!
みんなお互いに頼りながら生きてる。
日本人が朝鮮人を頼ってるようにな。
>>437 でも日本料理ってあまり深い味わいがないと思う
味がついてんだか何だか分からないものが多い
日本料理って出ジルが命みあいに言う人も多いけど
まともに取ってない手抜きが多いんじゃないかな?
>>401 「少ない」と「無い」とじゃあ推測の信頼性に雲泥の差が出ると思うが。
資料が無い以上どのような推測をしても勝手だ、なんて思ってないよね?
>>438 日本人はいざとなったら依頼心など捨てて独力でがんばるよ。
朝鮮人とは違います。
443 :
玲奈:2006/12/03(日) 22:36:38 ID:INd1tvJY
基礎の学力がない人がたくさんになりましたらそれが世間になりましてそれが正しいは駄目でして基礎の学力があるの人の方がいいでした。
金正日を称えるの人がたくさんでしてもそれが世間で正しいと言うのは駄目でして批判をするの人が私はいいでした。
それで日本料理は素材の味を言うのが多いと思いまして私は豆腐は醤油も何もしないのがいいです。
444 :
nimda:2006/12/03(日) 22:39:14 ID:bx5UZ32D
「どんぶりの起源は朝鮮語のタンバル」 「日本に豆腐を伝えたのは朝鮮人」
神戸新聞
日本と朝鮮半島 食文化の交流史学ぶ 神戸
日本と朝鮮半島の文化交流をテーマにした講演会と音楽会が二日、神戸
市中央区下山手通二の中華会館であった。滋賀県立大名誉教授の鄭(チョ
ン)大(デ)聲(ソン)・韓国食文化研究所長が食文化の深いつながりについて
話し、市民ら約九十人が聞き入った。
県朝鮮人国際交流センターの主催。鄭所長は、朝鮮半島がルーツのキム
チが、二十年間で日本での消費量が十倍になり、最も食べられる漬物にな
ったと報告。「朝鮮半島の食文化が日本に根を下ろした」と指摘した。
また、古代に酒やニンニクが朝鮮半島から伝わったことや、豊臣秀吉の
朝鮮半島出兵で日本に連れて来られた技術者が豆腐や陶磁器を伝え、
「どんぶり」は朝鮮語の「タンバル」が変化したなどと紹介。「不幸な歴史も
あるが、日本と朝鮮は生きるために大切な食べ物で交流していた身近な
存在。友好を深める参考にしてほしい」と話した。
www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000183027.shtml(ソースは何故か消えてます)
----------------------------------------
唐辛子は?
>>443 基礎学力の無い人のがなんなの?
俺も無いけど世間並みの生きてるぞ?
しかし応用力ではあんたは俺の足下にも及ばないと思う。
人の幸せなんて大したもんじゃないよ(w
446 :
玲奈:2006/12/03(日) 23:01:25 ID:INd1tvJY
世間がレベルが下がるでしたら上げるのがいいのを言っているでして他の条件が同じでしたら学力は無いよりあるのがいいのを言っているでして無い方があるよりいいのは違うです。
それで色即是空空即是色は基本は少しあなたと違うでした。
>>446 あのね。
ここは日本だよ?
学力の下がった者も居れば上がった者も沢山いる。
で、聞きたいんだが、何の為に学力を必要としてるのあなたは?
448 :
玲奈:2006/12/03(日) 23:06:23 ID:INd1tvJY
基礎を言っているでしてゆとり教育を批判をするでした。
>>448 ゆとりを批判する暇があたら子供を私学に入れる甲斐性を作った?
甲斐性ないのに、ゆとり批判なんて人が聞いたら馬鹿みたいだぞ?
450 :
玲奈:2006/12/03(日) 23:10:46 ID:INd1tvJY
私は何歳ですか?
451 :
玲奈:2006/12/03(日) 23:16:49 ID:INd1tvJY
平均学力が下がりましたら上げるのを考えるのが間違いは思わないでしてあなたはそれが世間ですので上げるのは駄目を言ったですので反論をしたでした。
うる歳…かな?
454 :
ガッカリ君:2006/12/04(月) 01:36:08 ID:aO1tqcn1
韓国宮廷料理ねえ……宮内省大膳課の歴史と世界一の食材、実力を知ったら、お前ら絶対焼身したくなるよ?
こっちは端から眼中無えもん、韓国なんて。好きにほざいてりゃいいって。
>431
肉料理にはハイミー
野菜料理にはフレーブ
そのほかの料理には味の素
ラーメンにはウェイバーでガチ
457 :
マンセー名無しさん:2006/12/04(月) 14:42:45 ID:idcbdBXn
>>440 韓国宮廷料理に四つ足肉食が入ったのは
元朝の影響である、ということには
さまざまな傍証がありますよ。
一つは、中国の料理書です。
宋朝は思想的に精進をよしとするような気風があって
宋朝を代表する料理書『山家清供』は
野菜料理が中心になっています。
一方、元朝を代表する料理書はモンゴルの影響が濃い
『居家必用事類全集』で、
李王朝の宴会料理の料理名からすれば
肉料理は『居家必用事類全集』に記された元朝の影響が濃い
と推測されるからです。
同時代でいえば、 李王朝で唯一王の日常食が残っているのは
先にどなたかがのべておられましたように「園幸乙卯整理儀軌」に記された
1795年の正祖のときのものですが、そのメニューは
それより少し前、清朝乾隆帝・在位(1735年 - 1795年)の日常食のメニューとは
さっぱり似ていません。
料理名からの推測ですけれども。
458 :
マンセー名無しさん:2006/12/04(月) 16:43:18 ID:sLcouKQ2
>>455 そういう贅沢をして戦争をぼーっと眺めてたんだから、
皇族は全員戦犯として処刑すべき。
皇居も更地にして民間へ解放!
歴史において、平時戦時、独立占領の如何を問わず他国の影響を受けるのは
あたりまえのこと。朝鮮の場合、ことさらに隅をつつかないと影響の痕跡が
明らかではない点が興味深い。
「元の影響で肉食が普及」と言い立てている御仁に伺うが、それが何?
料理全体の構成にどういう影響を与えているわけ?
「料理に影響が及ぶ」ということばを軽軽に使うんじゃないよ?
影響というなら料理の調理法から料理の供し方まで含まれる。肉料理が
入った程度でことさらに「影響」ねw
あんたの言う影響ってどのレベルなの?
影響を受け、受容を図ってもうまくいかなかった場合それを
「独自化」もしくは「劣化コピー」と称する。
端的に言って、朝鮮独自の料理って何?
具体的な料理名より、料理法or調理法を明示して貰いたいな。
朝鮮宮廷での正餐ではどのような食材と、調理法が主だったのか?
肉食が入って定着したならそれを提示しなさい。
「朝鮮では料理に必用な基礎調味料・油の絶対量が乏しい」
この状況が覆らない限り、肉は料理できないよ。
>>457 貴方の説を聞いていて思ったのだが、宴席にそれら元朝的な肉料理が出たとして、
それがどこまで宮廷料理として根付いていたか、という疑問が湧いた。
例えばイギリスで、「フランス人シェフの作った宮廷晩餐会向けのフランス料理」
を「イギリス宮廷料理」と認めるかどうか、というような。
複数時代に同じ料理が提供された証拠があれば、「すでに独自の料理として根付いて」
いて、「影響があった」と認められると思うのだが。
461 :
マンセー名無しさん:2006/12/04(月) 18:09:43 ID:idcbdBXn
>>459 おっしゃることが矛盾していませんか?
>朝鮮の場合、ことさらに隅をつつかないと影響の痕跡が明らかではない点が興味深い。
他国の影響が少ないというならば、それは独自性があるということになりませんか?
その独自性が自慢するにたるかどうかは、また別の話です。
味つけした肉を焼いたものとしては、『園幸乙卯整理儀軌』では、薬散炙、牛肉内腸などがそうだとされています。いちいち拾い出すのがめんどうなんですが、片肉(ゆでた肉料理)の名もよくあがっています。スープにも四つ足のものはあるでしょう。
>基礎調味料・油の絶対量が乏しい
油とは、植物油ですか?
夜足肉料理に植物油は使いませんね、通常。
基礎調味料とは塩のことですか?
塩は専売制だったわけですから上流階級が不自由することはありません。
料理の供し方ならば、李朝は独特ですね。
王の日常食で、清朝と李朝の宮廷の最大のちがいはご飯の扱いです。
清朝では、せいぜい最後に「粳米膳進一品」とあるだけですが、
李王朝の場合は、飯膳、粥膳のおかず膳のような形で、他の料理が出てきます。
調味料のちがいでいうならば、清朝宮廷と李朝宮廷の最大のちがいは砂糖の消費量です。
清朝宮廷では、莫大な量の砂糖の消費記録が残っていて、肉の味付けにも砂糖を使いますが
李朝宮廷はさっぱりです。
なにをそんなに一生懸命否定なさっているのかわからないのですが
宮廷料理に四つ足肉食があることが、そんなにいいことなのですか?
私には、同時代の江戸の料亭料理の方が、はるかに高級に思えます。
ちなみに、乾隆帝より少し遅れますが、島津重豪を岳父に持った家斉将軍の大奥は
大量に砂糖を消費したことで知られています。
462 :
マンセー名無しさん:2006/12/04(月) 18:16:33 ID:idcbdBXn
>>460 肉食料理が供されたことは
他の宴会の記録でもわかりますし
釜山で江戸時代、日本人に供された宴会料理にも
肉料理は出された記録があるんです。
一方、倭館でも李朝役人を持て成しましたが
大喜びで、奪い合うように彼らが持ち帰ったのが
砂糖入り菓子だそうです。
>>462 それで、その「肉食料理」は元朝風の料理名だったのですか?(日本人に出されたものも含む)
肉料理ということ以外わからない料理だったのですか?
複数の記録があったとして、各々の時代は?(時代が近すぎるようなら、一過性の「流行」の可能性も否定できない)
>>461 否定も何も、あんたも憶測ならべてるだけじゃん。
俺が否定しているのは「韓国の料理体系」そのもの。
実際に供せていないのだから影響の有無は明らかでそ?
>塩は専売制
嘘つき。
専売制の確立は 「 朝 鮮 総 督 府 」からだお。
その前に、清から塩について供給制裁を喰らった事実は?
生産の禁止を命じられて細々と密造するか、もしくは莫大な歳幣と
引き換えに頂戴していたのだから、売るほどあるわけないじゃん。
塩は「宗主国様」の専売であって両班の手中にはない。
どうしてそういう嘘ばかり並べるのかなー。
465 :
マンセー名無しさん:2006/12/04(月) 20:10:15 ID:idcbdBXn
>>463 日本人のものについては、料理名は伝わっていません。
日本人が記した記録ですから。
中華料理の料理書は、明代ものは、
元代の『居家必用事類全集』と同じ内容のものが多いんです。
肉料理は、ほぼ現代と変わらなかったと考えられます。
清朝にいたって、がらりと変わります。
わずかに残った両班夫人のレシピや
李王朝末期に伝えられた宮廷料理のレシピからいって
調理法は『居家必用事類全集』の影響が強いと推測されるわけです。
>>464 専売制は言葉が悪かったですね。
清朝の専売制とはいえませんか?
現実に肉料理がメニューにあるんですから
憶測とは言えないと思うのですが。
それにしても本気で、宮廷で調味料としてまったく塩が使えないほど
塩がなかったと考えておられるんですか?
もしかして、保存ですか?
保存が必要な場合は干していたようですよ。
466 :
マンセー名無しさん:2006/12/04(月) 20:12:02 ID:idcbdBXn
>>465の訂正
>ほぼ現代と変わらなかったと考えられます。
ほぼ元代と変わらなかったと考えられます。
>>465 と言うからには、朝鮮国内で出された肉料理にはきちんと料理名がついていた、と
言う事ですね。ならばそれが元朝風のものであったかの類推は、傍書に拠らずとも
可能だと思うのですが?
あと中華料理を論拠としたいようですが、その説は突き詰めれば、「朝鮮宮廷料理
は(時代に関わらず)中華料理の劣化コピーだった」という極論に行き着きかねない
と思うのですが。
「影響」という言葉を使いたいのであれば、あくまでも「独自の料理」を証明して
欲しいものです。
468 :
マンセー名無しさん:2006/12/04(月) 20:33:20 ID:idcbdBXn
464ではないのですが、
「似非中華料理」だとして、否定するだけの論拠がありますか?
470 :
マンセー名無しさん:2006/12/04(月) 20:49:53 ID:idcbdBXn
>>467 宴会料理の料理名から肉料理だとわかるだけです。
その調理法については、類推です。
清朝の時代に前朝やもっと前の中華料理を「劣化コピー」していたのなら
十分、独自な宮廷料理でしょう。
影響だろうが劣化コピーだろうが
言い方は、どちらでもけっこうです。
>>470 横からすまないが、賓客へのもてなしで出してくる料理で、その国の「普段の料理」は計りにくいと思うんだけど。
いい格好をしよう、と無理してることも考えられるんだし。
472 :
マンセー名無しさん:2006/12/04(月) 21:00:48 ID:idcbdBXn
>>471 その国の「普段の料理」が宮廷料理なんでしょうか?
>>472 宮廷で普段食べている、って意味ですよ。>>普段
>>470 古い時代のコピーをそのまま提供していたのなら、「独自性」と認めてもいいですね。
あくまで「そのまま」という前提がつきますが。
「劣化」と言うのも一つのオリジナリティではあります。
尊敬はされないでしょうが。
問題は、それが
オリジナルをそのものなのか
オリジナルの劣化なのか
オリジナルを独自化したものなのか
資料が残っていない事なのでは?
475 :
マンセー名無しさん:2006/12/04(月) 21:09:29 ID:idcbdBXn
>>473 王の日常食については、先に述べていますように
園幸乙卯整理儀軌に載っているメニューと
後は李朝最末期の伝承聞き書きです。
双方に肉料理はあります。
476 :
マンセー名無しさん:2006/12/04(月) 21:13:51 ID:idcbdBXn
>>474 食材にしろ調味料にしろ
それを作る国の条件というものがありますし、
好みもあります。
「劣化」とよぼうが「独自化」とよぼうが
独自のものにはなるでしょ、普通。
>>475 いや、肉料理の有無は問うてないんで。私は。
品質と流通量を問わなければ、食肉は売られてたと考えてるんで。
半島におけるペクチョン差別の理由が食肉の屠殺にあったと聞いたことがあるのと、
確かイザベラ・バードの旅行記に食肉が売ってるが質が悪いってな記事があったように憶えてるんですよ。
ただ流通機構が発達してなくて産物も乏しい国で、シナの料理を規範とする場合、
どう考えても「劣化」もしくは、せいぜいが「コピー」なんだろうなあと思うしかないわけで。
479 :
マンセー名無しさん:2006/12/04(月) 21:26:41 ID:idcbdBXn
>>477 >いや、肉料理の有無は問うてないんで。私は。
そうですか。
李朝宮廷料理の肉料理が
おいしそうなものだとは私にも思えません。
ただ、四つ足のスープはけっこういけたのでは、
という気がしますしが。
江戸期の釜山での接待料理では、
日本人が魚を好むことをむこうは知っているので
四つ足料理は少なくしている、というふうに
とりあえず日本人は書いています。
>>476 確かに似ている部分もありますが、要は製作者のプライドの問題です。
足りない部分を”仕方ない”で省略・代用する「劣化コピー」と、
嗜好にあわないから独自の食材で埋め合わせる「独自化」とでは、
大きな違いがあります。
極端な例で済みませんが、
日本でのラーメンは元は中国の”らあめん”の劣化コピーでした。
(タンとメンをあわせる、という意味で)
しかし日本人は、タンに合わせたメンを追求する事で(逆もアリ)、独自性を
作り上げました。
これを劣化と同等に見るのであれば、これ以上言う事はありません。
哀れむだけです。
481 :
マンセー名無しさん:2006/12/04(月) 21:43:33 ID:idcbdBXn
>>478 >ただ流通機構が発達してなくて産物も乏しい国で
産物が乏しいといいますか、清朝の場合は、
食材を他国から輸入していますからね。
砂糖もそうですが、フカヒレもそうです。
日本が長崎から清朝に輸出していたものも食品が多いですね。
ナマコ、アワビ、フカヒレといった俵物。昆布も輸出していましたしね。
だからこそ、李朝宮廷で清朝宮廷料理のコピーはできなかったし
それ以前にしても、元に征服されて公主が降嫁してきた、
というようなことでもないかぎり、同時代の中華宮廷料理を
コピーしようにもできなかったでしょうね。
配膳に、中国古代、礼記を参考にしているのではないか、といったところは、独自性なんじゃないでしょうか。
482 :
マンセー名無しさん:2006/12/04(月) 22:05:34 ID:idcbdBXn
>>480 >製作者のプライドの問題
それはずいぶんと、現代的な価値基準じゃないでしょうか?
例えば、羊羹が最初から小豆の蒸し菓子だったとしましょう。
それが日本に伝わり、日本独自の練り羊羹に発展していきます。
練り羊羹は、日本独自のものといえると思うのです。
そこに制作者のプライドは、関係ないのではないでしょうか。
日本の海苔巻き寿司が朝鮮に伝わり、現在の韓国でキムパップになっています。
日本人の私から見れば、あれこそ劣化コピーですが
酢飯がごま油飯に変わり、具の味付けも変わっているのは韓国人の好みじゃないですか?
ウリジナルを言い立てる現代の韓国人の問題と
韓国宮廷料理がどんなものであったかは、
いっしょにならないと思うのですが。
483 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 00:50:49 ID:AcQJsXti
>>449 nanasiのおじさんですよね?
おひさしぶりですこと。
リッツ・カールトンに泊まる余裕はなくても、
お子さんを私立に入れる余裕はできたんですか?
韓国宮廷料理だけが、ウリジナル?
485 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 01:10:21 ID:4TCWGWRg
486 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 01:53:10 ID:kdwW18vU
毎度思うのだが・・・
中韓の言ってる宮廷料理って"昔"在った皇帝や王の料理だべ?
今も存続する日本に宮廷料理なんて言われも・・・
普通の和食だったりするんだが
(でも使ってる材料の質が桁違いだったりするがね)
宮廷料理が存在するってことは支配者が民衆を搾取してたという証拠。
日本は支配層が贅沢をしていた時代は平安時代で終わって、
鎌倉以降は「支配層は質素な暮らしを」というのが日本の伝統になった。
現実に江戸時代で一番贅沢をしていたのは町民だしね。(笑)
宮廷料理がないってことは恥でも何でもなくかえって誇らしいことだと思うが。
「宮廷料理」って何を指すかね?
王の日常の食事なのか、公式な行事の際に振舞われる定番料理なのか?
公式な餐に出される料理であるなら、日本皇室の宮廷料理はフレンチだ。
王室があって、そこで料理が出されるならそれらは全て「宮廷料理」であって
場と、饗される客との関係によって質が変わるだけのこと。
故に「宮廷があるのなら宮廷料理は必ず存在する」その中身はどうでもよろしい。
終了。
ま、各国との比較なら面白いから継続してもいいかな。
489 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 10:43:05 ID:AcQJsXti
>>488 これは憶測ですが、おそらく、
最初にこのスレを立てた方の頭の中にある「宮廷料理」とは
現在「宮廷料理」と銘打ってレストランで出される料理、
なのではないでしょうか。
しかし、中国の満漢全席にしろ韓国の宮廷料理にしろ
現在レストランで出されているものは、
一部、かつて宮廷宴会料理だったものが外に出て一般化したものと
後は資料や聞き伝えによる再現でしょう。
もちろん、単に「宮廷料理」と名付けただけの創作料理もあるでしょうけれど。
宮廷料理の基本は、王の日常食でしょう。
そこから発展して、王侯貴族が宮廷に集う行事の宴会料理。
外にひろまるのは、この宴会料理の方でしょう。
490 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 12:29:34 ID:pUsuuzxT
>488
だとすると、日本の宮廷料理とは、宮内庁御用達品だな
491 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 13:06:23 ID:jbzVxQwW
不思議なんだが今から30年前韓国の宮廷料理を大枚はたいて食べたが
木の実や草ばっかりでハッキリ言ってまずかった
5年ほど前行った時宮廷料理食べるという友人に「やめたがいいぞ」と思いつつ
同行して食べたら全然別物で内容は中華料理っぽい雰囲気に変わっていた
30年前の宮廷料理と最近のとドッチが本物だい?
ちなみに価格はドッチも似たようなものだと思う
物価が変わっているので単純に比較できないが
>>491 30年前の方が本物と思われ。
猛スピードで記憶を美化している以上、それくらいの予測は(ry
朝鮮の宮廷料理って、白金にあるヨンサマの店で供されるアレでいいの?
何の資料を裏付けにして宮廷料理であると言ってるのかな?
「大地の恵みの蒸しもの」とかも宮廷料理なのかな?
494 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 15:01:35 ID:AcQJsXti
>>490 宮内庁御用達といいますか、
たしか専用の農園、御料牧場があったはずで、
野菜や乳製品は、ほぼ
そこで賄われているのではないでしょうか。
だいぶん以前の話で、記憶がたしかではないのですが
御料牧場の乳製品があまったとき、
ごく安く一般に売っている売店が都内にあるとか、だったんですが。
495 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 15:23:03 ID:AcQJsXti
>>491 それは、30年前のものでまちがいないと思います。
ソウルで最初に宮廷料理の店を開いたのは
最後の料理女官に弟子入りして、宮廷料理を習い、
独立後、韓国の人間国宝になった黄慧性女史だったようなのですね。
この人は、日本留学をしていますし、日本人の知り合いが多いので
その店の客には、日本人がけっこういたのだとか。
現在もこの店はあるそうですが、30年前のこの店の料理ならば
おそらくまだ、黄慧性女史も生きていたのでしょうし
少なくとも李朝最末期の宮廷料理の味は、再現できていたのではないかと。
http://www.seoulnavi.com/food/restaurant.php?id=434 ちなみに私は、ソウルのデパートの地下で売っていた、この店の宮廷菓子だけ、
食べました。味は悪くはなかったのですが、えらく高かった。
なにやら、保存のきく宮廷料理も売っていたのですが、馬鹿高い上に
あまりおいしそうに見えなかったので買いませんでした。
496 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 15:27:58 ID:AcQJsXti
>>495の訂正
現在の店は1990年開店と書いてありますが
もっと以前から、別の場所で開いていたらしいことを
現在のこの店の責任者である女史の娘さんがしゃべっていました。
497 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 15:39:24 ID:pa7Dzc46
日本の宮廷料理のほうが徹底してますわ
何百年間ものあいだ、天皇家専用の農園、御料牧場があり、
食材を育てるところから、庶民と隔ててます。
ペのゴシレなんて、
普通の庶民が買える食材を使用してる。
天皇家一族の普段の食生活は昔からつましく、
月いくらと決まった中で専用の料理人がやりくりそうですが、
しかし料理人の腕は半端じゃないです。
江戸時代は徳川家が、天皇家の生活費を出していたそうですが、
物価の上昇を無視して、
家康が最初に決めた金額から値上げをしなかったため、
江戸時代末期の天皇家の食費はとてもきつかったそうです。
で、私の前の会社の社長が、
日本の宮廷料理をだすお店にいってきたそうですが
(会員限定で、元天皇家の料理人が作る本膳のお店)
1人前3.9万円だったそうですが、
食材から違っていてめちゃめちゃおいしかったそうです。
さらに知り合いのお金持ちのお嬢様から聞いた話ですが
日本で本当の宮廷料理の会席料理を食べるとなると、
良いお店で1人様10万円コースは必要だそうです。
庶民には敷居が高すぎで遠い世界なのです。
498 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 15:50:15 ID:pa7Dzc46
>>497 の追加
もっと簡単に言えば、
日本の宮廷料理を出すお店はあるけど、
一見さんお断り。
会員様ご紹介か、常連さまのご紹介がないと、
お店に入れてもらえないです。
広告も一切出さないし、テレビカメラ、
雑誌の取材もお断りの世界
大金が必要だけど、お金だけあっても食べさせてもらえません。
一般庶民を閉め出している事が、1つのスティタスになってます。
499 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 15:53:50 ID:hFUGYZIf
チョン名物のクソ入り犬猫蛙料理でチョン
>>498 すげぇ・・・
国賓レベルでも滅多にお目にかかれぬ世界ですな。
でも、外国の元首クラスで本膳食った人って居るのかな?
少し疑問。
501 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 17:09:06 ID:AcQJsXti
>>500 >>488氏のおっしゃるように、明治から、
日本の皇室の正式な接待宴会料理はフレンチですのでね。
>>497氏のご紹介も、厳密に言えば、
宮廷料理そのまま、とはいえないでしょう。
しかし、宮廷料理が外部で供される場合、
素材と料理人がポイントであるとすれば
元皇室の料理人の料理である、ということは
限りなく宮廷料理に近いのではないでしょうか。
502 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 17:12:22 ID:pQYjdXxr
チョッパリにそんな物有る訳ない。乞食国家イルボン。
503 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 17:22:03 ID:AcQJsXti
>>502 せっかくの宮廷料理スレです。
もっとおいしそうに見える餌を
ご用意ください。
>502
こんな屑じゃピラニアも食わんよ
あ、最近餌不足だから食っちゃうかもだな
>>501 シラク退任前にでも、一度食わせてやっても良いのでは?
と言ってみるテスト。
>>489 「宮廷料理」の定義は非常にあいまいです。
王室が倒れてしまった場合は、関係資料だけでなく、関係者そのものが
処分されてしまうことが多いので資料が散逸するのが常です。
この管理を徹底しているのはオーストリアぐらいでしょうか?
後継者が残っていても王家という莫大な経費を要するシステムは
維持できないので、自然「宮廷での日常的食事の光景」は失われます。
フランスは共和国時代に再編成を行っているので、実はブルボン家由来の
料理からは断絶しています。
それに、相当な近代化を計っているので原型は残っているものの
別物と考えるのが妥当でしょう。
ハープスブルク皇室に伝わる伝統料理(マリア・テレジアも改良に
参加している滋養強壮スープ)、こういう大事なものですら実態が失われてしまい
近年、研究家によってようやく復元が試みられたくらいです。
それに、現・天皇家をはじめ各国での公式行事で提供される食事は
サービス方式がイギリス式、フランス式、ロシア式、アメリカ式の混合形態で
実は効率優先ですので味はともかく時間的にはせわしないものです。
そこで一番大事なものは『王様と一緒に食事をする名誉』であって、味を評論
することは無礼な行為。味を気にするのは王様の方です(臣下や賓客への体面と
いうものがありますから)w
個人的意見としては、「宮廷料理」とことさら言われるものは
商売用に整理された豪華な食事(いわゆる王朝風食事)なので、王室が
提供していたものと完全に分離しなければならない。
「宮廷料理」のポイントは食事の席の主人が王であること、この事が
一番の核ではないでしょうか。いかに豪華であろうとも、どこの誰とも知れぬ
下級役人に接待されても嬉しくないでしょう?
507 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 18:45:02 ID:3xVfJi73
韓国王家の末裔は日本の安ホテルで亡くなったとか。
王家の人間にこんなひでぇ扱いしといて韓国の宮廷料理は凄い、はねえだろ。
唐辛子食いすぎてアタマいかれてんのか?
508 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 18:47:24 ID:pa7Dzc46
>>506 確かに、迎賓館などに国賓として招かれてこそ
宮廷料理といっていのだとは思う。
でも、単純にお料理として味わうのでいいのであれば、
本物の会席料理の世界でいかがでしょう?
で、庶民が背伸びして、手が届くとこでは、
料亭 吉兆はどうでしょう?
※ご紹介者は必要ありません。
お金さえだせば食べられる料亭だそうでです。
昼食は
36,750円から
夕食は
42,000円から
料亭 吉兆
http://www.kitcho.com/kyoto/ 私はいったことないです。
日本人に生まれたら一度は、料亭で
本格的な会席を味わってみたいです。
509 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 18:48:05 ID:AcQJsXti
>>506 結論から言いまして、宮廷料理とは
王制が現存する国の王の日常食と
王が臨席する場での宴席料理であって、
すでに王制がなくなった国で称する宮廷料理は、
似て非なる代物、ということですよね?
それは、説得力のあるご意見です。
>ハープスブルク皇室に伝わる伝統料理(マリア・テレジアも改良に参加している滋養強壮スープ)
そのレシピを本で、再現しようとする様子をTVで見ましたが、
なかなか大変なことのようですね。
>現・天皇家をはじめ各国での公式行事で提供される食事はサービス方式がイギリス式、フランス式、ロシア式、アメリカ式の混合形態
基本になるフランス料理が、フランス革命以降、
宮廷を離れてグローバルな発展をし、
現在の外交接待料理になったわけですよね。
たしかに、これが宮廷料理か、といえば、
その宴席の主が王でなければ、そうとはいえない気がします。
>>507 朝鮮本土の李王室財産を横領したのは李承晩と金日成だから
朝鮮王室が落ちぶれてしまうのも仕方がないでしょう。
もっとも、王室の正統が誰に継承されるのか準備できなかったのは
李王家の失態。日本の敗戦、朝鮮戦争後の国家分裂で王位復璧を
諦めたんでしょうか。そのあたり、他の亡命王室にくらべて杜撰ですね。
処刑されたブルボン家、ロマノフ家、セラシエ(エチオピア皇室)各家でも
当主の継承・後継者の指名は抜かりなくやっています。
それらに比べると、かの国の王室は根性がない。
511 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 18:59:29 ID:pa7Dzc46
まぁ日本に宮廷料理はないのか?
といわれたら
天皇陛下がホストで、国賓として招待されたお席が
宮廷料理の世界でしょう。
ちなみに、外国の大使が始めて日本に来ると、
天皇陛下からのご招待があるそうです。
で、
お迎えを車か、馬車か選べるそうですが、
どの方も馬車を希望されるそうです。
このお出迎えも含めて、宮廷料理の世界だと思います。
要するにメニューやレシピだけで宮廷料理は語れないと。
お家を出てからお家に帰るまでが宮廷料理という感じじゃろうか。
513 :
マンセー名無しさん:2006/12/05(火) 20:35:28 ID:TYPX/KGn
>>1 日本も大昔は豪族や藩主などと民の料理には歴然の差があってんですよ
現在では庶民と金持ちの食生活に差がある程度です
おたくの御国では未だに貧富の差が激しいんですか?
だから宮廷料理といまだに言われ、庶民に馴染みがないんじゃないですか?
>>514 ちょっと乗ってみたいと心動く大使は、結構いそうな気がする
>>494 昔日経ヘルスで天皇家の食事ってみたいに
特集記事やってたけど
米、牛肉、調味料以外は基本的に御料牧場から
配達って読んだ
牛乳以外に、ヨーグルトっぽい飲み物があったり
バターはここの製品じゃないと晩餐会のパンは焼けないぐらいの
一品みたいに
醤油はキッコーマンの御用倉のが手に入るけど、お茶は京都の一保堂
が専用に納めてるから一般では手に入らない。
読んだけど、やっぱり一般とはまったく違う世界
野菜一つ育てるに、手のかけ方が違うし。
>511
そういう意味での宮廷料理なら、
「茶懐石」も限りなく宮廷料理に近くないか?
紹介無しじゃ入れない料亭は興味本位で連れて行ってもらったけど、
茶懐石は怖くて行けなかった。
作法とかそういうのじゃなくて
「私はまだその場にいていい人間じゃない」って思った。
あとで、参加者の名前を聞いて、
本気でいかなくてよかったと安堵した。
>497-498
すごいね。
ちょっと脱線だけど
そのかわり皇族の人はカップラーメンとかチキンラーメンとかMREとかKFCとか
を好奇心のオモムクママにムサボリ喰ったりする事はできないんだろうな。
ちょっと可哀想かも。
>508
その店は一見さんでもはいれるのですか?
>>518 >※ご紹介者は必要ありません。
店舗はいくつかあったと思うぞ。
>518
予約さえしておけば1人でもおkのはず。
ただ、そういう風潮に対して
「最近の○○(お店の名前)は大衆化して本質を忘れてる!」
と怒りだす人もいるのです。
521 :
マンセー名無しさん:2006/12/06(水) 13:44:03 ID:PZLo+Djo
>>516 サライでも昭和天皇のお食事を特集していて、
その「ヨーグルトっぽい飲み物」があがっていました。
昨日ぐぐっていたら、御料牧場では鶏もかわれているようで
鶏肉も卵もまかなっているんですね。
お茶は一保堂ですか。宇治茶ですね。
以前にTVで見た宮中晩餐会の話では
外国から賓客を迎えた場合、その国にちなんだ品と
日本料理からの品を、かならずメニューに入れる、
というような話だったと思うんですが、
御料牧場の食材で、そういうおもてなしというのは
やはり、皇室がなければできないことですね。
いささかスレ違いですまんが、かつて御料牧場のあった成田を国際空港にするとき、
反対したのは右翼では無く左翼の連中でしたね。
一坪地主になってまで反対した社会党の国会議員が、今は外遊で成田から飛び立つ。
あきれてものも言えませんでしたわw
523 :
マンセー名無しさん:2006/12/06(水) 14:40:35 ID:PZLo+Djo
>>522 成田に御料牧場があったということは
実は、最近まで知りませんでした。
三里塚といえば、過激派の成田闘争のイメージばかりが
浮かんできまして。
なぜあんなにもめたのか、伝え聞くだけですので
馬鹿馬鹿しく感じるのですが、ただ、
国際空港を成田にもっていく必要があったのか?
という疑問はあります。
これもいろいろ問題はあったのでしょうが
羽田埋め立て拡張の方が、
利便性はあったのではないかと思います。
>>523 成田の住人は、戦後に入植した人たちだからね。
入植してから30年。すくなくとも先祖伝来の土地では無かった。
共産主義者と手を組まれたのが失敗。
>>523 これも伝聞でしかないのだが、当時の下っ端役人の「札びらで顔を張る」ような
横柄な態度に、臍を曲げた地主も多かったとか。
あと、関西国際空港(?)を見る限り、埋め立て空港のコストや安全性には疑問が…
526 :
マンセー名無しさん:2006/12/06(水) 18:45:57 ID:PZLo+Djo
>>525 スレちがいで気が引けるのですが、とりあえず。
関空のさびれ方は、ちょっとひどいですね。
しかし愛知のセントレアは、今のところ
うまくいっているような。
埋め立ての条件もあるでしょうし
大阪と中京地区の経済のちがいもあるんでしょうね。
成田の御料地はもともと幕府の天領では。
明治維新で天皇家は幕府(徳川家)の財産を引き継いで皇室財産とした。
没収とも言うかな?
ま、それを決定したのは薩長新政府だが・・・
で、戦後は皇室財産は解体され再没収。
先祖伝来もなにも格安で払い下げられた土地。
それがあんなに拗れたのは当時の土地収用委員の無配慮と左翼の煽動。
札を積んだうえに「国のためだ」と言ってしまい、敗戦時の恨みを
呼び覚ましてしまったところに左翼が乗り込んできた。
いまとなっては「羽田国際空港」に対する既得権益の象徴となってしまって
左翼なんかどうでもよくなってしまったw
千葉VS東京の権益抗争の渦中に左翼の居る場所がないのはご愁傷様。
>>526 さびれてますか>関空
あそこの実際のキャパを考えると、ドメについてなら伊丹・神戸と変わらない。
岸和田沖はアクセスは遠すぎる。
関東に置き換えてみると関空は成田に相当しない。
「東京湾横断道路通過以外に往復ルートがない木更津沖海上空港」にあたるから
使い勝手がいいとは言えないね。
528 :
マンセー名無しさん:2006/12/06(水) 20:39:15 ID:PZLo+Djo
>>527 御料牧場は大久保利通の遺言でできたそうですよね。
>いまとなっては「羽田国際空港」に対する既得権益の象徴となってしまって左翼なんかどうでもよくなってしまったw
それはおっしゃる通り。
まあ、東京近辺には、二つくらい国際空港があっていいんじゃないでしょうか。
ただ、地方在住者としては、羽田便が一番多いので
羽田乗り継ぎで海外便に乗れたら便利なんですよ。
関空へもセントレアへも一日2便くらいしか飛んでないんです。
たしか、成田便もあまりなかったはず。
羽田と成田、二つあるおかげで日本は台湾への直行便が残ってる
という考え方はいかが?
今は成田台北便も普通にありますけどね。
>>527 しかしながら、あの辺りは空港が密集して居るんじゃないかと
思ったりもする。<神戸一円
伊丹、関空、神戸って、お互いが近過ぎに思える。
神戸の替わりに、奈良・・・では盆地だから、香港カーブを凌ぐ
危険な離着陸を強いるであろうし、京都では、空港を作る場所がないorz.
>>521 まさか、それって、幻の飲み物「醍醐」とか?
>>531 カルグルトという乳酸菌飲料で昭和11年から作られている。
醍醐はインドではディーガと呼ばれるオレンジ風味のクリームチーズのような
食物。今も手作りヨーグルトのような感覚で各家庭で親しまれている。
鼓の語源がサンスクリット語のドゥドゥンビであるように、醍醐もディーガが
語源なのだが、日本の食物、歴史学者には、これらを結びつける知識がない。
日本では醍醐はこれからも幻の食物(学者の脳内では)扱いなんだろう。
残念というか馬鹿というか。
陛下が普段召し上がられるお米、こればかりは普通のお米なのだとか。
目黒区の戦前からお米を納めている米屋さんから買っているけれども、
別に秋田仙北産あきたこまちだの新潟魚沼産コシヒカリだのではない
普通米なんだそうです。
>>529 意味ワカンネ。
台湾の便なんて消滅して久しいが。
素敵な国しか定期便は無い。
>>518 皇太子殿下のご学友であるさる方の話だと、殿下、「夜食にインスタントラーメン食べることもあるよ」、と仰ってたとか
>>535 今更感が。
皇后も食ってるよ。つか天皇家の大好物。
以前文春でカップラーメンの事で皇后はバッシングされてるはずだが。
537 :
マンセー名無しさん:2006/12/07(木) 00:31:16 ID:YxPlpHUw
>>532 >醍醐はインドではディーガと呼ばれるオレンジ風味のクリームチーズのような食物
クリームチーズのようなもの、というのは、ありそうですね。
醍醐は、『倭名類聚抄』に「是酥之精液也」と書かれているので
バターオイルのようなものか、といわれているわけですが
その酥(蘇)が『延喜式』によれば「乳大一斗煎得蘇大一升」とあって
牛乳を弱火で煮詰めて10分の一にするわけですから
その通りに作ってみれば固形。
これからバターオイルがとれるわけはないので、あるいは
生クリームからつくるものなので、「酥之精液」と表現したのかもしれないですね。
蘇は、「飛鳥の蘇」を食べてみましたが、おいしかった。
>>537 製法が伝わった時点で、保存のための加工技術が混じっているのでは?
乳はわざわざ煮詰めなくても一晩寝かせればクリームと分離する。
まず、クリームとスキムミルクの分離が知られていなかったのでは、と思考。
「加熱」方法は、当時絞った乳を低温で保存し、微生物の繁殖を押さえる
作業が必要だけど、それを知らなければ腐敗させないように加熱するしかない。
蘇は、クロテッド・クリームを作る方法によく似ている。
クリームを一日とろ火で加熱して冷ますと、厚み、硬さのある黄色い固形物にような
クリームが出来上がる。
これなら色といい、完成状態といいクリームチーズに酷似したものが出来上がる。
日本で蘇も醍醐も廃れたのは製法が大掛かりすぎて面倒なこと、乳酸菌の利用が
行われなかったことを主な要因として廃れたのではないですかね?
>>533 米だけは俺の方がイイもん食っとる。
と思ったが、献上米があるからなあ。
おそらく、いくら金を積んでも入手困難なハイエンド米だろうし。
ただ、探せばそのハイエンド米を極上の出汁で研ぐなんつー大膳じゃあやらんような贅沢をする店もあると思うわけで・・
単純にうまい飯ってだけなら結局のところ金持ち相手の店が最強と言うのが少なくとも江戸時代以降の日本の現実。
だから、宮廷料理なんてものに対する憧れがあんましない。
金と多少のコネさえあれば、将軍や天皇でも食せない美味を庶民(身分の話ね)が口にできたんだから。
でも、大膳が受け継いできた料理ってのは単なる美味い不味いをこえた凄みがある。
コレに比べたら、ただ美味いだけの料理ってたいしたもんじゃないよほんと。
などと、見たことも食べたこともない人間が、本の受け売りだけで言ってみました。
>「酥之精液」
一瞬にして食欲がうせた。w
ついでに「河豚のザーメンウマー」とほざいて人の食欲をそいだクソヤロウのことも思いだした。
>>539 記憶違いがあったので訂正。皇室御用達のお米屋さんは
文京区目白の「小黒米店」だそうです。でも「昭和天皇の料理番」には
戦前から取引のある目黒のお米屋さんと書いてたんだけどな…
納めているのは所謂「標準米」だそうですが、店主さんが標準米でも
美味しいお米の目利きをされてるなんて話もあります。
>>532 成る程。
そう言うことですか。orz.
わざわざ教えてくれてありがとうございました。
>>538 現在のインドの習俗で恐縮だが、ミルクを買ってきたらクリームを取ってバターを
作る他、煮詰めてからカッテージチーズを作ったり、アイスにしたりして食べるな。
うちでもよくやる。
日本で蘇や醍醐が廃れたのは、単に乳牛の飼育が行われてこなかったことが原因では?
そもそも明治くらいまで、牛乳の飲用がほとんど行われなかったみたいだし。
しかし前スレを見た訳じゃないのでアレだが、ここまで「大膳」「大饗」が
ほとんど出てこないってのもどうかなあ。
本膳料理や茶懐石はどっちかというと武家社会・民間の作法だし。
545 :
マンセー名無しさん:2006/12/07(木) 15:03:05 ID:YxPlpHUw
>>538 >「加熱」方法は、当時絞った乳を低温で保存し、微生物の繁殖を押さえる
作業が必要だけど、それを知らなければ腐敗させないように加熱するしかない。
なるほど、保存のための加工技術ですか。
しかし、一晩置くだけで生クリームとスキムミルクに分離することが
知られてなかったとは考え辛いので、
蘇は、生乳をそのまま煮詰めたもの。
醍醐は、生クリームを煮詰めたもの。
ではないかと愚考したような次第です。
クロテッド・クリームとは、デヴォンシャークリームのことでしたよね。
日本で乳製品の製造がとぎれたのは、
>>543氏のおっしゃるように
乳牛の飼育が行われなくなったからだと思います。
昔、テレビで古代の蘇を再現していたのですが
日本の在来種の牛の乳の出はよくありません。
乳製品を作るほどの牛乳を集めるには、それ専門の牧、今でいう御料牧場があったでしょう。
平安時代に乳製品があったことは確かなのですから
中世にいたって、その牧が廃絶してしまったのではないでしょうか。
朝廷の染色技術、音楽なども、資料に名のみ残して中世に消えてしまったものは多くあります。
しかし、こんな妄言スレを立て続ける
>>1の惨めさといったら・・・w
547 :
マンセー名無しさん:2006/12/07(木) 16:01:23 ID:YxPlpHUw
548 :
マンセー名無しさん:2006/12/07(木) 16:41:37 ID:YxPlpHUw
平安時代の食については、こういう教え方をされていることが
いかがなものか、と感じます。
http://kids.gakken.co.jp/campus/parents/faxbox/s_kyoka/sya6/B026106020.pdf 副食は、1だいず・あずきなど の雑穀、
2うり・なすなどの野菜、3せり・わらびなどの山菜、
4海や川でとれる のり・貝、5たい・かつおなどの魚介類、といったものですが、
ほとんどが干物で、 栄養のバランスが悪い食事でした。
京都は内陸ですし、生のままの魚介類の利用は限られます。
保存技術として、干すことは今でも多用されているわけですし
清朝期の料理で多用された、アワビ、ナマコ、フカヒレも干し物。
うり、なすなどの野菜や山菜は、季節によっては干し物ではないでしょうし
雑穀も食べているのなら
いったい、どこがそんなに栄養バランスが悪いのでしょうか。
>栄養失調で死んだ貴族が多かった
に至っては、どこから思いついた話なんでしょうか。
>>547の「大饗記」に解説で
「こうした古くからの公家社会の饗宴形式やその料理は、様々な形で日本の食文化、儀礼習慣に影響を与え、その中に根付いている」
こう書いているように、日本の食文化の基礎にあるものなのです。
>>日本と朝鮮を一緒にするな、下がれ・下がれ
そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、
下国のなかの下国であった。
天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、
朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。
また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、
朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが
「渓陰漫筆」に書かれている。
そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。
(黄文雄『韓国は日本人が作った』徳間書店)
>>547 うん、実際資料が残っていない(宮内庁なら違うのかな?)というのはあるし、
そのため語りづらいのは事実なんよね。
でも「宮廷料理」を語るなら話題として出てこないのはどうかな、と思って。
過去スレはいま発掘中なので、すでに語ったわい!という方がいれば平にご容赦。
宮廷料理というと、どうしても欧州封建時代のイメージが強くて、特にフランスや
オーストリー等の伝統&金のある王家を想像しがちなんだけど、これって結局は
毎日のように晩餐会やら舞踏会やらがあった「宮廷・貴族のごちそう」ってことだよね。
日本の宮廷料理、というものを考えた場合、御所で饗された大饗は上記晩餐会など
「宮廷のごちそう」に相当する物だと思うんだよね。神道の儀式色が色濃すぎて、
独自色は強いんだけど「食」として考えるに魅力が薄い、というのは残念だが。
一応スレの趣旨?に併せて朝鮮宮廷料理というものを考えた場合、資料をあたった
わけではないので推測で恐縮だが、日常は(当然)中国の影響が強いながらも、
朝鮮風のものを食べていたんじゃないだろうか。
で、上記のような特別なシーンでは、中国の使者を迎えるには中華式の料理が、
日本を始めその他の国の使者を迎えるときは朝鮮式の料理が饗されたと考えることは
できないだろうか。例えばスレの始めの方でも明治時代の日本の大臣が感想を
漏らしている話があるけど、あれは「朝鮮式のごちそう」だったんだと思う。
まあ単なる推測なんで、説を補強する資料を探さないといけないんだけど。
>>548 これはひどいなー。京都なら鮎とか川魚もたくさん採れただろうに。
干物として租税が収められていた事実もあろうけど。
>535-536
誰が買ってくるんでしょうか?
でも好きな銘柄は秘密なんでしょうなw
メーカーが図に乗って「皇室御用達即席麺」とか出したりするから。
具とか無駄に豪華なの。
>548
平安貴族はビタミンB欠乏による脚気で健康を損なう事が多かったと
どっかで目にした事があったような気がします。
果たしてこれは栄養失調といっていいものかどうか(笑
糖尿病とか痛風はまだこの頃にはなかったんでしょうな。
553 :
マンセー名無しさん:2006/12/07(木) 17:53:33 ID:YxPlpHUw
>>550 >実際資料が残っていない(宮内庁なら違うのかな?)
憶測なんですが、宮内庁にも残っていないようなんです。
私のブラウザではダウンロードしてしまって、リンクがはれないのですが
「資料に見る日本食文化と食養史」でぐぐってみてください。
「2003.12.8 〜 12.21 三田メディアセンター 展示委員会」
というPDF書類が出てきます。
この中に「中原忠兼料理式伝書」の解説があるんですが
「代々宮中の御厨子所預かりであった高橋家が
明治に職を幕府料理方頭取の石井治兵衛家に譲った際、
高橋家襲蔵の古文書・典籍類と石井家の所蔵本が合体した」
とあって、紆余曲折あり、現在まで残った資料は
慶応大学が所蔵しているそうですが、
それも後世資料ではあるようです。
日本と朝鮮の宮廷料理につきましては、また後ほど。
555 :
マンセー名無しさん:2006/12/07(木) 18:06:12 ID:2B0Gk3U8
赤ん坊食べたり
野良犬食べる国には勝てません
556 :
マンセー名無しさん:2006/12/07(木) 18:13:44 ID:YxPlpHUw
>>552 脚気は、白米ばかりを多量に食べ、副食をあまり食べなっかた場合に起こります。
胚芽を食べていれビタミンB1はとれますので、白米ばかりの場合なんです。
江戸時代には、江戸、大坂の商店の奉公人に多い、と言われていました。
もっとも、幕末の徳川家茂将軍、妻の和宮、ともに死因は脚気ではなかったか、
といわれていますから、個人的な偏食もあったのでしょう。
ビタミンB1は大豆や卵黄、ゴマなどにも含まれていますから、偏食をしなければ
将軍家の食事で脚気、ということはなかったと思われます。
平安貴族もそれに同じかと。
ただ、最後の将軍・慶喜公は、庶民的な贅沢品、うなぎや豚肉が好きだったので
長生きなさったんでしょうか。
明治の陸軍が兵士の食事を白米にすることに固執して、
日清、日露戦争で大量の脚気病死者を出しましたよね。
ねえ、杞憂だとは思うんだけどさ、そのペの店の食材って、その辺のスーパーとかで
買ってきたやつじゃないよね。
無農薬とかさ、有機農法とかさ、金正日特別農場からの直輸入とかさ、そういうのだよね?
ね? そうだと言ってk(ry
>>557 ナスは加熱したほうがいいと思うけどな…
漬物も好きだけど。
あと生のしいたけは菌床栽培以外では(天然物だと)危険です。
どんなゴミや虫がついているか、わかりませんから。
北朝鮮じゃあるまいし、ナマで食わせんなよw
561 :
玲奈:2006/12/07(木) 22:24:14 ID:R3SynzJI
日本は素材の味を喜ぶですのでいいでしょう。
562 :
マンセー名無しさん:2006/12/07(木) 22:34:18 ID:+s988kJK
でも水茄子の生美味かったな。
>>561 「素材の味を喜ぶ」というのは、ソースなどで濃い味を付けるのではなく、
出汁など最小限の味付けで素材の美味さを引き出すという意味があるよ。
なんでも生で食べる=素材重視、というわけじゃない。
ところで
>>557のペの店だけど、ここって「高級韓国料理店」だったよね。
韓国の高級料理には、(通常加熱する)野菜やキノコを生で食べるものがあるの?
韓国人はナスやシイタケを生で食べるの?
ナスもシイタケは加熱しないとマズいだけだと思うんだが…。
キノコで生食OKなのはキクラゲ系統とカンゾウタケ位では。
ばあちゃんのおやつ(調理前)に退化してるなw。
565 :
マンセー名無しさん:2006/12/08(金) 05:17:26 ID:XOqs3EcO
12月のナスって…
どう考えてもハウス栽培です。
本当にありがとうございました。
茄子が冬野菜とは!奇跡の技はここまで進化したのか(感涙
季節感のねぇ献立だな。
茸や川魚を生で喰う勇気、俺には無い。
特に舞茸には蟲が付きやすいんだよ…
韓国の宮廷料理って
日本の一般家庭で出てくる料理よりマズそう
キムチ以外なにもない
犬は食いたくない
かわいそうです
スレ違いかもしれんが、宇治拾異にダイエットを試みる上級貴族の話がある。
水粥で少食粗食が身体にいいというので
盥みたいな丼に山盛にした御飯に水をちょっと垂らしておかずは西瓜みたいな瓜の漬物をニセンチ位にきったもの五六切れと鰯かなんかの干物五六切れ。でお代わりあり。
痩せる訳ないだろって話。まあ、記憶だけで書いてるんで細部違ってたらスマン
干物は切れじゃなくて匹でした。
鰯の干物じゃなくて鮎鮨(鮎の塩漬け?)だね。
巨大な銀の飯碗(でも貴族の手がデカくて大きく見えない)に
大盛りの飯がサラサラ…と箸を二回も動かせば食い終えてしまう。
10センチ程もある干した白瓜を、一度にたった三口で喰い終え、それを三本も平らげる。
鮎鮨はたった二口で喰い終え、これまた五つも六つも平らげてしまう。
どこの小林尊だよって感じの食べっぷりですな。
571 :
マンセー名無しさん:2006/12/08(金) 14:16:49 ID:MuJiU4VL
>>551 手元にあったのを忘れていましたが、
鎌倉時代末期の成立か、といわれる「厨事類記」。
朝廷料理のレシピを記している料理書ですが
干物ではなく、生で使う魚が記されています。
鯉、鮭、鱒、鯛、鱸、鮒。
平安時代と、さほど条件がちがったとも思えないので
魚も干物ばかりだったとは、いえません。
ただ京都ですから、日本海、瀬戸内ともに距離はあるので、
鮭、鯛、鱸については、塩はしていたのではないかと思えます。
>>568 >>570 なんとなく、読んだ覚えがあります。
「厨事類記」に鮎が見つからないんですが
鮎は、江戸時代のうなぎのようなイメージだったんでしょうか。
572 :
マンセー名無しさん:2006/12/08(金) 14:54:27 ID:MuJiU4VL
>>550 >神道の儀式色が色濃すぎて、独自色は強いんだけど
「食」として考えるに魅力が薄い、というのは残念だが。
それは、時代性を無視したご意見ではないでしょうか。
>晩餐会やら舞踏会やらがあった「宮廷・貴族のごちそう」
というのは、ルネサンス以降のイメージ、
しかも舞踏会というなら、主に19世紀のイメージではないでしょうか。
平安時代と同時代のヨーロッパの饗宴と料理は、さして魅力のあるものではないですし
それは、中華王朝についてもいえることです。
食べられない、あるいは食べてもさしておいしくないもので、
豪華に宴会のテーブルを飾ることも、前近代においては東西共通です。
通常、前近代の社会において、宮廷料理はその国の料理文化の中心ですが
日本では早くからそうではなくなり、少なくとも江戸時代後半には
外国使節の接待も、民間料理屋の仕出し料理です。
「厨事類記」を見ていたら、鰹をすでに味付けに用いています。
堅魚(かつを)は、すでに「和名類聚抄」に載っているのですから
鰹を乾かして保存し、味付けに使うことは、古代からあったと推測できます。
食卓に調味料が並んでいるからといって
魚を焼くのに、塩は使わなかったとでもいうのでしょうか。
現在でも、通常、食卓に調味料を並べて、個人の好みにあわせた味の調節はします。
>>548のリンクのような偏見で、自国の料理を見すぎているのではないか、
という気がします。
>>572 時代性を無視しているつもりはないけど、実際問題として「食」を語る上で
食味や「実際に食べられるのか」ってのは重要じゃない?
食味については当時の調味料や料理法の限界を考慮する必要はあるけど、
最後はどうしても主観に頼る物になってしまうし。
ただ、「魅力的ではない」という「主観」を持っていても、それを元に
「だから当時の食い物はダメなんだ」という思考につなげなきゃいいんじゃない?
元々何を言いたかったのかというと、大饗は元は神饌に近かったんじゃないかと思うのよ。
つまり「宮廷で(お祝いなどとして)食べること」という儀式であって、
もっと古い時代のスタイルを踏襲することに腐心した結果、もっと美味しいものは
ほかにたくさんできたのに、伝統と格式を重んじてあまり美味しくもないものを
食べてたんじゃないか、ということ。
まあ推測にすぎないんだけどね。
あと晩餐会等のイメージは、もちろん19世紀のイメージだよ。
だって今の「宮廷料理」に対する一般的なイメージってそれじゃない?
あそこでは「そもそも宮廷料理って何よ?」という条件付けをしたかっただけであって、
「宮廷、王族・貴族のごちそう」という結論を導くのが目的であって、それを
日本の、しかも平安時代などと比較する意図はなかったし、そう書いたつもり
だったんだけどな。伝わらなくて残念。
そうそう、細かいことで済まないんだけど、書き込む際はメール欄に「sage」と
入れておいてくれると嬉しい。資料も細かく提示していただいて非常に参考に
なるので、ageることでつまらない煽りや荒らしを増やしたくないので。
吉鳥として鶴を食べてたらしいけど、実は結構不味いらしい、
って感じのお話?
まあぶっちゃけるとそんな感じ……かな?
「あるかないか」で言えば、日本にも宮廷料理は「ある」。
でも西洋・近代的イメージの宮廷料理とは違う。
さらに言えば「高級和食」とも違う。
難しいね。
576 :
玲奈:2006/12/08(金) 21:10:17 ID:0Ee3moY3
宮廷がありましたら料理もあるでしょう。
結局、朝鮮王はタイしたもの喰っていなかったんだな
同時代、日本国大尽の方が、素材も味も余程良い物を食っていた様だし
>>573 ここのところニュース板ばかりで遊んでいたので、ついageのくせがついていて、失礼しました。
>大饗は元は神饌に近かったんじゃないかと思うのよ。
これは、私も以前から気になっていたポイントです。
知識不足の点もありますので、気づかれましたらご指摘ください。
そもそも古代律令制において、中華王朝の宮廷宴会も祭祀と重なっていますし、非常に儀式的で、礼を重んじるものです。
少なくとも飛鳥、奈良時代には、こういった中華王朝の祭祀や宴会儀礼それに付随して料理も流入し、これが独自の祭祀や風習と融合して、古代の宮廷宴会は成立したものと考えられます。
神饌に近かったのは、中華王朝もそうでした。
例えば唐菓子ですが、流入した時点で、それが伝統的な神饌であったわけはありません。
むしろ、珍しく、珍奇なものであったから、神饌ともなりえて、現在、一部神社の神饌として伝えられているのではないでしょうか。
平安時代の宮廷料理に、現代の日本料理の基礎は培われています。
鯛の潮汁や昆布じめ、鱸の塩焼きは現代でもご馳走といえるでしょうし、さほど料理の仕方がかわっているわけではありません。
>伝統と格式を重んじてあまり美味しくもないものを食べてたんじゃないか
それは、ちがうと思うのです。
律令制による中央集権がくずれ去り、朝廷に富が集まらなくなっただけではないですか?
その国の料理文化を代表するのは、富のある場所の宴会料理です。
中世にいたって、朝廷の荘園や国衙領が崩壊し、献上食品は極度に減ります。
結局、朝廷料理は本膳料理となって、武家に受け継がれていくのですが、室町あたりから商人が富を蓄えて、しだいに料理文化を担うようになっていきます。
新しい中華王朝の料理も、南蛮料理も、民間で受け入れられ消化されたのは、民間に富があったからです。
>>578のつづき
>あと晩餐会等のイメージは、もちろん19世紀のイメージだよ。
フランス革命以降、フランス料理は、フランス宮廷を離れて
グローバルな外交接待料理となります。
王侯貴族の料理人が、他国の王侯貴族に雇われ、その国のサービス方式や
一部、メニューも取り入れる一方、レストランを経営して
フランス料理の神髄は、レストランで味わえるものとなっていたわけです。
このパリの状況と、外交接待料理が料亭の仕出し料理であるという江戸の状況が、たいして変わっていたわけではありません。
江戸の料亭料理に日頃から親しんでいた幕臣の成島柳北は、明治初期にパリへ出かけて、さっそく、当時評判だった料亭、カフェ・アングレで食事をとっています。
19世紀欧州の社交界は、たしかに王侯貴族の社交の面影を止めてはいましたが、
近代フランス料理、宴会の創始者ともいわれるアントナン・カレームの最後の雇い主は、ナポレオン戦争時に成り上がったユダヤ系の金融ブルジョア、ロスチャイルド家ですし、
ナポレオン三世は普通選挙で選ばれた皇帝です。
いわば、王侯貴族の儀式的な社交世界が破壊される過程であったから、社交界は過去をイメージしつつ、格式から離れて、わかりやすいイメージになっているのではないでしょうか。
フランス革命以前のルイ王朝の宮中宴会は、非常に格式張ったもので、王政復古時にその儀礼を復活させようとしましたが、貴族の多数からも反感をかって、結局、復活しえなかったわけです。
>>578のつづき2
>大饗は元は神饌に近かったんじゃないかと思うのよ。
これをなぜポイントだと思うかと言えば、
李王朝の宴席のイメージに、そういう感じがするからなんです。
神饌のように、果物や菓子を盛り上げて飾るんです。
http://www.kdrama.jp/myalbum+photo.lid+565.htm 上は水原の華城行宮に復元されている祝宴料理です。
18世紀末、ちょうどフランス革命のころなんですが、
正祖が母の恵慶宮洪氏の誕生日の大宴会を催し
そのときの記録が残っているんです。
これとは別の李朝期の宴会の絵が載っている本があるんですが
お膳の上に器が載って、その器にご飯や料理をうず高く盛りつけている図は
平安時代の大饗の盛りつけによく似ています。
しかも、王族の日常料理を作るのは、料理女官。平安時代の采女ですよね。
古代的なものを感じます。
実際、古代律令制に同じく、中央集権的で、
各地から王に献上物があがる仕組みが残っているわけです。
それで、
>>500でおっしゃっていた「中国の使者を迎えるには中華式の料理」という点です。
(つづく)
>>580 >神饌のように、果物や菓子を盛り上げて飾るんです
林檎が有るみたいだが、韓国の写真使う時は注意が・・・
>正祖が母の恵慶宮洪氏の誕生日の大宴会を催し
>そのときの記録が残っているんです。
で、何日目の宴会の事を言ってる?
確か8日間(だったかな)で内容が違ってるはずだが。
582 :
玲奈:2006/12/09(土) 02:06:28 ID:jsZeW2YN
つづくがつづかないです。
>>580のつづき
とりあえず、清朝になってからに話をしぼります。
中華王朝の料理は、清朝期に大きく変化しています。
明朝の宮廷料理は、山東地方の料理人が手がけましたが
清朝の宮廷料理には、そこに満州族の伝統料理が加わり
さらに、乾髓驍ェ江南料理を好んで江南の料理人を雇い入れ
江南料理が加わったからです。
北京の宮廷から使者を迎えるわけですから、この場合、
李王朝が中華式の料理で迎える、ということは、
同時代の清朝宮廷料理の影響を受けた料理、ということになります。
これが、どこまでまねができたものなのか、疑問に感じるんです。
清朝宮廷料理には詳細な記録がありますが、レシピの細かな点までは残っていません。
秘伝だからです。
食材は、日本との交易もありますし、その時だけに限るならば
集めようと思えば集められないわけでもなかったでしょう。
問題は、料理人ではないでしょうか。
「六典条例」という李朝末期の書に「霜花は中国人が好むので中国の使臣をもてなすのにつかった」
とあるんだそうです。
霜花とは、いわば餡の入っていない饅頭みたいなものだとかなんですが
朝鮮半島では、餃子かシュウマイのようなものを饅頭と言いますので
中華饅頭のようなものには、霜花という名がついているんです。
元朝期の饅頭は、すでに現在の中華肉まんのようなもので、
日本では、この総菜のような肉餡が小豆餡にかわって菓子となったのですが
半島では餡がなくなったもののようですね。
ともかく、そういった記述から見ても、清朝宮廷料理のまねはできてなかったのでは、
と思うのですが。
>>581 >何日目の宴会の事を言ってる?
存じません。
手元にある資料では、王の日常食とされる献立があがっているだけで
日にちまで載っていません。
こちらの方がお聞きしたいのですが、
記録に残る李朝期の宴会メニューに、菓子の名はあがってないんですか?
手元にあるものには、さっぱりないのですが。
>>582 つづきました。
っていうか韓国料理って存在するの?
586 :
玲奈:2006/12/09(土) 02:43:38 ID:jsZeW2YN
つづいたです。
いろいろ勉強になるな。
朝鮮の王宮料理は律令時代の化石だと思うと理解できる。
でも生のナスとシイタケはねぇだろw。
この調子だと生のジャガイモとかニンジン出してきそうだ。それも季節外れの。
588 :
玲奈:2006/12/09(土) 03:32:11 ID:jsZeW2YN
霜花は霜花餅と言うのが多いでしてニンジンは生はいいでして体が冷えるのにいいです。
589 :
マンセー名無しさん:2006/12/09(土) 03:42:38 ID:kzvqan3L
犬糞キムチは世界一
>>581 >林檎が有るみたいだが、韓国の写真使う時は注意が・・
よいところを突いてくださいました。
李王朝の三果は、棗、栗、干し柿ですね。
先にあげました鎌倉末期の「厨事類記」には
朝廷料理によく使われた木菓子として
栗、橘、杏、柑子、桃、柿などが載っているんですが
陰陽寮の注釈として、飾りに使う五果としては
李、杏、棗、桃、栗をあげているんです。
ここらあたりも、李朝宮廷料理に古代的な要素を感じるゆえんです。
>>587 それがどうも、李朝期の料理が載っている書に
「生菜」つまり、生の野菜というのがあるそうなんです。
どういう野菜を生で食べたかまでは載っていないらしいんですが、
察するに、瓜くらいではないかと。
ペの店の料理を本国人に喰わせたら怒るだろ?w
まず量が少ない。これだけでも従来の本国のもてなし様式とは根本的に異なっている。
ペの提供する料理らしきものは、良く言って<宮廷料理詐欺>だ。
>>578 なるほど、大変参考になった。すっかり学問の道から離れて久しいので
非常に刺激になる。
唐菓子を神饌とするにあたっては、単に中国から伝来した儀式のスタイルを
そのまま供物まで引き継いだ可能性があるんじゃないかと思う。
どこの神社だったか忘れたけど、鴨の生肉などをそのまま盛りつけて供える
ところがあるのを見た。素材の入手しにくさや衛生状態(まあ人間が食べる
わけじゃないからいいんだけど)よりも伝統を尊ぶことを考えると、新しく
何かを供物に加えるのってものすごく大変なことじゃないかと思われるので。
まあ、単に珍奇な物、当時文明の最先端であった唐からの伝来物=ありがたい、
という発想かもしれないけど。
中世以降の朝廷・貴族に富が集中しなくなったのは事実だけど、糖尿患者が
出るほど、貴族なら贅沢もできた平安時代に、なぜ「美味いもの」をあえて
外すようなスタイルを取らねばならなかったのか。その理由として推測した
のが「伝統と格式の重視」ということです。
大饗と朝鮮宮廷(?)料理の関連(特に盛り方)には当方も思うところがあって、
それはこのスレの
>>11にも読み取れる「うずたかく積み重ねる」こと。
神饌もやはり積み重ねる盛り方をすることが多いし、この辺はどちらがどちらに、
ということはさておいても、何らかの影響を感じざるを得ない。中国ではどういう
スタイルになっているかが実に気になるところだ。
>>593 >中世以降の朝廷・貴族に富が集中しなくなったのは事実だけど、糖尿患者が
出るほど、貴族なら贅沢もできた平安時代に、なぜ「美味いもの」をあえて
外すようなスタイルを取らねばならなかったのか。その理由として推測した
のが「伝統と格式の重視」ということです。
なるほど。
しかし美食に対する共通理解、もしくは共同幻想は時代によって異なるし
平安期、奈良期の食事でも運動しないで飯喰っていれば糖尿になりますよw
貴族が成人病で懊悩したのは、その原因が「運動不足」でほぼ全て説明できます。
当時の栄養素的に偏った食事に偏食が加わり、菓子と酒が加わればこれはもう
肥満と糖尿病は約束されたようなもんです。
さて、饗し方についてですが
高く円錐を成すような盛り方は、道教の天壇、天台=山を食卓において再現したものと
思われます。「神饌」という言い方には御幣があるので私は「御饌」とのみ
表記しますが、これには生のまま神前に供える「生饌」と、調理して食べられるようにした「熟饌」の
二通りがあります。
どちらも神様への供物ですから食べらないものをお供えしてはいけません。
御饌は祭儀が終わると撤饌(神前から下げる)し、これを食べます。
「直会(なおらい)」と呼ばれる御饌を食べる行為は「神の供物のおさがりを
頂戴し、神との合一を願う」という宗教的行為で、一見祭礼の後の宴会のようですが
厳粛な宗教的行事の一環です。
お供えものはささっと下げて食べてしまってよいのです。
食べ物を粗末にするほうがよっぽど神の御心に沿わないのでw
饅頭、って本来は餡やつめものなしが本来のものらしい。大陸では。
饅頭=パンで言えば生地を焼いただけの食パンだのロールだのバゲットだのチャパティだの、
餡や肉なんかが入ってる饅頭=菓子パンや調理パンだのピロシキだのデニッシュだの
というような位置づけなのかな?
>>593 >唐菓子を神饌とするにあたっては、単に中国から伝来した儀式のスタイルを
そのまま供物まで引き継いだ可能性があるんじゃないかと思う。
可能性はあると思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/神饌 wikiのこの項目では、生のまま供える生饌(せいせん)よりも
調理して供える熟饌(じゅくせん)の方が古いのではないか、
というような推測をしているようですね。
しかし、それよりさらに古い状態を考えますと、
なにかで読んだのですが、鶏を神前で犠牲にしてそのまま供える形も
あったと考えられるそうで、おっしゃるように生肉を供える形の方が
さらに古いといえるのかもしれません。
宴会の基本形は、
>>594氏のおっしゃるように、
神(中華王朝の場合は天でしょうか)との共食ですから
すべてが儀式であり、料理と歌舞音曲や出席者の服装、全体の演出が、
一体のものとして受け取られています。
平安時代の記録に宴会の献立が少ないのは、歌舞音曲や衣装の記録の方に
重きが置かれていたからではなかったか、と思えます。
(つづく)
>595
中身が入ると「包」とか「包子」のはず。
饅頭(マントウ)でも、蒸す、焼く、揚げるとかいろいろあるはずだよね?
598 :
玲奈:2006/12/09(土) 14:55:38 ID:CElE5hdr
画像が見えないでして蒸しパンのようでいいですが糖尿病は老人病だったですので成人病は最近でした。
それでミトコンドリアが少ないの弱りましたり肝臓が弱りましたらなるですので食べるのよりも運動をしないですと早く弱るでしてお酒をたくさん飲みましたらもっと早いです。
それで菓子はくだものでして中国の伝わったの菓子も入れたですが砂糖は後ですのででんぷんが多いでしょう。
それで饅頭は最初は餡がありまして中国は肉を使っていたですのを日本が小豆などを使うのに変えたでした。
>>596のつづき
時代が降るにつれ、宴会における神との共食意識は薄れます。
人間が中心になってきますが、原型の形式は残るんですね。
平安末期と同時代の南宗の宴会料理。
王侯が皇帝を招いて催した宴会料理の献立が残っているそうなんですが、その場で食べる料理よりも、下げ渡されたりする飾り物の方が多いほど。
しかし、中華帝国の力なのか、江南の美食の伝統か、平安朝や李朝の宮廷料理にくらべて、飾り物も桁外れに豪華です。
8種の新鮮な果物、12種の乾かした果物、10種類の香りのいい花、蜜漬けの食材で動物や鳥を彫刻したもの12種類、乾かした果物に香薬をまぶしたもの12種類、乾燥肉10種類などなど、です。
>なぜ「美味いもの」をあえて外すようなスタイルを取らねばならなかったのか。
おししいもの、というのは、四つ足の肉ですか?
当時の四つ足の肉が、素材を生かす料理法で、おいしく食べられたかどうか疑問です。
前スレだったかで話が出ていましたが、飼料、種類、屠殺法、料理法などで、四つ足の肉は、おいしいとはいえない代物になります。
平安時代の宮廷料理には、雉が多用されています。雉のおつゆや足を焼いた物などもありますよ。
これは、現在の日本料理の合鴨料理と考えればいいのではないかと思います。
ちなみに、飼育された雉なら、自分で料理して食べたことがありますが、おいしい。
鯉料理も、現在でも京都に、伝統の鯉の煮物を出す料亭があります。
餅餤(へいだん)という唐菓子が、「枕草子」に出てきます。
餅餤は、『和名類聚抄』によれば、鵞鳥や鴨の子(卵ではないかとも推測されていますが)を野菜といっしょに煮て、餅に包んで四角に切ったものとされています。
中華王朝にはおよびませんが、けっこういいものを食べていたと思われます。
幼児死亡率が高いので、平均寿命は短かったと思われますが、80、90まで長寿を保った貴族も、けっこういます。
>>594 >>598 糖尿病は、ストレスや運動不足、肥満など
生活習慣にも関係はありますが
遺伝的な要素がけっこうあると、最近では言われています。
実際、運動不足や肥満とは無縁の知り合いの男性が糖尿病になりましたが
遺伝的要素とストレスだったんでしょうね。
医者のいうことを聞かないで、酒を飲んで直してしまいました。
平安貴族が運動不足だといわれますが、どんなもんでしょう。
宮廷行事にしても、騎馬で行動する必要はありますし、
よほどの深窓の姫君でもないかぎり、けっこう運動はしていたでしょう。
少なくとも、現在のごく一般の人々よりは。
それにしましても、お産で死なないかぎり、深窓の姫君はけっこう長生きしたり。
ストレスが少なかったんでしょうね。
601 :
玲奈:2006/12/09(土) 16:45:23 ID:CElE5hdr
遺伝は前に言われていたでして体質でしてミトコンドリアが影響をするですので遺伝はあるでしてエバが元祖のようですか?
それで平安時代は今のような便利はなかったですので日常で動くのが多かったかもしれないですが家来が面倒はしたですので運動不足の人はいたと思いました。
例ですとトイレはおまるでしましたがしたあとを家来が捨てに行ったです。
>>597 http://ja.wikipedia.org/wiki/饅頭 おっしゃるように、現在の中国で饅頭といえば、
「小麦粉に酵母を加えて発酵させた生地の部分だけ、なかに餡も具も入っていない一種の蒸しパン」で、
朝鮮半島の霜花餅は、中国で饅頭がそうなった状態で、入ったものである可能性が高そうですね。
といいますか、おそらくかつての中華帝国では、包子も饅頭と呼ばれ、
また餡のない饅頭もあり、半島に入って残ったのは、なにも餡がないものの方だったのではないでしょうか。
資料上からいえば、「饅頭」と呼ばれているもののレシピの記録が残っている最初は、元朝期の「居家必用」で
小麦に酵母を加えて発行させた生地に、肉や野菜の餡をいれて蒸しあげた、日本で言う中華まん、現在中国で「包子」と呼ばれているものでした。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/33/9/3348410.html この「雍州府志」に、1341年といいますから元朝末期、林浄因という中国人が渡日し、元朝期にいうところの「饅頭」を伝えたという言い伝えがあるんです。
http://www.ne.jp/asahi/kiwameru/kyo/gozan.html 建仁寺、【饅頭屋始祖林家墓】の項目。
わが国ではじめて饅頭をつくったといわれる林浄因は、中国の人であるが、
徳見竜山禅師にふかく帰依し、暦応四年(1341)禅師の帰国に従って来朝し、
奈良に住して、饅頭をつくって家業としていた。
あるとき宮中に献上し、天皇の嘉賞を得たが、浄因の孤独なのをあわれみ給い、宮女をめあわされた。
間もなく男二人女二人の子供が生まれたが、延文三年(1358)竜山禅師の死去により、翌年妻子を残し、飄然として帰国してしまった。
あとに残った妻子は家業を継いだが、浄因の子惟天盛祐は禅僧となり、京都に来住したことから、林家は南北ニ家にわかれた。
惟天の孫、林宗二は室町時代の明応年間(1492〜1501)、五山の僧徒と交遊して古今の文事をきわめ、世に饅頭屋本といわれる『節用集』をはじめ、『源氏物語林逸抄』五十四巻等を著わし、学界に多大の裨益を残した。
また浄因の孫、紹袢は三河国設楽郡塩瀬村に移住したので、この一族は塩瀬を名乗った。
天正年間(1573〜92)、林宗味は中京区烏丸三条下がるに住し、饅頭をつくる傍ら茶巾をつくって販売したので、そのところを饅頭屋町と称した。
>>601 >トイレはおまるでしましたがしたあとを家来が捨てに行ったです。
あんまり、いい例ではないような気がします。
絵図によれば、庶民は道端で用を足した例も多かったようですから
おまるの中身を捨てにいく必用もないですし。
604 :
玲奈:2006/12/09(土) 17:15:39 ID:CElE5hdr
庶民は普通は少し道から外れましてしたでして家の中にいましたらいいところに行くのが運動でしたが貴族はお部屋でもできたです。
606 :
マンセー名無しさん:2006/12/09(土) 17:28:27 ID:C87FIqxi
>>1 宮廷料理がないだけで、歴史がない国、ですか。
日本が日清戦争で清に勝つまでずっと強国の属国だった国とは
歴史が違うのだよ。
607 :
玲奈:2006/12/09(土) 17:30:15 ID:CElE5hdr
現代の人が運動不足は炊事や洗濯や掃除や移動が楽で便利になったのが問題でして大分の昔を言いますと繕い物は糸の原料を取ってくるのから始まるでして料理も薪などがいるですので大変でした。
それで家事がとても便利で楽になりますと運動不足になりまして平安の貴族は面倒をしていなかったでしたら現代人のようかもしれないと思いまして書いたり読んだりの教養が趣味の人は特にそうに思いました。
>>607 >平安の貴族は面倒をしていなかったでしたら現代人のようかもしれないと思いまして
「平安時代の貴族が運動不足」というイメージは
武家や西洋の貴族とくらべて、ということだと思うのですね。
しかし、誤解があるのでは、と気になるのは、武士も頭領の家は中級貴族なんです。
清和源氏でも、娘たちは宮中などに女房務めに出ていますし、男たちは官職に就くのが通常です。
上流貴族が牛車にばかり乗っていたのか、といえば、公達の出世コース、憧れのポストは
李王朝とちがって武官の方でして、
とはいえ、平安の上級武官はいわば儀仗兵でして戦はしませんが
その花形の役目である賀茂祭の勅使は騎馬ですし、当然、乗馬の練習はしたものなんです。
これは花形とはいえませんが、伊勢まで出かける狩りの使い、などというものもありましたし。
蹴鞠もありますし、舞いを披露するにも、けっこう運動量がありますよね。
戦争するほどの運動量は、たしかにないかもしれませんが、
保元の乱から、突然、上級貴族が鎧を着込んで戦闘指揮をしたがったりしますけれども
体力がなければできません。
深窓の姫君は運動不足でしょうけれども
それを言うなら、江戸時代の深窓の姫君も運動不足でしょう。
609 :
玲奈:2006/12/09(土) 18:35:35 ID:CElE5hdr
現代の人も会社に行きまして1日お仕事をしましてカロリーは使うですが運動不足があるでして貴族の読んだり書いたりが趣味の人がそのくらいのと思ったでした。
それで糖尿病になったの人は食べ物よりも運動不足に思ったです。
それで姫君は虫が好きの姫君も少し駄目でしょう。
平安時代の、特に、女性の十二単なんかだと、
運動どうのっていう以前に、身につけているものが重過ぎて、動けないんじゃ・・・。
611 :
玲奈:2006/12/09(土) 19:05:32 ID:CElE5hdr
動かないのが優雅でよかったですのでだいじょうぶです。
それであまり人前に出ないでした。
それで前のお話ですが生菜は和え物でして大根やキュウリや桔梗や葱や春菊やいろいろでしょう。
>>609 「虫愛ずる姫君」ですね。
男童たちに毛虫を集めさせていたわけですから、あるいは、
深窓の姫君にしては、けっこう運動していたりしたんじゃないんでしょうか。
>>611 >生菜は和え物でして大根やキュウリや桔梗や葱や春菊やいろいろでしょう。
胡瓜や大根はたしかにありそうですね。
桔梗の根を忘れていましたが、あれはけっこういけました。
ソウルで、韓式朝食とやらを食べたときに出てきました。
韓国のタンポポってセイヨウタンポポ?
それとも日本のタンポポ?
それともタンポポに似た別の植物?
>>610 これが、実に変といいますか、不思議なんですが、
平安時代の大方の行事で、女性は身分が高いほど軽装なんですね。
もちろん、立后などの、その女性が中心になる行事では、
俗にいう十二単、女房装束に近いような衣装を着たわけなんですが、
通常は、女房の方がずらりとフルセットの正装で並び、
后など、身分が高い女性は、唐衣 も裳もつけません。
さらに、
>>612氏のおっしゃるように、
幾枚も重ねた正装をするのは行事のときのみ。
(必ずしも12枚ときまっていたわけではありません)
http://www.bb.em-net.ne.jp/~maccafushigi/mac/1.htm ここらあたりが、かなり正確に書いているようですが、
衣の重さは、当時の絹が非常に軽いものであったらしいので
ある程度は、軽減されるようです。
それとどうも、衣装の形を整える打衣は、早くても平安末、
院政期からではなかったかと思われます。
それまでの衣装は、男女ともに萎え装束と呼ばれ、現在再現されているような
糊がきいて、形がぴしっとしたものではなかったんです。
>>619 >何気に、揚げたり、ゆがいたりした方が良さそうね。
おっしゃる通りなんです。
通常、山菜は熱を通して食べますよね。
アクが強いですから。
>>619 食用として輸入されたのですか?知らなかった…
「輸入された牧草の種に混じっていた」ものだと…
来年の春まで覚えてたら食べてみるかw
>>598 言い忘れていたことがありました。
>中国の伝わったの菓子も入れたですが砂糖は後ですのででんぷんが多いでしょう。
唐菓子(からくだもの)ですが、でんぷん質ばかりではないようです。
唐から伝わったままというよりは、それからの変化があったのかもしれませんが
「厨事類記」によれば、生大豆粉を使っていたり、
ササゲ、クシガキ(干し柿でしょう)、ホシナツメ、ゴマ、カチグリなどを
使った菓子もあるようです。
李朝宮廷菓子に似ていますでしょう?
623 :
玲奈:2006/12/09(土) 23:10:22 ID:CElE5hdr
柿と栗は古いでした。
それで虫の姫君は変わっていたですので普通の姫君より動いたに思いましたがそれでも少し運動不足に思いましてほかの姫君はもっと駄目を言いたかったでした。
それで桔梗は生と思いましたがサンチュも生は古いでして日本はあまり生をしなかったです。
>>583 >清朝宮廷料理には詳細な記録がありますが、レシピの細かな点までは残っていません。
>秘伝だからです
六本木で食えるけど(w
少なくとも清朝末期だが韓定食よりは伝統守って由来もしっかりしてるが。>六本木店
あと壁打みたいな独り言の長文読むのメンドイ。
>>623 >生は古いでして日本はあまり生をしなかったです。
膾(なます)は伝統料理です。
今で言う酢の物ですが、生野菜も使った和え物です。
時代が降って恐縮ですが、李朝期とですので、
江戸時代の料理書から。
大根はあきらかに生。
白髪大根が多いようで、芸術的な細さにきざみますが。
独活、よめ菜、ずいき、松葉なす、などなども、湯をくぐらせたりするのかもしれませんが
ほとんど生でしょう。
一般には、やはり、瓜、大根、胡瓜あたりじゃないでしょうか。
>>624 >六本木で食えるけど(w
宮廷料理そのままは食べられません。
627 :
玲奈:2006/12/10(日) 00:11:37 ID:ZwP4/HKW
生が古いはサンチュの萵苣を言いまして日本は少し生もしたですがあまり生はしなかったでしょう。
それでサンチュでないでしたら魏志倭人伝が倭が冬に生野菜を食べるのを書いていたでした。
台湾板、中国板、には少なくハングル板、朝鮮系板に多い「ののしりスレ」
これは民族性、文明、文化、程度の低さ未熟さが影響してるんだろな。
>>627 >生菜の萵苣
元朝で話題になったという、高麗のチシャですね。
某氏がおっしゃっていたのでうが、言葉がうつりそうです。
それで、なぜ魏志倭人伝が出てくるですか?
>>627 >魏志倭人伝が倭が冬に生野菜を食べるのを書いていたでした。
どこに書いてあるか教えて。全文見たが、わからん。
>>627 ごめん。あった。
倭の地は温暖にして、冬・夏生菜を食す。皆徒跣なり。
~~~~~~~~~~~
屋室有り。父母兄弟の臥息処を異にす。朱丹を以てその身体に塗る、中國の粉を用うるごとし。
食飲にはヘン豆を用い、手もて食う。 その死するや棺有れども槨無く、土を封じてツカを作る。
始めて死するや、停喪すること十余日なり。時に当たりて肉を食わず。
喪主コツ泣し、他人就いて歌舞し飲酒す。已に葬るや、家をあげて水中にいたりてソウ浴し、以て練沐の如くす。
確か、日本人に腸って、欧米人の三倍長いんだって聞いた事がある。
>633
近頃は日本人も短くなってきてる。
食生活の変化かな。
>>632を読むと
「暖かい土地だから 夏は勿論冬でも(干したりつけたりしていない)野菜が食べられる」
という意味で、べつに「冬も夏もナマでかじってばかり」という感じはしないがなあ。
636 :
玲奈:2006/12/10(日) 11:51:35 ID:WxNJAHad
日本は萵苣は生はあまりしなかったですが他は生をしていたのを言ったでした。
それで冬に食べるの生の野菜は古いですと大根でして春菊や葱も入るかもしれないでして後は七種に入りましたのような山菜かもしれないと思いました。
>>633>>634 西洋人も肉を食い始めたのは日本より100年早いくらいなんだけどなあ。
それ以前は麦の粥、パン、ジャガイモ、チーズって感じだったぞ。
638 :
玲奈:2006/12/10(日) 12:13:01 ID:WxNJAHad
メソポタミアやエジプトで牧畜をしていたでしてジャガイモは新大陸にありましたので肉が古いでしょう。
それで韓国人と日本人は中国人より長いでして中国人は西欧人より長いでして肉の食べ物の割合があらわれたのと思いました。
640 :
マンセー名無しさん:2006/12/10(日) 15:06:30 ID:AIL1SIOk
>>639 ちょっとググッたかぎりでは平安時代には既に入ってきてたみたいだね>ちしゃ
地中海だかあちらの方が原産で中国渡りだから暖かい西日本で普及してたみたいだ。
しかし、ちしゃもみって美味しそうだけど苦そうだw
>>640 >しかし、ちしゃもみって美味しそうだけど苦そうだw
そうなんです。アクが強いので、よく塩でもまなければいけません。
チリメンジャコやイリコでうまみを出した酢味噌和え、というのは、
醤醢と海産物の干物での和え物の変形と考えれば、古代からの料理の形式ですから、
かなり古くから生で食べたのではないんでしょうか。
渡来については、正倉院の文献にも記録があるそうなので、
奈良時代には来ていたようなのです。
http://www.yg-life.net/dentouyasai/index.php?eid=18 「清良記」といえば、南伊予の農事書です。
やはり西日本限定なのかもしれません。
中国では、チシャは熱を通して食べていたそうなので
朝鮮半島で生で食べたというのはいつからのことなのか
ちょっと疑問なんです。
>>637 西洋人は、基本的に肉食だと聞いたぞ。
日本より繊維摂取率が低いから、短いって。
>>636 >>641を少し訂正します。
手持ちの本にありました。
韓国では、つまり朝鮮南部になると思うのですが、
朝ご飯を炊くと、昼はそのご飯の残りを食べる。
冬はお湯を入れておかゆのようにして食べたが
夏は、サンチというチシャの生葉で残りご飯をまいて
それに味噌をつけて食べたんだそうですね。
これなら、かなり昔からやっていたのだろう、
という気がしますが、朝鮮半島のチシャには
アクが少なかったんでしょうか。ちょっと疑問です。
644 :
マンセー名無しさん:2006/12/10(日) 16:55:54 ID:AIL1SIOk
>>643 アクの有無は土質によるところが多いし、菜っ葉の類は土地に合わせてどんどん
変異してしまうから苦くないちしゃが栽培されているのかもしれないよ。
実際、サンチュはあまり苦くないし。
日本に入ってきたのが奈良時代なら、任那や百済を通して入ってきたのかもしれないし
逆にこちらから半島に入ったのかもしれないね。もちろん、日帝時代に入ったことも
充分考えられるw
落語の「夏の医者」に「夏の萵苣は腹に障る」ということが出てくるけど、普通に生で食べてたんじゃないのかしら?
646 :
玲奈:2006/12/10(日) 20:21:04 ID:LcNOAAZH
チシャは千金菜でして中国が隋の時代は間違いがないでいいでしてサンチュサムは古いでして成長に合わせまして下葉の方から取りまして食べますのであくがだいじょうぶかもしれないと思いました。
それで夏の医者は江戸時代ですので生が増えたかもしれないと思いました。
>>642 西洋人だからといって肉をたっぷり食べられたのは金持ちだけだった。
農民の食事といえば、雑麦と野菜の粥や黒パン、ジャガイモ、豆、チーズといったところ。
肉は家畜を潰さなきゃ手に入らないから滅多に食えるものじゃない。
ハムやベーコンも越冬のための保存食の意味合いが強く、
人が食えないドングリを食わせて太らせた豚を冬の前に潰してハムにするというもの。
イギリスでは長くビールやエールが貧民の主食だった(日本のどぶろくや甘酒のように栄養価が高かった)。
誰もが肉を食べられるようになったのは20世紀に入ってから。
648 :
玲奈:2006/12/10(日) 22:33:42 ID:LcNOAAZH
西洋人で肉をたくさん食べたのが金持ちだけはだいぶん最近でして腸の長さに影響をする期間を考えますと白人はたくさんを食べたでした。
狩猟生活も長かったでしたが書きましたがメソポタミアやエジプトが牧畜をしていたでした。
それで中世でしても今の国で言いますとイタリアやドイツやイギリスやスイスやフランスの羊飼いは有名でしてイタリアに禿山が沢山は昔の羊の影響を言う人もいるですが一番食べましたのは豚だったでした。
それでヨーロッパは穀物の生産率が駄目でして森で豚を育てたでして豚は1度に沢山産みまして森をあまり壊さないでして半年から1年で食べられたですので人口が多くないでしたらとても十分でしてドイツは1人が1年で100Kg食べたを言う人もいるでした。
それで12世紀くらいですと人口が増えまして森を開墾をしまして畑にしまして肉が少し少なくなったでしたが大航海時代の少しあとからまた増えたでして都会を少し外れますと森の放し飼いでしたが都会も放し飼いが多かったでして馬車がぶつかるのが困ったでした。
>>648 まずはきちんと日本語を書きなさい。
参考となる資料が違うと大きく違うよ。例えば19世紀ロンドンの新聞には、
50年前ベーコンを求めていた世帯が今ではチョップ(厚切り肉)を求めている、と書かれている。
肉が潤沢に食べられていたならばベーコンを求めチョップを求めるという話は書かれなかった筈だ。
また、中世温暖期と呼ばれる時代には作物が良く実りブリテン島南部でもワインが作れた。
しかし西暦1300年代以降小氷期と呼ばれる寒冷期に入り、テムズ川の凍結や夏の無い年が起こり始める。
この小氷期はざっと500年くらい続いたとされている。
ヘンゼルとグレーテルや赤ずきんの童話も食い扶持減らしの子殺しや姥捨てを示唆しているという。
ヨーロッパというのはとことん階層社会で層が違えば生活がまるで違う。
同じ労働者でも見習と熟練と親方では大きく違うし、煙突掃除夫のように乞食と同等のようなものもいれば、
細工師や鍛冶、石工のようなエリートもいる。
日本人が肉を日常に食い始めてから150年、多く食うようになるのは戦後からだが、
それでも腸が短くなったということはほんの1世代やそこらの食性の変化で影響を受ける臓器と言える。
なお、「都市は人を自由にする」という言葉の裏には、
農村から人を吸収しなければ都市を維持できなかったという背景がある。
都市は生活環境は劣悪だし仕事は全てギルドによって管理されていた。
まっとうな仕事を得ることも難しく、仕事が無ければ結婚すら出来ない。
そして劣悪な環境ゆえ一つの家系が3代続くということも稀だったという。
651 :
玲奈:2006/12/11(月) 00:51:24 ID:GkKbJi4P
1人の人が1年で食べるの肉の量を考えましたら100Kgは1日が300gでして昔の日本人と比べましてとても多いでしたが100Kgの肉は豚が何頭もいらないですのを考えましたらだいじょうぶです。
それで鳥や魚や乳製品も入れましたら動物性の食品はもっと多くなるでした。
それで肉食の長いの歴史が白人の腸を短くをしたでして日本人が短くなりましたのは食べ物の量が少ないの時代も少し影響があるかもしれないと思いましたがまだ短いは少しでしょう。
652 :
マンセー名無しさん:2006/12/11(月) 01:19:12 ID:llFy1brx
>>1さん、答えあげるよ。
朝鮮では、せいぜい宮廷で出るものぐらいしか「料理」と言える物が無かったからさ。
下層民の食ってたもの、あれ、「料理」とは言わんだろ。w
日本は総じて、支配者階級も平民も似たようなもの食ってましたからね。
食い物で差別して気取る必要も無かったんで、あしからず。
654 :
玲奈:2006/12/11(月) 01:55:10 ID:GkKbJi4P
調べましたら腸の長さが同じを言うサイトがあまり無いでして同じが本当でしたらもっとありそうに思いました。
それでフランスの遺体解剖の結果のサイトですと体格の平均がないでしてわからないですが日本人のサイトの小腸と大腸をあわせましたらフランスが少し長いが多いでして
フランスが腸全体ですので十二指腸が30cmと直腸が別でしたら20cmが日本に増えますので体格を同じの人で比較をしましたら日本人が長そうでした。
655 :
玲奈:2006/12/11(月) 02:01:08 ID:GkKbJi4P
それでフランスの遺体は若いの人が長いようでして体重が重いの人も長いようでして成長期や大人になっての食生活で伸びるのが長くなったりするのと思いました。
656 :
マンセー名無しさん:2006/12/11(月) 02:15:40 ID:A1RALb9l
半万年属国奴隷の分際でよく言うなぁ。
657 :
マンセー名無しさん:2006/12/11(月) 03:33:36 ID:llFy1brx
>>654-655 う〜ん…これについてはあなたが信頼できると思うデータを提示してほしい。
サイトの場合はURLで。
欧米人との腸の長さを比較しているページをざっと検索すると1mとか2mとか、
2割3割は当たり前、下手すると5割も長いとかいっているんだが、
>>652のリンク先の分析からすると、
少なくともこれらのサイトは全部ウソと言い切ってしまおうw
つか大部分はそんなのばっかり。
それに
>>652のリンク先で示されたYahooのサイトでは、
個体差のレンジが4.72m〜9.70mとかなり広いので、
あなたが主張する数10cmの差が、
個体差よりも人種による差の方が大きいと主張するためには、
かなり厳密に調査したデータがない限り無理があると思うんだが。
>>637 ジャガイモは15世紀以降にヨーロッパに入ってきたので、それまでは
主に堅焼きのパン、肉、豆、野菜(根菜)、果物、乳製品等。
肉が食えるのは上流階級が中心で、農民はベーコンをスープに入れて脂を
取るのが目的。
当時の資料見ると、農民一人の食事は異様なくらいカロリーが低い。
あれは誇張されてるか、何か書き落としているんじゃないかと思うのだがなあ。
伝統料理を鑑みるに、記録よりもう少しマトモなもの食ってたはず。
まあ農民なんぞ記録する価値もなかったのかもしれないが。
>>653 >食い物で差別して気取る必要も無かったんで、あしからず。
見栄のために、女房質に入れて初物買う奴がいる文化ですよ、日本は。
>>644 >アクの有無は土質によるところが多いし
なるほど。それはそうですね。
サンチュといわれるものはソウルで食べたことがあって
たしかに苦くなかったのですが、あれは
サニーレタスなのだと思ってました。
>>645 「腹に障る」というのは、たしかに生っぽいですね。
チシャは、江戸時代には、新しく入ってきたホウレンソウと同じように思われていた、
という話もあって、アクが強い野菜の常で、ゆでて、おひたしにすることが多かったのでは、
とも思うのですが、あるいは都市部では通常おひたし、
農村では、田植えの準備で忙しい季節に生で、ということだったのかもしれません。
>>654 横からすみませんが、日本で肉食、
それも大方四つ足限定で忌諱されていた期間というのは
仏教が定着した奈良時代あたりからでして
江戸時代の末までとしますと、せいぜい千年。
たしかに、そういう文化的要素だけではなく
米を主食にしていれば肉食の必用があまりなかった、
ということはあるでしょうけれども、じゃあ、腸の長さは
華北、蒙古あたりの人々との比較ではどうなのか、
ということもあろうか、と思うんです。
食べ物によって腸の長さがちがってくるのだとしましても、
それは、 短い歴史時代よりもっと以前の、
狩猟採集時代にどういう地域に住み、なにを主に食べていたのか
ということの影響なんじゃないんでしょうか。
逆にいえば、腸の長さで歴史時代の食生活は語れないのではないかと。
>>662 腸の長さとどれほど相関があるかわからないけど、日本人の便は多いそうだ。
ジャングルを行軍する敵軍の規模を知る為に、野営地の大便の量を調べるんだそうだが
先の大戦で、白人が(イギリス軍だったかな?)が大便の量から日本軍の人数を見積もったところ
実際の人数の倍ぐらいになったそうな。肉食主体の白人と違って繊維質が多い食事をとっていた為
大便が多かったんだと。
そう言う話から腸が長いと言う説がまことしやかに言われるようになったのかもしれないね。
>>663 >肉食主体の白人と違って繊維質が多い食事をとっていた為大便が多かった
それは、根菜類を煮てよく食べていた日本人の食生活を語っていますよね。
生野菜についても、最近、サラダのサイトに行き当たったら、
「サラダは戦後アメリカから入ってきたもので日本人は伝統的にあまり生野菜を食べなかった」
なんぞと書いていて、あきれました。
親戚のばあさんで、終戦直後にミッションスクールで教師をしていた人がいるのですが
校長夫妻に食事に招かれて行ったところが、生野菜がほとんど出てこないで、
デザートの果物まで甘煮(コンポート)にしてある。
「日本人は野菜が好きだから」というので、
特別にピクルスみたいなものが用意されていたそうなのですが
味が濃すぎて量が食べられない。
胡瓜の塩もみが食べたくてたまらなくなった、と言っていました。
「あんなに肉ばかり食べて生野菜を食べないから、アメリカ人は肥って病気になる」
と、その話をするときは、いつも締めくくっていましたが。
>>664 サラダって少ない野菜で満足する為の食べ方だと思うんだよね。
火を通したり塩もみしたりしたら全体のカサが減るし、歯ごたえも生よりやわらかいから
たくさん食べられる。まるっきり生の野菜ばかりのサラダだと、あごがくたびれるし
切ってあるとカサも多くなるし、大量に食べるきをなくす為の料理法だよ、あれ。
それとコンポートやジャム、ピクルスのことをあわせて考えると、欧米の食生活って
基本的に野菜が不足した環境で生まれたものなんだな、と感じる。
>>665 ヨーロッパって作付面積に対しての収穫率があまりよくないらしいからねえ。
ただ、コンポートだジャムだってのは、冬が長い地域なので、冬期のビタミンを
補給する目的で保存食を大量に作ることに→結果として日常的にそれを食べる
習慣がついた、ってことじゃないだろうか。
板的な話題としては、キムチも結局は同じ目的(冬期のビタミンC源としての
野菜の保存法)でしょ。もともとは海水で洗った野菜が自然醗酵したのが発端と
されているようだけど。
>>666 塩漬け野菜の乳酸醗酵品だから、偶然で片付けるのは難しいのでは?
まあ、否定するだけの論拠もないのですが。
イギリスだと、胡瓜は高級食材として存在する。
キューカンバーサンドウィッチは、上流階級の午後の愉しみだった。
メキシコ湾流が無かったら、欧州半島なんて人が住めるところじゃないもの。
南方植民地に拘泥した理由もわからなくもない罠。
>>667 >塩漬け野菜の乳酸醗酵品
支那にもあったから、ルーツはそっちの方へたどれるでしょうね。
東アジアにかなり広く分布してますし。
ザワークラウトも沢庵も乳酸菌発酵なんだよね。
野菜の塩漬けの乳酸菌発酵ていろんなところで生まれているんじゃないのかな。
671 :
玲奈:2006/12/11(月) 21:28:21 ID:DBqncjWh
海外のサイトを探しましたら海外も腸の長さがばらばらだったでしてわからなくなったです。
672 :
玲奈:2006/12/11(月) 22:39:59 ID:DBqncjWh
>>662 人の体は鍛えましたり必要なところになりましたのところが強くなるですので
生まれたばかりは腸は大人よりもとても短いでして成長をしますと長くなるですが成長期の食べるもので長くなるのなり方が変わるかもしれないと思いました。
673 :
マンセー名無しさん:2006/12/11(月) 23:06:13 ID:MqHvIT7I
漬け物は野菜と塩と一定城の温度が必要だ。
だから始まった地域は、野菜が育つ暖かい地域で
海水がある地域に限定される。
>>673 岩塩の存在は?
「海水のある」→「塩の定期的な入手が可能な」とすべきでは。
>>659 おそらくビールやエールの類だと思う。
産業革命以後の話ではあるが、工場労働者は休みの間に間にビールを1パイントづつ飲む
なんてことがあったらしい。
>>675 それも無いわけではないだろうがw>ビール・エール
>>659に挙げられていないものには、「卵」がある。まあ微々たるものではあるが。
もう一つは、当時の農民が税金逃れの為に、家畜のほとんどを申告していなかった、
という事情がある。要は「あれは野生の豚だから税金は払いません」というわけ。
それでも決して豊かでなかったのは事実で、スープのほとんどはベーコンどころか、
「肉の欠片が歯に引っかかればラッキー」というような代物だったそうで。
スー・シェパード「保存食品開発物語」(文春文庫)P.174より引用。
「昔、韓国に貧しい農夫がいた。食べ物といえばしおれた白菜が二〜三個あるきりだった。
農夫は白菜を海へ持っていき、かめに海水を汲んで白菜を浸けた。こうすれば、
しおれた白菜がシャキッとするだろうと思ったのである。数時間後に戻ってみると、
農夫は白菜が大きくなっていることに気づいた。ほんの一つかみほどの大きさだった
しおれた白菜が、腹を空かせた家族に充分食べさせられるほど立派になっているではないか。
農夫は考えた。たった数時間でこの大きさになるのなら、一晩浸けておいたらさらに
すばらしい奇跡が起きるに違いない。翌朝、農夫は期待に胸を躍らせてかめのなかを覗いた。
ところが、肝をつぶしたことに、かめの中身は半分になっていた。塩のせいでこうなった
とは気づかず、農夫は泥棒に盗まれたのだと思った。どうやって捕まえようと思案しながら、
農夫は縮んでしまった白菜を手に取り一口食べてみた。意外にも、それはただの白菜と
まったく違う味になっていただけでなく、とても美味しくなっていた。古い伝説によれば、
韓国の有名な醗酵食品「キムチ」はこうして産まれたのだという。」
※おそらく、塩田のない地方では海水漬けにするのが一般的だっただろうと推測できる。
>>672 個人レベルでは確かに鍛えたり必要に応じて発達の度合いが変わるけど、
民族・人種レベルで大きな違いがあるとしたら、それはかなり大規模な
差がないと起き得ないと思う。
>>674 チベットの標高5千?。の地域でも塩とれるしな(w
ネパールでチベタンから買ってきたけど、ちょっとした物にひと削り
入れると旨い。
内陸でも岩塩のある地方は塩の摂取は容易だよ。
ところで菜食で腸が長くなるという話だが、
パンダなぞ数千年ではきかないほど竹や笹を食い続けている訳だが
いまだ菜食に適応しておらず食べたものが殆ど糞になってしまうそうだ。
食物繊維であるセルロースをいまだ分解できないわけ。
とすれば100年肉を食った程度で腸が短くなるってのは間違いだよな。
>>677 >たった数時間でこの大きさになるのなら、一晩浸けておいたらさらに
>すばらしい奇跡が起きるに違いない。
この辺、ウリナラクオリティが入ってて可笑しいw
都合のいい方へばかり考えてホルホルしている辺り、民族性って数百年くらいじゃ
変わらないんだなぁとつくづくw
>>681 伝説の一言をつかまえて、鬼の首を取ったようにホルホルすんのもどうなのよ。
例えば「垢太郎」(力太郎、こんび太郎とも)には民族性は現れていないと?
白菜が登場する時点で伝説そのものが大嘘じゃんかよぅ。
白菜がどういう経過で朝鮮半島に普及したかを考慮すれば…
「伝説」って別に何百年前の話じゃなきゃいけないとか、そういうこともないだろう。
昭和にだって伝説はある。朝鮮のことなら何でも叩けばいいと言うのでは、
いささか狭量すぎやしないか。
実際のところ、大根のキムチ(当時は単なる塩漬け)が文献に登場するのは7世紀頃らしい。
当然中国からの伝播だ。塩漬けによる乳酸菌醗酵だな。これが16世紀末〜17世紀に
唐辛子が伝わって、カプサイシンにより動物性タンパク質の変質が抑えられるので
塩辛を入れられるようになり、旨味成分を増し、ビタミンを増やせるようになったとか。
いまポピュラーな白菜キムチの登場はこの100年前後だそうだね。
北朝鮮じゃ唐辛子を入れない水キムチが主流だそうだし、真っ赤なキムチ=朝鮮、
というわけでもないらしい。
醗酵食品は文化的な嗜好が強いものなので、合わない人には絶対合わない(納豆や
沢庵が西洋人に受けないように。また動物性の醗酵食の多くが日本人に受けないように)。
ただし、嗜好で文化の優劣を決めるのは愚かな行為だな。
>>684 昭和の伝説を「古い伝説」という人は(ネタでもない限り)居ないと思うが。
あと、不味いから文化的に劣っている、なんて主張してるのは皆「韓国優勢=
日本劣等」側なのは、なぜだw
ただこの手の伝説って別に珍しくもない気がする。
焼く前のパン生地を取っておいたら、醗酵によって現在のような膨らんだパンができたとか、
緑茶をたるに入れて運んでいたら、長旅で蒸れて紅茶が出来たとか。
>>685 >あと、不味いから文化的に劣っている、なんて主張してるのは皆「韓国優勢=
>日本劣等」側なのは、なぜだw
ん、俺はそんな主張してないよ?
「嗜好で文化の優劣を決めるのは愚かだ」、と言っているだけで。
例えば俺はタイのイサーン料理で有名なメンダー(タガメの唐揚げ)は
絶対に勧められても食べられないが、それがタイの伝統文化の一端であることには
敬意を表したいし、虫なんか食うからタイの文化は劣っている、なんて意見には
絶対つながらない。
たとえ見慣れない食材や料理法であっても、その土地の歴史や風土に見合ったものが
食べ続けられてきたのだから、明確に毒だとわかっているものを食べて死ぬ、とか
いうのでなければ優劣をつけたり、罵倒することそのものが愚かだ、と言ってるの。
ここまでは理解できるね?
相手を忖度せず、自己流を押し付けて疑問に思わない慣習文化を持つ民族の民度は
「 愚 劣 」 と称していいと思うぞ。
>>686 ん?俺は別にID:ElpHdCeH が「韓国優勢=日本劣等」と主張しているとは言ってないが?
ただ、君の言う「愚かな行為」をしている人が皆「韓国優勢=日本劣等」なのは
何故かな〜、と言っただけ。
>>688 このスレの中だけで構わないので、具体例をどうぞ。
>>689 過去ログの1〜2あたりでも読んでください。
参考として「韓国料理は日本料理のように世界的人気になるか?」スレの過去ログを
どうぞ。
大抵3行以下かその程度の書き捨てレスがほとんどですが。
長文系の場合、文化の優劣まで踏み込む事自体無いですね。
>>690 で、それをやっている連中は愚かだよね、と言ってんでしょ。
話が噛み合わんな。
692 :
マンセー名無しさん:2006/12/13(水) 02:12:07 ID:YunpEZs8
来年は世界中ホンタクが流行る。日本以外全部ホンタク。
料理スレ乱立しているんで2スレ程度に再編したほうがいいのかも。
日本は食文化が乏しいよね
歴史が無い国だから仕方ないよね
↑
これって釣りだよね在日クン?
まるっきり韓国のことじゃ〜ん♪>歴史が浅い 食文化が乏しい
ちなみに韓国料理は、日本料理のように世界的に人気にはなれません。
もういじらんでほおってこ。
696 :
マンセー名無しさん:2006/12/14(木) 13:17:17 ID:bmD74m0q
ま、日本人は旨味中毒とは言える。
日本人の舌は旨味にしか反応しないのは事実だからな。何でもかんでも醤油や
魚出汁入れて日本風にしたものしか受け付けない狭量な所は日本の負の部分だ。
ageてまで主張するほどのことでもないかな。
「旨味中毒」か。
確か英語で「チャイニーズレストラン・シンドローム」って言うんだっけ?
ま、韓国人はカプサイシン中毒とは言える。
韓国人の舌はカプサイシンにしか反応しないのは事実だからな。何でもかんでも唐辛子を
入れて自称韓国風にしたものしか受け付けない狭量な所は韓国の負の部分だ。
>>696 スーパーに各種ドレッシングが置いてあることも知らんのか?
ちょっとは外に出た方が良いぞ。
新大久保や東上野から外にでろ>ID:bmD74m0q
しかし韓国食料品店という代物は、キムチ以外に売るものはないのか?
キムチとポンテギ缶と悩心製品を抜いたら何も残らないぞ。
>>698 それは急性中毒の症状。
五味に加えて旨味を発見したのは日本人だが、旨味成分の抽出に成功してしまったために
アジア圏全域に旨味調味料中毒とも呼べる状況を作り出してしまったのは功罪だな。
どんだけ普及してしまったかは、数年前にインドネシアで味の素の製造に豚の酵素を
使っていたことが発覚して、大問題になったのを覚えていればわかるだろう。
日本では昔「味の素を使うと頭が良くなる」なんて言って大量に使っていながら、
今は化学調味料を使わない料理が尊ばれる(日本人の天然信仰がなせる技か?)という
逆転現象すら起きている。海外で中華料理屋なんかにいって「化学調味料使うな」
って言うと、「そんなマズいものだせない」って断られたりするくらいだ。
でも味噌汁に出汁入れないと美味くないのは事実だし、日本人が旨味に対して
非常に敏感なのも事実(西洋人は「しょっぱい」と認識する人が多いらしい)。
米炊くときに昆布を少し入れておくと旨さが違う。
>>700 そのドレッシングの多くに醤油が含まれてたりするけどな。あと化学調味料(アミノ酸)。
705 :
玲奈:2006/12/14(木) 17:35:23 ID:FCMeSqSQ
>>696の人は韓国料理のスレッドで知られているの日本料理が明治や昭和に出来たので駄目を言った人だと思いましてここにもいたです。
それで世界のいろいろな国の料理店がたくさんあるの日本は珍しいでして醤油でないのを受け付けないでしたら矛盾をするでしょう。
それで旨味は他の国はよくわからなかっただけでしてイノシン酸の旨味は知らないで喜んでいたでした。
玲奈ってもしかしてアリラン娘?
707 :
玲奈:2006/12/14(木) 18:05:30 ID:FCMeSqSQ
何ですか?
>>706 意味がわからないなら無視してくれて結構です。
たりらりら〜ん娘だったりして
>>707 玲奈たん、レスアンカつけちゃいけないよ
玲奈
2001年頃からハン板に出没。
電波系女型キャラの一人。
不自由な日本語とツンツンしたキャラクターで売り出すが、当時ハン板では17歳眼鏡っ娘「ヒカル」
(海原、ハダ、みかん等名乗るときあり。安崎さん達の生みの親でもある)や17歳ツインテール美少女
「らいむ」の様な男心をくすぐるキャラと違い、ツンツンしたキャラが災いし美少女認定されず失踪する。
近年、ヒカルが一時復活したのをきっかけに、今年ハン板に復活。
しかし、ブランクのせいか当時の設定を思い出せずに現在に至る。
追記・訂正があればお願いします。
712 :
マンセー名無しさん:2006/12/15(金) 08:59:50 ID:KcSXK9JD
朝鮮宮廷料理って実在するの?
「テーブルの足が折れるほど」の量を求めているだけだったりするのかと思った。
お百姓さんが春窮期をなんとかしのいでいる時に大食い出来る幸せに浸る属国の王…
なんか下品。
チャングムがリアルな時代劇と思っているのかな?
「大地の恵みの蒸し物」は?
名を捨てて実を取るなんて言うけど韓国料理ってグチャグチャ混ぜて見た目最悪だからねぇ 旨いけど・・・
料理屋料理が発達しなかったんだろうね 料理人は女が多いし
宮廷料理と民間料理をごっちゃにするのはどうかと。
そもそも
>>1の煽りなんぞとっくに無視して、「じゃあ宮廷料理って何よ」と
いう話になってたのに、定期的にループさせようとする連中がいるのはなぜだ?
717 :
マンセー名無しさん:2006/12/15(金) 12:48:50 ID:QN7mMpuq
日本語まともに話せない馬鹿に日本の歴史語られてもなw
それでは、欧州の主要言語全部話せなかったらヨーロッパの歴史を語ってはいけないってことになるが。
720 :
マンセー名無しさん:2006/12/15(金) 14:38:17 ID:QN7mMpuq
玲奈タンの事なんだが・・・
あの日本語で日本の文献読んで理解出来てるとは思えないという事だ。
その辺はスルーしてやんなよ、生温い目で。
2ch見回したって、厨房レベルで理解できるはずの英語すらスルーしちゃう連中がいるんだし。
よそはよそ。
ここはここ。
723 :
マンセー名無しさん:2006/12/15(金) 16:40:34 ID:KcSXK9JD
文献の少ない韓国で本当にリアルな宮廷料理って再現出来るものなのかなあ。
それに漢文読める韓国人は少ないからなぁ。
漢文文献読める貴重な韓国人が漢文の料理本を読み解くなんて知的資源の無駄遣いっぽいから、結局宮廷料理があったとしても再現出来ないでしょ。
チャングムという完全創作・空想歴史ドラマをマジにリアルなドラマと勘違いしているのかな?
本気に韓国宮廷が高貴で雅やかというのは想像の産物かも知れないとも思う。
まあ、モンゴルや支那の宮廷の亜流ではあっただろうけど、宗主国より上を行く訳にはいかないという縛りがあるから独自な文化は作れないとは思う。
迎恩門で使者を迎えて接待した料理が宮廷料理の元だとすると、その下を行く中華料理が宮廷料理のレベルになるのかな?
つまりラーメン屋のレベルの中華料理ってところかもと想像中。
724 :
マンセー名無しさん:2006/12/15(金) 16:51:38 ID:KcSXK9JD
呉善花さんが韓国料理は韓国料理店として出せるような料理が無い…というような事を書いてたね。
韓国料理店があっても、あくまでも家庭料理だと書いてた。
っていう事は料理店というより定食屋っていう事か。
フランス料理が広まったのはフランス革命で失職した宮廷料理人がちまたで開店したレストランによったという話からすると、韓国宮廷料理は終戦まで存在した筈だけど、普及のタイミングを逃したという事か?
あるいは見るべきオリジナリティが無かったという事か?
>724
李朝時代に貨幣経済が浸透しなかったので、外食産業が興らなかったに一票
フランスで修行した日本人シェフが、向こうのシェフは匂いを嗅いだだけで料理の塩加減が
分かると言ってた。あと焼き加減を耳で判断する事もできると。
ドキッとした。向こうはもう、第六感に近いレベルにまで料理の技法を引き上げたのかと。
韓国の料理人なら惨めな敗北感に打ちのめされるだけだろうが、日本の技法なら同等か、
それ以上のものを持っているはず。
という訳で、フランスにも負けない日本の料理人の職人技や伝説とか、知ってたら教えて偉い人。
727 :
マンセー名無しさん:2006/12/15(金) 18:36:27 ID:KcSXK9JD
725…確かにそうだね。
朝鮮総監府は苦労したらしいね。
黄文雄さんの本に書いてあった。
色々な役所が銅銭を発行するし、額面も色々なんだけど結局みんな一銭として扱われて…
日本の出先機関が僅かな土地を購入する為に署員総出で何日もかけて銅銭を勘定した話が出てきた。
貿易の決済は外国通貨を使うしか無かったらしいし。
百姓相手の一膳飯屋や糞餓鬼相手の駄菓子屋程度はあっても、高級レストランなど作れる状況じゃ無いのは納得。
ほんの百十年前がそうだったんだよね。
>>723 >文献の少ない韓国で本当にリアルな宮廷料理って再現出来るものなのかなあ。
あえてそれを探求してみるのが面白いって人もいるのよ。
実際に数少ない文献から色々引っ張り出してきてくれている人もいるんだし、
想像する分にはタダだからね。
どう考えても劣化中華料理になると思うけど、それならそれでひとつの答えが
出ることが重要。
>>726 焼き加減を音で判断できない人はプロの料理人としちゃ失格でしょ。
俺だって肉と餃子だけなら耳で判断できるもん。
よくいく中華料理屋のご主人(台湾で修行した人)はオタマでg単位の
計測ができる。ご主人曰く、これもそんなに珍しくはないんだとか。
まあスレ違いだが。
>>728 説明が足りなかった。音で判断できるのは、焼き加減による素材の味や香り、歯応えの
変化やソースの滲み具合だと言ってたな。
まっとうな料理人なら程度の差こそあれ色・音・熱・匂で調理の状態を判断できるものだ。
鍛えた五感は精密な計測器に匹敵する。
飴の職人、餅の職人も目分量でありながら個々の重さに差が生じない。
ま、駄目なヤツは駄目。ソースと醤油を取り違えたヅケ丼を喰ってみたまえ。
酷いぞ…………暴れちゃうから。
731 :
マンセー名無しさん:2006/12/15(金) 21:01:24 ID:5cdQMFR4
わたしは、メイプルシロップとポン酢を取り違えたフレンチトーストを喰ったことがある。
>>730 …………聞いても無駄なことを尋ねてみる。
おいしかった?
ミルクが入っていなければ半和風ということで己を騙せると思う。
前レスちゃんと見ずに書いてるけど…
結局日本は昔から大衆文化がおもしろかったって事じゃないの。
多くの国は昔は一部の特権階級
(俺はあんまり朝鮮嫌いじゃないけど、一般的な歴史感から言えば朝鮮)が
文化を独占してたけど、日本は文化が大衆化するのが早かった(今で言う所のポップやサブカルチャー)のではないかと。
だからあえて「宮廷料理」にみたいな権威主義的な料理を
全面に出す必要が無いんじゃない?。
>>724 >フランス料理が広まったのはフランス革命で失職した宮廷料理人が
日本でも同じ様なもんだな。
関東大震災で東京で飯食えなくなった料理人が包丁持って日本中
にちらばった。それが江戸前や東京の洋食の拡散につながった面が。
735 :
マンセー名無しさん:2006/12/15(金) 21:33:20 ID:5cdQMFR4
>>732 ん?わたしか?
一口食べた瞬間…
店員に訴えて、取り替えてもらった。
>>727 両班は買い物に行く際に銅銭をつんだ荷車を家来に引かせて出かけたんだよね。
そう言えば、数日前に韓国で自称宮廷料理の伝承者の人間国宝の
ばぁさんが亡くなったな。
一応伝承者と言ってたが、宮廷内の検証がそれほど韓国内で進んで無い
時期から自称してたから結構持ち上げられてたな。今となっては無茶苦茶
な事を言ったり、本を出したり(日本でも翻訳されてる)も。
李朝末期はわりと資料が残ってるので検証すると・・・
商売には熱心だったみたいで自称宮廷料理に店を出して「チャングム」ブ−ム
でしっかり儲けておられた。で、今は娘が朝鮮宮廷料理の第一人者の後を引き
継いでる。
ちなみに、そのばぁさんの生まれは1920年(w
738 :
マンセー名無しさん:2006/12/16(土) 00:09:31 ID:M4wdet5u
なんで朝鮮には宮廷と称するものが無いの?
739 :
マンセー名無しさん:2006/12/16(土) 00:12:23 ID:M4wdet5u
>>783 そっ、それは、朝鮮王って称してても中国の木っ端役人に
地べたに頭打ち付けてで出向かなきゃなんない卑しい身分
だったからなんだよ。
740 :
マンセー名無しさん:2006/12/16(土) 00:15:00 ID:M4wdet5u
隋の時代から中国皇帝と同格かそれ以上だった日本の天皇
とはえらい違いだね。雲泥どころか金糞の差だね。
>740
聖徳太子に感謝
742 :
マンセー名無しさん:2006/12/16(土) 00:23:57 ID:M4wdet5u
ああ、隋の皇帝だって日本の摂政、つまり天皇の代理から見下されて
たわけだし、中国皇帝とか言ったって、大半は蛮族の盗賊あがりで、
何代も代替わりしてるし、儒教の教えから言ったって日本の天皇のほうが
ずっとずっと位が上なのは明らかですね。
その下のほうの中国皇帝の家臣の中でも下のほうの連中に地べたに頭何回
も叩きつけて恭順の意を表して出迎えた、朝鮮王ってのはようするに奴隷
の組頭に過ぎなかったわけだ、そいでもって大変な財産や女もっていかれ
るのを毎年繰り返してたんだよね。
743 :
マンセー名無しさん:2006/12/16(土) 00:32:24 ID:kbgg7GTD
お前ら日本人は朝鮮族の奴隷としていかされている存在。徒党を組まなければ何もできない屑どもは死ぬまで働くさだめWWW
>>743 総連の捜査がある度に、徒党を組んで座り込んでいる
アレはなんなんだ?
このスレを読んでいてふと思い出したのですが、かれこれ20年ぐらい前
家族で韓国の王宮だか高級だかの料理を食べに行ったことがありました
一つはなんか皿に多くの具材があってそれを餃子の皮みたいなので
包んで食べるのとメキシコの帽子みたいな鍋で食べたすき焼きもどき
旨かったかは記憶にありませんが、特別美味しかったと言うことは
無かったのでしょうね
>>743 こんな所でわめいても、お前の情けない境遇は変わらないぞwww
まあ、伊勢には炊事の神も祭られてるし、毎日膳を奉納してたらしいしで、
禁裏の食事は神事に通じてるから、かえって贅沢の限りを尽くすことは少なかったのかも。>皇室の食卓
天皇家・公家諸侯は室町の乱世で、完全に貧民に落ちぶれたからなぁ。
院政が敷けた頃の天皇家は結構贅沢できていたけど。
政治権力と実質経済力を失ったあとで生き残ろうとすれば、身奇麗にして
世俗から解脱する・・・もしくは解脱するフリをして「純粋な権威」として
存在するしか方法が無い。
そうなれば、実力者は権威付けのために貢してくるのだから息がつける訳だ。
でも、そこで贅沢をすると疎んじられるから表面は質素、質素に変わっていく。
一番悲惨だったのは室町-応仁の乱前後から、戦国大名が確立して「領土の経営」に
乗り出し生産力が激増するまでの100年弱かね。
>>745 > メキシコの帽子みたいな鍋で食べたすき焼きもどき
プルコギですね。大正時代にできたジンギスカンより歴史が浅いと聞いてるのですが…
750 :
マンセー名無しさん:2006/12/16(土) 08:20:40 ID:3DE+14QZ
>742
大企業(中国)の主任(下級役人)をひたすら接待する下請の社長(朝鮮王)って構図だな。
で、隣家の別業種の大企業社長(日本)に「ウリは大企業様(中国)と取引してるニダ!凄いニダろ?ホルホル」
と自慢しているが、実は大企業(中国)の社長と別業種大企業社長(日本)は昔からの知り合いであることを知らない。
こんな感じだな
751 :
マンセー名無しさん:2006/12/16(土) 09:34:57 ID:Cdzd+bGg
しかし、チャングムも悪い影響を残したもんですね。
ウリナラにも他国に匹敵する雅な宮廷文化があった(かもしれない)という幻想を在日はじめ白丁出身が半分の朝鮮人に思わせてしっまった。
罪なもんです。
自分たちで李朝に引導を渡したのはパスだし、病んだ精神構造ですわ。
>>751 ますます世界の学会から相手にされなくなる罠。
調べれば殆ど無根拠な代物であることが露見するから。
フィクションとして構築しておきながら「歴史的事実」に摩り替えてゆくのは
朝鮮固有の手癖の悪さだし、それを倍加させた犬HKの罪はさらに重い。
753 :
玲奈:2006/12/16(土) 15:00:02 ID:GuVJVkj4
日本の時代劇も正しくないですのであまり言わないのがいいでして楽しむのをしたらいいです。
>>753 水戸黄門や暴れん坊将軍を「史実だ!」って言う人間は日本にはいない。
>>753 時代劇を外国人に日本の歴史として言われたら、日本人なら反論するでしょ?
でも(ry
>>754 「影の軍団」は史実ニダ。 ウリはそう信じたいのです!
757 :
マンセー名無しさん:2006/12/16(土) 15:45:29 ID:oTEcaRng
大河ドラマも墳飯ものだしなw
>>753 一般教養を普通レベルで身につけている人なら誰でも
水戸黄門や暴れん坊将軍の時代考証のどこがおかしいか
簡単に指摘できると思う。
それに、時代考証をしっかりやっている部分については
チャングムなど足元にも及ばないくらいきっちりやってる。
宮廷料理。。。きゅうてい料理
あぁ、ハニーフラッシュか…
---------- ̄  ̄  ̄ ズガガッ☆`Д´)ノ
>>759 (彡ノД`)ρ -------- ̄  ̄  ̄
∪〓||〓つ ヒュン
|__∧_|
し´`J
時代劇における考証は、あくまでドラマの見栄えのために存在する。
そのあたりはかつての悪弊の名残かな>大河ドラマ
史実の再現ではないから完全に再現するには及ばなくとも、戦国もので
刀の差し方くらいはリアルにしよう。
762 :
マンセー名無しさん:2006/12/16(土) 16:33:13 ID:8eZHk7Xu
>>753 もしかして、桃太郎侍や銭形平治なんかも史実と思ってたのか?
763 :
マンセー名無しさん:2006/12/16(土) 16:33:57 ID:Cdzd+bGg
以前、伊藤四郎さんがラジオで言ってたけど、おしんをやってた時、主人公の意地悪な親父の役だったんだけど、自宅にいたら・・・
「おしんに酷い事すんじゃないよ!!!」って庭先で怒鳴って行く人がいたんだってさ。
昔は役柄と現実がわからない人がいたって言う微笑ましいような話なんだけど、このスレ主にも同じような微笑ましさを感じるという事で、今後はかれへの励ましのお便りをお願いします。
764 :
玲奈:2006/12/16(土) 17:12:11 ID:GuVJVkj4
岡っ引きが銭形平次のように思う人がいるかもしれないと思いまして大岡越前がたくさん判決をしたのを信じるの人がいるかもしれないと思いました。
それで役のイメージで見るのは今もする人が多いかもしれないと思いました。
あれ、ドラマだからね。
>>763の事例の人なんか、純粋と言えばそうなんだけど、
躾がなってないね。
>>764 銭形平次のような岡引が本当にいるわけないではないですか。
あ…サクラ大戦は史実ですことよ?
衣装やら小道具、史実通りのドラマなんて日本でも無いだろ。
769 :
マンセー名無しさん:2006/12/16(土) 17:43:30 ID:269lt7k3
>>764 平次や長谷川平蔵は実在の人物だけど
実際にあんなことしてたなんて信じるバカはあなただけですよ
…まさか、「め組の居候徳田新之助」は実在の人物だとか思ってないよな?
この分では沖田総司や坂本竜馬も実在の人物だと思っているんだろうな。
おろかな、そうではない。なぜ分かってくれないのです。
遠山の金さんは実在しましたね。
ただしトレードマークの桜吹雪の入れ墨は
女性の入れ墨でしたけど。
773 :
玲奈:2006/12/16(土) 17:58:36 ID:GuVJVkj4
銭形平次は実在しないでして私が言いましたのは収入が無いの岡っ引きの人がドラマのように生活ができないでしたのを言ったでして同心からもらうのは少ないでして駄目ですのと十手は普段は持たないでして持つのは駄目でして紫の房がつきますととても身分が高いでしょう。
え、お銀もだろ?
坂本竜馬って、誰だ?
>>776 戦場のメリークリスマスを作曲したミュージシャン
戦メリか。
「敵で海が青く見えない、敵が七分に海が三分だ!」
徳川家康は関ヶ原で亡くなっていて、以降は影武者が家康のふりをしていたんじゃないの?
大岡忠光は極悪人で、四代目服部半蔵に部下を殺されたんじゃないの?
大久保利通を暗殺したのは縮地の使い手じゃないの?
782 :
マンセー名無しさん:2006/12/16(土) 18:19:40 ID:8eZHk7Xu
赤影がまだ出てないな。
「豊臣秀吉がまだ徳川家康だった頃〜」というMADテープを思い出した>赤影
784 :
マンセー名無しさん:2006/12/16(土) 18:37:16 ID:VjCxV/f/
もともと“宮廷料理”など有ったのかよ。有るわけねえじゃねえか!
785 :
玲奈:2006/12/16(土) 19:10:18 ID:GuVJVkj4
徳川家康は武田信玄に攻められたの時に死んでいたのを聞いたですのでそのあとが影武者がいいでしょう。
>>782 えっ琵琶湖の南に、金目教ってなかったの?
787 :
マンセー名無しさん:2006/12/16(土) 19:27:43 ID:DX075G3t
金目教の教祖は、朝鮮人だそうね。
>>781 あれ、あずみに暗殺されたのは影武者の方?
>>788 影武者の影武者だよきっと
本物の家康は忍者で、息子は槍の使い手
あと天海は芦名銅伯に瓜二つ
ここはいつから時代劇スレになったのだろう?w
では方向を変えてみる。
韓国の宮廷では甘味をとるのに蜂蜜を使っていた、つまりキューティーハ(ry
793 :
玲奈:2006/12/16(土) 20:59:12 ID:GuVJVkj4
蜂蜜は養蜂を日本に教えようとしたですが環境が違いまして上手にできなかったでしょう。
>>791 イヤよ、イヤよ、(乳出しチョゴリを)見つめちゃイヤーン
キューティハニーの武器は3つ
バスターコレダー バスターシールド バスターホームラン エリトリウム光線
4つある件w
>>795 「二つ」から始めてくれないと続けにくいニダ…
>>796 多分、指が三本なんだろう。(数えれない)
and now, for something completely different....
ケジャンは美味しいなあ。イイかにを使ってあるとなんともいえない。
>>800 ぐぐるさんで「ケジャン」を検索すると関連検索に「ケジャン 寄生虫」が出る件について
>795
モンティパイソンのスペイン宗教裁判だと気が付いてもらえない点について
ずるいニダ!ウリのいない時に限ってパイソンネタがでるニダ!謝罪とブライアンのDVD発売を求めるニダ!
806 :
800:2006/12/17(日) 11:54:32 ID:+nQ/QO1Z
>>795 気づいていることに気づいてくれってば!
座り心地のいい肘掛け椅子に座らせてふかふかのクッションで責め苛んでやる!
ルピナスハンバーグ食い過ぎて屁の匂いもルピナスだ。
809 :
玲奈:2006/12/17(日) 22:20:50 ID:yiUIU4Ui
会話がよくわからないです。
三島由紀夫が東大全共闘との討論で
「日本の天皇はたらふく食ってなかった、だから革命が起きなかった
たらふく食ってる存在なら革命なんて簡単だった」みたいな発言してた。
江戸時代には献上品の鯛を半分食べて、もう半分は夕食に食べようなんて侘びしい生活だったらしいし
>>808 フリーメイソン野郎め!!どうせ俺なんか会員になれない!!!!
>>811 孝明天皇の鮭の話じゃないの?
かなり貧しかったのは事実らしいね。
応仁の乱以後は食う物にも困っていたそうで、菓子屋から塩餡の餅を毎朝もらってしのいでいたというくらいで。
戦国時代だと、戸や障子、御簾なんかも修理できなくて隙間風がぴゅーぴゅーとか
屋根や土塀が崩れても穴をふさぐことも出来なくて雨漏りが酷いとか
油がもったいなくて灯りをともすことももれだったとか
いろいろ記録に残ってるよね。
まあ江戸時代の貧乏大名の生活もそんなだったらしいし。
松代藩の藩主なんて、趣味の書道をやるのに暗闇で指を使って練習したとか。
油も紙も墨も買えなかったらしい…
天皇は、贅沢三昧の他国の王室と違い、生活が質素だから国民から恨みを買わず敬愛対象のままで近代を乗り切れた。
日本では支配層が贅沢だから、質素だから、という理由で暴動が起きた試しは
ほとんどないんじゃないか?
それが将軍であれ、殿様であれ、天皇家であれ。
日本の場合、為政者が財政を圧迫させるほどの贅沢はやらないからな。
818 :
玲奈:2006/12/18(月) 18:32:03 ID:i0mCC+uf
おごる平家がいたです。
820 :
マンセー名無しさん:2006/12/18(月) 19:12:41 ID:CpjaObXc
天皇陛下の食事は質素なだけでなく生ゴミを出さないのだ。
821 :
マンセー名無しさん:2006/12/18(月) 19:36:16 ID:9eF4Bdbw
>>1 日本は大陸と違って古代から民主国家だったから、上層も下層も同じ
ような食生活だったのだ。和歌にも庶民の歌が収録されている。
しいて言えば京料理というのが宮廷料理に当たるのだろう。
加賀前田家は、徳川以上に凄かったらしいが。
筆頭家老本田家には5万石与えてるし、足軽の家が、一軒家だったし。(しかも、大きめ)
823 :
マンセー名無しさん:2006/12/18(月) 21:02:53 ID:URJvy3Gm
万年属国の宮廷料理って乞食奴隷の親方が食ってたやつかい?
>>821 >日本は大陸と違って古代から民主国家だったから
こんなの見るとなにか朝鮮人笑えなくて辛い、釣りだよね?
>>824 古代ギリシャのポリスを民主国家とするならば、聖徳太子の治世は立派に民主制w
>>814 >松代藩
あそこは財政再建団体というか、民事再生法をやってたようなところだから。
>>817 江戸城の大奥集団がある。
ひとつひとつは左程でなくとも合計するととんでもない浪費を。
幕末では、徳川家大奥という「宮廷費」が国家財政に対して絶対的な悪影響を及ぼしている。
>>825 「民主制」の意味を中学校あたりで習い直してきたらどうだ。
酔っぱらいの戯言は要らんから。
>>828 それを直接の原因としての暴動につながってない、ってこと。
重税が一因の一揆はあっただろうが、彼らは大奥の状況までは知らん。
単に贅沢だけなら、江戸の豪商の方がよほど贅を極めてたしな。
いわゆる「豪華な料理」=宮廷料理、という位置付けではないのが難しいな。
特に公式な晩餐会とかになると、格式も作法もあるわけで。
量と種類が出ていればOKな国は気が楽だったってわけですな。
庶民が割合良いものを食べていた
→支配層と庶民の食い物がかけ離れない
→庶民と隔絶した贅沢としての「宮廷料理」が発達する必要がない。
831 :
マンセー名無しさん:2006/12/19(火) 12:23:26 ID:zNUFQEpd
つか、自分も食った事が無い宮廷料理の有無を民族的優位性に置き換える在日って…哀れ
>>829 いや、各種の貨幣改鋳は経済対策として最悪の部類なんだが。
それだけが原因ではないが、行政サイドの財政硬直が施政全般の
柔軟性を失わせたから大塩の乱などを招いた訳で。
ま、そんな状況で大名が食えない有様だったのはある意味
「徳川体制のおける為政者倫理の完成度が高かった」と言えるね。
>宮廷料理
前スレか、本スレだったかのレスにあった
「宮廷で出される料理はすべて宮廷料理である」という定義でいいと思う。
無論、その中で料理の質は問われるのだが。
宮中で提供される料理が豪華か質素かは、その王朝のスタンスによるから
優劣を論ずることは無意味だ。
故に「羨ましくなるような内容」かどうかはどうでもいい事だ。
王が居て王室があって行政組織があれば王宮が無くても「宮廷」は存在する事になるし
そこで飯を食えば全部「宮廷料理」と言って言い過ぎではないだろう。
で、各論なのだが・・・
<朝鮮宮廷料理>が嘘臭いのは、料理内容と儀式が連動していない所だ。
朝鮮料理には全般的に「作法」が欠けている。俺が朝鮮において料理が重視されていなかった
または発達していなかったと判断するのはその点から。
まぁ、口を開けて咀嚼音を響かせるのが作法といえば作法だが、はっきりいって汚らしいぜ。
833 :
マンセー名無しさん:2006/12/19(火) 13:02:39 ID:Ho/rPPgc
宮廷料理=特権階級の贅沢料理とするならば江戸や堺の豪商(政商)の
吉原などでの遊びがそれに当たるんじゃないのかね?
江戸時代ではまだ醤油や砂糖は高級な物で庶民には簡単に手に入り
辛かったという事もあるし今の普通の料理もあの当時では結構な
高級料理だったんじゃないのか?
>>832 硬直は財政だけに留まった話ではなかったとも思うけど、まあ大体同意。
>朝鮮料理には全般的に「作法」が欠けている。俺が朝鮮において料理が重視されていなかった
>または発達していなかったと判断するのはその点から。
それは朝鮮の作法が日本人から見て作法の様式がまったく異なった、ってだけじゃないのかな。
座席の位置取りや料理の出る順番、盛り方など、作法と呼べる物はあったんじゃないの?
>まぁ、口を開けて咀嚼音を響かせるのが作法といえば作法だが、はっきりいって汚らしいぜ。
まあこの辺は、あくまで文化の相違に基づく物だから、主観はあえて外しても
いいんじゃないの?
蕎麦や味噌汁を音立ててすする日本の習慣だって、西洋基準なら無作法だ。
「そういうもの」であって、主観を交えるとどうしても評価がブレることになる。
江戸の中期以降は、砂糖の自給に成功したおかげで
砂糖の消費量が爆発的に伸びている。
寿司にも砂糖の影響は及んでいる所からも、料理の質的向上には
砂糖の供給力が決定的に作用している。
ところで、幕藩体制下の商人は特権階級にカテゴライズしないと思うが。
イタリア諸都市の商人とは性格が異なるしなぁ。
個人の贅沢は個人の範囲を越えず、そいつが支配者にでもならない限り
決して宮廷料理にはならん。
特権階級がいたかどうか、って話だよね。
江戸時代の宣教師が、将軍と庶民の生活がさして変わらないことに
驚いたって話があるから、江戸時代に限定するといないんじゃないかなぁ。
武士は倹約が美徳、町民は何度も規制されるほど豪奢を好んでいた訳で、
江戸期ってのは特異な状況だったと言えるだろうね。
大抵は貴族・特権階級が贅の限りを尽くすものだが。
>>835 一口食べても死にもせず…二口食べてもまだ死なず…
|∀・).。oO( って言うのが笑い話として成立するぐらいですからね
>>836 将軍様は冷めた焼き魚しか食べられなかったそうですよねw
|∀・).。oO( ヤッパリ、サンマハ(ry
多数の農民を餓死させておいて一部の富裕層が贅沢していた江戸時代を誉めるなんて
日本人は程度が低いですね
みなさん、目を瞑って下さい。
この中に、ブスマとか目黒の秋刀魚の話をしてるちょっぱりがいますw
居たとするなら平安末期かな…?
>>839が「流通」というものを知らないのは、仕方が無いことなんだろうな。
尾張徳川家が将軍に対して華美奨励で反抗してはいたが、
それでも人民を搾取していた訳ではない(そんな事が公になったら改易される)
そうだな、贅沢な大名を挙げれば水戸黄門がそれにあたるだろうか。
贅沢三昧というよりは趣味人、道楽の範囲でしかないけど。
江戸時代に入ってからの大名は参勤交代の経費・格式にともなう支出が財政の
余力を食い潰していたから、贅沢からは程遠い生活を強いられていたな。
収入が米本位なのに実態経済は恒常的にインフレな貨幣経済だから、財布には
厳しすぎる。生活苦で自殺する下級武士も多かったからねぇ。
>>838 狂言の毒子?
主人の壺を割ったお詫びに家伝の毒をなめて責任を取るっていうあれw
様々な加工食品が発達したってことは流通や経済の後押しで生産が飛躍的に
延びたからなんだろうな。
水あめとか酒とか蕎麦とか素麺とか麩とか湯葉とか、原料をそのまま食べた方が
よっぽど腹が膨れると言うのに、わざわざ手間隙燃料つぎ込んで量を減らしてるんだから。
>>842 尾張は流通経済、将軍家は緊縮財政で政務していたから、経済思想の対立だとオモ。
江戸時代中ごろは物品の流通は盛んだったが、経済としては緊縮のほうが向いていたってことかね。
「あおげあおげ」「あおぐぞあおぐぞ」の一節ぐらいしか知らん>ぶす
>>834 あったと思われる作法が普及していないのは不思議なことではないかな?
ウンチークに尋ねても不可思議なりという答えが返ってくると思うが。
口を開けて飯を喰うことの問題点は、唾を撒き散らしながらの食事スタイルだから。
これは普遍的に忌まれる行為だからねぇ。
確かに個人的な主観の問題だが、他国で開陳するのはいかんぜよ。
西欧ではゲップに対して無頓着だし、どこでもなにかしら「これは・・・?」という
部分があるのは仕方がないことだ。
だから世界的な最大公約数として儀礼プロトコル(西欧風)というものがあるのだが
それをことごとく無視する朝鮮は、如何なものかと思うのですよ。
>>846 よくご存知で。
|-`).。oO( 「附子」で「ぶす」とも読ませるようですね。
>>842 薩摩藩や阿波藩なんかの大陸に近い海路に恵まれた外様大名の中には
密貿易でえらく儲けたのがいるらしいけど、そんなこともできないところは
苦しかったんだろうね。
>>844 さいです>経済思想
犬公方様の頃だと、もう新田開発による農業収益の劇的増加は終了して
物産開発に向かっていた時代。そのなかで「緊縮財政」を進めるのか
「内需振興」で財政出動を是とするのかは深刻な対立を生む訳でして。
生活に直接影響しない「無用な品」これを売買しなければ現金収入が得られない。
幕府の施策方針では内需を抑制するので「殖産興業」を阻害する。
地方の行政府としては困って当然(中央政府からの交付金があるなら話は別だけど)
>>847 >あったと思われる作法が普及していないのは不思議なことではないかな?
宮廷料理の作法ということであれば、宮廷そのものがとっくに無くなって
しまったのだから、今更民間の間に伝承されていなくても不思議ではないが。
>口を開けて飯を喰うことの問題点は、唾を撒き散らしながらの食事スタイルだから。
>これは普遍的に忌まれる行為だからねぇ。
その割につばを床に吐き捨てるのは平気なんだよ、イギリスとかでも。
昔風のパブにいくと、酔っぱらいのつば吐き捨てを掃除しやすくするために
大鋸屑撒いてあったりする。
まあ立ち飲みと飯の食い方を同列に並べるのはちょっと脱線し過ぎ、失礼。
>だから世界的な最大公約数として儀礼プロトコル(西欧風)というものがあるのだが
>それをことごとく無視する朝鮮は、如何なものかと思うのですよ。
西欧風にこだわりすぎるのもどうかと思いますが。
中国とか東南アジアの食堂で、食い終わった鶏の骨を床にポイ捨てするのは
まあ日本でやってほしくはないが、あれが西欧風にお清潔に片付けられるように
なったら、それはそれで風情がなくて嫌だし。
>>838 焼き魚が冷めている理由は貧乏とは関係ないような…
その落語のまくらで、殿様が青菜の味が悪いと言ってるのがあるんだけど
殿「この前のお浸しより味が落ちるな」
家来「この前のは下肥をかけて育てたもので今日のは干鰯で育てたものなので味が落ちます」
殿「ふーむ、下肥だと随分味がよくなるのだな」
家来「やはり下肥が一番かと」
殿「よしよし、この青菜は味がよくないから、ちとこの青菜へ下肥をかけて参れ」
っつーのがあって激ワラタw
まあ豊な江戸の生産事情ってことでスレ違いではないとこそっと言ってみるテスト。
>>850 尾張の目も悪くなかったんだけど、いかんせんやりすぎて財政難になっちゃったのが痛い。
江戸で流通経済が運用できたのは田沼さんだけだからなぁ。
商人の間では新製品開発などの振興策は採れたけど、地方行政府はそういうところに権限持ってなかったから……。
>>852 毒見するわ、長い廊下運ぶわ、骨全部とっちゃうわで、食うときには冷めて脂も落ちちゃうから……。
>>852 その小父様は分かっててやってるんです。
許してやって下さい、悪い人じゃない(?)んです。
…と余計憐れみを出してみるテスト
>>851 王室が崩壊して、宮廷での作法が拡散する。
その顕著な例がフランス。
また宮廷が安定していれば庶民もそれに習うものだから(オーストリア)、
作法の拡散が観測されない状況が変だと思うのですよ。
>西欧風
完全に個人の趣味なのでこれ以上言及しません。
個人的に、あくまで個人的に中国の風習は不潔だから嫌。
西欧風なのは植民地時代の宗主国がヨーロッパ半島に集中していたからで、
それに代わるもんが出せないから現状維持してるだけではある。
今更変え様もないし、さてどんなものですかね。
スプーンとフォークを煩瑣に取り替えるスタイルもどうかとは思うけど、
儀式とは繁文縟礼を有難がる行為だから仕方ないでそ。
まぁ、中国や殊東南アジアについては 那智くんが詳しいわけですがw
>>852 その豊かな生産事情も天候不順と火山の噴火には敵わなかったようですけどね。
江戸の元禄以降って小氷期でそ?浅間山の爆発とか大地震などの大災害も多発してたし。
元禄の遺産(財政的なリタンダンシ)が失われたのも元禄16年の地震による
江戸湾内での津波のせいだし。
それでも恒常的に餓死者が出なかったのは藩と幕府の努力による。
>>856 >王室が崩壊して、宮廷での作法が拡散する。
>その顕著な例がフランス。
>また宮廷が安定していれば庶民もそれに習うものだから(オーストリア)、
>作法の拡散が観測されない状況が変だと思うのですよ。
朝鮮の歴史に当てはめてみると、日本に併合された直後に、日本の指導で
急速に近代化・西欧化(というか日本化)が進んだ訳ですね。
当然、宮廷にいたであろう人々も職を失い下野したでしょうが、
そもそも貨幣経済すらろくに機能していなかった国で、外食産業もほとんど
存在していないのでは、作法の拡散しようがなかったでしょう。
古い作法よりも、もっと優先して覚えるべきものを提示されてるのだから。
>>859 日本は確か国家規模で、60年周期で小寒波、600年周期で大寒波に見舞われるって気候だったはず。
んで、ちょうど今は温暖真っ只中で、江戸時代は大寒波直撃のとき。(ちなみに平安時代はさらに酷かった)
あと60/120年周期のものは、火山の大噴火と、大祭り…
|-`).。oO( 寒波については、ノーコメントですw
>>860 散逸したと見るか、宮廷内で食事作法はもともと重視されていなかったか。
これでまず2分される。
これらの見解は後者。
前者の見解はもっともではあるのだけど、日式が韓式を払拭したとは考えくい。
「前時代の文物を根こそぎ破壊する」のが朝鮮の通弊であることに鑑みれば
”宮中文化は王朝崩壊と同時に進んで棄却したから残っていない”という見方に
説得力が生まれる。
が、どうなのかねぇ。その「失われた華麗さ」の捏造もとい復元がチャングムだから
もともと無いのでは?
「失われた」のなら、それはもう歴史ではありえない。
仮にあったとしても、検証が出来ない事象は「なかったこと」にしかならない。
それが歴史。
「失われた」ってことの定義にもよりますがね…
当時あったことが検証できても、今は伝わっていないこともありますからねぇ…
>>865 検証可能であれば「復活」させることができます。
「記録」というのはそれ自体がタイムマシンであり、時空を繋いだり、飛び越えたりするものです。
>>866 この間、46サンチ砲の復活は不可能って話をしたじゃないですかw
>>863 「作法」の定義にもよりますが、いわゆる食べる人のテーブルマナーだけでなく、
座順や器、盛り方の様式なども「作法」に含まれると思います。
従って「重視されていなかった」とは思いません。
どんな原始的文明にも、座順等の「作法」は存在します。
庶民からしてみれば、今までまったく関係のなかった皇室の伝統作法より、
これからの宗主国である日本のやり方のほうが、覚えるべきものとして身近な
存在になったことでしょう。
そもそも庶民レベルでは、おそらく儒教的な「作法」(順列)以外に作法など
気にする余裕もほとんどなかったかと思います。
彼らは破壊するべき対象すら知らなかったという事情ではなかったかと。
あと、華麗かどうかってのはこの際あまり関係ない(興味がない)問題で、
実際のところ、どんなものをどんなふうに食べていたのか、が知りたいわけです。
それを明らかにして、初めて「韓国宮廷料理」とやらの虚偽が明らかにできるので。
憶測ではなく、(残された限りでの)資料を元にしたいと思ってます。
>>867 確か、北海道にそれ作るプレス機だかなんだかが使われずに残ってるって話が。
>>867 復活させる意義がないものだってありますよ(w
それにあれはきっちり記録が残ってるんだから、検証するためにわざわざ復活させる必要も無いし。
復元作業という行為には、作為が入り込みやすい。
もとの形があやふやであればあるほど願望-かくあれかし!!という
希望に基づく憶測で情報が修正(修飾か)されてしまう。
>>869 ドイツ製の1万トン超のプレス機でしたか。
>>871 んー、詳しくは知らないのでつ。
友人から聞いただけなので。
>>820 12,000か15,000dの水圧プレス機だったと思うの。
ドイツでも実際に使ったことはなくて、部品と図面だけ送ってきた。
水圧パッキンを工夫して実用化に漕ぎ着けた・・・という次第だったような。
>>871 >復元作業という行為には、作為が入り込みやすい。
だからこそ「第三者による検証」が欠かせないワケで。
歴史というのは常にそうやって「書き替えられる」ものなわけだし。
>>874 オセアニア国では、歴史は常に正しく修正されていますが何か。
「過去を支配する者は 未来をも支配する」
876 :
マンセー名無しさん:2006/12/19(火) 15:25:53 ID:zNUFQEpd
1…の阿呆なスレ立ての意に反して結構楽しい会話になっているね。
お勉強にもなったし。
1の人が立て逃げじゃ無く、ちゃんと目を通してお勉強している事を望むよ。
>>875 >歴史は常に正しく修正されていますが何か。
この言葉を100回音読しろ。
>>877 む、イースタシアのスパイか?
さては兄弟同盟の一員か?
「日本文化の祖が韓国」とは恐れ入る。
一体、併合前の朝鮮半島のどこに「文化」なるものがあったのか。
併合前、我々先祖は乞食同然の生活をしていたではないか。
現在の韓国の姿、まさに他人により作られた砂の楼閣だ。
虚飾と偽善と歪曲とおごりに満ち満ちている、真似と依存と歪曲が全てである。
このような韓国の本質を知らず「韓国こそ世界一」などとほらを吹いて自己満足している
本国、在日の韓国人は正気の沙汰ではない。
これが恥でなくてなんであろうか。
金満哲「慟哭の我が祖国」より 対州島出身の韓国の評論家
881 :
マンセー名無しさん:2006/12/19(火) 16:48:35 ID:iLgAKpHq
パトラッシュどころかラッシーやベンジーそしてスヌーピーまで
食べちゃう野蛮人ですよ、チョンは!
家のワンちゃんには「日本に産まれてきて良かったね〜、もし
韓国や中国に産まれてたら食べられちゃうんだよ」って
言い聞かしてある。
犬公方の時代までは普通に日本でも喰ってる罠。
まあ将軍様の命令であっさり廃れるあたりあんまり美味くなかったんだろう。
>>882 食用にするには肉の生産性が悪そうだしな>犬
あと江戸時代の犬といえば、軍事教練用・狩猟用・闘犬用・愛玩用であって、
一般人にとってはネズミのような有害獣でしかなかったのかも。
(いくら食う事が出来ても好き好んで食う奴はいない)
>>826 THE BISHOP? (ああ、マイケルタン( ;´Д`)ハァハァ/lァ/lァ/ヽァ/ヽァ ノ \ア ノ\ア / \ ア / \ ア)
tut,tut,
call the Church Police!
ソバをすするのを不作法とか言われても困る
ありゃテキーラをショットガンで呑むようなもんだからね
>>885 だから、作法は主語が何になるかでまったく立場が変わってくる主観的なものなので、
評価の基準や結論からは外した方がいい、という話なんだけど。
ソバをすするのを不作法と言われて「困る」のは日本人の立場だけど、
不作法と言っているほうからは何ら困らないわけでしょう。
そういう基準は口を開けて食べる・食べないといった食習慣にも言えるので、
「何を食べているか」「どうやって食べているか」ということは、
食文化を語る上での評価基準から外すべきということ。
クジラ食おうが虫食おうが犬食おうが人食おうが、それは一つの文化。
好き嫌いを語るフェーズではいくらでも罵倒してやってください。
>>882-883 江戸時代を通じてわりと食べてたっぽい。
>それに対して二の丸から出土したほ乳類には、イノシシ、ブタ、ウシ、ノウサギ、タヌキ、イヌ、オオカミ、アナグマなどで、
>人の食用になった可能性が高い。そこは承応3年(1654)の大洪水以前には、大手門をすぐはいった重要な場所で、家老
>屋敷、上流武士の居住区であったとされており、その屋敷内の住人の食料であったと考えられる。家老クラスの屋敷内
>から、イヌを始め、多くの獣骨が出土し、彼らが肉食を楽しんでいたと言えるが、藩主クラスは、人の目を気にして本丸
>御殿内ではおおっぴらには肉食をしなかった。
ttp://www.nabunken.go.jp/record/coe02.html ほかにも新宿の三栄町の武家屋敷遺構から犬などの獣骨が多量に発掘されている。
食用犬というより、野犬をとっつかまえて食べていたのでは。>生産性
大名クラスでも牛肉は食べていたし。
彦根藩の諸大名へのお歳暮が近江牛の味噌漬だった。
井伊直弼がこれをとりやめたら、徳川斉昭が催促したなんてことも。
>>887 えのころ飯の例もあるように、薩摩藩の屋敷では犬や豚をよく食べていたようだね。
昔の日本=菜食(or非獣食)、というのは、あまりに一面的すぎる見方でありましょう。
江戸の獣肉なんてのはでもかなり一般化されててたのは常識でしょ。
もう、数十年前から江戸の風俗の研究者が言及してるはずだが。
江戸の四ッ谷等の獣肉店には多種の獣肉が売られてたし、犬はわりと頻繁に
売られてたし。僧侶までもが犬猫食ってる記録さえ残ってる。
サンカの資料とか調べると犬飼い(当然食用)なんてのが昭和30年代
まで出てくるから割と地方によっては最近まで犬はくってて事象か見られる。
(朝鮮人以外で)
ただ、徳川慶喜が豚一様と揶揄されていたことからすると、おおっぴらに食べるものでもなかったようですね。
豚って食用以外に使い道ないよね?
食用として飼育していたとしたら、一定のマーケットがあったということか。
>>890 強いて言うなれば、豚の毛が「筆」として需要があったことくらいかな?
最も、豚の毛を筆にするなんて言う考え自体が、豚を飼っていなければ
思いもつかなかったんだろうけどね。
社団法人日本養豚教会のサイトに、それなりに精度の高そうな記述があった。
ttp://www.pig-pins.or.jp/youton/rekishi2_1.html 自然のイノシシやノブタを食べたのは新石器時代からだが、養豚は渡来人の影響で
AD200〜600頃開始され、やがて廃れて、17世紀頃に再開されたとのこと。
例外的に南西諸島ではかなり古くから養豚してた模様。wikipedia情報だが、
ここでは日本でも希有な人糞養豚が戦後まで続いていたらしい。
朝鮮半島ではAD200頃に養豚していたと「東夷伝」に載っているそうな。
中国はBC8000頃に養豚の形跡が見られるらしいから、東アジアの養豚は
かなりの歴史を持っていると考えた方がいいだろうね。
>>891 豚毛の歯ブラシも売ってるぞ。(今もなお)
894 :
マンセー名無しさん:2006/12/22(金) 22:36:58 ID:+AXYFWe/
韓国の教科書によると、
朝鮮人は熊と人とのハーフ。
895 :
マンセー名無しさん:2006/12/22(金) 23:57:40 ID:dHLrOqxa
まだこんなスレが有ったのか!?
チョン国みたいに『糞』を料理に出さないの
896 :
マンセー名無しさん:2006/12/23(土) 09:07:49 ID:LGA3NVaJ
>>892 >日本養豚教会のサイトに、
どんな教義の宗教なんだ?
ブタを崇め、讃え、食せよ。
あと最近ピザ喰ってデブれ、が教義に加わったらしい。
898 :
マンセー名無しさん:2006/12/23(土) 11:51:36 ID:pAq5U9+y
西遊記で、西田八戒がお豚様と呼ばれる回があったな。
夜歩いていたら妙にごつい犬が。
良く見たらイノシシだった…。
イノシシとかは害獣だから捕まえて食ってたろうな。
常食していたかと聞かれると?だけど。
江戸時代の料理て脂気が無いのが多い。脂気好きな人は少なかったんじゃないかと。
>>897 ブタを崇め讃えよ…北朝鮮養豚教?
あ、あそこの教義は信者が激ヤセするから違うか
猪食うのはいいが変な虫持ってる危険性があるぞ。
豚は寄生虫持ってるから生食はダメだね。
生で食う奴なんかほとんどいねえよ。
905 :
玲奈:2006/12/24(日) 10:30:54 ID:K0i0xW5A
昨日のTVが日本人が最初に食べましたの肉が猪を言ったですが検証がなかったでした。
>>905 まあ、あれは日本には大型の食用獣は元々いなかったからというものだから。
消去法的にイノシシってことでしょ。
一方、古事記なんかにはイノシシの記述があるし。
獣肉と言えばそうなんだろうなぁ。
兎とか犬の方が早そうだけど。
908 :
玲奈:2006/12/24(日) 10:52:47 ID:K0i0xW5A
鹿もいたでしたが旧石器時代でいいでしたらナウマン象やバイソンやオーロックスの牛もいまして狩をしたでした。
>>907 狩猟による獣肉ならなんでもありだよね。
それこそ、象だって食べてたんだし。(w
家畜を食肉にしたのは牛・豚・馬の渡来以降なのかねぇ。
>>909 ID変わったけど俺
>>907ね。
玲奈のいうことにも関連するけど、どこから「日本人」とするかによるよね。
ただ、鹿だの象だの猪だのよりは、捕獲しやすい小動物を
食べたのが先じゃないかなぁ、と。
家畜はある程度余裕がないと飼えないからねぇ…
飼料の分を人間の餌に回さないと。
911 :
玲奈:2006/12/24(日) 11:10:21 ID:K0i0xW5A
旧石器時代のナウマン象がいましたの頃で大型獣を解体するの技術や場所がとてもありましたようでして原牛の骨がとてもたくさんみつかりますので
その時代は効率がいいの大型獣をグループで追いかけたのと思いましたがもっと前でしたら獲りましたのは小動物だと思うですが石器時代もホモサピエンスがいつからか難しいですのでその前はホモサピエンスは違うでしょう。
それで家畜は猪は木の実などを食べますので飼うのはもったいないでして鹿でしたら人間が食べないの草でもいいですので放牧のようにできるでして鹿がいいです。
列島が陸続きだったころも「日本人」としていいのか?
913 :
玲奈:2006/12/24(日) 12:40:57 ID:K0i0xW5A
広義でしたらホモサピエンスでしたら古代の日本人でいいに思いましてエジプト人にしますよりいいでしょう。
10000年オーダーの話が何の意味を持つのかね?
その頃は朝鮮相当地域は寒冷でノーマンズランドだったという事を確認したいのか?
915 :
玲奈:2006/12/24(日) 13:05:37 ID:K0i0xW5A
言いがかりはやめなさい。
ゾウが狩猟の対象として狙われたのも「うまかったから」という話があるなあ。
>>904 日本で、生食ができる豚(無菌豚)を飼育しているそうだよ。
ドイツにもあるよ、生で食べる用の豚肉。
自分が食べたのはミンチだった。
言いがかりもくそも、さっさと話を元に戻せよ。
こんないい加減な日本語操るやつに史料が精読できる訳なかろ。
相手にするな。
で、朝鮮宮廷料理の定番とやらは何だったかね。
>>919 しらん。
わからん。
だれか、おしえてくれ。
キムチじゃないのか?
>>919 >で、朝鮮宮廷料理の定番とやらは何だったかね。
このスレの過去ログくらい読んどけ。
>>915のこと?
もしそれが玲奈だったら、無視すればいいよ。
電波系女性コテで相手にしていいのは、「美少女」の称号を得たものだけ。
昔からハン板では玲奈や柴田純子(恥骨のアニマ)は「存在しないもの」だから。
過去ログ読んでも、
「日本にだってインチキフレンチやインチキイタリアンがあるだろ」とか、
「大豆を表す英語『ソイ』の起源は中国(真っ赤な嘘」
とかいう話しか拾えないような気がする。
>>922 過去ログにも関係するスレにも、そんな確定的なネタはないよ。
今のところ「はっきりしない」としか言い様が無い訳で。
最終的に残る文献と、維新後の日本政府使節の記録しか明確な史料が無い。
解っているんだったらログ出してみせておくれ。
930 :
玲奈:2006/12/24(日) 18:24:03 ID:K0i0xW5A
生ハムも無菌豚が多くなりましたでしたがあまり自然から離れるのはよくないでしょう。
そうですか。
932 :
冷奈 :2006/12/24(日) 18:42:22 ID:bD4jtnRi
自然が良いですければハムにならずそのまま死肉を貪り食うべきでますが。
933 :
玲奈:2006/12/24(日) 18:52:02 ID:K0i0xW5A
素材を言っているです。
そうですか。
皆さん、Tokyo-Xで検索してみてください。
936 :
玲奈:2006/12/25(月) 00:28:14 ID:dNZc7ydW
宣伝をしますか?
もんお!
938 :
マンセー名無しさん:2006/12/25(月) 00:57:48 ID:YPmKU5Bl
そもそも朝鮮の宮廷って時点で無価値
939 :
マンセー名無しさん:2006/12/25(月) 01:21:44 ID:hyM14TPR
だから何度も言ってるけど、朝鮮に宮廷料理があるのは
宮廷ぐらいしか「料理」の名に値する食い物が存在しなかったからだよ。
庶民の食ってたものは、料理とは言わない。
942 :
マンセー名無しさん:2006/12/25(月) 09:26:27 ID:erH93MJE
日本人でも発酵食品がダメで漬け物嫌いってのがかなりいるけど
キムチ嫌いの韓国人っているのかな?
943 :
マンセー名無しさん:2006/12/25(月) 09:47:25 ID:98tzRfDv
おもいっきりテレビで紹介された宮廷料理ってのが
串あげだったのは笑ったw
大地の恵みの蒸し物に止めを刺すと思うが…
あれ、家庭料理で出て来ても引くぞ。
>>944 材料も調理法も同じでも、飾り切りをして、適当な鉢状の器に盛り付ければ、
少しは見栄え良くなると思うんだが>大地の恵みの蒸し物
あるいは朝鮮式にステンのボウルに盛って出せば、
「ああ、餌なんだな」
と、別の意味で納得できると思うw
>>945 そうか、確かに器のせいもあるね。
凄く貧相に見えるもんなぁ。
そのままなら笊とか竹カゴで出せば、かなり良いかも。
どうみても田舎のおやつにしか見えないけど、些細なことだな。
その宮廷料理を拵えているシェフの情報が全くないね。
これも、ペの料理詐欺もとい商売の嘘臭さを倍加させているなぁ。
どこの無免許調理師かねw
>916
冷凍マンモスの肉を食べてみたらもの凄く不味かったというが、
アレは盗掘(?)を防ぐためのデマゴーグだったのかな?
それとも、冷蔵方法が拙かった?
マンモスの発見は犬が最初に見つけて貪り喰ってたのを
見つけたのがきっかけだと言うけれど……
949 :
マンセー名無しさん:2006/12/26(火) 12:05:27 ID:HQeJqAeo
>>1 姦国には有ったのか?
ウンコは駄目だぞ料理じゃないから
950 :
マンセー名無しさん:2006/12/26(火) 18:26:38 ID:l2oXVDNj
,.-ァ‐-、_
_,.-',ィ ァ ァ ニ≧ーヘ
/ ノ / //,ィ// ///,ィヽ
r' ノ / /,//,ィ_ ///1ィノハ
ノ////ィ´〃 /ノ' 彡' |ヾ ハ
ノ // 川/ノ-‐‐く ,.-┴.! ハ
7 / 彡'_,r_,二`TニF二`L ,リ
┤ 三ノ ヽ 二ノ ヾ二.ノ!ハj
フ彡'ノ=' 〃-:、 ,:- 、 ! ノ
イ ヾ-、 { i-rrrrrrrァ} }ノ
ノハ、ーヽ ヽヾ='='='/ /、
_} ノヘ\ \_ ,ィ'ノ ト-、
>948
アフリカゾウは不味くはないらしいが。
マンモスはなんか脂身多そうで美味しいかどうか。
冷凍マンモスの件は、腐敗してなくても酸化してそうだから不味いだろそれは。
「まんが肉」がレパートリーに含まれる宮廷料理とか面白そうだなーw
ヴァイキングの王様の宮廷とか?
ビッケw
そこでオスマントルコですよ。ドネルケバブ一人食い。
田舎のおやつから新鮮さを抜いた感じだな>ペの店の前菜。
ライオンのハンバーグはうまいという話が…
サイやカバもうまいとか。
何でもうまいのか?
誰が美味いといっているのか、それが問題だ。
>956
パンダとタンチョウヅルはマジで美味いらしい。
「あれだけ食いまくったら、減るわ」とは祖父の弁
959 :
マンセー名無しさん:2006/12/27(水) 09:09:26 ID:+0pZd7F+
韓国文化=中華文化のパクリだろ?
チャングル見てると中国文化とどこが違うの?
って思うんだが?中国文化のパクリか?
>>956 「沈まぬ太陽(山崎豊子)」には、ライオンのフィレ肉が旨いって話が載ってるな。
ポークっぽい味って書いてあった。
>>958 鶴は縁起物で食べるけど、味は良くないと「奇食・珍食(小泉武夫)」に
あったなぁ。
どっちも生涯食べることはないと思うと、食べてみたいではある。
将軍の正月の食卓につきものだったらしいね。>鶴
>>958 鶴はまだ判らんでもないけど、パンダは凄いな。
お祖父さんはどこで食べたの?
中国戦線か? ちょっと眉唾ものだな、それは。
北京原人クラスの遺構からはパンダの歯の骨が見つかっているから、
多分食べてたんだろうということが言われているけど。
964 :
マンセー名無しさん:2006/12/27(水) 15:01:55 ID:jzhEw7Lr
>>960 中国行ったら鶴は普通に食材だよ。俺食ったモンw
ま、料理法もあるだろうがソコソコ美味かった。
>>964 情報カムサ。
確かあれは、日本での話だったと思う。
中国なら食べられるのか、機会があったら嬉しいなぁ。
966 :
マンセー名無しさん:2006/12/27(水) 15:18:36 ID:AjRyj6et
(゚д゚)マズー
>963
完全に戦後の話。
仕事で中国行ったときに出されたそうな。
968 :
マンセー名無しさん:2006/12/27(水) 16:33:54 ID:jzhEw7Lr
福建辺りの食材市場に行けば幾等でも足を結んで吊るされてるよw
969 :
マンセー名無しさん:2006/12/27(水) 16:36:02 ID:jzhEw7Lr
パンダはさすがに食ったことは無えw
毛皮の敷物は売ってたけど法外な値段だったな。
本物かもわからない。
なんで朝鮮半島には人間に相当する生物が居ないの?
>>969 それ買えても日本に持ち込めないよ>ワシントン条約
アメ横にパンダと白熊の剥製が展示してある店があったっけ。
973 :
マンセー名無しさん:2006/12/28(木) 01:53:53 ID:H8nvOP3K
日本人は邪魔しないから、アムステルダム某団体本部前で犬食キャンペーン張ればいいのだ。
思う存分やってくれ。