【倭軍】壬辰倭乱:丁酉再乱【大敗北】

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1
倭軍の勢いも最初だけ。李舜臣、義兵、そして明の
援軍の反撃に、倭軍は惨めに撤退。

李舜臣は、なぜあれほど優秀だったのか?
戦争に素人の民衆が、なぜあれほど軍隊と勇敢に戦えたのか?
倭軍は、なぜ無謀な戦いをしたのか?


2 :03/03/13 11:44 ID:mRse+tpb
キムチ臭い
3駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/13 11:45 ID:X/O6L8Qg
>>1
また体格差で日本側が弱兵だったとか、日本刀はすぐ折れて
使い物にならなかっただのやるつもりか?(藁
4通りすがい:03/03/13 11:51 ID:SK/2CVWT
朝鮮が貧乏すぎたから補給に支障をきたしたのが原因だろ?
戦自体は連戦連勝。鬼島津を知らんのか?
中国の映画とか演劇に「侍の妖怪」みたいに敵役で出てくるのは何故だと思う?
5,:03/03/13 11:51 ID:03dpwZur
朝鮮の役の記録を読みましたけど、加藤清正の野蛮さには愛想がつきました。
以前から感情的に気に入らなかったのですが、朝鮮での蛮行を知って完全に嫌いになりました。


6 :03/03/13 11:52 ID:ui+UwZkM
             /ヽ       /ヽ
            / ヽ      / ヽ
  ______ /U ヽ___/  ヽ
  | ____ /   U    :::::::::::U:\ な、何このスレ・・・
  | |       // ___   \  ::::::::::::::|
  | |       |  |   |     U :::::::::::::|
  | |      .|U |   |      ::::::U::::|
  | |       | ├―-┤ U.....:::::::::::::::::::/
  | |____ ヽ     .....:::::::::::::::::::::::<
  └___/ ̄ ̄      :::::::::::::::::::::::::|
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  \ \  \___      ::::::
7奈菜氏:03/03/13 11:56 ID:dJCJouDq
>>5
おい、>>1に書いてあるテーマはもういいのか?
結論もでていないんだが・・・・
8 :03/03/13 12:01 ID:sEQl4O3z
そういえばこの時代のゲームってあんまりないよなぁ
9 :03/03/13 12:01 ID:qVMY6Kwm
日本の兵士は孟宗竹の中にウンコを溜めておいて、いざ朝鮮の城を攻める時は
それを夜陰に紛れて城門に押し出しておいた。

翌朝、城の前の巨大なウンコを見た朝鮮兵は巨人兵が攻めてきたのに恐れおののき
城を捨てて逃げ出したという。
10 :03/03/13 12:03 ID:vm6p0bqY
>戦争に素人の民衆が、なぜあれほど軍隊と勇敢に戦えたのか?

まあそれ以前に、何故そんなヘタレ相手に朝鮮軍は壊滅する事ができたのか?
と言う問題がある訳だが。
11駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/13 12:04 ID:X/O6L8Qg
>>9
巨大ンコ繋がりでワラタスレの紹介(w
【デカ過ぎるにも】肛門の惨劇【程がある】
ttp://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/occult/1046867220/

飯時の閲覧は厳禁。いや、本気で。
12 :03/03/13 12:04 ID:qVMY6Kwm
秀吉軍に攻められた民衆が、最初にした事は戸籍を燃す事だった。
このチャンスに、朝鮮には両班が激増した。
13,:03/03/13 12:07 ID:03dpwZur
秀吉は進んだ朝鮮文化を取り入れようと出兵したが、歯が立たず引き返す他無かったのさ
14 :03/03/13 12:08 ID:VFzMrxLP
自力じゃどうにもできなかったので、親分の明に助けてもらった、と・・・
何だ、明がアメリカになっただけで今と同じか、進歩の無い国だ。
15 :03/03/13 12:08 ID:qVMY6Kwm
朝鮮の役では、各地で義兵が立ち上がった。

義兵は朝鮮の王子を捕らえ、義将である加藤清正に献上した。
また、日本軍の死体の半数は朝鮮民衆の死体だった。
16 :03/03/13 12:10 ID:5IN1E9oD
>>13
勘違い甚だしいな
秀吉は朝鮮など目に無かった
明が目当てなだけだったのにね
ま、ソウルとピョンヤンは手中に収めちゃったけどね
17 :03/03/13 12:12 ID:qVMY6Kwm
朝鮮が、いやいや出兵した「日本の一地方の軍隊」に蹂躙された原因は
朝鮮兵はいざとなると臆病で役に立たなかったからだと
李舜臣という人が書き残している。
18駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/13 12:18 ID:X/O6L8Qg
つーか本気レスしちゃうと。

朝鮮側が負けるのは仕方ない。当時最高レベルの練度と
火器装備率を持つ軍隊だよ? まともに当たって勝てる訳
も無し。
19 :03/03/13 12:19 ID:O77s60q2
一番不思議なのは、普通、当時の李朝がこれほどふがいなく
民衆の義兵に負うところ大だったにも関わらず、その後も李朝が
存続したという点に尽きる。統治能力の欠如は明らかであったのに。

背後に明の存在を感じるのは自分だけではあるまい。
20通りすがい:03/03/13 12:19 ID:SK/2CVWT
で、朝鮮出兵は「唐入り」と言ったりするわけだが、
>>1はどう思う?
21奈菜氏:03/03/13 12:21 ID:dJCJouDq
明を攻めたい(入明)ので朝鮮に協力を申し付けただけ(仮道)なわけだが。
朝鮮文化などアウトオブ 眼中
22 :03/03/13 12:28 ID:AmOvt5v7
朝鮮文化なんてあったの?

明を清の犬となって一緒に滅ぼした後
「小中華」
とか言って自分達は中国文化と宣言してますが(w
23地球市民@ ◆iAfsEadC/U :03/03/13 12:31 ID:gGTMWxCQ
あんまり苛めるなよ。
つまり、秀吉軍は弱くてボロ負けという事でOK。


てぇ事は、秀吉に焼かれた書物や建築物も存在しないという事でOKだな。

>>1よ。

まさか、400年以上もたったのに、建築物の復興も書物の再版もできない事ないよな(w

偉大な文化持っていたんだろ(w
24いつもの名無しさん:03/03/13 12:32 ID:khk3rtG/
ちゅか李朝が腑甲斐なかったちゅよりも、日本と支那が
強すぎたちゅことだと思うよ。もちろん支那の威光ちゅ
後ろ盾はあっただろうけど、曲がりなりにも王朝国家が
以後も存続できたのだから、民衆にはガマンできる程度
だったのでせう。
王朝末期はともかく、当時の統治をそれほど馬鹿にした
もんでもないと思われ。
25駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/13 12:34 ID:X/O6L8Qg
>>23
その発言の方がよっぽど苛めでつ(;´Д⊆ヽ
26 :03/03/13 12:41 ID:+lRCgOuI
それにしても朝鮮半島は見事に兵法にかなった土地であるよ。

明から攻める場合は属国であるし陸続きであるから兵糧移送が容易であり、
いざ日本に攻めたとしても現地調達が可能であるからしてまことに便利な場所であるのに、
日本から攻める場合は海を隔てているぶん兵糧の輸送が困難であり、
いざ半島にたどりついてみても荒地ゆえ現地調達が困難という実に不便な場所。

いや見事。
27 :03/03/13 12:46 ID:nAbsj5iv
秀吉軍がボロ負けはいいんだけど、誰か朝鮮で討ち死にした大名はいるのか?
28 :03/03/13 13:04 ID:NPDy855j
>>27
来島水軍の大将が李舜臣との戦闘で戦死している。
一万石程度の大名だが。
29 :03/03/13 13:10 ID:tFhsVE87
なんでこの板ってこういうマゾスレばっかなんだろ…
30 :03/03/13 13:10 ID:dJhGLtQd
秀吉軍の最大の失敗は「冬将軍」

九州の兵隊が、北朝鮮の寒気でバタバタ倒れた事。
31 :03/03/13 13:13 ID:tFhsVE87
>>30
ナポレオンのロシア遠征かYO!w
32 :03/03/13 13:14 ID:dI0yMDyR
民衆がゲリラ化したんだっけ?
33 :03/03/13 13:15 ID:5shCoL65
マジレスすると、大名達がやる気なかっただけだろ?
34いつもの名無しさん:03/03/13 13:16 ID:khk3rtG/
>>32
便衣隊?w
35軍事板住人@初級:03/03/13 13:24 ID:ldmdMcCi
『武装した兵士の一団を駆逐するよりも、武装した農民の集団を
駆逐するほうが遥かに困難である』

誰の言葉かな? 朝鮮人の諸君w

ま。ゲリラ戦にも不慣れだったのと、当時の補給状況
に、敗戦の理由を求められますな。
36 :03/03/13 13:24 ID:tFhsVE87
>>33
マジレスすると朝鮮に負けたわけでも李舜臣に負けたわけでもないことをどうかお忘れなく。
37 :03/03/13 13:27 ID:dJhGLtQd
半島の荒廃も王朝に虐げられた朝鮮の民衆によるものだけどね。
38 :03/03/13 13:32 ID:BH7tuuY0
李舜臣のおそろしいまでの有能さは、あれだけ劣悪な環境であっても、
軍を軍の組織として維持することに成功している、この一点に尽きるでしょう。

彼の唯一にして最大の不幸は、朝鮮に生まれたこと。
例え彼が日本に生まれたとしても朝鮮は陥せなかっただろうが、
彼自身がもっと活躍する場を与えられたであろう事は間違いない。
39通りすがい:03/03/13 13:35 ID:BGZILZvS
>>1よ取りあえず↓でも読んどけ。
ttp://www.pp.iij4u.or.jp/~butakai/sisenn.htm
40 :03/03/13 14:00 ID:l+VBtwUk
「朝鮮の土地なんか全然イラネ」と、最初からヤル気無さ全開状態だった島津義弘率いる薩摩軍は、
董一元を将とする明軍20万の包囲を単独で迎え撃ちながらも逆転勝利。
ついでに海上でも李舜臣を討ち取るという快挙。
まあ、薩摩に関しては負けたとは言えないな。
41いつもの名無しさん:03/03/13 14:02 ID:eBny3fSW
>>38
で、400年後になっても彼に匹敵する人材は出現しませんでしたとさ
42軍事板住人@初級:03/03/13 14:05 ID:ldmdMcCi
朝鮮が軍事的に評価されたことって皆無ですね。こうやって改めてみると。
43  :03/03/13 14:12 ID:2TCxQqW8
撤退の理由:秀吉の死去
明に進攻できなかった理由:徳川・前田などの大大名の不参戦、
             後金(後の清)からの同盟申し込みの拒否。

ってとこでいいのか?
44 :03/03/13 14:14 ID:sEQl4O3z
祖国の為に戦ったのにね〜>李舜臣
45 :03/03/13 14:17 ID:2TCxQqW8
高校の頃の歴史の先生「朝鮮を救ったのは、陳舜臣」つったのを
妙にツボに入って、ひたすら笑うのを我慢したなぁ.
46 :03/03/13 14:18 ID:tFhsVE87
>>45
素敵な先生だなw
47 :03/03/13 14:21 ID:2TCxQqW8
秀吉が「Go to INDIA!!」を掲げて朝鮮を攻め上っていた頃、
遠く、イスパニアではフェリペ2世がカトリック布教の保護と言う目的で
日本出兵を狙ってたと言うのだからいやはや歴史は面白い。
48魔神閣下 ◆ZD/Y49hXi2 :03/03/13 14:27 ID:xK3hSTZs
豊臣勢は戦闘に勝って戦争に負けたってところかしらねぇ
一旦、勝ったのは良いんだけど兵站が不備で・・・・・
(現地から徴発できるものがあまりなかったこともあるが)
占領政策に失敗したから民衆蜂起を喰らったんだな。

民衆の支持を得られないと上手くいかねー罠

検地なんて急いでやらなくてもいいじゃねーかっと
49駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/13 14:29 ID:X/O6L8Qg
>>48
だって検地しないと褒賞が出せないっしょ。
50魔神閣下 ◆ZD/Y49hXi2 :03/03/13 14:33 ID:xK3hSTZs
でも、あの検地が民衆の反感を買ったのは明らかで・・・
まぁ原因は一つじゃないけど
あの八道支配も杜撰だったし、秀吉に本気で外国を支配
する気があったかどうかと小一時間・・(以下略
51いつもの名無しさん:03/03/13 14:47 ID:khk3rtG/
>>41
やはりトリップ付けるべきなのかなぁ?
今のトコ実害はないのだけれど。
52軍事板住人@初級:03/03/13 14:53 ID:ldmdMcCi
軍隊は魚 住民は水 ってことでしょうな。
これ履き違えた軍はみな負けております。
53  :03/03/13 15:22 ID:IglMzO0U
>48
最近まで軍隊は現地調達が当たり前

ところが朝鮮半島はまたく物資がない荒涼とした土地なので
中華の大帝国も征服しつづけることができなかった
半島は世界帝国の元や中華文明最大の領土を誇った清ですら見捨てた土地
隋が2代でほろんだ原因に不毛の地朝鮮半島への遠征があるほどだし
東洋史(中国史)を調べると半島がいかに魅力の無い土地かよくわかる

江戸時代に半島からきた李朝の使者も日本の豊かさに驚き半島の貧しさを嘆いている 
*最後に倭人(日本人)を追放して乗っ取りたいと言ってるのが半島人らしい*

54 :03/03/13 15:25 ID:dJhGLtQd
>>53
倭人を追い出したら、ただの荒涼たる島なんだけどね(わら
北朝鮮に帰った人達は悟ったようだけど
55 :03/03/13 15:26 ID:op2GmRn8
明の軍隊とは戦ったけど、朝鮮の軍隊とは戦ったのか?
明の記述がなければ韓国の歴史歪曲ですな。
正しい歴史認識を!
56魔神閣下 ◆ZD/Y49hXi2 :03/03/13 15:29 ID:xK3hSTZs
現地調達が当たり前って言い切るのもなんだかなー
一応、兵糧を用意してたし
戦国期、特に織豊系は大量の兵糧を持ち込んだり買
ったりしてやってたんだし
57  :03/03/13 15:30 ID:IglMzO0U
>48
半島の支配するには徹底した圧政が一番

豊臣家は日本の農民にたいするような方法でやったから失敗した
島津家の琉球統治や松前の蝦夷統治のような圧政をしいてたら
半島の支配も成功しただろう、しかし琉球や蝦夷はとちがって
半島の支配に成功しても利益がでたとは思えんがw
58 :03/03/13 15:37 ID:dJhGLtQd
30万人分の食料6ケ月分を国内で調達・集積しているよ。
59駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/13 15:39 ID:X/O6L8Qg
まぁ「国の師に貧するは遠く輸ればなり」っつー事で一つ。







ところで。朝鮮軍の話題は何処?(w
60魔神閣下 ◆ZD/Y49hXi2 :03/03/13 15:40 ID:xK3hSTZs
ついでに言うと、圧政をするならそれだけの軍事力が必要で
(または無力感を与えて抵抗させないとか・・時間はかかるが)
川一本隔てた先に明や後金がいるのに兵力をさけま千円。
61 :03/03/13 15:45 ID:j0A/sZpd
オーベルシュタイン要らずのアムリッツァか…
ナチュラルに焦土作戦とは。
62 :03/03/13 15:53 ID:dJhGLtQd
秀吉の軍が上陸した時、朝鮮全土で義兵が立ち上がり、朝鮮王朝を追い詰めた。
だが中華秩序の破壊を恐れる帝国主義者「明」と、朝鮮傀儡王朝によって、
農民の蜂起は弾圧された。
以後、東学党の出現まで朝鮮半島の農民弾圧は続く。
63軍事板住人@初級:03/03/13 16:01 ID:ldmdMcCi
「補給の手段としての現地調達」

これはあながち間違いではございません。補給品を一切合財
本国から輸送し、それだけで作戦行動を取れるようになったのは
実は、第二次世界大戦以降で、しかも完全にそれが達成できてい
たのは米軍だけでしたから。

実際、第一次世界大戦でも、オランダ・ベルギーに進出したドイツ軍
は、飼葉の補給が滞り、(当時の補給手段は馬匹が主流)ベルギーの
飼葉倉庫や穀倉を制圧したおかげで、難を逃れております。これらの
接収に失敗していた場合、かなり際どい局面を迎えていたと思われま
す。

64奈菜氏:03/03/13 16:07 ID:dJCJouDq
小田原の役を見ても解るように秀吉軍の特徴はその兵站にある。
あらかじめ後方に補給物資を集積して兵站線を引いて前線へと輸送する。
有名な「大返し」も兵站線を逆走したからこそ可能であったという説もある。
65軍事板住人@初級:03/03/13 16:16 ID:ldmdMcCi
まぁ当時の船舶の性能、数では本格的な渡洋侵攻部隊に対する
兵站維持は無理があったという事なんでしょうかね。
66駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/13 16:18 ID:X/O6L8Qg
>>65
半島内での維持も難しそうですが。
諸記述を見るに、当時街道等の整備が遅れていた
ようなので。
67魔神閣下 ◆ZD/Y49hXi2 :03/03/13 16:20 ID:xK3hSTZs
補足

>(現地から徴発できるものがあまりなかったこともあるが)

てな訳で現地調達を否定している訳じゃないんだわ。現地調
達がないと難しいけど現地調達だけで軍を維持できないつー
ことで

当時の船舶・・・・・・竜骨無かったモンね。
68 :03/03/13 16:23 ID:dJhGLtQd
義兵と李舜臣の意味は兵站の破壊にある罠
義兵による損害は半端じゃなかったみたいね。


といっても、韓国人が思っているような勇ましいもんじゃなくて、
荷馬車を脱輪させたとか、セコイ方法なんだけど効果はあったみたいね。

二度目の時は、王朝軍は焦土戦術を使ったというから、逆に言えば
秀吉軍が米を現地調達していたと言う事だな。
秀吉による荒廃っていうのも、案外そのあたりかもな。
69軍事板住人@初級:03/03/13 16:25 ID:ldmdMcCi
>>66

そうですね。マトモな街道が無い=主兵站線がない では、あっという間に
前線部隊は干上がりますからね。おまけに現地調達しようにも、干乾びた土地
なのでそれもできない。おまけに亀甲船による、今で言うところ通商破壊戦で
海上兵站路の安全も脅かされていましたからね。
70わてら陽気な・・・:03/03/13 16:25 ID:Qc0AnJ3k
食べ物がなくなると人まで食べました。
日本人は人食い人種ですか?
疑問?
71 :03/03/13 16:27 ID:sEQl4O3z
>>70
腹へりゃなんたって食うさ
72 :03/03/13 16:27 ID:HQhjOTOX
>>70
そら君らやのほうやろ・・・
73 :03/03/13 16:27 ID:vm6p0bqY
>>70
リアルタイムで人肉食やってる民族が日本の近くに有るが、それがなにか?
74軍事板住人@初級:03/03/13 16:29 ID:ldmdMcCi
私は明治以降の近代戦が好きでよく戦史なんか読んでましたので、門外漢
ともいえるくせに、なにやらえらそうにぶってしまいましたスミマセン。

詳しい人に聞きたいのですが、朝鮮出兵時の日本の事前準備状況はどうだ
ったのでしょうか?
小田原攻め並の布陣で臨んでいたのでしょうか?
75わてら陽気な・・・:03/03/13 16:31 ID:Qc0AnJ3k
>>69
「朝鮮征伐記」で
少し見たんですが・・・
腹減ったら人肉を食べる軍隊って世界中で
他にありますか?
76 :03/03/13 16:31 ID:dJhGLtQd
第二次大戦中も朝鮮人兵士はよく人肉を食べていて
日本人将校に射殺されると言う事件を起こしていた。

李朝時代から人肉を食べていたという記録があるから習慣なんだろうな。
77 :03/03/13 16:32 ID:sEQl4O3z
>>75
中国
78 :03/03/13 16:32 ID:VPiSPMJc
中国は昔も今も朝鮮半島を、
敵対勢力に対しての緩衝地として実に上手に使ってますねぇ。
79  :03/03/13 16:32 ID:IglMzO0U
>67
戦線がのびれば必然的に現地調達が中心になるし
長期戦の場合も現地調達が出来なければ不可能だよ

竜骨がなくなったのって徳川が規制してからじゃなかったかな?
戦国期はルソンあたりにもいってるから外洋船も建造できるはず
80 :03/03/13 16:33 ID:dJhGLtQd
そういえば李朝には、人肉をみんなで食べるという刑罰もあったな。

日常的に人肉食が会ったんだろうな。まあ、国民の大半が字も読めない国だからな。
81 :03/03/13 16:34 ID:sEQl4O3z
そういえばアルプスかどっかに落っこちた飛行機の生存者が
死体を食ってたね。
82軍事板住人@初級:03/03/13 16:37 ID:ldmdMcCi
まぁ人肉食も、緊急避難という面で見れば、そう非難できるもの
でも無いと思われますが・・・
83 :03/03/13 16:38 ID:sEQl4O3z
>そういえば李朝には、人肉をみんなで食べるという刑罰もあったな。
これは文化っていってもいいのでは?
84 :03/03/13 16:40 ID:nAbsj5iv
アンデスの聖餐か。
85うし:03/03/13 16:42 ID:bBss/uC+
>69
なんか間違っていないか?
腹が減ったら人肉をくえという記述があるのか?
人肉、屍肉をくらう時点でそれは軍隊とは呼べない。

極限状態に陥った者が屍肉をむさぼった、という事であれば、それは仕方がない。
生きるためだからな。

それとも。
腹が減ったから人間狩りを行い、食料とした。とでもいいたいか?
全軍の腹を満たすためにはどれくらいの人間を狩る必要があるとおもっている?(w
86わてら陽気な・・・:03/03/13 16:43 ID:Qc0AnJ3k
>>82
「耳塚」はどうですか?
耳を切り取る必要があったのですか、
昔からよく国内でてきの大将の「首」
を獲ってたそうですが・・・
やはり残忍だと思います、朝鮮の文化は
この戦い以降凋落したと聞きます。
5^6万の捕虜も東南アジアとうに売却されたそうです。
87 :03/03/13 16:44 ID:xRSQbGnt
前も似たような題名のスレが立ってたな。
同一人物か?
88 :03/03/13 16:46 ID:6+Rpz457
ベトナム戦争であわれなベトナム人の耳を…(ry
89 :03/03/13 16:47 ID:WfQYgAZI
日本軍もニューギニアで共食いしたじゃないか。
90 :03/03/13 16:48 ID:sEQl4O3z
>>86
>耳塚」はどうですか?
>耳を切り取る必要があったのですか、
 誰がどの程度活躍したかを見るためにやったの。

 で、人肉食についてはもういいの?
 で、HFやる?
91 :03/03/13 16:48 ID:dJhGLtQd
>>86
朝鮮の文化はとっくに凋落していた。
秀吉が上陸した時には、人民が蜂起して秀吉軍が到着前にソウルを焼き払っていたし
王子を捕らえて、清正に差し出している。
まあ、この時を境に何故か「両班が二倍に増えてる」がな(w
92魔神閣下 ◆ZD/Y49hXi2 :03/03/13 16:48 ID:xK3hSTZs
>>79
仮に兵糧を全部現地調達しても武具や鉄砲の弾薬はそうは
いかないって・・・・現地調達しようと何しようと兵站線を叩かれ
ちゃ勝てないって

>>81
映画にもなりましたね。
93せいら・ます・おおやま:03/03/13 16:48 ID:Gmcg+PUI
>>86
>耳を切り取る必要があったのですか、

殺した敵の数で報償が違うからな。
韓国軍がベトナムでやってたのには正当な理由があるの?
それと、「〜と聞きます」「〜そうです」というのではだめだな。
94駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/13 16:48 ID:X/O6L8Qg
>>86
当時の褒賞制度を鑑みるに、戦果確認のため必要。
つーかその当時に残忍もシレーヌもあったもんじゃなし。
95  :03/03/13 16:49 ID:WfQYgAZI
耳塚も秀吉軍がやったことじゃないか
96 :03/03/13 16:49 ID:dJhGLtQd
>日本軍もニューギニアで共食いしたじゃないか

朝鮮兵がニューギニアで人肉を食っていたのは非常に有名だね。
中には日本兵にも食べていた奴もいたそうだけどね。
97 :03/03/13 16:50 ID:sEQl4O3z
>>89
脱走兵を殺して共食いしてたとでも?
なんどもかくけど
腹へりゃなんでも食べるんだよ。
北朝鮮がいい例だろ。
98 :03/03/13 16:50 ID:WfQYgAZI
朝鮮出兵はわかりやすくいえば独ソ戦みたいなもの
99 :03/03/13 16:52 ID:dJhGLtQd
>耳塚も秀吉軍がやったことじゃないか

耳塚は供養の為のものです。
ベトナム戦争では、ベトコンの鼻を切り落として、
アクセサリーにしていましたね。(ベトナム帰還兵談)
100 :03/03/13 16:52 ID:sEQl4O3z
敵であるはずの「耳」にまで「塚」を作って今まで残っているってのも
日本人らしいね。

ふつうならゴミ箱いきだわな。
101 :03/03/13 16:52 ID:WfQYgAZI
>>96
共食いしたのは日本兵
日本兵は日本人、朝鮮人、台湾人などにより構成される/
102軍事板住人@初級:03/03/13 16:53 ID:ldmdMcCi
耳塚についてですね。
前述したとおり、戦国期の戦史にはあまり詳しく無いので、間違いがあるかも
知れませんがご容赦を。

古来確かに日本には手柄を立てた証に、首を取るという戦場における作法(逢
えてそういわせていただきます)がございました。朝鮮戦役でも、戦場において
それらの行為を行ったのは想像することができます。

さて、問題の耳塚ですが、これは、首をいちいち切って運んでいたのは大変だ!
と、いう事になり、大きな首より、耳のほうが小さいし一回に大量運べるから
これにしよう! という一種の合理性から、選択されたわけです。類似行為に
相手の鼻を削ぐ、と言うのも遭ったと記憶しています。

さて、これらの行為は残酷かと問われると、私個人としては肯定です。しかし
ながら戦場において残酷だ何だと議論するのはナンセンスかと思います。なん
せ戦争なんですから。

で、アナタは耳塚と食人行為を結び付けたいようですが、関係は無いと思いま
すよ。耳は上記のとおり、食料として駆られたのではなく、戦果を示すトロフ
ィーとして収集されていた訳ですから。
103 :03/03/13 16:53 ID:dJhGLtQd
独:秀吉
ソ:明

スターリングラードの雪:朝鮮
104 :03/03/13 16:54 ID:WfQYgAZI
>>99
見せしめのためだろ、耳塚は。
105訂正するよ:03/03/13 16:54 ID:dJhGLtQd
>共食いしたのは日本兵
正確に言うと朝鮮系日本兵だった
106 :03/03/13 16:55 ID:6+Rpz457
ベトナム人女性のノンフィクションで読んだんだけど戦争時
韓国兵は切取った耳を家族の写真と共に持ち歩いていた。
という記述があった。
秀吉の耳塚は日本人なら誰もが知ってるけど、ベトナムのこれは
一般の韓国人は知らないのかねぇ。
107わてら陽気な・・・:03/03/13 16:55 ID:Qc0AnJ3k
>>102
丁寧なレスありがとうございました。

あと、@初級とありますが、軍事板にはまだまだ
上級者もいますか
108 :03/03/13 16:55 ID:dJhGLtQd
>見せしめのためだろ、耳塚は。

誰に見せるんだよ(爆笑
109 :03/03/13 16:55 ID:sEQl4O3z
>>104
誰に対して?
110  :03/03/13 16:56 ID:WfQYgAZI
>>102
俺も残虐だとは思わないが。
同じ事をしたのに
日本=残虐じゃない
南戦=残虐

というのはおかしいと思うぞ。
111  :03/03/13 16:56 ID:IglMzO0U
>69
亀甲船の話(あと李朝水軍の火力)はかなり眉唾
海将としての李舜臣とその部下の武勇によるところが大きかったと思う

>74
用意した兵糧や軍資金は小田原の比ではないくらい膨大だった
以外に2度の朝鮮征伐で日本からの輸送はそれなりにやっている

>92
なんか勘違いしてないか?微妙に意見がすれちがってるんだが
112うし:03/03/13 16:57 ID:bBss/uC+
なんでこう自分たちにしか通用しない価値観で思いこむ朝鮮人がおおいかな。
韓国のMMORPGはPKが無いとはやんない。
これって如実に国民性をあらわしているだろ。

スレ違いで申し訳ない。
で。
「朝鮮出兵」の話はどーーなったのかなぁ?
113(゜- ゜)っ )〜:03/03/13 16:57 ID:NanCU+w6
>>104はこんなのを読んだと思われ
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/h-sigeno/history.htm
114駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/13 16:58 ID:X/O6L8Qg
>>110
…時代背景とともに価値観が変化するってのを理解できませんか?
115  :03/03/13 16:58 ID:o2xJGCX8
>>104
朝鮮人の耳を切って日本に耳塚を作って誰に見せしめるのか?
お前馬鹿だろ?

日本人は敵でも悪人でも死んだら供養するんだよ。
死体を掘り出してまで叩くお前らとは違うんだよ。
116 :03/03/13 16:58 ID:WfQYgAZI
>>108
戦意高揚のためだろ。

そんな事もわからんのか。
117 :03/03/13 16:59 ID:sEQl4O3z
>>110
>同じ事をしたのに
同じことではないから

で、耳塚は誰に対しての見せしめなの?
118POS:03/03/13 17:00 ID:AD0exBze
>>116
戦争終わった後に高ぶらせてどうすんの?
119 :03/03/13 17:00 ID:sEQl4O3z
>>116
見せしめではなかったのかね?
120 :03/03/13 17:00 ID:dJhGLtQd
ニューギニア戦線の朝鮮兵の手記を読んだけれど、
日本兵の多くは人肉を食べられなくてバタバタ死んだと書いてあった。

最後の頃は、オーストラリア兵を見ると美味そうな獲物に見えたと書いてたね。
121せいら・ます・おおやま:03/03/13 17:00 ID:Gmcg+PUI
>>110
時代が違うし、必要性も違うわな。
122いつもの名無しさん:03/03/13 17:00 ID:khk3rtG/
>>116
お前はそんなんで戦意高揚するのか?
変わってるな。
123 :03/03/13 17:01 ID:dJhGLtQd
戦意高揚のための「みせしめ」???????????????

日本語できる?
124 :03/03/13 17:01 ID:q8snJD4N
そういや耳塚っていつできたんだろう?
秀吉が死んだ後なら「供養」だと容易に推測できる。
存命中だとしても「供養」だと思うが。

耳塚って朝鮮半島にもあるの?
戦意高揚が目的だったら日本につくっても
あまり効果はないんじゃないか?
125魔神閣下 ◆ZD/Y49hXi2 :03/03/13 17:02 ID:xK3hSTZs
耳塚は京都の豊国神社の近くにあったり
供養のためでしょう。今でも献花されてますし

文禄の役では正則や嘉明が兵糧輸送の任に当たってますし
126 :03/03/13 17:02 ID:dJhGLtQd
九州の兵隊が戦意高揚のために京都に耳塚参りをするのか!(わら
127 :03/03/13 17:03 ID:HNkfAXnl
>>1はNHK教育の深夜放送見たんだね(W
128  :03/03/13 17:04 ID:IglMzO0U
日本には針供養まであるからな
上野の不忍池にはすっぽんの塚もある、これも食材のすっぽんの供養のため

文化的なもだから朝鮮文化の染み付いた在日に説明しても理解できないとおもわれ
まあ、靖国に遺骨があるとおもっている人たちだしw
129わてら陽気な・・・:03/03/13 17:04 ID:Qc0AnJ3k
あと朝鮮にも日本軍の城を築いてますね、
立派な石垣なんかが今でもあるそうです。
130魔神閣下 ◆ZD/Y49hXi2 :03/03/13 17:05 ID:xK3hSTZs
>>111
いや、ね。 これしか言ってないよ。ウリは

1.現地調達を否定してない。
2.兵站が叩かれたのが敗勢の原因の一つ。
131 :03/03/13 17:06 ID:xRSQbGnt
朝鮮通信使がしつこく謝罪を求めてきたため、ウンザリした幕府側はそいつらを
耳塚まで連れてって「これをもう一個建てるぞ。」と脅したらしい。
132軍事板住人@初級:03/03/13 17:06 ID:ldmdMcCi
>>107

はい。私なんぞ足元にも及ばない博識な方々がいらっしゃいます。

>>111
レスありがとうございます

>>116
耳塚に関しては、やはり供養したから塚なのだと思います。
供養する前段階で晒されたり、また副次的な効果を狙った
行為があったとは考えられますが、『耳塚』に関しては供
養のためというので正解かと思います。
133POS:03/03/13 17:06 ID:AD0exBze
当時の秀吉軍の兵站物資ですが、一旦名護屋に集めてそこから朝鮮に
送られました。
城には膨大な物資が付近から集められたようですがそこから先は?
船も400隻ほど使われているので朝鮮までは届いているのでしょうが。
問題は陸上輸送でしょうね・・・・・・・・
道もないような状況では、小荷駄隊は前線まで運べなかったでしょうね。
134 :03/03/13 17:07 ID:NPDy855j
>>120
その手記ってこの本ですか?
林えいだい著『朝鮮人皇軍兵士―ニューギニア戦の特別志願兵』(柘植書房、1995年)

スレ違いな質問で悪いけど。
135うし:03/03/13 17:07 ID:bBss/uC+
>126
朝鮮人は反日戦意高揚のためわざわざ京都まで来ますが(w
また、耳塚を返還しろという運動まで起こしているぞ。
136 :03/03/13 17:07 ID:dJhGLtQd
東南アジアに5万人も売られる訳がないだろ(爆笑

捕虜全体で、2万〜4万と推定されるが、そのうち帰国したのが
1万5000から3万。
帰国しなかったのは、
日本の方が待遇が良い職人・日本に適応した子供・国に帰ったら侮辱が待つ女
だったと、記録にある。
137魔神閣下 ◆ZD/Y49hXi2 :03/03/13 17:08 ID:xK3hSTZs
138 :03/03/13 17:10 ID:dJhGLtQd
>>134
昔読んだ本なので題名を覚えていない。悪い!
内容を見れば思い出すんだけど、
139軍事板住人@初級:03/03/13 17:10 ID:ldmdMcCi
そういえば、九鬼水軍は最後まで制海権を取れなかったんでしょうか?
140 :03/03/13 17:11 ID:NPDy855j
>>138
そうですか。残念。
ちと気になったもんで。あとで自分で調べてみます。
141 :03/03/13 17:12 ID:nAbsj5iv
さんがいないのに、こんなに盛り上がってるなんて。
珍しいことも有るもんだ。
142POS:03/03/13 17:12 ID:AD0exBze
>>139
そういう思想がなかったのでは?
143魔神閣下 ◆ZD/Y49hXi2 :03/03/13 17:12 ID:xK3hSTZs
李舜臣が更迭されていた間、王朝水軍は負け続けでしたから
全期間に渡って制海権を失っていたわけではないと考えられ
ます。
144わてら陽気な・・・:03/03/13 17:13 ID:Qc0AnJ3k
>>137
うわーあるもんですねー
感激!かむさはむにだ(w
一度行ってみたいような気がしてきた。
じっくり今から見ます。
145 :03/03/13 17:13 ID:HNkfAXnl
あっというまにいくつかの城を占領し
朝鮮人には完璧に勝って漢城占領したけど
援軍にきた明の軍隊に負けちゃったよな
ちなみに藤堂高虎は朝鮮の水軍全滅させてるよね

そのころ唐辛子を日本から朝鮮へ輸出して野菜中心だった朝鮮人の食生活を劇的に改善して
イカなどをキムチに取り入れたって言ってたな
そのころは交流もあったんだけどねー
146軍事板住人@初級:03/03/13 17:14 ID:ldmdMcCi
>>110

亀レスすいませんが、一体私のレスのどの辺を読んだら
110のご返答になるのでしょうか?
147 :03/03/13 17:15 ID:aZJtjrAq
朝鮮の人物は一般に日本、支那の人々より強大で筋骨も強い。
食料なども日本人の二人前を一人で平気で平らげる。
然しその心甚だしく愚鈍で、臨機応変の態度が少しも見られない。
太閤の征伐にあって負けた原因は全くここにある。

林子平「三国通覧図説」

今日の印象と全く変わりませんな。
148 :03/03/13 17:15 ID:dJhGLtQd
>>139
九鬼は、大名連中があんまり素人なんで怒っちゃった。
だから途中から抜けてる
149駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/13 17:16 ID:X/O6L8Qg
>>145
…明軍に戦場で負けたっけ?
150せいら・ます・おおやま:03/03/13 17:16 ID:Gmcg+PUI
>>147
家畜は丈夫なのが取り柄だからね。
151  :03/03/13 17:17 ID:IglMzO0U
>130
了解しました

2についてい意見が分かれますな
当時の水準からいえば日本の補給線はむしろ順調だと思います
後方の兵站基地の規模もデカイし海路、陸路とも力をいれてる

個人の見解だが秀吉がもう少し長生きしていたら
明の方が先に撤退したのではと思っている
152_:03/03/13 17:19 ID:7EXFCVyy
最初に上陸を許してる時点で、李舜臣は無能。
戦争に素人の民衆は、役人嫌いで日本の見方をした。
明軍の大砲と日本軍の鉄砲隊と結構良い勝負したそうだよね。
結局補給の問題で負けたわけだが。

153軍事板住人@初級:03/03/13 17:20 ID:ldmdMcCi
>>148

ううむ、となると、日本が負けた最大の理由は指揮系統の不備
って結論に私的には結論してしまうんですが・・・

なにかいい解説書かWebサイトご紹介賜りたし。
154魔神閣下 ◆ZD/Y49hXi2 :03/03/13 17:20 ID:xK3hSTZs
亀甲船が世界初の鉄船ってのは嘘で、鉄板を張っただけ
としても(ウリは疑問視しているが)織田信長が九鬼氏に建
造させた鉄張りの安宅船の方が先だし・・あれには大筒が
積んであったし

亀甲船の数も数隻程度だというのが最近の研究結果らしい
です。亀甲船が伝説化したのは李舜臣の才能によるのでは
ないかと推察します。
155_:03/03/13 17:23 ID:7EXFCVyy
>>154
敗走する船を後方から撃つ能力だけなら、
李舜臣は最高の指揮官だな(w
156軍事板住人@初級:03/03/13 17:23 ID:ldmdMcCi
>>154

ハードも大切ですが、やはり操る人間が有能でなければ何にもな
らないという良い例ですね。
157魔神閣下 ◆ZD/Y49hXi2 :03/03/13 17:24 ID:xK3hSTZs
>>151
ウリは究極的には総大将がいないことと、民衆の慰撫に失敗した
ことが敗勢の主原因だと見てます。
民衆を味方につければ兵站の心配はほぼなくなりますし後方も
あまり気にしなくて済むし
渡海諸大名の不協和音は・・・・・・もうダメポ
158POS:03/03/13 17:24 ID:AD0exBze
>>153
豊臣政権の対外侵略と太閤検地と言う本に補給については書かれてたよ・・・・
えらく高い本だけど。
検索すればこの本の孫引きの論文が出てくるよ。
159わてら陽気な・・・:03/03/13 17:29 ID:Qc0AnJ3k
>>137
で紹介されてた倭城の規模から
考えてかなりの補給もあった模様。
あくまでも感。
160軍事板住人@初級:03/03/13 17:29 ID:ldmdMcCi

後方支援体制は万全。実戦部隊は装備も連度も申し分なし。けど指揮系統が
ダメダメで敗戦。

てな結論でOK?

>>158
サンクスです 調べてみます。『失われた勝利』より高かったら
アウトですなぁ(苦笑
161 :03/03/13 17:31 ID:dJhGLtQd
そもそも、敗戦か??????
162軍事板住人@初級:03/03/13 17:31 ID:ldmdMcCi
日本を貶すつもりで立てたはずのスレが、活発な討論で良スレ化
してる現状を>>1はどう思っているのでありましょうか?
163 :03/03/13 17:33 ID:sEQl4O3z
>>161
目的を達成できていないのだから敗戦でいいかと思われ。
164 :03/03/13 17:33 ID:G4J0nctl
泗川城の戦い

明の提督董一元は20万の大軍を率いて晋州城を攻め
徳川江をはさみ島津軍と対峙した。
島津軍は泗川古城を放棄し、泗川新城まで退いた。
 
10月1日明軍の攻撃が始まり、島津軍は僅か5千ほどの
兵力で応戦し、明軍を退却させた。
この時、明軍の戦死者は3万8717人と報告され。
味方の戦死者は僅か2人という。

この大勝利で島津氏の戦功は不動のものとなり、
明・朝鮮軍では、島津を「石曼子(シマヅ)」とその強さを恐れた。

その後、義弘は慶長4年、高野山に日本と朝鮮・明両軍の戦没者慰霊碑を
建てて、その霊を供養している。

関連サイト
http://www.pp.iij4u.or.jp/~butakai/sisenn.htm
165軍事板住人@初級:03/03/13 17:34 ID:ldmdMcCi
>>161

戦略目標の達成失敗=敗戦 と言う定義で、敗戦と言う言葉を
使っておりました。

しかし太閤さんは朝鮮半島の制圧が完了したら、明まで侵攻する
つもりだったんでしょうか?

166わてら陽気な・・・:03/03/13 17:34 ID:Qc0AnJ3k
>>162
またそろそろ、貶めましょうか?
いやな役割だけどスレ活性化の為に。

西山大師の奮闘についてとか・・
167いつもの名無しさん:03/03/13 17:36 ID:khk3rtG/
>>162
ハン板では良くある展開で。煽りに集まってくる
コテが多いんだ、これが。
とりあえず>>1を輪姦してから一服しつつ談笑する
パターンといいますかw
168軍事板住人@初級:03/03/13 17:37 ID:ldmdMcCi
>>166
んー 今妙に水差すようなことしても、粗悪燃料扱いで終わりのような。

無理して汚れに成らなくてもいいのでは?
169魔神閣下 ◆ZD/Y49hXi2 :03/03/13 17:37 ID:xK3hSTZs
権慄と李舜臣を讃えることくらいしか王朝軍を誉める
材料が・・・・・・・・・
元均のような出ると負け将軍なんて出しちゃ
170駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/13 17:37 ID:X/O6L8Qg
>>167
まったく酷い話もあったもので(;´ー`)y-~~~











…漏れは違うぞ。
171 :03/03/13 17:38 ID:dJhGLtQd
戦争目的を達成できない事を敗戦とは無理があるだろ(わら

まあ、しいていえばベトナムの米軍の例があるけどね

所詮、日本の一地方の軍隊がイヤイヤ戦争に駆り出されただけだしなあ
172_:03/03/13 17:38 ID:7EXFCVyy
>>166
韓国がイラクに工兵派遣するスレに皆流れ込んでるみたい。
しばらく様子見たら?
173わてら陽気な・・・:03/03/13 17:41 ID:Qc0AnJ3k
>>172
向こうにも書いたけど、韓国タイミングよすぎ(w
174  :03/03/13 17:46 ID:IglMzO0U
>160,163
目的は唐入りと朝鮮征伐
うち唐入りは出来なかったが李朝を叩いたんだから朝鮮征伐は成功だろう

一回目(文禄の役)は明と講和しての撤退だから引き分け
2回目(慶長の役)は明の違約(という理由)で攻め入って秀吉の死で撤退
これも成功とはいえないが敗北ではないだろう
175わてら陽気な・・・:03/03/13 17:50 ID:Qc0AnJ3k
>>174
目的は「やきもの」「印刷技術」を取り、
朝鮮文化を焼き尽くし、人々を
葡萄牙人に売り払うことでつ。

だから成功でした。
176 :03/03/13 17:51 ID:m3zaWV0D
>>175
偽スリランカ人兼偽南米人兼(ry・・・
こんな所でフラフラしてたのか。
177わてら陽気な・・・:03/03/13 17:52 ID:Qc0AnJ3k
>>176
今日は不調です。
178  :03/03/13 18:03 ID:IglMzO0U
朝鮮の民衆が豊臣軍に立ち向かったというわりに人的被害がない
輸送中の食糧をうばったのは抗日義兵ではなく野盗のたぐいではなかろうか
半島では盗賊予備軍が今でもイパーイいるから当時は凄かったんだろうと想像
179鬼石曼子:03/03/13 18:05 ID:l8g7FVSQ
「唐入り」にあたって、朝鮮半島での目的は「通るだけ」だろ。
通り過ぎる事を邪魔されたのだから、戦略的には失敗だ。
しけた陶磁器なんかで日本軍の邪魔をした事への謝罪と賠償が済むと思ってんのか?
180 :03/03/13 18:10 ID:aZJtjrAq
大明征伐への経緯。

足利義満の売国行為(日本国王受諾)
   ↓
4代将軍が反発
   ↓
6代将軍が継承(足利義教)
   ↓
織田信長継承(義教のファン)
   ↓
秀吉が発露

181信長だったら・・・:03/03/13 18:34 ID:/jV+uJzC
当時の戦の勝敗を分かりやすく表記してある。
http://plaza.harmonix.ne.jp/~aru/j_nenpyo.htm
                        勝者   敗者
1593 文禄2年 1月 碧蹄館の戦い   日本軍  明・朝鮮
1593 文禄2年 6月 晋州城攻略戦   日本軍  明・朝鮮

1597 慶長2年 7月 漆川梁の海戦   日本水軍  朝鮮水軍
1597 慶長2年 8月 南原城攻略戦   日本軍   明・朝鮮
1597 慶長2年 11-12月 蔚山城篭城戦 日本軍  明・朝鮮
1598 慶長3年 10月 泗川の戦い    日本軍   明・朝鮮
1598 慶長3年 11月 露梁津の戦い   明・朝鮮   日本軍
182信長だったら・・・:03/03/13 18:36 ID:/jV+uJzC
183 :03/03/13 18:40 ID:aZJtjrAq
>>181
まあ敗北といっても時間切れによるものだからな。
アメリカのベトナム戦争敗北みたいなもんじゃろ。
184高橋元太郎:03/03/13 18:43 ID:WKKQvoOw
朝鮮征伐中に、
方広寺大仏殿建立、聚楽第破却、2度の伏見城造営と
大事業を余裕でやっている豊臣政権。
しかも秀吉は文禄の役の時に、あまりにヒマなため
前線基地名護屋城で能楽の楽しさに目覚め、
その後は茶の湯と能楽の日々。

朝鮮=必死  日本=正直、朝鮮なんてどうでもいい

この構図はどの時代でも不変かな。
185  :03/03/13 18:53 ID:IglMzO0U
>184
この場合の比較は明が適当とおもわれ
日本も余裕ぶっこいてたが明も余裕があった
日本と明の間でしかない朝鮮は両国からアウトおぶ眼中

ちなみに明は後金に攻められて綱吉の時代に日本に援軍を求めてたはず
186高橋元太郎:03/03/13 19:09 ID:WKKQvoOw
>>153
確か水軍に割り振られた武将がほとんど九鬼と同格か、格上の大名で、
九鬼の言うことを聞かず、
しかもそれぞれの武将が陸戦と同じ感覚で「抜け駆け」を仕掛け、
李舜臣の餌食にあったということらしい。
http://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=31094109


>>185
そりゃそうです。明の属国と日本を比べちゃいけません。
李氏朝鮮のカウンターパートはせいぜい対馬の宗氏です。
187 :03/03/13 19:40 ID:JPxUFoHg
結論として、 明 は 強 い 

朝鮮、 ハ ァ ?

ですな
188 :03/03/13 19:44 ID:aZJtjrAq
★あまりにも美しい大江戸の町並み★
http://aquarius17.cool.ne.jp/dc2wp/up/box/sub.cgi/scene0130.jpg1864年、英国人ベアト撮影のパノラマ写真
http://www.nagoyatv.com/ukiyoe/list/kabuki/ks_08.html東都繁栄の図 歌川広重
http://www.matsuzakaya.co.jp/corporate/history/edo/img/061.gif東都大伝馬街繁栄之図 歌川広重
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/haikei/img/2003/03_no1.jpg駿河町大通り
http://www.nagoyatv.com/ukiyoe/museum/hiro2/hiro2_14.html猿わか町よるの景 歌川広重
http://www.nara-edu.ac.jp/ARCHIVE/UKIYOE/23.jpg安政乙卯十一月廿三日両国橋渡初之図 歌川国芳
★あまりにも美しい元新橋芸者「小鈴」こと陸奥宗光夫人、亮子33歳の写真(1888年撮影)★
http://member.nifty.ne.jp/amatumikaboshi/bj/bj_02.htm

ベアトの写真の30年後の1897年、ソウル南大門路はこちら。(東洋のシャンゼリゼ)
http://www2.nhcc.go.kr/photo/img/bmp/S1437.JPG
  パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ   
 ∧_∧     ∧_∧     ∧_∧        
 (   )】      (   )】    (   )】  「きゃ〜東洋のシャンゼリゼ最高!」
 /  /┘    /  /┘    /  /┘
ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ     
189_:03/03/13 19:49 ID:lUODQNIS
その前に、朝鮮軍の総兵力ってどれくらいよ。
190 :03/03/13 19:51 ID:l8g7FVSQ
朝鮮の官軍は5千人じゃなかったっけ?
191 :03/03/13 19:52 ID:tFhsVE87
>>188
まあ、当時日本は西洋の国々と比べても飛びぬけて衛生的で美しい国だったわけだから、
それとソウルを比べてしまうのはちょっと可哀想かとおもわれ。
192軍事板住人@初級:03/03/13 20:10 ID:ldmdMcCi
>>191

それにしてもギャップが・・・(大汗
193 :03/03/13 20:50 ID:NPDy855j
>>188
なんで陸奥宗光夫人の写真が・・
いや、美女であることに異論はないんだけど・・・
194 :03/03/13 20:59 ID:tFhsVE87
>>193
俺も美女であることに異論はないけど、それにしても……本当に綺麗な女の人だね。
100年以上も前だと「美女」っていっても価値観が全然違うからがっかりさせられるけど。
195 :03/03/13 21:02 ID:LZU3m/X4
>>185
やはり秀吉や豊臣政権が意識していたのは当然明。
伏見城や大坂城の千畳敷も、
秀吉が壮麗・巨大な殿舎で明の勅使を謁見「してやる」ことを念頭に置いて造られたそうです。
とにかく豊臣の、日本の圧倒的な国力、財力を明に見せつけて度肝を抜いてやろうとしていたわけですな。
他にも明に軍事力を見せつけるための
「日本国武者揃」という物凄い軍事パレードも準備していたというし。


これが朝鮮の使節相手なら、名護屋城ひとつで十分彼らの度肝を抜いておつりがくる。
196  :03/03/13 22:32 ID:IglMzO0U
>195
いや 朝鮮人のメンタリティーだと
良い建物>悔しい>自分の物にしたい>となります
もちろん自分たちのものにはなりません、すると妄想にはしります

曰く 日本人を追い出して日本に住むニダ
曰く コレもウリたちの先祖が文明をつたえたからニダ
曰く コレもウリたちの先祖が日本に移住したからニダ などです
197_:03/03/13 23:16 ID:7EXFCVyy
>>196
前に「見たか大韓国、これが大江戸の街並みだ!!」っていうスレがあって、
そこにレスしてあったんだが、
朝鮮通信使だったかが日本に来た時の日記かなんかで、
江戸・大坂・名古屋どの街並みも凄い。
清の皇帝は日本にばかり富を与えていて悔しい。
でも、もっと悔しいのは、我々朝鮮がここを武力制圧して、
朝鮮王の徳を持って支配すれば、もっと発展されられるという事だ。
とか書いてたというのがあった。
250年前から、文化欠乏で火病な民族。
198 :03/03/13 23:27 ID:aZJtjrAq
>>197
これでしょ?
http://members.tripod.co.jp/upro/edo-mati.htm

実はこのスレ俺が立てたんだよね(w
ネット初めてまだ三日目の頃だったな・・・・・。
懐かしい思い出です。

199_:03/03/13 23:42 ID:7EXFCVyy
>>198
ソレダ!!(・∀・)
最初は散々叩かれたのに、
途中からはえらく盛り上がったんだよな。
200ハートチップル:03/03/13 23:49 ID:aZJtjrAq
>>199
>>188のコピペ貼ったのも俺・・・・・。
3ヵ月たっても何も進歩してないな(w
201 :03/03/13 23:54 ID:Vi5jOqPU
俺の記憶だと西郷従道の嫁さんが1番美人だったと思う
202 :03/03/13 23:54 ID:Yi+pcF6x
文禄、慶長の役
日本軍が中国国境まで進撃、その後、日本軍の脅威を
恐れた中国軍が朝鮮半島に出兵、中国軍が平壌を奪回後、
中国と日本による停戦協議が京城にて行われる。

どこかで聞いた話だな(w
それより
○日本軍半島上陸時、半島政府は民衆に徴兵制を強いていたが、民衆は
訓練と卑しい武官に指揮されるのがいやで組織軍はあつまらなかった。 
○主な将軍は朝鮮王より先に逃亡した。
○日本軍が京城入場の際、賎民たちが「掌隷院」と呼ばれる奴隷管理所
を放火し、快哉を叫んだ。  
○清正隊は朝鮮民衆より朝鮮国王子二名を捕虜として引き渡された。
○同隊が明軍を攻撃しようと移動した際、我々を見捨てるなと懇願された。
○李舜臣は日本水軍を破ったが、褒美どころか讒言にあい左遷された。
○明軍は略奪など日常茶飯事だった。これについて歴代朝鮮政府は抵抗も
 謝罪の要求もしていない。
についてはどうなっているのかな?
203 :03/03/14 00:06 ID:IE0QYTa2
>>198
ネット始めて3日で2ちゃんにスレたてかよ...。
俺なんて怖くて半年間書き込みも出来なかったのに。
204_:03/03/14 00:11 ID:InO4jMGH
>>203
漏れも三ヶ月ほど書き込みしなかったし、
最初に書き込んだのは、学校のパソコンからだった。
IPとか抜く奴がいるんじゃないかと、警戒してたからな。
あの時>>203はスゲ−度胸あるなと思ったよ。
205 :03/03/14 00:23 ID:alpH35bc
>>204
そんな事、考える事も出来ないくらい無知だったという事です(w
206事実:03/03/14 13:10 ID:WrRupv2V
>>202
朝鮮人がどんどん日本軍に降伏したのは良いが、
降伏した朝鮮人達同士で勢力争いやりだした。
その勢力争いに、日本から輸送した物資を湯水のように浪費したんだよね。
日本軍としては、一応味方になったわけだから物資を補給しないわけにいかんし。
それで、日本軍の物資がものすごい勢いで足りなくなって撤退
207 :03/03/14 13:24 ID:yJome0jI
>>206
素晴らしい戦術だな。
ひょっとしたら今回のイラク出兵も……
208七子さん:03/03/14 13:27 ID:Gp+44m7o
>>206
やはり『味方に付けたら怖い朝鮮人』ですか。
209202:03/03/14 22:02 ID:NRbvW/Rq
>>206
私の書き込みは旧日本陸軍参謀本部編纂朝鮮の役をもとにしました。
しかし、これほどまで戦史を研究しながら、兵站の確保を日清戦争で
怠ったのはなぜか理解に苦しみます。

誤算があるとすれば、李氏朝鮮が日本の想像以上に貧しかったということ
でしょうな。
210 :03/03/15 06:07 ID:mZenQVrf
朝鮮人民は一致団結して日本軍に抵抗したという記述だが、果たしてそうか。
あまり知られていないことかもしれないが、実際には日本軍の中には、
これに呼応した朝鮮の民衆が多数含まれていたのである。
支配階級の両班は党派抗争に明け暮れ、『宣祖実録』によれば、
「人心怨叛し、倭と同心」するような社会状況の中で、
明軍が朝鮮軍支援にかけつけてみると、「斬る所の首級半ば皆朝鮮の民」
といったふうだったという。

また、江戸時代末期に日本で書かれた『征韓偉略』によれば、
秀吉の軍隊が京城に入城した時、兵士の半ばは朝鮮の民であったという。
また、韓国の教科書には「文化財の被害も大きかった。
景福宮が焼け、実録を保管した書庫が消失した」と書かれているが、
火をつけたのは朝鮮の民であり、秀吉の軍隊が京城に入る前に、
既にそれらの建物は焼け落ちていたのである。宣祖の京城脱出と同時に、
日頃から怨念を抱いていた民衆が略奪・放火をほしいままにしたのであり、
「虐げられた朝鮮の民衆にとって、外敵の侵入はまさに解放軍の到来と映った」
との指摘すらある(下條正男、『日韓・歴史克服への道』)。
211 :03/03/15 06:09 ID:mZenQVrf
壬辰倭乱当時、首都漢陽(ソウル)を固守すべしという民衆の願いを押しのけ、
蒙塵(王が乱を避けて都を退くこと)の口実のもとに、王と大臣らが都を逃げ出すと、
彼らに石を投げつけた民衆は、腹いせに宮殿に火をつけた。
普段えらそうなことを言って何事もいい加減に行なっていた連中が、
民衆の叫びを背に逃亡したのだから、
民衆の間に「なんだ、この野郎」といった気分が高じたのも無理はなかった。
実際にそのころ朝鮮の二人の王子は逃亡中に民衆に捕らわれ、日本軍に引き渡された。
民を守らぬ王は、もはや王ではないのである。

李[イ+塞]は、壬辰倭乱を、豊臣秀吉の侵略欲のせいでなく、
朝鮮内部の党争が自ら招いたものであると言った。
もしそのころ、全国民が君主を中心に団結さえしておれば、
あのような侵略はありえなかったろうと断言している。
壬辰倭乱の時、京畿以南には義兵が至る所で決起したが、
西北三道(朝鮮半島北部地域)には義挙した者が見られなかったばかりか、
当時北関では王子と大臣を捕らえて倭賊に投降した者さえいた。『星湖[イ+塞]説』
なぜ京畿以北地域(朝鮮半島北部地域)にはたった一度の義挙もなかったのか。
その地方出身者は、官職はいうまでもなく科挙に応じる資格すら与えられておらず、
最初から徹底して中央から遠ざけられていた。
それゆえ李朝が自分たちを守ってくれるとはつゆにも考えられなかったし、
当然国のため命を捧げる者も出てこなかった。
212 :03/03/15 06:15 ID:CZyhTqFk
真っ先に掌隷院を襲って奴隷の戸籍を燃し、
戦後の経済難から米と引き換えに両班を量産した。

最も古い族譜ですら16世紀だが、全国の戸籍が民衆によって焼かれた事により
族譜の作成が流行った(笑)

両班様も秀吉のお陰で量産されたと言う訳だ。
213 :03/03/15 06:27 ID:mZenQVrf
「朝鮮征伐」という呼称には因縁をつけておきながら、
元冦の事を「日征伐」と呼ぶのはこれいかに。
皆さん、「朝鮮出兵」等と言わずに堂々と「朝鮮征伐」と言いましょう。
214  :03/03/15 12:00 ID:1lJ9ryo6
最近の日本の教科書は酷い内容らしいがどんな風にかかれてるんだろう
215 :03/03/15 12:06 ID:f7ZxcmcV
>>212
両班になれた韓国人は秀吉に感謝しなければいけないな(w

朝鮮征伐は本来の目的ではない。
秀吉の対明戦争の当初作戦でしかなく
朝鮮王が日本側に協力するのであれば、
朝鮮を占領することは無かった。
日本軍にもやる気なしがいたので
秀吉の思い通りにはならなかったけれど。
216 :03/03/16 06:31 ID:/l2rhubx
>>215
豊臣秀吉が李氏朝鮮に要求したのは、明国への道案内だったと聞きました。
仮に朝鮮が国を挙げて日本に協力したとして、
明国に同行した朝鮮兵はさぞかし残酷なことをしたでしょうね。

>日本軍にもやる気なしがいたので
日本兵の中に朝鮮へ寝返ったものが多数いたというのをNHKの番組で見ました。
鉄砲の製造や扱い方を教えた連中の子孫が今もどこだかに暮らしているそうです。
217 :03/03/16 06:43 ID:8kYj6Jey
産業革命以前のアジアでは、
日本から渡海して半島に渡って、中国へ攻め上がるのは、
補給網の確保からして無理である。
これの逆のケース、蒙古襲来も、2ヶ月間、博多湾で足止めを食らって
食料が尽きたわけで...
13万の大軍が半年間、戦う食糧供給網を築くこと自体できない。
218 :03/03/16 12:53 ID:esVNu7FK
秀吉が太閤になったあたりで元冦イベントがあったら、さぞ見物であったでしょう。
219 :03/03/16 16:21 ID:Ra53E0tP
>>216
>鉄砲の製造や扱い方を教えた連中の子孫が今もどこだかに暮らしているそうです。
司馬遼太郎の本で読んだような気がする。
その人達の田植えや田の手入れの仕方が400年たった現代も日本式だそうだ
(朝鮮人は至極いい加減に田植えをするという)。
その人達働き者が多いので、現代でも、
「さすが倭奴(ウェノム)はよく働く」と言われるのだそうだ。

>>217
>これの逆のケース、蒙古襲来も、2ヶ月間、博多湾で足止めを食らって
木造船が長期停泊する場合、陸揚げするか淡水域に回航しておかないと、
船体が”フナクイムシ”という生物にたかられて食い荒らされるのだと。
高麗の船匠が手抜き工事したから船が沈んだ、だから日本軍は勝てた、
なんてのはハナから朝鮮半島人お得意の牽強付会な捏造だけれど、
船がもろくなってたのは事実かもしれないね。

>>218
>秀吉が太閤になったあたりで元冦イベントがあったら、さぞ見物であったでしょう。
協力した朝鮮に対する日本軍の反撃は熾烈なものになるだろうね。
下手すりゃ慈悲嶺以南は現代でも日本領になってたりして。
元々日本のものなんだけどね、あの半島は。
220 :03/03/16 16:28 ID:FRDx+pkV
>見せしめのためだろ、耳塚は。

慶長の大地震により、完成寸前で瓦解した方広寺の大仏の代わりに、
新たな方広寺の目玉として、長野の善光寺から阿弥陀如来を迎えた。

この阿弥陀如来を迎えるビックイベントで世間の耳目を浴びている時に、

「半島では連戦連勝で敵将の首を送ってきたのでは運ぶための船が追いつかない。
そこで仕方がないから、敵将の首の代わりに耳や鼻が送られてくる。
偉大な太閤様は心が広いので、明や朝鮮の敵将といえどもこの耳や鼻を弔ってやる。
太閤殿下はなんて心が広いんでしょうか。太閤殿下ってス・テ・キ」

という世間に対しての宣伝効果を期待しての「鼻供養」を方広寺で同時期に行った。

そがれた耳や鼻はこの「行事」に利用するためだけのものだったので、
実際に耳そぎ・鼻そぎは慶長2年8月中旬〜10月までの、非常に短い期間でしか行われていない。

つまり鼻・耳そぎは、半島在陣各将の論功行賞のためでも、明、朝鮮への見せしめでも無く、
単に国内向けの宣伝(半島での戦いは連戦連勝&太閤は慈悲深い素晴らしい指導者というイメージ戦略)の
ためのものだったというのが正解。
221 :03/03/16 16:35 ID:BiMP7lTG
元寇は、蒙古、宋、高麗の連合軍は、14万だったけど、
意思統率が出来てなかったわけで...
この時代の限界だワナ(通信技術が未発達)
秀吉の時も、13万の軍の意思統一は、うまくいってないね。

ちなみに、元寇のときの日本軍の動員した兵力は、西国中心で12万。
九州北部の防衛には4万だったかな。
大陸軍が上陸しても、3ヶ月(食料つきる)で、日本全土を征服は無理だな。
海に囲まれた敵地で、補給網も脆弱で、日本軍数十万と戦うのは無理がある。
222 :03/03/16 16:37 ID:/2xd13oK
>>220
山室恭子が『黄金太閤』でその説をとっているな。
223220:03/03/16 16:47 ID:JoUcjTwC
>>222
ほとんど丸写しニダw
各種資料から鼻そぎが慶長2年8月中旬〜10月の間にしか行われていないという点からも
決定的だと思う。

ただこの説だと、半島の連中は本当に浮かばれないね。
224 :03/03/16 17:09 ID:aoUhv+n3
・・・と、いうわけで>>1逝って良しですか?
225 :03/03/16 22:03 ID:z1yiCFNP
>>197
>朝鮮通信使だったかが日本に来た時の日記かなんかで、

コピペ貼っときます。

第11次朝鮮通信使節(1763〜1764)の一員だった金仁謙の日本紀行文、「日東壮遊歌」金仁謙
著 高島淑郎訳注 平凡社東洋文庫 より。

大阪を見ての驚き
「三神山の金闕銀台とは まことこの地のことであろう」
「人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である」
「北京を見たという訳官が一行に加わっているが かの中原の壮麗さもこの地には及ばないという」

名古屋を見ての驚き
「山川広闊にして 人口の多さ 田地の肥沃 家々の贅沢なつくり 遠路随一といえる
中原にも見あたらないであろう 朝鮮の三京も大層立派であるが この地に比べれば寂しい限りである」

江戸を見ての驚き
「楼閣屋敷の贅沢な造り 人々の賑わい 男女の華やかさ 城郭の整然たる様 橋や船にいたるまで
大阪、西京(京都)より三倍は勝って見える」

京都を見ての電波(笑)
「惜しんで余りあることは この豊かな金城湯池が 倭人の所有するところとなり 帝だ皇だと称し
子々孫々に伝えられていることである この犬にも等しい輩を 皆ことごとく掃討し
四百里六十州を 朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳をもって 礼節の国にしたいものだ」

226軍事板住人@初級:03/03/16 23:06 ID:UWpykynS
>>四百里六十州を 朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳をもって 礼節の国にしたいものだ

お前ら徳とか礼節と言う言葉の意味が解っているのかと小一時間(略
227 :03/03/16 23:09 ID:pjMyRoxE
>>226
多分、礼儀とか信義とか言うのとは違うと思うよ。
228片瀬涼 ◆OQcb04KHvk :03/03/16 23:11 ID:IRQ7uRWe
韓国・北に「Koreaは元寇で日本に侵略した
高麗が語源だから、使うな!」
と抗議するのはありですか?
229 :03/03/16 23:15 ID:AUXgYLMm
彼らの「礼節」ってのは「自分たちの価値観」ってことだからね。
「礼節の国」=「自分たちの思い通りになる国」ってことだよ。
だからよく言う「東方礼儀の国」も「自分たちの価値観に基づいてやりたいようにやる国」
ってこと。
230 :03/03/16 23:20 ID:pxthUe+v
>>226
あのね、北朝鮮を見れば分かるでしょ?
一族・党員=礼節の民  その他=蕃族

礼には適用範囲があるの!
231_:03/03/16 23:32 ID:qXqZKf9I
>>229
ソレダ!!(・∀・)
232 :03/03/16 23:33 ID:BeM3+xOK
元寇時に捕虜となった兵が6万人程度いて、そのまま日本に居住して日本人として
暮らしている、とミッキー安川がラジオで語っていますた。
これはホントの話なんですかねぇ。
233はぽねす ◆BBx90lwzdU :03/03/16 23:34 ID:DnJ+HOPv
>>232
南宋人のことですね。
元寇で朝鮮人、モンゴル人は有無を言わさず切り捨てましたが、南宋人だけは捕虜にして
助命しています。何人かは覚えていませんが……。資料を繰れば出てくるかな。
234 :03/03/16 23:35 ID:SFOgU9NY
なんとまあ『暮らしている』とはまるで見て来たような口ぶりですな。
何百年前の話だと思っているんだろう?

今や完璧な日本人です。
235 :03/03/16 23:39 ID:BeM3+xOK
>>232
即レスありがとうございますた。
俄には信じられない話だと思ったのですが。
236 :03/03/16 23:42 ID:pxthUe+v
捕虜は2−3万だよ。
その内で、南宋人は唐人という事で帰化を許し、残りは殺した。
高麗・元は残虐だったからという理由もある。
237232:03/03/16 23:42 ID:BeM3+xOK
おっと大ボケしました(苦笑
235は、はぽねす氏へのレスです。
238232:03/03/16 23:45 ID:BeM3+xOK
>その内で、南宋人は唐人という事で帰化を許し、残りは殺した。
>高麗・元は残虐だったからという理由もある。

今の外務大臣及び外務官僚より的確な状況判断で感動しました。
239_:03/03/17 01:53 ID:0lrfhj14
まぁ、南宋の人間は、朝鮮征伐の時の薩摩よろしく、
いやいやだったわけで
なにがかなしゅーて、わざわざ極東におもむいて、戦争「させられ」なあかんのか?
そんな感じやね
でも、朝鮮の人間は、喜々として日本にきたんだよなぁ
対馬とかでは、はっちゃけすぎてたみたいだし
240 :03/03/17 06:29 ID:qhFvg/Qy
モンゴル、高麗の兵は博多で斬首され、
南宋兵は奴僕にされて御家人に分配され全国に散っていったそうです。
241 :03/03/17 06:44 ID:qhFvg/Qy
そもそも元冦って趙彜とかいう高麗人がフビライ・ハーンに進言したのが、
発端と聞きました。
242(゚∇゚) :03/03/17 06:51 ID:eKm4y6YO
おもいますに、あの大河ドラマは何だったのかと・・(゚∇゚)
243 :03/03/17 07:09 ID:ARhBmc8U
杉山正明説では、モンゴル人指令官の地位が低めなので、フビライの本気度は疑わしい。南宋人たちは滅ぼした宋の兵で兵隊として使うのは駄目だから、屯田兵にするつもりだった。メインで働いて結果割をくったのが高麗。になるとか。
244 :03/03/17 12:23 ID:Pse77f3q
高麗はやる気満々だもんな。念願だった蒙古帝室の嫁をもらっていいとこ見せようてなもんだ。
フビライが本気なのは第3回目を計画していた事でも分かるが、
モンゴル司令官の地位が低めなのは、高麗軍のやる気をあらわしてるんだろ。
頼まれもしないのに他人の戦争で虐殺するのは朝鮮人の宿唖。
245_:03/03/17 16:09 ID:9R619PO7
>>240
当時の人間は誰が首謀者かよく分かってたってことだな(w
246 :03/03/17 17:21 ID:LJu5qhSW
>対馬とかでは、はっちゃけすぎてたみたいだし

室町時代、応永の外寇でも鮮人は対馬でおおいにはっちゃけまくりました。
とんでもねぇ連中です。
文禄の役で小西行長軍と共に第一軍を仰せつかり、大活躍した対馬の宗氏にすれば、
文字通りの「朝鮮征伐」となったわけだ。
247(゚∇゚):03/03/17 19:32 ID:SSW227d5
チョンを成敗するのは世界史的に見れば正義ですな!(゚∇゚)
248 :03/03/17 23:31 ID:ISaeDOlv
>頼まれもしないのに他人の戦争で虐殺するのは朝鮮人の宿唖。
これ、例証には事欠かないよね。

『「龍」を気取る中国「虎」の威を借る韓国 1999 黄文雄 徳間書店』

明の前朝である元の時代、モンゴル人が高麗朝を支配していたころ、
高麗人は競ってモンゴル人の氏名を名乗る「創氏改名」が流行り、
モンゴル風を学ぶ動きが風靡した。高麗朝の多くの貴族はモンゴル名を持っていた。
しかし、モンゴル人が明によって万里の長城の外まで追われると、
朝鮮朝の太祖である李成桂は高麗朝から政権を奪い、
モンゴル人を叩いて事大の対象を元から明へと鞍替えした。
明が遼東半鳥に進出していたころ、
朝鮮人は明の先頭を切って満州人を征伐したため満州人から恨まれた。
そのため、満州人の朝鮮人に対する大規模な逆襲である「丁卯胡乱」(1627年)と
「丙子胡乱」(1636年)が起こり、朝鮮は清の属国となった。
249 :03/03/17 23:34 ID:ISaeDOlv
明から清に主人を替えた後の朝鮮人はじつにおとなしく、
清の軍隊召集に馳せ参じ、2回の羅禅(ロシア)遠征と明の征伐に従軍した。
父として明を敬っていたはずなのに、新しい父を迎えた途端、
明に対して残酷無情な態度を取った。3回にわたる明征伐では、
朝鮮軍は満州人を驚嘆させるほど明人を虐殺した。
満州八旗軍はかなり軍紀正しい軍隊であったが、盟友のモンゴル八旗軍の朝鮮蹂躙には、
かなり悩まされていた。しかし、朝鮮軍が満州人の軍門に下り清軍に召集されると、
今度は朝鮮軍が旧宗主国の明征伐を通して漢人への凄まじい虐殺と略奪を行ったのだ。
清の将軍である龍骨大が率いた、明征伐についての朝鮮兵行状の記録には次のようなものがある。
「韓兵ことに虐殺を極めたり。漢民号呼して曰く、天朝(シナの異称)、
朝鮮において何の仇があろうか。その恩に背いて、ここに至るかと…」
(恒屋盛服著「朝鮮開化史」博文館、明治34年)。

明は300年近く朝鮮を保護し、李氏朝鮮は宗主国である明から国号を下賜された。
しかし、いざ明が弱勢になると、朝鮮はすぐさま清に乗り換えて逆に明を逆襲し、
明人を虐殺した。日韓合邦後、満州でもっとも暴れたのは朝鮮人である。
万宝山事件は、朝鮮人と中国人の水をめぐる争いから起こり、
朝鮮半島における中国人虐殺にまで発展した。
満州では、朝鮮人は「二鬼子」として中国人から恐れられ嫌われていた。

>「韓兵ことに虐殺を極めたり。漢民号呼して曰く、天朝(シナの異称)、
>朝鮮において何の仇があろうか。その恩に背いて、ここに至るかと…」
>朝鮮人は「二鬼子」として中国人から恐れられ嫌われていた。
だとさ。
250 :03/03/18 00:41 ID:Mo4CojCG
>>225は「日東壮遊歌」の一部分を抜き出したものでしかないということをお忘れなく。
叩きやすいとこだけ取り出して叩くのでは、糞サヨやマスゴミと一緒になっちゃいますよ。>all

俺はこの本を一度読んだけど、色々突っ込みどころはあるけど金仁謙って人間は人格者だと思ったよ。
「やはり天がつくったものだから、日本人も朝鮮人も子供はどこも同じようなものだな」
とかほのぼのとしたことも書いてるし、上司を諌めたりとかもしている。
でもそんな人間であっても、日本人を馬鹿にしまくってるというのがかなりいやだったね。
この人は徳川将軍に謁見しないんだけど、その理由が「犬の陰茎のような倭人に頭を下げたくない」ってものだし。
251 :03/03/18 00:51 ID:kVQx/m7B
>>250
あの部分で十分に偏狭な人格を窺い知る事ができるって事じゃんよ。
子供には格差を見出さないのに、大人を犬の陰茎だと言い放つような非合理を自覚しない異常者だという事だ。
252 :03/03/18 01:11 ID:Mo4CojCG
>>251
だからちゃんと実本を全部読めってば。
全部読んでなくて、二次資料でしか知らないのに批判するのは間違ってるぞ。
253 :03/03/18 11:11 ID:cs9+5Auo
>252
まぁ、全文読んでみることにはやぶさかではないが、
既に取り繕いようがないほどヤヴァい人に見えるのは俺だけ?
どんなに他の部分が人格者だって、
ひどくDQNな部分があればやっぱりそいつはDQN。
254_:03/03/18 14:14 ID:imtw2+rP
>>252
犬の陰茎のような倭人と書いてる時点で、かなりのDQNだと思うがな。
品性下劣なチョンらしい文ではあるが
255 :03/03/18 15:57 ID:ukLZ+tcn
>>253-254
いや、俺もあのコピペ読んでものすごい電波を感じたから、全部読みたくて図書館で借りたんだよ。
んで実際に全部読んだら「ん?」と思ったわけ。

まあ、これはあくまで俺の感想でしかないから、全部読んでから各々が判断してくだされ。
何事も一部分だけ取り出して叩くようなことは間違ってるしね。
256 :03/03/20 06:48 ID:Z/xzqOAM
>>248-249
それだけの事しといてよくもまあ「他国を侵略したことが無い」なんてほざけるもんだね。
本 当 に 汚 ら し い 民 族 だ な 。
257:03/03/20 07:30 ID:nFnLQrFJ
ロシア海軍のプチャーチン提督が書き残した手記を読んだ事がある。

日本に来るまで様々なアジア民族を観察して「豚みたいに卑しい」だの「何もかも汚らしい」だのといった調子で有色人種に対する蔑視が甚だしい。
勿論清朝や李朝の官吏、民衆に対しても悪口雑言の極み。
ところが日本に来ると、何が気に入ったのか何から何まで大絶賛!

不満らしい不満と言えば「公式の場で正座を求められる」とか「出される食事の量が少なめで腹が減る」くらい。
258 :03/03/20 23:21 ID:zcnvCnie
>>257
安土・桃山時代に来日したイエズス会の宣教師や,
幕末のイギリス人なんかも日本人を大絶賛しているね。
フランシスコ・ザビエルなんて「新発見された中で日本人が最も優れている」
なんて書いている。

で、某半島人について書かれたものにはろくなのがないね。

『韓国人は怯えながら生きてるうちに、感情が安定を失うようになった。
おそらく韓国人ほど、怒ることを好む民族はいまい。
怒ることが不安や焦燥感を解決する代償行為となるとともに、自尊心を守る手段にもなる。
その自尊心も、外観にこだわるために、薄い表皮のようなものでしかないので、
ちょっとでも引っかかることがあれば、怒りの引き金がひかれることになる。』
                      ダブリュイ主教 「朝鮮教会史序論」
259 :03/03/20 23:22 ID:zcnvCnie
『朝鮮人は本当に怒ると、正気を失うといえるかもしれない。
自分の生命がどうなってもいいといった状態になり、牙のある動物になってしまう。
口のまわりにあぶくがたまり、いよいよ獣めいた顔つきになる。
遺憾なことだが、この怒りの衝動に我を忘れるといった悪癖は男だけの独占ではない。
朝鮮の女はすさまじい凶暴さを発揮する。女は立ち上がってひどい大声でわめくので、
しまいには喉から声が出なくなり、つぎには猛烈に嘔吐する。
精神錯乱に陥るこうした朝鮮の女たちを見るたびに、
私はどうして脳卒中で倒れずにすんだのかと不思議に思う。
どうも朝鮮人は、幼少のころから自分の気分を制御する術を学ぶことがないらしい。
子どもは親を見習って、自分の気に入らないことがあると、まるで気が狂ったように暴れだし、
結局、我意を通すか、それとも長くかかって鎮静にもどるかそのいずれにか落ち着く。』
                「朝鮮亡滅亡」  ホーマー・アルバート

『朝鮮人は、自分の知的水準を引き上げ、
精神世界を拡大しようとするいう努力があわれにもないのに、
社会的地位を高めようという激しい欲望だけはある。
自分のものでなくとも少しばかりの金を自由に動かすことができるとか、
何人か働くのを監督するとか、ともかく物の面、
金の面で人間を支配できるようになると、おしなべて有頂天になる。』
                        ハルバート牧師

ほんま、ボロカスやな。
260  :03/03/21 01:48 ID:0+J313Iy
>250
言った(書いた)のは事実だし
脚色してるわけでも、誤用してるわけでもない
261 :03/03/21 01:52 ID:Dnoqu+Bg
李舜臣って局地戦に勝っただけで、結局日本軍に完敗して
殺されたやつだったな。
262  :03/03/21 12:31 ID:0+J313Iy
>255
読んだ感想を書くのは個人の勝手だが

{何事も一部分だけ取り出して叩くようなことは間違ってるしね}
これは間違い

叩かれるべき所を叩いてるんだから間違ってるのは君だ
263  :03/03/21 13:28 ID:5mnREXQ3
>>242
あの大河ドラマの伝えたいことは
為政者による専守防衛の夢想的平和主義は
国民を外寇の惨禍に叩き込むということですよ。
売国奴には赤マフラー着用させて分かり易くしていたでしょ
264 :03/03/21 13:34 ID:1DRakbKP
なぜあれほど優秀だった李舜臣を生かせなかったのか?
足を引っ張り合う構造は今も変わらんの〜
265 :03/03/21 14:26 ID:O0doK/PN
なんだ0+J313Iyはずいぶん依怙地になってるな。
>脚色してるわけでも、誤用してるわけでもない
誤用してないかどうか部分を読んだだけで判断が出来るのかい。
「全て読んだが誤用ではない」というのは、説得力を持ちうるが
「全て読んだわけではないが、誤用ではない」にはなんら説得力を持たない。
部分だけを見て全体を判断してるわけだから。

>叩かれるべき所を叩いてるんだから間違ってるのは君だ
その叩き方が問題にされるわけだよ。何か間違ったこと歪んでいることを書いたからと言って
その人格を全て否定しうるのだろうか。文章のある部分を指して「誤っている」というのはおかしく
ないかもしれないが、文章のある部分だけを見て「人格が歪んでいる」というのは
早計ではないかな。
266 :03/03/21 15:00 ID:Jb96O9JM
>>265
誤字脱字や揚げ足取りをしてる訳ではない、ただの抜粋だよ。
ID:0+J313Iyが行ってるのはコピペの文章に対してであって、「日東壮遊歌」丸々一冊には
言及していない、君が拡大解釈して絡んでるように見える。

朝鮮人として人格者であっても、朝鮮人が日本人に対して差別意識、蔑視を持っていたのは
間違いないことだと思うんだが。
このスレのさんを見ても、それが現在にまで生きていることは理解できるが。

それとも、この人物が博愛主義の聖人だったというつもりかい?
それこそ>>225のコピペを捏造であると証明する必要があるね。
267 :03/03/21 16:45 ID:O0doK/PN
>>266
次々と何故か必死な方が出てきますね。
「日東壮遊歌」の筆者の差別性については、最初の250氏が既に
>でもそんな人間であっても、日本人を馬鹿にしまくってるというのがかなりいやだったね。
と言ってるから議論の余地はありません。
つまり、「日東壮遊歌」の筆者が聖人君子だの私を含めて誰も言っていない。
言ってもいないところに何故そんなに必死に反応するのか、まったく不思議でしょうがありません。


さて、問題は「一般論」として「切り取られた一部の文章を取り上げて物事を判断する
という方法が正しいかどうか」なのでしょう。(「日東壮遊歌」ついては、意見の対立は無い)
ある発言なり、文章を部分的に切り取りその「反動性」「好戦性」「独裁性」などを
批判したのはどっかの政党とかなんとかがさんざんおやりになっていたんじゃないですか?
そういった方々は「この部分を見るだけで筆者が軍国主義者であることがわかる」とか
いってませんでしたか?そうならないようにお互い自戒しましょうね。
というのが250氏の言い分なのですがねぇ。
なぜ、こんな当たり前の発言に、熱くなって噛み付くのか不思議でしょうがありません。

気がつくとニダーさんたちと同じ思考回路になってたなんてことにならないよう
お互い気をつけましょう。
268 :03/03/21 17:07 ID:ThFDnIZU
>>267
あー、もっともなんだけど、一番キモの部分を取り上げて論ずることは
おかしくないっす。解釈の差でしょうに。
原則論の皮をかぶった自分の意見の言い合いはみっともないので慎みたいものでつ。
269 :03/03/21 17:57 ID:RFvoNXAw
>>267
>次々と何故か必死な方が出てきますね。
お前は必死ではないのかと小一時間(ry
270266:03/03/21 19:51 ID:Jb96O9JM
自分の意見が受け入れられないと、相手を必死だなと決め付ける、熱くなって
噛み付くと断定する。
自分の考えだけは、当たり前の発言ですか。
まあいいや。
271262:03/03/21 22:44 ID:0+J313Iy
>267よ {さて、問題は「一般論」として「切り取られた一部の文章を取り上げて物事を判断する
という方法が正しいかどうか」なのでしょう} についてだが

切り取った文章と判断する事柄によっては問題なし

キミは(「日東壮遊歌」ついては、意見の対立は無い)といっておきながら
なぜ、批判している人が全ての事柄において
{切り取られた一部の文章を取り上げて物事を判断する}
と思い込んでるんだい?
272 :03/03/21 23:30 ID:aPOu6aqB
おまえら日本人ではないな?
273 :03/03/21 23:34 ID:Ry68cuNY
>>272
おまえもな
274 :03/03/21 23:42 ID:aPOu6aqB
>>273
必死だなw
275ポンセ ◆PONSEiJl.6 :03/03/21 23:44 ID:xzSp5F+4
ここには、日本人はいないのか?
276 :03/03/21 23:58 ID:pACTKFLi
>>275
プエルトリコ出身者が言うな。
277 :03/03/22 17:21 ID:DzfjlsYX
>>261
水軍といっても彼らの戦い方からすると正規の艦隊というより、
ゲリラ部隊って感じだもんね。

そして終幕も、小西・明間の「日本側の撤退中は攻撃しない」という和約を破っての突撃作戦。
結局この特攻の目的だった小西行長討ちに失敗し、小西軍にも悠々と帰国を許しちゃうし、
そればかりか今までそんなに必死には戦ってこなかった島津軍、黒田軍を激怒させ蜂の巣にされちゃった。

しかもこの当時はそれほど海戦を得意としていない島津軍にやられちゃうというのも…。
自重して生き残って自分で王朝開いてもよかったろうに。
278忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/22 17:25 ID:OcCVQVNB
李舜臣は日本の侍の多くを殲滅しましたね
279 :03/03/22 17:25 ID:WRPoLsno
277がいいことを言った。

結論でたようですな。
280軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/22 17:28 ID:By6g4Bh9
鳴梁の海戦を世界三大海戦のひとつと宣言した朝鮮人まで
現れましたよ。

やれやれ
281 :03/03/22 17:32 ID:zXExXLeN
三大海戦氏にコテハン名乗ってもらうの忘れてたー!痛恨(つД`)
282忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/22 17:33 ID:OcCVQVNB
>>281
私ですね。IDおなじですね
283スレッガー:03/03/22 17:34 ID:hCrd+diC
>>280
あなたも見つけちゃいましたか・・・・。ええ僕もです。
284 :03/03/22 17:34 ID:5r/WHXXE
>>282
じゃあ、これからはその名前で書き込むように。
285 :03/03/22 17:34 ID:zXExXLeN
>>281
頑張って下さいね、めけたんのお知り合いですか?
286 285:03/03/22 17:35 ID:zXExXLeN
281→282

287軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/22 17:38 ID:By6g4Bh9
あのスレの1氏が282ということ?

288 :03/03/22 17:39 ID:5r/WHXXE
>>287
IDをよく見よう。ハングル板は強制IDだからな・・・
289#:03/03/22 17:41 ID:SnP3O5vW
ここが>>282の新しい戦場ですか
290 285:03/03/22 17:42 ID:zXExXLeN
>>289
畏れ多くも忠武公(李舜臣)閣下です。

それにしても孫子とかそういうの多いね。
291  :03/03/22 17:44 ID:foFAcuEV
あの戦いのお陰で日本に焼き物の技術が伝わった罠
292軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/22 17:49 ID:By6g4Bh9


>>288
確認できました。これからゆっくり追撃してやります。

忠武公 ◆Oamxnad08k
鳴梁の海戦を世界三大海戦としているソース、文献、根拠などを提示していただきたい。

『表現方法』などという戯言は却下です。

多大な成果を上げたとか、それに類する貴方の脳内ソースは一切認めません。

出版物、ウェブサイト、その他何でもいいです。貴方以外の第三者の主張として
提示されているソースの提出を要求します。

逃げるなよ。君がまた逃げたら朝鮮人の面子はどんどんつぶれていくことに


293 :03/03/22 17:51 ID:hlz2vFl5
戦争と戦闘の区別がついてない奴と議論するのは時間の無駄だよ。
294軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/22 17:51 ID:By6g4Bh9
訂正

逃げるなよ。君がまた逃げたら朝鮮人の面子はどんどんつぶれて行くことを
肝にめいじておけ。

でした
295 :03/03/22 17:51 ID:zXExXLeN
>>292
忠武公氏はその戦いは撤退されました。
追撃は無意味です閣下。
296駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/22 17:54 ID:Lw/KUIz7
独白。
やたー1000Get(゚∀゚)ウマー
でも想定してた取れ方じゃないので(´・ω・`)ショボーン

では、皆様討論をお続け下さい。
297軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/22 18:00 ID:By6g4Bh9
>>295

では、包囲殲滅と行きましょうか。ヤツが現れたら三大海戦の質問を
延々ぶつける。それ以外は放置プレイということでw
298イラク板@ハン板:03/03/22 18:09 ID:QauO+tpi
>>297
まーあまあ・・・熱くならずに・・・
デカイ戦争の真っ最中に1000ですから
いいキャラだと思います。

と言うかリシュンシンしか半島には英雄が存在しないわけですから。
テロリストは枚挙に暇が無いです。
299 :03/03/22 18:11 ID:Iw2xH2qd
日明戦争のことか。
300 :03/03/22 18:39 ID:zXExXLeN
301忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/22 18:56 ID:OcCVQVNB
日本側に信用できる記録は無いですね。
明20万と戦ったと信じるのは自由ですが
302  :03/03/22 18:56 ID:J5fIPE00
>291
もう少し勉強してからパソコンいじろうね。
303>>301へ:03/03/22 19:04 ID:vZ21A6wf
朝鮮側に信用できる記録はあるのかな?
あ、言っておくが一、二次史料のみに限定するぞ
電波な韓国教科書だの妄想小説だのは却下だからな

鳴梁の海戦を世界三大海戦としているソース、文献、根拠などを提示していただきたい。

おら、オーダー1つ入ってるぞ、たわごといわずにとっとと返答しろ。
304忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/22 19:09 ID:OcCVQVNB
宣祖実録、王朝実録、柳成竜懲ひ録、乱中日記などですね
305 :03/03/22 19:09 ID:J9BK34l4
かなり遅いレスだが。
加藤清正公が亡くなったときに、家臣の殉死を厳禁しておいたのにも関わらず、
2名殉死者が出ている。
そのうちの一人は「金官」という朝鮮人なんだなぁ。
一緒に死ぬことを覚悟するくらい慕ってたんだねぇ。>清正公を
朝鮮の王族であった、との話しだがよく覚えてない。

どうしてこんなにも評価が違うんだろうな(w
チョソどもには歴史の資料が残ってないから仕方がないか(w
306軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/22 19:11 ID:By6g4Bh9
>>301

私の質問は無視ですか?

早く世界三大海戦のソースを出しなさい。

日本側に信用できるソースが無い? 日本が良く書かれた
資料はすべて信用できないって言い出しそうなんですがね。
で、朝鮮側の資料は無いんですか?
307忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/22 19:17 ID:OcCVQVNB
世界三大海戦?あれはちょっとした冗談ですね。
日本側に信用できる資料はありますか?w
308megrim:03/03/22 19:20 ID:kMvfWaZO
>>307
あれだけ自慢気に発言した以上「ちょっとした冗談です」という発言自体が「冗談」でしょう。
それで、世界三大海戦の残りの2つは?
309 :03/03/22 19:26 ID:EgSN8PFQ
>>307
確かに日本には(韓国の妄想史観に沿った)信用できる資料は有りませんねw
310軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/22 19:32 ID:By6g4Bh9
>>307

あれだけ自信満々で最後は冗談の一言で済まそうと言うわけですか。

度し難いバカですね。これでまた、朝鮮人はいい加減な言動ばかりの
嘘吐きと言う認識が広まることでしょう。貴方は自らの発言で自分の
発言の信用性は無いと宣言したのです。

貴方は朝鮮人の面汚しです。貴方に歴史を語る資格はありません。
そのハンドルネームも李提督に失礼です。「私は嘘つきです」と
プラカードを下げて街灯に吊るされているのがお似合いの屑野郎です。

とっとと消えろ 糞白丁。
311 :03/03/22 19:36 ID:zZlmOL/C
>>310
それだけ罵倒しても、どうせ次の日には忘れられているかと思われ。
ヤシらは自分達に都合の悪い事については一瞬で脳細胞から記憶を消去できる
特殊技能を有しているのです。
312:03/03/22 19:44 ID:2kF9+WQz
東アジアの小競り合いが、レパントやアルマダに匹敵するはずが無いでしょ?
世界史に決定的な影響なんか有りませんよ。
艦隊規模・戦闘規模・技術・戦術・死傷率 どれをとっても普通の戦闘です。
海軍技術として特筆すべき点があるなら、それはそれです。
ただ、あの時代には世界中で鋼鉄装甲船の建造はされていますし、銃砲の艦載化も進んでいました。

同じ時期の毛利家や織田家は、鋼鉄装甲艦に大砲を搭載して使用していますし、大航海時代のフレガットなどでは、装甲は無いが大砲は常識。
アジア中心で考えると、判断を間違いますねって、韓国では世界史は習わないか?
313#:03/03/22 19:48 ID:SnP3O5vW
朝鮮半島は栄光無き歴史の国?現実を見れよ
http://ex.2ch.net/test/read.cgi/korea/1048164327/

582 名前:1 投稿日:03/03/21 16:51 ID:W8jlYpFS
鳴梁の海戦は世界三大海戦と言われていますね。
李将軍は12隻の船で10倍以上の日本の兵船を撃沈しましたね。

782 名前:1 投稿日:03/03/22 02:56 ID:OcCVQVNB
他の二つは、日本海海戦、ミッドウェイ海戦。
これで満足ですか?www

855 名前:1 投稿日:03/03/22 14:25 ID:OcCVQVNB
鳴梁の海戦では日本軍に恐怖感を与え、朝鮮の役に
多大な影響を与えましたね。それがなければ、東アジア
の歴史が変わっていたかもしれませんね。

910 名前:1 投稿日:03/03/22 16:09 ID:OcCVQVNB
三大海戦ですか?鳴梁の海戦がそれだけ凄かったと言う事です。
「三大海戦」は表現方法の一つですね。
314軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/22 19:49 ID:By6g4Bh9
忠武公 ◆Oamxnad08k の、別スレから続く世界三大海戦発言妙録

582 :1 :03/03/21 16:51 ID:W8jlYpFS
鳴梁の海戦は世界三大海戦と言われていますね。
李将軍は12隻の船で10倍以上の日本の兵船を撃沈しましたね。

この後しばらく追求が続くが、のらりくらりとかわし、1000
達成で逃げ切るかと思われたが当スレで再度補足。

>>280 :軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/22 17:28 ID:By6g4Bh9
>>鳴梁の海戦を世界三大海戦のひとつと宣言した朝鮮人まで
>>現れましたよ。

>>やれやれ

>>281 :  :03/03/22 17:32 ID:zXExXLeN
>>三大海戦氏にコテハン名乗ってもらうの忘れてたー!痛恨(つД`)

>>282 :忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/22 17:33 ID:OcCVQVNB
>>>>281
>>私ですね。IDおなじですね

と、>>281で正体を自ら暴露。そして、

>>307 :忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/22 19:17 ID:OcCVQVNB
>>世界三大海戦?あれはちょっとした冗談ですね。
>>日本側に信用できる資料はありますか?w

こ い つ は 脳 梅 か ?

 
315_:03/03/22 19:50 ID:Q2R/p/gJ
>>312
科目としてはあるらしいがウリナラ史観とあまりにもかけ離れてるためか
習う奴があまりいないらしい。
316   :03/03/22 20:02 ID:W3LziZ3m
>>315
と言うことは、国定教科書でも「世界史」はまともなのですか?
だとしたら、彼の国の世界史教師はさぞストレスの貯まることでしょうねぇ
317:03/03/22 20:09 ID:2kF9+WQz
西太平洋周辺海域の大規模海軍活動に限定すれば、
【中世】
・鳴梁海戦・倭寇・元寇(日本)・元寇(インドネシア)
・モルッカ諸島争奪・VOCの植民地攻略
【近代】
・黄海海戦・日本海海戦・マレー沖海戦・ミッドウェー海戦
・硫黄島上陸戦・タラワ上陸戦・仁川上陸戦・金門島防衛戦

世界史の復習だな♪
古代は規模が小さいので除外。
唐は日本に反攻するのを中止したので、天智天皇による瀬戸内戦線の防衛戦準備は無駄になった。
318 :03/03/22 20:13 ID:yuSLtbha
「大陸打通太郎」「ヘリ五百機太郎」達に続き「三大海戦太郎」登場か。

太郎の歴史がまた一ページ
319:03/03/22 20:17 ID:2kF9+WQz
壇ノ浦の合戦(源平)や淀川口海戦(毛利織田)をどう評価するかは難しい。
前者は数百隻の軍船による戦闘だし、後者は海軍の技術革新を考える資料として重要。
また、河川における赤壁の戦い(蜀漢)のようなものも候補に入れたくもある。

西太平洋の重要な海戦はこんな面子かな?抜けはある?
320#:03/03/22 20:19 ID:SnP3O5vW
白村江の戦いは違うの?
古代→中世の転換期だけど
321 :03/03/22 20:20 ID:H1pQEvfB
 ↓が鳴梁が3大海戦のひとつであることの証拠です。
 http://jindo.jeonnam.kr/new_japanese/tour/section/content01.htm
 >鳴梁海峡は〜中略〜3大海戦の中の一つである鳴梁大捷地として知られる西海で海南と珍島間の狭い海峡を結び、海の幅は294mで漢江の広さ程度である
322:03/03/22 20:27 ID:2kF9+WQz
>>320
白村江を入れなかったのは戦力の規模が小さいから。
それも援軍の上陸に失敗して撤退した、小競り合いです。
この後に想定された、唐軍の日本侵攻があったら間違いなく特筆物ですが、唐は動きませんでした。
歴史評価の上では地方の紛争どまりです。
日本にしてみれば、国家の存亡を賭けた戦いでしたけどね♪

壇ノ浦や淀川口を入れなかったのも、武家政権の内部抗争でしかないと捉えれば、世界史への影響は微弱だからです。
323megrim:03/03/22 20:28 ID:kMvfWaZO
…李舜臣「の」三大海戦でつか。
ウリナラは一度も屈服しなかった世界一の国ニダ!→ウリナラの英雄李舜臣将軍の戦いは世界一ニダ!
ってな思考回路なんですかねえ。
324   :03/03/22 20:30 ID:d0TTieuE
>和約を破っての突撃作戦。

「全てあなた方の手柄にしてあげるから、撤退する日本軍を全滅させましょう」って
李舜臣が明の水軍にもちかけたてんだよな。

上垣外憲一あたりは「露梁の海戦は明・朝鮮連合海軍の大勝利に終わったニダ。ウェーッハッハ」って
書いているけど、
普通に考えれば、結果的に露梁の海戦でも日本軍が制海権を守り続けたために
半島に残っていた武将・兵士達が無傷で安全に日本に帰国出来たんだよな…。

しかも、朝鮮の提督・李舜臣も、明の海将・ケ子龍(下っ端)も討ち取られているのに
大勝利なんだから呆れちゃう。
325自分でワロタ:03/03/22 20:32 ID:d0TTieuE
誤)李舜臣が明の水軍にもちかけたてんだよな。
     ↓
正)李舜臣が明の水軍にもちかけてたんだよな。
326megrim:03/03/22 20:33 ID:kMvfWaZO
>>324
戦略的に見れば、李舜臣の負け戦のような気もしなくはないが
ンなこと言い出すとこれまた銀英ぽくなるので止めだにゃ。
327   :03/03/22 20:36 ID:W3LziZ3m
何故和約を破ってまで攻撃したのでしょうか?
李提督は誠実な人物だったと聞きます。それがなぜ講和した相手を背中から撃つ
ようなまねをしたのか…押さえきれないほど日本が憎かったのか、あるいは
ここで討たねば朝鮮が滅びると思っていたのか…
328 :03/03/22 20:37 ID:z3GBQsAM
懐かしいコピペを貼ろう。

大阪城の天守閣の上から、太閤はんがまだ天下をにらんだはったころのことや。何を血迷わはったか知らんけど、西国の武将たちに命じて、いきなり朝鮮の国を攻めさせはった。
初めはあんじょういっとった。そらそうやわな。ぽっかり青い空しかなかった海のあっちゃから、ある日とつぜん、いくさばっかしさらしとる連中が、十六万人も攻めこんできたんやで。
それに、朝鮮の者らも、おのれらをいじめくさっとった役人どもが、命からがら逃げてゆくのを見て、ええ気味やとぐらい思うとったんや。
ところが、日本人ときたら、えげつないで。百姓が丹精した田畑は踏みにじるは、住む家は焼きhはらうは、金目のものは残らずかっさらうは……まあ、ここまではええわいな。
力を持ったやつのやることは、どこでもいっしょや。生きてる人間は殺す。これも、しょうないとしよう。戦争やしな。そやけど、殺した人間の耳や鼻を切り取って、塩づけにして日本に送るんやで。
おまけに、生き残った者は、女も子どもも坊さんまで、かたっぱしから日本にさらって行くんや。これを見て、朝鮮の者はもう卒倒してしもうた。倭人(ウェノム)、朝鮮の者は日本人のことをそう呼んどったんや。倭人は人間を生きたまま食いよるに違いない思うてな。
朝鮮の百姓らはもう怒ってしもうた。鍬や鎌を手に、鬼のような倭人に向かって立ち上がったんや。
晋州というところでは、勝った勝った言うて酒のんでうかれとった毛谷村六助ちゅう武将に、妓女の論介(ノンゲ)はんちゅうのが抱きつくふりして、いっしょに河の中に身を投げたということや。腹の底から怒った人間ちゅうのはこわいもんやで。
朝鮮の民百姓は、とうとう十六万の倭人を海の中に追い落としてしもうた。
倭人のサムライは、くそ重たい鎧兜に身を固めていよるさかい、よう泳ぎよらん。そやから、軍船の船頭らが海にとびこんで、背に負うて泳いだるんや。
一人の船頭が力つきたら、次の船頭がというぐあいにな。船頭いうても、もとは太閤はんに狩りだされた漁師やがな。
加古川からは百人の腕のええ漁師が狩り出され、九十六人までがあっちゃの海で溺れてしもうたんやて。
「漁師が溺れて死ぬやなんて、こないな情けないことがおますかいな」
命からがら逃げ帰ったわ。
・・・・・
329 :03/03/22 20:48 ID:d0TTieuE
>>324
別に銀英ぽくはならないと思いますよ。そんなに難しい話ではないです。
日本側には撤退、帰国命令が出ていたわけだから、
とにかく安全に帰国できれば良かったわけ。

露梁の海戦というのは、
そんな日本にわざわざ朝鮮が明を誘ってちょっかい出して、
大損害を出したというだけの話。この海戦で朝鮮水軍は壊滅しているし。
330:03/03/22 20:49 ID:2kF9+WQz

李舜臣の評価か・・・

戦略的評価
(ゲリラ戦で補給を効果的に遮断したが、制海権の奪取には失敗)
戦術的評価
(海上で小火器を多用。沿岸での一撃離脱戦法は有効だった)
技術的評価
(小予算で海軍の建造維持を行った手腕は評価。世界的に武装輸送船主体の海軍にあって局地戦闘艦の建造は特筆。技術水準としては平均レベル)
政治的評価
(講和を無視して関係修復を阻害。政府を介さずに外交。政治的な失敗)

政治まで考えると敗北だが、武官としては優秀だったといえるのでは?
政治的には最悪だし、凱旋将軍として英雄になりかねないでは暗殺すべきだな。事実そうなった。
331 :03/03/22 20:50 ID:d0TTieuE
>329は326さんへでした。
332 :03/03/22 20:55 ID:z3GBQsAM
李舜臣は亀甲船が有名だろう。

猿は結局戦いに参加できず病死という惨めな人生を送った。
333POS:03/03/22 20:57 ID:gLFhzgsY
>>332
334釣られ師@ハン板:03/03/22 21:01 ID:BJlZFqm8
>>301 島津とは直接関係無いが、
ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの「日本史」より

高麗と支那の軍勢は主力を、平安城のアゴスティーニュ(小西行長)に差し向けた。
支那軍の兵力について、多くの者は誇張し過ぎているが、信用できる幾人かの
切支丹からの通信によると、少なくとも20万人くらいはいた。
しかもそれは同じく無数とも言える高麗の軍勢を除いての数だということである。
・・・アゴスティーニュは5千人しか戦士を有していなかった。
・・・支那軍は城塞に入る事を断念し多数の兵士を失って退却せざるを得なかった。

フィーゴの祟りニダ!チョソはポルトガルを敵に廻したニダ!
335:03/03/22 21:01 ID:2kF9+WQz
戦前の李舜臣冷遇もそうだし、戦中の指揮系統不備、戦後の暗殺・・
李朝の政治的欠陥が、李舜臣を死なせたとすると気の毒な話だ。

秀吉は朝鮮を明と対決する橋頭堡としか考えていなかったし、国内の不穏分子を戦わせるガス抜きと考えていたかもしれない。
最初から朝鮮を経営する気は無かったのだろう。
気の毒なのは朝鮮の民衆だな。
李朝の圧制の次は秀吉軍の虐殺。戦乱と飢餓。
政府が無能だと国民が辛酸をなめる、最悪の例だ。

その李朝は、明治政府の成立を見ても、何も思い出さなかった。
いや、思い出しすぎたのか?
336忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/22 21:02 ID:OcCVQVNB
>世界的に武装輸送船主体の海軍

そうですね。日本もほぼそうでしたね。なので、
ほとんど補給船を攻撃して勝っただけ=兵船同士の海戦で勝利した
とも言えますね。
337megrim:03/03/22 21:06 ID:kMvfWaZO
>>336
おまいはアフォか。
武装したら何でも兵船になるのなら、武装キャラックも兵船になってしまうわい。
338 :03/03/22 21:07 ID:zXExXLeN
>>333
秀吉のことだと思いますよ。
339:03/03/22 21:09 ID:2kF9+WQz
>>332
それは幸せな人生ではないか?

ところで、朝鮮韓国では秀吉が貧民から成り上がった評価は、
ポジティブ?ネガティブ?
身分差別の厳しい地域と聞くので・・・

日本でも江戸時代にはあまり評価されませんでした。
徳川は豊臣を倒して政権を獲った経緯もありますが。
340POS:03/03/22 21:12 ID:gLFhzgsY
>>338
いやー分ってるんですが。
普通大将は前線に立たないだろうという意味で?
341忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/22 21:14 ID:OcCVQVNB
「島津が20万の明軍を破ったのは誇張だ」
日本でもこの意見が多いのは事実ですね。
しかし実際は、「戦った」という事も疑わしいですね。
資料として存在するのは日本の征韓録のみ。
その征韓録に「20万と戦った」と書いてあるんですね
342釣られ師@ハン板:03/03/22 21:15 ID:Rpvj6VYB
同じくポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの「日本史」
開戦緒戦の話
「・・・一部の高麗人(チョン※引用者注)は、生計に窮して
 日本人のように月代を剃り、頭髪を結って日本人を装い、
 略奪を目的として恐喝でもって同胞を襲った。」

アイムザパニーズの起源ですね。ワラ
343megrim:03/03/22 21:21 ID:kMvfWaZO
ということで、李舜臣を持ち上げることが出来なくなった>>1
どうにかして島津公や日本勢を貶め、相対的に朝鮮を持ち上げる方針に切り替えた模様。

他者を貶めると、相手を貶める以上に自分の品位を貶めることが理解できないチョソ。
あぁ、朝鮮人の悲しい性よな。
344 :03/03/22 21:21 ID:zXExXLeN
>>342
元の時も清の時もやっていますカラ。
345忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/22 21:22 ID:OcCVQVNB
>>337
そうだとしても、輸送船を襲っただけと言うのは、おかしいですね
346:03/03/22 21:27 ID:2kF9+WQz
>>343
ろくな指揮系統もなしに地方の武将を戦わせ、
戦争が終われば粛清してしまう、李朝の体質にこそ問題が・・・

李舜臣の講和無視だが、彼はこれを知っていながら無視したと考えて良い?
明の武将と打ち合わせをしているのだから。

彼のおかげで講和が江戸時代にもつれ込み、李朝の鎖国体質が加速したとすると、
政治的損失は計り知れないね。
朝鮮分断の潜在的背景を作ったとまで言えば言いすぎだが、良い影響は与えていないね。
347釣られ師@ハン板:03/03/22 21:28 ID:Rpvj6VYB
>>341
李舜臣に妨害されながら太閤軍15万(フロイス日本記)チョソ半島上陸。
支那軍は陸上移動だから20万や100万楽勝っしょ???

宗主国として宗主国として宗主国として宗主国として
宗主国として宗主国として宗主国として宗主国として
当然の義務です。
348軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/22 21:28 ID:By6g4Bh9
>>345

恥知らずな朝鮮人だな。オマエが歴史を語るなと言っただろうが。
349忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/22 21:28 ID:OcCVQVNB
>>341
に誰も反論できないようです。
350megrim:03/03/22 21:31 ID:kMvfWaZO
>>346
知っていたでしょうな。
「手柄はそっち(明)のもので良いから…」と持ちかけているあたりで
「手柄を立てれば罪を帳消し」という不文律での説得工作を試みているといえますな。
351 :03/03/22 21:32 ID:zXExXLeN
>>349
反論も何も反対意見に属する資料が無いですカラ。
352軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/22 21:34 ID:By6g4Bh9
>>349
本当に20万が好きだな。征韓録が信用できないなら、それを否定できる
資料を出せと言ってるだろう。当時の記録が無いとしても、研究した文献
なりなんなりがあるんだろう?オマエは何も目を通さずに否定論をぶち上
げてるのか?三大海戦と一緒でオマエの脳内妄想じゃだれも納得しないん
だよバカ者。

353釣られ師@ハン板:03/03/22 21:34 ID:Rpvj6VYB
>>349
>>341 の20万人を否定する資料を朝鮮人以外お持ちですか?
宗主国とか(ワラ
354:03/03/22 21:35 ID:2kF9+WQz
>>341
動員兵力が20万程度というのは実態を反映してると思うよ。
宣教師のネットワークによる情報なので、首都でカウントした動員総数の可能性がある。
明の国内の予備動員が含まれるし、現地に到着していない兵力もある。
ただし、遠征軍なので戦闘員は少なめに。
最終的な動員数は20万を超えた可能性が高いと思う。
高麗軍が同程度というのは、戦場での推定だね。
難民や敗残兵を含み、統一した軍事組織ではなかったのだろう。
355忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/22 21:36 ID:OcCVQVNB
>>351
島津と明が戦ったと分かる資料はありますか?
それがあればいいだけですね
356 :03/03/22 21:38 ID:zXExXLeN
>>355
私はちょっと解りません。
調べてみます。
357 :03/03/22 21:38 ID:4SG60y/8
あのね、それを言えば李舜臣の大勝利も根拠は全く無いのよ(わら
358軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/22 21:39 ID:By6g4Bh9
>>355

オマエは文盲か? 早く征韓録を否定できる資料なり
文献を提示しろバカ者。



スイマセン 私、忠武公 ◆Oamxnad08kをまともな人間
扱いするの止めました 。
359:03/03/22 21:41 ID:2kF9+WQz
>>355
島津と伊達はかなり突出してるから、明軍との戦闘はあったと思うが?

ただ、撤退も迅速で、加藤軍のように包囲されるようなことも無かったはず。
進軍経路図、どこだっけ?
360そもそも:03/03/22 21:42 ID:4SG60y/8
秀吉の軍隊、戦闘員6万に宗主国20万の援助も得ながらコテンパンに負けたという事実を
正視しなきゃだめだよ(わら

李舜臣が勝ったのは、「輸送船団」
361megrim:03/03/22 21:45 ID:kMvfWaZO
基本的に、どんな武装を施しても「輸送船は輸送船」。
キャロネードとラムで完全武装していようと、輸送船である以上は誰もそれを戦闘艦とは呼びません。
362#:03/03/22 21:46 ID:SnP3O5vW
>>355
それが「征韓録」ですけど・・・(・∀・;
これを否定するなら別の資料を教えてください。

「朝鮮征伐記」は出てるかな?
363:03/03/22 21:46 ID:2kF9+WQz
http://www2.harimaya.com/simazu/html/sm_hiro.html
やっぱり島津軍は明軍と交戦していますね。
364まあさぁ:03/03/22 21:47 ID:4SG60y/8
当時の朝鮮人は字が読める人間は数%。
1400年代の朝鮮通信使の記録でも日本人は皆字が読めた。

民度の差はいかんともしがたいね。
365 :03/03/22 21:47 ID:zXExXLeN
どうも短時間では小説とか伝記関係しかわかりませんね。
研究家がそれぞれ記録とか言い伝えの断片を繋いで
紹介してるという処以上のことは解りませんでした。
366#:03/03/22 21:50 ID:SnP3O5vW
文禄の役の日本軍の進軍経路図です
http://www.devicetimes.com/topic/history/path.jpg
367 :03/03/22 21:50 ID:4SG60y/8
一般の朝鮮人が、火にあたりながらウホウホやっている時代に
世界最大の文明から、一地方の軍隊がいやいや攻撃をしたにしても
持ちこたえたんだから


 朝  鮮  人  は  立  派


字は読めなかったけどね(わら
368忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/22 21:51 ID:OcCVQVNB
「征韓録に『泗川で二十万と戦った』と書いてあるだけで、
戦った事実は無いとまで決め付けるな」と言うことですね。

しかし、朝鮮、明の資料にそれに関する記述が無いのですね。
征韓録は信用できる物ではないです。一国の資料にあるだけでは
信用できません。
369:03/03/22 21:51 ID:2kF9+WQz
>>361
いやいや、通商破壊も立派な戦果ですよ。
それについては十分に評価できるよ。

問題は、致命的には補給を寸断できなかった事。
日本軍は大した損害もなく撤退できた。
370   :03/03/22 21:52 ID:W3LziZ3m
>>360
そうはおっしゃるが、李提督はその事実を直視したからこそ
「かっこよくチョッパリどもをなぎ倒すニダ」なんて妄想を抱かず、
可能な最大戦果を得る手段として輸送船団を狙ったわけでこれは賞賛に
値するかと。
 問題は、他の朝鮮側武将が妄想を抱いてぶちのめされたか、妄想を抱かずに
逃げ出したかの二択だったことで、いかに李提督が当時の朝鮮軍において異端児
出会ったかを示していますな。どこかのスレで「生まれる国を間違えたのが彼の
不幸だ」という書き込みを見ましたが…
371釣られ師@ハン板:03/03/22 21:52 ID:Rpvj6VYB
ちょっと脱線しますが、俺みたいに義弘公初心者はここがおすすめ。
「戦国最強 島津義弘」
http://www.pp.iij4u.or.jp/~butakai/simatop.htm

義弘公は予算不足で、漁船で渡海したらしい。
とか話題満載デス。
372軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/22 21:52 ID:By6g4Bh9
忠武公 ◆Oamxnad08kに告ぐ

「征韓録」を否定できる、確たる証拠を朝までに提出しなさい。

できなければ、生きたまま渡り蟹とともに臭いキムチに漬け込んで
ケジャンに処す。

解ったか口先三寸のインチキ鮮人。
373忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/22 21:54 ID:OcCVQVNB
>>371
http://www.pp.iij4u.or.jp/~butakai/simatop.htm

>このページは、島津義弘公の物語であって、史実を元にひとつのストーリーとして作り上げたものです。
>したがって、歴史上の考証云々は度外視しています。
>あくまでひとつの英雄伝として楽しんで下さい。
>義弘公の精神のあり方や、当時の武士達の内面を感じていただくことを最大の目的としており、
>歴史事実の紹介を目的としたものでは
>ありませんので、あらかじめ申し上げておきます。

と書いてありますねw

374:03/03/22 21:55 ID:2kF9+WQz
>>368
そうですね。民の数字が無いのは聞いています。
中国人に多い、兵員数の誇大表現もありますし、遠征には兵力到達までのタイムラグがあります。
現地に戦闘員が20万もいたということは、絶対にありえません。
375軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/22 21:56 ID:By6g4Bh9
>>373

おい白丁、資料はまだか?それともまた『冗談』か?
376忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/22 21:56 ID:OcCVQVNB
>>372
>「征韓録」を否定できる、確たる証拠を朝までに提出しなさい。

朝鮮、明の資料に記述が全く無いです。
「征韓録」の「明20万と戦った」と言う記述は信用できません。
377#:03/03/22 21:57 ID:SnP3O5vW
>>373
薫一元が島津軍と戦ってないと言う資料or文献を教えてください。
378     :03/03/22 21:57 ID:W3LziZ3m
>>374
と言うことは明軍は「自称20万」だった可能性もあるわけですね
379 :03/03/22 21:58 ID:zXExXLeN
>>368
>しかし、朝鮮、明の資料にそれに関する記述が無いのですね。
征韓録は信用できる物ではないです。一国の資料にあるだけでは
信用できません。

問題提起としてはいいのですが、反対資料か論証が無ければ単に不満であると
表明してるに過ぎませんが・・
380はぽねす ◆BBx90lwzdU :03/03/22 21:58 ID:TwMjY1t/
>>378
ああ、それは大いにあるでしょうね。古代の戦いからすべてその乗りで書いてますから。
381:03/03/22 22:00 ID:2kF9+WQz
>>378
自称20万の可能性は多分にあります。
公式発表なら多めに言っておいた方が得ですから。
382安崎参拾弐号機 ◆X8JsedTpDY :03/03/22 22:01 ID:mh7SETPi
昼頃のお祭りスレと似た展開ですね。
>>349なんて特に。

もうちょっとしたら、世界三大海戦の話題に移るんでしょうか(w
383釣られ師@ハン板:03/03/22 22:03 ID:Rpvj6VYB
>>373
あんた鋭い!!!
つーか、タイプ速いね・・・
誉めて遣わす。
384忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/22 22:04 ID:OcCVQVNB
>>379
では征韓録にある「明20万」の記述を信用してください。
朝鮮明の資料に書いていない文を、ここに書けませんね。

朝鮮、明の資料に書いていないという事が
征韓録にある「明20万」に関する文が信用できないと
証明していますね。

385 :03/03/22 22:05 ID:zXExXLeN
何十万と言う表現は言わば歴史の記録書のお約束ですからその数に固執するよりも
最低限、これだけのことはあったと思われる。と理解するのが賢明でしょう。
取った首の数の水増しぐらいは考えられますが戦闘行為事態を捏造するのは無理がありますね。
386:03/03/22 22:07 ID:2kF9+WQz
>>381
それでも、フロイスの同僚たちが公式発表を鵜呑みにするような愚者だったとは思えません。
彼らなりの情報網と裏付があったはずです。
動員兵力のうち、戦闘員の割合は低くなりますから、動員数は膨れ上がります。
また、長期間にわたる徴兵となりますから、3年間で20万人の動員かもしれません。
フロイスらの情報網が、どの程度の正確さがあるのか、他の事例との比較も必要ですね。
この分野、研究が始まったばかりで、未翻訳の資料も多いと聞きます。
387#:03/03/22 22:08 ID:SnP3O5vW
コピペ

下の文章は何ニダ?漢字ばかりで読めないニダ
ウリへの嫌がらせか?翻訳して謝罪しる!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄          僕も100%わかるわけじゃないが
 ∧_∧              ∧_∧ < 君の尊敬する李舜臣将軍のことが
<ヽ`∀´>             (´∀`;)    書いてあるみたいだけど・・

「一夕賊四名、乗船出去。公(=李舜臣)曰『此必請援之賊、出去今已四日、
 明日大兵必死。我兵先往逆戦、可得成功。』遂乗船、達夜進去。天未明、
 到露梁(=地名)、賊果至、出其不意、良久血戦、公(=李舜臣)親射賊。
 中賊弾、卒於船上。公之従子秘之、進戦。衆皆以為『公不死』、出気奮戦、
 賊遂大敗。人皆謂『死将軍、走生賊』」(「宣祖実録」より)

なにい!秀吉の侵略と戦った李舜臣将軍?
誰が書いた文章ニダ?
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄          
 ∧_∧              ∧_∧ < 君の先祖が書いた文章だよ。
<ヽ;`Д´>             (´∀`;)   なのに君には全然何もわからないんだね。
388 :03/03/22 22:09 ID:4SG60y/8
まあ、朝鮮が日本に全く歯が立たなかった事実は認めるんだよね(わら
明の援軍が来なかったらとうに負けている。

李舜臣も「朝鮮人は大事にあたって、卑怯で臆病で弱兵である」と書いているネ。

李舜臣は名将だったんだね。事実を正確に書いている。
389 :03/03/22 22:10 ID:zXExXLeN
うーん武田信玄か孔明か・・
390  :03/03/22 22:11 ID:vZ21A6wf
>>358
まあ、おちけつ
ハン板の電波はこんなもんだよ

>>368
おい、あほう
一国の史料を疑問視したら
本尊の忠武公も世宗大王の存在も疑問視されるぞ。

391:03/03/22 22:11 ID:2kF9+WQz
遠征先に到着して、展開の終わった戦力が5万弱
サポート要員が同数以上

少なくとも、この程度はいたと思われ。
細かい数はあまり意味が無い。
392そういえば:03/03/22 22:12 ID:4SG60y/8
光海君も、
「我が国民は日頃は大言壮語しているが、いざとなると全く役にたたない」と
言っているね。

光海君は、正直な人だね(わら
393はぽねす ◆BBx90lwzdU :03/03/22 22:12 ID:TwMjY1t/
>>390
 武寧王の子孫の話も、王仁博士の話も一国の資料にしかかかれていないのに信じまくっている
国もありますしね(w
394:03/03/22 22:14 ID:2kF9+WQz
まあ、コミケの三日目に来る人間と同じくらい・・・
395 :03/03/22 22:15 ID:EQKoTerZ
倭城の作業員(城造りに慣れた農民が主体だった)も日本から連れてったから、
総数は凄まじいものになるなぁ。

朝鮮の土民の皆さんは土木作業では使い物にならなかったそうで…現在に通じるな。
396:03/03/22 22:17 ID:Wn+HhdnI
またこの手のスレですか?
飽きた
397 :03/03/22 22:20 ID:4SG60y/8
渡海したのは30万人
戦闘員は6万

世界最高の冶金技術者達が朝鮮に残ったのに何も作り出せなかった。
日本には逆に焼き物の技術者が来て、その後発展した・・・・・・

398 :03/03/22 22:26 ID:LUVPEwKR
秀吉はヒロシマ型原爆の200倍の威力の爆弾を使ったので
朝鮮の文化はいまだに復興できません
399:03/03/22 22:32 ID:zoPWh8ek
>>397
そりゃ政治体制による。
朝鮮は金属活字の政策で日本を越えていたが、政府の統制が強すぎて発展しなかった。
日本でも徳川幕府になると同じ道を歩むが、それほど厳しくはなかった。木版だけどね。

この差が明治維新で決定的な国力差になってくるんだな。
400 :03/03/22 22:45 ID:I0X7EFZW
明・朝鮮になんか資料がないとかいってるけど・・・
日帝が燃やしちゃったんじゃないんですかぁ〜?w

なんで同じことの繰り返しなんだろうか・・・・
明VS日本   朝鮮?なにそれ、って感じですが
401 :03/03/22 22:48 ID:2HqDrul/
国力の差は秀吉時代の方があったんじゃないか?
朝鮮が二度目の秀吉の侵攻に備えて武器を作った記録を見ても
哀れとしか言いようの無い量しかつくれていない。
402 :03/03/22 22:49 ID:i6TImFWs
>>399
あと、社会的な需要も。
西欧には、聖書をたくさんの人々に読ませたい! という需要が金属活字による印刷技術の発達をうながし、
日本では、きれいな絵ロを多くの人々に見せたい! という需要が木版画の技術発展をうながした。

朝鮮には、活字で何かを印刷しなければならない需要はあったのかなあ?
403:03/03/22 22:57 ID:zoPWh8ek
>>402
出版そのものは盛んだった。
しかし、マスメディアの活動は厳重に禁止され、活字は使用を禁じられた。
儒教関係の出版は推奨され、多数の書籍が出版された。

日本でも活字は事実上の禁止があり、木版出版がメインだったのは同じ。
ただ、幕府の検閲こそあれ、かなり自由な出版が可能だった。
404:03/03/22 23:09 ID:zoPWh8ek
ちなみに、フルカラーで2次元のエロなんてものは、江戸時代じゃは日本にしかなかった。

パリには浮世絵の専門店まであったぐらい。

こんな文化の爛熟が、19世紀の開国への柔軟さをもたらしたね。
日本と同じように鎖国政策を採っていたにも拘らず、上意下達の儒教文化を堅持した李氏朝鮮は政治的柔軟さを喪失してしまった。
というか、この当時から無かったね。
405 :03/03/22 23:12 ID:vZ21A6wf
チョンに史料があっても
捏造だ、陰謀だで役に立たない罠。
豚に真珠
406402:03/03/22 23:13 ID:i6TImFWs
>>403 なるほど。勉強になります。

政治的柔軟性と言えば、日本は大政奉還をやりましたね。
今で言うと、日本政府が仕事を全部天皇陛下に押しつけるみたいなものですね。
407 :03/03/22 23:18 ID:7fl5xFQa
中世期の貿易で、朝鮮→日本の主な輸出品は
書籍だったと聞いたことがあるけれど、強いて
活字の需要を考えるならば、これになるのかな?
408:03/03/22 23:30 ID:zoPWh8ek
>>407
例外なく木版です。例外はあります?
金属活字は使用禁止でした。
儒教書籍・道徳書籍の推奨はこの分野の出版を繁栄させましたが、悪く言えばダンピングです。
李朝政府の補助を得られない言論は競争できない制度だったのですね。
市場競争の上で、政府の利益に基づいた情報規制を行った江戸幕府とは、立場に大きな違いがあります。

ソウルの王宮にあった金属活字は日本に接収され、今は日本の印刷会社が所有しています。
李朝が恐れたのは自由な言論が社会を流動化させることでした。
このため、活字は政府の管理物であり、市中で使用されなかったのです。
409 :03/03/22 23:31 ID:XxKPX0do
当時から日本人の読書好きは異常だったからね。
今でも日本にしかない中国の文献が山のようにある。

当時から、中国にない文献がバンバン出版されていたくらいだからなあ。
410:03/03/22 23:32 ID:+NPXKDQ4
>>1
ふっる〜
どうでもいい話だな
411   :03/03/22 23:36 ID:xjrPkpus
外出かもしれんが、どして『倭乱』って呼ぶのかね。
倭もそうだが、漏れとしては乱が気になる。
対等な者どうしで使わないんじゃないの『乱』って。
詳しい人教えてた漏れ。
412megrim:03/03/22 23:42 ID:kMvfWaZO
>>411
ぢつに簡単な理由です。
チョソどもは中華秩序でしか序列を考えられず、事実上の国力は無視しているのです。
故にこうなります…
「格下のウェノムどもが攻め込んできたニダ!兄の国に攻め込むとは不届き千万ニダ!」
こんな具合になって「対外戦争」ではなく「兄の国にたいする叛乱行為」となり
結果「乱」となるのです。
  
      
413ALK:03/03/22 23:43 ID:Nvvp1xsm
小中華(朝鮮)が東の蛮国(日本)を対等を見るわけが
ないからでしょう。外国との戦争ではなく、内乱扱い。

なんで、倭乱などと言われる場合にかぎり、私たちは役
(日本でいう、対外戦争)などと呼ばずに、朝鮮征伐と
呼称するがよろしいかと。
414 :03/03/22 23:47 ID:zXExXLeN
あほらしい事ですな
415:03/03/22 23:52 ID:zoPWh8ek
日本人の読書需要は凄いものがあったね
これは家康よりも信長の功績だと思うよ
・関所の撤廃 ・文化バブル
戦国が終わった江戸期の農民は、跡継ぎ以外の次男三男を都市部に出していた。
これは、関所が無くなり、江戸への移動が自由になったため可能になった。
急激に江戸が都市化したのは労働人口の激増による。
このため、人口の不均衡をカバーするために、巨大な公娼街である吉原が幕府の補助で作られ、民営の岡場所もこれに続いた。
江戸で奉公するためには読み書きそろばんは必須で、生活の規制された農民でも初等教育だけは規制されにくかった。
風呂屋などの規制は行えても、寺子屋の規制まで行ってしまっては、人口調整が困難だからだ。
こういった状況があるため、日本の読書人口は世界的に飛びぬけたものとなり、マスメディアの多様化を生んだ。
武家道徳の恒久化を目指す幕府も、管理された情報伝達は歓迎したため、識字率は高い状態を維持できた。
こうして、百姓や町民ですら武士的教養をもつ、奇妙な国が出来上がったのだ。
416  :03/03/22 23:54 ID:J5fIPE00
軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik その他へ
戦国期の記録はイマイチあてにならいから20万という数字は無視しなさい

確実にいえるのは島津家は半島に渡っていること、何度か戦闘をしてること
島津の半島での活躍は同じ時期に活躍した大名も賛美してるって事
417 :03/03/22 23:57 ID:Umqekn4X
>>411
勝った方の呼び名で良いんじゃないの。
418寺内&伊藤:03/03/22 23:59 ID:kPmsk7jh
>>1
なめんなよ〜この半島犯罪人の子孫白丁め〜〜〜こら!しばきあげるぞ!
お前ら歴史事実しらんやろ!こら!
あの李瞬臣はな〜薩摩の大将日新公 島津義弘によって囲い込まれ
撃たれころされとるんじゃ!こら!それで義弘公は鬼石曼子とよばれ
どこの國からもおそれられたんじゃ〜!この無知野郎め〜
なめんなよ〜はよ半島かえれや〜こら〜犯罪人の子孫=在日チョン
ぼこぼこにしばきあげて半島に強制送還したろか?笑
419  :03/03/23 00:00 ID:GcLIvQNE
>368
368氏も書かれているが豊臣軍は制海権を奪われたわけではない
2度の戦闘の期間中、好き勝手に半島に行っている

名将というべき李舜臣も嫌がらせ以上のことは出来なかった
420ALK:03/03/23 00:00 ID:2eTPH2ku
ある意味勝った方がいないんですが。それに倭乱というのは
国を国と認めない、誤った名称。当時はともかく、今
使うのはどうかと。
421 :03/03/23 00:04 ID:xDrhxHvf
李舜臣だったら伝説通りの最後を遂げただろうな。
李舜臣の顔も銅像みたいなホッソリしていたんじゃなくて、
もっと角張っていたんじゃないだろうか。
いずれにせよネルソンの最後に通じるような死に方をしている。
斬り込み戦から砲撃戦への世界史上の転換期だね。
422 :03/03/23 00:06 ID:xDrhxHvf
壬辰丁酉の役だったら良いのか?
韓国でもこんな呼び方が有るんだろうか。
423 :03/03/23 00:06 ID:6TgOI9GZ
他国の記述にまで口出しするなんてのは彼の国だけで十分だ。
いわんや列強にいいように食い物にされてもいまだ中華思想の国なんか何言っても無駄。
424 :03/03/23 00:11 ID:xDrhxHvf
勝った方というのなら大明李朝連合側が最終的に豊臣軍を追出してる。
豊臣側の当初の目論見が何一つ達成できていない事を見ても李朝の勝利だね。
それと補給を徹底して叩く事も大事な軍事作戦だよ。
425:03/03/23 00:13 ID:pu5A4kXT
信長の指揮下、千利休のプロデュースによる文化バブルも凄かった。
戦乱しか知らない武人に、
「文化と泰平こそが大切な価値です」
『カルチャーってのは・・・どれぐらい強いんだ?』
「一国一城(の兵員動員能力)に値する」
『ヤック・デ・カルチャー!!』

こんな具合?に戦乱のエネルギーを昇華させていったのですね。
多くの武将や文化人が、争って文化を求め、朝鮮や中国の文物に天文学的な値が付きました。
文化の価値以上に評価が与えられ、バブルが誘引されたのです。
茶釜を失う代りに自決した大名や、茶道具の変わりに領地を廻されて嘆き悲しむ武将。
世を挙げてバブルに酔いしれたのです。
朝鮮からは多くの文化人や陶工が捕虜として集められましたし、書籍の輸入も膨大なものでした。
美術品の贋作技術も最高のものがこの時期に・・・
やがて、江戸幕府の鎖国によって一段落するのですが、信長と利休の撒いた好奇心の種は、日本人に海外文物への憧れを抱かせ続けたのです。
426寺内&伊藤:03/03/23 00:15 ID:SZcpVJR3
島津貴久の4男子は賢いな。次男は義弘 ちなみに三男坊家久(沖縄せめの
家久とは別人)は5千の兵で3万の龍造寺軍を誘い込み龍造寺隆信を殺した
龍造寺隆信=李瞬臣 島津家久=島津義弘ってところかな!
427 :03/03/23 00:17 ID:xDrhxHvf
ただ問題は李舜臣でさえ大明の朝貢国である李朝の陪臣、
という意識から抜けきらなかったんじゃないだろうか。
戦争に勝利したにもかかわらず民族の勝利と言うよりは、
中華に反逆する夷を斥けたという意識に留まったから、
国民国家としてのスタートが切れなかった憾みがある。
428  :03/03/23 00:18 ID:GcLIvQNE
>421
朝鮮が海戦で火砲を使ったてのはデマだよ

>424
朝鮮人がそう思い込むのは朝鮮人の勝手
1回目は引き分けで2回目は日本が自分の都合で帰っただけてのが事実
429 :03/03/23 00:21 ID:xDrhxHvf
あの頃の李朝は寧ろ今の日本に近いかもしれない。
アメリカの軍事政治経済=明の軍事政治経済
朝貢国としての日本=朝貢国としての李朝
国王の頭ごなしに他国に規準意識を持つという危うさ。
長期的には日本も李朝のように停滞するだろう。
430 :03/03/23 00:22 ID:qz4CPgbo
>>411
「中華の天子が統べる正しい世界の秩序を倭寇が乱した」
という認識なんでしょう。向こうでは。
431寺内&伊藤:03/03/23 00:23 ID:SZcpVJR3
結局李瞬臣が殺されたのは龍造寺隆信が殺されたときと似たような状況
 誘い込みで殺された哀れな李瞬臣。。
432:03/03/23 00:24 ID:pu5A4kXT
豊臣秀吉も馬鹿ではありませんから、自軍の限界を心得ています。
将来の脅威となる連中のガス抜きに、この戦争を使っています。
秀吉もまた、信長の理想や利休の価値に触れた人間です。
それどころか熱烈な信者です。
戦乱の世を終わらせ、天下泰平の夢のような平和を渇望していました。
同時に彼は冷徹な武将です。
平和の障害になるものは容赦なく、利休ですら殺していきました。

平和と文化への憧れを同時に実現する方法。
秀吉は戦争を選び、朝鮮半島はその犠牲となったのです。
433 :03/03/23 00:24 ID:xDrhxHvf
>>428
火砲は豊富に供給されていたんだよ。
大砲というよりは鉄砲だけどね。
それを言うのなら弘安の役も元が台風で沈んだだけだな。
434  :03/03/23 00:29 ID:GcLIvQNE
>433
どっから供給されたの? 詳しく書いてみ

それと神風=台風は疑問視されてるぞ
435megrim:03/03/23 00:29 ID:eO2EcWGG
>>433
台風だろうとなんだろうと、軍が壊滅した以上、負けは負けでそ。
一方は軍壊滅、一方は無事息災。コノ状態で引き分け痛み分けというのは無理がある。
436 :03/03/23 00:30 ID:bfbtEoDe
引き分けかどうかしらんが、日本は痛くも痒くも無かったけれど
朝鮮は壊滅。

こんなのを勝利という神経が理解できない。

逆に、もし朝鮮が攻めて来ていたら島津か加藤の単独で壊滅されてた。
まあ、そもそも渡海する能力も無かったけどね
437 :03/03/23 00:31 ID:xDrhxHvf
>>432
秀吉は理屈抜きの直感が物凄い。
そうでなければ天下人になれなかっただろうけど。
だから当事の常識、つまり西欧の拡大による世界的戦国時代の招来を、
逸早く自覚した上での行動とも取れる。
ただ西欧並みの行動を起こすには宗教的な狂信が必要で、
結局は当事のフランスがイギリスを攻撃するような戦いに止まった。
加藤清正も単に行軍しただけで占領統治など何も考えていない。
当事の西欧並みに行動すると言う事は、
相手を自らの宗教に基づいて劣等人種と決めつけて、
場合によっては皆殺しにした上で自国民を植民させると言う事。
こんな事は当事の豊臣軍が朝鮮を占領しても出来なかっただろう。
要するに初めから破綻が見えていた戦い。
438:03/03/23 00:32 ID:pu5A4kXT
李舜臣には戦う以外の選択肢は無かったわけで、運の無い武将です。

子煩悩で文物好きな秀吉が、なぜ自国を侵略してきたのか、
最期まで理解できなかったことだけは、事実でしょうね。

秀吉の脳裏にあった織田信長と千利休の残像。この死者たちを歴史が語ることは、決してありますまいて。
439あほか:03/03/23 00:32 ID:bfbtEoDe
元寇は引き上げる途中に台風にあったの

そもそも、何ヶ月も橋頭堡も作れなきゃいつかは台風が来るよ(わら
440 :03/03/23 00:34 ID:6TgOI9GZ
1氏は話についてけなくなってフェードアウトですか・・
441 :03/03/23 00:34 ID:xDrhxHvf
当時の資料には李朝側が李舜臣に銃砲だけは豊富に供給している事を示している。
日本側の海賊大将を仕留めたのも銃だよ。
李舜臣は逸早く銃砲を用いた戦い方をマスターしていた。
442 :03/03/23 00:34 ID:bfbtEoDe
当時の朝鮮の工業力の貧弱さは日本の水準からは想像も出来ないほど
哀れなものだった。

今の北朝鮮と同じだよ
443.:03/03/23 00:37 ID:xNggTM9n
>>439
何で引き上げる決定をしたの?
444 :03/03/23 00:37 ID:xDrhxHvf
秀吉の国際世界情勢に対する直感が正しかったとしても、
其れに対する行動は見当外れの事が多かった。
朝鮮のような陸続きに近い国の領土ではなくて、
船団を準備して外洋を航海する海軍が必要だったのに、
最後まで商業と戦争の関係を見極められなかったんだろう。
445 :03/03/23 00:37 ID:bfbtEoDe
朝鮮の鉄砲は日本の鉄砲の射程距離の半分以下。
命中立はさらに悲惨。
投降した日本人の技術指導でやっと使える水準になった
446:03/03/23 00:39 ID:pu5A4kXT
>>437
秀吉は朝鮮の非文化人の皆殺しは考えていたのでは?
彼自身、今川家の圧迫を受け続けた尾張の百姓です。
軍事力が無ければ農地は奪われ、住民は殺される現実を肌で知っています。
なれば、当然のことを朝鮮で行っただけでしょう。
彼は統治者として教育された人間では有りません。
戦場の当たり前の事実を、国家の政策において実行しただけです。
大名上がりの閣僚には理解できない行動でした。
目標は文化と平和だったのです
447megrim:03/03/23 00:39 ID:eO2EcWGG
>>441
>当時の資料には李朝側が李舜臣に銃砲だけは豊富に供給している事を示している

基本的な間違いとして…
当時の朝鮮には、鉄砲はおろか火薬すら存在しませんでしたが、なにか?
448 :03/03/23 00:39 ID:bfbtEoDe
>>443
コテンパンにやられて、副司令官まで負傷した上に
強力な援軍が来るという情報がはいったから
449 :03/03/23 00:41 ID:bfbtEoDe
>>447
それは間違い。火砲はあったよ。
450 :03/03/23 00:41 ID:xDrhxHvf
豊臣秀吉が百姓上がりで庶民の苦しみも知っていたというのは、
恐らくは事実だろう。
実際に統治においても検地や刀狩りと言った、
心憎いまでに庶民の生活を熟知している改革を断行した。
逆に言えば西欧的狂信非情さとは縁遠い人だった。
信長だったら西欧並みの侵略をやらかしたかもしれない。
其の方向性も大陸ではなくて海洋だったろうね。
451_:03/03/23 00:41 ID:fC8ZRv5X
>>443
物資の補給が出来ないからでしょ。
452megrim:03/03/23 00:42 ID:eO2EcWGG
>>449
「火砲」の意味、わかってないでそ?
453:03/03/23 00:43 ID:pu5A4kXT
>>447
西欧諸国の暗躍があったかもしれません。
ひょっとしたら、堺の商人が密輸していた可能性もありますよ。
これも歴史の闇ですね。
454 :03/03/23 00:43 ID:xDrhxHvf
>>446
秀吉は領民を安堵させ手なずけて自分の味方にする事が得意だ。
秀秋の領民虐殺を聞いて激怒したとも言うし、
当事の西欧がやっていたような計画的なジェノサイドは出来なかったろう。
455#:03/03/23 00:46 ID:rVNDJiae
明はポルトガルからフランキ砲、
家康はオランダ・イギリスからカルバリン砲を輸入したけど
朝鮮はどこから大砲調達したの?
大砲、弾薬、火薬など全部ウリナラオリジナル?
456 :03/03/23 00:46 ID:xDrhxHvf
逆に言えば仮に朝鮮を占領したとしても、
西欧のような「植民地経営」は考えも及ばなかったろう。
100年も経たない内に大名が現地化していったろう。
西欧の脅威に当時の西欧並みに対抗すると言うのなら、
信長のような相手を人間とおもわない非情さが必要。
実際に当時の西欧人は人種差別の概念を固定しつつあった。
457忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/23 00:48 ID:mrlL2X3k
私にはソース求めて、皆さんはソースだせませんか?w
458megrim:03/03/23 00:49 ID:eO2EcWGG
>>453
西欧諸国の暗躍は難しいでしょ。
朝鮮は基本的に、外交貿易は明にしたがってますし、当時の明は海禁政策のはず。
西欧諸国がやってたことは、マニラからの宣教師を運ぶ船に武器弾薬をたんまり詰め込んで
日本に攻め込む準備をしてたことくらいか。
459 :03/03/23 00:49 ID:xDrhxHvf
>>455
李朝から火砲が届いたと書いてあるけれど、
これって豊臣軍から流出したんじゃないかと。
小西の動きが変なのは出兵前からだし、
そこらへんに加藤らが絶対に小西を許さなかった鍵が隠れているかも。
460はぽねす ◆BBx90lwzdU :03/03/23 00:50 ID:lcCjA3qS
>>449
資料上にはあっても、現物はひとつとしてありませんが?
まぁ、国宝274号はありますがね(w
461  :03/03/23 00:51 ID:F8aHu+nl
>>453
 西欧諸国はちょっと…
 ただし、商人は確かに可能性大
 博多と堺の勢力争いの一面もあった。
 小西行長なんか堺商人の息子。
 宗義智は朝鮮との貿易を重視し、同じく和平派の
 石田三成、宗、小西とつるんでいた。
 関が原への道程ですな。
462 :03/03/23 00:52 ID:xDrhxHvf
>>458
西欧からの情報操作は当然の事ながら有っただろう。
463  :03/03/23 00:54 ID:GcLIvQNE
>458
megrim さん レスするのはよくないよ

{煽りや荒らしは放置しましょう。無視できない人は同類とみなされます}
だよ
464megrim:03/03/23 00:55 ID:eO2EcWGG
>>463
スマーソ。
まぁんなこというと>>1もソレなんだが…。

博多と堺の勢力争いか…そっちのほうが可能性は高いわな。
465:03/03/23 00:57 ID:pu5A4kXT
李舜臣が那古屋の日本海軍本営を襲撃していたら、確実に全滅していましたね。
秀吉は海上に大砲を備えた浮城まで建造していました。
鉄板で装甲した、移動司令部のようなものです。
当時の艦船に搭載された火力では破壊不能だったでしょう。

しかし、戦争というのは一体ものの超兵器で決するのではなく、地道な通商破壊で決するものです。
教科書どおりに李舜臣は勝ちましたね。政治さえ間違わねば国王に成れたでしょう。
秀吉はの目標は明確で、文化と平和。戦争は単なる手段。
勝たなくても良いが、できれば勝ちたい!程度のものだったのでは。
尾張中村の百姓にとって、戦争は目的達成の手段でしかなく、生粋の武士のように勝利には拘らなかったのではないでしょうか。
結果、指導者の交代こそあれ、彼の希望は達せられたのですから。g
466 :03/03/23 00:58 ID:xDrhxHvf
何で秀吉はルソンじゃなくて朝鮮に攻め込んだのだろう。
467 :03/03/23 01:02 ID:xDrhxHvf
何かしら誘導の気配も感じられなくも無い。
実際に朝鮮に攻め込むとすれば確実に双方に武器が売れる。
ルソンまで攻め込むというのなら大量の船舶が必要になるし、
秀吉が貿易に乗り出せば商人の商圏を脅かす恐れもある。
そもそもが西欧を追出せば貿易が途絶えて損害が出る。
当時の秀吉を取り巻いていたのは大商人だった。
あるいは彼らが秀吉の朝鮮への出兵を方向づけたのかも。
勝ち負け無関係で儲かるから。
468 :03/03/23 01:04 ID:xDrhxHvf
いずれにしても李朝側にとっては災難でしかない。
秀吉も後半はオカシクなっていたし。
マトモな神経で計画されたものじゃないだろう。
469POS:03/03/23 01:06 ID:KFT1/fu9
朝鮮の大砲。
大砲入門という本には、加藤清正が戦利砲を持ち帰ったとあるがこれはどちらのだろう?
フランキ式という後装砲で大友宗麟の国崩と同様のものらしい。
大友宗麟は、ポルトガル商船から購入。
470:03/03/23 01:08 ID:pu5A4kXT
李舜臣が不自然な死に方をするあたりも歴史の闇ですね。
防衛戦争に殊勲のあった凱旋将軍が殺され(情報漏れによる戦死?)
その部下の亀甲船団には多くの技師や士官がいたにも関わらず、部署は存続されずに解散。
加藤方から寝返った雑賀衆?(サヤカ)は国王から封土を受けて王朝に列したのにです。
講和無視の罪はあるにせよ、何が起きたのかは永遠の謎ですね。
471:03/03/23 01:13 ID:pu5A4kXT
秀吉がスペインとの抗争を望んでいたのかどうかも、今となっては資料がありませんね。
宣教師たちも血眼になって彼の真意を探っていたでしょう。
ただ、秀吉はキリシタン迫害のように、自国の侵略には断固たる態度をとる人物です。
彼の意向に逆らうのは・・・やはり小西でしょうか?
472 :03/03/23 01:19 ID:GcLIvQNE
>469
明製の大筒だろう
李朝にもいくつか明から購入している奴があったかもしれない
473megrim:03/03/23 01:20 ID:eO2EcWGG
まぁ、スペインとは一触即発から武装中立or修好状態になったのは確かですな。
秀吉がフェリペ2世に贈った鎧兜、火災で破損はしたものの現存しているそうです。
474POS:03/03/23 01:45 ID:KFT1/fu9
>>472
へー明はもう生産してたんだ。
475忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/23 01:50 ID:mrlL2X3k
不思議なのは、陸であれだけ強かった日本軍が、
なぜ、あれぐらいの水軍しか持たなかったのか、ですね。
それとも、持てなかったのか?。
それとも、李朝水軍が強すぎたのでしょうかね。
476忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/23 01:57 ID:mrlL2X3k
李朝水軍ほどの強い水軍が日本になぜなかったのか?
亀甲船のような近代的な発想が生まれたのは、朝鮮の幸運ですね。
日本にはなかったようですね。
倭寇対策のおかげもあるでしょうね。
切り込み作戦では、大砲に敵いませんね。
しかし、李将軍も日本軍の切込みをさせないようにとの
命令をしていたようなので、切り込みが成功したことも
あるのでしょうね。
なぜ日本で、朝鮮水軍ほど、水軍が
発達しなかったのか不思議ですね。
477_:03/03/23 02:12 ID:2eTPH2ku
あ、忠武公 ◆Oamxnad08k 氏に質問してもいいですか?

度々日本側の資料には正確な記述が無い、とおっしゃっておいででしたが、
ずいぶん日本側の資料にも詳しい様ですね。よろしければ特にここの記述が
おかしい、朝鮮側の書ではこう書いてあるといった書名や箇所などを教えていただければと
思うのですが。
478忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/23 02:14 ID:mrlL2X3k
有名戦国水軍武将来島氏も二人戦死していますね。
日本側に戦死した有名武将はいないと言う意見も
ありなすが、間違いですね。
479_:03/03/23 02:26 ID:2eTPH2ku
>>477
来島通総と得居通年の事でしょうか。
戦死者いないという情報(論文?)が見当たらないのですが、
是非読んでみたいので教えていただけますか?
480megrim:03/03/23 02:29 ID:eO2EcWGG
>>479
それ以前に、1万石程度の小大名で「有名」と言えるのかどうか甚だ疑問。
481 :03/03/23 02:31 ID:0GTTS7NF
>>470
沙也加の話ですが、こういうスレがあります。
http://ex.2ch.net/test/read.cgi/korea/1047986774/l50
482_:03/03/23 02:32 ID:2eTPH2ku
>>480
うーん、でも、死んだうちで比較的有名といったらほかにいなさそう
ですし。だれかいましたっけ?
483#:03/03/23 02:39 ID:rVNDJiae
来島兄弟は水軍なのに、陸上の第5軍に編入されてたし。
率いてたのは700人だけだったし。
484megrim:03/03/23 02:47 ID:eO2EcWGG
>>482
己の知る限り、大名で戦死しているのは来島くらいのものか?
他はあらかた生きているはず…。
485_:03/03/23 02:53 ID:2eTPH2ku
調べてみましたが、武将クラスで戦死って、この2人くらいしか
見当たらないようですね。

でもたしかに有名かどうかは難しいので、来島兄弟を重要視
しなかった表現の文献なりサイトをみて、>>478さんが
勘違いをしたのかも。どういう表現だったかは>>478さんが
出してくれるのをまって、見てみるしかないでしょう。
486#:03/03/23 02:53 ID:rVNDJiae
論介(ノンゲ)が日本の武将を道連れに投身自殺したって言うけど
道連れにされた日本の武将って誰?
忠武公 ◆Oamxnad08kは知ってるのか?
487megrim:03/03/23 02:59 ID:eO2EcWGG
>>486
中世以前の戦史において、動員数や戦果を水増し発表するのは日常茶飯事。
道連れの投身自殺の相手になったのは…
1:助平根性出した日本の足軽
2:(略)日本軍についた朝鮮の農民
3:(略)明軍の将兵
上の何れかの可能性大。
「日本の武将を道連れに…」とは良く聞くけど、どこも名前が伝わっていない辺り眉唾ものっぽい。
特に、朝鮮みたいに敵を徹底して貶める文化の国だと、確実に名前を残すはずだしね。
そういう意味でも実に妖しい。
488#:03/03/23 03:24 ID:rVNDJiae
>>486
調べたらありました。
論介が道連れにしたのは「毛谷村六助」と言う人だそうです。
毛谷村六助は加藤清正の侍頭木田孫兵衛のことだそうです。
毛谷村六助の墓は現在大分県山国町にあるそうです。
489 :03/03/23 07:43 ID:bfbtEoDe
朝鮮の水軍が優れていた訳ではないよ。
何故なら、元均に率いられた朝鮮水軍は、簡単に全滅している。
李舜臣に率いられた明水軍は活躍しているしね。

まあ、日本では海戦が無かったからな。
単なる輸送船団だしね。
490:03/03/23 08:43 ID:DXXsBq5E
>>489
そうでもないよ。
淀川口の海戦では、鋼鉄装甲艦や大砲が使用されている。
秀吉も本営の那古屋にはこれを新造して配備している。
李舜臣が確保したのは、多島海で一撃離脱のゲリラ戦に適した朝鮮南東部で、
補給はこれを迂回するために速度が低下した。
輸送能力を省いてゲリラ戦に特化した亀甲船は、優れた武器だと思うよ。
ただし、打って出るには不向きだ。
491 :03/03/23 09:51 ID:BAAp49CP
 島津家は朝鮮出兵の功績で「特別に」5万石も加増されているんだが。
 本来秀吉の死後は秀頼が成人するまで大名の加増はしないことになっていたにもかかわらず加増されている。
 領土が1石も増えなかったにもかかわらず5万石も加増されているんだよ。
 
 泗川の戦いでの活躍がなければありえないこと。
 泗川の戦いが載っていないという資料の名前をあげてみて。
492megrim:03/03/23 09:57 ID:eO2EcWGG
>>491
「20万の大軍で寄せたけど、5千の軍に完膚なきまでに蹴散らされました」なんてことは
明も朝鮮も記録に残せんでしょ(苦笑
493megrim:03/03/23 10:01 ID:eO2EcWGG
>>489-490
基本的な合意事項は
「朝鮮水軍の戦果は、李舜臣の個人的な才覚がなければ存在しない」
っつーことで。
494:03/03/23 10:26 ID:ODR04GlK
>>493
同意する
開戦の勝利(この場合、補給の阻害)は、李舜臣の才覚に依存してる。
李朝では冷や飯食いだった地方の武将が、ここまでやったのだから大した物。
決して、李氏朝鮮の功績ではない。
495あらし 注意報:03/03/23 10:29 ID:GcLIvQNE
注意

一部に電波が混じってますが
・煽りや荒らしは放置しましょう。無視できない人は同類とみなされます。

重要
亀甲船は存在を疑問視されています
朝鮮が火砲を多く備えることは不可能です



496 :03/03/23 10:44 ID:hEhIlxx2
>>469
>フランキ式という後装砲で大友宗麟の国崩と同様のものらしい。
当時は、前装砲が最新型です。

当時の後装砲は、工作精度が悪いために後ろの蓋のすきまから火薬ガスが漏れるため前装砲よりも威力・射程・命中精度が劣ります。


497  :03/03/23 11:20 ID:F8aHu+nl
>>469
仏郎機砲は朝鮮で捕獲された明の最新兵器であろう
明もポルトガルから購入した。
朝鮮軍に扱えるものかどうか疑問

それにしても軍事板さん怒って帰っちゃったよ
戻ってきてくれないかな。
498:03/03/23 11:29 ID:ODR04GlK
・亀甲船は現物資料が全く残っていない。
・運用していた組織も李朝では消滅。
・銃器の輸入ルートは密輸。

李舜臣の不可解な死とあいまって、政治の深い闇があります。
この辺は朝鮮でもアンタッチャルな領域かな?
499:03/03/23 11:41 ID:ODR04GlK
バチカンあたりで非公開資料を漁れば、秘密武器援助の実態が出てくるかも。
当時のローマ法王庁は日本に肩入れしていた。そして反対勢力もまた・・・
500 :03/03/23 11:58 ID:0GTTS7NF
>>498
元々は野の人で、扱っていたのも実は私兵だったのかも。
こう考えると、おっしゃっている謎が解けるかもしれません。

李舜臣、何となく”悪党”楠木正成を思わせるものがあります。
501 :03/03/23 12:24 ID:kY35S0Yw
そもそも李舜臣は日本が残していた記録を朝鮮に伝えなければ
本人たちに忘れられていた存在なんだから。
だから19世紀末から20世紀初頭までの半島の人はこの将軍を
ほとんど知らなかった。
502POS:03/03/23 12:53 ID:KFT1/fu9
>>496,497
知ってますよ、大砲入門にはそう書いて有りましたから。
というより当時の大砲は、火縄銃より射程が短いわけですし。
503:03/03/23 12:55 ID:MYzCAYCz
この時代の私設海軍・・・

平たく云えば海賊ですな。まさか倭寇?

韓国も、海賊を誇れるようになれば一人前だな(W
李朝から彼の名が抹殺されたのにはそんな背景が?

李舜臣を海賊として描いた香具師は、まだいないね。
504アーカード様カコイイ!:03/03/23 13:13 ID:MYzCAYCz
イスカリオテ13課の報告が残されています。
『・・闇のものを彼らの領土に追いやった。報告終了。』

過去の日本軍の敗退報告ですかな・・・・それにしても解せませんな、神父。
あれほど勝ち続けていた軍勢が、消滅するように還って来なかったとは。
それに、耳を切り取るのはグール化を防止する基礎施術・・・
『逆もな・・・』
ふっ、何があったか・・・・神のみぞ知る、か。A・MEN!(エイメン!)




あははっ・・・最近ヘルシングにはまってます(W
505 :03/03/23 13:21 ID:uBvb7a9+
まあ、豊臣秀吉が出兵失敗したのは事実。

しかも、豊臣家にあの国のあの法則が発動。
506  :03/03/23 13:29 ID:F8aHu+nl
>>502
 俺が大砲で思い出すのは「後宮小説」にでてきた仏郎機砲
 行軍してきた兵士にぶっとばした。

 ところで、大砲の種類に木製の榴弾砲はなかったか?
使い方がよくわからん。

すれ違いすまそ
507:03/03/23 13:37 ID:MYzCAYCz
>>506
木砲の使用では、大した内圧が期待できないので、
石や鉄片と火薬を搗き固めたものを使用することが多いかと。
弾丸でも撃てますが、飛距離が出ないとか。

木砲で榴弾を撃てたかどうかは知らない
508POS:03/03/23 14:31 ID:KFT1/fu9
>>506
釘や鉄片、石などを詰めて榴散弾(巨大なショットガン)として使うのでは?
509遅レスだけど:03/03/23 15:58 ID:Tw34z93V
>>432
 秀吉が、将来の脅威になりそうな人物のガス抜きに使ったつーのは
ちと違うんじゃ無いのかなぁ。

 清正とか黒田といった武断派と石田三成たち奉行派との対立が決定的に
なった理由の一つは、この朝鮮の役だし。仮想敵 No.1 の家康は日本に
残ってて全く消耗していないんだから。
510忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/23 16:39 ID:mrlL2X3k
忠武公李舜臣・・・彼によって数万の日本兵が殺された。
相当な兵数の消耗である。補給が被害にあっただけでは
すまなかったのです
511 :03/03/23 16:47 ID:HsEruAXv
要は「李舜臣」という英雄を除けばロクなもんじゃなかったんだろうな。

今も昔も、英雄を必要とするのは負け戦なのさ。
512megrim:03/03/23 16:51 ID:eO2EcWGG
なるほどね。
だから半島は英雄だらけなわけだ。
513 :03/03/23 17:07 ID:2f/x9XYF
>>510
なことはないよ。
それに死者の大半は地元から徴発された漁師だよ。
514:03/03/23 17:11 ID:2M7Dvlzv
鉄砲攻撃を防御できる亀船考案したはいいけど
慶長の役じゃ亀船が1隻もない上に
普通の船に乗ってるところを流れ弾受けて死ぬってのは
マヌケだよなぁ>李舜臣
515 :03/03/23 17:13 ID:2f/x9XYF
例えば、島津が動員したのは15000人
内訳は
正規軍300
戦闘要員の足軽3000
非戦闘員の足軽3000
残りは築城のための人足、輸送要員、船を漕ぐ船頭等で、
これらが動員した人員の大半。
516POS:03/03/23 17:21 ID:KFT1/fu9
>>514
船を火矢から守る為に鉄板を貼ったのでは?
517 :03/03/23 17:31 ID:2f/x9XYF
亀船は防弾の効果はなかっただろうと言われているね。
実際、火縄銃で撃たれて西洋式の鉄鎧に5cm位の大穴が開いているのを見た事があるよ。
結局、焙烙火攻撃から守る為の物だったんだろうね。

信長の大安宅船は鉄砲を防げたらしいが、厚さ10cmの硬木の上に鉄板を張っていた。
そのかわり、これだと、ボートハウスだわな(w
518:03/03/23 17:32 ID:2M7Dvlzv
>>516
対火(焼き討ち)でもあるが
元々、対倭寇装備で、耐弾性も兼ね備えてるわけだが。
519   :03/03/23 17:36 ID:2f/x9XYF
義兵は現在の北朝鮮地域ではいなかった。
それどころか、王子を捕らえて差し出してもいる。
結局、北は差別されていたんだろうね。
考えて見ると、韓国国防軍の創設時の将軍達の大半が日本軍出身で
しかも北の出身者。これは李朝の差別と関係がある気がするね。
520p:03/03/23 17:44 ID:t9o4HHWB
>>510
「数万の日本兵が殺された」のに朝鮮で命を落とした大名は
来島だけと言う不思議。
しかも一万石のローエンドの大名=人口一万人の町長ぐらいの
人ってことだろ?
それに対して朝鮮は李舜臣やら司令官クラスが戦死してんでしょ?
うーん、まさにコレアンマジック!!!!
521朝鮮征伐軍旗艦日本丸 1:03/03/23 17:52 ID:NwI+uGZy
征韓の役をはじめとする多くの海戦で活躍した熊野水軍の主艦「日本丸」は、
嘉隆自らの設計にかかり、全長151尺5寸、全幅29尺の鉄甲船。
千五百石積で、乗員は将士・水主(かこ)を合わせて計80人。
当時においては破格の大鑑である。

帆はあるが順風の時のみに使用し、操船の便をはかって百梃櫓を主動力とする。
櫓枕は固定して波浪にもはずれぬよう工夫され、
敵兵の侵入を防ぐための所謂「唐人返し」を装備している。

甲板は兵の動きに便利であるよう広く設計され、動揺止めの装置がある。
甲板の上には三層の楼を設け、麻縄で編んだ網を三重にめぐらし、
周囲に九鬼家の定紋・左三つ巴を染め抜いた幔幕を張る。
楼の上には蓬莱山を飾り、柱には天照大神の神札を奉安して敵を欺く仕掛けとした。
船底には九鬼家の守護神でもある鬼門大金神を奉祀している。
特製の大砲三門が備えられており、両舷の壁には円形と三角形の窓があり、
ここから長銃を出して射撃するようになっている。
甲板上後部にある一段高い位置の座敷が指揮官室で、ここにも同様の仕組みがなされており、
その上の高楼は三面が厳重に囲まれいる。
士官室は指揮官室の後方に二室あり、下甲板艙が水主、その下の間が倉庫・炊事場・浴室となっている。
船首には飛騨甚五郎作とされる龍頭の大舳があったが、合戦時には取り外して用いない。
522朝鮮征伐軍旗艦日本丸 2:03/03/23 17:54 ID:NwI+uGZy
征韓の役の後は、鳥羽に回航され、船倉につながれていたが、
後の寛永10年(1633)から延宝8年(1680)にかけて鳥羽藩に入封した内藤氏の代になると、
五百石積・六十梃櫓に改造されて大龍丸と改称された。
しかし、しだいに腐朽したため、安政3年(1856)には解体され、
現在は船体の一部が伊勢大湊・市川昭氏によって保存されている。
往時の偉観は「文禄癸巳六月於釜山海征韓水軍総督九鬼大隅守船柵之図」のほかに、
「志州鳥羽船寸法」(賀多神社所蔵)や「九鬼公釜山海船柵之図」(東京大学教養部所蔵)などによって偲ぶことができる。
ttp://www.shinjin.co.jp/kuki/suigun/nipponmaru.htm

浴室をつけているところがいかにも日本らしいね。
九鬼の造船理念は亀船とかぶるけど、亀船には資料が全く残っていないんだよな。
ひょっとしてパクってる?それともシンクロニシティー?

で亀船の詳細な資料はどこよ?流れ弾に急所を貫かれた提督さん。
523   :03/03/23 17:56 ID:y71znqjV
 亀船については、かなり革新的な代物だけに、短期間で製造できたか
ちょっと疑問ですね。仮に李提督が一夜にして図面を起こしたとしても、
装甲となる鉄板の制作から始めて戦争に間に合う工業力が、当時の朝鮮に
あったかは疑問。合理的な推測としては
A 亀船は実在しなかった
B 実在はしたがごく少数の生産にとどまった
C 開戦時点で既に生産が進行していた。この場合、秀吉公の軍と戦うため
  と言うより、対和冦を想定して作っていた新兵器を実戦投入したと
  見るべきだろう。
 あたりと考えるが、諸兄のご意見はいかがなものでしょうか?
524:03/03/23 18:00 ID:El4qZrK9
>>521
多分これか、その僚艦と思われるものが絵に描かれています。
当時は、鉄=褐色のイメージですので、茶色く描かれた兵器は木製ではなく、鉄で覆われたものです。
これが海戦で戦うのではなく、絶対安全な戦闘指揮所という扱いでしょうか。
525 :03/03/23 18:04 ID:NwI+uGZy
>>523
慶長の役後、明の将軍達は倭城を徹底的に調査をしたけど、
李朝の軍人は「あれは土窟ニダ」と馬鹿にしてまともに調べもせんかったそうな。
(それでいて「土窟」の破却もままならず、今現在も倭城の石垣は現存しているわけだが…)

そんな連中が革新的な軍事技術を生み出せるものなのか疑問。
526魔神閣下 ◆ZD/Y49hXi2 :03/03/23 18:06 ID:JJ3BKuV5
>>523
ウリはBを支持する。
ただ、鉄張りじゃないという可能性も否定できないと
考えてはいる。
527 :03/03/23 18:07 ID:NwI+uGZy
>>524
その九鬼のページ読めば解ると思いますけど、
日本丸はかなり実戦こなしてますよ。
というより、明、朝鮮水軍にかなり付け狙われています←目立つからね。
528忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/23 18:08 ID:mrlL2X3k
>>521
>>522
日本にも良い船はあったようですが、李将軍に撃沈されたの
でしょうね。
529あんた釣りだったのか…:03/03/23 18:10 ID:NwI+uGZy
>>528

>征韓の役の後は、鳥羽に回航され、船倉につながれていたが、
>後の寛永10年(1633)から延宝8年(1680)にかけて鳥羽藩に入封した内藤氏の代になると、
>五百石積・六十梃櫓に改造されて大龍丸と改称された。
>しかし、しだいに腐朽したため、安政3年(1856)には解体され、
>現在は船体の一部が伊勢大湊・市川昭氏によって保存されている。
530:03/03/23 18:10 ID:El4qZrK9
>>523
D 李提督の実体は海賊(倭寇)だった。

この可能性も十分にある。
官給されていなかった火器の装備や海賊戦闘の経験値の高さは、
取り締まる側ではなかったことを暗示する。
戦後、彼らの組織が黙殺されたことも、それを裏付ける。
531忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/23 18:12 ID:mrlL2X3k
朝鮮の役の失敗が、豊臣政権崩壊を招きましたね
532_:03/03/23 18:14 ID:fC8ZRv5X
>>531
40点。
533479:03/03/23 18:16 ID:T95Bsa9V
忠武公 ◆Oamxnad08k さん

双方に被害については興味があって調べているのですが、
たとえば乱中日記などにも
砲声は河岳を震わせ、雨のごとく矢を放ち、賊船三十一隻
撃破した。
などという書き方で、船数による被害は見当たりますが
兵数**名、といった両軍の被害についてはよく分かりませんし、
史料によって変わる部分があるようです。
自分の勉強不足のようでで申し訳ないですが、数万という
数字はどこから来たのでしょうか?

文禄の役だけみても秀吉水軍の出兵は9200人、
別冊歴史読本『海の戦国史』では10200人とかかれています。
また、慶長の役も九鬼嘉隆・藤堂高虎・脇坂安治・加藤嘉明・来島通之らの
兵合わせて九二〇〇人(日本城郭大系・巻十二)とあり、
その後の撤退もあわせると数万の水軍を倒したとは思えませんが。
534p:03/03/23 18:21 ID:t9o4HHWB
>>530
Dはあり得るよね。朝鮮儒教得意の「夷をもって夷を制す」で、
両班が考えつきそうな手だよねw。
535かめあたま:03/03/23 18:27 ID:PdKafgDs
>>531
まぁ日本も中国もそれだけダイナミックに歴史が動いているということさ。
失政したらすぐ次が待ち構えているという。

そういや国土を豊臣と明に蹂躙されまくっても崩壊しない王朝がどこぞの辺境にあったらしいが、
これなんて国として生命力が無いというか終わっているとしかいいようが無いね。

>>523
BとC両方。もともと陸将の李舜臣に自分好みの戦艦を考えたり作る時間なんてなかったろうし、
亀も使い手により、どうしようもなく弱かったりするから
「倭寇向けの普通の軍船」=「亀船」だったんでないの。
536 :03/03/23 18:30 ID:BDOJ2FX1
忠武港さん別スレ程はじけっぷりが見られないね。
真面目な人が多すぎて凹んでるの(´・ω・`) ショボーン
537忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/23 18:34 ID:mrlL2X3k
>>533
水軍だけでなく、補給船に乗って移動中だった兵士も入れれば
数万の兵士を殺したといえますね
538_:03/03/23 18:36 ID:fC8ZRv5X
豊臣政権の崩壊は、朝鮮征伐の失敗だけじゃなく、他にも色々絡んでいる。

1、有能な甥を失脚させて、自分の息子を政権の座につけた。
2、その息子、秀頼の裏に淀君がいることは、誰の目にも明らかであった。
3、秀頼と淀君の無能っぷりは大変なもので、そのくせプライドだけは高かった。
4、徳川家康を使用し過ぎた。
5、家康と同レベルの大名で秀吉の忠臣、前田利家が家康より先に死んでしまった。

これらの要素が加わらなかったら、恐らく徳川幕府が出来たか分からない。
539釣られ師@ハン板:03/03/23 18:43 ID:0P9qbUh0
【李舜臣の俺的考察】
・李は文禄の役開戦前は、一艦隊のスタッフだったらしい(中部港サン教えて)(南雲艦隊の源田級)
  →ひょっとしたら売官行為のペーパードライバーの武装商船隊長・海賊か?(推測)
・文禄の役の太閤海軍の制海権奪取で、朝鮮正規海軍アボーン、残党海賊化。
・文禄の役末期、明の指導下、李は残党を再編。
・停戦後、朝鮮王・両班を無視したカドで追放
・慶長再戦、またまた朝鮮正規海軍アボーーン
→以下ループ
540 :03/03/23 18:44 ID:Ao96Q4TX
http://village.infoweb.ne.jp/~fwhv7340/turtle-saibu-page.htm
>昔はこのように鉄板で覆われていたと考えられていたが、現在は
>「単に亀甲模様の絵が描かれていただけ」ということがわかっている。

そうなんですか?
541:03/03/23 18:44 ID:El4qZrK9
中世の海軍は、海賊に一定の官位や俸禄で身分保障し、戦時に徴用する海賊海軍が主体。
李提督が海賊だったとしても侮蔑ではない。

日本でも静岡の三保にいた徳川水軍は三保神社に所属し、
沿岸10里の輸送船からの通行料徴収
周辺猟師からの小物成徴収
家康直参の俸禄
こんな位置づけがあった。
沿岸の要所にはこんな集団がいくつも維持されていたのだ。
542:03/03/23 18:49 ID:El4qZrK9
>>541
○漁師
×猟師
543忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/23 18:58 ID:mrlL2X3k
日本で朝鮮水軍ほどの水軍が育たなかったのは
歴史の謎ですね。九鬼が李舜臣と戦っても勝てな
かったでしょうね。
544 :03/03/23 19:01 ID:kgZg+nM0
>>543
アフォかホームとアウェイの差だろ
545#:03/03/23 19:07 ID:rVNDJiae
1592年5月に入ると、巨済(コジェ)島東南沖において、
全羅左道水使の名将・李舜臣(イ・スンシン)指揮する
亀甲船を主体とした80数艘によって藤堂高虎率いる
船団が敗れ、唐浦でも亀井慈矩(かめい・これのり)の
船団が敗北を喫する。また、唐項沖では村上水軍が
敗れ、閑山島でも脇坂安治の船団も惨敗。このころ船
を降りて上陸していた嘉隆は、その知らせを聞いて駆
けつけ、7月8日安骨(あご)浦において決戦に挑む。充分
に敵を引き付け、一斉に石火箭を浴びせ、逃げ惑う敵の
船に越賀隼人と浜島豊後が乗り込み、大船2艘を奪う。
越賀隼人の部下・宇仁屋善七が一番乗り、次いで西岡
平作、これに続いて九鬼主膳が敵船に乗り移った。宇仁
屋は耳に箭二本をうけ、西岡は右足に鎧通しを突き刺さ
れるが怯まず奮戦。この戦で韓人四官等六名を生捕る。
また、味方をおおいに苦しめた亀甲船を早船にて待ち受
け、縄を亀甲船にひっかけ飛び乗っては奪い取る戦法で
戦果を挙げる。しかし、全体的には戦局は不利で(一説に
は加藤嘉明が嘉隆の指揮に服さなかったことが起因した
ともいう)、最終的に文禄の役は敗戦に終わった。なお、
李舜臣の亀甲船は、後に第二回の遠征で島津水軍が破っている。
546:03/03/23 19:08 ID:El4qZrK9
>>543
海賊のレベルは最高水準だったと思うが?
倭寇はアジア各国の海賊の総称なので、厳密に日本海賊とも云えないが・・
ゲリラに対する正規軍輸送部隊の防衛は、いつの時代でも難しいよ。

根本的な海賊対策に成功したのはスペイン海軍。
戦うのではなく、快速帆船で逃げる♪
実は、これが海賊相手に最も効果的だった。
547   :03/03/23 19:10 ID:MY5ghBoj
 元均指揮下での醜態から察するに「恐るべきは李舜臣であって朝鮮水軍ではない」
と考えますが?
逆に言うと、李提督のような将が武を軽んじる朝鮮に出現したことの方が、よほど
歴史の謎かと
548:03/03/23 19:22 ID:El4qZrK9
李舜臣以降の朝鮮海賊(水軍)はどんな推移を経たのだろう?

徳川家康との講和で、朝鮮南部の海軍は意味が無くなった。
鎖国政策を採った両国で、お互いに海賊被害が出たとの記録も無い。
日本の水軍は温存された。これは沿海貿易の拡大に対して警察機能が要求されたから。
朝鮮では国内貿易が伸びなかったので、あまり発達はしなかったか。

そういえば静岡の三保といえば、街道の博徒、清水の次郎長の根拠地でもある。
東海道の要衝と軍港に、非合法組織の根拠地があるのは自然な成り行きか?
ちなみに次郎長は明治政府に味方し、官軍支配地域の諜報と治安維持を請け負った。
549479:03/03/23 19:25 ID:T95Bsa9V
>>537
李舜臣の功績の多くは兵站の破壊という印象があり、実際の先頭での直接的な
死者などの数が明確に書かれている物はみれませんでした。この辺は何か有用な
史料をお持ちでしょうか。
私的には最終的な双方の被害(損失)には興味があるので教えていただければ助かります。


550 :03/03/23 19:28 ID:2f/x9XYF
>忠武公

日本軍は、戦争開始時に総兵力6万程度。残りは非戦闘員。
数年間、朝鮮で戦った後の兵力が何万も死んだなら島津も加藤も立ち直れないだろう(笑

だが、残念ながら加藤も島津も数年後の関ケ原に朝鮮出兵以上の兵力を動員している。
つまり島津も加藤も決定的な痛手を蒙った訳では無いんだよ。

もし何万も「兵士」が死んだなら、戦国時代を生き残る事は出来なかっただろうね。
551釣られ師@ハン板:03/03/23 19:36 ID:0P9qbUh0
李の最後の、島津との海戦。
李も戦争が終わって、海賊に戻るくらいなら、鬼島津に特攻ってか。
戦艦大和の沖縄特攻(菊水作戦)みたいに
「花は桜木、男はチョソ」ってか?

李氏朝鮮って、骨の髄から腐ってるな。
まあ、今の北の(略
552479:03/03/23 19:37 ID:T95Bsa9V
>>550

私もそれがすごく疑問です。
兵数、損害数を調べているのですが恥ずかしながら兵なのか
徴用者なのか、またその算定は誰がおこなったのか、たとえば島津
勢の損害はどれくらいなのかが分からずにいます。
それで、すごく忠武公氏に聞きたいのです。
553#:03/03/23 19:52 ID:rVNDJiae
>>552
忠武公が参考にしてる資料はこれ

>>304 名前:忠武公 ◆Oamxnad08k 投稿日:03/03/22 19:09 ID:OcCVQVNB
宣祖実録、王朝実録、柳成竜懲ひ録、乱中日記などですね
554:03/03/23 20:13 ID:5NhR7K/r
>>551
わざと不利な戦闘を命じて戦死させるのは、古今東西の常道では?
暗殺説は裏付こそ無いが、かなり怪しいと思う。(これは謀殺?)
555 :03/03/23 20:16 ID:Qp/DCy4l
李舜臣などについて纏められているサイトがありますた。

http://www.devicetimes.com/topic/history/01-05-lee00.html
556 :03/03/23 20:24 ID:Qp/DCy4l
>>387に李舜臣の最期の状況がかかれていますが、
確かに少し判りづらいですね。
557 :03/03/23 20:26 ID:QI7j1iAu
それほど効果的なら戦国日本のこと、日本でも導入されても不思議ではないのに、真似された形跡がほとんどない。

亀甲船は何か決定的弱点があったのかもしれない。

あと、鎖国は要するに幕府独占貿易。つまり海賊の根絶でもあった。
558忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/23 20:53 ID:mrlL2X3k
>>555
1590 末 朝鮮通信使、秀吉に会見(「仮道入明」の国書を受け取る)
1591 1月 李氏朝鮮、通信使の帰着報告を受け、「秀吉の侵攻は無し」と断定
1591 2月 李舜臣、全羅道左水使(朝鮮半島西南地区水軍司令官)に就任
1592 4/14 秀吉軍、第1陣釜山に上陸(文禄の役始まる)
1592 4月末 元均、南海岸を逃げ回り、73隻を失い、残存戦力3隻になり、李舜臣に救援を乞う。
1592 5/2 秀吉軍、首都漢城を占領
1592 5/7 李舜臣、玉浦海戦(大11、中8、他7を撃破)
1592 5/7 李舜臣、馬山沖海戦(大5を撃破)
1592 5/8 李舜臣、赤珍浦海戦(大9、中2を撃破)
1592 5/29 李舜臣、泗川海戦(大12を撃破)、亀甲船を初使用
1592 6/2 李舜臣、唐浦海戦(大9、中12を撃破)
1592 6/5 李舜臣、唐項浦湾海戦(大9、中4、小13を撃破)
1592 6/7 李舜臣、栗浦海戦(大2、中1を撃破、大3、中1を拿捕)、以上自軍の損害ゼロ
1592 6/15 秀吉軍、平壌を占領
1592 7/8 李舜臣、閑山島海戦(超大7、大28、中小24を撃破または拿捕)
1592 7/10 李舜臣、安骨浦海戦(超大・大21、中15、小6を撃破)---秀吉軍、制海権喪失
1592 8/24 李舜臣、多大浦付近で24隻を撃破
1592 9/1 李舜臣、釜山浦海戦(100隻以上を撃破)、
1593 1月 明の援軍、平壌を奪還
1
559忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/23 20:53 ID:mrlL2X3k
1593 2月 秀吉軍、漢城西方の幸州城を、食料目的で攻め込んで、大敗を喫す
1593 4月 秀吉軍、漢城から撤退、半島南部へ集結
1593 5/23 明の講和使節、秀吉と会見
1593 8月 李舜臣、3道水軍統制使(連合艦隊司令長官)に就任
1594 3/3 魚泳潭、第2次唐項浦海戦で26隻を撃破
1596 末 明と秀吉の和平交渉決裂
1597 1/15 秀吉軍14万、再侵開始(慶長の役始まる)
1597 1月 李舜臣、元均らの讒言で更迭、元均が3道水軍統制使に就任
1597 7月 元均、秀吉水軍に大敗、100隻以上を失い、自身は戦死。残存戦力は10隻に
1597 7月 李舜臣、3道水軍統制使に再任
1597 9/16 李舜臣、鳴梁海戦、12隻で秀吉水軍130隻に挑戦、31隻を撃破する大勝利
1598 8月 秀吉死す、秀吉軍撤退開始
1598 11/19 李舜臣、露梁海戦で戦死、戦闘そのものは朝鮮側の大勝利(450隻余りを撃破)
1598 11月 秀吉全軍が撤退
>秀吉軍が1万人以上の死者を出し、脱出した船はわずか50隻と言う大敗を喫した。
この記述はなかなか信用できるものですね。
560忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/23 20:54 ID:mrlL2X3k
>秀吉軍が1万人以上の死者を出し、脱出した船はわずか50隻と言う大敗を喫した。

は最後の海戦の事ですね
561#:03/03/23 21:10 ID:rVNDJiae
>>555のサイトの最後に

>韓国人の書いた歴史書に、著しい共通事項があることが分かった。それは
>(1).朝鮮半島に対する異常なまでの排他的愛国主義と、それに基づく主観的な歴史観
>(2).日本の植民地政策の完全否定と全責任の転嫁
>(3).現代常識で過去を裁く時代錯誤的な歴史解釈

ってあるね。
なんか凄く納得した。
562 :03/03/23 21:19 ID:+FPAhbUx
>>560
それ、「講話後のだまし討ち」ってことは留意しておいてね。
563 :03/03/23 21:19 ID:pwpKSNIZ
李舜臣の連勝にも関わらず、
秀吉軍は着々と平壌まで侵攻しておりますな。
564忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/23 21:27 ID:mrlL2X3k
>1593 2月 秀吉軍、漢城西方の幸州城を、食料目的で攻め込んで、大敗を喫す

陸での奮戦も見られますね
565名無しさん:03/03/23 21:33 ID:8XlX4kuk
動乱があるたびに暴徒と化した民衆が強姦しまくるから
民族は決して途絶える事が無かった。強姦は民族の知恵といえよう。
しかし安定期には誰も食料作ろうとはしなかったので飢饉が慢性化しており
民族は半万年も1000万人を超えることは無かった。
世界にとっても民族にとってもこれが適正値だったのだ。
日帝支配後10年で民族が2.5倍にも膨れ上がったのは
日帝の植民地政策の非道さを物語る。
いまや当時の10倍まで膨れ上がった民族は世界中で
人種差別贈賄暴力強姦朴李など非道を行っている。

人類の敵!日帝!反省シル!<#`Д´> 
566忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/23 21:34 ID:mrlL2X3k
島津は最後の海戦にも参加していないという意見もあるようですが
567釣られ師@ハン:03/03/23 21:35 ID:1i7I3Lt/
>>中部港
時系列年表ゴクロウサン。軍管区副指令なんて「軍閥」にうってつけのポストだと思います。
あのHPもニユアンスは560と似てますね。
あのHPもフィクションとは言い切れないと思います。
日本人からすれば文禄・慶長の役なんて
年寄りの火遊びだからどうでもいいんですが(捨てゼリフぽいが)
太閤側の実質的な参謀総長が、あのいくさべたの石田三成ですから
勝敗以前の問題だと思います。ソースや資料以前に
三成が仕切っていたら、何やっても駄目です。
三成相手なら李さんでも、誰でもよかった気がします。
568 :03/03/23 21:38 ID:ObcpPgi8
>>555
このサイト

>7-1-2.無差別殺戮(耳塚)
耳塚の話である。文禄の役が失敗に終わった秀吉は激怒し、抵抗の激しかった
所では「皆殺令」を出し、また各将の働きを疑って、敵を殺したら証拠に鼻を
切り落として日本に送れと言う「斬鼻令」を下す。
>  9-1.韓国KBSの大河ドラマ[壬辰倭乱]
秀吉の朝鮮出兵を扱った韓国の大河ドラマ「壬辰倭乱」が1992年に韓国KBSで制作放送され、

という記述があって、ソースの出所が怪しいサイトですなあ、なんだか。
李将軍が沈めた船の数が書かれているけど全部でどれだけの船があり、
の何%だったかが示してあれば分かりやすいのだけどね。
569 :03/03/23 21:38 ID:2f/x9XYF
50隻じゃ10万を越す人員は帰れないぞ(わら
570:03/03/23 21:39 ID:5NhR7K/r
>>567
石田光成は軍政官としては有能だったと思うよ
ただし、大将の器ではなかったね。
大将の器と教養を備えた武将は、あの時期は家康だけだったね。
571 :03/03/23 21:41 ID:2f/x9XYF
>>564
幸州山城は食料目的じゃないよ。挟み撃ちを恐れたんだよ
だから、1日で落城させる事が目的。
別に敗走した訳じゃない。単に1日で落せなかっただけ。
572 :03/03/23 21:41 ID:lujHW2VT
>>563
ワラタ
573 :03/03/23 21:45 ID:+ZaDEyy5
>>566
 お前の脳内歴史は李舜臣だけなのかね?
だとすると朝鮮王の逃亡も李に責任があるな

 それと、>>566の意見のソースを示してくれよ
毎度ご自慢の言いっ放しはなしにしてくれよな。
574 :03/03/23 21:46 ID:lvLoJRzk
まあ李舜臣は名将だろ。
李舜臣以外を相手に戦闘で負けたっていう記述がほとんどない以上、
やはりとんでもない戦上手だったと思われ。

まあ日本の敗因は、総司令部を日本側(名護屋)に置いたこと、兵站線の軽視、
兵の厭戦感情、指揮系統の断絶……もうボロボロ。個々の兵士や小集団がいくら
強くても、こんな軍隊が渡海侵攻・相手国占領なんてできるはずがない。

で、戦闘では負けてないだの、秀吉が死んだから撤退しただけだの、そんな議論に
意味はない。日本は戦略目標(明への侵攻・北京占領)を達成できず、明と朝鮮は
達成した。つまり日本の負け。
575 :03/03/23 21:48 ID:v+VMVBo8
李将軍って、日本側の補給線を断った人だっけ、
たしか、物資輸送の徴用船を沈めたとか聞いたな。

このときに船を沈められた海運業者、
戦後に、朝鮮人捕虜を祖国に送り返す役目も引受けて、
朝鮮国王から感謝状を貰ってたような気がする。
576 :03/03/23 21:50 ID:ObcpPgi8
>>574
おいらもそう思う。
577 :03/03/23 21:50 ID:lvLoJRzk
>>570
まあ戦時の兵站は、軍政じゃなくて軍令の分野に属するからな……。
兵糧輸送のシステムを作ったあたりは評価できるが、日本を出航するまでしか
考えてない(権限がなかっただけかも知れんが)あたりはお粗末としか言いようがない。
578 :03/03/23 21:51 ID:ObcpPgi8
>>574
おいらもそう思う。

第二次世界大戦のイギリスやフランスもポーランド解放を目指していたので
実質的には敗北だね。
579 :03/03/23 21:52 ID:Iv9RLXvA
>>574
おいらもそう思う。

第二次世界大戦のイギリスやフランスもポーランド解放を目指していたので
実質的には敗北だね。
580 :03/03/23 21:56 ID:Iv9RLXvA
二重カキコ
スマヌ・・・
581 :03/03/23 21:57 ID:v+VMVBo8
>>575
あ、これだ、これ。
子孫の人のサイト。
ttp://ww21.tiki.ne.jp/~yamauti/nisinokiya.htm
あー、でもこの人、李将軍の子孫に会えて感激してるわ。

ちなみに、
俺の書き込みには悪意が「ある」ので、
あんまり気にしないでね(w

なんだかんだ言っても、偉大な将軍に間違いない。
582megrim:03/03/23 22:00 ID:eO2EcWGG
>>579
しかし、それを言い出すと「西欧植民地支配の打破」を達成できている以上
無条件降伏しているものの日本が勝ち組みという罠。
かの国の人々は絶対認めたくないだろうねえ。
583574:03/03/23 22:03 ID:lvLoJRzk
>>578-579
それとは違う。
ポーランドがソ連の衛星国化したことは、連合国内部の政略の問題。
当面の敵であるドイツに対しては、その意図を挫くどころか全面降伏
させてるので、イギリスにとってはほとんど完全勝利。
(まあフランスの場合は多分に政治的な勝利だが)
というか英仏とも、対独戦の戦略目標はポーランド解放じゃなくてドイツの
拡大の阻止(究極的にはナチスの殲滅)だと思うが。
584釣られ師@ハン :03/03/23 22:04 ID:EvTt4v9b
【例え話】
李舜臣・・・高校中退後、万引き・カツアゲで学資を貯め苦学の末、司法試験突破!
      人権派弁護士として名を馳せ、全裸道の国会議員となる。
      しかし、サカー日韓戦で勝手に監督就任し、政界追放となる。
石田三成・・・幼稚園児の頃から、九文式塾で神童とよばれ楽々東大文一突破
       旧大蔵省キャリアとしてdd出世。
       政界のドン、田中飛車栄のブレーンとなり、衆議院議員となる。
       しかし、半島へのODA疑惑、飛車栄の娘撒き子との不倫疑惑など
       で反感を買い、加藤清五との「三五抗争」で失脚する。
       
585:03/03/23 23:14 ID:PNh0FE6v
李氏朝鮮の勝利条件が独立の維持だったのだから、勝利条件はクリアしてる。
朝鮮の勝利だ。
明の征服を勝利条件にした日本は、条件設定の時点で負けてる。
もっと、現実的な目標設定が必要だった。

不明なのは明の立場。
属国の支援に立ったわけだから、李朝の独立継続で勝利のはずだが、
財政的な赤字を埋めるには程遠いのではなかろうか。
戦術的な敗北から、日本を攻略するのは不可能と悟ったはずであり、
勝利条件を引上げなかったのは賢明だった。
朝鮮から戦費を徴収することは不可能だ。
なぜ、明は朝鮮に進駐して自国領土に編入しなかったのだろう?

例の法則を知っていた?
586megrim:03/03/23 23:25 ID:eO2EcWGG
>>585
日本の目的が朝鮮制圧だけだったら明は手出しして無いと思われ。
理由は簡単。
明の祖法として「日本には手を出さない」というものがあるから。
明の太祖が遺言として、日本に喧嘩うんじゃねーぞ。と残しているのですよ。
それゆえ、倭寇も取締りを求めているわけですよ。ヘタに取り締まって険悪になると不味いから。

しかし、今回の一件では明らかに日本から仕掛けているので明軍も応戦せざるを得ないというわけだ。
587軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/23 23:25 ID:k2SQ2QD8
なんだ、あの恥知らずまだ偉そうに講釈垂れてるんだ。
588479:03/03/23 23:27 ID:7kDu2v4Q
>>553氏 ありがとうございます。
ただ、これだけでは、別スレの発言の骨子である

1.日本側の資料に信頼できるものはない
 読んだ日本側の資料名になにがあるのか、その相違点はなにかが不明
 むろん、あげていただいたものだけでは判断できない。

2.日本兵が李舜臣数万人殺された
 被害は推定でしかなかったのではないでしょうか。また戦果について具体的に表現して
 いるもの(兵が何人といったような)はわからないのでは?
 (乱中記やチョウヒロクは今本を所有しているわけではありませんので、これは
  不確かですが)
 可能性としてはルイス・フロイスの日本史あたりの記述からと思うのですが、直接
 戦場での死者、兵、非戦闘員問わず合わせて5万が帰れなかったという話だったと
 思います。兵数万とは判断できないとおもうんですが…、にもかかわらず
 >>559みたいに、
 >秀吉軍が1万人以上の死者を出し、脱出した船はわずか50隻と言う大敗を喫した。
 > この記述はなかなか信用できるものですね。
 とか書かれてますし。

 今まで氏から具体的な引用など論拠がまるで出てこないので、何から判断されている
のか聞いてみたいと思っているんですよ。

>>573
おそらく忠武公 ◆Oamxnad08k 氏が別スレに貼ったNAVERの掲示板内書き込みを
ソースにしていると思われます。dat落ちしているのでリンクはれませんが。
589  :03/03/23 23:28 ID:sItYOwsL
>558
ソースプリーズ。
冗談でしたは認めんよw
590:03/03/23 23:29 ID:PNh0FE6v
>>587
は〜い!私のことかね♪初級君
591megrim:03/03/23 23:31 ID:eO2EcWGG
>>590
いや、己のことかもw
592軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/23 23:33 ID:k2SQ2QD8
過去スレ読んでいただければ誰をさす言葉かはすぐにお分かりとなるかと存じます。

で、結局朝鮮出兵=日本の敗北、と仮定した上で、あの恥知らずはなに
を主張したいのか。
593 :03/03/23 23:35 ID:hhc/RXXc
>592
首尾一貫
ウ リ ナ ラ マ ン セ ー
かと。
594コテハン思案中:03/03/23 23:37 ID:+ZaDEyy5
>>590
違うと思われ
>>587>>558に対してでしょ。
595軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/23 23:39 ID:k2SQ2QD8
>>593

では、どのような資料を出して反証を試みても無駄でしょうな。
何せ相手はちょっとした狂信ですから。

596 :03/03/23 23:43 ID:hhc/RXXc
>595
資料を持ち出して検証しても、
「イルボンの資料だから信頼できない」
でしょうし。
万が一、半島サイドの資料を持ち出しても、
「改竄された」とか言い出しそうです。
597megrim:03/03/23 23:43 ID:eO2EcWGG
>>585
スマソ、結論書いてなかったな。
結局、明の立場としては介入したくなかったというのが正直なところだと思う。
んでここに>>586がくるわけだ。

既に落ちたスレで朝鮮征伐の明軍の動向とかについて書かれていたのがあったんだが
確かそれには、明軍の出動は皇帝の命令無視で行われたというのがあったと記憶している。
netomoでもそのことがチャットで出ていたよ。
それ(命令無視)が本当なら、明は太祖の遺言のために事を構えたくなかったといえるだろう。
598:03/03/23 23:44 ID:PNh0FE6v
戦は勝ち負けではないね

双方が勝利条件を満たすかだよ。
双方の敗北も多いし、稀には双方の勝利もあるだろう。

日本の勝利条件が満たされている可能性もある。
秀吉の隠された意図だ。
だが、国家としての勝利条件は明の攻略。達成できなかったのだから敗北さ。

秀吉の心理まで講釈をたれたのは、そこが有るからだよ。
内面的な動機、文化と平和の獲得。そういう意味では豊臣家の滅亡こそあれ、秀吉個人の勝利条件は達成されたので勝利とも言える。
秀吉の人格形成に深く関与した人物、織田信長や千利休。こういった人物まで考えねば、この戦争は理解できんよ。
599a:03/03/23 23:45 ID:yWHvXJA9
>>560
そんなに船ねーよ(藁
600a:03/03/23 23:47 ID:6uJ4YM1m
601軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/23 23:50 ID:k2SQ2QD8
>>ま氏

誤解は解けましたでしょうか?w

>>596
つまり、笑日さん見たいなもので、朝鮮人とは基本的に議論に
ならない。と、いうことなのでしょうね。

電波浴というのは、慣れるまでが大変だ・・・
602:03/03/23 23:50 ID:PNh0FE6v
そういえば、この戦争の重大要素、明国の情報が少ないね。
ヌルハチ率いる北方民族に制圧され、清が成立するのだな。
603忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/23 23:51 ID:mrlL2X3k
日本に李朝水軍ほどの水軍は存在したのでしょうかね?
多分、「存在したけど外洋能力がなかったんだよ」という
言い訳が聞こえそうですがねw
604 :03/03/23 23:54 ID:qHJ15ZBq
>>598
秀吉の勝利条件は満たされなかったが、家康の勝利えの方程式は完成されたのでは?
605megrim:03/03/23 23:59 ID:eO2EcWGG
とりあえずあのヴァカの勘違いは、鮮人お約束の勘違い。
即ち「ウリナラの英雄の功績はウリナラ全体の功績」。
ま、こういう思い込みやってるから犯罪賛美民族になったわけだ(例:安重根)。
606 :03/03/23 23:59 ID:qHJ15ZBq
>>603
また出たよ、お前ホントにアフォだな。
ウリナラマンセーだけじゃなくて、その当時の情勢を客観的に考証してみたら
どうなの?
お前みたいなのが「忠武公」語らない方がいいよ。
607コテハン思案中 :03/03/24 00:02 ID:KqMEGR6D
明ですか、よく北虜南倭っていわれますな
両方に散々苦しめられていました。
最初は元、次は後金等々、おまけに海賊も荒らしまわっていたし
内政は宦官が横暴の限りを尽くしていた。
神宗万暦帝とか昏君が続いていましたし。
内乱も勃発していたはず。

ところで狂信者がきたな(w
放置しますか(ニヤニヤ
608軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/24 00:02 ID:05Su0JxK
>>603

君は本当にバカだな。帝国海軍連合艦隊だって、ある意味沿岸海軍
だよw

ま、海軍航空隊は世界で最初に成立した戦略空軍と言っていい存在
だったがね。
609軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/24 00:05 ID:05Su0JxK
あと、海戦での戦死者が万単位と言うのも眉唾。

当時の船舶に何人乗せられて、何隻沈められたんだ?

たしか上に恥知らずのソース不明な書き込みがあったな。
計算してみようか?
610_:03/03/24 00:06 ID:lYRiQaV5
>>603
朝鮮征伐で散々敗北して、明が来なけりゃやられた水軍を持ち上げてんじゃねえよ。

そういや合同演習の模擬戦で、とてつもない速さで全滅させられたのは、どこの海軍だったけ?
611:03/03/24 00:07 ID:BC3uAk2y
>>604
そうですよね。家康にしてみれば敵失で勝利が近づきましたね。
巧妙に介入を忌避し、勢力の温存に成功しましたね。

秀忠の時代になるかな?
朝鮮との国交回復では、巧妙に立ち回って有利な交渉をしました。
自分は豊臣の敵であり、対等な同盟関係に等しい。
講和は将軍と国王の間のもので、皇室はその上にあるから、李朝と日本の関係は中華秩序ではなく・・・みたいな。
お互いに自国の体面を立てる工作をしていたようですね。
対馬の宗氏なんかは、間に立って書類の偽装をしまくったようです。
資料の信憑性が低いのには、宗氏の偽造が原因に上がりますか?
612「ど」の字:03/03/24 00:11 ID:uRTM1oss
>>603
 電波も大概にしてくれよ。
 戦国の日本は外洋航海の経験が豊富で、遠くタイなどにも渡航して貿易していた。
 当時は国家間の法秩序なんてないから、当然重武装か快速で海賊対策していた。
 針小棒大に書きたてる『現代』の韓国教科書をソースにするな。

 李舜臣が偉大な武将であることを否定はしない。
 彼がなし得た貢献は、日本の補給線に圧力をかけたこと(遮断できたわけではない。念の為)。
 あの劣悪な状態で、それが出来ただけでも絶賛に値するが。しかしそれだけ。
 和睦を破って「後ろから」日本軍を攻撃、それでも日本に撤退を許し、あまつさえ本人は戦死している。
 歴史どころか当時の日本軍の戦略に影響する勝利すら、得られないまま生涯を終えている。


 だいたい、李舜臣プロジェクトとか言って日本海呼称問題で世界にサイバーデモ(テロだこれは)をする朝鮮人、
 李舜臣の功績を時代によって忘れたり誇張したり利用したりする朝鮮人、


 今 の お 前 ら に 李 舜 臣 を 云 々 す る 資 格 が あ る か ?


 半島に帰って、出直して来い!
613 :03/03/24 00:12 ID:Qghr2/Kq
>611
さらに
「彼の国の法則」発動です。
豊臣に石田・島津・小西あたりが被害を受けております。
614 :03/03/24 00:14 ID:sBy5S6Rd
堺→武器弾薬→明→李朝
豊臣家→莫大な食料米→諸大名
秀吉が莫大な金を貯えたのは有名だけど、
もしかして朝鮮への出兵が目的でなくて、
出兵を煽る事で敵味方双方に武器や食料を売りつけるのが目的だったんじゃ。
615 :03/03/24 00:15 ID:sBy5S6Rd
小西の講和だって秀吉は見抜いていたんじゃなかろうか。
秀吉を納得させるのが目的ではなくて、
出兵に従事している諸大名を納得させるのが目的だったのではなかろうか。
616:03/03/24 00:17 ID:BC3uAk2y
そういえば、遠洋海軍の話。
1600年前後に最も洗練されていた遠洋海軍勢力と言えば、カリブ海の海賊ですね♪
銀やエメラルドを送る輸送船は海賊の獲物でした。
たゆまぬ努力の積み重ねで、技術革新が進んでいくのもこの時代からです。

船の後ろにロープで繋いだ樽を流し、抵抗で船の速度を落とす。
後ろに白波が立つので、いかにも全速で進んでいるように見えるが甘い。
夜間にロープを切ると突如増速し、油断している商船に襲い掛かる。
こういった海軍技術は、激変の時代に入るのです。
617 :03/03/24 00:18 ID:+w36UxJH
李 舜 臣
も草葉の陰で泣いてそうなスレだな( ゚Д゚)y─┛
618 :03/03/24 00:20 ID:Qghr2/Kq
李舜臣の和睦破りだけど、
韓国の教科書ではどんな風に書かれているんだろうか。
まあ、「倭軍の裏切り」とか書かれていそうだとは思うが。

まあ、李舜臣自体は良将とは思うが、
ここまで盲目的になっちゃうとねぇ。
619 :03/03/24 00:21 ID:sBy5S6Rd
秀吉が諸大名を弱める目的で出兵したという極論もあるけれど。
少なくとも出兵で豊臣家の台所はむしろ潤ったんじゃないだろうか。
620忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/24 00:21 ID:Hc+8uGDp
>>612
>彼がなし得た貢献は、日本の補給線に圧力をかけたこと(遮断できたわけではない。念の為)。
>あの劣悪な状態で、それが出来ただけでも絶賛に値するが。しかしそれだけ。
>和睦を破って「後ろから」日本軍を攻撃、それでも日本に撤退を許し、あまつさえ本人は戦死している。
>歴史どころか当時の日本軍の戦略に影響する勝利すら、得られないまま生涯を終えている。


日本の兵力(兵士、その他の人員)が受けた莫大な被害を考えると
>日本軍の戦略に影響する勝利すら、得られないまま
はおかしくないですか!?
621軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/24 00:22 ID:05Su0JxK
>>ま氏

いやはや氏の見識感服いたします。HNの通り、初級な上に、戦国
、安土桃山はかなり疎いもので(大汗

ところで、この朝鮮出兵中、亀甲船と大安宅船の砲戦などというのは
発生したのでしょうか?
622 :03/03/24 00:23 ID:L5exEgFB
猿は日本史において最低の評価だね。
人間性もね。まあ唯一、姑息な戦法の才能はあったのだろう。
623 :03/03/24 00:25 ID:sBy5S6Rd
勝とうが負けようが食料米の集積地かつ武器弾薬の製造元である大阪は、
むしろ西国諸大名の犠牲を元にして潤う事になるし、
それならば補給物資も出兵を破綻させない程度に奪われた方が、
逆に都合が良かったんじゃないか。
豊臣家が貯えていた金は実は朝鮮出兵で稼いだものじゃなかろうか。
624:03/03/24 00:27 ID:BC3uAk2y
>>621
朝鮮川の記録にある?大型船は違うと思う。

兵器の性質が違いすぎる。
いうならば・・・・

アッガイでビッグトレーに攻撃を仕掛けるみたいな愚行・・・・

・・・説明にならないか・・・
625_:03/03/24 00:27 ID:lYRiQaV5
>>622
お前、墨俣の一夜城とか、城壁修理の際の世界初業者競合とかも知らんのか?
626479:03/03/24 00:28 ID:BTGT4FKg
>>603
こちらがお聞きしている立場上、忠武公 ◆Oamxnad08k 氏には
きちんとお答えしなくてはいけないような。

水軍とだけいうと何で評価していいのやら。特に朝鮮出兵での李朝水軍の
勝因(と思われる)亀甲船の評価(船上での切り込み戦から、火砲主体の戦闘
への転換)とみるのであれば、1571年の竹生島の浅井攻めではで使われた「囲い舟」から
鉄鋼船までは如何でしょうか。大砲の搭載から相手火力の防御までの条件は備えている
とおもわれますが。1576年の戦いでは毛利水軍の焙烙火矢を受け付けず大勝したとあります。

ただ、何に対しての比較を考えておられるかわかりませんので、”李朝水軍ほど”の
定義をしていただければがんばって調べますけど。

627 :03/03/24 00:28 ID:Qghr2/Kq
>623
それ以前からあったと思われ。
天正17年(1589)に諸大名ならびに公家を集めて
金配りやってるし。
628軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/24 00:28 ID:05Su0JxK
>>620

莫大な損害の詳細とそれを示すソース、提示してもらえます?
629 :03/03/24 00:29 ID:sBy5S6Rd
実際に関ヶ原の戦いの時点まで借金に苦しんだ大名もいたらしい。
借金だって背後に武力の裏付けが無ければ踏み倒されただろう。
つまり借金元の大商人の背後には豊臣家がいたんじゃなかろうか。
豊臣家→食料武器弾薬の供給→大商人→諸大名、明
豊臣家←莫大な金銀←大商人←諸大名、明
630「ど」の字:03/03/24 00:32 ID:uRTM1oss
>>616
 保険もこの頃からイギリスで始まったのでしたね。
 海賊が通過を許可するみかじめ料みたいな形での手形販売で。

>>617
 自分が守った国の有り様を見たら、草葉の陰ですすり泣くどころか大声で号泣しそうだ。
 李舜臣が今を生きていたら、まず「日本から離れて」日本依存を止めさせるだろう。
 少なくとも、捏造の従軍慰安婦や強制連行などで日本を訴えるなど断じてさせまい。

「自分の足で立つ」事の出来なくなった民族が、李舜臣を語るなど……。
 彼の祖国愛からはじまった、苦悩や憤りが、今の朝鮮人にどれだけ理解されている?

 改めて、同じようなことを言わせてもらう。

 今の朝鮮人が李舜臣を語るなど『 十 年 早 い 』んだよ!
631 :03/03/24 00:32 ID:sBy5S6Rd
>>627
朝鮮への出兵で莫大な損害を蒙ったのは、
まず李朝そして西国の諸大名。
西国の諸大名が商人からの借金を踏み倒したなんて聞かないんだよな。
島津あたりだったら武力を背景に平気で踏み倒しそうなものなのに。
632:03/03/24 00:32 ID:BC3uAk2y
>>622
そうか?
もっと奥を見てみなよ。
漏れの目には信長のような人物の影響が見えるが?
秀吉は、魔王信長に魅入られてしまった凡人なのかもね。
633 :03/03/24 00:36 ID:Qghr2/Kq
>631
確かに踏み倒しの実例はあまり聞かないね。
島津だかの長期返済が心には残っているくらいで。
借金の相手も結構重要なのでは?
堺からのみとは限らず、福岡などの九州の港町から借りたと
考えたらどうたろう。
村山等安のように後に処断された豪商もいるし。
そうなると借金は帳消しになるのでは?
堺の豪商自体も取り潰されたのもいそうだし。
ソースがないから説得力無いけど。
634 :03/03/24 00:36 ID:sBy5S6Rd
残っている資料でも秀吉なら実際には明と講和をしていると、
見抜けそうなものなのに小西に騙されたと解釈されている。
実は秀吉、三成、小西ラインが朝鮮出兵の本筋じゃなかろうか。
つまりは他の西国大名は知らず知らずの内に朝鮮出兵をネタに、
豊臣家に毟り取られていたと。
635軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/24 00:39 ID:05Su0JxK
>>ま氏

ううむ、どっちがどっちだか・・・(汗

つまり、巡洋艦VS戦艦というレベルなのか、前ド級戦艦VSド級戦艦
位の差なのか・・・w
636 :03/03/24 00:40 ID:sBy5S6Rd
>>633
むしろ関ヶ原以後に徳川家主体で豪商の弱体化が図られたという。
誰だったか忘れたけれど徳川方で始終行動した豪商は、
逆に取り潰しを免れるどころか役まで貰っている。
朝鮮出兵の借金を棒引きにされることも関ヶ原の餌だったんじゃ。
それなら豊臣子飼いの大名まで平気で裏切った事も説明できる。
637 :03/03/24 00:43 ID:Qghr2/Kq
>636
まあ、関ヶ原の豊臣派武将の東軍所属は、
加藤・福島ら武断派武将と、石田・長束ら文治派との
確執が大きかったと思うが…

その豪商は茶屋四郎次郎かと。
京都御用になってる。
638:03/03/24 00:44 ID:BC3uAk2y
朝鮮での戦争の財政的な面を論じるのに、
千利休と織田信長が仕掛けた、文化バブルを抜かしてはいけない。

茶碗に一国一城の価値を与える、史上空前のバブル。
平和を渇望する戦国の民に、初めて与えられた値付けはこれだった。
戦乱しか知らない日本人の前に現れた、平和と文化の価値観は、命と引き換えにしても良いものだった。
この狂乱の延長上にこの戦争がある。
国家財政の疲弊など、もたらされる文物に比べれば、理性など吹っ飛んでいたのでは?
そう、バブルなのだ。
639「ど」の字:03/03/24 00:51 ID:uRTM1oss
>>620
 早いレス、お疲れ様。

>>日本の兵力(兵士、その他の人員)が受けた莫大な被害を考えると
 >日本軍の戦略に影響する勝利すら、得られないまま
 はおかしくないですか!?

 上のほうでさんざん既出みたいなのですが。
 もしそのような痛打があったなら、戦役参加した諸大名は立ち行かなくなっているはず。
 先にも書きましたが、当時は法秩序など有って無きが如きもの。
 軍の力の裏付けなくして、戦国大名は生きてはいけないわけで。
 ですが、戦役参加の諸大名は、殆どがその後の関ヶ原に元気に参戦していますね。
 日本の一つ一つの藩は思ったほど大きくないのです。
 韓国教科書に書かれた人的損失が事実なら、少なくとも10年やそこらで回復はしないでしょう。
(秀吉の後継政権を執政した石田三成は戦役参加大名の戦費を補填しませんでしたし)


 秀吉の唐入りは、朝鮮が協力を拒否した時点で失敗することが決まっていた戦役でした。
 朝鮮という橋頭堡を安全に使用できない時点で、彼のロジスティクス構想は破綻していたわけです。
 狭い国土を日本と明に踏み荒らされ両班に見捨てられた朝鮮こそ、良い面の皮でした。
 李舜臣の歴史的存在意義は、日本の厭戦気分を広げ、秀吉死後の撤退の流れを作ることでした。
 日本軍は後ろから襲われなくても、朝鮮を再侵攻など考えなかったでしょう。
 その生き様は見上げたものですが、死に様はどう見ても犬死にです。
 彼が生き残っていれば、その後の朝鮮史にどういう功績をしたでしょうか……。
640 :03/03/24 00:53 ID:DPH2FIlU
>>555のHPから。

>このように、回復した日朝関係であるが、拉致された人々の帰還は極めて少なかったと言う。
>「回答兼刷還使」達は、訪日の度に、京都に1ヶ月ほど滞在し、帰還希望者を捜したが、故郷の
>様子を尋ねてくるものはあっても帰還を希望するものは少なかった。
>故郷の疫病や飢饉などによる悲惨な状況を聞き知っていたのであろうと思われる。

ふぅん・・・
641はぽねす ◆BBx90lwzdU :03/03/24 00:55 ID:Gzj1y6Cm
>>640
 どっかで聞いたことがあるような話だ(w
642:03/03/24 00:56 ID:BC3uAk2y
>>640
半世紀前もそうだったな
643  :03/03/24 00:59 ID:oRAh14DZ
倭軍は何で鉄砲も持ってない朝鮮軍に負けたの?
644 :03/03/24 01:00 ID:Qghr2/Kq
そもそも朝鮮出兵で死んだ有力武将って殆どが病没のような。
加藤光泰や島津久保、原田宗時(釜山で病を得て対馬で死去)がそうだし。
人よりも衛生環境が敵だったってことか?
645忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/24 01:02 ID:Hc+8uGDp
>>612
>戦国の日本は外洋航海の経験が豊富で、遠くタイなどにも渡航して貿易していた。
>当時は国家間の法秩序なんてないから、当然重武装か快速で海賊対策していた。

なのになぜ朝鮮の役ではあのような無残な目に??不思議ですね。

646 :03/03/24 01:03 ID:BTGT4FKg
>>645
せめて、レスくらいはよみましょうよ…。
647軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/24 01:04 ID:05Su0JxK
>>645

君は商船船長が軍艦に乗り換えたらすぐ軍艦の艦長になるとでも思っているのか?
648忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/24 01:04 ID:Hc+8uGDp
>>626
>ただ、何に対しての比較を考えておられるかわかりませんので、”李朝水軍ほど”の
>定義をしていただければがんばって調べますけど。

戦いでの強さ、の事ですね。


649 :03/03/24 01:07 ID:Qghr2/Kq
>645
反論する気力も失せるな。自分以外の人のレスも読め。
読んでも自分に都合の良いレスだけつまみ読みは止めろ。

どうして日本と半島では歴史書の内容が違うかというと、
日本…その後徳川氏の政権に。豊臣を悪く書いても構わないので客観的に書ける。
半島…李氏朝鮮のまま。自分の王朝を悪く書けないから勝ったところだけ集めて誇張。
ということになるだろうが。
650忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/24 01:12 ID:Hc+8uGDp
>>649
すいませんね。リロードしてなかっただけですね。
651:03/03/24 01:12 ID:BC3uAk2y
そういえば、日本が梅毒を輸入したのはこの時期らしいね。
朝鮮経由か、南蛮経由か、はたまたポルトガル人が持ち込んだか。
652軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/24 01:14 ID:05Su0JxK
さあて、リロードしたそうだから、各質問の彼の回答が楽しみだ。

真坂世界三大海戦の時のような戯言はないよな?
653忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/24 01:14 ID:Hc+8uGDp
>>649
李朝の記録は、正確に書けるように、王様が
見れないようになっていましたね。信用できる
物ですね
654megrim:03/03/24 01:15 ID:SXwjV0N2
>>650
角膜に写らないように脳内リロードしてないだけだろ?w
655軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/24 01:15 ID:05Su0JxK
>>651

ええと、室町時代の遺跡から発掘された骨から、梅毒病変
が発見されたというのをチラッと見た記憶が・・・
656 :03/03/24 01:18 ID:Qghr2/Kq
>653
その「信用できる」記録を書いたのは誰でしょうか?
民間の歴史学者?それとも王朝に所属する学者?
657megrim:03/03/24 01:19 ID:SXwjV0N2
>>653
王様が見れないのに、朝鮮王朝実録では「燕山君『日記』」てのがあるよねw
658>648:03/03/24 01:20 ID:e4dnH7PL
李舜臣さえいなきゃ鎧袖一触でしたが何か?
659「ど」の字:03/03/24 01:20 ID:uRTM1oss
>>653
 ちょっと待って……。
 当時の李氏朝鮮の両班の腐敗振り、知って書いてますか?
 当時の史書でも、党争の害は凄まじいものがあったんですが。
660軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/24 01:21 ID:05Su0JxK
最高権力者が閲覧できない資料って、なに?
661 :03/03/24 01:29 ID:/BD3RZX6
ていうか朝鮮出兵って海戦で負けてすぐ終わったと思っていた。
教科書じゃそんな感じじゃない?一種の洗脳かな。
そういえば元寇も神風が吹いて助かったとあるけどそもそも
何故元軍は台風が来るのに何日間も上陸せず船の上にいたんだろう。
662 :03/03/24 01:33 ID:hiaNrQOp
あれ、「ど」の字さんも来られましたか・・・
>>639
>その生き様は見上げたものですが、死に様はどう見ても犬死にです。
>彼が生き残っていれば、その後の朝鮮史にどういう功績をしたでしょうか……。

李舜臣の復職を求めた朝臣をして「平時には不要」と評された男です。
また私は李舜臣の出自を疑い、>>500で李舜臣は、元々在野の人(つまりは倭寇)
だったのではないかと提言しました。このスレで支持して下さる方もいらっしゃいました。
しかし、もしこれが事実だったならば、戦後の運命はどうなるか。

狡兎を追える走狗は、哀れ、犬鍋にされるしかありません。

その運命を自覚していたがゆえ、講和成って撤収しつつある日本軍を攻め、
討ち死にしたのかもしれません。
>>500でも申し上げましたが、何となく、楠木正成を想起させるものがあります。
663megrim:03/03/24 01:34 ID:SXwjV0N2
>>653
知ってるかね?
朝鮮王朝実録はお前さんがいうような「王様が見れない」などということは無かったのだよ。
韓国で出版された「朝鮮王朝実録/朴永圭著」では、太祖実録で、こんなのがある。
太祖実録自体は、太祖・李成桂の死後1年足らずで編纂が始まっており、編纂を命じた太宗は
「太祖元年から定宗2年までの記録を史草を提出せよ(期限は命令から2ヵ月後)」と命じている。
国王自ら編纂を奨励しているのに、国王が見れないと思うのかね?

>>656
朝鮮王朝実録編纂は、朝鮮につかえる役人がやってました。
部署は「春秋館」っす。
664釣られ史@ハン板:03/03/24 01:34 ID:eKRgftVk
くどいが、フロイス「日本史」より
「アゴスティーニュは対馬到着後に着いた他の船舶を加え、
700艘を超える大小の船舶を率いて出陣することになった。」

同書訳注に、小西行長7000人、宗義智5000人、松浦鎮信3000人、他有馬大村家含め
合計18700人『毛利家文書』・・・とある。
単純計算で150,000/18,700×700=5,600艘が輸送船団の全てと思われる。
ゆえに、数百艘の損失は問題にならないと言える。(心理面は除く)
665はぽねす ◆BBx90lwzdU :03/03/24 01:35 ID:Gzj1y6Cm
実は明の滅亡の遠因にもなっているんだよねぇ>朝鮮征伐
ある意味、秀吉の目的はかなっているともいえる(w

>>661
橋頭堡が築けなかったから。まぁ、台風はあくまでも追い討ちであって、基本的に幕府軍の勝ち戦。
666「ど」の字:03/03/24 01:37 ID:uRTM1oss
>>661

@上陸地点に石垣が築いてあったから。
A日本軍に度々夜襲されたから。
B南宋兵を中核とした主力軍との合流が出来ていなかったから。
C日本の害虫(蚊など)と疥癬菌(水虫)に負けたから。
D率いる将軍にも蒙古兵にもやる気が無かったから(高麗兵はやる気だったようだが)。

 彼らも上陸したかったろう、信頼の置けない高麗船に乗っていたのだから……。
667661:03/03/24 01:38 ID:/BD3RZX6
>>665
やっぱりそうなの?
でも教科書読んでるだけでは奇跡的に台風のおかげで日本は命拾い
したとしか思えないよな。
668_:03/03/24 01:40 ID:lYRiQaV5
>>661
どんな教科書読んだかは知らないが、
漏れの教科書にはソウルを占領したが、
その後、明に敗北と書いたあったぞ。
元寇も、二回目は幕府軍が防衛ラインを整えていて、
土嚢やら石垣やらで、簡単に上陸できないようにしてたと書いてた。
もっとも、それらの戦費負担を押し付けられたせいで、
武士の不満が高まり、鎌倉幕府が崩壊するんだが。
669 :03/03/24 01:42 ID:Qghr2/Kq
>656
サンクス。役人がやってる以上、王朝の汚点を正確には書けないわな。
民間の学者も、果ては異国の人も書いている日本サイドの資料よりも信頼できるなんて良く言えるな。
670479:03/03/24 01:42 ID:BTGT4FKg
>>648
>戦いでの強さ、の事ですね。

えっと…。わたしの書き方が壊滅的にだめなんかしらん?
強さって、なんの強さですか?
外洋能力が云々とおっしゃっておいでという事は、直接対決して
李朝水軍に勝てる水軍があったか?という事でしょうか。
架空の戦闘の想定ですとあまりに条件が不足していて私の手には
余ります。申し訳ありません。

前提を無視して全日本と全李朝水軍が同条件やりあう、なんて仮定
は意味がないでしょう?>>603のような発言の上に、>>648では
お話がすすみません。実際に勝った勝たないは歴史のとおりです。

どなたかがかかれてましたが、毛利水軍の安宅船と李朝水軍亀甲船の
直接対決、見てみたい気はします。動員兵力で話ににならんか。

671669:03/03/24 01:43 ID:Qghr2/Kq
もとい>663へです。
スマソ。
672megrim:03/03/24 01:46 ID:SXwjV0N2
>>669
ついでに言うと、死んだ国王の側近が編者に任命されることも多々あったようです。
こういうことから「王朝の汚点は記録されにくい」と言えます。

もう一つ付け加えると、先述の朝鮮王朝実録・宣祖実録ではどういうことか
 李 舜 臣 の 最 後 は 記 録 さ れ て い ま せ ん で し た
    民 族 の 英 雄 で あ る は ず な の に

原本丸写しではなく、著者の抜粋翻訳なんで意図的に抜かれた可能性もありますが
あまりにも不名誉な死に様だったので削除された可能性がありますな。
ついでに、亀船は一文字も出てきませんでした。
673 :03/03/24 01:50 ID:Qghr2/Kq
>672
その朝鮮王朝実録・宣祖実録を読んだことないのでわからないのですが、
朝鮮出兵時の平壌陥落や王子差し出し等はどのように書かれているのでしょうか?
674 :03/03/24 01:53 ID:5l9Bwhy9
>>672
あれ、じゃあ >>387のは、宣祖実録からの抜粋じゃないの?
675megrim:03/03/24 01:56 ID:SXwjV0N2
>>673
朝鮮出兵前の秀吉と李朝役人(金誠一ら)の動きはほぼパーヘクトと言ってよい内容です。
戦闘が始まってからですが「民心怨叛し〜」という部分は抜かれていますね。
同じく、王子差出も抜かれています。
平壌陥落は…
「20万の大軍の侵入を受けた朝鮮は、20日後の5月2日に漢陽を明渡してしまった。
以後6月に平壌を渡し、宣祖は義州城に避難した。間も無く朝鮮は全羅道地域と
平安道の一部地域を除いた全地域を日本軍に取られてしまった」
…となっています。
極めて都合の悪い部分が削除されていますが、概ねの流れは書かれています。
676 :03/03/24 01:57 ID:+w36UxJH
>>672
それ両方とも忠武港氏が論拠にしてる資料じゃないんですか?( ゚д゚)ポカーン
677479:03/03/24 02:01 ID:BTGT4FKg
たぶん、書き込みからみると読まれていないのではないかという気が。
間違っていたら突っ込みを入れてください。>忠武公 ◆Oamxnad08k 氏。

>>304 名前:忠武公 ◆Oamxnad08k 投稿日:03/03/22 19:09 ID:OcCVQVNB
宣祖実録、王朝実録、柳成竜懲ひ録、乱中日記などですね
678 :03/03/24 02:01 ID:Qghr2/Kq
>675
かねがねサンクス。
都合の悪いことは書かれていないあたり、
日本でも同政権期間内で書かれた資料と同じと思って良いですね。

忠武公 ◆Oamxnad08kは逃亡した?
679megrim:03/03/24 02:02 ID:SXwjV0N2
>>674
ええと、己が持ち出したのは「朝鮮王朝実録」を一冊に編集したダイレクト版にゃのですよ。
んなもんで、著者の主観がかなーり入っています。

>>387はおそらく、宣祖実録からの抜粋なのは間違いないでしょう。
こちらの著述から朝鮮征伐が本国の(おそらく平衡感覚の正常な人間から)
どう見られているかの一つの指標になるのではないかと思っております。

そういうわけで>>772みたいな書き方。ご容赦を。
680megrim:03/03/24 02:08 ID:SXwjV0N2
ええと、ご存知の方も居られると思いますが一応説明。
基本的に、宣祖実録というのは「朝鮮王朝実録」という李氏朝鮮全体の史書の中の
「宣祖の統治期間を記録したもの」に与えられた名前でありまして…
あのバカチンは別個の存在のように書いていますが、基本的に同じ存在です。
要するに朝鮮王朝実録という大カテゴリの中の、宣祖実録という小カテゴリなのです。
故にきゃつは複数の資料のように書いていますが
数としては一つです。
そのため己は「朝鮮王朝実録・宣祖実録」と書いております。
681 :03/03/24 02:11 ID:Qghr2/Kq
忠武公 ◆Oamxnad08kがソースとして出した文献の内、
宣祖実録・王朝実録は今検証中として、残りのやつも調べてみると、
柳成竜懲ひ緑…時の高官、柳成竜が後世への戒めとしたもの。
乱中日記…李舜臣が書いたもの。
と当事者が書いているものばかりですね。
資料として一番有効なのは客観的視点から書かれたものと思うので、
主観的視点からのみで書かれたものはちと信憑性が…
682 :03/03/24 02:16 ID:cQ5YQQXO
>>681
当事者が書いたものを複数(日朝明三方からだとなお良し)検証すれば、
信憑性は出てくると思われ。つーか歴史検証ってそういうもんだし。
記録を残す人間がニュートラルな立場にいるってことは、あまりないよ。
683662:03/03/24 02:19 ID:mOmeeFLg
>>679
あ、いえいえ、レスどうもありがとうございます m(_ _)
>>387を読み返しましたが、纏めるとこうなりますね。

「先手を取ろうと進出したが、迎撃されて李舜臣は討ち死に。
しかしその死は秘匿され、兵は奮戦。結果、勝利した」

わざと逸話で括っているし、これを読む限り抹消すべき
死に方とも、信じ難い死に方とも思えないですが、
最期には諸説ありますからねぇ・・・
684479:03/03/24 02:20 ID:BTGT4FKg
懲ひ緑については、李朝側の対応の不備、というか李朝側の内情を
悪い点についても書いていて面白いです。例えば、1591年に通信使の
黄ユンギルが御前会議で日本の兵乱を予告したが、副通信使の金誠一が
まったく逆の報告をするなどが書かれています。(政党争い?)
史書間の比較は私ではできませんが、内情を伝えるものとしてはよいかも。

あした、一資料として図書館かどこかで詳しくみてみますね。
685megrim:03/03/24 02:24 ID:SXwjV0N2
ええと、宣祖実録の中に李舜臣の記録が収録されていましたね。
見落としていました、申し訳ありません(汗

概ねの流れは>>558-559であっていますが、
戦果はそこまで細かく記されていないのと
>秀吉軍が1万人以上の死者を出し、脱出した船はわずか50隻と言う大敗を喫した。
>この記述はなかなか信用できるものですね
コレに該当する記述が存在しなかったということですな。
686 :03/03/24 02:24 ID:Qghr2/Kq
>682
ありがとうございます。勉強になります。
そうですよね、100%客観的に書いている歴史書なんて難しいですよね。

687 :03/03/24 02:25 ID:C3D96ivr
41
688 ◆uwlk04X6kM :03/03/24 02:26 ID:aDfrGKNV
朝鮮王朝実録の光海君日記に

「いわゆる火手(銃手)はもとよりわが国の特技ではない。乱(壬辰・丁酉の乱)
を経たのち、唐人(明人)および降倭がはじめて教練したのである」

とあるけど、李舜臣はどこから火砲や技術入手したの?
689きよ:03/03/24 02:27 ID:kvqGnjd4
何かの歴史雑誌でしたが、
日露戦争の対バルチック戦の際、
日本の将校が懐に李舜臣をお守りにして戦いに挑んだそうです。
そのコラムはおそらく、コリア系の執筆だったみたいで、
最後が、“朝鮮を占領しておきながら、朝鮮の軍神まで利用するとはおこがましい”
こんな閉めになってました。

私はこの歴史認識は客観的評価において間違ってると思いました。
なぜなら日本人であるなら、死ぬか否かの時は日本の神に頼るのが自然だからです。
当時の日本高級軍人が“朝鮮人を守り、外圧を跳ね返す”という信義に生きればこそ
外国の神様を懐にいれ得たのだと思います。

690479:03/03/24 02:34 ID:BTGT4FKg
>>688
鉄砲史の宇田川武久氏によれば、ヨーロッパ製火縄銃と伝来した
火縄銃には差異があって、火鋏みの取り付け位置や火蓋等から、
当時の東南アジアで使われていたものが倭寇によって伝来された
可能性があるとどこかで書いていました。

李舜臣が倭寇だという仮定、案外おもしろいかも。
鉄砲に対してまったく無防備だった李朝が、大量の鉄砲を
支給できるとは思えませんし。
691megrim:03/03/24 02:35 ID:SXwjV0N2
>>688
宣祖実録に収録されている李舜臣の記録では、火砲の存在は皆無でした。
使ってたら間違いなく記録されますので、鉄砲や大砲ではなく、火矢が限界かと思います。

読んでいて面白いことがでているんですが
李舜臣、元々は高麗の中郎将・李敦守から続く文班の家柄でその12代目に当たるそうです。
最も、彼の祖父・李百禄は乙卯士禍に巻き込まれ、父・李貞は官職を重視していなかったので
家勢はかなり減衰していたとのこと。
…なんか「食うために軍人になった」という感じがしますな、政変で叩かれた経歴がある辺り。
692はぽねす ◆BBx90lwzdU :03/03/24 02:38 ID:Gzj1y6Cm
>>688
使った使ったといわれているだけで、亀船も火砲も実物はひとつも残ってません。
まぁ、でっち上げはあるんですが。
http://www.clash-j.net/memo/korea02.html
693 :03/03/24 02:41 ID:+w36UxJH
>>691
ますますどこぞの年金提督みたいだ。
694megrim:03/03/24 02:44 ID:SXwjV0N2
とりあえず己は落ちます。
己が参照にしているのは
新潮社 「朝鮮王朝実録」 朴永圭 著 尹叔姫・神田聡 訳  です。
日本語訳されてますんで、図書館や書店で見つかるかもしれません。
695662:03/03/24 03:04 ID:vLK8Jh8Q
>>691
お疲れです。それなりの家柄の出だったのですね。
でもまぁ、勉強は苦手だったらしく武官を志してますから
食うためにもこちらの進路が正解だったでしょうね。
696 :03/03/24 03:27 ID:5ScdArjo
689 :きよ :03/03/24 02:27 ID:kvqGnjd4
何かの歴史雑誌でしたが、
日露戦争の対バルチック戦の際、
日本の将校が懐に李舜臣をお守りにして戦いに挑んだそうです。
そのコラムはおそらく、コリア系の執筆だったみたいで、
----------------------------
その話は、当時の日本人がアジア人と白人の闘いという流れで司馬が書いていた。
安重根だって当時日本を応援していたしね。

問題は、その司馬遼太郎の話がいつの間にか
東 郷 が 李 舜 臣 を 尊 敬 し て い た と い う 捏 造 話
になっている事だね
697megrim:03/03/24 09:22 ID:SXwjV0N2
>>695
そうみたいですねえ。
それでも、武官試験に一度落第していたりしますけど…落馬で。
案外、水軍に回されたのは落馬が原因だったとか(ぇ
698  :03/03/24 12:38 ID:O86S9bx6
>696
安重根が伊藤を襲った理由は、伊藤が明治天皇に不敬な振る舞いをしたから

東郷が尊敬しててもおかしくはないだろう
日本と比較にならない貧弱な装備を個人の能力で補った名将だからな

もっとも司馬遼はあくまで小説家だから全てを鵜呑みにするのはDQN
699 :03/03/24 15:51 ID:at9+l8g+
しし
700再開:03/03/24 16:57 ID:CKOfm5dK
>李の最後の、島津との海戦。
>李も戦争が終わって、海賊に戻るくらいなら、鬼島津に特攻ってか。

凄い亀甲船レスになるけど、李舜臣は完勝・楽勝をイメージしてた。
当時すでに朝鮮水軍は半ば壊滅状態なので、
李舜臣は慶長末期に朝鮮に到着した陳琳指揮下の明水軍に食指を動かす。

結果的に李が講和破りの「玉砕」の相棒に選んだ明の水軍提督陳琳は
戦う気なんて無く小西行長と講和し、日本軍を安全に撤退させると確約して、
行長に自軍の幹部を人質として献上している(当然人質は後に李が海上封鎖した時点で処刑)。

この後、李が陳に接触して「このまま倭の賊どもを無傷で帰しちゃあんた恥でつよ」
「小西の首獲ったらあなたは英雄!」「撤退する戦意の無い連中だから楽勝」と数々の甘言を弄してその気にさせ、
さらに「手柄はすべてあなたに差し上げるから、指揮は土地に明るい私にやらせて」と恐るべきちゃっかり者ぶりも発揮、
菊水特攻ならぬ露梁津へ・・・。

李舜臣としては戦後の自身の地位の保険として小西の首なり、日本からの決定的な大勝利がどうしても必要だったんだろうけど、
死んじまったら意味無いよね。

>>670
>安宅船と李朝水軍亀甲船の直接対決、見てみたい気はします

九鬼の安宅船の発展型鬼宿(日本丸)と亀船は何度も直接対決してるよ。
ちなみに優秀なはずの亀甲船は全滅し後の世に一隻も残らず、
朝鮮戦役で終始、敵方の目標にされていた鬼宿は改修されつつ幕末まで残っていた。
この差は一体なんなのよ?忠武公閣下殿プ
701o:03/03/24 17:46 ID:boiTbfS4
>>689
日露戦時に李舜臣のことを知ってたのは、一部も日本人だけだろうに・・・

まぁ朝鮮人の特徴の「時間軸がめちゃくちゃ」がよくでてて、イイ!!!
702:03/03/24 18:38 ID:i/2wDzmh
李舜臣の部下たちは海賊ですよね。
倭寇への防衛の要素もあったでしょうが、彼ら自身も外では海賊・・・
この時代の海軍って、そんな形式ですよ。

朝鮮では李舜臣を海賊と云うと、侮蔑の意味に捉えられるのかな?
決して侮蔑の意味は無いぞ。
703 :03/03/24 18:44 ID:E275jg7x
>>700
李舜臣については騙したり相手を陥れるような人間ではなかったろう。
ただ中華圏の人間の常として相手を人間扱いしない面はあったかも。
とりあえず立派な人間であった事は確からしい。
そうでなければ特に水軍では部下がついてこなかっただろうから。
704megrim:03/03/24 18:50 ID:SXwjV0N2
>>702
英吉利海軍なんざモロに海賊でしたしなあ。
チョソの感覚では世界史は語れない、と…。
705 :03/03/24 18:51 ID:E275jg7x
それと海賊というのも当たらないような気がする。
三国時代の朝鮮南部に大量の倭人がいたように、
この頃の朝鮮で南岸島嶼部の人達は殆どが秀吉側についたんじゃないか。
いわゆる海賊と呼ばれて蔑まれ続けた人達の事だけど。
706 :03/03/24 18:54 ID:E275jg7x
どうやって水軍の兵隊を徴収したのかも気になるけれど、
どう見ても良民を集めて再訓練した本格的な水軍らしいし、
だからこそ尚更に李舜臣の将軍としての能力が際立つ。
707  :03/03/24 18:55 ID:O86S9bx6
>700
なんで? 
日本の戦国時代の名言に「武士の嘘は武略と言う」というのがあるよ
たとえば、秀吉が毛利と和を結んだ中国大返しのとき
毛利は撤退する秀吉を追撃しようとしている

朝鮮人の特徴としても逃げる相手には徹底して残虐に振舞うのは普通だろ
和を結んだ相手をだまし討ちしても、李舜臣としては当然のことだろう

708 :03/03/24 19:00 ID:E275jg7x
なんか小西と明とで出来レースになっているような・・・・・
結局は李朝も加藤も島津も騙されて踊ってただけなんじゃ・・・・・
709忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/24 19:10 ID:Hc+8uGDp
李舜臣がいたからこそ、秀吉の野望は失敗しましたね。
補給が困難になっていた事を考えれば、明軍が
いなくとも朝鮮が勝利していたでしょうね。陸上で明軍に
助けられただろう?という意見もありますが、明の援軍が
期待できないという国家情勢だったら、朝鮮は国防を十分に
備え、侍の進撃を防いだでしょうね。
710megrim:03/03/24 19:13 ID:SXwjV0N2
>>709
>明の援軍が期待できないという国家情勢だったら、朝鮮は国防を十分に
>備え、侍の進撃を防いだでしょうね。
極めて無意味な仮定だな、期待どころか頼りきっていたからこうなったんだろ。

それで、朝鮮王朝実録が国王が閲覧できないというソースはどこだ?
1万人以上の死者を出したというソースはどこだ?
お前は妄想垂れ流しにするだけの人口無能だな。
711megrim:03/03/24 19:18 ID:SXwjV0N2
>>707
「朝鮮人として」は騙し討ちは当然だろうな。自慢するほどだし。
和議を結んだ上での騙し討ちなど「武士の嘘は武略」にも入らんよ。
それに「しようとした」と「実行した」とでは、天地ほどの差があるぞ。
712:03/03/24 19:22 ID:i/2wDzmh
>>709
それは史実から云っても無理でしょう。
明軍も全てが死んだわけではないにせよ、薩摩郡に逆包囲されて壊滅。
組織的な行動はしばらく取れない状態があったのです。
歴史にIFはありませんが、史実を重視したほうがいいですよ。
713いつもの名無しさん:03/03/24 19:26 ID:wR6zXQPw
>>711
コシャマインとかシャクシャインに対して
同じことをお侍がしとりまつ。
鮮人かどうかは関係ないと思われ。
714駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/24 19:26 ID:B9b+3XjL
>>709
ちょいと茶々入れ。
当時の石高から考えて、朝鮮が日本の侵攻を防ぐほどの兵備を
養えるとは、とても思えないのだが。
715megrim:03/03/24 19:31 ID:SXwjV0N2
>>713
おや、さいですたか。
調べが足りんかったようで。

とりあえず忠武公 ◆Oamxnad08k が
当事者の記した日記や記録が「信用できる」というソースを何時出すのかが楽しみですな。
716 :03/03/24 19:43 ID:AL7AQIwn
> 忠武公

今まで 見てると 君は結構 冷静だ
偏屈で 頑固だが・・・

李舜臣が 名将だった事も
日本が 負けた事も 大体の 日本人が 認めてる。

しかし 日本の敗戦を 全てを 朝鮮の優位に
結びつけるのは どうかと思うぞ

首都落とされて 母国を蹂躙されたのだから
んで 民衆も一部 それに 協力
もう 国家として 死んでるも同然だろ

仮定の話は 想像するのは勝手だが
ここで 意味ないだろ
実際に 明の援軍が なければ 撃退できなかったのは史実だ。

元寇でも 日本が撃退したが
元より 日本の方が 強かったなんて 誰も思ってないぞ
日本人は
717700:03/03/24 19:53 ID:RGRtwMza
>>707
ハァ?
「騙まし討ち」までして勝とうとして、結局逆アップ喰らって死んじゃったと書いただけで、
別に「だまし討ちしたから悪い」なんて書いてないだろ。
そりゃ李舜臣にすれば、再征されんためにも一兵でも多く日本兵を殺しておきたかったことだろうよ。
718釣られ氏@ハン板:03/03/24 20:09 ID:9ZekR3Ho
>>555
>>558
>>559
中部港氏ご推薦の年表を、よく読んでみると・・・・・・アレッ
講和成立前は、MAX100隻撃破
講和成立後、朝鮮王未公認の露梁海戦で突如として450隻の世界最高記録!(w
胡散くせーなあ・・・・・・
どう考えても公式記録は講和までで、露梁海戦の戦果は民間伝承じゃねえのかい?
マユツバものだな。450隻撃破は。捏造した!ととられても反論できまい。

719:03/03/24 20:13 ID:i/2wDzmh
倭寇が全て海外から来るというのも嘘だね。
海賊はお互いに沿岸を荒らし、朝鮮の『倭寇』は中国の沿岸を荒らしまわったが史実。
貿易できなければ略奪するのが、当時の略奪貿易のスタイル。
秀吉に従った倭寇たちのうち、朝鮮の倭寇はどれぐらい居ただろうか?
久島水軍が陸兵に使われたように、水軍の待遇は悪かったと思われる。
李舜臣が海軍の再編を急いだとて、錬度の高い水夫や士官は簡単に育成できない。
それも劣勢のゲリラ戦とあらば要求水準は最高レベルが必要。
豊臣方につくか、中立を保っていた海賊を説得し、味方に引き入れたと考えるのが妥当だろう。
その意味で、李舜臣はカリスマのある、英雄的人物だったといえる。

李舜臣自身、撤退する船団への攻撃を成功させ、政府内で確固たる地位を確保したかっただろう。
戦争が終われば軍人の出世は停まるし、海賊は討伐される立場に転落する。
講和後の攻撃では、彼らの突き上げが有ったとも考えるのが自然だろう。
720479:03/03/24 20:16 ID:3V/qkGCg
>>709
それはむりでしょう。
始まったと同時に、朝鮮は明に救援を依頼してますし。

明兵部内でも、門庭をかたむるべきという意見で朝鮮援助を
皇帝に進言してますが、最初は朝鮮が日本といっしょに攻めてくるの
ではなどど疑われたようですが。



721:03/03/24 20:26 ID:i/2wDzmh
まとめてみようか

・講和後の襲撃は戦略としては有効だ。
・襲撃の戦果は誇大に報告されている。
・政府を無視して交渉し、明の海軍と合同
・李舜臣海軍の実体は倭寇の集団
・戦闘で李舜臣は戦死
・襲撃で日本軍に被害が出たが、壊滅は出来なかった。
・これ以降、撤退船団への大規模攻撃は無い。
722707:03/03/24 20:29 ID:O86S9bx6
お詫びと訂正
RGRtwMza さん ごめんなさい 

707は703へのレスです  申し訳ないです
723700:03/03/24 20:32 ID:zdL8twXY
そうでしたか。了解すますた。
724釣られ氏@ハン板:03/03/24 20:38 ID:9ZekR3Ho
>>721
禿げしく同意。中部港氏も論理的な説得力ある反論が出来ないようですから。
李舜臣は禿げしくがんがった、脇役というところでしょうか。

関が原に島津義弘は1000名ほどで、参戦していますが
全員、脱藩のボランティアらしいです。
あの海戦は屁でもなかったようです。

それよりも、黒田如水・小早川隆景・暗黒寺え刑・伊達政宗等々
オールスターキャストで『船頭多くして、船山を登る』の感ありです。
家康クラスが半島に常駐しないとどうにもならなかったでしょう。
贅沢な悩みだな。
725:03/03/24 20:43 ID:i/2wDzmh
>>720
明の危惧は妥当ですよね。
秀吉は朝鮮を攻略してもいないのに明を攻略すると公言しています。
常識で考えれば裏がありそうです。
朝鮮が日本の上陸に狼狽して、日本軍の通過と兵站を許可する危険がありました。
また、日本が有利と見れば、積極的に援軍しかねません。

これは今の世界でも難しいことなのですが、
他国の指導者がどのような思想的背景をもち、
どのような心理状態で居るのか把握すること、
これはきわめて重要なことですよね。

明の官僚は秀吉の心理を読み違え、無価値な戦争の開始を阻止できなかったのです。
(無価値、というのは明の国益にとって無価値という意味)
726 :03/03/24 20:46 ID:Yq5UWx7L
戦争のプロが戦争のプロを率いて勝利するよりも、
戦争のプロが一般人を率いて戦争に勝利する方が、
遥かに難しいし人間性が表に出ると思う。
727 :03/03/24 20:54 ID:Yq5UWx7L
李舜臣倭寇説まで飛び出しているけれど、
元均のような李朝側の将軍が理由無く毛嫌いしたり、
壬辰の役後に御役御免とばかりに切られていたり、
確かに李朝の待遇は不可解な事が多い。
728 :03/03/24 20:59 ID:Yq5UWx7L
彼の日記を見ても、
当時の戦況の中で母親を気遣う文章や、
純粋に戦争に関わる記述はあっても、
戦争にいたるまでの自らの境遇を想起させるような記述は、
余り見られない。
壬辰以後はあっても以前が無い。
729  :03/03/24 21:02 ID:O86S9bx6
>724
関が原と島津は置いといて(ぜひ日本史板へ)

オールスターキャストが半島へ参戦について
彼らは一度に渡海したわけではなく何度かに分かれて渡海しており
戦闘の間に石田三成をはじめ豊臣家の重臣が往来を繰り返しています

また、秀吉に半島から耳を送れと命令され速やかに大量の耳を送ったり、
回春の秘薬としてトラの肉を送ったりと好き勝手に物資のやり取りをしています

史実を見る限り日本が制海権を失ったことはないようです。

家康が総大将なら〜 この点も板違いの話題なのでぜひ日本史板へ
730:03/03/24 21:02 ID:i/2wDzmh
>>726
命知らずの倭寇たちが、命を預けるに値する人物だったのだね。
だとすると、李舜臣はとんでもない英雄だ。

李舜臣が戦死すると彼らとの絆は切れ、政府の海賊狩りが始まるに及んで、倭寇たちは元のように散っていった。
後には船も武器も熟練した海の男も残らなかった。
李舜臣は無害な英雄に祭り上げられ、忘れ去られた。

そして全てが終わった。というのは安易な物語かな?
731釣られ釣られてハン万年@ハン板:03/03/24 21:03 ID:9ZekR3Ho
>>727
源義経もそうだけどミステリアスな部分があるから英雄伝説なわけで。
俺は李舜臣はたいしてスキじゃない。
>>724
関が原の義弘公の千人は、露梁津の生き残り・・・・

だといいね忠武公タン♥
732:03/03/24 21:10 ID:i/2wDzmh
李舜臣自身が倭寇と言う事は有り得ない。
彼は国王の命令でも拒絶するような、過剰に硬骨の軍人だ。

だが、彼の配下の海軍は倭寇と考えるべき。
根拠は、
・中央政府が所有しない銃器を運用
・沿岸部のゲリラ戦経験値の高さ
・短期間で艦隊を再建したのは、建造ではなく既存の軍船を調達
・戦後の消滅

こんな事が挙げられる。
李舜臣自身、艦隊の建造運営資金を倭寇の黙認で捻出していたと考えるのが妥当では?
艦隊の建造費用はどこから出てきたのか?謎でしょ?
733megrim:03/03/24 21:15 ID:SXwjV0N2
ということで、このスレは
中部港タンの当て逃げをするーしつつ、資料検証やらを行う場となりました。
以後、きゃつの発言はソース/論拠提示以外は耳日曜日で…。

李舜臣の経歴見てると、手勢の数的能力的限界は流石にきっちり見極めてるね〜。

造山堡の万戸に任じられた時代に中央から
「国防強化の為に軍士をさらに送るように」と命令を受けているんだが、
これ以上送ると野人(山賊や海賊の類か?)たちの侵入を防げないという理由で送らなかった。

現場の人間らしく、現場優先だったわけだが、コレが原因で問責され挙句解任。
白衣従軍を言い渡されています。
柳成龍らの推薦を受けて復職・出世して全羅左道水軍節度使になるのは8年後。
734 :03/03/24 21:15 ID:Yq5UWx7L
31歳で武科に合格って、
当時の平均的な出世なんだろうか。
それにしても謎が多い。
戦争後にも元均の方が扱いが上のように見えるあたり、
あるいは補給の横取りにしたって、
中央の協力が無ければ出来ないような気も。
李舜臣自体が明らかに元均に対しては強気に出れなかったあたりも。
735megrim:03/03/24 21:20 ID:SXwjV0N2
>>734
平均的…といえるのかな?
27の時に武人選抜試験の訓練院別科に応試して、落馬が原因で試験に落ちてる。
んで、31で弐年武科の兵科で合格、と。
一度落第してるんで、一歩立ち遅れの感じもします…官位剥奪もうけてるし。
736北条時々@ハン板:03/03/24 21:21 ID:RpQmdHsA
>>729
司馬Ryoーの小説で、黒田如水と誰かが
朝鮮の陣屋で碁を打っていて
石田3成に説教されるシーンがありました。

おい3なり!クアンピョウエさまになんてことを!!!
反省シル!!!
737 :03/03/24 21:22 ID:TY7ymDoN
雑賀衆と思しき「サヤカ」が朝鮮側についたというのも、李舜臣のつてなのかも知れないな。
雑賀衆は一向宗がらみで織豊政権と不仲だし、火薬の原料である硝石調達の関係上、
海上交易の舞台で倭寇との繋がりも深かった可能性がある。
雑賀の正しい読み方が「さいか」である事、
豊臣家と不穏な関係だった事、
雑賀孫一の晩年の足取りが不明である事などから降倭となった可能性が高いとは思っていたが、
今ひとつ「日本を捨てて朝鮮に加勢する動機」に欠けるのが理解出来なかった。
しかし、李舜臣が倭寇だとすれば問題の動機が強化されそうだ。
738:03/03/24 21:34 ID:i/2wDzmh
国土防衛戦争であっても、戦争なら必ず主計官が財務を掌握するはず。
しかし、資料が無いね・・・
今日、国会図書館で探し物をした途中、李朝の官報を見てきた。
日本が併合を前提に政治介入していた時期だから、徐々に形式が整えられて1年後には日本の官報と同じフォーマットになっている。
現地で活字や近代的な印刷機を確保した係官の苦労が偲ばれる。
でもって、急激に近代化する官報でも、最初数号は李朝の行政情報についての参考になるわけだ。
恐ろしく情報量が少ない。
旧型の活字が大きいこともあるが、政府としての機能が立ち遅れており、政府の処理発信する情報量自体が絶望的に少ない。つーか、それ以前は無い。
あくまでも印象に過ぎないが、李朝の政治体制をかきまみるには十分だろう。
国会図書館の5階にあるから、暇があったら是非立ち寄るといいぞ。
739釣られ氏@ハン板:03/03/24 21:35 ID:usxoYzAM
>>737
「サヤカ」は市井紗耶香のなれの果てではないか?
とモーヲタ風駄洒落を言いつつ、切支丹・元一向宗門徒の
可能性も否定できない。
740479:03/03/24 21:37 ID:Lm+BZt8l
朝鮮川の鉄砲についてなかったという話がでていましたが、
チョウヒロクに大将軍砲や地・玄字銃筒、長片箭や飛撃震天雷という呼称が
でてくるのですが、これは鉄砲、大砲とは違う物でしょうか。

震天雷は火砲匠の李長孫が開発したもので、宣祖25年9月7日の慶州の戦いで
使用されたとあります。
記述では、大椀口(大砲?)で炸裂弾を打ち出すもので、着弾後鉄片を火薬で
撒き散らすとあるのですが。


741479:03/03/24 21:41 ID:Lm+BZt8l
乱中日記にも1597年の鳴梁の海戦の部分に、

倭賊の気勢は大いにくじけ、わが水軍は一斉に勝どきをあげ、斉進しておのおの
地字銃筒や玄字銃筒を放った。砲声は河岳を震わせ、雨のごとく矢を放ち、
賊船三十一隻を撃破した。

ともあります。
742忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/24 21:43 ID:Hc+8uGDp
>倭賊の気勢は大いにくじけ、わが水軍は一斉に勝どきをあげ、斉進しておのおの
>地字銃筒や玄字銃筒を放った。砲声は河岳を震わせ、雨のごとく矢を放ち、
>賊船三十一隻を撃破した。

韓国では歴史に残る大勝利と言われていますね。
743忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/24 21:44 ID:Hc+8uGDp
最後の海戦の日本の被害は200隻ぐらいという説もありますね。
いろんな説があるようですね。何で見たかは忘れてしまいましたが。
それでも凄い被害ですね。
その被害を受けたのも島津ではなく、小西行長をを助けに来た
小西軍所属の水軍と言う方が信憑性がありますね。
島津は輸送船団を持っていなかったからですね。
それに、撤退命令もでて、食糧難で、戦いに疲れ、そして恐れていた
島津軍が上部の撤退命令を破ってまで戦いに参加しますか?
島津軍は日本本土から到着した島津船団に乗ってそのまま
帰っただけです。明軍と四川で戦ったというのも嘘です。
城に篭って救援を待っていただけですね。
小西船団は島津船団よりも航海術に優れ、島津船団よりも
四日ぐらい早く到着していましたしね。
迎えに来た小西船団は20000人300隻ぐらいだったといわれています。
日本の記録、西征日記には700隻とありますが
戦死者が多くて必要な位の 水夫を手に入りにくかったので、 300隻
ぐらいだったと考える学者が多いです。
日本の記録は差が激しいです。朝鮮の記録の方が信用に値します。
744 :03/03/24 21:44 ID:TY7ymDoN
>>740
それらは明朝オリジナルの火砲だな。
745忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/24 21:44 ID:Hc+8uGDp
小西水軍は海戦に散々に敗れて、機動性を生かして逃亡を
始めます。それを追いかける途中流れ弾で戦士します。
この海戦で朝鮮水軍がいままでに無い被害を受けたのは、
最後の海戦で日本の攻撃が強かったのは、
できるだけ殲滅をしようとしたため、深追いしたためでしょうね。
時間、場所が日本に運良く動いたという理由もありますね
その後李舜臣を運悪く失った朝鮮水軍は日本船団への攻撃を
やめましたね。
746忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/24 21:49 ID:Hc+8uGDp
小西水軍は海戦に散々に敗れて、機動性を生かして逃亡を
始めます。それを追いかける途中流れ弾で戦士します。
この海戦で朝鮮水軍がいままでに無い被害を受けたのは、
訂正

小西水軍は海戦に散々に敗れて、機動性を生かして逃亡を
始めます。それを追いかける途中李舜臣は流れ弾で戦士します。
この海戦で朝鮮水軍がいままでに無い被害を受けたのは
できるだけ殲滅をしようとしたため、深追いしたからでしょうね。
時間、場所が日本に運良く動いたという理由もありますね
その後李舜臣を運悪く失った朝鮮水軍は日本船団への攻撃を
やめましたね。


747軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/24 21:49 ID:YpdaWM63
あ、すでに独り言放置に入ったんですね よかった
748:03/03/24 21:53 ID:i/2wDzmh
李舜臣自身は正規軍の軍人です。
ところで、亀甲船その他軍船が使う火薬は、密貿易無しには入手困難なアイテム。
李舜臣の艦隊が、これらを多量に入手して十分な訓練を行っていたとすると、やはり倭寇なのではと思うのです。
雑賀衆との接点は資料にありませんが、武器交易の上得意だった可能性はありますね。
16世紀の海賊海軍の常として、近隣海賊との抗争があります。
手っ取り早い略奪先でもありますしね♪
李舜臣が頑固なだけの人物ではなく、海賊以上に抜け目の無い人物だったとすると、元均らの同僚ともひと悶着あります。
彼自身が望まなくても、倭寇たちが騒ぎを起こすたびに駆け回る羽目になるでしょう。
同僚の提督たちが李舜臣ほどに倭寇を活用していない、『真面目な』軍人だったとすると、李舜臣の評判は悪かったでしょうね。
尻尾を捕まえて軍法会議に送りたい奴だったかも?
749POS:03/03/24 21:58 ID:Qhqkfow9
>>740
榴霰弾が開発されたのが1803年だからなぁ・・・・・・・
大砲から撃ったのではないのでは?
例えば投石器で爆弾を投げるとか。
750megrim:03/03/24 22:00 ID:SXwjV0N2
検証資料が宣祖実録や乱中日記ばっかなので、燃料投下。
当時の記録として取り上げられるのは…
金誠一:鶴峯集
李恒福:白沙集
李廷馥:旧留斉集
みな朝鮮の人間だが、幅が広がる意味では参考になるかと。
751:03/03/24 22:00 ID:i/2wDzmh
>>741
資料で確認しないといけないのでしょうが、いずれにせよ小銃ではないですね。
遠距離から狙撃するような兵器ではないです。
752  :03/03/24 22:06 ID:O86S9bx6
>741
鉄砲ですが明や李朝では量産されてなかったようです
単品で有った可能性は高いです。

火砲についてですが、中国はかなり昔から火薬を戦に使っています
元は鉄砲(手投げ弾)を使いましたし、明は大砲(臼砲)使っていました
日本でも戦国期の海戦ではホウラクという手投げ弾がありました

海戦で火砲によって日本が負けたとか李朝に火砲が豊富にあったとかは嘘ですが
まッたく持ってなかったとも言いがたいところもあります

これは日本でも大筒という大砲がありましたが実戦で使えなかったのと一緒です
有名なのは関が原で石田家の大筒が使われたと記録されてますが
景気付け以上のものではありませんでした
753megrim:03/03/24 22:08 ID:SXwjV0N2
>>749
投石機で爆弾投げ込むのは、投石という形式ですがフビライによる襄樊攻囲戦で実践されてるので可能でしょう。
問題は、朝鮮に人力式にせよカウンタウエイト式にせよ、造れる人物がいたかですな。
754軍事板住人@初級 ◆9Wkx2Ve.ik :03/03/24 22:10 ID:YpdaWM63
本朝でまともな大砲の運用を行ったのは、たしか大阪攻めの時だったような。

この頃の海戦における砲撃戦は一体どういうものだったのだろう?
ああ、遺憾ながら勉強不足。まさか公算射撃じゃないだろうし。
755479:03/03/24 22:15 ID:Lm+BZt8l
>>749
あ、よく読むと『十数日後の夜、人を忍び込ませ飛撃震天雷を城中に
発射したところ、客舎の中に落ちた』とありますから、隠れて持ち運べる
レベル≠大砲みたいですね。申し訳ありません。

一言だけ書かせてください。
>>743 引用や参考はともかく、意見まで含めてのコピペはやめ
ましょうよ。リンクを貼ればすむことですし。
756POS:03/03/24 22:18 ID:Qhqkfow9
>>753
巨大な弩の可能性もあるかも。
投石器は、設計図さえ確保されていたら何とかなりそうだが。
757 :03/03/24 22:20 ID:gOSuLRrZ
>753
一応、半島の火薬技術に関しては、14世紀に崔茂宣、崔海山親子が元から獲り入れているようです。
ちょうど高麗末期と被って、高麗では倭寇を撃退するのに使ったようです。
李氏朝鮮では武器としての火薬はかなり無視されたようで、衰えたとのこと。
一応文献は残っているものの、実戦的な武器としては疑問符ってのが当時の火薬技術じゃないでしょうか。
758POS:03/03/24 22:23 ID:Qhqkfow9
>>753
飛撃震天雷という漢字のイメージからだとロケット兵器かな?
759megrim:03/03/24 22:25 ID:SXwjV0N2
>>756
可能性としては弩(諸葛孔明の連弩?)のほうが大きそうですな。
設計図が確保できてても、サイズと性能の問題があります。
人力式だと重さ10Kgを150m飛ばすのに100名必要だったとか。
陸上ならいざ知らず、船上での運用は困難かと。
760 :03/03/24 22:30 ID:gOSuLRrZ
>758
元寇の時に、「震天雷」なる武器が活躍しています。
どうもロケット砲みたいに発射するか投げる武器だったようです。
ちなみに大砲は「回々砲」と呼ばれていたようです。
となると、元寇の時にフビライの手先として動き回った朝鮮ですから、
一基くらいは残っている可能性はありますな。
まあ、使いこなしたとは思えませんがw
761開戦前の勝手な想像です♪:03/03/24 22:32 ID:i/2wDzmh
『李舜臣についてどう思います?』  (想像)

「李舜臣?誰?」
「軍人のくせして海賊の頭目じゃないか!」
「あいつは俺の命令を無視した」
「立派な万戸長でしたよ、ハイ」
「捜査中だ。答えられない」
「苦労して引上げてやったのに恩知らずめ」
「あいつ、試験に落ちて浪人してたんだぜ。プッ」
「親分のことを悪く言うんじゃねぇ!」
「※○×△□」←言語不明
「国王に逆らう謀反人ですな」
「怪我して逃げたあの男か」
「水軍の武将でしょ?」
「毎度御贔屓に与っております」
「ヤツの部下が村を襲ったんだ!ヤツのせいだ!」
「乗馬は下手だね」
「この予算どこから?」
「あの人になら付いて行けるな・・」
762忠武公 ◆Oamxnad08k :03/03/24 22:32 ID:Hc+8uGDp
忠武公李舜臣が陸上で指揮をしていたらどうなっていたか・・。
海上での活躍を考えるときっと日本武将並みか、それ以上の
活躍をしたと考えられますね。多くの義兵を率いて。
7635時まで男:03/03/24 22:35 ID:nuqywype
>>703
でもね明軍で講和後に日本軍を襲う奴なんていなかったのよこれが。
といってもこれには訳があって、
慶長の役では明の陸戦部隊は何回か大攻勢をかけたものの、
その都度守りを固めた日本の各軍に逆襲され大損害を出していた。
末期には明の陸将が戦場で日本の各武将と講和を結び撤退するなんて例もあった。
それだけ(陸上での)日本軍の強さを学習していたからだまし討ちなんて面倒なことなんてせずに、
「ラッキー。撤退するなら、さっさと撤退してくれ。俺達もこれで故郷に帰れる」って感じでほうっておいたわけ。

李舜臣の悲劇は「必死で戦う日本軍」の怖さを知らなかったってことかな。
764 :03/03/24 22:39 ID:gOSuLRrZ
>762
「多くの義兵」に無理がある。民衆が王子2人を差し出すような環境じゃ。
それに海戦と陸戦を同じに考えるのもどうかと。
無理を通り越して無茶無謀。
7655時まで男:03/03/24 22:42 ID:nuqywype
>>522で紹介されている
>特製の大砲三門が備えられており、両舷の壁には円形と三角形の窓があり、
>ここから長銃を出して射撃するようになっている。

この大砲ってどんなものだったんだろう。
一応長銃とは区別しているからでかい火縄銃ではないようだが。
766 ◆tsGpSwX8mo :03/03/24 22:45 ID:aDfrGKNV
李舜臣は陸上だと無名のまま終わったんじゃない。
陸上での李舜臣の戦績は負けてばかりだし。
罷免や左遷、死罪寸前までいって一兵卒まで落ちてるし。
767megrim:03/03/24 22:47 ID:SXwjV0N2
>>760
いやぁ、手先になったのは高麗ですし、崇儒尊文の李氏朝鮮では残ってない可能性大かと。

因みに「回回砲」は「イスラムの砲」という意味だそうです。
「かいかい」ざなくて「フイフイ」と読むそうでつ。別名「襄陽砲」使われた地名ですな。
768:03/03/24 22:49 ID:i/2wDzmh
李朝の上層部にしてみれば、前々から命令無視の前科がある李舜臣が命令無視で戦死してくれたのはもっけの幸い。
(もしくは、謀略が大当たりした・・)
停戦が破れないように各方面へ根回しを行って、李舜臣海軍の解体に着手したのではなかろうか。
彼が生き延びれば相応の位階に進めて、彼の海軍も政府が公認せねばならないが、これが勝手に消滅してくれたのだ。
祝杯を上げたかったのでは?
死んだ英雄ならいくらでも利用できる。首相にまで格上げして宣伝に使った。
769 :03/03/24 22:52 ID:gOSuLRrZ
>767
まあ、残っていたとしても「何これ?蛮夷のモノはわからん」で済まして放置ってのが想像できますがw
襄陽で使われたってことは、フビライによる南宋攻略戦でですか?

ちなみに震天雷は日本で言う「てつはう」らしいです。
鉄製の御椀に火薬を詰め込んで投げつける、そうです。
結局は崔茂宣の頃から進歩していないってことですかね。
770megrim:03/03/24 22:56 ID:SXwjV0N2
>>769
うぃです、襄陽・樊城攻囲戦のツメで使われました。
もっとも、使用された砲弾は「ギリシアの火」ではなく石弾だったそうですが、城壁に2m近い穴をうがった折り紙つき。

とすると、火薬技術は高麗時代と変わらない。或は最悪退化しているということですな。
771ちゅーごく人:03/03/24 23:01 ID:+dhq+UaD
李舜臣って赤マフラーだったりして
772 :03/03/24 23:04 ID:gOSuLRrZ
>770
結局のところ、確固たる武器の進歩が見られないので「飛檄」なる誇大冠詞が付くんでしょうね。
要するに元宗主国の元がもたらしてくれた武器をそのまま使用ってのが実際っぽいですね。
震天雷を使ってゲリラ活動していたってのが事実でしょうか。
773:03/03/24 23:07 ID:i/2wDzmh
>>765
狭い室内で先込め式の砲を運用するのですから、短い筒の大砲です。
長い砲身で、発射の衝撃で台車が後退する形式は、英仏抗争の前ぐらいまで出現しませんから、大砲は台車に乗せて半固定です。

ここで大航海時代の帆船の大砲弾について
16世紀の大砲は丸い鉄球です。
これだけでは船舶への破壊能力に欠けるため、予め焼いて赤熱させた弾丸を利用しました。
破壊するだけでなく、めり込んだ弾丸が火災を誘発したのです。
鉄製の半球の中に鎖で連結した鉄球をいれ、これも赤熱して撃ちました。
帆船のセールに絡み付いて折り、同時に火災を起こします。
鏃や鉄片を混ぜたショットガン状のものも使用されたと考えられます。
また、ギリシア火と呼ばれた火炎放射器も西洋では一般的でした。使用された可能性は高いです。
後年、大阪城への陸上砲撃では焼け球が使われていた(出典忘れ)ので、この時代には使っているでしょう。
774 ◆tsGpSwX8mo :03/03/24 23:10 ID:aDfrGKNV
http://www.geocities.com/naverchat/Hideyoshi01/index_files/7963.jpg
神機箭 1448年(世宗 30年) 高麗末期に崔茂宣が火薬国で製造したロケット型火器(火器)である鋳貨
(走火)を改良して名付けたことで代わり記伝(大神機箭), 酸化神機箭(散火神機箭), 重臣記伝(中神
機箭), 所信記伝(小神機箭) などの多くの種類がある. 兵器図説に記録された神機箭に関する内容は世
界で一番古いロケット兵器の記録だ

NEVERで韓国人が出してたものです。
壬辰の乱当時倭軍をかなり屠殺した武器だそうです。
775POS:03/03/24 23:20 ID:Qhqkfow9
>>774
そこに出てる多連装タイプではないですが弓矢のロケットなら
元が使って無かったですか?
どうも昔の絵図で見た気がするのですが。
776:03/03/24 23:21 ID:i/2wDzmh
>>774
当時の明が使っていた兵器と同じです。
倭寇対策ではなく、騎馬民族との戦闘に使われましたね。
朝鮮には軍事技術援助があったのでしょう。
それ以前から保有していた可能性は無くも無いが、ソウル防衛に使われた形跡は無い。
一発だけ発射して叩けるだけ叩いたら撤退する。
ゲリラ戦には有効な兵器だったでしょうね。
777ななし〜:03/03/24 23:25 ID:PlY4lcUk
どうでもいいけど
>神機箭に関する内容は世界で一番古いロケット兵器の記録だ
何で奴らはこういう調べたらすぐわかる間違いを犯すのだろうか・・・
778 ◆tsGpSwX8mo :03/03/24 23:32 ID:aDfrGKNV
レスどうもです。
>>774の画像だけだと多連装だけど連射ができなさそうだし、
肝心の命中率、飛距離、殺傷力はどうなんだろう。
ロケット花火みたいで役にたたなそう。
779:03/03/24 23:36 ID:i/2wDzmh
16世紀の火薬兵器

・爆弾(手投げまたはカタパルト射出)
・滑走ミサイル(対騎兵用)
・ミサイル(サイズは様々)
・地雷(導火線式)
・煙幕(亀甲船が海上で使用したかは資料に欠ける)
・大砲(鉄球、鎖鉄球、鉄片入爆薬)石球は使わない
・小銃(火縄銃 堺の製品で有効射程200m)
・一貫目砲(数人で射撃する大型小銃)
・火炎放射器(朝鮮での使用記録は?)
780 ◆tsGpSwX8mo :03/03/24 23:37 ID:aDfrGKNV
>>777
秀吉軍が唐辛子持ち込んだのも、毒ガス兵器の一種と言ってる国ですから。
781:03/03/24 23:38 ID:i/2wDzmh
>>778
カチューシャを喰らってみれば怖さが分かるよ♪
782megrim:03/03/24 23:39 ID:SXwjV0N2
>>779
もう一つ付け加えて
・ナパーム弾
ギリシアの火の改良版で、元代には存在したそうです。
回回砲調べてたらでてきやした。
783_:03/03/24 23:42 ID:lYRiQaV5
>>779
細かいところを突っ込むが、
ミサイルは何らかのホーミング機能の付いたロケット弾のことを言う。
784駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/24 23:43 ID:vJHXYrPM
>>778
つうか、飛箭の効果ってある意味初期の鉄砲と同じで、音と発煙による
威嚇かと。

まぁ距離によっては焼夷効果も見込めなくもないが。

茶々入れすまそ。
785:03/03/24 23:46 ID:i/2wDzmh
>>777
時代は違うが、江戸時代の捕り物では卵の殻に唐辛子の微粉末を入れたものを使用していた。
さすまたでからめとって、卵を投げつけて無力化する。

>>782
おお、忘れていた。感謝
この辺は軍事板の方に聞いたほうが漏れが無いかな?
この当時の油は何を使っていたのだろう。ナツメヤシ?
786 ◆tsGpSwX8mo :03/03/24 23:47 ID:aDfrGKNV
>>781
旧ソ連のカチューシャロケット砲ですか。
これから考えると威力ありそうですね。
787_:03/03/24 23:51 ID:+XzrEOkx
中国にもまったく同じ名前の武器がある>神機箭
ttp://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/7539/kasen/ka12.htm
携帯式の連発ロケット矢

774の画像は、弾数からすると百虎斉奔箭(100発式)か。 車に乗せても使っていたようだが。
ttp://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/7539/kasen/ka18.htm


「武器と防具 中国編」によると、神機箭の基本である火箭の最大射程は500mほど。
 有効射程は不明。

「火箭は弾道が不安定で命中率が良くありません。 多発火箭は火箭の欠点を補うための
 手段の一つです。
 敵に対して突撃を行う前に敵陣を混乱させるための準備砲撃として使ったり、
 敵の突撃を阻止するために使われた」そうな

#エイジイブエンパイアでも神機箭が名前だけ出てくるんだよなあ。

>>785
ナフサと思われ。
788 ◆tsGpSwX8mo :03/03/24 23:50 ID:aDfrGKNV
>>784
威嚇や弾幕効果があるというのは分かるんですけど、
これ提示してた韓国人が ”倭軍をかなり屠殺した武器” としてあげてたもので。
789megrim:03/03/24 23:51 ID:SXwjV0N2
>>785
大航海時代以前どころか、エンリケ王子すら生まれておりませんからなあ。
地中海沿岸部やイスラム圏で入手可能な油…
軍事板いったほうが良さげですが、自然と染み出てきたタールや原油の可能性はどうでそ?
790POS:03/03/24 23:52 ID:Qhqkfow9
>>786
カチューシャというより持ち運びのしやすい連弩かと。
791_:03/03/24 23:54 ID:+XzrEOkx
>倭軍をかなり屠殺した武器

本当に言ったかどうかはしらんけど、李舜臣が武器庫見て
錆びた矛しかなくて嘆いたってのはネタなのか
792:03/03/25 00:04 ID:4TMi73QY
この当時のロケットでは船舶の破壊は無理。
ロケットにロープを付けて飛ばすのは、ずっと後の時代。

関係ないけど、アメリカ独立戦争の頃は、ミサイルとロケットの、用語の区別は曖昧だね。
ミサイルの轟き・・・星条旗は翻る・・
793 :03/03/25 00:26 ID:nWHNF9GZ
柳成龍が幼馴染だと紹介したのは本当だろうか。
父親について余り言及していないのは当時の朝鮮では普通の事なのだろうか。
元均が口を極めて面罵したという攻撃の内容、
李舜臣の業績を乗り越えてまで周囲を信じさせるに足るもので、
李舜臣自身が荒唐無稽と言いながら内容を決して言わない非難というのは、
果してどんなものだったのだろうか。
794662:03/03/25 01:48 ID:xGUixyI2
>>793

>柳成龍が幼馴染だと紹介したのは本当だろうか。

朝鮮の使節が帰国してすぐに、大した実績もなかった李瞬臣を
司令官として取り立てた。柳成龍ほどの、当時権勢のあった人
物でないとこうはいかないでしょう。そして、かの国の縁故採用を
考えれば、柳成龍と李舜臣は縁の深い関係であったことは容易
に想像がつきます。幼馴染だったかどうかは何とも言い難いが。

>父親について余り言及していないのは当時の朝鮮では普通の事
>なのだろうか。

>>691にあります「最も、彼の祖父・李百禄は乙卯士禍に巻き込まれ、
父・李貞は官職を重視していなかったので家勢はかなり減衰していた」
これが事実ならば、誇らしげに語る父親の功などなかったでしょう。
否、多く言及したら祖父のことで揚げ足取られて身の危険を生じるかも
しれませんし。
795いつもの名無しさん:03/03/25 01:53 ID:KKahwZbm
>>789
宋の時代に、既にナフサを使ってたちゅのを、どっかで
読んだ覚えがあるのですが。名前何だっけな…『猛火筒』
だったか…。うろ覚えでゴメソ。
796662:03/03/25 02:28 ID:/4lg4Sya
>>793

>元均が口を極めて面罵したという攻撃の内容、
>李舜臣の業績を乗り越えてまで周囲を信じさせるに足るもので、
>李舜臣自身が荒唐無稽と言いながら内容を決して言わない非難というのは、
>果してどんなものだったのだろうか。

まず、李舜臣が武器軍船を調達する能力があり、(倭寇であろう)地元の兵を
かき集める能力があり、戦術は抜群に巧い。

戦争が終わったら梁山泊よろしく、独立した圧力団体の長として(反政府勢力
の牙城である全羅道あたりに)君臨する可能性があります。

そして李舜臣は勇将として日本にも知られていたでしょう。こういった人は散々
日本軍に調略されてきただろうし、現在、あるいは今後篭絡される可能性も非
常に高い。もしも、あの滅茶苦茶強い日本軍の、次の侵攻があれば彼はどう
するのか・・・危険人物だ。

讒訴の常道を意識して考えつくところは、こんなもんでしょう。
しかしそれを李朝朝廷のコンセンサスとして信じさせるだけの説得力は十分に
あり、またこれは実に常識的な考え方です。日本の武将達の騒動でも、こうい
う話は枚挙に暇がありません。朝鮮にとっては自殺行為に駆り立てないことで
もありますが、かと言って無視できる話でもありません。

そして、李舜臣が内容を決して言わなかったのも、それを否定できる立場に
なかったことを、それを自覚していたことを想像させます。
797ななし〜:03/03/25 03:25 ID:K0Jav3OO
>>788
あー、まぁ何だ
>倭軍をかなり屠殺した武器
と言うからには、「陸上で朝鮮軍が日本軍に手痛いダメージを与えた戦い」
と言うものが無ければならないんだが・・・
「義兵」とやらのゲリラ戦に使ったとも思えないけどねぇ
なんか有ったっけ?「陸上で朝鮮軍が日本軍に手痛いダメージを与えた戦い」
798 :03/03/25 04:49 ID:B4WLhbBW
どのような
799 :03/03/25 04:54 ID:B4WLhbBW
どのような史料、研究書で調べていますか?
この戦争のおすすめの研究書とかありますか?
800 :03/03/25 09:43 ID:FeW/vRPK
800
801駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/25 10:41 ID:tzOh7eaf
>>788
色々考えて見ましたが、夜間宿営地に向けて発射後そのまま逃走位しか
倭軍を屠殺(wする方法が思い浮かびません。
つーか最大射程500mだと当時の六匁弾を使う火縄銃と大差ない罠(;´Д`)
802「ど」の字:03/03/25 11:15 ID:tjqAGG3t
>>801
 当時、もう6匁弾使用の銃が開発されていたのですか?5匁とは聞いたことがありますが……。
 いや、当時の世界では日本銃は射程・口径改良に飛びぬけていたそうですけど。
 それにしても最大射程500メートルって、ほんとですか?
(戦国時代の日本製鉄砲の射程は120m、30年戦争時代の西洋銃の射程50m……)
803駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/25 11:24 ID:tzOh7eaf
>>802
所謂『中筒』が六匁弾だったかと。
戦国後期から関が原辺りまではこれが標準だったと記憶してます。
拾匁筒とかも存在するから技術的には問題がないような。



…む、当時の技術では小さく作る方が難しいのか?(汗
804   :03/03/25 11:25 ID:edAiFsCY
>>802
ぐぐったらすぐ出てくるけどね。最大射程と有効射程を混同してませんか?
805駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/25 11:33 ID:tzOh7eaf
>>804
問題は火箭の有効射程が『不明』というところで。
806「ど」の字:03/03/25 11:34 ID:tjqAGG3t
>>804
 あ。そうか……。当時の丸い弾は、とどくだけならそれなりに届くんだった。
 803の方ともども、ご指摘どうもです。
807奈菜氏:03/03/25 11:50 ID:V6xnm7D9
>>805
手持ちの歴史群像No34では火箭の射程は
最大射程:800m
有効射程:500m
と記載されております。
808 :03/03/25 11:52 ID:UhcU9zRc
カプサイシーン♪カプサイシーン♪コリア式- 、   - 、
                 _,, -― "⌒ヽ-、   ヽ    \
           -=≡ ,,-"        i ヽ    ヽ  ヽ.ヽ
         -=≡   /      ,,-ヽ  .i  i     i   i ii
       -=≡   ./ /    /  i  |.i  |     |   i ii
      -=≡   / ./ , A 、>./    | '⌒/⌒)(_ヽ  !   ! !!
      -=≡    | |/ ̄∨/      ゙ -/ /-⌒) i
     -=≡, 〜⌒| | ⌒l/ /          | | ヽ (ヽi ぐるんぐるん
     -=≡ー-ヽ | | | | /    車   | |  レ' (       i i
     -=≡   ./ノ|)  |         | |_∧、_フ    i | i
     -=≡  (__|  |.| .|        / | `∀´>カプサイシーン♪カプサイシーン♪
⌒ヽ   -=≡    !  ヽ \      /     /        コリア式♪ 
 ⌒ヽ   -=≡   ヽ  \ ヽ、    /     /   /  / .'
  '"⌒ヽ  -=≡    \  ⌒ヽ⌒ン     /   _,,-'' ,,-"
  ヽ   ヽ、_-=≡     \       ,, -" _,, - '' - "
    )__ノ⌒    -=≡    ゙ ー---- "  ゴゴゴゴゴ…
                                こんな運動しなくても♪
809   :03/03/25 12:30 ID:edAiFsCY
>>807

>有効射程:500m

ガクガクブルブル・・・・

ほんとならすごいね
810駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/25 12:38 ID:tzOh7eaf
>>807
それはちょっち眉唾的。
M72A3 LAWの最大射程が1000mで、有効射程が静止目標
で200m、動目標で160mなのよ?
ttp://www.armystudyguide.com/m72/studyguide.htm

当時の技術レベルで、最大射程の6割の有効射程ってのは
考え辛い罠。
811megrim:03/03/25 12:41 ID:JWE7d9Il
>>795
亀レスすまそ。
レス見つける前にかきこんじまっただよ。
812奈菜氏 ◆.1mi5a5bXM :03/03/25 12:43 ID:V6xnm7D9
>>809
>>810
引用元が書かれてないのであまり信用しないでください。
賢明なる諸氏はすでに疑ってかかっておられるようだが(w
私の妄想では有効射程はよくて100〜200mってとこではないでしょうか。
ちなみに歴史群像には「焼夷効果もある」と書かれていました。
>>544
残念!>洗練された芸術 では無いのでたった今却下されました。
814813:03/03/25 16:39 ID:ETMUHN05
やべえ!>>813は誤爆でした。
815subjugate:03/03/25 17:09 ID:lnaD7UKo
国友のページから引っ張ってきた。
伝来の頃一丁1,000万円ほどしたものが、50年後(朝鮮出兵時)には50万円か。
鉄砲の大量生産も職人の腕の良さの賜物だが、
同時に焔硝の製法を確立し国産化に成功させた
五箇山や大和・篠原の職人(堺の商人がスポンサーだったらしい)も大したもんだ。

天正末〜慶長・元和
   一丁の値段  現在の価値
6匁銃  9石=    54万円
30匁銃 40石=   240万円

50匁玉筒  75石=  450万円
300匁玉筒 640石= 3,840万円

>>765
例の村上水軍を撃退した鉄甲船が50匁玉、100匁玉の大筒を据えていたことから見ても、
同規模のものか、若干大きいものなんではないかな。
816:03/03/25 20:22 ID:JC16Fsrm
>>815
おぉ、分かりやすい!

ところで、李舜臣海軍が調達した銃器、
密 輸 は 五 倍 が け
の経験値からすると、結構な金額になるね。
戦争初期に投入された船舶には、どれぐらいの火器が用意されたのだろう?
そして、必要な金額は?
817 :03/03/25 20:53 ID:Z7mJQEuX
>>743
>>745

>被害を受けたのも島津ではなく、小西行長をを助けに来た
>小西軍所属の水軍と言う方が信憑性がありますね。
>島津は輸送船団を持っていなかったからですね。
>島津軍は日本本土から到着した島津船団に乗ってそのまま
>帰っただけです。明軍と四川で戦ったというのも嘘です。
>城に篭って救援を待っていただけですね。

>小西水軍は海戦に散々に敗れて、機動性を生かして逃亡を
>始めます。

の記述はどこまで信用できんの?
818  :03/03/25 21:00 ID:dN80cI0m
>817
書いたのだ〜れダ

>812
歴史群像にかぎらないがトンでもな内容の本は多いよ
まず常識に照らし合わせて考えてみよう
819 :03/03/25 21:36 ID:Pap6/0xL
正式の武科挙に漸く受かった(それも当時の派閥実力者の強力な推挙)後で、
いきなり東北は国境地帯の文字通り最前線に飛ばされるという経歴も凄い。
彼が武器の補給を再三具申したのを上司が握り潰した事になっているけれど、
言ってみれば女真族のテリトリーに勝手に屯田させた朝鮮兵の隊長。
従来からこの種の部隊にマトモな武器装備なんて支給されていたんだろうか。
襲撃されずに任期を勤めきる事が出来れば寧ろ運が良かった程度で、
襲撃されれば全滅当然の使い捨ての狼煙台程度の認識だったんじゃないか。
実は体良く抹殺される寸前だったんじゃなかろうか。
この待遇ってのも納得できないような。
武科挙に及第するまでは何してたんだろう。
820:03/03/25 21:46 ID:JC16Fsrm
>>819
まあ、32歳で武官のキャリア組ってねぇ・・・
年とりすぎ。
使えない人材を僻地で使い捨てにしたのかな。

襲撃を受けたのは島だよね?
この次期に倭寇との、最初の接触を持ったのかもしれないね。
この辺詳しい資料あるかな。
821662:03/03/25 21:50 ID:7G6trUBX
>>819
・・・そこなんですよね。
李舜臣の功績を考えると、どこかで水上戦の経験を積んでいないと
あんな活躍などできっこないんです。現在でもそうですが、操船一つ
取っても特殊な技能ですし、増してや戦って勝てるレベルならば、
上から下までスペシャリストでないと、とてもとても。
世界史上でも例外(らしい)のは源義経くらいじゃないでしょうか。
822megrim:03/03/25 21:54 ID:JWE7d9Il
>>821
源義経は、熊野水軍口説き落としたんじゃなかったっけ?
823817:03/03/25 21:54 ID:Z7mJQEuX
>>818
書いた人間がアレなのは分かったんですが・・・。
歴史詳しい人に完璧に論破してほしいなと・・。
島津が四川とか最後の海戦で活躍したというのは
良く聞く話なので。
忠武公 ◆Oamxnad08k てのが明・朝鮮で島津が
戦ったという記録は無い、とか書いてたけど、鬼石曼子
とかは明の記録に書いてあるんじゃないんですか?

824 ◆tsGpSwX8mo :03/03/25 21:58 ID:toltX8AH
中部港は明の資料読んでないぞ。
参考にしてるのは朝鮮側の当事者が書いたものだけ。
825662:03/03/25 21:58 ID:DVXJJ3U7
>>822
んー・・・でも指揮官義経自身はどうだったのか。
水上戦のキャリアには「?」がつくのではないでしょうか。
826megrim:03/03/25 22:05 ID:JWE7d9Il
>>825
陸戦に関しては、奥州藤原氏の下にいたこともあるのでまだしも
水上戦は壇ノ浦以前は大まけにまけて屋島のみ。
短期間の間に熊野別当から手ほどきを受けていたとしても怪しいところですなあ。
827662:03/03/25 22:08 ID:DVXJJ3U7
>>826
そうですか、義経って水上戦では相当負けていたのですね。
いや知りませんでした。ありがとうございました。
828megrim:03/03/25 22:11 ID:JWE7d9Il
>>827
いや、そうじゃなくて。
水上戦としてのカウントです。
屋島の合戦は水上戦にカウントするかどうかで…>まける
829 :03/03/25 22:18 ID:Pap6/0xL
>>820
島と言っても恐らくは当時は正式に朝鮮の領土か分からないような東北部の、
細長く伸びた沿岸部の回廊の更に突端にある豆満江の川中島では無いかと。
襲撃を避ける為に島に篭った程度で倭寇すら来なかったような気がします。
それと後は非常時に急遽任命された全羅南道は勿論として慶尚南道の土地勘。
あの元均が自分のテリトリーである軍管区を、
戦争前に自由に往来させたとも思えないし実際に戦争中も、
本来は土地勘があるはずの慶尚道水師とは全くの別行動を貫きながら、
現地の県知事さえ逃げ腰で非協力的なのに、
まるで自分が生まれ育った土地でもあるかのように優れた土地勘を発揮してる。
830 :03/03/25 22:29 ID:Pap6/0xL
しかし柳成龍の言う所では、
李舜臣が武科挙に合格するまでの朝鮮南岸含めた海との関りが全く出てこない。
海で泳ぐ事一つ取っても川で泳ぐ事とは大分違うし、
第一小さい頃に泳ぎの訓練をしなければ普通は泳げも出来ないものなのに。
831_:03/03/25 22:45 ID:jsqHXegA
>>818
ここの方。
http://bbs.enjoyjapan.naver.com/jphoto/read.php?id=enjoyjapan_13&nid=9835
中部港は明の資料どころか、朝鮮の資料も読んでない。
832主な戦い:03/03/25 22:56 ID:KBKZRgLv
                        勝者   敗者
1593 文禄2年 1月 碧蹄館の戦い   日本軍  明・朝鮮
1593 文禄2年 6月 晋州城攻略戦   日本軍  明・朝鮮

1597 慶長2年 7月 漆川梁の海戦   日本水軍  朝鮮水軍
1597 慶長2年 8月 南原城攻略戦   日本軍   明・朝鮮
1597 慶長2年 11-12月 蔚山城篭城戦 日本軍  明・朝鮮
1598 慶長3年 10月 泗川の戦い    日本軍   明・朝鮮
1598 慶長3年 11月 露梁津の戦い   明・朝鮮   日本軍

結局は、この壮大な遠征は経済的に破綻。
朝鮮は李舜臣だけはヤンウェンリー並だったね。
833>817:03/03/25 22:59 ID:dQMgTdgK
 香具師はただ単に掲示板の受け売りと思われ。下は香具師が自分で張ったページでつ。
 http://bbs.enjoyjapan.naver.com/jphoto/read.php?id=enjoyjapan_13&nid=9835&work=list&st=&sw=&cp=1

 島津が加増されていたり薫一元が更迭されていることから、
 泗川における戦いは島津の圧勝と思われ。
 20万というのは連合軍側の呼称、別に島津が言い出したわけじゃない、
 無論、実際はそんなにいなかったことは百も承知だったとおもうが。
834コテハン思案中:03/03/25 22:59 ID:sU75VtLy
>>831
ここの韓国人はすごいな、小西行長が商人の出身であることを
知っているよ。
冷静に朝鮮の役を分析している。韓国人らしいところはあるが…
835\:03/03/25 23:02 ID:Ks53OOGm
この場合、
だれが
トリュートニヒト
ですか?
836だったら安崎にしる:03/03/25 23:03 ID:06MNJpDo
>>834
朝鮮の数少ない英雄である李瞬臣が関わってるから、
韓国にも朝鮮出兵に関する資料も結構あるのかも。
837 ◆tsGpSwX8mo :03/03/25 23:07 ID:toltX8AH
>>835
権慄(クォン・ユル)?
838    :03/03/25 23:26 ID:Z7mJQEuX
>>831
>>833
そこの韓国人が
・島津は最後に海戦していない
・海戦をした小西水軍は海戦に散々に敗れて逃亡を始める。
・島津は四川で戦っていないし、大陸でまともに戦っていない。
 20万と戦ったと書いてある征韓録は空想小説だ。

と言ってるわけね。
839 コテハン思案中:03/03/25 23:27 ID:sU75VtLy
>>836
 韓国側の資料って怪しいの多そうだな…
後世になればなるほど
840662:03/03/25 23:32 ID:HkKik++K
中国人の書いたサイトがありますた。
http://tesun.myetang.com/01zgzz/17ming/new_page_1329.htm
841662:03/03/26 00:00 ID:XuUTPfdA
>>831で長々書いてる韓国人、どうしてあんなに(無意味に)小西行長の肩を持つんだろ?
よくわからん。
842  :03/03/26 00:01 ID:XPJPiYgb
>836
捏造とか妄想で出来た奴がイッパイあります
843 ◆tsGpSwX8mo :03/03/26 00:04 ID:23Dm1PGa
>>841
『高麗秘帖』の読みすぎ(´▽`)♪
844 :03/03/26 00:06 ID:tomc3bDW
捏造が捏造を呼び、次回。
845  :03/03/26 00:06 ID:XPJPiYgb
>841
加藤清正のライバルが小西だからでは?
846662:03/03/26 00:10 ID:b85OsWtK
>>836
実は「沙也可」もそうらしいんですわ・・・

当時の日本や朝鮮の記録に名前が登場してなくて、
役から約200年後に書かれた文章に初めて出てくる。
「金忠善」は降倭として名前が残っているそうだが。
で、大正時代に「沙也可」は架空の人物であることが論破されて、
司馬遼太郎もこの論を「妥当」と支持している。

と今月の文藝春秋にありますた。
847662:03/03/26 00:13 ID:b85OsWtK
×架空の人物であることが論破されて、
〇架空の人物であると論破されて、
848 コテハン思案中:03/03/26 00:32 ID:NJ+cnrOa
一夢庵風流記ってどこまで信用できるんだろうね
朝鮮の役周辺の話が多い。
849    :03/03/26 00:32 ID:U4g+bNPn
>>843

>>831(リンク先)の言ってる事は『高麗秘帖』から引用しているって
事ですか?
850 :03/03/26 00:36 ID:kfrpmC2n
>848
信頼度ゼロに近いかと。
読み物だし。
851_:03/03/26 02:10 ID:orBXn5zg
>高麗秘帖
ははは。韓国じゃだせんでしょ。
852:03/03/26 11:00 ID:8xu546gX
李舜臣が倭寇と接触を持ったのがどこなのか謎ですね。
北朝鮮の日本海側では、倭寇も活発じゃありませんし・・・

ひょっとして、

柳が同郷の者だという推挙がデタラメで、実はモノホンの倭寇???
辺境で死亡した士官の戸籍を、首相命令で改ざんさせて・・・
死んだはずの男がソウルに連行され、特赦で出世・・・まさか・・・
853「ど」の字:03/03/26 11:08 ID:/jllrZUh
>>852
 そう言えばおかしい。
 冗談でなく「クワトロ・バジーナ」パターンだったのかも。
 宇宙世紀ならどうかとも思うが、当時なら戸籍の改竄などたやすいだろうし。
 以前李舜臣の略史を書いてみたことがありますが、確かに不自然だ。
 北辺守備の陸兵指揮官が、突如海軍に回され、しかも数年で結果を出すなど。
854megrim:03/03/26 11:11 ID:3KQ+h4ag
>>852
李舜臣の経歴(一度官位剥奪された後)を考えると、実はモノホンの倭寇ってのはありうるかと。
李舜臣が水軍を確実に指揮するようになったと思われるのは、全羅左道水軍節度使あたり。
しかし、任官したのは1591年。
1592年4月に朝鮮征伐が開始されたことや水軍指揮の特殊性を考えると、
白衣従軍の際に戦死していて、李洸に抜擢されたのは良く似た他人とか…。
855:03/03/26 11:29 ID:8xu546gX
ネオジオンの総帥は、作戦中に戦死。
以降、組織は解体されて消滅したと・・
856釣られ氏@ハン板:03/03/26 11:52 ID:jo7PQt5h
亀レス、スマソです。さんざんキシュツかもしれませんが・・・
【太閤水軍の旗艦・日本丸】
http://www.shinjin.co.jp/kuki/suigun/nipponmaru.htm
「征韓の役の後は、鳥羽に回航され、船倉につながれていたが、後の寛永10年(1633)から延宝8年(1680)にかけて
鳥羽藩に入封した内藤氏の代になると、五百石積・六十梃櫓に改造されて大龍丸と改称された。
しかし、しだいに腐朽したため、安政3年(1856)には解体され、
現在は船体の一部が伊勢大湊・市川昭氏によって保存されている。」

いやあ、物持ちがいいというか、感心します。
かたや、亀フネは(ry
857 :03/03/26 11:53 ID:7k3CzzLx
>>852-853
おお!!それはある意味うなづける!
あれほどの操船は素人では無理だ。
858:03/03/26 12:08 ID:8xu546gX
李舜臣の倭寇経歴隠蔽説

ネタにしないよう、予め釘を刺しておくぞ。
韓国で書いたら『民族の英雄を貶める日本の陰謀!』とか言われるんだろうな。
李舜臣の子孫も残っているらしいから、訴えられるかもね。
ところで、ミン妃の子孫って、李朝の嫡流以外に居るのか?
そのもそ、あの訴訟の『ミン妃の子孫』って何者?
そっちのほうが名誉を毀損しているような気がするのだが。
859 :03/03/26 12:11 ID:6woMjGy+
>858
申し訳無い。「あの訴訟」とはどんな訴訟だったんですか?
勉強不足で。
860megrim:03/03/26 12:14 ID:3KQ+h4ag
>>858
正確には「閔妃の子孫」ではなく「閔氏の子孫」かと思われ。
案外、李舜臣の子孫というのも、李家嫡流の李羲臣の子孫かもしれませんて。

まー、煽りネタとしては最上級なんでしょうけどね〜。
861megrim:03/03/26 12:18 ID:3KQ+h4ag
>>859
キムワンソプ君が「親日派のための弁明」を出した時に、
閔妃をボロカスに切り捨てたのですよ。
そのことを「閔妃の子孫」と称する面々が「死者に対する名誉毀損」で訴えたのです。
862:03/03/26 12:26 ID:8xu546gX
>>860>>861
megrin殿、解説ありがd
863 :03/03/26 12:27 ID:6woMjGy+
>861
ありがとうございます。

子孫って結局は兄弟の子孫とか、遠縁の子孫ってのが妥当じゃないですかね?
それならば「秀吉の子孫」だっているわけで。
秀長の子孫が残っていそうだし、養子の家系を含めるなら宇喜多氏や藤堂氏もそう。
それらの人達が「先祖への名誉毀損だ!」なんて訴えても良いってことになりません?

ちなみにこの裁判、判決はどうなったんでしょうか?
864 :03/03/26 12:49 ID:d2++muEJ
韓国ではこのネタでたくさん作られているようだね。
まぁ、民族最大の英雄李舜臣が登場するのだから当然だが
最近では、彼の活躍だけでは満足できず
「そもそも、それほどやられていなかった」wっていう
なんとも勇ましい妄想説まで台頭しているようだ。
865:03/03/26 12:55 ID:sEhE0dqh
>>863
幕末まで残った『豊臣家1万石』『織田家1万石』なんてのもそれですね。
豊臣は尾張中村のおかんの実家
織田は茶人になった有楽斎の家系
866d:03/03/26 13:04 ID:evkUSz4N
>1
国土の大半が占領され蹂躙されて敵の現地司令官すら死傷させず
ゆうゆうと引きあげられ、敵の王様は能の稽古に忙しいってのを知ったら
日本人は収まりつかんよ。あちらでは勝利なのかね、これが?

沖縄でバックナー中将は死んじゃったけど日本人で沖縄戦は
勝った勝ったって騒ぐ人いるかなぁ。
867 :03/03/26 13:19 ID:0L70RoTA
倭冦ネタは面白いので続けて考えてみた。

当時は一般民は貧しいので、大商人は大名相手の商いをやるわけだ。堺の連中のように。
ならば、堺商人に相当する武装商人が朝鮮にも必ずいたはず。つまり倭冦だな。

そういう商人たちはその後どうしたか?
ハク付けなどのため婚姻政策をとり、両班と血縁関係になる。一族の優秀な人間を進士試験に合格させる。など、次第に両班階級入りしていくことを選ぶのではないかな。
…つまり舜臣は倭冦の親戚筋で、航海の経験は若いころから豊富。中央の大物ともコネが多少ある。
だが胡散臭く見られたと。
868釣られ氏@ハン:03/03/26 13:26 ID:2EjzY+rd
>>831
「韓 - もっと疑わしい点は当時朝鮮に駐屯したシマス部隊は
 輸送船がなくて海を通じてスンチョンの小西に行くこともできなかったです.」
「韓 - 朝鮮駐屯シマス部隊は日本本土のシマス船団が
 駐屯地である先進里(Sun jin ri)に到着するとその船団に合流して南海島南にの間後,
 日本方向に流れる 海流を利用して帰還しただけです.」
「・・・南海島でごみを出せば 3,4日後対馬で確認されます. 」
「小西を救援しに日本本土から来た小西 船団は五島,平戸,対馬,多分天草などの出身です.」
「対馬の島主、宗義智は小西行長の壻でした.」
「朝鮮の海を誰よりよく分かる対馬を除いてどうしてシマスが小西を求めに来ますか? 」
・・・・・100%推測の部類だな(w

・種子島時堯(1528〜1579)
1543年、種子島にポルトガル船が漂着、鉄砲を入手した。
琉球王国との修好に努めた。1579年死去。
・種子島久時(1568〜1611)時堯の二男。
朝鮮の役では鉄砲を駆使して活躍した。1611年死去。(水上主力兵団とオモワレ)
・梅北国兼
国兼は、宮内左衛門尉を称し、島津氏の有力家臣であった。
島津氏の北征では水軍を担当し、天正十三年(1585)の大友氏攻撃に際しては「御舟攻」を進言した。
文禄元年(1592)六月、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し、「船待ち」と称して肥後葦北郡佐敷に留まり、
入来院重時家老の東郷甚右衛門らと二千人余という大規模な一揆を起こした。
・・・・・島津の水軍は、開戦当初ゴタゴタしてたみたいだけど多士多彩で
     慶長の役、末期には再建していたと思ワレ。
869  :03/03/26 13:30 ID:XPJPiYgb
>821
世界史板できいてごらん 経験のナイ海軍の名将はイマス
870釣られ氏@ハン :03/03/26 13:35 ID:2EjzY+rd
琉球出兵
1608年8月、幕府は島津に琉球出兵を指示した。
琉球の聘礼使の催促を促し、応じなければ威嚇のために軍勢派兵計画を伝えというもの。
 1609年2月付の義久書状「呈琉球国王書」を送った。
 1609年3月4日、総勢三千余りを乗せた百余艘の軍船が山川港を出帆。
 3月8日大島制圧、3月22日徳之島制圧、3月24日沖永良部を落とした。
 3月25日、古宇利島に着いて碇をおろした。
 3月26日、島津軍は古宇利島から対岸の運天港に渡った。沖縄島初上陸であった。

日本人はこれを知っているから、半島人みたいに、
 小西>>>島津 とは、これっぽっちも思わん。
871:03/03/26 13:52 ID:sEhE0dqh
薩摩軍は騎兵を使わず、大将以下、ほぼ全員が歩兵という構成だった。
これは幕末や西南戦争まで続く伝統。
これが誤って伝わり、

薩摩は全て歩兵だった
     ↓
薩摩には海軍が無かった

このように誤解されたのではなかろうか。
もちろん、統合作戦なので自前海軍を使ったわけではないし、船舶不足も事実だが。
872釣られ氏@ハン :03/03/26 14:00 ID:2EjzY+rd
>>871
http://www.rc.kyushu-u.ac.jp/~hatt/syonakk.html
黒田氏が総数五三六艘、うち軍船二七艘を所持することを明らかにする。しかしな
ぜか軍船の規模も小さい、「買い舟・借り舟(*チャーター船)が多く」急拵え
のものだったと、どちらかといえばその評価は低い。

渡海した大名は、自前みたいでふ。
873:03/03/26 14:05 ID:sEhE0dqh
>>872
なるほど、自前ですか。
石田三成あたりが切り回していたのは補給物資の話ですね。
やっぱり、戦場に行くのは気心の知れた味方の軍船がいいですよね。
874釣られ氏@地下に潜伏:03/03/26 14:08 ID:2EjzY+rd
>>872
(無断転載不許可)
by 九 州 大 学
タイーーーーホ!!!(w
>>873
871のHPより・・・この船手の豊臣政権への接収という図式は最初に七一頁に記述されている。高
麗に到着した船は豊臣政権の船奉行の指示のもとに対馬に差し戻され、「政権」
の指示に従い運送に当たった。このことを指して著者は「接収」と定義している
ようだ。「接収」という語には、もとの所有関係は断ち切られるという語感があ
る。著者の用法もそうしたもので、本書の論旨も「接収=大名からの離脱」に即
して叙述され論証されている。しかしこのような臨時の徴用・一時の借用を「接
収」というのだろうか。
 各大名が軍船、輸送船を豊臣方に提供することは無償の軍役のうちであろうけ
れども、「接収」の語感が持つような一方的な「政権」側の権力行使ではなかっ
た。
>大名家も豊臣幕僚も船の争奪戦だったようでふ
876   :03/03/26 14:28 ID:QcpsjQqL
李舜臣って一発変換されるのな。
10万の兵で1万の島津に殺されたとも聞きましたが・・・
877_:03/03/26 14:36 ID:+VaKkUcS
>>876
湾岸戦争のイラク側の戦死者数ですら、正確な数字はわからない。
400年前の半島ともなれば、何をか言わんや。です。
878:03/03/26 14:46 ID:sEhE0dqh
>>877
イラクの人口統計を(それもかなりの推定値)作成した係官は
突然に資料を没収された上、関係ない部署に飛ばされたそうです。

いつの時代でも、情報公開と出世は両立しません。
879 ◆tsGpSwX8mo :03/03/26 14:58 ID:23Dm1PGa
http://bbs.enjoyjapan.naver.com/jphoto/read.php?id=enjoyjapan_13&nid=9891&work=list&st=&sw=&cp=6
鳴梁海戦は世界四大海戦と世界の海軍士官学校で教えてるとか、
12隻120人で133隻3万人の海軍相手に8千人殺したとか、、、
880megrim:03/03/26 15:12 ID:3KQ+h4ag
世界三大海戦で懲りずに、四大海戦に拡張ですか(笑
881 :03/03/26 15:40 ID:G0M1DCO7
すごいや。
彼らの言う世界四大海戦てのは
1:サラミス会戦
2:レパント海戦
3:閑山島海戦
4:トラファルガー沖海戦
 と言って憚らない。その上
“イギリス海軍兵学校とドイツ海軍士官学校等で教育する内容です.
特に伝統的に海軍が有名なイギリスの軍事機関で分類した点を注目してください”
だってさ。おめでたいなぁ
882:03/03/26 15:45 ID:sEhE0dqh
閑山島のずっと沖で、日本とロシアが戦った海戦だろう。
883megrim:03/03/26 15:57 ID:3KQ+h4ag
ロイヤルネイビーが学ぶのは、対馬沖のほうだろうに(苦笑
韓国人の捏造や思い込みも素晴らしいなあ。
きっと、英吉利海軍が武官派遣してることすら知らんのだろうな。
884岩田周作:03/03/26 17:28 ID:28tMJowc
一応マジレスすると、日本海海戦は軍事的に見るべき点に乏しい事例らしい。
著名な東郷ターンは実際に行うと敵艦隊を取り逃がしやすく、
戦術的には避けるべき下策と評価されている。
首尾よく敵をキルゾーンに嵌め込んでしまえば恐るべき効果があるのは史実の通りだが、
日本海海戦に先立つ戦闘でも失敗して、ロシア艦隊を取り逃がしてしまっている。
全世界の有色人種に白人に対する闘志を取り戻させたという世界史的な意義では世界三大海戦と考えられるが、
軍事学の分野でそのようにはカウントされていないのではなかろうか?

885 :03/03/26 18:12 ID:6TtdQrFr
 G9といい4大海戦といい実に笑えるな。
886_:03/03/26 18:46 ID:IwO+VQKB
4大ではないが、アメリカの子ども向け教育サイトのようですな
http://www.pickens.k12.sc.us/dhsteachers/instructional_staff/wilsonwe_webfolder/
navalwarfare.htm

NAVAL WARFARE
GREAT SEA BATTLES

Battle of Salamis - 480 B.C. Persians vs. Greeks
Battle of Actium - 31 B.C. Roman General Octavian vs. Roman General Mark Antony and Egyptian
Battle of Lepanto - 1571 A.D. Ottoman Turks vs. Spain, Venice and Pope Pius V
Spanish Armada - 1588 A.D. Spain vs. England
Battle of Trafalgar - 1805 A.D. French vs. England
Battle of Tsushima - 1905 A.D. Japan vs. Russia
Battle of Jutland - 1916 A.D. Germany vs. England
The sinking of the Bismarck - 1941
Battle of Midway - 1941 A.D. Japanese vs. United States
Coral Sea - 1942 A.D. Japanese vs. United States
887 :03/03/26 19:12 ID:BQoYiJVq
ミッドウェイが1941かよ・・・
アメリカも当てにならんな。
888 :03/03/26 19:56 ID:PUoL/Fpx
Coral Sea - Japanese vs. UK and NZ and AUSTRALIA and United States
889 :03/03/26 20:15 ID:PUoL/Fpx
島津が倭寇と関り深かったのは事実らしい。
島津殿の弟と呼ばれる倭寇が居たとも言われているし、
武家社会に組込まれた後の彼らの系図には福建のフの字も出てこないけど。
九州の大名お抱えの船手組は福建人倭寇出身者も多かったんじゃなかろうか。

李舜臣会心の戦いである鳴梁の戦いでも、
潮流を最大限に利用して来島(海戦のプロ)を打ち破っている。
40歳になってから初めて海に乗り出した武将が出来るような戦いじゃない。
890 :03/03/26 20:31 ID:PUoL/Fpx
倭寇は最後期の福建琉球九州ルートだけが華やかに見られるけれど、
実際には青島朝鮮対馬ルートも同様の重要さを持っていたはず。
同じ寧波に着くのでも北回りで朝鮮南岸をかすめるコースは、
目標物も多いから安全だし大内氏が朝鮮貿易で力をつけたというのも、
このルートじゃなかろうか。(大内氏自体が全羅道出身の倭寇の可能性もある)
朝鮮南岸の海辺民を含めた倭人は風俗も異なる下層原住民として、
中央からは無視され無条件に斬り捨て御免の状態に近かったようだけど、
実際に朝鮮南岸出身の倭寇も多かったんじゃなかろうか。
壬辰の役でも秀吉軍かと思えば服装が良く似た海辺民だったという例が、
結構有るらしいから。
そうした倭寇(日本出身というのではなく海辺民)出身者は、
中国の将軍には数多いけれど朝鮮には全く居ないんじゃないか。
海辺民は朝鮮では倭人と言われ下層民扱いだったから、
仮に海辺民出身であっても正直に出自を言えなかったのかもしれない。
891 :03/03/26 20:48 ID:QUuFo69v
当時の倭寇というのは日本人に限らず、主に太平洋西部で活動していた海洋民の総称と考えればよからろう。
彼らを単なる犯罪集団のような存在と見なすのは儒教的な偏見に過ぎない。
儒教の倫理とは、権力者に対して従順な農民を被支配層としての理想像とする。
農地からの生産物が権力の基盤となる定住民文化圏の支配者にとって、
徴税しにくい遊牧民や海洋民は単なる厄介者に過ぎない。
商業さえ賎業として蔑視する儒教的な職業観に基づいて倭寇を語ると本質を見誤る。
892 :03/03/26 21:41 ID:54+TOqWN
彼自身が無名の倭冦だったとなると疑問がある。
一応二十歳代でキャリア軍人になってるからな。いくら有能でも二十代なかばで倭冦のボスとなって、いきなり正規の軍人に転職は脈絡なさすぎる。
可能性として、倭冦のなかでも代々続く一族の一員で、そのコネで色々やったとみたほうが良いか?
893479:03/03/26 21:45 ID:ckiMuDFx
>>891
明史の『真の倭は10のうち3』は有名ですが
禦倭五事疏にも『寧波、紹興の者が十の五、?州、泉州のものが十の四、
倭寇を称する海賊の多くは中国人の奸民であり、外国人の割合は十分の一』
とあります。明の海禁策によって密貿易が大流行してますしね。

実際には縄張りをもち、通行料をとったり、のちに警護衆として貿易船の
警護をしたりとうまく?やっていたようです。
894 :03/03/26 21:47 ID:B38scHmH
>>892
ヤクザやマフィアでも高学歴者を身内に抱え込みたがったり、役人と癒着したがる。
武装貿易業者集団たる倭寇がそのような人材を中央政界に送り込みたがるのも不自然な話ではない。
見所のある人材を科挙に挑戦させる位の試みはあったのではないだろうか?
李舜臣の不自然な経歴と冷遇は、倭寇説で十分に整合性が取れる。

895_:03/03/26 21:48 ID:CqzCW19Q
>>861
亀レスですまんが、死者の名誉って…
戦中日本に協力したとか言う人の名簿作って、
墓を掘り返すような真似を、現代になって堂々とやる民族が言うことか?
896megrim:03/03/26 21:58 ID:3KQ+h4ag
>>895
「死者に対する名誉毀損」の第一基準は「民族主義」ですから…。
えぇ、民族主義に適っていれば墓荒らしや事後法なんてケンチャナヨです。
897 :03/03/26 21:59 ID:eoGkNtT/
そうすると牙山の墓というのは生理的に血の繋がった祖先の墓ではなく、
新たに朝鮮の軍人になるに当たって入った同族の墓という事だろうか。
それならば母親や兄弟や子供などはともかくとして、
従兄弟や叔父といった朝鮮では重要視されるはずの親族が、
あまり李舜臣の廻りで見られないという事にも納得できるし、
父親が武科挙前後に亡くなったというのも、
柳成龍が手を回して途絶える寸前だった家を継がせたという事だろうか。
これなら海とは無関係のはずの一族から李舜臣が出てきた事も説明もつく。
898:03/03/26 23:00 ID:NwNQD3Qq
考証を重ねてみると李舜臣ってかなり怪しげな人物ですよね。それが魅力でもある。

李氏朝鮮の文書に直接触れることは無いのですが、国会図書館にある朝鮮の官報は、李氏朝鮮の閉鎖性が強引にこじ開けられて行く過程が見えて面白いです。
倭寇の一族が李舜臣をバックアップしたにせよ、戦後は組織も残さずに消滅してしまいますよね。
このあたり、李朝の政治の闇があるようです。惜しいことに資料が無い。
参考資料をご存知の方、些細な断片でもいいので教えてください。
899662:03/03/26 23:57 ID:8AxCeU1f
>>898
うぅん・・・柳成龍ほか東人派のその後を動きを考察すると手がかりが掴めるかも。
900寺内&伊藤:03/03/27 00:03 ID:RbbEd8GC
>>510
忠武公>その李瞬臣はたった少兵によって大軍で攻めて見事に島津の智恵に
よってころさてとるやんけ〜!!ちゃうんか?半分ぼけていた秀吉の出兵
に島津の智恵でたすかっとるんじゃ〜なめんなよ〜チョン公李瞬臣大軍
を持っていたのに哀れに虫けらの如く殺される(悲)
ところでお前も在チョンか?
901 :03/03/27 00:27 ID:FCHk5J+2
>>884
黄海海戦では追撃戦で失敗したので、日本海海戦では頭を押さえてから同航戦
に持ちこんでいるので、利にかなってるとは思うけど。

それはさておき蒸気動力になってからの海戦では、メリマックVSモニターとか
リッサ海戦、黄海海戦、日本海海戦、ジュットランド沖海戦と、軍艦発達上
重要な海戦がいくらでもあるんだが・・・・近代海軍を持ってない国には関係
無いか(笑)。
記録もろくに残っていない、1局地戦の海戦が4大海戦とやらなら、信長の
木津川沖海戦も入れて5大海戦にしてもらわなきゃな。
902t:03/03/27 11:56 ID:2SdTKS2d
正直、こんなに長く続くとはおもわんかったw
903岩田周作:03/03/27 12:12 ID:qqquZo9D
>>901
ぶっちゃけ、万馬券を買うような戦術みたいに思われてるんじゃないかな?

ロジェストヴェンスキーは自艦隊の射程内で回頭を始めた日本艦隊を見て、東郷がトチ狂ったと思ったそうな。
回頭してる最中の側はろくに照準をつけられず、一方的にタコ殴りになるからだ。
つまり、そこまで相手を引きつけないと取り逃がしてしまうから、東郷は危険を冒しても敵の鼻先で回頭した訳だ。

後世この例に倣う艦隊が現れたとしても、敵がロジェストヴェンスキーと同じ轍を踏んで油断してくれるものだろうか?
904いつもの名無しさん:03/03/27 12:33 ID:vu6sWApe
>>903
前例がないから成功したんじゃないかしら。後世の提督達
はこの海戦を学び、経緯と結果を知っている訳だから。
史上ただ一度、一回こっきりの奇跡ではないかと。
905 :03/03/27 16:40 ID:1EUND5S8
>>902
ここは良スレだったよ。
資料に基づく推論や妄想が飛び交って、読んでるだけで楽しかった。
906 :03/03/27 17:57 ID:2uWnaSfi
李舜臣倭寇説は大変素晴らしかった。
従来謎とされてきた彼の経歴上の疑問点に対して明快な説明になっているのがGood
忠武公の情報操作すらも寄せ付けなかったし。
907 :03/03/27 18:04 ID:43BJyn0Y
>>904
レイテ海戦において西村分艦隊は、T字戦法を研究した米軍に完敗しますた。
戦力差も圧倒的でしたが、勝利者が「トーゴーに学んだ」といってまつから
あの海戦の影響は甚大でつ。
なにしろ勝った当の日本が、目が眩んで道を誤るくらいでつから(ry
>>906
一つの説として優秀だと思いまつ。もっと発表汁。
908  :03/03/27 19:59 ID:RpX36kNE
>906
根本がオカシイ。
朝鮮半島の倭寇はいわいる前期倭寇で明らかに時代が違う。

電波なんでシカトしていたが907氏みたいなのがで無いように一言入れとく。
909 :03/03/27 20:28 ID:IzJkx/X4
前期倭寇と後期倭寇には文化的に連続性がない。
後期倭寇というのが、話題にあるように支那人、朝鮮人が主体となる倭寇の事であり、
朝鮮半島も後期倭寇の活躍する舞台であった。
たまたま同じ「倭寇」の名称で呼ばれてはいるが、前期と後期では生い立ちが全く別物だというのは正しい。
例えて言えば、衛氏朝鮮と箕氏朝鮮、それに李氏朝鮮にそれぞれ関連がないのと同じ。
ただ、朝鮮半島に後期倭寇が居なかった訳ではない。
五島列島を本拠地にしていた王直なども知られているが、朝鮮半島も倭寇のテリトリーであった。
前期と異なり後期倭寇が朝鮮半島を荒らさなくなったのは、
王直が五島列島を荒らさなかったのと同じ理由だ。
つまり、本拠地を荒らす倭寇は居ないという事だな。
李舜臣が後期倭寇である可能性は十分に考えられる
910 :03/03/27 20:41 ID:cSnS+t4N
>>910
ここで言う倭寇というのは海辺で生計を立てる人達と言う事。
実際に戦争中でも朝鮮の海辺民は人間扱いされていない。
というよりも海辺民は人間扱いしない事が普通だったんだろう。
元均が海辺民を殺して討ち取った倭寇の首だと騙ろうとしたと、
李舜臣が怒っているが当時の朝鮮人の意識では海辺民は倭寇なのだから、
殺しても本来は罪の意識にさえ苛まれなかった代物ではなかったか。
911 :03/03/27 20:46 ID:cSnS+t4N
つまりは元均の行為を酷い事だと告発する李舜臣の感覚の方が、
平均的な朝鮮人の意識から懸け離れたものだったのではないか。
普通はこれだけのことをすれば元均の方が首にされるが実際は逆だった。
元均は出世し事の理非さえ訴える事が何故か出来なかった李舜臣の方が首。
912 :03/03/27 20:48 ID:cSnS+t4N
これを今の感覚では李舜臣は立派な人間で、
元均の一方的な讒言だけで首になったのだというだろう、
しかし本当にそうなのだろうか。
913 :03/03/27 20:53 ID:cSnS+t4N
朝鮮南岸の民衆が倭寇と化して同胞を襲ったという事件も多々ある。
いわば倫理も弁えず何が裏切りかも分からないだろうと見られていた、
そんな人達の出身だったとすれば当然の事ながら徹底して隠しただろう、
そうしなければ朝鮮では官吏にもなれなかったろう。
元均の讒言の内容というのは、これだったんじゃあるまいか。
翻って20世紀以降日本に渡ってきた人達にも朝鮮南岸の人達が多いという。
914 :03/03/27 20:59 ID:cSnS+t4N
いずれにせよ李舜臣は忠武公とおくりなされて、
祖先代々の墓?に眠っているのだろうか。
一人の人間として打たれ強く道を過つ事無く、
生まれ育った祖国のためだけに全ての力を出し切った姿は非常に清々しい。
915 :03/03/27 21:02 ID:TZNf8G20
>海辺民は人間扱いしない事が普通だったんだろう。

応永の外寇もそんな感じだね。
対馬が朝鮮の米を生命線にしていることを知っていて、
「お前らの島は倭寇の基地だ」って難癖つけて虐殺しにやってきたわけだから。

この後、足利義持が激怒して朝鮮討伐を企画すると、
すぐさま李朝から使節がやってきて平謝り。
弱きをくじき強きになびく朝鮮の属性は昔から変わらんw
916 :03/03/27 21:19 ID:43BJyn0Y
>>908
907だが何がどう電波なのか聞かせていただきたいものだ。
倭乱当時の記録は当事者が遺してくれているが、半島のものがもっとも
信憑性に乏しいのも秀吉の成果かな?
李氏朝鮮における武人の扱いはおよそ非人を扱うに等しいもので、
外冦を退けた後、軍人への報賞が見られない理由は要約すれば
「侵攻を許し国土の壊乱を招いた」つーこと。両班が武人に優越していた事を
「シビリアンコントロールが成立したいたからだ」とほざいたヴァカがいたが、
それなら統帥を管掌する両班の責任はどうなのか小一時間。
李が倭冦かどうかはともかく両班でも軍人でもない出自なのは動かせまい、馬鹿が。
917 :03/03/27 21:37 ID:JDIkNcpg
李朝が明から貰ったハンコは金印でしたっけ?

それはともかく、当時の日本と朝鮮の貿易は日本が銀を出して、朝鮮から色々買っている状態だ。
日本はまだ木綿や絹を自給できていない。
日本が布を買っていくので、朝鮮側が物凄く困った記録も残っているらしい。
(布が通貨替わりだったから、相場が乱れると影響が大きいわけだ)


倭冦は朝鮮内の布を売り、銀をためこむ危険分子だったのではないか。
918megrim:03/03/27 21:44 ID:CtoFcrgk
>>916
>李が倭冦かどうかはともかく両班でも軍人でもない出自なのは動かせまい、馬鹿が。
過去ログにもあるが…。
李舜臣、一応は文班の家。大本は高麗の中郎将・李敦守で、その12代孫な。
919 :03/03/27 21:48 ID:43BJyn0Y
>>917
高麗の前に銀を貰ってましたな。
李兆はどうかしら。
>銀をためこむ危険分子
財産を没収したいとは考えていたでしょう。口実と実力が伴わなかったから
できなかっただけで、まわりの政情が安定していたなら征伐の軍をどこからか
借りてきていたはず。
920   :03/03/27 22:17 ID:RpX36kNE
>916
916で李が倭冦かどうかはともかくと君がかいてるね。

俺が電波といってる906は↓こうだぞ。
李舜臣倭寇説は大変素晴らしかった。
従来謎とされてきた彼の経歴上の疑問点に対して明快な説明になっているのがGood

君は李が倭冦かどうかはともかく言っていながら
李舜臣=倭寇説を電波だとおもわないのか?
921 :03/03/27 22:20 ID:IzJkx/X4
おいおい、>>906を電波だとする根拠は?
後期倭寇が朝鮮に居ないと決め付ける方が電波だろ?
荒らさなくなったからという理由で、そこに倭寇が居ないと判断するなら、
五島列島にも倭寇は居なかった事になるんじゃないのか?


922 ◆tsGpSwX8mo :03/03/27 22:23 ID:j5evpqEM
ID:RpX36kNE は忠武公か?
923 :03/03/27 22:27 ID:IzJkx/X4
>>922
ああ、そうかも。
どうやら李瞬臣が倭寇だという事実がお気に召さないだけのようだ。
論理が穴だらけだから妙だと思ったが。
流石にあのコテハンが恥ずかしくなる程度には学習したのかな?w
924 :03/03/27 22:34 ID:ufp9evR7
チューブ公あたりが妥当かと。
925  :03/03/27 22:35 ID:RpX36kNE
>921
根拠は当時の文献
倭寇(後期)の大部分は中国人で、日本人は2、3割程度とある

半島人については触れられていない。

おれは根拠を答えた。
半島人にも倭寇がいたかもしれないが、裏づけはあるのか。
君はおれが電波だという根拠をもってるのかい。
926megrim:03/03/27 22:42 ID:CtoFcrgk
>>925
朝鮮王朝実録・世宗実録に「倭寇を捕らえたら、倭人の服を着た我が国の民だった」
こうあるんだけど、それは無視かね?
927662:03/03/27 22:44 ID:tiMW132q
「民族は一つ」

朝鮮民族がよく使う言葉だが、実は一つではないのだ。
朝鮮半島の政府から見ると、朝・慶尚道系という「ウチ」の
人間と野・全羅道系という「ソト」の人間の二種類がある。
海辺民もまた「ソト」の人間の一種で、独自勢力を伸ばした
一時代、「倭寇」と呼ばれるようになった。
古代から続くこの対立は深刻で、朝鮮民族の宿阿といっていい。

さて「ウチ」の人間にとって、「ソト」の人間というのはどのような
扱いをすればより有益なのか。ありていに言ってもいいが
そんなことすると多分スレが埋まりそうなので、とりあえず言わ
ないでおく。

結局、「ウチ」とは子供にもわかるネイカイさで振舞う、政治的な
「だけ」の人間。俗物。「ウチ」と「ソト」をいろんな風に当てはめれ
ば、あの民族の正体がわかる。

外国にとっては嘘でもあるが、本当の部分も多いから始末に負
えない・・・アレで同じ民族なのか?と疑心暗鬼になる。

答え。民族は同じでも一つじゃないから、民族というものが
一つのものと認識されてないからああなるんです。

絶対王政や全体主義の経験があったならば、普通の民族では
こういう世界もなくなっていくもんなんですが、あの民族に
とってはこの病気をさらにひどくするだけのもの。

はっきり言いまして、あの民族には英米型民主主義が
一番まともに収まりそうな政治体制なんじゃないかという気が
しますが、如何。
928  :03/03/27 22:51 ID:RpX36kNE
>926
いや、それは知らなかった。
朝鮮の文献には興味がないので勉強になりました。

しかしソレだと李舜臣倭寇説になるほど倭寇が半島にいた、つーには弱くない?



922,923 おまえらや基地外在日が来る前から書き込んでたんだがね。
人を半島人扱いするようなやつは氏ね
929 :03/03/27 22:57 ID:43BJyn0Y
>>928
自分のスレをも一度嫁。
ひと、これを”自爆”といふ。
興味の無い事柄に首つっこんでんじゃねえ。
930megrim:03/03/27 22:58 ID:CtoFcrgk
>>928
弱くない、十分だよ。
海辺の住人が海賊家業に手を出すのは、本業の漁業や副業の農業で食っていけるわけではないからでそ。
半島の気候風土や土壌を考えると、世宗の時代から宣祖の時代(この間150年)に移っても
到底海賊家業から足を洗うほど水産資源が豊かになったり、農作物の生産量が増えるとは思えない。
故に、倭寇が半島にいたという根拠になりうるのですよ。
931  :03/03/27 23:20 ID:RpX36kNE
>930
ではこちらの異論を  田中建夫氏(倭寇研究の第一人者だそうだ)の意見の又聞き

倭寇(前期)は正規の貿易が断絶し密貿易が盛んになって生まれたとされている。
倭寇には日本人(原文悪徒)より高麗の窮民が多くいたことも高麗史に記している。

日本が南北朝統一し、朝鮮半島に朝鮮王朝が建ち両国が国交を開いた時、正規の貿易が復活。
この時、倭寇鎮定に功のあった宗貞茂は、朝鮮国より通交貿易の特権を与えられ、
賊首と呼ばれた土豪たちも通商業者に変身した。

朝鮮人の倭寇が大量にいたのはあくまで前期の話。


確かにmegrim さんの言うように生活は苦しかっただろうし
朝鮮王朝実録・世宗実録に「倭寇を捕らえたら、倭人の服を着た我が国の民だった」
とあるのなら朝鮮人の倭寇もいたのだろうが
少数であり海戦をするほどの勢力はなかったとおもうのだが。
932megrim:03/03/27 23:28 ID:CtoFcrgk
>>931
通商業に携わったのはあくまで「宗氏が交易を行った地域の土豪」であり
それ以外の地域は?だね。
当時は略奪貿易が当然の時代だよ。少数とする根拠にはなりえないね。

論拠を出すなら、又聞きは止めたほうがよい。信憑度がガタ落ちだ。
933  :03/03/27 23:37 ID:RpX36kNE
>932

謙遜のつもりだったが通じないのね・・・・・

朝鮮王朝実録・世宗実録以外に多数の朝鮮人倭寇がいたとされる根拠はありますか?



934 :03/03/27 23:41 ID:F4eBL+FR
>>931
さすが歴史家は考証が緻密。
ただ倭寇扱いされていたのは海辺民であり、
儒教的な良民は農業に従事すべきだという考えの押付けから、
従来の先住海辺民が蔑視されるに至った。
この海辺民を李朝側が倭寇と見ていたというのであって、
例えてみれば儒教を統治システムに取り入れた江戸幕府で、
さも農民が全ての根本であり、商工漁民が軽視されたのと一緒。
935megrim:03/03/27 23:42 ID:CtoFcrgk
>>933
中国の史書以上に、朝鮮の史書は王朝の汚点が残りにくい。
理由は簡単。死んだ国王の側近が編纂に携わったり、
中国のように新しい王朝が前の王朝のことを記すわけではないからだ。
現在進行形で続く王朝の正史に汚点とも言うべきことが記されているのだ。
これ以上の根拠はあるまい?
936 :03/03/27 23:43 ID:F4eBL+FR
倭寇といい倭人と言っても、これは海辺民の事であって、
だからこそ「予防的」に海辺民を殺害する事も許されていたのでは?
非農耕民たる海辺民=倭人=必ず倭寇となる人々、
という概念があったのではないだろうか。
その意味での倭人が大量に朝鮮南岸の海沿いや島嶼部に存在していたと。
先史時代から続いた両岸文化圏が秀吉の倭寇取締まりや、
日本側の幕藩体制の確立によって最終的に日本側から終焉され、
本格的に朝鮮南岸の非倭人化が進んだと考えられるのではないかとも。
937  :03/03/27 23:45 ID:RpX36kNE
>935

それが根拠ですか、他にはないようですね。

了解しました。
938 :03/03/27 23:58 ID:F4eBL+FR
済州島には相当後まで倭人的要素が残っていたのではなかろうか。
どちらにしても通行し交易する船舶が途絶え貿易ルートから外れると、
朝鮮南岸は文字通り乏しくても農耕だけで生活せざるをえなくなる。
日本側の江戸時代突入で東から通過する船も皆無となり、
通行する船舶も無くなって19世紀の黒船を迎えると。
日本海側の大規模な港湾都市が明治時代に入って廻船航路から外れると、
一変に地方都市に変わって行ったのと同じ事が、
これ以降の朝鮮南岸でも起こったのかもしれない。
倭人といい倭寇といい最小限の漁労を事とする海辺民と言うだけではない、
ルートを通る交易に何らかの形で係わっていたからこそ存在し得ただろうから。
新羅時代には半独立の大貿易業者さえも出てくる朝鮮の海辺民の歴史は、
日本側の幕藩体制確立で幕を閉じたのかもしれない。
文字通り朝鮮南岸が中華文明圏の終点になる事によって。
939 :03/03/28 00:01 ID:0iSyFe96
 孫引きですが日本歴史学の通説を集めた本「国史大辞典」によれば前期倭寇は80〜90%が朝鮮人
 後期倭寇は80〜90%が中国人とあります。
 以上井沢元彦「逆説の日本史」より要約 

世宗は前期倭寇の時代の人なんですがそこのところわかっていますか?>933

 前期後期ともに日本人が圧倒的少数派というのはそれだけ対日貿易がおいしかったということなんでしょうか。
940  :03/03/28 00:14 ID:vhFotBAV
>939

朝鮮王朝実録・世宗実録の
「倭寇を捕らえたら、倭人の服を着た我が国の民だった」て
世宗の時代(1418-1450)のことなのですか?



941 :03/03/28 00:17 ID:pckEEHDh
>>940
>「倭寇を捕らえたら、倭人の服を着た我が国の民だった」
1400年代からアイアムザパニーズ…
942megrim:03/03/28 00:17 ID:qJqD7PVo
>>940
具体的に言うと、その文がでるのは世宗の28年・1446年です。
判中枢院事の李順蒙という人物が報告しておりますので、
同時代の個人の記録物漁れば出る可能性はあります。
943 :03/03/28 00:18 ID:YfnuGkB2
日本と中国の貿易ルート上に居住する人達を構成別に見れば、
倭寇の構成員比率も自然だとも思える。(前期朝鮮中国北部、後期中国南部)
朝鮮が倭寇を異民族だと言ったのも、
実際に先史時代からの倭人文化圏が残っていたからじゃなかろうか。
対日貿易というよりは日本と中国を往来する大量の貿易船の活動に、
ルート上に居住する人間として関るだけで良い。
紀伊半島の南端は今でこそ過疎地だけれど江戸時代には大阪と江戸を結び、
大量の船が往来して必ず通過するために大いに繁盛していたらしい。
朝鮮正史からは倭人と一言に斬り捨てられている海辺民も、
長期にわたって結構繁盛していたんじゃなかろうか。
東からの船が絶えた江戸時代が例外であって、
それ以前は中継地点として通行する私貿易船は絶えなかったろうから。
駅でも終点の高尾よりも中継地点の新宿の方が栄えているのと同じで。
944 :03/03/28 00:20 ID:YfnuGkB2
15世紀といわず16世紀の記録にも倭服を着ている朝鮮人の記録がある。
倭人を騙っていたんじゃなくて恐らくは倭人そのものだったんだろう。
945 :03/03/28 00:25 ID:YfnuGkB2
自らの祖先を百済の王だとし長きにわたって朝鮮貿易で栄え、
時には細川氏と中国貿易で激しく争った周防長門の大内氏も、
全羅道あたりの朝鮮南岸倭寇の出身だった可能性すらある。
日本の豪族である大内氏が朝鮮貿易で栄えたのではなく、
中国日本間貿易で栄えていた朝鮮倭寇が日本で大内氏を名乗った可能性。
946megrim:03/03/28 00:25 ID:qJqD7PVo
>>944
朝鮮人が倭人の服を着れば倭人に見えるかも知れないが
倭人が朝鮮人のフリをしようにも、あのエラとツリ目だけは真似できないと思われ。
947662:03/03/28 00:33 ID:L4pVjkQo
倭寇海賊といっても必ずしも略奪暴行してばかりだったというわけでもない。
今のギャングヤクザでもそうだが、そんな商売、大抵、身が持たない。

基本的に、彼らの生業は「水上間取引」なのだ。
麻薬や、奴隷や、あるいは暴力の類でも、彼らにとってはあくまで「取引」の対象なのだ。
しかしこれらは政府がとても容認できない品であろうから非公認なのはいうまでもない。
もしこれが普通の金品であるならば問題なさそうだが、非公認だったら「密貿易」。
それだけのこと。

倭寇というのは言ってみれば「非公認活動をする東アジアの海辺民」であって、もし彼らの
活動全てを公認すれば、あるいは公認という概念で峻別すれば、非公認活動も減るため
倭寇も少なくなる構図になる。つまり、彼らの増減は公認の範囲による峻別如何に拠るのだ。

しかし注意していただきたいのは、これはあくまで公的な立場の見解に過ぎないことだ。
私掠を禁じれば彼らの戦闘能力を殺ぐことはできるが、それにも限界がある。
彼らは自衛のためにも武装解除を固辞するだろうし、それは容認する必要もある。
また彼らが少なくなることは、彼らの絶対的な人口が少なくなることを意味しない。
船上の作業は共同作業であり、故に彼らの共同体意識は強い。
もし何らかの理由で公認が有名無実になったら、あるいは無制限になったら。
彼らはその共同体意識を前面に持ち出して増加することだろう。

従って「少なくなった、いやまだ多い」という理論を展開するのは、少々難しい話になるのだ。



948  :03/03/28 00:42 ID:vhFotBAV
>942
すっかり騙されました。
名前は世宗実録でも倭寇の記述は根拠に出してるのだから当然16世紀以降だと思ってました。
結局、倭寇が海戦できるほどいた根拠があって話してた訳ではないのですね。


で、人を在扱いした奴らは逃走かなw

>944
そのうち和服も半島起源にされるかもしれん(鬱
>946
不思議な事に半島人てエラについて自覚が無いんだよな〜  なんでだろ?
949megrim:03/03/28 00:59 ID:qJqD7PVo
>>948
おや?騙したつもりはありませんぞ?
それに「海戦できるほど」とはどのような定義があるのですかな?
貿易が行われている限り、海賊家業はなくならないのですよ。
よほど、李舜臣倭寇説がお気に召さないようで(苦笑
950662:03/03/28 01:01 ID:BwnFq4kV
「李舜臣(軍)=倭寇」説の先鞭をつけたものとして弁明致しますが、
私は倭寇だとは思っていません。強いて言うならば「倭寇の残渣の
ようなもの」でありましょう。

>>947で共同体意識の事に触れましたが、倭寇のそれは「国家」を
超え、「民族」を超越しようとしたものといえます。しかしそれは公認
という形で、彼らをして共同体意識の上に「国家」を立たせた。しば
しば実力を行使して。結果、倭寇は変質し衰亡していった。日本に
おいても、朝鮮においても。

朝鮮役の時代の朝鮮水軍の構成員は、昔日の、(いわゆる前期)倭寇
ではなかったのではと私は思います。
951  :03/03/28 01:11 ID:vhFotBAV
>949
気に入らないわけではなく、おかしいといってるんだけどね
当時の資料と合わないといってるだけで
きちんとした資料を基にした説なら電波なんていいませんよw

>950
少なくても操船ができて近海のことをしってる人が李舜臣(軍)にいたのは賛成
それなら倭寇という言葉をつかわなければいいのではないでしょうか

倭寇についてはそれなりに研究してる方もいますから
自分のように?となる人もでてきますよ
952662:03/03/28 01:12 ID:p2OMZvn+
>>950
文章下手ですね・・・スマソ

>>947で共同体意識の事に触れましたが、倭寇のそれは「国家」を
超え、「民族」を超越しようとしたものといえます。しかし国家は公認
という方針で、彼らをして共同体意識の上に「国家」があることを意識
させた。結果、倭寇は変質し衰亡していった。日本に おいても、
朝鮮においても。

953662:03/03/28 01:15 ID:p2OMZvn+
>>951
ううん、先鞭をつけたと言いましたが、私は>>500のように言っただけなのですよ・・・
954662:03/03/28 01:19 ID:p2OMZvn+
あ、しまった、>>662で倭寇といってしまってますね。
わはははは (^o^;;;;;; ← 馬鹿
955megrim:03/03/28 01:26 ID:qJqD7PVo
>>951
きちんとした資料が存在しない人物だから、ああいう想像ができるのですよ。
きちんとした資料が存在するのに、的外れな妄想全開にするチョソといっしょにせんで下さい。
956 :03/03/28 01:26 ID:shMCzbQp
>951
あくまでも「仮説」の域なので、電波扱いはどうかと。
「李舜臣倭寇」説ってのは、あくまでも「仮説」として私は読んでいましたが。
957662:03/03/28 01:40 ID:buDxoO6y
きちんとした資料を読むと、不可解な点が生じる。
だからこれはきちんとしてない資料だとなる。
李舜臣もまたその中にいる。

仕方がないので仮説を立てる。
しかし決定的証拠がなければ、あくまで仮説の域をでない。
面白くもあり、残念でもある。
958通りすがい:03/03/28 01:43 ID:FPuMk93X
>>957
だから歴史は面白い。
959  :03/03/28 01:44 ID:vhFotBAV
>955
megrim さんは資料もちゃんと利用してるし決してチョソといっしょなんて
失礼なことはしませんよ

>956
906〜907をよんだらクラクラきちゃったんで
言葉がきつかったですかね。

960 :03/03/28 01:58 ID:shMCzbQp
>959
最初に「電波」と言ったのがまずかったんじゃないかと。
まあ、その後の在日認定もどうかと思ってますが。

「李舜臣倭寇説」に対する反論意見としては素晴らしいと思いますよ。
しばらくこの説に確定ランプがついていたので。
固まりかけていた考えから、すっと離れることが出来ましたし。

実際、>957氏が言われている通り、不可解な点から仮説を立てることで歴史が実証されてきたんじゃないかと。
最初は仮説で始まって、消える仮説もあれば、決定的な証拠が見つかって事実になるものも。
そうして歴史って積み重なってきたと思います。
あまりにもひどすぎない限り、「電波」扱いは避けた方が…
961釣られ師@ハン:03/03/28 02:09 ID:/cILvvSl
http://www.u-shimane.ac.jp/kikakuka/kikaku/contents/u-shimane/lecture_wakita.htm
>石見銀山とアジア
>天文2年から10年後の天文12年に鉄砲が伝来する。
>今まで、それを関連づけて考えた人はいないが、
>私はこれも銀を目当てに来たのだというふうに考えている。
以前868で種子島時堯に触れたが、「琉球王国との修好に努めた」とあった。
そして(さんざん既出ではあるが)
>後期倭寇というのは、日本人は当然のこと、倭寇という名をかりて、
>中国人に、スペイン人、ポルトガル人、李氏朝鮮の人なども加わった混成集団である。
>東アジア海域全体の私的水軍で、時には海賊にもなり、時には貿易商にもなる、
>そのような水軍団というものが東アジア全体に跳梁してくる。
>それが統一化してきて、天文段階には王直という大倭寇が出てきた。
>五島列島などに根拠地を置いて、明国、李氏朝鮮をはじめ東アジア諸国で活動していたのである。
とある。これらから類推するに、
日本(銀)⇔朝鮮(生糸・木綿)、日本(銀)⇔琉球(中継基地)⇔明(生糸)
の交易ルートを仕切っていた多国籍後期倭寇(武装商人又はパイレーツ)の
幹部の明人が李舜臣という、仮説が想定できる。
李家の系図をカネで買ったんだろう・・・
以上、皆さんの議論からの推論です。


962儒学者:03/03/28 02:19 ID:eDSw7rH1
スレタイとはあまり関係ない話になるけど、この時代の儒者・藤原セイカ
は、この朝鮮出兵の時に捕虜として連行されてきた朝鮮の人・姜抗に向か
って、「日本ではその人の人格や学識ではなく、槍働き等のような野蛮な
振舞によってその人の身分が決まる。だから私はこの、野蛮でガサツな日
本の社会体制が嫌いだ。科挙制度がきちんと整い、野蛮さによってではな
く、人格や学問で社会に身を立てられる明や朝鮮が羨ましい」と漏らして
、後に朝鮮に渡航してその地に永住しようとしたが果たせなかった、と言
うエピソードがある。また、現在「瀬戸焼」や「伊万里焼」として芸術品
扱いされている焼物などは、この戦の時に捕虜として連行された朝鮮の陶
工が伝えた技術が元になって出来た物である。
と、まあこの事からもわかる様に、その頃の朝鮮は軍事面においてはとも
かく、文化の面と社会体制の面では間違いなく日本より上であった。故に
軍事力が劣っていた事だけを理由に朝鮮を糞呼ばわりするのは愚の骨頂な
のである。
963 :03/03/28 02:21 ID:shMCzbQp
>961
李舜臣=明人ってのはちょっと無理があるかなと。
一応なりとも李氏朝鮮のために戦っていた訳だし。
私自身の仮説としては、李舜臣本人ではなく、郎党あるいは募兵した人間の中に、
後期倭寇の幹部が多数含まれていたと考えています。
忠武公が延々と言っていた「英雄的な天才的軍知」などではなく、
「海戦経験のある人間との相談の上での行軍」じゃないかなと。
まあ、半島サイドの資料は誇大な数字でちと信頼出来ないんですがね。
964megrim:03/03/28 02:23 ID:qJqD7PVo
>>962
しかし、その「優れた文化」の担い手である陶工を賎民扱いし差別していたのは当の朝鮮人。
文化面と社会体制で日本より優れているというが…
文化面は文化そのものを蔑視しており、
社会体制は隋・唐時代の中国よりも劣る。
しかも、日本の社会体制は中国人が理想とする封建体制。
んで、どこが日本より上なの?
965釣られ師@961:03/03/28 02:24 ID:/cILvvSl
五島列島の多国籍後期倭寇型総合武装商社が
シーレーン防衛の為、偽李舜臣と全羅道OB軍団を
朝鮮国に「外人部隊」として派遣したとオモワレ。
島津家は、同交易にコミットしていたため
島津家水軍は「親明派」「親日派」に分裂して
文禄開戦初期、内部抗争があったとオモワレ。
966 :03/03/28 02:34 ID:shMCzbQp
>962
当時の日本は戦国時代にあって、机上の空論で終わる可能性がある儒学よりも、
実学の方が優位になっていただけじゃないかと。
戦乱の時代に「人間とはこうあるべき」なんてことを言っても仕方が無い。
崩れた社会体制の中で必要じゃなかったと思われたから軽視されたのでは?

陶磁器だけを取り上げて「文化レベルが低い」ってのも乱暴じゃないかと。
狩野永徳や長谷川等伯などに代表される絵師もこの時代。
現在にも残る茶道が出来上がったのもこの時代。
私には「桃山文化は朝鮮文化よりも低い」とは言い切れないと思いますが。
967いつもの名無しさん:03/03/28 02:37 ID:9fRRmgK7
>>964
儒教依存度は日本よりもはるかに上だったと思われ。
そりゃ儒学者にとっちゃ地上の楽園でしょうな。
国家が自分の思想の体現者なんですからw
968:03/03/28 09:26 ID:+wmQl0jT
社会制度の優劣を判断する基準になるのは、
人材を効率良く育成し、当人の資質に見合う適切な権限を持たせる事が出来るかどうかだろう?
李舜臣すら冷遇し政治的に抹殺する国が実力主義の伝統を育んでいた日本に勝る筈がない。
969:03/03/28 09:57 ID:Gg5j5dL8
当時、朝鮮半島に住む農民以外の民衆を倭寇と呼ぶのは、
現代日本における在日鮮人を鮮寇とでも呼び慣わすようなもんか?
970 :03/03/28 10:18 ID:X5ab2Huh
>>962
文官としては、武官優越の日本の状況にうんざりするのも無理はない
ですよ。戦場で首をとってくる武官が偉いわけです。儒学者にとって
はたまらないでしょう。しかし当時の
日本が「実力主義」であり、門閥などですべてが決まる社会では
なかったのも事実です。倭寇にとらわれた朝鮮人のなかでその中に
どっぷりとつかってしまった男が、そこが自由な世界であると供述
しているのもそのためです。このような国にあこがれた人もいた
わけです。陶器にしても、これを「発展」させたのは日本ですよね。
この時代の日本は、芸術家として、優れた人物を
輩出しています。国際的に名が知られ通用する人々です。
韓国の場合は、ーー。当時の日本は、韓国よりも遙かに文化が高かったという結論しかでません。儒学と
陶器のみをあげて、文化が高かったというのは、幼稚な論です。
「妄想」の世界に生きるのはやめませんか。
971:03/03/28 11:34 ID:0GPfxCei
李舜臣が倭寇と関係がある。実に面白い仮説だと思います。まだ仮説ですが。
物証を探したいものですね。
でも、李舜臣の墓を発掘しても、遺体は海の底でしょうから簡単な副葬品しか出てこないでしょうね。
とにかく資料が無い。

倭寇の船団の到着は、生命の危機であるのと同時に、莫大な富を生むチャンスでもあります。
微弱な村落経済にとって、船団の存在は資金の流れを生む起爆剤。
倭寇は友好的に貿易のできる港湾を経由して沿岸を航行し、安全保障も含めて利益を提供できる港湾は通過税などを得ていたのです。
もちろん、貿易が成立しなければ略奪を招きますし、敵対する勢力の倭寇が無警告に略奪する場合も多かったでしょう。
朝鮮沿岸全域に倭寇の襲撃記録があるというのは、それだけ倭寇を受け入れる港が多かったということでもあります。
当然、朝鮮人の倭寇も多くなるわけです。

海賊船団が寄港した港の、緊張と期待の混ざった興奮。想像するだけで楽しくなりませんか?
別のソースが出てきたら、この議論を再開したいものです。期待しています。
972桃山マンセー:03/03/28 12:06 ID:eDyxa1Ap
>現在「瀬戸焼」や「伊万里焼」として芸術品
>扱いされている焼物などは、この戦の時に捕虜として連行された朝鮮の陶
>工が伝えた技術が元になって出来た物である。

巧妙にデンパを飛ばさないように。
伊万里はともかく、瀬戸は違います。

>文化の面と社会体制の面では間違いなく日本より上であった。

この場合の「文化の面と社会体制の面」で上だったというのは何を基準に言ってるの?
桃山期の文化に匹敵する李氏朝鮮の文化ってなんだ?
確かに「朝鮮儒教」の浸透度で桃山期の日本は李氏朝鮮には足元にも及ばなかったがw
水車1つも模倣できない拙い科学技術、迷信・呪術・風水が政治的に力を持ち、
理気論争に時を費やす政治体制が桃山期の日本より上とは俺は思えないがね。
973儒学者:03/03/28 12:06 ID:MLwqbXqF
>>964-968
ほう、そうですか。その「実力主義」とやらがいつまで経っても
朝鮮の儒教文化と結びつかなかった結果が、近代以降における、
いわゆる「日韓併合」や「南京大虐殺」のような蛮行に結びついて
いったと言う訳ですね。無駄ですよ。そんな野蛮な文化というには
余りに低劣過ぎる者を適当に美化しても。
本当に考えの進んだ人達やものを見る目のある人達はきちんと見て
いるぞ。まあ、あんた達のようなすぐ感情的になる人達や、この板
の諸スレを見て嫌韓になった人達はこれを良く見て考えを改めなさ
い。
http://www.jca.ax.apc.org/JWRC/index-j.html

974儒学者:03/03/28 12:11 ID:MLwqbXqF
>>973
追伸:特にその中にある「平和資料館」の諸記事は要チェック。
自分達の祖先の野蛮ぶりに辟易して、お盆参りするのも恥ずかし
くなると思うよ。
975:03/03/28 12:27 ID:02TDXMCV
>>973>>974
「武」「悪」を過剰に排斥する社会が健全とは思えないな。
(ただし、江戸期以降の解釈ではなく、桃山時代の用例&解釈で)
歴史的経緯や地政学的位置づけの違う文化の優劣を比較しても無意味かと。
ただし、押さえておくべき点はある。
・桃山文化とは、武力以外に新たな価値創造を模索した過程であること
・信長や利休の理想を、過剰に体現したのが秀吉であったこと
・文化バブルの存在
・社会秩序の再構築に伴い、桃山文化は自然消滅&様式化していったこと

当時の李朝の文化の要点を列記してはくれまいか?
976  :03/03/28 12:35 ID:vhFotBAV
>973
ハン板では論破されまくってコテハンの在日は避けて通る
「日韓併合」や「南京大虐殺」を持ち出すなんてw

977:03/03/28 12:38 ID:02TDXMCV
>>973 儒学者殿へ
標記のURLとリンク先には、近代の情報しか無いよ。
欲しいのは15-16世紀の情報やそれに関連する資料。
なにか有益な資料があるんなら、内容と短評を付けて直リンして欲しいが?
978桃山マンセー:03/03/28 12:42 ID:eDyxa1Ap
>>975
桃山文化っていうのは唐物の大量流入から始まった室町文化が
日本流に進化(もしくは深化)発展させたもの、日本流に消化されたものであって、
文化バブルとはちょっと違うと思うます。茶器の高騰なんて室町時代からあったしね。

>・信長や利休の理想を、過剰に体現したのが秀吉であったこと

信長のやっていた茶の湯と、秀吉、そして秀吉下で利休が始めた
茶道は少し毛色が異なる。秀吉と利休でも茶に対する考えは異なるし、
利休は秀吉の下で初めて創作茶道を始めるわけだし、
すくなくとも信長は茶道を全国津々浦々の庶民までもにやらせようなんて思想は無かった。

ちょっと気になったので。
979:03/03/28 13:01 ID:02TDXMCV
>>975
文化というのはその時点での支配者の影響を濃厚に受けるので、例外の塊です。
故にご指摘はごもっともです。
文化バブルの絶頂期はやはり秀吉の時期でしょうか。
室町時代から熱狂的な文物収集(唐物狩など)はありましたが、茶器に一国一城の価値を付与する狂乱はありません。
実体以上の価値が創出されるのがバブルであり、この戦争の損益分岐点を押し上げた影響は計り知れないでしょう。

信長は秩序維持型の平和を模索し、自軍の武将に禅を勧めていますね。つーか、強制♪
秀吉の炭薪奉行時代のエピソード(出典不明。江戸期の創作の可能性も)では、武家の統制強化&文化普及の実行役に秀吉が顔を出しますね。
信長が家臣団や周辺組織の統制強化にとどまったのに対し、秀吉は庶民までも含めようとしたのではないでしょうか。
だからこそ、天下茶屋のような大イベントをやらかす訳です。
決して儒教道徳を利用しようと考えなかったのが、戦国武将の共通思考なのでしょうか。
980:03/03/28 13:07 ID:02TDXMCV
>>979
×戦争の損益分岐点を押し上げた
○戦争の損益分岐点を押し下げた

文物や文化への過剰な評価が、戦争によって得られる財物の価値評価を高騰させていたのではないかと考えるのです。
骨董品を盗んでまで欲しがる者は余程の数寄者だけですが、市場価値があって流通すれば話は変わります。
981 :03/03/28 13:08 ID:vk25Dxi5
>>979
天下万民への平和の配当でしょう。
人民が平和を実感できて、士気があがり指導者を熱烈に支持するのは、
楽しい時だけです。ヒトラー然り。
国民に楽しい休日のための車をプレゼントして呉れたチョビ鬚のおじさんと、
パーマネントやめて節約汁!と説教してくださるおばはんとどっちが好き?
982桃山マンセー:03/03/28 13:14 ID:TE2eYaGP
>>979
表現方法の違いだけでほとんど同意でした。ちょっと生意気言ってしまいました。

>文化バブルの絶頂期はやはり秀吉の時期でしょうか。

やはり当時の世界的な決算手段である銀の大量産出が大きいと思われます。
ここだけは「ま」さんと見解が違って、
「文化バブル」というより銀による「バブル経済」でないかなと意固地にこだわります。
ほとんど同じこと言ってんですけどねw
983 :03/03/28 13:31 ID:vk25Dxi5
>>982
横レス失礼。「銀によるバブル」そうかも知れません。
秀吉体制下での物価動向はインフレを示すもの。消費の爆発的拡大・
通貨供給の拡大・貿易による一部物資の高騰。これらによる成長の気分が
重視できますね。
関ヶ原以降の大阪動乱がそれに一段落はつけたものの、徳川政権による
「復興事業」--江戸をはじめ各都市の整備という公共投資と、生産力拡大に
支えられて内需が元禄期まで右肩上がりだった・・・余談失礼。
984 :03/03/28 13:36 ID:/34nFPF1
>>981
「数寄者は皆北野の大茶会に集まれ、来ない奴はもう茶をやってはならんぞ」っていう
秀吉の触れも、研究者の間では「秀吉一流の茶目っ気」と解釈するのが主流だもんね。
秀吉の他の政策とは違い、
茶の湯に関しては独裁的に強制的にやらせるという姿勢、統制の意味ではなく、
とにかく秀吉が与える平和を心ゆくまで楽しめって感じだね。
985儒学者:03/03/28 13:41 ID:MLwqbXqF
>>975
李朝の文化を簡潔に表わすと
・日本の戦国期等のように次から次へと余計な物を生み出すような
事をせず、元からある物で満足するという、ある意味達観している
と言って良い「足るを知る」という優れた精神文化。

・上と関連する事だが、そういう世界史的な観点から見ても極めて
高度な精神文化によって政治だけでなく国民に至るまで優れた精神
性を持つにいたり、李朝時代だけでも実に五百年に渡る平和と繁栄
を維持してきた、と言う事。(日本だけでなく世界のどこの国の歴史
を見ても五百年もの長きに渡って社稷を維持してきた政権・国家なん
てのはそうざらには無い)

・長きに渡る平和は、江戸期の日本の知識人達がお手本とするような
文学の文化を作り上げた。(例えば、先に上げた藤原セイカの件や、
朝鮮から通信使として来ていた文官に日本の韓学者や文人達が自分達の
作った文章・詩歌の添削を求める事がよくあった、等)

・「朝鮮人参」という事から解る様に、この時代の朝鮮は独自の漢方医
術が主に薬学の分野で発達し、また、この当時、多くの戦国大名がより
どころとしていた金山・銀山の鉱石を精錬する技術も、多くの場合、中
国からではなく、朝鮮から伝わってきた。
以上が、私の知っている李朝の文化。
結論すれば、日本人よりも優れた精神性を持つ朝鮮人が、ながきに渡る
平和と、日本の文化よりも優れた文化を持っていた、と言う当たり前の
所に行き着く罠。
986:03/03/28 13:41 ID:02TDXMCV
>>982
ご指摘サンクス、銀の産出量が激増しているのは影響していますね。
貿易の手段があるのに明が鎖国しているのは、収益機会の損失ですからよね。

日本で銀の産出量が下落を始めるのは、名君と呼ばれる徳川吉宗の時代です。このアホタレの就任直後から一気に生産量下落が始まります。
鉱脈が尽きたというのが公式な理由ですが、半分以上嘘です。鉱脈はやや深いながらも、まだ残っています。
経済を引き締める場合、通貨の供給を減らすのが有効ですから、新規投資を細めたのですね。

秀吉の時代は、経済を拡大する意思も手段もありながら、貿易圏を拡大できない不満があったのでしょうね。
倭寇は政府の規制を非合法にかいくぐる集団。海賊か商人かは、単に政府の解釈の問題ですから、
貿易ルートが確定すれば海賊は減り、政府に公認された水軍が増えるわけです。
ところで、銀の流通は中南米を領有するスペインも含んだ、全地球的な問題になってきますよね。面白いです。
987儒学者:03/03/28 13:46 ID:MLwqbXqF
>>977
つまり、私が言いたかったのは、古来より日本人にある野蛮な性格が
いつまでたっても改善されなかった為にこのような悲劇が起こった、
と言う事を言いたかっただけで、そのURLはこのスレタイとは直接
関係は無い。
>なにか有益な資料があるんなら、内容と短評を付けて直リンして欲しいが?
そ ん な 物 は 無 い
988 :03/03/28 13:47 ID:vk25Dxi5
>>985
先生、あなたの冠に小便してもよかですか?
989ミ・д・ミ:03/03/28 13:50 ID:ELhIj3OU
>>なにか有益な資料があるんなら、内容と短評を付けて直リンして欲しいが?
>そ ん な 物 は 無 い

無 い な ら 書 く な 
990 :03/03/28 13:52 ID:vk25Dxi5
>>987
つまり自分が学匪だとおっしゃる訳ですな。
藤原せいかという表記は「せいか」が読み替えできなかったので
変換できなかったとお見受けいたしますが如何に?
991:03/03/28 14:06 ID:02TDXMCV
>>985
レスどうも。
朝鮮の文化については日本での資料が少ないのですが、朝鮮の濃厚な影響を受けた江戸期の文化は参考になるでしょう。
・足るを知る文化
・長期安定型社会体制
・儒教文化
・医薬学や鉱山技術

儒教を再構築した江戸期の文化とは異なりますが、共通項は多いですね。
身分制度の再定義や、武家的道徳観の成立には朝鮮からの影響があるといえるでしょう。
百姓からの収奪とも解釈されがちですが、足るを知る道徳観は諸藩や幕府が宣伝した価値観です。(参勤交代で経済の苦しい大名領のほうが一揆は多かったが・・)
復活した李朝と江戸幕府はほぼ同時代に同じような構成要素を有したのですが、文化の発展は大きく異なりますね。

一点、鉱山技術には異論があります。
吉宗の例でもお分かりかと思いますが、統制経済の下では鉱山は衰退します。
朝鮮でも李朝政権下では鉱山は衰退しました。自由経済を好まなかった結果です。
992 :03/03/28 14:11 ID:vk25Dxi5
>>991
・・・信じちゃうからお止しなさいって。
993 :03/03/28 14:46 ID:ZCVqjUUL
このスレって結構前からあるけどスレタイが漢字ばかりで避けてたが…。
良スレだってのに気が付かなかった!
994もうお腹いっぱい:03/03/28 14:57 ID:9ZE/ASB1
1000!
995ポンセ ◆PONSEiJl.6 :03/03/28 14:58 ID:bsuqJqye
1000
996 :03/03/28 14:58 ID:gziLcbcq
漏れも、タイトルを見て、釣りと煽りと罵倒スレかと思ってた。
997奈菜氏 ◆.1mi5a5bXM :03/03/28 15:00 ID:oKr0hh/s
1000かな?
998 :03/03/28 15:02 ID:a5Fx/L2t
↓999&1000どうぞ
999 :03/03/28 15:03 ID:UK2luPFk
999
10001000:03/03/28 15:03 ID:UK2luPFk
1000
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。