1901年 大韓帝国地理書「大韓地誌」玄采著附属江原道地図
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2007/10/1901.html 1899年の大韓帝国皇城新聞の記事 によると、于山島竹島が鬱陵島の最も顕著な島である、とあります。
韓国の歴史学者は、"于山島竹島"を二つの別々の島である、と解釈していますが、韓国の古文献や古地図
の例では、こうした場合はむしろ一つの島が、二つの異なる名前を持っていた、と考えるのがより適切だと
思われます。"于山島竹島"と、"于山島"が"竹島"の前に来ていますよね?この事は、たとええこれが
二つの島を指していたとしても、于山島の方が先に来ていることからより大きな島である事を示しています。
鬱陵島の隣接島の竹嶼は竹島/Liancourt Rocksより遥かに大きいので、やはりこの竹嶼が"于山島"と呼ばれて
いた事を示しているのです。それに、鬱陵島から92kmも離れた竹島/Liancourt Rocks/独島が、
本当に鬱陵島の隣接島として認識されていたのでしょうか?
1900年、大韓帝国は鬱陵島を江原道の一郡として昇格します。その勅令41号に於いてそのことが公布され、
鬱陵島、竹嶼(竹島)、そして石島が郡を形成するとされました。その前年の皇城新聞の記事に最も顕著な島、
として書かれた于山島はこの勅令では何もふれられていません。このことから、唯一考えられるのは、
(新聞記事の)"竹島"と"于山島"が一つの島に対する二つの名前であり、大韓帝国政府が"竹島"を"于山島"
の代わりに正式な名称として採用した、ということです。さらに、韓国側はこの勅令に出てくる"石島"が
竹島/Liancourt Rocks/独島のことだ、と主張していますが、これを肯定する地図はおろか、文献すら韓国には
なに一つありません。石島は、文字通り石の島であり、鬱陵島の周囲に無数にある岩礁を示す総称として
使われたのではないでしょうか?
1900年勅令41号の石島|国際法から見る竹島問題
http://takeshima.cafe.coocan.jp/wp/?page_id=267 2.3 「石島」→「独島」→そして再び「石島」
ここに2つの報道記事がある。1906年の5月と7月の共に皇城新聞の記事である。
1906年5月9日皇城新聞
「本郡所属の獨島は外洋百余里の外に在るが、本月四日に日本官人一行が官舎に来到し、自ら云うには、
獨島が今日本の領地になった故、視察のついでに来到し。。。。」
1906年7月13日皇城新聞
「鬱島郡の配置顛末 統監府から内部に公照された江原道三陟郡管下に所在する鬱陵島の所属島嶼と
郡廳設始月を示明せよとの故に答酬され、光武二年五月二十日に鬱陵島統監として設證され、
光武四年十月二十五日に政府会議を経由して郡守を配置したが、郡廳は台霞洞に置き、該郡所管島は
チュク島と石島。東西が六十里で南北が四十里なので、合せて二百余里だという。」
韓国の主張する「訛による変化説」を適用すると5月には「独島」、2ヶ月後には再び「石島」に戻ったことになる。
これでは文字の役割さえ果たせないだろう。なお、全羅道沿岸にも「石島」と表記される島が沢山あるとの
情報もある。「石島」から「独島」に漢字表記が変更された事例の1つでも提示いただきたいものである。
バーチャル国際司法裁判所、石島は竹島ではないか
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3500/1115388422/ 129 :于山島はJUKDOです。:2007/12/17(月) 17:23:48
「石島は独島」説否定 最古の鬱陵島絵図2枚確認 山陰中央日報より
ttp://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=445698006 1702年作製とみられる「欝陵島図形」。1699年の絵図とは逆方向から描かれており、
「大于島」「小于島」は左側にある
作製時期について下條氏は、朝鮮王朝を記録した粛宗実録を基に「鬱陵島探査を命じられた役人による
一六九九年と一七〇二年の官製地図とみられる」と推測。従来、最も古いとされてきた一七一一年の
「欝陵島図形」をさかのぼるとした。
石島=観音島論
1.竹嶼の次に顕著な附属島は観音島
1699.1702 欝陵島圖形で、観音島そのままの形の島に、小于島(小さい于山島)と書かれる。
1882.李圭遠の地図「欝陵島外図」で観音島が島項Seommokと記載される。
1902年外務省通商局編纂 通商彙纂 付録 韓国鬱陵島事情 第一:鬱陵島の地勢において、
島牧(島牧Sommok=観音島(日)=島項Seommok(韓))として観音島が記載。
1909.韓国水産誌の附属図で、観音島が”鼠項島”と書かれる。
地勢の説明では、竹嶼Jukdoの次に大きい島として記載されている。
この水産誌の巻末の地名Indexにおいて、鼠項島は、”ソ”の欄にあり、
おそらくSokoDoソコト/ソクトと思われる。