877 :
:02/07/19 16:47 ID:fBwYUXEz
私は、十分に耕せそうな土地をほったらかしていなからも、飢えに苦しむ農民のさま
が理解できなかった。「どうしてそれらの土地を耕さないのか」と聞いたところ、
「耕せば、耕すほど税を取られるだけのことだ。」という返事があった。
マッケンジー (朝鮮の悲劇)
878 :
:02/07/19 16:50 ID:MJfFLCHJ
次いで死刑の執行を見た。囚人は足を縛られ、腕は両脇にしばられ少しも身動き
できぬようになっていた。囚人の脚の内側に棒を挟んで、執行人たちは自分の体
重のすべてを棒の片端にかけた。囚人が続けざまに吐き出す声は聞いていて実
に凄絶なものだった。脚の骨が砕けつぶれる音が聞こえると同時に、その痛さを
表現する声さえもはやないかのように、囚人の凄絶な悲鳴も止まった。
気絶した囚人はややあって意識を取り戻した。力なく首を左右にゆすりながらうめき
声を出し、その場に身を横たえている。執行人らは囚人の腕の骨と肋骨を次々と
折ってから、最後に絹紐を使って首を締めて殺し、その死体をどこえやら引き摺って
いった。 (略)
こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間そのものへの挑戦
である。とりわけ私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が
朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃するだろうと云う事だ。 [282]
グレブスト「悲劇の朝鮮」 スウェーデンのジャーナリスト
879 :
:02/07/19 16:53 ID:MJfFLCHJ
中国に対する阿諛迎合という事情があって、韓国と北朝鮮の競合が
展開されているのは確かであろうが、むしろ火事場泥棒的な民族性
が、遺憾なく発揮されているというべきだろう。(略)
韓国からの理不尽な弱者いじめに対して、台湾が唯一、行うことの
できた抵抗とは、高雄市議会のように、与野党全員一致の決議で姉妹
都市の釜山と絶縁をすること、そして台南市議会がそれに続いたこと
であった。
与野党の対立が激しい台湾では、このような全員一致というできごと
は、史上空前のことであることを知るべきであろう。
韓国は九七年夏以後、通貨危機に襲われ、同時に金大中大統領が登場
した。
金泳三政権時代の「やりすぎ」の反省からか、最近では、台湾との
関係改善と、世界三大債権国の一つである台湾からの、資金援助の交渉
が始まったものの、国民党議員でさえ、韓国の「小動作(シャオトン
ツォ)」(小手先のいやらしい嫌がらせ)が余りにも多すぎたので、
関係改善を急ぐことはないと反対する声が強く起こっている。
--「立ち直れない韓国/黄文雄」--
880 :
:02/07/19 16:55 ID:MJfFLCHJ
まず、わが国民のように趣味を持たずに暮らしてきた民族はない。
略
わが国民は生の楽しみを知らない。生を味わい、人生をかみしめる
余裕をもたない。常に追い立てられている人々、常にしかめっつら
の人々だ。
威錫憲 「意味から見た韓国史」
881 :
:02/07/19 16:59 ID:6ONPXL5A
>>871-872 「韓国へ、怒りと悲しみ」 豊田有恒 1996 文藝春秋
>>873 「日帝」だけでは歴史は語れない−反日の源流を検証する 呉善花
資料スレにあるやつだけど、ソースぐらい載せとけよ。
882 :
:02/07/19 17:02 ID:MJfFLCHJ
2000年間に1000回の侵略−呉善花
朝鮮半島の3つの王朝、高句麗、新羅、百済は中国の冊封を受け、臣下の礼をとっていた。
新羅は朝鮮半島を統一すると援軍に来たまま駐留を続けようとする唐軍を追い出したが、
すぐに唐に謝罪し、冊封を受けて臣下になり、その関係は唐が新羅末期の907年に滅ぶま
で続いた。
高麗は993年から1019年まで、契丹の北方からの侵入を度々受けても、屈することなく戦
い続けて自立を守り続けたが、1231年から蒙古軍の侵入を受けるようになり、遂に1259年
には、蒙古軍に降伏して臣下となった。
883 :
:02/07/19 17:04 ID:MJfFLCHJ
>>881スマソ
2000年間に1000回の侵略−呉善花
蒙古(元)の支配は1359年まで、100年間続き、その後、高麗は、元を追いやり中国を統一
した明につくか、元に付くかで揺れ動いた。やがて元は衰亡から崩壊への道を辿り、新王
朝の李氏朝鮮は明の冊封を受けた。
李朝は500年間に大きな侵略を2回受けた。最初は、1592年と1597年の2度に渡る日本軍(豊
臣秀吉)の侵略であり、2回目は1636年の満州族が建国した「清」の侵略である。李朝は
日本軍の支配は明の援軍を受けて支配を免れたが、清には降服し、その臣下に入った。清
は1662年に明を滅ぼし、中国に統一王朝を築いたが、この関係は1895年に日清戦争に敗れ
るまで続き、李朝に対する宗主国であり続けた。
884 :
:02/07/19 17:06 ID:MJfFLCHJ
2000年間に1000回の侵略−呉善花
日本は聖徳太子以来、中国に遣使を送りはしたが、冊封を受けて臣下になる事はなかった
し、外国の支配も受けなかった。しかし、朝鮮半島の諸国は常に侵略に脅かされ、古代か
らの2000年間に、北方諸民族や倭寇による小規模な侵入を含めれば、正史に記録されただ
けでも約1000回の侵略を受けている。特に、高麗時代の蒙古、李朝時代の日本、清による
侵略により、それまで築き上げた産業や文化を壊滅に近い状態に陥れられたと言える。
885 :
:02/07/19 17:10 ID:MJfFLCHJ
いずれにせよ、韓国が19世紀末から20世紀の初頭にかけて、独立を保ちえたと
いうシナリオを描くのは、まったく不可能なのだ。李朝末期の韓国は、そのような力
をまったく欠いていたのだ。当時の韓国があまりに無力だったために、中国、日本、
ロシアの力を吸い込むような真空状態を自らの手でつくりだしていた。このことは相手
を責める前に、深く自省しなければならない。
韓国民は勇気をもって、李朝末期と正面から向かい合って、百年前の韓国の現状を
直視しなければならない。たしかに真実はもっとも人を傷つける。しかし、それを
恐れてはなるまい。
韓国が出版禁止とした本 「醜い韓国人」 朴泰赫
886 :
:02/07/19 17:24 ID:MJfFLCHJ
わたしは7、8年前から中学生に歴史を教えるようになったが、どうすれば若い
胸に栄光の祖国の歴史を抱かせるかと努力してみた。しかし、無駄だった。
幼い頃聞いた乙支文徳ゃ高麗の将軍の名を大声で叫んでもみた。だがその声で
埋めてしまうには五千年の歴史の呻きはあまりに大きかった。/私は自分自身を
偽ることなしには、はやりの「栄光の祖国の歴史」を教えることができないのを
悟った。大体が我々は大きな民族ではない。中国、ローマ、ペルシャがつくった
ような大きな国をつくったことがない。また、未だかって国際舞台で主役を演じた
こともない。ピラミッド、万里の長城のような雄大な遺物があるわけでもなく、世界
文化史に誇れるものを何も残していない。世界に大きく貢献した発明もない。
それよりもあるといえば圧迫であり恥じであり、分裂であり失墜の歴史があるだけだ。
公正な目で見るときはなおさらそうである。それは実に耐えられない悲しみである。
「意味から見た韓国史」 威錫憲
887 :
:02/07/19 17:32 ID:MJfFLCHJ
朝鮮の身分制度は建前そのままの厳格なものとしてありました。
ですから、工と商は文字通り卑しい身分なのです。
そこでは、手工業者も商人も、彼ら自身が自分たちを卑しい者と意識するしかなく、誇りの持ちようがないのです。
日本のように、身分(?)が低くとも立派な工人だ、立派な商人だと社会的に重んじられることがないのです。
出典:「日本の驕慢(おごり) 韓国の傲慢(たかぶり)」(渡辺昇一 呉善花)徳間書店
888 :
:02/07/19 17:39 ID:MJfFLCHJ
しばらくして、敗戦の事実が我々台湾出身生徒にも正式に伝達
されたとき、悔しさと無念の気持ちでいっぱいになり、とめど
なく込み上げる涙で頬を濡らしたことはいまでも鮮明に覚えて
いる。
それは他の台湾出身生徒も同じ心境だった。
他方、朝鮮出身の生徒達は、その日から食料倉庫、被服倉庫を
集団で強奪するなど、したい放題のありさまで、我々は複雑な
心境でただそれを眺めていた。
(略)そこで進駐軍がやって来るまでのおよそ二カ月間、学校
、練兵場、格納庫、武器庫など、あらゆる軍の施設を我々四十名
の台湾人生徒が守ることになったのである。
「朝鮮人は信用できない。だから君たち台湾人が守ってほしい」
そう言い残して去っていった上官の言葉を、これまで経験して
きたもろもろに照らし合わせて了解した。
「台湾人と日本精神」蔡焜燦
889 :
:02/07/19 17:50 ID:TEx8KvRs
心の切り替えができない私は、誰から見ても敗戦で肩を落した
日本人に見えたのだろう。
まだ日本兵の軍服で汽車に乗り込んでいた私は、八月十五日を
もって急に威張り始めた連中の嫌がらせを受けた。
座席の下に置いた新品の飯盒を朝鮮人に盗まれ、それを奪いかえ
そうとすると、「何だお前、朝鮮人をバカにするな!降りてこい!」
と、たちまち数人に取り囲まれてしまった。
多勢に無勢、勝ち目はない。
こうなっては、「すみません、私の記憶違いでした」と謝り、難を
逃れるしか術はなかった。
それから佐世保に到着するまでの三十時間、連中は執拗に私を含め
多くの日本人乗客をいびり続けた。
若い女性がトイレに行こうとすると通路を塞ぎ、次の駅で窓から降
りるよう指示するなど、この連中のあまりにも情けない行状を、私
ははらわたが煮え繰り返る思いで眺めていた。
ただ黙って見ているしかなかったのである。
(略)
あの引き揚げ列車の中で、私を含め敗戦で意気消沈する日本人をいびり
続け、肩をいからせていた朝鮮人達が、「中華民国台湾青年隊」の腕章
をつけた我々におべっかを使って擦り寄ってきたのである。
それは中華民国が連合軍の一員であったからにほかならない。
弱者には威張りちらし、強いものには媚諂う、そんな彼らの極端な習性
を目の当たりにした思いがした。
「台湾人と日本精神」蔡焜燦
890 :
:02/07/19 17:53 ID:TEx8KvRs
「大きな駅に着いた時、大変なことが始まった。第三国人の連盟の
腕章を巻いた、あまり風体のよくない若者が、窓から無理やり乗り込んで
きた。周囲の人たちを押し退け、突き飛ばして場所をとり、氷が溶けて
水の流れ出る臭い魚の箱を沢山積み込んだのである。総勢七人のその
連中はまったく言語道断で、座っている者を追い立てて、全員が座り込んだ。
(中略)それから少しして連中の一人が、「さあ、寝るとしようか」と
言って立ち上がった。どうするのか見ていると、網棚の上の荷物を払い
落し始めた。棚の上に寝るつもりである。立っている人間の方を踏み台
にして、棚にはい上がったその男は、まだ場所が十分でないのか、足元
の荷物を蹴り落した。ところがその荷物が運悪く、子供を抱いていた婦人
の上に落ち、子供に当たったので、火のついたように、泣き出してしまった。
それまで辛抱に辛抱を重ねていた私は、とうとう我慢できなくなり、つい
無意識のうちに「無茶をするな」と大声で怒鳴ってしまった」
「秘伝少林寺拳法」宗道臣著
891 :
:02/07/19 17:56 ID:TEx8KvRs
59年1月10日の毎日新聞は、北朝鮮への帰国問題でこのように書いている。
「彼らに対する生活保護の増加、貧困を主因とする犯罪の横行に手を焼いている。
帰ってもらえば、それに越したことはない」、と。
「逆説のニッポン歴史観」井沢元彦
892 :
:02/07/19 18:00 ID:TEx8KvRs
新聞社の場合は、雑誌が発売されてからすぐに行動を起こさず、中央で検討し、決定に
基づいて道府県本部単位、支部単位に働きかけを行い、集団で抗議におしかけ、総連傘
下職員を総動員して、新聞社なら本支社・通信部まで、同時多発的ゲリラ戦法(これを
パルチザン戦法と呼ぶ)で圧力をかけて、真実に基づいた共和国記事を無理矢理、「ま
ちがいでした」と言わせて謝罪させる。内容を全面的、3分の2以上、部分的に撤回さ
せねばならない。 「我々は被害者だ」「謝罪せよ」。この言葉に、日本人たちは、知識
人であればあるほど、謙虚な態度になってくれる。 他の利権を漁る時にも効果的で、我
々が「被害者」であることを強調する戦法は、全国の総連本支部単位の常套手段になっ
ている。 報道の「デマ」によって、これだけの同胞がひどい目に遭っていますよ、を強
調するため、自作自演の被害者をつくり、あたかも日本人が再びわが民族に危害を加え
たように捏造し、マスコミに報道さす。 自作自演のためには、被害者役(子供は特に世
間の同情を呼ぶ)とよごれ役(我々が金を払って雇う)を決めて、できるだけ人々に注
目されやすい目立った場所(警察関係者がいない場所)で実行する。よごれ者役は裏お
もてを知っているが、被害者の少女や家族は何も知らない。日本人がやったと思い、わ
が総連の団結力は強固なものになる。日本人がチマ・チョゴリを切りつけるわけがない。
日本人は過去のことに弱い。我々はそこにつけこむ。相手より多い人数で集団抗議すれ
ば、誰だって圧倒される。総連で真相を知っているのはごくわずかだ。離脱した者さえ
本当のことを言えない。鳥越俊太郎など、テレビでしきりに「チマチョゴリ事件の再発
防止」を訴えて反共和国番組の解説をしているが、正真正銘のバカと笑われている。
(了)
1998年6月3日 呉 永達
893 :
:02/07/19 18:35 ID:2ibRQIKS
894 :
:02/07/19 19:17 ID:TEx8KvRs
895 :
:02/07/19 19:35 ID:SD8phVUI
「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」代表・中川昭一
この会は平成九年二月二十七日、衆参両院議員八十七人が参加して発足した。いわゆる
「従軍慰安婦強制連行」が中学校の歴史教科書に記載されることへの疑問が動機となって
いる。「事実に基づかない、反日的な教科書で子供たちは学んでいくのか。この子供たちが
担う次代の日本は大丈夫だろうか」というのが、参加議員の共通認識であった。
国会議員の研究会としては活発なほうだったようで、同じ年の十二月には活動内容を中心
とした『歴史教科書への疑問』(展転社刊)という本を出版した。このなかで中川氏はつぎの
ように述べている。
数ある記述の問題点の中でも象徴的なのが、いわゆる従軍慰安婦問題である。ウソと判明
した書物と、少数の人達の裏付けのない証言のみを端緒とするこの問題は、一部マスコミや
特定の意図を持った(客観性に反する)人々と、一部他国によって増幅され、ついには「国家
による強制性」を内閣官房長官(つまり政府)が認めることによって、十三歳から十五歳の
中学生のほぼ一〇〇%が使用する教科書に記載されてしまった。
『歴史教科書への疑問』には、慰安婦問題に関する政府関係者の証言とか、資料がたくさん
掲載されている。
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/1998/9810/oshima.html
先日、警視庁捜査一課一係長、鑑識課長を経て、検死官制度発足と同時に
検死官となり、「鑑識の神様」と謳われた岩田政義警視(1904〜1969)の著書
『鑑識捜査三十五年』(中公文庫)を読んでいて、戦後間もない頃の三国人
(文中では単に「外国人」とありますが、内容的に見て三国人以外に考えられない)
の跳梁跋扈ぶりを描写した記述を見つけました。当時の世相を知る上で貴重な
記録だと思いますので、ちょっと長いですが、参考までに書き写しておきます。
ヤミたばこ窃盗団
思えば、終戦直後の治安状態は悪かった。食料難、物資の欠乏、
ヤミの横行、凶悪事件の続発、世相の退廃、警察はあってなきありさま
だった。
昭和二十一年三月九日、出勤すると、三宅係長が待ちかねたように
声をかけた。
「岩田君、品川署へ行ってくれ。けさ新聞に出ているたばこの窃盗事件だ」
前夜、品川の煙草専売局倉庫からピース四六万本(二千本ずつ木箱に
入れてある)が盗まれたのだ。そのころのたばこの価値はたいへんなもの。
朝早くたばこ屋の前へ行列をつくり、やっとの思いで一個のたばこを手に
入れたものである。
私は千田部長刑事以下八人を連れ、電車にゆられながら品川署に行った。
品川の倉庫は、前年の十二月十六日にも、金鵄とひかりの二〇万本が
被害にかかっている。犯人は未検挙であるが、捜査の結果、ある集団による
窃盗で、このども同一窃盗団ではないかという品川署の意見であった。
現場を見た。広大な敷地に二棟の大きな倉庫があるが、中はほとんど空っぽ
であった。被害にあった倉庫は大きな錠が破られ、そのままになっている。
倉庫内にたばこの木箱が積んであるが、その一角がごそっと取られている。
敷地を囲っているコンクリー塀の西側に、木箱を運ぶときにできたらしいこすりあと
があった。敷地内には多数の足跡が、わがもの顔に残されてあった。まことに
警察をばかにしたようなしわざである。
さっそく、一課と署の刑事を二人一組にして、ヤミたばこが出回るとみられる
盛り場を重点に、捜査を始めた。
ところが、窃盗団は十二日夜、またもピース二〇万本を盗んでいった。この時、
守衛に発見されたが、犯人たちはピストルで射つ構えをみせた。おじけづいた
守衛は逃げ出して、犯人をみすみす逃がしてしまった。
それからは、署では張り込みをやったり、倉庫に泊まり込みをやって警戒に
当たった。相手がこちらの警戒を察知したのか、以後被害はなくなった。そのころ、
漫才で、
「あがらぬのは、両国の花火と専売局の犯人」といわれたものである。それ以上に、
あくどい文句で揶揄もされ、黙々と捜査にあたる刑事たちを切歯やくわんさせた。
そのころである。大井署管内で、ヤミたばこを売っている者がいると
聞き込んだ。全力をあげて内偵し、ヤミたばこ売りの男を捕まえた。
この男は、十五歳の少年だったが、
「たばこは神戸のヤミ市に行けば、いくらでもある。おれは黙って捕まって
やったが、神戸へ行ってみろ。われわれにはおまわりなんか、指一本
だって触れられないぞ」
とふてぶてしく言い放った。この小僧ッ子め、いまにみろと私は心の中で、
窃盗団の全員検挙を誓った。
捜査が進むにつれ、たばこは神戸の某署管内のヤミ市で取引きされ、
その付近に窃盗団の隠れ家があることもわかった。
事件と取り組んで二十五日、かぼちゃといもを食べ、重い軍靴を引きずって
の捜査だった。そのうえ、漫才にまで揶揄された“岩田警部補班”である。
私は係長に報告した。
「神戸の○○署管内に犯人がおります。出張させてください」
だが、係長の態度は冷やかであった。
「だめだ。そこまでわかれば、それでよい。もし、どうしてもホシがほしい
のだったら、○○署へ手配せよ。それが建前である」
あとから係長の気持ちがわかった。それは、○○署管内の外国人は
いのち知らずのものばかりで、逮捕に向かう刑事たちにどんなことをするか
わからない。万一のことがあってはいけないという親心だった。そのうち、
私の決意を読みとったのか、
「行くなら、きみも一緒でなければだめだぞ」
と黙認された。
五月三日の夜、私以下九人の刑事は、東京駅から神戸へ向け出発した。
もちろん一同は決死の覚悟だった。いまから考えるとばかばかしいことだが、
当時は何か切迫した気持ちに包まれていた。汽車は超満員、ほとんどの
乗客は買い出し客だった。それを見て事件以来、買い出しに行ったこともない
刑事たちは、せめて家族に米の飯を食べさせてやりたかったと思うのだった。
二度と東京の土をふむことができなくなるかもしれないのだ。捜査にあけくれ
したこの一、二か月だけに、家族のことが頭にちらつくのも無理はない。こんな
感傷にふけっているとき、千田部長のさびついたどなり声がした。
「あすは大事な仕事だ。いまのうちに休養しておけ」
部長は、戦場で死線をこえてきた勇士である。その頭の中は、あすからの
闘いのことでいっぱいなのだ。刑事たちは、言われるままに通路や便所の
端で、新聞紙を敷いてごろ寝をした。
翌朝神戸につくと、さっそく○○署へ直行した。次席と司法主任が親切に
迎えてくれ、演武場で休憩するように案内してくれた。やがて出された朝食は
なんと米の飯、みんな最近、食べたことがない。腹いっぱい食べて、刑事たちは
寝ころんだ。いびきをかくもの、夢をみるもの、戦いの前の静かないこいである。
私と千田部長は、次席に出張の目的を説明し、協力を求めた。ところが、
次席と司法主任はこもごも土地の特殊事情を説明した。
「応援は残念ながらできない。もし当署で応援したことがわかると、どんな
仕返しをされるかわからないからだ。先にヤミ市の手入れをしたところ
警察署が包囲され、強引に留置場を破って留置人を連れ出された。取り締り
を厳重にした警官が殺害されている。彼らの居住地には非常ベルの設備が
あって、手入れなどがあれば、居住者に速報される仕掛けになっている。
交番には常に見張りをつけ、防衛体制を固めている」
さらに、司法主任は、
「ホシの名前や人相などを確実に内偵し、ホシの上京を待たれたほうがよい。
この手入れは無謀である。みなさんは当地の実情を知らなすぎます」
とこんこんと注意してくれた。しかし正義漢の千田部長は、そんなことでは
納得しなかった。
「そんな話は聞きたくない」
と言って、さっさと演武場へ引きあげた。刑事たちは夕方から内偵に出かけた。
みんなの顔には決死の覚悟がみなぎっていた。
治安にあたる警察官が、いかなる理由があるにせよ、治安を乱す者を野放し
にしておくわけにはいかない。そんなみなの気持ちが私にはよくわかった。
私と千田部長は大型貨物自動車を捜しに出かけた。それは、逮捕者を
神戸から護送しては奪還される恐れが十分にある。それを避けるため、
大阪まで自動車で運び、汽車で護送しようと思ったからだ。
神戸市内を歩き回ったが、どこも貸してくれなかった。ガソリンがないと
いうのである。まして土地に関係ない私たちが応援を求めること自体、
無理なことだったかもしれない。尋ねあぐんで、一軒の自動車屋に入った。
これが最後の店と思って、事情を打ちあけた。ところが、そこの主人は、
「日本の警察は健全だ」とひざをたたいて喜んだ。
「ここの警察のざまはなんです。彼らを取り締ることができないままでいます。
それを東京から来てくれましたか。私の財産を投げ出してでも応援しましょう。
なんなら東京までお送りいたします」
と言ってくれた。私たちは、ほんとうにうれしかった。こういう人もいるのだな、
とつくづく思ったことだった。明朝午前三時までに車をよこしてもらうよう頼んだ。
その人は五十五、六歳の体格のりっぱな、かつては軍人だったと思われる
主人だった。その面影がいまでも彷彿としてくる。今でも健在でおられるだろうか。
お会いしたいものである。
翌午前三時、MPに外部の警戒を依頼して、窃盗団の本拠のアパートを
二手にわかれて急襲した。部屋は八畳、電灯がつけっ放し、部屋いっぱいに
ふとんが敷かれ、七人の男が口をあけてぶざまに寝ていた。ひとりひとりの
枕元に立って敷きふとんを足で押さえた。枕元にピストルを隠していると予想
したからである。私たちは一斉に、「起きろ!」
とどなった。もちろん、刑事たちの手にはピストルがしっかりと握られている。
不意をつかれた彼らは、寝ぼけまなこをこすりながら手を挙げた。抵抗する
まもなく彼らの両手に手錠がかけられた。
前に待たしてあった大型貨物自動車にのせ、シートをかけた。一応、手入れは
成功である。だがまだ油断はできない。刑事たちの顔つきは緊張したままだ。
警戒のMPへ挙手の礼をする。心からのお礼であった。車は超スピードで大阪へ
飛んだ。梅田駅始発、東京行の汽車にのる予定だったが、着くのが早すぎた。
そのころ、ホシたちは、
「おれたちは東京などに用がない」
「お前たちは無事に東京へ帰れると思っているのか」
などとぶつぶつ言ってすごみ出した。
904 :
チョッパリ:02/07/19 20:07 ID:cQT+PSUK
ちょっと、教えてほしいのですが、日韓の間でよく朝鮮通信使の行事を
よく日韓平和の象徴としてしているじゃないですか?韓国では、朝鮮
通信使は、日本に文化を教えてあげたとよくいってるのですが、
私は、どうみても、朝貢使にしかみえないのです。ただよくわからない
だけかもしれませんが、、
だって、なんで力の強い国が、弱い国に、使節を派遣することってないんじゃない
ですか?どうかんがえても、、
日本も、朝鮮の王が変わるたびに使節を派遣したのですか?
付近にも、彼らの仲間らしい男があたりをうろつくようになり、ホシたちは
しだいに元気づいてきた。不安を感じた千田部長は駅長室に飛び込み、
事情を訴えて協力を求めた。
助役は、そくざに駅長室に全員を入れて、外部と遮断してくれた。
「始発に帰還軍人が二百人乗車することになっているから、その中間に
席をとるようにしてあげます。もしごたごたするようなことがあったさいは、
なんといっても軍人だった人たちですから、黙っていないでしょう」
と助役は温い心やりを示してくれた。
職員通路から帰還軍人と一緒に乗車、やがて汽車は出発した。もう
大丈夫、一路東京へ。みなの顔は明るかった。
ただ心配だったのは、汽車が普通列車であることだった。急行と違って
各駅停車するので、それだけ相手方に反撃のチャンスを与えることになる。
その心配がだんだん現実となって現われてきた。豊橋をすぎたころ、
急に車内が騒がしくなった。ホシが立ち上がり演説をぶち出し、刑事に
いやがらせをしだした。まったく、ふといやつらである。車内はいつ下車
したのか、帰還軍人は一人もいない。乗客はみな外国人に見えてくる。
急行の停車駅にくると、はっきりそれとわかる彼らの仲間が多数乗り込んで
くる。私たちが乗った普通列車を知ったのであろう。阪神方面から奪還の
ため、後発の急行列車でこの普通列車に追いつき、乗り換えているようだ。
906 :
むい:02/07/19 20:08 ID:gkv7QHr+
907 :
むい:02/07/19 20:09 ID:gkv7QHr+
(つづき)
親北朝鮮派のサイトの記事「各地の朝鮮学校、制服を変更/生徒の安全を最優先」
http://www.korea-np.co.jp/na-edu/seihuku9903.htm によると、98年のテポドン発射は実は人工衛星打上げであって
「ミサイルだという証拠はない」らしい(衛星打上げロケットと弾道ミサイルは技術的には
同じものなので、この言い訳は無意味だが)。
が、それなら「チマ・チョゴリ切り魔」が日本人だという証拠もないことにも配慮すべきだろう。
実は、この種の「切り魔」は1人も逮捕されていないので、
その国籍は不明だ。仮に「実行犯」が日本国籍だったとしても
その雇い主(教唆犯)が日本国籍だという証拠もなく、
北朝鮮の諜報機関が関与していないという証拠もない。
こうなると、ホシはあばれ出し、刑事をなぐる者まで出てくるかもしれない。
私はピストルを射つ以外はないと覚悟した。千田部長は停車する駅ごとに、
「応援を頼む」と名刺に書いて、警視庁に連絡することを駅員に頼んだ。
これが後に大成功をもたらした。
どこで奪還されるか見当もつかない。各駅にとまる時間はわずかな間で
あったが、じつに長く感じられた。部下たちも同じことであったろう。
私はピストルを上衣の裏に隠し、いつでも射てるようにしておいた。緊張に
つぐ緊張、まったく神経が疲れてしまった。横浜に着くのに二、三日かかった
ような気がする。横浜へ着いて心強かった。ホームは制服の列である。これを
見て連中は、奪還をあきらめて窓からいっせいに逃げ出した。彼らは横浜で
ホシたちを奪う計画だったらしい。
車内は彼らに代って、私服でいっぱいになった。私たちの顔は自然とほころびた。
品川駅で下車した。駅は制服でいっぱいなので、ご警衛か、とたずねると、
君たちの警戒だというのには驚いた。
もう町はうす暗かった。サイレンの車に警護されて、警視庁の玄関に着いた
のは七時ごろだった。ホシは無事、留置場へ入った。私は課長に報告した。
「ただいま、七人検挙して無事帰ってまいりました」
それ以上、声は出なかった。課長は私の手の中をしっかり握り、
「やつれたな。ご苦労だった」
課長もそれきりである。しばらくの間、二人は、つっ立ったままだった。
机の上に大きな日本地図が広げられ、名古屋から各駅々に印が
つけられている。私たちを案じ、横浜駅以降は特別警備隊を配置して
くれたのだった。 (終)
911 :
:02/07/19 20:17 ID:TEx8KvRs
公平無私なる観察を下すときは、いくら日本の朝鮮統治に反対しても
善政は善政に相違なく、如何に伊藤(博文)公を毛嫌いしても
公の真意には感謝せざるを得ない、とはある評者の言であった。
究意するに韓国を亡ぼしたのは日本でもなければ之を責めるにも
当たらぬ。また当時の李完用始め自余の責任者でもなければ之を
攻撃するの必要なし。
詮ずるところ、その責任は二千万同胞にあるのである。
思うに韓国自体が独立の要素を欠き、独力独行することが出来なかった
ためであって、古今問わず韓国国民全体が無気無力為す事なかりしの
致すところであって、まことに自ら招ける禍であると云わねばならぬ。
日露戦後、日本は前例に鑑み(日清戦争後の処理を指す)韓国の
保護啓発に努力したるも韓国の上下は少しも日本の誠意を理解せず
陰謀を策し、詭謀を企て陰に陽に敵対行動を取ったので日本は終に
止むを得ず最後の手段として日韓併合を断行するに至った。
・・・今日あるは自業自得であると云わねばならぬ。
統治時代の道知事 朴栄
912 :
s:02/07/19 20:18 ID:lSiOGvl3
913 :
:02/07/19 20:20 ID:TEx8KvRs
914 :
:02/07/19 20:22 ID:TEx8KvRs
日本は鉄道の敷設と、河川敷きの整備工事を並行して行なった。
水防工事によって得られた農耕地は、日本人地主のものとなった。
水防工事や水利工事は、韓国人農民にも多大な利益をもたらした。
韓国人農民も水利組合をつくったおかげで安心して農耕ができるようになったから、損はいっさいなかった。
全国的に護岸工事が行なわれた結果、耕地面積が飛躍的に増大した。
「醜い韓国人」 朴泰赫 1993 光文社
915 :
:02/07/19 20:24 ID:TEx8KvRs
「土地の収奪・搾取」などと机上で論じている戦後の論埋とは違い、
日本の農民が朝鮮半島の農業近代化だけでなく、朝鮮半島の近代市民社会の成熟に多大な貢献を果たしてきた。
その歴史的事実について、終戦後の学者たちは、なぜ本格的な研究をしないのだろうか。まことに遣憾である。
「歪められた朝鮮総督府」 黄文雄 1998 光文社
916 :
:02/07/19 20:28 ID:TEx8KvRs
ある韓国教育者の告白
私は自分自身を偽ることなしには、はやりの「栄光の祖国の歴史」を
教えることができないのを悟った。大体が我々は大きな民族ではない。
中国やローマ、トルコやペルシャが作ったような、そんな大きな国を
つくったことがない。また、未だかつて国際舞台で主役を演じたこと
もない。エジプトやバビロン、インドやギリシアのように世界文化史に
誇れるものを何も残していない。ピラミッド、万里の長城のような雄大
な遺物があるわけでもなく、世界に大きく貢献した発明もない。人物は
いるにはいるが、その人によって世界思潮の主流になったといえるよう
なものはない。それよりもあるものといえば「圧迫」であり「恥」であ
り「分裂」であり「失墜の歴史」があるだけだ。公正な目で見るとき、
なおさらそうである。それは実に耐えられない悲しみである。
威錫憲 「苦難の韓国民族史」
917 :
:02/07/19 20:35 ID:TEx8KvRs
韓国軍の良民虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通した類型が現れる.
-住民たち(大部分が女性と老人, 子供たち)を一ケ所に集めた後、あるいはいくつのグループにまとめて、機関銃を乱射して抹殺する.
-住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やす.
-子供の頭を割ったり首をはね, 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む.
-女性を強姦した後、殺害して, 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す.
-住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させる.
韓国軍の大量虐殺が強行された所では、子供たちの口にキャンディやケーキが含まされていた.
(ハンギョレ新聞)
918 :
:02/07/19 20:36 ID:TEx8KvRs
韓国軍が耳を切り、鼻を切ったという話があります.
実際にそのようなことがありました. 中隊員の中の一名で、死んだ者の目玉を取ってアルコール漬けにした兵士がありました.
また、一名は、片方の耳だけを切って集めて針金に通して、幕舎前に掛けたりもしていました. ‘何故そんなことをするのか’と聞いたところ, 帰国する時に記念に持っていくと言いました.
(ハンギョレ新聞)
919 :
:02/07/19 20:38 ID:TEx8KvRs
920 :
:02/07/19 20:41 ID:TEx8KvRs
921 :
:02/07/19 20:43 ID:TEx8KvRs
「中坊公平・私の事件簿」(中坊公平2000.11.22)
借金を返済しない在日韓国人を法律的に追いつめたところ、中坊弁護士が暴行を受けたのである。
後頭部を打ち付けられて怪我した中坊氏。
「お前こんなことしていいと思ってるのか。こっちは頭に傷を負って出血してるんやぞ。」
すると、彼の連れてきた暴力団風の男は予想もしない行動に出ました。私の目の前で「お前、俺をやったな」と
言いながら、自分で自分のカッターシャツを両の手で力任せに引き裂き、ばーんとボタンを弾き飛ばしたのです。
そして、「俺かてお前にこうしてやられてるやないか」と言う。
その後、警察に行くと在日側の弁護士に暴行で訴えられた。幸いにも証拠と証人があり、冤罪が証明されたの
ですが、街宣車が家まで来て「民族差別を許すな!」。
これじゃあ、弁護士もいやになるだろう。
922 :
:02/07/19 20:48 ID:TEx8KvRs
「朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。彼等は総数100万に
近く、その約半数は不法入国であります。私としては、これら全ての朝鮮人がその母国たる半島に
帰還するよう期待するものであります。その理由は、次の通りであります。
1、現在および将来の日本の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。
2、大多数の朝鮮人は、日本経済の復興にまったく貢献しておりません。
3、更に悪い事には、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。彼等は、
日本の経済法令の常習的違反者であります。彼等の多くは共産主義者ならびにそのシンパで、
最も悪辣な種類の政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7千名以上が獄中にいるという状態であります。
戦後の朝鮮人による起訴犯罪件数は次のとおりです。(詳細略。1948年5月末までで、9万1235名の
朝鮮人が犯罪に関与したという数字をあげている。)
さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次のとおりであります。
1、原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。
2、日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。許可は、日本の
経済復興に貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。
上述のような見解を、原則的に閣下がご承知くださるならば、私は、朝鮮人の本国送還に関する
予算並びに他の具体的措置を提出するものであります。
敬具
吉田茂
連合国最高司令官ダグラス、マッカーサー元帥」
923 :
:02/07/19 20:50 ID:TEx8KvRs
韓国が日本からの盗品を国宝指定
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kako/200107/23.html#09 壱岐の重文経典盗難事件が時効
一九九四年に壱岐芦辺町の安国寺から国の重要文化財「高麗版大般若経」が盗まれた事件は、
二十三日午前零時で七年の時効が成立した。酷似した経典三巻が九五年に韓国で国宝に指定
されたことが判明。外務省が韓国側に調査協力を要請したが、同一物か確認できないまま終
結となった。
盗難が発覚したのは九四年七月二十三日。十一世紀初頭に高麗で彫られた版木から刷った初
彫本と、写本の計四百九十三巻が宝財殿からなくなっていた。南京錠を切断して侵入し、経
典だけを持ち去ったとみられ、被害額は数億円。
県警は全国の古物商から情報を募るなどしたが犯人像はつかめないまま。「最後に見てから
盗難に気付くまで二カ月が過ぎており、広範囲な捜査を余儀なくされた」(県警幹部)。
一方、文化庁は韓国が九五年に国宝に指定した経典三巻と、安国寺の初彫本の写真を照合。
染みや汚れ、巻末の署名などが酷似していることが判明し、外務省は九八年二月、韓国側に
調査協力を要請した。
しかし韓国側からは同年七月までに「要請にこたえることは難しい」と回答。外務省北東ア
ジア課は「相手の好意に期待するしかなく、限界がある」としている。
朝鮮半島から渡来した文化財については、過去に日本が多数を持ち出した経緯から、韓国側
には複雑な国民感情があるとされる。県も「時効と言っても今は(教科書問題などで)難し
い時期。こちらから働き掛けることは難しい」と苦しい立場を強調する。
大浦宏道住職は「経過を全く知らせてもらえず、ちゃんと調べたのか疑いたくなる。時効は
身を切られる思い」と話している。
924 :
:02/07/19 20:55 ID:TEx8KvRs
「三国人」(在日朝鮮人騒乱史)
http://isweb34.infoseek.co.jp/school/haniwa82/meigen/crime.html ※三国人:戦争当事国だが、敗戦国でも戦勝国でもない第三国の国民という意味。
三国人の犯罪(2)
・直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)
信越線黒井駅でヤミ米ブローカーの朝鮮人3名が列車の窓ガラスを割って乗り込もうとしたところ、ある日本人乗客に拒まれて乗り込むことができず、デッキにぶらさがって直江津駅まで行った。
彼らは直江津駅でその日本人乗客に対し、「乗降口から乗れないので、仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのになぜ妨害した」と詰め寄った。
しかし日本人乗客が「窓から乗り込むという方法はない」と反駁したので、「朝鮮人に向かって生意気だ!ホームに降りろ!殺してやる!!」と叫んで、
その乗客をホームへ引きずり出して、パイプやスコップで滅多打ちにして殺害した。
朝鮮人3名はその後逮捕されたが、全員逃走してしまい、結局うやむやのうちに終わってしまった。
なお余談ではあるが、この種の鉄道内の不法行為を防止するために、急遽設けられたのが「鉄道公安官」制度である。
925 :
:02/07/19 20:59 ID:TEx8KvRs
ソウル大学工学研究所は二年前、国内のある家電メーカーとテレビ新製品の共同開発
を行ったことがある。研究所側は、その企業の技術水準の細部までを把握するため、
企業側の技術開発担当者に、テレビ技術系統図を要求した。
これは国内で動員可能な技術、導入しなければならない技術、国産化すべき技術をまと
めて、原価節減要因わ探し出すためだった。
しかし、その企業担当者は、一年経過しても画像、音声、調整など、三つの分野の技術
があるとの原論を述べるだけで、細部技術、部品、ノウハウなどの目録を載せた系統図を
提出しなかった。後日、判明したことだが、提出しなかったのではなく、提出できなかった
のだった。
この家電メーカーは、驚くべきことに「日本の図面の丸写しが習慣化」していて、独自に
設計図を作成する能力がなかったという。工業研究所側は、しかたなしに電子科教授たちに
設計図作成に協力を要請したが、時代遅れで役立たずの「日本の設計図」を受け取っただけだった。
直視せよ「韓国病」 光文社 著者 崔青林(朝鮮日報編集局長代理)
926 :
:
私は韓国で生まれて二十六歳まで韓国で生活していた間、村の女を軍や総督府の官憲が
強制的に連行したといった話はいっさい耳にしたことがありません。
また、私が『生活者の日本統治時代』で、インタビューした植民地世代の韓国人の誰一人として、
そのような光景を見たことも聞いたこともないといっていますにもかかわらず、
最近になってそうした話が出るなんて、まったくおかしなことだというしかありません。
日本の左翼活動家が反日民族主義の活動家に入れ知恵して以来、
「そういうことがあったらしい」「そういうことがあったに違いない」「そういうことが事実あった」
というようにエスカレートしていったことは明らかです。
こうして「従軍慰安婦」問題は、女子挺身他(女性の徴用者たち)と意図的に混同させられ、
大量の女たちが「従軍慰安婦」させられた、強制連行でそうさせられた、という物語がつくられ、
それがあたかも真実であるかのように韓国国内で信じられるまでになってしまったのです。
呉善花「反日韓国に未来はない」