最初に大人の階段を登ったのは福沢諭吉なんですね

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1マンセー名無しさん
内容なないよ
なんちて
2超糞スレ:2005/11/26(土) 20:19:50 ID:OXtg/+s9
終了
削除依頼出しとけよ?>>1
3マンセー名無しさん:2005/11/26(土) 20:19:53 ID:VEX4RMws
あーなんだ2げっと
4マンセー名無しさん:2005/11/26(土) 20:20:26 ID:OjvLuflp
脳内慶應大卒の俺様が2get
5マンセー名無しさん:2005/11/26(土) 20:20:27 ID:v0fqipMc
4さま
6マンセー名無しさん:2005/11/26(土) 20:21:15 ID:v0fqipMc
酔っちゃった
7マンセー名無しさん:2005/11/26(土) 20:48:26 ID:OYfO4rKb
ひょっとしてこれのことか??

____飯研___|_
 | __呆__∧_∧|_
   ̄| __笑_ (∀`   )_|_  大人の階段のぼーるぅぅ♪
    ̄|  __ と     つ__|_
      ̄|  __<  <ヽ |______|_
       ̄|  _(_)_γヽ______|_
         ̄|  ___(__ノ______|_
          ̄| ____怒韓_____|_
            ̄|        嫌韓     |
8マンセー名無しさん:2005/12/24(土) 19:06:09 ID:yfj62geA
>>4-5
失敗したね。
9マンセー名無しさん:2005/12/30(金) 23:00:32 ID:EyZ/AvKQ
一万円札福沢諭吉
千円札野口英世で関連有るので紹介する。
野口英世は、日本語、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、中国語、オランダ語、デンマーク語が話せる。
二十歳の時に普通前期三年、後期七年かかる所をストレートで医術開業試験に合格する。
伝染病研究所を経て渡米、ペンシルベニア大学病理学助手、後ロックフェラー医学研究所正会員となる。正会員は世界の一流学者の中で特に優れてる者だけが選ばれる。
1911年蛇毒の論文で京都大学より医学博士の学位取得。1913年梅毒の論文で東京大学より理学博士の学位取得。
ノーベル賞候補三度。銅像数世界一。
1928年西アフリカアクラで黄熱病研究中、自ら患い死去。
日本紙幣史上初の理系からの紙幣肖像。
10「 【ぴょん吉】 【724円】 :2006/01/01(日) 14:35:10 ID:85otN8fA
test
11マンセー名無しさん:2006/01/17(火) 22:10:32 ID:bXYqezIg
★福沢諭吉が朝鮮を嫌った理由は応援していた独立主義者が属国主義者に殺されたから!

■福沢論文「朝鮮独立党の処刑」からの引用(現代語訳)
朝鮮独立党の首謀者たちの縁者は処刑場に引きずり出された。
弱い立場の婦人たちや女児も年老いた老翁老婆もである。そして処刑人たちは右も左もわからない子供たちにも縄をかけてこれを絞め殺した。
どのような心境でこのようなことがなせるのか。
百歩譲って、処刑するものたちにも理があるとしよう。
老人婦人たちを処刑するのは善悪の判断能力が備わっているからだ、身内の不始末は死をもって償ってもらうぞ、というのは、わかりたくないがそれでもわからないでもない。
しかし、三歳五歳の子供は親から手を離されただけで泣き叫ぶものだ。
それが獄卒どもの手に掛かり、雪霜の吹きすさぶ城門外に引きずり出されて縄で首を絞められて殺されるのだ。
殺されていく子供たちはどのような恐ろしさを感じるであろう。
鬼に捕まえられた心地しかしないだろう。
おそらく呼吸が止まるそのときまで、まさか自分がこのまま死んでいくのだとは考えもしまい。
父母の名を慕って泣き叫び、兄姉に助けを求めながらそのまま死んでいったのだ。

■1885年3月16日「時事新報」社説(通称「脱亜論」現代語訳)
現実の人間世界において地獄があらわれた。
それは朝鮮の京城(現在のソウル)においてだ。
私はこの朝鮮国を野蛮国というよりむしろ妖魔悪鬼の地獄国と呼ぶ。
この地獄国の当局は、独立党に過酷な処刑を与えた事大党政府の官吏たちであり、その後見人たる支那(中国)政府である。
この私・福沢は朝鮮から何千里も離れた異郷におり、朝鮮の国がどのような政治状況なあろうがまったく関係ないのだが、それでもこの隣国の事情を耳にすると、やはりどうしても悲しみと哀しさに耐えることができない。
いまこうして文章を書いていても涙が止まらず、原稿用紙がぬれて滲(にじ)んでしまうのである。
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200503.html

12マンセー名無しさん
★福沢諭吉先生にとっての「朝鮮人」とは「恥知らずの代名詞」!

■『福翁自伝』を“朝鮮人”で検索すると…
http://www.fit.ac.jp/~y-tanaka/fukuzawa/fukuzawa.htm

>本藩に対してはその卑劣、朝鮮人の如し
>後のことは少しも思わず、義理も廉恥もないその有様は、今の朝鮮人が金を貪ると何にも変わったことはない。
>この間までは、まるで朝鮮人みたいだった奴が、伯夷叔斉(はくいしゅくさい)のような高潔の士人に変化(へんげ)したとは、何と激変ではあるまいか。
>奥平家に対して朝鮮人を気取った(たかりを行なった)のは別な話にして、その外というものは決して金は貪らないと、自身独立自力自活と覚悟をきめました。

朝鮮人=恥知らずの代名詞…という認識です。

福沢諭吉は当初は朝鮮人を応援していました。
言文一致運動に基づき、私費でハングルの活字を作ってあげました。
そのハングル活字を弟子の井上角五郎に預け、朝鮮に派遣。
朝鮮で世界初のハングル新聞『漢城周報』を発行します。
しかし…。
『漢城周報』が当時、朝鮮に駐屯していた清国兵の暴虐を記事にすると、宗主国の清国は激怒!
朝鮮政府に対し、『漢城周報』の発禁を命じます。
そして井上角五郎は逮捕されました。
さらに慶応大学に受け入れていた朝鮮人留学生60人は…。
なんと!遊び呆けて慶応大学の金庫を荒らしてしまったのです。
そして福沢が「かつての自分のようだ」と支援していた金玉均は朝鮮の革命(甲申事変)に失敗!
さらに金玉均は上海で暗殺され、死体は切り裂かれ朝鮮各地に晒されました。

3度も裏切られた福沢は二度と朝鮮人を信頼する事は無かったのです!