【吉田ドクトリン】日本をこんな国にしたのは吉田茂

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159名無しさん@お腹いっぱい。
【コラム】【歴史に消えた参謀】吉田茂と辰巳栄一(43)朝鮮戦争の勃発[10/12/26]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1293367488/1-2
ttp://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101226/acd1012260738004-n1.htm
 本州西端の山口県は、対馬のある長崎県と並んで朝鮮半島からの密航者の多い土地であっ
た。田中義一元首相の長男、龍夫は昭和22年、36歳でその山口県の民選知事になると、
庁内に「朝鮮情報室」をつくった。

 田中龍夫は単なる傍聴を指示するだけでなく、半島内に「情報員までも派遣していた」
(庄司潤一郎「朝鮮半島と日本」『MAMOR』所収)という周到さである。国内の地方
自治体が、半島に限っては政府をしのぐ情報力を持っていた。
 その朝鮮情報室が25年に入って、半島情勢に異変があることを察知した。
 庄司によると、田中は6月21日に上京して、大磯の別邸にいた首相の吉田茂に「北朝鮮
が侵攻する可能性が高いから、何とかしてほしい」と訴えた。事変が起きれば、無数の難民
が山口県に押し寄せ、亡命政権ができる可能性すらあった。
しかし、吉田はわずか3日前に38度線を視察したジョン・F・ダレス特使(後の国務長官)
が日本に立ち寄り、「米軍の士気は旺盛で装備も充実しており、決して心配ない」と言った
とニベもなかった。

 開戦と同時に、ウィロビーは首相、吉田の軍事顧問である辰巳らと接触した。

 日本には韓国を併合(1910年)して以来35年間にわたる朝鮮統治の蓄積があった。
そのトップである朝鮮総督は、歴代陸海軍の現役大将が握ってきたことから軍内部に朝鮮
半島に関する情報が集中していた。
 辰巳らのアドバイスを受けて、ウィロビーは戦争勃発の翌26日には、丸の内の日本郵
船ビルに旧陸海軍の情報将校を中心に陸軍陸地測量部、海軍水路部の専門家を招集した。