これこそ「正しい歴史認識」!!

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101 
「韓国・中国歴史教科書を徹底批判する」 勝岡寛次 2001年 小学館文庫

1919年に起こった三・一独立運動を韓国の教科書は、日本軍の残虐さだけを強調して書いている。
だが、事実は「平和的な方法で独立万方歳を唱え示威をする人々」だけではなかったのである。

全国的に及んだこのデモは、地方では暴徒化し、警察署・村役場・小学校等を襲い、
放火,投石・破壊・暴行,惨殺を行って手がつけられないありさまとなったのだった。
日本側は治安出動を強いられたのであって、決して韓国の教科書の言うように、
「無差別虐殺」を行ったのではない。

韓国の教科書の記す犠牲者の数も、問題である三・一運動の犠牲者数は
今も正確なところは不明で、韓国の教科書が依拠したと思われる朴殷植
『朝鮮独立運動の血史』では、死者7509名、負傷者1万5961名と記されている。

しかし、著者の朴殷植は当時亡命していて韓国におらず、この本の中で
「今回の独立運動は…確実な実態調査を得ることは難しい。いわんや、
海外にあって、ただ新聞報道や個人の伝聞的報告によるものだけであってみれぱ、
その事実調査の困難さは推して知るべきであろう」と断っている。

総督府の調査では、死者553名・負傷者1409名であり、韓国側の主張とは10倍以上もの開きがある。
(名越二荒之助『日韓2000年の真実』)
総督府の調査も完全なものとは言えないだろうが、海外にあって「新聞報道や個人の伝聞的報告」
だけで書かれた『朝鮮独立運動の血史』の数字だけを、何の疑いもなく
教科書に褐げるのは公平さを欠く。

しかも、韓国の教科書も本文では2万名と言い、コラムでは3万名以上と言っており、
この事実一つをとっても、いかにいい加滅な数字を並べているかということが明らかである。
102韓国人に感謝しよう。:02/02/22 20:34 ID:r+eDHb/G
   
   日本の教育を受けた韓国人の中には立派な人々が多くいた!
   
 私はこの話(韓国の女性の小学校長のご主人が沖縄の特攻隊員として
 戦死した。そのご主人は特攻が決まると出身小学校を訪れ、
 校庭に桜の木を植えた。成長した桜の木がある小学校に奇しくも彼女は赴任
 した。さびしいときはこの桜の木の下に立つと心が休まる、という話)
 を聞いて、日本人に知って貰いたいと思って、ソウルにいる日本の新聞
 記者にそれとなく知らせました。A新聞の記者が、早速、その女性校長
 を取材しました。校長は記者を桜の下に案内しました。すると記者は
 「日本の軍国主義がご主人をだまして申し訳ないことをしました。」
 と言ったのです。いつも謙虚な校長でしたが「だました」という言葉に
 激怒しました。
 「私の主人はだまされるような人ではありません。自分の意志で出撃
 したのです。だまされたというのは、人間に対する侮辱です。取材は
 お断りです。」と。

             「日韓2000年の真実」名越二荒之助 編著
             (日本図書館協会選定図書)
103古代より韓国を助けた日本:02/02/22 21:09 ID:r+eDHb/G
    
          大儀の国、日本

 たしかに百済は敗れました。しかし、百済の魂は滅びなかったのです。
再興を志して遺臣軍の指導者であった鬼室福信(中国名に改姓する前の
朝鮮人氏名はかっこいい!)が起ちあがりました。彼は百済再興のために
日本の救援と、在日していた百済の皇太子、余豊璋の帰国を要請してきま
した。
 余豊璋は義慈王の子で欽明天皇の三年、義慈王の命令で渡来し、在日32
年に及んでいました。福信らは王子を戴いて、百済の再興を志したのです。
 斉明天皇は神功皇后以来の長い関係に鑑み、福信らの要請を無視できません
でした。老齢を押して救援を決意され、筑紫(福岡県)まで動座されながら
そこで陣歿されました。時に68歳でした。
 皇太子であった中大兄皇子は、天皇崩御の翌年(662年)5月、豊璋に
最も高い織冠の位を与え、在日していた百済人をはじめ  五千の兵をつけて
百済に送りました。福信は感激して、泣いて感謝したということが「日本書紀」
に出ています。
 そして翌年の3月には上毛野君雅子ら兵二万七千の救援をさし向けました。
朝鮮の史書「三国史記」には、「倭船百艘」とあります。日本は文字通り国家
の総力を挙げて百済援軍にたちあがったのです。その頃日本と百済の間が、
いかに親密であったかが判ります。

        「日韓2000年の真実」名越二荒之助 編著
         (日本図書館連盟選定図書)
104奈々氏:02/02/23 08:44 ID:wcPgrTSt
 
 わが国の歴史は極端にいうと、同族殺し合いの歴史でした。三韓時代がそうであ
 り、三国時代もそうであり、朝鮮王朝時代における党争も法治の枠を超えたもの
 でした。いつも不安な政情だったのです。誰もが自分を陥れる投書を一通投げこ
 めば、破滅です。どこでだれが自分を陥れるために剣を磨いているか分からない。
 枕を高くして眠ることもできないのです。/日本社会でも上下の階級はあったが
 彼らは下人を使う前に下人の生活は徹底保障してやりました。しかし、わが国で
 は、とくに朝鮮王朝時代には、両斑が常民を保障するどころか、収奪していました。
 壬申倭乱(秀吉公の朝鮮成敗)のとき、倭の側についた叛徒が大変な数にのぼった
 といいますね。王が非難するや叛徒が王城に火をつけ、はなはだしくは王をつかまえ
 て倭将に差し出し、地方官を鞭打って敵陣に引っ張っていった例もありました。/
 解放後の事情にしても、恒心がもてないようになっているじやないですか。強要し
 なければ、互いに共同など思いもよらないのが、今日の現実でしょう。

                     「月刊朝鮮」1982年8月号
105名無しさん:02/02/23 18:11 ID:n55Sm3X3

    韓国は何も「文化」がなかった!韓国近代の祖が告白!!

しかし、我々は海外進出は念頭におかず、せいぜい座ってなわを編んでいただけ
ではなかったか。高麗磁器などがやっと民族文化として残っているのみである。
それも、かろうじて両斑たちの趣味にとどまっているだけであった。しかし、
それも、途中から命脈が切れたのだから嘆かわしいことである。
以上のように、我が民族史を考察してみると情けないという他ない。全体的に
顧みるとただ、あ然とするだけで真っ暗になるばかりである。

 「漢河の奇跡」の立役者  韓国大統領  朴正熙 (元大日本帝国陸軍将校)
106これが歴史の事実だ!:02/02/23 18:32 ID:n55Sm3X3
    
   このv筆者を売国奴というのなら当時の韓国人は皆売国奴ではないか!

 月日がたつにつれ(日本と韓国は)こんなにお互い違ってきたのです。
 食べ物も、言葉も、着物も、名前のつけ方も、これは私たちが支那を
 あまりに崇拝した関係もあるのですが、とにかく悔しくてならないこと
 は、その名前のつけ方まで支那のまねをしたということです。したがっ
 て、創氏改名、つまり朝鮮人が内地人(日本人)流に氏名をつけると
 いうことは自分達の祖先の清風に従うことなんだ。中国の模倣を脱して
 古代の朝鮮に帰ることなんだ。ただ単に太古に帰るのみではなく、今日
 の内地(日本)の一切の風習に向かって、自発的に勇敢に帰還すること
 ことによつて、進んで祖国に栄光をあらしめ、ひいては我らの子孫の易き
 に置くことができる。ならば、創氏改名するに何のためらうことがあるだ
 ろうか。

   「半島風習のその祖国への合理的発展的帰還を論すの言」 金文輯
107これが歴史の事実だ!:02/02/23 18:53 ID:n55Sm3X3

      大東亜戦争を狂ったように賛美した韓国人たち!

 「祖父の代から受け継いできた黄色人種の積憤をいまこそ晴らさなければ
 ならない。一度、決戦する以上、、帝国行路のがんである敵性国家を粉砕し
 新東亜建設に邁進しなければならない。」    


      申興雨 昭和十六年十二月十日 ソウルでの決戦報告大講演会



 「米英の圧迫と屈辱から東亜民族の解放を叫ぶ決戦を開始したのである。
 いまや東亜民族は圧迫と摂取を受けて骨しか残っていないが、今やその骨
 で断固として決起し、仇敵米英を打倒しなければならない。」

                      張徳秀 普成専門学校教授


 「貧欲の牙城、白人帝国主義の張本人英米をいまこそ撃滅せずには、我等
 の子孫の発展を望むことはできない。」

                     李成煥 朝鮮農民運動の指導者
108これが歴史の事実だ!:02/02/24 15:47 ID:LQLiDxDk

        日本人が「ハングル」の読み書きを教えたのだ!
      
李朝時代の韓国は、中国をひたすら崇めて自ら「小中華」と称していることを誇り
としていた。そのため漢文が重んじられ、ハングルは婦人や子供が使う字として
蔑まれていた。ハングルは日韓併合以前は、公文書にも、祝祭祀文にも、全く使われ
ていなかった。韓国人が全員読み書きできるようになったのは、日本統治時代に学校
でハングルを教えたことに始まっているのである。
 総督府が編纂した「朝鮮語辞典」
これは、総督府に朝鮮固有の文化を尊重しようとする明確な方針があったためで、
そのほかにも朝鮮総督府は、明治四十五年に「朝鮮語辞典」に着手したり、大正十年
には「朝鮮語奨励規定」を設けて日本人官吏に朝鮮語の習得を奨励したり、大正十三年
には新設の京城帝国大学(現ソウル大学)に朝鮮語・朝鮮文字の講座を開設したりと、
朝鮮語の教育、普及に対策を講じている。「朝鮮語抹殺」の意図がもし日本にあれば、
総督府が率先してこうした施策を打ち出すはずがないからである。

                「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
                 (日本図書館協会選定図書)
109これが歴史の事実だ!:02/02/24 16:04 ID:LQLiDxDk
        
   韓国人は皆、日本人名のほうが都合がよかったから改名したのだ!
  

 韓国は創氏改名を問題とするが、進んで改名した人々も多かったのでは
 ないか。
 満州事変の頃は、満州に移住していた朝鮮人が百万ほどいたというが、
 彼らはチャッカリ日本人名に改姓した。それまで朝鮮人は中国人から
 バカにされていたが、改姓して日本人になったので、こんどは威張れる
 ようになった。そういう傾向は日本内地から朝鮮内部にも起こった。
 そこで朝鮮総督府は、昭和十五年二月になって、勝手に日本名を名乗って
 いた人々にも、日本式氏名を名乗る方法を講じてやろうという計らいから
 「六ヶ月以内に届け出た者に限って認める」とした。その結果、届け出た
 者は七九パーセントに達した。

               「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
                (日本図書館協会選定図書)
110これが歴史の事実だ!:02/02/24 16:27 ID:LQLiDxDk

       「強制連行」など起こりようがない!!

 ひと頃、朝鮮人労働者「強制連行」の問題が頻りに取りざたされたが、
 この問題に対する一般の認識には多くの誤解が含まれている。/
 その第一は、終戦時約二百万を超えた朝鮮人労働者の大部分は本人の
 自主的な意志によって渡航してきたもので、「強制的」に「連行」され
 たものではない、ということである。所謂「強制連行」は、大東亜戦争
 勃発に伴う労働力不足を補完するため、戦争中の昭和十七年に、それまで
 自由募集であった朝鮮人労働者を「官斡旋」即ち、朝鮮総督府が募集する
 ことにし、間に立った朝鮮人ブローカーが強引な徴用を行ったことを指して
 言う場合が多いようだが、その実態は甚だ不明である。
 そもそも日韓併合以降、貧しい韓国から豊かな日本へ移住しようとする
 朝鮮人は引きも切らぬ有り様だったのであり、朝鮮総督府や日本政府は法律
 の網の目を潜ってでも日本で働こうとする朝鮮人の密航者には、終始、頭を
 痛めていた。法律を犯してでも日本に入国しようとする朝鮮人が一杯いたと
 いうのに、何で「強制連行」の必要があるのだろうか。その必要はなかったし
 むしろ日本側は迷惑していた。

              「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
               (日本図書館協会選定図書)
111 :02/02/25 18:50 ID:YcOaWrE8
        朝鮮と内地との移出入貿易について

朝鮮の産業は大正六年頃迄は資本投下の盛んな時代であったので
移出入は入超であったが、爾来出超に転じたのは米の移出が増加
したからであった。
それが昭和四、五年頃は米の値が低落したために一時入超となっ
たことがあり、また昭和八年以後は朝鮮に鉱業(特に金鉱)、電気
事業、化学鉱業等の新規な目論みが多く、之がため内地資本投下
が盛んとなり、その投資は機械、建設材料等の移入となる部分も
多いので、之が貿易を入超に転じせしめたのである。猶お近年は
満州国への再移出のための内地品移入も増大している。

朝鮮の移出の太宗は米で、嘗て米は移出総額の過半を占めたが、
近年は移出総額の三割乃至二割を占めるに過ぎず、他の移出が増
大している。即ち米以外の重要移出品は銅、肥料、水産物、生糸
豆類、タングステン鋼、魚油、繰綿、金鉱などである。
近年朝鮮の金鉱採掘は甚だ盛んで、その精錬に当って生ずる含金
銀粗銅が内地に送られてきたが之も大東亜戦以来幾らか下火とな
っている。
肥料が移出重要品であるのは、朝鮮に大規模な硫安工業があるか
らで、硫安以外に魚類の〆粕の移出も相当に多い。タングステン
鉱の採掘が増しているのは時局柄当然であり、又魚油移出は大部
分は鰮油である。綿花も増産され移出は増している。

次に移入は各種生活用品及び建設資材に亙るが、金額の最も多い
のは衣料品で、其の中で以前は綿織物が圧倒的に多かったが、今
ではスフ、人絹、絹等の織物が多くなっている。

昭和18年版 日本国勢図会 本邦の移出入貿易〔朝鮮〕(P58〜9) 
112 :02/02/25 18:51 ID:YcOaWrE8
朝鮮も台湾も日本の版図に加わる以前に於ては今日の百分の一程
度の貿易であったが、日本の指導により産業の各方面に急速に開
発が行われ今日の盛大さに達し得たもので、全く隔世の感があり、
為政の方針が確固たるものであれば国民経済が如何に急速に発展
し得るものなのかの実例をここに見るのである。

      昭和18年版 日本国勢図会 本邦の移出入貿易 (P.58)


                   旧仮名、漢字は変更しています。
113自衛隊に感謝!:02/02/25 18:54 ID:JTNubsbw
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。

少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
   寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
   夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
   私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
   あんたらにわかるか?
   消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
   でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女が門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。



114:02/02/25 19:30 ID:ycl2OfKp

    併合前後の韓国人は日本人に「土民」と呼ばれていた!!
    
    (大正デモクラシーの旗手、吉野作造の見た朝鮮半島)



異民族の統治は、「威圧」だけで成功するものでないことは固より言うを?俟たない。
幸いにして朝鮮政府(朝鮮総督府、もちろん日本の統治機構)は、一方に於いて国家
の威厳を示して居りながら、他方に於いて土民に近代文明の恩沢に浴するの機会を与え
殊に昔の李朝時代に見なかったいろいろの生活上の便宜を供して居る。殖産興業もだん
だん盛んになって居る。交通機関も開けた。殊に道路はどんな田舎に行っても今や立派
に造られて居る。病院も設けられた。その上朝鮮総督府は朝鮮民族の精神的満足並びに
その開発を計る事を怠って居ない。社会公共の秩序は立派に維持されて居る。権利の保障
には土民と内地人(日本人)との区別を立てぬ。比較的公平なる裁判は土民を満足せしめ
て居るようだ。
某朝鮮人は予に、「自分の父祖の代までは、その蓄積せる財産に眼をつけられて故なくして
府の長官から捕縛され、その度毎に多額の身代金を取られたものだが、かくの如き不当の
侵害は今日は全くなくなった。これ全く日本の統治以来のことだ」と言った。
殊に現在の総監寺内伯は、正義の観念の極めて強烈な人で、道に合わないことは秋毫の微と
いえどもこれを仮借しない。しかも、この点について伯は決して土民と内地人とを別たない
といわれて居る。この点は朝鮮人は皆、伯を徳として居るようだ。
かく一方には国家の威力を示し、他方に於いては土民に物質上の満足と及びその発達の機会
を与えて居るのだから、朝鮮民族の同化は十分出来ないまでも、その統治の事業に於いては
決してまごつく訳はない筈である。

        民本主義の提唱者 吉野作造 (大正五年満州と朝鮮半島を視察)
115:02/02/25 19:36 ID:pNKkva+h
>>113
ごめん!ちょっと泣いた!私の家もつぶれて祖父が死んだもので・・・。
感謝してます。
116( ̄ー ̄)ニヤリッ ◆MZeyPuLs :02/02/25 19:49 ID:30hY1bF6
>>113
良い話だから(・∀・)age!!
117 :02/02/25 19:51 ID:PKrwH0d1
>>113
泣ける・・・


118名無し3世:02/02/25 20:12 ID:20wnTOfV
>>113
禿しく感動...
119:02/02/25 20:13 ID:ycl2OfKp

      加藤清正に感謝状を贈った朝鮮王子たち!!

(朝鮮成敗で活躍した)加藤清正が北朝鮮の会寧にまで攻め上ったとき、
二人の朝鮮の王子を捕らえたが、礼を尽くして処遇した。
 翌文禄二年、講和談判が開かれるに及んで、秀吉の命令で、両王子を釜山
から首都・京城まで護衛(家臣・九鬼四郎兵衛)をつけて送り還した。両王子
は帰還するにあたって感謝状を清正に贈った。
 この書状は今も紀州徳川家に残っている。清正の娘が徳川頼宣の夫人となった
縁故から同家に伝えられたものである。それを要約すれば次の通りである。
 <壬辰元年七月二十四日に捕らえられてから礼遇され、厚い保護を受け、
 衣服糧食を与えられ、至れり尽くせりの待遇を受けた。このたび関白(秀吉公)
 殿下に上申して釜山から京城まで送り還された。その慈悲は仏のごとくである。
 もし一行のものがこのことを忘れ、後日、日本及び清正公に対し、僅かでも背く
 ようなことがあったら、人情を弁えぬ者であって、天地の神々もこれを知って
 いるであろう。>
 両王子は京城まで送り届けてくれた九鬼四郎兵衛にも感謝状を送り、その厚遇の
恩は永久に忘れない、と述べている。 
 このほか清正は両王子を一時、鍋島直茂に預けておいたことがある。そのため鍋島
氏の歓待を謝した書状が二通、鍋島家にも伝えられている。「神伝慈悲の道を貴官の中
に見る」という文言さえある。

              「日韓2000年の真実」名越二荒之助 編著
               (日本図書館協会選定図書)
120:02/02/25 20:37 ID:ycl2OfKp
>119の続き、

 今の韓国人は日本人に恩を仇で返すが、「恩」を知っていた四百年前の朝鮮人!

         清正の廟を作った朝鮮王子たち

両王子は京城に帰ってから、清正の恩を忘れないように、京城の南大門外に清正の
廟を作った。そこには肖像画を掲げて生きながらの社とし、両王子は親しく祭文を
読み上げたと言う。
清正に感激したのは、両王子ばかりではなかった。禮曹司という職にあった五人の
高官は、秀吉宛に長文の手紙を書いている。この文書は現在熊本の本妙寺に所蔵さ
れているが全文は「日本人の博愛」−辻善之助編−に載っている。
 要約
 <清正は利欲を求めず、ただ正事に奔走した。朝鮮北部を席巻すること、勇猛果敢
 であって、その姿は神か人か、男子中の男子であった。会寧で両王子を捕らえた時
 は辞を低くし、謙虚そのものであった。この姿に日本の風格を見る思いがした。両
 王子を釜山まで送るその態度は一貫していた。これこそ真の仁人であり、君子中の
 君子である。貴国の忠臣名将録に記録して明らかにすべきではないか。>
 
 これら一連の資料に接しておれば、加藤清正という勇将の一面を窺うことができる。
清正が熊本人に今も「セイショウサン」として慕われている理由も判るのである。

          「日韓2000年の真実」名越二荒之助 編著
          (日本図書館協会選定図書)
121名無し君:02/02/25 21:00 ID:uiGl0Rjg
>>120
加藤清正といったら、捕虜となった後清正に仕えた金官がいるな。
金官は清正が亡くなると悲哀が一通りでなく生前の恩願を慕って殉死したそうだ。
この事で在日から恨まれているって話を聞いたことがある。
122どこぞの平和賞受賞者とは大違い:02/02/25 21:15 ID:ycl2OfKp
   
          佐藤栄作首相の陰徳

      (刑死した韓国人である大日本帝国陸軍中将への恩返し)

 佐藤栄作首相は満鉄の鉄道監察官時代、刑死した洪思翊中将に世話になった。
 佐藤首相は遺族の未亡人と長男に会うと同情し、「大陸時代の洪氏への誼み
 にこたえる餞別として些少だが受け取っていただきたい」として、自分の私財
 百万円を贈与したという。
 佐藤首相は当時現職であり、おおぴらに支援できなかったという。
 遺族は六年間、日本に留まったが、五十年三月、未亡人は次男の留学先である
 ロスアンゼルスへ旅立ったという。
 その年、築地の料亭で佐藤氏を囲む会が開かたおり、知人の安藤氏から遺族の
 近況を聞いた。知人曰く「遺族は総理からいただいた百万円は定期預金にして
 おいたので数十万の利息がつき、そのお金をもって未亡人は無事渡米し、次男宅
 に落ちついた」と、報告をした。
 すると佐藤首相は「安藤さんありがとう、気にかかりながらも立場上、充分なこと
 ができず、申し訳なかった。これで私も忘恩の徒にならずにすんだ」と人情味溢れる
 言葉で述懐したという。その直後、少し離れた席にいた福田赳夫氏と二言三言話した
 佐藤首相は安藤氏のひざの横に倒れてしまった。それ以後、佐藤首相は意識を回復
 することなく、延々と眠り続け、六月三日に永眠したという。

                「日韓2000年の真実」より要約抜粋


 
  
123  :02/02/25 21:38 ID:MGpYFJ6v
熊本城の石垣が朝鮮人石工職人によって積み上げられたと言う伝説も
清正と朝鮮人との厚い親交から生まれたのかもナ。
124ぴろり:02/02/25 21:55 ID:UP7PonCA
まあ、前の支配者は、ことごとく「悪」だったとして墓まで暴く風土の人々
だから、日本がどんなに誠意で尽くしても、戦争に負けたらこうなってただろう
なあとは思うよ。実際は、酷い事なんてしてなくても、平気で何でも
でっちあげる5000年の奴隷根性&被害者意識な連中だもの。
あと、前の権力者の墓を暴く、死者を冒涜するってのは大陸の文化だ。
蒋介石もやったしね。そういうロクでもない事ばかり中国のいい生徒だった
って訳だね>半島
しかし、いつまで中華の名前名乗っているつもりかね?恥じゃないの?
戦後、見直す市民運動くらい起きてもよかったのでは?
125  :02/02/26 02:27 ID:p9Z4p0YL
ここに出されている資料も、一般的な韓国人は「捏造だ!真実はこうニダ!」
と一蹴し、デムパな捏造証言を持ち上げるものなんでしょうか、、、、?

だとすると、彼らにとって歴史的な資料って、価値があるの?
126歴史は捻じ曲げられない:02/02/26 17:50 ID:hki0aE80
 
              「十二月八日」

 「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産
 して母体を損なったが、生まれた子供はすくすく育っている。今日、東南アジア
 の諸国民が、米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
 それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日
 は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心を
 された日である。我々はこの日を忘れてはならない。」

             新聞記者 ククリツト・プラモート(後のタイ国首相)

  *「十二月八日− 日本が米英に宣戦布告した1941年、昭和十六年十二月八日
           大東亜戦争勃発の日(後世、太平洋戦争と呼称されている)  
127歴史は捻じ曲げられない:02/02/26 18:15 ID:hki0aE80
 
  韓国人は「韓国という国」に絶望して「日本人化」をめざしたのだ!
  

 「数千年にわたる過去の朝鮮史、ことに李朝五百年史だけをとりあげて
 みても、完全な独立の道などは一場の夢に過ぎないことはわが朝鮮自身
 の常識である。いわんや最近五十年の国際状況、特に日増しに険悪の度
 を増すこれからの世界史相を展望するとき、朝鮮が微弱なままに一度
 自立してみようというのは最初から問題にならないのである。
  してみると、今我々に残された唯一の道は、肉体的にも精神的にも
 内地人と同族になって、一切の権利と義務を同一に享受しようとする
 皇国臣民の道である。」

               金文輯 「朝鮮民族の発展的解消論序説」
128歴史は捻じ曲げられない:02/02/26 18:30 ID:hki0aE80

    祖国を救う為に苦渋の決断、断腸の思いで「日韓併合」
    に踏み切った李完用こそ「韓国救国の英雄」ではないのか!


 「私の生涯は汚辱で終わるのだ。人々は、栄光を度外視して汚辱の生涯
 だけを拡大して伝えるだろう。それは当然なことだ。人生は動機よりも
 残した足跡が大事だから・・・親清派や親露派には無関心の寛容を見せ
 ながら、なぜ親日派だけにそれほど過酷なのか知れない。きっと、結果的
 に国が滅びたからそうなのであろう。私も自主独立だけを絶対値に信じる
 者だ。ただ、その次善の策が親日であっただけだ。なぜ併合条約に前後し
 て、この国の独立主義者たちは私を殺さなかったのか。ひそかに物足りな
 く思う。私はなぜ農民の子に生まれてこなかったのだろう。それが怨めしい!」

            1926年 併合時の韓国首相 李完用 臨終にて
129:02/02/26 19:17 ID:kdjNxtJL

         日本統治全否定のからくり

 戦中派の韓国人の中には、私的な場で「現在の韓国の発展はあの36年
の間の基盤があったからだ」と、日本の統治を評価してくれる人が多い。
ところが、公式の場では絶対に日本統治の「功」の部分を認めようとはしな
い。何故か。
 戦後、朝鮮半島で政権を握ったのは、上海やアメリカに亡命し、反日テロ
を繰り返してきた李承晩グループ(派閥抗争、血の粛清を繰り返してきた)と
ソ連の支援を受けて共産主義イデオロギーに染まった金日成グループであった。
彼らはともに日本統治がいかなるものかという実体験がないまま、日本憎しの
感情に駆られて、日本の統治を「朝鮮人民を奴隷化している」などと観念的に
非難してきた。
 そうした李承晩及び金日成グループが日本敗戦後、それぞれアメリカ及びソ連
を後ろ盾にして、あたかも占領軍のように朝鮮半島に乗り込み、当時朝鮮にいた
民族運動の指導者を排除し、徹底した親日派狩りと言論弾圧を行った。歴史教育
も日本への憎悪感情に燃えたアメリカまたはソ連の歴史観に基づいて行われるよ
うになった。
 このため、少しでも日本統治のよかった面を話そうものなら弾圧され、最悪の
場合、民族の裏切り者として親族までが殺された。
 いわば日本全否定史観をもつ米ソ亡命組が体制権力を握り、その下で、
日本統治を体験した民衆は自らの体験に基づいて自由に発言できなくなってしまっ
たのである。
 そうした構図がいまなお韓国や北朝鮮に続いているが故に「日本統治はすべて
悪かった」という観念的な歴史観が幅をきかせているのではないかと思うが、いかが
だろうか。

              「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著より
                  (日本図書館協会選定図書)
130:02/02/26 20:05 ID:+T10jDhF

われわれがまず明らかにしなければならないことは、この(日本からの)解放
が盗人のように不意に訪れたということだ。解放後の腹立たしいこと、醜いざま
は一つや二つではないが、その中でもほんとうに腹立たしいのは、この解放を
盗もうとするやつらが多いことだ。彼らは、自分達だけはこのことを早くから
わかっていたと宣伝する。それは彼らが盗人のようにやってきた解放を、さも
自分が送り込んだようにして盗もうとするためである。それは嘘だ。もし彼らが
あらかじめわかっていたなら、それほど先見の明があったなら、どうして八月十四日
までへりくだって服従していたのか。そのときひと言でも予告して民衆を慰め、勇気を
ひきしめさせていたなら、今になってことさら宣伝しなくても民衆は指導者としてお迎
えしただろう。そういうことはやめて素直になろう。君も僕もみな知らなかったのだ。
みんな眠っていたのだ。神社参拝をしろと言われれば腰が折れんばかりに拝み、姓を
改めろといわれると競い合って改め、時局公演といえばありったけの才能を傾け語り、
米英を罵倒し、転向しろといわれば実にアッサリ転向し、よく見られようと聖書も直し
教会も売り、信用が得られるとなると四つん這いになり、犬の鳴き声もしてみせた。
この国の志士、思想家、宗教家、教育者知識人、文人に、また海外流浪何十年と格好は
よいが、その実、互いに博士派、先生派、なになに派、なになに団と、ハワイや
サンフランシスコではアメリカ人の召使をしながら、勢力争いをし、重慶・南京では
とうもろごし粥をもらって食いながら地位争いをしていた人たちが、なにをあらかじめ
わかっていたというのか。思想はなんの思想で、政治はなんの政治運動をしたというのか。
この国が解放されるとあらかじめわかっていた人など一人もいないのだ。

                  「意味から見た韓国史」 咸錫憲
131  :02/02/26 21:10 ID:QBXq7ibg

私は解放後の韓国で、悠揚迫らない大人風の紳士に親切に遇せられ、後でその人が、植民地時代には
剛直な反日家だった、と聞いてびっくりするという体験を何度かした。60年代のことである。この人たちは

「日本のおかげで、われわれは今こんなに苦労している」といったことを一言も言わなかった。そんなこと
を言えば、われわれはまだ日本の影響下にある、と告白するみたいなものではないかと、その種の言葉

をみずからに禁じていたのである。そこには腸のねじ切れるような亡国の無念を、新たな出発のテコにし
ようとする強靭な志があり、私は感動した。人間の「格」というものを思わせる体験でもあった。そうした経

験をしたものには、近ごろ喋喋されている歴史論議などに加わる気がしない。敗北にも平然としておれる
人々のおはなしは結構である。私は師事・兄事してきた韓国人と、(その多くはすでに他界されたが)夜空

の星をなかだちとして、はるかに通信できれば十分である。

田中明 「物語 韓国人」
132これが歴史の真実だ:02/02/27 18:35 ID:/hHndd4R

    伊藤博文公を暗殺した安重根を賞賛しなかった当時の韓国人

市川正明編「安重根と日韓関係史」という資料には、二万語に及ぶ(伊藤公の暗殺)
各国の反応が掲載されていますが、その中で外国(サンフランシスコ・ハワイ・ウラジ
オストック等)にある韓字新聞の報道ぶりも伝えています。前年の明治四十三年三月に
サンフランシスコ在住の張仁煥らが韓国政府の外交顧問だったスチーブンスを射殺した
時には、これら韓字新聞は連日にわたって暗殺事件の犯人を賞揚し、激越な論調をみせて
いました。
しかし、伊藤公暗殺については事実を報道しただけでした。/韓国の(今の)教科書のよ
うに「全世界に大韓男児の気性を見せ、日本の大陸侵攻を世界に警告した」ことにはなら
なかったのです。
青少年に愛国心を涵養するため、韓国がこのように記述したことはよく解ります。しかし
テロという手段の持つ反作用についても教えなければならなかったのではないでしょうか。
皮肉にも、伊藤総監暗殺によって日韓併合は一挙に早まってしまったのです。

                  「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
                   (日本図書館協会選定図書)

 
133人トレフT人1レ:02/02/27 18:59 ID:APpD9zHa
134これが歴史の真実だ:02/02/27 19:18 ID:HBtik2lE

 「伊藤博文公暗殺」に対するドイツ人の論調

<韓国人が公を暗殺したことは、特に悲しむべきことである。何故かといえ
 ば、公は韓国人の最も良き友であった。日露戦争後、日本が強硬の態度を
以って韓国に臨むや、意外の反抗に逢った。陰謀や日本居留民の殺傷が相次いで
起こった。その時、武断派及び言論機関は、高圧手段に訴うべしと絶叫したが
公ひとり穏和方針を固持して動かなかった。当時、韓国の政治は、徹頭徹尾
腐敗していた。公は時宜に適し、かつ正しい改革によって、韓国人をして日本
統治下に在ることが却って幸福であることを悟らせようとし、六十歳を超えた
高齢で統監という多難の職を引き受けたのである。>

            ドイツ人 エルウィン・ベルツ博士 「伊藤公の追懐」
135これが歴史の真実だ:02/02/27 19:30 ID:HBtik2lE

  「伊藤公暗殺」に対するロシア人の論調

<思えば思うほど情けない限りである。最後の大戦争(日露戦争)以前に
伊藤公爵が言われたことを、もし、ロシアが聞いていたら、あの悲惨な戦争
も、ロシアの敗戦という不名誉もなかったのである。伊藤公爵のハルピン来訪
目的は、わが大蔵大臣との外交上の空しい儀礼的なものでなかったことは、
誰もが知っていた。伊藤公は「ロシアは満州から去れ」などという、一点張り
の主張をする人ではない。尊敬すべき老大偉人の逝去は、日本の損失ばかりで
なく、わがロシアの損失であり、韓国が大損失をこうむることは必至である。>
  
     東清鉄道長官 ホルワット少将 「ハルピン・ウェストニツク紙」
                               
136これが歴史の真実だ:02/02/27 19:43 ID:HBtik2lE

 「伊藤公暗殺」に対する韓国皇帝の論調

<伊藤を失ったことで、東洋の人傑がいなくなった。公はわが国に忠実正義
をもって望み、骨を長白山に埋めて、韓国の文明発達に尽くすと揚言してい
た。日本に政治家多しといえども、伊藤のように世界の大勢を見て、東洋の
平和を念じた者はいない。実に伊藤はわが国の慈父である。その慈父に危害
を加える者があるとすれば、物事の理事を解さない流浪人であろう。>

                十月二十七日   太皇帝(高宗)

<伊藤を失ったことは、わが国といわず、日本のみならず、東洋の不幸である。
その凶漢が韓国人とあっては、赤面のほかない。>
                十月二十八日   太皇帝(高宗)
137これが歴史の真実だ:02/02/27 19:58 ID:HBtik2lE
 
  「伊藤公暗殺」に対してのイギリス人の論調

<公を泰西の政治家と比較するに、公はビスマルクの如く武断派ではなく、
平和的であったことはむしろ、グラッドストーンに類するところである。
財政の知識が豊富であったことはビールにも比すべく、策略を行うに機敏
かつ大胆であったことは、ビーコンスフィールドに似ている。公はすべての
大政治家の特徴を抜粋して一身に集めた観がある。殊に公は驚くべき先見の
明を有し/要するに四十余年の永きにわたって終始一貫、国家の指導者たる
地位を占めたのは、実に千古の偉観というべきである。>

  「伊藤公の性格」ブリンクリー主筆 イギリス紙「ジャパーン・メール」
138これが歴史の真実だ:02/02/27 21:27 ID:ArxUxLgk

 李朝末期の韓国は、暗黒の世界で日本が暗闇を破り、光明をもたらしたのだ。
1890年代から1930年代の間に、日本人が韓国にもたらした革命的な改革
が、どれほどまで絶賛されたことだっただろうか!韓国人が自らの手では、とう
てい、行えなかったことだった。ただ、日本人が外国人であったからいけなかった
のだ。

                「醜い韓国人」 朴泰赫   光文社
139本物の韓国人:02/02/28 03:46 ID:jDUjN1ca
俺的な観点なんだけど、
当時のことについて大事な思案は、
日本の朝鮮併合及統治、経営なんかじゃなく、
あの頃に如何に何人も殺されたのかだ。
何よりも人間が殺されたことよりもっとも大変なことは無いわけ。
俺的な提案なんだけど、
これについては韓日両国の共同真相調査団を組んで真実を明かし、
韓日両国共にそれぞれ自国の歴史教科書に該当事件について
事実(史実)のまま記述するのだ。
尚、感情ある文句は絶対記述しないこと。
「日本は悪い」か「日帝治下で我が民族は抑圧を受けた」、
「日本のせいで我が民族は悲惨となった」、
「日本は謝罪するべき」なんかは絶対ダメ。
該当事件に関する部分は、韓日両国共に自国の歴史教科書に
「こういう事件があった」だけ簡略に記述し、この上
韓日両国の共同調査団による共同統計資料名を提示するだけでよい。
以後の判断はご自由に。
別に相手へ自国の歴史観を強要する必要はないと思う。
大事なのは歴史認識なんかじゃなく史実への共有なんだ。
韓日両国共に事実(史実)をありのまま認めること、これだけだ。

朝鮮併合及統治、経営自体へのしつこい執着は無用。
もっとも大事なのは人間だ。
140 :02/02/28 03:50 ID:F3T356Fe
>>139
それ、日本側はカケラほども依存ないと思うけど。
そっちはどうなの? 結局韓国次第っしょ? ムリだと思うけど。
それともなにか具体案でもある?

141_:02/02/28 03:52 ID:xg6N88kd
以外と、事実を淡々と、並べた方が、歴史は心にくるものが多いものですよ、、
142 :02/02/28 08:47 ID:jpsFmW7a
>>139
台湾の教科書がそんな感じだな。台湾総督府の功績も書いてるけど、
抗日運動で死んだ人数もきっちり書いてる。

まあ、客観的というよりは、独立を維持するために中国と日本の
間でバランスを取ろうとしてる風にも読めたけど。
143 :02/02/28 09:06 ID:DPCGW27r
日本政府が、朝鮮植民地化を肯定

新渡戸稲造 (植民地主義者)→→→5.000円札
伊藤 博文 (併合反対論者)→→→1.000円札

これは日本国政府が、朝鮮植民地化を肯定することの証左である!!!

--------------------------------------------------------------
伊藤は、「植民地にする気はない」といって朝鮮人による 朝鮮の統治
を 淡々と説いた。(新渡戸稲造『偉人群像』、実業之日本社、1931年)
--------------------------------------------------------------

植民論に関する文献調査・研究
http://www.hokudai.ac.jp/letters/project/project96.html

佐藤昌介と東京帝国大学教授【新渡戸稲造】が1910年以後も植民地経営
への卒業生の送出について連絡をとっていること、新渡戸稲造が植民地
の官吏・学者の人事に大きな影響力を持っている史料を見いだした。

新渡戸稲造が韓国統監府へ出張し、植民地経営の急進派(伊藤博文統監を
穏健派と批判する勢力)として運動し、言論活動をしている当時の史料を
見いだした。東京帝国大学の農学者、日本帝国農商務省の高級官僚が、
新渡戸などと同じように韓国に進出し、植民地経営の積極派として同じ
論陣を張っている史料(視察報告など)も発掘した。
144 :02/02/28 09:14 ID:nIEhVbbb
1の朴大統領の文、2chではけっこう人気みたいだけど、ここでも
  我が五千年の歴史
なんだよね。
145 :02/02/28 11:07 ID:1vvmFORY
>>144
民族神話だから、そこまで否定するのはあんまりかと……
146わを!!:02/02/28 16:20 ID:or0JOksB
福沢諭吉(征韓論者)→→→10,000円札

韓国はまだ抗議してないぜ。
147  :02/02/28 16:28 ID:IWhwIIwM
>>139
なら当時の(日本人も含む)何人を、日本国籍の朝鮮人が、日本の命令に背
いて違法に虐殺したか調べ上げて、全責任は朝鮮にくれてやらないとな。
148UG:02/02/28 16:29 ID:e99fTn42
>>139
確かに名案なんですが
・李朝時代、統治時代、独立以降の死体の区別。
・現在の韓国の主張する被害者数の根拠。
以上2点を明確にしないと不可能なのでは?

適当に被害者を増やし続ける韓国政府が
今さらそれをやるとは思えません。
それにそれをやると青山里が・・・
149 :02/02/28 17:29 ID:SlNfrV+T
本物の韓国人さんには 失礼かもしれないが・・・

<併合前の半島>
1.第一印象、住居等

イザベラ・バード:1894年始めてソウルを訪れたバードはソウルについて次のように述べている。58−60頁

「北京を見るまで私はソウルこそこの世で一番不潔な町だと思っていたし、
紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだと考えていた。
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。
礼節上2階建ての家は建てられず…」

「こういった溝に隣接する家屋は一般に軒の深い藁葺きのあばら屋で、
通りからは泥壁にしか見えず、ときおり屋根のすぐ下に紙をはった小さな窓があって人間の住まいだと言うことが分かる。
又溝から2,3フィートの高さに黒ずんだ煙穴がきまってあり、
これは家の中を暖めるとと言う役目を果たした煙と熱風の吐き出し口である。」

「瓦屋根の反り返った上流階級の家屋でも、通りから見た体裁の悪さと言う点ではなんら変わりがない。」

シャルル・ダレ、住居の項にて:289頁

「貴方はみすぼらしい茅屋というものを見たことがあるでしょう。
では貴方の知っている最も貧しい茅屋を、その美しさと強固さの程度を更に落として想像してみてください。
するとそれがみすぼらしい朝鮮の住まいについての、殆ど正確な姿となるでしょう。」

「2階建ての家は探しても無駄です。そのようなものを朝鮮人は知らないのです」

150 :02/02/28 17:29 ID:SlNfrV+T
「朝鮮の宮廷は非常に貧しく、国庫はさらにもっと貧弱です。
宦官やその仲間である国王の妾、宮中の侍女たちは、もし大臣の地位や、
又時には他の幾つかの高官職を売って得る金がなくなれば、きっと打撃を蒙るでしょう。
従って権力の座にあるものは、贈り物を次々と与えては機嫌をとり、
これらすべての貪欲な吸血鬼をいつも満腹にしておかなくてはなりません。
特に今までに増して国王の寵愛を獲得しようとする時には、巨額の金が必要になります。

所が金炳国(きむぴょんごく・国王の義兄弟)は、幾つかの官職をかなり高く売り、
朝鮮人参の専売権を引き受けたのだが、それでも尚必要とされるすべての人々に富を行き渡らせて、
地位を買収するだけの金を得ることができなかったのです。
昨年の真冬に、金炳国のおかげで多くの地位と富を得た1人の男が金炳国を訪ねてきて、
「最高権力を握りたいとは思わないですか」と尋ねたのです。
「答えるまでもないでしょう。しかしそれを得るためにはとにかく金がいるのというのに、
私にはそれがありません」と国王の義兄弟は答えました。
「それでは私に王国の南部地方の租税を徴収する職を下さい。
そうすれば必要なお金を手に入れて差し上げましょう」「よろしい」と大臣は答え、
すぐさまその男の指示に従って対策を講じたのです。
南部地方の租税は主に米で、それは海路を通じてソウルに運搬されていました。
くだんの男はこれらの米をみんな集めて船に積み込み、中国まで運搬し、
朝鮮で売る4倍の価格で売りさばいたのです。
帰国した彼は租税に必要な米を再び買いととのえました。
こうした値段の差額によって、国王の義兄弟は、
宮中にあふれている一群の宦官と侍女の支持を一手に獲得することができたのです。
そして彼は自分の競争相手を罷免し、すべての権力を独占しました。
いかなる穀物を輸出しても、それは極刑にかけられる犯罪になります。
ましてや王室の維持費のために徴収された米を売るものは許し難い国事犯なのです。
この密輸出が原因となって、とうとうこの年は幾つかの道にとっては深刻な飢えの年となったのです。
しかし彼にとって何の関係があるでしょう。
彼が権勢を得、豊になった以上、誰が彼の行状を問い正そうとするでしょうか」
151 :02/02/28 17:30 ID:SlNfrV+T

6.2.奴隷

韓国誌  319頁

「又個人的随意契約により若しくは父母に売られて奴隷となるもありて、
世襲奴隷と一時的奴隷とはその間厳重なる差違を存し、
世襲奴隷の子女は常に奴隷となり、
主人の承諾を得るにあらざれば絶対的にその自由を回贖するを得ざるも、
一時的奴隷の子女は多くの場合において解放せられ、
その奴隷自身も犯罪により奴隷と為りたるものを除くの外は、
主人の意に反すとも一定の金額を納めて自由の身となることを得るなり。

世襲奴隷は常に全く主人の専有物と見なされ、
主人は之を売買し、貸与し、贈与しその他すべて随意に之を処分することを得。」
152 :02/02/28 17:30 ID:SlNfrV+T
7.取り調べ、監獄、

シャルル・ダレ  112−114頁、118−119頁、122−124頁

「ある日1人の若い常民が、両班の子弟と喧嘩している内に、誤って斧で脇腹を一撃して殺してしまった。
殺人犯である常民は、即座に捕らえられ守令の前に連行された。
証人の中には被害者の父親もいた。
一言二言三言訊問した後、守令は斧を持ってこさせてその父親に手渡し、
縛られたまま地面に倒れている殺害者を指さしながら、
「こやつが、どのようにお前の息子を打ち殺したか、見せてみよ」と言った。
守令はその父親に犯人をその場で殺害させ、煩わしいこの事件から早く逃れてしまいたかったのだ。」

「大きな邑には、捕卒から報酬を受けている盗賊の頭目が数人いつもおり、
人々が彼らの行為に耐えられなくなった時か、
守令がいつになく強い脅しをかけた時に、法廷に突き出されてくる。
彼らを逮捕する時にも、比較的軽い犯罪については合意が出来ていて、
それから捕卒が告発し、被告が是認する。重大な問題に関しては、
すべて堅く沈黙が守られ、真犯人が自分の犯罪に対してそれ相応の懲罰を受けるようなことは稀である。
のみならず政府は必要なときに備えて大胆で図太い補助者を自らの手元に確保しておくため、
世間に名の知れた数多くの泥棒を自由にさせておく。」

「許されている拷問が、未だ数多く残っている。次に主要なものを挙げてみよう。(詳細省略)
1.棍杖(長さ1.6−2メートル、幅20センチ、太さ4.5センチ位の棍杖で殴る)
2.平棒、笞、棒杖
3.骨の脱臼と屈折(3種類ある。その内の1例は、両膝と両足の親指を縛り、その間に2本の棒を入れ、反対方向に引っ張る)
4.吊り拷問
5.鋸拷問或いは足の鋸引き
6.3稜杖(木製の斧若しくは鉞で肉片を切開する拷問」 
153 :02/02/28 17:31 ID:SlNfrV+T
マッケンジー  27ー28頁、33頁、79頁、119−120頁

「監獄は呪詛の的となり、拷問は自由に行われていた。
周期的な監獄清掃に際しては一時に数十人の囚人を絞首してしまい、裁判は売買された。」

「罪人たちがその首をはねられた後、鳥や犬に食わせるよう野っ原に放り出して置かれるのを見て、不快感を抱いたこともあろう。
更に彼はしばしば行われた囚人に対する拷問や笞刑の光景を見て全く嫌になってしまったこともあるだろう。」

国王のロシア大使館逃避後。
「第2の詔勅が天下に公布され、兵士たちに自分たちの国王を守り、謀反の首謀者たちの首をはねて国王の所にそれを持参するよう呼びかけた。
この詔勅は集まった群衆の怒りを最高潮にかきたてた。
大群衆が前閣僚たちを殺害しようと捜し求めた。
2人の大臣(前内閣総理大臣金弘集と前農商工部大臣鄭秉夏の2人)が街路に引きずり出され、残忍きわまる方法で殺害された。
その内1人は首の後ろから耳の前にまでわたるひどい深傷を負っていたが、群衆はその彼が倒れるとき猛獣のような大きな歓声を張り上げた。
群衆はその死体に向かって石を投げつけ、或いは踏みつけ、又或ものはその四肢をずたずたに切り裂いた。
1人の男は自分の小刀を抜きはなって、死体の一つの内股の肉を切り取り、その肉片を自分の口に入れながら、
群衆に向かって「さあ!奴らを食おうではないか」と叫んだ。」
154 :02/02/28 17:33 ID:SlNfrV+T
同胞韓国人は嘘つきばかりである。私はそのことが恥かしく、情けない。

「韓国は独力で近代化を成し遂げた」って。馬鹿を云うな。
韓国の近代化は日本の莫大な資本と人材の投与によって成し遂げられたものである。

「韓国は日本の統治に抵抗をもって対抗した」だって。馬鹿馬鹿しい。
同胞韓国人はロバのように日本の統治を甘受したのが実態だ。ごくごく一部の
抵抗はあったが上から下までみんな日本にあこがれ、日本人になろうとしたのだ。

「韓国が独立したのは韓国の手によるものだ」にいたっては呆れてものも言えない。
誰も日本からの独立など望んでいなかったのにアメリカに強制的に独立させられたというのが真実だ。

「漢河の奇蹟」だって!笑わせる。
日本から賠償金という名目で莫大な経済援助と技術援助で成し遂げられたものだ。
これだけお膳立てしてもらえばどんな未開民族でも経済成長するだろうよ。

「日本文化の祖が韓国」とは恐れ入る。
一体、併合前の朝鮮半島のどこに「文化」なるものがあったのか。
併合前、我々先祖は乞食同然の生活をしていたではないか。

現在の韓国の姿、まさに他人により作られた砂の楼閣だ。
虚飾と偽善と歪曲とおごりに満ち満ちている、真似と依存と歪曲が全てである。
このような韓国の本質を知らず「韓国こそ世界一」などとほらを吹いて自己満足している
本国、在日の韓国人は正気の沙汰ではない。
これが恥でなくてなんであろうか。
155 :02/02/28 18:20 ID:uC/Aw/q7
 考えてみると、われわれは苦労するためにこの世に生まれてきたようなものだ。
四千年を越す歴史で今日まで太平の世を知らない。はるか古代はいざ知らず、
三国時代以後は文字どおり一日も安らかな日がなかった。試みに三国時代以後の
戦争の回数をみると百を越える。内乱を除いて資料に残る他民族の侵入だけでも
五、六十回に達し、その中で全国的におよんだものが三十回にもなる。そして
そのすべての戦争が、高句麗が戦ったいくつかを除いて、みなわが領土内で
行なわれたし、最初から最後まで防戦であった。敗けた戦いである。
昔から城下の誓いは恥だといわれる。戦いをし講和条約を結ぶなら
よその地に行って結ぶべきで、わが城の中で結ぶなら敗けたのは明らかだ。
外国軍の占領下で条約を結ぶというのは、弱点を握られていることではないか。
恥ずかしいことだがわが国の歴史をみると、城下の誓いでないものは一つもない。
『苦難の韓国民衆史』(咸錫憲著)
http://homepage1.nifty.com/fujikikaku/koreawind/Ham%20Sok-hon/kunan035_01.htm
156:02/02/28 19:28 ID:Wur7px53
 
 
    弱いものは徹底的に苛め抜く!これが韓国の歴史である!

<動物がひどく苦しがっていることが判ときでさえ、一般の朝鮮人はまったく、関心
を示さない。道路に病気になった猫や犬や、けがをした鳥などがいると、子供も大人
も老人も手に手に棒や石を持って、この哀れな動物をいじめ殺してしまう。>

      アメリカ人 メソディスト派宣教師 ホーマー・B・ハルバート
157:02/02/28 19:40 ID:Wur7px53
韓国の歴史とはただ強い者に媚へつらい、弱いものを圧殺するというそれだけの
歴史である。
大陸の宗主国の力が弱まれば新興の宗主国にくっついて旧宗主国をたたく。
これが韓国の「真実の歴史」である。
元寇のときは元にくっついて壱岐、対馬の善男善女を虐殺しぬき、
日本が宗主国となると旧宗主国である満州人を苛め抜き、日本が敗戦すると
日本を見下し、恐喝、強盗まがいのことを平然として、アメリカにくっついて
武器もたぬベトナムの女子供をなぶり殺する。
これが韓国の歴史である。
こんな歴史しかないくせに「五千年の偉大なる歴史」とは笑止千万!
卑怯者とは韓国人のためにある言葉である。
158  :02/03/01 11:42 ID:6MKcJ7OO
159:02/03/01 12:37 ID:VoHogatm
韓国人は、自分さえよければよいと思っている。具体的な計画もないし、地道な
努力もしないのに、あるとき空のてっぺんから幸運か落ちてきて、自分だけが
一度、大金持ちになればよいと願っている。

                      「醜い韓国人」朴泰赫
160逝きたて、じゃパン!:02/03/01 13:04 ID:88YuG1zA
優良スレだなあ。韓国人や第三者の外国人の
手記などである点がポイント。

保存して、今後、広く流布させるとしよう。
161逝きたて、じゃパン!:02/03/01 13:21 ID:88YuG1zA
>>149
>「北京を見るまで私はソウルこそこの世で一番不潔な町だと思っていたし、
> 紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだと考えていた。
> 都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。
> 礼節上2階建ての家は建てられず…」

一方日本は・・・

「人々はみな清潔で、食料も十分にあり、幸福そうであった。
 これまでにみたどの国にもまさる簡素さと正直さの
 黄金時代をみる思いであった。」

 幕末に来日したアメリカの総領事、
 タウンゼント・ハリスの1858の手記
162 :02/03/01 14:12 ID:7N7VQR76
 ところで、この場合われわれが考えなければならないことは、わが民族には文化を
破壊する習性が強いということだ。戦争によって偶然にあるいはやむを得ず失われる
こともあろうが、いちど局面が変わると、以前のものは余すところなくばっさりとな
くしてしまおうとする習性がある。

 慶州に行けば太宗[新羅]武烈王碑というのがある。支石と題字の部分は残っているが、
肝心の碑文はなくなっている。のちの高麗朝にいたってわざと消したのである。その
ような例は他にもある。伝わる話しによると、金富軾(キム・ブシク)は『三国史記』
を書き終わったあと、参考にした古い記録をすっかりなくさせたという。それで、わが
国本来の精神、思想のおもかげは失われてしまった。金富軾はもともと中国崇拝主義者
であったので、彼の目には、わが国の古くからの言い伝えや考えがみな俗っぽいものに
しか映らなかったのだろう。それで、こういうものを恥と思って全部を漢文式に直して
しまい、古くから伝わるものをことごとくなくさせた。
『苦難の韓国民衆史』(咸錫憲著)
163勇者チョパーリ:02/03/01 14:24 ID:T+ClyThZ
過去について述べられてあるだけでなく、
連中がなぜあれほど、どうしようもない連中なのかについても触れられてお
り、秀逸
164本物の韓国人:02/03/01 15:41 ID:HcWcr0iG
俺的な観点なんだけど、
当時のことについてもっとも大事な思案は、
日本の朝鮮併合及統治、経営なんかじゃなく、
あの頃に如何に何人も殺されたのかだ。
何よりも人間が殺されたことよりもっとも大変なことは無いわけ。
俺的な提案なんだけど、
これについては韓日両国の共同真相調査団を組んで真実を冷静に明かし、
調べの結果については韓日両国共に史実をありのまま冷静に認めるべきだと思う。
もちろん、韓日両国互いに相手への感情なんか絶対ダメだ。
韓日両国は該当事件についてそれぞれ自国の歴史教科書に
詳しい根拠資料に記述されている事実(史実)をそのまま冷静に
記述するのだ。尚、感情ある文句は絶対記述しないこと。
「こういう事件があって、何人が殺されたし、こう殺害された」だけ
冷静に記述し、韓日両国の共同調査団による共同統計資料名を提示するだけでよい。
以後の判断はご自由に。
別に相手へ自国の歴史観を強要する必要はないと思う。
大事なのは歴史認識なんかじゃなく史実への共有なんだ。
韓日両国共に事実(史実)をありのまま冷静に認めること、これだけだ。
もっとも大事なのは互いに冷静となるのだ。
165逝きたて、じゃパン!:02/03/01 16:58 ID:/Hsu1asA
>>164
もし、日本がやってくるまでの朝鮮の状況、
どれだけ両班に平民が殺されてたかも判るならば、
また、どれだけ不潔な環境で亡くなっており、
それらが、日本の朝鮮併合により、
どれだけ改善(改悪)されたかも判るならば賛成だ。

だけど、日本が来るまで統計なんか取ってないから
駄目だろう。

そうなると、日本が来て実際に朝鮮人の暮らしが向上し、
死亡率が減っていても、絶対数で「日本の関与により
××人死んだ」という語られ方をしてしまう訳だ。

そんな手に乗るか卑怯な韓国人め。
166 :02/03/01 17:04 ID:g2cN3txH
>>165
コピペにマジレスしても返事は帰ってきやせんぜ、だんな(涙
167逝きたて、じゃパン!:02/03/01 17:43 ID:Ud6UUgn9
キャ〜!

く、屈辱の踊りを踊ろう。
168:02/03/01 18:00 ID:cEK9jkqe

     まったく韓国の教科書はウソつきである!!

 韓国の教育では、わが民族は「東方礼儀之国」として、お互い礼儀をわきま
秩序を優先するとされている。もしそれが事実なら、現在の交通秩序や基本的な
公衆道徳がこれほどメチャメチャになるはずがない。
 事実はこうである。例えば李氏朝鮮時代に我が国を訪れた外国人が書いた文章
を見てみよう。そのときからすでに韓国人は自分勝手で、不正が横行し、共同体
意識がこれっぽちもなかったと記録されている。正しい教科書を作るなら、「かって
外国人はこう言った。確かに我が民族はこれこれの悪い点があるから、今後改善しな
ければならない」としなくてはならない。
 もともと韓国人が平和的なよい心の持ち主だという描写も誤りである。
教科書には、我が国は、よその国を侵略する意思をもったことがなく、困ったときは
お互い様と、助け合いながら生きてきた「白衣の民族」、純白の純潔さを持った民族
という感じで書いてある。本当だろうか?
 韓国がよその国を侵略しないで、おとなしくしていたのは、別に平和的な民族だった
からではない。そうせざるを得ない歴史的背景があったからだ。/
 また、教科書で、あるものを「韓国の伝統」だと讃える前に、本当に自分たちの
ものなのかを疑ってみるべきである。
 その端的な例がテコンドーだ。
 テコンドーはその起源を新羅時代にまで遡る伝統武芸として知られている。
しかし、一部ではその時代にテコンドーの元になったと言われる「テクキョン」なる
武芸とテコンドーとは辻褄まが合わないと指摘されている。それより、沖縄で発展
した沖縄空手がテコンドーに直接的な影響を与えたのではないかとみている人もいる。
 亀甲船もそうだ。/
 つまり、テコンドーも亀甲船も、すべて韓国のオリジナルな伝統に基づいているわけで
はないが、教科書はそれを教えない。
 まったく韓国の教科書はウソつきである。

           「私が韓国をキライになった48の理由」 李鍾學
 

169:02/03/01 18:18 ID:cEK9jkqe
   
    意気地なしのくせに、怒ると正気を失う韓国人

 「朝鮮人は本当に怒ると、正気を失うといえるかもしれない。自分の生命
 などどうなってもいいとぃった状態になり、牙のある動物になってしまう。
 口のまわりにあぶくがたまり、いよいよ獣めいた顔つきになる。遺憾なこと
 だが、この怒りの衝動にわれを忘れるといった悪弊は、男だけの独占では
 ない。/
  女は立ち上がってひどい大声でわめくので、しまいには喉から声が出なく
 なり、つぎには強烈に嘔吐する。精神錯乱に陥るこうした女たちを見るたびに
 私は、どうして脳卒中で倒れずにすんだのかと、不思議に思う。どうも朝鮮人
 は幼少のときから自分の気分を制御する術を学ぶことがないらしい。子どもも
 親をみならって、自分の気に入らないことがあると、まるで気が狂ったように
 大暴れして、結局、我意を通すか、それとも長くかかって鎮静にもどるか、
 そのいずれに落ち着く。」

               ホーマー・ハルバート「朝鮮亡滅」
170狂ったように戦争賛美した韓国人:02/03/01 19:20 ID:Pn/M5tsX

  
              「皇国臣民の誓詞」

  児童用   
           一、私共ハ大日本帝国ノ臣民デアリマス
           一、私共ハ互ニ心ヲ合セテ、天皇陛下ニ忠義ヲ尽シマス
           一、私共ハ忍苦鍛錬シテ、立派ナ強イ国民トナリマス

  学生・一般用

           一、我等ハ皇国臣民ナリ 忠誠以テ君国ニ報ゼン
           一、我等皇国臣民ハ 互ニ信愛協力シ 以テ団結ヲ固クセン
           一、我等皇国臣民ハ 忍苦鍛錬力ヲ養ヒ、以テ皇道ヲ宣揚セン


            作者 「大同民友会」顧問  総督府学務局嘱託 李覚鍾
171国粋:02/03/01 19:25 ID:gws6/UHh
日本の歴史教科書はすべて正しく、世界一精通している。

韓国の教科書はすべて間違っていて、イカサマである。
172:02/03/01 19:38 ID:T+ClyThZ
国定教科書なんか作ってる時点でチョソ
173:02/03/01 19:44 ID:Pn/M5tsX
 
   日本の敗戦直後、連合軍に相手にもされなかった韓国人
  (再び、下ろされた太極旗。 光復節は独立記念日でもなんでもない!)

 連合軍は八月十六日、総督府に機密命令を発し、しばらく総督府に朝鮮統治
 を続けることと、日本の朝鮮統治機構を保全し、これを連合軍に引き渡すよう
 に命じたのです。敗戦国日本にとって連合軍の命令は絶対です。八月十八日
 総督府はやむを得ず、朝鮮建国準備委員会に与えた行政権を取り戻しました。
 一旦は建国準備委員会の手に渡った統治機構も放送局も新聞社もすべて摂収して
 しまったのです。太極旗は下ろされました。
 朝鮮側は激怒しましたが、なすすべがありません。行政権を委譲されたとはいえ
 実際に朝鮮全土の治安わ維持していたのは日本軍と総督府の警察であったからです。
 そこで呂運亭は全土に「建国準備委員会」を発足させ、、百四十五の支部を基盤に
 ソウルに一千人余りの代議員を集めて「朝鮮人民共和国」の樹立を宣言しましたが
 朝鮮半島の命運に決定権をもつ米ソ両国に否認、無視されてしまいます。

                 「日韓2000年の真実」名越二荒之助
 
174名無しさん:02/03/01 19:45 ID:Y4pwCoHt
>>171
おいおい日本の歴史教科書のどこが正しいんだ?

左翼汚染が目立ちますが何か?
175:02/03/01 19:56 ID:Pn/M5tsX
         
            事大主義の悲劇!

  (連合軍に媚を売り、歓迎しに行ったら連合軍に殺傷された韓国人!)

 ホッジ中将率いる米軍が九月八日に仁川に着くと、「朝鮮人民共和国」の
 代表が迎えに出ましたが、全く相手にされませんでした。総督府から市民
 外出を禁止する指示があったのに、五百人ほどの朝鮮人が、太極旗や赤旗
 を掲げ、花束や贈り物をもってアメリカ軍に近寄ろうとしたところ、警備
 していたアメリカの警察部隊が発砲、死者五人を含む、多くの重傷者が出
 ました。しかし、ホツジ中将は警官の措置は正しかったと言って、誉めた
 のです。「アメリカこそ朝鮮を日本支配から解放してくれる救世主だ」と
 思い込んだ朝鮮の人々が哀れでなりません。

                「日韓2000年の真実」名越二荒之助
                (日本図書館協会選定図書)
176名無しさん:02/03/01 19:59 ID:Y4pwCoHt
>>175
そんなのの繰り返しだね。(ワラッ

で、アメリカが衰退したら米国人も裏切ると。
177これが歴史の真実ではないのか:02/03/01 20:27 ID:Pn/M5tsX

日本敗戦後、日本から独立する気も気概もなかった韓国人!
  
  (一旦は呂運亭らの「朝鮮準備委員会」に行政権を与えたがアメリカの
  命令で再び統治権を取り戻した日本に対し)
  かくまでの恣意的な凋落に対し、韓国の民衆は憤慨して決起することは
  なかった。
  かの三・一独立抗争(という名の単なる暴動)に見られる武装蜂起もなか
  った。レジスタンスもなく、本格的デモもなかった。
  連合軍が進駐してくる前に、自分達の手で帝国主義者を処分としておくと
  いう発想がなかった。/
  韓国光復軍といったところで、実はなにもしなかったのであった。
  いくら何でも正式の会戦で日本軍を破れ、ここまではルーズベルトもチャーチル
  も蒋介石も周恩来も要求はするまい。いや、考えてもみないだろう。しかし、
  重慶に本拠をおく大韓臨時政府の軍隊(?)たる韓国光復軍。せめて対日ゲリラ
  くらいには参加してもよかったのではないか。
  韓国の開放が日帝から戦いによって奪取したものではなく、日帝とアメリカの取引
  によって得られたものであること。
  この外傷が致命的な後遺症となって大韓民国を呪縛することになる。

              「韓国の悲劇」小室直樹著より抜粋
178 :02/03/01 20:36 ID:6U/isi2a
>>160
朝鮮の描写は、同時代の日本の描写を併せて引用するのが効果的だ。
179感想:02/03/01 20:45 ID:ap9LHMPD
このスレ読んでると、韓国人は昔から変らず韓国人だったのだと
本当につくづく納得してしまう。またこれも、歴史を学ぶ面白さでもある。
180かって日本の政治家は立派だった:02/03/01 21:11 ID:Pn/M5tsX
   
     このような歴史認識をするのが政治家の義務であろう!
 
  「日本の朝鮮統治は成功であった。日本は朝鮮に工場をたて、義務教育を
  ほどこし、近代化のスタートをきらしてやった」
                             吉田茂首相


  「欧米帝国主義諸国で、植民地にこんなことをしてやった国はひとつもない。
  日本帝国主義は誇るべき名誉の帝国主義だ」
                         外務大臣  椎名悦三郎
  

181フト スト 01 :02/03/01 21:24 ID:yVXGscVe
江藤隆美元総務庁長官が同じような発言して辞任に追い込まれたね。
今の日本人こそ正しい歴史認識が必要だ。
182:02/03/01 21:32 ID:EhnNAEp3
本日より韓国を
日本、アメリカ、中国3国による
共同管理地域と認定します
By MUNEWO SUDUKI
183かって日本の政治家は立派だった :02/03/01 21:33 ID:dv9qj6GN
そして娯楽の少ない当時、国民に「差別」という人類最高の娯楽を与えた。
かかった経費のモトは十分に回収した。
184>181:02/03/01 21:39 ID:QMAj9I1/
江藤発言は酷かったな。センセーショナルに一部をカットして伝えた奴を
さらに確認もせずに韓国が歪曲報道したんだよな。

あ〜いうことは何時までも通用しない。
185>183:02/03/01 21:42 ID:QMAj9I1/
その点、半島人は日本より数百年早く「差別」を身につけているのに
ちっともモトがとれないね(ワラ
華僑を追放したけど、今度は中国朝鮮族がくるし半島人に差別のタネはつきないな。
186かって日本の政治家は立派だった:02/03/01 21:45 ID:dv9qj6GN
>>185
日本はそれよりさらに数百年早い
ああ、差別大国
187いたち百四歳:02/03/01 21:48 ID:bBvGAJZj
ID:dv9qj6GN はキャデ君。
このスレは荒らさないほうがいいと思うので、一応ね。
188 :02/03/01 21:48 ID:6U/isi2a
西尾幹二が、中央公論の「日本の歴史」シリーズからだったかなあ、
ある歴史学者の文を引用して、「現在の日本人には理解できないだろうが、
明治時代に、『足利尊氏には人格的に優れた部分も会った』と発言した大臣
が辞任に追い込まれたことがあった。江藤氏の辞任も後世の日本人には
不思議がられるだろう」というような内容のことを書いていた。
189 :02/03/01 21:56 ID:dv9qj6GN
>>188
中世から近世にかけての出来事は、今でもいろいろと差し障りのあること
が多いみたいですね。戦国武将の活躍ばっかりクローズアップして、当時
の民生の様子がよくわからない。
平気で仏教を大弾圧するやつもいたし。タブー破りまくり。

よく勉強しとけ、アホの>>187よ。

190>186:02/03/01 22:00 ID:jiXaqyyv
>日本はそれよりさらに数百年早い

おこちゃま(ワラ
日本では華僑に50坪以上の土地を所有させないとか、ジャジヤ麺の値段を統制したり
ビルの所有を認めなかったりはしてないけどな。
朝鮮人の差別体質は朝鮮朱子学以来の筋金入りだからな。
あんたの爺さんもそれで日本に密航してきたんだろ?
191>189:02/03/01 22:02 ID:jiXaqyyv
仏教弾圧といえば李朝が本家。一万以上の寺を破壊し僧を賎民として山に追いやったもんな。
192 :02/03/01 22:03 ID:dv9qj6GN
>>190
日本人内部でいろいろやってたようですけど?

193:02/03/01 22:05 ID:EhnNAEp3
>>189
宗教弾圧は中世では世界中当たり前。
現在の価値観で400年前を言うな。
194そういや:02/03/01 22:06 ID:jiXaqyyv
中華街を有無を言わせず片っ端からぶち壊してたな。>韓国
そこに建ったのがシルラホテル。大団地群。あ〜韓国が羨ましい。

ところで日本人妻は無事かな?
195 :02/03/01 22:07 ID:dv9qj6GN
>>191
当時にお寺が1万以上もあると信じてる方がバカ
お寺1軒が檀家数100件くらいでやっていけるか ヴォケ
196いたち百四歳:02/03/01 22:07 ID:bBvGAJZj
>>192
http://kaba.2ch.net/test/read.cgi/korea/1014299497/l50
続きはご臨終待ちスレでどうぞ。
197 :02/03/01 22:09 ID:AKiFiyxc
>>196
ワラタ>ご臨終待ちスレ
198 :02/03/01 22:10 ID:6U/isi2a
>>194
日本人なんて三国人に一等地をぶん取られたからな。
奴ら、今でも居座っている。ど〜なってんだ、この国は?
199李人稙(1862-1916):02/03/01 22:10 ID:jiXaqyyv
【血の涙】
両班たちが国を潰した。
賎民は両班たちに鞭打たれて、殺される。
殺されても、殴られても、不平は言えない。
少しでも値打ちがあるものを持っていれば、両班が奪っていく。
妻が美しくて両班に奪われても、文句をいうのは禁物だ。
両班の前では、全く無力な賎民は、自分の財産、妻だけでなく、
生命すらその気ままに委ねられている。
口一つ間違えればぶったたかれるか、遠い島へ流される。
両班の刃にかけられて、生命すら保つことができない。
200 :02/03/01 22:11 ID:dv9qj6GN
>>198
オマエが直接文句言え